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吉田(賢)
委員 文部省に伺います。見えておりますね。――伺いますが、
血液という問題につきましては、私らにしましても、血というものは単に科学的に冷たく考えられない感覚を
日本人は持っておると思うのです。血のつながり、出血、
赤字で欠損にいくと出血したと言います。血というものは
生命につながるのでありますから、そういうものでありますので、とかく
日本人は非常に血に対する感覚は別のものを持っておるとわれわれは考えていきたい。と同時に血を分けて命を救うということはきわめて高い人間としての
一つの道徳的な誇るべきことではないであろうか、こういうような
一つの考え方も成り立ちます。そういうことを思いますと、血の問題について嫌悪する、つまり供血について嫌悪する、無
関心でおるということにつきましては、やはり若い世代に、これから世の中に出るという世代に、ほんとうに血の
重要性、
血液供給の
重要性を認識さすということが非常に大事であろうと思う。そしてうちへ帰っておとうさんやおかあさんに、今度供血の機会があったら私も
採血してもらいますというような、そんな子供が出てまいりましたら、その家は言うなれば
一つの道徳的な、あるほんとうにうるわしいモラルがそこに生まれます。とかくはだはだになりがちのときで、古い家族主義崩壊の時代といわれるときでありますので、血を幾らか
供給しまして――二百ミリリットルという程度ならば
世界最低でしょう。
世界では大体普通は四百五十以上でございますね。そういうものでしたら何ら健康を害さないというようなことから、いろいろな面におきまして、私は、広く若い世代にこれを知らすということが必要ではないであろうか、言うなれば教育の場でこの道を開いていくということが大事ではないであろうか、こういうふうに考えるのであります。としましたならば、これは教科書に適当に入れまして、そして教師が正しい認識のもとに生徒に向かってその
必要性の解説もする、生徒はそれを通じまして、人間としての
社会的なあらゆる道義的な
一つの
責任感をつちかっていく、そういう機会ができるのじゃないだろうか。言うなれば、教科書にこれを正式に取り上げて、
全国にそれを配付しまして、小、中、高等学校でありますか、小学校では小さな子供が入りますから、どうかと思いますけれ
ども、概して児童の教育の場で教科書に入れるということが必要ではないか、こう思うのであります。これは
福祉国家建設への文部省の持っておる教育の
重要性からくる大事な一面、
血液事業の重大な問題に取り組む文部省のあり方といたしましても非常に重要なことである、こう考えるのですが、ぜひとも早急に四十七年度の新しい学期における教科書にこれを取り入れるという
姿勢をもって臨んでいただきたい、こういうふうに考えるのでございます。前回にもこれをちょっと
大臣にお見せしまして、時間もなかったので詳しく言いませんでしたけれ
ども、教育社から出しておりますトレーニングペーパーなんかにおきましても、
血液のことが詳しく取り上げられております。「愛の
献血車」、こうありまして、これを出しております。こういうものもございますし、あるいはこれはおもしろい
発想と思うのですが、「愛の
献血想い出が心に残る」「成人おめでとう。二十歳の夜明けの空は何色でしたか。」バラ色というんでしょうね、それは愛の
血液なり、こういう
発想です。惜しみなくこういうことへほんとうに感情をおどらしていくというような取り組み方が少年にできましたならば、私は非常にそれが浸透する力が大きいだろう、こう思うのです。
そういう
意味におきまして、教科書にはしかるべく効果のあるような
発想、表現、構想をもちまして至急に取り入れることをなさってはいかがであろうか。そうしたならば
血液事業は非常に推進するのじゃないか、こう思われますが、どうでございましょうね。