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1972-06-12 第68回国会 参議院 運輸委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十七年六月十二日(月曜日)    午前十時十四分開会     —————————————    委員の異動  六月十二日     辞任         補欠選任      片山 正英君     梶木 又三君      平島 敏夫君     高橋 邦雄君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         木村 睦男君     理 事                 鬼丸 勝之君                 江藤  智君                 佐田 一郎君                 森中 守義君     委 員                 岩本 政一君                 岡本  悟君                 梶木 又三君                 片山 正英君                 菅野 儀作君                 高橋 邦雄君                 平島 敏夫君                 山崎 竜男君                 若林 正武君                 伊部  真君                 小柳  勇君                 瀬谷 英行君                 藤田  進君                 田代富士男君                 三木 忠雄君                 田渕 哲也君                 山田  勇君    政府委員        運輸省鉄道監督        局長       山口 真弘君    事務局側        常任委員会専門        員     吉田善次郎君    公述人        専修大学商学部        教授       池田 博行君        早稲田大学商学        部教授      中西  睦君        中央大学経済学        部教授      川口  弘君        成城大学経済学        部教授      岡田  清君        日本労働組合総        評議会調査部長  宝田  善君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○国有鉄道運賃法及び日本国有鉄道財政再建促進  特別措置法の一部を改正する法律案内閣提  出、衆議院送付)     —————————————
  2. 木村睦男

    委員長木村睦男君) ただいまから運輸委員会公聴会を開会いたします。  本日は、国有鉄道運賃法及び日本国有鉄道財政再建促進特別措置法の一部を改正する法律案につきまして、五名の公述人方々から御意見を伺います。  この際、公述人方々に一言ごあいさつを申し上げます。皆さまには御多忙中のところ御出席をいただき、まことにありがとうございました。皆さまから忌憚のない御意見を拝聴し、今後の本案審査の参考にしたいと存じております。  これより公述人方々に順次御意見をお述べ願うのでありますが、議事の進行上、お一人二十分以内でお述べを願い、公述人方々の御意見陳述が全部終わりました後、委員の質疑を行なうことといたしますので、御了承願います。  それでは、まず池田公述人にお願いいたします。
  3. 池田博行

    公述人池田博行君) 専修大学池田でございます。  本日は、国有鉄道運賃法及び日本国有鉄道財政再建促進特別措置法の一部を改正する法律案について私見を述べさせていただきたいと思うのです。  私は以上の二件の法律に対する反対立場から意見を述べさせていただきたいと思うわけです。入る前にちょっと町のうわさをお知らせしておきますと、この二法案並びに健保その他の法案国会通過政府首脳部方々有終の美を飾って退陣されるというような報道を耳にしております。ただ町では、有終の美の終という字は醜いほうである、美というのはかびれる、くさるというほうの糜であるというふうな風聞も飛んでおります。古いロシアことわざを申し上げますと、魚は頭から腐るけれども人間は魂から腐るそうですというようなことわざもちょっと思い浮かべるものです。  問題点に入りますと、今日の国鉄の二法案を提出され、通過をはかられる目標とされる、仕事目標といいますか、もう御存じのとおり、都市旅客輸送、二は中長距離大量高速輸送、あるいは大都市間の旅客通勤通学輸送ということにおけるところの拡大再生産をはかりたいということが御趣旨のようであります。その手段は、第一が、財政補助を受けたい、あるいは受ける。第二が、国鉄部内におけるところの企業努力によって行なう。ただし、この企業努力と申しましても、私も二、三マスコミ上で拝見しますと、きわめてインヒューマンな、俗にマル生運動というものを展開されておるというような状況が見られるわけです。第三番目の手段となさっておられるのは、今回ここで問題にし、私もここでその反対の理由を申し上げたいと思うところの運賃の改定について、われわれ国民大衆の人にとってはきわめてあこぎさに満ち満ちたものじゃなかろうかというふうに感じております。この前の四十四年度の引き上げのときも、私は参議院でもって反対意見陳述さしていただいたわけです。また今回も、私どもとしてはまだこれだけ申し上げてもおわかりにならないかと思うような、かなり言い古された論点に戻ることになります。  問題点の第一は、貨物です。貨物輸送業務についての問題点、私も最近実態調査をいたしておりませんので、公表された資料を利用するほかないわけです。そこで、まず貨物輸送業務ですが、これは前々からイギリスのビーチングプランとか西ドイツのレーバープランとかいうもののかなりミニチュア版と思われるような、第一に貨物取り扱い駅の減少状況ですね。これは前回衆議院において明治の清水さんや村木さんが同じ資料を使っているわけですが、著しくこの貨物取り扱い駅が減少させられている方向を着実にとられているという点。  それから第二が、これもこまかいことを申し上げることないのですが、従来の車扱い並びに小口扱いというものが、車扱い並びに特に小口扱いコンテナーと小荷物輸送というふうに振りかえていくということですね。おそらく、これは想像ですが、将来においては手小荷物扱い業務というものは切り捨てる方向に向かわれるということが言われております。  それから第三番目は輸送方式合理化、これは、たとえば物資適合輸送だとか、共同一貫輸送その他というようなことが行なわれておりますが、これは確かに技術的にはいい意味での合理化であると、理論的にはそう申せるわけですが、実際現実においては、この輸送方式合理化というのは、大手荷主に対するところのきわめて手厚い優先的な方式ではなかろうか。御存じのとおりに、今日の輸送貨物の内訳をごらんになると、すべてがこれは大手荷主輸送されるところの品目であるという点。  それから第四番目は、たとえばそれについて言いますと、これももちろん国民経済のあり方、その背景をなすところの政策の立て方によってはいいとも悪いともなるわけですが、今日の専用線、引き込み線というものの輸送わが国の特に国鉄貨物輸送においてどれほどの大きなウェート、役割りを占めているかという点、これはもう数字をあげることもなかろうと思います。国鉄で発行なさっておられるところの統計表でそれは十分見られるわけです。  それから第五番目に、先ほど申しました物資別適合輸送ないしは共同一貫輸送というようなもの、先ほども合理的であるということを申し上げましたけれども、これは確かに一ダースならば安くなるということは言えると思います。ただし、これも、ある公表された資料によりますと、たとえば自動車なんかについて見ますと、自動車出荷責任トン数契約制というようなものもある。これでいくと、個人自動車一台を送るよりも、まとめて出せばきわめて大きい割引がなされるというようなことが報道されておるわけです。  まあ以上のような輸送業務という物理的な動きの面についても、その動向というものはきわめてわれわれ国民大衆にとっては問題のある状況が展開されているということが言えると思います。  それで、第二は、経済的に問題となるところの運賃の問題ですが、これはもう諸先生方御存じのとおりに、これはもう日本——と申しましても一われわれが国鉄統計を利用できるのは昭和十一年以降となっておるわけですが、歴史的に赤字であるということは、これは天下周知の事実で、幼稚園の子供でも最近は知っているという状況であります。もちろんそれは、俗に貨物で損して旅客でガバッともうけるというようなことが歴史的に展開されてきたのは、もう周知のことだろうと思います。で、今回の問題点は、まず第一に等級改正。これは、昭和四十三年ですか——の場合にそういうふうな考え方でおやりになったと思われるわけですが、今回の等級改正——現行の四等級を三等級にされる。それも一つ技術的な面での合理化を伴っておるかと思いますけれども、それでどういう現象が起こるかと申しますと、第一に、一つの面は、きわめて付加価値の大きい商品、つまり大量の商品を供給するところの大手荷主商品貨物に対しては値上げ幅がかなり少ないという点。同時に、その裏の面で、今度はきわめて付加価値は少ないけれども大手経営者経済活動にとってきわめて重要な原材料、燃料というような物資ですね。これはまたきわめて荷主としては規模が大きいというような一種の貨物については、これもまたきわめて値上げ幅がどうも少ないように見受けられるというような配置がなされているということ、これが第二点です。第三点は、それに引きかえて、民生並びに——言いかえますと、生活必需物資類輸送賃率というものは、きわめて値上げ幅が大きくなるということが想定されるということ。それから第四番目に、同じく、特に国民大衆の零細な生活に密着したような小荷物輸送運賃というものは、これはまたべらぼうに高くなるということ。この点は、統計資料もございますが、まあ公表もされておるので、ここでは一々読み上げることもなかろうかと思いますので、省略します。  それから次に問題は、運賃の中で第二番目の大きい問題としては、車扱い貨物運賃計算におけるところのやり方一その一つとして運賃計算トン数底上げ政策というようなものが取り上げられていると言われております。それから第二が、たとえばコンテナ輸送、これは確かにコンテナ輸送は、最近多少コンテナ輸送量増大し始めているように見られますけれども、すでに今日、どうもどういう原因からかつまびらかにしておりませんが、大体頭打ちの状況である。また、国鉄貨物輸送量の中に占めるところのコンテナ輸送割合というものは微々たるものであるということは、先刻御承知であろうと思います。で、そのコンナテ輸送賃率については、新一級賃率を四%引くとか、したがって現行一級の品物をコンテナ輸送すれば二%のアップ程度にとどまるというようなこと。それから第二に、集配の範囲を拡大ということで、同時に集配料金が安くなるというような形をとっているというようなこと。  以上が、まあ簡単に、大ざっぱに申し上げましたところの国鉄におけるところの貨物輸送に関する一応の問題点と思います。  で、その次は旅客輸送でございますが、まず最初にこの輸送業務について申し上げますと、私もけさは地下鉄で参ったわけですが、ぜひ、八時以後あたりの国電はもとより、地下鉄その他というような通勤通学列車にお乗りになって、大衆日常生活に密着したところの交通問題がどのような現状であるかということをはだ身に感じてやっぱり政策立案をされないと、問題が大きいのじゃないか。つまり、今回の——いままでもそうですが、国鉄におけるところの列車業務旅客輸送業務におけるところの問題点は、優等列車の優先、優等と片一方を言うから、今度はわれわれの乗るような列車は下等ということになるのかと思いますが、その混雑率は大体二〇〇%をこえているような状況で、文字どおりサービスの低下ということです。これは非常に下世話なことを申し上げて恐縮ですが、ますの中に豆を入れると、ちょっと入れるとすぐ満員になります。しかし、これをゆすると余裕ができて、もう少し詰められるというような状況通勤電車では行なわれている。つまり、市場に送り届けて体重が減っていると値段が下がるような家畜以下の輸送状況、幸か不幸か、通勤あるいは通学人たちは、会社や学校に着いてから体重を計って給料や成績をきめるということがございませんから、体重がどのくらい減っても問題なかろうというようなことかと思いますが。  次は旅客輸送におけるところの賃率の問題、これも盛んにマスコミで取り上げられておることで、ここで重複して申し上げるのは、申し上げる私自身が気恥ずかしいような問題でございますが、第一に基本賃率の大幅なアップがある。特にこれは、もちろん地域によるところの差もありますけれども地方線区に行けば行くほど、基本賃率のいわばアップという問題はかなり大きな日常生活への圧迫となってあらわれるだろうということは想像にかたくないと思います。第二が急行料金並びに特急料金アップ列車料金を、歯どめなしにと申しますと、これは少し言い過ぎかもしれませんが、あまり人に気づかれないうちにどんどん上げるというやり方、これは実に不可解な現象だと思われるわけですが、とにかく優等列車に関するところの料金はすべてアップになる。さらに第三番目については、もうこれも先刻御承知のところですが、通勤通学割り引き率というものが、これは引き下げられるという表現のほうがいいのですが、とにかく従来よりも高くなるというやり方、もちろん通勤通学輸送ということについては私個人のちょっと考え方がありまして、通勤通学定期割引というのは社会政策である、厚生政策であるということも言いにくい面がかなり今日では展開されているのではないかと思われます。この点については、たとえば大内兵衛先生なんかもそのことをおっしゃっておるのですが、私もそれについては二、三の私見はありますが、ここでは省略させていただきます。それから第四番目は、これは衆議院でもかなり問題にされておりましたように、これは政府資料にもございますように、特に私鉄との競合区間において、今度は私鉄運賃が、この法案がもし通りますれば、相対的にきわめて安くなるという形が見られます、統計上。したがって、これは当然、乗客、利用者というものが私鉄のほうに——競合区間は全国的に見てきわめてケースが少ないかもしれませんが、転移する。しかしながら、大体通勤通学利用者の多い私鉄区間というのは、これは大体大都市、中都市というふうに地域的に限定されるわけですが、当然そこでは利用者がふえるということで、私鉄さんはまあ笑いがとまらないかもしれませんが、当面輸送力を増強する必要が当然出てくるだろうと思います。それに伴って、これは最近ももう機会を待っておられるように見受けるわけですが、私鉄運賃アップというのが当然予想される事態となってあらわれておる。これはむしろ国鉄が誘導するという形に結果的にはなるわけであると思うのです。  それから次は、大体この二法案が提出された原因として、赤字増大の問題が取り上げられねばならないだろうと思うわけですが、これはもうだれが見ても、今日の新線建設、確かに国鉄は従来歴史的に見て政府出資がほとんどわずかである。これは、国鉄の前々総裁、前総裁、元総裁というような方々もしょっちゅうおっしゃっておる事柄でして、われわれがいまさらあらためて申し上げることもないと思いますが、きわめて固定投資というものが不十分であるのではなかろうか。この間のパンタグラフの問題なんか見ても、そういうことが言われます。もちろん、技術というのは結局人間が主体でもって、いかに月や火星に行くような技術が開発されたとしても、結局人間のする仕事にはかなわないはずだろうということです。技術に過信を持つということは、この間からの事故を見てもおわかりになるとおりだと思う。とにかく固定投資がかなり問題がある。しかしながら、今日展開されているところの赤字増大というのは、昭和三十九年度以降の減価償却やり方の問題、べらぼうです、これは。大体これがいつ通ったのか、これは私どもが不勉強でうっかりして気がつかなかったんですがね。そういう償却方法通過している上に、国鉄自体が国内の大手企業に対してまるきり手放しの市場として開放されているような感想を持つような状況での新規投資が行なわれている。つまりは、その借金によって赤字を埋めるというような政策というものが、金融機関へ投資することにほかならない。この状況というのは、これは非常に歴史的なことで、時間がちょうどなくなりましたけれども、たとえば一八六〇年のプロシアで、あるいは一八八〇年から一八九〇年にかけて帝政ロシアにおいて、あるいは日本で一九〇四年に行なわれたところの民間鉄道国有化現象ですね。これはもちろん、産業資本勃興期の、テークオフの段階に展開されたところの状況でして、今日にそのまま持ってきて論理的な帰結を求めることは無理だと思いますが、政府財政操作によって大企業ないしはコンプラドールへの奉仕を大々的に行なったという歴史的な事実があるわけですが、それと似たような事実がどうも今日の赤字増大背景として展開されているというようなことが考えられます。したがって、これは後ほど御質問があれば述べさしていただきたいと思いますが、いわゆる国鉄におけるところの公共性ということばが、これはネコもしゃくしもよく使います。一体公共性というのはどういうふうに理解すべきかという点がありますが、これは後ほどの質問に残したいと思います。  結局、最後に言いたいことは、風が吹けば桶屋がもうかるという下世話ことばがありますが、今日国鉄赤字になると、そのことによって地方線赤字線の切り捨て、あるいはそのことによるところの余儀なくされた必要悪というような形でも出てくるところのモータリゼーシヨン、結局これは自動車産業資本が非常に喜ぶわけで、自動車産業資本立場で言いますと、これは昔から日本では言いますが、隣の不幸は鴨の味とか、鶴の味と言います。全くこれは望外の喜びにたえないところだ。ところが残念なことには、これまた国鉄だけの問題で国鉄再建ができるとは私は考えておらぬわけでして、これも後ほどに残したいと思いますけれども交通事故の今日のような激増ですな。人が一人や二人死んでも問題にならぬという状況は今日の特徴のようですがね。大体犬が人間にかみついても新聞記事にはならぬけれども人間がかみつけば記事になるというような状況で、まあ一人や二人交通事故で死のうと生きようと問題にならぬというような世情であることは事実ですが、結局風と桶屋の論法でいきますと、国鉄赤字というのは交通事故がふえる。しかも、騒音と大気汚染によって、われわれは乏しいさいふによってサッシの窓をつけるとか、クーラーをつけなきゃならぬという状況になる。したがって、国鉄赤字というのは、電気、耐久消費財のメーカーにとってもかなり楽しいことではなかろうかというようなこと、これは私が考えたのじゃなくて、法政大学の力石さんがある雑誌に書いておられることなんですがね。そのことについても、たとえばフランスのアンドレ・ゴルツというような人がいろんなことを言っておりますが、これもお望みならあとで御紹介します。  ただもう一つ問題は、諸先生方御存じかどうか知りませんが、吉留路樹という方が昭和四十五年に「国鉄偽装経営」という新書版を書いておられます。この中で非常にショッキングな事実は、たとえば七二ページに統計表をあげておられるわけですが、駐留軍車扱い貨物賃率が何と四十三年七月以降引き下げられているという事項があります。これについてのこまかいことは、この本をごらんになっていただきたいと思うんですが。そこで、この吉留さんはその本の七三ページにおいて、このような現実を、「植民地的、隷属的、屈辱的といわずして、なにを売国行為となすのであろう。」と、こういうようなことを言っております。今日ディスカバージャパンということばが平素使われますが、あれなぜディスカバー日本と言わないのかちょっとふしぎなんですが、結局われわれがディスカバージャパンに乗っかって旅行した結果何を見出すかというと、きわめてさいふの乏しさと、崩壊していくところの祖国の山河を見るにすぎないのじゃないかというふうに思うわけです。  まだ言いたいことたくさんあるのですが、一応この辺で冒頭陳述を終わらしていただきます。
  4. 木村睦男

    委員長木村睦男君) ありがとうございました。     —————————————
  5. 木村睦男

    委員長木村睦男君) 次に、中西公述人にお願い申し上げます。
  6. 中西睦

    公述人中西睦君) 早稲田大学中西でございます。  私は、まず最初に、現在のこの公共交通機関運賃料金というものが現行制度の中では原価主義に基づいて規制されているという一つの事実を根底に置きながらお話を申し上げてみたいと思います。そういう意味で、この運賃料金というものは、個々の交通サービスというものの能率的な経営というものにおける原価を償うという形での個別原価主義をとるか、もしくは、交通サービス原価を、交通サービスに対する利用者の評価というものを考えながら運賃料金を決定して、そうして全体として運賃料金収入というものを考えながら原価を償っていくという総合原価主義をとるかの、二つ方法があると考えております。国鉄は現在総合原価主義をとっておりますので、よく民間に言われますところの、あるいわば旅客交通サービスの利益で同一企業内の他のサービスすなわち貨物輸送サービスの損失をカバーしているという非難があります。すなわち、内部補助というものが総合原価主義の中では起こるわけでございまして、それの是非につきましは私自身も若干の疑義があり、その割合というものがどうあるべきかということは考えてみなければならないものだと考えております。しかしながら、現在の公共交通機関運賃料金原価主義に基づいている以上、国鉄といえども公企業である、企業であることには変わりないとすれば、ここにコスト費用というもののある種のバランスがとれることは企業体として非常に重要であります。しかしながら、これは国鉄のみならず、全産業におきまして、企業におきましても、現在はコスト価格対立関係に非常に悩んでいるわけでございます。その中でも、コスト上昇要因としましては、やはり人件費アップの問題があると言わざるを得ません。しかも、それが企業として収益性があろうとあるまいと、その労働力というものを確保しつつその福祉を考えていくためには、全産業並みのベースアップというものは行なわざるを得ないわけでございます。  それからさらに、今日われわれが物から心へという価値観の転換におきまして、いま池田公述人からもお話がありましたように、われわれの生活環境を維持して、しかもわれわれの社会生活を豊かにするためには、環境や公害の防止費用といういままで企業が考える必要のなかった費用を非常に重点的に考えていかなければならないわけでございます。そういう二つの非常に重要なコストアップ要因をかかえながら、国鉄といえども公企業といえども経営を続けていかなければならないわけでございますが、それに対しまして、価格という点から申しますと、国鉄公共料金規制を受けるその代表的な一つ料金というものを、運賃料金というものを保たなければならないわけでございます。ところが、現在におけるわが国産業構造変化社会環境変化地域変化の中で、いままでかつて国鉄独占体系をとったときのような点と線、また面というものを、あらゆる面を近代交通機関として果たす役割りというものが果たし得ない環境に私はなりつつあるのではないかと思います。先ほどの池田公述人お話にあったように、たとえば貨物駅の減少状態にしても、いまわれわれが利用できるところの交通機関は、鉄道——国鉄私鉄も含めまして鉄道、内航海運、そうして航空並びに自動車輸送というのがあるわけでございますけれども、それぞれにはそれぞれの特性がありまして、自動車交通を除く他の交通機関はすべて点と線というもののいわば時間的な空間的な克服を達成する交通機関にすぎないわけでございます。面の交通機関としては自動車交通があるわけでございまして、たとえば海運は港湾から港湾まで、そうして航空は空港から空港まで、鉄道は駅から駅までで、かつてその開発された地域が非常に広くなく、しかもその面的な部分もカバーしなければならないとすれば、今日までのように、かつての四千数百駅というものも必要としたわけでございます。その場合は、いわば荷馬車時代の体系の中で、ものを空間的に、しかも時間的に面と線とをつなぎ合わせながら、やはりわれわれに対してのすべての需要をまかなわなければならないというところに、国鉄の駅体制もあったのではないかと考えております。しかしながら、今日、非常に問題点は種々ありますけれども、いわゆる自動車役割りといいますものは、面的な問題を考えるならば、その相互間においてそれをうまく組み合わせることによって一つのわれわれに対するサービスを達成せしめる体系の確立が必要であろうと思います。その意味では、かつての国鉄の体系といまの体系は非常に違っている点を私申さざるを得ないわけでございます。  第二点としましては、いわゆるわれわれに対する国鉄が与えるところのサービスの対価としての運賃料金というものは、できたら無料であったら一番よろしいわけでございます。しかしながら、そういうわけにはまいりませんし、運賃料金というのは利用者のいわば負担というところに一つの原則が置かれるべきでありますが、それが国家的な、また社会的な見地から考えてまいりますと、それにはおのずと限度があるだろうと考えざるを得ません。その限度がどこであるかという問題は、これも非常に論議を必要とするわけでございますけれども、もしもその限度を越えた場合には、国家が、または地方公共体が、何らかの形で国民または地方の住民に対するサービスを確保するという意味で助成を行なわざるを得ない限度も出てくると考まえす。しかし、その助成も一つの限度があるとするならば、これは利用者負担並びに受益者負担にたよらざるを得ないわけでございます。しかし、受益者の中の間接受益者であるところの開発利益を得る者その他の問題についての算定は、今日まだ種々の問題点を残しているという点から考えますと、助成にも種々の限度がある。すでに十年間にいろいろにわたってのあれがありますが、限度があるということになりますと、利用者負担にたよらざるを得ない。そういう意味で、では利用者負担をする場合にどのくらいまで限度が達成できるのかという意味で、私自身は、特に、旅客輸送よりも、今日まで二十年間にわたって貨物輸送を中心にして勉強しておりますので、流通コストの相関関係から考えてみますと、鉄道貨物運賃のいわゆる物価に占める割合というのはそれほど大きいものではございませんし、また歴史的にも、明治時代から今日まで、それぞれの物価と運賃とわれわれの所得との相関関係をながめても、そのウエートは、その利用度とその豊かさに比べて、それほど高いものだとは考えておりません。そういう意味で、われわれの最も重要なサービス機関である国鉄を健全な問題に持ち込んでいくとすれば、今日における一つの大きな問題は、やはりこの運賃料金の値上げ、また国鉄運賃料金問題を考える際には、すなわち国鉄の今日直面している財政の健全化というものとの相対関係を考えざるを得ないわけであります。そういう意味から考えてまいりましても、私は、今日国鉄わが国土の新しい開発を考えていくための合理化投資並びに現在かかえている人材を確保しつつ健全なる財政に持ち込んでいくためには、まだまだ、私たちがいろいろと考えてみますと、国鉄合理化の問題では、国鉄自体経営主体として反省し努力しなければならない点がございますけれども、私はやむを得ざる運賃料金の値上げであるというように認めざるを得ないわけであります。  そういう意味で考えてまいりまして、もう一つ、私どもが考えていく場合は、先ほどから、大企業だとか、それから大荷主だとかいいますけれども、私たちが一番考えなければならないものは、国民にほんとうに利益になっているかどうかという点でございますが、その点では、貨物輸送というものが、今日のような体系の中では、ほしいと思うときに、ほしいと思う場所に、ほしいと思う量が、適正な価格で届けられているかどうかというところに根源を置きながら、ものごとを考えていくべきだと考えております。そういう意味で考えてまいりますと、現在進んでいる中での物価に対する国鉄運賃の値上げの影響力というものから考えてまいりましても、私自身は、物価につきましては、流通機構そのものに問題があるのであって、国鉄運賃値上げ、今日における程度のものでは、それほどの問題があるとは考えておりません。  そういう点を考えながら、現在進みつつある国鉄貨物近代化というものを考えていく際には、種々の疑問点はまだありますけれども、やはり技術システムというものを確立をして、いわゆる国鉄が持つところの分野を果たすということが第一であり、それに向って制度や、金融・財政システムや、地域住民との調和をはかる。一つのシステムに向かって進めていくためには、やはり健全な財政をまず最初に確立するというところから考えて、私自身は、非常に種々の問題点をかかえながらも、国鉄運賃値上げに対しまして、条件つきで賛成をしたいと思います。  しかしながら、ここで申し上げたいのは、やはり国鉄が健全財政をするためには、国鉄がいまかかえている赤があります。その赤とは何かと申しますと、今日続々と建設されているローカル線というものが、はたして国家の資源開発にとって役立つものであるか、また赤字線というものはほんとうに住民にとってどのような形のものであるか、種々の問題を考えながら、われわれはその問題を、ただ国鉄の負担だけに課せられるわけではなく、われわれ自体、全体で考えてみるべき視点に立っているという点で、国鉄の努力と同時に、諸先生方の御協力をお願いしたいという意味で、私は条件つき賛成としての意見を述べさしていただきました。
  7. 木村睦男

    委員長木村睦男君) ありがとうございました。     —————————————
  8. 木村睦男

    委員長木村睦男君) 次に、川口公述人にお願いします。
  9. 川口弘

    公述人(川口弘君) 中央大学の川口でございます。  私は物価問題の専攻でございますから、主としてそういう観点から、今回の法案運賃値上げに対して、反対意見を表明したいと思います。  理由は六つほどございます。  理由の第一は、消費者物価の騰勢が依然としておさまらない今日の段階で、政府が直接規制できる公共料金の引き上げが現在相次いでいることは、御承知とおりでありますけれども、その中で、国鉄運賃の今回のような大幅引き上げが行なわれることは、旅客運賃の値上げを通じて直接に、また貨物運賃の値上げが他の物価にはね返るということを通じて間接に、消費者物価を押し上げる要因になることは明らかであります。しかも、私鉄運賃をはじめ、一連の交通料金値上げを誘発するおそれが非常に大きいわけでありまして、したがって、直接国鉄運賃値上げだけが消費者物価を押し上げるのではない、もっと大きな影響が出てくるというふうに考えられるわけであります。  多少こまかに申し上げれば、本年に入りまして、すでにタクシー、郵便、電報、私大の授業料、高校の教科書代等、いわゆる公共料金といわれるものが続々引き上げられておりますし、また現在、東京瓦斯や、あるいは航空料金、各地の市電、市バス、地下鉄等の値上げ申請も行なわれております。また、公団の家賃、電力料金、国立大の授業料、灯油の価格等々の値上げも、ことし後半に予定されているようであります。  こういうような状況の中で、国鉄運賃の値上げが行なわれるということは、物価問題について非常に大きな影響を与えるというふうに考えまして、これが反対の第一の理由でございます。  それから理由の第二。これはやや付随的かもしれませんけれども、今回の値上げ案というものは、国鉄財政新再建計画の実施につながっておるわけでございますから、すでに明らかにされておりますように、今回の値上げを認めるということは、七十五年度、七十八年度にそれぞれ実収一五%増の値上げを、そうして八十一年度には実収一〇%増の値上げを予定してしまうことになるのではないか。もしそうだといたしますと、この再建計画がほんとうに庶民のために利益になるのかどうか、その利益とのかね合いで値上げの是非を検討しなければならないわけでございますが、その点については、後に述べるように、かなりの疑義がございますので、そういう意味で今回の値上げに直ちには賛成しかねる、こう考えるわけでございます。  理由の第三。今回の値上案というのは、値上げ自体のほかに、値上げ案の中身に問題があって、その意味でも賛成できないと考えるわけであります。その中身の問題は二つに分けて考えられますが、最近国会で明らかにされたところでは、昭和四十五年度の収支で、旅客で四百三十億円の黒字、貨物で千八百三十二億円の赤字というふうに言われております。これは三十五年から三十九年度までのこの旅客貨物別の公表計数もございまして、それを見ましても一貫している傾向でありますから、おそらく事実であろうかと思われます。そのような情勢にもかかわらず、四十七年度予算では、運賃収入の増収二千百七十五億円のうち八六・五%千八百八十一億円を旅客運賃増収でまかなうということになっております。予算上の増収率も、旅客二一・七%、貨物一一・一%というふうに、ほとんどもっぱら旅客運賃の値上げでもって貨物赤字を埋める、こういうような形になっているわけであります。このような旅客運賃への一方的なしわ寄せ、これはどうにも納得できません。しかも国会の議決を要しないとかいうことでございますが、手小荷物運賃も三四%かの大幅アッブが計画されているというふうに仄聞いたしております。これはやはり、旅客運賃の値上げと同じように、旅客に対してかかってくる負担が大きいというふうに考えられるわけでございます。また、通勤定期の割引率を引き下げて三〇%程度の値上げになるようにするということでございますけれども、これもまた勤労者にとっては非常に大きな影響がある。さらに、最低運賃の距離を五キロから三キロに引き下げるというようなことも、庶民にとっては大きな影響があるわけであります。  それから、この問題の第二は、貨物運賃の中身でございます。車扱い貨物運賃の従価等級制度の四等級から三等級への圧縮という措置に伴いまして、自動車や工作機械や冷蔵庫のような大企業製品の多い旧一級貨物運賃がわずか平均六・九%程度の小幅引き上げにとどめられ、これに対して、下級の魚とか、米麦、タマネギ、なまカンショなど、農漁民の生産物であって、しかも庶民の生活必需品を多く含んでおります旧四級貨物運賃の引き上げ幅が平均約三〇%と、各級の中で最大の引き上げ幅になっている。こういうようなことは、さらに大企業のための包括運賃契約とか、あるいはフレートライナー方式、十一本に及ぶ臨海鉄道の設置、こういったような特別なサービスや特別な割引に比べて中小企業製品の運賃が一般的には不利な扱いになるということともからんで、たいへん問題があるのではないか。こういう値上げ案の中身、これは実は国鉄料金体系の問題で、かねてからいろいろと指摘されておった事柄だと思いますけれども、そういう点からも今回の値上げ案には賛成いたしかねるわけであります。  理由の第四。これは、今回の値上げが大幅な国鉄赤字を克服するため、こういうふうに言われておりますが、そしてそのような赤字がなぜ起こったかという原因としては、全体としての輸送量の伸び悩み、それから人件費を中心にした経費の増大、地方閑散線の赤字拡大、こういうようなことがあげられておるようでありますけれども、私は、国鉄のように広範な公共的必要性を持った部門の建設投資の資金が、従来独立採算制という名のもとに、財政融資や鉄道債券発行のような形で利子を支払わなければならない外部負債で調達されてきた、そのために非常に多額の利子負担が生じているということ、それからまた、三十六年の運賃値上げとともに車両、船舶、自動車、機器の償却に定率法が採用されるとか、あるいは四十年以後固定資産の償却年数が二十七年から二十二年に平均して短縮されているというようなこと、その他こまかい点を見ますと、公共部門としては必ずしも必要がないと考えられるような早期償却——これは民間企業の場合であれば陳腐化に備えてある程度の理由があるわけでありますけれども国鉄のような企業の場合にはたして必要かどうか疑問だと思いますけれども、そういう早期償却を行なって、したがって本来の必要からいいますと過大な減価償却費が計上されている、こういったような建設投資のやり方に関連して起こっている利子負担、あるいは償却費負担、こういうものが赤字の非常に重要な原因になっておるわけであります。人件費のアップ率は、私の計算では、過去十年間に人件費の年間平均の増加率は一三・七%でありますけれども、この程度の伸びというのは他の民間企業の賃金の上昇と見合いで考えればむしろ当然のことであるというふうに思いますので、これが不当な赤字原因というふうには考えられません。したがって、赤字解消問題を考える場合には、どうしてもそこのところにメスを入れなければいけないのではないか、こういうふうに考えているわけであります。  それから反対理由の第五。これは、今回の国鉄財政新再建計画の中身を拝見してみますと、かつて旧再建計画には、三本の柱の一つとして、大都市通勤通学輸送の改善のための大規模な投資を行なうということがあったと思いますけれども、その考え方がほとんど欠落しているように思われるわけであります。これは総合交通体系を考える場合に、大都市通勤通学輸送大手私鉄、バス、地下鉄等にまかせるという考え方かもしれませんけれども、この考え方には非常に疑問がある。私は最近までスウェーデンのストックホルムに行っておりましたけれども、市内の自動車交通が非常に渋滞してまいりまして、道路の問題、それから排気ガス公害の問題が起こってくる中で、もっと公共的な大量輸送機関、国鉄を中心にした大量輸送機関で都市交通を処理しなければならないという考え方が強まり、国鉄地下鉄、バス共通に一カ月五十クローナという非常に安い価格の定期が売り出されている。それでもって自動車交通を規制するというような考え方が出されておるわけでありますけれどもわが国でもむしろそういう考え方に立って、国鉄を中心にした公共的な大量交通機関で通勤通学輸送の問題を解決しなければならないと思われます。で、先ほど第一公述人お話の中にも出てまいりましたけれども、今日のラッシュアワーの混雑ぶりは、豚であれば死んでしまうであろう、人間だから死なないで済んでいるといわれる状態であります。したがって、こういうような点のサービスが改善されない限り、私は、旅客運賃、特に通勤通学定期運賃を引き上げるというようなことは賛成できないわけであります。もちろん、この場合に、いろいろな問題がありまして、コストの面でなかなか投資が行なえないということでございましたらば、これは大量の財政投資を行ないまして、そしてこの問題を解決していただきたい。他面では、新幹線の全国的な完成、それから大量長距離高速貨物輸送施設の飛躍的な改善などが働いておるわけでありますけれども、これはやはり大企業中心の大規模投資というふうに考えられます。それは、先ほどの料金体系ともからんでそのように思うわけでありますけれども、そうした他面では、国鉄の労働者十一万人の縮減、それからベアを一二・一%というふうに非常に低く押える、さらに一〇%まで漸減するというように、国鉄労働者にも大きな犠牲をしいる案になっているわけであります。このように、輸送を利用する庶民、あるいは輸送に努力する国鉄労働者、その立場に一番強くしわ寄せをして、そしてこのような大規模投資をやりながら財政を黒字に持っていこう、こういうような考え方に対しては、非常に強い批判を持たざるを得ないわけであります。  最後に、理由の第六といたしまして、この国鉄運賃の問題が出てまいりまして、私は国鉄問題の専門家ではありませんので、最近になって国鉄のいろいろな内容の分析を始めたわけでありますけれども、それをやってみて気がつきましたのは、比較的近年になりまして、たとえば旅客貨物別の収支計数の公表が停止されておりますし、それから運送原価についても詳しい数字が発表されなくなっているように思えるわけであります。もっとも、旅客貨物別の収支計算につきましては、いろいろ計算上むずかしい点があって、いろいろな計算のしかたができるというようなことが理由にあげられていると思うんですけれども、それと全く同じことは基幹線区と地方線区の分け方についてもあるわけであります。ところが、その点については、特に根拠を明示しないで、分けた計算を発表しておられるのですから、旅客貨物別収支の公表を停止される理由はないんじゃないか、そんなふうにも考えられるわけであります。  実は、地方線区と基幹線区の分け方の場合に、御承知のように、運送原価の配分を変えまして、地方線区に不利なような検討が行なわれているわけでありますけれども、こういうような計算のもとで、地方線区赤字、地方閑散線の赤字を過大にあらわして、そしてこれを廃線化に持ち込んでいく、あるいは廃線をしなければ地方公共団体でその赤字の一部を負担せよ、こういうような形で地方住民にもかなりしわを寄せているわけであります。  特に、私は、国鉄の経理が公共料金を決定する上の基礎になるわけでありますから、国鉄経理のガラス張りの公開、また、財界や政府の代表者と少数の学識経験者だけが参加するのではなくて、労働組合の代表とか、あるいは消費者団体の代表とか、あるいは農漁民の代表とか、そういう人たちが参加できる民主的な監視機構を確立すること、こういうような形で国鉄の経理内容が国民の前にはっきり明らかにされまして、そしてその中で問題点が煮詰められていく、こういうことであれば、私は料金値上げも国民の納得を得ることができるというふうに思います。  全体としての物価が上がっていく中で、公共料金だけをいつまでも押えておくということは、これは問題であると私も思いますが、公共料金の値上げが国民の利益になるように——その場合、何よりも公共料金とか財政支出とかの対象になるものは、シビルミニマムを保証するような、そういうところに重点が置かれるべきだと思いますので、その意味で、大衆が利益になるようなそういろ国鉄の改造計画、これを実現する方向で、そのためのやむを得ざる運賃値上げということになれば、これは国民みんなが納得できると思うわけであります。そういう条件がそろっていない段階で今回の値上げが行なわれていくということには、納得できません。  以上が私の反対理由でございます。
  10. 木村睦男

    委員長木村睦男君) ありがとうございました。     —————————————
  11. 木村睦男

    委員長木村睦男君) 次に、岡田公述人にお願いします。
  12. 岡田清

    公述人(岡田清君) 成城大学の岡田でございます。ちょっとお断わりしておきますが、かぜを引いておりまして、声がどうもよく出ませんので、あるいはお聞き苦しい点があるかもしれませんが、あらかじめ御了解を得ておきたいと思います。  今回の運賃改正につきましては、総合的な視点から政策判断に依存せざるを得ないと感じますけれども、これを考えます場合に、三つの観点から論ずべきではないかというふうに感じます。  その第一点は、物価政策上の観点からこれをどうとらえるかということであります。その場合に、公共料金の問題でいま川口先生からお話がございましたが、公共料金、特に交通関係の料金は、昭和三十六年、昭和三十九年、それから四十五年と、公共料金ストップ令によって交通部門が非常に苦しい立場に追い込まれたわけであります。所得政策は悪いといわれまするけれども、これは交通部門に対する所得政策であったというふうに言わざるを得ません。その関係から、よくいわれますように、公共交通機関が軒並みに赤字になったということであります。この原因につきましては後ほど申し上げますが、そういう意味で、物価政策上これをあまり重視することはかえって交通サービスの悪化に導くであろう、こういうふうに感じております。  したがって、次に問題になりますのは、運賃改正をいたしました場合に、これが他の物価にどういうふうな波及効果を持つか、この点を物価政策的な観点から配慮する必要がある。第二点は、所得の再分配効果がどれぐらい発生するだろうかということであります。この二つの点から物価政策上考えてまいりますると、必ずしもこれが大きな影響を与えるとは感じていないわけであります。したがいまして、物価政策上これを抑制するよりも、むしろ交通政策あるいは国鉄問題としてこれをつかまえるべきではないかというふうに感じます。その意味で、物価政策上の観点からは、今回の値上げについて反対する理由は特にないというふうに思っております。  第二点でありますが、交通政策上の視点としてどういうことが言えるかということであります。御承知のように、現在の交通部門は非常に競争的になっておりまするから、競争政策をとっていくか、あるいは特定の交通部門に対して政策調整を行なうか、この二つの視点のどちらかの選択を考えざるを得ないわけでありますが、諸外国におきます交通政策を考えてまいりますると、原則的に競争的な交通政策をとっている。これは、多くの場合見られるとおりであります。それに対して、常にこれを競争政策一本でやることには若干の限界もございますので、これを強く押し切ることには問題もございまするけれども、少なくとも都市輸送におきましては、競争政策を貫いてもまだ十分にやっていけるというふうに感じております。したがって、ローカル輸送あるいは都市輸送におきましては、若干の政策調整はあり得る。あるいは、政府介入がさらに行なわれまして、政府の投資の補助その他の政策があっても一向におかしくないというふうに感ずるわけであります。  そういうふうに考えてまいりますると、どの部門でどういう場合に競争政策を展開し、どの場合に政策調整を行なうかという点に対して、明確なる判断を示すべきである。国民はそれを知りたがっているというふうに感ずるわけであります。そういうことで考えますると、基本的に、都市輸送におきましては、十分に競争力もありまするし、競争政策を推進することが正しい政策であるというふうに感じています。で、運賃を抑制することによって質的な低下を導くよりも、むしろ競争政策によって、運賃競争よりも質的な競争の方面に努力を傾注させるような、まあ監視機構と言うと大げさでありまするが、国鉄に対して一連の政策展開を要求することのほうが望ましい政策であるというふうに感じております。その一方また長期的な交通投資におきましては、これは税によってこれを負担していくかあるいは料金で負担していくかという問題が残ってまいりまするが、御承知のように、イギリスの国有企業白書なんかを見ておりましても、原則的にはこれは政府が何らかの介入をいたしておりまするけれども、投資基準を明確にしているということであります。この投資基準の明確化を要求するということもまた今後の重大な課題ではないか。そういうふうな関係を導入いたしまして、投資基準の明確化、新しい調整がローカル輸送についてはあり得ると、一連のそういう交通政策的な調整行動を行なった上で、その上で交通機関間の競争政策を展開すべきである、こういうふうに考えてまいりますると、現在の運賃値上げの問題に関しましては、国鉄運賃に対してこれを特に抑制すべき理由は存在しないということが言えるかと思います。  続きまして第三点でありまするが、御承知のように、国鉄に対する政策として、国鉄そのものの問題点といたしましては、政府補助を行なうべきか、あるいは運賃を引き上げるべきか、つまり補助か運賃引き上げかということが現在の国鉄問題について最も重要な問題ではないかというふうに思います。で、よくいわれますように、国鉄財政の悪化は、地方の赤字線を中心にいたしまして昭和三十九年以来赤字に転化いたしておりますが、昭和四十四年の財政再建策を中心にして何らかの形で財政再建への努力が行なわれてきた。しかしながら、その一方で累積的な赤字、あるいは一般的な借り入れ金の増大、あるいは赤字増大その他におきまして、財政再建問題はかなり深刻な状態になっておりますので、したがって、ある場合には補助政策の必要性はどうしても否定できない。つまり、先ほど言いましたように、競争政策を一方で展開すべきだというふうに言いながらも、現状を考えますると、競争政策の否定の命題というのはやはり発生する可能性が出てくるわけであります。しかしながら、この点につきましては、さらに今後の状況を見て、なおかつ国鉄の将来の総合交通体系における役割り、あるいは、後ほど申し上げまするが、地域経済政策の展開過程とも関連させながら、財政ベースに対する補助政策のあり方を検討する必要がある。まあ暫定的に本年度におきまして、四十七年度予算におきまして相当額の財政補助が出ていることは御承知のとおりでありますので、それ以上の財政補助を現段階で導入すべきかどうかということについてはなお問題を残しておるというふうに感ずるわけであります。そういうふうに考えてまいりますると、投資補助とそれから運賃引き上げというのがいかに適切にこれが関連づけられるべきかというところから考えますると、現在の国鉄財政ベースの観点からいきますると、運賃引き上げは現段階ではやむを得ないというふうに感ずるわけであります。  国鉄問題に関しまして第二点は、国鉄全体のネットワークから見た問題点というのをちょっと指摘してみたいと思いますが、その場合に、第一点は、都市間の輸送、この点におきましては、非常に高い競争力を持っておりまするので、まあ現在のところ大きな心配はいたしておりません。つまり、幹線系線区におきましては、国鉄は今後とも重要な役割りを果たし得るし、また現に果たしておるということが言えるかと思います。第二番目の問題は、都市内でございますが、これは御承知のように土地その他の投資資金の資金効率がかなり低下いたしておりまして、つまり一般的にいわれますように限界費用がますます増大するというふうな状況にありますので、これに対してはある程度土地政策その他の長期構造的な観点から検討する以外にはいまのところ手がないというふうな現状にあります。同じようなことが今度は逆の立場から地方閑散線の場合について言えるわけでありまするが、地方閑散線の場合におきましても、これは国民の足としてある程度維持せざるを得ない。その一方で、まあこれを全面的に撤去することは非常に困難が伴う。その場合に、どういう形でこれを負担していくかという場合に、財政補助によって負担するのにも限界がございまして、国民全部の社会的な負担において、あるいは利用者全体の負担においてある程度これを負担することはやむを得ないものであるというふうに感じております。その一方で、この地方閑散線の統一政策につきましてはさらに検討を要する問題を残しているということが言えるかと思います。いずれにしましても、国鉄に対して財政ベースでこれに補助を与えていくか、あるいは体系ベース、あるいはネットワークベースで補助を与えていくか、この問題につきまして、運賃値上げとの調整で同時決定の観点から運賃の正しいあり方が今後さらに検討される必要がある。まあ今回の値上げによってある程度カバーできたにいたしましても、将来の時点との問題といたしましてはなお問題を残しているというふうに言わざるを得ないわけであります。まあそうは言いましても、現に国鉄のほうで相当長期にわたる計画も実行されておりますので、補助の限界と運賃引き上げの限界と見合いの上で政策判断が導入されることはやむを得ない、こういうふうに感じているわけであります。  以上三点、つまり物価政策上の観点と、交通政策上の観点、国鉄問題に対する政策的な観点、この三つを総合的に勘案いたしまするときに、もし競争的な交通政策を展開していくということであれば運賃値上げはある程度当然であるというふうに言わざるを得ませんし、それから国鉄に対する現在の財政問題を考えるということでありますると補助はまたやむを得ないというふうに言わざるを得ないわけであります。そういうふうに感じてまいりますると、今回の運賃値上げは、これは補助と運賃値上げが同時決定でほぼ見合いの形で行なわれているという意味で、今回の運賃値上げをやはり承認せざるを得ないというふうに感じているわけであります。で、何も物価政策上の観点を必ずしも無視するわけではありませんけれども、今後の交通部門のサービスの向上の見合いの上で物価政策上さらに検討を要する問題であるというふうに考えてまいりますると、以上三つの観点から総合的に判断いたしますると、補助政策運賃引き上げ案とがほぼパラレルに進行しているということが言えるかと思います。  そういうことに関連いたしまして、最後に今後の交通政策あるいは国鉄問題に対する政策のあり方という点につきまして若干の注文を述べさしていただきたいと思います。  その第一点は、交通における構造的な要因とそれから制度的な要因というものを明確化することが必要ではないか、これが第一点であります。  それから第二点は、交通問題を議論するときに、地域構造的な観点が配慮されていないことは非常に問題がある。特に都市の過密対策は、地方分散対策が行なわれない限り、今後とも赤字化はなお一そう深刻な問題を起こしていくであろう。そういう意味で、地域分散政策をさらに推進しない限り、交通部門は軒並み悪化する傾向を持つであろうということが言えるかと思います。  第三点は、同じように、イギリスの国有企業白書の場合でも指摘しておりまするように、常に長期的な視点と短期的な視点の調和というものを考えていることであります。この点は、現在の運賃値上げ案につきましても、財政再建促進特別措置法の中に一部修正が入っているかと思いまするが、これをさらに厳密なものとして国民に示す必要があるということが言えるかと思います。  第四番目の問題といたしましては、租税政策を過度に適用することにはこれは問題がございますので、つまり所得再分配問題が起こってまいりまするので、この点と運賃料金政策の調整問題については今後綿密にさらに一そう詰める必要があるということを念頭に置きますると、以上四つの点を検討課題にして残しておきまするけれども、いずれにいたしましても、現段階におきましては短期的な——ことしの給与も払えないというふうな国鉄の現状に対する若干対症療法的な色彩はございまするけれども運賃値上げはやむを得ない、なお補助政策運賃引き上げ政策は必ずしも大きく分離しているものではないというふうに判断いたしております。  そういう意味で、以上総合的な観点から見ましたときに、今回の運賃改正に関しては賛成せざるを得ないというふうに言えるかと思います。  以上、簡単でございまするが、私の公述を終わります。
  13. 木村睦男

    委員長木村睦男君) ありがとうございました。     —————————————
  14. 木村睦男

    委員長木村睦男君) 次に、宝田公述人にお願いします。
  15. 宝田善

    公述人(宝田善君) ただいま四名の公述人から話がありましたが、私は労働組合に所属する者でありますので、労働者あるいは国民一般の立場から、私たちの生活論という立場から、今度の国鉄運賃の引き上げについての意見を申し上げたいと思います。  最初に総括いたしますと、われわれは今度の運賃値上げには絶対反対であります。  その反対の理由は、幾つかあるわけでありますが、まず第一は、労働者あるいは国民の家計への影響が非常に大きいということであります。その点は、すでに川口公述人から詳しく数字をあげて述べられておりますから、省略をいたしますが、家計への影響が非常に大きいということは、過去において政府みずから言ってきたことではなかったか。今回の運賃値上げも、家計に直接及ぼす影響というのは〇・三六%というふうな数字が載っておりますけれども、実態的に、国鉄を利用しておる世帯は、利用していない世帯と比べますと、この平均値以上の問題を持っているわけであります。そのことは、今度の値上げ法案が出ました直後に、新聞社が新聞でおのおの取り上げております。たとえば、一月八日の毎日新聞では、ある世帯のモデルをつくりまして、そこで通勤費用がどうなるか、通学費用がどうなるか、それから家族の旅行がどうなるか、家庭関係で親戚に行った場合どうなるか、転勤等の荷物を引っ越しをした場合にどうなるか、たいへんな問題であるということは詳しく書かれていると思うんであります。  それから第二番目に、貨物を含めました運賃の引き上げというのは、かなり物価全体に波及効果を持っているわけであります。  それから三番目に、これもすでに申し上げましたように、公共料金全体の上昇の引き金の役割りをかなり果たしてきたわけであります。過去においてもそうであるし、今回もそうであります。そういう理由で、労働者、国民からしますと、生活上非常に大きな脅威になってきている。物価の上昇というのは国鉄運賃だけではないのでありますから、至るところで苦しめられたあげくに、また国会の審議を通してこういう問題が出てくるということで、これは世論調査をおやりになれば明確だろうと思うんであります。おそらく大衆でこの問題に賛成する者はだれもいないと思います。したがいまして、そういう国民の、大体大衆の世論というものがわかっているのでありますから、その中で国鉄運賃の引き上げということを審議するのであれば、国民に対してもう少し納得のいく理由を提起してもらいたい、これが第三番目の問題点であります。  いまのこの運賃の値上げというのは、そのうしろに国鉄の財政再建促進特別措置法の改正という非常に長期的なある国鉄の計画がありまして、その四回かの値上げの第一回でありまして、川口公述人が申し上げましたように、再建計画による計画的な引き上げの第一回であります。われわれは、この再建計画の改正、あるいは再建計画それ自身にまず反対なのであります。で、労働者とか国民というのは直感的な気持ちで反対をしておりますので、それを多少整理をしてみますと、単に家計に及ぼす影響だけではなくして、こういう再建計画そのものにかなり問題がある。その一つは労働条件であります。この再建計画を見ますと、すでに出ましたように、賃金であるとか、雇用であるとか、こういうところが常識をはずれた前提で再建計画が行なわれている。今日日本の社会で働いている労働者というのは、いかなる職場にあろうとも、世間の相場の所得が得られなければ生活はできない。生活国鉄の中でやっているわけではないのでありますから、これからの国民の所得の水準をこのように非常に低いところに見積もってやったとしても、これは実現性があり得ない。そういう世間相場を無視したような前提で計画を組むということに、まず国鉄に働く労働者からは問題があるわけであります。  それから、何よりも、この再建計画のうしろには、ことしの初めに出ました政府の臨時総合交通問題閣僚協ですか、そこから出されました総合交通体系論というものが背後にありまして今度の改定論は出てきている。それはさらに物価安定推進会議のこの間の国鉄運賃問題に引き継がれているわけでありますが、ここに非常に大きな問題がある。その理由は、前回の運賃の引き上げのときに、すでに一部の学者から国鉄運賃問題について経済学的な問題の提起がなされていたはずであります。それは、いわゆるイコールフッティングの問題。国鉄のいまの経営というものは、ほかの交通手段に対して適正な競争条件に置かれているのかどうか。置かれていないのに、その財政バランスだけを運賃にかぶせることには問題があるではないか。たとえば、道路というのは別に国家の資金をかなり大量につぎ込んでいる、それを利用している交通機関と、独立採算的なことをやっている国鉄とは、はたして公正な競争条件に立っているのかどうか、この問題をまず解くべきであるという提起がされているはずであります。これは前回の運賃引き上げのときにすでに提起をされているのでありますけれども、いまだもってこれに対する答えが運輸省あるいは国鉄から出されていないのはどういうわけであるか。  しかも、それだけではない。その後さらに交通問題というものは性格を変えてきております。それは公害その他の問題と同じでありまして、いまの公害問題は三年前の公害問題とはかなり性格が変わっているのであります。その後どう変わったかといいますと、大衆的な交通手段というものは、いわゆる公共資本の問題でありまして、公共経済学的なアプローチをすべきではないかというのが最近の定説ではなかろうか。で、そういうふうな角度から見ますと、いまのこの運賃の引き上げ及び長期的な財政再建計画というものの考え方というのは、まず料金問題を先に考えまして、しかる後に、交通政策論の問題を避けて通るか、あるいは巻き込むか、いずれにしましても、関係論が転倒していると言わなければならない。これでは国民は納得することができない、こういう考えであります。  なぜならば、この再建計画、あるいは今度の運賃引き上げというものは、明らかに企業採算主義であり、受益者負担を明確にしている。特に政府の総合交通体系というものはそうであります。その場合に、開発利益の問題という形で、先ほど申し上げましたイコールフッティングという問題が入ってきているわけでありますが、これは具体的な措置が立たない。国鉄にいかに社会的な開発利益を入れるかといっても、これは計算ができないから、しょせんは今度の長期再建計画ではあて馬になっているわけです。あて馬になっているからこそ、受益者負担論で全部通すわけであります。通すから、それは国民の負担の料金の引き上げにならざるを得ない。ですから、この問題にまず明確な回答を出すべきである。さもなければ、これは結局あて馬でしかないのであります。  で、われわれの考えでは、この受益者負担論と公共資本論とは相いれない考え方でありますから、民間企業と同じような原理を採用しまして、開発利益をそこにつぎ込むということは、これはあり得ない。開発利益をなぜ国鉄に入れるかといえば、それはいまの鉄道輸送というものが公共資本になっているからであります。性格が明らかに転換をしているから、そういう論理が成り立つわけであります。  もちろん、公共資本といいましてもいろいろありますから、その中の公共性のよってきたるゆえん、性格論を明確にすれば、公共資本の中でもいろいろな負担関係というものはあり得るわけであります。ですから、われわれはすべてをただにしろと言っているのではない。ただ言えることは、こういう社会資本論、あるいは公共資本論、あるいは公共経済学というふうな問題が出てきたのは、こういう分野ですね、教育であるとか、医療であるとか、老後の保障であるとか、大衆交通手段であるとか、公害であるとか、こういうものが、そういう市場原理、いわゆる独立採算であるとか、そういう原理ではやれないから、市場原理の挫折あるいは欠落というところから出てきている問題なんであります。そもそもそういう問題が出てきているゆえんというのは、独立採算でいまやったならば、過疎地帯の交通はなくなってしまう。都市の安全であるとか、公害対策というものはやれない。そんなものは一企業の採算ベースで考えたらやらないほうがもうかるわけでありますから、そういう原理ではやれない問題が一ぱいある。それを国家の責任でどうすべきかというのが公共経済学の問題点であります。われわれのことばに直せば、それはいわゆるナショナルミニマムというものをどう考えるか、その範囲をどう考えるかという問題であります。現在では義務教育はナショナルミニマムである、これは公費で責任を持ってやるべきものである。そういうナショナルミニマムの中に何が入るかといいますと、これは歴史的に問題が変わってきている。日本は明治以来教育はそうであったかもしれませんが、今日では老後保障もやらなければいけない、公害もそういう国家の責任におけるナショナルミニマムの問題に入ってきているわけです。こういういろいろあります公共的な責任、特に資本を要するものは、中に一番大きいのは大衆的な交通手段であります。そういう性格でありますから、今日では大衆的な交通手段というものは、諸外国の場合には社会サービスという概念の中に入っているわけであります。決して私企業原理に入っているわけではないのであります。この傾向というのは世界共通であります。にもかかわらず、今日都市問題その他大衆交通手段というものが非常に荒廃をしてきている。そこから、先ほども公述人の話にありましたように、新しい都市内のあるいはその他の大衆交通手段の再開発というものが世界的に問題になってきている。これは、私企業原理から開発されているのではなくて、大衆的な交通手段というものを社会サービスのものとして考えるからこそ、そういう問題が出てきているわけであります。今日われわれ労働者の生活あるいは国民の生活から考えますと、そういう問題は、学者の議論以前に、すでに実態的に進行をしてきているわけであります。通勤通学というものは今日では常識であります。われわれは、自分のうちで働いているいわゆる自営業的な業態が主流であったのは過去の話でありまして、多かれ少なかれ通勤通学状態になってきております。それは一般的な現象でありますが、特に日本においては通勤距離が長いわけであります。あるいは過疎問題というものが非常に深刻であります。過疎地帯においては、大衆的な交通手段を私企業ベースで撤去すれば、生活基盤そのものが崩壊をしてしまう。ですから、最低の医療とか、最低の交通手段というものは、いかなる僻地といえども義務教育と同じレベルで維持しなければならない。それがなければ生きていけないという問題になってきているわけであります。ですから、実態的に、われわれの生活の中では、こういう交通手段というものは明らかにもう社会資本であり、社会サービス化しているわけであります。にもかかわらず、国鉄運賃問題に入りますと、とたんに私企業原理が主流になるということは、今日では実態からずれているのではないかということをわれわれは生活から感ずるわけであります。加えて、いわゆるマイカー、通勤通学にマイカーを使うということは、一部の人は可能かもしれませんが、全部の国民が利用することは不可能であります。子供はどうやって学校に通うか、病人はどうやって病院に行くかというふうなことを考えますと、最低限の大衆交通手段というのは全国に維持するのが今日の国家の責任であります。加えて、いまや東京近辺の公害問題にありますように、マイカーの公害現象というものはごく最近起きてきている。いずれにしましても、都市部においては大衆的な交通手段というものを再開発しませんと、われわれは生命の安全さえ保障できないという状態になっているではないですか。したがって、この問題は、ひとり国鉄だけではなく、国鉄私鉄を問わず、日本の社会で大衆的な交通手段というものがいまや生活必需的な条件になっていて、それを前提としてわれわれは生きているのだ、生活をしているのだという条件であります。ですから、それは生活保護とか義務教育と同じように、最低限の保障というものは社会の責任であります。われわれはそういう社会的なフレームの上にしか生活はできない。この問題を抜きにしまして、福祉国家を幾ら言ってみたところで、それはだめであります。所得を保障し、交通手段を保障し、医療を保障し、教育を保障しなければ、福祉国家の資格はないと思うのであります。それを損益計算で交通政策そのものを考え、その前提でまた運賃問題を考える。しかもそれを、これから十年も長期的にこういう原理をやろうということで、今回の運賃引き上げを提起しているということに、われわれは原則的な反対をする理由があるわけであります。  特にもう一つ追加的に申し上げますと、この総合交通政策体系の中では、国鉄は独占企業であったかつてのように、独占だから安い運賃というわけにはいかない、もっと企業的になって運賃を上げよう、こういう理屈というのは、いま私が申し上げましたような論法からいきますと、全くナンセンスであります。国鉄は独占だから安かったのではないのであります。今日こそもっと実質的に社会化をすべき時代に来ているのであります。そうでないと、安全であるとか、過疎問題とか、都市の勤労大衆生活条件というもののミニマムは保てるはずはない。  問題を戻しますが、開発利益論を掲げて、結局はあて馬で、独立採算だけが先行するというふうなこと、ここになぜ問題が出るかといえば、そもそも企業主義では開発利益というものは入らない。ある地域の地価が上がったといっても、それは国鉄が何割影響を与えたかというふうなものはわからない。非常に総合的なものでありますから、水道がある、鉄道を敷く、人が集まる、人が集まって開発利益というものがまた生まれてくる。ですから、開発利益論を政府はおっしゃるようですけれども、結局はこれはあて馬にすぎないと言わざるを得ない。そうしますと、今回の改定計画で政府はかなり出資金、補助金を引き上げたけれども、その理由は一体どこにあるか、今度はそっちの面の説明もつかなかろう。単に国鉄赤字だから金を多少つぎ込むというだけにすぎない。われわれは、国鉄赤字だから国家資金を入れるということにも、これまた反対であります。反対というのは、その結果を言うのではなくて、どういう理由で出しているかという理由がいいかげんだという意味であります。われわれが言うのは、いまや大衆的な交通手段というのは生活必需品なんだから、社会生活上の基本条件なんだから、本来国費でやるべきであって、その上に公共資本の諸政策に応じて運賃というものが乗っかるべきである。そういう原理であれば、いまのような赤字だから金を出すという原理とはこれは違うのであります。そういう意味で、いま私はいいかげんな補助金政策には反対であるというのは、補助金の根拠がない、これでは。むしろ、国家が責任者であって、社会的なサービスを確保するという立場を前提にした上で料金の問題をもう一ぺん考え直せと。もちろん国鉄私鉄というのは運営者でありますから、その背後に運輸省並びに政府、これが本来大衆的な交通手段の責任者であるというのが福祉政策であろう。国民にとっては、すでに実態的にそのようなものに大衆的な交通手段というものはなっている、社会資本になっている。というのに、理屈だけはなっていない。そこに問題があるのであります。したがいまして、赤字路線を撤去してバスにかえたって問題は解決しない、そのバスがまた赤字でありますから。一体、僻地の国民に対して義務教育並みの最低保障はどこにもない。したがって、結論を申し上げますと、まずわれわれ国民からの要望としましては、政府は一体日本全体の大衆的な交通手段というものをナショナルミニマムとして保障してくれるのかくれないのか、どういう保障をするのか、そのことをまず明らかにすべきである。そうしますと、もちろんそれは一方的な保障だけではないのでありますから、過疎地帯を振興するとか、都市問題を解決するとか、そういうことに役立つわけでありますから、社会的な利益も当然生まれてくる。同時に、公害その他の社会的なデメリットも生まれてくる。これは成田新幹線を見ればわかります。沿線の住民には何も恩典はない、公害だけが残るというふうな問題もあるわけですから、全部がメリットとは言えませんが。まずナショナルミニマムをどうすべきかというふうに考えた上で、そういう社会的なメリット、デメリットを調べるべきである。それらを考慮した上で、なお残った問題として財政の問題を考えてもらいたい。そこで各公共資本の性格によっておのおの負担の関係を明らかにしてもらいたい。そのことは、先ほど来公述人の多くの方が、投資基準を明確にしろとか、税制と運賃の関係を明確にしろとか言っている問題であります。  以上三段階を経ました結果として、ある時期には運賃を上げることも、ある時期にはとめておくことも、それは国民は、論理的に問題が提起されますから、是非の判断が可能であります。政府、運輸省は、少なくともそういう手続を経て国鉄運賃を今回上げるなら上げる、上げないなら上げないという問題を国民の前に出すべきであります。そうでなければ、鉄道は社会資本であるといっても、社会資本論になっていない、社会負担資本論であります。  最後に、もう一つですが、われわれは、そういう理由から、国民的な運賃値上げ反対の感情の裏にはそういう論理があるということを明らかにしておきますが、大体、つい先日も東京瓦斯の問題で、公聴会というのが、一方的に聞き流してあとは何かきめればいいという手続の一つに終わっているではないかという問題が出されたはずでありますけれども、今度のこの国鉄運賃の場合にも、ガスと同じ問題を感ずる。で、私の希望としては、以上申し上げました点を国会で政府は答えてもらいたい。われわれがせっかくここに来て意見を言ったわけでありますから、イコールフッティングをどう考えるかと、社会開発の利益還元は私企業ベースで可能であるのかと、国はナショナルミニマムとして交通を考えているのか——考えているならば、十年計画を出すのであれば、その計画を出せ、出した上でその社会資本の性格を明らかにして、基準を明確にした上で運賃を位置づけてもらいたい。その結論として何%かの値上げ案が出るならば、国民的に意見を聞いたらよかろうというのが私の意見であります。  以上。
  16. 木村睦男

    委員長木村睦男君) ありがとうございました。  以上で、公述人各位の御意見陳述を終わります。     —————————————
  17. 木村睦男

    委員長木村睦男君) それでは、これより公述人に対する質疑に入りますが、中西公述人が十二時までに次の日程に移らなければなりませんので、御質問のおありの方はまず中西公述人に対する質問最初にやっていただきたいと思います。  御質疑のある方は順次御発言願います。
  18. 藤田進

    ○藤田進君 それで、おそらく全員中西公述人にあるのではないかと思うんですが、どうしますかね。十二時までといいますとかれこれ十五分しかありません。だから、順次というようなことを言われましても、事実上不可能じゃないでしょうか、どうお考えでしょうか。
  19. 木村睦男

    委員長木村睦男君) ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕
  20. 木村睦男

    委員長木村睦男君) 速記を起こして。
  21. 伊部真

    ○伊部真君 時間に制限がありますので、私が中西公述人にはしぼって質問いたします。  まず、総合原価主義についてであります。国鉄の場合は、国鉄法に基づきまして、やはり目的というのが明確になっているわけですね。したがって、私企業と違うわけです。そういう観点に立ちますと、ほかの私企業のように、どの企業、どの産業へ進出してもいいというわけにはまいらぬと思います。そこで、総合原価主義でこの国鉄が持つ守備範囲においての企業運営をやろうとしましたときに問題になっている点は、たとえば各所で競争原理を導入しなければならぬところが出てくるわけですね。たとえば航路の問題でも、今度の運賃の値上げの申請の場合に、明らかに航路の場合には競争というものを導入すると言っている。あるいは航空の問題がありますね。この問題も、私は原価主義とは言えないと思うんです。やはり航空運賃との関係で福岡の場合の運賃というものは考慮されていると思うんですね。あるいは貨物の場合でもそうです。貨物の、いまの車扱いは別にいたしましても、コンテナ料金というのは、明らかにこれは路線運賃というものを対象にして考えた料金ですね。したがって、原価主義とはいいながら、そういう重要な点については競争というものを導入をしてやっているということになりますと、私は総合原価主義というのは国鉄の場合には維持できないんではないか。これを維持しようとし、あるいは画一的な運賃をやろうとするところに、無理があるんではないか。したがって、先生はやはり国鉄が持つこの総合原価主義というものを堅持せなければならぬという御説明でしたが、その点についての関連を御説明いただきたいと思います。
  22. 中西睦

    公述人中西睦君) 私、総合原価主義を維持しなければならないとは申しておりません。現在国鉄はそれをとっている。それで、川口公述人からのお話もあったように、いわゆる旅客サービス貨物サービスというような大きな二本の柱から考えても、それを一緒にした形で今日国鉄はやられている。それは内部補助と私たちが呼ぶのでございますが、その内部補助の問題については非常に問題がある。私個人考え方は、いまも申されたように、貨物貨物、その貨物にもいろんな種類がございますから、そういうものを交通サービスの個別な、個々のサービス基準に基づいた個別直価主義に基づくべきであるという信念は私は持っておるわけです。
  23. 伊部真

    ○伊部真君 そうしますと、総合原価主義国鉄として維持することに非常に問題がある、そう言われるわけですね。
  24. 中西睦

    公述人中西睦君) そうです。
  25. 伊部真

    ○伊部真君 私もそう思うのでありますが、貨物が一千八百億も赤字を出していて、その負担を旅客にすると、明らかに中央線は係数、貨物を入れましても九〇、あるいは山手線六八、新幹線のごときは四〇台という状態でたいへんもうかっているところへ、またしても貨物赤字だからこっちへ持っていくというところに、私は非常に大きな問題があると思う。それからもう一つは、貨物がなぜ赤字を出すんだろうかという問題ですね。これは貨物のうちの自動車との競争に立つものは、コンテナ、あるいはフレートライナー、あるいは小荷物という問題がありましょうけれども、大きな問題としては、特に大きな赤字を出している原因というのは、私はやはり車扱い大宗貨物だと思うのです。大宗貨物になぜそれだけの配慮を行なわなければならぬのか。四十四年のときに、旅客運賃を一五%上げて、平均一〇%上げるんだと、こう言いましたが、国鉄の場合は貨物を上げなかった。今度の場合ようやく上げましたけれども、全体として一千八百億も赤字を出しているのに、なぜ国鉄貨物運賃を引き上げることに努力をしないんだろうか。これこそ、いわゆる先生のおっしゃるような個別原価主義を確立するためには、やはりここに力を入れるべきだというふうに思うのでありますが、私はその点は国民としても疑問だと思いますので、御見解をいただきたいと思います。
  26. 中西睦

    公述人中西睦君) その辺では、いまのお話と同じような問題点はあると思います。しかし、国鉄一つサービスを個々に原価計算をして線区別なり何なりやってまいりますと、国家の資源開発という面からどういう問題が出てくるかということで、いまやむを得ざる形で私は、個別原価主義をとるべきだと言いながら、それを調整することのむずかしさのゆえに、いまは総合原価主義貨物の場合にもとっていると言わざるを得ないだろうと思う。それで私は、今日の貨物赤字の源泉というのは、国鉄貨物投資に投資を行なうことのできないような現状の中で今日まで推移してきたということが言い得るだろうと思う。ことに、貨物駅を先生方が見ていただければわかりますように、荷馬車時代の貨物駅であることはもう間違いないわけでございます。今日のように、ことにマテハンと私どもが専門的に呼びますが、荷役量というものの上昇、アップはたいへんなものでございます。また、その労働力の獲得というものは非常にむずかしいわけです。そういう意味から言えば、いわゆるターミナル駅の整備というものは非常に重要になってくるわけです。そういうものが全然いままでなされていなかった。やはり私たちが、人間のほうが先に考えられてきたゆえに、通勤通学の整備というところにいままでの国鉄合理化というものが非常に強く出されている。最終段階、ここ数年のときに、初めて貨物輸送の重要性という意味で種々の問題が出されてきた。しかし、それに対する投資の資金も獲得できないような状況におちいっている。私はやはり、今日のように種々の交通機関がある場合には、荷主がそれを選択する、大衆であろうと、大荷主であろうと。そういう場合に、国鉄はそういう要請に合っていなかったというので、計画のとおりにその需要の伸びがなかったということも原因して今日の事態が起こったんだと思っております。
  27. 伊部真

    ○伊部真君 もう一つだけ、ほかの先生もあるようでありますから、最後にお願いをしたいと思うのでありますが、そうしますと、先生のおっしゃるように、貨物に対する——国鉄貨物だけではありませんが、物流全体に対する行政というものが非常に立ちおくれた、その中にある国鉄というものが非常に立ちおくれてきて今日の問題を起こしているということは、私も同感であります。しかし、だからといって、そのしわ寄せを今回のごとく旅客運賃に、国民にそれを負担さすということについては、私はどうしても理解できません。先生も議論の中には、貨物の問題についてはずいぶん詳しく言われましたのですが、必ずしも貨物運賃の問題については反対ではないというふうなニュアンスのお話でありましたけれども旅客については、今度の旅客運賃の値上げに転嫁さすやり方に対してはあまり明確ではなかったんでありますが、私は、先生の議論からいっても、当然にこの貨物問題点旅客に、国民に負担さすというやり方は好ましくないというふうに御主張なのかどうか、その点。
  28. 中西睦

    公述人中西睦君) それは全くそのとおりでございます。
  29. 藤田進

    ○藤田進君 関連質問。大学では流通経済を担当されているそうでございますが、時間がないのが非常に残念でございます、繰り合わしていただくことができないそうで。  そこで公述人にお伺いいたしますが、所論は結論的に条件つき賛成ということを明快に言われておりますわけですが、その過程では、いわゆる原価主義総合原価主義について論じられて、現在総合原価主義だが、若干疑義があると、自分としては。コストあるいは価格といったようなもののバランス、さらに人件費のアップといったようなことを述べられつつ、条件つきだと言われているのですが、どうもその条件がはっきりしないものですから、これをまず例示していただきたいと思うのであります。  それから、御所論を聞きますと、全体的に見て、どうもミクロ的見地のように思われてなりません。現在、私は、ティピカルな資本主義、自由主義という経済の運営、運行段階ではないように事実認識をいたします。そうなってまいりますと、ことにこの種コーポレーション・システムでは、もう少しソシアリゼーションが行なわれていきませんと問題があるように思うのです。国鉄を見ると、一体どこがポリシーボードの中心なのか、運輸省なのかあるいは一人の運輸大臣なのか不明確のままに、経営というものがどうもないように、いままで私ども若干の審議をしてまいりました。したがって、これをミクロで見て、全体の物価、ことに流通経済と対比した場合、これは問題があるように思うのです。したがって、われわれもにわかにこれに賛成できないのみか、これはどうも問題がある。ことに他の公述人が言われましたごとく、総合原価の中でもほんとうに大企業に奉仕されているようなことであります。  それから、この根幹をなしている再建計画は、今年一月十一日の水田大蔵大臣、丹羽運輸大臣、それに自民党の政調会長の小坂善太郎さん、それから自民党の国鉄再建懇談会座長の二階堂さん、これが基本になっていることは政府の答弁で明らかになりました。その第三に「運賃改訂」ということで、ことし改定をいたします。御承知のとおりの大きな幅でございます。同様に三年ごとにこれを改定することが明確になり、五十六年においては運賃改定の検討が約束され、その中に特に書かれているのは、通勤とかあるいは通学——通勤等とありますけれども、これは極力是正、増収を行なう、こうなっておりますために、ことにわれわれが運賃を論ずる場合に、もっとマクロ的見地からこれを見ない限り、問題が非常にあるように思うわけであります。この点が第二点です。いかがでしょうか。  第三点は、関連ですから簡単に申し上げますが、疑義があるという総合原価主義に対しまして、公述人は明快に個別原価主義を主張されているようにいま質疑で明らかになりました。個別原価主義は、今日いま問題は、電力でもそうですが、栃木県のような場合と東京都の場合ではキロワットアワーに対する価格というのは非常な問題があります。あるいはタクシーだってあるんじゃないでしょうか。密集地帯、ラッシュの時間とかありますが、ある程度総合原価主義のやむを得ざるという形が各社間でも認められておりますが、それにしても荷物と今度のような旅客がありますけれども、第三の質問は、個別原価をとる場合に、あなたの内容はどういう組み立てになっているのだろうか、個別原価のメカニズムを教えていただきたい。
  30. 小柳勇

    ○小柳勇君 関連して。私も六問余り提出しておりましたが、もう時間がないようでありますから、簡単に二つだけ質問いたします。  一つは、日本国有鉄道の独立採算制は、この際検討、是正すべき段階にあるのではないか、これが一つ。  もう一つは、日本国有鉄道の現在の収入では、貨物原価を割って赤字だといわれておるが、現在の貨物等級制度及び運賃率で妥当でしょうか、公共生産財の運賃を上げた場合経済的混乱を生ずるでしょうか、この二間だけを質問いたします。
  31. 中西睦

    公述人中西睦君) まず最初に、私自身がもしもとるとするならば、個別原価主義というのが非常にいい。いまのお話の中にもありましたように、それを線区別なり品目別なりにとってまいります。サービス水準ごとにとってまいりますと、これはたいへんなことが、ちょうどいまの御説明の中にもあったように、あるわけでございます。だから、やむを得ず企業というものが独立採算制を持ち、一つのものを持っていかなければならないとするならば、総合原価主義をある意味でとらざるを得なくなってくるわけです。しかし、国鉄の場合のように、私が疑義があると申し上げましたのは、お答えを申し上げたように、その割合の問題が非常に大きな問題がある。しかし、それはどのくらいであるべきかということについては、私自身もまだ結論に達しておりません。それから、私自身は、ミクロ的にはながめてはおりません。いわゆる私は物流のシステムというのは四つのシステムからなっているのだと考えます。一つ技術工学的なシステムであり、第二番目は、いわゆる制度のシステムがそれにどのように加わっていっているか。その制度の中に運賃料金制度があるわけでございます。第三番目は、それがいろいろな社会的な問題をかかえるときの投資も考えた場合の財政、金融、税制システムと私呼んでおりますものがあるわけでございます。第四番目に、地域住民との調整の意味で、地域システムと私呼んでいるものでございます。そういうものが調整ができてこそ、初めて私はほんとうの意味での体系システムができ上がるものだと考えております。だからミクロ的には考えてないわけです。ただ、岡田公述人からのお話が一番整理ができておると思いますけれども、やはり国鉄がいまのような形で独立採算制を課せられている以上、これは第二番目の方にも関連してまいりますが、彼らとしては、しかも今日のような、私が最初に申し上げたように、賃金アップや、いろいろな公共負担や、いろいろな形の中で公共負担に限度があるとすれば、これはそれで何らかの形で利用者負担、受益者負担という形でやらざるを得なくなってくるわけです。しかし、私の心の中には、今日のような公共負担というものは所得再配分との関連がございますけれども、それがいまの負担の形でいいんだろうか。私個人としては、いま非常に危機に入っているし、国鉄という体系は非常に重要である、わが国交通サービス体系において。とするならば、いまのような十年計画でなくて、私個人としては、一挙にいま解決しなければ、ますます問題が生じてくる。そういう意味での公共負担の増というものに対しましては、私は要請をしたい一人でございます。  それから、私自身が考えておりますもう一つの問題は、岡田先生も言っておられたように、物価政策との関連でございます。非常に物価の問題が、確かに宝田公述人や川口さんからも言われたように、国鉄がプライスリーダーである以上、交通サービス料金の、運賃料金のプライスリーダーである以上、これによって非常にいろいろな影響が与えられるわけですけれども、今日まで公共料金政策の規制の中において、非常に制限がとられたために、あらゆる交通機関、私たちにとって必要欠くべからざる交通機関が軒並みに経営が悪化し、今日の事態を招いている点の転換を要請しなければならない、そういう意味で私は条件つきで賛成せざるを得ないということになっております。
  32. 木村睦男

    委員長木村睦男君) 時間がなくなりましたが、田代君きわめて簡単にお願いいたします。
  33. 田代富士男

    田代富士男君 時間がないということで、十二時までという時間ですが、十二時でございます。それで聞きたいことは幾つかございますが、一点だけにしぼります。それは、川口先生からもお話がありましたが、中西先生のお話をお聞きしました中で、結論としては条件つき賛成、このように先生申していらっしゃいますが、その中で、今回の運賃値上げが国民生活にどういう影響を与えるかということにつきまして、他の物価の値上げに波及するんじゃなかろうかという、この点につきまして、中西先生は中西先生のお立場として、また御自身の持論もあると思いますが、現在の物価高というものは、国鉄運賃が上がったから上がるのじゃなくして、流通機構の問題が大きな原因であって、直接国鉄運賃が値上がりしたからさほどの影響はない、こういう意味にいまお話しされたと私は理解をしております。しかし、もちろん私は、流通機構の問題につきましては、私もいろいろな考えがありますが、今回の国鉄運賃値上げによる影響というものは、他の交通料金の便乗値上げを誘発することは間違いないじゃないかと思うんです。その証拠に、もう事実いろいろ料金値上げが出されておりまして、たとえて申し上げますと、通勤定期の例を申し上げますと、私鉄の場合と国鉄の場合との差額というものは、これはたいへんな差額になります。一例を申し上げますと、品川−横浜間の京浜急行の例でございますが、私鉄現行料金国鉄が値上がりしました料金の差額というものが千十円ほど出ます。
  34. 木村睦男

    委員長木村睦男君) 田代君、羽田に参りますので、なるべく簡単に願います。
  35. 田代富士男

    田代富士男君 それじゃ簡単に。そういうことで、私は影響が大だと思うんです。これはもちろん、今回の運賃の内容を調べてみますと、長距離の貨物運賃につきましても、長距離逓減制というものがなくなっておりまして、こういうことで、北海道の例を見ましても、たいへんな値上がりになります。それが値上がりになりますと、生産価格にもすべての影響を与えてまいりますし、そういうことで、先生のいまのお話にちょっと私は異論がありますけれども、その辺いかがですか。私は、先生はあまり影響はないとおっしゃっていますが、大いに影響があると思うんです。
  36. 中西睦

    公述人中西睦君) いまの便乗値上げの問題やその他の問題が入ってまいりますと、これはいろいろな波及効果が出てくることは間違いございません。しかし、その辺はやはり先生方に御努力していただいて阻止していただく以外にないと思います。  それで、統計的に調べてみますと、たとえば米だとか、大根だとか、アジだとか、みそだとか、われわれの消費財に非常に関係のあるもの、これが四十一年から四十五年までどれだけ価格——価格ですが、卸売り価格でどのくらいの割合を占めてきたかということを、ちょっと一つの例でお答えいたしますと、四十一年に一・三だったのが、ずっと下がりまして、四十三年から四十五年までは一・一%ぐらいになっているわけでございます、鉄道運賃が。それから大根で見ますと、これは四十四年までしか出ておりませんが、私の調査したところによりますと、卸売り価格に対しまして、四十一年に一九%の割合を占めていたものが、四十四年度には一四・七%と下がっているわけでございます。それからアジで見ますと、四十一年が五・二%占めていたものが、二・三%に四十四年になっているわけでございます。みそで見ますと、二・二%だったのが、四十五年に一・六%という形になっております、消費財の場合。生産財で、鋼材だとか、セメント、揮発油というのを見ましても、これのほうの下がり方が四・三から三・五、鋼材の場合ですね。それからセメントの場合の一一・二が一一・一、一・六が一・五という形で、この運賃というものの占める割合が、物価の中で占める割合の上昇率に比べて、かえって低減しているという一つの事実があるわけでございます。そういう中で考えてまいりますと、なぜじゃ物価が上がっていったのかという問題で考えてまいりますと、そこに非常に、やはり私たちが調べてみますと、買い取り価格五円のアジが、東京に来ますととたんに百十数円になったりする。その一つのプロセスの中で、商取引のマージン率の問題だとか、その商取引の機構だとか、そういうものに非常に大きな問題がある。私も時間がございましたらほんとうにその辺で長くお話したいんですけれども、そういう形があるわけでございます。だから、私自身は、いまの先生の言われるように、全然影響がないと言っているわけではございません。いまの所得の上昇の過程、水準の関連からいって、また歴史的にながめてみた場合、そして物価というものと、われわれの中に占める割合で見たときに、その負担率というのはわれわれが考えるほどの負担率にないんだというところに私の一つの根拠があるんだということでお答えにさせていただきたいと思います。
  37. 木村睦男

    委員長木村睦男君) 中西公述人、たいへんどうもありがとうございました。  午前の質疑はこの程度とし、午後は一時十分再開いたします。  これにて休憩いたします。    午後零時七分休憩      —————・—————    午後一時十九分開会
  38. 木村睦男

    委員長木村睦男君) ただいまから運輸委員会公聴会を再開いたします。  午前に引き続き質疑を行ないます。質疑のある方は順次御発言願います。
  39. 伊部真

    ○伊部真君 いまそれぞれ公述をいただきました中で、国鉄赤字の大きな原因というのは、やはり大きく分けて三つに分けられるのではないか。一つは、設備投資が妥当であるのかどうか、あるいはそれに伴う金利償却というのが合理性を持っているかどうか。もう一つは、貨物がたいへんな赤字を出している、これも一千八百億ぐらいの赤字ですね。いわば今度の運賃値上げの大半はそこにつぎ込むのだ、ちょうどそれとイコールしているわけなんです。こういう問題についてどうなのかということだと思います。  それからもう一つは、やはり公共性という意味で、いわゆる赤字線等の合理化政策というのが妥当かどうか、こういうことだと思うのであります。私はその意味で、まず先生方にお聞きをいたしたいのは、償却の問題、その投資の妥当性というのはいろいろあろうかと思いますけれども、いずれにしても、新幹線、あるいは大都市の開発、あるいは地域の開発という問題を考えますと、やはり国民の足でありますから、あるいは国の開発計画とも関連するわけでありますから、当然に投資すべきだと思うのであります。相当に投資が必要だと思うのでありますけれども、しかし、その投資された額が、それがいまの時代のいまの利用者に負担をさせるべきなのかですね。たとえば新幹線、あれだけの土地を購入するということになりますと、相当な、額だと思うのであります。それは将来ともの国民が受けるべき利益というものを計算をして、そうしてあれは設備投資したと思うのであります。したがって、税法上いわれるような償却のしかた、あるいはいまの土地購入による金利負担というのが、いまわれわれ利用している者が負担をすべきものかどうかですね、これは非常に疑問だと思うのであります。そうでないとしたら、そうでないものをわれわれいまの利用者が、いまの国民が全部負担するというのは、私はどうも通らないような気がしております。外国なんかでは、特にフランスなんかでは、その意味で、線路だとか、あるいは信号だとかいうふうな、いわば永久的なものとして国の財産として所有すべきものは当然国が持って、それの使用料を、まあ適当な額を国民に、あるいは国鉄といいますか、鉄道に負担させるというような制度をとっていると思うのであります。日本の場合にそういう形をとりますと、国民の負担といいますか、いまの運賃値上げというのは必ずしもいまこれだけのものが必要かどうかということに関係が出てくるように思います。そういう点について先生方の御意見をいただきたいのであります。できましたならば、それぞれ先生方全部にお答えをいただきたい、こう思います。
  40. 木村睦男

    委員長木村睦男君) それでは池田公述人から御答弁を願います。
  41. 池田博行

    公述人池田博行君) ただいまの御質問ですが、ちょっと聞き漏らした点があるのですが、第一点は設備投資の内容の問題と理解してよろしゅうございますか。——この設備投資は、先ほどちょっと申し上げましたけれども、確かに国鉄が、これはもう明治以来と言っても差しつかえないと思うのですが、政府の出資がきわめて少ないいというのはすでに御存じだと思うのです。非常に下世話なたとえばかり引いて申しわけないですけれども、後家のがんばりのような形で戦前も戦後もちびちびかせいだ。そのちびちびのかせぎ方は、先ほどから問題になっているところの旅客運賃の引き上げ、大衆負担という形で行なわれてきた。その蓄積資金でもって国鉄の生産能力あるいは生産能力の拡大をはかってこられた。これは、確かに国民としては、個別資本が国家政策を代行させられているという意味では、きわめてお気の毒といいますか、非常におかしな事態だと思うわけです。したがって、今日の国鉄におけるまず設備投資の金額の点においては、むしろ少な過ぎるということも言えると思うのですが、ただし問題は、先ほどからこれは運賃値上げに賛成なさる方々のほうからの発言もありましたように、内容がきわめて問題があると思います。先ほどの家畜以下の輸送のごとき状況を、これもどなたか国鉄の当局者のおっしゃったことですけれども通勤通学輸送というのは、数字を見るとおわかりのように、旅客数において総旅客数のうちの三分の二である、しかしながら運賃収入は三分の一である、したがって、国鉄経営あるいは国鉄を運営する責任者の立場においては、これに投資をすることはきわめて問題がある——つまらぬということでしょうね、そういうふうなことをしばしばこれは発言されているように見受けます。したがって、この設備投資の内容をもっと客観的に合理的だと思われる方向、そういう政策の選択をもう一ぺん振り出しに戻って、いわゆるわれわれが何のために生きるかとか、何のために経済生活をやっているかという原点からもう一ぺん考えていただきたいものだと思うわけです。この問題は、先ほども冒頭陳述のときに保留しましたいわゆる社会資本、特に狭義の場合は社会資本というものは交通・通信業であるという——これは俗説だと私は思うのですが、そういう俗説がありますけれども、とにかく社会資本体系、特にいわゆる公共的な、そういう交通・通信機関というのはきわめて公共性に富むものであるという表現がよく使われるわけです。それで、その公共性とは何かというと、御存じのとおり、不特定多数のものに対するところの生産物ないしサービスの供与を与えるからであるというようなことをいわれるわけですが、これもきわめて疑問があります。そういうふうな立場でもっていまの国鉄の営業政策が行なわれているかどうかということはたいへんな疑問がある。これは毎日の通勤、退勤のときにわれわれは身をもって感じている時代ではなかろうかと思うわけですが、それで、最初の伊部先生の問題の設備投資の内容の点に関して、ちょっと公共性の問題を御説明しておきたいと思うのです。これはきわめて輸入された俗説が多くて、問題が多いと思うわけです。それで、社会資本とか交通業とかいうようなものの公共性は何かというと、これは大阪市立大学の宮本という先生も言われていることなんですが、一つは、役割りとしては、国民大衆生活に直結するサービスないし生産物を供与するという役割りを持っている、一面ですね。それから第二面は、もう一つは、一国の国民経済における経済生活のために、いま申し上げましたような有形無形のサービスなり生産物を供与するということにおいて、特にここで問題にするのは、交通業の公共性が存在するのだということをいわれるわけです。ところが、これは経済原論の講義をイロハからぶつようで申しわけないのですが、特定の生産物とか、あるいは商品と言いかえてもいいわけですが、あるいは無形のサービスの、その使用価値が、国民生活日常生活にも密着し、同時に資本あるいは企業の経済生活にも役に立つという、そのような使用価値の二重性を持つところの生産物ないし商品というものが——これはそうじゃないところの生産物ないしは商品を数えたほうが早かろうというのが経済原論のイロハでございます。したがいまして、じゃあなぜ国鉄をはじめとするそういうふうな交通機関が公共性を持つかといいますと、これはほかならぬ今日のような自由主義的な資本主義社会においては、特に総資本的な観点から、これは特定な個別産業や個別資本に役立つばかりでなく、総資本的にそれが役に立つから、これは公共性があるというふうな事柄が踏まえられているわけです。したがいまして、私ども立場として経済学的に考えますと、これはむしろ公共性というのは、国民の生活に密着する役割りを果たしているから、公共性というものを、ことばを使うならば考えるべきだ。つまり、国民の命と生活を守るために直接に役立つものだ、これが第一義的に先に問題にされなければならないと思うわけなんです。ところが、ちょっと時間が長くなって申しわけないのですが、運輸省からいただきました「日本国有鉄道の財政の再建に関する基本方針」という印刷物でございますが、これの五ページの「管理体制の近代化」というところの一番下の行ですがね、たとえばこれは「日本国有鉄道が国民経済及び国民生活の基盤として」という表現ですか、ことばじりをつかまえるわけじゃないんですが、まずこの「国民生活の基盤」というほうを先に出さなければならないんじゃないかと思うわけです。これは関連して言いますと、今日もう陸も空も海も危険で一ぱいだという状況であるのは毎日の生活の中で日常化している状況にあるわけですが、それで私の申し上げたいことは、こういう国民の命と生活に密着するような、つまり慣用語として使われるところの公共性というものを認めるならば、そのような役割りを果たすところの交通あるいは総じて社会資本というものに競争原理の概念を導入してはいけない。これはいまそう言うと、空理空論で、オン・ペーパーの考え方だとおっしゃるかもしれませんが、先ほどから言いますように、社会的にも非常に人間の命が粗末になって、私など、個人的なことを申し上げて恐縮ですが、先ほどの戦争で引っぱり出されまして、傷痍軍人という立場では、そういうきなくさいような状況になるということは、きわめてまあ憤慨にたえないわけですが、したがいまして、その公共性ということばを使う以上は、まず競争原理を導入しないようにすること。これは確かに、先ほどから宝田さんなんかの話の中にもかなり、これはたしか岡田先生あたりから問題提起されたことと思うんですが、学会でですね、イコールフッティングの問題もありますけれども、もちろん理論的にイコールフッティングというような形で企業活動を自由競争の中でやる以上は、そのイコールフッティングという基盤を与えることは重要だと思うんですがね、もう一歩進めまして、私はそういう競争原理を適用することはおかしい。つまり、理想概念というものを持ち込むことは、これはきわめて国民として——私も主権者の一人としてしゃべっているつもりなんですが、けしからぬ話だと思います。たとえば、これは私が直接聞いたわけじゃないんですが、この間の飛行機の事故以来、たとえば東京−札幌間の飛行機の便数が非常に減りました。ですが、その以前においては、たとえばその名前をあげてあれですが、全日空さんがほとんど日航さんと十五分ないし二十分ぐらいの差でもって発着していたと思うわけですが、大体一日二十五便ぐらいずつ両社で飛んでいたように記憶しております。たまたま、おくれて出発した全日空が途中で、ただいま先発の日航機を抜きましたとスチュワーデスが機内放送をやったということを聞いた友人がおるわけですが、こういうのはおかしい。なぜそういうことをしなきゃならぬのかというと、御存じのとおりに、確かに飛行場が狭いというようなまた別な問題がちょっとございますが、先着の飛行場の近くに来たものが管制官の指示を得て先に着陸できる。したがって、そこで一分なり二分なり上空で旋回すると航空揮発油の消費量がふえる、こうなると乗務員のボーナスにも関係するというようなことで、そういう経営体制が行き渡っておって、途中で抜くというようなことをやる。こういうことは、やっぱり交通機関のあり方としてはおかしいのじゃなかろうか。したがいまして、理論的には一挙にこれを実現することはむずかしいと思いますが、公共性という看板をおろさない限りは、どうしてもその自由競争原理というものはやめるべきであると思います。そして、それと同じような現象国鉄でもあちこちで展開されておるわけで、したがいまして、今度の運賃値上げで国鉄の財政が再建されるというのは、これは、おそらくは、私の想像では、国鉄の当局の方も自信はおありにならぬだろうと思います。これは総合的な国家的な交通政策というものが、ビジョンというのは夢という役もあるので、もっと具体的な計画に基づいて樹立され、その中の一環として国鉄の陸上交通における役割りの位置づけをはっきりしなきゃならないというように思います。この点は、今回の国鉄運賃の値上げに賛成なさる方々もかなり条件づきのようなニュアンスがはたで伺っておると聞こえるわけです。たとえば、運賃を上げても物価体系あるいは生活費にあまり響かないというようなことを言われますが、確かに物価体系に対する貨物運賃の値上げが響かないとすると、これは前々から問題になっておりますように、貨物運賃をさらにやっぱり引き上げることも考えるべきであろう、そういうふうなことも言えることになるんじゃないかと思うわけです。まあもうけられるところからがばがば取れという政策でいくんだということになりますと、これは先ほどの風が吹けばおけ屋がもうかるという論法でいくと、この間のテルアビブのああいう若い学生、旧学生諸君の暴走も、風が吹けばおけ屋がもうかる論法でいきますと、これは国鉄の責任もかなりあるというようなことになりかねないと思うわけなんですが、その辺が、いまの御質問の設備投資の内容について、やっぱりもう一ぺん原点に立ち返って考えてほしいということの私の個人考え方一つです。  第二の償却の問題ですが、これは私はなはだ申しわけないんですが、会計学、簿記というほうに非常にうとくて、勉強が足りませんので、この減価償却のあり方というものに対する研究、国内におけるあり方、あるいは諸外国におけるところの先例というようなものを踏まえておりません。ただし、先ほどもちょっと申し上げたように、昭和三十九年度に改正されたところの償却方法というのは、もうきわめてあっけにとられて形容することばがないというようなことを私ども学校においても学生諸君に説明しているわけですが、これはきわめて問題のある事態じゃなかろうかと考えます。  それから、償却問題も踏まえてですが、先ほども質問の中にもありましたけれども、土地の問題、それから設備投資におけるところの投資そのものの先行投資であるかあるいは隘路投資であるかというような問題ですね。これも、先ほどちょっと申し上げましたように、結局、特に歴史的に運賃値上げを踏まえて蓄積し、今回またさらにそれを引き上げて資金を蓄積した上でもってやろうという投資におけるところの先行性の方向が、やっぱりきわめて国民大衆生活反対方向にいくものじゃなかろうか。これは先ほどから貨物の運行、運賃旅客輸送の業務のあり方、運賃の引き上げ方について申し上げたところと重複するわけで、その辺は省略させていただきたいと思うわけですが、先ほどの総合的な交通政策ということで、野放しでもってモータリゼーションが片一方で行なわれておる。これは四十四年度のときにも申し上げたんですが、穴のあいたバケツにどんなに水を入れても、これはちょっとたまらぬだろうと思うわけです。  第三番目、第四番目の伊部先生の質問、ちょっと失念したもんですから、あらためてもう一ぺんおっしゃっていただけば、お答えしたいと思います。終わります。
  42. 川口弘

    公述人(川口弘君) まず第一に、設備投資の内容の問題でございますけれども、これには二つ問題があるかと思います。一つは、具体的などういう方面に設備投資をやるかということ、一つは、その資金の調達のしかたの問題、二つあるように思います。あるいは、さらにその設備投資資金の負担の問題を加えたら、三つというふうに申し上げていいかと思います。  まず第一に、設備投資の方向の問題ですけれども、これは私も、国鉄が公共事業であるというたてまえから申しますと、何よりも国民大衆の利益に直結する分野の投資を優先させるべきであるというふうに考えております。したがって、大都市における通勤通学輸送施設の改善投資これが最優先されなければならないのではないかというふうに考えるわけです。また、それに付随しまして、地方の過疎地帯における最低必要な輸送機関、交通手段の維持ということもあわせて考えられなければならないように思うわけであります。ところが、この二つのものが、今回の再建計画の中ではむしろ軽視され、特に地方の閑散線の場合には、これの廃線化の方向にかなり強く推進していこう、こういうような考え方があるわけでありますけれども、実は値上げ問題に反対いたします一つの根拠は、その値上げを契機として行なわれる国鉄の事業の改善の方向が、そういう形で一番必要な投資をネグっているというところに、私の反対理由の一つがあるわけでございます。それに比べて、新幹線投資と一それから貨物輸送の近代化の投資、これが非常に強められてくるわけでありますが、新幹線の問題は、一面では、非常に旅行が短時間で快適にできるというような点で、国民の利益に合致する面もあるわけですけれども、しかし、われわれは、必ずしもすべての旅行にそれほど短時間で行くことを要求するわけではないわけで、むしろ時間がかかってもコストが安く済むような旅行のしかたを要求する、こういう要求も国民の中にはたくさんあるわけです。ところが、新幹線ができますと、ローカル列車の数が減らされるとか、あるいは普通急行の本数が削減されるとか、こういう形で、場所によっては、地方の高校生が通学の便宜を奪われてしまうというような問題も出ておりますし、それから、われわれにしましても、ほんとうは安く済ませたい旅行でも、無理に高い新幹線に乗らなければならないと、こういうような形で、かえって不利益になるような、そういう側面もあるわけであります。しかし、それよりも、この新幹線で非常に大きな収益をあげて、たとえば七二年度の予算でも、運賃収入で五百四十一億円の黒字をあげて、これを投資のほうに回していくわけですけれども、そういうような大きな収益をあげるために新幹線投資が促進される、こういうような面があります。そして、その黒字を投入して、大企業を中心にした貨物輸送の近代化に投資をしていこうと、こういうような側面があるように思われるわけであります。もちろん、貨物輸送の近代化ということも、国民経済的に見てゆるがせにはできないわけでありましてい特に経済の地域構造が変わってくる中でそういう投資が必要な面があることは私も認めるわけでありますけれども、しかし、大衆に密着する投資をおろそかにして、そして旅客運賃の黒字をあげて、このような投資に振り向けると、こういうようなやり方には、納得がいかないわけであります。  こうしたことが必要になりますのは、一つは、貨物運賃コストに比べてかなり低く押えられていくという料金政策の不合理性が影響をしているわけでありまして、その点を是正し、なおかつ必要なものは政府の助成によって投資を行なっていく、こういったような考え方をとっていただきたいというふうに思うわけであります。これが投資の実体的な内容についての私の考え方であります。  次に、投資資金の調達及びそれの負担の問題でありますけれども、私は、第一に、国鉄のように、全国的に、したがって当然ある意味では赤字路線も、シビルミニマムを維持しなければならぬという観点から言えば、維持する必要がある。そういうような任務を負っている国鉄の場合には、その設備投資資金は、外部資金調達に大きく依存すべきではなくて、主として財政資金からこのような投資を行なっていくべきであるというふうに考えます。そうすれば、利子負担の問題などは解決することができるわけであります。その点、現在非常に不十分であります。実は、四十七年度の予算では、かなり抜本的に一般会計からの助成が予定されておるわけでありますけれども、ここ十年ぐらいの前からずっと見てまいりますと、いままでの政府助成のしかたが諸外国に比べてもうきわめて少ない。そういうことが累積して今日の矛盾が起こっているわけでありますから、四十七年度の予算に相当額の助成が掲げられているからといって、それで問題が解決の方向に向かうというふうには考えられないわけであります。その点で、もっと助成を飛躍的に大きくしていただくということが必要であり、特に利子負担は全額財政資金で行なっていただきたいというふうに考えております。  三番目に、現在の設備投資の資金を現在の利用者が負担することが正しいかどうか、こういう問題でありますけれども、原則的に言って、それはおかしいと思います。やはり、将来その設備ができて、そしてその設備を利用する者が負担するというのが正しいやり方だと思うわけであります。ただ、その意味では、減価償却費につきましては、これは過去の設備投資をその設備投資の結果を利用している者が負担するという意味で、適正な償却でありますならば、当然利用者が負担してよろしいかと思います。ただ、その償却のしかたについていろいろ問題がありまして、特に私が先ほども指摘いたしましたのは、いろいろな形で早期償却が行なわれている。早期償却というのは、民間企業の場合には、特に技術革新が非常に急速ですと陳腐化がひどいですから、ある程度はやむを得ないと思うんですが、国鉄のような公共企業の場合にはたしてその必要があるかどうか。その意味で、過大償却が行なわれて、これがコストとして計上されながら、剰余金の大きさに影響を与えていくというようなことは、非常に問題であろうかと、こういうふうに考えております。  簡単でございますが、設備投資の問題につきましてはこの程度にいたします。私耳が悪いものですから御質問を全部聞き取れなかったもんですから、設備投資以外で何かお答えしなければならぬ問題ありましたら、ちょっとおそれ入りますが補足していただけませんでしょうか。
  43. 伊部真

    ○伊部真君 けっこうです。
  44. 岡田清

    公述人(岡田清君) 先ほどの伊部委員お話を私なりに解釈いたしますと、赤字原因が三つあったと御指摘がございました。これは、貨物赤字のようないわゆる輸送構造的なあるいは輸送市場の問題に関連する問題及び公共性のようないわば政策にかかわるような問題、それに最後に金利の問題、償却の問題というような制度にかかわる問題、こういう三つの問題の御指摘がございましたが、さらにその背後に外部的な原因がやはりあるというふうに見ております。  その第一の原因は、一般にいわれますように、自動車その他の競争的な交通機関との競争において若干——若干といいますか、とにかく不利化の方向に向かったと、これが原因であることは言うまでもございません。それから第二の原因は、立地政策が不十分であったために過密過疎化が進行していった、このことが根本的な原因である。その二つ原因のうちどちらを重視すべきであるか、国鉄にとって最も大きな原因はどちらであったかといいますると、立地政策の貧困のほうに私は原因があったと見ております。したがいまして、外部的な条件をまずできるだけ直すようにすることが最も望ましい赤字対策になり得るというふうに考えております。それから第二点の償却問題について、つまり内部的な条件としての、制度の問題としての償却問題をどう考えるかという点でございますが、この問題につきましては、現在の公社という制度の中で、償却問題を考えるのはむしろ当然であるというふうに感じております。しかしながら、先ほど川口先生からお話がございましたように、償却を長短期間配分をどういうふうにやるかという問題につきましては、これは非常に複雑な内容がございまして、トンネルのように非常に長期の耐用年数のものから、非常に短い線路のようなものに至るまで、非常にたくさんのものがございますので、その辺の調整問題について、制度上いかに改めていくかという問題はなお残っているかと思いますが、いずれにしましても、償却問題は当然考えるべきものであるというふうに感じております。  それに関連しましてちょっとだけ申し上げますと、イギリスの一九六一年の国有企業白書の中に、これは労働党政権のもとで国有企業のあり方について償却問題をうたっているわけでありまするが、この問題につきましては、償却も含めた余剰をカバーするような料金政策が最もパブリック・インタレスト、公共性にかなうものであるという立場をとっているのです。そういうことをちょっと補足的に申し上げて、簡単でございますけれども私のお答えにしたいと思います。
  45. 宝田善

    公述人(宝田善君) ことしに入りましてからのダイヤの改正で、ローカルの線が、通勤ができないとか通学ができないということで、実施後すぐに手直しが行なわれたことは、御承知のとおりであります。で、先ほど別の公述人が申し上げましたかと思いますが、公共資本ということの概念ですね、これについて、たとえば大阪の宮本さんの場合には、大衆的な共同消費手段というものを非常に重視をされている論文を発表されている。そういう意味で戦後の経済成長というものを振り返ってみますと、総じてそういう分野が貧困であった。消費生活とか賃金というものは、経済成長過程から見ますと相対的におくれておりますけれども、どちらかといえばむしろ上昇ぎみであったのに対して、大衆的な共同消費手段のほうは、むしろ絶対的にと言っていいほど悪化をしてきている。交通は、消費需要のほうから見ますと、絶対的に悪化をしてきている。その最たるものは、実は交通問題であります。われわれは、そういうことを考えますと、むしろ戦後の国鉄私鉄等々は、大衆的な共同消費手段に対する投資はおくれてきたと言わざるを得ない。日本の資本蓄積の発展テンポに対しまして相対的にむしろ落ちてきたからこそ、今日、いろいろな社会資本、特に共同の消費手段の貧困化が問題になってきているわけであります。そういう意味では、むしろ、われわれが要求している国民の生活が前提としています交通手段に対する投資は、絶対的に悪化をしてきているというふうに判断ぜざるを得ないと思うのです。  で、この投資——どこに投資とすべきかといったときに、いままでの運輸省あるいは国鉄当局の提案理由、そこには何にも根拠がないではないか。通勤対策に五千億だというけれども、この根拠は何であるか。それは、混雑率をこの程度にすればよろしい——それを見ますと、先ほどの豚の例ではないですけれども、ほとんど戦後、解消と言えるような問題ではない。で、企業ベースに立ちますと、先ほども言われましたように、そういう投資誘因というものは全くないのであります。むしろ、もうかるところ——都市間交通をどうしようとか、新幹線でどうしようとか、経営ベースから考えれば確かにそうでありますけれども、国民の共同消費の手段である交通というものは、そういうふうに考えれば、一番危険なところをどうするか、一番必要度の高いものをどうするか、代替のきかない生活手段としての改善をどうするかというところに、むしろわれわれは通勤輸送とか過疎のローカル線とかいうものに対する投資の根拠を見つけなければ、根拠はないのではないか。企業ベースではそんなものはマイナスであります。だから、一体、今度の長期の再建計画とか運賃値上げでは、どういう理由でこの程度の通勤対策とか、どういう理由で過疎線を切るかということをもう少し明示をしなければ、国民の前に問題を出したことにならないだろう。あくまで私は長期的な考え方が問題だ。運輸省、あるいは政府、あるいは国鉄当局の基本的な考え方、姿勢に問題がある。福祉国家への発想の転換ということがいいま政府のはやりことばですけれども、そうなっていないというふうに考えざるを得ない。そのことは、ダイヤ改正の例だけではなくて、いまの沖繩を見るとよくわかるのです。沖繩というのは、御承知のように、鉄道がありません。バスでやってきたわけですね。で、それにもかかわらず、沖繩のバスの状態というのは非常に悪い。バス自体がぼろぼろであります。沖繩というのは、県民所得が本土よりも格段に低いにもかかわらず、実はマイカーが非常に普及をしておるのです。非常に低賃金の勤労者がマイカーに乗っているわけです。一ぺんマイカーがそこまで入ってしまいますと、鉄道がないから、バスが貧困だから、マイカーしか通勤できないじゃないか、用が足せないじゃないかということで、本土よりも低い所得の中でマイカーを使っていますと、今度はバスが営業が成り立たない。悪循環が起きてきているわけであります。したがって、大衆的な共同消費手段というものは、特に交通の場合には、一ぺんそういう悪循環を起こしてしまうと、二度と回復ができない。ローカル線というものは、一ぺん撤去してしまうと、これはなかなかつくることは不可能であります。そういうことを考えますと、これから十年の計画というものの中に、われわれは政府とか運輸省が何を考えてこういう長期的な計画をつくったかわからない。もっと責任のある提案理由というものを、運賃法の改正なら改正にちゃんとつけるべきであります。きわめて紋切り型の提案理由しか書いてない。そのことは非常に問題だと思うのです。  それから二番目の償却の問題でありますけれども民間企業の場合には、償却というものは実は一つ企業の中に幾通りもあるのであります。これは御承知のとおりです。一つは、大蔵省とか株主に出すやつですね。公式の財政バランス表に出てくる減価償却であります。銀行に出すときは、これとはまた別のものを出すわけであります。それは金を借りるときに都合のいいような計算をしまして減価償却を出している。それから、中ではまた別の計算をやっているわけであります。御承知のように、戦略産業として高度成長をしてきました企業の場合には、およそ三年とか五年ぐらいで事実上の償却をしてしまう、そういう内部計算をやってきているはずです。また、税金の上からは、法定の償却制度を持っている。こういうふうに、一つ企業の中でも実は幾通りも減価償却をやっている。われわれはともすれば税法上の減価償却というものだけでものを見がちでありますが、民間企業の場合にはそれだけではないのであります。そういう例を横に置いて、国鉄減価償却というものはいかにあるべきかということを考えますと、しろうとの考えでありますが、これは公共的な輸送手段であると考えれば、減価償却というものは内部計算でよろしい、実態論に立てばよろしい。鉄橋はもつだけの期間で償却をすればよろしい、実態に合わせて償却をすればけっこうだと思うのであります。先ほど岡田公述人が申し上げましたように、たいへん複雑だそうでありますが、複雑であればあるだけ、詳しい減価償却表というものをむしろわれわれに知らせてもらえれば、それについてまた意見を申し上げたいと思うのです。むしろそういう減価償却現行のリストと根拠があまり国民の前に知らされていないということのほうが問題ではないか。加えて、前回償却率が早められたとするならば、その理由もこちらがむしろ聞きたいと思うところであります。言いたいことは、いまの収益ということに合わせて償却率を動かすということは実態的ではないと言わざるを得ないのであります。  結論として、当然公共的な輸送手段というものは本来国家資金でやるべきである。特に長期資金ですね。設備投資とかその他の問題はそうであります。あとの利用については、運営は国鉄がやろうと、私鉄がやろうと、これは運営体でありますから、その背後にある国家というものがまずわれわれの最低の生活条件というものを設営すべきであります。したがって、長期資金というものはそれでやるべきである。それを前提にして運賃という問題を考えるべきだ。あと詳しいことは、日本の将来の生活上の大衆的な消費手段の一部としての交通手段ですね、特に国鉄というものを一体日本政府はどう考えるかということによって、いろいろな償却のしかた、あるいは投資のしかたというものはあり得るだろうと思います。とにかく現状については、われわれは根拠が不明確であると言わざるを得ないのであります。以上です。
  46. 木村睦男

    委員長木村睦男君) ちょっと申し上げますが、質問者も非常にたくさんおられますので、質問なさるほうも、御答弁いただきますほうも、できる限り圧縮してやっていただきたいと思います。
  47. 伊部真

    ○伊部真君 いまお答えをいただきました中で、大体私どものほうも、民間における、あるいはいま税法上における償却というのが、国鉄の場合に適用してそのままでいいのかどうかということは、非常に疑問だと思うのでありますが、そういう意味でお答えをいただきましたのでよくわかりましたが、そこで岡田公述人に私は御質問申し上げたいと思うんですが、先ほどの御意見で、利用者負担は原則としてやむを得ないだろうというふうな意味で、今回の運賃値上げについても、それに沿った御意見だったと思いますが、ただ私は、国鉄の場合は、国鉄の性格、任務からいって、やはり公共性というものを第一義にするわけであります。これとやはり採算制というものについては、必ずしも両立しないというふうに思います。その場合に、国鉄は何の尺度でもって経営をすべきかといえば、やはりまず公共の福祉ということが第一番の尺度でなければならぬと思うのであります。国鉄法の第一条によりましても、能率的な運営によりてこれを発展せしめ、もって公共の福祉を増進することを目的とすると明確になっているわけです。そういう意味では、私は当然に一国鉄というのは、やはり採算というよりも、国民の財産、国民が利用すべきものだ、国民の福祉のためにまずやらなければならないだろうというふうに思うわけです。  そこで、具体的になりますが、そういう意味国鉄は多くの公共負担を持っていると思います。たとえば通学割引の問題だとか、あるいは通勤着の問題とか、農産物の割引の問題新聞の割引の問題、そういう意味では多くの公共負担というものがあるわけです。それに加えて、やはり地域開発という意味で、地方閑散線の問題、これもやはり国鉄の持つ性格だと思います。これはやはり、私は端的に申し上げたら、いまの地方の線路というのはもはや国民の生活の中に入ったものだ。道路、水道と同じものだ。もう日常使っているもの、それをいま取るということは、私は国民生活を破壊するものだというふうにも思われるわけです。いずれにしても、そういう公共負担というものがあるので、この金額は総体的に一年間どの程度だろうか。この間国鉄のほうで聞きましたが、当局のほうでもお答えになりましたのは、大体合わせて七百億ぐらいだろう、こう言われるわけです。そう仮定をしましたらですね、この分は当然にこれは原価の中からちゃんと計算をして、そして利用者共存、いわゆるイコールフッティングの問題でも計算の中に入れなければならぬと思います。  それからもう一つは、料金問題のイコールフッティングをもしも考えた場合、国鉄のいまの公共負担と同時に、国がそれらに対するどれだけの補助をしているかということについてのやはり計算も考えなければいかぬと思います。そういう意味では、私はいまの国鉄公共性に合わしての国の負担額というのはかなり少ないんではないか、こういうふうに思います。たとえば、港湾の整備五カ年計画でいきますと、四十六年から五年間で二兆一千億、それから空港整備で五千億、道路整備で大体十兆円、年間にいたしますと、これは道路で二兆円、空港整備で一千億、あるいは港湾においてもこれは大体四千億ぐらいのものであるわけですね。いまやっぱり競争原理、競争の相手というのは、トラックなり、あるいはいわゆる国内航空という問題でありますが、そういう負担を当然に行なって、その妥当性という中で、やはり運賃の問題にしても、利用者負担の問題も検討しなければならぬと思います。そのことの前提がなしに、利用者負担ということになりますと、貨物赤字を出している、貨物利用者が負担するならいいんですよ。そうでない、利用者でない者が、いかにも総合原価主義というような名のもとに、利用者以外の者が、いわゆる当然膨大な黒字を出している新幹線を使っている人たちや、山手線や中央線、満員ですし詰めで、半額以下で大もうけしているところの利用をしている利用者に、またしても運賃の値上げをしていく、これがほんとうの利用者負担の姿なんだろうか、あるいは妥当な基礎に立った競争ということが言えるんだろうかというような気がいたします。そういう点について、ひとつ、利用者負担が当然、あるいは競争原理という点についても今度の値上げはやむを得ないだろうということをおっしゃった岡田公述人の御見解をいただきたいと思います。     —————————————
  48. 木村睦男

    委員長木村睦男君) この際、委員の異動について御報告いたします。  本日、片山正英君が委員を辞任され、その補欠として梶木又三君が選任されました。     —————————————
  49. 岡田清

    公述人(岡田清君) いまの御賃問二つあったかと思いますが、一つは、国鉄は公共の福祉に役立つような意味での公共性を持っている、こういうふうに判断すべきではないか、こういう御質問一つであったと思います。したがって、政府が補助を入れるべきであるということがそれから推論されてまいります。この点につきましては、いろいろな比喩ができますけれども、たとえば、はたして国鉄を使っている人がすべて公共性の高い社会的な利用をやっている人たちであるかということになりますと、非常に問題がございます。といいますのは、私のような者でもやはり税金を払っておりますのに、国鉄を使われる方はゴルフにいらっしゃる方がやはりお使いになっていらっしゃる。そうすると、ゴルフにいらっしゃる方の負担をなぜわれわれがその税金でしなければいけないのかというふうな問題になってまいりますると、それは賛成をおそらくする方のほうがおかしいだろう。つまり、国民の利益という立場からいっておかしいということになってまいります。そういうことになってまいりますると、私ども忙がしくてあまり旅行するチャンスもありませんので、できるだけ国鉄を利用したほうが得をするというふうな状況があってはいけない。そうは言いましても、国鉄を使う人は一般大衆であるという前提条件を置きますると、ある程度——すべて利用者負担でやれということは、現状ではやはり無理であろうということで、すべてを利用者負担とは私は考えておりませんけれども、過度に政府補助を入れるということについては、いまの問題に対して明確な反論、あるいは明確な回答を用意する責任を負うものである、いわば挙証責任を負うものであるというふうに私は判断いたします。そういう意味で、私のように使わない人間の税金で、何でよく使う人の負担をしなければならないのか、特にゴルフに行く人から何から、そういう人たちのためになぜわれわれが負担しなければいけないのか、私はまっぴら負担する意思はございません。その意味では、国の租税政策に対して非常に不満の念を持つようになるだろうということを申し上げておきたいわけです。  それから、公共負担の問題につきましては、これもなかなか微妙でございまして、近距離に住んでいて、国鉄を使わないで、あまり社会的な負担をかけない人の税金でもって、通勤——企業につとめまして、多額な給料をおとりになっていて、それで五割以上の割引を受けていらっしゃる、それでコストを世の中にかけておいて、それで近距離にできるだけ住むようにして国に迷惑をかけないようにしている人がなぜ負担しなければいけないのかということとやはり関連してまいりますが、そうは言いましても、これは一つの歴史的な遺制でもございますので、全面的にとれということはたいへん無理がございますが、少なくとも病院に行く人が一般の料金を払って、それで大企業につとめる人がなぜ五割の割引を受けるのかというふうな問題に対して、やはり挙証責任を負うものであるというふうに判断いたします。そういう意味で、できるだけ公共負担の問題につきましても、国がめんどうを見るよりも、まず利用者負担相互の間で是正を行なって、その上でなおかつ国鉄の問題として社会的に必要性が高いということで国民の合意が成立すれば、それに対してわれわれは財政資金を入れることに決してやぶさかではない、こういうふうに感じておりますので、ちょっとお答え申し上げます。
  50. 藤田進

    ○藤田進君 関連。岡田先生にお伺いいたしたいんですが、いま聞いておりますと、ことに公共料金については応益性を純粋に考えられているように伺います、いまのゴルフの問題等から見ますとね。さて、いま料金問題が、運賃あるいは国鉄料金のみならず、御承知のように、東京瓦斯のガス料金大幅値上げ、これを内容的に見れば、かなり末端配給管の、遠い末端供給のために、新しい団地への建設、供給をしなきゃならぬ。あるいは、いまどなたか御指摘になりました電力料金をもう上げなきゃならないという時期に来ていることがしばしば報道されている。これも要するに、新しい設備投資、これに追っつくために特に大口電力を必要とする、これが大きな伸び率となってあらわれてくるんですね。こういうふうに考えてまいりますと、これが地価等から見ても、東京にたとえて言えば、二十三区、これは地価が高いです、御承知のとおり。しかし、新しい団地に行けば、譲渡、分譲を含めて、比較的コスト——比較的ね。二十三区以内、あるいは環状線の内と外で違います。だから、土地とかそういう居住経費というもの、いわゆる個人投資ですね、投資面から見てもそれだけの段があるのだから、ガスが新しい団地のために非常な建設コストとして新しい料金改定をする場合に、なぜ工費負担をわれわれがしなきゃならぬのか、ちょうどゴルフと同じようにね。それから電力の場合も、われわれは九電力で十分まかなえる。しかも電源地帯にいるじゃないかと、黒部だとか、あるいは横浜の火力、送電線なり配電線がそんなに要らない地域に。それなのに、新しい非常に離れたところのコンビナート、工場団地に送るためにたいへんな金がかかる。インフレのいまにおいてはしかり。それをなぜわれわれがそんなに料金負担しなきゃならぬという異論があるわけでありますね。これ川口公述人は、それはやはり新装した設備について負担することは原則的に反対と言われたように私は記憶しておりますが、原則にいたしましても、そういった公共料金に対する共通的な見地からゴルフ流に言っていいものかどうか、いかがなものでございますか。  それからもう一点、競争原理の導入ということをかなり言われたように思うんです。特に都市間の交通ですね、これは池田公述人は若干違った所感であったように思うんです。これは私も、どうせ自由主義、資本主義だとすれば——私はいま現実はそうでないと思っていますがね、管理価格、協定価格はやるし、自由主義でも何でもない、資本家の統制経済と言ってもいいじゃないかと思うぐらいやってますね。さて、そういう状態の中で、端的に申し上げて、たとえば、私は数年前に問題にして、内々解決したようだから黙っていたんですけれども、たとえば東京で三軒茶屋と青山六丁目、この間、バスは東京都バス、京王、東急、どこがどうやっていると、これは名前は言いませんが、あの三社で、実は神風バスといわれて、よくよく調べてみると、三軒茶屋から青山六丁目比較的短距離ですがね、もうごく内々の処置で他のバスよりも三分間ダイヤは縮めてあるわけですね。どういうことになっているかというと、停留所にまず横づけする——いま専用バス路線というようなレーンがありますけれども、当時むろんなかった。いまあってもそれはたいした作用しておりませんが、大量の客が行列で待っていると、そこへ横づけするんです、短縮しているバスはね。神風バスのほう、横づけする。それで、大量に一たんおりますからね、とめないわけにいきません、おろす。そうすると、督促して大量に乗せて、多少積み残しがあってもバックミラー見てて、うしろへ他社のバスが来たぞといえばもうガーッと、一般交通があっても強引に出てくるです、右に。そして出ていくという、いわば常にバスの中は満員の状態に置くような政策になっている。そうすると、それだけの度胸のある運転ということになると、自然、いろいろ私調べてみますと、大体運転手を採用する条件がダンプの経験者です。これは笑えない、これはほんとうなんですから。これは問題にしなきゃならぬということで、ダンプのやはり経験がなければ採用条件でないようにいわれておる。こういうふうになってくると、公益性の高いもの、これは交通事故にもつながるし、それからいまの路線、都市間におきましても、ちょうど五メーターはおろか、まあ百メーターでも沿って各駅もと、そういうわけには、鉄道路線については事実上ありません。これはターミナルではある区間並行しておりますけれども、やはり運輸省の認可条件なり何なりから見ても、自由競争で従来きておりませんから、したがって、私は、この競争理念を入れるという点については、運行は、ダイヤとか、そういう点についてはやはり考えませんと、ただ、岡田先生言われるので、そういう分野があるかと思うと、たとえば食堂、特に新幹線のビュッフェですね。これ乗られて、みんな気悪くして、国鉄にはこの間一ぺん言いましたがね。乗ってしばらくあれ店開かないんですよ。何やっているか、これは車内で売る弁当を盛んにつくっているんですよ。何というのですか、ハンバーグとか、あれ入れたりやっているですよ。なかなか、入っても、「まだだめですよ、もう少しして来てください」と言ってしかられなきゃならぬような状態です、出発しても。これなどは、たとえば車内販売の弁当はほかの社が入って、そしてビュッフェはどこというようなかっこうにすれば、もっと競争原理が作用していいんじゃないだろうか。その辺は、そういうやはりものがあるんじゃないかと思うんですが、競争原理の限界等について教えていただきたい。この二つです。
  51. 岡田清

    公述人(岡田清君) あとのほうからちょっと申し上げたいと思いますが、競争原理につきましてもちろん限界があることは私も認めたいと思いますし、現にいろんなところで認めているわけでありますが、常々そうでありますけれども、歴史を見てまいりますると、ある交通機関の発展というのは他の交通機関の刺激によって発展する場合が非常に多いと、たとえば典型的には、アメリカでビッグジョーンという百トンの貨物車、ホッパー車を開発いたしましたけれども、これはトラック輸送が伸びた過程の中で、これに負けないような努力をするために、低運賃で公共の利益に利するために鉄道政策として展開されたわけであります。つまり、他の交通機関について対抗力をつける非常な努力を行なうわけであります。そういうふうな観点の中で、競争市場というものが国民の利便にどれほど役立つかというのは歴史的に幾多の例がございます。もう一つ例をあげておきますと、オーストラリアでは一九五四年にトラック市場のすべての自由化を行ないました。その結果、国鉄のほうでは、太刀打ちするためにあらゆる努力を貨物輸送に傾注いたしました。その結果、国鉄輸送の安定もはかられましたし、トラック輸送の安定にも資したと、つまり二つの交通機関問の競争のためにそれが非常に大きな国民の利便をもたらしたということであります。  新幹線がどうしてできたかという点につきまして時間があれば申し上げたいわけでありますが、私は競争のおかげであるというふうに判断いたしております。  それからなお、負担の問題につきまして、電力の問題その他についてどこまで政府が負担すべきかということにつきまして、私はすべてのものを政府が行なってはいけないという意味ではありませんで、この整理が非常に実はむずかしい問題をわれわれにさえ投げかけているわけであります。理論的にも非常に整理しにくい問題を投げかけているわけであります。先ほど一九六一年のイギリスの例を申し上げましたことは、公共の利益に反しないように綿密に国の公社あるいは国有企業が整備されていくためには、第一次的に独立採算的に余剰を得るように適正なるインセンティブのもとで経営が行なわれることであるということをまず最初に訴えたわけであります。それが途中で若干交通政策上ジレンマにおちいってまいりまするけれども、少なくともだれが考えましても初期的にはそういうふうな発想から出発するわけであります。それに対して何らかの社会的な調整が必要になってくる。たとえば電力の場合でも、これが東京都にクーラーが一斉に入ってまいりますると、おそらくあすから直ちに電力はパンクするわけであります。そういうふうなことになりますと、クーラーが悪いか、電力の料金を上げることが悪いのか。それに対してクーラーがいいということになりますると、政府は全面的にこれを導入すべきであるかということになってまいりますと、非常に複雑な問題を提起してまいります。もしそれだけのことが行ない得る余力があるとするならば、むしろ老人保障その他の社会的に困っている貧困層あるいは社会的に生産に携わってない人々に対する保障こそまず最初にやるべきである。まあいろんなことが財政政策について言われますが、財政政策的な観点からも、なおかつ国鉄に補助を与えるだけの用意があり得るということであれば、私もそれに対して全面的に賛成したいという気持ちであることだけを申し上げておきます。
  52. 伊部真

    ○伊部真君 私の質問に対してお答えをいただいたわけでありますが、少し残ってる点があると思います。公途人のお答えの中に、たとえばゴルフの話がありましたけれども、私はゴルフの場合は鉄道を使うよりもむしろ道路を使う。私はその意味では先生の言われることと意見が一致するわけであります。ゴルフ場に行く道路を使うのに、その道路まで公共負担でやるなんていうのはまっぴらごめんです。しかし、ゴルフに行かれるのは、ほとんどは国鉄を利用するのではなしに車を利用し道路を利用している。私はむしろそのことを申し上げているのではなしに、貨物赤字を出しているものを私たち国鉄のお客さんが——山手線、中央線に乗ってる者がなぜ持たなければいかぬのか。貨物赤字を出しているなら、貨物利用者である——いわゆる大企業が多いのでありますが、全部とは言いませんけれども、そっちのほうに負担さすのがあたりまえで、それはちょうどゴルフの例の負担は私たちはごめんだと先生言われたとおりに、貨物赤字一千八百億も出しておって、それをもうかってる旅客のほうにやって、これは物価対策というもの、明らかにあしたからの生活を圧迫するのですよ、国民の生活を。そういうやり方は私はまっぴらだと言っておるわけです。そういう意味では、私は言われている利用者負担という意味は、罪のないほうに持ってきているというところで私は問題だと思うのです。その意味では、先生の言われる利用者負担が、貨物なら貨物に負担さすというならわかるのですが、貨物赤字を出しているやつを旅客に負担さすことも利用者負担だと言われるところがどうもおかしいので、この点。
  53. 岡田清

    公述人(岡田清君) その点につきましては、二つの論点からお話できるかと思いますが、第一点は、貨物輸送コスト旅客輸送コストがはっきり分離できるかどうかということでございます。この点につきましては、御承知のように、ジョイント・コストになっておりまするから、必ずしも分離できない共通費部分が非常に大きいということが一つあります。それでは現在の状態が分離できないから貨物に幾ら安くてもいいというふうに言えるかといいますると、このことは必ずしも言えないと思います。で、原則的コスト主義を貫くことが望ましいわけであります。そういう意味では、旅客の負担において貨物を負担することが決して望ましくはございませんけれども、これはある程度長期の国鉄経営政策の一環で、御承知のように、昭和四十年代に入りましてから貨物の近代化政策は非常に推進されました。これは低運賃政策をとった。このことがトラックに非常に悪い効果を与えた。つまり、悪い効果というのはいろいろ解釈がありますから、いろいろ問題がありますが、競争条件の意味で必ずしも、何といいますか、トラックにとって有利ではなかった。それにもかかわらず、トラックに荷物は流れていった、ここに一つの問題があるわけであります。もしそうであれば、国鉄運賃はむしろ上げてもなおかつクォーリティ・コンペティションとしてトラックに対抗できるだけの輸送経営政策を展開すべきである。これがある意味ではコンテナ化であり、それが一つの端緒についた昭和四十年代以降の貨物政策であろうかと思いますが、この傾向をどこまで伸ばし得るかにかかわっているわけであります。つまり、いま国鉄にとりましては、貨物輸送の起死回生上の妙薬としてのコンテナ化にいま一挙になりかかっているというふうに言ってもちょっと無理ではないくらいに、非常に真剣な努力をしているわけであります。この場合に、その負担を旅客でするのはおかしいではないかということも言えますが、過度に乖離していない限り国鉄に若干の自由は与えてもよろしいのではないか。同じことをだんだん議論してまいりますると、トラックとマイカーの負担区分におきましても、トラックのほうがどうしても割り安になっているということは言えまするし、それから貨物輸送におきまして、航空の場合につきましても大なり小なりそのコスト区分が明確になっているとは言えません。なかなかコスト区分がむずかしいものですから、若干経営政策的な配慮が行なわれることは許されてもよろしいだろう。しかし、私はこれに対してとことんまで、何といいますか、非常に貨物に有利なように相手を屈伏させるようなポリシーとして、国鉄貨物輸送のダンピングを一方的にやることは、必ずしも適量な策ではない。将来に対して結びつくとは言えない。むしろ運賃よりも質の向上こそはかるべきではないかというふうに感じております。答えになったかどうかわかりませんけれども、そういうことでございます。
  54. 瀬谷英行

    ○瀬谷英行君 いまお述べになったことに関連して、私からちょっと質問したいと思います。いま伊部委員質問されたのは、貨物旅客とのアンバランスのことを取り上げられておるわけですね。経営別の成績を見ますと、昭和四十五年の場合は、鉄道の旅客収入が八千四百億、貨物収入が大体二千五百億です。昭和三十二年当時のいわゆる黒字のころは、旅客収入が千六百億で貨物収入が千五百億ぐらい、一対一なんです。それが昭和四十年くらいになりますと、旅客収入が四千億に対して貨物収入が千九百億、これは二対一になり、それが四十四年でもって三対一、四十五年ではもう三分の一よりももっと三・何対一くらいに旅客収入と貨物収入の割合がうんと開いてきた。しかも、旅客収入のほうは黒字なんだが、貨物収入は赤字、こういうことになっているのです。いまのお話だと、ある程度の負担はやむを得ないだろう、こういうことだったのですけれども、今度はほかの公述人の方にもこの点をお伺いをしたいと思っているのですけれども、私一つ具体的な例を出します。具体的な例はこの間も当委員会でやったのですけれども、これは私のほうの市会議員が直接私に話をしてくれて、こういう体験をした、これでいいのかという問題を提起したわけです。というのは、高崎線の熊谷から東京まで急行に乗った。   〔委員長退席、理事鬼丸勝之君着席〕 やむを得ない用があったので、どうしてもその急行に乗りたかった。ところが超満員で来た。超満員で来たために、すわれないなんていうものじゃなかった、乗れなかった。どこに行ってもぎっしりデッキまで一ぱいで乗れなかった。で、乗れそうなところをさがしてみたら、グリーン車がようやく割り込める状態だったので、そこでグリーン車に乗った。グリーン車に乗って、さてどのくらいお金を払えばよいのか自分には見当がつかなかったけれども、まあ二倍というわけにはいかないかもしらぬが、三倍くらい払えばいいだろうと、こう思った。ところが、中に入って車掌に、ちょうどグリーン車のあいているところがあったからそこにすわらしてもらった、グリーン券を払いますと言ったところが、グリーン券が八百円で座席指定券が三百円、千百円だという。ところが運賃のほうは二百八十円だ。運賃が二百八十円のところに、グリーン券と座席指定券と急行券で合計千四百八十円取られた。そうしますと、これは証拠に私もらってきたのですが、ことしの四月二十九日、ちょうど込むときだったのです。四月二十九日、長野車掌区乗務員発行というやつです。それで、切符と急行券は改札口で渡したからこれは持ってこられなかったけれども、車内の補充券というのはこれは証拠にと思ってもらってきたというのですね。まさしく千百円なんです。全部で千四百八十円です。そうしますと、計算をしてみますと、この現行運賃というのは一キロ当たり四円二十銭です。四円二十銭で、この区間は六十四七キロですから、厳密に言いますと二百七十一円七十四銭になる。それが、二百七十一円七十四銭が繰り上がって運賃では二百八十円取られた。これだけでも少し余分に払っているわけです。ところが、この二百八十円の運賃のところへ乗るのに、いやおうなしに割り込んで乗ってきて千四百八十円を払わなければならぬ。千四百八十円といいますと、約五・三倍くらいになるのです。ここで運賃料金、この問題なんですけれども、これだけ払わなければならないというのは、いかにもこれは過ぎているのじゃないかという気がするのです。これはまあいまのお話では、あまり過度なのは問題だけれどもというお話があったんです。だけれども現実にこういう例があるのですね。しかもこの高崎線というのは黒字線区、輸送原価からいうと、二百八十円だけれども、二百円足らずで間に合うわけですね。大体において東海道新幹線というのがトップで、二番目が山手線で、三番目が高崎線になっている。大体営業系数からいうと六〇%から七〇%ということなんですから、二百八十円の運賃だけれども二百円足らず、おそらく百八、九十円ぐらいで間に合う線区なんですね。二百円足らずで間に合う線区なんだけれども、ここへどうしてもやむを得ないというので乗るのには千四百八十円いやおうなしに取られる。そうすると、これは原価の七、八倍ですね。原価の約七、八倍いやおうなしに取られた。この人は別にグリーン車が好きで乗ったわけではない。普通車でもすわれれば、あるいは乗れればそれに乗ってくるつもりでいた。ところが、乗れないから、しょうがないからグリーン車に乗った。それで原価の計算をしてみると、約七、八倍に相当する金を取られているのです。非常にこれは私は割り高だと思うのですね。大体において、運賃というのは運び賃と書くわけですね。運び賃のほうが二百八十円ですね。それで、急行料金と座席指定とグリーン券ですか、これはどちらかというとすわり賃ですよ。すわった代償ですよ。すわり賃のほうが運び賃の何倍も取られている。こういうアンバランスというものは、はたして妥当だというふうにお考えになるかどうか、こういう問題なんですね。そこで、この黒字線の高崎線のお客が輸送原価の七倍も八倍も出さなければ乗れないという状態、それは貨物運賃赤字を過度に負担をしているということになりはしないかどうか。それは、たとえば石油であるとか、鉄材であるとか、セメントであるとか、そういうものの運賃を、ぎゅうぎゅう詰めのお客が、しかも二百八十円で済むところを千四百八十円取られておるという現実が、はたして妥当であるというふうにお考えになるかどうか。これは岡田公述人の御意見も伺いたいと思いますが、そのほかの方々の御意見も伺いたい。これは具体的事例でございますので、この具体的事例について申し上げた次第です。
  55. 岡田清

    公述人(岡田清君) いまのお話は、運賃料金の問題が一点と、同じように貨物旅客の負担のあり方の問題についてでありますが、運賃は、御承知のように、賃率というレートレベルと、それからレートストラクチャーである料金のようなものに一般に分けることができます。まあ貨物の場合にはむしろレートストラクチャーが等級制で分けられるということでございますが、いずれにしましても、運賃料金とがどういう関係にあるべきだということは、これは明確な学説があるわけではございません。ただ運賃、つまり対キロ賃率でもって全体のコストをどれくらいカバーし、それから料金は、たとえばカンファタブルネスと申しますか、快適性のようなものに対して、あるいは座席の確保権に対して、一種の混雑税的な役割りを果たしているということも一つの解釈としては成立し得ます。その意味で、運賃料金の関係について、まあ五倍というのは、私の感覚からいいまするとちょっとやはりオーバーなような気がいたします。ただ程度問題であって、これがどうあるべきだということは一がいに理論上言い得る論拠はいずれも成立しにくいというふうに感じております。  それから、第二点の貨物運賃の負担について過度かどうかということにつきましては、まあこれは歴史的にも非常に議論のあるところでもございますので、詳しいことはここで省きまするけれども貨物のほうがより競争市場的であって、旅客の場合が需要の弾力性がより小さいという場合に、格差を設けることは企業体としてはあり得るわけであります。ただ、それが行なわれたことが資源配分なりあるいは社会的な関係の中でどういう間違った効果を与えるかという判断、つまりパーフォーマンスについての基準を明確にすることが望ましい。少なくともいままでの政策では必ずしもその点が明確ではなかったという感じは私の個人的な感じとしては持っております。まあいずれにしましても運賃料金の関係、旅客貨物の関係というのは、原価に近いほうが望ましいということは言えます。ただし、先ほど言いましたように、原価というのはなかなかわかりにくいということは言えます。  それから、一つだけつけ加えておきたいと思いますのは、公共料金に関連いたしまして一般的に指摘しておきたいと思いますのは、国立大学の授業料と私立大学の授業料、あるいは公営住宅と民営の木賃アパートのように、サービスの価値と、つまりベネフィットというものと、それと負担との関係が倒錯しているケースが非常に多いということであります。この点につきましては、特に国民の価値観の倒錯をもたらして、負担についての適正なる判断を欠かせる場合があります。その意味で、ベネフィットに見合うような運賃体系あるいは公共料金体系を今後とも考慮することが望ましい。たとえばタクシーがキロ当たりでいきますと百二十円だといたしますと、三人乗りますと一人四十円ぐらいで行ってしまう。   〔理事鬼丸勝之君退席、委員長着席〕 それに対して国鉄の場合でいけば一人が六十円も七十円も取られるというふうなことになる場合には、これは政策調整があり得るというふうに判断いたしております。つまり、国民の価値体系をくずしてしまうケースがある場合には、これに対して政策調整は当然あり得る。これがない限り、国民の価値観の倒錯が起こりまして、必ず国民の中に得をする人種が多く出てまいります。それにあやかろうといたしましてあらゆる努力をやるのが国民あるいは人間の常でありまするから、それに落ちこぼれた人間だけが、何といいますか、悪い方向に走ってしまうと、社会政策上も望ましいとは言えないという意味から、できるだけベネフィット・クライテリオンというものをどこまで考慮するかということは、公共料金全体について常に念頭に置いていただきたいというふうに思うわけであります。
  56. 池田博行

    公述人池田博行君) お答えします。いま岡田先生が要約されたように、運賃料金とのからみ合い、それから貨客の運賃のあり方の問題ということなんですが、これは先ほどから御指名がなかったのですが、六つぐらいのことをやっぱりちょっと述べさせていただきたいと思います。  当面の運賃の問題ですが、これも先ほどから申し上げたように、利用者負担制、あるいは受益者負担制、応報原則というようなことば——どうもイロハから始まって申しわけないんですが、これは近代社会になってから国家財政を公平なものにするために採用されたところの、何といいますか、考え方あるいは原則ですね。したがいまして、利用者負担と受益者負担というのは意味が違うわけですね。それで利用者負担制、これはよく誤解されていまも使われているようですが、非常に大きな違いがあるわけです。もうこれもずいぶん指摘されているわけですがね。それで、受益者負担制をやってるんだと、これが普通の言い方なんですが、その実は利用者にだけ負担させるという一番手っとり早いもうけ方のほうへ政策がずれてしまっていると言えるわけです。したがいまして、先ほどからの運賃料金、とにかく運び賃の五倍という料金のあり方については、最初冒頭陳述で私も料金のあり方はおかしいということを申し上げたんです。特に優等列車という、特急、急行の料金について、いまの例のように五倍も取るというのは、これはやっぱりおかしいと思います、私、経済学の立場から。なぜかと申しますと、急行、特急というのはそれだけ資本の回転が早くなるわけでして、当然これは原価が、もちろん貨物列車よりは旅客を運ぶほうが原価が高くなる。これは先ほどの、現実においては豚以下の輸送をしいられているわけですがね。やっぱり客車のつくり方、ボギーの問題その他が、あまり技術的なことは知りませんが、そういう客車のつくり方からしてコストが高くなるということは言えます。しかしながら、普通列車と急行以上のものを比べると、これは回転が早いんですから、当然収入も多くなるわけでして、ここでもって五倍も取るというのは、これはやっぱりずいぶんインチキな論理をいうか、インチキな政策をわれわれ国民はしいられているということは言えると思います。この点は、私どうも専門の関係で、ソ連邦の交通問題を専攻しておるために、特にその点が日本の現状というのは非常に目につくわけですね。で、問題は、先ほどからいろいろ出ていますが、行政政策の選択の権限というのは国民のほうに本来なければならない。これは、たとえばちょっとペダンティックなあれですがね、これは行政学者が言っているわけですが、国民が選挙で投票すると一投票によって預けたのは、統治・行財政執行の権利を与えたわけで、決して統治・行財政執行のあるいは独善的な暴走というような権力を与えたものでないということは、行政学上のこれは近代的なあり方としての原則ですね。したがって、こういうふうなあり方は、もう今日のような、とにかく国鉄当局の皆さんでもどうにもならないというような危機感。それから日清、日露戦争の死傷者に匹敵するような死傷者が出るような茶飯事化したところの交通事故を見ると、これはもう社会的な危機の段階に直面していると、これが政策的に収拾できないということは、これは古典的に言えば政治的な危機にもつながっている問題じゃなかろうかと思うわけです。これはもう、ただ運賃の安いとか高いとかいう問題、これは表面ですね、氷山の一角だというふうに考えるわけです。  それから、それに関連しまして、これは伊部先生だったかと思うんですが、どうも採算性か公共性かと、二者択一のあれかこれかという発想は、これはもう全く——どうも口が悪くて申しわけないんですが、上からの政策に乗っけられた発想をそのまま持ち込んでくると、初めから土俵ぎわに追い詰められてそこでもって何とかふんばろうというようなものの考え方に通じてしまう。先ほど言いましたように、確かに現実においては競争原理を公共機関に持ち込んではならないという、これは理論的には私正しいと思うんです。それを現実にどういうふうにステップを踏んでやっていくかということを考え、それを実行するのが行政担当者の役割りでしょう。私ども研究者は、問題の所在と問題のあり方の正当であるか正当でないかという判断をわれわれはやっているわけで、私は国鉄の課長でもなければ、いわんや総裁でもないわけでして、こうやったがいいというような政策を開陳する責任もないわけですね。ただしかし、われわれの生活をかけてそれに対して批判をする権利は十分に留保しておく、そういうふうに考えるわけです。  それから、先ほどいろいろと問題が出ていますが、私もあまり会計学は詳しくないのですが、貨客原価計算の問題ですが、これはたしか、昭和二十四年度以降における国鉄が公社制をとったときには、かなり私の耳にしたところでは、ソ連邦におけるところの、例のロシア語で言いますならばハジャイストヴェンヌイ・ラスチョート、俗にホズラスチョートという、独立採算制ないしは経済計算制という、これは社会経済的な内容というものは捨てて、その形骸的な、形式的な政策を、経営原則というようなものを取り入れたというふうに理解しておるわけですがね。ですから、この独立採算制というのは、これは運賃値上げに賛成の方のほうからもかなり疑問が提出されておるわけです。これはまあ非常に、これをどうするかについては大きな問題だろうと思いますがね。先ほど私の考えから出てくる結論としては、この際やはり、いわゆるマッカーサー時代におけるところの政令百二号ですか、あれを一つの柱とし、さらに経営的にはこの独立採算制でもってワクをはめてしまうというようなあり方をもう一ぺんひとつ洗い直して考えていただかなければならないだろうと。したがって、最初に申し上げたように、国鉄経営合理化とおっしゃったようですが、ああいう自殺者を出すようなマル生運動までやられる、これは全く違法でもあるですね、おやりになっていることは。全くわれわれ国民としては納得のいかないことです。しかも、そういうことから、現実輸送、われわれの旅客輸送をとってみても、いつ事故が起こるかわからぬというふうな状況が見られるわけです。大体、事故とか故障とかいうものは、初めからコンピュータで出てればおそらく起こらぬでしょう。起こるところに技術の限界があるわけでしてね。ここはやっぱり、人間がそれを監視するといいますか、操作するというところに重要性があるわけです。  それからもう一つ、先ほどのゴルフ云々の問題ですがね。まああれこれ取り上げて申しわけないのですが、これも運賃問題にかなり大きな関係があると思うわけですが、これはまあ交通関係から逸脱しますが、ゴルフが奢侈であるかというようなことは、まあ自然科学のことばで不可逆性ということばがあるのは御存じだと思うのですがね。確かに国民の生活のレジャーの中にいろいろなものが組み込まれてきております。最近の私立大学では体育と称してボーリングをやっておりますがね。じゃあボーリングが奢侈であるかとかそういう判断は、これはちょっと、運賃問題のときにゴルフに行くからおかしいとは、問題が別じゃなかろうかと思うわけです。  それから、それに関連しまして、電力、ガスその他が、これはまあ佐渡おけさのように、過疎地帯からどんどん、たとえば東京をとれば、年々五万から十万というような人間が東京都の中へ入ってきておるわけですね。たとえばソビエトにおいては、人口四十万以上の都市に対する入居はかなり制限されておる。まあこの辺はかなりソ連的な官僚性というものの一つ問題点があるかと存じますがね。まあ無制限に人間が来るところへ、したがって、国鉄というような、あるいは私鉄というような個別資本がですね、そういうたくさん入ってくる人がすぐ翌日から通勤を始めると、そういう輸送要請、交通市場増大に、個別資本が応じなければならないという現状自体もおかしい。これは先ほどから申し上げておるような総合的な交通政策が欠除している。ある都市学者は口の悪い言い方をしておるのですが、日本における都市政策というのはゼロに始まってゼロを通じてゼロに至っているというようなことをある都市学者は言っておりますがね。どうも歴史的に私なりに見るところの日本における交通政策というのは、まあゼロとは言わないですが、非常に一方的に片寄った形でもって、とまるところを知らないような形でもって国民大衆に犠牲を負わしている、こういうことが言えると思います。  ところで、もう一ぺん電力とガスの供給拡大のための料金値上げですが、これはやっぱりもっときめのこまかい、かつて二十四年段階までに石炭について価格制を適用されたような形ですね、ああいうふうな形で、たとえば後発利用者に対する料金のあり方ですね、先発的な既得権と言ってはおかしいですがね、そういうもののきめのこまかい調節というものをやっぱり政策として考えるというようなことが必要なんじゃないかと思います。ですから、あとからだんだん需要がふえるからいきなり料金が全部に高くなるのはおかしいと、まあしかし、そういうふうな論理でいきますと、これは一国の国民における社会保険の問題なんかについての料金の問題にも関連すると思います。大体日本というのは、明治以来、社会資本も社会保険も社会福祉制度も欠除ないしはゼロに近いというのが世界的な定評だと思うわけです。そういう点で、この料金問題の扱い方というのは、もっときめのこまかい政策を、その背景であるところの歴史的な問題を踏まえて現状において立て直すということが必要である。  それからもう一つ、これはちょっと何に関連しているか、運賃料金の問題についてですが、先ほどの技術の開発というのは競争から生まれるというような考え方、これは確かに現象面から見るとそうですが、ですからたとえば、戦争が技術を画期的に革新するということが俗説としていわれますが、これは間違いです。戦争のようなある特定な時点において、人的な資源も、それから資金も、それから資材も一時期に投入するから画期的な技術が開発されるわけです。現在、米ソでもって展開されている、あるいはその他の国でもやっているところの宇宙衛星の開発なんというのはまさしくそのとおりだと思うわけですが、そういう努力をするならば、今日まだ不治の病というようなガンにしろ、その他の病気にしろ、これは五年もたたないうちになおすことのできるような技術が開発されると思います。ただ問題は、現実としては、そういうふうな国民の生活並びに国民経済の発展のために必要な技術を開発するための努力と、そういう発想がないという点に尽きるんじゃないかと思うわけです。  終わります。
  57. 川口弘

    公述人(川口弘君) 御質問は二点だと思いますが、貨物赤字旅客の黒字で埋めることがいいか悪いかという問題は、先ほど来、私の考えを申し上げておりますからここでは省略いたします。  料金の問題でありますけれども、私は先ほどのお話に関する限りは、むしろ乗りたくても乗れないような状態に置かれている、つまり、それは通勤あるいは通学用の大衆のための設備改善が非常におくれているというところに問題があるんじゃないかと思います。そして、ぎっしり詰まって普通車ではもう乗る余地がない、乗った人はみんな立って非常に苦しい状態にあるというときに、少数の人だけがすわって楽をしていくということでありますれば、その特権を享受する上で若干高い料金を取るということは、これはやむを得ないんじゃないかというように私は思うわけです。したがって、今回の値上げ案の中で、たとえば、その種の値上げ料金の引き上げ率が二〇%というふうに運賃の引き上げ率よりも非常に低いということは私はむしろ疑問を感ずるわけです。ただ、十分な大衆のための輸送サービスが提供された上で、その中で、普通の人よりもよりよいサービスを享受しよう、そういう場合の料金をいまのように格差をつけることが正しいかどうか、これは問題があるかと思いますが、要するに、いまは非常にそういう特別なサービスが制限されている中で起こっている料金率でありますから、私は、その程度はむしろやむを得ないのではないかというふうに考えます。ただ病人とか、老人とか、そういうどうしてもすわっていかなければならないような本来的な事情のある人に対しては特別な配慮が必要であろうと、そんなふうに考えます。
  58. 宝田善

    公述人(宝田善君) 私も、いまの川口さんと大体同じ意見でありまして、先ほど出されました例はどうもあまり適切ではないのではないか。ぜいたくな乗り方をするときには割り高であってもむしろいいではないか。ただ、いま問題なのは、だんだん国鉄赤字解消のためかどうか知りませんけれども、デラックスのレベルを上げてきまして、急行がだんだん停車しなくなるとか、それから普通線がたいへん待たされる、次の駅へ行くと十五分ぐらい普通列車が待っていて急行が通る、そういう現象が非常に目立ってきています。近距離の大衆旅行というのは非常に阻害をされてきている。したがって、地方の通勤者とか、通学者というのはいままで十五分だったところを三十分も乗らなければならないとか、大衆のほうの交通手段の利用度が非常に悪くなっているという前提でデラックス化が進んでいるところに問題がある。ですから、乗れるようにしておいた上で、やはりデラックスなものはデラックスなりにとってもそれはいいのであって、問題はその前提のほうを悪くしながら、そういうことをやっているところにいまの例の問題点はあろうかと思うんです。  それから次は、貨物旅客の問題ですけれども、いまの国鉄の制度を前提とする限りは、貨物料金は不当に安くて、その分の赤字旅客運賃にかぶせることは不当だと思う。ですからあくまで私は条件つきであります。貨物のいまの制度のもとでは、そういうことをやるのは、通勤者とか一般の庶民に国鉄を利用する場合に負担をかぶせておりますからそれを是正すべきだというふうに考えます。ただ、その論法をあまり一般論に拡張されることはまた別の問題があろうと思います。私はそもそも原価主義反対でありますから、総合原価主義にもかなり問題がありますけれども、特に個別原価主義というものは、これはあまり公共的な運営がとるべき策ではないと思う。ですから貨物にかぶせろといった場合にも、消費財は安くすべきであって、一般企業の、特に大企業輸送品にかぶせろ、こういうふうな配慮をした上でという前提で、不当だあるいは直せというのは、そういう意味を込めて言わざるを得ないのであります。先ほど来岡田さんのほうから、あるいは御質問者のほうから貨物旅客原価計算論が盛んに出ており、岡田さんのほうからこれはたいへん複雑であると言われた、おっしゃるとおりでありまして、たいへんむずかしいのであります。これは民間企業ですでにできない非常に困難な問題でありますから、まして公共的なものとして考えるというのはきわめてむずかしい。というのは、かりに製鉄なら製鉄という産業をとりましても、副産物である回収硫安を考えればこれは高くつくのですけれども、片方で、それを専門につくっておるものとの比較でいけばある原価計算は可能であります。一つの原料から石油化学のように非常に多種類のものをつくるときにどれが幾らであるかということは、それは架空のといいますか、便宜上の計算にすぎないのであります。ですから、こういう問題はそもそもこれはメーンプロダクトと考えるか、バイブロダクトと考えるかによって幾通りかの計算のしかたがあるのでありましてたいへん複雑であります。ですから、そう軽々しくやられては困る、特にたとえば、通勤輸送を改善したらその金は定期にかぶせろとか、そういうふうに個別に、過疎線はいまの三倍とれとか、そういうふうにやられたのでは、何のために公共的な輸送手段としてわれわれは考えるかという原理からいってたいへん問題があるのですから、いまの制度を前提とすれば、貨物運賃赤字旅客にかぶせることは不当であるが、だからといって、全部を個別運賃論にしろということはあくまで私は反対であります。原則的にはやはり生活必需品の輸送とか、われわれが生きている限り、通勤する以上どうしても乗らなければならない、買い物とか所用で乗らなければならないという大衆的交通手段料金をいかに考えるべきか、原則に立ち返りまして、何段かのプロセスを経て料金原則をまず立てるべきだ、それに合わせて上げるべきか上げるべからざるかということをきめるべきだ、決して近道をして、そういう安易な計算をしてはならない、それでは国民に対して納得させる論理は出てこないというふうに考えます。  それから三番目の競争の問題、これも同じであります。確かに技術の開発とか、経営的な刺激というものはある程度必要であろうと思うのですけれども、競争というものはそういう面ですればいいのであって、それを直ちに運賃とか、企業のバランスとか、そういうものを持ってくることは公共的手段としてはよくない。公共的なたとえば、老齢保障とか医療制度であるとか、交通であるとか教育であるとか、そういうものは、そもそもそういう原理が立たないから、公共経済学の対象になってきているわけであります。競争ということは、技術とか経営のあり方、そういうところにあるべきであって、これは社会主義でも、そういう競争はやっているわけです。競争論イコール独立採算の企業論、あるいは運賃の個別採算論とか、そういうふうになってはならないというふうに考えます。先ほども申しましたように、沖繩の例でも言いましたように、あまり高くしたり、何かしますと、かえって大衆的な輸送手段を破壊させることだってあり得るわけです。一ぺんこわしてしまいますと、なかなかっくれない。場合によっては必要以上に料金政策的に下げても、いまは大衆的な輸送手段を守るべき時期かもしれない。全部を、基本ベースをマイカーとか、そういうものに譲ることはできないだろうと思うのです。ですから市場原理がなぜ失敗したか、こういう問題では、そもそもそういうことは当てはまらないということを前提にして問題を考えるべきであろう。ですから、全然競争意識がないほうがいいとか、官僚的でやったほうがいいとか、そういうことを言うつもりは毛頭ありませんが、まず輸送手段、特に大衆的な輸送手段、公共共同消費手段というものについては、原則的なものをはっきりさせた上で、使うべきところに、そういう概念を使えばよかろう。  以上でございます。
  59. 伊部真

    ○伊部真君 時間的な制約もありますので、私の質問はこれで最後にしたいと思いまする。  岡田公述人にお伺いをいたしますが、私は今日の国鉄貨物の問題、今日の状態になったのは幾つかの問題があろうかと思います。その一つには、やはり国内の物流の秩序という問題があろうかと思います。私は端的に申し上げて、いまのたとえば東海道、東京−大阪間の運賃を見ますと、五トン・コンテナ、フレートライナーで、これが集配込みで一万九千五百円、車扱いでも大体一級で一万九千円前後、この比較だけでもちょっとおかしいのは、その車扱いというのは、荷造費がかかるわけですね。集配込みでも荷づくりをせなきゃいかぬが、フレートライナー、コンテナでは荷づくりなしなのに一万九千五百円というのは割合に割り安なんですよ。これは割り安だというのはなぜかといったら、これはトラックの料金との問題のかねあいが出てきているからです。ここに競争というものが入っているわけですね。トラックの場合に幾らだというと、料金としては大体五トンで二万八千円ぐらいにはなっているけれども、認可料金はそうなっているけれども、実勢料金というものがありまして、実際の料金というのはかなり低いということです。これはやっぱり貨積みの問題とか、いろんな問題がありましょう。そこに二万八千円と一万九千五百円、一万九千円という、形から見れば当然フレートライナー、コンテナが有利に立たなきゃいかぬのに、そうでもないという状態にひとつ問題点があろうと思う。これは輸送秩序の問題として、今後ある程度メスを入れていかないと、国鉄貨物のことだけを考えて、これを分析してもなかなか解決つかぬ問題ではなかろうかというふうに思いますが、この点についての御所見をひとつ聞かしていただきたいことと、それからもう一つは、百歩譲って、今度だけはその貨物赤字一千八百二十二億円というものを四十六年度で、それをお客さんの旅客のほうで見たとしても、これが今回だけで済むだろうか。五十年、五十三年、五十六年、この四回ともに——国鉄の一番大きな赤字である貨物というものが、今回限りで済まないで、もしもこの四回ともにこの負担されるとしたら、これはたいへんな問題ですよ。そこで、今回だけで済み、五年たったらこれは貨物のほうではそんなに問題が起きないようになるだろうか、これについて私は自信がおありなのかどうか。これはまあ先生にお聞きするより、ほんとうは当局のほうに聞かなきゃいかぬことなんでありますけれども、やっぱり運賃問題で聞くと、判断する場合には、見通しを見ていただきたいと思うのでありますが、そういう意味で申し上げるんです。その点は、量的に見ますと、昭和三十五年、いわゆる十年前は貨物の総量で、シェアから見ますと、これは一・七%でした。総体、総トン数でいくと一億九千五百万トン、いわゆる四十四年と同じ数字ですね。シェアだけは四・一%に下落しております。というのは、ほかのほうがずらっと上がっておるからです。ですから、この十年間、一億九千五百万トン内外しか動かなかった。そうしたら、今後これがふえていくという見通しがあるのかどうか。私は国鉄当局のほうでは、フレートライナーもしくはコンテナのほうが、かなり設備投資によって伸びるのではないかというお話もありましたけれども、私はそれを認めたとしてもですよ、フレートライナーで扱っている、あるいはコンテナで扱っている荷物というのは、総体二億トンのうち一千万トン内外ですよ。これが飛躍的に伸びるというふうな要素はないと思います。そうすると、大体国鉄当局は四十七年度のときに八百万トンの予定だったコンテナが、一千万トンをこえたから大成功だといわれるけれども、この程度でこれはシェアが変わってくるとは思いませんね。そういう意味で、このトン数においてそういうことが考えられる。それから金額の面で、赤字の問題で考えますと、これも昭和三十五年を比較いたしますと、当時貨物は五十七億円の赤字だった、四十年が七百六十三億、四十三年が一千百八億、四十四年が一千四百九十九億、四十五年が一千八百二十二億円、年々こうやってふえてきているわけです。今度は、四十五年からどんどん減ってきている。そうしたら五十六年のときには、十年たったら、それは解消されるということになるんだろうか。そうなると、量的にも、額的にも前途において見通しのないことになれば、ますますこれは貨物の負担は、われわれのほうにおっつけられるということになりはせぬか。根本はどこにあるのか、輸送秩序の問題にメスを入れるということに、まず考えていかなければならない。  それからもう一つは、もしも今度の値上げ問題を考えるなれば、それは国民の皆さん、今回は非常にしんぼうしてもらわなければいかぬが、何年後には、三年後には、あるいは五年後には、決して旅客のほうに貨物赤字を負担させるような不合理なことはさせませんということが立証されなければならぬと思います。そういう点について御見解をいただければ幸いだと思います。
  60. 岡田清

    公述人(岡田清君) 第一点の貨物の物流秩序におけるトラック輸送価格と、それから、フレートライナーの価格の相対価格のあり方についてどういうふうに考えるか、これが第一点の質問であったかと思います。この点につきまして、適正なるコストに基づいて国鉄貨物運賃を形成すべきであるという点は、基本的には私は認めたいと思うわけでありますが、日本の例とちょうど逆の例がアメリカの場合に現に起こっているわけで、御承知のように、歴史的にICCが規制政策を展開してまいりました。トラック輸送と鉄道輸送の関係の中で、運賃をどういうふうにきめるかという場合に、ICCはこういう政策をとってきたわけで、それはどういう政策であるかといいますると、トラック輸送に与える影響がどうだろうかということを踏まえながら、鉄道の貨物運賃の規制を行なった。つまり、他の交通機関を常に意識しながら、貨物運賃の規制を行なったということであります。  それに対して、鉄道側は非常に強い反論を訴えまして、その政策はアンブレラ・レート・メーキングである、つまり相合いがさの運賃決定である。これではわれわれの鉄道の貨物輸送は危殆に瀕する。したがって、われわれに運賃形成についての自由を与えてほしい。こういう非常に強い提案を行なったわけであります。それに対してネーダーが非常に強い支援を与えまして、ICCのやり方というものが必ずしも適正な政策ではなかった、この辺が現在のところアメリカで非常に強い議論を呼んでいるわけでありますが、日本の場合について、現在行なわれております政策について、この点を日本に当てはめてどういうふうに判断するか。言うまでもなく、私、先ほどから言っておりまするように、一般の大衆旅客運賃貨物の負担をすることには必ずしも賛成はできませんけれども、これが暫定的な方策として許されるということはあり得るのではないか。つまり、歴史的に考えまして、これは第二点の質問にかかわってまいりますが、今回だけで済むかという問題とかかわってまいりまするけれども、御承知のように、昭和三十年代の日本の鉄道政策を考えてみますると、これは国民にもやはり一半の責任があるわけでありまして、旅客輸送というものの近代化をまずやれということで、現に新幹線輸送がそれによって着々と近代化を行なってきたわけであります。その結果、貨物輸送が置き去りを食った。それが現にまたトラック輸送に負ける結果にもなったということで、これについていい悪いという判断を私は下すことは間違いであろうと思うわけであります。そういうことで考えてまいりますると、現在過渡的な現象としては旅客から貨物に負担させることは許してもいいだろうと。しかしながら、これをいつまでも続けていき、輸送秩序、物流秩序を阻害するようなことがあって、過大にフレートライナー網がどこまで延びたら適切であるかということをそれだけでもって判断するようなことがあってはならない。むしろ適正なる運賃をとって、さらにクオリティー・コンペティション、先ほどから何回も言っておりますように、トラック輸送にもし対抗するとすれば、質的な改善というものを通じて行なうべきではないか。中でもクリーム・スキミングということばがございますが、高級貨物をトラックにとられたということがよく言われます。そのことにつきまして鉄道が等級制をできるだけ排除したいということはその辺に実はあるわけでありまして、鉄道政策にその点の自由をどの程度認めるべきか、あるいはそれに対して政策介入を行なって、これはあくまでも原価主義でいけということで指令を出すかということになってまいりますと、これは根本的に運輸政策のあり方にかかわってくることではなかろうかというふうに思います。その意味で今回だけで済むかということで考えますると、私は今回だけでは済まないというふうに実は判断しておりまするけれども、今後ともできるだけ暫定的な策として今回はある程度やむを得ないであろうと、そういう言い方をするとおこられるかもしれませんけれども、将来はできるだけやはり貨物輸送体制の近代化に邁進して、適正なる負担を行なうようにせしむべきであると、こういうふうに考えております。その意味で、近代化を一方で進めながら、一方で赤字が累増している。この問題についてもやはり思いをいたして、都市輸送の近代化を行なう。その場合には、駅集約の体制その他の近代化はやはりやむを得ないことではないのかというふうに思っております。これは、通運体制その他の近代化を通じてカバーしていくしかないだろう。こういうことで考えてまいりますると、現在、国鉄の打ち出しておりまする貨物輸送政策については、私は特に反対するものを持っておりません。その意味で現在の方策をこのまま続けていって、どこまで国鉄が他の交通手段に対抗できるか。これは非常に国鉄にとって苦しいことになろうかと思いまするけれども、それはわれわれ国民が十分に見守っていきたい。同時にわれわれもあんまり旅客運賃から負担することはやはり避けるべきであろうというふうに判断いたしております。  話が長くなりますので、これぐらいでおきますが、非常にばく然としておりまするけれども、できれば近代化を行なって、国鉄も栄えると同時に、日本貨物輸送体制、物流秩序というものが確立することを願っておきたいというふうに思います。
  61. 瀬谷英行

    ○瀬谷英行君 まず宝田公述人にお伺いしますけれども、先般当委員会で問題になりましたが、公労法十六条発動の問題です。予算上、資金上支出が現在の時点では可能だとは思われない節もあるので、公労法十六条の適用ということを考えているという話がありまして、政府の統一見解を求めるというような議論が当委員会で行なわれたわけであります。しかし、公労法の運営の点について、はたしてこの運賃の問題と、現在提案されておりますこの法律案国鉄財政再建運賃法のこの法律案と、それから運賃の予算上、資金上の仲裁裁定の履行の問題ですね、これをからませるということが妥当であるかどうか、いろいろ問題があると思う。で、あまり例はないと思いますけれども、ただもしもかりに予算上、資金上云々ということを引き合いに出せば、春闘で妥結をしたことが、この法案の審議の結果いかんによっては御破算になるということもあり得るわけです。こういうことはたいへん問題だと思って、それで委員会で政府の統一見解を求めるということになりましたけれども政府側では、その完全実施に努力をするという答弁に終わっているわけであります。しかし公労法の運営上のあり方として、どのようにあるべきであるというふうに考えられておるか、これはもう運賃の問題と、たまたま労使の妥結事項とがからんでまいりましたので、その点を宝田公述人からお伺いしたい。
  62. 宝田善

    公述人(宝田善君) 賃金の決定は賃金の決定でありまして、運賃運賃でありまして、時期がからんだからといってそれをからめるということは妥当ではないと思います。かりにそういうふうに考えますと、考えるということは、労働者の賃金というものを企業経営しました余りといいますか、余剰みたいなものできめるという感覚になってくるわけです。いまの社会で、そういう賃金のきまり方というのはとっておらない。ですからどんなところに働いていても、われわれは生きるために働いているわけですから、やっぱりハイライトを買えば、国鉄の労働者も八十円、どこの企業に働く労働者も八十円、公務員も八十円ですから、そうそうわれわれの最低生計費に差のあるはずがない。ですから個別の企業経営者は、自分の企業経営上の都合で賃金をきめたい、そう思うのは御自由でありますけれども、労働者はそういうふうにして賃金をきめられたら斜陽産業では食えなくなっちゃう。ですから現実に賃金というものは、この十年間格差が縮小してきたのですね。戦後、高度成長時代に賃金格差というものは拡大してきたわけです。これは非常に問題をはらんでいたわけです。富めるところの労働者は相対的に高く、中小零細企業は低くてよろしいと、そんなばかな理屈はないのです。賃金というものは労働者のほうから見れば生活費、経営者のほうから見ればコストですから、経営の論理が個別に貫徹をした場合には食えない労働者が出てくるわけです。ですからそういうのは社会的な平均としてのコストというものはあり得るけれども、個別にそういうことをやってはならない。またそういうことは貫徹できない。それが貫徹していた時代の日本の勤労者の生活というのは惨たんたるものであった。臨時工とか、社外工とか、中小零細企業の賃金は、大企業の賃金の半分だ、生活水準も半分だ、そんなばかなことは近代社会では通らない。もともと賃金というものは、労働市場の条件によってきまるものでありますから、基本的には最低生計費を踏まえて需給のバランスとか、いずれにしましても労働市場的な決定事項であります。ですからそれは個別企業の事情をもってそれをくつがえすことはできない。今日われわれはそういう考え方に立っていますし、現実にそうであります。したがいまして、いまの社会が決していいとは言いませんけれども、少なくとも、十年前のそういう日本の勤労者の中に、不当な差別、二重構造があった時代の賃金から見れば、構造的には非常によくなってきた。賃金格差が縮小しまして、中小の労働者といえども大手の労働者といえども大体同じような生活ができる方向に近づいてきたということはたいへんけっこうなことだと思うのです。社会的にはこれは肯定されるべき現象であります。そこで国鉄が、これは大企業の部類でありますけれども、たまたま経営赤字とか黒字、そういう理由をもってこういう傾向に逆行する、余ったら賃金に回わしてやるとか、足りなければ賃金は払わない、そういうことをやれば、これは国鉄労働者の反発を買うだけであります。現にそういうことは長年やればもう国鉄には人は来なくなるでしょう。国鉄で働くことに生きがいはなくなるでしょう。ですから、いまの日本の社会の賃金決定機構というものを前提とする限りそういう考えは通らない、ナンセンスであるというふうに言わざるを得ないわけであります。賃金はやっぱり人並みに払わなければいけないということです。いまの国鉄の賃金というものは、御参考までに申し上げますと、一般製造業とか、全国平均に比べまして、年齢その他の構成要素を調整いたしますとかなり低いのであります。それを今度の長期計画では、午前中にも申し上げましたように、適当に自分たちの都合のいい賃金上昇率を組んでああいう長期計画を組むというのはこれはおかしい。少なくとも、いままでの日本の賃金の上昇率の平均値かなんかを参考にするならまだしも、国鉄の中の逆算的な賃率をファクターに入れた計画というものは全くおかしいと思うんです。
  63. 瀬谷英行

    ○瀬谷英行君 岡田公述人にお伺いいたしますが、いまのお話では、やはり旅客運賃貨物運賃にかぶせるということについては疑念を表明されたように聞き取れたわけですが、そこで、そうは言ってみても、値上げをするということになると、結果的には旅客運賃に比重が大きくかかってきているわけです、現実の問題として。貨物運賃旅客運賃割合は、さっき私が申し上げたように最近では三対一です。こういうアンバランスというものがこのまま継続していってよろしいものか。もしやり方を是正をするとすると、旅客運賃を押えて貨物運賃をもう少し割り高にしなければならないというふうに、これは一般論としては思われるわけなんですけれども、そういう問題を考えてみて、なおかっこの運賃の値上げのこういうやり方が物価にはたしてどのように影響するか、その影響というものの度合いはそう大きくないというふうに判断をされるかどうかという問題が一つあります。  先ほど来ちょっと話が出ておるのですけれども、電力も、東京瓦斯でも値上げをする。大体、ガスが運賃に便乗するなんという話は、話としてはたいへんくさくなってくるわけです。もうこういう連鎖反応が相当出てくるんじゃないかと思うんです。この連鎖反応の中で運賃の占める、特に旅客運賃の占める割合というものは非常に大きくなりはしないか、あるいは旅客貨物と比較した場合には、やはり旅客運賃にかぶしたほうが、貨物運賃にかぶせるよりは被害が少なくて済むというふうにお考えになっていることなのかどうか。いろいろ矛盾はさっきから指摘しているようにありますけれども、概括的に言ってどのようにお考えになるか。
  64. 岡田清

    公述人(岡田清君) 旅客貨物の関係につきまして再度問題にしていただいたと思いますが、まあいわば内部補助体制というものについてこの辺が原則的には、何回も言っておりますように、費用計算がたいへんむずかしゅうございます。その意味で、旅客にかぶせることは必ずしも適切ではないと申し上げましたけれども、なかなかどうも、話を先ほどからあれしておりますと、運賃問題の立場が逆転しているような感じがしてしょうがないのです。むしろ貨物はどんどん上げるべきであるというふうにおっしゃっているような感じがしてしょうがないわけです。そうすると、私は賛成すべきなのか反対すべきなのかちょっと迷っておりますけれども、たいへんむずかしいところでございまして、まあ国鉄といたしましては、競争力の非常に弱いところにおいてはおそらく上げたくないという気持ちが強いだろうと思います。したがってマーケット、市場の構造に合わせて運賃を形成したい、そのことから先ほど来問題になっておりますように高級貨物の値上げをわりに押えぎみにする、これはトラック輸送との競争によってできるだけ高級貨物が鉄道を利用してもらいたいという希望を運賃政策に反映させるための手段であろうかというふうに思います。こういうふうに考えてまいりますると、それを旅客にしわ寄せすることは私は必ずしも賛成ではございませんけれども、少なくとも、現段階では先ほど言いましたように、テンタティブな過渡的な方策としてはそういうこともあり得るというふうに申し上げておきたいわけであります。  繰り返しになりましてたいへん恐縮でございますが、第二点の、もし値上げをやったならば、それがどのくらい波及するであろうかということにつきましては、これは非常にいろんな計測もございます。産業連関論を使った計測その他もございまするけれども、現段階ではそれはほとんど計測は不可能である。特に競争市場の製品の場合には、おそらく運賃値上げは企業で内部化されて消費者に転嫁されることはないだろう。むしろ、寡占市場あるいは独占市場製品の値上げの場合にはそれが価格に転嫁される可能性が強い。これは言うまでもございませんで、いわば運賃値上げがそのまま消費者物価に反映するかどうかは、その商品の持っておりますマーケットが競争的であるかどうかに依存しているわけで、そういうことで考えてまいりますと、野菜のような場合はそれじゃどうかというふうなことになってまいりますると、これはなかなか微妙でございます。たとえば、バレイショのようなものを北海道から持ってくるのに、これは値上げになって困るではないかということになってまいりますると、そんならば農家のほうで北海道でつくるのをやめて調整をして、運賃の安いたとえば東北のほうでつくるというふうにうまく調整が進むかというと、私は必ずしも進むとは思いません。ただし、季節商品でございまするから、その場合に、先ほど中西公述人からお話がございましたように、どれぐらいの割合価格に影響を与えるかというのは場合場合によってずいぶん違い得る。一がいに計測できないものである。  ただ、これに関連いたしまして問題になりますのは、他の公共料金その他の値上げ、その問題から一般的に物価の上昇を招くのではないか。つまり、便乗値上げの問題についてどう考えるのかという点の御質問もあったかと思いまするが、この点につきましては非常に微妙でございまして、公共料金について——ちょっと話が長くなりますけれども、御承知のように、不況期の前、あるいは景気があまりよくなり過ぎた状況のもとにおきましては、卸売り物価と消費者物価は同時に並行的に上がってまいります。その場合には直ちに公共料金のストップ令がかけられます。そういう場合には大体景気が過熱いたしておりまするから、直ちに翌年ぐらいに景気のダウン、景気の引き締め政策が展開される。御承知のように昭和三十九年のストップ令、四十年の不況、それから四十五、六年の不況、それに関連いたしまして四十五年のストップ令、大体景気政策とかなり密接に関連しているわけであります。つまり、景気政策と公共料金の関係について、もうちょっとわれわれは見直すべきであって、個別企業、つまり個別の価格体系というものをあまり問題にしてこれを物価体系の中で議論するのはどうも間違いではないか。つまり全体的な物価体系の中でこれを議論すべきであって、むしろ全体的な景気政策との関連の中で議論すべき性質のものであろう。こういうことで考えますと、一般には不況のあとは公共料金はダウンするわけでありまするけれども、今回はこれがダウンする気配がございません。その意味で、ドル・ショックその他の関係から、いままでの昭和三十年代から四十年代までの公共料金と景気の関係が若干くずれているというふうな傾向が現在出ているわけであります。この点は個別の価格の値上げという問題とは若干問題を別にしているというふうに感じているわけであります。この辺が賃金と価格との関係として議論する場合もありましょうし、なかなか学説的にも明確なものが存在していない。ただし、最初にも申し上げましたように、個別価格をあまり抑制いたしまするとこれがかえってサービスの低下、したがって、国民の不便ということを招きまして長期的な悪を残しますので、常に長期政策と短期政策は調和をとることが望ましい。その意味で立地政策の不在ということを申し上げましたけれども、これは不在というよりもやむを得なかったものだというように判断しておりますが、立地政策を同時に進めることが同時に公共料金政策にもなり得るというふうに考えております。  話がちょっと長くなりましたけれども……。
  65. 瀬谷英行

    ○瀬谷英行君 それじゃ最後に、池田公述人と川口公述人のお二方にお伺いしたいと思います。わりあいと池田公述人、川口公述人の述べられた御意見は共通点があったようにお聞きしたわけです。岡田公述人が話をしましたことは、私が貨物運賃の値げに賛成しているのかというふうにおっしゃいましたけれども利用者負担というたてまえからいうと、利用者負担をあくまでも貫き通すべきであるということになれば貨物旅客と分けた場合に、貨物のほうが大きな赤字旅客のほうが黒字であるということになれば、これは旅客のほうを上げないで貨物を上げなきゃならないという理屈になっちゃう、理屈の上から、よしあしは別として。ところが貨物輸送の問題についても輸送量が減少しているが、現在貨物の取り扱い駅を縮小している。それから手小荷物の切り捨ての問題がある。四等級を三等級にして大手貨物値上げ幅のほうは少なくなる、こういう問題がある。それから手小荷物運賃の割り高という問題、これらのことについてはそれぞれ指摘をされておりました。そこで、じゃ今後の国鉄のあるべき姿としてはどういうやり方が望ましいのか、いまのようにこれは貨物取り扱い駅を縮小していく、あるいは手小荷物の切り捨てをやっていくということは一種の合理化政策の一環として行なわれているというふうにわれわれは考えるわけなんですけれども、この種の合理化政策というものは利用者大衆のためにはたしてなるのかならないのかという問題が一つあります。で、利用者にしてみれば大手荷主であろうと中小荷主であろうと、やはり便利に、安く物を運びたい、あるいはなるべくならば安く自分たちも電車に乗りたいという気持ちに変わりはないと思います。ところが、実際の合理化方向というのはどうもどちらかというと不便な方向にいっている。高くつくものはしかたがない、多少の不便は忍びなさい、こういうかっこうになってきておるわけです。こういうような方向でいきますと、矛盾はますます多くなってくると思うんですが、たとえば、国鉄の擬装経営というお話がございましたけれども、この擬装経営のからくりというものを指摘をしていって、経営をガラス張りにすることによって国民の納得を得るような方法はないものかどうかということなんです。それから貨物の運び方にいたしましても、たとえば、北海道から東京まで物を運ぶのに必ずしも国鉄のレールの上を使って、連絡船を使って東北線を使ってという方法をとらなくたって、いま行なわれているような、計画されているような船でもって選んできてしまうという方法だってかまわないと思うんです。連絡船というのは必ずしも青森−函館間でなきゃならぬということはないと思うのですけれども、これは飛行機で運ぼうと、自動車で運ぼうと、船で運ぼうと、問題は運ぶことが任務であってレールの上でなきゃならぬという理屈はないです。その辺は今後の合理化のあり方としてはどういう方向が望ましいのか、またちょっと御指摘がありましたけれども合理化政策の一環としてマル生運動などということが国際的にも大きく批判をされましたけれども、こういう方向は何ら国鉄の将来にとってためにはならないという気もするのでありますが、大ざっぱに言って、合理化政策を進めるとすれば、特に貨物輸送の問題が中心になりますけれども、いかにあるべきかという点について御意見をお聞かせ願いたいと思います。
  66. 池田博行

    公述人池田博行君) 意見を申し上げます。  私は冒頭で申し上げたような事柄、手小荷物その他貨物の取り扱い方及び運賃の問題を踏まえて、そのような国鉄のあり方が、あるいは合理化というものが今後も通用するものか、あるいはバラ色の展望を持つものかというような御質問だと思うんですが、最初に私、貨物取り扱い駅の縮小が問題であるということを申し上げました。それで中西先生から一本とられたわけですが、もちろん戦前と戦後におけるところの産業立地の変化、それからさらに人口立地——人間の住み方の変化、これはかなり強制された政府の表現によりますれば、ひずみというはなはだ文学的な表現を使われておりますが、きわめてドラスチックな変化が起こっておることは事実だと思います。もちろん、人口の流動が激しいということは、一つ国民経済にとっては健康性のあらわれだということも言えると思うのです。確かに立地の変化によって、昔の荷馬車、あるいは大八、リヤカーというような運搬形式が変わってきて、どうしてもやっぱり貨物駅の集約が必要になるだろうということはわかります。ただし、先ほどからその前提として物流に対して、これは戦前以来、特に国鉄貨物誘導に対するところの何といいますか、政策的な配慮、あるいは物的な資本の投入が少なかったというようなふうに聞こえるわけですが、これはちょっとおかしいと思うのです。大体戦前有名なことばに海主陸従ということばがあったことは御存じだと思いますが、海が主体でして、何のために海が主体であったかというと、これは先ほど申し上げましたように私も被害者ですが、ほぼ十年おきの戦争を、海軍の培養力として海運業があったという歴史的な日本の資本主義の特徴を踏まえていただかないと、これは今日の国鉄問題で、物流に対しててこ入れが少ないというような発言は、ちょっとおかしいだろうと思います。  また、今日の海運業、内航の役割り増大というのは、聞くところによりますと、外航船も内航でせっせと荷物を運んでおるというような話を聞いております。それからまた、港湾荷役の近代化もおくれておるというような、これはどうも勘ぐると、ああいう非近代的な労働組織なんかが荷役労働にまだ非常に大きな幅をきかしているというのは、やっぱり先ほどから申しますように、総合的な交通政策からくる配慮がないという点に尽きると思います。もちろん陸上輸送として、貨物に対するところの貨物輸送の生産力の拡大が、国鉄においてはおくれているだろうという問題がありますが、それで先ほどの問題ともちょっと関連するのですが、先ごろ新聞によりますと、これはかねがね私どももきわめておかしいと思っておるのですが、略して新全総という計画がありました。これが最近御破算になりそうなうわさを聞いておりますが、とにかくもうかるところで手っとり早く勝負しようというような、どうも日本の再開発計画のように感じられるわけですが、結局合理化というのは一体何のためにやるかというと、これまたどうもいろはの点に戻って恐縮なんですが、一体何のための合理化であるか。結局人間のよりよい生活への方向を目ざすために、何を優先的に取り上げていくかということだと思うのです。先にどこが一番もうかるか、どのくらいもうかるかということでもって合理化というと、先ほどから何べんも申しておりますように、世界的な笑いぐさだと思うのですが、マル生運動なんていうのは。そういうふうなものが先に出てくると、なるたけ目につく人件費を経常会計の中で削減しよううということから、昭和何年ですか、国鉄労働者を十一万人も配置転換ないしは整理をするというようなプランが出ておるわけですが、これは一体何のために生産力を拡大するのかということに、きわめて理論的にも疑念を持たざるを得ないわけです。  それから第二に、そういうふうな今日行なわれているところの国鉄合理化というものが、利用者国民大衆のためになるかならないか。これはお答えするまでもないと思うのです。それこそ日本国民約一億人、子供がいますから六、七千万ぐらいでしょうけれども、アンケートを、悉皆調査をおやりになったらよかろうかと存じます。これは金がかかるからできぬということでしたら、主権者の代表としてここに来ておるわれわれの意見を参酌していただきたい。  それからまた、高福祉高負担ということばがよく使われますが、これも先ほどから申しますように、特に交通業におけるところの公共性という概念の内容をもう一ぺんよく考えていただきたい。矛盾はますます拡大するばかりだということが言えると思います。  それから第四番目ぐらいだと思いますが、経営の公開の問題ですが、これはどうも私事を申し上げて恐縮ですが、最近、国鉄に行きましても、われわれ民間の私立大学の教員なんかには、監査報告書なんてのはなかなかくれません。今日、日本は非常に秘密ばやりでして、秘密の多いことはわかります。またまた行政を担当する方々の権力の基礎、権威主義の基礎というのは、そういう統計を秘密にすることにあると、そういうふうに行政学者は言っておりますが、とにかく監査委員会のあり方そのものに、また、その委員の選抜なんかについても非常に問題があるわけです。昨年あたり、われわれ関東、関西の学者二十六、七人集まって、いろんな交通政策の提案をやったことがございますが、もっと経営の公開はやりようがあるだろうというふうに考えます。  それから五番目の、東京から北海道へ荷物を運ぶ場合でも、いわゆる対抗手段の利用が可能じゃないか、これは当然だと思います。これは、まさしくよりよい生活拡大するために、経営的にじゃなく技術的に合理的な手段の選択を真剣に十分やる必要があると思います。  それから最後は、マル生で——もう何べんも申し上げておるので、こういう、どうも黙って動け、文句は言うなというような経営政策というのは、これはやっぱり非常に封建的な色彩が強過ぎて全く形容することばがないと思うわけです。とにかく、そういう点では何べんもわれわれお話しているのですが、かつてフランスで学生騒動が起こってひどいときに、フランスの壁新聞に、壁に耳はあるんだ、ところが耳にも壁があるじゃないかというあれが出たそうですが、どうもわれわれの意見というのはさっぱり耳に通っていかないんじゃなかろうかという気がいたすわけですが、まあこの辺で失礼します。
  67. 川口弘

    公述人(川口弘君) お尋ねのありました二点の第一点でありますけれども、まあ利用者負担のたてまえをずっと押し通していけば、貨物運賃を上げろ、こういうことになるんじゃないか、こういうお話なんですが、私はある程度それはやむを得ないんじゃないかというふうに考えるわけであります。ただその場合に、全体として運賃を上げないで調整をするということになれば、一方では、旅客運賃のあるものを若干下げるというような措置を伴うならば、料金体系の合理化という点でやむを得ない面があるんじゃないか、こういうふうに考えるわけであります。  実は、先ほど岡田さんのお話しの中にありましたけれども、いままで貨物関係の投資が押えられて近代化がおくれている。それは新幹線投資を優先させたことの犠牲だ。だから今度はその貨物の近代化をはかるために、ある程度旅客運賃で負担をするということもしかたがないんじゃないか、こんなお話だったと思うのですけれども、なるほど限りある投資資金の取り合いという形で、新幹線が優先されたという意味では貨物の改善が不利な扱いを受けたという面があるかもしれませんけれども、御承知のように、東海道新幹線は七年間で元を取ってしまっているわけですから、東海道新幹線の資金の調達のために、貨物運送の利益のほうからこれをカバーしたというような関係は全然ないわけであります。だから、今度その貨物の近代化を進めるという場合に、それを旅客運賃の黒字から多少カバーしてもいいじゃないかという話は、私はどうも納得がまいりません。もちろん、貨物の近代化ということは原理的にいえば必要だと思いますから、その必要な投資資金について、私はむしろ財政でめんどうを見るべきではないだろうか、こういう考え方をしております。  それで、次に合理化方向でありますけれども、確かにその貨物取り扱い駅を集約してその数が減っている。小口利用者に非常に不利な形で合理化が進められているというような点があるわけであります。で、貨物ターミナルなどを設けなければならないというような、そういう面があることは私も事実だと思いますけれども、しかし、大衆の小口利用というものの便益を犠牲にしてそのような方向だけを推進するということは誤りであると思うのでございます。ある程度コストの問題を度外視しても小口利用の便宜は維持しなければならないだろう、このように考えております。合理化方向として、マル生運動というようなものは私などのように特別そういう労働問題などに従来深いかかわりのない者から見ても論外であると思います。そういう形で労働者にしわを寄せる合理化ということには反対であります。  それでは、どういう合理化政策を進めたらいいかということでありますけれども、私は必ずしも交通政策の専門家でありませんので、その具体的な内容についてここで詳しく申し上げる準備は持ち合わせておりません。ただ、言えることは、国鉄の場合に、結局、料金原則として総合原価主義をとらざるを得ない一面がある。たとえば、非常に過疎的な地方にもシビルミニマムといった観点から、一定の輸送手段を維持しなければならぬ、こういうようなことを国鉄は担当しているわけでありますから、その意味ではある程度の総合原価主義で他の分野でそのコストを負担するということも必要だと思われます。ですから総合原価主義を全面的に間違っているというふうには考えておりませんけれども、その総合原価主義のたてまえの上で、いわば差別原価主義的な、差別料金主義的な料金政策がとられておって、その結果どこかで特別にコストを割るような低価格が設定されると、そのしわが他の分野に寄せられてくる、こういうような問題があるわけです。そこで、なるほど貨物の場合には近代的ないろいろな輸送手段が発展してきて、競争が激化してきたということから、低料金に押えたいという要求が出てくるわけでありますけれども、この問題は国鉄が担当している公共的なその任務を配慮いたしますならば、やはり財政負担でできるだけカバーをしていって、ほかのところに料金でしわを寄せるということは避けるべきではないだろうか、こんなふうに考えているわけであります。
  68. 田代富士男

    田代富士男君 私は、午前中諸先生方の公述をお聞きいたしまして、十二時に帰らなくちゃならないとおっしゃいまして中西先生がお帰りになりました。そのときに私、お聞きしたいと思っていたんですが、時間がないためにそれをまあお聞きすることができなかったわけなんですが、川口先生からもいまるるお話がありまして、特に午前中に、国鉄運賃が値上げした場合、他の物価に与える影響についてお話がございました。やはり川口先生も同じだと思いますが、私たちも庶民の生活を圧迫するようなそういう公共料金値上げには反対していきたい。これは私たちの姿勢であります。根本姿勢であります。それで中西先生は、さほどの影響はないと——まあいろいろあと質問してかみ合えば結論が出たかと思いますけれども、流通機構の問題である。確かに流通機構の問題は私たちも異論があります。当参議院におきましても物価対策特別委員会がございますが、その委員会でも私は流通機構の問題について取り組んだことがございますが、今回の運賃値上げの影響というものを考えていきますと、同じ交通料金の値上げというものに対する誘発といいますか、これがもう目に見えているわけなんです。午前中も一、二指摘されましたけれども、現在値上げが予想されております交通料金は、営団地下鉄がいままで三キロ四十円でございます。これが三八・二%の値上げの申請がなされております。それからいま、新幹線と航空問題というのは、これは切っても切れない関係でいつも検討されておりますが、航空料金を調べてみますと、幹線系が現料金に対して二〇・六%、それからローカル線糸が二二・六%、これは完全に国鉄運賃の値上げに見合ったような申請が出されております。これ以外に都営地下鉄だとか、各地方のタクシー料金であるとか、るるこういう交通料金の関係の便乗値上げだけでもこれだけ出ているわけですね。また、今回午前中にもちょっと触れておりましたんですが、私鉄との運賃格差が拡大いたします。これに対しては午前中から指摘がございましたとおりに、国鉄に乗車していた人が私鉄に移るんじゃないか。その場合の私鉄の保安というような問題、交通をどうしてさばくか、それは問題でありますが、この問題も論議しなくてはならないんですが、差しおくとしまして、料金の問題から入りますと、通勤定期一カ月間の資料を調べてみますと、京浜急行を例にとりますと、品川−横浜間、これは国鉄も京浜急行も始発、終発同じでございます。これで現在通勤定期は二千六百四十円でございます。ところが今回の値上げがもしか実施された場合、まだわれわれ反対しておりますが、もしか実施された場合あくまで数字の上で出てくるのは三千六百円、ところが京浜急行の私鉄の一カ月間の通勤定期というのは二千五百九十円、そういたしますと、値上げの三千六百円から二千五百九十円を引きますと差額が千飛び十円、これだけの差額が出てくるわけなんです。同じく今度は京王電鉄にたとえまして新宿−八王子間を例にとりますと、通勤定期一カ月間が現在国鉄では四千二百円、これがただいま申しますとおりに値上げが実施されますと五千四百六十円、京王電鉄の通勤定期一カ月の料金は三千四百十円でございます。そうしますと五千四百六十円から三千四百十円引きますと二千飛び五十円の差額が出てくるわけですね。これだけの違いが出てきたならばおそらく私鉄料金値上げの申請をするでしょう。だから国鉄料金というのはまあ大阪城が落ちたような場合の、外堀をまず埋められた、国鉄料金という。そうしますと、その中にある内堀である私鉄料金も埋まっていくという、そういうようなふうに思います。これは誘発することは火を見るよりも明らかじゃないかと思うのです。また、今度は諸物価への値上りをもたらすといういろいろな立場からお話しでありますが、その一つを例に取り上げますと今回の国鉄旅客運賃の値上げ、あるいは貨物運賃の値上げがされますとまず第一番目に公共政策割引は今回は改定されるようになっております。それから遠距離逓減制もなくなってきているわけです。だから遠距離貨物運賃というのは大幅に上がる。北は北海道、南は鹿児島にいくに従って上がる。このためにさっき時間がございませんでしたから私は少しだけ述べましたが、北海道だけでもまあ大体の見込みですけれども、増額約二百億円くらいの増加になるんじゃないかということを心配をいたしまして、そうしますとそれが生産者の負担になりますし、消費者物価に与える影響というものは大きいんじゃないかと思います。午前中、中西先生帰られたときに卸売り物価の問題を述べられまして、私そのあとまた質問しようと思ったんですけれども、やむを得ずお先に失礼ということでお帰りになりましたわけなんですけれども、これは私は非常に影響があることは間違いないじゃないかと思うのです。そういうことから考えて、政府自身はそういうことを考えているのか考えてないのか、政府自身の今年度の物価上昇率は五・三%と予想されております。しかし、この五・三%という予想されておりますけれども、私は物価上昇率というものは、政府のこの五・三%を上回るのじゃなかろうかと思うのです。というのは、今回の国鉄運賃の値上げに伴う他のこういう交通料金の値上げ、あるいは諸物価の値上げというものはこの中に含まれていないわけなんです。そういうことを考えた場合に、予想以上の物価上昇率になることは明らかなような、そういう面から私は庶民の代表、国民の代表としていま中西先生いらっしゃいませんけれども、私は中西先生の意見に対して反対で、幸い川口先生もそういう趣旨のことをおっしゃったのですけれども、もう一度川口先生、この点につきましてお考えをお願いしたいと思います。
  69. 川口弘

    公述人(川口弘君) 国鉄運賃値上げが消費者物価にどの程度はね返るかという問題についてもう少し詳しく私見を述べるように、こういうことでございますが、私もこの運賃値上げの消費者物価への影響のしかた、これは午前中の公述の中でも三とおりに分けて申し上げたのです。つまり、直接消費者の国鉄利用の費用がふえる、こういう形で直接消費者物価を押し上げる作用と、それから貨物運賃の上昇を通じていろいろな物価にはね返って、それが結局、消費者物価にも響いてくる、そういうルートと、最後に私は誘発効果というふうに言っているわけですけれども国鉄運賃の値上げが公共料金、特に交通料金のプライスリーダー的な役割りを果たしますし、さらに、交通料金が上がれば一般の公共料金にもそれが波及していく、こういうような形で起こってくる誘発効果と三とおりに分けて考える必要があると思うのです。なるほど消費者物価指数の品目別のウェートを見てみますと、確かに国鉄運賃については一・五ポイントぐらいの比較的小さなウエートには違いありません。しかし、この場合、宝田公述人が指摘されたことでありますけれども国鉄を利用しているもの、利用しなければならないものと、利用しないで済むものとが全部平均されて、そういうウエートになっているわけでありますから、利用せざるを得ないものにとってはもっと大きな影響があるということは明らかであります。なお、かなり多くの企業が交通費の負担をしておりますから、その負担の範囲内で値上げがおさまった場合には、直接勤労者に意識されないというようなことはあるかと思います。逆に税制上企業が負担し得る限度がございますので、それを越えて料金を払っているものにとっては値上げ率は非常に大きなものになってくる。その場合、そんなに遠距離に住むもののために、近くに住んでいるものが税金で負担する手はないじゃないかというようなことを岡田公述人が言われたのですけれども、今日勤労者がかなり遠いところから通わざるを得ないというのは何も好んで、そういうところに住んでいるわけではありません。やむを得ず、非常に犠牲を払いながら遠隔地から通っているわけでありますから、そういう観点はちょっ私は納得できないところであります。したがって、平均的なポイントとして、比較的小さいように見えますけれども、直接の消費者への、国鉄利用者への影響という点でも決してこれは軽視できない問題だと思います。  それから次に、一般物価への運賃騰貴を通じてのはね返りでありますけれども、ここで問題なのは、確かに中西さんでしたか——が御指摘になりましたように、今日のいろいろな生産物のコストの中で鉄道運賃が占める割合というものが比較的小さい、こういうことは事実でありましょうけれども、しかし小さくても、それが上がるわけでありますから、したがって貨物によっては、商品によってはやはりこれが価格にはね返ってくる、こういうことは十分考えられるわけであります。その程度がどのくらいかという計測は、これは岡田さんもおっしゃいましたように、正確な計測というのは非常にむずかしい、いろいろな仮定を置いて見なければなりませんから。したがって、私も何%影響するというような答えは出せないんですけれども、しかし、かなりな影響があるだろうということを想定しているわけであります。しかも、それは独占的な企業が取り扱っている商品とそれから中小企業の取り扱っている商品とでは当然影響度が違ってくるであろう、こういうような感じを持っているわけであります。しかし、もっと大きなのは、いま御指摘があったような誘発効果の影響でありまして、この誘発効果もまたすべて国鉄運賃について私が言いました三つのルートからもう一度影響を及ぼすわけでありますから、その総合的な影響は決して軽視し得ないであろう、私の申し上げるのはこの程度であります。
  70. 田代富士男

    田代富士男君 いま先生おっしゃいましたとおりに、非常に与える影響は大きいと思います。まあそういうわけで、私たちもいまこの法案に対して審議をしておりますが、まあ朝からもずいぶん論議されましたけれども国鉄が独立採算制であることを理由といたしまして受益者負担とか、いう論議がいまされておりますけれども、そういうことも、私は利用者である国民に対しまして一方的に負担をさせるということに対しては異論があります。しかし、国鉄というものもこれはわれわれが利用しておりますし、これだけ行き詰まった問題を放置するわけにはまいりません。国鉄自身といたしましても、現在、財政再建を達成するためには国鉄みずからが将来とも総合交通体系において国鉄としての役割りを十分発揮できるようにどうするか、そういうところで近代的な経営体制を確立して、再建措置を講じていきたいというのが、これが国鉄の姿勢じゃないかと思うんです。しかし、それがいま言うとおりに、利用者である国民に対しましてその負担を全部さして、こういうことをやるというのは、私はこれはけしからぬと思うんです。だから、ここで大事なことは、いま申すような、そういう姿勢で進まなくちゃなりませんが、これと相まって国鉄財政再建のためにもっと国の財政的な、あるいは政策的な諸施策を講じていくのが当然じゃなかろうかと、私はこのように主張する次第なんですが、だから、国鉄が国民あるいは国にとりましても不可欠の公共企業体であることは言うに及びません。だから、国と国民の要請によるならば、輸送力の増強あるいはそういう設備、そういうものに対する投資というものも国がある程度これは全面的にと、こう言ってもいいくらいにその資金というものを国自身が援助をすべきその行き方が私はほんとうの行き方じゃないかと思うわけなんです。そういう意味におきまして、国の財政的、政策的な諸政策を講じていかねばならないじゃないかと、私はこのように思う次第なんです。  また、午前中にも出ておりましたけれども、利子負担の問題です。昭和四十年度では収入に対しましてこの支払い利子の割合というのは一〇%ぐらいでございましたが、これが四十五年度は一三・八%、これじゃ健全な経営をやれといっても無理じゃないかと思うんです。そういう面からも財政補助のあり方というものはどうあるべきか、この点につきまして川口先生にひとつお考えをお聞かせ願いたいと思います。
  71. 川口弘

    公述人(川口弘君) もともと国鉄というのは、先ほど来から申し上げておりますように、たいへん広い国民の必要に応じて輸送の便宜を提供しなければならない、そういう任務を持っているわけでありますし、さらに言えば非常に巨額の設備投資が必要であり、しかも、それは長期の償却を要するようなそういう設備でありますから、なかなか民間企業にまかせることは困難であります。こういった諸側面があって、これを公営企業が担当している、こういうことでございます。したがって、その設備投資の資金を民間企業と同じような原則で調達していくということがもともと無理でありますから、したがって、国が適正な範囲で設備投資資金のめんどうを見ていくということは当然であろうかと思います。また、いままでそういう方式が十分にとられませんで、外部資金への依存が高過ぎたために多くの利子負担が発生している。この利子負担については全額国がめんどうを見ていくという程度のことが必要ではないかというふうに考えているわけであります。
  72. 田代富士男

    田代富士男君 それにつきまして、国鉄経営というものに対しましても、やはりわれわれが見てもわかるように、先生が午前中に六つの反対理由を述べられた中で、一つ国鉄経理のガラス張り、一言で言うならば、こういう意味のことを午前中に意見をお述べになりました。私たちもそれには賛成でございます。また、いま池田先生が経営の公開というようなことも述べていらっしゃいましたんですが、このようにまあガラス張り経営と申しますか、そうした場合に、先生のお考えとしてどの点を、まあチェックポイントといいますか、どの点をチェックしていくのか、また、どういうメンバーでこういうものをつくり、これは機構あるいはそういう構想といいますか、もし、そういうような先生の御構想あるならば、そのチェックポイントあるいはメンバー、機構というものをどうやっていくべきか、この点について川口、それから池田御両人の先生から御意見なりお考えを聞かしていただきたいと思います。まず、川口先生からどうぞお願いいたします。
  73. 川口弘

    公述人(川口弘君) 私は国鉄の本来の性格から言いまして、その経理内容は国民の前に完全に公開されて、そうして、その中で経営政策や特に料金決定についてすべての国民から批判を受けて行動していくべきである、こういうふうに考えております。  そのガラス張りということの意味でありますけれども、たとえば料金決定政策に関係のありますいろいろな計数、こういうものについて午前中から問題になっております旅客貨物の収支の配分の問題、これは非常に重要な意味を持っているわけなんですけれども、岡田公述人が御指摘になりましたように、実際にはその配分をきちっとした原則で行なうことはなかなかむずかしい、したがって、いろいろな配分のしかたもあり得るわけでありますから、そういう点から現在国鉄当局がその公表を停止されていることに一端の理由はあると思うんです。けれども、その反面で、これも先ほど来私が触れましたけれども、基幹線区と地方線区の収支配分の問題でも同様にむずかしい問題があるはずであります。ところが、これは現在の料金政策を、あるいは国鉄再建政策を裏づけるのに便利であるということで発表されている、こういう態度が、私は問題だと思うわけであります。むずかしいいろいろな解決不能の問題があればあったで、どういう問題があるということを明らかにしながら各種の計算を公表して、その上で、国民の判断を仰ぐということが必要ではないかと思うんであります。  で、次に、そのような経理公開をした上で、広い範囲の国民からの監視を受ける、そういう機構をどうするかということでありますけれども、実は私は先ほども申しましたように、その交通問題自体については決して専門家とは言えませんので、具体的にどんな機構がいいかというようなことを申し上げるのは池田公述人に譲りたいと思いますけれども、ただ言えることは、現在の審議会の構成などが、政府あるいは財界の代表者は入っておっても、たしか労働組合の代表者は入っておられないのではないでしょうか。そういう点が非常に問題だと思うわけで、労働組合の代表者、それから消費者団体の代表者、あるいは地方の小口の荷主の代表というような意味で農民代表なども加えてよろしいのではないかと思いますけれども、そういう広い範囲の代表者が加わった場で問題が検討される、これが必要であろうかと思っております。
  74. 池田博行

    公述人池田博行君) ただいまの御質問ですが、どういう条件が必要であろうかということですが、まず、やっぱり私が先ほど言いました国鉄経営の民主的な管理とでもいいますか、交通管理委員会というものをつくる必要があるというのは、これは昨年、一昨年あたりわれわれが提案したわけでありますが、まず第一に、経理の公開の前に経営条件、特に労働条件に対するわれわれの監視といいますか、発言権を留保さしてもらうということがまず第一に必要だろうと思います。  それから、具体的な経営につきましては、たとえば現在では鉄道建設公団——鉄建公団というのがやられているようですが、新規工事のあり方の問題ですね。これは先ほども質問があってちょっと答えたかと思いますが、今日与えられた国民経済の運行の方向をどういうふうに設定して、そしてどういうところに輸送力をつけ、あるいはより多くの輸送力拡大するような設備投資、資本投下を行なうかという問題を踏まえて、新規工事の、特に新しい大規模な、しかも懐妊期間が長いというような、そういうふうな鉄道その他のような交通関係の新規工事については、ぜひともこれはもっとやっぱり確かにここにおいでになる、国民の選良であるところの代議士先生方におまかせしていいのですが、最近のやっぱり社会経済政策というのはかなり複雑でして、確かにエリートの方々が国民の代表として議会におられるわけですが、これにはやっぱり最近、世界的に問題になっているような市民参加ということばが必要だろうと思うわけです。その市民参加ということばは川口先生からもお話がありましたけれども、このやっぱり労働者、農民、勤労者、市民一般というような立場を……。それから具体的に、技術的にはどういうふうに選抜するかと、そういう問題が残されますが、とにかく民主主義というのは大体時間もかかりますし、金もかかります、労力もかなり要る問題なんで、これには試行錯誤か伴いがちだと思います。しかし、新しくよりよい生活を国民にもたらすためにはどうしたらいいかということは時間がかかっても、かなりのロスか出ても、やはりやらなければならぬ段階だろうと思う。先ほどから申しますように、社会的に危機の段階ですから、いつわれわれ自分では好むと好まざるとにかかわらず殺されるかわからぬですね。町歩いていてもこちらの責任じゃなくて、交通事故で死傷するというような時代、これはほんとうにただならぬ時代であると思うわけでございまして、こういう段階においては、徹底的にそこでもってひとつ考え方を改めて実践していかなければならないだろうと思います。  それから経営ですが、経営の問題についても同じことが言えると思います。いまここで問題になっているところの運賃料金の決定のしかただとか、あるいはどのような線区に輸送力をどのような形でつけるか、たとえば、前から問題が宝田さんからも出ておりましたように、地方の閑散線区の場合、やはり優等列車の優先によって、学校あるいはつとめから帰るのに、時間帯が不便なために、一時間半、二時間待つ。したがって地方におけるところの、特に青少年においては不良化のおそれがあるなんということが新聞に出ています。そういうふうな、簡単にいえばダイヤグラムの決定のしかた、あるいはどういう車両をそこで運行するか、あの非常に混雑する通勤通学の乗り物として、出口が両端にしかないなんという電車を動かすこと自体にも問題があるだろう。それが経営上もうけにつながらないからしかたなくおんぼろ列車、どうも前に桜木町事件で燃えた六三型なんというのがどっかでやっぱり走っているんではないかと思うんです。やっぱりそういうところは経営を改めていく、どういうふうに改めていくかということなら、これはやっぱりこれは参加せざるを得ないんです。最近はやりの「あっしにかかわりのあることでござんせん」ではもう済まなくなってきておるわけです。残念ながらめんどうくさいわけです。私どうも軍隊で病気しましたから、あまりそういう外へ飛び歩くことはできなくなっておるんですが、紋次郎型では済まなくなったというような義務感、責任感を感じるわけです。それで、委員の選抜については、大体そういうことでかなり時間がかかっても、これはやらなければならぬ段階にきているというふうに考えます。  それからもう一つ、ちょっとつけ加えておきますが、先ほど価格の問題、物価へのはね上がりの問題とか、それから運賃決定の問題、あるいは金融操作の問題というものが問題になっていますが、これは資本主義の恥部でして、これはわれわれそれに直接関係のない人間がわかるようでしたら、この体制は崩壊するでしょう。おそらく政権担当者がかわってしまうのではなかろうか。経済学上そういうふうに私は感じます。大体わからぬのが——残念ながらわからぬのが当然で、これは非常に昔ですが、私、昭和二十四年まで、二十二年に復員してから配炭公団というところの調査をやっておりました。御存じのとおり、昭和二十四年の九月に石炭の国家管理が撤廃されたわけですが、それまで大手の炭鉱でもかなりの大手の炭鉱が、たとえば名前を出すとまずいんですが、天皇切り羽と言われるような大体十尺層というような炭層を持つような、優良炭層を持つような会社が赤字としてわれわれのところへ報告書を出していたんです。われわれはそれを監査といいますか、監査の前の点検をやっていたのですが、それが何と九月に撤廃されて、十月から黒字に転換する、一カ月にして経営上優秀な炭鉱になっているというような事実もあります。そういうことを問題にしたとき、昭和二十四年段階で、ある経営者は石炭の原価、値段なんというのはよっぽど好きな人には見せるけれども、一般には見せぬ恥部のようなものだということをある経営者が言ったわけです。したがいましてこの国鉄について、そのようなできるだけ国民的な立場から合理的な監査体制といいますか、管理体制というものをつくるならば、その金融財政面というようなものを離れて、個別資本としての国鉄だけを運営することはこれまた不可能である。また国鉄を、先ほどから公共負担の問題が出ていますが、大体私鉄にしても、国鉄にしても、そういう国家政策にかかわりのあるところの公共——公共ということばあまり使いたくないんですが、そういう社会的に厚生政策ないしは社会政策的な意味合いを持つような負担ですね、それを個別資本が負うことはこれはやっぱりおかしい、これはもうはっきり国鉄経営者の方も考えてほしいと思うんです。そういうところに振り回されてしまうから、結局、大衆負担の運賃値上げに持っていかざるを得ないわけです。その辺を十分ひとつ考え直して、もう一ぺん出発点に返ってほしいというわけです。ですから、総合的な交通政策なしには国鉄再建は、国鉄というばかでかい穴のあいたバケツに水を入れてもこれは無理です、何べんも申し上げるように。ということで私たちの提案するような交通管理委員会というようなものをやらなければならない。ただし、個人的にいいますと、私は別に自分がやらなければだめだということで申し上げているわけではないですが、そういうふうな形で委員を選抜する必要があるだろうというふうに考えます。  終わります。
  75. 田代富士男

    田代富士男君 ただいま活発な御意見をお聞きいたしまして、その問題につきましてもまだお聞きしたい面もありますが、その中の一つに、審議会の構成等におきましてももっと検討して、国民の声、そういうものを反映できるようにすべきであるという、そういう御意見が御両人の御意見じゃなかったかと私は理解をいたします。そういう面から考えますと、今回の新国鉄再建計画の策定に当たりまして、運輸省の当事者に対しましてもとかくの批判がありました。それはどうしてかといえば、再建計画のほとんどというものが自民党の交通部会の作成によって出された。そういうところから、そういう批判がいま出ているところでございます。  そこで私は、運輸省並びに国鉄当局の方々も努力をしている、それはおっしゃるし、私も一応は認めるところですけれども、ほんとうに国鉄再建しようという熱意があるならば、当然、こういう予算編成以前に国鉄再建計画を国民の前に公開すべきじゃなかろうか。それが、いま申すとおりに、自民党の交通部会において作成されたものが中心として取り上げられる、こういうのは断じて私は改めていかねばならないし、ここらあたりにも根本的な問題があるのじゃなかろうかと、危惧の念を持つ次第なんです。そういうところで、国鉄運賃改定内容を審議する審議会が運輸審議会でございますが、まあ運輸審議会にいま国民の声を反映するようにということがございましたが、この運輸審議会御自身に対しましてもいろいろ批判が浴びせかけられております。今回の場合を考えましても、運輸大臣は国鉄から運賃改定申請が出されますと、運輸審議会に改定案を諮問しなくちゃなりません。それが今回行なわれたわけなんです。そして二月の八日に全国で、全国民の声、北は北海道から九州まで一応公聴会を持つなりして聞くべきでありますけれども、全国でただ一カ所、東京において形式的な異例の公聴会が開かれました。これはもう諸先生方、御承知のとおりだと思います。この公聴会の内容でございますが、公述人の人々からは強い値上げ反対意見が述べられました。それと同時に、大きな問題点は、きょう宝田先生からも意見が出ておりましたが、公聴会のあり方について、ただ単に言いっ放し、それだけでなくして、政府は何らそれに対する答えを出していないじゃないか、そういう御意見も午前中ございました。この公聴会におきましても、公聴会のあり方に対する疑問が投げられる大きな意見が出されているのです。それはけさの御意見と全く同じです。  そこで、二月の八日東京において行なわれました異例の公聴会におけるそういう内容を一、二申し上げますと、こういう意見が出ている。国鉄運賃値上げは四十七年度予算編成の際、政府・自民党の間で実質的にきめられており、国鉄の運輸省に対する値上げ申請、運輸審議会の公聴会開催などはいわば単なる手続にすぎないのじゃないか、こういう活発な意見も出ておりますし、また値上げの方針がきまっていて、そのワクの中でしか運輸審議会の審議が行なわれないのでは無意味じゃないか、もう一定のきめられたワク内での審議会、これは無意味じゃないか、また、運輸審議会委員に、いまも川口先生から御意見がありましたが、そういう消費者代表を加えよ——この公聴会においても、そういうような公聴会自身のあり方、もちろん、運賃値上げに反対の御意見と同時に、公聴会自身のあり方の声がこのように述べられております。これらの意見から考えまして、公聴会のあり方と運輸審議会の構成などの基本的な問題につきまして、これは抜本的に考える時期がきているのじゃなかろうか。特に私は宝田先生に、朝くしくもそういう御意見を述べられましたから、私はあえてこのことを申し上げたいと思うわけなんですが、今回の運賃の改定申請はちょっとひど過ぎるくらいの日程になっているのですね。日程自身を振り返って見ますと、一月二十一日国鉄から運賃改定申請が出されて、いま申します二月八日公聴会、そうして値上げに関する答申がもう四日後の二月十二日に出された。そうして、その後二月の十五日に閣議決定、そうして十八日に関係法案の国会提出、まさに「ひかりは西へ」の超特急じゃありませんが、それ以上の超特急でこのような審議がなされているわけなんです。私はこれじゃ国民不在の政治じゃないか。国民不在な運輸行政じゃなかろうか。これだけ一月二十一日から二月の十八日まで、国会関係法案を整えて国会提出しようというこれだけの努力を、ふだんからこういう国民生活優先の方向でこれを取り組んでいるならば、もっと今日のような、毎日利子の支払いだけでも数億円というような、こういうような企業体にならなくても済んだのじゃなかろうか、そういう意味から私はこの公聴会のあり方、審議会のあり方、これにつきましてひとつ宝田先生から御意見をお聞きしたいと思います。  それと同時に岡田先生も、こういう一月二十一日から二月の十八日まで、一カ月足らずにこのような法案が出てくる、こういうやり方に対して御意見をお聞かせ願いたいと思います。
  76. 宝田善

    公述人(宝田善君) 田代さんの御意見はもっともだと思うのです。戦後といってもいいほどですが、いまだかつてこういう公共料金をめぐって基本的な審議がされたことはなかったのではないか。ほとんどの公聴会というのは隠れみの、あるいはセレモニーで終わってきた。それが最近、先ほどの東京瓦斯の問題等々、やはり国鉄の今度の運賃の問題もそうですが、期せずして問題が出てきた。このことをやはり政府はちゃんと取り上げるべきであろう。そのことの一番基本的な問題は、政府、特に運輸省あるいは国鉄でしょうけれども、当局においての理論的な貧困にある。公聴会とか制度、先ほど田代さんが言われましたその民主的な、あるいは経理公開的な機関というふうなものは、形を幾らつくってもだめであります。いままでも政府はいろいろな審議会というものを持っております。経済審議会を富士山の頂上にすれば、各問題ごとにあらゆる審議会というものを持っていますけれども、そこでは理論的な対決をしないで足して二で割ったようなことをやったり、事務局が最終答案を書いちゃって、意見はみな少数にきまっていますから、各層の意見が出てくるわけですから、足して終わりですよ。どっちが正しいかとか、そういうことを国民の前に出さないでやってしまう。まして今度の国鉄運賃の問題のように、そんな異例のスピードでやったら国民なんか審議に参加できる余地は全くない。だから、これからのそういう政治のあり方というものは抜本的に変えなければいけない。特に問題なのは今度の問題に関して言えば、われわれ国民がばくと感じていることは、午前中も言いましたように、もう国鉄があってわれわれの生活があるのじゃなくて、われわれが国鉄私鉄その他の輸送手段の上に乗っからなければ生きていけないというところまで実態のほうが進んでいるんだから、これは一国鉄経営論とか企業採算論で問題を処理されては困るんだと、同じことは医療もそうでありますし、年金もそうであります。もう家族制度——戦前のような家族制度がないのだから、これからの老人というものは、中高年労働者というものは、生涯働いてきて老後は何にも保障がないというのでは生きていかれないんだから、現代の社会では少なくとも老後は働いた時代の半分の生活を保障するという前提でしか生きていかれないと、そういう時代になっているんだから、われわれにとっては年金制度であるとか、老後保障というのは、これは公共的な制度でなければならない。個人の責任ではもう生きていけない。いろんな意味で教育とか住宅とか交通とか医療とか所得保障というふうなものは、現代社会では生きていくための前提条件になっている。それを前提にして生きるのだというふうに社会が変わってしまっている。にもかかわらず、日本ではそのどれをとっても全然だめだったわけです。特に交通の場合がそうであります。にもかかわらず、そこで、そういうふうに国民が非常に困ってヒステリックともいうほど運賃値上げに対して反対するのは、片方では先ほどから言っていますように利用できなくなっちゃっている。サービスが低下をして運賃は上がる悪循環がどんどん進んでいって、現実にそれは社会的なサービスであると、大衆的な交通輸送手段を確保するというのは国の責任で行なうべき社会的サービスの中身をもうなしているにもかかわらず、そういう問題に対する政府の回答がないから、国民はばくたる不信感、これで運賃を上げられてはかなわない、そこに運賃値上げ絶対反対という気持ちがあるわけです。筋の通った説明が運輸省とか政府国鉄からなされていないところに問題がある。  きょう一日いろいろやりとりをしておりますのを聞いて、総括して言えることは、やっぱり企業ベースで考えるからこういうことをしなければならないと、企業ベースのワク内で旅客運賃貨物運賃をどうすべきとか、そういう議論はいろいろあったわけですけれども、一体国鉄企業ベースの問題で交通政策のあり方、あるいはその上に乗っかる運賃負担の問題、そういうことをきめていいのかと、もしそれでやるならば、いまのようなやり方をするしかしようがないわけです。いま国民が不満を持っているのは、国鉄の財政とか、そういうことから一国の交通政策をきめてくることに対する批判なんです。そこを抜きにして運賃運賃というから、これは納得できない。午前中私も言いましたように、ある保証があって、今後大衆の交通手段というものはこういうふうに持っていくと、そのためにいまはこれだけ上げてくれということであれば、国民はそれを審議するにやぶさかではない。そこがないわけですね、いまの提案というのは。今度の法律提案の趣旨を見ても全くない。しかるに民間では、先ほど言い古したように、午前中言いましたように、いろいろこれからのあるいは現在の大衆輸送手段というものはいかにあるべきかという問題が各方面から各種出ているわけでしょう。都市の再開発の場合に大衆交通手段はどうするかとか、いろいろな問題がヨーロッパでも出ているというふうなことを、きょう一日出たわけです。そういうことに対する政府側の理論的な解明がない。それはできないからいまのようなやり方をやるというのであれば、また議論は一段先に進むと思う。そういうことをちゃんと審議できる場所がほしいとわれわれは言っているわけです。聞き流される公聴会ではたまらない。ですから、審議機関を当然持つべきであります。私もそう考えますが、そこはちゃんと決定権を持ってもらいたい。と同時に、そういう民間から出されます問題に対して、論理的な答えを出していただきたい。それ抜きにいまのベースの上であらゆる問題を処理されては国民は納得できないということであります。  それからなお、ついでながら申し上げますと、先ほど田代さんは外堀論というものを展開されましたけれども国鉄運賃を上げますと、私鉄通勤者が流れていく。しかし、どっちに流れようと国民にとっては安いほうを選んでいるだけなんです。そうしますと、私鉄がまた過密になる、混雑対策でまた投資が必要です。この投資はやっぱり相当高い。国鉄でやって高いものは私鉄でやっても高いわけです。ある時間をおきますと必ず私鉄運賃値上げにまたはね返ってくる。決して抜本的な解決にはならない。いずれにしましても、そういうことを基本的に議論できて、論理的に解明できる場所をつくってもらいたいというのが私の念願であります。
  77. 岡田清

    公述人(岡田清君) 質問の内容が二点あったと思います。第一点は、公聴会のあり方あるいは審議会全体のあり方の問題であろうかと思います。この点につきましては、非常に問題が複雑でございまして、各国の制度その他を比較検討してみますると、いろいろな形の審議会なり、やり方がございます。で、また、イギリスの例を出してたいへん恐縮でございますけれども、特に公社のような公共企業体に関しましては、一定の白書を何年かおきに出しております。これに学者もやはり公述人として出ています。その意味では日本やり方と非常によく似ておりまするけれども、どういう学者がどういう審議をしたということは資料として一般に販売されているのです。こういうことをどこまでやるべきかというのは非常に議論のあるところでありまして、われわれが物を買います場合に、物の値段を一回、一回バーゲンにかけまして物を買うようなやり方もありましょうし、それから与えられた値段で買う場合もありましょうし、これを一々運賃値上げ、ああそうですかということで、何年もかかってそれを審議しているということはほとんど不可能であります。同じようなことをやるとすれば、何も国鉄だけではございませんで、ガスその他もございます。だからといって、先ほどから議論になっておりますように、経理の公開その他の原則は当然守らなければいけませんし、まあできることであれば、市民の意見の反映ということも決しておろそかにしてはいけませんけれども、これを制度の上にいかに反映させるべきかという点では、制度的な問題は他にもたくさん実はあるわけであります。先ほどから言っておりますように、大学問題にいたしましても、国立大学の授業料を上げようと思うと、一部の公共料金値上げ反対ということで上げるわけにいかない。その一方で、私立大学のほうはどんどん上がっていく。格差は開いていく。価値観は倒錯していく。つまりいいものがまあ安くて悪いものが高いという現象があちこちに起こってくること自身の中に実は問題があるわけであります。そういうふうな価値の倒錯の起こらないような努力はイギリスあたりで非常に強く政府自身がやっております。たとえば、先ほど出ております国鉄運賃私鉄運賃の関係でございますが、これに対してはロンドン・トランスポート・エギュゼキュティブのほうで、そっちのほうから、アシミレーション・プリンシプルと言っておりますが、同じ路線については、同じサービスに対しては同一運賃を適用するということを訴えております。国鉄運賃私鉄運賃の格差が開くから私鉄運賃のほうを上げるという調整がいいとは思いませんけれども、これはまあいままでの政策のあかもだいぶんたまっております。だからといって、国鉄を今度上げないでいきますると、地方のバス会社は全部倒産に追い込まれるに違いない。こういうふうに考えてまいりますと、各地域ごとに非常なアンバランスがあることはたしかであります。その辺の調査をいかにつけるかという努力をやらない限り、まあいろいろな専門的な問題で非常に複雑な問題が多岐にわたっておりますので、公聴会あるいは審議会のあり方とも関連いたしまして、よほど専門的な検討を行なって、それでオールタナティブといいますか、代替案を幾つか提示して国民の判断にゆだねる、こういう政策のほうがより望ましいあり方であるというふうに考えております。  その意味で、第二点の「ひかりは西へ」ということで、超スピードで審議が行なわれるということについて問題はないかということでございますが、この点もたいへん微妙なところでございまして、予算の単年度主義の政策をとられております。同じように政府政策展開の中で長期の政策と短期の政策の斉合性というものを何とかしてつけようという努力を運輸部門におきましては相当程度行なわれている。これは一つには、投資という問題が非常に大きくのしかかってまいりますものですから、その計画の問題を考えていかなければいけないというふうなことから、かなり長期計画とからんで議論がされている。ただ、私が注文を出すといたしますると、一つだけ注文を出したいわけであります。で、どういうことであるかと言いますと、これまでの運輸政策その他の政策を見てまいりますると、投資の政策は五カ年計画その他でかなり明確に打ち出されてまいりました。新全総、いろいろなこと、非難はございますけれども、開発政策なんかもかなり打ち出されてまいりました。しかしながら、現実運賃決定政策その他についての政策は、必ずしも十分にはまあ民間に知らされてきたとは言えないのではないか。まあたいへん回りくどい言い方になりましたけれども、ソフト面こそ国民の公平感あるいは価値の倒錯を防ぐ意味においては非常に重要であるというふうに思います。だからといって今回のことについて私はとやかく言うつもりはございません。むしろ国会の制度の中にこそ問題を残しておる面もあるというふうに指摘して、たいへん差し出がましい意見でございますが……。
  78. 田代富士男

    田代富士男君 今日は委員会ではございませんからこれ以上お尋ねすることはできないと思います。委員会でありましたならば、もっとお聞きしたい面もありますが、それでは最後にもう一言だけお尋ねしたいと思いますが、実は公明党が全国各地に調査を行ないました。その調査によりまして国鉄現場の職員の皆さま方のなまの声を聞くことができました。その調査資料の中でさまざまな御意見がございましたが、その意見一つとして下部の意見は全く上部には通じてないというこういう意見が非常に多かった。職場の第一線で仕事をしてらっしゃる皆さんの意見が通用してない。それに反してつまり上意下達と申しますか、一方通行の文書、通達あるいは会議ですべてが行なわれている。これはちょっと行き過ぎな面もあるかもわかりませんけれども、そういうようなことに対する意見というもの、下部のすぐれた意見を、経営者があるいは責任の地位に立つ人がもっと積極的に率直に受け入れてもらえないだろうか。私はいま国鉄再建をどうするか、もちろん、財政的な援助も必要だろうといういまいろいろ論議されましたが、それも必要であると同時に、根本問題は私はここにあるんじゃないかと思うのです。こういうような下部のすぐれた意見経営者が積極的に受け入れていくというようなそういうような体質改善が行なわれない限り、組織というものは形骸化してしまうんじゃないかと思うわけです。そういう意味から池田先生でございましたでしょうか、壁に耳にあり、耳に壁ありとか、そういう声が反映できないという意味のことをさっき申していらっしゃいましたが、私同感でございます。そういう点からまあ幸い宝田公述人が労働者を代表されて、民間代表として参加しているわけなんですけれども、こういう面でわれわれ国民の血税である一般会計から繰り入れて何とか再建しよう。それと同時に、こういう問題を今後どのようにして解決してやったらよいかというそういう点につきまして池田、宝田御両人の先生からお聞きしたいと思います。これで、私の質問は終わりたいと思います。
  79. 池田博行

    公述人池田博行君) ただいまの御質問はちょっとむずかしいようでして、私の能力を越えるわけですが、前にもちょっと申し上げましたように、やっぱり計画を、そういう政策あるいは提案を言う以上は、それに対する責任と権限を与えられない限り、別に出し惜しみするわけじゃなくてむしろ能力あるいは状況を踏まえていないということでして、先ほども申し上げましたように、私、国鉄あるいは運輸省の課長でもなければ、総裁でも大臣でも次官でもないという状況でありまして、問題点の指摘だけはかなりずいぶん口の悪い表現で申したわけなんですが、体質の改善というのはきわめてむずかしいだろうと思います。その例を一つあげますと私の友人でいまは東洋大学におられる大島藤太郎という教授、博士がおられます。彼が岩波から御存じだと思いますが、「国鉄」という岩波新書を出されました。これはいまどういうわけだか絶版になってしまったのですが、非常に名著と言っていい小さい本ですが、これを某現役の総裁があれはけしからぬ本だと、絶版にしてくれと岩波に申し込まれたということを聞いておるんです。ということで、これは国鉄の職員の方を私、悪口言うんじゃないですけれども、これは歴史的につちかわれた親方日の丸とかいろんな悪口が言われたわけですが、家族主義だとか、この体質が一朝一夕にわれわれが提案や制度に参画することによって変わるとはちょっと残念ながら期待していないのです。ですから具体的な提案を出せと言われましても、私はどうもその点は能力不足でして残念ながらお答えできないのです。
  80. 宝田善

    公述人(宝田善君) ただいまの質問国鉄当局がやる気になれば十分できると思います。というのはどこの国でも労働組合というものをまずちゃんと認めた上で団体交渉ということをやっているわけです。労働条件というものは、そういう団体交渉でちゃんときめるということを通してしか労働者の声というものは当局には伝わらないと思うのです。片方でめちゃくちゃなことをやっておいて、片方で意見を聞くといったってだれが意見を言うはずがない。いまの国鉄の内部というものは、当局と労働者の間の不信関係が一番大きいでしょう。われわれがマル生で一番問題にしたのはそこです。マル生問題というのは公労委であれだけの決着がつきました。が、残された、あとに残った職場の荒廃というものは惨たんたるものがある。われわれがそれを調査して発表しても、おそらくどうせ総評のやることだからということで信頼されないと思うので、できれば第三者機関がお入りになってお調べになればわかる。職制がどういうことをやり、労働者がどういう抵抗をやって、あとどういう労使関係が残っているか。ひどいものですよ。そういうことを片方でやっておいて、片方で下意上達と言ってみたところで、当局がそういう姿勢になっていない。団体交渉を否定して片方でそういうことはできるはずがない。ですから当局がちゃんと下の声を聞いて経営の内部の問題について労働者、労働組合の意見を聞こうとするなら、それだけ労働組合、労働者をちゃんと扱いをした上でお聞きになれば十分声は出てくると思います。それがただ非常に重要だということは田代さんのおっしゃるとおりであります。一つの例は林野の問題です。いま一番大きな問題は林野です。山が破壊されている、緑がなくなってくる。一体日本の緑をどうしたらいいかというときに、確かに学者の理論的な説明も非常に重要です。同時に林野で働いている労働者の声を聞くと一番よくわかる。国鉄の場合も、どこに危険があるかなんというのは現場の声を聞いてごらんなさいすぐわかるから。どこで手を抜いているかということがみんなわかってしまいます。ですから、労働者の声を聞いたらあぶなくて電車に乗る気になれない、そういうケースは一ぱいあります。いま問題なのは公務員、公労協労働者ですね、こういう人たちというものは大かれ少なかれ社会的なサービスをやっているわけでしょう。看護婦さんの声を聞いたらあぶなくて病院に入れないでしょう。みんなそうなんですよ。ですから、理論的な解明と同時に、そこに働いている労働者の声をいまこそ聞くべき時代にきているわけです。一番よく現場の欠点、問題点を知っているわけです。だからおっしゃるとおり、まさに下意上達こそやらなければならない。が、それにはそれだけの当局の姿勢が必要だ、その姿勢というのは、単に観念の問題だけではなくて、いまの国鉄当局というのは当事者能力がないわけですね。賃金の決定一つ見てもそうです。あらゆる問題について当事者能力を持っていない。理論的にも持っていない。もし持っているならば、日本の交通システムの中で唯一最大の組織である国鉄当局が日本の交通政策について閣議できまったからとか、何とかの前提でしかものが世間に対して言えないなんというばかなことはないと思うのです。ですから、むしろ私は国鉄当局あるいは運輸省に、特に国鉄当局に労働条件についても当事者能力をちゃんとお持ちなさい、しかる後に、労働組合を近代的な態度で扱いなさい、その上でいろいろ意見を聞きなさい、一ぱい問題は出ますよ。黄色い問題でしょう。あの小便をたれ流すやつ、あれも結局国鉄労組の運動であれいろいろ改善されたわけですからね。ああいうふうに抵抗というかっこうでなくったって、もっとまともに出すべきルートは国鉄当局の姿勢いかんによっては幾らでもでき得ると思います。  以上です。
  81. 小柳勇

    ○小柳勇君 おそくなりましたが、非常に重要な問題でありますから、私も各公述人質問をいたしたいと思います。なお、私どもの頭の中に、これから政府国鉄質問する問題がたくさん詰まっているのでありますが、その中で政府国鉄質問すれば確かにこういう答弁されるだろうという予想がつく問題もたくさんあります。きょうはせっかく学者の皆さん、あるいは一般公募の貴重な公述人おみえでありますから、客観的な御意見を聞かしていただきます。それが私どもの党の、各党ともそうでありましょうが、政策となりまして、必ず近いうちに日本の鉄道というものがよくなるものと確信して、私どもはがんばっていきたいと思います。   〔委員長退席、理事佐田一郎君着席〕  宝田公述人から一番冒頭にせっかくここに来て意見を述べても、ただそれが言いっぱなしではないかという、そういうお声も聞きました。ただ、われわれ過去を振り返ってみまして、この前、四十三年運賃値上げ、四十四年に再建法ができました。そのときにもずいぶん論議いたしました。その前にもずいぶん論議いたしました。論議するたんびに少しずつ政府の方針が変わってまいります。また、大蔵省の考えも変わってまいります。そういうものが累積されまして、今日のこの段階にきているものと理解いたします。したがいまして、きょうすぐこれがあすの委員会に反映し、あるいはこの国会で結論が出るかどうかわかりませんが、どうぞひとつそういう意味で貴重な御意見でありますから、われわれは決してこれを聞き捨ていたしませんので、あとの質問に対しましてもひとつ十分に御意見をお聞かせ願いたいと思うところであります。  まず第一は、これは非常に重要な問題でありますから、四人の公述人から簡単でよろしゅうございますから、御意見を聞きたいのでありますが、四十四年に新全総が発表されました。この新全総についてはいろいろ私ども意見があります。特に、いまの産業基盤の育成、特に大企業優先に産業基盤を育成する、それに従属するように各計画がなされておるという批判はまず第一にわれわれ持っています。したがいまして、これをストレートにデータなり、今度の計画を採用しようとは思いませんけれども、あの中にとられて考えられておるもの、あるいは資料として添付されておるものの中にずいぶん貴重な資料がございます。そういうものをまず私は頭の中に入れております。ところが、それが四十四年に出まして、すぐ四十五年には同じ経済企画庁の経済研究所から、たとえばGNP一つとりましても、百三十ないし百五十兆円のGNPというのは、これはもうお粗末だと、おそらく六十年にはあの倍になるという意見が出てまいりました。そういうものが、実はいまの新全総に対する国民一般が信頼をなくしたものだと理解をいたします。それはそれにいたしましても、私これから本論に入っていくわけでありますが、たとえば、昭和六十年を想定いたします。昭和六十年を想定いたしまして、人と物との流れを推測いたします。この日本の四つの島あるいは沖繩を含みまして、この日本の国土の中における人と物との流れを推測いたします。大体新全総におきましても、たとえば、鉄道が負担するもの、約三倍だといわれています。したがいまして、新全総以上にGNPが、たとえば、三百兆円という経済企画庁の経済研究所の意見をもし私がとるといたしますならば、おそらく鉄道だけでも四倍以上の人と物との流れを分担しなければならぬのじゃないかと思います。そういうものを想定いたしまして、今回この上程されております運賃値上げ法案国鉄再建法案というものと検討しているわけであります。そういう昭和六十年を目標にする、運輸省の説明によりましても、提案理由の中にそういうことが書いてあります。これから大体十年を目標にしていると書いてあります。十年といいますと、五十七年でありますから、私はいま六十年を目標にして、いま皆さん方の御意見を聞こうと思っておりますが、あと三年の差がありますから、若干の数値の修正はしていただきたいと思います。  そこで、昭和六十年の日本の人と物との流れを、その大動脈として受け持たなければならぬ鉄道が、これから十年の再建計画を出そうといたしております。しかも、これは鉄道だけではありません。この新全総に沿いまして各省とも道路も港湾もあるいは下水道も住宅も大体新全総を中心にしてこれから十カ年計画が各省とも立てられています。その各省が立てました日本のこれから十年なり十二、三年先、昭和六十年ごろの日本の国土の生活あるいは経済の流れ、あるいは人と物との動き、そういうものを想定いたしまして、今回出されておりまする国鉄再建法というものを、これはほとんどもう法三条しかありません。しかも、それは運輸大臣と大蔵大臣は現職の大臣、政府の二人の大臣でありますけれども、あとは自民党の政調会長と国鉄問題の懇談会の会長です。これは個人です。四人の名前でこれが出てまいりました。これはあと本格的な論議のときに私の意見は言いますけれども、私はいま国鉄がとにかく二千億ばかりあるいは三千億ぐらいの金を何とかしなければならぬ、その金を捻出する方便ではないかという気がしてならぬのであります。   〔理事佐田一郎君退席、委員長着席〕 これはまた、私の見解はあとで言う機会がありましょうが、これはほんとうの運賃論争のときに、私は政府に対して言おうと思っておりますけれども、したがいまして、いま私が質問いたしますのは、今回出ましたこの国鉄再建法で昭和六十年代の日本の国土の発展を推測をしたときに、いまから四倍ぐらいの人と物との流れを担当しなければならぬ鉄道が一体十分に国民の足を守ることができるのであろうか、あるいは国民が必要とするものを運搬することができるのであろうか、私は疑問を持っています。疑問を持っていますが、時間もあまり長くなりますし、たくさん問題ありますから、言い足りませんが、私は、今度出されました国鉄再建法では昭和六十年代における日本の国土の発展にマッチしないのではないかと思う。新全総はやがて改正されましょう。もちろんそのときはすぐまた改正しなければならぬ運命にあるものと私は予想いたしまするが、各四人の公述人の先生方はどうお考えになって、あの再建法を受け取っておられるだろうか、まず、それをお聞きしたいと思うのです。
  82. 池田博行

    公述人池田博行君) 今日までの新全総ですが、新全総が正しいとしましても、いまおっしゃられたように、四倍の人と物の流れというものに対する責任の完遂といいますか、そういうサービスはできないと思います。もしそこで出てくる結果というのは、いまおっしゃったように、交通事故の激増と、それから日本の自然及び生物環境並びに人間生活環境、諸条件の破壊現象だけだと思います。なぜか、その途中の段落の点はいままで申し上げた点で出てくると思います。競争原理の導入と利潤追及ということ、経営面を主体に押し出した交通政策から出てくる結果は、事故と国土の破壊だと思います。
  83. 川口弘

    公述人(川口弘君) その点では、私も大体池田公述人と同じような判断をしておるわけであります。特に先ほど来何回か問題にしましたような、この計画の中での投資計画の重点の置き方が非常に違っている、その点から将来非常に大きな問題を残すであろう、こういうふうに考えております。
  84. 岡田清

    公述人(岡田清君) いまGNPが二百兆になるか、三百兆になるか、その辺のノミナルな金額がどのくらいかということはこれは将来のことでございますから、現在の予測技術をもってしてもなかなかむずかしゅうございます。その意味であえて予測のそれが正しい、こういうふうに仮定いたしますと、その場合に発生する輸送量は現在のパターンが継続する限り相当大きな輸送量になるであろうということは予測されます。で、その場合に対応する手段といたしまして二つほどございます。  一つは、それに追いつけ追い越せで投資を促進していって対応するという手段があります。そんなに輸送されては困るといって価格をできるだけ引き上げまして、輸送抑制的に、これを対応していくという政策がございます。その場合に価格政策でいくか、投資政策でいくか、いままでの日本の交通政策は原則的に追いつけ追い越せで投資政策でやってきた。今後は必ずしも投資政策だけでは対応できないであろうというふうに考えます。
  85. 宝田善

    公述人(宝田善君) いまの長期再建計画に書いてあるとおりになると思います。なるというのは、まず、地方ではわれわれは大衆的な交通手段を失うであろう。国鉄から、鉄軌道からバスに移したって、いまのバスも赤字ですから、それを農協とか自治体に移したって、赤字ですから、いずれつぶれてしまうであろうということであります。都市ではもうかるところ、都市間交通とか、一部だけ一生懸命投資をしていきますから、われわれ勤労者の通勤とか、買いものとか、その他の生活上の手段というものはますます高くなるか、だめになるか。問題はますます過密——過密といいますか、混雑してだめになるか、いま岡田さんが言ったように、ますます高くなるか。受益者負担でいけば、ますます高くなるでありましょう。これは投資効率がどんどん落ちますから、そうなります。したがって、国民は好むと好まざるとにかかわらず、マイカーを持たなければ生きていけないという状態に、国鉄あるいは交通政策のために追いやられるでありましょう。そのために都市はスモッグが発生して、ますます自動車公害が促進されて、われわれは死の方向へ歩むしかないでありましょう。  以上が今度の長期計画の方向であります。
  86. 小柳勇

    ○小柳勇君 そこでもう一問、これに関連いたしまして質問いたしたいと思うんですけれども、そういたしますと、今度の国会で工業再配置法というのが通りました。産炭地域振興事業団が工業再配置・産炭地域振興公団として発足いたしました。昨年、農村工業化促進法が出ました。いままでのたとえば池田内閣からこちらの自民党の政府が行政指導によりまして、高度成長政策のために農村が過疎になりまして、過密地帯が発生いたしました。今度はそれを逆コースに、新全総によりますと、日本の国土を七ブロックに分けまして、おそらくこれからの新全総の構想では、ことし出ました工業再配置法と昨年の農村工業化促進法で、過密地帯から過疎地帯に逆輸入しようと考えているものと理解いたします。それもおそらく太平洋ベルト地帯を中心にする再配置を考えておるものと思いまするが、これは非常に抽象論になりますけれども、今日まで自民党内閣がやってまいりましたそれらの高度成長政策による過疎・過密の現象、これは今回は逆に逆走しようとする、いわゆる工業再配置法あるいは農村工業化促進法などによる行政指導、いわゆる自民党政府の今日までの行政指導から、これから昭和六十年を推測いたしまする行政指導によりまして、たとえば、太平洋ベルト地帯における工業欄密度合いを五%なり八%減少しようとする、あるいは東京都内の集中人口を何割か分散したいとする、そういう成果を期待できると、あなた方の統計上あるいは学問上、御理解になっておるかどうか、簡単でよろしゅうございますから、四人の方から御意見を伺いたいと思います。
  87. 池田博行

    公述人池田博行君) 人間には夢が必要だと思います。これはいまおっしゃったのは、いまの池田内閣の高度成長政策の前に出たのは、ちょっと記憶が確かでないんですが、後進地域開発法というような形で最初に打ち出されたと思います。それが転換を始めたのが二十九年ごろじゃなかったかと思うのでございます。たまたま私も四、五年前に青森の下北半島のむつに行きましたが、ペンペン草がはえていました。かなりあそこは地方自治体の財政も投下してやったはずだと思うんですが、ペンペン草がはえていました。その上に、下北半島に運河をつくって太平洋からすぽっと入るように——これは私も海軍におりましたので、青森港に入るには、あすこは戦前は外海から八時間ぐらいかかった、そういう記憶がございます。行ってごらんになるとおわかりになると思いますが、なかなか下北半島というのは景色のいいところでして、ああいうところこそ国立の公園というふうにしたほうがいいんじゃないかと思うんですが、それに対してはやはり国家的な援助が必要だろうと思います。  それから、たまたまいま御質問の中で産炭地の再振興ということをおっしゃいましたけれども、これは私、前に申し上げましたように配炭公団というのにおりまして、かなり特に北九州の炭鉱地帯というのは歩いております。そのころでも、国家管理の中でも中小零細炭鉱、つまり品位の悪い炭質の炭層しか持っていなかったところでは、結局穴を掘ってもあとを充てんしてないというので、中学校が傾くというような、地盤陥没をしている地域がかなりあったわけです。これがかつて二十四年までの段階です。いま、そこに行ったことはないんですが、おそらく産炭地に行ってそこで工場を立てたら、地盤陥没が先に出るのじゃないかと思いますね。そういうことの配慮の上に立って、産炭地も一つの例にあげられているのでしょうけれども、どうもこの辺はあんまり机上の空論です。  大体資本というのは行政指導で動くものじゃないようですね、われわれ客観的に見ていますと。これはやっぱり人間には夢が必要だと先ほど申しましたように、一応やっぱり何かやるにしても、多少ばら色のものがないといかぬということから出ているのじゃないかというような感じがいたします。  終わります。
  88. 川口弘

    公述人(川口弘君) 簡単に申し上げますと、ただいま出されておりますような諸計画は、ある意味では大都市の過度集中とそれに伴う公害の発生や生活環境の破壊、こういうような問題が非常に激しくなっておる段階で当然必要な方向であろうかと思うのであります。ただ、その場合に、いままでもたびたび地域開発のいろいろな計画が出まして、そして、それが結局は破綻を来たしているというのと同じ問題をそのままはらんでいるのではないか。いま池田公述人がちょっとお触れになったことと関連があると思うのですけれども企業を地方に適切に配置するという場合に、やはり必要だからそっちへ行けというわけにはいかないわけで、何か利益を提供しなければならない。その利益の提供のしかたが、地方における公害を発生さしたり、地価を引き上げたり、あるいは地元住民のいろいろな権利を踏みにじったり、こういうような形で起こってくるわけです。ところが、現段階ではそういう問題について住民のかなり反対も強まってきておりますから、おそらくそういう住民の抵抗というようなことにもぶつかって、なかなか計画どおりにはうまくいかないのではないか、そんなふうに考えております。
  89. 岡田清

    公述人(岡田清君) 川口先生と大体同じような見解でございますが、先ほどから言っておりますように、現在の交通部門の諸悪の根源は立地政策の失敗——まあ、失敗と言い切れるかどうか問題はありまするけれども、立地政策に密接にかかわっております。したがいまして、地域経済政策が必要であることは言うまでもございません。その意味で、それが工業再配置計画がそれに直接に見合うものであるかどうかという点は、まだ判断いたしかねております。そういうことで考えてまいりますと、それを行なう場合に三つのとり得る手段がございます。一つ手段は、都市に高くして地方に安くする、極端に言えば、国鉄運賃を東京では二倍にしで、それから地方は無料にするというふうな政策がありますが、価格政策によって立地政策に役立てるようにするということはちょっと不可能であろう。  それから第二番目の政策としては租税政策であります。つまり、大都市において租税を高くして地方に安くするという、租税を媒介にしてそれを行なうこともかなり困難を伴うであろう。  そういたしますると、最後は、ある程度強制的な政策が配慮されなければしかたないであろう。そういたしますると、強制的な政策を行なう場合には、当然それだけのメリットを要求することは、先ほど川口先生の御指摘のとおりでありまするから、過密政策と過疎政策は一本で終わりになるということはあり得ないであろう。両方の政策が同時推進的に行なわれるときに、地域政策は貫徹することになりはしないかというふうに感じております。
  90. 宝田善

    公述人(宝田善君) 基本的には先ほどの川口公述人意見と同じでありますが、民間企業をあちこちに動かすということは、いまの資本主義下ではほとんど可能性がない。それはイタリアという国は戦後一貫して南部開発ということをやってきて、いまだに成功していない。しかも、イタリアの場合には、国営企業を基幹にして南部へ持っていって、それを基軸にして南部開発をやって、なお、かつ効果がない。いまの自民党のやり方ではその可能性すらないわけですから、民間資金だけにある利便を与えて動けといっても与える利便はたかが知れている。また与えれば、先ほどの川口公述人のように、住民の犠牲の上にしか与えられないというのは、都市の集積の利便というのは資本相互間の利便が多いわけですね。情報が集まるとか取引に便利だとか、そういうふうに資本間の利便があるところをそうでないところへ持っていけというときには、国家資金を入れてコントロールをすることと大資本の管理をやらなければこれは可能性はない。いまフランスで国有化ということが再検討されている意味は、昔のように斜陽を国有化するとかそんなものじゃなくて、こういう資本の配置のためには、ある程度国有化あるいは国家管理ということを考えなければ国民の幸福とか社会の維持管理はできないという意味で、いま新しく国有化論というのが再検討されているわけですね。ですから、こういうことは社会党がちゃんとこういうことをやる以外には、いまの少なくとも私企業の自由を前提にし、大企業の相方の集積の利便を前提としていればこれはできないと思います。
  91. 小柳勇

    ○小柳勇君 いま私が質問する頭の中には、鉄道敷設法によりまして建設予定線百五十幾つの建設が進捗していることが一つ頭の中に入っています。それから一つは、この再建対策要綱に出ております。三千四百キロ赤字線を廃止しなきゃならぬ、とりあえず四十七年度は二百キロ廃止しますということばも頭の中に入っています。片や鉄道敷設法によりまして地方にローカル線を建設しつつある、しかもこれはほとんどが、建設されたら運営は赤字だという線路であります。片や赤字線三千四百キロの廃止が、ちゃんとここに十カ年のうちに廃止すると書いてありますね。もう一つは、この予算の中に十カ年七兆円の設備投資。これは新幹線もあります、幹線複雑化、電化もあります、あるいは地方ローカル線の強化もあります。七兆円の設備投資が頭の中に入っています。これらのものが、いままでの、過去終戦以来の国鉄経営の失敗もありましょう、政府の失敗もありましょう、そのようなものの累積赤字を、このいまの段階で補てんする、そうした補てんをして、とりあえず十年間、新全総により発展する国土の開発、あるいは人と物との動きにあとからついていこうとするものであるならば、私はこれは失敗ではないかと思うわけですね。  さっき中西先生が帰る前に、私も十年間でやることについて反対です、やるならいまうんと投資をして、この際ひとつ短期間のうちに投資をして、根本的に対策を立てなければ失敗するとおっしゃいました。もっと意見を聞きたかったんでありますが、また別の機会に聞きますが、そういうものを私は感じて、同時に、私さっき第二の質問で申し上げました、せっかくこれから工業再配置法、産炭地、鉱山などで新しく国づくりをしようとする、そういう政府方向があるならば、もっと先行的に国鉄が、いまの建設線もよかろう、赤字線廃止もやめて、あるいは設備投資七兆円を十兆円にして、もっと、いわゆる新全総以上の国土開発のための先行的な、先導的な投資をして、鉄道がこの国土開発の先駆的な役割りをすべきではないか。私が産炭地振興のときにいつも問題にするのは、たとえばアメリカの原野の中に道路をつくり鉄道を敷いて、そしてあれだけの町ができたではないか、したがって、いまそれがほとんど赤字であっても、むだな投資であっても投資をして、そしてここに町をつくり、工場をつくり、住宅をつくる、それがほんとうの国土開発ではないかと言っているわけです。そういう意味でこの国鉄再建というものを考えなければ、いつも三年なり五年あとじりばかり追っているでしょう、こういう国鉄再建法は、私は賛成できないわけですよ。いま私が言いました点で、時間もありませんから、国鉄の鉄道建設はどうか、あるいは赤字の廃止はどうか、あるいまこれから十カ年に投資する七兆円というものに対する構想はどうか、そういうものについても御意見を聞かしてもらいたいと思うんです。
  92. 池田博行

    公述人池田博行君) どうも毎回あまり論理的なお答えができなくて恐縮なんですが、前に、国鉄経営のあり方、あるいは新線建設について、あるいはこの国鉄の財政再建についても、総合的な交通政策が必要であるということを、まず交通部門内部の問題として申し上げたわけですが、実はいままでのお話の中で、今日とられているところの農政指導の何といいますか、荒廃というか、ゼロに近いような、農政指導というものを抜きにして、これは先行投資で、かつての明治後期から大正時代に行なわれたような国鉄建設という先行投資によって、もう一ぺん夢よもう一度というようなことは、これは考えるほうが非経済学的であろうと思います。で、そういう敷設法に基づく予定線の具体的な内容というのは、最近の具体的なことは知っておりませんけれども、これはどうしても産炭地振興にしろ、過疎化したところの再振興策にしろ、これは特に大きな問題としては、日本政策の中で一番重要なのは——残念なことに今日の大学においても、農業経済とか農業政策というのは、かなりウエートが軽くなっている。科目も減らされてきているというわけなんですがね。政策の中では農政が一番重要な役割りを今度になわされてくるのじゃなかろうかということを感じます。これがないからこそ、このような過密、過疎というような、一応メダルの裏と表というような形になっておりますが、これは特に資本の論理に誘導されておるわけでして、いま川口さん、岡田さん、宝田さんも、皆さん大体同じようにおっしゃったように思いますけれども、その政策の欠除。大体都市になぜ人口が集まるかということを、都市の社会学者たちは集積のメリットがあるからとかいろいろおっしゃいますが、特に日本の場合は、これはもう封建時代からのマイナスの遺産を引き継いで、都市の権力のもとに資本が集まり、その資本が集まることによって労働者が吸収され、労働者が集まったことによって資本がまたくる、権力と資本との関係というのはちょっとこれは微妙な点もあります。そういう形で今日の都市の過密状態、特に東京都に見られるような状況、非常に地獄的な、先ほども申しましたような、引っ返すことのできないような不可逆性的な現象が出てきているわけです。これを一個別資本であるところの国鉄さんが新線を建設されたから、何とかそこでもってもう一ぺんなるというようなことは、これはちょっと経済学的にも、あるいは俗流な未来論の立場で言うのはおかしいのじゃなかろうかというように考えます。
  93. 川口弘

    公述人(川口弘君) 国鉄の先行投資で理想的な地域計画が実施でき、実行できるというふうには私も考えません。ただ、いまの新全総は、これがつくられる段階で背景になっておった経済情勢は現在非常に変わってきているわけでありますから、したがって新全総を背景として国鉄の新線計画がつくられているとすれば、これはもう当然この段階で再検討が必要になってくるのじゃないかと、こういうふうに考えます。
  94. 岡田清

    公述人(岡田清君) お話を私なりに解釈いたしますると、現在の国鉄赤字の性格について、特に赤字線の問題についてどういうふうに判断するかという論点で誇ろうかと思います。これは、もし過渡的な現象であるというふうに判断するといたしますると、つまり立地政策が適正に行なわれた場合には、赤字はやがて黒字に転換する可能性もあるというふうに言えるかどうか。つまり赤字が、構造的な面が立地政策によりて補完されることによって過渡的な性格になり得るかどうかということは、これは国鉄政策だけではありませんで、交通政策全体が、地域政策と密接にアベックで進行されるときにのみそういうことが可能であり得る。ただし、だからといって、現在の赤字線を全部残すべきかどうかという点については問題を残しております。なぜかといいますると、さらに近代化を要する線区はたくさんございます。もしそうであれば新しい時代に即応するような体系の交通投資はあり得るだろう。つまり、現在の開発路線のようなものがもし今後あり得るとするならば、それは立地政策を並行的である場合にのみあり得るだろう。それと同時に、幹線系線区の近代化あるいは複線化はさらに行なわれるべきではないかというふうに感じております。
  95. 宝田善

    公述人(宝田善君) 池田さん、川口さんと同じ意見でありまして、交通政策だけからいまの資本の配置を基本的にコントロールできる可能性はないと思うのであります。それから政府の産炭地振興計画というのは、本気になって産炭地を振興するような計画にはなってない。あれでは決していまの私企業の資本を誘致するだけの刺激もないし強制力も全くないわけであります。ただ、その逆は言えると思います。逆が言えるという意味は、国家が本気になって過疎問題を解決するということで、いま言ったような強制力を働かせて資本をコントロールしてやる場合には、国鉄の先行投資というものは非常に生きる。逆は言えますが、その逆は無理だろうと思うのです。  それからもう一つの問題は、その二番目の資本のコントロール、それの強制を先にやって国鉄が生きるときには住民もまた生きるわけであります。いまのままでいけば、やはり無医村、無交通手段地区がふえる一方にならざるを得ないだろうと思うのであります。
  96. 小柳勇

    ○小柳勇君 大正十一年に鉄道敷設法を論議するときの貴族院及び衆議院の論争を読んでみますと、百五十の建設予定線をつくりますときには、いま私が言ったような論争をしておるわけです。先行投資をしまして鉄道で国を発展せしめる、もちろん軍事的な路線もございますけれども。したがいまして鉄道敷設法の改正などもいま問題にしておりますから、その問題で非常に皆さんの御意見参考になりまして、また論争の種にいたしますが、鉄道建設を先進欧米諸国では、路盤やレールや信号ぐらいまでは政府がやりまして、あと鉄道会社や鉄道公社に経営をまかしているわけです。けさからいろいろ論争がありまして、赤字原因貨物運賃が低いからだというようなのが中心になったようでありまするが、それも一因でありましょうが、私はそうは見てないのであります。貨物収入が少なくなったのは、池田内閣の高度経済成長政策によりまして、農村から都会に人口が集中するし、あるいは工業が集中いたしまして、もう運ぶ品物がなくなってる。モータリゼーションもありますけれども、運ぶ品物がなくなったのが一つの大きな原因でありましょう。それからあと、その品物を運ぶ車のつくり方が足りなかった点はさっきおっしゃったとおりですね。そういうものが原因でありましょう。だから、ただ貨物ヤードあるいは貨物駅を廃止するだけでは、根本的にこれは解決しないと私は思います。  そこで鉄道建設の問題で、大体国鉄赤字原因は、昭和三十八年ごろから急に赤字鉄道に転落していったわけですね。その大部分は鉄道建設の借金とその利子ですね。したがいまして、いま根本的に鉄道を再建するとするならば、鉄道建設の費用というものをどちらが持つかということ、そういうものを根本的に検討しなければならぬと私は思います。それは私鉄国鉄も一緒だと思うのです。さっきから論争がありましたが、道路は国がつくっているではないか、その上をバスや自動車が走ってるだけではないか、それと同じような考えに一歩ずつ近寄っていかなければ、せっかくこれだけ論争して国鉄再建を論じている意味はないのじゃないかと思うのですけれども、その点につきまして、さっき岡田さんは、投資基準の明確化ということをおっしゃいました。このことばの中にそういうものが入ってるかどうか、お聞きしたいと思います。  そのあと、特に公共投資の問題で宝田さんの意見がありましたから、もう一回御説明をいただきたいと思います。
  97. 岡田清

    公述人(岡田清君) 投資基準の明確化につきましては、幾つかの論点があろうかと思います。第一の論点は、どこに投資をすべきかという場所の選択だと思います。第二の論点は、投資のタイミングの選択であります。それから第三の論点は、投資の規模の選択であります。それについて明確な基準を立てることが、国の交通政策のあり方として国土計画との調和の上にのみ成立し得るものであるということで、その点につきましては各国とも非常に悩んでいるということで、そういうことで鉄道政策全般につきましては非常に各国とも試行錯誤を繰り返している。同じ悩みを日本もかかえているわけでありまするが、同じようなことをイギリスも繰り返してきております。こういうことで考えてまいりますると、やはり人間のやることというのはある程度限界があるし、それだけにわれわれも勉強をしなければいけないのですが、まあ大げさなことを言いますと、先生方が一年くらい外国をゆっくりお歩きになりますると、そうすれば、かなりのことが日本に当てはまるだろう。で、日本で行ない得るようなことももっと真剣に議論されているのだということを言いまして、お答えにならないかもしれませんが……。
  98. 宝田善

    公述人(宝田善君) 公共料金論というのはいろいろ本があるらしいのですけれども、一般的にいって、固定的な資本というのは大体公共的に出されておる、運営費とか営業経費的なものは受益者負担というのが、水道その他いろいろなところで大体一般的ではなかろうかと思います。ただ、輸送設備、交通については、また幾つかの、いろいろの考え方があるようであります。私はその方面の専門家ではありませんから、あまり詳しくは論じませんが、原則的にはそうだろうと思います。ということは、国鉄一つ民間並みの企業体と考えるから、いまのような利子をしょった投資を考えているわけで、社会的な公共的な手段、共同消費的手段と考えれば、当然いま言ったような原則が立つだろうと思います。ただ強調したいのは、いまの日本国鉄というのは、それすらもあぶない状況にきているわけでしょう。それをやってもなおかつ過去の累積赤字で、赤字を払うためにまた赤字をつくっておるということになっちゃうわけですから、そういう一般的な公共料金論を越えて、もっと国家資金を出さないと大衆的な交通手段は崩壊していくだろう。だから、いまの政府あるいは国鉄当局というものは、そういう交通手段を守る気があるのであれば、原則以上に国家資金が入らなければもう維持することはできないのではないか、それが高度成長の結果ではなかったかと考えます。
  99. 小柳勇

    ○小柳勇君 次の問題は、さっき中西公述人にちょっと申し上げました、日本国有鉄道の独立採算制は、この際、検討是正すべきではないかという点について質問いたします。  池田公述人と川口公述人質問いたしますが、これは公共性と両面ございますが、鉄道がいま急に貧乏になったように世間でいいますけれども昭和二十四年公企体になりまして以来、たとえば昭和三十二年まで仲裁裁定も完全に実施されないような時期もありました。そういうときに一番問題になりましたのは、国鉄の当事者能力がないということです。これは現在も同じだと思います。国鉄経営に当事者能力がない。総裁以下、経営委員会はありますけれども、ほとんど政府の、言うならば大蔵省が国鉄経営を握っているようなものです。そういうところに問題がありました。しかし今日のように国鉄再建法が提案されまして、これから十年間に根本的にひとつ国鉄のあり方を変えようとするならば、この際、独立採算制というようなものに検討を加えていくか、どちらかはっきりしていかなければならぬのではないかと思う。今日までの、二十四年に公共企業体になりまして以来の動きを見まして非常に矛盾があります。したがいまして、こういう機会に現在の国鉄経営のあり方についても根本的に検討すべきだと思うのですが、いまは独立採算制を主体にして動いています。この点についての御意見をお聞かせ願いたいと思います。
  100. 池田博行

    公述人池田博行君) 先ほど一応、国鉄経営のあり方における原則といいますか、あり方の問題点として、独立採算制というワク組みがおかしいのじゃないかという問題を提起したわけですが、確かに、いままでおっしゃったように、今日、私、会計学の専門でありませんが、含み資産が非常に多いだろうとかいわれております。それからまた管理経営能力云々と、これはちょっと私どもが言うのは口幅ったいわけで、それは控えるといたしまして、先ほど申しましたホズラスチョート、いわゆる独立採算ないしは経済生産性そのものが、これは言うまでもないと思うんですが、大体資本主義の経営原則ではあるわけです。当然、放漫経営というもの、あるいは俗にいう親方日の丸制に対するところの歯どめとしてのそういう体制というのは、これは資本主義、社会主義——ソ連邦を例にとれば、どこでもそれはやられておると思います。ただし、昭和二十四年以降の公共企業体としての体制に歯どめとしての経済生産性ということが適用されたということ自体は、先ほども申し上げましたように政令百二号の現業労働者のストライキ禁止というような問題を裏表にして、そしてやる。特に明治以来の引き続きなんですが、戦争中における荒廃に対して政府出資もなしに自前でかせがせて、戦後におけるところの日本の経済の復興に縁の下の力持ちを国鉄にさせたという事情があるわけです。ですから、独立採算制というものが今日きわめて国鉄経営上に大きな支障になっているということを感じるわけですが、それを、先ほどは取っ払えと申しましたけれども、それは別に歯どめなしにしろという意味で申し上げたのじゃなくて、先ほどから言っておりますように、経営の管理体制を、もう一ぺん別個なものを体制化するような形で、民主的な運営ができるような形の管理体制というものを考えた上で独立採算制のワクをどういうふうにするか、そういうふうな考え方をしなければいけないんじゃないかと思っているわけです。ですから、実に、個別資本としての国鉄の今日のあり方というのは見るにたえないようにむずかしい状況に、経営の運営に当たるについてはむずかしい状況にあるということを考えております。確かに、たとえばこの運賃でも、やはり国会にかかるというのは世界じゅうで二、三の国でしかやっていないことでもありますし、しかも国の政策の大半をと言ってもいいかもしれませんが、たとえば先ほどの鉄道敷設法の問題もそうですが、何か国鉄という個別資本が先行的に巨大な投資をすれば、日本国民経済が何か地域的にしろバラ色の幻想が持てるように政策上位置づけられているということは非常におかしいと思います。  それから、ちょっと関連して鉄道敷設法の問題が出ましたけれども、これは大正十一年ですね、大体御存じと思いますけれども、大正十一年前後というのは日本の地主体制が崩壊し始める、後退する時期でありまして、これに対する一つ政策上の配慮として鉄道敷設法というものが別個の形で出ているというような、日本の資本主義の大正期における特徴を持っているわけです。ですから、これを今日、農地改革の済んだ日本において鉄道敷設法で仕事をすれば何とかなるというのは、これはまるきり時代錯誤もいいところだと思います。ということで、ちょっと話がはずれましたけれども、独立採算制のあり方というものは、今後とにかくいまのお役人たちに全部おまかせできるとはどうも思えないものですから、取りはずしについては別個な体制を考えなければならぬと思います。
  101. 川口弘

    公述人(川口弘君) 鉄道そのものにつきましては、国によって若干歴史的な条件が違うわけですけれども、もっと大きく公共事業における独立採算制という問題を考えますと、やはりこれは資本主義が発展してきて、そしていろいろな財政負担が高まってきた中で、従来、財政でやるのが当然と考えられていたような公共サービスのうちで外見的に可分的なサービス、つまり利用者サービスが分けられているというふうにみなし得るようなそういうものについて、これを企業形態でやらせる、こういうことで一般会計のワクから出していって、そこに独立採算制を強制する、こういう形で発展してきたのだというふうに思います。そして、そこから出てくるのは、当然、料金は、そのコスト利用者に負担させるということで受益者負担原則というものが強調されるようになってきたわけです。しかし、鉄道のように巨大な設備投資が必要であり、しかも、先ほどから何度も言っておりますように、たとえば過疎地帯にも一定の赤字を覚悟した交通手段の提供が必要である、こういったものについて、はたしてこのような独立採算制を強制することが適当であるかどうかという点は、私は非常に疑問だと思います。また、受益者負担原則といっても、今日すでにいろいろなところで明らかにされておりますように、必ずしもほんとうの受益者負担に応じた配分が行なわれているわけではない。間接的な受益者にどういうふうに費用を負担させるかというような問題につきましては、原理的にも統計的にもなかなか算定がむずかしいという理由でもって行なわれないで、すべて直接の利用者だけに負担をさせる、こういうようなやり方が行なわれておりますので、決してほんとうの意味の受益者負担が貫かれているわけでもない。こういうふうに考えてまいりますと、国鉄だけでなしに、国民の生活に非常に重要な、直接的な関係のある公共サービス部門では、独立採算制と受益者負担原則を貫くというやり方に対しては、ここで根本から再検討していただきたいと思うわけであります。  ただ、池田公述人もおっしゃいましたように、完全な官営式の企業になりますと効率の問題が出てくる。おそらく戦時中のあの統制経済の中での官業の効率の悪さ、サービスの悪さ、そういうものをわれわれが痛切に感じていたことが、戦後、国鉄などに独立採算制が強行されることをむしろ歓迎さしたのじゃないか、こういうふうな反省もありますので、これを政府のまるがかえ企業に戻せというふうには私は考えておりません。  ただ、いまの段階で国鉄について言えることは、少なくとも設備投資について、その設備投資の方向や程度について、もう一度より民主的な観点、民主的と申しますのは、庶民の利益という観点から検討し直した上で、どうしても必要な設備投資については、これを財政資金によって行なう、こういうような方向に持っていくことが必要であると、こう考えております。
  102. 小柳勇

    ○小柳勇君 最後に、宝田公述人にお願いいたしますが、今回の値上げにつきましても理由を二つあげてありまして、一つは、当初の予測どおりに運賃収入がないということ、一つは、人件費が増大をして赤字になったということであります。したがって、国鉄労働者の賃金が他の産業に比べてたいへんよ過ぎて、その人件費が経営費に対して率が高過ぎる、そういうもので赤字が累積するのだという一般的な印象が強いわけであります。私どもはそう思っておりません。仲裁委員会の裁定に見ましても、必ずしも民間産業の労働者に比べて賃金は高くないという報告を受けております。したがいまして、もう一つの問題は、たとえば一兆数千億あげます新日鉄の職員数に比べまして、国鉄の職員数が多過ぎるのではないかという批判も俗っぽい意見として出てまいります。したがって、国鉄という特殊な産業の労働者が現在どういう労働条件で、どういう生活実態で働いておるのか、総評の他の産業の労働者の実態も十分御存じだろうから、この際お聞かせおき願いたいと思います。
  103. 宝田善

    公述人(宝田善君) きょう具体的な資料は持ってきておりませんけれども国鉄労働組合の試算によりますと、性別とか年齢構成その他を調整しました国鉄の労働者の賃金水準というものは、大体民間の製造業の一割五分ぐらい低いということになっております。賃金水準はそのぐらい低いわけです。
  104. 小柳勇

    ○小柳勇君 賃金水準……。
  105. 宝田善

    公述人(宝田善君) はい。国鉄労働組合の試算によりますと、民間の製造業と、性別とか年齢構成その他調整をしました、具体的、同一条件の人たちの賃金の比較、これをやりますと、民間製造業の一割五分ぐらい低いという数字を国鉄労働組合は発表しております。
  106. 小柳勇

    ○小柳勇君 ありがとうございました。
  107. 田渕哲也

    ○田渕哲也君 まず初めに全公述人にお伺いをしたいと思いますけれども、いまわれわれは国鉄、特に国鉄運賃の値上げについて審議をしておりまして、また、われわれは、この値上げというものについては大衆の負担増になる点で反対という態度をとっておるわけですけれども、ただ、考えてみますと、国鉄日本の国内の人間並びに物資輸送で非常に重要な役割りを果たしておるのですが、それだけの輸送というものはやっぱりやらなければならないし、やるにはやっぱり費用がかかるわけですね。それで、われわれが運賃値上げに反対するという意味は、その利用者負担の増大に対して反対しておるということになるわけです。それで、この場合考えてみますと、一つは、やっぱり国鉄自体が、その効果に対して費用最小化の努力というものが必要ではないか。できるならば、この費用負担というものはもっと少なくて済まないか、費用負担を少なくすることができるならば利用者負担を増大しなくてもいいのではないか、こういう観点が一つあろうかと思うのです。  それからもう一つの点は、費用はかかる、それが現在償えないから赤字が大きくなっておる、それならその費用をどこが持つのが妥当であるか。これは、持つということになると一つ利用者が持つ。もう一つは、広い意味での間接的な受益者、これはまあ開発利益の問題とかいろいろありますけれども、間接的な受益者も負担すべきではないか、こういう論があろうかと思います。それからさらには公共負担といいますか、これは国が国の責任として持つべきものだ。まあ、大きく分ければこの三つのものが、それぞれ費用を分担し合わなければならない。この点について、岡田公述人運賃値上げやむなし、他の方は反対という意見でありますけれども反対ならば、どこがどういうふうに持てばいいか、どうすればいいか、この点について具体的な御意見というものをお伺いしたいと思います。
  108. 池田博行

    公述人池田博行君) 確かに、いまおっしゃったとおり、国民経済の発展のために必要な投資の費用というものはやっぱり負担させるべきであると。これはもちろん論理的なものだと思いますが、できるだけ費用を最小化するということも確かにおっしゃるとおりだと思います。  で、先ほど私、受益者負担の問題と利用者負担ということばのあり方、あるいはそういう考え方、原則というのは近代の財政政策の基本的な思想であったということをちょっと申し上げましたけれども日本では利用者負担ということだけ行なわれて受益者負担というのは全然行なわれていない。これはやっぱり日本の、先ほどから申しますような社会資本投下の不足、あるいは社会資本投下が行なわれても非常に片寄ったへんぱな、上からの姿勢というものが強く打ち出されている。つまりは権力の維持だとか、あるいは治安体制の維持だとか、大体、権力担当者にとって都合のいいような経済政策に基づいた社会資本の投下しか行なわれていない。それから社会保障制度については——大体福祉ということばはかなり欺瞞的であるということがよくいわれるわけですけれども、社会福祉制度についても同じ、社会保険制度についても同じように、きわめて貧困であるという現実があるわけです。それで、昨年度のたしか高額所得者の上位十人、全部地主さんだったというふうに新聞で発表されていたと思うのですが、大体この開発に伴うところの利益を受け取る人というのは、そういう意味で特に問題に取り上げられなければならないんじゃないか。受益者と利用者は全然意味が違うわけです。これは日本では、農地改革の済んだ戦後の日本においても、地主さんたちが——地主さんたちというのは、ただ単なる地主ばかりでなくて、産業資本家その他の方もおられるでしょうけれども、まるっきり開発利益を、巨大な利益を受けるところの受益者というのは野放しになっておったのじゃないかと、私はそう思います。ですから、これは国鉄の例をとってみれば、国鉄経営者の当局の方も、これはもうやりようがなくて困っておられるだろうと思うのですが、その点もすべてが利用者負担と、明治の太政官布告的にいうなら無告の民というような、あるいは今日的にいうならば声なき羊群ですな、そういう人々がすべて背負わされてしまっている。もちろん国鉄内部において働いているところの労働者の負担、その両者の負担においてやられているという意味で、いまおっしゃったような、もちろん利用者というのは、当然——それは前に、たしか午前中に中西先生が言われたように、こういう公共的な、社会的な、大衆生活に密着したような生産物の供与ないしはサービスの値段というものは、やっぱりできれば安いにこしたことはないと思います。  その一例をあげますと、たとえば外国でセントラルヒーティングということばを使うのですが、これは日本では土建業者の人々が使っているわけです。ぼくらも冬場、きたない話ですが、便所に行くのに非常に寒い、しかたがないので、便所に温風機なんか入れるということなんですが、これが地域暖房をやれば、今日よく三面記事をにぎわすような、留守をしている子供たちが石油ストーブをひっくり返してまる焼けになるとか、あるいは身体障害者の年寄りが火事になって死ぬというようなことはなくなるわけです。これはもう交通企業をどうするかという問題と同時に、日本におけるそういう都市政策というもの、そういうものも、先ほどから申し上げましたように総合的な政策の一環として取り上げぬといかぬ。これはいかに鉄道を敷いたところで、あまり役に立たないだろうと思うわけですが、まあ話をもとに戻しまして、利用者負担というのはできるだけ最小限にとどむべきであり、新たに受益者というものの概念を取り上げ、具体的な対策をあるいは政策をとる必要があるだろうと思います。
  109. 川口弘

    公述人(川口弘君) 言うまでもなく、適切な計画のもとに行なわれる設備投資は必要であると思います。そこで、その設備投資をだれがどういうふうに持つかという問題でございますけれども、現に利用者料金の中で減価償却部分を負担しているわけであります。これは先ほども申しましたように、原理的にいいますと、現在の新しい設備投資を、まだそれを利用しない現在の利用者が負担するということは、負担の時間的な配分という観点からおかしいわけです。しかし、現在ある設備の償却金は、その設備の利用の一部として現在の利用者料金の中から支払うということは、これは当然であります。ところが、この償却資金というのは、更新投資がくるまでは新しい投資の資金に実際上使われるわけでありますから、そういう形で、適切な償却費に関連する部分で現在の利用者が一部負担するということは、これはあってよろしいと思います。  それから二番目に、間接受益者の問題でありますけれども、間接受益者の範囲と程度を一定するということはなかなかむずかしいわけでありますが、しかし、確かに地価の高騰というような点で地主が大きな受益をするということは、これは常識的にもはっきり言えるわけであります。したがって、そういうところに負担の一部をかけていくということは合理的であろう。その場合にどういう形で負担させるかという問題でありますが、私はやはり租税を通じて徴収すべきだと考えております。そうして、そのような形で徴収した税収を含めて、必要な部分は公共負担という形で、財政で負担していくのが正しいと思います。財政で負担する意味は、個別企業では負担できないような社会的な必要に応じた投資が行なわれる場合に、それを一般的な財政で負担させるのが原理的に正しいと思うからです。ただ、その場合には、投資計画の内容をほんとうに国民の利益に直結するような形に改める必要があると思います。  以上でございます。
  110. 岡田清

    公述人(岡田清君) 第一点の、費用の最小化政策をとるべきではないかという御指摘でございますが、この点はたいへん微妙でございまして、ただ費用を最小化して、安かろう悪かろうのサービスを提供するだけが国鉄の生命ではないだろう、できるだけやはり国民の利便を増大するように、便益の極大化という政策もあわせ考えるときに、費用最小化の方向を否定することにはなりませんけれども、便益をできるだけ増すような方向もあわせ検討する必要がある、そのことが特に重要な問題ではないかというふうに思っております。  第二点の、費用負担の問題でございますが、これは御指摘のように、利用者負担という直接受益者負担と間接受益者負担、それから政府の一般財源で負担する公共負担という三つの区分があろうかと思います。で、その場合に、先ほどの独立採算制論で議論ございましたように、これは交通政策上非常に複雑な議論がございまして、イコールフッティング論というものも、ほんとうはあまり政府がちょっかいを出さないように、みんなが、すべての交通機関が競争的に適正に発展するようにということでありますと、これはあんまり公共負担は増すなということになってまいります。その一方で、歴史的に、一九三八年にホテリングの書きました論文で限界費用価格形成原理というのがございますが、これはまあ社会資本に妥当するようなものは一本立ちする必要はないという説を唱えています。つまり、このことは、その後、限界費用論争としていままで学説上ずっと理論展開が行なわれてきましたし、現に政策的にもイギリスで一九四〇年代以来ずっと議論が続いている状況であります。依然として決着は必ずしもついておりません。そのつど政策展開が行なわれてきたということであります。そういうことでございますので、幾らを利用負担で行なって、幾らを公共負担で行なうべきかということは、一つには、他の交通機関との関係についてどういうふうに考えるか、つまり、われわれのほうの専門用語でいいますると、交通調整論の立場からこれをどう理解するかという点が詰めなければいけない問題点になってまいります。第二の問題点は、間接受益者のようなものがはたして制度的に可能であるかどうかということになってまいりますると、制度的には、利用者負担とそれから租税負担というものとが二分される傾向になってまいります。で、必要なことは、国鉄のような場合に、土地の値上がり、つまり国鉄が与える便益に応じて、特に土地市場に対して与える便益に応じてそれを負担していただくという見解が一つあります。それからもう一つは、投資資金の調達の問題として考えられておりますので、国鉄の責任として負担する必要のないもの、たとえば建設費以外、土地の取得費用のようなものは、これは公共的にめんどう見るべきではないかという議論があります。つまり、投資資金と、それから土地費用と、それから運営費の三つの中で、それをどういうふうに負担するかということでは理論的に意見が分かれております。私が現在とっております考え方は、この辺のことを非常に潔癖に議論することも非常に重要ではありまするけれども、むしろ成り行きとして、やはり土地の調達資金のようなものは政府が出してもいいであろう、しかしながら、だからといって投資資金のすべてを何でもかんでも政府が見るべきかということになりますると、さらにこまかく検討を要するというふうに判断いたしております。
  111. 宝田善

    公述人(宝田善君) 費用の最小化と負担の問題ですけれども、一般的には、ほかの方がおっしゃったとおりだと思います。ただ、社会資本といいますか、そういうものは個々の企業体ではできない問題を持っているからこそそういう概念が出てきたわけで、たとえば僻地は無医村でいいかとか、僻地は教育がなくてもいいかといえば、そうはいかない。そこでは費用の全体としての効率は考えますけれども、ある意味では、それ以上に社会的にやっぱり確保しなければならない。その上でそういう問題というものはまず出てくるのだ。いまの国鉄の危機というのは、そこがまさにあぶない。ローカル線や、その他そうでありますけれども、そういう意味で、安全とか通勤対策とか、過疎地域大衆輸送手段とか、そういうものをまず、どうすべきかということをはっきりさせた上に費用、便益の問題というものを考えるべきである、順序はそうなると思います。その上で費用と効果の問題ですけれども、これは非常に社会的ですから、いままではそういう議論はあまりなかったと思うのです。ただ最近は、ほかの方面で盛んにそういうことがいわれてきている。その一つの例は職業訓練という制度です。これは国家が労働者の技能を高めることをやっているわけですね。高まった技能を直接使っているのは企業であるし、それによって熟練度が上がって賃金水準が上がるのは労働者でありますから、やっている実施主体である政府赤字一方でありますね。しかし、それがヨーロッパで何ゆえに進歩的であるというふうに見られているかといえば、社会的には、これはやっぱり非常に前進的な制度であるわけですね。ですから、国は赤字だけれども企業とか労働者には便益が及んで、社会全体として見れば投資としての資金を出した分は十分償うわけです。そこに福祉国家というものが生まれてきた理由があるわけです。福祉国家というのは決して国民救済ではないわけですね。それは国全体のためにもなるというところに、いまの資本主義の福祉国家化というものはあったと思います。  したがって、それに似たような現象がいま交通問題に出てきたのは、開発利益がここで出てきているわけです。決して個々の、乗った人たちだけの利益ではないのです。社会全体として非常に間接的かつ集積化された利益があるではないか。問題は、それはたとえば国鉄一つ企業体であるとすれば、あるいは私鉄——ある企業体にも開発利益を還元するということは、むしろ資本主義下ではむずかしいわけですね。何ゆえに国鉄に税金の権利を与えるかとか、土地をかってに安く買い上げる権利を与えるかとか、私鉄にそういうものを与えるか、そういうことはほかの原理と矛盾をするわけです。ですから、明らかに社会的な便益というものがありながら、それを個別企業に与えることができないかという問題があるわけですから、むしろ国鉄とか私鉄とかを問わず、日本大衆的な交通手段というものを——運営は別ですよ、国鉄がやるか、私鉄がやるかということを除いて、まず社会化して考える、社会化されたものとして考えて、そこに社会全体の開発利益というものを想定してつぎ込むことは、これは十分可能である。社会主義でも厳密な原価計算なしでやっぱり料金政策はとっているわけですから、そういう立場、社会化された交通政策という立場をとれば、ある程度大づかみな開発利益の還元ということは可能であります。  それから先は、ほかの公述人が言われましたように、それは政府資金の投入というかっこうをとって出るわけですから、田淵さんのおっしゃった三つというものの第二と第三は、われわれのような考え方に立てば一致するわけです。そういうふうに考えます。     —————————————
  112. 木村睦男

    委員長木村睦男君) この際、委員の異動について御報告いたします。  本日、平島敏夫君が委員を辞任され、その補欠として高橋邦雄君が委員に選任されました。     —————————————
  113. 田渕哲也

    ○田渕哲也君 次に、池田先生にお伺いしますが、先ほど、公共性と競争原理の導入というものは矛盾するということを言われました。それからさらに、行政政策の選択の権限は国民にある、こういうおことばもあったわけですけれども、この公共性と競争原理の導入の矛盾というのは、ある程度社会化といいますか、社会主義化ということを意味していると思うのでありますけれども、その場合、たとえば交通手段は単に鉄道だけとは限りません。片方に航空機があり、自動車があり、船舶がある。そういうものを国民が選択する場合、具体的にどうしてやればいいのか。現在ではその競争原理が入っておるわけですから、国民が価格と便益とを考えてそれを選択する、これがすなわち競争原理ではないかと思うのですけれども、先生の言われた行政政策の選択というのは具体的にどういうふうに行なわれるべきものか。
  114. 池田博行

    公述人池田博行君) 最後におっしゃった、行政政策の選択とおっしゃったのがどういう意味かちょっとぴんとこなかったのですが、社会資本ですね、特にやっぱり交通業が主体だという考え方が強いわけですが、そういう社会資本というのは、いままで皆さんおっしゃっていたように、最近いわゆるシビルミニマムとかナショナルミニマムということばがかなり使われ、そのことばが使われるという背景は、いかに日本における国民大衆生活のための便宜が、上からは全然政策的配慮がなかったかということの証拠だろうと思います。おそらく先生がおらないときにしゃべったんじゃないかと思いますが、とにかく今日のような交通事故状況をとって見ても、それから先ほど航空機の話を申し上げましたけれども、この事故はかなり、いままでの処理を見ますと、もう言うまでもないことですが、直接の運転者の責任にかなりなっているわけですがね。だから、これはちょっとまた比喩的に申しますと、人間が死ぬときは大体心臓がストップするわけですね。そうすると、死んだ原因というのは心臓病かというわけじゃなくて、やっぱり運転者の事故に対する責任の程度というのはかなり——非常に大きな間接的な要因を踏まえてやっぱりその事故というものが発生しているように見受けられるわけでして、ということで、とにかく今日のような死傷者が出る。実に平和な——まあ間接的には戦争に参加しているというようにも考えられますが、直接的には戦争がなくて毎年毎年数万の死傷者が出ているという状況、これを普通だとお考えになると、これはやっぱりおかしいんじゃないかと思うのです。  そこで、特に交通業に関しては、大体事故が起こる原因というのが、たとえば先ほど言いましたように風とおけ屋の論法で見てもわかるように、モータリゼーションの激化ということが非常に問題になっているわけです。これはモータリゼーションの問題が出たら御紹介しようと思ったんですが、フランスのアンドレ・ゴルツという人が「困難な革命」という本を書いています。一々読み上げると長くなるので紹介をやめますけれども、これに付随して長崎短大の湯川という人が、いわゆるカッコづきですが、とにかく今日のような公共大衆輸送機関の荒廃下に、われわれ市民というのはなけなしの、あるいは借金をしてまでも——これは特に農村に行かれると、いかに農民が農協から金を借りて自動車を買っているかという状況ごらんになれると思うわけです。個人的なモータリゼーションというのは不可避的な必要悪として生活の上にのしかかってきているという状況も見られるわけです。まさに地獄的な状況を呈しているとも言えると思います。それによって何が起こっているかというのは、いろいろ事故原因、特にマイカーの、自家用乗用車の運転に基づくところの事故都市においても地方においても、特に最近では大体旧国道二号線というようなところに事故が頻発しているというような統計ごらんになれると思うのですがね。とにかく、今日の、かなりその事故の責任というのはマイカーにあるというような、モータリゼーションの激化が問題として取り上げられねばならないんじゃないかと思うわけです。したがって、交通機関というのは、大体生きてても死んででもいいから到着地に着けばいいんだというようなものじゃこれはないわけですね。われわれの生活でもってなぜ交通が発生したかという、やっぱりわれわれの人間社会生活の原点に立たなければいかぬと思うのです。そういうところで、社会資本、特にこの交通業というのは最も安全にやるということが公共性の主要な内容だと、私はそう思うわけです。  したがって、先ほど言いましたように、公共性というのは国民の生活にも直結するし、資本の経済活動にも役立つから公共性であるという論拠は、これは俗論だ。なぜ公共性ということばをわれわれが使うかといいますと、われわれの生活と命を保障し得るような機能を提供することに交通機関の使命がある、そういうふうに考えると、これは戦争挑発者と同じような論拠を公共性の使い方によってはなさることになると思うわけです。したがって、公共性という概念を交通機関に適用される、あるいは、交通機関はそういう公共性を持っているんだということでありますと、採算制という問題は別個に考えるべきだ、交通政策経営的な配慮から打ち出すということばには、まっこうから私は反対であるという意味なんですがね。  それから行政技術の選択云々の問題ですね。これは私が先ほどちょっと中途はんぱに引いたわけですが、これもアンドレ・ゴルツという人物が言っているわけですがね、行政技術の選択の権利と責任を一応預けているんだけれども、それが暴走的な、権力化するような形であっては困るんだ、それに対して市民の直接参加というような、新しい今日の社会的な危機に適応したような形をとらなきゃならないということをアンドレ・ゴルツという人は言っているわけでして、それに対して私も賛成であるわけです。まさしく、とにかく、先ほど岡田先生がなかなかうまい表現を使われたんですが、諸悪の根源というのは私の考えによると差別にあると思うんです。差別の体制下、それにあぐらをかいた権威主義というものによって出てくるところの一方的な政策の立案と実施、これが今日の日本のわれわれ国民大衆生活を圧迫しているというわけなんです。終わります。
  115. 田渕哲也

    ○田渕哲也君 次に、川口先生にお伺いしますが、通勤定期の問題が出たわけですけれども、確かに通勤定期の値上げというのは、特に中小企業労働者に大きな負担を与える、あるいは一定以上の限界しか出ていないところでは非常に大きな伸び率になる、これはおっしゃるとおりですけれども、だからといって、私は、この通勤定期引き下げのために国民の税金を使っていいかどうか、これはちょっと疑問があると思うんです。といいますのは、これはやはり大都市の集積の利益というものを得ておるわけですね。特に大企業——企業に限りません、大都市に集まっておる企業体というものは集積の利益を得ておるわけです。その反面、大都市では地価が上がり、それから通勤地獄というものが出現して労働者は非常に、どういいますか、過酷な条件に置かれておる。そういう点から考えると、私は、通勤に要する費用というものはやっぱり利益を得ておるものが負担すべきではないか。特に大都市にある事業場とか、そういうものが税という形で負担するか、あるいは通勤定期は全額企業負担にして、これを義務づけて、もっと値上げをする、そのかわりに、もう少し条件のいい中で通勤できるようにする、そういうことがやっぱり必要ではないかと思うのですけれども、この点、御意見をお伺いしたいと思います。
  116. 川口弘

    公述人(川口弘君) ただいまの、あとのほうでおっしゃいました考え方ですね、それは私は全面的に賛成であります。ただ、そういうことがなされない中で通勤定期の値上げをやらなきゃならぬ、こういうことに反対したわけです。  それともう一つ、ずいぶん長い間ラッシュアワーの過密とその残酷性、利用者にとっての残酷性が問題になっていながら、その問題がなかなか解決に向かわないということは、通勤輸送を十分に行なうためには非常に大規模な投資が必要であるけれども、これが利用時間が一定のピークに集中していて、そしてそこにあまり大規模な投資をやると、あとの費用が困難になる、こういうような問題点があるように見受けるわけなんです。したがって、そういう投資は、いわば企業的な収支採算の上に立って投資計画をやろうとすればなかなか進まないわけでありますから、そういう面で財政資金による投資を、つまり当局負担での投資を大規模にやるべきではないか、こういうことを申し上げたわけです。
  117. 田渕哲也

    ○田渕哲也君 次に、岡田先生にお伺いしますが、やはりある程度サービスをよくするためには値上げも必要である、こういうおことばがあったわけですけれども、過去において国鉄運賃は何回か値上げをされてきておりますけれども、ほんとうにそれでサービスがよくなったかどうか、これは非常に疑問じゃないかと思います。そういう点で、今回も、これだけ値上げをしたらサービスがよくなるのかどうか。まあサービスがいいというのは、たとえば通勤ラッシュが改善されるとか、あるいはより安全に快適に早く目的地に着けるとか、あるいは居住性がよくなるとか、そういう点についてどうお考えですか。
  118. 岡田清

    公述人(岡田清君) いつも運賃値上げのときにサービスの改善が約束されて、それから運賃値上げが行なわれて、その結果サービスはよくならないという循環をいままで繰り返してまいりました。これは民鉄の場合も同じであります。しかし、サービスがよくなっていることはこれは事実なんで、どういう形でよくなっているかといいますると、気がつきませんけれども、たとえば昭和三十年代にわれわれが民鉄なりあるいは国鉄に乗りました場合には、フリークェンシー、つまり列車頻度が非常に少なかった、それが何回か行なわれる過程の中で列車頻度その他はだんだんよくなってきているわけです。それで、さらに今後は冷房車その他がつけられるであろうというふうに思っておりますが、そこら辺は案外知らされておりません面が多分にあるということであります。ただし、一つここでかってなことを言わしていただければ、せっかく値上げして資金を——よく私、悪口言う場合には、炭焼き鉄道だという言い方で悪口言う場合がありますが、地方のほうへどんどんお用いになりますると、これはサービスのほうに回らない、結果的に国民からまたいじめられるということで国鉄だけが窮地に追い込まれてしまうという場合もあり得るということを、たいへん口の悪いことで恐縮でございますが……。
  119. 田渕哲也

    ○田渕哲也君 もう一点岡田先生にお伺いしますが、現在、貨物輸送合理化、近代化を進めておるということでありますけれども、将来性ですね、いままでの例を見ますと、やっぱりトラックにどんどん食われております。将来、貨物輸送の近代化、合理化国鉄が進めるならば、鉄道が進めるならば、これは自動車に十分対抗していけるものかどうか、将来性についてお伺いしたいと思います。
  120. 岡田清

    公述人(岡田清君) これはたいへんむずかしい御質問でございまして、私はちょっと答えにくい面もございますが、物的流通というものの近代化に対して国鉄が果たし得る能力があるのかないのかというふうに私なりに質問を翻案させていただければ、そうすれば、まだ余地はあり得るだろう、だからといって、すべての道路交通に対応するということよりも、むしろ道路交通のトラック輸送とお互いに補完し合いながら、適正なる物流のOD間ネットワークと申しますか、そういうふうなシステム化を推進していけば、国鉄貨物輸送は、特に長距離輸送においては相当強い競争力を持ち得るだろうというふうに判断いたします。
  121. 田渕哲也

    ○田渕哲也君 次に、宝田さんにお伺いしたいと思いますが、先ほども赤字線の問題が出たわけですけれども、私はこの赤字線というものはシビルミニマムとして必ずしも残さなくてもいいような気がするわけです。なぜならば、交通機関というものが非常に多様化しつつある、やはり一番適した、最小の費用で最大の効果ということから考えて、そこの交通量とか、地理的な条件とか、そういうものに適した交通手段を選ぶべきではないか。確かに現在、赤字線の鉄道をなくしてもバスが赤字のことも事実であります。しかし、バスと鉄道と比べるならば、同じ赤字にしてもバスのほうが赤字の規模は小さい。そういう点を考えると、やっぱりできるだけ損失が少なくて、しかも住民の要望を満たせるような交通機関があるならばそれでもいいのではないか、こういう気がしますけれども、この点いかがですか。
  122. 宝田善

    公述人(宝田善君) 確かにおっしゃるとおりだと思うんです。私は何もいまのローカル線とか赤字路線を現状のままで固定化しろということを言っているつもりはないのであって、ただ、いまのような国鉄のこの方針ですね、あるいは政府の長期何とかですね、財政再建何とかの十カ年計画ですね、これでいきますと、じゃバスにかわったあとをどうするかということについてあまり保障的でないわけですね。ですから、全体の条件が非常に不安といいますか、国民から見まして非常にあぶないときに国鉄だけこういうことをして済まされるのかどうか。私はマイカーとかバスとかトラックとか全体を含めまして、いま日本の国民生活から見た大衆交通手段は危機に落ちているではないかということを言いたいわけです。その例は、たとえば岩手県に行きますね、バスも赤字ですね。地方の私鉄が一社化をやってなおかつ赤字で、一体岩手の地方交通はどうなるか。四国でもそうですね。ですから、国鉄運賃云々よりも、一番最初言いましたように、日本政府は、一体、国民の、いま現に生きている人たちの最低限の大衆輸送手段を守る気があるのかどうか。その点をちゃんとすれば、それに見合ったいろいろの交通のあり方の変化とか、選択というものはいろいろあり得ると思いますね。決して、いまのままのトラックとかマイカーとか国鉄とか私鉄とかを固定しろと言っているわけではありません。全体として問題がありますよと、それはただ私企業原理だけで赤字のところは切る切るとか、そういう方式だけで済まされない問題が出ているから、むしろ公共的な手段論として、国鉄私鉄も全部を含めてもう一ぺん日本の国民の大衆交通手段をどうするかということを、原則をはっきりした上で国鉄をどうするかということを、乗せておいて、その上で国鉄料金の負担なり何なりをどうするか、三段階で考えるべきであるというふうに一番最初に申し上げたつもりであります。
  123. 田渕哲也

    ○田渕哲也君 もう一点だけ宝田さんにお伺いしたいと思いますけれども、先ほど人件費の問題が出たわけですけれども、私も調べてみますと、必ずしも国鉄の労働者の賃金は高くないと思います。ただ、人件費のコストとしては、かなりウエートとしては大きくなります。これはどこに原因があるかといいますと、やはり平均年齢が非常に高い、しかも四十歳から五十歳までの人が大体全体の労働者の約半分近くを占めておる、これは別に国鉄の労働者の責任でもなければ何でもないと思うんですけれども、こういう宿命なんですね。日本の賃金が年功序列賃金体系をとっておる限りにおいて、これ人件費の増大というのはここ当分は非常にやっぱりシビアな形でくるのではないか。特に私鉄の場合と比べてみますと、大体平均年齢は五歳ぐらい高くて、平均賃金が五千円ぐらい高い、これは年齢にしてみたら決して私鉄に比べてもいいと言えないと思うんですね。だから個々の労働者がもらっている賃金はよくないけれども、全体の人件費コストというのは非常に高くつく、これをどういうふうに改善すべきかというのが大きな問題だと思うんですね。私はやっぱり国鉄の事業範囲、新しい分野の開拓というか、そういうことをどんどんやって、あるいは四十歳から五十歳までのかたまっておる労働者ですね、この辺は大体熟練した方が多いと思いますけれども、こういう人の有効な活用ということをもっと考えるべきではないか。特に地方の駅なんかへ行きますと、私鉄では大体、出札掛は若い人がやっておりますが、国鉄ではかなり年配の高給者がやっておる、こういう点をどのように考えたらいいのか、また、どのように考えておられるか、お伺いをしたいと思います。
  124. 宝田善

    公述人(宝田善君) よく聞いていただきましたということなんですが、実は年齢構成が違いますとベースが違う、これはいわゆる年功賃金の宿命でありますね。ですから、同じ私鉄の中でも若い人を採っているところ、たとえばバス専業のところは若い女の車掌さんが多かったとか、各社ごとにこれは問題がある、これは民間、官公労を問わない問題点であります。いわゆる年功賃金というものが労働者にとっていかなるものであるかといいますと、実はわれわれが一番それの被害者でありますね。われわれは一番困っている、われわれは決して年功賃金がいいとは思わない。もともと単身者は単身者しか生きられないような賃金、世帯を持ってもやっと世帯が保障できるかどうかわからぬ賃金、年をとってから初めて世帯がまかなえる程度しかもらえない賃金というものについては、伝統的に日本の労働者は何とか克服したいと考えていた、遺憾ながら賃金水準が低くてなかなかこれが克服できないという問題があったわけです。  ところが、最近起きております問題はそれだけではない。いまの年功賃金といいますのは十年前とは性格が違います。かつては、かなり勤続に比例をしていた、いまはほとんど勤続に対する相関度はないのであります。たいへん低い。年齢給ともいうべき性格を持ってしまった。なぜ日本の賃金が——いまヨーロッパ並みに接近したとかしないとかいわれておりますけれども、これだけ一応上がったにもかかわらず、年齢賃金傾斜が高いかといいますと、実は生計費構造が日本の場合にはアメリカとかヨーロッパに比べて違っているわけですね。中高年、高年になればなるほど生活費が高くなるような社会的な構造が日本にはできてしまった。これは年功賃金とうらはらであります。長い間年功賃金であったからそうなったという面もありますけれども、アメリカとかヨーロッパと比べまして、日本の労働者、雇用者の生活費が中高年になって傾斜をしていくのはどういうわけかといいますと、一つは大学教育費がたいへん高いのであります。日本では官立大学にいけるのは三分の一ですね。三分の二は私学にいっているわけです。大学の教育費の負担というのは、たとえばイギリスでは九割が国費であります。私学といえども九割は国費財政、一割が授業料その他。日本では三分の一が授業料、三分の一が大学の借金。ですから、それはいずれまた授業料に返ってくるというかっこうで、これだけ学歴水準が上がっているにもかかわらず、日本の大学制度というのは、個々の勤労者のポケット負担で実は日本の大学というものは維持されている。それでは老後保障はどうであるかといえば、これは御承知のとおりであります。児童手当は日本であったかといえば、去年やっと名目だけのものができてしまった。その他住宅はどうであるかといえば、若いときからまともなうちには入れない。六畳一間に間借りをして、四十、五十になってとにかく自分のうちを持たなければ老後も送れない、子供も生活できないということで、アメリカとかその他であれば二十代にやるべきことを中高年でいまやっているわけです。こういう諸要素がからみ合って、日本では、現実問題として生計費の構造、労働者のライフサイクルと生計費というものを比べますと、ヨーロッパ、アメリカとは違った構造になっている。この問題を解決するためには、これは賃金のワクの中では解決できない。むしろ社会保障をどうするか、児童手当をどうするか、日本の高等教育制度をどうするかというふうな諸問題を解決しませんと、われわれの生活基盤の特殊な構造というものは変わらない。それが変わらない限りは、労働者というものはいやでもおうでも年功的な賃金カーブを維持しなければ現に中高年が食えないわけです。子供を大学にやれない、老後の保障がないというかっこうで、これは一企業国鉄といわず、民間企業、中小といわず、この年齢別の賃金傾斜というものを個別企業で平らにしてしまったら、そこの労働者は若い人だけしか生きていかれないという賃金になってしまう。  ですから、われわれは非常に不満でありますけれども、現に社会がそうなっているわけですから、日本の政治の姿勢を改めてもらいませんと、この問題は解決をしない。それがたまたま国鉄では年齢構成が高いがゆえに、ベースで比べますと私鉄よりも高いというかっこうで出てきている。それは一国鉄問題だけではない、そういう中高年労働者を多くかかえている企業は全部そうであります。しかも、日本全体はこれから中高年層中心の時代に入っていくわけですから、この問題をどうすべきかというのは、まさに政治の問題であろう。ですから、それを国鉄の中でその問題についてどうこうということは、これは一企業のどうしようもない問題であって、むしろあなた方が考えていただきたい。あなた方と言うと失礼でありますけれども日本の政治の基本にかかわる問題点だろうと思うのであります。そういう事情でありますから、現に国鉄に高齢者が多い以上、高齢者が職場にいるのは当然であります。そこで、仕事の配置その他についてどうであるかといえば、労働者としては雇用が保障されて、所得が保障されて、生活の実害が伴わないという条件がなければ、マイナスになってもいろいろかえられたほうがいいという労働者はいないわけですから、いかに国鉄当局が雇用と所得について保障をしながら労働組合と交渉していくか、その問題にかかわっていくと思います。
  125. 山田勇

    ○山田勇君 公述人には長時間にわたりたいへん御苦労さまでございます。もう体力の限界もきたように私思います。そこで重複を避けまして簡単にお尋ねをいたします。  まず池田先生にお尋ねいたしますが、先ほどの最初お話の中で、通勤通学社会政策の一環であるということでいろいろ御批判がありました中で、通勤通学に対して私は私なりの私案があるというふうなお話と承ったのですが、通勤通学に対する何か先生の持っておられる私案といいますか、そういうものがあれば御披露いただきたいと思います。
  126. 池田博行

    公述人池田博行君) 先ほど通勤通学については私なりの考えがあると申し上げたのですが、私案ではございません。それはなぜかと申しますと、先ほどから申しましたように、これは一ぺん、いまから四、五年前かと思いますが、大内兵衛先生とたまたまその問題でお話しし、先生の意見を伺う機会がありまして、大内先生がそれを言われたことなんですが、先ほどからも申しますように、社会政策ないしは厚生政策の一環、あるいは文教政策であるかもしれません。大体まず通学の定期の問題からいいますと、通学定期を買わなければ学校に行けないというのは、一応たてまえとしては義務教育以上の段階、特に大学生。すると、今日の大学生となると私どもにも責任があるわけですが、いろいろな問題をはらんでおりますが、これは非常にちょっとどぎつい表現で申しわけないんですが、これはある労働組合でちょっと問い詰められたのですが、大体、大学生というのは、先ほどから申しますように権力に奉仕するような形の職場しか選べないし、また、それを望んでいるような諸君が多いのではないか。これに対して一個別資本であるところの国鉄が、あるいは私鉄でもけっこうですが、そういう運賃割引というような、いわゆる公共というもので負担するのはおかしいじゃないか。文字どおり論理的に私もおかしいと思いますが、通学定期についても。ですから、これは大内先生的な表現をすれば、これは別途、国の文教政策の一環の中の経費、支出というような形での扱い方を考えるべきじゃなかったか、個別資本が担当するのはおかしいと私ども思います。  それから通勤定期ですが、これは私も前は国鉄関係の職場におりましたのですが、大体、通勤費用を会社が負担しているというのは、どうも私の記憶では大体五、六割ではないかと統計をとってみて思われるわけでして、そういう意味では、四、五割というような人々は自己負担で通勤されていると思います。で、通勤定期の割引の問題も、これはやっぱり個別資本が負担するのはおかしいということ。それから第一に、たとえば最近かなり国労さん、動労さんの問題で電車が混乱したりあるいはストでとまってしまったというようなときに、まずその通勤者に対して、社員を会社に引っぱるために、会社がトラックなりバスなりを動員しているというような事実を見てもわかるように、とにかく資本の経済活動の場に運ぶために通勤をさせる。もちろん、通勤するわれわれは生活のために通勤するわけですが、そこでもってやっぱりまた前の論議に返りまして、個別資本であるところの交通機関がその費用を負担するのは、これはかなり公共企業論といいますか、そういうもののあり方としておかしいじゃないかと思います。ですから、通勤通学の定期の割引そのものの率のあり方というのは別としまして、そういうものを負担するのは、個別資本としてはお門違いであると思います。そういう意味で私の考え方があると申し上げたので、失礼いたしました。
  127. 山田勇

    ○山田勇君 ここに国鉄財政新再建対策要綱の中で、「運賃改訂」の部分で、第二項に「通勤定期等に対する特別割引については、極力その是正を行ない、増収を図る。」と、こう書かれてあります。そういたしますと、いままで先生方のお話を聞いておりますと、いろいろと論議があった中で、岡田先生がおっしゃいました、これからの国土開発というような意味も踏まえて、地方分散政策などを大いに取り入れるべきであるというふうな一つの形が出てきております。それと広域行政の日本のいまの実態でございます。その中で、とりあえず通学通勤の定期というものの一つの恩恵があるわけですが、かりにこれは地方分散政策がとられて、どんどんと工場などが市外地のほうに出てまいりましても、今回のように、川口先生もおっしゃったように、五キロから三キロと減少の方向にいってしまいますと、その恩恵を受ける勤労者または学生の人口というものは著しく私は減っていくように思うわけです。それがはたしてそういうことによって増収がはかれるであろうかというふうにちょっと疑問に思うのですが、その点、岡田先生からお聞かせ願えればけっこうであります。
  128. 岡田清

    公述人(岡田清君) 地方分散政策を行なえば国鉄の増収が可能かという御指摘でございますが、これは一般論といたしまして、二つのことが言えるかと思います。一つは、地方の需要が相対的に低下しておりまして、したがって、地方の需要が増大するような政策をとれば、地方と都市とのアンバランスの是正になって、したがって全体的な国鉄の増収が発生するであろう。それからもう一つ考え方は、これは予測の方式の中でグラビティーモデルというのがございますが、これは二つ都市間の交通量を予測いたしますのに、人口の積に比例して距離に反比例するという予測値がございます。これは人口が、たとえばいまかりに百人の人口があるといたしまして、一方に九十人、一方に十人であるというケースと、それから一方に五十人、一方に五十人であるという二つのケースで比較いたしますると、両方の同じポテンシャル、つまり二つ都市の大きさが同じになった場合に輸送量が最大になります。そういうふうな観点から、つまり予測数値のようにわれわれが使っておりますモデルの観点からも、一般的な需要の増大、いま国鉄自身が一番悩んでおります地方の輸送需要の低下という問題がカバーできるであろうという意味で申し上げたわけであります。したがって、五キロ、三キロというのは直接意識いたしておりません。
  129. 山田勇

    ○山田勇君 国鉄赤字がモータリゼーションの発達に押された結果だとよくいわれますが、総合交通体系の中で国鉄の占める地位を向上させるため、かりに自動車の台数を何らかの形で規制をするといたしますと、具体的にいまの国鉄に対してどういうような現象が起きてきますでしょうか。これを岡田先生にお尋ねいたします。
  130. 岡田清

    公述人(岡田清君) その点はたいへんむずかしゅうございまして、御承知のように、自動車輸送需要とそれから国鉄に対する需要が相互に代替的である場合と、それから全く代替的ではなくて、たとえば自動車を規制すれば旅行をやめてしまうというケースがありますので、一がいにこれは言えないと思いますが、少なくとも現在の自動車を使っております場合には、かなりの程度、官公需要を除けば、これは短距離でございますので、それによってどのくらい需要が増大するかというのはちょっと私ここで予測を申し上げる用意をいたしておりませんけれども、まあ、あまり期待はできないというふうに判断いたしております。
  131. 山田勇

    ○山田勇君 まあ、この日本の経済、また日本の現在のモータリゼーションの進展をいまのままかりに続けていくとすれば、国鉄の新幹線においても——いまは新幹線においては黒字でも、将来は、私はこの新幹線自体も大きな赤字になるのではないかと考えるのですが、結局、いままでの国鉄の設備投資がそれでだめになってしまう、赤字になってしまう、モータリゼーションの発達の予想がはずれた結果、赤字になり、設備過剰と言えばおかしいのですが、要らない赤字線といいますか、路線が出てきたとも考えられます。そうしますと、そういった点から——新幹線を全国的にどしどしつくる計画があるわけです。全国新幹線整備法なんていう法律もございます。そういうふうなので、将来の展望が誤っていれば誤っているほど大きな赤字に、私は新幹線自体も転化すると思うのですが、その辺の見通しというのはなかなかむずかしいと思うのですが、この新幹線というものにしぼって、何か率直な御意見があれば聞かしていただきたいと思うのですが、池田先生からお願いいたしたいと思います。
  132. 池田博行

    公述人池田博行君) 新幹線だけにしぼって申しますと、昭和四十年からの開通以後、確かに航空機との競争下に立っていたと思います。あのときに航空機は値下げしたのか何か、とにかく新幹線の一等あるいはグリーン料金よりも下回るような料金を、大体、東京−大阪において飛行機は設定したと思います。今度公表された資料によりますと、日航さんはもうかっているはずなんですが、今度は全日空さんと一緒に運賃を安心して上げられるような状況が出ていますし、これは明らかに新幹線との競争下に立っていますから、これはどういうふうに運賃——先ほどから申しますように、運賃価格、金融というのは資本主義の恥部だと申しましたけれども、これは非常に話し合いの上でおそらくきまっているのじゃなかろうかというような想像もできますが、確かに輸送形態のあり方としては選好性の問題がありますね。選択の問題がありますし、どちらに旅客が転移するかということはわかりませんが、かなり急ごしらえの新幹線というのは、ごらんのとおりにしょっちゅう修理していないとあぶなくて走れないというような状況で、新幹線の車両の償却期限は本来十年ぐらいでもよかろうと、これはたしか石田前総裁ですかな、おっしゃったようですか、七年くらいになっておるわけですが、非常な物理的な摩滅が進んでいるようですし、そういう問題も踏まえて、将来はだんだん——大体、日本人というのはせっかちでもあるようですし、そういう旅客が航空機その他のほうに移るというようなことも考えられると思いますが、自信を持ってそうなるとも言えませんけれども、そう楽観してあぐらをかいて殿さま商売がいつまでもできるわけもなかろう。とにかく四四%という営業係数を見た場合、どういうふうなことになるかということはちょっと予測しにくいのじゃないかと思います。どうも答弁になりませんで……。
  133. 山田勇

    ○山田勇君 ずいぶん時間もたちましたので簡単にお尋ねをいたします。私はたいへん今後また起こり得るだろうという新幹線公害というものに、非常に私どももいろいろとあちらこちらへ行きまして調査をしたり、また地域住民の皆さんとも話し合いをしたりするものですが、これだけ大きな新幹線の公害という問題が出てまいりました。そこで、これは全公述人の皆さんにぜひ聞かしていただきたいのですが、そういう中の公害の対策、これから国鉄が背負うであろう、いわゆる新幹線の公害、別に新幹線と限ったものではないのですが、そういう公害という問題について、何か先生方の御意見があれば、四人の公述人の皆さんに特にお願いしたいと思います。  そうして、これが最後になりますが、宝田公述人には、先ほど年功賃金の問題が出ておりました。私もけさほど大阪からこちらに参りまして、その中で専務車掌さんにいろいろちょっとお話をしておりました。勤続何年ですかと言いますと、勤続三十年ですと、それでたいへん失礼なことですが、お給料は幾らほどですかと言うと、十万円にならない、こういうことを言われました。これはたいへん私としてもショックでございまして、日本の経済がこれほど発展する中で、一企業の中で三十年勤続して、いわゆる所得水準が十万にならないというふうなことを聞かされまして、私はたいへんショッキングな気持ちで新幹線に乗っておりました。もちろんその中には、管理職と、また、いろいろな階級に対する、職に対する試験などはあるそうですが、それをどの程度消化されたか、どの程度になっているか、詳しくは聞きませんでしたが、何はともあれ三十年の勤続で十万円にならないという、その車掌さんの切実な声を聞いてまいりました。そういう点で、今後の国鉄の中の、いわゆる労働者の皆さん方の賃金の理想のあり方といいますか、宝田さんはこうあるべきであるという御意見があれば、この公害の問題とともにひとつお聞かせ願いまして、私の皆さんに対する御質疑を終わらしていただきたいと思います。長時間たいへんありがとうございましたが、あとしばらくですので、ひとつ御答弁いただきまして終わりたいと思います。ありがとうございました。
  134. 宝田善

    公述人(宝田善君) 私に対しては問題は二つ出ました。  まず公害の問題については、これはひとり国鉄に限らず、あらゆるものは公害に対して自分で始末をする責任があると思うんです。そういうふうにしてやってまいりますと、いまのトラックとかバス、それからマイカー、これもかなり社会的な費用をいましょわずにやっているわけですね。ですから、たとえば、これだけ混雑をしてきて、混雑緩和費用をおのおのに分担させますと相当な費用になる、公害の処理費にかぶせれば相当な問題になるという意味で、ひとり国鉄だけでなくて、やっぱり健康を守るためには全部やるべきであろう。特に新幹線公害というのは、すぐそばを通るために学校の授業ができないとか、家が騒音で住めないとか、こういう問題がありますから、自分だけ通ればよろしいじゃなくて、やっぱりある範囲の用地を確保した中を通すとか、これは空港でも同じですけれども。だから、海、陸、空を問わず、全部そういう対策をやった上で——いまの交通体系というのは、はたしてこれ適正な資源配分になっているかといえば、私は、社会的費用を無視してやっているだけにすぎないのであって、かなり条件は変わるべきだというふうに考えます。健康にかえ得るものはないだろうと思います。  それから、賃金の理想というのは、これは高ければ高いほどよいということでありますけれども現実問題としましては、まず平均的に労働しておる者は平均的なやっぱり所得がなければいけない。ですから、日本全体の賃金水準に比べまして、国鉄とか、私鉄もまたこれ低いのですけれども、いま交通関係の賃金というものはかなり低いというふうに、私個人は判断をしております。もう一つは、国鉄の労働というのはかなり技能労働に属していますね。非常にいま技術革新で労働態様というものは官民を問わず非常に大きな変化をしていまして、非常に単純な労働もあります。で、由来、洋の東西を問わず、賃金というものはまず単純労働において世帯が再生産されなければいけない。少なくともその社会で、これが最低の生活だといわれるものがなければ生きていかれないわけですから、その上に技能に見合って賃金というものは上にもっと高いものが乗るべきである、技能習得費が加算されるべきであるというのが賃金論の原則ですね。最低生活ができるということと、技能に見合って賃金というものはきまるべきである。その上に需給バランスとか、いろんな問題が乗っかってくるわけであります。いま、たとえば非常に単純な労働と看護婦さんの労働と比べますと、看護婦さんというのは三年間の教育を要する下級専門職であります。これがサービス産業等の単純労働より低いという現実があるわけですね。労働省何をしておるか、問題だと思うのですけれども。そういう意味で、国鉄の技能というものを見ますと、これは相当高いレベルですね。ですから、むしろ一般的な平均水準以上のものがなければ、いまの輸送労働というものはこなされないのではないか。二重の意味で低いと思います。
  135. 岡田清

    公述人(岡田清君) 公害対策の場合に、幾つかの問題がありまするけれども、その負担をどうするかという問題だけにしぼってお話ししたいと思いますが、これは非常にむずかしい問題でございまして、よくいわれますように、PPP——ポリューター・ペイズ・プリンシプルということをいわれまするけれども、この辺は、物価政策あるいは税制、そういう問題と非常にからんでまいります。ただ負担させればよろしいという問題ではなくて、当然、他に転嫁される可能性があります。したがって、国鉄にこれをただ負担させれば事は済むということではないわけで、これをさらに利用者に負担させるということにならざるを得ないわけです。その場合に、まあ同じようなことを全部の部門についてやれば同じではないかということになってまいりますと、所得の全体的な再分配が公害をめぐって起こるであろう。その結果生ずる資源配分がどうなるかということについて、少なくともこの公害対策が適正に行なわれた場合に各産業部門がどうなるかということについては、アメリカで非常にすぐれた分析結果があるということだけ申し上げて私のお答えを終わります。  最後に、ちょっと一言だけ申し上げますと、国鉄の賃金が安いという問題は私も同感でございますが、だじゃれになりますけれども、大学も安いということを御承知おき願いたいと思います。
  136. 木村睦男

    委員長木村睦男君) 以上で公述人に対する質疑は全部終了いたしました。  公述人の皆さんに一言お礼を申し上げます。皆さんにはきわめて長時間にわたり国鉄運賃法、関係法案の審議に参考になりまする有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。心からお礼を申し上げます。(拍手)  なお、運輸委員会の開催については、追って連絡のことといたし、これをもって公聴会を散会いたします。    午後六時四十七分散会