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1971-12-27 第67回国会 参議院 議院運営委員会 第18号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十六年十二月二十七日(月曜日)    午後十時三十二分開会     —————————————    委員の異動  十二月二十七日     辞任         補欠選任      古賀雷四郎君     河本嘉久蔵君      園田 清充君     小林 国司君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         鍋島 直紹君     理 事                 栗原 祐幸君                 藤田 正明君                 山崎 五郎君                 瀬谷 英行君                 矢山 有作君                 峯山 昭範君                 田渕 哲也君                 須藤 五郎君     委 員                 植木 光教君                 河本嘉久蔵君                 小林 国司君                 嶋崎  均君                 高田 浩運君                 高橋文五郎君                 棚辺 四郎君                 玉置 猛夫君                 橋本 繁蔵君                 桧垣徳太郎君                 内田 善利君         —————        議     長  河野 謙三君        副  議  長  森 八三一君         —————    事務局側        事 務 総 長  宮坂 完孝君        事 務 次 長  岸田  実君        議 事 部 長  海保 勇三君        委 員 部 長  若江 幾造君        記 録 部 長  西村 健一君        警 務 部 長  植木 正張君        庶 務 部 長  上野山正輝君        管 理 部 長  前川  清君        渉 外 部 長  西宮 信安君    法制局側        法 制 局 長  今枝 常男君     —————————————   本日の会議に付した案件継続審査要求取り扱いに関する件 ○沖繩派遣議員報告に関する件     —————————————
  2. 鍋島直紹

    委員長鍋島直紹君) 議院運営委員会開会いたします。  各委員長提出継続審査要求取り扱いに関する件を議題といたします。  本件につきましては、お手元にお配りしてあります資料のとおり要求書が提出されております。  まず、地方行政委員長要求にかかる議案につき、要求のとおり決定することに賛成諸君挙手を願います。   〔賛成者挙手
  3. 鍋島直紹

    委員長鍋島直紹君) 多数と認めます。よって、委員長要求のとおり決定いたしました。  次に、沖繩及び北方問題に関する特別委員長要求にかかる議案につき、要求のとおり決定することに賛成諸君挙手を願います。   〔賛成者挙手
  4. 鍋島直紹

    委員長鍋島直紹君) 多数と認めます。よって、委員長要求のとおり決定いたしました。     —————————————
  5. 鍋島直紹

    委員長鍋島直紹君) 次に、沖繩派遣議員報告に関する件についておはかりをいたします。  去る十二月二十日と二十一日の両日にわたり、琉球諸島及び大東諸島に関する日本国アメリカ合衆国との間の協定締結について承認を求めるの件及び沖繩復帰に伴う国内関係議案審査に資するため沖繩に派遣されました議員報告につきましては、前例にならい、その口頭報告を省略して、報告書を本委員会会議録に掲載することにいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  6. 鍋島直紹

    委員長鍋島直紹君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  暫時休憩いたします。    午後十時三十三分休憩   〔休憩開会に至らなかった〕      ——————————    沖縄公聴会速記録 昭和四十六年十二月二十一日(火曜日) 場所 那覇市 琉球政府立法院   出席者は左のとおり    派遣議員        団     長  安井  謙君        副  団  長  松井  誠君                 長田 裕二君                 梶木 又三君                 亀井 善彰君                 楠  正俊君                 鈴木 省吾君                 高田 浩運君                 塚田十一郎君                 山下 春江君                 山本敬三郎君                 田  英夫君                 西村 関一君                 宮之原貞光君                 中尾 辰義君                 矢追 秀彦君                 木島 則夫君                 高山 恒雄君                 岩間 正男君                 星野  力君    現地参加議員                 稲嶺 一郎君                 喜屋武真榮君    公述人         那 覇 市 長 平良 良松君         琉球更生委員・         弁護士     久貝 良順君         嘉手納村議会議         員       知念 盛仁君         嘉手納村議会議         長       村山 盛信君         沖縄同盟会長  仲田 昌繁君         公認会計士   宮国 英勇君         弁  護  士 芳沢 弘明君         沖縄子供を守         父母の会会長・         中央教育委員  小嶺 憲達君     —————————————   〔午前十時開会
  7. 安井謙

    団長安井謙君) これより参議院沖繩公聴会開会いたします。  私、派遣議員団団長で、本日の会議を主宰いたします安井謙でございます。よろしくお願い申し上げます。参議院におきましては、目下沖繩返還協定並びに沖繩復帰に伴う関係国内法案審査中でございますが、これら諸案件について直接現地方々の御意見を承るために、御当地にわれわれ議員団一行が派遣された次第でございます。  本日のこの会議開催にあたり、諸事御配慮を賜りました立法院並びに行政府そのほか関係各位に対し、派遣議員を代表して厚く御札を申し上げます。  本公聴会の問題は、さきに御案内申し上げましたとおり、沖繩返還協定、すなわち  琉球諸島及び大東諸島に関する日本国アメリカ合衆国との間の協定締結について承認を求めるの件  並びに、  沖繩復帰に伴う関係議案、すなわち、  沖繩復帰に伴う特別措置に関する法律案  沖繩復帰に伴う関係法令の改廃に関する法律案  沖繩振興開発特別措置法案  沖繩における公用地等暫定使用に関する法律案  国家公務員法第十三条第五項および地方自治法第百五十六条第六項の規定に基づき、人事院の地方事務所設置に関し承認を求めるの件  沖繩平和開発基本法案  及び  沖繩における雇用の促進に関する特別措置法案  以上の八案件についてでございます。  まず、派遣議員を紹介いたします。  副団長松井誠君。高田浩運君、楠正俊君、塚田十一郎君、亀井善彰君、山下春江君、山本敬三郎君、長田裕二君、梶木又三君、鈴木省吾君、西村関一君、矢追秀彦君、高山恒雄君、岩間正男君、宮之原貞光君、田英夫君、中尾辰義君、木島則夫君、星野力君。  現地参加稲嶺一郎君、喜屋武眞榮君。  以上でございます。  次に、本日午前、御意見を述べていただくため御出席をお願いいたしました三人の公述人の方を御紹介いたします。  平良良松公述人久貝良順公述人知念盛仁公述人。  以上でございます。  公述人皆さまには、御多忙中のところを御出席をいただき、厚く御礼申し上げます。  それでは議事の進め方につきまして申し上げます。  まず最初に、公述人各位からこれらの案件につきまして御意見を承ります。時間の都合上、御意見をお述べいただくのは、お一人当たり十五分以内でお願い申し上げます。一通り公述人各位から御意見を承った後、議員から御質問申し上げることにいたしておりますので、その際は、なるべく簡明にお答えをお願いいたします。  なお、本日の会議趣旨は、皆さまから御意見を拝聴いたすことにありますので、私どもに対する御質問は、恐縮ながら御遠慮願いたいと存じます。  また、なるべく円滑に会議を進めてまいりたいと存じますので、発言される方は、座長の許可を得てからお願いいたします。  傍聴人方々におかれましても、会議の進行に御協力くださいますようお願いいたします。  午前の会議終了予定は正午としておりますので、御了承願います。  それでは、これより順次公述人の方より御意見を承ります。発言は、私から順次指名させていただきます。  まず、平良公述人にお願いいたします。
  8. 平良良松

    公述人平良良松君) ただいま御紹介をいただきました那覇市長平良でございます。  参議院沖繩返還協定特別委員会公聴会に際して、那覇市長として意見を陳述できますことを光栄に存じます。なおまた、参議院沖繩公聴会開催について、何の異論もなくスムーズに決定され、本日の開催を見ましたことに対し、心から敬意を表するものでございます。  さて、すでに御存じのように、琉球諸島及び大東諸島に関する日本国アメリカ合衆国との間の協定締結について承認を求めるの件、すなわち沖繩返還協定は、去る十一月十七日、野党議員質疑抜き打ち採決されたのであります。  戦後、議会制民主主義を強調される日本の国会において、多数党が法案強行採決する事態を幾度か見受けてきたのでありますが、それにしても、この沖繩返還協定抜き打ち採決は、全く前例のない暴挙だとして非難されております。  沖繩県民衆議院におけるこの強行採決に対する見解は、いろいろな形で提起されておりますが、私は次の理由により、あの返還協定に反対するものであります。  すなわち、沖繩県民沖繩返還協定並びに国内関連法案に対するぎりぎりの要求を織り込んだ琉球政府建議書が何ら審議の対象にされず、逆に屋良主席東京到着に対する冷酷な回答として、沖繩県民の正当な請願権をなぶりものにするかのようにして強行採決されたこと。  次に、野党議員質疑続行中であり、その後に沖繩県民の心を代表すると言っても過言ではない沖繩社会大衆党安里積千代沖繩人民党瀬長亀次郎議員質疑権を無視したこと。さらには、この強行採決参議院において、たとえ審議未了のことがあっても自然成立するように審議日程を逆算して強行された、そのことが参議院権威を著しく低下させたことであります。  河野参議院議長は、衆議院におけるあの強行採決に対し、国民の一人として考えた場合、遺憾なことだと思う。参議院が置かれている立場も十分考慮して協力し合い、強行採決などしないよう誓いたい、と申されましたが、まさに沖繩県民は、あの措置が遺憾であると同時に、参議院においては、良識の府として、きっと慎重審議を尽くしてもらえるだろうという期待を持ったものでございます。そこで私は、抜き打ち強行採決に至る手続や、手段の卑劣さを批判するとともに、参議院がその存在の権威にかけて沖繩返還協定及び国内関連法案に対処され、願わくば、沖繩県民要求に基づき、琉球政府建議書に基づき、これを再検討する立場を示していただくように要請をするものでございまます。  私が沖繩返還協定の再検討、すなわち、やり直し要求する根拠として、すでに指摘しました手続手段の非民主的措置に加えて次のことを強調いたします。  すなわち、戦後、世界は、少なくとも自由主義陣営資本主義諸国は、アメリカを中心に万事展開されてまいりましたが、ベトナム戦争の不成功とそれに関連する経済的破綻が、アメリカとしてその対国際的関係調整に踏み込ませたのであります。アメリカによる対外政策調整、その軍事経済的調整の一つとして、沖繩が出てきたのであります。御存じのように、日米返還協定アメリカ軍沖繩駐留を認め、いや、沖繩を引き続きアジアにおける核戦略体制かなめとして残し、その上に自衛隊配備し、台湾・朝鮮はもちろん、遠くマラッカ海域まで軍事的に展開することを約束しておるのであります。  もちろん、この協定は、ニクソン中国訪問で対中国接近をはかろうとする米国の立場を強め、逆に日本にとっては、アジアの諸国民から警戒されることになり、中国をはじめ、アジア民族との友好関係に抜き差しならないひびを入れてしまったわけであります。  私は、佐藤ニクソン共同声明後の情勢変化と、何よりも沖繩県民戦争体験、戦後二十六年に及ぶ米軍軍事支配に呻吟した県民労苦にかけて、さらには、日本沖繩軍備を拡張し、アジア民族と敵対するのではなく、日本国憲法に基づき、国際信義を尊重し、諸国民友好を深める国になるための具体的な措置として沖繩返還協定やり直し要求するものであります。  このような、基本的な立場を申し上げますと、国内関連法案に対しまして、当然批判的態度をとらざるを得ないわけであります。  御存じのように沖繩県民生活は、日米外交の谷間にあって、その政治、経済軍事的影響を直接に受ける反面、政策的な対策はほとんど現実に即応しないという状態にあります。  ことしの沖繩はかつてない干害に見舞われ、先島では暴風害に追い打ちをかけられました。日本政府からはすでに幾たびか調査団が来島しております。しかし、現実には、はかばかしい対策が立てられてなく、宮古・八重山の住民は全く悲惨な状態にあります。さらに、沖繩県民通貨を即時一ドル対三百六十円で円通貨に切りかえてもらいたいという要求を繰り返しておりますが、それについても何ら具体策が示されないうちに、ついに一ドル対三百八円というおそるべき事態県民を追いやったわけであります。屋良主席建議書には、一ドル対三百六十円での通貨切りかえが、沖繩県民の切実な要求として提示されていたはずであります。  私は、参議院が、このような切実にして、かつ、緊急な県民要求をくみ入れるとともに、沖繩復帰に対し、特段の配慮をいたされる機会に際し、屋良主席建議書の中にもすでに申し述べた事項の中から、特に次のことについて重ねて要請を申し上げます。  まず第一に、自衛隊沖繩配備を思いとどまっていただくことであります。戦前、沖繩には日本軍隊は一兵もなく、聯隊司令部というものが那覇市に置かれ、徴兵事務予後備兵簡閲点呼を行なったにすぎません。徴兵された壮丁は九州各聯隊に分散配置されて兵役に服してまいったのであります。  われわれの日本復帰要求は、アメリカ基地の撤去により日本国民としての権利の回復をはかり、同時に、平和の島沖繩を取り返すことであります。しかるに米軍基地はほとんど撤去されることなく、なおその上に一個師団の自衛隊配備されるということは、とうてい納得のいかない措置であり、何のための復帰かと問わざるを得ません。  佐藤総理は、沖繩県民の二十六年間の労苦に報いるためには、すみやかに返還協定を議決し、復帰を実現することであると力説されております。その言やまことによし。しかしながら、その内容は沖繩県民の二十六年に及ぶ苦労に報いるに、さらに無期限の苦労を背負わせることであり、大の虫を生かすために小の虫を殺すこともやむを得ないとする発想にほかなりません。  憲法第九条は、私から申し上げるまでもなく、明らかに戦力を「保持しない」ということが規定されております。現在、どのような解釈をいたしましても、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」というところの規定に明らかに反しているということは火を見るよりも明らかでございます。  次に、関連法案公用地等暫定使用に関する法律案のごとき、県民の反対する施設配備するための公用地とは一体いかなるものでありましょうか。主権在民の理念を力強く宣言した憲法趣旨を二重三重にじゅうりんする愚挙と言わなければなりません。そのような公用地取得ではなくして、たとえば那覇市における——これは他の市町村も同様でございますが——天久住宅地域のような、現在アメリカ軍が使用している土地を返還させ、一部を買い上げて地方自治体に無償譲渡し、人口稠密福祉施設欠除財政面に悩む地方行政に、あるいは地域開発に寄与することこそが真実の沖繩対策と言うべきであります。これは決して法外の要求ではありません。もしかりに過去においてアメリカの強圧に屈し、沖繩県民が血のにじむような土地闘争の展開がなく、唯々諾々として、アメリカ土地を売り渡してあったならば、おそらく今日想像に絶する巨額の国庫支出を余儀なくされたでありましょう。憲法違反に類する公用地取得ではなくて、沖繩格差是正県民福祉の向上に寄与するための国庫支出であることこそ、真に沖繩県民労苦に報いるゆえんであろうと私は信ずるのであります。  その次に、通貨の切りかえを一ドル対三百六十円の率で即時断行して民心を安定させていただきたい。アメリカは、通貨施政権のシンボルとして固執し、難色を示しているやに聞いておりますが、二十六年間の施政責任者としてこれ以上沖繩県民を苦しめる必要はないはずであります。復帰はすでに既定の方針であり、政府も、復帰に際して県民の不必要な混乱を生ぜしめないように万全の措置を講ずるということもしばしば言明されたことであります。このままの状態では、末端行政を渋滞させるばかりでなく、住民個々日常生活にも多くの不安動揺を与えておるのが実情であります。このことについてさえアメリカを説得できないとするならば、日本外交はないと言っても過言ではありません。外交というものは、申し上げるまでもなく、相手を説得するか、相手に説得されるかであります。われわれが正論をもって相手を説得すれば、必ずそれだけの成果を私はおさめ得るものと思うのでありますが、そのアメリカドルの交換さえ説得できないようであれば、もはや日本外交は、アメリカ戦争放棄と言えば戦争放棄、再軍備と言えば再軍備、指先に踊らされるかいらい外交というにすぎないではありませんか。  さらにもう一つつけ加えて申し上げたいことは、地方自治体民主的運営健全育成について細心の注意を払っていただきたいということであります。  先ほど言及いたしました自衛隊配備のための土地取得に対していろいろな工作がなされておるといううわさを耳にしております。任命主席時代沖繩では弁務官資金というものがありまして、弁務官に服従する者には特別な資金を与える、そうでない者には補助金与えないといったような宣撫工作がなされました。異民族支配でこのようなことがあることはまずかりに忍ぶといたしましても、われわれ憲法体制に入ってなおこのような地方自治体をゆがめるような施策がなされるようであってはならないと信ずるのであります。  次に、最後に、大急ぎで申し上げます。  真の沖繩平和開発方策を早急に策定していただきまして、沖繩軍事基地の補強、拡充を施すのではなくて、沖繩戦争終えんの地として長く記念するための平和の島に還元していただき、国土の最南端にある地理的条件亜熱帯に属する気候風土等立地条件を考慮し、沖繩県が果たすべき平和的任務日本経済構造の中に適切に位置づけていただいて、たとえば東南アジア諸国若人たちがともに未来のアジアの繁栄を築くための研究にいそしむ学園の設立亜熱帯植生物研究センター亜熱帯農漁業センター等設立により、開発途上にある友邦諸国との平和友好交流の場として開発していただきたい。戦略的なかなめ石は、その方向を変えれば、必ず経済文化交流かなめ石となり得ると私は確信いたしております。  最後に、きわめて謙虚にお願い申し上げるのでありますが、返還協定審議機会に、これを転機として、全国民が、初心忘るべからずということばがございますが、初心に立ち返って、平和憲法と称賛されている日本国憲法をいま一度すなおに読み直す運動を展開していただきたいことをこいねがってやみません。憲法第九十九条の国民的義務国民の一人一人が実践していただくことによって、わが国の道が開かれ、エコノミック・アニマルの汚名を返上して、憲法前段にうたわれております「國際社會において、名譽ある地位を占めたい」とする国民的願望が達成され、わが国の安泰が期せられるものと信じております。  陳述中いろいろと不遜の言辞がございましたと存じますが、どうぞ虚心に受けとめていただきまして、御審議のほどをお願いいたします。(拍手)
  9. 安井謙

    団長安井謙君) どうもありがとうございました。  本来、午前中の公述の方が終わりましてから御質問を願うということでございますが、平良公述人の時間の御都合がございますので、この際、御質問がありますれば、公述人にお願いをいたします。
  10. 西村関一

    西村関一君 私は社会党の西村関一でございます。  平良市長にお伺いいたしたいと思います。ただいま円の切りかえの問題につきまして御意見がございましたが、きのうの沖繩特別委員会におきまして、政府当局は、技術的にむずかしいというような答弁があったようです。すでに通貨の切りかえを数度にわたってやっておられます沖繩県の皆さんとしては、このことにはなれておられますし、その道もないではなかろうと思うのでございますが、その点に関しまして御意見を承っておきたいと思います。
  11. 平良良松

    公述人平良良松君) お答えいたします。  通貨の切りかえが技術的にむずかしいという政府の御見解に対して、われわれは理解に苦しむものでございます。  沖繩におきましては、戦後の円流通時代軍票時代B円時代、それからドルの切りかえと、三回か四回通貨の切りかえが行なわれてまいりましたが、そのつどスムーズに行なわれてきておるわけでございます。  なるほどドル世界通貨でありますので、この中ではむずかしいいろいろな理由もあろうかと思います。われわれ金融業者でありませんために、そのような問題については承知いたしません。しかしながら、おそかれ早かれ円貨に切りかえなくちゃいけない。しかも、現実に円の変動相場制によりまして沖繩民心が動揺し、民生が安定しない実情を見るならば、それこそ日本が腰を入れて、アメリカに早期の切りかえを要求すべき問題ではないか。要は、アメリカに対する日本政府の腰の強さ、弱さにかかっておるのじゃないかと私は考えます。
  12. 岩間正男

    岩間正男君 自衛隊配備について反対される御意見を展開されたわけでありますが、これにつきまして、戦時中の日本帝国主義軍隊がどういうことを一体終戦まぎわに沖繩でやったのか、またこれに対する県民の感情はどういうことになっておるのか、お伺いしたいと思います。  もう一点は、今度配備される自衛隊はどのような軍隊だとこれはお考えになっていらっしゃいますか。国土防衛とか民生安定をうたっておりますけれども、はたしてこれに役立つ軍隊とお考えになっていらっしゃいますか、お伺いをいたしたいと思います。
  13. 平良良松

    公述人平良良松君) お答えをいたします。  私自身の戦争体験を申し上げますならば、私、戦時中にフィリピンに従軍いたしまして、九死に一生を得て帰った者であります。私の所属している小隊は百二十七名でございましたが、その中から生還した者はたった七名でございました。百二十名の自分のおいっ子相当の年齢の兵隊の一人一人の葬式をこの手で営んできた。帰った沖繩は、私の両親は餓死状態のままで八十歳でこの世を終わったのであります。私の姉は十三名の家族が自決をいたしております。私のおいが同様に戦死をいたしております。身内の者から多数のけが人、死者を出し、しかも一木一草もとどめないような状態に会ったときに、戦争のむなしさ、むごたらしさというものをこの身にしみじみと感じ、私が帰郷して荒廃したふるさとに立ったとき、これを復興することが、九死に一生を得て幸いに生き帰ってきた自分の天命だという使命感さえ感じて、今日まで私は戦争に反対する態度をとってまいりました。しかも終戦当時、さっき申し上げましたとおり私は沖繩におりませんので、沖繩状態を自分の目で見、からだで体験することができなかったわけでありますが、私の近親者から聞き、あるいは那覇市民の戦争体験記なるものを最近募っておりますが、その中の記事から見ましても、調子のいいときは軍隊はたいへんかっこうのいいものである。しかし、形勢が悪くなるにつれて、むしろ市民を苦しめる集団暴力団と化してしまった。防空壕に入っておる市民を追い出して、われわれが入るんだ、住民が唯一の残した食糧としてたくわえてありましたものを、軍刀をもっておどかして供出させていった。しかも、その中で——沖繩は海外から帰った者が多うございます、中南米に移民をして帰ってきた者が多うございますが、それらの外国語を解する者をすべてスパイ扱いにして、あちらこちらで日本刀のためし切りをした。また、敗戦はこれらのスパイ的行動によると、みずからの作戦のそごをたな上げして、住民に疑いの目をもって残虐行為を行なったということを聞かされております。われわれ今日までこのことを黙っていたのは、それがあるにしても、われわれの祖国は日本である、復帰の運動を進める一念から、こういうことをあえて口外しなかったのでありますけれども、今日御質問がありますので、そのことを一言申し上げておきたいと思います。  で、沖繩の安全を守るとおっしゃって自衛隊配備されるのでありますが、先ほども申し上げましたように、沖繩は戦前一兵の配備もなくても安全でございました。むしろ、軍隊が駐留することによって社会不安をかもし、今日のように米軍が長期にわたって駐留することによりまして、あらゆる社会悪が発生している現状であります。今日、強大国の中にある日本沖繩にしかも重装備を施すということは、むしろなま兵法は大けがのもとと申します。災いを呼ぶためになること以外の何の役にも立たない。もし、私のほうに憶測をほしいままにさせてもらうならば、よしんば万一国際紛争があっても、沖繩だけをまたもとのように犠牲にして、様子を見て適当な時期に日本は手をあげればよろしい、小の虫は殺して大の虫を生かせばいいと、そういったてまえがってな発想に基づくものではないか。われわれはそういう意味で、自衛隊配備をされるだけのお金があるならば、沖繩の戦後復興のためにむしろ役立てていただきたい、そういうふうにお願いをいたします。
  14. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 公明党の矢追であります。二点お伺いいたします。  先ほど、米国の高等弁務官資金のことを提示されまして、自衛隊土地収用についての工作云々のお話がございましたが、この点についてもう少し具体的に実例をお聞かせいただければありがたいと思います。  もう一点は、平和な島沖繩にするための開発についていろいろ提言がございましたが、もちろん、あらゆる面での施策は重要だと思いますが、今後沖繩経済がこういった基地経済ということから脱却をして、ほんとうに平和な豊かな沖繩県になるためにはどの部門、特にどれを重点的にやることが一番沖繩の方たちの豊かな生活に結びつくか、いろいろ重点的なものはあると思いますが、その重点の一番中心点をあげていただければありがたいと思います。  この二点。
  15. 平良良松

    公述人平良良松君) お答えいたします。  宣撫工作的な行動があるというふうに私もうわさを聞いております。新聞で報ずるところによりますと、中部のある村に公民館を建設してやるから土地の契約に応じないかといったような誘いがあったという話もございます。また、那覇市におきましても、垣花で公民館をつくる、それが政府資金でつくれるといううわさが出ております。那覇市内における公民館は一部弁務官資金によってできたものもありますが、大かたは各自治会の自己資金の拠出によって従来建設されてまいりました。まだ各自治会には、建設されているとは申せませんが、ある程度やっております。そのようにして自治会自身が金を出し合ってつくっているのが今日までの公民館建設の実情でございますが、それを、日本のどのようなところから資金が流されてくるのか、そういううわさが飛んでおりますので、われわれが憶測するところでは、高等弁務官資金みたような宣撫工作費としてこれが施設庁あたりの予算から出されるようなことが万々一ありはしないか。そういうことになりますというと、地方行政の健全な発育ということ、発達ということを非常に阻害しますので、この点はぜひ御警戒をいただきたい。また、そのようなことがあればぜひ参議院のほうから御警告をいただきたいと存じます。  沖繩開発の方策につきましては、私はもっぱらいままで復帰運動に従事してまいりましたので、こまかい経済、産業の知識を持っておりません。抽象的に先ほど申し上げましたが、たとえば日本経済の中で沖繩県というものをどういうふうに位置づけるか、そうしてどのような生産的な任務を負わせるか。これは専門家の方々が十分検討していただければおのずからその道は開けるものと確信するものでございます。悪政はトラよりもたけしと申しますけれども、国が栄えるのも衰えるのも政治の、政策のいかんによるものでございます。インドのように広大な国土を持ち、多くの国民を擁しながら、なお年々飢餓に見舞われるところもあれば、日本のように全然天然資源に恵まれないながらも、国民が勤勉であり、そのつど政策が巧みに運用されてきたところでは、GNP世界第二位という生産国家にも成長する可能性があるわけでございます。もちろん、このGNP世界第二位ということは、われわれがそれを誇るのにはまだまだ幾多の欠陥があるでありましょうが、そのようにして沖繩対策が十分に沖繩立地条件を生かす方策を編み出していただければ、沖繩は一億国民の中のたった百万人でございます。これが食っていけないという状態は絶対にあり得ないと私は確信をいたすものでございます。
  16. 高山恒雄

    高山恒雄君 民社党の高山ですが、市長に伺いたいのですが、生鮮食料品等は沖繩でまかなうだけのものがないのではないかと思いますが、大かたのものが日本本土から輸入されているというのが現状ではないかと思うのですが、御承知のように年の暮れでもございますし、物価の値上がりはどういう状況にあるのか。全く年の瀬を迎えてドルのショック等による、特に生活品の不足が目立っておるんではないか、こういう感じがわれわれはするわけですが、この点をひとつお尋ね申し上げたいと思います。
  17. 安井謙

    団長安井謙君) 平良公述人にいただく時間、大体、十時四十五分ぐらいに考えておりますので、そのおつもりで御答弁願いたいと思います。
  18. 平良良松

    公述人平良良松君) 生鮮食料品の自給自足体制はまだできておりません。戦前沖繩は蔬菜輸出県として大きく沖繩経済をささえておったのでございますが、戦後アメリカに膨大な軍用地、しかも主要な生産地帯を占められておりましたために、農業が非常に衰退いたしました。同時に、第一次産業に対するアメリカの関心というものが薄かったために、遠海・近海漁業がきわめて衰退をいたしております。しかしながら、現在ではほとんど蔬菜類、たとえば白菜やゴボウ、ニンジンに至るまで鹿児島や宮崎から輸入しているという実情でありまして、これはまことにお恥ずかしい限りであります。そこに政治の貧困を如実に示すものであり、蔬菜園芸の指導がよろしければ、必ず、自給自足をするだけではなくて、東京、大阪に対して蔬菜供給県となり得る可能性があると私は考えておりますので、その面の対策もぜひ講じていただきたい。  それから、物価の値上がりについてでございますが、いまどの程度の物価値上がりになっているか、そのパーセンテージはよくわかりません。後ほど数字を調べて御報告申し上げたいと存じます。ただ言えることは、私、最近南米まで回ってまいってつい帰ったわけでございますが、南米諸国におきましても、ニクソン声明以来二、三カ月の間に三〇%の物価値上がりが生じておるといわれております。沖繩においてもしかりでございまして、このドル・ショックというものがいわれて以来、思惑もからんで、物価は相当の値上がりを来たしておるかと考えております。こまかい数字、パーセンテージにつきましては後ほどお知らせいたしたいと存じます。
  19. 塚田十一郎

    塚田十一郎君 私、自由民主党の塚田でございます。平良公述人にまことに素朴なお尋ねをいたすのでありますが、公述人は、現在の協定それから関係法案に、どちらも反対というお立場をとっておられるように伺ったのでありますが、反対ということになれば沖繩は返ってこないということが大体常識だと考えられておるわけであります。そこで、公述人が反対と言われるお立場は、返ってこない、返らないほうがいい、あるいは返らなくてもやむを得ない、それとももう少しうがったお尋ねをするのでありますが、反対しても、国会は自民党が多数だからおそらく通るだろう。したがって、返ってくるであろうが、いろいろ不満の点があるからそれらの点をひとつ改めろ。できればこの機会にもっとりっぱなものをつくってほしかったのだがやむを得なかった。現実は不満である。それらを改めろというような、どのお気持ちであるのかどうか。それをお聞かせいただきたい。
  20. 平良良松

    公述人平良良松君) お答えいたします。  塚田先生のお尋ねにつきましては、非常にデリケートな問題があろうかと存じます。また、一様にみなそのような疑問を持っているわけであります。しかしながら、われわれといたしましては、先ほども申し上げましたように、沖繩の返還ということは、軍事基地をなくして、戦争の危機を誘発するような要因を取り除いて、平和な島にしていただくということが、これが県民の願望でございます。しかし、それにもかかわらずその願望は一切無視されて、ほとんど顧みられていない。その中で、佐藤ニクソン共同声明を根幹といたしました今回の返還協定の内容につきましては、もっと日本政府が、さらにつけ加えて申し上げますならば、この佐藤ニクソン会談以後、急速にアメリカが対中国態度を変えておるこの世界情勢の変化をも踏まえて、いま一度努力をされる必要があるのじゃないか。返還協定が成立しなければ沖繩は返ってこないということをおっしゃいますけれども、沖繩は当然に返ってこなくちゃいけない。それは日本が国連に加盟したときに、国連憲章の規定によりまして、加盟国相互間の領土の中では委任統治地域を設定しないという規定もございます。しかし、それにもかかわらず、日米の間には講和条約という特殊な条約があって、特段の取りきめがなされておるので沖繩は今日の状態になったわけであります。しかしながら、日米が互いに友好親善という態度を変えないならば、必ず話し合いによって沖繩県民の願望は達成される。また、それを達成しなければ、真の沖繩の返還という意味がほとんどなくなるということでございます。われわれは一日も早く帰りたい。帰りたいが、しかしながら、沖繩がいつまでたっても軍事基地の役割りばかりしか背負わせられないということになると、まことに心外でございます。しかし、何べん申し上げても同じことでありますけれども、返還協定やり直しを、沖繩が戦前のような平和な島の姿に返るまでは私は続けていきたい、それを主張していきたい、こういうふうに考えております。
  21. 安井謙

    団長安井謙君) 時間の関係もありますので。
  22. 塚田十一郎

    塚田十一郎君 じゃあ、けっこうです。
  23. 安井謙

    団長安井謙君) それでは、いろいろ御質問もあるかと思いますが、時間の関係もありますから、平良良松公述人に対する質疑はこのくらいにいたしたいと思います。  どうもありがとうございました。(拍手)     —————————————
  24. 安井謙

    団長安井謙君) 次に、久貝公述人にお願いいたします。(拍手)
  25. 久貝良順

    公述人久貝良順君) 私は公述人で弁護士の久貝良順であります。  このたび参議院沖繩派遣議員団が、沖繩返還協定及び沖繩復帰に伴う関係議案を御審議されるにあたりまして、現地沖繩県民の声を直接御聴取されるため、沖繩における公聴会開催されたことに対しまして、心から敬意を表するものでございます。それとともに、意見陳述の機会をお与えくださいましたことに対し感謝申し上げるものでございます。  私は沖繩返還協定及び沖繩復帰に伴う関係議案については、大局的には承認するものであり、すみやかにこれらの議案締結され、または法律となることを強く望むものであります。しかし、返還協定及びこれらの七議案を拝見いたしましたところ、必ずしも沖繩県民要求がいれられているものとはなっておりません。したがいまして、次に述べるような意見を付して承認をする次第でございます。  第一、早期復帰について。現在沖繩日本国アメリカ合衆国との谷間にあり、日米いずれの国からも積極的な手が差し伸べられず、苦悩の中にあえいでおります。米国は、沖繩日本に返るのだからということで手を控え、日本国は、沖繩アメリカ施政下にあるのだからと直接沖繩の統治を離れて、沖繩県民生活は日一日と苦しくなっております。これまでわれわれが持っているドルは一ドル対三百六十円の値打ちがありました。しかし、きのうからは一ドル対三百八円の値打ちしか持たなくなりました。一ドルにつき五十二円の欠損をしいられたのであります。これは何も沖繩県の怠惰や過失によるものではなく、沖繩が対日平和条約によって置かれている特殊な地位によって招かれたのであります。このようなことが次から次へと追い打ちをかけてまいります。私たちは本土に一日も早く復帰することによってこのような苦しみから少しでも脱却したい。返還協定やり直しの論もあるが、私はそのような主張には同意はできません。返還協定を早く締結して、復帰までの間、そして復帰と同時に、逐次改善策を講じていくようにすべきであると考えます。  第二、沖繩に国連機構を設置することについて。一九四五年四月一日沖繩は米国軍隊の一斉上陸によって全島が戦場と化し、十八万八千余の同胞が戦死いたしました。一九四五年六月二十三日、事実上沖繩は終戦となったが、引き続き米国の軍政下に置かれました。一九五二年四月二十八日対日平和条約が発効して日本国は平和に立ち返ったが、しかし、われわれ沖繩日本には返らなかった。沖繩は米国の統治下に置かれ、きょうまで二十六カ年と八カ月二十日になります。その間国有地を除く沖繩の民有地だけでも六千万坪余の土地が軍用地となり、地主たちは定住の地を失い、不自由な生活をしながら日本国の安全と平和に協力をしてまいったのであります。われわれは、戦争の苦しみをいずれの地域の人よりも身をもって体験いたしました。それだけに平和を人一倍希求するものであります。その意味で国際の平和と安全を維持することを目的として設立されております国際連合機構、たとえば国連大学、国連開発機構を沖繩に設置し、戦争と沖繩基地沖繩というこれまでの暗いイメージを、平和に協力する沖繩、豊かな沖繩世界の安全に寄与する沖繩という明るいイメージにチェンジできるようにしてもらいたい。そのことが、これまで日本国の平和と安全の捨て石となった沖繩に対する日本の親心の一つともなるものかと考えるのであります。  第三、請求権について。沖繩土地は広範にわたって軍用地となり、さまざまな損害を受けた。一九四五年八月十五日から一九五二年四月二十八日までの、平和条約発効前の期間における米国軍隊などが与えた損害で補償請求が提出されたものに対しては米国国会が立法措置を講じてすでに支払い済みとなっております。しかし、その当時請求をしなかったものに対してはいまだ補償がなされておりません。ところで、これらのものに対しては、返還協定の第四条によって、日本国アメリカに対する請求権を放棄してしまいました。しかし、沖繩県民はこれらの損害に対しても強く補償を要求するものであります。関係委員会における総理大臣及び関係国務大臣の御答弁で、これらの損害に対しても補償がなされる旨伝えられておりますが、これだけでは、なお私たちは不安であります。この事項については、ぜひ立法措置を講ずることによって日本政府のはっきりした方針を打ち出すよう要請するものであります。そして、争いがあった場合には裁判で権利として主張できるようなところまで持っていってもらいたい。  第四、沖繩における公用地等暫定使用に関する法律案について。沖繩県にある土地日本国及び沖繩県公用地として使用する土地は、民法の規定に基づいて、地主と国または沖繩県の間で対等の立場で任意の契約をすることになっております。これは、地主の個人の意見を尊重するということから当然の措置であると考えます。しかし、これらの土地について権原を取得するまでの間は五カ年をこえない範囲でこの法律によって地主の意思にかかわらず国または県が使用することになっております。国または県と対等の立場で任意の契約によって公用地の使用取得をするという土地取得の方針からすれば、このような取得方法は好ましい方法ではないと考えます。また、五カ年という期間も長きに失する感がいたします。しかし、土地の所有者が海外などに移住して連絡のために相当の日時を要することや、係争地で所有者がはっきりしない土地や帰属のはっきりしない遺産などがあり、これらのものを確認して契約のための折衝をするには五カ年の期間もやむを得ないと考えます。なお、現在の軍用地の契約状況は、軍用地面積の九七%が契約をしており、あとの三%が収用となっております。したがって、従来の経験からすれば、九〇%以上の地主は契約に応ずるだろうと判断されるので、沖繩における公用地等暫定使用に関する法律の適用を受けるのは、日本国等の使用する土地の面積の一〇%程度になるのではないかと判断されるのであります。  第五、賃貸借契約と適正借賃について。自分の土地を米国軍隊等の使用のために賃貸ししている地主三万八千三百余名の団体である沖繩市町村軍用地主連合会は、関係地主の要望をまとめて次のように決定をいたしております。本土復帰日本及び沖繩県公用地として賃貸する土地の賃料の適正価格は二百十五億円とする。もし、二百十五億円を日本政府が支払うのであれば、地主の大多数は契約に応ずる用意があると決定をしております。この借賃の額は、学識経験者によって構成された資料算定委員会によって、あらゆる資料を参考にして算定されたものであります。したがいまして、二百十五億円は適正な借賃と判断されるので、この額で予算措置が講ぜられるよう要望するものであります。なお、基地は漸次整理統合して縮小の方向に持っていくべきであると考えます。  第六、宮古島飛行場用地の旧地主への返還について。太平洋戦争の末期一九四四年から一九四五年にかけて、宮古島の平良市に海軍飛行場、下地町に西飛行場、上野村に中飛行場が建設されました。地主は自分の車、自分の馬を提供するだけでなく、みずからも労務を提供して飛行場建設に努力いたしました。土地は陸軍省または海軍省用地として買収されたが、価格が至って低廉であったのみならず、地代は国債で渡され、または強制貯金をされ、実質的にはふところに入った現金はほとんどありませんでした。終戦後、これらの土地は、日本国国有地として米国民政府財産管理官の管理地となっております。旧地主は、かつての自分の土地に借賃を出して米国政府から借りて、ばく大な経費と労力を費やしてこの土地を復旧作業して耕作をしているというのが実情でございます。平良市にある旧海軍飛行場用地は、その一部は現在民間飛行用地となっているが、下地町の西飛行場用地、上野村の中飛行場用地は何ら公用地として使用しておりません。これに類似の例は石垣島にもございます。用途を廃止したこれらの国有地は、すみやかに旧地主に返還されるよう要望するものであります。  以上で終わります。どうもありがとうございました。(拍手)
  26. 安井謙

    団長安井謙君) どうもありがとうございました。     —————————————
  27. 安井謙

    団長安井謙君) 続きまして、知念公述人にお願いいたします。(拍手)
  28. 知念盛仁

    公述人知念盛仁君) 私は、公述人嘉手納村議会議員の知念盛仁であります。沖繩返還協定並びに沖繩復帰に伴う関係国内法案に対する意見を述べさしていただきます。  二十六年の歳月の流れは、あの忌まわしい戦争で焦土と化したこの沖繩土地にも草木が育ち、家が建ち、表面は何事もなかったかのような装いをしております。当時八歳でありました私は、容赦なく撃ち込まれる砲弾を避けるため、岩はだに身を寄せ、小さなからだをふるわせていた少年、いまこの壇上から沖繩の心の万分の一でも訴えたく登壇いたしております。  戦争孤児、戦後の沖繩、思い起こすだけでも重苦しい日々でありました。沖繩県民の置かれている状況を理解していただくために、二つの例をあげたいと思っております。  例一は、各種の基地被害をこうむって絶えず不安な生活をしいられている嘉手納村民の状況であります。  昭和二十年四月一日、米軍が上陸して以来、その総面積の八八%が軍用地となり、北は巨大な弾薬庫、前は米軍が東洋一と誇る嘉手納空軍基地にはさまれて、わずかな土地に村民はひしめいて生活しております。昭和三十七年から昭和四十三年までの六年間、この期間は特にベトナム戦争が激化している時期でありますが、このように極東に緊張が発生しますと、もろもろの基地公害が発生いたしております。飛行機の墜落事故が三回、その事故で死亡した人が三名、重軽傷二十四名も出しております。この中には、あのB52の墜落、大ごう音をとどろかして県民のどぎもを抜いた事件も含まれております。住家全焼が三むね、校舎・住家等損害三百六十五件もこの三事件で被害を受けております。滑走路の拡張工事による砂じん事件、空軍基地から流された航空燃料あるいは洗剤ABSによる汚染、これは例の「燃える井戸」事件へと発展したのであります。被害人員が百五十六人も出ております。その事件は、一部まだ未解決であります。住民地域近くに大型駐機場をつくり、そこで昼夜エンジン調整されるごう音は、実に殺人的ごう音であります。  また、いままで申し上げました各事件による賠償額は、アメリカの賠償委員会の一方的な査定によって要求額の四分の一ないし三分の一に査定され、被害者は長引く賠償の解決に生活に困り、不本意ながら受けている状況であります。この中でもまだ未賠償の部分もあるということを御留意くださいますようお願いいたします。  これらの事故は、先ほど申し上げましたように、ベトナム戦争の激化を関連いたしております。極東に緊張が起こった場合に、沖繩県民がこのような犠牲をしいられてきたのが過去二十六年の経過でございます。いつまた極東に緊張が発生した場合に、どのような事故がわが県民の上に降りかからないともだれも保証ができないのであります。ですから、沖繩県民は、一日も早くこのような基地が整理縮小され、願わくは近き将来に平和な島に生まれかわってもらうよう、声を大にして訴えているわけでございます。賠償額が不当に安く、一方的に査定されておりますのも、先ほど申し上げましたように、解決が長引き、被害者が生活に困ったあげくに不本意ながら受け取っているということであります。このように、法治国で正当な賠償がもらえずに一方的に査定され押しつけられているのも沖繩の現状であります。このような例を引用いたしますのも、沖繩現実、過去二十六年間の県民の歩みを理解していただきたいからであります。  もう一点は、疎開船対馬丸遭難学童及び引率教師、学童の付添人処遇についてであります。  御高承のとおり、沖繩における学童疎開は、昭和十九年七月七日、時の東条内閣の緊急閣議をもって、沖繩島防衛戦略のための至上命令として決定され、その実施にあたっては疎開奨励の方針態度として、「単なる避難若しくは退散にあらず、戦争完遂のための県内防衛態勢の強化と人的資源の保護、食糧事情の調節を図る作戦措置」として、ほとんど強制的に指示され実施されたものである。その結果、対馬丸には学童及び付き添いの婦女子千六百余名が乗船し、駆逐艦二隻の護衛を受けて、当時すでに米軍の制圧下にあり、戦闘地域として指定された太平洋上を北上し、昭和十九年八月二十二日、米潜水艦の魚雷攻撃を受けて、悪石島沖の太平洋上に轟沈し、一瞬の間に一千四百余名のとうとい生命が奪われたのであります。この中には米軍が最初に上陸した地点、砂辺、水釜海岸から少し離れた古堅小学校区の学童及び付添人が七十八名含まれ、一家全滅に近い犠牲を受けられた家族も含まれていることであります。このように、持参いたしました謄本の中には、みな抹消されております。一家全滅であります。このような犠牲のもとに、国家の戦争遂行がなされ、しかも、強制疎開をさせられたこの犠牲者に対して国はたった二万円の見舞い金を支給したにすぎない。しかも、それに該当したのは、学童及び引率教師のみで、付添人に対しては二十七年になる今日まで何らの処遇をしていないということであります。沖繩県民に押しつけられた国家のこの態度をとくとごらんになってくださるよう、重ねて要望いたします。  戦争は最も罪悪であり、戦争ほど悲惨なことはない。戦後二十六年、沖繩は戦場の延長であったし、一日たりとも心の休まる日はありませんでした。沖繩県民要求する復帰対策の基本は、このように戦争につながる一切の政策に反対し、沖繩を含むアジア全域の平和を維持するものでなければならない。そのためには基地の整理縮小の方向を具体的に示し、県民の不安を大幅に軽減することであると私は確信するものであります。米軍基地の存在に加えて自衛隊配備沖繩基地の強化であり、米軍基地の肩がわりのために自衛隊配備することは、海上諸国を刺激し、沖繩基地にまつわる不安は、増大こそすれ、軽減されることではない。県民は、かつての戦争体験、戦後の米軍支配の中から、戦争につながる一切のものを否定してきました。したがって、自衛隊沖繩配備に反対するものであります。  沖繩における公用地等暫定使用に関する法律案についても意見を申し上げます。沖繩における米軍基地は、占領軍としての権力と絶対的排他的な施政権によって県民の意思を抑圧、強制使用したものである。それをこの法律によって正当化し、軍事基地の維持強化をはかることを目的とする法案であるがゆえに反対したいのであります。  米軍基地の維持存続に加えて、新たに自衛隊配備を予定し、これを可能ならしめようとすることがこの目的であり、暫定使用という名のもとに、五年もの長期にわたって、土地の所有者の意思いかんにかかわらず強制的に米軍自衛隊土地等の強制使用を認めることであり、沖繩に住むわれわれとしては何としても耐えがたい。特に私有に属する土地等を正当な手続を経ずして五年の長期にわたり一方的かつ強制的に使用することは、実質的に土地等の強制収用であり、いかなる理由を付したにせよ、私権に対する重大な侵害であって、財産権の保障を規定している憲法二十九条に違反するものと私は解するものであります。  ですから、こういう法案はすみやかに是正されるよう、特に沖繩の平和を実現され、ひいて日本国憲法を骨子として外交を展開され、この苦難の歴史に終止符を打ってくださるよう重ねて要望いたしまして、陳述の意見を終わりたいと思います。ありがとうございました。(拍手)
  29. 安井謙

    団長安井謙君) どうもありがとうございました。  以上で公述人各位の御意見の午前中の陳述は終わりましたので、これより御質疑をいただきます。御質疑のある方は、順次御発言を願います。
  30. 松井誠

    松井誠君 久貝公述人にお尋ねをいたします。  私は社会党の議員でありますけれども、そういう立場というよりも、むしろ同業である弁護士という立場も兼ねて実はお尋ねをいたしたいと思うのです。  それは、先ほどお話しになりました請求権の問題であります。御承知のように、協定の四条の二項と三項で請求権の放棄が留保をされておる分がございます。これは、アメリカの手によっていままでの延長として支払われる、そのことで十分であろうかどうかというのが一つのお尋ねであります。御承知のようにたとえば覚書によって外国人賠償法による支払いは引き続きアメリカがするということになっておりますが、外国人賠償法も、われわれが普通考える請求権という権利の概念からはずいぶん遠いだろうと思うのです。先ほどあなたのお述べになりましたように、これを権利として認めるということになりますと、最終的には司法的な救済、いわば公権力による権利の実現、そういうものを伴わなければ権利の名に値しないわけであります。しかし、外国人賠償法は、もとよりそういう仕組みにはなっておりませんし、むしろ、最終的かつ決定的な支払いだという条件、満額という了承がなければ渡さないという条件、いろいろな制約があることは御承知のとおりです。そこで、これからの支払いの分も含めていままでの分にもいろいろと被害者からは不満がおありだろうと思うのです。それを日本政府に対する補償の要求として——それがここで権利であるかどうかは私はいま問いません。問いませんが、そのことをも含めて補償の請求をされるという立場でおありかどうか。先ほど補償の請求をされましたので、それがたとえばそういう意味で外国人賠償法の問題、あるいは復元補償の問題ですね。復元補償は布令二十号で一応いままで何がしか支払っておりますけれども、これもきわめて遅々として進まないし、金額そのものが問題です。日本の場合にはあの地位協定に基づくいろいろの関連法案で、たとえば解放を受けて復元するまでの間少なくとも三カ月は管理費用が要るだろうということで支払われる、あるいは残地補償だとか隣接地補償だとかというのも、一応額の大小は別として、払われるという仕組みになっております。しかし、そういうものが布令二十号による復元補償の場合にはおそらくない。そういう意味で、いろいろ本土法的な感覚で考えても、ずいぶん足りないところがあると思うのですが、そういうものを補償をされるというお考えがおありかどうか、このことを実はお伺いをしたいのであります。
  31. 久貝良順

    公述人久貝良順君) 久貝でございます。ただいまの御質問お答え申し上げます。  まず外国人賠償法についてでございますが、沖繩には多分一九五三年ころかと記憶しておりますが、それまでは米国軍隊、それから軍人などによって琉球住民に対して与えられた被害、それに対しては何ら補償がなされなかった時代がございます。それに対しまして、当時私は琉球政府の法務局におったのでございますが、アメリカ側に強く要望いたしまして、それでは琉球の人権に対する無視だということで米国側に強く要請いたしまして、それでは琉球に外国人賠償法を適用させる、したがって、アメリカ軍隊等によって被害を受けた者は、それによって賠償するから、請求をしなさいということになりまして、それによってそれ以後は賠償がなされてきているのでございます。しかしながら、ただいま御指摘がございましたように、額において非常に低廉である、それから請求書や折衝の段階において英語であるということで、被害者のほうは非常に不便で、この問題についてはずっと大きな不満はあったわけでございます。しかし、請求の方法等もその後日本語でこれをやる、それから琉球政府が被害者との間に立ってアメリカと十分折衝するというような点で、だんだん改善の方向にまいってきております。しかしながら、現時点において、なおわれわれはこれによって満足に賠償がなされているとは考えておりません。しかし、一応は法律によって賠償するというその根拠が示され、現実に賠償がなされていることだけは事実でございます。御指摘のとおり、この外国人賠償法によって賠償がなされていることに対しては琉球住民は必ずしも満足はしておりません。それが実情でございます。  それから、返還協定によって留保された部分はそれで十分かということでございますが、これは今後のアメリカ政府の賠償方については十分琉球住民側も監視の目を向けていき、われわれとしては、協定にうたわれているその法文を信頼して、今後の実施の面で琉球住民に不満が起こらないようにしていけばけっこうじゃないか、そのように考える次第でございます。
  32. 山下春江

    山下春江君 私は自民党の山下でございます。久貝さんにお尋ねいたします。  いま御答弁の中に、琉球政府にいたということでございましたので沖繩をよく御承知だと思うんですが、私はいまから十四年ほど前に厚生省の政務次官をいたしておりました。そのときに、きょう御出席屋良主席がその当時は沖繩の遺族会長でいらっしゃいました。いまの遺族会長の金城さんが副会長さん、そのお二人とそのほか、二、三人でおいでになりました。で、沖繩の嘉手納地区で働いている健康な男子の方が毎月一生懸命ちっとも欠席をしないで働いても、そのときはもちろんドルでございますが、日本の円に直して三千二百円くらい。そのときに日本では戦死をされた方の遺家族の方に遺族扶助料というものが出されて、今日も出されておりますが、それが月四千七百円でございます。もちろん、遺族の方でございますから、お気の毒は当然でございますが、沖繩は私どもその当時想像するのに、まあ私は四十万戸と屋良主席から聞いたんでございますが、沖繩四十万戸全部御遺族であったであろうと想像できる。にもかかわらず、日本では四千七百円差し上げているのに、沖繩に対しては一つも差し上げてないということはそれは不合理だから、アメリカ施政権下であろうと何であろうと、日本人である沖繩の御遺族の家庭にこの遺族扶助料を流すべきだということで、当時内閣総理大臣は鳩山一郎先生でありましたが、その鳩山先生を説得いたしまして、そして遺族扶助料を、当時の四千七百円を沖繩の御遺族の方に流すことに成功いたしました。私は調べてきませんでしたので、それが今日まで続いているかどうかということを実は知らないで参りまして、先ほどちょっと沖繩の方にお目にかかりましたので、その遺族扶助料は今日もずっと継続されておりましょうかと聞きましたら、ずっと継続されているとおっしゃったのでございますが、そういうことで、まあ私は日本の母の立場である一人の議員として、沖繩の方がたとえアメリカ施政権下にあろうと何であろうと、祖国を守るためにそういう不幸な目におあいになった方に対しては、同じくやはり日本政府からあたたかい手を差し伸べるべきであるということを主張して、当時の総理に御同意を得てそのことを達成いたしましたものでございます。それが今日、先ほど聞きましたら継続されているということでございましたので、私はたいへんありがたいと思いますが、ただ、金額等は一つも調べてまいりませんでしたので。いまは立場が違います屋良主席は、実はその当時は遺族会長でいらっしゃいました。私は自民党でございました。当時から自民党でございましたけれども、遺族会長の屋良主席、それから副会長の金城さん、そういう方の御陳情に私はもう涙して答えた。本土の政治は決してそんなに冷たい、沖繩をあたたかい目で眺めないような政治は決して行なわれていないと思いますその一つの証左でございますが、久貝さんはその実情を御承知でいらっしゃいましょうかどうでしょうか。お尋ねいたしたい。
  33. 久貝良順

    公述人久貝良順君) 久貝でございます。ただいまの御質問お答えいたします。  当時私は琉球政府に勤務しておりましたが、直接援護関係、遺族関係の仕事にはタッチしておりませんので、お答えの直接な答弁にはなり得ないかもしれませんが、当時このような実情がございます。実は御存じのように、沖繩は今度の戦争で全部戸籍が焼けました。沖繩全島で、宮古、八重山のほうは若干戸籍が残っておりますが、沖繩の戸籍は全部焼けたのであります。当時私は琉球政府の創立当時から民事課長をしておったのでございますが、琉球の戸籍は何としてもつくらなければいけないということで、その第一歩から戸籍整備法という日本にはない特殊の法律をつくって琉球の戸籍を整備し、いまは本籍人口が百万をこしております。その当時は何もなかったわけであります。それを特殊な整備法をつくって琉球の戸籍を整備した者の一人でございますが、そのころ遺家族の方やそれから恩給をもらわれた、そういう方が私の事務所にたずねて来まして、沖繩に戸籍がない、したがって、私たちは恩給の受給も請求できない、遺家族年金の請求もできない。そして、それらの人はいまもう死にかかっている。それは沖繩に戸籍がないことによって、みずからの責任でないのに、私たちはこんなに苦しみに会わされている。君は戸籍の直接の担当責任者としてこれをどう思うかということで、強く私、訴えられました。実は私も泣きながらそれに対してお答えをしたことがあります。そういうようなこともあって、私は民事課長として自分の全生命を投入したつもりで戸籍整備に当たったわけでございますが、そのようにして遺家族年金それから恩給受給者、そういったような方々が受給をするための基礎となる戸籍、それをつくることに私も側面的に援助した経験がございます。しかし、金額と、どういう範囲、どのくらいの人数にそれが支給されているかということははっきりは記憶しておりませんが、未帰還者留守家族援護法という法律が日本にできましたときに、それを沖繩にもぜひ適用するようにしてもらいたいという側面的な協力もしたつもりでございますし、それの基礎となる、請求の基礎となる戸籍の整備にも協力した、そういう経験がございます。しかし、お尋ねの遺家族に対する年金いかん、そういったようなものははっきりお答えするほどの記憶はいま持っておりません。
  34. 高山恒雄

    高山恒雄君 久貝公述人にお聞きしたいんですが、先ほどの公述人のお話では、私が数字の聞き違いをしておるかもしれませんけれども、もし間違っておったら御訂正をしていただければけっこうでございます。三万八千三百余名の地主で大体了解を得ておることは、二百十五億の補償をすれば、その補償に基づいて学識経験者による細部決定をして、そして五年間の補償を継続する、こういうことを了承しておるかに私はお聞きしたわけですが、そのほかに一〇%ぐらいの方の賛成者がないということは、結果的には不在地主なのかどうか、こういう点をお聞かせ願えるとけっこうだと思いますが。
  35. 久貝良順

    公述人久貝良順君) 久貝でございます。お答えいたします。  先ほど二百十五億円を土地の借賃として日本政府が支払うのであれば、地主はこれに応ずる用意がある。それから、従来の例からすれば、地主の軍用地面積の九七%が契約に応じており、あとの三%が収用地である。これは現在軍用地をアメリカ取得してやってますが、現時点の比率でございます。それで、それからその経験から推した場合、九〇%以上は地主のほうは契約に応ずるんではなかろうか、契約に応じない分が大体一〇%以下に見積もられるという御説明をしたのでございますが、その内容といたしましては、先ほどもちょっと触れたつもりでございますが、沖繩は相当海外に移住しております。そういうような方々があって、現実沖繩には土地はあるけれども所有者がいない。連絡は十分とれない。現時点でもそうであります。将来も、これも一応は予想されるわけであります。  それから今度は、沖繩土地は終戦後土地測量をやっております。ところが、当時機械もなく、それから技術者もいなかったために、相当ずさんな図面になっております。そういうずさんな図面をもとにしていまアメリカ土地を借りておるわけです。ですから、嘉手納の飛行場の中の図面というのは、本人は五百坪のつもりであるでしょうけれども、実は三百坪であったかもしれないといったようなことで、非常に図面がずさんであります。ずさんであるけれども、それをもとにして軍用地の貸し借りがなされているわけでありますから、そうなってきますと、どうしてもそこに争いが起こりまして、いわゆる係争地があるわけでございます。一九五一年に沖繩土地所有権は、一応各個人に所有権証明書というものを配付して一応確立されたことになっておりますが、そうして、その当時図面もつくられたことになっていますが、現時点においては、こういったような土地所有権証明書、それから図面というものは、悪いことばでいえば、あまり信用できない程度のものになっております。それで琉球政府におきましては、土地調査法というのをつくりまして、厳密な調査、測量をして、いまつくっておるわけでございますが、残念にして軍用地内は入ることができませんので、土地の測量も調査も実施されておりません。したがいまして、なお、その争い——お互いの境界線、いわゆる所有区分が不明確であり、争いが相当あるわけであります。それに対しての、いわゆるだれが所有者であるかということがはっきりしないために、それを確認するために相当時間がかかるであろう。それから所有者が死亡したが、遺産について、まだ相当に戦争で死亡した人もおるし、それから離散しておる人もおりますために、だれのものにするかという遺産の分割、そういう面が明確に分割が実施されないために所有がはっきりしない。そういうことなどが、土地を契約する場合の地主の確認に手間取るというふうに一応考える次第でございます。
  36. 矢追秀彦

    矢追秀彦君 知念公述人にお伺いいたします。  具体的な実例をおあげいただきましたが、四十三年まではベトナム戦争の激化でいろいろな公害が出たということですが、それ以後、要するに、現在ベトナム戦争がかなり縮小ということになってきておりますが、それ以降の公害は、やはり依然としてあるのか、かなり減ってきておるのか。その辺の実情はどうか、これがまず第一点です。  それから、かなり基地公害に対するいろいろな点が未解決である、あるいは賠償額に対しては非常に少ない、こういう点のお話がございましたが、現在未解決の問題については、どのような交渉なり何なりされておるのか、どういう経過になっておるのか。それが二番目です。  それから、私は土曜日の委員会質問をいたしましたが、基地が縮小されておるのではなくて、現在は拡充強化されておるということを、沖繩に調査に参りましていろいろ調べて、質問しましたが、そのときの政府の答弁は、核がなくなる、それから攻撃兵器がない、それから特殊部隊等もなくなれば、それは拡充強化にはならない、こういう答弁でありましたが、実際具体的にかなり基地が強化拡充されておると思いますが、現地におられてその点がどのように受けとめられておるのか。  それから核の撤去の問題ですが、これについても事前に米軍からは通告がない。米軍が責任を持って核を撤去するからこの点心配ないという外務大臣の答弁でありましたが、この核撤去が、毒ガスの撤去すらあれだけの大きな作業になったわけですから、核がいつの間にか、沖繩の皆さん方がわからない間にある日突然なくなるということは考えられない。おそらく何らかの作業等が行なわれれば、これは核がのけられるのではないかとわかると思うのです。やはりそのときにはそれなりのいろいろな避難態勢とかそういうことが必要であると思います。米国が事前に通告しないと言った以上は、やはり現地の皆さん方がある程度の監視的なものをやらなければならないのではないか、こう考えるわけでありますが、そういった点についてはどのようにお考えになっておるか、その四点をお伺いしたいと思います。
  37. 知念盛仁

    公述人知念盛仁君) お答えいたします。  第一点目の基地公害の点でありますけれども、先ほど申し上げましたように具体的例をあげましたけれども、その後の基地公害はどうなっているかということでありますのでお答えいたします。本村におきましては、その後そういう非常にショッキングな事件は少なくなっております。しかし、爆音は依然として続いております。それに、私たちの村がちょうど知花弾薬庫と隣接しておりますので、そこのガスの撤去等におきまして、児童が休校したり、そういう避難の態勢のためにPTA会の、あるいは教育委員会の協議を持たれたりなりする、そういう精神的な不安、さらに本村からちょっと遠くなっておりますけれども、知花あるいは美原、石川にまたがる、その撤去に必要な土地住民は非常に大きな被害を受けております。それで、基地の公害は形は変わり、固定しているものではなくて、あちこちに順繰りに形をかえていると申し上げたほうが妥当だと思っております。つい最近も隣村の楚辺のほうにジェット機が墜落し、そのときは不幸中の幸いで人身事故はありませんでしたけれども、やはりこういう飛行機の墜落はまだたびたび起こっておりますので、いつ何どき大惨事が起こるかははかり知れないものであります。  二番目の補償のことでありますけれども、未解決の部分にあの燃える井戸というものがありまして、それは具体的には大福湯の井戸汚染でありますが、ここはちょうど営業しておりまして、非常に支障を来たしております。請求額が二万三千九百四十ドル三十九セントを請求いたしておりますが、その査定になりましたのが実に七千八百十二ドル〇八セントというふうに、三分の一足らずでございます。こういう件で、不満であるとしましたら、これは米軍の海外損害賠償委員会が上訴もできない最終的なものであると、こういうふうに押しつけているわけでありまして、そこに折り合いがつかないのであります。で、近く本土政府等にもこの問題の解決等について要請すると関係者が言っております。  三番目の、基地の拡張が行なわれているかどうかということでありますが、基地は私たちの村にはもうすでに六六年五月二十九日ごろ大幅な基地の滑走路拡張工事がありまして、それに伴う附帯工事は一応完了いたしまして、空軍の施設には完ぺきというふうにいっておられるのではないか。その後の拡張工事は嘉手納村には見当たりません。しかし、北部やあるいは金武とか、そういうところには新たな基地の拡張や、あるいは知花弾薬倉庫等におきましては、若干の工事が行なわれているということが入手されております。  それから四番目の核の撤去についてでありますけれども、核は御存じのように非常に機密に属することで、この行動は非常に隠密な行動をとる。最近いろいろ伝えられたところによりますと、大浦からあるいは知花方面に運んだであろう、ものものしい武装をして、ガス輸送を上回る隊形で輸送をしたと、これがはたして核であるという確認はとっておりませんけれども、そういうふうに基地に何らか変化が起こっていることは確かであります。移動が起こっていることは確かであります。  核撤去についての安全についてでありますけれども、これは調査におきましても非常に沿道住民がかなり広範囲にわたって避難態勢をとらなければならないというような危険なものである。その対策については専門家が具体的に安全措置を講じて、県民に不安を与えないように慎重に核の撤去の作業をすみやかに具体的に県民に示し、安心させてもらうよう要望する次第であります。  以上でよろしゅうございますか。
  38. 西村関一

    西村関一君 時間もありませんので私は簡潔にお伺いをいたしたい。  一つは久貝公述人にお伺いいたします。先ほど国連機関の誘致を訴えておられましたが、特に国連大学の誘致について触れておられましたが、御承知のとおり国連大学を誘致しようとする候補県が多数にございますが、まだこれはきめていない状態であります。沖繩県におきましてはどういう構想をお持ちでございますか。また、これに対する県民の関心はいかがなものでございましょうか。あらかたでけっこうでございますからお伺いしたい。  それから知念公述人にお伺いをします。先ほど具体的な事例を述べられまして切々と沖繩県民の声を代表してのお訴えもございまして深く感じたのでございますが、あの学童疎開船の遭難につきましてまだ手厚い措置が講ぜられていないということでございます。これは、私は野党でございますけれども、与党の方々の有力な方が多数きょうお見えになっておられます。よく検討をいたしまして、法令が不十分であればどうすればいいかということも検討いたしまして御要望にこたえるように野党の立場からも努力したいと考えるのでございますが、これにつきまして、戦争遺児、戦争孤児と申しますか、あなたもそのお一人だということでございましたが、現在、沖繩におけるこれらの方々が十分に所を得られておられるかどうか、また、これに対する対策等は十分になされておるかどうか、そういうことについてお伺いをしたいと思います。簡潔にお答えをいただければけっこうだと思います。
  39. 久貝良順

    公述人久貝良順君) 久貝でございます。お答えいたします。  国連機関のたとえば国連大学、それの沖繩への誘致について現地側ではどのような具体的な話が進められているかという御質問でございますが、この点については、すでにコザ市においてはその誘致の運動も展開されている実情でございます。じゃ、具体的には敷地はどこかというところまではまだはっきりここでお答えするところまではいっておりませんが、地元がぜひそういった国連機関を誘致して沖繩につくりたいという運動はすでに展開いたしておることだけは事実でございます。
  40. 知念盛仁

    公述人知念盛仁君) お答えいたします。  この学童のほうには見舞い金が昭和三十七年二月二十六日に沖繩戦戦闘協力死没者等見舞金支給要綱で七百六十一名の方に該当いたしております。しかし、実際支給いたしておりますのは千四百三十四名でございます。その中では、ちょうど同年輩の七歳以上の児童がこの沖繩本島内におりましたならば準軍属として援護法の保護を受けておりますけれども、こういう疎開途中でなくなられたこれらの戦没者に対しては何ら法の適用がありません。ですから、遺族の方々には、同じ戦争遂行の目的でやったのだから、準軍属として法の適用を受けさせてもらいたい、そして加えて、子供が不安だからそれに付き添っていたおかあさんたち、おねえさんたち、そういう付添人に対してもその処遇をしていただきたいというのが要望でございます。  それから、遺児の数は大体、沖繩本島では四万四、五千の数にのぼっております。私がちょうど八歳でありましたが、こう成長いたしております。ほとんど遺児というよりはもう青年に、壮年に近くなっておりまして、家庭的にも非常に安定した生活を営んでおられる方がおられます。しかし、戦争中負傷したり、そういう面で非常にみじめな生活をなされている方もごく一部にございますけれども、いま資料を手元に持っておりませんので数字は申し上げられませんが、これでよろしゅうございますか。  それから、山下先生のほうには、先ほどお話がありましたが、援護法の沖繩適用でたいへん御尽力くださいましてありがとうございます。法の適用は本土と何ら差別なく同一に扱われております。この特殊な例と申しますか、まだこのように戦争の戦後処理がなされていない、法の光を与えておられないところにこのように多数の戦没者がおられるということを、この機会に御理解くださいまして、ぜひこの遭難者に対しても厚い適切な処遇をしていただきますよう要望いたします。ありがとうございました。
  41. 安井謙

    団長安井謙君) 岩間君、時間の関係で簡単に。
  42. 岩間正男

    岩間正男君 簡単にお尋ねしますが、公用地等暫定使用法案の問題でありますが、これは任意契約で九七%というような話でありましたけれども、私たちこの夏に伺いましたとき、だいぶ地主連合会のほうでは委任状を取っておられましたね、各地で会合されて。そういう形でこれは進められている面もあると思うのですけれども、こういう点はどういうことになっていますか。  それから、この法案はあくまで、これは任意契約というような立場から考えますと、結局は、最後にはこれに応じなければ強制収用する、こういうことになるわけですね。そうして、しかも、いろいろな憲法違反がいまの論議の中で進められております。そうすると、やむを得ないから、結局はまあしかたがないのだから、必要悪は認めながらもこの法案には結局は賛成するという立場をとられるのかどうか。  もう一つは、いままでの補償の関係で、補償がなくなれば生活が目に見えてとにかく苦しくなる、しかたがないからと、こういう形で補償額を多くすれば、やむを得ないという形で賛成をしておられる。私は、こういう点で実際はこの基地がどうなるのか。  それからもう一つは、当然、これは愛知前外務大臣の国会におけるいままでの答弁を聞いてみますというと、これは沖繩土地というものは、当然返還によって地主に一度返される。それを今度は地主から借り上げて米軍に提供する。地位協定のたてまえはそうなっているのだ。したがって、あくまでそれを貫きたい、こういう方向でいきたい。こういうことを、これは六十五国会ではしばしば繰り返しているわけです。現に私たちもそういうような答弁を得ているわけです。これが、全然違ったこのような法案に変更された。こういう点については、沖繩の地主の方々はどういうふうにお考えになっていらっしゃるのか、この三点についてお伺いいたしたいと思います。
  43. 久貝良順

    公述人久貝良順君) 久貝でございます。お答えいたします。  まず、第一点の契約に応ずるであろう地主が九七%で——面積の比率でございます。あとの三%が収用になっているということは、これは現在の実情でございます。御存じのように、現在の軍用地は、米国民政府が出しております布令二十号、これによってアメリカ取得をしております。で、その取得の方法は、琉球政府が地主と契約をして、それから琉球政府アメリカに転貸をする。地主との間には基本賃貸借契約、アメリカとの間には総括賃貸借契約というようなものを取りかわして契約をしております。ですから、先ほど御指摘がございましたが、地主が何か委任状をまとめてというお話がございましたが、これは、琉球政府は個々の地主と契約をしておりますので、委任状によって地主連合会が一括して琉球政府と契約をする、こういったような形はとってはおらないのでございます。それが実情でございます。  それから、公用地等の使用は民法によって取得するのがたてまえであって、私もそれについてはそのように解釈しており、そうでなければならないと思います。しかしながら、そのような民法に基づく任意な契約によってどうしても契約ができない面があるであろう。それが、私の考えでは公用地法の適用を受ける土地ということになるのではないかというふうに考えております。したがって、従来の経験からすれば、現在の経験からすれば、九〇%以上は契約に応ずるであろうが、あとの一〇%以下のものが公用地法の適用を受けるということになりはしないかということでございます。必要悪として認めるかということでございますが、しいていえば、そういうふうな解釈になろうかと考える次第でございます。よろしゅうございますか。
  44. 岩間正男

    岩間正男君 愛知外務大臣の答弁といま違っているわけですね。外務大臣はあくまで地主と話し合いを進めてやるのだと言っています。それがこういうふうな法案に変わっちゃったんです。これはどうお考えになりますか。
  45. 安井謙

    団長安井謙君) 岩間さん、ちょっとむずかしくないですか、質問のしかたが。
  46. 久貝良順

    公述人久貝良順君) 外務大臣の答弁と現実法案になった形とは違っていると……。
  47. 岩間正男

    岩間正男君 違っている。
  48. 久貝良順

    公述人久貝良順君) それでございますれば、これは日本政府自体が法案を出す段階においての方針の変更ということでございまして、私といたしましては、現実に出ている法案を中心としてのお答えしかできないわけでございますが、過程においてそのように……。
  49. 岩間正男

    岩間正男君 どう考えておられるかと思った。けっこうです。それについて私は地主の連合会の比嘉さんなんかにもお目にかかってお話をしておりますよ。ところが、これ変わりましたね、強制法案に。こういうことについてどうお考えになっていらっしゃるのか、現地の皆さんは。
  50. 久貝良順

    公述人久貝良順君) 強制法に全面的に変わったとは解しておりません。あくまでも民法に基づく契約には変わりございません。ただ、その民法に基づいて話し合いによって契約をしていきたいということだが、沖繩には、地主がいない、われわれ、所有権がはっきりしないために地主の確認ができない、そういうふうな部分のものについて公用地法の適用があるであろう、こういうふうに解釈しております。それから、あくまでも基本線は民法に基づく話し合いによる契約には間違いないと思います。
  51. 岩間正男

    岩間正男君 地主で反対している人があるのでしょう。
  52. 久貝良順

    公述人久貝良順君) ですから、そのことが、公用地法の適用を受ける部分は適用を受けるのじゃないかというふうに考えます。
  53. 岩間正男

    岩間正男君 そこをはっきりしておいて……
  54. 安井謙

    団長安井謙君) いろいろ御質問尽きないと思いますが、時間の関係もございますので、たいへん残念ですが、午前中の公聴会はこの程度にいたしたいと思います。  公述人方々、お忙しいところたいへんありがとうございました。(拍手)   〔午後零時二分休憩〕   〔午後一時二分開会
  55. 安井謙

    団長安井謙君) 休憩前に引き続き、参議院沖繩公聴会を再開いたします。  私、派遣議員団団長で、本日の会議を主宰いたしております安井謙でございます。  参議院におきましては、目下沖繩返還協定並びに沖繩復帰に伴う関係国内法案審査中でございますが、これら諸案件につき直接現地方々の御意見を承るため、御当地にわれわれ議員団一行が派遣された次第でございます。  本公聴会の問題は、さきに御案内申し上げましたとおり、沖繩返還協定、すなわち、  琉球諸島及び大東諸島に関する日本国アメリカ合衆国との間の協定締結について承認を求めるの件  並びに、  沖繩復帰に伴う関係議案、すなわち、  沖繩復帰に伴う特別措置に関する法律案  沖繩復帰に伴う関係法令の改廃に関する法律案  沖繩振興開発特別措置法案  沖繩における公用地等暫定使用に関する法律案  国家公務員法第十三条第五項および地方自治法第百五十六条第六項の規定に基づき、人事院の地方事務所設置に関し承認を求めるの件  沖繩平和開発基本法案  及び  沖繩における雇用の促進に関する特別措置法案  以上の八件についてでございます。  まず、派遣議員を紹介いたします。  副団長松井誠君。高田浩運君、楠正俊君、塚田十一郎君、亀井善彰君、山下春江君、山本敬三郎君、長田裕二君、梶木又三君、鈴木省吾君、西村関一君、矢追秀彦君、高山恒雄君、岩間正男君、宮之原貞光君、田英夫君、中尾辰義君、木島則夫君、星野力君、  現地参加稲嶺一郎君、喜屋武眞榮君の諸君でございます。  次に、本日午後御意見を述べていただくため御出席をお願いいたしました五人の公述人の方を紹介いたします。  村山盛信君、仲田昌繁君、宮国英勇君、芳沢弘明君、小嶺憲達君。  公述人皆さまには御多忙中のところを御出席いただき、厚く御礼を申し上げます。  それでは、議事の進め方について申し上げます。  まず最初に、公述人各位からこれらの案件につきまして御意見を承ります。時間の都合上、御意見をお述べいただくのは、お一人当たり十五分以内でお願い申し上げます。  一通り公述人各位から御意見を承った後議員から質問申し上げることにいたしておりますので、その際は、なるべく簡明にお答えをお願いいたします。  なお、本日の会議趣旨は、皆さまからの御意見を拝聴いたすことにありますので、私どもに対する御質問は恐縮ながら御遠慮願いたいと思います。  また、なるべく円滑に会議を進めてまいりたいと存じますので、発言される方は、座長の許可を得てからお願いいたします。  傍聴人方々におかれましても、会議の進行に御協力下さいますようお願いいたします。  午後の会議の終了は、おおむね午後四時ごろを予定いたしておりますので、御了承願います。  それでは、これより順次公述人の方より御意見を承ります。発言は、私から順次指名させていただきます。  まず、村山公述人にお願いいたします。(拍手)
  56. 村山盛信

    公述人(村山盛信君) 持ち時間の都合上、読み上げて公述にかえたいと思います。  御指名をいただきました嘉手納村字嘉手納二百八十二番地に住む村山盛信でございます。これから申し上げる私の所見の中に、いろいろと諸先生方のお気にさわるようなことがもしありましたら、私の表現のまずさでございますので、あしからずお許しをお願い申し上げます。  本日は参議院議員安井謙先生ほか諸先生方が、沖繩返還協定並びに沖繩復帰に伴う関係法案審議に資するため、わざわざ遠路現地までおいでくださいまして、私ども日ごろ所見を述べる機会のない者の声をお聞きくださるその機会をつくっていただきましたことはまことに時宜を得たものであると心から厚く感謝を申し上げる次第でございます。  私は現在参議院審議しておられる沖繩復帰に関するすべての法案について十分なる知識と見解は持っておりませんので、戦後沖繩の縮図ともいわれる嘉手納村に生まれ、二十有余年住んでいる者の一人として復帰問題について日ごろ私の持っている感じを述べて議案審議の参考にもなれば幸いと存じておる次第でございます。  その前に私の戦後二十有余年住んでいる村のアウトラインを諸先生方に御紹介申し上げたいと思います。嘉手納村は那覇市から一号線に沿って北へ二十四キロメートルの地点にあり、人口約一万五千、総面積約四百四十九万二千六百五十四坪でございますが、そのうち、軍用地が約三百九十四万四千坪でございまして、総面積の八六・二%が軍用地となっております。民間所有地が残り十三%弱になっております。で、住民の大多数が直接、間接に基地によって生計を営んでいるというのが現状でありまして、ちなみに軍用地料年間約八十五万二千ドル、軍雇用員が約九百人で、その年間賃金が八十一万五千ドル、外人向け貸し住宅が六百五棟で、その年間家賃収入が五十八万ドル、以上ざっと二、三の例をあげても二百万ドル余の収入で、その他直接、間接のこまかい基地収入を拾い上げると、当村だけで年間収入三百万ドルはこえると推測されるわけでありますが、このようにして基地経済にささえられている当村の現状を申し上げたわけでございますが、このことは大小の差はあれ、中部十四カ市町村にも言えることでありまた、全沖繩にも言えることではないかと思います。   〔団長退席、副団長着席〕 反面、相次ぐ基地被害に戦後二十有余年悩まされ続けてまいりました。諸先生方にも御承知のことと思います。燃える井戸、昼夜の別なく耳をつんざく爆音、B52の墜落、輸送機の墜落事故による人身殺傷等数えあげれば限りがないほどであり、そのつど私たちは軍当局に厳重なる抗議をし、適正な補償また対策などを要求してまいりましたが、制度の違い、言語、習慣の違いから十分なる対策、満足なる補償も得られない状態であります。まさしく靴の上から足をかくもどかしさを覚えるのでありますが、さきに申し上げましたとおり、私たちの生活がかかっているので、残念ながら、車があるから交通事故があるといったような明快単純なる答えは出てこないのであります。  以上沖繩の縮図といわれる納手納村の現状を申し上げましたが、このような問題を早期に解決するためにも、私どもは一日でも早く祖国復帰が必要であると皆さまに訴えたいのであります。  さて、私たち沖繩県民が戦後四分の一世紀にわたり願望し続けてきた祖国復帰が本土政府の御努力と米国政府の深い理解のもと、そして国会議員の諸先生方の御協力によりまして、いよいよあと旬月にして晴れて沖繩県になることはまことに喜ばしいことであり、北方領土の例から見てまさしくこれは夢ではないかと思うほどであります。いま沖繩復帰問題についてたくさんの議案参議院の先生方に審議をわずらわしておりますが、私は何はともあれ、まず復帰することが最も前提第一であり前提条件であると、こう考えております。  協定内容に多少問題点もあるようでございますが、復帰という世紀の大事業を完成するためには、相手のあることであり、やむを得ないことと思います。請求権の放棄については、私たちは米国に対しての放棄であって、日本政府はわれわれ県民の請求に対しては何らかの形で補償をするものだと承っております。ただ、ここでこのことで少しく申し述べたいことは、単なる見舞い金的あるいはまた慰謝的意味での見舞い金では、年度によって、予算によって不安定があるので、法の根拠に基づいて補償できるよう措置をしてもらいたいと希望申し上げる次第でございます。  安保条約の適用については、本土に条約がある限り沖繩県もその例外ではない。安保条約の適用は当然であると考えるわけでございます。  VOA放送については、沖繩返還の相手側の条件であればやむを得ないので、五年といわず、復帰後なるべく早く撤去するよう沖繩の主権を取り戻してから交渉を続けてもらいたい。また、福田外務大臣もそのような趣旨のことばを言っておられたようでございます。  三億二千万ドルの資産買い取りは、復帰後の沖繩発展のための電気・水道その他の施設の買い取りであり、県民のひとしく要求する核撤去費であり、県民同胞の軍離職者の退職金の遡及適用分であるならば、戦後二十余年沖繩を里子にやって異例の経済発展を遂げた日本といたしましては、そのくらいの誠意はあってしかるべきだと私は考えるわけでございます。返還協定やり直しの声もあるようでございますが、事実上これは不可能だと私は考えます。また佐藤総理大臣もその意思がないように見受けられます。やり直し要求する者またはその団体が政権を担当して、はたして多少おくれるという程度の年限で私たちの祖国復帰が実現するかどうか、いささか不安でございます。  核基地の点検ということも事実上不可能だと私は思います。日米両国の誠意を信頼するよりほかはないのじゃないかと、こう考えております。自衛隊配備については、沖繩が、わが国土の一部である以上、本土には配備されている自衛隊沖繩には配備できないということは、これこそ片手落ちであり、特に沖繩は本土より遠く離れて点在する離島であります。わが国の最南端であり、最近の中国対台湾問題についても予測できない事態が発生する可能性もあるかもしらないのであります。最南端の与那国島では第三国人に漁場を荒らされ、不法上陸等もひんぱんにあるように聞いております。数名の警察官では手にも負えないようであります。わが国の領土の一部とみなされている尖閣列島についてもまた同様だと考えます。  自衛隊は戦前の軍国主義時代の軍隊とは全くその性格が違い、特に自衛隊の常時活動の民生協力は沖繩の発展開発にも役立つものだと考えております。そうでなくても、独立国として自国の防衛力を持つのは理の当然だと考える次第でございます。  公用地等暫定使用についても、新たに県民土地を収用するのではなく、現在でも軍用地として使用されている土地で、特に電気・水道・道路等、われわれの日常生活に必要欠くことのできない施設のものであって、復帰までに地主との契約が成立しない特別な土地に、暫定的に五カ年をこえない範囲で使用し、その間に地主との交渉を続けて円満解決をするという趣旨の法であると私は受けとめております。復帰時の過渡期にあっては必要な措置だと思います。私は嘉手納村の千八百名余で組織している軍用地主協会に協会長の意見を聞いたのでありますが、村内軍用地主には現在ほぼ了解を得ている地料、いわゆる二百十五億円でならば、反対者は全くないと地主協会長は説明しているのであります。現在でも、たとえばこの法ができても適用者はいないということを聞かされております。現在でも未契約者がうちの村内に百四十三名いるが、これはたとえば千坪のAの土地内に五坪六坪くらいの墓とか井戸とかを持っている地主であって、手続上契約のできないものだそうであります。これは嘉手納村軍用地主協会長の説明でございます。それでもなお地料は、依然としてこの地主の方々も受け取っているという事実でございます。  その他各関連法案についても、戦後二十有余年の異民族支配下にあって本上との格差があらゆる面にありますが、そのおくれを取り戻すための諸法案と私は受け取り賛成いたしたいと思います。  すべての問題はまず復帰実現であるという、日ごろもの言わぬ大多数の県民の声なき声をおくみ取りいただき、一日も早く復帰が実現し、喜んで本土同胞のもとに帰れることのできますよう、諸先生方の御尽力をお願い申し上げる次第でございます。  以上申し上げまして、次に要望事項を申し上げます。  いままでは、私個人としての見解でございましたが、これから沖繩県町村議長会、中部町村議長会会長としてお願いを申し上げます。  いわゆる昨今問題になっているドル・円の即時切りかえでございます。三百六十円で即時切りかえていただきたい。これは私ここで正式に、公人としての中部町村議長会会長としての肩書きでもって皆さまにお願いを申し上げる次第でございます。  なおまた次に、基地周辺整備法の適用について、本土では横田基地の周辺四カ市町村におきましても、従来昭和三十七年から昭和四十五年までの九年間に、約百億に近い金が公共投資されております。その点、沖繩では全く皆無の状態でございます。特に過去の期間も勘案いたしまして、復帰後相当な思い切った政策を、基地周辺整備法を沖繩に適用してもらいたいと希望いたす次第でございます。  なお時間がございませんが、もう少し申し上げますと、本土政府の出先機関、沖繩の振興開発のためにぜひ必要だと思います。私は嘉手納村の公民館をつくるために、ことしの四月、総理府に総務長官をたずねましていろいろ御説明申し上げまして嘆願いたしましたところ、一億八千万円の公民館建設費を、先生方の御労苦で予算化いたしてもらっております。ところが私どもは、去年の四月本土の予算に計上されておりますので、もう今月いわゆる今年の末、十二月までには何とかそこに住めて、村民もそこの公民館を使えるであろうと喜んでおったわけでございます。そして敷地も準備し、現場説明もして、それからいざ入札去る十五日に入札しようとした。そうしたら、琉球政府から待てと言われて、また待たされているというような状態でございます。それが、内容をいろいろ尋ねてみましたら、琉球政府のほうから執行段階におけるところの諸手続がまだ本土政府に来ていないというような状態でございます。こういうふうにいたしまして、せっかく本土同胞の皆さまが、われわれ戦禍に打ちひしがれた沖繩県民のためにいろいろの施策をやっていただくにもかかわらず、中途でもってこういうふうにもたもたするということはたいへんなことでございます。すべからくパイプを直結いたしまして、地域市町村住民の福利のためにやっていただきたい。そういう面からも私は出先機関の設置は決して地方自治の侵害でも何でもない。その地方の発展のために必要だと、こう考えておる次第でございます。  それから、いろいろと基地関係、離職者対策法とか、いろいろ諸先生方の御心配によってつけていただきましたけれども、肝心な基地関係業者の配転救済に対する事柄が一つも出てこない。私はこれが一番大切だと思います。本土の炭鉱業者救済法に準じて、その救済対策をぜひ皆さまのお力で考えていただきたいと、こういうふうに要望いたします。  さらにもう一つ、沖繩の医師不足にかんがみ、現在先生方に御検討いただいている琉大医学部の設置以外に、現在日本で検討されておりますところの県内にとどまって医療活動ができますところの自治医科大学を沖繩にも創設していただきたい。  以上四点を申し上げます。なお時間がございませんのでたくさん申し上げませんが、軍用地等の問題についても、これからぜひまだまだ解決しなければいかぬ問題が四、五点ありますけれども、時間がございませんので以上で終わって、諸先生方、よろしくお取り計らいください。私たちの声なき声、いわゆる赤じゅうたんの上で聞こえない意見をひとつ十分にくみ取りいただきまして、一日も早く復帰させていただきますようお願い申し上げまして、公述にかえる次第であります。どうもありがとうございました。(拍手)
  57. 松井誠

    ○副団長松井誠君) どうもありがとうございました。     —————————————
  58. 松井誠

    ○副団長松井誠君) 次に、仲田公述人にお願いいたします。(拍手)
  59. 仲田昌繁

    公述人(仲田昌繁君) 公述人の仲田でございます。  沖繩返還協定を最大の焦点といたしまする第六十七臨時国会の開催中におきまして、沖繩返還協定並びに沖繩復帰に伴なう関係議案に対し、現地沖繩県民の意思を聞かれるために開催されました沖繩公聴会、並びに、遠路はるばるお見えになりました安井団長以下参議院の諸先生方並びに事務当局の方々、ほんとうに御苦労さんでございます。  一、二点意見を申し述べてみたいというふうに考えます。日本が近代社会への歩みを進めてきた歴史の中で、沖繩の歴史は祖国復帰への戦いの歴史でございました。いまようやくその実現を見ようとするときにあたって、本土国民世論や沖繩県民の多数がこの協定の内容に不平不満、疑惑があることをまず申し述べておきたいというふうに考えます。  まずその第一は、返還協定の内容がきわめてあいまいであると同時に、基地返還の実態は、われわれ沖繩県民の熾烈な要求にもかかわらず極小であり、基地の機能は七二年の返還によっていささかも減退するものではないということがきわめて明白でありますし、主要基地がほとんど残るということ、さらに全く沖繩住民の意思が無視された形のものではないかというふうに申し上げておきたいと考えます。  第二に、明確にしてもらわなければならないと考えますることは核の問題でございます。国会における論議で、政府は、沖繩の核が撤去されるのは共同声明八項と返還協定第七条によって明らかである、というふうに言明していますが、われわれ沖繩県民は、沖繩にある核がいついかなる方法で撤去され、さらにその確認方法を今期国会において明確にしてもらいたいというふうに主張し続けてまいりました。しかしながら、国会におけるこれまでの政府説明は前述の域を出ないものでございますし、県民の不満、疑惑を解消するに至っていないということをまことに遺憾に思うものでございます。  第三に、協定第八条によりますと、沖繩にあるアメリカの極東諸国向けの放送——VOAの五年間存続を認め、二年後にその将来の運営を協議することになっていますが、電波法第五条は、日本の国籍を有しない者、外国政府またはその代表者には無線局の免許を与えないとなっております。このように国の法律に反してまで米国の軍事関係施設の存続を認めており、「本土並み」とはとうていわれわれは容認しがたいものでございます。  その他、返還協定は米国の施政権下で生じた日本国民の対米請求権の放棄、米国資産の引き継ぎなど、多くの不満と疑惑がございます。  次に、沖繩復帰に伴う特別措置に関する法律の第七章−通貨の交換等−第四十九条第一項に関連して若干意見を申し上げたいというふうに考えます。第四十九条第一項は、沖繩県の区域内にある居住者は、政令で定めるところにより、当該区域において保有するアメリカ合衆国通貨を、この法律の施行の日前における外国為替の売買相場の動向を勘案をいたしまして、内閣の承認を得て大蔵大臣が定める交換比率により、同日から政令で定める日までの間に本邦通貨、すなわち日本円と交換しなければならない、このようになっております。この条文から見ますと、沖繩のこの法律の施行は、おそらく施政権の返還時であろうというふうにわれわれは理解をいたします。さらに、内閣の承認を得て大蔵大臣が定める交換比率がどうなるのか、はたして一ドル対三百八円なのか、あるいは一ドル対三百六十円なのか、この条項に対してきわめてわれわれは不満と不安を抱いております。われわれ沖繩県民は、ニクソン大統領のドル防衛政策の発表、円の変動相場制への移行等、一連の国際通貨危機の渦の中で、県民の血のにじむような努力と忍耐によってささえられてきた沖繩経済県民生活に大きな損失を今日まで受けてまいりました。私どもはその中にあって、このような通貨危機より県民生活と財産を守るには、一ドル対三百六十円の交換レートによる円への即時切りかえ以外には救える方法はないといたしまして、日本政府に今日まで強力に訴えてまいりました。このような運動の過程におきまして、十月九日、通貨及び通貨性資産の確認に関する緊急臨時措置法に基づきまして、個人の現金、金融預貯金が一ドル対三百六十円で補償されることになり、佐藤総理も、県民の不安が解消されることを望む、というふうに申し述べられておりましたが、確かに不安が解消される面もありますが、労働者の賃金債権、県民間の債権債務、その他多くの問題をかかえておりまして、十月九日のこの措置によっては、通貨の根本解決にはなっておりません。  去る十七日からワシントンで開催されました十カ国の蔵相会議の結果、円の大幅切り上げを余儀なくされ、一ドル対三百八円に決定されております。八月の十五日のニクソン経済政策、発表以来、もろにその影響をこうむってまいりましたわれわれ沖繩県民にとって、さらに今回のこの円の大幅切り上げは、七二年復帰に向けて多くの問題をかかえ、復帰不安に苦悩している県民生活並びに経済を根底からいまゆさぶっております。さらに不安と困難のどん底にいまおとしいれようとしておるのでございます。  本土政府は、国際通貨の多角的調整に対する政府声明の中で沖繩通貨問題について触れておりますが、この声明では、去る十月九日のドル・チェックの措置の域を出ておるものではございませんで、目新しいものではございません。そういうことによりまして、われわれ沖繩県民はいまきわめて不安定、困難の状態に置かれておるわけでございます。したがって、「円とドルの谷間」で県民生活を守り、経済危機を乗り切り、そして円滑な豊かな復帰を築くのには、このような禍根、混乱、不安を早期に排除いたしまして、ほんとうに安心して九十五万県民が一致団結して建設の力を発揮できる、そのことをわれわれは切に要望しているわけでございます。特に七一年のこの暮れにあたりまして、このように円とドルの谷間にございまして、そして復帰に向けて自分たちの生活が、経済が一体どうなっていくのか。このような形の中で、いま沖繩県民は非常に苦悩の段階にございます。したがいまして、参議院の諸先生方におかれましても、沖繩のこの実態を十分御理解していただきまして、円のドルからの危機を取り除き、そしてそのことは即一ドル対三百六十円の交換レートの保証による円通貨への切りかえ以外にない。このことは沖繩九十五万県民の私は総意であろうと考えます。  さらに公用地暫定使用に関する法律につきまして、端的に申し上げまして、この法律は米軍基地の維持存続と自衛隊沖繩配備を目的としたものではなかろうかと私は考えます。われわれ沖繩県民は、あの第二次大戦において戦争の悲惨と残酷さを身をもって体験してまいりました。さらに四分の一世紀にわたり、基地あるがゆえに派生する公害、人権問題等、その中にあって血のにじむような苦難の道を歩んでまいりました。したがって、祖国復帰ということは、異民族支配からの脱却と同時に、このような軍事的重圧から一日でも早く脱したいということであり、これは県民のすべての感情ではなかろうかというふうに考えます。でありますから、県民として沖繩米軍基地の整理縮小、将来的には撤去を求めて、物心ともに豊かな沖繩県の建設を希求するのは当然のことかと考えます。このような県民の気持ちを無視して、本土と比較にならないような基地の機能、密度のある沖繩米軍基地に、しかも、本土との対比におきまして二十数倍といわれる六千八百余の自衛隊を派遣するということは、どう考えてみましても納得ができませんし、戦争への危惧はぬぐい去ることはできません。  次に、きわめて現実的なものといたしまして、われわれはかねがね、将来的に沖繩県民の豊かな生活を確保する意味におきまして産業政策を展開をしてまいりました。  海運関係について、この復帰を目前にいたしまして、若干大きな問題が出てまいっております。そのことを申し上げますと、第二次大戦後廃墟と化した沖繩で、海運業はその先端を切って復興への道を歩み始めてまいりました。一九四六年、沖繩船員による米国軍用船の運航がスタートして以来、見るべき国家の助成もないままに着実に船腹の増強の努力を重ねまして、現在沖繩の企業が保有する内・外航船は百トン総トン以上の鋼船で約五万五千トンに及んでおります。この船腹量は本土のそれと比べ問題にならないほど小規模なものでございますが、沖繩における外貨収支の面から見ますと、全産業中第四位にございまして、沖繩経済に果たしている役割りはきわめて大きいものがございます。本土の海運産業がその船腹量において実質世界第一の高度成長を遂げまして、大型化、専用化など急テンポの輸送革命を遂げている中で、沖繩の海運業は、その保有する船腹量のみならず船質、企業の体質面において、本土に十数年の立ちおくれをいたしております。同時に、沖繩海運業は、本土−沖繩間の外航海運活動を主体にいたしまして歴史的成長を遂げてまいりました。現在本航路に占める沖繩籍船の就航船腹量、これは沖繩−本土間でございますが、延べ約百九十万重量トン、全体の約四五%と推定されております。この数字から見られるごとく、これだけ依存度の高い本土−沖繩間の基幹航路が復帰時点で内航海運として位置づけをされた場合に、ここに本土のふくそうしております船舶がどっと押し寄せてまいりますと、沖繩の固有の海運業に重大なる打撃を与えるのは火を見るより明らかでございます。現在宮古−八重山航路、あるいは本土と沖繩間の航路につきましては、それぞれ運賃同盟というのがございまして、かなり強いカルテル行為によって航路の秩序維持をはかってきたため、そのシェアの中で沖繩海運業は曲がりなりにも海運活動を維持してこられたということが言えます。四面を海に囲まれた海洋県のわれわれにとって、見るべき保護もないままに今日まで成長してまいりました沖繩固有の海運業に対する愛情は、本土のそれとは比較にならないほど強く、復帰とともに内航海運業として位置づけられることにより、比較にならないほど競争力の強い本土海運資本に既得航路をじゅうりんされることを非常におそれているわけでございます。沖繩県民が本土の企業及び行政に抱いている不安をそのまま残しておくならば、円滑な復帰及び将来の一体化に大きな妨げとなるということは火を見るより明らかではないかというふうに考えます。したがって、沖繩県の海運企業が本土の海運業に伍してその活動を維持し発展していくためには、内外航路の秩序の母体となっておる運賃同盟の基準を維持するとともに、地元海運業に相当量の船腹を保有させることが必要ではないかというふうに考えます。  このような観点に立ちまして、復帰に向けて諸準備をしてまいりました沖繩県民会議におきましても、との問題を提起をいたしまして、そこで意見の集約をいたしまして、本土政府にこの案件を、言うなれば、沖繩−本土間の航路秩序維持の問題を訴えまして、その中で、復帰対策第二次要綱の中で、貨物船につきましては航路秩序の維持をはかるということが出されました。しかし、旅客船につきましてはこれからはずされておりまして、そのことは復帰をいたしますと、本土の内航海運業法にこれら旅客船が含まれまして、必然的に免許制になるわけでございます。そういうことにおいて復帰対策第二次要綱の中からこれをはずしておりますが、最近沖繩−本土間の航路に対しまして、言うなれば本土海運業者がかけ込み的なやはり旅客船の配船の強硬手段考えておるようでございます。そういう点におきまして、ほんとうにわれわれが円滑な豊かな復帰を実現するためには、このようにいまこそ県民が総意を結集するこの重要な時期に、地元海運業に対して、さらにそこに働く労働者に対して大きな不安を残すようなことに対しましては、本土政府の強い行政指導によって、措置によって、この混乱と不安を除去していただきたい、こういうふうに考えるわけでございます。  ちょうど予定の時間になりましたので、御質問等ございますれば、その中で具体的に御説明申し上げたいというように考えます。  どうもありがとうございました。(拍手)
  60. 松井誠

    ○副団長松井誠君) どうもありがとうございました。     —————————————
  61. 松井誠

    ○副団長松井誠君) 次に、宮国公述人にお願いいたします。(拍手)
  62. 宮国英勇

    公述人(宮国英勇君) 本日公述人の一人としまして指名された公認会計士の宮国英勇であります。  私は、沖繩復帰前並びに復帰後の沖繩経済の問題を中心にして意見陳述を行ないます。  最初に、一九六九年十一月二十一日に発表されたいわゆる佐藤ニクソン共同声明の基礎の上に作成されました沖繩返還協定締結について、かつまた、沖繩の本土復帰が諸制度の面から円滑に移行するよう配慮された諸法案について、その審議に日夜取り組んでおられる国会議員の諸先生方並びにこれらが成案に至るまでに御労苦をおかけした関係者の方々に、沖繩住民の一人として深甚なる謝意を表するものであります。  思い起こせば、この二十六年間、アメリカ施政権下にあって、沖繩の復興期に多大なる経済的援助を受け、また、経済的に進んだ米国から学ぶものも少なくはなかったが、他国の軍事的支配はいかんともしがたく、渡航の自由制限、人権の問題等、種々の問題をかもし、したがって、沖繩の祖国復帰はわれわれの長年の念願であったのでございます。  しかるに、この喜ぶべき祖国復帰を目前にしまして、この沖繩の社会は非常に暗い、不安の多い、動揺した社会におちいってしまっております。その理由は一体何であろうか。返還協定の内容に人心が動揺するほどの不安なものがあるのであろうか、あるいはまた、復帰関連諸法案に期待するものが何ものもないのかと考えましたときに、私は決してそのような理由からこの沖繩が不安な状態におちいっているというふうには考えないのであります。  返還協定の内容にはもちろん多少の不満はあります。しかしながら、不満があったにしても、これは復帰後おいおい日米交渉によって解決の方向に持っていくとしまして、これがそのままで早急に批准され、一日も早い復帰が実現されんことを念願しているものであり、また復帰関連諸法案にしても、沖繩のためになるものはすべて漏れなく法案に盛ってもらいたいと思いますが、何しろ人為に完全無欠というふうなものはあり得ないところから、大体これでいたしかたないものと思っている次第です。  しからば、先ほど述べた沖繩の社会の不安、動揺というふうなものは一体どういうような理由から来ているのであろうか。私は、これを経済的不安だと断言したいのであります。もちろん、本土政府も、復帰を迎えた沖繩経済のために、将来の構想としていろいろ大きな計画を持っているようであります。私が言うまでもなく、たとえば沖繩振興開発金融公庫法案が通過しますと、沖繩に現在ある最も大きい普通銀行であります琉球銀行に匹敵するほどの約三億ドル資金量を持つ金融公庫が誕生して、沖繩の中小零細企業の資金的需要を満たしてくれるようになっているようでありますし、また、公用地等暫定使用法案が通過すれば、二百十五億円、   〔副団長退席、団長着席〕 約六千万ドル公用地等の使用料が沖繩経済を潤おすことになっているようでございます。この六千万ドルという金額がどういうような意味を持つかといいますと、大体現在の沖繩における米軍基地収入が二億ドルに達しております。二億ドルです。したがって、この六千万ドルの金額は、従前までアメリカ軍から約一千万ドル足らずを軍用地料として払われておりましたので、それを差っ引きますと大体五千万ドル、したがって、これまでの軍事基地収入の約四分の一に当たるものでございます。さらに、この五千万ドルという金額は、沖繩の全輸出量——砂糖、パインその他の輸出価額、総額含めまして年間一億一千万ドルでございます。したがって、その約二分の一に当たるものであります。およそキビ代、すなわち砂糖の買い上げ価額に匹敵するような金額でございます。  明るい見通しとしましてはさらに、沖繩のためにいろいろお骨折りをいただきまして、七十五年に開催が予定されている国際海洋博の五千億円、約十五億ドルが投資されることになっておりますし、さらに、これまでおくれている沖繩の社会資本拡充のための大量の公共投資を復帰後四、五年継続していけば、沖繩復帰後の経済構造の変動による大きな損失をカバーし、ややもすれば落ち込んでいくような沖繩経済を幾らかでも浮揚させ、最小限でもこれを維持していくような経済状態が描かれ、われわれも非常に将来については期待しているわけでございます。  しかしながら、現下の沖繩経済の情勢は、御承知のドル・ショックの影響をまともに受けまして非常にきびしく、倒産なき経済といわれた沖繩でも、軍工事の減少、本上不況の影響等によりまして、去った八月から十二月の円切り上げ発表までの約三カ月の間におきまして、那覇の大手メーカー二社、並びに嘉手納の軍事基地請負建設業者一社が倒産のうき目にあっております。さらに、営業不振による全面操業停止並びに五割操業停止の会社が約十社程度もありまして、現在沖繩経済に非常に暗い影が忍び寄っているような状況であります。  さらに、一昨日のビッグ・ニュースとして伝えられましたように、日本時間十九日午前七時半、ワシントンで開かれていた十カ国蔵相会議の合意により発表された一ドル対三百八円という一六・八八%の大幅な円切り上げによって、沖繩経済は大きな打撃を受けております。なぜなら、個人の現金や預貯金については、去った十月九日、十日に実施されました現金、預金の確認により、復帰時点で一ドル対三百六十円のレートで通貨交換されることになっておりますが、そのきに法人は完全に除外されているからであります。ちなみに、沖繩復帰に伴う特別措置に関する法律案第四十九条によりますと、「通貨の交換」としまして、第一項、ドルは、「この法律の施行の日前における外国為替の売買相場の動向を勘案し、内閣の承認を得て大蔵大臣が定める交換比率により」円と交換されなければならないというふうになっております。この条文から見る限り、沖繩ドル復帰時点に一ドル対三百六十円のレートで、すなわち旧レートで交換するというふうな、交換できるという保証は全然なくなりまして、その命脈は完全に断たれております。これはむしろ一ドル対三百八円の新レートで交換することが法律上はっきりと打ち出されたことにほかならないわけでありまして、これによって沖繩復帰と同時に、経済のみならず社会全体が壊滅的な打撃を受けることになるであろうと私は非常に心配しております。  先ほど述べました法人の差損補償が除外されたということについてその損失を試算してみますれば、私の試算並びに琉球銀行の試算によりまして、通貨性資産を大量に保有する沖繩における銀行が、普通銀行二つ、相互銀行一つ、信用協同組合二つ、それから生命保険相互会社三社、損保会社二社ありますけれども、そういう金融機関で——特に銀行でごさいますが——この銀行の損失が約五千万ドルと推定されます。さらに法人等の損失が約二億ドル、合計二億五千万ドルの巨額の損失にのぼると試算されております。  さらに、それ以外に間接的な損失としてあげられるものが、一、賃金の切りかえレートをめぐる労使間の対立——非常に社会不安に通じます。二番目に、個人間の貸借の問題——法律上相当繁雑な問題が起こります。三番目に、物価の上昇——これは低所得者への影響が大きいのであります。四番目に資金の逃避——これは、資金が逃避しますれば、結局銀行の資金量が減り、沖繩経済が非常に困ります。こういうふうな間接的な影響にはるはかり知れない損失が出るわけでございます。私は、これが必ずや社会不安、ひいては国家不信につながっていくものと確信するようなものでございます。したがって私は、こういうような、先ほど述べました個別の差損補償などという小手先の国家施策ではなく、一ドル対三百六十円で直ちに通貨交換をすべきであると強力に要請したいのであります。これは、この一ドル対三百六十円通貨交換をしてもらわなければ沖繩復帰は非常に暗いものになるというふうな意味合いにおきまして、佐藤総理は政治生命をかけてでもこの一ドル対三百六十円の通貨交換の保証をわれわれ沖繩住民のために取りつけていただきたいと念願するわけでございます。  かかる当然の措置ももしできないとすれば、五千万ドルも損失の生ずる沖繩の銀行はその経営さえ危ぶまれるのでございます。銀行の経営がおかしくなれば何が起こるでしょうか。皆さま御承知のように、企業が困り、個人が困り、社会全体が非常なる危機におとしいれられていきます。このような事態を反映してか、最近の沖繩の銀行の預貸率は早くも九〇%近くになっておりまして、設備資金は全面的にストップ、運転資金さえもほとんど貸せない状態に立ち至っており、企業の大半が資金繰り難で、復帰まで持ちこたえられるか、倒産するんではないかというふうな、非常な心配がされております。これについて沖繩では何らとる施策もございません。このような経済的危機、社会不安の観点からも、私は即時復帰させてもらいたいと思っているわけです。  このような社会不安を取り除くものとしまして、本土政府並びに国会議員の諸先生方にお願いしたいことがもう一つございますが、現在沖繩アメリカ施政権下にあるというふうなことでいろいろな国家施策がとれないということを答弁としておっしゃっておられるようでございますけれども、しかしながら、復帰はすでに秒読みの調整の段階に入っておりまして、やろうと思えば何とかできるんじゃないかというふうに私考えておりますけれども、そういうふうな形でせめて復帰後に予定されている公共投融資を復帰前に繰り上げ措置を行なってもらいまして、復帰を目前にしまして沈みかけてる沖繩経済を何とか浮揚さしていただくようぜひお願いしたいというのが私の第二の願いであり、さらにこれが住民大衆の要請の声でもあります。  第三に、長期的な観点から復帰後の沖繩経済対策に関する要望を掲げていきたいと思います。予定の時間が来たようですので、復帰後の長期的な経済対策に関する私の要望は質問の時間に回すことにしまして、ただ一つだけ、観光立県沖繩に欠かせない南部−北部間の縦貫道路を建設してもらいたい。これは糸満、那覇、石川、名護、国頭を貫く縦貫道路をぜひ沖繩の観光産業のために、観光立県のために建設していただきたい、こういうふうに念願するものでございます。  最後に、私がお願いしたいのは、国会議員の皆さま諸先生方や本土政府方々が、復帰後も変わりなくこの沖繩をあたたかい愛情で見守ってもらいたいというふうに念願いたしまして私の意見陳述を終わらしていただきます。(拍手)
  63. 安井謙

    団長安井謙君) どうもありがとうございました。     —————————————
  64. 安井謙

    団長安井謙君) 次に、芳沢公述人にお願いいたします。(拍手)
  65. 芳沢弘明

    公述人(芳沢弘明君) 議会制民主主義を守るということが、国民の信託を受けた国会議員としての当然の責務であることは私が申すまでもありません。しかるに、過日衆議院では、沖繩返還協定特別委員会と本会議におきまして二度までも強行採決という暴挙が行なわれたことは、きわめて遺憾にたえないところであるばかりか、そのような衆議院にかかわりを持つ日本国民の一人として、たいへん恥ずかしい思いさえするものであります。特に十一月十七日の沖繩協定特別委員会における強行採決は、沖繩県民要求を織り込んだ建議書を携えて上京した屋良主席が羽田空港におり立ったまさにその時刻に、しかも、沖繩選出の瀬長、安里両議員の発言を封ずるという形で行なわれたものであったという点で、私たち沖繩県民に対する重大な侮辱であったと断ぜざるを得ず、この機会に抗議の意を表明するものであります。  ところで、本日のこの公聴会は、衆議院ではございません。参議院のそれでございます。参議院が皆さんをわざわざ沖繩に派遣され、私どもの意見を徴され、これを審議の参考に供されるということは、たいへんけっこうなことでございます。しかしながら、沖繩協定の批准に関する限りにおきましては、参議院の議決をまたずとも、どうせ自然承認になるんだということを計算に入れている人々がいるということについては、これが参議院権威と権能を著しくそこねるものであるがゆえに、したがってまた、国会の審議権を無視するものであるがゆえに、この点についても皆さんとともにはなはだ遺憾に思うものであります。  しかし、私はあえてここで意見を申し述べることにいたしました。それは、日本における議会制民主主義が踏みにじられている今日にあっても、参議院だけはいまだ信頼すべき良識の府であるに違いないとの期待があるからであります。私どものそのような期待にそむくことなく、参議院においては十分に審議を尽くされんことをまずはお願い申し上げて本論に入ります。  政府が、去る十九日、ワシントンにおける十カ国蔵相会議の申し合わせに従って円を一六・八八%切り上げ、円とドルの為替レートを一ドル=三百八円とする旨の閣議決定を行なったことに対し、私たち沖繩県民はただあ然とし、燃えたぎる怒りをどのように処理をしたらいいのか、そのすべを知りません。一体、日本政府はだれのための政府なのでしょうか。二八・八八%という切り上げ率は十カ国の中でも最大のものとなっていることを聞くに及んでは、その対米従属ぶりにただただあきれ果てるばかりであります。政府アメリカ要求に屈服し、アメリカに対していい顔をすればするほど、国民生活は破壊され、その苦しみは増大します。とりわけ、そのしわ寄せは私たち沖繩県民の上に大きくのしかかってまいります。去る八月十五日に行なわれたニクソン大統領のドル防衛声明とそれに続いてとられた円の変動相場制の移行措置この方、沖繩における物価の上昇はまさに天井知らずの状況にあります。ここに沖繩教職員組合婦人部の行なった調査結果がございますので御紹介いたします。  一九七一年十二月六日と八日、午後五時から八時の間に中央市場その他のところで一斉に調査をしました。同一の品目、銘柄、単位について格差の比較をしたものであります。調査の結果は、物価格差の比較については、同一の品目、単位、銘柄を抽出し、三十三品目について比較したところ、肉類が十セントないし三十セントの差、魚類が二十セントないし五十セントの差、野菜類が二七ントないし二十セントの差、かん詰め類が一セントないし五セントの差とあり、安い店、高い店があることがはっきりした。ドル・ショック以前の八月上旬段階の物価と比較した場合、ほとんどの物価が上がっている。中でも魚肉類は全品目が値上がりしており、値上がり幅も二セントないし六十セント、乳製品が四セントないし三十八セント、野菜類が二セントないし十四セント、乾物類が三セントないし十二セント、加工食品が一セントないし五セント、調味料が二セントないし五セントと軒並みに値上げの現象を示しております。変動相場制のもとにおいてさえ以上のとおりです。これが一ドル=三百八円となると一体どうなることか。物価はもっともっと上昇し、県民生活はこれまで以上に圧迫されることは火を見るよりも明らかであります。ちなみに、皆さん国際通りへ行ってごらんなさい。ある観光みやげ品店では、早くも貴金属品の一五%前後の値上げを実施しました。これまで十二ドルだった金メダルを十三ドル四十セントに、また、四十八ドルの指輪を五十三ドルにそれぞれ正札のつけかえを行ないました。また、あるデパートの社長は、変動相場制以来一ドル=三百二十円で契約してきたが、それを上回るレートで驚いている、物価が上がることは必至だ、と語っております。また、沖繩の輸入物資の九割を扱うといわれる問屋街のある通りの会長さんは、たいへんなことになった、これじゃ死んでしまう、早く円を切りかえないと、何億円援助を受けても追っつかない、と話しております。琉球政府金融検査庁が控え目に計算したところによっても、その実損額は実は六千万ドルにものぼることが本日の新聞に報道されております。その他、これによって生ずる社会不安の数々は、先ほど宮国公述人も申し述べたとおりであります。  政府、国会は、沖繩のこのような実情を直視し、いま直ちに沖繩ドルを円に切りかえる措置を講ずべきであります。通貨施政権は不離一体であるとか、施政権の壁があるから不可能であるとかの言いのがれはもはや許されません。  第一、アメリカの占領下にあって、これまで沖繩では、私の知る限りでも、四回通貨の切りかえがございました。その一々の年月日は省略いたします。ただ一つ、昭和二十三年——一九四八年までは日本円が通貨として行なわれていたということであります。講和発効前の直接占領下においても日本円が通貨として行なわれていたというわけですから、施政権の壁が通貨切りかえの支障になるというのは決して理由になりません。  第二に、本土では、たとえば変動相場制に移った八月二十七日の一日間で約十二億ドルドルを円にかえています。さらに十六日から二十八日までの十二日間、中一日の日曜日を除きますと、実際には十一日間で四十億ドル余の交換が行なわれました。こうした大財閥と大商社のために三百六十円でドルを円にかえて、その利益のために佐藤政府は奉仕してきたと言わねばなりません。その佐藤内閣がわずか十億ドルにも満たない沖繩ドルをいま直ちに円にかえられない道理はありません。  第三に、このたびの協定の中身が真に本土並み返還だと言うなら、もう返還は目の前なのですから、また政府はこれまで一体化、一体化ということを言ってきたのですから、いますぐに円とドルを切りかえるということが政府でできないはずはないのであります。通貨切りかえのためにもとにかく復帰をするという考え方はしたがって正しくありません。  第四に、協定で義務づけられた三億二千万ドルにものぼる資産買い取りをはじめ米軍労務者退職金や米軍施設の改善費、特殊部隊撤去の費用など、かれこれ合わせて八億九千百万ドルというばく大な費用、これは振り向けるならば切りかえは直ちに可能であります。  以上要するに、沖繩県民の当面の緊急かつ切実で一致した要求は全県民一致した要求です。この要求は、ドルを直ちに三百六十円で切りかえよということであります。変動相場制を採用して以後の一切の差損を全部無条件で補償せよということであります。われわれはみずから好んでこのドル生活に入ったのではありません。長年にわたる不当な米軍統治のもとでよんどころなくドルという紙幣を使わされて今日に至ったのであります。とにもかくにも、苛酷な占領下で額に汗して手にしたささやかな労働の成果を、いまなしくずしに剥奪されていることについては、沖繩県民のすべてが満腔の怒りを込めて反対せざるを得ないのであります。  しかも、皆さん、これをはばんでいるものが資産買い取り、自衛隊派遣を中身とする、要するに金のかかる協定であるとすれば、これには断固反対せざるを得ないのであります。核抜き・本土並みどころか、核基地つき・有事核持ち込み・自由使用返還を内容とし、安保条約の実質的改悪をもくろむこの協定が、県民を含むすべての日本国民生活に重圧としてのしかかることは火を見るよりも明らかだからであります。ちなみに、七〇年八月二十三日に公表されたサイミントン委員会におけるジョンソン米国務次官の次の証言及び本年三月三十日アメリカ下院歳出委員会の海外活動小委員会でのランパート高等弁務官の証言などは、それを裏づけるものであります。  ジョンソン国務次官は次のように述べました。「われわれが返すのは沖繩施政権だけであわせてわれわれは頭痛のタネと維持費をまぬがれるのである——オンリー・ジ・アドミニストレーション・ウィズ・ザ・ヘッデイク・アンド・ザ・コスト——。わたしは、沖繩施政権の問題を解決しなかったならば、沖繩でにせよ、日本でにせよ、われわれがあと五年あるいは十年ももちこたえられるとは思わない」、これがジョンソン国務次官の証言であります。  次に、ランパート高等弁務官は、次のように証言しました。「最近の太平洋における米軍配備変えによって沖繩駐留米軍の一部削減を含め若干の変化が生じた。しかし沖繩は嘉手納空軍基地陸軍第二兵站司令部、第三海兵師団、大規模通信施設など広範な基地が引き続き存続することになる。沖繩は今後不定期間にわたり太平洋における米軍ならびにその同盟国の防衛のため決定的な役割りを果たすだろう。  沖繩基地は同基地への投資額が多く強固な建設がおこなわれきわめて大きな威力を発揮するだけでなく地理的に非常に重要である。  沖繩『返還』のプラス面の一つはわれわれが地主に毎年支払っている一千万ドルの地代を『返還』後払わなくても済むということだ。  過去一年ちょっとの間にメースBが撤去され、陸軍の対空兵力が削減されたほか、一部空軍兵力が移動した。こういった削減はまずまずのもので大規模なものではない。全体的に兵力は第三海兵師団が六九年十一月にベトナムから引き揚げてきたために、事実上二年前よりさらに強力になったくらいだ」。この証言は、沖繩基地の長期保有と基地の強化——「全体的に兵力は……さらに強力になった」——をあらためて明らかにするものでありました。  ここで注目すべきは「沖繩返還のプラス面の一つはわれわれが地主に毎年支払っている一千万ドルの地代を返還後払わなくても済む」という証言、それとジョンソン国務次官の証言、この協定の本質が那辺にあるかということは、ここでもうあらためて申すまでもないわけであります。  さらにこの協定は、沖繩県民アメリカの占領下でこうむってきた数々の損害、たとえば講和前の人身損害、軍用地復元、漁業権、それから軍用地接収損失、軍用地賃貸料値上げ、入り会い権、講和後の人身損害、つぶれ地、滅失地、基地公害などの補償請求権を放棄しております。これらの額についてはここで省略いたします。  次に、アメリカの特権保護のための愛知外相書簡というのがあります。皆さんどうぞ、向こうに商業高等学校というのがございます、その商業学校を帰りに見てください。商業学校の隣にマーニングという会社があります。この会社は国有地、県有地を借り切っています。しかも愛知書簡で、これは一年後に当事者同士相談して返せというものです。しかし、学校ではどうです。便所が基準に満たない。運動場が規格に合わない。私はあの商業高校の教師をしていたことがあります。冬になると女生徒たちがほんとうにそわそわし始めます。授業が終わり近くなるとそうなります。早く行ってトイレの順番を待たなければならない。このような非教育的、不健康な状況があるにもかかわらず、愛知書簡でこれらの土地は返ってまいりません。このような中身の曲がった返還協定に私ども沖繩県民が反対するのは当然であると思います。  さて皆さん、最後に申し上げます。関連法案の中で、公用地取り上げ法案、これは憲法違反のものであります。しかも、沖繩だけに適用される。「法の下の平等」を侵す法律であります。その内容についてはあとで御質問の中で明らかにいたします。  さらに、教育委員の公選制をはじめとする民主的な諸制度が沖繩にあります。これを本土並みになしくずしに悪くするという中身を持った法案、これに私たちは反対せざるを得ません。  以上言い尽くせませんでしたけれども、足らない点は質問で補うことにいたしまして、私は、ただいま国会で審議中の沖繩返還協定は、これは返還協定ではない。だから批准すべきではない。それと対をなす関連法案もその大半はこれに反対せざるを得ない。そして沖繩県民が真に願う核も基地もない真の返還のために、国会の皆さんは国民代表として奮闘していただきたい。このことを申し上げて公述を終わります。(拍手)
  66. 安井謙

    団長安井謙君) どうもありがとうございました。     —————————————
  67. 安井謙

    団長安井謙君) 次に、小嶺公述人にお願いいたします。(拍手)
  68. 小嶺憲達

    公述人(小嶺憲達君) 参議院沖繩における公聴会におきまして意見を申し述べる機会を与えられましたことを光栄に存ずる次第でございます。  私は、結論から申し上げますと、沖繩返還協定並びに関連法案がこの国会におきまして全部成立し、沖繩の二十六年にわたる異民族支配に終止符を打ち、一日も早く祖国復帰が実現されますよう百万県民とともに願うものでございます。  次に、自衛隊配備について申し上げますと、自衛隊は、その名前のとおり、国を守り平和を守るためにあると私は考えます。自衛隊は戦争につながるというような宣伝は、ちょうど消防隊があるから火事が起こるんだという論と同じでありまして、これは当たらないと考えます。国防ということは、国がある以上、国の存立と不可分のものであり、国と国民の安全を守る最小限度の防衛力は絶対に必要であると考えます。ちょうど家に戸締まりをし、火のもとに用心をするというのと同じ道理であると考えるものであります。復帰沖繩の局地防衛のために自衛隊配備されることは、ほかの県の例にかんがみても当然のことであると考えるものであります。  次に、公用地法案につきましては、日米安全保障体制のもとで米軍への土地を提供し、さらに道路、港湾、飛行場あるいは電気、水道等の住民生活及び公共の利便を考慮した場合に、公用地の確保は、これも必要であると考えます。  次に、教育制度について申し上げますと、沖繩の教育基本法の冒頭にこうあります。「われらは、日本国民として人類普遍の原理に基き、民主的で文化的な国家及び社会を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しなければならない」とありまして、「われわれは、日本国民として」という文言がまっ先に出てくるのであります。これは、この立法当時から現在に至るまで、いつか沖繩は祖国に帰るという県民の悲願がこの文言の中に込められていると私どもは考えているのであります。しかしながら、真の日本国民の教育というものは、いまのような異民族支配のもとではできないと思うのであります。日本国民の教育は、祖国に復帰して日本国憲法のもとで一億同胞とともに同じ制度、同じ教育内容によってのみ可能であると考えるものであります。したがいまして、教育委員会制度、教育行政制度は当然に本土と同じものでなければならないと考えるのであります。沖繩だけ特別な制度や法令のもとに置くことはとうてい考えられないことでございます。  次に、退職年金あるいは退職手当のことについて問題がありますので、この機会に申し述べさせていただきたいと思いますが、御承知のとおり、沖繩には元南西諸島恩給等特別措置法というのがございます。この法律によって、沖繩の教職員並びに公務員は、いわゆる便宜退職——あるいはみなし退職とも称しておりますが——それによって現職のままで恩給が支給されている例が多いのであります。ところで、共済組合制度が沖繩にもできまして、これも大体本土の制度と同じでありますが、恩給と退職年金とが一本化されたのでございます。そこで、さきのみなし退職をして現職のまま恩給をもらっている人たちが最終的に退職した場合に、その受けるところの年金から、すでに受けた恩給額——これを普通恩給等受給額と称しておりますが——このすでに受けた恩給を返還しなければならないようになっております。その返還の方法に、本土法と沖繩の現行法とに大きな相違がありまして、ここに問題があるのであります。さきに述べましたような、みなし退職によって恩給を支給するという例は本土には全くないのであります。これは沖繩の特例であろうと考えます。このみなし退職による恩給受給の期間は十五年ないし二十年という長い期間にわたっている例が多いのであります。そういたしますと、このすでに受給した額を積み上げますと、これが沖繩ドルにしまして約五千ドル、円にしまして百八十万円ぐらいにもなるというわけでございます。そこで最終的に退職をいたしまして、かりに年額六十万円の年金をもらったとしますと——本土法によりますとこの返還率は二分の一という規定になっております——沖繩の場合は、これを、額が多いということを勘案しまして返還率を十分の一というふうに規定されております。これが大きな問題でございまして、かりに本土法によりますと、六十万円を二分の一ずつ返還いたしますと、百八十万円を返還するのに六年かかります、三六、十八でございますから。そうすると、この六年間は年金は二分の一しか手に渡らない。この六年間の生活は二分の一の年金でささえていかなければならない。こういうたいへんに気の毒な事例が起こるわけでございます。しかも、この該当者は教職員だけでも約六百名いるのであります。で、これについて、そのままにしておきますと二分の一ずつ返還させられる結果になりますので、これを、沖繩の既得権といいますか、十分の一返還方式を続けて認めていただきたいというのが私の願いであります。御参考に申し上げますと、昭和二十一年の五月三十一日に勅令第二百八十七号というのがございまして、これは外地引き揚げ者に対する身分の打ち切りをうたった勅令でございますが、これによって身分を打ち切られていたわけであります。ところが、これが昭和四十二年の恩給法の改正によりまして、この身分打ち切りになっていたのが通算されることになったわけであります。したがいまして、その通算された場合に、身分打ち切りのときに、身分打ち切り以後支給されていた恩給額は、通算の時点において返還するということになっておりますが、その返還率は十五分の一であります。沖繩は十分の一。いまの恩給法の一部改正では十分の一という外地引き揚げ者に対する率でございます。したがいまして、私は沖繩の十分の一という返還率は決して不当なものではないのではないかというふうに考えます。しかも、この六百名の教職員はいずれも年配の教職員でありまして、戦後沖繩全体が苦難の時代に、沖繩の教育の再建に挺身してきた先生たちであります。  それからもう一つ、これに関連いたしまして退職手当の問題があります。さきのみなし退職によって恩給を支給した場合に、一応退職でありますから、退職手当も本土政府から支給されているわけでございます。したがいまして、これも最終退職——いわゆるほんとうの退職、まあ、さっきはみなし退職でありましたので——そのときには、このさきにもらった退職手当を、沖繩の法律によりますと、退職手当に関する立法によりますと、さきにもらった実額を返還する実額控除方式でございます、沖繩は。ところが、これを本土法に当てはめますと、実額ではありませんで、率でもって、過去の年数に基づく率を控除するわけでございます。こうなりますと、たいへんに沖繩の現行法よりも不利になるわけでございます。沖繩の現行法の約半分の退職手当になってしまいます。しかも、先ほど申し上げました年配のこの六百名の先生方は、もうしばらくで退職をする。二、三年うち、あるいは復帰直後に退職をなさる方々でありまして、この先生方は永年勤務者でありまして、この人たちが勧奨を受けて退職をするという場合には、その損失の率が倍加されるわけでございます。損失が倍加されるわけでございます。そういたしますと、さきの年金の控除率とこの退職手当の控除率によって二重のパンチを受けることになりまして、私は、このままでは大きな復帰不安につながるものではないかというふうに考えて、実はこのことを国会において何とか考慮していただきたいと考えるものであります。  次は、校舎建築その他の教育施設についてでございますが、沖繩は、御承知のとおり、戦争によりまして校舎が全部灰じんに帰したわけでございますが、これを戦後この復興に鋭意努力いたしてきたのでございますけれども、まだしかし、本土と比べますと相当な格差がございます。試みに申し上げますと、校舎の保有率は小学校で沖繩七〇・五%、類似県九四%、その差は二三・五%。中学校におきまして校舎が、沖繩六七・二%、類似県九二・四%、その差は二五・二%であります。そのほか屋内運動場、水泳プールについては、さらにその差は大きいのでございます。しかも、沖繩の市町村は本土に比べましてたいへんに規模が小さい。しかも財政能力が貧弱でございまして、そのために、従来校舎建築は琉球政府が全額負担——全額補助をしてまいったのでございます。これを一挙に本土並みということになりますと、とうていこれは市町村ではまかない切れない。あるいは十分の八とか十分の九とかという説もございますけれども、それでもまだ私は負担が大き過ぎるんじゃないか。それで、当分、本土並みの水準に達するまで、類似県の水準に達するまでは、国庫が全額補助という形でやっていただきたいということをお願い申し上げる次第でございます。  重ねて申し上げますが、この国会において返還協定並びに関連法案がぜひとも成立いたしまして、この沖繩返還が実現いたしますようお願い申し上げたいと思います。私は、返還協定が四、五年は延びてもよろしいという説は、これは県民の真意ではないと考えます。四、五年待って、はたしていまよりもよりよい条件で復帰できるか、そういう保証は私は全く聞いたことがございません。その保証のないことで返還が延びるようなことがあったら、再びチャンスが来るかどうかを私はおそれるものでございます。どうぞ参議院の先生方、この沖繩県民の心をお察しくださいまして、今国会においてぜひとも返還協定並びに関連法案を成立させていただきますようにお願い申し上げまして私の公述を終わります。  どうもありがとうございました。(拍手)
  69. 安井謙

    団長安井謙君) どうもありがとうございました。  以上で公述人各位の御意見の陳述は終わりました。     —————————————
  70. 安井謙

    団長安井謙君) これより公述人に対する質疑に入ります。  御質疑のある方は、順次御発言を願います。  ちょっと申し上げますが、最初に公述願いました村山公述人が、所用のため三時には退席しなければならぬ、こういうお話でございます。村山公述人に対する質疑は早目にお願いできればけっこうだと存じます。
  71. 星野力

    星野力君 私は嘉手納村の村山さんと弁護士の芳沢さんにお尋ねいたしたいと思います。  まず村山さんには、あなたの村では八六・二%が軍用地に取り上げられておるわけでございますが、村の方々の中には、自分の土地に住みたい、自分の土地を耕したいという念願は非常に強いものがあると思うのであります。そうしてその方々は、いずれはそれらの土地が自分たちのところに返ってくると期待しておられると思いますが、あなた御自身、いつになったら土地が返ってくると期待しておられるか、これが一つでございます。お聞かせ願いたい。  それから、先ほど自衛隊配備についてお話がございました。政府は、施政権の返還と同時に自衛隊配備する方針で準備を進めております。なぜ急いで自衛隊配備をやらなければならぬのかと思うのでありますが、それについて政府は、日本施政権のもとに沖繩が返ってくる、その日本の領土を自分の力で守るのは当然ではないか、こう言っておるのでございますが、沖繩にいま差し迫った外からの脅威があると思われるかどうか。私は、沖繩への自衛隊配備は、アメリカ軍、在日米軍の任務の一部を肩がわりして、そうして米軍自衛隊の共同作戦の態勢をつくっていく、そういうことではないか。言いかえれば、沖繩県民国土としての沖繩を守るというよりも、今度の協定で恒久化されるところの米軍基地を守るのが第一の任務になる。そうではないかと思っておりますが、あなた御自身、一体何のための自衛隊配備であると、こういうふうに受け取っておられるかをお聞きいたしたいと思います。  それから、芳沢弁護士には、先ほどの、沖繩ドルを即時円に切りかえる必要があるという問題、これは私どもも、県民生活経済活動、そういうものを守るためにも、旧レートで早急にその措置をとる必要があるということを理解できるのでありますから、具体的にそれが可能であると、その点にも多少お触れになったと思いまするけれども、もう少し話していただきたいということが一点。  それから、教育委員会の公選制、この問題について、沖繩の体験からして、任命制に比べてどういうふうにすぐれておるかということをお話し願いたいし、また、先ほど申されなかったのでありますが、弁護士としての、法律家としての立場から、この公用地取り上げの問題についてお話し願いたい。  この三点でございます。
  72. 村山盛信

    公述人(村山盛信君) お答えいたします。  第一番目の軍事基地の問題でございます。軍用地主はいつか自分の住みなれた土地を取り返したいということであるはずだが、それをいつごろ返るものと考えておるかという御質問だと思います。  私、そういう面を深く研究いたしておりませんけれども、現在の私の二十五年間の村議会議生活立場から村民をながめてみた場合、すでに村民は、その軍用地にかわるべく、それぞれ自分の恒久建物並びに自分の所有土地、そういったものをほとんど持っておられるというのが実情でございます。そして、戦後二十五年にわたる間に、すっかり現在の居所が私たちの住みかであるといったような状態に期間の長さが置かれているということで、あの膨大なる嘉手納空軍基地がいつ自分に返ってくるかということについて検討したことはございませんので、いまのところ、何年何月ごろ、あるいは何カ年後は返るであろうといったような推察も持っておりません。お答えになりませんで申しわけございません。  それから、二番目の自衛隊の問題について、なぜ早急に配備せなければならぬかという御質問でございます。私は、自衛隊配備を早急にしてもらいたいということではございません。そう申し上げておったとするならば、取り消しいたします。私たちが希求するところの祖国復帰がそういった自衛隊配備も条件になっておるとするならば、沖繩復帰を一日も早くあすでもできるような方向に従って自衛隊配備もしてよろしかろうということと考えている次第でございます。  以上でございます。
  73. 星野力

    星野力君 よくわかりました。
  74. 中尾辰義

    中尾辰義君 村山さんにお伺いいたします。  いまの質問とも関連をいたしますけれども……。
  75. 安井謙

    団長安井謙君) すみません。ちょっとまだ星野さんの芳沢さんに対する御質疑へのお答えが残っておりますので。
  76. 芳沢弘明

    公述人(芳沢弘明君) 簡潔にお答えいたします。  まず第一点の御質問は、ドル切りかえの問題でございました。私は先ほど、まず施政権の壁の問題について一番目に触れました。実は戦後沖繩の歴史の中で通貨の切りかえというのは、まあ沖繩諸島、宮古、八重山、いろいろ差はあったのでしょうけれども、私の記憶する限りでは、およそ四回ほど通貨の切りかえが行なわれました。日本円の新円化の問題。旧日本円から新円に切りかえる問題。それがB円に切りかわる問題。それからB円からドルに切りかわった。そういう経過があります。かつて講和発効前において日本円が現実に通用していたということです。いまや返還するというのですから、その施政権の壁というのは政府がその気にさえなれば取っ払える問題だということです。一体アメリカに一回でもその点で交渉なさったかどうかということであります。沖繩県民ドルを直ちに三百六十円で切りかえろ、こう要求しているわけですから、日本政府の総理はそのようにやっていただきたいということです。  次に財源の問題が一つあろうかと思います。その財源の問題は、沖繩返還協定をめぐってさえばく大なお金がアメリカ側に支払われます。さらにまた、自衛隊沖繩に来るためにばく大な国家財政が消耗されます。その金があれば、これはいますぐにでもできるではないかということです。なぜに沖繩県民だけがこのように犠牲をしいられなければならないのか。踏んだりけったりであります。財源の問題は、技術的にこれは可能であるということであります。  次に、二番目は教育委員の問題でございます。私は実は那覇の教育委員という立場にもございますが、いま那覇の教育区がかかえておる問題は、ほんとうに深刻なものがあります。先ほど小嶺公述人も、沖繩の教育の問題についてその一端に触れました。全く私は同感できる点があるわけです。この占領下沖繩において生じた本土との教育の格差、これを是正する仕事はほんとうに難事業であります。この那覇で中学校、小学校、幼稚園、あと若干、つまり数校増設しなければ過密化対策として追っつきません。ところが、いまごろ学校用地を確保するということはたいへんな仕事であります。自治体も財政でよくし得るところでありません。その点について、日本政府は国家の責任で金を出さなければならない。軍用地を解放しさえすれば、これら学校用地の確保は簡単である。これらの仕事をやり遂げるためには、やはり父母、大衆市民から選ばれた公選教育委員でなければやっていけない。任命された教育委員であれば、やっぱり文部省のほうを向いたり、あるいは特定の政党のほうをうかがったりということで、ほんとうに教育の中立というものは守れません。ちなみに、沖繩で、先ほど小嶺公述人も言ったとおり、教育基本法が制定されたそのとき、すでに本土では教育委員は任命制になっておりました。沖繩県民はそのことを百も承知で沖繩で教育民立法を立法院が制定したのであります。  次に、しからば、本土がそうなんだから沖繩も本土並みになるべきではないかという点についてはまたあとで触れますが、沖繩だけに適用ある公用地法案をいまやろうとしておられる日本政府です。これは自家撞着です。沖繩だけにしか適用のない法律をつくろうとしている。沖繩に現在あるすぐれた制度を日本復帰後も存続させるのは、憲法上これは全然問題はありません。そのことが教育基本法に適合するものであり憲法に合うことであるということです。また、戦前の歴史をたずねれば、三十年内外、二十年内外、沖繩の市町村制や県議会制や地租、税制など、本土と違いがありました。二十年間も国の基本の問題が違っていました。それは可能であったわけです。こういうことがいま沖繩県民として公選制を要求していく必要性またすぐれた点であるということなんであります。  三番目に公用地法案についてですが、村山公述人が時間を急いておられるようですから、私は村山さんに時間をお譲りします。そのかわり、私はあとでこの問題についてはまた質問に応じたいと思います。
  77. 安井謙

    団長安井謙君) 村山公述人に対する御質問を先にお願いいたします。
  78. 中尾辰義

    中尾辰義君 村山さんにお伺いいたします。  先ほどの質問とも関連をいたしますけれども、今度の返還協定審議にあたりまして一番問題になっておりますことは、要するに、沖繩が返還をされても、基地の機能というものがあまり変わらぬのじゃないか。まあそれは日米共同声明におけるニクソン佐藤両当局者の発言によりましても、あるいはまたアメリカ側の議会の答弁等から見ましても、われわれは返還後といえども沖繩を自由に使いたいというような意味のことばも出ておりますがね。それと、さらに核抜き・本土並みということが一つの大きな争点になっておりまして、ずいぶん審議をされておるわけですが、そこで、嘉手納の議長さんでございますけれども、いまお話がございましたように、人口が一万五千、しかも軍用基地が八六・二%といいますと、ほとんどこれはまあ嘉手納の皆さんは基地に依存した経済生活をやっていらっしゃるわけでございますね。ところが、一方においては明るい豊かな平和な沖繩と、こういうスローガンのもとで基地撤去を非常に望む声が多い。けさも午前中は、同じく嘉手納村の方が、非常に米軍の軍用機がちょいちょい落っこちたり、爆音といい、墜落による被害といい、またそういうものがいろいろと補償問題等でもなかなか解決しない。一日も早く撤去してくれるいうような声もあったわけですがね。そこで私が聞きたいことは、現実においてはこの基地にたよっている経済である。片方においては、それを除いてくれというような声がある。ほんとうは除いてもらいたいけれども生活のためにはやっぱり基地もなければ困るというような声もあるようですね、現地には。しかし、ほんとうの声というものは、楽しい豊かな今後の沖繩経済開発ということだろうと思いますが、その辺のところをどのようにお考えになっていらっしゃるのか。基地に依存している皆さんの暮らしの実態あたりからひとつお知らせ願いたいと思います。御意見がございましたらどうぞ。
  79. 村山盛信

    公述人(村山盛信君) お答えいたします。  先ほども申し上げましたとおり、いろいろと基地の問題に対しましては、撤去、あるいはまた——少なくとも私どもは必要悪として認めざるを得ないという現状であるという立場に立っておるわけでございます。そういう意味で、できることならば、軍事基地というものは、理想をいえば、ないほうがよかろうと、こう考えます。ただし、まあ私たち小さい村の立場において考えるわけでございますが、現在、先ほど申し上げましたような、基地収入によって村民全体がほとんど生活しておるという現況にあるわけでございます。これは認めざるを得ないという立場でございます。ですから、もしいろいろと琉球政府日本政府の諸施策によって、われわれ嘉手納村民が現在生活している状態の収入を完全に保証してくれる何らかの施策を持ってくるならば、それができて、目にこれを確認した結果は、おそらく基地の必要性は村民も認めないんじゃないか、こう思います。  お答えになったかどうかわかりませんが、以上申し上げます。
  80. 田英夫

    田英夫君 村山さんに伺います。  先ほどのお話の中で公民館のことを例にあげられまして、本土の出先機関ができてもこれは自治の侵害にはならぬという意味のお話があったと思いますが、村山さんちょうど村議会議長というお立場にありますし、この沖繩における自治の問題をどのようにお考えになっておられるか、そのお気持ちを伺いたいわけです。つまり、沖繩は本土の普通の県と違うんだと。特別の状況にあったし、また今後もあるから、復帰後も自治の問題については、若干自治が制限されても本土政府と直結をした政治があったほうがいいというふうにお考えになるのか。あるいは、もっとうがって考えれば、本土政府の現在自民党内閣があるという状況と、現在の琉球政府の政策というものとの違い、そういうものが関係してきてさっきおっしゃったようなことが出てくるのか。その辺のところを、ひとつお気持ちを、つまり、沖繩における自治はどういうふうにあるべきかとお考えかということです。
  81. 村山盛信

    公述人(村山盛信君) 沖繩の自治と申し上げましても、私は自分の立っている立場がいわゆる小さい市町村の自治でございまして、いわゆる県並みの自治についてはよく申し上げられないわけでございますが、現在でも、その制度は日本本土とほとんど変わりなく地方自治法というものが、それぞれ自治の精神にのっとって運営されていると思います。それが、いろいろ本土政府の出先機関が置かれることによって、交通その他の問題で、市町村の公共施設、施策に対して非常に便利である。先ほど申し上げました実例のように、一々こうなにしておりますとたいへんむだな道くさを食うといったような状況があるので、そのほうがいいんじゃないかと、こう考えているわけでございます。別に、日本政府が、との政党がどう、あるいは沖繩政府が、この政党がどうということには全く私考えておりません。ただ、小さい村の立場から、手っとり早い方向を選びたいということだけでございます。  以上でございます。
  82. 安井謙

    団長安井謙君) 村山公述人に対する御質疑ありませんようでしたら……。
  83. 松井誠

    松井誠君 お急ぎのところすみません。村山さんと小嶺さんの両方に実はお伺いをしたいんです。それは、この沖繩返還ということがここまで来た原動力は一体何かということをどうお考えになっているかということなんです。まあ一般のあれによりますと、当初この復帰の運動というのが起きたときには、さて実現はいつのことかというように思われておったのが、案外早く来たというように見られておるのではないか。だとすれば、それの原因は一体どこにあったんだろうかということなんです。いろいろの見方があると思いますけれども、たとえばアメリカの側の見方としては、アメリカのいわばドル防衛のためにいずれはどっちみちここからだんだん手を引いていくんだと、いわばそれはニクソン・ドクトリンというものが直接のきっかけになって返還というものがこうも早く来たんだというそういう立場をもしとるとすれば、かりにここで多少長引いても、いずれはアメリカは、返還をしたいがさてどうでしょうと言ってくるのじゃないかという、そういう見通しにもつながるでしょうし、あるいは、日本のほうからとの返還をいわばきっかけにして積極的に自衛隊でも持っていこう。そういうことがあって、日本のほうからせっついたんだという見方をするとすれば、そして、それがこの上原動力であったという見方をするとすれば、自衛隊を派遣をしたいという日本政府の態度が変わらぬ限りは、またいずれ返還の問題が出てくるのではないかという、そういうまあ見通しにもつながるかもしれません。あるいは、先ほど芳沢という公述人がお読みになったサイミントン議事録の中で、ここで基地を持っておったって、せいぜい五年か十年というように、復帰運動というものがここまで持ってきた原動力だというようにお考えになるとすれば、ここでかりにちょっとつまづいても、復帰運動が激しく燃え上がれば、やっぱりまた復帰現実のものになってくるのではないかという、そういう見通しにもつながる。そういう意味で、何が原動力で何がこの促進をしたのか。いろいろなその比重の見方はめんどうだと思いますけれども、一体ここまで持ってきた原動力というのはどういうようにお考えになっておるか。これをまあ村山さんと小嶺さんとにお伺いしたいと思います。
  84. 村山盛信

    公述人(村山盛信君) お答えいたします。  沖繩の祖国復帰がこうしてわりと案外早くできつつあるということに対しまして、私はこれは端的にどこの原因によってこうだということは言えないと思います。要するに、あらゆる要素が一致して期せずしてこういった状態になったものだと、こう解釈いたします。ところが、何と申し上げましても、やはりまず現地沖繩住民復帰運動というものが先端になりまして、それから逐次本土政府を動かし、アメリカ考え方を直すといったような方向で来た。で、こういう結果になってきたんじゃないかということを私はまあ考えるものであります。
  85. 小嶺憲達

    公述人(小嶺憲達君) 復帰運動をここまで持ってきたまあ原因ということは、いろいろあろうかと思いますけれども、一つには、沖繩県民の、祖国に帰りたい、異民族支配を脱却したいという長年にわたる熱意と運動のまあ集積があったからであるということと、もう一つ、私は、それはあったにしても、この返還が、まあ数年前には予想もできなかったテンポで、ここまで進められてきたということには、佐藤総理沖繩に対する愛情と熱意によってアメリカを動かし、また、アメリカもその佐藤総理の熱意に動かされてこの返還協定がここまで持ってくるまでの運びになったものと信じます。  以上でございます。
  86. 安井謙

    団長安井謙君) それじゃ村山さんお急ぎのようですからどうぞ。(拍手)
  87. 岩間正男

    岩間正男君 芳沢公述人にお伺いします。  先ほども公用地暫定法案に対してどう考えているかという質問がございましたが、一つの点をぜひ補足していただきたいと思うのです。午前中の公述人のお話によりますと、どうしても最後手段としては土地を強制的にも収用しなきゃならない。そうして、その間に五年の期間を置いてできるだけ説得するのだ。時間がそのようにかかるのは、結局まあ海外の居住者とかあるいは地主の身元がなかなかわからない。そういう人たちのためだというふうな公述があったわけです。しかし、どうでしょうか。現地ではもう大部分の地主の持っておる土地の九七%ぐらいは、そうしてそのうちのおそらく九〇%くらいは返る見通しがあるということでありますけれども、これは海外居住者のほかに現地では反対していられる地主の方が相当多いというふうに聞いております。この実態はどうなのか。この点を聞かしていただきたいと思います。  第二の問題は、教育委員会の問題が出ました。私も非常に先ほどのお話は当を、筋を得たお話だというふうに考えているわけです。昨年沖繩に参りましたときに八重山に参りました。八重山のあすこで学校の先生たちと懇談会をしたのです。二年ほど前まで本土で高校の先生をやっていたその先生が私に率直にこう語った。「本土の教育は暗い。沖繩の教育よりむしろ暗いのだ。長い間本土で教育をしておってこのことを非常に痛切に感じた」。私は実は胸がどきっとしたのです。それから宮古に参りました。宮古に参りまして教育会の事務所長さんに会いました。そうしたら、こう言っているのですね。「今度公選制がもうだめになる。本土並みということになる。そういう中で異民族の支配のあの時代の教育よりもっと悪くなる教育を考えることができるだろうか」。これも私は非常に胸が痛く思って聞いたのです。そこで、先ほどの話にもありましたように、教育委員会の任命制の問題は、これは全く本土のほうが変わった。本上のほうが問題があるんじゃないか。私は、沖繩のこの公選制を、日本の本土の教育の真の民主的な運営のためには残すべきだ、そうして、むしろ本土のほうこそ変わるべきじゃないかという意見を持っているものですが、この点についてどういうふうにお考えか、お伺いしたいと思います。  第三点、もう一つでありますけれども、この今度の返還の願いの中には、平和な願いというのが非常にあるんじゃないか。この沖繩基地から絶えず爆撃機が飛び立つ。そのたびに何十、何百のアジアの人が殺されておる。ベトナムの人が殺されておる。こういうことを二十数年見続けてきた。もうがまんならぬ。こういう気持ちが実は隠されているんじゃないか。そのことを、しばしば私も沖繩に参りましたが、いままでそういうことをお聞きしたわけです。あなたは平和運動に関係していられる平和委員会責任者でもあると思いますので、この点についてお伺いしたい。  以上三点についてよろしくお願いします。
  88. 芳沢弘明

    公述人(芳沢弘明君) お答えいたします。  その前に、こちらに持ってきておるのは、私は自分の書いた論稿を見ておるのでございますので、あらかじめお許しをいただきたいと思います。  まず公用地法案の問題ですが、これは先ほど沖繩を訪れました本土の民主的な法律家団体の友人や先輩たちとも話をしたのですが、完全に意見が一致しております。  まず第一に、この公用地法案は、米軍基地の継続使用の不法性、この米軍基地を継続的に使おうという点で不法なんだということでございます。沖繩米軍基地は、これはだれが何と言おうと、やはり米軍が力づくで囲い込んだものである。力づくで取り上げたものである。あるときはブルドーザーで、あるときは銃剣で取り上げたものである。これはだれが何と言っても否定のできない事実です。これを合法的に土地取得したなどとは言えないはずです。あとで布令を出して何とかかっこうをつけたにすぎません。これをそのまま継続していくということ、これはたとえばヘーグ陸戦法規第四十六条等に対する侵犯行為であり、これは国際法違反であります。それを固定化しようとするのであります。しかも、この基地を取り上げる、復帰後もこの米軍基地を維持するということがやっぱり沖繩協定の核心だ。それがなければアメリカ施政権は返還しない、こう言っている。先ほど松井先生の御質問にもあった例の国務次官の証言等はそれを裏づけるものであると思います。  次に二番目に、この法案によれば、沖繩米軍基地の場合は五年である。これは本土に比較して十倍の長きにわたります。沖繩県民の合意もなしに、収用の手続すらもとらずに、これまでの土地使用によって生じた苦痛を引き続き沖繩県民をして是認せしめるというのは、これは他府県と比べて差別である。その点で、法のもとの平等の、憲法規定するその精神に反するものであるということであります。  次に、この公用土地法案は、自衛隊のための土地収用というのを合法化するものであります。本土において自衛隊のために土地を取り上げる法的な根拠はありません。土地収用法の中に軍事目的、自衛隊目的というのを入れようとしたけれども、これは国会で削除されました。それは憲法九条に違反するということで土地収用法からその点は除かれた。しかし、沖繩でこの公用土地収用法案というものを出していって、自衛隊のためにも土地を取り上げるということです。しかも、もったいをつけて、水道や下水道やそういった施設のためにも取るんだと抱き合わせにしている点、非常にわれわれ沖繩県人からすれば許しがたいものになっているということであります。  それから、これは憲法の定める——いま資本主義社会なんですが——財産権をこれはきわめて侵害するものと言わざるを得ません。やはり土地収用には厳格な手続が要ります。この手続を一切省略です。これは奄美大島の場合とも、あるいは小笠原の場合とも違います。取っておいて、使っておいて、あとで告示をする、通告をすれば足りるというものです。しかも、どこの何番地という地番や何かも明らかにしなくていいものです。軍事基地のこちらの金網のすみから向こうの金網のすみ、こちらの端っこを線で結んで、これは五年間使うんだよ、事後的に通告する。これはとんでもない話です、こういったことは。  まあたいへん荒削りな議論を申しましたけれども、時間の関係で御了承ください。  要するに、沖繩にこの法律が適用されれば、これはやがてあすは本土の問題であります。日本国民あげて、自分の財産を守るためにこの法律には反対しなければならないと思うわけであります。  次に、沖繩の地主たちは一体この問題についてどう思っているかという問題であります。さきにも申し上げましたけれども、かなりの数の軍用地主が、もともと米軍基地米軍の武力による強奪によって取り上げられたものです。この地代は実に年に三・三平方メートル当たり平均十六セントでしかないという非常に低い状態が現在でもあるわけです。こういう土地をあたりまえの民有地として使用するならば、これはもっと大きな利益が入ってくるわけです。したがいまして、軍用地の地主の約七割、三万七千人余の軍用地主の私有地がこのようなものになっているわけですが、このうちの二〇%前後の地主が再契約に反対をしております。これは明確な意思表示をしているわけです。したがって、反対地主会などというものも結成されております。また、明確に反対の意思表示をしていない諸君でも、やむを得ず、条件をもっとよくするならばまあしかたなく応じましょうというにすぎないものだというふうに私は見ております。多くの地主がやむなくそれに従わざるを得ないような状態にあるということであります。これは軍用地に限りません。沖繩県民復帰要求してきたのだろう、このような返還協定をのみなさい、のまなければ返還はやりません、そういう言い方をされれば、事柄の本質を十分わきまえない人たちは、いや、それならばしかたがないかという気持ちにもなろうというものです。そういう空気を悪用して、とにかく何が何でも復帰だ、復帰すればドルも切りかえてやるんだと言わんばかりの言い方は、われわれ県民からすれば絶対に許しがたいところであるということであります。  次に、教育委員会の問題でございますが、御指摘のとおり木土の教育委員会制度は現在任命制度でございます。これは私に言わしめれば、憲法に反し、かつ教育基本法に反するものであると思います。しかし、とにかく本土では任命制のもとにやりました。この任命制のもとで一体どういうことがあろうか。たとえば教師たちには一番大切な問題の一つとして教研活動というのがあります。自主的な教育研究活動です。この教育研究活動、教師たち自分たちでやる。これこそが教育を向上させる一つの大きな原動力になると思うんですけれども、最近ではこの自主教研に組合員が参加することを拒否して職専免を与えない。それをあえて押して出席したならば賃金カットをする。あげくの果てが免職にするといった事例がたとえば北海道では起こっておると聞いております。あるいは高知県下でも一九六八年三月末の現在で夫婦別居の教師が実に三百九十四人もおられました。結婚してから五年間一度も同居できない青年教師、子供と十年間も一緒に住めない父親教師、こういったものがたくさん出ているわけです。これは教育委員会がやはり一部の特定の政治的な立場を持つのあまり、まじめな教師に対していわば不当労働行為をしておると言われてもしかたがないわけです。したがって、教育の現場が暗くなる。やたらおべっかをつかうような教師が出るわけです。これでは教育が荒廃する。子供たちもゆがんでいくのは必然の勢いじゃないでしょうか。それに対して沖繩では、少なくとも私たちはそのようなことはしておりません。公選された教育委員としては、やはり一般行政から独立した教育の中立性、真の意味の中立性というものを守っていくために、父母、教師の立場に立って戦います。たとえば、予算の問題があります。沖繩でも予算の編成権、成案権、執行権といった問題ありますけれども、本土の場合は予算の編成権、成案権はもとよりありません。執行権までも知事や市町村長に掌握されております。沖繩では、議会に対する提案権こそありませんけれども、予算を成案する権限、これは教育委員会に留保されております。そしてその予算を執行する権限、これも教育委員会のものであります。したがって、市町村長に対しては、また議会に対しては、公選教育委員立場から堂々と予算を獲得するために全力をあげてがんばるものです。そのためにはPTAの皆さんや、あるいは教育長協会の皆さんやその他の人たちと力をあわせてやります。そういう熱意がやはり市町村長、政治的な立場、政党政派の立場を越えて動かしていきます。いま沖繩の教育をアメリカの軍政下でここまで持ってきたその力は、あげて教育委員の公選制にあったと言って過言ではありません。それゆえに、沖繩においては、たとえば教育委員協会もPTA連合会あるいはその他の教育団体も、沖繩タイムス、琉球新報等の新聞も、あげて、教育委員の公選制を守れ、このように主張してやまないわけであります。先ほど御指摘の八重山の教師の気持ちは私にはよくわかります。本土から来た人にとってはそうでしょう。たとえば静岡県では教員になろうとしてもなれない、そういう現象さえあります。沖繩では、いま予算の関係で、まだ希望する教員を全部採用することができない状況にあります。これは勧奨退職制度の問題があって、まだ予算がなくて、やめたくてもやめられない先生方をたくさんかかえているからであります。これこそ本土の政府が力を貸して沖繩の教育水準を本土並みに高めていくための御努力が期待されるゆえんのものだと思うわけです。  次に、返還協定の問題ですが、おっしゃるとおりであります。私たち沖繩県民がこれまで即時無条件全面返還という戦いをやってきたのは、この沖繩の地からB52が飛んで行ってベトナムの人たちを殺している。その事実についてどれだけ多くの沖繩県民が胸を痛めたことか。たとえば今度土地を取り上げられる羽目におちいった地主たちは、自分たちの土地が取られたならば、この土地が基点となって、根拠地となって、天願の桟橋からベトナムに出かけていって人殺しが行なわれる。私たちがその土地を守ることは、自分の財産権を守る、生活を守る、農業を守るということだけではない。ベトナムの人を殺すことを防ぐためでもある。これが沖繩県民の倫理だ、道義だ、そういうふうに思ってがんばって、ついに土地取り上げを食いとめてまいりました。これは沖繩県民のひとしく願うところであると思います。いろいろな民主団体が、立場を越えて、共通のそのような気持ちであふれていると思います。だからこそ、県民の運動はここまで盛り上がってアメリカをして沖繩をこういう形ででも返還せざるを得ないようになってきたというふうに考えます。
  89. 塚田十一郎

    塚田十一郎君 宮国公述人にお尋ねをいたします。  先ほどのお話ですと、金融機関がドルのレートの決定によっておよそ五千万ドルぐらいの差損が生ずる、こういうお話でした。ごくあっさり考えてみると、金融機関というものは預金を預かってそれを貸しておるという両建てのものなのですが、五千万ドルという差損がどこからどういう形で出てくるものか。これが一点。  それから、縦貫道路をつくってほしいということであります。これはもう本土におきましては、御存じのように、最近はもう高速道路網を整備するということが大きな問題になっておりますので、御希望にきっと沿うようになると思うのですが、私は、それよりも、沖繩の交通問題でいつも感じますことは、離島の間の交通問題であります。沖繩全体が、本土から見ると、これは離島でありますが、そのまた沖繩の中に離島がたくさんある。二重に離島の持つ不便を持っておられると思うのです。何か、承りますと、公述人は宮古の御出身だそうでありますが、おそらく宮古とこの那覇との間の往復に非常な時間と非常な不便をずいぶん感じておられると思います。こういう問題について沖繩方々はどんなお感じを持っておるか。また、たとえばこういうことをやってほしいというような何かがありましたらお聞かせいただきたい。
  90. 楠正俊

    楠正俊君 ちょっと関連しまして宮国公述人にお願いしたいと思うのですが、先ほど時間がなくてお述べになれなかった。観光立県を含めた長期的な展望に立った経済の見通しというものを述べたいというお話でございましたので、いまの塚田委員質問と合わせましてお願いいたします。
  91. 梶木又三

    梶木又三君 関連。  いま塚田先生の財政投融資の道路の問題が出たのですが、先ほど来どの公述人の方からも御意見がなかったのですが、私、沖繩現実に一番谷間に置かれておるのが農民とか漁民の一次産業の方だと思うわけです。  そこで、先ほど財政投融資の話が出たわけなんですが、財政投融資を——もちろん道路、高速道路も必要でしょうが——漁港とか、あるいはことしの大干ばつ、こういう事態に対してのため池の問題、水の問題ですね。これは農業だけじゃございません。各住民方々の飲料水もありましょうが、だから、その財政投融資のあり方について宮国さんのお考えは、一次産業よりも三次産業的なものへの財政投融資が多くていいのかどうか。いや、そうじゃなくて、やはりバランスのとれた形の財政投融資がいいのかどうか。こういう点につきましてもひとつあわせて御意見を伺いたいと思います。
  92. 安井謙

    団長安井謙君) 宮国さん、だいぶ項目が多いようですが。
  93. 宮国英勇

    公述人(宮国英勇君) お答え申し上げます。順番に従ってお答えしたいと思います。  最初に、金融機関に、まあ私が約六千万ドルの差損が生ずるというふうに申し上げて、沖繩の金融といいますか、沖繩におきまして差損の問題で直接はだで感じておられない先生方にはたいへんぴんとこないのもごもっともだと思います。といいますのは、実は、せんだっての十月の個人の預貯金の差損補償ですべてのことが事足れりというふうなことを、まあその当時は、琉球政府も並びに各住民も金融機関の経済専門の方々考えていたわけであります。というのは、御承知のように、金融機関では、借り方のほうに融資の貸し付け金がございますし、それで貸し方のほうに預金の負債がございます。したがって、ドルが一ドル対三百八円で、三百六十円よりも五十二円だけ切り下がりますと、両方の勘定が同じように減少しましてバランスがとれるわけでございます。しかしながら、そういうバランスがとれるというような観点から、沖繩でも大体のほとんどの方々が、金融機関には決して損はないというふうなことを言っていたわけでありますけれども、私がこれについて具体的に理論的に掘り下げまして、実は経営者協会から「経営」という雑誌がこういうように出ておりますけれども、先月、それの巻頭言の「道標」——道しるべというところで理論的にこれを解明したわけでございます。そうしますと、先ほどから銀行の名前が出ておりますけれども、琉球銀行という銀行の崎浜という総裁が、君の言うとおりだと、まあ、これは論文出す前からそうおっしゃっていただいておったのですが、そういうふうなことから、琉球銀行からもさっそく具体的なあるいは詳細な調査を行ないまして、例の法人の二億ドルの差損をはじき出したわけであります。まあ、話が前後しましたけれども、この銀行の約五、六千万ドルの差損といいますのはどこから来るかといいますと、やはり両方の勘定がバランスを持って縮小するわけでありますけれども、これは均衡して減るというふうなことだけじゃなくて、やはり均衡縮小というところに意義があろうかと思います。すなわち、縮小ということは非常にこれは大きな問題です。経済の規模が大きくなる、成長率が高くなるということはいいことで、成長率が低くなる、あるいはこれが逆に戻るということはたいへんなことであります。ちょうどマラソンでいいますと、一万メートル走るのに、五千メートルまで来てからこれをちょうど二割逆戻りする。すなわち、一千メートルだけうしろ向きに走る、すなわち、四千メートルまで戻るということはたいへんなことです。四千メートルまで戻ったところでは、一緒に走っている連中はすでに六千メートル走っております。そういうふうな状態で、縮小均衡ということはたいへんなことである。こういうことから大体おわかりと思いますけれども、これをもう少し数字であらわしますと、大体沖繩の銀行が、琉球銀行、沖繩銀行の普通銀行二行と、さらに中央相互銀行という一行、それから信用金庫二行ございますが、これらの資金量が大体七億ドルございます。そこでまあ概算的にその一五%が円切り上げによって実質的にドルが切り下がるということになりますと、約一億ドルの規模の縮小、資金量の縮小、融資量の縮小というふうになるわけでございます。そうすると一億ドル資金量が減って、それでもって融資が減るということになりますと、結局貸し付け金によって銀行は収入を得るわけでございますから、その一億ドルの一割、大体年間一割金利と見まして、一割、約一千万ドルの金利が入ってこないわけでございます。しかしながら、それと反対側にある預金の金利も払わなくて済みますから、預金の金利を大体年五%と見ますと、その五%、すなわち約五百万ドル、これだけの金利を払わなくて済む。したがって、一千万ドルの金利が入らないかわりに、五百万ドルの金利が出ていかないわけですから、相殺しましてちょうど五百万ドルだけの収入が減るということになります。すなわち、沖繩の五つの銀行ないしは信用金庫でもって、年間で五百万ドルの金利が入ってこないということになります。したがって、これが将来とも、復帰時点、七二年の一年間だけでなくて、永久に入ってこないわけでございます。したがって、将来永久に毎年五百万ドル入るべきものを現在価値に割り引きますと、大体年一割の利率で割り引いて現在価値に戻しますと、これがちようど〇・一で割りまして五千万ドルというような金額になりまして、非常に重大な事実であるということを先生方も御認識の上、ぜひ沖繩の一ドル対三百六十円の交換は、いかなる困難、いかなる日本本土の、あるいは日本政府の損失があろうとも、これだけは何tかやってもらわなければ、復帰自体が非常に暗い沖繩のスタート第一歩になるというように私は極言したいと思うわけでございます。  それから第二点でございますが、先ほど私も、復帰の目玉商品といたしまして、南部−北部間の縦貫道路をどうしてもつくっていただき、それによって沖繩が、楽しい観光ルートとして、ドライブをしながらでもこれが観光できる。私、ハワイの二世の方で友達がおりますけれども、その方の言うことには、沖繩は非常に景色もいい。それから、太陽の光線、海中景観——海の中の景色もいいけれども、どうも道路事情が悪いし、ドライブが楽しめない。ハワイはその点非常にりっぱで、楽しいドライブができるというようなことをこの五、六年聞いてきたわけでありますけれども、そういうような縦貫道路ができましたら、よそ見しながら、——これは非常に危険かもしれませんけれども——とにかく楽しいドライブができるし、さらに密集地の那覇の居住地を、むしろ山原といいますけれども、国頭、名護のあの辺に楽しい住宅をつくり、野や山でいろいろ人間らしい生活をしながら那覇に通勤もできるだろうというようなことを考えているわけでございます。さらに海洋博——国際海洋博覧会にしましても、会場を一つだけに選定しないで、むしろ名護、那覇、南部、宮古、八重山というようにある程度これを散らしまして、何しろ海外からこの海洋博の六カ月の間に三百万人入ってくるというように概算数えられているようですから、一日一万五千人くらい入ってくる予定ですので、一カ所にこれを集積しますと非常な混乱が起こるというような意味合いでも、この国際的な海洋博覧会を成功裏に終わらせる意味でも非常によいことじゃないかと思っております。たいへんありがたい御質問で、私も宮古の出身で、宮古といいますと、先生方御承知の方もおられると思いますけれども、一年間に大体台風が四、五回上陸します。そうして非常に干ばつの続くところでありまして、昔から非常に貧乏な島で、それだけに、われわれはどうしても学問で身を立てなければこれは成り立たないということで、一生懸命がんばってきておるわけでございますけれども、そういう意味で、宮古は非常に経済的に貧しい。そういう自然の脅威の強いところでございます。せんだって宮古の下地島というところにSST——スーパー・ソニック・トランスポーテーション、このSSTの飛行場ができるということで、相当額の資金も落ちるようで、たいへんみなわき立っております。地主も、反対が少しあったようですけれども、みなもう賛成しているようで、非常に今後の宮古の経済を潤す。あるいは宮古の海岸が非常にすばらしい。砂浜も、約四キロくらい砂浜がありまして、砂も非常にこまかくて、まっ白できれいであります。しかも、サンゴ礁がその砂浜にはなくて、相当な距離砂が続いておりまして、本土から観光客を何十万人連れて来たって決してよごれないような砂浜を持っております。そういう意味で、宮古のほうにできれば観光客を本土から続々誘致したいわけでありますけれども、直接宮古に飛行機で行くのもいいでしょうけれども、この離島区を解消するために、沖繩と宮古間にホーバークラフトなりそういう快速艇を、でき得れば観光あるいは産業の発展のために設置してもらえたら、私、願ってもないことだと思っております。  それから三番目に、時間の都合で、長期的観点に立った沖繩経済対策という面で縦貫道路しか申し上げられなかったのですが、もう少し、若干申し述べますと、二番目に——一番目が縦貫道路で、二番目に、復帰による経済の落ち込みをカバーするつなぎの役割りを果たし、さらに、これから沖繩に誘致される産業に貢献する土地を造成するために、大きな、大々的な埋め立て地の造成を計画しその資金援助をお願いしたいと、これは大体いま沖繩で計画されているのが糸満の地区、それから浦添、西原、さらに金武湾、こういうところにまあ工場地帯あるいは観光地帯というふうなものがただいまいろんな研究機関でゾーニング・プランによって研究されております。そういう、大体、私の計算では約二千万坪埋め立ててもらいたい。これには三億ドルくらいの資金がかかると、私、理解しております。  さらに三番目に、七五年に開催されます国際海洋博が終わったあとも、これにかかった巨大な投資、すなわち約十五億ドルと民間並びに政府の予算に計上されているようでございますけれども、これから計上されるのですが、そういう巨大な投資が沖繩に投下されるんですから、これをそのまま取っ払って、その後全く中断して、全然沖繩経済に貢献しないというふうなことでも、やはりそれに準拠した沖繩のいろいろな経済機構ができあがりますので、一たんそういう大きな資本が投下されたあと、これがぽつんと切れますと、非常に沖繩経済を混乱におとしいれます。そういう意味で、かかることがないように、海洋博と同時に、国際海洋学研究所を設置していただきたい。そして、その国際海洋学研究所で毎年国際的な海洋学、海洋の研究をしていただき、できれば天皇陛下にも年に一度沖繩の非常に気候のいいころ来ていただいて、御専門の海洋の御研究に御専念いただき、まあ明るい豊かな、ほんとうに南国らしい、すばらしい沖繩の社会をつくっていただきたいと思っています。  さらに、この海洋博に関連して、沖繩のサンゴ礁で輝くすばらしい海底資源を活用して海底に牧場をつくり、この海底牧場におきましていろんな魚介類あるいは魚、そういう海底資源を豊富にそこで養殖なりあるいは育成しまして、陸上の畜産に次ぐたん白資源としてもらいたい、こういう希望を持っております。  さらに四番目に、先ほどから基地の問題が出ておりますけれども、やはり、沖繩では基地の面でいろいろなまあこれまで苦労もしておりますので、早目に基地の整理統合をしていただきたいわけですけれども、先ほどから申し上げておりますように、米軍基地の収入は、いかんせん二億ドルもある。そういう意味で、一ぺんにこれが二億ドルがなくなってしまいますと、やはり経済上問題がありますので、その基地の整理統合とあわせて経済政策をとってもらいたい、こういうふうに考えておりますけれども、その基地収入の減少を補う経済対策の一環としまして、現実的な問題があります。これは、現在、沖繩で石油産業が非常に脚光を浴びておりまして、沖繩でも大体いま三社、ガルフ、エッソ、東洋石油というふうな会社がありますけれども、そこの年間石油製品生産量が一千二百万キロリットルございます。これの精製、生産をやっておりますけれども、この輸送の問題がございまして、一千二百万キロリットルといいますと、沖繩の年間貨物輸出入量約七百万トンのちょうど二倍に達します。こういうふうな量の石油製品が本土にあるいは東南アジアに運搬されますので、それの海上における運輸をでき得れば沖繩の地元の業者に、その五割なりあるいはその近辺のものを担当させてもらいたい。それによって相当量の収入が得られ、基地収入からの脱却、基地経済からの脱却が可能になると思います。  それから五番目でございますが、私が財政投融資を復帰前に繰り上げ措置してもらいたいというふうなことを申し上げたことに関連しまして、この財政投融資は一次産業がいいか、三次産業がいいかというふうな御質問でございましたけれども、御承知のように、沖繩はことしも非常に長期の干ばつで、かんがい用水どころか飲料水にまでこと欠いたような状態でございます。そういう意味では、まずもって基幹社会投資が必要でございますけれども、それには北部の山にダムを三つほどつくっていただきたいというふうな基本的な要望がございます。さらに経済の問題としまして、やはり沖繩で第三次産業だけでは、これだけの人口をかかえるにはちょっと経済収入が確保し得ないというふうな意味合いから、二次産業の誘致もいろいろ骨折っておるようですけれども、なかなか国際的な情勢あるいは沖繩地元の問題で関連産業あるいは新しい産業の誘致が進んでいないようでございます。
  94. 安井謙

    団長安井謙君) 宮国さん、たいへん恐縮ですが、時間の関係もありますので、きょうの議題に直接関連のない部分は割愛をしていただいて簡潔にお願いしたいと思います。せっかくの話を恐縮ですが。
  95. 宮国英勇

    公述人(宮国英勇君) そういう意味で、やはり一次産業も大事ですので、沖繩ではほとんどかんがい施設がないためにサトウキビがいわゆる立ち枯れして、もう西表やらその他の離島では、製糖工場も操業停止でほとんど動いておりません。そういう意味合いで、かんがい施設も大いにつくっていただきたい、こういうふうに考えております。
  96. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 まず宮国公述人にお尋ねをいたしたいと思いますが、ただいまもいろいろ長いことお話があったのでございますが、先ほどの陳述を拝聴いたしますと、沖繩経済発展、観光県沖繩というためにも縦貫道路が絶対必要なんだという陳述があり、ただいまもまた補足の中でも言われておったわけでございますが、文字どおり縦貫道路という形になってまいりますと、私たちが一つの大きな問題としてぶつからざるを得ないのは、沖繩に存在するところの膨大な基地の存在だと思います。この基地をそのままにしておいて縦貫道路をつくってもらいたいと、こういってもこれは無理だ。また、先ほどのお話をお聞きすると、基地は当分の間あってもらわなくては困る、こういうようなまた話の筋でもあるのですが、一体、いわゆる経済開発と申しますか、この問題と基地という問題の関連性をどう考えておられるのか、そこらあたりをひとつ端的にお聞かせを願いたいと、こう思います。  それからいま一つは小嶺公述人にお伺いをいたしたいのですが、肩書きを見ますと中央教育委員という肩書きのようでございますので、教育関係の問題をまずお伺いいたしたいと思います。まず小嶺さんは、いままでの沖繩の教育というものをどのように評価をしておるのかということをお聞かせ願いたいと思います。先ほどのお話の筋によりますと、復帰して初めて日本人としての教育が可能なんだと、こういう筋のお話があったのでありますが、そのことばをそのとおり受け取ると、いままでは日本人としての教育が非常にむずかしかったというような形にも聞き取れない向きもないではないわけでございますが、少なくともいわゆる国会筋におきますところの議論の中では、沖繩におけるところの今日までの沖繩の教育という問題については、与野党を問わず、あるいは政府間を問わず、いわゆる日本人としての教育という問題について非常な役割りを果たしてくれた、しかも、それをささえたのは公選制だということが強く今日まで議論の中でも明らかにされてきておるわけでございますが、一体小嶺さんはいままでの沖繩の教育についてどういう評価をされておるのか、お聞かせを願いたいと思います。  いま一つは、先ほどの陳述の中では任命制賛成だというお話でございますが、これは中央教育委員全体の意向としてそうなのか、それとも、中央教育委員会はいわゆる公選制が圧倒的に賛成だけれども、御自身の個人意見なのか、あなたのいま出されたところの意見は。そこらあたりを明確にひとつしていただきたいと思います。  いま一つお聞きしたいのは、自衛隊配備の問題でございますが、先ほどのお話をお聞きしますと、反対論は、消防隊があるから火事になるんだという論法にひとしい、まあ保安的なものだと言わんばかりのお話であったわけでございますが、今日、沖繩自衛隊配備をするという問題は、少なくともこれは米軍の役割りの一部の肩がわりであるということはその論争の中でも大体もうみな常識的になってきておるわけであります。これは久保・カーチス協定を見てもそれははっきりうかがえるのでございますが、そういう肩がわりという立場に立てば、小嶺さんは、現在の沖繩にあるところのアメリカ軍隊というのは沖繩の防衛のために存在をしておるものだという理解をなされておるのかどうか、この点をひとつ明確にお答えを願いたいと思います。  以上でございます。
  97. 長田裕二

    長田裕二君 ただいまの御質問の第一のことに関連しまして、宮国さんにお尋ねいたします。  縦貫道路のことを非常に強く陳述をしておられましたのですが、ただいまの御質問では別の観点からこれについての重ねての御意見を伺っているわけですが、私はまた別のあれとしまして、沖繩本島の交通の問題につきましては、お聞き及びのように、モノレールでいくとか、鉄道でいくとか、そういう考え方もいままで開陳されているわけです。道路につきましてはある程度まあ自然の改善というものもあるわけですが、宮国さんは、新しく大きな縦貫道路という構想で沖繩の開発、特に観光的な面からの開発ということを主張されたわけですが、モノレールあるいは鉄道というものに対してどういう評価を下しておられるか。まあ、全部やれば一番いいということにもなりましょうけれども、若干順位をつけてお考えになった場合にどういうふうにお考えになっておるかもあわせてお答え願います。
  98. 安井謙

    団長安井謙君) 宮国公述人、簡単にひとつお願いいたします。
  99. 宮国英勇

    公述人(宮国英勇君) 最初の御質問で、基地を通って縦貫道路ができるのかというふうな御質問でございましたけれども、これはごもっともでございますが、しかしながら、これは技術的に大体解決できるんじゃないか。基地が現在あるところは通らないように道路をつくるか、あるいは海上にパイルを打ち込んでそこに高速道路をつくることもできるだろう、こういうふうに考えております。さらにそれと関連しましてモノレールでございますが、私も欲ばりでございまして、できたらこの高速縦貫道路の上にモノレールをつけまして、やはり高速道路は人間を運ぶだけじゃなくて、貨物も運ばれるし、まあ楽しいそういうモノレール、あるいはモノレールにかわる通勤用の電車というふうなものができれば非常にけっこうじゃないか、こういう二つのものを同時にやってもらう。これができれば最高の望みでございます。といいますのは、海洋博でも、もし北部にも会場ができますと、道路だけでは、走っている間はいいけれども、これが終着に着きますと、そこで非常に混雑して、結局は同じもとのもくあみで混雑に終わるというようなことでいけないので、やはり人間だけが進めるようなモノレールあるいは通勤電車のようなものも両方できれば、ともどもになければならない、こういうふうに考えております。  次に、基地経済というふうな非常にむずかしい問題を投げかけられまして、私もたいへん困っておりますが、確かに軍事基地、戦争につながる基地は、これはないほうがいいわけでございます。したがって、沖繩にある基地も、できれば米軍侵略用の基地はないほうがいいということでございますけれども、何しろ、過去二十余年の間にでき上がった一つの歴史というものは、そう簡単に途中で中断するわけにいけない。こういう継続があって基地が一応続くことになっただろうかと思いますけれども、その基地経済の問題につきまして、われわれ、まあ私個人としては、基地は早急になくならねばならないと思っておりますけれども、ただ、経済のマクロ的な立場から考えた場合、やはりその基地では全軍労の労働者も働いているし、あるいは基地関連の業者、物を売っている業者もおれば、いろいろなそこに関連する人間が働いて、そこから生活のかてを得ておるわけでございます。そういう意味で、一度にこの基地を撤去して、かかる人間はすべて路頭に迷えというふうなことは、なかなかマクロ的な立場から、われわれ経済を一応学んでいる学徒としては言い切れない。そういう意味で、やはり基地は整理縮小、統合してもらいたいけれども、それと同時にやはり経済政策を日本政府としてはきめこまかにそのつど手を打っていただきたいと、こういうふうに考えておるわけであります。
  100. 安井謙

    団長安井謙君) どうもありがとうございました。  小嶺さん。
  101. 小嶺憲達

    公述人(小嶺憲達君) お答えいたします。  第一点の、沖繩の教育をどのように評価するかという御質問かと思いますが、私は、復帰をしなければ沖繩の教育は全然評価されないという意味合いで申し上げたわけではございませんで、沖繩の教育はそのように評価すべきであると、また、一生懸命皆さん努力してきたということも先ほど申し上げたわけでございますが、ただ、そのいわゆる不自然な状態、まあ、異民族支配というその不自然な状態では、真の日本国民の教育にいろいろと支障があるということを意味しているわけでございます。  それから二番目の任命制についての意見は、中教委としての意見かあるいは個人の意見かということでございますが、これはもちろん個人としてでございます。中教委としては個人として発言する資格はございません。で、個人としてでございます。  それから三番目の自衛隊配備につきましては、復帰をいたしますと、日本国に入るわけでございますので、いずれ米軍基地が縮小されてくと、それに伴って国内の防衛は自衛隊が担当すべきであるという意味で申し上げたわけでございます。  以上でございます。
  102. 安井謙

    団長安井謙君) 木島君、時間がだいぶ近寄ってきましたので、ひとつ簡単にお願いいたします。
  103. 木島則夫

    木島則夫君 それじゃ簡潔に申し上げます。  仲田公述人にお尋ねいたします。ひとつ端的にお聞きしたいんであります。仲田公述人がきょうこの公聴会においでになるときに、あなたの家族の方、周囲の方々の反応はどうでしたか。非常に大きな期待をもってあなたをここに送り出されたか。そういったことでもけっこうです。まわりの方の反応ですね。それから、あなたの周囲にも沖繩返還協定法案に反対をされる方々がおいでになると思います。あってしかるべきだと思います。そういう方々は、沖繩が返還をされずにそのまま推移していった場合に一体どういうことが起こるんだろうかというようなことを具体的に仲田さんにお話しになっておりますでしょうか。もしそういうお話がなければ、これはお答えいただかなくてもけっこうです。  それからもう一点です。宮国公述人も、さっきちょっと触れておりましたけれども、アメリカドル防衛措置に伴って、八月から十二月の間に、すでに大手メーカーからも倒産が出ているというお話でありました。中小企業のこうむっている影響を、一つでも二つでもけっこうでございます、具体的に、本土資本のかけ込みとも関連をして伺いたい。そのことについて、これは簡潔に端的にひとつお答えをいただきたいんです。  以上です。
  104. 仲田昌繁

    公述人(仲田昌繁君) 簡潔にお答え申し上げます。  本日公述人として出る際に、いろいろ電話がございました。それで具体的に中心として公述するのはどういうことだということでございましたが、それは先ほど申し上げましたとおり、特にドル問題に大きな期待を寄せているようでした。それと、二点目の、返還協定がかりに通らないとかあるいは関連法案が通過をしない場合、具体的にどうなっていくんだということに対しては、友人間同士では話しております。その友人間同士の話では、具体的にそこまで突っ込んで、たとえば本土の世論でもあるいは沖繩の世論でもいわれておりますが、具体的に返還協定あるいは関連法案が通過をしないで、可決をされないで、そこでかりにそれが、悪いことばで申し上げますと、パーになるといった場合に、復帰というものが実現できない。こういう深く突っ込んだ考え方は、友人間同士で話をするなり、内容に気づいております。  ざらに、アメリカドル防衛政策に関連いたしまして、倒産問題あるいはかけ込み外資の問題でございますが、先ほども時間足らずで若干説明不足でございましたが、まあ私のほうも、私は水産関係を担当しておりまして、先ほど宮国公述人のほうからもございましたが、たいへんドルの問題が出まして、たとえば市中金融のそういうような融資が受けられない。こういうことに基づきまして、結局、運転資金が借りられないために、本土政府に対して、特に水産関係でございますが、本土政府に対して何とかそういうふうな融資面をしていただきたいというふうな強い要請現実にやっておる面でございます。そういうことで、やはりこのドル問題というのは、沖繩県民の総意として早目に解決をしないと、復帰に向けて非常に大きな不安と混乱をむしろプラス・アルファしたような形でわれわれは受けとめておるというふうに申し上げておきたいと思います。
  105. 稲嶺一郎

    稲嶺一郎君 仲田公述人と、それから、まああなたでいいと思うんだが、実は日本においては景気浮揚策というものが講ぜられているわけです。ところが、いまいろいろと公述人方々からお話を聞くと、沖繩にはまだそれがないような感じを受ける。私は、沖繩においてはいまこそほんとうの景気浮揚策が必要だと思うんだが、それに対してひとつ御意見をお伺いいたしたい。
  106. 高山恒雄

    高山恒雄君 ちょっと一つだけ、関連です。  仲田さんにお聞きしたいんですが、固有の沖繩汽船の非常な危険性があるということをちょっと報告されたと思いますが、現在の船の運用上における被害ですね、大汽船が沖繩に入って固有の沖繩汽船というものが下積みになって倒産の一歩手前にいくような危険性があると、こういう意味なのか、そういう点、ちょっとお触れ願いたいと思います。
  107. 仲田昌繁

    公述人(仲田昌繁君) 簡単にお答え申し上げます。  稲嶺先生がおっしゃるとおり、いまこそ景気のそういうふうな対策が非常に必要でございます。さらに、先ほど沖繩と本土間の航路関係に関連いたしまして若干説明申し上げたんですが、現実にいまその倒産というところまでいっているわけではございませんでして、特に復帰対策第二次要綱の中に、貨物船につきましては現在の航路秩序を保っていくと、このようなことが復帰対策要綱の中にも出ておるわけでございます。しかしながら、沖繩と本土間の旅客船につきましては復帰対策第二次要綱の中には入っておりません。そのことは、本土復帰をいたしますと、海運業法というのがございまして、旅客船は免許制度になるわけでございます。したがいまして、来年のかりに四月一日復帰といたしますと、いまのうちにかけ込み旅客船を沖繩航路につけたいと、こういうような具体的な動きが出てまいっておるわけでございます。そのことにつきましては、衆議院の沖特委の連合審査会ですか、十二月のたしか十六日にもそれが出ておると思います。そういう点で沖繩の海運企業、あるいはそこに働く労働者にとってはほんとうに脅威でございまして、復帰対策の第二次要綱の中にもそれが出ておるわけでございますので、そういう点を十分御理解の上、先生方の御理解を得たいと、こういうふうに考えるわけでございます。
  108. 安井謙

    団長安井謙君) まだまだ御質疑もおありかもしれませんが、予定の時間を過ぎたようでございまして、この程度でひとつ質疑を終わりたいと思います。  公述人方々、長時間にわたりまして非常にいろいろと有益なお話を下さいまして、まことにありがとうございました。(拍手)得るところも多いだろうと確信いたします。厚くお礼申し上げます。  なお、本日の会議につきまして特別の御配慮をいただきました立法院また行政府、その他関係の各機関の方々に対しまして、心からお礼を申し上げます。われわれ、皆さまの貴重な御意見を伺いまして、さらに明日からもまた国会の審議に精を出すことにいたします。いろいろと本日はありがとうございました。  以上をもちまして本日の参議院沖繩公聴会を終了いたします。  散会いたします。(拍手)   〔午後四時四分散会〕