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菱田参考人 私は、
東京都の
公害局におりまして、
大気汚染防止
対策を担当しております
菱田でございます。また清掃局におきまして、産業
廃棄物の
処理施設の建設担当の副主幹をやっておりますものでございます。
私は、実はエンジニアの学校を出まして、そして
東京都に入りましたのは昭和二十六年でございますが、実はそのときから私は
公害についてやっているわけでございます。したがいまして、私は
公害につきまして約二十何年間ずっとそれだけをやってまいりました。私の友だちはほとんど全部物をつくるほうに行っております。しかし私は、そのときに
東京都の空をきれいに
しよう、水をきれいに
しよう、そういう気持ちから実は
東京都に入りまして、そしてずっと
公害をやったわけでございます。
私がいままで見ました
工場というのは約一万ほどございます。それから苦情、陳情などの
処理をしましたのが約五千ほどございます。したがって、私が覚えましたことは、全部からだで覚えたことでございます。頭で覚えた
公害ではなくて、
自分たちがほんとうに
公害をなくすためにはどうやったらいいかというようなことを、私たちは
自分たちで覚えてきたわけでございます。そうやって私が見ますと、いままでの私たちの仕事というのは
一つの科学だけではなかなかできなかったと思います。私はたまたま化学工学をやりましたけれども、化学工学の
分野だけで
公害をなくそうと思ってもそれは非常に無理でした。たとえばばい煙を防ぐためには燃焼管理を十分にやらなければいけない。また、燃焼管理を十分にやっても防げないものについては燃料をよくしなければいけない。また、燃料をよくするためには政策的な問題もあるというようなことから、
公害をなくすための手法というのはたった
一つではないということがよくわかりました。したがって、私たちがいままで現場へ参りましていろいろと指導してまいりました。
工場のほうから私に、どういうふうにやったら
公害がなくなるか、
菱田さん教えてくれと言ってきました。私は現場に参りまして、排出
基準がこうなっておるから、このとおりやればよろしいのですというようなことを現場の
工場長の方にお話ししたとしましても、昭和二十五、六年ごろではそういうふうなことをやる手段を知りません。したがって、私は
工場の中へほんとうに入ってまいりまして、そうして
工場長の立場になって
考えたり、また
公害の担当の課長の立場になって
考えたりしてやってきました。そうやってきて、ほんとうになくすためには、私たちとしては、こういうようにやらなければならないのではないかということがよくわかりました。そういうふうなことを私たちこうやって見てまいりますと、いままでの
科学技術のあり方というのが少し間違っておったのではないだろうかというようなことをやっと最近悟るようになりました。私たちが学校で教わったことは、私はたまたま化学工学ですが、化学の中の化学工学、おれはまたその中の蒸留塔が得意だ、またその中の精留塔が得意だというような、ほんとうに狭い意味の
技術者ばかりをいままで
日本はつくり過ぎたのではないだろうか。したがって、隣は一体何をする人だかさっぱりわからぬというような
技術者ばかりが少しでき過ぎておるのではないだろうかというようなことを私はつくづく感じました。したがって、私のものの
考え方というのは、そういうようなえらい人にはなりたくない。しかし
公害が出てくるものを、どういうところから出てくるかということだけはしっかり押えようということで、私は二十年間にためたものは何かといいますと、
公害工程図というものです。
公害工程図というのは、ある
工場へ原料が入ってまいりまして品物になって出ていく。その中でネガティブなものがどうやって出ていくか、一〇〇の原料が入ってきて製品となっては七〇しか出ていかない。三〇はどこかいってしまっておる。それは大気へ行っておるか、水へ行っておるか、また固形
廃棄物になって出ているか、それはよくわかりませんけれども、そういう形になって出ている。その
公害工程図というものを私は一生懸命つくってきました。実はそういうような者は普通の地方自治体の職員の中にはなかなかおりません。地方自治体というところは、もともとエンジニアは入る余地がないところでございます。まして私のように化学をやった者が地方自治体へ入るというようなことは全く希有のことでございます。私の大学からもやっと後輩が入ってきたのが昭和四十四年か四十五年になってからでございます。そのくらい入ってこない。そういうネガティブなものの
考え方ということについてはさっぱりやろうとしていなかった。やはりこういうようなことが非常に大きな問題ではないだろうかと思うわけでございます。
それではおまえはほんとうに
公害をなくすためにどういうふうにやるんだ、
東京都の
大気汚染をなくすためにおまえはどういうように
考えるかということを、私は知事から質問されます。私はこういうように
考えます。
一つ一つの
汚染物質によってやはり
やり方が違う。たとえば、SOXをなくすためにはやはり一番速効性のあるものは燃料である。燃料をしっかりやればSOXについてはあまり問題はない。しかしNOXについて言うならば燃料だけではうまくない。燃料とあわせて燃焼管理を十分にやることによってNOXはできる。それから光化学スモッグをなくすにはどうやったらいいかとなってきますと、光化学スモッグをなくすためにはやはり燃料だけではございません。自動車から出てくるものがどのくらい出てくるかというようなこと、それから自動車から出てくる
汚染物質をできるだけ制御しなければ光化学スモッグはなくならない。私はそういうようなことから
一つの
汚染物質が一体どういうようなものから出てくるかというようなことを一生懸命やっております。たとえば燃料を一キロリットル燃やしますと
汚染物質がどのくらい出てくるか、これは
アメリカではエミッションファクターという表現でやっております。たとえば燃料を一キロリットル燃やしますと、SOXはこれだけ出てくる、NOX、窒素酸化物ですが、これはこのくらい出てくる。たとえば火力発電所でいいますと、一キロリットル燃やしますと、
アメリカのエミッションファクターでは窒素酸化物は約十一キログラム出てくる。ですから燃料の
使用量さえわかれば窒素酸化物の
排出量がだれにでもわかるような、こういうようなものができています。ところが、
日本には、
自分たちでエミッションファクターというものをつくった人はいません。
環境庁の方たちも実はそういうようなことはやっておりますけれども、それは全部文献によってやっておるわけです。
アメリカの文献を調べて、
アメリカでこう言っておる、どこではこう言っておるという
やり方。私はそうは思わない。やはり
日本ではどのくらい出ておるかということを
自分たちで確かめなければいけないというようなことを私たちは
自分たらでやっておる。たとえば自動車でいいますならば、自動車が一メートル走ったら
汚染物質をどのくらい出すか。SOXをどのくらい出すか、NOXをどのくらい出すか、炭化水素をどのくらい出すか、それからばいじんをどのくらい出すか、アルデヒドをどのくらい出すか、こういうようなことを全部私たちはやっております。
東京都はそういうことをやっておるわけです。そうして
自分たちで
自分のうちの前を自動車が何台通るかということさえわかれば、一台の自動車の出す
汚染物質の
排出量がわかればしろうとでも計算できます。実はそういうことが非常に大事なことなんですが、まだだれもやっていなかった。
実は私たちは、
日本の
科学技術の中でこういうことをやってほしかったわけでございます。そのデータさえあれば私はそのデータを使ったわけでございます。しかしそういうデータはつくっていただけなかった。したがって、
東京都は
自分たちでそれを確かめて実証しています。そういうふうなことを私たちは
自分たちでやってきたわけです。
先ほど、データの
公開とかいろいろございますけれども、そういうようなことですとだれもが
自分でできるわけです。だれもが立ち入らなくてもできる。燃料の消費量さえはっきりわかればできるというようなことになるわけです。そうしてきますと私たちはまたいろいろ障害にあいます。
汚染物質の
排出量を私たちは
汚染強度といいます。そういう
汚染の強さがわかる。しかし、それと
被害者との間に因果
関係はないじゃないか。
環境濃度との間に因果
関係はないじゃないか。何をどのくらい減らせば何がどのくらいになるということは、どうやって計算するのだというようなことを言われます。現実にいままでの
コンビナートを設置する上においての事前
調査ではどういうことをやったかと言いますと、全部大気拡散方式によってやったわけです。それから水質でいうならば水質の拡散
調査をやったわけです。それで事前
調査としていたわけです。言うなれば、大気というものがそこにまだたくさんあるのだ、無限にあるのだ、空気はそこに無限にあるのだ、ですからそれで拡散されていったものはどこにも蓄積されないんだという
考えでやってきたわけです。水島においてもそうですし、また鹿島においてもそうですし、大分においてもみなそうです。そういうようなところはみんなそういうようなことでやってきた。しかし、大気拡散をやった結果どうなったかといいますと、御承知のように水島ではやはりあのようなたいへんな
公害が出ておる。四日市においてもそうでございます。そういうふうに出てまいりますと、空気というようなものはもう無限のものじゃないんだ、限られた容量しかないんだというようなことを私たちはからだで覚えてきました。
東京都の空もやはりそうだと思います。たとえば燃料を一リットル燃やせば、使う空気は十四立方メートルです。したがって、一リットル燃やすと、この半分くらいの空気を使ってしまいます。そうしてそれを全部よごして出すわけです。自動車一台にして一リットルで走れる距離は約十キロメートルくらい。そうやってまいりますと、いかに空気をよけいに使って
汚染して出しているかということがよくおわかりではないかというふうに思うわけです。
そういうふうに、私たちが見ますと、
汚染物質の強度と
汚染との間の相関はないといいますが、実は私たちは亜硫酸ガスについてやってみました。どういうことをやったか。国の
通産省の
考え方は、
煙突を高くすれば硫黄酸化物の
公害はなくなるんだということを昭和四十五年の
大気汚染防止法の実施のときに言いました。それからまた四十四年のときの硫黄酸化物の
環境基準を設定するときにも、約十年間でこれは
環境基準を達成するのだということを言いました。しかし
東京都は三年でやるということを都民に約束しました。その結果どういうことをやったかといいますと、やはり法律でまだきめられていなかった燃料についての規制をやったわけでございます。
燃料をよくすれば、たとえば硫黄酸化物が、昭和四十五年にそのまま出しておけば十五万トン
東京都の空に出ていく、しかしそれを八万トンまでにさせれば、約半分にさせれば、
環境濃度は大体半分になるのだというような
考え方から、燃料をよくすることによって硫黄酸化物の
排出量を減らす、そうすれば
環境の
汚染濃度は減るのだということでやってきました。その結果、昭和四十五年の十二月十八日にスモッグ注意報を出しました。これは冬のスモッグ注意報ですが、それ以来、昭和四十六年には一回もスモッグ注意報は出しません。また四十七年の十二月十八日にほんの二、三時間だけスモッグ注意報を出しましたけれども、
あとはことしになってからは一回も出しておりません。
要するに、
汚染物質の量を半分に減らせれば、文句なしにアベレージとしては半分に
環境汚染は減っていくのだ。その中には大気拡散ということもたくさんあります。風向、風速、大気の安定度、紫外線量、それから収斂域、いろいろなことがあります。そんなようなファクターを全部ネグってしまっても、私は、そういうふうにアベレージから見ればよくなる、またアベレージを下げていけばピーク濃度は出てこないのだというようなことも確認いたしました。そうやってきますと、私たちは、
汚染物質の
排出量をどうやって減らすかということがやはり一番大事なことであるということをつくづく感じたわけでございます。
そうなってきたときに、地方自治体などでやれることは一体どんなことがあるだろうか。法律の規制だけによっていて、その法律の規制だけを待っていても決してよくなりません。私はつくづく感じました。それはどういうことかといいますと、
日本の産業構造そのものから
考えなければいけない。産業構造のあり方がやはり問題なんだ。いままでは
自分の
工場から出す
廃棄物については、確かに
企業は一生懸命やってきました。
公害公害といわれてやってきました。しかし、品物にして一たん売ってしまったものについては全く無責任でした。地域住民がそれを消費することによって出てきた、たとえばプラスチックの問題もそうでございます。それから粗大ごみ、自動車の
廃棄物についてもそうでございます。タイヤなどについてもそうでございます。自動車など、いま
東京都で二百四十万台あります。その二百四十万台の自動車が全部
東京都の道路に捨てられたとします。六メートルおきに一台ずつなるような
状況でございます。それだけのものをそのままぽんと捨てられていっていいものだろうか。そうやって捨てられたものまでこれから
企業は責任を負わなければいけないのじゃないだろうかというふうに私たちは感ずるわけです。
そうやってきますと、私たちは、いままでの自治体の中でそういう大きな
エネルギーが動いている。たとえば
コンビナートについてもそうです。昭和四十八年に
日本では大体二億キロリットルぐらいの燃料を使っていた、昭和六十年に八億キロリットル使う、そうなってきますと、それだけ
エネルギーをぽっと使っていって、そしてそれを全く受け身で守らなければいけない地方自治体の職員としては、それだけでは非常に無理でございます。やはりものごとの本質そのものを何とか
考えてやらなければいけないというようなことを私はつくづく感じるわけでございます。
しかし、残念なことには、そういう地方自治体の職員の中で、
技術者というのは非常に数が少のうございます。特に
公害をやった職員というのは少のうございます。そういう少ない地方自治体へ行きまして、そして
企業が進出してくるときにはどうやってやるかといいますと、全部
企業は
自分のところのデータを示すわけです。そのデータに基づいて、県なり市なりの職員はそのデータで地域住民を説得する、これは私はとんでもない間違いだと思います。
自分のところでデータがつくれないから、
企業からもらったデータをそのままうのみにして、そのままで地域住民を説得する。したがって、地方自治体の職員には信頼感がないということをよく地域の住民からいわれるわけです。
こういうような地方自治体職員の中の
技術職員の不足ということが、やはり非常に大きな問題になるわけです。私はたまたま
東京におりますので、いろいろな頭の先生方がおられるから、いろんなことがわからないときには聞きに行けます。しかし、ほかの一般の地方ではそういうことができない。そういうようなことについてやはり明らかにすることが私たちの仕事ではないだろうかというふうに
考えるわけでございます。
そういうふうに私たち見ますと、いままでの物をつくるときのポジティブなフローシートだけではなくて、ネガティブなフローシートのほうがむしろ大事ではないかと思うわけです。そういうネガティブなフローシートをつくって、そしてそういうようなもののマテリアルバランスをしっかりする、物質収支をはっきりやることが、これからの
科学技術の一番大事なことじゃないかと思うわけです。そして私が感じたことは、やはり
技術者が
自分の
技術の
分野だけにとどまらない、いろいろな人の
分野の中で、それの総合された
技術でなければいけないと思うわけでございます。
私はここで
一つの
提唱をしたいと思います。
アメリカがアポロ
計画をするときにやりましたあのビッグサイエンスの思想というものが、なぜ
日本には採用されないのだろうかということを
考えます。
日本のいまの
技術をもってすれば、そして目的と目標がはっきりさえしておれば、私は決してできないことはないんじゃないだろうかというふうに感じます。それにはほんとうにあらゆる
分野の
専門の
技術者が必要である。また、その
専門の
技術の人たちは、
自分の土俵で相撲をとろうということではなくて、みずからそちらのほうに出かけていってお互いに勉強するというような姿勢でなければいけないんじゃなかろうかというふうに感じられます。
以上が私の説明でございます。ありがとうございました。