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1972-04-14 第68回国会 衆議院 社会労働委員会 第16号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十七年四月十四日(金曜日)     午前十時十一分開議  出席委員    委員長 森山 欽司君    理事 小沢 辰男君 理事 谷垣 專一君    理事 橋本龍太郎君 理事 増岡 博之君    理事 山下 徳夫君 理事 田邊  誠君    理事 大橋 敏雄君 理事 田畑 金光君       有馬 元治君    大野  明君       大橋 武夫君    梶山 静六君       小金 義照君    斉藤滋与史君       竹内 黎一君    中島源太郎君       別川悠紀夫君    渡部 恒三君       川俣健二郎君    後藤 俊男君       山本 政弘君    古寺  宏君       山田 太郎君    寺前  巖君  出席国務大臣         厚 生 大 臣 斎藤  昇君  出席政府委員         厚生省公衆衛生         局長      滝沢  正君         厚生省薬務局長 武藤き一郎君         厚生省児童家庭         局長      松下 廉蔵君  委員外出席者         参  考  人         (国家公務員共         済組合連合会虎         の門病院院長) 沖中 重雄君         参  考  人         (スモン調査研         究協議会会長) 甲野 禮作君         参  考  人        (帝京大学教授) 清水  保君         参  考  人        (東京大学教授) 白木 博次君         社会労働委員会         調査室長    濱中雄太郎君     ————————————— 委員の異動 四月十四日  辞任         補欠選任   唐沢俊二郎君     野中 英二君   田川 誠一君     高鳥  修君   箕輪  登君     中村 拓道君   古川 雅司君     山田 太郎君 同日  辞任         補欠選任   山田 太郎君     古川 雅司君     ————————————— 四月十三日  身体障害者福祉法に規定する内部障害者援護  に関する請願島本虎三紹介)(第二四一七  号)  同(黒田寿男紹介)(第二四六六号)  医師、看護婦の増員に関する請願島本虎三君  紹介)(第二四一八号)  同(谷口善太郎紹介)(第二四一九号)  同(津川武一紹介)(第二四二〇号)  同(寺前巖紹介)(第二四二一号)  同(平林剛紹介)(第二四二二号)  同(山原健二郎紹介)(第二四二三号)  同(島本虎三紹介)(第二四六四号)  同(黒田寿男紹介)(第二四六五号)  同(春日一幸紹介)(第二五〇三号)  同(黒田寿男紹介)(第二五〇四号)  難病患者等医療及び生活保障に関する請願(  津川武一紹介)(第二四二四号)  同(黒田寿男紹介)(第二四六七号)  同(林百郎君紹介)(第二五九七号)  同(不破哲三紹介)(第二五九八号)  同(米原昶紹介)(第二五九九号)  健康保険法及び厚生保険特別会計法の一部を改  正する法律案反対等に関する請願浦井洋君紹  介)(第二四二五号)  同(島本虎三紹介)(第二四二六号)  同(谷口善太郎紹介)(第二四二七号)  同(津川武一紹介)(第二四二八号)  同(平林剛紹介)(第二四二九号)  同(黒田寿男紹介)(第二四六八号)  同(春日一幸紹介)(第二五〇一号)  同(黒田寿男紹介)(第二五〇二号)  同(正木良明紹介)(第二五五三号)  同(吉田之久君紹介)(第二五五四号)  結核対策拡充強化に関する請願外八十五件(  島本虎三紹介)(第二四三〇号)  同(谷口善太郎紹介)(第二四三一号)  同(山口鶴男紹介)(第二四三二号)  同(春日一幸紹介)(第二五〇〇号)  同(倉成正紹介)(第二五九〇号)  看護職員育児休暇法制定に関する請願(池田  清志君紹介)(第二四六二号)  同(山本幸雄紹介)(第二四六三号)  同外一件(橋本龍太郎紹介)(第二六〇〇  号)  同(増岡博之紹介)(第二六〇一号)  海外引揚者福祉施設建設等に関する請願(中  馬辰猪紹介)(第二四六九号)  要指示医薬品に係る厚生省告示第四百八号の撤  廃に関する請願外六件(鯨岡兵輔紹介)(第  二四七〇号)  同外三件(田中榮一紹介)(第二四七一号)  同外四件(鯨岡兵輔紹介)(第二五〇五号)  同外二件(木部佳昭紹介)(第二五五〇号)  同外二件(田中榮一紹介)(第二五五一号)  同外一件(井出一太郎紹介)(第二五九一  号)  同(大石八治君紹介)(第二五九二号)  同(砂田重民紹介)(第二五九三号)  同外七件(田中榮一紹介)(第二五九四号)  全国全産業一律最低賃金制法制化に関する請  願外二件(井岡大治紹介)(第二四七二号)  同外二件(井岡大治紹介)(第二五〇六号)  同外一件(井岡大治紹介)(第二五四八号)  同(勝澤芳雄紹介)(第二五九五号)  通勤途上交通災害労働者災害補償保険法適  用に関する請願外三件(井岡大治紹介)(第  二四七三号)  同外二件(井岡大治紹介)(第二五〇七号)  同(井岡大治紹介)(第二五四九号)  同(勝澤芳雄紹介)(第二五九六号)  ソ連長期抑留者援護に関する請願中野四郎  君紹介)(第二五五二号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  厚生関係基本施策に関する件(特定疾患対策  及び児童福祉施設等に関する問題)      ————◇—————
  2. 森山欽司

    森山委員長 これより会議を開きます。  厚生関係基本施策に関する件について調査を進めます。  本日は、特定疾患対策に関する問題について、参考人として国家公務員共済組合連合会虎門病院院長沖中重雄君、スモン調査研究協議会会長甲野禮作君帝京大学教授清水保君及び東京大学教授白木博次君に御出席をいただいております。  この際、参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  参考人方々には、御多用中のところ御出席をいただき、まことにありがとうございます。何とぞ遠慮のない御意見をお述べいただきたく存じます。  なお、議事の都合上、最初に御意見を十分ないし十五分程度に要約してお述べいただき、そのあと委員からの質疑にもお答え願いたいと存じます。  それでは、まず沖中参考人にお願いをいたします。
  3. 沖中重雄

    沖中参考人 私、沖中でございます。  特定疾患という概念と申しますか、必ずしも私ははっきりつかんでおりません。こういうところへ出ましたのは、この問題について初めてでございます。ただ常識的に現在新聞紙上などを通じて理解しておりますところでは、非常に医学的にもなおりにくい、原因も必ずしもみんな解明されてないような、それから患者さんの立場から社会的に考えますと、なかなかなおりにくいし、経済的に非常に負担になる、長く仕事から離れているとか、いろいろな点に非常に困難のある、そういう病気がだんだん取り上げられてきておる、そういうものを一応私、特定疾患というふうに理解いたしまして、一般的なことについて、ちょっと述べてみたいと思いますが、あとからお話しになる方、いずれもある方面での非常に専門的な知識を持っていらっしゃる方であります。私は一番年齢も古いし、必ずしもある方面で現在のこういう疾患について非常に深い専門的な知識経験を持っているわけでございませんので、長く臨床医学をやっているという立場から感想のようなことを申し上げていくことになると思いますけれども、御了承いただきたいと思います。  近代的な医学と申しますか診療というものを見ますと、昔といってもおおよそ戦前というふうに考えていただいていいと思いますけれども、いろいろな点で、病気種類とか性質とかそういうものが違ってきております。  これは近代医学によって一面病気がよくなおされてきているということがあります。昔は死んでしまったような患者さんも、近代医学の恩恵で大幅に生命を取りとめておることは、もう非常にはっきりした事実でございます。しかし一面、生命は救われたけれども臓器に一種の破壊のあとを残して、病気そのものはとどまっておるけれども人間臓器としては機能の低下を来たしたままで生存しているという場合があるわけです。それが慢性経過をとって、そして機能障害がなかなかなおしにくい、それには非常に金がかかる、そういうような状態があります。  それからまた一面、病気そのものも急性の状態から慢性状態に移行させることには成功した、命を取りとめて。しかしながら、慢性状態がもう一歩完全になおし切れない、そういう状態慢性経過をとっている場合が現在の診療界といいますか医療世界ではたくさんありまして、われわれが日常診療で非常に苦心を感じておりますし、患者さんの立場からいいますと、非常に苦しみを感じておられるんじゃないだろうか。  それからもう一つ近代的な医療世界で言えることは、昔はなかったような新しい疾患が出てきている。これは環境汚染などによって起こる疾患などは、まさしくそういうものに類すると思います。昔はなかったけれども現在はある、そういうような病気原因を解明するのに案外時間がかかる。予測しないような病気が起こってくるということになりますと、いままでの教科書には書いてないような病気が出てくるわけですから、それの対策がおくれる。そういう病気の中には非常にむずかしい病気もある。なおりにくい病気もある。そういう点が特色になっているわけです。  そのほかにも、あとからもお話があると思いますけれども、いろいろ化学療法は発達したけれども、それではなおし切れないようなカビのような種類のものが病原性を持って、非常に疾病としてなおりにくいような状況を呈する、あるいはウイルスなども非常に疾患原因として大きく浮かび上がってきて、医学的に見て診断治療の大きな対象になっている、そういうようなことが現状だと思います。  これがいろいろ近代的な医療状態疾患と申しますか、そういう点の特色のあらましの状況だと思います。そのほかこまかい点ではいろいろもちろんございましょうけれども、大体そういうような特色があるということです。  そうしますと、こういう平和な世の中ですと、もちろん昔もそうでありますが、特に健康とか生命というようなものはおのおのが大事にする。これは昔から大事にしているわけでありますけれども、特にそういうことを感じているということも確かだと思いますね。そういう意味で、いろいろなむずかしい問題がクローズアップされてきておるんじゃないかと思います。  この特定疾患と申しますと、幾つかの病気が取り上げられると思いますけれども、考えてみますと、いろいろな病気を取り上げてくると、すべて特定疾患になってしまうおそれもある。で、これはどういうふうなところで限界をつけるのか、これはいろいろ、これからみんなできめていかなければならぬことだと思いますが、こういう状況になりますと、医学の面でもちろん原因究明するということに、これに関係する者は昔より一そう努力しなければなりませんし、それには非常なお金もかかるわけです。そういう点で、医学関係のあるわれわれとしまして、非常に大きな責任を感ずるわけでありますが、単にこれだけでは片づかない。やはりいま言いましたように、患者さんの立場に立ちますと、いろいろ病気はなおしてもらいたいし、また働けるようにしてもらいたい。その間の非常な、精神的あるいは経済的な苦痛がございますので、そういう社会的な面と申しますか、そういう立場からの考慮と申しますか、医学的な立場、あるいは社会的な立場、そういう立場からの大幅な考慮が特に要請されるようになってきておるんじゃないかと思うのであります。  私は、私の総論的なことをお話し申し上げて、また何か御質問がありましたら、お答えできる範囲でお答えいたしますが、あとからまた専門の方からいろいろお話があると思いますので……。  まあ、総論と申しますか、序論的なことだけを申し上げましたが、いま申しましたように、医学的、科学的な面と、それから社会的な面、患者さんの立場から申しますと、やはり患者さんに対する愛情と申しますか、人間としての、いわばいつくしむと申しますか、これは非常に大事であると同時に、医学的に、科学的には、やはりあくまでも冷厳に、しっかりとした研究体制と申しますか、原因だとか治療法についてもですね。これは両方が一緒にならなければなりませんが、うかつにこれを混同するというおそれもありますから、それは両方患者さんの立場に集中されなければなりませんけれども、そういうヒューマニティーに徹底したことと同時に、科学、サイエンス、そういう面かうの追求は非常にしっかりとして、冷厳な立場で十分な研究体制を整えて、それをしっかりとやらないと、混乱が起こるおそれがある。こういう私の立場とすれば、ことに医学という学問に長く携わってきた者でございますので、病気の本体の解明の診断、それから治療の方策の確立、あるいは予防とかリハビリテーションとかいろいろな問題が含まれますけれども、そういう科学的な立場での研究体制をしっかりと打ち立てていただきたい。それには、最近はだんだんとそういう研究もふえてきつつありますけれども、一そうその点での研究費研究体制をしっかりと整えていただきたい、こういうことが私の序論的な、いわゆる感想というものでございます。  一応この程度で……。(拍手
  4. 森山欽司

    森山委員長 次に、甲野参考人にお願いたします。  拡声機がございませんので、まことに恐縮でございますが、やや声を高くして御発言願います。
  5. 甲野禮作

    甲野参考人 甲野でございます。  スモンが、この特定疾患対策の、いわばきっかけを与えたというふうに私ども思うわけでございます。それで、私どもスモン調査研究協議会の三年間における経験あるいはその経過お話し申し上げまして御参考に供したい、こう考えます。  しかしながら、スモン調査研究協議会研究の成果、経過につきましては、新聞等ですでに十分報道されておりますので、あえてそうつけ加えることはないのでありますけれども研究会の主要な目的は、そのスモン患者の出発当初のころは実態もわかってないという状態でありまして、その実態の把握、それから病因究明、それから有効な治療法の発見、開発というような点に指向されていたわけでございます。  まず実態の点については、すでに発表されましでいるとおり、本年の二月末において九千百三十一名の患者が登録されておりまして、そのうちの確実が五千七百七十名、容疑が三千三百六十一名であります。ただし昭和四十五年九月八日のキノホルム剤発売中止措置後の発生を見ますと、同年末までに二十三名、それから四十六年の一月から今年の二月までに十五名が登録されております。したがいまして、この結果というものは、キノホルム発売停止という措置がいかに有効であったかということを物語っていると考えられます。  それで、いろいろな研究の結果、御承知のようにスモン調査研究協議会といたしましては、その病因究明という重要な目的一つとして、スモン診断された患者の大多数は、キノホルム剤の服用によって神経障害を起こしたもの、そういうように判断を下したわけであります。まあ研究病因追求の第一目標は一応達成されたと考えております。  第二目標と申しますか、治療あるいはリハビリテーション、これは非常に重要な問題でございますけれども、これについては鋭意努力をいたしましたが、まだきめ手になるような治療はありませんので、リハビリテーションを含めて今後の重要な課題になると考えております。  それで、現在患者は、予後調査によりますると、八〇%くらいはある程度の軽快を示しておりますけれども、完全に治癒するという例は非常に少なくて、社会復帰しておられる方もおられますけれども、そういう方はいずれも痛い足、あるいはしびれる足を引きずって苦闘しておられるわけでございます。約一〇ないし一五%は日常生活に支障を来たしておりまして、歩けない人が約四%、それから全盲、目の見えない方が三%程度あります。就労の状況は全体として六五%でありますけれども老人が多い関係上、老人患者さんになりますと、さらにその率は四五%というふうに下がってまいります。  治療状況でございますけれども治療費がいろいろお金がかかるというようなことのために、病気があっても、また有効な治療もないというようなこともあるせいもあると思いますが、約二〇%の方が治療を受けていないということがあります。また入院は一六%、外来の治療を受けている方が過半数、六〇%でございます。したがって、治療費補助というようなものを入院患者に限定いたしますと、六〇%の人がそれにはずれてしまうという現実が起こっておりますので、そういう点は今後問題であると考えます。  さて、スモン調査研究協議会昭和四十四年の九月二日に発足した当時は、一地方あるいは一施設、そういうところに多発した例がございましたので、感染説が非常に濃厚に考えられておりまして、私のようなビールス専門にしておる者が会長というお役目を引き受けたのも、結局はビールス説というようなことのためであったわけでありますが、研究を進めるにあたっては、ビールスのような感染症とは考えられない点もありまして、中毒と思われるような点もあったわけでございます。  そこで、初めから偏見を持たずに、あらゆる方面からアプローチするということを開始いたしたわけでございます。その研究途上において何か新しい問題が出てまいりますと、その専門家をどしどし加えていくということであります。したがいまして、当初の会員は四十名でございましたが、最終的には七十三名というようになってまいりました。それで、研究中間段階でいろいろひんぱんに討論会のようなものを持って、そしてその研究の結果というものを評価しながら、その次のステップへの進み方というものを進めていって進展をしたわけでございます。  結局平凡なことでありますけれども研究プロジェクトをはっきりさせること。それからやはりその中心になる人がリーダーシップをはっきりすること。それから研究者の間の和ですね。それから、もちろんそこに研究費が投入される。そういうようなことがそろって、比較的スモン研究が進んだというふうに考えられます。これらの点は今後の特定疾患研究の上に多少御参考になるのではないかというふうに考えております。  しかしながら、ひるがえって考えてみますと、この三年間にわたる約一億八千五百万の研究費というものは、この種のものとしては確かに画期的でございますが、そのかなりの部分患者さんの治療費補助援護のために支出されておるのでありまして、こういう考え方は、今後は別途に患者さんの援護援護研究研究というふうにやっていただいたほうがいいのではないかというふうに思われます。  また理工学関係研究費に比べられますと、一億八千万という金は、きわめて微々たるものでございまして、生産第一から福祉第一というふうに政策が転換される世の中にあっては、当然この特定疾患難病、奇病の原因究明治療予防というようなことへの医学生物学的研究への研究投資というものをもっと活発にやっていただきたいというふうに考えるわけでございます。  今後の課題でございますが、スモン調査研究協議会といたしましては、まず疫学的には引き続き患者発生状況を監視、それから現在ある患者さんの予後がどういうふうになっているか、こういうことを追及することが必要でございます。キノホルムスモン発症関係がわかってまいったのでありますけれども、これが原因であるということはわかったにしても、今度はその薬がからだの中でどのようなメカニズムによってスモンという病気を起こすのか、いわゆる発生病因の問題、これがはっきりいたしませんと、治療のほうにも影響いたします。したがいまして、この究明が急がれるわけであります。  キノホルムスモン因果関係というものは、サリドマイドとアザラシ症に微妙な点で似ておりますが、唯一違う点は、スモンわが国にのみ多発しているという現実でございます。一体外国でこれが少ない理由は何か、わが国に多発している理由は何か、こういうことはやはり今後の非常に重要な研究課題であると考えております。  またスモンに、キノホルムを飲まないでなったと称される少数の患者さんがありますが、そういうものについては、精査する必要がございます。  またビールス説は、ほとんど否定されておりますけれども最後の詰めが必要であると思います。先ほどお話しいたしましたように、約一万名近い患者があるわけでありますが、有効な治療及びリハビリテーションということではたいへん不十分でございまして、その開発ということは最も重要な今後の研究課題であり、ぜひ取り上げなければならない最重要な課題である、こういうふうに考えております。  また今後患者公費負担の問題なんかが起こってまいりますと、認定ということも、しっかりしたものをやらなくてはいけないということになってまいりますので、そういうことの研究も必要かと思います。  最後に、ちょっと申し上げたいのは、いわゆる特定疾患対策室というものができることについては、たいへんけっこうなことであったと思います。かつてスモン研究費が打ち切られて研究が中絶したことがございましたけれども、結局このような恒久的な組織がなかったということがその原因でありますから、こういうものができて、今後この種の病気対策、種々の点からいけるということは、たいへんけっこうなことだと思います。  ただちょっと危惧いたしますことは、先ほど沖中先生もちょっと触れられましたけれども特定疾患というものの定義が一体どういうことになるのかという点でございまして、あまりたくさんのものがそこへ入ってきた場合に、一つ一つへの重点的な施策というものが、特に研究の面では、金の面、人の面、いろいろな面で薄められるのじゃないか。かえって問題の解決をおくらせるのじゃないかという危惧が、私見として若干するわけでございます。ですから患者さんへの対策というものと研究というものは、かなりそこではっきり区別していただくというようなことがあるいは必要ではないだろうか。その特定疾患対策のワクに入らないと、援助のお金がもらえないとかいうようなことが起こっては困るのじゃないか、こういうことが考えられるわけでございます。  以上、簡単でございますが、スモン調査研究協議会の三年間の経験並びに私の私見を述べさせていただきました。(拍手
  6. 森山欽司

    森山委員長 次に、清水参考人にお願いいたします。
  7. 清水保

    清水参考人 清水でございます。  私は、ベーチェット病ベーチェット症候群とも申しますが、その研究に取り組んでまいりまし汁、東京大学に在職中からいまに至るまで、足かけ二十一年ベーチェット病研究してまいりましたが、この疾患は、もうすでにわが国では大正十三年に一例の報告があるわけでございますが、戦後にわが国でふえだしてまいりまして、すでにこれは昭和二十九年にローマでベーチェット病国際シンポジウムがございましたときに、わが国、日本でなぜこれほどベーチェット病が多いのかということは、海外の学者からも指摘されておるのでございます。  私ども調査では、患者さんがふえだしたのは、戦後昭和二十三年ごろから患者さんがふえてまいりまして、大体患者性別罹患率は、男子のほうが女性より二倍ほど多いのでございます。また社会的に重要なことは、この疾患にかかる患者の大部分が二十歳台、三十歳台の患者さんでございます。そして、この疾患はかなり高率に失明いたします。眼科の統計だと、七〇%から八〇%ぐらい失明する。目が悪くなって平均約五年ぐらいで失明に至る場合が多いというようなことでございますので、目のほうがかなり大きく取り上げられてはおりますけれども医学者の立場から研究してまいりますと、これは一種の全身病でございまして、目ばかりではないのでございます。消化器管の粘膜とか関節とか血管とか、末期に至りますと中枢神経がやられます。そして約三〇%程度患者が死亡するのでございますが、そういうふうに患者さんがわが国でどのくらいおるかという実態調査はまだなされておりません。  ただ、われわれの研究の結果から推定いたしますと、わが国ではスモンよりも多いのではないか。厚生省の統計調査部で全国の身体障害者の統計を五年おきにやっておりますが、たしかおととしの成績では、全国の身体障害者は約百七十万、そのうちに視力障害者、これは視力が高度に障害されたものでありますが、二十五万名おる。そのうち後天的の原因、つまり後天的の病気とか外傷によって失明する者は二十四万名という成績でございますが、その中でベーチェット病による失明者は、私どもの推定では大体一一%から一二%ぐらいでございます。ですから、これは二万をこえる数でございますが、そのほかに潜在患者がおるというふうに推定されます。  患者さんの分布は、これは全国ほとんど各都道府県にわたって発生しております。比較して、たとえば外国では黄色人種、われわれ日本人を含めた黄色人種、温帯圏から亜熱帯にかけての黄色人種にふえているのではないかという推論が出されたのでございますが、一昨年私どもは台湾全島を調べましたところ、台湾には非常に少ないのでございます。台湾の全人口はたしか千三百万か四百万でございますが、わずか十二名ぐらいしか発見できません。それに対しまして、わが国ベーチェット病は、おそらく万の大台をもって数えられる。  このような難病——難病という医学的な正しい定義はございませんが、に対して、研究的にも強力な体制が組まれなかった、それから研究面でも、あまり豊かな補助は得られなかったということを痛感いたしますが、一つには、ベーチェット病がそういうふうな全身病である関係上、眼科医、内科医、神経内科医、それから婦人科医、それから外科医、それから基礎の病理、細菌、疫学、そういうふうな各分野の研究者が協力して強力な研究体制をつくるという機運がなかなか盛り上がらなかったのでございます。ところが昭和四十五年から、わずかでございますが、厚生省で四百万の研究費を班研究として下さいまして、それから昨年の四十六年度は一千万でございます。合計一千四百万でございますが、合計一千四百万の予算などはまことに微々たるもので、一人当たりにいたしますと百万足らずになります。それで、動物実験を一年やればそれで終わりぐらいのもので、とてもまともに研究を詳しく進める上では非常に困難でございます。  それからもう一つの面は、私はこういうふうに慢性疾患で、目が悪くなる、まあ極端に申しますと、失明された患者さんは、人生計画を一変しなければならぬわけで、自分の職業を全部変えなければならない。ところがわが国では、わりあい失明者に対するリハビリテーション、社会復帰、そういう面の行政的な保護があまり十分ではないと思うのであります。一例をあげますと、東京の杉並に国立東京視力障害センターというのがございますが、全国では、国立、厚生省管轄の視力障害センターが北海道と東京、塩原、神戸それから福岡と五カ所ございますが、その国立東京視力障害センターの統計を見ましても、ベーチェット病による失明者は、昭和三十三年以後だんだん増してきております。それで収容しきれなくなるほどになっております。たとえばその比率を申しますと、一九六九年度には二百六十三名の失明者がそこに、リハビリテーション施設に入所しておるのでございますが、そのうち四十四名はベーチェット病による失明者でございます。これは一六・七%、最も首位を占めておるわけでございます。まことにこれはゆゆしい問題でございます。それに対して保健婦程度の方が一人いる程度でございます。医療面の施設というものはほとんどない。  それからもう一つ強調いたしたい点は、ベーチェット病は数十年にわたることがございます。それで、失明した時点でこの病気が終わるわけではないのでございます。失明してからもなお関節炎が出たり、それから中枢神経がおかされるという悲惨な事態が幾らでも起こり得る。  以上が、大体のベーチェット病わが国状況でございますので、私はこの際、国家がこの病気に対してもっと強力な研究体制を組んでいただきたい。  それから先ほど甲野先生も申しましたが、失明した患者はほとんど職を離れる場合が多い、そういう患者さんは非常に経済的に医療を続けることは困難であるので、そういう面の擁護を十分考えていただきたい、そういう体制をとっていただきたいというふうに感じております。(拍手
  8. 森山欽司

    森山委員長 次に、白木参考人にお願いします。
  9. 白木博次

    白木参考人 白木でございます。  私の専門は神経病理学と申しまして、脳の病気でなくなられた方を解剖して、その病気原因、それが臨床とどんなふうに関係するかというふうなことをやっております基礎医学をやっております者でございますけれども、精神医学の臨床にも相当携わっていた経験がございますので、そういう立場で少し申し上げたいと思います。  スモン患者さんの脳神経、それからいま清水先生のお話のございましたベーチェットの場合の脳神経のおかされる、そういうようなものも私は研究しております者でございますが、先ほど委員長から遠慮なく話せというようなお話もございましたので、研究ということも非常に大事でございますけれども、むしろ特定疾患、あるいは私は難病ということばを使いたいのでございますが、それ全体に対して、もう少し研究以外の立場で、医学者の立場から、こういうふうにしていただきたいということを申し上げたいと思います。  ただいままでお話もございましたように、特定疾患というのは、原因がはっきりしない、あるいは治療法が確立していない、しかも非常になおりにくい、そういうようなものが特定疾患という立場であるように見えるわけでございまして、しかしこの問題はそういう観点でとらえます限りにおいては、純医学的な立場に立った、そういう考え方のように思われるわけでございます。しかし、私は特定疾患と申しますよりも、そういう内容を持ったものは、そもそも難病である、あるいは難病群である、そういうような立場で、これは把握するのがほんとうであろうというふうに思います。  つまり、こういうような、原因がわからない、なおらない、治療法がないというのが特定疾患であり、それが難病だけではないのでありまして、原因がはっきりしておる、あるいは治療法というものがはっきりしておるような、そういうものでございましても、その治療の時期を誤るとか、あるいはまたその適切性を失った場合には、その病気がきわめて慢性化してしまう、そうした後遺症の程度次第によりましては、社会復帰が極度に困難であるか、あるいはそれが全くできない、そういうことになるわけでありまして、それの全体を難病あるいは難病群というふうに考えるべきだと思いますし、しかも日本の現実、現在置かれております実態から見まして、そういう意味での難病患者さんというものは、医療からも、あるいは福祉からも疎外されているという現実が大きい、そういうものの総体を難病あるいは難病群であるというふうに考えるべきだと私は思います。  そういう観点に立ちますと、難病というものは、ただ単に純医学的な概念ではなくて、社会学的な概念であり、それの総称をいうべきものであるというふうに考えるべきだと思います。それは、日本という一つの特殊な風土の中において、私はその考え方が重要だと考えるわけです。  つまり特定疾患一つ一つというものを各論的に拾い上げていきまして、そういうものに対しまして、そのつど、これを難病群というものに組み入れていく、それへの行政的な、あるいは立法的な対応というものを各論的にはかっていくということになりますと、その実現にあたりましては、実質的に考えまして患者さんとしては非常に無限の努力、忍耐そしてエネルギーの消耗、いわゆる陳情というような面を通じてしいられていくんではないか、そういうふうに思われるわけです。  一方、このようにして取り上げられました特定疾患に対しまして、かりにこま切れ的に病院とか、あるいは福祉施設というものがそのつど建設されてまいりましたといたしましても、そこに働きます医療とか、あるいは福祉関係の従業者というものは、きわめて幅の狭い専門領域だけをしいられていくようなことになる。つまりスモンの病院あるいはベーチェットの病院、そういうようなものだけしかできないとするならば、それに対しては、そこに有能な職員の数多くの人を得ることは困難であるというふうに考えます。  一方、医学というものには私は五つあると思います。第一は健康増進医学、第二は予防医学、そうして第三に治療医学、第四にリハビリテーション医学、それまではよいのでありますが、第五に私は難病あるいは重症医学というものがあると思う。つまり、あらゆる病気というものは、第一から第四までの医学の対応が十分でない場合には第五の難病に変わっていく、そういう視点があるというふうに考えるのでありまして、したがって難病に対しては、そのような基本的な対応をしなければならない。それが真実の姿だ、そういうふうに思います。したがいまして、医療基本法あるいは医療の抜本改正というようなものが成立するといたしますならば、それは第一から第四の医学だけでなくて、第五の難病医学というものが、その中に包括されくてはならない、そういうふうに思います。  ここで問題なのは医療基本法というようなものが今後の問題でございましょうけれども、その中に第五の難病医学というものを組入れるといたしましても、この場合にはこの種の基本法の背景にある、いわゆる医学というものをどう考えるかという、そういう哲学というものがきわめてはっきりしてなければならない。しかもそれが日本という特殊な風土の現状から将来を見通して、その明確な哲学の上につくられた医療基本法が強力に実践されなければならない、そういうことだと思うわけでございます。が、しかし、医療基本法とか医療の抜本改正というものは、たいへん時間のかかることであって、そう簡単にできるとは私自身も思わないわけであります。しかしながら、スモンあるいはベーチェットあるいはその他の特殊な疾患患者さんの現在置かれております非常な困難な状態、これを考えたときには、それに対して、やはり速急に応急的な措置というものがとられていくということが非常に重要だと考えます。  それは結局いろいろな面が考えられますけれども、ひとまずやはり公費負担ということがそこで出てくるというふうに思うわけでございます。この公費負担という考え方の中には、私は二つの要素がある。つまり医療費に対する公費負担というものが一つ、それからもう一つ難病という患者さんが置かれております、ただいまお三方の先生からお話がございましたように、生活上非常に困難であるということに対する生活保障的な意味での公費負担、この二つの面があると思う。このことは、やはり特定疾患の中のいま緊急性を要するものから早急に実践していっていただきたい、そういうふうに思うわけでございます。  ただ、この場合の公費負担というものの内容を今度は特定疾患別に各論別に考えてみた場合には、私、少しずつ違う要素を持っておるというふうに思うわけでございます。たとえばスモン患者さんの例をあげますと、スモンビールス説というものが出た時点で、患者さんは病院からも社会からも疎外されている。つまり社会のほうを守るという立場から患者さんは疎外された、いわゆる社会防衛論的な立場から患者さんが疎外されたわけでありまして、その結果として、不幸なことに自殺者もかなり出ている、こういうような現実、こういう問題についての、社会におけるそのような患者の疎外の問題というような点を、公費負担というようなことばで表現できるかどうかわかりませんけれども、やはり考えていただかなければならない、そういうふうに思うわけです。  そしてその研究の過程におきまして、キノホルムというものがその原因であるということが確定したわけでありまして、このキノホルムということが、いろいろな立場がございましょうけれども、結果論的には医療災害である、こういうことがはっきりしてきた。そういう時点におきましては、今度はそういうスモン患者さんの医療費の負担というものは、今後——いま現在生きておられるスモン患者さんが、将来に向かって医療費を公費負担していくということだけでなくて、医療災害でありますから、さかのぼって、過去にいろいろ医療費がかかっている、そういうものに対しても、ここで考え直さなければならない。ほかのいわゆる医療災害というようなものでなくて起こってくる、そういう難病というものに対する公費負担と、いまのような立場で申し上げましたような意味でのスモン患者さんの医療公費負担とは、おのずから性格が少しずつ違っているということを申し上げたいわけでございます。  ともかく難病群というものは、その種類の別なく、結局終末像ですね、新幹線で申しますと大阪駅、最近は岡山でございますか、そういう終末像においては、ベーチェットであろうとスモンであろうと、それは変わりはない。しかし、そういう状態になるまでのプロセスというものは、それぞれ違っている。ですから、それはスモンでは違う、ベーチェットでも違う、あるいは公害によるような、たとえば水俣病のような場合、それぞれその内容が違っている心そういうものに対するきめのこまかな公費負担的な措置というものが、緊急性として必要であるというふうに私は思うわけでございます。  その問題に関しまして、私はスモンの協議会の一員でもございますので、ここで一つ申し上げておきたいことは、このキノホルム中毒説というものが決定した段階におきましては、やはり公式の認定機関というものをどうしても設けていただかなければならない、そう思います。  なぜかと申しますと、先ほど甲野先生のお話にもございましたように、いまチェックリストに載っております八五%の患者さんにつきましては、キノホルムというものが投与されていることがわかっております。しかし残りの一五%につきましては、それが不明であるというような点、こういうものもやはり公式の認定機関の中でいろいろ調べていかなければならない、あるいはチェックリストに載っておりますそういう患者さん以外に、載っていない、漏れているスモン患者さんがいるはずでございます。そういう方々キノホルムによりますスモンであるということを認定していかなければならぬとするならば、そのような公式の認定機関が私は必要であろうと思います。もしこういう公式の認定機関でキノホルムを使っているというようなことがわからなければ、そういうカルテが出されなければ、スモン患者と判定できないというほど日本の神経病の臨床の専門家は能力が低いとは私は思いません。かりにカルテでキノホルムが使われているということがわからなかったとしても、その臨床像の特異性その他から考えまして、これはそういうものであるということは判定できるだけの専門家は、私は日本全国に相当数いるというふうに考えます。  私、最後に申し上げたいことは、こういう難病医学というものが、医学医療の限界点を越えた時点におきましては、社会復帰がおよそ困難である、あるいはそれが不可能である、そういうまたハンディゆえに社会への再適応ということがきわめて不完全である。そういう現実から、単に医学だけの問題じゃなくて、それは福祉との非常な緊密な連携なしの、そういう第五のいわゆる難病医学というものはあり得ませんし、あるいはまた、そういう医学なしの福祉というものもあり得ないという点を強調いたしたいと思います。  そして、遠慮なしに申さしていただきますと、この第五の、いわゆる難病医学というものと福祉との連携あるいはその実態というもののわが国現実というものは、そういうものをどうすべきかというものの考え方、いわば哲学的、思想的と申しますか、あるいはマンパワーの点、あるいは施設的な点、あるいは行政的な点、あるいはその他のあらゆる側面から見まして、西欧の、あるいは欧米の先進国に比べますと、過去の蓄積はきわめて貧困であるというふうに私は考えます  一つの例をあげれば、外国では、神経病院というようなものは、もう、百年の歴史の中に、非常にたくさんの病院ができておる、患者が収容されております。しかし日本では、まだそういう専門の病院すら一つないというような現実一つあげれば十分だろうと思います。  そういうように、過去の蓄積も非常に貧弱であるということと、それから将来に向かっても積極的に、こういうような難病医療福祉というものを進めていこうという積極的姿勢というものは、どうも私はないように思われます。  しかし、これはあとで御質問があればお答えいたしますが、私の見通しといたしましては、このまま推移してまいりますと、たとえば、きのうのPCBでございますか、あれの委員会でもございましたように、おそらく膨大な難病群あるいは難病予備軍、そういうようなものが今後発生していくことが考えられるといたしますと、それに対して強力な政治とか、あるいは行政というものが、それに対応してやりませんと、結局膨大な難病あるいは難病予備軍というものの群れによって、わが国の将来というのは一体どうなるだろうというようなことを、私自身としては非常に暗い気持ちにならざるを得ないわけでございます。  以上でございます。(拍手
  10. 森山欽司

    森山委員長 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。     —————————————
  11. 森山欽司

    森山委員長 質疑の申し出があります。順次これを許します。古寺宏君。
  12. 古寺宏

    ○古寺委員 本日は、難病に対して非常に御貢献をくだすっている先生方に御出席をいただきまして、衷心より厚くお礼を申し上げる次第でございます。  私に与えられた時間は十分でございますので、最初に清水先生にお尋ねを申し上げたいと思いますが、先ほどわが国のベーチェット氏病の研究体制についての先生の御意見がございましたが、今後ベーチェット氏病の研究体制として、先生の御構想として、どういうようにしたらいいと先生はお考えになっていらっしゃるのか。  また、もう一つは、国立視力障害センターの問題につきましては、私どももいろいろと問題があることは知っているわけでございますが、今後この国立視力障害センターの充実とともに中間センターの設置ということが非常に強く要望されておりますが、こういう点について、先生の御意見を承りたいと思います。
  13. 清水保

    清水参考人 お答えいたします。  私は、ベーチェット病に関しては、研究体制は、先ほど申し上げましたように、ベーチェット病は全身病でございます。関連する臨床各科は非常に広いのでございます。でございますから、ベーチェット病の関連する、まず臨床各科と申しますと、内科、神経内科、皮膚科、眼科、口腔外科、産婦人科、そういうふうな臨床領域の研究者が必要でございますが、いままでは大体臨床の人がおもでございますが、ほんとうに一病を研究するためには、いろいろな面でアプローチしていかなければなりませんので、やはり疫学者も必要でございますし、微生物学者も必要でございます。病理学者も必要でございます。わが国においてベーチェット病と真剣に取り組んでおる研究者は、りょうりょうたるものでございますけれども研究のベテランは幾らもおるわけでございますから、そういう基礎、臨床の各科の広い研究者を網羅して、そして強力な研究体制を組むことがいいと思います。またそれを裏づけするだけの国家的な予算的な配慮をしていただきたいというふうに考えております。  それから盲人の、国立視力障害センターの問題が出ましたが、一般にわが国の盲人に対する擁護は、諸外国に比べて非常に劣っております。盲人の、中途失明者の生きる道は、御承知のようにはり、きゅう、あんま、マッサージぐらいしかないわけでございますが、こういうふうに中途失明者、特に二十歳代、三十歳代で失明した方は、かなりインテリジェンスのある方でございます。ですから、はり、きゅう、あんま、マッサージだけでなくて、もっとほかに聴覚を利用した盲人の生きる道というものをリハリビリテーションの中に組み込んでいただきたい。  それから中間施設の御質問がございましたが、確かにベチェット病は非常に長く続きまして、先ほど申し上げましたように、失明しても、なおかついろいろほかに炎症症状が全身的に出没する場合が多いのでございます。ですから、リハビリテーション施設に入る前に医療を併置した中間的なリハビリテーション施設というものがなければいけないと思います。わが国のいまの国立視力障害センターには医療面は全く皆無にひとしいというふうに感じております。
  14. 古寺宏

    ○古寺委員 次に、沖中先生にお尋ねしたいのですが、先生は筋ジストロフィーの権威者として有名でございますが、筋ジストロフィーの現在の研究の段階、さらにまた治療法の関発等についてはどういうふうになっているのかお伺いしたいと思います。
  15. 沖中重雄

    沖中参考人 いまの御質問にお答えいたします。  筋ジストロフィー症というのは、これはもちろん昔から世界的に問題になっておる、原因がはっきりしない、治療法も確立していないむずかしい病気でございます。世界の学者が研究しておりまして、日本も、この研究には、世界の中では研究に関与しておる、力を注いでいる幾つかの国の一つであります。それで、これのこまかい点は申し上げられませんが、原因がまだわかっていないのですが、日本では現在厚生省の御配慮で、それからこういう患者さんが集まった協会がございます。そういう方々の非常な熱望もあり、おそらく大きな力になっていると思いますが、筋ジストロフィーの研究ができておりまして、これは四十三年にスタートしております。四十三年、四十四年、四十五年それから四十六年度まで現在続いて、これから四十七年度に入ろうとしておりますが、日本としはかなり大型の研究費が出まして、二千万から三千万くらいでございます。班員は全国のこの方面専門家が十五人ないし十七人ぐらいおりまして、研究体制はかなりよくできております。  そして現在の段階では原因の解明ということにもちろん一番重きを置いて、それから治療というものに結びつけながらやっているわけですが、やはりこの病気は非常にむずかしいものですから、筋肉の非常に微細な生化学的なあるいは電子顕微鏡的なレベルでの、分子レベルと申しますか、そういった段階での、そういうレベルでの正常な筋肉がどういう仕組みになっているかということがかなり深く追求されております。そしてそれがわかってくると、なぜそれが筋ジストロフィーのような筋の病気になっていくかということにつながってくるわけですね。そういうことで、そういうところに非常に力が注がれております。もちろん患者さんを介してのあらゆる面でのできる範囲の治療は行なっております。しかし何といっても、まだはっきりした原因が解明されておりませんので、非常に的確な治療法が生まれたと、私はまだ考えておりませんが、日本ではこの方面研究者は非常に優秀で、世界的にも注目されております。  たとえば先般学士院の恩賜賞をもらわれました江橋節郎教授なども、この方面では、そういう学者でありますが、筋肉のそういう分子レベルでの機構の解明に非常に大きな研究をされまして、同時にそれをやっておる段階で筋ジストロフィーの診断法としてクレアチンホスホカイネースという特殊な酵素が、この病気では血清の中にふえてくるということを、これは世界で初めて発見して、この病気の的確な診断法の上で非常に大きな仕事をされました。これも、基礎的な研究をなさっている段階で病人の血清に異常に酵素が多くなっているということを見つけたわけです。そういうことで、この方面では大きな寄与を日本の学者はしていると思います。  しかし、いま申しましたように、原因の解明ということについては、まだ非常にむずかしい問題が残っておりまして、世界的なレベルでやっております。ことに日本では非常に力を入れているわけでございますけれども、今後一そうこの研究班はエネルギーを注いで、この原因の解明に進まなければなりません。そういう意味ではこの研究班はいろいろな国家的な研究費などの面での御支援を得て、何とかこの原因を解明したいと、みんな班員は考えております。  それから治療の面ですが、非常にむずかしいと申しましたが、治療の面で特に力を入れておる学者もございます。そういう方の御研究はなかなかりっぱな成果が出つつありますけれども、私、長くこの方面研究にも関係しておりますが、まだこの病人の方のすべての人が的確によくなるというところまではちょっと達していないんじゃないか。しかしながら研究はかなりいいほうに進んでおるということだけは言えると思います。そういう段階でございます。
  16. 古寺宏

    ○古寺委員 どうもありがとうございました。
  17. 森山欽司

    森山委員長 次に、山本政弘君。
  18. 山本政弘

    山本(政)委員 いま四人の参考人の方からお話をお伺いしたのですけれども、話を聞いておりますと、つまり何か日本の厚生省といいますか、そういう政府の難病対策そのものが実は病んでおるんではないかという感じがするわけです。これは研究費の問題あるいは患者の問題、そういうものを考えますので、そういう感じがするわけですけれども、まず白木参考人にお伺いいたしたいのでありますれけども、過日サリドマイドの調査が、費用あるいは時間の関係で厚生省が調査を取りやめたということがございました。あるいはその厚生省の調査と、それから研究者調査につきましても、患者数についても研究者の推定患者数のほうが厚生省の報告の実数よりも多いというようなことも聞いております。これは病気に対する認識の差だというふうにも思うわけですけれども、一体どういう点に原因があるのか、その辺をどのようにお考えなのか、まずその点をお伺いしたいと思います。
  19. 白木博次

    白木参考人 ちょっとむずかしい質問で、すぐお答えできるかどうかわかりませんが、私、その点についてはたとえば水俣病のことを思うわけでございます。水俣病の研究の初期の段階で患者数が非常に少なかったわけでありますが、それがその後だんだんだんだん拡大している。そして予想をはるかに上回って五十倍から百倍くらいになろうとしている。そういうことがどうして起こったかというようなことも関連して、これは学問的な立場と、先ほど厚生省とお話しございましたけれども、まず私は学問的に申し上げたいと思うわけでございます。  一人の病気、だれが見ましてもはっきり病気とわかる、水俣病で脳がやられて、そしてはっきりした神経の症状を出している、そういう患者が一人いるときには、その背後に必ず五十倍、百倍あるいは千倍の非定型的な——定型的な患者ではない、あるいは定型的でもないけれども、からだの中にメチル水銀がふえている、だが発病していない。そういう患者さん、いわゆる潜在性の患者さんと申しますか不顕性、外にあらわれない中毒というものの数は、一人の患者に対して千名あるいはそれ以上ある、そういうのがあらゆる病気実態であろうと思います。たとえば日本脳炎がはやる、一人のはっきりした子供が日本脳炎にかかって脳の症状を出しているというときに、夏かぜくらいの症状を出しているけれどもあとで血清で調べてみますと、五百人から千人の子供が、病気はそれほど自覚してないけれども明らかに病気にかかっている、そういう現実があるわけでございます。  ですから、したがってまず学者自身、医学者自身が一つ病気を把握していきますときに、いつもそのような頭がないと氷山の海面に出ております、ある一角だけをつかんでしまう、そういうところから、こういう混乱が出てくると思うわけです。おそらくスモンの場合といえども同じようなことが言えるわけでありまして、はっきりしたスモン患者さんがもしここに一万いるとするならば、非定型的な患者さん、あるいはキノホルムが入ったけれども、まあまあはっきりした形で、スモンのいわゆる神経的な症状を出していない患者さんというのは、それよりはるかに多い、これが実態だと思います。ですから、まず学者自身がそのような考え方を持つということが重要ですし、それに対応する行政もそのような視点で患者把握につとめるということが重要であって、それができなかった段階でそのような数の差が出たんだ、そんなふうに私は考えております。
  20. 山本政弘

    山本(政)委員 つまりいままでの特定疾患について社会問題になった、あるいはマスコミが騒いだ、そういうことで実は厚生省が予算をつけたというようなことはしばしばあったんではないかというような感じがするわけです。つまりそういう意味では、そうしてつけた予算が結局は、たくさんある特定疾患の、今度は研究とか治療のぶんどりとかいうことになってきている、そういうような実は気がするわけで、特定疾患に対する発想の転換というものが、やはり必要になってきているのではないだろうか。  そこで、いま清水先生がおっしゃったような実はセンターというものが必要であるとかいうようなことにも出てくるのだろうと思いますけれども研究治療というふうなセンター、それともう一つは、要するにそういう面から考えて行政上の一元化というものが考えられる。ですけれども、そういう点について率直にひとつお伺いしたいのは、たとえばセンターをつくるということは一つの発想であると思いますが、行政上について皆さんがもし意見あるいは不満でもけっこうでございますが、お持ちであればお伺いしたいのであります。その点について清水先生と、それから甲野先生、お二人の簡単でけっこうでございますから御意見を聞かしていただきたい。
  21. 清水保

    清水参考人 お答えいたしますが、わが国の行政当局、厚生当局が、マスコミが取上げたからこれに対して、特定の難病に対して幾らかポジティブな姿勢を示したという感じは私は率直にいたします。むしろ国民の福利厚生を担当しておる行政当局のほうはそういうものではなくて、みずからどういう病気がいま大事な病気なのかということは、当然前もっていろいろ統計調査や何かを調べればわかるわけでございますから、たとえば民の声と申しますか、そういうものからマスコミに反映して、そうして受け身になって立ち上がるというようなことでなくて、もっと積極的になっていただきたいというふうに私は思います。
  22. 甲野禮作

    甲野参考人 私も大体清水先生の言われたとで尽きておるのでございますが、スモンを例にとりますと、やはり世間が騒いだときに研究費がついて、それが少し静まるとなくなってしまうという歴史があったわけでございまして、今後はそういうことはないと思いますけれども、やはりこういう何が重要であるかという問題を不断に討議する。そういう場がたとえば英国でありますと、英国医学研究会議と申しますか、そういう機関があって、そこで問題がいろいろ論議され、何が重要であるか、どういうところに研究を指向すべきかというようなことが論議されていると思います。  これは何も英国だけではなくて、アメリカでも、あるいはソ連の医学アカデミー、そういうものでも同じだと思いますが、そういうところに若干欠けていた点があるのではないか。したがって、世間が騒がないと、なかなかき動き出さないという事態が起こったのではないか。学問に基づいた、また社会的な情勢もそこへ考慮に入れた中心になる機関というものが、一つのリーダーシップをとるということが必要なのだというふうに思います。
  23. 山本政弘

    山本(政)委員 時間が二十分だそうですから、あれしますが、先ほどのお話ではありませんけれども、つまり長期的な展望を持った対策と、それから短期的な展望を持った対策、こういうものが必要であろうというお話もありました。ただ、非常に差し迫った問題で、これは短期的というよりか差し迫った問題として、たとえば特定疾患、私よく存じませんけれども、ジストロフィーなんかの場合でも、在宅の患者対策というものに対して非常に苦慮しているという話をよく患者方々からお伺いをするわけでありますけれども、それに対して端的に、一体何が一番ほしいんだ、このことをひとつ沖中先生のほうからお伺いしたいと思います。
  24. 沖中重雄

    沖中参考人 在宅と申しますと、おそらく病気が重くて病院なり適切なる医療施設にかかれないという場合もあるでしょうし、また経済的な面で、そういう方ですね。これは先ほどからお話が出ておりますように、たいへん大切な問題であり、むずかしい問題であろうかと思いますが、一般の医療体系でやはり個々の患者さんとの接触の一番多いのは実地医家の方々なんです。そういうお方を通じてもちろん対策が立てられることが一番よろしいかと思いますけれども、そういう機構では十分な医療の恩恵が受けられないということもありましょうから、やはり社会的なあるいは国家的な観点に立って、そういう病人の方が医学的にもあるいは経済的にも医療が受けられるような、そういう施設がふえることが一番大事ではないかと思うのですが、そういう点で確かにおくれている点があるんじゃないかと思いますので、やはり社会的な観点、医学的な観点から、十分な医療が受けられるような機構に持っていっていただきたいと私は考えます。
  25. 山本政弘

    山本(政)委員 特定疾患に対しては非常に病原がはっきり突きとめられて原因がわかって、そうしてそれに対して対応する治療方法というものが発見された場合は別でありますけれども、まだそういうものが究明をされないものもあると思うのです。その場合に、たとえばそういう申し上げ方は、あるいは非常に失礼になるかもわかりませんけれども研究所の運営からは、やはりある意味の試行錯誤というものがあり得るんじゃないだろうかという気が実はするわけですね。その場合に、たとえば一つの薬を使う、これは非常に具体的な問題になりますけれども、そうするとその薬が実は健保に適用がないなんという場合があるのかどうなのか、その点お伺いしたいのですけれども、どなたでもけっこうです。
  26. 清水保

    清水参考人 お答えいたします。  たとえば私の研究しておるベーチェット病については、確かにそういうことはあり得るわけでございます。この患者にはこの薬を使ってみようという場合に、それは健保の適用外である。そうすると、それは患者の個人負担になるか健保では削られてしまう。医学治療研究は——ちょっとわき道にそれるようでございますが、ベーチェットのように、まだ真の原因が解明されていない病気研究は基礎的な病気原因究明と並行して同時に治療研究をやらなければならぬわけでございます。たとえばガンでもほんとうの原因はわかっておりませんのですが、ガンの治療法はガン研究によって進んでおります。ですから、こういうベーチェットのような難病でもそういうことは必要でございますが、保険に縛られますと、どうもやはりそういうところは非常に困難でございます。ですから、そういう場合にやはり公費で配慮していただきたいというふうに思います。
  27. 山本政弘

    山本(政)委員 せんだって難病の人たちがたくさんお集りになったときに、その話をしたのですけれども、厚生省のほうは健保を適用しておりますという話だたっが、私はそういう点確認をしたかったのでお伺いしたわけです。  それじゃ最後に、そういう患者方々から、難病あるいは特定疾患と、どう使ったほうがいいか知りませんけれども、そういうものに対する対策基本法をつくってほしい、こういう要望が出ておるわけであります。私、思い出すのですけれども、身体障害者基本法というものが先年つくられたことがあります。しかし、それは具体的な裏づけがないと、実際は基本法というものに終わってしまうという感じがする。とすれば、まあそういうたとえば難病対策基本法というものがつくられた場合ですら、具体的な裏づけがない場合には、それが一つの文言として終わってしまうということになりかねない。そうするとそういうことに対して立法するということには当然具体的な裏づけが必要でありますけれども、現状としては率直に申し上げてなかなか困難ではないかと感じます。にもかかわらず、やはり難病対策基本法というものをつくるべきかという研究者としてのお考えをひとつぜひ聞かしていただきたいのが第一点、これは甲野先生からお答えいただきたいと思います。  それからもう一つ白木先生のお話だったと思いますが、長期的な対策と短期的な対策というものが必要だというふうにお伺いしたわけであります。しかし現状ではそういうことができないとするならば、やはりそこに行政上の一元化した、どこかでそういうものを、要するに長期的な展望を持ち、同時に当面する問題に対してはどうするかという、一元化したものが必要だと思うのであります。かつて児童手当準備室というのができ、児童手当というものが実現できたということがある。こういうものについても難病対策本部というかあるいは難病対策室というか、特定疾患対策室というのを私はつくったほうがいいと思うのです。これは御異存がないと思うのですけれども、行政上の問題として、行政的にそういうものを一元化するということについて、何か御希望なり御意見があれば聞かせていただきたいと思います。どなたでもけっこうでございますから……。  つまり研究者としては遅々として進まぬというので何か歯がゆい気持ちをお持ちになっていると思うのですよ。それは研究費の問題でもそうでしょう。制度をつくれといえばそれはことはとしては簡単に済む問題であります。しかし当面、さしあたって行政上このことをしてほしいということがおありになるのじゃないか、そのためにはこういうものが必要ではないかという御発想がもしあれば聞かしていただきたいと思います。
  28. 甲野禮作

    甲野参考人 御指名を受けたので一言申し上げますけれども、私、行政のことはあまりよくわかりませんのでお答えになるかどうかわかりませんが、原則的には、そういう特定疾患対策基本法というものもけっこうだろうと思うのですけれども、さっき最初に私がちょっと申し上げましたように、ある法律ができてしまうと、そこへ、では特定疾患というのは何を入れるかということが入ってくるのじゃないか、そうしますと、それに入ったものは取り上げるが、そうでない新しくできた疾患をそこにまた加えていくというのは非常にむずかしいのじゃないか、そういうような点で若干そういうものの効果に疑義のあるような気がいたします。たとえば現実に伝染病予防法という明治三十年にできた法律で法定伝染病がきまっているわけですが、その十一種の法定伝染病以外の伝染病は、つまり伝染病とは認められないというような現象が起こっておるわけです。それがいままず続いておるわけであります。いまこれを改正するという機運になっておりますけれども、そういうことが起こらないようなことであれば、特定疾患の基本法というものもけっこうかと思います。
  29. 白木博次

    白木参考人 私、先ほどそういうものを含めて申し上げたので繰り返しになるかもしれませんが、厚生省に難病対策室ができることは賛成でございます。そうして難病対策室の中でいま御質問ございましたようなことを、むしろ基本的に議論するということが非常に重要であろう、そう思うわけです。そのことを含めた難病対策室であるというふうに私は理解したいと思います。  結局、私は、難病基本法というようなものができて、いま甲野先生のお話のように、そこに入るために非常な努力をしなければならぬというようなことになってはまずいのであって、難病というのは今後形も変わりましょうし、次々にいろいろなものが出てくるでしょうし、それから私が申し上げましたように、難病というのは医学そのものであって、第五の医学でございます。ですから、基本的には医療基本法の中に本質的には入らなければならないものだと思います。しかし、それは非常に時間がかかる、それはたいへんである、それもわかると思います。ですから、やはりそれに対する応急処置は公費負担、つまり医療と、それから生活保障というものを含めた上での公費負担という面でまずカバーしていただきたいというふうに考えるわけです。  そうして医療基本法というものができても、それが予算が伴い、実践力がないと問題なんであって、それを何とかそういうふうなものに持っていっていただかなければならないわけです。もし医療基本法というものが一歩前進であるといたしましても、その前提には、それは将来どうしても第五の医学というものの中に統合される、これは重症心身障害とか心身障害もやはり同じだと思うのですけれども、そういう前提があって、いずれはそこにきちっと統合されるという前提で、それがもしかりに一歩前進であるならば、私はそれでもかまわないと思いますが、それが非常にセクト的になりますと、たいへんまずいことになると思います。何よりも公費負担をやっていただきたい、そう思います。
  30. 山本政弘

    山本(政)委員 最後に一点だけお伺いしたいのですが、実はせんだってジストロフィーの患者さんがお見えになっておったのです。  ジストロフィーの研究というものは少しずつ進んできておるというお話もお伺いいたしましたけれども、実は、たとえばある区におきまして、かぜか何かを引いて、あるいはたんがのどに詰まったというような場合に、たとえば大きな病院、大学の病院とか、あるいは国立の病院に行くような距離にあればいいと言うのですね。しかし、急にたんが詰まったというようなときに、町のお医者さんにすぐかかるような——日にちによってはお医者さんがおらぬというような場合がある。たとえば日曜の場合なんか、いま東京ですら無医地区というようなものがある可能性があるわけです。そういうことを一つ訴えられておった。  もう一つは、特定疾患に対する一般の民間の診療所の方々のそういう研究というものが——医者を決して批判するわけではありませんけれども、やはり研究をしておらぬ方がある。そういう場合に、ジストロフィーのお子さん自身、自分自身が不治の病だということを知っておるというのです。そして長期間の、進行しないというような注射を打ってもらいながら、半年ぐらいとかあるいは四カ月たったときに、坊や、もうだいぶよくなっただろう、こう言うというのですね。ところが本人は、それは進行をとどめておるというようなことであって、決して自分の病気がよくならぬということを知っておるというのですね。そういう場合にそういう発言をされると、親として非常につらいし、子供自身もやはりそういうことで非常にショックを受けておるということがあると思うのです。  とするならば、やはりそういうことに対する、つまり特定疾患に対する知識というものを、要するに診療所のお医者さん方に幾らかでも得ていただかなけれ、ばならぬ問題があるのじゃないだろうか。これはスモンにしろ、あるいはベーチェットにしろ、あるいはジストロフィーにしろ、同じだと思うのですね。そういうことに対して、そういう知識に欠けておると言ったらたいへん失礼ですけれども、まだまだそういう知識が吸収されておらぬというか、研究をしておらぬというお医者がたくさんおると思うのです。とすれば、一体そういう特定疾患患者さんは大きな病院に行くようなひまもなければ時間もない。あるいは経済的な問題もあるかもしれませんけれども、とにかく近くのお医者さんにたよる以外にないというケースが間々あるだろうと思うのです。そういう場合に、そういうふうな態度でお医者さんにやられては困るだろうし、もっと知識というものを研究者としてひとつ得ていただきたいという気持ちが私はするわけであります。  とすると、それに対する方途というものを一体どうやればいいのだろうか、私自身実はそれに対する答案ができないわけであります。そうすると、結局どのようにしたら実はそういう人たちに特定疾患に対する研究をしてもらえるのかどうか、なかなかむずかしい問題かもわかりませんけれども、これはひとつ、四人の参考人の方のどなたでもけっこうですが、そういうことを間々私は聞くわけですけれども、一体どうすればいいのだろうか、この辺を考え方としてお聞かせいただければたいへんありがたいと思うのです。私の最後の質問であります。
  31. 清水保

    清水参考人 たいへんむずかしい御質問でございますが、実際面にはそういうことは間々起こり得ることでございます。それで筋ジストロフィーにいたしましても、スモンにいたしましても、ベーチェットにいたしましても、実際患者さんに接する機会の一番多いのは第一線の先生方でございますが、まだこういう疾患に対する認識が不十分なわけでございます。ですから私は、そういうものに対する医学的な啓蒙が非常に必要だと思うのでございます。  で、先ほどの御質問と関係があるのでございますが、特定疾患対策室というのが厚生省の中にできるということ、私は非常にけっこうなことだと思うのでございますが、この場合に全国的に、ベーチェットに限って申しますれば実在患者数を、実態調査をやってほしい。先ほどもお話がございましたけれども、家庭で寝たままで、そして医療も受けられないでいる患者が、潜在患者でございますが、それが何名もおる、おそらくそういうことが想像されますが、厚生省の企画室は全国実態調査をまず実施して、患者の数を明確に把握する最も有効な方法をこれから考えていただきたい。  その際に調査に当たるのは、厚生省を通して全国の——各都道府県のお役所がございますね、保健所なり、そういうのを通して、また末端の先生方のところまでそういうものの実態調査の用紙を配布するわけでございますが、その機会にその病気についての診断基準なり症状なり、それから応急の対処をする処置を同時にお配りする、そのほうが能率的ではないか、そういうふうに考えます。
  32. 山本政弘

    山本(政)委員 ありがとうございました。
  33. 白木博次

    白木参考人 私、その問題は筋ジストロフィーだけじゃなくて、あらゆる病気について言えることだ、そう思うわけです。端的に申しますと、まず実地医療と公的医療機関の連携というものができていないということだと思うのですけれども、結局実地医家の方は、あらゆる公的病院に対してセミオープンというような形でつながっていなければならないということが第一点でございます。  それからお医者さん、実地医家に対する再教育という問題は、公的医療機関がそれをになわなけれ、ばならないということであるならば、やはり公的医療機関の規模が一体どういう実態にあるのか、そういうことを考えなければ、この問題は片づかないわけでございます。つまり、公的医療機関のほうに十分なそういうお医者さんの再教育、実地医家の再教育をやるような病院なり施設なり予算なりがつけられているかどうか、そういうような問題にもからまってくるわけです。端的に申しますと、アメリカの教育研究病院、公的医療機関は、一ベッドに対して六人の従業員が確保されている。つまり千ベッドあれば六千人の従業員がいる。ヨーロッパでも一対二か一対三である。それに対して日本の公的医療機関というのは、東大が最高といわれておりますが、一対一・三八である。厚生省の国立病院は平均して一対〇・五である。こういうようなことでは、とうていいま御質問のような連携をとることができない。そのような貧弱な公的医療機関であっては、いまのような問題は片づかないという一番基本があるわけでございます。
  34. 山本政弘

    山本(政)委員 どうもありがとうございました。
  35. 森山欽司

    森山委員長 次に、山田太郎君。   〔委員長退席、橋本(龍)委員長代理着席〕
  36. 山田太郎

    山田(太)委員 きょうはお忙しいところを四方の先生方に御足労いただきまして、まず厚く御礼を申し上げておきたいと思います。  そこで、諸先生方から、この難病の問題についてそれぞれ、ことに研究していらしゃるスモン、ベーチェット、あるいは筋ジストロフィーを中心として、難病に対するお考えをお伺いしたわけでございますが、これからの対策なりあるいは施策なりを推進する上から、きょうの委員会が非常に価値あるものであったと、いままででさえも私はそう考えております。  そこで、先ほどお話のありましたこの難病治療費あるいは研究費等々の問題についても、医療制度あるいは福祉制度というものが確立しておりさえすれば、あるいはまた医学の中の第五の医学として取り上げていくならば、難病対策室あるいは特定疾患対策室というふうな問題だって、当然その中に包含されて解決されるべき問題であろうというふうな御意見だったと思います、総括的に申し上げますと。  私に与えられた時間は二十分でございますので、まず数点にわたって、具体的な問題も取り上げながらお伺いしておきたいと思います。  そこで、まず甲野先生にお伺いしたいと思います。スモンの場合でございますが、現在訴訟問題が起きまして、第五次訴訟まで五百七十一名の方方が訴訟に踏み切っていらっしゃるわけです。そういうわけから、まず、医者の方々がカルテの提出をしぶるという意味もよくわかります。したがって、先ほどのお話の中にありました、スモンに対する認定機関というものをどうしても設定しなければならぬ。それについては、カルテがなくてもその診断はできるというふうなお話であったと思いますが、まずその点について、どのような体制でやっていかれようとするか。当然スモン調査研究協議会にはかられることでございますが、また、きょうお昼から会議があるとも伺っておりますが、その点も踏まえてお伺いしておきたいことと、それからもう一点は、特定疾患対策室という名前あるいは特定疾患というものの定義について、当然これは厚生省当局が考えることであろうとも、やはり参考人のお一人といたしましてどのような定義というものを考えられるか、その点をまずお伺いしておきたいと思います。
  37. 甲野禮作

    甲野参考人 お答えいたします。  スモン患者のいわゆる認定機関でございますけれども、これはやはり厚生省当局といろいろお話し合いをしてきまっていくことと思うわけでございますが、現在各都道府県にそれぞれスモン対策協議会というものがございます。その地方の大学の神経内科あるいは内科、それから大学がないところでありますと公的な大病院あたりを中心にした医師の集まりがございまして、そこでいろいろその県独特の対策をいままで協議してきたわけでありますが、今後はそういうものが中心になって各都道府県単位で認定機関というものをきめていくことができるのではなかろうか、こういうふうに考えられます。先ほど白木教授もちょっと触れられましたように、現在ある程度症状のある方につきましては、たとえカルテがなくても、その疾患スモンであるということを診断することはそう困難ではないし、それのできる臨床家というものは対策協議会を中心として全国におられますので、可能であるというふうに思います。  それから第二の御質問の特定疾患の定義ということ、これはたいへんむずかしい問題で何ともちょっとお答えできないのでありますが、まあ私が申したいことは、先ほどしばしば申したように、あまりワクをきめてしまって、そこにあがった疾患だけがそういう特別な扱いを受けるというようなことでは困るのじゃなかろうか。それからもう一つは、ちょっと矛盾するようですけれども、そのために今度は何でもかんでもそこに入れてしまいますと、特に研究の面では研究費の面、人の面で集中力が欠ける面が出てくるので、問題の解決にマイナスの面が出てきやしないかというふうに考えます。これはちょっと定義ということにはならないかもしれませんけれども、私の現在の感想でございます。
  38. 山田太郎

    山田(太)委員 やはり特定疾患といいますとなかなか定義もつけにくいことでありましょうし、また特定疾患ということによって何でもかんでもむずかしい病気を全部これに入れればいいというような考えになっても希釈されて困る。ことに、研究の面において非常に不十分になるのじゃないか。そういうことから考えまして、現在行なわれんとしております特定疾患対策室のやり方の中で、やはり治療費というものをある程度カバーする治療研究費あるいは治療研究という問題と、それから純粋に医学的な研究というものとが混在しているということが現状でございます。その点は分けられなければならないのじゃなかろうかと私なりに思うわけでございますが、その点についてのお考えを、お一人だけでなく、これは大事なことでございますのでお伺いしておきたいと思います。
  39. 甲野禮作

    甲野参考人 この点につきましては、先ほど私もちょっと触れたのでございますけれども、これは分けていただくことができますればやはり分けていただきたい。つまり治療あるいは対策ということになると、研究自体よりはさらにお金がたくさん要るわけでございますし、そういうものが結局研究費という形で入ってまいりますと、たとえばスモン調査研究協議会の事務的なところが非常に膨大にそっちに食われてしまって、そして研究のところに集中する力がそれだけマイナスが出てくる。ですから十分な患者さんの援護をやるためにも、それには十分なお金、膨大なお金をつけていただく。そうしますと、これは研究者の片手間でやれるようなことではございませんので、これと研究とはやはり分けていただきたいと思います。
  40. 山田太郎

    山田(太)委員 大切な御意見をいただきまして……。ほかの先生方もひとつ、御意見がありましたらお願いしたいと思います。
  41. 清水保

    清水参考人 私もただいまの問題については甲野先生とほぼ同意見でございます。特定疾患の定義というのはかなりむずかしい問題でございまして、どういう疾患特定疾患に組み入れるかということになりますと、へたをすると非常な混乱が起こりがちになりますが、先ほど甲野先生の申しましたように、何もかにも特定疾患に入れてしまいますと、非常に研究費予算が薄められてしまいまして、研究面でも治療面でも非常に非能率的になってしまう。その点を警戒してかからなければいかぬと思います。  それから、確かに治療研究費病因究明、そういうものの研究費とははっきりお分けになったほうがいいと思います。それについては甲野先生と全く同じ意見でございます。
  42. 沖中重雄

    沖中参考人 大体いまお二人の方の御発言に趣旨として賛成でございますが、いま治療研究ということに分けるというお話でございました。これは原則的にそれがいいと思いますが、やはり治療も医者がやるわけですね。そのほかの社会福祉的なお金もあるでしょうけれども。それから、研究ももちろん医師がおもにやるわけです、ほかの方も入りますけれども。その間の連携だけはよくやっていただかないと困る。治療だけで独走してもいけないし、研究だけで独走してもいけない。私の体験から、研究費とかそういうものはごちゃごちゃにしないほうが確かにいいです。十分に究研に必要なものは投入する。患者さんの福祉に必要なものは十分に投入する。ですけれども治療というものもやはり基礎的な研究というものの裏づけがおそらく必要だと思うのです。そういうものから育っていく可能性が多いですから。もちろんお二人の方もそういうことは十分御承知の上での御発言だと思いますけれども両方がよく連携してやって、そしていま言ったような、研究費の使い方にむだのないようにやっていただきたい、こういうことであります。
  43. 山田太郎

    山田(太)委員 白木先生の先ほどのお話に、やはり公的負担あるいは公的医療機関というふうなお考え——第五の医学に入れると同時に、そういう考えというもの、当然不採算医療の問題だとは思うのでありますが、その点についても、いまの問題とかねあわせてひとつどのような御構想なりお考えがあるか、お伺いいたしておきたいと思います。
  44. 白木博次

    白木参考人 本質的にお答えすれば一時間でも二時間でもかかるわけでございますけれども、私は公的医療機関——まあ医療には私的も公的もないと思います。医療の内容が私的だからこうで、公的でこうだということはありませんが、公的医療機関という以上はやはり何としても不採算にならざるを得ないというふうに思うわけです。先ほど保険点数云々の話がございましたけれども、保険点数に載っていない新しい治療というものをやる場合にでも、不採算医療というものが前提であれば、それができるわけでございます。そういうものは、しかし公的医療機関でなければ私はできないであろうと思う。そういう意味でも公的医療機関というものが不採算という前提に立てば、いま言ったような保険点数に載らないものもできるし、それから公的医療機関は先ほど——私また繰り返しになりますが、たとえば実地医家の再教育をやるということであるならばやはり教育ということが出てくるわけですし、それから臨床をやっているということは当然研究に連なるというような、先ほどの沖中先生お話があれば、やはりそういう公的医療機関の中には研究という要素がある。もちろん、いい診療を提供するのが一番前提でありますけれども、公的医療機関でいい診療を提供するという裏には必ず教育と研究があるということを考えました場合には、その面だけはどうしても赤字にならざるを得ないわけです。しかし、赤字になるということそれ自体が、公的医療機関としては当然のことである。その辺のところがあまりはっきりしていないのではなかろうか。そのことがこういう難病、特殊疾患というものの究明治療を妨げているというふうに私は思わざるを得ないわけでございます。  もう少し言わせていただきますと、医療というものは、あるいは医学というものは、これは教育予算と同じように考えていただきたいということです。つまり教育に収支バランスはないわけでありまして、教育の黒字というものは、やはり教育に投資された予算でいい人格が形成され、社会に役に立つということがそういうことでありますし、医療の場合は、医療によって早くそれが発見され、そして早く治療され、早く社会に復帰するということであり、あるいは復帰できなくて難病になったならば、それを社会の連帯責任において守っていってやる。そのことが黒字であります。ですから、それが会社、企業のように収支バランスするというものを公的医療機関に押しつけられている限りにおいては、この難病の問題、特殊疾患の問題は絶対に片づかない、そう思います。
  45. 山田太郎

    山田(太)委員 そこで、先ほど甲野先生のお話にございましたのですが、キノホルムスモン原因である。一部、一五%、誤診なりあるいはキノホルム服用を忘れておったり、あるいはその他の要因を含めて、スモン様の症状を起こす薬を服用するという場合もあるということから考えて、この一五%というキノホルムを飲んだ覚えがないというふうな答えを出しているもの、これと、キノホルムスモン原因であるということとの関係は、全く別問題ではないか、こう私は思うわけです。ただ単にキノホルムスモンを助長したというのではない、キノホルム原因であるということが、当然あの発表の中に含まれているのではないか、そういう意味ではないかと思うのですが、その点どうですか。
  46. 甲野禮作

    甲野参考人 お答え申し上げます。  スモン患者診断は、最初にスモン調査研究協議会がスタートいたしましたときにできましたスモン臨床診断指針というものに基づいて行なわれたわけでございます。そのときにはもちろんキノホルムというのはだれも夢にも思わなかったわけでございまして、したがってその診断基準の中にはキノホルムに基づいた考えというものはなかったわけであります。でありますから、それに基づいた診断がされた患者が一〇〇%キノホルムを飲んでおったらむしろおかしいのであって、八五%飲んでおったという事実はむしろ非常に重大である、こういうふうに思うわけです。つまり一五%ないし一〇%というものは、さらに精査をいたしますとそのパーセントを一〇〇に近づけるという実績がございます。しかし、これにも限度がございます。それからまたキノホルムを飲んだことがないといわれていた、幾ら調べても病歴にもその記載もないといわれていた患者さんの血液あるいは尿からキノホルムが検出されたという実例がございます。また解剖例が全国で百四十例ほどございましたが、その中で、全部は調べておりませんが、キノホルムを飲んだことがない、こういう患者さんの臓器の分析で、じん臓とそれから肝臓から五例中二例キノホルムが検出されております。したがいまして、その一五%の内容というものは相当部分がまだ少なくなり得る性質です。サリドマイドの場合などと比べまして、サリドマイドが、レンツの報告ですと、妊娠中に薬を飲んだ人が八〇%、わが国の報告ですと約五〇%ということでございまして、その点と比較いたしましても、八五%という罹病率は非常に高いのじゃないか。ただ先ほど申し上げた診断基準によっている限り、あるいはそれを途中で変えるといろいろ混乱が起こりますので、現在この三年度の段階まではそのままでまいりましたけれども、これによっている限りは、やはり少数の、スモン診断されながらキノホルムと無関係と思われる患者さんが入ってくることはやむを得ない。ですから、今後はスモン調査研究協議会研究の過程におきまして、その診断基準の改定ということが当然問題になってくると考えておりまして、それを今後やっていきたい、こういうふうに思っております。
  47. 山田太郎

    山田(太)委員 スモン原因はほとんどキノホルムとして断定的であるというお話、よくわかりました。また当然これからの過程におきまして、キノホルム原因であるということから診断基準も変えていかなければならないと思う、その点もよくわかります。次の対策を進めていく上においても非常に大切なことでございますので、お伺いしておいたわけでございます。  そこで、海外にもやはりスモンの症例が出ておるということを聞いておりますし、当然スモン調査研究協議会で、海外との共同研究あるいは交流、そういうものもなされなければならないのじゃないか、こう思うわけですが、簡単でけっこうですから……。時間の関係がありますので……。
  48. 甲野禮作

    甲野参考人 お答え申し上げます。  海外でも、漸次、キノホルム服用によってスモンないしはスモン様の疾患が起こったという報告が出ておりまして、オーストラリアではすでに論文になって発表されておりますし、それから、ごく最近、私のところにオランダから、八例の患者がいるので報告をするが、その後の状況を知らせてほしいということで、手紙も参りました。それで結局、外国におきましては、そういう外国の学者はもちろん日本の状況を非常に知りたがっております。また日本の側といたしましても、スモンキノホルム関係を今後発病機転という点で詰めていく場合に、一体何ゆえに外国には少なくて日本に多発しているかということの原因を追及する必要があるので、そのためにはぜひ海外との共同研究というような体制が必要になってくると思います。WHOあたりの援助で昨年椿教授が行かれましたが、今後は研究費の面でもそういう部門に使えるように運用できると幸いだ、こう考えております。
  49. 山田太郎

    山田(太)委員 時間があとわずかでございますので、もっとお伺いしたいことがございますが、また次の機会に譲るといたしまして、白木教授にお伺いしたいのでございますが、先ほどの最初の御意見を開陳なさったときに、昨日衆議院においてはPCBの問題を取り上げて、これも大きくクローズアップされておりますが、同時に白木教授は水銀中毒の問題についても非常に御造詣も深いとお開きしております。また近くオーストラリアなりあるいはスイスなり、あるいはそのほかの学界等にも出かけられるような由、風のたよりに聞いておりますが、そういう点も含めて、第三の公害戦争とか、あるいは難病予備軍あるいは次代の国民の将来、現在のわれわれ国民はそういう意味から言えば加害者であり被害者である、ところが、次代の国民に対しては、現在のわれわれが次代の国民に対しての加害者、次代の国民は被害者だというふうなことさえ考えられておるわけでございますが、そういうふうな点もかね合わせて、これからの難病というものの行き先、あるいは見通し、そういうものもあわせて御遠慮なくひとつ御意見を開陳していただきたいと思います。
  50. 白木博次

    白木参考人 お答えいたします。  難病というものをどう考えるかということとからめて私申し上げたいと思うわけですが、難病というのは非常に原因がわからない、治療法もない、それから難治である、なおらない、あるいはもうなおる見込みがない、そういうような疾患としてとらえることはできると思います。そういった場合に、私が難病予備軍とか、あるいは難病軍というふうに申し上げました一つ理由は、いまの日本の環境汚染というものが次の世代に対して非常に大きな影響を与えるのではないのかというようなことについて、次の世代が非常に素質が低下していくというようなことが、もしかりに起こってきたとしたら、これはやはり難病軍そのものでございます。あるいは、そこまでいかなくても、その一歩手前のいわゆる予備軍というようなものが相当大きな数で出てくる可能性があるとするならば、それが起こってしまってからでは時すでにおそいというような意味で、先ほどのような発言をしたわけでございます。  実際問題として、私はことしの八月の末にシドニーで開かれます十二回の国際リハビリテーション学会に参ります。これは世界各国から参ります、おそらく五千名から八千名くらい集まる大きな学会でございますが、この学会のほうから私に対して、こういうテーマでしゃべれという指令が来ておりまして、これはしゃべらざるを得ないわけであります。そのことは、日本の環境汚染ということが次の世代にどのような影響を及ぼすか、そのことについてしゃべれということを言われております。事ほどさように、外国はいま、環境汚染が次の世代にどのような影響を及ぼすか、それについて、起こるとすれば日本がまず最初であろうから、その点についてぜひ知りたいというようなことから、このようなことを私に言ってきたと思います。私としては、これを言うことは日本の恥になることも考えられますけれども、やはり言わざるを得ないと思います。ただし、私は、その証拠が確実にあがっているわけではございませんので、ポシビリティということばを使っております。その可能性についてというようなことでございますが、その問題については、私が手元にしっかりしたいろいろな材料が集まっている点から申しますと、少なくとも水銀というようなものが次の世代に対して一つの影響を与えるというふうに考えざるを得ないと思います。なぜかと申しますと、皆さま御承知かと思いますが、日本人のいまの髪の毛の水銀量は、平均しまして六・五PPMという数字でございます。これは西ドイツ——日本と同じように戦争に完敗し、そうして驚くべき経済成長をやってきた二つの国が全く同じような条件でございますので、それと比較するのが私は適当だと思いますので申し上げますが、西ドイツは〇・一PPMでございます。つまり、日本人は平均して西ドイツよりも六十五倍高い水銀値を示しているということでございます。  それからもう一つのデータは、これは東大の宇井さんあたりが示しておられるデータでありまして、過去十二年間、あらゆる農薬をまいて、その農薬の過去十二年間における一ヘクタール当たりの農薬の蓄積量は、日本は七百三十グラムというふうに計算されておりますし、それから西ドイツは六グラムでございまするから、百三十倍である、それだけ日本は農薬がまき散らされておるということでありまして、したがって、そういう点から申しますと、同じような経済成長をしてまいりましたけれども、この数値の示す背後には何があるかということをわれわれはここで深刻に考えてみないといけないと思うわけでございます。かてて加えて、六・五PPMという数値の中で、その三割から八割がすでにメチル水銀に変わっているという事実がすでに突きとめられている。メチル水銀は御承知のように、これは水俣病の原因でございます。そうだとするならば、大げさなことばを使えば、全国民は、一応潜在性の水俣病になりつつあるというようなこともいえるかと思うわけであります。もちろん、髪の毛が一〇〇PPM以上にならなければ、まあ水俣病にはなりません。ですから、現在、われわれがすぐ水俣病になるなどということは、私は申し上げません。しかし、このメチル水銀が次の世代にどのような影響を及ぼすかということについては、だれも知っていないわけであります。つまり、私が六年前にこの衆議院の特別委員会に呼ばれまして、水銀農薬を禁止せよと言ったときにすでにはっきりしていたことは、佐久の総合病院の若月先生のところの、生まれたばかりの赤ん坊の髪の毛の水銀量は、母親のそれよりも一・二五倍から一・三五倍高いという値でございます。これは、胎児というものはわれわれのように排せつルートを持っておりませんので、たまる率が多いのは当然のことでございます。そしてまた、われわれの実験によりましても、メチル水銀は容易に胎盤を通過して、胎児の神経系に侵入いたします。その代表例がまさに胎児性水俣病でございます。これは、母親は病気を起こしていない、あるいは軽い病気を示しておっても、生まれきた子供はまさに精薄であり、脳性麻痺である。この事実が実際にそれを示していると思うわけでございます。そうだとするならば、これは何もメチル水銀だけの問題でございませんで、あらゆる農薬というもは、私が実験した限りにおていは、どうも胎児に侵入するように考えられます。PCBもそうかもしれません。あるいはそのほかの数千、数百の化学物質というものが加算的な影響を及ぼすとするならば、それはわれわれ自身よりも、むしろ次の世代であるということを、私たちはほんとうに心配いたします。そして、それがもし難病あるいは難病予備軍というような形で、だれの目にもはっきりわかってくるような時点でわれわれが対応しようとしても、時すでにおそいわけでございます。  そういう点から申しまするならば、特定疾患あるいは難病というものを、ある非常に狭い中に閉じ込めながら、それだけで問題を考えていては済まない問題だ、私はそう思うわけでございます。われわれ自身は、確かにたれ流しをやってきたわけでございまするから、われわれは加害者であり被害者である。そして、われわれ自身がその被害を受けるのはやむを得ないといたしましても、次の世代は何の罪もないわけであります。それに対して、われわれが加害者という立場で、次の世代に向かって一方的な被害者に仕立てていくというようなことは、私はとうていしのびないわけであります。確かに、いま現在そういうものは出ていない。出ていない時点であるからこそ、いまここで手を打たない限りにおいては、どうにもならないと思うわけでございます。  そういう意味では、今後この委員会が、やはりこれを契機として、もう少しこういう問題について真剣に取り組んでいただきたい、何回か開いて、基本的に考えていただきたい、そういうふうに思います。
  51. 橋本龍太郎

    ○橋本(龍)委員長代理 本会議の時間がありますし、他の委員の質問がありますから、お締めくくりください。
  52. 山田太郎

    山田(太)委員 時間が参りましたので、もっとたくさんの質問を残しながら、きょうはこれで質問を終わらしていただくわけでございますが、非常に貴重な御意見を拝聴できたことを、厚く御礼申し上げます。どうも御苦労さまでございます。
  53. 橋本龍太郎

    ○橋本(龍)委員長代理 田畑委員
  54. 田畑金光

    ○田畑委員 甲野先生にお尋ねしたいと思うのですが、スモンのことについて、先ほど来いろいろお話がありましたし、質問でも明らかにされたわけでありますが、このキノホルムというのは、そもそも外国で広く使われて非常にいい薬だ、こういうわけで日本に取り入れられた、こう私は沿革的には聞いておるわけです。ところが、スモン病は日本に圧倒的に多くて、ヨーロッパの国々には非常に少ない。先ほどオーストラリアとオランダの例をあげられたわけでありますが、これはどういう理由だと判断すればよろしいのか。この点が一つであります。  承りますと、わが国スモン病が多発したのは、ことに昭和四十年から四十五年の上期に多かった、こう聞いております。昭和四十五年の九月に厚生省が、疑わしきは罰するということでキノホルムの販売をやめさしてから患者発生が激減をした、こう聞いておりますが、四十年から四十五年上期に一番多かった。これは一体何なのか。いろいろ世間では、これも現物給付点数制からくる、キノホルムを連続して多用した、常用量を越えて使用したというところにも一因があるのじゃなかろうか、こういうようなこともいわれておりますが、そのあたりは一体どうなのか。ヨーロッパの国においては、やはりキノホルムというのはいい薬だとして、いまでも使用されておるのかいないのか、この点をひとつ明らかにしていただきたいと思います。  なお、沖中先生からも、そのことについて御意見がありますればお聞かせいただきたいと思います。
  55. 甲野禮作

    甲野参考人 お答えいたします。  外国であまりスモンという病気がなくて日本にある理由は何かという御質問と、それから、年代的に近年急に出てきたというのは何か、この二つだと思いますけれども、外国で多発しなくて日本に多発した理由、これにつきましてはいろいろな考え方がございます。ただし、その真の原因は、いまのところは不明というほかはございません。ただ、幾つかのことがいえますが、一つは、やはり人種的に、この薬に対する抵抗力といいますか感受性といいますか、これに差があるのではなかろうかということがございます。それは実は犬の実験で、人工的にスモンをつくることができるのでありますけれども、その場合に、犬の種類が違いますと薬の量が三倍ぐらい要るわけであります。そういう事実があるので、人種的にもそういうことは起こるのではなかろうかということであります。それからまた、先ほど白木教授も言われたような、他の環境汚染というような要因がいわば補助的な因子として日本人に働いている可能性もあるのではないかと考えられます。また、やはりこの薬が多用されたという事実もあるわけであります。昨年、椿教授、井形教授がヨーロッパを調査してこられました。これは短期間の調査でありますから十分カバーできないのですが、その結果を見ますと、一人当たりの投薬量並びに投与期間は少ないということでございます。  なぜ昭和三十年代ぐらいから多発するようになったかということは、やはりその年代からキノホルムの生産量、輸入量が加速的に増大しておって、そして御承知のように、一昨年発売停止措置をするときには、百七十種以上の整腸剤の中にキノホルムが入っておる。こういうことは世界的にないことでございます。何かその辺から薬の使用の上でエスカレーションが起こったということは考え得るのではないか。少なくともその生産量の増大あるいは輸入量の増大とスモンの増加の関係は矛盾はしないわけであります。それから、御指摘のありましたように、やめたあとで激減したということから申しますと、これはもう明らかにその原因であったと考えざるを得ないということになるかと思います。しかしながら、この原因の解明というのは、今後の問題がまだ非常に残っておりまして、特に先ほども私がお答えしたように、外国との共同研究というようなことを十分やってみませんと、外国と日本との差異というものを最終的に明らかにすることはできないのじゃないか、こう思っております。
  56. 沖中重雄

    沖中参考人 私、特別に発言することはございません。
  57. 田畑金光

    ○田畑委員 時間もありませんので、あと一、二、まとめてお尋ねいたします。  これは甲野先生並びに清水先生、白木先生等から強く指摘された点でありまするが、研究費患者に対する治療援護については別個にすべきだ、まさにそのとおりだと思うのですが、スモン研究費を見ましても、先ほど甲野先生から、一億八千五百万円、この研究費というものはスモン原因探究に成果をあげるに非常に寄与したというお話がございましたけれども、実際また、この予算の中から、この研究費の中から、たとえば昭和四十六年度は四百五十名ですかのスモンの重症患者治療も見ておる。ことしは七百名、こう聞いておりますが、こういうようなこと等については、やはりわが国の厚生行政の中における研究費の占める割合というのが意外に少な過ぎる、こういう感じを受けるわけであります。ことにことしの予算を見ましても、先ほど来議論がありましたように、特定疾患対策室を設けて、総予算五億三千八百万を計上されておりますが、その調査研究費として二億一千万円、一テーマ当たり三千万円あるいは治療研究費としてスモンを含む四疾患について三億一千万、このような予算が計上されておりますが、専門の諸先生方から見たとき、この予算等について御意見があれば承らしていただきたい。  それから第二の質問として、特に私は白木先生の先ほど来のお話を承りまして、今後の医療のあり方として第五の難病奇病についての医学の確立、こういうお話がございましたが、非常に私は傾聴さしていただきました。予防治療、リハビリ、それからさらに健康増進の分野まで医療は進むべきである。さらに、第五の部門として、難病奇病の分野に入るべきである。そのためのいまの医療のあり方等を見ますと、多くの問題点があろうと考えております。お話の中にありましたように、この国会では医療基本法案、それから近く抜本改正についての法律案も出るかと思いますが、すでに社会保障制度審議会はこの抜本改正案について一つ意見を出しております。さらに、お話にありました医療基本法の問題等を見ますならば、医療基本法の中で政府はようやく医療供給体制の問題に取り組もうとしておるわけでありまするが、やはり私は今後のわが国医療の供給をどうするか、公的病院と診療所との関係をどうするか、機能の分化の問題、配置の問題、ことに専門病院、救急病院の整備の問題等々を考えてみますと、わが国のいまの医療行政の中において一番おくれているのはこの供給体制の問題だ、特に専門病院、こういうような病院の整備充実の問題だ、こういうことを考えてみますと、この面から幾多の批判があるいは意見があるかと思いますが、この点について最後白木先生の御意見を承っておきたいと思います。
  58. 清水保

    清水参考人 治療研究費病因研究費合計五億三千万と承っておりますが、これは非常に少ない額だと私は思います。私はお役所のからくりは全然存じませんが、何か十億円ぐらいの予算を厚生省は要求なさったそうでございますけれども、大蔵省はそれだけに削ってしまった。どういう根拠で削られたのか——非常に少ない額であると思います。  それから、この治療研究をいたしますについても、やはり先ほど申し上げたように、患者実態、実数をできるだけ正確に把握しなければ治療研究費をうまく運営することができない。以上でございます。
  59. 白木博次

    白木参考人 難病は、これはつくってはいけないわけであります。出してはいけない。それがもし出れば、先ほど私申し上げましたように、第五の重症医学難病医学としてものすごくばく大な費用がかかるわけです。ですから一番の問題は、こういう難病発生さしてはいけないわけです。あるいは、次の世代に影響を出してはいけないわけでございます。ですから、そこの根元の点を断たない限り、幾ら医療費をつぎ込み、あるいは幾ら医療供給体制をつくり、あるいは研究費をつぎ込んでも、この問題は片づかない。端的にいえば、水銀とか農薬とかあるいはPCB、そういうようなものによって代表されますように、それが膨大な数の難病なり難病予備軍をつくってしまってからでは、時すでにおそいわけであります。ですから、そういった問題について基本的には、私は、医学医療というよりも、もう一つ前の問題のように思われます。その辺のところをよく認識するということが一番基本ではなかろうか。つまり、日本がどのようにGNPを伸ばしましても、結局はそれで自分の足を食ってしまうような、タコ足的なそういう方向で問題が進んでいる限り、この問題は片づかないというふうに思うわけです。そうだといたしますならば、難病予備軍というようなものがはたしてどんどんできておるかどうかというようなことについて、これを研究しようというなら、そんな二億や三億や五億でどうにもなる問題ではない。それが出てだれの目にもわかってしまってからではおそいわけですから、その前段階においてそのような危険性がないかどうかというようなことについて思い切った投資をしなければ何の役にも立たない。つまり国民の健康が守られること、そして健全であるということがやはり国の一番の基本ではないんでしょうか。ですから、そういうことをお考えになるならば、やはりそのものに対してあらゆる基本的な手を打つということが必要でしょうし、そうして、そうなる可能性があるとするならば、それに対するきちっとした研究体制をとらなければいけない。これがやはり国の姿勢であろう、私はそう思うわけです。それだったら数億や十億で済むものではないということだけは申し上げられると思います。
  60. 田畑金光

    ○田畑委員 ありがとうございました。
  61. 橋本龍太郎

    ○橋本(龍)委員長代理 寺前君。
  62. 寺前巖

    寺前委員 本会議の時間も迫っておりますので、せっかくの機会ですが、二点だけお伺いして終わりたいと思います。  いま白木先生が、発生するそもそもの原点で押えなければだめなんだ。私は賛成です。発生する原因に、いろいろ先ほどからもお話がございました。私は、そのうちの一つ、薬の災いの問題についてちょっと聞いてみたい。  それはサリドマイドの場合でも、外国で押えられていたものが日本で押える時期がおくれたじゃないかという問題の指摘があります。あるいはまた、この間うち問題になりましたスモンの場合にしたってキノホルムそのものの、たとえば日本薬局方において怒容量は一日〇・六グラムになっておる。ところがエソテロ・ヴィオフォルムとかエマホルムPなんかの場合、中に入っている量というのはその倍なり三倍なりも入っているじゃないか、一方でそういう薬を許しているではないか、一体どうなっておるのだ。これはしろうと全体がふしぎに思う内容です。そこで薬禍を防ぐために政府としてとる措置は何であったのか、歴史的に考えてのその反省点として今後に生かす問題点としては何かということが一点。  それから第二番目に、今日特定疾患といわれるものが日本だけではなくて、国際的にあると思います。私はしろうとですからわかりませんが、WHOその他の分野においても、特定疾患といわれる疾病がこれだけの種類があるという、現状の一応の段階の分類みたいな一定の調査を国際的にもしておるのではないかと思うのです。そういう種類の分類に基づくならば、日本のその種類の分類は一体どれだけの実態がそれぞれの分野に起こっておるのだろうか。実態を知るということ自身が、調査をすること自身が、対策を打っていく上における重要な問題だと思う。スモンという問題が問題になったらそこへ飛びつく、サリドマイドの問題が出たらそこへ飛びつく、ベーチェットに飛びつくということじゃなくして、現在国際的に問題になっておるものが日本の中でどういう分類があって、その分類分野はどういう実態にあるかということを、きちっとやはり行政機関としてはつかんでいかなければならないと思うのですが、私よくわかりませんので、行政機関が、国際的な分類がどうで、どういうふうに握っているのか、実態を御存じだったら教えていただいて、そしてそれが行なわれていないんだったらこうすべしであるという問題があるならば教えていただきたい。白木先生にひとつお願いしたいと思います。
  63. 白木博次

    白木参考人 最後の御質問からお答えいたしますけれども特定疾患なんということばは国際的にどこにもないわけでして、それぞれの疾患がある。そしてそこが、いろいろな神経疾患とか心臓とかいろいろ分われている、そういう分類は私はあると思います。そしてそれを実態的に、それが原因がわかっていないとか、あるいはなおりにくいとか、そういうようなものについてなら私はあると思いますが、私は日本の場合の特定疾患とかあるいは難病というものは、もう少し実態論的に外国と日本と比べて、日本というものが、そういう外国ではちゃんと医療も保障され、あるいはまた福祉的にも保障されているというものが実質的に言って日本では保障されていない、阻害されている。そのこと自体が日本としてのいわゆる医学的、社会学的な意味での難病という形でとらえない限りこの問題は進まない、私はそういうふうに思います。お答えになったかどうかわかりませんが……。  それから薬その他のことでございますが、これは私、薬事行政のことはよくわかりません。しかし、こういうことは私原則として申せると思います。つまり葉というものを、まず動物実験をやる、そしてそれを臨床に適用していく。動物はもともと、正常な動物についてこの実験を行なうわけでございます。したがって、動物でその致死量とか中毒量とか、そういうものをきめましても、今度はそれを患者さんに適用していく場合には、動物実験のように簡単にいくものではない。むしろ病的な人にお薬を投与するわけでございまするから、動物と違った形の副作用というものが出るはずでございます。したがって新しい薬、まあ古い薬もそうでございまするけれども、そういったものを使う場合には、五年間ぐらいはがっちりやはり薬の副作用というものを、国の責任において、そして十分の費用を出してフォローしていく。そして副作用が出れば、即刻それに対して国の責任において対応する、そういう姿勢が非常に重要ではなかろうか。はたしてそれだけの十分な投資を、そしてまた責任体制をとって、まあ厚生省がおやりになっているかどうか、私は多少疑いの目がございます。そういうような問題が一つ基本として私はあるように思うわけでございます。  もう一つの問題は、やはり医療制度の問題に私はつながると思うのですけれども、やはり現物給付出来高払いというようなところに問題があるわけでございます。そして技術料というものが認められていない。あるいは規定量の薬、あるいは規定量以下の薬、これを出せば十分効果があると思ってお医者さんが出した場合には、これは医者の側の問題があるかもしれませんけれども、むしろ損をするというような、そういうことであってはまずい。やはりそこに技術料というものを認めていれば、規定量以下出しても十分それで効果があるというようなことであるならば、薬害というものは私は出てこないと思うわけです。その辺のところがやはり、低医療政策といえばそういうようなことばで表現できるのではなかろうか。  その次には、薬は出せば出すほどもうかるということであるならば、そこで医者のモラルが崩壊して、そして何となく無意識的に薬を出していく、金はどんどん入ってくるというようなことがあるとするならば、それはやはり医者の責任だ、そういうふうに思わざるを得ないと思いますけれども、基本としてやはりどうも、現物給付出来高払いですか、そして低医療であるというところに基本的な問題があるように私は思えてなりません。
  64. 橋本龍太郎

    ○橋本(龍)委員長代理 これにて参考人に対する質疑は終わりました。  各参考人には、たいへん長時間にわたり貴重な御意見をいただきましたことを心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)      ————◇—————
  65. 橋本龍太郎

    ○橋本(龍)委員長 引き続き、厚生関係基本施策に関する件について質疑を行ないます。田邊誠君。
  66. 田邊誠

    ○田邊委員 時間がおそくなりましたし、また本会議後は参議院の予算の関係もありまして、大臣がお見えでございませんので、きわめて残念でありますが、この際、基本的な論議は別にいたしまして、緊急を要する当面の問題についてだけ御質問いたしますので、ひとつ正確に簡潔に御答弁をいただきたいと思います。  二、三点にしぼってお答えをいただきます。  第一は、現在児童の問題は時代的にも非常に大きな問題になっております。私は、児童の福祉の問題は、児童憲章に定められておるとおり、すべての児童が豊かに生活ができる状態をつくり上げることが、いわば日本国憲法の精神に従った重大なことであろうと思います。たとえばその中で、家庭に恵まれない児童に対しては、これにかわる環境が当然与えられるという精神がその基本に流れていなければなりませんし、あるいはまた、すべての児童は虐待、酷使、放任その他不当な取り扱いから守られるという、この児童憲章の精神というものが私は当然守られてしかるべきだろうと思います。児童権利宣言もまた、それと同じような意味において全世界的にこれが認められておるわけでありまするが、わが国における児童福祉法はこの精神を受けて、国と地方自治体というものがいわば児童に対しては、保護者とともに、心身ともにすこやかに育成するところの責任を負うというふうに明確に規定をいたしております。国と地方自治団体というものが児童の福祉についての責を負うところであるということを明確にしておるわけでございまして、いわばその原理を尊重して法律は具体的なものを規定をしているという形になっておるわけであります。したがって、いかなる場合においても、児童の生命とその安全と、その健全な育成を守るために国と地方自治体はその施策を講じなければならぬ。児童福祉施設というものは、したがってそういう意味合いにおいて多様化するところのいまの児童問題に対して、それに即応する体制をつくらなければならない、こういうように私は思うわけであります。  したがって、施設の設置、その運営というものは、当然いま申し上げたような事態に対応できるところの万全の体制を整えておく必要がある。これはいわば児童福祉法四十五条によるところの、最低基準を定めながらその施設の健全な運営をはかろうとすることにつながってくると思うのであります。ところがこの児童福祉施設を運営するためには、五十条によって公費が支弁をされておりますけれども、これが決して潤沢ではございまん。しかもこの施設の基本的な性格からいって、その施設の定員をすべて充足しておくことは事実上当然困難であると思います。いま申し上げたように、常に入所できるところの体制をいわば固めておく、あるいはまた児童でありまするから、三月には学校を卒業して一人前になっていくという状態、こういうところからいって、卒業期にはその入所しているところの児童の数も一挙に減るという現実の要件、あるいはまた、他のアパートや住宅のように、その施設が、入所するところの児童というものを募集をしたり勧誘したりして不足分を埋めるというようなことは当然できない。   〔橋本(龍)委員長代理退席、増岡委員長代理着席〕 これは自己の努力というよりも、それは措置権者であるところの地方自治体というものが体制を整備していなければならない。私はこのことにかかっておると思うのであります。ところが、聞くところによりますと、山形県のように、米沢の児童相談所が中央児童相談所に吸収合併されておる、こういう事態があることも私どもは聞いておるのでありまして、言うなれば、あの県は出かせぎの非常に激しい県でありまするけれども、その中から起こるところの児童問題というものが深刻な問題になっておる状態の中において、必ずしもこの地方自治体の設備が完全であるとは言いがたい。したがって、この児童施設、特にその中の養護施設等は、ある程度の余裕を持っておるのが当然であり、そうしなければまたやっていけないのじゃないかというように私は思っておるのでありまして、また、この施設のいわば最低基準というものが現在の時代に即応していないということは、大臣が分科会等でもって答弁をされておるのであります。この基準自身も時代の要請に従って改善をすべきところに来ておるのじゃないかということも考えられるわけでありまするから、いま私が申し上げた施設のあるべき姿として、私は、そういったことが当然はかられてしかるべきじゃないかというように思いまするけれども、大臣、いかがでしょう。
  67. 斎藤昇

    ○斎藤国務大臣 御意見ごもっともに存じます。いまの定員の算定の問題、いわゆる開差の問題、これも解消をいたすようにいたしたい、かように思うわけであります。
  68. 田邊誠

    ○田邊委員 いま大臣の基本的な考え方を受けて、具体的に、この養護施設等において人員が八〇%以下になった場合は、この平均人員を維持しないものに対しては、定員の改定ないしは暫定定員制を設定するという、この開差是正についての事務的な通達を実は出しておるわけであります。私は、これ自身問題だろうと思うのです。戦後のいわば混乱期から、だんだんと繁栄の時代に来た。したがって、措置さるべき児童は減ってきたと言っておるのであります。確かに四十一年から四十五年の間に、約一万人のものが六百人程度に入所児童数が減っておるということが統計でいわれております。しかし私は、この程度では、いわば改善をされ、非常に内容がよくなったとは言いがたいと思うのです。将来どういった変転が起こるかわからない。いま過密過疎の問題、あるいは児童虐待の問題、あるいは父母のいろいろと家庭内におけるところの不和の問題、核家族化の問題、そういういろんな問題が起こっておる時代でありまするから、私は、いわば非常に局限されたここ数年の間の状態だけでもってものを判定をすること自身が問題だろうと思います。それから、さっき申し上げたような、ある程度の余裕を持って臨むべきであるという基本的な性格、この二つから推して、この八〇%、いわば暫定定員制ないしは開差是正という措置に対しては、私は疑問を持つものであります。しかしきょうはこの疑問についてだけ解明をすることを避けまするけれども、厚生省は四十七年度においてはそれをさらに強めて、八三%以下についてこの暫定定員制なり定員是正なりをしようということを内部通達をしたというように私は聞いております。この理由の中には、行管や会計検査院あるいは大蔵省——きょうは実は呼んでおりません。呼んでないのは、時間もありませんけれども、私は、やはり責任があるところの厚生大臣にまず基本的にお伺いしておきたいと思って、きょうはあえてその人たちを呼んでいないわけでありまするけれども、そういった指摘があったことは事実かもしれません。しかしこれもきわめて表面的な見方だと思うのですよ、行管にしても会計検査院にしても。もっと深い形でもって、いわば児童に対する愛情、児童に対するところの考え方というものを透徹して、そういった指摘をしたならばいざ知らず、私はきわめて事務的な、きわめて表面的な指摘ではないかと思うのです。厚生省自身の中にも、考え方として、他の施設との均衡論を唱えておるというのですけれども、私はこれも理屈にならぬと思うのであります。他の施設の性格の違い、いわば持つ内容の違い、そしてまたそういったことの均衡論の上に立って合理化をはかられようとする考え方は、私はきわめて遺憾だろうと思うのですね。また、病院等が九〇%充足を基準に入れる、こういうことが理由づけの一つにあるとすれば、これは全くはなはだしい認識不足だと私は思うのですね。そういうものとのいわば比較の上に立って論じられるべき筋合いのものではないわけであります。したがって、将来このまま九〇%基準を達成しようという意図があることはきわめて重大でありまして、これはまさに厚生行政の後退であると私は断ぜざるを得ない。いまの状態の中で、九〇%以上というのは約半数であります。五百二十のうち九〇%以上を維持しておるところは五六・五%しかないという状態であります。逆に言えば、九〇に満たないものは約半数、これが全部是正をされる、定員が減らされるということになったら、一体この日本のいわば社会福祉を推進をしてやるところのこの民間の社会福祉団体——戦後の混乱期を非常に無理をしながらこれを過ごしてきたところの民間の養護施設をはじめとする児童福祉施設、これは一体どうなるのですか。そういう血も涙もないような一片の合理化という名のもとにこれらに対処することは、私は、断じて許すべきでない、こういうふうに思っておるわけであります。  したがって、そういった点からいって、昨年度に引き続いて今年度八〇%から八三%に強めた措置というものは、私は、基本的にはこれは取りやめるべきである、こういうふうに思います。しかしいま通達が出ておるという段階の中で緊急にこれがもし中止できないということになっておりましても、実質的に定員減や措置費の減を来たさないような、そういう方策は即刻とられるべきじゃないかというように私は思うのです。特にさっきも申し上げたように、いわゆる養護施設等、四月期には当然の結果として児童は減るのですね。卒業等でもって減るのであります。この期も含めて、十二月からのいわば平均の実績でもって翌年直ちに定員減をはかったり、暫定定員制をとるなんということは、これこそまさに算術計算のはなはだしい結果じゃないかというように私は考えざるを得ないわけですから、こういった極端に人員が減るような期間というものは、当然私は、あなた方の措置というものを、前提を認めたにいたしましても、何らかこういったものをはずすべきである、こういうことは対応策として当然はかられてしかるべきじゃないかというように思うのですね。  したがって、私どもの基本的な考え方はいま申し上げたとおりでありまするし、具体的な実例が全国随所に実は起こっておるのであります。入れたくても児童相談所がなかなか入れない。児童福祉司がまた充実していないということもありましょうけれども、なかなか入れない。今度は入れる段になったら、定員が制限されておって入れられない。これをふやしてくれたらどうかと言ったら、それはなかなか面子でもってできない。こういう役所仕事的な考え方でもって、柔軟のある態度がとられないということは、きわめて残念なわけでありまして、いま私が申し上げたような考え方に沿って、大臣いかがでしょう、これを大体基本的に考え直す、検討し直すということと同時に、早急に当面する是正措置に対してあなたの所見がありましたら、この際ひとつお知らせをいただきたいというふうに思うのです。
  69. 松下廉蔵

    ○松下政府委員 具体的な措置につきまして事務的にお答えを申し上げたいと思います。  ただいま先生が御指摘になりました児童福祉施設、養護施設等におきまして経営の安定性とそれから緊急即応性と申しますか、必要な場合にはいつでも子供を収容できるという性格を持たせることは、当然基本的な問題でございまして、その点御指摘のように、特に学齢児を入れております養護施設におきましては、四月、五月が卒業のために現員が減るという実情がございます。そういうものを一律に計算に入れるということは、確かに先生御指摘のように配慮の足りなかった点であろうと存じます。  それともう一つは、やはり児童相談所におきまして措置を行ないます際に、これは積極的にニードを吸い上げまして、一人も漏れのないように措置をするということが前提でございませんと、現在の施設が足りない足りるという議論はできないことは御指摘のとおりでございまして、すでに児童相談所に対しましては、課長会議あるいは所長会議におきましても、直接そういった面について強く指示をしている次第でございますが、今後の方針といたしまして、いまの御注意の点も含めまして、さらに児童相談所に対する措置の強化、それから特に養護施設、学齢時の子供の多い養護施設等におきまして、特に少ない月に対してはその計算の基礎から除外するというような特例措置の強化、それからもう一つは、経営の安定性というような点におきまして、とにかくこの開差是正の措置によりまして具体的に職員の整理を要するような施設につきましては、個々に私ども相談をいたしまして、経営の安定を害することがないような特別措置を講ずる、そういったような点を至急に指示をいたすようにいたしたい、そういうふうに考えております。
  70. 斎藤昇

    ○斎藤国務大臣 ただいま局長が申し上げましたのは、局長としてそうしたいと考えておるのだろうと思います。私もこの問題は非常に重要だと思いますから、最近出した通達というものも検討をいたし、それを運営するについて、さらによく局長の方針を聞き、それがいまおっしゃいますような趣旨に合っていなければ是正をしてまいって、できるだけ御趣旨に沿うような運営をいたしたいと考えます。
  71. 田邊誠

    ○田邊委員 本会議ですから、私はきょうはさらに突っ込んだ論議はできません、非常に残念ですけれども、せっかく日本の社会福祉を推進をしてきたこの二十七年間の経過にかんがみて、民間であれ公立であれ、そういった施設に携わるところの職員なり、あるいは入っている児童そのものが不安感におちいるような不安定な状態というものは、絶対に私は避けなければならぬと思います。したがって、ことしは定員を減らしました、職員の数も減らします、来年、措置児童がふえました、定員をふやします、職員の数もふやしますなんて、そんな手品みたいなことはできないのですから、したがってどうかひとつ、絶対なま首を切らぬように、それに対するところの対応策は必ずとるということを、大臣にぜひひとつ再度の確認をしておいていただいて、その上に立って具体的な措置をとってもらいたいというように私は思います。どうですか。
  72. 斎藤昇

    ○斎藤国務大臣 私はその場のがれの答弁でなしに、実際真剣にいまおっしゃる点を検討いたして、御趣旨に沿うようにいたしたいと思います。
  73. 田邊誠

    ○田邊委員 きょうは終わります。
  74. 増岡博之

    増岡委員長代理 次回は、来たる四月十八日、午前十時理事会、十時三十分より委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。    午後一時三分散会