○畑
委員 私は本日は、
最高裁判所長官の任命後に最初に行なわれます衆議院議員の選挙の際にあわせて行なう国民審査、この問題について、その点だけに大体しぼりまして質問をいたしたいと思っております。
いままで
最高裁判所長官に任命された方は、初代が三渕さん、二代目が田中耕太郎さん、三代目が横田喜
三郎さん、四代目が横田正俊さんで、五代目が現在の石田和外さんでございます。
そこで、最初の三人の
最高裁の長官につきましては、これは
最高裁長官に直接任命をされ、内閣の指名に基づいて天皇が任命したものであります。そして、その直後に行なわれた衆議院の選挙でおのおの国民審査を経ておるわけでございます。
〔
高橋(英)
委員長代理退席、
委員長着席〕
ところが、その後四代目の横田正俊さん、五代目のいまの石田
最高裁長官、このお二人につきましては、いずれもこのお二人が最初
最高裁の裁判官、長官にあらざるそのほかの十四名の裁判官の一員として内閣から任命をされたわけです。それでその後その官をやめて、そして
最高裁の長官に新たに天皇によって任命されたということであるわけであります。そういうことになっておりますけれ
ども、ところがこの横田正俊前
最高裁長官と現の石田和外
最高裁長官については、長官任命後当然私は国民審査を新たに経なければならなかったはずだと思うのです、憲法解釈上。ところが、それがされないままに今日まで来てしまった、こういう事実であります。それは憲法解釈上そうでないというようなことでか、今日までそれがなしに済まされておったように思います。
ところで、最近になって実はこの点がいろいろ議論の対象になってまいりました。法曹の扇異をになう弁護士会、大阪弁護士会がまず最初に一石投じまして、それからさらに日弁連で機関の決議をもって、これが正しい、
最高裁長官に新たに横すべりというか、任命された場合には、国民審査を新たに受けることが憲法の解釈として正しいのである、これ以外は間違いだ、こういうような意見を発表されたのであります。この点は私は非常に重大だと思う。いままでそうした重大なことが見過ごされてきた、あるいはそうでないという解釈に基づいてわざとその国民審査がされなかったのか、あるいは見過ごされたのか、いずれかだと思います。
この問題につきましては、いままで実は学者等もほとんどこれについて解説等をいたしておりませんが、ただ唯一、私の知っている限りにおきましては、田上穣治博士がその著書におきまして簡単に触れておるのが
一つある。それは
昭和三十八年の田上穣治博士の「憲法撮要」の二二ページに
ほんとうに簡単に触れられております。「
最高裁判所判事が
最高裁判所長官に任命された場合にも、その任命の直後の総選挙の期日に国民審査を行うのは、いうまでもない。」こうなっておりまして、その前ですが、順序が逆になりましたが、
昭和三十六年に同じく田上穣治博士があらわしました「全訂憲法概説」の二六四ページにも同じ文句で、そういう際にはあらためて国民審査が要るんだ、こういう説を述べておられる。その以外にはどうも見当たらないのであります。そのほかに、その後に、あとで申しますけれ
ども、
最高裁の「裁判所法逐条解説」というものがございますが、これに幾らか書いてある。ところが、これもどうもはっきりしないのです。しかもそれは、あとで述べますけれ
ども、「時の法令」という政府
関係で発行している雑誌に書いてあるものをそのまま引用しておる。その「時の法令」のその部分についてはだれも署名をしてない、無署名のものでありまして、それをそのまま
最高裁の憲法の逐条解説で述べておるだけであります。それがどうもはっきりしないが、その必要はないといったようなニュアンスの書き方をしておる、こういうことなんでありまして、その点について、実は私の意見も述べまして、そして当局の見解をひとつ聞いておきたい、こう思うのであります。
この点については、この間予算
委員会で中谷鉄也君が質問をしたように思っております。そのときには、当局のどなたが
答弁されたかわからぬけれ
ども、否定的な
考え方が述べられたというふうに聞いておりますが、私はそれじゃとうてい満足できないということで、予算
委員会の時間は非常に少ないですから、たいした詰めもできなかったと思いますので、私ここで重ねて少し詳しく法律論を展開してひとつ議論をしてみたい、かように思います。
御
承知のように、憲法の七十九条の第二項に、「
最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選擧の際國民の審査に付し、」こういうことになっております。この際の
表現は、「
最高裁判所の裁判官」と、こう書いてある。これが議論の分かれ目だと思います。ところで、同じ憲法七十九条の第一項のほうを見ますると、御
承知のように、「
最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官で構成」をするというふうなことが書かれております。したがって、ここに書いてありまするのは、
最高裁判所の裁判官には、明確に区分されるべき長たる裁判官とその他の裁判官という相異なる二種類の官というか、身分というものが存在するのだ、こういうふうに考えられる。
それで、それを受けて裁判所法では、第五条第一項に、「
最高裁判所の裁判官は、その長たる裁判官を
最高裁判所長官とし、その他の裁判官を
最高裁判所判事とする。」こういうふうに明記をいたしております。さらに五条の三項には、憲法七十九条第一項の「法律の定める員数」というものについて、「
最高裁判所判事の員数は、十四人とし、」こういうふうにして明文化いたしておるのであります。
このように、
最高裁の長官と判事とが憲法上、同時にまたそれを受けてつくられた裁判所法におきましても、全く別個の官である。このことについてはもう争いはないと思うのであります。それだけではなくて、この二つの官に対する任命のやり方も違っております。憲法、裁判所法の根拠法上、任命権者を異にする全く別個の行政行為であるということは明らかだと思うのであります。そのように官が大体別なんだ、それから任命の形式も違うのだというようなことです。
最高裁判所の長たる裁判官、
最高裁判所長官は、内閣の指名に基づいて天皇が任命する、これは憲法六条の二項、裁判所法三十九条の一項、これに明文で書いてあります。長たる裁判官以外の裁判官、
最高裁判所判事は内閣でこれを任命する、憲法七十九条一項、裁判所法三十九条の二項、こういうふうになっておるわけであります。
そして、次に重要なのは、国民の審査に付されるというのは、
最高裁判所の裁判官の任命なんです。任命されたことなんです。だれだれが内閣あるいは天皇によって任命されたという、任命ということの行政行為ですね。この行政行為について、国民が、その直後に行なわれる衆議院議員の選挙で審査をして、いけなければいけない、罷免なら罷免、罷免でなけりゃ罷免でないというようなことの審査をする、これでチェック・アンド・バランスが成立をする、こういうことになっておるのだと思うのです。したがって、裁判所法三十九条の四項にも、「
最高裁判所長官及び
最高裁判所判事の任命は、国民の審査に関する法律の定めるところにより国民の審査に付される。」こういうふうに明確に書いてある。
こういうことでありまするから、繰り返して申し上げますが、憲法上、裁判所法上の明文規定は、
最高裁判所長官の任命と
最高裁判所判事の任命とは、それぞれ別個の官に対する別個の任命行為、そして各別個に国民審査の対象とされるものであるということは、私は議論の余地がないと思うのです。
この点に関して、
最高裁の判示の中にもそれに関連する
ことばが載っております。これは大法廷の判決の
昭和二十四年(オ)の三三二号、この判示の中にも、「
最高裁判所裁判官任命に関する国民審査の制度」という
ことばと、「
最高裁判所裁判官は天皇又は内閣が任命することは憲法第六条及び第七十九条の明定するところ」である、こういう
ことばもありますし、「
最高裁判所の長たる裁判官は内閣の指名により天皇が、他の裁判官は内閣が任命するのであって、その任命行為によって任命は完了するのである。このことは憲法第六条及び第七十九条に明に規定する処であり、此等の規定は単純明瞭で何等の制限も条件もない。」こういう判示もいたしておるのであります。また次に、「裁判官は内閣が全責任を以て適当の人物を選任して、指名又は任命すべきものであるが、若し内閣が不適当な人物を選任した場合には、国民がその審査権によって罷免をするのである。……国民が裁判官の任命を審査するということは右の如き意味でいうのである。」こういうふうに明快に判示をいたしておるところがございます。そういう
関係でありまするから、私の見解、先ほどから申しておりますることは、あくまで憲法解釈上正しいと私は思います。
石田現
最高裁長官は、
昭和三十八年の六月六日内閣によって、憲法七十九条第一項による
最高裁判所の長たる裁判官以外の裁判官、その他の裁判官ということで任命を受けたのです。そしてその任命については、同年の十一月二十一日の総選挙の際に国民の審査に付された。これは間違いない、これは正しいことである。しかるに、その後石田
最高裁長官は、
昭和四十四年一月の十一日天皇によって、憲法六条二項による
最高裁の長たる裁判官の任命を新たに受けたのです。したがって、石田
最高裁長官は、一般の並びに大名みたいな裁判官の地位を失った、官を失ったということができる。この官を失ったということについては、
ことばがほかにあんまりありませんけれ
ども、
最高裁判所裁判官国民審査法の第十一条にこの
ことばが使われている。「官を失い」という
ことばが使われておる。なくなった場合とか官を失った場合には、国民審査は要らないというくだりであります。そういうことで、官を失って新たに別個の
最高裁の長たる官を取得したことになるのではないか。それで、この欠員補充として、七日後、同月十七日に関根小郷さんが新たに
最高裁判所判事に任命されておることは事実であります。
そういうことでありまするから、どうしてもそうした憲法上の明文規定、裁判所法上の明文規定、及びいま申しました任命の事実経過にかんがみるならば、
昭和四十四年の一月十一日に石田
最高裁長官に対して行なわれた憲法六条二項に基づく天皇の任命が、その任命後初めて行なわれた衆議院議員選挙の際国民の審査に付されなければならないということはもう自明の理であるというふうに思う。
ところが、これをこの間の、
昭和四十四年の十二月二十七日ですか、行なわれました総選挙の際には、とうとう国民審査に付されずじまいに終わってしまったのです。中央選管は、こうした国民審査に付することを怠ったのではないか、その
理由は一体どうなんだということ、これをひとつ承りたい。まず選管の
関係を担当される
山本選
挙部長、お出になっていますね。——
山本選
挙部長にひとつその点をお聞きいたしたいのと同時に、あわせてどういうわけでやらなかったのか、怠ったのか、過誤なのか、憲法上はどう考えておるのかというような点について、まず承りたいのであります。