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石川委員 科学技術会議で先ほど申し上げたような
結論が出たことは、私は非常に妥当だと思っておるのですけれども、実を言いますと、
科学技術会議の
構成メンバーというのは、各省の方々を除いてみますと、
自然科学の人だけなんです。
自然科学者というものはこれからますます
優遇されなければならぬことは当然ですけれども、人類文明史的な
視点というものが欠けて、何か現象を追ってある
程度の
結論を出すということになっておる。やはり
人間と
環境、
人間と
科学とのかかわり合いというものは一体どうであるべきかというような
基本的、根源的な問題から洗い直して、そこから
結論が出ておるというような形にはなっておらないと、私は批判的に見ておるわけです。しかし、この
結論それ自体は私は間違っておると思っておるわけじゃございませんけれども、そういう見方で
科学技術会議というものは再検討する
余地があるんじゃなかろうかという
感じがいたします。
それは私の個人の
意見でありますけれども、そこでたとえば
ライフサイエンスの問題について言いますと、遺伝子の
人工合成というものが
コラーナ博士によって成功したし、RNAとDNAとの
関係がひっくり返っておるというふうなことが最近になってようやくわかってきた。それからアミーバの再編成に成功したというようないろんなことがございまして、
ライフサイエンスというものは非常に重要なこれからの
研究課題であるということは私も認めるにやぶさかでございません。ただ、
ライフサイエンスと一口に言いますと、普通
考えられますことは胎外受精の
関係、試験管ベイビーの問題だとか、遺伝子をどうにか操作ができるというようなことに基づいてこれが悪用されたらとんでもないことになるんじゃなかろうかといった遺伝子の制御の問題、それから
生命の合成というものもある
程度可能になってくるんじゃなかろうかというのが普通いわれておるところの
ライフサイエンスという
考え方であろうと思うのであります。そういう
考え方の限度内であれば、これはもちろん重要な問題であるし、学問的にはどんどん追及をして
予算もつけて検討しなければならぬという問題でありますけれども、
人間と
科学とのかかわり合い、
人間と自然とのかかわり合いをどうするかという問題を含めての
考え方が
ライフサイエンスの中に入るかどうかということについて、私はちょっと疑問があるわけです。しかし、まあこれは疑問としてとどめておきます。
そういうことで、私が申し上げたいのは、むしろ
ソフトサイエンスとしての問題のほうを今日的な
課題として取り上げることのほうが急務ではないか。
ライフサイエンスというものを取り上げること自体はもちろん重要なことでありますから否定はいたしませんし、学問としてどこまでも掘り下げていく必要性は十分に私も認めるわけでありますけれども、そうじゃなくて、今日ケリをつけなければならぬ、今日解決しなければならぬ問題がたくさんあると思うのです。そういう点で私は、
ライフサイエンスは
政府の
一つの大きなプロジェクトとして取り上げるという問題ではなくて、
学者が検討するに値する重要な
課題ではあるけれども、今日取り上げなければならぬ問題は、先ほど
中曽根長官も言われましたが、
テクノロジーアセスメントの時代に入っておる、
テクノロジーアセスメントを一体どうして確立をするかという問題のほうが私は今日的な重要な
課題であろうと思う。
テクノロジーアセスメントということになれば、
ライフサイエンスじゃなくて、これはいわば
ソフトサイエンスの中に入ってくると思うのですが、今日は
技術革新の時代ではなくて
技術再点検、
テクノロジーアセスメントの時代だということがいわれておる。
まあ余談になりますけれども、
テクノロジーアセスメントを
技術再点検と
日本では訳しておりますが、アセスメントそれ自体は、再点検の再という字はないわけです。ところが
日本人が訳すと再点検ということになるのは、
科学に対する重大な反省の気持ちが入るから再点検という
ことばになって翻訳をされてきたんじゃなかろうか、こう思うのでありますけれども、いろいろ
テクノロジーアセスメントの事例
研究、CAI、超高層ビルあるいは
農薬の
問題等を見てみますと、アメリカのマイター社でもって開発されたような手法も十分取り入れて相当
研究されてきておるということを私も認めないわけではないわけなんであります。もちろんアメリカ自体でもまだ最終的な
結論が出ておるわけじゃなくて
研究の
段階であります。
しかし、
テクノロジーアセスメントが
ほんとうに必要なのはアメリカよりも
日本であるということも、これはもう言うまでもない現実であろうと思うのであります。したがって、インパクトマトリクスの
関係はいろいろと整理されておりますけれども、しかしそれはプラスで書いたり、マイナスで書いたり、あるいは黒で書いたり、三角をつけたり、バッテンをつけたりするようなかっこうでやってるだけで、どこに重点があって、評価の最終的な
結論をどうするのだということまではまだまだいっておらない、これが現実だろうと思うのです。
この
テクノロジーアセスメントを一体どういう組織でもってやろうとするのか、一体どこで責任をとらせようとするのか。大ざっぱに
結論を言うならば、私は官僚側でもってこれをやるのは反対であります。これはどうしても純然たる
民間で責任を持ち、
民間でやる。しかし、このインパクトマトリクスの
関係なんかを整理していくというふうな仕事は、官僚機構でもって大いにやったらよろしいと思うのでありますけれども、最終的な
結論を官僚側が出すということについては、私はあまり賛成できません。そういうふうなことを含めて、
テクノロジーアセスメントというものをどう確立をするかというようなことこそ今日的な
課題ではないのか。
ライフサイエンスというものの定義は一体どうなんだ、範囲は一体どうなんだということをこれから始めるということは学問の問題であって、それより
科学技術庁として今日的な
課題としてやらなければならぬのはむしろそういうふうな問題ではないだろうか、こういう
感じがしてならないわけでありますけれども、その点は
中曽根長官どうお
考えになっておりますか。