○国務大臣(大石武一君) 私は、もちろん志布志湾をまだ自分の眼で確かめておりませんが、いろいろな
調査をさせましたし、報告を受けております。いろいろな話を聞いておりまして、これはぜひ守らなければならぬ日本の大事な資源だと
考えております。そういう方針で臨んでおります。ですから、私は守りたいという信念は持っております。
ただしかし、やはりいろいろな広い面から
考えますと、国務大臣としても、日本の正しい秩序ある開発、発展というものを
考えなければなりません。そういう立場もあるわけでございます。ですから、たとえば志布志湾にしましても、
環境庁長官としては、これは絶対に守るという決意は持っております。そういう
考えでおりますけれ
ども、別な面からいうと、やはり国務大臣という立場から、秩序ある開発が行なわれる場合にどうすると言われれば、初めからだめだとは言いにくいでありましょう。ただし、秩序あるりっぱな開発、その
住民をしあわせにする開発になるかどうか、それを具体的に確かめないうちは、だめだともいいとも言いにくいのです。
環境庁長官としてはこれは守る決意ですけれ
ども。
そういうことで、ですから、たとえば漁民何万という、何万か知りません、三万か五万か知りませんが、漁民とその家族を、どのようにして漁業を完全に守ってあげられるかどうか。あそこに大きな石油コンビナートや鉄鋼コンビナートができて、漁業がやられないはずはないんです、どんなことをしたって。私はそう思うのです。どんなことをしたってやられます。その場合には、漁民は
生活を奪われます。これは殺されるのと同じことなんです。一千万、二千万、おまえ補償金をやるからといって、だれが生きていけますか、こんなもので。漁民は漁業があってはじめて生きているのですから、それ以外、事務屋になれるわけでもありませんし、何にもなれません、技術がありませんから。やっぱり漁民には漁場を守ってやらなければならない。われわれ、それは国の責任だと思うんです。しかもそれは、昔からそういうことで生業に従事しているのですからね。われわれは何の権限があって一体その生業を奪わなければならないのか、そう思うのですから、これは守らなければなりません。
そうすると、これを守るという見通しがついたら私は
許可するといま言うているのです、解除をですね。守る見通しは、おそらくできますまい、これは絶対に、将来。あるいはそこに何万人かの、海を楽しみ、松を楽しみ、すばらしい自然を楽しんでいる人がいる。何の権限があってこうしたすばらしい環境を奪わなければならないのでしょうか。私はそう思うんです。何のために解除して、だれのために解除するかということを
考えなければならぬと思うのです。そういうことですから、私の決意はおわかりだと思います。ですから、それは解除することはないと思います。
環境庁長官はそういう信念でおりますから、そういうことですからおわかりだと思います。
私は、よけいなことかもしれませんが、日本の開発ということに非常な疑問を持っておるのです。
一例をあげますと、四国に愛媛県を流れて徳島県に入る銅山川という、吉野川の大きな支流があります。前年、この銅山川にダムをつくりまして、その水を下に大
部分を流さないで、そこから曲げまして農業用水にするということで——何年か米が不足の時代だったでしょう——愛媛県のところだけ流すようにしたんです。ところが、実際にはそれは農業用水にほとんど使われないで、全部が川之江、それから伊予三島という
地域のいわゆる工業用水、ことにパルプ工場ですなパルプ会社の用水にほとんど使われてしまった。そのために伊予三島のあの辺が、海がすっかり
汚染されている
現状です。
ところが、今度さらにまた第二段のダムをつくりまして、その下に流れる川を全部根こそぎ持っていくというんです、工場の拡張のために。しかも、その下には新宮村という小さな村がある。人口三千五百の村があります。その村では、その水が流れることによってすべて
生活環境が成り立っているんです。その水がだいぶ奪われました。それでも、かすかに流れておった。ところが、根こそぎ持っていくというんです。その新宮村に別な馬立川という小さな川がある。その川をせめて流してくれるならまだいいのですが、その川の水もせきとめて、トンネルを十キロほど掘ってダムへ持っていって、みな工業用水に持っていくと、こう言うんです。
その新宮村の人間はどう
生活しますか、
生活環境を全く変えられて。自分は
生活環境を変えられるほどの悪いことを何にもしてないんです。それを全部持っていくというんです。だから、私はそれに文句をつけまして、これは経済企画庁の仕事ではありません、県の仕事が中心ですが、文句をつけまして、じゃあ〇・四トンだけは一日に流しましょうということでいままできているんです。そこまで妥協して話が進んでいるんです。〇・四トンというのはどのくらいの水か知りませんが、そういうことなんです。何のために一体何千万の、たった何百人でもいいですが、人の
生活を犠牲にして、なぜ工場の拡張に水を使わなければならないんですか。そうすることが何の
意味があるかと、非常に私は疑問に思っているのです、こういうことを。
こういうことがいままでの日本の開発行政というものの
考え方じゃなかったかと思うと、非常にさびしい感じがします。ですから、開発というものは必要でしょう、それは。日本の国がこれまでよくなった、表向きの数字はよくなりましたが、今後も世界の国とやっぱり肩を並べていくには、世界の国の経済開発に劣らない
程度の開発はしなければならないでしょうけれ
ども、やはり、もう少し国民の
生活とか国民の生きる権利というもの、そういうものをもっともっと
考えて行政をやらなければならぬということを、私は痛感しているわけでございます。そういうことですから、そういう
考えを基本として、あそこの志布志の国定公園も守ってまいる
考えであります。