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1973-09-12 第71回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第12号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十八年九月十二日(水曜日)     午前十時六分開議  出席委員    委員長 大原  亨君   理事 宇田 國榮君 理事 三ツ林弥太郎君    理事 渡部 恒三君 理事 金丸 徳重君    理事 村山 喜一君 理事 諫山  博君       江藤 隆美君    越智 伊平君       大西 正男君    島田 安夫君       竹中 修一君    旗野 進一君       深谷 隆司君    森  美秀君       安田 貴六君    神門至馬夫君       島田 琢郎君    山本弥之助君       津川 武一君    高橋  繁君       広沢 直樹君  委員外出席者         参  考  人         (東京大学名誉         教授)     高山 英華君         参  考  人         (日本大学教         授)      金井  清君         参  考  人         (東京総務局         長)      赤羽 嘉郎君     ————————————— 委員の異動 九月十二日  辞任         補欠選任   深谷 隆司君     藤尾 正行君     ————————————— 本日の会議に付した案件  災害対策に関する件(地震対策)      ————◇—————
  2. 大原亨

    大原委員長 これより会議を開きます。  災害対策に関する件、特に地震対策について調査を進めます。  本日は、参考人として東京大学名誉教授高山英華君、日本大学教授金井清君及び東京総務局長赤羽嘉郎君に御出席いただいております。  この際、参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  いわゆる地震対策につきましては、最近あらゆる方面から問題の提起がなされ、いまや非常に重要な問題となり、対策が急がれております。  特に、本年は関東大震災から五十年目に当たり、去る九月一日の防災の日には、東京都などにおきましては、地域住民参加のもとに大がかりな防災訓練が行なわれました。また、六月には根室半島沖地震が発生いたしましたが、一たび大きな地震が起これば、過密化した大都市における被害は想像以上のものがあると存じます。  本委員会におきましても、昨十一日には、地震予知並びに震災時における人間心理の両面から、それぞれ参考人を招いて意見を聴取をいたしました。各参考人におかれましても、こうした趣旨を踏まえて忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。  それでは、都市防災観点から高山英華君にお願いいたします。
  3. 高山英華

    高山参考人 それでは、私、持ち時間三十分ということでございますが、都市防災について意見を述べさしていただきます。  順序として、災害危険度が高まっているということはもう詳しくお話しするまでもないと思いますが、ひとつそれに私の専門都市計画というふうな観点から見まして、東京大阪というふうなあるいは京浜、阪神というふうないわゆる巨大都市圏というものは、世界的に見ましても非常に解決困難な都市になっておるということを特に強調したいと思います。これは私個人、関東震災を中学生で覚えておりますし、また大空襲のときはやはり東京防災観点から関係しておりましたが、その当時の東京に比べましてさらに危険が非常に高まっておるということでございます。  それで、その二回が日本災害後の改造のチャンスであったとよくいわれておりますが、二回とも日本の習性と申しますか、要するにバラック復興で非常に早く復興してかせごう、そういう思想が災害の直後にどうしても起こってくるわけです。英国のロンドンは一九六六年ですか、小さな火事でありましたけれども、その後一切の木造建築を禁止した。これは材料その他の関係もございましょうが、日本はそういう処置をとらなかったのです。それで戦災あとなどはかなり焼け野原になりまして、いろいろな思い切った施策ができたわけですが、歴史を詳しく申し上げるまでもなく、要するに局部的には超高層とか近代建築ができ、あるいは高速道路ができ、あるいは新幹線とか地下鉄ができましたし、コンピューターその他の通信施設もできましたが、町全体として見ればむしろそういう木造が大半な民家の間にあるために、さらに危険度が増したというふうな状態になっておる、こういうことがまだ認識が足りないというふうに考えます。  それで、よく関東震災とか東京空襲の例が出されますが、もちろんそれのときのいろいろなことは学ぶべきことはありますが、今度はもし起これば、それとまた異なった非常に大きな決定的の災害が起こるだろうというのがわれわれ専門家の一致した意見でございます。それでそれがよく経済効率か何かで話をすれば、計算してもし切れないぐらいのダメージが与えられましょうし、特に東京は、日本全国中枢機関というものが壊滅することによって、全国のネットワーク、株式とかそういう通信機構がオンラインに乗っておるものが破滅しますと、機能が昔よりも一そう麻適するというようなことについての計算がまだ出ておりませんし、人命の災害に至っては、これはもう経済的計算をする必要のないほど明らかなことでございます。そういう点が一点。  それからもう一点は、日常にもそういう危険性が充満しておる。それから交通戦争といって一万人をもこす死者が出ておるということだとか、ガス爆発とかあるいは化学工場爆発というものが公害の間に突発的に起こっておるわけです。これは災害対策ということと同じぐらい重要な危険性日常に起こっておる。それに対する処置というものが逆に慢性化してきて、公害がその尤なるものですが、それについてはいま非常に問題が起こっておりますが、災害についてはむしろ大地震のときという形のおどかしと申しますか、そういうことのために、日常いかに現在の都市がそういう災害を受けておるかということのキャンペーンが少ない。そのために、やはり人としては、いつ来るかわからないというものに対する備えというものが心理的になかなかできにくい、盛り上がりが少ない、こういう結果になっておりますが、日常で起こっておる都市災害、こういうものが大災害の原因を幾つかあらわにあらわしながら現実に起こっておる。ですから、そういうものをあとで話しますが、応急対策恒久対策の問題に関連すると思いますが、そういう状態にある。ですから、われわれの日常生活の安全ということをもう一回この際日常生活についても点検する必要があるということを申しておきたい。  それからもう一つは、個別施設防災という問題と面的あるいは地区都市、そういう一つの広がった社会に対する防災というもの、あるいは震災火災水害、そういうものの複合的な災害、そういうふうな個別施設と面的な都市全体の災害といろいろな災害が複合して起こる、こういうことに対する総合的な対策が非常に欠けておるということです。あとでいろいろ金井先生その他からお話ありましょうが、構造的にはある建物——これもあぶない建物もまだたくさんあると思いますが、一応近代的な建物については相当研究が進んでおりますが、それが必ずしも地震のときのいろいろなパニックが起こったときに安全であるかどうかといろことについては、構造のほかに考えることが必要である。たとえば木造建物の中に超高層がもし囲まれて建っておるということになりますと、超高層は安全でも、まわり火事から起こるいろいろな障害で、そこにおる人たちが非常な大きな動揺を受けるというようなことがありますし、通信とかそういうものがとだえたために近代的の建物は非常にもろい。一個の建物、橋が落ちるか落ちないかということが非常に重要でございますが、それと同時に、そのまわりを含めた地区が全体として災害にどういうふうな強度を持つておるか、あるいは都市全体の構造から見てどういうふうな強度を持っておるかという調べがあまりはっきりしてない。実際はいろいろな対策を立てますと、こういう複合災害に対する対策が一番むずかしいわけです。あと東京都からお話があると思いますが、現在急に絶対的の不燃都市をつくるのはむずかしいということで、応急的に避難ということでしぼって対策を立てるにいたしましても、たとえば拠点をつくったり、大きな避難広場をつくったりいたしましても、そこに逃げていく避難道路というようなもの、あるいはそういうものをどうして誘導していくかというようなここにつきますと、すぐ方々の官庁と関係した対策がなされなければならない。そういうことで面的にも広い範囲を、あるいは対策も複合的な災害が一挙に起こったときの対策ということになると、それは従来よりもっと大きな問題になる。たとえば戦災のとき、関東大震災のときはこれほど通信網が発達しておりませんし、交通、特に自動車交通がこれほど多くなっていない。自動車というのはそういうときに非常に大きなマイナスの要因、発火地点になると同時に、消防や非難の障害になるというようなデータが個々には出ておりますが、町全体がどういう形で混乱するかというのはなかなか想像できないくらいむずかしい問題になっています。それが初めの一つです。近代大都市危険性というものが、量的にも質的にも、従来の関東大震災や大空襲とまた違った意味で、世界的にも非常にまれな危険性を持っておるということをあらためて強調しておきたいと思います。  二番目は、それに対応しましてやはり総合的な施策が必要だというのが、これは口ではいつでもいわれております。二、三年前だと思いますが、消防審議会というのが、私も関係いたしましたが、内閣答申をしましたときにも、結局いま言ったような近代都市危険性と、それに対する総合的施策が最も重要であるというふうな答申をしたと思います。そういう問題が、現段階ですと一応内閣に上がるわけです、当時も内閣答申したと思いますが。そうしますと、内閣には本来ならばそういうものを総括した、戦争の例はよくないと思いますが、参謀本部のようなものがありまして、そこで綿密な情勢分析戦略戦術を立てまして、それを各部局におろすのが普通でございますが、現在は、皆さんも御承知のように、そういう内閣機構というのは、そういうためには最も貧弱なスタッフ、貧弱な能力きり持っておらないといってもまあ言い過ぎではないと思います。これは間違っておりましたらことばを訂正いたしますが、私の直観ではそういうふうに感じられます。それで、そのときもたぶん一応閣議その他で話になりましたけれども、それがまた分担によって各省におりてくる、各省は、自分の日常業務関係のある部局にこれを落とす、そういうような形で、自治省は消防建設省はいろいろな建設部門という形でおりていきますが、そういう個々縦割り行政施策では、先ほど申しましたような総合的震災対策というものは樹立する能力がないわけです。それはやらないよりはずっといいわけで、コンビナートは通産省がもう少し厳重に点検するということも必要でしょうが、そういうことだけではなくて、通信については郵政と、いろいろ分担はありますが、それらが一括して同じレベルで全体を見た総合性を検討し、どこに重点を置いて、どういうところから手をつけるという戦略的な発想は、下におりればおりるほどそういう部局は非常にやりにくい。それで、東京都は非常に大きな自治体でありますし、一応そういうものを、あとお話があると思いますが、つくろうとしておりますが、やはり私の関係している範囲では、調整の役くらいきりそういう中心のスタッフはできない。各局縦割り行政のひもをうしろに持っておりますので、非常にむずかしい。ある部局は非常に橋を強くするというときに、そのつながった道路が必ずしも強くなってない、あるいはまわり建物不燃化してないというような考え方では、先ほど申しました地区全体の防災性というものは決して高まらない、そういうような弱点がございます。ですから、総合施策必要性、これをさらに分けますと、防災計画、これは現在新しいことば都市計画ということばが一応よく使われますが、これは法定では非常に狭い意味意味を持っておるわけです。都市局所管になります都市計画法でやる法定都市計画範囲というものは非常に狭いわけで、われわれは、そういうのとほんとうの都市計画とは違うという考えを持っております。都市局でやっておるのは、そのうちの一部分建設省所管しておる一部分でありまして、たとえば国鉄とか郵政とかということはその中になかなか入ってこない、あるいは自治の消防ということも、直接には所管が違うわけですが、しかし、そういうものを一緒にやらない限り、防災的の都市計画というのはできないわけです。ですから、防災的な都市計画を立案するあるいは実行するスタッフが、先ほど言った内閣の大きな戦略戦術の次に、各都市でそれが立てられなければいけない。そういう意味では、各都市ともそういう形の防災都市計画の非常に強いスタッフを持った機構というのは、まだできてないといって過言でないと思います。東京大阪は非常に努力しておる自治体でございますが、そこにおいても、私の見たところではなかなか各局を統合するということはできない。  それからもう一つは、総合意味で、やはりこれも応急恒久関係しますが、防災という名であらゆることを現在行なうべきであるという議論一つございます。これは戦争中の戒厳令あるいは戦時体制と同じように、現在の東京は、先ほど申しましたように、平時においても非常宣言をすべき事態であるという考え方に立った議論でございますが、それについては、要するにいま行なっている都市計画その他都市建設の各種の事業というのは、それ自体もう防災計画に全部吸収してしまえという議論でありますが、これはなかなかそこまでいかないかと思います。そうしますと、現在行なわれているいろいろな事業、従来は産業施設重点が置かれておったとか、最近は社会福祉重点が置かれておったとか、生活環境重点が置かれておったということでございますが、そういう施策とこの防災都市計画というものをやはりあわせていく、そういう方策一つ出てくる。それはなまぬるい、先ほど申しました戒厳令をしいて、戦争中の疎開破壊消防というふうなところまでいくべきだという議論もございますが、なかなかそこまで——戦争のようにいつ来るということがはっきりわかれば市民も協力するでしょうが、なかなか協力できないとすると、たとえば逆に緑道をつくる。いま緑地が必要である、あるいは社会福祉施設、もう少ししっかりした学校がほしい、そういうものと防災計画をリンクしてやるという方法があります。あるいは住宅が足りない、あるいは都市を立体化しろ、立体化して空中に上げろというような問題とその防災計画を結びつければ、世論の支持を得ながら防災という形に相当大量な費用がさける、もちろんそのときの住宅とかなんとかというのは、従来よりはもっと防災的に手を加えたものにすべきでありますが、少なくとも住宅問題の解決の一助となるという形、あるいは社会福祉方面のプラスになる、あるいは生活環境が良好なことになる、あるいは交通危険性日常においても安心な形ができる、そういう形とくっつけた総合性と、この二つの総合性施策としてはあるわけであります。ですから、そういうものを合わせまして、広い意味総合施策が必要だ、それが第二点でございます。  それから第三点は、応急対策恒久対策関係でございます。先ほど申しましたように、六十九年周期説、その他最近のいろいろな予測の学問の進歩で、ある時点がかなりはっきりしますと、それに対して全力をあげていろいろなことをする、本来からいえば戦争後二十八年もたっておりますから、たとえば戦後に決心をして木造建築を禁止するということをあの時期にやりましたら、現在までの日本産業発展とそれの能力から考えますと、大部分危険地帯は、高層、低層を問わず、少なくとも不燃建築でできたということが申せます。あとで申しますが、土地問題はもう一つ大事な問題ですが、少なくともGNPの発展から計算すれば、決心すれば、現在の日本の国力の二十八年間の伸びを考えれば、あの当時不燃ということを決心すればできた。ということは、あとから見るとこれは恒久策だったわけですね。その当時はそういうことはできない、応急で少なくともバラック復興しようという形で復興し出した結果、次から次へ応急がそのままになって現在まできた、こういうことがありますので、応急恒久をそれほど区別する、そういうことは、必ずしも都市というふうな非常に重い、歴史的に長年かかってつくり上げるものには効果がないと思います。ですから私は、応急対策が連続して恒久対策になるという形のものがたくさんあると思います。ただし、特にここ二、三年でともかく一応のめどをつけなければいけないというような問題が提起されたときには、東京の大市街を全部不燃建築でやるというわけにはいかないとすれば、その間にやはりいろいろな応急策というものが考えられる。避難計画というのもそのうちの一つでございます。ですから、私たち避難拠点とか避難道路というような計画はやはり応急策である、それが先ほど申しましたような恒久の、生活緑道なり都市環境のあれに合ったということで、これは恒久策につながるという考えを私は持っておるわけですが、少なくとも戦争中の疎開のような形で緑道をつくるというところまでいくかどうか。応急になればそういうことをやってもいいと思います。  それからよくいろいろな雑誌にも出ておりますが、江東地区で非常にあぶない地区では人を疎開するという考え方もここに一つ出てまいります。あるいはガソリンやガススタンド、そういう発火点が非常にふえておりますが、そういう発火点を全部あぶない地区については電気に切りかえて、電源をとめることによって発火地点を押えるというような方策一つ応急的な方策かもしれません。あるいは特別の非常用コミュニケーション方法通信その他そういうものをつくるというのも応急だと思います。  しかし、そういう段階で乗り切れる施策と、現在少なくとも恒久対策に結びつくような、一軒一軒いまさらに木造の家が立て込んでいく、そういう事態に対して思い切った決断をしなければ、あとから応急を幾らつけ加えても都市の大災害は防げないということについては、やはり恒久策応急策と並行してとらなければいけない。その予算配分、手法その他は、先ほど申しました大きな見地からの震災対策戦略戦術に決定をゆだねる必要があると思います。  それから四番目に、ソフトの面とハードの面、最近はやりの、とかくわれわれが物をつくるという、かたい建物をつくったり都市をつくったりする面、それがハードの面としますと、従来はそういうような形が都市防災の主力でありまして、今後もたぶんそれはあまり変わらないと思いますが、それにも増しましてソフトの、前に参考の御意見が述べられたと思いますが、心理的な問題とか、いわゆる防災に対する考え方とか、日常生活とそれをどう結びつけるとか、あるいは通信その他のいろいろな宣伝あるいはコミュニケーションの問題とか、あるいは先ほど申しました機構の問題というふうな、形にあらわれない、物にあらわれない面の対策が全くというほどこれは問題になっておらなかった。この点は今後さらに強くしなければいけないというふうに思います。ですから、それは常時においては都市安全管理の問題ということに言いかえてもいいかと思いますが、そういうシステムができてないということでございます。  それから最後に、五番目に一、二の例でございますが、私たちはだいぶ前から江東防災について世論を喚起し研究を続けてきたものでございますが、やはり江東地区というのは明治以来日本産業をあるいは首都の繁栄をささえていた非常に縁の下の地区でございます。これは御承知のように、戦争前からいろいろな形で家内工業なり工場地帯なり、あるいは東京労働市場の源泉の土地であったり、いろいろな形で、いまはゴミの問題がございますが、縁の下の力持ちの地帯であって、これは日本産業発展の非常に大きな犠牲者だというふうに私は考えております。最もそういうところに危険が集中しておる。三重苦、震災火災水害、まあ地盤沈下からいろいろなことが起こっています。  そういう典型的で、従来から国家のあるいは自治体施策が最も及んでいなかった地区を取り上げまして、結局ここに相当大きな投資をして安全にするということ、それを震災ということをきっかけに呼び起こしたらどうかというのが私たち発想の根本でありました。  それの結果幾つかの案が出ております。全部疎開してもとに返せという案から、できるだけあとで残る地区を強固にして、そこで防災拠点的に整備しようという案までいろいろなものがあります。あるいは個々の家は不燃化してそれでいいという場合もありますし、工場はどんどんのかして緑地をつくれ、いろいろな案がございますが、そういうものの一つ実験拠点方式ということでありまして、これが防災対策の全部では決してない。しかしその一つ実験すら、実際建設を行なってみますと、あらゆる障害がそこに集中的に出てまいります。  結局そういうトライ・アンド・エラーによって防災ということがいかにむずかしいか、それには職業の問題もあります。階層の問題ももちろんあります。ただ燃えなくすればいいという問題ではなく、そこで生活している人たちをどういうふうな職業転換をするか、家賃を補助するか、それから高層アパートを建てた周辺についてはどういうふうにそれを及ぼしていくか、あるいは避難道路をそこへ持っていくまでにはどうすればいいか、そういう問題が、あらゆる部局が協力しなければできないということがはっきりわかってきております。ですから、総合施策というものが、やはりそういう一つ実験からでもわかってきておるわけです。  それで、最後に実施上の問題について二、三結論的な提言を申しますが、いま申しましたように、要するに都市防災というのは、災害予測から避難それからあとの消火、それから災害後のいろいろな処置ということまで一連のあれがありますし、その基礎になっておるのは、日常生活にも危険性がたくさんある、それを一つ一つ不燃化あるいは防災化することによってやっていく、そういうことが必要でございますので、これはやはり常時、先ほど申しました国あるいは都道府県あるいは地方市町村東京でいえば区、そういうところに、やはり防災ということに関する一つの筋というものがこの際つくられることが最小限必要だと思います。  ただ、とかく戦時中の軍隊のような、命令一下いろいろなことができるという体制ではございません。戒厳令をしくにしましても非常にむずかしい問題が起こると思いますので、それが一つ予算をつくる、あるいは研究にしましても、いろいろなところでいま出ております。科学技術庁に出しておるものもありますし、都道府県が出しておるものもありますし、建設省が出しておるものもあります。いろいろな方面でいろいろなものを計画研究を出しておりますが、そういうものを総洗いをして、予算配分から人間のスタッフを点検するということが必要です。  最近消防研究所や気象庁で行なった実験によりますと、非常にむずかしい、火災のときに起こる大施風、竜巻の機構も多少そのメカニズムがわかりかけておりますが、こういうものに思い切った予算をつけて、どういう形の都市をつくればそういうものが起こらないかというところまで、もう一息の研究であるというようなものもございます。  それからもう一つは、それと相呼応しまして民間あるいは住民自主的協力、これが戦争中の隣組のような組織ではなくて、やはり住民災害危険性、それは先ほど申しました日常危険性をあわせて啓蒙することが一番必要だ。交通戦争なり公害なり、緑がほしいという形はいま非常にほうはいとして起こっておりますが、そういうことと防災をうまく結びつけて、自主的に自分の町を守ろうということを一方で自主的な形で進めていただきたい。  それから最後に、どうもこういうことを申し上げますと、また何か官庁をつくるとか機構を拡大するということになるかと思いますが、私はまあ行政管理庁ではありませんが、やたらに機構をつくっても人がいなければ動かないという感じを強く持っております。それで、これは私の最後の提言でございますが、悪口になったら御容赦願いたいと思いますが、少なくとも震災は党派によって違う影響を与えない。イデオロギーと関係なくやってくる。これは戦争などと違うという一つの大きな点だと思いますが、そこで衆議院、参議院の立法府において、超党派でみずから大きな研究機関をつくって、私が言った参謀本部の役割りを立法府でつくる。それは委託してもけっこうです。少なくとも政府の中につくれば必ずセクショナリズムによってまた細分化されるにきまっております。立法府がそういうものの勉強をしてみずから災害参謀本部になり、災害の立法を立てる。一つでもそういうことをやっていただきたい。これは震災ということで、イデオロギーを越えて国民の間にアピールすることの一つだと思います。  以上で私のお話を終わります。(拍手)
  4. 大原亨

    大原委員長 ありがとうございました。  次に、耐震建築の面から、この面を主として金井清君からお願いいたします。
  5. 金井清

    金井参考人 私のいただきました、題は耐震建築となっておりまして、主題といたしましては、耐震建築の現状並びに将来と申しますか、対策だと思います。思いますけれども、耐震建築というものは大地震を契機といたしまして階段的に進んでまいっておりますので、きょうの御紹介では、耐震建築を歴史的に展望してみたいと思います。その中から現在並びに将来に対しての何らかの参考になる資料を皆さまが受けとめられることができればこの上ない幸いだ、こう思います。  御承知のように日本は世界有数の地震国、まあ別のことばで言いますと世界一ともいわれております地震国でございまして、その受けた災害は手数百年来非常に大きなものでございましたけれども、地震対策、耐震構造というものはここ八十年前、明治の初めまではほとんどございませんでした。その中でせめて耐震的に考えられたと思われるものはお城の石がきだといわれております。このお城の石がきの形、こういう形になっております。こういう形はおそらく耐震を考えたんだろうということが記録にも残っております。ほかに地震殿とか地震の間、戸がございます。いま現在残っておりますのは京都の御所に地震殿がありますし、それから彦根城、いまもう城じゃございませんけれども、そこに地震の間というのが現在も残っておりますけれども、これも専門家が調べますと、まあ地震のことを多少考えたんじゃないかということで、いまのことばで申しますと、生活の知恵的なものだろうといわれおるわけでございます。  それで、耐震構造というものが発足いたしましたのは、地震学が発足して、それにくびすを接するようにして発展してきたわけでありますが、地震学が誕生いたしましたのが一八八〇年、明治十三年でございます。これは横浜地震という小さな地震がありまして、そのときちょうど欧米の先覚者が日本へ来ていろいろな指導をしておりまして、イギリスの学者たちが非常に——イギリスという国は、御承知だと思いますけれども、地震の全然ない国でございますので、非常にびっくりいたしまして、東京ならば年に五回か十回かあるような地震にびっくりいたしまして、びっくりしただけじゃなく、この現象をとらえようという意欲に燃えましてサイスモロジカル・ソサエティー・オブ・ジャパンという組織をつくりました。これが地震に対する世界で初めての組織でございます。いま日本地震学会という学会がありまして、この英語はサイスモロジカル・ソサエティー・オブ・ジャパンでございますけれども、英語で書けば同じでありますが、内容は全然違うものでありまして、最初にできたのは世界の地震学会で、たまたま日本にあるということで、いまの日本地震学会は日本地震学会というわけであります。  それができまして現在の地震学の基本的なものは約十年間でほとんどやられたといわれるぐらい活発な仕事をしたわけでございます。ところがその人たちがだんだん本国へ帰っていなくなり、その研究がお留守になったところに、御承知の濃尾地震、一八九一年、明治二十四年の濃尾地震が起こったわけでございます。この濃尾地震というのは、画期的な日本の耐震構造あるいは地震学を発展させたわけであります。といいますのは、これには二つの要素があるわけでございます。  理学的に考えますと、最近の新聞等でしばしば出ます断層の問題、根尾谷断層というのが、日本の歴史上で一番大きな断層が起こったわけでございます。延長約九十キロの断層が起こったということで、非常に理学方面の人の関心を呼び、一般の人も、とにかく数メートルの段違いができたわけでございますから、地震に対する関心を非常に持ったということが一つ。  それからもう一つは、すべての面でそうでございますけれども、構造の面でも欧米の文化がどんどん入ってきております中に、れんが造というものが入ってきて、橋梁とか建物のれんが造が盛んにできておりました。名古屋地方を含めて、あそこでは紡績業も盛んであったせいもありまして、れんがの建物、銀行その他がたくさん建っておりましたのが、いわゆる全滅したわけでございます。むしろこれは大きな地震でございまして、普通の民家、住宅もこわれたのでございます。全滅ではなかったんですけれども、れんが造が全滅であったということで、少なくとも構造面におきましては欧米文化をそのまま地震国に受け入れることができないのだということ、これは工学の方面の人の関心もむろんでございますけれども、一般の人たちの関心も多かったものですから、直ちに議会が取り上げまして、当時の貴族院が取り上げまして、全会一致でもって、国家機関として地震並びに耐震構造研究をやるべきだというので、震災予防調査会というものができたわけでございます。国家機関として、国家の息のかかった調査機関というようなものもやはり世界で初めてのものでございます。  そこでまず取り上げられたのがれんが造の問題で、その震災予防調査会ができまして二、三年の間にやりましたれんが造に対する材料的、構造的の研究というものは、今日のれんが造の基本をなしているというくらいにりっぱな仕事をしたわけでございます。  それからもう一つ、それが契機になりましてやりましたことは、震害調査ということが盛んにやられるようになりまして、そこで気がつきましたのは、木造家屋というものが非常に地震に弱い。なぜ弱いかというと、屋根が重いということ、それから斜め材が入っていない。いまのことばでいいます筋かいが入っていない。だから地震が来るとすぐに平行四辺形になるということ。それからもう一つは、土台がなかった。柱が玉石の上に乗っかっているという家がほとんどである。いろいろなこともありますけれども、この三つはぜひとも耐震構造として必要だということが強調されたわけでございます。これも今日の木造の耐震構造の基本になっておるわけでございます。むろん詳細についてはどんどん進歩しておりますけれども、基本的な面は、この震災予防調査会ができて数年のうちにでき上がったといっても過言ではないわけでございます。  よけいなことでございますけれども、そういう基本ができたのにかかわらず、その後ずっと住宅に筋かいとか、その他耐震工法がとられなかったのにはいろいろ意味があるのでございますけれども、これは日本の風土に適さない。というのは、御承知のように日本は湿気の多いつゆという時期もありますので、筋かいを入れれば、どうしても壁をつけなければならぬ。壁をつけると風通しが悪くなるというようなことで、理屈はわかっておるけれども、日本の風土に合わないということで、構造学者の中には、ごく一部でございますけれども、積極的にこれに反対した人もあるぐらいでございましたから、なかなか普及してこなかったわけでございます。最近では、いろいろな電気、ガスその他であたたかくしたり、冷たくすることによりましてそういった難はなくなりましたけれども、そのとばっちりといいますか、ストーブで十勝沖地震のように火事が起きるということが起こってきておりますけれども、ともかくそういった意味で、基本的なものは震災予防調査会ができまして数年のうちにでき上がりましたけれども、なかなかこれが実行に移らなかったというわけでございます。  もう一つ大きな問題といたしましては、現在の世界的な耐震工法の基本になっております、現在は震度法と申しておりますけれども、これは最近つけたことばでございますけれども、要するに、ニュートンの第一法則によりまして、地震の力というものは、質量に地震の加速度をかけたものが力だ、それに耐え得るようにすればいいという考え方、これは現在でも基本になっておりますけれども、これが震災予防調査会によって提唱され、採用されたわけでございます。  でございますから、よく建物の何割で設計する、一割で設計するとか二割で設計するとかいうことが現在でも使われておりますけれども、この基本は、数十年前のこの震災予防調査会でやられたものでございます。  次に、時代を追って申しますと、日本の話じゃございませんけれども、一九〇六年、明治三十九年ですか、サンフランシスコ地震というのがございました。これはアメリカの歴史始まって以来、一番大きい地震でございますけれども、濃尾地震に対しますと二つのことが起こったわけでございます。  一つは断層、サンアンドレアス・フォールトという断層ができまして、これは世界の歴史上で一番大きな断層でございます。長さが約四百四、五十キロ、ですから北はカナダに近いあたりまで、南はメキシコに近いあたりまで、サンフランシスコからロサンゼルス付近を通った大断層でございます。この大断層を契機として断層説というものが提唱されて、今日も新聞等でもしばしば出てまいります断層説というのは、このサンフランシスコ地震で起こったサンアンドレアス・フォールトを調べたことによって提唱されたもので、今日では世界じゅうで大体において——大体と申しますのは、こまかい点には反対の意見もあるという意味でございますが、特に日本では、多少反対の意見もございますけれども、ともかくそういう大きな説が出されたということ。  それからもう一つは、きょうの主題に関係いたします問題で、鉄筋コンクリート造が耐震的にすぐれていることが認められたわけでございます。もともと鉄筋コンクリート造というのは、耐火建築として発達してきたものでございますけれども、サンフランシスコ地震の経験を経て、耐震的にもすぐれていることが認められたわけでございます。日本からも学者が二名ばかり調査に参りまして、そのことを認めて帰りまして、日本の鉄筋コンクリート造ができ始めましたのはサンフランシスコ地震を契機としてだ、私はそういうふうに理解しております。  そういうことがございまして一九二二年、大正十一年に浦賀水道地震というのがございました。関東地震の前年でございます。このときに、ちょうど丸ビルが九分通りでき上がっていたところでございます。ところが丸ビルが大けがをいたします。大破壊をいたします。そのときに東京では、普通の民家で倒れたうちは一軒もなかった。壁の落ちたうちが数えるほどだったという程度の、普通の住宅に全然といっていいぐらいに被害がなかったのに、その当時としては一番モダンな、一番新しい丸ビルが大破壊したという事件が起こったわけでございます。濃尾地震でれんが造に対しての反省があったわけでありますが、これで鉄筋コンクリート造も、いわゆる欧米流の手法あるいは構造そのままでは日本という地震国には合わないんだということで、さっそく丸ビルは補強したわけでございます。その当座の補強を丸ビルはしたわけでございまして、根本的な検討をやっている最中に関東地震が起こったわけでございます。一九二三年でございます。  関東地震というのは、御承知のように被害といたしましては世界の歴史上一番大きい。ある地震学者の計算、これは地震学者の計算ですから、ざっぱくなものだと思いますけれども、物的にも人間の生命という意味でも日露戦争と大体同じだという計算をした。これは地震学者の計算でございますから大ざっぱなものだと思いますが、そのぐらいの大きなことが起こったわけでございます。でございますから、関東地震の経験というものが、日本はむろんのことでございますが、現在でも世界じゅうの学者が大なり小なりこれを参考にして、耐震構造研究に取り組んでおります。  この中で大きな問題といたしましては、震災予防調査会というのはいわゆる調査会でございますから、本務をみな持っている大学の先生とか、役所の技師さんとかが入っておったものでありまして、非常に大きな仕事をいたしましたけれども、関東大地震を契機といたしまして、地震並びに耐震構造研究を兼務でやっているようなところにまかしてはおけないということになりまして、東大の地震研究所が地震並びに耐震構造専門研究所として設立されたわけでございます。これも、いまではアメリカその他の国に地震研究所というものはございますけれども、世界で初めてのものでございました。  その地震研究所に限らず、関東地震を契機としていろいろなことをやりましてわかりましたことが、いまとなっては、むろん非常に役に立っておることもありますし、ある意味では、進歩に対しての阻害とまではいきませんけれども、多少じゃまになっている事柄もあるわけでございます。  その中の一つに、地盤がやわらかいと地震動が大きい。これは地震計が発明されて、その観測結果からそういうことがわかったわけであります。これは地震学者のほうからそういう答えが出た。それから工学のほうからは、調査いたしますと、地盤がやわらかいところほど被害が大きいということが、調査の結果わかったわけでございます。その間には、ものがやわらかければ振動が大きいだろう、振動が大きければその上に乗っかっているものもこわれやすいだろうということが、初等力学で非常に簡単明瞭に理解できます。そういった意味で、この考え方というものは非常に早く理解されたものですから、いろいろな工法に取り上げられてきております。これは非常にいいことであり、進歩したのでございますけれども、これが今日に至ってすべての面でそうであるかということが残っておるために、多少進歩をおくらせておるという面がございます。  それで、それに対する一つの疑問が出ましたのは、関東地震のときに、現在はいなかへ行ってもほとんど少ないくらいでございますが、土蔵というものがたくさんありまして、土蔵というものは世界的にも耐震工学の人は非常に関心を持っておりますので、たとえば外国のこの方面の人が来たときには土蔵が見たいと言うのでございますけれども、新幹線その他からはなかなか土蔵が見られないので残念がっておりますけれども、土蔵が東京のいわゆるかたい山の手のほうが被害が大きくて、下町のほうが被害がうんと小さかった、けた違いに小さかったということは、これまでの初等力学で理解され、震害調査でわかった常識と全く真反対の現象が出たわけです。具体的に区で申しますと、昔の関東地震当時の区でございますが、土蔵の被害が一番少なかったのが深川区でございまして、それから一番多かったのが山の手の四谷でございまして、これが二〇%あったわけでございます。木造は全く逆でして、山の手の四谷が一%で、下町の深川が一五%、ともかく全く逆の現象が出たわけでございます。これもその当時としては理工両方面から非常に問題になりましたけれども、工学のほうでは、土蔵を再びつくる人もないし、つくるとしてもいわゆる専門家が設計したり計算するようなものでもないということもありまして、比較的関心が薄かったのですけれども、理学の方面の人は——理学というのは御承知のように、何でも理屈がわからなければ孫の代まででもやろうというのが理学の人のなになものですから、これを調べようとしたわけです。これを調べるのに、だいぶ時間もたちましたので詳しいことを申し上げかねるのでございますけれども、ともかく、いままでの土地がやわらかければ地震動が大きい、それから土地がやわらかければ建物の被害が大きいということが統計的にずっと出ておったわけなんですけれども、地盤がやわらかいほど被害が大きいということが事実として土蔵でこわれたわけですから、地盤がやわらかいほど地震動が大きいということに疑問を抱いたわけです。この疑問を抱いたことによりまして、話をちょっとはしょりますと、ニュートンの第一法則で使う加速度を——いままで地震学者が地震計をつくった動機というのは、地球が空間に対して地震のときどう動くかというのをはかろうとしたのが明治の初めに地震計をつくった動機でございまして、それでつくったものが地震計ですから、それを工学のほうで流用しておったわけなんです。それで、工学は工学に必要な地震計をつくるべきだということで、加速度を直接記録するような地震計をつくり始めたわけでございます。  それで、その地震計ができたことによって耐震構造は論理的に非常に進歩してきたわけでございますけれども、特にその進歩の大きな契機になりましたのは、その当時の——その当時と申しましても一九二九年でございますけれども、日本といいますか、東京で万国工業会議というのが開かれまして、そのときに各国から工業に関する研究者あるいは実務者が集まったわけです。その中で、アメリカの構造関係する人が地震に対して非常に関心が深かったわけであります。といいますのは、一九〇六年にサンフランシスコ地震があり、それから一九二三年に隣の国、隣といっても太平洋を隔てておりますけれども、日本に関東地震が起こった、相隣る国に、今日に至っても世界でも一、二の大地震が起こったということで、アメリカの構造関係した人が地震に対して非常に関心が深かった。それで、地震に関する諸施設日本で見て歩いたりいたしまして、全く日本地震学並びに耐震構造学が進歩していることに驚きまして、当時の、当時といいますのは初代ですけれども、初代の地震研究所長であられた末広恭二博士をアメリカが招待したわけです。招待いたしまして、いろいろな大学で講義したり講演したりしたのですけれども、これは非常な名講義でして、現在でもこの方面の世界的なバイブルだといわれているくらいの名著なんです。よけいですけれども、先生は日本に帰られてすぐなくなったものですから、その講義を、学生のノートを編集したものが、くなった後に印刷されたわけなんですが、これはバイブルだといわれているのです。  その中で一番工学的に実効を出しましたのは、耐震構造を画期的に進歩させるためには、物がこわれるような大地震の記録をとらなければいけない。それまでの地震計というのは、大地震があれば家もこわれるけれども地震計もこわれるようなものばかりだったわけです。ところが日本には、自分たちが非常に声を大にして言うけれども、ちっともこれを受け入れてくれないということを講義あるいは講演の中で言われたわけなんです。ところがアメリカは、いろいろな意味でそういう国なものですから、すでに取り上げまして、末広先生がそういうことを話されたのは一九三二年なんですけれども、その年のうちに強震計というものをつくりました。ある意味では不幸であるわけですけれども、設置したその翌年の一九三三年に、ロサンゼルスのすぐそばの有名なロングビーチ地震というのがありまして、これは二百人の死者が出た地震なんです。二百名の中にはいわゆる日本人が非常に多かったわけなんですが、この地震のときに世界で初めて家のこわれるような大地震の記録がとれたということなんです。これはアメリカの耐震工学方面では非常に誇りにしておりますし、しかもアメリカのそういった本には、これは末広の提言によってつくったんだということが教科書にもその他の本にも出ておりますけれども、それをやったわけです。  この強震計ができたことによって、近代耐震構造学というものができたともいわれるわけでございます。といいますのは、以前は——最初申し上げましたように、いまは震度法ということばを使う、といいますのは、ニュートンの第一法則によって重さに加速度をかけたものが力だ、その力に耐えるものをつくれば耐震構造だという考えだったのですけれども、強震計ができましたことにより、記録がとれましたことによって、これはむろんそれと相並行してコンピューターというものが発達したことと関係があるわけでございますけれども、強震計はほんとうに家がこわれるような地震動が来たときの記録を入力としてコンピューターに入れて、そしてそれに対して家がどうなるかということを研究し始めたわけでございます。  こういった研究ができ、だいぶ時間が経過いたしますので途中はしょりますけれども、その後日本では一九四八年の福井地震、これも非常に大きないろいろな示唆を与えた地震なんですけれども、現在の建築基準法の中の耐震規定の骨子は、ほとんどこれを契機としたと言ってもいいものでございますし、これを契機として強震計を日本ではつくり出したわけでございます。だから、日本人が提唱したのですけれども、アメリカより約二十年おくれて強震計が置かれ始めたわけでございます。  そういった強震計ができたことによりまして、むろんこればかりじゃありませんけれども、一つの大きな因子として、そういったもので解析できるような時代が来たことによって、先ほど高山先生からもちょっとお話に触れられましたけれども、別な問題として、超高層ができるようになったのも、もし強震計がなく、コンピューターの発達がなければ、少なくとも日本では超高層というものはできなかったんだろうと思います。これは強震計で記録が得られ、それからコンピューターでそれを駆使することができるという時代が来たことによって、そういったことになったのだと思います。  強震計の問題でございますけれども、現在日本は、アメリカより二十年おくれたわけでございますけれども、台数としてはアメリカよりも数百台多い台数が設置されております。六百何台設置されております。でございますけれども、アメリカの強震計というのは四百か三百か、とにかく少ないのでございますけれども、アメリカの強震計は全部USCGSという、ユナテッドステーッ・コースト・アンド・ジオデチック・サーベイという国家機関のものでございます。だから、所有も国家機関であり、維持管理も国家でございます。日本の場合は、東京だけで約四分の一でございます。名古屋、大阪を含めますと三分の一はこの大都市に集まっておるわけでございます。  なぜ大都市に集まっておるかといいますと、大部分が民間の寄付でございます。でございますから、こういうところへ置けば一番有効に資料を得られるというところへ十分に置き得る数は、全体は多いのでございますけれども、比率は少ない。アメリカでは全体数は少ないのですけれども、非常に有効なところへ置いているという意味で大きな功績をあげつつあるということが、われわれとしては非常に残念に思っているわけでございます。  それから、最後に一言申し上げたいと思いますこととは、よく九月一日の防災の日には、報道機関で、テレビ、ラジオあるいは新聞等で、対談があります。建築の方と普通の方との対談あるいはアナウンサーと建築の方との対談のようなのがございまして、そのときに、最近は超高層となりましたけれども、数年前までは、高層建築はだいじょうぶか、あるいは最近では超高層はだいじょうぶかという質問が出るわけでございますけれども、それに対して建築家からの返事は、だいじょうぶですという返事が返ってくるわけでございます。文字に書き、ことばで申し上げると、だいじょうぶということばは同じですけれども、これには非常に大きな違いがあるという認識が一般には少ないようでございます。  ここで申し上げるのは釈迦に説法かもしれませんけれども、非常に大きな違いが出る。建築家のだいじょうぶといいますのは、いわゆる建築構造的にだいじょうぶだということで、柱が折れたりはりが折れたりするようなことがないということ、それからしろうとのだいじょうぶというのは、壁に亀裂が起こったり壁が裂けたり、そうしたのはだいじょうぶとは思わないわけでございます。そこで、そういうことになっておるわけです。建築基準法では、たとえば木造なら傾いてもいいのだ、だからそういうものは傾くぐらいなら検査に通るわけです。それから鉄筋コンクリートなら、壁に亀裂が入ったり少し壁が落ちるぐらいのものなら検査に通るわけなんでございます。これはだいじょうぶだというわけでございます。先ほどの高山先生もほかの意味でおっしゃったのですけれども、私はこれがパニックにつながるおそれが十分にある、非常に危険だと思うわけであります。  これは私の想像だけではありませんで、二年前に、御承知のロサンゼルス地震、正式にはサンフェルナンド地震といっておりますけれども、そのときはたまたま時間が早朝で四時ごろであったから、実際には起こらなかったのですけれども、もしこれがまつ昼間で起こったら、パニックがいま申し上げたような意味で起こる可能性は非常にあったということを、向こうの人も言っておりますし、私たちも感じたわけでございます。  といいますのは、もしビルとか超高層、そこらでちょっと壁に亀裂でも入って、ある人がこれはこわれた、これはたいへんだという声を出したら、それがパニックにつながって、むろんエレベーターはとまりますから、それが階段に押しかけたことには、何年か前にロンドンのフットボールの試合でそういうことがございましたけれども、群集がざあっと押しかけたために犠牲者が出たということもありましたけれども、それのけた違いの災害が起こる可能性があるのじゃないか。  これは建築とは無関係でございますけれども、高速道路も、これは基準に書いてありまして、関東地震のようなものが起こっても、交通に支障のあるような被害は起こらないということになっておりまして、だから交通に支障のない被害なら亀裂ぐらい起こることは起こり得るわけなんであります。これは建築とは関係ありませんけれども……。でございますけれども、一般の人は、高速道路はだいじょうぶだといわれておるのに、亀裂が一本でも入りましたらたいへんな騒ぎになる。私ごとを申し上げて恐縮でございますけれども、いまここへ参りますときに車で参りまして、運転手にその話を、もしクラックが起こったらどうするか、それはたいへんなことになりますと言うから、いやこれはだいじょうぶなんですよと言いましたら、ああそういうものですかと言っておりましたけれども、これも非常に大きな問題になるのじゃないか、こういうふうに思うわけでございます。  非常に話のしかたがへたくそでございまして、言いたいことも言えないところもございましたけれども、時間一ぱいになりましたので、これで失礼させていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)
  6. 大原亨

    大原委員長 ありがとうございました。  次に、東京都における震災対策の面から赤羽嘉郎君にお願いいたします。
  7. 赤羽嘉郎

    赤羽参考人 私に与えられました課題は、東京都の地震対策というふうなことでございます。課題の性質からいたしまして、意見ということよりも東京都の対策の現状をお話し申し上げまして、皆さま方の御批判をいただき、これを今後の対策に反映させてまいりたい、このように考えておるわけでございます。  実際には、対策はこれから申し上げますが、計画段階で、これを具体化していく際にはいろいろと法制化等の問題が出てまいると思いますので、今後におきましても皆さま方の御協力をお願いしたい、このように考えておるわけでございます。  東京都の震災対策でございますが、東京都は、最近新聞で御案内のとおりに計画を発表したわけでございますけれども、いままでなかったというわけではございませんでして、もちろん御案内のとおりに、災害対策基本法に基づくところの地域防災計画によりまして従来対処してまいったところでございます。しかし、この従来の地域防災計画につきましては、東京都でつくってまいったものについては、特に身近な問題といたしまして、東京は風水害が非常に多く、ここのところ数年はございませんけれども、多かったわけでございます。そうしたことから風水害対策に非常に片寄っておる。それからまた、応急復旧対策重点が置かれ過ぎているのではないか、こういったような批判が監査の指摘あるいは東京都議会で問題になりまして、これを契機にいたしまして、昭和四十六年以降地域防災計画は、これを風水害編とそれから震災編とに分離することが適当であるというようなことが地域防災会議で決定をいたしました。これを受けまして昭和四十六年の十月には、すでに御案内と思いますが、東京震災予防条例を制定いたしまして、体系的な対策と責任分担を明らかにしたわけでございます。  この条例の第二条に基づきまして、知事は震災予防計画を作成することになっておるわけでございますが、この八月十四日に東京震災予防計画を策定いたしまして発表した次第でございます。  この予防計画は、地域防災会議の構成員としての東京都の権限の及ぶ範囲が主体になっておるわけでございます。したがいまして地域防災会議の他の構成員、これは国の機関とかあるいは市町村あるいは電気、ガス等の企業体、こういったようなところの関係につきましては、これは実は東京都の今度の予防計画の中には抽象的な形でしか入ってございません。こういったようなことから、そういった予防計画につきましては、これは構成員自体におきまして計画を作成していたがく、そうして構成員相互の計画を調整して東京都地域防災計画震災編が完成される、こういうふうなことになるわけでございますが、大体震災編の完成の予定はこの十月末ないし十一月を予定しておるわけでございます。  したがいまして、これからお話しする東京都の震災対策は、東京震災予防計画の説明というふうなことになろうかと思うわけでございます。この震災予防計画は、本文が二部十二編二十三章五十七節、半紙大で三一四ページにわたるようなものでございます。お手元に概要をお配りしてあると思いますけれども、この概要によりまして、考え方を主にしましてかいつまんで御説明をいたしたい、このように考える次第でございます。  それで、まずこの概要の最初の「目次」をおあけいただきたいと思うのですが、これは項目で七項目にわたってございますけれども、「I」から「IV」までの間がこれが計画の大体前提をなすものでございまして、「V」以下「VI」までが計画の内容というふうになってございます。  最初に順序といたしまして一ページをおあけいただきたいと思いますが、すでにわかり過ぎておることでございますけれども、震災予防計画策定の趣旨でございますが、これは震災は人災である、したがって、人間の力でこれを取り除くことができないはずはない。われわれは、震災に対するこの基本的考え方に立ち、災害から人命と財産を守るため、英知と勇気と技術を結集し、都民とともに、東京都がなしうる震災予防に関する対策についての決意と行動を示す指標として、この計画を策定する。それから震災対策の基本的あり方でございますが、これは先ほど高山先生もおっしゃいましたけれども、この計画は、第一に、震災対策こそ各種災害対策の基本となるべきものであること、第二に、現在の災害対策基本法、あるいは従来の災害対策及び防災計画災害の予防面よりも、むしろ災害発生後の応急復旧面に重点が置かれているので、予防対策こそ震災対策の中心であることを基礎として計画を作成しなければならない。こういうふうになっております。  それから次に二ページでございますが、ここでは理念等についてでございますが、理念は、わかり切ったことでございますけれども、震災から人命を完全に守り、財産を保護する。この理念に対しましての基本目標といたしましては、東京防災都市にすることによって、震災を未然に防止したい。この防災都市を達成するためには次の三にございますように七つの具体的課題、これにこたえることが必要ではないかというふうなことでございます。  三ページをちょっとおあけいただきたいと思うのですが、ここのところで防災都市でございますけれども、これは先ほど来のお話にもございましたけれども、この防災都市というのはどういうことをいうのかといえば、そこのまん中辺でございますけれども、理念を達するための基本目標としての防災都市、これは単に鉄とコンクリートの都市ということではなくして、一方において災害に強い都市構造を持つ都市であるとともに、そこに住む市民が、これは災害に強い市民というような二つの要素の結合において初めて防災都市はつくられるんだ、こういうことでございます。  この目標を達するために七つの課題、これにこたえていく必要がある。その一つ震災に関する調査研究でございますが、震災に関する関係につきましては、先ほど来からお話がございましたように非常に未知な要素がたくさんにあるわけでございます。こういうふうな点につきましては科学的な調査研究を基礎にして構成されなければならない。こういう意味におきまして絶えざる調査研究が必要である。  それから、そうした調査研究を基礎にいたしましてまず防災都市づくりが必要である。ここでは狭義の防災都市をいっておるわけでございますが、これは後刻御説明申し上げますけれども、そこでの地域危険度の測定を基礎にいたしまして、その危険度に合った防災都市をつくっていく。地域危険度というのは、結局何がどこでどれだけ危険があるか、こういったようなことを明らかにすることで、その危険をなくすことによって初めてそれが対策という意味を持とうかと思いますけれども、このところでは面的な整備を意味しておるわけでございます。それから次が破壊の防止でございますが、それは面の中の点としての各いろいろの施設あるいは線としての河川、堤防、橋梁等、こういったような線の関係の破壊の防止。  それから次には二次災害として起こるところの火災関係の防止でございまして、それでもなおかつ火災が延焼をし、生命の危険があるときに、それに対して避難するために避難場所等の安全確保、それから災害に対する防災体制の整備、それから都民の協力、こういったような七つの課題に対してこたえていく必要があるのではないかということでございます。  またちょっと二ページに返っていただきたいのですが、それでこの七つの課題にこたえていくように内容を構成していくというのが計画の内容になっていくわけでございますけれども、実はこれをどういうふうにつくっていくかということでございます。これはつくられてみるとそんなものかということでございますが、どこからどのようにつくっていくかということは非常に未知の要素が多いものですから、実際につくる段階になってくると非常にむずかしいわけでございます。先ほど申し上げましたように、地震によってそれぞれの場所においてどういう危険が生ずるか、こういつたことが把握できれば、その危険をなくすようなことを考えていけばそれでいいわけでございます。そういう意味におきましては計画の基本といいますか、そうしたもの、地域の危険度、こういったようなものが把握されるということがまず第一番目に必要かと思います。またそれによって、うらはらの関係になりますけれども、危険をそのままにしておけばどういう被害が起こるかというふうな被害想定がそこに生まれるわけでございます。そして、その地域危険度を主体にしてできた計画を具体化していく中でもって危険がなくなっていく、それに伴って被害が少なくなっていく、こういうふうなことが計画の実施における効果として測定されてくるわけでございます。そういう意味におきましても地域危険度の測定、それに基づく被害想定、こういったようなことが計画の一番基本になるわけでございます。  こういう点につきましては、いろいろと学者の方々に御協力をいただいてその完成に努力してまいったわけでございますけれども、現在のところではこの四十八年度で大体その調査結果が出てまいる、調査結果が出てきたものを複合あるいは総合をすることによって、一つの具体的な危険としてこれを把握していくという形になっていくには、四十九年度にならなければその段階に至らないという状況が実はあるわけでございます。  その危険度ができれば、そこの第二の段階にございますように、それに基づいて、先ほど高山先生もおっしゃっておられましたけれども、われわれもこの危険度というのはどういう形に出るかいまのところはちょっとはっきりわからないわけでございますけれども、これは当然に幾つかの段階があるわけでございまして、かりにこれを十段階に分けたといたしますならば、その一番危険の大きいところについては、たとえば防災拠点の方式でこれを危険をなくしていく、それから非常に小さな危険等については、適当なオープンスペースの配置とかあるいは区画整理とか、そこでもっていろいろの手法ができてまいるかと思うわけでございますけれども、こういう面的な整備につきましては、この地域の危険度が明らかになった際にこれを住民に明らかにし、そして住民の認識の上に立って住民の参加といいますか、その中で、りの手法については行政がこれを提供するというふうな中で、面的な整備をはかっていったらいいのではないか、これを契機にして都市づくりをしていきたいというようなことを実は考えておるわけでございます。  しかしながら、いま申し上げましたように、大体四十九年度にならなければこの点は明らかにならないというふうなことで、この点についていますぐにやるというわけにいかない。しかしながら地震はいつくるかわからない。しかしどっかに目標をつけながら、それに対して措置をしていかなければならない。  そこのところで一応時点的なものを明らかにした点では、故河魚博士の六十九年説からいきますと正確には五十四年になるかと思いますが、一応五十三年、五十四年、こういうふうなところを指向いたしまして、とりあえず五十二年までにできるだけのことを整備していきたいというふうなことを考えたわけでございます。そうしますと、地域危険度ができてからそれをやるということになったのでは、その年数が三年あるいは二年といったようなきわめて短時日の間しかない。そうしますと、われわれといたしましてはこの五カ年の間にまあ地域危険度がどう出ようとも、当然にやらなければならないということは考えられるわけでございまして、そういうふうな面についてはできるだけの整備を当然していかなければならないのではないか。そういうふうな点で、第一の段階、四十八年度から五十二年度までを一応想定いたしまして、その間におけるところの暫定的な計画かもしれませんけれども、そういうところに一応考えを置きまして、そうして今回の予防計画をつくったわけでございます。  したがいまして、その内容といたしましては、そこにございますように、現在までのところは、先ほどもちょっとございましたけれども、縦割りでいろいろ、たとえば建設局におきましては橋梁とか護岸とか、そういったような関係についてその整備をしている。それから港湾局のほうについては、海に面したところの護岸等の関係をやるというふうな形のことをやっておったり、いろいろそれぞれの局あるいは庁でもってやっておるわけでございますけれども、これを震災というふうな観点から総合化、体系化をはかっていく。それから当面は、特に破壊の防止と火災等の防止に重点を置いて、その中では当然やらなければならない点ででき得ることが多々あるわけでございますが、そういう点に重点を置いて、そして計画を作成していく、こういうふうなことを考えておるわけでございます。  次に四ページをおあけ願いたいと思うのですが、この四ページにございますのは計画を作成するにあたっての指針の概要でございますが、これは計画の前提をなすものでございます。  一つは、計画の前提といたしまして、時刻は冬の夕食時、風速八メートル毎秒、規模は関東大震災級、マグニチュード七・九、震度六。  それから計画の対象でございますけれども、先ほど来申し上げておりますように、地域危険度が出ておりますればそれを計量的に把握することができるわけでございますけれども、現在の段階ではそれを計量的に把握できないというふうな点から、災害の態様を想定いたしまして、それを対象として、そして災害の発生を未然に防止するという施策計画化をはかったわけでございます。  五ページをおあけ願いたいと思いますが、そこに災害の態様と災害発生要因とがございますが、まん中のところが地震災害のメカニズムを表示してございます。これはごらんのとおりで、地震発生から、いわゆる構造物変動から建物等の破壊、それから水あるいは火の災害が起きてくる。また一方、人的な点ではパニックの状態等が起きてくるという地震災害のメカニズムがございますが、こうしたようなメカニズム自体の起きてくる要因あるいは条件がその右のほうに羅列してございます。これに対する対策が左のほうにあるというようなことでございます。これで一応地震災害の流れ、それから要因、条件、どういうところに指向すればいいかということがおわかりと思うわけでございます。  またもとに返りまして四ページの計画の作成方針でございますが、先ほどとダブるような形になるかもしれませんが、一応ここのところでは、作成の方針といたしましては、五十二年度までに必要な最小限度の施策をすべて盛り込む。施策重点は次のとおり。  一つは行政側のあり方。公共施設の耐震性の強化。要するに行政が現在管理しておる関係のものについては、これは他にいろいろと協議をしたりとか、そういったようなこと等がわずらわしい形がないわけのものであり、当然みずからやろうと思えばできることでありますから、こういう点については、できるものは全部これまでを五カ年間にやる。現在では道路一つつくるにしましても非常に長くかかる関係のことでございますけれども、現在管理下のもの等につきましては、これはやろうと思えばできる関係のものでございますので、これを五十二年度までに公共施設の耐震性の強化をはかる。  それから二番目といたしましては、これは都民の協力を得る関係のものでございますが、こうしたようなものとしましては火災等の防止、それからやがて面的整備、これは面的整備の一部でございますが、防災拠点の促進、それからまた面的整備の基盤をなすところのオープンスペースの確保等について力を尽くしていく、こういったようなことをその作成方針といたしました。  次の計画の性格は、先ほど申しましたように、現在の段階では暫定的な形でやらざるを得ないという意味で暫定計画。それからローリングシステムの採用といたしましては、これは現在の科学技術の進歩は御案内のとおりでございまして、明らかになってまいったものはそのときどきに実際の計画の上に反映させていく。あるいはまた、今度の計画につきまして各界各層のいろいろの御意見等があろうかと思いますけれども、そうした御意見等をいれながら、より充実したものにしていきたい、こういうふうな趣旨でございます。  計画の体系と内容でございますが、六ページをおあけいただきたいと思うわけでございます。その六ページのところに計画の体系と内容がございますが、震災の防止につきまして左側のほうにまず七項目ございまして、それに対しての内容的な点がまん中、それから右のほうが具体的な措置になってございますけれども、この体系自体は実は条例でもって規定しておる関係のものでございます。それがすべてこの上でもって網羅されてあるわけでございます。この右のところでワクでくくってあるものがございますが、このワクでくくってあるものが今度の計画の上でもって具体的に計画化されておるところのものでございます。ワクに入っておらないところのものは経費を必要としない、たとえば危険区域の指定、こういったこと等のものとか、あるいは現在の段階では調査中で把握ができないというていのもの等がそのワクでくくってない関係のものでございまして、これは、今後その対象等が把握できた段階において計画に盛り込んでいきたい、こういうふうなていのものでございます。  それからもとの四ページに返りまして、この計画の期間は、先ほど申し上げましたような四十八年から五十二年度までの五カ年の長期基本計画とする。それからローリングシステムをとっていくというようなことでございます。  それから次に七ページをおあけ願いたいと思いますが、このところから震災予防計画の内容に入ってまいるわけでございます。  1の計画の対象は、先ほど申し上げたようなことで、災害の態様を想定して措置をしていったということでございます。  二番目が計画の総括で、事業費をそこに書いてあるわけでございますが、そこの表について御説明を申し上げますと、課題は先ほど申し上げましたような七つの課題があり、それに対して要する事業費がそこに計上されておるわけでございます。震災に関する調査研究としては一億五千百万、そのうち四十八年度ですでに措置され、現在実施しているのが五千三百万、それから今後あとの四年間においては九千八百万円、これはちょっと誤解を生むので申し上げますと、震災に関する調査研究が一億五千百万ということではございませんで、あとの六つの項目がございますけれども、この六つの課題に付随している関係の調査研究につきましては、それぞれの課題の中に調査研究が入っておりますので、調査研究費が一億五千百万というわけではございません。その点誤解のないようにしていただきたいと思います。  そして総額はどのくらいになるのかというのが総合計のところにございますが、一番下のカッコでくくってあるところをごらんいただきまして、一兆一千九百九十六億五千万円というのが総事業費になってございます。このカッコでくくってあるのは、交付公債とかあるいは財政調整とかあるいは災害救助基金等からの財源がそこの中に入っておるという意味で、そこに内訳が出されているわけで、総額は約一兆二千億というふうなことになるわけでございます。  それで四十八年度におきましては、そのうち総額で一千七百七十一億余が計上され、現在実施に移されておるわけでございます。今後の分が一兆二百二十四億余円ということになるわけでございます。今後の四カ年では、これを割りますと大体二千五百万円、現在やられておるのは千七百万余でございますので、約七百万円くらいが今後においては年度ごとにふえていくというような状況になろうかと思います。そういうふうな点から見ていった場合、その具体化におきましてはその実行を期し得るのではないか、このように考えておるわけでございます。  次に八ページにまいりまして、施策重点でございますが、これは先ほど来申し上げておることでございますけれども、今回の計画は、大震災発生に伴い発生する直接破壊でありますところの一次災害、これは建造物倒壊などと、それから二次災害を最小限に食いとめて、都民の生命と財産を守るというようなことを目標といたしまして、都においてこそ可能な施策である公共施設の耐震性の強化など破壊の防止と、特に人災であるといわれ、都民と相互協力して対処すべき火災の防止に重点を置くとともに、長期間に要する防災都市づくりの早期実現化をはかることとしたわけでございます。それから情報連絡体制について、五十二年度までに体制の整備をはかっていきたい。  それからまた、先ほど申し上げましたように、絶えざる調査研究が必要でございますので、その充実化につとめていく、こういうふうなことをこの施策重点としたわけでございます。  次の4、各課題別計画のあらましでございます。時間の関係もございますので、簡単に申し上げていきたいと思います。  震災に関する調査研究につきましては、これを四つに大別整理いたしまして、五十二年度までにこの調査を一応完了するというようなことでございます。それから防災都市づくりにつきましては、これは地域危険度が、先ほど申し上げましたように、四十八年度、四十九年度という段階の中で明らかになってまいりますので、その明らかになった段階で危険地域あるいは特別危険区域の指定を行ないまして、そしてそれを基本にして体系的な防災都市化の実現につとめてまいりたいというふうに考えておるわけでございます。それから先ほどもちょっと触れましたように、それまでの段階といたしまして、やがて必要になるその準備として、オープンスペースの確保というふうな点にも力を注いでまいりたい。  それから次の破壊の防止でございますけれども、破壊の防止につきましては、これは行政ででき得る関係のことについては、それまでにできるだけやりたいという意味におきまして、その中の具体的なものとして1とございますが、震災時における救護活動の拠点または被災者の一時収容施設となる学校、病院、それから震災時の消火、避難誘導、情報伝達、こういったような防災業務の中心となるところの消防署、警察署等の官公署の建築物については、これを五十二年までに耐震に対して十分な措置をしてまいりたい、このように考えておるわけでございます。耐火の点につきましては、現在若干まだ未解決の点がございますので、今回においてここからはずしてございますけれども、一昨日浜田教授からいろいろ話をお聞きいたしまして、こういうふうな点についての方法もほぼ確立してまいっておるようでございますので、この次の計画時点では、耐火の点についても入れてまいりたいというふうに考えておるわけでございます。  それから次の2につきましては、これは線の関係になる河川、堤防、橋梁その他の公共施設でございますけれども、こういうふうな点についても心配のないようにしてまいりたい。それから橋梁のかけかえ補修、歩道橋の落橋防止、こういったようなものも一〇〇%五十二年までに完成したい。  それから上下水道その他の地下埋設物でございますけれども、上下水道の整備も五十二年度までに水の心配のないような方法考えていきたい。共同溝は非常に大きな問題でございまして、現在でも東京都内での共同溝の設置関係は非常におくれておる関係でございまして、この関係は一応首都高速道路、地下鉄の整備に伴って措置をしてまいりたいというふうに考えておるわけでございます。  それから4の公共建築物の耐震診断でございますけれども、これは五十二年までに終了させるとともに、それはロスの地震にかんがみまして、窓ガラス等の落下物の安全性の調査もできるだけ早く終わらして、それに対する施策を講じていきたい。  それから地盤沈下の防止につきましては、五十二年度までに、江東、城北地区については工業用水道の整備をはかって、地盤沈下対策を講じてまいりたい。  それから課題七の(4)の項目になるところの火災等の防止でございます。これはまず1にございます出火防止でございますが、ここのところではまず各項の具体的な点といたしまして、下のところiにございますように、まず火気使用設備、器具それから危険物の個別対策、こういったようなものといたしまして家庭用の火気使用設備、器具、こういったようなものを重点に安全装置の開発、規制、普及をはかっていきたい。それから大規模屋外タンク等の危険物施設等については、耐震性に関する調査研究を進めて、施設、設備の安全化をはかっていきたいということでございます。  次に一一ページに参りまして、iiといたしまして、事業対策あるいは地域対策、こういったような点で都民の自衛力それから防災行動力、こういうふうなものを一そう向上させて、そういうふうなこと等からこの点の関係施策を進めてまいりたい。それから既存の民間の古い木造住宅あるいは都営木造住宅の建てかえ等によって、不燃化の促進をはかってまいりたい。  それから、次が初期消火でございますが、これにつきましては、家庭、事業所それから地域における自主消火体制を育成強化いたしまして、初期消火体制を確立することを目標として、次の事業を推進していきたい。  その一つは、初期消火に有効な消火器具等、こういったものの開発の促進、普及をはかっていく。消火器の配備につきましては地域、世帯、こういう関係を五十二年度までに完了をさせてまいりたい。それからiiといたしまして都民の初期消火行動力を高める、こういったような点での具体的な指導基準を作成したり、あるいはそのための防災移動教室あるいは訓練用器材の整備をはかっていきたい。それから次のiiiとしましては、事業所の自主防災体制の強化をはかっていくための施策が以下述べられておるわけでございます。  それから一二ページに参りましてIVとしまして、地域の防災活動の中核となる消防団員の指導力の向上を考えておるわけでございます。  それから3の火災の拡大防止でございますが、これは震災時の同時多発火災に対処するために、初動体制あるいは活動体制の確保に必要な事業を推進するというふうなことで、地域住民の安全確保、それから地域の延焼危険度に対応した消防力の整備をはかっていくというふうなことで、まずそのところでは各種の未解決の事項を究明をして、延焼要因となるところの危険物の排除とか、地下街等の査察機動体制の整備をはかっていく、あるいは初動体制及び消防活動体制の確保として消防待機寮、無線通信機構等の整備をはかる。また要消火範囲——これは避難路等で延焼火災があった際に住民避難していくときに、その延焼火災等で安全が保たれなくなる可能性のあるような、そういったようなところを要消火範囲というふうに指定いたしまして、そこにたとえば消防力を集結をして、その部分が延焼火災を起こさないようにというようなこと等を考えるわけでございますが、それを要消火範囲といっているわけでございます。そういったところの防護体制強化のために、車庫つきの待機寮とか、あるいは可搬式の動力ポンプの整備等につとめていきたい。それからまた、消防水利対策として、防火水槽あるいは貯水槽等の増強、公園等の公共施設内に貯水槽等の設置をはかってまいりたい。現在では都市公園等にいろいろの設備を施したり何かができないような状況になってございますが、こういう点については、やがてまた皆さま方にその法制化等についていろいろ御協力をお願いすることがあろうかと思います。  次に一三ページに参りまして、消防団の活動体制とかあるいは資器材の整備とか、それからまた危険物、有害物の安全確保のために基礎的な調査を進めて安全基準を確立し、それから監視指導体制を整備していく。  それから救急救助につきましては、震災時の建物倒壊あるいは落下物、パニック、それから火災等によって多数の要救助者が発生するということが予想されますので、特に倒壊率の高い地域、それから地下街のある十三区を整備地区といたしまして、そこでの特別救助隊の整備をはかって救助体制の強化につとめてまいりたい。  それから、次が七つの課題の第五番目に当たる避難場所等の安全確保でございますが、広域避難場所については、御案内のとおり、都では百二十一カ所を指定しているわけでございますけれども、これに対するところのいろいろな、水とかあるいは食糧とかいった等の施設等がこれに伴わなければ十分とは言えないわけでございますが、そういったような点については現在調査中でございまして、五十二年度までにこれを整備をしていきたい。また、現在百二十一カ所指定してございますけれども、そのうちの約三分の一が民有地でございまして、その間におきましていろいろ住宅等がそこにできていったりして、広域避難場所として適当でないような状況が現出したりする。それがまた安全化の問題において問題になるところでございますけれども、安全確保というふうな見地から、今後こういう点での措置をしてまいりたい。この点については計画から実はまだはずされておりますけれども、これは今後の課題として、五十二年度までにはその関係についても解決を持てるように措置をして言いりたい、このように考えておるわけでございます。  それから、もちろん広域避難場所の周囲には災害防止帯を設定して、その不燃化の促進をはかっていくということが当然そこでは措置されるわけでございます。  避難道路につきましては、大体今年度一ぱいで避難道路の指定をいたしまして、そして避難の安全化をはかってまいりたい。避難道路ができますれば、それを安全化というふうな観点から、避難道路の両側に必要な個所には災害防止帯を設定をして、その安全強化につとめていくというようなことを考えておるわけでございます。  それからまた、その他の措置といたしまして、その両側のところに消火器の設置あるいは消防水利の整備というようなことも考えておるわけでございます。  それから、七つの課題の六番目の防災体制の整備でございますが、従来の防災体制は、冒頭にも申し上げましたように、どちらかといいますと風水審等を主体にしておりまして、風水害の場合はこれは予知できるわけでございますので、その時点でいろいろの準備ができるわけでございますが、震災は突発的に起こるものでございますので、常時そういうふうな点についての活動体制を持っておかなければならぬというふうなことから、職員の動員体制といたしまして二十四時間の勤務体制をとる措置を、これは消防庁、警視庁におきましてはそういうふうな措置がされているわけでございますけれども、行政の面につきましてそういうふうな措置をとられておらなかった分野につきましては、そういうようなことを講ずるように措置をしてまいる。  それから情報連絡体制につきましては、従来は都の無線通信につきましては都とそれから警視庁、それから東京消防庁、特別区、三多摩地区の五つの市の間を結ぶ一波だけしかございませんで、そのために非常に情報連絡の面で円滑を欠いておるわけでございますけれども、この点につきましては、五十二年度を目途にいたしまして、無線通信の体系を中心とする情報連絡体制の整備確立をはかっていきたい。  それからなお防災体制の整備につきましては、現在策定中の応急対策を中心といたします地域防災計画におきまして、都の地域におけるあらゆる機関との総合的な体制下の中で充実強化をはかっていきたい。  それから最後に、七つの課題の七番目に当たります都民の協力でございますが、これは申し上げるまでもないことでございますけれども、都としては不断の防災教育、それから防災思想の広報普及活動を積極的に推進していくとともに、都民の自発的な防災組織の育成につとめていきたい。それから防災教育、防災組織が震災時に実際に効果を発揮するために、都民または事業所が参加する震災訓練を実施いたしまして、またそれぞれの防災組織が行なう訓練を指導する、こういったようなことによりまして、震災時におけるところの行動の習熟をはかってまいりたい。  こういうようなことで、一応七項目を実際の計画の上では具体化をはかっていくように考えておるわけでございます。  ただ、この計画の中で未計画の部面で非常に重要なことが抜けておるというふうなのが、その七項目の未計画事業というふうなところに表示してあるのでございますが、一五ページをおあけいただきたいと思いますけれども、いま一応必要なことで抜けているものとしまして、一つは危険地域の整備でございます。これは先ほど来から申し上げているようなことで、四十九年度で地域の危険度の測定結果によりまして、危険地域の指定を行なうわけでございますけれども、その危険地域が指定されますと、それについてのいろいろの防災措置を行なっていくにつきましていろいろの助成措置がとられることになるわけでございます。その関係の経費等は相当膨大なものになろうかと思いますが、それが抜けてございます。  それから避難場所、避難道路の安全確保につきましても、先ほど来御説明申し上げましたようなことで、避難場所の確保というふうな点で、その避難場所の中にある木造家屋の買収といったようなこととか、あるいはその周辺の災害防止帯の指定に伴うところの助成措置とか、あるいは避難場所の給水、備蓄施設の整備とか、こういったようなこと等が現在抜けておりますので、それらの点を入れればなおまた事業費等はふくらむというようなことになります。  なおまた防災指令室の設置につきましては、これは災害対策本部用の常設の場所、それから資器材、こういったような点では欠けておる点がございます。これは現在都庁の第三庁舎を建設中でございますが、その中でそれを整備していきたいというふうに考えておりまして、その間の関係事業費が抜けておるというような状況になっております。したがいまして、現在では約一兆二千億というふうなことになってございますけれども、この点につきましては、なおこの計画にいま抜けたような関係等を入れていけば、相当の経費がまだふくらむ可能性があるというふうなことでございます。なおまた第二段階に至りまして、面的な整備をその中に考えていく段階におきましては、経費等につきましてはもう一度その点について、試算をしなければならないような状況になろうかと思うわけでございます。  早口で御説明を申し上げましたけれども、一応東京都の震災対策については以上でございます。  最初に申し上げましたように計画でございまして、これから具体化の中では、ただいま申し上げたようなことでいろいろと法制化の問題あるいは助成措置等の問題につきまして、国あるいは皆さま方に直接いろいろと御協力をお願いする部面があろうかと思いますが、今後ともよろしく御協力のほどをお願い申し上げまして、お話を終わりたいと思います。(拍手)
  8. 大原亨

    大原委員長 ありがとうございました。  これにて参考人からの意見聴取は終わりました。
  9. 大原亨

    大原委員長 各参考人に対して質疑の申し出がありますので、順次これを許します。深谷隆司君。
  10. 深谷隆司

    深谷委員 きょうはたいへん貴重なお話をありがとうございました。私は東京出身の代議士で、しかも下町の浅草というところに住んでおりますから、特にこの地震による災害については非常な関心と不安を持っている一人であります。  そこで高山先生にお尋ねをいたしたいのでありますが、昭和四十三年の十勝沖地震の際に火災が相当発生をいたしましたが、そのときに先生方が追跡調査をされまして、出火の原因についてお調べになったところが、その四〇%は石油ストーブから起こっておるということが明らかになったようであります。特に、たとえば当時の記録でいきますと、十和田市の全世帯の一五・八%の家庭が石油ストーブを使った場合に、このうちの一・三二%が出火した、こういうふうな形で出ておるわけであります。これをそのまま東京に当てはめて考えてまいりますと、実に六千六百件に及ぶようなそういう火災の発生というふうに推定をされるのではないかと思うのです。しかもこの十勝沖地震の際は五月でございましたから、比較的石油ストーブを使っていない時期で、これが相当量使っているような冬の時点で起こったような場合に、もっと大きな火災というものが東京都内で発生する可能性がある、大体三百万世帯以上の世帯の中で七割が石油ストーブを使っているような、そういう時期に起こったとすればたいへんな火災になると思うのです。しかも東京の場合に、そればかりではなくて車が相当量あるということや、あるいはガソリンスタンドであるとかプロパンガスであるとか、いろいろなさまざまな出火要因というものがございますから、たいへんな惨事になるのではないかと思うのでありますが、この点についてどのようにお考えになっておられるかお尋ねします。
  11. 高山英華

    高山参考人 先ほどもちょっと触れましたが、要するに、関東震災のいろいろな経験で、震度その他の実験参考としては非常にあれなんですが、火災になりますと、先ほどたびたび申しましたように、関東震災とか空襲のときより非常に潜在的な出火の原因が多くなっているのはいまのお話のとおりで、現在の被害予測のときは、それよりも控え目の形で延焼や何かをやっておるわけです。  それから関東震災とか戦争中のとき、特に戦争のときあたりはだいぶ自家消防で消せた。ですから、先ほど申しましたように、一方では、その後対策としてはひっくり返らない石油ストーブの研究というのがあります。そういう形で、物理的に火災にならないような器具の改良というような方向の問題が一つ。これは、要するに都市安全管理ということからいえば、震災じゃなくて、もうそういう暖房問題をどうするかということに返ってくるわけですね。要するに地域暖房のようなことを思い切ってどの範囲までできるか。それから、先ほど言いましたように、電気に切りかえて、それをもとであるときに切ることで出火原因を減らすとか、そういう政策が、先ほど言った応急対策としてこれならどの程度までできるか、そういった形でいま研究を進めておる方面もあります。  ですから、少なくともいまの出火原因、同時多発の出火に対する予測は、現在の被害予測のときよりはもっと多くなるというのは、われわれ専門家の間では常識になっておるわけです。ですからそれを、要するにそういうメーカーのほうの政策、公害でいえば発生源ですね、発生源規制というふうな形でメーカーが安全なものとして製品を売り出すという形にするか、あるいは地域暖房のようなものに切りかえて、もう少しコントロールがきくようなふうにするか、あるいは先ほど言った危険地区だけについても、そういうところの地区については特にそういう調整をして、そういうものを切りかえるとか、それから電熱のような形で、これも電力の関係が非常にあると思いますが、防災という形で一元的にストップさせるような方法考えるか、そこら、先ほど申しました科学的な分析をして大局的な戦略、判断をするということの一つだと思います。
  12. 深谷隆司

    深谷委員 昭和三十九年の地震のときに昭和石油が火災を起こして、これが相当大きな被害を与えたのですが、石油化学コンビナート、これは、東京の場合を考えて、隣にすぐ川崎があります。この川崎なんかを例にとりましても、たとえば事業所だけでも九十四カ所、それから石油関係の危険物だけでも六百八万九千キロリットル、液化石油が三億八千キログラム、アンモニアなんかの毒性のもの等を含めますと、ちょうど火薬庫をかかえているようなそういう状態であるわけです。こういうものに対する危険度というのはたいへんなものだと思いますが、対策としてはどういう点を考えていったらいいのか。たとえばパイプを締めるということもあるでしょうが、これもある方面に聞いてみましたら、ちょうどコンベヤーをとめるように簡単にはいかない。一時間ないし二時間ぐらいの時間がかかる。そうすると、火災発生して連続的に爆発など起こした場合にはもう手の打ちようがないのじゃないだろうか、そういうような心配を持つわけですが、この点についていかがでしょうか。
  13. 高山英華

    高山参考人 それも私の研究室で一番初めその問題に取り組んだのは四日市なんです。それで、公害と同じように災害を四日市を例にしてやった報告書が出ておりますが、結局一番素朴に言えば、コンビナートのそういう石油、今度の徳山も同じなんですが、発生源の工場自体の防災性の問題、これはだいじょうぶだといっていた徳山でもああいう事故がありますし、新潟の場合はタンクから漏れたのに火がついて、かなり長く燃えておりまして、その隣の住宅地が、私も実際燃えているところに行ってみましたが、やはり輻射熱その他で延焼のおそれが非常にあったわけですね。ですからタンクの構造その他で発生源の、これは通産省の所管になると思いますが、そういうもの自体の、労働条件じゃなくて、火災災害条件の点検とその規格というようなものでやることが一つ、それからいまとなってはそれだけで常時ストップするわけにはいきませんから、結局素朴なあれですが、緑地帯で延焼を防止するという考え方ですね。今度の京浜のコンビナート地帯の調査を昨年から続けて、いまも、これは経済企画庁の調査費だと思いますが、われわれの間でやっておりますが、その危険度というのは非常に高く出ておりますが、それはやはり京浜地区の要するにスクラップ・アンド・ビルド、要するに再開発ですね、これはどうしてもあらゆる意味でやらなければいけない。そういうときにやはり一番効果的にやるのは、工場ベルト地帯と後背の住宅市街地との間に、かなりな遮断防災帯というものをつくるという提案がいま出ております。それはかなりなお金がかかりますが、大体の構想まで入れた報告が出ております。今年引き続いて調査しておりますが……。日本鋼管が今度海へ出ますね。あれもいろいろ公害の問題で横浜、川崎市との間の提携がかなり問題になっておりますが、防災的には結局運河を隔てて外へ出るということで、鋼管のあと地をこの際非常にうまく防災的に利用する、そういうことで解決するよりしようがないのじゃないかというような考え方です。
  14. 深谷隆司

    深谷委員 どうもありがとうございました。  赤羽総務局長さん、去年まで都議会におりましたからたいへんなつかしいんですが、東京のようにすべての機能が集中しておりますと、言ってみれば、ここの災害というのは心臓をぶすっとやられたようなそういう非常に大きな影響があるわけで、東京都としてはこれに相当力を注いでいかなければならないし、若干その点についてはおくれをとっているような感じもしないではありません。特に東京消防庁がさまざまな調査をして、それからあるときは、東京理科大学の浜田教授の試算で、台所から起こってくる火災というのは七百三十件ぐらいだ。そのときにいろいろ試算をなさって五十六万人ぐらいの死者が出るんじゃないだろうか、こういうような数字を出したんですね。ところが、先ほどお話がありましたように、たとえば石油ストーブはこの数の中に入ってない。大体三百万世帯のうちの七割、冬場の場合七割で石油ストーブを使っていると考えた場合に、単純計算でいくと、十和田市の場合などを基礎にして考えてみると、実に二万九千カ所ぐらいの火災が同時に発生する可能性がある。そうすると台所の火から起こった場合を想定して五十六万人の死者が出るというような数が出ておるわけでありますが、これに石油ストーブの火災なども加えますと、たいへんな数になるのではないだろうか。そういうような死者の数を想定するというのもおかしな話でありますけれども、こんなふうな推定を東京都でお考えになったことがあるのかどうかお尋ねしたい。
  15. 赤羽嘉郎

    赤羽参考人 お答えいたします。  御指摘のとおりでございまして、大体消防庁の試算では、十勝沖の出火率を東京都に持ってきた場合、石油ストーブの関係で約三万件ぐらい火事が起きるのじゃないかというふうなことでございます。そこで実は先ほどちょっと申し上げたのですが、この予防計画をつくることは実は義務づけられているわけですけれども、これを立てるのにどうやって立てていったらいいか、これは昨年ちょうどいまごろ実は非常に苦労をいたしました。御指摘のあった三万件というふうなことをこの中で考えていきますと、計画はとても立たないというような状況でございます。そこでまず石油ストーブの問題、これに対する考え方をきめないと、とても計画ができない。そこで実は消防庁のほうともいろいろと相談をしておりまして、これは御案内と思いますけれども、昨年の四十七年の定例会で火災予防条例を改正いたしまして、そしてこの七月で、安全装置つきといいますか、地震でそれが倒れたり何かしてもそこでもって火が消えてしまうといいますか、そういうふうな安全装置つきの石油ストーブ、こういったようなものでなければ市販してはならない。この七月からそういうふうな禁止をするような条例をつくったわけでございます。それでもって一応ことしの七月以降はそういうふうなものが出回らないという形になるわけでございますけれども、今度いままで買ってあるもの、こういったようなものについてどうするかというふうな関係で、これは消防庁の考えでは、いままでの石油コンロというのは大体五年で買いかえているということだそうであります。もちろんこれについては例外等があろうかと思いますけれども、そういうことから大体五年後には石油ストーブからの火災はなくなるのではないか、こういうふうな実は想定ができ上がったものですから、それを一応基本にいたしまして初めて今回の予防計画というものができたと言っても過言ではないわけでございます。ですから一応一面では、先ほど申し上げましたように河角博士の六十九年説から一応五年というのを押えたような形でもございますけれども、また一面実は石油ストーブ関係、こういったようなことから実は五年という数字がそこのところに押えられてきたというのが実情でございます。  したがいまして御指摘のように、いまここでもって地震があったという場合につきましては、実際率直なところを言いまして、それによって三万件がはたしてそのとおり起こるかどうかという問題もあろうかと思いますけれども、この石油ストーブの関係を前提といたしますと、まずその計画自体が立たないというような状態でございまして、われわれといたしましては、一応五年後には石油ストーブ関係からの出火率というものはほとんどゼロに近くなる、こういうふうな想定のもとに予防計画が立てられているというふうなことで、まあうちの知事はこの七月以降、要するに前の製作のそういう石油コンロについてはなおよく調査をして、ときによればそれを全部都が買い取ってもいいんじゃないかというようなことも言っておるわけでありますけれども、今後の検討の上でその点については対処してまいりたい、このように考えておるわけであります。  以上でございます。
  16. 深谷隆司

    深谷委員 時間がありませんのでちょっと先を急ぎますが、現状では二、三百万人の人が死ぬのではないかというふうな予想が立てられておりまして、非常に重要なことであります。先ほどもお話がありましたように、たとえば地域暖房についても積極的な対策をお考えになるとか、ひとつぜひ早急にこれらの問題に片をつけていただきたい、こんなふうに思っています。
  17. 赤羽嘉郎

    赤羽参考人 被害の関係についてちょっと落としましたけれども、それでは三万件等あった場合、現在の場合だったら被害はどのくらい起きるかという問題でございますけれども、実はこの点につきましては、計画をつくる段階でほんとうは何といいますか、地域危険度を暫定的につくり、それによって暫定的な被害想定をしたらどうかというような話も実はあったわけでありますけれども、しかしいまお話がありましたように、どのくらいになるかわかりませんけれども、いずれにしても五十六万人プラスアルファという形で、こういうような形だけでものをやるということは非常にショッキングな影響を与えるのではないか。先ほど申し上げましたように地域危険度、それから被害想定自体が今年度で出るという状況であるならば、そこらの点についてはむしろ災害の態様に基づいて計画をつくったほうがいいのではないかというふうなことで実はやってきたような状況で、被害想定自体につきましては、現在のところ私のほうで実は試算をしてございません。
  18. 深谷隆司

    深谷委員 一般都民、一般国民に与える影響を考えると、死者がどの程度出るかなどという推定は、それは避けるべきだと思いますが、たとえば千葉大の清水教授は一千万人ぐらい死ぬだろうという予想を立てたり、いずれにしても相当な数に及ぶ可能性があると思いますので、ぜひただいまの点について検討を急いで進めていただきたいと思います。  特に地盤沈下の激しい、先ほどもお話がありました江東地区ですね、水面から三メートル以下というふうな地域もございます。こういうところは地震それから火災水害、三重苦を受けなければならない。これは非常に大きな問題であるわけです。この間、建設局の河川部が四十七年にこれらの河川についての堤防を調査いたしましたが、そのときに十七河川ですか、その中で関東大地震クラスに耐えられるというのはほんとにわずか〇・三%といったような、そういう数字が出ておるわけです。この堤防の補強、改良といいましょうか、このことを急がないと江東地区での惨事というものはたいへんなものです。この点についてどのように考えておられるか。また大体めどをどのくらいに置いて安全性を考えておられるか、お尋ねしたい。
  19. 赤羽嘉郎

    赤羽参考人 先ほど計画の中で、その点についてちょっと飛ばしたような形で恐縮だったのでございますけれども、いま御指摘のありましたように、都の建設局の河川のほうで計画しておるのは、一応十カ年でこれを補強するというふうなことで、それでいきますと大体五十五年だったと思いますけれども、その完成予定になってございます。それではちょっと長過ぎるのじゃないか、可能ならばこの五カ年でそれを整備すべきだというふうなことで再検討を願って、一応五十二年度まででこの関係については完成したい。要するに、内部河川の護岸の整備というふうなことで現在は考えております。  それからその他の点では、いまお話がありましたのは護岸だけとは限らない関係だと思いますけれども、いまお話しの地盤沈下関係等につきましては、先ほど申し上げましたように、一応五十二年度までで工業用水の関係を整備することによりまして、くみ上げ等の規制を行ない、地盤沈下を食いとめることによって、その関係の補強をしていきたいというふうに考えておるわけでございます。
  20. 深谷隆司

    深谷委員 先ほど十七河川と申しましたが、十九河川の調査で、両岸延べ八十一キロの堤防ですね。その中でわずか〇・三%しか関東大地震程度のものに耐えられないという状態で、五十五年というお話がありましたが、私、それについてはたいへん危惧を持っております。どうぞひとつ、この点についても鋭意急いで検討を加えていただくようにお願いしたいと思います。それからさっきの火災に関連いたしますが、現在の東京消防庁のいわゆる機動力といいましょうか、これは二十三区の火災に対して、大体一日二十五件程度の火災を想定しているわけですね。これだと地震が起こったときに完全にお手あげだ。てこで、この間から江東だとか墨田区で市民消防豚というような組織をつくろうとし、またつくったところもありますが、こういうような形のものを全区的に広げていくというようなお考えもあるのではないかと思うのですが、これらについての目標はどういうふうに、いつごろに置いておられるのか、お尋ねしたい。
  21. 赤羽嘉郎

    赤羽参考人 いまお話しの件でございますけれども、実はそれが全区的にいき得るようになれば非常にいいと思っておるのでございますけれども、この組織化の関係、非常にむずかしい関係がございまして、一応最近できたいわゆる消火隊ですか、こういうふうな形ででき得ればいいと思いますけれども、その区によりまして、その地域のいろいろな事情等によって、その組織等についてはそれぞれの地域の実情に沿ったかっこうでもってつくらざるを得ないじゃないかというふうなことで、現在はその点については検討中でございまして、しかしいずれにいたしましても地域のそういう防火組織は必要なわけでございますから、今回消火隊ができた。それを一つのモデルにしなからそういう問題について普及を考えていきたいというふうなことで、実はそのパターンにつきましてはいろいろのパターンがあるのではないか。それは実はそれぞれの区市町村長の権限でございますけれども、その関係については幾つかのモデルをつくって、そしてその地域の実情に応じてそれを選択をし、そして普及していきたい。特に江東、墨田等の江東六区のほうの関係等につきましては、より強力なものをつくっていかなければ対応はできないのじゃないかという意味におきまして、消火隊のようなモデルが一番ふさわしいんじゃないか、そういう意味において今回それができたことは、今後そういうふうなものを進めていく上で一石を投じたようなことだと思います。  御指摘のいつまでということにつきましては、われわれとしては五十二年までにやりたいと思いますけれども、ただパターンとしてはそれだけという形でない、それぞれのいろいろな形がそこで考えられていくでしょうから、そういうふうな点については実情に応じた組織をつくってまいりたい、このようにいま考えておるわけであります。
  22. 深谷隆司

    深谷委員 先ほどお話のありました東京都の震災予防計画、これは国との関係が相当大きいと思うのですが、国との調整、そういう点についてはどのようにやってこられたのか、ちょっとお尋ねしたいと思うのです。
  23. 赤羽嘉郎

    赤羽参考人 これについては先ほど高山先生もおっしゃられたわけでございますが、そういうふうな調整が容易に行なわれるとすれば、実のところを言えば、もっと前にこういうふうな関係についてはできておったかと思うわけでございます。それで、そういうふうな点について調整と申しますか、これは一つには震災関係についてはきわめて未知の分野も多かったことも事実かと思いますけれども、また横の連絡等がなかなかうまくいかないという点もあったかと思います。そういうふうな点から、東京はまず都が条例をつくって、そしてなすべきことを明確にすべきだということから条例ができたいきさつがあるわけでございますけれども、われわれといたしましては、まず都の行政の責任である東京都がこの点についてイニシアチブをとってやっていくべきだ。そしてそれを根幹といたしまして、これに枝葉をつけながらより充実したものにしていく、こういう方法をとらなければいつまでたってもなかなかできないのじゃないか。こういう意味におきまして、まず都がそれについてえ考られるだけのことを考えてそれを計画化した。  これを基本にいたしまして、次の段階といたしまして、横にというのは、先ほど申し上げましたように地域防災会議の他の構成員との関係の調整をし、それから上下の関係——上下というとおかしいのですけれども、国それから市町村との関係の調整、こういうふうな中で、それにいろいろと肉づけをしていくことによって、その計画自体を完全なものに持っていきたい。いままでの段階では各局が、たとえば護岸とか橋梁とかそういったような関係等につきましては、建設局は建設省と連絡をとりながら、消防庁は消防庁で国の消防関係と連絡をとるというふうな形で、個々の行政単位が国と連絡をとり、あるいはまた市町村と連絡をとりというふうな形をもってやってきたわけでございます。ですから今度は地域防災会議の上で、各それぞれの構成単位として調整をとる。要するに、都は国との関係になるというような問題につきましては、たとえばこれは法制化をしなければならぬとかなんとかというような一つ大きな問題等になってきた段階で、こういうふうなものを調整していくということになろうかと思います。ですから従来の関係の中では、まず都がイニシアチブをとっていくということと、それから局と国の各省との連絡をとれる範囲のような点については連絡をとる。しかしこれが、たとえば立法化するというような問題については、地域防災会議でそういう調整をはかった上でもって、それを国にお願いするとかあるいは市町村のほうに云々するとかあるいは電気、ガス等の各企業者との連絡をとるとかというふうな形に持っていくということで、近く地域防災会議があるわけでございますけれども、その席上、そういうふうな問題については調整をとっていくというふうなことで、従来は個々に、あまり大きくない関係のことについての調整はとってきたけれども、そういうふうな点での詰めがまだ十分なされていないというふうな状況でございます。
  24. 深谷隆司

    深谷委員 ただいまの御説明よくわかるような気持ちもいたしますが、東京都の防災計画というのは国庫補助事業等も含めて相当国との関連が深いわけでございます。現在まで出された予防計画では、国との調整がかなり欠けているというような印象を実は私は持っているわけであります。先ほど高山先生から、災害に関してはイデオロギー抜きであります。そういうお話を伺ってそのとおりだと思いますから、これ以上申し上げるとかえって誤解を招くおそれがありますから申し上げませんが、相当関連が深いわけでありますから、積極的に調整を行ないあるいは話し合いを行なって、完全なものを国と自治体とがっくり上げていくという、そういう方向で御努力を願うようにぜひお願いをいたしたいと思います。  限られた時間でございまして、まだまだお聞きしたいことたくさんございますが、時間がございません。残念でありますが、どうぞ三先生におかれましては今後も鋭意御研究なさいまして、適切なアドバイスをわれわれにお寄せいただきますようお願いをして、御質問を終わりたいと思います。  ありがとうございました。(拍手)
  25. 大原亨

    大原委員長 残余の質疑は再開後行なうこととし、この際午後一時まで休憩いたします。    午後零時二十七分休憩      ————◇—————    午後一時二分開議
  26. 大原亨

    大原委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  参考人に対する質疑を続けます。金丸徳重君。
  27. 金丸徳重

    ○金丸(徳)委員 三先生お忙しい中をいろいろ貴重な御意見をお聞かせいただきまして、たいへんありがたいことでございました。   〔委員長退席、三ツ林委員長代理着席〕  実は本委員会におきましては、昨日来専門家の諸先生においでをいただきまして、地震対策などを中心としていろいろと御意見も承り、またお尋ねもさせていただいて勉強いたしておるのでありますが、要は、当面最大の課題ともいわなければならないわが国における地震対策、特に、これも必ずあると覚悟しなければならない関東地区東京を中心として予想されるような大災害を伴う地震に対して、できるだけすみやかに、またできるだけ万全の対策を練っておかなければならない。そのために政府はどうすべきか、また国会としてはいかになすべきかということの究明にあったのであります。  今朝来御意見を承っておりますと、どうもこのままの状態でおきますと、首都東京はたいへんな、それこそ手もつかぬような壊滅状況におちいり、人命の損害などもはかり知るべからざるものがあるように承れるのであります。  そこで、さりとて、いまいろいろお話の中に出てまいりましたように、東京都及び東京都を中心とする衛星大都市をも含めてのことでありますが、あらためて、地震に耐え得るような、災害を最小限にとどめ得るような都市計画を立て直すというようなことも、これは言うべくしてなかなか容易にできることではありません。時間的にも間に合わないことをおそれるのでありますが、そこで、そのことを前提として、何とか災害を少なくしなければいけないということが、私どもに与えられました当面の緊急の問題のように思われるのであります。そうして、その予想される災害は、地震から来る直接の災害はもちろんでありますけれども、しかしそれ以上に心配されるのは、関東大震災のどきにあらわれましたような火災による思わざる災害のようであります。そこで、この地震に伴う火災を、一〇〇%というわけにはいきますまいけれども、何とかこれを少なくする道を考えることができるならば、さしむき一番手っとり早い対策であり、そういう状況を実現しながら、東京都なりその他の都市都市計画を、あらためて永遠の安全を期する方針に持っていくことがいいように私は思うのであります。  そこで、火災をどうして少なくするかということになりますと、当然なこととして、いままで日本の建築様式が地震を忘れておったというところに誤りがあるのではないか。特に東京都などは、高山先生も強調なさっておられる、二度の災害を受けてもう三度目、今度こそは火災を前提としての都市計画でなければならなかったのが、案外そうでなかったということが、いま心配される次の災害における火災の心配となってあらわれてきておるのではないかと思います。言うなれば、地震国でありながら地震を忘れて都市計画が進められ、住宅が建てられ、事務所がつくられ、工場が分布されたというところにあろうかと思います。  そこで、問題は防火建築ということになるのでありますが、先ほどからのお話の中にもたびたび出てきたのでありますが、一体日本木造建築というものは、これは高層はできないわけですから、二階ぐらいまでの日本住宅というものは、ほんとうに耐震的にといいますか、地震に対して好ましからざるものであるのでありましょうか。もしそうでなくて、これは、日本の気候風土に対して長い間の生活の知恵として編み出された日本の建築様式であるとするならば、もしその様式の中で火災を防止することができるならば、これもいいのではないかと思われるのであります。どうなんでしょう。いまわれわれが国民に向かって言うことは、急いで防火様式の建築につくり直せということを言うのもたいへん大切だと思います。同時に、いまのでもいいから、そのかわり火事を出すな、火事さえ出さなければ地震もそうおそろしく思わぬでもいいのだということの宣伝といいますか、そういう言い方というものは専門家の先生方としてはできないことでありましょうか。高山先生、金井先生、両先生からまず御意見を承らしていただきたいのであります。
  28. 高山英華

    高山参考人 先ほどお話ししましたように、戦争中に木造不燃化という工法がとられたわけですね。それは戦時中でもありますし、木造一階建て、二階建てぐらいのものの外をモルタル塗りにして、開口部に防火雨戸をつけてやる、そういうのがとられましたけれども、ある学者の先生は、日本の国力ではそのぐらいでしようがないということで戦後も続けたわけですけれども、ある学者の先生は、戦後はもうそれを切りかえろ、そこで議論があったわけです。木造をよして、低層でも簡易不燃化じゃなくて、コンクリートその他のしっかりしたものにしろという議論がありました。  先ほど申しましたように、都市計画自体も、初めは後藤新平さんあるいは戦後も小林一三さんという人たちのときには、思い切ったことをやろうという案が必ず出たわけですけれども、それがやはりバラック復興、何しろ早く復興してかせがなければいかぬ、そういう思想に押されて、結局は都市計画も思い切ったことをしないし、不燃建築というのもそれを切りかえられなかったわけですね。ですから、いまも五十二年という目標は一つのゴールでありますから、それに向かっての応急策ということと、それは五十二年に起こるか起こらないかは別として、東京自体は先ほど申しましたように、平時についてもそういう不燃化にしておくことが将来の都市としては当然のことであるという考え方がごっちゃになると私はあぶないと思うのですね。国力からいってそういうことが無理だという考え方は、いまではたぶん計算すればないと思うのですけれども、いまの常識でいえば、やはりそういう庶民の住宅を補助して不燃化するのはできないという考え方が多いわけですね。だけれども、そのできないという程度は、やらないうちにできないとしているわけですよ。特に土地はともかく非常事態を宣言すれば——土地は生産するわけじゃないのですから、地価をあんなに上げちゃって、その上でそういう建物はできない、これはどこか大きなところで間違っているのですよ。前だって退職金で大体家を一そのときは木造にしましても、いまならコンクリートを建てるぐらいのことはできたわけですね。そういう根本の仕組みができないというような、いまの物価その他の問題をそのままにしておいて、それはできないから応急処置をしようという発想は、ぼくはやはり敗北主義だと思うのです。だから、もう一回根本的に生活環境都市を、これは日常生活においても整備しなければいけないんだ、たまたま大震災というものがあるからそれをきっかけにするんだというのが根本方針であって、それからあと五十二年という目標が一つあるから、その締め切りに間に合う程度には——その上に応急的にはどうするか、そういう発想にならない限り、そんな腰の弱いことではぼくは応急予算も取れないと思います。おたくぐらいのところがそういうことをもうちょっとがんばらなければだめですよ。応急策で何か名案があるかなんて思っているのは大間違い。この委員会がそういう腰の弱いことではとても相手にならないです。
  29. 金井清

    金井参考人 私のお話といいますか御返事は非常に小さいことでございまして、単に過去の経験に基づいての話でございますけれども、何らかの御参考になればという意味で御答弁申し上げます。  いままでの少なくとも日本の大きな震災におきましては、おことばにありますように、火災が、少なくとも災害というものを十倍あるいはそれ以上、関東地震もそうでございますけれども、上げております。でございますけれども、火災の点は、間接的と申しますか、起きまして建物がこわれる、建物がこわれればそれは火災につながる場合が多いわけでございまして、いままでの経験によりますと、地震による建物のこわれることで一番量的に大きかったことは、俗なことばで言えば将棋倒しなんでございます。一軒のうちが非常にじょうぶなものをつくりましても、さっきもちょっとお話が出ましたけれども、隣のうちとぶつかるというような問題に関連しまして、密集した市街地におきましては、隣のうちが寄っかかったために、それ二戸ならだいじょうぶのうちが倒れた、そういったことで破壊の災害を大きくし、それが火災につながったという経験はたくさんございます。極端なことばで申し上げますと、すべての地震でそうであった、こういうふうに申されると思います。
  30. 金丸徳重

    ○金丸(徳)委員 高山先生からたいへん元気のいい御返事をちょうだいしまして、また御意見を承り、心強く存じます。私どももそういうような強い姿勢で政府にも対し、国会の中でも論議を進めておるところであります。しかしきのうから承っておりましても、ことばとしてはあり得ましても、現実に具体化するということはなかなか容易のことではないのですね。そういうことを前提として、どうしたらいいかということから私はお尋ねいたしておるところであります。  問題は、いまの地震対策が非常に火事を心配する、火事を心配するというところから進められておるわけですから、そのために、まあ火事の心配さえなければ安心して木造家屋にも住めるのにもかかわらず、木造家屋は心配だということで逃げる姿勢が、かえってパニックのまた大いな激発要因にもなりはしないかと思うものですから、日本家屋、木造家屋それ自体心配ではないのだということをまず現段階においては市民の皆さんにもわかってもらって、たとえば木造住宅地帯を歩いておる人たちでも、それ、ここは火事が心配だと言って、消すことを忘れて、あるいは消すことを手伝うことを忘れて、わあっと逃げ出すようなことがあってはならないのではないか。通行人も一緒になって、もしか消し忘れた火があるならば手伝って消すことによって、その地帯も安全であるであろう、私はこう思うものですから、まずひとつ木造家屋に住む人も、木造家屋の近所に働く人もあるいはその近所を通行する人も、ゆらゆらと来た、あるいはかわらが落ちてくるかもしれないが、まず火を消そうじゃないかという気になってくれることの気持ちを持ってもらうことのほうが——差し向きその気持ちを持つことはあしたからでも役に立つことであり、先生の高邁なるきつい御意見というものは、あるいは三年、五年後には大いに役立つかもしれませんけれども、あすには役立たないと思うものですから、そういうことについて、もし木造家屋でも火事さえ心配がなければ安心して住みなさい、木造家屋自体は地震にそれほど心配ではありませんぞということを言っていただくことによって、私は、消防庁もその気になって防火予算を強く要求してまいるだろう、またわれわれ市民もまず逃げる前に火を消すという気になるであろう、こう思うのであります。いかがでありますか。
  31. 高山英華

    高山参考人 私の言ったこととそう食い違ってはおらないと思いますが、木造家屋が地震に対して案外強いということと、火事が起こる、特に大火になるおそれが非常にあるということとははっきり区別をして啓蒙しないと、木造家屋はだいじょうぶだというような——先ほど金井さんが言っただいじょうぶという中にはいろいろなとり方がありますので、むしろ木造家屋は大火になることが非常に多い、地震にはある程度補強をすれば、すぐぺちゃんこになるものは数はそうたくさんないというような言い方で、要するに初期消火の問題ですね。ですから、初期消火を第一義的の応急対策としては非常に強くやる。これは要するに、発火地点をいまの消防能力ではとても消せないということからも、そういう形でなければ、たとえば自動車も乗り捨てで、エンジンかけっぱなしで出るというのは要するに個人の責任で、大きな火元を一つ都市に残していった、それは罪悪だという考え方と同じように、自分の家が火事になれば、自分の家はもちろんですけれども、あたりの地区全体が大火のおそれがある、そういうような啓蒙のしかたでいっていただいたほうがいいんじゃないか。  一つの例ですけれども、戦争中は徹底的に、いまから見れば相当な形で疎開もして、木造住宅を、あれは防空という形で防ぐ手段をとって、なおかつ人為的の同時多発焼夷弾攻撃というものを受けたときの結果が、やはりああいう結果になっているわけですね。ですから、地震のときの発火よりも焼夷弾攻撃の発火のほうが強かったかどうかというような議論はありますけれども、結局あれは同時多発性のものを、あの程度の防空訓練のようなものでは防げなかったという歴史的の事実なんですよ。敵は今度はB29じゃないですからね。家の中の問題ですから、それを防ぐという方法はもう少し研究すれば、もっとこまかいところで防げるかもしれませんけれども、大空襲の教訓というのは、結局疎開ということでずいぶん間引きもしました。あのときもう大きなかたい建物はできないということで、いまよりもずっと強制的な間引きをして、防火帯をつくって、それから防火改修をやって、それから訓練のいろいろなものをつくって、いまから見ればずっと精神的には強い防護体制をとっていたわけですね。ハノイやなんかはそれをタコつぼのような形でやったわけですけれども。ところがB29の爆撃というものは、私も調査しましたけれども、かなり計画的同時多発性なんです。消防能力もそのころは低下しているということはありますけれども、逆に軍事的な命令系統は確立していたわけですね。しかし、ある程度同時多発性になった場合には、それが防げる限度というものをあれが一つ示していると思うのです。ですから、そういう意味では関東大空襲というのは、地震とは別に、火事の同時多発性の際の原始的消防の限界というものをある程度示しておりますので、私たちは直撃後の地震で倒壊する建物は少ないから、みんな何でもほっぼらかして逃げるというのはこれはよくないと思うのです。同時多発性をこれ以上またふやすわけですから。だからその最小限度の心がまえとして、自分の家の火を消せ、あるいは自分の前の自動車をどうかしろ、そういうことは徹底的にやる必要があると思います。  ただ木造住宅は安全だ、その安全、じょうぶだというのが、火事に安全だということでは絶対ない。要するに、地震直後に全部倒壊するという建物はどのくらいあるかということは、これまた調べてもけっこうだと思うんですけれども、少なくとも、これは金井先生の領分だと思うんですけれども、補強すればそんなにすぐ倒壊しないというところは、私も信じていいと思うんです。ただそれは、火事がどこかで出たときに木造住宅では防げない、大火になる、それまで安全だということはぼくは言った覚えはないと思います。
  32. 金丸徳重

    ○金丸(徳)委員 私も、大火事になったときに木造住宅が弱い、そのことはよくわかります。そのことではなくて、実は東京都民はかつての大震災それから大空襲、もうほんとうに大火事というもののおそろしさを身にしみております。したがって、火災というものはおそろしいものと思うと同時に、まず逃げることを本能的に考えているんじゃないかと思うんです。  ところが地震の場合には、これはたびたび言われておるように、初期消火につとめればある程度どころか相当程度防げる、大火事にもしないで済むのではなかろうか、こう思いますし、ことに自動車その他あるいは暖房用具の普及というようなことからして、状況はまた悪くなっている。そういうことを別にいたしますと、関東大震災のときよりもあちらこちらに大きな不燃建物ができておりますし、火事には守り得る体制、大火事を防げるような条件ができておると思います。  そこで、その他の条件を、たとえば自動車をどうするとか、ガソリンスタンドをどうするとか、あるいは暖房をどうするとかということを十分考えの中に置くと同時に、火事は消せるし火事はこわくないんだ、みんなで消そうという、まずその心がまえをあらためてここでみんなで持つことが第一の個人的な対策ではないか、こう思うものですから……。  ただ、せんだってもNHKでございましたか、火事があるんだ、そうすると、こういう状況の中ではおれたちもどうも生きていけそうもないという人がだんだんふえていって、八〇%にもなった、いうようなことを聞くにつけましても、少し火事に対する心がまえというものをおそろしいほうへ持っていき過ぎておるのではないか。それがまた同時に、地震というものはむやみとおそろしい——おそろしいには違いないんですけれども、よけいにパニックの原因にしてしまうんじゃないか、こう思ったからであります。  時間がなくなってしまうので、これをなにしておりますと困るから、先生の御意見もよくわかりました。  そこで、私は東京都のほうへお伺いいたすのでありますが、いまのような、高山先生もそうおっしゃっておられる。私は、特に初期消火というものに、これは地区住民はもちろんである、家の持ち主はもちろんですけれども、すべての人間がこれに従事することによってよほど違うのではないか、こう思うのでありますが、東京都の防災計画というものはどういう方向にこれを扱おうとしておられるのでありますか。  きのう私は伺ったのでありますが、これは群衆心理の関係からでありましたか、ある職場においては、地震が起きた、その職場を捨ててみんな逃げて家へ帰っちゃったというようなことがあった、えびのでありますか新潟かどこか知りませんけれども。もしそういうような前提とされて防災計画が進められるということになると、これはたいへんなことだと思うのですね。もちろん東京に起きた大震災についての対策、ことに消火対策というものは、家を持つ者であろうが歩く者であろうが、近所に職場を持つ者であろうが工場につとめておる者であろうが、その工場の消火が関連ありとすれば、あたりに飛び出していって消さなければならない。むしろそういう義務さえも課してもいいと思う。そういうような気持ちで、全員打って一丸となっての初期消火体制をまず考えるということでなければならないと思うのでありますが、いかがでありましょうか。  それにつけましても、先ほどからも問題になっておりました家庭暖房と同時に、いま一番私どもの気になることは、道を歩いている自動車、まるで発火点をかかえて飛び回っているようなものなんですから、これを一体どうなさるという前提の中でこの計画をお進めになっておられますか、承らしていただきます。
  33. 赤羽嘉郎

    赤羽参考人 初期消火の関係でございますけれども、あの計画の時点では、先ほど申し上げましたように、東京都の予防計画自体は、一応一番火災が起きやすいというような時点を選んで実は計画ができておるわけです。先ほど申し上げましたように、現在の発火点といいますか、たとえば石油ストーブなりを現状のままで考えた場合、これを統計的に見ると三万件も出火するというような状況で、しかしそれも東京都の想定では、五年後にはそういう関係のものは一応なくなるというような前提でつくられたりしておるわけです。それからまた、都市計画的なといいますか、面的な整備の関係については、地域危険度なりが出てから面的な整備を考えていきたいというふうに考えておるわけですけれども、いずれにしても相当な時間がかかるわけで、その間において一番手っとり早いのは、いま先生言われたように、そこで火事を起こさないようにするのが一番手っとり早い形であって、これでもって相当程度金をかけたとしても、これが実は一番安い行き方ではないかというのはうちの知事がよく言っていることなんですけれども、そのために相当程度の金を使ってもいい。しかし、これはさっき高山先生もおっしゃっておられましたけれども、それでもって絶対起きないという保障が実はないわけでして、各家庭が全部これは消すというふうになった場合には、実際問題としていろいろの火の操作上どうしてもそういうものをすぐに消しとめ得られないというものだけをつかんで、それに対する対策を講じていけばいいという形になるのですけれども、実際問題としてはなかなかそういうふうなわけにいきませんものですから、まず初期消火に力を——最初には出火の防止というふうな観点で石油ストーブに安全装置をつけるとか、まずいろいろな出火の防止に力を入れ、その次には初期消火というものをつけ、しかしそれでも絶対を期し得ないから、したがってそれらの火災が延焼していくといった場合に、それを拡大しないような措置とかいうふうな形で、いうなれば柔構造的な措置というふうなことで実はいまの火災予防計画はできておるわけです。  初期消火の関係について、ただ消火器だけがそのままみんな各家庭にあればそれでいいかといっても、今度はそれに対して十分な訓練がなければそれはできないというふうなことで、現在は初期消火自体にもまた——またというよりも、まず応急的な形ではそれに力を入れているという状況であります。しかしいま申し上げたようなぐあいで、それで全部絶対に防げるといういわれはありませんものですから、できるだけ消防力を増強していくというふうな形で考えておるわけです。  それから、先ほどお話がありました事業所等でもって地震があったときにみんな帰っちゃったという関係につきましては、やはり事業所自体が火災になりやすい条件を備えておるところとそうでないところとあるわけでありますが、たとえば危険物を取り扱うような事業所とかそういうようなところにつきましては、そういう事業所は事業所なりでの一つの企業内の消防組織といいますか、そういうふうなものをつくるように義務づけまして、そしてそれのための計画を出さぜるようにし、そして消防庁のほうでそれを指導するというふうな形で実は進めておるわけです。事業所等につきましても、一応ある一定の規模になればそういうふうな形でもってやるような指導を実は進めておるわけでございますけれども、特に当面は、そういう危険物を取り扱うような事業所においては、これは絶対といってもいいような義務づけと指導とを行なって、それに対応しておるというような状況でございます。  それから自動車関係でございますけれども、これは実は先ほどもちょっと——なかなかうまく表現できないものですからおわかりにくいかもしれませんけれども、私たちが一番考えたのは、地震関係で起きるいろいろの問題というのは、それを最も最悪の状態考えた場合には、これは絶対起きない、火災も起きない、倒れもしないという状況というのは非常に想定がむずかしい。何かを基本にしながら、そしてそれを部分の問題として追い込んでいって、そしてその解決をはかっていくというような形にせざるを得ないだろうというふうなことで、私のほうでは一応通常の場合であれば、行政の管理しておる面では、大体線とか重要な点とかいう形のものがそこにあるわけですから、まず行政が管理しておるところの線とかあるいは点とか、こういったようなものについては絶対に耐震、耐火、だいじょうぶだ、絶対ということはどの程度までいえるかわかりませんけれども、常識的に考えてだいじょうぶだという状況にまず置くことによって、そしてそれがだいじょうぶであるならば、その上に立って個々対策を練っていくということが可能になるのじゃないか。  よそのところを言って申しわけありませんけれども、かりに避難ということを考えた場合に、通常であるならば避難時に三キロ歩くということができる、老人でも一キロは歩くということができる。ただそれでもって一応距離なりをはかって、防災のための避難場所だとかあるいは避難路というものが考えられるわけですけれども、そのときにもし堤防の決壊一つがあった場合には、そこで三十センチなり四十センチなり水がつかる、それによって速度がえらくおそくなってしまう。そうした場合に、提防や何かがきちっとしておるとするならば、やはりすべてが三キロなら三キロとか一キロとかいったような速度でもってものが計算され、それに応じてその対策ができていくんじゃないか。そういう意味においてまず構造的に考えていって、その線それから主要な点、こういうふうな点をまず整備する。他の諸種の対策自体が、いろいろの過程が安全なものとしてそれをネグレクトすることによって対策が講じやすくなるというふうな形でもって、まず直ちにでき得るようなこと、そしてなおかつ行政が責任をもってやるべきことをとにかく五年間でやろうという形になっておるわけです。ですからいまの自動車関係等につきましても、ほかのいろいろな要素を考えていってみた場合には、この自動車の要素というものは、ただ、たとえば道路のところに走っておる自動車自体の火災だけをとめるということである、そこにもしも限定してこられるならば、これは物ですから、相当それに対する方策というのは考えられてくるんじゃないか。  たとえば自動車自体をいま発火点考えておるわけですけれども、それをたとえば電気自動車にしてしまうとか何かにしていってしまえば、そこで若干——全然心配がないとはいえないかもしれませんけれども、少なくとも現在ある状況よりもそういう点での発火点的な要素というものは非常に少なくなるんじゃないかというようなことも考えられるわけです。  それからまた、かりに火災が、ガソリン車であったとしてもガソリン自体は結局タンクがあるわけですから、たとえばタンクとかあるいは発火するようなところを何かでおおうことによって、これは私しろうとですからなんですが、そういうことによって延焼しないような装置だとか、そういうふうなくふう等も考えられてくるんじゃないか。ほかの諸条件を限定していくことによって、ある部分的なもの、それだけ考えていくというような状況に持っていくならば、そこでのいろいろな開発だとか何かとか、あるいは警視庁がそういうものを規制したり何かしていくことも容易になっているんじゃないかと考えておるわけです。いまのところ震災予防計画の上では、警視庁自体としては、まず火災時にはすぐにとめて、そして左側に寄ぜる、そしてまん中をあけることによって、消防とかその他救急用のいろいろな自動車等通れるようにするとかいう指導だけをしておりますけれども、それで終わるというわけではなくして、もろもろの計画自体がその間にできてくる中でもって、それを一つの条件としながら、警視庁自体が車の規制についていろいろの方法考えていくというふうになっておるわけです。特に車の関係、車自体というものは、結局、早くいえば運転手がいて、そして車を動かしたり何かしているわけですから、その運転手とそれから自動車というふうな両方の部面から考えていくようになると思うわけです。たとえば地震が来て、そうしてとめて左側に行く云々というようなことにしても、実際問題としては、そういう状態が起きれば、すぐそのまま飛び出ていってしまう。こういうものを今度警視庁自体が平素の訓練の中で、そういう場合に必ず、たとえば左側に寄せて云々というようなことも相当の訓練なり何なりを要しなければできない問題であるし、また、その他のいろいろの強行の措置等はその中で考えられていくのじゃないかというふうなことで、警視庁自体はそういうふうな部面では、一応いまのところはただ、地震があったらとめて左に寄せるというだけでございますけれども、しかし、それで終わっているというのじゃなくて、いろいろの他の部面等を現在検討、考究しておる、こういうふうな状況であるということでございます。
  34. 金丸徳重

    ○金丸(徳)委員 実は私のちょうだいした時間を過ぎてしまって残念でありますが、いまの自動車の問題その他につきましては、もう少し掘り下げてお尋ねいたしておきたいと思うのであります。といいますのは、暖房用具についてさえも倒れないやつという条件をつけておる、つけなければならないような状況であります。とすれば、自動車をガソリンでない——東京都に持ち込む自動車はこれからは、ガソリンでもいいのだけれども、発火の心配のないようなというような、何か条件をつけるような方針を立てておきませんと、ほんとうに一番火災の心配のあるといいますか、発火点の重大なる一つである自動車というものをいままでのままに置いていろいろ対策を立てようとしても、これは容易ならぬことじゃなかろうか、こう思うものですから、お伺いいたしたところであります。  そのほか水の問題、食料の問題あるいは地下道の問題など、どういうふうに対策を練っておかれるか承りたいのでありますが、いかにも時間がございません。  ですから、最後に私は一つお伺いいたしたいのでありますが、この大事な計画というものは、これは東京都独自でお立てになって、中央政府のほうには詳しい御連絡その他はなかったように先ほど承ったのでありますが、しかし、何といいましても東京都はほかの都市と違って、これは日本の政治経済の心臓部なんですから、ただ単なる東京都民の住まいのところだけじゃない、あるいはしあわせを求める拠点だけではないので、むしろ日本国民全体の頭脳中枢になっておるところの東京都なんですから、その防災計画というものは中央政府と十分連絡をとりながら、中央政府のほうの重大なる協力、援助を得てやるべきではなかろうかと思うのであります。実は先ほど私は、職場における皆さんの協力も得てということも申し上げたのでありますが、そういうことでもあった。ここに何百、何千の全国関係する官庁、会社があります。ただ自分の会社だけ、自分の受け持っておるところの役所の仕事だけをやって、その役所だけを守るということであってはなりません。中央政府の役人といえども、どこどこ会社の本社の人といえども、全部の人たちがこぞって、東京都の計画なさるところの防災計画にできるだけの協力をする、またその協力を求めるという前提の中でこそ、ほんとうのいい対策が練れるのじゃないかと思うのでありますが、これについてはどういうふうなお考えであるか、これを承って、私の質問を終わります。
  35. 赤羽嘉郎

    赤羽参考人 先ほど深谷議員の御質問にもちょっとあった件でございますけれども、それと私が先ほど冒頭申し上げましたように、この震災予防計画は、実をいいまして地域防災計画の一環をなすものであるわけでございます。したがいまして、当然にこれは、東京都の地域防災計画というふうなのにいく一つ部分をなすもので実はあるわけでございます。近くそういうふうな地域防災会議を開くわけでありますけれども、そこで、いまちょっとお話のございました、他のいろいろな領域の構成員がいるわけでございますが、そこからも震災予防計画が出されてくるわけでございまして、そこでもって会議の上でそういうものの調整がはかられて、初めて東京都全域にわたるところの地域防災計画ができる。その段階の中で、当然にこれは財政的にも、それからまた、おそらくは住民の権利義務等を規制するような形のていのものも中で必要になってくるだろうと思いますけれども、そうしたようなものが初めてそこで、地域防災計画具体化の上での一つの問題点となってあがってくるという形になって、当然地域防災計画自体は、これは国のほうに、中央防災会議のほうに報告するような形になっておりますから、そういう経過を経ることになるかもしれませんけれども、そういう過程を経ながら国のほうには御協力を縛るようなことになろうかと思うわけでございます。  実を申し上げまして、この関係のことは、それぞれの行政の部門が、国の縦割りの線を通じながらそういう問題を処理していくというのが従来のやり方だっただろうと思うわけでございます。しかし、こういう、東京都がいまパイロット役をして今後でき上がる、地震を対象としたような地域防災計画というのは、そういうようなやり方ではなかなか推進でき得ないような状況がおそらく出てくるのじゃないかというふうに私は考えておるわけでございますけれども、いまのところ、そういう問題がきちっとまとめ上げられた形になっておりませんので、たまたまきょう、ほんとうはそういうふうな点でお願いをしたいところでございますけれども、まだその状況になっておらないというふうなことで、これは十月末あるいは十一月の段階になりますとそういう問題もはっきりしてき、今後そういうふうな点でのパイプがつくられねばならないし、どういうふうにしたらいいかというのはその点でもっておそらく出てくるのじゃないか。そういう意味で、いままでもなかったわけではなくて、それぞれが各個ばらばらに、縦の線を通じながら国にいろいろと要請をしたり何かしてきておる。しかし今後は、震災対策というふうな部面での中央と地方とが結びつくような、そういう形を何らかつくり出していかなければならない。それで、いまのところはそういうふうな点でのつながりが非常に欠けているような形で、各部分との対応という形になっておる。こういうふうな点は一つの今後の問題点でもあり、先生方の御協力を得ながら、こういうふうな部面についてはより推進するようにしてまいりたいと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。
  36. 金丸徳重

    ○金丸(徳)委員 ちょっともう一つ。  実はこれは私ども、政府のほうで一刻も早く東京都あたりに心配させないような計画を進めてもらわなければならないという意味において、先般来、本委員会におきましてもたびたびネジを巻いておるのであります。しかし、御承知のように、防災会議はあってもスタッフは少ないしということで進まない。そうしているうちにも時間はどんどん進んでいきますから、今度はひとつ大々的に政府のほうにも国会として迫ろうではないかなどと、みんなで申し合わせておるところであります。東京都からも強くわれわれにネジを巻いてもらう。同時に直接政府のほうにも大いにねじ込んでいってもらうということを要望したかった、むしろ私のほうからもお願いいたしたかったのであります。先生方にも、そういう意味におきまして私もお尋ねし、御意見を承ったのでありますが、これからもそういう意味におきまして、私ども一生懸命やりますから、この大事な問題について万全の努力を払うためのいろいろとまた御指導をちょうだいいたしたいと思います。  きょうはありがとうございましたた。
  37. 三ツ林弥太郎

    ○三ツ林委員長代理 諫山博君。
  38. 諫山博

    ○諫山委員 先日、私は、むすこにすすめられて、小松左京の「日本沈没」という本を読みました。たいへん評判の本だそうでありますが、やはり読んでみるとぞっとするような内容です。フィクションだということですが、フィクションと思わせないところにあの本の魅力があるのだと思います。そして、あの本がこの数カ月来ベストセラーを続けているということは、災害をどのくらい日本国民が心配しているかということのあらわれでもあると思うのです。  そこで、もし関東大震災のような地震が起こったとすればどういう被害が生ずるのだろうかということで、いろいろな数字が発表されているようです。たとえば東京防災会議としては、江東地区について言えば二人に一人は死亡するのじゃないかというような言い方をしているようです。都市計画学会では、向島とか寺島地区では百人中の九十七名が焼け死にをするのじゃなかろうかということを言っているようです。いろいろこういうことが週刊誌などでも書かれているのですが、いま関東大震災のような地震が起こったとすればどういう被害が予想されるのか、東京都としては公式に研究し調査されたことがありましょうか。
  39. 赤羽嘉郎

    赤羽参考人 これについての一種の被害想定になるわけでございますけれども、これは防災会議専門部会、地震部会のほうですか、あそこのほうでたしかそれについての研究があるわけでございますけれども、それでは五十六万人云々というのが、一応出ている数値でございます。それ以外の関係につきましては、先ほど来私が申し上げておりますように、この四十八年度で、一応これは専門家にお願いしているわけでございますけれども、地域危険度とそれからそれに伴う被害想定をいま調査中でございます。それが出てくることによって最近の資料が、被害想定に関しては出てまいるというのが状況でございます。
  40. 諫山博

    ○諫山委員 金井先生にお聞きします。  新潟の地震では、耐震構造を誇っていたいろいろな構造物が倒壊したり、沈下したり、傾斜した、こういう事例がいろいろあったといわれているのですが、その実情を簡単にお聞きしたいと思います。
  41. 金井清

    金井参考人 お答えいたします。  新潟地震では、いわゆる上部の破壊はほとんどなかったわけでございます。でございますけれども、建物災害は非常に大きかったわけでございまして、その災害というのは、いまもお話がありましたように、不同沈下とか全体が沈むとかというように、いわゆる俗な——俗と申しますか、その後出たことばでございますけれども、地盤災害という表現をされております。これはたまたま、同じ年の二カ月ほど前にアラスカ地震というのがございまして、これも地盤災害でございました。  同じ年にアメリカと日本で起こりましたので、この問題が学会その他におきましても非常にクローズアップされたわけでございますけれども、そのあとで、それでは建築基準法に何らかの欠陥があったのじゃないだろうか。といいますのは、現在建築につきましては、日本では建築基準法に基づいて設計、施工し、そしてそれを、設計についても、それから竣工についても監督官庁で検査したものが通過していることになっております。そういう面で調べられましたところ、私が調べたわけではございませんけれども、そういった意味では建築基準法のたてまえそのものには間違いはないということでございます。  それで、建築基準法にはその解説というものがついておるわけで、これは学会で出しておるわけでございます。その解説によりますと、建築基準法というものはどういう考え方に基づいてできておるのかということが詳細に解説してあるわけでございます。で、この解説を読み、解説に従うことは義務づけられておることではございませんので、その解説に対する解釈が必ずしも十分でなかったということで、沈下が起こり、そうして大きな災害をもたらした、ということになっておるんだと思います。
  42. 諫山博

    ○諫山委員 耐震建築物という立場でお話を聞いたわけですが、建物そのものがいかに耐震性を持っていたところで、その建物のつくられた地盤が軟弱であったらお話にならないと思うんです。そしてその矛盾が、新潟震災で耐震建築物さえこわれたということで出てきたのではなかろうかと理解したんですが、そういうふうに解していいでしょうか。
  43. 金井清

    金井参考人 おっしゃるとおりでございます。おっしゃるとおりでございますけれども、その建築基準法の中では、軟弱地盤においては特に下部構造に注意しろということは、解説に書いてあるわけでございます。特に注意しなければならないということを解説に書いてあるわけでございまして、その解説に対する判断といいますか、理解が十分でなかったところにああいう災害が出たんだと思います。
  44. 諫山博

    ○諫山委員 いま一番地震が心配されているのは何といっても東京都、そして東京も地盤が非常に軟弱だと聞いています。だとすると、幾ら土地の上だけをりっぱにつくってみたところで、この軟弱な地盤に耐え得る建築構造ということを考えなければ、やはり新潟の地震と同じような現象が起こるのではないかとおそれるわけです。  そこで、建築基準法自体には問題はないけれども、その解釈についての運用に問題があったというふうに聞いたわけですが、この点は政府としては強力な指導をしていなかったんでしょうか。誤解が生ずる余地のないような指導をしなければならなかったと思うのですが、そういう問題はいかがでしょうか。
  45. 金井清

    金井参考人 お答え申し上げます。  建設省と申しますか、建築学会と申しますか、指導はやっておったと思います。でございますけれども、とにかく法律とか基準法とかというものに法文化されていない面につきましては、理解が十分でなかったところがあると思います。ただいまのおことばで現在のことを御心配のようでございますけれども、その点につきましては、特に当面の建築学会の中にも委員会もできますし、それから建設省でも検討いたしておりまして、アラスカ地震、新潟地震を契機といたしまして、下部構造に対しては十分に注意されるようになっております。ただ、これがいわゆる法文といいますか、告示と申しますか、そういう面であらわれているかどうかは、私自身はよく存じ上げませんけれども、そういうことにはなっております。だから、現在はともかく心配はないと思っております。
  46. 諫山博

    ○諫山委員 高山先生にお聞きします。  この軟弱な地盤という問題と結びついて、地盤沈下というのが非常に問題になっています。私の読んだ本では、たとえばいわゆるゼロメートル地域というのが東京に四十平方キロメートルある。大阪には三十平方キロメートル、名古屋には五十平方キロメートル。これが地震による災害と非常に密接に結びつくんじゃなかろうかと思うんですが、この点いかがでしょうか。
  47. 高山英華

    高山参考人 全くそのとおりでありまして、江東地区は、先ほど私申しましたように、明治以来、要するに、あそこの地形をある意味では人為的に収奪してきた、その結果地盤沈下が激しくなり、また、もともとの性質は、ある意味では人間があまり住むに適しないところに住まざるを得ないような形になってきたというところに根本があると思います。それですから、先ほどの戦略論に返りますが、江東地区防災対策というときに、大きく二つか三つ対策が分かれたわけです。  先ほど、関東大震災と現在と違うということをお話ししましたが、その一つのあらわれはやはり江東地区にもあらわれておるわけで、関東大震災のときは、本所、深川の比較的地盤がいいところまで市街化しておりまして、その先はアシが生えていたり、たんぼがあったというなところであったわけです。ところが、現在は江戸川区のほうまで全部市街化して、しかもそこで工業用水をくみ上げたり、いろいろな生活環境の整備を怠ったりしながら市街化したところでありますので、防災的には最も対策の立てにくいところに市街化が進行してしまったというのが現実だと思います。  ですから、その対策のときに、第一番は放棄論というのがありました。そういうところはもとの自然に返せという形で、江東地区にはなるべく人を住まわせないようにしよう。工場は水をくみ上げないということも一つですが、工場自体もああいうところにあることはあまり適切じゃない、これは社会的の要件もありますが。それで、現在はかなり疎開という問題が起こっておりますのはそのことだと思いますが、そういう形で、あそこに人間をたくさん住まわせる必要はないんじゃないかという考え方が一方にあります。これは地区住民の方にとってはかなりむずかしい社会的問題をはらんでおりますが、防災という観点から見ると一つの大きな戦略の方針になるわけです。たまたま、江東の区長さんその他の人たちも、ある段階から議論が、もうこれ以上人を入れてもらっては困る、施設を入れてもらっては困る、責任持てぬという発言が出ております。  ですから、いま問題になっております防災拠点というような考え方も、これは私の個人的な意見になりますが、そういう形で江東全面を鉄筋コンクリートにしましても、埋め尽くすようなことは間違いである。最小限江東地区の中で、社会的要因として非常に重要な拠点についてはそれを残す。しかし、残す場合には、先ほど申しました地盤の関係あるいは水の関係、そういうものを十分考慮したものを残すという考え方一つそこで出てきたわけです。  それからもう一つは、免震的な構造と申しますか、非常に軽くてじょうぶな形で、燃えないようなものの構造考えたらどうかという考え方一つございます。  ですから、防災拠点の現在の計画についても、何が何でもあそこに高層建築を建てて解決をするという方針は、私たち学者の間ではとっておりません。ある非常に条件の悪いところはむしろ放棄するなり、非常に免震的な形でこれをある時間持ちこたえるような形で早急に改修するという方向も一つ対策ではないか、そういうようなのは地区地区によって、もう少しきめこまかくやったほうがいい。そのときには、そういう構造的な問題だけで全部を疎開させるというようなところまで、戦争中ではないのでなかなかむずかしいわけでございますが、あそこで生活しておる人たちをどういう形でそういう免震とかあるいは移抵ということができるかというような問題が、あそこの中には防災的、先ほど申しましたハードの面の対策のほかにソフトと申しますか、そういう形の社会的な対策というものが非常に大きい。そういう意味でも、総合的な施策というものがなければ防災の効果があがらないということを私は申したわけです。
  48. 諫山博

    ○諫山委員 地盤沈下の原因にはいろいろあり得ると思いますが、共産党の政策にはこう書かれています。大企業の地下水の略奪的なくみ上げ、これが地盤沈下の一番大きな原因ではないか、こういつているのですが、この問題はいかがでしょうか。
  49. 高山英華

    高山参考人 私は地盤沈下専門家ではございませんが、そういうのが非常に大きな原因であったということは、いま工業用水のくみ上げを規制しているという事実で十分わかると思います。そのほか自然沈下もございますし、これは金井先生の分野だと思いますが、地盤沈下が、表面の水のくみ上げのもっと下のところに非常に大きな齋洞と申しますか、そういうものがあって沈下しているという説をなす先生もおりまして、そういうことになりますと、そういう人為的な作業のほかに、あそこが地質学的に生成された原因までさかのぼりますと、そういう危険なところには人が住むことを努力する必要はどうかという、先ほど私が申し上げた戦略的な判断が必要になってくる。新潟地震のときも、大体地名でわかりますように、川の埋め立てのところとか、沼垂というもとは沼であったところとか、そういうようなところに先ほど申しました大きな傾斜、地盤沈下の問題が起こっておりますので、非常に大きく見ますと、今後埋め立ての問題もございますが、そういう自然災害的なところに人を住まわせるということの限度ということまで問題はさかのぼると思います。
  50. 諫山博

    ○諫山委員 赤羽局長にお聞きします。  さっき御説明いただいた東京都の震災予防計画の中では、地盤沈下の防止という項目の中に地下揚水の全面的な法的規制という内容があります。これは実際にどうやられているのか、お聞きします。
  51. 赤羽嘉郎

    赤羽参考人 ちょっと言いわけがましくなるのですけれども、私のほうは、実は各局がそれぞれの対応をしておりまして、総務局がその対策の調整をしておるというような状況になっておるものですから、あまり専門的なことはちょっとわかりかねるわけでございますけれども、現在条例でもってくみ上げの規制をしておるわけでございますけれども、それはあくまでもその前提として工業用水の布設、そういうことを前提にしておるというふうなこととうらはらになっているわけでございます。そういう意味で、今度五十二年度までに、先ほど申し上げました個所についてその布設を完成するというふうなことによって、その地域においての全面規制ができ得るようになる、こういうふうなことからくみ上げがその程度に規制されていく、こういうふうなことで申し上げたわけでございまして、そのことを申し上げて、正確な意味でのその関係についてちょっと申し上げかねるわけでございますけれども、趣旨といたしましては、工業用水道が整備されるそこの段階でそれが完全規制される、こういうふうな因果関係になっておるというふうな点で、一応その地点でのくみ上げは全面規制がされる。しかし、いま高山先住がおっしゃられたように、その底にある関係の問題になりますと、ちょっとこれはまた別の問題かもしれませんけれども、一応はそういう考え方でもって進めておる、こういうことでございます。
  52. 諫山博

    ○諫山委員 新日本新講「地震都市防災」という木の中にこういう記載があります。「東京都では国にたいして財政的な裏づけを強く要求している。都では毎年、国の予算編成に際して要望書をだしているが、」なかなかそれが満たされていないということになっているのですが、昭和四十八年度の実情はどうだったのでしょうか。これは地震に対する予算でけっこうですが……。
  53. 赤羽嘉郎

    赤羽参考人 まことに恐縮でございますが、ちょっとその間のことを私承知しておりませんものですから……。ただ、抽象的な形では国への申し入れをしておると思いますけれども、具体的な点で、ちょっと私、その資料を持ってきておりませんものですから、御了承いただきたいと思います。
  54. 諫山博

    ○諫山委員 東京都の防災計画、とりわけ地震対策というのは東京都だけの問題ではなくて、国全体の課題でもありますから、この問題を解決するために、政府に対して財政的な要求をするというのはきわめて当然だと思います。これは毎年そういう意味で要望書を出しておられますか。
  55. 赤羽嘉郎

    赤羽参考人 それは出しておると聞いております。
  56. 諫山博

    ○諫山委員 それがきわめてわずかしか認められないというのでいろいろ問題になっているようですが、その内容は御存じないですか。
  57. 赤羽嘉郎

    赤羽参考人 まことに恐縮でございますけれども、具体的なそういうふうな点について承知しておりませんものですから、また別の機会にそういうふうな点について文書等でもって申し上げたいというふうに、いま考えております。
  58. 諫山博

    ○諫山委員 財政措置だけではなくて、危険物に対する知事権限を強化してもらいたいとか、震災対策緊急立法をお願いしたいとか、そういう面の要望も東京都から政府に出されているけれども、なかなかそれが具体化しないというふうに聞いているのですが、この点はいかがでしょう。
  59. 赤羽嘉郎

    赤羽参考人 いま条例等でもって規制でき得る面については、これは消防所管でやっておると思いますけれども、それでやっているわけでございますけれども、法律でなければ規制でき得ないというふうな領域があろうかと思いますが、その点について、これは消防庁の関係から国に対して要望をしておると思います。  ただ、危険物の関係というのは、未知の部分等、あるいはまた技術的に規制の非常にむずかしい領域がおそらくあるのじゃないかというふうなことで、この点については消防庁のほうでも、それからまた、おそらく国のほうも検討していると思いますけれども、その点について私の承知している限りでは、他の理由があるかもしれませんけれども、何といいますか、それを規制するのに技術的にむずかしい領域が相当程度あるのじゃないか。また他の分野での、たとえば産業の発達とかいうような部面での問題もその中に介在するかもしれませんけれども、私はその点についてあまり承知しておりませんので、おそらく技術的な部面でも相当程度むずかしい部面があるのじゃないか。しかし、私が条例の案を作成する時点でいろいろ勘案した点では、危険物の関係については、法制的な部面で規制を強化しなければ前進しないという部面は相当程度ある。実は今度の条例におきましても、そういうふうな部面については今後規制することを前提にしながら、条例でもってそれぞれの努力義務を規定しておるというふうな状況になっておるわけでございます。  その点についても、本来なら具体的に、かくかくの点をかくかくしていただきたいというような形で申し上げれば何なんですけれども、私はよく承知しておりませんので、その程度のことしか申し上げられません。
  60. 諫山博

    ○諫山委員 金井参考人にもう一ぺんお伺いします。  さっき建築基準法の話が出たわけですが、建築基準法自体には問題はなかったけれども、その解釈が十分徹底していなかったという趣旨の御説明だったようですが、そのときに、解釈が徹底しなかったからということで問題が起こるようでは、これはたいへんなわけで、そういう問題が起こらないように、建築基準法自身を解釈するとか特別な行政指導が行なわれるとか、新潟地震の失敗を繰り返さないような措置というのは講ぜられたのでしょうか。
  61. 金井清

    金井参考人 お答え申し上げます。  建築基準法のいきさつを詳しく申し上げますと一時間以上もかかると思いますので、簡単にお答えしたいと思いますけれども、耐震構造というものは根本的には非常にむずかしい問題でございます。と申しますのは、きのうあたりに地震予知の話なんかもあったと思いますけれども、地震学といいますか、地震そのものにも、非常にわからないところがまだたくさんございます。それからもう一つ、私の考えでは、建築物というのが、飛行機や船やその他の構造物の中でも一番複雑だと思います。と申しますのは、用途もいろいろあり、それから美的観念とかいろいろな要素が入っております。そういったもろもろの点を含めて建築基準法というものはできておりますので、はっきり割り切れていないところが多々残っておるわけでございます。  これからは過去の経験に基づいてやられた点が多いわけでございまして、一例を申し上げますと、先ほどの新潟地震の例でございますけれども、こういった構造物は——ちょっと一分ばかり、委員長よろしゅうございますか。——建築基準法というのは、昔は一律に日本じゅう、重量の一割でつくれとかということであったわけでございますけれども、それを福井地震後にできました建築基準法では、地震がたくさん起こるところと起こらないところを同率にやるのはおかしいじゃないかというので、地域を三つに分けてございます。一番よく起こるところと中ぐらいのところと起こらないところで、一割引き、二割引きになっております。それから地盤によっても変えております。固い地盤ではどうする、やわらかい地盤ではどうする。それから建物の種類によって、木造によってはどうする、それかられんが造によってはどうする、それから鉄筋コンクリート造によってはどうするという、この三つの組み合わせからなっておるわけでございまして、それぞれ比率がきまっておるわけでございます。この比率をきめますときにも、学問的には非常な議論があったわけでございますけれども、ともかくつくるということで、いまのお話の新潟の例でございまして、これらはむしろいわゆる組積造に類するものでございまして、そういったものは、先ほどの私の説明のところにもございましたように、土蔵の例のように、昔から七、八十年間考えられていた常識とははずれた現象が、先ほどは土蔵だけ申し上げましたけれども、れんが造におきましても、東京の山の手のほうが下町よりも倍以上の被害を受けておる。それから、これは過去の、世界じゅうの例がすべてそうなっておるわけでございます。  でございますから、むしろそういう論理的に考えると、固い地盤のほうを地震力を大きくとって、軟弱地盤のほうを小さくとるべきじゃないかという議論が何度も繰り返されたわけでございます。でございますけれども、それは上部構造のいわゆる構造学的な考え方であって、先ほどのお話にもありましたように、新潟地震がいい例でございますけれども、地盤がこわれたための構造物の被害というものを考えた場合には、必ずしも固い地盤のほうが悪くて軟弱地盤のほうがいいとは言えない。そういう全体をひっくるめまして、組積造については硬軟地盤の差なしに一律ということに現在の建築基準法ではなっております。  むろん、新潟地震並びに十勝沖地震後に、学会並びに建設省では検討は続けておりますが、それで、規定にはなっておりませんけれども、いろいろな指導にはそういうことを盛んに指導されておりまして、その一律になったという原因の中に、軟弱地盤では不同沈下とかそういうことが起こるという意味で一律になっておるので、そういうことを考えると、軟弱地盤ではやはり十分に注意しなければならないという懇切な解説があるわけなんですけれども、そういったところがたまたま抜けた面があった、こういう意味でございます。
  62. 諫山博

    ○諫山委員 最後高山先生に、地震を予防する、災害を必要量小限度に食いとめるという観点から、先生の長い学者生活を通じて政府に要望する点がありましたら、率直に述べていただきたいと思います。
  63. 高山英華

    高山参考人 先ほど申しましたけれども、要するに、個々のそういう研究に対してやはりもっと大幅な自由な資金なり機構なりをつくるということが一つ。それから、先ほど申しました政府の総合施策という点が、長い間では一番重要なことだと思います。  繰り返すようになりますが、そういう答申を何回かしましても、一問内閣に上がっても、御承知のように中央防災会議事務局その他は非常に忙しい。そういうところで大きな戦略的な検討をする機会もなく、また各省の縦割りにおりてきて、問題が末端のほうの問題になってくる。相互の連絡というものは、末端に行けば行くほどとりにくくなってくる。そういう点を改めるために、戦略論というようなものをもう一回ここで立て直す必要がある。  それには、繰り返しますが、自由な立場でいろいろな発言ができるような、財政的にも制度的にもそういうものがいま一番必要じゃないか。とかく政府の機構にそれを移しますと、機構をつくるまでになかなか時間がかかってしまって、結局総花的になる、あるいは各省の縄張り争いになるというような結果におちいるので、最後に申しましたように、この際、立法府は、思い切って政府を鞭撻するということと同時に、御自分でもう少し自主的な研究を、あるいは現在できておるいろいろな研究成果を同列の上に置いて、それを総合判断するという努力をすることが一番必要だ。それはきょうからでも、ここにいらっしゃる方が政府に要望するなり、みずからがそういう予算を獲得し、そういう機構を委託してみずからつくられる努力が、政府を鞭撻する一つの具体的な手がかりになるというふうに考えます。
  64. 諫山博

    ○諫山委員 どうもたいへんありがとうございました。  終わります。
  65. 三ツ林弥太郎

    ○三ツ林委員長代理 高橋繁君。
  66. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 朝来からたいへん長い時間、ありがとうございます。  私は最後になるんじゃないかと思いますが、いつかの国会で松代町の町長さんが答弁をしたことを思い出します。救援物資も要りません、お金も要りません、ただほしいのは地震についての学問だけです、というように答えたことを覚えておりますが、きょう三人の方々からいろいろとお話がございました。いまも高山先生が、立法府において研究機関をつくるということを提唱いたしておりました。いまお話がありましたので、先生の考えていらっしゃる、立法府に研究機関をつくるという具体的な内容、構想なり機能なり、もし、もう少しつけ加えることがありましたら、お答えを願いたいと思います。
  67. 高山英華

    高山参考人 それは、だいぶ悪口になって失礼なんですけれども、政府につくるということになりますと、私の経験では、手続的な問題で非常に時間を食うことが多いと思うのです。あるいは最近できました開発研究機構ですか、あれは大型プロジェクトに対して政府がかなりな力を入れようという一つのあらわ、れだと思いますが、ああいうふうに各省にまたがるような、震災対策というようなものでまとめた大きな予算をつけて、その研究機関も、いま各省にはたくさんの研究機関がございますし、それはおのおの研究費をいろいろな形でもらっておりますが、結局、先ほど申しましたように、それを全体統一してどういう戦略を立てるかというような研究はないんですね。いまはやりのインターディシプリナリーといいますか、各諸科学の間をつなぎながら一つ対策なり何なりを出していく学問、公害もその一つの例でありますが……。ですから、既存の学問の縦割りの研究ももちろん必要でございますが、そういうものを横につないで、政策も同じように、各省の聖業でなく一本の形で戦略戦術を立てるという機構がないと、それを政府に要望しますと必ず各省のいろいろな勢力争いの中に巻き込まれる。そういう点で、地震というものは、何回も申しますが、イデオロギーに必ずしも拘泥しない一つのコンセンサスを得られる問題意識である。もちろん、対策になりますといろいろな政策問題が入ってきますが、少なくとも基礎的な研究なり災害の認識なり、あるいはそれの大きな戦略については、私それほど違いがないと思います。ですから、そういう意味では、また悪口になりますが、本来は立法府がスタッフを持って行政府と同じような政策立案をして、うしろにもたくさんおりますけれども、官僚の力を借りずに、自分独自の資料で独自の政策を立ててそれをやるのが、三権分立の一番大きなあれだと私思うのです。ところが、いろいろ参考人意見を聞いたり選挙のことだと目の色を変えますが、そういうことについてはさっぱり勉強しない。国会図書館についても同じだと思います。そういうところをむしろ私はついて、そこに一つそういうことをつくれば、ほかのいろいろな対策についても、やはりそういうものはやるべきだということはわかる。それの一番いいきっかけが、これだけ盛り上がっている災害震災というものを取り上げれば、そういうことはわりあいに世論も納得するのではないか。もちろん私たち、皆さん方がそんなに大きな勉強をする時間も何もないと思いますので、そういうものをどこか外郭団体でもいいですが、つくられる努力をして、そこで現在あるいろいろな研究なり施策なりを全部集めて、それを横に並べて検討するというだけでも、それだけしてもいまのばらばらの行政よりもずっと大きな一つの筋が出ると思うのです。それが先ほどから申しました、いろいろな応急対策のほうがいいか、恒久対策がいいか、それは物理的な施設計画がいいのか、もう少し社会的あるいは人間的の関係を重視すべきか、そういう問題の判断が、そういうところの研究機関があれば、そこから——いまはかなり、そういうソフトハードをまとめたような研究組織は学者の間でも出ておりますので、そういう形のところを使ってやられれば新しい一つ施策体系が出てくる、そういう意味で言っておるので、具体的といいますと、まあ皆さん方が相当自由に使うようなお金を持って、それを、大体いままでやられてきた防災関係研究者を集めて、どういうふうに使ったらいいかという御相談をすれば、半月ぐらいで答えは出ると思います。ただそれをやるかやらないかということを私は言っているだけです。
  68. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 わかりました。  地震学の問題は、やはり地震の予知と、それに並行して震災対策ですか、これが行なわれていかなければならないと思うのです。ところが現在は、確かにその地震の予知という問題についてはかなりの地震学者が研究をされておるし、またきのうもお話があったように、国際的にもかなり協調されて進んできているというふうに思うのです。ところが、予知という問題についてはきわめて至難な問題だと思うのです。それと同時に、防災はやっとこさ、やっとこさと書っては失礼かもしれませんが、東京都でもこうした基本的なものができたという段階であって、おそらく地方自治体等についてはまだまだの感じがするわけですね。そういう点で高山先生のそうした地震学の問題について、もっと防災という面で研究を重ねていくことが、私は並行されて大事じゃないかと思いますが、その辺のお考えはいかがですか。
  69. 高山英華

    高山参考人 全くそれと同じことで、並行してやらなければいけない。特に施策のほうは、学問的な問題と行政あるいは政治の問題と多少からんでまいりますが、少なくとも学問的の分野でも、いままではそういう専門のところはないわけですね。私、東京大学に都市工学というのをつくりまして、防災都市計画という講座をつくりましたけれども、とうていそういうような一講座でまかなうような問題ではないということは、先ほど来皆さんの御意見でもわかると思います。ですから、そういう問題をやはりこの際、少なくとも超党派のこういう委員会で提唱するということが、一番コンセンサスを得られるんじゃないかという意味で申し上げたわけです。
  70. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 高山先生の御研究の間でもしおわかりになればお答え願いたいと思うのですが、ある新聞に、これは探査技術衛星のERTS一号というのが写真をとった場合、関東地方いわゆる首都圏下の真下にそうした地震の巣があるというようなことが発表になったことがあります。このERTS一号のとられた写真について、もし先生の御見解、金井先生でもよろしゅうございますが、おわかりでしたらお答え願いたい。どれほどの信懲性があるのか、それに対する御見解、もしおわかりでしたらお願いしたい。
  71. 金井清

    金井参考人 残念でございますけれどもお答えができません。と申しますのは、私自身がその専門のプロパーでないということ、もう一つは非常に学界、これは日本も含めて世界的の学界で非常に議論になっておるところでございますので、その点はお答えしかねますので、あしからず……。
  72. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 ちょうど金井先生、きょういらっしゃっておりますので、きょうの先生のお話とちょっと向きが違いますけれども、ちょうどいい機会でありますのでお聞きいたしたいと思います。  先生も委員の一人でいらっしゃると聞いておりますが、いわゆる十秒前警報ということで六人委員会をつくられて非常に研究をされて、プロジェクトチームというのも編成されてやっているようでありますが、もしこの十秒前警報ということが成功すれば、地震災害を防ぐということの上においてかなりの効果を来たすということも聞いておるわけですが、先生は直接関係していらっしゃるようでありますので、その辺の現段階における、おわかりの点でけっこうですから、お答え願いたいと思います。
  73. 金井清

    金井参考人 お答えいたします。  実は、その問題は数十年前に座談、お茶を飲みながら私が言い出したことでございまして、それが最近ある人が新聞に投書いたしまして、それで取り上げられましたのが、だんだん大きくなりまして予算もつくというような段階になったわけでございまして、私自身は、むろんあの委員会にも出ておりますけれども、積極的といいますか、個人的に十分な働きもしてないところでございます。  ねらいといたしましては、現実的には——これは将来完全に成功すればどんどん大きい問題にもなると思いますけれども、現実的に、もし十秒前に予報ができましたら、たとえば石油コンビナートとかあるいは原子力発電所とか、そういうものの中には、十秒あればとめることができるという仕組みになっているものがたくさんあるそうでございます。そのことが一つ。それからもう一つは、人心に与える問題としては、これで混乱を招くおそれがあるのではないかという話もあります。ありますけれども、心理方面の方の意見なんかを聞いてみますと、十秒前に知ったことによって、先ほどから問題になっております火災を含めて、その個人的な予防措置ということをとり得る可能性がかなり大きい、こういうのが当面の二つの効果じゃないかと、こういうふうに考えます。
  74. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 赤羽総務局長さんにお願いしたいんですが、せっかくこうしたりっぱな震災予防計画書をつくられまして、震災の防止という点で七項目あげられております。火災等の防止であるとか避難場所等の安全確保、防災体制の整備、都民の協力ということになりますが、先ほど来問題になっておりますいわゆる江東地区のそうしたゼロメーター以下の土地については、火災という問題と、もう一つは水の問題がかなり心配になってくると思います。水攻め、火攻めという問題になってくると思いますが、この震災予防計画には、火災のほうはありますけれども、そうした水の問題について触れてないようでありますが、その辺の心配とか、いわゆる震災予防の問題で心配はないでしょうかどうか。
  75. 赤羽嘉郎

    赤羽参考人 実は「破壊の防止」の中で、一応内水の関係の堤防、護岸の整備という形の中で、水門等も含めて、その問題を整備するようになっておるわけであります。私、専門関係じゃございませんので、個々具体的に申し上げかねるわけでございますけれども、一応、現在行政が管理しておるところの堤防とか護岸とかあるいは橋とか、そうしたような線的にとらえられるような関係のものについては五十二年までに全部整備をする、そういう前提でそれぞれの局におきましてそれを計画を立てた、こういうふうなことでございまして、先ほどちょっと深谷議員の質問にも答えましたけれども、あの関係のはいわゆる内水面の関係の点について、これがゼロメートル地帯関係では一番重要な関係でございますけれども、これについては、従来十カ年計画で五十五年までにやるというのを五十二年までにやるというふうなことで、五十二年を目標にして、少なくとも地震による水の関係の心配がなくなるようにというふうなことで計画自体はつくられておるわけでございます。
  76. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 以上で終わります。ありがとうございました。
  77. 三ツ林弥太郎

    ○三ツ林委員長代理 これにて参考人に対する質疑は終わりました。  参考人の方々には、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  次回は公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。    午後二時四十一分散会