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二階堂国務
大臣 いまお尋ねになりましたこの
立川基地をめぐる問題、私も事態の
解決をはからなければならないと思って、非常に注意深く見守っておるわけでございます。
この
基地の問題をめぐっては、
大出さんもえらい苦労をされましたが、相模原補給廠の問題等もありまして、その際に市民との間に感情の対立があって、好ましからざる事態が起こるということは決していいことではありません。ですから、いろいろな角度からいろいろな人の
意見も聞くし、
国会の
意見も聞くし、あるいは
市長の
意見も聞いて、まあああいう事態の推移を経てきておるわけでございますが、今回この
立川の
基地の問題にしても、気持ちとしては同じような気持ちが私も
国民の一人としてするわけでございます。
これに関連して、この
移駐をきめたときの
閣議で
防衛庁長官から、
話し合いを続けて円満な
解決のもとに
移駐の
実現をはかりたいという気持ちでずっとやってきたが、なかなかそういう事態は到来しない状態でありますし、
自衛隊の
移駐については、去年の三月ですか、先遣隊が
移駐したときもいろいろ問題があったことは、私も
予算委員会等におりましてよく
承知いたしております。今度も、その先遣隊に続いて、災害救助体制の一環として
防衛庁のほうも、ぜひひとつある程度の
部隊を入れなければならないのだ、そのためには当局者として
話し合いを続けていくことがたてまえだということで、私も、
防衛庁長官あるいは
政務次官に対して、ちょうど
長官も御
病気中でありましたから、あくまでも
話し合いをしなさいということを再三再四申し上げて、その
努力はしていただいたわけでございますが、何しろああいう状態でございましたし、
話し合いもできない、最終的には拒絶だ、
抗議だという形になって、
政府の側から申しますと、
話し合いの
機会ができなかった、こういう結論になったものですから、
防衛庁長官とされましても、
防衛活動をやるのじゃないのだ、とにかく万が一、ニカラグアの災害な
どもあった
あとでありますから、何かそういうことも考えられて、そういうことのためだからやむを得ないということで、
防衛庁長官から
閣議で
発言がありました。そのことについては
総理も一口も
発言されず、これはやむを得ない、きめなさい、こういうことで、そのことについては
移駐がきまったわけであります。これは、何もかも
閣議の話をすると、
閣議でほんとうの
話し合いができなくなりますので、したがって
閣議の話は、一から十まで実際は公表できないというたてまえでありますが、私もコメントを求められて何か言っておるように記憶いたしておりますし、
防衛庁長官も二度にわたって引き出されて、そうして何か発表しておられるようでありますが、そのときのいきさつを申し上げますと、その案件についてはすでに
閣議できまったわけです。その
あと二、三案件がありまして、それで
最後に終わりごろになって、私が、これで
閣議を終わりますという宣言をするときになって、
総理から、この
立川とあそことの間はどのくらいありますかね、というようなお尋ねがありましたことは事実であります。ああそうかと——それからもう
一つは、このように密集した都会の中にこういう問題が起こることは将来よく考えるべきこともあるなという
自分の考え方を、正式の
発言でなく言われたことは事実であります。それが正式に
総理が、もう一ぺん考え直せとか、あるいはもとに戻せとかいうことを
意味されたものではありません。案件がはかられたときには、
総理も、満場一致
皆さんも、それをきめたわけであります。二つか三つほかの案件があって、
あとになって、そういうことの考え方といいますか、
自分の感想を漏らされた、それが一部の新聞に——ある閣僚でしょう。これは何かあったということで、それが新聞に出たというのでああいうことになったと思いますが、それで私は、大きな案件は、
閣議の
あと記者会見をして、できるだけこまかく、あまり正直過ぎるんじゃないかといわれるくらい私は申し上げておるんですよ。ときどき人からもやかましく言われることもありますけれ
ども。これは
閣議というのは、国政の重要なことを
協議する場所でもありますし、いろいろなことを報告するのが私の気持ちでもありますし、報告いたしております。そのときには、それは大きな案件として、あるいは法律事項としてきめられたことでなかったから、そういう気持ちをただ軽く表明されたにすぎないと、こう受け取ったものですから、そのときの
閣議の
あとの
記者会見では一言も私は申しておらないのでありますが、そういうことでああいうことになったと思います。
しかし、繰り返して申し上げますが、この
移駐に関する案件につきましては、
総理は、そのきまる前に
発言されたものではございません。ですから、そのことについては、もういきさつもよく御
承知の上でやむを得ない、やるべきだということできまったわけでありまして、その
あと、先ほど申し上げたようなことで出たわけでございます。その
あと私も再度、
記者会見のときに
質問を受けましたから、この
基地をめぐる問題は、御
承知のように、これが全国的に波及したり、地域民の感情の対立を来たしたり、あるいは自治行政の上にいろいろな思わざる事態を惹起する。今度も
自衛隊員の登録の問題で、いろいろな問題が起こっておるようでございますが、こういうことが起こることは、これは議論を両方からすれば限りない議論があると思いますけれ
ども、
政府は
政府の
立場において
責任をもっていろいろやらなければならないことは、あえてやります。その反面また、自治体の
方々や地域住民の
方々の
意見も、全然聞かないわけではありません。
私は
国会その他の場において、
大出さんその他の
方々の御
意見も聞いておりますし、陳情団も来ますし、
各党の
方々もそのことを
抗議に来ておられますから受けますが、しかし、そういうことで相模原補給廠の問題以来私も頭を悩まして、何で
官房長官という席にぼくが来たのかなと思いながら——ほんとうですよ。なかなかむずかしい問題ですよ、この問題は。ですから、これだけ頭を悩まして毎日苦心しておるんですよ。きょうも
皆さんの議論があって、朝から頭が痛かったわけですが、ここに引き出されるとお答えしなければならぬ。あまり歯切れのよくない御
答弁をするのは心苦しいと思いますが、しかしこれは、言うことは言っておかなければなりませんから申し上げますというだけで……。
そういうことがありますから、先日もインガソル大使に会ったときに率直に、いわばこの
基地問題というのは、国内の
国会あるいは七〇年代の大きな問題ですよ。ですから、私
どもも言うことは言わなければなりません。
国会でも議論にならぬ
国会ではありません。ですから言うことは前向きで言いますよ。そうして少なくとも
基地などは、
国民から見て、あんなところに何でとか、あるいはゴルフ場など持っておるところもありますから、そういうものは返してもらわなければ、日本の
国民が困りますよ。自民党だけ困るんじゃないですよ。こういうことまでざっくばらんに私は申し上げておるんですよ。この前、帰るというから、お帰りになったら、そういうことも
理解してもらわなければ、あなた方の軍があるんですから、軍の当局の
方々にも話をしておいてくださいよ、そうでなければ私が頭の毛が白くなるほど苦労しておりますよということも話したんですよ。
今度の
立川問題等についても、私はよく詳細は
承知いたしておりませんが、東側は一両年のうちに返還しましょう、西側民有地のところは三、四年のうちには返します、そんな長いことを言っちゃ困りますよ、できるだけ早く返してもらうようにひとつ私もお願いしますが、また言いたいことはどんどん言いますよ。しかしお気にさわることがあるかもわかりません。なるほどアメリカは軍がありますから、軍の下に大使館などがあって、言うことは頭から言われると困るでしょう、しかし私は言うことは言わなければなりません、こういうことを言っておいたのです。
そのときも、そういう意思を伝えようと思って申し上げたのでございますが、先ほど
大出さんの話がありましたとおり、二十三日ですか、日米安保
協議会というのですか、そこでもこういう問題が出る。出て、そうして少なくともこういう情勢は、全部
防衛庁当局も外務省当局も出ておりますから、話をしてもらって、全体の中でこういう問題はやはり
解決するように
努力しなければ——一方は、会わぬよ、
抗議だ、こっちはあくまでも会ってくれということでは、なかなか事態の
解決はできない。佐藤
内閣以来、
話し合いをして仲よくやっていこうじゃないかという佐藤さんのお気持ちもあった。それを
田中総理も引き受けて、できるだけ
話し合いをしていこうじゃないかという気持ちには変わりはございません。だから私は、そういう気持ちを端的に表現するために、インガソル大使と会ったときも、率直に、すなおにその気持ちを申し上げている。何とか
皆さんたちの御協力、当局の御協力を得てこういう問題を
解決するように、とにかく
努力をしていただきたい。私
どもも
皆さん方の御意思を受けて最大の
努力をいたしますが、
皆さん方も代表せられている
方々でございますから、その
立場においてひとつ
政府当局の
立場をお考えの上、また地域住民の問題もありますから、何とか
お互いに
努力を重ねていってもらいたいというのが私の真意でございます。
以上、申し上げましたが、足らないことがあるかもわかりませんが、私の率直な気持ちを
皆さんに申し上げておきたいと思うのであります。