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1972-05-23 第68回国会 参議院 社会労働委員会 第16号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十七年五月二十三日(火曜日)    午前十時二十一分開会     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         中村 英男君     理 事                 鹿島 俊雄君                 高田 浩運君                 大橋 和孝君                 小平 芳平君     委 員                 石本  茂君                 上田  稔君                 川野辺 静君                 高橋文五郎君                 橋本 繁蔵君                 山下 春江君                 須原 昭二君                 田中寿美子君                 藤原 道子君                 柏原 ヤス君                 高山 恒雄君                 小笠原貞子君     国務大臣        厚 生 大 臣  斎藤  昇君     政府委員        厚生省公衆衛生        局長       滝沢  正君        厚生省援護局長     事務局側        中村 一成君        常任委員会専門        員        中原 武夫君     説明員        総理府恩給局恩        給問題審議室長  海老原義彦君        大蔵大臣官房審        議官       植松 守雄君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正す  る法律案内閣提出衆議院送付) ○原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律  の一部を改正する法律案内閣提出、衆議院送  付)     —————————————
  2. 中村英男

    委員長中村英男君) ただいまから社会労働委員会を開会いたします。  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  3. 藤原道子

    藤原道子君 私は、過日も御質問いたしましたし、すでに同僚委員からも御質問がございましたが、さらに、納得のいかない点等について、少し御質問したいと思います。  まず最初に、佐藤総理のことばではございますが、沖繩が返れば戦争犠牲者の面でも戦後は終わったと言われておりますけれども戦争犠牲者の問題については、戦後二十七年を経過した今日もなお、未処理の問題をかかえております。沖繩は復帰しても、その沖繩にも問題がある。さらに戦後は終わっていないと私は思います。  そこで、未処理の問題はいつまでに完了し、戦後処理に終止符を打つことができるでしょうか、大臣にお伺いしたいと思います。
  4. 斎藤昇

    国務大臣斎藤昇君) おっしゃいますように、まだ、戦争の傷あとと申しますか、そういったような問題が相当残っております。御承知のように、遺骨収集、あるいは生存者帰還の問題、また援護法において処理すべきものもまだ漏れているものもあるというようなことで、なるべく早くこれを終結をするようにしたいと努力をいたしておるわけでありますが、まだいまのところ、国交の回復していない地域もありますし、また、国交の回復している地域でも、ことに遺骨収集等につきましては、まだ不十分な点がたくさんございますので、横井庄一さんの帰還の機会にも非常に声が高くなってまいりましたし、閣議においても総理から指示を受けておりますので、これらの促進のしかたについていま検討中でございます。一日も早く処理を終わりたいと、かように考えております。
  5. 藤原道子

    藤原道子君 私は、遺骨収集等についていまやられておる状況をお聞かせ願いたいと思います。
  6. 中村一成

    政府委員中村一成君) 戦没者遺骨収集につきまして申し上げますと、四十二年度以降から、一つの計画のもとに、主として太平洋地区におきます諸地方におきますところの遺骨収集を行なってまいっております。フィリピンマリアナ諸島東部ニューギニア北ボルネオソロモン諸島マーシャル諸島ギルバート諸島西イリアン等につきまして実施してまいりました。四十七年度におきましては、パラオ諸島トラック諸島等の未実施の地域のほか、マリアナ諸島及び沖繩につきまして、遺骨収集を行なうということにいたしております。  遺骨収集につきましては、ただいま先生からお話がございましたとおり、今日の国民感情にかんがみまして、これの促進をする必要がございます。私どものほうといたしましては、今後とも、遺骨収集につきましては、情報収集につとめまして、国民の期待にこたえるよう十分努力をいたすつもりでおります。
  7. 藤原道子

    藤原道子君 海外戦没者遺骨収集は、どういう計画でおやりになっているのか、教えてください。
  8. 中村一成

    政府委員中村一成君) 国交の回復いたしておりますところにつきましては、ただいま申し上げましたとおり、一応四十二年から四十七年まで五カ年間におきまして、一応の収集計画は行なってやっておるわけでございます。しかしながら、先ほど大臣もお答えいたしましたとおり、実はまだ不十分でございまして、もう一度、私どもといたしましては、総ざらいの形におきまして、戦闘のありました全地域につきまして、遺骨収集生存者救出についてもう一度洗い直すということで、明年度からさらにまた計画を新たにしてやる、こういうことで進めております。
  9. 藤原道子

    藤原道子君 横井さんの事例から見ましても、未帰還者調査については、真剣に再検討の必要があると私は思うのでございます。  そこで、私、まずお伺いいたしたいのは、いまおっしゃいましたガダルカナル島だとかセントジョージ島だとか、いろいろございますが、私は、最近問題となっておりますミンダナオ島の問題についてお伺いしたい。  まず第一に、フィリピンでは、戦死者はどのくらいと見ていらっしゃいますか。それから、遺骨収集はどの程度であるか。また、生還者は何名くらいあったのかという点について。それからまた、今後の方針についてあわせてお伺いをいたします。
  10. 中村一成

    政府委員中村一成君) フィリピンにおきますところの戦死者の数は、これは戦闘地域中の最大でございまして、四十七万六千の戦死者がございます。フィリピンにつきましては、戦後、あるいは遺骨調査等も実施いたしまして、遺骨収集をやってきたわけでございます。しかしながら、この四十七万の戦死者遺骨につきましては、その広大な地域と、あるいはフィリピンにおけるところの民情等もございまして、もちろんこの全数の収集はできないわけでございますが、私どもといたしましては、最近、ミンダナオ島におきますところのいろいろな情報もございます、その他フィリピンのいろいろな地域におきますところのその後の新しいまた情報等もございますので、そういう情報に基づきまして、フィリピンにつきましては、さらに、先ほど申しましたとおり、もう一度調査並びに遺骨収集をやるつもりで、ただいま検討いたしておるところでございます。
  11. 藤原道子

    藤原道子君 最近、ミンダナオ島から帰還された人たちが、ともに戦った同僚遺骨収集と、生存者ありとのうわさで、一人でも生存者があるなら、どんな苦労をしてもさがしたい、家族気持ちを思うとじっとしてはいられないというようなことで、会を組織されておりますね。そうして、四十五年の十一月二十一日に、十名で、自費で行っているのですね。四十六年の五月の四日、十二名、四十六年の十一月には一人で資料集めのために出かけておる。そこで、四十六年の十二月にミンダナオ・フレンドシップ・ソサイティーを結成して、ことしの八月には三百名の同僚たち遺骨収集に出かけるということを聞いておりますが、これらの人々はすべて自費であると聞くが、こういうことに対しまして、厚生省がどのように考えておいでになるか。
  12. 中村一成

    政府委員中村一成君) 先生お話の点は、私どもも承知いたしております。ミンダナオ島におきましては、約七万三千の戦死者を出しているところでございます。これは第三〇師団、一〇〇師団及び五四旅団並びに海軍の諸部隊が、ここにおきまして戦闘いたしまして、こういうたくさんの犠牲者を出しているわけでございます。いま、先生のお示しになりましたような戦友会、あるいは遺族方々が会を組織されまして、ミンダナオ島の遺霊並びに遺骨収集等努力しておられることは、私ども十分承知いたしております。私どもはこの方々からの情報は非常に貴重な情報でございまして、それをいただきまして、絶えず連絡はとっておるわけでございます。ただ遺憾ながら、お話しのとおり、こういう方々の御努力に対しましては、国として財政的な援助はいままでできていないわけでございます。したがいまして、おっしゃるとおり、皆さん方自費自弁でそういうお仕事をされているわけでございます。私どもといたしましては、そのような、本来政府でやるべきことでございますので、このことにつきまして、政府として努力いたしますほか、遺族戦友等の、そういうような御努力に対しまして、国も財政的な面で援助すべきじゃないかということで、私どもとしましては、そういう方向でぜひ来年以降、そういう援助を取りつけたいということで、ただいま政府部内で検討いたしておるところでございます。
  13. 藤原道子

    藤原道子君 現地人の中には、自分の家の庭に遺骨を埋めていてくれたり、丁重に扱ってくれているそうです。ところが日本人は死者を放置しておくのかというようなことを言われてとてもつらかった、こういうことを聞きました。と同時に、遺骨収集をすることに対して、厚生省から圧力がかかってきたというようなことも言われておりますが、圧力とはどういうことですか。
  14. 中村一成

    政府委員中村一成君) 遺骨収集につきましては、厚生省から圧力ということはないのでございますけれども、あるいはこういう事柄がそういう印象を与えるかもしれませんことは、遺骨収集をやります場合におきましては、これは相手国があることでございますから、相手国との十分な事前の打ち合わせが必要でございます。相手国の中におきましては、日本政府がみずから行なう場合におきましては、そういう遺骨収集も認めるけれども、民間の方が参りまして、そういう政府間の交渉なしにやります場合におきましては、相手国かち拒否される場合があります。したがいまして、厚生省といたしましては、外地の遺霊巡拝、あるいは遺骨収集に行かれる場合におきまして、特に遺骨収集につきましては、あらかじめよく外務省等を通じまして、相手国と十分な連絡をとって参るということをいたすわけでございます。したがいまして、そういうようなお話をいたしますので、あるいは場合によっては厚生省がそれを押えるのじゃないかというような印象を与えるかもしれませんが、そういうわけではございませんで、今後ともよく注意をいたしていきたいと思っております。
  15. 藤原道子

    藤原道子君 私は、ほんとうに中心になっている人は貫通銃創を受けて非常に重傷だったんですね。ところが、幸いに自分はなおった、ところがあんなに元気に一緒に働いていた同僚がどこで死んだか、遺骨がどうなっているか、遺家族のことを思うとじっとしていられないというので、会を組織してやっている。そういうことを思うと激励をする、協力をする、また力も与えるぐらいのことはしてほしい。ほんとうなら厚生省が、いや国がやるべき仕事だと思うので、この点は今後十分注意して、協力していただきたい。ことしの八月に三百人ぐらいで向こうへ行くということに対して、援助も、話し合いがついて、それで向こうで大きな慰霊祭を行なうということに話がついているそうですが、このとき厚生省一緒に行っていただきたいというようなことを申し入れたけれども最初はお断わりになった、それから向こうとの、そういうことが進んだということに対して、最近厚生省から今度は行ってもいいようなお話があるけれども自分たちも腹が立ったから断わったと言っておりますけれども、やはり、この人たちがせっかく現地の人とも、非常に向こうも、フィリピン当局協力していただいた、こういうことでございますから、やはり厚生省も行ってほしいと言ってきたら、やはりそういうときには、もう少し愛情ある考え方に立っていただいたらいいんじゃないか、私はそう思います。同時に、この遺骨収集して、日本へ持ち込むときに、封印料というのですか、遺骨の。これがフィリピンでは、出発のときには六ペソだった。ところが、日本は持ち込むときに封印料として二十ペソ取る。これはどういうわけなんですか。しかも、その遺骨厚生省に預けてあるんですってね。フィリピンでは六ペソだ、日本では二十ペソ。自費で集めてきた人たちがそれを持ち込むときに二十ペソ取るとはどういうわけでしょう、お聞かせ願いたい。
  16. 中村一成

    政府委員中村一成君) 日本に入国しますときに、そういう金を取られるということは、私は存じないのでございますが、二十ペソと申しますと、それはフィリピン出国のときではないかと思うのでございますが……。
  17. 藤原道子

    藤原道子君 出国のときには六ペソなんです。
  18. 中村一成

    政府委員中村一成君) さようでございますか。いままで日本遺骨を持ち帰ります場合には、日本におきましてはそういう手数料あるいは公費は負担する必要はないと思うのでございますけれども……。
  19. 藤原道子

    藤原道子君 それでは、これは私、何回も聞き返したのですけれども、そのとおりだ、あれは大きな箱に入ってくるんでしょう、それで、こちらへ上陸のときに二十ペソ取られる。これに対しては、うんと奮慨しておりましたから、どうか調査していただいて、こういうことがあるとすれば、断じて許せないと私は思います。向こうへ行って調査するのは命がけだそうですね。この間十二日に帰ってきたんですが、その人の話によりますと、この地図を見てびっくりいたしますが、このミンダナオ島には大酋長というのが一番上にいて、その部下に六十六名いる。ところが、ここへ一般の人が入ると殺される危険性がある。だけれども、詳しいことを知るにはどうしても大酋長に会わなければだめだというので、この間五日ですか、六日ですか、出かけるときに、もう私も会ったのですけれども、私は今度は命がけです、どんなことをしても大酋長に会ってたのんできたいと思う、ということで出かけて帰られたのでございますけれども、今度は幸いにそこへ行こうとした途中で大酋長妹婿さんに会った、大酋長の妹の御亭主ですね、カサヤンという人に山の中で会ったので、何とかして大酋長に会わしてくれと頼んだところが、こちらの真剣な気持ち向こうにあれしたとみえて気持ちよく引き受けてくれたそうです。そうして片道百二十五キロあるので、とても行ってきていただくまでそこで待っているわけにいかないので、百二十五キロの往復をして帰ってきて、来月の初めに、五日から九日ごろにフィリピンから電話で返事をくださる、こういうことに話がなって帰ってきた、こういうことなんですよ。とにかく、この人たち命がけでやっておりますから、厚生省はもう少し真剣に協力してやってほしいんです。その人たちが中には生き残っている人があるといううわさを聞いて、その生き残っている人をさがしたいために大酋長に会いたい、こういうことで努力をしているようでございます。ところが、これに対して帰える前に外務省ト部大使にお目にかかって約三時間話し合ったんですが、そのときに、生き残っている人の名前がはっきりわかって、日本へ帰りたいということがわからなければ動けないと言ったそうです。私は、そういううわさがあれば国が何とか努力して生存者をさがしていくというのが国のやるべき仕事だと。ところが、いろいろ調べた結果をト部大使お話をして、何とかしてほしい、力をかしてほしいということで三時間も会って話したところが、名前がわからなければだめだ、日本へ帰りたいということがはっきりしない限り自分たちは動けない、これは何事でしょう。国は大体はがき一枚で動員しておいて、そして四十七万からの人が戦死して、その遺骨は雨ざらしになっている。ところが、生きている人があるらしい。それには向こうへ移住した人もあればいろいろあるかもわかりません。けれども、私はこの前、ずっと前にインドネシアへ行ったときでも、日本の遺児というんですか、日本が残してきた子供が二万ぐらいいるなんといううわさがある。そういうことであるいは残っているかもしれない。私がモンティンルパの問題で、キリ大統領から紹介状を書いていただいてそれでフィリピンへ参りましたときにいろいろ話は聞いたんです。そのときキリノさんが、国民感情が悪いからいま帰すわけにはいかないが、死刑にはしないと言われたんです。国民感情が悪いということは聞いていたけれども大統領の口から国民感情が悪いから帰せないと言われたんじゃ私は帰れません、日本の母としてフィリピン方々おわびをしたい、けれども私は英語ができませんので一人で行くわけにいかない、こう言ったらしばらくキリノさん考えて、じゃ、わし紹介状を書いてあげるから行きなさい、必ず通訳はさがしてあげられると思うというようなことで、私は帰るのに金がなかったものですから外務省日本事務所の所長さんがお金を貸してくれて、大統領紹介状を書くなんて言われたのは初めてだから藤原さん行ってくださいと言われてフィリピンへ一人で行った。ところが、そのときに通訳に立ってくれた人が向こうに残っている兵隊さん、こういうこともあるんです。それでも親たちは死んだと思っていたところが、私が会って、なぜ帰らないかと言ったら、日本は空襲を受けて親も兄弟も死んでいるだろうから、わしはもう帰りませんと言って向こう仕事をしていた。私は、そこのところを聞いて帰って、おかあさんのところへ手紙を出してみた。そうしたら、おかあさんが、お盆でしたか、お位はいをながめながら、おかあさんはおまえは生きていると思っているんだよ、だけれどもみんな死んだと言っているから位はいを飾るんだと涙ながらに話しているところに私の手紙が着いた。そして、あなたは神さまか仏さまかと言って八十歳のおかあさんが東京へお礼に来てくれた。遺族というものはそれは何とも想像できない気持ちにあることはぜひわかってほしい。そういうことで私はフィリピンへ行ったこともございますので、私はそういうことから、死刑囚、無期懲役合わせ百何名の人をその後無罪放免にさしていただいて、フィリピンではラジオで国民おわびもしたんです。そういうことを経験しておりますので、私はこのフィリピンの問題というと、ふっと、よけいに——そこへもってきてこの会を組織してやっておるのが下田の人であり、富士宮の人であり、静岡県の人ということになると、この人たち気持ちに泣かされますので、どうしても国が力をかしてやってほしい、いや、かしてくれると思っていたら、この間帰ってきてト部大使に会いましたけれども名前がわからなければ、日本へ帰りたいということがわからなければわれわれは動けないと言われてがっかりして帰った。これは一体どういうことなんでしょう、国の方針がそうなんでしょうか、大臣いかがでございますか。
  20. 中村一成

    政府委員中村一成君) 事務的に私の承知していることをまず申し上げたいと思います。  ミンダナオ島につきましては私ども戦友会方々と同じように日本の旧軍人の方がおそらくミンダナオ島に残っているだろうと思っております。それで、この方々救出につきましては、いまのお話の百師団関係あるいは三十師団関係戦友会方々情報を得まして私どもはいま外務省連絡をとって、いろいろと情報をとっておる段階でございます。そこでト部大使戦友会方々のお会いになったときのト部大使お話では、外務省一般ケースのことをまずお話しになったと思います。その場合にはいまお話しのとおり名前がわかって、帰りたいという意思表示をしたとき日本のいわゆる領事業務が始まるということだろうと思います。そういうお話をされたのであろうと思います。しかしながら今度のこのケース一般のそういう例と違っておる場合でございますので、私ども外務省を通じてフィリピン日本大使館といろいろ情報の交換をいたしまして、そうして、外務省並びにマニラの大使館の御協力を得まして日本への生存者状況を、まず消息をとらえて、日本へ帰りたい方の日本への送還につきましては十分在外公館協力は得られるものと信じております。ト部大使につきましては、卜部さんはフィリピン戦没者慰霊につきましては非常に御熱心でございまして、余談でございますが、ことしはフィリピンのルソン島に戦没者慰霊碑を建立することにつきまして、ただいまフィリピン政府と折衝を積極的にやっていただきまして、ほぼ了解を得ておるという段階になっておりますけれども、今後ともト部さんの御協力を得られるものと思ってやっておる次第でございます。
  21. 藤原道子

    藤原道子君 私もそのことは聞いているんです。三千万円かけて現地慰霊塔を建てるという計画があるということを聞いておりますけれども慰霊塔もけっこうですけれども、生きている人がいるらしい、遺骨もあっちこっちにばらばらになっているということですから、まずこれに対しての対策を立てることが先ではないかと思うんです。遺族気持ちを思うとき、私は慰霊塔を建ててくれることよりも一日も早く遺骨を、あるいは一人でも多く生存者をさがすということが遺族の願いではないでしょうか。私は、現地とも交渉して三千万円で慰霊塔を建てて、そこを大きい公園にするには二億くらいかかる、こういうことも聞いております。私は、それもけっこうだけれども、それをやるから熱心だというわけにはいかない、日本に帰るということが明らかであろうとなかろうと、現地で生きているということがわかれば家族の方はどんなにうれしいのではないでしょうか。名前がわかって、そうして日本に帰るということが明らかにならなければ動けないとは何事ですか、ぐっときたんですが、慰霊塔を建てればそれでいいんですか。
  22. 中村一成

    政府委員中村一成君) もちろん一番重要なことは、まず生きている方を早く日本にお連れすること、これがいま第一でございます。遺骨収集の問題、これも重要でございます。それで、決して慰霊碑が先だということではもちろんないわけでございます。ただ、ト部大使がおそらく危惧されますことは、ミンダナオ島、これはフィリピン全島についてすべてそういう傾向がございますけれども、先ほど先生のおっしゃったとおり非常に危険な地域でございます。そこに生存しております日本の旧軍人がおりました場合、その方々の安全のことも考えまして、おそらく非常に慎重な発言をしておられるのじゃないかと私は考えるのでございます。ト部大使生存者救出につきまして非常に御熱意を持っておられることは、私もかねがね存じ上げていることでございまして、一応、外来者につきましては非常に慎重なことをお話になりますので、あるいはそういう印象を受けたかもしれませんけれども、十分な御協力を得られるものと私どもは考えて、今後とも十分折衝いたしたいと考えております。
  23. 藤原道子

    藤原道子君 それでは、生き残っている人があるといううわさがたいへん出ているときに、政府としては危険だから手がつけられないというので、このまま放置しておくのですか。
  24. 中村一成

    政府委員中村一成君) そういうことはございませんで、たとえいかなる危険がございましょうとも、これは私どもといたしましては、そういう生存者がおります限りは、これは日本政府といたしましては、その方々を、日本に御帰還するまでのめんどうを見ることは当然の国の義務でございますので、したがいまして万難を排しましてこれはいたしたい、こういうふうな決意でございます。
  25. 藤原道子

    藤原道子君 具体的でないですね。さっき言ったことといまの答弁とじゃおかしい。とにかく危険ならば危険なりにやる方法はあると思う。小林さんたちは旅費や滞在費だけでなくて、向こうの人はみな裸だもんだから、何か非常にみやげものなんかも要るんですってね。はだ着のようなものだとか上着のようなものだとか、そういうようなものまで持って向こうへ行ってお願いする。今度だって、幸いにも大酋長ですか、この人の弟さんに当たる人に会えたのでその人に依頼してきた。こういう方法だってある。日本から行った人がそういうことまで心を配るならば、国がやろうとすれば、私は手はあると思うんです。ところが何らしていないのみならず、こうしてさがしに行っておる人たちが、向こうの人は遺骨を大事にしてくれて、埋めてあったのをもらったりした。日本人は遺骨をほったらかしだと言われたときのつらさというものは想像に余りあると思う。これは、私は日本政府の責任だと思う。終戦後何年たっていますか。私は、そういう点でもう少し——これはフィリピンだけじゃございません。ほかにもいろいろあります。横井さんのような例も出ているんです。横井さんが生きて帰ったからといって、国をあげてあれだけの大騒ぎをする。しかし、その陰にどれだけの人がじっとがまんしているかということを考えるときに、私はこうした例があるならば、徹底的に調べてほしい。  それから二月十八日の週刊読売プンタス情報というのには、アボ山に二十六名ぐらいいるらしいと出ていますね。それから中日では、ブギドノンに数十名生存者があるという説もある。あるいは朝日も読売も一生懸命向こうでさがしているという話があるということを自民党さんの代議士の秘書に話したところが、これを某新聞が発表した。ところが厚生省から非常にしかられて、出てこいと言われているという。この人が新聞に発表したんじゃないんです。現地ではこういううわさがあるから、自民党さん何とか協力してやってくださいということを——お名前は申し上げませんけれども、ある代議士の秘書にお話しになった。ところがその秘書が新聞に発表した。ところが、今度は厚生省からこんなに苦労している人がしかられる。私はこれも納得がいかないのですよ。こういうことも二十日ですか、六チャンネルで放送したという話でございますけれども、今度比島へ渡るときの目的は、六十六名の部下を持っておる大酋長に何とかして会いたいという決意で行ったんですね。これだけなんです。向こうへ行くと、あらゆる新聞社が現地へ来て、あっちゃこっちゃさがしているわけですから、意見がまちまちになっています。けれどもそれを小林君の責任のように、事情も聞かないでしかりつけるとは何事だ。こういうことがあるけれども、よく君聞きたいから来てくれないかと、やさしく言われれば喜んでやってくる。それを頭からこの人がやったように解釈されて、わけも聞かずに、これだけ苦労して——いままでどれだけの金を使っているかわかりませんよ、四回、今度で五回ですか行っているのですね。自費ですよ。幸い、この人は御商売をしていますから何とかなるでしょうけれども、私は、そういう点が、国のやり方に愛情がないと、そういうふうに考えざるを得ない。たいへん口の悪いことを申しましたけれども、私は、ここにいろいろ資料は持っておりますけれども、新聞もたくさん出ていますね、記事はまちまちですよ。けれども、どの新聞を見ても生存者がいるらしいということだけは事実。また新聞社の人も現地でとても努力しているという話なんです。その努力していないのは政府だけと、こういううわさが飛んでいますよ。こういうことをひとつお考えいただいて、この遺骨収集生存者の有無をもっと真剣に考えていただきたい。私は、この小林君が会をつくるときに出したこの手紙を見て、私たちも申しわけなかった、もっとお手伝いができたら、するんだったということをしみじみ感じているわけなんです。  そういうことで、今後フィリピンのみならず、グアム島その他における遺骨収集についても御努力を願いたい。横井さんのことだって偶然のような状態で発見されたのです。あれは国がやったんじゃない。こういうこともございますので、一日も早く遺骨収集を終わって、そして現地慰霊碑を建てることはけっこうだと思いますが、この小林さんの手紙の中に、「厚生省遺骨収集は終わりと現地慰霊碑を建てる様ですが、あるわあるわたくさん御遺骨が野に山に雨ざらしではたまったものではありません。」遺家族気持ちを考えてくださいというようなことが書いてあるわけでございますので、この点につきましてはぜひ、お互いが戦争の犠牲にならないで、こうして生き長らえているということは、こういう人たちの犠牲の上に立っているのだということをお考えになって、真剣に遺骨収集に御努力を願いたいということを申し上げておきます。大臣いかがでございましょう。
  26. 斎藤昇

    国務大臣斎藤昇君) お話を承っておりまして、あるいは厚生省のほうにもいまおっしゃるような印象を与えたことがあったかもわからぬと思うのでありますが、もし、そういうことがあったとすれば、私の監督指導の不行き届きと、その点がもしあればおわびを申し上げます。  遺骨の問題は、先ほども申し上げましたように、これは四十七年度で遺骨収集が打ち切られるのじゃないだろうかと。いわゆる五カ年計画の終わりというようなことで、そういう誤解も受けました。そこで、そうではない、これからさらに計画を立て直して、そして遺骨はたとえお一人分であっても、必ずこれはお持ち帰りをしてお納めをするというように決心をいたしております。そこで新しく、いままでの遺骨収集費は二千万、三千万というようなわずかな金額でありましたが、金に糸目をつけずというのはオーバーでありますが、そういった気持ちでこれは遂行いたしたいというように考えています。そのためには戦友会方々、あるいは遺族の遺児の方々、いわゆる遺族青年部といっておりますが、そういう方々も参加を願えるようにいたしたい。それには公費、あるいはその他のお金も、ある程度は出して費用の一部に充ててもらうようにいたしたいというので計画をいたしておるわけでございます。  それから生存者方々につきましても、出てきたならば自分の命があぶないのじゃないかと言うて出てこない人があるというようなもし情報があれば、的確な情報があれば、これはどんなことをしてでも救出をはからなければならない。先般もグアム島でまだ二、三人いるらしいということでありましたから、向こうの警察とこちらから参った三人と一カ月間捜査をいたしたようなわけでありまして、そういうような情報が、相当確実らしいものがあればやるというように決心をいたしております。そのためには、在外の公館、あるいは在国の方々にも御協力を願って、そしてこちらにすみやかに情報を送ってくれるようにという措置もいたしているわけでございますが、ただ、先ほどおっしゃいました中で、私は考えなければならぬと思いますのは、現地現地の人になりたいというので残っておる人もどうもいるらしい。こちらではもう行方不明あるいは戦死という扱いになっているけれども、事実は生きておられるのじゃないかという方もあるようであります。それらの方について、先ほど御意見がございましたのですが、こちらのほうとしては、もう戦死をされたということになっている方が生きておられるなら、この点はどうしても訂正しなければなりません。したがって、その事実ははっきりさせる必要が、これは事務処理上もあるわけであります。しかしながら、御本人が帰りたいという考えを持っておられるならばどんなことをしてでも帰ってもらわなければなりませんが、そっとしておいてもらいたいという場合に、こちらに残っておられる遺族方々は一日も早く帰ってきてほしい。しかし御本人は、もう死んだことにして、そして現地で平和にやっているのだから、いまさら、あれは日本軍人の生き残りだといわれるようなことは言うてもらいたくない、現地でこのままで生きたいという希望であれば、これはやはり人権の問題でありますから、そこを無理やりにというわけにもまいるまいというところに私はむずかしい点が一つ残っている。その場合に、御本人の意思を尊重するか、あるいは未帰還兵だからというて無理やりに連れて帰ってくるかという問題になりますと、私はやはり今日になれば御本人の人権を尊重し、お考えを尊重するということも考えなければなるまいかと、かように思っておりますので、こういう場合にはやはりケース・バイ・ケースで、遺族方々には、こういうわけで生きておられるけれども、御本人はこういうあれだということをお知らせをするか、それも知らしてくれるなという場合にどうするかという問題になると思います。まあ、これはケース・バイ・ケースで考えてまいる必要があるのじゃないだろうかと、かように考えております。
  27. 藤原道子

    藤原道子君 生きていてそっとしておいてくれという人があったら、それだけだって調べなければしょうがない。そんなのあるのですか。正確に把握していらっしゃる……。
  28. 中村一成

    政府委員中村一成君) 先ほど先生からもお話がございましたインドネシアの場合でございますね。ここにおきましては、私どものほうのこれは推定でございますけれども、約数百の旧軍人がインドネシアに残っておる、こういうふうに推定をいたしております。これらの方々に全部、全員の方に調査が全部行き渡ったわけではございませんけれども、この方々の場合、私どものほうの得たところでは、帰りたくない、こっちへ残りたいという積極的な現地における現地復員といいますか、希望が表明されまして、その後帰りたい御希望はないかということはさらに追跡調査をいたしておりますけれども、そういう意思がない、こういうようなことを私どもとしては確認をいたしまして、したがいまして、その方々につきましては、こちらのほうの名簿から、この方々帰還の意思なしと、したがって、われわれのほうの未帰還の数字からはそれは除いていく、こういうような事務的な処理を一人一人について全部やっております。そういうふうにいたしまして、大臣が申しましたとおり、中にはそういう方もいらっしゃるわけでございます。
  29. 藤原道子

    藤原道子君 私はそういう人もいると思うのです。インドネシアに行ったときに、メダンの奥で、元の近衛兵で、国に命を捧げて、負けたから帰るのはいやだということで、十人余りで製材業を始めて、私は会ってきたのですが、このごろはどうだろうかと言ったら、その会社は非常に発展している。そういう人もおります。  それから、私がインドネシアに行ったときに、メダンの手前の飛行場に着いたら、現地に残りた人が、現地妻と一緒に花束を持って迎えに来てくれたりして、自分はもう帰りません。しかしこのことは、生きているということは郷里に知らしてあります。こういう人もおりました。ですからそういう人もいるけれども、生きているかどうかを探してほしいのです。現地にとどまりたいならとどめてあげていいと思う。いまメダンの奥で材木屋をやっている人が日本に帰って、あれだけの商売はできない。それはいろいろ事情はあるけれども、生きているか死んでいるかということ、死んでいる人の遺骨収集、これを私は要求しておりますので、大臣もその点でひとつお願いしたいと思います。
  30. 山下春江

    ○山下春江君 関連。いま藤原委員のお話を聞きますと、厚生省は何にもしないようでございますが、私、厚生省にやってもらった経験を持っておりますので、ここでほめるわけではないのです。まだまだやり足りないということがありますが、いろいろな情報がいかにあいまいなものであるかということも、ここでひとつはっきりしておく必要があると思うのですが、やはりフィリピンのルバング島で、いま、たしかおやめになった厚生省援護局の美山次長さんを先頭にして、三十人くらいの捜索隊を編成して、これは全部国家予算です。そうしてルバング島に参りまして、小さい島ですから、日本のナショナルだのそれから東芝だの、そういうところにも協力をしていただいて、その島の端から端に声が通るようなりっぱなマイクをつくっていただいて、それを二台持って行きました。そうして薬なんか非常にたくさん持っていってもらったのでありますが、小野田という、東京の警察病院の医師の弟で小野田少尉、この人がまだ生きている。生きていて、ときどき海岸に出てきて原住民の牛を殺して食っているんだという新聞記事が私の手に入りました。私、たしか引揚特別委員長かなんかやっておるときでございました。それで、これはたいへんだというので、捜索隊を厚生省主宰で編成いたしました。そのときのお金も覚えておりますが、これという予算が厚生省になかったので、特別に予算をつけてもらって、最初三百万円、それがなくなって、まだ少し足りないというので三百万、三百万が三回、約一千万円使って、ほんとうに草の根を分けて探してもらった。最初行きましたときにテントを張っておりましたところが、ここに医者が一人いるということを現地の人が聞いて、毎朝、出発前に六十人くらいテントにやってきて、全部肺結核、——らい病の人が少しあったのでありますが、病人のほとんどが肺結核ですけれども、肺結核の薬だけをそんなに持っていったわけではないですから、持っていった薬をいろいろ上げたわけですが、そういうように原住民が非常に感謝するような状態において厚生省調査をしたのです。草の根を分けて探したけれども、結論は小野田少尉は三年くらい前までは確かに生きていたけれども、三年くらい前になくなったらしいということです。遺骨などは見つからなかったんですから、それはらしいということでございますが、そのときの厚生省の真剣な調査の方法は私いまでも記憶しておりますが、ほんとうに原住民が非常に感謝するような方法で調査してくれたことを私は、私がその責任者で立案したのでございますから、非常によく記憶しております。私もいま藤原委員がおっしゃった初代のフィリピン大統領は承知しておりますが、とにかくそんなことで非常によく調査してくれたけれども、なぜその小野田さんが水牛を殺して食っているなどという新聞が出たかということは、そういうことで日本から調査団を送らせるための、何といいましょうか、現地人たちのトリック新聞記事であったということもその調査団によってあとではっきりわかったのでございますが、したがいまして、こういうことの調査は今日いろいろな社会情勢を考えてみまして、やはり政府が責任を持っておやりになるべきもので、民間の方が回収をされて、その調査にいらっしゃるということを一々——一々ということは、それを調査してはいけないとは言いませんけれども、それは、やはりそういう生存者調査したり、あるいは遺骨収集に当たるのには政府が責任を持って、政府の編成によって政府がなさることを私は慫慂をいたします。そのときに、それは厚生省主宰で厚生省が責任を持って、たしか団員三十人ぐらいだったと思いますが、連れていっていただきました。その目黒の警察病院の兄さんの小野田さんも行ってもらいましたですが、それは非常にあとで、もめごとが起こらないできれいにあと始末ができたことを考えましても、今後残された問題、それはルパング島でございますが、あの島の一ぱいあるフィリピンのことですから、まだいろいろな事件が起ころうかと思いますが、そういうことはすべて政府の責任において政府調査団をおやりになって、責任を持って調査して、それを国民に報告するというような体制をおとりになっていただきたいと思いますが、大臣及び局長の今後のそういう問題に対する心がまえをお伺いいたしておきます。
  31. 斎藤昇

    国務大臣斎藤昇君) 遺骨収集にいたしましても、ただいまおっしゃいました生存者方々調査あるいは救出、そういった事柄も、これは民間の方々に御協力を願うにいたしましても、やはり政府は責任を持ってやるということは、これはもう肝心だと思っております。遺骨の問題も、やはり民間の方がかってにやって、かってに持ち帰られたのでは、これはやはり困りますので、そういう場合には、政府連絡をしていただき、最後は政府の責任で御帰還を願ったという形は、これはどうしてもとる必要がありますし、またその方針でやっておりますことを御了承いただきたいと存じます。
  32. 藤原道子

    藤原道子君 私がいま申し上げたのは、非常にやりにくいところがみんな残っているので、捜査のやりやすいところは比較的進んでおります。こういうことが問題だと思う。だからいまミンダナオ島は非常に危険なところなんです。だから手をつけないんじゃないかというような考えが生じるわけだと思う。私は、そういう点から、今後ぜひやっていただきたい。  それからガダルカナル島のセントジョージ島における旧日本兵の遺骨収集状態はどうなんですか。
  33. 中村一成

    政府委員中村一成君) セントジョージ島——これはガダルカナルの近所でございます、先生御承知かと存じますけれども。ここに日本兵がいる、残っているのではないかということにつきましては、ごく最近戦友の方からの情報がございまして、私どもも承知いたしたわけでございます。このセントジョージ島につきましては、ガダルカナルにただいま進出していますところの三井金属にとりあえず依頼をいたしまして、本年の三月下旬から四月上旬にかけまして同所の駐在員の方にお願いいたしまして調査をいたしてもらいました。その結果、現在のところ同島に日本兵が生存しているという資料は得られなかったわけでございます。しかしながら、このセントジョージ島に関する情報を提供されました方々がこの島におりまして、その島から転進した一部の方々である、その戦友が残っているというわけでございますので、したがいまして、根拠は明らかでございます。ただ、セントジョージ島にはいないかもしれませんが、あるいはその付近のほかの島に移っているかもしれないということも考えられます。私どもは本年あるいは明年におきまして、おそらく明年になると思いますが、ガダルカナル島につきましては再度遺骨収集をいたしますが、その機会に、このセントジョージ島につきましての調査現地におきましてやりたいと思いますが、もとより、その前にも、いろいろ私どもといたしましては情報を得まして、そして、情報が得られればそれ以前におきましてももちろん直接出向きまして救出等に当たりたいと、こういうふうに考えております。
  34. 藤原道子

    藤原道子君 ここでは、大体セントジョージ島に漂着した二十八名の生死はいまだに不明だということでございますので、この島の調査はまだ一回も行なわれていないという実情だと聞いておりますが、そうですが。それからガダルカナル島における収骨は引き続いて実施をなさいますか。
  35. 中村一成

    政府委員中村一成君) 先ほども申しましたとおり、ガダルカナル島におきますところの遺骨収集はさらに引き続きやることでございます。  それからセントジョージ島におきましては、これはこの島におきますところのその二十数名の兵隊が残っておったということに関する実は情報が、ごく最近、ことしの二月に明らかになったという事情もございまして、現在まで調査いたしておりません。先ほど申しました三井金属の調査最初でございます。
  36. 藤原道子

    藤原道子君 そこで、英国政府やあるいは現地政府機関に対して前二項の協力方を依頼して、情報収集の方途を講じたらいかがかと思うんですけれども……。
  37. 中村一成

    政府委員中村一成君) さようでございます。私どもとしましては相手国あるいは相手国にございます日本の在外公館、そういうところを通じまして従来とも調査をお願いいたしているのでございますが、このセントジョージ島並びにその周辺の島嶼につきましては、これは関係国と十分連絡をとってお願いをいたしたいと、こういうつもりでございます。
  38. 藤原道子

    藤原道子君 フィリピンで、ブーゲンビル島の敵前逃亡で汚名と不当な取り扱いを受けている人や、タイ戦線で同じ運命にある人などに対する援護措置はどうなっておりますか。
  39. 中村一成

    政府委員中村一成君) ただいまのお話は、おそらく戦後、ブーゲンビル島におきまして行なわれました軍事裁判によって判決を受けられた方々に関する問題ではないかと思うのでございますが、この方々は約六十五名の関係者がいらっしゃるわけでございますが、この方々につきましては、ブーゲンビル島におきまして行なわれました軍法会議が、これが大赦令が出ましたあとにおきまして行なわれたものであるということから、そもそもこの軍法会議はなかったものとして処理すべきであるという方針を打ち立てまして、厚生省は、法務省あるいは恩給局等とも連絡をいたしまして、この六十五名の方々につきましては、生存者並びに戦没者双方につきましてそれぞれ戦死とし、あるいは生存者の場合につきましては、恩給権のあります方々につきましてはその恩給権をお認めするという方針で関係各府県に連絡をとってやっているところでございまして、現在までのところ約数名の不明者がございますけれども、その他の方々につきましては、所在その他は明らかでございましたので、ただいまその措置を講じているところでございます。
  40. 藤原道子

    藤原道子君 そこで、今度は国家補償と社会保障の関係についてお伺いしたいと思います。問題は、国家補償と社会保障を比較したときに、おのずから国家補償のほうが手厚い援護措置が行なわれると思いますが、この点はどうですか。
  41. 中村一成

    政府委員中村一成君) まあ、援護法の精神は国家補償でございます。これは国といたしまして今次戦争あるいはその以前の日華事変等におきますところの犠牲者の方に対しまして、国として責任を負うべきところの人々に対しまして国が補償するというたてまえになっておるわけでございまして、これはいわゆる社会保障としての措置ではないわけでございまして、あくまでもこれは国の補償という立場におきまして考えられました制度でございます。
  42. 藤原道子

    藤原道子君 ところが、具体的に本法の遺族手当を受けている老人夫婦の場合には、今回の改正によって月額一万八千五百七十二円になるんですね。ところが、生活保護法の生活扶助は月額二万八千二百八十円、四級地でも二万六百四十五円。遺族年金が非常に低額であると思いますけれども、これはどういうふうにお考えでございましょうか。
  43. 中村一成

    政府委員中村一成君) 戦没者の御両親の場合を考えてみますと、その場合に老人二人世帯の場合におきまして援護法の関係で申しますと、今回の法律改正によりまして昭和四十八年一月からは戦没者の父母が受給せられます場合には、両方合しまして二万五百八十三円の月額と相なります。それで、一級地、大都市の場合の生活扶助額は、これは四十七年四月から、ことしの四月から月額にいたしまして二万五千八百九十円となります。それから町村の場合一四級地に例をとりますと、この場合は一万八千九百七円となりまして、したがいまして、戦没者の父母の遺族年金額は、一級地の生活扶助額よりは少なく四級地のよりは多いということで、その間ぐらいとなっております。したがいまして、ここで見ますというと確かに大都市の生活扶助額よりは少ないわけでございます。  それから、戦没者の妻のみの世帯を考えてみますというと、これは遺族年金のほうは、援護法のほうは月額二万円と今度相なるわけでございます。この場合に一級地、四級地をそれぞれ見てみますと、生活扶助額は月額一級地が一万五千二百五十九円、それから四級地が一万一千百四十九円で、妻の場合におきましては援護法の額のほうが高くなっております。  このように、おっしゃいますとおり、ある場合におきましては生活扶助額よりも少ない場合も大都市の場合はあるわけでございますが、この点は私どもといたしましては遺族年金の額の水準の引き上げにつきましては、これは私どもとしてはさらにその水準を引き上ぐべきだということで、そういう方向で進んでおるところでございます。
  44. 藤原道子

    藤原道子君 だって、今度改正するのは、結局、自分たちの大事な子供を殺されてね、国家補償という名である以上は、私はこの点納得がいかない。また遺族年金の扶養加給が七千円では低いのじゃないですか。しかも、今回の改正案では引き上げられていない。この理由はどういうわけですか。
  45. 中村一成

    政府委員中村一成君) 遺族年金につきまして、先順位者の場合におきましてかりに二人ありました場合におきましては、御指摘のとおり、七千円の加給をいたすわけでございます。この七千円という額につきましては、元来、恩給法の公務扶助料の扶養加給と平仄を合わせましてその額が定められております。それでこの扶養加給の七千円の額につきましては、これは今回公務扶助料のほうの扶養加給が据え置かれたということがございまして、その均衡から据え置かれたわけでございますが、しかしながら、この七千円の増額につきましては今後とも恩給とあわせまして、御質問の趣旨に沿うように引き上げるべきだと、こういうふうに考えておる次第でございます。
  46. 藤原道子

    藤原道子君 厚生省は引き上げを要求したけれども認められなかったんですか、厚生省が引き上げをやらなかったんですか、要求しなかったんですか。
  47. 中村一成

    政府委員中村一成君) 扶養加給の問題につきましてはこれは厚生省と恩給局と最後におきましては大蔵省との三者の相談でやるわけでございまして、今回はこの扶養加給の増額は見送りになったという、結果から申しますと、そういうことでございます。
  48. 藤原道子

    藤原道子君 この次、いつごろできるのですか。来年はできますか。
  49. 中村一成

    政府委員中村一成君) 先ほども申しましたとおり、扶養加給の額につきましては本来の年金額の増額と同様に引き上げるべきものだと、こういうふうに考えて努力をいたすつもりでございます。
  50. 藤原道子

    藤原道子君 とにかく本法の特殊な事情であるということをお考えになって、厚生省はもっと強くあたたかく臨んでほしいということを要求いたします。  そこで、今度は相談員の所遇でございますが、同じ相談員の業務を行なう非常勤職員であるのに、婦人相談員は二万六千七百円ですね。それから母子相談員も二万六千七百円、それから家庭相談員が二万六千七百円なんです。ところが、戦傷病者相談員これは五百円、戦没者遺族相談員五百円、身症者相談員が三百円。いまのこの物価高の時代に五百円で、これが一日じゃないんですよ、月額なんですよ。これはどういうわけなんですか。
  51. 中村一成

    政府委員中村一成君) 確かに五百円の額につきましては、私どももこれではまことに申しわけないと考えております。したがいまして、戦傷病者相談員、遺族相談員の手当につきましては、ただいまお示しになりました他の身体障害者相談員あるいは精神薄弱者相談員等の手当も同様、これにつきましては大いに引き上げていただきたいと、こう私どもとしては来年度の予算要求におきましてこれはぜひ大幅な引き上げを実現したいと、こういうふうに考えまして、現在準備をいたしておるところでございます。
  52. 藤原道子

    藤原道子君 おかしいでしょう、だって。戦傷病者相談員は四十年以来据え置きなんです。戦没者遺族相談員は四十五年当初以来据え置き、身障者の相談員は四十二年以来いずれも当初からそのまま据え置きになっている。それをいまあなたがこれは少いから引き上げます、この答弁は私は納得いかない。五百円でいま何が買えるんですか、それも一日ならまだしも、これが月額ですからね。私はびっくりしちゃったんです。来年度は引き上げられますか。いま、今度は、ほんとうは、私は修正しても引き上げてほしいくらいに腹立っていますわ。御答弁ください。
  53. 中村一成

    政府委員中村一成君) この増額につきましてはぜひ明年度それを実現したいと、こう思っております。
  54. 藤原道子

    藤原道子君 これで各年金を対比してみても、公務扶助料は戦没者の父母が幾らですか、月額一万八千五百七十二円ですか、国民年金の老齢年金は二万五百円、厚生年金は二万二千円、生活保護はいまあなたがおっしゃった−私の調べが間違いでしょうか、月額一級地では二万八千二百八十円と私の調査ではなっている、二級地が二万五千七百三十円、三級地が二万三千百九十円、四級地が二万六百四十五円、こうなっておるんです。これは間違いでしょうか。
  55. 中村一成

    政府委員中村一成君) 生活保護の場合、老人二人世帯の場合、私が申し上げましたのは、一級地二万五千八百九十円と申しましたのは、老人が二人−老人二人世帯と申しますと一応まあ、私どもとしては六十八歳の男の方と六十五歳の女の方、いずれも無職の方がいらっしゃるという推定のもとに計算をした場合でございまして、これはいろんな、先生御承知のとおり、生活扶助額の計算はいろいろなケースによって違いまするが……
  56. 藤原道子

    藤原道子君 悪いほうを例にあげるから腹が立つんです。
  57. 中村一成

    政府委員中村一成君) 私どもは、その戦没者の父母の遺族年金額との比較におきまして、一応そういう六十八歳と六十五歳の男女の方の老人世帯というものを想定をいたしまして計算をしたわけでございます。
  58. 藤原道子

    藤原道子君 私は、国家補償国家補償と言いながら非常に低いことを追及いたしております。ぜひお考えを願います。  次にお伺いしたいことは、再婚解消の妻に対する遺族年金の支給が施行の日——二十七年の四月二十六日ですか、を限度として認められたんですね。ところが、再婚といっても大体多くは、兄が戦死した、兄の妻が弟と結婚する、こういう例が多いんですよ。そうすると非常にうまくいかない場合が多いので、別居するとか泣く泣く暮らしてるとか、その結果が解消したというような例がたくさんございます。したがって私は、この二十七年に施行されたからやはり二十八年に解消された人は対象にならない。ところが中には、別居はもう当然しておりながら、相手が離婚を承認しないために今日に至ってるというような人もあるわけなんですね。したがって、これが大体農村等においては家族制度というんでしょうか、親たちの古い考え方からそれで舎弟と結婚させられた、泣く泣く結婚したというような例がたくさんあるんですか、これがいま少し延長するというお考えはないでしょうか。
  59. 中村一成

    政府委員中村一成君) 再婚解消の日、昭和二十七年四月三十日の日をさらに延長するということにつきましては、私どもとしてそういうふうにいたしたいと考えております。この時期をどのくらい延長するかにつきましてはいろいろと議論もございますので、その辺は検討いたしておりますが、方向としてはこの日を延長したい、こういうふうに考えております。
  60. 藤原道子

    藤原道子君 私は、先だって援護局のほうにあまりかわいそうだから連れていった人があるのですが、この人は結婚して三年目ぐらいに別居しているのですよ。ところが、やはり御主人が離婚しない、弟なんですが。それで、その人は防衛庁につとめているのですよ、もう二十年くらい。それで、実家に帰って全然別居しているのですけれども、どうしても離婚を承認しなかった。やっと二十八年かに離婚したそうですが、ところが、この間、援護局に行ったときのお話では、これは別居していたという事実が実証されれば何とかなるんじゃないでしょうかと言ってくれたから、それで帰った。その後どうしたか、実証できたかということを聞きましたら、おかあさんが急病になって、とうとうこの間死んだので、まだ、それの書類の収拾がついておりません、こういうことです。子供を連れて実家に帰った。だから学校でそれの証明が出るのじゃないかということをお話しいただいて、そういうことでやっているのですが、この人だけでなく、方々にそういう例がある。婦人ですから、婦人相談を受けますので、お気の毒だと思いますから、私は全部撤廃しろとは申しません、若干の延長はお考えになっていただきたいと思いますので、いま局長の言われたことを御信頼申し上げまして、ぜひやっていただきたいと思うわけです。  もう一つ聞きたいのは、沈没した艦船ですね、これの引き揚げと、その遺骨状況はどうなっているか。それをひとつ聞かしていただきたい。
  61. 中村一成

    政府委員中村一成君) 今度の戦争で沈没しました日本の艦船は約三千隻に及んでおります。それで海上におきますところの戦没者は約三十五万人の方が海の上でなくなっておられます。それで、沈没艦船の引き揚げがあります場合におきましては、民間のいわゆる営業ベースで引き上げられます場合におきましてもかねて連絡しておきまして、戦没者遺骨厚生省のほうにお引き渡しを願うというふうに、いままでもいたしております。現在御承知かと思いますけれども、瀬戸内海におきまして戦艦陸奥の引き揚げをやっておりますが、その場合におきましてその遺骨収集につきましては非常に慎重に取り扱っていただきまして、現在十数体の遺骨をすでにいただいておるところでございます。そもそもこういうようなたくさんの沈船の引き揚げの問題は、中に遺骨があります場合が非常に多うございますので、私どもといたしましては、できるだけこれを引き揚げたいということにいたしておるのでございます。しかしながら、御承知のとおり、この引き上げにおきましては非常に困難な場合が多いわけでございます。これは日本の領海内であります場合におきましてはともかくも、外国の場合におきまして非常に問題がございます。しかしながら、私どもといたしましては、できるものにつきましてはこれはぜひ引き揚げをいたしたい、こういうふうに考えておりまして、したがいまして、一応引き揚げの可能な日本領海内におきますところのものにつきまして、現在その引き揚げをやるべく準備をいたしておるというところでございまして、例を申し上げますと、先ほどの戦艦陸奥のほか、神奈川県の三浦三崎のほうに沈んでおりますところの海軍の特殊潜航艇がございますけれども、こういうものにつきましては遺族の方の非常に強い御要望もございますし、ただいま海上自衛隊とも連絡いたしましてその引き揚げ等につきまして具体的な折衝に入っておる、こういうことでございます。
  62. 藤原道子

    藤原道子君 マニラ湾に六十何隻か沈没しましたね、あれはいつごろ引き揚げが終わったのですか。
  63. 中村一成

    政府委員中村一成君) マニラ湾につきましては、ほぼ昭和四十年ごろでございますか、におきまして一応引き揚げられるものは、向こうフィリピンの側が主でございますけれども向こうのほうで引き揚げております。日本のサルベージが協力したこともございますけれども、大体マニラ湾においては終わっておりますが、最近におきましてアメリカの軍人が、ダイバーがもぐりまして、そうして日本の沈船の、軍艦の状況を見てきているのも最近ございますけれども、大体におきまして、マニラ湾におきましては、できるものは終わっておるというふうに承知いたしております。
  64. 藤原道子

    藤原道子君 遺骨は当然返してもらったんですか。
  65. 中村一成

    政府委員中村一成君) その中のマニラ湾の遺骨につきまして、いまここに詳細な資料を持ってきておりませんが、しかしながら、私どもといたしましては、当然これはお願いをいたしまして、いただいておるものと思います。  それから最近におきまして、フィリピンのやはりダイバーが日本人の遺骨を引き揚げたと、これはマニラの大使館を通じまして、そちらのほうでそういうことは終了いたしました。
  66. 藤原道子

    藤原道子君 私はこれで質問を終わりますが、大臣にお願いをいたします。  この国家補償の面においての問題と、それから生存者現地に働いていようとどうしようと、生存者ありというような場合には、秘密を守ることは守ってもよろしいから、その調査を進めていただきたい。いま、大体残っておりますのは、捜査しにくいジャングル地帯が多いと思います。私たちも困難だとは思いますけれども、その遺家族のことを思うときに、この生存者の捜索並びに遺骨収集をぜひとも真剣におやりいただきたいということ、これを大臣にお答え願いたい。  それから局長には、先ほど申し上げましたフィリピンでは六ペソ、日本へ入るときに二十ペソ取られるということを私申し上げましたが、これを十分調査していただきたい。もし、間違っておりましたら、私は、おわびをいたします。
  67. 斎藤昇

    国務大臣斎藤昇君) ただいまの点はあらゆる手段を尽くしまして、遺骨収集生存者の確認ということは果たしたいと思います。
  68. 中村一成

    政府委員中村一成君) 先ほどの遺骨の送還の場合の手数料等の問題につきましては、さっそく調べまして御報告申し上げます。
  69. 中村英男

    委員長中村英男君) 本案に対する午前中の審査はこの程度といたします。     —————————————
  70. 中村英男

    委員長中村英男君) 原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。  本案に対する質疑希望者の発言は全部終了いたしておりますので、他に御発言もなければ、質疑は終局したものと認めます。  これより討論に入ります。——別に御意見もないようですから、討論は終局したものと認めます。  それではこれより採決に入ります。  原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律の一部を改正する法律案を問題に供します。本案に賛成の方の挙手を願います。   〔賛成者挙手〕
  71. 中村英男

    委員長中村英男君) 全会一致と認めます。よって、本案は全会一致をもって原案のとおり可決すべきものと決定いたしました。
  72. 橋本繁蔵

    ○橋本繁蔵君 私は、ただいま可決されました法律案に対しまして、各党を代表し、附帯決議案を提出いたします。案文を朗読いたします。   原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律の一部を改正する法律案に対する附帯決議(案)  政府は、本法の施行に当り、次の事項について、その実現に努めること。 一、原子爆弾被爆の特殊性格に即応するよう被爆者対策の根本的改善を企図して、審議会の性格及び運用並びに今後の援護体制について前向きの検討をすすめること。 二、認定疾病の範囲について、悪性腫瘍等最近の被爆者医療の実情に即応するよう検討すること。 三、特別手当、健康管理手当、医療手当及び介護手当については、その額の引上げと所得制限の大幅な緩和及び適用範囲の拡大(年令及び地理的条件を含む。)に努めること。 四、葬祭料の金額を大幅に増額するとともに、過去の死没者にも遡及して支給することを検討すること。 五、被爆者の医療費については、全額公費負担とするよう検討することとし、さしあたり、国民健康保険の特別調整交付金の増額については十分配慮すること。 六、昭和五十年の国勢調査期を目標として、被爆者の実態調査を行なうこと。 七、被爆者の生活、医療等の相談に十分応じられる態勢の充実に努め、被爆者に対する相談業務の強化を図ること。 八、被爆者の子及び孫に対する放射能の影響についての調査研究を促進すること。調査研究の結果放射能の影響が確認された場合に於ては、健康手帳の交付等による健康面に十分配慮した施策を考慮すること。 九、沖繩在住の原子爆弾被爆者に対する医療態勢の整備を本土なみにすすめること。 十、原爆傷害調査委員会(ABCC)と国立予防衛生研究所の協力関係について再検討するとともに、各省にまたがる研究機関及び民間医療機関が放射能の影響や治療についての研究を一元的に行ないうるよう促進を図ること。 十一、被爆者の救済に当たっては、戦争犠牲者救済の公平を確保するうえから、旧防空法による犠牲者に対してもすみやかに施策を講ずること。  右決議する。  以上でございます。
  73. 中村英男

    委員長中村英男君) ただいま橋本君から提出されました附帯決議案を議題とし、採決を行ないます。  橋本君提出の附帯決議案に賛成の方の挙手を願います。   〔賛成者挙手〕
  74. 中村英男

    委員長中村英男君) 全会一致と認めます。よって、橋本君提出の附帯決議案は、全会一致をもって本委員会の決議とすることに決定いたしました。  ただいまの決議に対し、斎藤厚生大臣から発言を求められております。斎藤厚生大臣
  75. 斎藤昇

    国務大臣斎藤昇君) 原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律の一部を改正する法律案を御可決くださいまして、たいへんありがとうございました。お礼を申し上げます。  なお、ただいま御決議になられました附帯決議につきましては、その御趣旨を十分尊重いたしまして、実現に極力努力をいたす所存でございます。
  76. 中村英男

    委員長中村英男君) なお、審査報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  77. 中村英男

    委員長中村英男君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  午後一時まで休憩いたします。    午前十一時五十分休憩      —————・—————    午後一時二十四分開会
  78. 中村英男

    委員長中村英男君) ただいまから社会労働委員会を再開いたします。  午前に引き続き、戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を行ないます。
  79. 小平芳平

    ○小平芳平君 戦後の問題がいつ解決できるんだというような点について、各委員からすでに質問がありましたが、そうした基本的なことについての問題点、私は具体的に厚生省にお知らせしておいた、こういう問題がいまなお残っているのではないか、どう処理をするかということについて質問を進めてまいりたいと思います。  で、初めに、横須賀市に住んでおられる長岡俊夫さん、この例で考えましても、こうした戦後の問題が済んでいるどころではないということを非常に私は痛感しているわけですが、この点について厚生省のほうで調査をなさった結果をお知らせ願いたい。
  80. 中村一成

    政府委員中村一成君) ただいまお示しになりました長岡俊夫さんのケースでございますが、この方は、中国の河南省の戦闘におきまして、左胸部、同じく左の手のうしろのほう、手背を手りゅう弾の破片等を受けまして、昭和十六年の七月十五日、恩給法の二目症の指定を受けられておる方でございます。傷痍軍人の方でございます。その後、御本人は傷あとの状況がよくないということで、昭和四十六年六月十七日に、昨年の六月十七日に爾後重症といたしまして、傷病恩給請求が福島県に提出されております。この請求書は、福島県におきまして、調査を終えまして、ことしの五月十六日に厚生省へ進達してまいりました。で、厚生省援護局といたしましては、この傷病恩給につきましては、これは認めるべきものであるという判断を下しまして、五月の十九日にこれを恩給局に進達をいたしております。ここで長岡さんのケースにつきまして申し上げますと、福島県庁に提出されましたのが昨年の六月十七日でございますので、恩給局にまいりますまで約十一月間を要しておるということでございます。こういう点につきまして、私どもは、都道府県関係の部や課に対しましては、この事務処理促進方をかねがね事務連絡いたしておるわけでございますけれども、十一カ月を要したということでございまして、この点はもう少し促進することができるんじゃないかというふうに考えまして、このケースを参考といたしまして、今後関係の都道府県に対する事務指導の資料といたしたいと思っております。  なお、この長岡さんにつきましては、おそらく恩給局におきましてお認めをいただけるケースではないかと考えております。
  81. 小平芳平

    ○小平芳平君 局長さん、そういうふうに丁寧な御答弁があればそれで私としてもけっこうなんですが、昭和十五年の河南省の戦闘で負傷した、で、十六年に恩給法の指定を受けたということ。その後、十九年六月に再度応召して、そうして中国大陸を転々としているときに病気、——盲腸を手術する。しかも、その盲腸を手術する外科医がいなくて内科医が何時間もかかって無理やり手術をする。そしてまだ腰もすっきり立たないうちに原隊復帰を命ぜられて、そして原隊のあとを追って大陸をさまよい歩いたということが、その後の長岡さんが健康回復できない大きな原因になっているのではないかと、私はしろうと考えで考えられるわけですが、そういう点はおわかりになっておりますか。
  82. 中村一成

    政府委員中村一成君) 私どもも、そういう、その後の御本人の生活状況からいたしまして、爾後重症に該当するものと、こういうふうに考えておる次第でございます。
  83. 小平芳平

    ○小平芳平君 それでは、こちらから指摘するまでもなく、局長のほうから十一カ月県で握っていたということはあまりにもおそ過ぎたということが御答弁ありましたので、ひとつ大臣、どういうふうな改善を指示なさるか。本人としては昨年の六月十七日県へ書類を提出した。その後本人には何の音さたもないわけです。で、十一カ月たって、しかも私から指摘して、やっと厚生省もそれがわかったのであって、県のやるのを待っていたのではいまだに厚生省としてはわからないままだったかもしれないわけですね。そういうような点をもう一つ具体的に改善する方法があったらお答えいただきたい。
  84. 中村一成

    政府委員中村一成君) 福島県におきましての十一カ月間は確かに非常に長いケースでございます。ただ、福島県の援護課は全国のほかの都道府県の援護課の中では比較的事務としてはよくできるところであるんでございますけれども、こういうようなケースがありましたところを見ますというと、先生お話のとおりまだまだ私どもといたしましては都道府県の指導につきましては、なおもっと具体的な指導が必要ではないかというふうに痛感いたしております。具体的にどういうふうに今後やるかということでございますが、さっそく私どもといたしましては、この六月の五日に全国の都道府県の援護担当の課長を集めまして事務打ち合わせ会をいたすことにいたしておりますけれども、この会におきましてはもちろんそういうような、こういう具体的なケースもあげまして、ひとつ参考としてお話し申しますほか、関係のブロックにおきますところの会議、あるいは私どものほうで指導を地方にいたしますところのケースが非常に多うございますので、そういう点を利用いたしまして今後とも、そういうような事務の遅滞がないように十分指導いたしたいと、こういうふうに考えております。
  85. 小平芳平

    ○小平芳平君 それでは次の問題としまして、新潟県村上市の、なくなった方は川口伊之助−戦死された方は川口伊之助さん、その妻の川口鶴さんから遺族給与金についての申請が出ておりまして、それを厚生省が却下した、そしてまた、再審を出したが、それはどうなったか、その点についてお尋ねします。
  86. 中村一成

    政府委員中村一成君) なくなられました川口伊之助さんのケースでございますが、この方は昭和二十年八月当時張家口の憲兵隊に現地で応召をされております。八月の五日でございます。ちょうど終戦の十日前でございます。それで八月の二十二日に一これは家族の方も現地にいらっしゃったわけでございますので、この方につきましては現地におきまして召集解除の措置をいたしております。八月二十二日でございます。そしてこの方は天津の収容所におきまして妻子と生活をしておられたわけでございます。ところが、同年の二十年の十一月−秋になりまして奥さんやお子さんは日本に帰られたわけでございますが、御本人は山西軍の求めに応じまして山西軍に参加をされたわけでございます。これは御承知のとおり閻錫山の、中華民国の部隊でございますが、これに参加されたわけでございます。そういたしまして、二十三年の十月二十七日に山西省の太原において死亡しておられます。で、これは御遺族の妻川口鶴さんから本人に対しまして遺族給付金及び弔慰金の請求がなされたのが昭和三十七年でございます。それで厚生省として検討いたしましたが、この方はなくなられました昭和二十三年におきましてはすでに召集を解除されたあとでございまして、いわゆる一般の民間の方でございますという形において自発的な意思において山西軍に参加しておられるということでございますので、遺憾ながらこの方につきまして援護法によるところの軍人軍属といたしての処遇をすることはできないという判断に立ちまして、四十二年に却下処分をいたしたわけでございます。これに対しまして戦没者の妻から四十四年に異議申し立てがなされました。これは援護審査会と申します機関にかけまして、審査会の御審議を経た結果、四十七年——ことしの四月三日に異議申し立て棄却の決定がなされた、こういうような経過をたどったケースでございます。
  87. 小平芳平

    ○小平芳平君 その点について私は意見があるわけですが、で、大臣にもよく聞いていただきたいのですが、なくなられた川口伊之助さんは確かに太原までわざわざ行ったと、そして閻錫山の、どういう働きをしたかわかりませんけれども、その軍隊のほうに行ったということは間違いないわけですが、あのような日本の国が敗戦、そして内地ですらあれだけの精神的な大衝撃を受けた。しかも、こうした外地において、そうした大衝撃を受けられた方々はお先まつ暗です、どうしていいかわからない。したがって、たとえば仲間を殺して逃げたとか、あるいはそういうようなことがあればともかく、その大多数の者が軍人が解除されて内地に引き揚げる。その引き揚げるのを待たずに、この方は何かわずかの期間ですが、憲兵隊の仕事か何かしていたということで、内地に帰ってからの不安な思いにかられておそらくこちらに、閻錫山のほうに行っちゃったんじゃないかと。しかも、一緒に太原にいたときの同僚が——友岡正勝さんという、この同僚が留守宅の奥さんあてに、あなたの御主人と一緒でしたと、あなたの御主人も帰りたがっておりますが、閻錫山がおいそれと許してくれないでおります。そして、平和条約でも締結になったら自由に旅行できるようになるから、その時期にはぜひ帰国したいと、こういうふうに言っておりますということを、同僚が奥さんに知らしてきているわけです。ですから、そういうように、本人の自由意思で閻錫山のほうに行ったんだから援護法による適用はないというふうに、そういうふうに全部割り切ってしまうのかということを私は指摘しているのですが、いかが一ですか。
  88. 斎藤昇

    国務大臣斎藤昇君) 情においてはまことに忍びがたいものもあると思うわけでございますけれ一ども、とにかくへ終戦後復員をして、それから閻錫山の軍のほうに入ったと、そこでなくなったというのは、いまの法律では救いがたいということになっておりまするし、そういう者を法律を改正して入れるかということになりますと、これはちょっとむずかしいのじゃないかと。情においてはおっしゃるとおり忍びがたいものもございますけれども、とにかく外国の軍隊に入ったことでございますから、そこでなくなったということでございますから、軍隊に入った動機、心情はどうありましょうとも、援護法の適用はもちろん、これを改正してということは、ちょっと私はむずかしいことだと、かように思います。
  89. 小平芳平

    ○小平芳平君 局長援護法を改正しなければならないのですか、それが一つ。  それからそういう方はどのくらいおられると思いますか。
  90. 中村一成

    政府委員中村一成君) この方につきましては、ただいまお答えいたしましたとおり、援護法として軍人軍属の扱いをすることは法律上できないものと考えております。それからこのような方々、つまり戦後、山西軍に参加したところの者はどのくらいあるだろうということでございますが、その当時北支方面におられました軍人軍属で二千六百名、それから在留邦人、この場合、ただいまのこの方も在留邦人に入るわけでございますが、三百五十名、計二千九百五十名の方が山西軍に参加をしておる、こういうふうに私どもは数字をつかんでおります。
  91. 小平芳平

    ○小平芳平君 そうすると、この二千九百五十名の方については全く検討する余地はないわけですか。要するに私が指摘しているように、ああした敗戦という特別の衝撃を受けたそういう事情下にあって、ほかの方は援護法の適用を受ける、二千九百人から二千六百人の人は援護法の適用を受けられない、どれだけの違いがあるのだ。同じように大陸で戦争に参加させられていて、戦争に参加していて、それで一方は、戦争に負けた、これは内地へ帰っても不安だといって山西軍に入った、山西軍に入ってもそこへ永住するつもりがあったわけでもないでしょうけれども同僚で、直ちにもう帰った人もあれば、本人も帰りたいと言っておりますという手紙まできている。それだけの違いで何の援護も受けられない、そういうことですか。
  92. 中村一成

    政府委員中村一成君) 援護法上は、御本人がなくなられました時期がすでに日本軍人軍属であるところの身分を離れておられますので、遺憾ながら、その事情はよくわかるわけでございますが、援護法を適用するということはできないわけでございます。
  93. 小平芳平

    ○小平芳平君 それじゃまた次に問題を提起いたします。  先ほど藤原委員からもお尋ねのあった再婚を解消した方ですね、再婚を解消した方は、それまでは適用を受けていて、その再婚もやむを得ず一時再婚したと。そしてまた別れているのですけれども、全く適用を受けられないという、この方は山梨県の坂本さんという方ですが、この人についてはいかがですか。
  94. 中村一成

    政府委員中村一成君) 援護法におきましては、特別な場合におきまして再婚をされたけれども再婚を解消して帰った方には、結婚がなかったこととして、援護法戦没者の妻として取り扱うという制度が設けられておるわけでございますが、ただその時期といたしましては、昭和二十一年の二月一日、このときは軍人恩給が停止した日でございますが、この日以後に婚姻し、つまり軍人恩給が停止になりまして生活の困難等もございます、あるいは戦後のいろいろな社会情勢等もございまして婚姻をいたした、戦没者の妻が。しかしながら、二十七年の四月二十九日、援護法が施行になります前日でございますが、昭和二十七年四月二十九日までに婚姻を解消してもとに返られた場合におきましては、遺族年金を支給すると、こういうたてまえになっておるのでございまして、この方々につきましては、戦後のそういう特殊な経済情勢社会情勢のもとにある遺族方々につきましては特別の取り扱いをするというのがこの精神であるわけでございます。ところで先生のお尋ねのケースでございますが、この方は昭和二十七年の十二月二十七日に婚姻をしているわけでございます。したがいまして、解消をした時期が終期でございます昭和二十七年の四月二十九日よりあとになっておられるということでございますので、この方の場合におきましては、遺憾ながら現行法におきましてこれを認めることはできないわけでございます。しかしながら午前中の藤原委員の御質問に対しましてお答えいたしましたとおり、この昭和二十七年四月二十九日という終期の点につきましては、これはもう少しこれを延長すべきではないかという意見あるいは実例等もいろいろとございますので、私どもといたしましては、この二十七年四月二十九日というのはもう少し延ばしたい、そういう法律改正をお願いをいたしたい、こういうふうに考えまして、いま部内で検討いたしているところでございます。
  95. 小平芳平

    ○小平芳平君 そうすれば、延長するとなれば、この方の場合は八カ月くらいですからね、八カ月くらいの違いですから入る可能性が出てくると思うんですが、それで私が次にお尋ねしたい点は、実際上別れていると、実際に再婚はしましたが、手続はしましたが、ずっと別れているということが実際に証明されてもだめなんですか、その二十七年の終期以後の方は。確かに結婚はした、しかしそれは手続上であって、実際にはずっと別れているという方はどうなりますか。
  96. 中村一成

    政府委員中村一成君) これはその実態、離婚の点でございますね、再婚解消の実態によりまして判断をいたすことといたしております。
  97. 小平芳平

    ○小平芳平君 ですからこの再婚解消が実際に立証されれば適用されるということですか。
  98. 中村一成

    政府委員中村一成君) そのとおりでございます。
  99. 小平芳平

    ○小平芳平君 それからこの期間を延長、二十七年を延長するということは部内で検討といわれましたが、いつごろをめどに、とにかく早くしてあげなくては意味がないわけですよね。そういっては何ですが、年輩でどんどん年をとっていきますので、早くしてあげなくては、これから何年もたってから、御本人がなくなってから延長されても意味がないのですが、どの辺をめどに進めておられますか。
  100. 中村一成

    政府委員中村一成君) できますれば明年度の予算の編成におきまして予算的な措置を講じ、法律的な手続をとらしていただきたいと考えております。
  101. 小平芳平

    ○小平芳平君 それでは次に、これは大蔵省なんだそうですが、引揚者の方が内地へ上陸するときに保管を依頼したというふうに説明をされますが、実際は時の政府方針によって、まあ現金千円だけを渡されて、あとは取り上げられたと同じなんですが、この点についていままでの経過を御説明いただきたい。  それからもう一つ私が調査を依頼しました福岡県の福岡市後藤栄助さんの場合についての具体的な例として、どうなっているかを御回答いただきたい。
  102. 植松守雄

    説明員(植松守雄君) いま御質問の件でございますが、確かに税関で引き揚げ者の証券、それから通貨等の保管をいたしておるわけでございます。その税関が保管をするに至りました経緯には、二つの経路がございます。一つは、いま先生御指摘のように、引き揚げ者が日本に上陸されました場合に、その地の税関において、一定の限度を越えるものを保管するというやり方でございます。それからもう一つのケースは、現地におきまして、現地の在外公館もしくはその自治会等で、同様の証券等を保管をいたしまして、それが占領軍によって一度接収されたわけでございますが、それが接収解除の結果、当初は日銀で保管をしておったようでございますが、その後、それが税関のほうに移管になりまして、これは、現在、一括横浜税関で保管をいたしております。そこで、その保管の根拠法規でございますが、当時は外国為替管理法という法律、これは、現在の外為法の前の、戦前からの法律でございますが、その外国為替管理法と、いわゆるポツダム勅令と申しまして昭和二十年の勅令五七八号というのがございまして、その者二つによって、こういうものは一定の限度を越えまして一切輸入してはならないという規定があったわけでございます。まあ、その根拠といたしましては、占領軍の指令があったわけでございます。ところが、その後、日本が自主権を回復いたしまして、昭和二十八年の九月以降は、これらの保管物件はすべてこの保管委託者にお返しをするということになったわけでございます。そこで、いろいろ全国ベース、あるいはそれぞれの地域地域の税関におきまして、それの返還を促進すべく各種のPRをいたしております。当初は、引き揚げ者の団体等とも連絡をいたしまして、そちらを通じて、この通知方をはかったわけでございます。その後、もう相当の年月を経過しておるわけでございますが、税関のほうといたしましては、主として地域ベースでその種のPRをいたしております。ことしは、特に横井さんの事件等がございましたので、全国紙も取り上げ、テレビ等にもこの問題が取り上げられたことがございまして、そういうようなPRはいだしておるつもりでございますが、なかなかこれという周知徹底のきめ手がございませんので、まだ相当の未返還の物件をかかえております。その数字をちょっと申し上げますと、現在、全体の世帯数、戸数と申しますか、世帯数で申しますと約六十二万件でございます。それから全体の物件の一口一口の件数で数えますと、約二百二十万件余りのものがまだ未返還になっておるということでございます。  それから、その内容の点をついでに説明をしておきたいと思いますけれども、先ほど申し上げましたように、通貨でございますが、通貨は日本銀行券に限りませんで、現地の通貨等もございます。それから、証券につきましては、郵便貯金並びに現地の各種の金融機関の預金通帳、それからたとえば満州国の国債であるとか、その他南方開発金庫、その他いろいろ現地の金融機関の証券類等も入っておりまして、全体としましてはその証券類が大部分の件数を占めておるわけでございます。その証券につきましては、御承知のように、戦後、いろいろな措置が講じられまして、たとえば閉鎖機関令に指定されますとか、あるいは在外会社というものに指定されまして、それぞれ、所定の手続で清算をいたしております。そういう過程で、もうすでに清算が結了しまして、その証券としての経済価値はなくなってしまっておるというのが相当含まれていると言えようと思います。  そういうのがいままでの現状でございまして、しかし、とにかく、これは保管をいたしておるものでございますから、税関としては、極力これを返還をしたいということで、年々、ここ数年の実績を見ましても、毎年何百件かの返還はいたしておるという状況でございます。  それから最後に、御指摘の後藤栄助さんの件でございますが、後藤さんは昭和二十一年の三月に広島県の大竹港に引き揚げてこられた、そこから上陸をされた方でございまして、後藤さんのお話では、所持金を当時税関がございませんで、海運局といっておった時代でございますが、中国海運局に所持金を強制保管をされたのだ、こういう申し立てがございました。これにつきましてさっそく調べてみたわけでございますが、当時大竹港で、保管をいたしました物件はすべて神戸税関に引き継ぎをいたしております。そこで神戸税関で調べましたところ、同氏名義の現金類というものは保管をされておらないということでございます。そこで、じゃ何か他の物件の保管はないのかといって調べましたところ、同氏名義の海南島の——この方は海南島におられたようでございまして、海南島の海軍経理部長が発行した預かり証が、これは当時のその地方に流通しておりました軍票の四千円相当の金額であったようでございますが、その預り証が現在神戸税関に残っておるわけでございます。そこで、そのケースを考えますと、先ほど申しました第二のケースと申しますか、現地において海軍の経理部長に軍票を預けまして、御本人はその預かり証を持って引き揚げてこられた。これが大竹港で保管になって、それが神戸税関に現在伝わっておるということでございます。そこで現物である軍票のほうはどうなっておるかということでございますが、これは先ほど申しましたように、一度連合軍によって接収されましたのが、現在は横浜税関で管理されておるわけでございまするので、横浜税関のほうの記録を調べてみました。そういたしますと、実は横浜税関には海南島からの物件は全然保管の対象になっておらないということでございまして、どうも保管証は本人が持って帰られておるようでございますけれども、その現品はどこでどうなりましたか、現実に日本には帰ってきておらないというような状況のようでございます。それからもう一つ、いろいろ保管証とか紛失されたような場合がございます。しかしこれにつきましては税関のほうでそれぞれ控えの書類がもちろんございますし、現物は各人ごとに封筒に入れて保管をいたしておりますし、それに内容はこまかく記載をいたしておりますから、もしお申し出があれば、かりに保管証がないような場合であっても現物があるかないかということはわれわれのところで調査がつくわけでございまして、そういうことはもちろんわれわれのほうで十分に遺漏のないようにしなければならないというふうに思っております。
  103. 小平芳平

    ○小平芳平君 いまの御説明で、未返還の件数が二百二十何万件ですか、二百二十余万件というものが未返還で横浜税関に保管されておりながら、最近の返還は年間数百件というふうなことでは、将来これはどうなさるおつもりか。政府のお金でもないし、私が先ほど申しましたが、福岡市の後藤さんのお手紙では知らなかったわけです。返還しているということを知らなかった。そして数年前から返還が始まったらしいので、問い合わせたところが預かり証がなければだめだと言われたというわけだ。けれども預かり証は紛失してわからなない。何回も移転しているうちにどこに紛失したかわからない。その点については先ほどの御答弁で預かり証を紛失していても返すべきものは返すということで了解いたしましたが、案外知られていないわけですね。この方の手紙を読んでみますと、こういうふうに書いてあるわけです。「最近になりまして仄聞する処既に五、六年前より持ち帰った金をその侭返却しているとの事、」、預かった金ですね、預けた金を「返却しているとの事、早速税関に問合わせましたところ預り証がないと返却出来ない、」ということ、こういうことです。本人からの布望意見としまして、官報に出された程度ではわからない、新聞等で一般に通知して、知らしてほしいという意見がついてきております。したがって、二百二十万件の残されたものに対して、もう少し何かやる方法がないものかどうか、いかがでしょう。
  104. 植松守雄

    説明員(植松守雄君) 二十八年から、先ほど申しましたように返還をいたすことになったわけでございます。当時は、実は各人ごとに届け出られておりますところの住所あてに通知を一件ごとにいたしたわけでございます。ところが引き揚げ者でございますから、一応いわば予定住所を書いておられるような方が多くて、そこには現実におられないという結果がございました。その後の経済情勢の変化、あるいは先ほど申しましたように預かっておりましたところの物件そのものが、実はもう価値がないものになってしまった、こういうようなことから取りに来られない方が多いというようにわれわれ考えております。そこで、もう一度そういう個別に通知をいたしましても、どれだけ効果があるか、これは問題でございます。それから、内容そのものにつきまして、確かに個別にわれわれ、膨大な件数でございますし、本人からお預かりしているというたてまえでございますので、詳細にそれぞれ満州国国債が幾らであるとかいうところまで、実は承知いたしておりません。それらを調べてみますと、現在としましては価値がなくなっておる外地の会社の債券、あるいは預金証書等が相当あるのではないかというように思うわけでございます。そこで、どこまでこれがいままでのような形で返還を進めてまいりましても、片づくものかということにつきましては、御指摘のように非常に問題があろうかと思います。また、それにつきまして、最終的にそれではどういう処理をするかということを考えましても、完全な戦後処理が終わらないと、たとえば国と国との間の国際的な法律関係というものがセッツルされなければ、完全には解決がつかない、しかし実態はもう価値がないといったようなもの、こういうものが相当あると思うわけでございます。そこで、それをどういうふうに処理するかという問題がいろいろあるわけでございまして、中にはたとえば引き揚げ者の団体に寄贈したらどうかという御意見もございます。しかし、このためには、各人のものでございますし、現に取りに来られておる方があるわけでございますから、そのためにはできるだけ、しかも話があって返すものは返す、どうしてもこれ以上どうにもならないといったような場合の段階として考えなければならないのではないかというように考えております。そこで、われわれとしましては、私どもとしてとにかくこれらについてどういう処理をするかということは、ちょっと税関の立場を離れるわけでございますけれども、税関としましては、極力その周知徹底をはからなければならない。そこで、この問題につきましては、結局新聞等に対する公告、官報ではこれは公示力があまり十分ではございませんので、結局新聞等による公告をするということにせざるを得ない、これは極力それぞれのローカルなペースでは、税関長から現地の新聞社等にお願いをして、その旨のニュースを流してもらうということをいたしておるわけでございますが、これもまだ十分ではない、やはり極力大蔵省といたしましてもそういう形でのPRを徹底するように所要の予算措置等も講じてやっていくということを当面ひとつやっていかなければならないのではないかというふうに思っております。
  105. 小平芳平

    ○小平芳平君 こうしたことが戦後処理が終わっていないという一つのことだと思うのですね。  それから次の問題としまして、この看護婦さん、特に日赤の看護婦さんが戦地へ派遣された、この日赤の看護婦さんで戦地に派遣された方はどのくらいいらっしゃって、実態はどうなっておりますか。
  106. 中村一成

    政府委員中村一成君) 去る大戦におきまして日赤の看護婦で従軍いたしました者の数でございますが、全国で三万三千百五十名でございます。ついでに申し上げますと、おなくなりになった方が千四百七十五名でございます。
  107. 小平芳平

    ○小平芳平君 そうしてこの方々援護法の適用はどうなっておりますか。
  108. 中村一成

    政府委員中村一成君) この方々は旧陸海軍の勤務に服しておられるわけでございますのでしたがいまして、援護法上は軍属または準軍属と取り扱われておりまして、したがいまして、先日なくなられた方々の御遺族には遺族年金が、それからけがをされた方には障害年金が支給されるということになっております。
  109. 小平芳平

    ○小平芳平君 なくなった方とけがをされた方だけで、生還された方は国家的な処遇は何もないわけですか。
  110. 中村一成

    政府委員中村一成君) 生還された方々につきましても、この方の現在の身分によりまして国家公務員である場合、あるいは国家公務員の共済制度に入っておられる場合という場合によりましては、これは恩給法上におきまして、陸海軍に勤務されました期間は恩給公務員に通算をするということになっているはずでございます。この点は恩給局が見えておりますので、あるいは間違っておりましたら、恩給局のほうでお話しをいただきたいと思いますが、国家公務員共済組合におきまして、もうこれも日赤救護員で官吏相当員で勤務した者につきましては、この期間をもちろんこれは通算をいたしておるというふうに理解をいたしております。
  111. 小平芳平

    ○小平芳平君 では、恩給局から御答弁いただきたい。
  112. 海老原義彦

    説明員海老原義彦君) 現在、恩給制度の面におきましては御質問の戦時衛生勤務に服した日本赤十字社の救護員のうち、事変地または戦地において戦時衛生勤務に服した者で恩給公務員に相当する方、これは恩給公務員相当と申しますと、理事員、医員、調剤員、看護婦長等の方になるわけでございますが、こういった方々のうち、公務員期間を有する方については、現在の法律のもとでは一定の制限がございますが、その服務期間を公務員期間に算入することといたしております。しかし、この制限と申しますのは、今年度国会で御審議願っております改善措置によりましてこの通算上の制限は全部撤回し、これらの日本赤十字社救護員の戦地勤務の期間はすべて公務員期間に算入する、こういうこととしております。ところで、恩給公務員相当の日本赤十字社救護員に対しましてはいま申しましたように、恩給制度上できるだけの処遇を講じておるのでございますけれども、恩給は官吏を対象とした年金制度であるという恩給の本質にかんがみまして、恩給公務員以外の期間を通算する場合におきましては、その対象期間としては判任官相当以上の者としての服務期間に限るという原則がございますので、したがって雇用人に相当する日本赤十字社の救護員、たとえば看護婦さんとかそういった方の服務期間を通算の対象とすることは困難でございまして、また恩給公務員相当の日本赤十字社救護員でございましても、戦後、公務員に就職していない方につきましては、恩給制度のたてまえ上、恩給を支給することは困難でございます。それは、看護婦さんにつきましては旧制度の雇用人相当ということになっておりますので、いかなる処遇があるかということになりますのですが、これは先ほど援護局長からも申されましたとおり、戦地勤務に服した日本赤十字社救護員で、雇用人相当の者として勤務した者につきましては、当該雇用人相当の者としてその勤務した期間を国家公務員の現在の共済組合制度におきまして年金受給資格を発生するための期間として取り扱っているというところでございます。
  113. 小平芳平

    ○小平芳平君 これは恩給局にお尋ねすることか、厚生省にお尋ねすることかよくわからないのですが、要するに、先ほど御答弁の三万三千人の方は一切の私情を許されずに戦地へ派遣されたわけでしょう、結局は、結論は。その中でなくなられた、殉職された方々が千五百名ですか、三万三千人のうち千五百名ですか、の方がなくなられた。そのほか看護婦長、そういうような特別の役職を持っている人で援護法の適用を受けている方は数百名でしょう。あとの人は何の援護も受けていないわけでしょう。そういうことですか。
  114. 中村一成

    政府委員中村一成君) 旧日赤看護婦の方で援護法上何名の方が処遇を受けているかということはただいまわかりませんけれども援護法におきましては、戦地衛生勤務を命ぜられた方々につきましては、すべてこれは軍人、軍属という身分になるわけでございますので、おなくなりになりました方につきましては援護法としては対象になるわけでございますが、遺族の方がいらっしゃる場合は遺族年金がまいります。したがって、援護法上対象にしたくっても、遺族年金あるいは遺族給与金でございますので、遺族の方がいらっしゃらないという場合には、これはいかんともすることができないということで、対象者数は死亡者数とあるいは違っておるかもしれませんけれども、たてまえ上はすべてこれは処遇することができるというたてまえになっているわけでございます。
  115. 石本茂

    ○石本茂君 関連してお願いしたいのですが、いま小平委員がいろいろ聞いていらっしゃいますことで私確認しておきたいと思うんですが、昭和四十一年に新たに法律の中に入れていただきましたのは——先ほど申されましたように、確かに、私も救護看護婦の一人ですが、婦長以上でございました。でありますから、二十人に一人の婦長だけがその恩典に浴しまして、あと、何といいますか、われわれ配下におりました者は何の恩典も受けておりません。で、現に私も長い間公務員をしておったわけですが、日赤救護期間は何ら通算されておらないわけでございます。いまこの運動を全国的に広げようというので私もいささか気をもんでいる最中でございましたので、もう一点確認しておきますが、ほんとうに一救護班員で働いた看護婦等につきましては通算をされているのかどうか。私は何にも受けておらぬというふうに今日考えているんです。というのは、たびたび援護局にこのことを聞きに行ったわけでございます。ことしの春も行っておりますが、いや、何にもないんだということでございましたので、しからば、これは何とかしなければならぬと思っておりましたやさきでございますけれども局長おっしゃいましたようにほんとうに何らかの措置がなされているんでしょうか。だったら、私はそういう通知をいただいたこともないし、いま数万の者がすごく憤りを覚えているのが現状です、軍属として派遣されたわけでございますから。もう一ぺん確認さしてください。
  116. 海老原義彦

    説明員海老原義彦君) これは私の恩給のほうではございませんですが、現在の国家公務員の共済組合制度におきましては、共済組合員である方、こういった方で前歴に日本赤十字社救護員として雇用人相当の、たとえば平の看護婦さんとして勤務された方につきましては、その方の当該救護員として戦地または事変地において戦地勤務に服した期間を、年金受給資格を発生させるためのいわば資格期間として取り扱っております。
  117. 石本茂

    ○石本茂君 おそれ入りますがもう一ぺん。  そういう通達などはもちろん本人はいただくものじゃございませんが、日本赤十字社なりあるいは援護当局、まあ、厚生省所管なのか存じませんが、そういうところにはちゃんと通達があったのでございましょうか。みんなそのことを知らぬのです。
  118. 海老原義彦

    説明員海老原義彦君) これは法律上、国家公務員共済組合法の長期施行法によってきまっておりまして、恩給が改正されまして、この救護員期間が通算されるときと軌を一にして、こういった通算措置がなされたものというように聞いております。
  119. 小平芳平

    ○小平芳平君 どうも厚生大臣、援護局長もよくわかりませんがよくわかりませんがと言っておりますけれども厚生省として取り組んでいただきたいと思いますことは、先ほどから申し上げているように三万三千人の方の中で——結局、長野県の県議会でこれが問題になったんです。そして、長野県の県議会からは請願が出ているわけです。長野県社会部長の名前で請願が出ているんですが、結局、書いてあるところによりますと、またいまの石本委員の発言にもありますように、婦長と陸軍看護婦だけに恩典があって一般の看護婦には何ら恩典がない。同じように戦地で苦労をした看護婦さんたちが、婦長と陸軍看護婦さんだけに恩典があって一般の看護婦に恩典がないのはおかしいんじゃないか。そういう矛盾を解決してくれという趣旨なんです。いかがですか。
  120. 斎藤昇

    国務大臣斎藤昇君) 私から申し上げます。  私もいま聞いておって、まだわからない点がちょっとございます。看護婦の問題は医務局でも扱っている問題でもありまするしいたしますから、先ほど伺っておりますと、いわゆる国家公務員並みに取り扱われている者は恩給の通算の基礎になる、そうでない者は国家公務員共済組合の中で通算のあれをする、こういうことになっておりますが、しかしながら全部が全部、国家公務員の共済組合の中で通算の基礎になっているのか、またそれ以外の道がないのか、現実をよく、恩給局かあるいは大蔵省の共済組合関係を扱っているところとも現状をよく調査をいたしまして、さらに何かしなければならぬ点があるかどうかという点を、これは日赤看護婦の戦争中にかり出された人に対する処遇の問題として一ぺんよく検討いたしますから、さよう御了承願います。
  121. 大橋和孝

    ○大橋和孝君 それでは、私は先ほど藤原委員のほうからいろいろと御質問がありましたので、一、二の点について質問させていただきたいと思います。  この旧日本軍による沖繩住民に対する殺戮行為なんかが行なわれて、犠牲者がたくさん出ておる。すなわち久米島といいますか、あそこの虐殺事件。それから大宜味村の、大宜味島と申しますか、これの白浜虐殺事件。それから、座間味村といいますか、座間味村の強制自決事件、こういうのがあったわけでありますが、このことは御存じだろうと思います。これの犠牲者は、これは戦闘参加者として準軍属の処遇をすべきではないか。こういうものがまだそのままになっているのはおかしいじゃないかという点があるのですが、その点についてひとつ御説明願いたいと思います。
  122. 中村一成

    政府委員中村一成君) 先般来報道されておりますところの、久米島、あるいは大宜味村等におきますところの、旧日本軍人によるところの民間人の虐殺事件につきまして、私のほうにおきましても調査いたしておるところでございますが、いままで判明いたしたところでは、民間人の方につきまして、そういう犠牲者の方につきましては、援護法上、戦闘参加者として取り扱いをして、そして遺族のおられる場合、その遺族につきましては遺族年金を差し上げる、あるいは弔慰金を差し上げる、こういう措置をいたしておるようでございます。
  123. 大橋和孝

    ○大橋和孝君 それは一体どれくらいあって、そして、それがどれくらいずつのあれをいただいておられるのか。それがもう全部に行き渡っていないように私は聞いているのですが、その点はどういうふうに把握されておられますか。
  124. 中村一成

    政府委員中村一成君) 手元に具体的な事例を持ってきておりませんので、後ほど御報告申し上げますが、これは準軍属でございますので、年金額は、いわゆる遺族給付金という金額、これはもちろん日本内地と同様でございまして、同様の金額のものがいっておるわけでございまして、私どものほうはそういうケースにつきまして、従来琉球政府から進達いただきましたものは、これは全部裁定をいたして差し上げておるようでございます。
  125. 大橋和孝

    ○大橋和孝君 それは全部と言いますけれども、なかなか十分に把握されていないのじゃないかと思います。それで、聞くところによりますと、それは準軍属として処遇されていると言っているのですけれども、その額なんかはほんとうにきちっとなっているのですか。その間に非常な不満があるような話を聞いているのですが、そうじゃないのですね。
  126. 中村一成

    政府委員中村一成君) これは法律によって出すべきものでございまして、何ら年金額に差はございません。それで、これは私のほうもそういう詳細な、何と申しますか、現実のことはわからないままに、琉球政府から進達してきましたものにつきましては、これは琉球政府から来ましたそういうものは、すべてこれは私どものほうとしてはフリーパスということで認めてきております。それで、中には、たとえば一家全滅だったということで、遺族がないということで、全然申し出がないというケースがあるいはあるかもしれませんが、少なくとも私どものほうは、もし漏れておりましたら、これから先でも出てさましたら、これは準軍属として取り扱いたい、こういうふうに考えております。
  127. 大橋和孝

    ○大橋和孝君 復帰した時点において、やはりこれはもう少し、厚生省のほうで、一ぺんそういう調査をあらためてする必要はないんですか、もう大体琉球政府からの報告だけでもって……、徹底しているかどうか。ちょっと話をいろいろ聞きますと、何かまだ不徹底な部分があるのじゃないかという話も聞いていますけれども、そういうことはございませんか。
  128. 中村一成

    政府委員中村一成君) この問題に関しましては、実は総務長官のほうにおかれまして、まとめて御調査なさっておるようでございます。私どものほうも御協力申し上げまして、私ども、あるいは法務省、関係省が集まりまして、ただいま調査をやっておるところでございます。
  129. 大橋和孝

    ○大橋和孝君 それじゃひとつその辺のところ——ちょっとそういう声を聞いておりますので、徹底をして、各省とも連絡をとりながら、この問題は、万遺憾ないように処理していただきたいと思います。  それからもう一つお伺いしておきたいことは、これは京都の例なんでございまして、浅田哲史という人がおるのですが、これは昭和四十五年に民事裁判で、第一二四号の一二ということで、内閣の吉原という方——これは内閣の事務局の方のようでございますが、民事裁判を起こして、そうして、いろいろの口頭弁論やなんかに入って、ずっと審査請求についての、いろいろな問題を提起してきた人なんですが、この恩給法上の問題で、ちょうどこの審査の手続が、第一回申請して、却下されて、異議申し立てを局長のほうに出した。あるいはまた、却下されたりなんかして、三回目に、内閣総理大臣あての審査請求を出して、恩給局の総務課のほうへ送られて、そうして恩給局のほうで、内閣の総理大臣の、恩給審査会といいますか、という、そこに送り届けられて、総務課あてに、いろいろそういうふうな書類を出して、手続を踏まれてきているようでありますが、その審査の結果において、いろいろ、その弁明書やら、いろいろなものを出したにもかかわらず、なかなかこれがうまくいかなくて、現在もうほとんど却下されたような形になっているようであります。  この内容は、やはり軍属としてやっておるうちに、結核などにおかされ、あるいはまた、そうして不具の状態になっておるわけなんでありまして、この恩給申請をしても、なかなか、そのほかの病気だということで、いろいろ問題を残しておるけれども、本人にしてみれば、非常にその関連があって、どうしてもこの審査にのせてもらいたいという例で、なかなか、そういうことが非常にむずかしくて、うまくいってないようでありますが、この問題は、この審査の方面をやっておられる、ちょうど責任の方がおいでになっておりますが、御存じでありましょうか。
  130. 海老原義彦

    説明員海老原義彦君) 御説明申し上げます。  いま御質問の件につきましては、実は急な御質問でございますので、用意しておりませんのですが、十分調査いたすことといたします。
  131. 大橋和孝

    ○大橋和孝君 この種の問題は、非常に本人が気にいたしまして、そうしてあらゆるところに鑑定書を送ったり、いろんな書類を整えて、いま、この問題点を明らかにしてやっているようでございます。こういうふうなことを、この事例を見まして、やはりこの恩給審査という上において、非常に何か手続がむずかし過ぎるわけですね。それでこれの問題点を聞いてみると、結局、そうした軍属としてやっておりながら病気をしたわけでありますから、当然この本人としてみたらその対象になると。それも手術を受けたりなんかして、非常に奇型になったりしているわけですから、当然、こういうようなことになることにきまっているようなことを考えておるが、これは審査の過程では、実際、それとどういう関係があったかという、いろいろなむずかしい、過去の問題もあるわけでしょうから、こういうふうなことに対して、なかなか、一挙にできないような点もあるのじゃなかろうかと、私はそう思うわけですが、やはり、ある程度、軍属として行きました間に病気を得て、そしてこういうふうになってきた方々の症状だとするならば、ひとつ、そういうところに対しては相当現実にそれであるということさえわかれば、何とかひとつ大臣その点でこれを明確にしてもらいたい、こういうふうに私は思うわけであります。これは本人の名前は浅田哲史と申します。非常にこれはいまもって、そういうふうにして、あちらこちらに陳情にまいりながらやっているわけでありまして、どうかひとつ、この援護の精神からいいましても、そういうふうにしてある程度の事実関係が明確であるとするならば、何年もの間そういうふうな状態に置かないで、もう少し明確にあるかないかということをすべきであって、援護の精神というには何かもう少し壁があり過ぎるような感じもいたしますので、特に、その点を配慮してもらいたい、そういうふうに思いますので、まあこれはあとから追って、場合によっては本人を参考人として呼んででも、そしてよくいろんなことの事実調査をやらしてもらいたいと思っておりますが、ちょうどきょうこの援護法が行なわれているときでありますので、その点について特にお話を申し上げた次第であります。その点を留意していただきたいと思います。その点について……。
  132. 海老原義彦

    説明員海老原義彦君) 傷病恩給の審査につきましては、いろいろむずかしい点があるわけでございますが、特にその傷病が公務に起因するかいなかというのが非常にむずかしい問題でございまして、当恩給局といたしましても顧問医の意見を徴するなど、いろいろな手段を尽くしまして慎重に審査いたしておる次第でございます。今後とも、この点につきましては、公務起因という問題非常にむずかしい問題でございますので、慎重に審査をいたしていきたいと、なるべく御趣旨に沿いますよう慎重に審査いたしていきたい、こう思っております。
  133. 中村英男

    委員長中村英男君) 他に御発言もないようですから、質疑は終局したものと認め、これより討論に入ります。——別に御意見もないようですから、討論は終局したものと認めます。  それではこれより採決に入ります。  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案を問題に供します。本案に賛成の方の挙手を願います。   〔賛成者挙手〕
  134. 中村英男

    委員長中村英男君) 全会一致と認めます。よって本案は全会一致をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。
  135. 大橋和孝

    ○大橋和孝君 ただいま可決されました法律案に対しまして、自民、社、公明、民社の四党を代表いたしまして附帯決議案を提出いたします。案文を朗読いたします。   戦傷病者戦没者遺族等援護怯等の一部を改正する法律案に対する附帯決議(案)  政府は、次の事項につき、格段の努力を払うべきである。 一、戦没者遺族等の老齢化の現状にかんがみ、老父母及び妻に対し一段の優遇措置を講ずること。なお、援護の水準の引き上げ、公平な援護措置が行なわれるよう積極的に推進するとともにそのための予算確保について一層の努力をすること。 一、準軍属に対する処遇については、軍人軍属との格差をすみやかに縮小すること。 一、戦傷病者に対する障害年金等の処遇については、さらにその改善に努めること。 一、受給者の老齢化に対処するための施策についてすみやかに検討すること。 一、戦後二十数年経過した今日なお残されている未処遇者について、早急に具体的な解決をはかること。 一、生存未帰還者調査については、さらに関係方面との連絡を密にし、調査及び救出に万全を期すること。 一、遺骨収集については、さらにこれを計画的に推進すること。 一、旧防空法関係犠牲者の援護については、さらに検討を加えるとともに、その改善に努めること。  右決議する。  以上でございます。
  136. 中村英男

    委員長中村英男君) ただいま大橋君から提出されました附帯決議案を議題とし、採決いたします。  大橋君提出の附帯決議案に賛成の方の挙手を願います。   〔賛成者挙手〕
  137. 中村英男

    委員長中村英男君) 全会一致と認めます。よって、大橋君提出の附帯決議案は全会一致をもって本委員会の決議とすることに決定いたしました。  ただいまの附帯決議案に対し、斎藤厚生大臣から発言を求められております。斎藤厚生大臣
  138. 斎藤昇

    国務大臣斎藤昇君) ただいまは戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案につきまして御可決を賜わりまして厚くお礼を申し上げます。  なお、これに関連して御決議になられました附帯決議につきましては、その御趣旨を尊重いたしまして、今後格段の努力をいたして実現に進みたいと、かように存じます。
  139. 中村英男

    委員長中村英男君) なお、審査報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  140. 中村英男

    委員長中村英男君) 御異議ないと認め、さように決定いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後二時三十六分散会      —————・—————