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竹崎参考人 私は、
水俣病発生以来最もその被害を受けた
水俣市、芦北郡、八代市、それから対岸の天草の不知火海に面する十六の組合を代表いたしまして、
お話を申し上げたいと思うわけでございます。ただし
水俣市の漁協につきましては、先ほど浮池市長から、われわれ漁民の意思に反するような組合の何かの行動があったということでございますので、
水俣市の
組合代表ということはここで除外させていただきます。
かねてより諸先生方には
公害対策問題、特に
水俣病問題につきましては非常に関心を持っていただき、その
解決に御
努力願っておりますことに対しまして、
熊本県の漁民を代表いたしまして、この席上を借りまして厚く御礼申し上げる次第でございます。
まず私は、この権威ある国会の
委員会におきまして、私がいわゆる漁業者の指導者としてここ十八年間歩いてきたその道を簡単に
お話し申し上げまして、
皆さん方の御理解を求めながら、今後不知火海で漁業で生活している数多くの漁民の
人たちの
救済をどうしてやっていただくか、その点を強くお訴え申し上げたい、かように考えております。
熊本県の不知火海で漁業を営んでおる漁民及びその家族を含めますと、大体三十四年の当時には二万五、六千人ぐらいのいわゆる漁業で生活している者がおったわけでございます。それに付随した魚の行商人とか魚屋さんとか、あるいは仲買い業者とかいうものを含めますと、大体三万人をオーバーした人数であった。これは私の記憶でございます。現在はそれよりも減っております。このうち最も
水俣病の影響を受けた組合は、先ほど申し上げましたように十六組合でございまして、その漁民、家族合わせますと、約六千人以上あったと思います。現在はこれをまた下回っておるわけでございます。
水俣市の漁業者の方
たちが、どうも
水俣から流れる排水、汚水がおかしいのじゃないか、魚は死ぬる、何かわけのわからない
病気があちこち出てきている、これはどうも
会社の排水の影響ではなかろうかということで、一応表立って騒ぎ出したのが大体二十八年ごろだったと私は記憶しておるわけでございます。それから私が現在
関係しておりますところの芦北郡に目に見えて影響が出てきたのが
昭和三十四年の六月でございます。このころになりますと、海には腹をひっくり返した死魚が浮いている、近隣のネコはほとんど狂い死にしてしまう、あるいは湯浦川、佐敷川、これは私の地元でございますけれども、スズキとかボラとかチヌなんか、こんな大きなやつが、何か酒に酔ったようなことで川の上まで上がってくる、それを知らない住民の
人たちはわれがちに争ってその魚をとって食べたものでございます。これが出だしたのが三十四年の六月だったと私は記憶しておるわけでございます。またそのときに初めて芦北郡から津奈木町において新しい
水俣病患者も発生しております。このおそろしい
水俣病がついに近隣の芦北郡まで出てきたということで、漁民のすべてが、これはこのままじゃいかぬ、早く何とか
対策を講じなければ大ごとになるのだ、魚が死んでしまうどころかわれわれの生命まで終わってしまう、その原因は科学的にはわからないけれども、
水俣から流す排水にきまっておるということで、非常に大きな騒ぎに発展していったわけでございます。私もこれをそのまま捨てるわけにはいきません。結局、この問題を
解決するために、いわゆる県漁連にこれをはかりまして、県漁連という立場で、
熊本県の漁民の連合である漁連の名において、実は
昭和三十四年の十月十七日に漁民の決起集会を開いたわけでございます。
関連がございますので、ちょっと小さいところまで申し上げますけれども、そのとき決議されましたことは、八つございますけれども、そのおもな五つの項目をここで読み上げてみます。
一、
工場は完全浄化設備完了まで操業を
中止すること
一、
工場は
水俣湾並びに現在の排水口にある沈澱物の完全処理をはかること
一、
工場は不知火海沿岸漁民がうけた廃液による漁業、並びに漁場被害に対し経済上の
補償を行なうこと
一、
工場は
水俣病発生家族に対する見舞金を支給すること
これは、私
たちが初めてここで取り上げたわけでございます
一、
政府は速やかに
水俣病の発生原因を究明して発表すると共に、これによって生じた漁民の被害に対して抜本的
救済対策を講ずること
以上の五項目を含む八項目の決議をしたわけでございます。
それから、その当日、——実は漁民が非常に憤慨いたしまして、あとでちょっと乱暴事件があったわけでございますけれども、私
たち幹部四人でさっそくその日上京いたしまして、そのあくる日に国会の農林水産
委員会をはじめ、通産省、経済企画庁、厚生省、水産庁等に、強くこの決議文についての陣情を行なったわけでございます。また、ちょうどそのとき国会の開会中でございましたけれども、国会より現地
調査団を派遣するということを
決定していただいたわけでございます。
それに比べて、一方
チッソ側の、私
たちのこの決議文に対する
回答というものが、全く荒唐無稽でございます。われわれ漁民をばかにした一方的なものでございます。読み上げます。絶対これは、うそを私は申し上げておりません。
工場操業
中止の要求には応じられぬが、八幡地区への排水は十月末迄なくするよう工事中である、其他は、奇病の原因が不明の現段階では、一切応じられない
このような
回答の内容であったわけでございます。その上、前述の十月十七日の決起大会デモのおりに、漁民が憤激のあまり
工場に投石をしたわけでございます。これは私
たちが命じてやったわけではございません。とめたけれども、とめられなかったわけでございます。にもかかわらず、われわれ指導者、幹部七人を暴力行為事件として、
チッソは私
たちを告訴したわけでございます。
私は個人的には何も申しませんけれども、結局は、そのあとで、諸先生方も御存じのように、十一月二日に行なわれた、いわゆる四千五百人ばかり集めて行なわれました漁民決起大会のおりに、この非情な
回答と、私
たち幹部に対する告訴がもととなってあれだけの大きな不祥事件が惹起したのでございます。私は、ここで考えてみますと、
チッソがいかに大きな
会社でありましょうとも、あるいは
日本経済に多くの貢献をしている
チッソであったとしても、
人間の生命を奪い、
人間の生活権を剥奪するような、そういう
チッソであれば、私は許しがたい、断じて許すことができないということで、人道上あるいは憲法上もこういうことは許されないことでございますけれども、その当時から、私は、
チッソに対して、まことに筆舌に尽くせない憤りを感じて、現在に至っておるわけでございます。
十一月二日、松田鐵蔵先生を団長といたしまして、十一人の国
会議員の先生の
方々たちが現地
水俣を視察されたことは、先生方も御存じと思いますけれども、私
たちがその日を選んで第二回目の漁民決起大会を開いた理由は、いわゆる不知火海漁民のせっぱ詰まった窮状を訴え、その苦しみを知ってもらうと同時に、おそろしい悲惨な
水俣病に苦しんでいる
患者、あるいはその家族の実態を見てもらいたかったからでございます。と同時に、この非道な
チッソのやり方に対して、国の名において鉄槌を下していただきたいというのが、四千五百人の私
たち漁民のほんとうの目的であったわけでございます。ところが、この乱暴事件が頭に来たのかどうか知りませんけれども、いままで拒否し続けてきたこの
チッソが、この十一月二日の事件を
契機といたしまして、いわゆる
交渉に応じましょうということになり、双方
話し合いの結果、御存じのように、
調停委員を中に立てて、いろいろだだいま決議文を読みましたが、この問題についてひとつ
調停委員におまかせをしようということになったわけでございます。
当初、私
たちが実際の被害額を算定した、その総額というものは、決して私
たちは、それを多く出したり、あるいはごまかしたりした数字ではございません。その数字が、実は最初は三十一億であったわけでございます。これを要求したわけでございますが、これは
チッソのほうもびっくりされたでしょうが、
調停に当たった、しかもどちらの立場もくんでもらわなければならない
調停委員の方
たちが、そんな多額の金を
チッソに払わせるということは、それはちょっとできぬぞというような話であったわけでございます。まあしかたなく、私
たちは、いろいろと各組合が出してきたデータを調整いたしまして、第二回目には二十五億のいわゆる
補償要求をしたわけでございます。これまた同じで、
お話にならない。
チッソのほうは、じゃいままでの例からして三千五百万以上は出せないということでございます。これをあくまでも突っぱっても、これは
解決はできないということで、泣く泣く三回目に私
たちは九億八千万円の
補償を要求したわけですが、これまた問題にならなかったわけでございます。そういうことであれば、もう
補償金のほうは払いませんというような態度で、
調停委員の方の立場は実際そうだったので、それならどうしたらいいかということで、年の瀬も迫り、漁民はもちつく金も持たないときでございます。ほとんど漁業は
中止しておったところでございます。あす食う米もなかった時代でございます。漁民は私
たち幹部に対して、あんた
たちは、
チッソから抱き込まれておったのじゃないか、あるいは
調停委員の、みなおえら方ばかりでございますが、ひざに敷かれておったのじゃないかということで、私
たち自体が突き上げを食ったわけでございます。しかたなく、いわゆるそういう下々の、底辺の下々の苦しい漁民の連中が、正月だけは迎えさしてくれ、
補償金は少なくてもいいから早く
解決してくれということで、ついに実にでたらめといいますか、
お話にならない、いわゆる
補償金一億円で涙をのんで手を打たなければならない、また
患者の見舞い金に対しても千四百万ということであったわけでございます。
まことに、いま考えてみますと、ここにも
患者さん代表が来ておられますけれども、まあそういう事情で、ほんとうに漁民を指導をした私
たちの力の足りなさを、私、おわび申し上げる
気持ちで一ぱいでございます。
「
水俣工場の排水が将来悪化しない限り、又過去の
水俣工場の排水が」——先ほど
お話もありましたけれども「
水俣病に
関係があることがわかっても一切追加
補償の要求をしない」こういういわゆる契約書の中に一項目つけ加えさせられたわけでございます。このとき私は吉岡
社長に向かって、そういうばかなことがあるかと言いましたけれども、ここを、こんなところで突っぱった場合は、みそかの年を越せない。年を越せない漁民のためを思って、泣く泣くこの項目を入れたことを、私はっきり記憶しております。
ただいま申しましたように、私
たちが強い態度で、いま
訴訟派の方
たちががんばられたようにいけば、いわゆる時間に制限なくして、私
たちが、あるいは漁民の
人たちが腹をきめてくれておったならば、こういうぶざまな
解決にはならなかったということを、私は特に申し上げたいわけでございます。
あとで聞いた話ではございますけれども、私
たち漁民が立ち上がった
昭和三十四年の十月以前に、すでに
チッソはそのたれ流す排水の中に有機水銀が大量に含まれているということは自家実験の結果知っていたということを、私は聞いております。これはあとで知ったわけでございます。いわゆる毒性があるということを知りながら、
人間に支障を与え、海を汚し、多くの方
たちに迷惑を与えるということを知っていながら、ごく最近までこれをたれ流しておったというような日窒の態度、私はこのことを断然許すことができないわけであります。
現在不知火海漁民が切実に望んでいることは、補助書きを読みますけれども、国はすぐれた現代科学と英知を結集して、
チッソの排液でよごれている
水俣湾と周辺一帯の海水と底に沈んでいる多量の有害なヘドロの中和除去に、大規模で徹底的な
浄化対策を講じていただきたい。
二番目が、国は潜在
水俣病患者の発掘に——一時的には問題があろうかと思います。魚の売れ行きも現在悪くなっております。そういうことはくさいものにふたをしろ式じゃなくて、その発掘に全力を傾けていただきたいということでございます。私の知るところでも、まだたくさんの潜在
患者がおります。私の分家にあたる、現在村の区長をやっておりますけれども、実はこれも
水俣病の疑いを持っておりますけれども、表面に出されると自分の娘あるいは嫁をもらうにしてもよそから嫁がこないということで、表に出してくれるなということを私に申しております。そういう
患者がたくさんおります。どうか徹底的に、
水俣患者の発掘に国もひとつ御
努力願いたいと思うわけでございます。
三番目、これは先ほども申しましたけれども、
チッソはもちろんのことでございます。あるいは
チッソがどうしても出せないような金、そういうものを
水俣病の
患者あるいはその家族の
人たちに対して、何らかの方法を設けられまして、御
救済願いたいと思うわけでございます。
それから四番目ですが、こういうことをこんな権威ある国会の
委員会で申し上げますと、非常に大きな影響があろうかとは思いますけれども、最近魚の売れ行きが非常にがた落ちしております。特に、ボラ、タチというものは地元では全然売れません。売れないから、まず漁民もそういう魚はとらないわけでございます。
水俣病ということで、みんなが非常に神経をとがらしております。温泉地、観光地もたくさんございますけれども、その来たお客さんでさえも、地元の魚は食べないということでございます。
せんだって、これは私の芦北町で十日ばかり前に起こったことでございますが、タチウオのしっぽが切れたやつを別にトロ箱に入れて、これを安く売ったわけでございます。ところが、これが
水俣病だということで地元の「熊日」さんが大きく書き立てましたので、タチウオが全然だめになってしまった。しかしこのしっぽの切れたのは、私も昔から専門家で知っておりますけれども、タチは同士食いをするわけでございます。タチ同士が食ってしっぽがなくなったのを
水俣病に結びつけられるような、そんな神経をとがらされて、地元の漁民あるいは仲買い人、そういう者が非常に苦しんでおるわけでございます。
水俣周辺でとれた魚は、もちろんうちでは売ってもおりません。また、どこにもいっておりません。ただここで懸念されますのは、いわゆる
水俣湾内の魚でございます。そのほかのは、これはあとで
沢田知事が来られたらそういうあれもはっきり
お話があると思いますけれども、よそと変わったような特別な、水銀を多く含んでいるという事実はないようでございます。
水俣湾とかあるいは八代の沖合いとか、あるいは
熊本の緑川の下流、そういうところよりも、私
たちのほうはきれいであるわけで、が、やはり
水俣病のおそれがあるということで一般からは非常に敬遠されているということが実情でございます。
最後に
お願い申し上げたいわけでございますけれども、これは
水俣の
チッソ工場をはじめ、そうでございますが、不知火海に
工場の排水を流している
工場がたくさんございますので、国も県と歩調を合わせていただきまして、その排水基準あるいはその
状態について徹底した検査、取り締まりを常時
実施してほしいということでございます。そうでないと、やはり不知火海も将来は死の海と化してしまう。こういうおそれが十分あるわけでございますので、よろしく
お願い申し上げておきます。
結論といたしまして、多くの漁民は、昔のように美しい海、水産資源豊富な海であった不知火海を一日も早くもとどおりに取り戻してほしいというのが本音でございます。
実際言いますと、三十年当時結びましたあの
補償契約あるいは排水に対しての完全浄化施設等が不備でございましたので、そういうものに対してとってきた
チッソ工場に対して
補償金をとってくれという者もおります。しかし私といたしましては、そういうことは第二次的な問題でございまして、ほんとうにみんなが安心して操業のできる、きれいな不知火の海に返していただきたい。そのためにはばく大な金も要るわけでございますので、よろしく
お願い申し上げておきます。
最後に、こういう幅ったいことを私が申し上げるのはなにかと存じますけれども、今後国として、この
企業責任を無視した
チッソの悪らつ非道な行為を他山の石とされまして、
日本列島から
公害のないような、
企業が
責任の持てるようなそういうりっぱな私
たちの郷土をつくり上げていただきたいということを申し上げまして、私の話を終わらしていただきます。
失礼いたしました。