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中山(正)小
委員 いま非常に高額の費用をかけて堤防にはがねを通して守っているのだということですが、だからもし災害があったらどうするのですか。やはり
発掘調査をしておけばよかったということになるかもしれない。さっきの写真で見てもわかるように、どんどん雨漏りがして色が変わってしまって、
学問的にそれがもう役に立たなくなったらどうするのですか。もし災害があって、それらが水浸しになってから、後の
歴史的な
資料にもならないようなことになってしまったら、よけいたいへんだと思うのです。それで非常に都合のいいことをおっしゃっていらっしゃるのですね。墳丘部、まん中の丘は
皇室に
関係している。これは応神
天皇の
陪塚のようでございますが、これは
皇室に
関係する墓であり、
史跡の
指定を受けることはできない、堀と周堤帯、堀とまわりの囲みだけは
史跡に
指定してほしいというような、まことに都合のいいようなことをおっしゃっているわけでございます。それから、純粋に
学問的な
観点で外から見るならばいいだろうという
お話なんでありますが、今度の高松塚でも、外から見ておったから、
あとから考えれば、少し小高くて普通のものと違っておったかもわからないが、それが気がつかなかった。しかし、
皇室の
御陵には——私は
日本はいままでは
天皇家の
歴史と言って差しつかえがないと思うのでございますが、それが百八十六もあるのだから、必ずやもう、だれが何と言っても、その中にはりっぱな
歴史的な所産があるのだ、
考古学上非常に貴重な
資料になるものがあるでしょうし、そうしてまた、
わが国の
学者たちが外国の
研究に参加できるようになれば、その
研究の幅がそれだけ広くなっていく、これが
学者の
方々の手に入れば、
日本は
世界のそういう
学問の輪の中にひとつ入れるのだ、こう私は思うのでございます。
ここにも書いてありますが、これはある新聞に高原四郎という方がおっしゃっているのでございますが、その方がお書きになっているものの中で拝見したわけでございますが、そういうことになると、こういう話が出ておるということを
天皇陛下は御存じなんですか。とっぴなことを申すようでございますが、ここに三島由紀夫氏の書かれた「英霊の聲」というのがありますが、その中に
天皇制は列国の論議のうちに、風に揺られる白い辛夷(こぶし)の花のように、危険な青空へ花冠をさしのべてゆらいでいた。
昭和二十年の晩秋、幣原首相は拝謁の際、陛下に次のようなお言葉を承った。
「昔、ある
天皇が御病気に罹られた。
天皇御自身が、医者を呼べと仰せられると、宮中の者たちは、神であらせられる玉体に、医者ごときが触れ奉るはおそれ多いと、医者も呼ばず、薬もさしあげず、御病気は悪化して亡くなられた。とんでもないことではないか」
このお言葉によって陛下は、民主主義
日本の
天皇たるには、神格化を是正せねばならぬと暗示されたのである。
陛下の前に立っていたのは、いろいろ苦労を重ねてきた立派な忠実な老臣だった。軍隊ときくだけで鳥肌立つ、深い怨みから生れた平和主義者、皺だらけの自由と理性の持主、立派なイギリス風の老狐だった。
昭和のはじめから、陛下がもっとも信頼を椅せたもうていた一群の身じまいのいい礼儀正しい紳士たちの一人だった。彼は恐懼して、こう申上げた。
「
国民が陛下に対し奉り、あまり神格化扱いを致すものでありますから、今回のように軍部がこれを悪用致しまして、こんな戦争をやって遂に国を滅ぼしてしまったのであります。この際これを是正し、改めるように致さねばなりません」
陛下には静かに肯かれ、
「
昭和二十一年の新春には
一つそういう
意味の詔勅を出したいものだ」
と仰せられた。
一方、その十二月の中頃、総司令部から宮内省に対して、
「もし
天皇が神でない、というような表明をなされたら、
天皇のお
立場はよくなるのではないか」
との示唆があった。
かくて幣原は、改めて陛下の御内意を伺い、陛下御自身の御意志によって、それが出されることになった。
幣原は、自ら言うように「
日本よりむしろ外国の人達に印象を与えたいという気持が強かったものだから、まず、英文で起草」したのである。
その詔書の一節には、英文の草稿にもとづき、こう仰せられている。
「然れ
ども朕は爾等
国民と共に在り、常に利害を同じふし休戚を分たんと欲す。朕と爾等
国民との間の紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ、単なる神話と伝説とに依りて生ぜるものに非ず。
ここが大切なところなんです。
天皇を以て現御神とし、且
日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、延て
世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念に基くものに非ず」
……今われらは強いて怒りを抑えて物語ろう。
この
部分は英霊にものを言わせている
部分なんでございますが、
……今われらは強いて怒りを抑えて物語ろう。
われらは神界から逐一を見守っていたが、この「人間宣言」には、明らかに
天皇御自身の御意思が含まれていた。
天皇御自身に、
「実は朕は人間である」と仰せ出されたいお気持が、積年に亙って、ふりつもる雪のように重みを加えていた。それが大御心であったのである。
忠勇なる将兵が、神の下された開戦の詔勅によって死に、さしもの戦いも、神の下された終戦の詔勅によって、一瞬にして静まったわずか半歳
あとに、陛下は、
「実は朕は人間であった」と仰せ出されたのである。われらが神なる
天皇のために、身を弾丸となして敵艦に命中させた。そのわずか一年
あとに……。
あの「何故か」が、われらには徐々にわかってきた。
陛下の御誠実は疑いがない。陛下御自身が、実は人間であったと仰せ出される以上、そのお言葉にいつわりのあろう筈はない。高御座(たかみくら)にのぼりましてこのかた、陛下はずっと人間であらせられた。あの暗い世に、
一つかみの老臣
どものほかには友とてなく、たったお孤りで、あらゆる辛苦をお忍びになりつつ、陛下は人間であらせられた。清らかに、小さく光る人間であらせられた。
それはよい。誰が陛下をお咎めすることができよう。
だが、
昭和の
歴史においてただ二度だけ、陛下は神であらせられるべきだった。何と云おうか、人間としての義務(つとめ)において、神であらせられるべきだった。この二度だけは、陛下は人間であらせられるその深度のきわみにおいて、正に、神であらせられるべきだった。それを二度とも陛下は逸したもうた。もっとも神であらせられるべき時に、人間にましましたのだ。
一度は兄神たちの願起の時。
これは二・二六事件のときのことを言っているんだと思います。
一度はわれらの死の
あと、
第二次大戦の敗戦のとき。
国の敗れた
あとの時である。
歴史に「もし」は愚かしい。しかし、もしこの二度のときに、陛下が決然と神にましましたら、あのような虚しい悲劇は防がれ、このような虚しい幸福は防がれたであろう。
この二度のとき、この二度のとき、陛下は人間であらせられることにより、一度は軍の魂を失わせ玉い、二度目は国の魂を失わせ玉うた。
御聖代は二つの色に染め分けられ、血みどろの色は敗戦に終り、ものうき灰いろはその旧からはじまっている。御聖代が真に血にまみれたるは、兄神たちの至誠を見捨てたもうたその日にはじまり、御聖代がうつろなる灰に充たされたるは、人間宣言を下されし日にはじまった。すべて過ぎ来しことを「架空なる観念」と呼びなし玉うた日にはじまった。
われらの死の不滅は涜(けが)された。……」こう書いてありますのですが、人間宣言をされた——特に
学者なんかでは、自分がガンにかかったのを、自分のからだを見詰めながら後の
学問のためにといって死んでいかれる人があるわけでございます。自分のかわいい子供、そして敬愛する父や母をなくした人たちが、そのからだを
学問のために提供をされる。
天皇陛下も人間宣言をなさって、特に神格化を御自身が避けたいということをおっしゃった。そういう
意味からわれわれのこの民族は、騎馬民族なのかまた農耕民族なのか、北方系なのか南方系なのか、私、いつも海岸に立っていると、天孫降臨のことを思うのです。海の
向こうから海上をやってくる。水平線と空はひっついていますから、海の
向こうからやってきたら確かに空から、雲からおりてきたという文学的表現を使っても——私は天孫降臨というのは文学的表現、非常にうまい表現をしたが、あの話は、海を越えて南のほうからやってきた人の話じゃないかと実は思うわけでございますが、その
日本の
歴史の起源にかかわる、これは
日本民族の誇りになる材料かもわからない。その誇りになる材料を提供する
歴史の
資料を大きく含んでいるという
部分を、人間
天皇を宣言された
天皇陛下のまわりにおられる——私はいまだに君側の好がおられて、いまだに上聞に達していないのではないかと思う。
天皇陛下がお聞きになったら、それはすぐやれ、むしろおれがやろう——おれなんておっしゃらないかもわかりませんが、そうおっしゃるのではないかと私は思うわけです。ですからほんとうに、どういうふうに
天皇陛下のお耳に入れたらいいのか、
向こう見ずのかけ出し者でございますから……。
文化庁なんかどう考えていらっしゃるのですか。
文化庁は
宮内庁に対して、その
調査——
調査といったって別に土足で踏みにじるわけじゃないでしょうから、
天皇陛下の御
先祖に対して失礼なことがあったら、こういうことを国会で申し上げた私自身が責任をとらなければいけないと思いますが、これは何とか
宮内庁にも考え方を変えていただき、むしろ私は、
天皇陛下のお耳に達するように何か話をするきっかけがないものかと思うのです。そうして
文化庁は、
宮内庁に対してどういうふうに思っていらっしゃるか。私は、公開というか、学術上の
調査研究を当然に望んでいらっしゃるのじゃないかと思うのですが、いかがですか。