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1971-12-20 第67回国会 参議院 沖縄返還協定特別委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十六年十二月二十日(月曜日)    午前十時十五分開会     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         安井  謙君     理 事                 玉置 和郎君                 西田 信一君                 大矢  正君                 西村 関一君                 黒柳  明君                 松下 正寿君     委 員                 佐藤 一郎君                 高橋 邦雄君                 塚田十一郎君                 内藤誉三郎君                 原 文兵衛君                 増原 恵吉君                 山下 春江君                 山本 利壽君                 加藤シヅエ君                 佐々木静子君                 田  英夫君                 羽生 三七君                 森 元治郎君                 渋谷 邦彦君                 中尾 辰義君                 星野  力君                 青島 幸男君    事務局側        常任委員会専門        員        小倉  満君    公述人        都立大学教授   清水  誠君        世界経済調査会        理事長      木内 信胤君        農民同盟副書記        長        衛藤 晏保君        政治評論家    戸川猪佐武君        軍事評論家    小山内 宏君        東京理科大学教        授        曾村 保信君        名古屋大学教授  長谷川正安君        日本健青会顧問  末次 一郎君        日本電信電話公        社社員      上原 成信君                 桑名 貞子君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリ  カ合衆国との間の協定締結について承認を求  めるの件(内閣提出衆議院送付)     —————————————
  2. 安井謙

    委員長安井謙君) ただいまから沖繩返還協定特別委員会公聴会を開会いたします。  本日は、琉球諸島及び大東諸島に関する日本国アメリカ合衆国との間の協定締結について承認を求めるの件につきまして、午前四名、午後六名の公述人方々から御意見を伺います。  この際、公述人方々一言あいさつを申し上げます。  本日は御多忙中のところ御出席をいただき、まことにありがとうございます。皆さま方から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の本件審査の参考にいたしたいと存じます。  なお、本日委員会が、公聴会東京及び福岡で同時に二カ所開いております関係で、委員出席の数が、両方にまたがっておりますので、全部満員でない点も公述人方々にも御了承いただきたいと思います。  これより午前の公述人方々に順次御意見のお述べを願うのでありますが、議事の進行上お一人十五分程度でお述べを願い、公述人方々の御意見の陳述が終わりましたあと、一括して委員の質疑を行なうことといたしたいと存じますので御了承をいただきます。  それでは、まず清水公述人にお願いいたします。(拍手
  3. 清水誠

    公述人清水誠君) 私、清水でございます。東京都立大学において民法を研究し、教えている者でございます。  去る十二月九日に、私ども民法研究者の中で、特に土地の問題に関心を持つ東京周辺在住の者十九名が共同いたしまして沖繩公用地暫定使用法案についての見解を取りまとめ、代表が各党に持参いたしました。私たちはこの法案内容に接しまして、それが私たちの理解する日本土地法体系にあまりにも背馳するものであるということに驚愕いたしまして、この見解を発表したものであります。  そこで、本日は第一に公用地暫定使用法案問題性に即しつつ、沖繩協定第三条の問題性について述べてみたいと思います。あるいは、そのような問題指摘は、協定本体審議する本委員会の対象からはずれると言われるかもしれませんが、私はそうは思いません。沖繩協定内容国内実定法化するところの関連法案において、協定ではごく簡単にしか書かれていない事柄が具体的、現実的な形で表現されてまいります。国内関連法案を見ることによって、協定が実はこういうものであったのかということがよくわかります。私ども公用地暫定使用法案を見ることによって、この沖繩協定がこのような内実のものであったのかと驚いたのであります。  第一に、公用地法案は、わが国における土地法体系の基本的な精神沖繩における適用をむざんにも否定するものであります。言うまでもないことでありますが、本土におきましては、土地所有権その他の財産権憲法二十九条によりまして手厚い保障を受けております。土地に対する私有権を否定して公共のために使用するためには、土地収用法の定める手続によらなければなりません。私たち民法学者にとって、土地収用法の問題は土地所有権の問題の一内容をなす事柄としてゆるがせにできない重大な関心事であります。本土における米軍基地のための特別措置法でさえも、手続は簡略化されていて問題ではありますが、基本的には土地収用法の体系の中に位置づけられていると言うことができます。もし沖繩基地ほんとう本土並み考え本土占領体制から安保体制に移行したときと同様に扱うとすれば、すなわち特別措置法によるとすれば、まず土地等所有者等協議に入り、協議不成立のときに初めて所有者等通知をして、強制的ないわゆる一時使用に踏み切るという手順になるべきものであります。ところが、今回の協定第三条のための公用地法案では、事前協議通知もなく、一方的な告示によって強制使用をなし得る仕組みになっているのであります。この事前協議通知もなく一片告示国民土地強制使用できるという考えは、およそ戦前を含めてわが国土地法の歴史に見られなかった驚くべき考え方であります。  土地収用法が「伝家宝刀」と呼ばれることがございます。しかし、ともかく土地収用法の場合のように、一定手続きが定められておりまして、そのことを含みとしながら任意契約交渉が進められているのであれば、なるべくならば抜かないことに値打ちのある「伝家宝刀」という言い方もされてよいかと思います。しかし、今度の公用地法案では、このような考え方は全く当てはまりません。有無を言わせぬ強制使用は、いわばあいくちのようなものでございます。あいくちを突きつけられて締結したすべての任意契約は、しょせんはいつまでたっても自由意思による契約の名に値しない、正義にかなわぬものでしかあり得ないと考えます。  第二に、公用地法案の中に自衛隊基地がすべり込まされていることもまた驚くべきことであります。そもそも私たちには、土地収用法自衛隊基地には適用されないことは自明の理ではないかと思われていたことであります。戦前土地収用法は、強制収用できる公共事業の筆頭に「國防其ノ他軍事ニ關スル事業」を明記していたのでありますが、戦後の昭和二十六年の全面改正に際しまして、この規定は削除されたのであります。政府はその理由として、新憲法下においては妥当を欠く旨の説明をしていたのでありまして、土地収用法立法趣旨からしまして自衛隊のための土地収用が認められていないことは疑いをいれない。私たちにとっては常識とも思われる事柄であります。ところが、公用地法案による強制使用自衛隊基地のためにも利用されるというのは、一体どういうことを意味するでありましょうか。  第一には、本土においては土地収用法さえも適用されないと私たち考え自衛隊基地に対して、沖繩では土地収用法をすら一段飛び越して五年間の強制使用という手段まで認められてしまったということを意味するのであります。このことが前提となって本土における自衛隊基地への土地収用法適用というはね返りにもつながることを私たちは警戒しなければならないと思います。  第二には、ここにおいて自衛隊イコール米軍という論理が用いられているということに注意しなければなりません。そもそも公用地法案は、協定第三条に基づく米軍への基地提供のためにつくられた異例の措置であるはずであります。ところが、この法案では「引き続き自衛隊の部隊の用に供する土地又は工作物」ということばが使われております。米軍返還後も引き続き使用するためのいわゆる暫定使用であるはずなのに、別人格である自衛隊が新規に使用する場合まで「引き続き」ということばで含めて、自衛隊基地をもこの強制使用の中にすべり込ませてしまっているわけであります。  要するに、沖繩協定第三条が国内において実効を持つところの実定法化されてくると、このような姿をとってくるということであります。公用地法案については、先ほどの憲法二十九条の違反をはじめ、適正手続保障を定める三十一条違反、法のもとの平等を定める十四条違反など、幾つもの憲法違反が指摘されております。これらの憲法違反内実を備えているのが実は協定の第三条だったということになるのであります。さらに第三条は、いま申しましたように、憲法九条違反自衛隊沖繩にすべり込ませ、そしてこれに強制使用権を持たせるというまでの機能を営むものなのであります。  このような数々の憲法違反沖繩県民にだけ甘受しろというような、沖繩県民をないがしろにしたやり方を私たちは容認することはできません。国内法に限っていえば、少なくとも憲法九十五条によって沖繩県民住民投票を行ない、これによって、このような幾重もの特別扱いを耐えることができるかどうかその意思を問うべきだということが言えましょう。しかし、事柄根源沖繩協定そのものにあるとすれば、単に沖繩県民意思を問えばよいというような問題ではないと言うべきかもしれないと思います。考えてみますと、何らの手続的保障なしに一片告示によって土地を奪われるという状態は、法的には一種の憲法停止状態であります。これを許せば、たとえ沖繩県限りのことだとしても、また、返還に伴う特別のことだと説明するにしても、そこに、つまり日本の一角に、まぎれもない憲法停止状態を現出させることになるのであります。公用地法案と同じことがもし全国で行なわれたとしたならば、それはまさに戒厳状態非常事態にほかなりません。その少なくとも端緒的萌芽的なものが沖繩に持ち込まれようとしているのであります。この種のものは萌芽だからといって油断することはできません。私の一民法学者としての感覚からいいまして、このような問題をはらんだ法律根源である沖繩協定第三条、これはもちろん協定全体の中に位置づけられたところの第三条でありますが、この第三条に反対せざるを得ないのであります。  以上、土地法の問題に即して私の考えを申しましたが、次に土地法の問題において最も強く感じられるのですが、同時に、協定全体を通じて底に流れていると考えられる考え方の問題について、私の疑問を申し上げてみたいと思います。それは、そもそも他民族支配といいますか、他国の占領権力のもとにあった人と土地祖国復帰するという場合において、その原則的な考え方はどのようなものであろうかという点に関してであります。  この点について、協定を貫いている考え方は、アメリカ合衆国による支配のもとの沖繩状態をすべて積極的に正当視し、いわゆる返還の時点において、これに日本国法的状態を、いわばつぎ木をするという考え方であるように私には思われます。返還前の状態が積極的に肯定されますので、必然的にその状態返還後にまで持ち込まれる例がいろいろと出てくることになります。そして、そのための措置経過措置特別措置ということになるのであります。  しかし、私には、このような考え方が、国際信義友誼に合したものとは思えません。真に国際信義友誼に基づいた返還であれば、返還前のすべての瘢痕は洗い流され、すべての法的状態は清算されて、人も土地祖国のふところに返るというものではないだろうかと思います。そして、事柄によってあるいは事情によって、どうしても一定関係返還後にも持ち込まさなければならないというときにのみ、最小限度においてそのための措置を講ずる必要が生ずるということになろうかと考えるのであります。  土地問題についていえば、すべての米軍基地について日本国内において存在している法的状態に照らして洗い直してみるというのが、原則的な考え方でなければならないと思います。ところが、その立場に立って、どうしてもやむを得ない場合についての例外を沖繩県民に耐えてもらうというような姿勢は全く見られないと思います。  同じことは協定第五条の裁判効力の承継についても言うことができます。私には、民事、刑事、特に刑事裁判効力を引き継ぐことが復帰前後の沖繩社会秩序を維持し、沖繩の円滑な復帰をはかる上に必要不可欠であるとは思えません。かえって、効力を引き継ぐことこそが、いつまでも占領下法的状態を残存させ、名実備わった返還という正義の実現を妨げるものではないかと思います。はっきりと占領下法的状態を清算し、祖国法的状態復帰することこそ、沖繩県民の願いなのではないでしょうか。この法的安定性の問題や人権尊重の問題は全く別個の問題でありまして、そのための経過措置は可能であります。そういう原則、そういう経過措置こそがほんとうに必要なものではないかと考えます。同じような問題そして政府による同じような考え方が、協定の他の部分、たとえば、第四条の請求権の放棄、第六条の資産の引き継ぎ、第八条のVOAの問題など、全体を通じて流れているように思うのであります。深く御検討いただきたい問題だと考えます。  最後に結びを申し上げます。  私は、一人の法律学者としての考えを申し上げました。私の専攻しております民法学においては、すべての人は対等の人格であるという理念がございます。それはいわば市民社会における市民的正義でございます。私は、この沖繩協定国内法とを結びつけて考えてみますと、この協定は、沖繩県民に対して、本土において存在する市民的正義保障をさえ奪うもの、言うならば、人を人とも思わない仕打ちだと感じます。これが実は一昨年の日米共同声明思想であり、そしてこの協定思想であったのかと、あらためて考えさせられるのであります。私は、法の精神からいいまして、強制使用の五年間というものが続く限り、そして民政府裁判所刑事裁判効力を持って残存する限り、そしてVOA放送が存続する限り、沖繩県民にとって真の復帰はない、そう考えざるを得ないと思います。  以上申し上げましたことを根拠として、私は、一人の法律学者として根本的な疑問を禁じ得ないこの協定に対して反対意見を表明しまして、委員皆さまの御検討をお願いしたいと存じます。これで終わります。  どうもありがとうございました。(拍手
  4. 安井謙

    委員長安井謙君) どうもありがとうございました。     —————————————
  5. 安井謙

    委員長安井謙君) 次に、木内公述人にお願いいたします。
  6. 木内信胤

    公述人木内信胤君) それでは、私の所見をしばらくの間述べさしていただきますが、私は、別に沖繩問題を特に専門的に研究している人間ではございません。したがいまして、あまり詳しいことは知らないのでございますが、公述に出てくれという申し込みを受けましたとき、私はあまり資格がないんだろうと言って実はお断わりをしたわけです。ところが、聞きたいことは必ずしも専門的なデテールではない、一般的な大きな問題も必要なんだ。それを庶民感覚といいますか、国民一般立場から言ってもらうことが必要なんだと、こういうお話であって、それならば、私はむしろ喜んで志願したいという気持ちになったわけです。と申しますのは、世の中議論を見ておりますと——これは国会はかりではございません、すべての場ですが——末節的な議論は実に盛んですが、末節議論しておりますうちに、大局を失っているという場合が実に多いように思うので、大局的な議論というものは、常にそれを離れないという必要がありますから。どういうわけですか、私に出ろと言われましたから、それならば、喜んでお受けすると、こう申したわけです。ところで、私の申し上げたいことは、そういう大局論でありますから、あまり時間は必要がないかと思うので、十分もかからないかと思いますが、そういうことを申し上げてみたいと思います。  第一は、世界の大勢でございますが、これは申し上げれば切りがない問題でございますが、一言にしてこれをしぼるならば、いまはまさに急変だということで、急に変わりつつあるのみならず、非常に大きく変わりつつある。これだけのことを、何といいますか、確認しておけばそれで十分だと思います。こまかい点がどうであろうと、また、その変化をどういうふうに解釈するか、どこに変化を認め、どう解釈するかということがいかようであろうとも、いまの世界は大きく変わり、それが急に変わっているということが、一つの大きな出発だと思うのです。  そこで、そういう世界に処している日本でありますが、沖繩が返ることは、何はさておき実にめでたいことであって、日本人として実に喜ぶべきことだと、これに変わりはないと思います。その実に喜ばしきことが、めでたいことが、ここに行なわれようとしているのですが、それがいまの世界大局、これは急激に大きく変わりつつあると  いうところから見まして、どういうことになるかと申しますと、この大きく変わっている世の中に対し、日本は、ありとあらゆる面で、これからがほんとう出発となると思います。早い話、きょうの新聞のほとんど全紙を埋めております円切り上げ問題について見ましても、あれはショックだというので、非常にこう、何か日本が悪いような、しかられているような感じが多いんですが、これはもう自然に判明してくると思います、一月、二月、たてば。これは日本が実はすばらしいからほめられているわけであって、ただ、すばらしいことを自覚するのがもう少し早く、もう一、二年前からしかるべき措置をしていたら、こういう急激な変化でおどかされるということはなかったと思うんですが。  そういうわけで、これからの日本は、いままでと違いまして、自分の力を真に自覚して、新しい出発をなすべき大きな日本であるわけですね。これが自主的な出発であるわけですが、これからがほんとう日本らしい日本——明治以来の日本は、少し変わった日本で、曲げられた日本だと思います。戦後の日本は、一そう曲げられた日本ですが、それが新出発をするという場合ですから、それが、日本の大事な国防というものが、その国防に実に重要な部分が、沖繩という重要な役割りを果たしている地域を、アメリカ人の手にまるまる渡して国防をやってもらっているというようなことは、まっ先に脱却すべきもので、国防論やりますと、真に自主的な国防ができるには、まだまだ、いろいろ改良すべきところがあると思いますが、とにかく、あれがアメリカ人支配下にあるということは、日本が新出発をなすのに、ぜひともそこを脱却しておきたい重要なポイントである。いまの世界急変は早くて大きいですから、この脱却ということは早くなければいけないので、もうぐずぐずしているのは実にばからしいと、こういう印象を持つわけであります。これが一番大きなポイントであって、そこから見ますと——まあ私も沖繩問題を特に研究しているわけではありませんが、世間の論議、あるいは国会の審議等を通じて感じますことは、反対論はたくさんあります。反対論論拠はたくさんありますが、すべて末節的な論議で、末節を必ずしも軽視していいわけではありませんが、部局的な論議である。すなわち、全局を動かすに足りる論議は、私は一つも発見しないのであります。しいて言うならば、全局的な論議は、国防無用論に近い無条件返還論であるとか——国防無用論、すなわち、安保も無用だということであって、そういう論拠に立たなければあり得ないような反対論は聞くことはできます。しかし、その点は、これは沖繩返還問題とは別に論議すべきものだというならば、つまり、沖繩に関しては部局的な反対論しかない、こう思うわけです。部局反対論なるものは、すべてその部局をクローズアップして見れば、もっともな場合がすこぶる多いと思います。−全部もっともとは思いませんが——もっともな場合が多いとは思いますが、しかし、部局的論議をもって全体をくずすべきものではないから、したがいまして、私は沖繩論議を聞いておりまして、新聞を見ておりまして、首肯すべきものは一つもないと考えている人間であります。したがいまして、いま日本にとって必要なことは、すでに申しましたとおり、沖繩がまず返ることであって、その返るということをいまさら延ばすという手は一つもない。何ということばでしたっけね、再交渉ですか、再交渉しろという議論もございますけれども、とんでもない話であると考えます。  ところで、さればといって、部局的に悪いことがあるなら、それを無視していいとは限りませんが、部局的にかりにまずいことがあっても、大局を動かせないとするならどうするか。大局に従ってきめておいて、悪い点はあと改良すればいい。こういう論拠になります。それで、あと改良余地を全然ふさいでいるかというと、少しもふさいでいない。安保すら、これから毎年改定のチャンスがあるわけでしょう。ですから、すべてこれに譲ればいいんであって、いまのような場合に、もたもたと沖繩論議沖繩が未決定であるということは非常に悪い。いまは、本協定衆議院が通りましたから、参議院で、ここで論議しておられる論議いかようであろうとも自然承認になるという話でございますが、自然承認を待たず一刻も早く御決定、賛成なさるほうがきれいであって、りっぱだと思います。関連法案——きょうは関連法案論議するときではないかもしれませんが、関連法案も、これが通らなければアメリカの大統領はサインをしない。サインをしなければこれは成立しないわけでありますから、いまのような大局であるのに、関連法案末節的な——関連法案はすべて末節的ですが、それの審議にもたついて、あるいは批准を得られないというようなことになることは非常に困るのであって、これはいま申したとおり、今後改良余地があることですから、ともかくも沖繩はまず復帰と、いまさらもたつくべきではないというのが私の大局論であって、これは日本の将来にも関すること。いまこれ以上もたつくということは日本にとって非常に悪いことだと、これが私が申し上げたい大局論でございます。  御清聴ありがとうございました。(拍手
  7. 安井謙

    委員長安井謙君) ありがとうございました。     —————————————
  8. 安井謙

    委員長安井謙君) 次に、衛藤公述人にお願いいたします。(拍手
  9. 衛藤晏保

    公述人衛藤晏保君) ただいま御紹介をいただきました衛藤でございます。私は全国農民同盟といいます農民団体に所属しております関係上、本協定委員会公述に関しまして農業の点を中心にしていささか論述をしてみたいと、かように考えるわけでございます。  まず第一に、去る六月十七日にいわゆる沖繩返還協定が調印されまして、これによって二十六年間私ども日本国民あるいは沖繩百万同胞が念願してまいっておりました沖繩施政権返還されるというこの事実については、率直に評価をしてもよいと思うのであります。ただ、ここで私が申し上げたいのは、同じ日本人でありながら、敗戦というこの事実のゆえに米国の極東戦略上の犠牲下に二十六年間という長年にわたって異民族の統治のもとに放置されてきた沖繩同胞の心情を察するときに、この協定をそのまま承認することには大いに抵抗を感じざるを得ない、こういうことをまず率直に申し述べたいと思います。と申しますのは、沖繩同胞が本土復帰に際して望んでおりましたことは、まず第一に基地のない、核のない平和な沖繩であるということ、それと同時に、日本のいわゆる本土並みの生活水準なり社会生活なり、そういうものを保障された復帰であると、こういうことであったと思うわけでございます。ところが、本協定並びに関連諸法案その他を逐一拝見していきますと、その返還が実施される場合の基地の施設の態様、この点について核抜きの保証が必ずしも明確ではない。佐藤総理は常々、沖繩には核はないということは申されておりましたけれども、現実には核があることがはっきりしてまいっておりますし、こういう点がその核抜きをどういうふうに保証し、どう確認していくか、こういうことが一番大きな問題であると思いますし、それと同時に、戦略放送と言っては言い過ぎかもしれませんが、いわゆるVOAの五年間の存続あるいはその他を認めたことは、これはへたをすると半永久的なVOAの存続を認めることになりはしないか、そういう危険性を非常に感じます。  同時に、基地の問題でございますが、自衛隊の派遣の問題は別といたしましても、ともかく自衛を本旨とする安保条約のワク組みを越えるような質量ともに巨大な基地がそのままに残されて返ってくるということ、これは非常に大きな問題になるわけでございます。  先ほど清水公述人のほうから土地制度その他の問題については詳細に論述がありましたので私はそれを省略させていただきますが、ここで問題になりますのは、日本本土におきましても、農地の収用その他につきましては、きわめて慎重な配慮なりがあってなされるわけでございますが、今回の本協定を見まする場合に、無条件に五年間強制的に公共という名のもとに土地の収用が存続されるというところに一番大きな問題があるわけでございます。沖繩のいわゆる統計その他があまり完備しておりませんので、私の申し上げることが必ずしも正確とは思いませんけれども、いわゆる敗戦による軍用地の設定、拡大、この問題が沖繩の農業の、農業的な土地保有あるいは農業制度といいますか、こういうものに非常に大きな制限を来たしてきたことはまぎれもない事実だと思うわけでございます。私がいま手元に持っておりますのは、五八年に琉球政府が発表いたしました一九五五年十二月現在での資料でございますが、これによりますと、農用地の軍用化はこれは全沖繩耕地の一二・五%、特に沖繩本島の中部では三九%に達しておる、こういうふうに述べております。すなわち、全琉球の土地面積は二十万三千四百町歩でございまして、そのうちの軍用地が一万七千百六町歩、耕地率にしますと七・八%それから全琉球の耕地は五万五千五百九十四町歩、そのうち軍用地が七千百九十町歩、これが一二・五%、これが沖繩中部に至りますと、中部の耕地が一万三千七百五町歩で、そのうちの軍用地が五千三百七十二町歩、三九%、こういうふうに非常に大きな比重でいわゆる沖繩の農耕地が軍用地化されてきておるという事実を見のがすわけにはいかないわけでございます。特に一九五三年から五六年にかけましてアメリカの軍用地いわゆる基地拡張のため沃よる、武力による土地接収が始められてから、その際に全耕地面積の二五%、特に本島中部の最も肥沃な農業に最適地といわれる部分におきまして、そういう土地が接収をされたということ、それから、いまの有名な嘉手納空軍基地のある嘉手納村では実に九〇%にわたる農耕地なりあるいは土地が接収された、こういうふうにもいわれております。こういうことになりますと、これは村ではなくて、基地の中に村がある、こういうふうに表現してもいいのではないか、こう思うわけであります。こういうような点から、公共用地の、いわゆる基地の五年間無条件の承認といいますか、継続を承認するということは、これは農民にとってもたいへんゆゆしい問題であるという点で、この点には特に強く反対せざるを得ないと思います。  次に問題になりますのは、沖繩返還交渉に関する私は政府の基本姿勢について、ひとつ触れてみたいと思うわけでございます。沖繩アメリカに占領されたことは事実でありますが、私は沖繩返還というものはアメリカのお恵みではないということを特に委員の皆さんに強調したいと思うわけでございます。と申しますのは、確かに沖繩アメリカ軍によって占領されました。それからいわゆるポツダム宣言を受けて講和条約は締結をされました。この講和条約、ポツダム宣言というのは、カイロ宣言を引き継いでいるわけでございますが、このカイロ宣言の中には明確に、連合国は領土の拡大を欲しない、こういう条項があるわけでございます。とするならば、いまの沖繩の潜在主権というものが日本にあるということは何人も否定できない事実だと思うわけでございます。ところが、政府は、何か沖繩本土復帰する、返還されるということは、アメリカの当然のお恵みといいますか、好意によるものであるかのような態度で交渉をされてきたところにいろいろな問題があったのではないか、かように思うわけでございまして、本委員会におきまして特にこういう点を慎重に御審議をお願いいたしたいと思うわけでございます。さらにつけ加えますならば、沖繩の農業振興、いわゆる民生安定に関連する中の農業振興の問題でございますが、沖繩でいま一番問題になっておりますのが、さっき申し上げましたような、いわゆる軍用地と農耕地との関連でございます。それから第二に問題になりますのが土地と水の開発、改良がはなはだしく立ちおくれておるということでありまして、いわゆる農業用水なり客土なり、こういうものを含めた土地改良というものが、国の積極的な支援がなければどうにもならない状態にあるということが一つであります。  それからさらにもう一つは、本委員会とは全く関係ございませんが、特にお願いを申し上げておきたいのは、いわゆるウリミバエという害虫がございまして、これがあるために沖繩間でさえいわゆる果実なり蔬菜、こういうものの移出が禁止されておる、こういう問題もあるわけでございまして、こういうものなどに関しましても、やはり日本本土として、沖繩の農民に対してその駆除なり防除、そういうものに対する手厚い施策あるいは指導、こういうものが必要であろうか、こういうふうに思います。そういう意味から、私は特に沖繩の民生安定の一環としての農業の振興、こういう面につきましても、本協定審議される中で十分な御配慮を願って、よりよい、正しい返還がされるように日本国としての当然の主張をもっと強く出していくべきだと、こういうふうに考えます。  最後に私は、いま申し上げましたような意味から、この本協定が自然成立するということではございますけれども、良識のある参議院において、委員の皆さん方が、もっと国民にわかりやすい、国民が最も関心を持っておる問題を率直にすなおに聞き入れられるような、何といいますか、いわゆる平易な表現での審議をお願いをして、それを直ちに国民に知らしめる、こういうような方向で御審議を願えれば幸いだと思うわけでございます。  私はこの本協定につきましては反対、こういう立場から論述を申し上げたわけでございますけれども、特に農業問題を中心にする本土の施策その他が全くないというところを特に強調申し上げまして、論述を終わらしていただきたいと思います。  御清聴ありがとうございました。(拍手
  10. 安井謙

    委員長安井謙君) ありがとうございました。     —————————————
  11. 安井謙

    委員長安井謙君) 次に、戸川公述人にお願いいたします。
  12. 戸川猪佐武

    公述人戸川猪佐武君) 私は沖繩返還協定が一刻も早く批准の成立することと、あわせまして、現実に沖繩祖国復帰することがすみやかに行なわれますようにと、こういう願いを持っておる国民の一人として率直な意見を申し上げたい、かように考えておるような次第でございます。  私が、なるべく早く、できるだけ早くと申し上げる理由は、一つには、島民の心からなる要望ということがございます。それから二番目には、国際情勢の変化ということをもう少し考えてみて、その上で早いほうがよろしいと申し上げるようなわけでございます。その大きな問題は、申し上げるまでもなく、アメリカ自体におきましても、いま日本の軍国主義の警戒論というものがたいへんなきびしさを増しておるわけでございます。昨年の三月でございますけれども、民主党のパーク、それから共和党のウルフという上院議員が東南アジアと日本を視察をいたしまして、そのレポートを国会に出しましたのは、たしか五月だったと記憶いたしておりますが、この部分におきましても、日本の軍国主義というものを警戒をしておる。それからまた、昨年の八月と十二月には、大統領の国際問題担当官が日本の軍国主義の指摘を同様にしておる。ことに十二月の部分は重大でございまして、日本に軍国主義が発達をするとすれば、むしろ内部に要因があるのだというふうなことを言っておるわけであります。もちろん、私はこの軍国主義理論をそのまま肯定をするわけではございません。が、しかしアメリカがさように見ておるという事実はどうしても無視できないのでございます。といたしますと、私は将来においてアメリカ沖繩をさらにいまのままの体制に置いておいたほうがよろしいのではないかというふうな考え方に変わるような危険を感じておるわけでございます。と申しますのは、これは日米安保条約と関連を持ってまいりますけれども、日米安保条約につきましても、この八月に香港のオズボーンという総領事がこういう演説をしております。日米安保条約は将来日本の軍国主義を監視し抑制するために有効であるという、全くいままでとは逆の解釈を加えたスピーチをしております。しかし、これを軽視しがたいことは、これはニューヨーク・タイムズのレストン記者が周恩来中国首相に会ったときにもこの問答が繰り返されております。それに加えまして、キッシンジャー大統領特別補佐官が北京で周恩来とかわした問答の中にも、周恩来中国首相は、われわれは日本の軍国主義の復活というものを警戒しておるのだということを言っておりますが、これに対してキッシンジャーも、同感であるという答えをしておるというふうに聞いております。かような情勢から見ますというと、沖繩アメリカが将来さらに固執するという傾向、これはひとつ考えなければいけないと思います。もちろん、皆さま方に失礼なたとえでございますが、ペルーが日本に来航したときにも、沖繩占領論というものを当時の海軍長官に送っておるという事実があるわけでございますから、いまアメリカが返そうじゃないかというときに、なるべく早くこっち側も受け取っておいたほうがいいというのが私の考え方でございます。それと同時にまた、米中接近というものによって、中国がアメリカと同じ考えを持つに至るということも、私どもはもう一つ考えてみなければいけないわけであります。アメリカ沖繩を押えさせておいたほうが、また安保締結させておいたほうが、なるほど日本の軍国主義をチェックできるのだという考え方を中国が持つに至りますというと、より沖繩というのは日本に返ってこなくなってしまう。このような議論はあるいはとっぴに聞こえるかもしれませんが、それぞれの国家というものは、そのときの状況において国益優先の政策をとるわけでございます。中国にいたしましても、中ソが一枚岩であるといわれていた時分には、北方領土について日本に対して決して同情的な意見を持たなかった。ところが、中ソ対立になりますというと、ソ連は領土について欲ばり過ぎるのだというふうなことも言っておりまして、むしろ日本の北方領土返還を支持するような発言さえ認められる。かように国際情勢の変化によってそれぞれの国家は変わってまいりますので、いまアメリカが返すのだと言うときには、多少条件が悪くても、これを取っておいたほうがよろしいのだというふうに私思うわけでございます。それともう一つ交渉のやり直し論、つまり言いかえれば、アメリカ基地を全部撤廃をして理想的なかっこうで沖繩を取り返すべきだという意見がございます。これも私は理論的には大賛成でございますけれども、外交交渉の上ではたして可能性があるかないかという観点に立ちますというと、私はちょっと不可能だと言わざるを得ないのであります。もともと完ぺきな条約というものはないわけでございます。たとえば明治二十八年の日清戦争が済みましたあとの下関条約にいたしましても、日本としては完全な話し合いは中国とつけた。ところが、三国干渉がございまして、伊藤内閣はこれを涙をのんで受諾せざるを得なかった。しかし、その受諾したことが後世の歴史から見るとよろしかったんで、むしろ、これを拒否しておったならば、日本は再び戦争の危機に見舞われておったんじゃないかということが言えると思うのであります。ポーツマス条約、明治三十八年の日露戦争のあとのこの会議にいたしましても、当時のロシア代表のウィッチは、在満十万の軍隊をかかえて、日本がのまなければ再び戦争だというふうな姿勢を示した。日本としては非常に不利な条件であったけれどもこれをのんだ。のんだことが私は賢明だったというふうに思うわけでございます。  最近、戦後に至りましてもやはり同様なことが言えるのではないかと思うのであります。たとえば二十六年のサンフランシスコ平和条約の締結にいたしましても、当時全面講和論というものがございました。これはソ連を加え中国を加えよというふうな意見だったんでございますが、かりにそれを待っていたとしたならば、少なくとも三十一年までは日本は平和条約を締結できなかったのではないか。三十一年には今度は日ソ国交交渉が行なわれまして、共同宣言案の締結を見ておるのであります。このときにも反対論が逆の立場からございました。しかし、当時鳩山首相は、私が記憶いたすところでは、こういうことを言っております。北方領土というものは満足すべき結論が得られないかもしれない。しかし、領土は永遠である。いま取り返せなくても、将来外交事情の変化によってまた日本の力によって取り返せるであろう。しかし、いまソ連に抑留をされておる人命というものは、いま取り返さない限りは返ってこないのだと、だから多少不満であっても日ソ間の共同宣言に調印をして国交回復をすべきだと、人命優先ということから妥結に踏み切ったわけでございます。  今日、こういった外交の事情を比べてみますというと、沖繩返還協定内容におきましては、確かにいろんな意味で不平や不満、足らざる部分というものがあると思うんであります。しかし、現実にそれを認めずに理想だけを追求しておりますというと、沖繩の領土の上に住んでおる人々というものは、なお一年なり二年なりというものを、異民族支配のもとで現在よりもさらに悪いような状況で過ごさなければいけない。何としても私はこれは人道上認めるわけにいかないと思うのであります。ですから不備不満はあっても、この際やはり沖繩返還というものを実現さして、沖繩島民を私たちと同じ日本国家の一員に早くすることこそ私たち国民的な使命ではないか、かように考えております。そして、もちろん何人かの方々、あるいは各政党、議員の皆さま方が指摘をされておりますような不満、不備な点というものがございますが、これは今後の交渉が優に可能だと思うのであります。もしいまこれを結んでしまうならば、今後、核の問題にいたしましても、すべての問題にいたしましてもアメリカと話し合いができないということであれば、私ども考えざるを得ないのでございますけれども、これらは優に交渉余地が残されておるわけでございます。ですから、私は、今後の交渉ということをむしろ十二分に配慮すべきではないか、とりあえずは沖繩返還協定の批准を成立させ、沖繩を、七月一日といわれておりますが、でき得べくんばもっと早い時期に祖国復帰させることが緊急の問題であると、そして残された経済の問題核の問題、防衛の問題、いろいろございますけれども、これはやはり今後そのあとでの交渉にゆだねていただきたい。そのことのために、私は実は自民党のみならず、野党というものもひとつ一緒になって悪い点を直していくという態度こそほんとう沖繩にとって必要なことではないかと、かように考えておるようなわけでございます。  たいへん簡単ではございますが、私の私見を述べさしていただいたような次第でございます。御清聴ありがとうございました。(拍手
  13. 安井謙

    委員長安井謙君) どうもありがとうございました。  以上で、午前の公述人各位の御意見の陳述は終わりました。     —————————————
  14. 安井謙

    委員長安井謙君) それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。  質疑のおありの方は、順次御発言願います。
  15. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 公述人の先生方にはまことにありがとうございました。清水先生、衛藤先生、戸川先生にそれぞれお尋ねいたしたいと思います。  清水先生にこれはぜひ教えていただきたいのですが、戦争した両国の間で戦後処理の外交交渉をされますが、その際に協定が成立するということは、敗戦国の要求というものがその協定の中に一〇〇%盛られたというふうなものが古今東西を通じてあるんでしょうか、その点をお伺いしたい。  衛藤先生でありますが、核の問題に触れられましたので、その問題についてお伺いしたいと思います。返還ができないというふうなことでありますと、先生が御心配になりました核が依然として沖繩に存在するということになるのではないかと思います。それだけに、核の撤去の保証がないとまた言われておりますが、共同声明の第八項、協定の第七条及び米上院外交委員会におけるロジャーズ国務長官やパッカード国務次官の証言で明らかなように、返還時に核は存在しないということを重ねて表明をされておりますが、こうした事実についていかがお考えになるか、もう一度お話しいただきたいと思います。  最後に戸川先生でありますが、戸川先生のいまのお話を聞いておりまして、私は戸川先生がなかなか幅広い著名な政治評論家であって、ことにマスコミ出身の方でありますので、国民の多くの人のいわゆる大衆の気持ちというものをよく御存じだと思います。そこでお伺いするのですが、これは昨年でございましたかハワイの日本人会の幹部と話をしたときに、こういう話が出ました。第二次大戦で日本アメリカと戦ったのですが、その結果がもし逆だったとしたら、日本アメリカに勝っておったとすれば、ハワイ占領についても日本の若い青年がたくさん失なわれておる。その上に日本施政権がハワイに確立されておったとする。そうしたときに、今日のように、アメリカが示す善意、好意というふうなものが、日本の政治家の諸君が、また日本国民がはたして示せるかどうか、というのが、ハワイに住んでおる日系人の幹部の方々意見でした。これについて、私たちは私たちなりの考えを持っておりますが、先生の立場から、日本人というものは過去のいろいろな歴史があります。それだけに、そうした歴史の事実に基づいてでも、また、現在のいろいろな考え方がありますが、大体どんなことだろうかというようなことをひとつお聞かせいただきたいと、こう思うわけであります。
  16. 清水誠

    公述人清水誠君) 私、国際法の専門でありませんので、玉置委員の御質問に直接お答えする力はないのです。国際法におきましてはさまざまな先例などが問題になり論じられるのですが、そういった知識を備えておりませんので、直接お答えする力はありません。まあ、ただこの問題に関して友人の国際法学者などといろいろ議論をいたしましたが、そのときに、国際法というのは、いまも申しましたように、実体法規というものが全面的には存在しない。ごく一部しか存在しないので、むしろ民法的な感覚というものが国際法の問題を考える上に非常に参考になるということを友人から言われました。何か我田引水のようでたいへん申しわけないのですが、そういう議論をした経験にも力を得まして、先ほどのようなことを申し上げたわけです。民法ないし市民法といいますのは、日本の場合ここ百年、世界考えましてもここ二百年ばかりの人類の歴史の間で、この時期に存在しているものであります。この市民法感覚というものは、私は大局大局、現在の社会のあり方の基本というものにかかわっているように思いますので先ほどのようなことを申し上げたわけですが、たいへんそれて申しわけありません。  先ほどの御質問に関連して意見を申し上げますが、私が申し上げたのは、敗戦国の要求を全部通せということを申し上げたのではなくて、こういう返還が行なわれる場合の基本的な考え方の問題として申し上げたわけです。で、その場合には、単に返ればよいというものではないだろう。本来の日本国の主権に属する土地であり日本国民である者が復帰する場合の考え方というものがあるのだろうというふうに思うわけです。先ほど、時間がありませんので十分に申し上げませんでしたが、たとえば裁判効力について、これまで占領していた国が本来所属している国に返すというときには、これまでに行なった判決の効力を引き継げということはやはり言えないものだろう。受け取るほうは、それじゃ信頼しまして返還前の効力を引き継ぎましょうということはやはり言えないものではないかと思うんです。やはり本来の姿に復帰するというのが前提であって、その上で交渉が行なわれて、そしてなおかつ主張が通らなかったというんであれば、私たちまだ納得がいくんですが、最初から信頼をして、本来あるべき考え方の上に立った交渉さえもが行なわれなかったのではないかという印象を受けるわけでありまして、そういう意味での考え方の問題として私の考えを申し上げたわけであります。おそらく戦敗国の要求が通ったという歴史上の事例というのはほとんどない、あるいは全然ないかもしれないと思いますが、私は、考え方の問題としては、いま言いましたような趣旨のことをぜひお考えいただきたいと思うわけです。
  17. 安井謙

    委員長安井謙君) 衛藤さんお願いいたします。
  18. 衛藤晏保

    公述人衛藤晏保君) 核の問題について信頼がおけないということで御質問がございましたけれども、確かに一歩ずつ前進していることは事実であろうと思います。しかし、この沖繩問題が始まる前に、野党のいろいろな質問その他につきまして、佐藤総理その他は、かつて沖繩に核はないということを何度か明言されておったわけであります。ところが、実際に現実の問題になってまいりますと、やはり核があるということが明らかになってまいりました。この核の問題については、すべて大統領権限であるから、大統領以外はこういうことはわからないのだということを国会答弁その他を通じて何度か表明されておったわけであります。したがいまして、アメリカの上院委員会でロジャーズ国務長官が、沖繩の核を撤去する、こういうことを言われておることも一つの前進ではあろうかと思うわけでございますけれども、しかし、率直なといいますか、素朴な国民感情といいますか、いわゆるそういう感情からしますと、やはりそれでもなおかつ不安である、何かもっと明確な裏づけといいますか、そういうものができないものであろうか、こういうふうな心配が非常に大きいのではないか、こう思います。したがいまして、まあ徐々にではありますけれども、核の撤去その他をするということが明らかになりつつあることは事実でございますが、これが、いつ、どういう手段で、ほんとう復帰の際に完全になくなるのかどうかという明確な保証は、国民の前にはまだ示されていない、私はこう思うわけでありまして、そういう点を非常に心配いたしておるもので、そういう意味から先ほどの陳述を申し上げたということでございます。
  19. 安井謙

    委員長安井謙君) ありがとうございました。  戸川さん、お願いします。
  20. 戸川猪佐武

    公述人戸川猪佐武君) 玉置委員の御質問に答えます。  たいへんにむずかしい御質問なんで、答弁になるかどうか疑問でございますけれども、私は、残念ながら、ハワイの例でお答えいたしますと、おそらく往年の日本の軍閥というふうなものの意識であったならば、決してハワイは返さなかったんじゃないかというふうに考えるものでございます。これはたいへん残念なことでございますが、私はそう言わざるを得ない。と申しますのは、どうも日本人の場合に、多分に私はプロシア的な考え方に災いされておるんだろうと思うんですが、一つ観念をきめますと、それに現実を合わせようとするというふうな傾向が最近顕著なんではないかというふうに思うわけでございます。ですから、沖繩の場合にいたしましても、もちろん理想的なかっこうで返ってくる、取り返すんだということはけっこうですけれども、やはりそれができない場合には、次善の策、それが悪ければ次々善の策で、一歩一歩理想に近づいていくというやり方が正しいんではないか、私の判断するところでは、国民の大多数もさように考えておると思いますし、私も三度ほど沖繩に参りまして何日か滞在をいたしまして、政界の方々を避けまして、経済界や一般の方々と話したのですが、とにかく、とりあえず帰りたいということがまず第一の要望だったように見受けられるのであります。そして、帰るについては、なるべく条件がいいように、これも人情の常だろうと思います。しかし、理想的な条件がかなえられなければ、アメリカがのみ得るだけのものをとにかくかちとろうじゃないか、かちとってもらいたいんだというのが私が接触した範囲での沖繩島民の意思であったというふうに私は理解しております。
  21. 安井謙

    委員長安井謙君) どうもありがとうございました。
  22. 星野力

    ○星野力君 共産党の星野でございます。木内先生に簡単に質問をいたしたいと思います。  この委員会でもたいへん論議になりました核問題、木内さんの御意見では、この論議末節的な論議ということになるわけでございますが、私たちは、沖繩協定それ自体に核抜き、核の持ち込みをやらないという明確な保証がないということを申しておるのでございます。御承知のように、協定の第七条が核抜きを約束した部分だと、こういうことになっておりますが、第七条というのは、日本が引き継ぐ財産などに対する支払いを規定した条項で、その長い文章の中の一節として、返還日本国政府の政策に背馳しないように実施するために金を取る云々と、こういうことがはさまれておるわけでありますが、核ということばもなければ、きわめてなぞめいた表現でこのことがいわれておる。こういうことでは核抜き、核を持ち込まないという明確な保証にはならないし、国民の不安が、疑惑が取り除かれることはない、こういうふうに考えておりますが、その点についての木内さんの御意見をお伺いしたい。  もう一つ、それから戸川さんにお聞きしたいんですが、ただいま沖繩の現地において、経済界や政界の意見をお聞きになったお話がございましたが、本来施政権返還を一番喜ばなければならないはずの沖繩県民の多くがこの協定反対し、率直な不満を表明しておる。新聞などの世論調査にもそれはあらわれておりますし、十一月十日には十万人の県民がストライキや集会やデモでこれに抗議しておる。反対しておる。家族を含めれば、人口から見て非常に大きなこれは人数だと思います。そういう事態をどういうふうにごらんになっておられるか。  以上二つを、一つ一つお聞きいたしたいわけでございます。
  23. 安井謙

    委員長安井謙君) 木内さん、お願いいたします。
  24. 木内信胤

    公述人木内信胤君) 申し上げますが、核そのものは決して末節ではないと思います。しかしながら、いまの御質問は、返還協定あるいはそれに関連するいろいろな発言の中に、核がすでにないとか、あるいは明確に撤去されるとかいう表現が十分でない、もやもやした表現であるということのように伺いましたが、その表現が十分であるか不十分であるかということは私にとっては末節であって、佐藤氏もあれだけたびたびないのだと言っておられるので、あっさりそれを受け取ればいいのであって、もしも真に核があるものなら、返ってきてからのほうがチェックしやすいんじゃないんですか。しかし、核そのものについては、いまの核を毛ぎらいする日本人の気持ちというものは訂正を要しますね。だから沖繩に核を持ち込めと私は言うわけではございませんが、とにかくむやみに神経質で、それでその表現が不十分であることを気にする。あれ以上の表現というものはないんじゃないですか。それが、私はそういうことを研究してないから知らないけれども、核というものの扱いは、いまの御発言にもありましたが、どなたかの御発言にもありましたとおり、アメリカの大統領でなければ知らないようなことにしている。それらのこともあるのに、そう明確な表現を求めても無理なんじゃないんでしょうか。ですから、ないと言うなら、一応ないと受け取って、それで返してもらうと、そこを、その表現が不十分だからといって、これ以上もたつくということは末節だと、こう思うわけでございます。
  25. 安井謙

    委員長安井謙君) 戸川さん、お願いいたします。
  26. 戸川猪佐武

    公述人戸川猪佐武君) お答え申し上げます。  沖繩協定反対の統一行動という事実は私も軽く評価をするものではございませんが、それが沖繩島民の全部の意思であるというふうには私、考えられないということと、それからまた、協定反対の声の中にも、分析してみれば、ただいまの核の問題、あるいは経済的不安の問題、いろんな諸条件が整えばよろしいんだというふうなことだと思うんであります。いつまでも返らないでもいいんだという御意見じゃないと思います。ですから、今後そういうふうなものを、協定が成立をし、祖国復帰ができたあと、むしろ超党派的に解決していくのがほんとうではないかというのが私の考え方でございます、答弁になっているかどうかわかりませんが。
  27. 安井謙

    委員長安井謙君) どうもありがとうございました。
  28. 加藤シヅエ

    加藤シヅエ君 清水教授とそれから木内さんに御質問いたします。  最初に清水教授から、憲法保障された私有権の否定ということがあるということはたいへんによくないという考え方としての公述を承りまして、私もその点は全く同感なんでございます。で、伺いたいのは、考え方ということと、それから政府がいろいろ答弁しております無条件降伏とか、占領下から引き継がれたいろいろな土地収用の形とか、そういうことが、これは現実の問題としてやむを得ずこういうようなことにすべり込んでしまったというような説明をたびたび伺っているわけでございます。したがいまして、現実の問題といたしましては、これは憲法を否定しておるということはたいへんに困ることでございますから、これはどういうふうにしたら——そういう憲法を否定しないような形で、それでその後の形をどういうふうにしたらいいかというような、そういうような具体的なことについて大学教授に伺うのは御無理なんでございましょうか。私はそうじゃない、きっと何かいいお考えもあるかもしれない、こう思ってその御意見を伺いたいと思います。  それから木内さんに伺いたいのは、いまの大局論ということは私もほんとうにけっこうでございます。やはり大局論からもともと考えなければならないことでございます。それで、木内さんは大局論からこの協定には賛成して、とにかく早く返してもらうということをおっしゃっていらっしゃるのだと思いますが、政府のほうの立場から申しますと、その大局論から、沖繩にあのような米軍基地及び日本自衛隊が入り込むというような現実は、これはやむを得ないというふうにしておっしゃって、それから、沖繩県民の不満な点はこれから徐々に直すように一生懸命努力をすると、総理大臣は私の質問に対してはそういうような御答弁がございましたんです。それでああいうような、簡単に見ますと、日本の自衛のために、その自衛力を現実の問題として見るときには、本土日本、国全体の自衛のために、一沖繩がたいへんな犠牲をしょわされているという形でこの結末を見なきゃならないということ、これが何としても私どもは、どうもはっきりそのまんま認めるというようなことができないことになってしまうのでございますが、政府が今後だんだんにこれを、そうでなく、県民の満足するような形に持っていくということになると、木内さんのおっしゃる大局から見て、どうしてあすこにああいうような厳重な軍事基地を置いておかなくちゃならないのか。その大局論からいくと、どうしてそれを軽くしたらいいのか。これはいろいろ日本の国交の今後のあり方というようなことにも関係してくるわけで、そんな長い時間いただくことはできないかもしれませんけれども、そういうようなお見通しというようなことについて承りたい思います。
  29. 清水誠

    公述人清水誠君) どうしたらいいかについて、いい考えというのはもちろん私にはわかりません。ただ、先ほど申し上げましたように、国内法というのは国内で実際に効力を持つ法規範でありまして、国内において効力を持つ法規範を考えるとこういう事態になるということでは困るということなんですね。さかのぼって協定考え直されなければならないのではないかと考えるわけです。この国内法憲法違反しないように、憲法に合致したようなものにつくる。そして、多少の特別措置は必要であるとしても、納得のいくような立法上の手当を講ずる、沖繩県民にも承知していただくということは十分に可能だと思います。有能な膨大な数の官僚がおられますし、今度の場合も、あれだけの国内関連法案をつくられたわけなんで、私は十分可能であり、そのことが実現するまでは待ってもらうというのがやはり正しいやり方ではないかというふうに思うんです。  また、つけ加えるようで恐縮ですが、私がさっき申し上げました趣旨は、私たちは学生と一緒に市民法のあり方というものをしょっちゅう議論し合っておるわけでありまして、これは百年先を考え議論をしているわけであります。このわれわれがそのもとで生活をしている市民法というものが、これからどれだけの歴史的意義を持っているか、これは重要な問題だと思いますが、しかし、この市民法のもとでは自分の自由意思に基づかない契約は結ばれない。どんなささいな契約でも結ばれない。結ぶことを強要されない。これは大事なことじゃないかと思うんですね。それから土地所有権を奪われる場合には、ともかくどれだけの手続を踏んだらいいだろうかということを考えるのは重要なことだろうと思うのです。意思を強制されて契約を結ぶという事態が生ずるのであれば、やはりこれはどうしても避けなければならないというのが、どうして今回の問題の大もとをなす話し合いのときに意識にのぼらなかったのでしょうか。私はそういう意味でそういう市民法の根幹に触れる問題については、やっぱり納得のいく解説がなされるまで待つということは、これは考えられる一つの方法ではないかと思うわけです。
  30. 安井謙

    委員長安井謙君) どうもありがとうございました。
  31. 木内信胤

    公述人木内信胤君) たいへんむずかしい御質問なんでお答えできないかと思うのですが、いま私のことばの中にもちょっとそれをにおわしたかと思いますが、沖繩にたいへんな大きな国防上の負担がかかる——基地の密度といったようなことですね、これは確かにまずいので、それを直すべきだと思います。その前に申し上げたいのは、私はいまとなってこの批准をおくらすということは非常にまずい。だから関連法案もすべてさっさと通していただきたいと、こう思うわけですが、それは、いまとなってこの時勢でおくれるのがまずいというわけで、私といえどもこの沖繩問題の扱い方、当初から申しまして、大きく点をつければ、非常な及第点だと思います。高い及第点だと思いますが、万事よかったとは思っていない。ことに国民に対して理解を得るという得方は政府はずいぶん反省を要すると思うのです。その理解の得方がうまくなければ、いま言った、これからの国防に関する負担というものを地域的にあまりへんぱがないようにするという大問題にはとうてい取り組めないと思います。その前に、いまの現状では日本国防の必要に対してしかるべき議論がないのです。何のために国防——国防アメリカに頼んできたからではありますが、これからは自主的に国防をするということに自然なってくると思いますが、まず国防の必要というものがもっと論議されて、いわゆる国民のコスセンサスというものが出てくるような状態にならなければ、いまの国防に関する負担が地域的に不公平であるということを直す論議にはとうてい入らない。そのあとのほうから入りますと、かえって国防ができないようなことになり得るので、非常な欠陥を持つようになると思います。ですから、これは大問題であるのですが、実はこれは政治全体の問題であって、いまの政治というものは、何に関しても国民の理解を得て、国民の理解に乗って仕事をしていくということにおいて実に不十分ですね。これはどういうことでそれがあるのか。マスコミが悪いからだと言う人もありますし、政府が悪いからだ、佐藤総理一人が悪いからだといったような議論をする方もございますが、そういう問題と大きく取り組まなければこれはできないことであって、私の考えでは、そういう問題に取り組むべく時勢というものが、要求が熟しつつあるので、これからそういうようにいくべきだと思いますが、さればといって、それをこの沖繩法案審議に持ち込むわけにはちょっとまいらないので、まことに御同感でございます。これではまずい点がたくさん残ると、それを直すにはいまの態勢ではすこぶる心もとないということは私も思います。これはしかし、議員さんの方、ことに反対党の方にも奮起していただかなければならないので、つまり、まずいことを政府がやれば反対党の手に政権が行くようでなければ、私どもは自民党をずいぶん非難をしてきた人間ですけれども、文句をつけてきた人間ですけれども、最後のところにいってどうにもしかたがないことに相なるのですね。まあ、そういう問題に関係いたしますので、論議さしてくださればしてもいいですけれども、どうもあまり長い話になってもどうかと思います。
  32. 内藤誉三郎

    内藤誉三郎君 衛藤先生に伺いたいのですけれども、実は沖繩が、いまお話を聞きますと、確かに基地の中に町があるほど基地が多い。全くそのとおりと思うのございますけれども基地のない平和な島で返ってくることを国民も希望しておりますけれども、実際問題、現実の問題は、沖繩というものは基地経済によってまかなわれていることがこれは事実でございます。私もたびたび沖繩に参りましたが、一体、これで基地が全部なくなったらとたんにどうなるのだろうということをしみじみ感じました。そこで、沖繩の復興の場合に、これは一番大きな問題だと思うのですが、どういうふうに沖繩の産業復興をするかということが私は当面の問題だと思うのです。それが一ぺんに基地がなくなった場合に、沖繩のいまのような農業その他の産業状態から、それこそたいへんなことになってしまうと思うのです。沖繩の農耕地の少ないことも御指摘のとおりですけれどもほんとう沖繩が農業県として立っていくのだろうかということを私は非常に疑問に思っている。行ってみて、どうやら沖繩の農業として残っているものはまあサトウキビとパイナップルぐらいだと思うのです。そのほかはとても農業というものではないと思うのです。そこで、水産業もまだおくれておりますけれども、こういうふうに——まあ、私は考え方としては徐々に基地を整理していかなければならないと思いますけれども、一ぺんに整理したとすれば、それこそ沖繩経済が破綻してしまう。そして、まあだんだん、徐々に基地を整理しながら産業復興しなければならぬが、農業県として復興するのははたして可能なんでしょうか。サトウキビにしてもパインにしても、内地から特別の援助をしない限りはつぶれてしまうと思うのです。いまのサトウキビもだめだ。それからパイナップルも押されておりますからね。いずれも農業県として立っていかないのじゃなかろうかという感じがするのです。で、少なくとも、日本の内地における農業も、いま曲がりかどに来ている、農業の危機が叫ばれておる今日、沖繩は一体農業県として立っていけるんだろうか。私はやはり根本的に沖繩の産業計画を考えてみないとならぬのじゃないか。確かに御指摘のとおり、水もない。この農業用水の点が一番難関だと思うのです。いろいろ、行ってみると、用水もありますよ。ありますけれども、雨水にたよっているだけですから、はたして十分な用水ができるかどうかということが問題なんです。あそこに、百万の農民にまず水を供給することが先決でございます。産業用水にもこと欠いているように思うのですが、農業にまで一体水が足りるのでしょうかということが一つの問題です。それから、沖繩の農業県としての将来性があるのかないのか。どうやったらいいのか。あなたの御説明を伺っておって、耕地面積が少ない少ないと、全くそのとおり。そうして返された場合、農業県として、どういう産業が農業として一番適しているのか。そうして将来、国際競争に勝り得るのか。その点を先生から教えていただきたいと思います。
  33. 衛藤晏保

    公述人衛藤晏保君) たいへんむずかしい御質問なんですが、私は、特に沖繩の農業を基地の問題と関連しまして申し上げたわけでございますが、やはり農業というものは、まず土地があっての産業でございます。したがいまして、基地の中に村があり町があるというようなことであっては、農業はこれは成り立たないのは当然でございます。特に狭い沖繩の面積の中でその大半が基地に取られておるということになれば、沖繩の農業の将来というものはほとんど悲観的と考えざるを得ないわけでございます。ただ、沖繩基地を私は直ちにすべてなくしなさい、こういうことを申し上げておるのではなくて、少なくとも本土並み基地の態様といいますか、そういうことなり、あるいは基地をどういうふうに漸減していくのか、そういう方法をやはり明示すべきであろう、こう思うのでございます。  それから水の問題でございますけれども、水がないとおっしゃいますが、水はかなりあるわけでございます。沖繩の農業の中で一番むずかしいのは、台風が非常に農業の発展を阻害しておるということが一番大きな要因でございます。大体、年間五回ないし六回程度の台風が襲ってまいりますので、こういうものにどう対応していくかという問題が一つと、それから、沖繩で一番考えられますのは、本土と比べて一番有利な点は、日本よりも気候が非常に温暖だという点があります。戦前沖繩農業というのは、いわゆる養豚を中心にして、イモとかそういうもので農業がささえられてきたわけでございますが、戦後、現在の沖繩の農業は、確かに先生御指摘のとおりパインとサトウキビ、その程度でございます。しかしながら、そのほかの農作物がないわけではないわけでございまして、いわゆる水稲もございますし、それから野菜、果実、その他いろいろ、もろもろあるわけでございます。そこで一番問題になりますのは、やはりこれからの沖繩農業を振興していく場合に考えなければならないということは、いまのパインとサトウキビときわめて同和性の強い肉牛なり、あるいはえさですね、飼料作物、こういうものを導入していくことによって沖繩農業とうものは日本本土と違った、多少違った形態ではございますけれども、そういう形の農業経営というものは成り立ち得ると、こう考えます。そこで一番問題になりますのは、先ほど来問題になっておりますところの水の問題と、それから土質、土壌の問題でございます。これは沖繩の土壌の中で一番肥沃なところがほとんど基地になっております。そのほか八重山とかあるいは宮古、こういうところはかなりの農業経営が進んでいるわけでございますけれども、やはり何といいましても水の問題と土質の改善といいますか、こういうものを手がけないことには、ここの農業はあまり大きな発展は望めないであろう、こういうふうに考えるわけでございまして、特に水は、水脈もありますし、ほかに河川もあります。それからいろいろダムを建設するとか、そういう点で国の手厚い保護があるならばある程度の解決はできると思います。それからさらに、土質の改善、土壌の客土などによる問題もありまして、なかなかたいへんな仕事でございますけれども、やはりこういうものをやっていかないと、いまの沖繩の人口を業態別に見ますと、第三次人口がきわめて多く、第一次人口はきわめて少ない。これは基地経済に依存してきた沖繩としては当然の姿と思うわけでございますけれども、やはりそういう意味で、沖繩の農業も完全に本土並みにあれをしなきゃならぬというわけではございませんけれども、少なくとも沖繩で消費されるものの半分くらいは沖繩の中で生産ができる、こういうような態勢に持っていくべきではなかろうか。そのためには、やはり国の手厚い援助なり保護が必要であろうと、こういうふうに考えるわけです。  私は、沖繩の農業というものは、いわゆる施設園芸なり、あるいは先ほど申し上げましたような害虫駆除などによる技術が進めば、園芸作物その他を中心にした農業形態というものをとりながら残り得ると、こういうふうに考えております。
  34. 安井謙

    委員長安井謙君) ありがとうございました。
  35. 山下春江

    ○山下春江君 私はいま木内先生とそれから戸川先生の言いたいこと、こうしてもらいたいという要素が多少残っていても、占領で失った領土を返してくれるというこの機運にすみやかに返してもらうべく努力すべきだというこの前提の御議論に全く賛成であり、そして始終そのように御指導願っておるんであろうことを考えますと、たいへんに感謝にたえないのでありますが、そこで、占領というと私たちはつい一衣帯水のところにあるので韓国を思い出さざるを得ないのでありますが、韓国は非常に長きにわたって日本の植民地であったということ。おいでになった方は皆さま御承知かと思うんですが、私は戦前にも行ったことがあります、戦後にも行ったことがありますが、韓国は土地柄が、樹木などが成長しない土地であろうと簡単に考えておったんですが、それが戦後二十年たって行ってみましたところ、街路樹でさえ松の木が——戦前ほんとうに小芝のような小さな木がちょろちょろと立っていたその木が成長したのか、植え直したかわかりませんけれども、街路樹の松の木がほんとうに目通り一尺もありそうな、たとえばソウル大学のあの登り道の両側にずっと植わっている街路樹も松の木でありますが、非常に大きく成長しているところを見ますると、その国の農業にしろ、すべてのものの発展というものは、異民族の支配ではほんとうの情熱はわかないんだと、民族に。それは成長さして育ててみたところで、異民族の支配を受けているのですから、その土地の民族の思うようにならないということがどこか観念的に頭にあるものですから、そういうことができ上がったであろうことをほんとうにひしひしと、行ってみてごらんになった方はだれでも感じると思うんですが、沖繩も、遺憾ながら二十五年間その異民族の支配下にありましたから、行ってみて私どもは、農地も荒廃しているし、あるいはいまお話しのありました水田もあります。けれども、これもなかなかうまい米が大量にとれるというところまでいっていない。あの米が実っているところを見ると、水もあるに違いない。水がないということはこれはもう理論上成り立たないことでありまして、もっと手入れをすれば用水にはこと欠かない沖繩であろうと私には考えられるのでありますが、それに対しまして、とにかくいろいろな御議論がある。清水教授の御議論のそれは、国際法上あるいは国内法あるいは市民法民法その他から考えていろいろ御議論なさったようでございますが、清水教授は二十五年教授をしておられたかどうか、戦後ずっと教授であったかどうか私は存じませんけれども日本の青年たちがいまこの問題に対して非常な曲解した——曲解というよりも、まともに勉強して知ろうともしないで、ただ妙な反対議論などをかき立てて国内を騒がしておることも、清水教授のような教え方をなさる教授が日本にたくさんあるせいではなかろうかと、実はたいへん心配していま伺っておるところでございますが、ほんとうに、ほんとうに大学の教授などというものは、青年を教育するためには曲がったことは何も教えていただく必要はありませんけれども、いま木内先生や戸川先生が言われるとおり、世界の何千年の歴史に、戦争で失ないました領土がとにもかくにも、よかれあしかれ、話し合いで返してもらうことが確定したという事実は、私どもは不勉強であまり知らないのでございますけれども、そういう事態に対しては、何も教えなければならないことを隠して曲げて教えていただくことはありませんけれども、とにかく、とにかく沖繩という異民族の支配日本固有の領土が返ってくるのだ、こういうことに対しては、至らざるところ、こうしてほしいということを、返ってから、日本国内法律が通用する沖繩になってからしっかり直せばいいんじゃないか、こういうことに考えていただいて子弟を御教育願うことが、ほんとうにあしたの日本のために、ああいう、それこそもう何を考えているか、私ども年寄りから見ると、いまの一体青年たちは何を考えているか、なるほど聞いてみると、清水先生のような教授が青年をああいうふうに教え込まれるから、だからその子供たちがやはりああいう、先生のおっしゃるようなとおりに世の中に動いているのではなかろうか。いま先生の御公述を拝聴いたしまして、こう、いまの大学の学生たちがいつの間にこんなに頭がおかしくなったのかと思いましたけれども、それもやはり先生のような教授がたくさんおいでになるせいではなかろうかと、たいへん心配をいたしましてさっきからお話を承っていたわけでございますが、何か不成規の発言があるようでございますが、私はそういうことに対して、教授の、日本国民として、日本国の大学教授としてのひとつ御権威のある御見解をいま一度お聞かせ願いたいと思います。
  36. 清水誠

    公述人清水誠君) 私、戦争が終わったときに中学三年生でございました。ですから、それ以来二十六年を経過したわけですが、中学三年生までは、御承知の軍国主義教育のもとで、私もまだ小さいながら国粋主義者であったと思いますが、その後、敗戦後の時代を経験いたしましたので、私はそういう自分自身の経験に基づいて、自分の学問は間違いなく進めていきたいと考えてやっております。ですから、私の大学で私の学生たちと話し合い、議論をするときには、まあ、いまの若い諸君はそれは私たちとまた考えが違いますけれども、お互いにそれは真剣に、何が正しいことで何が曲がったことであるかということを議論しているつもりであります。まあ私たち、特に私たちの年齢の者は、そういう時期に育ち成長したもんですから、何が正しいか何が曲がったことであるかということについてはそんなに簡単にわかるものではない。われわれ、そんなことを申してはなんですが、やはり全生涯をかけて何が正しいかということを考え抜かなくてはいけないんじゃないかと思うのです。そんなに簡単に正しいことと曲がったことがわかればそんなに苦労はないんですが、私たちは、いま御指摘のように、将来をになう若い世代の諸君と接しているのが職務でございまして、そういう仕事を毎日やっているわけですが、その際、やはりそういう考え方で、つまり私が考えることがあるいは間違っているかもしれませんが、間違っていれば直す、決して誤ったことを正しいというふうに言いはしない、学生に教えはしない、そういうつもりでやっているわけであります。  そういう意味におきまして、この問題につきましても、何が正しいか、何が間違っているか、何が大局的であり、何がほんとう日本の将来を正しく向けていくものであるかということについて私なりの見解を申し上げたわけでありまして、そういう意味におきましては、山下委員考え方は違うかもしれませんけれども、真剣になって考えているつもりであります。そういう意味で、きょう私が申し上げたこともお聞きいただけたらと存じます。
  37. 安井謙

    委員長安井謙君) 山下さん、きょうのは、公述人の御意見を伺うことが主体でありまして、その御意見のよしあしに対する批判というのはする場所ではなかろうと思いますので、その点をお含みの上、もし再度御質問がありますならば……。
  38. 山下春江

    ○山下春江君 いま委員長から御注意を受けましたごとく、私の質問が、やや清水先生の御意見に対して意見を述べて、清水先生のお考え方に対して私が正そうとするものがあったように委員長に響いたようでございます。その点がございましたら、ごめんなさい。それは、そういう意味ではございませんが、私がわからないから教えていただいたのでございますが、さて、沖繩の現地のことでございますが、沖繩でも、アメリカ支配下でございますから、きっと沖繩の婦人たちは非常にしあわせに教育されてきただろうと思って、沖繩へ初めて踏み込んでみましたところ、たとえば沖繩の、私ども食ベております生鮮食料品——野菜だとか肉類だとかいろいろの生鮮食料品が、どういうところで販売されているかということを皆さん御承知でしょうが、沖繩の町はずれのところに大きな市場がありまして、その市場は朝六時から七時半ごろまで。そこで、沖繩市民の食べるそういった生鮮食料品その他のものが一切商われるわけでございます。で、私はそこの市場へどこからどういう人が運んでくるかということを見に行ったことがありますが、そのときに、その市場へ運んでくる人は全部女の人です。戦後、日本では、五尺三寸なんていう女の子はもうほんとうにざらで、五尺七寸なんていう女の子ができたにもかかわらず、沖繩の女の人はみんな小さいのです。ははあ、こういう重いものを頭に載せて労働をしているから伸びないんだなと私は思ったことがありますが、その市場に来る五百人余りの荷物を運んでくる人は、全部婦人の人でございますが、そういう点からいって、沖繩の行政に対して大きな、早く返してもらって、日本本土並みの改正を早くしてあげなければ、これはたいへんだと思うことに私はぶつかったんでございますが、戸川先生は、戦後何回か沖繩へおいでになったようですが、そういうことをお感じになったか。そういうことに対する行政のあり方に対しても、沖繩の婦人も特にいじめられているなんていうことは私は一つも言いませんけれども、何か背が伸びないのがそのせいだなんていうのは、これはまことにとんでもない議論でございますが、そういうことをお感じになって、そういうことに対しても本土並みに直してやらなければいけないんだと法律面でそういうことをお感じになったことがあるかどうか。それにつけても、一日も早く本土復帰して、そしてそういう点を直してあげたいとお思いになったことがありましょうか、どうでしょうか、お聞かせを願いたいと思います。
  39. 戸川猪佐武

    公述人戸川猪佐武君) お答え申し上げます。  私は沖繩に参りまして痛感いたしましたのは、ひとり教育の問題、生徒さんの問題のみならず、学校の先生方、あるいはお医者さん、弁護士さん、みんな日本と違った法的な資格で仕事をされているわけです。で、それなりで二十五年過ごしてまいりましたけれども、そこに祖国復帰という要求がございます。で、復帰した場合に一体自分たちはどうなるのか、もっとよくなりたいんだという気持ちはどなたにも切実にあったようでございます。事実、現在のような占領下に置かれておりますと、これは過渡的形態で、社会心理的に見ても個人心理から見ても、非常に精神的に不安定な、落ちつかない生活を皆さんしているというふうに私、見受けられたわけであります。また、ことに経済の問題にいたしましても、やはり自分たちはいま過渡的な生活でしかないんだと、将来どうなるんだというような不安があったように見受けられたわけでございます。そういう方々に多く接触してみまして、これは一日も早く祖国復帰ということを沖繩方々のためにもして差し上げなければいけない。いわばアメリカに行っていた養子でございますから、早く実家の日本に引き取るのが両親としての役割りではないかということをしみじみ痛感をいたしてまいりました。
  40. 安井謙

    委員長安井謙君) ありがとうございました。  佐々木さん、時間もあれなものですから……。
  41. 佐々木静子

    佐々木静子君 簡単にお尋ねいたします。  清水教授にお伺いをしたいと思います。  先ほどから清水教授の市民法的原理についてお伺いさせていただいたんでございますが、先ほどの御質問に対して、この沖繩返還協定は敗戦処理であるような趣旨の御答弁があったわけでございますが、これは私、先日、この委員会の質問で福田外務大臣から敗戦処理ではないんだという明快な答弁をいただいているわけでございます。それに関連いたしまして、民法の御専門の学者として、この協定四条の対米請求権、これは私は国家が請求権を放棄させたということは国家の不法行為ではないか。少なくとも国家は補償する責任があるのではないかという議論を私自身は持っているわけなんでございますが、民法の御専門家としての御意見をこの際承っておきたいと思います。
  42. 清水誠

    公述人清水誠君) その点、いろいろ友人たちとも研究したことがあるんですが、突然そういう形で御質問いたたいても、いろいろ考慮しなければならない問題があることは御存じのとおりだと思います。私は基本的にはそうなると思っております。やはりこのあたりは法というものについての考え方が各国によって違うかと思いますが、やはり私権の尊重ということを基本に考えていった場合には、基本的には不法行為と言わざるを得ない。ただ、具体的な結論を出すためには、いろいろな関連する問題を考えなくてはいけないんじゃないかと思うんですが、たいへん不満足なお答えですが、ここではこれぐらいしか申し上げられません。
  43. 安井謙

    委員長安井謙君) どうもありがとうございました。  いろいろ御質問もまだおありかと思いますが、時間の関係もありますので、午前中の公述人への質疑はこの程度にいたしたいと思います。  公述人方々には長時間にわたり有益な御意見をいただきましてありがとうございました。お礼を申し上げます。  午前の会議はこの程度にいたしまして、午後は一時から再開ということにいたします。  どうもありがとうございました。(拍手)    午前十一時五十九分休憩      —————・—————    午後一時十五分開会
  44. 安井謙

    委員長安井謙君) ただいまから公聴会を再開いたします。  午後は六名の公述人方々から、琉球諸島及び大東諸島に関する日本国アメリカ合衆国との間の協定締結について承認を求めるの件につきまして御意見を伺います。  この際、公述人方々一言ごあいさつ申し上げます。  本日は御多忙中のところ御出席をいただき、まことにありがとうございました。皆さまから忌憚のない御意見を拝聴し、今後の本件審査の参考にしたいと存じております。  これより公述人方々に順次御意見のお述べを願うのでありますが、議事の進行上、お一人十五分程度でお述べを願い、公述人方々の御意見の御陳述が全部終わりました後、一括して委員の質疑を行なうことといたしたいと存じますので、御了承願います。  それでは、まず小山内公述人にお願いいたします。(拍手
  45. 小山内宏

    公述人(小山内宏君) 小山内でございます。  沖繩問題は、ある意味では峠を越したというふうに私ども見ておりますけれども沖繩の現実の問題はむしろこれから全国民の課題だというふうに考えております。そして、私は本日は、協定本文あるいはそういった法的な問題よりも、現実の問題をいかにその法的な問題の中にとらえていただくかという点をお話したいと思いますし、それによって今後の建設的な意見として皆さま方に十分考慮していただきたいと思います。  まず最初に私が申し上げたいのは軍用地の問題なんですけれども、軍用地のいろいろな問題が出ております。しかし、実は一つどうしても私が申し上げたいと思うのは、こういう点が実は見落とされてるんではないかという点なんです。まあ、いろいろ演習地が返される、返されないという点もございますけれども、実は演習地でない地点にもかかわらず、実は沖繩の人たちの手にあってなきがごとしという地域があるということを若干申し上げたいと思います。  実はここに地図がございますけれども、この黒いところが現在の軍用地でございます。それから、ここに私が赤でしるししている地点がございますけれども、この地点が実は私がいま申し上げたい地点です。これは全部演習地に隣接しておりまして、実はほとんど日常的に農民の方々が入れないことが多い、そういう地域なんです。たとえば、ここに大浦湾というのがございます。ここに赤いしるしがございまして、これは日常的に演習が——現在のところは問題か起きたために中止しておりますけれども——そのために農民の方が営々と栽培されたパイナップルが海兵隊の演習のためにむざんに踏みつぶされてしまう。それから、そこへ野営をしたり、あるいは銃弾を発砲するために、あとの復活が非常にむずかしい。そういうような地域が実は意外に沖繩に残されておるという点です。したがいまして、非常に図面では小さいようですけれども、大きいところは二百町歩にも及ぶというようなところが、現実に軍用地ではないにもかかわらず、そういう軍用地に準じた扱いをされておる。こういう点をやはり十分今後の問題の一つとして留意していただきたいというふうに思うわけです。  それから、それに関連しまして空軍の訓練が、実は議会でも問題になったんでございますが、これは伊江島に訓練場があるために非常に盛んに行なわれております。で、特に御存じのように、大体この三月に御承知のように横田の戦闘航空団が沖繩に移駐いたしましたけれども、それからほぼ二カ月後の五月から非常に演習が激化しております。で、もちろん演習地でございますから、私どもは演習するのは当然だというふうに考えますけれども、実はそれ以外に、この演習から出てくるいろいろな問題点があると思うのです。これは私が現実に体験いたしましたのですが、それは演習地に向かう飛行機が通過します下の地点では非常にその影響を受けてきている、こういう点です。たとえば演習地に向かう場合ですと、そのまま嘉手納を発進して、普通ですと海上を経る。あるいは、できるだけ民家を避けて飛んで演習地に直行するというのが通例だと思うのですけれども、私どもが体験しましたのは、いわゆる住民密集地域の上を一列縦隊で飛行した飛行機が途中で散開して、そういう人口密集地帯の上空でも演習をしながら演習地の上空へ飛んでいく、こういう現実があるわけです。したがいまして、これはまあ、私どもの表現で申しますと、どうも沖繩の空は全部が空軍の演習地というような感じさえ受けたわけです。ですから、こういう問題は、演習地の軍用地を限定された地域として問題にされるのみではなく、沖繩全体がどういう状況に置かれているかということを生きた形でとらえていただいてやはり論議を尽くしていただくことが私は必要ではないかというふうに思うわけです。こういう発言をいたしますのは、実は私は沖繩問題というのは、沖繩問題というふうにとらえてはならない、日本の問題であると。ですから、日本の問題として、われわれの中の問題としてとらえる、こういうやはり姿勢が必要ではないかというふうに思うからです。しかも、その問題は、単なる機能的な、軍用地とか演習地とか、そういう問題ではなくて、やはりその下に生きておる人間の問題として、それを受ける影響として十分とらえていただきたいと思うわけです。ちょうど私がこの十月に沖繩に参っておりましたときに、二十九日に読谷村の近くの村落に飛行機が墜落いたしました。これはT33という練習機なんですけれども、これが幸いにして民家に落ちませんでしたけれども、私が現場に行きますと、もうあと数秒間飛行機の墜落が早かったりあるいはおそかったりしたら、これは相当なやはり人家に被害を与えたというような状況が出ているわけです。したがいまして、そういう点からも、いま申し上げたように、空軍の訓練という点は十分に私は考えていただきたい、そういうふうに考えるわけです。この二つの、軍用地の問題それから訓練の問題、これをまあ一つポイントとして私はきょう提示したいと思いました。  それからもう一つ、これは民生の問題に関するのですけれども、私が行きまして、やはり一つ非常に重要に感じたのは、沖繩の水の問題なんです。この問題はおそらくいろいろな部門ですでに論じられたと思うのですけれども、御承知のように、現在までの沖繩の水というものは軍が全面的に管理しておりまして、これは軍の水道局というものが一番上部構造にありまして、その下に四軍とそれから琉球水道公社と、こういう組織になっていたわけです。ところが、御存じのように、この十一月に、まだ返還前ですけれども、この組織が改組されまして、琉球水道公社が一応全面的に引き受ける、こういう形になったわけです。しかし、ただここで問題になるのは、その引き受けるという時点から、これまでは四軍それから沖繩の住民の方々ともども一応——卸価格と言っては何ですが——卸価格千ガロンにつき十二セントという価格でやられておったのが、この公社への改編と同時に、卸価格が二十三セントというふうに値上がりしたわけです。しかし、一方四軍に対してはやはり十二セントで据え置きと、こういう形が出ているわけです。こういう返還前の改組の中にあらわれてくる差別待遇と申しますか、こういう問題がやはり今後どういうように処理されるであろうという点に私ども関心を持たざるを得ないわけです。それから、この水道の問題については、この問題と加えまして、現在その水源池でありますダム地域がほとんど米軍基地の中に存在しているという点です。これが全面的に民間の水道公社に移管されない限り、今後の水道管理の上に非常に大きな問題が出てくるのではないかというふうに私ども考えるのですが、   〔委員長退席、理事西村関一君着席〕 いまだにこの問題は具体的な詰めがないということを沖繩現地で私聞いてまいりました。したがって、この問題も皆さま方に十分考慮していただきたいと思うのです。  最後に、この問題についてちょっとつけ加えたいのは、沖繩がしばしば水飢饉に襲われるという現象です。この現象を天変、天災というふうに一般にはとられておりますけれども、少なくとも私どもの調査した範囲では、実はこれは天災ではなくて人災であるというふうに私どもはとらえたわけです。と申しますのは、ある地域では海兵隊の演習のために山が赤く裸になりまして、そのために流水系が変わってしまう。そのために水不足の一つの原因になっているという点が意外に見落とされているのではないか、そういうふうに考えるわけです。したがいまして、この水の問題もそういうふうな軍の基地問題と関連してやはり考えていただくべきではないかという点を述べさしていただきたいと思います。  それから最後に私は、これは私の専門のほうでございますけれども沖繩の核の問題について一言申し上げておきたいと思います。昨今来、議会において、本土の核基地を含めまして、非常に沖繩の核問題が盛んに論じられております。私ども沖繩返還の時点において核が撤去されることは非常に好ましいし、実は撤去され得るであろうというふうに推測しております。こういうふうに申し上げますと、たいへん意外と思われる方が多いかもしれませんが、私どもは、そういうふうに考えております。と申しますのは、一九七〇年代から八〇年にかけまして、アメリカの核戦略そのものが実は非常に大きく変わるという実情がいま進行しておるわけです。私どもが現在問題にしておる核基地というものは、実を申すと、一九五〇年代から六〇年代にかけました核基地であり、核体制の問題であったと思うのです。したがいまして、現在あります核兵器あるいは核兵器体系というものは、これは撤去されるのが実は当然でございまして、これはアメリカ側も当然やるべき作業であるというふうに私どもはとらえるわけです。ですから、私どもは現在の日本本土あるいは沖繩にあります核弾頭あるいは核爆弾、そういった兵器体系が撤去されるであろうというふうに実は見ておるわけです。しかし、それにおいて私ども日本の核問題がなくなるかというと、そうではないというふうにとらえておるわけです。と申しますのは、先ほど申し上げましたように、アメリカは新しい核体制、つまり、七〇年代から八〇年代にかけまして新しい核体制をつくるわけですから、その新しい核体制の中における位置というもので日本本土及び沖繩をとらえていかなければ核問題の正しい解決にはならないのではないかというふうに私は考えるわけです。たとえば私は、これは一部分ですけれども、私はすでに沖繩においても核の移動が始まっておるというふうに実は観測しておるわけです。これは先ほど申し上げたように、七〇年代から八〇年代にかけまして新しい核体制を展開するためにも、六〇年代のものは当然撤去されると、こういう動きだと思うのです。しかし、それでは、それにかわって何か動いておらなければならない、そういう点も私ども実はとらえようとしてつとめたわけです。私どもは、まだ完全に具体的ないろいろな資料なり調査なり持っておりませんけれども、確実に変わりつつあるということだけは実は感知しておるわけです。たとえば、これは一つの材料として申し上げておきたいのですけれども、たとえば、今後の核戦略というものはそういう単純な、一つの地点に核を配備することだけが核戦略体制というものではなくて、たとえば、太平洋なら太平洋全域を含む大きな核のシステムと、こういうことが重要になってくるわけです。ですから、今後の沖繩の核問題というものは、ただ沖繩から核弾頭が撤去されたあるいは核兵器が見えなくなったという問題だけでとらえるのではなくて、沖繩は七〇年代の核戦略の中でどういう位置に置かれておるか、その位置に置かれておることによってアメリカの核戦略が動きだした場合どういう状態が出現するか、こういう点からやはりとらえていただくべきだと、そういうふうに考えるわけです。したがいまして、私どもは、沖繩のたとえば知花の弾薬庫あるいは辺野古の弾薬庫と、そういう地点の問題も必要なんですけれども、それ以外の問題、それを今後とも皆さんにひとつ注目していただきまして、十分論議を重ねて、正しい沖繩のあり方に核の問題を持っていっていただきたい、そういうふうに希望する次第です。(拍手
  46. 西村関一

    ○理事(西村関一君) ありがとうございました。     —————————————
  47. 西村関一

    ○理事(西村関一君) 次に、曾村公述人にお願いいたします。(拍手
  48. 曾村保信

    公述人(曾村保信君) 曾村です。(拍手)  私、いろいろ拝聴しておりまして、与党の方も、野党の方も、比較的国内問題ないしは日米関係というような観点からお話しになっている方が多いと思います。私は、主として現在の国際情勢というものの大勢から見て、その中における沖繩返還問題というものがどういう地位にあるかということについて私の意見を申し上げたいと思います。  先ほども小山内公述人からもお話がございましたように、最近二、三年の間に、それまでの前提と、世界の戦略情勢というものが非常に変わっておりまして、私は、主としてソ連側の非常に最近の積極的なアグレッシブな態度というものについて皆さま方の注意を喚起したいと思うのであります。  その最近の国際情勢の一つの特色というものを大づかみに申し上げますと、第一に、今度の国連総会の動きを見ておりましてもわかりますように、世界じゅうで非常に主権国家の数がふえてまいりまして、しかも、民族主義的な風潮というのが盛んになってきておる。それに、さらに、しばしば戦闘的な社会主義あるいは共産主義というようなものの政治理論が加わることによりまして、非常に紛争の発生のための電位というものが高まっておることであります。しかも、それに対して、中華人民共和国の加盟以来、中ソの基本的な利害の不一致ということが関連しまして、国連がその平和維持の機能を果たす見込みというものは必ずしも期待されないという状況であります。そういう状況のもとにおいて現在印パ戦争が行なわれておるというわけであります。世界の情勢に関連して、間々、米中接近あるいはベルリン協定というようなものを引き合いに出して、現在の世界が緊張緩和に向かっておるという見方をされる方も多いわけでありますけれども、事実は必ずしもそういう面ばかりではないということをひとつお考えいただきたいということであります。  それからもう一つ最近の情勢において注意されますことは、これはもうすでに七、八年前、核停条約——核実験停止条約の調印せられました前後にハンソン・ボールドウィンが言っておったことでありますが、今後世界の核戦略の体制というものは次第に海のほうに移行するであろう、海中に移行するであろうということを言っておりましたのですが、その予言が現在まさに実現されつつあるということでありまして、極端な言い方をすれば、地上にある核は核にあらずというような状況がだんだん出現しつつあると思われるわけです。二、三年前と非常に情勢の変わりましたことは、ソ連の潜水艦戦力というものが非常に発達をしましたことで、これはいろいろ資料がございますけれども、ここでは、英国のロンドンにある戦略問題研究所の資料によってちょっと簡単に御説明申し上げてみます。  これは比較的控え目な数字であると思われるのですが、アメリカ合衆国の潜水艦弾道ミサイルの総数、これが六百五十六発です。それを積載しておる原子力潜水艦が四十一隻ということになっております。それから、これに対しましてソ連の側のミサイルの総数は四百四十基、これはまあ総数と申しましても、要するに、発射管の数でありますが。それに対しまして、それを積んでおる潜水艦というものは六十一隻ということであります。その中で、最近非常にふえておりますのがYクラスと通称呼んでおります、ここにあるものですが、ちょっとアメリカの潜水艦に非常によく似ておりますけれども、これが排水量が潜水状態において八千三百トン、スピードが三十六ノット、それからミサイル発射管が十六基という、これはもうほとんどアメリカの第一線の原潜に匹敵するものであります。で、その積んでおるミサイルは、これはSSN6というので、射程は千七百五十マイル、これはペイロードはメガトン級であるというようなことであります。  それから、さらに、攻撃潜水艦の数を比べてみますと、アメリカ側が五十三隻の原潜を持っておる。このうち四十隻がサブロック積載であります。それから四十六隻のディーゼル推進の潜水艦という数でありますが、これが、ソ連の側を見ますと、ソ連の持っておる攻撃潜水艦——これはまあ、いずれの場合も、アメリカの場合もソ連の場合も、弾道弾積載の潜水艦の数は除いてあるわけでありますが、純攻撃用の潜水艦で、これがソ連の場合は、原子力推進のが二十五隻、それからディーゼル推進が二百十隻、このほかに、巡航ミサイルという、三百マイル・レインジのものを積んでおりますのが、ソ連の側に原子力推進が三十五隻、それからディーゼル推進が二十五隻ということになっております。  それで、いずれの側を見ましても、つまり弾道ミサイルを積んでおる潜水艦、それから攻撃潜水艦、いずれの側を見ましても、ソ連のほうが圧倒的に数が多いわけであります。最近、アメリカの軍事担当家は、非常にこの体制にあわてておりまして、アメリカの領土に対して約七分以内の距離の射程にソ連の原子力潜水艦に入られた場合には、もはやこれに対して有効な防御はできない。しかも、それに対抗するだけの護衛艦、それから潜水艦というものの数を持っていないということで、現在、対潜戦術も非常に突っ込んでやらなければ、もはやその時期を逸するであろうというような、非常な不安感というものがみなぎっております。これを見ましても、現在攻撃的なのはソ連の側であって、西側——アメリカを含めます西側は戦略的守勢の態勢に入っておるというふうに感ぜられるわけであります。その点が非常なここ二、三年間の顕著な相違であるというふうに考えられます。  現在のYクラスのソ連の潜水艦の建造実績というようなものについてちょっと申し上げますと、大体就役中が二十隻、それから建造中が十五隻であって、年間建造率が約八隻ぐらいであろうというふうにいわれております。これは西側の軍事専門家の意見でありますけれども。そういうソ連の潜水艦の実勢に対して、一方それに対する戦術理論はどうであるか。これはソコロフスキーの戦略論にいっておりますように、将来戦におけるソ連海軍の主要任務の中には敵の海上輸送の破砕、その交通の混乱というものが数えられる。予想される敵——これはもちろん西側でありますが——それの物的及び人的資源の四分の三は海外にあることを考慮しなければならない。  それから「敵の交通線に対する行動は、戦争の当初から大規模に展開されなければならない。この任務の達成は、戦略任務ロケット軍、遠距離航空部隊およびミサイル潜水艦の海洋基地および港湾、運河および狭水道、造船および船舶修理工業に対する攻撃によって、達成しうるであろう。同様に潜水艦、航空機の活動による海上の護衛船団、輸送船の撃滅によっても達成しうる」というように、ソ連海軍は、海上交通破壊戦というものを優先任務にあげておるわけであります。それが現実化しておるということは、これは非常に危惧されるべき状態なんであります。これに対してNATO側でも在来のような体制でなく、もっと実質的な意味で幅を広めた海上防衛のシステムをつくろうという動きが起こっております。それから、英、仏等におきましては、核戦略を統合しようというような動きも多少起こっているように聞いております。それから、そういう動きをめぐって、さらにこのアメリカのドル防衛、それから欧州における兵力撤退の動き等に応じて、そろそろヨーロッパにおいても各国の軍事負担というのはふえてきておるということを日本経済新聞などでもちらっと見ましたですけれども。こういう状態におきまして、われわれ、はたして、この日本の小さな利害ということだけからものを判断してよいかどうか。もちろん、そこに人間が住んでおりますから、その人間の生活というのは無視できませんけれども、単に一国だけの安穏無事というものを考えておるという、そういう狭い考え方ではものごとを誤るおそれがないか。もっと世界の潮流というものをよく見て大勢を判断することが必要であると思います。何が何でもとにかくわが意を通さなければならないという、その行き過ぎたナショナリズムでは、やがて身を誤るであろうと思われるわけでして、私個人の見解としましては、もとより現在の沖繩の状況というものに対して心平らかならぬものがあります。そこに多少なりとも不満を持っておるわけでありますが、これは、一たん施政権がわが手に返ってくれば、次第に交渉によって解決が可能であると思います。その際、ぜひ必要なことは、まず、われわれ自体、われとわが身をよく顧みて、われわれにこの困難な世界情勢に対処するだけのちゃんとした方策があるかどうか、それをよく検討して、それによって、国内体制というものを整備することが必要であろうと思います。ことに日本の場合には、この海上防衛の分野において非常に技術的に立ちおくれておるわけでありまして、これが何らかの形をなすまでは、当然、アメリカ一国のみならず、さらに多くの国との了解ないしは共同動作というものが必要であろうと思います。そういう観点からしまして、この基地問題などの取り扱いも必ずしもわれわれだけの主観でものを考えてはならないと思うわけであります。この世界は、要するに孤児院でも養老院でもないのでありますから、そこであまりかってなことを言って孤立をしてしまっても、だれもめんどうを見てくれるものはないと思うわけであります。  まあ、沖繩問題については直接触れませんでしたけれども、触れるところは少なかったようですが、大体そういう情勢であるということを見解として申し述べてみたわけであります。  以上で終わります。(拍手
  49. 西村関一

    ○理事(西村関一君) ありがとうございました。     —————————————
  50. 西村関一

    ○理事(西村関一君) 次に、長谷川公述人にお願いいたします。
  51. 長谷川正安

    公述人長谷川正安君) 名古屋大学法学部で憲法を担当している長谷川でございます。  いわゆる沖繩協定承認反対立場から、一人の憲法研究者として意見を述べさしていただきます。私は、戦後新しい憲法が制定されてから今日まで、この憲法の研究に専念してまいりました。私がここで述べる反対意見は、私の憲法研究の中から出てきたものです。私は、今日問題になっている沖繩協定日本国憲法はもともと両立するはずのないものだというふうに考えております。その理由を二、三述べさしていただきます。  いまから二十六年前、日本はポツダム宣言を受諾し、降伏文書に署名しました。それは一九四五年八月から九月にかけてのことです。そのとき沖繩はすでに激しい戦闘の結果、アメリカ軍に占領されて四カ月以上もたっていたという事実を注目する必要があります。敗戦のそのときから、沖繩本土と違った、きわめて劣悪な状態に置かれているという差別待遇がすでに始まっていたからです。日本の占領は、ポツダム宣言を基本法として連合国により行なわれました。沖繩日本の一部として、同じ占領下にあるはずでした。ところが、現実にはアメリカ軍の単独占領に始まり、一九四六年一月二十九日には、連合国最高司令官の「若干の外廓地域を政治上、行政上、日本から分離することに関する覚書」によって本土から分離され、依然としてアメリカ軍の単独かつ直接的な占領下に置かれ続けます。一九四五年八月十五日と、この覚書の出された四六年一月二十九日の間に、一時的にせよ、ポツダム宣言に基づく間接統治の事実があったかといいますと、その気配は全くございません。この沖繩でのアメリカの単独支配を固めたのが「琉球列島米国民政府に関する指令」でございます。要するに、本土の占領中、沖繩はポツダム宣言が適用されていたはずなのですけれども本土から切り離されて、事実上アメリカの単独占領が続きました。四七年五月三日に施行される日本国憲法は、したがって沖繩には適用されないことになりました。沖繩の差別は敗戦前から始まり、占領中に非常に激しくなりました。しかも、その差別は、私の考えによれば、ポツダム宣言に違反しているおそれがあるし、またそれは、ただアメリカの軍事目的に奉仕するだけのものだったと思います。一九五二年四月二十八日に発効した平和条約第三条は、日本国民にとって、とりわけ沖繩県民にとって、全く合理性のないこの占領下の差別を法的に粉飾するものであったと言わざるを得ません。このとき以後、本土は平和条約五条、六条及び安保条約によって半ば占領の状態が続きましたが、沖繩は依然として全面占領が続いたわけです。いまから二十年前の四月二十八日に沖繩は、当時の本土の保守党内閣によって、その意向を一言も聞かれることなく、本土の占領終了のためのいけにえにされたと私は考えています。本土政府が日の丸を掲げて独立を祝ったその日が、沖繩県民にとってはアメリカの軍事占領を恒久化し、占領中の差別を固定化する悲しみに満ちた日であったわけです。私たちは、この状態をつくり出すのに本土政府が協力していたという事実を忘れることができません。それから二十年たって沖繩協定締結されました。かつて吉田内閣が平和条約を日本国民のためになると大々的に宣伝をしたように、いま佐藤内閣は沖繩協定沖繩県民のためだというふうに宣伝しております。アメリカ沖繩施政権を認めた平和条約第三条は、沖繩を信託統治にする国連へのアメリカの提案を前提としていますが、戦前からりっぱに自治能力のあることを示してきた沖繩県民が住んでいる地域を信託統治にしようというようなことは、もともと国連憲章に違反するという意見も国際法学者の中にありますし、また、アメリカがそのような提案をする意思のないことがはっきりしたその後には、この平和条約第三条は無効になったという有力な意見も国際法学者の中にはございます。これは私も編集者の一人になっておりますけれども日本評論社というところで出した「法律時報」の臨時増刊号の「沖繩協定」という特集がございますけれども、この国際法上の意見は詳しくここに述べられております。いずれにせよ、二十年続いたアメリカ沖繩支配の根拠が国際法上きわめて疑しいということは否定できないと思います。しかも、この日本の領土の一部である沖繩には日本国憲法は全く適用されず、沖繩日本人が住む外国扱いになってきたことは皆さん御承知のとおりです。沖繩協定は、この法的根拠の疑わしいアメリカ支配あとから正当化し、不法、不当にアメリカの持っていた施政権日本への返還をあたかも正当な権利の放棄であるかのように述べています。佐藤内閣はこれに感謝し、かつ、感激さえしている状態です。佐藤内閣は吉田内閣が二十年前に平和・安保両条約で日本国民に不幸をもたらしたと同じことを今日沖繩協定沖繩県民にしているのではないかというふうに私は危惧いたします。安保条約はその後一貫して、本土憲法の平和的な、民主的な条項が実現するのを妨げていると思います。そして、何よりも、皆さん御承知のように、本土にある米軍基地日本の国家主権を侵害している事実はどなたも認めざるを得ないのではないかと思います。沖繩協定が、無効になった平和条約第三条にかわって、沖繩米軍基地の存続を正当化するとすれば、それはちょうど二十年前の安保条約と同じ役割りを果たすものだと言わなければなりません。  日本国憲法の制定以来、沖繩には憲法適用されたことはもちろんありません。沖繩協定が発効した場合、ほんとうに初めて沖繩日本国憲法適用されるということになるのかどうか。私は二つの側面から心配をしております。  その第一は、決して本土並みにはなりそうもない今日の沖繩の実情です。これは、沖繩政府日本政府に出した「復帰措置に関する建議書」というのがございますが、これに詳しく書いてありますけれども沖繩の全面積の一二・五%に及ぶ広大な米軍基地は、沖繩の中に基地があるのではなくて、基地の中に沖繩があるとよくいわれておりますけれども、その重要性が当分の間減少するはずがないことは、この協定が基礎としている一昨年の日米共同声明がよく示していることだと思います。そこに、この基地の中に憲法適用されないことは、本土で私たちが苦い経験を重ねてきた事実です。そこに核兵器があるかないか、これまでも、また今後も、日本政府は立ち入り調査をしたくてもできないでしょう。その上、沖繩には今後五年間も「アメリカの声」の中継局が残ります。反共の軍事基地の間で、反共宣伝の電波の下で暮らす沖繩の県民に日本国憲法を届けるということは容易なことではないと思います。  第二の側面は、本土並みになることによって、沖繩にもたらされる憲法じゅうりんの事実が多く出るのではないかと思います。これは協定そのものよりも、関連法案の問題になるので詳しくは述べませんが、私がいま申しました琉球政府日本政府に提出した「復帰措置に関する建議書」が最も心配しておりますのは、自衛隊沖繩進駐です。自衛隊憲法違反であるかどうかという憲法問題は、裁判所でも、いまなお決着がついておりません。憲法学者の大多数は自衛隊憲法違反だと考えておる、そういう統計がございます。右の建議書は次のようにいっています。「沖繩県民米軍基地だけではなく、自衛隊の配備にも反対であります。自衛のための戦争といい、聖戦といわれたあの第二次世界大戦末期の沖繩戦において、沖繩県民は戦争の残酷さと悲惨さを身をもって体験し、戦後二十六年に及ぶ米軍支配の苦しい生活体験によっても、軍隊というもののもつ本質的性格をいやがうえにも知らされました。十数万の尊い生命を犠牲にした戦争体験と二十六年の長期に及ぶ米軍支配下の生活体験を経た沖繩県民にとって、自衛隊の配備を許すことはできないのであります」、こういうふうに述べてあります。  このほか、たとえば、教育公務員の権利や教育委員会制度など、本土並み憲法違反の疑いのある悪法を沖繩に持ち込むことによって、沖繩県民がせっかくこれまでにかちとってきた権利が剥奪される心配も小さいものではありません。へたをすると沖繩は、本土安保体制における憲法じゅうりんの実験場になりかねません。関連法案を見ますと、軍事目的のための土地取り上げ、地域開発を名目とする地方自治のたな上げ、教育制度の改悪など、いずれもこれから本土で行なわれようとすることが、先立って、沖繩返還を利用して沖繩で実験されるのではないかという心配がございます。  私は、沖繩にこれまで行なわれてきた不法、不当なアメリカ支配を正当化し、今後の沖繩に、憲法そのものよりも、憲法のじゅうりんをより多くもたらすような沖繩協定と、沖繩返還のあり方には賛成することはできません。こういう立場から、私は私の憲法の研究の結果を皆さんにお伝えしたいと思って登場したわけです。(拍手
  52. 西村関一

    ○理事(西村関一君) ありがとうございました。     —————————————
  53. 西村関一

    ○理事(西村関一君) 次に、末次公述人にお願いいたします。
  54. 末次一郎

    公述人(末次一郎君) 末次一郎であります。  沖繩返還協定及び関連取りきめに賛成の立場から意見を申し述べます。協定内容及び関連取りきめの中にある私の考えておる問題点と私の見解を申し述べて、その次に、この私が賛成する理由を申し述べたいと思います。なお、時間があれば今後の問題点、課題に言及したいと思います。  意見を申し述べる前に、私の立場を若干御説明申し上げたいと思いますが、私は、沖繩問題に青年運動の立場から昭和二十六年以来取り組んでまいりましたので、およそ二十年ほどたつわけであります。その間、沖繩にも約三十回参りまして、青年の交流や研修あるいは各種施設づくりの推進、あるいは文教教育政策への協力、そうして、現在の主席である屋良さんや喜屋武議員などと一緒に復帰運動などにも協力し合ってまいりました。さらにまた、この問題を解決するためにはアメリカに直接行動を起こす必要があると考えて、昭和四十一年以来ほとんど毎年ワシントンを訪問いたしまして、アメリカ側にかなり強い体当たりなどを試みてまいりました。また、その経過を通じて、ただばく然たる国民運動だけでは問題解決に近づくことができない。また、当時政府がとっておりましたように、ただ単に時の流れを待つだけでも問題の解決はできないと考えて、日本側からの具体的な提案をつくり出す必要があるというので、あるいは御承知かと思いますが、基地問題研究会を組織して、専門家グループの討議を通じて、後に政府が採用いたしました核抜き・本土並み・七二年返還の原理を報告などいたしました。  そういう立場に立って、この二十年を振り返りながら、いま目睫に沖繩の同胞をはじめ全国民が待望してきた返還の日を迎えようとしておるときに、この長かった道、険しかった道を思い起こしながら、感慨まことに深いものがございます。  まず第一に、協定内容における問題点でありますが、第四条で規定いたしました請求権の放棄は、いろいろな経過があったにもせよ、私どもとしてははなはだ遺憾に考えた点ではございました。しかし、国会の討論を通しまして、講和前補償に類するものに関するアメリカの補償は別ワクとしても、その他、この請求権にかかわりある事項に関しては、法的措置を講じつつ日本政府が責任を持つということが明らかにされてまいりましたので、それをもって了とすべきだと考えております。  第二は、水道、電力、その他の資産引き継ぎにあたって合計三億二千万ドル、その中の一億七千五百万ドルが資産引き継ぎに充当されることになったのでありますが、これは琉球政府も主張しておりますとおりに、これだけの金が開発予算としてつぎ込まれるとすれば相当に大きな力を持つわけでありまして、望むらくは、支払わないでも済ましたかったのであります。が、しかし、経過は御承知のとおりでございまして、結局は支払うことになった。これも考えてみますと、あとで申し述べますように、相手がある交渉でございますから、どこかで条件の互譲ということが必要になってまいります。たまたま経済的な力もついてきた日本でありますから、もし金で解決できる部分があるとするならば、それで早期返還を期するということが賢明な選択の道だと、われわれとしては考えるわけであります。  三番目の問題は、この返還時における基地の縮小が私どもが期待したほど進まなかった点でありまして、この点については、昨年の十月、基地問題研究会の専門家グループが沖繩を訪問いたしまして、かなりしさいに沖繩基地を点検いたしました。その点検に立って政府に提言をいたしましたが、私どもが提言をした内容から、はるかに遠いところでA表、B表、C表が取りきめられたのであります。これはわがほうの交渉に臨む態度に準備が十分でなかったなどの問題もございますが、結果として、ごくわずかの縮小にとどまった点は、これははなはだ遺憾であると思います。しかし、これも、後ほど申し上げますように、施政権返還後の取り組みによって問題を解決していくことが可能でありますから、決定的な条件というふうには考える必要はない。  次に、VOAでありますが、VOA内容が毎日行なわれておる北京放送やモスクワ放送などに比べてそれほど悪質なものでないというふうな理由や、あるいは現地国頭ではとどまることを希望しておる方々が多いというような理由があったにもせよ、やはりわが国の主権の一部にかかわりを持つわけでありますから、これが残ったということも残念であります。ただ救われるのは、時限をもって制約を加えた。ことに五年ということでありますが、復帰後二年たてば運営に関する協議を始めるということでもあり、かつまた、私はこの九月、ほとんど一カ月、ワシントンで各方面と接触いたしましたが、私が得た感触では、すでに一部において移転計画の検討が進められておるというような条件などを考慮いたしますと、今後の折衝でその撤去の時期を早めることは十分可能であるという意味で、これもさしたる問題と考えなくてもよいであろう。  最後に、自衛隊の配備の問題でありますが、これも、原則として、復帰する以上、自衛隊が配備されるのは当然だといたしましても、自衛隊に対する沖繩県民の特殊な感情を十分理解することなく進められてきた経過が私にとっては遺憾であります。   〔理事西村関一君退席、委員長着席〕 と申しますのは、沖繩方々にとって、復帰の手順がどういう手順で進むかというのはたいへん大きな課題でございました。ところが、総理府を中心として進めました復帰対策要綱が、一次、二次は、それぞれ、昨年の十月、ことしの三月と取りきめられましたが、民生に一番関係が深かったものが全部第三次に集約されまして、その閣議決定を見たのが九月の三日であります。したがいまして、沖繩の人々にとりますと、民生に深いかかわりを持つものが一体どんな手順でどうなるのかが、まだはっきりしないという段階、これは具体的にはことしの六月の段階に、すでに自衛隊の配備計画の輪郭がかなり具体的に明らかにされました。これは沖繩の住民感情からいいましても、これに対して一種の心理的抵抗が起こってくるのは当然でございます。いわんや、古き苦き思い出が人々の心に深くあるわけでありまして、さらに加えて、先ほども申し上げました基地にかなり依存する経済条件であるにもかかわらず、一方基地の撤去を望む住民感情は御承知のとおり非常に強い。ところが、返還協定が成立してみますと、基地の縮小が予想したほどでない。こういう一種の失望感があるところに、自衛隊がやってくるということが、しかも、かなり具体的に打ち出される。これでは、政治的立場に立って反対をする人のみならず、素朴な住民感情の中で自衛隊に対する抵抗が出てくるのは当然でありまして、こうした、取りきめというよりも、むしろその取りはからいの経過が、はなはだ私は遺憾にたえないと思っております。この点については、後ほどまた少し触れたいと思います。  以上申しましたように、返還協定内容あるいは関連取りきめの内容がすべて満点というものでないことは、これは多くの識者が考えておるとおりでありますが、それにもかかわらず、私が賛成をいたしますのは、一つは、この交渉というのは、これまでの長い交渉の経過があったということを無視してはならないことと、外交交渉でありますから、当然相手があって交渉を行なうということを踏まえなければならないと思うからであります。先ほども申し上げましたように、早くから取り組んでまいりまして、その過程では、絶望の感におちいったこともございます。これは、私のみならず、屋良主席も、あるとき、自分が生きているうちには返ってこないかもしれぬと、しみじみ述懐されたことを私はいまでも覚えておりますが、そういうふうにたいへん険しいものでございました。私が四十一年にワシントンに参りましたころは、国防省や国務省を回りましたが、全く剣もほろろの扱われ方で、口角あわを飛ばしながらかみついたりもいたしました。したがいまして、そのころは御承知のように、たとえば教育権を分離して返還してもらおうじゃないか、教育権だけでもいいという、機能別分離返還論とか、あるいは先島だけでも返してもらおうじゃないかという地域別分離返還論、あるいは軍事基地は現在のままでいいから、これだけをセパレートして、その他の部分を返してもらおうじゃないかという地域分離返還論など、こういうものがかなり大手を振ってまじめに論議されねばならなかったという経過などもあったわけでありまして、そういう経過をたどりながら六七年に、ようやく両三年のうちに返還に関する話し合いをしようという両巨頭の話し合いがまとまり、六九年十一月に今度の返還交渉の基礎となる共同声明に至ったわけであります。冒頭に申し上げたように、その経過で、いわば政府のけつをたたきながら、ときには政府とけんかをしながら推進する立場に立ってきた私どもから見ますと、とにかくここまでよく来たということであります。いわんや、相手があるわけでありますから、わがほうの言い分を一〇〇%通すというわけにはまいりません。どこかで互譲するほかはない。しかも、日米間は今後友好を保つべきであるという私の考えに立って見ましても、互譲しつつ話し合いをまとめるべきである。問題は何を譲り何を譲らないかということでございまして、私は、今度の返還交渉では原則を確保して、貫いて、条件において譲歩したと、こういうふうに理解するのであります。金で片づくものは金で片づけよう。時間を多少かけて解決できるならそれでいこうと、要するに、早期返還だというこの目標に向かって、若干の条件において譲歩したが、原則はこれを貫くことができたと、こういうふうに私は理解しております。その原則とは、核抜き・本土並み・七二年返還であります。  で、第一の核抜きについては、いろいろ論議が重ねられてまいりましたが、確かに協定条文の表現によりますと、たいへんあいまいとしておる。これは核兵器の持つ基本性格からしてやむを得ないとしても、国民なり現地住民の不安が渦巻くことは当然である。ところが、幸いにして、その後の経過を経ながら、たとえばアメリカにおける上院外交委員会のロジャース、パッカード証言、さらに外交委員会が本会議に送付いたしました報告書の中でこれを重ねて取り上げて報告書の中に明記した点、一方、わが政府がこの国会を通していろいろ答弁してきた点などで、核撤去については問題は明らかにされたというふうに理解いたします。  それから、第二の本土並みでありますが、これは先ほど来も出ておりましたように、本土並みというけれども沖繩基地の中に沖繩があるではないかという御議論がありまして、その限りにおいてはまさにそうであります。ただ、大事なことは、密度の問題もさることながら、私にとってより大事なことは、沖繩基地の性格を本土並みにすることができるかどうかということであったと思うのであります。今日、ここへ来てみれば、安保条約の適用区域にするということは、あたかもあたりまえのようでありますが、実はその交渉経過を振り返ってみますと、アメリカは自由使用については断じて譲らぬという姿勢をかなり長い期間堅持してまいりました。それを安保条約の適用下に置くということは、事前協議適用せしむるということでありまして、性格面から見て、本土基地と何ら特異性を持たせないということでありまして、私は、その意味で、まず性格を本土並みにしたということの意義は高く評価さるべきだと考えるのであります。安保条約を否定する立場に立てば、全く別の論点からの議論が出てくるわけでありますが、将来、安保条約が質的内容変化し、やがて他のしかるべき条約にとってかわるというような長期展望ができるにしても、現状においては安保条約の適用区域にしたということで性格が本土並み化したということを私は評価するものであります。問題は、今後この密度を本土並みに向かってどう進めていくかという問題が残るわけであります。  第三は、七二年返還をわれわれは願ってまいりましたが、これで、このままわが国会の審議が順調に進んで終結いたしますと、遠からずして批准手続が行なわれ、そして、私としては四月一日を希望するのでありますが、返還が実現するのであります。私は、何といいましても施政権をわが手中にするということが、非常な問題を山ほどかかえておる沖繩の現状を解決していく上でも、決定的な要件だと思うのでありまして、その意味で原則を全うしたこの協定及び関連取りきめ、若干の問題点があるにしても、原則を貫いたという意味で、これの早期承認が終わり、そして、返還の日を早く迎えたいと、こう思うわけです。逆に、もしも一部に唱えられておるように、この協定を粉砕し、もしくは交渉をやり直すという場合を仮定して考えてみますと、言うべくして簡単にできるものではございません。日米関係たちまち最も険悪な事態に相なります。日米関係を悪くしようと考え立場からいえば、快哉を叫ぶのであろうかと思いますが、私は、国益の立場からその道をとるべきではない。また、日米関係が悪化して、再交渉ということになりますと、私の計算では、早くて三年目ぐらいからやっと話し合いが始まるかもしれない。その間、沖繩はもう収拾すべからざる混乱におちいることは必至でありまして、私どもは、これは釈迦に説法でありますが、政治というものは比較の問題であろうと思うのです。いかに賢明な道を選択するかの問題であって、オール・オア・ナッシングだとは私は考えません。ただ、ここまでまいりますと、私どもとしては、とにかくいろいろな経過をたどってきたものでありますから、賛成か反対かしかない。私はあくまでも賛成の立場で、すでに表面はともかく、心情的には来年春には復帰できるという心組みでいろいろな取り組みをすでに進めておられる沖繩の人々とともにこれからの沖繩の問題に取り組んでいかなきゃならぬと、そう考えております。したがって、そういう意味で、今後の課題というものを考えてみますと、これからおそらく返還日をいつにするかという交渉が行なわれると思いますが、私は、いろいろな意味から四月一日を目ざしたいと思います。総理府など事務当局は、山積する準備業務があって、少し音を上げるかもしれませんけれども、やはり春さわやかな四月に、いろいろな意味で新しい気持ちの転換の日を迎えることが望まれると思います。  第二は、核抜きということの確認については、これまでの論議を踏まえながら、今後しかるべき措置が行なわれることを期待いたします。  三番目には、安保条約の適用によって軍用地の契約更改が行なわれるわけでありますが、えてして、防衛庁ないし防衛施設庁はこういう点について、先ほども申し上げたように、何といいましょうか、要領の問題ではなくて、真に相手の気持ちになって事に取り組むという態度に欠くるところがあるように私には思われるのでありますが、しかるべき指導によって、スムーズにこの契約更改が進むように万全の努力をしてもらいたいと思うのであります。  次に、基地の縮小について、先ほど申し上げたように、十分なところまで踏み込めなかったのは残念でございますけれども返還を待つまでもなく、本件については積極的な折衝努力が必要である。それには、ただ小さくしてくれ、狭めてくれという態度ではいかぬのでありまして、私ども、いままでの経験からいっても、ここをこういうふうに使いたいからというような具体的な、建設的話しな合いの材料を用意して迫っていくという態度が必要であろうと思われます。たとえば牧港の住宅区域など、もったいないところでありまして、とうとう返還交渉まで間に合いませんでした。したがって、この附表の中に(注)として併記されましたが、代替施設をつくって、たとえ、よしんばそれに金がかかっても、やがて米軍が引き揚げたときには、これを住民の団地に充て得るという将来的展望の設計などをして、思い切って代替施設をつくって那覇市の発展に不可欠の牧港地域を解放するという、そういう努力など、もっと積極的な取り組みを望まずにはおられません。  五番目には、先ほど申し上げた自衛隊の配備でありますが、いわゆる久保・カーチスの取りきめがあるにもせよ、これについては防衛庁当局の住民感情を十分考慮した賢明なる今後の取り組みを期待してやみません。  最後に、いよいよ予算が取りきめられようといたしておりますが、沖繩関係については、地代アップの問題を含めて、従前のように、大蔵当局が概算要求に思い切った大なたを入れるというようなことを許さないで、思い切った予算投入をしていただきたい。そういったことが十分に配慮されて取り組まれていくとすれば、先ほど申し上げた協定内容等における若干の問題点などを補うて余りあるし、これから始まる沖繩の、新しい、新生沖繩の発展への道を開くことができるであろうと、そういう意味で不可欠な要件としての返還協定と、当委員会の問題ではございませんが、関連諸法案が無事に、みごとに成立することを心から期待をして私の意見を終わります。(拍手
  55. 安井謙

    委員長安井謙君) ありがとうございました。     —————————————
  56. 安井謙

    委員長安井謙君) 次に、上原公述人にお願いいたします。
  57. 上原成信

    公述人(上原成信君) 私は、沖繩出身のごくありふれた一市民として意見を申し上げます。  結論から申しますと、私は沖繩に軍事基地を設ける、あるいは維持していくという、こういう理由とか、根拠とかといわれているものを一切認めることができません。したがいまして、現在の軍事基地の継続使用を基底としているこの沖繩返還協定には反対であります。これは、過ぐる沖繩戦争の悲惨な状態、それから、その後今日まで引き続いた米軍によるさまざまな人権侵害、こういったものはすべて、殺し合いで問題を解決するという、そういう野蛮な思想に基づいて行なわれたものであります。ですから、沖繩からすべての軍事的なものを取り除いて、日本国憲法が差し示す絶対平和、そういう精神をいまここで沖繩に実現すべきではないかと、私はそう思います。参議院の皆さまが、この日本国憲法の基本理念を尊重していただいて、この協定の成立を阻止しようというようにお考えならば、私は——非常にここでは言いにくいことですけれども——皆さんが全員辞任をすべきであると、そう考えます。参議院が消滅すれば、協定承認の自然成立というものはあり得ないと考えます。  私は、沖繩が戦火に巻き込まれる約一年前の昭和十九年に東京へ出てまいりました。それからもう二十六、七年になりますが、その間ずっと東京の片すみでまあ何とかやってまいりました。上京したときが数え年で十八歳でしたから、沖繩で育った時間に比べて、ここ東京に住んだ時間のほうがはるかに長くなっております。それで、まあ沖繩ことばもかなり忘れました。沖繩から来たばかりの人たちが楽しそうにしゃべっていることを横で聞いておりましても、半分ぐらいしかわからないと、こういうことがあります。その場合、何か私は非常に悲しい感じがするんです。自分はもう「ウチナーンチュ」ではなくなったかと、そういう感じがします。この「ウチナーンチュ」というのは、ここにおいでの方々はすでに御存じのことばだろうと思いますけれども沖繩には「ウチナーンチュ」ということばと、「ヤマトウンチュ」ということばがございます。これは、「ウチナーンチュ」というのは沖繩人間だということだし、「ヤマトウンチュ」というのはやまとの人ということです。やまとの人ということは、要するに日本人だということですけれども、「ウチナーンチュ」は、「ヤマトウンチュ」ということばで、自分たちがそこに含まれているというふうに感じないわけです。まあほかに、「トーヌチュ」であるとか——これは中国人ですけれども、あるいは「ウランダー」——これはまあヨーロッパ系の外国人です——こういうことばもありますけれども、「ウチナーンチュ」は、「ヤマトウンチュ」、「トーヌチュ」、「ウランダー」、それに対して、われわれは「ウチナーンチュ」であると、こういう気持ちをずっと抱いてきております。で、この二つのことばが、「ウチナーンチュ」ということばと「ヤマトウンチュ」ということばは重なり合わない。つまり、われわれは「ウチナーンチュ」であるか「ヤマトウンチュ」であるか、そのどちらかでありまして、「ウチナーンチュ」であって「ヤマトウンチュ」であると、こういうことはないわけです。まあこういうふうに申し上げますと、沖繩のことをあんまり御存じない方や、あるいは非常に観念的に、沖繩日本古来の領土であると、こういうふうにお考えになっている人には非常に奇妙に聞こえるかもしれませんけれども、このことは否定できない事実。そうなんです、これは沖繩の人どなたに聞いてみても、たぶん同じ答えが返ってくると思います。ただ、だからといって、沖繩人間は、じゃ自分たち日本人ではないと、こういうふうに考えているのかと、こういうふうに反論されるかもしれませんけれども、それは必ずしもそういうことではありませんで、たとえばこの「ヤマトウンチュ」ということばのかわりに、あなたは日本人ですかと、こういうふうに沖繩に行って聞いていただくと、これはもう一〇〇%——まあ中にはへそ曲がりがいるかもしれませんけれども、一〇〇%肯定する答えが返ってくると思います。  なぜ、こういう「日本人」ということばと、「ヤマトウンチュ」ということば沖繩の人たちは微妙な感覚の違いを持つのか私はその辺に、この日本という国における沖繩立場、そういうものを解いていく一つのかぎが隠されているんではないかと思います。私はこう考えるんですが、「ヤマトウンチュ」というのは、どこか「ウチナーンチュ」にとっては別のところからやってくる人たちであって、そうして、そういう人たちは、警官になって人民を取り締まり、軍人になって人民を壕から追い出し、スパイ呼ばわりして切り殺す。あるいは役人として派遣されてきて、そうして沖繩の旧来の陋習を打ち破るというようなことで、方言を使ってはいかぬ、何をしてはいかぬ、そういうことで、いろいろな指図をしてまいりました。それから商人として来た者は、商業を独占して安ものを高く売りつけ、しこたまふところを肥やしていきました。「ヤマトウンチュ」は、こういうことを自分たちが実行していく上で、そういうことをするためには、やはり、「ウチナーンチュ」というのは自分たちと同じ人間なんだと、同質のものだと、そういうふうに考えることはたぶんできないだろうと思います。「ウチナーンチュ」というのは、彼らのいろいろな操作の対象であったと、それにふさわしい低級な土民にすぎないのだと、そういうことから、「ヤマトウンチュ」は自分たちが「ウチナーンチュ」と同質であることはできなかったし、「ウチナーンチュ」は、そういう「ヤマトウンチュ」に対して自分たちの胸襟を開いて心を通わせ合うと、こういうことはなかったんだと、それがいま沖繩に残っているこのことばにあらわされているんだと私は思います。まあこういうふうに申し上げますと、何か、その「ヤマトウンチュ」一般が全部だめだというように受け取られるかもしれませんけれども、決してそうではありませんで、やはり「ウチナーンチュ」に心から愛され慕われた「ヤマトウンチュ」も、これは少なくないわけです、ただ、そういう何人かの個人的な善意の問題ではなくて、そういうことでは大勢を変えることのできない大きな流れがあったんだと、そういうことを申し上げたいと思います。  まあ「日本人」ということにつきましては、私なども、もう学校教育を受けるころには、「進め進め兵隊進め」という教育を受けましたし、それから戦後の教育を受けた若い人たちも、沖繩教職員会が、たとえば「髪も黒けりゃ、眼も黒い、ボクラは日本の子供です」と、こういう歌を歌わせながら、日本人としての教育を一生懸命やってきました。したがって、われわれは——これははたしていいことか悪いことか、私よくわかりませんけれども——日本人であるということに対しては、別に何の抵抗も感じないわけです。  そういうことから、現在の返還協定に対して、特に四半世紀にわたってアメリカ軍によってさまざまな人権侵害を受けてきたそういう沖繩の同胞は、この返還の実現によって、すっきりとした日本人になるという、このことを大きな解放感を持って歓迎しているんだと思います。しかしながら、ここでいま審議されていますこの協定そのものは、私は、協定内容においても、それからまた衆議院における審議の過程を見ましても、これは全く「ウチナーンチュ」を無視して、いま申し上げました、かつての「ヤマトウンチュ」の沖繩支配、これを再現するものであると、そう考えます。それと同時に、アジアの各国で心配されている日本の軍国主義化の推進、これ以外の何ものにも役立たない。私はそういう点から、この協定反対いたします。  実は、私はこの公聴会に応募するにつきまして、ずいぶん迷いました。それには二つ理由がありまして、一つは、長い間郷里を離れていますので、自分の考えていることが、沖繩にいる大ぜいのほんとうの「ウチナーンチュ」の気持ちとはたして合っているだろうか、公式の場で間違ったことを言うんじゃないかという、そういう心配が一つです。もう一つは、衆議院でああいう結末を見たこの協定について、いまさら私がここに来て何かをちょうちょうとしたところで何の役に立つだろうか、それはもう無意味ではないか、そういうことです。ただ、そうは思いながらも、私自身は、やっぱり何かどうもじっとしていられない、何とかしなければならないと、そういう気持ちにかられて、締め切りまぎわの日にかけつけて受け付けてもらったわけです。ですから、いまここで私がこの協定反対でありますと言ったところで、協定そのものが成立することはもう明らかである。私はほんとうに無意味な——むなしさといいますか、やりきれなさというか、ほんとうに何とも言えない気持ちでいましゃべっているわけです。  わが国では、まあこの強行採決といわれるものが何回か行なわれていまして、そのたびに民主主義の危機であるとか、あるいは議会制度の破壊だとか、そういうことが言われて、新聞だとか、ラジオ、テレビ、そういったものの解説者は、憂慮にたえないと、こういうことを言うわけです。あるいはまた、街頭において、集会であるとか、デモであるとか、こういうことも行なわれます。しかしながら、短ければ半月くらい、長くても二、三カ月で何か潮が引いていくみたいに鎮静してしまいます。これはまああまりにもしばしば繰り返されたパターンでありまして、今度の問題につきましても、マスコミはもう一月以上も前から、いつごろ強行採決が行なわれるだろうと、こういう予言をしているわけです。今回のこの協定審議につきましても、大体事態は予期されたとおりに進行したんではないか。ですから、私のようにそういうことに対して一々腹を立てたり、がっかりしたりと、そういう者は、この日本という国の政治的な風土に適応することのできない一種の生存不適格者、こういう者ではなかろうかと思います。  それともう一つ衆議院における強行採決というのは、私は参議院の皆さんに対するこの上ない侮辱ではないかと考えるわけです。それは、参議院で一体どうなろうと、衆議院だけでもう問題の決着はつけたと、参議院は要らないんだと、そういうふうに私は衆議院の与党がやってしまったんだと、そう思います。議員の皆さんは、法案であるとか、あるいは条約であるとか、こういうものの審議をしていただくということで選出されたはずです。ところで皆さんは、その本来の使命を現在パーにされていると私は思いますけれども、ということは、参議院の審議いかんにかかわらず十二月二十三日には成立すると、こういう事態になっていて、皆さんはそういうことをたいして気にもかけずにここでゆうゆうと審議を続けていかれるのですかと、そういうことを私はお尋ねしたいのです。皆さんは、このような侮辱に対してもじっと耐えられるほどの忍耐強い方々であるならば、私がこれから少し申し上げますが、少しばかりいやみなことがあると思いますけれども、まあ気にとめずにお聞き流しいただけると思います。
  58. 安井謙

    委員長安井謙君) 上原さんにちょっと申し上げますが、大体十五分ということでお願いしておりまして、五分もうすでに超過しておるそうでございます。できれば、結論をなるべく早目にお願いします。
  59. 上原成信

    公述人(上原成信君) では……
  60. 安井謙

    委員長安井謙君) 間違えました。いま十五分ちょうど、予定の時間になっております。
  61. 上原成信

    公述人(上原成信君) では、委員長からそのような御要望でございますので、切り上げたいと思います。  皆さん、議員になるのはなかなかたいへんなことだと私聞いておりますし、特にこの参議院というところはたいへんだと思います。ですから、直接参議院の皆さんの責任ではない現在の事態において、あなた方にやめていただきたいと、こういうことを申し上げるのは、まあ私も非常に心苦しいし、あるいは皆さんは、何をばかなことを言うかと、こういうふうにお考えになるでしょうけれども、本来あなた方が審議すべき条約は、もう成立すると、こうきまっておりまして、ここでどうこうするということができない。これはまああとの祭りということで、私は、皆さんは自分たちの本来の使命である審議権がまっこうから否定されるようなこのような状態では、当然辞任をされるべきだと、そう思います。——これは非常に非常識な言い方であると、そういうふうにお考えになりましょうし、私もいささかそういう気がしないではありませんけれども、ただ、よく考えてみますと、非常識だというふうに考えるのは、議員というものは一回なったら、もうそれでいいんだという、そういう議員の皆さんの立場から見ての非常識であって、私は、投票する国民の側から見るならば、議員が議員たるの役目を十分に遂行できない事態になったときには、辞任をするということは、しごく当然なことではないかと考えます。  まあ非常にしり切れトンボのような感じになりましたけれども、以上で終わります。(拍手
  62. 安井謙

    委員長安井謙君) ありがとうございました。時間をお急がせしてまことに恐縮でございます。     —————————————
  63. 安井謙

    委員長安井謙君) 次に、桑名公述人にお願いいたします。(拍手
  64. 桑名貞子

    公述人(桑名貞子君) 私は、無名無力なぬかみそ夫人でございまして、一人の国民として賛成意見を述べさせていただきます。こまかいことはいろいろ男性の方々が深く掘り下げてくださっておりますので、私は、ばあっと上すべりで申しわけありませんけれども、私なりに感じましたことを申し上げたいと思います。したがいまして、私はどちらの政党さんからも動員された発言ではございません。もう私自身の感じるままでございまして、非常にたわいないこともございますけれども、どうぞよろしくお願いいたします。  このたび、沖繩返還協定調印が終わりましたとき、私は、いろいろ理屈もございますけれども、ただすなおに一応喜びたいと思いました。もう胸が一ぱいにじいんとなっておりました。私は沖繩に直接——ふるさとでもございませんし、関係はございませんけれどもほんとうにじいんとしてまいりまして、声にならないで静かに涙がにじんでまいりました。だけれども、現地の方々には協定内容にいろいろ御不満がございまして、その御不満のまたその発表のなさり方が、実に誇大と申しましょうか、誇張と申しましょうか、あまりに激しく、やかましゅうございまして、静かに喜びをかみしめている沖繩方々もいらっしゃっただろうと思いますけれども、そのお気持ちはすっかりかき消されております。そして私もすなおな気持ちで、その喜びを新聞とかラジオとかに書きましても、やっぱり威勢のいい野党さんのそういう雰囲気を取り上げて、一般受けと申しましょうか——一般受けとはちょっと私は信じませんけれども、まあ俗受けと申しましょうか、そのほうを取り上げるんでございますね。それでとってもくやしく思っておりましたんで、このたび公聴会がございますので意見を述べさせていただけると聞きまして、さっそく夜寝ずに私の論旨を書きまして、そして取り上げていただくことになりまして、まことに喜んでおります。  それで、まあいろいろ事情だとか不服はございましょうけれども、ひとまず施政権祖国の手に握ってから課題の一つ一つと取り組んでそしていくところに、また希望がわいてくると存じます。それで、まず施政権が手に入って、初めて——沖繩のちまたでいろんな進駐軍の犯罪がございまして、非常に不公平な判決でまたいきり立ちますでしょう。それはやっぱりそれでもどうしようもございませんね。アメリカ施政権がある間は、もう何とも、どうにも手も足も出ないんでございますから、ただ騒いでもどうしようもないのです。だから、やっぱり一応ひとまず施政権日本の手に移りまして、裁判権の公正な運用もできるというものでございます。  またそのほか、本土でも反対の声がとっても強いのでございますね。だけれども、私はそのはなばなしい——はなばなしいといいますか、あんまりたけだけしい反対のデモとかあれとかを見ておりまして、じいっと私はうちでぬかみそさわりながら考えてみましても、どう考えてみても、党利党略、倒閣の手段に動員されているように思われてならないのでございます。国会本位でございますのに、院外にまで動員されて、そして市民泣かせのゲリラの伴奏つきの返還阻止というデモは、全く騒げば騒ぐほど、その本質がそれていってしまうように思うのです。静かにかみしめるこの「沖繩返る」の喜びというものは、戦わずしてそして沖繩が返ってくるという、その喜びなんです。いま中東とか、あちこちに戦争がございますでしょう。日本は、二十六年間どこの国とも戦争せずに再建してまいりました。だけれども、いま日本は、どことも二十六年間も戦わないで平和のもとに再建してきたというのに、反戦反戦と、ああいうたけだけしい暴力デモは、野党さんの力でおたしなめいただけないんでしょうか。それだけの野党さんに説得力がないんでしょうか。国民はそれを一番願っておるんでございます。  素朴な見方でなんでございますけれども日本の歴史をくつがえしたあの無条件降伏という悲痛な再出発から歩き出したことは事実でございます。そして、アメリカの軍政のもとに沖繩の宿命が置かれた次第でございます。これはもう政府の手でも、日本国民の手でも、沖繩方々が非常な辛酸をなめられるということはわかっておりましても、無条件降伏というところから出ている場合に、ほんとうにもう絶体絶命でどうしようもなかったんでございます。それからいつとなしに、沖繩日本に潜在主権ありという影絵のようなことばが出現してまいりまして、それからほのかな希望と明るいともしびを描き始めた国民の心だったと存じます。そしてついに、沖繩返還協定調印にまでこぎつけましたことは、国民としてまことに感慨ひとしおなのでございます。また、申し上げますけれども、戦わずに戻る沖繩というところに、私はほんとうにもう感無量なんでございます。純真なる、心ある日本人ならば、喜ばしいのが自然ではございますまいか。そして、無条件降伏から返還協定調印までの長い長い間、その間の政府、外交に携わる方々の、ことばや文字では表現できない御苦心のほどが、今日調印を見ましたときに、じっとりとあぶら汗がにじみ出る思いをお察ししております。  お返しくださる側のアメリカが、圧倒的多数で可決済みでございます。とてもいい、返還実現には絶好のチャンスでございます。日本の批准を待って、大統領が最終承認するばかりになっていると思います。また、来年一月七日には、佐藤総理がニクソン大統領との御会談で、日本の批准をバックに、一刻も早く沖繩返還の期日をはっきりとしていただけるのではないか、それを期待している次第でございます。それが、この期に及んでまだ党利党略、そして倒閣の思惑から、返還阻止されてはすっきりいたしません、国民といたしましても。与党、野党と、そういうあれでなくて、イデオロギーにこだわらないでと、そう思うんでございます。  かりに、政府の足を引っぱって倒閣してから沖繩協定を再交渉するなんて申しましたら、それこそ間に合わないのでございます。もし倒閣なさいまして、野党のどなたが政権をお取りになって、はたして円満な政治の運行ができますでしょうか。そして沖繩の再交渉が、日本の言いたいほうだいの要求どおりにかなうものなんでございましょうか。あまりにも、いままでずっと見てまいりますと、長い間、何かにつけて反米感情一点ばりにいきり立ってきた野党でございます。その野党が、沖繩返還交渉を野党の政権でなさった場合、アメリカは、それじゃまたもう一ぺん交渉しましょうと言ってくださるでしょうか。私には、単純な人間でございますけれども、そうはどうしても思えないのでございます。沖繩現地の一部の方々、動員反対されている方々にも、長い間の御苦労はお察しいたします。それで、本土人間だけが、ぬくぬくと経済繁栄のもとでいたというふうに強調されておられますけれども本土でも、いまなおひっそりと原爆病の後遺症で呻吟しておられる方々もいらっしゃるのです。そしてまた北海道では、歯舞、色丹、国後、択捉を、こう、根室から向こう岸にかすんで見えますですね、それを無念の涙のやるかたなく、もどかしい年月の明け暮れをまだずっと続けていらっしゃるのです。そういう方々も同じ国民の中にいるんですから、その方々のお気持ちを察してみてください。それで沖繩が戦わずに返るというのに、まだいろいろと不平不満、それも何かとても限られた狭い感情、イデオロギーであおり立てられて、それに乗っかっているんです。私はそれがとっても——何とも、わびしいとも情けないとも、ちょっと表現できません。「沖繩を犠牲にして本土が経済繁栄に酔っている」という方はごく限られた少数の方でございまして、本土でも五十歳以上の無名の庶民は、繁栄の思恵は知らずに、物価高のおもしにあえぐ日常生活でございます。片寄った扇動に興奮しないでいただきたいのです。せっかく戦いなしに返る沖繩で、同胞同士が流血騒ぎをしてまで返還を拒むお心がちょっと私にはわかりません。参議院は良識の殿堂でございます。何とぞ、党利党略、倒閣はあと回しにしていただいて、沖繩返還協定批准、関連法案成立に集中審議を尽くしていただきとうございます。せんだって、参議院は審議しても、もう衆議院で強行採決したから、むだだとおっしゃった方がいらっしゃいましたけれども関連法案は参議院でも衆議院と同じように審議していただくと聞いております。戦わずに実現させる沖繩にとって大切な、一番大事な急ぐ機会でございます。一たん調印済みの問題を、いまさら再交渉できようとは、国際通念としても考えられません。もし、言いたいほうだいの注文をつけて、返還がたな上げになったり、無期延期になっては、半永久的に沖繩が宙に浮いて泣き寝入りの後悔にもだえることになりますと思います。そのときに、野党のどなたかが責任を負ってくださいましょうか。  そして、まあ防衛問題で、自衛隊の移駐が反対理由になっていますが、全く無防備で手放しでは、どこから略取のうき目に合わないとも限りません。たとえば竹島——島根県でございますが、今日もう手も足も出ない実情のまんまになっております。また再び沖繩を無防備で他国の略取にまかせては、半永久的にどうなるかわかりません。それに、尖閣列島も、微妙なからみをにおわせてニュースに伝えられてまいります。安保条約の責任義務もございますし、自衛隊の最低限の防衛に沖繩守備は肝要でございます。もちろん、非核三原則——核は持ち込ませない、つくらない、持たない、その三原則ももう周知のとおりでございますが、できれば毒ガスもその三原則に含ませていただきたいということは、国民一致の願いと思います。  最後に、内閣不信任案を今度衆議院は近いうちにお出しになるとマスコミで承っておりますけれども、時間の浪費と思います。もう日にちも迫っておりますし、参議院の審議に、その内閣不信任案の時間の浪費の部分のその時間を審議に集中していただきたいと思います。対外問題での緊急時に倒閣などの思惑の道くさは、国民にとっては、政治家の意地ぎたなさにうんざりしているんでございます。超党派で、しばらく平静に考えてみてくださいませんか。  思えば、七年七ヵ月もの長期政権を佐藤首相にゆだねたのも、大きく見た場合、与野党の責任でございます。ひいては国民の責任であると申せましょう。だけど、この七年何ヵ月の年月の長期政権におまかせして、沖繩問題一つ実を結ばなかったら、あまりにもむなし過ぎる年月です。国にとっても、国民といたしましても、あと味の悪さはもうやりきれないものがあると思います。  最後に、佐藤総理いらっしゃいませんから、お伝え願います。  一時的に憎まれても、たたかれても、事を好む方々の口車の下をはい出してでも、今度の沖繩返還貫徹までは佐藤首相の政治信念と責任を果たしてくださいませ。参議院の良識の結果を期待申し上げて、私の意見を終わらせていただきます。  ありがとうございました。(拍手
  65. 安井謙

    委員長安井謙君) どうもありがとうございました。  以上で公述人各位の御意見の陳述は終わりました。     —————————————
  66. 安井謙

    委員長安井謙君) それではこれより公述人に対する質疑に入ります。  御質疑のおありの方は、順次御発言願います。
  67. 加藤シヅエ

    加藤シヅエ君 公述人皆さまには、お忙しいところをいろいろ御意見を述べていただきまして、ありがとうございました。  私思いますのに、公述人皆さまの御意見の中にもそうしたおことばが含まれておりましたのでございますが、この委員会公聴会というのを開くのが、審議がほとんど終わったころに、こういう会を開いて御意見を承るということは、これは委員長にも申し上げておきたいことでございますけれども、おんなじ伺うならもっと審議の最初にいろいろ伺うべきなんではないでございましょうか。大体結論がもう出てからこういう会を開いて、そして、何か出席もたいへん少なくて、ずいぶん与党の方もいらしていらっしゃらないようでございますが、これではお呼びした方に対しても、たいへんに失礼に当たることだと思います。伺うならもっと早くに伺って、それが十分にわれわれの審議の上に参考として反映するような、そうした計画でなければならないのではないか。これはかねがねそう思っておりましたが、今日、特にまたそのように感じたわけでございます。  それから、桑名さん、御婦人として、まあどういう背景をお持ちの方か、どういう御生活の方か御説明もございませんし、承っておらないのでよくわかりませんでございましたが、ぬかみそ夫人と御自分でおっしゃって……
  68. 桑名貞子

    公述人(桑名貞子君) 加藤先生の近くでございます。旗ノ台六丁目の二十の三、桑名貞子と申します。
  69. 加藤シヅエ

    加藤シヅエ君 家庭婦人としてここへ御自分から希望しておいでになって、こうした公開の席で発言するということは、あなたぐらいの御年輩の御女性としては、なかなかこれは勇気を要することなのでございます。いまおっしゃったことの中には、まあ公述としてはあまり適当でないようなおことばもずいぶんとあったかと思いますけれども、やはり家庭のすみからいろいろ今日の政治を考えている一人の婦人として、勇気を持ってここへおいでになったということに対しましては、私も敬意を表したいと思います。  けれども、さらに御勉強をなさいまして、やはり政治の裏にはいろいろと複雑な要素もございますので、まあ政治家がみんな意地きたないというふうにおっしゃっていただきましても、ちょっと困ると思うのでございます。さっきあなたは、世論とか、マスコミとかの傾向についてもたいへん御不満ということをおっしゃっていらしたのでございますが、そのマスコミとか、世論とかのことばの中にも、絶えず政治家に対する軽べつ的なことば、これが始終吐かれております。これは私ども政治家が、尊敬に値するような行動あるいは発言をいたさないために、そういうおことばを浴びせられるのでございますなら、私たちは十分にそれは反省をいたさなくてはならないと思いますけれども、口を開けば、政治家はうそつきであるとか、意地きたないとか、そういうような軽いことばで片づけられるというようなことは、これは私は決して適当なことではない、このことだけは気がつきましたので申し上げておきたいと思います。これは質問ではございません。  私は上原さんに伺いたいのでございます。  あなたの公述を伺っておりますと、何か、沖繩に生まれ、先祖代々沖繩にいらした方なんでございますね。
  70. 上原成信

    公述人(上原成信君) そうです。
  71. 加藤シヅエ

    加藤シヅエ君 そういう方の発言というのは、たいへんに珍しかったと思います。それであなたの御発言の中に、やまと民族と、それから沖繩に、まあ土着と申しますか、純粋な沖繩の人というところの違いというものにつきましてのいろいろのおことばがあったのでございます。純粋の沖繩の人としてのいろいろと悩みがおありになるということは、これは世界中にいろいろある少数民族というものの立場というと、少し大げさかもしれませんけれども、それにも類似したお立場かもしれなくて、そこにはたいへんにいろいろと精神的な御苦悩もあるんじゃないかと思いますが、現実の問題として、今日沖繩で、やまと民族から、昔からの沖繩方々が何か差別待遇を受けておるとか、そういうようなことが今日なおあるのでございましょうか。それを伺いたいと思います。
  72. 上原成信

    公述人(上原成信君) 私、先ほどちょっと申しましたけれども、二十何年かもうこちらに住んでおりまして、現在向こうでどういうことがあるということを具体的に申し上げることはできないのですけれども、ただ、沖繩というところがどんなところであり、われわれの先祖がどうであったかということを、私はこちらへ来て、それから本を読んで知りました。それ以前は、われわれの学校教育というものは、われわれの郷土である沖繩についてほとんど何も教えてくれませんで、ただわれわれは楠木正成であるとか、そういう話だけしか日本の歴史というものを知りませんでした。で、私が先ほど申し上げましたのは、何も沖繩人間が少数民族であるということを言いたいわけではありませんけれども沖繩という島の歴史的な経過ですね、これと日本との関係というものは、ややもすれば「ヤマトウンチュ」が「ウチナーンチュ」を支配するということになりがちでありますから、その点をこの協定審議される方々は十分に心にとめて、支配者にならないということ、そういうことを私はお願いしたかったわけであります。以上です。  それから、ちょっと私、先ほど急がされまして、非常に不明瞭になった点がありますので、申し上げます。  私はこの協定をなるべく成立させたくないと思いますので、これをどうすべきかということを一生懸命考えたわけです。その点では、参議院で皆さまが辞職をなされば、憲法の六十条ですか、六十一条で規定されている項目が死ぬんではなかろうかと、私自身にとってみれば、この問題はそれだけのことをやってもいいだけの価値のある大きな問題であると、私はそう考えまして、失礼をも顧みずあえて申し上げたわけです。以上です。
  73. 松下正寿

    ○松下正寿君 小山内公述人にお伺いしたいのですが、帰られましたか。——それじゃ、やめます。
  74. 玉置和郎

    ○玉置和郎君 自民党の玉置和郎でございます。  末次先生に御質問を申し上げます前に、ちょっと加藤先生の御発言の中で誤解を招いてはいかぬと思いますことが二つありますので申し上げます。  それは公聴会の問題でありますが、加藤先生は社会党の元老でございますので、こまかいことまではなかなかタッチをされておらないので、あるいはお知りおさなかったかと思います。われわれのほうは自民党の立場で、公聴会を早くやるべきだということを申し上げておったわけでございまして、これにはいろいろな事情これあり、今日まで延びてまいりましたわけでございまして、その点、公述人の皆さんに事情を御説明申し上げまして、おわびを申し上げたいと思います。  もう一つは、出席が少ないじゃないかということでありますが、これは午前中の公述人の皆さん方には、委員長からその理由を申し上げましたが、福岡で同時に開催をいたしておりますので、その方面にも出席をいたしております。それだけに、こういうふうなくしの歯の欠けたような状態になりまして、その点もおわびを申し上げてお許しをいただきたいと思います。  そこで、末次先生の先ほどからの御見解を承っておりまして、私個人のことを申し上げて恐縮ですが、末次先生とは、ずいぶん長い間の青年運動のつき合いでございます。末次先生がこの沖繩本土復帰の問題にからだを張って、ときには命がけでやってこられたこともよく承知をしておりますだけに、さすがいろいろな点におきましてりっぱな御見解をわれわれに聞かしていただきましたことを厚く御礼を申し上げます。  一つ、どうしても聞きたいことがあります。それは、もう末次先生御承知のとおり、私も数回沖繩に参りまして感じたことは、沖繩の経済構造であります。これは二十四万人の賃金労働者、その中で四万五千人というものがこれは基地労働者になっております。その家族を含め、さらに基地に関連をする事業、さらにまた第三次産業に参加をしております経営者、その従業員、これなんかを含めますと、これはもうたいへんな人数になるわけであります。それだけに、基地中心の経済構造、また第三次産業がたいへんに巨大化してきておりまして、いびつの経済構造であると、こう言われております。ことに、この沖繩の県民所得が本土と比べて約六割ぐらいであります。たいへんな格差がついております。それだけに、沖繩県民のほとんどが、本土復帰した場合に、われわれの経済的な生活が不安じゃないかという感じを持って日々を送っておると思うのです。われわれもいろいろなことを、本を読み、また現地に行って考え、私なりにいろいろ書いてもみましたが、なかなかそのきめ手になるようなものがありません。そこで、どうしたらいいか。短い時間でございますので、なかなか言い尽くせないと思いますが、これだけの見識を持っておる、しかも沖繩にも、アメリカにも、また日本政府にもかなり精通をしておられる先生でございますので、どうしたら沖繩がようなるのか、どうしたら生活不安がなくなるのかというあたりを、いわゆる政治家でない立場から、ひとつここでお漏らしをいただきたい、こう思うわけであります。
  75. 末次一郎

    公述人(末次一郎君) 私は経済問題は専門家でございませんので、いろいろ過分に評価していただいてお尋ねをいただきましたが、御満足のいただけるお答えができるかどうか案じつつ若干所見を申し述べます。  御説のように、沖繩に現在のきわめてアブノーマルな基地経済に依存しておる人々が非常に多いということも事実でありますし、それから基地によってかなりの部分が取られておる、そのことが沖繩の経済構造を狭めておるということもまた事実であります。しかし、そういう事実を出発点として、私たち沖繩の将来を考えていかなければならぬのでありまして、その意味でいま最も求められておるのは、少なくともこの中期五年ないし長期十年に及ぶ経済開発構想を早くまとめるということが何よりも私は必要だと思うのです。現在までのところ、たとえば琉球大学の経済研究所であるとか、沖繩経済開発研究所であるとか、その他、民間有志の手などによる構想は、ペーパープランとしては幾つか出ておりますが、なかなかこれが決定的なものとして定まる段階にきておりません。日本政府の場合でも、開発庁を設置して、しかる後にという、大まかにいえばまだその段階でございまして、したがって私はまず第一に、この計画構想を衆知を集めて早く固めるということが、何よりも大事だと思うのです。  それから第二には、その場合に沖繩が持っておる立地条件から考えますと、一部に言われてまいりましたような、農業が基幹産業としての役割りを果たし得るかという点では、私は悲観的でございまして、もちろん、パイン、砂糖などをやはり依然として基幹産業の中に位置づけねばならないことは事実でございますけれども土地の狭隘性、生産性の低さ、そういったことから、どうしても保護産業の域から出れないと思うんであります。したがって、その保護の手を加えながらも農業を守り育てていくということは当然でありますが、やはり将来の沖繩考えますと、私は一つは、沖繩の持っておる地理的条件を生かして、全く新しい観点からの沖繩経済の方向づけを考えるべきではないか。第二は、やはり観光開発に思い切った力を投入して、新しい沖繩の将来像を描くべきではないだろうかと、こう思うんです。第一のポイントというのは、私はやっぱり沖繩の占めておる立地条件の最たる特殊性は、本土と東南アジア地域との半ばに位置しておるという地理的条件だと思うんです。そこで、そこから日本の将来果たすべきアジアへの役割りなどをも勘案しながら、経済構造上の沖繩の位置づけというのが出てくるわけであります。当然のこととして、現地の産業育成だけでは十分でございませんので、本土の企業の進出というものが重要なファクターになる。それには本土政府が、思い切った基盤造成のための財政投資などを含む強力な支援の手を差し伸べねばならないということと同時に、私はやっぱり本土沖繩を含めて、もっとやっぱりみんなが冷静に現実を見るような姿勢が整ってまいりませんと、企業の進出というのがなかなか困難だというふうに考えるんです。現に、一部計画されていた松下の進出にしても、そのほかアルミ五社が計画いたしました「沖繩アルミ」にいたしましても、ちゅうちょしている理由は、ドル・ショックなどの経済的背景もございましょうけれども、やはり現地の——要素は異なるところにあるにしても、デモなどに表現される不安感というものが、やはり企業の進出をはばんでおるということはいなめない事実だと思うんです。もちろん、公害問題などについては、峻厳なる対策を要求すべきでありますけれども、私がもしやはり企業経営者の立場だとするなら、いまの空気の中では、思い立とうとしてもなかなか思い立てなくなるのではないかと思うわけでして、そういう意味では、やや抽象的でありますけれども、早く気持ちの上で、もっと冷静にかつ現実を見つめて将来に向かって対処していくという気風といいましょうか、そういう空気をつくり出すということが、企業の進出という観点から見ても、また将来の経済構想の骨格づくりという観点から見ても必要じゃないだろうか。いまのままでまいりますと、とにかく甲という論が出ると、これを駁論する乙が出て、それに対する丙が出て、そして一向に定まるところなく論議が空転を続けていくというような状態ではないだろうか。琉球政府の姿勢も、ある意味でそういう点があって、これはまあ琉球政府としては、当面の山積する業務の消化だけでもたいへんでありますから、そこまで手が伸びないといえばそれまででありますけれども、どうもこれまでの経過を見ておりますと、本土側からある案が出ますというと、これに対する批判は非常に多いが、建設的にこうしようという提案は、もうかなり時期おくれの段階になって出てくるというようなことをこれまで繰り返してきたように思うんです。ですから、私はこの時期に、先ほど申し上げましたように、返還日の予定をなるべく早くきめる一方、返還後のそうした問題に対する取り組みを、本土側と沖繩側とが、この際さまざまな経過を超越しながら、やっぱり五年ないし十年の中期、長期計画に思い切って取り組んで合意をし、その方向をやっぱり県民に向かって浸透させる。私の考えでは、基本的には、沖繩の自然的条件を踏まえて基幹産業としての農業を育成保護しながら、他方、やはり長期的に見ると、アジアとの経済圏内における沖繩の位置づけというものを考えつつ、総合的な企業配置計画を立てていく。他方、やはり観光開発に思い切った力を入れてやっていく。現に海洋博の問題をめぐって、沖繩ではすでに誘致合戦が地域的に行なわれておるように私どもの耳にも入りますが、私は沖繩の将来を考えますと、沖繩の全域に会場配置をして、ここで思い切った基盤整備をやっていく。道路をつくったり、橋をつくったり、そういう思い切った雄大な計画で取り組まないと、小さな地域的利害でこの誘致合戦を繰り返していく、そして政治的さいはいで事がきめられていくというような次元の低いことにとどまると、おっしゃるような将来展望が失われていくことになることをおそれるわけです。  ただ、そういうことを一方で考えましても、いま御指摘のような基地労務者の離転職の問題、それから婦人関係でいえば、さっそく売春法の一部適用が行なわれておりますが、今度は全面適用になります。それからAサイン業者がみんなやめる。若いんです。私はまあ青少年問題を取り扱っておりますが、この十八から二十を出たぐらいの婦女子の育成指導を一体どうするかというような当面的課題がたくさんあるわけでありまして、一方では、そういう問題に対しても、われわれ団体の分野でも取り組みを始めてはおりますけれども、国としても思い切った施策を進めていただかないと、大きな構想もさることながら、当面の不安を解消することができないだろうと。しろうとでありますから、十分お答えになっておりませんけれども、私の意見を申し上げました。
  76. 星野力

    ○星野力君 曾村教授と長谷川教授と、お二人にお尋ねいたしたいんです。  曾村教授は国際情勢の御説明の中で、ソ連のアグレッシブな態度、あるいは世界に主権国家がふえてナショナリズムが高まってきておるというふうなことや、国連の平和維持機能は必ずしも期待できないというようなお話がございましたが、この全体の論旨としましては、現実の脅威が増大しておる、だからアジア戦略のかなめとしての沖繩基地が必要であるし、自衛隊も配備を急がなければならない、日米共同の防衛体制を強化していかなきゃならぬ、こういうふうにも受け取れましたが、この点、よろしいのかどうですか。  それから長谷川教授には、先ほど来いろいろお話もございましたが、第二次世界大戦中における悲痛な体験などから、沖繩の人たち自衛隊配備に対する気持ちには、場合によっては、米軍よりもこのほうに対して恐怖や憎しみを感じておる、そこからくる反対というのが非常に強いわけでありますが、私はまあ沖繩へ外部からの脅威が差し迫ってあるというわけでもないと思いますが、それなのになぜ今度のこの措置のような方向で自衛隊の配備が急がれるのかと感じておりますが、自衛隊の存在そのものが憲法立場からいろいろ問題があるわけでございますけれども、御専門の立場から、この沖繩への自衛隊配備について御意見があったらお聞かせ願いたい、こういうことでございます。
  77. 安井謙

    委員長安井謙君) 曾村さん、お先にお願いします。
  78. 曾村保信

    公述人(曾村保信君) お答え申し上げます。  御質問の中で、半ばは、まあそのつもりであります。半ばは、まあ対策のほうはちょっと違うかと思います。先ほどの、ソ連の軍事政策がアグレッシブになってきておると、それから国連の平和維持の機能が衰退しておると、この点は私まあおっしゃったとおりの意見でありますが、それに対して日米共同防衛体制を強化するということになりますと、ちょっとこれは——まあその前提となる考えを申し上げないと、すぐにお答えできないかと思います。  この自衛隊の配備ということに関しましても、私、必ずしも自衛隊の現状を肯定しておるわけではございませんので、言うなれば、私のほんとうの気持ちは、沖繩返還ということによって、いわば日本の防衛最前線になる、ことに南のほうの最前線になるという意味で、在来の憲法、あるいは自衛隊法というようなものの基本的再検討ということまで話が進まなければならないのかと、腹の底では考えておるわけであります。先ほど、米軍基地の存在が日本国憲法違反であるというようなお説もありましたですけれども、私は、日本国憲法というものそのもの自体が、日本の主権が占領下において管理されている状態においてできたもので、そういう意味も含まして、国民全体としてこの問題は一応再検討を要するというように考えておるわけであります。  それから、先ほども申し上げましたように、現在西側は——これはまあアメリカ、NATO、それからそれに遠巻きで関連しておる日本も入るわけでありますが——守勢の状態になっておる。で、たとえ、われわれが日米安全保障条約によってアメリカ日本の防衛について大きな責任を期待しても、それはいろいろできない点があると思うわけであります。そこにさらに追い打ちをかけるというような姿勢が、はたしてわれわれの成熟した判断において行なわるべきことであるかどうかという点に非常に疑問を持つわけであります。私、先ほど、通商破壊戦あるいは海上交通破壊戦ということばを、ちょっとテクニカル・タームとして使いましたけれども、これは必ずしも、第二次大戦で行なわれたような、潜水艦隊を使って、駆使して、敵の商船隊を沈めるというような、単にそういう狭義の意味だけにとられても困るわけでありまして、それも一応ソ連の戦術テキスト・ブックに入っておる以上は、当然そういう考えというものがあるものと考えなければならないと思いますが、現在行なわれておる通貨戦争とか、あるいはまあ何々経済戦争とかいわれるようなもの、あるいはソ連のいろいろな、在来ある海運同盟への運賃割り引きによる割り込み工作とか、いろいろな意味で、最近、相手の経済を破壊する、あるいは破壊までいかなくても、それにいろいろ妨害をする、あるいは相手の経済を間接的な手段によって、いわば封鎖的な方法で相手の経済に打撃を与えるというようなこと、これは必ずしも共産側対資本主義国というような単純な問題ではないわけです。いわゆる資本主義国の内部においても日本に対する風当たりというものは非常に強いわけであります。ただ、われわれが、先ほど申しましたような米ソの戦略バランスというものはだんだん逆転しつつある、さらにそれに追い打ちをかけるような形で戦略のバランスをくずしていくということは、これは危険を助長するようなことでありまして、そういうことは、相当これは根本から考えなければいけないというふうに思うわけであります。  まあ、現在の自衛隊法とか、憲法とか、いろいろな国内法規の関連におきまして、私は、日米共同作戦とか、あるいは軍事行動というようなことはなかなかできないような、できにくいような状態にでき上がっておると思います。したがって、安保条約の変質とか、あるいは日米の軍事的な結びつきを恒久化すると、そういうような批判に対しては、私は必ずしも賛成できないわけであります。  お答えになっているかどうか——ちょっと足りないかもしれませんが、もしさらに御質問がございましたら、補足さしていただきたいと思います。
  79. 安井謙

    委員長安井謙君) ありがとうございました。  長谷川さん。
  80. 長谷川正安

    公述人長谷川正安君) 沖繩方々自衛隊についてどういうふうに考えているのか、またその理由という御質問の趣旨だったかと思いますが、私は直接沖繩へ参ったことございませんから、ほかの公述人の方のように体験談はできませんけれども、私ここに持っていますのは、琉球政府の名前でこれは屋良主席が、第一人称で書かれているものですけれども日本政府に提示した「復帰措置に関する建議書」というのがございます。これは屋良主席が、沖繩で民主的な選挙で多数を得て当選された方であり、また私は、ここに書かれていることが沖繩の県民の大多数の意見を代表するものではないかというふうに、この建議書を読んで非常に強く感じたわけです。ところが、この建議書の中で、何が一番先に書かれているかというと、一般的なことが冒頭に書かれておりますけれども、具体的な問題が直ちに始まって、「沖繩基地自衛隊配備問題について」というのがまっ先に書かれておる。なぜ、私はこういうことがまっ先に書かれているのかと思って、この中を読んだり、またほかのいろいろな資料を見てみましたが、こういうことではないかというふうに私は考えています。  それは、沖繩は、先ほど私が述べましたように、いままで軍隊というものの存在によって非常にひどい経験を経ている。しかし、アメリカ軍が駐留している場合には、われわれも占領中に若干そういう経験もありますけれども、外国の軍隊ならばいつかは帰るであろう、あるいはそれとけんかをしてでも帰ってもらえるという、そういう気持ちがあるだろうと思うんです。ところが、米軍が幾らか帰ったそのあとに、数千の自衛隊が何よりもまっ先に、ほかの公述人の方のお話にもありましたけれども、まず具体的にきまったことが、自衛隊の数まできまってそれが進駐してくるとなりますと、これは「ヤマトウンチュ」かもわかりませんけれども日本人ですから、来た以上はもう帰る当てというものはほとんどない。要するに、いままでは暫定的に——とまく米軍支配は暫定的なものでした、国際法上。しかし、日本の軍隊がやってきたらもうこれでおしまいだという、そういうせっかく——いままで軍隊によって戦争の苦しみを味わってきたものが、これからやっと返還協定を結んで平和な緑の沖繩にしようというときに、まずやってくるのが数千の軍隊であるということ、これは沖繩県民の感情からいって納得できないのはあたりまえじゃないかというふうに私は感じます。  それから、そういう感情的な問題と、もっと実利的な問題があるので、この建議書でもってなぜ自衛隊の配備問題をまっ先に出したかといいますと、これは、沖繩における公用地等の暫定使用に関する法律案という、いわゆる関連法案一つでありますが、これを沖繩の人たちは、米軍基地を残すための法律であるというふうにだけ考えているのではなくて、まさにこれは——ここにも書いてありますが、建議書の二七ページに「この法案は、米軍基地の維持、存続に加えて、新たに自衛隊の配備を予定し、これを可能ならしめようとすることが目的になっています」というふうに、そういうふうに理解しているわけです。そうだとしますと、本土では、軍事目的でもって土地の収用なんというものは戦後できなくなったにもかかわらず、沖繩では、米軍基地を残すということに加えて、自衛隊に利用させるために本土ではできないような法的な措置をつくる、軍事目的のために土地の収用ができるような事態をつくり上げる、そうすれば必ずこの次には、沖繩でやったことがなぜ本土でできないのか——沖繩本土が一体化するということですから、沖繩でそういうやり方をしておいて、今度は本土土地収用法を改悪するなり何かして、沖繩でやったことが本土でできない理由はなくなってしまうわけです。すなわち、よく世間でいわれているように、沖繩本土並みになるんじゃなくて、本土沖繩並みになる危険性というものが多分に私は出てくると思います。  そういう二つの理由から、いま自衛隊返還実現した直後に沖繩に大挙出かけていくということは、沖繩の県民の感情が許さないだけではなくて、沖繩の県民の土地が奪われるという問題、いま以上に土地が奪われるという問題があるし、また、それは沖繩だけじゃなくて、それが成功すれば、今度は本土——いま恵庭でも基地をめぐって土地の問題が北海道で争われていますけれども、それと同じことが沖繩基地をめぐって、私は自衛隊基地の周辺で起こってくる可能性が非常に多いと思うんです。ですから、そういう意味では、私は、日本政府がどれだけこの建議書を読んでいるのか知りませんけれども、この建議書の内容に書かれていることを参議院の諸公も十分読んで、沖繩の県民、また沖繩県民の代表がどういう法律的な考え方をしているかということも参考にしていただきたいと思います。
  81. 安井謙

    委員長安井謙君) どうもありがとうございました。  大体この程度で質疑を終わりたいと思います。  最後にちょっと、加藤さんの御発言につきまして、玉置さんからもお触れになりましたが、公聴会がいままで各委員会の慣例上、質問が一通り終わった段階でやるという慣例になっております。はたしてそれがいいことかどうかということにつきましては、ひとつ御提案を十分関係機関にもはかるようにお取り次ぎをしたいと思います。  それから、これもお話がありましたが、きょう、たいへん委員の数が少なくて申しわけないのです。ことに公述人の方に申しわけありませんが、この点は、きょう同時に福岡でもやっておりまして、人数をそちらへさいておる関係もありましてこういうことになりました点を御了承いただきたいと思います。  たいへん貴重なお時間を公述人の方おさきをいただきまして、非常に貴重な御意見を拝聴しましたことを心からお礼を申し上げまして、公聴会を終わります。  ありがとうございました。(拍手)    午後三時三十二分散会