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赤城国務大臣 生産調整を、ことしで三年目になりますか、しておりますが、いまの
お話によりますと、
生産調整をするということになったのは
農林省の政治が悪かったからだ、こういうきめつけのようでございます。私はそれは逆に
考えておるのです。
生産調整をすることになったけれ
ども、
農林省としては悪政をしたわけじゃない。明治から
日本の食糧、米を
自給しようということで、米の増産というものに力を入れ、ことに戦後におきましての荒廃した農村、人的にも土地も荒廃したときに、非常に食糧が不足しました。でありますので、この食糧は、米は特に
全国民のために
自給しなければならぬ、そういうことで、大いに
農林省としても米の
生産を進め、また
農民もそれに協力して技術の改良から土地改良から、増産意欲をもって、農地解放な
どもその
一つでございますが、
〔
三ツ林委員長代理退席、熊谷
委員長代理着席〕
そういうことになって、耕作者も土地が自分の所有になる、こういうことで増産意欲といいますか、
生産意欲を盛り上げてきて、そしていまも百何%の
生産を
農民があげた。だから、これは
農政が悪かったのではなくて、
農政はその点で非常によかった、また
農民がほんとうに協力した。こういうことで、米の
生産が、供給が
需要を超過したということで、私は
農政が悪かったから米の
生産がこれだけあがったというふうには
考えておりません。これはその点では非常に
農政もよかったし、また
農民も非常に協力してくれた。だから、私は
農民に感謝する
気持ちでおるのでございます。しかし、この国全体としては
需要と供給のバランスがとれなければこれはまいってしまうわけでございます。供給が足らないものは買わざるを得ない、私は
自由化には反対なんでございますが、買わざるを得ないという点もございます。しかし、余ったものは、あまり供給が超過しているものはある
程度需要に合わせていかなければ、これは米の管理でもしていなければ、自由
経済ならば豊作貧乏になって、たくさんとってもふところに入る金はただみたいになって、ちょうど
昭和初年の
農業恐慌、その当時私も百姓をしておったのですが、
農業恐慌で米の値段は一俵八円、
小麦一俵二円、麦一俵一円、こういう
昭和初年の恐慌時代みたいに、
需給のバランスがとれないで自由になっておったとするならば、豊作貧乏というような形になる。いま米は
自由化していませんが、国は統制しておりますけれ
ども、しかし、それにしても供給と
需要とのバランスがとれなければ、やはり米の値段などは下げろ下げろ、そうでなくてもそういう声な
ども数年あったわけでございます。私はそれに反対なんですが、そういうようなこともある。だからして、私は米についての
農政は悪かったんじゃないと思います。
農民も努力したと思います。しかし、
需給のバランスをとらなければ安定して
農業もやっていけないし、また国全体としても、超過しているようなほうはほかに作付を転換する、こういうことが必要だ。こういうようなことからやむを得ず
生産調整、こういうことになったと私は思うのです。
私も、あなたの御意見のように、
生産調整なんというのは、ほんとうは
農民の
気持ちからすれば、私も百姓をしておったから
農民の
気持ちがわかるから、好ましいことではありません。少しでも増産しよう、こうして励んでおるのに、その働くことをやめるということですから、一口に言えば、なまけろということです。なまけろということなんだから、ほんとうは
農民の心からいえば本筋ではございません。しかしながら、全体として見ますならば、
需要と供給とがバランスがとれなければ、結局、豊作貧乏みたいなことになって、つくっただけ損をするという形になってはいけませんから、ほんとうは好ましいことではないが、
農民自体が、
全国の
農民が一致して
生産調整を
需給のバランスのとれるところでやろう、こういうことがほんとうは筋だと思うのです。しかしながら、そういう組織ができません。正直者はばかをみるというような
かっこうになってはつまらぬというような状態もありまして、
農民自身が
生産調整をするというような組織にはまだなっておりません。でありますから、これは
政府が
農民の立場に立って、そして
需要供給のバランスをとって、そうして安心して、安定して
生産を続けていく、こういうことが必要だということから
生産調整、これは
政府としても実際は好むことじゃないけれ
ども、やらざるを得ない。これは
農民のためであり、
日本の
農業のためであるということから
生産調整ということを打ち出した、私はこういうふうに
考えております。でございますから、これは
需給のバランスがとれればいつまでもやるべきではないし、また
生産調整をしていて、これはいま御心配のように、米を
自由化するのだ、米の
生産も
消費者価格な
どもみんな
自由化してしまうのだというようなことで
生産調整を進めたというようなことではないと私は思います。
それからまた、五十二年、三年になったら
自由化するのだというようなことは
考えておりません。私は米についてはずいぶん苦労もし、
考えてきたのでございますが、米については統制というものはつきものだと私は思っておるのです。ほんとうに
自由化してしまうと、
国民の主食である米が始終値段が豊凶によって上がったり下がったり――大正七年に米が足りなくて富山県の漁民が米騒動を起こして、それが燎原の火のごとく
全国に大きな問題になって、米騒動が起きました。それから米というものは自由にしておいては困るということで、米穀統制法をつくってこれをコントロールしよう。あるいは戦争になってから米が非常に不足した。これでは、その当時は一億の
国民ではございませんが、戦争をしているのに
国民は非常に不安を来たすというようなことで、食糧管理法という
法律によって配給を確保したり、そのために、その当時は
生産者にはちょっと無理をしいたような強制供出というようなことで、
生産者に供出させて、そしてこれを
消費者に配給するというような食糧管理制度というものが生まれた。こういうようなことでございますから、米というものに、直接統制あるいは間接統制、いろいろな統制の
方法はありましょうけれ
ども、統制というものはつきものであり、またこれは国がある
程度の管理をしていかなければたいへんなことである、こう
考えておりますから、
生産調整をしているから、
生産調整の二、三年後には
自由化するというようなことはやるべきではないと私は
考えております。
しかし、米の不足時代の食糧管理制度というものを、米が不足してないときに、そのとおりあてはめていいかどうかという問題は相当あると思います。でありますので、何もこれを廃止するとかなんとかいうことではございませんが、この運用あるいはもしも内容を一部変えるものがあったらどういうふうに変えていったらいいかということは、当然時代の
動きに対して
検討もなくちゃならぬ問題でございますから、
農林省としてもいろいろ
検討は続けております。しかしながら、廃止するというような
考えは私は持っていませんし、そうやるべきではない、そういうふうに私は
考えております。