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1972-03-15 第68回国会 衆議院 文教委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十七年三月十五日(水曜日)     午前十時四十一分開議  出席委員    委員長代理理事 西岡 武夫君    理事 久野 忠治君 理事 久保田円次君    理事 河野 洋平君 理事 谷川 和穗君    理事 小林 信一君       稻葉  修君    小沢 一郎君       塩崎  潤君    中山 正暉君       野中 英二君    松永  光君       森  喜朗君    渡部 恒三君       勝澤 芳雄君    川村 継義君       木島喜兵衞君    日野 吉夫君       有島 重武君    山原健二郎君       安里積千代君  出席国務大臣         文 部 大 臣 高見 三郎君  出席政府委員         文部政務次官  渡辺 栄一君         文部大臣官房長 井内慶次郎君         文部大臣官房会         計課長     須田 八郎君         文部省初等中等         教育局長    岩間英太郎君         文部省大学学術         局長      木田  宏君         文部省社会教育         局長      今村 武俊君         文部省体育局長 澁谷 敬三君         文部省管理局長 安嶋  彌君         文化庁次長   安達 健二君  委員外出席者         警察庁警備局参         事官      丸山  昂君         文部省初等中等         教育局地方課長 鈴木  勲君         消防庁予防課長 永瀬  章君         会計検査院事務         総局第二局参事         官       池田 伊臣君         文教委員会調査         室長      石田 幸男君     ――――――――――――― 委員の異動 三月十四日  辞任         補欠選任   小沢 一郎君     村上信二郎君   勝澤 芳雄君     安井 吉典君 同日  辞任         補欠選任   村上信二郎君     小沢 一郎君   安井 吉典君     勝澤 芳雄君     ――――――――――――― 三月十三日  大学学費値上げ反対等に関する請願谷口善  太郎君紹介)(第一三四四号)  同(横山利秋紹介)(第一四九八号)  四年制大学における養護教諭養成制度確立に関  する請願加藤清二紹介)(第一三四五号)  同(浅井美幸紹介)(第一三四六号)  同(近江巳記夫紹介)(第一三四七号)  同(正木良明紹介)(第一三四八号)  同(沖本泰幸紹介)(第一三四九号)  同(北側義一紹介)(第一三五〇号)  同(矢野絢也君紹介)(第一三五一号)  同(渡辺武三紹介)(第一三五二号)  同(加藤清二紹介)(第一四〇四号)  同(井岡大治紹介)(第一五〇三号)  同(加藤清二紹介)(第一五〇四号)  同(篠田弘作紹介)(第一五〇五号)  同外七件(正示啓次郎紹介)(第一五〇六号)  同(松浦周太郎紹介)(第一五〇七号)  同(横山利秋紹介)(第一五〇八号)  同(横路孝弘紹介)(第一五〇九号)  女子教職員育児休暇法制定に関する請願(有  島重武紹介)(第一三五三号)  同(小林信一紹介)(第一三五四号)  同(斉藤正男紹介)(第一三五五号)  同外一件(山中吾郎紹介)(第一三五六号)  同(木島喜兵衞紹介)(第一四〇五号)  同(小林信一紹介)(第一四〇六号)  同(山口鶴男紹介)(第一四〇七号)  同(小林信一紹介)(第一五〇〇号)  同(木島喜兵衞紹介)(第一五〇一号)  同(山口鶴男紹介)(第一五〇二号)  私立学校に対する公費助成大幅増額等に関す  る請願青柳盛雄紹介)(第一三五七号)  同(浦井洋紹介)(第一三五八号)  同(小林政子紹介)(第一三五九号)  同(田代文久紹介)(第一三六〇号)  同(谷口善太郎紹介)(第一三六一号)  同(津川武一紹介)(第一三六二号)  同(寺前巖紹介)(第一三六三号)  同(土橋一吉紹介)(第一三六四号)  同(林百郎君紹介)(第一三六五号)  同(東中光雄紹介)(第一三六六号)  同(不破哲三紹介)(第一三六七号)  同(松本善明紹介)(第一三六八号)  同(山原健二郎紹介)(第一三六九号)  同(米原昶紹介)(第一三七〇号)  同外一件(井上普方紹介)(第一三七一号)  同(石川次夫紹介)(第一三七二号)  同(加藤清二紹介)(第一三七三号)  同(金丸徳重紹介)(第一三七四号)  同(川崎寛治紹介)(第一三七五号)  同(北山愛郎紹介)(第一三七六号)  同外一件(小林信一紹介)(第一三七七号)  同外一件(佐藤観樹紹介)(第一三七八号)  同外一件(島本虎三紹介)(第一三七九号)  同(田邊誠紹介)(第一三八〇号)  同(辻原弘市君紹介)(第一三八一号)  同外一件(中谷鉄也紹介)(第一三八二号)  同(西中清紹介)(第一三八三号)  同外一件(芳賀貢紹介)(第一三八四号)  同(平林剛紹介)(第一三八五号)  同(広瀬秀吉紹介)(第一三八六号)  同(細谷治嘉紹介)(第一三八七号)  同(松本七郎紹介)(第一三八八号)  同(三木喜夫紹介)(第一三八九号)  同(山口鶴男紹介)(第一三九〇号)  同外一件(山中吾郎紹介)(第一三九一号)  同(山本弥之助紹介)(第一三九二号)  同外十一件(和田耕作紹介)(第一三九三号)  同(青柳盛雄紹介)(第一四〇八号)  同(浦井洋紹介)(第一四〇九号)  同(小林政子紹介)(第一四一〇号)  同(田代文久紹介)(第一四一一号)  同(谷口善太郎紹介)(第一四一二号)  同(津川武一紹介)(第一四一三号)  同(寺前巖紹介)(第一四一四号)  同(土橋一吉紹介)(第一四一五号)  同(林百郎君紹介)(第一四一六号)  同(東中光雄紹介)(第一四一七号)  同(不破哲三紹介)(第一四一八号)  同(松本善明紹介)(第一四一九号)  同(山原健二郎紹介)(第一四二〇号)  同(米原昶紹介)(第一四二一号)  同外一件(石川次夫紹介)(第一四二二号)  同外一件(井上普方紹介)(第一四二三号)  同(加藤清二紹介)(第一四二四号)  同(川崎寛治紹介)(第一四二五号)  同(北山愛郎紹介)(第一四二六号)  同(小林信一紹介)(第一四二七号)  同外一件(佐藤観樹紹介)(第一四二八号)  同(島本虎三紹介)(第一四二九号)  同(田邊誠紹介)(第一四三〇号)  同(辻原弘市君紹介)(第一四三一号)  同外一件(中谷鉄也紹介)(第一四三二号)  同(細谷治嘉紹介)(第一四三三号)  同(松本七郎紹介)(第一四三四号)  同(松本忠助紹介)(第一四三五号)  同(山口鶴男紹介)(第一四三六号)  同外一件(山中吾郎紹介)(第一四三七号)  同(青柳盛雄紹介)(第一五一〇号)  同(浦井洋紹介)(第一五一一号)  同(小林政子紹介)(第一五一二号)  同(田代文久紹介)(第一五一三号)  同(谷口善太郎紹介)(第一五一四号)  同(津川武一紹介)(第一五一五号)  同(寺前巖紹介)(第一五一六号)  同(土橋一吉紹介)(第一五一七号)  同(林百郎君紹介)(第一五一八号)  同(東中光雄紹介)(第一五一九号)  同(不破哲三紹介)(第一五二〇号)  同(松本善明紹介)(第一五二一号)  同(山原健二郎紹介)(第一五二二号)  同(米原昶紹介)(第一五二三号)  同(加藤清二紹介)(第一五二四号)  同外二件(川崎寛治紹介)(第一五二五号)  同(北山愛郎紹介)(第一五二六号)  同(小林信一紹介)(第一五二七号)  同外一件(佐藤観樹紹介)(第一五二八号)  同(佐野憲治紹介)(第一五二九号)  同(田邊誠紹介)(第一五三〇号)  同(武部文紹介)(第一五三一号)  同(辻原弘市君紹介)(第一五三二号)  同(中谷鉄也紹介)(第一五三三号)  同(三木喜夫紹介)(第一五三四号)  同外一件(山中吾郎紹介)(第一五三五号)  学校における児童、生徒の負傷事故に対する補  償制度確立に関する請願(林百郎君紹介)(第一  四九九号) は本委員会に付託された。     ――――――――――――― 三月十一日  私立学校助成費増額に関する陳情書  (第二〇号)  教職員定数改善に関する陳情書  (第二一号)  人口急増市町村義務教育施設等整備に関する  陳情書(第二二号)  女子教職員育児休暇立法化に関する陳情書  (第二三号)  同(第一  一二号)  公立幼稚園教員給与費補助等に関する陳情書  (第二四号)  障害児就学猶予免除制度廃止に関する陳情  書(第二五号)  宮崎県に第三十一回国民体育大会誘致に関する  陳情書  (第二六号)  国立大学授業料に関する陳情書  (第一一一号)  県立高等学校教育費父兄負担軽減に関する陳  情書  (第一一三号) は本委員会に参考送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  文教行政基本施策に関する件      ――――◇―――――
  2. 西岡武夫

    西岡委員長代理 これより会議を開きます。  本日は、委員長所用のため、その指名により私が委員長の職務を行ないます。  文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、これを許します。安里積千代君。
  3. 安里積千代

    安里委員 きょうは三月十五日でありまして、沖繩返還に関しまする日米間協定の批准される日であります。沖繩にとりましては、二十七年にわたりまするアメリカ統治のもとにありまする政治の中から、本土一体となった姿に戻ることが確定づけられるところの記念すべき日であります。そこで本日は、復帰を前にしまする、あるいは復帰後の沖繩教育という問題に関連をいたしまして、大臣所信表明について御意見を承りたい、こう存ずる次第であります。  御承知のとおり、これまで戦後沖繩教育は、特殊な政治情勢の中にありながら、日本国民としての教育ということを目ざしまして進められてまいったのであります。教育基本法に示されたところによりますと「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行なわれるべき」ことが示されております。また、教育は、個人尊巖を重んじ、真理と平和を希求する人間育成を期して行なわれなければならないという趣旨も示されております。こういった教育基本的なあり方から考えまする場合に、沖繩のこれまでの実態は、それにそぐわない教育環境のもとにおいて進められてまいりました。  戦争ということは、最も人間の生命を軽視するものであり、また、軍事基地の中における教育ということは、平和を求めるところの教育精神あるいは人間を尊重するという精神と相反するところのものであります。そして、そういう中にあって、アメリカ軍事目的、つまり、そういうような不当な支配に屈することなく進められてきたものが私は沖繩教育であったと考えております。  ところで、所信表明拝見をいたしますと、いろいろのことが申されておるようでございまするけれども、私が痛切に感じますることは、この所信表明の中に、教育の大きな目標でなければならぬところの平和の教育、平和を希求する人間育成を求めていく方向というものが、一言半句もあらわれてないという感じがいたします。  そこで、大臣といたしまして、日本教育、ことに軍事基地の中において、戦争否定立場人間の尊重、真理を探求し平和を希求する、そういった方向で進められてきた沖繩教育立場から見まするならば、大臣所信表明にはいささかその基本的な精神というものが失われておるのじゃないかという感じがいたすのでございますが、平和教育に対しまする大臣所信を明らかにしてもらいたいと思います。
  4. 高見三郎

    高見国務大臣 これは前回の委員会におきましても川村委員から御指摘がありました。ことしは、教育制度発布百年になります。その間における国家目的あるいは価値観というものが大きく変わってまいりました。変わってまいりました中で最も大きなものは、戦後教育の、教育基本法に示されておる民主主義平和主義、この二つであるのであります。これはもういまさら取り上げるまでもない問題であるのであります。  明治教育中心課題は何であったかと申しますと、十六世紀以来、世界各国が共通の課題として考えておりました帝国主義的な発想から出た国家あるいは家というものを中心とする教育であったのであります。ところが、敗戦という反省に立ちまして、われわれは、個人の尊厳と平和への希求というものを教育基本法の上ではっきりうたったのであります。  この問題につきましては、私はあらためて申し上げる必要はないと考えまして、ことさらに所信表明の中にはうたっておらないのでありまするけれども、このことは、少なくとも教育理念基本的な変化であるという意味において御理解をいただきたいと思います。沖繩の皆さんが、敗戦国のいかなる国も東西分割をせられまして、しかも非常な苦労をいたしております。朝鮮しかり、ベトナムしかり、ドイツしかりであります。日本におきましても、沖繩というものはやはり東西分割犠牲になっておった島であります。本日をもって沖繩返還批准書が交換をされる、六十日後には沖繩本土に返るということになります。まことに本日は、本日の晴天のような晴ればれとした気持ちで私は沖繩返還が成立をしたことを喜んでおるのであります。そういう意味から申しましても、ひとり沖繩のみならず、日本の国における平和教育というものが推し進められることは、これは教育基本法の根本的な精神であるという意味におきまして、所信表明の中には特に取り上げておらなかったわけでありまして、平和教育を無視するという意味では毛頭ございませんということを御了承をいただきたいと思います。
  5. 安里積千代

    安里委員 所信表明の中におきまして、確かに、学制発布百年の記念すべき年にあたりまして、先人偉業を敬慕するということばもございます。確かに日本教育の普及ということが、国の発展のためにも、また世界に貢献する上においても、果たした役割りは大きいものだと思っております。平和に徹するところの大臣気持ちを疑うわけではございません。もちろん、当然のことなるがゆえにあえて表明する必要もなかったのだ、こういう御趣旨に承るわけでございまするけれども、実は、私といたしまして、先人偉業を敬慕するということばの中に、では戦前教育は何であったかということを痛切に考えさせられるものがございます。  特に沖繩教育者にとりましては、戦前の誤った忠君愛国精神、いわゆる命を鴻毛の軽きに、そして戦場にかり立てた忠君愛国精神尽忠報国精神、そういった教育というものがどれだけ悲惨な結果をもたらしたものであるか。特に戦場となりました沖繩におきまして、子供たち戦場にかり立てて、そしてあのような犠牲をこうむらしたことに対しまする教職に携わるところの者の心の痛みというものは、はかり知れないものがあるわけであります。ですから、戦後におきまする沖繩政治の中におきましては、再びこのような誤った教育を指導をしてはならないという強い反省というものが、沖繩教育者はもちろんでありますけれども、おそらく全国の教育者の心にある問題だ、こう考えております。したがいまして、教育の大きな基本でありまするところの世界平和に通ずるそういったところの教育基本的姿勢というものが、あらゆる施策の中においてあらわれてこなければならぬ、このように考えております。  そこで、沖繩におきまする教育環境というものが——特に教職員の諸君が、沖繩教育環境実態というものが、戦争後においてアメリカ軍事的な目的のためにいろいろと制約を受けてきた、したがって、その戦争反対する、平和を求めるというところの強い気持ちから、軍事基地に対するところの反対、あるいはアメリカの不当な支配を排除するという、そういう強い動きというものが教育の場から上がったということも、私は理解できると思うのであります。  そこで私は、ここでお聞きいたしたいのは、幸いにいたしまして復帰はいたすのでございますけれども、その二十何年間にわたりまする沖繩教育界において、最もさいなまされてまいりましたところの、戦争につながる軍事目的ということの位置づけにおいて沖繩が返還されるということになります。そうなりますと、沖繩の返還の実態というものは、教育の面から見ました場合におきましては、これはそぐわないものがある、このように考えるわけでございますが、大臣といたされましては、いまの復帰しまするところの沖繩実態の中に、どのようにして平和教育というものを推進していかれるところのお考えでありますか。こういった四囲の環境というもの、実情というものが、実質的に変わらない状況において平和教育を推進するということは、ことばの上ではありましても、沖繩教育現場におきまする社会実態というものはほとんど変わらない条件にある。そういう中において復帰する沖繩でありまするが、平和教育立場から見まして、沖繩復帰実態というものに対してどのようにお考えでございますか。また、これに対しまして政治の場においてはいろいろなことがいわれるでありましょうけれども、政治から中立性を守らなければならぬ、むしろ政治からくる権力をはねのけて、国民に直接責任を負うところの教育目的からするならば、沖繩のいまのような状態での復帰では、十分なおっしゃるところの目的を達するには困難があるんじゃないか、このように思うわけでございますが、これに対しての所信を承りたいと思います。
  6. 高見三郎

    高見国務大臣 安里さんのおっしゃるとおりであります。私は、実は大臣就任以来沖繩へ参っておりません。ただ地図の上で拝見をいたしまして、いかにもこれは適当でないと思われる教育環境が多々あるのです。その多々あります原因はどこにあるかと申しますと、基地の島であったというところにあると思うのであります。したがいまして、教育環境整備という観点から、この基地の問題を教育環境整備の形において整理縮小していく面が必要である。これは一例をあげますと、たとえば北谷村の小学校の問題のごときは、明らかによその村へ小学校をつくっておるという実情があるのであります。もちろん、学校施設というものは、人口の集落によって学校をつくらなければならぬという意味から申しますると、隣村へつくるという場合もあり得るでありましょうけれども、それは基地があって追い出されたからやむを得ず一村こぞって移ったというだけのことで、基地が返還されればもとへ返るということは当然のことであります。この問題につきましては、何としても、他村に小学校をつくって自分の村の子供をやるというような教育環境をそのままの姿で置いていいとは私は考えておりません。この問題は、できるだけすみやかに解決をいたしたいと考えておりまするし、また、これに類似する問題は数多くあるということを承知いたしております。これは私は、文部大臣という立場からも、この問題を真剣に解決をする努力をいたす覚悟であるということを申し上げておきます。
  7. 安里積千代

    安里委員 大臣所信表明の中におきましては、沖繩に対する教育援助の強化ということもうたわれております。「本土との格差解消教育水準向上をはかりたい」、こういうふうに示されております。確かに多くの格差がございます。あるいはまた、教育水準の面におきましても、本土に及びつかないところのものがございます。  そこで、ただ「格差解消教育水準向上をはかりたい」ということがいわれておりまするが、問題は、格差解消とか教育水準向上というものは、単に財政援助あるいは財政の措置によってこれが可能とは思いません。冒頭に申し上げておきまするけれども、今度のいろんな予算に関しましては、相当な配慮が加わっておるということを私も認めます。認めますが、格差解消とか教育水準向上をはかるということは、単にそれだけの、金だけの問題ではないと思います。問題は、何がゆえに格差が生じたのであるか、何が教育水準向上妨げたのであるかという、その原因を究明して、その原因を除去するという基本的なものがなければならないと思います。  そこで、格差がある、教育水準向上せなければならぬ、こう言われる前に、何がゆえにこれだけの格差が生じたか、何が教育水準向上妨げておるか、この原因について正しく把握されることが私は今後の処置に対して必要だと考えます。これについてどのように思われましょうか。
  8. 高見三郎

    高見国務大臣 これはもう、一言にして申しますならば、占領下沖繩であった、米軍施政下沖繩であった、本土と隔絶した沖繩であった、そのためにいろいろな格差が生じたということは隠れもない事実である、私はさような認識に立っておるものであります。
  9. 安里積千代

    安里委員 もちろん、アメリカ統治下にあったということは一つの基本的な問題でございましょうが、アメリカ統治下にあったというだけではなくして、これは、先ほど大臣も触れられましたように、村によっては自分の村に学校を設けることができずに他の町に学校を設けるというようなこともある、あるいはまた、アメリカ軍事基地からくるところのいろいろな妨げ、特に爆音その他からくるいろいろな被害と申しますか、妨げと申しますか、そういったことによって、満足に教育の時間もとることができない、あるいはまた、すべてのものか破壊されて、校舎あるいはその他の諸備品を整えることに対しても非常に不足を来たしたということもあると思います。  そこで、基本的にはアメリカ軍事基地というのがあんなに膨大に沖繩を占めておる。これは単に産業、経済面ばかりではなく、私は大きく教育に災いしておると思います。とともに、単にそれだけではなくして、教育環境というものを非常に阻害してきた、こういうことが私は非常に言えると思います。したがいまして、文教行政立場から——沖繩問題があまりに政治的に、あるいは軍事的に重点を置いて論ぜられておりますけれども、人間をつくる、そして人間を尊重する、平和に貢献するところの教育を実施するという立場から、たとえ政府軍事上重要であるとか、あるいはアメリカとの関係でもっていろいろなやむを得ないといったような、そういう政治的な配慮で、沖繩施政が戻ってまいりますけれども、私は文教当局立場からしますならば、もっと強い態度でもって、独自の立場において、そういった政治的な権力を排除する立場において、沖繩軍事基地の問題、今後の問題に対しまして文教立場から強く要求されるべき責任があるのじゃないか。それが教育基本法にありますところの、教育というものは、不当な支配を排除して、屈することなく、国民全体に対して直接責任を負うてなされなければならないという教育基本法精神に合するのじゃないかと思います。  そこで、あまりに政治問題的に、あるいは軍事的に沖繩問題が論じられておるこの際に、教育行政の面から沖繩実態に対しまして強い発言と申しますか、政府施策を遂行するだけの力になってもらいたい、こう思うのです。大臣とされましてその点どうでしょうか。
  10. 高見三郎

    高見国務大臣 おっしゃるまでもないことであります。私は、文教最高責任者として、文教のあるべき姿についての発言についてはちゅうちょはいたしません。ただ、内閣一体のものであります。したがいまして、内閣全体としての姿勢をまずそういう方向に持っていくことが何よりも必要な問題である、かように考えておるわけであります。
  11. 安里積千代

    安里委員 もちろん、内閣一体であり、ことに沖繩返還という外交上の問題に対しましては、もちろん内閣がその専権がありますけれども、内閣と申しましても、実際には外務当局、今度の場合におきましては、特に防衛関係における防衛庁関係と外務当局だけが、沖繩返還実態にはおそらく発言と申しますか意見というものがいれられて、文教を担当するところの文教当局や、あるいは今後の沖繩の産業開発をどうするかという、そういった面の閣僚の皆さん方の御意見というものは、沖繩返還のいまの実態にはちっとも反映していないんじゃないか、こういう感じを抱くわけであります。そうして、内閣一体である、がゆえに、内閣の専権であるところの外交処理というものが処理された、内閣とはいうものの、その実態は、外務当局とそして防衛当局だけの恣意によって——恣意といっては語弊があるかもしれませんけれども、方向づけしかなされていなかったその結果が、返還後におきましてのいまの教育の面におきましても、産業開発の面においても、私は何ら配慮がなされてなかったという結果を来たしておるのじゃないかと思います。  そこで、大臣とされましては、今後沖繩教育の面から、沖繩教育というよりは日本全体の教育の面から考えてみまして、今後ともいまのゆがめられた沖繩の返還の実態に対しましては、純真な立場から、ひとつ内閣を指導するだけの強い力を持って推進していただきたいことを願っておきたいと思います。  次に私は、今度の戦争によりまして、沖繩におきましてはいろいろの文化財というものが壊滅をさせられました。この所信表明の中におきましてもいろいろと述べられております。沖繩の場合においても同様だと思うのでございますけれども、沖繩の文化財のあらゆる面が戦争によって破壊をされました。その再建と申しますか、これは将来の平和的なあるいは文化的な社会を築く上において大事だ、こう考えておるのでございますが、一般の所信としてもあらわされておりますが、特に戦争によって破壊された沖繩の文化財などに対しまして、私は本土のそれとは変わったところの配慮というものがなされなければならぬ、このように思うわけでございますが、これに対しまして御意見を承りたいと思います。
  12. 高見三郎

    高見国務大臣 沖繩には本土と違う非常に貴重な文化財が数多くあるのでございます。昨晩のことでありますが、沖繩の国宝の指定を十数点いたしました。と同時に、重要無形文化財として組み踊りの皆さん方を重要無形文化財に指定を昨晩いたしました。文化財の復元と申しますか、文化財の保存の問題につきましては、少なくとも非常に心を配っておるつもりでおります。ただ、城趾などの場合になりますというと、これはいままで政府が扱ってまいりました方針は、たとえば彦根城にいたしましても、いろいろな城趾の復元につきましては、これは文部省の所管と申しまするよりは、むしろ総理府の所管で復元をするというたてまえをとっております。しかし、沖繩の文化財につきましては、できるだけ早い機会にできるだけ数多く指定をいたしたい。私、数を覚えておりませんが、たしか十一、二でありますが、昨晩決裁をいたしたわけであります。重要無形文化財にも、組み踊りの皆さん十数人を文化財として指定をいたしました。その点については十分な配慮をいたしておるつもりでおりますから、さよう御承知いただきたいと存じます。
  13. 安里積千代

    安里委員 大臣も御承知のとおりであろうと思いますが、あの狭い沖繩におきまして、戦前におきましては二十三から国宝級のものがあったと思っております。沖繩の歴史そのものが非常に平和的なものであり、そしてまた、大陸との交流というものが沖繩の歴史におきましては、非常に文化的な、あるいはまた平和の島として国として栄えたものでございます。いまの無形文化財の問題もそうでございますけれども、目に見えるところの文化的な遺産というものが解明された。もちろん、この復元につきましては、原形をとどめないところの姿になっておるものがございますから、これを純然たる意味において復元というようなことは言えないでありましょうし、対策庁の予算の中におきましても配慮しておる首里城の歓会門のいわゆる復元と申しますか、再現と申しますか、そういうことも行なわれておるようでございますが、これは予算の措置としては、対策庁で考えておるというのでありまするけれども、そういう問題につきましては、対策庁の仕事でなくして、予算がどこに属するかということは別にして、基本的な考えは、教育文化の面を担当しまするところの文部省が主体になってこれは考えなければならぬ問題だと思いますが、いかがでございますか。
  14. 高見三郎

    高見国務大臣 文化財として保存すべきものにつきましては、文部省が所管をいたしまして、それぞれ指定をいたします。  それから、復元につきましては、対策庁が扱うという主義でありまして、その点は先生御指摘のとおり、文化財についての行政責任は、当然文部省が所管をいたしておるということになるわけであります。
  15. 安達健二

    ○安達政府委員 ちょっと補足さしていただきます。  沖繩の文化財のうち、戦災によりまして完全に滅失してしまったものの復元の予算のつけ方についての御指摘でございます。現在国内におきまして、戦災あるいは火災等で完全に滅失いたしましたものについて、その復元に対して補助をするかどうかという問題でございますが、これにつきまして国宝や重要文化財あるいは史跡等につきましての復元は、補助の対象にはしていない。ただ、名勝でございますると、たとえば庭園などの場合でございますると、その主要な構成要素であるというようなものにつきましては、復元について若干例外的に補助をいたしております。たとえば、さきに水戸の偕楽園、常磐公園の好文亭の修理につきまして、修理費といいますか、復元の費用を出したという例があるわけでございますが、史跡になっておる建物とか、あるいは史跡の上にある建物についての復元につきましては、従来は、文化財のもうすでに滅失したものであるということで、この復元について補助の対象にしていない、こういうことでございます。  本年度予算の編成にあたりまして、この沖繩の場合におきましては、特に重要な首里城の正殿とか周辺の歓会門、久慶門等の復元につきましては、先生御指摘のようなその文化的な意義にかんがみまして、これを文部省のほうの予算として要求をいたしたわけでございます。しかしながら、この折衝の過程におきまして、現在本土においてそういう前例がないということと、それから、従来沖繩の戦災文化財の復元につきましては、琉政の技術援助という形で総理府のほうの予算に計上されておったというような経緯からいたしまして、経理府のほうで計上していただくということになっておるわけでございます。  ただ、この問題は、先生御指摘のように、全く文化的なことであり、また復元についての技術的な面はわれわれのほうが専門でございますので、総理府と協力いたしましてこの復元がりっぱにでき上がるように努力をいたしたい、こういう考えでございます。  なお、それから大臣がおっしゃいました指定のことでございますが、この点は、実は復帰と同時に指定をしたいということで、文化財保護審議会に諮問をするということで大臣の決裁をいただいた、こういうことでございます。
  16. 安里積千代

    安里委員 いまお話がありました予算があり、いろいろな予算の技術と申しますか、どこの予算に組むかは別といたしまして、私はこういう問題に対しましては、やはり文部省が積極的に推進をしていただきたい。これは、先ほど申しましたように、ほんとうに平和的な教育を実施する上におきまして大事な点でありますので、そう願いたいと思っております。  ただ、いま歓会門のお話もございましたが、あるいは首里正殿の復元もあると思うのでございますけれども、いまのような状況におきましてどういう趣旨で歓会門の復元がなされたのか知りませんけれども、いまのような状況で復元されますと、御承知のとおりあそこには琉大もありますし、非常にちぐはぐなかっこうの復元がなされてくるのではないか。そうなりますと、何となく木に竹をついだような復元ということになりましてかえって妙なことになると思います。そこで、せっかくやられるのでございますならば、文部省とされましては、徹底的なものを、もっと長い目で見て、そのバックにあるところの首里城一帯ということも考えられた立場において私はこの復元というものを考うべきであると思うのです。ただぼつりぼつり部分的にやったのではちぐはぐなものになりはせぬか、こう思うのでありますが、相対的な立場におきますところの文化財の保護あるいは復元というような、すぐ目の前の問題でなくして、破れたところをただ継ぎ合わすといったようなものでなくして、基本的な方向、将来に対する見通しの上において施策を進めていただきたいと思いますが、いかがでございましょうか。
  17. 安達健二

    ○安達政府委員 先ほど大臣からおっしゃいましたことと関連いたしますが、今後復帰しまして文化財を本土の文化財保護法による指定を行ないます場合には、首里城の周辺、首里城のところを史跡として指定をする、こういう計画を立てておるわけでございます。史跡として指定いたしました場合におきましては、その史跡の整備ということが当然課題になるわけでございまして、史跡としてふさわしいような環境にするということが、また文化財保護の目的から大切になるわけでございます。そういうことからいたしまして、急にはまいりませんけれども、琉大の移転等の関連等も考慮しつつ、あの首里城の史跡としてふさわしい環境にすることについて、われわれとしては最善の努力を尽くすべきものだと考えておるところでございます。
  18. 安里積千代

    安里委員 格差是正その他のいろいろな教育水準向上というものに関連をいたしまして、所信表明の中におきましても、また予算説明の中におきましても、教職員の研修などということも示されております。沖繩の場合におきまする社会教育に対しまするところの問題というものが、所信表明の中にはありまするけれども、特に沖繩におきまする社会教育の推進というようなことにつきましての配慮というものが多少足りないんじゃないかと、こう思いまするけれども、社会教育の面でお答え願いたいと思います。
  19. 須田八郎

    ○須田政府委員 担当の局長がおりませんので、私から予算を主にいたしましてお答え申し上げたいと存じます。  本土でも同様でございますが、公立の社会教育施設すなわち公民館、博物館等の施設につきまして、これを整備するということを一つの重点にいたしまして、沖繩の場合におきましても、来年度予算におきまして公民館二館、そのほか県立博物館の増設等につきまして所要の経費を計上いたしております。そのほか、新しいことといたしまして国立の青年の家を、一つは復帰の記念事業というかっこうで渡嘉敷村に設置をするという計画で、それに必要な初年度の経費が計上されております。  おも立ったところは大体以上でございますが、その他は大体本土と同様の施策が円滑に遂行されますように、特に補助率その他の面につきまして配慮を加えておる次第でございます。
  20. 安里積千代

    安里委員 いまお話がありました国立の青年の家ができる、これは非常にけっこうなことだと思います。問題は、設立される場所が離島であります。その離島に参りますためには、陸上の道路と同じように船舶が必要であります。その船に対しまする予算もあるわけでございますが、これは国立でありますので、全部国の費用において負担せられるということでございましょうか。それともこの建造については地元においても負担をしなければならないというものでありますか。
  21. 須田八郎

    ○須田政府委員 お答えいたします。  ただいま御指摘のございました青年の家に渡航いたします場合の船舶の建造費でございますが、これは渡嘉敷村に対します補助というふうに考えておりまして、現在鉄鋼船三百トンを前提にいたしまして二分の一の定額補助を考えております。なお、残りの二分の一につきましては地方債を充当するという計画で目下進行中でございます。
  22. 安里積千代

    安里委員 私は、地元が負担をする部分があるとするならば、せっかく国立の青年の家が建てられながら、あそこは人口が千人足らずの貧弱な地域であります。そういう中に国立の青年の家ができるという、けっこうなことではあるけれども、その場合に、地元の負担というものが大幅にさせられるということになりますと、これは非常な負担過重の問題が出てくるというふうに考えるから、先ほどちょっとお聞きしたわけであります。  時間がございませんので、私はもうこの程度でやめたいと思うのでございますが、ただ一点、いまの予算説明の中にちょっと気になる点が一つあります。ここには、「教職員の研修等」に、従来からやっておった「内地派遣沖繩研究教員の研修制度」ということばがあります。ことばにとらわれるわけではありませんけれども、その内地というのは、どこを示しておるわけでありますか。
  23. 須田八郎

    ○須田政府委員 これは、従来からのいきさつといいますか、従来の事項名がそのままになっておりまして、たいへん適切を欠くかと存じますが、これは本土意味するわけでございます。
  24. 安里積千代

    安里委員 あえてことばじりをとらえるわけではございませんけれども、本土復帰するところの沖繩県となるものに対して、沖繩教職員を内地派遣研修をするといったようなことばの使い方の中に、私は当局の単なる軽はずみのことばというよりは、真剣に考えてないところの問題があるのじゃないか、こう思います。御注意的にも、決して他意があったとは私は考えません。考えませんけれども、教育の場にあるところの、ほんとうに文教の場でありまするから、何でもないような問題でありまするけれども、その中に真意がちらつくようなことばがないようにしていただきたい、こういうふうに願っておきます。  お約束の時間が参っておりますので、私の質問はこれで終わっておきます。
  25. 西岡武夫

    西岡委員長代理 松永光君。
  26. 松永光

    ○松永委員 私は、三月十日のこの委員会で、例のおそるべき連合赤軍事件に関連して質問をしたのであります。特に犯人の中に大学在学中の者あるいはまた卒業して間もない者が多い。しかもその大学国立大学が多い。そこでそういう犯人を出した国立大学の関係者は、教育者として、また大学の管理運営の責任者としてどのように反省をし、また対処しようとしておるのか、こういう点を中心に質問をしたわけであります。ところが、その後になりまして、さらにこの一連の連合赤軍事件というものはより大きいものに、さらに忌まわしいものに発展をしてまいりました。その事実が明らかになってまいりましたので、そこで、くどいようでありますけれども、重大な事柄でありますので、重ねて質問をするわけでございます。  言うまでもなく、私はこの事件を、治安対策とか取り締まりの問題として論議しようとするのではありません。教育の問題として、きわめて大きな問題を含んでおりますので、質問するわけであります。  あの事件の犯人を見てみますと、ほとんどが一流の高等学校を出て、そして大学に入り、特に国立大学で学んでおる、そういうことでありまして、われわれ教育行政に関与する者は、この事件を機会に、なぜ大学生あるいはまた大学を卒業して間もない者が、集団的におそるべき犯罪を連続して犯してきたのであろうか、こういうことを真剣に考えなければならぬと思います。現在の大学、高等学校、中学校、そういう学校教育に欠陥はなかったかどうか、改むるべき点はないかどうか、こういうふうに私は反省をし、検討を加えて、改むべき点はすみやかに改めなければならないというふうに思うわけでございます。そういう立場から、私は数点質問をしたいのでありますが、まず第一に、私の調べたところでは、今度のおそるべき事件の犯人のうち三名は、滋賀県立膳所高校、これは滋賀県においても有名な高等学校のようでありますが、この膳所高校を卒業して大学に進学した者が三名おるようであります。そして、一昨年でありましたか、これまた日本国民全体を恐怖のどん底におとし入れたハイジャック事件、あの事件の犯人の中にも膳所高校卒業生がいる。そうすると合計四名ということになります。しかも、その四名の者が、同学年かまたは一年か二年先輩、後輩、こういう関係にあるやに私の調べではなっておるのでありますが、このように、同じ高等学校から同じ時期に四名ものおそるべき犯罪人を出しておるということが事実とするならば、私はきわめて重大なことであろうと思います。  そこで、警察庁の方がおいでになっているようでありますから、警察庁に、このことが事実であるかどうかお答え願いたいと思います。
  27. 丸山昂

    ○丸山説明員 私どものほうの調べによりますと、膳所高校を卒業しておりますのは、浅間山荘の関係の被疑者として現在長野県が逮捕、留置しております坂東国男、それからハイジャックの事件で、例の日航の「よど号」で、現在北鮮におると思われます若林盛亮でございます。いままでのところ以上の二名が判明いたしております。
  28. 松永光

    ○松永委員 いま警察庁の方が言われた犯人のほかに、行方とか吉田とかいうのはそうじゃございませんか。
  29. 丸山昂

    ○丸山説明員 そのようでないようでございます。
  30. 松永光

    ○松永委員 警察庁のほうでも二名は明らかにされたわけでありますが、そうしますと、この高等学校から確実に二名の犯罪人が出ておるわけであります。  私は文部省にお尋ねしたいのでありますけれども、この高等学校教育に関連して、何か変わったところはなかったろうか、あるいはまた欠点、欠陥、そういうものはなかったろうかというふうな調査を文部省でされたかどうか、また調査中であるかどうか、そういう点について文部省からお答え願いたいと思います。
  31. 岩間英太郎

    ○岩間政府委員 ただいま御指摘のような調査はいたしておりません。しかし、今度のような場合を見まして一番大きな問題は、私は、すべての高等学校の生徒にこういう可能性があるのじゃないかというふうな疑問がある点が一番大きな点ではないかということでございます。いままでいわゆる非行少年あたりを見ました場合には、多くは高等学校教育の脱落者というふうな形でとらえられておったわけでございますが、今度の事件を見ますと、あらゆる生徒についてこういう可能性があるという点がやはり一番大きな問題で、特定の高等学校教育がどうこうというふうな問題ではないのじゃないかというふうな感じがするわけでございまして、御指摘もございますので、この点につきましては、私ども一応調査を進めたいというふうに考えております。
  32. 松永光

    ○松永委員 高等学校教育のあり方や、あるいはまた特定の高等学校の特定の欠陥とか落ち度とかということを調べるということは、たいへんなことではありましょうし、なかなかむずかしい問題もあろうかと思いますが、重大な犯罪人が出たということでありますので、適当な方法でひとつ調べていただいて、教育を改革するという意味で重要な資料にもなり、反省の材料にもなろうかと思いますので、後日ひとつ調べていただきたいというふうに思うわけであります。  これは私の単なる想像あるいは推察でありますけれども、去年の暮れのあの日比谷公園の焼き打ち事件の首謀者が女の先生であった。ああいうふうな先生でもおって、その人の感化なりそういうもので、そういう高校生生活を送って大学に行った者でなかろうかということを私は考えたりするわけでありますが、そういう点がなかったかどうか、調べていただきたいということを要望いたしておきます。  次に質問したい点でありますけれども、この犯人を見てみますと、前にも犯罪を犯し法律を破ったというかどで逮捕された前歴のある人が多いようであります。昔から、悪の芽は小さいうちにつみ取れ、悪の道に入り込んだならば初歩のうちに直すべしというのが、これは私は教育基本であろうと思います。とするならば、大学生が犯罪を犯し法律を破って逮捕された、あるいは公判に付せられた、こういう事例があったとするならば、教育者たる者は、大学責任者たる者は、その犯人たる学生を——私はそれを直ちに退学処分にすべしとかそういう問題じゃなくして、教育者ならば、呼びつけて厳重に注意する、説諭する、あるいはまた家族や保護者に対しても十分な注意を与える、そういうことがなされなければならぬと思うのです。私は、そういう面において大学の側に、教育者として、大学の運営の責任者として、非常な怠慢があったのじゃなかろうかというふうに感ずるわけであります。  ことに、これはきょうの読売新聞によりますと、横浜国立大学では今度の事件で多数の逮捕者を出したことについてがっくりしたということでありますが、そのことから「現在拘置中、公判中の学生については事実関係を調査、場合によっては退学処分にすることも考えるなど」云々、こうなっておりまして、今回の連合赤軍の事件が起こってから、その前に逮捕されたり公判に付されたりしている者についての事実の調査とか、そういったことをやるというぐあいでありまして、いままでの大学の関係者が、教育者として大学の運営者として非常に怠慢ではなかったろうか、このように私は感ずるのでありますが、この点についての文部省の御所見を承りたいと思います。
  33. 木田宏

    ○木田政府委員 いま御指摘のありました点につきまして、大学側の態度が必ずしも明確でないということは、まさに御意見のとおりであろうかと思います。  戦後、大学への進学者が多くなりましたし、また、個々の大学も、その学生の数が多くなっておりまして、数千人あるいは万という数の学生を扱います場合に、その指導を大学側としてどこまでどういうふうにするかということについて、率直に申しまして大学関係者の中に迷いがあると考えております。数年来から大学の学生紛争その他が活発になってまいりまして、そうした事態に対する教師としての責務と、それがどこまでできることであるかということにつきましての見通し、あるいは現実の処置がどういうふうに手が届くかということに関しまして、ありていに申しまして、いま関係者がいろいろと試行錯誤を重ねておるというのが実態であろうかと思います。  教官の意識の一部には、大学といえどもやはり教育の場である、したがって、学生の学外における非行につきましても、十分な指導、感化力を及ぼすべきであるという意識を持って、学生の厚生補導、日常生活の指導ということについても、積極的に取り組もうとしておる人が少なくないことは承知いたしております。しかし、それが数多くの学生の中で、今日のような社会環境の中でどこまでできることか、また、大学の中に暴徒のように立てこもられた場合に、事実、からだを張ってみてもいかんともなしがたいという実態もございます。そういうことから、教官自身そのなすべき方法を十分に見出し得ない状況で、私どもも、一面からは、数多くの学生に対しまして、もう少し小規模の集団にして、相談、指導、教官の責任体制を明確にして指導の徹底を期する、相談の体制を整えていく、予算上もそのような措置をいたしております。しかし、必ずしも十分にそれがとり切れておるとは申せません。また現実に、学外のことにつきまして、適切な措置をとるということになりましても、教官自身の手でどこまでそれが確認できるかということにもう一つ迷いがございまして、世間を騒がしたいろいろな申しわけない事態に対しまして、どこまで学校責任として措置がとれるかということの学内の論議にじんせん日を費やしておる。そういう関係から今回のこういうあり得べからざるたいへんな事件が起こりますまで、いま御指摘のありました横浜の大学におきましても、学生の取り扱いについてすっきりしない面があるということも私どもも感じております。  しかし、前回の御答弁でも申し上げましたように、学部によりまして、また学部ごとの学生指導の体制もございますから、横浜の工学部等の学部におきましては、違反の明確な学生について退学処分等の処理を進めてまいりました。今回のことにつきましても、重ねて注意を促しまして、明確になりました者につきまして、昨日、学校としての取り扱いの意思を決定をしたという次第でございまして、いろいろと迷いがあり、私どもの指導にも必ずしも十分でなかった点がありますことにつきましては遺憾千万に考えておるところでございます。
  34. 松永光

    ○松永委員 今回の事件の逮捕者等は、大体私どもも新聞等で承知しておるのですが、この事件以外に、過去一年ないし二年の間に相当数の大学、ことに国立大学の学生が犯罪を犯し、法律に違反して逮捕されたり、そしてその上公判に付されたりしている者が相当数おるのじゃなかろうかと思うのであります。そういう学生の数、国立と私立との別、逮捕された者の中で公判に付されている人数、そういうことについて、警察庁のほうでわかっておりますれば、わかっている範囲内でひとつお答えを願いたいと思います。
  35. 丸山昂

    ○丸山説明員 一応、計算の始点を四十四年の十月十六日、羽田闘争にとりますと、現在まで二万八千三百六十七人になります。このうち、一番多いのが私立大学生でございまして、これが一方三千五百八十一名、それから国立大学生が九千四百四十九名、公立の大学が八百五十、高校生が千八百八十、その他二千六百七という内訳になります。これは逮捕数でございまして、このうち、起訴されまして公判に付されている者でございますが、まことに申しわけございませんが、計数をとっておりませんので、ただいまの段階では内容不明であります。
  36. 松永光

    ○松永委員 ただいまの逮捕者数の中で、公判に付されている者の人数、これはひとつ後日適当な機会にお知らせ願いたいと思うのですが、この数字を見ましても、いかに多数の学生が逮捕されたり法律に違反したりしているかということが明らかであるわけです。こうなってまいりますと、これはもう大学の現在のあり方そのものについて、これはすみやかに根本的なメスを加えなければならぬと思うのです。日本を訪れる外国の人が一番驚くことは、日本では大学に入学するために一生懸命勉強する者はおるけれども、入学した後、自分の専攻科目をきめて一生懸命勉強する学生は少ない。すなわち、入学のためには勉強するが、卒業のために勉強する学生は少ないということ、私は、これらあたりにも大きな問題があるんじゃないかと思うのです。そして、進学しあるいは卒業するために試験があるわけなんですけれども、われわれの常識からいえば、やはりある程度出席もせにやならぬ、その上、正式の試験を受けて、それに合格して初めて卒業できるというのが常識なんですが、どうも一部の大学等では、出席もそう問題にしないような話も聞いております。そして試験も、レポートというのですか、レポートが一がいに悪いとは申しませんけれども、やや安易に流れた卒業試験のやり方ではなかろうか、こういうように思うのです。それらの点も私はすみやかにひとつ根本的なメスを加えなければならぬと思うのですが、この点について大学局長の御見解をひとつ承りたい。
  37. 木田宏

    ○木田政府委員 日本大学教育指導が、いま御指摘がございましたように、必ずしも教育そのものに十分な力が加えられていないのではないか、また、学生も十分な勉強をしていないのではないかという御指摘でございまして、御指摘の点は、個々の学生につきましてはそれぞれ勉強しておる者もあり、いろいろと努力をしておる者もあると私は承知をいたしておりますけれども、全般的な傾向として見ました場合に、当たっておる点が少なくないと私は考えます。このことは、これからの大衆化いたしました大学の今後のあり方をどうするかという点で、ほんとうに関係者が考え抜いていかなければならないことだというふうに思いますし、また、大学に受け入れました段階における一般教育のあり方、その教育内容のあり方につきましても、学生の興味と関心を十分につかみ得ない教育を行なっておるような実態があるということは、大学関係者も十分問題意識として認識をし、一般教育の改善をどうしたらいいかという面での討議はかなり前から繰り返され進められてきておるところでございます。残念ながら、いままで具体的な措置として制度上の措置になっております点はごくわずかでございまして、これまた今後の問題として私ども関係者が努力をいたしていかなければならぬ課題だと思っております。  私ども、大学改革の一環として大学におきます教育指導の内容をどのようにし、それに対する指導の充実をどのようにするかというのは、じみではございますけれども、非常に大事な課題として考えておりますので、これから御指摘の点等十分考えながら、それぞれ関係者にも呼びかけ、改善の機運を起こすようにしてまいりたいと思います。
  38. 松永光

    ○松永委員 大学のあり方についての再検討、あるいはまた、一連の事件について大学責任者がどういうふうに考えておるかというような問題について、実は大臣に一点だけただしたい点があるわけでございますので、私の質問はそのあとの点を留保いたしまして、ここで一応とめたいと思います。
  39. 西岡武夫

    西岡委員長代理 午後一時に再開することとし、この際、休憩いたします。    午前十一時五十一分休憩      ————◇—————    午後一時十五分開議
  40. 西岡武夫

    西岡委員長代理 休憩前に引き続き会議を開きます。  この際、先ほどの松永委員の質問に関連し、岩間初中局長及び警察庁丸山参事官から発言を求められておりますので、順次これを許します。岩間初中局長
  41. 岩間英太郎

    ○岩間政府委員 先ほど膳所高校につきましての調査のお話がございましたので、ただいま至急県の教育委員会に問い合わせいたしました結果を御報告申し上げます。  膳所高校は、県下で伝統が最も古い、進学率が九〇%以上のいわゆる有名校の一つでございます。学校教育方針といたしましては、知、徳、体の調和のとれた人間形成を目ざしておりまして、クラブ活動なども盛んで、進学補習などを一切行なっておりませんので、受験一辺倒の教育を行なっているというわけではないようでございます。それから、学校といたしましては、生徒の政治活動による紛争の事例はいままでのところ全くございません。  なお、ちょっとこれはよけいなことかもしれませんが、教職員の組合も三十五年から高教組のほうには属していないというふうな事情もございます。県の教育委員会の判断といたしましては、今度の事件につきましては、学校教育方針等といたしまして特に問題があるものとは考えられないということでございまして、この両名の行動等につきましては、学校とは直接関係がないんじゃないかというような見方をとっているようでございます。  なお、坂東、行方の両名の在学中の状況につきましては、成績は比較的よろしい、出席状況はほとんど皆出席、なお政治活動をした形跡は全くないというふうな報告であります。しかし、その生活とか家庭につきましては若干の問題があるようでございますが、その点につきましてはなお詳細にはこれから検討してみたいというふうに考えております。
  42. 西岡武夫

    西岡委員長代理 警察庁丸山参事官
  43. 丸山昂

    ○丸山説明員 先ほど御説明申し上げました坂東国男、それから若林盛亮、このほかに今回の事件の関係者で行方正時、それから同じく赤軍で、今回の事件には関係ございませんが、大菩薩峠の事件の関係者の田中美樹、以上四人が膳所高校の出身者であるということが判明いたしました。
  44. 西岡武夫

    西岡委員長代理 文教行政基本施策に関する件について質疑を続行いたします。松永光君。
  45. 松永光

    ○松永委員 私は三月十日の日にも大臣に質問を申し上げ、大臣から詳しい、また大臣の信念に基づく答弁をいただいたわけでありますが、何といっても教育者たる者は、こういう忌まわしい事件が自分学校から出た場合、ましてや国の経費でまかなわれ運営されておる国立大学から出た場合、学長たる者、教育者として、また大学の運営の責任者として、自分教育に誤りがあったのではないかという反省、そして国民に対して、自分、が十分な職務の遂行をしていなかったからではないか、そういう自省心といいますか、反省心というものがなければならぬと私は思うのでございます。  ところが、横浜国立大学、ほかの国立大学も同じようなものでありますけれども、事件がはっきりいたしまして、自分大学から在学生までたくさん事件に関係しておるということが判明しましても、容易に自分学校のことについて反省をするとか、あるいはまた、しっかりした処置をするということをせずに、この委員会で私並びにほかの委員から取り上げられた後にやっとこさ処置をしておる、こういう状態であります。  そして、三月十一日付の新聞によりますと、国立大学協会の会長などは、新聞記者の質問に対して「発言をさし控えたい」、こういったノーコメント、消極的な態度。あるいはまた、横浜国立大学の学長さんも、「どういう対策をとるか現在、教授会、評議会で検討している。時間はかかるが、それが大学の自治、だ」、こういうように言っておりまして、そして、これは大学生を直ちに退学させろなんということを私は言うのじゃありませんけれども、その大学生の処置についても、十三日付とかそういう日付で処置がなされているような状態でありまして、国立大学の運営の責任者、国立大学を預かる者として、国民感情としてはちょっと反省心、責任感というものが不足しているような感じが私はどうしてもしてならないわけでございます。国立大学責任者、運営の責任者は、まず国民にわびる、そういう気持ちから教育というものは成り立つのではなかろうか、こういうふうに私は思います。そういう点について大臣の御所見を承りたいと思います。
  46. 高見三郎

    高見国務大臣 これはこの間も申し上げたとおりであります。大学人に教育者としての使命感、責任感というものが欠けておる。これは、そもそも大学というところは、全人教育の仕上げの場であるというだけの自覚を持ってもらわなければならないはずだと私は思う。横浜大学の学長の弁明を聞いてみますというと、私は直接会っておりませんが、次官、局長が会ったところでは、非常に責任感じておるということを言っておるようであります。  ただ、今回の事件を起こしました連中は、かつての学園紛争事件当時、横浜大学粉砕、横浜大学解体を主張した連中であった。しかし、それにしましても、その対応する態度が非常におそ過ぎるという感じは避けがたいのであります。たとえば、弘前大学に対しましても、私は、何をしているのだというので局長調査を命じました。御念の入った話でありますけれども、それぞれ警察へ参りまして確認をして——処分の方針はきまったのだけれども、確認をした上でということで、きょう行っておるようでありますが、問題は、大学を管理する管理の責任者が、こういう問題に対して機敏に対処して、そして国民の前に、まことに申しわけないという姿勢を示すことが、実は教育にとって一番大事な問題じゃないかということを、私は切実に感じておるわけであります。  なるほど身元の確認も必要でありましょう、教授会の議を経ることも必要でありましょうけれども、それならそれで夜を徹してもやるというだけの情熱があってほしい。それから、担当しておる教授にいたしましても、自分はこの科を教えておるのだからいいのだということでは、私は教育者としての完全な使命を果たしたものだとは思えない。それならまだしもビデオカセットで講義を聞かしてもいいということになるわけでございます。そうではなくて、教育というものは、やはり教師と学生との間に人間的な精神的な交流というものが基調になって教育が行なわれるというのでなければならぬと思うのでありまするけれども、残念ながら、その体制がいまのところできておらない。私は、これを直ちに大学管理法に結びつけようなどというような、先日、川村先生が御指摘になりましたような意図は毛頭持っておりません。持っておりませんが、このままの状態でいくならば、大学人に大学管理の意欲がないということであるならば、これはまた考えなければならぬ事態が来るだろう。高等教育の改革の問題で一番大事な基調の問題は、やはり大学の管理運営の問題が一つの大きな課題であるということをあらためて考えさせられておるということを申し上げておきたいと思います。
  47. 松永光

    ○松永委員 私の質問はこれで終わります。
  48. 西岡武夫

    西岡委員長代理 森喜朗君、渡部恒三君から関連質問の申し出がありますので、順次これを許します。森喜朗君。
  49. 森喜朗

    ○森(喜)委員 松永議員のあとをちょうだいしまして、いま少し大臣のお話を伺いながら、また、先ほどから局長方のお話を伺いましたので、それによりまして、関連をさしていただいて質問さしていただきたいと思います。  私は、今度のこの問題が起きて、おそらく大臣はじめここにいらっしゃる議員さん方も、役所の方々も、報道関係の方々も、どこまで行くのやらということであ然とされた気持ちもあるけれども、その反面、わりとあっさりと、今度の大きなこういう衝撃的な事件に対しても、案外、社会的ないまの現象としては、またこんなこともあるのかなというような程度にさらりと流しておられる方もあるのじゃないか。ショックとたいへんな憤りと、それといまの時代ではこういうこともあたりまえなのかなというような、多少あきらめといったらおかしいのでありますが、そんな気持ちも私はどうも一般の世の中にあるんじゃないかというような感じがいたします。そして、こういう事件がどんどん起きてくるということ、これだけひどいことが行なわれてきても、案外、毎日毎日テレビを見ているようにあっさりと見過ごしてしまう傾向が、いまの国民の中に定着をしてきているのではないか。私はテレビの問題に非常に興味を持っておるわけでありますが、何といいますか、知的麻痺といいますか、心的な麻痺、そんな状態が子供たちの中に起きておる。毎日テレビを見て、目の前でいともあっさりと人が殺されていく、虐殺をされる。毎日学校へ行って——大学生もそうでありますが、床屋さんへ行っても喫茶店へ行っても、あるのは漫画の本ばかりで、その漫画の本も絵物語りで、ワッとか、ギャッとか、ブスッとか、人をいとも簡単に殺して、ばらっと手が飛んだり首が落ちたりというようなことが、茶の間の中でテレビを見ている子供たちにも植えつけられている。そんな状況の中で子供たちが育っておる。同時に、社会のそういう心的な麻痺が行なわれておるのじゃないかということを、実はたいへん憂慮しておる一人であります。  そこで、私どもは土曜日あるいは日曜日、いなかの選挙区へ帰ってみて、いろいろな方々と話をして、必ず出てくることばが、若い青年諸君たちは、われわれが会社や企業の中にあってこんな事件を、いやこの十分の一ぐらいの事件を起こしたとしても、おそらく警察に呼ばれてこっぴどくやられるだろう。おそらく警察のほうも、ちょっとした罪——罪はちょっとしたことでも罪でありますが、とにかくつかまえられて相当なことをやられる。あるいはその会社の上司、あるいは家庭なら、子供の場合ならば親が呼ばれてさんざん油をしぼられるというのが、大体われわれの常識的なものの考え方だ。ところが、今度のこのことに関しては、意外に大学の先生方は黙っておる。しかもいま大臣からもお話がございましたけれども、手の打ちようがおそいのではないか。おそらくこんな事件は何もいまになって始まったのではなくて、かなり前からこうしたことが相次いで行なわれている。それにつけても特に横浜国立大学の学生が多いということも、京浜安保共闘の中心でありますが、こんなことが行なわれておっても、いままで学生の処分もない。はっきり申し上げて、大臣局長をお呼びになっておしかりになられたそのこと自体が私はおそいと思うのです。  そういう状態の中で、木田局長もいらっしゃいますが、たとえばハイジャック事件からとかりにいたしましても、今日までずっといろいろな大学で問題が起きている。それについて一体文部省として、大学として、今日まで世の中に対してどんなことをなされてきたのだろうか。あるいは世の大衆、社会の人たちが疑問に思っていることに対して、どう答えてきておられるのだろうか。まずその点について一ぺん局長から御見解をお伺いしたい。
  50. 木田宏

    ○木田政府委員 昭和四十四年の大学紛争ころからのことでございますけれども、学生の騒ぎが学内で高まり、またその後、学外に出ましていろいろな政治的なスローガンを掲げて数々の騒ぎが起こるという事態になってまいりまして、私ども文部省といたしましては、大学の学生補導の責任当事者に対しまして、学内における指導の体制を強めるようにということでいろいろな会合を持ち、また学生指導に対する研究の方策等も、担当者集まっての集会を続けてきたりいたしました。  一方、予算上の措置といたしましても、大学に入学をいたしました直後の一般教育の課程におきまして、教育内容のこともさることながら、学生指導の体制が十分とり切れていないということから、入学後の学生に対するガイダンス、さらに小さいグループごとに分けての指導教官の制度、また指導教官が学生と接触する場が多く持てるようにするための予算上の措置、そういうことにつきましては、学園紛争の経験にかんがみまして、学内の指導体制を高めるように措置をしてきたところでございます。来年度の予算におきましてもこの点には格段の努力をいたしまして、指導に必要な教官その他に対し持たせる経費でございますが、そういう指導上の経費を思い切って増額もいたしておるところでございます。  しかし、急にいままでの長い間の一般教育、学生に対する指導の体制を切りかえることはむずかしいことでございまして、必ずしも私どもが意図しておりますような所期の効果をまだ現在の段階においてあげ得ていないことは遺憾でございます。  横浜におきましても、学長は、先ほど大臣が申しましたように、非常に世間に対して申しわけないということを私どもにもこれで二度文部省へ足を運んでまいりまして、事情の説明もあり、釈明もございましたけれども、学園紛争のとき以来、また寄宿舎をめぐっての内ゲバの騒動等はなはだ残念なことが起こっておりますので、学内の学生その他に対します指導の体制は、昨年からかなり教官一致して気を配ってつとめてきておるというところのようには聞いております。  さっき大臣が申し上げましたように、いま外に出て残虐なことをいたしました学生たちは、ちょうど四十四年のころに学内で騒ぎ回った学生たち。しかし、あのときの学生のその後のいろいろな動きを見ても改俊することもあるであろうという気持ち、これは結果的には甘かったのかもしれぬというふうに述懐をしておりましたけれども、そのことのために、学内の指導の強化にいたしたけれども、学外に出てあそこまでいくというふうに思ってなかったという甘さも反省しておるというふうに申しておりました。ですから私ども、表にしかとはまだあらわれてきておらないことをまことに申しわけなくも思いますけれども、文部省といたしましても、学生の厚生補導の体制を、じみではありますが少しずつ高めていくという努力をし、また一般教育の段階にあります学生の指導の体制を、できるだけ少人数で指導教官が掌握できるような姿勢というものは取り進めて、各大学に対してその体制を慫慂しておるところでございます。
  51. 森喜朗

    ○森(喜)委員 これは木田局長に、ちょっと簡単でけっこうでございますが、いまの局長の答え一で、指導性を強めていく、集会をやったりあるいは学校の中でガイダンスをしたり、そういう個人的な小さなサークルの形で指導教官を置いていく、こういうことをお続けになったとおっしゃる。また、そういう予算措置も来年度からはしていく、四十七年度はしていくということをおっしゃったわけでありますけれども、率直に忌憚のないところを私はお伺いしますが、木田さんとしては、こういうことを強めていけば学生の指導というものは完全になり得るとお考えになっておられますか。こういう形しかないというふうにお考えになっておられますか。その辺簡単でけっこうでございます。
  52. 木田宏

    ○木田政府委員 たいへんむずかしい御質問でございまして、率直に申しまして私自身悩んでおります。こういうマスプロ教育になって大きなキャンパスになった場合に、どこまで一人一人の学生に対して手の届いた指導ができるかということ、どの段階まで考えていけばいいのかということは、私自身まだ結論を得ておりません。少なくとも戦前の高等学校や高等専門学校等でありました千人そこそこ、それ以下、数百人の小さいキャンパスの中で行なわれておったような状態では今日とうていどうにもならぬであろうということはわかります。しかしながら、また実際の教育の仕事は、それぞれ専門の教官が自分の専門の指導を通じてなお学生と心の触れ合いということを来たすところに本質的なものがあるわけでございますから、一面そうは問題意識として持ちながらも、私どもとしてはマスプロのままで放置していいというわけにもいかぬ。ですから、その点の指導は大学全体の学生の厚生補導の体制としてとっていく。また、一般教育教育の進め方の改善の問題として、やはり手を尽くすだけのことはしていくという措置は必要であると思っております。それがどこまで学生の学外の生活指導にまで及び得るかという点については、戦前といまとを比べまして、今日の段階で今日の大学の手の及び得る限界というものはある程度の線で考えなければならないかなという気持ちを持ちますけれども、非常にむずかしい問題でありますために、的確なお答えをよう申し上げません。申しわけありません。
  53. 森喜朗

    ○森(喜)委員 それじゃ木田局長、もう一つ、これも簡単でけっこうでございますが、いまのような措置を文部省は四十四年度からお続けになってこられた。そういうガイダンス、いまいろいろな施策をおっしゃった、そういうことに対して学校大学側は非常に協力的でございましたか。
  54. 木田宏

    ○木田政府委員 これは紛争の経験も通じまして一般教育の、特に一、二年の段階にあります学生の指導ということに対しては、相当程度に教官の積極的な意欲があり、改善の問題についての問題意識が高まっているということはお答え申し上げられます。
  55. 森喜朗

    ○森(喜)委員 警察庁参事官お見えでございますが、もう一つ木田局長のお答えの中で、こんなのなら改俊の情あり、もう少しこのままいけばよくなっていくんじゃないか、ちょっとことばは違いますが、そういうようなニュアンスのことをおっしゃっておる。しかし、私どもから見ると、さっき松永委員がおっしゃったように、何か警察も手をこまねいておったんじゃないだろうか。今度の事件で、浅間山荘での警察庁のお働き、いろんな議論はありますが、ここまでの残虐性を帯びたものを捜査されたことに対して、私も高く評価し敬意を表しますけれども、ここまでくるまでの手の打ち方に、警察庁としては手の施しようがなかったのは、つまり大学側に対して遠慮があった、あるいは世論やいろんな意味で、大学に対して手を打つことを警察自体が手をこまねいておったんじゃないか。それがいま木田局長のおっしゃるように、内側としてはやれることの限界である、外側で行なわれることについては、文部省としてもこれ以上のことはできなかったというようなことの意味に私はとれたわけでございますが、それについて横浜国大でも、あれだけの事件を起こしておったのに、警察は今日まで大学に対して、また、そういう問題を起こした学生、それから犯人に対して一体どういうことをしてきたのか。私、さっきちょっと申し上げたように、世の中の一般常識の、社会の中であったことはささいなことでも警察ではなかなかお目こぼしがない。急に柱が出て右折禁止になったところを、うっかりして曲がっちゃってもひどく油をしぼられる。そういう状態の中で、いまの世の中の人は、なぜ大学にはそう甘いのだ。学生は人を殺しても、物をたたき破っても、それは全然弁償もしない。それこそどうも警察は甘やかしておったんじゃないか。あるいはまた、今日あるを期して、大きなものをつかむために、多少泳がしておくということばが当てはまるかどうかわかりませんが、病根といいますか、根源をつくために、ある程度放置しておいた——ちょっとことばは過ぎるかもしれませんが、そういう疑いさえ私は考えられるのでありますが、今日まで学生運動を中心にして警察はどこまでやっておられたのか、私はそれについてちょっとお聞きしたいと思います。
  56. 丸山昂

    ○丸山説明員 学生の問題が出てまいりましたのは、特にいわゆる過激派集団というものが第二次安保闘争の過程においてだんだん闘争の手段が激化するという過程で出てまいったわけでございます。大学が問題になりましたのは、御承知のように安保の前の年の四十四年の入試阻止闘争というのが一番顕著な形であらわれたわけでございます。この間において、当初私どもが逢着をいたしました一番大きな壁は、いわゆる大学の聖域論であったわけです。そこでこういう実体のない形式的な大学の聖域論にぶつかりまして、文部省の多大の御努力によりまして、その後四十四年から四十五年の過程において逐次大学側も御反省をいただき、その間に大学管理法の成立も見たわけでございまして、私どもとしては、私ども固有の領域の範囲内ででき得ることはすべて打ってきておるというふうに考えております。  その間に犠牲者を幾人も警察の部内に出しておるわけでございます。これを絶対になくすために、私どもとしては、行政措置上望み得ることはあらゆる手を打ったつもりでございます。しかしながら、第二次安保から去年の沖繩返還協定反対闘争、これらを通じまして、いわゆる過激派、超ウルトラ過激派と申しますか、ただいまの連合赤軍その他を含めましたこういうセクトが、在来の火炎びん闘争ではあきたらなくて、今度は爆弾を使う、あるいは銃器を使う、こういうことを堂々と宣言をし、かつ現場におきましても、たとえば成田の闘争、あるいは渋谷等におきまして現実に警察官が火炎びんで殺されるという事態も出てまいったわけでございます。  こういった歯どめのない闘争手段の激化ということについて、当然私どもは今日のようなことがあることは予想しておったわけでございます。そのために、私ら自体といたしましては、それに対するいろいろな手を打っておったわけでございますが、一部にこういった過激派の学生と申しますか、過激集団の行動を元気づけるような動きもあるということが、私どもにとってはまことに残念しごくな動きであったと思っております。  警察として打つべき手を打ってなかったんじゃないかという御指摘でございますが、それは個々の問題についてあるいは至らなかった点もあるかと思いますけれども、私どもといたしましては、考え得るあらゆる手はいままでに打ってきたつもりでおります。
  57. 森喜朗

    ○森(喜)委員 参事官にもう一つお伺いをいたしますが、参事官としては、警察側としてはこういうことが起こり得るんではなかろうかという一つの予測と前提のもとに行動を起こしてこられたということでございますが、それならば今度の浅間山荘事件を中心にして、過激集団いわゆる連合赤軍というものにとどめを刺した、そしてもうこれに類似したこのようなものはこれで根絶をしたとお考えになっておられますか。それとも、まだまだこうしたものが出てくる要素もあるし、まだそういう潜在的なものは多くあるんだというふうにお考えになっておられますか。
  58. 丸山昂

    ○丸山説明員 いわゆる連合赤軍という組織につきましては、今回逮捕いたしましたのが十七名、それからリンチ殺人事件で十二名死んでおりますので、大体私どもの考えております主力は、ほとんどこれで壊滅をしたというふうに考えております。しかしながら、連合赤軍のでき上がる過程においてそれぞれ脱落をいたしまして分派ができております。これがどういう行動に出るかということは今後注意を要する問題でございますし、それから、闘争手段において、爆弾とか銃器という非常に過激なやり方を主張しておりますのはこのセクトばかりではございませんで、たとえば共産同のRGとか、最近はいわゆる学生の組織でございます中核派の上部団体である革共同の前進派は、軍事組織をつくるべきである、人民革命軍武装遊撃隊をつくるべきであるということを、彼らの機関紙の「前進」の中で堂々とうたっております。したがいまして、いわゆる連合赤軍はこれでほとんど壊滅状態でございますが、あと引き続き同じような組織ができ上がってくる可能性は十分あるというふうに判断しております。
  59. 森喜朗

    ○森(喜)委員 午前中の松永委員の御質問に対して、たしか岩間局長だったと思いましたが、いまの教育の中を見ても、だれでもなり得る要素があるというような御発言がございました。そしていま参事官が言われたように、一応赤軍派は壊滅したかもしれぬが、これに対する指導者はまだあらゆる派として存在をしておるし、こうした学生をずっと見てまいりましても、当然だれでもなり得る要素を確かに持っておるわけです。しかも、背景を見ましても、学校ではきわめて優秀でありますし、家庭はきわめて恵まれた人たちが非常に多いということであれば、いまの学生、いまの高校生なら、ある一つのきっかけと指導者があれば、人間的なつき合いができれば、すぐにでもそういうふうになる。そういう予備軍が非常に多いということになれば、いよいよそれだけの責任といいますか、これからこうしたことが行なわれないように予防線を張っていくためにも、何としましても私は、文部大臣以下文部省の責任は重かつ大であると思うのです。実は、いよいよそれが強まった感じを私は持つわけであります。  しかし、先ほど松永委員の御質問にもありましたように、どうも大学の学長さんあるいは教授さん方の動きや発言を見ておっても、私は納得し得ない点がたくさんございます。木田局長がいまおっしゃったように、二回ほど足を運んでこられましたけれども、これだけの問題が起きてたった二回しか来ない。私ならば、少なくとも国大の学長は、大臣局長のそばに毎日でも来て、どうしたらいいのか、どうやって世の中に対してこれの罪の償いをしていくのか、あるいは教育者としてどう責任をとっていくのか。これが普通の会社、企業でこんなのがおったら、私はとっくに社長は更迭だと思うのですよ。そういうことが何らなくて——まあそういう責任問題は、私が押しつければおそらく、やめることによって解決はしないということばがはね返ってくると私は思いますが、どうも社会の人たちにとって、納得のいかない発言、行動が多い、私はこう思っておりますが、その点について大臣は先ほども御答弁なさいました。横浜国立大学あるいは大阪市立大学、そういうところの学長あるいは教授たちに対して、やれないなら私も考えなければならないというようなことをさっきちょっとおっしゃったけれども、一体これからそういう問題に対していかに対処していくのか。いま私と参事官とのやりとりをお聞きいただいただけでも、そんなことが十分これからも予測され、心配もされることがあるわけでありますので、大臣として一体——横浜国立大学の学長さんだけ目のかたきにしてはたいへんいかぬことだと私は思いますけれども、そういう人たちの責任体制というものを大臣一体どういうふうにお考えになっておるのか、もう一ぺんお伺いしておきたいと思います。
  60. 高見三郎

    高見国務大臣 教育者であるからには、一番教育者の理想的な姿は、悪いから退学させるというのでは、教育者として必ずしも適格な教育者ではない。悪いからこそ教育をしてやるというのが、ほんとうの理想的な教育者の姿であるべきだと思います。これは何か宗教くさい話になりますけれども、しかし現実に起こった問題に対して対処する対処のしかたとしては、国民に対してまことに申しわけないという感が率直にあらわれなければ教育者としては欠格だと私は思う。新聞記者のインタビューに対してすらインタビューを断わる。進んで新聞記者の諸君に、申しわけないことと思っておりますと……。この段階では私が発言する段階じゃないということを、東大の学長であり国立大学協会長である加藤先生がどういうつもりでおっしゃったか、私にはよくわかりません。少なくとも教育者であるからには、悪いからこれを教導するのが私の責任だと思って今日まで退学処分にせずにおきましたというのなら、私はそれはそれでりっぱだと思います。そういう考え方も確かにあると思います。けれども、もうこの事件は、だれが何といったって弁護のしようもない凶悪な集団の事件であります。私は、教育問題というよりは、むしろ治安問題だと考えるほうが早いと思っておるのであります。大学の学長だけの問題じゃありません。教職員の諸君が、この問題に対して社会に対してどういう責任を痛感しておるのか、社会に対してどう対応しようとしておるのか、それを明らかにしてもらいたいものだという感じが実は切実にしておるのであります。
  61. 森喜朗

    ○森(喜)委員 先ほど木田さんも、これだけ大衆化したマスプロ大学というふうにおっしゃったと思いますが、私はもう、いまや大学は象牙の塔じゃないと思っております。すばらしい学者を養成するところではなくなって、大学そのものは大衆化して、だれもが高等教育を受けるんだということになったと私は思っておりますが、それだけに大学教育あるいはそれに携わる方々というものは、すばらしい偉大なる人々をつくり上げることよりも、一人でも悪い人間をつくらぬということのほうが、教育者としていまの大学では最も大事な使命じゃないかというふうに実は私は感ずるわけであります。法律を犯して、人を殺して、人を人と思わないようなことをやっていく、そういう人々を、こうやって国立大学、私立大学からぽこぽこつくり上げていく。そういう人をつくらぬことのほうが、偉大なる学者、ノーベル賞をとるような学者を一人、三人つくるよりもはるかに大事であるという感じが私はしますが、大臣のお答えの中で私は大臣の胸中を拝察することができますので、大臣のおことばを私はちょうだいしようとは思っておりません。   〔西岡委員長代理退席、河野(洋)委員長代理着席〕 ただ私は、そろそろいまの大学の学長を任命する問題、あるいは大学教育に携わっておられる教職員の方々の資格の問題、あるいは、単に大学教授にさえなれば、定年は六十三ですか、そのときまではとにかく何があっても黙ってやっておられるんだというこの安易な考え、そして外にあらわれる現象については、新聞記者の方々に何となく遠まわりにものを言う。いままで必ず言ってきたことばは、やることはいけないけれども、学生の心情はわかるとか、そういうことになった社会現象や政治が悪いんだということで、いままで全部片づけてきたのが大学教授です。ところが、自分の問題になって頭をばんとなぐられてみると、多少は目がさめる。東大事件もそうだ。全然われ関せずというような顔しておって、いざ自分たちの資料や東大の長く持っておった歴史的な資料やフィルムが目の前で焼かれて初めて目がさめるというのがいまの大学です。私は寝ぼけておると思うのです。  そうなると、私は文部省のいまの大学学長の選び方というのは、大学管理機関ですかが選んで大臣が任命するという——大学管理機関というのは評議会か理事会だというふうに私は理解しておるのです。それは法的に定まっておるのではないと考えるのですが、そういうことになってまいりますと、いよいよ学生に人気のある教授でありたいという大学教授の態度、ものの考え方、そして一橋大学に見られるように、いよいよ学生が参加してくる。学長の選び方、総長の選び方、いまのところは五人くらい候補者を出して、まあ適するか適さないかという程度の学生の参加ですけれども、これがだんだんエスカレートしてきて、もう学生の意向がはっきりとあらわれてこなければ学長になれないんだということになると、ますます学生に迎合するような意見を吐く教授ばかりが出る。責任は全くとらない。教授に至っては定年までは絶対にかえられない。そういういまの制度、いまの学長、大学のあり方は、そろそろ根本的に考えを改めていく必要があると私は考えますが、その辺について文部省側の御意見、前向きに考えていくというお考えがあるのかどうか、まずお伺いをしておきたいと思います。
  62. 高見三郎

    高見国務大臣 それは中教審の答申を受けての高等教育の改革の大きな課題の一つであります。この問題は前向きに取り組むつもりでおるわけであります。  私は、管理体制を含めて大学教官のあり方というものを考えなければならぬ。これは余談でありますけれども、実はこういうマスプロになった問題もありますけれども、先生と学生との間の精神的交流の場が非常に少なくなった。そのよって来たる原因はどこにあるかというと、昔の旧制高校の学生などというものは、夜、教師の宅へ遊びに行って、一緒にビールを飲んで、人生を語り、恋愛を語ったりした。また教師もそれだけの経済的余裕もあった。いまの教師にはその経済的な余裕がないところにも原因がある。だから、大学全体の——大学だけの問題じゃありません、教職員全体の待遇の改善をはかることによって、学生と一緒に飲みもし食いもする機会をつくってやることも、文教当局としては当然考えてやらなければならぬ問題だ。ただ大学の教官だけを責めるのが私の仕事ではない。私は、少なくとも学生とともに人生を語り、恋愛を語り合うだけの経済的環境もつくってやらなければならない。同時に、制度としては、森君がおっしゃるように、き然たる態度をもって学生に臨むだけの権威ある教師でなければならない。それには、一ぺん任官したら六十三歳までは、ノートを持ってきて読んでさえおれば済むというような教官であってはならぬ。これは高等教育全体の改革の問題として、真剣に取り上げなければならぬ問題だと考えておるわけであります。
  63. 森喜朗

    ○森(喜)委員 私はこの問題をもうちょっと議論をしたいのでありますが、時間があまりないようでございます。ただ、新しい中教審の答申にも織り込んでおられますし、いま大臣の御発言の中に、前向きにこうもしなきゃならぬ、ああもしなきゃならぬというおことばを伺ったわけでありますが、私はやはり、先ほどからるる申し上げましたように、いまの大学というのは確かにどうしていいかわからないというような現状もございますし、木田局長も率直に非常に悩んでおりますということもおっしゃられたように、みんなが、私どもも悩まなければならぬ問題だと思います。それだけに、この中教審の答申が出てからでも、もっともっと国民がほんとうにこの事件を機会に、広く各界各層の人が、大学教育、高等教育というものを中心日本教育全体の問題をみんなで考えるということを、文部省がもっと真剣におやりいただきたいと思う。この中教審の答申が出ても、単に教育に携わるところだけに終わってしまっておる。国民は、それをどこをどうしたらいいか、新聞にぽっぽと出ておりますけれども、あとは、反対反対だという集団がどんどん出てきてそれだけだということに終わってしまう。私は、もう少しこれを機会に、もっと思い切ってこれからの新しい時代に即応する——昔の古い教育を受けてきた方たちの価値観、あるいは新しい近代教育を受けてこられた子供たち価値観、みんな違うと思いますが、そういうものを含めて教育の問題を積極的にお取り上げ願いたいということをお願い申し上げたいと存じます。  議論はもっとしたいのでありますけれども、何か釈然としないことがございますが、時間がありませんので譲らなければなりませんが、ただ、横浜国立大学ということを申し上げて、何か横浜国立大学に恨みがあるように思われても困るのですが、大阪市立大学もしかりであります。東京水産大学もそうでありますが、今度の事件だけでも大学がいろいろ出ております。これは委員長にもお願い申し上げたいのでございますが、私はこの国会の場で、この問題はこれだけに終わらせてはいけない、一年かけても二年かけても、また文教行政に参画させていただいておるわれわれにも責任があるわけでありますから、その当事者たちをどうぞひとつ国会にお呼びいただいて——召喚するとか喚問するとかということではなくて、今度の事件をきっかけに、一緒にそういう方たちの意見を聞く、あるいはまた、私どもの考え方も聞いていただく、そういう機会をぜひひとつ委員会としてお取り上げをいただきたいということをお願い申し上げておきたいと思います。
  64. 河野洋平

    ○河野(洋)委員長代理 委員長から申し上げます。森君の提案については、後日理事会においてよく討議するようにいたします。善処いたします。
  65. 森喜朗

    ○森(喜)委員 そろそろ渡部さんに譲れという手紙が来ておりますが、先ほど西岡委員長のときは、時間は十分あるからゆっくりやりなさいというふうに私は聞いております。たしか私が始めてから三十分しかたっておりませんので、大臣もおいででありますから、渡部先生の御了解を得てもう一、二問させていただきたいと思います。
  66. 河野洋平

    ○河野(洋)委員長代理 森君に申し上げます。関連質問でございますから、できるだけ簡潔に質疑をお願いします。
  67. 森喜朗

    ○森(喜)委員 そこで私は、一番大事なことは、先ほど大臣は、たしか安里先生の御質問だったと思いましたが、明治の日本教育国家中心に、家を中心にという、戦後は個人の尊厳と平和の希求というものを柱にして、そういう教育に変わったんだ、こういう御発言だった。私は、いまの大学というのは、そういう意味では確かに個人の尊厳、平和への希求、これは大事でありますけれども、国家ということがかつての日本の忌まわしい思い出につながるということで、これを打ち消そう打ち消そうとしたところに、かえって人間形成というものを、愛情というものをなくしてしまった、私はそういう感じがするのです。  ですから、いろいろな方々のお話を聞いておっても、特にきょうの朝日新聞に加藤きょうだいのおとうさんの談話がずっと出ておるわけですが、これを読んでみると、私も人の親として何ともいえない 気持ちになってきます。教育に一生懸命努力しておられたおとうさんが、努力や根性ということばを口にした教育はだめで、やはり人生の喜びや人生の明るさを教えるべきであったということを、おとうさんが言っておられる。そして、子供たちのラジオから中国語放送が聞こえておる、あるいは毛沢東語録を読んでいる子供をおこっても、おやじが子供たちから激しくおこられた。意見の対立を見た。そして今度は、その理論を読んで自分子供に共鳴しようとしたけれどもついていけなかった。そこにもう父と子の断絶という、こんなことになったということを非常に切々と訴えておられる。  私はこれを見ても、大臣がさっきおっしゃった、日本教育の柱というのは間違ってしまっておるのではないか、焦点がぼやけてきてしまったのではないか。そして私は、新聞ばかり出して恐縮でありますが、武器を捨ててと浅間山荘に呼びかけた親たちの談話がずっと出ております。読んでみると、こっけいなところもありますけれども、母親、父親の子供に対する愛情というものはたいへんなものだ。そこまで親が考えておられて、一番よかれと思った大学に預けてきた。私は、大学だけではなくて、人間を預けてきたいまの社会環境、あるいは小学校からずっと来ておる大学までの教育機関、ここにあやまちがあった。そして、岩間局長がおっしゃったように、だれでもなり得る要素がある。私は、いまの学生たちは、いつでもこういう形になる要素をだれでも持っておると思っております。  まして今日まで昔の価値観の中に教育というものがあった。ところがいまは、テレビがあり、あるいは電話もプッシュホンになり、間もなくテレビ電話になる。あるいはインテルサットが来る。こういう時代の中で、子供たちの求めている価値観は全く違ってしまった。人間が全然違うものになっている。しかし教育は昔と同じだ。いま河野委員長から御指摘があったのですが、私は関連質問だと思っておるのですが、そういうことから根本的に再検討しておく必要がある。特に中教審の答申の中に「今後の社会における人間形成の根本問題」というところにA、B、Cとある。Aは自然の中に生きる人間、Bは社会生活を営む人間、Cは文化的な価値を追求する人間、この三つの異なった側面から考える必要がある、こういうふうに出ております。このB、Cはいままでやってきた戦後の日本教育だと思っておる。しかし、Aの自然の中に生きる人間というものに対しては、私がさっきからいろいろ申し上げている愛情、人間愛、家庭愛、そういうことの教えがいまの教育の中になされない。  谷川先生がおっしゃったのでありますが、ドイツのトムセンという学者が発達加速現象という理論を出されたということを教えていただいて、人間は生物だ、環境によってどうにでもなっていくのだ、その理論の行きつく最後のところは、人間は集団自殺に追い込まれていくのだということであります。私は今度の事件を見ておって、新聞や座談会、いろいろ学者の意見を見ていると集団自殺ということばが出てくる。人間というのは集団自殺ができないものだ。それが集団自殺ができるという心理状態に追い込まれていくことは、この子供たちをつくり上げる環境教育環境社会環境、家庭環境というものに問題がある。根本的にはその中に愛情がなくなっていく。家庭というものがなくなっていく。国家が、忌まわしい軍国主義に結びつくということで変にアレルギーになっていく。しかし、考えてみると、この大事なことが日本教育の中で一番忘れておったことではないか。いろいろな教育改革が制度上のいろいろなことを取り上げても、私はむしろ心を失った教育をもう一ぺん根本的に考え改めてもらわなければならぬ。そういうことをひとつ文部省はやっていただきたい。  もっとあと続けたいのでありますが、時間がございません。私がいま申し上げておることを、大臣どうぞよくおくみ取りをいただいて、これからの教育はこういうふうにしなければならぬ。ですから、私は極言すれば、大学というものがいまの形でマスプロ化していったらどうにもならない。大臣もおっしゃるように、願わくはそう善処してもらわなければならないけれども、意欲がなければ考えてもらわなければならないということを文部大臣がおっしゃった。それならばいまの大学というものは根本的に改めて、ただ単に第三の教育改革の中で織り込まれていることを制度上どうこうするということではなくて、大学そのものは、専門的な人間を選ぶのか、社会的な人間をつくり上げるところなのか、その辺のけじめをはっきりする時期が来ているのではないか。それでなかったら私は、国立大学なんというものは要らぬと思います。高等学校までに、充実した社会的に間違いのない人間をつくり上げる、大学教育というものはほんとうに専門知識だけを植えつける、りっぱな専門人間をつくり上げるところであって、一般社会的な人間が必要ならば大学なんか要らぬ。むしろ高等学校で十分世の中に働き得る、世の中に役に立つ人間教育をしておくことのほうが大事だと私は思っております。  そういう意味で、単に中教審の第三の改革、こんなものにとらわれないで、根本的に日本大学教育を検討していただきたい。そうでなかったら、私ははっきり申し上げて、文部省なんというのは学校を建てるところだけのものだ。建設省文部係、そういうことをいわれておる、酷評がある。どうぞひとつ、不評な佐藤内閣の中で、いまいいのは廣瀬大臣と大石長官だ、私はそうは思わない。私はどうぞ高見先生が、ここでひとつ、高見先生が佐藤内閣日本の魂を譲らない、日本の魂を私が守るんだというお気持ちで、中教審のこんなことじゃなくて、もっと根本的な、大学教育のあり方をこうするんだということをひとつ大きく打ち上げていただきたい。私はまたくしき御縁といいますか、私が高等学校でお教えをいただいた先生が、実は大臣にかつて師範で習った、私は大臣の孫弟子でございます。そういう意味で、教育にきわめて御見識があり、皆さんから期待を受けておられる。また、大臣がおつくりになった先生方が、高等学校なんかにいま全国にたくさんおられるそうであります。どうぞそういうことから、えらく質問が長くなって恐縮でありますが、いま私が申し上げたことについて、大臣から率直な御意見と考え方をちょうだいいたしまして、私は質問を終わりたいと思います。
  68. 高見三郎

    高見国務大臣 たいへん貴重な御意見であります。私は、一国の教育はその国の歴史と伝統を無視して成り立つものではないという確信を持っております。その確信の上に立ちます場合に、国というものを無視して教育というものは成り立たない。だから、御承知のように、戦争に負けまして、国家ということばは直ちに軍国主義に通ずるというような妄想を持つようになりました、これが私どもにとってはたいへんな不幸である。私は、大学の自治というものはあくまで尊重しなければならない。ところが、大学の自治を尊重するということは、これはフランスの大学においてもイギリスの大学においても、学生の自治というものは学生自身の生活の自治である、学生は政治に関与すべきものではないということを厳に守っております。ところが、日本大学の自治というものは、イデオロギーのための自治、そこで警察官を導入するということに対しては非常なアレルギーを持っております。一ぺん警察を導入いたしました、今度は警察を導入することによって何でもかんでも解決するという安易なものの考え方をするようになりました。大学自治というものが死んでしまった。非常に片寄った形になっておるという感じがするのであります。大学内で起こった問題は大学内で処理するという、大学人にそれだけの見識を持ってもらわなければならぬ。それを、警察官さえ導入すればすぐ解決するというような安易なものの考え方をしておったならば、大学教育というものは無用の教育になるという感じがしておるのであります。戦後の教育はあつものにこりてなますを吹いているという感じがするのでありまして、私は、教育はあくまでも日本民族の歴史と伝統を踏まえて、その歴史と伝統の上に新しい文化を創造していくという意味教育でなければならぬ、かように私は考えておるものであります。  あなたと全く意見は同じであります。それなればこそ、沖繩の青年諸君は祖国のためにと確信をして死にました。もし沖繩国民が、だれかが言ったように、第三の琉球処分だというような形で、日本国民としての意識を持っておらなかったら、島の一隅に白旗を掲げさえすれば彼らは死なないで済んだはずである。十六万の生命を、ことに若い子供を最後まで戦わせたものは何であるか。日本人であればこそであるといえるのであります。まことに気の毒な結果になりましたけれども、日本人であるという意識のもとにやった。だから教育というものは、その国の歴史と伝統の上に立って行なわれるというものでなければ、ほんとうの意味での教育というものはあり得ない。私はかような信念のもとに教育改革にしんぼう強く取り組んでいきたいと考えているわけでございます。
  69. 森喜朗

    ○森(喜)委員 ありがとうございました。時間がありませんので、どうぞ、こうした問題は、ただ今回で終わることなくして、また機会をみて取り上げていただきたいということを委員長にお願い申し上げて、私の関連質問を終わります。
  70. 河野洋平

    ○河野(洋)委員長代理 渡部恒三君。
  71. 渡部恒三

    ○渡部(恒)委員 私は、先ほど質問をした松永、森君の質問に関連して、当面の赤軍派の暴力事件を中心としたことを聞きたいと思います。  いままで質問、答弁がありましたけれども、あの異常な殺戮事件が起こったあとに、国民のだれもが考えたことは、いままでもいわれておりましたけれども、大学の無責任ということであります。責任をとるということとけじめをつけるということは、二度とそういうことを起こさないように努力をするということが前提でありますから、これはきわめて大事なのであります。ある場合には泣いて馬謖を切るということさえあるのです。ですから、あれだけの事件が起こったら、もうその次の日、横浜国立大学の学長は辞任をするだろうというのは、だれが考えても当然の予想であったのでありますが、社会的にも反響の大きかった割合いに大学責任が明らかでなかった、逃げ回っておった、これがすべての国民の感想であります。文部大臣、どの程度大学の管理運営に対する監督権があるかわかりませんが、少なくとも私は、即座に関係学生を出した学長には、呼んで話を聞くとか、懇談するとかいう問題じゃなくて、当然国民に向かってそういう学長は辞任をすべきである、責任をとるべきであるという声明くらいはすべきだというふうに考えておりますが、そういうことをなされておりませんでしたが、大臣のお考えをお聞きしたいと思います。
  72. 高見三郎

    高見国務大臣 制度の上から申しますと、私は大学の学長に対する任命権を持っておりません。したがって、それは大学人の良識に待つ以外はないのであります。お話しのように、一人くらいはそういう人があってほしかったなということを切実に感じておる一人であるということだけは御理解をいただきたいと思います。
  73. 渡部恒三

    ○渡部(恒)委員 私はこの問題について一番肝心なことに触れておらないような気がしてならないのです。大臣ことばじりをとらえるわけじゃありませんが、先ほど、これは教育の問題より治安の問題だという話がありましたが、治安ももちろん大事でありますが、私はウジ虫とハエにたとえていいと思うのです。治安当局のやる仕事はハエをたたいてつぶすだけであります。どんなに精力的にやったところで、ハエを撲滅するということはハエたたきではできないのであります。ハエが生まれてくる温床、ウジ虫が生まれる温床をなくさない限り、永久にハエは生まれる。どんなにハエをたたき、治安当局が騒ぎ回ったところで解決できないのです。根本は教育の問題であります。しかも、そこまではいままでの議論でなされたのでありますが、その背景にあるものは何かというと、私は思想の問題だということは断言できると思う。もちろん、あの学生がやっておったことは暴力団以下の低級な殺人事件でありますが、しかし、だからといってこの問題を暴力団同様、非行少年を扱う問題だけでは解決しない。彼らは彼らの一つの大きな目的を持っておる。その彼らを生み出しておる思想的な背景は、目的のためには手段を選ばない、革命をやるためには人を殺してもいい、百年前、二百年前、三百年前、人を殺して殺戮を行なって、あるいは地下活動を行なって、あるいは強盗を行なった人間が革命の英雄になっておる、そう教えられてきた思想的な背景が生み出しておる事件であることは間違いがないのです。その肝心なことが、何かあっちにこういうことを言うと当たりさわりがあるのではないか、こっちにこういうことを言うと当たりさわりがあるのではないかということで、かすった議論しかなされておりません。私は、この事件を起こした学生が、全部戦後に生まれて戦後の教育を受けた、しかも革命思想を、目的のためには手段を選ばない、革命のためには殺戮を行ない、あるいは強盗さえも行なった者が英雄であったというような偏向教育を戦後受けてきた子供たちが、今日成長してこうなっておるという背景を正確に認識しなければ、こういう学生が二度と起こらないようにする教育対策というものは生まれてこないと思うのであります。大臣の所見を承りたい。
  74. 高見三郎

    高見国務大臣 これはお話のとおりであります。私は、一番残念に思いますことは、一握りの学生の凶悪犯罪が、百七十万の大学生全体がけしからぬやつらの集まりだという印象を国民に持たれては困る。大部分の学生は真剣に勉強しておるのだ、これをまず私どもは認識しなければならないし、また、これに対する理解を持ってやらなければならぬ。この凶悪犯人は、まことに残念なことでありますけれども、最高の教育を受けておった連中である、そのきわめて一部の連中の行動が百七、八十万人の日本大学生全体に対する国民のイメージというものを落としてきた。昔は大学生がそば屋に行って、おっさん、きょうは金持っていないわ、書生さんならいいわ、この次持ってくればいいわ、というので、またその学生は、食い逃げするつもりはないから必ず金を届けに行ったものなんです。それが今日では、学生ならあぶなくてとても貸せないというほどイメージが落ちておるというところに、私は日本大学教育の将来を非常に憂えておるわけであります。あなたが大学に入られた時分も、おそらくそういうことが二度や三度は飲み屋であっただろうと思います。しかし、いまの連中は、そんなことはとても飲み屋のおやじさんも承知してはくれないほど信用を失っておるというところに、これはお互いに真剣に考えなければならぬ問題があると思うのであります。  卑近な例をとってまことに恐縮であります。文部大臣の言うことばではありませんけれども、私は、少なくとも日本教育というものを考えます場合に大切な問題は、生涯を通じての教育というものまでいかなければならぬ。もっと極端に言うならば、宗教的な情操まで持つ学生をつくり出す——私は宗教教育のことを言っているのではありません。宗教的情操まで持つ学生をつくり出すということは、あなたのおっしゃるウジ虫をつくらなくて済むということに通ずるのではないかと思うのであります。この意味において私は、日本教育のあり方というものは、ひとりいま起こっておる大学の問題じゃなくて、幼稚園から始めて大学まで通じての共通しての問題である。しかも、その根底はどこにあるかというと、教師そのものにあるということを同時に考えなければならぬ、かように認識をいたしております。
  75. 渡部恒三

    ○渡部(恒)委員 そこで、当面する大学の問題でありますが、私は、「小人閑居して不善をなす」ということわざがありますが、いまの大学生とずいぶんつき合っておりますが、ひまがあり過ぎるといいますか、大学の教科をここで文部省に考えていただきたいのです。一月から数えますと、一月は半分が休みなんです。二月は出てくる。三月と四月の半ばまで休みなんです。七月、八月と九月の半分休み。十二月と一月の半分休みなんです。大体一年のうち六カ月から七カ月くらい休みなんです。その間、一方は無気力にぼんやり暮らしておるか、一方では過激に走って悪いことをしたりすることになるのですね。かつての大学教育は、百人に一人の選ばれた人間が学術研究をやった時代であります。今日のように、百人に二十五人とかいわれるくらいに、ほとんど大部分の者が大学進学するという事情では、これは大学のあり方そのもの——まあ、昔の大学生だったら、六カ月休みにしておけば、その間帰って勉強したり研究室に入っていろいろしたのでしょうが、いまは、大学の先生はしておりますが、先生も六カ月勉強していないのですね。だから、この世の中で一番ひまなのは大学生と大学の先生なんですね。こういういまの大学の教科内容というものを改めない限り、いまの大学問題は解決しないような気がするのですが、御意見を伺いたいと思います。
  76. 高見三郎

    高見国務大臣 大学の休みが多過ぎるからという御意見も一つの考え方であろうと思います。一見識あるお話だと思って伺いました。私は、大学生はやはりおとなですから、自分自身で真理探求の道を探していくというだけの気持ちがなければならない。それは休みのいかんではないと思います。ことは教官に至りましては、御承知のように戦後一挙に七十二という国立大学ができたのですから、ここに戦後の大学教育の非常な大きな欠陥があったということは、これはいなみがたい事実であります。専門学校の先生が立ちどころにして国立大学の教授になった。それだけの能力のあった人もあるのでありましょうし、あるいは師範学校の先生がそのまま大学の教授になる。それで、肩書きだけが教授で、待遇も教授であるということになりますと、やはり大学教官の質が非常に落ちてきたことは、これはもう残念ながら事実であると申さざるを得ないのであります。そういうことの反省に立って、私どもはこれからの大学教育というものの改革を進めていかなければならぬ、こういうように考えておるわけであります。
  77. 渡部恒三

    ○渡部(恒)委員 大臣のおっしゃるようにおとなになっておれば、今日大学の一切の問題はないわけなんですが、実際はなっておらないし、しかも戦後の悪い面で受けてきた偏向教育を悪い面で育ててきた。しかも、半分おとなになって半分おとなになってないのが今日の大学問題だと思います。さっき大臣のおられないときに松永さんからも質問がありましたが、私はいまの大学の問題は、いろいろありますけれども、一つはいま指摘した、一年のうちとにかく七カ月も遊んでおるという大学の教科内容、それからもう一つは、何か今日の大学は、人づくりをやる場所というよりは卒業証書販売株式会社といっていいと思うのです。入学するときは、まあある程度の大学に入るにはなかなか困難でありますが、ところが、入学すれば相当の大学でもほとんど四年間何もしないでも卒業できる。いま中国問題で入り口論と出口論が盛んでありますが、出口は至って簡単、ここにやはり問題があるんで、あちこち私聞いてみると、大部分の人の意見は、やはり入るのに簡単で、出るのに、要するに大学を卒業したという資格を持つことがたいへんだ。極端に言えば、千人入学して卒業するときは百人になる。この前、田中角榮さんとか中曽根さんとか代議士二十五年になって表彰を受けましたけれども、話を聞いたら、最初に昭和二十三年になったときは二百人おったそうですが、それが二十五年の表彰には十三人になった。なるほどその十三人は一かどの顔のようでありますが、やはり大学も、入学するときは千人、卒業するときは百人というなら、これは学生自体も本気になって勉強するし、こういうことがないと思うのですが、いまの一口に言えば卒業証書販売株式会社ともいうべき、これは安易にただ大学卒という肩書きを与えられる。ところがこの親御さんは、五百人に一人——村で言えばもう一つの村で大学を卒業した人は一人か二人しかいないというような時代に育っておりますから、したがってそれと現在の大学と同じ評価でございますから、山を売ったり自分の生活を縮めたりして、大学さえ出せばもうすぐにえらくなれるんだ、大学さえ出してやればもう何の心配もないんだという気持ちで、一生懸命仕送りをする。ところが、出てしまうと、いまはもう百人のうち二十五人も出るのですから、どこかに帰って就職するとき、大学卒という肩書きが履歴書にないほうがいいところに就職できるという環境になっておる。非常にちぐはぐになっておるのですけれども、大臣、やはりこの辺で大学の入学、卒業、四年間の教科内容というようなものを全面的に反省して改定しようというような御意思はございませんか。
  78. 高見三郎

    高見国務大臣 この問題につきましては、ただいま高等教育改革推進会議で真剣に検討いたしております。ことに入学者の選抜制度の問題、これは非常にふるい落とすための選抜試験をやっておるというような傾向があります。たとえば、予備校に例をとりましても、某予備校は東大専門、別な予備校は慶応専門というような、出題傾向から見ましてこの予備校に入ったら東大は受からないが慶応なら入れる。これはコネでも何でもありません。ただそういう教育をやるというところに問題が実はある。私は、あなたのおっしゃるとおり、入学は非常に楽だが卒業は非常に困難だという状態があっていいと思います。昔、物理学校が無条件にだれでも入学をさしたけれども、何年たっても卒業できない。アメリカにもフランスにもありますけれども、無条件に入学させる。させるが、一年たったら出校に及ばずという通知を出して、いわば退学を命じるということなんですね、おまえはこの学校ではだめだから。これも一つの制度であると思うのでありますけれども、しかし、教育の機会均等というたてまえから申しますると、できが悪いからお前はもう出校には及ばずではいけないので、できは悪くとも、何年かかっても卒業するまでめんどうを見てやるという姿がやっぱり教育のあるべき姿ではないか、私はかように考えておりますが、入学を楽にして卒業は、できが悪ければ容易に卒業できないという状態をつくるということも、一つの見識ある考え方であろう。あなたの御意見を傾聴をいたしまして参考にいたしたいと思っております。
  79. 渡部恒三

    ○渡部(恒)委員 実は、大学の位置と大学生の生活しておる社会環境というのがきわめて大事だと思うのです。いまのようにごみごみした、太陽も青空も緑もない場所で、パチンコ屋とマージャンの音をざらざら聞いておる大学生の生活というものがいいものかどうか。私はやはり、いわば青春の時代、健康なからだと健康な精神を養う時代の学生生活というものは、教室から出たら、澄み切った青空をながめ、放課後あるいは昼食時には緑に囲まれた林を散歩するというような環境、きれいな流れを見ながらというような環境考えると、いま大学が都市に集中しておる姿というものがいいだろうかどうか。これは今日の日本の全体としての社会経済上の最大の問題である人口の集中、過疎過密化という問題にも関連してくると思うのですが、これからの日本の国全体の問題も、いわば人口の地方分散、人口の平均化ということが何といったってこれからの内政上の最大問題である。その非常に大きな部門は、大学が都市に集中しておる、そのために農山村の、地方の若い者が、全部大学に入るために都市に来て、そこで生活が落ちついてしまうという問題がある。今日の大学教育の本質的なあり方の問題と、また、日本の国の経済社会のこれからのあり方ということを考えると、思い切って大学を地方に移転させる。これが地方の地域社会の文化をつくることにもなるし、地域社会の経済を発展させることにもつながるし、過疎過密という問題の解決の一翼もになうので、私は大学の地方移転、単に国立だけにこだわらず、これは私立大学をも含めて、大学の地方移転というのが七〇年代のいま文部大臣が取り上げなければならない大きな課題であろうと思うのですが、大臣からそういう御意見を聞いたことはありませんので、ひとつ御意見をお伺いしたい。
  80. 高見三郎

    高見国務大臣 大学の地方移転の問題、まことにけっこうな案であります。たとえば早稲田大学が一校山形県なら山形県に移転したと仮定いたしますと、大体人口七、八万の都市ができる。これは学生、教官が移動するだけの問題ではないのでありまして、それに伴う食堂の関係だとか、あるいは娯楽設備だとか、あるいは文房具だとか本屋とかいうものの移動を合わせますと、やっぱり七、八万になる。私はかつて日大の、おなくなりになりました古田会長に、あなたのところが地方に移転してくれたらどうだという話をしましたが、私のところが移転すると大体二十万の都市ができるだろうということを言っておりました。  ところが、現在あります私立大学に移転をしろといっても、これはなかなか移転ができない事情があるようであります。と申しますのは、これはなくなった人でありますけれども、古田さんの述懐だと、安い土地を買って広い地方に移転したいんだ、ところが、うちの学校一校だけ移転したら教授がついてこない。なぜついてこないのだと聞いてみましたら、やはりかけ持ちの講師をやっておられる、せめてうちと法政大が一緒に移転するというのなら喜んで移転したいと思う。東京の土地を売って地方の何十倍かの土地を買って移転してもいいのだけれども、移転は一校だけではできない、こう言う。それで私は、国立大学の中でことに医科大学などというようなものは、できるだけ地方につくることがいい。地方に一つできますと、定員六百人の大学でありますと一万四、五千人の人口がふえるということになる。私立の場合ですと、東京につくらなければ講師が得られないという問題がありますので、なかなかこれは容易な問題ではないのでありますが、国立をつくります場合には、なるべく今度は地方へ持っていってつくりたい。したがって、たとえば付置研究所とかいうようなものはむしろ東京から離れたところへつくることを考えたほうがいいじゃないかという考え方をいたしておるのでありますが、この問題は学校経営の問題とからんでくる問題であります。文部省が命令をして私立大学に移転をさせるというわけにもまいりません。勧奨はしてもいいんでありますけれども、やります場合には、二校か三校まとめてどこかに行ってくれぬかという形をとるよりほかに方法がない。せめて国立の場合だけを考えようという考え方でおるわけであります。
  81. 渡部恒三

    ○渡部(恒)委員 実際にいま大臣のお話を承って安心したのですが、ただ大学の地方移転の場合よく言われるのが、かけ持ちの教授がむずかしいので困難だということだったんですが、これは世の中が非常に変わってきております。たとえば私の郷里の会津若松から東京までは、私が小学校のときは九時間かかったのです。ところが中学生のときは七時間、いまでは三時間四十分、これが東北新幹線ができると二時間になるのです。ですから、会津若松と上野間が二時間ですから、東京に住宅を持っておる大学の先生は、磐梯山のふもとの猪苗代湖の新鮮な空気と恵まれた歴史的な自然環境の中での大学に通うことができます。また、白河以北二束三文といわれた時代がありましたが、これは新幹線ができますと白河−上野間は一時間になります。したがって、大学の先生が、東京、白河、仙台、会津若松の各大学をかけ持ちして歩くというようなことがいとも簡単にできる時代がもう四、五年後に迫っておるんであります。こういう時代の方向もお考えになって、大臣、ひとつ大学の地方移転は思い切ってお進めになるようにお願いして、私の質問を終わりたいと思います。
  82. 河野洋平

    ○河野(洋)委員長代理 小林信一君。
  83. 小林信一

    小林(信)委員 与党の皆さんの久しぶりで熱心な御審議を聞かしていただきまして、別にこれはおせじではないんですが、真剣な御討論の中で問題をたいへんに深めていただきまして、ほんとうにありがとうございました。しかし教育は、何といってもいろいろな角度から深く掘り下げていかなければならない問題がありますので、私も少し時間をいただきまして質問させていただきます。  いまのお話は、大学中心として論議をされたようでありますが、いろいろな意見が出ておることは私だけでなく大臣も御承知だと思います。ある新聞の社説では、ひとしきりマルバツ式の答案を書かした時代がある。要するに二者択一、マルかバツか、どっちかというふうなそういう訓練をしたことが、こういうことに影響してないかというところまでいろいろ世論というものは触れているわけであります。そういうような点を考えれば、ぜひ与党の皆さんに私お願いしたいんですが、きょうのようなときだけでなく、あらゆる委員会の場に常にいまのようなことを御考慮願って、常に審議を与党諸君も続けられるように私はお願いしたいと思うのです。  ことに、森委員の提案しました問題、私も実は考えておったわけであります。前回の委員会でこの問題に多少触れましたけれども、あまりに問題が深刻であるからこのままほうっておくことはいけない。もっと警察当局、あるいは私の考えでは大学の先生にも、あるいはこういう問題に対して一つの意見を持つ参考人も呼んで、どうしたらほんとうにこれが解決できるか、こういうことを未然に防ぐことができるか、教育立場でこういうものをどうしたらなくすことができるかという、そういう委員会を実は私は願っておったわけでありまして、委員長もそれを理事会にはかって云々という御回答があったのでございますから、そういうふうにしていただきたいと思います。  とにかくきょうの事態を見ましても、私どももこの問題では文教委員会として責任感じなければいけないというくらい、これはやはり国民全体の問題でもあるという考えで私は掘り下げなければいけないと思いますが、まず警察当局にお伺いをいたします。  警察当局は、今回の問題につきましては、人質になった方を無事に救い出すというその目的を達するために二人の犠牲者並びにたくさんのけが人を出してこの難事を遂行された。しかも私ども毎夜のようにその実態をテレビ等で伺ったわけでありますが、雪深い中でほんとうに不眠不休の努力をされて目的を達さられた、ほんとうに敬意を表せざるを得ないわけでありまして、この点、きょうおいでになった丸山参事官を通して私はその気持ちを表したいと思います。  きょうは別に事件の問題を私どもは探ろうとするのではなくて、あなたはこの問題に直接関係をされ、いろいろな事態に接しておられますが、そういう場合に、教育の面からはこの問題をどうとらえなければならないかというふうなお気づきの点を、私はできるだけお伺いしたいと思うのです。しかもそれは、抽象的なものでなく、たとえばこのときにはこんな顔色をしておったというふうに、こまかいところまで教えていただくならば非常に参考になるのじゃないかと私は思っておりますので、そういう御配慮をしていただいてこれからの質問に答えていただきたいと思うのです。  これは大臣にもお伺いをいたしますが、大臣は前回、情操教育を十分にする必要がある、きょうは大学問題にもだいぶ触れてこられたんですが、もちろん私は大臣の御見解に賛成でありますが、しかしその情操教育というものがことばにはあります。しかし、いま一番必要なものは、現実の世相とか、若い人たちのものの考え方とか、あるいは傾向とか、そういう具体的なものに対応できる情操教育は何だ、これをしっかり持って、大臣が情操教育の必要性を強調されるようでなければ、ここで論議しても私は何にもならないというように考えているわけです。  きょうはまた大臣は、歴史と伝統に立てというふうなことを言われましたが、歴史と伝統に立つというととはどういうことであるか、これを明確に世の教師あるいは親たちに理解させるようなことでなければ、きょうの論議も単にただ一場の話し合いに過ぎなくなるのではないか、そこまでいかなければほんとうの学生問題の解決にはならない、私はこう考えておりますので、そういう意味で、ただ答弁をしていただくのではなくて、ほんとうに心配をしております、みんな子供を持っておる親は、いつ自分子供がああいうような行為をするかわからぬという不安がみんなあるわけですから、そういう者に安心感を与えるような御回答を願いたいと私は思うのです。  まず第一番に警察当局にお伺いいたしますが、警察当局がこの集団の追跡を始めたのはどこからですか、お答え願いたいと思います。
  84. 丸山昂

    ○丸山説明員 すでに新聞その他でいろいろ報道されておりますので、多少重複する点があるかと思いますが、一応最初からの経緯を簡単に御説明申し上げたいと思います。  今般出てまいりました連合赤軍と申しますのは、昨年の七月ごろに、共産同の赤軍派といわれますものと、それから日共革命左派といわれますもの、この共産同の赤軍派のうちの軍事組織の中央軍と称しておりますが、それと日共革命左派の人民革命軍と、この二つが連合組織をつくった、こういうことがございまして、結局今度の浅間山荘事件、それからその後のリンチ事件によってこれが立証されたわけでございます。  その前に、昨年の七月に米子で赤軍の中央軍の一部によります銀行襲撃事件がございまして、そのときに、日共革命左派が二月に茨城県の真岡の猟銃店から奪取をしておりました猟銃を使っておったということで、すでに赤軍派とそれから日共革命左派の間に連絡があるということはわかっておったわけでございますが、結果的にはそういうことになったわけです。  そこで、その赤軍派とかあるいは日共革命左派というのは一体どういう経緯ででき上がったのかと申しますと、赤軍派のほうは四十四年の九月に、例のハイジャック事件の首謀者でございます、現在は入獄中でございますが塩見孝也、これが中心になりまして、当時の共産同の戦旗派というグループ、セクトから分離をいたしましてつくり上げたものでございまして、その主張するところは、世界革命戦争に向けて世界的なゲリラを展開するのだ、したがって国際的な連帯強化を強めていく、簡単に申しますとこういうのが彼らの戦略面におきます特徴点でございます。そこで特にテロとかゲリラ的な行動、これを闘争の手段として重視をする、こういう立場をとっておるグループでございます。合法組織を含めまして約三百三十人くらいの勢力でございまして、そのうち、今回の中心になりましたのが彼らの中の非公然組織でございます中央軍でございます。  それから、もう一つの日共革命左派でございますが、これは川島宏という、現在やはり入獄中でございますが、これが中心になりまして昭和四十四年の四月に結成されました組織でございまして、これは、大体主体になっておりますのは元日共党員、それと共産同の関係者、これが主体になっております。   〔河野(洋)委員長代理退席、西岡委員長代理着席〕  そこで、彼らの闘争戦略でございますが、毛沢東思想を追究する、毛沢東思想を理論的基盤とする、そこで反米愛国をスローガンに掲げまして、米軍の基地、自衛隊、警察に対してゲリラ行動を組織する、こういうのが彼らの特徴でございます。特にこの中で、闘争手段としては銃撃戦を主体にするということを言っております。構成員は約百五十人ほどでございまして、この中の非公然組織が人民革命軍と申しまして約三十人程度でございます。今回はこの人民革命軍が赤軍の中央軍と合体をいたしまして過激行動を起こした、こういうことでございます。この非公然組織のほかに、公然組織といたしまして、いまの日共革命左派のほうは京浜安保共闘、それから名古屋を中心といたしまして中京安保共闘、こういうものをつくっております。それから赤軍のほうは、フロント組織といたしまして革命戦線というものをつくりておりまして、これは現在関西で活躍中でございます。  そこで私どもは、今回のここに至りますまでの過程を、どういう捜査の過程を経てきたかと申しますと、まず赤軍につきましては、御承知のように前に大菩薩峠の事件がございます。四十四年の秋でございます。彼らが本格的な爆弾闘争をやるということがこれで判明いたしまして、赤軍に対する捜査の集中的な運用をやってまいったわけでございますが、はからずもその翌年、四十五年の三月によど号によるハィジャックが出てまいりまして、その関係者のうち一部が北鮮に逃亡をする、こういうことが起こったわけでございます。  その後、赤軍関係の動きといたしましては、四十六年に入りまして、四十六年の二月に千葉県の夏見台特定郵便局の強盗事件、これが発生をいたしまして、その後相次いで強盗事件が起きております。神奈川県下におきましては、ある小学校の職員の給料をすっかりそのままひったくる、こういう事件もあったわけでございます。地域的には千葉、神奈川、宮城、鳥取の四県下で八件の銀行ギャングを敢行いたしまして、その最後が先ほど申し上げました七月の鳥取県下におきます松江銀行米子支店の銀行強盗事件でございます。八件敢行いたしまして、その間強奪いたされました金が一千三百二十一万円余りというような状況でございます。  との関係者につきましては、犯人二十二名を割り出しまして、今回の事件が発生いたしますまでに十七名を逮捕しておるわけでございます。その後逃走中の五名につきましては今回三人を逮捕いたしました。ほかの二名につきましてはリンチ殺人事件で死亡したということが判明をいたしたわけでございます。  それから日共革命左派のほうでございますが、これは下赤塚交番の拳銃奪取未遂事件でございますが、こういうのがずっと起きておりまして、そこで昨年の二月に——先ほど私が間違ったことを申し上げて失礼いたしました。茨城県でございませんで、栃木県の真岡市にありました塚田という銃砲店に入りまして、そこで夫婦と幼児二人を縛り上げて猟銃十丁、空気銃一丁、それから散弾二千三百八十発を強奪をいたしまして逃走したわけでございます。この事件の直後に、警視庁で二名をつかまえまして、その結果、そのほかの共犯者として、八人を割り出しております。その八人につきましては、昨年の暮れまでに四人を逮捕いたしまして、残る四人については今回の事件によって逮捕をした、こういうことでございます。このグループが強奪をいたしました猟銃その他につきましては、浅間山荘事件までの間に全部回収をすることができた、こういう経緯でございます。  以上でございます。
  85. 小林信一

    小林(信)委員 そうすると、塚田銃砲店の銃がとられたとか、あるいは銀行強盗が行なわれたとかいうようなときから追跡はしているわけですが、このアジトをつくってそれが転々と変わっておりますが、その場合には最初のときから確認をしているわけですか。
  86. 丸山昂

    ○丸山説明員 今回の山岳拠点、山岳のアジトでございますが、一部判明をいたしました神奈川県下の西丹沢のアジト、これは実は地域住民の方の御提報をいただきまして、ことしの一月五日に初めてわかったわけでございます。それから、今回の事件の端緒になりました榛名山のアジトでございますが、これは二月七日にその地域の方からの御連絡をいただきまして初めてわかった、こういうことでございまして、先ほど申し上げましたように、相手方の組織が完全な非公然組織でございますので、ただいま申し上げました御連絡をいただくまでは、当方としてはその所在その他については判明しておらなかったというのが実情でございます。
  87. 小林信一

    小林(信)委員 私はなぜそんなことをお聞きするかと申しますと、まず第一番に、二つの勢力が一体になったときに、先ほど御説明があったように、武装蜂起をして行動をするというようなことが声明をされたわけです。その場合に、新聞等で出ておるのですが、そのときに、もうすでに警察当局はそれを把握したかどうかお聞きするのです。党は不要である。政党の意味でしょうね。党は不要である、軍に結集せよ。これはもっと詳しく言えば、親だとかきょうだいだとか、そういうふうなものに拘束されるようなものはほんとうの革命ではない。かなり強硬な意思決定をして、そして武装蜂起の計画をしているわけです。これをもしそのときに警察当局が探知しておるならば、しかも西丹沢のアジトを探知したということになれば、もっとこの問題の追跡が早く一そういうような内容で行なうとすれば非常に危険性がある。アジトが順次追跡されていくとすれば、こういうふうな問題が起こらなくて、未然に防げたのじゃないかとは思うのですが、とにかく森という男の発言というものはあとでですか、そのときにも確認をされたのですか。
  88. 丸山昂

    ○丸山説明員 ただいま私が御説明申し上げましたのは、今回の事案を検挙いたしましてあとで結果的にわかった事実でございまして、先ほども御説明申し上げたように、当時の私どもの情報収集の体制は、公然組織を通じてしかとれないという事態でございました。確かに両軍が結集をして武装蜂起をするという計画があるということにつきましては、きわめてばく然とではございますが、昨年の秋ごろから徐々に、そういう問題に関します情報を入手しておりました。それからまた、現実に東京都内の主として警察施設でございますが、交番とかあるいは警察署、それから最後は警視庁の土田警務部長のお宅に弾爆が送られ、あるいは伊勢丹の前の追分の派出所で爆弾が破裂するというような事態もございましたので、鋭意その実態をつかむべく努力をしておったわけでございますが、先ほど申し上げましたような端緒を得るまでは、その実態がなかなかつかめなかったというのが実情でございます。
  89. 小林信一

    小林(信)委員 武器が強奪され、そして軍資金が集められておるということは警察でもわかっておったはずです。しかも、こういうことがあとでわかったと言われましたけれども、いまの森というものの「党は不要、軍に結集せよ」ということばの内容には「革命家は人民全体に奉仕するのだ。親、兄弟とのきずなを断ち切り、プチブルたちの非難、批判に耐えなくてはならない。そのためには、狂人になることだ」気違いになることだ、こういうようなものがつぎ込まれたわけです。そのあとに「狂人は強じんである。赤軍中央軍にはいるためには、まず狂人になることが要請された。」こういうふうに意思統一される集団であるということがもし警察当局にわかり、いまのように、これらは銃器も持っておる、あるいは金も持っておるということになれば、一月五日ですか、最初丹沢山のアジトが発見をされたなら、もっと問題を縮めて、この虐殺なんかが行なわれないうちにあれできたのではないかと思います。  それはここでいろいろと質問する必要はないわけですが、そういうような出発点ですね。そして、いろいろ各アジトで訓練をしながら、最終的には榛名とか妙義とかああいうところに立てこもるわけですが、そのころもうすでに丹沢山でも、きょうの新聞で見ますと、永田というのが白状をしたというふうなことを聞いておりますが、二人を虐殺しておるという話から考えれば、もっと追跡が早く行なわれれば、私は何とか未然に防げたのじゃないかと思います。  それは別問題として、しかし今度虐殺の段階になりますと、いまのような思想でなくて、新聞等で見ますと、もっと錯乱をした、ほんとうの——何というのですか、いまのような統一をされた意思というふうなものから出たんでなくて、それを統率する者の性格とか、あるいはその者の特別な異常さというようなものが仲間を殺したというふうな状態になりますね。そういうものがはたしてそのとおりであるかどうかを実はお聞きしたいわけでありますが、それにからんで、新聞等で見ますというと、最初のそういう規律というふうなものはほんとはなくなっちゃって、いよいよ虐殺する段階になりますと、もっと私怨とか私情というふうなもの、あるいは恋愛関係、愛欲、そういうふうなものがこんがらがって虐殺が行なわれる。それに対し不満な気持ちを持っておる者も、追われておる状態であることと、特別な閉鎖された社会の中にいるということから、命令が出ればその命令に従わなければならぬということで、必ずしもこの軍律に服したようなものでない状態でもって十二人という人間が殺されておるように私どもは判断するのです。私がなぜこんなことを言っているかというと、世の中の人はどこをとらえて今度の虐殺というものが行なわれ、行動がとられておるかということが非常にさまざまだと思うのですよ。そういう点も私はあなたに特におわかりだったらお聞きしたいと思うのです。
  90. 丸山昂

    ○丸山説明員 これはただいま捜査中でございますので、これから取り調べが進展いたしますとあるいは情勢が変わってくるかと思いますけれども、いままで自供しておりますのは全部の被疑者が自供しておるわけではございませんで、彼らの組織で言えば比較的弱い、新たに参加した、あるいは年齢が若いとか、こういった比較的弱い立場にある者からの証言でございますので、全体を推しはかるのにはどうかと思いますが、ただいま小林先生おっしゃいましたように、確かに一般の社会からは隔絶された特殊な閉鎖社会の中で行なわれておる。したがって、気持ちの上においても、平常人のものの考え方というもので律し切れない問題がいろいろあるように見受けられます。これは心理学あるいは精神病理、そういった専門の先生方の分析をいただく必要があるのじゃないか、こういうふうに思いますけれども、いずれにいたしましても非常に異常な事態であるということは間違いないというふうに考えられます。  それぞれリンチが行なわれておるわけですが、その直接の動機になっておるのは、確かに程度の低い、次元の低い問題、個人的な感情のもつれ合い、あるいは金銭をどうのこうのしたというような問題が直接の契機になっておるようでございますけれども、それぞれの粛清の理屈としては、統制に違反した、あるいは反革命的な言動があった、こういうことが理屈にはなっておるようでございます。まあ私、いまの段階で、これは法的見解ではないのでございますけれども、非常に異常な事態であったということは確かでございますが、彼らの言う革命運動、暴力革命運動というものの本質からきているような感じがするわけでございます。それと全く無縁であるというわけにはいかぬのではないか。と申しますのは、いま申し上げましたように、やはり森あたりの述懐によりますと、彼らの党を純粋化していくためには、ほんとうに血と対決をするということでなければ、彼らの言う——彼らは軍人と言っておりますけれども、軍人は育成されないのだ、こういうことを言っておるわけでございます。したがいまして、それぞれ理屈は異なっておりますけれども、こういう形で彼らの中における一つの鍛え方といいますか、こういうことが行なわれたのではないか。そう申しますと、結局党の組織原則、こういうものと全く無縁の活動ではないというふうに考えております。
  91. 小林信一

    小林(信)委員 私がそういうふうに聞いていきますのは、これは教育問題に結びつけたいからそういう面がなかったかと聞くわけですが、いまの御答弁の中に、やはり革命理論と結びついてはいる、必ずしもそれは全面的ではないかもしれぬけれども、結びつくものがある、こういう御意見ですが、ほんとうにその革命というようなものが理解され、正しい理論構成がなされておれば、大衆を味方にするということ、これはもう絶対必要な条件である。仲間を逐次殺すなんということは、ほんとうは革命をする者の考えてならないことなんですよ。ただ、スパイをしたとかいうふうな場合には、あるいはそういうことはあり得るかもわかりませんが、——私は決して革命を是認しておるわけではないんですよ。しかし、大かたの者から考えれば、そういうことはあり得ないことである。したがって私は、確かにその革命的な思想の中でそういうことが考えられたかもわからぬけれども、もっとそれ以外のことが多分に包含されているのじゃないだろうか、こんなふうに考えているわけです。ということは、いかに革命理論というものが強いものであっても、そこに私は人間性というものが常に残っているのじゃないかということを考えたいのですよ。もしそういうことが不可能であれば、教育の問題はあるいはこの問題と無関係になるかもしれないというわけです。  そこで、次にお伺いしたいのは、浅間山荘に立てこもったときに、いろいろ世間が、全く日本じゅうがあれを注視しておりますね。あの牟田泰子さんが殺されて出てくるんじゃないかというような心配をしましたね。ところが、そういうことはなく出てきた。しかし彼らは、警官にどんどん銃を向けて射っておる。そこら辺の心境がちょっとわからないのです。だから、なぜああいうふうに、もう落城をし自分たちがとらわれるならば、人質を殺したり、あるいは自分自身も自決をしなかったかというようなことも私は一応考えてみるのですが、そういう点の彼らの心境というものはどんなものであるか、おわかりだったらお聞きしたいと思います。
  92. 丸山昂

    ○丸山説明員 実は、彼らの心境は、私も理解に苦しむところでございます。まあ、あとは推測になりますので御容赦をいただきたいと思いますか、私は、今度の人質事件で在来の人質事件と非常に違っておる点は、何か非常に異様な感じがしたわけでございますが、通常人質を確保した場合には、まず相手方に、自分は人質を確保しているぞということを誇示いたしまして、それを根拠として相手方と取引をやる条件を出してくる、こういうのが普通の人質事件の普通のパターンでございます。ところが今回は、もういかなる申し入れをやりましても、説得をやりましても、またゆさぶりをやりましても、最後まで泰子さんがおるということの痕跡は一切見せなかったというのが非常に異常な事件でございます。  それで、彼らとしては、要するにこの人質をフルに活用して警察の攻撃を鈍らせるということの意図しかなかったんじゃないかというふうに判断しております。これは彼らではございませんが、この浅間山荘事件がありました当時、この外郭団体でございます赤色救援会というのがございまして、これが浅間の銃撃戦を支持するというようなビラを配っておりました。その中で彼らが言っておりますのは、わずか五人で山の中に立てこもった、それによって警察は手も足も出ぬではないか、ともかく一日千人以上の警察官を動員してすでに十日になんなんとしておる。これは対権力闘争としては非常な成功であるというような評価をしております。したがいまして、人質については、最後までそういう扱い方をしておったのではないかという感じがいたします。  それで、あとはこまかい調べをやりませんとわかりませんが、私ども最後に突入いたしますときには、御承知のように、すでに電源は切られておりますし、まわりは雨戸でかっちり閉じられておりますので、家の中はまつ暗闇でございます。したがいまして、場合によっては泰子さんに男もののジャンパーを着せたりしてこちらに撃たせるという卑劣な手段を講じるかもしれないので、中に入ってからは絶対に拳銃を使うなという指示をしておいたわけでございます。案の定、泰子さんを保護しましたときには、みな毛布の中にくるまっておったわけですが、泰子さんのベッドからは、例の猟銃と拳銃がこちらに向けて置いてあったということで、うかつに見ますと、中からねらわれているという感じになって、こちらがピストルをぶっぱなす可能性は十分あったわけでございます。ですから、最後は警察のたまによって泰子さんが撃たれるという結果になることを彼らは期待をしておったのじゃないかという感じもいたすわけでございます。
  93. 小林信一

    小林(信)委員 私も、ああやって籠城して、全く千人以上の警官に取り囲まれて何日間か持ちこたえるということは、やはりそういうことを考えておる人たちに大きな自信を持たせるというような意図があるな、こういうふうに見ておったのですが、同じような御判断であったわけです。しかし、こういう見方もあるのですよね。泰子さんを殺してしまうと、自分たちが実際やってきた虐殺行為が露見をする、殺さなければ、そういうことは疑われずに、あるいは隠しおおせるかもしれぬというふうな意図もあったのではないかというふうな憶測もあります。  それを話しておると長くなりますから、次の問題をお聞きいたしますが、おかあさんとかおとうさんをあそこへ呼んで、そして拡声機でもって叫びかけますね。その場合に、心理学者を呼んでどういうふうな呼びかけがいいかということまで警察は御配慮なされた。これは効果があったかどうか。私は、そういうものが、やって決して効果がないということはない、こういうふうに思うのですが、あの場合どうだったですか。
  94. 丸山昂

    ○丸山説明員 これも被疑者の全部が供述をしておりませんので、全く効果がなかったと言うことは早計であると思っております。少なくともいままで供述をしている被疑者については、何らかの心理的な動揺を起こさせたということは確かのようでございます。したがいまして、かりに今後類似の事件が起きましても、やはり説得活動というものは、最後まであきらめずに続けるべきであるというふうに私どもは考えております。
  95. 小林信一

    小林(信)委員 それから今度は、逮捕されてからいまもって浅間山荘にこもった三人は、いろいろな尋問に答えないそうですが、しかし、ほかの人たちの行動を見ますと、逮捕されて私は助かったとか、いままでの暗い気持ちから明るい気持ちになったとか、何か逮捕されて解放されたというような人たちが多いのですが、この点はどうですか。
  96. 丸山昂

    ○丸山説明員 いままでのところでは、ごく一部を除いては、まだはっきり気持ちを述べている者は少ないようでございます。まあ調べが進むに従いまして、中の組織上の上下の関係、実力の関係、こういったものが次第にわかってまいっておるわけでございます。したがいまして、使い走り程度の者、あるいは例の赤ちゃんのおかあさんである山本保子、これは元来が御主人に伴って中へ入ったということで、意識的にはそれほど強い人ではないので、この人たちなどは確かに安堵の色を示しておるようでございますけれども、まだいまのところははっきりした供述が得られておりません。大体そういうことでございます。
  97. 小林信一

    小林(信)委員 時間がありませんから、それらをまとめてお聞きするのですが、全く常識で考えられない、歴史的にもないこの事件でありますが、あなたがだれかと座談会をなさったことばの中に、こういう傾向が若い人たちにあるのかという質問をされましたら、あなたは、ある、こういうふうにお答えになっておられますが、そのとおりですか。
  98. 丸山昂

    ○丸山説明員 座談会というと、それはどこの座談会でございましょうか。
  99. 小林信一

    小林(信)委員 何か新聞の……。それはさっき岩間局長が言われたあのことばと同じです。そういう要素というのか、条件というのか、いつでも若い者はこういうものに走りやすい傾向があるのだという御意見がありましたが、それと同じことをあなたがどこかでもってお述べになっておいでになるのを私はいつか見ましたから聞くのですが……。
  100. 丸山昂

    ○丸山説明員 私、NHKの座談会であったかと思いますが、要するに、これからこういう同じような組織が再び芽ばえてくる可能性があるかどうか、こういう御質問がございまして、それにつきましては、先ほども申し上げましたように、赤軍それ自体は壊滅に近い状態でございますが、きわめてこれに近いセクトがたくさんございますので、これらはやはりいまの連合赤軍のような形に育ち上がってくる可能性は十分あるのではなかろうかということを申し述べたわけでございます。
  101. 小林信一

    小林(信)委員 岩間局長の見解とあなたの見解と、職務的な違いがありまして、あなたは、こういう思想を持った人たちはまだある、あるいはそういう思想がある限りそれに感染していく人間もあるだろうというふうな、そういう前提で、そういう傾向がないとは限らぬ、こうおっしゃると思うのです。飛躍して申しわけないのですが、そういう気持ちを持つとか行為をあえてしょうとかいうような気を起こさせる要素というのか、条件というのか、要因というのか、そういうものは何だとお考えになられますか、むずかしいかもしれませんが……。
  102. 丸山昂

    ○丸山説明員 非常にむずかしい御質問でございますので、これは私の個人的な見解になるかと思いますが、まず客観的な条件といたしましては、私も前に述べているわけでございますが、いわゆる新左翼という七〇年代の新しい動き、これは既存の左翼勢力が、すでに彼らのことばでいう体制側であるということで、そのワク外にはみ出した左翼運動をやらなければいかぬというのが新左翼だと思うのでございますが、それがきわめて幅の広いばく然たる概念を持っておるということで、したがってこういったウルトラ左翼も、その新左翼ということばの中に包含されて、社会的には一種のレーゾンデートルを与えられておるというようなことが彼らを勇気づけておったのだろう。また、ごく一部でございますが、彼らの行動を正当化するような、元気づけるような言動も、一部の人に見られたということが一つの客観的な条件をつくっておるように感じます。  それから、主体的な条件でございますが、先ほどから御議論をいただいておりますように、人間形成の過程においていろいろ問題があって、もうすでに彼らは、年齢的にいいますと二十四、五歳になっておる。りっぱなおとなであるべきなんですが、それが完全な一個の人間としての人格形成にまだ至っていないということではないかというふうに感じております。これは全く私の個人的な見解でございます。
  103. 小林信一

    小林(信)委員 ありがとうございました。  そこで、もっと深くお伺いしたいのですが、またの機会にいたしまして、文部省からお聞きしたいと思います。  まず第一番に、文部省もあの事件が新聞、テレビで報道されて初めて知ったのかどうか、大臣からまずお伺いします。
  104. 高見三郎

    高見国務大臣 あの事件は、私は新聞報道で初めて承知いたしました。
  105. 小林信一

    小林(信)委員 まあ当然だと思います。しかし、こういうような事件が出てみれば、こういう学生などの思想あるいは行動というようなものの調査、思想傾向なんか調査すると、これはまた問題になるかもしれませんが、とにかくああいう武力蜂起が行なわれるというふうなことが宣言をされるというような場合には、各大学等でそういう傾向はないのかというふうなことくらいは一応話し合うようなことは、私必要じゃないかと思うのです。いまの状態からすれば、こういうことがあって初めて感づかれるようなことになるわけです。  そこで私は、大臣もあるいはお読みになったかと思うのですが、この新聞を見ますと、ある新聞がこの問題についていろいろな社会人から意見を聞いております。ここに羅列してあるのです。そのあとのほうは、結論はみんな、子供教育についてもうどうしていいかわからない気持ちです。いま一度学校教育考え直さなければならない。親や先生は何をしていたのかというように、みんな結論は教育問題にきているわけですよ。その場合に私は、先生ほどは大学問題を主として取り上げられたんですが、もっと考えなければならぬ点がたくさんあると思うのです。いまの丸山さんの座談会の中でも丸山さんもそれに触れておられるのですが、親とか家庭とかいう問題を持ち出しております。これも私は当然だと思うのです。大学へばかり目が向いてしまうのですが、やはり家庭あるいは親というようなものがこうした人たちをつくる、何かそこに手落ちがあったんじゃないか、こう私は思うのですが、そういう点で大臣から、先ほどの、大学ばかりではない、そのほかにも考慮しなければならぬというふうなことは、もちろんお考えになっておいでになると思いますから、一言お伺いいたします。
  106. 高見三郎

    高見国務大臣 私は、今度の一連の事件が大学生によって行なわれた、あるいは高校生も入っておりますが、しかし芽ばえが、大学に入って急に成長したということは言えると思いますけれども、こういう環境は、調べてみますと、犯人の家庭というものは大体中流以上の家庭なんですね。そうすると私は、やはり教育全体を通じて判断をしなければならない大事な問題じゃないだろうかという感じがしてなりません。これが、まあ社会的に非常に虐待をせられておってその衝動的爆発であるというんならまだわかりますけれども、そうじゃなくて、相当の家庭の子供で、しかも思慮分別もある年齢になってやっておるとするならば、教育考えなければならぬ問題はやはり幼児のときからの教育だ。これを真剣に考えなければ、大学に入って——それは中にはそういうのもおりましょう。先輩が、やらんか、おもしろいな、やろうか、という連中もあるかもしれませんけれども、この判断の基調をなすものは、私はやはり小学校、むしろ幼稚園あるいは家庭教育にさかのぼって反省をしてみなければならぬ問題がたくさん残っておる。むしろそのほうに重点を置かなければならぬのじゃないかという感じすらいたしておるのであります。
  107. 小林信一

    小林(信)委員 私は、ここで教育の問題を考えるとするならば、その方向にもっと力を入れなければいけないと思うのですね。いま、相当な家庭の子弟が多いという話ですが、そういう家庭の親たちは、過保護だということばが至るところに見えますよね。しかし、その過保護というのは何からきているか。ただ子供をエリートコースを行かせるために一生懸命親は、どこの高等学校に入学してくれ、どこの大学に入学してくれというような、入学試験というふうなものが世の中の親たちの大きな課題になって、そしてその課題を何とかその子供は切り開いてもらわなければならぬというようなところから過保護というようなものが出てきている。そうして今度は、そういう勉強をしておりますから、学校というものが必ずしも人間形成の場になっておらない。やはり高等学校教育なんかは、そういう点から——これは釈迦に説法で、これからいろいろな機会に申し上げればいいことなんですが、ついでに申し上げますと、あの青春時代というものはもっと人間形成の場にしなければいけないけれども、もうそんなどころじゃない、親のほうからも注文がある、あるいは仲間からもいろいろと競争をしかけられるというふうなことでもって大学へ行く。これだけでもってあの青春時代を過ごすわけですよね。そしていよいよ大学へ入る。  私は、この大学の問題でも、先ほど御論議を聞いておりましたが、すべてみな正しいと思いますが、さらにつけ加えるならば、あのマンモスの大学というものは、人は大ぜいいますけれども、あれは砂漠の中にいると同じだと思うのです。虐殺が行なわれ、追跡されている、しかもああいう特別な集団の中で恐怖感の中にいると、同じような人は大ぜいいるかもしれませんけれども、私は大学は砂漠と同じだ。あるいは東京も砂漠かもしらぬ。もっと大学人間人間との触れ合いというふうなもの、先生と生徒だけじゃない、これは国立や公立の学校はそうでもないでしょうが、マイクロホンでもって生徒を教えるなんという学校は私立に多いのですが、そういうような中で幾ら勉強しても、それは人間形成にはならない。もっと人間の心と心の触れ合いというふうな、そういうオアシス的な学校でなければならぬのですけれども、それが文部省の私学に対する助成が少ないからそういうことが出ているとすれば、やはり文部省に大きな責任が出てくるわけですね。  それから、その過保護をするおかあさんたち、これは社会教育の対象になるわけですよ。きょうこの予算の要求書を見ましたら、社会教育局長もおいでになりますが、婦人団体の人たちに助成金が出ますね。六万円を計上してあります。それはきっと一団体に——一万四千何団体かあるわけですね。もちろん私はもっと数が多いと思うのですよ。そういうものに六万円の補助が出るが、あとは、三分の一と書いてあるから国は三分の一見るだけだ、そして、それに対して市町村が四万円出すわけでしょうが、おそらくその四万円は出さないと思うんだ。調べてますか。その二万円でもって婦人の、そうした若い人たちが既成社会に対して抵抗をする、親との断絶を生むようなそういう傾向を持つ子供と断絶をしない親になる、あるいは既成社会に対して抵抗する者に対して正しい指導をする、そういう親たちの集会というものが、いまの程度では私は何にも意味がないと思うのです。あるいは今度社会指導員をたいへんにふやしました。しかし、これだけでもって社会教育というものが完成でないと思うのです。もっとそういうところにこれからうんと配慮をしていかなければ、こういう問題は根本的に解決をしないと思います。  あとにまだ質問をする人がございますから、私に与えられた一時間で終わりたいと思いますが、さっき大臣が、歴史と伝統を無視して教育はない、要するに、それをお互いが留意するところにきょうのような問題がなくなる、私は賛成ですが、しかし、とかく歴史と伝統というような抽象的なことばでもって、いままでも問題が終わっておるのですよ。私は、この問題についてもう少し大臣から、それをどういうふうにきょうの問題に当てはめていくかということを聞きたいのですが、もう腹にちゃんとあって直ちにお答えになることができればお聞きしたいし、時間がかかるからあとでというならあとでもいいのですが、お願いいたします。
  108. 高見三郎

    高見国務大臣 どこの国の教育を見ましても、その国の歴史を無視した教育はやっておりません。それから、どこの国も伝統を無視してやっておりません。ただ日本では、戦後不幸なことには、アメリカ占領下において教育が行なわれてきて、日本歴史を抹殺した形においての教育というものをつくりました。これが私は日本の不幸の始まりであったという感じがするのであります。もちろん、日本歴史の歴史観というものについては、いろいろの評価がありましょう。ありましょうけれども、少なくとも日本——われわれが習った歴史は権力の歴史であったわけですね。少なくとも権力争奪の歴史を習ってきたのです。しかし、日本人が昔ながらに持っておる日本人の魂というものについての史観的なものは、戦後教えられておらないというところに今日の不幸の要因があるのですね。万葉の昔から始まって日本人の魂の中に流れている情操というもの、情操と申しましても時代時代によって非常な変化があります。それは価値観の変化ですからやむを得ないことなんですけれども、その史観の上に立って、日本民族というものはこういう歩みをしたんだという、歩みの反省の上に立っての教育というものが何をおいても必要であろうということを申し上げたつもりであります。
  109. 小林信一

    小林(信)委員 何か歴史と伝統、そういうものに私が反対しているように勘違いをしてほしくないのです。(高見国務大臣「そんなことはない」と呼ぶ)ただ、その歴史を教える、伝統を知らせる、それだけでは決して民族の力にはならないと思うのですよ。大臣のおっしゃる魂にはならないと思うのです。歴史があるいは伝統が、いろいろな社会の習慣とか人間関係というものをつくって、自然とはだで感ずるものがあるけれども、私は、そういうものがまとまったものが理性だと思うのです。ところが、この理性というのは、時によって、そのときの国情とか社会情勢とかいうもので違ってくると思うのです。そういう歴史や伝統の中から武士道も生まれたと思うのですよ。その武士道を根拠にして、いわゆる戦前の中産階級の持っておった常識、そういうものが歴史、伝統というものの中に包含されて、理屈でなくてお互いが民族として感じとったものだと思うのです。  ところが、その理性というものは、いまの経済成長というふうなものでいま破壊されているんじゃないか。それと同時に、戦争もありました。理性というものをあらためて検討しなければならぬときだと思うのです。だから、昔のいわゆる武士は食わねど高ようじとか、あるいは上を見るな、下を見ていればいい、これはやはり一つの日本の伝統と歴史が生んだかつての理性だと思うのですよ。その理性を持っているのが私たち古い人間ですわ。ところが、それが何を生んだかというようなことを若い人たちが検討するときに、そういう理性に立っておる人間に対しては抵抗を感ずるわけです。あるいは拒絶反応を示すわけですよ。これは私の持論でありますが、だから、歴史、伝統というそういう形のものじゃない、それがまざり合わされ、それに年輪を経てつくられたものが私は理性というものだと思うのです。その理性というものがいま若い人たちに拒否されている、こういう場合に、ほんとうに強い理性というものがあるならば、若い人たちがこんな無謀なことはしなくて済むんじゃないか。そういうふうな場合に出会っても、それを拒否したりあるいは正しく指導したりする自分の意思をしっかり持っていくことができるのじゃないか。私はそういうふうに思って、大臣がどういうふうに歴史と伝統というものを考慮されて教育の中にこの問題を樹立されるかを実はお伺いしたわけですが、大臣考えも間違っていないと思うし、私のような持論も、私は信念として教育の中にそういうものをいまつくらなければいけない。それはその中には一われわれの先祖が信仰した宗教も入っていると思うのですよ。しかし、そんなものはいまめちゃくちゃでしょう。だから、新しい理性というものをつくる、そういう方向——教育がこしらえていくんじゃなくて、そういうことを彼らに意識してつくらせなければならない、しかし、自分たちが持っておるものを押し売りをすれば、向こうは拒絶反応を示してきますよ。そういうところに断絶が出てくるわけです。  そういうように、この問題はうんと深く研究しなければならない。教育行政を担当する大臣をはじめ、また私たちも、大事な問題として考慮しなければならぬと思うのです。あとの人がつかえておりますので、以上で終わらせていただきまして、先ほど委員長が約束してくれました、もっと掘り下げる機会をつくるというときに、私はまたいろいろお聞きしたいと思います。ありがとうございました。
  110. 西岡武夫

  111. 有島重武

    ○有島委員 前回、赤軍派の問題につきまして大臣に二、三の御質問を申し上げまして、それは保留の形になっておりました。きょうはもう朝から同僚議員のたいへん熱心な論議の展開がございまして、こうした問題を通じて文教行政が少しでも前進をし改革もされていけばこれにこしたことはないと思うわけでございますが、前回、大臣がこのような問題を再び起こしてはならないという御決意をしてくだすった。それから認識として、いまも問題になっておりましたけれども、この種の事件というものはまだまだ起こり得る可能性が残っておる、そういった認識に立とう、そういうことでございました。それから今度は、御反省としては、そのときには、知育偏重の教育がおもであった、それで人間尊重という姿勢を欠いておった、また情操、道徳教育が欠けておった、そういうようなところでもって大臣のお話がございました。  私のほうとしては、ここはそれほど哲学論議をするところではないので、大臣がいろいろな関係があるのだというお話から、関係閣僚の方々とこのお話し会心をなさりておるかどうか。そして、一口にこの種の事件と言うけれども、いままで数々の角度からお話がございましたけれども、どういった問題点を取り上げていくべきなのかというような、そういった総合的なこの問題の詰めのとば口を大臣としてはどういうふうにやってきてくださったか、その問題を最初に承りたいと思います。
  112. 高見三郎

    高見国務大臣 閣議でこの問題を論議するのは国家公安委員長の報告に基づいての話なんでありますが、私は私なりに、教育政策としての考えは私が考えることである、私の責任において処理したいと考えております。別にこの問題について教育をどうしようとか、どうあるべきだとかいう論議はしたことはございません。
  113. 有島重武

    ○有島委員 では私はもう少し待ちますけれども、この前、大臣が、これは一つは確かに教育の問題である、しかしこれは広く経済の問題もあるし、政治の問題もあるしというようなことを言われました。それですから、私は閣議にかけろと言ったわけじゃないのです。そうしたお立場から、じゃどのように今度は大臣として動かれるか。それは文教政策の内部においていろいろお考えになる、これは当然であると思うのですね。だけれども、それだけでは解決できない部分について、大臣は行政庁の長として同時に政治家でいらっしゃるわけでございますから、そういうことについてどのような行動に出られるかということを私は聞いておきたいわけです。また今度にします。  それから、いままでのお話を通じて、私の感想だけを述べさせていただいて、詳しい議論はまた今度にしたいと思いますけれども、これから改善の機運をつくってまいりたいという、そういった大学局長木田さんからのお話がございましたが、そのすぐあとに、教室でもって教授が道徳的責任をほんとうに持てないというならば、それはテレビのカセットと同じじゃないかというような御発言がさっきあったのです。これはちょっとお考え直しになったほうがいいのじゃないかと思っております。たとえテレビのカセットであろうとも、これは責任を持つのでありまして、大臣がテレビにお出になったときでも、その御発言はやっぱり責任がおありになるわけでございます。また、これからテレビのカセットによる授業というものは、これはもう避けられないようなことになってくるんじゃないかと思うのですね。大臣の御発言はそんなおつもりでおっしゃったのではないだろうけれども、ちょっと誤解されるようなことがあるんじゃないかと思いまして、これは御訂正なすったほうがいいのじゃないかと思います。  それから、これは同僚議員の方からのお話があった。心の教育を文部省考えろというようなお話があったわけなんですが、実は私は、教育そのものと教育行政というものとは分けて考えなければいけないんじゃないかと思います。ですから、教育行政にほんとうの親心を持っていただくのはけっこうだけれども、教育そのものまでにやっていく、これは、この辺も少し話を詰めないと非常に危険を含む、お互いに能率が悪いことになりやすいのではないか、そういうことを思いました。  それから、いまお話しになっておりました歴史と伝統の問題でございますけれども、伝統というのは一体どういうことなのか。それから、伝統を伝習していくと申しますか、そういうことがどういった意味があるのかというようなことを詰めないと、あまり話の意味がないんじゃないかと思うのですね。歴史と伝統を度外視しては教育はないと言われましたけれども、これも大臣の御所見を別の機会によく承りたいと思います。  大体そのぐらいにいたしまして、きょうはいろいろあるのだけれども、この前の大臣所信表明に対しての質問も相当まだ残っているのですけれども、それもまたさらに保留いたしまして、最初に授業料の問題をちょっと承っておきたいのです。  これは十日付の新聞に出ておったことでございますけれども、国立大学授業料の三倍値上げにつきまして、四十七年度の暫定予算に組み込むとか組み込まないとかいうような問題が出ておりました。これはもう御承知のように、暫定予算というのは新規政策ということについては含まない、これは一般事務費に限るということが慣例になっておるわけでございますね。ですから、まさかそんな非常識なことは大臣はなさらないと思うのですけれども、暫定予算には組み込まないですね。このことをまず伺っておきたいと思います。
  114. 高見三郎

    高見国務大臣 私は何べんも繰り返して申しました。現時点においては四月一日から徴収をするということを申し上げました。暫定予算を組むか組まぬかということは、まだ政府の方針はきまっておりません。きまっておりませんから、暫定予算の中に授業料を入れるか入れぬかというようなことは、もちろんきまっておることではございません。しかし私は、たとえ三月二十八日に上がっても、参議院の良識を期待して、参議院が協力してくれて、四月一日から施行できる状態が最も望ましい状態である、こういうように考えております。したがって、現時点において、私は授業料についてこうします、ああしますということは申しません。既定の方針どおりでいくということ以外には申し上げようがないのであります。
  115. 有島重武

    ○有島委員 大臣の御見解を伺いたいのですけれども、この種の新政策を暫定予算に組み込むということは、これは非常識ですね。
  116. 高見三郎

    高見国務大臣 暫定予算の組み方は私の所管ではございません。大蔵大臣の所管でございますから、大蔵大臣がどういう判断をするか、それを待って考えるべきことである、私はさように考えます。
  117. 有島重武

    ○有島委員 閣僚のお一人なんですから、私の所管じゃない、大蔵大臣がやるんだ——大蔵大臣がもしそのような処置をとろうとしたら、良識ある文部大臣は、それはちとおかしいのじゃないか、そういった御見識をお示しになるのじゃないかと私は期待するのですけれども、いかがですか。
  118. 高見三郎

    高見国務大臣 私は、暫定予算を組まないということを前提に申し上げておるのでありまして、暫定予算を組めばという仮定のもとにお話を申し上げる段階じゃございません。
  119. 有島重武

    ○有島委員 次の問題として、じゃ暫定予算を組む組まないにかかわらず、四月から値上げを断行するという希望であるというようなことを言われました。断行するとここでもっておっしゃると、これは防衛問題ではないけれども、先取りになりますね。何か希望するということを最後におつけになったようですが……。
  120. 高見三郎

    高見国務大臣 私はそう期待しておるということを申し上げたのでございまして、現時点において変更する意思はないということを申し上げたわけであります。
  121. 有島重武

    ○有島委員 その辺、たいへん微妙といえば微妙なんですけれども、大臣がそのような発言をされることがやや誤って伝わるというか、あるいは大臣の御発言大臣の意図どおりに伝播していかないと申しますか、やはり少し考えなければならない問題だと思うのですよ。既定方針どおり実施するとか、したいとか、希望だとか言っていらっしゃいますけれども、その見通しはあるのですか。
  122. 高見三郎

    高見国務大臣 現在の時点においては、私としては既定方針どおりいくと言うより以外申し上げようがないのですね。というのは、予算を提出しておるのですから。見通しはどうだとかおっしゃると、私は国会の良識を信頼しておるんだと申し上げる以外にはないのであります。
  123. 有島重武

    ○有島委員 その見通しについては、いまのところ根拠がないわけです。国会の御審議を信頼申し上げたいということ、それも御希望でございます。確たる見通しというものはないわけです。絶対に上げられるという確たる見通しはないわけですね。帆もう一つは、四十七年度予算が決着する以前には出さないということも事実でございますね。値上げはできないということも事実ですね。
  124. 高見三郎

    高見国務大臣 純法律的に申しますと、授業料の値上げは国会の審議と関係なしに省令でもって上げることができるのでありますけれども、現在予算を審議している過程において、政治的に考えてみまして、私が私の職権だからというので、授業料の値上げを告示するというようなことはございません。
  125. 有島重武

    ○有島委員 そういたしますと、もしも学校の現場におきまして、授業料値上げを提示する、予告するというような、そういった御指示はまさかお出しにならないでしょうね。
  126. 木田宏

    ○木田政府委員 いま御審議をいただいております予算では、大臣申しておりますように、授業料の値上げ等を組み込んで予算の審議をいただいております。学生募集にあたりまして、こういうふうな所存で事が進んでおる通常の状態を予測しておりますから、いま御審議を願っております予算にありますように、四十七年度の新入生から授業料の値上げが行なわれる予定である、こういう意味のことは、大学側も受験生その他に知らせるように連絡してございます。
  127. 有島重武

    ○有島委員 この問題についてわれわれ野党こぞって反対しているのは御承知のとおりです。それで、この前の四次防の先取り問題で問題になっておりますのは、シビリアンコントロールということでございますけれども、三つの段階があると私は思います。それは防衛庁内における制服組とせびろ組との問題、制服組がどんどん進もうとするのをせびろ組がそれをチェックしていくというふうな仕組みになっている、それが一つでございますね。それから防衛庁ないし防衛施設庁に対して国防会議というチェック機関がある。これも一つのシビリアンコントロールですね。それからもう一つ、内閣そのものをわれわれ国会がチェックしていく、こういった三段がまえになっているのではないかと思います。  いまの授業料の問題でございますけれども、国会の審議が終わってない、その以前にその値上げの予告をするということは、たいへん不見識な問題だというように私は思います。
  128. 高見三郎

    高見国務大臣 それは、有島さんせっかくの御質問ですけれども、授業料等については委任事項になっております。文部大臣の権限で授業料は決定することができることになっております。したがって、純粋な法律論を展開するならば、国会の審議の途中であっても、文部大臣が告示して悪いというわけではございません。ただ私は、国会を尊重する、その意味において、予算が成立するまでは告示はしないということを申し上げておるわけであります。これは法律事項ではございません。国鉄運賃の値上げとは違いまして、授業料の場合は文部大臣の告示でもってできることに制度上なっておるのでありますから、やってやれないことはないのでありますけれども、それを私はやらないということを申しておるわけであります。
  129. 有島重武

    ○有島委員 省令の問題でございますから、大臣の権限の中でやれる、それは承知しております。それじゃ、高見文部大臣だからやらないのだということですね、いまのお話だと。ほかの人だったらやっているかもしれぬということですね。実際そういうことはできますか。いま予算が審議中だ、にもかかわらず、どんどん省令を動かすことはできるのですか。省令は何によって決定するのですか。
  130. 木田宏

    ○木田政府委員 いま大臣申し上げましたように、国立学校の運営につきましては、国立学校設置法の委任規定がございまして、授業料等文部省令で定めることになっており、また事実、文部省令で定められておるわけでございます。したがいまして、大臣が先ほど申し上げましたように、省令の改正ということによる措置というのは、それ自体としては法令上はあり得るかと考えております。
  131. 有島重武

    ○有島委員 私は局長さんの話を聞いているわけじゃないんですよ。「別段の定めるものを除くほか、国立学校の組織及び運営の細目については、文部省令で定める。」これは設置法の第十三条ですね。これは承っておりますけれども、それでもっていまのこの授業料値上げについては、じゃ予算審議を無視して大臣は上げることができると、こうおっしゃるわけですね。
  132. 高見三郎

    高見国務大臣 純粋な法律論においてはできる。ただし政治論としてはそういうことはやるべきでないという判断に立っておるのであります。
  133. 有島重武

    ○有島委員 だから、実際論としてはそういうことをやるべきではないということなんです。やるべきでないからやらないわけなんですよ、いまのところ。だからこれは、高見文部大臣が特別に御寛容をもって慈悲をたれてそういうふうにやってくだすっているということじゃないですよ。といたしますと、それに先立って値上げの通達ないしは予告ですか——予告どころじゃない、通達が出ているとしますと、これはちょっと行き過ぎだと思いませんか。
  134. 高見三郎

    高見国務大臣 新入学生を募集いたします場合に、入学生の募集要項の中に、ことしは授業料を上げるということを書いておかないで、予算が通ったから省令でもって出せということは、そのことのほうがよほど政治的に重大な問題であると私は考えます。その意味において、予算を提出いたしましたから、その提出に基づいて予告をするのがあたりまえのことじゃないかと思っております。
  135. 有島重武

    ○有島委員 一つ聞いておきますけれども、授業料と入学料と検定料とあるわけなんです。検定料は値上げをしたのですか、値上げを決定したのですか。
  136. 木田宏

    ○木田政府委員 いま御審議をいただいておりますのは、御指摘のように授業料、入学料、検定料でございます。検定料は昭和四十七年度の検定料でございまして、来年の入学試験の検定料になります。ことし、いま行なわれておりますのは昭和四十六年度の検定料でございまして、これは関係ございません。
  137. 有島重武

    ○有島委員 わかりました。そうすると、試験を受けるところまでは今年度になっておるのだ、向こうのは来年度というお考えだということはわかりましたが、それはもう今度、値上げについてはしごく当然でありますね。もし予算が通っていたらまた別なお答えが返ってきたかもしれないけれども、   〔西岡委員長代理退席、河野(洋)委員長代理着席〕 それでもって入学手続の、第一期授業料のそれを納める期日ですが、納める期日までに予算審議がおくれていった場合には一体どうなりますか。
  138. 高見三郎

    高見国務大臣 私は、現時点においては納める期日までに予算が成立することを期待をいたしております。現時点においてどうのこうのということを申し上げる段階ではございません。
  139. 有島重武

    ○有島委員 期待はしておるけれども、もし大臣の期待はずれの事態に立ち至った場合にはどうなりますか。
  140. 高見三郎

    高見国務大臣 その場合にはその場合に適応する措置をとるつもりであります。たとえば省令を改正いたしましてあとに延期をするという場合もあります。あるいは別な方法もあるかもしれません。したがって、暫定予算の編成方針がきまるまでは、私としては昭和四十七年度は年額三万六千円の授業料をいただくという既定の方針でまいる以外に現時点においてのお答えはできないのであります。
  141. 有島重武

    ○有島委員 これは東京工業大学大学院のほうの入学手続についての書類なんでございますけれども、三月十日付です。「昭和四十七年度大学院修士課程入学許可内定者各位」というのです。これは大学の教務部長から出ておりますけれども、「入学手続について」というところですね、こういうふうに書いてある。「あなたは、昭和四十七年度本学大学院入学試験に合格した旨さきに通知しましたが、下記により入学に関する手続を行なってください。所定の期日にこの手続を行なわなかった者は、入学の許可が取り消されるので特に注意してください。」こうあるわけです。それで「記」とございまして、「一 手続の期日および場所、昭和四十七年四月五日」それから「同六日」それで時間が書いてあります。それでこの納付金ですけれども、かっこして「(改訂後料金)」と書いてございますけれども、入学金が一万二千円、それから授業料が一万八千円、これは前期分、こういうような書類になっておりますね。明らかにこれは先取りであろうとわれわれは思うのですよ。これは五日、六日に納めないと入学停止になってしまうのですから、こうした問題についてはどういうふうにお考えなんですか。
  142. 高見三郎

    高見国務大臣 予算審議の過程でありますので、大学がそういう通知を出しましたのは私は当然の措置であると思います。というのは、そういう予定になっておるということが大学に通じてあります。しかし、これが暫定予算の組み方によってあるいは変更という場合が起こり得るかもしれません。
  143. 有島重武

    ○有島委員 予算審議を見越して、それで防衛計画に従ってすでに仕事が始まっておる。そういうのを先取りというわけですよね。これはやや事柄は違いますけれども、精神はやはり同じですね。予算審議がうまくいくことを希望しながらということばはいいけれども、ひどく言えば国会軽視ですよ。どうせこうだろうというのでしょう。
  144. 高見三郎

    高見国務大臣 私は国会を軽視しておるつもりは毛頭ありません。すでに予算案として決定しておることであるし、予算審議の過程でありましても、予算は皆さんの御協力によって通るものだということを前提に考えます場合には、防衛庁の場合とは性質が違うと考えます。国鉄運賃の場合は一これは法律できめなければなりませんけれども、授業料は省令できめられることであります。別に先取りしたという性質のものじゃない、こう理解をいたしております。
  145. 有島重武

    ○有島委員 大臣が期待いたしますという中でもって、まあ国会はどうせこういうふうになるだろうと、それでもってその余のことは考えに置かないで、それでこれは行政手続がどんどん先行していくということについては、非常に危険な一つの目だとぼくは思うのですよ。
  146. 高見三郎

    高見国務大臣 これがもし要項に書いてないとするならば、入学者に非常な混乱を生じさせることになるのであります。話は私は逆になるんじゃないかと思うのですね。防衛庁の場合を例に引かれますけれども、防衛庁の場合とは私は話は逆になっていると思うのですよ、これは。授業料の問題は予算上こうするということであるならば、たとえば予算委員会において否決せられたという場合には、これはまたやり直さなければなりませんが、予算でそういうことをやろうということにきめたんでありますから、それを何にも言わずにおいて、入学者に突然、授業料が上がったからこれだけ出せと言うことこそ、非常に不親切なやり方じゃないか、私はこういうふうに考えております。
  147. 有島重武

    ○有島委員 これの上がる段階が、ここでは四月五日、六日ですね。ここで納めないともう入れないんですよ、この通達は。
  148. 高見三郎

    高見国務大臣 もし暫定予算を組まなければならない場合にはあらためて通達を出しますし、そういう問題は御心配はないと私は考えております。
  149. 有島重武

    ○有島委員 そういう問題は心配はないと思うからといって、それをじゃどんどん実施に移していいのかということですね。私は非常にそれは不満に思いますね。  それから、こういった例もあるのですね。これは教育大学の体育学部ですけれども、「受験者各位、入学時の納入額について、下記にかかげる経費の改訂について、先に承知ずみのことであるが、その改訂額は、昭和四七年度入学者から次の通り適用される予定である。」「記」と書いて、今度書いてあるわけですね。これは表面上は別に問題はないといえばないかもしれないけれども、もうすでにこれは承知済みのとおりどんどんやっていくのだ、そういう姿勢が露骨に感じられる。こういった問題について、はなはだしく独断先行的であるという印象を私は受けるわけなんです。  それから次の問題にいきます。これまでにしてどうして国立に関しての授業料を上げなきゃいけないのか、その問題をひとつ聞いておきたいと思うのです。
  150. 高見三郎

    高見国務大臣 授業料を上げるということは、私は授業料を上げることによって私学の助成費をふやし、育英資金をふやすという見返りを取ります。この方がはるかに得だから授業料を上げるという決心をいたしました。しかも、昭和三十八年以来九年間据え置きになっておる授業料であります。諸物価等の諸情勢を考えてみましても、千円を三千円にするということは、別にはなはだしい非常識なものであるとは私は考えておりません。
  151. 有島重武

    ○有島委員 実は、金額についてこれはさまざまな議論がございますけれども、その金額の点でもってこれがはなはだしく非常識であろうというふうには、一義的には言えないと思っています。じゃ、どうして授業料を上げなきゃいけないのか。それがなければ、いまおっしゃった私学は援助できないのか。
  152. 高見三郎

    高見国務大臣 授業料のいままでの経過を見てみますと、四年に一ぺん値上げをしております。それを九年間据え置いたのでありますから、ここいらで授業料を上げるのは最も適当な時期ではないか。私は、実は去年上げるのが一番筋道の通った時期であると思っておったんですが、去年は見送るということになった。そこで、ことしは私学に対する助成の見通しもついたし、育英事業に対する見通しもついたし、ここらが一番いい時期であるという判断をいたしたわけでございます。
  153. 有島重武

    ○有島委員 四年に一度上げるという慣例であったのが、この前上げなくて九年間、だから上げるというのですか。
  154. 高見三郎

    高見国務大臣 日本では、義務教育以外の諸学校では授業料を取るということが慣例になっていることは御承知のとおりであります。義務教育以外の諸学校のところで授業料を取るのはいままでの慣例であり、しかも授業料負担というのは、私は行政法上の公共営造物の利用料であるということを、申したいとは思いません。教育という施設成備を使う使用料であると同時に、授業という役粉を受ける、役務に対する対価の受益者負担金という意味において考えます場合に、国立の授業料乙いうものを上げるというのはこの時期が最も適出である、かように考えたわけであります。
  155. 有島重武

    ○有島委員 そうするとき、さっきぼくが無理に伺ったのは、そろそろ時がきた、四年目四年目で上げる風習になっていた、だから今度上げるんだ、それだけではないのだというお話ですね。受益者負担ということばが出てきましたね。それじゃ授業料は受益者負担の精神でやっているわけですか。
  156. 高見三郎

    高見国務大臣 これは二つの見方があると思います。使用料の一部を負担するという見方と、役務に対する受益者の負担金、こういう二つの観点から授業料というものは構成されておる、こういうふうに私は考えております。私立大学の場合は、これは役務に対する謝礼だという考え方に立っておるようでありますけれども、私は国立学校については、少なくとも施設設備の使用料と授業という役務に対する謝礼金——というのはずいぶん古いことばでありますが、応分の受益者負担金という考え方に立っておるわけであります。
  157. 有島重武

    ○有島委員 もう一ぺん初めから言いますよ。どうして授業料を上げなきゃならないのか。いまのお話伺っていても、私立のほうの話はまた別にいたしまして、それでその上げたことによってああする、こうするという問題は別にいたしまして、どうして授業料を上げなければならないのか、もう一ぺん答えてください。
  158. 高見三郎

    高見国務大臣 授業料は安いにこしたことはありませんけれども、しかし月千円の授業料を取らない国もありますね。取らない国もありますけれども、これは大体全体主義国家の一つの慣例です。授業料を現に取っておるとするならば、この辺で上げて悪いという理屈は成り立つまいと思うわけであります。授業料をいっそ取るなとおっしゃるなら別な話であります。授業料を取るからには、応分の負担をしていただくというたてまえからいうなれば、応分の負担というのはこの辺ではないだろうかという判断をいたしたわけであります。
  159. 有島重武

    ○有島委員 上げて悪いという理由がないから上げたのだというのは、これはちょっとおかしいと思うのです。  それで、先ほども期日の問題、それから国会の審議とのかね合いの問題がありますね。とにかくそういったことにかかわらず、しゃにむにどうでもこうでも上げなければならないのですか。
  160. 高見三郎

    高見国務大臣 現時点においては、来年度から授業料を上げるという決意でおるのであります。現時点においては変わっておりません。
  161. 有島重武

    ○有島委員 では、国会の議決がおくれて、それで期日の問題、四月中には無理だというようなことが起こった。あるいは五日、六日の問題もございますね。こうした期日にどうしてもならない、そういうようなことでもってこれは混乱が起こりますね。そうした場合でも、そういうことにかかわらず、どうでもこうでもお上げになるのですか。
  162. 高見三郎

    高見国務大臣 授業料につきましては、私は現時点において変更の意思は毛頭持っておりません。
  163. 有島重武

    ○有島委員 たいへん柔軟性を欠いたお話であるということはよくわかりました。  次の問題ですけれでも、国立大学の管理運営について若干伺いたいわけでございますけれども、まず国立大学において研究用試薬の購入の問題。これは先般会計検査院から指摘されたことがございました。研究用試薬の購入の手続についてどのように定められているのか、これは局長から伺いたいと思います。
  164. 須田八郎

    ○須田政府委員 お答えいたします。  研究用の試薬等を含めまして教育研究上必要な物品の調達に際しましては、会計法令の規定がございまして、まず物品管理官、物品供用官、こういった制度がございまして、法令の規定に従いまして、まず教室等から請求が出てまいりますと、それを物品供用官を通じまして学部の事務、これは分任物品管理官という制度がございまして、これに出てまいりまして、支出負担行為を起こし、これが完結しますと、業者と契約をいたしました上で、検収をして教室にその物品を納付するというのがその手続でございます。
  165. 有島重武

    ○有島委員 会計検査院来ていらっしゃいますね。  四十五年度会計検査院の報告によりますと、大学内の研究試薬の取り扱いが指摘されておる問題であります。そのことについて一通りの御説明をいただきたいと思います。
  166. 池田伊臣

    ○池田会計検査院説明員 お答えいたします。  研究用試薬等の購入につきまして改善の処置要求をいたした件でございますが、これは処置要求を発しました大学の日付けの順番に申し上げますと、群馬大学、名古屋大学、九州大学、長崎大学、熊本大学、京都大学、北海道大学、帯広畜産大学、東京大学、東北大学及び静岡大学の十一の大学でございます。  次に、この概要でございますが、国立大学におきます研究用試薬等の購入は多額の金額にのぼっておりますが、この購入の状況を見てみますと、先ほど会計課長からこの購入の手続でお話が出ましたように、支出負担行為担当官等がこの購入の場合に購入の権限を持っているものでございますが、これらの権限を持っておりません大学の教官等によりまして、契約、納入品の検査等の事務が行なわれておったわけでございまして、支出負担行為担当官等の会計事務職員は事後にこれを適宜取りまとめまして会計処理を行なっているなど、会計法令を無視した取り扱いが行なわれておりましたので、すみやかに会計法令の趣旨を関係者に十分周知徹底させるとともに、法令に準拠した経理、ができるような執務体制を整えて適正な経理を行なう必要がある、この旨の処置の要求を、先ほど申し上げました十一の大学長あてに出しまして、さらに文部大臣あてに、これらの事態の改善の処置の要求を出しました。大学長のほかにも、私たちこれは検査に参りますときに、すべての大学をカバーするわけではございませんので、ほかの大学におきましてもやはりこのような事態がありますれば改善処置をとっていただく必要のあるという意味におきまして、文部大臣あてに改善の処置要求を出したものでございます。以上でございます。
  167. 有島重武

    ○有島委員 大臣、そういう経緯でございますけれども、こうした問題については、大臣いつごろからこういったことを御承知でいらっしゃいましたでしょうか。
  168. 高見三郎

    高見国務大臣 会計検査院から指摘をいただきまして承知をいたしたわけであります。そこで、すぐ会計担当のほうに厳重な指示をいたしまして、自今さようなことのないように注意を促しておきました。
  169. 有島重武

    ○有島委員 大臣の指示だけでもってこの問題が解決できると思っていらっしゃるようですね。指示しないよりもいいと思うのですけれでも、ここにはいろいろな問題が含まれていますからこういうことが起こっておるのじゃないか。会計の係の方に指示して、さようなことのないようにということでしょうね。大ざっぱに言えばそういうふうにおっしゃったのかもしれないけれども、法令上と実際に行なわれている物品の購入例等の一番の相違点は一体どこら辺にあるのか、どういう御認識を持っていらっしゃいますか。
  170. 高見三郎

    高見国務大臣 これは、会計の規則から申しますと会計検査院指摘のとおりでありますが、実際の購入面から申しますと、速急にこの薬が要る、同じ薬でも、どこの製品のどの薬を使ってみたいという教授がかりにあったといたします。それを経理担当官のところまで出していたのでは間に合わない場合がある。実際問題として間に合わない場合があるから、勢い、電話をかけてきょうにも持ってこいという悪い風習がついておったようであります。けれども、これをルーズにいたしますと、これは私、非常に懸念いたしますのは、この中に、将来、過激派学生がかってに使う品物が出てくるおそれがある。したがって今後は、会計担当官の決裁を経なければ買ってはならぬ。これは研究上から申しますと非常に不便であります。不便であることは承知の上で、そういう措置をとりました。
  171. 有島重武

    ○有島委員 そうすると、いままでの経過は文部省側の監査のミスであった、これはお認めになるわけですね。それで今後、多少の無理を承知でもって、法規上きまったとおりやれ、そういう指示をお出しになったわけですか。
  172. 高見三郎

    高見国務大臣 お話しのとおりであります。
  173. 有島重武

    ○有島委員 ところで、何のための文教行政であるか、学術を進めるためであると、そういうことになっておりますね。それが確かに野方図になってはいけない。だからといって、不便であることを重々承知の上で、それをいわば形式的に指示を出された。それが、では今後、実際にちゃんと守られると思いますか。
  174. 須田八郎

    ○須田政府委員 お答えいたします。  実は、先ほど大臣からお答え申し上げましたとおり、昨年の十一月に検査院長から改善措置要求の指摘がございました。続きまして大臣から、さっそく検討するようにという下命がございまして、十一月に事務次官裁定によります経理事務改善検討委員会というものを設けましてこの問題に取り組んだわけでございます。  一つは、先ほど大臣からもお話がございましたように、教育研究上の必要性、すなわち品質、規格、純度、こういったものにつきまして研究上の要請から非常にきびしい条件がつけられた。と同時に、教育研究は途中で中断できないといった不断性の性格を持っておるわけでございますから、さような特殊性に応じてある程度弾力的にやれる余地はないかどうか。同時に、国民の血税を使うわけでございますから、厳正に、適正に執行しなければならぬ、こういう要請も片方にあるわけでございます。  そこで、その両方の要請を制度上どの辺で調和をとったらよろしいかといった問題が当面の問題になろうかと思いますが、私どもとしましては、厳正にこれを執行するという観点から、この経理事務改善検討委員会におきましていろいろ検討を進めてまいりましたが・おおむね幾つかの点につきまして改善の策を得たわけでございます。  その内容につきましては、これはすでに各大学長あてに昨年の十二月二十三日に通達をいたしておりますが、その一つは、予算執行の効率化ということでございます。学内予算の執行に関しまして、教育研究の計画に即応した予算計画を確立して予算執行の効率化をはかってほしい。ややもしますと、学内における予算配当というものがずいぶん時期がおくれまして教室の末端に参るという傾向向がございますので、そういう場合には、暫定的に前年度の配当額の何割は使ってよろしいといったようなことで、正式決定までの暫定措置をきめるとか等の予算執行の効率化をはかってほしい。それから、やはり基本的に問題になりますのは、教官等の会計の制度なりあるいは経理のルールについての認識が十分でないといった点がございますので、教官等に対する周知徹底方につきまして、たとえばパンフレットのひな型みたいなものをつくりまして教官に会計法令の趣旨の周知徹底をはかってほしいとか、あるいは支出負担行為事務がとかくおくれがちになっておりますので、そういうものの整理を促進するとか、あるいは一方におきまして、業者に対しまして、物品の納入に関する国の会計手続、こういう点について業者におきましても十分知っておってもらうといったような点についての指導啓蒙を行なうとか、あるいは、先ほど先生から御指摘がございましたように、部内の会計監査を励行するとか、あるいは教室等の職員に支出負担行為担当官の補助者の任命を行ないまして補助事務を行なってもらうとかいった方法によりまして、厳正化の面は確保してまいりたい。同時に、この教育研究の特殊性に応じましたいわば弾力的な方向につきましては、いろんな方法があろうかと思いますが、現在の支出負担行為制度そのものを否定するということは避けなければならないと思いますので、たとえば支出負担行為の整理の時期を請求のあったときにするといったような点も含めまして、関係の当局と目下協議中でございます。
  175. 有島重武

    ○有島委員 大臣御承知と思うけれども、会計法の十三条、それから財政法の三十四条というのがからんでいる。二つながらこれが無視された形になっている。これは文部省の監督下にあってそういうことが行なわれていたということはまずいことであると思います。それで、会計検査院から、例を群馬大学の場合に限ってひとつ詳しく話してください。
  176. 池田伊臣

    ○池田会計検査院説明員 群馬大学の実例について申し上げます。  四十五年度中に研究用試薬等の購入費といたしまして支出した経費のうち、四十五年の六月から四十六年三月までの間に株式会社川浦新星堂ほか一業者に支払いましたものを、抽出いたしまして検査した結果でございます。  検査の結果によりますと、会計機関におきましてその実態を把握していないまま教官等において直接業者からつけ買いされておりましたわけでございまして、このような実際の経理をあたかも正当に執行されましたように整理する必要上、事実と相違する関係書類を作成いたしまして、品名、数量、購入日時等を不実に記載して経理しておったわけでございます。  その一例をいま申し上げてみます。これは四十五年の八月十三日に支出負担行為されまして、四十五年の八月二十四日支出されておりました。名前がちょっとややこしいのでありますが、NEFAキットハウリーと申しまして、これは何か遊離脂肪酸の測定用に使うとか承っておりますが、これを五つ買いまして、単価が一万九千五百円でございまして、合計金額が九万七千五百円でございます。こういった整理をしておったわけでございますが、実はこの請求書は延べ品目で申しまして六つの品目のものでございまして、しかも納入の月日が四十四年八月六日から四十五年の五月三十日にわたるものでございます。  ちょっと名前だけでも申し上げてみますと、四十四年の八月六日に買いましたのはNEFAキットハウリー、四十五年の二月十二日に買いましたのはオムニカイン、四十五年の三月十四日に買いましたのはべーリンガーウリジン、四十五年三月二十三日に買いましたのがアルコルビン酸、それから四十五年の五月六日に同じ名前のNEFAキットハウリー、四十五年の五月三十日にパナプレート、こういった延べにいたしまして六品目のものを買っておりましたものを、四十五年の八月十三日に一括いたしまして支出負担行為をいたしまして、支払いも四十五年の八月二十四日にいたしておる、こういったものでございます。  したがいまして、教官等が業者から、この一例で申し上げましたような形で買っておりましたものを、先ほど申し上げました期間につきまして二業者の分に限定しました総体の品目数で申し上げてまいりますと、延べ九千百四十品目、千四百三十五万六千七百九十八円のうち、延べ五千八百三十三品目は、いまの申し上げました例のように延べ千四百七十五品目として適宜整理しておりましたもので、残りの延べ三千三百七品目、五百四十九万八千六百三十円につきましては、会計実地検査当時支出負担行為の整理も行なわないまま未払いとなっておったという次第でございます。したがいまして、このような整理をしておったものでございますので、四十五年度分として支出いたしておりましたものの中に、実際には四十二年度に購入したものと、四十三年度並びに四十四年度に購入したものが入っておるわけでございます。  内訳で申し上げますと、四十二年度に購入したものが十九品目、四万二千五百四十円、四十三年度に購入しましたものが十四品目、一万八千百十円、四十四年度に購入しましたものが五百七十九品目、八十二万九千九百二十五円、合計しまして六百十二品目、八十九万五百七十五円のものが含まれておったわけでございまして、また同様に支出負担行為整理未済のままで未払いとなっておりましたものの中にも、同様に過年度でありますところの四十四年度に業者から納入さしておりましたものが二百六品目、二十九万九千四百三十五円ある状況でございます。これらもいずれもこれは会計経理の年度を乱しておるということになっておるわけでございます。経理の実態の例につきまして御説明いたしました。
  177. 有島重武

    ○有島委員 大臣、お聞きになったかどうか、あまり聞いていらっしゃらなかったようでありますけれども、大体おわかりですか。たくさんの品目買っておいて適当に伝票をあとから切って、しかもその未払いが現にできておる。そういうようなことが、これはいまのは一例でございますけれども、あちらこちらでもって行なわれておる。このことについて大臣はその責任をお感じになりますね。ちょっとお答えいただきたい。
  178. 高見三郎

    高見国務大臣 この問題は非常に大事な問題でありますので、私も責任感じております。ただ、大学実情を聞いてみますと、無理からぬところがあったし、文部省のほうも悪かったと思いますが、予算の配分がおくれて、大学で各学部に配分する配分がやっぱりおくれておるというような事情があったようです。そこらの点がこういう問題を起こした一つの原因であろうと思いますので、文部省のほうも、今後は予算がつきさえすればさっそく配分するし、大学のほうも各学部のほうに予算を配分する。そのワク内でやるということになれば、各学部で購入する品物はどれだけあるということがきまるでありましょう。そうすれば正規の手続をとってもやっていけるという考え方を私は持っておるわけであります。
  179. 有島重武

    ○有島委員 四十六年の国立学校の研究教育の経費ですけれども、四百四十億二千四百三十万二千円、四十七年度はこれは五百億円をこえることになっておりますね。これは私は研究費としては決して多いとは思わないです。もっとやってもらいたいとは思いますけれども、私学の助成、これが四百億でございますから、その面における文教予算としては大きい問題であろうと思いますから、業者への支払い状況を、その後すぐにおつかみになったかどうか。品物はもう入ってしまったけれども払ってない。予算以上のものを買っておる。それが未払いになっておる。そういったことについては、たとえば昭和四十五年についてはもうすでにそれをつかんでいらっしゃるかどうか、会計のほうから伺いたい。
  180. 須田八郎

    ○須田政府委員 会計検査院から指摘をされました分につきましては、それぞれ昨年末までに支払いを完了いたしております。なお、ただいま御指摘の点につきましては三月末までに提出するように調査中でございます。
  181. 有島重武

    ○有島委員 これは私京大の工学部の四十五年度の分だけ伺ってみたわけですけれども、一カ月ぐらいで持ってきてくれるかと思ったら、持ってくるのに二カ月かかるのですね。四十五年度分の決算——決算といいますか、わずか一学部のことですから、ほんとうに小さい部分ですね。こういうことを含めて文部省で決算書というのはできているんですね。そういうことになりますと、ほんとうにこれはこれだけの話で、ほかは全部完ぺきだと思いたいけれども、ほかの面にもこうしたずさんさというものは及び得るのではないか。これは重々しっかりやってもらいたい。しかもこれは、ほんとうにこういったものを含んだ決算であったことをいままで御承知なかったとすれば、ほんとうに怠慢であろうと思うのですけれども、その点、今度は四十六年度の決算をまたなさるわけですけれども、そういった点いかがですか。
  182. 須田八郎

    ○須田政府委員 先ほど来御指摘のございますように、会計年度区分の適当でなかった点、あるいは法令の規定に従いまして支出負担行為担当官等がやる職務につきまして、その権限のない教官等が実質的にその事務の一部を行なっておったこと等につきましては、私どもとしましても、会計手続上きわめて不当な事実であるというふうに考えておりまして、たいへん遺憾に存ずる次第でございます。
  183. 有島重武

    ○有島委員 まるでいまの会計課長が悪かったみたいなことを言いましたけれども、会計課長はほんとうに大臣を守ってやってくだすっているんだ、ほんとうにいい部下を持っておるんだと思うのです。大臣として嘆こうしたことについて、国民に対して、怠慢であった、申しわけなかった、そういうふうにお感じになるかどうか、あるいは、こういうことはとかくありがちだ、そういう程度でございますか、その辺はどういうふうにお感じになっておるか、その感じ方をひとつ……。
  184. 高見三郎

    高見国務大臣 このことは指摘されまして初めて知った事情でございまして、大学の経理がそういうふうな形で行なわれておるということば国民の血税を——これは悪意ではなかったに違いありませんけれども、善意にしろ、許すべからざることだと思います。しかも、文部省でも検査をしておりながらそれに気がつかなかったということは、まことに申しわけないことと存じております。今後は十分気をつけるつもりでおります。
  185. 有島重武

    ○有島委員 警察庁にお尋ねしますけれども、京都大学の理学部の持っておりました金属ナトリウムが去年盗まれた、そういった事件があったように承っておりますけれども、そういったことを簡単に説明してください。
  186. 丸山昂

    ○丸山説明員 昨年の八月三十日に京都大学から届け出がございまして、結局それをさかのぼります二十六日から三十日までの間のようでございますが、京都大学の理学部の危険物貯蔵所から金属ナトリウムが七・五キログラム窃取されたということが判明いたしたわけでございます。  手口といたしましては、実はこの危険物の貯蔵所が鉄筋コンクリートの平屋建てでございますが、七つの部屋に仕切られておりまして、それぞれの部屋の出入り口に鉄のとびらがありまして、かんぬきと南京錠がかけられておったわけでございますが、このかんぬきと南京錠を金のこ様のもので切断をいたしまして侵入して、いまの七・五キログラムの金属ナトリウムを窃取した、こういう事件でございます。  貯蔵所から約十メートルほど離れたところに守衛所があったわけでございますが、この切断をしております物音は、そこに詰めております守衛の方は聞いておられないようでございます。京都府警では特別捜査本部を設けましてその後ずっと捜査を継続しておりますけれども、現在までの段階でまだ犯人の検挙に至っておらない次第でございます。
  187. 有島重武

    ○有島委員 こういうことがあったわけでございます。それで文部省は、この事件の事後処理をどういうふうにしていらっしゃるか、そのことを伺っておきたいと思います。
  188. 須田八郎

    ○須田政府委員 文部省としましては、事件を知ってから直ちに大学にまず事情の聴取を行ないますと同時に、九月過ぎましてから学長並びに事務局長を文部省に招致いたしまして、金属ナトリウムの盗難によりまして社会的な不安が大きくなったことは、大学として非常に責任が重い、事後措置を適正に行なうように厳重に注意をいたしました。同時に、その後具体的な措置といたしましては、従来かけておりました施錠が、ただいま警察庁のほうから話もございましたように、かんぬきに南京錠をかけ、また普通の鉄の扉の錠もいたしておりまして三重にしてあるのですが、それが金のこのようなもので切られたという経緯もありますので、施錠につきましては、さらに堅牢かつ大型の施錠をかけるということで、盗難の予防の一つの方策にする。  それから二番目には、貯蔵庫の外側が木が多うございまして植え込みになっておりますので、そういう樹木を伐採するとか、あるいは近くに掲示板がありまして見通しが非常に悪いというようなことがありましたので、それを移動させるとか、あるいは守衛による巡視が、従来外観だけ見まして異常の有無を点検しておったというにとどまっておったのですが、その点検を十分行なうようにいたす。なお、金属ナトリウム等の危険物を多量に保管をいたしておりましたために一時に大量の盗難にあうという結果にもなったわけでございますので、必要最小限度の保管にとどめるということで、京都大学におきましては、いま申しましたようなことを理学部の主任会議あるいは協議会におきまして検討いたしました。そして、さような措置を講ずると同時に、さらにその後、水銀灯あるいは周囲にフェンスの取り設け、あるいは天井を破られるということも考えまして、天井に網を張るといったような工事を現在実施中でございます。  なお、他大学につきましては、このようなことが他の大学に起こってはならないということで、九月から十月にかけまして、全国を五つの地区に分けまして、それぞれの地区内の国立大学の危険物の管理に当たっております部課長を招集いたしまして、厳重に注意をすると同時に、指導の徹底を期した次第でございます。
  189. 有島重武

    ○有島委員 大臣、この問題でもって二つばかり注意すべきことがあるのではないかと思うのですよ。これは貯蔵庫でもって大量に取られる。七・五キログラムというと二貫目近いですね。それだけの金属ナトリウムが取られたわけです。これは貯蔵庫であったからすぐにわかったわけですね。もしこれが教室の場合に少しずつ持っていかれたら、いまのところ全然わからないわけです。それから本来は、それが全部でどのくらいの量がどういうふうになっているということも、帳簿なり、少しおくれては会計上にちゃんとチェックされるはずだけれども、先ほどのようなずさんなことをやっておりますと、これはもう永久に、どの量がどのくらい持っていかれたかわからない部分がかなりあるのではないかということが類推できますね。これは、先ほど赤軍派の話がございましたけれども、こうしたことに関連して非常に不安を増すことではないかと思いますね。こうした点からも先ほどの問題は重要視してもらいたい。ただ形式上の会計の問題をあまりきつく言うと、また今度は、伝票だけはすっかりいいのだけれども中身はずさんだったというようなことがないようなふうにしていただきたい。  それからもう一つ。これはまだ七・五キログラム盗まれて、それがどうなっておるのかも全然つかめない状態。ところが、この問題でもって消防庁のほうにちょっと伺いたいのですけれども、この危険物が学外に流出されるという予想ですね。そういった可能性がまだまだあるんじゃないかというふうに私は思うのであります。消防庁としてはこれに対してどういった見解をお持ちになりますか。
  190. 永瀬章

    ○永瀬説明員 京都大学の金属ナトリウムがなくなりました事件につきましては、危険物の屋内貯蔵所は七つの仕切りがございましたが、全体で消防法にございます基準の数量の三十倍程度のものを保管する倉庫がございます。そこから七・五キロの金属ナトリウムがなくなったように私どもは聞いておりますが、これらの保管につきましては、消防法令でいろいろ規定がございまして、厳重な保管が危険物の保安監督者等によってなされているはずでございますが、今後こういうような盗難あるいは異常な持ち出し等がありまして、それがいろいろな面で使われたりなどいたしますと、非常な危険がある場合が考えられます。しかしながら、京都の場合はどこへいったかわかりませんので、私どもとしても手の打ちようがないわけでございます。  一般には、ガソリンスタンド等で灯油とガソリンを間違えて売ったというような場合は、火災の危険がございますし、大体買っていかれた方がお使いになる使い方というものがはっきり予想できますので、直ちに広報等、ときにはラジオ、テレビを通じまして、そういう方は申し出てくださいというようなことをお知らせをして危険を排除する方法をとっておりますけれども、今回の場合は、どうもはっきり行き先がわかりませんので、打つ手がなくて困っている状態でございます。
  191. 有島重武

    ○有島委員 打つ手がなくて困っているというお話でございましたけれども、現場の方の御意見なんですけれども、たとえばブザーベルですね。かんぬきをはずそうとするとベルが鳴るというような装置をつけたいというようなくふうがあったのだけれども、それは消防法でもって禁ぜられているので、それがまだ決定がおりないというようなことを聞きましたけれども、何かいまのことですが、木を取っぱらって、掲示板をとってというようなこともいいかもしれないけれども、そうした装置を消防庁のほうでくふうなさるというお考えはないかどうか。
  192. 永瀬章

    ○永瀬説明員 京都市消防局がとりました措置を京都から報告を受けますと、警察庁のほうだったかと思いますが、お話がございました。そのまわりの見通しをよくするために木などの障害物を払うこと、それから監視に巡回いたします回数をひんぱんにしていただくこと、あるいは屋根とか周囲、さらに天井に網を張りまして、入る場合にかなり時間がかかるという方法を講じますほかに、先ほどの周囲に金網を張りまして、建物のまわりにもう一重金網を張る。そのほかに、いま先生御指摘の、不審なものが近づきましたときに警報が出ます警報ベル、これはどうも赤外線などを使ったもののようでございますが、これをつけていただくことをお願いして、つけたという報告を受けております。消防のほうでつけちゃいけないというお話のようですが、私どものほうにはこれをつけていただいたという報告が参っております。
  193. 有島重武

    ○有島委員 私は直接電話で聞いたのですけれども、それがまだできておらないという話で、それではもう一ぺん調べてください。  それでは、自余のことは、時間が来たからまた次の機会に譲りますけれども、大臣、くれぐれも研究費の問題は、大きく言えばもっと合理化を考えていただきたいということ、それから、こうした危険なことにもつながってくる問題であるということを重々認識していただきたいと思うのです。  それから、先ほどの授業料の値上げのことについては、さらにもう一ぺん回をあらためてお伺いしたいことがありますので、なお保留させていただきたいと思います。  いまの危険物の問題についてだけ御所見をいただきたいと思います。
  194. 高見三郎

    高見国務大臣 京都大学の金属ナトリウムの問題で、私非常に心配をしまして、たしか東京工大の方々に聞いてみましたら、やはり理学部のある学校では爆発物になるべき薬物が実験室に置き忘れになっておる。それは少量のものであってもたび重なれば相当なものになる。しかもそれが多量なら爆発物にするという場合が起こり得るのだという話を伺いまして、実はがく然としたわけであります。そういう場合があり得ると思います。京都の場合はまとめてとられたから早くわかったのですけれども、薬学部とか理学部とかいうところで試験管に入っているものをこっそり持っていかれたという場合は、全然わからないというのですね。そういうことをいまからやはり気をつけておかなければならない。ことに、今度の赤軍の問題なんか考えますと、七・五キロというのはたいへんな問題なんですから、一刻も早くその行くえを突きとめることが大切だと思いますけれども、学校側の保管体制が何よりも大切なことではないかと思います。ことに気をつけなければならぬのは、実験室にわずかばかり残しておいたものを盗まれていくおそれが多分にあるということです。この問題についてもやはり真剣に考えなければならないというように私感じております。  御指摘の点は、京都大学の場合は、十メートルばかりのところに守衛がおって、音がしたに違いないと思うのですけれども、音が聞こえなかったということ自体も、ちょっと私はおかしいと思うのですが、これは大量盗難ですから、警察側も必死になってやっておられます。しかし問題は、むしろ研究室の試験管に残っているわずかな試験薬が盗まれるというような問題のほうも気をつけさせるということを考えないと、かえって危険じゃないかという感じがするわけで、この点については十分注意をいたすつもりでおります。
  195. 有島重武

    ○有島委員 それではきょうはこれで終わります。
  196. 河野洋平

    ○河野(洋)委員長代理 山原健二郎君。
  197. 山原健二郎

    ○山原委員 最初に、警察庁の丸山参事官のほうに聞きたいのですが、浅間山荘事件の当時、警察の首脳部におきまして、立てこもった連合赤軍に対する見解、これが毎日新聞の二月二十六日付の警察首脳部の一人が言ったことばが出ております。「権力とは無関係の一女性を監禁、殺傷することは、彼らの論理と矛盾しており、彼ら自身悩んでいるのではないか。」こういうことばが出ております。さらに、二月二十九日付でありますが、これは東京タイムズに、野中長野県警察本部長、これは当時の総指揮官でありますけれども、この方が「犯人に人質を大切にするとの基本原理があるので望みはあった」という発言をされておるのでありますが、その以後のいわゆるリンチ事件その他大量の虐殺事件が発覚をしてきた今日におきまして、この警察当局の考え方というものは、連合赤軍に対してきわめて甘い観測を持っておったのではないかと思うのですが、現在でも警察としてはこういう考え方に立っておるのですか。最初に伺っておきたいと思います。
  198. 丸山昂

    ○丸山説明員 ただいまの先生の御指摘でございますが、これは率直に申しまして正確な表現ではございません。私ども、二十八日の救出作業を強行いたします最後の段階まで、人質が安全であるのかそうでないのかという確証は、いずれも得られなかったわけでございます。したがいまして、人質が安全であるというふうに確信を持ってやったわけではございません。
  199. 山原健二郎

    ○山原委員 当時の連合赤軍に対処してきた警察の態度としてことばが出ておりますが、さらに後藤田長官の場合にも、確信犯だということばが出ているわけですね。だから、彼らは一定の政治的見解を持ってやっているのだからという、そういう考え方が当局の考え方の基礎にあったのではないかと私は思うのですが、その後の経過から見るならば、これは全く甘い考え方ではなかったか。先ほどあなたがどなたかの質問に答弁されておる中で、牟田泰子さんのそばに拳銃と銃が置かれていた、これは人質を大切にするというふうな基本原理ではなくて、場合によっては人質を警察官側から撃たすという、殺害をみずからはしないけれども、犠牲にしてもかまわないという思想がこの犯人の中にあったのではないか、こういうことを先ほどの答弁によりまして私は感じておったのですが、そこらを甘く考えてきた警察当局の考え方というものは、これは前と今日と変わっていないかどうか、もう一度伺っておきたいのです。
  200. 丸山昂

    ○丸山説明員 その点に関しましては、ただいま先生御指摘のとおりに、彼らは決して人質に対して甘い考えを持っていないというこの考え方は、最初から現在に至るまで私どもとしては変わっておりません。
  201. 山原健二郎

    ○山原委員 東京タイムズ、毎日新聞、また他の新聞にもこういうことばが出ておりましたので、そうすると、この長野県警察本部長の意見だとか、あるいは警察首脳部の出されておる見解というのは、これは明らかに、今日の時点から見るならば——もしこのことばそのものが、そんなことは言ったことはないのだといえば別ですけれども、少なくとも公共の報道機関に出されておる限り、私たちはそう見るわけですね。そうであるとするならば、これは明らかに誤りであると思うのですが、もう一回伺ってみたい。
  202. 丸山昂

    ○丸山説明員 私どもの考えておりましたことを正確には伝わってないというふうに判断いたします。
  203. 山原健二郎

    ○山原委員 私がなぜこれを執拗にお聞きするかと申しますと、かつての国家公安委員長でありました荒木萬壽夫氏が、かつての大学紛争当時に言っておることば、これは全共闘、私のほうは暴力集団と呼んでおりますけれども、これに対してはいたわりの目をもって対処しなければならぬという発言をしておるわけです。さらに、これまた国家公安委員であり、また中央教育審議会の委員でもありますところの八幡製鉄の副社長の藤井丙午氏の発言でありますけれども、これには、「三派全学連の方は、…何でもぶちこわせ主義」で「むしろシンプル」で「転向する可能性がある」、「しかし代々木派のほうは、共産党をバックに柔軟な戦術で学生大衆を自分たちに引きつけようとしている。」これはエコノミストに出ておる発言でありますが、これは公安委員会委員、しかも中央教育、審議会の委員ですね。こういう考え方が公安当局にあるのではないか。そのことが、先ほど泳がせるということばも自民党の森議員のほうから出ましたけれども、彼らを泳がせてきた背景にあるのではないかというふうに私は考えるわけです。したがって、先ほど言いましたこの連合赤軍の全く凶暴な行為に対しても、なおかつ、彼らは人質を大事にする基本的な原理があるのだというような考え方が生まれておるのではないか。そんなものではないわけですね。激しさを競い合って、どこまでもエスカレートしていって、そして内側ではリンチ、虐殺ということを平然としてやっていく、そういう集団にまで成り下がっていく。その実態をつかみ得なかったところに一つの大きな匿題があるのではないかと思うのですが、もう一度その点を伺っておきたいのです。
  204. 丸山昂

    ○丸山説明員 国家公安委員の方々の御発言、これは多分に個人的な御見解も含まれておると思いますので、私ども公の考え方といたしましては、先ほどから繰り返して申しておりますように、ともかく闘争手段の激化ということで、このエスカレーションの歯どめが全然きかないという状況下におきまして、彼らを泳がせるとか、あるいはこれに対して同情的な見解を持つとかいうようなことは絶対あり得ないわけでございます。ましてや私ども、特に昨年の九月以降の段階において、数多くの警察官の殉職者を出しておるわけでございます。非常に甘い考え方で臨んでおるとすれば、とてもこんな犠牲は払えないのでありまして、その点御了承を願いたいと思います。
  205. 山原健二郎

    ○山原委員 さらに、この間の地方行政委員会におきまして、富田警察庁警備局長が、連合赤軍派の中にも多くの協力者を持っておる、また情報提供者に対しては謝礼金を出しておるということを言われておりますし、先ほど丸山参事官の御答弁の中にも、公然たる連絡はあったというふうな——私の聞き間違いかもしれませんが、公然たる連絡はあったけれども、非公然の分について連絡が切れたという意味の御答弁があったように思うのですけれども、そういう連絡はあるのですか。しかも公然たる連絡とはどういうことですか。
  206. 丸山昂

    ○丸山説明員 これは速記録をお調べいただければけっこうだと思いますが、私は公然たる連絡とは申し上げておりません。公然組織については情報をとるすべはありましたというふうに申し上げておるわけでございます。連合赤軍についてはございません。公然も非公然もございません。
  207. 山原健二郎

    ○山原委員 それでは、富田警察庁警備局長が言われておりますこの連合赤軍についても、赤軍派の中に情報網はあるが、今回の場合は戦術的情報はなかったということかという質問に対しまして、そのように御理解をというふうに言って、暗に認めたような形になっているのですが、そういう事実はないわけですか。
  208. 丸山昂

    ○丸山説明員 いま申し上げましたように、赤軍の公然組織について情報をとる方策はあった、そういう意味でございます。
  209. 山原健二郎

    ○山原委員 この連合赤軍というものの公然組織とは何ですか。連合赤軍の性格についてここで申し上げる必要はないと思いますけれども、これは明らかに鉄砲で政権をとるということですね。唯武器論というものを彼らは公然と出しているわけでしょう。この赤軍派の公然組織というのは一体どういうところにあるのですか。どういうのを公然組織と言っているのですか。
  210. 丸山昂

    ○丸山説明員 関西のほうで主として組織されておりますが、革命戦線という組織がございます。そのことを申し上げておるわけです。
  211. 山原健二郎

    ○山原委員 関西のほうで組織されておる革命戦線というのは赤軍派ですね。赤軍派の内部組織かどうか、私よくわかりませんけれども、それとは連絡がある、そこには情報協力者を持っておるという意味でございますか。
  212. 丸山昂

    ○丸山説明員 関西の革命戦線の実情について、実態について情報をとり得る立場にあった、こういうことでございます。
  213. 山原健二郎

    ○山原委員 関西の革命戦線というのは赤軍派とは別個の組織ですか。先ほどRGというのが出てきましたね。あなたが共産党のRGというふうに言われて、私は事務官の方にお話ししたのですが、共産同のRGというわけですね。RGというのは関西共産主義同盟で、武装しておる部隊ですよね。このことをさしておるのですか。
  214. 丸山昂

    ○丸山説明員 いま私が申し上げておりますのは、赤軍のフロント組織としての革命戦線を申し上げておるわけでございます。  それから、ただいまお話がございました共産同——これは私は共産同と申し上げております。共産主義者同盟のローテゲバルト、RGということでございまして、昨年八月ごろに結成されておりまして、約三十名ぐらいではないかというふうに推測をしております。主たる犯罪は、昨年の九月から十一月ごろまでにかけまして、警視庁の機動隊、それから派出所、東京地検、こういったところに爆弾をしかけて破裂をさせたということで、この関係者として竹内毅という者を全国指名手配をしております。
  215. 山原健二郎

    ○山原委員 関西の革命組織、しかもそれは赤軍派のフロントであるという。これと連絡がある、協力者があるということで、その筋から今度の赤軍派の動きといいますか、連合赤軍派の動きというものはキャッチできなかったわけですか。
  216. 丸山昂

    ○丸山説明員 そのとおりでございます。これからは非合法組織の情報はとれなかったという結果に終わっております。
  217. 山原健二郎

    ○山原委員 それは非合法組織ではないのですか。
  218. 丸山昂

    ○丸山説明員 それは公然組織でございます。
  219. 山原健二郎

    ○山原委員 続いて文部省のほうへお伺いしますが、現在、一例を申し上げますと、暴力的性格を持った集団によりまして、学校が閉鎖されたり、あるいは自治会活動もできない、自治会の幹部も学校に出入りできないという異常な状態が相当数あるのではないかと思います。私の聞いたところでは、たとえば東京大学の医学部神経科病棟、これは封鎖されたままですね。これは神経をおかされた方々が入院をしておるところだと思うのです。それが封鎖されたままなんです。一体、この精神病の方々がどういう状態に置かれておるのか、これすらわからないような状態にあるわけです。しかも長期にわたって封鎖されたままですね。この実態がどうなっておるのかということをお聞きしたい。同時に、現在全国の大学においてどういう状態にあるのか。文部省がいまつかんでおられる実態を御報告いただきたいのです。たとえば、封鎖されて授業ができないままでおる学校が何校、あるいは学部が幾つというふうに、いま資料がございましたら発表していただきたいのです。
  220. 木田宏

    ○木田政府委員 現在授業が実施できてない学校が、国立大学で七校、私立大学で八校、また、ストライキ等が行なわれておりまして授業の行なわれてない学校が、国立で二十三校、公立で六校、私立で三校、合わせて三十二校ほどございまして、合わせまして約四十校ほどにおきまして授業が行なわれておりません。
  221. 山原健二郎

    ○山原委員 そういう長期に授業が行なわれていない状態の中で、授業料なんかはどうなっておるのですか。
  222. 木田宏

    ○木田政府委員 授業料は、四月と十月とに分けましてそれぞれ徴収をいたしております。
  223. 山原健二郎

    ○山原委員 私の周囲にも、大学子供をやっておる父兄がおるわけですけれども、全く学校にも行けない、授業も受けることができない、また、場合によっては、授業を受けておればいつ鉄パイプが飛んでくるかわからないというような異常な状態で、しかも授業は受けないけれども授業料は取られるということに対する悩み、一体何をしておるのかわからないというふうな意見も出てくるわけですね。そういう実態である。しかも四十校——私の調査しましたところでは、こういうふうに考えておるのです。たとえば自治会活動の学生なんかが大学へ入れないところが四校、二十六学部、さらに、学内におきましていつテロ、リンチを受けるかわからない危険な状態にある学校が十一大学、三十八学部、それから、学内において集会等を開きましても暴力の襲撃を受ける可能性のあるところが十六大学、二十学部、さらに、学校が封鎖されておるところ、または大学当局がロックアウトしておる大学が六大学、十四学部、それから、こういう暴力が横行しておるけれども実態がつかめないというのが七大学、十一学部というふうに私のほうでは調べているのですが、大体四十四大学ですね。これほどたくさんの大学が正常な授業ができない状態に置かれてそのままでありますが、これをどういうふうに解決していくか。たとえば東京大学の神経科の場合なんか、これはどうするおつもりなのか。何かそれについての対策をお考えになっておるかどうか。当面の問題として伺っておきたいのです。
  224. 木田宏

    ○木田政府委員 それぞれの大学でそれぞれ問題になっておる課題、それから授業の行なわれておらない実態、学生の動向、区々でございまして、各大学当局者は、一刻も早く正常な状態に大学がなるようにという努力をいたしておる。また私どもも、そうした大学とは密接な連絡をとりまして、この事態の改善を早く行なうようにということの連絡はいたしておるわけでございますが、いままでのいろんなそれぞれの大学がやってまいりました処置のとり方等さまざまでございますし、また学生大衆の動向も、いろんな分派その他の動きがございまして、簡単にこうこうすればこうなるというような性質のものばかりでもございませんために、いろんなこじれ方をして解決が長引いておるというのは遺憾でございます。しかし、このことは、外からすぐああしろこうしろと言うだけでもって足りるものではございませんで、私どもは大学教育関係者あるいは管理の責任者が、そうした大学の不正常な状態を一刻も早く正していく、こういう措置を現実に講ずる、暴力によって自分たちのとるべきことができない場合には、それは随時所在の治安当局の力もかりながら是正をはかっていく。しかし、そのことは、大学を長期に見ました場合の学園としての正常化という目的のもとに行なっておるように考えております。その処理のしかたにつきましては、各大学の当事者にそれぞれ硬軟いろんな考え方がございますので、一律にはいっておりませんし、長引いておるものがあることはまことに遺憾でございます。
  225. 山原健二郎

    ○山原委員 けさほど来こういう事件が発生をしまして、大学当局あるいは大学長あるいは教授に対する批判もかなり出てきたわけでありますけれども、私はこういう問題は、いままでの自民党並びに政府考え方に大きな問題があるんではないかという意味で、私は自由民主党の幹部の方たちのいままで語ってきたことば、あるいは坂田文部大臣の就任する直前の発言というものをちょっと披瀝してみたいのです。それで、こういう考え方がこういう暴力集団を泳がせ、そしてさらにエスカレートすることを許してきたんではないかという点で、これは単に個人発言ということではなくして、私は非常に重大な問題としてちょっと一、二の例だけあげてみまして、高見文部大臣の見解をぜひ伺いたいのです。  たとえば坂田文相は、一九六八年十月十六日の「教育学術新聞」、ここへ私写しを持ってきておりますけれども、これにはこういうふうに発言をしておるのです。「私は三派全学連よりも一そう警戒すべきは日共糸「民青」の動きだと思う。東大などでも当面の事態を解決できるのは民青であり、問題の解決後は民青がイニシアチブを把握して、大学の経営権、人事権にまでくちばしを入れてくるのではないかと思われる。共産党は学生運動の過程において“ノンポリ学生”を味方につけ急速に勢力を拡大して「七〇年安保」を目ざしており、暴力革命の路線を着々と進んでいるわけだ。だから、東大などでも妥協を急ぎ過ぎてはいけない。」こういう見解ですね。  さらに、中曽根康弘代議士の場合は、これはしばしば発言しておるわけですけれども、たとえば「三派全学連はばか騒ぎしているが、あれはベビーギャングみたいなもので問題外だ。問題は日共だ。静かにじっとしているが、中大でも日大でも学生を味方にして力を伸ばしている。これがおそろしいのだ。」という演説もあるわけです。  幾つかこういうことが、自由民主党の幹部の議員の方から発言をされておるということは、符節を合わせるように現在の保利幹事長の発言もありますけれども、まさにこういう見解が——ベビーギャングだと言ってきたわけですけれども、今日の事態というのはベビーギャングどころじゃないでしょう。あれだけエスカレートしていく、これを温存してきた、ある一政党に対する、一民主青年同盟というものに対する対策として彼らを泳がせてきた、こういう思想性というものがいままであったんではないか。その方たちが政府の要職にもつかれるし、党においても重要な役職につかれておる。こういう一連の流れ、そういうことが今日のこういう暴力が発生する一つの原因になっているのではないかというふうに考えるんです。  私は、高見文部大臣がどういうお考えに立っておられるか知りませんけれども、少なくとも大臣は、授業料の問題については党議に服するのだという発言をしておりますから、党の発言というものは決して大臣とは関係のないものだとは思いません。こういうような甘やかしあるいは泳がせてきた態度、しかも教育の面でそういう発言がしばしばなされておることに対しまして、高見文部大臣は現在の状態の中でどういうお考えを持っておるか、伺っておきたいのです。
  226. 高見三郎

    高見国務大臣 私はこれは山原さんに聞きたいくらいの気持ちでおるんですが、あなた方のほうでは、あくまで暴力阻止という立場に立っておられる。が、学園の実権は実はあなたのほうがお握りになっておることは間違いのない事実です。ただ問題は、同じ革命を意図しても暴力を泳がすというばかなことはわれわれ自民党員は考えておりません。この点だけはひとつ誤解のないようにお願いをいたしたいと思います。どんなに主義主張が違いましても、あなた方のいまとっておられる態度というものは、暴力を否定する態度に立っておられることだけは、私は理解をいたしておるつもりでございます。
  227. 山原健二郎

    ○山原委員 大臣が私のほうへ向いて、あなた方が実権を持っておるなどと言っておりますけれども、そういうことではないわけです。学生自治会というのは正当な選挙によって選ばれるわけだろうと思うのです。ただその中に、あるいは共産党員もおるかもしれません、あるいは民青の者もおるかもしれません。しかしそれは学生諸君が選ぶものであって、しかも学生自治会の大半の組織というのは私は非常に健全だと思うのです。暴力を否定して健全なしかも民主的な学校運営をやっていこうとしておるたくさんの学生諸君がおるわけですから、それは何も共産党員でも何でもないわけです。それを一つにお考えになるということ、これはやはりまた偏見が生じてくると思いますから、その点は正確にしておく必要があると思うのです。  それで、ともかくそういうことは別にしまして、暴力で学校支配する、また、自分たちの言うことに従わない者は、暴力、鉄パイプで問題を処理していくということを少なくとも助長するような発言をしてはいけないわけです。どんな事態がその中にあろうとも、それを泳がすような発言というものは断じてすべきことではない。それが今日ああいう状態をかもし出す源になるとすれば、これはもうたいへんな問題でありますから、その点もう一度はっきりと、そういうことに対しては断固たる考え方を持っておるという決意を示していただかなければならないと思うのです。
  228. 高見三郎

    高見国務大臣 それはもう山原さんがおっしゃるまでもなく、私どもは、この暴力の学生が百七、幸八十万の全国の大学生の信用を非常に傷つけた、このような意味においても暴力を断じて許すことはできないという決意には変わりございません。この点だけははっきりこの機会に申し上げておいたほうがいいと思いますから、はっきり申し上げておきます。
  229. 山原健二郎

    ○山原委員 これは大臣でなくていいですが、学園のこういう紛争の中で、たとえば暴力集団の一員として学生に傷害を加え逮捕歴を持っておる者、そういう者を学校の教員として採用した実例があるというふうに聞くわけですが、そういう実例がありますか。
  230. 鈴木勲

    ○鈴木説明員 現在までのところ承知しておりません。
  231. 山原健二郎

    ○山原委員 たとえばいま問題になっております神奈川県の例を申し上げますと、横浜市では教員が二百名不足しているのです。その中で横浜国立大学教育学部を卒業した生徒の学校への就職希望に対しまして、十名を不合格にしています。これは横浜だけではもちろんありません。たとえば徳島県の場合は六十一名が受験をしまして、これは徳島大学教育学部の卒業生六十一名が教員採用試験に受験をしまして、その中で合格した者がわずかに九名です。その中で六名が男子でございますけれども、あとは全部不合格。この六名の方というのは、よく調べてみますと、成績は非常によくないのです、合格になった者は。非常に成績のいい者が不合格になっている例は、静岡でも起こっております、新潟でも起こっております。その大半がやはり自治会活動に選挙されて参加をしたとか、あるいは学習サークルに参加したとかということが理由になっているだろう。これはもちろん確証は握ることはできませんけれども、全国的にそういう風潮が出ているわけです。そういう状態の中で横浜市におきましても多くの不合格者が生じているわけですが、その中でU君というのは、これは横浜国立大学の学芸学部の学生大会に襲撃をいたしまして、そして告訴され、また当時あばれておりました全共闘リーダー、こうなっておりますが、そういう人が採用されている。あるいは福岡県におきましても、埼玉県におきましても、逮捕歴のある人が採用されるという状態です。そういう例を私は聞いておるのでありますけれども、一方では学習サークルに参加をしたからといって不合格になる。あるいはまた採用試験の場合、面接試験なんかを見ますとこれは全くひどいですね、最近は。  これは一例がここに出ておりますけれども、もう採用試験でも思想差別が行なわれるわけですね。そうしてこれは横浜の場合でありますけれども、こういうふうに試験官が言っております、たとえば「君は民青というのを知っていますか」学生が、「ええ、名前は、聞いたことがあります」それに対して再び「私どもはね、ああいうヘルメットをかぶって騒いでいる連中はたいしたことがないと思っているんですよ。こわいのは民青なんですよ。ヘルメットをかぶってゲバ棒をもってワイワイやっているのは思想などないから時がくれば静かになります。しかし、民青は後ろに共産党がついていて、思想をもっているから警戒しなければならないですよ。共産党や民青は暴力で革命を起こそうとしている危険な団体なんですよ。だから私たちは民青などに入っている人はお断りしているんですよ。教員としてふさわしくありませんからね、」こういう形のいわゆる採用試験における思想差別というものが行なわれている。一方では、学生集団に暴力をかけて告訴されたり、あるいは逮捕歴を持っている者が採用されていく。これは異常な姿だと私は思うのです。だからここで、私かそういうふうに質問しても、事実がありません、事実を知りませんということで過ごされるかもしれませんけれども、こういう風潮は全国にあるということは、これは皆さんもお感じになっていると思うのです。これは明らかに憲法、教育基本法に対する違反行為なんでありまして、教育行政の中で行なうべきことではないわけですね。学生諸君がどのサークルに入ろうが、まじめに科学を勉強し、学術を勉強しようとするならば、それは許さるべきことであって、そのことに参加し、そのサークルが民主的なサークルであるからといってそれを差別するなどということは許されないことで、それが隠然と行なわれておるとするならば、これは文部行政として重大な問題だと思いますので、こういうことがないようにしてもらいたいと私は思うのですが、その点大臣の見解を伺っておきたいと思います。
  232. 高見三郎

    高見国務大臣 教員の採用について地方教育委員会がどういう態度をとるかということにつきましては、それは教育委員会の自主性にまかせなければなりません。けれども、それによって思想差別をするということは私はあり得ないことだというように考えております。もしそういう事実があるとするならば、ひとつ具体的にお示しをいただきたいと思います。
  233. 山原健二郎

    ○山原委員 これは、たとえば新潟におきましては裁判ざたになっておる問題もあるわけです。これはきょう時間がありませんから私は例をあげて申し上げることはできませんけれども、文部省のほうで調査をいただければ幾つかの例も出てくるのではないかと思いますので、その点おきたいと思います。しかも時間がもう過ぎましたから……。  最後に、先ほどどなたからでありましたか質問の中にありましたが、今度連合赤軍の加藤きょうだいの父親の記事が新聞に出ているのです。どなたか申されましたけれども、もう一回お尋ね申し上げてみたいのですが、この加藤きょうだいというのは三名連合赤軍に入っておって、おとうさんが教員だったそうですね。その反省がこういうふうに書いてあります。これは新聞に出ておるのですが、「自分で判断する能力は、幼少のうちから育てるべきだ。その教育方法は明るい性格に育てることから始る。つまり、のびのびと、父親にも文句がいえる子にすればよかったのだ。」という反省をしているのですね。ずいぶん批判も受けておる父親のようでありますけれども、最終段階において自分でこういう反省をしておるのが新聞に出ているわけです。これは私は一人の父親としての、こういう事態を引き起こしたむすこを三名も持った父親としての、いわば心から出てきた反省ではなかろうかと思うのです。自分教育者として長い間つとめてきて、その教育というものが決して正しくなかったということをみずから反省しておるのだろうと思います。  ところが、私はこの父親の、ほんとうに自分で判断する能力を幼少のうちから育てるべきだということばなども、非常に気にかかるわけです。というのは、そういう教育がいま日本教育の現場において行なわれるような状態にあるのかという問題ですね。たとえば「期待される人間像」なども、これはつづめて言えば国家目的に帰一するというふうな考え方がいま教育支配しようとしておると思うのです。そうして、ほんとうに子供たちに自主的判断あるいは科学的認識というものを与えるような、伸び伸びした教育が最近は非常にしにくくなったということを私は考えるのです。少なくとも教育基本法第一条の目的に従った伸び伸びした教育というものを、すべての教師が求めておるのでありますけれども、その教師に対しては、一方では勤務評定の実行あるいは官製研修会による一方的な押しつけ、あるいは学習指導要領による拘束性などというものが次から次へ来る。しかも子供たちは、一方では入学試験によって——現在の入学試験というのは子供たちのほんとうに持っておる能力を伸ばそうという入学試験ではなくなって、まさに競争の中に子供たちを追い込んでいく。そうして子供たちの思想の中に、友だちをけ落とせばいい、自分だけこの苛烈な競争の中でのし上がるためには、友だちの不幸や悲しみを、もう病気になって倒れてくれればいいというようなところまで追い込まれていく実態があると思うのです。そういう中で、日本教育全体が、そういう教育基本法第一条に示された伸び伸びした教育をやれないような状態になりつつあるのではないか、こういうところに今回のような集団的な凶悪犯をつくり出す温床というものもあるのではないかと私は思うのです。そういう意味で、私たちが戦後打ち立てた民主主義教育というものを正しく伸ばすという方向ではなくて、これをつみ取っていくというところに文部省が一番力点を置いてきた、この戦後の教育の変遷というものを考えましたときに、そこにも重大な問題があると思うのです。私はこの加藤という父親の発言に対しまして、もう一度日本教育関係者が考えてみる必要があるのではないかと思うのですが、この点について最後に大臣の見解を伺っておきたいと思うのです。
  234. 高見三郎

    高見国務大臣 今度の事件について私はしみじみ思いますことは、憎んでも余りある残虐な行為ではありますければも、犠牲になりました人たちの両親の気持ちというものを考えまするときに、ほんとうに気の毒だという感じがいたします。たとえどんなに悪い子供であろうとも、親の身から見ればおそらくかわいい子供であったに違いない。しかも、世間さまの手前、まことに申しわけありませんと言わざるを得ない。この犠牲者たちの両親の気持ちというものは深刻なものがあるだろうと、私は心から実は同情をいたしております。この加藤というお父さんの自分の家庭教育についての反省というものは、私ども日本国民全体が家庭教育について考えなければならぬ問題ではないかと思うのであります。  その意味において、私は幼児教育というものがいかに大切であるかということをしみじみ感じます。今度の凶悪犯人のほとんど大部分は中流以上の家庭に育っており、しかも中には、教育者子供であり、あるいは一流会社の重役の子供であるということを考えてみますというと、どこかに欠陥があるということを考えざるを得ないのであります。そういう意味合いから申しますと、この犠牲者の両親の立場というものはまことにお気の毒な立場で、御両親に罪があるわけじゃありませんけれども、世間に対し狭い思いをして、しかも泣いておらなきゃならぬという立場は、ほんとうに心から私は——もし私の子供がそうであったらということを考えますと、身の毛がよだつ気持ちがするのであります。  そこで、日本教育のこれからのあり方というものを考えまする場合には、やはり教育者も親た省というものが必要になってくる、私はしみじみそういう感じで、どの方も子の死体に対面をされて、そうして、まことに申しわけありませんと言わざるを得ない立場にある人をお気の毒だと、御両親に対してはまことにお気の毒だと思わざるを得ません。これは、いまから考えてみますと、やはり幼児時代からの教育にどこかに欠陥があったに違いないということをしみじみ感ずるわけでありまして、そういう意味で幼児教育、まあ母親教育から出発し直さなければならぬ。教師の反省もさることながら、家庭の父親、母親の反省まであわせて考えなければならぬ時期が来ておるという感じがいたすわけであります。
  235. 山原健二郎

    ○山原委員 最後に一言。大臣の答弁と私の考え方とは少しすれ違うように思うのです。私の申し上げるのは、もちろん家庭教育などにこの問題を解消すべきではないと思いますし、また大臣も、そのことだけを強調しておるのではないと思うのです。また、幼児教育の問題にしても、その大事さということはもちろんわかります。しかし、こういうことを契機にしてまた大学教育の管理体制を強化するという、国権の発動というものを強化していくようなことによってはこの問題の解消はできないということを、私は先ほどから申し上げておるのでございます。まあ、この問題については、教育論争になりますから本日はおきますけれども、私の見解を申し上げて質問を終わります。
  236. 河野洋平

    ○河野(洋)委員長代理 次回は来たる十七日開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後六時六分散会