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松井誠君 私は、日本社会党を代表して、ただいま議題となりました諸
法案に対し反対の立場から討論をいたします。
基本的な反対理由の第一は、これら諸
法案の底を流れる
政府の基本的
姿勢が
沖繩の心を全くじゅうりんするものだということであります。
沖繩の心あるいは
復帰の心といわれているものは何か。当初、自然発生的に雑多な方向をはらみなから出発をした
復帰運動は、激しい戦いの中で次第に明確な流れとなり、いま反戦平和、人権の回復、そして自治権の確立の三つの目標に集約されるに至りました。
沖繩返還をとにもかくにも現実の日程にのぼらせた最大の推進力が
復帰運動のエネルギーにあったことは、いまや衆目の認めるところであります。とすれば、この
沖繩の心が
復帰の理念の中心にすわらなければならないことは言うまでもございません。そして見落とされてならないことは、この
沖繩の心は、同時にまた、平和憲法下の日本の心であり、またそうでなくてはならないということであります。
しかるに、
復帰に伴う国内関連諸
法案は、これらの三つの目標を無視し、民族感情をくすぐりながら、これを施政権返還に矮小化して、むしろこの三つの目標に挑戦するものとさえ言わざるを得ないのであります。太平洋戦争の末期、居住人口の実に三分の一を失った人たちにとって、平和はみずからの命そのものでさえあります。無権利の状態で長く民族的屈辱に耐えてきた人たちにとって、人権の回復がどれほど切実な課題であるか、われわれの想像を絶するものがありましょう。そしてまた、みずからの運命をみずからきめることができなかった
沖繩の人にとって、自治権の確立は単なる近代的な
地方自治の観念からの発想ではなくて、その背後には長い歴史があることを知らねばなりません。
なるほど、最近特に贖罪ということばが
政府の口からひんぱんに飛び出すようになりました。しかし、その多くはカッコづきの贖罪論であります。
復帰に際してあれこれの
特別措置をとり、何がしかの
財政措置をとる、この恩恵を施すことによって、われわれの贖罪は終わったという思想であります。これは、実は琉球処分と同じ発想に基づくもので、その延長線上にあるものと言わねばなりません。私が本
国会冒頭の代表
質問で、内からの告発ということを訴えたのは、別に流行語だからではなく、このお手軽なカッコづきの贖罪論に反発したからであります。カッコづき贖罪論に立つ
政府は、だからリップサービスこそりっぱでありますが、しかし米軍基地の
現状維持、いわんや自衛隊の新たな配備がいかに絶望的なショックを与えるかが理解できず、請求権問題が
復帰の基本的性格にかかわるような人権回復の問題であるという本質を見誤り、単なる経済的要求の次元でしかとらえることができず、そしてまた、開発庁設置になぜきわめて敏感な警戒心を持つかを理解しようとしないのであります。
もっとも、私は、
政府の言動がすべてリップサービスであり、また
政府の政策がすべて
沖繩に背を向けているなどと申すのではありません。もちろんそれなりに評価すべき政策もあり、また善意を信じたい人のいることも事実であります。しかし私は、とっぴな比喩を許してもらえば、孫悟空を連想するのであります。世界の果てまで千里の道を走ったと思ったら、依然としてお釈迦さまの手のひらにいたというあの愛すべき孫悟空であります。彼は、その意気盛んな気負いにもかかわらず、しょせんお釈迦さまの呪縛からのがれることができなかったのであります。そして日本の孫悟空にとって不幸なことは、彼の乗っていたたなごころがお釈迦さまのそれではなくて、えんまさまのたなごころであるということであります。したがって、彼が善意であればあるほど、彼の役割りは喜劇の主人公ではなくて、悲劇の主人公となってしまうと言わざるを得ません。
反対の基本的理由の第二は、これらの諸
法案が、ただに
沖繩の心をじゅうりんするにとどまらず、
復帰をむしろ積極的な転回点として利用し、日米間の新しい軍事同盟を結ぶとともに、日本の軍国主義強化へのワンステップとしようとする
政府の基本的
姿勢そのものにあります。一九六九年の
佐藤・ニクソン共同声明、
沖繩返還協定、そして久保・カーチス取りきめ、これら一連の合意は、安保変質論といわれる第三の軍事同盟が自衛隊の進駐と不離一体の
関係にあることを遺憾なくあらわしているのであります。まさに第三の琉球処分であり、これこそが日米両国
政府の目ざす
沖繩協定の本質であるとさえ言わねばならないのであります。
以上述べた反対の基本的な立場から、さらに具体的な反対理由を述べます。
沖繩の心が
沖繩開発の原則に適用されるとき、それは基地経済からの脱却、自主的な開発、人間尊重、福祉第一の開発を目ざすことは理の当然であります。しかるに、
政府の
沖繩開発の基本は、これらの原則を無視し、歴史の教訓から何ものをも学ばず、依然として歴史的にその破産が証明された拠点開発方式の踏襲であり、新全総の
沖繩版にすぎません。
沖繩開発について、
本土と
沖繩の
関係をこのように、いわば平面的にとらえる結果、
復帰に際してとられる種々の
特別措置も、一方で、
本土との一体化の名のもとに、たとえば教育委員の公選制を破壊し、一方で、
沖繩の特殊性を強調して、たとえば小作地の保有限度のようにその後進性を温存するという矛盾をあえて行なうのであります。
さらに、本
委員会審議の最大の焦点となったいわゆる公用地
法案について反対の理由を申し上げます。
この
法案が、
沖繩復帰の本質とも言うべきその軍事的側面の国内法的表現であることは言うまでもありません。その政治的不当性はすでに多く論ぜられましたのでこれを省略し、
法律的な違法性、特に違憲性についてだけ申し上げます。私有財産を公権力によって侵害する場合、私有財産保護を基調とするわが憲法は、これをかりに公共目的に使用する場合といえども厳格な基準を要求し、土地の収用または使用の場合には、それが適正かつ合理的であることを求めております。
沖繩における米軍用地の接収がこの基準に合致しないものであることは言うまでもありません。それにもかかわらず、これらの米軍用地がそのまま日本の法制のもとに包摂された場合、何ゆえに適正かつ合理的な収用に変質し得るのか。当然のことながら、合理的な理由は何一つ発見できません。いわんや、自衛隊の新たな進駐がこの基準に合致するという保障は全くないのであります。憲法第二十九条三項違反は明白であります。さらに、かりに土地収用が違法、違憲でないにしても、これを収用するためには慎重な手続が要請され、いわゆる事前の適正手続として
関係人への告知、聴聞その他の手続を要求しているのが憲法第三十一条の精神であります。
政府は、この違憲の非難を免れるために事前の告示の
制度を設け適正手続の紛飾を試みましたが、この試みは明らかに失敗でありました。この告示は、日本の施政権の及ばない
沖繩に対しては、憲法上の要請である適正手続としての効果を持つものとはなり得ないばかりでなく、告示そのものも施政権返還前は
本土においても何らの
法律上の効果を持ち得ないのであります。
かくして、日本の行政法の原則を多くの点で踏み破ったこの奇形児は、その託された使命を果たすことは全くできないのであります。そればかりではありません。告示という行政行為は公用地法という
法律を母体として生まれるはずでありますが、実際には告示の部分だけが公用地法に先立って施行されるのであります。親なくして子供が生まれる。これはもはや奇形児ではなくてお化けであります。まさに
昭和の怪談であります。この公用地
法案が、適正手続を欠き、憲法三十一条に違反することはいまや明らかと言わねばなりません。
以上、数多くの反対理由の中の数点だけを述べて討論を終わります。