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1972-09-12 第69回国会 衆議院 文教委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十七年九月十二日(火曜日)     午前十時五十九分開議  出席委員    委員長 澁谷 直藏君    理事 久保田円次君 理事 河野 洋平君    理事 西岡 武夫君 理事 松永  光君    理事 山田 太郎君       小沢 一郎君    坂田 道太君       塩崎  潤君    中山 正暉君       森  喜朗君    吉田  実君       渡部 恒三君    川村 継義君       木島喜兵衞君    三木 喜夫君       有島 重武君    多田 時子君  出席国務大臣         文 部 大 臣 稻葉  修君  委員外出席者         大蔵省主計局主         計官      青木 英世君         文部政務次官  内海 英男君         文部省初等中等         教育局長    岩間英太郎君         文部省大学学術         局長      木田  宏君         文部省社会教育         局審議官    説田 三郎君         文部省体育局長 澁谷 敬三君         文化庁次長   清水 成之君         文教委員会調査         室長      石田 幸男君     ————————————— 委員の異動 九月十二日  辞任         補欠選任   勝澤 芳雄君     高田 富之君 同日  辞任         補欠選任   高田 富之君     勝澤 芳雄君 同日  理事谷川和穗君七月十二日委員辞任につき、そ  の補欠として松永光君が理事に当選した。     ————————————— 本日の会議に付した案件  理事補欠選任  文教行政基本施策に関する件      ————◇—————
  2. 澁谷直藏

    澁谷委員長 これより会議を開きます。まず、理事補欠選任の件についておはかりいたします。ただいま理事が一名欠員となっておりますので、その補欠選任をいたさなければなりませんが、これは、先例により、委員長において指名するに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 澁谷直藏

    澁谷委員長 御異議なしと認めます。それでは、松永光君を理事に指名いたします。      ————◇—————
  4. 澁谷直藏

    澁谷委員長 文教行政基本施策に関する件について調査を行ないます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。三木喜夫君。
  5. 三木喜夫

    三木(喜)委員 初めて稻葉文部大臣質問をします。衆議院においてもこれが初めてのように思いますので、ひとつはっきりお答えをいただきたいと思います。  第一は、参議院決算委員会で、学習指導要領教育課程の練り直しを考えているかという質問に対して、稲葉文部大臣は「考えているかどうかどころではありません、これをやらなければ話にはならないと、さように思っております。」とお答えになっております。教育現場では重要なことですから、次のことからお伺いします。  やらなければ話にならないところはどこですか、お伺いいたしたいと思います。
  6. 稻葉修

    稻葉国務大臣 私はきわめて大ざっぱなことを考えて申したのでございまして、どことどことどこをどういうふうに具体的にこう直すという知識はないのです。  ただ、先般日教組の委員長以下数名とお会いした際にも申したのですが、向こうからもそういう希望があったのですが、戦後のわが国教育は、教育課程審議会を開くたびごとに、だんだん盛りだくさんになっちゃって、知育偏重になっておる。これではいまの教員の資質では、一年に要領をさらっとこなすという点で非常に骨が折れるし、教えられるほうも、盛りだくさんのことをべらべらやられちゃってさっぱり覚えておらない。授業時間ばかり多くて、校外散歩の時間だとか、課外活動の時間だとか、そういうことが非常に軽視されるという苦情を父兄からも聞かされるものですから、知育偏重はいかぬな、詰め込みはいかぬな、こういう考え方です。  就任をいたしまして、初中局長ここに来ておりますが、指導要領を変えたらどうかと言ったら、審議会を開いて十年ごとぐらいにきめるので、つい数年前に変えたばかりでございまして、もう七、八年も待たなければならぬというような話でしたから、そうは待っておられない。審議会をまた開けば、ふえればこそ減りはしないから、役人の責任においてその弾力的運用具体策をつくれ、そして御批判は国民の代表である国会委員会その他でお受けすればいいんだから、責任においてつくろうということになって、目下鋭意その具体策を検討中であって、おそらく九月末ごろまでにはこれができまして、これを都道府県教育委員会を通じ、市町村教育委員会を通じて各学校長通達を出したい、こういう段取りであります。
  7. 三木喜夫

    三木(喜)委員 いまの大臣お答えでは、盛りだくさんだから、結局簡素化したい、こういうように受け取るわけなんですが、そこで同じようなことを参議院でもおっしゃっておるわけであります。「全人教育というのは、学校教育におけるあまりにも知育偏重に傾いた従来の文部省が出しております学習指導要領ごときものはもう少し簡素化できないものか、その余れる時間を体育とか徳育とかそういうことにもう少し重点を傾斜すべきではないか。」そういうようにおっしゃっておりますから、大体同じお考えのようであると思います。  そこで、知育偏重にならないように、このときの質問にもあるのですが、地方における裁量というものを入れて、直ちにそういった方向で指導する、またそういった意味通達をとりあえず出していくというふうな指導ですね、こういうだめ押しがされまして、稲葉文部大臣お答えは、そのとおりですとおっしゃっております。この質問が八月十日で、きょうは九月の十二日、一カ月以上たっておりますが、どのような通達をお出しになる文部省のお考えですか。九月の末に大体できるということなんですが、それは中身を少なくした通達か、あるいはこの前参議院決算委員会お答えになっておる弾力的な運用、すなわち地方における裁量を取り入れてよろしいという、そういう通達になるのか、その辺で参議院お答えになっておることと非常に関連が深いと思いますので、お伺いしておきたいと思います。
  8. 稻葉修

    稻葉国務大臣 その具体的な成案はいまつくらしているわけですから、月末につくって持ってきたものを私が見ないとわかりませんが、私がよく考えてつくれと言っている方針は授けてあります。それは、ここからこの程度のことは共通なものとして拘束性を持たせろよ、これ以外のいままであるこの範囲のことは、地方の実情に応じたりいろいろあるから、それは弾力的な運用をしてもよろしいよという方針だけを授けてありまして、どういうものを初中局長のところでつくってくるか試験している、どのくらいの能力があるか見ているところであります。
  9. 三木喜夫

    三木(喜)委員 参議院でもおっしゃっておるように、いまのお話も大体そのようになると思うのですが、簡素化して、その余りをやはり知育偏重に片寄らずして、体育とか徳育とか、そういう方面に重点を傾斜すべきじゃないかと言っておられるように思うのですが、そういうことに間違いございませんか。
  10. 稻葉修

    稻葉国務大臣 大体それで間違いございません。
  11. 三木喜夫

    三木(喜)委員 次に、簡素化現地裁量とを入れる、こういうことになってくると、先生方は非常にお骨折りになりますから、そのお骨折りに対して、処遇はいままでのようなことでは足りないのではないかと感ずるものですから、教師待遇改善ということを考えておられるような発言参議院でなされております。その後稲葉文部大臣発言として月給二倍論、それから所得税住民税免除という、そういう特権を出しておられるのですが、以上の発想によりますと、待遇改善は、現在在籍する教師待遇改善に資するものだと思うのですが、それはどういうことですか。
  12. 稻葉修

    稻葉国務大臣 指導要領弾力的運用をやると、いままでよりも骨が折れるから待遇改善するというふうに言ってあるというお話ですが、もしそうだとすると、少しピントがずれておる発言をしたものだと思うのです。いまお聞きしまして。いまの待遇でもだめだ、こう言っておるのです。これは教育界人材を集めるだけの待遇はしておらないという認識です。だから、これを直さなければならぬことは当然だが、知育偏重の弊を改め、体育徳育にも傾斜をかけるというお骨折りを願うことになると、ますますもって処遇改善は大幅にしていかなければならぬだろう、こういう意味でございます。
  13. 三木喜夫

    三木(喜)委員 よくわかりました。現場では教師待遇というものを二段に分けて、稲葉文部大臣の御発言では、現在の教師待遇がどうなるのか、それから将来の教員養成をやる上で人材を集める、そういうところから教員待遇をどうするか、この二つに分かれているわけです。  そこで将来のこととしては、大臣発言がありまして、とにかく新構想大学師範養成大学というものは一緒かどうか、その辺も問題でありますけれども、簡単に言わしてもらうならば、教員養成大学、そこに大学院をつくり、そしてその大学院東大卒の学生を入れ、そこから出てきた者はストレート校長にする、そして校長になったときに同期の者と比べて俸給がおくれておれば、そのときには公務員として得られる最高の給与を与えましょう、こういうことがあなたの発言としてよく言われておるわけです。そうしますと、将来の問題ですし、いまお話を聞きますと、現在の教員にもその二倍論ということは当てはまり、まだピントがはずれておるくらいだ、このように受け取れるのですが、現在と将来とを分けてひとつお話をいただきたいと思います。
  14. 稻葉修

    稻葉国務大臣 どうもあなたは、稲葉文部大臣がこう言った、ああ言ったと言われますけれども、違っておる点があるようですね。いまお話を聞きますと、私の言ってないことをこう言ったじゃないかと言っておられる点もあるようです。たとえば、何か東大を出た者を師範大学に入れて、それはストレート校長にするなんということを言ったこともないし、またそんなことは考えておりません。それがいいのか悪いのか、あなたがどうだとおっしゃればこれから考えてみなければいかぬですが、そういったことを言ったことはないのです。それからいまの教員待遇が悪いからこれを倍にする、これも言ったことはないのです。これはよろしくないからもっと上げなければいかぬ、倍とか三倍とか五割とか言ったことはまだ私はないのです。自民党ももちろん、各政党の皆さんの御意見もあると思いますから、そういうものを集大成して、なるほどな、ここらのところがよさそうだなという見当で人事院にまたお願いして勧告を求める、こういうことになると思う。そうして給与担当閣僚発言を閣議でしてもらって最終的にきまるということなんでございまして、私のそのとおり言っていないこともありますから、この際明確にしておきたいと思います。
  15. 三木喜夫

    三木(喜)委員 この参議院での発言を見ますと、そういうお骨折りに対して「いままでのようなことでは足りないじゃないかというふうに感ずるものですから」ということをおっしゃっておるわけなんです。そうすると、いま自民党にもはかり、各党の意見も聞いてというお考えのようですけれども、大臣はどういうふうにお考えになっておるのですか。足りないのならどういうぐあいにするかということです。
  16. 稻葉修

    稻葉国務大臣 とりあえず昭和四十八年度にどのくらい上げたいと思っているかは、四十八年度予算要求を大蔵へ出しておりますから、その数字等につきまして初中局長から正確なお答えをさせたいと思いますのでお聞き取り願います。
  17. 岩間英太郎

    岩間説明員 ごく最近大蔵省のほうに私のほうから要求いたしました給与改定中身でございますが、現在の小中学校高等学校教員給与、それからまた大学までも含めまして五〇%引き上げるということを一応の目標にいたしておりますが、来年度は二五%の引き上げ並びに五年ごとに一号ずつ引き上げていくといういわゆる年功加俸、そういうことを内容といたしました予算要求を出しておる次第でございます。
  18. 三木喜夫

    三木(喜)委員 だいぶん輪郭がはっきりしてまいりましたので、次に行きたいと思います。  それから同じ文部大臣参議院における発言ですけれども、こういうことをおっしゃっております。「単に待遇の問題だけではなく、教育者を大事にする、尊重するという社会一般風潮を醸成したいと私は考えるものであります。」とおっしゃっておられますが、そのとおりでございますか。
  19. 稻葉修

    稻葉国務大臣 そのとおりでございます。
  20. 三木喜夫

    三木(喜)委員 ところが、これもだいぶん違ったことを稲葉文部大臣はおっしゃっているそうなので、私はどうなったかとたいへん疑問に思いますのでお尋ねするわけですが、ひとつこれははっきりお答えをいただきたいのです。いまもちょっとお触れになりましたけれども、まず学習指導要領簡素化をするのは、いまの教師の力では非力だからできない。いまの学習指導要領をそのままやっていくということは、いまの教師では非力であるからできない。したがって、簡素化するのだと言っておられます。これは仄聞するところですが、そういうふうにお思いになっておるのですか。——そこで、私は、学習指導要領簡素化の目的、理由をお聞きしたのですが、これはさっきのお答えでは、学習指導要領簡素化して、そして余力を生みたい、こういうお答えでした。また私が聞いておるのでは、いまの先生では指導要領のそのままではようやらない、だから簡素化するのだ、こういう発想も聞いておるわけなんです。
  21. 稻葉修

    稻葉国務大臣 学習指導要領弾力的運用とか改定とかいう発想根源は、やはり生徒主体です。それは教育を受けるほうの負担があまりに知育に偏重しておるということが主体でありますが、あれをごらんになって、あんなに盛りだくさんのことを一年で、あるいは二学年、三学年で、われわれのような頭ではとてもやれないなというような感じがしまして、先生方もお骨折りでしょうなと、同情を禁じ得ないという感情もまじりましたという意味におとり願いたい。発想根源は、生徒知育負担を解消したいというところにございます。
  22. 三木喜夫

    三木(喜)委員 先般あるところで文部大臣演説をなさっておるようですが、聞くところによりますと、教育者を大事にする、尊重するという風潮社会一般につくると言いながら、デモシカ先生の話をされておるわけです。大学を出て、優秀な者は造船会社につとめる、二番目の者は重工業につとめる、三番目の者は市役所につとめる、あれもだめ、これもだめというのを、教員でも、教員しかできぬ人を集めたと言っておられるのですね。これは戦後の教員不足のことを言っておられるのだろうと思うのです。こういうことをいまさら言われて、そして教員を尊重せいとか、そういう風潮をつくるということに役立つとお思いになるかどうか。私はこれは逆に軽視の考え方を植えつけるような感じがするのです。それで、あえて演説会でなさった例を持ち出して失礼なんですけれども、これは聞いておきたいと思うのです。
  23. 稻葉修

    稻葉国務大臣 戦後のわが国教育混乱原因は多々あるが、という演説の言い出しであります。多々あるが、六・三制の施行によって、あの疲弊した時代に六年の義務教育が一挙に九年に延長され、そうして教員免許法等も改正になって、いわゆる駅弁大学なんという悪口を言われるような粗雑な大学をたくさんつくらざるを得なかった。そして市町村長も困って、自殺者まで出た。第一に先生が困るから、当時かき集めるようにして先生をふやさざるを得なかった。そういうところに今日の教育界の非常な混乱と停滞があるように思う。その修辞として、かき集めるようにということの説明として、先ほどおっしゃったようなことを申し上げたわけであります。しかし、演説全体を最後までお聞きになれば、私が先生を尊重するという風潮を醸成したいという熱意は十分聴衆におわかり願えるようなあと内容でありまして、先生ばかにするような風潮を醸成するようなことは断じてありません。しかし、そこのところだけをとりますと、いかにもそういうように聞こえますが、全部印刷してお渡しすればわかりましょうが……。
  24. 三木喜夫

    三木(喜)委員 大体全体の録音も聞かしていただきました。それから、大体現地からの報告も見せてもらって、どういう思想かということも大体察知しておるわけなんですが、私の心配は、戦後の混乱期にかき集めたといたしましても、全部デモシカ先生ではないと私は思う。その中に教育というものに身を投じて、やろうかという意欲を持ってきた人もあろうかと思う。それを十ぱ一からげ、全部そういうものだった。だから、その辺の戦後の先生、現在おりますね、それは最大の侮辱をされたことになると私は思う。あるいは評論家がいうとか、また教師それ自身が、われわれはデモシカ先生だからひとつしっかりやらねばならぬなという反省から、みずからのことをそう卑下して言うか、下目に見て言うという場合はいいですけれども、文部大臣としてこういうことをおっしゃったら、それが大きな侮辱になるように私は思う。あとにどういうような尊重する言葉を吐かれたのですか、私は録音も聞いておりますし、さらにそのときの速記も大体見せてもらいました。その中では、一向尊重しておるというようなそういうところが出てないように思うのです。しかし、御自身おっしゃったのですから、一体どういうことをあとの話の脈絡としておっしゃったか、ひとつ聞かしていただきたい。
  25. 稻葉修

    稻葉国務大臣 私は十ぱ一からげにデモシカだ、なんて言うているつもりはないのです。もしそういうように聞こえればはなはだ不謹慎でありますから、今後気をつけますが、私の真意は、世間ではそういうふうに言うておるが、教育界にとってはなはだ残念であるという気持ちで申しておるのです。だからそういうことにならないように、ちゃんとした養成制度をつくらなければいかぬなという結論に行きつく前提としてそういうお話もしましたし、それから先生を尊重するという話は、具体的には、私は郷里で大臣になる前、代議士のときに、よくプール竣工式だとか、体育館の竣工式だとかいうときにお呼ばれを受けて出席する。そうすると玉ぐし奉奠みたいな儀式が行なわれる。いま行なわれないところもありますけれどもね。そういう場合に、一番最初にやるのが当該市町村長、それは設置者だから、これはいいでしょう。その次に呼ばれるのは、国会議員稲葉修先生なんていって呼ばれるから、私はちょっと待ってください。当該学校校長先生を先にしよう、こういうように申してきているのです。児童生徒父兄、教職員の前で、県会議員何々先生、だんだんいって、農業委員何々先生あと当該学校校長先生というのはひどかろうという気持ちで私はやっておるのでございます。かつて党の文教部会でそういうお話をしましたら、皆さん、それはけっこうな話だ、私もやろうということでやってくださっているはずです。そういうほんとうに先生を尊重する気持ちがないと教育界人材が集まらぬのではないか、張り合いがないのではないか、あるいは使命感が薄れるのではないか、こう思うのでございますが、いかがでございましょう聴衆皆さん、とこういうことを申しているのでございますかね。
  26. 三木喜夫

    三木(喜)委員 大臣、失礼ですけれども、私の申し上げておるのは、校長先生にどうしたとか、そういうプール開所式のときに順番がどうだったとか、それは教育を大事に考えておられるということにはなると思うが、それとはちょっと話の次元が違うのです。私も終戦当時は小学校の教頭をしておりました。ここの川村先生もおそらくそういう口だろうと思いますから、そういう私たちの年代のところまで侮辱されておるように思わないのですけれども、終戦後集まってきた教師というものが、先ほど来申し上げるように、第一流の者は造船会社、第二流の者は重工業、第三流が市役所で、どこにも——そのとおり、あなたが言われたとおり言っているので、あれもだめ、これもだめというのが教員でも、教員しかできぬ、こういう人を集めた、このように言っておるので、「デモシカ」はもうはっきりとあなたの口から出ておりますし、そういう印象を与えたかどうかではないのです。そういうことなら、その当時の者を全部さすことになりまして、私は侮辱された感じをこれらの人は持っておるんじゃないかということを質問として申し上げておるのです。
  27. 稻葉修

    稻葉国務大臣 そのとおり申し上げたことは事実なのですね。そうして、それは世間によくデモシカと言われておりますね。それから現に経済成長の盛んなころは、やはり月給のいいほうへみんな行くから、そういう順序になっていたのも事実で、それは全部とは言っていないですね。そういう傾向にあると言えばよかったのでしょうけれども、そういう傾向にありやしませんかと言えばよかった、あなたのお気に入ったのでしょうが、やはり演説会ですからね、多少ぶっきらぼうに、言い足りないところもあります。もしそういうことで諸先生方学校先生方にえらい侮辱を感ぜしめたとすれば、大臣としての不徳のいたすところですから、その点は今後気をつけるようにいたします。  それから、あなたが、先生を尊重するという風潮を育てるにはどんな発言をしておるかとお聞きになられますから、さっきのような例をお答えをしたので、要らぬことを言ったわけじゃない、関係のないことを言ったわけじゃないですね。
  28. 三木喜夫

    三木(喜)委員 もう一回だけ申し上げておきますが、かりにそういう言い違いがあっても、あるいはまたそう思っておられても、大臣として全人教育を主張されるのでしょう。そうすると、かりに終戦後の先生デモシカ先生といたしましょう、デモシカ先生といたしましても、それらの人がふるい立つような人格的な向上をはかることば大臣が吐かれるほうが私は妥当でないかと思うのです。思っていないことを無理に言えというわけじゃございません。人格を尊重し、そうしてむしろ全人教育というものを大臣が主張なさるのなら、その大臣の下に教育にいそしんでいるその教師に対しましても、人格的な取り扱いをしてもらわぬといかぬのじゃないか。たとえばデモシカであっても、研修をやったり、あるいは実際に児童教育に当たって、その中で自分自身向上さしておると思うのです。人間力もつけておる人があると私は思うのですね、デモシカで終わる人もあるかもしれないが。そういう人が大臣のそういうことばを聞くと、非常に失望、落胆すると私は思うのです。言われないからどう、言われるからどうじゃないけれども、一国の文部大臣がおっしゃるについては、ここはちょっと軽率ではないかと私は思いますので、いまそれは申しわけなかったというお話で私は尽きると思いますけれども、そういうところからこういうことを申し上げているのです。
  29. 稻葉修

    稻葉国務大臣 あなたのおっしゃることは、たいへんごもっともでございますね。ですから、今後演説会といえども発言に気をつけるようにいたしますが、私の真意をひとつ御了解願いたいのは、教育界人材が集まるように、かすみ食って生きているわけじゃないから、少なくとも同級生で、だんだん進んでいって、行政職に行ったのと学校先生に行ったのと、こんなにしまいに開きがあるようでは、先生を尊重するという風潮は生まれないから、人材を求めたい、そういう話の結論に導くために、多少誇張して、デモシカがあっては困る、デモシカになるゆえんは、待遇が悪いからなんだということにも一つの原因がある、それから社会的な風潮も、昔のように学校先生先生とする、さっきの玉ぐし奉奠順序なんかでも、ばかにしているのではないか、こんなことでは困るのではないか、こういうことを言いたかったのです。こういうことの前提デモシカということが非常に耳ざわりで、先生方が非常に侮辱を感ずるということであれば、これははなはだ私の不徳のいたすところでありますから、いい気になってデモシカと言って非常に悪かったと思って、今後いい気にならないように気をつけます、こういうことにいたします。
  30. 三木喜夫

    三木(喜)委員 次に移ります。  文部大臣は、戦前の教育勅語に非常に大きな価値を認めておられるようですし、そういう発言もされておるように聞くのですが、教育勅語についてどうお考えになっておりますか。
  31. 稻葉修

    稻葉国務大臣 これはこういう話のいきさつで出たことなんですね。戦後のあの家庭教育のことについて、家庭教育の最大の教師は母親でしょう。ところが、終戦教育勅語がなくなって、まあ母親の教科書みたいなものがなくなったようなことになってしまって、これには「恭倹己レヲ持シ」だとか、「博愛衆ニ及ホシ」とか、社会奉仕的な、そういう子供に社会連帯とかを教える非常にかっこうの教材書がなくなってしまって、どうやって子供をしつければいいかわからぬのではなかろうか。したがって、今後は母親の教育能力を育成するために、いろいろなことをやるのだ、家庭教育相談事業とかというようなものをどんどんふやしていくのだという前提教育勅語を持ち出して、どうやって教えればいいかわからなくなったいきさつをここに求めたわけです。あれは「夫婦相和シ、朋友相信シ」とか、「兄弟ニ友ニ」とか、たいへんけっこうな話じゃないか。ハーマン・カーンが今日の日本の経済の成長は五箇条の御誓文と教育勅語にしてやられたと言っておるくらいです。そういうことはそのときは言いませんが、そういう心持ちで持ち出していることは事実でありますから、つけ加えて申し上げておきます。
  32. 三木喜夫

    三木(喜)委員 大体いまおっしゃったように、戦前教育基本法があったわけです。教育勅語のことでしょうが、どこが悪い、こんなりっぱなことはあるだろうか、このようにおっしゃっておるわけですね。戦後は、そうすると、いろいろな基準を失ってしまった、このようにおっしゃっておりますけれども、教育基本法や憲法というものが一つの基準ではないですか。教育勅語ということで個人の教育、この当時は国の教育だったかもしれませんけれども、個人の道徳に立ち入って、そしてそれを指示する、しかも天皇の名前で指示するということがなくなったから、おかあさん方はそういう生きる目標を失った、しからば、このようにお考えですか。
  33. 稻葉修

    稻葉国務大臣 私は教育勅語の内容全部についての是非を論じておるのじゃなかったのです。ただ、戦前はああいうものがあって、その内容については賛否あるでしょうが、とにかく母親はよりどころがあって、その中の自分の理解し得るものを子供に言えばしつけにはなった。であるから、戦後においても、そういう幼児の最大の教師である母親の幼児教育能力を付与することが、家庭教育学校教育、社会教育を通じた生涯教育を確立するために大事なことなんだということを言ったのであります。だめでしょうか。
  34. 三木喜夫

    三木(喜)委員 そうすると、もうちょっと分けてお伺いしますが、何か戦前にこういういいものがあった、——これならこれにしましょう。こういうりっぱなものがあった、そしてこれは戦後なくなってしまった、しかしながら、戦前にはこれは非常に大きな価値を持っておったんだ、このようにおっしゃるなら、大臣、これはいまここへ持ってきてもなお価値があるのじゃないですか。価値はないのですか、あるのですか。
  35. 稻葉修

    稻葉国務大臣 「我カ皇祖皇宗、國ヲ肇ムルコト宏遠ニ、徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」とか、「皇祖皇宗」というようなことを、いま新憲法で国の象徴であり、国民統合の象徴であると規定されている天皇の地位に当てはめた場合に、それが全部妥当しておるというふうにはなかなか言いにくい。そこのところはなかなかむずかしい。それからまた、「古今ニ通シテ謬ラス、之ヲ中外ニ施シテ悖ラス」とか、そういう点について、一旦緩急あれば義勇公に奉ずるということになると、一旦緩急ということは戦争のことを言っておるというふうに思いやすいのですね。そうだとすると、現在の憲法とそれとが衝突してきて、その部分について、「之ヲ中外ニ施シテ悖ラス」というわけにはいかぬのじゃないか。こういう点がありますから、全部が全部、これを母親の教育能力の最大の教科書であると言うわけにはまいらぬ、こう思います。
  36. 三木喜夫

    三木(喜)委員 そうしますと、その演説会でおっしゃったお話は、ここに教育勅語の原文があるわけですけれども、「夫婦相和シ、朋友相信シ、恭倹己レヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ」まで例にとってお話しになって、そして、こんなにりっぱなことがあるだろうか。——この内容としてはいまもりっぱだと思っておられるのですね。
  37. 稻葉修

    稻葉国務大臣 そうです。
  38. 三木喜夫

    三木(喜)委員 そうしますと、こうした個人の道徳というものに立ち至って、文部大臣として、その立ち至っておるものがりっぱだとお思いになるのなら、そういうものをつくるという意思があるのか。回りくどいですけれども、そういう点をお伺いしておきたいと思います。
  39. 稻葉修

    稻葉国務大臣 こっちが力があれば、そして、皆さんがなるほどなあと、間違いないものをつくれればだれだってつくりたいと思うでしょうが、なかなかそこまで学問がないし、力もないし、実践も、あまり品行よくないというか、伴ってないから、私はそういうことをやる考えはありません。国民が、あの人の言うことなら間違いないといって、稲葉様稲葉様大明神みたいなことになってないから、つくる意思はありません。
  40. 三木喜夫

    三木(喜)委員 意思ははっきりいたしました。そこで、これも一つお伺いしておきたいのですが、アメリカは軍国主義復活の源泉になるから廃止を言ってきた。——アメリカが教育勅語廃止ということを言ってきたのですか。あなたはそういうようにおっしゃっておりますが……。そういたしますと、現在の憲法と抵触するところはあるといたしましても、独立したいまの日本としてはこういうことは望ましいと思っておられるのですか。つくる意思は別として、その抵触するところは省いて、その他は望ましいとお考えになっておるかどうか、あらためてお聞きしたいと思います。まず、アメリカがこれをやめいと言ってきたのかどうかということが一つ、それからもう一つは、憲法と抵触するところは省きまして、いまおっしゃいました「兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信シ、恭倹己レヲ持シ」、こういうところは、あなたの御演説では、こんなりっぱなことがあるだろうかといって、感嘆を込めて言っておられます。だから、そういうところは残しておくほうがいいということをお考えになるのか。つくろうということはおっしゃいませんでしたけれども、そういう考え方はございますかという二つをお聞きしておきたいと思う。
  41. 稻葉修

    稻葉国務大臣 なかなかむずかしいことをあなたはおっしゃる。アメリカが教育勅語の廃止を言ってきたというふうに私は思います。当時の文部次官は有光次郎さんですね。この人はそんなことを言ってこられて困っただろうと思う。いま、日本棋院の理事長をしておられますな。そういうことですから、本人から直接、アメリカから言ってきたので廃止になったのかどうかという聞き方で確かめたわけではありませんけれども、私のいままでの記憶では、その言ったとおりにいまでも思っています。  それからもう一つは、つくる意思はない、こう言った。(三木(喜)委員「そうではなくて、あなたはこんないいことがあるかと言ったから」と呼ぶ)「夫婦相和シ」、当然じゃないですか。「朋友相信シ、恭倹己レヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ」、これは非常に頭が社会化されてくる、たいへんにけっこうなことではないか、こういうふうに申しましたな。たいへんにけっこうなことじゃありませんか。感嘆を込めて泣きそうな顔をして言っているのじゃないです。
  42. 三木喜夫

    三木(喜)委員 大体わかりました。  それで、文部省に聞きますけれども、大臣は、これはアメリカから言ってきたかどうかということについて、さだかではないけれどもそう頭の中にある、こういうことですけれども、文部省はこれをどういうようにお考えになっておりますか。教育勅語は戦前非常に文教行政あるいは教育内容に関係が深いのですから、それが廃止された原因というのはどこにあるのですか。
  43. 岩間英太郎

    岩間説明員 私ども現在文部省におります者は、当時の事情を知っている者がおりませんので、調べてからお答えいたします。
  44. 三木喜夫

    三木(喜)委員 けっこうです。大臣はそういうような記憶が頭の中にはあるのだけれども確かめてないということでしたから、大臣も一ぺん確かめておいてください。もしそうだといたしますと、アメリカの言いなりでこれはやめたのだけれども、日本はいま独立しております。そうすると、あなたの中にある、個人の道徳として、いまそちらのほうからもおっしゃられたように、非常にりっぱなことだ、そういうところは残しておかなければならない、むしろそれを強調すべきだ、このようにお思いになるかどうかということですね。これをこの間の演説から私はあなたにお聞きしたい。
  45. 稻葉修

    稻葉国務大臣 近ごろ夫婦が夫婦みたいでなかったり、それから親子が親子みたいでなかったりする事件がたくさん出るものですから、何とかそういうことを教育で持ち直せないものかと私は思いますわね。(「そのとおり」と呼ぶ者あり)そういうときにやっぱり「父母ニ孝ニ」ということはいいことじゃないかと私は思いますわな。それから、子供を大事にせいということはわしらの秘書や何かにもよく言うておることですわね。そうやって兄弟仲良くせいということは孫にもよく言うておることですわな。そういう、人類というものが当然社会生活を営む上に必要な徳目というようなものは、やはり学校できちんとしつけ、教えをしてもらわぬと困るという考えを持っております。大いにやってもらいたいものだなと思っております。
  46. 三木喜夫

    三木(喜)委員 それでわかりました。  学校にやってもらいたいなあということを思っておられるようですけれども、文教行政の最高責任者としてのお考えとしてこれは残したほうがいい、残さぬほうがいい、そういうお考えを聞いておるわけなんです。(「残すも残さぬもないんだ。ないものを残せるか」と呼ぶ者あり)こちらのほうでは当然だとおっしゃっていますが、そういう教育勅語の一部分ですから聞いておるのです。
  47. 稻葉修

    稻葉国務大臣 先ほどから申し上げておるように、教育勅語を復活して、これを学校に飾って暗唱させるというようなやり方であなたの言う残すということなら、そういう意思はありませんな。
  48. 三木喜夫

    三木(喜)委員 そうすると、そういう徳目は学校教育の中でやってもらいたい、こういうことになりますね。それで、そういうことは文教行政の中であなたの意思としてそういうふうに学校に希望しておられるのですね。わかりました。  その次は、同じ演説の中で官僚政治打破、政党政治を推進する、このようにおっしゃっておりますが、文部省におけるところのその方途はどういうようにお考えになっておりますか、まずとにかく足元からやらなければいかぬのですから。
  49. 稻葉修

    稻葉国務大臣 私の考えは、官僚はやはり出世をしなければなりませんから、それも決して全部が全部悪いということではありません、励んでだんだん階級が上にのぼるということはたいへんに努力していることですから、全部が全部悪いとは思わぬが、しくじってその地位を失うことを非常に心配しますわな。これももっともですね。もっともだが、そういうことがえてして行政が後手後手に回る一つの原因になるように私には思われるんですね。ですから、民衆と常に接している国会議員の皆さんの団体である政党の言うことを役人が間違って反対しても強行突破する。私は、だから就任してから、面従腹背は困るんだという意味のことを言いましたね。ぼくはまあしかし、しろうとだから、長年国会議員として、文教委員としてやってはきたけれども、こまかい点になると気がつかぬかったり間違ったことも言うかもしれぬから、そのときはよく教えてくれよ。教えても私がだめだと思えば私のほうの判断に従ってもらわなければ困る。どっちがえらいとかまずいとか言っているのではない。それは組織として局長よりは大臣が上ということになっているんだからわしの言うことに従ってくれ。そのかわり、それが間違っておったら命令したわしが悪いので責任はおれがとる、あなたはとる必要ない。こういう調子で、とにかく国民と常々接触をしておられる国会議員の皆さんの、あるいは県会議員、市町村会議員、そういうような皆さんの団体である政党の意思を行政に反映しなければいかぬ、こういう意味で、従来の待つ政治をやめて積極的に先手を打つ行政をやらなければいけない、そういうことを申し上げた。しかもそういうことは、長年、文教制度調査会、文教部会等にも私は所属しておりまして、もう路線が大体歴代の灘尾さんから坂田さん、櫻内さんと、そういう方向であるとも聞いておりますし、諸政党の皆さん方からも、委員会に出席していい御質問等を承っておりますから、ああこの政党はこの点等についてはこう考えておられるなというようなことは、多少は察知しておるつもりでございますので、それをくみ入れてそして積極的に教育を直していかなければならない、直していかなければ国民に申しわけない、こういうふうに思っておる次第でございます。
  50. 三木喜夫

    三木(喜)委員 官僚制度を打破するということは、官僚政治の悪いところを一稲葉国務大臣「政治をね」と呼ぶ一ええ、政治を大体目標にしなければいかぬと思うのです。ところが、いまお話しになったような官僚政治の悪いところは、ものごとが後手後手に回るということ。これは先手先手に回っていかなければいかぬので、党できめたことは断固やる、こういうように聞こえるのですね。もう一つは、さっきあなたは、官僚は出世ということを望むので非常に憶病だ、手控えするところが多い、だからわれわれが推進しなければいかぬというようにも聞こえるわけなんですね。それからもう一つは、あなたのおっしゃったように間違って反対したら断固やる、これはあたりまえじゃないですか。文部省の官僚が間違って反対したら断固やるということは、大臣の権限として当然のことじゃないですか。そんなことが官僚政治の打破になるんですか、いまそれも一つ言われましたが……。
  51. 稻葉修

    稻葉国務大臣 そうやってことばのひげ先をとらえて一々やられるのは困るね。私の言う大体の本筋は、まあ大学紛争にも見られるように、戦後の大学はああいうふうになって高等学校と重複するような点もあったり、全期四年である、こういうことになれば不満は爆発するだろうということは大体わかっていた。わかっていなければならぬはずだ。それを大学内でも知らない、文部省でも学生に騒がれてみて初めてわかるというのでは、民に先んじて憂え民よりおくれて楽しむという政党人としての気魂と使命感が足りないのではなかったかと、われわれも反省しなければならぬなという時期にいま来ておるのではないか。だからもう国民的コンセンサスも煮詰まってきておるし、教育のこういう点を改めてもらいたいという点はたくさんあるし、そういう点については改めて、決断と実行でやる、こういうことなんですね。
  52. 三木喜夫

    三木(喜)委員 気概はそれでよくわかりました。しかし、内容がいま言われたような内容では、私たちはやはり官僚政治の打破、政党政治を推進するというなら、何を打破するかという目標をはっきりしなければいかぬと思うのです。気概だけではいけませんよ。あなたは官僚政治打破のチャンピオンをもって任じておられるかもしれませんけれども、それはちょっと内容が乏しいという感じが私はします。民に先んじて憂えなければならぬということは、これは官僚政治であろうが政党政治であろうが当然のことじゃないですか。官僚政治だからそういうことはやらぬでいい、政党政治だからやらなければいかぬ、そういう問題じゃないでしょう。そういうことにすりかえて、全体を見よと言われても、官僚政治打破という目標が、はっきり私らにどういう方法でやるのかわからないのですよ。頭が悪いとおっしゃるならおっしゃっていただいたらいいと思いますけれども、ちょっとそれでは、威勢よく演説なさったのですが、打破とおっしゃる中身をひとつ教えてくださいな。それだけですか。いまのだけでいいのですか。
  53. 稻葉修

    稻葉国務大臣 私も頭が悪くて、あなたが何を聞いておられるのか、ちょっと判断しにくいのですがね、いまのおことばだと。官僚だって民に先んじて憂えるというのは当然じゃないかというお話ですが、それは当然だが、えてして国民的世論の持ち上がるのを待って、待ちの政治になりやすいという傾向はやめて、先手を打つ、悔いを残さないようにあらかじめ制度的にも、それから予算の面でも——すでに前大臣、前々大臣時代から皆さん方の御質問を受けて、そして、ああなるほどと思う点も多々あり、それを組み入れて、自由民主党の文教制度調査会、文教部会でも改革の方針を打ち出しておりますし、それから中央教育審議会の答申の中にも見るべきものが多うございますし、これらを踏まえて予算面、制度面の改正について実行の段階だ。だから、やると言ったら私はやるのだから、あっちがむずかしい、こっちがむずかしいということを言わないで、やる気になって考えてくれ、指導要領改定なども、また審議会を開いてというのじゃとてもだめだから、役人の責任においてやって、批判は国会で受けろという方向でいこうじゃないかということを言っているのは、やはり政党人的な感覚で運んでおるつもりでございます。
  54. 三木喜夫

    三木(喜)委員 それで大体あなたのおっしゃっておる方向がはっきりしてきました。とにかくこの発言の中で、教育課程審議会にはかっておるようななまぬるいことをするな、要するにそれは隠れみのじゃないか、官僚の隠れみのだとあなたおっしゃっておるのです。だから、それにはからずに断固やれ、このようにおっしゃっておることが、政党政治だ、政党政治の勇気のあるところだ、このようにいま受け取りましたが、それでいいのですか。
  55. 稻葉修

    稻葉国務大臣 そんなことは言ってないのですね。いま例としてそういうこともございます。それから芸術、文化だとか、ああいう問題になると文部省は芸術院じゃございませんから、審議会でも置いてほんとうの専門家の意見を徴しなければ判断がつかないこともあります。しかし、いまの教育課程審議会ごときはすでに何度もやってきて、これでは行き詰まっておるということはわかり切っているのだから、役人の責任において改定の案をつくり、あるいは弾力的運用の案をつくり実行に移したらいいではないかということでございます。何でもかんでも審議会審議会といって、先生方質問されると、自分はどう考えているのかわからぬで、これは審議会の答申を得たものでございますと言って、責任審議会にみなかぶせてしまう。役人は一体どう考えるのかということについてピントがぼやけてくる。そして何だかわからないような答弁をするから、回りくどい長ったらしい答弁をするから、それを聞いている国民は政治に不信を抱くのではないか。ぴったりこない。だから、やはりしょっちゅう民衆と接しているそういう政治家の意見をよく聞いて、そっちのほうを進めていく、重点を置いていく、官僚に引きずられないようにするというつもりでございます。
  56. 三木喜夫

    三木(喜)委員 次に、大学管理についてもやはりお話しになっておるのですが、これは私知りませんので、大臣発言になっておりますからひとつその真相を知らせていただきたいのです。  あなたの大学管理についての前段の発想は、別に詳しく言いませんけれども、大学というものは静かな思索をする環境をちゃんと持たなければならぬ。ヘルメットやゲバ棒を持っておるようなことでは困る。そこで大学の新しい管理運営の措置法を出した。   〔澁谷委員長退席、西岡委員長代理着席〕 それによって三派系の学生は追い出した。これはあなたのお話ですね。ところが、じっくりと腰を落ちつけて、そこで金を持って二十年、三十年かかっても大学を自分たちのものにしようという民青という団体があるのだ。この民青という団体が、共産党から金をもらって、そしてやっておる。だから自由主義学者もいや気がさして、本を持って家に帰ってしまう。大学で勉強ができない。学問の自由ということを一つの手段にして、自治の美名に隠れて政治的野望勢力を自由な学園に得ようとしておるのだ、こういうお話があったのですけれども、これは大衆にそういうお話をなさった以上、大臣はそういうぐあいにお考えになっておるのじゃないかと思いますけれども、そのとおりでございますか。
  57. 稻葉修

    稻葉国務大臣 そのとおりでございます。
  58. 三木喜夫

    三木(喜)委員 そこで、今度は大学の管理運営について新しい構想をお述べになっていますけれども、その構想をひとつここで開陳してもらいたい。
  59. 稻葉修

    稻葉国務大臣 それは現実には、簡単に申してありますからお読みになれば大体のことはおわかりでしょうが、いまの教授会中心の管理運営では、どうしても集団無責任体制といわれてもしようがないような弊害が露呈される面があるように私は思うのですね。しかも、東大に例をとれば、学生総数が一万五千おる、教職員の数が九千、そういう大きな戦後の大学で、本来学問に没頭して、そしてごく専門化された学識者が、この膨大な社会の管理運営をやるということはなかなかむずかしかろう。研究もせにゃならぬ、教授もせにゃならぬ、管理運営もやらにゃならぬということはたいへんだろう。むしろそういう管理運営などはへたであることが自慢であるというのが、学者の本来のありようではなかろうかとさえ私は思うのです。そういうものですから、この間も国大協の東大の学長をはじめお会いしましたときにそういうことを申しましたら、一橋の都留学長が、それはそのとおりですなというようなお話もあって、今後管理運営をどうするかということになると、まだ成案を得ているわけではありませんが、自民党の文教制度調査会などでは、いっそ特殊法人で、理事会が管理運営をやる、研究と教授は教授会本来の任務だから教授会にやってもらうというふうに、研究教授と管理運営とを一応分けて、そうしてその有機的な統合を学長に求めるというようなことにしてはどうか、こういうことを自由民主党の文教制度調査会では申しておられます。時あたかも教育大学が筑波新研究学園都市に移転するのを契機に、単なる従来の国立大学たる教育大学のそのままの移転ではなく、大学の管理運営について新構想でいったらどうか、こういうのでありますが、文部省といたしましては、私のところの学術局長が見えていますが、やはり国立で、しかも、従来の国立大学とは違った管理運営の方式を取り入れた国立大学でいきたいということで、その調整を坂田文教制度調査会長に大臣からお願いをしておる、いまそういう段階でございまして、従来の集団無責任体制の弊におちいりやすい管理運営の方式は改めたいと思うという演説内容であります。
  60. 三木喜夫

    三木(喜)委員 理由は一つわかりました。学長では教授会の管理に対して集団無責任体制になりやすいから、別の特殊法人をつくって、そこで管理をやっていこう、そして学長は、その管理をやるものと学問の研究の上に位するということですね。そのとおりですか。
  61. 稻葉修

    稻葉国務大臣 そのとおりです。
  62. 三木喜夫

    三木(喜)委員 それで、特殊法人の理事長というのは外部から入ってくるのですか。これはどういうことになるのですか。
  63. 稻葉修

    稻葉国務大臣 理事長は外部者でなければならないとか、それから理事会の全部が外部者でなければならないとか、そこまでまだいっていないのです。教授の代表も理事にどのくらい、その割合はどうするか、そういう点はまだ未定でございますが、これは党のほうのことを言っているのです。文部省のほうのことを言っているんではない。特殊法人でやる形式をもって新構想大学の管理運営方式とするという自由民主党の考えは、いまあなたが申されたように、理事長は外部者に必ずするのかという御質問に対しては、成案を得ておらないというふうに私は聞いております。
  64. 三木喜夫

    三木(喜)委員 もう一つ、理由としてあなたが演説で言われたことは、民青が票をたくさん持っておる、学部長選挙でも都合のよい者を出していき、共産党員は立候補しない、自分たちの言うようにする、こういうことも管理運営というものを特殊法人にする理由ですか。これはあなたの演説の中で出ておるわけですが、それもお聞きしておきたい。
  65. 稻葉修

    稻葉国務大臣 いまの大学にそういう傾向があると思っているのです。一番よく知っているのは私の出身であります、私立大学ですけれども中央大学というのが神田にございます。これがそういう傾向が顕著でございまして、倫理綱領などにいう教師の最高の倫理は、団結こそは教師の最高の倫理である。そういうような形であるのかどうか知りませんけれども、学部長の選挙なんかでもその場でいろいろ議論してあなたがよかろうとかいうふうになるのではなくて、初めからかちっと票を固めてきて思わざる人がなったりするものですから、そしてそれは必ずマルクスの学者であったりするものですから、よくよく調べてみますと、そういう団体があって、自由主義的な学者はいやがらせをやられる。集団暴力は排除されたけれども、近ごろ明治学院大学などではゲリラ暴力がはやっている。ちょっと顔を貸せとか、ちょっと来てもらいたいとかいっていやがらせをするものですから、教授の研究室に書物を置いておくと、いつ襲われるかわからない、不安で書物は全部うちに持って帰って、うちで勉強しておる、研究しておる。大学の研究室が使えないという大学があるだろうか。学問の自由のない大学大学に値しない大学ではないか。だんだんそういう傾向が国立大学にも出てきたのでは将来悪いな。早く管理運営を改めておかぬと、また騒ぎが起きてから政治があとを追っかけるのでは、後手に回るのでは官僚政治の弊を脱しておらぬように思う。こういうように思うものですから、そういうことを申し上げ、世論喚起につとめたつもりでございます。
  66. 三木喜夫

    三木(喜)委員 まだいろいろお聞きしたいことがありますけれども、あと質問なさる方がありますので保留いたしまして、これで終わりたいと思います。
  67. 西岡武夫

    ○西岡委員長代理 有島重武君。
  68. 有島重武

    ○有島委員 日本の国内におきましても、世界的にも、非常にいま価値観の混乱といいますか、新しい価値観が成立しなければ切り抜けていかれないであろうといわれるこのたいへんむずかしい時代に大臣御就任なさいまして、たいへん御苦労さまであると思います。  ただいま基本的な姿勢についての御質問があったようでございますが、私どももまだ正式な所信の表明を承っておりませんから、報道あるいは非公式にお考えの一端を漏れ承っておるという状態でございます。  最初に基本的なことを一言だけ伺って、あと具体的なことをいろいろ承っておきたいと思います。  大臣の特に言われたいと思いますことを私たちはこのように考えております。人間教育を尊重していくのだというように要約されるのではないかと私どもは思いますが、考えてみますと、いつの時代でも人間教育をやるつもりでみんなやっていたわけですね。ところが、結果としては非常に経済志向的な人間ですか、経済のためには他の人間性を犠牲にするような形であるとか、あるいは権力志向型、あるいは立身出世型といいますか、あるいは技術人間というか、あるいは組織人間といいますか、そのためにあまり血が通ってないように思われるというような片寄りが客観的には出てきておる。こうしたことを是正して、ほんとうの人間らしい人間を育てていきたいというお気持ちじゃないかと思います。私どもも人間教育ということをずっと提唱しておりましたけれども、ここで人間の人間たるゆえんは何かというような問題ですね、これは非常にむずかしい問題になると思いますけれども、こうしたことを深く究明していくような手だてを何か措置なさるということがどうしても必要なのじゃないか。いま最初に申しましたけれども、近代西洋の国家観、人間観、そういう流れの上でもって明治以来百年を日本が過ごしてきた、そこに一つの矛盾が起こっており、西洋のほうでもそのように言われておりますね。こうした時代を切り抜けていくためにも基本的な問題を掘り下げていくという、そういったような何かの手だてを今後お考えいただいたらよろしいのじゃないか、私はそう思います。いかがでございましょうか。
  69. 稻葉修

    稻葉国務大臣 非常に深遠でばくたる御質問でございますから、はなはだお答えになるかどうか怪しいものですけれども、いきなり人間とは何ぞや、人間と社会との関係はどうかという哲学論争を、小学校一年のときから持ち込むわけにはまいりませんから、いままでのように、算数とか国語だとか、そういうこともあれだけれども、そういうことをおぼろげながら考え、そういう訓練の場とか鍛練の場とかというものが、教師生徒あるいは生徒相互間に醸成されることは望ましいと考えます。  西洋のほうにはキリスト教という精神教育のもとがあるものですから、こんな小さい子供をつかまえて、おまえは何のために生まれてきたと聞けば、直ちに神へ奉仕するためですと、整然と答えるわけです、条件反射的に。そういうことは日本ではないようでございまして、ないのがいいかというと、ないのが悪いと私は思うのですね。やっぱりあったほうがいいというふうに私は思います。そういう点において先生生徒との間に、そこはかとなく話が出るという教室の雰囲気がほしいものだ。あるいは教室外のたとえば川原へ連れていってその辺のよごれておるビニールをかき集めたり、これを焼き捨てて川がよごれないようにみんなでやりましょうなどと、これはみんなの川だから、社会の大事な財産だからというようなことを実践の上で、またことばのかわし方によって、自分がこの世に生まれてきた目的、他人との関係、そういうことについて訓練、鍛練する時間がほしい。それにはあまり詰め込み主義的な教育、計算ばかりやっておるということでは足りないのじゃなかろうかというふうに思いますので、有島先生は深い哲学的な思想に基づく御質問であるように思いますのですが、それに対するお答えとして、はなはだお粗末で恐縮でございますけれども、そんなふうに考えます。
  70. 有島重武

    ○有島委員 そういったことはまた他日に譲りたいと思いますが、過日東京の一中学校でもって、音楽の点を全部3にしてしまったという教師がございます。それから引き続きまして今度は大阪のほうで、小学校先生が教科書を順序どおり教えていかないというようなことが問題になりました。それはいろいろなふうに考えられるのですけれども、大臣の御所見はどうですか。
  71. 稻葉修

    稻葉国務大臣 大阪のほうの例を私新聞で見落としたのでケースを存じ上げないのですが、東京のほうの音楽の点数を全部3にしたという先生があって、それを主任からはずしたところが問題が起きて、また副主任にして解決したとか、そういうことを新聞で読んでおりますがね。そしてその中で四十何人かいるうちで九人ばかりクラスを変えてくれという父兄があって、クラスを変えたらそれがまた問題になったとか、それは学校を選び、クラスを選ぶ権利はそっち側にあるから変えるのが当然であるという評論があったり、そんなことをしておったら切りがない、それは学校にきちんとまかせて、そうしてやらなければいかぬのに、教員会議もまたそういうことをしたというのは、あまりに父兄の言いなりほうだいで秩序が乱れるじゃないかというような評論があったりしましたが、私は全部3にしたということがいいか悪いか、これむずかしくてわからない。それは音楽なんという教科目は、声がよくて音符をよくそのとおりに節を間違わないで歌うのが5点で、節を少し間違えれば4点で、ところどころ間違えれば3点で、だんだん下がってさっぱり覚えてなければ一というふうに明確ならいいですけれども、なかなかそういう辺の明確さが出てこないような性質のように思いますね。そうなるとその人の——女の先生だか男の先生だか知りませんけれども、全部3をつけて、というのも何だか意味のあるようにも思うし、その辺のところ、私にはわかりません。文部大臣たる者がそんなことをわからぬでどうするのかと言われると、全くお恥ずかしいですが、わからない。いいか悪いかどうだ、こう有島先生に開き直って聞かれますと、いい、悪いと御返答しかねるのでございます。
  72. 有島重武

    ○有島委員 たいへん正直なお答えで、これはたいへんむずかしい問題だと思うのです。今後も続続といろいろな問題が提起されると思います。そうしたことにつきましても、子供を育てる、人間教育と一口に言いますけれども、そのことをもっと深めていかなければならぬのじゃないか。先ほど教育勅語の話もございましたけれども、そこに横たわる人間観という問題がさらに問題なんじゃないかと私は思います。  こういう話は長くなりますから、具体的なことで伺いたいと思います。  来年度の文教予算の概算要求をなさっているようですけれども、どうしてもこれだけはやっておきたいという重点事項について御説明いただきたい。
  73. 稻葉修

    稻葉国務大臣 私は、今日教育改革の時期が来ておる、従来のようなことを踏襲してその教育行政の流れを変えないのでは国民の期待に反する、こう思いまして、まず第一に生涯教育の確立、それから全人教育の確立、私学の振興、大学の改革、学術・文化・教育の国際交流の推進、この五つは今日すでに国民的コンセンサスを得ているから、もはや実行に移すのみ、こう考え、先ほどから申しましたように、全人教育の妨げになっている学習指導要領弾力的運用をさせていく。それから生涯教育の確立については、日本は明治百年、今日学制が敷かれておる。学校教育偏重、社会教育軽視あるいは無視、無視に近い軽視。学校に対してはおおよそ二分の一国庫は負担する、社会教育の場である公民館などは十三分の一、博物館などは二十分の一、予算の面からいっても、わが国の従来の教育が極端に学校教育偏重、社会教育軽視、全人教育をやっておらなかったということは明確なんだから直していこうじゃないかと思いますし、家庭教育につきましては、家庭教育相談事業の予算の増大とか、そういうことによってわが国の幼児教育もよくしなければならない。いろいろな具体的な施策が付随いたしますが、私学の振興につきましては、とりあえず五・五・四というところまで人件費を含めた経常費の助成をしていきたい。文化の国際交流につきましては、いつも申し上げますとおり、これこそは異民族間の相互理解を深める一番手っとり早い方法だ。異民族間の相互理解を深めるということは、迂遠なようでも平和への最も近道である。そういう意味からいっても教育・文化・学術の国際交流の予算は引きませんよというかまえで大蔵省にお願いする、こういうことで五つの重点項目をあげております。
  74. 有島重武

    ○有島委員 漏れ承ったところでは、学園緑化という問題を今度は取り上げていくというようなことを伺っておりますけれども、私たちこれにはたいへん興味を持っているわけなのでございますが、学園緑化をやっていく目的はどの辺に置いていらっしゃるか。それから何年かの御計画になると思いますが、目標の立て方、そういうことについて承りたいと思います。
  75. 稻葉修

    稻葉国務大臣 校庭に芝を植えたり、あるいはいけがきをつくったり、できるところは大いにそういうふうにして学園を美的雰囲気に置く。人間の美にあこがれるというそのいい本質を育ててあげるというのが目的ですね。そういう情操の涵養ということが私どもの念願するところであります。目的であります。そういうことについての正確な来年度予算要求の規模だとか、年次計画であるとか、そういう点につきましては、管理局長初中局長か、どっちかからお答えいたさせますから……。
  76. 有島重武

    ○有島委員 いまの目的のところでもう少しお話ししたいから、目標につきましては、それじゃ後刻承ります。  目的、ただいまおあげになりました美的見地、情操的見地ということがおもなようでございましたけれども、これはもう少しいろいろな面からお考えおきいただきたいと思うのです。この委員会でも前にそういった問題を提起しているわけなんですけれども、一つには緑に囲まれた学校生徒さんの体力、それから成績というものと、特に町の中でございますと、コンクリートに囲まれて、それからコンクリートのグランドでもって育てられているお子さん方の体力ないしは学力、そういうものにずいぶん差が出ておるという結果が私たちの調査では出てしまう。これにつきましては、体育局のほうにもつと詳しく、全国的にお調べ願いたいということを当時申しておきました。それはいまここで承ってもよろしいのですけれども、よくお調べいただきたいのです。それから情操教育という中に入ると思いますけれども、確かに美的見地ということもございますが、生命をはぐくんでいくということが基本になろうかと思うのです。現在の子供たちにとってたいへん便利な世の中になってきて、使い捨てというような製品が多いわけですね。植物については育てるというのは相当たいへんなことなのでありまして、その育てていくということが何よりも有効な道徳教育にもつながってくるのではないか。単なる美的というところにとどまらないのではないか。そういうような幾つか多角的なメリットといいますか、こういうものがあるわけなんですね。その目的のところではっきりしておきませんと、何か別なことでもって重要なことが押し切られてしまうというおそれがある。学園緑化は、ぼくは、大臣がおっしゃる第一に体力、それから情操、そして知育、こういうことをおっしゃいましたが、こうしたことに非常につながりができてくる基本的な問題になろうかと思います。この点ぜひお願い申し上げたい。  それから、では目標について、どのような目標でもって運んでいらっしゃるか、それを承っておきたい。
  77. 稻葉修

    稻葉国務大臣 ただいま私たいへんうかつな答弁をしたように思います。目的を美的情操教育の振興に資したいということが目的でありますと、こういうふうに答えまして、先生から御指摘を受けたのですが、先生のおっしゃるほうが多目的で非常に正しいように思いますので、体力増進とか、そういう点も含めたもう少し広い目的があることを、訂正さしていただきます。どうもたいへんありがとうございました。
  78. 澁谷敬三

    澁谷説明員 目的はいま大臣からも御答弁ございましたように、児童生徒の健康の増進という見地と、豊かな人間性を養うというようなことを考えております。現に学校緑化を推進しております学校からの報告を聞きますと、芝を植えますと、体育の時間とか休息の時間に、やはりかたい土ですとか何かですと、ころびますとすりむいたりいろいろけがをいたしますが、そういう点がなくなり非常に身体活動が活発になる。それで学校の中が非常に明るい雰囲気になるということが一ついわれております。それからやはり見た目にも、その他の面でも非常に情操上よろしい。それからやはり炭酸同化作用によりまして酸素の供給、炭酸ガスを吸い取る。それから防じんの作用をする。それから雨なんかうんと降ったとき、ぬかるみがそうなくなるという作用をする。そういったようなことで健康の増進あるいは豊かな人間性といいますか、特に芝は植えるとき、あるいは日常の手入れといいますか、水まきとか、肥料とか、それから、植樹、木のほうも、いまおっしゃいましたように、子供たちに生命のあるものをはぐくむという心持ちを養う上にも非常にいい。それから木の場合はすべってころんでということはございませんが、やはり炭酸同化作用によります酸素の供給、炭酸ガスの吸収という面と、大気汚染物質をいろいろ吸着する作用がございます。それから騒音を減散させるという騒音防止にもなる。それからそういったようなことで植樹をやり、芝を植えた場合には、いろいろな効果が報告されておりますが、要約いたしますと、そういう情緒その他の面からも、健康増進と豊かな人間性を養うということではないかと思っております。  そういう芝張りとか学校の植樹というのは、多少理屈的に考えますと、本来学校設置者の問題かと思うわけでございますが、こういう大気汚染なり市街地の環境が非常に悪くなってきたというときには、やはり国でも助成金を出しましてそういう学校緑化を推進をするといいますか、促進をするという見地から、来年度に国庫補助金を新規事業として要求いたしたわけでございますが、当面は大気汚染地域の学校と市街地域の学校を対象といたしまして、五カ年計画で植樹、芝張りの促進、推進をいたしたい、そういうふうに考えております。
  79. 有島重武

    ○有島委員 私どもの調査によりますと、大体公害地域には小学校一千百二十九校、それから中学校五百六十九校、それから人口急増の地域で小学校が三千三百八十五校、中学校で一千四百二十七校という、このくらいのところは大急ぎでやらなければならないのではないかと思いますけれども、大体いまのお話、初年度ではどの辺まで手をつけますか。
  80. 澁谷敬三

    澁谷説明員 私どもが大気汚染地域の学校として考えておりますのは、大気汚染防止法の施行令に基づきまして施行規則別表第一の第一号から第三号までに掲げる地域に所在する学校考えておりまして、公立の小中学校で五千五百十三校を対象として考えております。かなりそういうことが進んでおるところ、あるいは自前でやるところもございますが、その七割の学校を対象として五カ年計画で均等割りでやりたい。それからもう一つは、市街地地域の公立の小中学校は、大気汚染地域と重複する学校を除きまして九千五百十四校ございますので、これにつきまして考えていきたい、そういうふうに考えております。  来年度要求いたしましたのは大気汚染防止地域の学校が約七百七十校、市街地での学校が約九百五十校を予算要求ではお願いをしたところでございます。
  81. 有島重武

    ○有島委員 特に大気汚染地域の学校については、これは急ぎますので全部を初年度にやるべきじゃなかろうか、それをぜひとも——きょうは大蔵省、来ていらっしゃいますね。これは子供の命にかかわることでございますから、ぜひとも初年度にまずこれだけは手をつけてしまわなければならないところがあるはずだと思うのですけれども、その点よくお考えいただきたいと思います。  それから一校当たり幾らぐらいお金をかけるおつもりなのか。それは学校の面積にもよりますけれども、大体一校当たりどのくらいのお金をおかけになるつもりでしょうか、それはどうですか。
  82. 澁谷敬三

    澁谷説明員 これはその地域及び学校の実情によりまして、もうある程度木のあるところと、ほとんどないところと、いろいろございますが、一応予算要求の積算として考えたところを申し上げますと、大体全国の学校の校地の平均面積を計算いたしまして、まずこれは芝張りでございますが、そのうち校舎の敷地と通路の部分、それから芝張りは、主として運動場のトラックの部分を除いた中のフィールドの部分及びトラックの外の部分を考えたわけでございますが、そういった校舎の敷地と通路部分、トラックの部分が大体三分の一、あき地のそこを除きまして対象とする面積を計算いたしたわけであります。それから植樹につきましては、校地の周囲の全国平均を計算をいたしまして、一応そういった全国平均を積算の基礎に使いまして、それから芝も、いろいろな種類の芝がございますが、児童生徒が踏みつけますので、それに適した芝などもいろいろ研究いたしまして、その芝の苗の代金、植えつけ費、それから植樹につきましては、公害に強い木などをいろいろ調べまして、それらの大体の平均価格、植えつけ費、それから二脚型鳥居の費用、そういったものをいろいろ計算いたしまして、大体予算要求いたしました積算の一校当たりの単価といたしましては、大気汚染地域の学校は約八十万弱、市街地域の学校は約五十七万弱を事業費として考えまして、その三分の一補助ということで予算要求の積算をいたしました。なお、大気汚染地域のほうが事業費が高くなっておりますのは、一部芝をやります場合に整地費を考えたからでございます。
  83. 有島重武

    ○有島委員 これは大蔵省のほうにちょっと聞いておいてもらいたいのですけれども、いまの積算基礎、いまいろいろな計算があるでしょう。こまかいことは私はよくわかりませんけれども、コンクリートのへいになっていれば、コンクリート一メートルこわすにしてもいま四千円か五千円くらいかかるのじゃないですか。こわすだけでもってこんなお金は飛んでしまう。コンクリートをはがして工事をするだけでということはあると思いますがね。こんな積算では、結局は地方のほうへ非常に負担がかかってしまう。それでできないということになってしまうのじゃないか、私は非常に憂えるわけです。大体市街地の中における汚染校、これはほんとうに重点的になるわけですけれども、そういうところでもって大体五百万ではあがらないのじゃないか、私どもの調査ではそういう状態です。  それからこまかい話になるけれども、どういう木をお買いになるにしても木の買い方によりまして、造園屋さんに買わせますと、街路樹なんかでも三年生の木が一本一万五千円もする場合があるのです。これを公立のところ、何か農林省関係がじかにこれを持ってくれば、同じものが一本五百円くらいといったことも起こっています。ですから積算をどういった根拠でもってやっていらっしゃるのか、私ここではちょっとそれまでの時間がないけれども、そこら辺のところは、たくさん植えなければいけないのだということが一つ、それからどうしても早くやらなければならないということが一つ、そういうことをぜひあんばいしていただきたい。  それからいまの八十万円、五十万円というのではこれは事実上不可能で、結局来年送りにしょうか、じゃやめておこうか、じゃほかのことにしておこうということも起こるのじゃないか、そういうことがあるはずなんです。体育局のほうにお願いしますけれども、そういうわけでございますので実現可能なことをやっていただかないと、せっかくのこの構想が、かえって地方のほうでは迷惑な中途はんぱなことだということはいままでもたくさんあったわけでございますけれども、この問題だけはちゃんと実現できるような処置をよく大蔵省のほうとも御相談いただいてやっていただきたい。いまの積算ですね、これはちょっと無理じゃなかろうかと思います。なおもう一歩広げていただいて、それで実現可能なふうにやっていただきたい。お願いできますか。
  84. 澁谷敬三

    澁谷説明員 実は建設省、林野庁、それから各方面の御意見も聞きましていろいろ勉強をさせていただき、また現実に芝張りをやっておりますところの現状もいろいろ調べましてやったわけです。  植樹の場合は地域の実情に応じてやることでございますが、予算の積算といたしましては、新しく木を植える場合、建設省なども大体高さ三メートルの苗木を植えておるわけでございますが、その場合も、たとえば公害に強い木ということで、その単価は建設省の予算で使っております東京単価を使っておりまして、たとえば樹木につきましてはマテバシイ、イチョウ、クスノキ、ネズミモチ、モッコク、アオギリ、アカシア、シイノキ、ツバキ、カシ、スズカケ等々の建設省単価を考えております。植えつけ価格につきましてもそうでございまして、ただこのコンクリートのへいをこわすとか、あるいはコンクリートのへいはこわさないで、そこへ木を植えるか、それは学校なり学校設置者の問題として考えまして、そこまでは考えてございませんが、ただ芝の場合は、いなかのほうの学校ですとあまり整地費は要らないと思いますけれども、非常に地面がかたくなっているところ、あるいはコンクリートのところがございますので、芝張りの場合につきましては整地費の一部も考えたわけでございまして、一応私どもとしてはこの予算の積算としては実行可能であるということで考えたわけでございますが、これは実際にやります場合には、その地域のその学校の実情に応じて実施をする一応の予算の全国的な平均の積算として考えたものでございます。  なお、先生の御要望もございますので、さらに勉強はいたしたいと思っております。
  85. 有島重武

    ○有島委員 ちょっとこまかい話で恐縮なんだけれども、いまのネズミモチ、マテバシイだとかおっしゃいましたね。これは幾らになっておりますか。
  86. 澁谷敬三

    澁谷説明員 植樹の場合は、まず樹木、苗木の単価と植えつけ費と二脚型鳥居と、この三つを積算いたしましたが、最初の樹木の単価でございますが、マテバシイは六千円、イチョウは四千七百円、クスノキ三千円、ネズミモチ二千円、モッコク七千円、アオギリ四千七百円、アカシア三千五百円、シイノキ四千五百円、ツバキ七千円、カシ三千円、スズカケ四千六百円、平均四千六百円、これは三メートルの木を考えております。それから植えつけ費、植えつけ費は肥料代を含めました植えつけ費、それから二脚型鳥居の費用、それらを積算いたしたわけであります。  なお、この単価は、建設省が道路などに木を植えます場合の単価の東京単価を積算に使っております。
  87. 有島重武

    ○有島委員 これも建設省のほうにもう一ぺんよく問い合わせていただきたいのですが、建設省のほうから造園屋さんに下請でもって出している場合にはそれは高くなるわけなんです。いなかの場合なんかほとんど無償でもってくれるような場合もございますね。そういったことは勘案できると思います。むしろお金がうんとかかってしまうのは、いままでの状態を除去して植えられるところにするまでにかなり金がかかるわけです。それから植えつけの場合に、これは教育的なことですから子供さん方に参加させるかさせないかでもって、植えたあとの育てる、守る、そういうことに非常に関係が出てくるわけなんです。そういうふうなことまでやはり配慮して指導なすったほうがよろしいのじゃないか。先ほどの目的に照らしますと、たいへんこまかいことになりますけれども大事な問題だと思いますので、なお御研究をお願い申し上げたい。  それからそのことにつきまして、これは稲葉文部大臣がここで初めてお始めになるわけでございますが、大臣がおかわりになったらこれがさたやみにならないようにしていただきたいわけです。それで学校施設の条件の一つの中にこれを位置づけるということをやっていただけるかどうか、これはいかがでございましょう。
  88. 稻葉修

    稻葉国務大臣 そういうふうにしてまいりたいと思っております。そういう制度化をするようにレールをかっちり敷いてからにしたいとかたく決意をいたしております。
  89. 有島重武

    ○有島委員 次の問題にいきます。  先ほど社会教育の中で公民館、博物館の話が出ましたけれども、図書館のことにつきまして、実は私ども図書館というところは、生涯教育ということにつきましても、それから全人教育ということにつきましても、図書館をうんと利用していくという方向に持っていくことが大切なのじゃないかと思っております。大体現在は、人口五万の市町村において図書館のまだ設置されてないものが、非常に残念なことなんですけれども、九十五市ございます。少なくとも人口五万の市町村には設置促進について力を尽くしていただきたい。これはいかがでございましょう。まだ九十五、あれがあるのです。これはぜひ促進していただきたい。
  90. 稻葉修

    稻葉国務大臣 私、設置率とか、そういうことについてはなはだ不勉強でございました。お教えをいただきましてまことにありがとうございました。普及率を増大していくようにしなければならぬと思っております。
  91. 有島重武

    ○有島委員 次は、図書館法の改正のお考えはないかということなんですけれども、従来、図書館といいますと、図書を集めてしまっておくというような感覚が多かった。現在だいぶ変わりまして、市民に対するサービスというふうにだんだん変わってきておりますけれども、それについては今度は図書館の職員の問題ですね。司書の問題や、その処遇の問題や、いろいろなことがからまってくるわけでございますが、図書館法の改正のお考えはないかどうか。改正なすったほうがいいんじゃないかということでございますが、いかがでございますか。
  92. 稻葉修

    稻葉国務大臣 図書館の民衆サービスの改善等につきましては、有島先生の御指摘のとおりいい傾向にはなっているけれども、それを促進するために図書館法の改正をしたらどうかというお話ですが、それをまだ検討いたしておらない状態でございます。これから検討させていただきます。まことに恐縮千万でした。相すみません。
  93. 有島重武

    ○有島委員 それから、それと関連いたしますけれども、従来老人対策といいますと、大体厚生省にばかりにまかせていたわけですね。生涯教育という見地から見まして老人福祉、福祉の中でも、いままではお金を与えるのが福祉であるというように思っておりましたけれどもへむしろ今後は教養福祉と申しますか、精神福祉と申しますか、そういう方向が考えられなければならないと思います。厚生省との関係もありますでしょうけれども、こうした老人問題についても、文部省が、お子さん方の問題で手一ぱいのところでございますが、なおこれを今後考えていっていただきたい。この方向もひとつ御検討を始めていただきたいと思いますが、いかがですか。
  94. 稻葉修

    稻葉国務大臣 生涯教育につきましては、先ほど申し上げましたとおり、五つの柱のうちの重要な一つでありますから、老人に対する教育といいますか、精神教育の問題、老人教室とでも名づけるべきものを始めたいというので、私のいまのばくたる記憶でございますが、四十八年度予算要求をしたように記憶しております。  額、設置の数等につきましては社会教育局長がよく知っておると思っております。——社会教育局長は公務で北海道に出張しておりますので、いま社会教育局の審議官をさっそく呼んでおりますが、あとでいまの点についてお答えを申し上げます。
  95. 有島重武

    ○有島委員 それでは次の問題に移りますが、文化財の問題でございます。政府はいま日本列島改造論、これを実施に移していこうということで御研究であるというふうに伺っておりますけれども、こうした改造、開発ということが進むにつきましても、文化財の保護ということがこのままではたいへん押し切られて、いままでも学問の世界では非常に憂えられていたわけでありますけれども、この文化財保護法をさらに強化するというこども大切ではないかと思います。この点については大臣の御見解はいかがですか。
  96. 稻葉修

    稻葉国務大臣 先ほどどういう点を重点教育改革をやるかという中で、国際文化の交流ということをやる。国際文化の交流をやるには、わが民族の先人の残した文化財を大切に保護して、外国の文化と交流するというのでなければ意味をなしませんから、文化財の保護につきましては、国際文化の交流という、これからの国際化社会の趨勢に日本が進むにつきましても、最も力を入れるべき点であるというふうに思います。さらには、日本列島改造論というのは、単なる即物的な改造ではなくて、やはり物質文明と精神文明のアンバランスをもとへ直す、バランスのとれるように直すということも、日本列島の改造論の中へ含ましてやっていきたいというふうに思うような見地からも、文化財保護については格段の力を尽くしていきたいという決意でございます。
  97. 有島重武

    ○有島委員 大臣のいまのお話、私も全く同感でございまして、あの改造論の中に含まれる一つの考え方として、都市における過密、そこにおける公害、それから過疎地帯というようなことが問題で、その、バランスをどうとるかということでございますけれども、いまの文化の問題、まさに経済とか建設、そっちのほうは過密状態になっておりまして、予算もたくさんつく。文化の面についてはほとんど過疎的な状態をあらわしておる。このバランスをとるということは、確かに改造論の中で大きく入っていかないと、非常に憂わしいことになると思いますけれども、それにつきましても、文化財保護法の改正、それから予算の裏づけをもっと大幅にするというようなことにつきましては、何か大臣考えがありますか。
  98. 稻葉修

    稻葉国務大臣 予算面では、大蔵省からの指示によりますと、二五%のワク内で概算要求してくれというふうになっておりますが、もともと足りない社会教育予算だとか文化財保護の予算だとかは、もとが少ないものですから、二五%ということでは、私どもの志向しておるいい教育改革には踏み出せないというので、文化財保護の面においては、文化財関係については国際交流費をも含めて相当多額に四十八年度概算要求をいたしました。  額等につきましては、専門の次長がいま参っておりますので、御必要があればお答えさせます。  文化財保護法の欠陥につきましては、私もおっしゃるとおりだと思いますので、そのどこを直すか、早く検討して結論を出してくれるようにということを文化庁長官に頼んでございます。ただいま検討を一生懸命にやっておると思いますが、あの中には、先生も御承知のように、相当に専門家としてりっぱな人もおりますし、有能にして善良な勤勉な国家公務員がたくさんそろっておりますから、いい結論を早く出してくれるものと待ちかまえておるわけです。そのあれを見まして、これでよしということになったら、決裁をいたしまして、そうして諸先生方質問にてきぱきとお答えすることが、早く来ないかな、こういうふうに願っているわけです。
  99. 有島重武

    ○有島委員 文化財保護法の改正については、積極的にいまもう作業を開始しておられる、そういうことを承って期待しております。  国際交流ということを先ほどおっしゃいました。私はこの委員会で前にも申しましたけれども、日本語の教育について、これも今度文部省のほうでもお考えになっていらっしゃるということを漏れ承っておるわけでございますけれども、現在の日本語教育が大体世界じゅうでどのようになされておるか、この現状について、大体世界じゅうの幾つぐらいの大学で、何人ぐらいの人が教えておるのか、それが現在ますます盛んになりつつあるのか、あるいは停滞状態にあるのか、その辺の御認識はいかがですか。
  100. 清水成之

    ○清水説明員 ただいまの外国におきます日本語教育の点でございますが、一つは、外国におきます日本語学科を置く大学は、これは外務省調べでございますけれども、百七十九大学現在ございます。なお、大学以外も含めまして現在日本語の教育機関としまして各国に五十カ国で機関数が七百十七、こういう数字が出ております。  お尋ねがございました盛んになっておるかどうか、こういう点でございますが、あるいは聞き漏らし、調査漏らしの点もあろうかと思いますけれども、各国におきまして日本語の学習熱がたいへん高まっておるというふうに私ども承知をしております。  実態としましては、とりあえず以上お答えさせていただきます。
  101. 有島重武

    ○有島委員 私も海外において日本語を修得したいという、そういった熱意が高まっておるということを聞いておりますが、ここで今度はわが国における日本語教師の養成については、養成機関がどんな現況であるか、これはいかがですか。
  102. 木田宏

    ○木田説明員 ありていに申しまして、外国人に日本語を教えるための教師の養成体制というのは、きわめて不十分な状態にあると思います。現在国立では東京外国語大学が特設の日本語学科を置きまして、これは外国人であって日本語の専門家になることを志す者に学部教育の養成を行なっております。また国際基督教大学におきましては、外国人、日本人を含めまして、日本語教師の志望者のための教育活動を行なっております。そのほか正規の大学教育というわけではございませんけれども、日本語の教師としての充実をはかりますための講習会等が早稲田大学等で行なわれたり、あるいは文化庁その他の教育施設等で行なわれておるという状況でございますが、いろいろと拾い上げてみましてただいま申し上げた程度でございまして、日本語の教師を養成する体制というのは、今後これからいろいろと考えていかなくてはならぬ課題だと思っております。
  103. 有島重武

    ○有島委員 先ほどの御報告によりますと五十カ国でもって七百十七の機関があると言われているわけなんですけれども、いまおっしゃった東京外国語大の特設の日本語学科というのは定員がいまのところ三十七名だというふうに承っております。これはまた日本語を教える先生を教えるような方をおそらく養成していらっしゃることだろうと思いますけれども、基督教大学なんか見ても、これは二十名から三十名という話ですね。それから日本語教室といいながら、実は日本語の教え方よりも、日本文化の一般のことを教えているような傾向もほかの大学におきましてはあるようであります。それから文化庁でやっていらっしゃるのは、年に一回五日間ほどの講習会をやっていらっしゃるそうですね。いまも大学学術局長がおっしゃったように、ほんとうにまだまだこれからの問題であると思うのですけれども、今後非常に大量にこれはつくらなければならない。しかも、そのシステムさえうまくいけば、大体日本人は日本語をしゃべれることになっているわけでありますから、ここでもって教え方そのものをよく研究していただいて、大ぜいの青年たちに日本語を教えられるという資格を持たせる機関を速急におつくりいただきたいというように、これも要望であります。  それから、これに付随いたしまして、今度は東南アジア、あるいは中国、あるいは韓国、北朝鮮、あるいはソ連というような、大体われわれの身近なところの外国ですね。この外国について日本人がいままで非常に無関心であったといわれるのではないかと思うのです。確かに英語をやっておればとにかく世界的に通用するということはございますけれども、このアジア諸国語についての研究は確かに外国語学校でもってされておるようでございますが、この普及段階についても今後は相当力を入れていかなければならぬのじゃないかと思います。この点の大臣の御所感はいかがでございますか。
  104. 稻葉修

    稻葉国務大臣 いま御指摘をいただきまして、それから大学学術局長の答弁を聞いておりまして、大臣としてちょっと抜かりがあったなという感じを持っておりますのは、外国人に対する、あるいは外国に在住する日本人たる子女に対する日本語の教育、その教育の員数等の養成について、もう少ししっかり考えなければいかぬなという感じを持ちました。先生の御質問を拝聴してそういう感じを持ちましたので、帰ってよく文部省内意思を統一しまして、そういう方向に力を入れてまいりたいということだけ申し上げておきます。  第二の、アジア諸国に対することばについて、どうも明治以来のわが国の外国語教育は、英独仏語ということで、法律制度や何かを吸収する関係もあって、主としてヨーロッパのことばをやってきましたが、これは私ども外国へ行きましてしょっちゅう指摘されるのでありますね。どうして日本人はすぐ隣の朝鮮語とか、中国語とか、ロシア語とか、あるいはインドネシア語とか、マレー語とか、そういうものをやらぬのだということで、かつてボン大学の東洋研究所、オリエンタルゼミナールでございますが、そこの連中はよく日本語も朝鮮語もできるのですね。そして私はできないものだから、非常に奇異の感を向こうは持つようです。そういう点について、いままでは先進諸国の文明を取り入れるという必要から、明治の学校教育では英独仏に集中したのだろうと想像されますが、今後はやはり何といってもアジアの平和、安定、文化の交流ということがまず先行しなければならぬように思いますので、そういう語学教育普及について文部省はうっかりしておってはいけないということを感じまして、さて具体的にどうすべきかはこれから検討することなんですけれども、一生懸命やらなければならぬ、こういうことをお答えするわけであります。
  105. 有島重武

    ○有島委員 その点よくお願い申し上げたいと思います。それで、先ほど過疎過密ということがございましたけれども、アジア全体から見ますと、日本列島はまさに過密なのでありまして、アジアはむしろ過疎状態になっておる。それから経済的にも、教育的にも、文化的にも、そういったことがあるのじゃなかろうか。やはり今後の青少年というのは、国内の意識もさることながら、アジア全体にわたる意識を持っていかなければならない、そういったことの一環といたしまして、いまのことばの問題がまず先行していくのじゃなかろうか、そういうふうに思いますので、よろしくお願いを申し上げたいと思います。  それから、社会局の審議官の方がいらっしゃったというので、先ほどのお話を簡単に承っておきたいと思います。
  106. 説田三郎

    ○説田説明員 お答えいたします。  高齢者教室の問題だと思いますが、御承知のように社会教育上高齢者と申しておりますのは、六十五歳以上の年齢の方をいうわけでございますが、これが現在約七百三十万人おるということになっておりまして、大体人口の七%に相当いたしております。この高齢者の方々の人口は、厚生省の推計によりますと、昭和七十五年には約千八百万人ぐらいになる、大体一三%ということになるようでございます。だんだんふえる傾向にございます。したがいまして、高齢者と申しますと、これに対する対策としては、主として厚生省のほうでお考えになっておる医療保障とか、老人福祉関係の対策、こういうようなことが中心になるかと思いますけれども、やはり教育的な見地からのいわゆる生きがいというような意味から、教育対策というものが緊急な課題である、こういうふうに考えまして、またいろいろな生涯教育に関する調査等も勘案いたしますと、高齢者の方々の八割以上の方が、何らかの意味で学習というものを要望されておる、そういうようなこともございますし、現実の問題といたしまして、全国ですでに三千七百学級以上の高齢者教室というものが開設をされておる。これは国の補助等を何らいたしておりません。市町村が自主的にやっておられるものですが、これに参加しておる数も二十四万人にも達しておる、こういうようなこともございます。そういうような意味で、国といたしまして明年度からこれに対しまして補助をしていきたい、こういうことで来年度予算要求をいたしたわけでございます。  そのこまかい内訳と申しますか、大ざっぱに申しますと、昭和五十二年度を目標にいたしまして五カ年というような意味で、来年度から、昭和五十年度には約一千万人になるようでございますが、その全部を対象というわけにまいりませんので、一割程度を対象として、それをもとに計算いたしまして、一市町村当たり市では五教室、それから町村では一教室というような割合で考えまして、来年度五千八百四十一学級、一学級当たり大体三十万円ということで、三分の一補助という考え方で、五億八千万円余の予算要求をいたしておる次第でございます。
  107. 有島重武

    ○有島委員 この問題、さらにやり方や何か私たちも調査しておりますが、もう時間もありませんので、また後の機会にいろいろと伺いたいし、こちらも御意見申し上げたいと思っております。なお、教科書無償の問題でもって、同僚の多田委員から関連の質問をさしていただきたいと思います。   〔西岡委員長代理退席、委員長着席〕
  108. 多田時子

    ○多田委員 関連いたしまして一つだけ伺いたいと思います。  こまかいことはまた後日に譲ることといたしまして、最近新聞の報道するところによりますと、昭和三十八年度以来義務教育無償ということを根底にいたしまして、教科書の無償が実施されました。たいへん父兄の方々、一般国民から歓迎をされたわけなんですが、どうも様子によりますと、大蔵省が来年度からはこの教科書の無償を廃止の方向に向かって検討をするというようなことで、給食の小麦粉の補助までも何かそれを打ち切るなどというようなこともちらほら伺うわけでございます。この点について、これは大蔵省の意向だそうでありますけれども、この意向が検討される段階で文部大臣としていかがお考えか、伺っておきたいと思います。
  109. 稻葉修

    稻葉国務大臣 多田先生に申し上げたいと思います。  文部大臣といたしましては、教科書無償をやめるなどという考えは毛頭持っておりません。つい二、三年前に半分地方でも出したらどうかなという意向を予算折衝のときに——大蔵省のほう、こういう人がおりますがね、青木主計官みたいな人が来ておられますが、そういうことをちらっと聞いたことがありまして、それはいかぬということで、そういう考えは毛頭持っておりません。  それから、学校給食の小麦の問題についてはいろいろ議論があるようでございます。これについては、党でも検討し、また文部省でも検討しておりまして、なるべく前年どおりということを堅持したい。そしてそのための予算要求を例年どおりの程度で要求をいたしておるような次第でございますから、文部省といたしましては多田先生の御心配になるようなことを考えている者は一人もおらないというふうに御承知願いたいと思います。
  110. 多田時子

    ○多田委員 文部大臣の御意向はよくわかりましたし、文部省としても、そういう考えを持っている方は一人もいらっしゃらないということで、半ば安心はいたしました。しかし、大蔵省の強い発言と強力な圧力と申しますか、そういうことがもしあったとするならば、それが文部省の全意向がひるがえされて、言いなりになったというような結果も考えられないではないというふうな心配はあるわけでございます。  そこでもう一つ、大蔵の方お見えいただいておるようですね、伺っておきたいのですが、大蔵省といたしましてはその意向である、その意向の内容が、やはり補助が全く少額であるし、そして効率がよくない、こういう簡単な言い回しなんですが、その辺の意図するところをちょっと伺っておきたい。
  111. 青木英世

    ○青木説明員 実はちょっといきさつがございますので、多少長くなりますが、大蔵省の中に実は財政制度審議会というのがございまして、毎年度の予算の基本問題について御審議いただくと同時に、特定のテーマ、たとえば米価の問題とか、あるいは文教の問題とか、あるいは社会資本の充実の問題とかということにつきまして、ある特別の部会をつくって御審議をいただいておるわけでございます。  そこで、実は本年度その財政制度審議会の第二特別部会におきまして、文教問題を財政的な見地から取り上げようということで、先生御承知の義務教育費の国庫負担金をはじめといたしまして、補助金とか、そういうようなものがたくさんあるわけでございます。そこでこういうものについて、一方は、実は地方財政とのからみでもっと地方負担を軽くして国の負担をふやせという議論もございますし、他方、父兄負担をもっと軽減するために、国の補助なりあるいは負担を多くしろ、こういう御議論もあるわけでございますが、そういう全般的な負担金なり、あるいは補助金を通じまして、国と地方負担のあり方、あるいは父兄負担のあり方がどういうものが妥当かということを、本年度の財政制度審議会の第二特別部会で御協議いただくということになっておるわけでございます。  そこで、実はこの問題につきましては、昭和四十四年度の財政制度審議会におきましても一度問題として取り上げまして、そのときに実はいま御指摘の義務教育の教科書の無償配付につきましては、まあ三十八年度から始めまして、たしか四十三年か四十四年度で完成したと思いますが、地方負担を半額導入してはどうかというような御報告をいただいておるわけでございます。  その後、四十五年度と四十六年度の予算折衝で、文部省当局とそういう点についても御協議したわけですが、なかなか大蔵省の言うように納得いただけないでいまのようになっておりますので、そういう問題を含めて、別段教科書だけということではなくて全般的に検討したい、こういういきさつでございます。
  112. 多田時子

    ○多田委員 いきさつのところはそちらの内容でございますので、いま御説明伺ったとおりでございますが、義務教育は無償であるということから考えますと、いまいわゆる地方自治体の負担とそれから大蔵省の国庫負担ということで、両方で進めていくわけでございますけれども、私はむしろこの義務教育は、現在の給食も、そしてまたさらに使われている副教材すらも、国で、義務教育というからには徹底して義務教育の期間だけは——家庭教育学校教育、生涯教育、いま全人教育といわれておりますけれども、義務教育の期間だけは、これは当然もう国家として次の子供を育てるという方向にいくべきではないかと、こう日ごろ考えておりますものですから、こういうことがたとえ審議中の問題とはいいながら新聞発表などになりますと、やはりショックも大きいことでございますし、これから先、義務教育のそういう費用は一体どういうふうになっていくのかというふうな懸念もございます。案の定、もう父兄の方々から相当強力な反応をこれで得ております。そういうことから考えますと、今後文部省としても大蔵省としても、その審議会で審議される内容としても、方向としては義務教育は無償であるという方向へ今後進んでいただきたい、このように思うわけでございます。この点について文部大臣に一言伺いまして終わりたいと思います。
  113. 稻葉修

    稻葉国務大臣 大蔵省のいきさつ等を、いま先生と私もお伺いした。半分地方に持たせる、それでも教科書をもらうほうは無料なんです。地方公共団体と国との関係だけですね、大蔵省の言い分は。そうなりますと文部省としては、地方負担でなく全部国が負担すべきだ、こういう主張を変えておらないのです。受けるほうからいえば、どうせ無料なんだから同じじゃないかといっても、地方で交付税でめんどうを見たりしましてもうまくいきませんしね。そういうことは困る、そういう姿勢をくずしておりません。  それから先生いま、義務教育の段階では学級給食までも全部国がめんどう見てやったらいいじゃないか、国が負担をすべきだとおっしゃいますが、これは給食の施設であるとか、それから調理師であるとか、それから食器であるとか、そういう設備費は国、公共団体の公費負担ということにする点については、先生と私の間に違いはないんです。ただ材料費などはやはり父兄負担でしかるべきである、こういうように思うのです。現実の食事の代金ですね、これは私としては、食べさせる、着せる、住まわせるということは親の責任、こういうふうに割り切るべきである。したがって、いかに給食がどんどん進んでいきましても、材料費は父兄負担というふうにしたいという考えでございます。
  114. 有島重武

    ○有島委員 それでは以上でもって終わります。
  115. 澁谷直藏

    澁谷委員長 本日はこれにて散会いたします。    午後一時四十一分散会