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1973-06-06 第71回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第14号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十八年六月六日(水曜日)    午後一時二十一分開議  出席委員   委員長 石野 久男君    理事 藤波 孝生君 理事 前田 正男君    理事 粟山 ひで君 理事 原   茂君    理事 瀬崎 博義君       石原慎太郎君    稲村 利幸君       加藤 陽三君    松永  光君       井上 普方君    堂森 芳夫君       近江巳記夫君    北側 義一君  出席国務大臣         国 務 大 臣         (科学技術庁長         官)      前田佳都男君  出席政府委員         科学技術庁長官         官房長     進   淳君         科学技術庁研究         調整局長    千葉  博君         厚生政務次官  山口 敏夫君         厚生大臣官房審         議官      柳瀬 孝吉君         通商産業省公害         保安局参事官  田中 芳秋君  委員外出席者         文部省大学学術         局技術教育課長 齋藤寛治郎君         参  考  人         (東京大学助手宇井  純君         参  考  人         (社団法人産業         公害防止協会会         長)     進藤武左ヱ門君         参  考  人         (元立教大学教         授)      武谷 三男君         参  考  人         (アグネ技術セ         ンター所長)  長崎 誠三君         参  考  人         (東京公害局         規制指導部副主         幹)      菱田 一雄君         参  考  人         (横浜国立大学         教授)     宮脇  昭君     ————————————— 本日の会議に付した案件  科学技術振興対策に関する件(環境科学技術に  関する問題)      ————◇—————
  2. 石野久男

    石野委員長 これより会議を開きます。  科学技術振興対策に関する件について調査を進めます。  環境科学技術に関する問題調査のため、本日、東京大学助手宇井純君、社団法人産業公害防止協会会長進藤武左エ門君、元立教大学教授武谷三男君、アグネ技術センター所長長崎誠三君、東京公害局規制指導部主幹菱田一雄君及び横浜国立大学教授宮脇昭君、以上六名の方々参考人として御出席願っております。  この際、参考人各位に一言ごあいさつ申し上げます。  本日は、御多用のところ本委員会に御出席くださいまして、まことにありがとうございます。  御承知のとおり、昨六月五日は世界環境の日であり、わが国においても、昨日より一週間を環境週間として、国民一人一人が環境問題を身近なテーマとしてとらえ、考えるよう、環境庁中心となり、各省庁、都道府県を通じて国民積極的参加と協力を呼びかけ、各種の行事が行なわれております。  そもそも国連がこの日を制定したのは、昨年ストックホルムにおいて開かれた国連人間環境会議における日本代表提唱がきっかけとなったものであります。提唱国であり、また公害先進国といわれるわが国が、世界に先がけて環境週間を設けたことは、非常に意義深いことであります。  いまや環境問題は、全人類共通の課題として世界各国地球的規模で対応しなければならないときであり、世界的にもその機運が醸成されつつあります。  世界環境の日の提唱国であるわが国が、その面目にかけても、単にかけ声だけでなく、公害のない国づくりのための具体的な環境科学技術政策分野においても積極的に世界にその範を示すべきであると考えられるのであります。  そこで、本日は、専門家である参考人各位から、わが国環境汚染実態、また環境科学技術政策あり方等について御意見を承り、本問題調査参考に資したいと存じます。どうかそれぞれの立場から、忌憚のない御意見をお述べくださるようお願い申し上げます。  なお、参考人の御意見の開陳は、お一人十五分程度にお願いすることとし、後刻、各委員からの質疑の際、十分お答えくださるようお願いいたします。  それでは、最初進藤参考人よりお願いいたします。
  3. 進藤武左ヱ門

    進藤参考人 進藤でございます。  環境問題というのは非常に広範な問題でございますし、また現在の問題とともに将来に関する非常に大きな問題でございますから、われわれ実は毎日公害問題と取っ組んでおるものといたしましては、その全般に対する対策と申しますものは非常にむずかしい問題でございますが、しかし、いまお話のありましたように、現在日本公害問題というのは世界的に有名な状態になっておりますので、現在の公害を一体どうして早くきれいな環境にしていくかという問題と、将来公害を起こさないようにするにはどうしたらいいか、この二つの問題があると私は思うのであります。  現在おもに公害対策として政府並びに民間で行なわれておりますのは、現在起きておる公害をどうするかという問題に集中されておるようでございます。現在起きておる公害実態を見ますと、戦争後経済成長中心産業政策であり、あるいは国の経済政策でありますために、公害問題というのは、ほとんど産業界あるいは一般国民に理解もされておりませんし、それに対する対策等につきましても、この数年前まではほとんど関心がなかったと言って差しつかえないのじゃないかと思うのであります。  ただいま公害問題として取り上げられておるいろいろな問題を見ましても、大体過去のいろいろな公害原因が集積して現在の状況になった問題が多いわけでございまして、われわれから見ますと、現在の公害対策というのはあとから追いかけておるというふうな気がしてしかたがないのであります。しかし、これから先、現在の既存公害に対する対策をできるだけ早く片づけまして、将来再び公害を起こさないのにはどうしたらいいかという問題について、組織的に、しかも官民一緒になってこの対策研究し、実施する必要があると思います。  私は、公害対策の一番根本は、国民社会道徳をぜひひとつ高揚さしてもらいたいということでございます。たとえば廃棄物を例にとってみましても、国民社会道徳が非常に低いと思われますので、至るところにごみの山を築いておるというのが現状でございます。しかも一方では、日本世界でほとんど一、二といわれる資源消費国でございます。ところが、資源を使う使い方を見ますと、たとえばGNP単位当たり資源所要量というのは世界一大きいのでございます。日本国産資源が少ないのにかかわらず、海外から資源を非常にたくさん輸入しまして、そしてその資源使い方を見ますと、これがまた非常にぜいたくに使われておる。そして、その結果、廃棄物で国全体が苦労しておるという現状は、どうしてもこれは単に技術的に解決しようとしてもできない問題でございまして、これは国民社会道徳をまず高揚していただきたいということが私の一つの大きな念願でございます。  それからもう一つは、どうもいまの公害対策あとからあとから追いかけていく、われわれの関係しております電気事業をとりましても、煙害を防ぐために、あるいは大気汚染を防止するために大きな高い煙突をつくれということで、一基四、五億円もする煙突をつくりますと、あとから今度はLPGを使わなくちゃいかぬとか、いろいろ燃料の変化をやらなくちゃならぬ、それに対しましてまた対策を講じなくちゃならぬというふうに、どうもあとからあとから公害対策が追いかけていくようないまの状態は、私は非常に資金あるいは労働力のロスであろうと考えておりますので、この点もできるだけ早く現在ある公害基本対策というものをしっかり検討いたしまして、そうして先へ先へと手を打っていくという形をぜひつくっていただきたいと思うのであります。  先般田子ノ浦のヘドロを拝見に参りましたのですが、ヘドロ材料木材でございます。そしてこの木材海外から輸入しておる木材が非常に多いわけでございますが、その輸入材の原材料の五%ぐらいがヘドロになって海をきたなくしておって、そしてそのヘドロを片づけるのに、また数億円の金をかけてこの処置をしなくちゃならぬというふうな現在の公害対策は、できるだけスピードを上げて解決をして、そしてこれから先の公害はできるだけセーブするという対策が私は必要だろうと思いますが、それに対しましては、技術はもちろん大切でございますが、これから先の公害に対しましては、やはり列島改造でございましょうか、とにかく公害を発生するもとと公害を受けるもととの関係をどうするかという問題が大切でございます。でありますからして、たとえば都市計画をいたしますのにも、どういう形にすれば公害が防げるかというふうな問題もぜひ検討していただきたいのでございます。国土開発計画のいろいろな計画のうち、公害をどうすれば発生しないように防げるかという問題を、計画の大きな考え方の基礎としてぜひやっていただきたいと思うのであります。  現在は公害発生源、たとえば工場でありますとかあるいはコンビナートができますと、そこを目がけて今度は被災物件と申しますか、公害を受けるほうの側の方々が集まってまいります。でありますから、こういう点は都市計画でありましても、あるいは国土計画でありましても、初めからよく検討しまして公害ができるだけないようにする。現在問題になっておりますたとえばむつ小川原の大きなプロジェクト、あるいは東苫小牧計画等につきましては、ぜひひとついまのような計画を事前に十分練っていただきたいと思うのであります。四日市でありますとかあるいは水島、または鹿島、五井、尼崎等既存公害を出すといわれておるコンビナート、あるいは都市実態を十分に検討しまして、再びそういう問題を起こさないような計画をぜひやっていただきたいというのが私のお願いでございます。  以上であります。
  4. 石野久男

    石野委員長 ありがとうございました。  次に、武谷参考人にお願いいたします。
  5. 武谷三男

    武谷参考人 いまから二十年くらい前、一九五四年、われわれは原子力原則を提案し、その翌年でしたか、これが国会原子力基本法に組み入れられたということは皆さん御存じだろうと思います。この中に公開原則というものがあります。この公開原則というものが、公害環境問題の非常に重要なきめ手だということをよく考えていただきたいと思います。  というのは、盛んにいわれております今日の日本公害状態というものの非常に重要な面は、企業秘密を優先しているということ、つまり企業秘密を横行させているということに私は一つのポイントがあると思います。つまり公開原則というものは、企業秘密とか企業優先とかいうものではだめなので、公開原則人権至上命令にする、つまり成長とか高度成長などを至上命令にしてきたことに間違いがあるということになれば、次の至上命令は何かというと、次のではなくて、もともとあるべき至上命令は、これは人権というものを考えなければいかぬということであります。同じ年、一九五四年にビキニの例の有名な久保山さんの事件が起こりました。こういう原水爆実験をいろいろ調べて、結局世界汚染の問題、ネバダで原爆の実験が行なわれても、世界じゅうにばっとその放射能が回って汚染されるということが問題になります。  それからもう一つは、放射能などは、いかなる微量でもそれに応じた被害がある。つまりこの程度ならばだいじょうぶというものではない。したがって、許容量概念というものは明らかにすることによって、この問題をわれわれは究明していったのであります。私が提案いたしました許容量概念、これはアメリカリビー博士と論争して確立したものであります。ここに岩波新書の「原水爆実験」というのがありますが、これをごらんになればよくおわかりになると思います。これは、その後世界じゅう許容量概念が大体この線に来ている。つまり微量ならば無害であるというのではなくて、いかに微量でもそれなりの被害があるということ。したがって、ちょうどレントゲン検査考えられるように、その人にとって有利と有害とのかね合い、その人にとってということを忘れてはいけない。人権的な概念ということなのであります。この許容量概念をはっきりさすということでやってきたのですが、今日まだこれが徹底していないようであります。これは、ほかの毒物その他についても、新しいいろいろなものについても、ますます適用されてきた、当てはまってきたということであります。  同じ年にまた黄変米事件が起こっております。ここにやはりこの許容量概念で論争が起こったのでありますが、この黄変米の問題も、当時これはたいしたことはないとかなんとかいう意見が非常に多かったのですが、今日はこれが追跡された結果、もっと大きな害があるのだということがわかってきたようであります。つまり、当時無害だといわれたのが間違いであるということでありました。つまり許容量概念人権という考え基本になっていなければならない。今日の状態考えますのに、一番重要なことは、根本的に考えを変えなければどうしようもなくなっている。今日ではもうおそいのでありますけれども、とにかくどうしようもない。私が申しますと、成長何%ならいいなどという議論はもう成り立たない。つまり成長をとめてしまえということであります。それは自動車でも何でもみんなそうであります。それ以外に救いはないのであります。いま面積当たりのことがいわれておりますけれども、これはやはり日本という国、ほかに世界的にもそうでありますが、日本は特に面積が少ないところにひしめいている。それが大きなエネルギーを消費している。つまりエネルギー使用を減らせということであります。しかし、日本電力エネルギーは、家庭用に比べてそうでない部分が——欧米に比べてはるかに家庭用が小さいということを念頭に置いていただきたいことを皆さんに強調しておきたいと思います。  それから次に、安全性が確立されていないものは使うなということであります。安全性が確認されたものだけを使えということであります。それも安全性の確認の程度に応じて使え。聞くところによりますと、PCBというものなどは、基準もできないうちから膨大な生産使用が行なわれてきた。これが今日の非常に重大な問題を招いております。その他さまざまな問題は、普通にこれはこの程度ならだいじょうぶだと思っていたのが、とんでもないということにしばしばなっておりますので、今日の進んだ科学技術状態において、これをただ利益のためにだけ使うということはよほど慎重に行なわねばならない。科学技術全体として十分考慮しながら使わねばならないくらい、今日の科学技術というものはたいへんな威力を持っておりますので、ちょっと間違って使うとこれはたいへんなことになるということを考えていただきたいと思います。  許容基準とかいうことがいろいろいわれておりますけれども、これについてどの程度のことが実際に試験されて確認されてきたかということは、はなはだ怪しげなものがあるということを私は言わねばなりません。たとえば動物実験がどうのという話がすぐありますが、動物実験というものは、危険度を示す基準にはなりますけれども、それで安全だという基準にはなり得ないということであります。これはさまざまなことでますます明らかになっております。たとえばサリドマイドなどはその一つの例であろうかと思います。  それから、安全性その他について学者意見が一致しないときには、今日の状態においては、一番安全側意見をとれ、安全側についての主張をとれ、つまり、こっちの人はこう言う、こっちの人はこう言う、その平均値をとろうなんていうことではだめなのであります。つまり、われわれがいままで言ってきたことがみなその後確認されてきている。実際に証明されてきている。これは皆さん十分考えていただきたいと思います。われわれが言ったことに対して、いや、そんなことはないのだというようなことを言ったのはみんなうそになってしまっている。私は自信をもってそういうことを皆さんに申し上げることができるのであります。  それから、原因の認定、たとえば何か公害患者が出た、これを認定するという場合に、つまり原因がどうのこうのということでごたごたいたします。この原則は何かといいますと、ほかの原因だということが証明されない限り、それであるということを考えなければならない。それを認定するということを考えない限りこの問題は解決されないのであります。因果の連鎖をやたらとやっていくようでは何ごとも解決されないのであります。  それからまた、公害病患者が出たという場合に、かってな検査方法をつくって、その検査に当てはまらない、つまりその検査で検出されないから、これは公害病ではないという言い方がしばしばありますが、これはむしろもっと慎重に、検査方法を場合によって検討しなければならないということであります。  それから、新しい科学技術を使う場合に、廃棄物処理保証のある限りにおいて生産使用せよ、その廃棄物処理保証のないものないしは量、それは使うな、大体以上申しましたことが基本的な原則であります。
  6. 石野久男

    石野委員長 ありがとうございました。  次に、宇井参考人にお願いいたします。
  7. 宇井純

    宇井参考人 都市工学宇井でございます。  日本公害がこれほどひどくなりましたが、よく考えてみると、ひどくなるはずがない条件がございます。まわりが海で、その上、潮の干満があって、雨がよく降って風が吹くというふうに、世界の中では一番公害がたまりにくい条件がそろっている島国であるにもかかわらず、これだけひどくなったというのは、当然出すほうがひどいからであります。水銀カドミウムPCBというふうな問題につきまして、世界最初に大規模汚染が起こったのは日本でありますから、文句なしに世界で一番先進国になったのでありまして、先進国日本に対して、いまさらアメリカヨーロッパ後進国から理論や対策を持ってくるようでは、間に合わないということははっきり申し上げられます。ところが、この簡単な事実が学者の中では必ずしもまだ徹底しておりませんで、依然として横文字を縦に直すような学問が通用しているというのが現状であります。  ところが、日本公害の歴史を調べてみますと、一番公害に対する考え方が進歩したのは現代ではなくて大正時代です。大正時代に、たとえば日立鉱山などでは、自分の費用で、どこまで鉛害が及ぶか、そのために山林の生産力がどれだけ落ちるか、世界じゅうで最も鉛害に強い種類の木は何かというふうなことを自費で調査しております。あるいは被害者のほうから、せめてここまで処理をしてほしいというものを設計しまして発生源に取りつけるというふうなことをやっております。生産を場合によっては落としてでも公害を食いとめようとしたのも大正時代にすでにあることでありまして、今日、私の専門といたします水処理分野で根本的な技術的対策というものは、大体大正時代にすでにその源ができております。  こういうひどくなった日本公害に対して、外国基準値とかあるいは外国対策は当てはまるはずがないのです。水銀問題では特に世界で最も多量に水銀農薬をまいた国としまして、ヨーロッパに比べてほぼ百倍まいております。それからPCB汚染もほぼ百倍程度魚に認められます。そういうところで、特に魚をたくさん食べる日本人に外国並み基準を当てはめれば、病気が出ないほうがおかしいのであります。これまでの調査では、武谷先生があげられました放射能の例は水銀にもそっくりそのまま当てはまります。  そこで、現在の水銀基準は大幅に見直しが必要であろうと思われます。現在いろいろな研究環境問題についてなされておりますが、このやり方ではおそらくはんとうのことはわからないであろうということを、かなりの確信をもって申し上げられます。  まず第一に、研究をする人間あるいはその研究を統括する人間が、いまの制度では環境問題というものを全然つかめません。たとえば、生活関係する審議会委員公害企業経営者が選ばれたり、あるいは公害研究する国立研究所設立委員に財界の代表とか、過去に企業と結託して公害をもみつぶそうとした学者が選ばれるような現在の状況では、まともな研究ができるとは思われません。私の知る限りでは、こういう人的構成国会の承認を得て国会の段階である程度修正できると思われます。  第二に、現在の研究は全体としてあと追いであることは事実であります。水銀が見つかれば水銀だけはかる、カドミウムが見つかればカドミウムだけはかるというふうに、次々に汚染物質を追いかけまして、その間に何ら関連が見られません。私どもがもし完全に原因不明の水銀汚染調査をするといたしますれば、水銀だけではなくてほかの金属もはかります。ほかの金属もはかって、どの発生源から出たものが現地に一番似ているかということから発生源を推定いたします。そうしますと、一見毒でない金属も分析する必要がございます。また、食べるものだけではなくて魚のえさになる生物、鳥のえさになる生物というふうに、一見生活関係のないような材料調査する必要があります。したがって、自然をできるだけ総合的に見ようとするやり方をとらない限り、環境汚染実態ははっきりいたしません。こういう並行分析方法はいますぐにでもできるはずであります。  現在のところ、公害病については患者の分布すら正確につかまれておりません。これはカネミ油症にしましても、水俣病でも、長い間地方自治体行政まかせで、中央官庁は全然知らぬ顔をして通しております。したがって患者の数すらわからない公害病がたくさんございます。  それからもう一つ、わざとわからなくしているのではなかろうかと思われる要因もございます。たとえば最近通産省で行ないました水銀排出量工場からの報告をまとめた結果を見ますと、私がかつて働いていた日本ゼオン、未回収であった水銀が七・七トンと報告され、その中で川に出た分が三十五キロであろうと推定されると書いてあります。どうしてこういう数字が出てきたのか私には全然わかりません。私が働いていた一年余りの間でも、川へ出たのは三十五キロではきかなかったはずであります。まして十数年生産を続けていてたった三十五キロというのは、工場側の言い分をうのみにしただけにすぎない。そういうふうな不確かな数字をもとにして幾ら議論を重ねても、実態とはかかわりないではないかと考えます。あるいは環境庁が現在地方に通達しております水銀を含んだどろを蒸溜水で中性で抽出して水銀が出てこなければ海に捨ててもよいというふうな試験方法、これもわざと溶け出さなくなる方法を選んだのではないか。たとえば海水の中に入ったときに何が作用するかということは、海水で試験しなければわかるはずはありません。むしろ捨てることをねらって分析方法考えていくというふうな気すらいたします。  それから、通産省で行なっております瀬戸内海の模型実験などというものも、おそらく何十億でも金を食うでありましょうが、それから出てくる結果というものは、公害問題とは全く関係のないことしか出てまいりません。先日発表されました水産庁のPCB汚染の結果にしましても、七、八割方発生源がわかるのに、これは発表できないというふうなことをいっております。こういうことはやはり国会の場で相当厳重にチェックができるのではなかろうかと感じております。  それからもう一点、大正時代調査から振り返ってみますと、現在の企業はまことに無責任であります。たとえば公害被害調査自分の会社の金でやった例すらほとんどございません。行政に全部まかせきりまして、行政のほうで何とかやってくれという態度です。これだけ発電所が問題になっておりますときに、電力会社の中で亜硫酸ガスの汚染、温排水の影響について、だれでも納得のいける調査既存の発電所でされたという例を私は寡聞にして知りません。もちろん論文の形では出ているかもしれませんが、住民が見て参考になるようなものは皆無であります。自分が出したものがどこまで届いているかわからなくて、どうやってとめられるのでありましょうか。こういうあいまいな資料、あいまいな材料を出発点にいたしまして、ほんとうの議論というものはできないと考えられます。現在、各地の公害反対住民運動のほうがはるかに足で歩いてまともな調査をやっております。  たとえば、松の枝が枯れているかどうかを地図の上に落としていきますと、大気汚染発生源は比較的はっきりする。あるいはモクセイの花が咲かなくなった地点を地図の上に落としていくと、アルミ工場大気汚染がそこまで及んでおることがわかったとか、あるいは海底の生物の分布を調べる、そういったすぐれた研究が高校や中学の先生によってこれまで数多くなされております。私は東大の都市工学におりますけれども、そういうりっぱな研究が東大の都市工学でなされたという話を全然聞きません。  結論といたしまして、科学技術の振興で現在の公害問題がどれだけ解けるかということについては、ほかの分野は私によくわかりませんが、水についていえばほぼ半分であります。ほぼ半分程度がやっと解ける程度でありまして、残りの半分は、しばらくの間は技術的に解けないだろう。たとえば海をよごしてしまったPCBを回収するなどということは、これは完全に不可能であります。技術を振興するというときに、金をかければいいという考え方がしばしば繰り返されます。私は、どうやら金をかける段階ではなくて、その前に体制をどうするのか、いまのままで金をかけてやれるのかということを問題にすべき段階ではないかと考えます。  これで終わります。
  8. 石野久男

    石野委員長 ありがとうございました。  次に、長崎参考人にお願いいたします。
  9. 長崎誠三

    長崎参考人 アグネ技術センターの長崎でございます。  アグネという名前が奇妙なので、ちょっと説明させていただきます。アグネというのはAGNEといいまして、AはアリストテレスのA、GがガリレオのG、NがニュートンのN、EがアインシュタインのEという名前をとったもので、現在は測定とか分析を主としている研究所であります。  私がまず申し上げたいのは、最近、環境週間というせいではないと思うのですが、異常な事態がいろいろ摘発されているということです。それで、特に私にとってショッキングだったことは、おとといの朝のテレビのスタジオ一〇二で、魚であるとか、あるいはブタであるとか、ネコであるとか、カエルであるとか、そういうものに奇形だとかあるいはいろいろ奇病を持ったものが非常に続発しておるという報道がされておりました。その中で言われたことは、その原因物質はわからない。しかし、何か汚染が非常に増大しているのではないかということです。確かに、原因はわからないけれども、現在汚染が増大しているということは明らかであろうと思います。  ちょっとその一つの例をお目にかけたいと思います。これはおそらく自動車のガソリンに添加されている鉛による汚染だと思われますが、鉛並びにそのほかの重金属についての汚染がわれわれ東京の中でどういうふうになっておるかということのデータです。これはわれわれが普通住んでいる部屋であるとか、事務所であるとか、あるいは窓のサッシュであるとか、そういうところにたまっているごみを集めまして分析した結果です。一応昨年の五月とことしの六月三日に集めたごみについてのデーターをここに記載してあります。さしあたり鉛と亜鉛と銅についての測定値です。  そういたしますと、非常に驚くことは、われわれの身の回りにあるほこりの中には、鉛というものは、大体一〇〇〇から少し多い場合ですと一八〇〇とか一七〇〇PPMとかいうオーダーの鉛が存在しているということです。さらに亜鉛についていえば、大体二〇〇〇から三〇〇〇、非常に多い場合には、たとえば道路のガードレールのところのごみというようなものをとりますと、五〇〇〇とか六〇〇〇というような値もございますが、一応二、三〇〇〇の値を示しているということです。それから、たとえば銅というようなものをとりますと、やはりこれも数百PPMというオーダーを示しております。東京でも少し離れた東久留米であるとかあるいは埼玉の飯能であるとか、そういうところのごみをとってきて測定いたしますと、これはそれほどは多くはない。確かにかなり多いのですが、それほど多くはない。たとえば東久留米の鉛についていえば、一九〇PPM、それから亜鉛は七七五、銅が四三〇というような値を示しているということです。  それでは、自然界にどれくらい鉛があるかというと、こういうちりではありませんけれども、たとえば土壌の場合ですと、平均的には二〇とか三〇とか、せいぜい五〇ぐらいの鉛であるということです。それから銅だとか亜鉛についていえば、やはり一〇〇とか二〇〇程度のオーダーの量だということです。東京の場合ですと、少し汚染がひどいということもありまして、たとえば日比谷公園の近所というようなところの土壌をとりますと、それは鉛についていえば二〇〇とかその程度のオーダーはありますが、それほどの鉛量ではないということです。しかしわれわれは、こういうようなちりやほこりの中に日常生活をしているということです。  それで、実際にはガソリンの中に添加する鉛の量というのは、発表によれば減っているわけです。たとえば環境白書にも掲載されておりますけれども、四十四年というような段階では、一ガロンに対して二・三四ミリリッターの四エチル鉛を添加しているわけです。これは高オクタン価のほうのガソリンです。それが四十五年には一・一七となり、四十六年には〇・八一となり、さらに四十七年はもっと減っているだろうということです。  それから四エチル鉛の輸入量というものも、実際に四十四年を境にして幾分減っております。減っているから、もうこういう鉛の問題はわれわれの身の回りからなくなったのだろうというふうに一見思うわけですが、実はそうではない。自動車から排気された鉛というのは、こういう都会の中ではますます蓄積され、それがわれわれの日常の身の回りに一般に飛びかっているということに結論としてはなるわけです。  そのほか、先ほども宇井参考人が言われましたけれども、たとえば亜鉛も非常なオーダーの増加を示している。銅もどこから来るかわからないけれども、非常なオーダーの増加を示しているということです。こういうことが、われわれかなりの年配のおとなはともかくとして、乳幼児とかそういうものに与える影響というものは、決して無視できないであろうというふうに考えられます。一例を申し上げましたけれども、汚染実態というのはこういうことであるということです。  それでは、そういう環境汚染をわれわれはどうしたらなくすことができるかという問題になります。それは非常に極端な話をすれば、汚染源をなくすということです。ですから、自動車の場合でいえば、鉛の添加をまずなくすということが最も手っとり早い解決の道です。しかし現状の問題として、いろいろな企業であるとかそういう場合の対策は何かというと、やはり汚染源を突きとめるということです。先ほどの宇井参考人の話にありましたけれども、PCBの例でいうならば、かなりのものはわかっているのに公表されないとか、それからまだわからないものがかなりあるというようなことですが、そういう汚染源を徹底的に突きとめていくということが一つです。そしてその汚染源から汚染物質を出させないということになると思うのです。ところが、汚染物質を出させないということは簡単なんですが、そういたしますと、今度は中にどんどん蓄積をされる。現在の技術的段階では、たとえば排煙脱硫であるとか、あるいは粉じんにいたしましても、九九とかいうオーダー、そういうものをとることが可能であります。ということはどういうことかというと、企業の中にたとえば硫黄であるとか、あるいは石こうであるとか、いろいろな形の粉じんであるとか、そういうものがどんどん蓄積されてくるということになります。そういたしますと、一つの解決法としては、そういうものをこっそりまた別なところで捨てるという問題が一つあります。それから、さらに違った形に姿を変えて利用していくということが一つあります。しかし違った形に姿を変えるということは非常に危険であって、何が入っているかわからないものを、違った形に姿を変えるということで汚染をさらに拡散させていくという問題があります。それから、さらに汚染の一時期を幾ぶん延ばすだけにすぎないという場合があります。最終的にはそうやって、たとえば蓄積したものについてはそれをもう一度資源として利用していく、完全なクローズドサーキットを企業がつくっていくということが要求される問題だと思います。  その次の問題でもう一つは、汚染物質の廃棄、われわれが日常の生活をしている中では廃棄物というようなものがたくさん出てくるわけです。それから、企業にとってもそういう産業廃棄物というものはあるわけです。そういうものを、やはり汚染を拡散しない、汚染されないで処理をしていく問題だと思います。たとえば廃棄物処理ということについては、現在いろいろな研究がなされておりますけれども、それについても、先ほど発生源について申し上げたと同じことが言えます。  もう一つ、これについて忘れてはならないことは、回収という問題がこれに伴うということです。そういう回収ということを忘れては、こういう廃棄物対策は成り立たないということであります。そういう直接的に汚染をなくすという問題について、いま申し上げたことが言えると思います。  それから次に、非常に大きな問題は、いかなる汚染がされているかということです。やはり実態を明らかにしていくことです。これについては、先ほどもお話がありましたけれども、従来の調査というものは、ともすれば水銀なら水銀だけを、カドミウムならカドミウムだけをということであります。そうではなくて、もっと広範に、われわれの身の回りには自然状態と違って何が蓄積されているのか、何が異常にあるのかという、そういう実態をつかまえていく必要があるということです。そのことは、議論としては確かにつかまえていく必要があるということで、それをやればいいではないかということになりますけれども、実際の実現の手段ということになりますと、これは技術的にはいろいろ困難な問題を伴います。やはりそういう意味での武器を——武器といいますか測定手段というものを緊急に開発する必要があるということです。  それからもう一つ、ここで忘れてはならないことは、そういう意味での測定手段というものは、機器だけではないということです。いろいろなそういう環境の中に居住して生活している人間が最も感度の高い測定器であるということです。たとえば、においというようなことについていえば、現在ではいろいろ物理的な測定器というものはほとんど役に立たない。人間の鼻が最も敏感な測定器であるということです。そういう中においてそういう環境生活している人間を忘れてはいけないということです。機械的な言い方をすれば、人間が感知したデータというものを率直に取り上げていくということ、そしてもう一方では、やはり総合的な測定機器の開発ということによって、過去の自然的な、少なくともいまよりは汚染されていなかったときに比べて現在はどういうように汚染されていっているかということを至急に把握する必要があるということです。  三番目の問題といたしましては、そういう中で一番問題になることは、一つ企業の社会的な責任ということです。企業としては、自分たちがつくったものは何であるか、少なくとも廃棄という問題も含めて、そういう商品が何であるかということを明確に示す必要があるということです。これは、いまたとえば中性洗剤というものが問題になっております。ところが、皆さんお宅に帰られて、中性洗剤が入っていると思われる洗剤の容器がありますが、その表示をごらんになればわかると思いますが、成分というものは何と書いてあるか、ただイオン系とか非イオン系という表示がしてあるにすぎません。世の中ではABSだとかそういうことを言いますが、そういうことは一言もうたっていないということです。表示の問題はそのほかにもいろいろございますが、少なくとも自分たちのつくって出しているものが何であるか、われわれ消費者に使わしているのは何であるかということを、やはりメーカーとしては明らかにしていく義務があるということです。また、そういうものの影響について明らかにする義務があるということです。  それから二番目の問題は、消費者としても一定の——先ほど申し上げましたように回収という問題を考えれば、やはり消費者側にも一定の努力すべき点はあるということです。しかし、最後に問題になるのは、やはりそれを行なう国側、政府側の姿勢の問題だろうと思います。たとえば、一つはまずそのデータを明らかにするという問題です。現在では国設の観測所であるとかいろいろな意味での観測所が日本全国にかなりの数あるそうですが、そういうところのデータというものが、たとえば四十四年度の公害白書の中にはかなりのデータが、いろいろな金属とかそういうものについても表示されております。四十五年度にもその中の一部は表示されております。ところが四十六年度、それから四十七年度版と称している環境白書ですが、それになると、そういうデータは全部姿を消しているということです。いまさしあたり問題にはなっていないけれども、鉛だとか水銀だとか、そういう金属ではなくて、そのほかの、私が先ほど申し上げました亜鉛にいたしましても、マンガンにいたしましても、バナジウムだとかベリリウムだとか、そういうようないろいろな金属というものがどの程度存在するのか、どの程度各地で汚染が滲透しているのかということは、やはり国としても、そのデータを交換し、明らかにしていく必要があるということです。  もう一つの問題は、たとえば六月六日、きょうづけの毎日新聞を拝見しますと、それには「市場の魚も汚染」ということで十都道府県のPCB調査の話が載っかっております。その最後に、環境庁PCB汚染の定期検査ということで公明党の岡本議員が質問したことに対して、環境庁の岡安水質保全局長が答えておられます。それは「一般の有害物質は定例的に調査しているが、PCBもできれば、この項目に入れたい」という発言をされています。ところが四十七年版、だから四十六年度の環境白書の四百三十八ページのほうにいろいろな対策が書いてありますが、そこの最後の項目を読みますと、四十七年度にはさらにPCBについても調査研究を行なうことにしているということが書いてあります。でありますから、当然四十六年のカネミ油症の問題とかそのほかいろいろなことがPCBについて起こっているわけですから、当然そのいろいろな調査というのは行なわれているはずだろうと思います。そういう意味での政府なり国なりの姿勢というものが、現在やはり問われなければならないのではないかというふうに思います。
  10. 石野久男

    石野委員長 ありがとうございました。  次に、菱田参考人にお願いします。
  11. 菱田一雄

    菱田参考人 私は、東京都の公害局におりまして、大気汚染防止対策を担当しております菱田でございます。また清掃局におきまして、産業廃棄物処理施設の建設担当の副主幹をやっておりますものでございます。  私は、実はエンジニアの学校を出まして、そして東京都に入りましたのは昭和二十六年でございますが、実はそのときから私は公害についてやっているわけでございます。したがいまして、私は公害につきまして約二十何年間ずっとそれだけをやってまいりました。私の友だちはほとんど全部物をつくるほうに行っております。しかし私は、そのときに東京都の空をきれいにしよう、水をきれいにしよう、そういう気持ちから実は東京都に入りまして、そしてずっと公害をやったわけでございます。  私がいままで見ました工場というのは約一万ほどございます。それから苦情、陳情などの処理をしましたのが約五千ほどございます。したがって、私が覚えましたことは、全部からだで覚えたことでございます。頭で覚えた公害ではなくて、自分たちがほんとうに公害をなくすためにはどうやったらいいかというようなことを、私たちは自分たちで覚えてきたわけでございます。そうやって私が見ますと、いままでの私たちの仕事というのは一つの科学だけではなかなかできなかったと思います。私はたまたま化学工学をやりましたけれども、化学工学の分野だけで公害をなくそうと思ってもそれは非常に無理でした。たとえばばい煙を防ぐためには燃焼管理を十分にやらなければいけない。また、燃焼管理を十分にやっても防げないものについては燃料をよくしなければいけない。また、燃料をよくするためには政策的な問題もあるというようなことから、公害をなくすための手法というのはたった一つではないということがよくわかりました。したがって、私たちがいままで現場へ参りましていろいろと指導してまいりました。工場のほうから私に、どういうふうにやったら公害がなくなるか、菱田さん教えてくれと言ってきました。私は現場に参りまして、排出基準がこうなっておるから、このとおりやればよろしいのですというようなことを現場の工場長の方にお話ししたとしましても、昭和二十五、六年ごろではそういうふうなことをやる手段を知りません。したがって、私は工場の中へほんとうに入ってまいりまして、そうして工場長の立場になって考えたり、また公害の担当の課長の立場になって考えたりしてやってきました。そうやってきて、ほんとうになくすためには、私たちとしては、こういうようにやらなければならないのではないかということがよくわかりました。そういうふうなことを私たちこうやって見てまいりますと、いままでの科学技術のあり方というのが少し間違っておったのではないだろうかというようなことをやっと最近悟るようになりました。私たちが学校で教わったことは、私はたまたま化学工学ですが、化学の中の化学工学、おれはまたその中の蒸留塔が得意だ、またその中の精留塔が得意だというような、ほんとうに狭い意味の技術者ばかりをいままで日本はつくり過ぎたのではないだろうか。したがって、隣は一体何をする人だかさっぱりわからぬというような技術者ばかりが少しでき過ぎておるのではないだろうかというようなことを私はつくづく感じました。したがって、私のものの考え方というのは、そういうようなえらい人にはなりたくない。しかし公害が出てくるものを、どういうところから出てくるかということだけはしっかり押えようということで、私は二十年間にためたものは何かといいますと、公害工程図というものです。公害工程図というのは、ある工場へ原料が入ってまいりまして品物になって出ていく。その中でネガティブなものがどうやって出ていくか、一〇〇の原料が入ってきて製品となっては七〇しか出ていかない。三〇はどこかいってしまっておる。それは大気へ行っておるか、水へ行っておるか、また固形廃棄物になって出ているか、それはよくわかりませんけれども、そういう形になって出ている。その公害工程図というものを私は一生懸命つくってきました。実はそういうような者は普通の地方自治体の職員の中にはなかなかおりません。地方自治体というところは、もともとエンジニアは入る余地がないところでございます。まして私のように化学をやった者が地方自治体へ入るというようなことは全く希有のことでございます。私の大学からもやっと後輩が入ってきたのが昭和四十四年か四十五年になってからでございます。そのくらい入ってこない。そういうネガティブなものの考え方ということについてはさっぱりやろうとしていなかった。やはりこういうようなことが非常に大きな問題ではないだろうかと思うわけでございます。  それではおまえはほんとうに公害をなくすためにどういうふうにやるんだ、東京都の大気汚染をなくすためにおまえはどういうように考えるかということを、私は知事から質問されます。私はこういうように考えます。一つ一つ汚染物質によってやはりやり方が違う。たとえば、SOXをなくすためにはやはり一番速効性のあるものは燃料である。燃料をしっかりやればSOXについてはあまり問題はない。しかしNOXについて言うならば燃料だけではうまくない。燃料とあわせて燃焼管理を十分にやることによってNOXはできる。それから光化学スモッグをなくすにはどうやったらいいかとなってきますと、光化学スモッグをなくすためにはやはり燃料だけではございません。自動車から出てくるものがどのくらい出てくるかというようなこと、それから自動車から出てくる汚染物質をできるだけ制御しなければ光化学スモッグはなくならない。私はそういうようなことから一つ汚染物質が一体どういうようなものから出てくるかというようなことを一生懸命やっております。たとえば燃料を一キロリットル燃やしますと汚染物質がどのくらい出てくるか、これはアメリカではエミッションファクターという表現でやっております。たとえば燃料を一キロリットル燃やしますと、SOXはこれだけ出てくる、NOX、窒素酸化物ですが、これはこのくらい出てくる。たとえば火力発電所でいいますと、一キロリットル燃やしますと、アメリカのエミッションファクターでは窒素酸化物は約十一キログラム出てくる。ですから燃料の使用量さえわかれば窒素酸化物の排出量がだれにでもわかるような、こういうようなものができています。ところが、日本には、自分たちでエミッションファクターというものをつくった人はいません。環境庁の方たちも実はそういうようなことはやっておりますけれども、それは全部文献によってやっておるわけです。アメリカの文献を調べて、アメリカでこう言っておる、どこではこう言っておるというやり方。私はそうは思わない。やはり日本ではどのくらい出ておるかということを自分たちで確かめなければいけないというようなことを私たちは自分たらでやっておる。たとえば自動車でいいますならば、自動車が一メートル走ったら汚染物質をどのくらい出すか。SOXをどのくらい出すか、NOXをどのくらい出すか、炭化水素をどのくらい出すか、それからばいじんをどのくらい出すか、アルデヒドをどのくらい出すか、こういうようなことを全部私たちはやっております。東京都はそういうことをやっておるわけです。そうして自分たちで自分のうちの前を自動車が何台通るかということさえわかれば、一台の自動車の出す汚染物質排出量がわかればしろうとでも計算できます。実はそういうことが非常に大事なことなんですが、まだだれもやっていなかった。  実は私たちは、日本科学技術の中でこういうことをやってほしかったわけでございます。そのデータさえあれば私はそのデータを使ったわけでございます。しかしそういうデータはつくっていただけなかった。したがって、東京都は自分たちでそれを確かめて実証しています。そういうふうなことを私たちは自分たちでやってきたわけです。  先ほど、データの公開とかいろいろございますけれども、そういうようなことですとだれもが自分でできるわけです。だれもが立ち入らなくてもできる。燃料の消費量さえはっきりわかればできるというようなことになるわけです。そうしてきますと私たちはまたいろいろ障害にあいます。汚染物質排出量を私たちは汚染強度といいます。そういう汚染の強さがわかる。しかし、それと被害者との間に因果関係はないじゃないか。環境濃度との間に因果関係はないじゃないか。何をどのくらい減らせば何がどのくらいになるということは、どうやって計算するのだというようなことを言われます。現実にいままでのコンビナートを設置する上においての事前調査ではどういうことをやったかと言いますと、全部大気拡散方式によってやったわけです。それから水質でいうならば水質の拡散調査をやったわけです。それで事前調査としていたわけです。言うなれば、大気というものがそこにまだたくさんあるのだ、無限にあるのだ、空気はそこに無限にあるのだ、ですからそれで拡散されていったものはどこにも蓄積されないんだという考えでやってきたわけです。水島においてもそうですし、また鹿島においてもそうですし、大分においてもみなそうです。そういうようなところはみんなそういうようなことでやってきた。しかし、大気拡散をやった結果どうなったかといいますと、御承知のように水島ではやはりあのようなたいへんな公害が出ておる。四日市においてもそうでございます。そういうふうに出てまいりますと、空気というようなものはもう無限のものじゃないんだ、限られた容量しかないんだというようなことを私たちはからだで覚えてきました。東京都の空もやはりそうだと思います。たとえば燃料を一リットル燃やせば、使う空気は十四立方メートルです。したがって、一リットル燃やすと、この半分くらいの空気を使ってしまいます。そうしてそれを全部よごして出すわけです。自動車一台にして一リットルで走れる距離は約十キロメートルくらい。そうやってまいりますと、いかに空気をよけいに使って汚染して出しているかということがよくおわかりではないかというふうに思うわけです。  そういうふうに、私たちが見ますと、汚染物質の強度と汚染との間の相関はないといいますが、実は私たちは亜硫酸ガスについてやってみました。どういうことをやったか。国の通産省考え方は、煙突を高くすれば硫黄酸化物の公害はなくなるんだということを昭和四十五年の大気汚染防止法の実施のときに言いました。それからまた四十四年のときの硫黄酸化物の環境基準を設定するときにも、約十年間でこれは環境基準を達成するのだということを言いました。しかし東京都は三年でやるということを都民に約束しました。その結果どういうことをやったかといいますと、やはり法律でまだきめられていなかった燃料についての規制をやったわけでございます。  燃料をよくすれば、たとえば硫黄酸化物が、昭和四十五年にそのまま出しておけば十五万トン東京都の空に出ていく、しかしそれを八万トンまでにさせれば、約半分にさせれば、環境濃度は大体半分になるのだというような考え方から、燃料をよくすることによって硫黄酸化物の排出量を減らす、そうすれば環境汚染濃度は減るのだということでやってきました。その結果、昭和四十五年の十二月十八日にスモッグ注意報を出しました。これは冬のスモッグ注意報ですが、それ以来、昭和四十六年には一回もスモッグ注意報は出しません。また四十七年の十二月十八日にほんの二、三時間だけスモッグ注意報を出しましたけれども、あとはことしになってからは一回も出しておりません。  要するに、汚染物質の量を半分に減らせれば、文句なしにアベレージとしては半分に環境汚染は減っていくのだ。その中には大気拡散ということもたくさんあります。風向、風速、大気の安定度、紫外線量、それから収斂域、いろいろなことがあります。そんなようなファクターを全部ネグってしまっても、私は、そういうふうにアベレージから見ればよくなる、またアベレージを下げていけばピーク濃度は出てこないのだというようなことも確認いたしました。そうやってきますと、私たちは、汚染物質排出量をどうやって減らすかということがやはり一番大事なことであるということをつくづく感じたわけでございます。  そうなってきたときに、地方自治体などでやれることは一体どんなことがあるだろうか。法律の規制だけによっていて、その法律の規制だけを待っていても決してよくなりません。私はつくづく感じました。それはどういうことかといいますと、日本の産業構造そのものから考えなければいけない。産業構造のあり方がやはり問題なんだ。いままでは自分工場から出す廃棄物については、確かに企業は一生懸命やってきました。公害公害といわれてやってきました。しかし、品物にして一たん売ってしまったものについては全く無責任でした。地域住民がそれを消費することによって出てきた、たとえばプラスチックの問題もそうでございます。それから粗大ごみ、自動車の廃棄物についてもそうでございます。タイヤなどについてもそうでございます。自動車など、いま東京都で二百四十万台あります。その二百四十万台の自動車が全部東京都の道路に捨てられたとします。六メートルおきに一台ずつなるような状況でございます。それだけのものをそのままぽんと捨てられていっていいものだろうか。そうやって捨てられたものまでこれから企業は責任を負わなければいけないのじゃないだろうかというふうに私たちは感ずるわけです。  そうやってきますと、私たちは、いままでの自治体の中でそういう大きなエネルギーが動いている。たとえばコンビナートについてもそうです。昭和四十八年に日本では大体二億キロリットルぐらいの燃料を使っていた、昭和六十年に八億キロリットル使う、そうなってきますと、それだけエネルギーをぽっと使っていって、そしてそれを全く受け身で守らなければいけない地方自治体の職員としては、それだけでは非常に無理でございます。やはりものごとの本質そのものを何とか考えてやらなければいけないというようなことを私はつくづく感じるわけでございます。  しかし、残念なことには、そういう地方自治体の職員の中で、技術者というのは非常に数が少のうございます。特に公害をやった職員というのは少のうございます。そういう少ない地方自治体へ行きまして、そして企業が進出してくるときにはどうやってやるかといいますと、全部企業自分のところのデータを示すわけです。そのデータに基づいて、県なり市なりの職員はそのデータで地域住民を説得する、これは私はとんでもない間違いだと思います。自分のところでデータがつくれないから、企業からもらったデータをそのままうのみにして、そのままで地域住民を説得する。したがって、地方自治体の職員には信頼感がないということをよく地域の住民からいわれるわけです。  こういうような地方自治体職員の中の技術職員の不足ということが、やはり非常に大きな問題になるわけです。私はたまたま東京におりますので、いろいろな頭の先生方がおられるから、いろんなことがわからないときには聞きに行けます。しかし、ほかの一般の地方ではそういうことができない。そういうようなことについてやはり明らかにすることが私たちの仕事ではないだろうかというふうに考えるわけでございます。  そういうふうに私たち見ますと、いままでの物をつくるときのポジティブなフローシートだけではなくて、ネガティブなフローシートのほうがむしろ大事ではないかと思うわけです。そういうネガティブなフローシートをつくって、そしてそういうようなもののマテリアルバランスをしっかりする、物質収支をはっきりやることが、これからの科学技術の一番大事なことじゃないかと思うわけです。そして私が感じたことは、やはり技術者が自分技術分野だけにとどまらない、いろいろな人の分野の中で、それの総合された技術でなければいけないと思うわけでございます。  私はここで一つ提唱をしたいと思います。アメリカがアポロ計画をするときにやりましたあのビッグサイエンスの思想というものが、なぜ日本には採用されないのだろうかということを考えます。日本のいまの技術をもってすれば、そして目的と目標がはっきりさえしておれば、私は決してできないことはないんじゃないだろうかというふうに感じます。それにはほんとうにあらゆる分野専門技術者が必要である。また、その専門技術の人たちは、自分の土俵で相撲をとろうということではなくて、みずからそちらのほうに出かけていってお互いに勉強するというような姿勢でなければいけないんじゃなかろうかというふうに感じられます。  以上が私の説明でございます。ありがとうございました。
  12. 石野久男

    石野委員長 ありがとうございました。     —————————————
  13. 石野久男

    石野委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。原茂君。
  14. 原茂

    ○原(茂)委員 参考人の先生方にはたいへん貴重な御意見をありがとうございました。  時間が限られておりますので、多くの先生方にいろいろお聞きすることが不可能に近いようでございますが、まことに失礼なお伺いのしかたなんですが、二、三の先生の名ざしをしながら一度に一問題についてのお答えをいただくようなことをせざるを得ません。あしからず御了承をいただきたいと思います。  最初にお伺いしたいと思いますのは、武谷先生宇井先生、それから長崎先生に御意見をお聞きしたいのでありますが、日本公害環境保全、こういう問題に関して現在国会中心考えますと、幾つかに分かれてその処理がされるようになっております。たとえば政府責任による公害というのが一つあるわけです。もう一つは、無過失責任、企業の側から無過失に出てくるその責任の追及問題、それからもう一つは、法律とか条例によって取り締まっていこうとする公害環境問題があります。この第三の問題に関しては、その権限の問題も非常に大きな疑問が起きるわけでありますが、これについてはいずれまた言及できるかもしれませんが、その次の問題としましては、いわゆる公害罪というものが別途にといいますか、その原因その他を抜きにして、問題として取り上げられているわけです。  こういうものを考えましたときに、三先生方のいまの御陳述をお聞かせいただきまして、一体、現在起きている公害、現在起きている環境汚染というものの大半は、政府、国が負うべきものだ、あるいは企業の側の負うべきものだ、あるいは公害罪というものに匹敵するものだ、あるいはまた、自治体なりがいわゆる法律あるいは条例で当然この種のものは取り締まりをすべきであるし、それが抜かっているとかいないとか、こういう点でいま経験されておりますいろいろな問題を含めながら概括的に、大部分が国だとかあるいは自治体だとかあるいは企業側の責任でこういう問題は考えるべきだというようなことを三先生から最初にお伺いをいたしたいと思います。
  15. 武谷三男

    武谷参考人 私は、いまおっしゃいましたすべてに責任があると思うのです。それは、そういうことをちゃんとやらせなかった国にもあります。それから、そういうことをちゃんとやらなかった企業にもあります。もちろん自治体にもそういうことをちゃんとやらなかった責任があります。全部に責任があると思います。ですから、それを新しい状況に応じて法律その他を整備なさったり、それを調べたりする仕事をやったり、そういうこともはなはだ手薄のように見受けます。それから企業自身も、そういうことに対して大きな責任がある。つまり、先ほど言いましたような公開原則、その公開原則がほとんど無視されているというのが私の実感であります。したがって、企業秘密の名において企業秘密を横行させたという責任はすべてにあると思います。ですから、企業秘密ということをできるだけ限定する、公共の福祉のために企業秘密を制限せよという言い方が、あるいは皆さんの好きな言い方になるかとも思いますが、そういう秘密が何よりも悪いことである。  それからまた、新しい技術に対してどの程度テストされたものであるかということをよく検討なさる必要があると思います。たとえば有名なサリドマイド事件がありますが、これはアメリカのちゃんとした政府の当局者の一人の女医さんがこれを認めなかった、サリドマイドをアメリカで許可しなかったということによって、アメリカにおいてサリドマイドベビーができなかったというのが有名な例でありますが、そのような例をお考えになってもそういうことはよくおわかりになるのではないかと私は思います。  その他多くの問題がありますが、簡単にさせていただきまして……。
  16. 宇井純

    宇井参考人 責任がどこにあるかということは、実際一つ一つ公害についてかなり違いがございますが、私がこれまでぶつかりましたものについて、大ざっぱにならしてみますと、まず企業六分に行政四分か、企業五分に行政が五分かというふうなところではないでしょうか。水俣病の場合などは、どうも行政六分というふうな感じがするほどに、過去十年くらい前には行政による原因究明の妨害あるいは行政による責任のあいまい化が堂々とやられた問題もございます。こういうことについては、なぜかその後責任が追及されずに今日に来ております。もちろん担当官もかわっておりましょうし、あるいは当時の事情を知る人も少なくなっているということはございましょうが、しかし、どこがまずかったかを調べないことには、これからも誤りを正しようがないということは言えると思います。  それから、公害の現場にいる者の感じといたしましては、法律あるいは条例をつくっていくことには概して懐疑的といいますか疑問を持っております。日本公害防止関係の法律、条例は、いまや大体これくらいの高さになるはずでございます。これで公害がとまったという話をついぞ聞いたことはございません。何でも法律家に聞いた話では、西ドイツの営業法には、営業所をつくるときに地域住民に公聴会で同意を求めなければならないと一行書いてあるそうです。これが実に的確に企業側のいわば監視条項になっておりまして、地域住民がうるさいから汚水処理をつける、地域住民がうるさいから公害防止をするということを経営者から聞いたことがございますが、たった一行でそれだけの効果があるものが、これだけ積み重ねてもないということになりますと、その点かえって法三章の精神に返ったほうがいいのではないかというふうに考えます。  公害罪というものを特別につくりましてどの程度の効果があるか、初めつくられた原案では、たとえば四大公害訴訟に相当するものは引っかからない、過去の事件だからそれは別だということもございましたが、そうなりますと実効はあまりないことになるのではないか。もちろん法律には、実効は別といたしまして、ある条文が存在するために規範的な意味を持つものもありましょうけれども、公害問題のときには、むしろ法律に規範があるのではなくて、現実のどういうふうにして公害一つ一つつぶされていったかということに規範を求めるべきではないだろうか、また、どういう住民運動が有効であったか、どういう科学者の行動が必要であったかというふうな現実例のほうからいくのが、むしろ非常に多様な公害に即しているのではないかと考えております。
  17. 長崎誠三

    長崎参考人 責任があるかという質問をされれば、それは責任の主要なものは行政当局であるし、また企業であると思うのです。しかし、そういうことを言っただけでは、この問題は解決しないと思います。先ほど中性洗剤の例を出しましたけれども、あれほど長い間中性洗剤については問題になっていながら、やはり成文としてイオン系というような、だれが見てもわからない表示をすることで許されているというところに一つの大きな問題があると思います。  たまたまうちが古くなりましたので、うちを建てかえようということを私いたしました。ところが、うちを建てるためにはいろいろな建設の許可が要る、その許可を得るためには、まずここにこういううちを建てるのだという表示をして、それを公に一カ月なりうちの前に出しておかなければならない。それからずっと近所に対してあいさつをして、こういううちを建てるけれども異存はないかということを一々言って、その確認がなければ許可がおりないというほどで、初めてそういうことをやった身にとっては、非常にきびしいことが要求されているわけです。しかし、一たん許可が出たあと、どういうことが起こっているか。たとえば建蔽率というようなものは守られているかどうか、あるいは日照権の問題にしても、そういうことが守られているかどうかということになると、それは全然別の問題になるのです。  公害についても同じことが言えると思います。やはりそういうところにおける行政の姿勢、政府の姿勢ということがない限りは、幾ら法律をつくってもこの問題は解決をしないということです。  それからもう一つは、資本主義社会の中に生きていく企業として、自分たちのつくっているものに対して、そのものがどういうものであるかということを明らかにしていく姿勢というものはやはり絶対に必要なことだろうと思います。
  18. 原茂

    ○原(茂)委員 ありがとうございました。  一通りざっとお伺いするのですが、次に進藤さんにちょっとお伺いしたいのですが、日本公害行政というものを考えますと、いまお話のありましたように貧困の一事に尽きると思うのです。非常な、世界一の公害国であるにしても、その対策行政というような点からいいますと、何といってもこれは貧困過ぎると思うのですが、進藤さんは、いろいろ政府機関のお仕事を長い間されたり経験が豊かでございますので、一体わが国公害行政の貧困の現状を——先ほどお話のありましたように、少なくともすでに起きている公害を徹底的に早く処理をする、そうしてあすの公害に備えるというふうなことをしなければいけないと思いますのに、現在、国家的に各省に機関があるわけですが、一体現状のままで、進藤さんおっしゃったような早期に対策を、過去に対し、未来に対しというようなことが、とてもではありませんが私は不可能だと思う。早急にということは非常にむずかしいように思います。したがって、国家的に行政というものをこうしなければだめではないかということを、ずばりお考えありましたらお聞かせをいただきたい。  それから、菱田さんにお伺いしたいのですが、いま三先生にお伺いいたしましたような観点からいいまして、地方自治体、いま東京都のお話がございました。東京都ですから技術者を雇ってたいへん貴重な研究を現在お進めになっているのですが、地方自治体全体を考えましたときには、先ほどおっしゃったように、技術者を雇うこともなかなか不可能ですし、その種の研究ができないと思うのであります。できないからしかたがないと言ってはいられない。かといって、いま申し上げたように、非常に公害行政は貧困だ。国にだけたよっていたのでは地方自治体はどうなるかわからないということになりますから、いままで研究をされておりました東京都という自治体に属しながら、地方全体の自治体を考えたときに、どうしたら一体——いま東京都だけがああやる、こうやるではなくて、全体の地方自治体としては早急にこれだけのことはやるべきだ、最小限度これだけやらなければ、とても貧困な行政の中で地方住民を守ることは不可能だとお考えになっておるかどうかをお伺いいたします。
  19. 進藤武左ヱ門

    進藤参考人 現在、公害問題が非常に騒がれておりますけれども、公害問題と行政なりあるいは企業が取っ組み出したのは最近十年この方でございます。昭和四十年の初めには、基準はできておりましたけれども行政的にもまだ体制ができていない。ほんとうの現在の公害行政のいろいろの体制というのは、おととしの臨時国会で十四の公害に対する法律ができました、あれが日本行政一つの姿勢をはっきりさせたものだと思います。でありますからして、いまになって公害に無関心で生産一本やりでやってきた過去を顧みまして、いまの行政というか、いろいろの規定でこれを律しようとすることは非常に無理だと思います。  それからもう一つは、規定をつくるとか法律をつくることというのは一番やりやすいことなんです。しかし実際は、その法律あるいは規定で公害を防止するのでなくて、ほんとうの技術なりあるいは企業の経営の面でこれを取り上げていかなくらやならない。そういう体制がほんとうに整ったとはいわれないと私は思うのです。たとえば水の問題をとりますと、私も水資源開発公団におりましたが、利根川からきれいな水を持ってきまして荒川へ落としますと、荒川は自然放流になる。それで浦和の辺までは自然流下になっておる。ところが、われわれのおったときの荒川というものは、一つのごみ捨て場でした。屎尿も捨てますしごみも捨てるという状況だったのです。そこで、これをどうしようかと思いまして、関係県へお願いしたのですけれども、行政やり方が非常に込み入っておって簡単に川の水をどうするということができない。そこでどうしても行政にたよれないと思いまして、水資源公団で荒川の両側へ広域下水道をつくろうという考えを起こして、下水道の一番しまいに浄水場をつくって、これを再生してまた工業用水に取りかえるということを実は政府にお願いいたしましたのですけれども、そうしますと今度は、下水道の所属は一体どこかということで議論が出まして、建設省と厚生省で下水の所管問題がなかなか議論になりまして、結局いま建設省の所管になったわけでございます。どうも公害問題というのがこの最近数年間の間にクローズアップされたものですから、行政組織にしましても、あるいは企業経営者の頭にしましても、また公害に対する決定的な姿勢とか対策というものができておらぬと思います。政府においては環境庁はおつくりになりましたけれども、やはり水の問題は厚生省が関係する、あるいは廃棄物の問題は通産省関係するというふうなことで、さっきお話がありましたように、総合的な考え方対策を講じなければ公害というのはなかなか防げないにかかわらず、やはり一つの組織組織がその分野をやっておるということになっておりますから、私は公害に対しては、この際徹底的に行政組織のあり方あるいは既設法律の内容あるいは規定の内容等をよく御検討を願う。また、民間におきましても、企業がやはり経営の大きなエネルギー、経営の方針の一つの大きなエレメントとして公害を取り上げるという姿勢をどうしてもとらなくちゃこの公害問題は防げないと思うのでございます。  それからもう一つ公害を徹底的に防ぐのには、先ほど来お話がありましたけれども、やっぱり公害のもとをなくすということが一番根本になるわけでありますが、たとえば廃棄物をとりましても、いま産業廃棄物にしましても、都市廃棄物にしましても、この処理にみな手を上げておるわけですけれども、この廃棄物を一体どう処理するかというのには、廃棄物ができるだけ出ないようなものをつくっていく。あるいはものをつくるときに、使用済みになったらそれをどういうふうな処理をするかということを、計画あるいは設計の頭に入れたものをつくっていくという努力が必要じゃなかろうか。私の関係しております工業標準、JISにおきましても、これから公害防止をやるためにJISの問題を取り上げまして、そして工業標準規格をつくります上にやはり公害を防ぐようなものをつくっていくということがどうしても必要じゃなかろうかと思います。  要するに公害問題というのは、最近数年の間に非常にクローズアップされた問題でございますから、まだ私は、行政組織におきましても、あるいは地方の自治体におきましても、また企業経営者におきましても、あるいは一般都民の方にしましても、公害に対するほんとうの対策というのは暗中模索とは言いませんけれども、だんだん固まりつつはありますけれども、決定的な対策はどうするかという問題の検討をやる組織もなければ、またそれだけの熱意もないというのが現状じゃないかと思います。  私がお願いしたいのは、そういうことはやはり行政面から一番先にやっていただきたいということを願っております。
  20. 石野久男

    石野委員長 どうもありがとうございました。  次に、菱田参考人
  21. 菱田一雄

    菱田参考人 私の知っている地方自治体では、いままで保健所におりまして鼠族昆虫をやっていた、鼠族昆虫というのは、ネズミをとったりゴキブリをとったりしていた方が実は公害をやっているというような例が非常に多うございます。そういう方にしてみますと、企業の方が来て話をするということは、全く赤子の手をひねるようなものでございまして、全く何もわからないというのがたくさんあるわけであります。そういう方たちをどうやって技術のレベルアップをするか。もともと素質のない人たちの技術をレベルアップしなければならないこともありますけれども、私は最近のたとえばヤンガーゼネレーションに期待しております。そういうエンジニアの方たちがだいぶ地方自治体に入ってきております。そういう方たちの力というもの、そういうフレッシュエアを私は非常に期待しております。したがって、そういう方たちのために、私たちはたとえば大気汚染研究全国協議会というようなところとか、そういう学会の場で発表したりして、そして、われわれがやったことをいかにして彼たちに伝えるかというようなことも一応やっております。しかし、それも自分たちの意欲がなければやりません。また、自分のところでそういう問題が起きないとやはりやりません。そういうようなことをやるよりもなおいいものは何かといいますと、やはり国としての地方自治体の職員たちの研修機関というものをつくりたいと思うわけです。この研修機関というのは、これは私は企業の方は入れてほしくない。地方自治体の職員の中でほんとうにそういうような面で苦労した人たちの話を聞かせてやりたい、企業の持ってきたデータの裏を見破る技術を教えてやりたい、私はそういうふうに考えます。そういうふうなものがやはり必要ではないだろうか、そういうふうなことをしませんと、地方自治体の職員はいつまでたってもおそらく伸びないであろうと思うわけでございます。  以上でございます。
  22. 石野久男

    石野委員長 ありがとうございました。     —————————————
  23. 石野久男

    石野委員長 質疑の途中でありますが、宮脇参考人が出席されましたので、質疑を一時中断し、御意見を聴取することといたします。宮脇参考人
  24. 宮脇昭

    宮脇参考人 横浜国立大学宮脇でございます。おくれて参りまして失礼いたしました。  現在問題にされているいわゆる公害、自然破壊というふうないわば直接人間の命に影響を及ぼし始めるものに対しまして、わが国では政府も地方公共団体も企業もやっと重い腰を上げている状態でございますが、私たちは実はいままでなぜ環境が破壊されてきたかということを考えてみますときに、いわば一部の企業サイドあるいはいままでの経済の発展をもたらした方たちが言われますように、おれたちも環境の改善をやってきたんだ、電気がなければ、鉄がなければ環境はよくならないではないかと言われることは、いわば時間をストップした、せつな的な人間のあらゆる欲望や経済的な成果が得られるような努力をされてきた、そのようなせつな的な生活環境の改善が日本列島の、地球の、そしてそれぞれの地域の局地的あるいは広域的な持続的な人間の生存環境のワクを越えたところに、いわゆるへたをすれば人間の命にまで影響を及ぼす公害や自然破壊の問題ができているわけでございます。  したがって、いまわれわれが、そしてあすの日本のあるいは世界の人類のために努力してくださる行政皆さん考えていただく公害とは、時間をストップした現在の便利で機能的な生活ではなくして、多少のがまんを強要されても、多少の成長にブレーキがかかっても、あすもあさっても間違いなく健全に生きていける持続的な生存環境、そして、もし人間がさらに文化を創造する能力を持っているならば、いわば人間の心とからだの保障をするための持続的な生存環境の保障こそ現在、そしてこれから戦かわれなければならない、あるいは勝ちとられなければならない環境問題ではないかと思います。  もう一つ環境の要因としては、いままでいわば対策じょうずな日本人が、さまざまな場所でさまざまな公害対策、へたをすれば対症療法的になりかねない、たまたまマスコミに騒がれたもののあと追い対策、鼻ふき運動に終わっている間に、人間も含めた多様な生物社会と彼らの持続的な生存環境のいわばバランスが、あるいはシステムが、だんだんと画一化し進化を強要されている。そして生物は、彼らの最も基本的な生命力、バイタリティーを低下させ、ほんのわずかの影響にもすぐ破綻するような抵抗力の低下をももたらしているわけでございます。  したがいまして、環境要因としてはもちろん、PCBカドミウムも有機水銀も全部十分対応されなければならない。しかし私たちは、単一の重金属で人が死ぬるような問題を、公害あるいは環境問題とすり違えるのは間違いであって、まさに単一の重金属で人が死ぬるような問題は毒殺問題でございます。毒は断固として、たとえどんな善意で行なう過程において出たものであっても、これは国も地方公共団体も企業も、そしてわれわれ一市民に至るまで、全力投球して押えなければならない。しかし、そのような部分的な対策に終わっている間に、いわばあと追い行政的な対策をやっている間に、人間も含めたいわば三十数億年の生命の歴史の最後にやっと間に合って出てきた、いわばホモサピエンスといわれる生物の一種の人間も含めた多様な生物社会と彼らの持続的な生存環境が破綻し、画一化して、気がついたときには、ちょうどわれわれの本質的な共存者として、どこの鎮守の森にもお寺の森にもあったようなモミの木や赤松が、すでに金と新技術を集中投資してつくった一番すばらしい生活環境であると、あるいはそれを願ったであろうところの大都市や新産業用地、たとえばわれわれが調べた場所でも東京、横浜あるいま川崎、四日市、水島、高岡、新浜などには、全くモミの木も赤松もホタルもゲンゴローもあるいはアメリカザリガニすらいなくなっている。それは人間が生き延びれればよいではないかと言われるかもしれませんが、エコシステムの中における私たちの共存者の局地的な大量死は、同じような生きものの一員である人間の生存環境全体が破綻したときにどのような運命をたどるかということを、彼らは局地的な大量死をもって具体的に示しているわけであります。  したがいまして、もちろん個々のいわゆる毒殺問題に対しては全力投球しなければならないけれども、それと同時に、間違いのない、あすもあさっても健全に生き延びるだめの多様な人間の生存環境、いわばいやなやつともがまんしながら共存していくところの多彩な生物社会と彼らの生存環境の先取り保障こそ実は最も大事な問題ではないか。いわば個々の要因を環境とすりかえるのは間違いであって、もちろんカドミウムも有機水銀も亜硫酸ガスも大事でございますし、それは毒殺問題であることは先ほど率直に言わせていただきましたが、人類文明の歴史を見るときに、相手が毒とわかったものに対しては、少し時間の長さを考えなければ、ちゃんと毒を薬にし、しばしばコントロールしてきている。だから毒殺問題に対応すると同時に、私たちは、環境の本質が何であるかということをすべての国民が、あすのための行政の責任者が、正しく理解していただきたい。  私は、環境というのはたまたま出てきている、そしてまだ大部分はわかっていない人間のさまざまな持続的な生存環境要因を総合して、それを生命と関連させたときに初めてわれわれは環境という。したがって環境とは、実は最終的には、いや正しくは生物的な環境、いわば命と関係させて初めて環境でございます。したがって環境保全とは、実は生命の保全であり、そして人間が心を持っているとすれば、まさに心とからだの総合的な保全であり、失われているところでは、何を犠牲にしても奪い返すための総合的な科学の発展、科学教育の発展が欠けているのではないか。  なぜこういう問題にいままで気がつかなかったのか。それは、われわれはあまりにも部分合理主義的にせつな的な技術の改善に、いわば率直な表現を使わせていただきますと、小手先ともいえるような技術の改善によって生命という多様性に対して、しかも時間の経緯の上にわれわれはさらに生き延びなければならない多様な人間の生存環境全体に対しての総合的な理解あるいは把握する能力なり、そういうものを十分身につけ得るひまがなかった、あるいは習わなかった、あるいはむしろ習わされなかったのではないか。したがって、これからの新しい技術、もちろん大事でございますが、むしろいま一番大事なことは、総合的な人間の生存環境全体をいかに先取りし、失われているところでは奪い返すかというところの、むしろ環境科学の、ウンヴェルトヴィッセンシャフトの発展こそ、これからの一見古くさくて間に合わなさそうで、どろくさくて、実は最も間違いのないあすのための環境保全、環境創造の基礎ではないかと思います。  と同時に、それは環境庁公害研究所そのほかの構想を見ましても出てきますように、さまざまなフィジカルな、物理的な、あるいはケミカルな要因を分析し、計量し、それを見出すことは大事なことではございますが、それと同時に、総合的な生命集団と彼らの持続的な生存環境とのトータルシステム、トータルバランスについての総合的な研究が十分なされなければならないのではないかと思います。残念ながら、ヨーロッパアメリカやあるいはソ連に比べまして、わが国にはそのような総合的な人間の持続的な生存環境を保障し、あるいは奪い返すための科学や教育があまりにも行なわれていなかったのではないか。したがいまして、一方においてはいわゆる公害対策、あるいは個々の自然破壊の問題に対してのさまざまな対応策、特に単一の重金属そのほかに対しては、徹底的な発生源対策をやられなければいけない。あるいは発生源において根絶されなければならないと同時に、私たちは、いかにして自然の多様性を奪い返すかという総合的な生命集団全体と、人間も含めた全体と彼らの持続的な生存環境についてのどろくさくしても間違いのない、時間がたてばますます成果があがるような研究あるいは科学の発展のための根本的な対策といいますか、先取りの具体的な初歩がいますぐ実施されなければならないのではないかと思います。  私のたまたま専門といたします植物生態学、植物社会学の立場をもっていたしましても、たとえばどんなに産業が発展し金がもうかっても、陸上でふるさとの木によるふるさとの森が存続しないような、いわば荒廃し切った人工環境の中では、いつまで人間だけが固有の文化を発展する能力をもって健全に生き延びることができるかどうかということ、そして、どんなに産業を発展させても、川の水の中には魚が住める程度でなければ、まあ住んでいても、重金属なんか持っていてかえってわれわれに毒を与えては困りますが、少なくとも生きものが住めないような状態人間だけが生き延びることはできないのではないか。そういう意味におきまして、個々の具体的な技術的な対策なり研究と同時に、総合的ないわば環境科学研究についての施策なり研究所なり、あるいはそういう一つの具体的な問題ができ、そのワクの中できょうの問題とあす、あさっての問題とを間違いなく先取り研究し、その研究成果が根本的な人間の生存環境の保障に役立つように、そして失われているところでは、単なる技術的な対策だけではなしに、私たちの共存者による生きている構築材料、たとえばふるさとの森によるところの環境を総合するための施策あるいは具体的な対策がいますぐ行なわれなければならないのではないか。そういう意味におきまして、きわめて対策じょうずな日本のいわば施策あるいは行政の体系の中において、根本的な総合的な生命集団と彼らのいわば持続的な生存環境に対しての研究あるいはそのような施策が、全くといってよいほどいままで行なわれなかったことはきわめて不幸なことであり、そういう問題をこそあすのための行政の責任者である皆さまに十分御理解いただき、積極的につくり、あるいはそのような成果を行政に取り入れていただきたいと思います。
  25. 石野久男

    石野委員長 ありがとうございました。     —————————————
  26. 石野久男

    石野委員長 それでは引き続いて質疑を続行します。原茂君。
  27. 原茂

    ○原(茂)委員 宮脇先生、さっそくですが、次のことをお伺いいたします。実は武谷先生なりそのほかの先生方の御意見ももしお聞かせいただけるなら、宮脇先生のあとでお聞かせをいただきたいと思います。  現在、総合していえることは、生物環境と生存の問題、もっと今日的に言うなら、生物の生存権と公害という大きなテーマにわれわれは取り組まなければいけない時代になったわけです。いま宮脇先生から非常にきびしいその意味における御発言をいただいたわけでありますが、やはり国会で必要とする立場でお伺いをするのですけれども、そういう生存権と公害というものを前提にしましたときに、一昨年来できておりますわが国公害関係の十四法律がございます。もちろん、先ほど進藤さんの言われたように、まだまだ公害問題に取り組んで日が浅い。しかも問題が出過ぎている。したがって、行政関係でも貧困なのはやむを得ないし、とにかくこれから一生懸命にやるところだという事情はわかるのですが、しかし法治国家である以上、ある程度行政指導の中心的な役割りを法律というものは果たすわけでございますから、そういう意味では公害関係の十四の法律というものがある以上は、これがより現実に即したものでなければいけない。より現実を救済できるものでなければいけない。いま企業の側に責任がある、行政の側に責任があるいろいろな問題があります。ありますが、先生方のお立場で、わが国の十四の公害関係の法律というものが、現状に照らして、もちろん満足だとはおっしゃらないと思いますが、少なくとも一番悪いのはこういう点だ、現在はないが少なくともこの種の法律ができなければ困るという二点に分けて、ずばりとお考えをお聞かせいただきたい。
  28. 宮脇昭

    宮脇参考人 ただいまの原先生の御質問に対してでございますが、その十四の法律全部について十分には私存じませんが、率直に申し上げさせていただきまして、これをしてはいけない、あれをしてはいけないというふうないわば部分的な対策、しかも消極的な対策的な法案が多いのではないかと思います。私たちは、単なる個々の禁止条項だけでなしに、積極的にこういうことをしなければならないんだという問題、さらに当然これは環境庁なり文部省におきましても、こういう研究所や交流システムができて、ここでこういう研究がなされなければならない、その成果は国も地方公共団体も民間もこのように使い合わなければいけないということを、いわば総合的な施策、総合的な環境創造に対しての積極的な法律といいますか取りきめをやっていただければよいのではないかと思います。  率直に申し上げさせていただきまして、たとえば最近緑化ということがムード的に非常にいわれています。ところが、企業も地方公共団体も、木は植えるけれども、みんな枯れてしまう。なぜか。命を持っているものは、人間も動物もあるいは植え木一本にしましても、環境の一〇〇%の条件が整っていない限り——鉄やセメントでできるこのようなりっぱな建物でございましても、九十数%の確率でりっぱにできるかもしれないが、命は一つ要因が違っても枯れてしまうわけです。死んでしまうわけです。したがって、環境保全とは一〇〇%の質的あるいは量的な環境の保全でなければいけない。ですから、一つ一つ押えていたのでは、何百、何千の法律をつくられてもあと追いになるのではないか。むしろ総合的に、新しい工場をつくる場合には、新しい開発をするためには、これだけの数千年この方日本人が共存してきた、たとえばどこの町でも村でもつくっていたあのわれわれ日本民族の二千年この方の英知による鎮守の森やお寺の森のような、生きた構築材料による自然の多様性を積極的に奪い返し、あるいは同時につくらす。生きものを使っての環境創造というものは時間がかかりますから、むしろ鉄やセメントを使っての生産施設をつくるよりもはるかに先行さすということが必要ではないか。たとえば緑化一つ申し上げましても、初め山を削って、数百年かかって微生物がつくった表層土は、全部何十メートルの土の底や海の中に入れてしまって、海の底のヘドロやあるいは地質学的な何十メートル底のものが上に上がって、工場をつくり、施設をつくり、町をつくって、あとどこか余ったから木でも植えようということで何を植えても枯れてしまうわけです。西ドイツでは、たとえば地形を動かしてもよろしいですが、国の法律におきまして表層土二十センチは必ず還元することが法律的に義務づけられています。したがいまして、多少土をとっても、あるいは動かしても、ちゃんとそこにはその土地の住民が数千年この方共存してきたその土地固有の多様なふるさとの森、自然の環境が創造できるわけでございます。日本ではそれが全然できない。したがいまして、今度は表層土がどこもないものですから、よそのをかいてくればまたよそで死破壊をもたらすという、たった一つのこと、表層土を除去しておいてそれをもとへ戻すのは、現代の土木技術でいえば何でもないことでございます。それが法律にないがゆえに、残念ながらわれわれが建設省の皆さんや地方公共団体や企業の方に言っても、そういうことはいままでの土木の手法にないということでやっていただけない。こういう何でもないように思われることが、実はわれわれの生存環境を保障する場合の最も基本的なことでございます。  もう一つは、何といっても環境問題を本質的に解決するためには、いままでの自然との対決思想、じゃまものはすべてみな殺しにし、せつな的にだけでも自分がよい生活しようとしている考え方から、いやなやつともがまんしながら共存しなければならないという対決思想から共存思想への意識の変革が必要であり、それは家庭教育において、学校教育においてのみ、多少時間はかかると思いますが、一番基本的に果たせるのではないか。したがって学校における単なる公害教育だけでなしに、手を洗えとかあるいは口をすすげということだけでなしに、人間を含めて自然における私たちと私たちの共存者の多様な三十数億年の生命の歴史にささえられた自然の多様性、生物社会のバランスについて、ぜひできるだけ本物の自然で、野外でどこでも見られることでございますから、そういうことが古くて間違いのない新しい教育の中に取り入れられて、私たちは、政治家になられようと、企業家になられようと、法律家になられようと、とにかく自分が自然の一員であるし、われわれの共存者が死に絶えるようなところでは、どれほど金がもうかっても、あるいはどれほどせつな的なわれわれの欲望が満足できても、生きていけないということがすべての人たちがイロハのイの字、あたりまえのことでございますが、理解できるような教育のシステムを根本的に考え直していただきたい。そして、いま言いました表層土一つ、これだけでもきょうもし皆さまがおきめいただいたら、初めて日本後進国から先進国としてささやかな環境保全に対しての間違いのない具体的な一歩ができると思います。国がやれば地方公共団体がやり、企業がやります。国がやらない限り、彼らは、と言ってもいいくらい、残念ながら幾ら私たちが口をすっぱくしても表層土の還元すらやっていただけない。  もう一つ最後に、時間がないと思いますが、ごみの問題でも申し上げさせていただきますが、たとえばハンブルグ市やジュッセルドルフ市では、家庭廃棄物や産業廃棄物を単に焼くとか焼却場をつくるということだけでございませんで、ごみの問題も、緑の環境保全林づくりも、あるいは砂利を利用することも、総合的に一つ行政の姿として使っています。ハンブルグ市の例を申しましても、国の法律、州の法律に従いまして、先行して、ここはたとえば都市環境を保全する森をつくるというところでございますと、まず生態学者そのほかの研究者に、総合的に新しい環境創造の具体的な計画をつくらせます。そして、ある日そこを砂利取り業者が砂利を取りたいという場合には、十分検討の上許しますが、許すと同時に、砂利をとる場所を自然保護地域に指定いたします。したがって砂利取り業者は、砂利をとりましてもそのあとを生態学的な処方せんに従って、積極的にふるさとの緑の森、自然公園につくり直さなければならない。また彼らは、当然それをやるわけでございます。あるいは廃棄物の問題がございますと、そのとられた穴の中に、家庭の廃棄物三十センチ、工場廃棄物三十センチ、土を十センチずつだんだん積んで、三十メートルくらいの高さに積んでいきます、エロージョンを起こさない程度に。そこに国の法律によって表層土を二十センチ還元して、そして生態学的な処方せんに従って、ふるさとの木によるふるさとの森をつくり、いわば砂利をとってできた穴が、廃棄物処理場になり、廃棄物処理場が十年たった現在では——一九五九年につくって、十四年たったときにはりっぱな森になって、それが自然保護地域に指定され、都市公園に指定され、学校の子供の自然教育園に指定されているわけでございます。五年、十年というのはすぐたつわけでございます。どうか、そのような一つ一つのバッタ取り戦法でなしに、総合的な施策ができるような法律改正をしていただき、それによって具体的な生きた例を、まず国の力でそれぞれの地域に一つでも二つでもやっていただきたいと思います。  日本人はまねがうまいので、本物ができればわりあいにうまくいくんじゃないかと、まあ楽観しかねないところでございますが、よい例がない限り、幾らドイツに行ってみろ、オランダに行ってみろといっても、なかなか皆さん理解してくれませんので、どうかその点もあわせて、一つでも二つでも、どろくさくても間違いのない、時間がたてばますますよくなるような、そういう積極的な環境創造のための施策をお考えいただきたいと思います。
  29. 石野久男

    石野委員長 いまの件、どなたかございますか。
  30. 武谷三男

    武谷参考人 先ほども申しましたことですが、一言だけこの問題について繰り返しますと、生存権という問題についてお考えになっていることはたいへん貴重なことだと私は思います。そのために十四の法律をおつくりになった。これもそれぞれいいものでしょう。でも、今日一番重要なことは、成長をとめる、つまりこれ以上エネルギーを使うとか、これ以上何かをする、つまりいまあるレベルでもっといいものに変えていくという以外に手はないんじゃないかというのが私の考えです。そして、戦後の技術革新というものは、戦時中の第二次大戦の技術が戦後の技術革新を生んだ、戦争的性格を持っているということを深刻にお考えくださる、しかもその威力は原水爆であらわされるごとく非常に膨大なものである、まかり間違うとたいへんなことになる。ですから、戦争的技術的性格ということをよくお考えになって——農薬でも何でもみんなそうです。そういった人間的でない種類のものですね。  それからもう一つ、エンジニアのサイドからの考え方を私が見ておりますと、企業なり何なりのエンジニアというのは、何かを回収するのに、九九%回収したら、回収する側から見るとたいへんな成功であります。ところが、外に住んでいる人間からいうと、一%が流れただけでたいへんなひどい目にあう。原子力なんかそれの最もきわどいものであります。ですから、回収するという技術で大成功とお思いになるエンジニアと、それから、外に住む住民は、大成功どころの話ではない。いずれにしても、自動車でも何でもそうですが、これ以上ふやさない。いまふえている東京都内の自動車でも減らす。もちろんいろいろな装置はつけて、よごした空気を出さないということはもちろん必要条件ですけれども、それだけでは追いつかない。つまり、自動車を規制する、要するに数を少なくするということは、生産のレベルを下げる——下げても日本は、すぐ技術的にはおそらくそういう問題は、レベルそのものを下げても、むだを省くことによって決してみじめな状態にはならないと私は確信しております。
  31. 原茂

    ○原(茂)委員 最後に、長官おいでになりますので、長官に、感想も一部ありますが、いままでお聞きになったことで、大体四つに分けて、長官のこの問題に対する決意を含めてお答えをいただきたいと思うのです。  その第一は、先ほど進藤さんおっしゃったように、やはり政府に、公害環境問題を中心の統一された機関というものが、しかも強力な総合的なものが必要だ、こういう御意見があったのですが、私も全く同感であります。前々回地震の問題でも長官に申し上げたのですが、わが国の縦割り行政の悪さがやはりここにもあらわれている。したがって、先生方おいでになりましても、その点では皆さん御一緒に、何とかしたいというお考えだろうと思う。こういう点は、やはり大至急に大臣としてお考えをいただく必要がある。これを一体今後どうなさるか、ひとつ決意も含めて。これが第一点。  第二点は、これは先ほど菱田さんのお話にございましたけれども、やはり国で地方の自治体の職員の研修センターみたいなものをつくらないことには——東京都ですから先ほど説明のあったようなことができた。これは確かに国がやらなければいけない重大な仕事だろうと思う。こういう点で、やはり大臣としての役割りがここにあるかと思います。ぜひ進めるべきだと思いますが、お考えをお伺いしたい。  三つ目には、宮脇先生のおっしゃった問題に関連するのでありますが、環境科学研究センターみたいなものが、しかも総合的な立場で行なう環境科学研究センターが、私お伺いしていて、なるほど必要だなという感じなんですが、これはやはり別途に思い切って国家的にこういう機関をつくる必要があるのではないか、こう思いますので、この点をひとつ今後おやりいただくような決意を伺わしていただきたい。  最後に、いま宮脇先生中心に、あるいは武谷先生からもお話のありました、わが国公害関係十四の法律に関して、何といってもこれは現在の状況を十分に処理できる法律ではない。その思想性からいっても、決していままで先生方の言われたような考えに立っていない。しかも不備のあることは、宮脇先生のお話ではありませんが、ハンブルグ市におけるやり方を見ても、ほんとうに表土を二十センチなら二十センチまたもとに返すというようなことを、私は不勉強で知らなかったのですが、よくもやったものだと実は感心したわけです。なるほどこれはやらざるを得ませんし、そのことを含めて、やはり現在の十四の法律は不備である。したがって、先生方の言われるような新たな角度から、やはり環境保存、人間生存権と公害といったような立場でもう少し突っこんだ法律が必要だというふうに考えます。現在の法律の批判を大臣から伺おうとは思いませんが、今後一体、現状に照らし合わせて、どういう法律が必要か。私はいま宮脇先生のお話のようなことを中心に、あるいは武谷先生のお話その他のお話を聞いても、そのことがもう一度見直されていいというふうに思いますが、四点目にこの問題の決意をお伺いしたい。  以上四点について……。
  32. 前田正男

    前田国務大臣 先刻来各参考人からたいへん有益な御意見の陳述を承りまして、私も科学技術庁の責任者といたしまして非常に勉強になったことを厚く御礼を申し上げたいと思うのでございます。  ただいま原先生からの御質疑の点でございますが、もちろん私の考え方を申し上げます。しかし、他省庁にも関連する問題も多うございますし、内閣全般として検討すべき問題も多うございますので、きょうは私の考え方として申し上げたいと思うのでございます。  まず、行政の組織の点でございますけれども、この点は、確かに従来は生産第一主義の科学技術でございました。それから科学技術の方針の転換、人間の福祉中心、福祉に重点を置く、生産指向型より福祉指向型に科学技術行政の方向というものを持っていかなければいかぬということは、先生の御指摘のとおりでございまして、それがために、結局当面の問題は、公害をどうして除去するか、環境をどうして守るかという問題だと思います。  それについての行政の機構でございますが、私は短い経験でございますけれども、確かに、公害についての行政、政治というものは、ほんとうに約十年間くらいの歴史だと思います。したがいまして、まだまだ整備すべき点が相当多いのではないかと実は考えております。きょうお伺いいたしました意見のうちでも、いろいろ参考になる、私の琴線に触れるような御意見が非常に多うございまして、その点は原先生の御指摘のとおり、ただ縦割り行政で、環境庁というものができまして、相当公害というものにしぼって政治を持っていこうという姿勢は出ておりますけれども、まだまだいろいろ、もう少しこうしたほうがいいんじゃないか、ああしたほうがいいんじゃないかというように、私ども自体が思う点もございます。その点は、私もほんとうに感じでございますので、きょう具体的には申し上げませんけれども、そういう考えを持っていることを申し上げたいと思います。そうして、公害行政が能率があがりますように、成果が出ますように、機構の点でも、十分今後ともみんな各省庁が一致して一斉に進んでいかなければならぬというふうに考えております。  次は、菱田先生の御指摘の国に地方職員の研修所、この点は確かに、実態はいま菱田さんから聞いてわかったのでありますが、ほんとうに企業サイドで公害に対する対策を地方庁が考えておるようなことでは、これは何のことかわかりません。したがいまして、そういう人ばかりじゃないと思いますけれども、とにかくそういう企業の出したデータだけでこのことを判断するというんじゃ、たとえ非常にいい資料であっても、何か疑いを持たれるという点もあるかと思いますので、その点は、菱田さんの御意見の点等もよく考えまして、今後そういう意見を貴重な御意見として、私もこれは現在環境庁が主となってやるんだろうと思いますが、環境庁長官にもこの御意見をよく伝えて、よく話をしたいというふうに思います。  それから次は、環境科学技術センターでございますね、この問題は、環境庁公害研究所というようなものをいま考えておるようでございまして、これとの関連でどういうふうに違ったものにするかでございますけれども、大体公害研究所のうちで、特に環境というような点に重点を入れまして、花も実もあるような公害研究所にしていきたい。これは私の所管でございませんけれども、そういうような趣旨を伝えたいというふうに考えております。  次に、十四の法律の問題でございますが、何ぶん一昨年の臨時国会で通りました法律でありまして、相当ベストを尽くして出した法律だと思いますけれども、やはり公害問題というものはいろいろ新しい分野がよけい出てまいりますので、そういう点も十分網羅しますように、今後十分この点は、そういう公害問題を解決するように、法律というものをしょっちゅうチェック・アンド・レビューしていくべきだというふうに考えております。  それから、ただいま宮脇先生から聞きましたハンブルグの総合的なごみ処理の問題と表層土の還元の問題、実は私も非常に興味深くその話を聞いたわけでございまして、この点も関係の閣僚にもよく話をいたしたいというふうに考えます。
  33. 原茂

    ○原(茂)委員 補足しておきますが、いまの菱田さんのお話に関しては、地方自治体の職員にやはり中央でこの種の問題の勉強をさせる研究センターが必要だということですから、これは私もぜひ必要だと思いますので、検討していただきたい。  それから、宮脇先生の言われましたのは、大臣が感心して聞きほれちゃったんだろうと思いますが、一度よく記録を読んでいただくと、いまの御答弁では満足できませんので、記録をもう一度、宮脇先生の言ったのを読み直しをしていただく、その上でお考えいただくことでけっこうです。  ただ、地方自治体職員の研究センターに関してはぜひ必要だと思うのですが、どうでしょうか。
  34. 前田正男

    前田国務大臣 あらためて原先生の御質問でございますが、地方公務員のそういう研究センターといいましょうか、そういうようなものは、行政管理庁との関係とかいろいろございまして、私がここで大みえを切りまして、何だ前田のラッパに終わったというのでもいけません。けれども、非常に貴重な御意見だと思います、実は先ほどから聞いておりまして。いまうしろから政府委員から私に合図があったのですが、PCBにつきましても何か国で研究したという例もあるようでございまして、そういう考え方関係閣僚にも話したいというように思います。
  35. 進藤武左ヱ門

    進藤参考人 ちょっと希望を申し上げたいと思いますが、一つは、今度中央公害研究所といいますか、国立の公害研究所ができるわけですけれども、その公害研究所が取り上げるテーマを、一体何を取り上げるかという問題をひとつ十分研究していただいて、広く意見を聞いていただきたいと思います。  それからもう一つは、研究の結果がただ研究所だけでおさまらずに、そういう研究が具体的に実施できるような組織をぜひ考えていただきたい。そうでありませんと、研究所になってしまって、その研究したものがほんとうに具体的な成果をなかなか得られない場合が実はいままで多かったのです。この点が一つ。  もう一つは、さっき地方公共団体の技術者の問題がございましたが、公害問題はいまの行政組織では割り切れない。つまり、関東にしましても、関西にしましても、あるいは中京にしましても、もう近所の県と一緒になって対策を講じなくてはならぬのでありますが、各県へ伺いますと、非常にこまかい調査は各所でおやりになって、データもりっぱなものもございますけれども、そのデータはそこだけのデータでありまして、それが近隣のところに利用されるという方向までいってないわけです。でありますから、公害問題に対しては、少なくともいまの関東、中部あるいは関西、北九州というふうないわゆる公害地域は、自治体の連絡をどういう形か知りませんがはかって、そして技術の交換もするし、あるいは研究も一緒にやっていく、それからさっきお話しのような技術センターも、そういうところで検討していただくという、この二つをお願いしたいと思います。
  36. 前田正男

    前田国務大臣 ちょっと補足しまして。ただいまの原先生の御質疑に関連いたしまして、環境庁公害研修所というのがあるのだそうです。その点につきまして政府委員からちょっと……。
  37. 千葉博

    ○千葉政府委員 ただいまの点でございますが、実は御承知のとおり、環境庁に三月一日から公害研修所なるものができまして、これは所沢にございます。そこで各種公害に関するいろいろな技術的な問題の研修を行なうということになっておりますので、そういったものを活用して、政府全体といたしまして地方公務員のいろいろな研修を進めたいというような意向もございます。  それから、当庁といたしましては、御案内のとおり、PCBの一番問題は測定がうまくできるかどうか、これがもう非常にむずかしい測定でございまして、その点につきましては、たとえば魚からPCBをどうやって測定するか、ヘドロからどういうふうに測定するか、空気からどうやるか、それにつきまして科学技術庁を中心関係大学の先生方みんな集まっていただきまして、一々やり方をきめまして、それを各地方の団体の方に、研修会を二度にわたってやりまして一般化させた実例もございますので、当庁といたしましては、そういった面で大いに環境庁に協力して推進していきたい、かように考えておるわけでございます。
  38. 石野久男

    石野委員長 次に、堂森芳夫君。
  39. 堂森芳夫

    堂森委員 参考人方々に私名ざしをいたしますので、きわめて初歩的な質問でございますがお答えを願いたい、こう思うのです。  菱田参考人がお書きになった大気汚染とかそんな文書を私読んだことがありますので、まず菱田さんに、それから宇井参考人に一緒に御答弁願えるならばありがたい、こう思うのです。  と申しますことは、私の県にもあるいは全国にも、火力発電所の問題が地域住民運動の大きな課題になっておる、こういうことであります。そして、私の県でも起きている問題は、会社はもちろん県当局が一緒になって、昭和五十年、五十一年、五十二年ごろになると五十万キロワットぐらいまでの重油をたく火力発電所の排煙脱硫の技術は完成するのである、それで心配は要らぬ、簡単に言うとそういう説明で住民を説得しておる、こういう状況でありますが、私のようなしろうとが聞いているところでは、現在とても三十万の二十万の、そんなものは動いていない。脱硫施設というものは開発途上のものである。それもまだわからぬ。そういうものを、あたかもりっぱなものがあるように知事とかあるいはその部下あたりが住民に圧迫を加えてそして強行しようとしておる。こういう状況があるのでありますが、そういうような事実についてお二人から御答弁願えるならばありがたい、こう思うのであります。
  40. 菱田一雄

    菱田参考人 現在、火力発電所の排煙脱硫については、昭和四十年ごろから通産省のプロジェクトチームで非常にたくさんやってまいりました。まず最初にやりましたのが東京電力と日立製作所、それから中部電力と三菱重工のものにつきましてやってきたわけでございます。しかし、それも約三年間の期間が終わりまして、そのあと中型試験プラントをつくろうというようなことでやってまいりました。それの排ガス量の容量はどのくらいかといいますと、十五万立方メートル・パー・アワー、一時間に十五万立方メートルのものを処理できるということでございます。これは火力発電所の容量からいいますと約五・五万キロワットぐらいなものでございます。それがやっとでき始めたのが鹿島でございます。したがって、私は一挙に五十万キロワットのものがすぐできるというのは、いまのところの技術ではむずかしいのではないだろうかと思います。ただし私は本職のいわゆるそのものを自分がやっているわけではございませんので、技術予測について私が言うのはなにでございますけれども、私のほうのいままでの経験からいいまして、それは非常にむずかしいことではないだろうか。実際にできるとしましても、おそらく十五万キロワットぐらいがいいところではないであろうかというふうに感じるわけでございます。ですから、一ぺんに五十万キロワットのものはおそらくできない。ですから十五万キロワットのものを幾つも集めてきて、三台集めてきて四十五万キロワットのものをつくるとか、四台集めてきて六十万キロワットのものをつくるとかいうようなことでしたら、また話は別でございますけれども、そういうような感じじゃないかと思っております。  以上でございます。
  41. 宇井純

    宇井参考人 私もただいまの菱田参考人意見とほぼ同じでありまして、実用の大規模火力に適用できる排煙脱硫というものはいまのところちょっと未来に予測し得る見通しがないという結論を持っています。  排煙脱硫につきましては、現在電力会社が取りつけておりますものもみな国の補助金による研究段階のものでありまして、これがほんとうに電力会社の負担として取りつけられたときには実際に動くかどうか、動かさなければそれだけ電力コストは下がるわけでありますから、また火力発電所の稼働率が変動しましたときに、それについていけるような脱硫装置がつくれるかどうかということになりますと、これは世界的に難問でありまして、いまアメリカの動きなどは、次第に燃料転換のほうに動いております。こういうことの研究には非常に金が食いまして、やっている間は何か進行しているように見えますが、しばらくたってみますと何にもならなかったというふうなことがしばしばございます。  先ほど私が申し上げました瀬戸内海の模型実験などというものは、おそらくあれは永久に動かないでありましょう。動いてもわれわれにはわからないデータが出てきて、結局瀬戸内海をきれいにすることとは関係ないということになるはずであります。  排煙脱硫が現在建てられます五十万キロワットの発電所の技術的対策としてまともに検討できるものかということになりますと、これは現在の段階ではそういうことはまともには考えられないという結論であります。  このことについて私の経験した一例では、志布志で大型石油化学コンビナートを建設するという話が出てまいりました。万全の対策を立てるから公害は出ないと県知事さんが言明されました。私も現地へ呼ばれまして、県知事さんに直接お目にかかって、万全の対策を立てるというならば何と何が出て、それをどうとめるのかと伺いましたところ、県の職員で最もこの計画中心になって推進された方から、実はそれがわからなくて困っているという正直なお答えがございました。何をとめるかがはっきりしなければとめようがないではないかとそのときに思ったものであります。この場合、排煙脱硫が万全の対策として取り上げられること自体が危険なのではなかろうか。そこに願望が込められておるのはよくわかりますが、願望では公害はなくらないということを感じます。  以上であります。
  42. 堂森芳夫

    堂森委員 よくわかりました。私の地域では、三十五万キロワットの火力発電設備の一号機ができました。私の町にです。そして二号、三号とさらに三十五万キロワットをつくる。そうすると、百五万キロワットの発電所ができる。それにはいずれも脱硫装置をつけると言っている。いまの一号にはついていないわけです。五十年までにはつける、こう言っているわけです。そして、私のような地方の者として非常に憤慨にたえぬのは、通産大臣に抗議を申し込んだのですが、東京では〇・六か〇・七の油をたいて、ぼくらのほうは一・四の油をたいておるのです。地域住民をばかにしておるわけですね。日本の通産行政の大きな問題点はこういうところにもあると思うのです。地方のおまえたちはひどい油をたいてもがまんせい、東京には〇・六、東京が少ないことはいいことですけれども、東京と地方と区別するなんてとんでもない行政だと思うのです。  ともかく、もう少しお聞きしたいのですが、四日市という町の公害でございます。大気汚染でございます。私、子供のころ四日市におりまして、三万ぐらいのほんとうにきれいな町でした。六つか七つのころおったのです。このごろ四日市に行きますと、御承知のような状態、そうしてこれは私、本を読んでわかったのですが、四日市の大気汚染の寄与率でございますか、火力発電による寄与率がたしか六〇%近い、あとのものが化学工場から出るものその他から出るものである。しかも四日市では六十万キロワットぐらいしか火力発電はやっていない。そうしますと、私の町へできる百万キロワットが一ぺんに動き出したら一体どうなるか、たいへんにおそろしいものだと思います。それを県当局は地域に押しつけるわけです。そして、やれやれ、だいじょうぶ。どこにだいじょうぶという自信があるのか、私はしろうとですけれども、どうしてもわからぬのです。絶対ということばを使うのですね。およそ学問に絶対ということがないことぐらいがわからぬ者がよく知事をしておると思うのですが、そういうひどい説明のしかたをしておるのです。そしてある席で私に、だいじょうぶです、こう言うから、あんたはだれに聞いたんだと言ったら、千代田化工、何かそういうことをやっておる会社があるそうですが、三菱何とかというそういう会社の話によると絶対だいじょうぶだ、こう言ったと言う。企業ベースでこうやる。そういうものを説明されて、さっきも宇井先生がおっしゃったように、志布志湾で県庁の役人が何していいかわからぬというようなことを言っておる。私もここに加わっておったある県の職員で仲のいいのがおりまして、どうだと言ったら、その課から早くかわりたいと言うのですね。公害課から早くかわりたい、とても夜眠れぬ日がある、こう言うのですね。おそらくこれは、もう日本じゅうの地方官庁に——大臣、よく聞いておいてくださいよ、そういうことがあるのですよ。あなた。そしてまた地方では、いや発展するためには少々の汚染はしかたがない。私はこれでずいぶん長い間社会党の代議士をやってきておりますが、あいつが町におるので町が発展せぬといつも言われてきたものです。そんなものですよ、日本の地方の民衆。そういう人がたくさんおるのです。だから何とかしてこれを防ぎたい、こう思うのですが、地方にもそういう方が相当おるわけですな。発展するためには汚染もある程度がまんするんだという思想もあるわけです。それをまた県が、だいじょうぶ、こう言うものですからよけいにそういうことになるということになります。  四日市における大気汚染状況というものは、やはり私が申したようなことでございましょうか。お二人、お詳しい方にお尋ねいたします。
  43. 菱田一雄

    菱田参考人 私が聞きました四日市の三重県立大学の吉田克己先生という方の論文では、あれは昭和三十九年の大気汚染研究協議会のときに発表された論文でございますが、その中では四日市の火力発電所について、たしか五八・何%かでございましたが、五八%程度汚染の寄与率が火力発電所にある、残りが石油とか石油化学とかそういうようなものであるというようなことを発表されたのを記憶しております。現在の動きが昭和四十八年でどのくらいになっているかということは、私ちょっと記憶ございませんですが、一応そういうような形になっております。  一応六十万キロワットの火力発電所を使いますと、燃料の使用量というのが一年に約九十万キロリットルぐらいでございます。百五万キロワットの火力発電所をつくりますと約百五十万キロリットルの燃料を使います。したがってそれに硫黄の含有量をかけます。そして比重をかけましてそれを二倍すれば硫黄酸化物の排出量が出てまいります。それは非常に簡単な式でございますので、やっていただければ硫黄酸化物の排出量が出てまいります。  それからもう一つは、火力発電所がそういうふうに設置されるときに、だいじょうぶだという根拠でございます。その根拠は何でやるかといいますと、全部大気拡散式でやります。大気の拡散式というのは、これは大気汚染防止法という法律の中で一応はきめてございますが、そこに入れる気象のパラメーターというものを全部固定してあるわけです。それはどういうふうに固定してあるかといいますと、風速は毎秒六メートルに固定しています。風速は六メートル吹いたときだけです。それから温位勾配は〇・〇〇三三度C・パー・メーターになっております。それから大気安定度は、これはやや不安定な状態でございますけれども、Cz/Cyというのが一になっております。それを計算するわけです。それで実は「だいじょうぶ」である。また、最終的には時間修正係数を〇・一五と見ております。そしてその時間修正係数の〇・一五というのはこれは絶対正しいのだというような計算になっております。要するに大気というものは、非常にダイナミックに動いているのですけれども、そのダイナミックに動いているもののうちの一部分だけをとって、そしてこれでだいじょうぶだという言い方をしております。ですから私は、その考え方というのは誤っておると思うわけでございます。その辺のところはつけ加えて申し上げたいと思います。  以上でございます。
  44. 宇井純

    宇井参考人 私は、自分の仕事が水に主として関係しておりますので、四日市についての詳しい数字についてはちょっと存じませんが、各県あるいは市町村でよく出てまいります問題といたしまして、先ほど進藤参考人のほうからお話のありました、流域下水道が水汚染対策のきめ手であるかのように最近ずっと宣伝されておる傾向、これはやはり非常に危険であるということをここで申し上げたいと思います。  現在の流域下水道というものは工場排水をみんな受け取りまして、本来家庭下水しかできない活性汚泥法で処理する。その結果工場排水の中に入っておる金属はどろへ出るか、水へ出るか、ともかく金属汚染は広がる一方であります。それでいて活性汚泥そのものも工場排水によって阻害されるのが普通でありまして、現在実際にできております寝屋川などは、建設者があれはうまく動いておりませんと正直に言うような次第でありますし、今度境川——知立のところに計画されているものなどはトヨタの関連産業の出す排水が半分前後でありまして、家庭排水は全体のわずかに三割であります。七割が工場排水で、そのうちのまた七割がトヨタ一社の関連産業の排水を処理するだけのものであります。こういうものに税金を使って、しかもそれが対策であるかのように宣伝することは明らかな誤りでありまして、このことは下水技術者の中でも若い研究者から何べんか指摘されておりますが、依然として行政では流域下水道が通用し、これをつくるからだいじょうぶだというふうな話が出ております。  現在の技術というのはそういう程度のものでございまして、私が自分専門分野でこれはだいじょうぶと申しましても、先ほど武谷先生からお話のありましたように、それはつくる側のうまくいったという話であって、住民の側から見るとそうはいかぬのだという場合、しばしば、なるほどそうだったということの実例がございますので、県レベルなどでだいじょうぶだという話はまず心配な問題でございます。
  45. 堂森芳夫

    堂森委員 長崎参考人にお尋ねします。これは、どんな勉強をしておられるかよくわからずにあるいは見当違いになるかもしれませんが、しかしこうして金属の分析表をいただいたところを見ると、そういう方面の学者であられるのじゃないかと思いまして……。  実は、アルミ精錬には弗素が非常に大事な関係がある。ところが、近ごろの非常に進んだ技術によって弗素の大気中への漏れ、分散するといいますか散布されるというのですか、そういうパーセンテージが非常に減ったので、こういうふうに聞いておるのです。私が二、三の若い物理学者に聞いてみたら、これは公害を防ごうと思うならばかなりやり得る、わりあい簡単なプリンシプルと技術でやれるのだというふうに、まあ間違いかもしれませんがそういうふうに聞きました。そして昨年、ちょうど国会の出張でアメリカへ行ってまいりましたが、世界でも有名なアルミニウム・カンパニー・オブ・アメリカ、アルコアという会社、あそこの工場を私は日本大使館を通じて見せてもらった。非常にきれいな環境のところにあって、もう日本とは地理的な概念が違いますし、そして実情も違いますから、とても日本とは一緒にできませんが、きれにな青々とした環境の中にアルコアの非常に近代的な工場といわれておる工場が現存しておる。私は中を見せてもらったのですが、弗素ガスは九七%ぐらいまでは出ずに中でうまく密閉をされておって、何かアルミニウムの電解に使われるのだ、こういう説明でした。ところが、そういうアメリカとかカナダとかいう地域はもちろん水力発電を全部使っております。火力発電じゃないのです。水力発電が可能なような湖のある山間部の、しかも人のほとんどいないようなところをうまく使ってやっておる。日本にくればそんなところは少ない。そして火力発電しかない。また、電気による大気の汚染はたいへんな問題であるが、しかしアメリカあたりの大陸内のあの大きいところの気象と、日本のような、たとえば私がいま取り上げようとしておる問題は、アルミ製錬を海岸につくるわけです。それは風の状況、気象状況等がいろいろ違うと思うのですが、ああいう大きな大陸の中にある、そして広々とした人跡まれなような地域にある工場で、弗素の公害がないからといって、日本にそれが当てはまるかどうか。そういうような点について長崎参考人からお教え願えるならばありがたい、こう思うのであります。
  46. 長崎誠三

    長崎参考人 それほど専門ではございませんけれども、私の知っている限りでお答え申し上げます。  まず、一つお断わりしておきますのは、先ほど差し上げましたデータですね。下から四つのデータは私の測定ではございませんで、これは農業技術研究所の吉田という方と山田という方の測定値であります。それだけちょっとお断わりしておきます。  それで、いまアルミ製錬で弗素はどうかということですが、アルミ製錬は、現行の製錬作業をする限り、弗化物を使わざるを得ない。しかも七百度、八百度、非常に高温で弗化物を使いますから、弗化物が蒸発して出るということは避けられないということであります。したがって、それの大気中への放散を防がなければ、弗素による被害が出ることは避けられないことです。事実、たしか福島県であるとか、あるいは静岡県の日本金属であるとか、あるいは昭和電工とかというところで、いろいろ弗化物による被害があったと思います。それで、弗素の生態系への被害というのが一番最初にあらわれるのは植物であって、どういうものか人間に対しては大気中の弗素というのはあまりきわ立った損傷を与えないというふうに一応いわれております。ということは、植物が非常に敏感であるということです。特に植物の中では、たとえば桑とか、そのほか弗素に対して非常に敏感な植物がたくさんあります。日本のような養蚕国では、桑の栽培をやっているようなところですと、まず桑の葉っぱに対して被害があらわれるということです。それで桑の葉っぱが、菱田参考人御存じだと思うのでありますが、特徴ある腐食のされ方をするということがあります。それから、そういうことが起こらなくても、弗化物でもって表面が汚染される。そういう桑を蚕に食べさせると、蚕が全部斃死すということが起こります。ですから、たとえば日本のそういうアルミニウム製錬企業の中で、養蚕地帯のそばにございますから、もし弗化物が表に出るというようなことがありますと、いま申し上げたような被害が起こりますからすぐわかるということです。それで現状技術では、たしかそういう弗化物が表に出ることを技術的に阻止することができる段階になっているというふうに私も承知しております。  ところが、弗化物を使うのはアルミニウム工業だけではございませんで、あとはガラス工業であるとか、あるいはかわらの製造業、陶磁器の製造業であるとか、そういう窯業関係でも実際に弗化物を使うこともありますし、それから原料の中にどうしても不純物として弗化物が入ってくる。したがって、それは大気汚染に対する対策を十分やっておかないと、その弗素が近隣にばらまかれるという事態がいろいろ起こる。そしてまた、そういう被害が実際に出ております。  それからもう一つ、アルミニウム工業の場合に一番問題なのは、アルミニウムというものは、電気のかん詰めといわれているぐらい電気を使うということです。ですから、アルミニウム製錬と水力発電なり火力発電というのは、切っても切り離せないということです。日本の場合は、現在は火力発電のほうに重点が置かれてきている。沖繩でもってアルミニウム製錬をやるという話が一時ありました。たしか現在はさたやみになっていると思いますが、沖繩のようなところでアルミニウム製錬をしようとすると、それは勢い火力発電にたよらざるを得ません。火力発電をすれば、それは排気からの亜硫酸ガスの問題もありますが、もう一つは海域へ非常に温度の上がった冷却水が放出されるという問題が出てきます。そういうことで、沖繩のような非常に狭い地帯で膨大なアルミニウム製錬を行なうというようなことは、その近隣への影響ということはやる前からはっきりわかった問題であると思います。そういう非常に及ぶところが大きいという点で、注意しなければならないわけです。  それからもう一つ、アルミニウム製錬にとって問題なことは、かすを、東海道線で蒲原からあの辺を通ってごらんになるとわかりますが、ずっと清水のあたりに、昔は赤いどろの山が積んでありました。それは製錬のかすですが、そういうものを、現在でも捨てているかと思いますが、沖に持っていって投棄しているということをやっております。その中には、われわれが現在知っている限りでは、有害金属はそれほど含まれていないということでそういうことをしているわけですが、やはりそういうものの影響であるとか、それだけでは現在処理をすることができないので、これを舗装に使うとか、いろいろな利用ということを考えておるようですけれども、そういうことをするのであるならば、それはそれなりの危険防除ということを十分やった上でないと、これはできないということになっております。  それから、現在アルミ製品というものが、ビールのかん詰めにしてもジュースのかん詰めにしても、ほとんどアルミ製のかんにかえられているということですね。鉄のかんであれば、腐敗して、時間的にはかなりかかるかもしれませんが、いずれは土に返っていくし、また、それを回収するということは比較的容易なわけです。ところが、アルミニウムの場合ですと、まずそれが腐るということはないわけですから、メーカーとして、アルミニウムかんを使うことを推進するならば、そういうものの回収を完全にやるということをしないと、たとえば富士山がアルミニウムのあきかんで埋まってしまうというような事態を起こしかねない。いろいろな川がアルミニウムのかんでもって埋まってしまうという事態を起こしかねないと思います。電気のかん詰めといわれているようなものですから、そういうアルミ製品の回収ということ、回収してそれを再び資源に使うということを考えるべきだと思います。そのことは、公害環境汚染を防ぐことにもなるし、資源的な今後の見通しの上でも十分成り立つ企業であると思います。
  47. 堂森芳夫

    堂森委員 時間がありませんので、あと一言だけ、武谷先生にお願い申し上げます。  時間があるともっとお尋ねしたいのですけれども、福井県の大飯原電をつくるときに、百十七万キロワットの日本で最大のものを二つつくる。われわれ委員会で、まだ世界でどこにも動いていないものをつくるのではないか、それから緊急冷却装置がつけられるので、災害のようなものを防ぐ一つの大きなてこにもなるというような説明がありました。その緊急冷却装置はそれじゃどこで動いているのかと聞くと、まだ世界でどこにも動いていないのだ、試作をやられただけだというような説明でありました。いろいろと今日までの原子力発電所のわが国政府やり方を見ておると、全部向こうさままかせのような姿である。こういうことに対して、武谷先生は大専門家ですから、現在のわが国における原子力発電所のやり方に対して、端的にひとつ、簡単でようございますが、御意見をいただきたいと思います。
  48. 武谷三男

    武谷参考人 先ほど最初に申しましたように、廃棄物処理の保障のないようなものはつくるなということが今日の大原則だと思います。ところが、原子力発電においては、この廃棄物処理は全く見通しがない。これはだれもが認めている事実であります。いわば便所のないマンションをつくって、便所はその辺のどこでもいいからしてきてれ——まあ便所だったらそれほど害はありませんけれども、そういった種類の技術であります。つまり廃棄物処理が全くない。  それから、先ほどおっしゃったような緊急冷却装置は、理屈としてはこうやればこういくというのですが、実際にやってみると一向にうまくいかない。いろいろ理屈はあります。だけれども、技術というのは理屈だけではありませんで、むしろその経験が非常に重要である。経験のないものを非常に大きなものに、これをスケールアップといいますが、ほんとうに十年間以上経験があるのは十万キロワット程度の発電所しかありません。ですから、五十万とか百万とかといったような原子力発電というものは全く経験がない。経験がないものの安全性などというものはだれも言うことができない。あらゆる点から言って、原子力発電というのは私はずっと前から言って、今日もそのようなことを言い続けねばならないのですが、これは実験研究の段階であって実用の段階ではない。たかだか譲って実用化試験。ですから、おっかなびっくらで少しずつおやりになるという段階をまだ出ていない。それはまことに残念なことですが、ますます困難がはっきりしているということを言わねばなりません。
  49. 石野久男

    石野委員長 次に、瀬崎博義君。
  50. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 今日大企業がたれ流しして生まれてくる環境汚染とかあるいは公害について、もしも科学者方々が要求されるような条件が満たされた場合、現在の科学技術の水準でその公害環境汚染原因を事前に突きとめ、事前に対策を立てるということは一体可能なのかどうか。そういう条件があったにしても、現在の科学技術の水準では原因が究明されない場合もあるし、事前に手が打てない場合もあるというふうな水準の段階なんだろうかということにつきまして、いろいろな方にお伺いしたいのですけれども、時間の関係もありますから、長崎先生、武谷先生宇井先生に御答弁をいただきたいと思うのです。
  51. 長崎誠三

    長崎参考人 それはいま現在の科学技術の進歩段階では非常に危険であると思います。というのは、やはりわれわれの予測できない要素がわれわれの科学技術の中にはたくさんあるということです。したがって、そういうあることをしようというときには、そういう意味で急激な成長をしないということですね。階段を順々に踏んでいくということが姿勢としてはどうしても必要だと私は思うのです。それで、えてしてわれわれ科学技術者というものは、自分の担当する面については非常に詳しいし、そういう限りにおいてはそれは万全であると思うことがありますけれども、しかしもっと広範な意味においてのチェックというようなことについては、一般に欠ける例のほうが過去を振り返って非常にあるわけです。そういうふうに思います。
  52. 宇井純

    宇井参考人 実はこのことで最近私は非常に苦い経験をいたしました。昭和三十六年に、水俣病をまだ調べ始めたばかりのころだと思います。日本合成の宇土の工場を頼みまして見せてもらって、チッソの水俣工場と比べてみたことがございます。そのときに、水銀使用量からいいましても、工場規模からいいましても、宇土は水俣の大体十分の一ぐらいであろうから、水俣病が宇土で起こることはまずないのではないかというふうに判断いたしまして、そのようなことをちょっと簡単に記録を残しておきましたけれども、発表の機会がございませんでした。御承知のように第三の水俣病があそこで見つかりまして、まことに私自身もうかつなことだったと悔やんでおる次第でございますが、宇土の工場というのは決して大きなものではございません。いまの化学工業の規模としてはほんとうに小さなものですが、それでさえこれだけ水俣病のことがわかっていて事前に突きとめることができなかったという経験がございます。  現在の四日市とか水島とか鹿島の規模コンビナートでたくさんの公害が出ておりますと、そういうことの経験で、あれぐらいの大きさのものだとこれぐらいのものが出るだろうという見当はつきますが、現に四日市にしましても、鹿島にしましても、われわれはとめる手がないという場面が幾つかございます。そこで、あの規模のものでさえうまくいかないというのが現在の技術水準であると御承知いただきたいと思うのです。まして六ケ所とか苫小牧とか志布志、周防灘というふうな規模のものになりますと、これは事前に何が起こるかさえよくわからない。鹿児島県の答えは非常に正直だったわけでありますが、事前に何が起こるかということはとても全部はわからない。  たとえば十万バーレルの石油精製所ではたいした公害ではないものが、百万バーレルになると人間の命にかかわるような事態も十分考えられる。それはどれとどれであるかと聞かれても、いまのところよくわからないという答えしか出てこない場合がございます。たとえば石油精製の場合は、大体〇・一%ぐらいはいろいろなところから空気中に漏れるというふうなことを石油の担当の技術者が言っております。実は東京湾に乗っかっている石油精製所は十一ぐらいありますけれども、日本の石油精製の四割ぐらいを東京湾で受け持っていることになりますが、そこから千分の一だけ漏れるということになりますと、これはばく大な量で、ちょっと見当のつけにくいぐらいの規模になります。  そういうふうに重なってまいりますと、もうほんとうに手がつけられませんで、一つ一つ工場ではわずか千分の一だからだいじょうぶだろうというふうにたかをくくっておりましたものが、大きくなるとえらいことになるというのを実際しばしば経験いたしますので、少なくとも新全総に出てくるような巨大コンビナートについては、正直いってお手上げでございます。全国総合開発計画規模の鹿島、水島、新産都市規模でさえもうてこずっていてうまくいかない。しかし人によっては公害はないと言う方がいらっしゃいます。たとえば、視察に行ったけれどもなかった、だから対策を立てる必要はないというふうな立場の方もございまして、そういう方に向かって、公害が出ていると申し上げても、もう公害があるなしのところで意見が対立してしまって、まして対策を立てる必要はないではないかというふうな現状でございます。鹿島にしましても、水島にしましても、深刻な公害が現地では起こっているけれども、現地の声が行政に生かされない、あるいは政治に生かされない、そこの段階に問題があるのでございまして、次の技術的なところまでまだ行っておりません。そういう状況です。
  53. 武谷三男

    武谷参考人 実際確かめもしないで非常に大規模化してしまったということは、これはまじめな安全性考え技術とは言い切れない。したがって、これに対して今日の科学技術でどうするかということは、やめてしまう以外に手はない。  それから、いまお二人の方がおっしゃいましたように、全くわれわれが長い間経験したこと以外はわかりようがないということがしばしばあります。というのは、たとえば石油などというようなものは、人類がだいぶ長い間使ったものでありますが、これは一つの例として、アメリカの東海岸で漁業の盛んな地区で、ディーゼル油を積んだたった五百トンのタンカーが沈みました。座礁してそれで油が流れ出した。これについて、近くに海洋生物研究所がある、それが調べていきますと、その生物に対する影響は想像するよりはるかにはるかに大きい、しかも長期にわたるということが非常に明らかになった。これは根本順吉さん「自然」という雑誌に紹介しているものでありますけれども、そういうようなぐあいで、われわれが普通何でもないと思っていることが実はたいへんな影響を生むということなんです。ですから、たとえば発電所の温水公害などというのも、ただ何か熱いお湯が海に出て起こるというようなことで何でもないかと思うと、どういう影響があるか、これはだれもまだ知らないというようなことだと思うのです。あらゆる今日の技術は、使用され方が急激過ぎまして、それの反作用というものが全く考慮されないで使われている。これが今日の非常におそるべき状態で、しかもそういうやり方というのは、軍事技術やり方そのものを平時にやっているということだと私は考えるのです。ですから、そういうやり方そのものをやめることは、何よりも人類の将来——人類という大きなことを言わなくても、日本などはそれに一番集約されていますが、日本人の将来にとって非常に緊急に重要なことであると思います。
  54. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 大体共通したお話であったと思うのですが、しかし、そういうふうな現状においてなお大企業生産を拡大しようとするし、地域開発は大規模に進もうとしている。これは確かに私ども政治家の責任も非常に大きいと思うのですが、そういう状況の中で、大企業のほうから進んで公害をよくするような企業はいまだかつて一つもないわけですから、あえてそういう現状を前提にして、できるだけわれわれは、結果においてではなしに、できるだけ早く汚染原因を突きとめ、事前の対策を講ずるということ、これは主として科学的な側面で考えてでありますけれども、そのために何が必要だという点で、きょうおいでの皆さんの中には、すでに裁判等も通じて経過の明らかになっている例の水俣病の問題だとか、あるいは先ほどもお話に出ておりました東京の光化学スモッグの問題等もありますが、そういうふうな具体的な例、私どもも行って承知しているわけなんですが、政府関係者もいらっしゃいますので、ここでそういうふうな社会的に大事件になった、悲惨な被害を起こした事件から、いま科学技術的な側面で学ぶべき教訓とは一体何かという点につきまして、時間もありませんから、長崎先生、宇井先生お答えいただきたいと思うのですが……。
  55. 長崎誠三

    長崎参考人 水俣のことについては、宇井参考人のほうが詳しいと思いますので、光化学スモッグのことについて意見を申し上げますと、おととしの冬でしたか、ナイトスモッグということで非常に大騒ぎしたことがあります。オキシダント計では非常な濃度を示すけれども、実際に被害は出なかったということです。そういうことで大騒ぎした。実のところは、それは測定器が誤っていたんだ、窒素酸化物の影響であったということで一応解決を見たことがございます。  そういうような先入感というのですか、あるいは光化学の場合で言えば、アメリカのロスアンゼルスの経験とか、そういうことに対して非常にとらわれ過ぎてものを設定して始めているということ、自分たちが開発した技術、あるいは自分たちの経験というものに立脚して仕事をしていないということ、それは、いままでいろいろな例でそういうことが言えると思うのです。そういういろいろな先人の教訓をくみ取って、その上にわれわれは仕事をしていくということが一方では必要でありますけれども、もう一つは、やはりわれわれの、先ほど最初のときに申し上げましたけれども、実際に、現実にたとえば環境汚染の場合であると、その環境汚染の中にいる人、それは最も敏感な測定端子なんだということ、そういうものをやはり取り上げていくという努力がないということが一番問題かと思います。  それからもう一つは、しかし残念ながらそれは、やはりもっと鋭敏な武器をわれわれは持っていない。そういう実際の環境汚染の中にいる人たちには武器がない、道具がないということ、そういう意味での道具をやはり末端の、これはあるいは小学校の先生であるかもしれませんし、高等学校の先生かもしれない、またそこの住民かもしれないですが、そういう人たち、あるいは地方自治体かもしれませんが、そういうものが、そういう汚染という点で駆使できる武器を持つ、道具を持つということ、そのことが非常に重要だと思います。そういう意味において、やはり科学技術庁というような役所は、そういうことにおいてやはりある役割りを果たすべきだ。いろいろ公害に対する科学技術庁の政策というのを読みますと、各省に、関係方面に予算を見積もって配ってというような話がございますけれども、そういう配った成果がどうなっているかということを吸い上げて、それを総合していくということが必要だと思います。そういうわれわれが環境汚染に対して一体何が足りないのかということ、何を持っていないのかということを明確にしていく必要があると思います。
  56. 宇井純

    宇井参考人 日本の現実から出発するということについては、私も全く同じ意見でありまして、実はその現実を私どもはまだ十分つかんでいない、あるいは日本環境行政も対象を十分つかんでいない段階であるということを、水俣病一つから出発してもはっきり言えることであります。先ほど私は、いろいろな金属について、毒でないものも含めて分析してみて、その存在比からもう少し手がかりがふえるだろうということを申し上げましたが、実はそれをあまりやりたくない気持らがございます。やったら何が出てくるかわからない。もっとおそろしいものが出てくるかもしれないという気もいたします。もし一昨年の春ごろに立川先生の研究発表がなかったら、まだわれわれはPCBの入った魚を知らずに食べていたかもしれないということを考えますと、案外いまとんでもないことが進行していて、それで知らずに食べているということがあるかもしれない。それは何とかしていまから探り出したいわけですけれども、事実が全部見えてしまったら、もうとてもあきらめるほかに道がないかもしれないという気もいたします。  それで、たとえばその一つの例としまして、私たちが東大で自主講座という夜間講座を開いておりましたところ、そこへ集まってくる若い学生の中から、一体日本にはどれくらいの工場があるのですかという問いが出てまいりました。日本のいろいろな種類の工場生産量を地図の上に落としてみる作業を始めてみました。そうしますと、あるガラスを担当した者が、ガラスというのは日本工場として四つ五つしかない。ところが、その工場でかなりの量の砒素を使うということに気がつきました。砒素はガラス工場の中で、ガラスを溶かした際に清澄剤として使う。ということは、ほとんどがガスになって空気中に出るということでありまして、東京湾にのっている工場の使います砒素は、少な目に見積もった場合でも二百トンぐらい一年間に空中に出るのではないかという思いがけない結果が出てまいりました。そうしますと、都市大気あるいは地表面の土壌とか、先ほど分析のありましたちり、粉じんとかいうふうなものを、砒素まで今度ははかってみなければならぬというふうな問題が出てまいります。そういうふうにして、まだ気づかれないものがだいぶあるのではないか。しかし、これを研究面から大幅に変えていくことは必ずしも不可能ではない。その一つとして、たとえば環境庁につくられております中央公害対策審議会の構成人員を国会でじっくり検討してみることもまた可能ではなかろうかというふうにも考えます。たとえば東京大学から十四人の名誉教授教授が参加しております。しかしその中で私があの人は公害研究者だと思う人は一人もおりません。あるいは日本で十年の研究歴を持ちます都留先生や宮本先生は、いずれも政府のそういう審議会から締め出されております。それで、公害をよく御存じない方が集まって審議会をやっているという批判、これは公害対策審議会のときには大学に関しては完全に当てはまります。それから公害科学研究所ですか、公害衛生研究所ですか、その設立委員には、先ほど申しましたように財界の代表者が入っていて公害研究者は入っていない。あるいは水俣病で有機水銀説をつぶすために一生懸命働いた学者が入っている。そういうことで公害研究ができるのだろうかという疑問を私は持っております。そちらのいわば科学的な側面よりも、実は公害問題の現在突き当たっている壁は、ほとんど行政的、政治的側面にあるというのが、過去水俣病から始まって十四年ばかりやってまいりました結論でございまして、技術的な壁のほうもまた大きいものではございますけれども、その手前でいまぶつかっているということではないでしょうか。ですから、部分的な技術的な改善ではもうどうにもならないところへ来ているというのが現状でございます。
  57. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 時間がないのでできるだけ簡単な御答弁をお願いしたいのですが、私たちが聞いている範囲では、そういう行政上の壁とか技術上の壁を打ち破って原因を明らかにし、あるいはまた、一定の対策を迫っていった、あるいは補償をとっていったという主要な力が住民運動にあったというのはよくいわれるところですね。ですから、ここらに将来に対しての一つの教訓もあるのではないか。ですから、そういう点で、さっきは公聴会というお話もありましたが、私どもは公害特別委員会のほうには改正案を出して、公選の公害委員会、これは同意権とか勧告権あるいは調査権を持つ、あるいは企業の告発もできる権限を持つというふうなものを提案しているのですが、その形はどうあれ、そういう住民の意見、先ほど長崎先生は測定端子ということばを使われましたが、いずれにしろ、現状ではそういう住民の運動の中に科学者も糸口を見出していくということが必要じゃないかと思うのです。そういう点での住民の意見をくみ上げる何らかの制度化というふうな点について、再度、長崎先生と宇井先生の御意見を簡単に承って次に進みたいと思います。
  58. 長崎誠三

    長崎参考人 一見確かに、制度化をする、そしてわれわれ民間にいる者の意見を聞いてくれるということは、それなりに意味はあると思うのですが、環境汚染の防除ということは政策だけではだめなんであって、やはり実効が伴わない限りは御意見を聞きおくということになってしまう。御意見を聞かないよりは聞いていただいたほうがいいけれども、現実の行政面で生かしていくということです。公害関係の法律にしても、文面を見れば、非常にりっぱなことが書いてあるし、確かにいいことが書いてあるわけです。それを行政面で生かしていくということがなければいけないと思います。
  59. 宇井純

    宇井参考人 一言で言えば、たとえば中央公害対策審議会の中に住民運動の経験者は一人もいないのであります。なぜ住民運動の経験者が審議会に入れないのか、そこのところがふしぎといいますか、問題の根本ではないかというふうに考えます。  それから、おっしゃいますように、確かに、公害という問題をここまで何とか解いてきたのは住民運動でございますし、今後も、逃げ場のない住民はやはりこれをやっていきますでありましょう。火力発電所の公害などについては、実にいい研究が住民運動によってなされております。これを評価し支持することで公害は減っていくのではないか。確かに、先ほどこれをつけ加えるべきであったと思いますが、住民運動を応援し、強くすること、私どもも出ました結果を住民に知らせていくことで公害というのはなくしていける見通しはありますが、法律とか制度の面では、いまある制度をもう少しうまく使うというか、あるべき形にするというのはあまりむずかしくもございませんし、どんどんやれるのではないかという気がいたします。  それから、公害委員会については、確かにあれば便利だろうという気がするのですが、またこれも中央公害対策審議会の二の舞いになる、あるいは公害研究所の二の舞いにならないようにするのには十分注意が要るのではなかろうか、それが結論でございます。
  60. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 では、これは進藤先生にお伺いしたいのですが、先ほど、日本資源が少ないのに、海外から輸入してきてこれの使い方がまたたいへんぜいたくである、国民の社会的道徳が低いためにごみの山ができる。私はメモしただけですから多少の表現の違いはあるかもしれませんが、そういう御趣旨だったように思うのです。しかし率直に言って、私も東京では議員宿舎でやもめ暮らしなんですが、広告物から、ちょっと物を買った包装から、利用している部分よりほかすほうが、これは強制力を持って多いような状態に追い込まれておるように思うのです。はたしてこれが、私の社会道徳が低いためにごみの山をこしらえているのかどうかしらんと、いまのお話を聞きながらちょっと疑問を持ったわけなんですが、再度先生に、ほんとうに今日のごみ戦争の原因が、国民社会道徳が低いために起こっておるんだろうか、その点をちょっとあらためて御意見を伺いたいのです。
  61. 進藤武左ヱ門

    進藤参考人 なかなかむずかしい問題でございまして、実はいままで、四、五年前までの企業家は、さっき申し上げたように、経営の中に公害という問題をあまり取り上げておらずに、生産第一できたことは確かだと思います。しかし、最近のように情勢がすっかり変わってきますと、これからはどうしても公害防止あるいは環境保全の問題が経営の一つの柱として入っていかなくちゃならぬ、そういうことを積極的にやる経営者であるべきであるし、またそうなるだろうと思います。さっき冒頭に申し上げましたように、やはりそういう問題とからんで、われわれの社会道徳、つまり企業の社会的責任ということをよく言われておりますが、各個々の人たちが社会とどう調和していくかという努力を具体的にやるということが、やっぱり経営の一つの柱にどうしてもならなくちゃならぬと思うのです。  ただ、日本の産業の現状を見ますと、たとえば油は九割九分まで海外から輸入をしなくちゃならぬ。あるいは資源は八割は海外、しかも百カ国ぐらいからかき集めなければならぬといういまの情勢でございますから、そういうベースの上でこれから先、産業がほんとうに進んでいくだろうかという根本問題をやはりこの際掘り下げて、公害対策と一緒に産業のあり方についてどうすべきかという問題は、これは企業家はもちろんやらなくちゃならぬが、国の政策としてもぜひしっかりした方向を立てていただきたい。  たとえば燃料の問題にいたしましても、エネルギー政策をある程度見通しをつけてやらなくちゃならない。われわれ個人的ではありますけれども、国産無公害エネルギー一つとして、いま地熱の開発の問題を一生懸命取り上げておるわけでございます。できるなら、日本列島改造論の地域開発の一つのヒートセンターに地熱を取り上げていただきたいくらいに思っておるのでございますが、いまのようなベースで産業を進めなくらやならぬのか、あるいはさらに代がえの問題があるんじゃないか、こういう問題をやればあるじゃないかという検討を企業家もやらなくちゃならない。政府行政指導もそういう考え方でやりまして、さっきお話がありましたが、産業構造の変化までいかなければ、いまのような公害の問題はなかなか完全に防ぐことはできないだろうと考えています。しかし、最近のいろいろな情勢は、企業の経営姿勢といいますか、これも非常に変わってまいりつつあるわけでございますから、いまのような企業のあり方と経営者の姿勢、この二つを公害あるいは環境保全対策にぜひ集中さしてもらいたいというのが私の希望でございます。
  62. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 再度お伺いしますけれども、先ほど、国民社会道徳と言われましたのは、国民一般ではなくて、守られるか守られないかは別問題として、企業の社会的モラルの問題あるいは政府の問題、こういうふうに理解してよろしいわけでございますね。
  63. 進藤武左ヱ門

    進藤参考人 そうでございます。
  64. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 それではそういう立場で——きょうは企業代表者は来てないけれども、通産はおられるんですね。ひとつそれは通産のほうからいまの問題に答えていただきたいし、いまひとつ政府のほうは、代表して科学技術庁長官にお答えをいただきたい。
  65. 田中芳秋

    ○田中(芳)政府委員 通産省といたしましても、公害のない社会をわが国に建設をしてまいりたいということで、私どもといたしましても、現在の柱といたしましては、まず長期的に産業構造そのものを公害のない形、言いかえますれば、国民がほんとうに福祉を享受できる形での産業構造、そういう形に変えてまいりたいというふうに思っております。戦後の成長をとにかく遂げたいということから重化学工業に重点を置いてまいったわけでございますけれども、これが、ただいま諸先生方からも御指摘がありましたように、わが国汚染と申しますか、そういう面を非常に激化したということでございます。こういった反省に立ちまして、今後そうした汚染のない形での、少ない形での産業構造に早急に切りかえてまいる形で政策を進めてまいりたいと思います。  第二に、しかしながら当面の対策といたしまして、問題となります環境汚染の進行を少なくとも早急に防止したいということで、私どもといたしましては、たとえば大気汚染につきまして、燃科はそれ自体のクリーン化と申しますか、すなわち低硫黄化の推進というような面で、原燃料のSO2等の大気汚染を起こさないようなきれいな燃料を確保していくというような、あるいは水の面につきましても、排水処理施設の整備等そういった環境、現在の規制に対しまして、十分対応できる体制を整えたいと思います。政府といたしましても、ことしの春、硫黄酸化物あるいは窒素酸化物の規制を強化いたしたわけでございますけれども、この規制の早期達成に私どもは全力をあげていきたい。  第三番目といたしまして、こうしたものが十分達成できる技術開発というような点に私ども重点を置いて進めてまいりたいと思っておるわけでございます。  大体、私どもの柱といたしましては、以上のような三つの柱を重点とし、これをさらに展開をさせてまいりたい。もちろんその底には企業の社会的責任ということもございます。この点を私どもは産業所管官庁として踏まえて産業を指導してまいりたい、このように考えておるわけでございます。
  66. 前田正男

    前田国務大臣 お答えいたします。  いま通産省政府委員からお答えいたしました点と別に考え方は違いません。同じようなことでございますが、ただ私は、公害科学技術関係でございますが、いつも私は考えておりますが、ほんとうに科学技術によって人類のしあわせというか、われわれの福祉というものを招来したことも事実だと思います。しかし、その反面、技術をよく事前評価もしないでそれを採用したという、少しあわててやり過ぎたというか、そういう点も反省をしなければいかぬ面もあると考えます。その意味におきまして、これはもうしょっちゅう言うことで瀬崎先生は御存じでございますが、科学技術全般にわたりましてテクノロジーアセスメントといいますか、これはもうわかり切ったことでございますが、この姿勢をすべての技術に適用すべきであろうという考えで、メリットとデメリットとございますが、デメリットをチェックしていくという姿勢を進めていきたい。それに対して先生方、何だ政府のその姿勢はなまぬるいんじゃないか、手ぬるいんじゃないか、というふうなお考えもあるかと思いますが、われわれはその方向で一生懸命やっていきたいんだということを、公害科学技術との姿勢との関連については申し上げたいのでございます。  それから、いろいろ政治の壁あるいは行政上の壁の問題等も具体的な例をあげてございましたけれども、私、そういうことは自分の所管外のことでありますし、存じませんけれども、そういう壁がなく、ほんとうにスムーズにそういうものが政治に反映するということが望ましいということも考えられます。  それから、現在の工業化社会におきまして、企業の持つ責任というものはほんとうに重大であると私は考えます。企業エゴイズムにおちいっちゃいけない。いつも国民全体ということを考えつつ企業というものを遂行していかなければいかぬという点を深く感ずる次第でございます。
  67. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 抽象的な論議でなしに、たとえばさっきから出ているお話をよく聞いていただくとおわかりのように、企業が半強制的にわれわれに押しつけてくるむだなもの、アルミかんで富士山が山のようになるんじゃないかというような話もありました。だから当然、そういう再生して資源に利用し得るような廃棄物について、企業に回収の責任を持たせるとか、あるいは回収再利用の技術を開発するとかというふうなことも、広い意味では公害対策一つなんですよ。そういうことを一体政府ではどこがどのようにやっているんですか。
  68. 前田正男

    前田国務大臣 廃棄物の再利用ということにつきまして、具体的に、ではアルミかんならアルミかん、プラスチックならプラスチックをどういうふうに再生しようか。現在のアルミニウムあるいはプラスチックの製造業者にどれだけの義務を課すべきであるかということは、具体的には私の所管に関する限りはまだ検討はいたしておりません。これは各省庁の意見もよく聞いてみなければお答えはできませんけれども、しかし今後は資源というのは限られております。非常に限られた資源である。地球における資源というのは、鉄にしてもその他の材料にしても非常に限られておる。この資源を有効に利用するということが非常に必要である。有効に利用するということは、結局廃棄物はごみで困るという面と同時に、それを再生するということに意義があると思うのでありまして、科学技術という私のほうの担当の面では、その廃棄物の再利用、廃棄物をどういうようなシステムで利用すべきかというような点に重点を置いてこれまでも研究を続けております。具体的にどうやっているかということにつきましては、政府委員から少し補足してお答えをいたしたいと思います。
  69. 菱田一雄

    菱田参考人 私、こういうことを申し上げるのはなんでございますけれども、実は私は科学技術庁の資源調査会の専門員をやっているわけでございます。私は昭和四十四年の十月に、廃棄物処理体系に関する報告というものの原案を書いております。これは資源調査会において、要するにいままで出てくるいろいろな廃棄物というものを再生循環利用しなければ資源が枯渇するというようなことを含めて、そして企業の責任はこうなんだというふうなことを、私たちは四十四年十一月に報告書として出しております。そのときに実は勧告にするとかいろいろなことがあったのでございますけれども、報告という形で出させていただいております。実はそういうようなきっかけがありまして、それから「廃棄物処理及び清掃に関する法律」というような法律が制定されたというふうに私は感じております。したがって、そのときの科学技術庁が出しましたその報告というのは、非常に大きな重みを持っているのではないであろうかと思うわけであります。そういうようなことを四十四年の十一月にやったということ、これがそういう意味では国のいろいろな姿勢を引っぱっていった一つの原動力になったのではないかというふうに私は感じております。  以上でございます。
  70. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 あまりこの問題で時間をとるわけにいかないし、長官は、具体的に検討していないというお話でありながら、四十四年にはそういう報告も出ているという話もありましたが、これはまた日を改めてもっと詰めた論議をさせていただきたい。必要なことだと思いますから。  さて次に、実は科学者とか研究者自身の問題にも触れられた先生方が何人かいらっしゃいました。教授の肩書きを持っていても、実際には企業サイドに立って、そういう者がむしろ公害防止のじゃまをしているというふうなお話もあったわけであります。そういう点について、私たち自身は、学者一般が意識的に企業サイドに立って研究をやっているとは思わないし、思いたくないわけなんです。ただし宇井先生のお書きになった本などを読ましていただきましても、生産第一の教育を詰め込まれてきた技術者は、どうも国民安全性より企業安全性を先に考える習慣がついているとか、あるいは武谷先生のお書きになったものだと思うのですが、違ったらお許しいただきたいのですが、工科系の専門家は、多かれ少なかれ大企業と結びつきがあって、エンジニアは信用できぬというふうなこともたしかあったと思うのです。私はそういうふうな形に研究者、技術者が追い込まれざるを得ないという背景が一つは問題じゃないかなという感じがするのです。もし私の問いが当たっているとするならば、ひとつこういう原因があるのでそういうことになるのだというふうなことを、きょうは文部省もおいでのようですから、そういうことも意識してお答えいただいてもけっこうだと思うのです。ひとつ宇井先生、武谷先生長崎先生にお願いしたいと思うのですが……。
  71. 前田正男

    前田国務大臣 私の答弁でたいへん食い違いがあったようでありまして、まことに残念しごくでありますから、一言申し上げます。  その点については、廃棄物のアルミニウムとかそういうものについては、具体的にアルミはどうする、何をどうするということはしていないという意味でありまして、いま菱田さんから——私、ちゃんとその本も読んでおります。緑の表紙でありまして、りっぱな表紙でありますから、決して忘れておりませんから、それはやっております。その点につきまして、私はいま研調局長にもおこったのでありますが、何ですぐ立たないのかということを言っていたのでありまして、一応名誉のために、科学技術庁においてはやっておるのだという意味において、もしよければ……。
  72. 千葉博

    ○千葉政府委員 私のところに膨大な資料がございますので、かいつまんで申し上げますと、実は廃棄物処理資源技術に関する総合研究、これにつきましては、先ほど参考人の先生からお話がありましたけれども、私のほうも、これにつきましては膨大な検討をいたしております。  それで、関係各省一体どうなっておるのだというようなお話でございますが、これはハードウエアとソフトウエアと二つに分けましてやっておりまして、たとえばハードウエアのほうでは、廃棄物処理技術開発に関する総合的な調査研究は厚生省がやっております。それからプラスチックに関するような廃棄物処理技術、これについては通産省、それから、そのほか高分子の廃棄物資源化に関するような研究、これは通産省がやっております。それからスラッジの処理及び利用に関する研究、これも通産省がやっております。  それからソフトウエアのほうでございますが、たとえば中小都市廃棄物処理システムの設計研究、これも厚生省が分担してやっております。それから市街地の環境制御技法に関する研究、これは建設省が中心に行なっておりまして、そのほか廃棄物中の有害重金属の溶出試験、こういったものは環境庁の水質保全といったようなところがやっておりまして、全般といたしましては、環境庁で一括してこういったものを推進するということで、いま体制としてはやっておりますので、いま先生御指摘の点につきましては、従来は科学技術庁がやっておりましたが、その後環境庁が一括計上をいたしまして推進をするというようなことになっております。
  73. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 その点については、菱田先生などの御尽力は私は非常に貴重だと思うのです。しかし、いま説明を聞いても、それがもし実効をあげ、実際何らかの前進を示しているものなら、きょうここにおいでになった先生が、そういう警告をされたり、あるいは廃棄物処理技術の開発されてないような新しい科学技術は使うなというふうな話は出ないはずなんですよ。そういう点についてはあらためてひとつ政府のほうを相手にして私も十分質問をさしてもらいたいと思うのです。  とりあえず、先ほどの学者の件につきまして三人の方の御意見をいただきたいと思います。
  74. 宇井純

    宇井参考人 私は工学部で学科を二つやっておりまして、十年以上工学部におります。つくづく企業生産のためにでき上がった学問だということを痛感いたします。その上、本人が言うのですから確かな話ですが、武谷先生の御指摘もまた実によく当てはまるということを感じます。確かに、現在東京大学でさえ、大学の研究費というものはきわめて少ないことも事実であります。しかしまた、一般住民の立場に立ってみたら、これ以上金をかけるだけの値打ちがあるだろうかという感想も出てきてふしぎではないような、低い水準の研究しかやられていない部門が実に多いこともまた事実であります。私の去年の研究費は十六万円でありまして、しかも学生実験に全部それは使ってしまったというふうなところですが、これ以上金をもらっても、それに見合うだけの仕事ができるだろうかと反省してみますとまことに心細い。ほんとうに研究費をくれるのだったら、五千万でも五億でも一度に使ってみせる自信はありますけれども、そういう体制はいま大学にはございません。大体、文部省から来る研究費の三、四倍のお金を何かの名目で企業からもらってやりくりをつけているというのが、いま工科系の大学では——実質的にでございますね、書類を幾らさがしてもそんなふうにはならないと思いますが、結局実質的にそうせざるを得ないような条件がかなり広くあるのではないか。これは日本だけではございません。私が調べた限りでは、アメリカとかスウェーデンとかイタリアとか、どこの国でも工科系の研究室は企業と結びつかなければやっていけないようになっているということが、環境問題で洗い出されております。しかし、それをほんとうに調べ上げようとすると、これは容易なことではございません。私もたまたま数年前に教室の経理を預かったことがありまして、企業から来る金の大きさに驚いた体験がございます。これはごく普通の研究室ですから、もっと羽ぶりのいいところ はもっとよかったんだろうと思います。
  75. 武谷三男

    武谷参考人 全く宇井先生のおっしゃるとおりで、そういうことを私は大学ではあちこちいろいろと見てまいりましたのですけれども、そういうことを書いたのでありますが、これは研究費が少ない、ほとんどもらえないというだけでなくて、おそらく戦前からの大学の先生の体質も大いに関係があると私は思いますね。それから、たとえばアメリカ合衆国だと研究費は軍を通じて出る。物理学でもそういう傾向が大いにある。日本では文部省を通じてしか物理学には出なかったり、企業との何かの関係があったりして、これはたいへん貧弱で、しかも貧弱だけでなくて、非常にいい研究には非常に少なくしか出なくて、どうということはないものにも出るけれども、顔というのがかなりきいていると私は見ておりますが、日本学者は大体そういう戦前からの影響と、それから企業と結びついて何かやるというのが悪いことだとも何とも思っていない。つまり、普通のピープルと結びつかない科学技術、特に医学などの例について、私のこの「公害安全性人権」という本の鉛公害の問題についてのところをごらんになったら実によくおわかりだろうと思いますが、医学でも何でも大体そういう傾向にある。これは何とか基本的に考えを変えなければならぬ時期に——もうおくればせながらどうかしてほしいという考えです。
  76. 長崎誠三

    長崎参考人 いまの問題について意見を申し述べる前に、ちょっと先ほどのごみの回収の問題で一言申し上げたいと思います。  回収のことについて、それを処理することについていろいろ努力されていることはわかりますが、六月十五日号の週刊朝日に非常に皮肉な話が載っております。それは「NOW NOW」という記事のところなんですが、「よせ屋のソロバン勘定」というところです。ちょっと読ましていただきますと、「近ごろのことだが、大阪の大手鉄工所が、よせ屋の協同組合にポリエステルの廃品回収を頼んできた。どうやら、この再生利用の開発に成功したらしいのだ。ゴミの中でもいちばん厄介もののポリエステル、これが有意義に利用されるとなれば、結構なことだが、よせ屋の親分はあっさりことわった。」と書いてある。それはどういうことかというと「そら、ええことやろけど、そんなカサばるばかりで目方の軽いもん、わしらにはどうせ採算あわん。」という話です。云々と書いてございますが、たとえば発泡スチロールやらポリ製品の廃品再生の利用の研究があちこちで進んでいるというけれども、それを一体どうやって集めるのだ。たとえば一キロの発泡スチロールというものはばく大な体積で、そんなものを一キロ集めるよりは、新聞を一キロ集めるほうがはるかにやさしいという話が六月十五日号に出ております。実に皮肉な話だと思います。私は、そういうところをやらないことには問題は解決しないだろうと思います。  それから、先ほどの学者の問題ですが、私も国立大学、帝国大学を三つ歩いたものですけれども、大学院のめんどうを見、学生を教えた身として、やはりまず一つは、たとえば宇井参考人が幾ら給料をもらっているかということをお尋ねになればこの問題はかなりはっきりした答えが得られると思うのです。それは宇井参考人に限らず、あるいは五十、六十の国立大学の教授が一体幾らの給料で働いているか、やはりそういうところに一つ問題がある。  それからもう一つは、研究費の問題、理科系でもって研究しようとすれば、研究費を集めるためにほとんどの時間を使わなければならない。また研究費を集めてそれを実験研究をしてもらう、たとえば東京にいればいろいろな委員会とかいうことでしょっちゅう引っぱり出されますから、その留守の間でも研究をしてもらうために、大学院の学生なり助手なりそういう人たちを集めるという問題。これはやはり定員の問題というようなことで、削減をすることはあってもふえていくことがない。一教授に対してせいぜい二人とか三人というような人間である。そういう中でいちずに研究しようとする人は、企業にべったりという姿勢が出てくるということは、日本の教育行政の中では十分あり得ることであるというふうに思います。  それから、研究費の額にいたしましても、たとえば一講座当たりせいぜい——宇井参考人は十何万とおっしゃいましたけれども、教授一講座でたとえば年に百万とか、二百万という研究費だ、理工科系でいいほうで。こう思いますけれども、そういう中で一体何ができるか。にもかかわらず、やはりそうではありますけれども、昨年、一昨年、文部省の科学研究費というのがございます。現在は確か八十億か九十億くらいになっておりますが、こういうものはたとえば帝国大学に属している人は別として、一般のたとえば地方の新制大学というようなところでは、これを獲得するというのは相当至難のわざです。一つの任期の間に、自分が定年になるまでに一回でも当たれば非常にいいぐらいにいわれているものです。ところが、たとえばある国立大学では、毎年のようにそこの教授が科学研究費を得ているということであります。しかもその研究所の普通の一般経費の予算に大体匹敵する額、たしか三千万か四千万くらいだと思いますが、それに匹敵するものを毎年科学研究費で得ているというような実態もあります。それは詳しくは去年の物理学会の会誌に私が書いておりますから、ごらんになっていただきたいと思います。そういう実態をなくさないことには、学者企業べったりの姿勢というものはなくならないと思います。
  77. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 文部省は帰ってこられておりますか。これは前の萩原先生がおいでになったときの東大の地震研の問題にもからんで臨時職員の問題の話が出ておったのですね。とにかく、いまの政府は金がないとは言えないと思うのです。十四兆という大きな予算を組んでおる。執行ができないからインフレの関係で一部はあとにずらすというようなことも現実に起こっている。研究費だけで見ても、研究費の占める分野は低いけれども、その中で防衛関係研究費なども出ていると思う。ですから、そういう点で特に大学の研究に直接関係する文部省の政治姿勢として、そういう良識ある学者の民主的な意見を尊重し、自主的な研究ができるようにひとつ裏づけを予算的にしていく意思があるのかないのかということが一つと、それから、これは科学技術行政全般の問題として長官に、こういうことが繰り返しこの委員会に出てくるのですから、一度そういう点について、大臣の勧告権があるのですね、一ぺん文部省に対してそういうことを筋を通してもらって報告も求めてもらいたいのです。その点についてお二方からお答えを願いたい。
  78. 齋藤寛治郎

    ○齋藤説明員 私用意してまいりませんでしたが、研究費は非常に少ないというお話を伺いましたけれども、確かに少ないと思います。そういう点では、さしあたり戦前並みの研究費獲得ということを目標にして現在は予算要求をしておりますけれども、科学技術の振興に基づきまして、もちろんそこをオーバーすればどんどんふやしていくというような考え方で予算要求をしてまいっております。  もう一つは、科学研究費の問題でございますが、最近たいへん伸びがよくて、優秀な学者がプロジェクトを組んで研究していく場合に、大いに研究費を出すべきであるという意味で、これも増額を続けてやっておるということでございます。つまり講座の研究費ということで大学に研究費の増額をはかると同時に、研究者が集まって新しいテーマこ向かって研究していくという意味の科学研究費の獲得という点で大いにやっておるということであります。
  79. 前田正男

    前田国務大臣 瀬崎先生から大学の科学技術研究費が少ないのではないかという御指摘で、私もそう考えます。研究費だけではなくて、私は研究公務員の処遇もよくないと思っております。この点を、実は公務員でありまするから人事院のほうにも私は話しております。研究費とともに処遇の点につきましても、一般の処遇よりは優遇はされておりますけれども、それにしても技術者なるがゆえにやはり従来日本の  私も技術者ではございません。法科、政治とかいうものの出身でございますけれども、どうも従来の日本の社会においては、わりあい法科系統が優遇されてきたと思うのです。これはざっくばらんに言いますけれども、その点がやはりよくない点じゃないかと思って、私は特にこの点を、せめて研究公務員、大学の先生を含めまして、その処遇をまず改善してほしいということを、人事院にもたびたび、担当の人事官も呼んで実は話しております。この問題もなかなか胸のすくように一ぺんにはいきません。いきませんけれども、きょうの先生の御指摘もあり、私もさらに力を入れて、この点強く取り組んでいきたいと考えます。  それから、研究費の問題も、実はきょう先生からそういう御質問があるならもうちょっとこの数字を調べてくるんだったのでありますが、実は数字を持っておりませんけれども、研究費の点も、研究費のことを心配しながら研究しなければいかぬというようなことでは、いい研究ができるはずはございませんので、その点も、きょうははなはだ抽象的な答えになって恐縮でありますが、研究費をさらにふやすように大いに努力をしていきたいというふうに思っております。
  80. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 いずれこれも直接政府との間でわれわれももっと詰めていきたいと思うのです。きょうは幸いにして現職の研究者の方がいらっしゃるから、一度どういう答弁を政府がされるか聞いておいてもらって、抽象的なことばでも、それが実行に移されないようであれば、またあらためてそれぞれ個々に大いに交渉していただく材料にしていただこうと思ってちょっとお聞きしたわけです。ひとつ先生方も、そういう意味で大いに参考にしていただけたら幸いと思います。  同じ内容で、先ほど菱田先生のほうは、非常に地方自治体における技術者の不足を嘆かれたわけですが、どうでしょうか、国が全国の自治体が利用できるようなそういう技術者のセンターをつくるべきだというふうなお考えなんですか、それとも、もっと教育内容とか学者のあり方というものも含めて、いろいろ総合的に対処することによって、自治体に直接技術者がきてくれるようなそういう形を望んでいらっしゃるのでしょうか。そういう点につきまして、ちょっと地方自治体サイドからのさらに具体的なお話が承れれば、われわれが今後また国会でいろいろと政府と論議する上でも参考になると思いますので……。
  81. 菱田一雄

    菱田参考人 いまの研修制度というのは、おそらく一週間とか十日とか出てきて、そうしておれは東京へ行って勉強してきたんだというようなことではないかと思うわけです。たとえば国立公衆衛生院というところでは、半年なり一年なりかけてそういう研究生もやっておるわけであります。私たちのほうの公害局の職員の中からも、大学院を出てきたような者でまたそういうふうなところに行っている者もございます。しかし、そういうところで教わってきた者がほんとうに実際の公害対策がやってみてできるかということになりますと、なかなかそこまではいかないと私は思うわけです。半年国立公衆衛生院で研修を受けてやってきて、何をやってきたかというと、ただ分析の方法だけが一生懸命できてきたということでして、対策についてはおそらく国立公衆衛生院の中では教えていない。また、私が一番心配するのはそういうことなんです。たとえば、研修所ができたとしましても、研修所でできるのは分析の方法ばかりである。要するに受け身でしかものを考えない。出てきたものを、どうなっているか、どうなっているかということで、受け身でしかものを考えないというのではだめなんです。そうでなく積極的に相手に向かって、要するに企業よりもこちらのレベルのほうがうんと高いのだ、企業の持っている技術レベルよりも、地方自治体の職員の持っている技術レベルのほうが高ければ、これは絶対地方自治体のほうが有利になる。そういうレベルに私はしたいのです。それをやるにはやはり半年やそこらでは足りない。一年間なら一年間そういう人たちをプールしておいて、そしてその人たちが各地方自治体に帰って、それが一つの核になって、その核になった人たちがまわりの人たちを教えていく、そうしてその地方自治体の職員がふえていくという形にしなければいけないのではないか。実はそういうようなことを東京都の公害局ではやっているわけです。区役所の職員などはふえてまいりますが、何にもそういうことを知らぬ。そういう方たちに私たちは全部、一つ一つの区役所には核になるような人間が入っておりますから、ですから、私はどこに、何区にだれがいるというようなことは全部知っております。そういうようなことをやはり全国的な視野でやっていただきたい、そういうようなわけでございます。
  82. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 いまの御発言にも政府答弁を求めて次にいきたいのですが、時間が来ているようなので、とりあえずの最後の質問として、もしも企業の利潤追求という目的をはずし、さらに研究者の方々のいろいろな研究条件というものを満たした場合に、今日、日本国民が必要とする生活必需物資の生産にあたって、無公害生産技術、自然と人間との完全な調和の保てる無公害生産技術というものが開発可能と考えられますか、どうでしょうか。その点ひとつ科学技術者としてお答えいただきたいのです。武谷先生長崎先生に締めくくっていただきたいと思います。
  83. 武谷三男

    武谷参考人 いまの前提がたいへんむずかしい問題でございまして、ですからいまの前提をどのように考えるか、それで、その生産のレベルをどのように考えるかということできまるんだろうと思います。  それで実際、科学技術の正道と私は考えている、人間科学技術とのちゃんとした両立という観点からいけば、無公害ということは可能であると思います。ただそれには、よほど徹底した社会的な手が打たれねばだめでしょうし、いまの生産のレベルのままでできるとは思いません。ですから、よほど徹底的なことをやらぬとだめでしょう。でもそれは科学技術では私は可能だと思います。
  84. 長崎誠三

    長崎参考人 可能かどうかということについては、私もやはり可能だと思います。しかし、そのためには、積極的にほんとうの科学者意見を採用し、それを行政の機構の中に組み入れる、あるいはそういうものを、言い方は悪いですけれども、利用し採用していくという姿勢が必要だろうと思います。現状はやはりそうではないと思います。
  85. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 あとで機会がありましたら再質問の機会を与えていただくということで、だいぶ残りましたが、とりあえず、ありがとうございました。
  86. 石野久男

    石野委員長 次に、近江巳記夫君。
  87. 近江巳記夫

    ○近江委員 きょうは各委員からかなり精度な質問が出たわけでございますので、できるだけ重複しないようにお聞きしたいと思います。  いまこうした公害問題で数多くの被害者が出ておるわけでございますが、特に宇井先生などは現地でよく実態調査等をなさっておられますし、そういう点でお聞きしたいと思うのです。  公害対策原則からいきまして、どこまでいっても被害者の立場というものが第一義的に優先する立場で考えていかなければならないと思うわけです。先生もそのようにお考えと思いますが、ところが現場においては、実際上は企業の立場であるとか、論理であるとか、また行政の怠慢で必ずしもそうなってないと思うのです。そういう点、宇井先生はなまなましい実態等も御存じでございましょうから、率直な御感想をひとつお聞かせをいただきたいと思います。
  88. 宇井純

    宇井参考人 実は、水俣病やカネミ油症のように、わりあいに古く起こって、はっきりしている公害でも、被害者の数すらまだ正確にはわかっておりません。おそらくカネミ油症の場合なんかは、認定されている患者というものは、実際に病気のある人の十分の一程度くらいで、しかも現在の認定水準よりも重い者は無数にある、つまり、認定水準ですら十分に適用されていないということが言えると思います。行政にかかってくる被害者の声というものは、したがってごくわずかであります。その上、公害行政ではまだ加害者と被害者の言い分を公平に聞いてという公平性から抜け切れておりません。これはもうしばしば現場で聞くことであります。  しかし、被害者しか苦しみを知らないときに、被害者から出発しない限りは公害というものはつかみようがございません。残念ながら、私どももそれほど詳しく被害者のことがわかっているわけではないのでして、ましてこの水俣病の場合のように、チッソの会社の中にすわり込んでも加害者に会えないという状況、これを何とかしないことには先へ進まぬのではないか。おまえが加害者だと言っても、向こうが逃げてしまうという状況では、これは進めようがないという気がいたします。一つは、これは裁判という形で無理やり裁判所に、ともかくあなたが加害者だと思うというのを新潟以来の日本被害者はやってみたわけであります。裁判所でも、損害賠償という、くつの底からかゆいところをかくような間接的な手段でしか責任が追及できないというもどかしさがございます。  もう一つ日本の住民運動が行きついたのは、高知の生コン事件のように、幾ら言ってもわからなければとめて見せるということであります。これはもうそれだけ見ますと、まことに乱暴な話のように見えますけれども、高知の場合などは、二十年をこえる話し合いが全部逃げられ、け飛ばされて、その結果とめざるを得なかったというふうなことでございます。  そういう現実に対して、いまの行政では、その把握すらできないから対策も立たないのであるというふうなことになってくるのでありますが、もう片方で科学的な把握にしましても、きわめて不十分であるということを最初に申し上げました。もっともっとあるはずであります。そういうことを、ある程度一年なり二年なりじっくりやってみた上で、あらためて法律はほんとうに必要なのか、それとも法律の数は少なくても、有効なものが一本、二本あればいいのかということを考え直してみる時期ではなかろうか。少なくともその間は、いまの生産を拡張することだけはやめていただきたい。本日現在の水準で、生産をともかくいわば増設の凍結といいますか、いまでさえがまんできないわけですけれども、最低それくらいはやらなければおそらく取り返しのつかないことになるだろうというふうに感じます。その点では、環境庁の今度の環境週間の行事というものはあまりにも中身がなさ過ぎる。お遊びではないかというふうな気がいたしまして、都留先生もかつて環境庁長官にもっと実のあることをやるように、具体的に幾つか提案されたそうですが、どういうわけか一つも実現しなかったということを漏らしておられます。私もこういう日本の現実はどうなっているかということをほんとうに洗い出すのが環境庁の仕事ではないかと思いますが、そういう仕事をやらないで、メーカーデーとか、ノーパックとかいうふうなかたかなの話をやったところで、日本公害は絶対なくなりません。世界の最先進国日本ではかたかなの話は通用いたしません。環境庁もまた被害者から出発するほかはないのじゃないかというふうに考えます。水俣病なりイタイイタイ病なり、カネミ油症——カネミ油症はどういうわけか公害の対象からはずされておりますけれども、その規模からいっても、起こり方からいっても、水俣病と区別することはできません。その被害者の声を聞くというのが実にむずかしいものだということは、私ども自主講座をやりましても痛感いたしております。ですが、そこから出発するほかはないというのがお答えでございます。
  89. 近江巳記夫

    ○近江委員 同じ問題で第一線でがんばっておられます菱田先生に感想をお伺いしたいと思います。
  90. 菱田一雄

    菱田参考人 私は公害行政をずっとやってまいりまして非常に感じたことはどういうことかといいますと、公害に対する哲学がなければいけない。しかし、哲学と一緒に技術というものがぴたっと密着していなければいけないと思うわけです。いままでの公害行政というのは、哲学が先に進んできて技術がおくれているというのがむしろ現状じゃないだろうかと思うわけです。私は、技術というのはぴしっとほんとうに二者一体にならなければ公害行政というものは進まないのじゃないかと思うわけです。したがって、科学技術というものをできるだけ引き上げていくのは、私たちを含んだ技術者の、地方自治体の職員の責任だと思います。したがって、私自身では、いろいろなところにいろいろな論文を書いて、そうしていままでわからなかったようなことは、こういうことはこうチェックしなさいとか、こういうふうに見なさいというようなことをいろいろなところで発表しております。そういうのは実際に見てくださる方がいるとよろしいのでございますけれども、やはりそういうのはなかなか見ていただけないと思います。そういうふうに私たち考えておりますが、東京都の場合はむしろ被害者の立場に立っていつもものを考える、これは私は当然だと思います。公害局に関しましては、まず被害者の立場に立ってものを考えて、そして要するに、法律とか条例とかいうようなものは、いわゆる環境をよくするための一つの手段にすぎない。法律や条例を守れば公害はなくなるんだという思想ではなくて、それがほんとうに環境をよくするための一つの手段にしかすぎないんだ。いろいろな手段がある。たとえば産業構造をよくしなければいけない、エネルギー政策をこうしなければいけない、いろいろな手段がある、その手段の中の一つのものであるというふうに私たちは考えているわけです。また、そういうものを引っぱり出さなければいけないというふうな法律または条例でなければならないというふうに私は考えております。  以上でございます。
  91. 近江巳記夫

    ○近江委員 そのように被害者の立場に立って見ていきますと、先生方のおっしゃるお話もほんとうによくわかるわけです。それで、そういう立場に立ちまして、公害における無過失あるいはそうした責任の問題におきましても、結局、法的にもいまだに明文化されてない。こういう政府の怠慢な態度というものは、非常にきびしく追及されなければならないと私は思うわけですが、こういう点、どのように感じておられるか、もう一度宇井先生と菱田先生にお伺いしたいと思います。
  92. 宇井純

    宇井参考人 私は、いわゆる無過失責任の問題についてはあまり重視しておりません。と申しますのは、大体公害があるときには過失がございまして、ただその立証がいろいろ困難があるという場合がございますけれども、丁寧に調べていけばたいがい見つかるものですから、特に無過失責任ということにして、たとえば自動車賠償保険とか労災のように、責任を水増ししてしまうほうがむしろおそろしいのではないかというふうに考えております。ただ、実際問題として、確かに被害者側が立証できるところには限度がございますし、また加害者側は、データを全部自分のところで伏せておっても、営業のためのいわば正常な活動として法益で保護されているものですから、過失を立証する必要がないという意味での立証省略の意味での無過失責任というものだったら、それはあり得るのではなかろうか。しかし、過失があろうとなかろうとおまえ払えというふうな意味の無過失責任だったら、これは公害解決のためにかえって退歩であるというふうに考えております。法律家の中でもそういう意見を持つ方が多いようであります。  そういう意味で、公害訴訟というものを一つ一つやってきた意味は大きいと思いますが、この辺でもう被害者側が因果関係を立証するなんというばかばかしいことはそろそろやめたいというふうに考えております。いわゆる挙証責任の転換といいますか、少なくとも出している側が、それは自分のところでないということを証明しなければ話は先へ進まないというふうに考えます。この挙証責任の転換というのは、一つ確かに進歩として取り入れることは可能であります。  それからもう一つは、差止請求といいますか、現に出て困っているときには、まず因果関係がどうであるかとめてみればはっきりいたします。とめて公害がなくなれば、それが原因だったということもございます。被害者側の差止権をもっと持つといいますか、法律家もいままで例がないからということではなくて、思い切って差し止めの可能性を実際の裁判で検討するということが、今後の法廷での、あるいは法律的な側面での前進になるのではないかというふうに考えております。  そちらが保障されますと、行政のほうは、たとえば四日市の判決のあとかなり行政の方針が変わってきたように、だんだんに住民の圧力で動いてくるのではなかろうか。たとえば法律の歴史を見ますと、公害は昔からございまして、決して最近五年、十年でひどくなったものではございません。水質二法は昭和三十三年にできております。しかし、実際の効果はなかった。それはやはりその当時の行政企業の側を向いていたからです。現在は住民の圧力が強くなって、少なくとも幾らか住民の側に寄るような姿勢を示さざるを得なかったということの流れとしてつかまえるべきでありまして、行政が昔は不備であったというふうな話は、私が知る限りどうもおかしいと思います。
  93. 菱田一雄

    菱田参考人 私は、無過失責任というようなことにつきましては、あまり詳しくございません。したがって、ここで皆さん方に述べるようなことは言えないと思いますが、先ほど宇井参考人がおっしゃったようなことは、私もいままで考えていたことでございます。しかし、たとえば東京なんかの場合に、やはり一番大きな問題となる汚染寄与率を示しているのは何かといいますと、たとえば自動車などについて言うならば、自動車は一日に千八百トンの一酸化炭素を出しているけれども、一酸化炭素についてはおれは問題はないんだ、環境基準に適合しているから問題はないんだというふうなことを実は言っているわけでございます。そういうようなことを言っているにもかかわらず、マスキー法でははるかにきびしくしなければいけないというようなことをいたしました。きのう私はマスキーの話を聞きにいったのでございますが、そのときにそういうことを言いました。そして、そういうような義務づけをしたときにアメリカ企業もやはり言う。どういうことを言うかというと、いわゆる汚染物質被害者との間の因果関係がはっきりしない限り、われわれはそれには応じられない、そういう規制は無理であるというふうなことを彼らは言う。そこで私はこういうふうに言う。それでは因果関係——汚染物質によってそして被害がないということを立証しなさい。それが立証できるならばそれでけっこうだろう。立証できない限りはだめであるということを言っているわけです。そういうようなことからマスキーの発想ができたというようなことをマスキー氏はおっしゃいました。私は全くそれは同感でございます。  私たちがいま非常に苦しんでいるのは、ほんとうに東京都から出てまいります一酸化炭素の九九%が自動車である。それから窒素酸化物の約六五%から七〇%が自動車である。炭化水素の約九八%くらいが自動車である。にもかかわらず、自動車は二百五十万台走っていて、それに対して一台一台おれは責任がない、おれは責任がない。そして売った者も、おれは責任がない。無過失責任とは一体何だろうかというようなことになるわけです。被害者というのはちゃんと出ている。こういうようなことについて私は、ちょっとその点では、いまの法体系では非常に無理なんじゃないだろうかと思うわけです。したがって、つくる製品までの責任ということがこれからやはり大事であろうと思う。これはいままでの業態で、たとえば産業公害型のものと都市公害型のものと明らかに違うわけです。ですから、産業公害型のものでは、はっきり相手はポイントソースであります。ですから、点の汚染源だからはっきり相手がわかってくる。これならば責任もある程度明確にできるだろう。ところが、東京のようなところでは、都市型でございますので、エリアソースで、非常に面的な広さを持っている。そして、それはもう非常に動いている。移動している。移動発生源でございます。ですから、それらについての責任というのは、その立証は非常にむずかしいということを私たちは言いたいのでございます。
  94. 近江巳記夫

    ○近江委員 先日、政府公害白書が発表されたわけですけれども、それを見ますと、政府公害問題の認識の程度というものが非常にゆがんでおるんではないか、このように思うわけですが、公害対策の実施によって、生産費のアップ、さらに製品のコストアップは避けられない、こういうようなことを非常にうたっておるわけですが、こういう言っておることを見ますと、非常に経済に偏重しておる考え方が依然として濃厚に出ておると思うのです。  いままでのこうした公害の発生を考えますと、結局、日本のそういう生産性の高さといいますか、企業公害対策費のこういう企業投資の上に今日まで成り立ってきた、こう言えるんじゃないかと思うのです。こういう点、政府のこういう姿勢であるとか、企業のそういう姿勢であるとか、その辺について先生方の御感想をひとつお伺いしたいと思うのです。それで武谷先生宇井先生にお願いしたいと思います。
  95. 武谷三男

    武谷参考人 先ほどから申しましたけれど、お説のとおりだと私は見ております。実際、荒かせぎということばが一番当たっていて、まわりに人間がいないような感じでもって物事が、つまり生産が行なわれてきたわけです。また、ほとんど企業ペースである、これは最初に私が申したことであります。政府も、私がずっと見てきました限り、これをチェックするということはほとんどなされていない。ですから、結局人権を守る場合には、疑わしきを罰せずということでありますが、企業人権ではありません。ですから、疑わしいものはやめろ、つまり安全が証明されたものだけが許されるということでないとこういう問題はだめになってしまう、現にそうであります。その点ふしぎにそういうところがなまぬるいといいますか、あいまいにして、しかも一向に被害者の立場というものが認められていないということはあらゆる点で痛感される。それから、いままでのがそうですが、将来の技術、たとえば原子力とかその他についても、はなはだやり方がおかしいという面があることは、一カ月ほど前に行なわれました参議院の公聴会をお読みになれば大体おわかりになるだろうと思います。ですから、将来の問題についてもそうですし、過去の問題についてはもちろんのこと、こういうことは総じて戦時中ないしは戦前の企業やり方宇井先生によれば、戦前のほうがもっとまじめにやっていたやつもいるという話ですが、私は戦時中の至上命令意識ですか、それが戦後までずっとそのまま持ち越されている。ですから至上命令をとにかく変えなければだめだ。この点を政府の方も真剣にお考えにならないと、どういうことが起こるか私は何とも申し上げかねる。私がちょいちょい前から申し上げたことはたいてい事実になってあらわれてきて、今日の状態も私が前から言っていたことが事実になっていると私は見ておりますから、私はでたらめを言っているつもりはありません。それだけの実績をもって申しているということをよくお考えになっていただきたいと思います。
  96. 宇井純

    宇井参考人 実は、私不勉強で環境白書を読んでおりません。と申しますのは、政府刊行物を読むひまがただいまございません。実際にいろいろな公害をとめるために走り回るほうが先でございまして、読む気が起こらないというのが正直なところでございます。まあ必要があればときどき読みますけれども、もし環境をきれいに保つのには金がかかるというようなことが書いてあるとすればなおさら読む気がしない。しかし、この議論はすでに一九七〇年に経済学者のシンポジウムが日本で開かれましたときに、外国学者が言っておったことであります。こういう議論が出てくるよという注意がされていたことであって、それがどうやら経済企画庁あたりを経て環境庁まで行き渡ったのだなという程度の感想しか持ち合わせておりません。どうも国とかそれから一部の県、全部とは申しませんが、かなりの県レベルの公害対策行政というのは、公害をなくすことが目的なのではなくて、世論がきびしくなったから、企業に納得して少し遠慮してくれということが目的であるような感じをさえ受けるものであります。つまり実に及び腰であります。権限の範囲内でやろうと思えばできることを、ちょっと考えればできることを、わざとやらないのではないかという実例が実にございます。  それからもう一つ基準をきびしくしてまいりましても、たいがいの大企業基準の中におさまります。たとえば毎日何百キロかの鉛を出している製鉄所でも、多量の海水を使ったり排水を出しているために、それで薄めてしまえば、どんなきびしい基準をつくってもPPMはちゃんと基準の中におさまります。そこで総量規制の問題が出てきたわけですが、こんなのは昭和三十三年の水質二法のときからずっと議論されておりまして、いまごろ出てくるのがおかしいのです。  公害問題については、歴史的に調べてきますとずいぶん事情がはっきりするという面がございまして、環境白書とか政府文書の一つの特徴は、決して歴史的な振り返り方をしないという点でございます。去年に比べてことしはこれだけよくなったということが書いてあっても、十年前に比べてどうか、五十年前に比べてどうかということは決して書いてないのが政府の文書の特徴であります。おそらくそういうものを印刷すること自体、ヘドロ公害をふやすことになるのではなかろうかという気がいたします。
  97. 近江巳記夫

    ○近江委員 それで宇井先生は、わが国公害というのは世界一だ、それでほんとうは欧米よりもあらゆる点で公害問題については学ぶべき点はないくらい前進していなければいけないのだとおっしゃっておられるわけですが、しかし、わが国と比べてまだまだ公害も少ない欧米のほうが、はるかに公害対策については進んだ点を十分やっているのじゃないかと思うのです。そういう点、いろいろと御研究なさっていると思うのですが、特に何か二、三の事例でひとつお聞かせいただいたらありがたいと思うのです。
  98. 宇井純

    宇井参考人 実はその点でたいへん参考になりますのは、先日見ました中国の例であります。中国は工業はそれほど進んでおりませんけれども、けっこう場所によっては公害は起こりやすい条件がありまして、それを必死になってとめようとしております。欧米でもそうですが、住民の力の強いところは公害が出しにくくなります。アメリカとかスウェーデンとかイギリスとかいろいろな国を歩いてみますと、結局はやはりどこでも公害をとめているのは住民運動であります。技術はそれについて行くというのが現状のようであります。中国には住民運動はないではないかということになるのですが、中国では公害問題を解決しようとする主役は、現場の労働者と現場の農民であるということを繰り返し言われました。日本のように審議会の先生方が、何にも御存じないで基準が高い低いと議論するよりは、現場の人間公害をとめる基準をつくるほうがはるかに有効であると感じました。現在の審議会でも、たとえば水俣病の患者を入れてみたらどうでしょうか。イタイイタイ病の患者を入れてみたらどうでしょうか。住民運動の代表で過半数を占めるようにしてみたらどうでしょうか。いまの制度でもそれくらいのことは可能だと思います。ところが、実はそうではなくて、公害企業の肩を持った学者や、あるいははなはだしいときには公害企業経営者そのものが公害関係審議会委員に入っていて、それが国会の承認を経てきまってしまったというふうなことが過去にずいぶんあります。これは政党政治のたてまえを現在のままとしても改善の余地は日本の中でずいぶんある。  技術的な対策についていいますと、実はヨーロッパより日本のほうがはるかにひどくなっているもんですから、向こうで役に立っていることをこっちへ持ってきても役に立ちません。あるいはイタリアのように、日本と同じに高度成長していますと、ほとんど日本の五年くらいあとを追っかけて、公害も必死になって追っかけているような始末ですから、あまり技術的に学ぶものは多くございません。ただ安全性と確実性ということにはかなり参考になるものがございます。たとえば人口数千から数万くらいの下水処理場は無人で動きます。日本のように人夫を何十人も張りつけて、きたないものをかついだり手でいじったりしなくても動くようにくふうはされております。日本でもそういうものは可能であります。ですからそういう点では学ぶことは若干ございますけれども、根本的にはやはり公害というのはもとでとめられるものはできるだけもとでとめるものであり、それに対して技術というのはわれわれがつくっていくというもののようであります。
  99. 近江巳記夫

    ○近江委員 それで開発と保全ということにつきまして、自然環境の破壊のない開発というようなことは実際上ないじゃないか、こういうように企業家なんかで反論してくる人もあるわけです。こういう点、非常に開き直った発言じゃないかと私は思うのですが、先ほど宮脇先生ですか、エコロジーのお話をしていただいたわけですが、いままで公害対策というものは大部分対症療法であって、産業経済の、大きく言えば現代の科学技術が本質的に持っておる自然支配と破壊の性格を十分認識したものではないと考えるわけですけれども、最近この地球の冷却説であるとか、いろいろそういうような問題が出てきておるわけですが、今後はそういうエコロジーの問題であるとか、こういうことを大きく取り入れていかなければいけない、こう思うわけです。先ほど先生からもいろいろお話を伺ったわけですけれども、さらに先生のほうから突っ込んだ御意見があればひとつお伺いしたいと思います。
  100. 宮脇昭

    宮脇参考人 いままでのお話を承っていましても、現在、日本ではまだ環境問題以前の問題で実は精一ぱいの段階である、いわば公害に対する直接の技術にあるいは科学に携わっている参考人の御意見なんかを聞きましても、まだそれすらもわからない状態でございます。  しかし、真の環境というのは、私はたまたま出てきた問題をあと追いしているだけでは不十分である、したがって短視的には、さしあたりはそういう問題がまだ解決できていない。私たちがいう毒殺問題がある以上は、それをやっていただかなければいけないけれども、それだけで公害問題、環境問題が解決できると思うのは根本的な間違いであって、むしろもう一つ、あすのための環境創造とか環境保全に対する総合的な施策なりあるいは研究なり調査なりが、日本列島全域にわたって、いわゆる日本列島改造論ですか、それに先行して日本列島環境創造が行なわれていなければいけないと思います。  そういう意味におきまして、たとえばいま近江先生から言われました開発の問題でございましても、開発に対していままではせつな的ないわば能率主義あるいは効率主義、経済主義だけが追われていましたが、最近は何か一つ特効薬を見つけようとしている。そして、へたをすればその特効薬にきわめて不十分な、まだまだこれから科学のデーターを十分集めなければいけない日本で、全く冷遇され無視されていた、正式の講座すらほとんどなかったような生態学、エコロジーの問題がにわかにクローズアップされてきているわけでございます。  そういういわばどろくさい生態学者の一員として率直に申し上げたいことは、時間をストップさせたいわばせつな的な生活環境に対しては、われわれは、そして現代の科学や技術はかなりのことを言い、あるいはわかっているかもしれませんが、きょうも、あすも、あさっても生き延びるという、持続的な生存環境に対して、現代の医学が、技術が、そして生態学が、何がわかっているかということを御理解いただきたい。残念ながらほとんどわかっていないと言ってよいぐらいでございます。  したがって、いまわかっている知識だけによってさしあたりの対策を練ることだけが環境問題ではなくて、むしろその先、これからどうしても、われわれがいまさら穴蔵生活に帰っていけないとするならば、ある程度の自然の利用もあるいは産業との競争も考えなければいけないとしたならば、どこまでの利用が可能であるか。日本列島全体に対して、あるいは首都圏においては、もうどこが、逆に工場をスクラップダウンにしましても、積極的な多様な人間の生存環境を創造するほうにこそ皆さんの科学や技術を、科学技術庁やあるいは環境庁や文部省が、積極的に具体的な技術や科学や教育を通しての施策を練っていただかなければいけないんじゃないか。あるいは通産省におきましては、むしろ積極的ないままでの産業効率、いわば非生物的な材料による工場生産的な手法によるところのわれわれのせつな的な生活環境の改善から、生きた構築材料による持続的な生存環境を創造するためにこそ、新しい通産行政に踏み切っていただかなかったならば、私たちの命も心も保障できないばかりか、そのような公害国から出されたものは、外国からも批判を受ける危険性あるいはすでにそういったものが出てきているわけです。  では一体、日本の国土は、東京湾はあるいは首都圏は、どれだけこれからの人間の生存あるいはわれわれが生きていくための産業との共存を許容し得るかという問題、これは簡単には、いわゆるアセスメントであるとか、あるいは産業開発モデルをつくるとか、環境のシミュレーションメソッドによって、コンピューターによってモデルをつくって、それで解決しようというふうな考え方が、わりあいにたやすく政府でもあるいはいわゆる進歩的といわれる人たちに持っていかれやすいのですが、それは、命を持っていない者に対しては、そうして時間をストップさせた場合には可能かもしれないが、持続的な生存環境に対して、そのような現代の科学や技術や医学は、残念ながらほとんど効をなさない、したがって私は、ここでもう一つ、さしあたりの毒殺問題の対応と同時に、あるいはそれと同じように、あすもあさっても生きていけるための多様な生存環境の保障であり、創造ということに対して、それはたまたま菱田参考人はフィロソフィーがあって技術がないとおっしゃいましたが、私のことばで言わしていただければ、実は日本政府にも、教育にも、そしてわれわれの生き方にも、フィロソフィーがないのではないか。一体、皆さんは、環境とはどういうふうに御理解になっていらっしゃるか。環境というものを、亜硫酸ガスが、たまたま出てきた有機水銀を押えれば環境が解決できるのだと思っていたら大間違いでございまして、実はそのような問題が幾ら解決されても、われわれが多様な自然環境を、山を削り、谷を埋め、海を埋めて、せつな的な生活環境、非生物的な材料によってつくっている過程においては どうしても自然の多様性の画一化、貧化、最初に申し上げました生命力や抵抗力の低下ということが、三十数億年の生命の歴史が具体的に示しているように起きくるわけでございます。  とするならば、単なるさしあたりの問題、それはもちろん一番大事でございますが、それだけでなしに、特に行政や政治の責任にある皆さまにお願いしたいことは、あすのための行政にこそ、たとえ時代の野党の立場に立たされようとも、われわれは全力投球してやらなければいけない。それを私の狭い専門分野から言わしていただきますと、たぶん基本的に間違いない方法は、われわれ日本民族が世界の文明の歴史を見るときに、メソポタミアもエジプトもギリシャもローマ帝国も、ふるさとの多様な自然環境を、緑の自然を食いつぶして滅んでいったのに、日本民族は、この限られた日本列島の、そしてまた冬も緑の常緑広葉樹林というのは東北南部以西でございますが、そのわずかなところで、二千年この方、どのようにして絶えず文化の花を咲かせてきたかということを見たときに、私たち日本民族は、いままでは試行錯誤あるいは長い経験によりまして、そしてそれが東洋哲学かあるいは宗教にささえられた、いわばタブー意識に、たたり意識によりまして、自然には触れてはいけないところがある。どんなに開発したくても開発してはいけないところがある。よく私は卑近の例で言うのですが、ほっぺたは突っついてもいいけれども、どれほど皆さんが金がもうかって、どれほど皆さんが観光開発をすれば人が喜ぼうとも、目の中は指一本で目がつぶれるところがあるということを、自然の一員としての人間のからだでわれわれは知っているわけです。そして、われわれの民族は、二千年この方、そのようないわば宗教意識に、タブー意識にささえられて尾根筋であるとか、急斜面であるとか、水ぎわの弱い自然は残してきたわけでございます。  御承知のように、たまたまいま開発の問題になっております南は九州の志布志湾から北は青森県の下北に至るまで、白砂青松といわれる日本の松原は、だれがどのようにしてつくったか御存じでございますか。これは徳川三百年の時間をかけて、一枝を切る者は一指を切る、一株切るものは一手を切るというきびしいおきてによって、三百年の時間をかけて、水ぎわの弱い自然をやっと残してきたのが日本列島の白砂青松でございます。一度破壊をしたところは、どれほど現代の皆さんの誇る進歩した技術、われわれのいう愚かな技術を通して、あるいはどんなに金をかけても成功しないということは、神奈川県の湘南海岸を見ていただければわかります。二十八年の時間と、おそらく数百億円の金を使って、歴代の知事は何とかしてあそこの湘南海岸に再び緑の森を戻したいといいますが、いまだ一・五メートルの高さでクロマツは生死の境をさまよっていることを御存じだと思います。いわば私たちは、これからも開発はある程度やむを得ないということを大部分の国民は言うかもしれない。しかし、あすのための行政考えられる——きょう来ていらっしゃる方は皆さんそうだと思いますが、行政や政治の責任者は、住民がここは開発してほしいと言われましても、あすもあさっても間違いのない住民の命の保障、心の保障ができるだけの自然を、ある場合には断固として住民を啓蒙してでも守り、あるいは失われているところでは奪い返すことにこそ、十四兆円とか残っている金を使っていただければ、たぶんどろくさくても間違いないこの日本列島の中で、私たちはまだ当分生き延びていけるのではないかと思います。しかし、いままでのようなバッタ取り戦法よろしく、たまたま出てきたものを、われわれが呼ばれまして、こういうところで対策として一つ一つ押えていっているのでは、いつまでたっても、一昨年一年だけで、立川涼さんによりますと、アメリカで新しい質の物質が五百種類出されているといいます。その五百種類の中の新しい質の物質が、毒であるか薬であるかわかるためには、生物学的には三代、百年かかります。したがって、いまわれわれがわかっている、皆さんがわかっているもの、たまたま毒であるとか薬であるとかないとかいって議論しているものは、五百種類の一体何十種類であるかということを考えていただきたい。そうしますと、あとのブラックボックスの中に入っている四百数十種類が、ほんとうに人間の生存環境に破綻をもたらすかどうかは、皆さんの奥さんや子供が、飲んで食って触れて、たぶん三代目、四代目、百年くらいかかってみなければわからない。とするならば、そして皆さん技術がどれほど発展しても、亜硫酸ガス一つすらゼロにすることができないならば、単なる現在の対策だけでなしに、積極的な環境創造こそ——それは一つはぜひ文部省にお願いしたい。私は国立大学の教官の一人でございますが、教育を通しての意識の変革ができない限り、いままでの教育システムによって部分合理主義的な方法でやる限り、私は不成功であると思う。そして、いろいろな委員会にたまたま出されますが、りっぱな方は、わかった顔はしてくださっているが、ほんとうにどれだけわかっているかということを思うときに、私は、子供の時代から、たとえばドイツの教育で行なわれているように、小学校、幼稚園の時代からいきなり外へ出して、一体命は何であるか、自分のふるさとはどのようにして緑豊かな自然が、ある場合には開発され、ある場合には破壊され、ある場合には残されてきたかということを、自分のからだで、足で、目で、じかに学ばす、そのような教育を通しての新しい自然との共存思想への意識の変革、もう一つは、具体的に、どろくさくても、生きた構築材料による積極的な環境創造と、そして最初に言いましたように、生きものが育たないような環境破壊は、どんなに皆さんが非生物的な技術によって、これは全く無公害だと言われましても、同じ命を持った生態系の中の一員としての人間だけが生き延びることは絶対できないということを、十分御理解いただいて、日本民族が二千年やってきた最低限の自然の多様性のワクの中の、裏山は決して破壊しなかったあの日本民族の英知をもう一度奪い返していただきたい。  最後に、長くなりましたので一つだけ申し上げさせていただきますと、たとえば、かつての文明の中心地がみんな滅んでいっている。そして砂漠化しています。そうしたならば、日本のかつての首都であった京都や奈良や鎌倉は一番砂漠化していなければならないのに、皆さんの最大の技術といわゆる英知と金を集中投資してつくった新産業立地の四日市も川崎も水島も、みんな都市砂漠、産業砂漠になっているのに、日本の首都の鎌倉や京都や奈良に最も緑豊かな自然が残されているのは一体だれがいつどこでやったか。その英知をわれわれはもう一度、どろくさくても実は最も進歩的な、あすのための行政の中に具体的に組み込んでいただきたいと思います。
  101. 近江巳記夫

    ○近江委員 もう時間がございませんから終わります。どうもありがとうございました。
  102. 石野久男

    石野委員長 この際、参考人各位に一言ごあいさつ申し上げます。  本日は長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただき、本問題調査のためたいへん参考になりました。委員会代表いたしまして厚くお礼申し上げます。  次回は、明七日木曜日午前十時四十五分より理事会、十一時より委員会を開くこととし、本日はこれにて散会いたします。     午後五時四十四分散会