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1973-06-19 第71回国会 衆議院 社会労働委員会公聴会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十八年六月十九日(火曜日)     午前十時七分開議  出席委員    委員長 田川 誠一君    理事 塩谷 一夫君 理事 橋本龍太郎君    理事 山下 徳夫君 理事 川俣健二郎君       大橋 武夫君    加藤 紘一君       瓦   力君    小林 正巳君       志賀  節君    住  栄作君       田中  覚君    高橋 千寿君       中村 拓道君    羽生田 進君       増岡 博之君    枝村 要作君       大原  亨君    金子 みつ君       島本 虎三君    田口 一男君       田邊  誠君    多賀谷真稔君       村山 富市君    山本 政弘君       石母田 達君    田中美智子君       坂口  力君    和田 耕作君  出席公述人         一橋大学名誉教         授       山田 雄三君         法政大学教授  力石 定一君         元サンケイ新聞         編集委員    高橋 思敬君         全国紙パルプ産         業労働組合書記 庄司 博一君         全国老人クラブ         連合会会長  石川 栄一君         明治大学教授  吉田 忠雄君         社会福祉法人清         明会理事長   曽我 恒市君         日本繊維産業労         働組合連合会中         央執行委員長  小口 賢三君  委員外出席者         社会労働委員会         調査室長    濱中雄太郎君     ————————————— 本日の公聴会意見を聞いた案件  厚生年金保険法等の一部を改正する法律案(内  閣提出第五一号)  国民年金法厚生年金保険法等の一部を改正す  る法律案八木一男君外十六名提出衆法第一  四号)  国民年金等積立金運用に関する法律案(八  木一男君外十六名提出衆法第一五号)      ————◇—————
  2. 田川誠一

    田川委員長 これより会議を開きます。  内閣提出厚生年金保険法等の一部を改正する法律案八木一男君外十六名提出国民年金法厚生年金保険法等の一部を改正する法律案、及び国民年金等積立金運用に関する法律案の各案について公聴会に入ります。  本日御出席をお願いいたしました公述人方々は、一橋大学名誉教授山田雄三君、法政大学教授力石定一君、元サンケイ新聞編集委員高橋思敬君全国紙パルプ産業労働組合書記庄司博一君、全国老人クラブ連合会会長石川栄一君、明治大学教授吉田忠雄君、社会福祉法人清明会理事長曽我恒市君、日本繊維産業労働組合連合会中央執行委員長小口賢三君、以上八名でございます。  この際、公述人方々に、当委員会を代表いたしまして一言ごあいさつを申し上げます。  本日は御多用中のところ御出席をいただき、まことにありがとうございました。  御承知のとおり、現在本委員会におきましては年金関係三案を審査中であります。この機会に広く各界からの御意見を拝聴いたしまして、審議参考にいたしたいと存ずる次第であります。何とぞ、公述人方々におかれましては、それぞれのお立場から率直な御意見をお述べいただきたく存じます。  議事都合上、最初に御意見を十分ないし十五分以内に要約してお述べいただき、そのあと委員からの質疑にもお答えを願いたいと存じます。  念のため申し添えますが、議事規則の定めるところによりまして、発言の際は、そのつど委員長の許可を得ていただくことになっております。また、公述人方々からは委員に対して質疑ができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願います。まず、山田公述人に御意見の開陳をお願いいたします。山田公述人
  3. 山田雄三

    山田公述人 山田でございます。  ちょっとあらかじめお断わりしておきますが、私、何か自民党推薦ということになっているようでございますけれども、私の申し上げたいのは、党派的な立場からの発言ではございません。むしろ、いろいろ党派的に意見が分かれているのをどのようにまとめることができるか、まとめるにはどういう手がかりが必要かというような立場から申し上げたい、こう思っております。  もう一つあらかじめお断わりしておきますが、年金の問題につきましては、長期的な問題と、それから短期的な問題とございまして、ここでの御審議もおそらくそういう問題に全部にまたがっていると思います。ただ私は、時間の都合なんかございまして、むしろ長期的ないわば年金財政見通しという問題に焦点を向けたいと思います。ただ、そのことは、短期的な問題、たとえば経過的な措置をどうするとか、福祉年金をどうするとか、経過的にいろいろな問題がございまして、その改善策ということを決して無視するわけではございません。ただ経過的な、あるいは今日非常に必要に迫られている問題にあまりとらわれて、何か長期的な見通しのほうを軽視するという向きがどうもあるような気がいたします。それから、議論をいろいろお聞きしていますと、大体昭和七十年ぐらいまで考えまして、あとはまあどうにかなるだろうというような御意見も間々聞かれるのでございます。そういうことにつきまして、私はむしろここでは長期的な年金財政見通しというようなことに焦点を合わせて、必要に応じて短期的な問題ということに触れたい、こう思っております。  さて、日本年金給付費がきわめて低いということは、これはだれしも否定いたしません。年金給付費国民所得に対する比率で申しますと、これはどこにも書いてございますが、日本では、〇・四%とか〇・五%とか、一%には満たないのであります。ところが、ドイツなんかは、これはちょっと古い数字かもしれませんが、一九六六年の数字で八・八%ということになっている。これはべらぼうな差でございます。そういう意味から、何とか日本年金制度改善しよう、あるいは給付費を引き上げようという問題が起こるということは、これは言うまでもございません。  ところで、確実に言えますことは、いまから日本でも受給者の数がどんどんふえるという点でございます。厚年はもちろんでございますが、国年もいまからふえてまいります。厚年もふえれば国年もふえまして、こまかい数字は省きますけれども、合わせて、昭和八十五年になりますと、受給者は今日の大体十倍以上、十一倍をこえるかもしれませんが、十一倍ぐらいにふえてまいります。この場合に、老齢年金以外に通算も、それから、障害、遺族、さらに母子、そういうものを含めて受給者というふうに考えますけれども、大体十一倍ぐらい。福祉年金は八十五年にはほとんどゼロになります。いま三百五十何万人ですが、それがだんだん減りまして、八十五年には減ってまいります。しかし、先ほどのようにほかの厚年国年合わせて十一倍、これは大体確実に言えることです。いろいろ計算上の前提ございますけれども、大体それはいまから覚悟しておかなければならないわけです。しかも八十五年がピークかと申しますと、どうもまだ厚年はふえます。  それから被保険者のほうでございますが、保険料を納める人は八十五年までに大体二%くらいふえるわけです。被保険者が一三%くらいふえて、受給者が十一倍ふえる。そうなりますと結局受給者に対する負担というものがそれだけ大きくなるということは、もう申すまでもないわけでございます。  問題は給付水準をどう引き上げるかということでいろいろ御意見が分かれるわけですね。そうして確かに、どういう標準でベースアップを考えるか、あるいはスライド制をどのような形で導入するか、いわゆる成熟という問題がございますが、成熟をどのように促進するか、成熟を促進するというのはかなり短期的な問題になると思いますが、そういうことを含めまして長期的な見通し考えなければならないわけで、そこにいろいろ御意見の分裂があるわけでございますが、政府案によりますと、大体給付費総額も、厚年がただいま三千六百三十億円、それが七兆五千億円になる。これは今日の時価で、今日の価格で申します。ほんとうは経済成長したり物価も上がりますからもっとふくらむのですけれども、頭へ入れいいために今日の時価で申しますと、七兆五千億でございます。国年は八百億円のが二兆円というふうに、いずれも二十倍あるいは二十五倍増加してまいります。国民所得というのを八十八兆円と考えますと、——これはGNPだともうちょっと、二割方ふくらみますけれども、国民所得ということに考えまして八十八兆円と踏みます。それでいまの給付費を割りますと、厚年だけで八・五%という割合になります。もし国年を含めますと一一%くらいになるというわけです。前にドイツが八・八%と申しましたけれども、日本の将来のそういう見取り図は決してそんなに劣ったものではございませんどころか、ちょっとわれわれから申しますと多少心配もあるわけでございます。四党案によりますと、大体時価に直しますとどうも十三兆くらい、これは政府案よりは標準的な給付水準が六割くらい増しておりますし、そのほかいろいろなことがございまして、大体十三兆ということて、もし十三兆だといたしますと——これは厚年だけです。厚年だけで十三兆だといたしますと、国民所得の比は一四・八%、一五%に近いということになります。国年を含めますとさらにもっとふえて一七%くらいになるのじゃないかと思います。これは、それをどう評価するかということでもちろん意見は分かれます。私なんかどっちかというと非常に心配だというふうに考えますけれども、なあにそのくらいは何とかなるさというお考えもあろうかと思うのですが、ただ、国際比較なんかをいたしますと、やはりドイツの八%ないし九%というのはかなり高いわけでございます。それをオーバーするわけですから、どのくらいオーバーするか、これも老齢人口がどのくらいになるかというようなことで多少違います。今日のドイツと八十五年の日本では、日本のほうがちょっと老齢化が進みます。ですから多少オーバーしてもいいわけですけれども、しかし一〇%あるいは一七%の給付費があるということは、これはわりあいシリアスに考えてよかろうと思うのです。その点が一つ申し上げたい点でございます。  で、これに伴いまして負担という問題がもちろん出てまいります。負担につきましては、これはもちろん厚年国年と違いますけれども、厚年では被保険者使用者及び国費負担という三つがございます。それから国年のほうは使用者事業主負担というのはないわけでございますが、それはとにかくとして、国の負担を多くするか、あるいは被保険者負担あるいは事業主負担を多くするかということも、またこれで意見の分かれるところは御承知のとおりだと思います。  政府案並びに四党案はそれぞれ多少——多少どころかかなり差があって御議論をされると思いますけれども、ここで私ちょっと申し上げたいことは、国費負担を多くしながら年金をやっていこうという国はもちろんございます。スウェーデンもそうですし、イギリスもそうです。ただスウェーデンあたりは、少し修正をしようということで補足年金というのがスタートいたしましたけれども、それは国費負担は全然ないというような制度でございます。あとで申します積み立てという制度でやろうということでございます。それからイギリスとかオーストラリア、ニュージーランドが国費かなり多い国でございますけれども、そういう国はどうも給付水準が低いのでございます。これに反しましてドイツとかあるいはフランス、イタリアなんかは保険料を取るというたてまえの保険主義ですね、それでやっております。保険主義がいいかあるいは国費負担がいいかということは非常に大きな問題でございますけれども、まあ経験的な法則としては、あまり国費にたよるということになりますと、どうも給付水準が上がらないということはございます。ただ社会主義のチェコのような国は国費負担で、しかも水準はわりあい高い。これは昔の伝統がかなり残っておるわけですね。それに乗っかって社会主義的な施策をやっておりますものですから、これは給付水準かなり高いわけてございます。それで、その辺を日本としてはどういうふうに歩んだらいいか。これは一長一短ございますのでその辺を慎重に考えなければならないというふうに思いますが、それが第二番目の点でございます。  第三番目に、もう時間もございませんから簡単に申し上げますが、積み立て方式賦課方式という問題がございます。これは政府案にしても四党案にしても、いずれは積み立て金が切りくずされて、そして半年分とかあるいは一、二年の準備金を置かなければならないという制度に移行するという点においてはほとんど一致しております。ですから純粋に賦課方式がどうだとか、純粋に積み立て方式がどうだということは、いまの時点ではどうも議論にならないのではないかというふうに私自身は考えております。  ただ、政府案だと多少保険料を高くして、例の準備金を二年ぐらいの準備金でやっていくところへ移行する時期を少しおくらしていこうというわけでございます。四党案だと六十五年ぐらいからですか、半年ぐらいの準備金でやっていこうという制度に移行するわけでございます。まあ、その点どちらがいいか。そして六十五年で勝負がつくわけじゃございませんで、先ほども申しましたように八十五年とか、あるいはどうも私の考えでは、大体昭和百年ぐらいまでのところの見通しをつけておきませんと非常にあぶないんじゃないか。もちろん将来になればなるほど不確実です不確実でありますけれども、不確実だからどうでもいいというわけじゃございませんで、計画といたしましては多少の見通しをつける。具体的にはもちろんその場その場でやらなきゃならない点がいろいろあろうかと思います。  それから最後に、省略いたしました経過措置の問題あるいは短期的な問題について一言だけしておきますが、福祉年金を引き上げるとかあるいは谷間の老人年金考えるとかいうことは、確かに焦眉の問題でございます。その点はいいんですが、これは財政的にどう考えるかという点と、それからもう一つは、そもそも年金というものを受けとめる国民態度をどう考えるかという問題が二つからんでいると私は思っております。まあ社会経済のいろいろな変化でそういう財政負担が高まるということは、今日の情勢としては認めなければならないと思います。国費負担も多少とも高まってまいります。  しかし同時に民主主義と申しますか、ヨーロッパではよくセルフヘルプ原則ということを言いまして、自分たちの生活は自分たちで守って、そうして足らざるところを共同的に見るんだという原則がございますが、これは国民性をどういうふうに考えたらいいかという問題につながるわけでございまして、財政問題と国民的な態度というものをからませながら、こういう経過措置をどのように処理するかということを考えなければならない、こう思います。  ちょっと抽象的になりましたけれども、一応考える場合の材料あるいは見方というようなものを申し上げて、御参考になれば幸いだと思います。
  4. 田川誠一

    田川委員長 次に、高橋公述人にお願いいたします。
  5. 高橋思敬

    高橋公述人 私も先ほど山田公述人がおっしゃいましたような立場を何がしかとらせていただきたいと思いまするが、ただ、現在出ております法案を中心に私の考えを申し上げたいと思います。  今回の政府提案年金法改正案というものは、現在働いている人の平均標準報酬の六〇%を保障するという考え方に立っております。これはいままでのようにこの人については何万円、この人については何万円ということでなくて、そのときそのときの働いている人たち賃金と申しますか所得と申しますか、そういうものに連動した仕組みを採用した、国民年金もその水準に合わせてやってあるというようなことで、在来の年金考え方とは非常に違ったものをとっております。それと同時に、それに合わせるためでもありますが、過去の標準報酬を再評価する、そういうようなたてまえをとっているわけであります。これは言うなればいままでにない考え方であります。  また、消費者物価ではありますが、とにかく自動スライド制をとって年金価値維持につとめている、これも初めてのことであります。これは賃金をとるか物価をとるかということについてはいろいろ議論がありますので、これは後に申し上げますが、とにかく自動的なスライド制をとった。これもまた年金価値維持のために非常に画期的なと申しますか、新しいことであります。  それからもう一つは、国民年金のほうでありますが、どうしてもこれは日本の場合だと無理かと思いますが、福祉年金拠出制年金というものにどうしても差があります。それでなるべく拠出年金のほうにつないだほうがよろしいかと思いますが、その意味では経過的な五年年金というものを再度復活いたした、そしてなるべく拠出制年金に結びつけようとした、そういうようなたてまえをとっております。  それからこれは年金そのものではありませんが、積み立て金を活用いたしまして、被保険者のための個人用の住宅の融資をやろうとしております。そういうようなことがあります。  これらのことは、ことしになっての答申は別といたしまして、昨年の十月に社会保険審議会あるいは国民年金審議会年金に対する意見書を出しております。それの大筋から非常にかけ離れたものではない。大体そのときの要望をいれたものとして考えられると私は思っております。  まあ、個々の改善は別といたしまして、そういう形で全般的な改善が行なわれている以上、ある程度の保険料の引き上げもこれはやむを得ないのではないか。これは同時に、先ほど山田公述人がおっしゃいましたように、かなりな程度将来負担がふえてまいります。その負担感じをなだらかにする。それで場合によっては、給付改善がなくとも負担がふえる場合も将来あるかもしれない。そういうときにも応じるためには、ある程度の負担の増加というものも考えておくべきではないかというふうに考えております。  そういうことで大体の評価を終わりますが、ただ、それではこの年金がすべてけっこうずくめというふうには私は実は思わないのであります。これは先ほど軽くお触れになりましたが、経過的な措置の問題であります。この年金制度というものは、政府案にいたしますと、一定の年数をかけ終わった人、つまり完全年金と申しますか、そういう人のためにはある考えられる一つ水準を示しております。しかしながら現にその年金に結びつかない人、あるいは年金に結びついていてもその年数が短かったために年金額が少ない人、そういう人たちが目下の急務として存在するわけであります。それに対する経過措置がはたして厚かったかどうかということであります。これは厚生年金仕組みを見ますと、厚生年金というのは御存じのとおり定額部分報酬比例部分とございますが、一般的には加入年数に比例して年金額がふえるようになっております。ですから、この経過的な措置をどうとっていくかということについては、現在の仕組みをそのまま踏襲する限り、かなりむずかしいところがございます。単に伸ばしますと、将来の問題が起こってくるというような感じがいたします。ただ先ほど申し上げましたように、御存じのとおり定額部分がある。これはだれにでも、これにも二十年から三十年の間には差がございますが、定額部分があります。その定額部分の比重をここしばらくは報酬比例部分より厚くしておくというような措置がとれないかということを私は考えるわけであります。  それから、これは社会保険審議会報告書にございましたが、かつて厚生年金に入っておりまして、期間が短かったために、脱退手当金をもらったり、あるいはもらえなかったりして離れていった老人がいるわけであります。このお年寄りが現にいま福祉年金をもらっておられる、そういう年齢階層であります。その方たちを、これは行政的にはむずかしいというようなことも言うようでありますが、過去に厚生年金に入っていたというような証明をとることによって、現在の厚生年金制度に結びつけるという方法はないものかというふうに私は考えております。  それから国民年金のほうでございますが、国民年金のほうは、五年年金、十年年金のほうは、今回は国庫負担もふやすような形で多少の傾斜をつけてあります。昔は国民年金というのは直線的に年数比例であったように記憶しておりますが、今回の五年年金及び十年年金のほうは多少傾斜を強めてある。傾斜を強めると申しますか、手厚くしてあります。たとえば十年年金のほうは一万二千五百円、これに対して二十五年年金は二万円ということになりますと、十年年金のほうが幾らか金額的には有利になっておる、そういうことにはなっております。しかしまだこの傾斜の度を、これはどうせ経過的な措置でありますから、その傾斜の度をもう少しふやすことはできないだろうかというふうにも考えるわけであります。  それから、問題は無拠出福祉年金でございます。これはかつて福祉年金を全部の年金の底へ敷くという思想がありましたが、現在はこの福祉年金というものは経過的、補完的な年金だとされております。これをもらっている階層が、七十歳以上では圧倒的である。その人たちに対する手当てをこのままの形で進めていってよろしいか、あるいは国会で、聞くところによりますと、政府のほうは昭和五十年ぐらいには福祉年金を一万円にするというふうに言明したようにも聞いておりますが、そういたしますと、たとえば今度の五年年金ですとこれは八千円であります。先ほども申し上げましたように、拠出しましたものと無拠出のものとの格差がどうしてもあるというならば、そこでまた考えなくちゃいかぬ。そういう福祉年金の性格、しかも先ほどおっしゃいましたように、昭和八十五年でほぼ消滅する年金であります。そういたしまして、ただいまの計算上は昭和五十年度がピークになっているのが、老齢福祉年金だけでありますが、老齢福祉年金でありますので、その点をもう少し配慮してはいかがかと私は考えております。  これは言うなれば年金の経過的な措置といいますかそういうものでありまして、将来の本来年金の姿に影響を与えずに済むかどうか、なるべく言うなれば与えない形ででもそういう経過措置はとるべきであるまいか、そういうふうに考えます。そうすることによって、現在の修正積み立て方式というような方式傾斜の度を、修正の度を強めることがきるのではないか、そういうふうに考えております。  あと二、三点申し上げておきますが、まず自動スライド制の問題でありますけれども、これは国民年金のほうは賃金を対象にとることができないというような点では、ある意味では物価スライド制をとらざるを得ないとは思いますけれども、ただこれは自動的なスライド制でありまして、年金制度御存じのように五年ごとの財政計算のときに年金額を見直すという仕組みになっております。ただ、これがもし五年でありますと、これは現在のような経済変動の激しい時代にはかなり無理ではないか。それも踏まえたのでありましょうか、政府のほうは今度は、厚生年金では一年、国民年金では二年というふうに縮めております。しかしこれをたとえば三年なら三年おきに財政計算をやる、その間は物価スライドでつないでおくというようなことでやっていけば、それをルール化することができればある程度の、両方相まっての年金価値維持ができるのではないかと私は考えます。  それから、今回は過去の標準報酬の読みかえをいたしておりますが、これがこの次のときまでにもやるのかどうか、そこの辺が明らかでないというところが一つの問題であると私は思います。これはもし賃金が上昇いたしている状態のときにその再評価をするかしないか、これはたとえば標準報酬上下限を随時弾力的に改定することをやっていけばある程度救われるかと思います。しかしそれをもしやらないでいるのならば、この読みかえというものは将来とも考えていくべきではないか、そういうふうに思います。  それから、積み立て金運用についてはかねがねみんなの希望の強いところでありますが、同じ運用をしていても、もしそれに事業主もしくは被保険者の意向が反映しない場合には、やはり自分たちがとられっぱなしと申しますか、そういう感じを受ける、これはもう間違いのないことであります。ですから、こういう場合にはいまの制度を活用するなり何なりするにしても、もう少し事業主及び被保険者の意向を反映すべきではないかと思っております。  今回の案は本格的な年金の第一歩として一応評価できるのでありますが、まだ取り残されたといいますか、たとえば障害や遺族年金の通算の問題あるいは遺族年金が本来年金の半額でいいかという問題、あるいは被用者の妻をどういうふうな扱いにするか、あるいは障害の福祉年金の適用範囲をどうするかというような、検討すべき事項はまだまだ残っておるのです。ですから、これは今後とも論議を重ねて改善をはかっていってほしいと思っております。  また年金は老後生活の柱ではありますが、これはいうなれば日常の生活費といいますか、そういうものであります。それに対しまして、たとえば住宅が完備しているか、あるいはどうしてもどこかでお世話しなくちゃいけないといえば、そのための老人施設というものが完備しているか、あるいは高齢者の就労の機会が容易に得られるか、そういうことによっても年金に対する期待の度といいますか、年金を柱にいたしました老後問題の解決といいますか、そういうものが違ってくるのであります。ですから私といたしましては、より安定した老後生活が送れるためにはそういう周辺と申しますか、住宅や就労の問題まで含めた老後生活を今後とも立てていってほしい、それも早急に立ててほしいというふうに私は考えております。  これで終わります。(拍手)
  6. 田川誠一

    田川委員長 次に、庄司公述人にお願いいたします。
  7. 庄司博一

    庄司公述人 庄司です。  私は就労者の立場から、また四党共同提案を支持し、政府案に反対する立場意見を述べたいと思います。  まず第一点は、政府案年金水準が低いということです。厚生年金についていえば、政府の説明でも、昭和四十八年十一月時点の平均年金額は月額で三万六千円、二十年以上のグループで平均月額四万一千円にすぎません。昭和四十年のいわゆる一万円年金のとき、そして昭和四十四年のいわゆる二万円年金のとき、私たちは、政府が用いる設例計算は、多くの年金受給補者の実態からかけ離れたものであると指摘しまして、政府がいう一万円年金、二万円年金は、容易に日の目を見ないだろうということで反対をしてきました。特に平均標準報酬月額のとり方に問題があったからです。事態は私たちが指摘してきたとおりに推移しています。今回のいわゆる五万円年金にも大きな落とし穴があり、労働者の期待を大きく裏切っています。仏の顔も三度といわれています。今度こそだまされないぞというのが、労働者の偽らない気持ちです。拠出制国民年金に至っては、夫婦で五万円年金を手にすることができるのは、いまから二十年先の昭和六十八年六月以降ではないかと思います。まぼろしの五万円年金といわれるゆえんです。私たちは、老後保障の最も大きな柱である老齢年金は、生活保障の要求にこたえるものでなければならないと考えています。私たちは、厚生年金については、加入期間二十年で最高時賃金の六〇%、月額六万三千円を要求するとともに、賃金の低い人にも最低生活を保障するために最低保障年金制を設けることを要求してきました。六〇%の所得保障といっても、年間四カ月分以上のボーナスを計算に入れれば、保障率は四五%程度にしかなりません。ILOの百三十一号勧告は五五%を採択していますし、諸外国では諸条約、勧告を上回る水準の国も出ています。国際水準から見ても、決して高い水準であるとは考えていません。四党提案は、妻の加給を加え、月額平均六万一千円です。私たちは、これをぜひとも実現させるべきであると考えています。三百五十万人の労働者は、四月十七日年金統一ストライキを行ないましたが、これは、わが国の年金制度の立ちおくれに対する労働者の怒りが爆発したものです。労働者は、最近、自分たちが入っています厚年とか共済年金のことだけを考えるんじゃなくて、年金全体のことを考えるようになっています。中でも老齢福祉年金が、生活保護基準を大きく下回る月額五千円といういわゆるあめ玉年金にとどめられたことについて強い憤りを感じています。私たち労働者は、各福祉年金についても、最低月額三万円を保障するように要求しています。政府は、生活第一、国民福祉優先をうたっています。経済社会構造を福祉中心構造に転換するといっています。そうであるならば、四党提案にこたえて、少なくとも六十五歳から夫婦で月額四万円の実現をはかるべきであると考えます。年金権というのは食える年金を保障することが大前提になっていなければならないと考えるからです。  第二の点は、物価スライドには反対であるということです。私たちは、厚生年金の場合、政府案昭和三十二年十月以降の標準報酬月額の読みかえには、いろいろ納得のいかないものがあります。年金額物価スライドについては、なおさらのことです。消費者物価指数は、私たちの生活必需品やサービスの値上がりを正直に反映しているとはいえません。また、物価スライドは、年金の実質価値の低下をあと追いの形で原状に回復する役割りしか果たしていません。七三年春闘では二〇%前後の賃上げが行なわれています。年金受給者だけ、なぜ痛めつけられなければならないのでしょうか。物価スライド制は、共済年金の実質的な改悪にもつながるのは大きな問題です。私たちが要求してきた、そして四党提案が強調している年金額賃金自動スライド制をぜひとも確立すべきであると考えます。  第三の点は、保険料の引き上げには反対だということです。昭和四十八年度予算によると、厚生年金の場合、標準報酬の上限引き上げによる増収は二百六十億円、保険料率の引き上げによる増収は一千百五十億円と見込まれています。保険料収入は、前年より二千五百八十四億円ふえて、一兆三千四百四十八億円と見込まれています。国庫負担は、わずかに百六十二億円にすぎません。一方、私たちが受け取る保険給付費は三千二百三十六億円で、前年度に比べて一千十億円ふえているにすぎません。保険給付費の増加は、上限引き上げと料率引き上げによる増収一千四百十億円にも及びません。また、保険給付費は、保険料収入の二四・一%、積み立て金の利子四千五百九十四億円の七〇・四%にとどまっています。まさにやらずぶったくりの政策の典型と言わざるを得ません。政府案による健康保険料の値上げ分と合わせると、賃金月額九万円の男子労働者の場合には、保険料負担は年額で一万二千百八十六円ふえます。十五万円の男子労働者の場合は、何と四万五千四百十四円も負担がふえることになります。私たちは、保険料を引き上げなくても、四党提案の給付改善は行なえると考えています。  第四の点は、年金財政賦課方式に切りかえるべきだと考えます。昭和四十八年度末には、厚生年金は八兆一千五百億円、国民年金は一兆四千百億円、合わせて九兆五千四百億円を上回る膨大な積み立て金累計額になると見込まれています。六・二%ないし六・五%という利子では、物価の上昇、賃金の上昇にとても及びません。今日のような激しいインフレ下にあっては、積み立て金の実質価値は低下する一方です。また、運用利子の果たす役割りは、賃金の上昇に伴なって、これまた低下する一方です。これでは高い保険料を払っても、値打ちのない給付しか受けられないというのが、労働者の実感です。この積み立て金の減価については、一体だれが責任を持ってくれるのかと労働者は追及しているのです。厚生年金は、制度発足後すでに三十年をこえています。にもかかわらず、いまだに年金制度は未成熟で、二千三百万人近い被保険者に対し、老齢年金の受給権者は、昭和四十八年度末で八十万四千人程度にすぎません。このような未成熟年金制度になっているのは、歴史が浅いからではなくて、受給資格者を得るのに二十年という長い被保険者期間を強制しているからです。諸外国では、過去勤務期間を見たり、被保険者期間を短かくして、できるだけ多くの年金受給権者をつくるよう配慮しています。いま一つの問題は、本人の掛け金に見合った年金を支給するという私保険的な財政方式、つまり積み立て方式に大きな原因があると考えます。年金の抜本的な給付改善が行なわれず、また、今日までスライド制が導入できなかったのも、積み立て方式に固執してきたからではないかと思います。四党はこぞって賦課方式への移行を提案しています。賦課方式に移行したときの財政的裏づけについても具体的に提案しています。日本共産党は、国と資本家負担を大前提に、当面、労働者の年金については、千分の十四という保険料率で賦課方式に移行できるし、賦課方式は将来も可能であるという財源対策を発表しています。賦課方式への移行は、国と資本家が、その負担をふやすことによって実現は可能であると考えます。諸外国ではすでに賦課方式に移行しています。GNP世界第三位を誇る経済大国日本でなぜこれが実現できないのか、労働者の怒りが爆発した原因の一つはここにもあります。わが国の国民所得に対する社会保障給付費の占める割合は経済社会基本計画によると、五年後の昭和五十二年度で八・八%と見込まれています。しかし、これでは西ドイツ、 スウェーデン、イタリア、ベルギー、フランスなど先進国の約半分程度にすぎません。わが国の場合、資本家負担が少ないのも大きな特徴です。イタリアの資本家負担は、労働者負担の四・二倍、フランスの場合は三・七倍になっています。私たちは、当面、四党が提案しているとおり、厚生年金については、国庫負担を少なくとも三〇%に、なお、坑内夫と船員保険については三五%に引き上げるべきだと考えます。拠出制国民年金については、保険料と同額にし、給付に対して二分の一の国庫負担に引き上げるべきだと思います。また、保険料の労資負担割合は、労資折半負担主義をやめ、四党が提案しているように、労働者三、資本家七の割合に改めるよう強く要求するものです。  第五の点は、積み立ての管理・運用の問題です。政府は、社会保険審議会社会保障制度審議会のたび重なる答申も無視し続けてきました。保険料の半額を負担している労働者、給付に対して三分の二を保険料負担している勤労国民は、その積み立て金の管理・運用について全く発言権がありません。民主主義の現在、このような不合理なことがまかり通っていることは、労働者にとって許しがたいところです。年金制度は、いま困っている高齢者、老人に人間らしい生活を保障することではないでしょうか。わが国の今日を築いてきたお年寄りに、手厚い給付を行なうことでなければならないと考えます。年金積み立て金日本列島改造のための財政投融資に充てるのではなくて、年金給付改善と労働者、勤労国民のための直接福祉に活用すべきであると考えます。四党が提案している国民年金等積立金運用に関する法律案は、こうした労働者、勤労国民の切なる願いにこたえたものであると考えます。ぜひとも実現してほしいと思っています。  以上のほか、障害年金、遺族年金の併給や通算についても問題が残されています。厚生年金の妻に対する加給年金は、現行月額千円であり、今回の政府案でも月額四千四百円にすぎません。これに象徴されているように、被用者年金では、妻の座は明確になっていません。婦人の年金権については、現行法及び政府案には多くの矛盾と欠陥があります。五人未満事業所の労働者の厚生年金保険強制適用の問題なども労働者にとって切実な問題です。  政府は、わが国の多種多様な年金制度を、統合する方向ではなくて、厚生年金基金をつくり、さらに農業者年金基金をつくるなど、逆行する方向をとり、わが国の年金制度の立ちおくれを改善する将来展望を示していません。四党提案は、労働者の統一要求からはまだまだ満足とはいえない面があります。しかし、わが国の年金制度を立て直す上で画期的な提案であると私たちは高く評価しています五十五歳で働く意思と能力を持ちながら、定年制という冷酷な制度で路頭にほうり出される労働者、労働者の老後はきわめて不安定なものです。労働者は、住宅や子供の養育、教育費に金がかかり、親のめんどうを見る能力を次第に失ってきています。また、子供に自分の老後についてめんどうを見てもらう期待はだんだんかけられなくなってきています。老後の所得保障は、老齢年金にたよるよりほかなくなってきています。生産第一、利潤第一の政策を、人間尊重、生活優先、労働者、勤労国民の福祉第一の政策に転換するならば、労働者とその家族が、正常な生活水準維持できる年金の保障が可能であると考えます。     〔委員長退席、塩谷委員長代理着席〕  労働者、勤労国民は、今国会での審議を大きな期待をもって見守っています。同時に年金統一ストライキに示されたような大衆闘争、大衆行動をさらに積み上げて要求実現のために戦う決意を固めていることをつけ加えまして、私の意見を終わります。(拍手)
  8. 塩谷一夫

    ○塩谷委員長代理 次に、力石公述人にお願いいたします。
  9. 力石定一

    力石公述人 私は、年金制度につきまして日本独特の積み立て方式をやめて賦課方式に転換すべきであるという意見をかねてから主張してまいりましたので、これに対するいまの政府及び当局の反対の論拠につきまして、経済理論的に少し問題にしてみたいと思います。  まず、世代間の負担の不公平が起こるから積み立て方式でなければだめだという意見でございますが、つまり老人が一九七〇年には六十五歳以上が人口の七・一%、紀元二〇〇〇年には一三・四%にもふえる。そのときには負担が非常に高くなるから、できるだけ積み立て金を残して将来迷惑をかけないように持っていかなければいかぬ、こういう考え方であります。したがって、世代間の負担の不公平ということが非常に大きく強調されています。この問題を考える場合に、イギリスやその他で議論されたことが日本では忘れられていると思います。それは、老人の扶養負担だけを比較してはいけない。世代間の負担の公平性を考える場合には、子供の負担のことも同時に考えなければいかぬ。一九七〇年には十四歳以下の子供が二四%おりましたけれども、紀元二〇〇〇年にはこれは二一%に減少するわけであります。老人のほうは六・三%ふえますけれども、子供のほうは三%負担が減る。したがって生産年齢人口は三・三%落ちるだけなんですね。所得はずっと上がっておりますから、ここに負担の不公平というものは成り立たない。左の肩が重くなるけれども右肩は軽くなるということでありまして、かえって次の世代のほうが負担は軽くなるという説さえあります。この前石垣純二さんと話しておりましたら、彼はそういう説でありまして、つまり老人と比べて子供はよく食うし、服はよごすし、教育費は非常にかかる。かえって次の世代のほうが軽くなるのだから負担の不公平なんということを言うのはおかしいのだということを言っておりましたが、こういう議論はヨーロッパでは議論をされております。ところが日本ではまだそれがやられておらない。これは非常に片手落ちではないかと思います。  一九六〇年には生産年齢人口は六四%だった。紀元二〇〇〇年の生産年齢人口は予測では六六%でありまして、つまり子供が多かった六〇年代の初めよりも紀元二〇〇〇年にはまだ生産年齢人口のウエートは高いわけであります。二〇〇〇年以後のことにつきましては、これは人口統計の予測は意味がないわけであります。それまでの人口政策や住宅政策その他で変わってまいりますから、大体三十年のワク内がまじめな予測で、それ以上のことは完全な概想にすぎないわけでありまして、これについては、あまりそこまで考えるというのは不健全であるというふうに思います。そう考えますと、世代間の負担の不公平というものは起こらないと見るべきではないか、これが第一点です。  それから第二番目には、次の世代にあまり負担にならないように積み立て金を持っていくといいましても、所得は二、三十年たちますとはるかに上がっておりますし、それから元金はどんどん減価しておりますから、積み立て金意味がなくなってくるわけです。あまり足しにならない。いま使えば非常に老人には足しになるものが先に行けば行くほど足しにならない積み立てをやるということは、これは意味がない。この点で第二に問題になってまいります。  それから第三には、掛け金がどのくらい上がるかという問題でありまして、実際にそんなに高い掛け金はとれないとよくいわれるわけでありますが、厚生年金で見ますというと、いま労使折半しておりまして、勤労者は三・二%、合わせて六・四%の負担をしております。これだけ賃金から出しているわけですが、これが紀元二〇〇〇年には大体二〇%、労使折半としますと一〇%ずつ負担するということになるわけです。徐々に負担金としては上がっていかざるを得ない。これは当然だと思います。ただ、勤労者にとって三・二%から一〇%への増大というものはほんとうに負担の増であるかということを、ちょっと頭を冷静にして考える必要があると思います。これは実は勤労者にとっては負担増ではないと私は見ております。といいますのは、勤労者はいま老後不安のために猛烈な貯蓄をしております。日本の個人貯蓄率は二一%といわれますが、外国の場合は八%か、せいぜいドイツのように高くても一二、三%であります。この中には相当大きな老後貯蓄を含んでおりまして、三十歳ぐらいになるともう前途不安でありますから一生懸命ためている。ためたやつがどんどん減価する保険やあるいは預金をしているわけであります。こういう不毛な貯蓄をやめて賦課金にかえればいい、掛け金にかえればいいわけですから、負担の増ではないと見なければならない。不毛な貯蓄をやめて掛け金にかえておけば、この掛け金を払っておけば次の世代の所得にリンクして年金をもらえるわけでありますから、このほうがずっと有効な投資であるというふうに考えますから、勤労者にとっては負担増ではない。特に、かえって長男については助かるような感じがいたします。長男は、たとえば老人を扶養しているといたしますと、相当金がかかるわけです。それが一〇%で済むということは、次男、三男あるいは全然親のない人、そういう人たちも掛け金を払って、それがプールされて自分の親へいくわけです。自分は一〇%だけ払っておけば、これがぐるっと回って親へいくわけでありますから、長男の負担はならされてかえって楽になるということであります。こういうことも考えてもらわなければならない。いま次男、三男の人で親に仕送りしないで、見向きもしない人がたくさん出ておりますけれども、こういう人たちは親が死んだら遺産だけよこせというわけです。これは負担の不公平でありまして、こういう点でも、親に対して仕送りをするかわりに負担金を払っておくということであります。そうしますと長男は非常に助かるということでありまして、ならされるわけですね。それから、親がない人はこれをやっておけば次の世代からもらえるわけです。それから子供を生まない人も——これからは人口ゼロ成長ということがいわれておりますが、こういう子供をあまりつくらない場合でも安心していられますし、それから子供の扶養意識がだんだん減退しております。昔の大家族制度のもとでは、親を養っておけば子供は必ず返してくれるということで、返ってきたわけですが、これがだんだん循環がうまくとれなくなってきています。昭和三十七年には、六十五歳以上の老人の約七七%が子供の世話になっております。これに扶養されておりました。四十三年には五六%にもう落ちております。そしてそれをずっと概想してまいりますと、現在おそらく六十五歳以上の老人の四五%の人がやっと子供にめんどうを見てもらう。あとの人は乏しい年金で生活するか、老躯にむち打って働きに行くか、あるいは乏しい、インフレで減価する預金を、どっちが先に——自分が死ぬのが先かあるいは預金がなくなるのが先かということで、はらはらしながら生活している。これが大部分であるというふうに思います。  これをずっと概想してきますと、われわれ中年層の次の世代はおそらくもう扶養してくれないのではないかという感じがいたします。これはあぶなくてしょうがないから、一生懸命個人預金をしているわけですが、こんなことをしないで、賦課方式にして、ちゃんといま親がなくてもその人たちにかけておく、掛け金をやっておく。そうすれば、次の世代がたとえドラむすこであって、親を絶対見ないということになってもだいじょうぶなわけです。だから、あぶなくてしょうがないからぜひともいま賦課方式にしておきたいというのが私たち考えでありましていまの少年の諸君がわれわれを養ってくれる可能性は非常に乏しくなっている。これは客観的傾向でありまして、農業社会、非近代社会においては老人は扶養を受けるという家族制度の傾向があるわけでありますが、これが近代社会になりますと、サラリーマン化、都市化、そういうのが進んでまいりまして、そういう扶養意識は——かなり所得の高い人でも親にあまりお金を出していない人が最近非常にふえております。それから家庭内で、奥さんは出したいのだけれども、だんなが出したくないとか、あるいはだんなのほうが親に送りたいけれども、親が違う奥さんのほうがいやがるとか、こういう傾向が非常に強いですね。子供に対しては、扶養意識というのはかなりまだ本能的に守られています。最近はだいぶロッカー族が出てまいりましたけれども、子供に対しては本能的に扶養意識は残るわけですが、親に対しては、近代社会になりますとだんだん、これをどうも廃棄物として考える傾向が出てまいりまして、老醜という醜でありますから、これは義務意識なしには見ないわけです。家族のレベルではだんだんむずかしくなっていく。そこで社会的なレベルで、賦課方式でもってこの老人を見ていくということにしないと、どうしてもやっていけないということになるわけであります。そういう意味賦課方式が望ましいというふうに私は思います。  それからもう一つは、老人人たちはあまりかけてないんだからあげる必要はないという考え方、これも間違いであると思います。いまの老人年金権を持っていると見なければなりません。四つの理由があります。まず第一に、いまの老人は自分の親を見てきたわけですね。にもかかわらず、次の世代から見てもらえない人がたくさん出ている。これは負担の不公平であります。この負担の不公平を政府は何と考えるか、これが先ではないかということです。  それから、いまの老人層は老後貯蓄を一生懸命やってまいりましたけれども、これはインフレでみんな減価してしまいまして、すっからかんになってしまった。そのインフレで減価した部分は資本蓄積に回ってわれわれのこの経済をささえているわけでありまして、この一定の部分を回収する権限をいまの老人は持っているわけであります。  それから第三番目には、いまの老人はインフレで減価するから老後貯蓄をするよりも、やっぱり子供にとにかく教育しておくほうが得だと思って、一生懸命教育投資をやってまいりました。実にばく大な教育投資を、私的投資を含めてやってくれたわけであります。これで将来こいつに世話になろうと思ってやってきたわけですが、これがほとんど当てがはずれてしまいました。この教育投資の成果を回収する権限をいまの老人は持っていると見なければなりません。  それから第四番目に、いまの老人層の時代には、国会が公債不発行主義でありますから、二、三十年も四十年も使うような、孫子の代まで使うようなものを全部税金でやってくれた。元利償還金なしにわれわれはこれを使っている。本来、孫子の代まで使うものは、公債を使ってこれをやり、元利償還金をだんだん引き受けていくというのが世代間の負担の公平というものなんですが、日本政府は経常支出のほうで、社会保障や教育なんかに使うべき金を公共投資に回しまして、当時の自己金融でやってくれましたから、われわれは元利償還金なしに四十年、五十年使うものをいま使っておるわけであります。本来なら元利償還金を引き受けなければいかぬ、それを負担するという意味でも、いまの老人に対しては、積み立てておかないで、いまの老人にあげてしまうというのが社会保障の所得再分配の理論にオーソドックスに沿っているというふうに考えるわけであります。こういうことで、老人にあげるべきだというふうに私は思います。そして、このあげることによってどういう変化が起こるかということをちょっと考えてみたいのですが、家庭内でどういうことが起こるかといいますと、いま老人は家庭内でおもしろくないけれどもがまんして住んでおる人が非常におるわけですね。家がない、年金もないから別居できない。ほんとうなら別居したいんだけれどもするわけにいかぬ。やむを得ず同居している。いつも内戦状態で、冷戦状態を家内で繰り返している。こういう人たちが、年金賦課方式に基づいてたっぷりもらうことができれば、そうすれば、せめて台所を別にする、これだけでけんかの材料というのはかなり減るわけであります。  それから年金をもらっておりますと、元気な老人で働きに行く場合でも、無理な仕事を選択しないで、軽い仕事を選べる。いまは年金がないものですから、もうしょうがない、ダンピングだというわけで、非常に重労働を選ぶ傾向がありますが、これは非常にあぶないわけです。たとえば高速道路のもぎりなんかやっておりますが、ああいうのは老人には全然向かない職場でありまして、そういうことを年金が乏しいと選択せざるを得なくなるということで、非常に影響が——この年金を出すことによって、こういう点を改めることができます。  それからいまの老人に対してたっぷりお金が出るということは、マーケットが非常に変わってくるということであります。外国のデパートには老人コーナーというのが必ずございまして、老人のものをいろいろ売っております。電子補聴器や電動車いすや年寄りのおむつやいろいろ売っておりますが、日本には婦人子供コーナーしかありませんね。これはおかしいのでありまして、年金の生活者がたっぷりとお金を持っているということによって、そういうマーケットが設定されます。ボルボというスウェーデンの自動車会社は電動車いすをつくっておりますが、日本のトヨタ自動車はそういうものをつくっておりません。こういうふうなスタイルの違いをはっきりとわれわれは見ることができます。  それから年金をたっぷりと出しますと、流通機構の非近代的な部門、たとえばじじばばストアなんかにしがみついている人がたくさんいますけれども、こういう人たちが、年金をたっぷりもらうことになりますと、スーパーや協同組合がどんどん大量仕入れで安売りをする、とてもかなわぬと思うと、さっさと隠居してしまうわけですね。スウェーデンでそういう近代的な流通機構の変革に対して零細な老人層の企業が抵抗しない一つの原因は、社会保障が非常に進んでいるために抵抗しないわけです。だから、さっさとやめてしまう。そうすると、それだけ消費者物価が下がってくるわけであります。  それから農村において非常に大きな影響が出てくると思うのです。現在、農村の就業比率は一五%を割っておりますね。これに対して、農村にいる六十五歳以上の老人は四三%です。大部分の老人は、いなか及び地方都市におりまして、若者が都会に出てくるわけですね。ですからこれに対して、若者が払う掛け金は老人のほうに入ってきますから、これは地方及び農村に対して所得が再配分されるということであります。これができますと、相当農村に影響が出てくると思うのです。たとえば、いま農民は米価を押えられているから所得が得られない。そこで、たくさんの家族をかかえていて苦しいものですから、みな出かせぎに行くわけです。出かせぎに行くときに、もうこれは省力化をしなければいかぬから、農薬と肥料をやたら使うわけです。農業は公害状態です。そして土地はどんどんやせていっているわけですね。そこで、これはいかぬというわけで、まじめにやってもらわないと農産物が足りないというので、今度は米価を上げるでしょう。そうすると、今度はどうなるかというと、インフレ圧力を強める。それから米価を上げますと農地を集合して大農地をつくろうという気持ちもあまり起こってこないということになるわけですね。これは悪循環でありまして、むしろ、米価政策よりも、年金賦課方式にしてやれば、たとえばいまの積み立て金を一兆円ぐらいずつ取りくずして、厚生年金国民年金のやつを、そのまま入ってきた掛け金を右から左に全部やってもらうということをやれば、月三万くらい一人当たり出せるでしょうから、そうすると、農家にそれがたっぷりいくわけです。これによって所得保障をしておいて、農薬や肥料をやたら使わないでくれ、米価はある程度押えさしてくれということに交渉してみたらいいと思う。そうすると、インフレ圧力に対して相当相殺効果がある。たとえば、米価を上げることによって七千億円かせぐよりも、賦課方式にして農家が一兆五千億円くらいもらったほうが得なわけであります。こういう計算をもっとやってみる必要がある。そうすると、食管のほうのお金もかなり浮いてくるわけでありまして、総合計算で一番得なやり方というのはこういうオーソドックスなやり方が得なんです。それをオーソドックスにやらないで、ちょこちょこ非オーソドックスな政策をとるものですから、インフレがひどくなるし、むだになるということになるわけてありまして、こういうことももう少し計算していただきたいと思います。  それからもう一つ、企業でどういうことが起こるかというと、企業は、賦課金が上がりますと、これは退職金引き当て金を年金に切りかえていくという形で対応するでしょう。しかし、負担はある程度上がるわけですね。ですから、これは不平が出てくるでしょう。勤労者にとっては、徐々に賦課金が上がっていって、負担増ではないと私は思いますけれども、企業側にとっては負担増になるわけです。しかし、企業はもって瞑すべきであるというふうに思います。イタリアとフランスで問題が起こりました。イタリアが最終給料の六五%の年金をやっておりまして、フランスは七五%、これで国際競争をやってみましたら、イタリアの冷蔵庫があまりにも競争力が強過ぎて、フランスの冷蔵庫を圧倒しました。外国がぶうぶう文句を言いまして、年金が安過ぎるからだというので、結局一九六九年には、内圧と外圧と相まってイタリアにおいては最終給料の七五%の保障ということに年金額を上げるわけでありまして、ソシアル・ロードファクターがそろってない場合には、われわれはヨーロッパ諸国に輸出もできなくなるわけであります。このことを企業家は銘記すべきであります。このトランジスターラジオで月幾らの年金を保障しながらコストを負担しているのですか、こう聞かれた場合に、七十歳以上の老人に対して月五千円出していますなんて言ったら、問題になりませんといって断わられるわけです。そういうふうなことをもう少し検討して長期的に考慮しておかなければ、世界でつき合っていけないということでありまして、そういう点でも転換の時期が来ておるというふうに思います。  それからもう一つは、銀行家が抵抗すると思うのです。というのは、不毛な預金をやめちゃって賦課金にかえるわけでありますから、そうしますと、預金が減少して、公的な資金のほうへ回っていくということで、銀行家は反対するでありましょう。しかし、これは銀行家が、あまりにも社会保障が不備なために、みんなを貯蓄に追い込んでおいて、そして自分たちが集めて、これでもって投機資金に融資したり設備投資競争に融資したりというふうなことをやっておる、こういうシステムというのはもう古いわけでありまして、本来近代的な銀行の姿というのは、そんなにやたらにデパート化して預金を集めなくって、設備金融まで全部やって、床の間の前にすわっておる、こういうふうなところはないわけであります。大体短期金融——手形割引か、消費者信用か、国債引き受けか、そういう謙譲な役割りを引き受けるわけでありまして、そういうところへそろそろ日本の銀行も入っていいのではないか。社会保障が充実してあまり預金が集まらなくなって、個人貯蓄率がある程度落ちるということは、これは金融正常化につながるわけである。銀行よさようなら、という時代が社会保障の充実を通じて起こってしかるべきである。日本のように銀行がいばっている国はほかにありません。みな産業と平等でありまして、産業は自己金融で、乏しい資金でもそれをもっと効率的に使ってやっていく、過当競争をやりまくらないというふうな形に体質を変えるべきであるというふうに思います。  次に、大蔵省が財投資金にこれをあまり使えないというので非常にさびしがるわけですけれども、本来公共投資というものは社会保障の金を横流しして使うべきものではないわけでありまして、財投で使う公共投資は、当然公共債として民間から資金を調達して、そして孫子の代までかけてこれを返していくという形にすべきものであります。したがって、年金積み立て金をやめて、そこに穴があきます。その穴はどうやって埋めるかといいますと、いま公共債をかなり積み立て金で引き受けておるのがありますが、すでに引き受けているものはこれは引き受けができなくなりますから、この資金調達は民間に回ります。民間は公共債を引き受けますと、だぶつき資金でこれに対応するわけですから、したがって、民間資金が公共部門に回るといいますか、公共部門へ資金配分が変わるということでありまして、これは財政主導型の経済成長というコースに沿っているというふうに考えなければいけません。     〔塩谷委員長代理退席、委員長着席〕 いま年金の掛け金なんかで公共債を引き受けたりなんかするものだから、民間が投資先がない。そこで民間企業にどんどん投機的な資金需要をかり立てて、借金なんか返してくれるなと言ってどんどん貸し出しを進めてしまう。公共債なんかちゃんと引き受けさせるべきであるということ、これはだぶつき資金の吸い上げにもなるわけでありまして、オーソドックスなやり方をとっていれば、こんなに民間金融が余ってしょうがないという事態は起こらなかったはずです。ところが国際収支の大きな黒字で、だぶつきをそのまま放任してまいりました。これは、年金積み立て金なんていうものを財投の公共債引き受けなんかに使ったりするからいけないのでありまして、こういうものはどんとん民間、市中消化をはかっていくということで、インフレ抑制につながる、だぶつき資金を吸い上げる。こういうふうに、お年寄りにちゃんとしたことをやりますと、ほかの状況に大きな変化を及ぼすわけでありまして、霊験実にあらたかであるというふうに考えます。こういうシステムの方向にいまや切りかえる段階がきたと思います。  ついでに、野党の人たちの提案について若干触れておきますというと、賦課方式ということをどういう形で取り上げるかというわけです。国民年金厚生年金について直ちに賦課方式に転ずる、それから、政府がある程度の補助金を出して負担をしていくということも必要でありますが、もう一つの問題は、早く国民年金厚生年金をプールしまして、積み立て金をもっと全社会的に使えるようにすべきだ。厚生年金のほうだけたっぷり支給をやっておいて積み立て金かなり残す、そしてほかのはほかので別々に、積み立て金をやめて賦課方式国民年金はもう即時いきなさい、われわれはまだ残しておきます、こういうことはおかしいのでありまして、大体、私は厚生年金に入っていますけれども、私のおやじは福祉年金組だし、おふくろは国民年金組なんです。だから、われわれの厚生年金積み立て金はどんどんほかのグループにも使っていただいてけっこうなんでありまして、いまの労働者諸君は、大部分が福祉年金組やあるいは国民年金組の親を持っているわけです。この点について、もっと統計的な調査をやってごらんになるといいと思う。そうすると、積み立て金を残しておいて、財投に使ったりしてインフレで減価するよりも、いまの老人にやっておけば、自分の親に仕送りをするのがだいぶ減るわけですから、ずっと得なわけですよ。そういう点をもっと計算して、厚生年金組の労働者諸君も考えてもらいたい。その点が野党のほうで考察が少し欠けているというふうな感じがいたします。  それからもう一つは、農民の諸君が出かせぎをやめて、もっと有機肥料を使ってまじめに農業がやるようにできる、そういう年金が農村に非常に出てくるということ、これは私注目したいのです。いま農民の人は、出かせぎをやって、あと半分失業保険で食っているわけですよ。ところが出かせぎをやらないで、農村でまじめにやるようになりますと、失業保険はかなり浮いてきますね。この分を労働者諸君は、失業保険料を少し安くしてくれというふうな形ではね返りを期待すべきではないかというふうな感じもいたします。  もう一つ、時間がありませんので最後に触れておきたいのは、いまの農村の老人層とそれから中年の人たちが、自分が老後は心配だから親を見ている人が半分はいるわけですね。六十五歳以上の老人がいま四五%は子供に見てもらっているのですが、この見ておる人は、親を見ておって、同時に、子供に世話になる可能性がないから、老後貯蓄もやっているわけです。二つ一緒にやっているわけですから、いまの中年層は実に二重負担でありまして、昔は、親をやっておけば子供は必ず返してくれたわけですが、今度は返してくれないですから、あぶないから一生懸命老後貯蓄をやっている。これを賦課方式の掛け方をしておけば、それがくるっと回って、親へ行って、その掛け方をしておけば次の世代から取ってくれるわけですから、いまの老後貯蓄をかなり削減できますから、中年及び高年の要求、それとそれから老人とのブロックであるということであります。それから、支給される先は地方都市及び農村に出てまいりますから、自分の郷里に対する支出になりまして、これは都市勤労者と農村の勤労者のブロックであります。こういう布陣になるわけでありまして、こういうことを考えて、もう少し厚生年金人たちは、積み立て金を早くほかのほうへもどうぞ流用してくださいという態度をとっていただきたいというふうに思います。  それからもう一つは、これをやらないと日本の保守党というのは非常なピンチに立つということであります。といいますのは、日本老人層は大部分、いま言いましたように農村におるのです。農村におりまして、これがもっと目ざめてこれを要求するようになりますと、応じないと非常にあぶないわけです。これが保守党の大部分をささえているわけでありまして、しかもこの一票は都市の三倍の効果がありますから、実にキャスチングボード的な役割りをしている。したがって、労働者の諸君は、これを統一要求にして行動なさるということでありまして、エネルギーのほとんど七割方はこれに注ぐことが、いまの生活改善にとって非常に決定的な意味を持つというふうに思います。日本社会が進歩するためにはこの問題をぜひ大きく取り上げていただきたい。しかもこういうふうな年金賦課方式というのは、決して社会民主党がやるものと限っていないわけです。アメリカではルーズベルトが賦課方式を、一九三五年に積み立て方式で出発したやつを、四年たったら、これはナンセンスだといって一九三九年にすぐ賦課方式に変えております。ヨーロッパ諸国では大体社会民主党政府か、あるいはドイツなんかの場合は、アデナウワーが一九五七年に賦課方式を取り入れております。こういう意味で、決してこれは保守、革新なんていうことではないわけでありまして、われわれがほんとうに落ちついた生活をするために、近代社会の基礎前提であるというふうに考えて、与野党一緒になって考えていただきたいというふうに思うわけであります。  どうもありがとうございました。(拍手)
  10. 田川誠一

    田川委員長 次に、石川公述人にお願いいたします。
  11. 石川栄一

    石川公述人 私は全国老人クラブ連合会の副会長をしておりまして、自分みずからもすでに八十四歳を突破しております。さような立場から、実際的に老人がいかに、この年金に、大きな関心を寄せておるか、また、その増額がいかに早くしかも適切にしていただけるか、その他福祉施設等に対する老人施設が一日も早く充実してもらえるかを念願しておる一人でありますので、ただいままで諸先生からお話しになりました理論的な話とは若干考え方を変えまして、意見として申し上げてみたいと思うのであります。  全国に老人は御案内のように一千百万人もおる。七十歳以上でありましてももう四百三、四十万おる。この老人がますます増高する傾向にある。いまよく言われております高齢者社会が実現するだろうということは、これは目に見えてはっきりした事実であり、しかも民族的には非常にしあわせなことであると思うのでありますが、しかし、この老人層がしあわせに生きられるかどうか、現実はその姿にあるかどうか、ここに問題があると思うのであります。本年特に厚生省は、厚生年金国民年金を通しまして、いままでから考えますと相当進歩的な思い切った提案をなすっていらっしゃることに、深い敬意を表するものであります。  私ども、老人クラブを結成して今日まで十二年たっております。老人クラブが結成されましたのはなぜかと申しますと、これは老人が孤独感に襲われて生活苦に耐えられないで、あちらにも三人、こちらにも五人、しかたがなしに涙を流して話し合いをするという姿がだんだん発展してまいりまして、今日の老人クラブに相なった次第であります。これには昭和三十八年のとき初めて老人福祉法が制定されましたが、あれ以来急速な伸びをしておりますけれども、とにかく日本老人は、朝から晩まで働くばかりが老人の姿だった。ところが戦後における、このあらゆる社会情勢の変化と申しましょうか、非常な思想の変化が起こりまして、扶養の義務は減退してまいりました。いままで孝子と言われた人が、孝子でなくしてむしろ孝子ならざる人になるような傾向に相なっておるので、これが普通の状況になりつつあるのであります。そこにわれわれ明治時代から大正の初めにかけました老人層の悩みがあるわけでありますが、私ども生まれてまいりまして今日まで、八十数年を生きております。この間にはいろいろな事態に当面しました。日清戦争も知っております。あるいは義和団の事件も知っている。日露戦争にも参加した。大東亜戦争も戦った。これは見方によりますと、今日からいいますればむちゃなことをしたとは思いましょうが、当時としますると、国をあげて正義の戦いとして戦ってまいったわけでありますから、この批判はいたしませんが、いずれにいたしましても、そういう時代を経まして困苦欠乏に耐えて、勤勉の精神に徹していまの青年をつちかってきた形になっておるわけでありますから、いまの老人の姿がかように悲惨なことに相なっておるということに対しましては、為政者といたしましても、国会といたしましても十分な御配慮をしていただくのは当然であると思いますが、幸いにその状況に相なりましたことは、私ども心から敬意を表する次第であります。  いま老人クラブの会員数は正会員五百四十万人、クラブを結成している数は約九万五千あります。組織量としましたならば、おそらく老人の過半を制しておるのであります。この方々はたいてい心ある人々が入っていただいておるということから考えますと、一種の世論であると考えても差しつかえない。いまの老人は何を欲するかと申しますと、金ばかりを欲するものではありません。孤独感に襲われざるを得ない状況、小づかいはどうにでもなっても、子供や兄弟はいままでのような、昔のような愛情のある処遇をしてくれないという風潮、これが当然なりとするマスコミの風潮等に対する非常な悲しみであります。これが第一点であります。  こういう観点から考えてまいりますと、この老人の孤独感の解消をまず第一に考えていただくと同時に、もちろん所得がありません。働くだけは働きましたが、御案内のように所得は戦後非常な変化をいたしまして、地主も金持ちも農村にはありません。農地解放を通しまして全部が同じ立場に立っておる一耕作農民にすぎない状況に相なっておりますから、農村には階層はないのであります。都会とは別であります。ところが多くの老人は、都会に集中しませんで過疎地に残されておる。私は埼玉県におりますが、年々二十万人ずつ人口がふえます。しかるにその埼玉県の県北部あるいは県西部は年々過疎地になってまいります。わずかな県であっても都会の近辺に集中するという傾向が埼玉県自体にすらある。しかもそれが日本で最高の人口増を招来しておる。また交通事故のごときも、したがいまして日本における最高の犠牲を払っております。二十万人あまりの人口増に対応するような大きな交通事故が、埼玉県においては激発しておるのであります。これはおそらく東京より以上であります。  かように社会情勢も変化してまいりました。しかし、現在の状況では老人方々は子供のお世話になることは困難になる。子供は扶養しようとする気持ちはありましても、社会情勢が激変をし、経済は発展しましたが、生活は向上した、給与は上がりましたが家計費は増大した。教育に対する熾烈な若い親たちの気持ちもわかるのでありますから、なかなか親のほうへは手が届かないのも当然であります。また住宅においてもさような点を言われるのでありますが、要するに扶養義務の減退ということが現在ひどく老人層の頭に響いておりまして、したがいまして、すでに御承知のように経済は世界において第二位だとかいわれておりますが、死亡率は女においては世界一であります。しかも七十歳前後の婦人の自殺は世界一であります。男でも第四位であります。百数十国ありますうちで、文化が高く、しかも高度の成長をしたこの日本で、老人層の御婦人が世界一自殺をしておる、また男性でも世界第四位である。この事実を判断しますと、この自殺直前でうろついている老人、自殺せざるを得ないと観念して常にうつらうつら暮らしている老人、この階層はどのくらいでありましょうか。これはおそるべき問題であると私は思うのであります。かように考えますと、いまの老人問題は国民をあげて早期に解決していただきまして、一般の方々が認識を深めて、国も国民も政治家も、あらゆる階層老人福祉の向上発展のために一瞬の力を尽くすべきだ、これが大和民族の精神なんだということに立ち返るのがまず第一であると思うのであります。  こういう観点から、私どもの老人クラブでは五、六年前から老齢年金の要求をいたしました。昭和三十六年四月一日に国民年金法が制定されましたが、その当時取り残されました老人層、いわゆる明治三十九年四月一日以前に生まれましたわれわれの階層は、この国民皆保険に入ることが許されない、除外されたのであります。その除外された方々が現在、老人層として苦労しておるのであります。これからの若い方々は、皆さんの御尽力によりまして高度の老人福祉を中心とした施策をしていただけるでありましょう。それによって老後の安定が期せられるでありましょうが、その前に残りました老人、この国民保険に入れていただけない、入りたくても入れない、この皆保険からいいますれば国民としての扱いをしていないこの老人層をどうするか。これは国がめんどうを見てこれに対応する施策を打つべきが当然でありますが、いまだ十分な保障を得られないのはまことに残念であります。  しかし、年々歳々私どもは皆さんを通しまして、あるいは直接に政府御当局や国会にお願いをいたします。まず五千円年金の実現を決議しましたのは、いまより六年前であります。それでも二百円、三百円、五百円程度しか上げていただけません。幸いに本年は、従来から見ますと千七百円上げていただきまして、五千円年金の実現を見ました。これはいままでに類例のない飛躍的な金額であります。私どもは七、八年前に五千円ほしかった。百円、二百円上げてきて、最近になりましてようやく五千円になりました。  聞くところによりますと、厚生大臣の意図もあるいは政府の意図も、大体において昭和五十年には一万円にしようという御意見があるように伺っておりますが、これまたまことにありがたい次第でありますが、いま五千円になりましたものは、物価騰貴のスライドを考えますとあるいは二千五百円であるか三千円であるか、われわれが要求した当時の五千円からするとまず十分でない。少なくとも半分程度しかぴんとこない、その程度しか価値がないと考えますので、近く実現するでありましょうが、少なくとも明年度はぜひ一万円を実現してほしい、明年はどんなことがあっても一万円にするぞ、これがいま残されたる一千百万の老人の声であります。総理は、明後年は一万円にする、明年は二千五百円上げる、厚生大臣もそうおっしゃっていらっしゃいます。いままでにないほど大きな奮発であります。まことに感謝にたえませんが、いまここまできまして、この老人福祉問題にかくのごとく国をあげて論議が集中し、本院におきましても朝野両党がしのぎを削って最善の方策を求めんとしていま御検討いただいておる最中でありますが、どうかひとつそういう点を考えまして、先ほど来の高邁なるお説は別といたしまして、いまここで困っている問題は、明年度——本年度のこの法案の修正等も出ておるようでありますが、思い切って修正していただきまして、そして朝野両党あげてこれでいくということにぜひ御尽力を願いたい。この機会を逸しますると一年延びるのです。現実の姿は、老人方々は五千円にもならないで三千三百円で老いてしまう。泣かされてしまうのです。その間に数十万の老人が死んでいくのです。こういうことを考えていきますと、これはせっぱ詰まった問題でありますから、特にこの点も強調しまして、最近橋本先生の提案等もあるようでありますが、必ずしもこれが私どもは最善とは考えませんが、一つの勇気ある提案として高く評価をいたしますけれども、これはひとつ虚心たんかいに、良識のある諸君がお考えをいただきまして、そしてまとめるだけまとめて、これでしかたあるまい、明年のことは明年審議するとしまして、本年はそういう意味合いでぜひとも修正案がもしまとまるなら最善の修正案をおまとめ願いまして、一千万の老人の涙を流して待望しておる姿をながめながら折り合いをつけていただきまして、前進をぜひ遂げていただきたいと思うのであります。  また、特にお願い申し上げる必要もないのでありますが、国民年金あるいは厚生年金等に対する問題は、先ほど来諸先生からも御意見がありましたが、これらは私ども見まして、そういう区別をしないで一本化した抜本的なものをここ数年の間に立てていただく。どの階層の人も同じ立場にあるというような一本の線の老齢福祉年金老齢年金、取るに足る、対処するに足る法案の御研究を賜わりたいと思うのであります。  スライド制につきましては、本年は踏み切りまして、政府案みずからスライド制を採用してくださいました。まことに感謝にたえません。金額はいただきましても、物価の上昇は御案内のとおりであります。スライド制がなければ年々減少する現象にありますので、老人はますます窮迫状況に追い込まれるのであります。こういう点等から、どうか皆さんには思い切った老人福祉対策をお立ていただくと同時に、特にこのスライド制を合理的に——いままでは五年に一回程度であったものを三年に一回程度にしていただきましたがなるべく時代時代に即して、それも二年でもいい、一年でもいい、とにかくえらい変化がありましたらスライド制を採用するように御尽力をいただきたい。政府案といたしました三年間に対しては、従来から見ますと大きな改善でありまして、これも私ども心から敬意を表する次第でありますが、よりよいものをおつくりいただくとするならば、ぜひひとつわれわれの苦衷、意のあるところをおくみとり願いまして、将来にわたりまして日本民族がしあわせにいけるように御尽力を賜わりたいのであります。  私ども、数年来、老人問題で欧米を歩いたことがありますが、先進国の意見を聞きますと、非常にすばらしいようでありますが、だんだん調べてみますと、時間をかけておる。スイスのごときは約七十年の歴史がある。ドイツのごときでも約四十年の歴史がある。日本昭和三十三、四年からこれに取りついたのであります。それまでは食うや食わずの敗戦の国民でありました。でありますから、飛躍的に先進国に追従するということはけっこうでありますが、若干の時間をかけましても、あとに後退をしないような、他の先進国から羨望に値するような永続的な老人福祉の進展が見られるよう御尽力を特にお願いいたしまして、私の公述を終わりたいと思います。(拍手)
  12. 田川誠一

    田川委員長 次に、吉田公述人にお願いいたします。
  13. 吉田忠雄

    吉田公述人 現在はイデオロギー終えんの時代だと思います。二つの体制が非常に接近してまいりまして、あるいは収敵するという説もあります。そうした中で国民の多くは政策の充実を要望しているわけであります。前回の総選挙のときも、各党ほとんど福祉の充実ということを掲げ、日本の福祉国家への前進を約束しているように私は受け取ったのであります。  福祉国家は三つの柱を持っております。一つは議会制民主主義であり、第二は混合経済であり、第三は権利としての社会保障であります。イギリスで救貧法時代、このような考え方から今日の社会保障の充実の国家をつくり上げましたけれども、日本におきましても、この権利としての社会保障、これを充実することが今日の課題であると考えるものであります。そしてこの社会保障のかなめをなすものは年金であります。私たち日本社会を福祉国家に前進させるかどうかは、一にこの年金の充実にかかっていると信じます。  そうした中で私は共同研究を進め、福祉の国際比較をやったのであります。各国のいろいろな福祉政策を研究してみますと、驚くことに、わが国ではほとんど全部完備しているのであります。いろいろなワクは全部でき上がっております。しかし、ただ一つだけないのであります。それは中身であります。全部そろっていて中身がないということは、いわば上げ底の社会保障であり、上げ底の年金だということであります。私はいま年金を充実させるためにも、上げ底から本ものの年金にしていただきたいと思うものであります。昨年の総選挙で政府自民党は鳴りもの入りで五万円年金を宣伝し、これを公約いたしました。国民の圧倒的多数は五万円受け取れるものだと信じたと思うのであります。しかしこの実際はどうであるのか。  その年金につきまして私はいろいろ申し上げたい点はあるのでありますけれども、ここでは四つの点に要約して私の意見を申し上げたいと思うのであります。  一は年金額であり、二はスライド制の問題であり、第三は財政方式であり、第四は谷間の老人の問題であります。  昨年五万円年金を公約したわけですけれども、第一の問題点として、この年金金額五万円は、私は現在の日本経済水準からいって妥当な線だと考えます。この水準はILO条約で勧告されたものにほぼ該当いたしますし、また社会保険審議会意見書にあります賃金たる標準報酬の六〇%の水準にほぼ近づくことを意味しております。さらにまた現在の高齢者の生活を調べてみますと、ほぼ五万円のこの線で生活しているのであります。私はこの五万円の年金をぜひ実現してほしいと思うのでありますが、実際にこの内容を検討してみますと、かなり上げ底が見られるのであります。たとえば、今日この五万円の受給できる数字を推定いたしますと、本年十一月で約九%という数字になりまして、圧倒的多数の人々はこれから非常に低い水準になるということであります。国民年金で夫婦合して四万円そこそこ、厚生年金では四万円を切りますけれども、このような五万円年金という実態はほんの一部の人々でありまして、圧倒的多数の人々にとってはこの五万円年金は羊頭狗肉であるということであります。私、この年金額につきまして、少なくとも加入期間二十年で五万円年金とし、別に妻に対して一万円、子供一人につきましては三千円、このような年金額でやり、名実ともに五万円年金を実現していただきたいと思うのであります。  第二点は、スライド制の問題であります。いろいろこの世の中にこわいものがいわれております。地震、雷、火事、いろいろいわれておりますけれども、おそらく年金生活者にとって最もおそるべきものはインフレであります。このインフレにいま年金生活者は苦しんでいるのであります。年金生活者にとりましては、労働組合のような力もありませんし、あるいはまた団結する力も決して大きくないのであります。しかし今回の政府案を拝見いたしますと、物価にスライドする、特に五%をこえて変動した場合にスライドするということをいっております。私は、この点高く評価いたします。しかしこの物価にスライドしただけでは、年金生活者の生活は決して楽にならないということであります。確かに一部分は楽になりますけれども、しかし賃金労働者は賃上げで上げております。この労働者とそれから年金生活者との格差は、ますます大きくなっていくのであります。ちなみに、昭和四十七年度の統計を見てみますと、消費者物価上昇率は五・七%、賃金上昇率は一五%と推定されているのであります。このことは、この統計で明らかなとおり、賃金所得者は上がっておりましても、年金生活者は従来の物価スライドでは、それは物価スライドがないよりはいいのでありますけれども、やはりここで格差が出てくるのであります。おそらく勤労者自身も、自分たちの賃上げとともに年金生活者が上がっていくということは、いわば自分たちの未来の生活を見るようなものでありますから、大いに勤労意欲もわかしていくと思います。そうした意味で、このスライド制につきまして、物価スライドでなしに賃金スライド制賃金の上昇に見合うスライド制を採用していただきたいのであります。  第三点は、財政方式でありますが、ここでは財政方式につきまして他の公述人からもいろいろ御意見が出されました。現在とっておりますのは、積み立て方式でありますが、私はこれを賦課方式に改めること、このことを提唱したいと思うのであります。そのことが今日の年金の充実をはかることでもありますし、また同時に経済の変動が大きく、スライド制が必要なわが国においても適切な財政方式だと考えます。このことと関連いたしまして、財政方式と関連いたしまして、たとえば保険料率の引き上げにつきましては極力抑制し、そして適正負担にしていただきたいと思うのであります。  このような財政方式に関連いたしましていま一つの大きな問題点は、その積み立て金運用であります。今日膨大な金が積み立てられておりますけれども、その二五%は被保険者と家族の福祉に、七五%は国の財政投資に使われております。ところがこの年金資金のおよそ半分は、年金とは関係のない部門に投資されているのであります。それがまたインフレをあおっているのであります。このことは年金生活者にとりましては、二重の追い打ちになっているということであります。私はこの年金運営につきましては、公益、事業主、被保険者政府の各代表による委員会によって、とりわけ福祉優先の面で使うべきである、こう考えます。  第四点は、いわゆる谷間の老人の問題であります。これは、いわば今日わが国で社会保障が歩みを遂げておりますけれども、その谷間に残された人々であります。考えてみますと、この人々にとりましては、戦前一生懸命働き、そして今日の日本の繁栄の基礎をつくってくれました。しかし職場ではやがて定年で追われました、あるいは老後に備えました貯金も、インフレでほとんど少なくなってきているのであります。さらに家庭におりましても、最近とりわけばば抜きなんということで、家庭にいることもできない。こうした中で高齢者たちは非常に苦しい中に、さらに苦しい生活を送っているわけであります。このような状況に対しまして、今回この老人たち老齢福祉年金につきましても、従来の三千三百円から政府案は五千円になっておりますけれども、これを七十歳から六十五歳に引き下げ、だれもが一万円の年金、少なくともこの一万円の年金を、日本社会の発展に大いに貢献したこれらの人々に差し上げていただきたいと思うのであります。また、この人々に差し上げることによりまして、権利としての社会保障ということが軌道に乗ることでもあります。  以上四点につきまして私の考えを申し上げたのでありますけれども、社会全体の連帯感、さらにまた生きがいのある社会づくりをしますためにも、とりわけこの四点につきまして十分御配慮くださいまして、福祉国家へのさらに大いなる前進を進めていっていただきたいと思うのであります。以上で終わります。(拍手)
  14. 田川誠一

    田川委員長 次に、曽我公述人にお願いします。
  15. 曽我恒市

    曽我公述人 きょうまでわが国はすばらしい成長を遂げてきておるわけでありますが、そのために多くの人は生活も豊かになり、所得も上がったわけでありますが、老人とか母子あるいは身障者の人たちは、社会生活をする能力、経済活動の能力がないために非常に苦しんでおるわけであります。また老齢化の傾向が強くて、苦しい生活におちいる老人が日増しに多くなっております。そういう傾向の中で、政府が今度年金問題を改善するためにいろいろな施策を取り上げられたことは、私どもは敬意を表します。ただ私はいまの案、あるいは改善計画なりあるいは現在の年金制度全般というものに必ずしも満足しておるというわけではございません。やはりある進歩がなければならないし、長期計画を立てて毎年確実な進歩というもの、改善というものを期待しておるわけであります。ただ、私は政府案に賛成をし、敬意を表しておるわけですけれども、私どもの立場から見ますると、わが国の社会福祉というのは非常に底が浅いわけです。したがって施設の整備もあるいは従事する職員の給与の改善も、みんな必要であります。ある程度の均衡、バランスをとった改善というものがなければこれは困るわけであります。いろいろな対象がおるわけです。したがいまして、年金の大幅改善けっこうであるけれども、ある程度やはりバランスをとった行き方をしてもらいたい、そういう意味合いにおいて私は今回の政府案に賛成をしておるわけであります。  まず今回の案の中で二、三取り上げてみますると、第一は無拠出福祉年金、特に老齢福祉年金の問題でありますが、私の法人では百七十名の養護老人ホームと百名の特別養護老人ホームを経営いたしております。約三百人近いお年寄りを預かっているわけですが、全部から見ますると、この福祉年金をもらっている人が六五%、七十歳以上だけを取り上げてみますると八〇ないし八五の人が三千三百円の福祉年金をもらっておるわけです。この人たちの場合、これは私のホームだけの問題ではございません。東京都内の老人ホームが一般的にそういう傾向でありまするし、全国的にもそうであります。在宅の場合でもおおよそそのような傾向を持っておるようです。したがって厚生省の統計によりますと、四百二万七千人という数字があがっている。非常な数字であります。養護老人ホームのお年寄りというのはほとんど無収入であります。したがいまして、三千三百円というほんのわずかなお小づかいでありますが、あえてお小づかいと申し上げますが、実際にたばこ代とかお菓子代とかいうような程度の役を果たしておるわけでありますが、都心部では見られないような五十円のエコーというたばこをおもに吸われておる。それでも月の下旬になってお小づかいが全然なくなると、それを半分切って半分ずつのんでいるというような状況です。四十年ころには駅でたばこの吸いがらを拾っていた老人ホームの老人もおりました。そういうことですけれども、いま幸い三千三百円というものがあるために、おばあさんなら駄菓子のようなお菓子、おじいさんならたばこということで、ほとんど涙ぐましいくらいの努力をして三千三百円を効率的に、上手に使っておるわけです。ほとんど無収入であるために、月三千三百円でも非常な貴重な存在であります。これは私ども現場を預かる者として無視できない問題です。非常に大事な問題でございます。  そこで、この人たちは昨年の選挙のおりとか、あるいはラジオとかテレビで五千円年金だのという話を聞いておるので、すでにもう当然に五千円になるものだと期待をしている。そして昨日もある七十八歳のお年寄りに、五千円になったら、おじいさんどう使うのだと聞いてみますと、その人は茨城県出身の人で、月二、三百円でも貯金をして、そして春と秋ぐらい郷里に墓参りに行きたい、こういう答弁をしている。それからもう一人のおばあさんに聞いてみると、これも七十五歳ですが、横浜に三十年ぐらい生活した人です。私は横浜の思い出が多い、月に一回ぐらい横浜に行ってみたい、知人に会ってみたい、そういうことを言っている。まことにささやかな老人の期待でございます。そういうような状況から見まして、とにかく五千円でも早く実現してほしいということでございます。  それから次に、六十九歳以下の老人の問題を申し上げますが、今回の政府案では見当たりませんが、六十九歳以下の老人、よく谷間の老人といわれておりますが、この人たち自体には御承知のように何の責めもないのだが、社会保障はまるっきりないということでございます。たいへん遺憾なことでありまして、東京都とかあるいは神奈川とか、全国で二、三の財政力豊かな県ではお小づかいを県単、都単で出している。東京都では三千円。十一月から五千円に引き上げるという約束をしておる。そういうために、東京都とか裕福県のお年寄りは何とか助かっておると思いますが、全国的にはほとんどこの制度がないのです。都単で法外援護でありますから、府県の知事なりが、あるいは自治体の長が老人福祉を考えてやらない限りこれはできない。いま私ども知っている限りでは、ほとんどの県がございません。非常に気の毒な状態になっておるわけです。したがいまして、谷間の老人には私はできれば福祉年金と同額か、それに近いものをぜひ出してほしいと思う。いなかの県では、と言うと失礼でございますが、この間東京で全国大会をいたしましたが、私の部会に集まったホームの責任者たちは、今度年金が五千円になるということは非常にありがたいのだけれども、実は非常に困る、こういう話が出た。なぜかと申しますと、ゼロの人と五千円——いままで三千三百円の格差が今度は五千円になるのだ、これは非常につらいことなんだ、東京のような裕福県はいいけれども、われわれの県はまことに困る、この格差をどうしたらいいか、ホームを預かる者としては非常に頭を痛めているという、るる開陳がございました。そういう意味合いにおいて、ぜひこの問題は特別の考慮をしてほしいと思います。  その次に、扶養義務者の所得制限の改善ですが、これはもとから私どもかねがね政府にも陳情いたしておったことで、これが実現されることはたいへんありがたいわけであります。  それから、経済活動のほとんどなくなった人に、年間六十万ぐらいの年金から税金を取らなくても、取るところはたくさんあるんではないかと思う。これはぜひ非課税の処置をとってもらいたいと思います。  次に厚生年金について申し上げますと、今回政府では、過去の標準報酬の再評価をするようなことによって、いろいろ設計には苦労しておられるようでございまするが、五万円の水準に持っていかれること、これはまことに適切でございます。  五万円の年金について一つの事例を御紹介さしていただきたいのでありますが、私の知っている人で、三十数年公務員をして退職をし、退職金で土地を買い、そしてむすこさんが職場や公庫から金を借りて家を建てて、そこに老夫婦と二世帯、孫二人と生活しておるのでありますが、その家庭は家庭円満ということで近所で非常に評判なんです。なぜあそこはあんなに円満であるかということが評判になって、私どもの耳にも入ったわけです。そこで私は、昨年の老人週間の際に、その人にお尋ねをいたしました。一体家庭円満のコツは何ですかと聞いた。私どもの老人ホームには、家庭不和という名目のもとにたくさんのお年寄りが来ております。しかし、よく履歴を調べ、経過を聞いてみますと、自分の若い間、十年、十五年の間不和は何もなかったわけです。ところが職を失い、老齢になって無収入ということになったとたんに不和が起きてきている。そういう人が非常に多うございます。そこでその御夫婦に伺いましたところ、私のところは幸い五万円ちょっとの年金をもらっている。そしてその年金の中の三万円を二人の生活費として若夫婦に渡しているのだ。これで経済的に対等なんだ。だからわしの女房——おばあさんですね、女房もわしも八畳間を独立して使っている。経済的に独立で、何の気がねもお互いにないのだ。食うものは払っているのだ。したがって若い者も何も文句は言わない。いわゆる五万円年金というのが家庭平和のかぎである、こうおっしゃる。そしてなおその人がいわくには、私ども老人福祉に関係しておるために、あなた方、老人福祉の問題のかぎは、老人福祉問題は、いま老人の人方に五万円年金でもあげたら老人の問題は大半解決するのではないかと思う、老人福祉のコツはそこだ、こう言われるわけです。さらにその人がことばをついで言ったことは、これはもう実に私は忘れがたいことなんですが、自分がもしむすこから、あるいは嫁からたばこ銭をもらうようなことがあったなら私は自殺している、こう言いました。非常に私は心理をついていると思う。それが老人ホームというものに非常に需要を多くし、老人ホームに来る人の家庭を核家族化し、老人を家庭から押し出している大きな原因でもあるわけでございます。そういう意味合いにおいて、五万円年金というものについていろいろ意見もあろうと思いまするが、国民年金同様、五万円年金水準に上げてほしいということを強調いたしておきます。  それから、いまこの年金が二万円という水準であるためにそういうような問題があるわけで、申し上げたわけでありますが、年金が少ないことは、私どもから見ますると老人対策の貧困にもつながっているように思うのです。どちらも不十分な形、これがもう少し年金が充実してくれば、成熟してくれば、私は老人ホーム、老人対策というものが非常に変わってくると思う。そして、どなたか私と反対のことをおっしゃっておりましたが、われわれいろいろな機会にアンケートをとって調査をいたしてみますと、老人の六〇%はやはり家族と一緒に暮らしたいという答えをしております。ところがいまの状態ではできない。勢い、老人ホームに行く。老人ホームのいろいろな費用をそういうことで増加さしている。片一方、ふえるものだからなかなか老人対策というものも不十分であり、年金も不十分で結局国家的に、財政的には私はマイナスでないかと思う。やはりある時期には年々年金問題を充実さしていって、老人が自分の年金で、自分の意思で、自分の選択でホームを選び、家族と別居したいと思うならホームを選んで行く。そして、ホームへ行ったらやはり自分の金で自主的に生活させるということが一番大事であります。  いま、老人ホームをさして世間の人は、うば捨て山だとか養老院的だとか、そういうイメージが強いとおっしゃっております。私はあえて否定はしませんが、それをなくする根本というのは、老人自体の、お世話になっているという意識をなくすることなんです。それにはほとんど公費でまるがえのような形の老人対策ではいけないわけで、やはり年金の面でカバーして、みずからが選び、みずからが自主的にホームの生活を楽しむという時代が来なければいかぬと思う。そういう意味でも、私はまず五万円年金ぐらいを早く実行してほしいと思います。  最後にスライド制の問題でありますが、これもいろいろ御意見もあるでしょうが、やはり数年ごとの再計算とかいうことではいかぬので、いままでのようなこの高度成長というか、ものすごい成長はないにしても、やはりある程度の成長もありましょうし、物価が上昇するのだと思うのです。その意味ではやはりどうしてもスライド制が必要であり、年金価値維持する対策として全く必要であろうと思います。  そこで、最後に要約して申しますと、私は政府案に賛成をいたしておるわけでありますが、その意味では先ほども申しましたが、今度の政府案というのはいまの段階で最小限度の必要なものだと思うのです。これさえ通らなければ全く困るのではないかと思うのです。堂々と声を大にして世間にアピールする力がない老人とか母子とか身障者が陰で泣くばかりです。やはりこれはようやく年金制度改善のいわばスタートをしたようなものではないか。スタートのテープを張っておいてそのテープさえ切られないということであるならこれは救われないと思うのです。やはりある程度ここはいろいろな都合考えられるでしょうけれども、私どもから見たらもたもたしないで実行してくれと言いたいことなんです。そういう意味合いで私は政府案をいいということを言っておるけれども、決して自民党でも何党でもない。社会福祉なんというものは各党のイデオロギーと別な次元で論ずべきだと思っておる。そういう意味合いでひとつ皆さんお考えいただいて、せめて政府案ぐらいを通してもらって、十一月からでも五千円の年金にしてもらって老人の笑顔を私ども見たいと思っておる。そういう意味合いで、以上所見を申し上げたわけです。  終わります。
  16. 田川誠一

    田川委員長 次に、小口公述人にお願いをいたします。
  17. 小口賢三

    小口公述人 小口でございます。  私は春闘共闘のほうの年金対策委員をやっておりますので、その立場も含めまして、まず政府の提案並びに自民党橋本修正案に対して、当面、日本社会党、日本共産党、公明党、民社党の四党共同提案を支持しての立場から今後の年金制度のあり方について意見を述べたいと思います。  自民党のおっしゃっていることを聞きますと、年金水準は二・二倍に上がるではないか、また標準報酬の読みかえもするではないか、物価スライドも入るではないか、これはおおばんぶるまいだいいことずくめではないか、こういっております。また橋本修正案は、保険料は千分の十五を一律に上げたけれども、修正して男子について千分の十二、女子について千分の二まける。また脱退手当金も五十一年というのを三年延ばす。谷間の老人についても三千五百円出す。これだけやったではないか、いいではないか、こうおっしゃっておる。野党はこれに反対しておる。見方によればいいことをなぜ延ばすのか、早く通してくれ、こういう御意見もあろうかと思う。しかし、私たちがなぜ反対するかというにはものさしがあります。価値基準について違うわけです。長いこと厚生年金については一般に政府が次のような宣伝をしました。  第一に、未成熟である、保険料が安い、だから給付は低いのだ。これはとんでもないインチキなんです。常識から考えまして、被保険者集団が多ければ多いほど保険料は安くて給付が高い、これはもう国民の常識なんです。ところが厚生年金は最もたくさんの被保険者がおって、一番ぜにがたくさんたまっておって一番給付が少ない、これはどういうわけだ。それから、私たち春闘共闘の傘下の労働者は、民間労働者が賃金をきめて国公、公労協の労働者が賃金がきまっている。これは長くそういう過程を経てきました。したがって、私たちは当然のこととして、賃金についてもそうなら、年金についても労働者として同様な給付水準を持っていると思っております。ところが実態はそうなっていないのです。以下私がこれに納得できないものさしについて、四点について申し上げます。  第一は公的年金は少なくとも、本人自身は強制的に加入させられ、しかも給付については国が一定の給付水準を保障するという契約のもとにこれは出発している制度だと思うのです。ところが現在の厚生年金については、自分が完全の年金条件になったら何ぼの給付所得として保障してもらうかという所得保障の目標が制度に全然ないのです。このことは公務員及び公共企業体、さらに私学共済あるいは農林漁業共済の職員たちについては、そこの共済年金との制度の違いの表に掲げましたように、とにかくやめるときの三年前の平均賃金かそのときの賃金の四割は最低保障する、それからそれをこえる一年ごとには一・五%ずつ増率する、四十年で七〇%を上限とする、これは契約です。ところが私たちのほうの厚生年金は、御承知のように定額、報酬比例分と加算年金になっています。従来一万円年金、二万円年金、今度は五万円年金だ。一万が二万、二万が五万だ、バナナのたたき売りのようになってきていますが、中身が五万円ということはインチキだということは先ほど庄司さんから言いましたし、社会労働委員会の野党の先生方からもずいぶん明らかにされました。この厚生年金の算定式というのは、実は単にこれは給付計算をする算定式じゃないはずです。少なくともこれ自身は国民が、強制保険の被保険者である者にとっては、自分が完全年金の資格条件を得た後に給付を受ける場合の計算方式になっておるわけです。ここを間違えないでもらいたいと思う。ところが政府がいままで改正した歴史を見ましても、厚生年金については常に算定方式が変わっています。ここに書きましたように六十五年、六十九年、七十二年をとってみても、最初は二十年をとり、次には二十四年をとり、今度は二十七年をとる。この結果常にこのような方式でありますと金額が二万円が五万円になればいいという問題ではなくて、所得保障の目標が制度化されていないために、常に計算例が新規裁定者の平均をとるということで、結果的に法律が改正した直後に新規裁定で年金を受給する人は最高になるけれども、その人たちだけの例が出てきます。だから五万円年金政府が発表すれば一般の労働者や既裁定年金者は五万円もらえるかと思ったら、中身を計算してみたら三万六千円だ、こういうことになっています。  それからまた、現在、改正する前の状態を申し上げますと七十一年の現在で二十年の被保険者期間を持っている人たちの男子の平均が二万一千三百六十七円です。このとき東京都の生活保護の保護基準は二万五千五百十円です。考えてください。国の法律の名において強制的に二十何年以上の保険料を納めた人間に対して、生活保護基準以下の給付水準がまかり通ってきたという事実について、これは黙って見過ごすわけにはいきません。二万円が五万円になったからいいなんというもんじゃありません。そういう意味において第一に私たちは、計算方式そのものは国が国民年金権に対して何ぼの所得を保障するかという算定式なんです。現在のような厚生年金計算だったら、だれも被保険者が何ぼになるかわからない。特にこの点で保険料が安いから金額が少ないのだなんていっているのは、これもたいへんなインチキでして、共済年金のほうは退職時または退職の前三年をとってきながら、民間労働者については全被保険者期間の平均報酬をとった、これは現在共済組合の仲間が、公労協のほうだけ退職時だ、おれたちは三年平均でぐあいが悪い、こういうことで退職時に直す要求をしています。これを国家公務員の五級六号俸の例にとってみますと、退職時三年と退職時にするだけで年金額で四万円違うのです。だから全被保険者期間の標準報酬というものをとることがどれだけ給付料を下げているか、これはもうたいへんなものです。  それから、所得保障がないことはいま述べたとおりなんですが、次に、成熟していない、つまり被保険者に対して受給者が少ない。これは強制的な社会保険である限りにおいては、必ず経過措置というものを法律が立法されるときにとるのがあたりまえなんです。現に人口構造を考えても、生産年齢人口に対して老齢年金人口が少ないのですから、国がそういう保障をとるというからには、まず保険料を一銭も納めない人であっても、その年齢をとってある程度給付をしても別に年金保険が赤字になるわけじゃないのです。これはもう社会保険の仕組みの常識なんです。ところが、他の共済年金その他については過去勤務債務がとられていながら、厚生年金についてはまるまる二十年間黙って逃げてしまっている。これは政府の犯罪だと私は思う。現にこのことについて厚生省もこのままではちょっとまずいというので、国民年金だけについては五年年金、十年年金というものを制定したのだ。なぜ厚生年金についてはこの思想が入らなかったのか。この結果実は受給者が少なくなっているので、結果のことであって、受給者が少ないからまだ制度成熟してないなんてとんでもない話だと私は思います。  それから、スライド制についても共済年金は御承知のようにすでに賃金の六割を保障して物価に加算しています。そして軍人恩給その他の改定のつどそれに見合って、その関連における文官恩給の関連がありますので、実質的にスライドする。厚生年金は今回物価にスライドした、これはたいへんな飛躍である、清水の舞台から飛びおりたものだ、こういうふうに厚生省の役人は私たちに言いました。私たちも同じように保険料を納めているのです。なぜ一体私たち民間だけについて物価スライドでなければならないか。しかも五年の間に再評価して調整するというけれども、毎年一五%から二〇%上がるようなときに五年間も待ったら一体年金生活者はどうするか。スライドが入ってたいへん好ましいというように私たちはにこにこはできません。こういう差別についてどうしても納得できないのです。  これは脱退手当金についても同様です。そこに数字に書いてありますように、たいへんな差があります。私は繊維産業の労働者ですから婦人労働者がたいへんおりますが、これが実際に十年間をとってみますと、国家公務員が二百四十五日に対して民間は九十六日、男子は七十二日しかありません。二十年間のところをとりますと、国家公務員五百三十二日、地方公務員五百十五日に対して私たちは二百十六日、実際に脱退一時金というのを調べてみますと、本人が毎月毎月掛け金を銀行に預けて複利計算をしていってやったのと、国がこの脱退一時金の給付日数にして計算してくれる金とあまり違わない、こういう例が出ました。  それから加算年金についても、われわれ厚生年金にあって向こうにありません。これらも本来から見れば、社会保障全体の中で家族手当制度というものがきちんとしてなくて、産めよふやせみたいに第三子だけ現在児童手当を給付しています。その結果、外国から見れば、本来年金として給付されるほかに、このような家族手当というのは、働いているときも、あるいは年金生活に入っても一貫してこれがついているわけです。そういう意味で、これはちょこっとつけたと思うのですが、このようなことだけ加算年金がついて、これもただ多ければ多いほどいいというものではないと私は思う。そういう意味計算方式がたいへん多くの問題を持っています。ですから私たち給付水準を引き上げるという問題と同時に、制度計算方式、特に所得保障を明確にしてもらいたい、これが一点です。  第二番目は、全被保険者期間の平均標準報酬制をやめてもらいたい。そして年金点数制にしてもらいたいということです。これは、平均標準報酬が少なくとも算定基礎としてそれが了解される場合の前提は、通貨価値が二十年、三十年にわたって一定であるという前提がなければなりません。また完全に賃金スライドが行なわれるという前提がなければなりません。この二つが満たされた上でもなおかつ、スライド制をとった場合のスライド指数は平均賃金の上昇率をとりますから、本人が被保険者期間中に賃金が平均よりか高かったか低かったかによって年金給付額に格差が拡大してきます。そういう意味で、私たち年金受給者に対する所得保障というものは、単に年金計算式に従って本人が新規裁定時の所得に対する六〇%が確保され、あとは完全な賃金スライドであればそれでよいというものではないと思います。あくまで年金生活期間を通して、本人が働いていた期間、その社会で享受していた生活水準の六〇%、この生活水準というのが大切であって、決して名目賃金の六割というものが将来にわたって行なわれるという意味ではありません。  それから年金点数になぜするかというのは、本来的に標準報酬をとっていく限りにおいては、どうしても計算上は賃金であっても、もらうほうから見れば、それは購買力としての通貨であります。したがって、保険料を取られるときはその価値を持った通貨で保険料は取られますけれども、支給を受けるときには実際は購買力のない金で受け取る。これは私たちが日常保険会社との契約金をもらうときの実感でいやというほど味わっているわけであります。そういう意味において点数制に切りかえない限り、本来的においてこのような長期の契約を必要とするものが、実際に生活を保障するということに仕組みとしてもならないという点です。  これは特に、自民党のほうでも脱退手当制度を五十三年まで延ばすというお話がありますが、婦人労働者にとってみれば、若いときに働いた賃金を基礎とされて、読みかえがあるかないかわからないような状態で国民年金を通算しても、やめて二十年、三十年前の標準報酬計算したのでは、これはもう全然信用が置けない。結果的に一時金をもらうほうが得だ、こういう形で、年金制度から見れば、本来から見れば変則ではありますけれども、一時金をもらわざるを得ないという形にななっておるのであって、本質的に婦人の年金権を保障するということになれば、私は年金点数制というものを前提に考えない限り合理的な通算制というものは無理ではないか、こういう意見を持っております。  それから二番目に最低年金制の問題ですが、この点につきまして、私たちはやはり国民年金権という立場で、少なくとも、給付されるものは拠出制と無拠出制との違いはあります、しかし拠出制である限り、少なくとも年金はまず食える年金でなければならない。そして当然最低賃金とか生活保護法の最低基準とか失業保険の給付とか失対賃金とか関連した社会保障一般のいろいろな生活水準に関係する諸指標との間のバランスを持たなければいけない。そういう意味で当面三万円というのは、いろいろ考えて私たちも要求し、野党四党が支持してくださった金額であります。そういう意味で私たちは、老齢福祉年金の金額にいたしましても、少なくともこれは拠出制と違うという意味合いにあっても、少なくとも五千円などという金額では、年金権の名において政府社会保障として支出しているという金額にはならないと思うのです。  そして私たちは、この所得再配分効果について、定額制がたいへんにすぐれているということを幾つか申し上げたいと思います。それで、この定額制の現在の計算方式に非常に問題があるということはいま述べたとおりですが、これらの計算方式を、年金点数制を基礎にして所得保障を、六〇%保障するというたてまえでいった場合に、私たちは当然社会保険の仕組みから見て、拠出期間あるいは保険料の額、こういうようなものが問題になりますので、これを上限と下限によって再配分効果を持たせる、こういうことにお願いしたい。そういう意味国民年金福祉年金、五年年金等は一人当たりの国民所得というものを基準にして所得保障の目標をきめていただいたらどうだろうか、こういうふうに考えます。  それから四番目に年金基金の管理と運営に被保険者代表を参画させていただいて、決算報告、事業報告を明らかにする。同時に賦課方式に漸次的に移行していただきたい、こういう意見です。年金問題をあれしますと、たいへん長期に数字的なことが出てきますが、山田先生もいろいろ御意見がありましたけれども、実際に政府経済計画だって、五年計画を出しても三年間で適当に条件が変わってだめになっています。年金問題は、私たちがいろいろ先生方の本も読みまして勉強した範囲では、一番問題は、受給者一人に対して生産年齢人口がどのくらいの人口構造を持っているか、ここがポイントだと思うのです。そういう意味では、現在賦課方式に切りかえていくということは財政的にも無理がない。  それから将来保険料を現在の人たちがみんな積み金を使ってしまって将来の世代に負担をかけるのではないかという意見ですが、これはお手元の資料に——時間がありませんので説明は省きますが、お手元の資料に出しましたように、現代総合研究集団が一つの仮定に基づく計算をしておりますし、またもう一つの最後のデータは、春闘共闘委員会年金対策委員会一つのモデルで計算した指標を添付しました。  賦課方式を私たちが主張します一番のあれは、これは庄司委員も言いましたけれども、何よりも現在のインフレというものが経済体制にビルドされているようなこういう条件の中で、静態的な年金数理だけを言ってもそれは通らない。そういう意味で諸外国もこのインフレ問題について、長期の積み立て金というものがほんとうに国民に信頼を受ける年金計算ができない、こういうことから実は賦課方式になっているわけです。そういう意味において、私たちがヨーロッパの調査の結果でも、責任準備金というのはドイツは三カ月、ILOの社会保障部では一年もあれば十分でしょうと言っていました。そして老年人口指数がピークになるのはいまから四十八年も先です。こういういろいろなことを考えますと、私たちはまずここでは年金数理の上で五十年とか三十年後にどうだということよりは、まず当面五年間保険料を上げないで、現在の国民年金によって何とか食えた、こういう結果をまず示す。その仮定で政府も国会も五年計算と十年計算財政計算を示していただいて、いずれにしましてもこれは国民拠出し、国民給付を受けるという関係ですから、そういう国民的な合意というものがほんとうに得られなければいけないと思います。そういう意味では、むしろこの計算が合理的にされて、国民に事前に三年、五年前に提示されて、十分な討議の期間を得られるように今後ともひとつお手数をかけたいと思います。  以上です。(拍手)
  18. 田川誠一

    田川委員長 以上で、公述人意見の陳述は終わりました。     —————————————
  19. 田川誠一

    田川委員長 公述人に対する質疑の申し出があります。順次これを許します。多賀谷真稔君。
  20. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 たいへん貴重な御意見を承りましたが、力石先生は時間の関係があるそうですから、先に質問いたしたいと思うのです。  先生の御議論ことに賦課方式に対する御議論は、いわばいままでの厚生年金国民年金その他の共済のワクを越えての、要するに現在の年寄りをどうするかという問題であると思います。ですから厚生年金給付を上げても、あるいは拠出制国民年金給付を上げても、現在のお年寄りにはそう関係はないというところに問題がある、こういうような指摘だったと思います。そこで野党案をつくる際にも、これは非常に議論になりましたところなんです。でありますから、現在の厚生年金の財源、国民年金の財源あるいは共済の財源から拠出をするか、それに政府の金をつぎ込むか、あるいはだんだんだんだん六十五歳以上の年寄りは少なくなるわけですから、思い切ってここで国庫負担を増大をして国でまかなう、しかし財源的にはやがて少なくなっていく、こういうように踏み切るか、この二つだろうと思うのです。  そこでいま厚生年金国民年金の話はわかりましたけれども、現在の共済制度の中からは一体どういうようにするか。現在の共済制度はすでに二十年来ずっとやってきて、ですからもうすでに自分たちの任務は、いまの年寄りを養っておるんだ、かっての先輩は、ということになれば、これは別ワクだということにもなるし、いや、あなた方の家庭にもお年寄りはいるじゃないかといえば、これも当然義務負担をしなければならぬと思うのですが、その点をひとつお聞かせ願いたい。
  21. 力石定一

    力石公述人 統合の問題でございますが、私は共済年金も含めて全部統合すべきであるというふうに思います。そしてでこぼこは、それは所得比例部分みたいなところででこぼこがある程度残るのはやむを得ないと思いますけれども、定額部分というところで統合をしていくということだろうと思うのです。そういう統合にとって積み立て金を活用する、これをワクを越えて活用するということが国民的にも勤労者にとっても有利であるというふうに思います。といいますのは、一方でどんどんインフレで減価するようなところへ積み立て金を残しておいて、そして税金を使ってやるというふうなやり方よりも積み立て金をできるだけ活用して、いまの国民所得水準にある程度見合うところの老齢人口の生活を保障するというところに積み立て金を全動員をして、そして足りないところを税金でやっていくというふうな考え方に立つべきでありまして、といいますのは、税金というのは、これは一般的な老人に対するホームサービス、たとえばホームヘルパーであるとかそれからホームナースであるとかは、老人ホームで一ぱい要るわけであります。そういうところにもつと税金というのはしっかりお使いになって、掛け金をとにかく積み立てておくという考え方をできるだけ早く払拭してしまうということがまず第一前提ではないかというふうに考えます。それで足りない部分を税金を活用する。別ワクにしておいて、そしていま九兆八千億円国民年金厚生年金積み立て金がございますが、そういうのを厚生年金だけ年金の支給額が上がって、それでもいまの形ではかなり残るわけですね。賦課方式をとっても厚生年金だけでとった場合には、必ず積み立て金が残ると思うのです。その膨大に残った積み立て金をたとえば生活基盤投資へ回すとしても、私は問題があると思います。つまり投資的経費に社会保障のお金を流用するということは間違いであって、投資的経費は当然資金は公共部門が、たとえば公共債とかなんとかで調達して孫子の代までかけて返していくという形にすべきものであって、いまの社会保障や教育やそういう経常的な支出に対する税金というものを非常に大切に考えたいというふうに思います。したがって自分たちのエゴイズムの観点から、しょうがない、ほかの連中のことは税金を使ってやれというふうな態度は、厚生年金組の労働者としてはとるべきではない。これはむしろ厚生年金に参加している労働者諸君の統計調査をおやりになったらいいと思うのです。非常にたくさんな人が他の年金グループに入っていらっしゃるでしょう、自分の親は。そういいますと、自分の親のことなんですから、そういうことを考えて早くプールすべきである。自分たちのワクだけの老人というふうに考えるということは間違いである、そういう考え方をとればとるほど、まさに財投資金にたくさんのお金が残って、大いにこれでもって産業基盤投資なり何なりに活用できるということになってしまうので、漁夫の利を得るのはいまの資本蓄積方式が一番有利な形になるのだというふうに私は思っております。
  22. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 そこで山田先生にお尋ねいたしたいのですが、昭和八十年あるいは八十五年になると、わが国の老人の人口が非常に増大をするといろいろいわれておる。しかし現在の欧州の姿がすでに一二%から一四%、六十五歳以上がなっておるわけです。現在の欧州においてできることがなぜ日本でできないのだろうか、こういう疑問を持つわけです。ですから老人が増大をすると負担が過大になるということはどうも、逆に言うと老人対策を軽んずる、むしろいまの年寄りの政策をサボろうとする、こういうことにもつながるわけであります。  そこで、昭和八十五年になりますと、政府計算でいきますと四百十一兆の積み立て金が余ることになるわけです。そこで私は、いま具体的に力石先生からも提案がありましたが、いまの厚生年金拠出制国民年金の対象外のお年寄り、これについてどうしたらいいというようにお考えですか、これをお聞かせ願いたい。
  23. 山田雄三

    山田公述人 外国でやっていることが日本でできないことはないだろうという第一の点でございますけれども、これは御承知のとおり、日本老齢化が六十五歳以上まだ七%ぐらいですね。ところがヨーロッパではもう一二%あるいは一三%というふうになっているわけでございまして、おのずからそこに日本のほうがまだ余裕があるわけでございます。ですから将来つまり八十五年でもいいし、またもう少し前でもいいですけれども、そういう将来を考えた場合に、私が先ほど申し上げたのはドイツ並みもしくはドイツ並み以上になるだろうということを申し上げたので、外国に劣らない水準になることだということを申し上げたわけでございますから、その点は御了承願いたいと思います。  それから積み立て金云々の問題でございますが、これは先ほど力石君や何かのお話で統合問題というのがございまして、積み立て金をどんどん各年金間にプールして使え、それから谷間の老人にも使うという御意見のようでございますけれども、私はどうもやはりいまのところやれることは——国民年金あるいは厚生年金それぞれちょっと性格が違うのですよ。たとえば自営業を主にするものとそれから雇用者を主にするものと、あるいは共済組合も歴史的に違う。それで一応制度の分立は認めながら、何とかもう少し歩み寄る方法はないだろうか。たとえば定額なら定額制を、国年とそれから厚年と定額制のところでそろえるようにする、比例制のほうは多少とも別扱いにするというようなことを考えるわけでございます。それから谷間の老人につきましては、私は本来はやはり国費負担でやるべきだと思っております。積み立て金云々というよりは、国費負担でやるべきだと思っております。積み立て金が何かすぐに悪いように考えますけれども、私は積み立て金ということばがいけないと思います。むしろ準備金ぐらいのことばを使うべきだと思うのですが、積み立て金というのはやはり、それを利用することによってできるだけ——賦課方式をいきなり採用しますと、スロープが急なんですよ。それをできるだけなめらかにするように利用するという点で、これは結局は最後はなくなります、積み立て金というのはなくなりますけれども、積み立て金積み立て金としてそういうふうに使うべきであって、先ほどの谷間の老人に対する手当てというようなことは私はやはり国費でやるべきだ、こういうふうに考えております。
  24. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 谷間の老人と申しましても、いま六十七歳から六十九歳というそういう狭義ではなくて、私は現在の福祉年金受給者を含めて、要するに拠出制国民年金あるいは厚生年金の恩恵に浴さない層ですね。私は、いまの社会問題の一番というのは、これじゃないかと思うのですよ。この問題が政府原案にも五千円でしか書いてない。この問題をどうお考えになるか、これをお聞かせ願いたい。
  25. 山田雄三

    山田公述人 先ほどどなたかもお話があったようでございますが、そういう短期的な問題ですね。あるいは成熟しないためにいろいろな弊害が起こっている、あるいは給付をもらえない老人を救うということが今日の焦眉の問題であることは、もう御同感でございますが、それをどういうふうにやるかということなんで、この前に私が申し上げたのは大体長期的な計画に焦点を合わせたものですからごく簡単にしか申し上げなかったわけですが、私はそういう福祉年金も含めて谷間老人の対策というのは国費でやるべきだと思います。ただ問題はどの辺、どの水準に手当てをするかということでございますけれども、もし国費でやるということになると、それほど国年あるいは厚年にそろえるわけにはいかないだろう、おのずからそこに限界があるのではないだろうかという考えでございます。
  26. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 時間がありませんから……。今度十年年金も一万二千五百円になるわけですが、しかしこの方々が払っておる、拠出した金は二万五千円ぐらいですね。それで一万二千五百円になる。一方のほうは、入るにも入れなかった人は五千円だ、こういう差が現実にはあるわけですね。二万五千円払った人は毎月一万二千五百円もらえる。加入できなかった人はたった五千円だ。ですから、拠出制といいましても現実にこれだけの差があるのです。ですからこの差を埋めてやる必要があるんじゃないか、こういう点を私は考えるのです。  それから高橋先生にお聞かせ願いたいのですが、賃金スライドはちょっと無理じゃないかという話がありました。しかし公務員恩給、共済とも本年は賃金スライドをとっておるわけです。過去二年分の賃金の上昇率そのまま二四・三%を賃金スライドをして、ですから公務員共済のほうはもう実質的賃金スライドに入ったわけですね。ですから私は、それは公務員のように賃金が統計がはっきりしておる場合と、民間の場合は若干統計の集約におくれはいたすでしょうけれども、これは不可能ではないし、簡単だと思うのです。ですから私は、その点どういうふうにお考えであるか、お聞かせ願いたい。
  27. 高橋思敬

    高橋公述人 先ほど申し上げましたように、これは国民年金との関係をひとつ考えてみなくちゃいかぬのではないだろうかというふうに私は考えております。国民年金のほうは賃金指数を直ちに用いることが適当であるかどうかという問題が多少残るかという気がするのです。そうすると、年金問題を国民年金厚生年金を別途のものと考えれば別でございますが、これが大部分の国民年金であるという場合には一応はその共通の指標を用いたほうがよろしかろうというふうに考えるわけです。それで先ほども申し上げましたように、財政計算のときにそれをきちんと整理していくという方式があるのではないかということを私は申し上げておるわけでございます。
  28. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 定額あるいは標準報酬あるいは財政計算、これは非常に政治的な要因が加わるわけですね。ですから数式どおりにすっといっていないのです、いままでの一万円年金、二万円年金、五万円年金ときましても。でありますから私は、先ほどほかの公述人からもお話がありましたように、受け取る受給者が簡単にわかる方法といえばやはり賃金スライドが一番よくわかる。ですからそういうものを国民年金といえども当然適用をすべきではないか、国民年金賃金といえばちょっと問題がありますが、生活水準なんです。それをティピカルにあらわしたのが賃金だ、われわれはこう見ておるわけです。ですから、そのときの生活水準に合ったスライドというのはやっぱり必要ではないか、国民年金といえども必要ではないか、こういうふうに考えるのですがね。その点もう一回お聞かせ願いたい。
  29. 高橋思敬

    高橋公述人 これは賃金にするか物価にするかということはかなり争いのあることでありまして、これに基づいて何といいますか、いまのところ合意ができているというふうには実は私は考えていないわけであります。それで、たとえば社会保障制度審議会のことしの初めの答申に基づきますと、結局「スライド制の指標を賃金にすべきであるという主張と、消費者物価にすべきであるという主張がある。」と書いてあります。そうしてそのあとに、「財政計算期をなるべく縮めて、賃金物価、生活水準等の動向を勘案し、給付水準を調整すべきである。」というふうに社会保障制度審議会では述べておる。私はこの考え方をとりたいというふうに考えているわけであります。
  30. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 この掛け金のほうは賃金スライドですね、御存じのように。賃金が上がれば千分の幾らというところが上がるのですから。ぼくは、保険料を取るほうは賃金スライドをして、給付のほうは物価でいくんだという、これは非常につじつまの合わない話じゃないかと思うのです。これは意見の対立になりますから、これで終わりたいと思いますが……。どうもありがとうございました。
  31. 田川誠一

    田川委員長 田口一男君。
  32. 田口一男

    ○田口委員 いろいろお説を拝聴したのですが、時間の関係がありますから四点ほどのお伺いをしたいんですが、まず二つ、初めに山田先生にお願いしたいと思います。  先ほどのお話では、昭和八十五年、長期的な問題を見込んで国民所得に対して政府案でいけば大体一一%程度になるじゃないか、それから野党四党案でいけばさっと一五%程度になる、まあ心配であるというような言われ方をされたんですけれども、その心配であるという内容についてもっと具体的にお聞きしたいんです。たとえばそういうふうになれば国の財政負担がもっとふえるから、さらにそういった面に年金支出をすれば経済成長全体が鈍化をするとか、こういう意味心配が出てくるんじゃないかというふうに私は理解をしたのですけれども、そういう点、具体的な理由についてお示しをいただきたいのと、これはお話なかったのですが、たとえば最近定年制の延長というふうな話がいろいろ出てまいりましたし、そういったことで、昭和八十年、八十五年を見越した場合に、いまの支給開始年齢というものが五十五歳なり六十五歳というふうに固定をして考える必要があるのかどうか。そういう点、もっと弾力的に考えた場合に、そういった指数というものが相当変わってくるんじゃないかという気がするのですが、そのことが一つ。  それから第二番目は、年金財政負担をする負担のあり方として、国庫負担、それから事業主、労働者、いまこのように三者あるのですが、まあ私は全部が全部国庫で負担をすべきだという気持ちは持っておりません。しかし、今度の政府案でも相当の保険料の引き上げを考えられておるんですけれども、いま一般国民特に労働者から見れば、一方税金というものについても、心情的にではなくて重税というものがあるわけですね。税金も重い。一方に保険料もあるじゃないか。だから極端な意見かもしれませんけれども、この際ある程度税金が重くなってもいいから国庫負担の割合をもっとふやして、労使——使のほうはこれは問題がありますけれども、労働者の負担というものを軽くしたほうが、総体的な負担ということについてはそう圧迫を感じないんじゃないか。だから、一方税金を取り一方掛け金もふやすということじゃなく、税金である程度、相当部分をまかなって、不足部分は掛け金でまかなうというふうなことになれば、負担というあり方については相当変わってくるんじゃないかと思うのですが、その辺についてのお考えを承りたいと思います。
  33. 山田雄三

    山田公述人 第一の問題で、将来を考えて多少心配だという点でございますが、やはり年金制度の骨組みというものをしっかりかまえながら、短期的な問題も経過的な処置の問題も、骨組みというものをしっかり押えながら議論をしていただきたい、こういう注文で申し上げたわけでございますが、ただ将来、日本の場合には大体一一%——これは厚年国年だけでございますね、共済や何かは含まないで。一一%もちょっと強になると思います。それから四党案で申しますと大体一七%ぐらいになると思いますけれども、さあそれがはたしていいかどうか、あるいはそれがどういう根拠で心配かということは、もう少し広い見地から申し上げませんと、これは確かにそれだけでは何ともきめ手がございません。要するにまだ社会保障全体のいろんな体系がございますから、健保をどうするだとか、あるいは児童手当をどうするとか、おそらくそういうことを勘案しながら申し上げないとならないわけですが、一応国際比較をした常識から申しまして、これはかなりシリアスに考えていい問題じゃないだろうかということだけを申し上げたわけでございます。  それからその次の負担区分の問題でございますが、これもいろいろ議論があるところでございますが、四党案では三割ぐらいが国費負担でございますね。それから三一%ですか、保険料。これはまあ労使三対七ということらしいのでございますけれども、三一%というのは、またやはり国際比較の感覚からいいますとこれはかなり大胆な御意見のように私は思っているわけでございます。しかしまあこれはお互いのコンセンサスでございますから、そういうことで意見が一致すればそれだけの高い給付水準をまかなうということになれると思いますけれども、そういう点を真剣にお考えになることを私は望むので、ただこれはまあ議員の方々よりは、学者のわれわれの仲間が、ただ、こう、現行制度をゆさぶる必要があるんだ、これも私はまあ大賛成なんですがね。しかしやはりシリアスな問題はシリアスとお考えになりながら議論をしていただきたい。おそらく、いまおっしゃったように国費負担というのは、このような社会経済の情勢では私はだんだん多くなると思います。多くならざるを得ないと思います。同時に、やはり生活の問題だから自分たち負担するんだという問題があわせて考えられてけっこうだと思う。将来それがどうなるかはやはり国民態度や何かに依存するのではないだろうか、こう考えます。  もう一つの問題は年齢でございますが、年齢は私はやはり六十歳を順々に六十五歳に将来は持っていくべきではないだろうか。これは給付水準や何かを、給付費負担を軽くするように作用いたします。ですから、そういうことを全体勘案しながら御議論を願いたいということでございます。
  34. 田川誠一

    田川委員長 ちょっと待ってください。  質疑されます委員に申し上げます。二時から本会議が開かれますが、質疑される委員がまだほかに五名残っております。時間が相当経過しておりますので、御協力をお願いいたします。
  35. 田口一男

    ○田口委員 そういう点で協力をいたしますが、じゃ、高橋さんと小口さんに同じことをお尋ねして恐縮なんですけれども、二つ……。  簡単に申し上げて第一は、今回の改正によって過去の標準報酬を再評価する、これは一応の前進だということを言われておるのですが、私もそうも認めます。しかし一般的に労働者から見ると、わかりにくいというのですね。自分がやめたときに幾ら年金がもらえるか、そういう点で、小口さんから年金点数制というお話があったのですが、ポイント制、自動読みかえというのですか、そういったことで将来掛け金が自分が三%ふえれば年金も三%ふえるんだ、こういったようなことにすべきではないかと思うのですが、その辺のお考えが第一。  それから第二番目は、先ほどからお話がある成熟、未成熟ということなんですが、確かに未成熟の状態にあるとは思うのですけれども、未成熟の状態を早く終わらせるための方法として経過措置ということが考えられておりますけれども、政府考えでは十年年金は二十五年の二分の一、五年年金は十年年金の二分の一といった大ざっぱな方式だと思うのです。これを拠出の期間に比例させずにこの経過措置完全年金を出すということは、財政的な問題もあろうと思うのですが、いかがなものだろうか、この二点についてお尋ねをして私の質問を終わりたいと思います。
  36. 高橋思敬

    高橋公述人 再評価の点でありますが、おそらくこれは国民年金のように、出した金と、それで何年で幾らというはっきりしたものというのは、報酬比例の場合はいつまでたってもかなりむずかしいだろうと思うのです。かなりむずかしい問題ではないか。大体いまもらっているぐらいの金のどのくらいというところまでしかわからないという感じはいたします。  それから成熟、未成熟の問題ですが、先ほども私も申し上げましたが、拠出期間に比例すべきかどうか、これは国民感情の問題であると私は思っているのです。というのは、先ほど多賀谷先生もおっしゃいましたように、十年年金保険料は二万六千円前後です。金利は入りませんけれども、一応二万六千円前後。しかしそれにやはり差をつける、あるいは政府案あるいは四党案にしても差をつけてあるわけです。ですからこれはそういう意味では、出した以上はよけい取るという考えが最後までいくのかどうか、そういう問題ではないかと私は思っております。ことに経過的なものですから将来には響かないと私は思いますけれども、しかしとにかく自分が出した以上は自分はよけい取るというような感覚の問題ではあるまいかというふうな感じは私はしております。
  37. 小口賢三

    小口公述人 最初の点ですが、平均標準報酬制というものが持つ矛盾をだんだん考えれば考えるほど、それから最初に申し述べましたように、所得保障というものが制度的に明確になっていないという点がこの年金制度の一番欠陥だとぼくは思うのですが、そういうことを論理的に詰めていきますと、やはり二十年、三十年という長期の部分の賃金を具体的にもうインフレ下で計算の基礎にするということはどうしても矛盾だという意味で、現在の読みかえ自体も政府は今後継続するかどうかということを言っておりません。またこれはかりに読みかえしようとしても、たいへんな手数です。そういう面では一回、標準報酬等級は前提に考えていいと思います。等級を考えた場合に年度年度働いている間に自分の年金点数は幾らかということがわかるわけです、前年度の被保険者の平均が出てきますから。そうしますと、新聞に出ましたように、外国の労働者は、いま働いておる間でも、私が今度老齢年金の受給年齢になったらどのくらいもらえるか計算できるというのは、そのときのその国の労働者の賃金の平均に年金点数をかければ出てくるから、あとは期間をかければ出てくるから、そういうことが計算できるわけですね。そういう意味で、制度的に見て現在の読みかえも当面の措置ではあって前進には違いないけれども、これがより完全だというふうに考えていません。そういう意味で私は年金点数を主張しておるわけです。  それから未成熟の問題に関連しての御意見だと思うのですが、先ほど力石先生と山田先生と、制度の統一の問題について少し違った御意見があったのですけれども、この問題について、現在の制度を単に基金だけプールして一気に計算方式から給付まで統一するということについては、私は反対です。これはなぜかといいますと、現在の日本年金制度を充実するためには、労働者年金間の相互のアンバランスをまずきちんとするということ、それから社会保険制度仕組みというものをまず完全に生かすということ、それから社会保険制度社会扶助との関係をもう少しきちっとすること、こういう前提が用意された上で順次——私は特に共済組合のほうの場合になりますと、賃金スライドが入っていけば財政的にもたない基金が多いと思います。そういう意味で、共済組合のほうの財政事情から考えても労働者年金に統一せざるを得ないというふうに考えます。それから保険料拠出とか徴収のいろんな技術的な問題とか、それから対象の階層から考えても、労働者年金国民年金をみんな一緒にするというようなのはイギリスはありますけれども、これは現実に所得比例も入れますように、私はまず労働者年金をきちっとして西欧水準の土台に乗せて、その上でその概念を一日も早く国民年金全体に広めるというのが筋ではないだろうか、このように考えております。
  38. 田口一男

    ○田口委員 どうもありがとうございました。
  39. 田川誠一

    田川委員長 大原亨君。
  40. 大原亨

    ○大原委員 私の時間、五分間ですから、ひとつ……。  財政投融資、積み立て金の運営の問題ですが、いまお話がありましたように、政府のいまのペースでずっといきますと、昭和八十五年の一つ老齢人口ピークにかかるときには、積み立て金が四百十一兆円ほどになります。だから、いま五兆円、六兆円、八兆円というのは問題にならぬわけですけれども、四百十一兆円ございまして、そして計算いたしますと利子が二十四兆円出てまいります。それから国庫負担が二十四兆円。あと九十兆円くらいを保険料、その年に払うほとんどの保険料財政負担するということになって、そこから賦課方式になってまいります。賦課方式に急速度に傾斜いたします。それは厚生年金国民年金は、私の推定では、いまのバランスでいうと、十年以上の計算はもうできないと思っております。それは保険料の率が違っておるからです。九百円になりましても、二倍いたしまして、夫婦で千八百円です。ですからこういう考え方は、 いまのベースの考え方でいいというような御意見かなりあるわけでありますけれども、これは、国民といたしますと、もうとてもじゃない、いまのインフレの時代にはいけない、がまんできない問題です。それはそれで一応しておきましょう。  そこでいまの積み立て金の運営の問題でございますが、こういうでたらめな運営をしていることはないので、国会ではこれを議決の対象にするということで、私どもは予算委員会を中心にやらせましたが、中は問題がたくさんあります。そこで問題は、積み立て金の運営くらいは、一般財源のかわりに使ったり、一般財源のかわりに公共投資に入れたり——力石先生の御意見はわかっておりますが、そういうふうに使ったりするようなことではなしに、直接福祉に使うという使用目的を非常に限定するということと、それからやはり被保険者厚生年金でしたら労働者がきちっと参加できることを保証するということが、これから年金を改造していって企業ペースになるということを防止する歯どめになる問題だと私は思います。したがって、いまの積み立て金運営について私どもが改正案を出しておりますが、これについて、時間もないことですから、ひとつ山田先生とそれから高橋公述人とそれから小口公述人からお聞きしたいのですが、そこで私のお願いは、基本的には、私どもの四党案もこれは理想案じゃないのです、非常に現実案なんです。妥協案なんです、これは。将来は理想案に進んでいこうというステップなんです、既成事実があるわけですから。しかしさらに現実的に、今回の国会で改正するとしたならばどこから手をつけるべきかという御意見を聞きたい。いまの積み立て金運営について、どこから手をつけてどういうふうにすべきか、こういう点について端的にお聞かせいただきたい。いまの制度はインチキで全然問題にならぬ、私はこれは議論はいたしませんけれども、どこから手をつけて民主化していくか、こういう点についての御意見をお聞かせいただきたい。
  41. 山田雄三

    山田公述人 積み立て金運用の問題は私さっきのあれではほとんど触れなかったわけでございますが、私の日ごろ考えていることだけちょっと申し上げますが、これは三十年戦争とかなんとかいって、なかなかめんどうな問題でございます。いま若干の部分は一応還元融資に使うというたてまえになっておりますね。あと残りの部分は普通の産業基盤の問題とかその他に使うというふうになっておりまして、いわゆる安全有利な運用という方式でやっておるわけでございますが、問題は、年金制度にどういう影響を及ぼすかということなんで、これは一生懸命積み立てて、そしてそれを産業基盤の育成に使うということを本来の目的にすべきじゃない、年金問題から申しまして、そう常々考えております。ただ問題は、先ほど申しましたように、年金をいきなり賦課方式にすると、非常にスロープが急になる。それをできるだけ緩慢にするというために準備金とかあるいは積み立て金を利用するというねらいをもって考えるべきじゃないだろうか。積み立て金考え方を、その辺を多少修正する。  あと、たとえば被保険者の参加という問題、これは重要な問題ですが、私いまのところまだその点は踏み切りがつきません。
  42. 高橋思敬

    高橋公述人 積み立て金が結果として残っているというのを有利に運用するということを、福祉のために使うということは多少相反する使い方になるのじゃないかという感じは私はかねがね持っております。ただ、有利に運用する場合にも、たとえば最近は地方債の引き受けがふえているようでありますが、現在の運用利率より、より有利な生活基盤のための地方債引き受けというような形で運用していってはどうかというふうに思っております。  それから、ごく現実的な問題からいいますと、現在の資金運用審議会、そこに被保険者代表あるいは事業主代表というものを送り込むということも一つの手ではないかと思っております。そして、そこは目下聞くところによりますと、財政投融資ができたあと事後承認を得る程度のものらしゅうございますので、その点はもう少し厚生省のほうが、これはかねがね寄せては返し、寄せては返し、いつも粉砕されているようでございますが、少なくともそこに橋頭塗を築くということも考えていいのではないかと思っております。
  43. 小口賢三

    小口公述人 御質問に三点お答えします。  運営については現在、資金運用審議会というのがあってやっているわけですが、それと、社会保険審議会厚生年金部会というのがありますが、これは改めてもらって、私の試案としては中央、地方に年金審議会をつくってもらう。それで、中央審議会のほうは主として制度の運営に関する政策的なことを議論し、それから地方の審議会はいろいろ被保険者からの、現在でも不服審査に関する機関というのが一応形式上あることになっていますけれども、それはあまり活用されていません。そういう意味で中央、地方に年金審議会を持ってもらいたい。委員の数は労働者代表、被保険者代表五、雇い主代表五で、あとは学識経験者、政府関係含めて三ぐらいのことはどうだろうか。これは一案です。  それから二番目は、積み立て金自身をどうするかということですが、これは山田先生もお話しになっていますように、いずれにしても責任準備金は一年分ぐらいのことを考えればいいのじゃないだろうか。そうしてそれを一応前提に置いていただいて、いずれにしても、私たち自身も積み立て金をゼロまで使ってしまって、あと急に保険料が上がるということを決して賛成しているわけじゃありませんので、大原先生もおっしゃったように、財政計算期の計算単位としては、せいぜい十年ぐらいが十分ではないだろうか。十年見て、その間において保険料を、一年分に見合うように、給付の増加とそれから同時に被保険者の増加、いろいろ考慮しながら保険料を順次段階的に上げる、こういうことは必要ではないか。そのような計画なり財政計算というものはできるだけ早めに出してほしい、このことはさっき言ったとおりです。  それから三番目には、福祉に使ってもらいたい、特にこれは公営住宅の建設に使ってほしい。現在政府案でも厚生年金福祉事業団に一部個人住宅の貸し出しの提案があるわけですけれども、この分につきましても、共済組合の場合ですと、大体その単年度の保険料収入の四割が貸し付け経理のほうに回って、これは大体個人個人の住宅の建設の資金に回っているわけです。民間の労働者の場合ですと、東京都の例でいきますと、住宅資金の借り出しは金利が大体九・一二%かかっています。今回の場合は六・二%の提案になっておりますが、共済組合の場合ですと、国鉄の例でいきますとこれが五・七六%、貸し出し金も五百万、今回の提案は二十年の場合でも二百五十万、こういうぐあいで、この部分に非常に大きな差があります。いま中小企業の労働者は、会社の社宅整備によって恩恵を受けるという状態にありません。したがって都市計画と結びついた公営住宅というものにこの年金を使う、こういうことは当面非常に必要なことではないだろうか、こういうように考えて、そのような御配慮をしていただいたらどうだろうか。  以上三点であります。
  44. 田川誠一

    田川委員長 瓦力君。
  45. 瓦力

    ○瓦委員 年金制度について、今日までの制度から動的な制度に変えていくという政府案は、私は非常に進歩がある、かように考えます。山田先生の年金に対するものの考え方、長期にわたるこの年金についての考え方についてのお話もよく理解できるわけでございますが、そこで高橋先生にお尋ねをしたいと思いますけれども、世代間の負担の均衡を考えますと、保険料のなだらかな負担増をこれからはかっていく、まさに修正積み立て方式というよりは準備金という考え方でこれから取り組んでいってはどうかという山田先生のお考え、私はもっともだと思うわけなんです。こういった準備金という考え方制度を充実していく、将来は西独に近いものになるであろうという政府案に対しましてどのようにお考えでございましょうか、その点についてだけお答えを賜わりたいと思います。
  46. 高橋思敬

    高橋公述人 財政方式についていろいろな議論がありますけれども、現在のままでいっても金がある程度余る。賦課方式にいたしましても余ります。それから積み立て方式にしても余る。これは結果として余るわけでありまして、これを目的とすることは私は許されないというふうに思っております。ですから、過去においては明らかに厚生省のものの考え方というのは積み立て金積み立てるということを目的にして運営されてきたかに思えます。そうしてそれの金利によって相当部分の年金額をまかなうというふうな考え方になっていると思いますけれども、これから先の問題としては、結果としてある程度の金がたまっていくんだ、ある時点までは。だからそれをどう有効に使うかというふうなものの考え方でこれからの年金運用をやるべきだと私は考えております。
  47. 瓦力

    ○瓦委員 もう一問。  先ほど力石先生から二〇〇〇年以降老齢化社会になっていくということを予測することはきわめてむだであるというようなお話もございまして私どもぞっとしたわけでございますけれども、後代負担といいますか、私ども若い世代に年金負担がかかってくるわけでございます。  ひとつ山田先生にお尋ねいたしますが、世代間の扶養意識を高めていくという中で、やはり年金国民から信頼を得るという形でなければならない。ですから長期の見通しというものはどの程度の見通しを持っておるべきものであろうかということについて、先生のお考えをお聞きしたいと思います。
  48. 山田雄三

    山田公述人 負担の公平、不公平というのは、皆さんいろいろ議論していますけれども、なかなかむずかしい問題で、どういうふうに考えていいか、なかなか見当がつかないのです。  一つは、たとえば今度の政府案でいきますと、賃金の大体六割は保障しようというような基準がだんだん定着すれば、私はそれは一応目的として皆さん承認すると思うのです。  さて、それをどういうふうに負担をするかということなんでしょうけれども、その負担は、私は、できるだけスムースに保険料——こういう老齢化が進んでいる状態ですから、やはり保険料を固定するわけにいかない。したがって、できるだけスムーズに保険料を上げるということが負担の公平だと私は思うのです。今日も、また十年後も二十年後も、全部同じような負担をやっているということでは間に合わないのじゃないかと思います。ですから負担公平問題は、一つ賃金に対して何割ぐらいの給付をするかということを確定することと、それから保険料負担をできるだけスムーズに上げていくということでこたえるほかはないのじゃないだろうかというふうに考えております。
  49. 田川誠一

  50. 田中美智子

    田中(美)委員 庄司公述人に質問いたします。  一万円年金、二万円年金のときに非常にだまされていた。今度の三万円年金に対して、庄司さんが仏の顔も三度と言われたのは、労働者に非常に感覚的にぴったりだというふうに思います。そしてまた、政府案はやらずぶったくり政策の典型だと政府批判を言っていらっしゃることに対しても、非常にぴったりとした表現であるというふうに私は実感いたします。労働者出身の研究者らしい五点についてのまじめな貴重な御意見、ほんとうにありがとうございました。  非常に時間がありませんので、庄司さんの最後のページの「以上のほか」というところ——その前の点は一応これでお聞きしまして、そのあとの「以上のほか」というところに、障害年金の問題で矛盾と欠陥があるというふうにおっしゃいましたけれども、できるだけ簡潔に特徴的なところを御説明願いたいと思います。
  51. 庄司博一

    庄司公述人 まず第一点は、同じ年金制度に入っていますとき、老齢と障害が併給されないという問題があります。  それから二番目には、各種公的年金制度における遺族年金と障害年金の通算措置がない。この点は今回の四党共同提案で強く指摘されているところですけれども、あと まだ問題が残されているということ。それから現在の障害等級は、各制度がばらばらで基準が明確じゃないといいますか、一致してないという点があります。  それから国民年金の中の福祉年金の中に二級に相当するものがなくて、今度は新しく四党提案では二万四千七百五十円の提案がされていますけれども、ぜひこれは確立させていただきたいということ。それから現在の障害年金ではよくだるま理論などといわれる矛盾ですね、最終的には同じ障害にあいながら年金額が違うというこの矛盾をこれから是正していただかないと、労働者はなかなか納得できない面がある。年金額が違うという点です。  それから、障害年金だけじゃないのですけれども、障害の苦しみにこたえるような血の通った取り扱い、そういうこまかい配慮を払ってほしい。その点がいまの制度の中で非常に抜けているんじゃないか。同じ制度に入っている場合に併給されないという問題はほかにもありますけれども、私たちの側から見れば、保険料を納めて併給されないというのは、かけ捨てという感じをぬぐい切れません。
  52. 田中美智子

    田中(美)委員 そのもうちょっとあとにおっしゃったことで、被用者年金では妻の座が明確になっていないというふうに言われましたけれども、どのように妻の座が不明確なのか、端的なところだけお話し願いたいと思います。
  53. 庄司博一

    庄司公述人 先ほど家族手当の話もちょっと出されましたけれども、厚生年金の場合には加給年金で千円、今度の政府案でも二千四百円にしか評価されていなくて、夫婦単位で年金制度考えられてないということ、独立した年金権が認められていないという点が一点です。  それからいま一つは、遺族年金は半分しかもらえないという点です。これは、一家をかまえている以上、二人が一人になったからということでたとえば電灯代、ガス代、交際費その他が半分になるというわけじゃないわけですから、四党提案で出されています八〇%は最低限度確保していただきたいということです。  それから、現在被用者年金に入っています妻は非常に迷っていると思います。自分は夫よりも、五年なら五年長生きをする、その場合に、遺族年金になれば年金が半額になるということであれば、いまの国年の任意加入に入ろうかどうかということで迷う面があると思うのです。しかし国年の任意加入に入りましても、今度の政府案でいきますと、九百円の付加保険料を入れますと千三百円払わなければいけない。たとえば本人が五年間厚生年金に入って、脱退手当金をもらわないでこれを国民年金につなげようとすれば、あと二十年間非常に高い保険料を払わなければいけない。この点で二の足を踏んでいるという点が一つあります。そういうことですから、現在四党が提案されています妻の加給年金を上げること、これが一つあると思います。  それからいま一つは、被用者年金の場合のから期間といいますか、期間には通算されるけれども年金額の算定には入らないということ、これをやはり読みかえをして、一年が一年にならなくても、年金の額につながるようにしていかないと、やはりから期間だけではいけないのじゃないか。その場合、強制加入で入った人と年金額ではほぼ見合う程度のものを、から期間の読みかえをやるべきではないだろうかということ、この点はいま国の方針もはっきりしてなくて、特に被用者年金の妻の場合は迷っているということです。  それから同じ年金制度のときには、遺族年金をもらっているときに本人が今度年金受給者になった場合、そのいずれかがゼロになるというこの問題は、先ほどたちは掛け捨てだという感じを受けているということを申しましたけれども、ここにも非常に矛盾を感じているということです。  それからさらに、遺族年金は再婚したらもらえなくなるとか、あるいは母子年金は再婚すれば削られるとか、あるいは離婚すると先ほどのから期間なんかがゼロになるという問題ですね。こういう意味で、妻の座というのはたまに人間扱いされたり、そうでないときは全然無視されるということで、確定をしていないといいますか、年金権が明確になっていないということですね。  それから、そのほか、遺族年金をもらっているときに、国年の母子年金が差し引かれるとか、直していただきたい点がたくさんあるので、問題点がたくさんあるということを指摘しました。
  54. 田中美智子

    田中(美)委員 いま問題になっております積み立て金のことですけれども、この九兆円の行くえが非常に疑問を持たれているわけです。この管理、運用についてですけれども、労働者は自分たち積み立てた金だというふうに思っているわけですけれども、これについてどういうふうに労働者が受けとめているのか、また庄司公述人の御意見も含めてこの点御説明いただきたいと思います。
  55. 庄司博一

    庄司公述人 私たちもこの年金積み立て金の行くえをいろいろさがしているのですけれども、なかなかつかまりません。昭和四十七年度の財政投融資計画の中で、年金資金が大体一兆四千八百九十四億円ある。これは基幹産業とか貿易、経済協力には使われていないということはいわれておりますけれども、この十年間に資金運用部資金が財政投融資に回された金が二十九兆四千三十四億円ある。そのうち年金資金関係が大体二十兆五千六百七十五億あるというので、どういうところにこの金が使われておるのか調べてみましたら、一千億以上融資されているところが大体二十二ありました。それから昭和四十六年の貸借対照表の残高で金額の大きいところを見ますと、日本開発銀行とかこういうところにも一兆五千七百億円も回されておる。ではこの金が一体労働者の直接福祉にどういう関係があるのかということになりますと、なかなかわからない。政府のほうでは、財政投融資の場合には、区分でいきますと一番から十一番までの区分の中で回されて、労働者や国民の福祉に回されているといいますけれども、おそらく開発銀行などの融資は、道路や港湾やそういう金に回っているんじゃないか。伏魔殿のような形でなかなかつかめないという点で、労働者はもうゴマメの歯ぎしりのような形で憤りを感じているということなんです。
  56. 田中美智子

    田中(美)委員 それではその次に掛け捨ての具体例、いま掛け捨てが非常にあるというふうに言われましたけれども、掛け捨ての具体例がありましたら、一、二だけ……。
  57. 庄司博一

    庄司公述人 私は昭和二十五年に厚生年金の被保険者になったんで、きょうは保険証を持ってきたんですけれども、こんなお粗末なものですね。こういうものですから、二十五年も三十年も労働者は取っておこうという感じはおそらくしないんじゃないかと思います。今度の社会保険審議会ではあまり明確に出されていませんでしたけれども、この前の二万円年金のときには、保険証の発行枚教が六千八百七十五万枚ある。現在は七千五百万枚ということでしたけれども、この二万円年金のときでも、うち千百十三万枚は、死亡者それから資格喪失とか、その他年金制度に加入した人たちひっくるめて千百三十万という数字だったわけです。ですから、やはり一人で保険証を二枚も三枚も持っている人がいるんじゃないか。そういう意味で、年金権に結びつかない人が相当いるんじゃないかということです。  それから、年金制度国民の側から見れば非常に冷淡で、本人が請求しなければくれないという問題がありますし、それから請求をするのを忘れれば時効になるという問題がございます。  それから、そういうことで、今度は四十八年度ですか、新しく年金手帳の問題が出されておりますけれども、こういうお粗末なものじゃなくて、はっきりと本人が年金権を失わないように、確実に年金がとれるようなものにしていただきたい。この七千五百万枚の中には、相当問題の枚数が含まれているんじゃないかというふうに感じます。
  58. 田中美智子

    田中(美)委員 福祉年金がいま、食える年金とは何かということの対象にいろいろなところで論議されていると思います。この食える年金というのは、いろいろ考え方があると思いますが、庄司公述人に、何を基準に食えるというふうに考えたらいいのか、その点の御意見をお聞きしたいと思います。
  59. 庄司博一

    庄司公述人 私たちは食える年金ということを考える場合、やはり労働者とその家族が正常な生活を営める年金水準ということを一応考えます。最低生活の問題については、もう栄養失調になるかならないかぎりぎりのようなところを水準にする考え方もあると思いますけれども、現在のように使い捨て時代にはどんどん消費が強制されますし、それから憲法が保障している人間らしい生活ということであれば、たとえばカラーテレビが五〇%普及すれば、やはりそういうのも最低生活の中に織り込んでみるというふうにしませんと、若い人はカラーテレビ、お年寄りはいつまでも白黒テレビを見ろ、そういうことにもなると思います。この最低生活の水準というのは、時代の推移とともにやはり変化していくと思います。私たちは現在、全国一律の最低賃金制もありませんし、その賃金も低い。しかも生活保護水準に至ってはもっと低い。これではあまりにも低過ぎる生活保護の水準なんですけれども、それよりもさらにひどい五千円という老齢福祉年金というのは、ほんとうは社会的な年金権とか社会保障というような考え方ではなくて、やはり与えてやるというお恵みの思想じゃないかと思います。そういう意味で私たち社会的な年金権といいますか、そういうものを確立する一つの当面の案として、いま四党が出されております夫婦で四万円、この線だけはぜひ早急に確立していただきたい。私たち考えている食える年金というのは、先ほど冒頭に申しました、やはり夫婦で六万円、最低保障年金のところはそこを押えておりますから、それがぎりぎりだと思います。福祉年金についてはいま言ったとおりです。
  60. 田中美智子

    田中(美)委員 これで一応今度の改正案のところでお尋ねしましたけれども、庄司さんの公述の中に厚生年金基金や農業者年金基金をつくるなど逆行する方向というふうに書いてありましたけれども、この厚生年金基金についてちょっと御説明願いたいと思います。
  61. 庄司博一

    庄司公述人 昭和四十年にこの制度ができたとき、私たちはこれに反対してきました。この五月の一日現在で八百六十一基金、四百九十万人がこめ厚生年金基金に入っています。しかし現在この基金は、制度が発足して三年たったあとは、大体財政計算をやりますと、四割から六割の基金はパンク状態になって保険料値上げをやらなければいけなくなってきている。この問題が一つ労働者の負担になってはね返ってきているという点があります。それからスライド制の問題と今度の読みかえの問題が調整年金に非常に大きな影響が出てきて、結果的には国が持つということになりましたけれども、将来こういう形でスライドが導入され、読みかえが行なわれ、こういうことが繰り返されていきますと、調整年金をつくった意義が一体どこにあるのか。単に調整年金は事務の代行機関に終わってしまうのではないかという、調整年金自身のジレンマも一つあると思います。  それからいま一つは、今回四党の共同提案では標準報酬の料率は千分の十五になっていますけれども、これがもし採用されますと、調整年金には非常に大きな影響が出てくる。こういうことから、私たちが要求しています厚生年金の改正に、四百九十万をバっクに非常に基金のほうから、政府に圧力をかけて、本体である厚生年金改善の足を引っぱる方向の役割りを果たしているのじゃないか。この点は、こういう調整年金よりも本来の厚生年金を、土台をうんとよくしていくという方向をとっていくべきじゃないかと思います。公の年金の発展を現在は阻害する要因が出てきているのじゃないか。  それからいま一つは、労働者は制度が発足したときには、プラスアルファがつくということが魅力でだまされたような形になっているわけですけれども、本体である厚生年金水準がどんどん上がってきますと、プラスアルファを維持するためには相当保険料を上げなければいけないという問題があります。  それからいま一つは、そのままでいきますと、プラスアルファが年を経るに従ってだんだん低下してくる。現在私のところの傘下の組合では、今度の五万円年金の提案を契機に調整年金の解約を提案してきて、従来約束した七割の給付に切り下げようというような問題が具体的に出てきています。だから、こういう調整年金よりも、根本である公の年金の正常な発展を私たちはやはり考えたいと思います。
  62. 田中美智子

    田中(美)委員 ありがとうございました。  もう一問だけ小口公述人に御説明いただきたいと思います。  小口さんは非常に若い婦人の労働者の多い組合にいらっしゃるので、脱退金などが非常に関係があると思いますけれども、そのことについて簡単に御説明をお願いいたします。
  63. 小口賢三

    小口公述人 この脱退一時金制度というのは歴史がありまして、戦後だけでも、まず資本家自体がこの保険料値上げに反対するという形で反対したわけですね。結果的にはこの制度が残されておるわけですが、このことが、先ほど先生が御質問になった妻の座というものが不明確なままになっている一つの原因にもなっているわけです。  それで私個人の意見としては、いずれにしても年金権については、夫と別に妻自身の年金権というものを確定する方向に進むべきである。そういう方向から見た場合に、現在の脱退手当金は、金額自体も単に利子をちょっとつけて出す程度のことで、形式上それは保険料を取っておる反対給付みたいな意味しかなくて、年金制度全体の意味を持っていない。そういう点から考えて、私は一つは、独立するという意味考えた場合の年金点数制の問題で本人の所得を保障する、そして労働者年金から国民年金への通算制を完全にする、こういう形を通して考えていったらいいのではないか。現状のまま単に期限を延ばしてみても、そのことによって婦人労働者は、言ってみれば年金保険者であるというメリットは一つもない、こう思っておるわけです。  そのように考えて特に——この点は、諸外国でもこのような制度というものはないと思います。特に国民年金のほうで短期の経過的な五年年金というものがいろいろ問題になってきますと、婦人労働者にとってみれば、中には十年、十五年も被保険者でおって、しかし二十年には満たない、こういう方々がたくさんおるわけです。そういう矛盾が一そう拡大するという点でも、これはむしろ妻の座という観点ではなくて、婦人労働者自身の年金権を本人固有のものとして考えていく。これはすでにヨーロッパのほうにおいても、たとえばドイツの場合ですと、出産期間中の休暇についてその期間を適当にある通算年数評価するとか、あるいはまた離婚した場合に、夫が持っておる年金権のうちの一部を今度は本人が持つとか、こういうような思想というものが出ておるわけです。そういう点から考えて、この脱退一時金制度というのは年金制度の中でも最も悪いものではないか、こういうふうに思っています。
  64. 田中美智子

    田中(美)委員 どうもありがとうございました。質問を終わります。
  65. 田川誠一

    田川委員長 坂口力君。
  66. 坂口力

    ○坂口委員 いろいろお聞きしたい点がたくさんあるのでございますが、時間がございませんので、お一人にしぼって質問させていただきたいと思います。  先ほど小口公述人から詳しいデータの印刷されたものをいただきまして、いろいろお話をいただいたのですが、その中で年金点数制の問題について、時間があまり十分ございませんので少しお話にとどまりましたので、この点につきまして、五、六分時間がございますので、ひとつその範囲内でお教えをいただきたいと思います。
  67. 小口賢三

    小口公述人 この点を考えましたのは、第一に、制度全体の所得を保障するという立場から考えて、どうしても平均標準報酬制というもの これは長期の給付の点で問題があるという点をまず考えたわけです。その次には、それでは所得を保障するという考え方を通じた場合に、先ほどもちょっと述べましたように、賃金スライドあるいは退職時賃金というそれだけを基礎にしていけばそれでいいかということを考えますと、いずれにしても今日までの年金計算方法ですと、その人が新規裁定者になった場合、受給資格を得た場合の本人の算定基礎額、これは読みかえがない限りずっとついて回っているわけです。そうなりますと、現在のように賃金引き上げ率が非常に急速度に伸びておる時期でいいますと、古い年度に既裁定になった人ほど、共済年金のようにその年度年度改定が行なわれても、どんどんと給付水準の格差が開いているわけですね。だからそういう実情から見て、どうしても新規裁定時の本人の賃金を基礎にして何らかの算定基礎をとる、あとは読みかえする、こういうことだけは問題があるという点を一つ感じました。  それからもう一つは、所得保障という場合に、私たちは名目賃金に対する六〇%ということを言った場合について見ますと、完全に賃金スライドした場合でも先ほど具体的に例を申し上げましたようにスライドの指数というのはどうしても平均賃金数字でこれは計算せざるを得ない。そうしますと、本人が働いているときに賃金の高い人たちは平均賃金よりかアップ率は少ない、賃金の低い人は高い。今度は受給者になって平均賃金アップ率をかけてきますと、結局働いておった期間における賃金格差の部分だけ、格差がスライド指数におけるところの倍率だけ拡大していくということになるわけです。ですから、一番現在の制度で完全なのは、まず退職賃金をとってそれを今度は完全な賃金スライドをしていく、こういうことになれば給付水準はそのときそのときの時代の生活水準に一番近くなるわけですけれども、その分でいった場合でもいまのような矛盾があるということになってまいったものですから、これは、所得を保障するという概念というのは、先ほど山田先生もお話しになったけれども、常にその本人が年金生活をしている段階におけるところの労働者の賃金水準、まあこれが一番具体的だと思うのですが、各国も具体的にそこに指標を置いていますから、そこを基礎にして、そしてその何%、こういうふうに考えるのが所得保障というものの一番具体的な意味ではないか、こう考えたわけです。  そうなりますと、やはり社会保険の仕組みを前提にする限り、本人の保険料の収入と支出ですか、それから保険料を納めた期間、こういうものが全然本人の給付と関係がない、こういうことでやはり将来の給付水準の引き上げでも国民的合意を得られないのではないか。ですから、何らか計算仕組みの中で本人が納めた期間及び納めた保険料というものが反映するということを考えた場合に、それを年金点数という形で評価して、その労働者の賃金、いつも毎年度毎年度働いている期間中に労働者の平均賃金と同額の場合に、その人の年金点数は百点である。そうすると、今度は自分が年金受給者になった場合に、毎年賃金は上がっていきますけれども、春闘の結果ある賃金水準に上がった場合に、その人はそれを百点として、所得保障が六〇%なら六〇%、こういうふうに考えれば、結果的に国の経済力の評価もその人たち、被保険者自身が計算できるし、春闘の成果というものがあまり読みかえとかその他の操作を経ないでも被保険者自身がわかる、こういうふうに思うわけです。ただこの問題について若干の批判がありますのは、働いておったときの賃金格差がその後年金受給生活に入ってもそのまま適用されるというのはおかしいんじゃないか、こういう御意見が一部にあります。しかしこれは年金点数の採用そのものにあるのではなくて、こういう場合には最低年金制におけるところの下限の保障、それから給付の場合の上限制限というのはこれは各国ともやっておるわけです。そういう意味で、イギリスの場合大体これが二倍。労働者の賃金の上限が二倍。私たちも二倍がいいか二・五倍がいいか、その辺については考えたいと思いますけれども、そういうふうに考えておるわけです。  先ほど田中先生の御質問にあったように、個々の本人が若いときに働いておって、婦人に独立した年金権を与えた場合でも、やはり御主人の年金と本人の年金という場合が両方ともついてくる、こういう場合でも両方合わして総金額が幾らの年金水準に、給付になった場合、こういうことでそれはその社会における労働者の平均賃金との配慮を考えて上限をつける、こういうのは各国やっていると思うわけです。そういう意味で、私は何といっても労働者が働いている間でも計算しやすい、それから数学的に見てもインフレ減価というものは入らないという意味で、そのほうが一番合理的ではないかという点をとりました。これはまた北欧とそれから西ドイツは公的年金はそうですし、フランスでは金属産業の補足年金その他について、ヨーロッパでもかなり広がっております。  以上でございます。
  68. 坂口力

    ○坂口委員 ありがとうございました。
  69. 田川誠一

    田川委員長 和田耕作君。
  70. 和田耕作

    ○和田(耕)委員 公述人方々には長時間にわたりましてありがとうございました。私ももう時間もほとんどありませんので、ただ一点だけをお伺いしたいと思います。  私どもは、いまの値段で五万円相当額をお年寄りに年金として差し上げる、これはもう常識的な点で、こういう主張を持っているわけですけれども、そういう面から見ていまの政府案に盛られている額が、ごく一部の人がそれに近いものをいただけるわけで、大部分の者はいただけないということを非常に遺憾に思っているわけなんです。しかしこの問題は、これで勝負がついたというわけではなくて、二十年、三十年後にもらえるものですから、かりにこの法律案が通りましても、できるだけ早い機会にこれをいいものに変えていくというチャンスはまだあると思うのです。ところが私は、政府案で非常に欠けている点は、いまお年寄りになっている方々に対する国の考え方が非常に貧困だという感じがしてならないんです。この問題は委員会質疑で何回か私も質問をしたのですけれども、たとえば橋本私案というのが出ております。橋本君もここにおりますけれども。あの私案を出すところに端的にあらわれていると思うのですが、七十以上の老齢福祉年金、これは五千円ということになっています。五千円というお金はお話にならない低い額だと私も思います総選挙で公約した五万円という感覚からすれば、即刻一万円ぐらいのものは政府は無理をしても考えなければならないと考えるのですけれども、かりに五千円というものを一応ベースに考えましても、七十以上の人といまの谷間といわれる六十七、八、九の人とを区別する理由は私は一つもないと思うんですね。これは初め厚生省で考えられておったのは、六十七歳は二千円、六十八歳は三千円、六十九歳は四千円、こういうふうなことも有力に考えられた段階があるそうですけれども、これは非常に評判が悪いので、橋本私案では三千五百円、中をとってそれにちょっと五百円加えたというものですね。こういう考え方自体が私は非常に官僚的な考え方ではないかという感じがしてならないんですよ。何も六十六歳以上の人、いまの保険制度、どういう保険制度からもカバーされていない人を七十歳以上の人と同じようにして、文句を言う人は一人もおりませんよ。いないとぼくは思うのです。ところが政府は、これは厚生大臣、齋藤さんにも私質問した点ですけれども、なぜこれを区別するんだというと、七十まで待った人たちの気持ちを考えると、多少でも区別しなければいかぬという考えが中心のようなんですね。むろんお金がたくさんかかるというのもあるでしょう。しかし、厚生大臣の私に対する答弁はそういう答弁なんです。これは私はいかにもおかしいと思うのであって、五千円であれば政府はそれ以上出せといっても当然なかなか出さないでしょう。政府案として五千円ということになれば、六十五までということは、私どもそういう意見を持っておりますけれども、あえてそれは言わないことにしても、六十七からの人に七十歳と同じようなものを出していくということは私は当然だと思うのです、これは政府・与党が総選挙であんな大きなことを言ったのですから。しかも、現在一番困っているのはお年寄りなんですから。若い人はまだ二十年、三十年あるのですから、まだあとからどんどん直せる機会があるのです。いまのお年寄りの問題についてはそれくらいの配慮は私は必要だと思うのですけれども、これは公述人の皆さん方から一言ずつ、それはそうだ、あるいはそれはちょっと問題だという御意見でもけっこうです。ひとつお気持ちを伺わせていただきたいと思います。
  71. 田川誠一

    田川委員長 簡単にお願いします。
  72. 山田雄三

    山田公述人 年金問題は長期的な問題と短期的な問題がございますが、私はやはり政治論としては長期的なことも考えて、また短期的なことも考えるという立場に立つことが望ましいのではないか、こう考えております。そこでいまの谷間の老人の問題でございますが、やはり国費負担でそういうものを福祉年金と同じように取り扱うべきだと思うのですが、問題は水準をどう考えるかということで、この点は非常にむずかしいんですが、ただ一言申し上げたいのは、国費負担で何でも解決するというふうに考えますと、どっちかというと給付水準というのは低くなる傾向がございます。これはいろいろな外国の例なんか見ましても、国費負担にあまりおんぶするようになりますと、給付水準を引き下げるということがございますので、その点もやはり注意しながら——ただ福祉年金とそれから谷間の老人の問題は国費負担でなければいけないでしょう。おそらくいけないでしょうが、その場合にどこまで上げるかというのは、どうもやはり国費負担にたよるということになりますと給付水準は低くなるという覚悟をしないと解決がつかないのじゃないかというふうに考えております。
  73. 和田耕作

    ○和田(耕)委員 吉田さんと高橋さんとそれから老人クラブの三人の方に、簡単でけっこうです。おまえさんの言うことは正しいということか、問題があるということか、それでけっこうですから……。
  74. 高橋思敬

    高橋公述人 私、先ほどから申し上げておりますように、無拠出のものについては拠出との関連の問題が常にあるのだ、それを打破することは国民的合意でできるかどうか、そういうところに問題があるのではないかと私はいつも思っております。
  75. 石川栄一

    石川公述人 私は、三十六年四月に施行されました国民年金の皆保険の問題が通りまして非常に喜んだのでありますが、当時は老人福祉に初めて手をつけるという段階でありましたから、ほんとうの初歩であります。でありますので、国のほうでも財政上の関係があるので、五十五歳以上の人たちは除外をする、それ以下の人に対して国民年金を該当して、そうしていわゆる老齢年金として給付しようという方針で立てたのでありますが、その時点において、なぜ五十五歳以上の人を入れなかったか、なぜそういう国民をその対象として表現しなかったかということが非常に遺憾でありますが、これは言わず語らずのうちに、それは高齢者であって、しかも掛け金が高い、それからもらう時期も非常に長いということ等から考え合わせまして、これだけは国で何とかしようじゃないか、この人たちの老後を国で守ろうではないか、こういう大筋がそこに引かれて年限をきめたのではないかと私は考える。私はそう善意に解釈しておったのでありますが、最近七十歳から実施していただいておりますが、今年度の予算の問題のときもいろいろお願いしてまいりましたが、いまの六十七歳、八歳、九歳の谷底にある方々、この方々は非常にさびしいのです。七十まで生きるかどうかわからないのです。この階層方々は非常に困難、あらゆる事変に当面して戦ってきた人たちなんですね。これは当然国が立法するときにその覚悟があってほしい、あるべきものだ、あるのであろうと私は承知しておりました。したがいまして、いま和田先生のお話しになりました三つの谷間になっておるこの七、八、九の方々には、やはり七十歳と同じように処理していただきたい。名前もかえてもらいたくない。おまえたちは特別の賞与金というような形で、そういうふうな考えでやられては困る、こういうふうに考えますので、どうかその点を御了承願いたいと思います。  以上であります。
  76. 吉田忠雄

    吉田公述人 簡潔に申し上げます。  現在の高齢者たちは明治生まれであります。じっと耐えております。そしていまこの高齢者たちは自殺をしております。このことはいかに緊急か。日本の六十五歳以上の女子の自殺は世界最高であり、男子もまた最高にランクされております。この無言の抗議に直ちにこたえていただきたいと思います。
  77. 和田耕作

    ○和田(耕)委員 いま吉田さんと高橋さんは私の質問をちょっと誤解されたような感じもあるのですけれども、これは拠出している人のことを申し上げておるわけではないのです。してない人のことを申し上げたわけですので、申し上げておきます。
  78. 田川誠一

    田川委員長 以上で公述人に対する質疑は終わりました。  公述人方々におかれましては、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。  これにて公聴会は散会いたします。     午後二時四分散会