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門司委員 いろいろお話を伺いましたが、シャウプの勧告のとき、私もシャウプと何度か会って議論をした一人でありまして、いろいろとシャウプとの間に取引をして、最後に、シャウプの最も悪税だった、いま大蔵省が
考えておる、例の、物に税をかけようとするものの
考え方。この
税金等も、しいてこれを取れ、そしてこの
税金を
地方税としてやれという、こういう形をシャウプは強く打ち出してきました。しかし、これは、日本政府としてはこれは受け入れるというわけにはまいりませんということで、
法律は一応付加
価値税の制定はいたしましたが、占領が解けると同時にこれをやめまして、一回も実施したことがない。シャウプの勧告の場合にはそういうものがあったということですね。
一つの付加
価値税というものをかけて、そして、景気に
関係のある、いわゆる物に
関係のある
税金を
地方の自治体におろそうという
一つの
考え方があったということは事実であります。それを中心にして一応
考えておったが、しかし、これは困るということで、日本政府としては一応この処置をとらなかった。私
どもも最後まで反対をして、よけいなことですが、いま思い出すと、シャウプにおこられたこともありますし、マッカーサーにおこられたこともございますけれ
ども、この当時の
地方の自治体の様相というものは、御承知のように、
税金を分ける場合には、
市町村にはできるだけ固定した財源を与えることが
市町村財政としては望ましいのだ、いわば仕事というものは密着した仕事をしなければならないから、それが望ましいのだ、景気、不景気によって変動のある
税制というものはできるだけ
市町村に割り当ててはいけないのだということが大体の骨子になって、
固定資産税と
住民税に中心を置こうという、こういう形をとってきた。私は、当時の記憶をたどってみると大体そういうことであったかと思う。その配分は、県税のほうにいくと、県税のほうはややそれと違った
事業税というものが一応
考えられて、これは景気、不景気に変動を来たすものであるが、しかし、
地域が広いのであって、必ずしも小さな
区域でないから大体これでまかなえるんじゃないか、総合的にやれるんじゃないかという
考え方。国は、やはり何といっても、国税として
関係のあるものはすべて
所得税に一応の中心を置くべきではないかという、いわゆる国の経済からくる影響下にあるものを大体国の
収益にする必要がある。こういう三つの
考え方に分けたと私は思うのです。ところが、その後の情勢が、景気は非常によくなってきておる。そして、
法人税あるいは
所得税、酒税、専売益金というようなものは、こちらのほうはずっと伸びてきておる。そして
地方税のほうは、
市町村税というのはほとんど伸びない。わけて、最近における
固定資産税というようなものは、これを上げれば物価に影響が非常に出てくる。いわゆる農村の今日の状態で、
土地の値段を上げるわけにはいかない。都会でも、これを上げれば家賃に響いてくる。地代に
関係してくる。直ちに物価に
関係してくる。すなわち生活を脅やかす
一つの大きなことになるので、これはできるだけ押えようというので、三十八年、三十九年以来
固定資産税が押えられているのが現状であります。これは何も農村のせいでもなければ、
地方の自治体のせいでもないのでございます。国の、
一つの国策としてこういうことが行なわれておる。だから、シャウプ勧告のときの状態といまの現状というものは、そういう
意味では違うということを大蔵省も知っておいてもらいたいのですね。シャウプの勧告のときにはこういうものはなかったのであります。
税金上こういう時代がこようなんということは、あの当時からあまり
考えていなかったと私は思うのですね。
こういうふうなことをずっと
考えてまいりますと、今日の
税法の税の配分というのは、やや片寄り過ぎている。
地方の自治体がこう平均化しておりまする形の中でもう少しやらなければならない仕事
——自治省が試算をすると、下水の問題にしても、ばかばかしく大きな金がなければ五〇%をこえる普及率には達しないのじゃないか。水にいたしましても、普通、諸外国の例を見てまいりますと、大体一〇〇%とは言いませんが、九五%から九七%の間。このように水が配給できるような状態にするにはどうすればよろしいかということです。そうして、水源の汚濁というのは、はなはだしい汚濁が出てきておって、なかなか水が取りにくい。水源はだんだん遠くなる。こういう社会の進んでおりまする形の中に、依然として、
昭和二十五年に改革をしたシャウプの勧告なんというものを
基礎にしてものが
考えられておるとすれば、これは非常に大きな誤りだと思う。だから、そういうものを踏まえて
税制改正をするべき時期がもう来ていやしないか。
この間も端的に自治
大臣に申し上げたのでありますが、いま
地方の
住民に最も密接な
関係を持っておる
税金としては酒税がある。これは
地方住民の消費に
関係があるものであって、
地方住民の毎日納めている
税金です。たばこも同じことである。これは
地方住民が毎日納めている金です。こういうものをどうして
地方におろせないか。これは、徴税技術と配分技術によって完全に
地方におろされると私は思う。それは、経済の大きな
関係で国が集約して取る
所得税だとか、
法人税だとかいうものとは違う。決算を要しないのである。こういうものが現実にあるわけであって、そういうものがどうして
地方におろせないかということです。私は、こういう
税法の
改正をしようとするなら、やはりそういう形のものが必要ではないかということを——まあ、アメリカの例を言うこともいかがかと思いますけれ
ども、御承知のように、たばこの
税金はかけてはおりますが、これは
市町村で違うのですね。隣のうちで買っているたばこは一セント高かったとか安かったとかいう実例が出てくるのですね。やはり、
住民の直接の、その日の消費に
関係するようなものは地元におろすという形が
地方の行政としては最も望ましい形である。自分たちの納めた
税金が
道路になり、学校になり、下水になる。そういう環境整備に使われるということ、そういうように税と行政とを結びつけて
考えられる必要がある。日本の場合にはそれが非常に欠けておる。
税金は何か上のほうで取ってしまって、どこへいくんだかわからない。こういう
税体系全体をこの際
考える必要が私はあると思うのですよ。
あれから二十四、五年たちます。あれが二十五年だとすれば二十二、三年たちますけれ
ども、もうこの辺でこの
税法の
改正をして、税の再配分をするべき時期であって、いま大蔵省からいろいろ
説明はございましたけれ
ども、それには、私
ども、さようでございますかと言うわけにはまいらぬのでございまして、そういう
意味で、この際ぜひひとつこれを
考え直してもらいたい。そういたしませんと、
地方の自治体のあり方というものは、そう簡単に片づく
筋合いのものではない。
最後に私は一言だけ主税局に聞いておきますが、ことしの予算は景気浮揚だということで、
地方も借金を去年の倍以上実はいたしております。借金の高は大体一一〇%になりますか、一〇九・八に相なっておりますから、倍以上になっております。国のほうも借金をしておる。そういうことでは一応つじつまは合わせておりますが、しかしながら、これは全部
地方の借金だ。同時に、国からいろいろな仕事の面についてたくさんの補助金をつけるというようなことで、景気浮揚ということで
地方財政が非常にふくらんでおるというこの現象はきわめて不健全であります。一体、大蔵省は、この状態を続けられるつもりなのか、どうなのか。これは
地方の自治体にとっては非常に大事な問題なんです。ことしたくさん金があるからといって、間口を広げて仕事をしても、来年からある程度制約されてくるということになると、仕事をしかけたものが中途でやめなければならぬようなものが出てきはしないかという心配がある。そうすると、お金の使い方が非常にむだであって、政府の
考えている、ただ景気浮揚だから公共
事業をやるのだという
考え方は根底から間違いであるということになる。こういう大蔵省のものの
考え方、政府のものの
考え方について、政府はどうお
考えになりますか。
景気浮揚のために公共
事業をやる。そのことのために
地方の自治体がたくさんの借金をして仕事をしなければならぬということは、また、国の行政によって
地方自治体に犠牲をしいることになろうかと私は思うのであります。だから、大蔵省は、いまの状態を、ずっと何年か、
地方自治体が完全に環境整備ができるまで公共投資を続けられるつもりですか。ことし一年限りで、来年景気がよくなればもうやめようと言われるのですか。どっちなんですか。