○杉原一雄君
田中総理はたいへんお疲れでしょう。どうも御苦労さまでございます。代表質問はちょうど私で終わります。
日本社会党を代表して質問いたします。
実は私、今日まで約六年間、百三十戸の団地の町内会長をつとめております。幸いにしてかきね越しに市民と語る喜びを持っておるわけです。
総理もまた、
所信表明の中で
国民との対話を力説しています。しかし、
歴史は、太閤秀吉の政治を誤らせたのは淀君だと規定しています。
田中内閣の命運を左右するのは、実は
国民でなくて、外、ワシントン
政府、内、
日本の財閥だと危惧するものは非常に多いのであります。とりわけ三十日以来の
答弁の
姿勢の中にそれを痛感するのは非常に悲しいことであります。だから
総理に対し、一日一日、喜びと悲しみと怒りと不安の生活を続けている市民大衆に対して、希望と勇気を与える決断と
実行の政治をまずもって要望いたします。
総理、あなたは二十八日、本議場において「インドシナ半島においては平和が到来しようとしており、朝鮮半島においても南北の話し合いが進められております。」との
見解を
表明されました。まさにそのとおりであります。
去る十七日夜、韓国において非常戒厳令の宣布、憲法停止、
国会解散という一連の強硬措置がとられたとき、私、一瞬、不安と驚きに包まれました。しかし、去る二十四日、平壌において第三回南北赤十字会談が平静に開かれ、なおまた、明二日、平壌において南北共同
委員会が開かれようとしております。実は七月十八日から二十七日まで十日間、
日本社会党朝鮮問題特別
委員会を代表し、足鹿団長外八名が朝鮮民主主義人民共和国を訪問し、二日間の政治会談と、四時間にわたる金日成首相との会談を行ない、その後、朝鮮対外文化連絡協会との間で厳粛に共同声明に調印をして帰国したのでございますが、まず要求したいのは、空間的距離が
沖繩よりも、上海よりも近いのに、三泊四日のシベリア回りでは困るのであります。ジャンボをもってして二時間余りで行ける
状態をつくってもらいたいのであります。南北会談と統一への道、朝鮮半島四千万人民の願望が成就するよう積極的に乗り出してほしい。七月四日の南北朝鮮の共同声明に対する熱烈なる支持の
表明を重ねて希望するわけであります。
韓国の一詩人が、「祖国とは何か、必ずしも山紫水明である必要はない、そこに同じ一つの
ことば、同じ一つの乳ぶさで育ったはらからがいるだけで、それは祖国なのだ」と言っているのであります。そこには、長い間南北両断の悲しみが横たわっております。南北統一の夢、その第一歩が踏み出されたのであります。
その統一の三原則、一つは、外部勢力の干渉を排し、自主的に解決をする。
二つ、制度、思想を越えて民族の大同団結をはかる。
三つ、武力的手段を排し、平和的解決をはかる。
この三原則こそ、四千万民族の知恵であり悲願であります。重ねて
総理の七・四の南北朝鮮の共同声明に対する
見解表明を要求するわけであります。
金首相も、われわれとの会談において、
田中内閣にかなりの期待を寄せております。南北両朝鮮に対する均衡政策を希望しております。そして、統一を助け、妨害をしてはならない、そのことを伝えられたいと私たちに伝言したのであります。そして、
佐藤前
総理のように、南一辺倒政策をとり、統一を妨害するならば、それは朝鮮人民にまた一つの大きな罪を重ねることになるだろうと警告しておりました。すでに
国会内外での大平
発言で明らかなように、文化、経済等の交流を深めていくが、政治、
外交的には手も足も出さぬと言っておられるのであります。前福田外務大臣が日中問題でアヒルの水かきという
発言をしたことがございますが、この水かきさえも大平外相には認められないのであります。それは一体どのような分析と判断によるものか、
総理も外相もはっきりその事情をわれわれに申し述べていただきたい。われわれは要求いたします。
一つは、共同声明により日韓
条約は空洞化し、従来、朴政権に対する一方的な加担、共和国に対する敵視政策をやめ、すみやかに
国交を樹立すること。
二つ目、在日朝鮮公民に対する一切の差別政策をやめ、祖国往来の自由、国籍選択の自由、民族教育の自由を保障すること。
三つは、国連に対し、共和国の無条件加盟に協力し、南からの国連軍の撤退、国連における朝鮮統一復興
委員会の解体、不当な諸決議の撤回を要求し、その実現に努力すること。
以上三点について、
総理の
所信を求めるとともに、当面何をなすべきか、なさんとしているかを具体的に明らかにされることを要求いたします。
次は教育の問題。
総理は、
所信表明において、「明治百年という時代の転換期にあたって、教育の占める役割りは重要となってきております。私は……
さきの中央教育審議会の答申を踏まえ」と述べています。
列島改造論の中では、文化、芸術、教育についての構想はゼロであり、それがまた最大の盲点でもあります。でありますから、
総理のライバルであります福田氏も、あらゆる機会に、国づくりについての
日本列島改造も重要な一つだが、しかし、より大事なことは、今日の段階では人心
改造論だ、と力説しております。私もまた、激動する
歴史的社会を正しく生き抜くために、七〇年代のパイオニアとして欠くことのできない世界観、社会観、人生観、労働観などの自己形成に正しく寄与するような基礎的知識を選びに選んで学ばせることが大切であると思います。そのためにも、教育権は
国民のもの、教育
行政に対する住民の自治、たとえば最近まで
沖繩百万県民がしっかりとその手に握っておりました教育委員の公選制の復活など、きわめて重要な課題ではないかと思います。
政府が進めようとしている、大資本に奉仕し軍国主義復活強化の中教審路線には、私たちは遺憾ながら反対の意思を
表明いたします。
その上、教育
改革の重大な時期の文部大臣が稻葉文相であることに、非常に大きな不安を感じます。文相は和服でゆうゆうとしておりますが、実は六月の十六日
発表された自民党憲法
調査会の憲法改正大綱草案、その最高
責任者であります。民主、平和、人権尊重の
日本国憲法に大胆に挑戦する改正草案、文相は政治家として、その当時の信念はいまもなお変わらないものだと信ずるのでありますが、もし私の推定に間違いないならば、憲法の根本に触れる第一条、天皇の地位の明確化、第九条、戦争の放棄の改正、
自衛権の確立、いま問題になっている
車両制限令改正と重大なかかわり合いを持つ、内閣に緊急
状態における特別立法及び
財政措置の権限を付与する規定を設けるなどときめていることは重大な問題であります。いま文教
行政の
責任者として、教育基本法を検討しておられると思います。教育基本法は、「憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい
日本の教育の基本を確立するため、」と前文でうたい、
昭和二十二年三月三十一日公布されたのであります。教育基本法を抜本的に改定をする準備を、稻葉文相の思想体系から
考えると、おのずから進められていると思いますが、憲法改正の先頭に立つ文部大臣、いまそのことの、教基法改正についての作業の現段階——先般は学習指導要領を非常にすみやかに改定されたのであります。
総理も、そうした関係、憲法と教育基本法、稻葉文相と文教
行政、この点について明確な
責任ある態度を実は
表明していただきたいと思います。その上、
総理としては、直ちに憲法改正の作業をここの段階でストップをかけると同時に、中教審の今後の運営をどうしますか、具体的目標、作業
日程などを実は明らかにしてほしいのであります。
きのう、わが党の加瀬議員が指摘されたとおり、
総理は、北京会談あるいは共同声明を通じて、太平洋戦争の
責任、周首相の提起した一八九四年すなわち日清戦争以来の
日本の歩いてきた道、軍国主義、帝国主義、この
歴史にきびしい自己批判を行ない、国際社会にその態度を明らかにしてきたのであります。だから、少なくとも明治、大正、
昭和の
歴史を再検討し、教育の場における教科書の総
点検を行なうことが緊急かつ重大だと思うが、
総理の最高の決断を伺いたい。
私は、いま、ここに一冊の教科書を持参しておりますけれども、具体的な指摘を行ないません。ただし、一昨年、
公害国会において、わが党の衆参両院の議員から
公害に関する記述の指摘がありましたところ、当時の坂田文部大臣は直ちにその教科書の訂正を命じたのであります。それぐらいの決断を
総理が下してもいいのではないだろうか。その点、教科書まであなたに読めとは申しません。検討していただきたいと思います。
農業問題です。
国会閉会中、すばらしい秋晴れの午後、隣部落の農業倉庫に立ち寄りました。倉庫の前庭に検査米が山に積まれております。ある農民がつぶやくように語りました、「心配しないで働ける農業にしてください」と。私も六年前まで八十アールの農業経営をしてまいりました。だから農民の訴えがビーンと胸につかえました。もし、その農民が三十日以来のテレビ放送を見ていて、衆参両院の
総理の
発言を聞いていたらおそらくがっかりしたことでありましょう。いわんや、来年の稲作計画へと勇気をもって立ち上がることができるでありましょうか。残念ながらノーと言わざるを得ません。
「農業については、総合農政の推進のもとに農村の環境
整備を強力に実施して高生産農業の実現と高福祉農村の建設をはかり、農工一体の実を挙げてまいります。」、これが
総理の
所信表明の構想であり、きのう、きょうの
答弁の中身でもあります。しかし、もっと具体的構想と、それを年次的にどう実施するか、その計画をポイントだけでも明らかにしてもらわないと、われわれはさっぱりわかりません。
自民党の先月の二十七日
発表された新政策大綱を読みました。「高能率農業の展開と林業、漁業の振興」ということでありますけれども、農民は一体どうすればよいのでしょう。
日本の農民はどこを向いて歩いたらよいのでしょう。たとえば減反休耕で祖先伝来の美田に雑草がはえ茂っています。これをして高能率農業とどうして言えるのでしょう。もし、かりに自民党の政策、主張どおり高能率農業を主張するならば、
政府は、まず、ばく大な国費を投入して干拓し、干拓しつつある八郎潟、石川の河北潟を農林省本来の目的、計画に返って大胆に方向転換をすることができるかどうか、これを簡単に言明してほしいと思います。
改造論九ページに、「
日本農業の将来あるべき姿を
考えると、農家一単位が自家保有地一ヘクタール、他人の所有地十〜二十ヘクタールをこなすようでなければならない。」、なおまた、「農業発展の主流はこんご協業、請負、賃耕などになるだろう。」と、これは
ことばどおり読んだわけでありますが、述べているのであります。この分析と展望で進めると、必然的に生産組織の一大改造が必要だと思うのであります。私の判断では、発想の起点は同一ではないでしょう。だが、
中国の農業が今日偉大な前進を遂げ、朝鮮民主主義人民共和国の農民が工業労働者の生活水準に追いつき、希望に満ち満ちた生活をしている基盤に、合作社から発展した人民公社組織があります。だから、私は、
日本的人民公社組織を従来の部落生産組合と農協の機能を強める中で新しく
構築したらどうかと思うのであります。唐突でありましょうけれども、いかがでございましょう。
最近農林省が
改造論に刺激されたのか、農業が農産物以外に洪水調節、
土壌浸食の防止、酸素供給など、一年間の緑の値段が五兆八千億なりという機能試算をしたそうだが、その意図は一体どこにあるのか。一体、
日本農業を産業として正当な評価をしているのかどうか、ほんとうに疑問に思います。
そこで、ただしたい。
政府は、米の生産制限、減反休耕政策をとり続けるつもりなのかどうか。食管制度がそろそろじゃまになりましたからこれをどうしようとしているのか。改正作業をしているならばその事実を明らかにしてほしい。もちろん、われわれは食管制度の改廃には反対であります。
改造論の、食糧の国内自給度八〇%の根拠を示してほしい。だが、先ほど春日議員の質問に対して、一〇〇%もあり得ると言ったので、ちょっと私、てこをはずされたような感じがしますが、
改造論では、工藤議員がやじったように、八〇%と、れっきとして書いてあります。だから、根拠があると思います。それを明確にしてほしい。
十月十七日から十月二十七日までニューデリーで開かれたFAOの第十一回
アジア極東地域総会でも、米の需給は問題ないとする将来の需給予測は
考え直すべきでないかとの意見が出たということであります。それは米の主産国が軒並みに不作が伝えられ、世界の米需給が逼迫している局面に直面しているからであります。わが農林省の内部からも、生産調整が行き過ぎたから米の需給が窮屈になったという、きわめて無
責任な声が上がっているということであります。事実、九月二十日の作況指数では、水・陸稲合計一千百四十六万トン、四十八年米穀年度における需給計画は一千百七十万トンであります。ほぼとんとんであります。きわめて不安な状況であります。いわゆる米減らしが基幹である稲作の抑制を通じて
日本農業の分解を促進し、
土地、水、労働力を農業外に転用させようとした政策に対する農家の生活自衛の知恵の結果ともとれます。
改造論はそうした農民の心をじゅうりんして突き進もうとしているのであります。とりわけ農産物の自由化、
米国からの自由化はどうしても避けられないものかどうか、あらためて
総理の決意を伺いたい。
積極的な
土地対策をサボリ、農業の第三次産業化の方向が何か新しい政策であるかのように
改造論はうたっている。私は、次の三点にしぼって問題を提起し、
総理の
見解を求めます。
一つは、農業を産業として正当に位置づけることであります。米、畜産、果樹の三本柱の確立。二つは、生産の
地域特化をもりと徹底する適地適作の農業の確立であります。第三は、
さきに提起したように、生産組織を大きく前進して、大胆に改造することを提起したいのであります。
総理の
考えを求めます。
次は、道州制の問題であります。
改造論の八ページに、府県制度を改廃し、道州制実現の必要を示唆しています。
総理、どうしても府県制度が狭過ぎて経済の発展と
行政の広域化に対応できませんか。そして
改造論の機能的主張の中の「一日交通圏」、「一日経済圏」の機能と
内容はとても理解できません。どこにそのメリットがあるのか。とにかく私は道州制実現には反対いたします。そうして、そうです、
日本商工
会議所や関西経営者協会などから私たちにも道州制の実現に対する強い要望が参っております。
総理の構想と一致いたしております。これは偶然でしょうか。戦後、
日本国憲法第八章で、地方自治の権利が保障されました。市民はその経験不足からくる未熟さを草の根民主主義
運動を通じて克服し、中央集権強化のきびしい攻撃と戦い戦い、みずからの領域を確立してまいりました。たとえば、自民党と官僚とが一体になって攻撃をかけてきた市町村連合法案は六十八
国会でついにつぶれ去ったのであります。また、
四日市市民が複合
公害から命を守る戦いに勝利し、
木村建設大臣を感心させたのであります。また反対に、
木村建設大臣からあなどり軽視されてはいるけれども、
鹿島工業地帯の農漁民の命と暮らしを守る戦いなど、そうして私の県の富山では、神通川流域の住民は敢然として天下の三井を相手に戦い、三年半にわたる裁判闘争において完全勝利をかちとったのであります。一体、これらの戦いには、中央
政府の指導あるいは都道府県の
行政努力があったでありましょうか。断じてそうではありません。雑草のごとく踏まれ、けられても立ち上がった住民自治の知恵と底力ではありませんか。確かに、旧全総、新全総を計画し推進する側に立つ者は、こうした
地域住民の抵抗はじゃまでしょう、はがゆいでありましょう。しかし、議会で多数をとれば何でもできるという民主独裁政治の危険を身近に痛感します。われわれは、太平洋戦争の愚かさを再び繰り返したくありません。大資本の行くところ敵なし、
国民の命も権利もブルドーザーの勢いで踏みにじるような
行政機構づくりは、断固として反対せねばなりません。ものそれぞれには
理由があります。
総理、どうしても府県の統廃合もしくは道州制の実現をしないと列島改造はできませんか。そのどうしてもというところをはっきりと説明してくださいませんか。それとも、東京、埼玉、京都、大阪、岡山、そして
沖繩と、続々と革新知事が誕生しつつある韓新自治のこの怒濤のごとき大きな流れを遮断しようというのでありましょうか。もしそうだとするならば、それは大きな誤謬です。それこそ
改造論は中央集権からの改造であります。そうでなくて、シビルミニマムをもととして、そして地方自治体に自主性を持たせ、自主財源を確保することによって、下からの改造を行なうことこそ、まさしく市民の福祉を増進し、確保する道であると確信します。
総理、いかがでしょうか。
最後に、
車両制限令の問題。
私は、相模補給廠の
米軍車両の道路使用について、六月一日、六月六日、地方
行政委員会において、相模原市の
日本社会党総支部からの連絡により、
政府の
責任追及と緊急措置を要求してきました。だから、
総理はきのうも答えていたように、八月上旬に問題が起こったのではありません。六月以前から正義の同志が血みどろの戦いの結果、ついに局地闘争に耐えかねて
国会に持ち込んでまいったのであります。ただ、六月一日、六日の地方
行政委員会の審議の中で、建設、外務両省と警察庁の
責任ある
答弁と
行政措置により、M48戦車並びに
米軍車両は完全に補給廠の中に封鎖されたことになっていたのであります。ところが、八月五日、
米軍車両がのこのこと出てきたので、飛鳥田横浜市長や市民と労働者が怒ってその前に立ちはだかり、ついに立ち往生をさせたのであります。そこで八月十日、三たび地方
行政委員会においてその
責任を追及いたしました。橘
アメリカ局長代理がこう言いました。「六月六日の当
委員会における松田説明員の説明後に、間もなく、六月の八日に
日米合同委員会が行なわれましたが、その席上におきまして、
日本側より文書をもちまして、道路交通法、なお、そのもとにおける
車両制限令というものがありますよと、それについても尊重するようにしてください、」「ということを
米側に申し入れております。なお、七月の三日に、これは
安保条約の実施に関するいろいろこまかいことの
協議をやる、まあ随時
協議を
米側とやっておるわけでございますが、七月の三日にやはり事務レベルでのそういう
協議がございました。その際には、口頭をもちまして、さらに道路関係の法規をよく守ってくださいということを
米側に重ねて注意を喚起してございます。」
八月五日の紛争について、国道の管理者である建設省、その省の小渕政務次官に、どういう連絡があったかと尋ねたところが、道路管理者でございます建設省でありますが、「その後におきましては連絡を受けておりません。」と、きっぱり
答弁をされました。
そして、十月の十七日、
政府は、
車両制限令を改正し、
米軍車両並びに
自衛隊車両について適用除外することを決定したのであります。
総理に伺います。六月八日、
日米合同委員会で外務当局が文書できっぱりと断わっておきながら、なぜ十月になってから
車両制限令を改悪して、フリーパスを認めざるを得なかったか、その
理由を明らかにしてほしい。繰り返し外務省に合同
委員会に出した文書を要求いたしましたが、これは外に出すわけにはいかないと断わられました。私には、蓮見事務官のような方はおりませんので困っております。
国際情勢、とりわけ
ベトナム戦線に緊急事態、すなわち北
ベトナム人を大量に殺さねばならない、そうしなければ東洋の平和を保持できぬことでも起こったのでしょうか。それは
総理の
所信表明の中の
緊張緩和を強調した国際分析とは違うのではありませんか。
もっとわれわれが危機感を持つのは、六月十六日の
発表の憲法改正大綱草案、すなわち稻葉試案の「第五章、内閣、内閣に緊急
状態における特別の立法及び財源措置の権限を付与する規定を設ける」とあるのと結びつけて
考えると、かつての勅令、緊急勅令時代を思い起こします。戦慄を感じます。だから、一つには
安保優先であり、政治的には不当であります。いま一つには、法理的には政令改正は憲法違反であると思います。一人のルバングの生き残りの旧兵士を救うのに厚生省が全力投球していることには、私、心から敬意を表し、命の尊重を痛感いたします。しかし、一台の戦車が何千、何万の
ベトナム人を殺しているが、どうして国内法まで改悪して戦車を通さなければなりませんか。とのことにつきまして首相の明確なる
答弁を要求いたしまして私の質問を終わります。(
拍手)
〔
国務大臣田中角榮君登壇、
拍手〕