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1972-03-21 第68回国会 衆議院 内閣委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十七年三月二十一日(火曜日)     午前十時四十二分開議  出席委員    委員長 伊能繁次郎君    理事 加藤 陽三君 理事 佐藤 文生君    理事 坂村 吉正君 理事 塩谷 一夫君    理事 山口 敏夫君 理事 大出  俊君    理事 伊藤惣助丸君 理事 和田 耕作君       天野 公義君    中山 利生君       葉梨 信行君    湊  徹郎君       上原 康助君    木原  実君       東中 光雄君  出席国務大臣         内閣総理大臣  佐藤 榮作君         国 務 大 臣         (総理府総務長         官)      山中 貞則君         国 務 大 臣         (防衛庁長官) 江崎 真澄君  出席政府委員         警察庁長官   後藤田正晴君         防衛政務次官  野呂 恭一君         防衛庁参事官  鶴崎  敏君         防衛庁長官官房         長       宍戸 基男君         防衛庁防衛局長 久保 卓也君         防衛施設庁長官 島田  豊君         防衛施設庁労務         部長      安斉 正邦君         沖繩北方対策         庁総務部長   岡田 純夫君  委員外出席者         防衛庁長官官房         防衛審議官   大西誠一郎君         外務省アメリカ         局外務参事官  橘  正忠君         内閣委員会調査         室長      本田 敬信君     ————————————— 委員の異動 三月十五日  辞任         補欠選任   松本 善明君     不破 哲三君 同日  辞任         補欠選任   不破 哲三君     松本 善明君 同月十七日  辞任         補欠選任   鈴切 康雄君     大久保直彦君   松本 善明君     不破 哲三君 同日  辞任         補欠選任   不破 哲三君     松本 善明君 同月十八日  辞任         補欠選任   横路 孝弘君     楢崎弥之助君 同日  辞任         補欠選任   楢崎弥之助君     横路 孝弘君 同月二十一日  辞任         補欠選任   上原 康助君     小林  進君   松本 善明君     東中 光雄君 同日  辞任         補欠選任   小林  進君     上原 康助君   東中 光雄君     松本 善明君     ————————————— 三月十七日  地方制度調査会設置法の一部を改正する法律案  (内閣提出第八九号) 同月十八日  傷病恩給改善に関する請願外六件(箕輪登君紹  介)(第一六五四号)  戦争犯罪裁判関係者見舞金支給に関する請願  (箕輪登紹介)(第一六五五号)  靖国神社国家護持早期実現に関する請願(小  此木彦三郎紹介)(第一七一七号)  同(熊谷義雄紹介)(第一七一八号)  同(小島徹三紹介)(第一七一九号)  同(坂田道太紹介)(第一七二〇号)  同(竹内黎一君紹介)(第一七二一号)  同外四件(田中龍夫紹介)(第一七二二号)  同(渡海元三郎紹介)(第一七二三号)  同外九件(徳安實藏紹介)(第一七二四号)  同外四件(中山利生紹介)(第一七二五号)  同(中山正暉紹介)(第一七二六号)  同(西岡武夫紹介)(第一七二七号)  同(古川丈吉紹介)(第一七二八号)  同(毛利松平紹介)(第一七二九号)  同(森田重次郎紹介)(第一七三〇号)  同(森喜朗紹介)(第一七三一号)  同(山下元利紹介)(第一七三二号)  同(山本幸雄紹介)(第一七三三号)  元満州農産物検査所職員に対する恩給法等適用  に関する請願徳安實藏紹介)(第一七三四号) は本委員会に付託された。     ————————————— 三月十六日  国家公務員法第二十三条の規定に基づく国家公  務員災害補償法等改正に関する意見 は本委員会に参考送付された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  国の防衛に関する件      ————◇—————
  2. 伊能繁次郎

    ○伊能委員長 これより会議を開きます。  去る十六日、人事院より国会国家公務員法第二十三条の規定に基づく国家公務員災害補償法等改正に関する意見申し出があり、同日、議長より当委員会に参考送付されましたので、御報告いたしておきます。      ————◇—————
  3. 伊能繁次郎

    ○伊能委員長 国の防衛に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。大出俊君。
  4. 大出俊

    大出委員 後ほど総理の御出席もいただけるだろうと思いますが、十四日の日に、総理おいでになる席上で、江崎長官にいろいろお答えをいただきました。私はこの際、立川なら立川という地域において、ますます感情が激化していくという形になりますと、不測の事態が起こったような場合に、私ども国会に席を置いている者として、党派の違いはありますけれども、同じ意味での責任を負わざるを得ないことになると思っております。だから、ここまで来たら、どうすれば最善の方法かということを考える時期だろうという気がするのです。ときあたかも、きょうは後藤田さんの時間があるようですから、先に警察庁長官に申し上げて、江崎さんには聞いておいていただきたいと思うのです。  実はこの十三日に、与党の皆さんが、源田さんはじめ調査に行かれた。ところが十四日は、江崎さんも御存じのように、佐藤文生委員が開口一番、私は現地に視察に行った、ところが良識ある市民代表がお集まりになって陳情をいただきました。その中には十二項目の要求というものが一体どうなったのかというふうなことがあった。さらに、政和会皆さんからも陳情をいただきまして、ここに十二項目いただきました、まずこれを総理に見ていただきたいというところから始まったのですが、私は、その良識あると言われると、反対だと言うわれわれは良識がないということになるかとその後言ったのですけれども、良識ある市民代表とおっしゃった百五十名ばかりのうちに、事もあろうに、世上、地回りといわれる、暴力団といわれる方々が五十人ばかりおいでになったという。もちろんこの方々市民に間違いない。だがしかし、二人や三人なら事は別ですけれども地元警察の池田副署長さんの私への電話説明によりますと、私服公安関係の方を入れておいたのだが、おおむね五十名でしたという話になりますと、これはやはり、そこに集団の意思が働かなければ、五十名が一カ所にぽんと集まるということはないことになります。そういう意味で私は、やはりここに一つ大きな問題がある、こういうふうにこの点は思います。  ここに写真を私持っているのですけれども、この写真地元市役所の方がおとりになった写真なんですね。警察庁関係では、立川警察署長さんにこれを一枚差し上げてありますから、ごらんになれば一目りょう然わかるわけであります。このまん中に主としておいでになる方々が、いま五十人ばかりの小西組といわれる方々、それからもう一つ稲葉組といわれる方、この二つの関係の組員の方々まん中おいでになる。これはだれが見たって一目でわかる、こういうことになっているわけであります。  ところが、この一方、立川市長あてには、だいぶいろいろな脅迫状めいたものが参っている。これは市長さんの意思ではありません。市長さんの意思ではありませんが、私、心配でございます、この種のことは。市民皆さんが選挙をして当選をされた市長さんがみずからの政策を貫くというものの考え方は、私は間違っていないと思う。賛否の議論はあるにしても。ところが、その中身を読んでみますと、反対集会を広げていくような態度、そういう態度をとると、きさまの命はないぞ、きさまの命、家族の命はもらう、これはただのおどかしではないぞ、よくきさまも覚えておけ、というところから書いてありまして、きさまの行動はいつでも監視している、約束を破ると家族全部の命をもらう、こういうところから始まって、たいへんに長い文章でございますが、封書でございまして、表は阿部行蔵市長名前になっておりまして、差し出し人がちょっと私も判読に苦しむのでありますが、だいぶ字を変えて書いたような感じでございます。番地が入っておりますが、ほんとうかどうか、それはわかりません。  こういうようなことで、事もあろうに、おまえの命、家族の命をもらうというのが来ますと、私はやっぱり脅迫状だと見なければならぬ。なおここに、そこまでの表現は使っておりませんから、私はその意味ではどうということありませんが、玄洋社という名前で来ている文書がございます。あるいはそのほかに、はがきでだいぶたくさんございますが、それなりのみずからのイデオロギーを主張する限りなら私もがまんができるけれども、命をもらう、家族の命をもらうところから始まりますと、これは私はやっぱり、言うべきときは言っておかないとよくないと思う。戦後民主主義のルールにはずれることになる。  こういう文書市長のところに続々集まっている。片や集会が開かれて、良識あると言われる百五十名の中に、五十人どうも特殊な団体方々が入っておったということになりますと——地元署長さんの佐野さんの御説明をいただきましたが、それによると、住吉連合に入っておる小西組という団体でございます。立川駅のこちら側がなわ張りである。向こう側は、稲葉組という、通称地回りと申しますばく徒でございます、暴力団でございます、こういう説明でございます。日ごろはお茶づけ屋さんのおしぼりなどを搬送したりして生活をなさっている方々だというわけであります。これは署長さんのおっしゃることをここで代弁したのであります。  そこで、十二日の日に、何となくある場所に集まっている。警備の者がそれを見つけて聞いてみたところが、何かえらい人が来る、防衛庁関係のえらい人が来る、こういうわけでありまして、国防部会部会長さんが行くというのがえらいのか、防衛庁長官がえらいのか、それはわかりませんが、どうもそういうことのようだ。なお聞いてみたら、どうも江崎長官が来るそうだと言う。署長は、こんなところに長官が来るはずはない、そうならば警察の側から正式に連絡があるのがあたりまえだ、こういうふうに思って、公安の係長の酒井さんという方をやって注意をした。こういう時期に諸君が出てくるのはよろしくない、そういうことで注意を与えておいた。ところが、十三日の当日になりまして、私服の方を三名派遣をしておいたところ、全体で百五十名くらい集まっている中に、おおむね五十人、小西組方々が主体であって、稲葉組方々も何人か入っているという報告であった。そのときにトラブルが起こったわけではないので、あとで呼んで事情を聞いた。  そうして、捜査のほうで聞いた事情聴取の結果では——これはもちろん犯罪でも何でもありませんが、新聞にも出たことだからと言って聞いてみたところが、都内から電話が来て、身辺警護に数十名の人を立川に入れる、こう言ってきた。したがって、義理人情ということからいって捨てておけない、それはわがほうでやる、こういうことで集まったんだ。こういう話だそうでありまして、しからばその電話の先は一体どこから来たのだということについては、よく覚えておらぬということで明確にしなかった、こういうことでありました。  私も、いろいろ新聞社方々その他に承っておりますけれども、この辺でまず、この日五十人ばかり集まったいきさつというのは、警察のほうで把握をされる限りどういうことであったのかという点。片や脅迫状が舞い込んだりいたしておりますから、気にならぬわけでもないわけでございまして、そこらのところを警察の側としてどう見ておられるか、この点をまず承っておきたいのであります。
  5. 後藤田正晴

    後藤田政府委員 御質問の三月十二日及び十三日の自民党現地調査団皆さん方立川にお出になったときの事実関係、あるいはその後の市長に対する脅迫状、こういった事実関係につきましては、ただいま御質問がございましたのと、おおむね間違いのないことじゃないかと思います。  それじゃ問題は、十三日に五十人ばかりのやくざ風の者が市役所の前に集まっておりましたが、何のために行ったのか、こういうことでございますが、それはその後事情を聴取いたしておりますが、その結果によりますと、自民党調査団の方がお出になるということで迎えに行ったのだ、こういう事実を申し述べております。  私ども警察としてゆるがせにできないのは、身辺警護ということになりますと、これは私どもとしてはいささか問題にせざるを得ない、こういうことでその点は追及をいたしておりますが、彼らの言い分はそれではなくて、出迎えに行った、こういうことを申しております。  なお、御質問の中にございました都内からの電話があったという事実を、私どもとしては調べなければならぬということで調べております。この点については、都内から電話があった、それじゃ一体だれが電話をしたのだということを追及をいたしておりますが、名前は言えないというのが現状でございます。私どもといたしましては、事柄事柄でございますので、これらの点についてはやはり今後とも追及をいたしたい、こう思っておりますが、御案内のように、会合そのものは非常に短時間であるし、まあ平穏な会合で終わっております。つまり犯罪ではないということでございまするので、そこで私どもとしては、任意の事情聴取ということにならざるを得ない、こういう面で私どもの調べにもやはり壁があるということだけは御理解願いたいと思います。しかし私どもは、本件については十分追及をいたしたい、かように思っております。  また脅迫状につきましても、二通、市役所の方から見せていただいております。いま御質問の際お持ちになっておったのはあるいはそれかとも思いますが、内容は承知をいたしております。とかくこの種の事件がございますと、いろいろな方面から郵便物なりあるいは電話なりでのいやがらせ、こういった卑劣な行為があるのがつきものでございます。最近私どものところにもしょっちゅうこういうものが来ております。こういうことは、私は社会に非常によくない卑劣な行為だと思うのです。したがって、こういうことについては私どもとしても、犯罪容疑として脅迫状については十分捜査をいたしたい。ただ、これまた私、別段言いわけをするつもりでありませんけれども郵便物なり電話での脅迫というのはまことに捜査がむずかしい。その点もひとつお含み願いたいと思いますが、私ども警察の姿勢としては、この種の卑劣な事案に対しては徹底した捜査をやりたい、かように考えます。
  6. 大出俊

    大出委員 そこで、この住吉連合小西組、また稲葉組のほうは住吉連合にはなっていないと思うのですが、こういう団体はどういう団体かという点について、表に出ましたので、正確に私ども把握しておきたいので承りたいのでございます。
  7. 後藤田正晴

    後藤田政府委員 御質問小西派住吉連合に所属をいたしております。その会長の小西保という男は、昭和三十二年にいわゆる暴力団対立抗争事件というものを起こした前科がございます。服役もいたしておりますが、現在は、先ほど御質問にもございましたように、この組はおしぼり等を生業としてやっておりますが、同時に本人は、経済研究所、こういうものをつくっております。現在事務所は閉鎖をいたしております。総会屋として活動をいたしておるように私どもは見ております。  なおまた住吉連合は、いわゆる私どもが言う広域の暴力団ということで、取り締まりの重点対象として、現在私どもとしては、鋭意彼らの活動を内偵をし、事件があるたびに検挙をするという体制をとっておる。住吉連合はそういう団体でございます。
  8. 大出俊

    大出委員 私も、この関係で調べた方々に、警察という意味じゃございませんが、二、三話を承っておるのですが、実はいまもここまで出かかっているのですけれども、はたしていまの段階で言うべきかどうかということになりますと、いま長官お話しになりましたように、事が電話でございますから証拠がないですね。確証がない。ここからこういうルートで電話を入れたようであるというお話を聞いております。したがってその責任者名前も聞いております。聞いておりますが、ここで言った場合に、電話でございますから物的証拠が何もない。聞いたほうが、言わないということになりますと、これは非常にむずかしいことになります、個人の問題でありますから。だから残念ながら実はここであげかねるというところがある。しかし、この脅迫状が来ておったり、現にこういう方々がお集まりになったということについて、先々の問題を考えますと、これはやはりよほど、あの地域が感情的に激発をするということになると、ある種の危険を予測しなきゃならぬ、そういう気も実はする、こういう段階だと私は思うわけであります。したがいまして、今後の地元警察を含む警察庁の側のお考えとして、もちろんこれは、私も申し上げているとおり犯罪ではございませんから、捜査ではなく調査段階だと思いますが、その段階からお考えになって、警察側としてどういうふうにこれに将来に向かって対処をなさるかという点について、念のために承っておきたいのであります。事は公選に基づく市長の身分にかかわる問題でございますから、そういう意味で実は承っておきたいのであります。
  9. 後藤田正晴

    後藤田政府委員 御案内のように、自衛隊立川移駐に伴いまして、賛成反対、双方いろいろの立場の違いがあり、警備上いろいろな問題が発生をするおそれがございます。そういうような意味合いから、私どもとしては、警備一つ重点の課題として十分これに対処してまいりたい。なおまた、市長、あるいはそうでない賛成側重要人物といったような人に対する、双方からの脅迫その他の事案発生も予想される。そういう人たちに対する警護の問題、こういう点についても十分配慮をして、そして事件未然防止ということに重点を置いて対処していくつもりでございます。
  10. 大出俊

    大出委員 警察庁長官に御出席をいただきましたのは私でございまして、時間が十一時半近くまでというお話でございましたので、最初に承ったのでありますが、たいへんお忙しいところをどうもありがとうございました。  防衛庁長官に承りたいのでございますが、いま私と後藤田長官との間でやりとりをしたのが、十三日の日にお集まりになった方々の経過でございます。また十四日の日の質問で、冒頭に、良識ある市民百五十名——百五十名とはおっしゃっておりませんが、良識ある市民代表と、こうおっしゃったことの中身でもございます。そこで私は、ここまで来ると、長官、何かひとつ前向きにお互いに考えませんと、たいへんどうも妙な方向に事が進む危険さえなしとしない、こう私は実は思うわけであります。  そういう意味で二、三点承りたいのでありますが、一つはあの地域について、つまり立川飛行場でありますが、私、現地に行きまして市会議長さんとお話をしてみた。伊能先生はじめ皆さんが同席の席上でございます。防衛庁がこう言ったということばが出てまいりました。  私の市会議長さんに対する質問は、昨年十月の段階で、皆さんを含めて立川市会議員の議席のある方々三十六名が満場一致で反対をおきめになったはずだ。これに対しては、そのとおりです。しからば、本年一月の段階になって、三月足らずであなた方二十何名かが反対決議を取り下げる、条件つき賛成という決議をするということで態度をお変えになった。わずか三月足らずで変えたということになると、それなり理由がなければならぬ。いままで聞いている話では釈然としないのだが、何が一体理由なんだということを質問をしたわけであります。議長答弁は、阿部市長憲法違反で訴えると言った、けしからぬ——これは理由にならぬじゃないですか。憲法違反で訴えるといったって、これは法的に訴えられるんだから、憲法違反だと思っている人はずいぶんたくさんいる。それが理由でひっくり返るのはおかしいじゃないか。ところが、いや自衛隊が来たって水をやらぬと言ったと言う。そう言ったって、来てしまえば人道上水をやらぬわけにはいかぬじゃないか。そういうことばの端々で、八二%が反対だと言っていた市民皆さんを前にして、そんなに簡単にひっくり返るのかと言って詰めてみましたら、いや実は、防衛庁皆さんが私どもに、災害派遣の話から始まりまして、今回の自衛隊立川移駐というのは私どもから見て暫定措置なんです、こういうふうに言われている。したがって暫定措置が終わって返還になるということになれば白紙なんだ、こういうように防衛庁の方はおっしゃっている。ところで、いままで反対だと言った市会議員方々も、全面返還と、こう言っている。市民に返すと言っている。われわれも、暫定期間が終われば白紙になって返ってくると考えている。終着駅は一緒なんです。それならば、現在の暫定的な手段、措置の間に、やってもらえることはやってもらったほうがいい、こういうふうに考えたんだというのが説明なんですね。  ところが、どうもこれにはふに落ちない点が幾つもあるので、現地おいでになっておった鶴崎参事官に、私、めしを食いながら聞いてみた。あとになってみると、そこに新聞記者の方もおったから、新聞に書いたようなことになったと思いますが、話がいささか違う。暫定期間とは一体いつからいつまでをさすのかという点について、それは米軍との共同使用の間をもって暫定期間という、こういうわけであります。そうすると、共同使用の終わった段階暫定期間でなくなる。言いかえれば、それは返還をされたということにたる。そのときにしからば自衛隊はどうするんですかと聞いたら、自衛隊独自で立川飛行場を使いたい、そういう希望を持っております、ただ国有財産審議会その他の関係もあるから、フランクな話をし合いたい、こういうことだという。そうなりますと、私に言わせれば、暫定期間が終わってから先は本格的に自衛隊が使いたいと考えておられる、こういうことになる。  そうすると、どうも市会議長のほうにお話しになった中身とそこに大きな食い違いがある。返還されたら返してくれるんだからいいじゃないですか、いま条件つき賛成で、というのが議長さんの言い分なんです。だから、そこらあたりは一体どうなのかという点をやはりはっきりしておいていただきませんと困りますので、長官から御答弁をいただきたい。
  11. 江崎真澄

    江崎国務大臣 賛否両論に分かれて、いろいろなそういう疑義があることはやはり残念だと思っております。  鶴崎君の件ですが、私、彼が戻りましてからいろいろ話を聞いたわけでありまするが、当然いまは米軍との共同使用であります。したがってこれが戻りますと関係機関であらためて検討する。したがって、返還後も引き続き使用するということにはなっていないわけですね。それを鶴崎君としては、返還をされましたらあと、別に開き直るとか、いたけだかなという意味ではなしに、当然これは民生協力という面にも重点を置いてこの配備計画をしたものであるから、その時点で防衛庁側としてはあらためて関係機関協議の場に、自衛隊としても使用したい、こういうことを言うたものだと思います。したがって、あくまでこれは、全面返還の暁には白紙に戻った形で関係機関との協議の上できめられること、そういうふうに理解をしております。
  12. 大出俊

    大出委員 私に言わせると、どちらにウエートがあるかという問題なんですね。決して私は鶴崎さんが言ったことを妙にとっているわけではない。たまたま食事の上の話し合いをしておったが、私の性格ですからずばずば言うから、ずばずばお答えになるということですから、記者方々がお聞きになっておったから新聞に出たということで、出たから私も質問するのであって、出なければ私も言いませんけれども……。  そこで、最後の結着、つまり考え方として帰結するところが二つある。早い話が、ことばは悪いけれども自衛隊は居すわろう。国有財産審議会その他があるということはあたりまえだ。ただし、私の長い九年間の経験によりますと、その場所が国有地であることが防衛庁側にとってありがたい。民有地ならそうはいかない。国有地であれば、そこに自衛隊が独自の飛行場を持つことも、基地を持つことも比較的容易であるという認識が一貫して防衛庁にはある。事実またそうである。たまたまあそこは国有地ですから。そうなると、国有財産審議会だって所管は大蔵省なんですから、大蔵省もやはり国です。そういうことになれば、大蔵省はうんと言う可能性はある。そこに、自衛隊が使いたいという意思を持っている、こういうことになると、ウエートはどうしてもそっちにかからざるを得ない。  いま長官が言った意味が、そうではない、場所もああいう場所だから全く白紙で、使えるものならば使いたいという程度に考えているのだというなら、これはまた別です。無理はしないのだということならまた別です。ところが、私が鶴崎参事官とやりあっている中で、自衛隊は強烈にあそこに居すわりたい、本格的に使用したいという意思をお持ちなんですかと伺いましたら、いや強烈にというのは少し強烈過ぎるという話が出た。無理はしない、あそこにおられるものならばというお考えだというなら、これは事は防衛庁なんですから、あってもしかたがない。その程度なら私も理解しないわけではない、こう思いますが、そこのところはすっきりさせておかないと困るから、再度お答え願いたい。
  13. 江崎真澄

    江崎国務大臣 自衛隊としては、さっきも申し上げましたように、民生協力の面を重点的に考慮に入れて配備をしたものですから、返還後も使用したいという気持ちを現在でも持っておることは事実です。しかし、これは関係機関の了承がなければなりませんので、その点ではやはり関係機関の決定にまたなければならぬわけです。希望については、もちろんその時点でも申し述べることになると思いますが、これはやはり関係機関の折衝にまたなければならぬというふうに思っております。
  14. 大出俊

    大出委員 どうもくどいようで恐縮ですけれど・も、関係機関と申しますとどういうところをおさしになりますか。
  15. 鶴崎敏

    鶴崎政府委員 この前の現地視察のときも御説明しましたように、このあと地利用の問題について、国有財産ですから、決定権を持っておるのは大蔵省であります。しかし、大蔵省が決定をする前に国有財産の審議会というものに諮問することになっておりまして、その国有財産の審議会には、役所側だけではなくて、民間有識者も委員として参加しております。そこで、そういった場で十分議論をしていただいて、これが認められるということになれば、防衛庁としては、やはり使用したいという希望があるということを申し上げたわけでございます。  そこで大蔵省が、国の機関が使いたいという場合には何でも聞いてくれるのかというと、最近は決してそうでもございません。民間に反対があれば、十分その反対の声も聞きながらやっておるという実情でございます。したがってわれわれとしては、防衛庁が希望するから、しかも国有財産であるから、必ずそうなるんだというふうにはとっておりません。その点、十分関係者間の相談をして、決して強引な、無理なことをしようというつもりはございません。
  16. 大出俊

    大出委員 そうしますと、民間に反対があれば、こういうわけでございますが、対市民、あるいは市長、市議会といろいろありますけれどもそこらとの関係はどういうふうにお考えになっておられますか。
  17. 鶴崎敏

    鶴崎政府委員 もちろん、この審議会というものも、民間の方の御意向を反映するようになっておりますけれども、われわれとしては、やはり地元の御意見というものも十分参酌しながら態度をきめるべきではなかろうか、こういうふうに思っております。
  18. 大出俊

    大出委員 そこで、もう一つ承っておきたいのでありますが、長官、これは私、新聞で見ましたが、かつまた政務次官がら理事懇談会の席上でちょっと御説明をいただきましたが、防衛庁は、沖繩返還もこれあり、いろいろな基地配備、戦略等の流れがございます。レアード報告なんかも微妙な点では変わってきている面もある。また米中関係などの動きもある。いろいろなことがここのところございます。そういうふうなこと、つまり返還後というふうな一つの節をとらえて、将来特に自衛隊は基地の問題に対応していきませんと、至るところで反対があるという騒ぎになると、本来自衛隊が成り立たぬということになる。そのおそれもあるということも考えられて、全面的にわが国の基地の調査をする、点検をしてみる。そして、どういうふうにそのおのおのが位置づけられていくかということ、また自衛隊の配備という面からも、どういうふうに配備していけばいいかということをあらためて見直してみる、その必要があるのではないかということが、防衛庁内部の話し合う中で一つの大きな問題になっているということが新聞に出ているわけであります。私も長らく基地調査、基地点検ということをやってきた一人でございますが、その点はたいへんいいことだと思っております。  特に、前に一ぺん申し上げましたが、中曽根さんがアメリカに行ってレアードさんとお話し合いになる、その直前にこの委員会で御意見を聞いた。お帰りになってから、すぐまた内閣委員会を開いていろいろ御意見を聞いた。基地問題で二回私も質問いたしておりますけれども、中曽根さんとやりとりをした中で、特に、都心であるとか、あるいは首都圏であるとか、あるいはそのごく周辺であるとかというふうなところは、たいへん交通も繁雑であり、都市再開発が必要であり、都市計画も満足に行なわれない。その原因が大きく基地にかかっているというような場合には、都心あるいは首都圏あるいはその周辺というようなところにおける基地というものは、国民経済全体の面から考えて、あるいは都市計画という面から考えて、できるだけあるべきではない、これが基本的な私の考えだというのが、中曽根さんの新長官におなりになって間もなくの考え方だった。一貫してそういう答弁をされてきている。  そうなると、この機会に立川という問題に触れれば、そういう全体の基地総点検、調査という中で、もちろんこれは立川も含めていただいて、さて一体、最後に申し上げた、置かれている基地の場所、このあたりから見て、あるべきところに基地があるというふうには受け取れない。そういうものについてもこれは検討すべきだと私は思っている。だから、そういう角度から全体をながめる。もちろん立川もこういうことで御検討願いたいと思う。そこのところはまずいかがでございますか。
  19. 江崎真澄

    江崎国務大臣 御質問の点は私も非常に重要に思っております。中曽根君は当時、首都圏にアメリカの航空基地が相当数ある、これは望ましくない、だから、首都圏防空ぐらいは自衛隊の手で守れる形にして、これが整理、縮小されることが望ましい、こういう意見だったように記憶いたしております。この点に関する限り、私、全く同感でございます。  それから、防衛庁自体が一体今後基地をどう扱っていくか、これは、基地周辺の環境整備の問題とからみ合わせて真剣に検討する必要はあると思っております。米軍が今度横田の基地に特に関東平野の航空基地を集約して一カ所にまとめよう。これには相当な経費もかかるわけでありますから、まだ事務折衝の段階で、具体的な成案はできておりませんが、しかし、その方向というものはたいへん望ましいものだと思うのです。そうすると、いまの立川を含めましていろいろな基地が戻ってくる。戻ってくると、直ちに自衛隊がそれを使用するかどうするか、これは問題のあるところだと思うのです。したがって、こういうあと地利用の点については、関係機関との折衝はもとよりでありまするが、自衛隊というものが、国力、国情に応じた必要最小限の武装、こういう表現を使っておるならば、特に、この人家稠密な、しかも発展段階にあるような首都圏地内における基地というものは、やはり必要の場合でも必要最小限、そういう条件はどこまでも大事なことだと私は考えます。したがって、特に今度返還をされる首都圏を中心にいたしまして、全国的に基地というものを検討する必要があるんじゃないか。まあいろいろあります。したがって、問題の多いところはもうこの内閣委員会等でおのずと浮き上がっておるわけですから、そういうところ等については、防衛庁部内においても検討をし、どうしてもその場所がいけないというなら、代替地を一体どこに求めるかというような問題も含めながら検討していく必要があるというふうに考えております。
  20. 大出俊

    大出委員 いま、たいへん重要なことを、しかも前向きで幾つか長官がおっしゃっておられるけれども、私も横浜におりますのでね。横浜というのは、基地があるために、港の背後地が基地に取られております関係で、山の手住宅地域から、あるいは本牧の外人住宅地域からたくさんありまして、ノースピアなんかもまだあんなことになっておりますし、ずいぶんひどい目にあった町です。したがって私は、立川の場合でも、いま長官が二点ばかり私の申し上げたことに賛成されておりますけれども、実はたまたまこの間調査に行って、私、車に乗りおくれまして立川市庁舎に取り残されたわけですけれども、気がついて、ああ近いんだから歩けばすぐ行けるんだなと思って、歩いた。ところが、市庁舎から基地まで、裏を抜けて行きましたから、そうたいして時間はかからぬで基地の正門に行ってしまう。駅からおりていけばなお早い。目と鼻の先で、駅の前が基地みたいなものです。しかも繁華街の前にゲートがある、こういうようなことですね。しかもそのゲート前の道路というのは、車ののろのろ運転が朝から晩までで、たいへんな排気ガスで、商売やっていても、あるいは買いものしていても、非常に健康上よくないといわれている場所です。これではやはり立川市民感情として、ここに基地があることについては反対だと言うと思います。  だから、やはり全体的な角度から検討していただいて、自衛隊の配置という問題についても考えていただいて、この八丈島地震に大きな刺激を受けて、長官がこの辺にというふうに考えたという当初の答弁はわからないわけではない、自衛隊の任務の一つにあるわけですから。だけれども、かといって基地は館山にもある。木更津にもある。ないわけじゃない。そうすると、ほかの基地を使ったって同じことができるかもしらぬ。だから、そういうふうな点も含めて、あらためて全体的に見直してみる。これはぜひやっていただいて、ここがどうしてもまずければ、地理的にながめてみてほかに配置を考えるというふうにしていただきたいと思っている。だからこの点はぜひやっていただきたいんですが、さてやるとして、どのくらい時間がかかりますか。
  21. 江崎真澄

    江崎国務大臣 御趣旨の点はよく承っておきますが、これはまあ相当時間もかかると思います。  それからあの立川の問題は、さっきもお答えしましたように、全面返還の暁においては関係機関協議をしていくことになるわけですが、かりにまた自衛隊が引き続いて使うというような場面があったにしても、これは必要最小限ということでいくべきだというふうに考えております。それから災害の場合を想定したということは、だんだん内閣側ともいろいろ話をしておりますと、中央防災審議会の決定等の背景を受けてあの立川移駐というものはやはり協議しているんですね。ですから、先般も申し上げたかと思いまするが、やはり江東地区は木更津でいこうと——木更津でどうかということも防衛庁内部で深刻に取り上げておるんですね。どうもしかし木更津ではちょっと狭い、京浜地区全体をカバーすることがむずかしいというようなことで、これはひとつ立川にというような考え方になった経過等を知ったわけですが、なお、御趣旨の存するところは十分承りまして、今後にかけて検討してまいりたいと思っております。
  22. 大出俊

    大出委員 いまの話ですが、あまり時間かけたくないのですが、なぜならば、できることならば長官答弁をいただき、総理答弁をいただいて、先ほど、冒頭に警察庁長官とやりとりいたしましたようなこともございますから、この辺でしばらく、それが一年になるのか一年何カ月になるのかわかりませんけれども、先を見通しまして、ひとつ現地が話し合いに応ぜられるよう——つまり、これから先どういうふうにするかということについて、いろいろな問題はございますけれども、決着がつけられるものならつけたいという気がございますので、あまり長い時間はかけたくないのですが、いまの点は、首都圏整備委員会の事務局長さん等に、鶴崎さんがかつて、こんなことを考えているんだがということを言いに行ったことがあるという鶴崎さんの話しか、私は防衛庁内部の方からは聞いてない。  江崎さん、これは、京浜地区と言われるのなら、私も京浜地区にいるんですよ。横浜ですから。横浜、川崎などを含めて京浜というのですから。横須賀まで含めましてね。そうしますとこれは、京浜地区全体のことを考えてとほんとうにおっしゃっているならば、当然そこらあたりにも声がかかってなければならぬことになる。東京から離れますと、川崎もわがほうの市長がいるんですから。わがほうといえば恐縮だが、いわゆる世上でいう革新市長がいる。横浜ももちろんのこと、横須賀はもちろんのこと、鎌倉はもちろんのこと。そうなると、京浜地区にどこかにお声をおかけになるとすれば、革新市長ですから、私の耳に入らぬことはないはずなんであります。横浜なんていうのは、もう三期飛鳥田市長が続いているわけですから、古い話であっても耳に入らぬことはないはずです。ところが聞いてない。だから私は、鶴崎さんが、かつて必要があって行かれたときに、首都圏整備委員会の事務局長等に、こんなことを考えているんだが、というお話をされたという程度にとどまっているんだろうと私は思っている。     〔委員長退席、坂村委員長代理着席〕  それはそれとして、私はやはり、この際一つの決着にしようと考えるのなら、いまの再点検、再調査をなさるという、少なくともその結果を見てから立川問題についてものを考えるくらいのことにはしないと、ものは前に進まない、こういう気がいたします。そこらのところについて、長官ひとつ、少し前向きでお答えになる気はございませんか。
  23. 江崎真澄

    江崎国務大臣 現在は管制訓練の実施をやっておるわけですが、御趣旨の存するところはよくわかりますが、やはりそれが、三月すれば民生協力を含めた配備をしたいという計画で実行に移したものですから、いま軽々にここでわかりましたと言うわけにもまいりませんが、御趣旨はよく承って今後に対処してまいりたいと思います。
  24. 大出俊

    大出委員 御趣旨はよく承って今後に対処するという非常に微妙な御答弁なんですが、おっしゃろうとする気持ちは、答弁の趣旨のほうは私もわかるのですが、そういう意味で非常にきわどい答弁になってまいりましたが……。  もう一つ、ある人の発言によりますと、夜陰に乗じて夜盗のごとくという話が出てくるのですけれども鶴崎さんも、返還されたあとむちゃくちゃなことはやらないということをさっきおっしゃっているのだけれども、これは夜陰に乗じて夜盗のごとくという先例があって問題になっているのですから、いま簡単に、無理はしない、あるいはむちゃなことはしない、こうおっしゃられても、しからば承りたいのだが、夜陰に乗じて夜盗のごとくということをおやりになる気はありますか。そんなことはもうないでしょう。
  25. 江崎真澄

    江崎国務大臣 本隊があそこに配置につくときには、ひとつ堂々と行くことにいたしたいと思います。  あれは、あくまで東部方面総監があの場面の配置移動に当たっておったわけですね。その判断が陸幕長を通じ次官に来、次官の判断となり、私に最終的な判断を求めた。そこで、あくまで衝突回避、混乱回避、これにあったわけですね。ですから、ことさらに抜き打ちをしたとか、だまし討ちをしたとか、そういう意味はなかったわけですが、結果論からいきますと、ああいう批評が出ることになったことはいかにも残念なことに思っております。これはしばしばこの委員会でも、そんなやり方をしたのではむしろ自衛官そのものも気の毒じゃないかというような御批判等も出たくらいでありますから、こういうことについては誤りを繰り返したくないと思っております。
  26. 大出俊

    大出委員 そこで、おのおの立場、立場がございまして、長官命令をお出しになりますと——歴代何代かの長官に私もいろいろな場面でお目にかかってもおりますし、やりとりもしております。この間私が佐藤総理に、総理におなりになってから長官は何人ですかと聞いたら、とっさにわからぬわけですから、私のほうから、江崎さんをもって九人目ですよと御説明申し上げたわけでございます。だから、ずいぶんたくさんの長官と私もいろいろやりとりをしてまいりましたが、やはりここまでまいりますと、口が悪くて申しわけないんだが、夜陰に乗じて夜盗のごとくという、そういう愚は繰り返さない、結果的にまずかったということになった、こういうお話ですからたいへんありがたいのでございますが、それはやらない、正正堂々と、こういうお話なんですが、正々堂々とやるからには、当然それ相当の話し合いが要ることになる。民主主義というのは、残念ながら時間のかかることになっておりますから、そうなるとやはり相当な話し合いの時間というものをかけなければならぬ。  三月たったら切り離して、自衛隊が運輸省と話し合って告示をして飛行場にするということでございますから、かつ予算に整備費が組んであるわけでございますから、そこが私は非常に心配になるのですね。予算上あるのですから、かまわず整備を始めた、滑走路等をつけた、あるいは進入角指示灯をつけたとかいうふうなことを始めますと、これはまた騒ぎが大きくなる、こういうふうに私は思う。だから、凍結ということばがはやりますけれども、この際やはり凍結すべきものは凍結しておいて、三月とかなんとかということを言い出すと、これはまたそれなりにエスカレートすることになりますので、せっかくそういうお気持ちがあるならば、やはり時間を十分かけていろいろな努力をしてみる必要はもちろんある。それよりも、話し合いがつかないとすれば、これは先般来のようなことはしないとおっしゃるのだから、そうなれば違った角度からものを考えるという場面がもう一度なければならぬことになる。したがって、そこらを含めて現状凍結できませんですか。
  27. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは御意見ですが、どうもなかなか困難な問題だと思います。これはあくまで民生協力ということですから、ぜひひとつ大出さんにおいてもお認めを願いたいと思うのですが、しかし、三月済んだから事務的にすぐ本隊配置というものではなくて、十分ひとつこの上とも、これは災害協力に重点があるんだということを、きょうもあすも引き続きよく納得のいくような話し合いを今後も進めていきたい、この考え方には徹底した気持ちを持っております。
  28. 大出俊

    大出委員 これは理事会で話しまして、話し合いがついていない筋合いなんですね。この席でやりとりをしたからといって、ぴしゃっとここでそのことがまとまると思って質問はしていない。命令を撤回しろったって、では長官、あなたは撤回のあといかなる責任をとるかと開き直れば、長官責任問題になります。だから、ここでそこまで詰まるとは思っていない。思っていないのだけれども、現状を皆さんがながめてみてどうなっているかということは、先ほど来のやりとりでもおわかりのわけだから、決して鎮静はしない。この間開かれた集会だって、立川始まって以来最大の集会だと新聞が書いておる。ついこの間のものは高まっておるわけですね。そこらのところを判断されてものを言っていただかぬと、長官のほうで話し合いをしたいと言ったって、現地は話し合いを拒否してくるかもしれない。そうでしょう。拒否してきたから夜陰に乗じてということはできぬとなれば、堂々とということも、これまたできなくなる。  だから、やはりそこらのことも考え答弁をしていただかぬと困るので、この際基地を点検をする、調査をする、高い角度から考えてみる、そういうプロジェクトチームを皆さんはつくるというのですから、だれを責任者にするのか知りませんけれども、そういう考え方をせっかくここでお出しになるならば、この機会にそちらのほうでひとつじっくりやってみる、その上に立ってさらに立川の問題を検討するということくらいのところまでは言っていただいたって、ふしぎはないと思っているのですが、くどいようですが、重ねてそこを承りたいのです。
  29. 江崎真澄

    江崎国務大臣 いかがでございましょう。それは全面返還という日もいずれあるわけですから、そういう段階では、いま御質問のような点は十分考慮されることがあると思いますが、とりあえずこの場面としては、やはり防災審議会等の要請、それから大災害にあったときどうするかというようなことを踏まえて、政府としても閣議で責任をもってきめた、このこと自体は今日事情が薄れたというわけではないと思います。ただ、あそこへ準備隊というか、先遣隊というのが参りまする方法において、結果論としてはいろいろ芳しくなかったということはありましょうが、なお、われわれとしても、理解を得べく努力をしてまいりますので、いますぐにということでなく、これはやはりこの段階ではお認めを願いたい、こういうふうに率直に私ども考えておるわけですが、やはり話し合いということはどこまでいっても大事なことですから、今度のことにかんがみまして、なおなお、ひとつ話し合いをしていきたいというふうに思っておるわけであります。
  30. 大出俊

    大出委員 私はもっとはっきりしているのですよ。先遣隊にもとに戻ってもらいたいと思っているのですよ。戻ってくれないならば、ちょっとそのほうが重要だから、審議拒否はいたしませんが、沖繩の二件には入れぬ。それは困るといっても、法案は山ほどあるのだから、沖繩あとでいいので、沖繩中身防衛施設局を置こうというのが入っているのですから、沖繩で同じように夜陰に乗じてやられてはかなわぬですからね。だから、私どものほうはそういうことで、それは困るとおっしゃるなら、ほかの審議する法案は山ほどあるのですから、それで私のほうはけっこうです。ところが、それでは困るというふうに理事さんも委員長も御心配になっていらっしゃるから、私は、もう少し江崎さん前向きにものを言うかと思って質問を始めたのですけれども、それでは話にならぬですな。やめます。総理に聞くからいいですよ。話のしようがない。
  31. 江崎真澄

    江崎国務大臣 それは沖繩問題は切り離して、ぜひひとつ御審議を願いたいものです。
  32. 大出俊

    大出委員 切り離すわけにいきません。防衛施設局を設置しようというのに、そんなわけにいきますか。
  33. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これはそうおっしゃらぬで、ひとつ十分話し合いは続けていきますから、ぜひ何とか……。
  34. 大出俊

    大出委員 あなたも政治家じゃないですか。こんな暴力団やちょうちんまで出てきて、なおあなたは片づけようがないとおっしゃるのですか。それじゃ話にならぬじゃないですか。  だいぶ問題がむずかしいので、私のほうもいろいろなことも気にしながら質問しているのですけれども、そこで幾つか先ほど来お認めになっているのは、基地は、これは高い角度から、新たな角度から全体的に調査をし点検をしてみる必要がある、どういうふうに位置づけていくかということなども点検してみる必要がある、これは先ほど来そうおっしゃっているわけであります。したがって当然、立川等についても全体の点検の中で検討してみる必要がある、ここまではお認めいただいているように思うのです、さっきからのやり取りで。  そこで、当面の問題が一つあるわけです。当面の問題については、鶴崎さんの御答弁とあわせて申し上げれば、私の言い方は悪いのですけれども、夜陰に乗じて夜盗のごとくということはどうも結果的にまずかった、したがってそういうことを繰り返す意思はないということをおっしゃっておられる。これが二番目であります。そこで私のほうから、現状凍結はできぬかと言ったら、それは困る、三月と、こういうふうに期限は切らぬが、本隊が入ることについては当面は認めてくれとおっしゃるものだから、そうとなれば、そこまでおっしゃられると、私のほうも、先遣隊をどけろと言わざるを得ぬじゃないか。そこで私はさっき、ああいうものの言い方をしたわけであります。  私はいままで、ここで先遣隊をどけてくれと一言も言ってないのです。おのおの立場はございましょうという前置きをして言っておる。私のほうで先遣隊をどけてくれと言ってないのに、あなたのほうで本隊を認めてくれとおっしゃられたのでは、話はぶちこわしでしょう。立川現地というものを何とか収拾の方向へというので、立場は違いますけれども、やはりあのままではぐあいが悪いということを考えている限りは、私はそこまで長官が言われたんじゃ……。私のほうは先遣隊をもとへ戻せと一言も言ってない、きょうの質問の経緯から見て。これは私は考え直していただかぬとものごとは前に進まない、まずこう思います。  そこで、とにかく地元で一番最初行って、これは本年一月ですけれども長官阿部市長お話し合いになっているのは、市民の了解を得て実施しますということを言っておられるのですね。それからあとになると、市議会の多数が意思を変えたから、それを市民意思だと考えた、こういう言い方に変わっているのですね。そうではなくて、さっきお話しになっているように、かりに入るとすれば、それは堂々とというお考えがあるなら、やはり市民に納得してもらわなければならぬし、当然そういうことになると私は思うのですね。だから、もう中間にあったことをおやりにならぬというのだから、原則に返って——混乱したときには原則に返れというのですけれども、原則に返っていただいて、立川ばかり言っておりますけれども、昭島だって四分の一持っておりますのでしょう、立川飛行場の。昭島市議会の二十五名の市議会議員は満場一致で反対しているのですよ。そこらも十分お考えいただいて、やはり市民の了解を得たい、最大の努力をする、前回のようなことはしないというふうに答えておいていただきませんと、総理の場面につなぎようがないじゃないですか。いかがでしょう。
  35. 江崎真澄

    江崎国務大臣 どうも私のことばが足らなかったようでありますが、お説のように、収拾のためにあらゆる努力を続けてまいりたいと思います。
  36. 大出俊

    大出委員 ほかの一緒においでになった各党の皆さんのほうもあれでございますので、立川問題については以上にさしていただきまして、総務長官お見えになりますので、ひとつ全軍労の問題について伺いたい。こんなに江崎さんと長くなると思わなかったのですが、長い間お待たせいたしまして恐縮でございます。  ところで、琉球政府から宮里副主席その他も出かけてきておられるようでございますが、全軍労千六百二十九名の首切り通告等をめぐりまして、先般は同僚の上原君からいろいろ長官に伺っておりますから、くどいことは申し上げないつもりでおりますが、当面、外務省その他を含めまして、どういうふうに動いておるのかという点について、まず長官から承りたいのです。
  37. 山中貞則

    ○山中国務大臣 これは、防衛施設庁と私のほうと両方の問題かと思いますが、まず、第一義的に私のほうでは、沖繩の復帰直前の世情のこんとんとした中で、復帰をあしたという日に解雇をされる人たちがいるという事態を非常に重く見ております。すなわち、今夜午前零時には長い間待ち望んだ本土復帰の日であるという日に、長年つとめた職場とさようならしなければならない、自分の意思に反してという事態は、担当大臣としてきわめて心配をいたしまして、何らかの手段として——すなわち、解雇がなければ一番よろしい、しかしながら、米軍のほうでもいろいろ考えて、われわれと逆な立場で考えて、復帰前に処理しておこうというような気持ちでやった節もありまして、その線がなかなか折り合わないとすれば、少なくとも最終的には民政府その他の機関がなくなることは、これは軍労側も覚悟していることでありますから、その他納得がいかないと言っている部門について解雇者を少なくしてもらったらどうかということを、防衛庁並びに外務省とも連絡をして、外交折衝もいたしております。現在までは、これが復帰したときのはっきりとした見通しは得られておりませんが、しかし少なくとも、通知された者の数は、現在は千六百二十九名から千五百九十三名に一応変わってきておるわけでありますが、この数について——十日間の長期ストというのは、これは全軍労としてもまことに異例なことでありますし、その間、賃金カットを受けちゃうわけですから、収捨したところでマイナスは依然として出る。それが一週間も延長されてしまうということで、この数の問題を非常に重視をいたしておりますが、米側の態度というものが依然として思わしくない。  そこで私のほうは、これは全く望まないことですが、かりに解雇をされたという場合には、まず沖繩北方対策庁の予算として、本土との退職金の格差のある部門について補てんを予算でいたしておりますので、これについておおむね四億以上のものを急遽支出をして、これはもう解雇反対賛成と別に、事実が発生した場合においては支給しなければならないという財源措置について検討を始めております。  また他面において、直接、軍労側の委員長はじめ執行部、あるいは国会議員等を介して私のほうもいろいろの話を承っております。それの要望として、最悪の場合せめて解雇が復帰後になるように一カ月伸ばしてもらいたいという要望もありました。あるいはまた、それと別な観点からの、あしたからは、沖繩の人から見れば三百六十円と依然唱えておりますところのドルを、三百八円の生活の中に変わる前日にもらう。実態は、本土からもらう本土との退職金の差額はもちろんのこと、米軍の払うドルについても明日から円なんだ。しかもそれは、三百八円の——基本レートでいえばそうなんですが、いまは円建てで一そう不安があるわけですけれども、そういう金の価値に変わってしまうので、せめて今回の復帰直前の解雇者については、それと三百六十円との差額、基本レートで言うならば、五十二円分をさらに出してもらえないだろうかという意見があります。これは直接防衛施設庁のほうで計算をしてもらっておるわけでありますが、これらの金額も、四億を少し切りますけれども、やはり相当な金額に達するわけであります。これは個々に計算を積み上げていきますので、いまのところ計算は正確には出ておりませんが、おおむね三億円をこすということは明確であります。  これらのものについての要望等いろいろございまして、せめてこれらの手段をとることによって、本来アメリカが払うべきものも入っているわけですけれども、本土政府がそういうことを肩がわりに措置をするということが、私としては、できるだけ早い機会に、できれば十日間のストの期間内において妥結することを願い、また、延長されましたすぐに、沖繩においても連休がまいりましたので、上原君あたりと連絡をとりまして、どうしても土曜のうちに、連休だけは休めるような休戦状態だけでも——終結ではなくても、休戦だけでも状態をつくりたいと思って、大蔵その他とも連絡をとってやりました。しかしながら、いまのような輪郭の条件の中では、スト収拾もしくは一時停止という状態に即答できないという現地からの——これは上原康助議員を通じてのルートでありますが、即答できないという返事がございまして、日、月、この二日間は動くことができませんでした。したがって、本日あらためて現地事情等がわかりますならば、それに対応して、すみやかにせめて収拾の糸口となるストの停止だけでも何らかの措置がとれないだろうかということを、いま努力している最中であります。
  38. 大出俊

    大出委員 あわせて施設庁の側に承っておきたいのでありますが、いま長官が二番目に言われております一これは、五月十四日ということに不幸にしてなったという場合を想定するわけでございましょうが、その場合に、たとえば退職手当を実勢レートで払うとすれば、当然ここに差損を生ずることになる。ここらの問題ということになるわけでありますが、せっかく長官からお話がございましたので、そこらを含めまして、かつまた先般なお残っております各種手当、夜勤手当と英語手当の問題がありますけれどもそこらを含めて、全軍労の問題を施設庁の側でどういうふうにとらえておられるのか、御説明を一ぺんいただきたい。
  39. 安斉正邦

    ○安斉政府委員 このストライキの問題は、大きく申し上げまして二つの要素からなっております。前段に長官がおっしゃいました千六百名に及ぶ大量の解雇、復帰を直前に見ながら解雇される、去っていかれる人、そういう方々の問題というのが一つあります。それからもう一点は、実際に復帰後間接雇用に移行される方、そういう問題があるわけでありますが、その移行される方々に関しての労働条件の切りかえ措置、これを外務省を通じ、施設庁は技術的な面を担当しながら今日まで来ておるわけでございます。そうして、先生おっしゃいましたところの、移行されない方の退職金の問題。これは、移行されないということになりますと、米軍からは縁が切れてしまうということになりますので、これは米側からどうのこうのという形にはなり得ないのではないかというふうに判断しております。  それから残ります問題、これが非常に大きな問題なんですが、非常にたくさんの問題をかかえながら、実は一月の末日をもちましてアメリカ側との大筋の話し合いがついた切りかえ条件というものにつきまして、施設庁としましては、全軍労の方々と約十数回にわたって協議を重ねてきたわけであります。そして問題点がだんだんしぼられてまいりまして、いま先生言われましたような幾つかの問題にしぼられてきております。そしてこの幾つかの問題について、はっきり言いますと大体三点なんでありますけれども、ここのところがなかなかうまく折り合いがつかないというのが現状でございまして、実のところは、その問題を中心にいたしまして現在もアメリカ側と協議を進めております。進めておりますが、当初一月にできました仮合意といいますか、全体案というものが、アメリカ側としてはかなり思い切ったものを出しているように見受けられますし、われわれが判断した中でも、相当程度までは条件を満たしているものではなかろうかという判断もあります。そこで、あとから出てきた問題といいますか、しぼり切れない問題については非常に難航しておるのが事実でございますが、それを何らかの形で多少なりとも前進させていかなければならないというふうに考えておる次第でございます。
  40. 大出俊

    大出委員 非常にいまのところぼやけておりまして、立場、立場があってやっておられるから無理がないと言えば言えるかもしれませんが、現段階ではどの辺までのやりとりになっておりますか。その辺もうちょっと先に進んでものを言っていただけませんか。
  41. 安斉正邦

    ○安斉政府委員 これは交渉中でございますので、あまりはっきりしたことを申し上げてよろしいかどうか、私もちょっと判断に迷うわけでございますけれども、問題として出ておりますのは、いわゆる基本給の中での勤務年数の問題、これを考慮すべきではないかという問題が一点。それから語学手当。現場では英語手当と言っておりますが、これが一九六八年に廃止になりました。廃止になりましたけれども、当時その手当をもらっていた方々だけについては、その金額を据え置いて保障した形が続いているというわけでございます。保障しているわけでございますが、本土復帰後の新制度に入りますと、本土の制度というものが、職種について、その仕事をやるのにぜひ英語が必要であるという方に限ってつくというふうになりますので、制度の変更のためにどうしてもそこに該当しないような方も出てくるというような問題もあります。そしてアメリカ側としましては、やはり英語を必要とするものについて手当をつけるという制度であるために、従来沖繩におきましてわりあいに全般的につけていた——すでに廃止になっている制度ですが、それを存続させるということについてはたいへんな難色があるわけでございます。そこで、それについての何らかの、移行する部分における暫定的な、急激に変化を与えない方法はないかということで、そういう角度から検討しております。  それからもう一つ、前夜勤手当というのがございますが、これはやはり本土にも制度がございません。そのために、移行した場合、そういう制度がこの際なくなってしまうというのについての何らかの暫定措置はないかという角度でいま検討しております。  一番大きな問題のいわゆる勤務年数の問題でございますけれども、これはいろいろ御議論もあろうと思います。ことに先生は給与に関しての専門家でございますので、私のようなものが申し上げるのはいかがと思いますけれども、実際この制度移行についていろいろ研究いたしましたときに、いわゆる本土の駐留軍の従業員の方々沖繩の方方、これをどういうふうに突合するかという真剣な検討をやったわけでございます。本土におきましても、たとえばMLCをとるならば約八百に及ぶような職種があります。そしてこれは現場でその職種に従って仕事をしているわけでございますが、沖繩における仕事の問題となりますと、これはやはり米軍米軍でありますけれども、職種、仕事の内容というものは少しずつずれている部分があります。これを各個人について全部、どのような仕事、どういうふうにやっているのかということを本土と一つ一つ突合するということはきわめて困難なことでございますし、沖繩の場合には、職種がありましても、たとえば等級がありまして、等級を降格したり昇格したりして非常に泳いでおりますので、どれをもって経験年数ととるべきかというようなことは非常に公平な判断がむずかしかろうということにぶつかりました。そこで、全体を現在の給与を下回らない形で切りかえようという形で大筋が進んだわけでございまして、しかも各種の本土並みの手当がつきますので、確かに、沖繩にありましたいまの語学手当等がなくなるとしても、ほかに手当がふえます関係から、手取りと申しますか、そういう形から言うならば、決して悪くはならないという形にはなっておるわけでございます。  しかし、なるほど最終的には問題が三つ残りまして、それがあまりな急激な形では困ろうかということも十分理解しておりまして、何とかこの組合側の気持ちの問題として言っていられることについては努力したいと思いますけれども、非常に壁が厚くて、ここのところずっと連続して協議を続けておりますが、なかなか進展が見られないのであります。
  42. 上原康助

    上原委員 ちょっと関連で二、三点お伺いしたいと思います。  前段のやりとりを聞いていませんので、重複する面あるいは筋違いの点があるかと思うのですが、いま全軍労の問題についていろいろ山中大臣なり防衛施設庁労務部長の御答弁があったわけですが、すでに何回かこの問題で、本委員会あるいは沖特その他の委員会でもいろいろ意見を加えてやりとりしてまいりましたが、たいへん残念ながらまだ問題解決の見通しが全くつかない。現地も一そうきびしい情勢の中で、十日間のストライキをさらに一週間延ばして、現段階にまいりますと、二十三日の時点でどう将来の二十三日以降の戦いを進めていくかという情勢まで、全軍労としても、もう引けないというところまで来ております。  そこで、問題解決の方法としては二つだと思うのです。一つはやはり対米交渉の中で、賃金を含む語学手当あるいは前夜勤手当の問題をどう解決するかという、いわゆる間接雇用移行に伴う労使でまだ折り合いのつかない点。この点については、すでに御説明がありましたように、間接雇用移行に伴っての仮合意というのをやったのは日本政府なんです。全軍労と米側が仮合意をしたわけではない。復帰の時点で法律上の雇用主は日本政府になるわけですから、日本政府がやはり責任を負わなければいけないと思うのです。いま一つは、日本政府としてこの全軍労問題をどうとらえるかということじゃなかろうかと思うのです。五月十四日は、明日復帰だというのに千六百名余りが切られる。しかも円切り上げによっていろいろの損失をこうむるというこの事態を、もう少し政治的な判断というものをなさって、早期に解決をするということが、この段階まで来ると一番望ましいことじゃないかと思うのです。  そこでお尋ねですが、これまでいろいろ問題提起をいたしまして、防衛庁長官、あるいは総理府の山中長官、さらに外務大臣が、三者一体でこの問題解決のためにお話し合いを持って早急に解決をしたいということを、これまで私たちのやりとりの中で意思表示をなさってまいりました。そのことが現になされたのかどうかということが一つ。  また、賃金問題を含めて、なかなか壁が厚くて問題解決の方向が見出しにくいというようなことをおっしゃっていますが、一体めどはいつごろなのか。少なくとも十一日の段階で、全軍労の要求を踏まえて日米両政府が交渉に入るということを、外務省が公式に見解を表明したはずなんです。十一日からというともうすでに十日も過ぎております。なぜここまで来てもまだ米側との折り合いがつかないのか。もっとそういった面を具体的に明らかにしていただきたいし、日本政府としてできる面は、早急に具体的な中身を明らかにして現地の要望にこたえるべきじゃないかということ。対米折衝で詰めるべき面については、そのめどはいつなのか。そこまでこの問題の本質というものを明らかにしませんと、全軍労側としても、あるいは現地側としても、なかなか引くに引けない段階までいま対立というものが深まっている。このことにもっと誠意をもって当たるというのが私は政府側にとっていただきたい要望でございます。これまでいろいろ努力をしたということは評価をする。その前提に立っての質問でございますから、ぜひ誠意ある御答弁を賜わっておきたいと思うのです。     〔坂村委員長代理退席、委員長着席〕
  43. 山中貞則

    ○山中国務大臣 私のほうは、アメリカとの外交折衝のルートに全く関知できませんので、したがって、担当大臣としてしなければならない第一の問題は、やはり本土政府が行なわなければならないことは何かということについて、最悪の場合において私どもが処理しなければならないことを、先ほど大出君に、その用意があるということも含めて、また土曜日に連絡をしたとおりでありますが、その措置はやるつもりでおります。  しかし一方、勤続期間の通算、あるいはそれを二号俸アップへの置きかえ、あるいは英語手当、あるいは夜勤手当、こういうもの等についての米側との折衝については、これは私は、沖繩人たちが現在持っておる制度はそのままなるべく、暫定期間であっても、出っぱっている部分は暫定期間で認めてほしい。そして本土が与えている給与条件その他の手当等については全面的に沖繩にも及ぼしてほしい。また退職金についても、これには何ら理論的にも法的にも差額のないはずのものになるわけでありますから、そこらを間違いなく引き継いでほしいということは要請をし、防衛庁、外務省にも連絡をとって、担当大臣として円滑に引き継がれるように努力をいたしておりますが、私の分野は一応、それをどこまで熱心にやるかということに尽きるわけでありますから、いまのところその努力を続けているということであります。
  44. 江崎真澄

    江崎国務大臣 いま山中長官から御答弁したように、われわれとしては、もう絶えず連絡をしながら真剣にこの問題と取り組んでいるわけです。米側はなかなか遅々として一つの結論に到達いたしません。きょうも実はやっておるような事態でありまして、問題点はよくわかっておりますので、十分ひとつ努力を続けてまいりたい。これは容易ならぬ場面だと思って深刻に考えております。
  45. 上原康助

    上原委員 そこで、政府でもできる面、退職手当のいわゆる差損に対しての補償等については、十分前向きに御検討いただくということは評価もいたしますし、また理解いたします。  いま一つ、私も全軍労といろいろ連絡はとっておりますが、やはりアメリカ側も、ストを継続された中での団体交渉というものは持ちたくない。それは使用者なり米側の意見としてはわかります。しかし、問題の中身というもの、組合が要求している中身というものが公式に全然出てこない段階で、十日間、さらに一週間延ばして、もう全力を振りしぼって戦っている労働者からすれば、から手形でほこをおさめるわけにはまいらないわけですよね。そのこともまた同時に理解しなければいかないと思うのです。  真剣に、深刻に取っ組んでおられるということですが、私は、この問題の解決をすべきタイムリミットというものは、きょうあすだと思うのです。それ以上ストライキが発展をしていく、あるいはまた戦術が強化をされていくという場合は、間接雇用移行そのものができなくなるわけでしょう。場合によっては拒否闘争そのものを組むことがむしろ全軍労の要求を前進させるかもしれない。そこまで発展をさせていったのが政府としての得策になるのかどうかということも踏まえて、きょうあすがタイムリミットということをお考えになって、政府という立場でできる問題として、何としてもアメリカ側にもつと銭を出させてもらわなければいかない。アメリカが出すべき予算について、ぜひ防衛庁、外務省が積極的にその労をとっていただきたい。その見通しというのは現段階では全然立たないのですか。この点だけもう一ぺん確かめておきたいと思います。
  46. 島田豊

    ○島田(豊)政府委員 いわゆる三条件につきまして現在米側と折衝を行なっておるわけでございますが、基本給、語学手当、夜勤手当、いずれも現在までの段階におきましては、米側の態度がきわめてかたいわけでございますので、引き続き、私どもとしましても、外務省とも協力しながら最善の努力をいたしたいというように考えておりますけれども、これが今明日中に結着がつけられるかどうかということについては、まだ私どもとしては見通しを持っておりません。
  47. 上原康助

    上原委員 そうしますと、去る十一日に外務省が発表をした、いわゆる全軍労の要求している内容を踏まえて仮合意した内容について再検討をするという意味の見解を表明いたしましたあのことは、仮合意をしたのは、いわゆる賃金やその他の諸要件、間接雇用移行に伴うその中身が改善をされていくという前提でじゃないわけですか。交渉のやりとりの中でいろいろむずかしい面はあっても、皆さんが、一月の二十九日ですか、一月下旬に仮合意をしたといういわゆるあのパッケージというものが、もっと上積みをされるという前提での交渉ではなくして、できるかどうかを交渉しているということですか。そこいらはどうなんです。
  48. 島田豊

    ○島田(豊)政府委員 私どもから提案いたしました条件につきまして、現在米側から、米側の意向と申しますか、米側の一つの案をわれわれのほうに提示されているわけでございます。これはもちろん仮合意の線にとどまっておるわけでございませんで、米側の若干の前進は見られます。しかしながら、われわれの提案との間にまだかなりの幅がございますので、それにつきまして、われわれのほうの要求の線にできるだけ近づけることができるかどうか、いまそれを近づけるべく鋭意交渉をいたしておるというのが現在の段階でございます。
  49. 上原康助

    上原委員 関連ですから以上を申し上げますが、いずれにいたしましても、ここまで深刻な問題になっていながらなかなか問題解決の糸口さえ  つかめていない、そのことをたいへん遺憾に思うのです。これ以上労使の対立なりいろいろな面に支障を来たすということは、私は得策じゃないと思うのです。  重ねて申し上げますが、問題解決のタイムリミットというのは、きょうあす、そのことを米側に強く申し入れて、日本政府としてできるような中身については早急に結論を出していただき、そして全軍労側が出しているぎりぎりの要求——勤務年数を加味しての調整というものも、一〇〇%やれということじゃないでしょう。せめて三号俸ないし二号俸、あるいは一号俸という面もあるかもしらない。そして、それに付帯する語学手当の問題や夜勤手当という問題が、そんなに困難な問題でもないと思うのです。やりようによっては、今明日中に十分そのめどというのは立つと思いますので、ぜひ防衛庁長官も、立川問題やあるいは自衛隊の物資搬入の問題では、心ここにあらずというお気持ちかもしれないが、人間の問題の解決なくして今後の文民統制や何やらないですよ。そういう面でも、ぜひこの問題を早急に解決をするように要求いたして、私の関連質問を終えたいと思うのです。
  50. 大出俊

    大出委員 山中長官のからだの事情もおありのようでございますから、先ほど来御答弁いただきましたので、長官の受け持たれる分野につきましてはよくわかりましたので、これで質問を打ち切らせていただきます。  そこで、全体的にここでひとつ締めくくりに申し上げておきたいのでありますが、理事会等でも何回か申し上げましたように、本来この沖繩返還の日取りとからみまして、その前に間接雇用になる対象人員を思い切って切ってくるという予測ができる。だから、外務省その他を通じて十分米側にものを言って、そういうことにならないようにあらかじめ念を押してくれ、そして向こうの回答を引き出してもらいたいということを、再三、私、実は前から申し上げてきたのでありますが、そこらもございまして、現地視察に当委員会からおいでいただいた皆さま方にもお願いをしておきましたが、それはそうだ、あたたかく迎えようといっているやさきに、どうも大量に首を切るなんてことがあってはならぬという皆さんの御意向でございまして、生活にからむのだから、われわれもひとつ一緒にやってやろうじゃないか、そういうお話も、当時坂村さんからいただきまして、私も外務省にそう言っておいたのであります。ところが、ふたをあけてみたら、当時千六百二十九名でございましたが、出てきました。聞いたところが、何らその前に米側と話し合っていない。あわてて米側にものを言ったというわけで、賛成できない、日本側としては反対である、ところが断わられたと、実はこういうアメリカ局長の言い分でございました。なぜ一体あらかじめそういう進め方をしておいてくれなかったかと私は実は言いたいのでありますが、にもかかわらず、できたことでありますから、どう処置するかというところに重点を移さざるを得ない。こういう気持ちで私もいろいろ話をしてまいりました。  ですから、きょうは冒頭に私申し上げているのですが、この立川問題、いまの全軍労問題、懸案でございますだけに、何とかきょうこの問題処理に方向づけをしたい。そして、あしたは予定されている内閣委員会ではございませんから、明後日あたりから、法案審議に入ろうかというところまで考えて、実は先ほど来、江崎長官にも、あるいは山中さんにも、私は二つの問題で質問しているわけでありまして、何とかこの辺でひとつ前向きにものごとを進めたい、こういう気持ちなんですよ。上原君のほうからいま、きょうあすと言っておりますけれども、これは現地の情勢を踏まえての上原君の考え方で、私もぼつぼつ事情はわかります。だから、長くなった場合には、ストライキ中の交渉はいやだという向こうの気持ち、かといって引けないというほう、称してどろ沼という場面、どっちもどうにも引くに引けぬことになってしまう。そうなると、仮合意をしておられる日本政府の立場もその中にある、こういうことになるわけでありますから、したがって、そこのところを考えて、私はこの際、詰めるものは早く詰めなければならぬ。だから、ちょっと見通しはないとおっしゃらぬで、これはやはり今明日というところで積極的に詰めてもらう。とことんまでやってみて、そしてどろ沼に入らぬところで全体の収拾をはかるというめどを立てていただくのが、私はこの種の問題の——私は長年その方面の経験者でありますから言うのでございますけれども、タイミングだと思う。  だから、そういう意味で、私もぼつぼつ事情もわかっておりますので、金躍日、土躍日以来、伊能先生にも申し上げているんですけれども、事と次第によっては私のほうからというお話があって委員長も言っておりましたが、大体きょうあすということばにそう狂いはないと私は思っております。そこから先になりますと、大衆運動ですから、それならばという腰の据え方になってしまう。そうすると、それならばと向こうもなると、これは不測の事態まで考えざるを得なくなる。したがって、せっかくあたたかく迎えようということばなんだとするならば、やはり今明日というところで詰めていただく、この点をひとつ申し上げておきたいのでありますが、いかがでございましょう。全力をあげてやってみていただきたいと思います。
  51. 島田豊

    ○島田(豊)政府委員 この問題は、問題が二つあるわけでございまして、一つは不幸にして解雇されるべき人たちに対する対策をどうするかという問題、それから現在間接雇用移行について米側と折衝しております問題についていかにわれわれの要求を貫いていくかという問題、この二つでございます。前者につきましては、これは日本政府としてもいろいろお考えいただくということになると思いますが、後者につきましては、私も確かに、いまのストライキをさらに継続をされておるというこの現状を踏まえまして、何とかこれについての結論を見出したいということで考えておるわけでございます。これにつきまして、私、必要に応じまして折衝もいたしたい、かように考えておりまして、できるだけ今明日中ということをめどにいたしましてこの問題を解決いたしたい、かように考えておるわけでございます。
  52. 大出俊

    大出委員 単なる労使紛争ならば問題は別でございますが、日にちを数えておる復帰という時点がある問題でございますだけに、ぜひひとつ御努力をいただきたいと思います。各党皆さんおりますので、とりあえず私これで終わらしていただきます。たいへん長い時間ありがとうございました。
  53. 伊能繁次郎

    ○伊能委員長 伊藤惣助丸君。
  54. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 初めに立川問題について二、三聞きまして、沖繩問題についてまた二、三伺いたいと思います。  一つは、いま同僚委員からお話ありましたように、立川問題については、あの市民運動といいますか、たいへん強い反対があります。そこで、三月の十七日に、ばく徒である集団ですか、約五十人くらいが立川基地移駐賛成のために集まったということが問題になりまして、急遽、理事懇談会において、伊能委員長を先頭にして各党そろって立川に参ったわけであります。  そこで明らかになった点は、一つは、十二日の日ですか、私服の警官が、だいぶ集まっているので、どうしてそんなに集まっているのかと聞いたところ、防衛庁長官が来るということで集まったんだ、こういう報告が立川署長にあったようであります。そこで、そんなばかなことはないということで、立川署長が問い合わしたところ、防衛庁長官は来なかった。そして十三日の日に、そういう賛成反対の中にあなた方は行くべきでないと注意したにもかかわらず、実はばく徒といわれる方々が行った。そのばく徒の方々というのは、住吉連合小西組ですか、大体、立川の北口方面になわ張りがあって、全員でも三十人くらいです。その住吉連合小西組のほかにも稲葉組の者もいた、こういうようなことも署長さんの発言でわかったわけです。どこから頼まれたのかということについては、電話で連絡があった、それは言えない、ただわれわれは義理人情で来ているのだ、えらい先生が来るから来たのだ、こういうことだそうでございますが、私は何もここで防衛庁関係があるとは言いたくありません。ただ明確にしておきたいことは、防衛庁長官が来るのだということで集まってきていたということについて、長官、そういうような経過、あるいはまた、そういったことについてどんな考えがあるのか、まず伺っておきます。
  55. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは全く意外な話でして、もともと私が行く予定はその時点では全然なかったことです。それからまた、自民党の基地対策関係の議員諸君が行かれることは、これは党の問題ですから私よく知っておりましたが、そういう様子が起ころうなんということは全く知りませんでしたし、また、そのあとにおいても、皆さんがいらっしゃってそれが問題になったという時点まで、実は知らなかったわけでございます。もちろん全然防衛庁として関係があるはずのものではございません。
  56. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 先ほど警察庁長官が見えまして、実は関連質問したかったわけですが、時間の関係でできなかったわけですけれども、少なくとも移駐賛成派のだれかに頼まれたということは事実のようですね。こういうような基地問題については、特に防衛庁としても今後は十分な配慮が望ましいと思うわけです。その点いかがですか。
  57. 江崎真澄

    江崎国務大臣 御指摘のように、十分配慮してまいりたいと思います。移駐をいたしました翌日、革マル系の過激派学生が五、六十名、駅近くに陣取ってすわり込みをしておるというふうな話も聞きます。そういうふうに、入り乱れて賛成反対のそういった実力行動みたいな形があることは、きわめて遺憾なことだと思っております。
  58. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 その次に明らかになった点がもう一つあります。それは市議会議長が私たちの質問に答えて答弁したわけでありますが、その方の見解が、昨年十月こぞって反対した、しかし、その後閣議決定もあり、どうしても移駐は行なう、そういう強い姿勢があったので、賛成派に回った方々は、少なくとも今後の問題といたしまして、将来は全面返還はわれわれも考えている、現在市長はじめ革新団体反対をしている、その方々自衛隊移駐反対全面返還を要求している、われわれも理想としては全面返還を望んでいる、しかし、現実問題としてただいま米軍基地が使用している状況からいっても、防衛庁説明にあるように、暫定期間については移駐はやむを得ないだろう、こういう見解に立った。そこで、その暫定期間の中においても、地元のいろいろな問題について十二項目あげた、それを防衛庁が確約した、だから私たちは移駐賛成に回ったのだ、こういう話であります。ですから、理想は全面返還、過渡的には自衛隊の移駐もやむを得ない、それでいろいろな問題でやってもらう。そして十二項目の一番最後には、この返還後のあと地利用については必ず地元と十分な協議をする、これが歯どめだ、こういうことを申しておりました。  ところが、先ほどもお話がありましたように、現地に行きまして、鶴崎参事官お話によりますと、希望としては返還後も自衛隊に使わせてほしいのだ、こういう話が出たわけです。そうしますと、市議会議長考え方と鶴崎参事官考え方とちょっと違うわけですね。見方によっては、返還のときは白紙に戻してというものの、やはり自衛隊としては強い希望を持っているという点から言いますと、市議会議長は、われわれの質問に対して、そんな強いものかというようなニュアンスの考え方を表明していたわけであります。  そこで伺いたいわけでありますけれども一つは、基地問題については、プロジェクトチームのようなものをつくって、立川といわず沖繩を含めて日本全体の中から考えて、あと地利用については十分な検討をするというふうに先ほど答弁がありました。そうであるならば、もちろん立川も例外ではない。地元考え、または市議会の言うことを率直に聞いたというなら、この問題について、将来の全面返還、そしてあと地利用に対しての地元考え方を考慮に入れて、本隊の移駐については、断じて夜陰に乗ずるということではなくて、話し合いがつかなければ移駐しない、また将来の問題として、白紙に戻すということは、防衛庁のそういう希望はあるけれども、そのことは別にして、前向きに地元意見を十分考慮する、こういう考え方でいくべきだと思いますが、その点いかがですか。
  59. 江崎真澄

    江崎国務大臣 鶴崎参事官が申しました意味は、現時点において、今後も引き続き自衛隊として使用したい、そういう方針について申し上げたことだと思います。もちろん、全面返還になります暁においては、関係機関の調整にまたなければなりませんので、一応白紙になるということは、先ほど大出委員お答えをしたとおりであります。したがって、横田への関東平野における米軍基地の集約問題等もありますので、長期の視点に立っては十分考慮してまいりたいと思っておりますが、鶴崎参事官はあくまでも当面のことを言っておるというふうに御了解を願いたいと思います。
  60. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 そこで防衛庁長官に伺いたいのですが、何か防衛庁長官に、もし大災害が起きた場合には、自衛隊の基地を含めてどうなるかということについて、制服組から報告があったやに聞いております。たとえば、私が聞いたのは、もし大災害が起きれば立川基地もだめになる。そして災害のために、何十機も飛べば全然飛行管制はできなくなる。結論的には不向きだということですね。こういうようなニュアンスの長官に対する報告があったように聞いておりますが……。
  61. 江崎真澄

    江崎国務大臣 それは私には来ておりません。何かの間違いだと思います。——それじゃ政府委員から。
  62. 鶴崎敏

    鶴崎政府委員 大災害が起こった場合にはたして立川の基地がこの災害救助の拠点として利用できるのかどうか、立川基地自体がもうめちゃくちゃになってだめになるのではないかという、参議院の内閣委員会で水口先生から資料の要求がございますが、この点については現在技術的に検討いたしております。  そこで問題になるのは、たとえば震度八の地震があったときに滑走路がどういう状態になるか。あるいは格納庫が、そういう大地震になったときに、飛行機が出られる状態なのかどうか。あるいは給油施設が破損されて、給油が不可能になるのではないか。こういうような問題点があると思います。この点につきましては、やはり具体的に立川の基地につきまして、地盤の地耐力がどうか、あるいは建物、工作物の強度がどうであるとか、あるいは滑走路が地震に耐える力がどの程度であるかとか、そういったことは技術的に検討しなければ結論の出ない問題でございまして、現在、一体どういう程度の調査をし、どういうデータが集まれば、震度八のときに立川基地はどういう状態になるかということを詰める、そのデータはどの範囲にするかということを検討しておる、こういうことでございます。
  63. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 要するに結論から言いますと、技術的には大災害が起これば立川も同じような状態である。そしていまのような状態では飛行管制も十分には行なえないということではないですか。
  64. 鶴崎敏

    鶴崎政府委員 それは、一体データがどういうことになるか、それによって結論が出るわけですが、ただ、新潟の地震の際も、新潟空港は、やはりヘリコプターの基地として、災害救助の拠点として利用されたというふうに聞いております。したがってまだこれは結論は出てない問題でございます。これからデータを集めて検討したい、こういうことでございます。
  65. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 要するに長官は、災害時に重要な拠点になる、こうおっしゃっておりますけれども、技術的に見ますと、防衛庁でいま検討中だとおっしゃっていますが、報告によりますと、やはり一般と同じように飛べなくなるというのが、われわれしろうとから言っても、そのように思えるわけです。しかもその間の調査によりまして、今後もしか本隊が移駐した場合には、現在のL19あるいはOH6に加えて、五種類すべてが小型飛行機であるという話を伺ってきたわけであります。そうしますと、全部が老朽飛行機、しかもせいぜい二人乗り、そういうものが二十八機集まっても、非常時にはまた、いろいろ物をばらまくと同時に、人を救助したり、あるいはまたたいへんな作業があるわけですから、防衛庁長官がいつも言うように、災害派遣の名目では立川はあまり役に立たない。しかも香月一佐の発言によっても明らかになっておりますように、災害派遣については全然聞いてない。ですから、立川をそういう方向で将来使うということについては問題だと、こう私は思うわけです。その点いかがですか。
  66. 江崎真澄

    江崎国務大臣 いま鶴崎君からも申し上げましたように、ヘリコプターですから、大災害があっても上に飛び立つことは決して不可能ではない。新潟のあれは震度は八ぐらいでしたか、そのときに飛行場が使えたのですから、よほどのことがない限り、われわれ使えると思いますけれども立川だけが災害を免れるものでないという御指摘の点は、これはやはり大いに考慮に値する点だと思っております。  それから、香月一佐がどういう御答弁をいたしましたか、その後の経過で私どもも聞いてはおりますが、これは御承知のとおり、管制実施訓練のために行っておる先遣隊でありまして、このもの自体は、災害救助とか民生協力というものを直接命令を受けておりません。したがって、当然、管制実施訓練のための命令を受け、そのための有視界飛行を現実に現在行なう、この任務以外のものではないわけで、今後本隊が移駐するというような暁には、これは当然そういう本務は明快にお答えするものと思っております。  なお、立川の飛行場に大体何機ぐらいをもし大災害のときには集中させることができるか。八十五から九十機程度というふうに防衛庁側では申しております。
  67. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 本隊移駐については、まず先遣体の問題が解決しない限り、私は問題にしようとは思っておりませんが、いずれにしても、四党が共同談話を出しておりますように、移駐計画については白紙撤回、先遣隊は原隊に戻れ、こういうことで共同声明を出しているわけです。その点も考慮に入れて今後十分な対応策といいますか、長官の勇断を私は期待しております。  そこで、時間がありませんから、沖繩の問題について二、三伺いたいと思います。  一つは、P3の問題です。きょうも予算分科会等でこの問題があがっておりますが、外務省から、玉つき移転計画について、その概要を伺いたいと思います。
  68. 橘正忠

    ○橘説明員 いわゆるP3の移転問題につきましては、ただいま問題になっておりますのは、御存じのとおり、沖繩の空港にございますP3を沖繩返還の日にどいてもらって、わがほうに空港を移管してもらうという問題でございます。したがいまして、現在、那覇の空港におりますP3等の飛行機、これがとりあえず、ただいまアメリカ側から、わがほうの要望にこたえて移転するとすれば、それは普天間の飛行場に移転するであろうということを言ってきております。したがいまして、それに関する予算措置の問題はございます。それから先のことにつきましては、いろいろ一部に報道もございますようですが、何らはっきりしたことをまだ先方も言ってきておるわけではございません。
  69. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 もっと明確にお話を願いたいのですが、要するに、現在、那覇にいるP3九機が普天間に行く、普天間にいるP3あるいはKC130がまた逆に岩国と三沢に来る、こういう計画があるようですが、その点いかがですか。簡単に、明確に答弁してください。
  70. 橘正忠

    ○橘説明員 繰り返しになりまして恐縮でございますが、ただいまはっきりしておりますのは、那覇におりますP3等が普天間の飛行場に行くということが、ただいまの予算との関係でも問題になっております。それから先につきましては、いろいろの報道もあるようでございますが、米軍内部でまだ検討しておる段階でございますので、何らはっきりしたことの申し上げられる段階ではございません。
  71. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 それじゃ防衛庁に伺いますが、このP3という飛行機は、どういう性能で、どんな装備をして、そして現在どういう任務についているのか伺いたいと思います。
  72. 大西誠一郎

    ○大西説明員 お答え申し上げます。  まず性能でございますが、P3B型、これが那覇におりますP3のタイプでございますが、全備重量が五十七トン、速力が七百六十キロ、行動半径が約四千キロ、乗員が十二名でございます。武装としましては、魚雷、ロケット、爆雷、機雷、こういうようなものを装備いたしております。それから行動区域でございますが、これは先生御承知と思いますが、第七艦隊の哨戒部隊の中にP3の部隊がございますが、日本と沖繩とフィリピンにそれぞれ駐留しております。そういたしまして、西南太平洋の海域をそれぞれ分担をさせて哨戒をしている。個々の具体的なケースについては、作戦上の問題で私ども承知いたしておりませんが、情報といたしましては、日本海とか東シナ海とか、それから東南アジア沿岸というふうに承知しております。
  73. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 これは返還になりますと、P3の任務とかP3の飛行範囲が変わりますか。あるいは装備が変わりますか。
  74. 大西誠一郎

    ○大西説明員 まだはっきりしたことを申し上げられませんが、那覇から普天間に行くということでございますれば、その間については変わりはないのではないかと思います。
  75. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 要するに那覇から普天間に移るということでは変わるけれども、いままでどおり哨戒する、そういうことについては変わらない。要するに、いま申し上げましたように、日本海とかシナ海とか、いろいろなところを哨戒飛行をしているわけですね。任務は何の任務ですか。
  76. 大西誠一郎

    ○大西説明員 海上の哨戒任務に従事しております。
  77. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 海上の哨戒任務とはいろいろありますが、これは対潜専用の任務でしょう。
  78. 大西誠一郎

    ○大西説明員 この飛行機はもともと対潜哨戒機としてつくられておりますので、対潜哨戒が任務であるということは間違いありません。
  79. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 防衛庁ではこの任務については何ら関知しないだろうと思いますが、いまのまま認めていく考え方ですか。
  80. 江崎真澄

    江崎国務大臣 当然認めていくという形になるわけです。しかし、日米安保条約の条項に照らして何か疑義があるということになれば、これはやはり交渉することもある。現在の時点では認めていくという方向であります。
  81. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 申し上げますが、P3という対潜哨戒機は、核装備可能であり、そして前回の沖繩国会でも防衛局長が明らかにしておりましたが、いわゆるルルという核爆雷を積んで哨戒の任務に当たっているのです。これは専門家はすでに御存じだと思いますが、核を常時搭載しているものは、海ではポラリス潜水艦です。これは任務についていますね。それからB52のG型、これも常時搭載しております。対潜用にはP3が核爆雷ルルというものを搭載して実は飛んでいるのです。私は、日米合同委員会で、このP3をどけなければ使わせないという前に、P3という対潜哨戒機は日本に持ち込んではならないのだ、この主張がなされない限り、この問題の解決にならぬと思うのです。その点、確認しましたか。
  82. 江崎真澄

    江崎国務大臣 沖繩返還時点においては核兵器を撤去する、こういうことになっておりますから、そういう点においては、やはりこれをひっくるめてわれわれとしては厳重に行くえを見守る、こういうことになろうかと思います。
  83. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 この問題について、長官、簡単に片づけてもらっては困ります。この問題は、日米合同委員会で問題にされましたか。
  84. 江崎真澄

    江崎国務大臣 御指摘のように、これは核爆雷を積み得る、常時積む、その辺に問題があろうかと思うのです。現在、岩国にも、御承知のとおりP3はおるわけでありまして、したがって、そういう装備はさせない、しない、こういう前提に立つわけでございます。
  85. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 私、聞いているのは、日米合同委員会で議題にしたかどうかということです。それを聞きたいことと、もう一つは、このP3の基地には必ず核爆雷の基地があるのですよ。私たちの調査では、いろいろありますけれども、時間がありませんから申し上げませんが、これは重大な問題です。つい最近まで普天間に二機、このP3がたいへんな弾痕を受けて——きょうもいるかもしれません。二機修理中なんです。これも私の調査で明らかでありますけれども。そういう観点から見ますと、この飛行機については、ものすごく神経を周辺国では使っているわけですよ。前にEC121型飛行機が清津沖で撃墜されましたね。もしあのようなことが起きた場合たいへんなことになると思うのです。しかも核爆雷の装置については、これは高度な技術が要るのです。したがって、この対潜哨戒機の運用については、常にこの訓練を繰り返しながら飛んでいるということです。ですから、これがいま那覇に九機いる、そしてそれが普天間に行く、普天間から岩国あるいは三沢に行く、こうなりますと、たいへんな問題になる。そういうふうに、まずこの飛行機の性能についても明らかですよ。また、任務について大きな疑義を私は持っているわけです。その点いかがですか。
  86. 江崎真澄

    江崎国務大臣 御指摘の点等については、今後私どもにおいても、十分ひとつこれは吟味して深刻に検討してまいります。
  87. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 総務長官伺いたいのですが、ただいまのような、たとえばB52が沖繩にあった、そのときはベトナムに対する爆撃しか起きていなかった。しかしながら、核兵器搭載可能ということで、B52のG型ではなかったけれども、置くべきでないというので大反対があって移ったわけでしょう。P3については、アメリカ側においても、この扱いについてはかたく機密を保持しようとしているわけです。その裏には、やはりそういった問題につながる問題があるわけであります。ですから、こういうもののために返還がおくれたり、あるいはまた、こういうことに大きな予算をさいて本土に移駐を認めるべきでない、こう思うのですが、沖繩を担当なさっておる長官の所見を伺いたいと思います。
  88. 山中貞則

    ○山中国務大臣 私は外交折衝をする立場にありませんので、核は復帰の時点においてなくなっているということを政府として信用しなければならぬと思うわけでありますが、それは別にして、私どもとしては、内政上の問題から、那覇空港に米軍が引き続きP3Bを置くことについてやはり多大の問題がありましたので、那覇空港は完全に民間空港にすべきであるという主張から、那覇空港のP3Bは移転してもらいたい。このことは私も要請もしましたし、公害閣僚会議でアメリカに渡りましたときに、国務次官あるいはキッシンジャー等と話をいたしました。そのときには、嘉手納空港の現状のままで格納庫を一部つくってもらえば移れるだろうという話であったわけです。しかしながら、その後普天間が浮かび上がってきましたが、陸海空それぞれのセクショナリズムが軍の中にあって、那覇空港のP3Bを空軍とか陸軍の飛行場にはいやだというようなことがだいぶあったようです。したがって、その後の情勢の変化から結局は普天間に移る、しかしその普天間のKC130は置き場所がない、共用は困難だというようなことで岩国へという、岩国はまた三沢へという、俗に玉つきといわれているようなことが論議されているやに聞きます。  これは私としては、那覇空港からP3Bを立ちのかせて完全な民間空港にしたいと願っていた限りにおいては、そのことは実現いたしますけれども、しかし、そのあと普天間に移ることにきまったことによって、それが他の地域にさらに影響を及ぼしていくというような事態は、全く予想いたしておりませんでした。嘉手納空港が空海の関係でやはり無理だったのかということが、あとで私もわかったわけでありまして、今回のような事態は、私どもとしては好ましいものではなかったと思いますし、また、そういうふうにアメリカの内部事情で普天間ということにきまったということは、これは、私たちの手の出しようのない範囲ではありましても、ちょっと上策ではなかったなという気がしております。
  89. 伊能繁次郎

    ○伊能委員長 伊藤君に申し上げますが、時間がありませんので……。
  90. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 防衛庁長官、最後にお伺いしますが、いまも総務長官は移転を希望なさっておると思います。しかし、そのP3の置き場についてとやかく言う前に、いまのような問題を含めて合同委員会で深刻に取り上げていただいて、そういうことにならないように十分な配慮をいただきたいと思います。その点、最後に長官の所見を伺って終わります。
  91. 江崎真澄

    江崎国務大臣 沖繩の基地は相当広いのですから、お説のように、これはやはり沖繩で解決してもらうというのが、施設庁を持っておりますわれわれのほうの考え方でありまして、その点については、外務省側にも現在強く要請をして今日に至っておるわけであります。今後もやはり努力をしてまいりたいと思います。
  92. 伊能繁次郎

    ○伊能委員長 和田耕作君。
  93. 和田耕作

    ○和田(耕)委員 一時半に総理がここにお見えになるそうですから、あと十分しかありません。これは同僚議員にも申し上げたいのですけれども、こういうときには、少し時間をかげんして使っていただきたいと思います。私のあとに共産党の東中君がおるわけでございますが、そのことをひとつ申し上げておきます。委員長にも、特にこういう際には時間の配分をちゃんとするようにお願いしておきます。  防衛庁長官にお伺いしたいのですけれども立川の問題でやはり実質的に一つの焦点になるのは、今度、立川基地の全面返還の時期が大体いつごろになるだろうかということが相当大きく関係してくると思うのです。昨年の六月の段階で日米合同委員会立川共同使用が合意された。あるいは閣議決定がされた。そのときには、当然、立川の基地の全面返還の見通しについてある種の話し合いが行なわれた、あるいは行なわれるべきだというふうに私は思うのですけれども、そういう事実はないのですか。
  94. 江崎真澄

    江崎国務大臣 そういうことは聞いておりません。また、私が聞いておらないばかりか、うしろで、いまないと言っておりますから……。
  95. 和田耕作

    ○和田(耕)委員 立川へ行ってみますと、もう立川にはアメリカの空軍は部隊はおりません。家族がおるだけですね。また今後立川の基地をアメリカが使うという予想もありません。こういう場合に、アメリカと日本との共同使用という問題が合意されるということですから、政府は立川の基地について、大体いつごろのめどにおいて今後全面返還が行なわれるのかということを話し合うのが当然じゃないのでしょうか。この点を伺いたい。
  96. 江崎真澄

    江崎国務大臣 そのとおりだと思います。したがって、横田の基地に関東平野の米軍基地を集約するという問題と並行してこれは努力をしてまいりたい。
  97. 和田耕作

    ○和田(耕)委員 いずれにしても、あまり長い期間でないというふうに考えていいのでしょうか。あるいは一年、あるいは長くても二年、二年とはならない、一年前後で全面返還の話は行なわれるだろうという想定もつきませんか。
  98. 島田豊

    ○島田(豊)政府委員 立川の基地には、いま、中央の飛行場部分のほかに、東側に米軍の病院、倉庫、工場等がございますし、西側にはかなり多数の住宅がございます。そこで、この全面返還という問題につきましては、やはり米軍もそのまま無条件で返還ということはなかなか言わないのではないかというふうに考えますので、そうなりますと、そこにあります施設を、住宅を含めまして他の適当な場所に移転するという条件が予想されます。そうなりますと、あそこにあります相当な多数の住宅その他の施設を移転をするということになりますと、やはりかなりの年数がかかりますので、ことし、来年あるいは再来年という時点におきましてこれが全面返還されるかどうかということについては、いまのところはっきりした見通しがありません。しかしながら、そう遠くない時点においてそういう事態も来るのではないかというふうに、私どもは予測をいたしております。
  99. 和田耕作

    ○和田(耕)委員 現在あそこにおりますのはアメリカ軍の家族の住宅だということになりますと、住宅の部分だけを、かえ地があるまでは住んでおっていただくということにして、あとのところはすぐ返させる、返してもらうという返還の交渉もできるわけじゃないのですか。あそこをアメリカが今後使うということは、それはむずかしいでしょう。しかしあそこは、住宅の問題で、今後どうなるかわからぬが、相当長期におるかもしれないということであれば、住宅のところだけを限って、あるいは一部そこへ集中して、そして大部分は返してもらうということもできるはずだと思うのですが……。
  100. 島田豊

    ○島田(豊)政府委員 その問題につきましては、地元からもいろいろな御要望がございまして、特に旧立川と砂川を結びます道路、これは早く返してほしい。これは東の部分でございまして、そこには、さっき申しましたような病院、倉庫、工場等ございますので、したがいましてこの部分を、私どもとしましてはまず返還をしてもらう、こういうことで今後鋭意協議を進めてまいりたい、かように考えております。
  101. 和田耕作

    ○和田(耕)委員 私どもは、日本にあるアメリカ軍の基地というのは、できるだけ早く撤去していただく、返していただくという方針を持っておるわけでございます。そして、返してもらうために必要であれば、あるいはまた自衛隊としても、日本にりっぱにあるわけですから、必要だと思われるところを最小限度に利用するということも必要だと思います。それは私どもはちっとも否定してもいないし、むしろ私どもの言う有事駐留という考え方、そういうことと大体合わさっていくところもあるのです。あるのですけれども、この立川という場所——先ほど長官は、首都圏において最小限度のところを選びたいというお考えですけれども立川という場所に対して私ども強く反対をするのは、この間もわれわれ同僚議員一緒に見に行ったのですけれども立川の駅からあの入り口までわずか三百メートル。今後、立川という町は、大きくふくれ上がっていく三多摩の中心の町になると予想されている。これは美濃部さんも強調される点ですけれども、こういうところに新しく自衛隊が入っていくというこの考え方、これに対して反対をしているわけなんです。  長官のおっしゃる、最小限度の地域ということになれば、もっと幾つかの候補地があるはずだし、今後、米軍の基地の返還というような問題と関連すればあるはずなんで、そういうような点から見て、ぜひとも立川という問題に固執されないで、ああいう都心になる地域に固執されないで、現在の先遣隊は一応演習なさってけっこうだと思うのですけれども、凍結をして、そして本隊が入るということを前提になさらないで、白紙に返すという——全面返還のときには白紙に返した上で話し合いをするという話があったと思うのですけれども、そういう白紙に返すということも含めて、一定期間の冷却期間をおいて、この問題が双方のエキサイトしないような形で解決をしていくというような考え方も有力に成り立つと思うのですけれども長官、そういう可能性の問題、どういうようにお考えになるか。
  102. 江崎真澄

    江崎国務大臣 一つの御意見として十分傾聴はいたしますが、まあできるだけひとつ話し合いを続けていきたいというふうに考えております。
  103. 和田耕作

    ○和田(耕)委員 これで終わります。
  104. 伊能繁次郎

    ○伊能委員長 東中君。
  105. 東中光雄

    東中委員 時間がありませんから、一、二点だけお伺いしたいのですが、実はこの間、立川市議会の議長から話を聞きますと、閣議決定をしてどうしても来るということだから、まあやむを得ないということが前提ですけれども理由として三点をあげているわけですね。  あの反対決議を撤回した理由ですが、一つは、ここへ来る自衛隊の任務は、災害救助、民生協力のみが唯一の目的なんだというように聞いているということを言っていました。二番目は、先ほど問題になりました暫定的な問題だということ。三番目は、先遣隊だけだからたいした爆音はしない。五機ですから、これはあたりまえのことなんですが……。それで、災害救助のみということを言っているのですけれども、当然、自衛隊の本務である防衛あるいは治安出動、こういったものの訓練も来た者はやるということになると思うのですが、その点をひとつはっきりしておいてください。
  106. 江崎真澄

    江崎国務大臣 自衛隊ですから、当然本務についての訓練をすることはあると思うのです。しかし、これは陸上の部隊ですから、現実に陸上の部隊が防衛出動をしたりというようなときは、たいへんな場面でございまして、幸い過去二十年間なかったというわけですから、今後とも実際にそういうことがあってはならぬと私ども考えております。航空自衛隊の場合ですと、心なく領空侵犯、そうするとスクランブルをかけるということもあるわけですが、陸上の場合はそういうことはないわけですから、したがって災害救助、民生協力のみという言い方は不自然ではないと思います。
  107. 東中光雄

    東中委員 そういうことを言われますと、およそ日本におる陸上自衛隊は全部そうなのです。防衛出動やったこともないし、治安出動やったこともない。航空自衛隊はスクランブルはやった。しかし、陸上自衛隊は全部そうなのですから、立川に来る陸上自衛隊も、ほかの陸上自衛隊と同じことじゃないですか。災害出動をやるということはやるだろうし、その点はかわりがないと思います。
  108. 江崎真澄

    江崎国務大臣 それはそういうふうにおとりになっては困るので、特に同じ任務の中でもどこにウエートを置くか、これはやはりおのずと部隊の性格というものがあると思うのです。そういう意味で私は申し上げたのです。
  109. 東中光雄

    東中委員 のみではなくて、いま長官お話では、主任務、こうなったわけですから、防衛出動あるいは治安出動、そのための訓練ももちろん本務だからやるということだと思うのです。  もう一点、暫定的だという点についてですが、先ほどのお話で、共同使用期間中は暫定的だ、こういうふうに言われておって、そのあと返還になった場合には、自衛隊防衛庁としてはそのあとも使用したいという気持ちだ、こう長官はおっしゃったのです。私いま、ことばじりをとらえるつもりは一つもないのですけれども、ただ鶴崎さんはそういうことを希望している、こう言われたのですけれども、これは個人的な場合にはそうでしょうが、防衛庁という国家機構ですから、気持ちとか希望とかいう問題じゃなくて、方針があるはずなのですね。その防衛庁の方針としてはどうなのか。もっとも、防衛庁の方針だけできまるのではなくて、審議会にかけなければいかぬ、これはきまり切っておるわけなので、どこの場合だってそうなのですから。審議会にかける、かけてそこできまらなければやれない、これはわかり切ったことなので、決してその場合に強引に無理なことはしない、こう鶴崎さんは言われましたけれども、審議会にかけて否決されて、やりようがないのは、これはしかたがないことなのですけれども、私がお聞きしたいのは、防衛庁としては、いまのところは、返還になったあと使用をするという方針、それは大蔵省その他審議会で通るか通らないかは別として、そういうふうにお考えになっている、そういう方針なのかどうか、その点をお聞きしたい。
  110. 江崎真澄

    江崎国務大臣 お説のように、分析しておっしゃれば、それは方針ということですね。しかし、ごく長期的な視野に立てば、おのずとまた計画の立てようがあろうかというふうに思っております。
  111. 東中光雄

    東中委員 質問を終わりますが、要するに、現在のところは暫定的といわれていますけれども、そのあとも使用する、そういう方針を防衛庁としては持っておる、こういうことですね。
  112. 江崎真澄

    江崎国務大臣 それはそういうことです。
  113. 東中光雄

    東中委員 それから、議長の言っておる暫定的というのは、防衛庁長官が言われておるような、防衛庁の方針とは違った理解をしてあの反対決議を撤回したのだというふうにいわざるを得ないのですが、その点だけ申し上げて、私の質問を終わります。
  114. 江崎真澄

    江崎国務大臣 私はそうは思わないのですがね。要するに、今後の方針はとお尋ねですから、そういう方針を持っておる。これは鶴崎君も申し上げたとおりだと思います。思いますが、これはやはり一応白紙に戻るわけですから、関係機関の了承を得なければ、そういう方針を持っておっても、その方針を貫くということはおのずとこれまた別の問題になってまいる。それから、きわめて人家稠密のところでもあるし、横田基地に関東平野の米軍基地を集結するという問題等を含め、長期的な展望に立っていろいろ計画をしていく、こういうことはあろうかと思います。そのことを大出さんにもお答えしておったわけです。
  115. 東中光雄

    東中委員 ですから現在は、暫定的という方針じゃなくて、そういう方針を持っておる。そのほか大きな計画で変わってくるかもしれない。その点はあと総理にお聞きすることになるわけですから、私の質問はこれで終わります。
  116. 伊能繁次郎

    ○伊能委員長 大出君。
  117. 大出俊

    大出委員 たいへんお忙しいところを御出席いただきまして、ありがとうございます。  例の立川の問題でございますが、十四日に総理に御質問申し上げ、御答弁いただきましたが、あの後、幾つか新しい問題等がございまして、実は十三日、つまりあの質問のあった前の日に、与党の皆さんが十数名おいでになった場面で、おおむね百五十名の方が市庁舎の前にお集まりになった。ところが、この中のおおむね五十名の方々が、きょうは警察庁長官にお見えをいただいて御答弁をいただきましたが、警察庁長官答弁によりますと、二つの組員からなる暴力団でありばく徒であるという話でございました。したがって、佐藤文生委員から当時冒頭に総理に御質問がありましたが、良識ある市民代表によって話を承りました、十二項目の決議がどうなったという話がございました。また政和会皆さんからも御決議をいただきましたという話がありました。冒頭それだったのでありますが、この良識ある市民といわれる方の中に、後藤田長官の先ほど来の御説明によると、どうもそういう方々が五十人おいでになったということになる。ところが、ただ単に来たのではなくて、都内から電話があった、それに基づいて出てきたというわけでありますが、その電話があったというところまでは、後藤田長官は認めておるわけであります。警察調査の結果、電話があったのですと……。ところが、しからばその電話がどこから来たのだという点を本人に追及したが、名前を言えない、犯罪が起こっていない限り調査であるから、そこから先明確にすることは今日できていない。電話がかかってきて、それに応じて出てきたのだけれども電話をかけてきた相手方の名前は本人は言わない、したがってそこまで調査が進まない、こういう段階ですという答弁でございます。  あわせて、阿部市長あてに脅迫状と言ったらいいのでございましょうか、たくさん来ておりまして、私、先ほど幾つか取り上げまして警察庁長官質問をしてみたのでありますが、警察庁のほうもいろいろ御心配になって、二通ばかり市当局から見せてもらっておりますという言い方をいたしました。現物がここにございますが、私、先ほどこれを警察庁長官に読み上げてものを言ったのですが、市長並びにその家族の命をもらう、監視を常時しているというようなことを一ぱい書いてある。たいへん長いものでございます。以下、ここにはがきを含めてたくさんございます。  こういうことになってまいりますと、何とかこれは前向きにものをお互い考えないと、戦後民主主義のルールから少しはずれる。何か不測の事態が起こった場合に、国会で取り上げております問題だけに、私どもにも責任なしとしない、こう思います。  かつ、もう一面、先般、総理もおっしゃっておりましたが、沖繩問題の二法案がこの委員会にあるのだから、何とか早くというお話がございましたけれども、私も否定はいたしません。だが、その前にこの問題が出てまいりまして、予算委員会から当委員会が引き継いだのでございますから、処理はしなければならない、こういう立場でございます。したがって、先ほど来防衛庁長官質問をしてまいりました。おおむね三点でございました。  一つは、沖繩返還もこれあり、本土あるいは沖繩を含めまして、わが国の基地というものについて、特に自衛隊にとっては基地問題というのはたいへん重要である。ある意味では、その問題を真剣に取り上げていかないと本来の任務が果たせない、こういうことにもなりかねない。だからそういう意味で、全体の基地の態様について調査をし再点検したい、防衛庁内にそういう意見がある。当然それはやるべきだと思う。これは新聞等によりますと、プロジェクトをつくって、防衛局長を責任者くらいにしたらどうかというようなことが書いてありますが、そういうふうな形で、都心あるいはその近郊等にある基地というのがはたして一体どれだけ配置の上において妥当か。立川の例をあげれば、駅から三百メートルでございます。しかも、たいへんふくそうしている、交通の中心であります繁華街の角にゲートがあるのであります。しかも、車はいずれものろのろ運転で、排気ガスは充満をする、こういう状態に周辺はなっているわけであります。したがって、そういう検討の結果、自衛隊の配置というものを高い視野に立って少し検討する必要はありはしないか。この点等については、長官のほうも、そういう高い視野から将来の展望も含めて検討する必要があるとお認めになっておられる。ならば私は、この点については、立川の問題も含めてひとつ十分検討をされて、その位置づけ等についても、結論を将来に向かって出すべきではないのか。  さらにもう一つ、当面問題になりました今回の、ことばが妥当かどうかは別として、先遣隊の派遣のしかたが、夜陰に乗じて夜盗のごとくということばが出ておりますけれども、これはどうもまずくはないか。この点については長官のほうは、結果的にたいへんどうもまずい結果になった、だからそういうことは今後はやらない、こういう実はお話がございました。  そこで最後に、以上の点をまとめまして、いろいろなことがございましたけれども、十二分にこれから話し合いその他、民主主義というのは時間がかかりますから、かけるというのでありますから、したがって、本隊を入れる云々ということにつきましては、無理はしないのだというところをひとつはっきりさしておいていただきたい、こういうふうにいままで長官と論議をしてまいりましたが、その一番最後のところが、長官としては立場上なかなかむずかしいところがあるように、私どものほうから、やりとりをいたしておりまして受け取れます。したがいまして、総理に御出席をいただいて、先ほど来申し上げておるようなこともございますから、この際ひとつ、いろいろな経緯がございますけれども、そういう無理はしないのだということをはっきりしていただいて、地域住民の皆さん方の、市長を含めまして七万をこしてしまった署名運動がなお続いておりますけれども市民は十二万何がしでありますから、したがって、そういうところで無理をなさることはやはり差し控えていただいて、既往の方針が防衛庁におありになるのなら、そういう説得をおやりになることは当然おやりになるかもしれないけれども、しかし無理はしない、そういうことで、民主主義のルールで、ひとつできるだけ住民参加の姿勢というものを踏まえていただきまして、話し合いをするなり、そういうふうに私は進めていただきたいと思っておるのでありますが、まず、そこら辺について総理のお考えを承りたいのです。
  118. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 ただいまの大出君のお話現地に右翼あるいはばく徒等がいた、そういう意味でたいへん正鵠を得ない多数市民意見の形成ではないか、こういう御指摘がありました。  この問題ばかりではございません。最近のできごとで、私どもの扱い方いかんによっては、どうも左右の激突、これが考えられるのでございまして、そのいずれにもくみしてはならない。右に対しても左に対してもくみしてはならない。また、われわれの歩む道はどこまでも民主主義、その方向でなければならないように思います。したがって、いままでの、表現の自由あるいは思想の自由、こういうものに立ち入らすつもりはございません。私どものとる道は、どこまでも民主主義、その方向だ、かように御理解をいただきたいと思います。また、そういう方向で今後もつとめてまいるつもりでございます。  そこで、いろいろ問題になっております基地の態様等についても、防衛庁がみずから進んで総点検をやって、立川、これをも含めてということでありますし、これまた皆さん方からも力を貸していただきたいと思います。  また、ただいまのような、本来から申せば、夜そこに移る、何かそこに問題があった、悪いからこそこそやったんじゃないか——まあ、ことばは適当でないと言われますけれども、とにかく夜出かけた。ここらにも抜き打ち的にやった。あとから見れば、いわゆる不測の事態を避けた、こういう意味では理解はできるけれども、本来正しいことをするのにどうしてそんなことをしなければならないのか、そういうはばかりからどうもまっすぐに歩めなくなる、これでは困る、こういう意味で、これからはこんなことはしない、堂々とやります、こういうことでございますから、この辺は御理解をいただきたいと思います。  そうして最後の問題になりますと、これは犬養首相の有名な最後のことばですが、話せばわかる——総理は遂に凶弾に倒れた、こういうことでありますが、とにかく今日われわれが話す立場にある、説得する立場にある、その努力はしなければならない、これが一番大事なことではなかろうかと私は思います。ただいまのお尋ねを聞きながら、私、やはり民主主義、これは時間もかかる、かように言われるけれども、説得する立場において努力を十二分に尽くす、これがなければ、どうも民主主義のルールによったと言えないのではないか、かように思いますので、ただいまのお尋ねの第三点については、政府はどこまでも民主主義のルールを守る、そうして話をつける、話し合う、こういう姿勢であることをこの機会にはっきり申し上げておきます。
  119. 大出俊

    大出委員 話をつける、こういうお話でございますから、話がつくまでひとつ努力をしていただく、こういうようなことになる。どういう結果になるにいたしましても、つけるということですから、つかないうちはという言い方が私どものほうに残ります。そこのところだけはっきり申し上げておきたいのです。何せこれだけ新聞をにぎわせましたり、私ども責任の負い方が足らぬ点もございますが、そこらも踏まえて、いずれにしても、現地の住民にたいへんな迷惑をかけることは、政治に足を入れている私どもとしてはいたしがたいことでありますから、話をつけるということにしていただき、私どものほうも、つかなければという問題が残りますから、そこらだけちょっと触れておきます。この点は陰で話を取りきめたわけではございません。あくまでも平場でのやりとりでございまして、記録に残していただくという意味のやりとりでありますから、そう申し上げておきたいのです。  もう一点だけ、いまの点につきまして申し上げておきたいのですが、私、実は現地立川市の市会議長さんにお目にかかりまして、どういうわけで、昨年十月に満場一致、反対をおきめになったあなた方が、三月足らずで本年一月になって態度を変更なさったのか、その理由を承りたいのだと言って詰めてまいりましたら、結論はこういうことです。防衛庁が、あくまでも今回のこの措置暫定措置である、したがって返還になったらこれは白紙なんだ、こうおっしゃるものだから、返還になったら白紙でということだから、市民に返る。反対という立場も、全面的に市民に返してもらいたいということだから、行きつく先は一緒だ。それならば現在は条件を付して賛成すべきである、こう割り切りましたというお話であります。ところが、だんだん承ってみますと、返還をされた場合でも防衛庁は、国有地でもございますから、国有財産審議会等の議を経て使いたい。となりますと、そこに少しニュアンスの違いが出てまいります。せっかく総理がいまこのように御答弁なさっているのでありますから、そこのところは、ほんとうの白紙なら白紙にしていただきたい。居すわろうというふうにお考えにならぬでいただきたい。この点について念を押しておきたいのです。
  120. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 居すわるとか、あるいは白紙に返すとか、こういう話ですが、もともと国有の土地ですから、これは政府自身が、その問題は国の所有の土地だ、こういうように考えるのです。ただその場合に、いまの基地であったり、あるいは飛行場であったりすること、これは地元の住民がなかなか納得がいかない。ただいま言うように、最終的ではないが暫定措置である、それで一応了承した、あるいはまた十二項目についても要求が出ている、こういうように、まだいろいろ問題があると思います。そういう点が、先ほど申すような話し合いを尽くすという——これは説得というと、どうしてもこちらの言い分だけ通すようですが、とにかく話し合いをつける、これでなければならないと思います。だから、そういう意味で御理解いただいて、いま最終的決定だとかどうだとかいうことでなしに、十分話し合いを尽くす、それだけ政府も余裕を持って交渉するつもりですから、地元方々も、そうむきにならないでひとつ話し合いをしていただきたい、かように思います。
  121. 大出俊

    大出委員 その点についても話をつける、こういうことでございますから、これは要望いたします。  最後に一つだけ、沖繩の全軍労の方々の問題でございますが、復帰を前にして十四日に首になってしまうということでは、いかにもお気の毒でございまして、耐えがたいことでございます。せっかく御努力をいただいておりますが、ストライキなどというものは、私の経験で、タイミングをはずしますとどろ沼になりかねぬわけでございますから、何とか今明日中に、最後の努力をひとつその筋の皆さま方にしていただいて、まとめていただくように総理からもひとつお願いしたいと思っております。
  122. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 ただいま大出君は自分の経験からもとおっしゃるが、私はたいして経験はないように思います。とにかく長くなるとほんとうにどろ沼になる。これはもうすでにおそいと思います。だから今日においても、おそいからといってあきらめるのじゃなしに、今日なお最善の努力をして、一日も早く、また一時間でも早く解決するように努力したい、かように思います。
  123. 大出俊

    大出委員 終わります。
  124. 伊能繁次郎

    ○伊能委員長 伊藤君。
  125. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 総理に伺います。  この間、三月十八日ですか、暴力団、ばく徒の問題で立川に行ってまいりました。そこで、やはり移駐賛成派のだれかに頼まれて、十二日も十三日も集まったということであります。先ほど防衛庁長官は、防衛庁は全く知らない、関係ない、こうおっしゃいました。その点については私もそう思います。そこで、やはり大事なことは、こういう中にそういうばく徒の集団が集まるということがたいへん問題であると思います。したがいまして、そういうことについては今後も前向きで、そういうことに参加しないような方向で行くべきだと思います。その点について総理からひとつ。  それからもう一つは、四党が集まりまして共同談話を出しました。それには、立川移駐反対について、移駐計画を白紙に戻せ、先遣隊は原隊に戻れという強い談話の表明がありました。それはそれだけの理由があるからであります。そこで先ほどから、話せばわかる、また説得も含めて、またわれわれの考え方も含めて検討するという意味の発言だと私は受け取りますが、その点について総理から明快に答弁願いたい。
  126. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 先ほども大出君にお答えしたように、こういう問題はとかく左右両派に利用されがちでございます。ただいま、ばく徒あるいは右翼団体、こういう言い方をされました。また片一方では、革マル派だとか、あるいは連合赤軍だとか、その残党等がやはり入っておる。そういうようなことはお互いに避けたいものだ、かように私は思います。皆さんも、もちろんその革マル派と関係があろうとは思いませんし、私どもももちろんばく徒と関係があるわけではございません。しかしながら、こういう問題にとかくそういう勢力が介入しやすい。そういうことは厳に戒めなければならない。そうしてどこまでもわれわれは民主主義を守る、こういう立場でなければならないように思っております。幾ら、表現の自由だ、かように申しましたり、あるいはまた思想の自由だというようなことがありましても、こういう問題についての政治問題にそういうものは持ち込みたくない、これはお互いにひとつ避けよう、これは厳に戒める、こういうことで私は伊藤君にわれわれの態度をひとつはっきり申し上げておきます。  また、四党で申し合わせをされた、こういうことでございます。私ども、まことに残念なことは一党だけでございまして、数から言うと、これはもう四対一という、どうも党派別では絶対多数の皆さん方ですが、しかし、中身は必ずしもそうではございませんので、多数派は、やはり一党ではあるがわれわれが多数を占めておるというのが現状ではないかと思います。ただ、いま仰せになるように、四党だから、こういうことを言われないで、やはり真に話し合って、そうして結論を見つける、対立、対抗しないようにぜひお願いをいたします。
  127. 伊藤惣助丸

    ○伊藤(惣)委員 終わります。
  128. 伊能繁次郎

    ○伊能委員長 和田君。
  129. 和田耕作

    ○和田(耕)委員 一言。私、きのう防衛大学の卒業式に参りまして、総理がかなり熱意を込めて文民統制の問題の訓辞をなさっておりましたけれども、この国会の劈頭以来の混乱状態に対して前向きに対処されておるのだなという、非常に好感を持って聞いておりました。  そこで、この基地の問題については、いつも申し上げておりますように、野党各党、私どもも必ずしも意見は一致しておりません。みな違います。違いますけれども立川の問題については、この前のときも申し上げたとおり、あのような都心に近いところへわざわざ自衛隊、しかも航空自衛隊を持っていくということについて、これは完全に一致した要望でございまして、先ほど大出君あるいは伊藤君の質問に対して、かなり前向きの答弁だと思いますけれども、どうかひとつこの全面返還の時期に、白紙に戻すということを含めて——あるいは進駐するということもあり得るでしょう。そういうことを含めて検討していただくように切に要望いたしたいと思います。
  130. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 ただいま御要望ということでしたから、私、御返事しなくてもいいのかもわかりませんが、とにかく、こうして委員会を通じて各党でそれぞれの御意見を述べられる、また、それらの御意見は私どもも十分承ったつもりでございます。したがって、私どもがあるいは耳を全然貸さない、こういう態度でないことだけは御理解をいただきたい、かように思います。
  131. 伊能繁次郎

    ○伊能委員長 東中君。
  132. 東中光雄

    東中委員 いま大出委員質問で話をつけると言われましたので、つかないままで動くということはないという意味だと理解したわけですが、ただ、いわゆる暴力団、ばく徒の問題ですけれども、これは自民党調査団人たちを迎えに行くんだと言って来たということを警察も言っているわけです。どこから連絡を受けたか言えない、こういうことを言っておりますので、革マルとか連合赤軍とかの挑発分子、これも同じですが、右翼の分子も結局挑発的なそういうことになってしまうわけですので、両方とも断じて許さないという——弾圧とかなんとかいうことじゃないけれども、しかし、迎えに行くと言って行ったというようなことを言っておりますので、この立川問題にこういうことが入って紛糾することのないように、ひとつ特に総理のお考えをお聞きしておきます。
  133. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 革マル派も出迎えたというようなことを言っておるらしいですね。私は、いまのような、ばく徒が出迎えたとか迎えに行ったというような話ですが、片一方でもやはり行っているらしいのです。こういうことはないようにしようじゃないですか。それでその点をさっき申し上げ、これは政府自身は、どこまでも厳正に民主主義のルールを守っていく、この立場でございます。どうぞひとつよろしく東中君にも御理解を賜わりますようお願い申し上げます。
  134. 伊能繁次郎

    ○伊能委員長 次回は、明後二十三日木曜日、午前十時理事会、十時半より委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後二時一分散会