○塚本三郎君 ただいま提案されました
佐藤内閣不信任案に対し、私は、民社党を代表して、賛成の
討論をいたします。(
拍手)
日本古来から伝えられる
ことばに、死者にむちを当てるなとか、武士の情けという
ことばがあります。およそ指導者たる者は、それほどの配慮が必要なことを私も心得ております。しかるになお、あと日ならずして消え去らんとする
佐藤内閣の背後にあえて不信のやいばを当てなければなりません。
その第一の
理由は、
佐藤内閣は、
ことばだけの
政治でむなしく七年を過ごして、いたずらに
政治不信をつのらせたことであります。
思えば
昭和三十九年、第一次
佐藤内閣が発足して以来、あなたは機敏に時流をとらえて、新しい構想と耳新しい
ことばをもって
国民に呼びかけられたのであります。しかるに、それは全く実行されない、から題目に終わってしまいました。
まず第一に、
池田内閣の高度
成長政策を
批判し、安定成長を主張して新
内閣を発足させながら、結果は、財界の言うがままとなり、
池田内閣をはるかに上回る超
高度成長と
輸出第一
主義によってついに円の
切り上げを招き、国際
経済の慣行を無視して、いまや
世界経済から
批判の的にさらされておるのであります。そして、かかえ込んだ外貨百六十億
ドルは、いまや金価格の暴騰によって国の財産は半減されつつあります。それでなお、何ら打つ手すら持ち合わせていないではありませんか。
また、
内政においては、寛容と忍耐という
ことばを好んで用いられながら、その実、法案
審議にあたっては強行採決すること数知れず、三百議席にあぐらをかく多数横暴は本院の常套手段と化しているではありませんか。(
拍手)
また、外に向かっては進歩と調和を旗じるしに高々と掲げながら、その実、国際
政治の舞台では反動と孤立の道をむなしく歩き続けて、いまや国際政局の孤児となりつつあることは、
自民党議員各位も認めておられるところであります。
最近に至っては、
人間尊重の
政治を口ずさんでおられますが、
事態は全く
反対の
方向に進みつつあります。
公害による環境破壊は目に余るものがあり、大都会はもはや耐えがたき交通地獄、
公害日本となってしまいました。
かくして、われら
国民はこの十年間無心に働き続けて
GNP世界第二位を誇る産業
日本をつくり上げたのに、皮肉にもその産業発展の結果は、
公害列島
日本と化し、産業発展の功労者たる
国民に対し
公害病をもって報い、
物価高をもって仕返してきているではありませんか。これを
佐藤内閣の
政治公害と言わずして何と言うべきでございましょうか。(
拍手)
かくして、
佐藤内閣の看板であった遊歩と調和の
政治、
人間尊重の
政治は一片の空文と化し、
国民は
佐藤内閣の
政治公害のヘドロの中に呻吟しつつあります。それでもなお、
佐藤内閣は逆に
国民に向かってのみ寛容と忍耐の
ことばを強要されるのでありましょうか。
政治家が評論家や芸能人と異なる点は、その言動に責任を持ち、
政策を実現させるところにあることは言をまちません。(
拍手)
大衆を喜ばせ、期待をかけさせるだけで消え去らんとする
佐藤内閣は、
ことばだけの
政治だと
非難されるゆえんもここにあるのであります。
不信任の第二の
理由は、
人間性破壊の
政治を深めたことであります。
環境を無視した生産第一
主義の
経済政策は、すなわち
人間性喪失を招き、マスプロの
世界に投げ出された若者は、その個性と
能力を無視され、単なる生産機構の一部品としてしか扱われず、先行きに対する不安と、既存の壁にはばまれた若者は、一方においては無気力な
人間をつくり、他方ではやけぎみな無法者の暴徒をふやす結果となりつつあります。
人間尊重の
佐藤政治とは全く逆に、
教育の殿堂たる学園は暴力思想の温床となり、残忍愚劣な
人間性
荒廃の墓場と化しつつあるのであります。(
拍手)
連合赤軍事件に見る一連の残忍非道な姿は、はたして今日の
政治と無
関係だと言い切れるでありましょうか。私は、彼ら連合赤軍事件に見る学生
諸君の
行動を弁護する何ものも持ち合わせておりません。だが、われら
政治家は、とりわけ
佐藤内閣は、
人間尊重の
政治を唱えながら、彼ら若者に何を与え、何をなさんとしたでございましょうか。
学問の自由の名の
もとに、学園を
政治と法律の圏外に見放して、ただ単なる産業予備軍としての
労働力以外には求めなかったではありませんか。
経済大国日本の若者は、精神的に飢えたオオカミと化し、その一部がアウトローの暴徒と化していることは、御存じないはずはないのであります。ことしこそは
内政の年と主張された総理の心中には、このことへの反省があったはずであります。それにもかかわらず、やはり
ことばだけの
政治に終わったことへの
怒りが、私どもの心を大きく支配しておるのであります。
不信任の第三は、
日本の
政治を腐敗、堕落せしめたことであります。
私ども
政治家にとって最も大切なことは、その
政治姿勢であります。
政治に金がかかることが
政治悪の根源であることは、つとに叫ばれてまいりました。吹原事件、共和製糖事件、日通事件等々を通じて、その根本が
政治資金規正法の抜本的改正にあることが指摘され、
政治家がえりを正すことを申し合わせたはずであります。その際、
佐藤総理は小骨一本抜かないという名せりふを残されたのであります。
佐藤さん、いまあなたが総理の席を去られんとするにあたって、その
理由はいかがあれ、その御答弁がいかにそらぞらしいものであったか、御自身が身にしみておられることでありましょう。大
企業と
自民党と
政治資金と料亭とが、一木の動かすことのできない糸でもって
政治を徐々に腐らせていきつつあります。
そして、目下
佐藤内閣の後継者争いの醜さを隠そうとしない今日の三角大福劇を、総理御自身は何と見ておられるのでありましょうか。新聞や雑誌、テレビ等では、もはや
批判や
怒りを越えた落語、漫談の材料とされてしまっているではありませんか。
思えば、昨年の暮れ、
沖繩国会が終わったとき、あなたを支持する人もしない人も、
佐藤内閣の使命はこれにて終わりと受け取りました。おそらく総理御自身もそう決意しておられたことと私どもは受け取ったのであります。その時点では、
佐藤内閣には数え切れないほどの罪過があるにもかかわらず、長い間御苦労さんという
ことばをもって退陣を
拍手でお送りできたと信じました。
佐藤さんは何と恵まれた星の
もとの
政治家かと当時は思ったのであります。
人間は引きぎわが大切という
ことばがしみじみと思い出されるのであります。その後の星は、
佐藤さんにとってまことに悪い、黒星の連続でありました。いわく四次防の先取り、いわく
沖繩の自衛隊物資輸送、いわく立川
基地の抜き打ち移駐、いわく
沖繩返還の秘密文書等々、
外交問題を別にしても、
内政のことごとくが皮肉な結果となり、ついに、
野党の
要求によって、本院で引責の表明を余儀なくされたのであります。そして、いまでは、あなたの
政治のひのき舞台の華麗な引退劇の幕は
政治のヘドロでむざんに汚され、幕の引き手すらあらわれなくなったではありませんか。(
拍手)
いまや
佐藤内閣は満身創痍であり、野たれ死にを待つのみでありながら、だれ一人退陣をすすめる人もなく、ずる賢い自称後継者は、
佐藤内閣と責任を分かち合おうといたしておりません。(
拍手)みずからが閣僚の席に名を連ねながら、悪いのはひとり
佐藤榮作なのだと言わんばかりに、そして、おれは
佐藤の亜流ではないのだと、言いわけじみた新
政策を無責任に発表して、しかも、なお、
佐藤内閣の遺産のみは受け継がんものとするずうずうしさのみが目立つではありませんか。(
拍手)
われらが追及せんとする
佐藤内閣の不信の声は、総理個人はもちろんのこと、
内閣に連なる十数名の全閣僚の共同責任であり、与党たる
自民党への不信と
批判の叫びにほかなりません。昨今では、毒食わば皿までという風潮が高じて、いやなことはついでにみな
佐藤総理に背負わせろとの自嘲的空気から、もはや
政治生命の尽きた
佐藤内閣をして会期延長というカンフル注射、いな、酸素吸入までさせて、国鉄、健保の値上げを押し通さんとしているではありませんか。
一人の総理大臣で五度にわたって
不信任案を突きつけられた
佐藤内閣、
物価高と
公共料金値上げの
佐藤内閣、産業
公害と環境破壊の
佐藤内閣、
人間疎外と
教育荒廃の
佐藤内閣、それはあくまでも、
佐藤榮作
内閣総理大臣一人の責任に帰せしめんとする
自民党の無責任与党への激しい
非難をもつけ加えて、
佐藤内閣不信任案に対する賛成の
討論といたします。(
拍手)