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参考人(
小林提樹君)
小林でございます。失礼いたします。
ただいま
北浦参考人から御
意見がいろいろ述べられましたが、私も大体同じようなことを重複して申し上げるような点が多いことになりそうですが、
施設を経営しておるという
立場から多少とも違った点などを申し上げ、あるいは強調すべき点な
どもう一度繰り返して申し上げさしていただくかもしれないと存じます。
お
手元に配付されておると思いますが、「
重症児問題の
推移」というリコピーがございますが、これをちょっとごらんいただきまして「
施設整備」の
最初の項目に
昭和三十六年
島田療育園とございますが、五十床というのが初めてここに生まれております。その当時のことからちょっと歴史的なことを申し上げるようになりますけれ
ども、今日のある姿というものは、こういうものを踏まえて生まれてきたということから、簡単ながら少し
ことばをつけ加えさしていただきたいと存じます。
島田療育園ができましたときには、なぜできたかという、この問題は、
児童福祉法というりっぱな法律があるけれ
ども、
現実的にはどうしても漏れる
子供がある、そのためにこの
島田というものが生まれたわけであります。それでそのときの目標は、
福祉法の
施設で取り扱い得ない、あるいは拒否される、あるいは
収容がうまくいかないという者を、何でも漏れる者は受け取りましょうというのが
最初の方針でありました。こういうところから始まったわけですので、現在それがまだ尾を引いておりまして、もう十年から
たちますけれ
ども、
最初に入ったそういう
子供たちがまだおりますということから、内容的には非常に複雑なものになってしまっております。それから先ほど
北浦さんからの
お話も出ておりましたけれ
ども、
次官通達が三十八年に出ておりまして、ここである
程度のワクがはめられました。と申しますのは、どういう
子供を
収容するのかという
一つの
規定がここに出てきたのでございます。
ことばをかえて、私のほうから申しますと、結局リハビリテーションに値しないものはこの
子供たちであるというふうな解釈があの当時はなされたのであります。それから次に
児童福祉法が改定になりましたのが、これが
昭和四十二年でございます。で、この法によりまして、
重度の
肢体不自由と
重度の
精薄とあわせ持った
重複障害を
重症心身障害児という
規定になりました。
そこで、ちょっと
重度の
肢体不自由というものはどういうものかを
一言申し述べさしていただきますと、たいへん
肢体不自由が重いということの
現実は、簡単に申しますと、ほとんど歩くことができないで、いざる、あるいは寝返る、あるいは寝て移動をするくらいの
程度のところが関の山であって、なかなか歩くこともうまくいかないというのがここの
重度の
肢体不自由と
一言に解釈していいと思います。それから
重度の精神薄弱と申しますのは、客観的には知能指数三五以下というふうになっておりますが、この
精薄の
段階もなかなか
日常生活が自立できないという重さになっております。それで
一つ一つそれを分析して考えてみますほかに、今度はもう一度その両者が重複しておるということを考えてみますと、一体どういう
子供になるであろうか。これはたいへん悲しいことに、実に
社会復帰はもちろんのこと、
日常生活においても非常に
介護を必要とするという
段階でありまして、先ほど
ことばが出ました生けるし
かばねという
ことばがありましたが、それに似たような
状態、いや、うかつに見ておれば生けるし
かばねといってもいいような
状態、こういうものがこの中には大部分を占めるような
状態でございました。こういう重い
重症心身障害児という
ことばで一括されました
障害児は、ここで一応
政府の御努力によりまして、四十一年からは
国立の
施設もでき、また
民間の
施設もだんだんふえ、そして
年ごとに非常な勢いで
施設はたくさんに数をふやしていただいたのであります。そして、その
収容児の数もたいへん多くなりましたが、推定の日本におります
重症心身障害児の数から考えますとまだ半分、まあ半分ちょっと満たないような数が
収容されておる
状態でございます。昔、
重症心身障害児の問題が、たいへん
国立の
施設ができて、そしてわれわれ希望をたいへん持ちましたその時代におきまして、
昭和四十九年までには
収容すべき者は全部
収容してしまうんだというふうな、たいへんうれしいお
ことばを大臣のお口から承ったことを記憶しておりますが、まだそこへはなかなか到達しないという現状であります。
で、そこへ到達しないという
現実を考えます裏には一体どういう条件があるのか。これをわれわれ
施設を運営しながらしばしば深刻に考えさせられることですが、現在、
空席を持っておる
施設はないとはいえない、どこも
空席を持っておるというふうな
現実になってきたのであります。特にそのことは
民間の
施設においてはたいへんはなはだしいことで、
民間の
施設においては一人入ればそれだけ収入が多くなるという非常に当面の問題をかかえておるのにかかわらず、なかなかその
空席を埋めることができないという
現実にあるのであります。
そういうことを考えてみますと、一番のネックになっておりますのは、
職員の問題であります。どうしてこの
職員が集まらないのか。これはこの
仕事の性質もありますが、
労働ということの
考え方から非常にきびしいものがあるということもありますけれ
ども、もっと大切なことは、この
仕事をどういう
考え方でするかというような非常にむずかしい問題をひそめております。そうしたことはどこでも教育されるものではありませんでしたので、つとめる
人たちはなかなか長く続くことができない。そこで
お願いをしまして、だんだんと俸給のほうも
調整額がふえるようなことになり、ここに書いてあります
重症児指導費は
最初の五十五円六十一銭から現在は一千百六十八円という非常に大きな数にまでのばしていただきまして、そして
職員の
待遇という問題をここに御考慮をいただいてまいったのでありまするけれ
ども、なお、しかもこれでも
職員はなかなか定着できないし、それから募集することも困難だという実情にあるのであります。
職員の中でどういう職種のものが一番むずかしいかと申しますと、医療関係の人々、まず第一に
看護婦、それから医者であります。医者も
看護婦も日本的に数がたいへん少ないので、そんなぜいたくは申し上げられる
立場ではございませんけれ
ども、この
子供たちを守るという
立場からいたしますというと、ぎりぎりの線で守らなければならない。あるいはもう、それよりダウンした線で守らなくちゃならないということは、この
子供たちを守りきれないというところになってくるのであります。現在、そういう線にあっちこっちで追い込まれつつあります。そういうことがつまり逆に申しますと、建物は建ちましてりっぱにできておりますけれ
どもあちこちにあき家がある、こういうことになっておるのであります。大体一割近くは日本的にあき家になっておると思います。最もひどいのは私のところのご
島田療育園でありまして、約三割があいております。まことに申しわけない、管理者の
立場として何ともお恥ずかしいことであり、責任を感じますけれ
ども、どうにもこればかりはしようがない。私がさか立ちをしてやる分には、できることは医者の
立場で医療はいたしますけれ
ども、
看護婦のかわりになって看護をするということはとてもとてもできるものではございません。現在、私のところでは医療法に従いますと医者の数は十二人からおる必要があることになっておりますけれ
ども、
現実には本日は四人しかおりません。
東京都庁のほうからきついお達しを受けて、これをどうするのだというふうに詰め寄られております。私自身としては、この解決策はもうお手あげでございます。けれ
ども、
子供の医療という問題については四人であっても十分できるような努力は続けておるつもりであります。
看護婦の問題につきましてはたいへん頭数を必要とすることでありますので、医療法に従えば四人に一人という数が
規定されておりますが、とてもとてもそこには及びもつかない
現実で、これは何とか政治的にあるいは行政的にこれを解決していただきたいと実は強く念願いたしておるものであります。そうした解決の問題点としてもっと具体的なことは何があるだろうかと考えますとまず俸給の問題、
待遇の問題だと思います。このことは先ほど
北浦さんからもちょっとお
ことばが出ましたが、こういうところをしていただいたならば、しからば
看護婦は十分集められるかということをおっしゃられてもたいへん困ります。自信がございませんけれ
ども、けれ
ども少なくも
一つの解決の条件にはなり得るのではないかと、そういう
気持ちがいたします。
看護婦問題のところはたいへん重要な問題で、私
たちあるいはこれをもっと違う
自分でできる努力によって何か開拓できないかということを考え、努力をしておりますが、そうした考えの中に、ひとつ看護学院をつくったらどうかというような
考え方も起こりました。けれ
ども、総合
病院ではないという悲しさで、それがなかなか進められないということでつまづきました。なお、われわれ日本じゅうをかけめぐりまして、
看護婦募集に努力をしておりますが、やっぱしわれわれだけの問題ではなくて、日本的な問題であるために、あちこちで募集の
人たちにぶつかるわけなんです。ああ、あなたにまた会いましたねというような、こういうふうな
現実をしみじみと身に味わわされて、これは、まあお互いに日本の国内で同じことをどことも争いをしておるような感じが強くしまして、これは何か抜本的な
対策をぜひ
お願いいたしたいという
気持ちを強くするものであります。
次に、先ほど
北浦さんのほうからも
お話が出ました動く
重症児といわれる
子供のことでありますが、
島田療育園というのは、そういうふうなことで出発し、そしてまいりましたために、いまの定義に当てはまらない
子供が初期にはわんさといいますか、たくさん入ったわけです。そしてあるいは長いことやっている
うちに発達が伸びてきて、
重症児の域を脱するという者がだんだん多く出てきております。で、そういう者をかかえておりまする関係上、現在の
考え方の
重症児施設ではやっていけないという者が生まれてきたのであります。そこで、私のところの
子供たちを一応分析してみますと、まず、四十二年の
児童福祉法改正によって定義づけされた標準的な
重症心身障害児、それから、それとはまた別な形で、ちょっと先ほ
どもお
ことばが出た、重
篤重症児とわれわれ言っておりますが、たいへん重い、生命を保つのにたいへん努力、医療管理が濃厚でなければだめだというふうなそういう
子供たち、これはむしろ大学
病院のような大きいところでもって手当てをしてもらっていただきたいと思うことですが、いまは逆に大学のほうから、こういう者はいつまで生きてくれるかわからないから
施設でもって取り上げてくれといって、われわれのほうへ回されてくる次第であります。
この重
篤重症児という
子供、それからいまの標準的な
重症心身障害児、それからもう
一つ今度は歩けるどころではない、飛んで歩くような、しかもその裏には
異常行動を強く持っておるいわゆる動く
重症児という、こういうタイプ、ここに三つのタイプをわれわれ分類できるのでございます。それで、おのおのに対する
対策のしかた、処遇のしかた、処置のしかたというものは、ここにありますたとえば、医療の問題でいきますと、医療管理はどこに重点があるか、それから医療ではなくて
介護的な管理はどこに重点があるか、こうおのおのその三種類によって違うわけです。それでそういう三種類のものが
一つの
重症心身障害児という
施設の中におるということで、実は経営上非常に混乱を招いておるわけであります。そういうことから、この動く
重症児問題というものが別個に登場してまいりまして、この守る会がそのためにいろいろあっせんの労をとり、やっていただいたことでありますが、今日一応の筋道は生まれまして、
現実とはちょっとまだ離れておるかもしれませんけれ
ども、小児精神
病院、それから精神薄弱児
施設の
重度と、それからもう
一つ重症心身障害児施設、こういうふうな三つの場所においてこういう者が取り扱われ得るというふうな形がはっきりと示されるようになっていきまして、今後それに対する行政がさらに推進されることを大いに期待しておることでございます。
時間がございましたら、最後に、私のほうで取り扱っておりまする
異常行動のある
子供を一人映画でお目にかけたいと存じております。と申しますのは、こういう
子供は百聞は一見にしかずで、
お話ではどうも通じない。それでごらんいただくのが一番いいんですが、現場に御案内するのはなかなかたいへんでございますので、幸いに一本だけ映画がございましたので、それを通してごらんいただけたらと思います。しかし、この同じ動く
重症児と申しましても、非常にピンからキリまでというような幅がありますので、これが
一つの典型的なものであるとか、すべてがこういう形のものであるというふうにおとりいただきたくないのでございます。ただ
一つの例としておとりいただけたらありがたいと存じます。
私
たち、こういう問題に取り組んでもう長いこと経過してまいりましたが、
現実にこういう職場で働いておりながら感じますことは、弱い者を助けてあげるというふうなそういう
気持ち、そういうことをこの
子供たちがわれわれに教えてくれているような
気持ちがしてならないのであります。これを福祉の精神と言っていいのかどうか迷いますけれ
ども、とにかくこの
子供たちの命を守るということ自体がわれわれのなすべき非常に大きな義務であるとともに責任でもあると思うんですが、その命を守る
現実の場をかかえまして、いつもこの命が大切にされるという、そういう思想がわれわれ一ばいだれもが持っていただきたいという
気持ちをこの
子供たちからくみ取れると思うんであります。毎日毎日たいへんな事故が起こっておるその底にある問題点は、いわばその逆の人命軽視ということから始まっておるんではないだろうかと、そういうことを思いますときに、この小さい命を大事にしてあげるということは、こういう福祉に連なる大きな課題を投げかけてくれると思うんであります。そういう
考え方で私
たちこの
障害児をみとりしながら今日までまいりました。どうぞ
先生方もよろしく御批判くださるとともに、さらによい進み方ができまするように
お願いをいたしたいものでございます。
どうも失礼をいたしました。