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荒勝政府委員 ただいまお手元に差し上げてあります
資料に基づきまして、御
説明並びに御
報告を申し上げたいと思います。
御存じのように、
ビートの
最低生産者価格はこの十日までにきめることになっておりまして、
目下政府部内におきましてこの
価格決定の
作業を急いでおります。それにつきまして、まだ本日、具体的にこの
金額はこの
程度というふうな御
報告ができる段階に至っておりませんが、一応、
砂糖の内外の諸情勢につきまして、簡単に概要申し上げまして、また
価格決定の方法といいますか、
作業の過程につきまして御
報告申し上げたいと思います。
まず一ページでございますが、
砂糖の総需給でございます。年々
砂糖の
需要量はふえてまいっておりますが、この一、二年、何となく
砂糖の
需要の
伸びというものは頭打ちになってまいりまして、四十四年、四十五年、四十六年と、一番左の欄にありますが、
砂糖の総
需要量は、少し
需要の
伸びが何となく鈍化してきておる。したがいまして、四十六
砂糖年度の総
需要量は一応二百九十五万六千トンと、こういうふうに見ておるわけでございます。
それに対しまして、四十六
年産の
てん菜糖がどの
程度あったかと申しますと、これは
精糖が終了いたしまして三十三万七千トンということで、
北海道は昨年はたいへんな
冷害でありましたにもかかわらず、やはり
寒冷地作物の強みを
てん菜は発揮いたしまして、非常な大
豊作であった四十五年に比べますと多少少ないようでございますが、結果的には三十三万七千トンというふうに、四十四年に対しまして非常な増産をしておるわけでございます。
また、
甘蔗糖は、
鹿児島のほうは七万四千トン、
沖繩は、非常に大干ばつであったということで、また、現在まだ
精糖途中でございますので、まだはっきりした
最終確定ではございませんが、ほぼ前年の半分ということで、十二万八千トンということでございます。
その結果、大体
国産糖の総
生産は五十二万トンぐらいではなかろうか、こういうふうに
考えて、そのほか含みつ糖が
沖繩、
鹿児島にそれぞれ少しずつあるわけでございます。
その結果、大体要
輸入量は二百四十万トン前後ではなかろうか、こういうふうに見ておる次第でございます。
次に、二ページをお聞き願いますと、これは
てん菜についての
生産及び
製糖実績でございますが、この表をごらんになりましてもわかりますように、
作付面積も
昭和三十年から出しておりますが、年々非常に安定的に
伸びてまいりまして、四十六年は五万四千三百というふうになっておるわけでございますが、さらに四十七年の
作付状況は、まだ
作付がこれから開始されるのではっきりしたことはわかりませんが、大体現在の
状況では二千ヘクタールぐらいふえまして、五万六千前後ではなかろうか、こういううらに中間的な
報告を得ている次第でございます。
ヘクタール当たり収量は、四十五年の大
豊作に比べますと少し少ないのでありますが、
ヘクタール当たり四十六年は四十トンということで、いよいよ
ビートも四十トン台に突入した。
昭和三十年の二十三トンということに比べますと倍近い
数字が出てまいりまして、いよいよわれわれといたしましても、五十トンは無理としても、四十五トンの
目標を今後努力してまいりたい、こういうふうに
考えております。したがいまして、
生産量も二百二十万トンということで、
欠減は一・六%。
歩どまりが、四十六
年産は、ここにありますように、昨年
冷害の年であったにもかかわらず、非常に
原料ビートの生育がよかったという証拠のほかに、
製糖実績まで非常にいい成績をあげまして、一五・五三という
歩どまりを示しておりまして、
史上最高といいますか、
日本では最初の記録を出したということで、今後こういった
歩どまりの
向上も大いにわれわれとしては一段と努力してまいりたい、こういうふうに
考えておる次第でございます。
それから
作付面積は、ここにありますように三十八年から四十六年にかけまして、これは
北海道内の
地域別の指標を出しておるわけでございますが、十勝のごときは非常に
ビートとしては
伸びておる。
面積は非常にふえておる。それから
上川地区も比較的
伸びておる
地区に属しておるわけであります。しかし、また一部の
地区では、たとえば失礼ですけれども、一部の
根室地区なんかは急激に減ってきておる、こういうふうに御理解願いたいと思います。
それに基づきます
収量等でございますが、やはり急激に非常に減ってきた
根室地区などは、四十六年の、一番右の欄をごらん願いましても、一段と
ヘクタール当たりの
収量が低い。二十二トンというふうに、一番多い四十トン台、あるいは
上川地区の四十六トン台というような点と比較いたしますと非常に低
水準でございまして、これは
技術の今後の
努力目標も必要かと思いますが、やはり風土的に少し
ビートには不向きというふうな感じがいたしておる次第でございます。そういった結果で、
てん菜の総
生産量が出ておるわけでございます。
さらに六ページをお開き願いますと、
てん菜の
耕作農家戸数が出ておるわけでございますが、三十八年の五万六千戸に対しまして、四十六年は三万戸というふうに、
戸数といたしましては非常に減ってきておるわけでございますが、やはりある
程度経営規模の大きい、
作業体系の
合理化の
可能性のある
農家が
ビートをつくっておられるようでありまして、ここら辺に
ビートの近代的なり
合理化の要因があるんじゃなかろうか、こういうふうに
考えておるわけでございます。
その結果、七ページをお開き願いますと、
てん菜の一戸
当たりの
平均作付面積は、三十八年の七十五アールから年々逐次
経営規模が拡大してまいりまして、四十六年には百七十七アールというふうに、約二倍以上の
経営規模になっておる、こういうふうに御理解願いたいと思います。
それから次に八ページでございますが、これは
ビートの
品種別の
作付割合というものを表示してあるわけでございますが、左のほうの、三十八年から四十一年ごろまでに主流を占めました
品種が、やはり時代の流れとともに、新
品種の導入と相からまって、逐次右のほうのように移ってきているという
経過図を示しておるわけでございまして、いま
ビートの
奨励品種、中心的な普及をしております
品種は、オランダなりあるいはドイツより輸入されたものが三一%あるいは三四%というふうに非常なウエートを占めておるわけでございまして、今後さらに外国の
優良品種も導入しながら、一方では
国産の新
品種の育成にもなお力を入れてまいりたい、こういうふうに
考えておる次第でございます。
それから、さらに
価格の問題でございますが、
最低生産者価格が、四十年、
糖安法が制定されましてから四十六年にかけましての毎年の
値上がり状況を書いておるわけでございます。四十年には
トン当たり六千五百五十円であったものが逐次上げてまいりまして、四十六年には、昨年は八千円ということで
政府としてはきめさしていただいたかっこうでございまして、これをさらに今後どうするかということが今後の問題であります。
さらに、
てん菜からつくりました
ビート糖の
買い入れ価格は、これは十月におきめ願うわけでございますが、四十年に
トン当たり九万九千円であった
買い入れ価格は、四十一、四十二というふうに逐年
合理化目標もありまして、また
操業度の
向上ということもありまして一応下がってきたわけでございますが、その後四十三年以後多少
横ばいぎみになりながら、四十六年、昨年の秋の
決定で、九十九円ということで、七年かかって結局また四十年と同じ
価格水準に現在の
時点ではなっておるわけでございまして、やはり
一般インフレ並びに物価の
値上がりということで、もとの九十九円になったというふうに御理解願いたいと思います。
それから一〇ページでございますが、これがこの
ビートの
価格決定をいたしますときの
一つの参酌、
基準事項でございますが、四十七年の二月末、
パリティが二一八・九九という
パリティ指数になっておりまして、この
パリティ指数を
基準にしながら、そのほかの
経済事情を参酌しながら、今後
ビートの
価格の
決定をいたしてまいりたい、こういうふうに
考えておる次第でございます。
以上でございます。
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