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1973-05-09 第71回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第11号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十八年五月九日(水曜日)    午後一時三十六分開議  出席委員   委員長 石野 久男君    理事 木野 晴夫君 理事 藤本 孝雄君    理事 前田 正男君 理事 粟山 ひで君    理事 嶋崎  譲君 理事 原   茂君    理事 瀬崎 博義君       石原慎太郎君    井上 普方君       島本 虎三君    細谷 治嘉君       近江巳記夫君    北側 義一君       内海  清君  出席政府委員         科学技術政務次         官       伊藤宗一郎君         科学技術庁長官         官房長     進   淳君         科学技術庁原子         力局長     成田 壽治君         通商産業省公益         事業局長    井上  保君  委員外出席者         放射線医学総合         研究所科学研究         官       江藤 秀雄君         参  考  人         (東京大学助手安齋 育郎君         参  考  人         (東京大学教授内田 秀雄君         参  考  人         (東京大学教授小野  周君         参  考  人         (動力炉核燃料         開発事業団安全         管理室長)   黒川 良康君         参  考  人         (秋田大学教授滝澤 行雄君         参  考  人         (東京大学教授都甲 泰正君         参  考  人         (日本原子力研         究所東海研究所         原子炉化学部分         析センター副主         任研究員)   中島篤之助君         参  考  人         (早稲田大学教         授)      藤本 陽一君         参  考  人         (日本原子力研         究所東海研究所         保健物理安全管         理部長)    宮永 一郎君     ————————————— 委員の異動 五月九日  辞任         補欠選任   清水 徳松君     細谷 治嘉君   堂森 芳夫君     島本 虎三君 同日  辞任         補欠選任   島本 虎三君     堂森 芳夫君   細谷 治嘉君     清水 徳松君     ————————————— 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  科学技術振興対策に関する件(原子力安全性  確保に関する問題)      ————◇—————
  2. 石野久男

    石野委員長 これより会議を開きます。  科学技術振興対策に関する件について調査を進めます。  まず、参考人出頭要求に関する件についておはかりいたします。  原子力安全性確保に関する問題調査のため、本日、東京大学助手安齋育郎君、東京大学教授内田秀雄君、東京大学教授小野周君、動力炉・核燃料開発事業団安全管理室長黒川良康君、秋田大学教授滝澤行雄君、東京大学教授都甲泰正君、日本原子力研究所東海研究所原子炉化学部分析センター主任研究員中島篤之助君、早稲田大学教授藤本陽一君及び日本原子力研究所東海研究所保健物理安全管理部長宮永一郎君、以上九名の方を参考人として意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 石野久男

    石野委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決定いたしました。     —————————————
  4. 石野久男

    石野委員長 この際、参考人各位一言ごあいさつ申し上げます。  本日は、御多用のところ本委員会に御出席くださいましてありがとうございます。原子力安全性確保に関する問題について、それぞれの立場から忌憚のない御意見をお述べくださるようお願いいたします。  なお、参考人の御意見の開陳は、お一人十分ないし十五分程度にお願いすることとし、後刻委員からの質疑の際十分お答えくださるようお願い申し上げます。  それでは最初に内田参考人にお願いいたします。
  5. 内田秀雄

    内田参考人 ただいま御紹介にあずかりました東京大学機械科に籍を置いております内田秀雄でございます。  原子炉安全の問題は、通常運転時の安全と、万々一の事故想定したときの安全との問題になるわけですが、通常運転時の問題につきましては別の方からお話かあると思いますので、私は想定事故時の問題についてお話ししたいと思います。  私は原子炉安全専門審査会の会長の席も汚しておりますので、きょう私がとりあえず申し上げたいことは、安全専門審査会立場での安全の考え方に触れざるを得ないと思いますが、多少私見を加えてお話ししたいと思います。  原子力施設のような大きな施設事故と安全は次のように考えられます。  施設の安全の目標は何か。どの程度起こりにくい事故が起こったとしても、その安全の目標を達成できるように計画、設計、工事を行ない、運転管理をするかという問題、すなわち想定事故に何を取り上げるかという問題であります。こういう安全の目標事故想定について基本的理念を与えるものが原子炉立地審査指針であります。  立地審査指針要点をまずお話ししたいと思いますが、想定事故技術的立場から合理的な推論と判断とによって検討されなければなりません。わが国では二つの大きな事故想定しております。かりにそういう原子炉事故が起こったとしても、従事者並びに一般公衆放射線障害放射線災害も与えないという安全目標を達成できるよう立地条件を考え、工学的安全施設等対策を立てることになっております。  すなわち、技術的見地から見て起こるかもしれないと考えられるあらゆる事故想定して、そのうち公衆最大放射線影響を与えると推定されるものを重大事故といいます。技術的には起こるとは考えられませんが、さらに重大事故をこえる大きな事故想定して、これを仮想事故といっております。この二つ事故のうち、重大事故想定した場合には、一般公衆に対する放射線影響が子供の甲状腺百五十レム全身に対して二十五レムをこえると予想される範囲は非居住区域であること。それから、仮想事故想定しました場合には、何らかの処置を講じなければ、一般公衆に対する放射線影響をおとなに対して甲状腺三百レム全身二十五レム以下に制限できないと予想される範囲で、非居住区域の外側は低人口地帯であること。また、広い地域公衆に対する全身被曝線量積算値予測が、国民遺伝的影響を与えないような値、たとえば二百万人レム以下であること、これが立地審査指針要点であります。  原子炉事故とは、大量の放射性物質施設外への放散を招くおそれのある事故でありまして、原子炉の持つ放射性物質はその大部分燃料に生ずる核分裂生成物でありますが、核分裂生成物は常時は燃料体燃料被覆の中に内蔵されておりますので、燃料被覆破損したり溶融したりすることがなければ、核分裂生成物の流出はありません。すなわち、想定事故燃料被覆破損あるいは溶融を招くおそれのある事故想定になります。燃料被覆破損あるいは溶融がかりに起こるといたしますと、その原因は、炉の出力制御能力をこえて異常に上昇することによる燃料体過熱か、あるいは原子炉冷却材冷却能力の減少、あるいは冷却材喪失による燃料体過熱であります。前者を反応度事故あるいは核的事故といいまして、後者を機械的事故あるいは熱的事故といっております。  反応度事故とは、原子炉プロセス系制御系故障誤動作あるいは運転上の誤操作によって炉心に異常な正の反応度が加わることによる事故でありまして、機械的事故とは、停電や機械的故障によって原子炉系要素がそこなわれたり、原子炉冷却系機器がそこなわれたり、冷却材熱除去効果が異常に減少して燃料体過熱する事故であります。  こういう事故発生とその拡大を防止するために、原子炉基本的に次のような方針で設計されております。たとえば原子炉冷却系配管破断などによって事故発生したときは、事故発生プロセス系の異状を検知、判断して、必要な安全装置に伝達し、安全保護機能の作動を指令する情報伝達処理系安全保護系といっております。原子炉事故発生拡大の防止には、施設機器品質管理事故発生以前に原因を検知する監視機構とこの安全保護系並びに工学的安全施設が重要でありますが、安全保護系及び安全上重要な機器が備えていなければならない原則には次のような点が考えられています。  一、操作の自動化。二、必要な回路機器は二重、三重にするという多重性。三、誤操作誤動作に対し安全側に作動するようにフェールセーフな設計。四、適切なインターロックなどを設計に入れたフールプルーフな設計。五、信頼度の高い情報伝達が得られる論理回路を用います。  さらに、現場取りつけが終わりまして、施設装置が稼働した後も、運転安全保護系安全装置が常に使用可能な状態にあることが確認できるように、それらを現場取りつけ状態のまま検査と機能の試験が行なえることが必要とされております。また、そのように設計、管理されております。  以上が安全設計基本でありますが、この趣旨は安全設計審査指針に明示されております。軽水型動力炉について考えますと、核分裂生成物は、燃料ペレット燃料被覆管原子炉一次冷却系並び格納容器の四重の隔壁の中に保護されていると考えられますが、想定事故として考えますのは、原子炉一次冷却系配管瞬時にして破断することを事故出発点と考え、事故拡大、波及とこれに対する安全対策適否を詳細に検討いたします。この配管系は綿密に設計、製作された上、完成後は定期的に検査するばかりでなく、万一わずかの漏洩でもあれば早急に検出できるよう常に監視しております。したがって、配管瞬時破断そのものが本来あり得るとは思えない事故であります。もしこの破断がありますと、冷却材原子炉容器から格納容器に流出し、燃料被覆管過熱が生ずることになります。そこでこの被覆管燃料体溶融はもちろん、過熱破損を防止するための設備が非常用炉心冷却装置、すなわちECCSというものでありますが、これについてはあとから都甲さんからお話があると思います。  格納容器内に冷却材が流出するといたしますと、中の圧力、温度が上昇しますので、それを防止するために圧力抑制装置アイスコンデンサー格納容器スプレーなど圧力低減装置が設けられております。また、格納容器内の放射性物質は、これらのスプレーなどで相当量除去されることが期待できるわけでありますけれでも、以上のような想定事故時に必要な安全装置工学的安全施設と申しておりますが、おもなものは、いま申し上げました非常用炉心冷却装置格納容器圧力低減装置及びフィルターでございます。これらはそれぞれ多重の系統を持ちまして、また外部電源がなくても十分必要な機能性能を持つように設計、工事されております。  冷却系配管破断に結びつくこの冷却材喪失事故想定した場合に、最終的に施設外に放散されると推定される放射性物質の量を解析によって求める場合は、これら工学的安全施設機能性能を  十分控え目に評価いたします。たとえばヨード131を例に考えますと、炉心内の内蔵量の千分の一から一万分の一が放散されるかもしれないと評価、判断されております。この評価は、工学的安全施設機能性能信頼性について技術的な合理性をもって十分控え目に行なうわけでありますので、放出量はかりにこういう冷却材喪失事故が実際に起こったとしましても、予測値をはるかに下回ると思われます。想定事故時に際し放出されると推定した放射性物質は、立地気象条件によって敷地外に拡散されますが、その拡散条件も、現地の気象データ参考にして出現頻度の少ないきびしい条件で解析評価いたします。  以上の方法を用いて公衆への放射線影響評価した結果、公衆との離隔の適否立地条件から考慮して判断するわけであります。わが国でいままでに設置が許可された原子力発電所敷地は、以上のような想定事故時の災害評価立地審査指針に照らし合わせますと、非居住区域に必要な範囲はもちろん、低人口地帯に必要な範囲も、ほとんどすべての場合敷地内一キロメートル前後に包含されております。包含されない一部の例でも、敷地外につきましては地役権設定などの処置がされております。したがって、敷地外公衆には、立地審査指針に示されている想定事故がかりに起こったとしましても、何ら放射線災害障害を与えるものではないと思われます。  想定事故に対する事故拡大災害評価は、立地条件を安全の面から評価するためのものでありまして、きわめてきびしい仮定を用いておりますことはいま申し上げたとおりであります。  わが国におけるこの評価方法は、アメリカのセイフティガイドの方法基本的には大差はありません。しかし、一方、アメリカでは、想定事故の環境への影響を考える場合は、そのリスクと、それが起こるかもしれない頻度との両者を検討することになっておりますが、リスク評価には、立地条件適否を考える場合の安全評価とは異なり、現実に近い方法評価することを行なっております。その結果では、立地評価の場合の条件に比べ、総体的に二けたから三けた以上ゆるい、現実に近い仮定を用いております。  このことは、逆を申しますと、立地評価見地から想定事故安全評価をする場合に、工学的安全施設あるいは気象条件などに用いる仮定は、実際に期待できる条件より非常にきびしい、十分に余裕のある仮定、すなわち、きわめて起こりにくい場合の条件を用いているということがいえるのでありまして、この点はわが国でも同様と思っております。  最後に、一言私見を加えさせていただきたいのですが、原子炉の安全を考える、あるいはことばをかえせば、原子炉の持つ危険性検討し、その安全対策確保する場合には、ある想定する事故によってもたらされると考えられる災害リストを、事故がどの程度起こり得る可能性があるかという、発生予想頻度との関連において考察する方法をとるのが妥当だと思います。これを原子炉事故確率的評価などと呼んでおりますが、こういう方向に向かうことは、国際的な方向を示すものといってよいと思います。たとえば次のように申してよいと思われます。立地審査指針に示されています重大事故仮想事故は、これに対し安全対策を立てている。すなわち設計の対象となる事故でありますので、設計基本事故ということで国際的に通用する想定事故でありますが、この想定事故は、かりに起こったとしましても、リアクター年当たり、一炉一年当たり十のマイナス六乗の発生頻度以下にするような目標を立てて、工学的な安全対策をするべきであると思いますが、これは大体国際的の通念といってもよいと思われます。また、信頼性工学からの検討技術の積み重ねによりましてこういう目標を達成できると考えられます。このように、起こりにくい事故がかりに起こっても、公衆には放射線障害災害を与えないという安全対策を立てる、これが原子炉事故に対する安全の基本でございます。  どうもありがとうございました。
  6. 石野久男

    石野委員長 次に、藤本参考人にお願いいたします。
  7. 藤本陽一

    藤本参考人 早稲田大学藤本と申します。同時に、日本学術会議原子核特別委員会の幹事をしております。  日本学術会議原子核特別委員会は、自主、民主、公開の三原則の提唱以来、日本原子力に大きな関心を持ってまいりました。ことに現在、東海号炉と呼ばれておりますコールダーホール型発電炉の導入に際しては、公開安全性について幾つかの提案を行ないました。その東海号炉経済性については、当局及び発電会社予想に反したような結果になったと伝えられておりますけれども、反面、安全性に関しましては、今日まで重大な事故なく至りましたことについては、私たちの提言も何がしかの寄与をしたものと自負しております。  このような歴史的な経緯から、現在各地に導入されております軽水型の発電炉でございますが、軽水型の発電炉について、ことにその安全性に関して多くの方々から質問を受けることがございます。ところが、コールダーホール型炉の場合と違いまして、あのときはかなりな資料学術会議を通して公開されましたけれども、今回はその場合とは違って、安全性検討するに必要な資料は全く公開されておらず、私たち委員会としては、公開原則が保持されているかどうかということについて、重大な疑義を持たざるを得ないと考える委員が多いのでございます。現に学術会議が先日開催いたしましたシンポジウムでも、各方面から表明された意見は、その公開の問題に集約されておると私は思います。  今日は、私は安全審査報告書に公表されているわずかな部分から、私たちが推論してまとめました発電炉事故災害評価についての研究のあらましを御報告したいと思います。資料として本日「科学」三月号に出ました私たち論文をお配りするようにお願いしたのでございますが、その資料を見ていただきたいと思います。  発電炉安全性は、平常運転時の放射性物質温排水放出と、それから使用済み燃料を含む放射性廃棄物処理と、それからもう一つは今回議論する事故時のことと、その三つの方面から考えなければならないのでございますけれども、きょうは、そういうわけで、私たち研究の御報告という意味で、事故時の問題にしぼりたいと思います。  まず、安全審査報告書を通読いたしますと、直ちに次のような二つの率直な疑問を受けるのでございます。  第一は、最大仮想事故規模でございます。それは、私の論文の第一図をごらんになっていただきたいと思うわけですが、そこには大気中に放出される放射性ヨードの量で仮想事故規模をあらわしてございます。それをごらんになりますとおわかりと思いますけれども、美浜一号は五十キュリー程度放出仮定されているにかかわらず、それが一番小さい場合で、最も大きい場合は東海二号の二万三千キュリーでございまして、その差は大体四、五百倍にも達します。ところが、出力の差がわずか三倍しかないことを考えると、どうしてこの四、五百倍の差が出たかということについての率直な疑問が起こると思います。  第二は、東海号炉のように、ヨード放出量が二万キュリーをこえるようなものが仮定されておるのでございますが、わずか六百メートルぐらいしか離れていない敷地の外で、放射線災害発生がないと結論されている事実でございます。ところが、片方私たちは、イギリスのウインズケールの事故のときに、ヨードが約二万キュリー、ほとんど同量でございますが、放出されて、その結果、六百メートルでなしに、幅が十六キロメートル、長さが五十キロメートルの広い風下地域でミルクが汚染され、廃棄されました。この差が何によっているのかも私たちの聞きたいところでございます。  その第一の問題は、結局第一の美浜東海二号の差に関した問題でございますけれども、それは、最大仮想事故とは一体何かという点になりますが、これについては、実は軽水型の炉の場合には、あらゆる立場専門家の問で、仮想事故については本質的な意見の不一致はないと思います。それは、すなわち一次冷却水喪失事故、つまり原子炉のからだき状態でございます。そのときには燃料棒は全面的にとけて、内蔵されている揮発性放射性物質がほとんどすべて放出されるに至るでありましょう。これが多くの人々、たとえば原子力委員会でございますとか、あるいは産業会議、私たちアメリカのアトミック・エナージー・コミッションによって共通に仮定されている事故でございます。  このように、出発点は同じであるのに、何ゆえに結果が異なるのでありましょうか。燃料要素から放出された放射性物質が炉の建屋から大気中へ出る過程にいろいろなものがございます。スプレーフィルター原子炉容器などでございますが、それらの効果評価が異なった結果を生むのでございます。  ところで、事故時の炉内の状況はどのようになっているでありましょうか。からだき状態から発生する高温高圧ばかりでなく、燃料棒の金属は水と反応して大量の熱と水素発生し、その水素がまた、もしも空気と混入したらどういうことになるかということについては、定性的に私たちは推定することはできますけれども、しかし定量的にその状態を推定する実験的ないし理論的な根拠を私たちは現在見たことがございません。  ところで、安全審査会考え方は、先ほど申されましたように、スフレー、フィルター等安全装置設計どおりに動くとしているのでございますが、そのためには、事故時の炉内状態について信頼できる推定を行ない得る基礎実験を行なわねばならず、それを公表して学問的な検討を行なわねばなりませんそのような経緯美浜のような低放出の炉に到達したのであれば、一つの進歩でございますけれども、私たちはそれを見ることができません。  私たちは、アメリカAECも同様でありますが、炉内の状態がわからないために、原子炉容器だけを安全装置として考慮いたしました。もちろん炉内が爆発的高圧状態になりますので、その原子炉容器気密性を大きく破壊しないかという疑いが残るのでございますが、これは今後の研究課題として残された問題でございます。そうして得られた結果が私たち論文に書いてあるわけでございます。  最後に、残された時間で、第二の問題に移りたいと思います。  これは簡単な話でございまして、日本安全審査の場合には、放射線障害を、ガンマ線の直接照射と、放射性煙霧の吸入による急性障害と、それから若干の遺伝障害に限定しているのでございます。ところが、原水爆のフォールアウトとかあるいはウィンズケール炉の経験からも明らかなように、それ以外に土地や作物の汚染を通して起こる内部被曝がございます。また、急性障害だけでなしに、晩発性障害が起こることも私たちは知っております。これらは、私たち論文に詳しく結果を述べておきました。私たちの結果は、原子力産業会議原子炉事故の場合の補償額を推定するために行なった計算と本質的に一致しております。  そういうわけで、私たちは、炉からある距離にいる人がどれくらいの線量を受けるか、食物がどれくらい汚染されるか、土地死の灰がどのくらい沈着するかについては、ある程度客観的な数字を求めることができます。そのようなものについて、原子力委員会資料の公表をこばむべきではないと私は思います。ところで、それらの数字をどう判断するか、その汚染された食品を食べるのか、廃棄するのか、その死の灰が沈着した土地から立ちのくのかどうか、要するに、そういう問題はどの線量まで許容するかということでございますが、それは公表された資料をもとに国民の皆さんが判断すべき問題であろうと思います。ことに、国会のこの委員会でその方法を十分に考えていただきたいと私は思います。それに必要な科学的な面からの検討については、学術会議原子核特別委員会は協力する用意があると私は信じております。  これで私の陳述を終わります。どうもありがとうございました。
  8. 石野久男

    石野委員長 次に、小野参考人にお願いいたします。
  9. 小野周

    小野参考人 私、東京大学小野と申します。実は私は、確率及び統計力学専門にしておりますので、今日は、事故の安全と確率との問題について、私の意見を述べさせていただきたいと思います。  原子力発電所の安全問題については、設置者あるいは政府基本的にどのような立場をとっているかということ、あるいはいわゆるどういう哲学を持っているかということは、私たちには知らされておりません。しかし、きょうお話しになります都甲教授が、日本物理学会誌昭和四十六年八月に、「原子炉の安全について」という論文をお書きになっております。その中に「安全とは何か」という項目があり、安全を絶対的安全と社会的安全に分け、「災害を減らそうとすると、それに伴って利益が減ることになるので、適当なところで妥協した結果が「社会的安全性」の内容ということになる。この考え方によれば、利益の少ないものほど、容認される災害も小さくなる。また、利益、不利益の評価は、個人によって異なるので、「安全か否か」の判断、つまり、「社会的安全性」の内容は、個人の価値判断により左右されることになる。」ということを書いておられます。  これは安全の問題を利益に対応させて考えておるわけでありますが、利益と危険の均衡というのは、元来は同一の個人にとっての話でありまして、住民にとっての利益がなくて危険だけがあって、利益はむしろ設置者側にある、そういう場合に安全と利益というふうな原則を使われるのは、もともとの趣旨のこの原則の誤用でありまして、あるいは悪用であるかもしれません。それに、ある事故に対する対策がこういう社会的安全というものによって考えられるといたしますと、極論しますと、住民の安全ということは無視されているということにならざるを得ないと思います。  このように、いろいろな事故対策というものが考えられておりますが、利益を目安にするということでなくて、つまり社会的安全という考えは否定されなければなりませんが、それには目安として何が考えられるかといえば、それはやはり確率というものが考えられるはずであります。これにつきましては、先ほどの内田教授のお話にも、確率というものを考えていく方向になるということを言っておられたわけでありますが、実はこの確率というのは非常にむずかしい話でありまして、原子炉というものが運転されてからまだあまり年がたっていない。ですから、われわれの事故確率に対する蓄積というものはない。これは七一年のジュネーブ会議アメリカAECにもそう書いておりますけれども、、これはない。少なくとも日本においてはますますそういうものはないわけです。ですから、こういうふうな確率というものを基礎にしまして、それを定量的に対処するということは、現在ではむしろ不可能に近いことであると考えられるわけです。もちろん軽微な事故につきましては、これはしばしば起こっておりますから、次第にその経験が蓄積されると思いますけれども、むしろ重要なものについてはそういう状態であると思われます。  そこで、事故というものをむしろ私は三種類に分けて考えられます。それは、しばしば起こるけれども、その結果あるいはその影響というものはあまり大きくなくて、その対策が考えられているというようなものがあります。それからもう一つの極端な例は、とうてい起こることが信じられないようなもので、結果は想像に絶するけれども、その起こる確率が非常に少なく、まず起こらないと考えられるような事故があるわけです。そういうものに対しては、当然対策というものは考えられていないはずです。ところが、その間に、まれにしか起らないけれども、一たん起こるとその災害が非常に大きい、そういうものについては、当然その対策を置かなければならないものがあるわけです。  そういう二番目のカテゴリーに属するものが、実は先ほど一番最後に私が申しました二つのケースの間に確率に従って広くスペクトルをつくっているわけでありますけれども、先ほど申しましたように、確率を使いまして定量的にこの問題をやるということは、現行では不可能であると考えているわけです。  それでは、事故に対してまず問題になりますのは、被害と確率と両方、事故に対する目安といたしましては、利益と危険のバランスではなくて、確率と被害のバランスということはもちろん問題になりますけれども、先ほど申しましたように、確率評価というものが非常に困難である。その結果、やはり事故が起こらないと、先ほどの全然インクレジブルなものを除いては、事故対策というものは当然怠ることができないので、こういうものを怠るということは、戦争でいえば、あまり敵が来ないであろうというところに対して全然防備をしないということと同じことになってしまうわけです。  そこで、ちょうど藤本教授が先ほど論文でお書きになったケースでありますけれども、このケースについて言いますと、一次冷却水喪失する事故というのはありますが、これは明らかに、いまの考え得る、しかもまれにしか起こらないけれども、考え得る事故になるわけです。それで、それに対しての被害の評価というのが先ほどのお話にあったわけでありますが、これに対しまして二月二十四日の原子力特報に科学技術庁原子力局の意見が出ておりまして、藤本教授の計算には、今日のスプレーとかあるいはフィルターの工学的安全装置のある原子炉に対しては適用できないという反論が載っております。ところが、先ほどの話もありました、工学的安全装置というものがすべて作動するということを計算して、いつも必ず作動すると考えてよいかどうかということが非常に大きな問題になるわけです。  これにつきましては、そういうものがたびたび作動したということはございませんから、いままでの経験の蓄積によってどうということは言えませんが、もちろんこれが全部または一部作動しないということは当然あり得るわけであります。それをどうして明確に説明されておるかわかりませんが、先ほどの話に戻るわけですが、確率につきましては、実はわれわれの経験の蓄積がないけれども、むしろいろいろな事故の集まりとして確率の計算ができないであろうかという考え方が一方にあるわけです。ところが、それは、現今では、そういうふうな解析に対してはほとんど否定されております。といいますのは、独立な現象がありますと、確率はすべてそういうものの積になるわけですが、原子炉事故については、まずそういう代数の法則というものはおそらく適用できないであろう。それから、どういうふうな時間的分布を持っているか、少し専門的になりますが、それがランダムな時間的分布を持っているかどうかということについては全然根拠がない。それからさらに、幾つかの事故が複合されるときには、たとえば片っ方の事故確率が千分の一で片っ方が千分の一であれば、これをかけた百万分の一になるというのが非常に簡単な確率論の計算でありますが、これは多くの場合には、独立と考えられないというよりも、過去の事故についていろいろさかのぼって解析した結果については、それは独立と考えられないというのがむしろ多く考えられておりまして、ジュネーブ会議報告などにもそういうことがかなり強くいわれているわけです。ですから、このように確率の簡単な理論を適用できませんので、経験的に確率を計算することもこれは不可能でありますが、むしろいろいろな部分事故を分解いたしまして、そういうものを合成して確率の計算をするということも、この際には不可能であるといわざるを得ないわけです。むしろ、先ほど申しましたように、事故が幾つかの事故の集まりであったときには、そういう組み合わさった事故の成分は、因果的に関係していたりあるいは強くそこに関係しているということがはっきりしているケースが非常に多いわけです。ですから、単発的な事故は起こっても幾つかの事故の組み合わせばまれであるという考えは、この場合には適用できないわけでありまして、先ほど原子力局の意見の中に、こういうものは作動すると断定的に書いてありますけれども、その断定する根拠は何ら一つもないということであります。  それにもう一つありますのは、人間の誤動作というものがもう一つ加わるわけです。人間の誤動作については、特にこういうふうな独立性というふうなことは考えられないわけでありまして、これは原子炉事故でなくて、元来、完全に安全性が保証されていたような新幹線の場合に、原因はわかりませんけれども、オーバーランしたあとにそれをバックさして脱線さした、これはまさに誤動作でありますけれども、こういうふうに、事故というものは必ずしも独立ではなくて、必ず関連した形でもって起こる。ですから、原子炉の場合にも、実はいろいろな論理回路その他がありますけれども、論理回路というものが正常の状態で働いても、実は論理回路はいろいろな論理回路がおりますけれども、正常でないときにはいろいろなパルスが入ったりなんかするということは十分あり得るわけで、そういうときに十分完全に働き得るという保証は、現在のところ経験的には得られていないと考えたほうがむしろいいのではないかと私は思います。  ですから、工学的安全設備について、普通二重、三重にしてあるというわけでありますけれども、二重、三重にすればこれが安全であるかといいますと、二重、三重というのは決して安全でなくて、場合によっては、同じ結果のために全部同じように役に立たなくなるというケースが十分あり得るということが指摘されております。  ですから私は、全般的な意見といたしましては、ただ現在心配になりますのは、むしろこういうふうな事故が起こらないという想定でいろいろなことがやられているということです。たとえば福井県の欧米原子力調査団のまとめの中に、たとえばECCSにしても、全く起こり得ない事故想定した対策の一部であり、わが国で問題となったECCS問題は、米国では最初から行なっている安全性を高める実験の一環であり、現在でも研究が進められている。その前の段階になりますけれども、こういうふうなことを書いておりまして、全く起こり得ないのだけれども、こういうものを一応考えておくというふうなニュアンスがむしろ強いと思うわけであります。  それで、実際にわれわれ多くの場合に、安全であるということをたびたび聞かされたことにつきまして、実は多く安全でなかったということをたびたびいままで経験しているわけです。新幹線の例もそうでありますけれども、例の造船の計画でできました船は太平洋のまん中で折れてしまった。それは、原子力の場合にはあらかじめ設計の段階から審査するといわれますけれども、おそらくあの船の場合に、あらかじめ審査をされても、同じように二つに折れたということはほぼ間違いないのではないかと思うわけです。これは原子炉ではありませんけれども、現在の技術の進み方一  いうのが、われわれの経験の蓄積に比べてあまりにも早過ぎるということが、同じような形で問題を起こしているのではないかというふうに考えられるべきじゃないかと思います。  これが私の主として申そうと思ったことでありますが、もう一度繰り返しますと、われわれの経験の蓄積から確率を現在言うことはできない。しかも、われわれの技術の進歩は、本来の進歩に比べてあまりにも、たとえば原子力発電所でいいますと、パワーがどんどん大きくなって大規模なものができていく、そういう形で進展している、そういうことに対して、私は非常に危惧の念を覚えるわけです。ということは、一つには、現在の日本技術というものが非常に過大な自信過剰によっていろいろ行なわれておりまして、先ほど申しましたような事故が起こっているということに危険を感じるわけです。特に原子力発電所の問題につきましては、一番大きな事故は、先ほど言われましたように、これは一次冷却水喪失でありますけれども、それ以外に、たとえば制御棒が必要なときに入らなくなるとか、あるいは地震があるとか、あるいは津波とか、そういうものがあり得るわけです。あるいは飛行機が落ちるということは、元来はあり得るわけです。そういうことに対して、実際にそういうときにも、初めに考えるとおりに、工学的安全施設が働くということは、これは私が先ほどから繰り返して申しますように、それが働くということを前提にされて働くということを言って、藤本先生の論文に反論されましたけれども、そういうことは全然根拠がないことである。ないということは根拠がないということだと私は思います。  そのほかに幾つか申したいことがあるかと思いますが、もう一つ申したいのは、現在発電用施設周辺地の整備の問題というのでありまして、これはそういうことを考えられておりますけれども、この場合に、原子力発電所に起こる事故の性質一火力発電所の事故の性質というのは、本質的に、いま申しました点で違うわけでありますから、やはりそういうものは別個に考えるようにさしていただければたいへん幸いだと思うわけです。  以上で、私の陳述を終わりたいと思います。
  10. 石野久男

    石野委員長 次に、中島参考人にお願いをいたします。
  11. 中島篤之助

    ○中島参考人 御紹介いただきました原子力研究所の東海研究所に勤務しております中島でございます。同時に私、第九期の日本学術会議の会員として、現在原子力問題特別委員会の幹事をいたしております。この二つ立場から、ふだん原子力の安全問題について考えておりますことを申し上げさせていただきたいと思うのでありますが、時間がたいへん限られておりますので、申し上げたいことは非常にたくさんございますけれども、問題を二つにしぼりまして発言いたしたいと思います。  一つは、原子力事故の問題については、すでに藤本先生、小野先生から触れられましたので、いわゆる平常時の放射能放出が、御存じのように、一九七一年六月にアメリカ原子力委員会がいわゆる設計基準を変更いたしまして、従来の百分の一にする、五ミリレム・パー・年ぐらいを目標にするという基準を出したことは御承知のとおりであります。これはたいへんけっこうなことでありますが、そういうことを考えますと、一方再処理工場のほうは、これと比べてそういう規制が適用されておらないという問題がございます。これですと、環境に対する影響という点からいいますと全く無意味でありまして、原子炉の放射能を下げるということはほとんど意味がないようなことになる、非常にわかりやすいことなんでありますが、そのことをまず申し上げたいと思います。  これは私の住んでおります東海村の例で具体的に申し上げますと、たとえば再処理工場では、クリプトン85が一日当たり八千キュリー放出される、トリチウムが二百キュリー、それから放射性廃液が〇・七キュリー出すんだ、そういう計画が承認されておるわけであります。  一方、最近東海村に設置が計画されております東海号炉と申しますか、原電三号炉と申しますか、それですと、これはクリプトンについては、安全審査書には複雑な表現がとってありまして、ストレートではわからないのですが、チャコールフィルターが働いている場合で一・七ミリキュリー・パー・秒であるという単位になっておりまして、これを計算しますと、こういう計算は略算ですからオーダーだけを申し上げるわけですが、大体五万キュリーぐらい年に出す。ですから、これは再処理工場に比べてたいへん少ない。トリチウムは今度は一年で再処理工場が一日二百キュリーでありますのに、一年で百キュリーだ。それから放射性廃液は一年で一キュリー以下だということでありますから、これは極端なたとえを申しますと、平常時の被曝と申しますか、放射能放出について言うならば、ちょうど一年分くらいのものを一日で出してしまうというようなことになっているわけです。これでは東海号炉、これは実施主体が違うわけでありますけれども、住んでいる者の立場から申しますとこれは全く同じことでありまして、どちらの会社が出そうが、片っ方からどんどんとんでもない量が出てくるのでは何にもならない。これはここで申し上げるのがちょっと恥ずかしいような簡単なことを私申し上げているのでありますが、これはやはり私は、放射能放出をゼロにするということが原子力問題の安全環境問題に対する試金石ではないか。このゼロにすることは、技術的には完全に可能でありまして、このことはあとで少し触れますが、それを放置したままで原子力発電所を建設していくということは間違っている。それは認めるわけにはいかないと私は思います。  時間がありませんから次の問題に移りますが、こういうような問題も含めてでありますが、安全技術の開発のために、われわれといいますか、日本にある技術的な能力あるいは科学的な能力というものが、ちゃんと利用されているかどうかということについての私の考えを申したいと思うのであります。  二、三の例をなるべく具体的に申し上げたいと思いますが、ただいま問題になっておりますクリプトンの問題について言いますと、昭和四十一年から四十三年にかけまして、原子力研究所と当時の原子燃料公社との間で共同実験を行なっておりまして、それでクリプトンの回収実験をやっているわけです。その成績も出されておりまして、九九%以上回収ができるというような成績が出ている。ところが、それはそれでおしまいになってしまうわけであります。四十三年というといまから五年も前のことであります。  それからもう一つふしぎなというか、これはふしぎとは思われていないことですが、私が非常にふしぎと思っておりますのは、再処理工場の導入が決定して建設が始まると同時に、原子力研究所にありました湿式再処理研究、これは実は他の国で行なわれておりましたピュレックス法の工学的実験をやっていたわけでありますけれども、若干のプルトニウムを取ったということでもって打ち切りになりまして、研究室は閉鎖されてしまうというような問題がございます。つまり、一方で導入が行なわれると、これは私、この原子力発電の問題についてこういうことを言いたいのであります。世界で二番目だといわれているような大きな発電計画が一方である。それを本来自主的にやるというならば、それをささえるべき基礎研究は当然充実すべきであると思うのですけれども、それがそうならないで、逆にそうなっていく、つまり反対に基礎研究のほうは導入がきまるとつぶしていく、これはおかしいではないか。これはどうしてかというと、私どものように現場におります研究者にとっては、非常にふしぎなことである、そういうことをまず申し上げたいわけであります。  同様なことがいま問題になりましたECCSに関連して、これは藤本教授が言われたことでありますが、たとえば、からだき状態になったときに炉内の状態は一体どうなるかという実験、これは内田先生が言われたように反応度付加事故をテストする実験、これはいわゆるNSRRと呼ばれる試験炉でそういう計画を原研がやることになっております。それから、その炉内状態がどうなるかということについて、これは御存じのようにROSAの実験というものがございます。こういうものを実はことしから原子力研究所はやれということを言われておるのでありますが、実はこのことをやりたいということをわれわれが申したのは、決してことしから申し上げたのではなくて、ずっと以前に、そういうことを原子力委員会に対して申請したときには、これははっきり申しますと、よけいなことをやってくれるなというようなことであったわけであります。つまり、それはアメリカ軽水炉は実証炉である、プルーブンである、であるからよけいなことをするな。これは、実証炉だとすれば、確かに当然なことであろうと思います。私は、そうではないと思います。ですから、現在なされております説明は、いま置かれている発電炉をより一そう安全にするために安全性研究をやるのだというふうに言うのですけれども、これは少し無理でありまして、私ははっきりそうではない、決して実証されているわけではない。  それから、藤本教授に対する批判でもいろいろ出ているように、アメリカの暫定基準云々といいますけれども、私どもは、お手元に配りましたこの原研労働組合の資料でありますが、「軽水発電炉をめぐる諸問題」の中でわれわれが言いたかったことは、要するに仮定によって言うのではなくて、やはり実験的な実証済みの安全性ということがやはり一番原子炉の安全については問題だ、現状はそうなっていないということを申し上げたい。  次に、同様なことでありますが、日本学術会議がすでに昭和四十三年に環境放射能研究所と放射線障害基礎研究所の設立を勧告しておるわけであります。四十三年に勧告するということは、学術会議の内部の放射線影響学者の討議はおそらく昭和四十年ごろからもうすでに始まっておるわけでありまして、そして科学者の間で十分な討議を経てこういうことをやる必要があるという勧告は、四十三年に出されて、それが現在四十八年になってもそのまま放置されておるという状態。私は非常に残念に思いますのは、この専門家の予見ですね、こういうことは当然必要になるであろうということが全く取り上げられない状態、これはどうしてであるかということについて、そういう状態のままで現在の発電計画を進めるということは非常に危険だということを私は申したい、そう思うのであります。  非常に簡単でありますが、私の陳述を終わらしていただきます。  それから申しおくれましたが、お手元に「科学」の十一月号の資料を配付しております。それからさっき申しましたが、「軽水発電炉をめぐる諸問題」について資料を配付しておりますので、ごらんになっていただきたいと思います。  どうもありがとうございました。
  12. 石野久男

    石野委員長 次に、黒川参考人にお願いいたします。
  13. 黒川良康

    黒川参考人 私は、最初、放射線が人体に与える影響について興味を持っていた内科の医者でありました。広島、長崎、特に広島の被爆者において、昭和二十年代の後半の血液像で、被爆後二週間以内に二キロメートル以内に入って作業をした人は、直接被爆者と同じような影響を受けているようだということは、私の論文の一部であります。  しかし、影響に興味を持つだけではいけないので、あれだけ多くの人々が死んだ原因を、平和に、安全に利用して、再び人類に悲劇を起こさないためには、より積極的に放射線防護の仕事を進めるべきである、これが多くのなくなった方々の、いや、少なくとも昭和二十年八月六日以後姿を見せない私の父に対する一つの報いの道であると考えております。そして現在では保健物理を専門としてきたものであります。  私は、今日盛んになりましたいわゆる環境論議を見るときに、原因物質の一部を取り上げる論議や疾病に関する論議はあっても、それを総合的に深く追求する論議が少なく、また健康の側からの論議はほとんど皆無にひとしいのを、まずはなはだ残念だと思うのであります。  ここで私が健康と申しますのは、ことばで言えば、WHOの健康憲章にあります、健康とは単に疾病や虚弱でないというだけでなく、肉体的、精神的並びに社会的に完全に良好な状態をいう、という意味での健康でありまして、世の、病気にかからなければ健康というものではありません。社会的健康を含めて論じますと、与えられた時間では話の論点がはずれてしまいますので、この点からはぜひとも先生方にお考えをいただきたいのでありますが、ここでは個人の肉体的健康についてその一部を述べてみます。  私どもの生活環境の中には、実に多くの、種々雑多な健康阻害要因があります。旅をしても、おこっても、また緊張しても、何一つとってみても、人々の身体に影響を与えます。その影響が多くなると、たとえ原因は好ましいものであっても、たとえばレジャーの遊びであっても、健康の面からは害になることがあり得るのであります。このような阻害要因は、温度、騒音、気圧、加速度などの物理的要因と、SO2、CO2、そのほか諸種の化学物質のような化学的要因、細菌、ビールス、寄生虫などのような生物的な要因、空腹、口渇、不眠などのような生理的要因、喜怒哀楽などのような精神的要因、少しニュアンスの違いはありますけれども遺伝的要因、この六つに分類することができると思います。すなわち、物理的要因、化学的要因、生物的要因、生理的要因、精神的要因、遺伝的要因の六つであります。このような阻害要因の中で自主調整によるバランスをとっているのが健康な状態であります。  さて、今日の主題であります原子力の安全問題、特に放射線に関する問題は、まずこの多くの健康阻害要因のほんの一つ、しかも人工的に自然界にあらわれただけのものではなく、天然に、この地球上に生物が誕生した以前から存在していたものであります。しかも、一八九五年十二月二十八日にレントゲンがエックス線を発見し、その翌年の一月にはグルーベによって手の皮膚炎が報告されて以来、諸種の障害例が報告されていまして、放射線の歴史はそのまま障害の歴史となっています。したがって、この放射線に関する知識は、精密さも足りなければ、なおいろいろな面で不足しているとはいえ、ほかの化学物質の障害などよりも明らかになっている面は多いと思います。  このようなデータを基礎にいたしまして、ICRP、国際放射線防護委員会は、一九六五年の報告で次のようにいっております。「最低のレベル線量に至るまで病気や不具を引き起こす危険は個人に蓄積される線量とともに増大するという仮定が行なわれている。」つまりこれは、安全な放射線の線量というものは存在しないんだということであります。しかし、その次に委員会は続けております。「委員会は、これは控え目な仮定であり、幾つかの効果の発現に必要な最小線量、つまり閾線量があるかもしれないと認めている。しかし、積極的に肯定する知識かないので、低線量でも障害の危険があると仮定する方針が放射線防護の基礎として最も合理的であると委員会は考える。」この勧告はよく引用されます。しかし、前段だけの引用でありまして、後半は引用されることはほとんどありません。象の一部をさすって全体はわかりません。ここで積極的に肯定する知識が得られないのは、前述の健康の阻害要因をお考えいただければわかると思います。たいへん多くの原因の中で、影響力の少ないものの影響があるかないかということを解明することはたいへんむずかしい問題であります。そのために積極的肯定ができないのであります。  私のいささかな経験でありますけれども、五百ミリラド一回照射によりまして、白血球の中の死亡白血球——死亡白血球という名前がついておりますが、超生体染色で核が染色されるという、そういうふうな白血球を死亡白血球と呼んでおります。五百ミリラド一回照射で死亡白血球の増多が見られるという報告がありました。これは方法としては簡単でもありますので、私は放射線取り扱い者の健康調査一つ方法に使っておりましたが、ある冬たいへん増加してまいりました。その後、一年余りかけてその経過を見ますと、これは実は感冒と呼ばれる症候群との関係であることがわかりました。些少な刺激がほかの刺激によってカバーされる一つの例ではあるかと思います。つまり、鋭敏な反応は特異的ではないということであります。これは全く一例にすぎませんが、積極的肯定は困難でありましょう。  しかし、放射線はどんな少量でも変化を起こすものであるという前提、この仮定を放射線防護のために用いるのは当然であります。これで人々に無用の恐怖を与えるのは、精神的作用によって人の健康が阻害されるものであるということを十分考えていただきたいと思うのであります。量の問題に対する正しい認識がこの点からも必要であろうかと思います。  人は危険を知らなければ安全を確保できないという意見がございます。しかし、危険を指摘しただけでは安全は確保できないのであります。そこにもう一つ加えるということが必要であると思います。例をとって説明いたしますと、とかく誤解を招くもとになりますが、あえて例を引きますと、十錠飲んで快適な眠りをとられる催眠剤を三百錠飲めば死んでしまうでありましょう。しかし、これを一粒の千分の一錠口の中に入れたからといって、これが催眠剤を飲んだことになるでありましょうか。防護の前提としては、これも飲んだと考えてほかのものを飲ませないようにするのはむろんでありますが、その影響を考えるときにはこれは論外であります。今日放射線で論じられていることにこれに似たものがあることを感ずるのであります。  十ラド以下では、遺伝的な影響を含めても影響は考えがたいとICRPはいっておりますが、三百ラドでは人は死ぬかもしれません。しかし、〇・〇〇一ラドであるとどうなるか。先ほども中島さんが言われた五ミリラドでどうなるかという論議であります。それもこの一年間にということでありまして、一度ではないのであります。これを、線量とその効果は直接に比例するとして、危険であるといって直接に結びつけるのは理にかなわないと私は考えております。  人々は、医療放射線によって、胸部の間接撮影で大体〇・五ラド、直接撮影で〇・〇五ラド、一回に受けております。また、放射線の影響は、他の影響でも同じでありますが、一回に受けた線量と同じ線量を何回かに分けて受けると、その影響は小さくなることがわかっております。  さて、以上のような論議を繰り返しても何の解決にもなりませんので、私は、一昨年から、原子力安全研究協会の中で疫学調査のグループをつくりまして、自然放射能の影響があるのかないのかということを、感覚的にではなく明らかにしていきたいと考え、しかもこれは五十年、百年先で結論が出るものであろうから、いまどんな項目について明らかな資料を残しておけば、それが将来役立つかということでその調査を始めました。  御存じのように、自然の放射能の存在は地方によって違います。日本は西高東低型でありまして、西の花こう岩地帯が高いわけであります。先ほどのように〇・〇五ラド以上の違いのあるところもございます。これがほんとうに影響するかということであります。愛知ガンセンターの太田和雄博士の報告によりますと、岐阜県のある町で、一九六五年から六六年の二年間で六例の白血病が発生いたしました。これは一般の平均の五倍以上でありますが、この集団発生地区の放射線の二倍ないし十数倍の放射線を持つ隣の部落では近年白血病の発生を見ておりません。つまり、この件については、放射線と白血病の発生はいままでのデータでは関係がないということがいえそうであります。日本では、このほか、広島大学の大北教授の報告や、外国でも二、三の報告で、自然放射能の範囲では白血病発生影響はなさそうだという報告を見ております。また、インドのケララ地方では自然放射線量のたいへん高いところがあります。日本の自然放射能のレベルの五倍以上のところから二十倍以上のところまであるわけでありますが、ここでもいろいろな指数で差がないといわれております。くどいようですが、量が多くなれば害があります、少なければ害がなかろうといっても無理はないようにも思うのであります。私どもの疫学的調査は、将来この面で何らかの役に立つと思いますので、今後とも続けていって、より明らかにしたいと思っております。  先ほどあげましたICRPは、去年の十月委員会を開きまして、いまの許容量の問題に関しては数値を変更する必要はないと言っております。  精神的公害で私ちょっと触れておきたいのはPCBでありますが、あるPCBについては、その相関関係がわかっておるPCBについてはPPMで測定ができるわけでありますが、混合されておるPCBをPPMでは測定できないはずであります。この辺の事実が正しく伝えられていないのははなはだ残念であります。  一九五二年、ロンドンで約三カ月の間に一万二千名の人がスモッグが原因で死亡しております。このときのSO2の濃度は〇・二PPM前後であるという報告があります。今日硫黄酸化物におきまして〇・二PPM以上が二時間継続した場合が緊急時となっている基準があります。  放射線は、前にも述べましたように、その影響はほかに比してよくわかっております。そのゆえもあって、非常に低いところで制御ができるようになっております。人は今日の生活をよしとして安住する面と、よりよい生活を求めていく面とがあります。その二つの調和が必要であろうと思います。  今日日本における環境汚染の最大原因は人でありましょう。人口増加が原因の雄でありましょう。瀬戸内海の赤潮、山中湖の汚染等々、例示は数多くあります。いまや環境保全のためにもエネルギーは必要になってきております。資源面、環境安全面から考えて、今日の日本で最も積極的に取り上げられなければならないエネルギーの一つ原子力であると私は考えております。同時に、人を大切にする思想がこの国の中で定着していただきたいと思っております。  最後に、余談でございますが、原爆被爆者二世がゆえなく社会からはみ出されかけているという話を間々聞くことがございます。ひずんだ認識がこういう事態を呼び起こさないように十分配慮していただきたい。また、影響研究は確かにこの方面研究で必要でございますが、影響がわかったらそのまま進められるのではなくて、さらにその上に防護の研究も必要であるということを私は痛感しております。つけ加えておきます。  どうもありがとうございました。
  14. 石野久男

    石野委員長 次に、滝澤参考人にお願いいたします。
  15. 滝澤行雄

    滝澤参考人 秋田大学医学部で公衆衛生学を担当しております滝澤でございます。現在環境庁の生物汚染調査専門委員として、水銀とかPCBの汚染問題についてもいろいろ仕事をさせていただいております。  放射性物質による人間環境の汚染問題は、今日の時代における主要課題としてますます強い関心を受けるようになりました。この放射性汚染の問題は、空、地、水圏の各分野からの徹底調査が望まれ、終局の目的は、人類がいかに汚染されているかを追求することにあります。  一般に放射線量の人体への寄与は、短寿命核種、たとえばヨード131などのような寿命の短い核種、及びストロンチウムとかセシウム、プルトニウムなどのような長寿命核種などに依存しまして、すこぶる複雑な関係にあります。しかも放射線量と生物学的効果、すなわち影響との関係も複雑でありまして、その発現は白血病、ガンの発生、寿命の短縮、遺伝的影響など、いわゆる遅発性障害であるため、放射能の人体影響科学的に評価することはきわめてむずかしいものがあります。  しかしながら障害評価の前提といたしまして、ともかく人体のいかなる臓器にいかなる放射能がどれだけ蓄積ないしは移行しているかを知ることが、放射線影響を論ずる上に重要な問題と考えまして、最近十年間の裏日本、新潟地方における人体臓器の放射性汚染を、環境汚染の消長と対比し検討してきた私どもの成績の概要を紹介いたしまして、今後の原子力利用施設の増加ないしは大型化に伴う環境汚染の影響問題、とりわけ公衆衛生学的課題について触れてみたいと思います。  現在わが国におきます人工放射能による環境汚染の主原因は、過去の核実験による放射性降下物の影響であります。経年的には、一九五九年及び六三年に、年間降下量の最大が見られまして、最近は六三年のころの約二十分の一以下に減少しております。  ところで、現在までに打ち上げられた放射性物質が将来にわたって降り続きまして、すべてなくなるまでに、人類に対して与える影響評価はどういうことになっているか。これに対しましては相当信頼できる精度で推定されておりまして、これによりますと、核実験によります放射性降下物による影響は、宇宙線だとか天然放射性物質などの自然放射線源から受けます放射線の二年分に相当するといわれております。この二年分という値が大きいか小さいかの判断はさておきまして、原子力の平和利用施設による環境放射能は、わが国では一、二カ所の測定点を除きましてまだほとんど観測されていない現状であることであります。  一般に、核実験による環境汚染は地球規模の問題でありますのに対しまして、平和利用による汚染は、局地的ではありますが、今後問題になります核燃料処理問題等にとりましては、むしろ汚染のレベルが高い点で特に注目されます。  さて、最近の人体主要臓器中におきます総放射能、すなわち、マグロにおきます総水銀のような形の放射能でありますが、全ベ−タと呼んでおりますが、これは一九六二年以降の総放射能で見ました臓器別の平均蓄積量は、以前のたび重なる核実験が行なわれた、いわゆる高汚染時代に比べますと、六分の一から四十分の一に減少し、明らかに近年の放射性降下物の減少を反映しております。また、以前は臓器ごとの差が明らかでありまして、主要臓器でありますひ臓、これは血液をつくるところで、重要臓器だとされております。また遠い遺伝、子孫にまで影響します生殖腺の臓器でありますが、このひ臓、生殖腺に比較的多く、これらは他の肺とか肝、じんとの差がはっきり分かれておりましたが、現在でのこの臓器相互の差も、一九五七年ごろのようにそれほど著明ではありません。しかし、全体的に減少傾向にあります環境汚染の中にありまして、このような重要臓器の汚染が相も変わらず認められておりまして、一九六五年でも二倍程度の差を見ております。  さて、成層圏に打ち上げられました長寿命核種の人体への移行、蓄積を見ることにいたします。  まず、超ウラン核種といいまして、半減期が非常に長く、最も恐れられておりますプルトニウム239でありますが、臓器別には、骨が最も多く、この骨は、その中にあります骨髄が血液をつくるということで、このような臓器に放射能が多く蓄積するということは、白血病にも結びつくということで、私どもが一応危惧している臓器であります。この骨が最も多く、次いで肝臓、ひ臓などの順となっております。  また、プルトニウム239量の年次別経過を見ますと、肺の中のプルトニウムは、一九六五年ごろまでは漸次増加しておりまして、一九六八年にはこれまでの最高値を示し、骨の中のプルトニウム239もほぼ同様の傾向が認められておりました。この骨中のプルトニウム239量は、この種の米国の測定値と比較しますと、一九六五年については日本のほうがアメリカの十倍ほど高いという成績が出ております。  すでにプルトニウム239の積算降下量、いままでにどのくらい積もり積もったかということの量でありますが、、三宅らによりますと、一平方キロメートル当り〇・九ミリキュリーと推定されまして、しかも逐年増加の傾向が見られていると報告しております。また、一九六五年ごろの肺の中のプルトニウム239量が一九六一年のそれに比べて多いことは、やはり一九六二年の核実験の再開によるものと考えられ、その後一九六七年ごろからも急増してきております。  また、興味あることといたしまして、一九六五年の新潟在住で事故死した成人の肺の試料の灰の中からプルトニウム238が多量に検出されております。この放出源の一つに、一九六四年にインド洋上空の成層圏で燃焼した人工衛星、SNAP−9Aの事故があげられております。いわゆる平和利用の人工衛星のふとした事故によって、一瞬にして地球規模での汚染が始まる事実が、新潟の成績から確認されております。  次に、成人の助骨中のストロンチウム90の蓄積量を見ますと、一九六五年ごろまで〇・六ストロンチウム単位前後の横ばい状態から、最近やや増加の傾向を見せております。わが国のストロンチウムの落下量は、一九六三年に急増しまして、六五年までの二年間で、これまでの全落下量の七〇%をこし、かつまた六八年末現在の秋田地方でのストロンチウムの推定積算値が一二八・七キュリー、一平方キロメートル当りの値でございますが、すでに科学技術庁原子力局勧告の第二次警戒値であります九〇ミリキュリーをはるかにこしております。なお、ストロンチウム90は一般にゼロから九歳の幼年者の蓄積量が、二十歳以上のおとなの平均値の三倍強となっております。  また、生殖腺に関係がありますセシウム137、これは比較的寿命の長い核種でありますが、臓器別の蓄積量を見ますと、一九六三年に急増して以来あまり低下しておりませんで、特にひ臓とか生殖腺、骨というような重要臓器にむしろ漸増の傾向を示していることは、プルトニウムと同様注目されております。  ところで、セシウム137の降下量は、一九五八年一一・四ミリキュリー・パー・平方キロメートルに対しまして、最近では六三年の五二・三を最高に、それ以降は逐年減少しております。しかし、環境中の放射能が減少しても、人体での汚染状況を見ますと、セシウムは半減期が長く、現在の放性降下物の著明な減少に対しまして、総放射能強度で見た臓器汚染は、当然ながら以前に比べて減少をしているのでありますが、人体内のセシウムはもとより、ストロンチウム、プルトニウム239は一向減少することなく、横ばいないしは漸増を示していることであります。  以上、核実験の部分停止の今日、人体臓器の全ベータ放射能は以前に比べて減少しておりますが、人体障害に意義のあります長寿命核種は相変わらず重要臓器に摂取し、蓄積され、人類環境の放射能汚染が実質的に低下していないことが確認できるのであります。  ところで、現在国際放射線防護委員会、国連科学委員会、国際原子力機関その他の国内及び国際機関は、一致して人類に対する放射線防護の根本原則といたしまして、微量の放射線の影響に関し、放射性障害は蓄積線量すなわち人体に入る量に正比例するという仮定をはっきり認めております。要するに、放射性降下物による人体影響は、現在の臓器の汚染水準、たとえば骨髄にしましても、生殖腺にしましても、その生物学的な効果、いわゆる健康障害という点におきましては著しい問題がない程度でありますが、それにしてもこの放射線量と人体に入っての影響、いわゆる線量影響の関係というものが、最微量に至るまで直線関係にあるという原則に立つならば、生殖腺あるいは遺伝、造血機能を営む臓器に汚染が比較的強いということは、核実験はもとより、今日まだ資料がありませんが、原子力の平和利用に対する放射線影響評価の上で、きわめて重大な意義を持つものと信じます。すなわち、今後における原子力利用施設から排出される放射性物質に対する、放射線のいわゆる疫学的調査あるいは放射性生態学的調査に基づくモニタリング体制及びその評価機構の確立等がここで強く要請されるものであります。実は微量水銀が、これでは心配ないという超微量のものが、食物連鎖によりまして健康障害を起こしたものが水俣病であります。また全地球を汚染しておりますPCBは、いわゆる気体放射性の今後の環境汚染問題を十分に指摘するところがあろうかと思います。  一九六九年一二月ジュネーブで開催されました、国の環境保健対策の計画、組織及び行政に関するWHO専門委員会報告によりますと、環境保健とは、人間の健全を確保するために、人間と環境との間に存在しなければならぬ生態的な均衡を意味するものであります。この健全とは、先ほど先生の御指摘ありましたWHOの保健憲章にうたわれていますように、人間の身体的健康ばかりでなく精神的健全及び最適な社会状態、つまり全人間的な好調な状態にかかっておるわけであります。  ところで、わが国における放射性物質による環境汚染問題に関する限り、核燃料の再処理工場が緊急に問題になりましょうし、公衆衛生の立場からは、原子力施設周辺の住民の被曝線量調査のほか、環境汚染から食用生物に取り込まれる放射性物質の挙動について十分監視する必要基礎データの収集が即刻になされなければならないかと思います。  今日、公衆衛生の立場からのモニタリング体制につきましては、全く不十分の現状にあろうかと思います。にもかかわらず、太平洋側をはじめ日本海側一帯に誘致され始めております。廃棄物処理問題微量放射能の生態系への影響問題の研究も十分でなく、放射線影響研究推進が強力に進められなければならないのはここにあるわけであります。  さきの講師の先生からもお話のありました日本学術会議では、影響研究の具体策を四十三年に打ち出しておりまして、今日まだ環境放射能研究所や放射線障害研究所の認可もおぼつかないように聞いております。一方、原子力開発の急速な展開の中にありまして、人体に及ぼす慢性ないし亜急性の健康障害というものか、放射性物質が自然界の媒体を通して、微量ではあるが将来は重大な健康障害を及ぼすという食物連鎖が介在し、しかも人類の食生活にも結びつくだけに深刻である点は異存ないと思います。現代ほど生態学的な観点から文明の進歩がもたらした環境汚染に挑戦が迫られている時代はないと思うわけであります。  以上、要するに放射性物質の環境から人体転移機構は、人間を取り巻く環境や生活現象の多様な条件に規制されて、きわめて複雑な関係にありましょうが、しかし地域住民に深刻な影響、不安を与えております環境放射性汚染に対しては、どのような困難があっても、不可能としないで、安全性確保、基準のきびしさ、放射線影響研究の強力な推進を望みたいと思います。  以上でございます。
  16. 石野久男

    石野委員長 次に、宮永参考人にお願いいたします。
  17. 宮永一郎

    宮永参考人 原子力研究所の宮永でございます。  私は、安全審査で行なっております原子炉施設周辺の一般公衆の被曝、さきに事故関係のお話がございましたので、特に平常運転時について申し上げ、実際の実績についてのお話もつけ加えたいと思います。  安全審査におきまして平常運転時にどういうような審査をするかと申しますと、まず公衆に与える放射線被曝の影響は、気体と液体廃棄物の両方に分かれます。  気体廃棄物につきましては、平常運転時で考えられる最悪の燃料破損を考えまして、さらにその破損から出てくる放射性物質のあらゆる放出源、放出のしかたというものを考え、それから年間の気象条件に従って拡散した結果、最高の被曝地点並びに被曝線量を求めるというやり方をいたします。  従来までの原子炉におきましては、ほぼこれらの最高地点、最高被曝値は、敷地境界において、ICRPの勧告値として知られております五〇〇ミリレム・パー・イヤーの約百分の一程度におさまっております。  実際に運転をいたしますときは、先ほどきめました平常運転時の最悪の燃料状態というのは常に起こるものではございませんので、実績では、この評価値のさらにまた数分の一というような結果が得られております。  これらの最悪燃料条件並びに放出源の放出方法すべては保安規程にきめられておりまして、安全審査のあとも実際のオペレーションにおいて規制されるという形になっております。  御参考のために、四十七年度の現在運転中の各炉の実績値を申し上げますと、原電敦賀では年間に一・一ミリレム、東電福島が一・九ミリレム、関電美浜一号が〇・〇一ミリレム、関電美浜二号が〇・〇一ミリレム、原電の東海、これは軽水炉でなくてガス炉でございますけれども、〇・九ミリレムというような数字になっております。  次に、液体について申し上げますと、原則として、出てくる液体廃棄物はすべて処理をして、一次冷却水として再使用するという立場からの設備の充実が行なわれておりまして、実際に現在放出を許されておりますのは、その処理の非常にむずかしい洗たく廃液と若干の放射性物質でございます。  これに対する基準値といたしましては、やはりICRPの勧告をわが国の法律にそのまま取り入れております、法令できまっております濃度がございますが、その濃度と、さらに、海産性生物が核種によっては体内に放射性物質を濃縮するということがございますので、その濃縮も考慮した濃度が、実際に放出される濃度の基準になっております。放出口において、つまり実際に海で拡散されるということを除いた放出口の濃度でこれを比べてみましても、一応これらの基準よりも低くなっておりまして、それから推定される被曝線量は、先ほど申し上げました気体からの被曝量よりもさらに小さいというくらいのレベルになっております。  これらに用いられます基準は、先ほどから申し上げておりますICRPの勧告値を各国が法律に取り入れております、その各国の法律によって規制されるわけでございますが、最近アメリカで、実際に技術的に可能であるならばこの基準値よりも低くするという精神から、それに対する実際の数値を出してみようという動きがございます。現在公聴会を終えて、そのうちにルール化されると思いますが、これがいわゆるアズ・ロー・アズ・プラクチカブルの原則の数値化ということでございまして、ここで見込まれているいわゆる年間五レムという数字に比べましても、現在の日本軽水炉は、平常運転時においてはこれらを下回る成績を持っております。  これはどういうわけかと申しますと、アメリカが実際にやればできるというときに予想しておりました設備をすべて現在の原子炉には取りつけてある。たとえばBWRで申しますと、活性炭のコラムをつけまして、実際に出てくる希ガスの放出をその中でおくらせて減衰させるという手段を使う装置がすでに全機についておりますし、液体につきましては、先ほども申し上げましたように、エバポレーターその他廃液の再使用ができる程度の設備をすでに組み込んでいるからでございます。  わが国におきましても、やはりただ五百ミリレム・パー・イヤーという法令の数字だけでなしに、いわゆる技術的にできるものは低くするというための数値的目標値を同じようにきめるということが検討されておりまして、現在原子力委員会の環境放射能専門分科会でこれらの検討が行なわれております。さらに、安全審査委員会では、これらの数値の評価だけでなしに、実際にオペレーションが行なわれるという場合に、これらを測定評価するためのモニタリングシステム、機器のあり方並びにその使用の方法などを審査いたしまして、これが保安規程の中に取り入れられ、実際のオペレーションに義務化されるということになっております。  事故時につきましては、先ほど内田先生のほうからお話がございましたので省略いたしますけれども、先ほどの先生方の御発言にも少し関連いたしますので申し上げますと、安全審査におけるいわゆる災害解析と申しますのは、原子炉安全設計立地との関連で判断するための目安線量との関連でこの解析をするわけでありまして、これは当然実際に起こる事故に対する対策とはカテゴリーの違うものでございます。  実際に事故が起こります場合には、非常に小さい、よく起こるかもしれない事故から大きい事故まで、いろいろな規模事故発生予想されますけれども、これに対しては、特に一般公衆に危険が及ぶというような可能性がある場合には、原子力災害応急対策が発動されることになっております。これは、国の中央防災計画に基づきまして、県や市町村が定めた地域防災計画の中に原子力災害対策計画というのがございまして、実際の事故に際してはモニタリングによる汚染状況の調査から始まりまして、汚染飲食物の摂取制限、必要な場合には退避あるいは汚染区域への立ち入り禁止などの措置が適宜とられることになっております。  予定いたしました話の中でさきの先生方がお話しになったことがございますので、非常に簡単でございますが、私の説明はこれで終わらせていただきたいと思います。
  18. 石野久男

    石野委員長 次に、安齋参考人にお願いいたします。
  19. 安齋育郎

    安齋参考人 私は原子力工学の出身でありますが、現在は医学部において放射線防護の研究・教育活動に従事しております。  放射線安全の問題を介しまして、わが国における原子力発電開発に重大な関心を寄せている一人の科学者として、きょうは主として二つの問題にしぼって意見を述べさせていただきます。  第一点は、再処理問題廃棄物処分問題を含めたわが国原子力発電システム全体としての計画が、全く不明確であるという点であります。  すでに、原子力委員会は、昭和六十年に六千万キロワットを目途とする原発開発計画を明らかにしておりますが、元来、原子力発電を行なうためには、核燃の供給や使用済み燃料の再処理、そして、それらから発生する大量の放射性廃棄物処理、処分、及び三十年程度で寿命が尽きるといわれております原子炉施設、いわゆる廃炉の処分などの問題が切り離すことのできないひとつながりの問題として考えられなければならないはずであります。  しかるに、わが国では、原子力発電だけが大規模かつ急速に導入されており、それが既成事実となって、核燃料や再処理や廃棄物処分の問題を、安全をめぐる科学技術上の重大な問題を放置したまま無理やり押し通していくことになりはしないかという重大な懸念があるわけであります。  現在予定されている計画を推進しようとする限り、核燃料処理の必要性も急速に拡大いたします。これは避けられないことであります。昭和六十年には、先ほど中島参考人が述べた東海規模の再処理工場が少なくとも七基分はなければならない勘定になります。しかるに、東海工場以降の計画は、民間に期待するという以上には明確になっておりません。再処理工場の設置が不可避であるにもかかわらず、その具体的な計画を一切示し得ず、原発のみを次々と認可していくことは、重大な問題であるといわなければなりません。近い将来、必ずや、これだけの原発ができたのだからこれだけの再処理工場が必要になったという形で、安全性の点で原発の比ではない再処理工場が各地につくられるに至るであろうことは、予想にかたくありません。新潟県の柏崎市の市長は、原発はつくっても再処理工場はつくらない旨表明しているとのことですが、これは本来市長の主観的願望の問題ではないはずであります。  廃棄物処分の問題も多くの議論はありますけれども、明確な技術的見通しのない問題として多くが残されております。廃棄物は海洋投棄を前提として調査が行なわれていますが、滝澤参考人が触れられたような生態学的な問題を考えるならば、海洋投棄に伴う一千年、一万年にわたる安定性が問題となるのでありまして、この点で、そのようなことがたかだか数年の廃棄物の試験投棄期間で明らかになるものかいなか。試験投棄に伴って生ずる安全性科学的な検討ではなしに、単に捨て方の練習に終わる可能性があることが深刻に懸念されるところであります。  次に、廃炉の問題につきましても同様であります。すでにベルギーのモルにある小規模の再処理施設の解体の問題に関連しても、設計が解体や廃棄のしやすさを考慮せずに行なわれているという点に困難があることが指摘されておりまして、遠い将来の問題としてではなく、現在の原発や再処理の問題として、まさに現在現時点で重要であるということであります。  以上申し述べましたように、原子力発電システム全体としての具体的な確かな見通しが与えられていないという現時点では、原子力発電の設置をこれ以上認めることは、国民の安全を科学技術の名において責任をもって確保していくという上で認めがたいものであると言わなければなりません。この点から考えて、計画を凍結すべきであると私は考える次第であります。  第二の点は、安全行政をめぐるわが国原子力委員会の真の自主性を確立することが、原子力発電の安全審査に対する国民の信頼をかちうる上で不可欠の問題であるという点であります。  現在、原子力委員会は、内閣の諮問機関として勧告権しか与えられておらず、その活動をになうマンパワ一等もきわめて弱体であると思います。その結果、安全審査に関連するデータ、情報、諸基準等が、十分な主体的な批判的検討なしに、米国や設置者に依存するという問題が指摘されております。昨年十月、内田審査会長が軽水炉の緊急冷却に関するクレストの会議でお認めのとおり、特にECCSに関しては、そのデータや情報の多くが、設置者である電力会社を通じて米国のメーカーから提供されたものであって、したがって審査過程においてそれらの情報の実証性を確認する論拠となる自前のデータがほとんど存在せず、また、提出された計算結果を厳密に独自に総点検するに必要なブレーンともなり、手足ともなる研究機関さえ持っていないために、安全審査は著しく不健全な形骸化されたものにならざるを得ないと思うのであります。  私は、当面、原発の安全審査を含めて原子力安全行政の自主性、主体性の確立と飛躍的な強化が、即刻、具体的に実現されることを求めます。  これらの点につきましては、形を変えて原子力産業会議やあるいは原子力委員の田島英三氏などもその弱点を認めていることでありまして、飛躍的に強化するということに関しましては、多くの意見が一致しているところではないかと思います。  原子力委員会が当面の問題として原子力安全行政を総合的に展開できるに必要な、少なくとも千名規模程度の直属の研究機関を設置して、自主、民主、公開原則に基づいて運営し、必要な財政措置と権限の保障の上に立って、総合的な安全行政を進め得る体制をつくり上げることが必要でありまして、これなしには現在の大規模原発を設置する計画を続けるべきではないと考えます。  安全審査の権威を失墜させ、人類が到達した英知としての原子力エネルギーの解放とその平和利用について、科学技術に対する国民の不信さえも不幸にも招いた。拡大再生産してきた原子力委員会の責任はきわめて重大であると思いますが、同時に、ここに提起したような飛躍的な措置を現時点で実際に講ずることなしには、真に科学的な安全審査を貫き得ない。その意味で、原子力委員会の策定している開発計画は、これを中止、凍結しなければならない。これは一人の安全研究者として科学技術の成果を真に国民のために役立たせることを重視する立場から、やむを得ざる措置であるとして要請しなければならないと思います。  最後に、私の専門分野に直接かかわる問題として、いわゆる許容線量の問題について触れ、先はど黒川参考人が述べたことに関しまして私の意見を若干つけ加えて、終わりにしたいと思います。  原子力発電に関する放射線安全の問題は、発電所労働者の放射線安全の問題と、周辺の一般公衆の放射線安全の問題とがあります。最初に、発電所労働者の被曝の問題に触れますと、近年国際放射線防護委員会が発表した報告におきましては、原子力発電所労働者の場合のように、エネルギーの高いガンマ線によって全身の臓器がほぼ均等に被曝にさらされるような場合には、現行の労働者に対する許容線量を四分の一か五分の一か十分の一に切り下げなければならないかもしれないというふうに提案しております。この提案は、勧告という形をとっているものではありませんが、その内容において、考え方は正しく科学的でありまして、勧告であるといなとにかかわらず、きわめて重要な内容を有する提案であります。この提案は、放射線による腫瘍の発生に関する人間に関するこれまでのデータを、歴史的に総括した結果として出されたものでありまして、多くの健康破壊因子の一つにすぎないと黒川参考人が言われた放射線によってまさに起こると考えられる現在ベストのデータを用いた、そして放射線防護にそれを応用したものであるわけです。四分の一から十分の一というような幅があるのは、遺伝的影響についての知見が欠如しているという現在の学問状況を端的に反映したものであります。かりに最もきびしい値である十分の一をとるものとすれば、労働者に対する許容線量は年間〇・五レムとなりますけれども、この被曝レベルを越える発電所の労働者の割合は、外国の発電炉の場合を見ても、六割から七割に及ぶ例が少なくありませんので、重大な問題と言うべきであろうと思います。  次に、住民に対する放射線被曝の限度は、一方わが国では年間〇・五レムと法的に規定されております。ところが、国民全般がこの線量限度〇・五レムにおいて被曝いたしますと、年間数千人のガンや白血病あるいは遺伝的致死がもたらされる計算になることは、これは被曝線量障害の間に比例関係があることを否定できないという、現在の科学者の間でのコンセンサスに基礎を置く限り、だれがやってもおそらく出てくる結論であろうと思います。  このようなことから私は、公衆に対する線量の限度を、少なくとも一けた切り下げる必要があろうかと思います。こういった問題を提起いたしますと、必ずや国民全般がそのような年間〇・五レムといった高レベルの被曝をすることはあり得ないのだという反論が聞かれますが、それは私とても望むところでありまして、最近は、軽水炉の設計基準として年間〇・〇〇五レム、五ミリレムというような値が提起されていることと相まって、そのことが真であるならば、まさしくこの許容限度、線量限度の切り下げは現実に可能であるということになります。その意味で私は、現実に可能なことを実際に切り下げていくということが何ゆえに行なわれないのか。これは、欧米に対する影響を考慮してそのことが行なわれないのではないかという点もあわせて、ぜひとも切り下げることを要請したいわけであります。  最後に、先ほど黒川参考人が言われたこと二つについて触れて終わりにいたしますが、一つは岐阜県の白川町の例をおあげになって、天然の放射線のレベルが高いところでも白血病との関連性が見られていないということでございましたが、この岐阜県の白川町におけるラドンの濃度が人間に対してどれだけ被曝線量を実際に与えたのか、それが現在までに知られているもろもろの放射線影響に関するデータから見て、その人口集団にどれだけの発生の期待値があるはずだったのか、それと比べてこの値がどうだったのかという確率論的な検討なしには、早急に答えを出すことはできないと思われます。むしろ、黒川氏が言われたように、このデータは異常に高い白血病の発生率を与えておりまして、放射能のせいではないのではないかということのほうが疑われてしかるべきではないかというふうに考えます。  もう一つのことは、インドのケララの問題について言われましたが、インドのケララ州は自然放射線のレベルが高い地域として有名なところですが、一九六〇年時点の国連科学委員会報告では、われわれがいる日本などに比べて十数倍高いという値が報告されていましたのが、先ほど引用されましたようなインドのゴパル・エンガールらの報告によって、五倍くらいの平均的な高さであるということがわかってきたわけですが、このゴパル・エンガールらの報告には、統計的な取り扱いの点で重大な誤りが含まれておりまして、これは資料としてお配りしてある「公害と日本科学」の第三というところに、三六ページに、「コメント」として「インドのケララ地方の自然放射線」という論文が載っておりますが、それに詳しく解析されているとおりであります。したがって、インドのケララについての研究報告は、自然放射線のレベルが高いけれども、そこでは障害が出ていないという例には決してならないのだというのが科学的にいえる最大限のことではないかと思います。  以上で、公述を終わります。
  20. 石野久男

    石野委員長 ありがとうございました。  特に環境放射能の問題について政府当局から説明を聴取いたします。  放射線医学総合研究所江藤科学研究官。
  21. 江藤秀雄

    ○江藤説明員 私、ただいま御紹介にあずかりました放射線医学総合研究所の江藤でございます。  私は、元来大学は物理の出身でございますが、卒業してすぐに東大医学部の放射線医学教室に採用されまして、放射線医学の物理的並びに技術的基礎のことを勉強して二十年ばかりおりまして、放医研が設置されましたものでありますから、設置のその年に参りまして十五年で、まあ三十五年放射線とつき合ったという点では非常に長いのでございますけれども、それ以外の能力は全くございません。したがって、先ほどからいろいろと参考人の先生方がおっしゃいましたような、そういうりっぱな思想的な問題、フィロソフィーというのは持っておりませんのでございますが、ごく簡単に生物学的な影響についてまとめてみたいと思います。  放射線が発ガンとかあるいは遺伝的な影響を起こす、起こし得ると申しますか、まあいろんな因子がありますが、そのうちの一つであるということは、世界的に認められている事実であります。  それから、さっき黒川さんがおっしゃいましたが、なるほど放射線は、エックス線は一八九五年というわけで、七十年以上前に発見されまして、したがって障害の歴史もまたこれとともに始まったわけでございますから、放射線障害についてはいろいろな事柄が知られております。ただし、ではどうして発生するかといういわゆるメカニズム、機構と申しますか、これについてはなお多くの未知の分野がございます。  そこで、一般には放射線障害あるいは影響——この影響障害とは、これは区別していきませんと、回復というのは最近非常に研究の対象になってまいりましたから。したがって、一般にいって放射線障害ないし影響発生というもの、それの危険度を推定するためには、どうしてもやはりある特定の放射線影響ないし障害と受けた線量との関係を知らなきゃいけない。しかしながら、放射線障害あるいは影響に関する知識は元来定性的なものでございます。しかしこれを定量化しようというための努力がいろいろと払われております。  それで、お話がございましたように現在二つ考え方がありまして、一つは自然放射線のレベルを超過してふえていくような線量に対しては、特定の障害発生ないし影響が直線比例的に増していく、いわゆる閾値、限界値がないという考え方と、それからいろいろな臨床的な経験であるとか、あるいはいままでの動物実験のデータをいろいろ調べてみると、確かにこれはそういうような線量影響があったなと認められる最小の線量を実用的な限界の線量として採用するという考えがございます。  それで、大体平常運転時の場合に対しては、最初のいわゆる限界値のない線量比例性を仮定しておりますし、事故時の場合、個人に対しては、あとで申し上げました実用の限界線量というような概念を用いますし、集団に対しては限界値のない比例性を仮定しております。  ところで、身体的な影響と遺伝的な影響がございますけれども、身体的な影響に関しまして、いわゆる被曝して早期にあらわれるというような早期効果につきましては、線量と臨床的な症状がかなりよくわかっております。しかしながら、先ほどから問題になっておりますような、被曝して長い期間たつと、いわゆる潜伏期と申しておりますが、発ガンであるとかあるいは加齢であるとかいうようなことに対しましては、非常にむずかしいというわけでございます。  そこで、これに対する仮定といたしまして、いろいろ数式的に論議が重ねられております。たとえば線量を与えるにしても、百のものを一ぺんに与えたか、十回に分けて与えたか、あるいは百回で与えたかということでは、生物学的な効果も違います。放射線のエネルギーや種類によってもまた違いますし、年齢、性別、もっとひどいのは個体差であります。私は驚いたのでありますが、個体差というものが非常に大きいのであります。したがって、こういうような場合に、一々それをやることは妥当かもしれませんけれども、一番簡単な仮定は直線比例性であります。それでは人間に対するデータとしてはどうかといいますと、これはいわゆる骨髄性白血病の場合と、それから小児の甲状腺の悪性腫瘍の場合とが、百ラド、つまり自然放射線の千倍以上という高レベル、高線量域のところにおきましてやや近似的に直線的になる。これは、直線であるかどうかかいてみればわかりますが、要するにそういうような一番簡単な仮定でしていかなければ、実際には評価と学問とは別でありまして、できないわけでありますが、それからして低線量レベルまで持っていくのが安全であるということでありまして、したがって、その生物学的な根拠いかんと言われても、生物学者としては非常に困るわけであります。生物学者は元来それを目標にしているのではなくて、実際には、たとえば発ガンの機構はどうであるかというようなことがわからなければほんとうのことはわからない。たとえば放射線単独であるのか、ビールスが眠っているのを起こすのか、あるいは腫瘍細胞が元来眠った状態にあったのを呼び起こされるのか、こういういわゆるメカニズムの研究にまで最後は立ち入らなければわかりません。とにかく限界値のない直線比例性というものを仮定し、それに用いましたときのいろいろな臨床的なデータ、実験的なデータというものを十分に理解していきませんと、それからもう一つは、その推定や算定の結果を何に使うのかということを理解してまいりませんと、いろいろな数字が出てきまして、一年間に死ぬ人の数が一けたか二けたならばまだよろしいのですけれども、けたが違ってくる、現実に起こり得ることと、何の目的のためにそれを推定し、何の目的のために使うのかということとを混同いたしますと、非常に議論がおかしくなります。したがって、防護の目的にこうやって使うんだ、あるいは利益とリスクのバランスに使うんだというようなことに対しては、やはりそのよって来た数値のもとをよく理解して、そしてその上で使っていただくということが肝心だろうと私は思います。  これはアメリカのナショナル・アカデミー・サイエンスの一九七二年の報告でありますけれども、そうそうたる連中が集まって、現段階における知識によって推定をしております。たとえば白血病を含むあらゆるガンに対して、ちょうど百ミリレム、たとえば自然放射線と同じだけの量を別に上げたといたしますと、これはアメリカでいいますと、ガンの全体の発生率の一%くらいになります。また、同じようなことを遺伝的な影響についてもやっております。しかし、それはそれなりのいろいろな仮定が含まれている。したがって、それをどういうふうに使うのかということと、現実にそれが起こり得るものとを一緒に混同すると思想の混乱を生ずる、こういうふうに私は考えております。  たいへん簡単でございますが、私の説明を終わります。
  22. 石野久男

    石野委員長 次に、都甲参考人にお願いいたします。
  23. 都甲泰正

    都甲参考人 東京大学都甲でございます。私は、軽水型動力炉の非常炉心冷却系統の問題につきまして、概要を御説明申し上げようと思います。  それで、最初に非常炉心冷却系統、略してECCSと呼んでおりますが、それが何のために必要であるかということから簡単に御説明申し上げますと、原子炉の万一の重大事故の場合に、放射能の放散を抑制する必要があるわけでございますが、そのためには大量の燃料破損とか溶融を防止する必要がございます。そのために、どのような事態になりましても、まず必ず原子炉をとめるということ。それからもう一つは、原子炉の崩壊熱と申しまして、原子炉は、とめましてもあとしばらく少量の熱の発生が続きますので、それを除去する必要があるわけでございます。このあとの目的、つまり原子炉の崩壊熱を取り除くために設けますのが非常炉心冷却系統というわけでございます。  次に、歴史と現状について簡単に御説明申し上げますと、初期の軽水炉には実はこのECCSというのはついておりませんでした。と申しますのは、アメリカ動力炉開発を行ないました初期のころには、その安全評価を行ないますのに、最大想定事故と申しまして、非常に大きな事故想定いたしまして、安全を評価していたわけでございます。その事故といたしまして、一次冷却管の瞬時破断を考えるということをいたしまして、それに伴いまして一〇〇%、全量の放射能が燃料から外へ出てくるという想定に基づきまして評価を行なっておりましたので、万一の重大事故、ただいま申しました想定事故でございますが、その場合に、燃料破損溶融が生じてもかまわない、こういう考えが昔はあったわけでございます。  ところが、その後、原子力発電が実用期に近づいてまいりまして、容量も非常に大きくなってまいりました。そのため、万一の事故時といえども、なるべくその影響を小さく押えよう、こういう趣旨でECCSという概念が生まれてきたわけでございます。でございますから、BWRで申しますと、ドレステン一号炉及びそれ以前の原子炉——BWRにはECCSがついておりません。初めてECCSの実験が行なわれましたのがいまから約十年前でございます。  それで、一番最初につけられましたのが炉心スプレー系統でございまして、そのような事故が起こりました場合に、炉心の上からスプレー状に水を降らせる、それで崩壊熱を取ろう、こういう系統でございます。さらに、その後になりまして高圧注水系統とか高圧スプレー系統というようなECCS系統が設けられるようになりまして、年とともにECCSの設計は変化し、かつ改良が行なわれてきたと申し上げてよろしいと思います。  もう一つ軽水炉のPWRのほうで申しますと、一九六五年まては実は外部電源に依存しておりました。つまり、このような非常に大きな事故が起こりました場合には外部電源に依存する、こういう設計になっておりまして、なおかつ一次冷却系そのものの破断は考えておりませんでした。一次冷却系につながっております配管のうち一番大きい配管をこわす、こういう設計だったわけでございます。その後、一九六六年から六七年にかけまして、アメリカAECにおきまして検討会を設けましてECCSの検討を行ないました。その結果、炉心容融が起こりますと、そのあとの現象に不明確な点が残っているということがわかりまして、その検討結果がAEC原子力発電所一般設計指針という中に取り入れられまして、結果的にはECCSの設計基準がかなり強化されました。  その要点を申しますと、まず一番目が、事故としては、想定事故でございますが、想定事故としては最大口径配管の両端破断まで考える。それからさらに、小さいほうの破断、中小破断と申しますが、それも考えるということでございます。それから二番目に、外部電源の作動を期待してはいけないということ。それから三番目に、非常電源を含めまして、動的機器の単一故障を考えた上で十分ECCSの機能が発揮できるように設計しなさいということでございます。この結果、非常電源は二台設けることが要求されるようになったわけでございます。四番目に、あらゆる破断寸法に対しましても、少なくとも二系統のECCSを設けなければならない。さらに、もしできたら異なる原理の二系統以上のものを設けなさいということ。それから五番目に、ECCSの性能は不確かな各分野において控え目に評価しなければいけないということ。それから六番目に、ECCSの検査とか試験の可能性、これはその信頼度のほうに大いに影響があるわけでございます。その六つの要求が設計指針に取り入れられたわけでございます。  さて、一昨年でございますか、ECCS問題というのが起こったわけでございますが、その概要を申し上げますと、実はアメリカ軽水炉の安全研究計画という一連の計画がございますが、その中心をなします計画にLOFT計画というのがございます。これは熱出力約五万キロワットぐらいの動力炉を砂漠のまん中につくりまして、実際に先ほど申しました一次配管破断事故を人工的に起こしまして、そのあとどういう現象になるだろうかということを実験によって実証しようという計画でございます。それに関連いたしまして、そのときにもちろん一次系の水が外へ吹き出してまいりまして、そのあと非常冷却水を注入するわけでございますが、その冷却効果がどうであるかということを前もって実験によって求めまして、それを計算コードをつくっておこう、こういう作業をいたしておりまして、その一連の実験の中で、実は初めて冷たい水を非常冷却水として注入いたしましたところが、その水が最初考えていたほど原子炉の中に入らないという現象が見つかったわけでございます。それで、このECCSの水が原子炉の中に入らないということが一昨年あたりから問題になりまして、この問題が生じたわけでございます。それで実はAECも急遽庫この実験計画の見直しあるいは変更等を検討すると同時に、規制の目的でどうしても暫定指針、暫定的にそれをどう取り扱うかということを解決する必要がございましたために、一昨年の六月でございましたか、その暫定指針なるものをつくりました。当時わかっておりました情報を全部集めまして再検討いたしまして、それを暫定指針の形にまとめたものでございます。  要約いたしますと、一つは計算によって得られた被覆材の最高温度が二千三百度、CでなくてFでございますが、Fをこえないことと、それから二番目が水または水蒸気と化学反応を起こします被覆材の量が炉心全量の一%をこえないこと、それから三番目が炉心ガスの冷却可能な状態、幾何学的な形状を維持すること、四番目が長期間にわたって崩壊熱が除去できること、この四つの条項でございます。実はわが国におきましても、この問題が起こりましてから、わが国で入手できます資料検討いたしまして審査会の内規のようなものをつくってございます。これは昨年の夏から秋にかけてできておるのでございますが、その概要を申しますと、被覆材の温度が約千二百度Cをこえないというようなこと、あるいは水または蒸気と化学反応を起こします被覆材の量が一%以下ですとか、そのほかアメリカの暫定指針と大体似たようなものをつくって内規として使用いたしております。そのほか、わが国の内規では、当時いろいろと検討いたしまして、被覆材が破損いたしましたときに内面から酸化される、この問題の評価も行なうことになっております。  ごく最近、アメリカの新しい最終指針案というのを入手いたしましたが、まだ最終的にこまかい検討をいたしておりませんので、細部の御紹介はちょっと差し控えておきますが、要点を申しますと、暫定指針で二千三百度Fといっておりましたのが、二千二百度Fというふうに下がってきております。実はこれは、たまたま日本で昨年つくりました内規の千二百度Cと非常に近い値なんでございます。そのほか、被覆材の酸化の程度が一七%をこえてはいけないとかいう条項もございます。そのほかは従来の暫定指針と大差はございません。  大体そんなところがECCS問題の歴史及び現状についての概要でございます。
  24. 石野久男

    石野委員長 ありがとうございました。  以上で参考人からの意見聴取は終わりました。     —————————————
  25. 石野久男

    石野委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。木野晴夫君。
  26. 木野晴夫

    ○木野委員 私は、自民党に所属しております木野晴夫でございます。  各参考人の有益なるお話を聞きまして、私は私なりにいろいろ勉強になった点もございますし、また、さらにお聞きしたい点もあるわけでございます。  まず第一点は、御承知のとおり電源開発の周辺地帯整備法というのをつくりまして、そして発電所の周辺の地帯——そこだけではなしに、その周辺の地帯にいろいろ整備するものは国としても思い切って整備しようということで法案が出されておるわけでございます。  発電といいました場合に、火力だけではなしに原子力発電所もその対象になっております。そういった場合に一番問題になりますのは何かといいますと、安全ということでございますので、当委員会におきましても、この安全の問題につきまして各参考人を呼んでいろいろと御意見をお聞きをしたい、こうなったことだと思うのでございます。また、安全といいました場合に、ただいま参考人お話にもございましたが、当該設備の安全、発電の機械器具の安全ということもありますし、また広く周辺の環境を含めまして、人間の健康をどのように守っていくかというふうなことでいろいろと問題を広くとらえたい、このように思っておるわけであります。  それで、ただいまずっとお聞きいたしまして一つ感じましたのは、参考人の皆さん方は科学者、学者でございますから、たとえば安全であるかどうかといったときに、ずっとデータを調べる、そして確率方面からこうだというふうな話になってくるわけであります。ところが、私たち政治家の立場でいきますと、安全かどうか、こうなるわけでありまして、皆さん方のほうではその場合に、安全かどうかについては、そう簡単に、安全である、安全でないと言えない、データを調べるとこうだ、だから百万分の一あるかもしれぬ、こうなってくるときに、その百万分の一あるとこれはだめなんだというふうなとらえ方をするわけでございます。  そこで、ただいまのお話で、たとえば安全の問題についてなにいたしますと、いままでデータがないからわからないが、過去のデータではこうだ、いま問題になっております点というのはデータがないからというような話、まことに学者的なアプローチのしかたでございまして、私はそういった考え方は非常に大事であると思うのでありますが、実は私らのところで問題になっておりますのは、安全かどうかを言え、こういうことになってきているわけであります。  そういったことをずっと見てまいりまして、皆さん方に原子力発電が安全であるかどうか一言に言え、ないしはまた、これだけの電力が要るのだ、それでは電気を消してもいいのか、だからどっちだというふうな質問をいたしましても、これは問題が食い違うわけでございます。私は、最近電力が非常に要る、火力水力いずれも頭打ちだ、原子力に相当ウエートを置いていかなければいけないというふうな傾向、いろいろあるかと思いますが、それは私たちなりにこれを解釈いたしまして、また皆さん方の御意見は、それはそれとして解釈して判断していかなければならぬ、このように思っております。皆さん方参考人の御意見は非常に私としましても参考になったと、まずもってお礼を申し上げて質問に入りたいと思います。  一つは、私はベルギーに行ったことがあるのですが、そのときに原子力発電所を見たわけでございます。ベルギーでございますから、海岸ではなしに町のだいぶ離れたところでございますが、平野のまん中にあったのでございます。そこへ行きまして、この安全性の問題を聞きましたところ、非常に自信を持って、絶対だいじょうぶだ、火力よりも原子力のほうが公害がないのだ、もちろんそれにはそれなりの対応の策を打った上であろうかと思いますが、とにかく自信を持って公害はないのだという話をしておりました。  また、アメリカの雑誌でございますが、「火力かそれとも原子力か」という表題でスター教授がこの問題に触れまして、原子力のほうが火力よりも公害が少ないのだというふうな論文を発表しておられたのを見たことがあるのでありますか、各参考人原子力発電は火力発電よりも公害が少ないのだ、いろいろな意見があるかと思いますが一前提もあるかと思いますが、この点についてお聞きしたいと思うのであります。  各専門の部門から見て非常に問題を、時間も限定をいたしますし、いろいろそういった前提の与件をば簡単にして申し上げますので、問題がはずれておるかもしれませんが、原子力は火力よりも公害がないのだというこのスター教授の意見なり、ないしはそれについての皆さん方参考人意見を簡単に言っていただきたいと思うわけであります。すみませんが、ほんとうに簡単でけっこうでございますから、ずっと御意見を聞かしていただきたいと思います。     〔委員長退席、原(茂)委員長代理着席〕
  27. 内田秀雄

    内田参考人 ただいまの先生の御質問、なかなかむずかしいのでありますけれども、簡単に火力と原子力との比較、もし可能であるとすればということで私のつたない意見を申し上げさせていただきます。  火力のいわゆる公害という問題は、おそらくSO2の問題が主であると思うのでありますが、SO2と原子力から出ます放射線の影響とが同じ水準で考えていいかどうかという点が大きな問題ではあると思います。でありますけれども、SO2にも蓄積の問題があるということで、ドクター・スターなどが研究しているわけでありますけれども、概略申しまして、火力発電よりも原子力発電のほうが非常に公害を少なくできるであろうということが国際的なコンセンサスだと私は思っております。
  28. 黒川良康

    黒川参考人 先ほども申し上げましたように、資源面、環境安全面から考えて、今日の日本で積極的に取り上げられなければならないエネルギーの一つ原子力であると確信しております。
  29. 宮永一郎

    宮永参考人 火力の石炭と重油、いろいろございますけれども、石炭に関しましては、現在までの放射能的なレベルから申しましても、火力のほうが悪いということが言えると思います。石油につきましては、今度はいわゆる生産国からわが国に輸入する、そういう輸送方法その他も考慮に入れた上で、原子力施設と同じ方法で解析するとすれば、やはり原子力のほうが安全なのではないかと思います。
  30. 小野周

    小野参考人 私は火力発電所につきましては、最初に建設されてからかなりの歴史を持っておりますので、これについては私たちはかなりのことを知っておりますし、それから万一いろいろな事故が起こったり、あるいは亜硫酸ガスの問題についてもどのようなことになるかということについては、かなりの知識を持っていると思うのです。ところが、原子力発電所につきましては、先ほど私が説明いたしましたように、われわれは非常に経験が浅い。これは、先ほど先生がおっしゃったような点で、そういうことで経験が浅いというのは議論だと言われましたけれども、経験が浅いということは、どういうことが起こるかわからない。特に一番問題になりますのは、事故が一番大きいときには、原子力発電所の場合にはたいへんなことになる可能性がある。私は、ですから現在のところ、火力発電所が建設されるということについてはいろいろ問題があるかと思いますけれども、原子力発電所がいまのような拡大のしかたでもって建設されていることに関しては、全く危惧の念を持っているわけです。
  31. 中島篤之助

    ○中島参考人 私は先ほどその問題の答えになるようなことを非常に端的に申したつもりであります。と申しますのは、再処理工場といったようなことは火力の場合にはございません。私は、原子力の安全を確保されるかどうかの一つの試金石として、たとえば再処理工場の放射能放出ゼロを実現すべきである、そうでなければ無意味だというふうに申し上げたので、私は原子力を将来使うべきだということについては全然疑問を持っておりません。ただし現在は、現在の再処理なり現在の日本のそれを保障する研究体制は、それに関連して、発電計画に比べてたいへん不備である、だからそれを充実していただきたい、そのためにはこうしてほしいということを二、三申し上げた、そういうことでお考え願いたいと思います。
  32. 安齋育郎

    安齋参考人 私もいまの中島氏の意見にそのまま賛成いたしますが、先ほど申しましたように、私もいろいろな問題が放置されたままで、このまま原子力発電開発が行なわれるならば、火力発電所との比較というような時点においても、決してどちらが安全だとか安全でないとかという議論にならないというふうに思います。しかも火力発電というもの自体が、硫黄酸化物等をたれ流した状態で操業されている、そういう危険なものと比較した形でこの原発の安全の問題を論ずること自体が、前提において非常に危険な側面を持っているのではないかというふうに思います。
  33. 藤本陽一

    藤本参考人 私は小野さんとほとんど同じ意見でございますが、若干追加させていただくならば、火力発電の場合には、たとえば硫黄分の少ないものを使うとか、あるいは脱硫装置をくふうするとか、そういうぐあいにして減らし得ると思いますけれども、原子力の場合には、出てくる廃棄物、要するに放射性物質ですが、その放射性物質を減らすことはできないわけであります。その廃棄物の処理ができない以上は、私は原子力発電のほうが危険であると思います。     〔原(茂)委員長代理退席、委員長着席〕
  34. 滝澤行雄

    滝澤参考人 公衆衛生の分野では、一応火力と原子力ではどちらが公害が少ないかということの論議はあまりされておりません。スウェーデンではむしろ亜硫酸ガスが周辺の緑を非常に汚染するということで、そのような、健康障害よりもささいな自然条件を汚染するという点では、かえって危惧しているような面も実際にありますが、問題は、特に石炭を当初使いまして、石炭がなくなったから重油、そして重油もすでにかれてしまうから原子力というように、無秩序に利用を進めているわけですが、廃棄物の処理が解決しない限りは、火力が原子力より公害が少ないということは言えないというように私は思います。
  35. 都甲泰正

    都甲参考人 原子力と火力の公害問題を議論しようといたしますと、やはり全サイクル、原子力でいいますと、ウランを掘るところから、再処理あるいは廃棄物の処分まで全サイクル、石油でいいますと、石油を掘るところから、運んでまいりまして、それを燃やすところまで全部をひっくるめて考えないといけないと思うのでございますが、もし原子力発電所と火力発電所と限って議論をいたすといたしますと、これは間違いなく原子力発電所が非常に有利である。その理由と申しますのは、処理するガスの量、気体の量あるいは流体の量、石油で処理するといたしましても、その量がまるで違います。そのために、これは原理的に原子力のほうがはるかにとりやすいということだろうと思います。ただ温排水問題は、宿命的に原子力発電所のほうが不利でございますので、この辺に対する検討は今後も必要であろう、そのように考えております。
  36. 江藤秀雄

    ○江藤説明員 私、先ほども申し上げましたように、どうも科学技術のことは、何も能がないものですからお答えにならないと思うのでございますけれども、私ども低線量域において、たとえば発ガンの問題を放射線で取り扱っておりますときに問題になるのは、放射線以外の有害な物質が一体どうなっているんだろうか、その影響がわからなければ、もはや放射線の影響を論じられないというのが大体私どもの意見でございます。したがって、放射線でやりましたような、できないながらも、少なくとも生物に関するいわゆる線量効果関係に似たようなものをほかのものでそれだけの努力をしていただきませんと、生物学的な影響としてはちょっと比較ができかねる。つまり、それだけの解明をやはりやっていただきたい、こう思っておるのでございます。
  37. 木野晴夫

    ○木野委員 ただいま申し上げましたとおり、非常に与件がありまして、条件その他あっての話でありますから、私の質問自体が、非常に簡単過ぎてお答えになれない、問題としてもおかしいんじゃないかという方があるかと思いますが、一応問題点をお聞きしたわけでございます。  その次に、お聞きしたい点は、先般私も旅行しておりましたら、鉄橋がありまして、その鉄橋はどんな大きな地震があってもだいじょうぶだということで、そのために相当金がかかっているんだという話をしておったのでございますが、ある人が来まして、あれは力学か発達していなかったからあんなものをつくったんで、いまではまあ遺物みたいなもんだという話でございました。  私たちいろいろ事故を考えます場合に、仮想事故を考えるわけでありますが、ちゃんとした理論と対策さえ練ってあれば心配要らないんでしょうけれども、しかしながら、そういった知識が不十分なために、どんな事故があってもということで、いろいろ事故想定するわけでございます。原子力委員会におきまして立地その他いたします場合にも、相当な事故を考えてでございますが、いまこういった安全性を議論いたします場合に、大きな仮想事故、どんなものがあるかというんでありますが、日本のほうでここら辺まで考えておる——私またよく科学技術庁に聞きますと、もうあらゆる事故を考えているんだと言うておるわけでありますが、皆さん方が考えられて、実はこういった事故が抜けているんだというのがありましたら言っていただきたいと思います。仮想事故ですね、科学技術庁では全部見ているんだと言っておりますが、実はこういった点が抜けているんだ、ないしは外国から比べてこういった点か抜けているんだというのがありましたら、参考までに聞かしていただきたい。どなたでもけっこうでございます。
  38. 内田秀雄

    内田参考人 その前に私見を申させていただきたいのです。  いま地震の問題のお話がありましたので、原子炉の安全を確保するために地震に対してどういうふうに考えているかを一言申させていただきたいと思います。  先ほどの説明のときには地震を申しませんでしたけれども、地震に対しましては、現地におきます過去の記録等を十分に調査いたしまして、まず設計上これだけ見れば十分過酷であるという地震をとらえまして、それを解析の前提にいたしましたのが設計地震と一口にいっております。その設計地震について原子炉施設全体がびくともしないという対策を立てているわけであります。  その設計地震と申しますのは、一般の建物であります、建築基準法に示されております地震動の約三倍といってよいと思いますし、また動的な解析もしておりますので、非常な信頼性の置ける解析値と思います。さらに、そういう設計地震の一・五倍に相当する地震動があったと考えましても、格納容器とかあるいは原子炉停止系というような非常に重要なものは機能を失わないような対策を立てております。それか大体の耐震設計基本の精神でございます。  それから、いま先生かおっしゃいました最大仮想事故において何が落ちているかということでありますけれども、最大仮想事故として先生が何を伺っていらっしゃるかちょっとわからないのでありますが、私、先ほど申し上げましたのは、原子炉施設に考えられますあらゆる事故想定しまして、その想定の中で最も大きな放射線影響を人に与えるかもしれないというものを取り上げて、それが重大事故であり、仮想事故でありまして、それは立地審査指針の精神をくんだ仮想事故であります。それに対して十分の工学的安全対策と、また放射線影響に対しましては、障害とか災害を与えないという安全目標を達成することを目標にしているわけでありますので、審査会としますと、立地審査指針の精神をくんでいる限りにおきましては、十分の仮想事故をそこに持っていると思います。その考え方は、大体国際的にも合っているんじゃないかと思っております。
  39. 木野晴夫

    ○木野委員 あと一点お聞きしたいと思いますが、それは先ほど申しました周辺地帯整備法というものをばいま国会で審議しているのでございます。原子力の場合には、その周辺地帯と、それにつきまして道路、港湾その他を整備しようというのが法案の内容でございます。先ほど参考人の皆さんからお話しございました、いろいろモニターの機械を入れるとかそういったのは、これは国がやるわけでありまして、周辺地帯整備法でやろうとしておりますのは、道路とかそういった周辺地帯の整備ということで取り上げていると思うのであります。  それで、時間がございませんので、一番初めにこの点を取り上げられた内田参考人にお伺いしますが、周辺といったときにどういった基準が考えられるか。周辺地帯整備法では、道路とか港湾とか、そういったことをいろいろやろうとしておりますが、いわゆる周辺地帯でいろいろしなければいかぬという周辺といったのは、一応その基準なりなには考えられるかどうか、それについての意見を聞かしていただきたいと思うのです。
  40. 内田秀雄

    内田参考人 その前にお断わりいたしたいと思いますのは、私もほかで意見を申し上げたことがございますが、原子炉安全というものをどういうふうに考えるかということでありまして、安全専門審査会の一員として考えます原子炉安全といいますのは、人に及ぼす放射線影響と、それを防護するための工学的安全施設だけを取り上げているわけでありまして、そういう見方で見た場合には、敷地の周辺に対しての環境問題等は、もちろんこれは審査の対象になっております。そういうような環境を含めました審査の対象を取り上げまして、想定事故の場合に、放射線障害災害を与えないということでありますので、現在までの設置許可に対しての報告を出しました原子力発電所は、設置許可の時点で認められました申請書のとおりに設計、工事され、さらに管理されておれば、敷地の周辺に対して有意義な放射線の影響があるとは思っておりません。それでありますから、先生がおっしゃいました周辺に対しての問題は、審査会の考えております原子力安全とはちょっと違うと思います。  ただ、周辺に関する放射能のモニターの問題、あるいは放射線のモニターの問題がもし御質問の中に入っておりますとすれば、それはむしろ宮永委員あるいは他の参考人からお話ししていただけると思います。
  41. 木野晴夫

    ○木野委員 時間がございませんので、私の質問を終わりたいと思いますが、この原子力発電につきましては、平和利用を行なうものであり、またエネルギーの点からもこれは大事な問題であるわけであります。ところが、私もこういった科学の知識にうといものでありますし、また国民全体も、原子力といいますと何かおっかないものだというようなことでおるわけであります。したがいまして、安全といった場合に、皆さん方のほうで、百万分の一だけと、こういう話をするとそれは安全だとわかるわけでありますが、われわれは逆に、それはおそろしいものだ、こうなるわけでありまして、そういった点の判断は、皆さん方は皆さん方なりに、私らもできるだけ科学的にこれから判断していくということでいきたいと思うわけであります。  ただいま周辺ということにつきましてお聞きしましたのも、これまたベルギーに行ったときに、向こうの人たちは非常に自信を持ってやっておった。そして、わりあいに広くそれをとってある、そういった点にあるのではなかろうかと思うわけでありまして、科学的な面から、地帯としてはこれだけだ、それからまた、そういった発電が来たところは環境も相当広く整備してあるというふうにしてあるとか、いろいろ必要ではなかろうかと思いますので聞いたわけでございます。もう時間がございませんので私の質問は終わりますが、先ほど申しましたとおり、この大事な問題に各参考人それぞれ専門立場からいろいろ話を聞かせていただいて、皆さん方の考え方を聞きまして非常に勉強になったと思うわけであります。私の質問はこれで終わります。
  42. 石野久男

    石野委員長 次に、原茂君。
  43. 原茂

    ○原(茂)委員 私自身に実は時間がありませんのと、持ち時間もあらかじめ話し合いで非常に短うございますので、私の第一回の質問いたしました後は嶋崎委員に関連して質問を続けていただきます。あらかじめ委員長御了承いただきます。  原子力を中心にきょう先生方の御意見をお伺いするわけですが、私どもの立場からいいましても、原子力の平和利用ということはぜひやらなければいけない重要な課題だと思うのであります。ただ、この原子力の利用されるときに、国民的な側から言いますなら、ずばり言って、やはり地域住民あるいは国民全体の側の利益が中心でなければいけないということが前提になると思うのであります。  きょうも先生方の御意見をお伺いしておりますと、私自身がしろうとでよくわかりませんが、どうも不十分な研究なり資料のもとで、まあこのくらいならだいじょうぶだとおっしゃるような先生方の御意見に受け取れる。あるいはまた、非常にきびしく、私どもが心配しているところを、まだ突っ込んで完全なものにしない限りは、そう簡単に原子力の平和利用というものに乗っかってはいけないというような、大ざっぱに言うと二つの御意見が出たように思うのであります。  たとえば、いま内田先生の御意見をお伺いしておりましても、いわゆる想定事故ということをお話しになられたわけですが、一体、想定事故というものを確かに想定するんですが、わが国における想定事故を前提とした研究、それに対する日本的な先生方の集めた資料というものが十分にあって、しかも想定事故といった場合に、こういった想定があったときにこれだけの研究がすでにできている、だからその想定事故のこれとこれに関してはまずまずだいじょうぶだと思うというようなことが、自信をもっておっしゃることができるほどに、研究なりあるいはそういう意味の深く掘り下げた日本における基幹的な体制なりができているとお思いになるのかという点も、やはり先生の御意見を聞いている中で一つ私の疑問になったわけであります。  また、宮永先生の御意見をお伺いしておりましても、いろいろと最初に想定した数値があったが、実際に行なってきたときの数値は非常にそれよりも低い。したがって、何か十分なとは言わないまでも、安全性という点ではまあまあいいと考えておられるようにお聞きをしたわけでありますが、はたして宮永先生中心のいままでのわが国における非常に歴史の浅い東海におけるいろいろな研究なりというようなものだけで十分、だからこの数値に基づいて安全だ、こういうふうに言い切れる状況なのか。一体、そういう点がわれわれの側から見て、もうとにかく国民に向かって心配するな、十分だいじょうぶだ、こう言えるだけの資料なりあるいは研究体制がすでにでき上がっていると確信がある、こういうふうにお考えになっておられるのかという点も、非常に心配になるわけであります。  あるいは、お聞きするところ、都甲先生のお考えの中心になっておりますのは、たとえば原子力発電を考えるにしても、利益と安全性というもののバランスが大事であるというようにお考えになっていることをものに書かれておいでになりますが、私どもが考えたときに、およそ地域住民なり国民の側の利益を中心に原子力の平和利用を考えるというときに、国民の側が、利益と安全性をそのバランスの上で考えられてたまるか、私も一国民としてはそんな感じが率直にするわけですが、きょうは時間がありませんので、そういう問題のこまかいことをいま私から申し上げることはできないのですが、こういうような疑問を、お聞きしている間に幾多持ちました。  こういうことを中心に、これは私どもの立場からいって、ぜひここで小野先生なり中島先生あるいは藤本先生の、いままで各先生方がおっしゃったことについて、それに対する私のいま疑問を持ちましたその疑問との関連で、ひとつ御意見があったらお聞かせをいただきたい。先生方がずらり並んでおりまして、いろいろ言いにくいこともおありかと思いますが、貴重な時間でございますので、端的に、御遠慮なしにひとつそういった御意見をお伺いしたいと思いますし、私がいま申し上げた内田先生なり宮永先生なり、たとえばと申し上げたんですが、両先生からも御意見があるなら、私の疑問にお答えをいただく意味の御発言をいただいてもけっこうだ、こういうふうに思いますのが第一点。  第二点はいま原子力に関する限り、わが国は世界でもまれな自主、民主、公開というのを原則にして推進をしているわけであります。たいへんこれは貴重なことでありますし、大事な三原則だと思うんですが、はたして研究をされる学者先生の側からいって、わが国の自主、民主、公開というものが完全に先生方に対してそのとおり行なわれているかどうか、外国に対してではない、国内における中心的な研究をする先生方の側からいって、一切わが国におけるその資料なりすべて公開されて自由に点検ができるようになっているのかどうか、こういう点をずばり先生方からお伺いをしたいと思うのでありまして、これは非常に重要でございます。いろんな研究をやった安全審査会でどういう審査をしたかというようなときに、その審査をしたプロセスというようなものまでが十分に先生方に公開されていない限り、実は完全な資料とはいえないのであります。公開されたとはいえないし、十分な、全部の先生方が甲乙なしにあらゆる資料が提供されて、その上でおのおのの御意見が生まれてくる、ディスカスが行なわれるということが非常に学問の進歩に必要だと思うのですが、その意味を前提にして、はたして自主、民主、公開といわれるわが国における資料、あるいは研究の経過、審査の経過等を含めた資料が十分に公開され、手に入り、先生方の研究のかてとなっているのかどうかを二つ目にお答えをいただくようにいたしまして、あとは嶋崎委員に関連して譲ることにいたしますので、そのように取り計らいをいただきたい。
  44. 中島篤之助

    ○中島参考人 あと小野先生、藤本先生からもお話があると思いますので、非常に端的にまず私の意見を申したいと思うのです。  先ほど自民党の木野先生が御質問になりまして、最大想定事故というようなことについて科学技術庁に聞くと、あらゆる事故を考えているからとおっしゃるわけです。実は、われわれがきょう国会なんかで一番要望したい点というのは、科学技術庁であらゆることを検討されていることがわれわれにはわからない。それをやっぱりわれわれにもわかるようにしてほしい、こういう問題であります。それがただいまの原先生の御質問にも端的に出ておると思うのですが、実はお手元にきょう配付いたしました東海号炉安全性検討に関する資料でも、実は私などは原子力研究所におりますので、米国での安全審査資料は、これはマイクロフィルムでありますけれども、全部読むことができます。つまり、これはマイクロリーダーで読まなければいけませんのでたいへん読みにくいのですけれども、とにかく、たとえば一番新しい同系統ナンバーで三六九は、たとえばニューボルト発電所である、三七〇がPWのどこでしたかちょっと忘れました、というようなぐあいで、これは数千ページにわたる設置者の申請書類も、それからそれに対する途中のいろいろな安全審査のやりとりも、どういう考え方でやっているのかというようなことも、一応われわれは時間をかけて研究すれば、現在アメリカ原子力委員会がどういう考え方でやっておるかということは一応わかります。それから、たとえば七〇年の、最近の基準が官報でいわゆるCFR何番というようなやつで出てくる、それも見ることができます。ところが、私どもが知りたいのは、日本でおやりになっていることが、私のように原子力研究所にいる者にもわからないということであります。それを知ることができるのは、きょうここにいらっしゃる安全審査に関係しておられる先生方は、きっと何かハンドブックなり、どういうハンドブックを使ってやるかどうかはもちろん知っておやりになっていると思うのですけれども、われわれが見ることができますのは、結果として出てきたこういう非常に簡単な安全審査書類ですね、これだけからいろいろな推定をしなければわからない。たぶんアメリカと同じことをやっておられるだろうとは思いますけれども、そうだという話は聞いたことがございません。その辺が一番問題であろうかと思います。  これは先ほどおっしゃいました公開原則といいますか、たとえば安全の問題というのは、私の考えによれば、どうして保障されるかといえば、とにかくそういうことが日本じゅうの科学者の前に公平に公開されて、そして現状ではここら辺までなんだということがわかれば、現在の技術ではここまで安全だという、そういう意味を持っている。公開原則というのはそういう意味を持っているのでありまして、それが秘密になっていたのでは、どうしても一方の側の意見を聞けということにとどまると言われてもしかたがないことになるということを私は申し上げておきたい。これは現在の三原則の解釈にとって非常に大事な問題であると考えますので申し上げさせていただきました。どうもありがとうございました。
  45. 小野周

    小野参考人 ただいま中島参考人が言われたとおりでありますけれども、実は私たちも、現在安全審査がどのようにやられておるかということはわかっていないのですが、公開とは何であるかということをここでもう少し突っ込んで考えてみますと、現在一般的な科学技術情報については、論文というものは、その論文を読んだだけでもう一度フォローして再現することが論文における科学技術情報ということを言われているわけでありますが、現在日本原子力委員会で行なわれている審査についてはそういうふうな情報はない。これはわれわれはそういうものは、いわゆる学術情報に関してはこれは秘密ということにしかならないのではないかと思うわけであります。結果は一応わかっております。  それから、先ほど確率の問題が出ましたけれども、これにつきましては、七一年のジュネーブ会議にドイツとそれからアメリカから論文が出ておりまして、ドイツのはバーコッファー、それからアメリカのはペックその他の人の論文でありますけれども、その中に、先ほども言いました確率、非常に多数の人を殺傷するような事故というものは、実はまだ経験の蓄積からいって、確率ということを考えるにはまだ問題にならないということ。それから、ドイツのほうでも、同じように確率モデルを適用するということにはいろいろな条件があるけれども、そういう条件は満たされていないというふうなことがあります。ですからわれわれは、まだ確率ということばを、確率とは何であるかという問題になるわけでありますけれども、確率の問題について先ほどお尋ねございましたのですが、私はまだほんとうの意味の数にする確率ということは、原子炉に関する大事故では現在では言えないと思います。
  46. 藤本陽一

    藤本参考人 中島さんの意見も、中島さんの意見のみならず状況も私たちと全く同じでありまして、それに若干追加して、具体的に一体どういう種類のものがわれわれはほしいかということを簡単に言いたいと思います。  それは、きょうの陳述でおわかりになったと思いますが、内田さんの御意見と私の意見とはかなり違うわけで、仮定は同じ一次冷却材喪失事故でありながら、結果もずいぶん違うわけであります。問題は、たとえば一次冷却材喪失したときに炉内は一体どういう状況になっているか。私は残念ながらそういう実験をしたことがございませんので知りませんから、唯一わかるのはアメリカ資料ということになりますが、私きょうここへ持ってきたのは、MITのケンドール教授以下の方々がやられた一次冷却材喪失のときの炉内の状況はどうかということをちょっと読ましていただきますと「冷却材喪失後、燃料ピンの表面は、内部の高熱と核分裂生成物による継続的加熱の両方によって急激に高温になりはじめる。十〜十五秒のうちに燃料の損傷が始まり、一分以内に被覆管は溶け、燃料ピン自体も溶け始める。この最初の一分間のうちに緊急炉心冷却装置効果的に働かなければ、」内田さんも私も、緊急冷却装置が働かないことを仮定しているわけでありますが、「働かなければ、全炉心燃料、支持構造材は溶け始め、原子炉容器の底に落ち込む。この段階で水を注入すると被害は一層大きくなるだろう。というのは、溶けたばかりの金属は水と激しく反応して大量の熱を発生し、蒸気と水素を大量に放出し、格納容器を吹き飛ばし得るほどの圧力になるからである。……核分裂生成物の約二〇%はガス状であり、これらは炉心溶融によって、液体状になった炉心から全て放出されてしまう。もし格納容器が爆発しないとしても、燃料や構造材の溶けた塊は、核分裂生成物の放射能によって熱を供給されて、下に落ち続ける。事故のこの段階においては、溶融を止めるのに充分な工学技術は全然存在しない——制御不可能なのである。」私は、これは大体こうであろうと思います。こういう時期に、お考えになってわかると思いますが、格納容器のほうがはるかに、スプレーとかフィルターとかそういうものよりかは格納容器のほうがはるかにがんじょうな、信頼できる安全装置であると思います。アメリカも実際そう考えているわけでございます。その格納容器さえ爆発しかねないような状況のときに、そのフィルターがどうして働くのか、それに対する根拠はどこにあるのかということを私たちは知りたいわけでございますが、そういうことの実験的な情報というものはどこをさがしても手に入れることができない。ただ結論として、フィルターは作動すると一言書いてあるだけなのでございます。
  47. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 関連。実は私が最初に質問したい問題点について、藤本先生から回答の方向みたいなものを出していただいたわけですけれども、一ヵ月ほど前のこの科学技術特別委員会で、藤本論文に対して原子力局が出した回答について二、三討論をして、そして政府側に資料を要求しております。ところが、その資料はきょうあわてて下さったのですけれども、一つもお役に立ちません。こういう資料です。こういう資料を要求しているのではなくて、いま藤本先生がおっしゃいましたように、この前の質問の中にもあっていますように、第一次冷却水喪失するというような事故に際して、炉内には放射性物質がどのようにどの程度内蔵されていて、それぞれの放射性物質がどういう形でどの程度放出していくのかというようなことについての、安全審査会で審査している過程に関する日本での資料、そういうものが手に入らないかどうかということをお願いしているわけであります。そういうわけで、先ほど都甲先生がおっしゃいましたように、アメリカではLOFT計画からECCSが非常に精巧な機能をするという時期があって、そして一九七一年あたりを境にして、アメリカでまたこのECCSが機能しないということを想定しながら仮想事故に対する対応、そういうような設計というものをどういうふうにしていかなければならぬかというふうに考えられてきているやに聞いております。  最初にちょっと藤本先生にお伺いしたいのですけれども、一九七〇年のセーフティーガイドの時点では、ECCSの信頼度が非常に高いことを前提にしているというふうに考えていいと思うのです。その後ECCSの信頼度が低くなってきて、前回私が委員会で質問しましたときにも、原子力局成田政府委員はこういうふうに答えています。  「従来はECCSが燃料棒破損、ブローダウン中には機能するという前提でやってまいりましたが、一昨年のアメリカのアイダホの実験等で、これの機能に対する懸念があらわれましたので、これはアメリカでもいろいろその後実験研究もやり、日本でも安全審査会を中心にいろいろな検討をやって、そしてその後日本では、冷却材喪失事故時にブローダウン中の瞬間においてはECCS  の機能が発揮しないという前提で審査を現在はやっておるのであります。」こう政府委員は答えております。そうしますと、このECCSが機能しないという、第一次冷却水喪失するというような大きな事故の場合、問題になるのはフィルタースプレー機能ということになってくると思います。  そこで、藤本先生と内田さんにお伺いするのですけれども、仮想事故時にフィルタースプレーが十分に作動するという仮定は危険ではないだろうかという点について、藤本先生の意見内田さんの安全審査会における考え方と両方お聞きしたいと思います。
  48. 藤本陽一

    藤本参考人 私の論文は、アメリカの古い考え方のとおりであるというような批判を受けたわけでございますので、それにあわせて答えるかっこうで答弁させていただきたいと思います。  アメリカの初期の考え方はどういうふうに考えたかと言うと、もちろん都甲さんもきょうおっしゃいましたけれども、ECCSはなかったわけで、あるいはあってもあまり信頼をしないという立場でございました。  そういう状況のときに、アメリカは何を信頼したかと申しますと、一番信頼したのは要するに土地です。立地条件。遠くにいれば放射能は来ないですから、立地条件と、その次に信頼したのはコンテナ、おおいでございます。それ以外のことは信頼しておらぬのでございます。だから、フィルターとかあるいはスプレーとか、そういうような種類のものの効果仮定していない。私はそれは正しい態度だと思いますし、それと同じような考え方でこの論文を書いたわけでございます。  問題は、現在アメリカはどうなっているかということでございますけれども、これは、きょうここに持ってまいりましたのは一九七一年の国連の原子力平和利用の国際会議で、アメリカ原子力関係の当局者のいまセーフティーをどういうふうに考えているかという論文でございますけれども、それにも全くそういうふうに書いてあって、要するに昔はコンテナとそれから立地条件だけでやっていた。ところが、いまはもう全力をとにかくECCSに置いているんだ、そういうことでございます。だから、そのECCSに対する作動に疑点が出たわけでございますから、ぼくは当然昔の考え方がまた一番正しい新しい考え方であるということになると思います。  また、追加で私の意見を言わせていただきたいと思いますが、当面は決して、私のは古いアメリカ考え方ではなしに、ECCSに最重点を置いたそのときには、たとえばアメリカのセーフティーガイドのみならず、アメリカの実際の審査報告書を読むことができます。それは非常にありがたいことでありますけれども、それを見ると、ECCSが作動したときには一体炉内の温度、圧力がどうなるかということを克明に計算して、したがってそのとおりであるならば、ぼくはフィルタースプレーも動くであろうと思いますけれども、問題は、それの計算コードの基礎となった数値がLOFT計画の失敗で信頼性を失ったという点にあるわけでございます。
  49. 内田秀雄

    内田参考人 御説明申し上げますが、成田局長が御答弁になっている内容でありますけれども、一口にECCSと申しますけれども、ECCSには内容が非常に複雑な系統がございまして、蓄圧注入系、低圧注入系、高圧注入系、コアスプレー等がございます。また、工学的安全施設全体としますと、コンテナスプレー格納容器スプレー格納容器内の圧力、温度の低減装置として大事な問題であります。でありますから、成田局長の御答弁になっている問題、あるいは先ほど都甲参考人お話しになりましたアイダホにおける実験で不作動であったというのは、ECCSのうちの蓄圧注入系に相当するものだけを取り上げているわけであります。これは加圧水型の炉についてでございまして、成田局長の答弁のように、加圧水型のブローダウン中には蓄圧注入系が働かない、その性能を無視したということで私たち評価しております。その点を成田局長は御答弁になっているんだと思います。でありますから、蓄圧注入系以外のもの、すなわちブローダウンが終わりましてから、リフィルという水づけになる前提がございまして、それからリフラッドする問題があります。それからコアスプレーの問題もありますが、そういうような系統は、これは十分に実験とかあるいは理論によってもいままで性能なり機能が確認されていますので、それは効果に入れております。したがいまして、一次冷却系の破断という大きな事故がありましても、格納容器内の温度がそう爆発的に大きくなるとは私たちは思っておりません。  それから、フィルターの問題でありますけれども、フィルターにもいろいろありますが、主として問題になりますのは格納容器の外にフィルター施設が置いてございますので、そこにはそう大きな温度の高いものが来るわけではないわけであります。  それから一般に、フィルターも含めまして安全施設が作動するとかしないとかいう問題でありますが、これは幾つかの系統がありまして、その全部が作動するとは私たち考えておりませんので、非常に安全側に考えまして、少なくとも一つは作動しなくてもよい、作動しなくてもどうであろうかということであります。それから作動したものの性能になりましても、これが設計上確認されております性能を十分にクレジットを与えているわけではございませんで、控え目な性能を与えているわけであります。すなわち、たとえばフィルターの問題でありましても、大体私たちは九〇%の除去効率しか認めておりませんが、これはアメリカの審査の場合には、場合によりますと、ものによっても違うと思いますけれども、九〇ないし九五%、九九%の性能まで認めているということも聞いておりますので、決して私たちの九〇%のフィルターの除去効率というものは非常に信頼性のないものとは思っておりません。
  50. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 それで、ちょっと時間の関係もありますからお聞きしますけれども、たとえば、さっきから問題になっている大地震のような場合ですね。たとえば四国の伊方なんかでは、地震研究所では、地震帯があって地震の可能性があるというようなことが問題になって非常に危惧されている。そういうようなことを想定して、大地震で冷却材のパイプが破断してその仮想事故に至ったような場合に、地震によってフィルタースプレー機能が停止するというようなことはあり得ないかどうか。安全審査の場合にその点はどう判断をしたか。また、西ドイツでいわれているような、飛行機が墜落したような場合、そういう場合の格納容器だとか原子炉安全性というものを、現在安全審査委員会では検討していらっしゃるのかどうか。その点はいかがですか。
  51. 内田秀雄

    内田参考人 いまの先生の質問の中にございましたように、冷却系の破断の問題でありますけれども、先ほど、最初私が申し上げました冷却材喪失事故は、冷却系の大きな瞬時破断出発点として考えておりますが、その冷却系の配管圧力バウンダリーといっておりますが、これは生産における工程管理も厳密でありますし、また、つくりましてからも、定期的な検査ばかりでなしに、運転中にも、そのわずかな漏洩まで検出装置をつけて常に監視しております。  それから、先ほど原先生からの質問のときに申し上げましたように、非常に大きく過酷な地震に対しても冷却系がこわれないというような設計をもちろんしているわけでございます。でありますので、冷却系の破断という出発点は、では何で起こるかということでありますけれども、私たちは、大きな地震があったことによって破断が起こるというふうには考えておりません。したがいまして、たとえばそれに対してはどういうふうに考えているかというわけでありますが、設計の地震あるいはそれの一・五倍の地震について十分機能を果たせるように技術的な対策を立てておるわけでありますけれども、大きな地震がまいりますと、その設計地震の以前におきましてシャットダウン、原子炉をとめておるわけであります。でありますから、大きな地震によってパイプが破断するということを考えなくてよいとも思いますし、また、冷却材喪失事故に基因する事故原因から波及並びに災害に至る一連の事故が、大きな地震によって起こるものであるとは私たちは思っておりませんし、そうは思わなくてよいと思っております。  それからもう一つ……。
  52. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 ちょっと時間がきたそうでして、あとでもう一度くるっと一回りしたときに再度また質問をさせていただきます。
  53. 石野久男

    石野委員長 次に、瀬崎博義君。
  54. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 私どもは、火力がいいのか原子力がいいのか、どっちが安全で有利かなどというふうな単純な評価ができ得るような時点まで研究が進んでいるのならば、あえてこういう席にお忙しい先生方に御足労をわずらわす必要はなかったと思うのですが、いずれにいたしましても、人類の英知が開発した原子力エネルギーを、真に平和利用して、社会の発展としあわせのために利用していく道を見出すという意味で、いろいろとわれわれも勉強さしていただこうということになっております。そういう趣旨をひとつ御理解をいただいて、しかも時間がたいへん限られておりますので、簡単でわかりよい御答弁を恐縮ながらお願いしたいと思うのです。  そこで、まず前提として科学技術庁のほうに二つお尋ねをして、先生方への質問にしたいと思うのです。これも簡単に答えてほしいわけです。  その一つは、先ほど安齋先生の質問で、原子力発電の開発計画全体のシステムが不明ではないか、特に昭和六十年度で六千万キロワットにも及ぶ原子力発電が計画されているにかかわらず、それの核燃料廃棄処理の計画は全く立っていない、廃炉の処理についても同じことだ、こういう趣旨の御発言があったわけですが、それに対する政府側の答弁をまず求めたいのです。
  55. 成田壽治

    ○成田政府委員 原子力委員会の長期計画によりますと、昭和六十年度六千万キロワット、これによって使用廃棄物が相当たまるわけでありますが、いまこれを四十七年度から予算をとって緊急開発をやっております。長期計画によりますと、五十年代の初めごろまでに見当をつける、それまでは構内に安全に保管しておくという考え方でありまして、いまのところそういう考え方で問題ないというふうに考えております。
  56. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 もう一つ技術庁のほうに質問します。  先ほどから中島先生、藤本先生あたりから御指摘のある、公開原則政府自身が守っていないではないか、学者自身が必要としている資料公開されていないという点について御意見が出ておりますが、その点についての答弁を願いたいと思います。
  57. 成田壽治

    ○成田政府委員 公開原則は、原子力基本法の平和三原則の大きな一つ要素でありまして、われわれ原子力行政をやる上で最も尊重すべき問題だと思います。したがって、われわれは、公開原則を十分守ってきておりますが、さらに最近、国民の理解と協力を得るために、資料公開等も、例外の場合もありますが、さらに徹底をはかりたいというふうに考えて、いろいろな措置を今年度からとっております。
  58. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 きょうは時間がありませんからこれ以上詰めませんが、いまのお話によれば、いままでは公開をしていないものもあったから、これから徹底していきたい、こういうふうな答弁と理解されるのですが……。(島本委員「そこのところをもう一ぺん聞いてくれ、そのとおりだよ」と呼ぶ)ではもう一ぺん答弁してください。皆さんの御希望ですから。
  59. 成田壽治

    ○成田政府委員 われわれは、従来も公開原則を十分守ってきておると思っております。ただ、さらに公聴会の開催について検討するとか、あるいは資料一つの部屋にまとめて閲覧に来る人に公開する部屋をつくるとか、そういうことを考えておるわけでございます。
  60. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 それでは、いま先生方の御意見について簡単ながら政府側の答弁も出ましたから、そういうことに対する御感想も含めてまたひとつ御意見を承りたいと思うのですが、一つは、原子力開発の自主的発展の問題につきましてきょう御意見をいただいている中にも、自主、民主、公開原則が曲げられているという御指摘が非常に多かった。私が読ましていただいた数少ない資料の中でも、たとえば三宅先生が「科学」の昨年十一月号でその点を指摘していらっしゃるとか、あるいはまた川上先生も同じような点を指摘されているというふうな問題が多いわけなんです。その点につきまして、日本における原子力開発の自主的発展というものが、現実、具体的にはどのように閉ざされているのか。そして現在、日本における原子力開発研究の非常なにない手になっている研究機関といいますか、体制といいますか、グループといいますか、これは一体どういうところがになっているのか。そういう点につきまして、まず中島先生あたりから御意見を承りたいと思うのです。
  61. 中島篤之助

    ○中島参考人 いま御質問の点でありますが、実はきょうここにいらっしゃっております藤本先生は、かつて原子核研究所にいらっしゃったわけであります。世界の国で原子核研究所と原子力研究所が別の研究所であるというのは、これはほんとうは非常に奇妙な話なんであります。これに至るには実は歴史がございまして、日本原子力を始める前に、当時国立大学協会の協会長をしておられました矢内原先生が申し入れ書をおつくりになりまして、たしか国会の決議で、科学技術庁は大学関係の研究には口を出さない、これは実は大学の自治を守るためにつくった法律といいますか、附帯決議であったわけなんです。それが率直に申しますとたいへん妙なぐあいに生かされまして、まあ失言があったら御容赦を願いますが、科学技術庁のほうでは基礎研究をやらないような、どうも口実にされたように私は思いますし、今度は大学の方は少し具体的な問題、たとえば八期の学術会議で、大学の原子力工学科の関係の方々がいろいろな将来計画をおつくりになりましても、それを実現することが実は非常にむずかしいというような問題がある。これは言いかえますと、大学関係の研究者の能力あるいは日本じゅうの研究能力が、正しく総合的に生かされるようになっておらないという基本問題がまずあるということを私申し上げたいと思うのです。  そして、実は私がさっき環境放射能研究所あるいは放射線障害基礎研究所のことについて触れましたけれども、これは学術会議では、やはり科学者の討議を経てつくられた計画であるということで、法律的にも、日本学術会議日本科学者を内外に代表する機関であるということが規定されているということを考えていただきますと、こういうものがどういうわけかわからぬけれども放置されていて、しかもその研究計画をやるというのは非常におかしいということをまず申し上げたいのです。これは学術会議の会員として申し上げることであります。  それから次に、今度は原子力研究所についてでありますけれども、これは科学技術庁側の研究所の、あるいは科学技術庁だけじゃなくて、国立研究機関全体に起こっている最近の非常に大きな欠陥として、研究者の主体的な権利と申しますか、自主的な権利というものが、行政対応であるとかいうようなことのために、非常に無視される傾向がある。これは非常に大きな問題であります。  二つありまして、もう少し正確に申しますと、研究機関それ自体の独自性と研究者の権利ですね、これが侵害されるようなケースが非常に多い。具体的に申しますと、たとえばきょう問題になっておりますECCSに関連して、炉内の状況がどうかというようなことをやるために、原子力研究所では五月一日付で安全工学部というのができました。ところが、御承知のようにここ数年にわたりまして、原子力研究所には人員の増加がございません。定員の増が認められておりません。でありますから、結局現在ある人員をやりくりして、その工学部をつくるということになりますから、これは、結果として全体の研究に対して非常に大きなひずみを引き起こす。私は、原子力研究所が安全研究をやることは、これは国民の要求でありますから当然やるべきだと思うのですけれども、そういう形でやることは非常に問題があるということを申し上げておきたいと思います。  簡単でありますが……。
  62. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 自主的な研究開発の問題とからんで、特に日本原子力開発は、アメリカに従属する度合いが強いということやら、また日本の国内においても、原研以外に、特に財閥を中心とした、たとえば三菱系、三井系とか富士・三和・日立系とか、あるいは第一・富士電機系とか住友系とかいうふうな、財閥グループの研究機関かなかなか幅をきかしているというふうな点で、とかく軽水炉を中心にどんどん、どんどん実用化がはかられる。もしもこれが自主的な研究開発という立場がとられていると、また違った多面的な原子炉開発も行なわれるのではないかというふうな意見も聞いているわけなんですが、そういう点につきまして、再度中島先生に御意見を承りたいと思うのです。
  63. 中島篤之助

    ○中島参考人 さっき申し上げるべきだったのですが、確かに軽水炉は、現在、何といいますか、世界じゅうで採用されてはおりますけれども、これは決して原子力発電の最終形式でもなければ、あるいはこれが一番いいものだというものではないと私は考えております。その証拠に、次代の炉として、これは科学技術庁で高速増殖炉の開発をやっておられるわけでありますし、新型転換炉の開発もやっておられる。それから、原子力研究所では高温ガス炉というような問題も取り上げることになっておる。そういうものが、実は研究計画としてちゃんと研究者、科学者によって吟味されるのでなくて、発電計画だけが一方的に進行していくというところに、現在の原子力問題の非常に大きな矛盾と申しますか、問題があるというふうに考えます。  ですから、もっともっといろいろな炉型がありますし、私がきょうあえて原子炉の問題に触れないで、再処理工場の問題に触れましたのも、そういうふうに総合的に考えなければいけないという、いままでの火力発電とは質的に違ったシステムといいますか、とにかく総合的に考えなければならない内容を持った技術だということをお考えいただきたいと思います。
  64. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 そういうことになりますと、原子力発電の安全性という問題も、現在考えられているECCSなどを中心とした安全性研究の問題から、もっともっと幅の広いものになっていくのではないかと思うのですが、そういうふうな研究、安全そのものの幅広い研究体制というものが、実際に現在学者の皆さんの間で行なわれているのでしょうか。そういう現状につきまして、どなたにお答えいただくのがいいのか存じませんが、御相談をいただきましてお答え願いたい。
  65. 安齋育郎

    安齋参考人 いま御質問にありましたように、原子力発電の安全の問題というものは、ただ単に科学技術上の問題をめぐる議論だけではないと私は思います。そういう点で、安全に対する総合的な配慮がわが国において行なわれているとは私は思いませんが、私個人、日本科学会議という自然科学者、社会科学者八千名の会員を擁する学界組織での原発問題研究委員会の仕事を担当しておりまして、その中で、社会科学的な側面からも、自然科学的な側面からも、原子力発電問題というものは総合的に検討されなければならないということを、これまで議論の中から得てきたわけであります。その結果、われわれは原子力発電問題は、公害や災害の防止ということをめぐる科学技術上の論争、そういう観点から議論されることもきわめて重要な一環ではありますが、それ以外に、やはり総合的な、次に申し上げる六つの点検基準から点検されなければならないということだろうと思います。  簡単に申し上げますと、第一の点検基準は、自国に根ざした自主的なエネルギー開発であるのかどうかという点であります。これはただ単にエネルギー開発の問題だけではなしに、このことが、結局は自国に根ざした研究教育体制を充実させていくのかどうか、あるいは安全確保のための諸基準や、自主的な審査体制をもつくっていくのかどうかという点に関連して、きわめて重要だと思います。  第二の点検基準は、経済優先の開発であるのか、安全確保優先の開発であるのかという点でありまして、この点も、実際に開西電力等の美浜号炉で起こった事故に際しての操業優先主義的な対応というものが、事故拡大をもたらしたというような時点を考えるならば、現実の懸念となっておる。  第三の点検基準は、自主的民主的な地域開発とどう抵触するのか、しないのか。これは全国において起こっている原子力発電の問題に関して、漁業との抵触の問題というようなものは、現実に北海道の岩内等でも起こっておる問題であります。岩内の町議会の決議等は、原子力発電そのものに反対するのではないのだということを述べながらも、やはり漁業との開発の抵触の問題というものが、明確な回答が与えられていない現状では反対せざるを得ないのだという形になっておるわけです。  第四の点検基準は、軍事的な利用への歯どめが保障されているのかいないのかという点であります。この点も、わが国における原子力をめぐる軍事研究の問題、あるいは原子力の軍事利用をめぐるさまざまな、潜水艦等への応用の懸念というものがふっ切れていない現状では、はなはだ大きな問題をはらんでおると思います。  第五の点検基準は、安全性確保をめぐる、やはり科学技術上の問題ということで、これは、私も問題提起しましたような、発電所労働者あるいは周辺地域住民の問題ということがあげられるわけで、先ほど成田局長は、廃棄物の問題一つ取り上げて艇検討中である、そして、五十年代の初期には解決するであろうという、結論を前提としたようなことが行なわれておる。これは、やはり安全性をめぐる科学技術上の点ということから見ても重要な問題をはらんでいるわけです。  第六の、最後の点検基準は、それら五つの点検基準を補強する意味でも不可欠のものとして、公開原則を含む、原発開発に関する民主的な行政が実体としてあるのかどうかという点であります。  こういった六つの点検基準というものをわれわれがいまの時点で申し述べるに至ったその背景には、やはり六〇年代における圧倒的な公害の発現、そういう中で、原子力だけが例外ではあり得ないのではないかという率直な疑問から出てきたさまざまな地域住民の不安等に対して、なかなかそれを明確にするような科学的な意味での対応もなされていないできた。それからまた、地域開発の問題との抵触も現に起こってきた。それから軍事研究との関係も現実に学会等で起こってきた。そういう中で、一方では、アメリカのドル防衛との関連で、濃縮ウランの大量買い付けをてことするような開発計画がぶっつけられてきた。そして地域住民を中心とする原子力発電問題に対する不安がつのり、一方では、科学に対する不信というようなものまで不幸にも招いてきたという背景があるわけです。私は、やはり原発問題というものは、とりわけ日本の原発問題は、科学技術上の問題のみならず、こういう国会の場でも総合的な観点からの討議が必要ではないかというふうに考えます。
  66. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 いろいろといまの問題に関連してさらにお尋ねしたいのですけれども、一言だけ……。  今日の時点で六つの点検基準というものを提起されるに至った社会的な背景といいますか、片一方では、非常に住民の反対運動が広まっていくという現状、政府のほうは、逆に計画を大きくしようという態度にあるという中で、この六項目を出されているんだと思うのですけれども、これが実際にどういうことをいまの政治に期待しておられるのか、その点についてもう少し補足をしていただきたいと思うのですが……。
  67. 安齋育郎

    安齋参考人 申し述べましたように、この六つの点検基準は非常に広範な範囲を含んでいるわけであります。いまの御質問にありましたとおり、六〇年代には、先ほど説明したとおり、公害の発現というようなものを中心として、やはり地域住民の間に、これでは原子力開発というものが真の意味で発展しないのではないかという危惧があったわけであります。したがって、私は、こういった現状況にあって、実際に政府がとるべき対応というものは、やはり公開原則、民主的な開発の原則あるいは自主的な開発の原則について、きょう参考人の何人かの方が具体的な要求として掲げたようなもろもろのことを、現実一つ一つ具体的に解決していくということ以外には、やはり住民の安全の問題に関する信頼をかちえていくということはあり得ないのではないかというふうに考えるわけであります。
  68. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 きょう長官がおられるといいんですけれども欠席ですが、特に、いまの政府が六つの点検基準を総合的にやっていないことは、これははっきりしているんですが、その中のごく限られた部分についてでも、特に世論がやかましくなった点については、政治的にこたえていくというふうな姿勢と受け取れるような面が間々あるわけなんです。例を、先ほど中島先生が引き合いに出されました再処理工場の問題にとりますと、これは本委員会でも、私ではありませんでしたが、他の委員の方々の質問に対する答えという形で、核燃料の再処理工場からのクリプトン85など放射能放出をゼロにするというような決意を長官が表明する。これが新聞では、実際昭和五十年になったら放射能がゼロになるんだというふうに報道されて、おそらく読んだ人はそういう印象を受けたと思うのですね。さらに、これをじゃ、日本全国の原発に拡大していくのかという質問に対しては、また長官が、そういう決意であるというふうに答える。もちろん、そういう決意が出されるということは、これは非常にけっこうなことなんですが、もしこれが福祉面ならば、決意をして予算をつければ五万円年金が実現するというような性質のものだけれども、これはやはり高度な科学技術を伴うものですから、そういう科学技術研究の蓄積ということなしに、一長官の決意だけで、何年にそうなると言われても、まことに信頼しがたいわけなんです。ひとつそういう点を、きょうは御専門の方がいらっしゃるわけなんですから、お一人かお二人御専門立場から、この長官の決意をどう受けとめたらいいのか、御意見を承りたいと思うのですが……。
  69. 中島篤之助

    ○中島参考人 非常に端的な問題でありますからお答えしやすいと思いますが、私もさっき申しましたように、すでに昭和四十一年から四十三年にかけて、原子力研究所と当時の原子燃料公社の間で、クリプトンを取る実験をやったということを申し上げました。そういうふうな、たとえばいま排出される放射能の中で一つ問題になっております希ガスの処理につきましては、これはすでに幾つかの方法がありまして、たとえばいま使われているのは主として低温吸着の方法でありますけれども、そのほかにも溶媒抽出の方法であるとか、膜を使って取る方法であるとか、四つか五つの方法が工業的にも実績のある方法も実はあるので、これは決意じゃなくて、おやりになる気があればできることであると私どもは思います。ただ、現在その体制が、というよりも、私が非常に残念に思いますのは、かつてわれわれがそういうことを言ったときになぜ取り上げてくださらなかったかという点をたいへん残念に思うということが一つであります。  それから実は、たいへんむずかしい問題では、トリチウムであろうと思います。これは、少しクリプトンよりは希釈拡散しやすい元素であるだけに、たいへんむずかしいのじゃなかろうかというふうに思いますが、これも不可能ではない。それから液体廃棄物につきましては、これはすでに——すでにと申しますか、多段蒸発かんを使って濃縮をすれば、少なくとも十分の一程度に下げることはできるはずでありまして、これはあるいはもう動燃のほうでも考えておられるのではないかと思います。たとえば再処理工場の問題なんかについては、そういうふうにして実現可能であろうと思います。  ただ、そういうことがどうもなかなか行なわれない理由と申しますか、きょう私が最初に口述したようなことは、もう科学者としては申し上げるのが恥しいようなあたりまえの話を申し上げたのですけれども、もうちょっとそれを補足させていただきますと、百キュリーのトリチウムというのは実は非常にわずかなものであります。ところが、日本ではかつて原研が百キュリーの放射能を加速器から放出したことがございます。そのときはたいへん大きく新聞に書かれまして、関係者はたしか処分を受けたわけであります。こういうのが行政だといたしますと、動燃の再処理工場は毎日毎日二百キュリーを出すのですから、毎日二人ずつ処分を、まさかしないと思うのですけれども、論理としてはそういう妙なことになっているわけです。こんな変なことはすぐなくせいというのが私の第一に申し上げたいことであります。  次に、原子力委員会と申しますか、これは私先日、原子力委員会の方にお目にかかりまして、これは井上長官代理からじきじき言われたことですが、確かに原子力発電所をつくるにあたっては、十一ぐらいの官庁かなんか関与するんだというふうにおっしゃっていました。私、その十一の官庁がどこか知りませんが、環境庁も含めてそうなるんだそうであります。そうするとこれはなかなかたいへんなんだ。それで、あなた方は公聴会を開けとか、環境審査をやれとか非常に簡単にそうおっしゃるけれども、実際、アメリカ原子力委員会は国防もやる行政機関だけれども、日本原子力委員会は総理大臣の単なる諮問機関にすぎない。だから、各省に対する勧告権を持っているから、それを使ってせいぜい努力するけれども、なかなかそうはいかない。これはおっしゃることはそのとおりでありますけれども、実はそのぐらいはまず、私法律的なことはたいへん存じませんが、やはり原子力委員会の権限が小さくて、さっき言ったように、安全研究が不十分であるとするならば、これはそれこそこの国会で十分研究していただいて、強化をしていただく必要があるのではないか。現状ではいいわけをしておられるだけで、であるから研究もできないし、人もふやせない、こうおっしゃっているだけであります。これではたいへん困るということを私申し上げたい。とりあえずそのことが急務ではなかろうかというふうに考えます。
  70. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 とりあえずの質問の最後として、先ほどからのお話の中で、特に学者の自主的な研究が保障されていない問題とか、必要な資料が十分公開されていない問題、しかも、これについては原子力局長の答弁もいささかあいまいであったことも事実でありますが、そういうことも含めながら、そして一方では、国会の場でしばしば裏づけのない長官の決意も出てくるんですが、そういう点、安全審査会の会長として内田先生の御所見をお聞きいたしまして、また後ほどの質問にぜひお願いをしたいと思うのです。
  71. 内田秀雄

    内田参考人 いまの御質問の内容は、安全審査会とは関係のないような問題であると思います。原子炉安全専門審査会は、先ほども申し上げましたように、原子力の安全に関する客観的な判断をするという第三者の立場を堅持することが目的でございますので、いま御質問のような問題についてお答えする内容も持っておりませんし、私、個人的にもそうすぐお答えできる意見を持っておりません。
  72. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 いま盛んに、特に資料公開が十分に行なわれていないという学者先生方の御指摘があり、また成田局長の話を開いておりますと、これからは徹底してそういうようにしていきたいということを言われると、やはりいままでは伏せたものがあったのかなということになるわけですが、先生のお立場で、先生御自身はそういうことはなかったとお考えなんですか。やはり求める資料が得られないような事態はあったということなんでしょうか。
  73. 内田秀雄

    内田参考人 安全審査に必要な資料は十分あると思っております。
  74. 石野久男

    石野委員長 次に、近江巳記夫君。
  75. 近江巳記夫

    ○近江委員 各先生方の御意見をいろいろ賜わったわけでございますが、この前藤本先生の論文が当委員会で非常に大きく問題になりまして、そういうことが契機で、きょうこうして先生方に来ていただくような場面ができたのじゃないかと思いますが、そのときに安全審査ということが非常に問題になったわけでございます。  それで、原子力委員会の中のそうした安全審査——私とも聞いておるところからいきますと、たとえばこの委員会がデータの計算コードや計算結果をチェックするためのスタッフを持っていないというようなこととか、あるいは設置者からのデータに対抗すべき自前のデータの不足、その結果として、たとえばECCSに関するデータ等は、米国のこういう製造会社から提供されたものを全面的に受け入れて信用する以外にないというようなこととか、非常に優秀な先生方が皆さん集まっておられるわけでございますが、そういう中の機能といいますか、いろいろな点においても若干の不備があるようにも聞いておるのですけれども、そういう点の率直な感想をひとつ内田先生にお伺いしたいと思うのです。
  76. 内田秀雄

    内田参考人 軽水動力炉に関しましては、これはともかくアメリカで開発されてアメリカのメーカーが大部分要点をつくっておりますので、それに必要な資料といいますのは、アメリカのメーカーを通してくるのは当然でございますし、これはアメリカ原子力委員会もおそらくそうであろうと思います。  ただ、アメリカのメーカーを通したあの資料におもによっております資料がこららに参りましても、決して私たちそれをうのみで取り上げているとは思っておりませんで、その内容を十分理解し、詳細知りたければ、さらに詳細な資料の提出を求めたり、あるいは必要があればそれにさらに加えた実験とか研究まで要求しております。  また、日本のメーカーなり電力会社で十分できる資料であれば、当然のことながらなお容易にその資料が入るわけでございます。ただ、いま御指摘のように、たとえば計算コードの問題でありますと、計算コードの中にはこれから考えております原子炉がどういうふうにして組み込まれているかということでありますが、そのコードの組み立て自身を私たち知らない場合がもちろんございます。そのような場合には、コードの中でいろいろなパラメーターがございますので、たとえばパラメトリックにスタディーいたしまして、そのコードの内容をこちらで把握して、そして計算の結果の評価をしているわけであります。ただ、そういうような計算は、最近は御存じのようにコンピューターを使う計算が非常に多いものでありますので、そういう計算を私たち審査の立場で別個に行なうことができれば、これは非常に幸いであるし、また審査の評価も認めていただけるのではないかと思いますので、そういう点は私たちも希望しております。
  77. 近江巳記夫

    ○近江委員 いま内田先生のほうからそうした御希望等があったわけですが、局長はそうした先生の御意見、これは一つのあれでございますが、今後、先生方にそうした審査等を十分やっていただくような配慮といいますか、どういうことをいま検討しておりますか。
  78. 成田壽治

    ○成田政府委員 ことしの五月から安全審査室という、これはまだ若干の人員でございますが、一つの部屋をつくりまして、常時、安全審査会の先生方のお手伝いをするとか、あるいはまた、その関係の検討をやる室をつくったわけでございます。そして今後、来年度の予算要求等においても、これを極力強化していくというかっこうでこの問題を処理していきたいと考えております。
  79. 近江巳記夫

    ○近江委員 その部屋もこれから準備するというようなことで、いろいろ不備な中でやっておられた。そういう条件の悪かったということはよくわかるわけで、そういう中でやっておって非常にむずかしい点もよくわかるわけですが、いずれにしましても、こうした安全審査という点におきまして、一そうまたシビアにやっていただきたいと思うわけです。  それから原子力委員会の問題につきまして、先ほど中島先生だったですかお話がございましたが、確かにアメリカ等に比べますと、命令権の問題であるとか、あるいはまた立ち入り検査の問題であるとか、アメリカは非常に強力な権限があるわけですね。そういう点、日本の場合は非常に弱体であるように思うわけですが、内田先生は中におられて、これは法律に基づく委員会ですから、法律改正ということになるわけですけれども、その点で先生としてはどういうようにお考えになっておられますか。
  80. 内田秀雄

    内田参考人 いまの先生の御質問は、原子力委員会の体制といいますか、内容について御質問であったと思うものですから、ちょっと私はお答えする立場でないと思いますが、いかがでございましょう。
  81. 近江巳記夫

    ○近江委員 それでは、いま中島さんがおっしゃったわけですが、藤本先生何か御意見ございますか。
  82. 藤本陽一

    藤本参考人 私もその問題に関しては中島さんと全く同じ意見ですけれども、一つだけ追加させていただきたいことがございます。  それはきわめて具体的なことでございますが、つまり、日本研究というか、日本原子力開発の自主性をどうシステムとして保障するかという点にいまの御質問の問題があると思いますけれども、その場合に、システムも大切ですけれども、その前に一番大切なのは、システムを動かす姿勢であろうと思います。というのは、たとえば昔の例をとってたいへん恐縮ですが、コールダーホール型の東海号炉が導入されたときに、私たち学術会議側の者は、あれば研究段階、研究開発段階としては、そういうものは導入して将来の動力炉の種として研究しようというのなら意味があるけれどもということを申したところが、原子力委員会のほうはどういう見解であったかというと、あれは実用段階の炉である、具体的に一キロワット当たり何円何銭という数字まで出されて、その実用性を非常に強調された。その結果が、私たちはあれは研究段階のものでありますから、したがって一会社がやるのでなしに、原子力研究所あるいはそれに似たような公的な機関がやるべきで、営利を離れてやるべきであるということを主張したわけでありますけれども、原子力委員会は、結局そういう判断をとらないで、あれは実用段階だからというので新しい発電会社ができたわけですね。ところが、現在になってみると、あれは結局実用段階の炉ではなかったことは、だれの目で見ても事実でございまして、ぼくは詳しい数字は知りませんけれども、伝え聞くところによると、あれは動かせば動かすほど赤字がふえる炉である。結局、申しておられることは、最初の研究段階としてあれは貴重な一石であったというふうに、まさにわれわれが昔言ったことを言われておられるわけです。  ぼくは、やはりそういう方針を間違ったときには、原子力委員会は、国会その他国民に責任をとるということをはっきりなさらないと、その自主的な開発というものはできないのではないか、そう思います。そうでないと、今度はまたアメリカのまねをしてそして失敗したら、あれはまた研究段階であった、そしてまた今度はドイツの炉かカナダの炉を導入しようということになるのじゃないでしょうか。やはりやられたこと一つ一つに責任をとって、それが最終的にどういう結論であったか、たとえば東海号炉はだれの目に見て判もはっきりした結論が出ておって、あれと同じ二号炉を会社はつくろうとおっしゃらないわけですから、その点について、原子力委員会の責任というのをはっきりすることが、自主性ということへの第一歩であって、法律ももちろん大切でしょうけれども、そういうことについての国会、ひいては国民に対する責任を明らかにするということからスタートしていただきたい、そう思っております。
  83. 近江巳記夫

    ○近江委員 それから、審査過程及び結果の資料公開が不十分であるということもちょっと聞いておるわけですが、たとえば安全審査の結果につきまして、全員一致により結論を出される場合だけとは限らないと思うのですが、そういう反対意見や、各委員の間におきまして見解の相違もあるのじゃないかと思うのであります。そういう審査過程のことも資料として当然私は公開すべきじゃないか、こう思うわけです。それが一つと、もう一つは、安全審査の審査項目に不足はないかということなんです。総合的な審査という点から、審査項目の拡大をはかる必要があるのではないかと思うのですけれども、そういう点、どういう御意見を持っておられるか、この二点についてまず内田先生にお伺いしたいと思います。
  84. 内田秀雄

    内田参考人 安全審査の過程とその内容について、詳細に公開しないかという御質問だと思いますが、これは、過日ここの委員会に私、参考人として参りましたときに、辻先生からの御質問がございまして、審査会の議事録を、速記をとって公開することの是非について、審査会に帰って意見を聞け、こういう御質問をいただいたことがございます。私、そのとき意見として申し上げましたのですが、また審査会に帰りまして、同じ問題をみなの意見をまとめましたので、いまこの委員会とすればちょっと別かもしれませんが、申し上げたいと思います。  やはり審査は、先ほど申し上げましたように、あくまでも第三者の立場で、客観的にざっくばらんな意見を交換して審査するわけでありまして、最終的には審査会が、ここでもう十何年かの歴史を持っておりますけれども、全会一致の結論が出てから報告書を出してございます。その審査の過程におきましては、原子炉安全の問題、いろいろな問題がございますので、いろいろな意見が出ますし、また、商業上の秘密になるような資料も提出を求めまして、それについてディスカッションをするわけでありますから、そういう過程を詳細に議事録をとってオープンにするということにつきましては、審査会の一致した意見としまして賛成しかねるということでございますので、この席を借りまして、いま先生の御質問にもお答えできると思いますので、お答えしたいと思います。  それから、審査の項目といいますか、範囲を広げないかという御質問でありますけれども、私は、原子炉安全の立場での原子炉安全審査会でありますと、現在から広げるということはちょっとよくわかりませんけれども、広げる必要はないと思っております。もちろん、これは原子力委員会の指示を得てということでございますので、原子力委員会が新しい資料を私たちに与えられれば、審査会の立場でできる問題はもちろんしなければならないと思います。
  85. 近江巳記夫

    ○近江委員 いま審査会の先生の立場でお聞きしたわけですが、同じ問題で藤本先生御意見ございましたら……。
  86. 藤本陽一

    藤本参考人 安全審査の項目についてしゃべらしていただくならば、私は、現在の安全審査の内容を知りませんから、きわめて明白な事実だけを申し上げて、いかに安全審査の項目に脱落があるかということの一つ参考にしていただきたいと思います。  それはどういう例かと申しますと、東京のごく近くの大宮市に三菱原子力原子炉がございます。その原子炉はしかるべき審査でつくられたわけでございますけれども、ところが実際はどういう点が問題かと申しますと、地元の住民と三菱の原子力株式会社との間には、大宮には原子炉は置かないという約束があったわけでございます。で、原子力委員会設置者側の意見だけ聞くから、その約束を知らないで許可をしたわけでございます。それがあとで非常な問題になりまして、現在裁判で抗争中でございますけれども、そういうのは公聴会を開いて、やはり地元の人の状況を把握しないといけないんじゃないでしょか。それは私がそういうことを言うのは変な話でありまして、もっと安全審査の内容を知れば、項目についての問題が言えると思いますけれども、少なくとも地元とそういう約束があるときに、その約束を知らないで設置を許可するというのはやはりまずいんじゃないか。だから、そういう点であまり狭く考えることはまずいと私は思っております。
  87. 近江巳記夫

    ○近江委員 原発の集中化ということがいま問題になってきておるわけですが、この場合、原子力施設一つ一つのそういう安全審査ということはなさっているわけですけれども、地域的に集中した場合、非常にいろいろな問題が出てくると思うのですが、そういう場合、複合的な安全審査を行なう必要があるんじゃないかと思うんですけれども、そういう場合どういう形でなさっておるのか、また、現実にそういう点はやっておられるのかどうか、それについてひとつお伺いしたいと思うんです。
  88. 内田秀雄

    内田参考人 一つ敷地といいますか、一つのサイトに対して複数の、多数の炉が建設される場合でありますが、これはまず平常の問題でありますと、複数の炉が一個所に影響することを、放射線の影響を考慮いたしまして検討しております。その二つのサイトが、さらに近いサイトがありましたようなときにも、それらの複合した効果評価しておりまして、また詳しいことをさらにお答えする必要があれば、たとえば宮永参考人からお話しいただけるかと思います。でありますから、多数炉がサイトに建設されましても、それは複合の効果を十分に審査の対象にしております。
  89. 近江巳記夫

    ○近江委員 たとえば東電の柏崎、これはまあ審査会には出ておらないと思いますが、御承知のように新潟の大地震というようなこともあった地域でありますし、現実に原発のあの地域からはばく大な天然ガスをとっているわけですね。そうすると、やはり地球物理なんかやっている人に聞きますと、内部は相当な空洞かあるだろう、その空洞をそのままにしておいて原子炉施設を集中していった場合、そういう地震なり何なりのおそれというものは十分ある、こういう点についてはどう配慮しているんだ。非常にその辺の心配もあるのですが、その安全審査の点においては、そういうあらゆる細部にわたるようなところは全部考慮されるわけですか。それはどういうようになっておりますか。
  90. 内田秀雄

    内田参考人 私、いまの柏崎には行ってもおりませんし、資料を何ら見たことはございませんので、特定のそういう柏崎についての意見は申し上げることはできませんが、どのサイトでありましても、原子炉をそこに設置する場合に、原子炉の安全といいますか、その現地との照らし合わせといいますのは、たとえば地震の問題が一番よく出てまいりますけれども、地震の問題になりましても、あるいは津波とか台風とか、そういうような自然現象なりその現地に特質な自然の条件等をもちろん詳しく調査いたしまして、そういうような自然環境が原子炉事故を誘発するものでない、誘発してはならないという理念に立ってその審査を進めるわけでございます。
  91. 近江巳記夫

    ○近江委員 そういう集中化の問題につきまして、どの先生でもけっこうですけれども、特にこの原子力施設の集中という問題についてどう思われますか。
  92. 中島篤之助

    ○中島参考人 直接集中化のことに対するお答えになるかどうか知りませんが、現在の安全審査で非常に私どもが疑問に思っております点はこういう問題がございます。たとえば東海にできます原電の三号炉東海号炉の場合、これは発電会社は二カ所敷地を持っております。つまり、敦賀と東海村というふうに持っているわけであります。これはだれが考えても、マン・レム規制その他の、つまり積分線量規制その他から考えますと、この限られた二つ敷地のどっちがベターかというぐらいのことはわかると私どもは思うのです、つまりどちらのほうが適地であるかと。そういうことはどうも審査会の権限ではないようであります。ですから私どもがまず非常にふしぎに——現在立地問題が困難になっている、集中化が起こるといいますが、その根源は、ほんとうに科学的に選んだ敷地に置いておられないんじゃないか。たとえば、これをどこが適地かということについては、これは私どもは異論があるのですけれども、四十三年に、たしか通産省が原発適地という調査をなさいまして、地質、地形等の点から、全国の海岸線でこういうところがいいということをおっしゃった。ところが、それを必ずしも発電会社はお使いにならないわけですね。そして、たとえばこれは北海道の例でありますが、浜益村、島牧村が適地であるというふうに発表されておる。ところが、実際に置くのは岩内である。これはなぜかというと、これは北電にとっていろいろ都合がいいから岩内におきめになったようなんですけれども、それでは科学的な調査は意味がない。ですから通産省の調査でもそれは産業の調査は入っておりません。  学術会議で、三宅委員長が、きょうお配りした資料科学」の論文の中で言っておることですが、こういう問題を解決するには、やはり地域の産業も十分考えた総合的な判断をして敷地をきめる、それが非常に困難になってきているから、今度は一カ所きまった敷地にはむやみやたらに集中する。それがどうなるかといわれても、たとえば温排水の問題なんかは、現在の環境審査といいますか安全審査では対象外であります。これは内田先生がはっきりそうおっしゃっているのですが、対象外ですけれども、対象外か内かは別として、そういうものがどうなるかというふうにかりに御質問を受けましても、これは科学者としてはどうなるかわからない。これは私が申し上げるのではなく、海洋の専門家である三宅泰雄委員長が、これはどうなるかわからないと言っておるから、私もたぶんそうなんだろうと思っておるわけでありますけれども、そういう状況である。  ですから、改善することはできると思います。もっと客観的にできるはずだ。たとえば、アメリカが八年前に濃縮ウランの供給について計画を出せなんということを認めるぐらいなら、その八年前にどこへ置くというのをちゃんと科学的に日本じゅうの総合調査をおやりになればよろしいじゃないか、私はそう思うのです。  以上です。
  93. 近江巳記夫

    ○近江委員 時間の関係であと一問だけ、この原子力施設の集中化という問題につきまして、秋田大学の滝澤先生にひとつ御意見を伺って終わりたいと思います。
  94. 滝澤行雄

    滝澤参考人 一般の火力等の大気汚染問題をいろいろと手がけてきたわけですが、複合汚染による人体にもたらす影響については、今日研究の途上でありまして、とりわけ原子力放射線の汚染問題については今後も大きな課題だと思います。  ただ、そのような複合汚染が今後考えられる場合に、公害としていろいろ検討する場合に、原子力基本法で微量放射線を取り扱う関係から、環境庁で公害と規定している中に微量放射線は入っておりません。したがいまして、厳密にいいますと、微量放射線は温排水の生態系への影響を除いては、公害というように正しくとらえることは大きな間違いでありますが、複合汚染については、今後もいろいろと検討してみる必要があるのじゃ々いかというように思います。
  95. 近江巳記夫

    ○近江委員 終わります。
  96. 石野久男

    石野委員長 次に、内海清君。
  97. 内海清

    ○内海(清)委員 すでに同僚委員からいろいろ御質問がありましたので、時間の関係もありますし、私は一問お尋ねしたいと思うのであります。  御承知のように、わが国の高度成長に伴いましてエネルギーというものが非常に問題になってまいりました。しかし、これまた御承知だと思いますけれども、そういうことで高度成長のひずみというものが非常に出てきておる。そこで、生産第一主義から人間尊重、いわゆる福祉優先という線がいま出されておるわけであります。しかし、そういう線が出されましても、私は、エネルギーの問題は依然として今後も尾を引くであろうと考えるのであります。同時に、福祉優先ということで国民が文化生活を営んでまいりますれば、これまたどうしても電力などは多く使ってくるという方向になるわけであります。そこで、この原子力の平和利用、原子力発電というふうな問題は、今後さらに大きく浮かび上がってくる問題であろうしいうふうに私は考えるわけであります。  原子力の平和利用の大前提は、何と申しましても原子力施設の工学的な安全ということ、それといま一つは環境保全の問題、これが大前提であると思うのであります。ところが今日、日本の各地で原子力発電に対しまして反対しておる住民運動というのは、これは施設に対する工学的安全はもちろんでありますけれども、環境の安全、さらには地域開発とかあるいは地域産業の消長までも含めましたような広い範囲の問題が、安全問題の一環としてとらえられておる、ここに多くの問題があると思うのであります。これは、どうしても原子力というものと地域住民、産業、こういうもののいわゆる共存共栄という線が打ち出されてこなければ解決しにくい問題だ、私はかように思うのであります。  そういうふうになりますと、工学的安全あるいは環境安全の問題からいたしまして、放射性物質やあるいは温排水などをきびしく規制いたします技術開発が先決であろうと思うのであります。もちろん、もう一面では、それをやるのには法規の問題もあるわけであります。あるのでありますが、そういうものをきびしく規制する技術開発というものが必要である、かように思うのであります。  そこで、お伺いいたしたいのでありますが、わが国におけるそういう技術開発の現状と今後の見通しというものについてどういうふうにお考えになっておるか、こういうことをお伺いいたしたいと思うのであります。これはひとつ内田参考人と中島参考人に御所見をお伺いいたしたいと思います。
  98. 内田秀雄

    内田参考人 私に十分お答えできるかどうかわかりませんが、技術開発の必要性、重要性はもちろん私よく認識しております。それがどういうふうにして開発されるかという見通しは、私自身が開発にタッチしているわけではございませんので何とも申せませんが、むしろ希望を申させていただきたいと思います。  原子炉安全の問題は、軽水炉に限らず非常に大きな問題でございまして——大きいといいますのは、単に範囲が広いというのではなくて、非常に規模の大きな研究が必要でございますので、これは各国の国際協力といいますか、国際的な協力研究が必要だろうと思います。たとえば、軽水炉の冷却材喪失事故というような事故に対しての研究も、アメリカはもちろんでありますが、ドイツ、スウェーデン、英国、フランス各国でやっておりまして、日本も、先ほど中島さんからの御説明のように研究を進めておるわけであります。それで、日本の提案した研究内容なり調査結果が各国に反映して、各国がまた新しい研究開発なり計画をしているというような、ぐるぐるとお互いに刺激し合った研究がされていることを私よく感じておるわけであります。でありますから、先ほど来、日本においては研究をやってないんじゃないかということをときどきお話かありますけれども、研究というのは日本だけがやらなきゃならないという問題ではなくて、各国から十分な情報をキャッチし、また各国に協力をしながら研究を進めていく、友好的に研究を進めるのがよいのではないか、私はそういう希望を持っております。
  99. 中島篤之助

    ○中島参考人 たいへんむずかしい御質問でありますが、私は例といたしまして、これはわれわれの研究会で「科学」の最近号に、西ドイツにおける原子力発電所の安全問題を紹介して、きょうお持ちすればよかったのですが、そのことについてお話しして御説明にかえさせていただきたいと思います。  実は、われわれがこの問題を取り上げましたのは、西ドイツも日本と同じようにアメリカ型の軽水炉をアメリカから導入しているのでありますが、それに対する取り組み方が非常に違う。ドイツがどうしてそういうふうに——これはいま西ドイツ設計軽水炉という、つまり非常に奇妙なものをつくり上げておるわけでありますけれども、独自なものをつくり上げておるわけでありますが、これは結局西ドイツは人口が稠密だからだ、こういっておるわけです。どのくらい稠密かといいますと、これは一九六七年の国連統計で一平方キロ当たりドイツは二百三十三人であります。日本は実はそれより多いのでありまして二百七十人であります。これは平均でですね。ですから、東京とか、地域によってはもちろん六百人とか七百人というような非常に大きな人口に日本ではなっておるわけであります。ドイツはそういうふうに人口欄密だからアメリカと違う。アメリカと同じようにやらないのだということで、非常にいろいろな面におきまして独自な考え方をしておりまして、先ほどのたとえばECCS問題についても、ドイツ独特の対策のしかたをやっておる。われわれはこれを他山の石として学ぶべきであろうと思うのです。ですから、これは先ほど藤本教授も言われましたように、そういう問題に対する自主的な態度と申しますか、それがまず非常に大事だということの一つの例であろうかと思います。  それで、きょういままで出ましたいろいろな話の中で、特に出なかった問題でちょっと具体的なことを申しますと、材料の問題であります。これは実はかなり実際問題としては深刻な問題でありまして、たとえば原研でも初期に輸入されましたJPDRの圧力容器にひび割れが生じたり、現在でもいろいろなトラブルが起こっている。こういう問題に対して、ドイツのやり方というのは、ドイツ流に非常に綿密に、つまりアメリカで使っておりますASMEの規格よりも三倍も四倍もきびしい基準と検査をやって、まず部品の事故を一掃するというようなことのために、そういう独特の検査基準を確立してやっておる。実は、こういうことは日本では、これは原子力委員会なり何なりがしっかりしたお考えをおとりになってそれをおやりになれば、私は可能なことだ、そういうふうに思います。ですから技術開発、これは私、自分たちが言うことは非常に妙でありますが、そういうことをやっていただけるならば、そしてそのために必要な予算なり研究条件なりが保障されるならば、決してこの程度のことをやることはまず不可能ではないと私は考えます。  お答えになったかどうかわかりませんが、一応そういうことを申し上げます。必要であればこの資料をあとで差し上げたいと思います。
  100. 内海清

    ○内海(清)委員 この問題は、私は、日本の今後の原子力発電その他原子力の平和利用からいえば非常に大事な問題だと考えておるのであります。もちろんこれは国際的な問題でもありましょうが、しかし外国の技術を導入するにしても、やはり日本のその地域に適合した技術が開発されていかなければならぬと思うのです。これはそういうことがいままでとかくおろそかにされたために自主性かないという批判も出てきておると思うのであります。これは、今後ひとつ十分この面に皆さん方のほうにおいても御研究願って進めていただきたいと思います。特にいま中島参考人からは、いろいろいま日本でのこの問題に対する障害的な御意見も伺いましたか、もし日本でこういうことがいま十分行なわれたとすれば、これを進めるのにはどういうふうな障害かあるか、それを排除すればもっと進んでいくかという点がありましたら、これをひとつ内田参考人にお伺いしたいと思います。
  101. 内田秀雄

    内田参考人 いま先生のおっしゃった御意見もっともだと思いますが、日本で独自に必要な問題アメリカから導入されている軽水炉でありましても、日本の国産の範囲がだんだん広くなっていきますし、日本のメーカー自身の設計も入ってくると思いますので、日本が特に安全の評価のためにしなければならない研究はますますふえてまいると思います。そういうような研究を実際にどのように進めるかということは、私もまあ近しい人たちといろいろ議論などもしているわけでありますけれども、まあ簡単なことであるかと思いますけれども、日本の各その方面技術者に広く協力をしてもらって、やはり国からかなりの予算を出していただきませんとまずいであろうと思っております。安全の評価といいますのは設計とは違った内容を持っておりますので、やはり国が、規模も大きいというためもありますけれども、やはり国が相当経済的にも予算を出して研究を進めていくようにしていただかないと、なかなかうまくいかないだろうと思っております。
  102. 内海清

    ○内海(清)委員 いま日本は、非常な経済の高度成長でいろいろ外国から反撃を受けておる。したがって、今後はやはり技術開発に、科学技術の進歩ということに力を入れなければならぬという実情であります。しかし、科学技術の振興に対する日本の予算というのは、いまもお話がありましたようにかなり十分でない。諸外国に比べましてもなお低いということで、われわれは委員会でもこの点は常に申しておることでありますが、政府に対する問題はまた委員会でやるといたしますが、ひとつ政府でそういうふうな体制ができた際には、十分研究者の方々の協力をいただいて、この技術開発を一日も早くやっていただくことが日本原子力の平和利用に大きく貢献することだと思いますので、この点は強く要請しておきたいと思います。  それから、これは御存じかどうか知りませんが、私最近、アメリカ原子力委員会では、原子力とその地域住民、産業の共存共栄、環境との問題、こういうことについて非常に民主的な方向が打ち出されたというふうなことを聞いたわけであります。内容は実は私よく存じません。研究家の皆さんでありますから、もしそういう点について御承知の方があればひとつお聞かせいただきたい。もちろん、先ほどもお話がありましたそういう点については、公聴会その他は当然今後十分進めていかれなければならぬだろう。科学技術庁もこの点は考えておられるようでありますけれども、アメリカではそういうふうな方向が打ち出されたということを実は私承ったのであります。もし御存じの方がございますならばお聞かせいただきたいと思います。
  103. 中島篤之助

    ○中島参考人 どうも私のお答えが先生がおっしゃったことに適合しているかどうかわかりませんが、おそらくおっしゃっておりますことはNEPAの——アメリカではいわゆる環境保護のための国家政策をニクソンがつくりました。これはNEPAと通称されておりますが、そのことをおっしゃっているのではないかと思います。これができましたために原子力委員会の環境審査といいますか、先ほど内田先生がおっしゃったように、アメリカ原子力委員会も実は放射能の審査だけやっておったのですが、それではだめだということになりまして、これは裁判で負けた結果そういうことになりまして、つまり環境に及ぼす影響をちゃんとやらなくちゃいかぬということになってきたということでございます。  きょうお手元に配付しました資料で申しますと五九ページに——五八ページから環境問題の説明が出ておりますが、ちょっとそこを申しますと、そのNEPAの百二条の(C)項というところで、「提案された計画」つまり、たとえば原子力発電所をつくるというような計画が「環境に与える影響」、それから「その計画実施に伴う避けられない悪い環境影響」、それから「その計画に代わりうる代替案」、それから「人間環境の地方的・短期的利用と長期的な生産性の維持と培養との関係」、それから「その計画実施に含まれる資源の不可逆的でかつ償い難い使用という五点に関する環境報告書の提出を義務づける」、そういうことになっているわけです。このために、実は原子力発電所設置の許可が全面的におくれることになっておるのですが、これは私の考えでは、日本は人口もアメリカよりももっと稠密でありますし、日本の場合は環境というよりは、具体的には直接漁業を破壊したり、あるいは四国の伊方の例でありますと、ミカン山がどうなるかというような、暮らしておる人にとりましては生活がかかってくるような問題で、環境というような優雅な話よりは、日本の場合は少し深刻であります。それだけに、こういうことば先生の御質問の趣旨からして当然考えるべきであろうというふうに思います。  以上です。
  104. 内海清

    ○内海(清)委員 これで終りますが、なおそのほか参考人の先生方の御意見も出ておりましたけれども、いま非常な問題点は、やはり再処理の問題あるいは廃棄物の処理の問題、こういうものが大きく問題になると思います。これは時間がありませんからこれで終わりますが、ひとつこういう問題につきましても、先生方でできるだけ御研究の結果をわれわれのほうにも御教示願って、こういう問題を一日も早く解決したいと思います。特に要望を申し上げておきます。
  105. 石野久男

    石野委員長 次に、井上普方君。
  106. 井上普方

    井上(普)委員 実は私は、きょう日本で一流の先生方をお招きして参考陳述をしていただいたわけでありますが、実に悲しむべき現実が出てきたと思うのであります。と申しますのは、一流の先生方で意見がまっ二つに分かれておる。当然、学者先生方は真理を深求せられる方々でございますので、そこでなぜこういうように意見が分かれてくるのであろうか。こう私も静かに聞いておったのであります。  その一つ原因といたしましては、片や反対の先生方は——反対と言いましたらこれは語弊がありますが、批判的な先生方は、データがないのだ、資料がないのだ、こういうことを言われる。ところが、片一方のほうの先生方は、資料はあるのだ。特に内田先生は安全審査会の会長として、資料はある、ところがこれが第三者として審査するので、その会議録なんかは出すことはできない、こうおっしゃるのであります。  そこで、学者として第三者とおっしゃる以上は、内田先生にお伺いするのですが、安全審査に携わられておるのは、第三者としての学者として、これはいかに安全であるかという安全審査をなされておるものだと私は思う。そうするならば、学者的良心からするならば、学者的良心によって審査をされたのでありますから、その中の論議の内容は公開してしかるべきだと私は思うのです。しかも、いまの日本原子力基本法といいますものは、民主、自主、公開という三原則を打ち立て、世界に冠たるものであろうと私は思う。ところが、それが十分になされていないということは、どうも私らに合点がいきかねるのであります。これが第一点。  そしてまた、先生方の肩書きあるいはお仕事の内容を承っておりますと、政府機関に関与せられておる方の中にも批判的な御意見の方もおられますけれども、原子力発電に賛成の方々、安全性については心配ないとおっしゃる方々は、政府機関に関与せられておる方々のほうにどうも多い。とするならば、私、まことにこれは言いにくい話でありますけれども、いままでの業績というものを、一部の学者の先生方において私しているんじゃないだろうかという危惧の念を持たざるを得ないのであります。そうなりますと、これは学者的良心からいたしましても、はなはだ不都合なことでもあろうかと——私がそのような考え方を持つことは不届きだろうと思いますが、日本科学の発達、学問の発達、また人類の科学技術の発達の面からしても、けしからぬ仕儀に相なるのではなかろうか、このように考えるのであります。  そこで、内田先生にお伺いするのですが、安全審査会の審査は、学者として第三者的にともかく論議されておって、その結果、全会一致でなければ認可しないというようなお話でございますけれども、当然その議論の内容というものが、学問の進歩に大きな寄与をするものだと私は思うし、またいままでの科学の発達、学問の発達というものは、その反対、賛成の議論の中、討論の中から生まれてきておると私は思う。そうするならば、いまこの専門家の皆さん方の中で意見二つに割れておる。こういうような実態からいたしましても、また、これを一致させる方向に進めるのか学者としての良心であろうと思いますので、そういう点からいたしますと、安全審査会の速記録をおとりになってこれを世に発表し、批判ある先生方からの批判を受けることによって学問の発達があり得るのだ、私はこう思うのでございますが、いかがでございます。
  107. 内田秀雄

    内田参考人 先ほどもお答え申し上げましたように、安全専門審査会の速記録をとってこれを発表することには賛成いたしかねます。  それから、私たち資料を十分に見ておりますが、そのもらっておる資料、あるいは見ている資料、あるいは聞いている資料のうちで、どういう範囲公開に差しつかえがあるかどうかという判断は、審査会の私たちはできないわけであります。したがいまして、そういう意味でも議論の内容、議事録等の発表は賛成いたしかねます。
  108. 井上普方

    井上(普)委員 私はいまの内田先生の態度というものは、学者としての良心に反するのじゃないかと思うのです。行政官であってそういう態度をとるのでありましたならば、私はある程度認めることはできると思う。しかし、先ほどもおっしゃられるように、安全審査会の中において第三者として審査をされる。申しますならば、学者として安全審査会に臨まれておると私は思う。そうするならば、学者的な良心からいたしますならば、学問の進歩の来たすゆえんでもあるし、これは議事録をとって、いかなる討議がなされたか、これを世に発表し、世の批判を受けるのは当然のことじゃなかろうかと私は思う。ただ、ただいまはそれは適当でない、こうおっしゃられますが、その適当でない論拠をひとつお示し願いたいと思うのです。
  109. 内田秀雄

    内田参考人 きょう私は参考人としてここへ参りまして、そういうところまでお答えしなければならないかどうか、私よくわかりませんが、審査会の議事を綿密に速記録にとりまして公開することの可否は、先ほど申し上げましたように、すでにもう審査会に帰りまして審査会の皆さんの御了解も得ておる内容でございます。したがいまして、これ以上私、何とも申し上げようございませんが、先生の御意見を体しまして、よく考えてみたいと思います。
  110. 井上普方

    井上(普)委員 私は、第三者の立場でただいままでの各参考人の御意見を承っておりまして、はなはだ奇異に思うのは、私の危惧であれば幸いなんでありますけれども、一部の学者でデータを私しておるのではなかろうかという疑念すらわかざるを得ないのであります。ましていわんや、その面において御勉強なされておる方々が、こういうようなものがほしいとおっしゃられるお気持ちもこれまた十分わかると思います。そしてまた、その学者先生方の中で討議、討論されることによって、日本の学問の進歩、人類の進歩があり得るのだという崇高な立場に立ってひとつお考え願いたいと同時に、先ほども申しましたように、原子力基本法は、民主、公開、自主、この三原則で貫かれておることをもう一度安全審査の先生方も御確認になっていただいて、もう一度安全審査会において御討議なされることを心から希望するものであります。  それから、もう一つの問題といたしまして、先ほども内田先生おっしゃいましたが、第三者機関であるし、かつまた、商業秘密も守らなければならないからという理由、私は商業秘密という点につきましては大きな疑問を持たざるを得ないのであります。といいますのは、日本原子力基本法は、先ほども申しましたように、三原則から成り立っておる。なぜ成り立ってきたかといいますならば、諸外国に対して日本は、原子力を軍事利用しないんだという原則を内外に宣明するためにやっておるのであります。これも一つの大きな理由であります。同時に、原子力というものは、このエネルギーは一部の国民が私してはいけない、むしろ国民全体、人類全体がこの原子力を平和利用すべきであるという崇高なる精神からこの原子力基本法というものができておるのであります。そういたしますならば、この原子力関係において商業秘密あるいは企業秘密というものは私はあってはならないと思います。先ほど先生が、商業秘密の関係からいたしましても発表できないということは、私ども政治家の端くれといたしまして、絶対にそういうことは言っていただきたくない、このことを強く申し上げておきたいと思います。  それから、私どもはこういうような問題につきまして、非常にしろうとでございますが、少々気がついた点につきまして質問をいたしたいと思います。  原子力発電所設計基準におきますところの耐用年数が大体十七年から二十年ということをきめられておるようであります。ところが、企業側はこれを三十年ないし四十年の間運転したい、こういうように予定しておるということを私どもは聞いております。安全審査会は十七年−二十年ということを出されておると思うのでございますが、企業側は三十年ないし四十年運転を予定されておると聞き及んでおるのです。ここらあたりは先生どういうような関係になるのでございましょうか。
  111. 内田秀雄

    内田参考人 耐用年数のお話ですが、いまは十七年−二十年という耐用年数しかないということは私よく存じませんので、それに直接お答えできませんが、電力会社が三十年−四十年ということと、かりに十年とか二十年ということとはおそらく立場が違った考え方だろうと思います。原子力発電所施設の中にはいろいろな機器がございますので、それぞれの、たとえばポンプならば何年とか、あるいはパイプならどうであるか、バルブならどうであるかというふうに、それぞれの機器において耐用年数が違いますし、その耐用年数でも、強度上から見た、ともかく強度的にはいつ使ってもだいじょうぶだという耐用年数もありますし、電力会社が考えるのは、おそらく経済的な耐用年数とか、あるいはこの点よくわかりませんが、火力などでは、おそらく法規的に考えられる耐用年数等があるだろうと思います。でありますから、耐用年数を審査会がどう考えるかと言われましても、ちょっと私はわかりません。ですから、三十年の耐用年数を考えるときに、たとえば原子炉圧力容器は十分強度を持っているかどうかということ、それについては私たち検討をいたしております。でありますから、原子炉圧力容器が何年しか持たないということが、かりに三十年−四十年上りももっとオーバーでありましてもどうということではありませんので……。
  112. 井上普方

    井上(普)委員 もう一つ、まことにこれは素朴な質問なんでございますが、内田先生にお伺いしたいのです。  内田先生のお話、先ほどからずっと聞いておりますと、あるいはまた賛成される方々のお話を聞いておりますと、これほどともかく原子力発電所というのは安全なものなんだ、放射能も出ないんだという御説明なんであります。人体にもあまり被害はない。それではひとつどうだろう、大都会のどまん中へ原子力発電所の大きなものをつくったらどうだろう、前田原子力委員長の地元である和歌山へひとつつくったらどうだろう、そこに政務次官でおられる伊藤さんの地元の仙台へひとつつくったらどうだろう、こう思うのです。これは素朴な意見なんです。素朴に私はそう思う。どうでございます。大都会のどまん中に、あるいは周辺に大きいやつをつくったらどうですか、それほどおっしゃるなら。どうでございますか。
  113. 内田秀雄

    内田参考人 私にということですから、私意見を申し上げます。  先ほどどなたか、先生もおっしゃいましたけれども、審査会は設置許可の申請が出たものに対して、そのサイトに安全が確保できるかどうかをただ審議するだけでありまして、どちらがよいとか、どこが悪いとかというようなことは、私何も申し上げられません。
  114. 井上普方

    井上(普)委員 それじゃ、離れまして、内田先生という学者の御意見としてどうでございましょう。
  115. 内田秀雄

    内田参考人 経済を無視して、そこにそれだけの土地確保できるならば、原子力発電所は別に、現在日本で建設しているような場所以外にもつくれるだろうと思います。たとえばドイツは、場所によっても違いますけれども、原子炉からサイトまで、敷地の境界までせいぜい二百メーターか三百メーターでありまして、それ以上は野放し、野放しというのは語弊がありますけれども、居住も差しつかえないというようなことくらいでございます。
  116. 井上普方

    井上(普)委員 この原子力発電所に批判的心方々のどなたか、御意見を承りたいのですが……。
  117. 小野周

    小野参考人 私は、先ほど申しましたように、その事故規模によってどの程度のことが起こるかということについては、必ずしも明確でありませんし、藤本さんの計算されたことに対して、原子力局ではスプレーだのフィルターがあるからあれは減るのだということを言われますけれども、しかし、それについて、先ほど申しましたように、確たる根拠があるというわけではないわけです。ですから、そういういまの原子炉で大都会の近くにつくるということであれば、おそらくこれは私は反対をせざるを得ないし、大都会の方でそれに賛成される方は一人もないのではないかと思います。
  118. 井上普方

    井上(普)委員 先ほど来私承っておりまして、実は学者先生の中にも、ここに出られておる半数の先生方は、ともかくアクシデントが起こる可能性はある、そのときにはともかく建物が爆発するといいますか、そういうようなおそれもなきにしもあらずというようなお話もこれありました。それは私の受け取り方かどういうような——われわれしろうとといたしましては、事故が起こった場合、その一次冷却水が何とかかんとかしたときには、ともかくかなり大きな衝撃があり得るのだというようなことも実は聞きまして、内田先生の御意見と、それはいかぬぞという御意見がここらあたりに出てくると思います。したがいまして、これは何といいましても、国民の感情というのは抜きにしていいましても、こういうことが起こってくる。しかも第一線の先生方においてその意見二つに分かれてくる原因は一体どこにあるのだ。これは、先ほど来申しますように、やはり資料公開ということが私はぜひとも必要な事柄ではなかろうか、このように思うのであります。そして、より安全な、公害を出さない、しかも安全な原子力発電所をつくられることを私どもは念願いたしておるのであります。したがいまして、先生方の中においては、先ほども、資料を一部の学者の間で私するのではないかなんというようなまことに失礼なことを申しましたけれども、こういうような疑念をわれわれしろうとに持たせないような運営をひとつやっていただいて、まさに公開、ガラス張りの中でやっていただくことを強く要求いたしまして、私の質問を終わります。
  119. 石野久男

    石野委員長 次に、瀬崎博義君。
  120. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 きわめて具体的な問題をお尋ねしたいのです。それは原子力発電所の建設に密接な利害関係を持つ住民の方の代表が傍聴にお見えいただいているそうなんです。それに関連いたしまして、北海道の岩内では、町議会においても、昨年の七月に原子力発電所安全性が確認され、温排水による漁業への被害をなくすことを前提とし、かつ、原子力基本法に定める自主、民主、公開の三原則に基づいて建設されるべきであるから、現時点では反対であるという決議をされている。こういう住民運動との関係で原子力発電所の建設を考えるという問題は、当然これは政治の分野の問題で、われわれがその責任を分担しなければならないわけなんですけれども、しかしその基本にはやはり学者の皆さま方の御意見ということが非常に大きな要素を占めるわけなんですから、こういう住民の方々の疑問と、それから現在反対の意思を表明しておられるということについて、主としてこれは環境放射能の問題ですから、そういう方々の御意見を一、二お伺いして政府側の回答を求めてみたいと思うのですが、安齋先生、滝澤先生、宮永先生あたりに、ひとつ代表して御意見を賜わりたいと思うのです。
  121. 安齋育郎

    安齋参考人 これは、岩内ばかりでなく、原子力発電所設置をめぐるいろいろな地域で、住民が原子力発電所に対して大きな疑念を持ち、岩内の場合には漁業を中心に発展してきた。町ぐるみ原子力発電の問題について重大な疑義を提出しているわけであります。それで、全国的に見まして、私が先ほど申し上げました、六つの点検基準の中でも重要な基準の一つであるというふうに申し上げた、この民主主義を守り抜くという意味での問題は、きわめて重大なものがあるだろうと思うわけです。  それで、岩内の人々の場合でもそうでありますけれども、最初はやはり放射能の問題に対する非常に素朴な懸念というようなところから出発いたしますけれども、その中で出てきた疑問に対する当局側の非常に非民主的な対応によって、運動がだんだん大きくなってくるというわけです。そういう中で、この岩内が非常に具体的に、漁業の問題とのかかわり合いという意味で、原子力発電とこの漁業の抵触という問題について反対の意思を表明しておる。こういう事態に対しては、ただ単にエネルギーが必要だからということではなしに、これに対して国側が積極的にこたえていくという姿勢がどうしても必要なのではないかというふうに考えております。私は、この住民の側で出てきているさまざまな問題に対する非民主主義的なさまざまな対応というものが、今日この原子力問題というものを日本において非常に紛糾させたものにしている一つの重大な原因であるというふうに思います。  公開原則の問題を先ほど来言われております。これは民主主義をじゅうりんする一つの重大なあらわれであることはもちろんでありますけれども、岩内に限らず、柏崎でもそうですし、中部電力の浜岡においても、企業と県との間で安全協定が結ばれると、それに対して通産省が横やりを入れる、あるいは柏崎等においても、民主的な科学者の人が講演に出かけようとするとそれを妨害する。はっきり妨害したという事実も幾つか報告されております。そういうことから地域住民と国の間に非常な不信感、安全審査をめぐる不信感というものが出てきてしまう。これがひいては、先ほど来私が繰り返し言っておりますような科学技術全般に対する不信、あるいは科学者、技術者全般に対する不信というようなものにまで、不幸な結果となってあらわれてくる。そういうことでこの地元の意向に対する国側の対応というものを非常に重大なものとして考えていただかなければならないだろうというふうに思います。
  122. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 続いて滝澤先生にお聞きします。
  123. 滝澤行雄

    滝澤参考人 公害対策といいましょうか、放射線影響地域住民に対する対策というのは、国あるいは地方自治体あるいは施設者だけが、いわゆる放射線安全の問題あるいはその影響に対する科学的な資料を特に吟味して知っているということに大きな問題がありまして、そのような安全問題だとかあるいは放射線影響の問題というものを、国民自身が知る必要があろうかと思います。すなわち、国民自身がいわゆる権威者になることによって初めて安全な原子力を進めることができるのではないかと思います。要するに、公開がもう必定の条件かと思います。
  124. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 宮永先生に……。
  125. 宮永一郎

    宮永参考人 地方住民の皆さんとのいわゆる原子炉設置に対する話し合いその他というのは、確かにわれわれがやっております原子炉安全審査だけではきわめて不十分でありまして、それよりもやはりアメリカもそうやらざるを得なかったNEPAに基づく環境報告書、つまり地元の人たち土地、それから温排水の問題、それから放射能その他いろいろなものがございますけれども、そういう点に対するいろいろな意見を十分説明し得るようなそういうものを準備して、それと安全審査とを組み合わせたもので地元の十分な了解を得てやるのがいいと思います。
  126. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 大体、現時点で原発推進の立場におられる学者の方、慎重な立場におられる方の両方の御意見を述べていただいておるわけなんですが、政府側として、実際に町議会でも現時点での反対決議をしているような場合の原子力発電の建設に対する態度を、ひとつこれは次官から態度を表明していただけますか。
  127. 伊藤宗一郎

    ○伊藤(宗)政府委員 先ほど来の御論議のとおり、原子力安全性確保は役所や長官の単なる決意だけではとうてい確保できないわけで、その裏づけにはどうしても日進月歩の科学技術の蓄積なり裏づけが必要であるわけでございますから、そういう方向にさらに一段と行政の重点を持ってまいりまして、安全性確保をはかるとともに、そのことによっての地域住民の御理解をいただくこととあわせまして、さらには公聴会等の開催等を通じまして、地元住民あるいは町議会あるいはその他の公共団体の御意思等十二分に体しながら、設置の許可を進めていくつもりでございまして、決して地元民の完全なる理解や協力なしにこれらの設置の許可をしないつもりでございますので、御了解いただきたいと思います。
  128. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 それでは、いま私が例にあげました北海道の岩内の場合、つまり住民の意見を地方自治体として代表する町議会が反対決議をしているという場合には、よしんば電力会社が原子炉設置申請を出してきましても、それには許可は与えないということがここで確言できますか。
  129. 伊藤宗一郎

    ○伊藤(宗)政府委員 先ほど申し上げたとおりでございまして、そのとおりでございます。
  130. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 公聴会の話が出ましたが、八日の日経新聞に政府の考えているような内容について一部触れております。その要約をしますと、まず第一に、公聴会は、特に集中化、大型化、新型化の予想される原発の新規立地地点を対象に開く。二つ目には、原子力委員会自身の判断か当該地方公共団体の長、この場合は県知事というふうに報道されておりますが、などの要求で開催される。それから三つ目には、原子炉設置者側と住民側の両者代表が出席して公平に意見を述べる。それから四つ目には、開催時期は原子炉設置許可申請が原子力委員会あてに出され、安全審査の始まる直前か直後に行なう。五つ目に、非公開であった原子炉設置許可申請書も、商業機密等に触れない限り公開する。それから最後に、公聴会の記録は報告書にまとめて公開するというふうな内容が報道されておるのですが、これはほぼ確認をされるわけですか。
  131. 成田壽治

    ○成田政府委員 公聴会をどういう場合に開催するか、あるいはどういう形でやるかという点につきましては、現在原子力委員会で細目検討中でありまして、その新聞、いま御指摘のような内容にきまっておるということはいえないのであります。ただ、先般来長官が国会で答弁しましたように、結論を今月中には出したい。それで、目下いろいろ細目を検討中でございます。
  132. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 いまお聞き及びのとおりなんですが、公聴会の制度をつくること自身は、これは前向きのことで、われわれも大いにけっこうだと評価したいのです。しかし、これも中身との関係でほんとうに点数が及第点になるか、落第点になるかですから、ひとつこれをほんとうに及第点のつけられる公聴会制度にしていくために、いま私、若干新聞に報道された特徴を申し上げましたし、成田局長の今月中にという話もありましたが、ひとつそういう点で、専門的な見地からこういう点をぜひつけ加えるべきだ、こういう点は削除しなければならない、たとえば私しろうとに考えても、原子炉設置許可申請書も商業機密等に触れない限り公開するというふうなただし書きがありますね、こういうような点は削除しなければ意味がないと思うのですが、ひとつそういう点で、時間もございませんから、お二人ほど代表して御意見を拝聴できればと思のですが、いかがでしょう。
  133. 安齋育郎

    安齋参考人 いま質問者の瀬崎さんが言われたとおり、私もこの商業機密条項というようなものがあったのでは、依然としてその隠れみののもとに資料の全面公開ということができないということで、これは当然のことであろうと思います。  ただ、この公聴会制度の問題についてやっと重い腰が上がったということ自体の背景としては、やはり地域住民のこれまでの運動のたまものであったということであるわけですが、事ここに至るまでこの問題が具体化しなかったということについては、やはり政府の責任が重大なものがあるのではないかというふうに私も思います。  それから、この内容に関しましては幾つかの問題があります。ここでは三つほどあげておきますが、一つは、公聴会が、内容としていわれているところではいわゆるサイト主義で、一つ敷地に対して一回しか開かれないような、そういう懸念があります。これは、先ほど近江さんの御質問の中にもありました、いま非常な集中立地、しかも巨大な原発の集中立地ということがあり、その集中立地が行なわれたあとには、当然再処理施設設置という問題も抱き合わせで出てくる可能性があるわけです。そういう中で、このサイトということで一回だけしか公聴会がもしやられないようなことがあるならば、これはやはり公聴会としての役割りを非常に果たしにくいものである。当然のことながら、第二号機以降の場合には、それまで設置されている原発についての運転経験の総合的評価も含めた点検が行なわれなければならないというふうに思います。これは廃炉問題やあるいは廃棄物処分問題もあるし、また新たな放射線影響上の知見とか科学技術上の進歩というようなものもあるわけですから、そういう時点時点でやっていかなければならない。  二番目の問題で、一度やれば二度とはやらないという一事不再議主義の問題がやはり指摘されなければいけないと思います。これは、いま現状において、各地域に、たとえば住民の要求に応じて立ち入り検査権を行使できるような監視機構のようなものが確立していない状況のもとでは、少なくとも住民の求めに応じて開催される可能性を最初から否定してしまうようなそういう制度であれば、認めがたいものであろうと思います。  それから三番目には、そういうところで公聴会で話題にされる内容が、非常に狭い意味での安全の問題に限られるおそれがある。原発の設置が及ぼす影響というものは、やはり町の地方財政にまで影響を及ぼしますし、生活権にかかわる淡水の問題その他を含めて、非常に広範な問題があるわけですから、私先ほど六つの点検基準ということを申したわけですが、それに準ずるような広範な内容を点検できる体制でもって行なわれなければならないだろうと思います。
  134. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 ほかにつけ加えられる方がございましたら、ひとつ……。
  135. 中島篤之助

    ○中島参考人 商業機密の削除の問題は、瀬崎先生もおっしゃっていることでありますからまた言うことはないかもしれませんが、これは特に重大でありますので私申し上げておきたいのは、実はこういう事情があるようであります。つまり、安全審査をちゃんとやるためには、商業機密を認めてやらないと資料を出さないというようなことを電力会社がどうも言うらしいのですね。だから、安全審査委員としてちゃんとやるためには、むしろある程度商業機密を認めたほうがよいのではないかという、むしろたいへん良心的な立場からそういうことをおっしゃる安全審査委員の方が実はおられるわけであります。学術会議としましては、この問題は実は非常に重大な問題だと考えておりまして、商業機密との関連における公開原則——実は学術会議かかつて公開原則を提起しましたときには、これは軍事情報に関連する秘密を排除するという意味でこの公開原則をまず出したのでありますが、その解釈が、現在ではいま言ったような問題に関連して問題になってきている。これに対して、われわれとしては今期の重要な審議事項としてやっていきたいと思っているのですが、もちろんこれは考え方としては、これを認めたら実は資料公開というのは全然無意味になることは明瞭であります。それから、日本の自主開発をやるというたてまえから言うならば、そういうことを言うならそんな炉はつくらぬほうがいいということをやはり明確にすべきなんで、これは非常に重大ですから、確認をしておいていただかなければ困ることだと思います。
  136. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 ぜひ確認をしてほしいということなんで、政府側にそういう商業機密条項を削除するようにひとつ確認をお願いしたいことと、あわせて、先ほど滝澤先生並びに中島先生からも御指摘のあった共同研究機関としての環境放射能研究所ですね、これについては、一九七〇年十一月五日の原子力施設と沿岸海洋シンポジウムが開かれた中で、放医研の御園生さん、きょうおいでではないですけれども、この方もこうおっしゃっているようですね。環境放射能研究所の設立にはもろ手をあげて賛成する、放医研との仕事の分担についての論議は取り越し苦労であり、心配無用である、とまでおっしゃっているわけですから、これがいままでつくられずに放置されていることは、これはやはり政府側の怠慢といわざるを得ないと思うのです。ですから、これもひとつここで明確に、これだけの先生方を前にして確答をしていただきたい。いまの二点について、これは一つは次官の答弁をお願いしたいと思います。
  137. 成田壽治

    ○成田政府委員 商業機密と公開原則の関連につきましては、いろいろ御論議もあったところでありますが、基本法をつくるときから、商業機密は公開の例外であるというような考え方でまいっております。ただ、企業機密というのは、企業側が隠したいというのが企業機密なのではなくて、外国との技術提携で機密が義務づけられているとか、あるいは特許権等の工業所有権をいま申請直前であって、それまでは機密を守りたいとか、そういう非常に限定された場合については、公開というのは一時的に例外というふうに考えてまいっております。今後もその点は、企業がかってに機密だということでなくて、政府としてそういう法的な根拠のある限られたケースについては、例外として扱わざるを得ないのではないかというふうに考えております。  それから、環境放射能研究所の問題これも今後いろいろ検討すべき問題でありますが、ただ低レベル環境放射能の人体等に対する影響につきましては、日本も自主的にいろいろ強力に検討すべきであるという要請もありまして、四十八年度から放医研が中心に、あるいは遺伝研等も参加しまして、ことし五億円以上の予算がついて、今後十年近く計画的にこれを行なうことになっておりまして、このプロジェクト研究と、研究所の新設問題はどういう関係で考えたらいいか、その点も今後検討してみたいと思います。
  138. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 それでは、その問題はまた後日一般質問でさしていただきます。  最後に、これはきょうの主要な課題ではないのですけれども、日本がエネルギー源を、石炭から、結局アメリカに対する従属関係で石油に切りかわって、それが今日たいへんな危機にまたおちいってきて、それで核燃料への移行ということにいまなっているわけですが、現在日本核燃料、濃縮ウランは、原子力協定などのワクに縛られて、一〇〇%アメリカからの輸入になっている。しかもその取引条件日本側にとって非常に不安定な内容であると聞いているわけですけれども、こういう状態のままで、炉のほうもアメリカ軽水炉を直輸入してくる。核燃料はもう一〇〇%アメリカ依存だというふうなことになって、いままでの石油などの歴史的な経過から見て、ほんとうにだいじょうぶなのだろうかということをしろうとながら心配するわけなんです。こういう点で、これはもちろん政治のレベルで解決をしなければならない問題ですけれども、やはり科学者の間でもこういう核燃料問題についてもいろいろと研究等を進めていらっしゃるのではないかと思うし、また進めなければならないと考えていらっしゃるかもわからないし、あるいはそういう点では日本は全く欠けているのかもしれませんし、そういう点につきまして一言二言触れていただきたいと思うのです。  それから、あわせて、結局きょうの論議を通じて明らかになったことはい現在の時点で主として科学技術の側面から考えれば一致しなければならない真理が、現在の時点の水準ではやはり学者の方々の間ですらほんとうに大きな結論の隔たりがあるというふうな現状だけは、客観的な事実として認識せざるを得ないと思うのです。  こういうふうな状況を踏まえて、現時点で原子力発電所の建設についてどういう態度をとるのが学者の良心にふさわしいとお考えになっているのか。また、今後そういうふうなギャップを埋めていくためには、つまり科学者同士の間で一定の統一した結論に到達していくためには、一体私ども政治に携わっている者についてはどういうことをやったらいいと御要求いただくのかという点につきまして、これは時間がありませんから、ひとつ三人ほどの方に代表になっていただいて御意見を賜わりたいと思うのです。ひとつ都甲先生と藤本先生と中島先生にでもお願いしたいと思うのですが、ひとつ順々にお願いしたいと思うのです。
  139. 都甲泰正

    都甲参考人 たいへんむずかしい御質問でございますが、実は私、安全の問題を前からいろいろと考えておりまして、やはり安全の問題というのは、結局何が安全であるかという非常に社会的なあるいは政治的な問題、これと切り離して考えることがどうしてもできない側面を持っております。実は、安全審査会の中でもよくこういう議論があるのですが、できたならば、安全基準とか設計基準というのはどこか独立のところできめていただいて、それに適合しているかどうかということを純学者の立場で審査する、そういう制度になったら非常にやりいいというような議論がよくあるのでございますが、そういうことをちょっと、私の感想として申し上げておきたいと思います。
  140. 藤本陽一

    藤本参考人 私の答えが正しく御質問に答えているかどうかわかりませんけれども、簡単に申したいと思います。これは、いまの原子力発電が研究開発段階にあるか、あるいは実用段階にあるか、それの判断の違いであるというふうに考えていただいていいんじゃないかと思います。  私たちどちらかと申しますとわりあい批判的な者はどういうふうに考えているかというと、原子力発電を単に一つの炉として考えないで、もっと大きなものとして考えております。燃料の問題から始まって廃棄物まで、それから現在の軽水炉のみならず、ほかの型の炉までですね。そういう観点に立つと、現在は原子力発電というのは確かにおもしろいやり方だけれども、まだ実用とは思っておりません。研究開発の段階である。それを間違って実用段階と考えて無理に採算ベースに乗せると、勢い安全性をそこなうということになるのではないか、そういうふうに私は思います。だから原子力発電を万一やらなければならないというような事態は、いわばきわめて緊急のかん詰めを食べなければ生きていけないというような、いわば濃縮ウランというのは、よくいわれてますように電力のかん詰めでございます。そういう緊急のときのいわば停電のときのろうそくのようなもので、それでもって日本のエネルギーの将来をやるというには、まだそういう段階には達していないと私は思います。そういう段階で、もしもやるとすれば、やはり距離だけは——これは皆さんの意見が一致していることで、距離というのは一番よい安全装置である、距離というものを十分考えた安全性、距離だけに依存することを考える以外に方法はないのじゃないかと私は思っております。
  141. 中島篤之助

    ○中島参考人 たいへん大事な質問でありますが、これはおっしゃるとおりでありまして、この濃縮ウランを使うアメリカ型の軽水炉ばかりにたよるのはまずいのじゃないかということは、実は四十三年度におきめになりました原子力委員会の長期計画自身がお認めになっていることでありまして、これは燃料消費が非常に多くて、これではエネルギー問題の解決が非常に困難だから、こればかりにたよるというのは問題だというふうにたしか述べておられたと思います。今度の新しい計画ではそれは消えてしまいましたけれども、私は最近学術会議に出まして、いろいろ原子力委員会の方やなんかとお話しをする機会がふえて、こういうむずかしい問題は、たぶん原子力委員会は、先ほどの内田先生のお話ではありませんが、これは私の扱う範囲外であるというようなことをおっしゃるんじゃなかろうかという気がするのです。こういうところが実はない。これは、お笑いになりますが、実はそうでありまして、先日エネルギー問題に関するシンポジウムを学術会議で開催いたしましたときに、御存じのように今度通産省で資源エネルギー庁をつくるということが出てきております。そこの通産省の方のお話で、私は原子力の問題がどう言われるかと思ってたいへん興味を持って聞いておりましたら、それは科学技術庁でございますと、原子力のほうは科学技術庁、通産省がやるのは石油だけでございますみたいなお話であったんです。実はこれが日本の現在の行政の非常な欠点といいますか、総合性を欠いているということを痛感いたします。私はどうしても原子力の問題は、原子力だけではなくて、やはり総合的に考える必要があるのではないかという点が第一点。  それから、濃縮ウランにつきましては、これは全く瀬崎先生の御指摘のとおり、石油が国際石油独占に押えられているなんというたぐいではありませんで、これは全く一辺倒といってもほかにどうにもないのでありますから、例で申しますと、東海の二号炉をつくるときに、千二百億円ものお金を使って百十万キロワットの原子力発電所をつくります。これで濃縮ウランがなければ、これは全く、天然ウランを燃すわけにまいりませんから、どうにもならないものなのであります。  それで、現在の社会で電気が非常に大事だということを、これは私が申すまでもないことでありますが、そういうことがあるときに、じゃ日本はどんなことがあっても、どんな条件をのんでもアメリカから濃縮ウランをもらわざるを得ないだろう、こういうふうになっていくような計画が独立国として許されるかどうかという問題がある、私はそういうふうに思っております。ですから、いまはまだわずかに数機の原子力発電所が試験的に動いている段階だと藤本氏もおっしゃいましたように、そういうことが現状でありますけれども、エネルギー問題として考えても、いまのままでは全く解決の道がないのではないかというふうに思います。  それから、もう一つつけ加えますと、最近原子力産業会議ではソ連から濃縮ウランを手に入れたいということでミッションを派遣するということを聞いております。ソ連がちゃんとくれるのかどうか、私詳しいことを知りません。これは私は濃縮ウランを全然もらっちゃいかぬということはないのですけれども、その条件がほんとうに平等互恵であって、独立国として認められるようなものでなければいけないということが本質ではなかろうかというふうに思います。
  142. 石野久男

    石野委員長 次に、嶋崎譲君。
  143. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 たいへんおそい時間になりまして、長時間参考人の方々はお疲れだと思いますが、こういう機会をたびたび持つこともなかなかできませんので、少しごしんぼうをお願いをしまして、あと二、三質問さしていただきたいと思います。たいへん御迷惑かけますが、よろしくお願いをいたします。  先ほどのに関連してちょっとお聞きしたいのです。日ごろ専門家意見を聞く機会がなかなかないものですからお聞きしたいのですけれども、先ほど東大の都甲先生が、ECCSに対応してアメリカの国立研究所やAECの内部で、いろいろECCSの暫定基準というものについて、不十分で危険があるのじゃないかというような意見があることを聞いているのですけれども、都甲さんの先ほどの、アメリカの暫定基準、それとまた日本の暫定基準を説明されたことに関連して、そういうアメリカの国立研究所やAEC専門家や学者がいろいろ意見を述べていることについてどういうふうにお考えなのか、御所見をお聞きしたいと思います。
  144. 都甲泰正

    都甲参考人 ただいま御質問ございましたように、専門の学者の間でいろいろとECCSの問題が議論されております。またAECが暫定指針をつくりますときにも、可能な情報を全部集めまして、それに基づいて暫定指針及び最近出ました最終の設計指針になるものができ上がっているわけでございます。それで、アメリカの根本的な考えといたしましては、これは何もECCSに限らないのでございますが、原子力の安全というのは、英語で申しますとデフェンス・イン・デプスと言っておりますが、厚みを持った防護をしなければいけないという思想がございます。ECCSで申しますと、先ほど私が御説明申し上げましたように、まずあらゆる破断寸法に対しまして少なくとも二系統以上のものを設けなさいということ、それから、できたらば、これは必ずそうしろとは言っておりませんが、もしできましたら違う原理のものを多重に設けなさい、こういうことを言っております。  それで、今度アイダホの実験を通じまして問題になりました蓄圧注入系の機能に対して、しかもそのブローダウンの期間に対する機能に関しまして疑義が生じたわけでございますが、それを暫定指針にもちろん取り入れてございまして、ブローダウンの期間中に炉心に入った水は冷却効果を認めない。それで、もちろん蓄圧注入系に関してはそのとおりでございますが、そのほか、高圧注入係でございますとか低圧注入系がございます。これらは、ブローダウンが終わりました時刻ぐらいから再冠水、注入が始まりますので、その効果は実験に基づきまして評価しているわけでございます。  それからまた、もう一つ申しました基準は、動的機器一つ故障を考えなさいという基準を申し上げましたが、これはすべての機器が全部働くというのではなくて、もちろんそういう重要な機器でございますから、信頼度その他も十分評価いたしましてこわれないようにつくってあるはずでございますが、それらの機器の中から一つがもし働かなくても十分な機能を発揮するようにつくっておきなさい、そういうことが、まず設備の設計の面で要求されております。  それからまた解析、実は燃料の温度が事故のあと何度になるかというのは、これは解析でやるわけでございますが、解析の条件によりましては非常に大幅に食い違ってまいります。ずいぶん高い温度も出ますし、またドイツのように、非常に低い温度を計算の結果出すことも可能でございます。その差がどこでできるかといいますと、その解析に用います、たとえば熱伝達係数ですとか、そういったパラメーターのとり方によって大幅に食い違うわけでございます。現在のアメリカの暫定指針の考え方は、その重要な。パラメーターに関しましては実験によって実証した値を控え目に評価して使いなさい、こういうことで計算方法がこまかく規定されておるということでございます。
  145. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 いまのような御説明に対して、藤本さんどういうふうにお考えですか。
  146. 藤本陽一

    藤本参考人 ECCS問題について私の知っていることをお話ししたいと思います。  これは、私が一つ前の御質問に答えまして、原子力のいまの炉が開発段階にあるということを申したのにからんでおるわけでありますけれども、ECCSは、いま前に都甲さんが言われましたように、いま一体どういう状況にあるかというと、これは一九七四年以降に、熱出力が約五十メガワットの小規模の炉をつくって、それで実地にためしてみる。だから、それは実際研究開発なんで、普通に考えると、小さな炉で実際にためして、うまくいったら、今度はほんとうの実用の炉にいくという手順のはずなんでございますけれども、現在はどこでつまずいているかというと、その小型の実験炉の準備の実験でつまずいているわけでございます。ですから、まだまだ小型の実際の原子炉についての実験も行なわれず、その原子炉を行なうための資料を得る実験でつまずいたという事実は、そうするとあとに残ったのはただ図上計算だけということになるわけで、図上計算というのは、やはり信頼度は非常に落ちるんじゃないか。だから、研究開発としては、図上計算だけを指針にしてやってみるという態度は必要だと私は思いますけれども、実用というものはやはりかなり実証、少なくともある程度規模を持った実際の炉で実証にたえるものでなければ実用といわないのではないかと私は思っておる次第でございます。
  147. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 専門の内部に、私もわからぬことが多いのですけれども、なかなかこの評価の問題というのは、さっきから一つ一つとってもたいへん違ってくるので、疑問のことばかりなんですが、しろうとの考え方ですけれども、今日まででもすでに大規模でない事故が、東海や敦賀や美浜や福島などで、かなり原子炉で数多く起こっているということをお聞きしております。ひび割れの問題やら何かですね。ということは、今日、先ほども出ておりましたように、軽水炉型の発電所は、決して技術的には確立したものだというふうにはいえないのじゃなかろうかという疑問を持つわけです。  そのことは、結局、小野先生にお聞きしたいのだけれども、統計的、確率的というのはまたいろいろ議論があるのでしょうけれども、中規模程度事故が多発していると、ときには大規模事故が起こるという可能性があるというふうにいえるのじゃなかろうかという気がするのですけれども、その二点について、小野先生、いかがでしょうか。
  148. 小野周

    小野参考人 中規模事故というものですが、私は考えますに、事故というのはほんとうに何が起こるかわからないというのが事故でありまして、ちょっと御質問からはずれるかもしれませんけれども、ひとつここで私がリマークしたいことは、去年、たしか海南の発電所で発電機が爆発をしたという事故があった。あの場合に、発電機が爆発するような可能性があるかと聞くと、おそらく、そういうことはないとおっしゃるであろうと思うわけです。  それから、昨年の美浜事故にしましても、実はあれは報告によりますと故障であるといわれているけれども、ああいう種類の事故が初めからあるということが考えられていたかというと、それは私はよく存じませんが、あれはかなり意外な事故であったのではないかと思うわけです。  そういうふうに、あらゆる事故を考えているということを、かなり過剰な自信をもっておっしゃっているわけですけれども、そういうふうに、事故というものはむしろいろいろな形、知らない形で出てくるということが一つあるので、中規模事故というものの中にはそういうものがあって、それが私が先ほど申し上げたように、まだ軽水炉の運転の経験というのがそれほど長くないので、いろいろなものが出てきているというふうに考えたほうがいいのではないかと思います。  それから、大きな事故というものは、これは実はあまり正しくはないのですが、たとえばドイツなどでよくいろいろいわれているのは、一番ひどい事故としては、ECCSが作動しないで格納容器破損をするというふうな事故は、十の七乗ですから一千万回に一回以上だということをいわれています。一年間にですね一千万分の一であるということがいわれておりますけれども、しかし一千万という数字は全然根拠がないと私は思うのです。ただ一千万というふうな数か出てくるということは、それはもう統計は使えないということです。ですから、統計が使えないというふうな立場に立ってこれは考えていかなければならないということが一番大切なことなので、実は統計が使えないというので、先ほどからこういうものがついているからだいじょうぶだし、これは品質その他については十分議論してあるからだいじょうぶだと言われますけれども、実は、だいじょうぶだと言い切る自信はどこにもないのではないかと私は思います。
  149. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 時間があまりありませんから、簡潔に私も質問したいと思うのですけれども、藤本さんの「科学」の三月号の災害評価論文で、ウインズケ−ルの事故の例をあげながら説明しておられるのですけれども、このウインズケールの事故で、幅十六キロ、長さ五十キロの広い風下地域でミルクが廃棄されたというようなことがデータとしてあげてあるのですけれども、たとえば若狭湾なんかで考えてみますと、若狭湾では原子炉から数百メートルぐらいのところに、夏になりますと裸で海水浴客が数万もいるわけですね。それからまた、福島の富岡第二発電所なんかでも、十キロ以内に二万五千人以上の人が住んでいるのが現状ですね。東海村の場合も同様な条件だと思うのです。そうしますと、事故が起きなければいいですけれども、万が一いまのような事故が起きるということがあり得るとすれば、こういう事態に対してたいへんな危惧をすることがあるのですけれども、内田先生、「科学」の論文藤本さんが出された、こういうウインズケールの事故に関連して、非常に人口の過密な地帯で、海水浴客が多かったり人口の多いところに、現実原子力発電所は許可されているというようなことに関連して、安全審査委員会では、そういう問題についてどういうふうに判断されているのでしょうか。
  150. 内田秀雄

    内田参考人 私が最初に十五分くらいの時間をちょうだいして説明したときに、一番最初に、原子炉の安全というのは、どういう安全目標を立て、その安全目標確保するにはどういう事故想定して安全対策を立てるかという、安全の考え方が一番大切であるということを申し上げたつもりでありますけれども、したがいまして、無限に大きな事故を考えて、それが実際にあるとするならば、それは大きな災害が計算上出るのはやむを得ないと思います。  ただ、安全を確保するために、事故想定にはどの程度起こりにくい事故まで考えるのかという、その辺の判断が一番大事でありまして、私たちは、立地審査指針に書いてあります精神をくみまして、重大事故仮想事故というものを想定して、それに対しての災害評価をしているわけであります。そういう考え方は、最後にも申し上げましたように、国際的にも大体同じ程度規模事故想定しているといってよいと思いますが、そういうふうな立地審査指針に書いてあります仮想事故想定しましても、敷地外に対しては何ら一般の人に対して汚染災害障害を与えるとは考えられませんので、いまお話しのように、かりに若狭湾の周辺で多数の人が海水浴をしていらしても、安全上何ら問題はないと私は思っております。
  151. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 ウインズケールのような事故が起きないという保障はないとして、そういうものが起きないという前提なわけですか。そういう点、藤本先生どう思いますか。
  152. 藤本陽一

    藤本参考人 いまのお話を伺いまして、大きな事故を考えれば災害は幾らでも大きくなるとおっしゃったわけですけれども、現在御質問の問題点は、東海号炉では最悪の事態で二万何千キュリーかの放出が仮想されている。その二万何千キュリーというのはウインズケール事故のときの放出量と同じではないか。それは安全なりやいなやという問題だと思います。その場合に、内田さんのおっしゃった、公衆に何らの放射線障害も起こさないのではないかと思いますという、その安全の意味というのは、数字的に言うと、要するに、私はよく知りませんけれども、たとえば甲状腺で三百レムぐらいをとられる、あるいは全身で二十五レムをとられて、それでその数字をこえないということだけじゃないでしょうか。それは原子力委員会がかってにきめられた数字であって、それが人々に対してほんとうに安全かどうかというのは、これまた全然別な問題だと思います。そういう線量障害がないということはないわけで、きょうは微量線量についてずいぶん議論があったわけで、微量線量の害について現在疑っている方は本日は少数おられましたけれども、大多数の学者は、微量線量の場合にでも、それに対応した晩発性の害があるという仮定をすることが正しいと思っているわけであります。そうすると、一体そういう安全審査会なり、あるいは原子力委員会が、これは安全だという数値、たとえば全身二十五レムか三百レムか知りませんが、そういう目安線量を、一体海水浴客あるいはそこの住民はがまんするのかどうかという問題になると思います。それはその人たちの死活の問題であります。もしも私がその場にいたら私はがまんできない。なぜなら、たとえば許容量は非常に低い数値が出ておりますけれども、その低い数値をそのまま事故時に当てはめていいかどうか、それはわかりませんけれども、それの何百年分、何千年分に当たるような放射能を人が受けてがまんするかどうかですね。事故のときにはふだんの一年分じゃなしに二年分くらいならがまんしようという人はいるかもしれませんけれども、そんな大きな数字をがまんしようという論理は出てこないのではないか。それは一原子力委員会の問題ではなしに、むしろ国民の問題であり、国民を代表される皆さんがそれをがまんするときめるかどうかという問題であると私は思っております。
  153. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 だいぶ時間が過ぎましたので、最後にもう一つ関連して締めくくりたいと思いますけれども、滝澤先生でも安齋先生でもいいのですけれども、先ほどからも出ておりますように、たとえば東海村の再処理工場では一日に八千キュリーの放射性のガスが出るだろう。また一日に放射性の廃液が〇・八とおっしゃっていましたか、一キュリーぐらいだというようなお話、そのほかにプルトニウムなどの飛散するものも考えられるわけで、そういうような状態で、再処理工場が五十年に動き出すというようなことに関連して、この前の科学技術委員会では、科学技術庁長官に私が質問して、アメリカのビネラル・エレクトリック社が本年五月に再処理工場の放射能をゼロにするというような技術の開発ができておるというような問題とか、西ドイツの環境庁で、パテントを出すにはゼロにするように相当シビアにしなければなららぬというようなことを言っておるとか、そういうような情勢から見て、科学技術庁のほうではゼロに努力するというふうにおっしゃっていましたけれども、国際的なそういう研究も進んでおるし、先ほどの御説明にも、技術開発はもう可能だという御意見も中島さんからもありましたですね。こういう一連の学者の方々の御意見をお聞きして、科学技術庁としては、再処理工場の五十年稼働という前に、技術開発をやってゼロにするという長官の努力といいますか、何といいますか宣言ですね、それについてもう少しコンクリートに対処していくようなかまえはないかどうか。いずれ長官にはお聞きしたいと思っておりますけれども、いかがですか。
  154. 成田壽治

    ○成田政府委員 東海の再処理工場は、五十年の初めから稼働する計画になっておりますが、稼働する前に、できるだけ放出量を少なくする。目途は、稼働後も含めましてゼロを目途としてやると大臣はおっしゃっていますが、その一つのあらわれといいますか、実現の方法としては、液体につきましては従来パー・デー〇・七キュリーという安全審査の際の計算でありましたが、これが動燃の予算で、液体の排出量を減らす方法研究をやっておりまして、これが十分の一くらいに落ちる、これは稼働前に実現できる見当になっております。ただ、気体につきましては、クリプトン85の問題が一番大きいのでありますが、先ほど中島参考人からも話がありましたが、これを低減させる方法研究をやっておりまして、予算もつきまして研究をやっております。ただ、これが実際に実用化できるという見当は、まだわれわれのほうでは確信持っておりませんので、これが五十年の稼働前に実用できるという見当をまだ持っておりません。まだ研究開発を続行中でありまして、液体についてはできますが、クリプトン等の気体については実用化できるという確信を持つにまだ至っておらない、研究段階であるということでございます。
  155. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 中島さん、どうですかね。いまのような御意見と国際的な動向から見て、いまのような政府の態度はいかがですか。
  156. 中島篤之助

    ○中島参考人 いまのようなお話は論外であろうと思います。私がさっき申し上げたのは、五十年までに間に合うと申し上げたのではなくて、間に合わなければ当然とめるべきなんで、前からやっておれば五十年に間に合ったかもしらぬと申し上げたわけであります。技術的にはそれは可能なんでありまして、そのことを申し上げたい。  それで一つ言いますと、実は確かに予算は、ことしクリプトンをつかまえるお金が出ておるのですが、これがいわゆる動燃団方式というやつで、実際は全部民間会社へ研究委託でいってしまうお金なんですね。そういう予算のつけ方自体にも問題があると私は思っております。現在の段階では、大学の研究者も含めて、一つは基礎研究を広範に展開して、もっといろいろな可能性、いろいろな方法をさがす。それから次に、実用可能性のある方法についてそれの具体化をはかる。それから今度は、実際にできているものを装置化をはかる段階で初めてPNC方式なり何なりをお使いになればよろしいので、いまはそこら辺が、世論が出てきたからやっとこさお金がそっちへついて、結果としては、はっきり言えば、日立とかなんとかそういう大きな会社にお金がただ流れ込んでいるだけみたいなことになっておるという点を指摘しておきたいと思います。
  157. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 たいへんおそい時間まで長い間ありがとうございました。  きょう先生方の御意見をいろいろお聞きしまして、何といっても原発問題に関連して、全体のシステムを考えてみても、安全性の問題に一つ大きな問題がありますし、それから廃棄物や再処理の問題についてもまだ十分な対策が立たないまま事が運んでおる現状だということを、日ごろしみじみと考えておることを再確認させていただいたのですけれども、それにしても安全性の問題について科学者の間でこんなに意見が違う。一方で非常に危惧される考え方があるのに対して、片一方ではかなり安全に対する信頼をもって事が進められている。こういうことをわれわれ国民立場から見ると、何として解決していったらいいんだろうかということをしみじみと感ずるわけです。  私は、最後にもう一度念を押したいのですけれども、内田先生は、たとえば安全審査会での議事録を公開しない、できないというふうにおっしゃるんだけれども、だとすると、原子力基本法でいう三原則というものについて内田先生はどういうふうにお考えになっているんだろうかという疑問を持つわけであります。その点についての回答を最後にお願いしたいのと、それから、科学技術庁や政府というのは企業に対してニュートラルな立場であるのが行政の筋だと思います。だとすると、たとえば企業機密というようなことが一方にいわれながら事が処理されていれば、国民の側から見れば、これは決してニュートラルじゃなくて、企業と行政が結託しているという不信ですか、そういうものを国民の世論からぬぐい去ることはできないわけであります。ですからそれだけにほんとうに電力需要というものについて、私は需要そのものにも電力にはむだな生産が一ぱいあると思います。ですから需要そのもののあり方についても、いろいろな検討をする議論があっていいんじゃないかと思いますけれど、それにしても行政というものは、ほんとうにニュートラルな立場でないと、これはどこの地域でもそうですけれども、たとえば私の北陸の能登の原発の場合でも、電力会社が札束で住民をひっぱたいている。そして、同時に行政がそれと完全に癒着しているんですよ。だから、住民の側から見ますと、その市の、町の議会や町の執行部のやっていることは、電力会社と結託して、そのデータに基づいて安全だ安全だという宣伝をやっているという印象しか残っていない。ですから住民に一部の強硬な反対というものがどうしても残ってしまうわけです。そうすれば地元の承諾が得られないのですから、必要だという原発そのものの設置ができなくなっているというのが現状ですね。これは火電についても同じことが言えます。ですから、行政というのは、ほんとうにニュートラルな立場でやって、そうして国民の前に、その審査の過程や、それを許認可していく場合のいわば基準というものについて納得できるようなデータが出されているかどうかということは、いま電源開発の需要にこたえていくという場合にも、これは筋として考えなきゃならぬことじゃないかと思うんです。  そういう意味で問題を立て直してみますと、私がどうしても納得できないのは、たとえば議事録は公開できませんという役人のような答弁じゃなくて、原子力基本法にいっている三原則というものを、内田先生は実際どういうふうにお考えになっているんだろうかということをお聞きせざるを得ないし、同時に、科学技術庁に対しても、今日の安全性という問題を一つとってみても、これだけたくさんの先生方の意見が違い、いろんな問題があるわけですから、そういう問題が残っている間は、国民の側から納得のいく——原発にしても、電源開発に対して国民に協力してくれといっても、科学者の中でそういう問題が解決されていない、いろんな論争が起きているということは、とても国民か納得できない疑問を残していくと思うのですね。ですから科学技術庁としては、たとえば学術会議原子力問題に関する科学たちが、少なくともアメリカで公表されている程度の——いわゆる報告書をいただくんじゃなくて、許認可していくにあたってのいわばプロセスですね。そのプロセスでどういうふうに災害評価が行なわれ、どういうふうに事故解析が行なわれているかということについて、少なくともアメリカで公表されている程度のものが日本で公表されないという理屈は、ぼくは成り立たないはずだと思うのです。そういう意味で、資料公開は、何もアメリカを基準にしてやれとかその限界を言っているんじゃなくて、もっとたくさん公表すれば、国民にいろんな論争が起きてきて、そしてこれならば納得できるというところにいけば非常にいいことなんですから、そういう意味では、少なくともアメリカで公表されている程度資料日本でも公にしていくという用意があるのかないのか。いずれまた長官にも詰めてお聞きしたいと思いますけれども、その点について内田さんと成田局長の答弁をお願いをしまして、私の質問を終わりますが、答弁があいまいですと再度質問しなければなりませんから、明快に簡潔にお答え願いたいと思います。
  158. 内田秀雄

    内田参考人 三原則を尊重しなければならないことはよくわかっておりますし、私の行動なり私がなさなければならない範囲では、これからももちろんその方向で十分対処していくつもりでございます。  それから、専門審査会の議事録を出さないということにつきましては、ことばじりをとらえるようでまことに恐縮でございますけれども、安全専門審査会の議事録は公開されて、たぶん事務局を通して皆さまのお手元のほうに出ていると私は存じております。ただ、私が公開をはばかりたいと申し上げましたのは、速記録をとってそのまま出せということでございますので、それだけはごかんべんいただきたいということを申し上げたわけであります。
  159. 成田壽治

    ○成田政府委員 公開原則、これは基本法できめられている非常に大事な前提でありますので、われわれ極力それを守ってまいっております。ただ、企業機密の問題、これは先ほど言いましたように、公開の例外的な場合もあるというふうに従来から解釈されてまいっておりますが、これは企業側がいうように企業の判断でなくて、行政府が判断して、極力限定された場合に限って処理していきたいというふうに考えております。  それから安全審査会の個々の議事、審議過程を明細に議事録として、公開すべきじゃないかという御意見が前にもありまして、この点につきましては、まあ企業機密の問題もありますが、それが全部出るということになると、かえって先生方の活発な御意見をもらえないという場合もあるんじゃないかというので、審査会ともよく相談して、その結果的な議事録あるいは結論等は得ておりますが、その過程のこまかい速記録等については、われわれは公開するのは適当でないというふうに考えております。ただ、その際の災害評価災害事故解析等いろいろなデータにつきましては、必要なものは公開していきたいと思いますが、審議経過のこまかい議事録については、これを公開発表するのは適当でないというふうに考えております。
  160. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 最後に、お聞きしますけれども、われわれ国民の代表として、委員会や議会で議論をするにあたりまして、日本専門的なそういう問題に携わっている学者たちが、たとえば前にお話がありましたが、藤本先生だとかもろもろの先生方が、少なくともこういう程度資料はわれわれの手元でも研究したいし、そして、日本における原子力のあり方、自主性というものを今後考えていく場合にも、どうしてもこういうデータが要るというようなことを、いま個人の先生ではなくて、そういういわば国民の要求だと思うのです。科学者という専門家国民の要求に対して、私たちがそれを受けて、そして科学技術庁に要請をした場合には、それについてどこまでは見せて、どこまではできないということについて、明確な回答を今後いただくということは約束できますか。
  161. 成田壽治

    ○成田政府委員 そういう御要請があった場合、どの範囲まで提供できるかどうか、具体的に検討してお答えしたいと思います。
  162. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 何か官僚答弁ですね。結局、どこが判断するかといえば、科学技術庁でやるわけでしょう。そういう場合に、私たちのほうで判断をいたしますと言っていることが、公開という原則ではないということなんですよ。つまり、国民立場に立って、少なくとも科学たちが、アメリカの今日の基準でアメリカのマイクロフィルムで見れる程度のデータというものが片一方で読める。ところが、日本原子力発電所の許可に関連して、それに関連した程度のデータが読めないという現実がある。たとえば国会図書館でも、私が調べてみたって、一九七〇年までのマイクロフィルムが入っていますけれども、七一年以降入っていないという現実がある。  それから、同時に、先ほども何か科学技術庁に資料室を設けるというのだけれども、国民に明らかにするということは、少なくとも国会の資料室にそういうものを全部備えていなければ、われわれ原文だって読めるわけですから、そういう原文も読み、それについてわれわれ政治家として判断する材料というのは国会図書館になければならない。そういうふうにして国民の前に明らかにしていくような材料というものを、少なくとも国会議員が専門的な勉強をこれからしようというときに必要なもの、わからないときには専門家専門的な知識、意見を聞いて、私たち国民立場に立って、ほんとうにこれが安全なのかどうか、それから、これが、いま電力がこういう事情の中でどうしてもつくらなければならない場合には、国民を納得させるためのわれわれ政治家の活動というものがあると思うのです。  それを、いつまでたっても、私たちの判断で見せるものは見せますとか見せませんとか、そういうふうな回答をやって、どんどん事態を引き延ばしているのです。私か資料を要求したって、三月の下旬ですよ、資料を言ったのは。これは何もアメリカに言わなくても、すぐその場で、十日もすれば集まる資料ですね。それも出してこなかった。請求をしたから出てきた。  また同時に、たいへん重要なのは、たとえば科学技術庁長官との間に、この前の議事録にもありますように、藤本論文に対して一定の見解を出しましょうということを約束した。一週間は無理だとおっしゃった。しかし、それならどのくらいで出せるかと言ったら、早急に対処いたしますということを約束したはずです。ところが、いまだにやらない。私たちが一々言わなければそれに対処してこないといういまの行政のあり方があるわけです。そういうものが国民の不信を招いているのであって、だからそれだけに、いま言ったような、せっかくこんなにたくさんの専門家の先生方が来られて、今日の原子力安全性について意見があった場合には、少なくとも国民が納得できる程度の材料というものを積極的に公開する、そういう態度でなければおかしいのじゃないでしょうか。それはニュートラルではないんじゃないでしょう。それがやはり企業機密に引きずられていって、国民の側に立ったニュートラルの立場に立ってないということになると私は思うのです。ですから、そういう意味で、いつも何かのらりくらりとした答弁で事が終わって時間をかせぐというのではなくて、もっと積極的な姿勢をこういう機会に出していただきたい。特に、こういう専門家の先生方に、長い時間ごしんぼういただいて御意見を聞いたのですから、それをただ聞き流ししていくのじゃなくて、国民立場に立って、それをどう受けとめるかという観点で事を処理していただく必要が私はあると思うのです。そういう意味で、今後日本科学会議学術会議の方々から、一定の外国の文献とコンパラティブに検討していくに必要なぐらいの資料を、われわれが要求していくことに対しては、それに最大限の努力をしてこたえていただくということをお約束していただきたいと思うのですが、いかがですか。
  163. 成田壽治

    ○成田政府委員 資料公開問題につきましてはわれわれがサボって時をかせいでいるというふうに誤解がありましたようですが、原子力基本法を守っております原子力委員会ともよく相談しまして、基本法の趣旨に沿って最大限の努力をして処置をしたいと思っております。
  164. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 それなら批判的な方々の御意見を——いまのような御意見に対して、積極的に先生方のほうでも私たちに向かって、国民立場からいろいろな要求というものを出していただきたいと思うのですが、その点について最後に御意見をお伺いして、私は終えたいと思います。
  165. 中島篤之助

    ○中島参考人 申し上げますが、実はこれはまことに堂々めぐりになる話なんで、たぶんアメリカがやっているのと同じようにやっているんだということであれば、こういうところはどうですかと話が聞けるわけです。ところが、どうやっているか結果しかないのですから、ぼくら何を聞いていいかわからぬから、先に公開してもらわないとほんとうは困るということが第一点です。さっきちょっと都甲先生が、深層防護、ディフェンス・イン・デプス、きょうの局長の答弁は、たいへんディフェンス・イン・デプスで、完全に防護されているようですけれども、そのときちょっとおっしゃったのは、たとえば、いろいろ結果が違ってくるのは、解析に用いるパラメーターが違っているのだとおっしゃったのです。これはそのとおりだと思います。どんなパラメーターをお使いになっていらっしゃるかをわれわれは知りたいのです。たとえば、熱伝達係数その他が違いますと言いますけれども、アメリカの例はけっこうです。われわれが調べればわかりますから要りませんが、日本ではどうやっておられるか、あるいは美浜のときはどうされて、それから東海のときはどうなさったということを知りたいのです。たとえばそういうことです。
  166. 嶋崎譲

    ○嶋崎委員 そういうわけで、私たちも今後とも資料要求やなにかをやってまいりますので、積極的な姿勢で対処していただきたいということを要望申し上げまして、たいへん長い時間ほんとうにありがとうございました。
  167. 石野久男

    石野委員長 この際、参考人各位一言ごあいさつ申し上げます。  本日は長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただき、本問題調査のためたいへん参考になりました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。  この際、政府に対して委員長から一言申し上げますが、前田科学技術庁長官は、所用のため本委員会に出席されていませんが、しかし参考人意見は、原子力行政、原子力安全性確保に関する行政に関して、きわめて重要なものを述べられたと思います。各委員からの質問に関しまして政府答弁は十分でなかったと思います。したがって、本委員会における参考人の口述の問題につきましては、緻密に、漏らさないで長官に伝えてもらいたい。委員会において再びこの問題について各委員の質問があると思いますので、その点を粗漏のないように、特に私から希望しておきます。  次回は、明十日木曜日午前十時より理事会、午前十時十五分より委員会を開くこととし、本日はこれにて散会いたします。     午後七時三十分散会