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1972-04-04 第68回国会 衆議院 内閣委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十七年四月四日(火曜日)     午前十一時十八分開議  出席委員    委員長 伊能繁次郎君    理事 加藤 陽三君 理事 佐藤 文生君    理事 坂村 吉正君 理事 塩谷 一夫君    理事 山口 敏夫君 理事 大出  俊君    理事 和田 耕作君       天野 公義君    笠岡  喬君       辻  寛一君    中山 利生君       葉梨 信行君    湊  徹郎君       木原  実君    鬼木 勝利君       東中 光雄君  委員外出席者         宮内庁長官   宇佐美 毅君         国税庁直税部長 江口 健司君         内閣委員会調査         室長      本田 敬信君     ————————————— 委員の異動 四月三日  辞任         補欠選任   横路 孝弘君     安宅 常彦君   鈴切 康雄君     大久保直彦君   松本 善明君     谷口善太郎君 同日  辞任         補欠選任   安宅 常彦君     横路 孝弘君   大久保直彦君     鈴切 康雄君   谷口善太郎君     松本 善明君 同月四日  辞任         補欠選任   松本 善明君     東中 光雄君     ————————————— 四月一日  国家公務員災害補償法の一部を改正する法律案  (内閣提出第一〇二号) 三月三十一日  靖国神社国家護持早期実現に関する請願(宇  野宗佑紹介)(第一九八一号)  同(佐々木義武紹介)(第一九八二号)  同(野呂恭一紹介)(第一九八三号)  同外一件(武藤嘉文紹介)(第一九八四号)  同(早稻田柳右エ門紹介)(第一九八五号)  同外二件(足立篤郎紹介)(第二〇三四号)  同外一件(青木正久紹介)(第二〇三五号)  同外一件(池田正之輔君紹介)(第二〇三六号)  同外一件(内田常雄紹介)(第二〇三七号)  同(小川平二紹介)(第二〇三八号)  同外一件(大西正男紹介)(第二〇三九号)  同外一件(賀屋興宣紹介)(第二〇四〇号)  同外一件(笠岡喬紹介)(第二〇四一号)  同(坂元親男紹介)(第二〇四二号)  同外一件(關谷勝利紹介)(第二〇四三号)  同(千葉三郎紹介)(第二〇四四号)  同(丹羽久章紹介)(第二〇四五号)  同外二件(粟山ひで紹介)(第二〇四六号)  同(森下元晴君紹介)(第二〇四七号)  同(竹内黎一君紹介)(第二〇八四号)  同(野田卯一紹介)(第二〇八五号)  同外一件(小澤太郎紹介)(第二一四〇号)  同(木部佳昭紹介)(第二一四一号)  同外九件(河本敏夫紹介)(第二一四二号)  同外一件(菅太郎紹介)(第二一七一号)  同外一件(斉藤滋与史君紹介)(第二一七二号)  靖国神社国家管理反対に関する請願外四件  (横路孝弘紹介)(第一九八六号)  同外六件(横路孝弘紹介)(第二〇一六号)  同外八件(横路孝弘紹介)(第二〇四八号)  同外八件(横路孝弘紹介)(第二〇八三号)  同外五件(横路孝弘紹介)(第二一二二号)  同外七件(横路孝弘紹介)(第二一三九号)  同外四件(横路孝弘紹介)(第二一七〇号)  立川基地自衛隊撤収等に関する請願大出俊  君紹介)(第一九八七号)  同(土橋一吉紹介)(第二〇一七号)  海の日制定に関する請願外二件(大久保武雄君  紹介)(第二〇八六号)  防衛力整備予算転換等に関する請願渡部通  子君紹介)(第二一七三号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  皇室経済法施行法の一部を改正する法律案(内  閣提出第六号)      ————◇—————
  2. 伊能繁次郎

    ○伊能委員長 これより会議を開きます。  皇室経済法施行法の一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑の申し出がありますので、これを許します。大出俊君。
  3. 大出俊

    大出委員 今度の皇室経済法施行法の一部改正、この中身を見ますと、賜与あるいは譲受することができる財産限度価額改定ということだと思うのです。そこでまず冒頭に承りたいと思いますのは、皇室財産というのは今日一体どういうことになっておりますか。戦前のものなどにつきましては、国会図書館にも幾つかの文献がございますけれども、今日、皇室財産といわれるものは、いまどういうことになっておりますか。何べんか触れたことがあるのですけれども、さっぱり明らかではございませんので、この際お聞かせをいただきたいと思います。
  4. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 新憲法施行と同時に、その憲法の条章によりまして、皇室財産はすべて国有とするという規定に基づきまして、不動産というものはほとんど全くないわけでございます。したがって、土地、家屋というものは一切お持ちになっておりません。それから、要するに動産のうちで、陛下のお身回りあるいは若干の品物、こういうものはもちろん残っておるわけでございます。そのほかに、すでに当時の国会審議のときにも出ておりますが、当時の占領下における了解も得まして、大体有価証券で千五百万円というものはよろしいということになったわけであります。自来、憲法八十八条によりまして、すべて皇室経費歳入歳出予算に上げなければならないということで、皇室経済法によりまする皇室内廷費の定額というものがきめられたのは、すでに御承知のとおりであります。  その後、いわゆる物価の趨勢とか、あるいは給与ベース改定等で、最初八百万円でございましたが、そういうものが基準になりまして、すでに十二回改定をされて、今日八百万円のが九千五百万円になったということでございます。それで千五百万円というのも、初めのうちは非常に皇室会計も窮屈で、だいぶ使い込んだわけでございます。その後、内廷費というもので、天皇及び内廷におられる皇族方々日常経費、その他の内廷経費に充てるということでございまして、時に不時の用も起こってまいるわけでございますので、若干の余裕金剰余金なんかを積み立てて不時の用に充てております。たとえば、御結婚、あるいは外国旅行でありますとか、御葬儀等もございますが、あるいは御独立といったようなときに、そういうものを充てまして、今日に至っておるわけでございます。
  5. 大出俊

    大出委員 これはいま御説明があったとおりでございますが、宮廷費が一つございますが、との宮廷費は、宮内庁関係に使う公金、まず簡単に言えばこういうことになりますね。天皇の御外遊であるとか、あるいは国内での公的行事をまかなうとか、あるいは宮内庁職員給与経費もこれに含まれる、宮廷費はこういうことだと思います。これはたしか十九億六千六百十七万六千円でございますか。あと皇族費がございますね。たとえば高松宮さまとか三笠宮さまとか各宮家、これは一千万円ぐらいだろうと思うのでありますが……。内廷費が今回は一億一千二百万円ですか。前回九千五百万円でございましたね。  こういう内訳になっているわけでありますけれども、なぜこういう質問を私するかと申しますと、いま長官から御説明のあった経緯を経て、戦後、歳入歳出予算に組むということになっているわけですね。したがってその意味では、国民税金でまかなうことになっています。予算でまかなう。そこで、いつも改定で出てくるものはどういうものかというと、物価上昇これありということで出てくる。こういう経過です。  ところで、物価が上がったから、しからば九千五百万円を一億一千二百万円にアップするのだ、それなりにその言っていることはわからぬわけではないのですけれども、しからば内廷費というものは、現実に即してみて、足りる経費なのか、足らない経費なのかという点でございますが、それは何をもって基準として考えるかという点の尺度はない。なぜならば、今日、皇室の、つまり一般的には台所ですね。これはどうなっているのだといった場合に、ただ九千五百万円を一億一千二百万円に上げた、それじゃいいのかと言ったときに、いいのか悪いのかさっぱりわからない。ただ物価が上がったということだから上げるのだということになるのですね。そうすると、国民一般からものを考える場合に、非常に苦しい生活をなさっておられるのか、あるいはそうではないのか、そこらの判断もつきかねる、こういうことになっておるわけですね。  そういうことになると、それでは一体皇室財産というのはどうなっているのだという問題が一つ出てくるわけですね。お手元金ですからね、内廷費というのは。繰り越しもできますね。もちろん税金もかからないし、報告の義務もないわけですね。ところが、いまのお話を聞いてみましても、御降嫁になるような場合にいろいろ金が要るから積み立てるとおっしゃる。確かにそのとおりだと思うのですね。人の親である限りは、できる限りのことはしたいのが人情でありましょう。そうすると、はたして、そういうような金が出てくる、あるいはそういう金を出すについて、ほんとうに楽にそのくらいのことができるような経費なのか。内廷費というものは、そのくらいの差し繰りができるものなのか、あるいはそうではないのかという点もさっぱりわからない。  私はかつて、宮内庁を所管をする記者の方に、いろいろ聞いてみたことがある。なかなかめんどうなしきたりで、へたにそこら取材をやっているようなことを言うと、おこられてしまう、そういう話をかつて聞きまして、私も非常に困ったことがあるのです。それで私もこの委員会に長いですから、何べんかこの改正にぶつかるのですけれども、そのつど大蔵省に聞いてみても何かさっぱりわけがわからないし、おたくに聞いてみても、あるときには、御前でございますと言ってお触れにならなかったり、何とかちょっとと思って聞くと、また御前でございますとなってみたりして、さっぱり要領を得ぬわけです。だからもう少しその辺、皇室ふところぐあい一般に言えばそういうことになりますが、そこらのところは、どう私どもは理解すればいいのかという点くらいは、あなた方の側から、何かわれわれが納得し得る言い方というものはできないものか。  時代が変わっておりまして、戦後の憲法下における今日の事情というものは、国民に知らせるべきものは相当知らしてもいいのではないかと私は思っておる。それがどうも昔のしきたりが非常に固定化して、取材をするのにも苦しいということになっておると、そのことはどこにはね返るかというと皇室にはね返る。そして宮内庁の責任というものは非常にむずかしいところに来ているという感じがする。そう思いますので、審議するにあたって、全くかいもく見当のつかぬ審議というものはするわけにいかぬ。だから、単に物価が上がったからというのではなしに、今回の改正提案をなさっている九千五百万円から一億一千二百万円に上げるというのは、その奥にあられる御生活自体を考えてみて、これでいいということになるのかどうか。ならぬなら、ならぬということを率直に言っていただきたい。皇室憲法上明確になっているわけでありますが、ふところの御状態というものを知りませんので、そこらのところはもう少しわかりやすく、せっかくの国会審議ですから、お話し願えればと思うのですが、いかがですか。
  6. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 内廷費は、ただいま仰せになりましたとおり、天皇皇后陛下以下皇族方々内廷におられる方の日常経費その他でございます。その解釈からいくと、経常的な経費ということに解釈されておるわけであります。宮廷費というのは、その他の皇室宮廷において要する経費というので、先ほどおっしゃいました宮内庁職員の俸給や何かは、また別に宮内庁庁費というほうになっておりますので、そういう人件費は入っておりません。いろいろ宮廷の儀式とか宴会とか、国有財産皇室用財産の修理とか、あらゆるものが包括されているわけであります。これは毎年予算で御審議いただいておるわけであります。  日常経費と申しますのは、ただいま申し上げましたような、大体臨時的な経費はあまり具体的には入っていない計算がもともと基礎になっております。経常的な日常生活費ということでございます。したがって、その内容は普通の家庭とそう——特殊なものは、宮中三殿に要するお祭りの経費とか、そういうものはございますし、それから人件費でも、それに伴う掌典費とか、生物学研究のほうの職員とか、それから内廷のうちのいわゆる家事使用人お手伝い人と申しますか、そういう人たちもこの中に入っております。そういうような特殊なものもございますが、普通、内廷におられる七方のお召し物、お身回り品、それから若干の装飾品も入る。それからお食事、あるいは人を呼んで内廷としての御会食がございますが、そういうもの。それから御旅行と申しますのは、主として御用邸にいらっしゃるときの経費、これは私的なものとして入っております。それから皇太子殿下が軽井沢に毎年おいでになります。これは人の家を借りているので、そういう経費ももちろん入っているわけであります。  そのほかに、いろいろ御奨励のためにお出しになっているものがあります。たとえば、学術奨励学士院恩賜賞とか、芸術院恩賜賞とか、それから発明協会とか、いろんな点で御奨励のためのお金もこういうところから出ているわけであります。それから、災害等がございますと、若干の救恤の意味のお見舞いが出ているわけであります。  そういう経費がみんないわゆる物件費的なものとして、そのほか、内廷における事務用品職員の被服でございますとか、それから内廷職員給与、旅費、退職金——これらの内廷職員も、初めは公務員とはだいぶ違っておりましたが、いろいろくふういたしまして、年金は、ごく少数のためにうまくできておりませんけれども、現在では、その他は大体普通の公務員と同じ程度にお願いするようにだんだん改善されてまいっているわけでございまして、そういうような経費でございます。あるいは御研究図書出版経費とか、そういうようなものが全部くるまっておりまして、大きく分けますと物件費人件費ということでございます。  これは先ほども仰せになりましたとおりに、公金ではございませんので、お手元金として入りますと、これは私的なことでも、宮内庁職員はそれについてお助けをするというたてまえでございますから、普通の国の会計と同じように、内廷会計委員会をつくって、きちんと予算決算を立てて検査もいたしておるわけでございます。  そういうわけでございまして、物件費的な経費としては、今度御審議願う基準になりました昨年度の金額としてはおおむね六千四百万円ぐらい、それから人件費的な経費のものでは二千三百万円程度。それに、物件費のほうにつきましては、一般物価の前年度からの増加率一四・一%、それから人件費のほうは、給与ベースの二回のアップがありましたので、これを勘案いたしまして二五・九%というものをかけまして、予備費を一〇%見ましたものによって計算したのが、ただいま御審議を願っている数字でございます。これは過去において、大体こういうような基準日常の経常的な御経費というものを、物価給与ベースというもので修正をしてきたということでございます。  実は昭和四十三年には、皇室経済会議懇談会を開いて、そこで、その前にも国会でいろいろ御質問がございまして、給与ベースが上がったごとに提出してはどうかという御議論もだいぶございましたし、何か基準をつくるべきじゃないかという御議論もございました。この会で研究していただきました結果、要するに物価騰貴消費者物価の動向、それから給与ベースが上がった、そういうような経費を見て、予備費では経理できないというようなときになって初めて御審議を願うということで、委員会結論としておきめいただいた。これは過去の国会においてもしばしば申し上げていると思います。今回、それに該当いたしますので法案として出しましたわけで、日常具体的経費でございますから、食事は何%であるべきであるとか、副食物はどうかというのはなかなかむずかしいことで、いままで二十五年間ずっと基準を、ただそういうような二つの点から——ただ、一般生活程度が非常に上がりまして、たとえば陛下から下されるものも、世間から比べるとあまり低額過ぎるというようなときに、若干の基準を上げていただいたことがただ一回ございます。これは御審議をいただきましたので、御記憶と思いますが、それ以外は、そういうような基準的経費物価給与ベースというもので処理をしてきたわけでございます。  お話しのとおりに、若干予備費もございますが、そういった上がり方を見ておりますと、大体いままで二年に一ぺんくらい不足になっているという状況でございます。大体そういうことでございます。
  7. 大出俊

    大出委員 私、たしか三十九年ですか四十年ですか忘れましたが、皇室がお使いになっている職員ですか、いまでも二十何人かおいでになると思うのですが、この方の給与はどのくらいになっているのだという質問をしたことがありまして、御存じの方がおいでになりますが、そうしたら、公務員より低い。なぜ上げないのかと言ったら、奉仕の精神といいますか、そういう気持ちでおりますから、だれも不満に思ってないというお話があった。だがしかし、私どもからすると、それはおかしいんじゃないかということで、当然上げるべきものは上げなければならないし、年金として積み立てるべきもの、退職金として積み立てるべきものは積み立てなければいかぬじゃないか、ある意味ではやはり労働契約なんだからと、そういう主張をだいぶしたことがあるんです。ですから、いま言われる中に、過去にそういうことがあったなと思って聞いていたんですが、ただ、それにもかかわらず、どうもまだ納得いたしかねるわけです。  いまのお話によりますと、昨年の例をとりますと、六千四百万円が物件費的なものである。聞き違いがあれば御訂正いただきますが、人件費的なものが二千三百万円である。そうなると合計八千七百万円ですね。九千五百万円でございましたから、差し引きいたしますと八百万円残る勘定です。これは予備費ということになるのかどうか。そうなると、委員会をおつくりになって、ある意味予算宮内庁が御援助申し上げてお立てになる、監査もおやりになるという形でやっていく。そうすると、予算一ぱいでやっていくんだとすれば、予備費的なものが残る勘定になる。そうするとこれは、あるいは予備費をお使いになる分もあるかもしれませんが、しかし内廷費繰り越しと考えられるものは、予備費の中から出ていく数字になると思う。そうですね。だから、かりにまるまるこの予備費が残ったとしてみても、繰り越しは八百万円ですね。そうなると旧来八百万円以下、つまり九千五百万円というのが過去の最高で、それが今回は一億一千二百万円になるわけでございますから、過去の最高が九千五百万円ということになりますと、繰り越された金というのは最高八百万円であった。これはお手元金ですから、私はあまり深く立ち入る気はありません。ありませんから概略で申し上げるのですが、そうすると、今日まで八百万円以下の繰り越し金であった、こういう計算になる。そうなると、八百万円以下の繰り越し金ですと、先ほどのお話では、臨時的な経費は入っていないというお話でありますから、御降嫁なり何なりという場合、あるいは世上いろいろな開かれた金額がございましたが、そうした場合、私ども審議に参加しておる人間からすると、たいへん計算苦労されてお出しになった金ではないかという気がする。  そうなると、この皇室財産というものは、かくて国有財産でございますから、だから予算に組むというわけでございまして、財産と目されるものは有価証券何がしという問題もございましたが、繰り越し金を現金で持っておられるならば、税金だの何だのはありませんし、そのままということになるわけでございますけれども宮内庁が援助するとなれば、これは何かほかの方法を考えて、利殖をはかるとか、そういうことをしておられるのか。あるいは残った金を積み立てておいたということだけなのか。財産というものはかくてその限度であるのか。そこらのところをやはり少し立ち入ってお話しいただかないと、はたして今回引き上げたこれでいいのかどうかという、そこから先のところがわからない、こうなります。  あらためて言い直しますけれども、私がいま申し上げた筋道、つまり最高繰り越されたと仮定しても、昨年の八百万円というのが予備費だとすれば最高であろう。それもお使いになる分もあるかもしれない。そうなるとそれ以下である。かつ、今回上げる前の金額というか、以前はすべてそれ以下であったということになるので、それがかりに繰り越されたとしても、これは目の子計算でもわかることでありますが、そうすると、皆さん御援助申し上げる立場の宮内庁からすると、そこらをとらえてみて、皇室財産というものは一体どういうふうに見られるか、ここらのところを結論を少し出していただきませんというと、ちょっとこれは見当がつきかねるということになるのですが、いかがですか。
  8. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 最初の御説明のうちでも申し上げましたが、当初、最初の千五百万円を、平易なことばで言えば相当食ってしまった、それを回復するだけでもずいぶん苦労があったという時代もございました。  それから、いま申し上げました数字というものは、昨年を基準にして申し上げているわけですから、これは実際の決算や何かでは相当動いてまいります。ですから、必ずしもその予備金が云々というわけではない。ただ、予備金のことから申し上げますと、いまの物価上昇あるいはベースアップというのが毎年あるような状況、そういうことを考えますと、もう二年目には満度になる。第一年目はその予備金で何とかやりくりをするという計算になっているわけですが、二年目になると相当窮屈になる。そういうことから、過去を振り返っても、どうしても二年に一ぺんぐらい上げていただくということでずっと来たわけでございます。  それでもう一つ、根本的に私の考え方を申し上げますと、ただいまは憲法八十八条によりまして、すべて皇室経費歳入歳出予算に計上するということになっておりますから、やたらに大きな財産を持つというのは意味が通らないことである。ですから、内廷会計のあれは、剰余金とか、たとえば少しためてある利息というものを運営しながら不時の用に充てているという程度でございまして、多くの不動産を買うとかなんとかいう余裕は、とてもできっこございません。ですから、そういう点では若干のものはございますが、これは公のお金でもないので、どうも金額まで申し上げるのはちょっと控えたいという気持ちでございますから申し上げませんけれども、そういうようなことで、やたらにふやそうとは思っておりませんが、まあ将来いまの浩宮さま、礼宮さまが大きくなられて、御結婚なさって妃殿下をお迎え申し上げるというようなときには、いろいろ服飾費とかが相当だろうと私は思っております。そういうことを遠い先まである程度考えながら、なるべくお困らない程度にしたいという程度でございまして、あとは、ただいまいただいておるもので日常の食費とか服飾費をまかなう。  服装とかいうものも、私どもはあまりぜいたくなものではないと思っております。しかし、たとえばお召し物でも、皇后陛下ハトの模様のついたものを数回お召しになりますと、新聞記者から、きょうはハトですかということになってしまうので、そこら辺の限度というものは、われわれも頭を痛めながら苦労をしているわけでございます。  そういうわけで、決して膨大な貯蓄ができたというわけでもございませんし、私は、そういうもので自由になるなら、内廷費というものは法律上だんだん意味がなくなるというように思いますから、限度はそういうところでとめてやるべきだと考えます。
  9. 大出俊

    大出委員 私の時間の関係で、これから先あまり深い質問はできないようになりましたので、もう一点聞かせていただいてまとめたいと思うのです。  大蔵省の方に承りたいのですけれども、この高松宮さま、三笠宮さまの、これは不動産の譲渡か何かではないかと私も思いますけれども、公示にあらわれている数字がございます。これは大蔵省の側で、一体どういうことなのかという点を、御説明いただける範囲でけっこうでございますから、御説明いただきたいのでございます。
  10. 江口健司

    ○江口説明員 ただいま御質問のございました高松宮さま、三笠宮さまの四十五年度の不動産の譲渡の関係で、いわゆる公示額を越す金額になりましたので、四十五年度分でございますから、四十六年五月一日から十五日にかけまして公示をした次第でございます。これは不動産の譲渡所得でございます。
  11. 大出俊

    大出委員 私はお断わりしておきますが、世の中が変わったと前提に申し上げましたが、これは長官陛下皇室内廷がお苦しいのであれば、むしろこういう実情にあるということを、せっかく御援助申し上げて皇室会計内廷会計をおつくりになっておられるのであるならば、これは判断が非常にむずかしいとは思いますけれども、やはりはっきりしたほうが、それではこうしようじゃないかということになって、そういう意味では、今日の皇室の象徴という地位の立場からいっても、もっと国民に近いものになるのではないかという気がするのですね。  そういう意味で、せっかく質問をするのですから、いまのような角度で承っているのですけれども、私の知る限り、いま大蔵省からお答えいただきました高松宮さまの場合は、公示されている金額が二億七千二百四十二万九千十五円というのですね。三笠宮さまの場合には金額が三千九百九十一万九千八百七十七円というのですね。それ以上のことは私にもよくわかりません。また、妙なことを申し上げるつもりもないのでありますが、この辺は、大蔵省というよりは宮内庁のほうで、どういうことの結果こういう金額が出てくるのか。つまり公示額をこえておりますから、その辺のところも一つ疑問になりますので、できれば承りたいと思います。
  12. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 三笠宮さまにつきましては、一昨年予算をいただきまして、殿邸が皇室用財産として青山にできました。それまでお住まいになっておりましたのは、借地に古い家がございました。その家は御自分の御所有でございましたが、土地は借りもので、そこにお住まいになっておられました。そこを引き払うにあたりまして、もう家はぼろぼろでございまして、どうしようもないわけでございます。土地のほうは、地主との関係で何かお買いになったのじゃないかと思うのです。そういうのが出ているのじゃないかと思います。  それから高松宮さまのほうは、光輪閣というものをつぶしまして、そしてそのあと皇室用財産の殿邸をつくるということで進んでおるわけでございますが、クラブの解散、あるいは多数の使用人がおりましたその退職とか、いろいろなことがございまして、いろいろ経費が御必要だったので、あの光輪閣のわきの、もと官舎が建っておりましたが、そこを御処分になったのじゃないかと思います。金額まではよく存じませんが、そういう事実はあったようでございます。
  13. 大出俊

    大出委員 冒頭に申し上げましたように、皇族費というものもございます。これもたいした金額じゃございません。ここらのこともありますので、実はここから先、さっき申し上げましたような角度でもう少し承りたいと思っておったのですけれども、私の時間の都合もございますので、打ち切らなければならなくなりました。  最後に一つ、さっき申し上げたのですが、何かあまりものごとを隠し過ぎますと、世の中、一体それはどうなっているんだというようなことになりかねないものでございます。そのことが逆に皇室にはね返る場合もなきにしもあらず。したがって、やはり明らかにできるものは、ある意味では明らかにしたほうがいいという気が私はするわけであります。いろいろ取材をなさる方々ども、ぼつぼついろいろな話を私どもの耳に入れる場合がございます。  したがって、これは一つの時代の変化でございまして、たとえば古墳の発掘などという問題も、飛鳥古墳の例が一斉に取り上げられておりまして、古代史の研究という面では、学者の間にとっては欠かせない問題でありましょうし、私どもしろうとではございますが、あの新聞記事その他を読んでみまして、たいへんな興味を感ずるわけであります。そうすると、いろいろな陵あるいは陵墓というものには、歴史的に皇室にかかわる問題がございます。ここらの問題などにつきましても、学者の意見等によれば、やはり日本民族が残してきた国民の美術的な遺産である、そういう観点でものを書いたり言ったりしている人もある。そうなると、そこら宮内庁の問題や考え方にかかわるのです。  いまの皇室財産の問題などをめぐっても、宮内庁の考え方にかかわる問題だと私は思いますけれどもそこらのところの発想をひとつ変えていく必要があるのじゃないかという気がするのです。後段のいま私が申し上げた点につきましては、木原さんのほうから関連の質問がおありのようでございますから、そちらに譲りますけれども、私はこの際、そういう発想の転換を大きな立場に立って一ぺん考えてみる必要がある、こう思います。また機会を改めまして、後に資料に基づきまして質問をいたしますけれども、その点だけ最後に申し上げまして、時間の関係で終わらせていただきます。
  14. 木原実

    ○木原委員 関連して、ちょっと時間をいただきたいと思います。  大出委員が最後に触れました、私この前もちょっとお伺いをいたしました天皇陵の調査の問題です。  実は長官に前回質問をいたしまして、たいへんな反響がございました。私もいろんな委員会で発言をしてまいりまして、いろんな問題を取り上げたことございますけれども、たいへんな反響がございまして、何か長官の考え方と、それからいろんな問題といいますか、国民の中に流れている考え方の中に、これはたいへんな隔たりがあるのではないか、こういう思いを実は新たにいたしました。天皇陵の調査の問題は、前回もたいへん断定的な長官の御答弁を聞いたわけでございますけれども、やはり長官のお立場ですと、陵墓は守っていく。ことばがいけないかもわかりませんけれども、お墓守の立場で守っていくという、そういうお立場は私どももよくわかる。ただ、もうそれだけでいいだろうかという問題が出てきておるように思います。  実は今度、明日香村の偶然の発掘の機会にたいへんな文化遺産が出てきたというようなことをきっかけにいたしまして、国民の中には、たいへんさわやかなニュースの受け取り方があると思うのですが、専門家たちに聞いてみますと、古代史についていろんな学術が進歩をいたしまして、学問としては非常に進歩をしてきた。しかしこれは一つ一つ実証を必要とするものだ。そういう場合に残されたのは、結局宮内庁が所管をしておる天皇陵を含む陵墓の中に非常にたくさんのものが残されている。しかしながら、そうかといって何もかもこれを調査をさせろという立場は、学問という立場から見ても、そういうことは常識としてあり得ない。しかしながら、幾つかの限定をされた天皇陵等については、何か調査をすることによって、あらためて豊かな民族遺産やあるいは古代史についてのかなり突っ込んだ追求ができる可能性というものは、これはもう学問の世界では常識になっている。だから、文部省、文化庁等においても、やはり国の事業としてそういうアプローチを試みるという計画は何回かあったやに私ども聞いておるわけなんです。ところが、それがいつも、宮内庁長官のこの前お答えになりましたようなお考え方の壁の前で、あるいは遠慮をする、あるいはとどまる、こういう形になって経過してきた。  しかしながら、もうすでにそういう時期は過ぎ去ったのではないのか。古代史の真実を明らかにし、民族の文化遺産というものをさらに豊かにし、そして国の歴史や伝統の中にしっかりとした皇室の歴史というものを位置づけていく、こういう観点から、限定された、日本の持っておる最高の学術的な頭脳を集約をして、国の事業としてそういう計画を立てた場合に、なおかつ宮内庁は、それに対してもノーとお答えになるのかどうか。  たいへん詰めた話ですけれども、そういう問題が、短時日の間でございますけれども、私どもの存じ上げない学者の方々や、私どもの周辺の学界の方々の間からも、相次いで私どものところに寄せられた、こういう経緯があるわけでございますが、再度、そういう考え方に対してはしばらく聞く耳は持たないというお考え方なのかどうか、ひとつお伺いをしておきたいと思います。
  15. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 前回も御質問ございまして、重ねてのことでございますが、陵墓というものは、いまさら申し上げるまでもなく、皇室典範によってはっきりその地位がきめられておるわけです。これは、あくまで皇室に関する、歴代の天皇をはじめ皇族のお墓を守るという精神であって、決して文化遺産とかそういうものが主になった見解からそういうことが皇室典範の中に入っておるのじゃないと私は思います。それで、世界ではエジプトをはじめいろいろございましょうけれども、ただ、代々受け継がれた天皇方々が、御祖先として静安を祈り、そして毎年のように御命日という日にはお祭りをしておられるわけです。陵墓でもやっております。そういうようなことで、どなたのお墓ときまっているものを発掘するというたてまえは、ただいまの状態においては、私はとても耐えられないところじゃないかというふうに思っています。学者の中にも、たくさんでございませんが、考古学者の有数な方でも、御陵は発掘すべきじゃない、陪塚とか参考地とかいうものについてはもう少し方針を考える。あるいは極端に言うと、開発というものは文化財をこわしているのだということさえ言われた人もございます。それから、この間の御審議のことが新聞に出まして、私の家に知らない人から、絶対にやるなという電話も若干入ってきております。  そういうわけで、いろいろ立場で御意見は違うと私は思いますし、現状においては、ごもっともだからやりますということはとうてい言えないと私は考えております。はなはだ同じことで申しわけございませんけれども、私は信じております。
  16. 木原実

    ○木原委員 私はたいへん大きな問題だと思います。私は少しラジカルな考え方を持っておりますけれども、そうかといって、おっしゃるようにやはり国民の中には、それからまた皆さん方は、天皇家のお墓として静安を祈るという立場でやっておられる。そういう立場はわれわれも最大限に尊重しなくてはならぬ、そういう側面があることは事実なんです。しかしながら、あわせて同時に、もうすでに古代という明らかに遠い歴史の存在としてあるものが、ある意味では単に天皇家のお墓という域にとどまらない要素を持っている歴史的な存在であるし、ましてや民族共通の文化財、そういう側面があることも、これは否定できないと思うのですね。その双方があるということは私どもも認めていかなければならないと思うのです。  ですが、さらに突っ込んで言えば、これは申し上げたくはないわけですけれども、しからば、学問が進んでいって、これが静安を祈るべき天皇のお墓である、こういうことで管理をしていらっしゃるその陵についてさえ、はたして天皇の陵であったかどうかという根底的な疑いさえも、学問の世界では出されておるわけなんです。そうしますと、やはり歴史というものは科学によって明らかにされていくという側面がありますし、信仰の対象として許されましても、皇室国民と一緒にあるというならば、国民の歴史としては、何か違ったものをいつまでも大事に守っていたという、そういうそしりを免れない、そんなような時期が来つつあるのじゃないかという感じもするわけです。  私どもは、歴史がそこまで立ち入っていいかどうかという別の考え方もあり得ることを十分承知をしておりますし、やたらに学問とか科学とかという大義名分を振りかざしてそこまで立ち入るということについては、私どもは差し控えたいと思いますけれども、しかしながら、長官の御答弁をなさいますようなお立場をいつまでも固執をされますと、すでに学問の世界からも、真実を求めるという国民の流れの中から、そういうアプローチの声が強くなってくるということも、これまた押えることができないと思うのです。それですから、私どもは、一つの時期、ある限定された問題については、国民の前に、国民共有の文化財としての、あるいは歴史的な所産としての特定のものについては、厳粛な形で、国の事業として、ある意味では率先をして調査をする。調査をしたあとは、開発するわけじゃございません、あるいは発掘をするわけじゃございませんから、しかるべき形に戻すという措置は十分とられてもよろしいのじゃないかと思います。しかしながら、やはり学問の進歩や歴史の流れというものについて、長官のお立場というものは、いつまでも固執すべき問題ではないと考えるわけなんです。くどいようで恐縮ですが、ひとついかがでしょうか。
  17. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 そういった学問的立場だけで考えられる方は、そういうふうにお思いになるのも全然理由がないことではないと私も思います。ただ、現状において、そういうふうなことで、限定と言われますけれども、一つ始まれば、あとはだめだというのはなかなかむずかしい問題だと私は思います。それからこの間の明日香でも、りっぱなものが出て、これは非常な感銘を与えていると私も思いますが、ただそのために殺倒して、入り口をあわてて締めるとか、またふさいでしまうとか、あるいはきょうの新聞によると、非常な湿気があってカビがはえてたいへんなことになっておるとか、あれは事実かどうか私は知りませんけれども、そういうふうなやり方をなさっておる間は、少なくとも考えようがないと私は思います。長い将来のことは存じませんが、いまの皇室典範その他皇室のお立場から言うと、なかなか容易な問題じゃないということを私は思います。
  18. 木原実

    ○木原委員 もうこれで終わりたいと思いますが、私は一人の議会人としましては、長官の御答弁になお不満なわけなんです。ただ、天皇陵その他につきましても、やはり歴史がありまして、学者に聞きますと、たとえば大正期になって比較的外形等の調査が行なわれた。いま外形の調査等が残っておるのは、大体その時期に調査をされたものが各陵墓ごとにあるやに聞いております。そしてまた終戦後に一時、まあ外形的な調査でしょうけれども、調査等があり、前回御答弁になりましたように、一部損壊をした場合等に出土したものを公表をされた、そしてまた修理をして封印をされた、こういうような形で、そしてその後そのまま来た、こんなような最近の流れがあるようであります。戦争中はもちろん、山陵の上を飛行機が直接に飛ぶこともできなかった、たいへんきびしくこの周辺が警護をされていた、そういう状態が長く続いたと思うわけです。やはり歴史の流れの中では、おそらく大正期に入って大正デモクラシーがいわれた時代には、学問の価値が尊重されて、少なくとも外形だけでも調査をなさった。終戦という一つの政治の大きな変化があった時期、皇室というものについての従来の国民の価値観というものが変化をした、こういう時期には、また何がしかそういう問題が歴史とともにあったという経過があると思います。ですからこれは、長官のお考え方でも、やはり歴史の流れというものには抗しがたい側面があるのじゃないか。  戦後二十数年たちまして、学術的にもいろいろな場面で進歩したと私は思うのです。長官がおっしゃいましたように、私も、乱雑な開発計画一般についてはきびしく反対をしておる一員ですから、長官のお気持ちはよくわかります。何か一つ観光名所をつくるような形の調査団とか、開発だとか発掘だとかいうことについては、言うまでもなく、とるべき手段ではございません。しかし、責任ある国の立場で、そして限定をされた、価値の高いという可能性のあるものについては、やはりその一部を国民の中に国民財産として返してやる、こういうお気持ちがありませんと、かえって皇室の歴史そのものが国民から遊離をし、それからまた、皇室の存在そのものが、いつも信仰的な、神秘的な、そういうワクの中にとじ込められて、歴史の検証にもたえられないものをただ信仰の対象としている。天皇家という立場だけから言えば、それはそれで通るわけでありますけれども、しかし天皇家の歴史というものは、同時にわれわれにとっては国民の歴史であり、民族の歴史とともにあったのですね。やはりそういう観点がございませんと……。  私どもが、諸般の問題について一番心配いたしておりますのは、これは与野党を問わず、ここでいろいろな意見が開陳されましたけれども国民天皇との遊離の問題がある。いつも国民の中にある象徴としてあってほしいという願いは共通だと思うのです。私は陵墓の問題もその一環だとあらためて痛感をするわけですけれども、いかんせん宇佐美長官は、この点につきましてはたいへんに超保守で、たいへんがんこでございまして、いたずらにこの問題を取り上げますと、私もついラジカルな本質が出ますので、もうこれ以上言いませんけれども、しかし、私はこの問題を取り上げましたので、別の機会に何らかの方法で議会側の意思というものを十分に皆さん方にもお伝えをし、皇室の歴史が国民とともにあるんだという前提に立って、歴史の検証にも十分たえ得るというものをもって、そしてわれわれの祖先が残したものを現代の国民が共通の文化財として共有できる、そこにやはり親愛や尊崇の念も新しい時代の感覚としてわいてくる、こういう確信を持っております。  これを申し上げまして終わりといたしたいと思いますけれども、御感想がございましたら、最後にひとつ伺っておきたいと思います。
  19. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 きわめて熱心に御発言がございまして、学問的だけというたてまえから言うと、そういう御意見がいろいろ出てくるのは私もよくわかります。皇室国民との間が非常にあくんじゃないかという御心配をなさるわけでございますが、しかしいわゆる万世一系の代々の天皇さまと——あるいは大正になってそれはいろいろ議論のあるところもございましょうけれども、そういうことでお守りをすることをきめられてきておられるわけでございます。ですから、そういった日本が将来に発展するについても、やはり過去というものをお忘れにならぬように私はお願いしたい。  それから、皇室のそういうお気持ちというものを国民も理解していただかないと、何でもあばくのが進歩だということは私はちょっと……(木原委員「そうは申し上げてないのです」と呼ぶ)ですから静謐を守る。たまたま明日香村でああいうことになりましたが、あれはどなたのお墓かは存じませんが、要するにあのまま長くしずまってもらおうという気持ちであったんじゃないか。ですから、あけますといろんな故障が出て、くずれてしまうものも将来出てくるかもしれない。ですから、ただむやみに開発するということが文化財をこわしていく。文化財というならば、そういうことも出るということじゃないかと私は思います。  とにかく、いまの皇室典範の陵墓のたてまえ、それからわれわれがお祭りし、お守りしているたてまえから言うと、これは開発してもいいということは、どうしても私は言いかねるわけでありまして、はなはだがんこなようですが、超保守とおっしゃるなら、それでけっこうでございます。
  20. 木原実

    ○木原委員 いやいや、尊敬をして言っているのです。  では、これで終わりたいと思います。
  21. 伊能繁次郎

    ○伊能委員長 これにて質疑は終了しました。  次回は、来たる六日木曜日、午前十時理事会、十時三十分より委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後零時十四分散会