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1972-04-13 第68回国会 衆議院 文教委員会文化財保護に関する小委員会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    本小委員会昭和四十七年四月十二日(水曜日)委 員会において、設置することに決した。 四月十二日  本小委員委員会において、次の通り選任され  た。       久保田円次君    塩崎  潤君       谷川 和穗君    野中 英二君       松永  光君    森  喜朗君       吉田  実君    川村 継義君       小林 信一君    山田 太郎君       鈴木  一君 四月十二日  久保田円次君が委員会において、小委員長に選  任された。 ————————————————————— 昭和四十七年四月十三日(木曜日)     午後一時三十八分開議  出席小委員    小委員長 久保田円次君       塩崎  潤君    谷川 和穗君       中山 正暉君    野中 英二君       松永  光君    森  喜朗君       川村 継義君    小林 信一君       山田 太郎君    鈴木  一君  出席政府委員         文化庁次長   安達 健二君  小委員外出席者         文教委員    有島 重武君         宮内庁書陵部長 並木 四郎君         文教委員会調査         室長      石田 幸男君     ————————————— 四月十三日  小委員吉田実君同日小委員辞任につき、その補  欠として中山正暉君が委員長指名で小委員に  選任された。 同日  小委員中山正暉君同日小委員辞任につき、その  補欠として吉田実君が委員長指名で小委員に  選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  文化財保護に関する件(高松塚古墳保存に関  する問題)      ————◇—————
  2. 久保田円次

    久保田委員長 これより文化財保護に関する小委員会を開会いたします。  文化財保護に関する件について調査を行ないます。  高松塚古墳保存に関する問題について、政府より説明を聴取いたします。安達文化庁次長
  3. 安達健二

    安達政府委員 高松塚古墳保存について御説明を申し上げるわけでございますが、その前に、この古墳発見されるに至りました経過、この古墳の位置その他、ごく概略を申し上げさせていただきたいと思います。  先ほどお話ございましたように、この高松塚古墳は、奈良県の明日香村の西のほうの松隈地区に所在いたしております。これはちょうど藤原京の大極殿のあとの真南の方向約四・五キロくらいの距離のところにございます。そして近くには天武持統合葬陵文武天皇陵がございますし、また中尾山古墳というような史跡指定してある古墳の所在するところでございます。  この古墳は、先ほどお話がございましたように、直径十八メートル、高さが五メートル足らずの円墳でございます。そして、この中に石室、正確に言えば石槨と言っているものでございますが、石室がございまして、この中に壁画がかかれているというものでございます。そして、先ほど申し上げましたように、間口が一・〇三メートル、奥行きが二・六五メートル、高さが一・一三メートル、約でございます。  その中に先ほどお話しのございましたように、ウルシで固められた乾漆の棺があり、その中に人骨が発見され、また、鏡や飾り金具等発見された、こういうことでございます。壁の周囲天井極彩色による絵がかかれておる、こういうのが大体の話でございます。  それからまた、周囲にといいますか、残っておるのは三方でございますが、玄武、青竜、白虎のそれぞれ方位を示す想像上の動物、そして天井星宿等がかかれておる、こういうことでございます。  それで、この古墳といいますか、壁画発見されるに至りました経過は、明日香村におきまして、村史を編集する上でこの古墳調査をしたい、こういう意向がございまして、奈良県の橿原考古学研究所調査を委嘱する、こういうことで、奈良県の橿原考古学研究所の所長の末永雅雄博士を中心とした発掘が行なわれまして、三月二十一日にこの壁画があるということが発見されたということでございました。発表されましたのは二十六日でございます。この古墳並びに壁画につきまして、四月七日に文化庁では文化財保護審議会を開催いたしまして、文部大臣からこの古墳史跡指定することの可否について諮問いたしまして、即日それぞれ専門調査会等を開いた上で史跡指定することが適当である、こういう答申をいただいておるというのが現状でございます。  この古墳指定いたしました理由といたしましては、おおよそ三つの観点があるわけでございます。  第一の点は、この古墳の中の石室絵画がかかれておるというわけでございますが、古墳の中の石室あるいは石槨等絵画がかかれておるものは装飾古墳といっておるわけでございます。この装飾古墳は全国で百五十くらいございますが、その大部分北九州地方発見されておるわけでございまして、その中にかかれておりますところの壁画は、線刻、線で刻んだ模様とか、あるいはまた円形の同心円とか、あるいは三角形の紋様でございますとか、あるいは簡単な船とか、そういうものがかかれておりまして、色彩等もそれほど多くはないというようなことで、絵画全体といたしますると、原始絵画に属するものでございます。そういう点から見ますと、この高松塚古墳発見されましたところの壁画につきましては、まず第一にそういう装飾古墳というものが畿内と申しますか、大和地方において発見されたということがいままでで初めてであるということが一つございます。もう一つは、かかれておりますところの壁画が、原始絵画とは違って、先ほどごらんいただきましたように、極彩色の、少なくとも八色以上の色を使って、それに金、銀等を配したところのりっぱな絵であり、そして、それがいわば風俗画的なものであるというようなところに特色があるということでございます。  それから第二の点といたしましては、あの壁画が非常に美術的にもすぐれているということでございまして、その点では従来の装飾古墳に見られるところの原始絵画に対して、これが相当進んだ絵画であるということが言えるわけでございますので、その美術的価値からいたしましても、非常な価値があるということが言えると思うのでございます。  それから第三番目には、この古墳の持つ歴史的意義でございますが、この年代等につきましては、なお今後の研究に待つところもございますけれども先ほど申し上げました北九州地方等発見されますところの装飾古墳は、六世紀ないし七世紀くらいのものであるのに対しまして、この古墳は、おそらく七世紀の後半から八世紀の初頭にかけてのものであるということでございまして、いわば終末期古墳の一部に属すると思われるわけでございます。この地方におきましても、先ほども申し上げましたように、天武持統合葬陵とか文武天皇陵あるいは中尾山古墳とか牽牛子塚古墳とかいうように、非常に古墳がかたまってあるところでございます。そういう意味からいたしまして、その中におけるところの古墳意義もまた大であろうという意味におきまして、非常に歴史的に価値が高いということが言えるのでございます。  それからまた、それとの関連等から見まして、あるいはまた、中にかかれております絵画等から、先ほどお話しございましたけれども大陸、当時でいえば唐の時代あるいは高句麗とか、そういう朝鮮半島との関係におきまして、その当時におけるといいますか、そのころの相互の文化交流というようなものを探求する面において、非常に貴重な資料を提供しておるというようなことが言えるかと思うのでございます。  そういうことで史跡指定を行なったわけでございますが、この史跡指定は、まずこの古墳を守るための第一段の措置でございます。といいますことは、一つ史跡指定することによりまして、これの損壊その他につきましては、文化財保護法適用によりまして刑罰の対象になるということが一つございます。そういう意味におきまして、この古墳を破壊から守る法律的な根拠を与えるということが第一点でございます。  第二点は、これを指定することによりまして、国の史跡といたしまして、行政的にこの保存のために措置を講ずる根拠を与えるということでございます。しかしながら、古墳の持つところの歴史的意義、美術的な意義等から申しますと、将来の問題といたしまして、これを特別史跡指定する価値のあるものと思われるわけでございます。これにつきましては、あとで申し上げます調査の結果等を待ってこれを行なうようにいたしたい。  それからもう一つ壁画自体重要文化財あるいは国宝といいますか、そういうものに指定する問題がございます。両方重複をする、つまりダブル指定ということが現実にも行なわれておるわけであります。たとえば大分県の臼杵の石仏等につきましては、史跡と同時に重要文化財ダブル指定を行なっておるわけでございますが、これにつきましても、そういうダブル指定をすべきかどうかにつきましても、なお調査の結果を待って行なっていきたい、こういう趣旨でございますので、史跡指定は、将来のそういう措置等をも考慮しながら、まず第一段といたしましては、法律的ないし行政的措置を講ずるための基礎を築くという意味であるわけでございます。  それから、保存の第二の問題といたしましては、さしあたり応急保存対策を講ずるということでございます。この中の絵がいまのような状態以上にこわれないようにするということでございます。そういう点においての応急措置を講ずる必要があるということで、先般、四月六日に現地で高松塚古墳応急保存対策調査会を開催いたしました。ここではこの古墳壁画保存するについての応急対策をどうするかということで、委員十名でなりまして、主として保存科学立場から検討していただきました。  そこで、やりましたところの結論といたしましては、特に剥落等の危険がある部分を、とりあえず人工樹脂等によりまして剥落どめをするという問題と、それから石室内におきますところの雑菌等を調べまして、石室内について殺菌措置を要するかどうかというようなことを検討するということで、いまその雑菌を採取いたしまして培養してどういう程度のものであるかを調べておるわけでございます。そこで、できるだけ早い機会に、できれば一週間以内くらいにこの応急剥落どめの措置、それから必要ならば石室内の殺菌措置を行なうようにいたしたい、かように考えておるわけでございます。  それから、壁画の持つ非常な高い歴史的ないし美術史的なことにかんがみまして、そういうものをいろいろな観点から総合的に調査する必要がある。考古学歴史的、美術史学あるいは自然科学というような立場から総合的に学術的な調査をする必要があるということでございます。その時期といたしましては、石室内の温度と外界の温度がほぼ同様な時期ということになりますと、春、秋ということになるわけでございます。できればことしの九月中下旬から十月にかけてもう一度石室内を開いて総合学術調査をしていただきたい、こういうように考えておるわけでございます。  それからもう一つ保存対策につきまして、応急的な保存対策措置を検討して、また措置をできるだけ早い機会にいたしたいと思っているわけでございますが、同時に、将来の保存対策というものを考究していかなければならないということで、将来の保存対策を検討するための協議会等も設けていきたい、かように考えておるわけでございます。  将来の保存対策の問題といたしましては、これをどのようにして保存していくか、同時に、これを国民皆さま方にどのようにして理解していただく手だてをつけるか、この両者をいかにして調和するかということが大きい問題でございます。同時に、私どもといたしましては、そのための一つは、まずこの石室壁画を模写して広く一般方々に理解していただくことと、それからもう一つは、でき得れば模造といいますか、全く同じような石で同じような絵の具を使って同様な絵をかいた模造のものをつくって、それをたとえばいま明日香国立飛鳥資料館というものの建設を進めておりますので、そういうところに実物と同じような模造品をつくって、それによってその状況ども大体同じような状況下において一般方々に見ていただくというようにすることが第一点だと思います。  実物自体につきましては、破損の可能性も非常にございますし、また、これを光に当てます場合には退色するということもございますし、また、人間の持っておるところのいろいろな雑菌等によりましてあるいはカビがはえるとかいろいろな点がございますので、そういう点をどのようにするかということを十分検討した上で、そしてはたしてそれで公開できるかどうかというような点も検討していかなければならないし、あるいは可能性の問題としては、場所を移すことも可能かどうかということも検討していく必要があるだろうというように考えているところでございます。将来の恒久的な保存対策等につきましては、わが国保存科学学者を動員いたしますと同時に、でき得ればヨーロッパ等のこの方面の専門家等も招いて、参考意見を聞くというようなこともいたしていくべきではないかと思っておるわけでございます。  また、総合学術調査につきましても、わが国学者を総動員すると同時に、また大陸朝鮮半島学者などでしかるべき人があるならば、共同で研究していただくとかというようなことをいたしまして、学術研究の面におきましても、保存対策につきましても、遺憾のないようにいたしたいと考えておるところでございます。  以上、この保存問題等について申し上げた次第でございます。
  4. 久保田円次

    久保田委員長 質疑の申し出がありますので、これを許します。中山正暉君。
  5. 中山正暉

    中山(正)小委員 それでは、お許しを得まして、ただいま御説明のありました高松塚古墳についての問題に関しまして御質問申し上げてみたいと思います。  二十一日の午後零時十五分という歴史的な時間に、網干関西大学助教授、そして関西大学竜谷大学学生たちによりましてこの歴史的な発見がなされた。まことにおめでたいことだと思うのでございます。  目の錯覚だと思った、うしろにいる学生に中をのぞいてみろと言った、信じられなかったからだ、二人がのぞいて、人形がありまんがなと言いよった、えらいこっちゃ、と全身から汗が吹出した、こう当時の感慨を書いております。私も関西人でございますので、えらいこっちゃというものの言い方に、そのときにたいへんどえらいことが起こったという感概が私どもは推察ができて、まことに何かその喜びが自分にも伝わってくるような思いがいたすわけでございます。  昨年の一月に私、韓国に参ったのでございますが、韓国では、国家のことを向こうのことばでナラと言う。それからカシワラというのは広場ということだということを向こうで聞きまして、私は、われわれと大陸とのつながり、当然のことでございますが、大きなつながりがあるのであるという実感を持ったのでございます。  昨年からアングラ時代——穴蔵時代と申しますか、アンダーグラウンドのことでいろいろな話題が起こっておりまして、あまりいいほうでないのが大久保清の問題、そしてことしの妙義山事件とあったわけですが、横井さん、そして今度の高松塚古墳、この発見はまことに日本歴史にとって貴重な発見である、こう思うのでございます。いろいろと大陸との関係がある。先ほども、階、唐の時代と非常に関連があるのだろうというお話がスライドの御説明でもあったのですが、ある新聞を読んでみますと、その時代の衣服が左前になっておって、その時代の中国には全く見られない風俗だということ、それから西暦六六二年でございますか、高句麗が滅びたあと百済、そして新羅を通ってこの日本にやってきた貴重なわれわれの歴史的な財産、これを一体どうこれから保存をしていくかということが大きな問題であると思います。これは国民全体の財産世界財産である。これを研究していくことによって、古代の民族の移動もわかっていくだろうという大きな夢が託されておるわけでございますが、その保存の方法その他についてはいま御説明がありましたので、私はいきなり本題に入らしていただきたいと思うのです。  いま皇室関係陵墓、これが天皇と三后を合わせまして百八十六、それから皇族方のが五百四十八、そして埋葬者が不明で伝説の中などに残っております陵墓参考地というのが四十六、それからそば塚と申しますか陪塚と申しますか、百二十八ある。全部合わせて天皇家墳墓関係として九百八という非常に大量の、その中には高松塚古墳などでは及びもつかないであろうと思われるような歴史的な考察の材料、考古学的な研究資料になるたいへんなものが内蔵をされておるのではないかと私は思うのでございます。いま大阪のほうで応神天皇陵、これは大阪府羽曳野市白鳥の三というところに応神天皇陪塚がありました。五世紀半ばのものだろう、天皇陵に付属した古墳であるということで、これを何とか大阪府の教育委員会発掘調査をしたいということを申し出ておるそうでございますし、もう一カ所大阪府の高槻市の今城塚古墳、国の指定になっておりまして、二十六代の継体天皇御陵ではないかといいますが、その近くに継体天皇の実際の御陵があるそうで、それでそれをどちらか、いま申し上げました継体天皇御陵であるというと一カ所取り消さなければならないことになる。いまの天皇陛下が百二十四代でいらっしゃいますか、ということで、やむなく、いま申し上げました高槻市にある今城塚古墳は、学術調査対象にせざるを得ないというようなことがあるそうでございますが、いま申し上げました九百八もある天皇家墳墓でございますね、これはいまのような時代になって、特に文化財保護法の第一条には、「この法律は、文化財保存し、且つ、その活用を図り、もって国民文化的向上に資するとともに、世界文化の進歩に貢献することを目的とする。」とまず法律目的がうたってございますし、第三条には「政府及び地方公共団体は、文化財わが国歴史文化等の正しい理解のため欠くことのできないものであり、且つ、将来の文化向上発展基礎をなすものであることを認識し、その保存が適切に行なわれるように、周到の注意をもつてこの法律趣旨の徹底に努めなければならない。」また第四条には「一般国民は、政府及び地方公共団体がこの法律目的を達成するために行う措置に誠実に協力しなければならない。」「文化財所有者その他の関係者は、文化財が貴重な国民的財産であることを自覚し、これを公共のために大切に保存するとともに、できるだけこれを公開する等その文化的活用に努めなければならない。」「政府及び地方公共団体は、この法律の執行に当って関係者所有権その他の財産権を尊重しなければならない。」こう書いてあるのでございます。  私は実は皇室を人一倍御尊敬を申し上げている者として非常に自信を持っております。いままでタブーとされておりました天皇御陵に対する調査研究と申しますか、日本歴史のベールに包まれた部分を解明をするために、むしろ天皇陛下が進んで——学者天皇特に科学者天皇として、いま海外にもそして国内にも、生物学の面で非常な権威を持っておられる陛下のことでございますので、海岸でいろいろな生物学研究をなさるのもけっこうでございますが、御自身の御所有の御先祖のお墓の中に、世界学問にとって非常に貴重な資料が含まれていると思われるもの、陵墓古墳墳墓九百八、これを何とか学問調査研究対象にしていただくことができないものであろうか。確かに部長さんは古墳史跡指定には同意した、これからも陪塚については陵墓参考地という指定を受けるつもりだが、宮内庁としてはあくまで保存のためだ、発掘調査参考地陪塚で認めるかどうか、これも検討する。だから、おっしゃっていることは、発掘調査参考地陪塚とおっしゃって御陵は含めておりません。むしろ、何度も申し上げるようでございますが、この際に天皇陛下の科学的な御事業の一つとして、あるプログラムを立てて、これを国民の目の前に明らかにされて適当ではないかと私は思いますが、まず御意見を伺いたいと思います。
  6. 並木四郎

    並木説明員 ただいまの御質問にお答えいたします。  科学する心で現在の陵墓発掘してはどうか、また公開してはどうかという御意見でありますが、何にいたしましても、御存じのとおり参考地陪塚はともかくといたしまして、陵墓と申し上げれば、歴代の天皇、皇后様、皇族のお墓でありまして、皇室にとっては先祖の墓でありまして、そこに御遺骸を静安してお祭りをし、国民尊崇対象として現在まで宮内庁で予算を使って維持管理しているわけでございまして、文化財指定されたものは一、二ありますけれども、それは必要に迫られて指定していただいたわけでありまして、大部分のものは文化財保護法適用を受けておりません。明治政府以来宮内庁陵墓管理費を費して今日までできるだけ現状を維持するように計らってきているわけであります。これはやはり皇室の祖先並びに皇族をしずまらせたもうところでありますので、宮内庁といたしましてはこれを、いかに調査のためとはいえ、発掘する考えは現在のところ持っておりません。  ただ、参考地につきましては、従来二、三の例がございまして、参考地のうちにもウエートの低いものもございますし、そういうものにつきまして、たとえば昨年の例をとりますれば、伏見でございますか、近衛天皇の墓の近くに中宮塚というのがございまして、これは都市計画によって水路の幹線にぶち当たるということで、市の当局から願い出がありましたので、小さな参考地でございましたが、それを丁寧に掘り起こしまして移葬したこともございます。また、京都の左京区の岡崎公園の中にやはり参考地といたしまして鵺塚秘塚というのがございます。これは昭和三十年のときでありますが、京都市で岡崎公園のグランドを拡張するためにじゃまになるということでございまして、そのためにこれも丁寧に掘り起こしまして、出土品があるかないか等も十分に精査いたしまして、これを泉涌寺の近所にあります御陵地に移葬した例がございます。私の記憶する限りでは、陵墓参考地につきましては、必要に迫られてそういう三カ所につきましてそれを発掘いたしまして丁寧にお祭りをして移葬した例がございますが、やはり陪塚といいましても発掘していいとは現在のところ考えておりません。そういう必要性ができて、やはりその陵墓参考地としてのウエートなどを考え、また、都市計画なりその他の事情を考えまして、必要に迫られて発掘した例はございますが、それ以外のところで学術調査のために発掘した例もございませんし、今後、参考地なり陪塚につきましても積極的に学術調査のためにこれを発掘しようというようなことは、現在のところ考えておりません、参考地という中にもやはりウエートの低いものもありますし、あるいは、さっきおっしゃいました継体天皇陵ではないかという、今城塚という前方後円墳というような大きなものがございます。ただしこれは皇室用財産に所属しておりませんで、現在民有に属しておると思いますが、これは事情を申し上げれば、だいぶ昔のことでございますが、私も書陵部長に着任したのはついこの間でございまして、急遽仕入れた知識でございますが、宮内省時代、これは非常に貴重な古墳である継体天皇今城塚でございますが、その少し東のほうにございます。それを買おうではないか、買い上げようではないかということが、時の諸陵寮で大体その方針が確定しておりましたが、ついに実現に至らず今日に及んでいるというようなことでございまして、現在これは皇室用財産になっておりません。これにつきましては、私のほうの真の気持ちといたしましては、あるいは継体天皇陵に帰すべきものではないかというふうにも考古学的にも考えられるのでありますけれども、不幸にして民有に属しておりますので、これを表立って発掘してもらっては困るということは正式に申し上げられないのでございます。これが民有に属しておるので、学者考古学の専門家が発掘しようとなさっても、宮内庁は文句の言えない立場でございます。  それからもう一つの、応神天皇陪塚につきましては、これは山のマウンドといいますか、堀の中身だけ、山の中だけが皇室用財産になっておりまして、周囲の堀のほうが埋め立てられるという、何か住宅の団地になるとか道路か何かになるということがございましたので、それではそのマウンドの山の中にまで影響が及ぶのではないかというので、やはりこれは保護しなければいけないということで、文化庁にお願いいたしまして指定していただいたわけでございます。  まあ、そういう例は過去にも一、二あるそうでございまして、それ以外につきましては従来どおり宮内庁できちっと管理しておりますし、台風の時期にはやはり木が相当倒れますし、洪水があれば堤防もだんだんくずれてまいりますので、そういう点には力を入れまして、大蔵省から年々八千万円ばかりの予算をいただきまして、そういう陵墓の維持、保護、あるいは御存じのとおりに大阪、河内、大和のほうには大きな堀をめぐらした前方後円墳がたくさんございます。満々と水をたたえておりまして、堤防がだいぶ老朽してきているので、これが決壊しては、たとえば垂仁天皇御陵のごときに至っては非常に高い堤防がございますので、あの堤防が一挙に決壊すれば下の民家が水浸しになるというようなこともございまして、ばく大な費用を投入いたしまして、あの堤防にはがねを入れまして、絶対に漏水のないというふうに、そういう災害防止にも力こぶを入れてきております。  ただ、絶対に調査を許さないかと申しますと、やはり過去にも考古学協会から申請がございまして、発掘は不可能であるということはわかる、だけれども外形的に調査をいたしたい、純粋な学問的な目的で塚域内、陵墓の中へ足を踏み入れたいという要望がございまして、そういう場合には、尊厳を害しない限りできるだけ学界の要望にこたえまして、堀を舟で渡って山の中に入っていただくということもいたしております。もちろん、陪塚につきましても、陵墓参考地についても、そういうことがほんとうに目的がまじめな学問的な研究でありますれば、そしてまた——宮内庁にいままで調査した資料がございます。もう帝室林野局時代に実測もしておりますし、等高線も入っておりますし、空中写真で写したのもございますし、いろいろ宮内庁でとりそろえた資料もございます。そういうものを見せていただきたいとかそういう要望に対しては、できるだけそれをお見せしたり、また出土品が現在まで出て保存しておるものにつきましては、やはりそれを学者方々にお見せしておりますが、宮内庁といたしましては、発掘ということは現在考えておりませんし、将来もそういうことは考えるべきではないと思っております。  まあ、答弁になりましたかならなかったですかわかりませんが、申し上げます。
  7. 中山正暉

    中山(正)小委員 いま非常に高額の費用をかけて堤防にはがねを通して守っているのだということですが、だからもし災害があったらどうするのですか。やはり発掘調査をしておけばよかったということになるかもしれない。さっきの写真で見てもわかるように、どんどん雨漏りがして色が変わってしまって、学問的にそれがもう役に立たなくなったらどうするのですか。もし災害があって、それらが水浸しになってから、後の歴史的な資料にもならないようなことになってしまったら、よけいたいへんだと思うのです。それで非常に都合のいいことをおっしゃっていらっしゃるのですね。墳丘部、まん中の丘は皇室関係している。これは応神天皇陪塚のようでございますが、これは皇室関係する墓であり、史跡指定を受けることはできない、堀と周堤帯、堀とまわりの囲みだけは史跡指定してほしいというような、まことに都合のいいようなことをおっしゃっているわけでございます。それから、純粋に学問的な観点で外から見るならばいいだろうというお話なんでありますが、今度の高松塚でも、外から見ておったから、あとから考えれば、少し小高くて普通のものと違っておったかもわからないが、それが気がつかなかった。しかし、皇室御陵には——私は日本はいままでは天皇家歴史と言って差しつかえがないと思うのでございますが、それが百八十六もあるのだから、必ずやもう、だれが何と言っても、その中にはりっぱな歴史的な所産があるのだ、考古学上非常に貴重な資料になるものがあるでしょうし、そうしてまた、わが国学者たちが外国の研究に参加できるようになれば、その研究の幅がそれだけ広くなっていく、これが学者方々の手に入れば、日本世界のそういう学問の輪の中にひとつ入れるのだ、こう私は思うのでございます。  ここにも書いてありますが、これはある新聞に高原四郎という方がおっしゃっているのでございますが、その方がお書きになっているものの中で拝見したわけでございますが、そういうことになると、こういう話が出ておるということを天皇陛下は御存じなんですか。とっぴなことを申すようでございますが、ここに三島由紀夫氏の書かれた「英霊の聲」というのがありますが、その中に   天皇制は列国の論議のうちに、風に揺られる白い辛夷(こぶし)の花のように、危険な青空へ花冠をさしのべてゆらいでいた。昭和二十年の晩秋、幣原首相は拝謁の際、陛下に次のようなお言葉を承った。   「昔、ある天皇が御病気に罹られた。天皇御自身が、医者を呼べと仰せられると、宮中の者たちは、神であらせられる玉体に、医者ごときが触れ奉るはおそれ多いと、医者も呼ばず、薬もさしあげず、御病気は悪化して亡くなられた。とんでもないことではないか」   このお言葉によって陛下は、民主主義日本天皇たるには、神格化を是正せねばならぬと暗示されたのである。   陛下の前に立っていたのは、いろいろ苦労を重ねてきた立派な忠実な老臣だった。軍隊ときくだけで鳥肌立つ、深い怨みから生れた平和主義者、皺だらけの自由と理性の持主、立派なイギリス風の老狐だった。昭和のはじめから、陛下がもっとも信頼を椅せたもうていた一群の身じまいのいい礼儀正しい紳士たちの一人だった。彼は恐懼して、こう申上げた。   「国民が陛下に対し奉り、あまり神格化扱いを致すものでありますから、今回のように軍部がこれを悪用致しまして、こんな戦争をやって遂に国を滅ぼしてしまったのであります。この際これを是正し、改めるように致さねばなりません」   陛下には静かに肯かれ、   「昭和二十一年の新春には一つそういう意味の詔勅を出したいものだ」   と仰せられた。   一方、その十二月の中頃、総司令部から宮内省に対して、   「もし天皇が神でない、というような表明をなされたら、天皇のお立場はよくなるのではないか」   との示唆があった。   かくて幣原は、改めて陛下の御内意を伺い、陛下御自身の御意志によって、それが出されることになった。   幣原は、自ら言うように「日本よりむしろ外国の人達に印象を与えたいという気持が強かったものだから、まず、英文で起草」したのである。   その詔書の一節には、英文の草稿にもとづき、こう仰せられている。   「然れども朕は爾等国民と共に在り、常に利害を同じふし休戚を分たんと欲す。朕と爾等国民との間の紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ、単なる神話と伝説とに依りて生ぜるものに非ず。 ここが大切なところなんです。  天皇を以て現御神とし、且日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、延て世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念に基くものに非ず」   ……今われらは強いて怒りを抑えて物語ろう。 この部分は英霊にものを言わせている部分なんでございますが、   ……今われらは強いて怒りを抑えて物語ろう。   われらは神界から逐一を見守っていたが、この「人間宣言」には、明らかに天皇御自身の御意思が含まれていた。天皇御自身に、   「実は朕は人間である」と仰せ出されたいお気持が、積年に亙って、ふりつもる雪のように重みを加えていた。それが大御心であったのである。   忠勇なる将兵が、神の下された開戦の詔勅によって死に、さしもの戦いも、神の下された終戦の詔勅によって、一瞬にして静まったわずか半歳あとに、陛下は、   「実は朕は人間であった」と仰せ出されたのである。われらが神なる天皇のために、身を弾丸となして敵艦に命中させた。そのわずか一年あとに……。   あの「何故か」が、われらには徐々にわかってきた。   陛下の御誠実は疑いがない。陛下御自身が、実は人間であったと仰せ出される以上、そのお言葉にいつわりのあろう筈はない。高御座(たかみくら)にのぼりましてこのかた、陛下はずっと人間であらせられた。あの暗い世に、一つかみの老臣どものほかには友とてなく、たったお孤りで、あらゆる辛苦をお忍びになりつつ、陛下は人間であらせられた。清らかに、小さく光る人間であらせられた。   それはよい。誰が陛下をお咎めすることができよう。   だが、昭和歴史においてただ二度だけ、陛下は神であらせられるべきだった。何と云おうか、人間としての義務(つとめ)において、神であらせられるべきだった。この二度だけは、陛下は人間であらせられるその深度のきわみにおいて、正に、神であらせられるべきだった。それを二度とも陛下は逸したもうた。もっとも神であらせられるべき時に、人間にましましたのだ。   一度は兄神たちの願起の時。 これは二・二六事件のときのことを言っているんだと思います。  一度はわれらの死のあと、 第二次大戦の敗戦のとき。  国の敗れたあとの時である。   歴史に「もし」は愚かしい。しかし、もしこの二度のときに、陛下が決然と神にましましたら、あのような虚しい悲劇は防がれ、このような虚しい幸福は防がれたであろう。   この二度のとき、この二度のとき、陛下は人間であらせられることにより、一度は軍の魂を失わせ玉い、二度目は国の魂を失わせ玉うた。   御聖代は二つの色に染め分けられ、血みどろの色は敗戦に終り、ものうき灰いろはその旧からはじまっている。御聖代が真に血にまみれたるは、兄神たちの至誠を見捨てたもうたその日にはじまり、御聖代がうつろなる灰に充たされたるは、人間宣言を下されし日にはじまった。すべて過ぎ来しことを「架空なる観念」と呼びなし玉うた日にはじまった。   われらの死の不滅は涜(けが)された。……」こう書いてありますのですが、人間宣言をされた——特に学者なんかでは、自分がガンにかかったのを、自分のからだを見詰めながら後の学問のためにといって死んでいかれる人があるわけでございます。自分のかわいい子供、そして敬愛する父や母をなくした人たちが、そのからだを学問のために提供をされる。天皇陛下も人間宣言をなさって、特に神格化を御自身が避けたいということをおっしゃった。そういう意味からわれわれのこの民族は、騎馬民族なのかまた農耕民族なのか、北方系なのか南方系なのか、私、いつも海岸に立っていると、天孫降臨のことを思うのです。海の向こうから海上をやってくる。水平線と空はひっついていますから、海の向こうからやってきたら確かに空から、雲からおりてきたという文学的表現を使っても——私は天孫降臨というのは文学的表現、非常にうまい表現をしたが、あの話は、海を越えて南のほうからやってきた人の話じゃないかと実は思うわけでございますが、その日本歴史の起源にかかわる、これは日本民族の誇りになる材料かもわからない。その誇りになる材料を提供する歴史資料を大きく含んでいるという部分を、人間天皇を宣言された天皇陛下のまわりにおられる——私はいまだに君側の好がおられて、いまだに上聞に達していないのではないかと思う。天皇陛下がお聞きになったら、それはすぐやれ、むしろおれがやろう——おれなんておっしゃらないかもわかりませんが、そうおっしゃるのではないかと私は思うわけです。ですからほんとうに、どういうふうに天皇陛下のお耳に入れたらいいのか、向こう見ずのかけ出し者でございますから……。  文化庁なんかどう考えていらっしゃるのですか。文化庁宮内庁に対して、その調査——調査といったって別に土足で踏みにじるわけじゃないでしょうから、天皇陛下の御先祖に対して失礼なことがあったら、こういうことを国会で申し上げた私自身が責任をとらなければいけないと思いますが、これは何とか宮内庁にも考え方を変えていただき、むしろ私は、天皇陛下のお耳に達するように何か話をするきっかけがないものかと思うのです。そうして文化庁は、宮内庁に対してどういうふうに思っていらっしゃるか。私は、公開というか、学術上の調査研究を当然に望んでいらっしゃるのじゃないかと思うのですが、いかがですか。
  8. 安達健二

    安達政府委員 陵墓は歴代の天皇なり皇族のお墓とされているものでございます。ただし、これを文化財という観点から見ますれば、これはやはり古墳であるということが言い得るのでございまして、いま文化財として考えた場合に、まず第一の問題は、その文化財が十分保存されるかどうかということが一番大事な問題でございます。この観点に立ちますと、宮内庁が、陵墓等につきましては少なくとも非常に御努力を払って今日まで保存していただいておるということを考えますと、この保存という観点文化財の保護の上で一番肝要な保存という観点からは、現在の段階においてこれを史跡指定して保存するというまでの必要はないのではないかということが第一点でございます。  それから第二が発掘調査という観点でございます。ただ陵墓は、古墳といいましてもいわば現在なお天皇なりあるいは皇族の墓とされて、これが祭祀の対象になっているということでございます。したがいまして、墓としていわば生きている墓、ちょっと矛盾かもしれませんが、生きている墓でございます。その他の、そうでない一般古墳は、もう墓としての意味という意義、精神的な意義は一応なくなって、これは一種の文化財というものに徹しておるわけでございます。  そういう面でいきますと、生きている墓を発掘調査するということはいわば墓をあばくということにつながるわけでございます。したがいまして、学術調査ということにおきましても、やはりその墓をあばくという観点において、現在の天皇象なりあるいは宮内庁におきまして、そのことについて十分な御了解がないということと、さらに、国民感情からいたしましても、やはり天皇の墓をあばくというのはどうであろうかという国民感情があろうかと思います。そういうことからいたしますと、発掘調査ということにつきましても、これは慎重に考えなければならないというように思っておるわけでございます。したがいまして、陵墓につきましては、文化財といたしましても、これを史跡指定するとか、あるいはそれについて発掘調査すべきものとは考えておりません。  それから、参考地陪塚につきましては、この全体を宮内庁として保存されていない場合もある、これは先ほど来御指摘のとおりでございます。そういう問題につきましては、これはやはり貴重な文化財であるからこれを指定して保存する必要があるという観点から、従来、大阪府の南河内郡の美陵町といいますか、城山古墳とか、あるいは奈良県橿原市の丸山古墳というものを指定しておりますし、また先日の文化財保護審議会の答申のございました墓山古墳というものも指定をいたしておるわけでございます。したがいまして、そういう参考地陪塚等につきましては、宮内庁と協力してこの保存をはかる必要がある場合も出てくるであろうということでございます。  それから第三点といたしまして、陵墓あるいは参考地等につきまして、この修理をされるというような場合におきまして、宮内庁のほうでそういう場合に調査をされます場合におきましては、私のほうといたしましては、できるだけひとつ御連絡をいただいて、私のほうの専門家からも十分調査ができて、その結果が一般に公開されるようにわれわれとしては念願をいたし、そういうようなふうに宮内庁にも申し上げておるところでございます。
  9. 並木四郎

    並木説明員 先ほど先生から、こういう質問は陛下の耳に達しておるかどうかという御質問でありましたが、この間衆議院の内閣委員会で木原実先生でしたか、その方も先生と同じような意見を申されまして、陛下の墓を発掘するということは影響するところ甚大であろう、だから、特定の一つか二つを発掘いたしまして、先生のおっしゃられましたように学術調査資料としたらどうかという御意見でありました。それに対して宮内庁長官は、やはり私が申し上げるのと同じことを答えておりましたが、その後木原先生は、こういうことは陛下の耳に入るのかという同じことを質問されました。そこで長官が、それに答えて言われて、長官が国会に呼ばれると、きょう長官が国会へ呼ばれたがどういう質問があったかということを、必ず陛下は長官を召してお聞きになるわけです。だから、木原実先生がどういう御質問をなさったかということは、その日か次の日に陛下のお耳に入っておる。だから陛下は、この問題は、高松塚古墳をテレビでごらんになっておりますし、それはお耳に入っておることは確かだと思います。ただ、では陛下が一つ二つ掘ってみるかということは全然聞いておりません。   〔「どういうふうにお耳に入れたかだ」と呼ぶ者あり〕
  10. 中山正暉

    中山(正)小委員 いまうしろから不規則発言でおっしゃっておりますけれども、全くそのとおりで、どういうふうに——ほんとうに陛下のお耳に入っておるのか、国会のほかの話がなされて、そのことについては言われていないかもしれませんし、きょうは並木部長は国会へ行ってきたが、どんな質問であったかという御下問があるのでしょうが……。それは冗談といたしましても、私はとにかくいろいろ歴史上はっきりしておる時代はいいと思うのです。その歴代百二十四代おありになる天皇陛下の陸墓は、歴史的ないろいろな資料で明らかになっておる部分は私はいいと思うのですが、歴史的にはっきりしていない部分については、当然日本の象徴、日本国憲法でも象徴であらせられる天皇陛下が、私は日本のわからない部分日本歴史の学術的に追及でき得ない部分に対しての、それを右にするか左にするかの大きな権限を御自分の天皇陛下の陸墓として持っていらっしゃる。御自分の御判断としてそれに貢献ができるわけでございますから、その辺、ひとつもしそういう御下問がございましたら、臣中山正暉よりよろしくということを申し上げていただきたいと思うのでございます。  時間もございませんし、あと質疑の方もあるそうでございますので、簡単にあとの問題に触れてみたいと思います。  そこで、この間これは各方面——今度は二十一日に発掘がなされて二十六日の発表まで、その間押えておいた、傷つけないように努力をされた網干さん、それから末永先生、その方々のたいへんな御努力に私は心から敬意を表し、四日目に文化庁調査会の編成に踏み切ったということでございますが、この間、予算案の審議が野党側の攻勢もございましてだいぶとんざをしておりましたために、何か自費で調査にいらした、まことに私は御同情を申し上げております。文部大臣が金に糸目をつけるなと一喝をなさった、まことに政治家高見三郎の面目躍如たるものが私はあると思うのでございます。  そこで、日本文化財指定のための調査費はあるようでございますが、庁外に対する調査を依頼する予算的な処置がなされていないというふうに伺っております。これは、イタリアなんか、聞くところによりますと、非常にばく大な文化財を保護するためのいろいろな費用が予算的に盛られておって、そしてそれが一部使われると自動的に補てんされるような形になっておると聞くのでございますが、今後の文化庁の、こういう突発的にどんなりっぱなものが発掘されるかもわからないということに対しては、どういうふうな方針を持っておられますか、その点もひとつ参考のためにお伺いをしておきたいと思います。
  11. 安達健二

    安達政府委員 一つだけこの機会に訂正させていただきたいと思いますが、新聞に高見文部大臣文化庁を一喝したというのが出ておりますが、これは全くの誤報でございます。この一つだけ名誉のために訂正させていただきます。  それで、このたびの調査の経費の点の問題でございますが、実は御案内のとおり、暫定予算という状況にあったわけでございます。そこで支払いが急にできないという状況にあったことは事実でございます。したがいまして、その支払いが、結局当日にお金を渡したということでございますので、その間一日のズレがあったことは事実でございます。しかし、その点だけでございまして、特にこれは暫定予算ということの結果から生じたことでございますので、予算がないとか、手続がおくれたということでないことをひとつ御了承いただきたいと思います。  それから第三に、この文化財調査の点でございますと、こういう文化財調査のため約二千万円ほどの経費がございます。これは指定のための調査というわけでございますので、こういうようなことが起こりました場合でも、一応そのときにこの程度の経費は計上されているというわけでございます。ただ、このたびこれからやろうといたしますところの総合学術調査とか、あるいはまた、その保存対策のためにいろいろ外国の人を呼ぶとかいうような経費等は特に持ち合わせておりませんので、この経費の問題につきましては、できればひとつ予備費で要求をいたしたい、こういうことでいま検討しておる次第でございます。
  12. 中山正暉

    中山(正)小委員 新聞に載ったことの手違いといいますか、そういうこまかい問題でなしに、こういう問題に関しては金に糸目をつけるなと一喝されたということは、かえって文化庁の役所の方々は迷惑ではなしに、来年の予算を取るために、この場合はお取り消しにならないほうがよかったのではないかと実は私は思うわけでございますが、それはいいといたしまして、四月八日に明日香村の緊急村議会で、全員協議会を開いて十二名の議員さんが全部反対決議をしておりますね。これは特別保存地区指定ということです。わずか周囲五メートルを特別保存地区に指定することに対して、全国民は大喜びしておりますのに、地元でそれはたいへんな迷惑だということを言っている。新都市計画法によりますと、二千四百四ヘクタールですかの明日香村の面積、その中で新都市計画法による市街化区域というのが九十八ヘクタール、調整区域が残りで、古都保存法——古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法、特別地区と合わせてそれが千二十ヘクタールということでございますが、これが指定されますと、建物の新増改築が許可制になりますし、それからその土地の開墾、木竹の伐採、それから土石の採取、これが自由にできなくなりまして、生活権等の問題、地元の住民はおれたちの生活をどうするのだということになりますし、そうかといってこれをなおざりにできないという非常にむずかしい立場に地元の方々はおられる。たくさんの観光客が来て踏み荒らす。静かな村だったところに大ぜいの人がやってきて、いろいろと迷惑がかかるということで、その生活の問題ということも、これからこういう問題が起こったときに、地域の住民に迷惑をかけない、そして文化財もりっぱに保護ができるという両立をさせていかなければならないと思うのでございますが、その辺に関してはいかがお考えでございますか。
  13. 安達健二

    安達政府委員 文化財保護法による史跡指定の問題と、古都保存法によるところの特別保存地区の指定の問題、両者が混在して誤解を生じていると思っているわけでございます。  まず第一に、文化財保護法に基づくところの史跡指定につきましては、この高松塚古墳古墳そのものの全く厳密な地域だけは、一応国有財産になっておるわけでございますが、これだけでは、今後垣根をしたり、フェンスをつくったり、その他保存の最小限の上で十分ではないということが一つと、あるいはまわりに周濠、堀があったのではないかという問題が一つございます。したがいまして、こういう面での調査をする必要があるということで、史跡指定につきましては、古墳の所在する厳密な地域のほかに、周囲約五メートル幅のものを史跡指定するということで、この前、四月の六日に行きましたときに、村長以下村の方々、県の方々お話をいたしまして、それについては村としては全然異存はない、こういうことになっておるわけでございます。  それからもう一つ、そういう史跡指定した場合に、古都保存法による特別保存地区の指定が、これは古都保存法に基づきまして奈良県知事が行なうということになっておりますが、その点についての異論が出ておるということは事実でございました。これはいわば私どもの所管外のことでございます。しかし、他面からいたしまして、この地域は都市計画による調整区域になっておりますので、現在の段階におきましても、いわゆる住宅等で次三男等の者以外については建てられない地域になっておるわけでございます。その点についてはそれほどの心配はないと思います。  私どもといたしましては、この古墳史跡としての保存をはかる以上は、最小限の古墳の地域と周囲五メートル幅のものを指定することによって保護する。今後この古墳につきまして、観光客その他の点につきましては、やはり県なり村と協力いたしまして、この点について遺憾のないように、われわれとしてのできる範囲内のことはすべきものだというように考えております。したがいまして、特別保存地区の問題と史跡の問題とが混在してございますので、その点はひとつ分けてお考えいただきたいと思います。
  14. 中山正暉

    中山(正)小委員 これで質問を終わらせていただきたいと思いますが、もう一度最後に短いおことばで御答弁をいただきたいと思うのですが、並木さん、国民から慕われる皇室、そして国民からほんとうに敬愛を受け愛される皇室という天皇陛下のお立場に私は大きくこれからも御期待を申し上げており、その基盤の安定を心から願っておるものでございますが、当分の間はこれはできないということですか。できるできないでお答えを願いたいのですが、検討の余地があるということですか。それとも当分の間——当分の間というのは、最高裁判所の判例によりますと百年間らしいのですが、当分の間はできないということですか。それとも考えてもいいということですか。その考えてもいい、できない、この二つのうちの一つのおことばをお答えを願いたいと思います。
  15. 並木四郎

    並木説明員 お答えします。  それは私個人の考えではありませんし、長官と相談してきておりますので長官も私と同意見でございますが、当分の間とは決して申しません。検討するとも申し上げられません。とにかく、現段階では、そういうことは発掘対象と考えるべきではない、こうお答えするよりほかしようがないと思います。
  16. 中山正暉

    中山(正)小委員 わかりました。どうもありがとうございました。  以上で質問を終わります。
  17. 久保田円次

  18. 小林信一

    小林(信)小委員 この問題は、きょうだけでなく、飛鳥全体の問題で、さらにいろいろとこの委員会でも委員長が検討をしなければいけないという御意見もあるようでございますから、きょうだけですべてを解決する必要はない。したがいまして、だいぶ中山委員のほうから詳細な検討が進められましたから、私どもはこれから簡単に御質問をしてまいります。  一つ保存の問題ですが、いろいろ学者等の意見が新聞等で述べられておりまして、私どもしろうとでございますから、公開という希望もあり、また、公開してそれが棄損をされたりなくなってしまうようなことがあってはたいへんだから、これを完全な保存をしてしまうというような二つの面があるのですが、私は、保存をしても、あるいは土に埋めてしまっても、一ぺんこうやって外に開いた以上、完全な姿でもって将来に保存をすることは不可能なような気がします。ただその一つが私の心配なんですが、その点は学者はどういうふうに言われていますか。あれをもう一ぺん土に埋めれば——もちろん何か操作はするでしょうが、とにかく現状のまま保管ができるのかどうか、どういうふうに文化庁では確認をされておりますか。
  19. 安達健二

    安達政府委員 保存をするということの観点からいいますると、できるだけ前と同じ状況下に置いておくことが望ましい、こういうことになるだろうと思います。そして、前と同じ状態というのは、大体あの程度の深さでございますると、一定の温度、一定の湿度というものが保たれておるわけでございますので、そういうような状況に置くことが一つと、それから光線、光というものからなるべく遠ざけるということが保存の上で大事なことである。それから、雑菌と申しますか、そういうものから隔絶するようにすること、こういう三つのことがあるかと思います。  それならば、永久に埋めてもう一切開かないようにすることがいいのかどうか、それについては必ずしもそれでいいとは言えないと思います。と申しますのは、一体その状況がどうなっておるかということを、少なくともときどきは見て監視をしなければならないし、それに必要な措置をしなければならぬということがございますので、かりに覆土をいたしまして密封するにしても、それがときどきと申しますか、そういうものが見えるようなことが必要であるということについては大体一致しておるのではないだろうかと思います。  ただ、その場合に、一般に広く公開するようにするかどうかということにつきましては非常に問題があるわけでございまして、フランスでラスコーの壁画につきまして一たん広く公開をいたしました。もちろん十分な設備をした上で公開したのでございますが、数年ならずしてまつ黒になってしまったというようなこともありて、いまは非常に限定された人にのみときどき見せておるということであるわけでございます。したがいまして、その点は今後十分検討した上で、どの程度まで許されるかどうかということはその上できめないといけない。だから、少なくとも言い得ますことは、行けばいつでも見れるような状況に置くことはきわめて困難であるということが一つ言えると思います。  それから、私が先ほど申し上げましたように、現物というものを見なければこの物がわからないかどうかということになりますと、絵自体ということになればむしろ写真とかいうことでわかると思いますし、同時に、その状況というものは、実際に再現できるようにして見ていただけるようにするという意味では、精巧なる模造をつくってそれによって御理解をいただくというような方法もあろうかと思います。そういうようなことを総合的に考えて文化財としての保存に遺憾のないようにするということと、国民のそういうものに対する関心、あるいはまた、そういうものを通して歴史に対する愛情を持っていただくというような面でどういう対策を講ずるかどうか、今後の課題ではなかろうかと思います。
  20. 小林信一

    小林(信)小委員 最後の、課題であるということばがあったように、やはりこの問題は、これからの検討に待つわけですが、なるべく見る機会があるように、しかも物が棄損をされない完全な保存ができるよう、そういうことが今後の問題だと思うのですが、そういうことについてこの委員会も一番関心を持っておるわけでございまして、今後もこれらについて私どももいろいろと検討をしたい考えでおります。  そこで、先ほど中山委員からもありましたように、この発見の瞬間というものは、全くその関係者は夢ではないかと驚いたほどだということですが、それ以来の新聞等で報ずるところでは、日本の古代史の解明の一つ基礎であるというぐらいに非常に貴重に考えられておりますが、それが明日香から生まれたということを考えますと、この委員会でも一度委員長以下調査をいたしましたし、私はそれから二回ほど一人で行ってきたのですが、こうした埋蔵されております、まだ開発されておらないものがあることがこの一つでも立証されたわけで、私は、まだこのほかにもこうした大事なものがあそこにはあるかもしらぬという考えを持つと同時に、そういうものを明日香と同時にあの自然の姿——これまた明日香の非常に大事な点だと思います。この二つを、地域の人たちの非常に高い理解の中で明日香保存されていくのですが、ますます明日香保存という問題にはこれから力を入れていかなければいけないと思いますが、先ほどもありましたように、明日香ということが問題になりましたら、文化庁文化庁として、また古都保存法の責任者は責任者として、建設省は建設省として、いろいろな計画を立てられるようでありますが、いまのこうした隠された古い文化、そして、あの自然が、当時を思わせる姿をそのまま残しておる。したがって、これから一応計画がなされておりますが、私は再度、そうした幾つもの責任を持っておる人たちの総合的な考え方をもう一ぺん再検討して、明日香の問題に及ばなければならぬと思います。それはきょうでなくてもいいわけですが、そういうような意識を私どもは持つし、国民全体もさらに関心を高めたと思うのですが、いま文化庁が考えております、建設省の考え方とかあるいは総理府の考え方というものに対して、何かここで特にお考えになる点がありましたらお伺いしたいと思うのですが……。
  21. 安達健二

    安達政府委員 私どもも、今回の高松塚古墳壁画発見を契機といたしまして、明日香というものの重要性を再び強く認識を受けた次第でございます。この明日香保存の面におきまして、やはり何としても、これを現状のままといいますか、なるべく現状のような状況において守っていくということが非常に大切なことでございますので、これを観光のために開発するとか、あるいはあまりにこれに手を加えるような方式というのは厳に避けられるべきであるということが第一点でございます。  それから第二点といたしましては、やはり明日香全体をいかにして保存するかということを、文化庁立場のみならず、総理府なり建設省なりとの間で十分連絡をいたしまして、御説のとおり総合的なプランというものを確立して、このもとで守っていかなければならないということを痛感いたしておる次第でございます。
  22. 小林信一

    小林(信)小委員 私は、一人で参りましたときに、石舞台のほうからずっとおりてきて、そして橿原市のほうへ行こうとしたのです。そしたら、三叉路のようなところに、机を置いて、村の青年が二、三人おりまして、せっかく来たんですから、この高松塚のある方向をさして、こちらへ回っていかれたらどうですかと言われたことがあるのですが、残念ながら汽車に間に合わないから、しかも自動車がありませんから、歩いて橿原市のほうへ来たんですよ。いま考えると非常に残念だったと思うのですが、そういうふうに保存という問題について、また観光客が殺到するのに対して、あそこの人たちはいろいろ自分たちの利害関係も度外視しながら、一つは守り、一つはなるべく明日香を知らしてやろうというふうな努力をしているのです。そういう点からすれば、政治は何か計画をしておるようですが、まことに地域の人たちの気持ちよりも何かだいぶおくれたような気がいたしますが、そういう点では、今回が大きな機会でありますから、やることはやる、やってはならないことは総力をあげてこれを拒否しなければいけない、こう思っております。  そこで、文化庁で意向をいろいろ出しておられますが、その中で私の気づいた点では、中国と朝鮮と日本と、この三つのこういうものを研究する人たちが集まって、この機会にこうしたものの研究を進めたらどうかということばをちょっと拝見したのですが、この前平城宮祉、あれがこの国会で問題になり、この委員会が非常に努力をしたと私は言ってもいいと思うのです。あの平城宮祉の三分の一しか国有地でなかったのを全面的に国有地にして、そして新たに発見をされた東大寺寄りの新しいところも、私が質問をしましたときには、そのときの文化庁長官は——あのときは文化庁じゃなかったのですが、あそこは買い上げませんと言明したのですが、やはり趨勢やむを得ず国が買い上げることにしたようであります。  そういう話のときに一番大きなきっかけになったのは、フランスの文化大臣ですか、これがアスワンダムの遺跡を問題にしたときであって、アスワンダムと同様に、この奈良の平城宮祉は世界的に保存をするために努力をすべきものである。東洋における古い都市形態としては、延安と奈良ともう一つ朝鮮の——私は忘れましたが、この三つしかないのだ。ところが、その延安はすでに城下町になってしまって、発掘は不可能である。幸い奈良はそのままになっておる。だから、これはただ日本という立場でなくて、世界的の立場保存をする必要があるというふうなことをこの委員会で話したことがあります。  そういうふうに、文化という問題は、ただ一国、一民族という問題でなくて、広く幾つもの国の文化的な交流の中でそれを研究し、開発するところに、お互い人類の古きを知って将来を開発するということができると思うのです。そばにおいでになる宮内庁のお役人さんなんかは、そういう世界的な思想がわからぬから、さっきのようなことを平然と言っている。非常に私は時代おくれだと思いますが、そういうふうな国際的なものも私はこの際大いに文化庁が主体になって開発をしていくべきだと思います。  それから、いま悪口を言いましたが、私はいま宮内庁の方の御答弁を聞いておりまして、いまさらながら現状における天皇制はどうであるかということを再確認したような気がいたします。やはり、皇室の問題がこういうふうにわれわれの階層のところに下がってくるとほんとうに天皇制のあり方がわかるわけで、ふだんああいうふうに宮城の中におってわれわれと隔離されておりますと、憲法で示されておるようなそういう民主的な、ほんとうに国民全体の象徴の天皇になっているのかと思うと、天皇自身はそうでないかもしれませんが、そばについておる人たちがやはり戦前の思想でもって天皇に仕えている。そこに、いま中山委員が遺憾ながら指摘したような皇室観とか天皇観というものが出てくるんじゃないかと思うのです。あなたのことばの中で、なぜ陵墓発掘させないかという根拠が私にはまだ明確にされておらないのですが、それは所有者である天皇の御意向であるのか、あるいは、あなたは八千万も金をかけて陵墓保存に努力しておるのだ、こう言われましたが、八千万という金はこれは国民が出しているのでしょう。そうすると、その八千万の金を使う仕事をあなたが大事がるならば、それは陵墓発掘することは国民の意思であるという考えであるのか、あるいは側近と称するいわゆる宮内庁長官以下の側近の人たちの考え方であるのか、これが先ほどの御答弁の中では明確にならないのです。どうですか。
  23. 並木四郎

    並木説明員 それは一般の方も同じでありますが、陛下の祖先の墓であるという考え方のもとに、先祖の御遺骸がそこに安置してあるという考え方からして、発掘することは——しかもお祭りはきちんとやっておりますし、式年祭もやっておりますし、それは皇室先祖のお墓である、一般民墓も同じでございますけれども、そういうことで尊崇の対象として現在きているわけでありまして、それを発掘するということは精神的にもできないということを、ことばは足りませんけれども、祖先の遺骸がそこにしずまりますという考え方からして、それを発掘すべきではないというふうに考えているわけであります。
  24. 小林信一

    小林(信)小委員 だから、それは天皇御自身の、いわゆる所有者としての先祖を持っておいでになる天皇の御意思であるか、そういう墓をあばくというようなことはいけないことであるというあなた方の天皇家に対する推測であるのか、その推測をする場合に、自分たちは国民の気持ちを代表してこういうふうに考えているのだというのか、そこの問題なんです。ただばく然と、祖先の墳墓をあばくということは云々という、そういう考え方でなく、その根拠はどこだというのですよ。さっきの次長のこの問題に対する説明はわりあいにはっきりしているのですが、しかし、文化庁としても、新聞等の中では——陵墓発掘といってはおかしいのですが、調査研究もこの際考えてほしいということをどこかで言ったはずなんですよ。しかし、発掘するにしても、次長の言われたような見解は私どもは了解できるけれども、あなたのそのことばの中には、尊厳を傷つけるとか、あるいはまじめな研究ならいいけれども——いま考古学の問題で不まじめな研究をする人なんかありませんよ。それを、まじめな研究ならばというふうなそういう概念で問題をとらえたり、あるいは八千万も金をかけてその保存に努力しておるのだというふうなことばが、まことに四分五裂なんです。八千万の金は、これは国民が出しているわけですよ。そうすると、国民の気持ちが、われわれ国民の象徴である天皇先祖の墓であるその尊厳を傷つけてはならないという、そういう気持ちの上で宮内庁のあなた方は陵墓調査研究は一切相ならぬ、こう言っているのか、あなた方だけの考え方で言っているのか、それを私は聞きたい。もう一ぺんお答え願いたいと思います。
  25. 並木四郎

    並木説明員 それは陛下にお仕えする長官以下私ら幹部の者が、陛下の御意思はかくもあろうということでお答え申し上げているわけであります。
  26. 小林信一

    小林(信)小委員 わかりました。かくもあろうということを国民に言っていたら、国民天皇制に対して不信を持ちますよ。天皇に聞いたらいいじゃないですか。天皇に聞いたらかくかくお答えになりました、私どもはそのおことばを信じましてかくかくいたしております。であろうなんという推測をしておるから、ますます国民といまの天皇家は遊離されるような気がいたします。  それが証拠には、私は長い間宮内庁に行って、桂離宮を見せていただきたい、あるいは宮内庁所管のところに立ち入らせてもらいたいというような許可を得に参りますと、ここ十年ばかりの間にがらりと変わっていますよ。もとはまことにサービスがよかった。最近は非常に権威を持ちまして、おそるおそる行かなければ許可がとれない。桂離宮の問題なんかでは一喝なんです。もちろん私は電話をかけて参ったこともありますよ。電話をかけて言いますと、一言でもってばんとけられる。実に最近の宮内庁のあり方というものは、ますます昔の宮内省に返ってきておるような気がします。先に立つ人たちが、ただ皆さんの推量だけで、天皇はかく考えておいでになるだろうというふうなことでもって一切を処断しておりますと、私はまた昔のように国民から、象徴ではなくて、かえって非難を受けるような形にもなると思うのです。すべて、あなた方側近がその点は重大な責任を持っておる。  私は、この問題につきましても、新聞に書いておる点を申し上げますが、エジプトの王室の墳墓はどういうふうに処理されたか。もちろん、もうさんざんな目にあったかもしれませんけれども、人類の文化のためにはそれを調査研究することを率先してエジプトはやった。未開発国だと称せられるそのほかの国におきましても、調査研究のためには墳墓を提供しておりますよ。私は全部の陵墓をあばけとは言わない。発掘しろとは言わない。ときにある時代研究したいというふうな意見学者あるいは大勢の研究の中で出たような場合には、妥当なものであるならば提供することもあり得るというような態度を天皇自身が持たなければ——持っているはずだと思いますよ、私は。そういうことが言われなければ、何のために天皇はああいう科学者として皆さんから尊敬されておるか。お互い国民自身は、自分の墓であっても何でも提供して、人類の古代というものを研究することにだれもやぶさかじゃない。提供することにやぶさかじゃない。天皇家だけが、これは天皇家先祖の墓であるから尊厳を傷つけるからといって、それをかたく閉ざしておるようなことは、私はあまりに時代から天皇が離れておるという批判も受けなければならぬじゃないかと思います。天皇にこのことを申し上げるとしたら、あまり推測をしないで率直なお話をしてもらえば、天皇陛下もわかってくれると思うんですよ。とにかく、新聞を天皇はごらんになれば、今度のこの塚の発掘の中に、天皇陵墓はどうだ、陵墓はどうだということばがたくさん出ておりますよ。それについて何か天皇から御下問があったことがありますか。
  27. 並木四郎

    並木説明員 常時、陛下のお召しにあうのは長官でありまして、私らのごときは陛下は直接お召しになることはございませんが、長官はほとんど毎日のように陛下のお召しがありますので、長官はそのことを陛下から質問を受けているかもしれませんが、私は寡聞にして知りません。もう新聞、ラジオ、テレビは毎日のようにごらんになっていますから、それは認識がおありになると思います。
  28. 小林信一

    小林(信)小委員 長官とお話しをしてここへおいでになるとするなら、それくらいの点は、新聞等であれくらい書いてあるのですから、もしこういう点について聞かれたらどう答えましょうかとか、陛下はどういうふうにおっしゃっておりますかとかいうものをやはり持ってこないと、国会と天皇はもう離れてしまいますよ。そして、ここでもって言いのがれで、そのことについては私は聞いてきませんでした。そのときはそれでいいかもしれませんが、こういうことが皇室国民との間をどうするかということをあなた方は考えなければいけないと思うのです。あれほど新聞に書かれているんですからね。これはどういうふうに考えたらいいんだ。おそらく私は、天皇からお話があって、それについてあなたもきっと参画されていると思う。あなたがそういう点を隠しているようなことは決して皇室のためにならないということを私は申し上げて、私の質問を終わらしていただきます。
  29. 久保田円次

  30. 山田太郎

    山田(太)小委員 もうすでに同僚委員から、大事なところあるいは問題点等についてるる御質問もありましたし、また、これからまだまだ第二回あるいは次々と調査もあることでございますので、小委員会においてはまた調査等も続行されることは間違いないと思います。そこで私は、短時間に二、三の点だけお伺いしておきたいと思います。  そこで、最初こまかい問題でございますけれども、せっかくこの高松塚古墳が第二の法隆寺壁画とかあるいは地下の法隆寺だとさえいわれるような、こういう日本だけでなく世界的にも大きなアピールをした、ある意味においては、日本民族の大きな誇りとなるようなこの高松塚古墳発掘並びに調査だったわけでございます。したがって、それに携わられた専門家の方々の御労苦、あるいは文化庁の御努力も非常に高くまず評価しておきたいと思いますし、これからの真剣なこの問題についての将来への復元を大きく望んでおきたいと思います。  そこで、先ほどのお答えの中で、ちょっと疑問点がありましたから……。第二回の調査は九月か十月にやりたいというお話だったのです。ところが、先ほどからお伺いしておりますと、まあフランスの例を出されて、一朝にして非常な失敗であったという例もあったということ等も考え合わせますと、これを九月、十月まで密封しておくわけでしょう。その間においてのいろいろなカビの問題あるいはいろいろな雑菌問題等々、壁画の剥離、剥脱のことも、専門家でないので新聞等の情報によって得た知識しかありませんけれども、そういうふうなことがもし起こった場合、これはせっかくの世界的といってもいいくらい大切な文化財を烏有に帰するという場合も、しろうと考えではございまするがあるわけでございます。そういうおそれは全くないものかどうか、あるいは、それまでにはどのような処置をするのかという点をちょっとお伺いしておきたいと思います。
  31. 安達健二

    安達政府委員 御心配の点まことにごもっともでございますので、近日中に、剥離するおそれのある部分につきましては、人工樹脂でもって応急の固めをしておく、こういうことでございます。  それから第二の点、石室内の雑菌等をなるべく除去していくという意味で、パラホルムアルデヒドといいますか、そういうものを少量だけ中に入れてそれで殺菌をしておく。そして、あとほぼ前ぐらいの土をやわらかくかぶせます。そうしておけば、この二、三カ月の間にこれが崩壊するとか、そういうおそれはないということで、応急処置をした上で土をかぶせる、こういうことでございますので、この点は専門家とも十分話し合いをいたしましたが、その間の心配はない、こういうことでございます。
  32. 山田太郎

    山田(太)小委員 そこで、まずその点はもちろん専門家の方々にお願いする以外にないわけでございますが、やはり国民立場としては、このようなすばらしい発見があったわけですから、この点はやはり多くの方々から、その点の心配は私の耳にも入ってきます。その点はひとつ十分そごのないようにしてもらいたいと思います。  そこで私は、まだ明日香村には行ったことがありません。ただ近くの平城宮とか藤原宮は文教委員の一人として行った覚えがありますが、先ほど同僚委員からの質問の中にもありましたが、この明日香村あるいはその近辺にまだ未指定の古跡のうちでも、あるいは何々塚だとかあるいは何々古墳だとか、そういうふうに称せられるものが非常に多いということを地元の議員から聞いております。このたびの高松塚の場合でも、すでに江戸時代か、盗掘されておったらしいと伝えられておりますが、そういう点について、いま開発が非常に進められているところもあるやに聞いております。東海道新幹線にしたところで、あれが通ったために、古墳あるいは文化財については、古墳が千ないしは二千はつぶれたろうとさえいわれているように聞いております。  そこで、その発掘調査ですが、あのあたりにたくさんあるところの古墳についての発掘調査、そういうものについてはやはりこのたびのような文化財発見もあると想像しても間違いじゃないと思うのでありますが、その点についてどのようなお考えがあるか、伺いたい。
  33. 安達健二

    安達政府委員 まず、第一の点といたしましては、明日香地方文化財、遺跡の調査というものは、現在までのところ必ずしも十分とは言いがたい。今度出てきましたような非常に貴重なものがなお地下に眠っている場所があるかもしれない、こういうことがございます。そういう点から、文献その他からいたしまして、そしてまた、実地の調査——調査といいますか踏査、実地に行ってみて、こういうものはどうかというところを一応見当をつけてもらいたいということで、昨年、飛鳥保存対策協議会というものを設けまして、そこで専門家に委嘱いたしまして、明日香地方に所在する未指定の遺跡等についての全面的な調査をしてもらいたいということで、数人のグループをつくりまして、現在そういうもののリストと、それを具体的にどこにどうという状況を、外面からだけでございますが、これをひとつ確認していただくということをお願いをいたしております。これがだんだんとできてくるだろうと思います。  それからもう一つ。そういうところでないもの、あるいはそういうようなところでも、もしかりに何か家を建てるというような場合におきましては、事前に調査をすることを励行いたしております。このために奈良国立文化財研究所の飛鳥藤原宮跡の担当の職員の増加をはかりまして、現在十数人の専門家がおりますが、その専門家によりまして調査を急いでおるということで、そのいまある遺跡の状況を全面的にさらに再確認といいますか、調査をすると同時に、具体的な問題が起こったときは、必ず確実なる調査をするようにして、もしもそういうものが出てきたときには工事はしてもらわないというような二段がまえで、この問題に処しておるわけでございまするし、また、発掘調査陣容等につきましても、その充実に毎年努力をいたしておるところでございます。
  34. 山田太郎

    山田(太)小委員 ところで、この高松塚の発見された動機というものは、先ほどおっしゃったような調査ががっちりと進められておるならば、聞けば明日香村近郷の三つの村が合併して、合併の記念として村史編さんのための調査を委嘱した橿原考古学研究所ですか、それが一つの大きな偶然ということばが適当かどうかは別といたしまして、発見されている。そしてこのような大きな文化財発見できたわけです。それがきちっとやっておられたならば、もっと早く、あるいはより広範囲にその点が実行されておったのじゃないかというふうな考えを持つわけでございます。何といっても、いろいろな専門家の方々が同じ古墳発掘するにいたしましても、先ほどおっしゃったように、壁画なら壁画の問題、あるいは風俗画なら風俗画の問題、それぞれ専門家、専門家がいらっしゃるわけですが、そういう専門家という立場と同時に、大きく、文化庁として総合的な系統立った調査というものがやはり抜かっておったのじゃないか。これは当たっているか当たってないかは別といたしまして、私なりに、もっと総合的な、また系統立った調査というものが行なわれてきておったならば、もっと早く発見することができたのじゃなかろうかと思うのです。  この高松塚古墳の偶然の発見一つの大きな転機にして、これを大きな動機として、日本民族としての誇りの土台となるべき文化財の、もっと総合的な系統立った調査というものを進めていくことを考えられないかどうか。いままでが悪かったというわけじゃないが、より一そうこういう点を考えていくほうがいいのじゃないかというふうなことは考えられていませんか。
  35. 安達健二

    安達政府委員 今度の高松塚古墳壁画発見は、いまお説のとおりに全くの偶然だと思います。これは日本じゅうでだれひとり、この中にああいう壁画があるとは想像しなかったと思います。そういう意味で、学術上の発見というものは、やはり偶然性というものをどうしても帯びざるを得ない。特に考古学のようなものは、実験をしてどうこうする学問ではございませんから、いわば偶然のものが積み重なって学問ができたようなものだと思います。したがいまして、これを契機として、それでは計画的に何かそういうものをやる方法があり得るかどうかということは、なかなかそう急には考えられないのではないか、私はそう思うわけでございます。  しかしながら、今度の発見を契機といたしまして、現在見つかりました高松塚古墳というものを徹底的にまず解明してくることが先で、その結果こういう条件ならばというものがある程度出てくると思う。あるいは、先ほど私も申し上げましたけれども、諸外国の学者等の協力を得て、いろいろな点を検討した上でのことでございまして、ただ今度出てきたからあのあたりにあるのじゃないかということで発掘ブームを起こしてはいけない。学問の発展というものはそういうものではない。偶然に発見されたものをまず端緒にして、これを綿密に検討して、そしてその上でそういうものについてのまた発掘ということも考えていかなければならぬ、私どもはそう思います。したがいまして、考古学発掘の問題について、計画性ということは必ずしも言いがたいのではないかと思います。  それからもう一つ観点といたしまして、こういう発掘というものは、非常に慎重でなければならぬというのがまた考古学界でも非常に強うございます。というのは、その発掘というものが、先ほど申しましたとおり、それぞれの学問の進歩によりまして、いろいろとまたあり得るわけでございます。したがいまして、できるだけ現状保存するということがまず第一でありまして、何かの機会発見したものを徹底的に研究することによって進めていくということがあろうかと思います。  それから、開発によって、先ほどお話しございましたように、最近は非常な遺跡の破壊といいますか、そういうものが現実にあらわれておるということははなはだ遺憾でございますけれども、その際の調査ども十分慎重にすることが、同時にやはり学問の発展にも資するところであるというように考えておるわけでございます。したがいまして、今後の調査発見につきましては、今回の発見を十分慎重に検討した上、さらに次の方法を考えていくべきものであると考えておるわけでございます。
  36. 山田太郎

    山田(太)小委員 こういう考古学的なものは、偶然性というのを帯びるのは当然のことだと思います。しかし、私の申し上げるのは、この大きな事件を一つの転機として、あるいは動機として、いわゆる発掘ブーム、いまちょうどいみじくもおっしゃったですが、この発掘ブームというものが、あの三山あるいは周辺に非常に起きがけている。盗掘ということばが適当かどうかは別といたしまして、そういう点もひとつ大きく顧慮しなければいけないのじゃないかということを聞いておりますが、その点についての配慮というものをひとつ十分していただきたい。そのために、総合的、系統立った研究あるいは調査というものがなければ、あとでほぞをかむようなことがあってはいけないということでぼくは申し上げているわけです。
  37. 安達健二

    安達政府委員 大綱において先生のお考えと大体一致しているのじゃないかと思います。まず何といっても保存を十分するということと、発見されたものを徹底的に研究するということを最初にいたしませんと、発掘ブームでみんなが掘れ掘れということになってはたいへんなことになりますということと、それから、そういうものにつきましては、現在学術発掘する場合には文化庁に事前に届け出ることになっておるわけでございます。したがいまして、私どもといたしましては、そういうものの届け出があった場合に、慎重に考慮をいたしまして、真に意義がある学術調査が行なわれるように十分話し合いをすべきものと考えておる次第でございます。
  38. 山田太郎

    山田(太)小委員 そこで、偶然性が非常に少ないのは、先ほどから質疑がございましたが、陵墓の問題です。私も天皇に対して尊敬あるいは尊愛を強く抱いている一人でございます。この高松塚古墳発見というものが、あの連合赤軍の非惨な、陰惨な殺人問題のあとに全国民に与えた大きなプラスの面、国民意識あるいは民族意識を高めたこの大きな力というものは無視できない。タイミングからいっても、また結果からいっても、非常に大きな効果を与えておるということも、ただ単なる文化財発見のみではなかったと思います。  そういう面からいっても、国民的な一つの要望とし、また日本の古代史の不明な点を明らかにしていくためにも、また純学問的にも——何といっても日本歴史天皇中心の歴史になっていた。ことに戦前はそうですね。これがいい悪いは別問題といたしまして、庶民の歴史、庶民の文化史というものもなければならぬ、これは当然のことです。それが非常におろそかにされておった日本歴史学というものは、これはとるべきじゃないとは思っております。  しかし、陵墓に対してのそういう不明の史実を明らかにしていくという国民的要望というものは、これからますます高まっていくのは間違いありません。この点、いま並木書陵部長のお答えは、私も非常に不満に思っておる一人でございます。国民は、ほとんどの方が天皇に対して非常に尊愛の念を強く抱いております。その国民の税金を使って、先ほどからお話がありましたように、八千万円を使ってこれを管理している。しかもその国民が大事な史実を明らかにし、あるいは民族の誇りを明らかにしていくためにも、陵墓調査先ほど文化庁次長のことばの中には、あばくというふうなことばがありましたけれども、このあばくというそういうことばでなくて、純学問的にも、あるいは史実究明のためにも、この国民の要望がほうはいとして起こってきても、宮内庁としては無視し、これに応じられないというふうな態度をあくまでも続けられるのかどうか、この点を一度お伺いしておきたいと思います。
  39. 並木四郎

    並木説明員 お答えします。  永久にということかどうか知りませんが、現段階ではそういうことはその対象にすべきではないと、現在考えておるわけでございまして、将来どういうふうになるか、十年たち二十年たてばどういうことになるか、私はいまのところ推測はできませんけれども、現在のところ、そういう尊嵩の立場からお祭りもし、祖先とあがめているものを、宮内庁の職員として発掘対象にすべきではない、現在はそう思っております。
  40. 山田太郎

    山田(太)小委員 先ほど並木書陵部長のお答えの中に、天皇のお考えはこうであろう、こう想像してのお答えがあったわけですが、私に想像させていただけるならば、学者としての天皇、また国民に尊愛されている天皇が、国民の要望におこたえにならないはずはなかろうと私は確信しております。したがって、宮内庁長官と話し合いをなさって出てこられたということでございます。したがって、きょう当委員会においての質疑なりあるいは話し合いなり、これは当然宮内庁長官に報告をされることは間違いないと思うわけでございます。ただ、それを宮内庁長官が天皇に報告申し上げるかどうか、この点は並木書陵部長の御報告の中にその点を、こういう要望があった、それを天皇にぜひ伝えていただきたいという要望もあったということを、ひとつ長官に報告してもらいたいということを強く要望しておきたいわけですが、その点についての御見解……。
  41. 並木四郎

    並木説明員 帰りましたら、いつも必ずそうしているわけですが、長官、次長には必ず、こういう先生からこういう質問があったということを申し上げております。その中で、陛下のお耳に入れていただきたいという要望もありましたということは必ず申し上げます。
  42. 山田太郎

    山田(太)小委員 じゃ、その点を再び御要望申し上げておきます。  そこで、これ一問で終わりますが、結局次長のお答えの中に、中国あるいは朝鮮あるいはヨーロッパ等々の学者の招聘を願って、ひとつ調査も進めていきたい。当然壁画古墳が多いところは高句麗、ことに北鮮の場合もあるわけです。当然中国も入るわけですから、それをひとつ、どういう理由でどういうふうにやるか相談していきたい、その辺の計画もなしに、ただ漫然と、そういう文化的な調査の委嘱をしたいあるいは招聘したいというだけでは、これは絵にかいたもちになってしまいますから、そういう点についての運びというものはどのようにやっていかれるおつもりか、これが一つ。  それからもう一つは、ユネスコの文化財修復センターですが、ユネスコの文化財修復センターにも依頼し、また保存法も検討していきたいというふうなことも聞いておるわけですが、この二つについて、具体的な運び、取り計らいというものをお答え願いたい。
  43. 安達健二

    安達政府委員 まず問題の少ないほうから申し上げますと、ユネスコの一つの機関としてローマに文化財修復センターというのがございまして、これは文化財修復、保存あるいは修理等につきましての世界の情報を集め、そしてまたいろいろな研究をしている機関でございます。したがって、私どもがいわゆる科学的な保存対策という面で御意見を聞きたいと思っているわけでございますが、お願いするのは必ずしもローマの文化財修復センターそのものにつとめておられる方だけではなしに、そこから推薦されました他の国の、フランスとかイタリアとかドイツ等の国のこの方面で苦心をしておられるそういう方に来ていただいて、参考の御意見を伺いたい、こういうことでございます。この点については、予算措置等ができればそれほど大きな問題はないと思いますし、また今度、保存科学調査団の一員になりました岩崎という人がこの文化財修復センターの理事会に出席いたすことになっておりますので、その機会にそういう点についての可能性等についても聞いてきてもらいたい、こういうように考えておるわけでございます。  それから、総合的な学術調査の際に、大陸なり朝鮮半島学者から意見を聞きたい、こういうことでございます。御案内のとおり、中国とかあるいはまた北朝鮮との間におきましては、国交が未回復でございます。そういうところからどういうような手続でやれば可能であるかどうか、具体的な人はどういう人があるかとかいうようなことは、これからの検討課題でございます。これはやはり外務省等とも慎重に御連絡をしまして、どういう方法があるかということを検討しなければいけませんので、ここですぐできます、あるいはどういう手続ですぐできるかと言われても答えにくいのでございまして、これはもう少し検討の余裕をいただきたい、かように考えておるわけでございます。
  44. 山田太郎

    山田(太)小委員 これで質問は終わりますが、やはりいま国民の中に起こっております中国なりあるいは北朝鮮との国交の問題も、ともあれ文化交流がまず一番手近に、また一番やりやすい問題でもあるし、この点については早く取り運ばれるよう強く要望しておきたいことと、今度の機会にはもうすでにこれがこのようにできましたというふうになるかもしれません。その時期を少し明示できないようなお答えではございましたが、この点は強く要望しておきたいと思います。  それから、高松塚古墳並びに明日香村についての古都保存法等の問題もあるでしょうが、地元の方々の了解なりあるいは納得なり、これは必ず重要視し、その納得を得てやっていただきたいということを強く要望しておきたいと思います。  以上で終わります。
  45. 久保田円次

    久保田委員長 鈴木一君。
  46. 鈴木一

    鈴木(一)小委員 同僚議員の熱心な質疑によりまして、大かた問題点は尽きていると思いますが、一言だけ宮内庁並木さんにお伺いいたします。  並木さんは万事のみ込んでおられているのですけれども、いまの段階ではああいう答弁しかできないのではないかというふうに内心同情しながら伺っておったわけでございますが、ただ一言、私自身が納得いかない点は、天皇家のお墓を発掘調査することは尊厳を傷つける、こういうふうなことが現段階では調査対象にし得ないということだったと思うわけでございます。これは少しものの考え方が間違ってやしないかと思うのですね。昔は英雄であった。しかし、時代が変わったらとんでもないやつだったということで墓をあばくというふうなことはあるわけですね。それからまた、これは少し他国のことで例にはならないかもしれませんけれども、かつてスターリンはレーニンと一緒にクレムリンの広場の陵というのですか、そういうところに、ミイラとして飾られておったわけでございますが、フルシチョフの時代になってから、あれはとんでもないやつだということで、そこからどこかへ持ち去られてしまった。こういうのはまさに死後墓をあばき、恥ずかしめを与えるということになると私は思うのでございます。  今回の学者、あるいはまた、いま同僚の議員がそれこそ超党派で要望申し上げている調査というものは、そうでなくても時代が古いから不明な古代史というふうなものを、何とか究明したい、昔から古代史に対していろいろ究明した学者もあるわけでございます。古事記とか日本書紀とかいうものに対して、いままでの立場から違った科学的なメスを加えた学者もおったわけでございますが、この人たちはみんないろんな意味で弾圧を受けて、研究も十分にできず、発表もできずに終わってきておるわけでございます。したがって、一そう日本の古代史というものは不明なまま今日に及んでいるわけでございますが、そういうものに対して少しでも解明の手がかりを与えたいということから、いまここで天皇家陵墓に対して学術研究のメスを入れたい、こういうことだと私思うわけでございます。  したがって、もしここで何か貴重な手がかりが得られるとするならば、やはり日本天皇制があったからこそそういう究明ができたんだということになって、決して天皇家を恥ずかしめるということでなく、それよりも別な意味天皇制というふうなものが再認識されるかもしれないと私思うのでございます。決して尊厳を傷つけるというような立場でだれもいま要望しているわけではないのでございます。どうもただ恥ずかしめを与えるんだというふうなことから、通り一ぺんの御答弁をしておるようでございますが、その点もう一回お答え願いたいと思います。もし私の認識が間違っておるなら間違っておると御指摘願いたいと思う。
  47. 並木四郎

    並木説明員 私も学問をした人間で、古墳にも相当の趣味を持っておりますし、古墳の本もずいぶん読んでおります。先生方の気持ちは十分よくわかります。それこそ偉大な、不明に帰しておる古い時代歴史を究明したいというお気持ちは私は先生以上に強いと思います。ただ、いま皇室に仕える私といたしまして、陛下の祖先の墓を発掘対象にするということは、ちょっといいということは申し上げにくいわけなんです。私は先生方に劣らず古墳にも趣味を持ちますし、小林先生なりいろいろの本を読んで、日本の古代史はまだ不明なところがたくさんあるから、それを究明したいという気持ちは十分持っておりますけれども、私の現在の立場上、陛下がお祭りをなさっている先祖の墓を発掘してよろしいということは申し上げかねるわけでございます。それだけ申し上げておきます。
  48. 鈴木一

    鈴木(一)小委員 陛下も人間であるということをみずから御宣言になったわけでございます。個人の場合に還元して考えてみますと、たとえばおまえのところの墓は構造上いろいろ研究したいから、ぜひひとつ見せてくれということであれば、おそらくだれでもすなおに、そうか、それならひとつ見てくれということになるだろうと私は思うのですね。ですから、あなたの立場としては、陛下に対してこうしたほうがいいとは言いにくいかもしれませんけれども、しかし、おそらく陛下御自身は、何にもこだわりは持っておられないと私は思うのです。むしろ進んで、そうか、それならばひとつ——明治天皇の墓から大正天皇の墓から全部やるというのじゃないのですから、古代史の接点のところの、しかもいろいろ研究してみて、ここの御陵ならば何かありはしないかというふうなことで、皆さんが調査研究の上ピックアップしてやるわけですから、おそらく陛下も何もこれは御異存がないと私は思います。  ただ、あなたのいまの立場としては、おまえら以上に関心持っておるんだ。しかし宮内庁というむずかしいところにつとめておるので、軽々なことは言えないのだということでありますというように感じ取られましたので、私はあなたの気持ちは了としますから、ひとつ宇佐美長官あたりとも十分連絡をとられて、陛下に対しても率直に申し上げることが、あなた宮内庁で月給をもらっているゆえんだと思いますので、ひとつ率直なアドバイスをぜひお願いしたいと思います。  なお、おそらくこの問題は国民的な要望でもあると思いますので、きょうだけうまく逃げたからこれでいいというわけにはいかないのです、並木さん。だからまた、たびたび来ていただかなければならぬかと思います。私も決してあなたを意地悪くここでとっちめてそれで快哉を叫んでいるものでもないのです。やはりお互いに日本人として日本歴史を解明したいということに尽きているわけでございますから、いずれまた来ていただくかもしれませんが、また同じようなことを繰り返さず、実はこうであったというふうな前向きのお話をあなたから伺えるように、ぜひひとつあなたの御努力を願いたいと思います。
  49. 並木四郎

    並木説明員 先ほど申し上げましたとおりに、きょうの結果は長官に申し上げ、こういう要望がありましたから、陛下に申し上げていただきたいということは、必ずお約束いたします。陛下がどういうお答えをなさるかは、またそれは聞いてみないとわかりません。
  50. 小林信一

    小林(信)小委員 それを取り次いでほしいんだよ。また取り次いでもらうことがあるかもしれない。陛下はこう言っておりますということを次にはお答え願いたい。
  51. 並木四郎

    並木説明員 陛下は、お答えになることとならないことがあるということ、これはほかの問題ですけれども……。
  52. 小林信一

    小林(信)小委員 なければないといって報告してもらえばいい。
  53. 並木四郎

    並木説明員 そういうことでございますので、必ずしもそれは、うんともすんともおっしゃらない——ほかの問題でございますよ、そういうこともありますので、どういうお答えをいただけるかは、いまのところ申し上げかねるわけであります。
  54. 中山正暉

    中山(正)小委員 ちょっと要望があるのです。わが党の河野理事にもお願いをしてございますのですが、きょうは河野さんお顔が見えませんので、御了解を得てあることでございますから申し上げたいと思います。  実は、文部大臣はこのことに関して、というのはいまの皇室宮内庁の所管にかかわる陵墓の問題でございますが、これは文部大臣に次の委員会なり適当な機会に、このことだけに関する文部大臣のお考え、きょうは御出席をお願いしたのでございますが、外国の方もいらっしゃる叙勲式か何かで、きょうは御都合がとれないということでございますので、その問題だけひとつお伺いをする権利を留保をさせていただけないかどうかと思いまして、それだけ要望として、これは理事会でおはかりいただいてけっこうですから……。
  55. 久保田円次

    久保田委員長 これは文化財委員会をまた開かなくてはなりませんから、それまでにまた理事のほうともよく相談してみましょう。よろしいですか。
  56. 中山正暉

    中山(正)小委員 けっこうです。
  57. 久保田円次

    久保田委員長 本日はこれにて散会いたします。    午後三時四十八分散会