○
島本委員 高度経済成長政策、
日本の
産業政策の
一つの犠牲になったのが
公害認定患者またはこれから発生するであろう新
患者です。そういうような
人たちに対しては、再びそういうようなことを起こさないように、その
裁判の
判決の
基本的な趣旨を十分了解して、
行政の中に生かさなければならないのは当然なんです。こういうのは望ましくない、あたりまえなんです。したがって、
えりを正してやるといってもまだこういうような
姿勢ですから、
認定を取り消してやるために
政治献金しなさいなんということを言って歩く人がいるというのは言語道断じゃありませんか。
政府の
姿勢自身の問題だ。ましてそれが元
大臣だ。私は憤激を感じているのです。ですから、
長官自身はよくわかりますけれども、他のほうはまだそれまでになっていないのじゃないか、これをおそれる。そういうようなことがないように十分
指導すべきです。そして、
島田チッソ社長は
患者に手をついてあやまったそうです。あやまっても実際命は戻ってこないのです。いかに金を積んでも、植物的な生存を続けているこういう
患者の
人たちには、いまのところでは
ほんとうに療法さえない
状態なんです。
人間一人の命、その重大さに比べたら、
過失であろうと故意であろうと、犯した罪はまさに深いものがあるのです。私は、そういうような点からして、
社長が
患者に手をついてあやまった、これは当然だと思いますが、
行政の
指導によってこれをささえてきた
政府も
責任が大きいわけですから、率直にそれを認めて
えりを正して、今後こういうような
放言をしない、
患者と
国民に対して謝罪する
気持ちで
行政に当たるべきであります。私はその
気持ちのあらわれとして、今後は
ほんとうに
公害立法、
公害法そのものは現存する
公害を押える効果あるものでなければならない、こういうふうに思っているのです。現在ある
法律はまさに、あえて言うと、
ことばが過ぎるかもしれませんが、
ざる法です。今後再び
公害を起こさないためにはやはりこれを
改正する必要があるのじゃないか、このことを
長官に提言し、そして真剣に取り組んでもらいたいのです。いままで幾つかの
公害裁判がありました。それ以後も逆に
環境破壊は進んでいるのです。そして
公害対策はなまぬるいといわれてきているのです。そしてそのあとで
列島改造論、こういうようなものが出てきているのです。実際はそれより
人命尊重と
公害の
防止と
環境保全をはかるのが先なんであって、これを考えるのでなければ無意味なんです。いまこの
四つの
判決に盛られた
基本的な精神を十分生かして、国も都道府県も
企業もこの課題と取り組まなければならない。そしていろいろある
法律、これを十分検討して、そして再びそういうようなことを起こさないような
状態に持っていかなければならない。すなわち、現存する
公害を押える効果あるような
法律にしておかなければだめだ。なっていません。いわゆる無
過失損害賠償法はあっても、
差止請求権はない、同時に
推定規定もない、
裁判の
判例待ちだ、こういうような
状態です。
公害処罰法はあります。四十六年七月一日からです。これには
推定規定がありましても、それ以後の犯罪ですからこれを押える適当なものがいまだに発見できない。
〔
委員長退席、
登坂委員長代理着席〕
被害者救済法はあります。しかしながら依然として健康だけです。これからの問題は
財産権の問題もある。
大気汚染防止法、電気、
ガス、こういうようなものも
適用除外になって、
事業法によってこれを律するようになっておるわけです。
基地公害、これに対しても補償だけで泣き寝入りしなければならないような
状態で、進んで演習をやめさせたり、進んで
基地を縮小させたりするようなところまでまだいっていない、そういうのが
公害関係の
法律を通してこれをやる段階にまだいっていない。治外法権でもない。こういうような中でも依然としてこれが行なわれておる。それだけじゃありません。
自然環境保全法、
司法警官としての資格を持つ
取り締まり官さえないのです。すべてこういうような
立法ですから、これを実効あるものに当然修正すべきです。
総量規制、これも当然すべきです。しかし根拠は政令でしょう、
総理府令でしょう、
現行のものは。そうなると、これは単なる
行政の
努力目標にしておいてはいけないということです。こういうような
姿勢からして
行政の立ちおくれを、今回この
判決を受けた
態度として
公害関係の
立法を根本的に総点検して法の
改正に踏み切らなければならない。これが
患者に報いる
えりを正した
方法でなければならないと思うのです。
遅疑逡巡は許されないと思うのです。
長官の御
答弁を伺います。