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公述人(末次
一郎君) 末次
一郎であります。
沖繩返還協定及び関連取りきめに賛成の
立場から
意見を申し述べます。
協定内容及び関連取りきめの中にある私の
考えておる問題点と私の
見解を申し述べて、その次に、この私が賛成する理由を申し述べたいと思います。なお、時間があれば今後の問題点、課題に言及したいと思います。
意見を申し述べる前に、私の
立場を若干御説明申し上げたいと思いますが、私は、
沖繩問題に青年運動の
立場から
昭和二十六年以来取り組んでまいりましたので、およそ二十年ほどたつわけであります。その間、
沖繩にも約三十回参りまして、青年の交流や研修あるいは各種施設づくりの推進、あるいは文教教育政策への協力、そうして、現在の主席である屋良さんや喜屋武議員などと一緒に
復帰運動などにも協力し合ってまいりました。さらにまた、この問題を解決するためには
アメリカに直接行動を起こす必要があると
考えて、
昭和四十一年以来ほとんど毎年ワシントンを訪問いたしまして、
アメリカ側にかなり強い体当たりなどを試みてまいりました。また、その経過を通じて、ただばく然たる
国民運動だけでは問題解決に近づくことができない。また、当時
政府がとっておりましたように、ただ単に時の流れを待つだけでも問題の解決はできないと
考えて、
日本側からの具体的な提案をつくり出す必要があるというので、あるいは御承知かと思いますが、
基地問題研究会を組織して、専門家グループの討議を通じて、後に
政府が採用いたしました核抜き・
本土並み・七二年
返還の原理を報告などいたしました。
そういう
立場に立って、この二十年を振り返りながら、いま目睫に
沖繩の同胞をはじめ全
国民が待望してきた
返還の日を迎えようとしておるときに、この長かった道、険しかった道を思い起こしながら、感慨まことに深いものがございます。
まず第一に、
協定内容における問題点でありますが、第四条で規定いたしました
請求権の放棄は、いろいろな経過があったにもせよ、私
どもとしてははなはだ遺憾に
考えた点ではございました。しかし、国会の討論を通しまして、講和前補償に類するものに関する
アメリカの補償は別ワクとしても、その他、この
請求権にかかわりある事項に関しては、法的
措置を講じつつ
日本政府が責任を持つということが明らかにされてまいりましたので、それをもって了とすべきだと
考えております。
第二は、水道、電力、その他の資産引き継ぎにあたって合計三億二千万ドル、その中の一億七千五百万ドルが資産引き継ぎに充当されることになったのでありますが、これは琉球
政府も主張しておりますとおりに、これだけの金が開発予算としてつぎ込まれるとすれば相当に大きな力を持つわけでありまして、望むらくは、支払わないでも済ましたかったのであります。が、しかし、経過は御承知のとおりでございまして、結局は支払うことになった。これも
考えてみますと、
あとで申し述べますように、相手がある
交渉でございますから、どこかで条件の互譲ということが必要になってまいります。たまたま経済的な力もついてきた
日本でありますから、もし金で解決できる
部分があるとするならば、それで早期
返還を期するということが賢明な選択の道だと、われわれとしては
考えるわけであります。
三番目の問題は、この
返還時における
基地の縮小が私
どもが期待したほど進まなかった点でありまして、この点については、昨年の十月、
基地問題研究会の専門家グループが
沖繩を訪問いたしまして、かなりしさいに
沖繩の
基地を点検いたしました。その点検に立って
政府に提言をいたしましたが、私
どもが提言をした
内容から、はるかに遠いところでA表、B表、C表が取りきめられたのであります。これはわがほうの
交渉に臨む態度に準備が十分でなかったなどの問題もございますが、結果として、ごくわずかの縮小にとどまった点は、これははなはだ遺憾であると思います。しかし、これも、後ほど申し上げますように、
施政権返還後の取り組みによって問題を解決していくことが可能でありますから、
決定的な条件というふうには
考える必要はない。
次に、
VOAでありますが、
VOAの
内容が毎日行なわれておる北京放送やモスクワ放送などに比べてそれほど悪質なものでないというふうな理由や、あるいは現地国頭ではとどまることを希望しておる
方々が多いというような理由があったにもせよ、やはり
わが国の主権の一部にかかわりを持つわけでありますから、これが残ったということも残念であります。ただ救われるのは、時限をもって制約を加えた。ことに五年ということでありますが、
復帰後二年たてば運営に関する
協議を始めるということでもあり、かつまた、私はこの九月、ほとんど一カ月、ワシントンで各方面と接触いたしましたが、私が得た感触では、すでに一部において移転計画の検討が進められておるというような条件などを考慮いたしますと、今後の折衝でその撤去の時期を早めることは十分可能であるという意味で、これもさしたる問題と
考えなくてもよいであろう。
最後に、
自衛隊の配備の問題でありますが、これも、原則として、
復帰する以上、
自衛隊が配備されるのは当然だといたしましても、
自衛隊に対する
沖繩県民の特殊な感情を十分理解することなく進められてきた経過が私にとっては遺憾であります。
〔理事西村
関一君退席、
委員長着席〕
と申しますのは、
沖繩の
方々にとって、
復帰の手順がどういう手順で進むかというのはたいへん大きな課題でございました。ところが、総理府を中心として進めました
復帰対策要綱が、一次、二次は、それぞれ、昨年の十月、ことしの三月と取りきめられましたが、民生に一番
関係が深かったものが全部第三次に集約されまして、その閣議
決定を見たのが九月の三日であります。したがいまして、
沖繩の人々にとりますと、民生に深いかかわりを持つものが一体どんな手順でどうなるのかが、まだはっきりしないという段階、これは具体的にはことしの六月の段階に、すでに
自衛隊の配備計画の輪郭がかなり具体的に明らかにされました。これは
沖繩の住民感情からいいましても、これに対して一種の心理的抵抗が起こってくるのは当然でございます。いわんや、古き苦き思い出が人々の心に深くあるわけでありまして、さらに加えて、先ほ
ども申し上げました
基地にかなり依存する経済条件であるにもかかわらず、一方
基地の撤去を望む住民感情は御承知のとおり非常に強い。ところが、
返還協定が成立してみますと、
基地の縮小が予想したほどでない。こういう一種の失望感があるところに、
自衛隊がやってくるということが、しかも、かなり具体的に打ち出される。これでは、政治的
立場に立って
反対をする人のみならず、素朴な住民感情の中で
自衛隊に対する抵抗が出てくるのは当然でありまして、こうした、取りきめというよりも、むしろその取りはからいの経過が、はなはだ私は遺憾にたえないと思っております。この点については、後ほどまた少し触れたいと思います。
以上申しましたように、
返還協定の
内容あるいは関連取りきめの
内容がすべて満点というものでないことは、これは多くの識者が
考えておるとおりでありますが、それにもかかわらず、私が賛成をいたしますのは、
一つは、この
交渉というのは、これまでの長い
交渉の経過があったということを無視してはならないことと、外交
交渉でありますから、当然相手があって
交渉を行なうということを踏まえなければならないと思うからであります。先ほ
ども申し上げましたように、早くから取り組んでまいりまして、その過程では、絶望の感におちいったこともございます。これは、私のみならず、屋良主席も、あるとき、自分が生きているうちには返ってこないかもしれぬと、しみじみ述懐されたことを私はいまでも覚えておりますが、そういうふうにたいへん険しいものでございました。私が四十一年にワシントンに参りましたころは、
国防省や国務省を回りましたが、全く剣もほろろの扱われ方で、口角あわを飛ばしながらかみついたりもいたしました。したがいまして、そのころは御承知のように、たとえば教育権を分離して
返還してもらおうじゃないか、教育権だけでもいいという、機能別分離
返還論とか、あるいは先島だけでも返してもらおうじゃないかという地域別分離
返還論、あるいは軍事
基地は現在のままでいいから、これだけをセパレートして、その他の
部分を返してもらおうじゃないかという地域分離
返還論など、こういうものがかなり大手を振ってまじめに
論議されねばならなかったという経過な
どもあったわけでありまして、そういう経過をたどりながら六七年に、ようやく両三年のうちに
返還に関する話し合いをしようという両巨頭の話し合いがまとまり、六九年十一月に今度の
返還交渉の基礎となる共同声明に至ったわけであります。冒頭に申し上げたように、その経過で、いわば
政府のけつをたたきながら、ときには
政府とけんかをしながら推進する
立場に立ってきた私
どもから見ますと、とにかくここまでよく来たということであります。いわんや、相手があるわけでありますから、わがほうの言い分を一〇〇%通すというわけにはまいりません。どこかで互譲するほかはない。しかも、日米間は今後友好を保つべきであるという私の
考えに立って見ましても、互譲しつつ話し合いをまとめるべきである。問題は何を譲り何を譲らないかということでございまして、私は、今度の
返還交渉では原則を確保して、貫いて、条件において譲歩したと、こういうふうに理解するのであります。金で片づくものは金で片づけよう。時間を多少かけて解決できるならそれでいこうと、要するに、早期
返還だというこの目標に向かって、若干の条件において譲歩したが、原則はこれを貫くことができたと、こういうふうに私は理解しております。その原則とは、核抜き・
本土並み・七二年
返還であります。
で、第一の核抜きについては、いろいろ
論議が重ねられてまいりましたが、確かに
協定条文の表現によりますと、たいへんあいまいとしておる。これは核兵器の持つ基本性格からしてやむを得ないとしても、
国民なり現地住民の不安が渦巻くことは当然である。ところが、幸いにして、その後の経過を経ながら、たとえば
アメリカにおける上院外交
委員会のロジャース、パッカード証言、さらに外交
委員会が本会議に送付いたしました報告書の中でこれを重ねて取り上げて報告書の中に明記した点、一方、わが
政府がこの国会を通していろいろ答弁してきた点などで、核撤去については問題は明らかにされたというふうに理解いたします。
それから、第二の
本土並みでありますが、これは先ほど来も出ておりましたように、
本土並みというけれ
ども沖繩は
基地の中に
沖繩があるではないかという御
議論がありまして、その限りにおいてはまさにそうであります。ただ、大事なことは、密度の問題もさることながら、私にとってより大事なことは、
沖繩の
基地の性格を
本土並みにすることができるかどうかということであったと思うのであります。今日、ここへ来てみれば、
安保条約の
適用区域にするということは、あたかもあたりまえのようでありますが、実はその
交渉経過を振り返ってみますと、
アメリカは自由
使用については断じて譲らぬという姿勢をかなり長い期間堅持してまいりました。それを
安保条約の
適用下に置くということは、
事前協議を
適用せしむるということでありまして、性格面から見て、
本土の
基地と何ら特異性を持たせないということでありまして、私は、その意味で、まず性格を
本土並みにしたということの意義は高く評価さるべきだと
考えるのであります。
安保条約を否定する
立場に立てば、全く別の論点からの
議論が出てくるわけでありますが、将来、
安保条約が質的
内容を
変化し、やがて他のしかるべき条約にとってかわるというような長期展望ができるにしても、現状においては
安保条約の
適用区域にしたということで性格が
本土並み化したということを私は評価するものであります。問題は、今後この密度を
本土並みに向かってどう進めていくかという問題が残るわけであります。
第三は、七二年
返還をわれわれは願ってまいりましたが、これで、このまま
わが国会の
審議が順調に進んで終結いたしますと、遠からずして批准
手続が行なわれ、そして、私としては四月一日を希望するのでありますが、
返還が実現するのであります。私は、何といいましても
施政権をわが手中にするということが、非常な問題を山ほどかかえておる
沖繩の現状を解決していく上でも、
決定的な要件だと思うのでありまして、その意味で原則を全うしたこの
協定及び関連取りきめ、若干の問題点があるにしても、原則を貫いたという意味で、これの早期
承認が終わり、そして、
返還の日を早く迎えたいと、こう思うわけです。逆に、もしも一部に唱えられておるように、この
協定を粉砕し、もしくは
交渉をやり直すという場合を仮定して
考えてみますと、言うべくして簡単にできるものではございません。日米
関係は
たちまち最も険悪な事態に相なります。日米
関係を悪くしようと
考える
立場からいえば、快哉を叫ぶのであろうかと思いますが、私は、国益の
立場からその道をとるべきではない。また、日米
関係が悪化して、再
交渉ということになりますと、私の計算では、早くて三年目ぐらいからやっと話し合いが始まるかもしれない。その間、
沖繩はもう収拾すべからざる混乱におちいることは必至でありまして、私
どもは、これは釈迦に説法でありますが、政治というものは比較の問題であろうと思うのです。いかに賢明な道を選択するかの問題であって、オール・オア・ナッシングだとは私は
考えません。ただ、ここまでまいりますと、私
どもとしては、とにかくいろいろな経過をたどってきたものでありますから、賛成か
反対かしかない。私はあくまでも賛成の
立場で、すでに表面はともかく、心情的には来年春には
復帰できるという心組みでいろいろな取り組みをすでに進めておられる
沖繩の人々とともにこれからの
沖繩の問題に取り組んでいかなきゃならぬと、そう
考えております。したがって、そういう意味で、今後の課題というものを
考えてみますと、これからおそらく
返還日をいつにするかという
交渉が行なわれると思いますが、私は、いろいろな意味から四月一日を目ざしたいと思います。総理府など事務当局は、山積する準備業務があって、少し音を上げるかもしれませんけれ
ども、やはり春さわやかな四月に、いろいろな意味で新しい気持ちの転換の日を迎えることが望まれると思います。
第二は、核抜きということの確認については、これまでの
論議を踏まえながら、今後しかるべき
措置が行なわれることを期待いたします。
三番目には、
安保条約の
適用によって軍用地の
契約更改が行なわれるわけでありますが、えてして、防衛庁ないし防衛施設庁はこういう点について、先ほ
ども申し上げたように、何といいましょうか、要領の問題ではなくて、真に相手の気持ちになって事に取り組むという態度に欠くるところがあるように私には思われるのでありますが、しかるべき指導によって、スムーズにこの
契約更改が進むように万全の努力をしてもらいたいと思うのであります。
次に、
基地の縮小について、先ほど申し上げたように、十分なところまで踏み込めなかったのは残念でございますけれ
ども、
返還を待つまでもなく、本件については積極的な折衝努力が必要である。それには、ただ小さくしてくれ、狭めてくれという態度ではいかぬのでありまして、私
ども、いままでの経験からいっても、ここをこういうふうに使いたいからというような具体的な、建設的話しな合いの材料を用意して迫っていくという態度が必要であろうと思われます。たとえば牧港の住宅区域など、もったいないところでありまして、とうとう
返還交渉まで間に合いませんでした。したがって、この附表の中に(注)として併記されましたが、代替施設をつくって、たとえ、よしんばそれに金がかかっても、やがて
米軍が引き揚げたときには、これを住民の団地に充て得るという将来的展望の設計などをして、思い切って代替施設をつくって那覇市の発展に不可欠の牧港地域を解放するという、そういう努力など、もっと積極的な取り組みを望まずにはおられません。
五番目には、先ほど申し上げた
自衛隊の配備でありますが、いわゆる久保・カーチスの取りきめがあるにもせよ、これについては防衛庁当局の住民感情を十分考慮した賢明なる今後の取り組みを期待してやみません。
最後に、いよいよ予算が取りきめられようといたしておりますが、
沖繩関係については、地代アップの問題を含めて、従前のように、大蔵当局が概算要求に思い切った大なたを入れるというようなことを許さないで、思い切った予算投入をしていただきたい。そういったことが十分に配慮されて取り組まれていくとすれば、先ほど申し上げた
協定内容等における若干の問題点などを補うて余りあるし、これから始まる
沖繩の、新しい、新生
沖繩の発展への道を開くことができるであろうと、そういう意味で不可欠な要件としての
返還協定と、当
委員会の問題ではございませんが、関連諸
法案が無事に、みごとに成立することを心から期待をして私の
意見を終わります。(
拍手)