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1971-12-23 第67回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十六年十二月二十三日(木曜日)    午後二時十五分開会     —————————————    委員異動  十二月二十一日     辞任         補欠選任      藤原 房雄君     内田 善利君  十二月二十二日     辞任         補欠選任      田中寿美子君     須原 昭二君  十二月二十三日     辞任         補欠選任      須原 昭二君     田中寿美子君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         長谷川 仁君     理 事                 鬼丸 勝之君                 楠  正俊君                 剱木 亨弘君                 丸茂 重貞君                 松井  誠君                 森中 守義君                 矢追 秀彦君                 高山 恒雄君                 岩間 正男君     委 員                 稲嶺 一郎君                 今泉 正二君                 長田 裕二君                 梶木 又三君                 片山 正英君                 柴立 芳文君                 鈴木 省吾君                 園田 清充君                 西村 尚治君                 初村瀧一郎君                 宮崎 正雄君                 山内 一郎君                 若林 正武君                 占部 秀男君                 川村 清一君                 田中寿美子君                 田中  一君                 宮之原貞光君                 森  勝治君                 内田 善利君                 栗林 卓司君                 喜屋武眞榮君    事務局側        常任委員会専門        員        竹森 秋夫君        常任委員会専門        員        中島  博君     —————————————   本日の会議に付した案件派遣委員報告沖繩派遣議員団報告連合審査会に関する件     —————————————
  2. 長谷川仁

    委員長長谷川仁君) ただいまから沖繩及び北方問題に関する特別委員会開会いたします。  まず、委員異動につきまして御報告いたします。  去る二十一日、藤原房雄君が委員辞任され、その補欠として内田善利君が選任されました。     —————————————
  3. 長谷川仁

    委員長長谷川仁君) この際、沖繩復帰に伴う特別措置に関する法律案沖繩復帰に伴う関係法令改廃に関する法律案沖繩振興開発特別措置法案沖繩における公用地等暫定使用に関する法律案国家公務員法第十三条第五項および地方自治法第百五十六条第六項の規定に基づき、人事院地方事務所設置に関し承認を求めるの件、沖繩平和開発基本法案沖繩における雇用促進に関する特別措置法案、以上七案件審査に資するため去る二十二日名古屋市に委員派遣を行ない意見を聴取いたしましたので、派遣委員から報告を聴取いたします。剱木亨弘君。
  4. 剱木亨弘

    剱木亨弘君 名古屋における委員派遣について御報告いたします。  沖繩復帰に伴う関係国内議案審査に資するため、十二月二十二日、私ほか本特別委員会委員十八名が名古屋市に派遣され、安江洋君以下八名の方々意見を聴取してまいりました。  沖繩復帰に伴う関係国内法案等について、愛知でいごの会副会長安江洋君、大阪外国語大学金子二郎君、愛知同盟会長朝見清道君、弁護士安藤巌君からは、それぞれ反対立場から意見が述べられました。また、愛知幡豆町長小田悦雄君、愛知社会福祉協議会会長石黒幸市君、元教員戸田正子君、小牧市議会議長栗木栄三君からは、それぞれ賛成立場から意見が開陳されました。  次いで、派遣委員から各陳述人に対し熱心な質疑が行なわれました。  陳述人意見及び質疑応答の詳細については、別途文書報告書を提出いたしますので、これを本特別委員会会議録に御掲載くださるよう、委員長にお願いいたします。  今回の委員派遣にあたり、御協力いただいた意見陳述人並び関係者各位に対し、心から感謝して、簡単でありますが、御報告いたします。
  5. 長谷川仁

    委員長長谷川仁君) ただいま御報告がございましたが、別途詳細にわたる報告書が提出されることになっておりますので、これを本日の会議録末尾に掲載することに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  6. 長谷川仁

    委員長長谷川仁君) 御異議ないと認め、さよう取り計らいます。     —————————————
  7. 長谷川仁

    委員長長谷川仁君) なお、本委員会に付託されております七案件並びに沖繩返還協定審査に資するため、沖繩議員派遣が行なわれ、一昨二十一日意見を聴取いたしましたので、その結果につきまして、近く参議院沖繩派遣議員団報告書として議長に提出される運びとなっておりますが、本委員会におきましても報告を聴取することにいたします。松井誠君。
  8. 松井誠

    松井誠君 沖繩派遣について御報告いたします。  本特別委員会委員十名並びに沖繩返還協定特別委員会委員十名からなる二十名の議員団は、沖繩返還協定特別委員会安井委員長団長とし、本特別委員会松井理事を副団長といたしまして、沖繩返還協定並びに沖繩復帰に伴う関係国内議案審査に資するため、十二月二十日から二日間の日程をもって参議院から沖繩に派遣されました。なお、稲嶺喜屋武議員現地参加をされました。  一行は、十二月二十日午後七時羽田発日航機那覇におもむき、翌二十一日午前十時より琉球政府立法院において人名の意見陳述人から意見を聴取いたしました。  すなわち、沖繩返還協定並びに関連国内法案について平良那覇市長知念嘉手納村議会議員仲田沖繩同盟会長及び芳沢弁護士からそれぞれ反対立場からの意見が、また久貝琉球更生保護委員村山嘉手納議会議長宮国公認会計士及び沖繩子供を守る父母の会の小嶺会長から、それぞれ賛成立場からの意見が述べられ、次いで議員団とこれら意見陳述人との間に熱心な質疑応答が行なわれました。  かくして、午後四時過ぎ閉会し、記者会見の後、午後五時三十分那覇発日航機で帰京した次第であります。  詳細は別途文書をもって議長報告いたしますので、これを本特別委員会会議録に御掲載くださるよう、委員長においてお取り計らいを願いたいと存じます。  以上、とりあえず口頭で御報告いたします。
  9. 長谷川仁

    委員長長谷川仁君) 以上で報告は終わりました。  次に、おはかりいたします。  議長に提出される運びとなっております参議院沖繩派遣議員団報告書の写しを、本日の会議録末尾に掲載することに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  10. 長谷川仁

    委員長長谷川仁君) 御異議ないと認め、さよう取り計らうことといたします。     —————————————
  11. 長谷川仁

    委員長長谷川仁君) 次に、連合審査会に関する件について、おはかりいたします。  沖繩復帰に伴う特別措置に関する法律案沖繩復帰に伴う関係法令改廃に関する法律案沖繩振興開発特別措置法案沖繩における公用地等暫定使用に関する法律案国家公務員法第十三条第五項および地方自治法第百五十六条第六項の規定に基づき、人事院地方事務所設置に関し承認を求めるの件、沖繩平和開発基本法案沖繩における雇用促進に関する特別措置法案、以上の各案件について、逓信委員会及び建設委員会からの連合審査会開会の申し入れを受諾することに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  12. 長谷川仁

    委員長長谷川仁君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  なお、連合審査会開会の日時につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じます。御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  13. 長谷川仁

    委員長長谷川仁君) 御異議ないものと認め、さよう取り計らいたいと思います。  本日はこれにて散会いたします。    午後二時二十三分散会      ——————————    名古屋公聴会速記録 昭和四六年十二月二十二日(水曜日) 場所 名古屋市 ニュー名古屋    出席者は左のとおり。     派遣委員      団 長   理事   剱木 亨弘君      副団長        川村 清一君            理事   鬼丸 勝之君                 今泉 正二君                 片山 正英君                 古賀雷四郎君                 竹内 藤男君                 西村 尚治君                 初村瀧一郎君                 宮崎 正雄君                 若林 正武君                 大橋 和孝君                 須原 昭二君                 村田 秀三君                 森  勝治君                 上林繁次郎君                 原田  立君                 栗林 卓司君                 渡辺  武君    公述人         愛知でいごの会         副会長     安江  洋君         愛知幡豆町長 小田 悦雄君         大阪外国語大学         名誉教授    命子 二郎君         愛知社会福祉         協議会会長   石黒 幸市君         愛知同盟会長  朝見 清道君         元  教  員 戸田 正子君         弁  護  士 安藤  巌君         小牧市議会副議         長       栗木 栄三君     —————————————   〔午前十時二分開会
  14. 剱木亨弘

    団長剱木亨弘君) ただいまから参議院沖繩及び北方問題に関する特別委員会名古屋公聴会開会いたします。  私、派遣委員団団長で、本日の会議を司会いたします剱木亨弘でございます。よろしくお願い申し上げます。  参議院沖繩及び北方問題に関する特別委員会におきましては、目下、沖繩復帰に伴う特別措置に関する法律案沖繩復帰に伴う関係法令改廃に関する法律案沖繩振興開発特別措置法案沖繩における公用地等暫定使用に関する法律案国家公務員法第十三条第五項および地方自治法第百五十六条第六項の規定に基づき、人事院地方事務所設置に関し承認を求めるの件、沖繩平和開発基本法案及び沖繩における雇用促進に関する特別措置法案、以上七案件審査中でございますが、これらの案件につき御当地方々から御意見を承るため名古屋公聴会を開催いたすことになりました。  この際、御出席公聴人方々にごあいさつ申し上げます。  これら七案件につきましては、慎重に審査を進めてきておりますが、本日は、本問題に関心を有しておられる方々あるいは学識経験者方々の御出席を願い、それぞれの立場から率直な御意見を伺いたいと存じ当地に参上いたしましたところ、本日は、御多用中にもかかわらず、御出席をいただきありがとうございます。委員一同にかわって厚くお礼を申し上げます。  また、本日の開催にあたり一方ならぬ御配慮をいただきました関係各位に対し厚くお礼を申し上げます。  次に、御意見を承ります前に、われわれ委員を御紹介申し上げます。  副団長川村清一君、鬼丸勝之君、今泉正二君、片山正英君、古賀雷四郎君、竹内藤男君、西村尚治君、初村瀧一郎君、宮崎正雄君、若林正武君、大橋和孝君、須原昭二君、村田秀三君、森勝治君、上林繁次郎君、原田立君、栗林卓司君、渡辺武君、以上でございます。  次に、本日の午前中御意見を承ります公述人方々を御紹介申し上げます。  愛知でいごの会副会長安江洋君、愛知幡豆町長小田悦雄君、大阪外国語大学名誉教授金子二郎君、愛知社会福祉協議会会長石黒幸市君。  次に、会議の進め方につきまして申し上げます。本日の公述人方々は八名でございますので、午前中四名の方の御意見を、午後は残りの四名の方の御意見をそれぞれ承ることといたします。  御意見を承る問題は、先ほども申し上げましたとおり、沖繩復帰に伴う特別措置に関する法律案外六案件についてであります。  すでに、それぞれの内容は御承知と存じます。どうか、この機会に忌憚のない御意見をお述べくださるようお願い申し上げます。時間の関係上、御開陳の時間は、お一人当たり十五分以内といたしますので、よろしくお願いいたします。  それから、御意見を承りましたあとで、委員から御質問を申し上げることといたしておりますので、その折には、なるべく簡明にお答えをお願い申し上げます。  なお、本日の会議の趣旨は、皆さま方から御意見を拝聴いたすことにありますので、私どもに対する御質問は恐縮ながら御遠慮願いたいと存じますので、あらかじめ御了承願っておきます。  また、円滑に会議を進めてまいりたいと存じますので、発言をなさる方は座長の許可を得てからお願いいたします。  傍聴人方々におかれましても静粛にして会議の進行に御協力くださいますようお願いいたします。  なお、午前の会議終了予定は午後零時十分としておりますので御了承をお願いいたします。  それでは、これより順次公述人の方より御意見を承ります。発言は私から順次指名させていただきます。まず、安江公述人にお願いいたします。
  15. 安江洋

    公述人安江洋君) ただいま御紹介にあずかりました安江洋でございます。  私は、父が内地沖繩県の校長として赴任いたしました関係上、沖繩に生まれ、沖繩に学び、沖繩に育った関係上、故郷は沖繩であります。沖繩をはだで感じ、本土のいろんな問題を、私としては専門家でも何でもないけれども、この法案に対して率直な意見を述べたいと思います。  戦後二十六年余にわたる沖繩県民の血の叫びは、むざんに、十一月十七日午後三時十五分に、国会の中で圧殺されてしまいました。しかし、沖繩が返ってくるのは当然であって、むしろ不法不当に占領していたアメリカが追及され、それに追随した歴代自民党政府が間違っていたのではないでしょうか。すなわち、今日の沖繩が始まったのは、昭和二十六年のサンフランシスコ講和条約によって、日本から切り離されてしまったのであります。当時の日本政府は、日本独立国として初めから沖繩を切り離してもやむを得ないと、国民を押えつけ、アメリカに渡してしまったのであります。この講和条約によるアメリカ沖繩支配は、ポツダム宣言カイロ宣言並び国連憲章にも違反し、各方面から強く指摘されてまいりました。そのようなことは、アメリカが今日まで沖繩県民にあらゆる犠牲と屈辱をしいてまいりました。また、日本政府もこれを傍観しておったのであります。  この間、沖繩県民物心両面の苦痛は筆舌に絶するものがあるのであります。米軍極東戦略体制機能を維持するために、土地を一方的に奪い、もとよりあらゆる策略兵器を保存し、婦女子は暴行されて殺されても無罪放免飲料水米軍優先のため、県民は水不足に襲われ、井戸水は基地からの油のたれ流しが原因で恐怖のどん底に陥れられたのであります。数えあげれば切りがありません。不当不法行為が繰り返されてきました。  しかしながら、労働者を中心とする、勤労県民の代表はいっこうにくじけず、不当な軍事支配に対決して、県民の幸福と命を守り、基本的な人権の回復と、民主的平和を求めてひたすら即時全面返還を柱に、祖国復帰戦いを進めてまいったのであります。アメリカは、復帰戦い沖繩支配の行き詰まりを生じて、やむを得ず沖繩返還に踏み切らなくてはならなくなりました。  今日、政府は、話し合いによって返ってくることは歴史上にないことだと、たいへんな評価をしておりますが、実は、県民の苦難に満ちた戦い世論を許さなくなったのであります。むしろいままで沖繩返還をないがしろにした日本政府としては恥ずべき行為だといわなければなりません。それをさらに悪い条件沖繩協定を結ぼうとする政府のあせりが、問答無用強行採決という形になってあらわれました今日の沖繩協定ほど危険で、屈辱的で、ごまかしであることは言うまでもありません。  これは核の問題であり、政府核抜きというが、その根拠は協定のどこにも見当りません。明記されておりません。同国を信用するだけといっています。一方的であります。本土にすら核が隠されていたということに対して、簡単に信用せよと言われても、信用することがおかしいのではないでしょうか。財政支出の中に核の撤去費が含まれていることは、政府自身沖繩に核のあることを認めることであり、したがって、核兵器の撤去は明記して、沖繩県民をはじめ全国民の不安を解消すべきであります。  さらに、基地の問題については、全く本土並みにはほど遠く、返還後も何も変わりないことを物語っています。沖繩米軍基地は、沖繩総面積の約一七%を占めております。本土ですら〇・三三%であるのに、いかに沖繩基地の島であるか、はっきりとしております。特に人間が住みやすい条件にある沖繩本島の中部の村におきましては、半分以上は基地に奪われております。このように米軍基地が圧倒的にある中で、復帰時には百十数カ所を、基地はわずか二十一カ所であると言い、あまりにも少ないので、一部返還を含めて三十四カ所であると訂正しております。しかしながら、この三十四カ所の返還が全くの不当な数であります。たとえば不用の閉鎖中の基地本土並みではないことを恐れた政府の苦肉の策の世論操作としか考えられません。以上のように譲ったといたしましても、政府の言う核抜き本土並みですからごまかしであります。このような状態沖繩県民本土の人々を納得させようとすることがおかしいのであります。このように政府の進める沖繩返還協定が、多くの欺瞞性を含んでおるから徹底的に国会審議を通じて、徹底的に国民の前に明らかにすべきなのに強行採決で葬ったのであります。また、特殊部隊の存続、那覇空港の完全返還、自衛隊の肩がわり、悪名高いVOA放送米国資産有償返還日本政府支出、対米請求権放棄等、これら協定上の内容は、沖繩県民が二十六年間叫び続けてきた要求とは大きくかけ離れております。対米追従の何ものでもないことを物語っております。  このように大きな矛盾を持った協定の上に、さらに、それに伴う国内法案がまたたいへんな内容を含んでおります。その代表的なのは、沖繩における公用地等暫定使用に関する法律案であります。いわゆる軍用地強制使用案といっても過言ではないでしょう。何と言いましても、安保体制を維持するため、沖繩軍事基地復帰後も維持固定化するために、絶対に必要な前提条件となる。アメリカ上院ですら、法案が成立しない場合には批准をストップするか、批准しても批准書は交換しないと伝えられていることであります。これほど重要性を持っております。それゆえに、いかに悪法かということは言うまでもありません。  すなわち沖繩日本復帰すれば当然日本憲法上のもとにおかれるのが、ほんとう土地収用法の手続きすらなく、米軍基地に適用される特別措置法の一時使用の六カ月に比べても、従来の五年という暫定使用になっております。つまり法的な保障を何ら受けずに沖繩県民土地が一方的に強奪されようとしております。このことは、憲法第十四条、法のもとに平等に違反しております。また憲法第三十二条は、裁判を受ける権利を規定しておりますが、この法案が成立すれば、いきなり土地を取り上げてしまうのだから、不服の申し立てや、裁判で争うことができないのであります。さらに二十九条、三十二条の財産権を侵す。法律的にいえば、公共の目的のために私権が制限されるときは、適法の手続が必要だ。だがそれを抜きにして沖繩県民財産である土地を取り上げてしまうことになります。  このように憲法違反が指摘されながらも、政府の態度は明確に答えておりません。教育の問題でも、教育権国民にあるため、あたかも文部省にあるがごとき強権によって、教育委員自主性を奪おうとしております。すなわち本土任命制だから、沖繩祖国復帰すれば、当然本土と同じ取り扱いになるのだと言わんばかりであります。本土の間違いに何ら省みることなく、政府にとって都合のよいことだけは、本土並みになるという全くえてかって、身がってな行為が平気でまかり通っているように思います。  特に最近に至っては、身近な問題で沖繩県民の不安をより一そう高めているのは通貨の問題であります。戦後世界支配の野望のもとにアメリカ帝国主義は、ドルをむちゃくちゃにまき散らした結果、ドルによる通貨体制がものの見事にくずれてしまい、そのあおりをもろにかぶったのが沖繩県民であることは、申し上げるまでもありません。ドルの切り下げによる差損補償について、はたして十分だと言えましょうか。全くお先まっ暗と言っても過言ではありません。  このような沖繩返還が、沖繩協定並びに国連法案は、沖繩県民をさらに不安に落し入れ、米軍基地機能を維持し、新たにアジアに緊張をもたらすものであります。中国国連復帰によって世界の流れは大きく変わっております。アメリカですらニクソン大統領みずから中国訪問をするという情勢の中で、依然として沖繩アジアを抑圧するために存続させようとすがりついているものが政府ではないでしょうか。私は、アジアの平和は決して軍事力で保てるものではない。即時沖繩軍事基地をなくし、中国敵視沖繩県民の不安を一掃するためにも、沖繩協定をやり直す必要があると思います。今日悲しいかな私たち沖繩協定反対叫びに、それでは沖繩は返らなくてもいいのかという全くひねくれた言い方をする人たちが、ほんの一部にあります。このような人たち沖繩返還とは、地図の色を赤にするだけで、核は残し、毒ガスは残し、基地を存続させて、県民土地は取られたまま、財産権も没収されたままの状態で進めようとするものであります。私たちは、沖繩返還とは、施政権が返ればいいというものではなく、沖繩県民人権が回復され、土地が元どおりに返り、生活の不安も一掃され、軍事基地も一切撤去されて、平和で豊かな島として帰ることを言っているのであります。それは第二次大戦で本土の防波堤となって、非戦闘員を含めて二十万人近い同胞を失い、世界に類例のない戦災をこうむり、さらにその後二十年間米軍支配下のもとに不当不法に差別されてきたことを思えば、当然のことと思います。今日の本土の繁栄も、すべて沖繩犠牲の上に築かれたといっても過言ではないでしょう。この私たちの主張に対して、一部の人たちは、相手もあることだし、こちらの言うことばかりを相手にのませようとしても、話し合いは成立しないと言っております。はたしてそうでしょうか。おそらく現総理では無理ではないでしょうか。三木さんか、あるいは成田さんだったら、あるいはりっぱに沖繩返還をするのじゃないかと確信しております。戦後四分の一世紀を過ぎて、やっと沖繩が帰ってくるという中で、日本の将来に再度禍根を残してはなりません。そのためにも沖繩返還は、若干おくれがあったにせよ、すっきりとしてほんとうに実のある返還にするために、沖繩の心を心として受けとめ、政府はいまからでもおそくはありませんから、十分反省し、沖繩協定をやり直すべきだと思います。このことは世界の孤児にならず、日本軍国主義と外国からの批判をぬぐい去ることだろうと思います。  簡単でありますが、これで終わります。
  16. 剱木亨弘

    団長剱木亨弘君) 次に、小田悦雄氏にお願いいたします。
  17. 小田悦雄

    公述人小田悦雄君) 私は、沖繩に関します専門家でもございませんし、法律家でもございません。  ごくありきたりで平凡な国民の一人といたしまして、沖繩復帰に関連する問題について所見の一端を申し述べたいと思います。  私があえて平凡な国民の一人としてとお断わり申し上げるのは、たいへん失礼でございますけれども、沖繩の実情についてつぶさな現地の調査をする機会がなかったからでございます。ただ、国会審議や、あるいはマスコミ、参考資料等を通じまして知る範囲の知識を持ちまして、せっかく本日御意見を申し述べることは、いささか僭越のように思いますが、しかし、私は、私と同じような多くの人々の層を代表したつもりで私見を申し述べさせていただきたいと思う次第でございます。  申し上げるまでもなく、沖繩は、サンフランシスコ平和条約の第三条によりアメリカに占有されている沖繩百万人の同胞の皆さんはもとより、本土の心ある皆さんが願ったことは、一日も早く沖繩日本に返してもらいたいという熱烈な叫びであったと思います。私も、かつて昭和三十四、五年ごろ、日本青年団協議会の役員として沖繩問題を大いに論じ、返還運動にも参加した一人でございます。その悲願が平和のうちに話し合いによって、明年実現しようとしていることは、まことに喜ばしいことであり、やっと多年の悲願が実ったという感慨にふけるものでございます。ことに多年にわたり異国民支配下におかれ、かつまた、施政権の抑圧など、幾多の苦労をされた沖繩県民の皆さんのお喜びを察しますときに、いかばかりかと思うのでございます。私は、この歴史的な沖繩返還の実現について、アメリカ日本政府の友好と相互の信頼を基調とした外交交渉、その努力に対し心から敬意を表するものであります。  しかしながら、返還協定あるいは関連法案などの中味について、相対立するがごとき意見が続出しておりますことは、国会の審議の過程やマスコミを通じて承知いたしております。もちろん大いに論じ、問題点を明らかにしていくことは、沖繩県民の皆さんの返還に伴う不安を取り除き、かつまた、大きな期待を寄せる意味できわめて重要であり、有益であるということは、申すに及びません、しかし、少なくとも私は国会審議を通じて、国民によく問題点を浮き彫りにし、理解を及ぼした今日の時点で、一日も早く沖繩日本に帰すことだと思います。そしてまた、一日も早く日本憲法のもとに沖繩施政権を取り戻すことだと考えます。その上で、沖繩の種々の事情や、あるいは返還に伴う解決されないいろいろな問題点を日本の国政、内政の問題として論じ、日本憲法のもとで豊かな沖繩県づくりをすべきだと考えるものでございます。たとえば、核の問題にいたしましても、日本の平和憲法を基調にして、非核三原則を明らかにし、しかも、沖繩返還については、核抜き本土並みであるという政府の言明がなされている以上、どうしてこれが信じられないのか。少なくとも、私は、日本の政治は頼りにならないという国民の感情がこのような論議の中から芽ばえてくるものではないかと憂えるものであります。もし、沖繩日本復帰後において、なお、核の一片でも沖繩のどこかにあったとするならば、この事実こそ主権者である国民をないがしろにした自民党政府の暴挙であり、許すべからざることだと私は思います。少なくとも、私でさえ、万一そのような秘密が隠されていたとするならば、再び自民党政府を支持しないばかりか、その怒りはぶちまけようがなくなると思うのであります。私は、特に平凡で善良な国民のために、真実に立脚した論議の展開を切望すると同時に、すみやかな関連法案の決議をお願いするものであります。  さて、沖繩日本に返るその日から、沖繩日本の一地域であることは申すまでもないことであります。したがって、日本憲法のもとに権利と義務の行使は当然の責務であります。そこで、私は、日本における最南端の一地域として、沖繩復帰後ぜひ果してほしい地域的な役割り、ぜひ実現してほしい地域的な期待について、所見を二点ほど申し述べてみたいと思います。  その第一点は、日本の防衛についてであります。申すまでもなく、日本の繁栄と国民一人一人の福祉の向上の前提は、日本が平和であり、世界、なかんずく極東が平和であるということであります。しかしながら、口で平和を唱えながらも平和を維持することがいかにむずかしいことであるか、ベトナムあるいは印・パ戦争を見ても明らかなように、よく承知しております。今日の時代において、いわば戦いに正義はないわけであります。ただ、悲惨さと尊い人命、財産の滅亡のみであります。戦争は絶対起こしてはなりません。かつまた、巻きぞえを食ってもならないと思います。私は、沖繩復帰によってあらためて日本の防衛について深い関心を抱くものであります。戦争に引き続き米軍基地として長い歴史の中で悲惨な苦しみを味わってこられた沖繩県民の皆さんの御心情を理解し尽し切れぬものがあるかと思いますが、しかしながら、復帰後、日本の防衛の地域的な役割りは、ぜひ果していただかなくてはならないし、当然の責務であると考えます。一部に自衛隊の派遣を拒否するかのような御意見もあるようですが、少なくとも、私は平凡な国民の一人として、いささかかって過ぎる御意見だと思う次第であります。ましてや、公共の福祉のために必要であれば、その犠牲は公の償いによって納得していただかなければ、社会の秩序と発展は期し得ないと存じます。本土においてしかりであります。問題はいかに日本の平和と安全を守るかであって、それは一に復帰後の沖繩県民の皆さんはもとより、私ども日本国民一人一人の課題であり、それは絶え間ない努力によって守られ、維持されていくものと信ずる次第であります。  第二点は、沖繩の振興のための経済社会開発についてであります。沖繩の現況は、本土の過疎・過密地域や離島の問題とは全く性質を異にした基地問題をかかえていることは申すに及びません。ことに沖繩の産業構造を調べてみますと、産業別就業人口では、本土に比べ、第二次産業の占める比率が著しく低く、第三次産業の占める比率が高いわけであります。第三次産業の占める比率が高いのは、申し上げるまでもなく、基地経済に依存する比率が高いのであって、基地関係所得は、全所得の約三分の一と推定されているようであります。また、一人当たりの平均県民所得についても、本土の五割程度の数字が上げられているようでありますが、このような状況の中で、復帰に伴う諸制度の改変や、基地の縮小がもたらす影響は、沖繩県民の生活にとってきわめて不安であり、かつまた、甚大であると思われるのであります。私は、政府に対し、これらが誘発する経済、社会不安を除去するよう、特に雇用対策など万般の措置を講ぜられるよう強く要請するとともに、復帰に関連し道路問題などを含めて、沖繩県民の生活に不安を与えないという基本姿勢で万全の措置をとられるよう重ねて要請するものであります。同時にまた、私は、少なくとも、沖繩の振興開発について、沖繩の人々の総意を結集し、長期的な沖繩振興開発計画を立案され、沖繩の人々の総力によって、政府の積極的な財政援助を誘導しつつ、産業基盤の充実をはかり、段階的な基地縮少の計画と相まって、基地依存経済から脱皮しなければならないと思います。もちろん、私などが考えるようなことは、先刻御承知かと思いますが、しかし、私は、日本の最南端に位置する沖繩の美しい亜熱帯地域としての特性、並びに日本の東南アジアに向けての玄関口としての沖繩は、復帰後の日本列島の貴重な土地資源であり、産業の基盤を整備充実することによって適正な規模の産業の立地を可能ならしめ、ひいては県民の労働力の需要を喚起し、県民所得の向上に資するものと思います。しかし、本土に住む私がどんなに陳述してみたところで、しょせんは一般論であるように思います。  最後に、私の体験から一言申し上げたいことは、かりに、私の町を興こすために私がどんなに力説してみても、私の町の住民がその意思を私と同じくしてくれない限り、歌の文句でしかありません。沖繩の再建についても同じことであると信じます。すなわち、沖繩県民の総意と政府の援助が、歯車のようにかみ合ってこそ、その効果は県民の福祉の上にあらわれることであって、一方だけの歯車の軸がどんなに力を及ぼしても、期待する成果は上がらないことを付言し、沖繩の振興について、主義主張、政党政派を超越した施策の積極的な推進を期待いたしまして私の陳述を終わります。
  18. 剱木亨弘

    団長剱木亨弘君) どうもありがとうございました。  次に、金子公述人にお願いいたします。
  19. 金子二郎

    公述人(金子二郎君) 本日の課題は、沖繩返還協定に関連する国内法についてでございますが、これらが出てくるいわれは、この模倣ともいうべき返還協定そのものが問題になるはずだと思います。さらには、かかる協定がなぜ結ばれたかというところまでさかのぼっていかなければならないと思います。  それにつきまして、まず指摘しておかねばならないことは、一つには戦後の沖繩の地位についてでございますが、それは日本がその固有の領土を敗戦の結果アメリカに割譲したというのではなくって、この地域の施政権を一時委任したのであり、潜在的とはいうものの、主権は依然として日本に残されていたものです。したがって、言えることは、何らかの時期において沖繩日本に返ることは、少なくとも法的には予想し得る可能性があったということです。  それから、二つには、沖繩日本に返るということは、これは全国民のまさに悲願であって、沖繩が返らなくてもいいと、アメリカにくれちまえというような人はだれもいないはずですし、問題はその返り方だということです。一つの点からは、今度の返還は戦争で失った領土が返されるという史上例のないアメリカ行為や、ないしは日本に対する信頼から出てくるものだというふうな考え方、言い方はおかしいと思います。アメリカはこのまま永久に沖繩の占領を続けることはできないはずのものである。しかし、何とかしてこれを維持したいと考えるところに今度の協定が出てくるアメリカ側の理由があったと思います。また、この戦争で失った領土云々ということにつきましては、戦争で失った領土を取り返したといって喜んでいる人たちは、そのうちに台湾と朝鮮も何とかならぬか、せめて日本の勢力圏内に置くようにならないだろうかと、ごく安易に考え出すのではないでしょうか。だとすれば、それはいつか来た道であって、まことにあぶない道ですということもいささか懸念されるわけなんです。それから二つの、二の点につきましては、われわれにとって沖繩問題の原点というべきものは一体何だろうかということですが、それは太平洋戦争は沖繩犠牲によって戦争終結をあがないました。その後二十数年にわたって、沖繩を異民族統治のもとにほったらかしにしておいて、またその犠牲のもとに戦後の復興をなし遂げたわけでございますから、沖繩日本に返るということは、何よりもこの沖繩犠牲を償うものでなければならないということです。これは日中問題の原点が侵略戦争をあえてしたことについてのしょく罪にあるというのと同じことだと思います。この原点に立ち返りまして考えてみたとき、今回の協定は不十分どころか全く的はずれであると、これでは返還とも復帰とも言えない程度のものであるばかりか、沖繩犠牲をさらに強化するような規定すらも持っていると思われます。疑いもなくこれは日本によるアメリカの極東防衛の肩がわりであると、それも沖繩を返してもらうために肩がわりするというよりも、肩がわりをするために沖繩を返してもらうというほうが正しいのでしょう。核抜きの保障はございません。アメリカを信用しろというだけですが、アメリカ軍事基地機能はそこなわれないという保障はどうやらあるそうです。アメリカの民政府のかわりに日本の民政府ができて、沖繩の実態は一向に変わらない。きょうのこの七つの法案は、要するにそのためのものなのでしょうけれども、沖繩社会の基地条件がちっとも変わらないというこのままの状態であって、その上に絵を書くようにいろんなことを並べてみても、これではたして平和にして豊かな沖繩が期待できるのでしょうか。アメリカのお役人がいなくなるが、そのかわりに日本のお代官がござると、そして公用という名のもとに土地は五年間も差し押さえられる、アメリカに何の補償を要求することもできない、膨大なアメリカ軍事基地の中に沖繩があるという形が変わらないで、その上に自衛隊まで入り込んでくるというところで海洋博覧会をですか、開いたら経済振興ができるということになるんでしょうか、これは。さらに見落としてならないことはです、対中国関係です。アメリカ沖繩保有の意味は、大ざっぱにみて朝鮮戦争を境に若干変わったようですけれども、現在のところ、中国からインドシナにかけての軍事的な圧力のかなめとしてあるといわれます。今度は日本がそれに正面切って加担するということになります。中国は早くから沖繩返還欺瞞性をついてきました。ついていました。昨日発表された今年度の覚え書き貿易のコミニュケにも、繰り返してこの沖繩返還欺瞞性ということを言っておりますが、中国国連復帰は実現しましたし、中国による台湾の解放は全く時間の問題にすぎません。インドシナにおけるアメリカの敗北はおおい隠せない事実ですが、インドシナの安定にはまだかなりの時間が必要だろうと思いますが、とにかくこれらのことをめぐって極東の力関係のバランスは徐々に動きつつあります。こんな時点で、こんな時点であえてアメリカの助っとに出て行って、極東の緊張を激化し、しかも、なお日中の国交正常化を期待すると、口だけででもおっしゃるのは、いささかちょっとおかしいということになりはしますまいか。一体なんでこんなことになったのでしょうか。もちろん根底には政府世界政策の誤りということが指摘されるわけですが、それにしても、こういう考え方もあり得ると思います。アメリカは並みたいていのことでは沖繩を返してはくれない、しかし、沖繩を何としても一日も早く取り返したい、そのためには多少の危険をおかしても、せめて施政権だけでも取り返したいと、すべてはそれからだという考え方もあるかもしれません。私はこの考え方にはくみしませんけれども、それならそれで、政府はなぜそれを国民に訴えて理解させることをしなかったのでしょう。そして平和にして豊かな沖繩などとうたい上げたのでしょうか。それにしても、要するに政府のこの問題についての事前における何がしの不足があると、結果的にはこんな大きな問題を党派や個人の功名心のえさにしてしまったんじゃないかと疑われるようなことになり、国民を分裂させ、沖繩の悲しみを増すようなことにしてしまったのではないでしょうか。事を飾ってきれいごとにするよりも、事実を事実として国民とともに憂えると、そして考えるという姿勢に欠けていたと批評されてもしかたがないことではないでしょうか。衆議院の委員会における強行採決は何よりも沖繩沖繩県人に対する侮辱でしかありません。あんなことで既成事実をつくり上げたと安心している人たちが、やがてその既成事実のために押しつぶされてしまうということを知らなければなりません。  とはいうものの、しかし、いまごろになってこういう場所で気炎を上げてみたところで、それこそ何の役にも立たないことなのかもしれません。やがて協定は成立し、関係法案もせいぜい若干の手直し程度ででき上がるのでしょうが、それで沖繩返還がなりたといって、政府がちょうちん行列をするとおっしゃっても私は参加しませんし、戦後は終わったとは思いません。  さて、そんなことばかり言っとってもしょうがないんで、この時点になって、まだ何かできることはないんだろうかとちょっと考えてみました。衆議院の非核三原則と軍事基地の縮小の決議がございますが、これはこの問題についてのいままでの国会審議の中でせめてもの救いになっていると思います。参議院での残されたわずかな時間の間に、衆議院のこれらの決議に見合うような形で、今後沖繩の地位の実質的な変更、ほんとう本土並み本土復帰が約束されるような、そしていたずらに中国を刺激することがないような方向を探ってこれを打ち出すことはできないでしょうか。自来、良識の府と参議院はいわれておりますが、その良識の府といわれる参議院参議院らしく党派を越えて、議員諸民の真剣な検討をお願いしたいと思いますが、それにつきましても、琉球の屋良主席の政府に対する建議書なるものがあると聞き及びます。私は、これを見ておりませんので、詳しいことは存じませんが、おそらく推量できることは、おそらくこれはこの状況のもとにおいて、沖繩として期待する最低限度のものが盛られているのではないかと思います。だとすれば、これを尊重してその線を実行に移すことができるように配慮するということは、いまからでも可能な方法ではないかと思います。  これで私の発言を終わります。ありがとうございました。
  20. 剱木亨弘

    団長剱木亨弘君) どうもありがとうございました。  次に、石黒公述人にお願いいたします。
  21. 石黒幸市

    公述人石黒幸市君) 私、石黒でございますが、このたびの沖繩国会公述人として愚見を述べさせていただきますることになりましたことを非常に光栄に思っておるわけでございます。  御承知のように、次のオリンピックも準備がだんだんと整ってまいりまして、もうすでに四十数日を経ますれば開催されるということになるわけでございますが、私は、このオリンピックで忘れ得ませんことがあるのでございます。申すまでもなく、それは東京オリンピックが開催いたされましたのが昭和三十九年でございまするが、この東京へギリシャ、オリンピアから聖火がリレーされます。その聖火が沖繩を通過をいたしたときのことでございます。沖繩では戸ごとに国旗、日の丸を掲げてリレーを、聖火を歓迎されまして、可能な限り広い地域にわたってリレーされ、しかも祖国日本への復帰をその聖火に託して東京へ送られたという新聞記事を私は読みまして、感涙にむせんだ次第でございます。  いま沖繩は、沖繩の皆さまの悲願でありまする返還という好機が参りました。心から私は祝福申し上げとる者でございます。いろいろ御意見がございましょうが、私は、沖繩返還協定の成立いたしましたことは、あくまでも日米の友好関係の上に実現したことであるという理解の上に立っておるものでございます。したがいまして、一日も早くその実が上がることを期待し、またアメリカに対しても感謝の気持で一ぱいでございます。沖繩は、なるほど四分の一世紀、そういう長い間の異国民の統治下にありました。百万の皆さまが非常な苦難な思いをせられて今日までお暮らしになってこられましたのでございまして、内地におりまする私どもといたしましては、とうていその皆さまの実感というものをうかがうことのできないものがあるのでございまするが、どちらにいたしましてもたいへん御苦労さまであったと存ずる次第でございます。どちらにいたしましても、しかし、その復帰にあたりましては、県民の皆さまが不安のないように、動揺を来たさないような最大な配慮を加えていただきたいと思うのでございまして、今国会に出ておりまする協定をはじめといたしまして、七つの法案もそういうところに意図を持たれたものであろうと理解をいたしておるものでございます。沖繩に自衛隊が派遣せられるということ、これは当然のことながらわが国土でありますれば、これを防衛するという線で私はこの点も理解をするものでございます。そういう点につきまして、国会におきましてもいろいろ論議があろうと存じまするけれども、駐留に、派遣に伴いまして公共用地の問題等々に対しまする便宜措置をとられるということも、私は、うなずくことができると思うのであります。  そういう国会論議の中心問題もございまするが、私は、私の特に関係しておりまする社会福祉関係、社会保障の関係等、当然のことながら沖繩復帰することの前提のもとに若干お願いを申し上げたいと思うことを陳述させていただきたいと思うのであります。  内容はいろいろございまするが、国会の皆さまも御承知のように、わが本土そのものといたしましても、今日のわが国の社会保障あるいは社会福祉、そういう面におきましては、いまなお足らざるものが多いのでございまするが、しかし、私どもの仲間が、関係者があちらに参りましていろいろ調査いたしましたこと等の報告等によりましても、大きく見て、本土とあちらの社会保障制度あるいは社会福祉関係というものは十五、六年のおくれをとっておるんじゃないだろうかと、こういうふうに言われておるのでございます。医療保険制度の問題でありまするとか、あるいは各種年金制度に対しますることにつきましても、それぞれに配慮をするようになっておるようでございまするが、それらをはじめといたしまして、老人福祉でありまするとか、児童福祉の問題等々につきましては、いろいろと問題点があるのでございます。沖繩は非常に高齢者が多い、本土と比べまするパーセンテージから申しますと高齢者が多いと、あるいは長寿者が多いと。毎年、御承知のように、九月十五日は敬老の日とされまして、百歳以上の方々に対し、国では、内閣総理大臣はそういう方に対する特別な贈り物をするということをやっておるのでございまするが、そういう関係の百歳以上の方の数字を見ましても、沖繩は、実に十六人からの百歳の方が最近の数字では出ておるのでございます。全国で申しますと第三位であります。私どもの愛知県は百歳以上の方が十四名、第五位になっておるので……。まあ、そういうことで高齢者が非常に多い。当然のことながら、若い方々は——内地でもそのようでございまするが、青年が出てしまって過疎地帯になり、そこに老人が残るというケースが多いことは御承知だと思いまするが、沖繩におきましても、特にそういうケースが多いというように言われておるわけでございます。そういうことで老人世帯が非常に多い。生活保護法を受けておられまする被保護世帯におきましても三分の一は老人世帯であります。一人の単身者もしくは配偶者を持ちまするそういう世帯でございます。寝たきり老人といたしましても、これは全国的にこの本土とともに調査をされたものの数字によりまするというと、大体千七百名からの寝たきり老人があります。その中の七割というものは大体家族とともに暮しておるということには一応なっておるのでございまするが、その他は、いま申しますような単身もしくは配偶者だけの老人世帯であるわけでございます。また、寝たきり老人が、いま数字を申しましたが、この千七百名からの中には、半数は排便を介護せなければできないというような方がある。そういう方に対するしあわせを高めるということでありますれば、万全を期するためには、今日、内地におきましても家庭奉仕員制度がございまするが、これまた同様、沖繩におきましてもそのことが行なわれておるのでございまするけれども、その人数というものは至って少ないのでございまするので、そういう方面に対しまする人の増加をしなきゃならぬという問題があるわけでございます。また、聞くところによりまするというと、老人の方々、寝たきり老人の方々が月に一度もお医者さんに見てもらうことができないというような悲惨な状態にありまする方々が六六・六%からあるということが言われておるのでございます。また、沖繩におきましては死亡の第一の原因は老衰ということになっております。そのことによりましても、いかに沖繩の老人の方々のふしあわせであるかということがわかるのであります。いうまでもございませんが、内地におきましては脳神経系統の死亡率が第一であります。本土におきましては、そういうような点からいたしまして、あたたかい手を差しのべる方途というものをいろいろな点から御考慮いただきたいものだというふうに思うのでございまするし、また、これは内地でも当然のことでございまするけれども、老人福祉法が制定いたしまして以来、老人クラブの制度をつくりまして、地域社会における老人にクラブ活動を通じまして生きがいを感ぜしめるという方途を講じておることは、皆さまも御承知のとおりでございます。沖繩におきましても同様なことが行なわれております。現在、沖繩では五百十八のクラブがあり、二万五千人有余の会員があるわけでございまするが、しかし、内地におきましても、これは国が三分の一、県が三分の一、地元の市町村が三分の一ということでクラブの補助金が出ておるのでございまするが、沖繩におきましても同じような金額——大体一万八千円でございますが、沖繩では五十ドルだと言われておりますが、そういうものが出ておりまするけれども、この五百十八のクラブに対して全部出ておるかと言えば、出ていないのです。わずかに七十四クラブだけが私の調べた時点におきましては出ておるという貧弱な状態にあるわけでございます。私がいまさら申すまでもございませんが、本土と同じように、沖繩におきましても四十年に老人福祉法が成立をし、施行をされておりまして、内容も同じようなことが規定されておりまするけれども、残念ながら、なかなか内地におきまするようなふうにはいっていないというのが実情であるようでございます。また、老人ホームの関係といたしましても、私も直接そういうことに対しまして関係を持っておるのでございまするが、新しいものを加えまして四カ所あるのでございます。収容されております方々が三百六名で、定員が三百六名でございます。本土におきましても、六十五歳以上の老人と収容施設との関係を見まするというと、七百三十万人の老齢者のうちの八万人程度しか収容していないというような状況でございまするので、五カ年計画を持ちましても、プラス十万人にしようと、十八万人にしようと、こういうプロジェクトができつつあるように伺っておるのでございまするが、そういう点に思いをいたしまするときに、沖繩のその方面に対しまする施策というものがいかに貧弱なものであるかということをうかがうことができるのであります。したがいまして、私どもといたしましては、老人福祉対策といたしましても、寝たきり老人に対しまする対策と、施設の増設でありますとか、また福祉家庭奉仕員の強化でありまするとか、老人の就労のあっせんをしていただくとか、あるいは老人住宅の建設をするとか、あるいは老人福祉の地域環境といたしましての老人福祉活動を強化する、これは主として民間活動でありまするが、そういう方面が高揚するような格別の配慮が願わしいということを思うのでございます。  また、児童福祉の関係といたしましてはそれぞれのものが一応出ておりまするけれども、なおまだまだ沖繩にはないものもございまして、また、ありますものでも、きわめて数が少ないのでございます。養護施設にいたしましても、救護院にいたしましても、あるいは精薄児施設にいたしましても、その通園施設あるいは肢体不自由児の施設、あるいは精神薄弱者の施設、これなどは一つずつしかございません。特に問題となりますのは、今後復帰いたしますれば、ますます相当の、これは当然のことながら経済的な問題、財政的な県政のもとの問題がございます。そしてまた、県民の経済的な問題といたしまして、従来も同様だと伺っておるのでございまするけれども、南部地区におきましては、夫婦共かせぎでもってしなきゃならないという家庭がだんだんとふえてまいっておりますので、したがって、保育所の建設ということに対しまする要請というものが、これまででも相当強く要請せられておるように伺っておるのでございます。そういう点につきまして、現在の保育所は七十七カ所、四千九百七十七人の収容能力があると言われておるのでございますが、これは沖繩と同じような県、いわゆる類似県と比較いたしまするというと、非常なおくれである。半分もしくは三分の一という程度の保育所施設であるわけでございます。したがって、琉球政府とされましても、その点につきましてはいろいろ従来からも配慮をされておるように伺ってきておるものでございます。ことに既婚の婦人の労働力というものが非常に多いということ、したがって、そのことに対しまする保育所の収容というものが非常に重要である、こういうことであるわけでございます。さようなわけでございまして、沖繩政府といたしましては、少なくとも一万人を収容するという目的を持ちまして、百六十五カ所の保育所を設置をいたし、そういう目途を立てておるようでございまするが、その点につきまして、当然のことながら、これらの法案の中にでもそういう行政に対しまする積極的な支援の体制を持っておられるわけでございまするけれども、格別のそういう点に対しまする御配慮のほどをお願いしたいものだというふうに関係者の一人としてお願いをするのでございます。ことにこの類似県の対比ということをよく言われておりまするが、沖繩のような多くの島をもって形成いたしておりまする県といたしましては、本土のような各県のそういう状況とは地形的に非常に違ったものがあるわけでございます。したがって、私どもといたしましては、社会福祉のそれぞれの種別関係のものを一カ所でそれをまとめて運用するというようなやり方があるのではなかろうかというふうに思うのでございますし、かつまた、土地の入手難というような問題もございまして、ぜひそういうような面に対しまする特別な配慮が望ましい、かように存じておるような次第でございます。特に、現在の段階におきましては、沖繩では民間の社会福祉事業というものがそれほどございません。主として琉球政府がおやりになっておるもの等が多いようでございまするが、今後も民間関係が行ないますることにつきましては、内地におきまする社会福祉事業振興会の資金を借り入れるということにつきましても、それを無利子にしてこれを利用していただくというような方途を講じていただくとかいうような問題もあるわけでございます。  こまかいことを申し述べまして、はでなこととはたいへん違いましてなんでございまするが、最後に、私は、やはり沖繩返還を記念する行事といたしまして、国民体育大会というようなものを開催するということも一つの方法ではなかろうかと思いますし、そしてまた、そういうことは内地の実情から申しますと、そういう開催県になりまする機会を持ちまして、その県内に適当な場所場所にそれぞれの施設を設置するという例がございます。そういう点につきましても、沖繩の財政等々を考えまする場合におきましては、これを日本政府におきまして全部を持って、そういうことに対する配慮をしてあげるということも考えるべきことではなかろうかと、かように存ずるのでございます。あるいはまた、国立の青年の家というようなものも、当然のことながら、次代をになって立ってくれまする青少年に希望を持たせ得るその施策の一環といたしまして、さようなものを設置していただくというようなことを考える次第でございます。  はなはだ御期待に沿うようなことを述べることができませんでしたけれども、私の申し上げたいことは以上でございます。
  22. 剱木亨弘

    団長剱木亨弘君) どうもありがとうございました。以上で公述人各位の御意見の陳述は終わりました。  これより公述人に対する質疑に入ります。御質疑のある方は順次御発言願います。
  23. 西村尚治

    西村尚治君 安江さんにお伺いしたいと思いますが、安江さん、承りますれば沖繩方々の生活をはだに感じていらっしゃるということで、切々たるお話を承りましてありがとうございました。  ただ一つお伺いしたいのでございますが、この関連法案の一つであります、重要法案でありまする公用地等暫定使用に関する法案、これは憲法違反であるとおっしゃったわけでありますけれども、私どもは憲法違反では絶対ないと思っているわけでございます。そのあげられました条文の中で、十四条、二十九条、三十一条というようなところをおあげになりましたんですが、きょうは、ここで論議するわけじゃありませんから、一々は申しませんけれどもですね、念のために一、二言ってみますと、十四条は、すべての国民は法のもとに平等であって、人種、信条、性別、社会的身分あるいは門地、こういうもので差別はされない、されてはならない、こういうことになっておる。この公用地の暫定使用法案は、こういう個別の、個人の人々に伴う、個人的条件に基づく事由によって差別しているわけじゃないんですね。沖繩全域で使用されるわけで、個人的な事由に基づくもんじゃない。そういう意味におきまして、絶対にこの条文に抵触はしてない、違反していない。それから、二十九条を見ますと、財産権はこれを侵してはならない、私有財産は正当な補償のもとに、これを公共のために用いることができるということがある。これに違反しておる、抵触している、だから憲法違反だと言われるようですけれども、これにつきましても、公用あるいは公共用のために土地使用させてもらいたいという趣旨のものでございますし、また、これに対しては、それ相応の補償がされる、そういう意味におきまして、そのほかいろいろございますけれども、憲法違反だということはひとつ考え直していただきたいと、かように思うわけですが、これはしばらく別といたしまして、確かに、おっしゃるように、この公用地暫定法案というものは、あまり好ましい法案だとは私は思っておりません。思っておりませんけれども……。まあ黙って聞いとってください。思いませんけれども、ただ、返還のときに、どうしてもいま使っている基地とか、あるいは電力公社、水道公社、こういった用地というもの、あるいは工作物というものは、引き続き空白状態が許されない、それぞれ引き続き使用する必要があるわけです。返還協定、安保条約、そういうようなものに基づくわけでございまするけれども、とにかくスムーズに返還するためには、瞬時もそこにごたごたがあったり、空白があったりしてはならぬと、もちろん、政府としましても、何でもかんでも強制的に借り上げるというんじゃなくて、できるだけ円満に話し合いを進めて、円満に納得づくの契約でやろうということで努力はするはずでございますけれども、何しろ地主が三万七千人とか八千人とかあるということでございますし、しかも、その中には海外に出ている人、所在の不明の人が相当数あるんだそうでございます。それを短期間に引き継ぐということはとてもできない、そのための最低の安全弁として、やむを得ない安全弁としてこの法案が出されているわけでありますので、そういう意味におきまして、もちろん、そういうことは御承知の上でだろうと思いますけれども、あらためて御見解を聞きたいと思ったわけですけれども、時間がありませんから次に移りますけれども、そういってもやっぱり反対だとおっしゃると思いますけれども、反対反対だと言っておきまして、もし、この法案が通りませんと、お話にもございましたけれども、引き継ぎの準備というものができないことになりまして、したがいまして、批准書の交換ができない、円満な復帰ができないというおそれが出てくるわけでございます。そこが非常に問題だと思うわけでございますが、しかも、これは新しくそういう状態をつくるというんじゃなくて、過去二十六年間ほんとうにたいへんなことだったと思いますけれども、二十六年間そういう事実があった、それをいましばらくこれを先行して貸してもらいたいというために、ひとつお願いといいますか、こういう法案がつくられたわけでございますが、その点もひとつ考えていただきたいと思うわけですが、そして……。
  24. 剱木亨弘

    団長剱木亨弘君) ちょっと西村君に申し上げます。どうぞ質問のほうは簡潔にお願いします。
  25. 西村尚治

    西村尚治君 それからですね、反対反対ということで、もし通りませんとですね、これは批准書の交換ができなくなるおそれがあるわけですが、政府としましては、また、われわれとしましては、とにかく相手があることですから、無条件全面返還ということもわかりますけれども、相手があることですから、百点満点ではなくても、七十点、八十点、不満はあろうけれども、とにかく早く返してもらって、その上で逐次不満な点は是正していくと、このほうがベターではないか。しかも、先ほど石黒さんからもいろいろございましたけれども、社会福祉施設、教育施設、その他いろんな面で非常に立ちおくれているわけですね。過去二十六年間の間、本土との間にできた格差、そういうことで、法制上の、予算上の措置を何とかひとつ……(発言する者多し)
  26. 剱木亨弘

    団長剱木亨弘君) 質疑はなるべく簡潔に。続けてください。
  27. 安江洋

    公述人安江洋君) 私は、先の十五分で切られておりますので、言いたいことはたくさんあるのでありますが、法案にしぼってお話をさせてもらったようなわけですけれども、沖繩におけるところの公用地の暫定使用に関する法案というものは——これはやはり沖繩返還に関する法案は、沖繩が二十六年間も異民族のもとで、人権あるいは生命、財産の与奪権を握られて、苦しみに苦しみ、あえいでいる沖繩で、沖繩法案に関する限りは、すべでの助成、育成につながるという法案であれば沖繩にとって非常に利益でありますが、処理のための法案であるならば、そこに非常な不安を感じ、沖繩における公用地の暫定補償に関する一つの沖繩の不安というものは、基地の拡張が行なわれるんじゃないかという不安を持っております。そういう法律論は別としまして、こういうものが行なわれるということは、沖繩百万県民の受ける感じは、やはり軍事基地の拡張が行なわれるんじゃないか、あるいは自衛隊が進出してくるんじゃないかという不安があります。  沖繩は、戦争はほんとうにいやだと言っている。戦争はほんとうにおそろしい。戦争は二度としたくない。私は学者でも何でもないが、私の学友は全部、天皇陛下万才と祖国日本のために散っていったのです。私は専門家じゃないので、こういうところに出たくはないけれども、やはり私は沖繩のためにここに出ております。だから一切の法案沖繩の助長という方針につながる法案であれば、これは沖繩に対するところの関連法案としてりっぱである。いささかでも沖繩県民に束縛を与え、不安を与えるような法案であるならば、これは処理法案であって、そういう心のこもった法案を……。百万県民は、戦争は二度と再びいやだから、基地の中の二十六年間も、まだ傷口が直っていない。そういう非常に不安の中に沖繩があるということであります。だから基地撤去ということは切実に感じておる。だから、いわゆる自分らの生活権を捨ててまでも、初めのうちは即時返還施政権返還といっておるけれども、だんだんこれが基地撤去ということになってきた。沖繩経済は全部基地に依存しておる。そういう中でぎりぎりに追い込まれて、基地撤去ということは、戦争はこわいんだ、二度と再びいやなんだという切実なあらわれであります。その基地の拡張につながるような、水道だとかいろんな、いまおっしゃいましたように、公共事業のためには土地法案であるとか、その言い方の裏には、いわゆる基地の拡張につながるということにたいへんな不安を持っておる。そういうところに頭を置いていただいて、危機にさらされた沖繩が安全地帯に避難するようなことであってはいけない。やはり戦争はいやだと言っておる。こんなおそろしいことは、こんなみじめなことはない、こういうひとつの恐怖の中に沖繩はあります。  沖繩が返ればいいんだろう。不満でも幸抱しろという声がある。これは非常に心ないことだと思います。沖繩が、不満であるけれども辛抱してもいいという一部の人はあります。沖繩の大半は不安である。不安であることは連鎖反応を起こしてきます。不満は納得してある程度辛抱できますが、不安は拡大していきます。いわゆるノイローゼになる。やはり思いもよらない一つの事が起こってくる。気ちがいになるようなことはいけないんじゃないか。そういう不安のないような施策を講じてもらいたい。こういうことを私は切に思うものであります。それに関連して沖繩法案というものを考えていただきたい。  私は、国会のあの審議中止、一億国民の目の前でああいうことが起こるということは日本のためにならぬと思う。一億日本国民があ然、ぼう然としている。まず沖繩法案通過を喜ぶということであれば、とたんにちょうちん行列、旗行列が行なわれなければならない。沖繩はぼう然自失、ほんとうになすことを知らないというような状態におちていってしまった。こういう状態に追い込んでおるのであります。だから、用地の使用に関する暫定の法案というものは、沖繩にとって非常に不安な面がたくさんある。公共施設をたくさんつくるとおっしゃるけれども、やはりその前に、沖繩をもっと安全な状態にして返してもらわなければ、老人施設、社会施設をいくらつくろうとも、沖繩県民の身にはわからないのであります。そういうことを御審議をいただいて、沖繩県民百万の身になって考えていただきたい。そこが沖繩処理のつぼだと思います。施設をいくらやってもらったって状況は悪化するばかり。やはりもっと、相手があるからといったところで、すでに、返還されるのはポツダム宣言その他でも、当然返ってくるものじゃないでしょうか。そういう点において、もっとスムーズな形で、ほんとう沖繩県民が救われ、二十六年間の苦しみに耐え抜いて、二十六年間にわたるところの血の叫び世論を喚起した。アメリカといえども、生活権を放棄してもかまわないということは、アメリカでも軍事基地運営に支障を来たしたと認めている。そういう時点において、政府といえども沖繩問題を避けて通ることはできなくなった。これは世論の勝ちだと思います。したがって、屋良主席を勝ち取ったことは、沖繩百万県民世論は絶対強いと私は思います。こういう次元において取り組みをいただかないと、またいろんな不安が拡大をしていく。この不安を一日も早く除去していただくような法案に切りかえてもらいたい。そうしてそののちに、やはり老人問題などいろんな問題は納得できるが、いま、その末端を幾らやってもらったって、基本的なことをもっとしっかり審議していただきたいと思います。
  28. 剱木亨弘

    団長剱木亨弘君) 時間がありませんので、なるべく質疑のほうも、御答弁なさる方も簡潔にお願いいたします。
  29. 村田秀三

    村田秀三君 小田公述人にお伺いいたします。ただいま沖繩県民の心を安江公述人が切々と訴えられたのでありますが、私もやはりそこがつぼだと思います。  ところで、小田公述人の趣旨の中で、沖繩という特殊地域、その地域を生かしたところの役割を果たしてもらいたい、それは何かというと、二つに分かれておったようであります。  第一に言われたのは、いかなる理由をつくられようとも、正義の戦争というものはない。戦争の悲惨さもわかる。そして、今日まで戦争の悲惨さを味わったところの沖繩方々には、まことに申しわけないけれども、日本の平和、その日本の平和は極東の平和が必要である。極東の平和を維持するためには、沖繩の特殊地域を、日本防衛のために果たしてもらいたい、ということをおっしゃっておるわけであります。これは、安江公述人意見とは裏はらな問題であります。先ほどは、金子公述人が、苦しみを日本国民は、沖繩の人々に与えてしまった償いの気持ちで、復帰の措置というものを、事こまかに考えねばならない、ということを言っておられるわけでありますが、はたしていわゆる日本防衛のために、極東の平和の維持のために特殊地域としての役割を果たしてくれというようなものの考え方であるとするならば、私は、一連の問題に対して沖繩県民がふん然と憤りをもって立ち上がることは当然じゃなかろうかという感じがするわけです。その点もうひとつ確かめておきたい。それから、なぜ極東の平和のために沖繩が必要なのか。特殊地域と言われましたが、なぜ沖繩が特殊地域として防衛問題で重要なのか。その点ひとつお考えのほどをお聞かせをいただきたいと思います。
  30. 小田悦雄

    公述人小田悦雄君) ただいまの御質問でございますが、私が申しあげた意味は、特殊的なという意味じゃなくて、地域的役割、つまり日本本土におきましても、それぞれの地域においては地域に応じた防衛上の役割は果たしておると思います。そういう意味で、特に沖繩本土復帰すれば、南の最南端の玄関口である。そういう意味で、防衛上の専門家でなくてわかりませんけれども、日本列島全体としてとらえた沖繩が、どのような防衛上の役割を果たさなければならぬかというような責任を沖繩の方にもぜひ考えてほしいということを訴えたつもりでございます。  今日、安江さんからも、不満ではないんだ、不安だというお話しを聞きまして、全く私もお察し申し上げるわけでございます。不満というものはやはり理屈で解決できますけれども、不安というのはなかなか理論では解決できないのであります。そういう面で、いかにこの問題がむずかしいかということを私も痛切に感じたわけでございますが、沖繩の方にも、復帰された上で地域的な役割を果たしてほしいということでございます。
  31. 須原昭二

    須原昭二君 ちょっと同じように、小田公述人に御質問申し上げたいと思います。  実は、お話を聞いておりましたところ、まず施政権だけは取り戻そう、その後にあまたの問題点については内政として考えよう、こういうことをおっしゃいました。この点について若干お尋ねをしておきたいわけでありますが、御案内のとおり、沖繩が切り離されたのはサンフランシスコ条約第三条、あれから二十数年経っているわけです。幸い今度の議論の中で、まず施政権だけは返ってくるということになるわけでありますが、私は、先ほど石黒公述人がおっしゃいました、社会保障だとか社会福祉の問題については、なるほど内政の問題として重点的にこれらの問題を消化していかなければならないと思いますが、ただ基地の問題については、内政の問題ではなくて、相手のある、アメリカとの間における外政の問題で、この問題を私たちは見逃がしてはならないと思います。したがいまして、おたくがおっしゃいました内政として考えていくことは、若干問題があるのではないか。こういう点に疑念を持つと同時に、相手があることだから、これから折衝していくと言いましても、段階的に基地を縮小していくんだ、もちろん、それ以降についてはどういうふうにこの基地の縮小を考えておられるのか、おたくも青年団体協議会の幹部として復帰運動をやられたという御経験の持ち主でありますけれども、お話を承っておきたいと思います。  さらに、安江さんにお尋ねをしておきたいと思うんですが、「愛知沖繩でいごの会」というのは、私の聞いている範囲では、沖繩の出身の方々の会だと承っております。したがって、愛知県における沖繩出身の方々の一つの任意的な団体だと思いますけれども、沖繩返還協定に伴うところの今日の問題点について、この会の皆さんがどのようなお考えに立っておられるのか。政党政派に関係のない団体だと思いますが、会員の皆さんの御意向を伺えれば幸いだと思います。
  32. 小田悦雄

    公述人小田悦雄君) まず第一点の、沖繩を早く返してもらい、その上で内政の問題として、日本の問題として論議していこうということを申したわけでございます。私が内政の問題と申し上げますのは、すでに、ここに出ております七つの関連法案を前提にいたしまして、大いに国会においても、あるいは沖繩におきましても心ある人たちはかなりの理解をして注目しているのではないか。  そこで、残されている、たとえばこの法案に盛られている問題、まだ解決されていない問題等いろいろあると思いますけれども、それらの問題点については、やはり沖繩とわれわれと一緒になれば、その時点でも解決できるんではないか。こういうことを私なりに考えたわけでございます。それから、もう一点、基地縮小の問題につきましては、先ほど申し上げましたように、軍事専門家ではございませんが、やはり私どもが願うことは、日米安保体制日本の安全保障というのは基本になっておりますけれども、その基本を踏まえて、できるだけ沖繩には全体面積の一七%の基地を縮小していくという基本で今後大いに政府の積極的な沖繩対策というものを進めてほしいと考えるわけです。
  33. 安江洋

    公述人安江洋君) お答えいたします。  「愛知沖繩でいごの会」と申しますと、沖繩で生まれ、いわゆる琉球と言っておりますが、並びに本土の者であって沖繩で生まれたもの、沖繩で永く生活しておる者、その意味の沖繩県民を中心としておりますけれども、やはり沖繩に深いゆかりのある者の集まりであります。「でいご」と申しますと、沖繩の県花でありますので、そういう意味において「でいご」というのが名前になっております。しかし、私はその代表で来ておりますので、やはり沖繩を愛する者として、ほんとうの自分らの学友が日本のために散って行った。いまでもまぶたに浮べると涙が出る。はたしてこういう沖繩返還の問題で、死んだ沖繩同胞二十数万の霊が安まるでしょうか。浮かばれるでしょうか。こういう法案は、もっとほんとう沖繩の心を心としてやっていただけないか。政党政派を超越した問題であり、人間の問題に触れているわけです。その辺をよく沖繩の心を十分に受けとめて、自他ともに相手の身になって行政、政治をしてもらわないと、どこかで一つの爆発が起こると危険であるということです。だから、やはり人間というものは、不安な状態であるとかなりの人間はノイローゼになり、気ちがいに追い込まれる。沖繩はぼう然自失をしておるんです。ああいう国会の審議のあり方は、沖繩百万県民に対して一大冒涜であると私は思います。
  34. 原田立

    原田立君 金子先生にお伺いしたいんですが、先ほど先生のお話の中に、沖繩返還は全国民の悲願である、問題は、その返り方である、という御指摘がありました。全くそのとおりだと思うのでございます。ただいまも沖繩安江さんからるるとお気持ちが述べられているのでありますが、全く同感であります。それで先生のお話の中に、今回のものは不十分であるとか、沖繩をさらに苦しめることであり、あるいはまた、核抜きは保障されていない、また、五年の土地強制収用など、反面、海洋開発などやろうとしておるのは欺瞞である、というお話で、私も、そのとおりだと思います。ところで、最後のところで、何かできないのか、衆議院では非核三原則をきめた、良識の府である参議院として、衆議院に見合うようなもの、たとえば本土並みの問題であるとか、中国の支持しないような問題など、参議院としてできないものか、というお話がありましたが、それを具体的にお話いただければ幸いだと思います。これが一つでございます。  それから、先生が、建議書は読んでいないのでくわしくはわからないが、という前提でございますけれども、その建議書の採用をすべきだという御意見でございましたが、もう少し具体的なことがおありになりましたら……。
  35. 金子二郎

    公述人(金子二郎君) 最後に申し上げましたことは、さっきちょっと申し上げましたように、いまさらここまで来て、これはだめだだめだと言ってみてもどうにもならない。何とか救いを求めることはできないかということを私なりに考えて、これは、結局、今日の課題になっています七つの国内法案、これを一つ一つ、どこがどうだ、ここがこうだと言ってみたところで、失礼だけれども、何にもならないような気がする。そのもとが狂っている。だから、そこから出てくるものは、たとえば、公用地の五年が三年になるという修正権があるということですが、五年が三年になったところで問題が解決するものじゃない。そういうことでございます。そうすると、結局、何か手はないかというと、衆議院委員会は、非核三原則の問題と基地縮小の問題、非核三原則も国会では通念になっておるように、総理大臣もしばしば口にしておられます。ところが不思議なことに、今度まで決議案にならなかった。ところが今度のようやく決議されるということによって、あれで総額が変わろうと、ともかくでき上がってしまった以上、あれははっきりと定着すると思います。さて、それを今度はどうするかということが国内法の審議について起こってくる問題であって、ちょうど参議院にかかっているところから、参議院の皆さんでお考えになって、あれに見合うような、もう少し復帰らしい復帰ができるように、願わくば近いことを期待しますが、少なくとも将来においてその道が閉ざされてしまわないような方向を見出してほしい。これはそこまで具体的に、これからどうしたらいいかということは考えないでもありませんが、ぼくらの言うところでではなく、これは先生方のなわ張りだと思いますが、やっていただければ……。そうすると、思いつくのは、屋良主席の建議案なるものがあると聞いております。これは私見ておりませんから存じませんけれども、屋良さんは建議書としてまとめて持って行かれたんですから、こういう事態の中で、すなわち政府によってこういう形の返還が推し進められている中で、せめて沖繩としてこれだけのことはやってほしいという願いが込められているものだと想像するんですが、これは皆さん方がごらんになって、そうして、これは沖繩県民の最低限度の願いなんだ、できれば即刻取り上げてほしいと思うんですけれども、少なくとも、そっちの方向に道を閉ざさないように関連法案なり、関連して起こってくる問題に手を打ってほしい。それは、いまわれわれが参議院に期待できる、私の考えたところで、一つくらいはできそうな気がするんです。こういうくらいの気持ちで申し上げたので、こう法律を制定したらということを申し上げればいいんですけれども、そこまで用意しておりません。
  36. 栗林卓司

    栗林卓司君 私は、沖繩の開発という点について、小田さん、安江さん、それから石黒さんにそれぞれ一つずつお伺いいたしたいと思います。小田さんは町長をなさっておられて、たいへん御苦労さんでございます。これは釈伽に説法でございますけれども、現在、地方自治を考えますと、一種の考え方は別にして、予算的には三割自治の実態にあることは御承知のとおりだと思います。実際に税金を納めるのは、直接間接は抜きにして、地域住民から税金は納付されているわけですけれども、実際に、たとえば、小田さんの町に返ってくるのは一三%だと思います。あとは県が一七%、残り七〇%は国が取って、交付税で返ってまいりますけれども、国の認定というものがからんでまいります。それは小田さんたいへん御苦労されている点ではなかろうかと思います。  そこで、沖繩の実情は、私は知らないと言われましたけれども、むしろ町長としての御苦労という点から見て一つお伺いしたい点がありますのは、確かに開発ということを考えますと、住民の心が一つになるということが前提だと思います。そのために必要なものは政治だと思います。ところが沖繩本土復帰に伴って問題になってくるのが、開発庁を設置するということを政府が案として出しております。ところが悲しいかな、日本の場合は行政の縦割りでたいへん厳しいなわ張りがあるものですから、各省代表が十三人も乗り込んでくる。しかも現在財政的に沖繩は決して豊かな状態ではありません。しかも、取り組むべきものはたくさんある。そういうときに申請があれば補助してもかまわない。ただ今日の地方自治の財政的に乏しい状態から見ますと、本土から行官庁のそれぞれの代表が乗り込んでくる。道路・港湾安全等について、住民の費用の補助とはいいながら、結局、国の直轄事業になり、地方自治に与える印象を考えますと、たいへんそれを否定された気持ちになるほうが当然だと思いますし、単なる感じというよりも、町長としての御経験からすると、そういうやり方ではほんとうの地域の開発はできない、たいへん困難だという印象等もお持ちだと思います。そういう面で、現在、関連法案として出されております開発庁の構想について、町長としての御経験に照らして御意見があればお伺いいたしたいと思います。  次に、安江さんですけれども、「愛知でいごの会」ということで、沖繩からこちらに来られて御指導をされている会ということを承りました。現在沖繩には百万県民がおり、今後百万県民がそのまま豊かに沖繩で暮せるということを目標にしながら開発が計画されているように聞いております。当然、それは目標でなければならないと思います。  そこで安江さんにお伺いしたいのは、沖繩から働きに来られた皆様方の気持ちを含めて、百万県民がそのまま豊かに暮せる条件をつくるということは大へん強い悲願だと思いますけれども、この点について御意見があれば承りたいと思います。  最後に、石黒さんですけれども、社会福祉の御苦労をされておられるところから、先ほど御意見を承りました。現在、沖繩本土復帰本土並みということが言われておりますけれども、老人福祉問題、児童福祉問題は、現在ほめられた状態ではございません。したがって、本土並みになればすぐということでは決してないと思います。したがって、戦後二十数年間、たいへん御苦労して本土復帰を迎える人たちのことを含めて考えますと、この本土並みの中身を、ここをよくしてほしいというところがおありだと思います。問題を上げれば切りがないと思いますけれども、一つは、現在なさっていらっしゃる仕事の上で痛切にお感じになる点をお伺いしたいと思います。
  37. 小田悦雄

    公述人小田悦雄君) 沖繩の開発の方途について御指摘をいただいたと思いますが、私は、やはりその地域の開発というものは、住民の意思を優先しない限りその目的は達成されない。したがいまして、開発庁設置の問題等につきましても、十分に住民の意思、構想が主体的に尊重されて開発されるような方向で組織づくりも財政援助もやってほしいと思います。それはなぜかと申し上げますと、私ども、小さな道をつくるについても、住民の説得——理解がなければどんな小さな道でもできないわけでございます。それにからむものは土地問題でございます。したがって、沖繩におきまして、ただいま安江さんのおっしゃいましたように、軍用地の暫定法案等からしまして、不満ではない、不安だというような住民の感情からして、この土地に対する開発問題、土地を前提とした開発問題というものは、困難をきわめると思いますけれども、そういう意味での発想を基本にした開発の方途というものをぜひ考えていただいたらというように考えます。
  38. 安江洋

    公述人安江洋君) いまのお話しは、沖繩の経済問題に関するような質問だと思います。私は専門家じゃありませんけれども、私がいろいろと沖繩における皆さんのお話を聞いていることをまとめて、ちょっと私見ではありますが、お返事をさせていただきます。沖繩基地産業によって経済が成り立っていることは、そのとおりかもしれません。じゃ、沖繩から基地を取った場合に、沖繩基地経済はどういう方向に向かって行くのかということが考えられなければならない。だから、沖繩基地の経済の中に米軍のいわゆるプライス法、こういう資金の出どころというものは、琉球銀行、電々公社あるいは水道公社、開発金融公社などから利益金、それと沖繩の国有、県有を無償で没収して、有償で沖繩県民に貸し付けておる地代を含めると一千二百万ドル以上の利益がある。それが今度は沖繩の希望するような、不安のないような条件で返されるならば、これ以上のことはほんとうに簡単です。それから沖繩は物資がないのであります。沖繩には風光明眉な、いろいろ公害に侵されないところがあります。サンゴの青い海、紺碧の明るい空があります。沖繩は物資がないのだから、一つの観光資源を開発したならば、沖繩はいま世界の注目の的になっているわけですから、これは観光資源にいろいろと考えをいたしたほうがいいんじゃないか。そういう面においてこれからいろいろと考えることが大事じゃないでしょうか。内地から沖繩へ企業が進出するということになりますと、やはり政府が勧奨した大企業が出てくると、沖繩の住民はただ労働力を提供することで、依然として苦しい生活は続くんじゃないか。このことに非常に不安を持っております。そういうことのないように、沖繩の経済を十分参加させて、開発を広げていったならば、沖繩経済は案外不安がないのじゃないかと私は思います。
  39. 石黒幸市

    公述人石黒幸市君) 私の申し上げましたことについてもお尋ねでございますが、いろいろありますが、私としては、先ほど申し上げましたように、寝たきり老人の施策というもの、児童福祉の関係として保育所の関係でございます。保育所の関係といたしましては、御承知のように、本土並みになりましても、補助金は国が三分の一という手続があるわけでございます。何と申しましても、この点についてはいろいろ意見があるわけでございます。したがいまして、本土並みということであっても、いろいろな要請にこたえるためだけでは、沖繩県の財政事情からうまくいかないと思いますから、今度の法案にありますように、お話にございましたように、開発庁というものができるといたしますならば、そういうところで十分な補助金を出すということでありますれば、本土関係と打ち切った考え方において、ひとつ積極的に教えていただくようなことはできないものであろうか。かように考えておるものでございます。
  40. 渡辺武

    渡辺武君 安江さん、金子さん、小田さんのお三方に伺いたいと思います。  まず、安江さんにお伺いすることでありますが、安江さんが愛知県におられる沖繩出身の方々の集まりを代表して来られたということですね。いろいろ適切な、しかも熱のある御意見をおっしゃられて、私ども非常に感動することが多々ございました。ところで、そういう意味で沖繩県民の総意の声が比較的直接に伺えるんじゃないかと思ってお伺いをするわけでありますけれども、先ほどほかの公述人の方が、施政権が返ってくるからいいじゃないか、本土並みになるからいいじゃないかというような御趣旨のことを言われましたけれども、私ども、今度の沖繩協定あるいはこれに関連する法案などを見てみますと、本土並みということにはほど遠いような感じが非常にするわけです。たとえば核の問題にしましても、あるいは自由出撃の問題にしましても、それと関連する事前協議の問題にしましても、もうこれは安保条約が条文の上では変えられないけれども、その解釈、適用の上で事実上変えられた。したがって、本土がいままでの沖繩と同様の状態に変えられてしまうんじゃなかろうかという感じを国会の審議などを通じて実に痛切に受けているわけであります。ですから、これは沖繩県民にとっても大きな問題でありますが、本土にいる日本国民にとっても、これは重大事だというふうに考えておりますが、この安保条約の事実上の改悪、あるいはまた、本土沖繩化と言われている点について安江さんのお考えを伺いたいと思います。  これが第一点で、第二の点として、先ほど他の公述人の方から、沖繩施政権日本に返ってくる以上、自衛隊が派遣されるのは当然のことじゃないかという御意見がありましたけれども、しかし、私ども、国会の審議を通じて、政府答弁などで痛切に感じておりますのは、この沖繩に対する自衛隊の派遣というのは、日本の国土の防衛というものじゃなくして、アメリカ基地を防衛するために自衛隊を派遣するんじゃなかろうかという気持ちが非常にするわけであります。例の久保・カーチス取りきめ、あるいはかなり前の松前・バーンズ協定などとも関連いたしまして、この自衛隊の機能というものが、これは特にアメリカ基地機能を維持するというところに置かれているんじゃないかと思う。同時にまた、いままで沖繩県民祖国復帰運動に激しく発展してきておりますので、これを抑制するという機能も合わせて自衛隊が派遣されるんじゃないかというふうに考えております。  特に沖繩出身の安江さんにお伺いしたいんですが、第二次世界大戦以前に沖繩では、日本軍隊はほとんどいなかったと思うんですね。あのアジア太平洋侵略戦争で軍隊が初めて派遣されて、しかも派遣された自衛隊が沖繩県民にとって実に残酷きわまりない行動をやった。私も現地に行って涙を流しましたけれども、そういうことから自衛隊の派遣についての御意見を伺いたいと思います。  それから、金子さんに伺いたいんですが、先ほど関連法案の親分とも言うべき沖繩協定について、これは施政権復帰などというものじゃなく、ほんとうの意味のむしろ肩がわりのための返還じゃないかという、非常に適切なことばをおっしゃっておられました。私もこのことには賛成でありますけれども、時間がないので十分伺えませんでした。そこで、私もこの沖繩返還というものは、軍事、政治、経済の面で、いままでアメリカ沖繩でやってきたことを自衛隊あるいはまた日本政府肩がわりしてやっていくとというととが非常に強いんじゃないかと思いますが、その点についてもう少し詳しく御意見を伺いたいと思っております。  それから、小田さんに一言伺いたいんですが、先ほど伺いますと、沖繩復帰したんだから、今後沖繩県民のしあわせになるようにしてほしいという御趣旨のおことばがありましたけれども、はたして基地があるところに沖繩県民のしあわせがあるだろうかというふうに思います。  特に沖繩基地は、本土基地と違いまして、あの膨大な基地の三分の一は、農地と宅地を収奪してつくられているものであります。したがって、沖繩の農民、特にほんとうの農民は、本土では五反百姓ということばがありますけれども、五反どころじゃない、一反から二反くらいの平均耕作面積というのが普通であります。そういうような状態が残されていて、今後沖繩の農業が繁栄できるだろうか。そうしてまた、農業が廃業できないために農家の方々は、食っていけないために基地で労働力として働かざるを得なかった。そうしてまた、中小企業の方々も、農村市場が失なわれたために、基地に出かけていかなければならなかったと思う。今度の返還で同じような基地依存経済が残されるんじゃないかと思います。その点についてのあなたの御見解を伺いたいと思います。特に、基地が漸次縮小されるだろうというおことばがありましたが、基地返還されると同時に、自衛隊が出かけて行ってまた使うという状況であります。アジア太平洋の最大のかなめ石としての沖繩で、アメリカがそう簡単に基地を手離すはずはないし、その点も含めて御意見を伺いたいと思います。  また、今度国会に出されております政府の振興開発の特別措置法ですが、これを見てみますと、私ども国会質問してみますと、この法案の中に、工業開発地区を指定するというところがある。この工業開発地区に入ってきた企業には、税制上、金融上至れり尽くせりの優遇措置をするということになっているんですね。ところが、工業開発地区というのはどこかと聞いてみますと、やはり金武湾、中城湾だとか言っています、私、現地に行って調べてみますと、その金武湾にはアメリカのガルフ石油その他日本の石油会社も進出しておりまして、あそこに大きな石油基地をつくろうとしている。さらにまた、沖繩にはアルミ産業も進出しておる。石油、アルミ産業というのは公害企業の典型的なものです。そういうものが行って、今後の沖繩の開発というものが県民のしあわせの方向でできるだろうか、私は疑問に思いますけれども、その点についての小田さんの御意見も伺いたいと思います。
  41. 安江洋

    公述人安江洋君) 専門家じゃないので、御満足のいく御返事ができるかどうかわかりませんが、その辺をごかんべん願いたい。  施政権の問題は、施政権返還されたので裁判権、人事権に関する問題は今度の法案の中に隠されている。だから、裁判権、人事権に関する問題で、非常な不安を持っておるんじゃないでしょうか。それから、地域の防衛に対しまして、とにかく沖繩の百万県民が二十六年間も戦争中であって、いわゆる、ほんとうに半分捕虜の状態に置かれているのであります。それから自衛隊が沖繩に進出するということは恐怖感を持つのじゃないでしょうか。これはなぜならば、先ほど申されましたとおり、旧自衛隊が沖繩において、目に余る暴虐をやった。これに対しては真からこわがっておるということです。だから、いかに水が枯渇してのどが乾いても自衛の水は飲まないと言っているんです。そこまで追い詰められたということを考えていただければ、非常に私はいい御発言をなさったと思います。それをどういうふうにするかということは、これから参議院の皆さんでよろしく審議をいただいて、沖繩県民の恐怖を招くということ。自衛隊の進出がやはり将来戦争につながる、進出は基地の拡大である、もう戦争はこりごりだ、こわいこわいで、沖繩県民にしみ込んでおりますから、この辺でよく勘案していただいて、この自衛隊の問題に対しても、沖繩としては絶対反対だ。一部の人は歓迎するでしょうけれども、しかし大多数は恐怖を感じておる。これは戦争につながる一つの条件を含んでいるからではないでしょうか。安保条約の改悪にはなっておりませんが、沖繩返還の問題は、いわゆる事前協議というものがある。事前に協議を申し込まれるならば、アメリカの意思を尊重して、イエスもあるしノーもある。やはりこれは協定がしっかりあれされる間は、そういう問題の不安は非常に多いんじゃないでしょうか。向こうから申し入れられて、それをできるだけ尊重してするというのが日本政府のたてまえである。それならば、いろんな問題があるということで非常な不安を持っておる。だから今度の返還についても、あらゆるものがいままでの状態で、なおそれよりももう一つ圧力がかかったような返還になるんじゃないか。こういうところに沖繩県民が非常な不安を持っておる。先ほどもこちらの先生がおっしゃいましたが、要するに屋良主席が一つの建議書を持ってきたけれども、それが没収になっておる。どういう建議書であるかは、どなたも知らない。こういうことも非常に問題で、不満な点もあるでしょう。そういう審議されない、見てもくれないということは、そこに不信と不満が大きくなってくる。だから、沖繩の解決問題は、非常にむずかしい。一応は何とか片づけてみても、やはりまたどこからか出てくるだろうという感じを持っております。
  42. 金子二郎

    公述人(金子二郎君) 先ほど申しましたように、単的に言って、私の理解する限りにおきまして、今度の協定は、沖繩日本に返すべきだ、沖繩県人は日本人の中に返してやるべきだとアメリカが考えたゆえにできたんじゃなくて、むしろ反対であって、アメリカの極東防衛の肩がわり日本がする。そのためにアメリカ沖繩施政権を返したというふうに私は受け取ります。御承知のように、いまアメリカは国内の事情がありますけれども、世界のあっちこっちで、いわゆる防衛肩がわりということを教えております。で、あるところにおいては防衛分担金を出させたり、あるところでは基地の変更があったりしておりますが、私は、これはアメリカ側から言えば、沖繩日本に返したということは、極東防衛の一端を日本に負わしたというようなことだと思います。共同国の信頼関係とか、アメリカの好意だとか言われますけれども、従来、国際関係というものは、なるほど外交交渉の上では長年の友情によってとか何とかの好意によってとは聞きますけれども、しかし、国際関係を決定するものは、それぞれの国それぞれの民族における、いわゆるナショナル・インタレストといわれるもの、具体的には、いまのはなはだ遺憾な形、その内容的には、力の関係だと私は理解いたします。そういうもので決定されるんで、文書の上ではなるほど信頼、国益といいますけれども、日本人は好きだから、日本人がよく働いたからお礼に返してやろうという形が出てくる筋合いのものではないと思います。もともとそういう返還であればこそ、この協定から始まって、この関係法案でも出てきますが、これはなるほど使われなかった基地を返すことはありますけれども、これはアメリカからいってみても、返したほうが安上がりでいいに違いない。ところが全体としての沖繩基地機能というものは、変更はないという保証をアメリカは取りつけているようです。アメリカ国会あたりのものを見ましても、権威筋の人たちの書くものを拝見しても、一様にそのことを強調しております。沖繩基地機能はだいぶ落ちたけれども、しかし、日本とこのアメリカとのフレンドシップによって譲ってくれたという言い方はだれもしておりません。沖繩は決して基地機能を落としてはいない。結局、アジアにおいて、日本人に戦わせるということがございます。それに見合うような形でいくから、こういう問題が出てくるわけです。この関係法案も、重ねて失礼なことを言っているんですけれども、これも一つずつ言ってみたところでどうにもならない。そこで施政権が返ってくる、さっき申しましたように、アメリカ政府のかわりに日本の民政府みたいなものができるという形が一番理解しやすいような気がいたします。さあ、そうしてきたときに、施政権日本に来たということになると、大企業が工場を求めて沖繩へ進出することは、いまよりだいぶやりやすくなりましょう。そうすると、また、日本施政権を持っておるんだから、ひどくおくれているところへ補助金を出したりして、いわゆる景気振興することも、あるいは可能になりましょう。しかし、補助金をもらって、それで地域なり国がりっぱに立ち直ったという例は、史上ないとはあえて申しませんけれども、これはほとんどあり得ないことだというのは、国際的に見て、外国の軍事援助、経済援助に頼ってやっている国はいまでもあります。それは一体どういう形の国になって、どういうふうに動いているかということははっきりする。なるほど補助金を出していろいろな施設をつくれば、いろんなこともできましょうけれども、それでは沖繩の復興にはならない。沖繩の復興ということは、沖繩社会に自力がついて、そうして経済的にも自立し得る力を持つようになることなんです。いまのような、ああいう軍事基地一ぱいのところで経済復興をやろうと思ってもできない。それをちょっとの補助金をやって、何かやったように見せていては、ちっとも沖繩のためにはならないと思います。はなはだ痛しかゆしですけれども。にもかかわらず、何でもいいから沖繩を早く返してほしいというのがみんなの念願に違いないけれども、これははなはだぶしつけなことを申して失礼ですが、それにつけ込んで、さっきも言いましたように、これから世界の情勢は刻々に動いていっております。沖繩軍事基地は、これから極東の情勢がいろいろと動いていく中で、どういうふうに作用していくのか。わざわざ自衛隊などを送り込んで、さっきどなたかがおっしゃいましたように、あそこの国土防衛というのは、一体何に備えて国土防衛をするんですか。沖繩まで出かけていって、あそこに自衛隊を置くということは、必然的にアメリカの防衛力の助っとになっていくことなんでしょう。そういう状態をつくり出して、さて、台湾が解放され、インドシナはおさまり、インドネシア半島も何とかおさまってきた状態になって、日本はあそこまで出かけていって、アメリカの片棒をかついでいるような状態をここでつくり出して、沖繩の福祉につながるとは私には理解できないということを申し上げたつもりでございます。
  43. 小田悦雄

    公述人小田悦雄君) たいへんむずかしい御指摘をいただいたわけでございますが、私は、先ほど申し上げましたように、沖繩の現地についてつぶさに、たとえばここは農業がはたして適地であるのかどうか、あるいは工業を誘致するためにはどういう地域にそれを設定したらいいのか、その辺のことはよくわかりませんので、たいへん失礼なごく一般的な論を申し上げたわけでございますが、かりに私の町に基地があった場合にはどうだろうかということを私はいつも考えるわけでございます。私の町は、一万三千人ほどの人口でございまして、約七五%が山でございます。先ほどこちらの方がおっしゃいましたが、おもに三河湾の国定公園として観光的な資源を住民生活の資源として、公害企業は誘致しない。美しい自然こそ住民の資産であるという考え方で、その開発計画を進めておるわけでございます。沖繩は、私どものいわゆる恵まれた経済県の中の一町、幡豆、人口は横ばいで、いわば後進的な地域でございますが、そういう地域とは比べものにならないほど悪い条件を持っていらっしゃると思います。特に基地の問題にいたしましても、基地のあるところはすべて一等地であるというようなことも事実なわけでございまして、そういう面で、やはり沖繩を開発していく前提は、基地を漸次縮小していくという基本がなければ、なかなか産業の振興というものは至難であろうということを考えるわけでございます。  なお、基地を漸次縮小していくんだという御見解については、私ども新聞とかテレビなどの政府の答弁を伺いまして、それを信頼いたしておるわけでございます。  従来、やはり基地の問題については、そうした前提で、今後日本に返ったら、なおそのような運動をぜひ展開していってほしいものだと思うわけでございます。  工業の誘致につきましても、やはり観光だけに頼るのは、一つの地方自治体を運営する場合に、これは至難な問題だろうと思います。したがって働く場所をつくるためには、公害を生まない企業の誘致を積極的に考えられていいんじゃないか、このように考えます。
  44. 今泉正二

    今泉正二君 私は一年生議員で、議員になりまして初めて——自民党は数が多いので順番が回ってまいりません。名古屋で歴史的に二・三分時間をいただきましたことをまずお札申し上げます。  私は、「でいごの会」の副会長であられます安江さんの御意見、いろいろ傾聴に値いたしまして勉強になりました中で、賛成の部分のうんと大きいところを声を大にして強調いたしたいと思います。私は、沖繩はいつまでも人の力にたよらずに経済を自立して、自分たちで金をもうけ対抗していかなければいけないと思っております。超党派で。そして、観光ということに、私、九月、十月、十一月と自民党の中では新人議員、特に皆さま方がタレントという名前をつけております議員の中では、一番よく沖繩へ行ってまいりました。二十日近くいろいろ見てまいりました。自民党きらいな人にもうんと会いました。また逆の面の人にも会いました。私はまだ政治のことは身についておりませんので、一般の庶民の方のお気持ちに近いものを私自身も持っております。年数が多くなると、政治家としては非常にらつ腕になったり、敏腕にはなりますけれども、庶民感覚にうとくなるというようなことを幾多のデータで、私たちは、専門家の方を見ていて思うことしきりでございます。これはわが党においてもしかりでございます。私は、こういうにくまれ口をききながら、何を言いたいかといいますと、ハワイと非常によく似ております沖繩は、野党の先生方も御承知のように、中部、北部はたいへんに観光になる要素がございます。私、ハワイと比べてみました。ハワイに私の友だちも大学の先生をやったりしておるものがおります。ハワイは二十四余りの島の中の七つの島に人が住んでおります。沖繩は違っておりましたらおわびをいたしますが、私の調べたところでは、七十二、三の島がございまして、人の住んでおるところが四十八です。そして、ハワイは五億ドルかせぐのに二十年かかっておりまして——私は、金のことを非常に気にするたちでございます。沖繩は三百万ドル程度でございます、観光財源のほうは。そして、十年の目標で一億二千万ドルに向かっているんですが、なかなかこれだけではたいへんでございますから、政府がある程度を金を出さなければなりません。そして、安江先生がおっしゃったように、エメラルドのような海、そして、マンゴの木、ハイビスカスの咲いているあの沖繩をそのままほっておくことはございません。私もハワイには七回ばかり参りまして、変わったところを見ると、ワイキキの浜辺、真珠湾、パイナップル工場、無名戦士の墓、フラダンスのショー、火山、大体こんなところがメインイべンドでございます。沖繩のほうは、中部の海岸の美しいところ、パイン工場、沖繩古来の芸能舞踊、空手、びんがたの見学。それから、おっしゃったように、戦争は——私も七人家族で六人死んでおります。自民党に入っておりましても、戦争なんか好きではありません。私は戦争は大きらいです。自民党の人も全部きらいです。その中でも特に一番ひどく家族を痛めつけられておりますから、これは皆さまと同じ御意見です。戦争は私自身がいやです。そして、野党の方々が自民党の方々とかわりばんこに政権の移行をしたらいいなということをテレビでも申し上げまして、栗林さんも一緒におられましたけれども、そういうふうに似てるところ、いいところはどんどんよその政党でも取り入れて、こっちの政党のこともひとつ取り入れていただくという妥協点で政権は移動したほうがいい。観光問題と違った話になりましたけれども。大賛成でございます。観光の問題でも、「でいご」の方々と私たちと、また沖繩の人々と、今後話し合いたいと思います。しかし、私は質問をさせていただけたということと、観光の問題が一致したということは、感激しております。ありがとうございました。一言答弁をいただきたいと思います。
  45. 安江洋

    公述人安江洋君) その辺は完全に一致しているんです。たいへんけっこうなことで、そういう事態になりましたならば。しかし、そこに大きな企業が乗り込んできて、沖繩の人がこき使われるというようなことにならないように十分配慮してもらいたい。その辺でございます。
  46. 川村清一

    川村清一君 公聴会の運営について座長に一言御要望申し上げたいと思います。  公用地暫定使用の問題は、われわれは憲法違反の疑いがあるということで、国会の中で鋭く抵抗、追及するということは、御承知のとおりでございます。さて、公述人質問を申し上げるときに、これは憲法三十一条違反ではない、二十九条違反でないということを前提として質問をされますというようなことになりますれば、これは私どももこれに対して反応をしなければならない。そこで、議論をするというようなことは絶対避けなければならない。かように考えております。こういうようなことにならないように正常な公聴会が運営されるように座長においては御留意されますように御要望を申し上げます。
  47. 森勝治

    森勝治君 時間が来たようでありますから、かいつまんで一点だけ小田さんに御質問をしたいと思うんですが、小田さんは、先ほど御紹介になりましたように、地方行政の第一線に立たれて、まことに御苦労さまだと思います。そういう立場で、それに関して質問をしたいと思います。あなたが後段で言われたことばの中に、私だけが先頭に立とうと思っても、町の人がついてきてくれなければ何にもならないというおことばがありました。そこで、私はそういう点から御質問させていただきますが、先ほど安江さんがはるかふるさとの沖繩に対する望郷の念にからみながら、切々たる沖繩の声を述べられました。私は感銘深く聞いておったのであります。この沖繩の、いわば琉球政府の代表をする屋良さんが琉球政府の建白書なるものを持って上京いたしました。御承知のように、羽田についたそのとたんに、この沖繩の心をじゅうりんして、自民党は衆議院で強行採決はしないと言いながらしてしまったのは御承知のとおりです。屋良さんは全くやるせない思いで、あの翌日の新聞も、おそらくあなたも地方行政の頂点に立っておられる方でありますから、おそらく思いを同じくされたのじゃないかと思います。この沖繩の建白書なるものは、いわゆる沖繩の心、県民の心を具体的に政治の場に反映していただきたいということで出されてきたわけでありますが、時間がありませんから、ここでこの内容についてつぶさに解明することはできません。しかし、ほんとう沖繩の心を心とし、日本の平和、世界の平和を考えるならば、この沖繩の人々を代表する建白書を政府は読み、そして、中で取るべきものは取るというふうにするのが国政のあり方だと思います。こういう沖繩の心を無視したやり方は、もし、あなたがそういう立場にあった場合に、町の意向を携えて会いに参った場合に、そういうことをされても、先ほどあなたが言った、自民党がうそを言った場合に支持しないということで大上段にかぶられたのでありますが、そういう立場になったときに、あなたはこの町の先端に立ち、あなたは、そして町の人々は、どういう気持ちになられるでしょうか、その点についてお伺いします。
  48. 小田悦雄

    公述人小田悦雄君) それぞれ地域、県民の意思を建白書に盛られて、主席が持ってこられた。その前に国会はすでに審議が終わってしまったという点で、私がこの立場になりましても、さぞかし残念であったろうと思います。しかし、国会の審議を一方的に打ち切ったとかどうかということにつきましては、いろいろな事情もおありでしょうから、私はわかりませんけれども、それぞれの意思を携えて持ってこられたのが間に合わなかったということは、間に合わしていただけなかったということは、やはり主席として、代表として残念なことであったろうと私も思います。
  49. 剱木亨弘

    団長剱木亨弘君) 以上で午前中の質疑は終了いたします。  この際、一言公述人方々に申し上げます。  本日は、長時間にわたり終始貴重な御意見をお述べいただき感謝にたえません。本委員会における今後の審査の上に多大の参考となりましたことを厚くお礼申し上げます。  それでは午後一時三十分まで休憩をいたします。   〔午後零時二十五分休憩〕   〔午後一時三十分開会
  50. 剱木亨弘

    団長剱木亨弘君) 休憩に引き続き、参議院沖繩及び北方問題に関する特別委員会名古屋公聴会を再開いたします。  まず、本日の午後御意見を承ります公述人方々を御紹介申し上げます。  愛知同盟会長朝見清道君、元教員戸田正子君、弁護士安藤巌君、小牧市議会議長栗木栄三君。  公述人の皆さまには御多忙中のところ御出席をいただき、厚くお礼申し上げます。  次に、会議の進め方につきまして申し上げますす。時間の関係上、御開陳の時間は、お一人当たり十五分以内といたしますのでよろしくお願いいたします。それから、御意見を承りましたあとで、委員から御質問申し上げることにいたしておりますので、その折はなるべく簡明にお答えをお願い申し上げます。なお、本日の趣旨は皆さま方からの御意見を拝聴いたしますことにありますので、私どもに対する御質疑は恐縮ながら御遠慮願いたいと存じますので、あらかじめ御了承願っておきます。  なお、円滑に会議を進めてまいりたいと思いますので、発言をなさる方は座長の許可を得てからお願いいたします。  それでは、これより順次公述人の方に御意見を承ります。発言は私から順次指名させていただきます。  まず、朝見公述人にお願いをいたします。
  51. 朝見清道

    公述人朝見清道君) 朝見でございます。私は労働者立場から、率直に関連法案に対する意見を述べたいと思います。  二十六年間に及びます異民族の支配下に苦しんでまいりました沖繩返還は、日本国民の心からの悲願でありました。この二十六年間、人権がじゅうりんされ、あるいは財産権が無視され、ほんとうに苦しみの連続だったと思います。この沖繩日本に返してもらいたい、この悲願の求めているものは何かと言いますると、それは核抜き完全本土並み復帰であろうと思います。鉄かぶと軍服の復帰ではなくて、ほんとうに平服の復帰国民は求めてると私は思います。また、平服の中身は日本憲法に照らしまして、あくまでも疑念のない、憲法に完全に合致したものを求めておると思います。その根幹をなすものは、私は何といいましても、巨大な米軍基地を取り除くかどうか、ここに問題の焦点がしぼられていると思います。しかしながら、このような立場で今回の返還問題を国会の論議等を通じて見てまいりますると、私どもが求めておりました復帰内容とはほど遠いものがあると思います。それはあくまでもアメリカの極東戦略基地としての役割りや機能をそのままにしたものでありまして、ことばが過ぎるかもわかりませんけれども、実質的には完全復帰完全返還ではなくして、半復帰、半返還とも言えるものではないかと思うのでございます。そのような意味におきまして、私は半復帰、半返還のような実態を伴いまする関係法案は、直ちに撤回をされまして、文字どおり憲法に基づく新しい法案が提出をされて、日本国民が心から喜びあえる復帰返還が実現することを心から期待をいたし、また、強く主張をいたしたいと思うものでございます。また、巨大な基地をそのままにして、真の平和な沖繩県民の生活や、あるいはまた沖繩の開発ができるとは思いません。沖繩問題の焦点は、まさに軍事基地をいかにして撤去するか、先ほども申しましたように、その一点にかかっていると思います。したがいまして、先ほどから申しておりますように、私は、公用地等関連法案、その他諸法案が完全本土並みを最低とする、憲法に合致した法案に改められるようにお願いをいたしたいと思います。  以上のような基本的な考え方に立ちまして、私、二、三意見を述べさせていただきます。  第一は、公用地暫定使用に関する法律案でございまするが、何と言いましても、占領という暴力事態の中で接収されました用地を一片の告示で何ら所有権者に返すことなく、五年間引き続き使用ができる。しかも、その内容は本質的に占領接収の継続的なものであると思われるのでございます。また、五年間たったあとはどのようになるのか、このことについてすら明らかでございません。しかも、使用目的、あるいはまた、基地内容等も明らかにされておりません。巨大な基地特殊部隊、核不安、いずれ一つをとりましても、返還協定の中に、この関連法案を通じまして、そうした法律的な問題というものが現在の基地を追認する。ここに焦点がおかれておることは非常に大きな問題であろうと思います。また、自衛隊にも同様の使用を認めておりますけれども、自衛隊はもし使用するといたしましても、それは長期使用でありまして継続使用——暫定使用ではございません。これらのことにつきましては、もう私が申し上げるまでもなしに、本土の国内法関係との大きな違いがあらわれておるのでございます。すなわち、日米安保条約に基づく地位協定の実施に伴う土地等の使用に関する特別措置法等を見ましても、同附則第二項で六カ月以内とされておりまするけれども、今回の場合には簡単に五カ年間と規定されておるのであります。また、現在の土地収用法では、国防分を土地収用の公共事業でまかなっていることは申し上げるまでもないところでございます。したがって、自衛隊は本土と違って、沖繩においていかなる権限をもって使用をするのか。日本憲法から照らしても、私は大きな問題があると思います。このように本土の諸法規に合致しないばかりでなく、憲法規定いたしておりまする平等、あるいは財産権の擁護、これらの問題に相反する内容を多く含んでいると思うのでございます。したがいまして、私は、今回出されておりまする法律案は直ちに撤回をされまして、新たにもしつくるといたしますならば、公用地を対象にした法案と、軍事基地を問題にした法案と、法案自体が分離されなければならないと思います。  次に、沖繩復帰に伴う特別措置に関する法律案の中で、特に問題になると思いまするのは、百三十一条に規定されておりまするボイス・オブ・アメリカ中継局の放送の問題があろうかと思います。しかも、これは五カ年間の期間、電波法の除外措置がなされております。返還協定におきまして、衆参を通じて私ども拝聴いたしますると、この放送局の問題は非常に大きな問題になっておるのでございまするけれども、私は、あくまでもこの関連法案におきましては、日本の電波法の枠内に規制をする。このことを明らかにすることが大切ではないかと思います。極東の平和、あるいは新しい今日的段階におきまする、アジアにおきまする日本の平和の姿勢、こういうものからいたしましても、これは厳格に日本の電波法の中に組み込まれなければならないと思うのでございます。  次に、沖繩振興開発特別措置法の中でございまするが、時間の関係できわめて問題点のみの発言になって恐縮でございますが、五十二条で開発審議会の設置等がきめられております。あるいはまた、五十三条で審議会の組織等がきめられております。私は、沖繩の新しい開発はどのような立場で進められていくべきか、これはあくまでも平和に徹した住民本位、庶民本位、市民本位のものでなければならぬと思います。したがって、この審議会の中には明確に勤労者を代表いたしまする労働者の代表が参加する、このことが明らかにされまするように心からお願いをいたしたいと思います。  次に、沖繩の円とドルの交換の問題でございまするけれども、十月九日に緊急設定が行なわれておりまするけれども、実際的に、それ以後の今日的な問題について、何ら解決の方途を示していないと思います。したがって、私は、沖繩県民に重大な経済的な影響を持ちまする円とドル問題につきましては、三百六十円のレートで、沖繩県民の円の切りかえを行なうべきではないか。このことは、政府が責任をもって行なう措置を明らかにされまして、直面しておりまする経済的な不安を解消されるように心からお願いをいたしたいと思います。  次に、私は沖繩県民の豊かな生活を実現する積極的な具体策を心から切望いたすのでございまするが、わけても第一に、雇用の確保と安定につきまして、特段の政府施策の積極的な対策を心からお願いをいたしたいと思います。沖繩におきまする雇用の確保、安定、これはゆるがせにすることのできない緊急的な課題ではないかと思います。さらにまた、二番目といたしまして生活関連社会資本の充実でございます。聞くところによりますると、小・中学校の校舎等の基準面積を見ましても、本土は九五%、沖繩は六九%といわれております。あるいは医療問題等を見ましても、人口十万人当たり病棟数で、本土は千二百、沖繩は七百といわれております。医療の面から見ましても、社会資本が、生活的に関連する面から見ましても、きわめて大きな差があると言わざるを得ません。これらにつきましては、文字どおり日本の全力を沖繩の生活向上、豊かな暮らしのできることに注いでいただきたいと思います。  時間がまいりましたので、私は最後にお願いしたいんでございまするが、参議院は良識の府といたしまして、アメリカの関連法案に対しまする要請、圧力から独立をしていただきまして、そして、真に沖繩県民の心を心とした日本法案を策定していただきたいと思います。アメリカは関連法案が通らなければ沖繩返還をしないというようなことが、新聞等で報道されております。私は、このようなことは日本に対する大いなる侮辱であり、言語道断として、許すべからざる態度であると思います。いまこそ、日本参議院が、先ほど申し上げましたように、良識の府としての立場をはっきり確立し、その権威を内外に明らかにしていただきたい。このことを強く切望いたします。さらに琉球政府から出されておりまする要請や、多くの意見がございまするが、どうか現地沖繩県民の心に基づくそれらの要請、意見を取り入れた、ほんとう国民が心の底から喜びあえる沖繩復帰返還がなされるように心からお願いをいたしまして、私の意見を終わりたいと思います。
  52. 剱木亨弘

    団長剱木亨弘君) どうもありがとうございました。  次に、戸田公述人にお願いいたします。
  53. 戸田正子

    公述人戸田正子君) 戸田でございます。私は国民の一人として、また、主婦として、このたびの沖繩臨時国会と言われます国会の最も重要な案件を審議しておられますこの委員会で、公述の機会をお与えくださいましたことを光栄に存じます。と同時に、責任の重大さを痛感いたしているものでございます。  沖繩施政権返還は、百万の沖繩県民をはじめとして、一億国民の長年にわたる宿願でございました。一昨年の十一月、日米首脳会談におきましてその基本的合意が成立し、本年六月十七日に沖繩返還協定の調印の運びに至ったことは、戦後の歴代内閣、特に佐藤総理の長年にわたる御苦心と御努力の結果であり、また、古今東西に先例のない、戦争で失われた国土が平和のうちに返還されるということは、日米両国の相互信頼、友好協力の賜物と存じまして、深く敬意を表し、心からお喜びを申し上げると同時に、関係法案の立法化促進をお願い申し上げ、返還の日の一日も早からんことを祈念いたし、返還賛成立場に立って申し述べさせていただきます。  私は、昭和六年より昭和三十二年まで公立学校に職を奉じ、戦前、戦中、戦後を通じて国民教育に従事し、退職後は愛知県婦人教育指導員、法務省特殊面接委員、警察署青少年補導委員、民生児童委員等の委嘱を受けまして、社会教育、青少年健全育成に努力を尽してまいった者でございます。したがいまして、私のささやかな経験を通しまして、教育問題についてこれから述べさせていただきたいと思います。敗戦直後は、本土におきましても教育の場も数多くの苦難がございました。戦時中食糧増産のために掘り起こし、一面の畑地となっていた運動場の整備に、あるときは二キロぐらいも離れた河原から川砂を風呂敷に包んで、いたいけな低学年生が両手にぶらさげ、アリの行列式に炎天の下を歩いて運動場に運びました。私もともに、生徒よりは大きい袋を持っていたしました。現在の繁栄下の本土におきましては、ほんとうほんとうだったかしらと思うような姿でございました。トラックももちろんございません。オート三輪もございません。リヤカーといえば、タイヤはつぎはぎだらけのリヤカーでございました。そのリヤカーを引っぱるのは高学年の生徒、私はその姿をいまはっきりとまぶたに焼きつけております。また、集団疎開地先より帰校いたしました際に校舎の焼失としております学校は、二、三校が集まりまして、焼け残った学校で学び、教育をいたしました。そうして、二部式授業はむろんのこと、みんなががんばりましょう、とにかく立ち上がらなければということで、学習に、また、体育にと励んだわけでございます。教育内容の一大変革では、教師も児童も父母も力をあわせて苦難の道を歩みました。詳細は皆さま先刻御承知でしょうから省略させていただきますが、軍政下でございますから当時を思い起こしますと、りつ然たる思いでございます。しかし、軍政下とは申せ、民族、国家、言語をひとしくし、長い歴史と独特の文化と伝統を持つ誇りをかみしめて黙々と努力をいたしてまいりました。特に沖繩におかれましては、異民族の支配下で一そうの御苦労があったことと存じます。しかも、二十六年もの長期にわたる苦難の道を歩み続けてこられましたことを思いますと、目がしらが熱くなって、胸に迫ってまいります。私は、いまだ沖繩を訪れたこともなく、はなはだおこがましいとは思いますが、現段階で私なりに把握いたしております観点から、復帰後の沖繩教育問題について述べさせていただきます。  第一に、沖繩本土に比し、教育施設、教育設備が劣っておる。本土との格差がかなり大きいとのことでございますが、愛情ある施策のもとに、できる限り早期に本土の標準並みに整備しておく必要があるのではないかと考えます。  第二に、教育行政制度につきまして、沖繩では教育委員は公選制をとっているとのことでございますが、復帰本土並みとなれば、任命制をとることになるのではないかと考えます。しかし、沖繩では教職員の方々反対をしておられるとのことですが、本土ではすでに公選制を経験して、昭和三十一年より任命制となり、以来今日に至っておりまして、国民の良識にささえられて、着々と定着いたし、教育正常化の道を歩んでおりますので、復帰の際には、教育国民の共通の課題であることにかんがみ、すみやかに本土と同様にすべきであると考えます。  第三に、沖繩は往時南方ルートの本土輸入の門戸でありました関係上、数多くの特色ある文化財があると聞いております。戦災で多くを失ったとも聞いておりますが、幸いにも戦災を免れた文化財の保全につとめられ、無形文化財の保護等に力をいたし、沖繩における特色ある文化の発展を助長すべきだと考えます。  第四に、学校給食につきましては、本土におきましては、戦後あの食糧難の際、ユニセフ物資、ララ物資などの援助のもとに学校給食が実施され、最初は脱脂粉乳のみの給食でございましたが、その後小麦粉をいただいてパンが加わり、さらに副食物も加わり漸次形を整えてまいりまして、ただいまでは小、中学校の完全給食にまで進展し、学童生徒の体位の向上は著しく、一般家庭の食生活の改善等にその功績は顕著であります。とりわけ、どのような家庭の児童も、また教師も、ともにそろって同じ食事をするということは、戦前、戦中、昼食の時間となりますと、お弁当箱を隠すようにして、食事をしなければならなかった学童をしばしば見かけたことを思うにつけ、何にもまして喜ばしく、有意義であると思います。沖繩におきましても、学校給食物資におきましては、従来より米軍の物資援助もあり、実施されているとは聞いておりますが、復帰のあかつきには、これにまさる国費の援助を行なって、本土と同様の学校給食の普及充実をはかり、児童生徒の体位の向上をはかることが肝要だと存じます。  第五に、沖繩本土復帰という歴史的な機会を迎えるにあたって、教育委員においてもこれを記念するとともに、沖繩の振興をはかるためのいろいろの記念事業を行なうべきだと考えます。たとえば、復帰記念の特別の体育大会の開催や国立青年の家の建設等も計画されてはいると聞いておりますが、そのほかユースホステルの整備、青少年団体の育成、婦人学級活動の振興など、諸種の事業を重点的に進展させるべきだと考えます。  第六に、社会教育の振興につきましては、国内研修生の皆さんとの話し合いによりますと、この問題についてはいまだ本土との格差は大きく、特に社会教育の場に悩みがあるように聞いております。復帰後は社会教育の諸施策を推進するとともに、図書館、公民館等の施設を増設し、その内容の充実をはかることが肝要だと考えます。  以上、教育の刷新充実と郷土文化の振興と教育諸問題について申し述べさせていただきましたが、最後に、教育は人である、人と人との触れ合いであり、血のかよった教育が望ましい。健全なる身体、健全なる精神、さらに深い教育愛の所有者であり、子弟同行、ともに行じる、常に努力を積み重ねて前進する教職員こそ、真の教育者であると考えます。真の教育者の養成機関、現職教員の再教育法等につきまして、関係各位の深い御理解と善処方を切望いたします。教育の正常化、青少年の健全育成を目ざして、日本退職女教師連合会は、美しい日本に生まれた青少年子女が、よい日本人として、優れた世界人に育つよう、よい家庭をつくり、よい社会をつくるために、私たちは、かつて教壇に尽した力をいま一度ささげることを誓い合いましょう、という願いを合いことばにいたして、全国的な運動を展開いたしております。八十九才の会長さまに続けと、明治、大正、昭和の三代に生をうけ、三代に職を奉じた婦人が、それぞれのよさを出し合って学びあい、ささげることに生きがいを見つけております。沖繩復帰したらたくさんの同志が加わっていただけることと確信いたします。その日が一日も早く到来いたしますよう心より祈念いたしております。  関係法案の審議をすみやかにお進めいただき、早期成立をはかり、沖繩返還の実現を期していただきますよう切望してやまない次第でございます。突然の御推薦を受け、力不足の身に加えまして、勉強不足で十分意を尽くすことができませんで失礼いたしました。これで終わらせていただきます。
  54. 剱木亨弘

    団長剱木亨弘君) どうもありがとうございました。  次に、安藤公述人にお願いいたします。
  55. 安藤巌

    公述人安藤巌君) 安藤でございます。私の意見沖繩返還について審議されるにあたりまして参考にしていただけるということは、全く光栄に存じております。  まず初めに、私は、この沖繩返還問題について、基本的にどういうことを考えるべきかということを申し上げたいと思います。三つありますが、戦後二十六年間に及ぶ非常に長い間、アメリカによる軍事優先の支配下にあった沖繩県民人たちが支配者から加えられた各種各様の損害に対しましては、あたたかい補償をすべきであるということであります。  それから二番目に、沖繩県民に対する差別的な取り扱いをなくするということ、そして基本的人権の確立と、その回復をはかるべきであるということであります。  三番目に、沖繩県民の意思を十分に尊重して、軍事基地のない平和と民主主義の沖繩県を建設するように努力する決意を日本人として固める必要があるのではないかと、こういうことでございます。  こういう基本的な考え方に立ちまして、沖繩返還協定とこれに関連いたします七つの法案を見ますと、幾つかの重要な問題があるわけです。しかし、すべてにわたりまして詳細に申し上げる時間がありません。また、私もすべてをこまかく検討したわけではございませんので、特徴的なところ、重点と思われるところだけを申し述べさせていただきたいと思います。  最初に申し上げました基本的な考え方のうちの補償の問題につきましては、アメリカに対する請求権を放棄するということは全く大反対であります。これは何らかの措置をとるべきであると思います。もちろん法律的には、日本政府が請求権を放棄してしまうという日本政府行為に対して、沖繩県民からの不法行為、もしくは国家賠償法に基づく請求、あるいは特別立法による請求権の確保、こういうことが考えられると思いますが、そういうことを考えるべきであるというふうに思います。審議の対象になっております沖繩復帰に伴う特別措置に関する法律案について申し上げますと、これは私の専門であります裁判の効力の点について触れさしていただきますが、返還協定の五条で民事裁判、刑事裁判双方ともこれは原則として効力を認めるというふうになっております。ところでこの法律案の四章、「裁判の効力の承継等」、そのうちの第一節の民事関係について、これは行為法律に違反しなければ効力を認めるということになっておりますけれども、当事者の申し立てがあれば、行為法律に違反する違反しないを問わず、やはり再裁判の道を認めるべきではないかというふうに考えます。それから第二節の刑事関係についてでございます。これは特に人権に関する点が重大でありますので、効力を認めるのはいけないというふうに考えます。この裁判の効力をどういうふうにして認めるかということは単なる技術的な問題ではなくって、返還の本質にかかわる問題であるというふうに伺います。まず、これまで沖繩におきましては、アメリカの民政府裁判所に対して琉球政府裁判所は従属した形になっております。たとえば琉球政府裁判所で裁判をしようとしたところが、アメリカ政府裁判所へ移送しろということで移送されてしまったと、あるいはアメリカ政府裁判所で再審する、もう一ぺん調べ直すというようなこともやられております。それから、アメリカの軍事上の目的の支配下でこれは行なわれた裁判であるというのが基本的にあるわけです。そして日本の刑法第五条のたてまえからいいましても、これは外国の判決の効力を認めておりません。こういう関係からいいましても、この刑事裁判の効力は認めるべきではない。そうでなければ憲法第十四条の「国民は、法の下に平等」、これに沖繩県民だけ差別的扱いをするということになります。この点につきましては、さきの奄美群島協定方式というのを検討していただきたいというふうに思います。日本弁護士連合会も、この裁判の効力の問題につきましては、これはことしの五月だったと思いますけれども、先ほど私が申し上げましたような、大体そのような内容のことで要望書を日本政府当局に提出しておると思いますので、御参考にしていただければと思います。  それから、この法律案の第八章の第十一節百四十二条というところですが、労災保険の問題につきまして規定がございますが、本土では労災保険につきましてはその保険料率、それから計算の方法というのはちゃんと法律できまっております。ところが、この法案では保険給付の額をすべて政令に委任しております。こういう点からいたしますと、これは労働者の権利に対する手当てがおろそかではないかというふうに思います。  次に、沖繩における公用地等暫定使用に関する法律案についてでございますが、これは先ほども朝見さんがお触れになったことですけれども、結局この法律案の趣旨は、アメリカの軍隊の使っている土地——これはもちろんアメリカ軍事基地です。それからアメリカ基地を引き続き自衛隊が使用する土地、これは五年以内ということになっておりますけれども、まず五年間は使用することができるということであります。そして、この法律の施行によって使用権限が発生してしまったあとで、防衛施設庁長官になろうかと思うんですが、その地主の人に通知すればいいんだということであります。提案理由の説明によりますと、空白期間ができるし、アメリカ軍に日本を防衛してもらっておるんだし、自衛隊が防衛するのが必要だからということで、これは必要だと、たくさんの地主さんがおられるんでいちいち契約をするということは困難なので、やむを得ないというふうに申しておられたのを提案理由の説明書で私拝見いたしましたが、これは全く軍事上の問題にのみ重点を置いて、沖繩県民人権を無視する全くかってなことで、とんでもない差別待遇、財産権に対する重大な侵害行為になるというふうに考えます。佐藤総理大臣は本土並みということを言っておられますけれども、これでは本土並みではないわけであります。先ほども触れられました日米安保条約とそれに伴う地位協定の実施に伴う土地等の使用特別措置法、これによりますと九十日以内に通知をして、六ヵ月以内の期間で一時使用すると、この法律それ自体も問題でありますけれども、これと比べましても、この法律案本土並みではないということがいえると思います。それから、さらに本土では、自衛隊は土地収用法によって使用する土地を収用してはおりません。強制的に自衛隊が土地使用することができるという法律はないと思います。ところが、この法案は、沖繩では強制的に軍用地として使用することができるようにするものであります。これは明らかに差別でありまして憲法十四条の法のもとにおける平等にも違反するし、二十九条の財産権の侵害ということにもなると思います。そして、本土並みということでは、沖繩にある軍事基地機能、装備、その規模、兵器の種類などからいたしますと、この返還協定によって、沖繩での状態本土にまで拡大されるんではないかと、そういう本土沖繩化ということが心配されておりますけれども、その状態につきまして、先ほど申し上げましたようなことが本土でも行なわれるんではないかという危惧の念さえ感ぜられるわけであります。ところで、この法律案で私はおもしろいのをちょっと発見したんです。「権原を取得するまでの間」ということになっておりますが、これは権原がないことをまあ法律案自体が認めておるみたいな感じがするわけですね。まあ思えば、沖繩はあの一九四五年六月、アメリカ軍に占領されました。激しい戦闘でたくさんの犠牲者を出しました。そのときに沖繩県民人たちは銃剣で強制収容所へ追い込まれておったわけです。で、アメリカ軍は勝った軍隊ですから、占領して、そして、そのついでに沖繩県民土地を占領目的ということで、占領行為として囲い込んでしまった。それがずっと引き続いてきておる。そういう状態なので、やはりいま権原がないんで、「権原を取得するまでの間」ということになるわけですけれども、権原のないのを承知の上で、結局、ことばは悪いですが、やられひったくりというふうに引き続き使用し続けて地主に返さない。しかも、この権原のないのをこの法律案で正当化しようとする、ということになろうかと思います。これでは沖繩県の人たちにとっては、施政権返還してもらって、本土人たちと一緒になるんだというような意識はとうてい出てこないのではないかというふうに思います。  次に、沖繩振興開発特別措置法案についてでございますけれども、これはその一条にりっぱな目的が掲げてございます。「住民の生活及び職業の安定並びに福祉の向上に資する」ためだというふうになっております。ところで、最初に私が基本的な点として申し上げました、沖繩県民の意思を十分尊重するという配慮がなされておるのかどうかということを見てみますと、まず振興開発計画の原案は県知事が作成するということになっております。しかし、それを最終的に計画として決定するのは内閣総理大臣になります。これではやはり住民自治の原則からはずれておって、いま本土でも三割自治とか何とかいわれておりますけれども、中央集権的なものではないかと——これは立案、決定をやはり地元にまかせるべきではないか、そして、本土におきますいろいろな開発等にありますように報告ということでいいのではないかというふうに考える次第であります。  それから、この内閣総理大臣が決定する際に審議会の意見を徴するということになっておりますが、この審議会の委員が二十五人ということになっております。ところが、そのうち過半数の十三人が、これは内閣総理大臣が任命します政府行政機関の職員であります。そして地元の関係者は、知事、市長あるいは県議会の議長さんを含めてわずか六名にすぎません。先ほども労働者の代表を入れるようにすべきだという御意見を拝聴いたしましたが、もっともだと思います。これは全く委員の数が逆ではないかというふうに思います。  それから、やはりこの法律案の中で「特定事業所の認定」というところがあります。十六条です。この認定の要件の内容によって、結局この特定事業所というものの性格がきまってくると思います。ところでこの法律案によりますと、認定の要件は政令で定めるというふうになっております。やはりこれはこの法律の中できっちりと沖繩県民を代表する知事あるいは議会の代表者、あるいは労働者人たちを含めるというふうにすべきではないか。この人たちによってこの認定の要件をきめるというふうにすべきではないか。そういうことによりまして雇用促進の問題、あるいは公害を発生させるような企業は沖繩県に来てもらっては困るんだというような具体的な要件が出てくるのではないかというふうに考えます。これが最初に申し上げましたこの法律案の第一条の趣旨に合致すると思います。  結論といたしまして、時間がありませんのであれですが、冒頭に申し上げましたこの基本的な考え方で、この沖繩返還協定並びに関連七法案というのを考えますときに、私が申し上げました基本的な考え方を貫くためには、このもとになっておる日米安全保障条約を廃棄することによって、そして沖繩を全面的に返還してもらうということによって、初めてその基本的な考え方が実現されるのではないかと思います。それでこそ、これまで多年苦しみをなめてこられた沖繩県民人たちの意向に沿う返還ができるのではないかというふうに思います。  以上簡単でありますが、私の陳述を終わります。
  56. 剱木亨弘

    団長剱木亨弘君) どうもありがとうございました。  次に、栗木公述人にお願いいたします。
  57. 栗木栄三

    公述人栗木栄三君) 栗木でございます。沖繩返還協定はじめ、これに伴います諸法案に対し公述の機会を与えられましたことを光栄に存じます。  すでに多数の公述意見も述べられましたので、おもな点について素朴に意見を開陳したいと思います。  今日、全国民の願いは沖繩を早く返してほしいということであります。現在まで沖繩返還がおくれておりますのも、申すまでもなく冷厳な敗戦という事実にほかなりません。しかるに、沖繩が返ってくるというめどのつきましたことは、まことに喜びにたえないものがあります。しかしながら、協定はじめ関係法律案内容となりますと、幾多のむずかしい問題があります。ともかく早く返してもらえ、復帰に伴う諸問題は国内法案によって早急に処理していくということが基本態度として現実的ではないかと考えるのではあります。  まず最初に、自衛隊の沖繩配備について触れてみたいと思います。沖繩返還に伴う自衛隊の配備に関し、沖繩といわず本土も、ともにいろいろと議論されているようであります。日本の平和主義は、敗戦という貴重な体験を通じてつちかわれてきた国民的信念であります。この信念のもとに、わが国の自衛隊は、国土と国民を守るため、われわれ国民の国をみずから守る気魄を持って今日まで整備されてまいりました。いわば、日本日本人の自衛隊であって、国民とともに歩むのもその一つであり、旧軍のそれとは全然本質を異にしているものであります。また、政府は非核三原則を提示して今日に及んでおります。わが国は憲法のたてまえにより、他国に攻撃的な脅威を与えるような防衛力は一切持たないのでありますから、アジア諸国を脅迫したり、中国との関係に悪影響を与えることはないと考えられますので、まずもって沖繩返還に伴う自衛隊の配備につきましては異議を申すものではありません。しかるに、世論におきましては米軍肩がわりといった声が聞かれます。想像しますのに沖繩復帰したら六カ月以内に約三千二百名の自衛隊が陸、空、海の守りに当たり、一九七三年七月までに航空警戒管制組織の運用、防空ミサイル部隊の配備が行なわれ、総勢六千余名程度になるようであります。当初の三千二百名も陸上自衛隊千百名、海上自衛隊六百七十名、航空自衛隊千四百名程度でありまして、当面は米軍肩がわりするような数字でもなく、将来も米軍肩がわりできるものでもありません。その他自衛隊は、国土防衛のかたわら県内の通路や橋の建設工事、爆発物の除去処理、山奥、離島などの診療、伝染病予防に当たります。また、台風、豪雨、地震、急病人などの災害が起これば、直ちにヘリコプター、艦艇、自動車に乗って、人命救助、遭難等の捜索のほか、食糧、衣料、薬品等、緊急物資の輸送に当たります。まさに、県民の生命と生活を守る自衞隊であり、復帰後の沖繩の民生安定に寄与するものが多くあります。しかるに、最近の琉球新報の世論調査によりますと、沖繩県民の四七・四%が自衛隊の配備に反対しており、賛成はわずか一六・六%しかありません。沖繩県民の過去に受けました戦争被害に対する反発とのみ本件を片づけることはできません。自衛隊の配備にあたっては、国民の支持と理解が必要であり、一そうの啓蒙と宣伝を必要とするという意見を持つものであります。沖繩における米軍基地使用についても本土同様、逐次、漸減する傾向をたどり、縮小も近きにあろうと考えます。日米安保条約上必要最小限となることを期待するものであります。さきに述べました沖繩駐在の自衛隊数は、本土の面積、人口の比率からして多きに失するの声もありますが、沖繩の沿革、離島による防衛地域の広大等により、必ずしも比率が高いとは申せません。この点よりいたしましても、最初言ったように防衛グループを構成しなければものの役に立つとは考えられないという意見を持つものであります。防衛計画の立案にあたりましては、沖繩の特殊性を十二分に検討されまして、沖繩防衛に遺憾のないことを切に望むものであります。沖繩返還に伴う自衛隊の配備につきましては、必要最小限のものであることは識者も久しく御了承されていることと存じます。しかしながら、流動する国際情勢下にあって、日本の自主防衛達成のため、沖繩のためいかなる工作が行なわれておりますのか、私は同様の見地から憂うるものであります。沖繩返還されるという喜びの中に、しかも本土並み沖繩が復元することとなりますが、沖繩の地域的存在からして、沖繩の守りにも、沖繩が安心して本土並みの生活と繁栄を期待できるような努力を重ねて望むものであります。さきに述べましたように、自衛隊は国民の繁栄とともに栄え、国民と暮らしをともにし、沖繩県民とともに歩み出そうとしておるのであります。あたたかくそれを迎え入れることが、本土並み復帰に伴う日本人としての人情ではなかろうかと信じます。政府は一そう自衛隊のPRに努力すべきであります。反対多数のままの自衛隊の配備は何としても了解しがたいものがあります。また、国際世論は、わが国の自主防衛勢力に対し、軍国主義に復活するのではないかという疑問をいだいている国もあるといわれております。これは、わが国の高度経済成長を続けている現状に対し、かつての日本の経済成長と同一視したものといえると思います。再び同じ道を選ぶのではないかという危惧の念に発したものでありましょう。戦後の日本は平和国家であり、必要最小限の防衛力を保持して専守防備に徹しているのであります。日本は軍事大国として、軍事的手段によって国際政治上の役割りを果たす国ではありません。日本の目的はあくまで平和であり、平和を恒久的なものとすべく国際秩序の形成につとめております。沖繩県民の御理解を賜りますとともに、流動的な極東の情勢に対する施策に変わりないことを祈念し、かつ、今後の沖繩の防衛に真剣に取り組まれますことを条件として、自衛隊の配備に賛意を表します。  次に、沖繩における公用地等暫定使用に関する法律案について述べます。戦後二十六年にわたる沖繩県民の御労苦に対しまして衷心より同情申し上げるものであります。沖繩祖国復帰の喜びの陰にはまことに忍びがたいものがあろうかと察するものでありますが、そういうものを殺して、大義に奉仕する覚悟を持って御協力あらんことを切にお願いするものであります。公用地等暫定使用沖繩復帰に伴うまことにやむを得ない措置といわざるを得ません。これがため、この法の運用にあたっては、沖繩県民の心を解して、善処されることを念願しておるものであります。私は、万やむを得ないものとして賛成するものであります。この法案によって沖繩復帰がかなっても、依然として自分の土地はどうなるのかという不満を持つ地主もおられることと思います。政府としても不必要なものは早急に返却し、必要最小限のもとで効率を上げることを考慮するとともに、借料その他についても納得のいく妥当な施策を求めるという意見を持つものであります。もし土地所有者の御協力がなければ、沖繩返還の大業も挫折を招き、なりがたいものがあると考えます。法案は、わが国を含む極東における国際の平和安全のために必要であり、日米安全保障体制は絶対欠かすことができません。また、他方、米軍が撤退した後には日本側に返還され、自衛隊が配備されることとなりますが、復帰後の沖繩の防衛責任義務はわが国の負うものであり、本土同様に自衛隊による極地防衛、民生協力、災害救助が重視されます。これらの措置を欠くときは無防備となり、そのまま済ましておられません。私は、国の要望はよく知るものでありますが、運用にあたりましては地主の要望をよく聞いてやっていただきたいのであります。聞くところによれば、地主の方々も三万数千人にも及び、そのうちには相当数の所在不明者、海外移住者があり、現に沖繩はわが国の施政圏外にあるということです。法案第二条において、使用期間は五年をこえないということとなっております。地方自治体におきましても、かような土地の事案処理においても数年も要するという経験を私は持っております。前述のようなこと等からしても五年以内に処理することはたいへんな仕事といえます。住民の気持ちは一年でも二年でも短くしてくれるよう望んでおります。事案の処理にあたりましては、住民の気持ちをよくわきまえ、処理されることを望みます。小笠原群島の返還のように、当局は五年と踏み切ったものと考えられますが、沖繩のほうは全く事情を異にしているのであります。沖繩の持つ特殊性、戦後より現時点に至るまでの住民感情、返還に伴う国際関係、流動下にある極東情勢による米軍基地縮小と、まことに多極的なものがあります。どうか皆さんにおいて地元沖繩の住民の心の中を察して、本土における社会施設、公共施設などとは若干別個の政策のあることを念頭にして、処理を尽くして住民と接し、善処されることを重ねて要望し、本案に賛成するものであります。
  58. 剱木亨弘

    団長剱木亨弘君) どうもありがとうございました。  以上で公述人各位の御意見の陳述は終わりました。これより公述人に対する質疑に入ります。御質疑のある方は順次御発言願います。
  59. 森勝治

    森勝治君 皆さま御苦労さまです。おそれ入りますが、皆さまに一点ずつお伺いしたいと思います。  最初、朝見さんにお伺いしてみたいと思いますが、朝見さんが言及されましたVOAの問題についてお伺いをしてみたいと思います。  御承知のようにNHKの電波が三十三波ありますけれども、このVOAは七十波お持ちです。そして一千キロワットの強力な電力を出しますから、うちが倒れた、あるいはチャンバラ映画の途中で英語のことばが飛び出すとか、その他テレビ塔が焼けたとか、たくさんの弊害があるわけでありまして、こういう点についても、沖繩の皆さんは非常に懸念を持っておるわけであります。あなたが主張されましたVOAの問題に対処するためには、電波法のワク内にすべきだということは当然であろうと思いますが、あなたの説のように電波法のワク内でやりますと、当然これはVOAはたとえ五年間でも継続使用まかりならぬということに相なるわけでございまして、この辺が、最初佐藤総理、外務大臣、郵政大臣と強気でございましたが、最後はアメリカに押された悲しむべき日本外交のなれのはてと断ぜざるを得ない情勢でございますが。若干お断わりをしましたように、ともすればVOA等は、せっかく雪どけになりましたアジアの安寧というものを、特に日中関係の国交回復の妨げになるような気がするわけでありますが、あなたはこの点について、もし御意見がおありでしたらお聞かせいただきたい。このことが朝見さんにお願いの一点でございます。  それから、戸田さんにお伺いしたいのは、教育の大家だそうでございますから、教育の問題についてお伺いしたいんでありますが、異民族の支配の下で戦後二十数年沖繩の皆さんが一致協力を目ざされたことは、あなたの従来御承知のとおりだと思うのであります。また、あなたの御説明の中で、本土教育委員任命制になったから、沖繩任命制がよかろうと端的に主張されておりますけれども、それは、本土任命制になったから、沖繩も右へならえ、これが沖繩本土並みだという、それだけの理由なんでしょうか。ほかにもっと御理由があるならば、この際ひとつ、この点をつまびらかにしていただきたいと存じます。  次に、安藤さんへのお願いは、私がいまVOAの問題で朝見さんにお伺いした中で若干触れましたが、初め佐藤内閣は、この本件に関する対米問題については非常に強気だと世評取りざたされた。それはあなたも御承知のとおりです。ところがアメリカにだんだん押されまして、いまのお話にもありました土地収用の問題、いま朝見さんから出されましたVOAの問題にいたしましても、明らかにアメリカに押されたことは、だれが見ても否定すべくもありません。したがって、こういう一連の姿を見ますと、口で非常に強いことを言っても——国民に向かっては佐藤内閣は強いことを言うけれども、事、アメリカに関する限りは逆に押される、こういう姿を見ますと、どうもわれわれは対米従属外交の最も悲しむべき姿が露呈されているような気がしてなりませんので、この点ひとつお考えをお聞かせいただきたいと思うのでございます。  最後に、栗木さんにお伺いいたしますが、あなたの前段でおっしゃいました自衛隊は、米軍肩がわりだというやからがいるけれども、それは間違いだという話で、自衛隊は決して米軍肩がわりでないと強調されましたが、肩がわりではないという的確な論旨というものを残念ながら伺い知る余地もございませんでしたので、この点についてお話しをいただければ幸いと存じます。以上お願いをいたします。
  60. 朝見清道

    公述人朝見清道君) 私は、VOAは全く謀略放送であって、基本的には直ちに取りやめるべきだと、しかし、これは現実の問題とすると、協定は衆議院を通り、今夕参議院を通るという新聞報道があるわけです。だから、私は具体的な問題としては、設備はあると、しかし、実際に放送はできない。こういうことをやはり日本の国内法に入れて、建物はあるけれども放送はできないということを最低として参議院の審議を通じて実現していただきたい。こういうふうに思います。  なお、この際一申し上げますと、私は、沖繩には自然の台風が襲うわけですが、防衛をする、守る設備だとか、いろんなことをすると思うんですが、政治の台風を断じて送ってはならぬ、このことだけははっきりしたたてまえで、やはり沖繩には、さっきの若葉かおるそよ風を日本の政治が送ると、それ以外の障害になるものはやはり排除してもらいたい。こういう考えであります。
  61. 戸田正子

    公述人戸田正子君) お答えを申し上げます。  実は、核抜き本土並みであるから、右へならえで何もかも本土のとおりにという、そういう心ぐみで私は申し上げたわけではございませんということを最初に申し上げまして、私は、公選制の実施されておりました当時は教職員でございました。私の個人的な体験からひとつ申し上げてみたいと思うのでございますが、当時私は、愛知県の中都市の一教員でございましたが、一学区に二名の立候補なさいました方がございまして、しかも、それは学区を同じくする中学校の育友会長と、学区を同じくする小学校のPTA会長とが立候補しだわけでございます。学区の父兄は、中学にも子供をあげておるし、小学にもおくっておると。たまたま、私は当時は小学校の教員でございました。その場合、選挙が初めてのことでございますので、何かものすごい渦をまきまして、幸いにもお二人とも御当選なさいましたので、まあまあではございましたけれども、他学区におきましては落選なさった方もあり、選挙の余波があとあとしこりとなって残ったことを記憶しております。当時就任されました方が四年の任期を終えられました際に、この次は公選制になったわけでございますが、市長の御推薦により市議会の承認を得られて、また引き続きお二人とも教育委員を拝命されました。以後十五年も経過しておりますので、お一人の方は、もうすでに御他界あそばされましたのでございますが、一名の方は現在でも——教育現出の方ではございませんが、学識経験のりっぱな人格の方でございますので、引き続き教育委員としてついておっていただけるわけでございます。が、当時、私の町などでは、先ほど申し上げましたように非常にあわれな——ほんとう昭和二十一年、二年当時は学校教育の姿であったわけでございますが、非常に教育が振興してまいりまして、ただいまでは、どっちの学校も建物は申すに及ばず、内容も充実してまいりましたし、また、教職員の先生方も、私もいろいろほかのお仕事の関係もありまして、現場の先生方とお話し合いをさせていただくこともございますが、別に、官僚的だとか、非常に教師は苦しいとか、明らかにやりにくいとかというようなことは少しも伺いません。当時私は、教員組合の婦人部長をいたしておりましたので、選挙ということになりますと、身の細る思いでございました。それから、公選制が廃止になりましてやれやれといった思いでございました。なお私ごとで恐縮でございますが、退職いたします際には、もう新しい公選制になってからでございましたが、教育長がじゅんじゅんと教育界の現状を訴えられた。——私は四十四歳で退職いたしました。父兄の方などから、まだまだ惜しいじゃないか、なぜもっとやってくれないかということばをいただいたわけでございますが、後進に道を譲ってほしいという教育長からのお話があったために、私は家庭的にもそれほど苦しいこともございませんでしたので退職したんでございます。何かしら人事権なども非常に官僚的になって、むつかしくなるんじゃないかというような問題がずいぶん沖繩では出ているというようなことも承っておりますが、私の個人的な経験でございますけれども、決して公選制で進まなきゃならないというものではないと思うわけでございます。しかし、本土がこうだから、こうすぐなれという、右へならえというような意思は毛頭持っておりません。あくまでも現場の先生方、また、沖繩の御父兄の皆さま方の御意思を十分くみ上げていただいて、そうしてお話し合いの上で本土のようになっていかれたらいいじゃないかと思うわけでございます。
  62. 安藤巌

    公述人安藤巌君) お答えいたします。  問題が具体的ではございませんので、ちょっと困るんですが、佐藤総理大臣を含む佐藤自民党政府は対米外交交渉の関連では国民に対して強気だが、しかし、アメリカに対しては従属的ではないかというお話ですが、これはアメリカに向かっていろいろ交渉されるについて弱気であって、国民に対して調子のいいことを言っておるというのが実態ではないかと思うんです。国民に対して、こうこうこういうふうにすべきが正当なんだというふうに強気ということではない、質問の御趣旨もそういうことだろうと思いますが、そして、これはアメリカに従属していくようなことになってしまうんだ、最終的には。しかし、佐藤自民党政府のいまの姿勢をいろいろ私なりに見ておるところでは、積極的に従属していくというような姿勢ではないかというふうに思っております。まあ国民に対しまして、こういうようなことをアメリカと交渉しますと——先ほどのVOAの話でもそうですが、こういう国民の声があるからそれをなくしてしまうようにしましょうと言ってアメリカと交渉するわけですが、それが、真に国民意見を尊重して、国民世論をバックにしてアメリカと交渉するという姿勢ではなくして、国民に対しては調子のいいことを言って、アメリカと取引をしてしまう。結局アメリカにめんどうをかけているし、こうこうこうなんだからがまんをしなさいよというかっこうでもってくる。こういうような姿勢であると思います。それで調子がいいということを申し上げたんですが、たとえば沖繩アメリカ軍の基地機能は漸次低下していくんだというようなお話があります。ごく最近の話であります。ところがアメリカの上院議員であるウエストモーランド参謀総長は、そうでなくってアメリカの軍隊の沖繩における基地機能は決して低下はしないんだというふうに言っておるわけです。そういうふうに全く食い違ったところが出てくる。そういう点で国民に調子のいいことは言うけれども、アメリカとは仲よくやっていかれる。国民世論を軽視しておられるんじゃないか、そういうところに対米従属の本質というのがあるんではないかというふうに考えております。以上です。
  63. 栗木栄三

    公述人栗木栄三君) お答えいたします。  米軍肩がわりをするんじゃないかという点でございますが、私はこう考えております。日本の防衛というものはあくまで自主防衛であって、日本人そのものがこれをきめていくものであって、決して米軍肩がわりをするような防衛であってもらっては困るというのが私の信念であるわけでございます。この場合に日本肩がわりするかどうかというような問題点の扱いにつきましては、多数の国会の先生がいらっしゃいますが、ここで十二分に審議していただくと。すなわち、私は自主防衛というものはあくまでも日本人のものである。アメリカ肩がわりをしてやるようなものではありません。私がきょう述べましたのは、大体三千二百名とか、せいぜい大きくなっても六千名程度だということでございますので、こういう程度のものならば、まあ現在の日本の防衛にも必要なものであるから、肩がわりとかいうようなことは起こり得ないし、また、起こらぬだろうと、こういうふうに考えておる次第でございます。私は、いまこそ自主防衛といいますか、日本の自衞隊であり、日本のものであるということについて信念を持ってやっていただきたいと思いますし、また、やるべきでなかろうかと、こういうように感じております。
  64. 宮崎正雄

    宮崎正雄君 私は、時間がございませんから、朝見公述人に一点だけお伺いしたいと思います。先ほどのお話で豊かな沖繩をつくるためには、まず第一に、雇用の確保、安定ということに力を入れなきゃいかぬと、こういうことでございますが、一方におきまして、冒頭に基地が完全に撤去されることというような御主張のように私は伺ったわけであります。それから先ほどお話がありましたように、本土返還が実現すれば、いろいろ問題がございましても、沖繩振興開発計画が策定されると思いますけれども、私は、この審議会が発足しましても、その効果が直ちに出るとは考えられぬと思います。そうしますと一方では基地を完全に撤去し、しかも、振興計画はまだなかなか実行ができないと、しかも、雇用の安定と確保ということになりますと、非常に私はむつかしい問題だと思うんです。そこで、われわれ政府与党は、具体的に問題を解決しなきゃいかぬもんですから、たとえば、こういう方法があるんじゃないかというような御意見がございましたらひとつ御参考のため聞かしていただきたいと思います。以上一点。
  65. 朝見清道

    公述人朝見清道君) おっしゃるように非常にむつかしい問題だと思います。ただ、沖繩問題と直接的にどうかわかりませんけれども、私は、日本の政治の中で一番保守的なのは大蔵省ではないかと思うんです。やはり大蔵省のあり方を徹底的に改革するということでないと、ほんとうにいま、今日の中で国民福祉の予算が組まれていくかどうか、このことについて私は非常に疑問を持っているわけです。したがって、まず大蔵省の考え方を改革するということについて、特に与党の方に特段の馬力をかけていただきたいと思います。そういうことを中心にして、まず、基地撤去すれば基地で働いている者はどうかという問題があるんです。しかし、基地撤去しなければ、真の沖繩開発というものはできないんではないか。たとえば、道路一つにいたしましても、住宅の問題にいたしましても、水道の問題にいたしましても、あるいは企業立地の問題にいたしましても、あの張りめぐらされている基地にぶつかって、非常に困難な問題が起こってくる。沖繩はやはり基地なしで再生させていく。全く日本の経験からいたしまして、日本の場合には経済発展は非常にしましたけれども、公害によって非常に大問題を発生しておるわけです。この名古屋の空はよごれきっております。小牧空港から飛行機に乗ってみれば、ほんとうにきたないなあという感じがしみじみいたすわけですが、そういう意味で沖繩は、日本の今日の経済力をもってすれば、基地をなくして新しい構想のもとで開発できないはずはないと思います。問題はやる気があるかどうかということでございまするから、私は、基地撤去に伴う雇用減少の分は日本からの本腰を入れた投資と開発を行なっていけば必ずできると、こういうふうに思います。だから、それをするだけの予算というか政策というものを大蔵省を押えてできるかどうか。これは皆さんたちの力にかかっているのではないかと、こういうふうに思います。
  66. 上林繁次郎

    上林繁次郎君 私は、戸田公述人にお尋ねをいたしたいと存じます。戸田さんは、お述べになった中で、その冒頭に、沖繩が今回復帰することになったのは、佐藤総理の御苦心の賜物であるとか、あるいはまた、日米友好という信頼関係から実現をみてきたというような冒頭のことばがございました。このお話は、今度の七つの法案とか、あるいはまた協定に、直接その問題に触れるということではありませんけれども、これにあたって基本的な問題に関してきやしないかというふうに考えるわけです。そこで、いろいろ沖繩立場からこれをほんとう沖繩国民のために有利なものにしなきゃならない。そういう立場からお尋ねしたいと思いますけれども、そういうことでこの七つの法案にしても、協定にしても、いわゆる考え方、見方、基本的な姿勢、そういうものが何といっても大事なんですよ。そう考えると、アメリカが友好国であるというような見方、これははたしてだれを信用する考え方かということ、具体的な例をあげれば、たとえば中国問題、いわゆる日本をさておいて頭ごしの中国外交をやるという姿勢、あるいはまた、繊維問題にしてもそうです。全般にわたって日本がしめられている。こういうような姿なんです。ドル問題しかり。そういうふうに日米の問題を考えたときに、はたしてこれを友好国として考えていくことができるかどうか。こういうことになると思う。そこで佐藤総理にしても、アメリカを友好国というような考えで見ているところに甘さがあります。いろいろな誤りがそこから生じているんじゃないか。誤算が生じてるんじゃないか。こう思うわけです。そこで、そういう問題を踏まえた上で、戸田公述人アメリカを友好国であるというようにお考えになっておるのかどうか。その点を明らかにしなければならないと思いますので、その点を一つ。
  67. 戸田正子

    公述人戸田正子君) お答えいたします。  中国問題、台湾問題、いろいろございます。また、道路問題とか、愛知県の業界が非常な苦境に立たされて悩んでおります、そういう経済問題は、ほんとうにずぶのしろうとでございますから、テレビ、新聞その他のマスコミで報道されることをちらちらと見ている程度の主婦にすぎません。私、あくまでも佐藤総理のこれまでの御努力に対しましては、絶大な敬意を表しておりますし、また、アメリカ合衆国は友好国であるということも、いまの段階においては確信をいたしております。で、私も個人的には、アメリカ合衆国の姉妹都市ロスアンゼルスの学生が、いまから七年前に留学してきたのを預かったりいたしまして、個人的にもアメリカと友好を結んでいるようなわけでございます。先生方のような政治家のベテランの方々は、くるくるとネコの目のごとく変わる国際情勢を十分に察知されまして、十分にりっぱな頭悩で消化されていかれますので、早々と転換をなさることができると思いますが、私は大正の初めの生まれでございますが、それこそ明治天皇から御下賜のありました教育勅語中心の教育を受けました人間でございますので、戦後民主教育になりまして、新しくまた教育はしていただきまして、教職員の一応の免状をいただいた人間ではございますけれども、やはりすっと変わるということはとてもできないのでございます。いまのところは、現段階ではアメリカ合衆国は友好国と見なしております。そのもとに立ちまして、きょうは公述をさせていただいたわけでございます。ありがとうございました。
  68. 大橋和孝

    大橋和孝君 私は、沖繩教育問題について、非常に教育内容につきましても本土とはかなり格差があるように、あなたのお話からも拝聴したわけでありますが、教育者の立場から考えていただいて、沖繩教育問題はもっと掘り下げてやらなければならない、教育立場からいろいろ問題があると思います。公害の問題、あるいはまた教育本土との格差の問題、先ほど特に教育委員任命制の問題も取り上げられましたが、やはり沖繩は非常に苦しい中でも教育は先生方の努力によってかなりの成果があったと思います。けれども、いろいろな格差があるんじゃないかと思います。将来をになう子供さんの教育の面には不平等性があるのじゃないかと考えておるわけでございまして、そういう観点からもう少しあなたの立場からもっと掘り下げて、教育者の立場からわれわれにも注文がありそうだと考えますが、そういう意味において、本土沖繩との教育の問題についてお教え願えればありがたいと思います。  それから次に、小牧市議会議長さんの栗木さんの御意見をお伺いしたいと思います。その第一は、早期返還されることを望んでいることを強調なさっておられまして、そういう面もあることは私ども認めておるわけでありますが、特に、早期返還をしても、あとの問題は国内的な問題として処理できるだろうというような御意見が出てまいりましたが、午前中のお話の中にもございまして聞いておりましたが、やはり、この問題として基地の問題、あるいはまた公用地の使用の問題なんかは、やはり国内問題だけでは処理できないような大きな面があろうと考えておるわけでございます。その点お考えを伺っておきたいし、同時にまた、国内問題として取り上げるにつきましても、いまいろいろ検討してみますと、そう簡単にはできない。そういう点を私どもは苦慮して論議しているところでございます。そういう点から、ただ表面的といいますか、それを一つの前提にしてしまって、その返還の中身はどうだということの検討をしていていくことのほうが大事だと、私どもは思うわけですが、その点につきましてあなたの御意見を伺っておきたいと思います。それから同時に、自衛隊六千名程度では米軍肩がわりにはならないという御意見を拝聴して、そういう一つの考え方もあるかということを私は感じたわけでありますが、アメリカのほうの議会のいろんな発表、いろんな文書から考えまして、そういう事柄を米軍と自衛隊が一緒になってやっていこうという考え方で、その結果として、非核三原則、あるいはまたアジア中国に対して悪影響はないという御指摘もあったので、私は、この点はもう少し深くお伺いして、アジア方面の玄関口としての沖繩アジアの要石的な観点から申しますならば、ここで米軍肩がわりとまではいかなくても、一緒になっていくところの基地の問題、あるいはまた、自衛隊がそこへいってやる問題については、そういう心配というものは非常に深いものがある。したがって沖繩というものがいままで受けてまいりました不安というものは非常に深いであろう。われわれ日本国民にしましてもそういう感が深いわけでありますが、そういうことがないというお考えのもとに、もう少しつまびらかな御意見を拝聴できれば非常にありがたいと思うわけであります。基地の残留の問題も言われておりますけれども、なかなかアメリカ方面で報道されているものを見ますと、自信を持っておるわけであります。基地の減少もそう簡単にはいかないと、われわれはとっておるわけでありますが、御高説を聞きますと、その点に非常にすんなりいくようなお考えでありますが、その点につきましても意見を伺っておきたいと思います。
  69. 戸田正子

    公述人戸田正子君) お答えいたします。  もうすでに職を退きましてから十余年を経ておりますし、しかも現在の教育につきましてとやかく申し上げる何ものも持っておりません。ただ私は、三人の子の母親といたしまして、また、私と同じような子供を持つ母親たちとともに語り合って、子供をすなおに、りっぱに育てあげるために、何かのお役に立ちたいという面で、退職後婦人教育指導員と申しまして、ともに婦人会のお世話をさせていただく仕事を八年ほど勤めさせていただいたのでございますが、いまは退かせていただきまして、またさらに法務省のほうの面接委員——不幸にして事件を起こして、そうして矯正施設に収容されている不幸な少年たち教育の、ほんの一端をお手伝いさせていただいた私が、一月に一回か二回向こうから戸田先生に会いたいという申し出があると出向きまして、そして個室で二十分ないし一時間いろいろ彼らの悩みを聞いてやり、そうして彼らの将来の指針の一端なりともさずけてやりたいということでつとめさせていただいた仕事なのでございますが、そのことにつきましては、あまり申し上げる時間もないと思います。そこで、何とかして青少年の健全育成に余生をささげたいということを思ったわけでございます。  沖繩につきましては、沖繩の職員組合の先生方が十九年の長きにわたりまして、公選制のもとにりっぱな教育委員が選ばれて、そうして着々と苦しい中に、私が申しました終戦直後のあの苦しかった内地の方々と同じようなことを経験なさったと思います。私どもは同じ国民でございますので、望みは一つということでがまんができたわけでございますが、いつも違った為政者から押えつけられた中で、先生方が見識を守っておられたというお立場に対して敬意を表しているものでございますが、私は教育は人であるということで、吉田松陰の松下村塾のようなおそまつな建て物の中でも、あれだけのりっぱな人材が輩出したということで、教育は人だということを思うんでございますけれども、いまの四十人、五十人の子供を御一緒に教育する国民教育の場につきましては、やはり入れものも大事である。それから、それに付随する中身の教材の諸設備も非常に大事であるというようなことから、国費をつぎ込んでいただきたい。内地とは非常に格差があると思います。だから私は標準なみということを申し上げたと思います。上を見れば切りがない。下を見やばもう三河の山間僻地などへ行きますと、まだまだのところもございます。しかし、村有林などを売り払いまして、りっぱな鉄筋校舎を建てて、そうして暖房設備もりっぱにやっておられるところもあって、いろいろでございます。そしてさらに、現代の教育について何か考えているところを述べようということでございますので、私がいまここで一つだけ申し上げさせていただきますのは、今朝から石黒公述人様からもお話がございましたが、あのオリンピックの開催されましたときの聖火リレー隊の件につきまして、国旗を聖火とともに運んだときの沖繩県民の熱狂的な姿というものをお話しになりまして、私は感激して聞かせていただいたのですが、現代の小・中学校におきまして国旗だとか国歌というものに対しまして非常にまちまちでございます。国旗を掲揚する学校もあれば、掲揚しないところもあるとか聞いております。また、国歌の斉唱——これをすもうが終わったときに歌う歌だというような子供もあるという。この姿はやはり中国でも、ソビエトでもアメリカでも、いずこの国でも国旗、国歌というものがあって、そしてそれを中心に国民教育がなされているのだと思います。やはり、国旗、国歌というものの教育をしていただきたいなということを、小供の母親として私申し上げる次第でございます。私は、大学の問題とか高等学校の問題とか、いろんなものに出くわしております。小学校、中学校、高等学校のPTAの役員も経験いたしましたが、子供の親はどうしても一人前に育てあげたいという念願でどなたも同じ心で進んでおられると思います。ところが、このごろの新聞紙上などで見ますと、親から学費を送っていただいておる学生が、勉強はやらずに、学生運動に首をつっ込んでちっとも単位が取れていない。またそれがおそろしいので、今度は日本の大学ではだめだといってアメリカへ留学して、男とも女ともわからないような服装をして、そして髪の毛なども女のようなかっこうの男性の学生を見ると、沖繩の方たちはどのように眺めていらっしゃるかということも非常に心配なことでございます。そういう問題は、私ども母親が集まってはよく論議するのでございますが、とにかく、私たちの次の世代を背負ってくれる子供をりっぱに育てあげるために、どちらの先生方もお心持ちは同じだと思いますので——お答えになりましたかどうか、これで失礼いたします。
  70. 栗木栄三

    公述人栗木栄三君) 私はこういう考え方でおったわけでございます。沖繩県民の心というものを察しまして、早く沖繩を返してやったらどうか、そしてそのかわりいろいろと問題がございます。この問題は先ほどおっしゃるように、いろいろ外交の問題があるかもしれません。しかし、私はまず、沖繩県民の心を納得させるためには返してもらうことだろう、こういう考えにつきましては大体返すというめどがついたんだ。そこで一応大きな問題は解決したので、あとは国内の問題として外交その他万般にわたりましてこれを処理するほうが、回り道のようでございますが、近道ではないかという気持ちで、私は申し上げたわけでございます。  それから、第二点の米軍肩がわり関係でございますが、私はこう考えております。これはやはり、先ほどちょっと申しましたが、日本の防衛という立場から見まして、あくまで日本の防衛というものは、国会で十二分に審議されて、そしてこれが現実に反映してくるものであるという観点からいいまして、十二分に御検討をいただいておると、このように思っております。しかし、世界、極東の情勢その他いろいろございます。そういう関係におきまして、おそらく相手国といいますか、関連の国が心配されるということになれば、これにつきましてはいろいろと軍事専門的に御検討になっておる。こういうふうな観点からいたしまして、六千名というものは大きなものではなくて、米軍肩がわりをするものではないんだと、こういうことを申したのでございます。したがいまして、いま現実に沖繩米軍と行動しておるということもよく耳にしましたが、私は、あくまでも自主防衛という点において、その数を維持すべきじゃないかということでございます。  その次は、相手様に脅威を与えたりしたらいけない。そのことでは今後大いに先生方の御審議を待つほかない。こういうふうに思います。  次に、基地の漸減に伴ってと、あなたは言うがという御質問でございますが、私は、これは日米安全保障条約というものでいろいろと政府においてやっております。この点につきましては、今後は、日本のあり方、将来の日本というものを基礎にいたしまして考えて、日米安保条約とともに問題が関連し合ってくるのではないかと思います。観念としましては、極東の流動的な情勢を見て、何もアメリカにお世話になることはないじゃないかというのが、私の素朴な意見でございます。こういう点からいいまして、やはり基地というものは残して、ほんとうの自主防衛だけのものの必要があるというように考えております。  このことを申し上げます。
  71. 栗林卓司

    栗林卓司君 時間の関係がありますので、栗木さんに二点お伺いいたします。自衛隊の沖繩配備の問題、沖繩本土に戻ってくるということからいえば、国内と同じように自衛隊の配備対象になるということは、自衛隊そのものを抜きにして、それはおっしゃるとおりです。ただ、どういう規模、内容、時期で配備していくかということは、そこのところで栗木さんがたびたび御主張になる自衛隊というのは日本の自衛隊だ、国民の自衛隊なのだということが生かされてこなければいけないんだと思います。今回の三千二百名を当初とする六千数百名の配備について、その収用する土地の取り扱いが国会で論議され、決着がついておりません。まだ、返還協定も現在決着をみてはおりません。そういう状態のうちに、国防会議にもかけず、もちろん国会に相談せず、返還協定とちょうど似合いの前提条件であるかの形で防衛庁と米軍との間で配備をいたしますと、あらかじめきめてしまう。きめたものは協定というものを取りきめていようと、やはり日本を制約することになる。こういう取り扱いは栗木さんが御主張になる自衛隊は日本人のものなんだという意味でなじめない扱いではないかと思いますが、御意見を補足して伺いたいと思います。  あわせてもう一点、沖繩における米軍基地というものは、日米安保条約に照らして、必要最小限で日米安保条約の適用が当然だというたてまえからみれば、おっしゃるとおりだと思います。その論旨を広げてまいりますと、日米安保条約のワクに入らない、きわめて攻撃的な戦略的な性格を持った特殊部隊については、当然返還時には撤去すべきだということになりますか。
  72. 栗木栄三

    公述人栗木栄三君) お答えいたします。  まず、最初の御質問ですが、中央においていかなる形態をもって審議されておるか、野人であるから存じませんが、これらにつきまして、いわゆる三千名がいいか、六千名がいいか、これは本土の自主防衛というものであるかどうかということにつきましては、十二分に御検討になっていただいておると私は信じております。私が考えますのに、大体三千二百名とか、六千名とか、そういうものは、日本の防衛、防空といいますか、それから空の守り、海の守りというような観点からいたしまして、最小限の自衛綱を維持するものであるというように考えております。陸上関係におきましても、沖繩の民生安定のため、その他を初めといたしまして、地上における警戒その他につきまして、最小限のものでありますから、私は、これについては大きな問題はないのではないかというふうに考えております。それから、日米安保条約に基づくところの沖繩基地が多いかどうかという問題がございますが、これにつきましては、いろいろと私が答弁するということは、せんえつであると思いますが、また、中央におきましてどういうふうに審議されているかわかりませんが、一野人として防衛を見た場合に、逐次減らしてもらわなければ困るというのが素朴な考えでございます。これで戦争も片づいたんだし、出してもらわなければ困るという感じでこの問題を扱っているのでございます。なお、やはりこれにつきましては、中央におかれまして御検討いただきたいというのが私の考えでございます。
  73. 渡辺武

    渡辺武君 安藤さんに一、二点伺いたいと存じます。先ほど別の公述人から、今度の沖繩協定は、言ってみれば佐藤内閣の功績だ、日米信頼関係のあらわれだというような御意見がありましたが、問題を原点に返って見れば、沖繩アメリカに売り渡したサンフランシスコ条約第三条、これは全く不法不当なものだというふうに私は考えますが、あなたのお考えはどうでしょうか。したがって、こういう不法不当な条約によって、沖繩を売り渡した責任は自民党政府にある。したがって、沖繩が返ってくるのは当然のことであり、だれの功績でもないというふうに思いますが、あなたのお考えを伺いたいと思います。  それからもう一つ、公用地等暫定使用法案でありますが、先ほど別の公述人から、地主の納得を得るようにすればいいじゃないかという趣旨の発言がありましたけれども、この法案は、地主が納得しなくても、法律自体の力によって公用地を取り上げるというような法案ではないかというふうに思います。特にこの法案には、今度、土地収用法その他に規定されている財産権を没収するたてまえから、手続規定がございません。たとえば、収用すべき土地の確定、所有者の確定通知その他が一斉盛り込まれていないわけであります。こういう点で全く憲法違反である、国民財産権を侵害する法律案だと思いますが、その点あなたの御意見を伺いたいと思います。  もう一点栗木さんに伺いたいと思いますが、先ほど伺っておりますと、まず、復帰をして、そうして、いろいろ懸案事項もあるが、国内法で処理したらよかろうという立場から、沖繩協定関連法案賛成だということをおっしゃいましたけれども、しかし、今度の沖繩協定によりますと、アメリカ軍の基地はそのまま残るわけであります。アメリカ軍というのは、国内法では処理できないものでありまして、アメリカ日本との関係は国際法になるわけであります。したがって、あなたの論理を一貫させるとするならば、米軍基地を完全に撤去するという以外に道はないと思いますけれども、その点どうお思いでしょうか。
  74. 安藤巌

    公述人安藤巌君) 簡単にお答えいたします。  安保条約第三条によって、沖繩にある軍事基地は——国際法のことはあまりくわしく存じませんけれども、サンフランシスコ条約第三条によって、いわゆる単独講和条約と言われておるわけですが、これは国際法上、私が知っておる範囲では、一つの信託統治的なものをアメリカに付与するということになっておりまして、国際法上いろいろ問題があることは、法学者が指摘しておるところです。で、サンフランシスコ条約そのものが、その当時から第三条を含めて、いろいろ問題になったわけですけれども、これはもちろん、今度、信託統治的なものをなくするというようなことでは解決するわけですけれども、それをさらに持続的にさせるというのが、今度の沖繩協定になっているというふうに考えます。したがいまして、これは佐藤内閣の功績ではなくて、佐藤内閣が信託統治的なものではない施政権返還してもらうけれども、事実上、国際法的にはいろいろ問題のある状態は形の上ではなくなるような形になりますけれども、事実上はアメリカ軍事基地が相当の範囲にわたって存続し続けるという意味で、政治的にはいろいろの配慮というものがあろうと思いますけれども、日本の主権の問題につきましても、主権が相当範囲にわたって及ばない状態が引き続き存続するということになる。これは、日本国民としてはがまんできないものであるというふうに考えております。  それから、公用地の関係ですが、これは御指摘のように先ほど私が冒頭の公述で申し上げましたように、法律が効力を持って施行され、同時に使用権限が発生するんだということで、権限が発生したあとで、これこれの土地をこういうふうな目的に使うんだが、地主さんはどういう意見をお持ちですか。あるいは異議の申し立てのある人は申し出てくださいと民主的に地主の意見を尊重する、国民財産権を尊重するというような手続が全く欠除しております。この点からいきまして、財産権を保障する憲法にも違反し、基本的人権を侵害するものであるというふうに考えます。したがいまして、これは憲法違反であると思います。
  75. 栗木栄三

    公述人栗木栄三君) お答えいたします。  先ほどもございましたように国内懸案として片づけたらどうかということについて——国内懸案として処理したらどうかと申しましたのは、結局おっしゃるとおり、なるほど米軍基地というものが残ります。これにつきましては日米安保条約の関係から一貫して残っている問題で、これらに基づくところの外交問題は、当然起こってくる問題と考えられます。日米安保条約というのは、過去においてこういうことを認めていた。現在におきましては、これを除いた以外の問題については、国内懸案としてやっていけるんじゃないか。そうして、いま申しましたように米軍基地というのは、確かに安保条約と関連を持っている。これについてはやはり一つの段階を経たあとの現在の沖繩返還協定の審議をやっておられる。こういう関係に、一つのステップ・バイ・ステップとフィクション・バイ・フィクションと申しますか、その関係におきまして、処理していく沖繩返還協定というカテゴリーになる。国内懸案として処理していったほうが沖繩県民に与える影響からして、私は早く沖繩を返してやるということにこたえるものでないか。こういうふうに考えておる次第でございます。
  76. 剱木亨弘

    団長剱木亨弘君) 他に御発言がないようでございますから、以上で質疑は終了いたします。  この際、一言ごあいさつ申し上げます。公述人各位からは、長時間にわたり種々有益な御意見をお述べいただくとともに、委員質疑にお答えいただきありがとうございました。本委員会におけるこれからの審査の上に多大の参考となりますことを厚くお礼を申し上げます。なお、本日の会議に諸事御配慮を賜わりました各位、また、会議の進行に御協力をいただきました皆さまに対し、派遣委員を代表して心からお礼を申し上げます。  以上をもちまして参議院沖繩及び北方問題に関する特別委員会名古屋公聴会を終了いたします。  これにて散会いたします。どうもありがとうございました。   〔午後三時三十三分散会〕      ——————————    沖縄公聴会速記録 昭和四十六年十二月二十一日(火曜日) 場所 那覇琉球政府立法院    出席者は左のとおり     派遣議員         団     長 安井  謙君         副  団  長 松井  誠君                 長田 裕二君                 梶木 又三君                 亀井 善彰君                 楠  正俊君                 鈴木 者吾君                 高田 浩運君                 塚田十一郎君                 山下 春江君                 山本敬三郎君                 田  英夫君                 西村 関一君                 宮之原貞光君                 中尾 辰義君                 矢追 秀彦君                 木島 則夫君                 高山 恒雄君                 岩間 正男君                 星野  力君     現地参加議員                 稲嶺 一郎君                 喜屋武真榮君     公述人         那 覇 市 長 平良 良松君         琉球更生委員・ 久貝 良順君         弁護士         嘉手納村議会議         員       知念 盛仁君         嘉手納村議会議         長       村山 盛信君         沖縄同盟会長  仲田 昌繁君         公認会計士   宮国 英勇君         弁  護  士 芳沢 弘明君         沖縄子供を守る         父母の会会長・         中央教育委員  小嶺 憲達君     —————————————   〔午前十時開会
  77. 安井謙

    団長(安井謙君) これより参議院沖繩公聴会を開会いたします。  私、派遣議員団団長で、本日の会議を主宰いたします安井謙でございます。よろしくお願い申し上げます。参議院におきましては、目下沖繩返還協定並びに沖繩復帰に伴う関係国内法案審査中でございますが、これら諸案件について直接現地の方々の御意見を承るために、御当地にわれわれ議員団一行が派遣された次第でございます。  本日のこの会議の開催にあたり、諸事御配慮を賜りました立法院並びに行政府そのほか関係各位に対し、派遣議員を代表して厚く御礼を申し上げます。  本公聴会の問題は、さきに御案内申し上げましたとおり、沖繩返還協定、すなわち  琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定の締結について承認を求めるの件  並びに、  沖繩復帰に伴う関係議案、すなわち、  沖繩復帰に伴う特別措置に関する法律案  沖繩復帰に伴う関係法令改廃に関する法律案  沖繩振興開発特別措置法案  沖繩における公用地等暫定使用に関する法律案  国家公務員法第十三条第五項および地方自治法第百五十六条第六項の規定に基づき、人事院地方事務所設置に関し承認を求めるの件  沖繩平和開発基本法案  及び  沖繩における雇用促進に関する特別措置法案  以上の八案件についてでございます。  まず、派遣議員を紹介いたします。  副団長松井誠君。高田浩運君、楠正俊君、塚田十一郎君、亀井善彰君、山下春江君、山本敬三郎君、長田裕二君、梶木又三君、鈴木省吾君、西村関一君、矢追秀彦君、高山恒雄君、岩間正男君、宮之原貞光君、田英夫君、中尾辰義君、木島則夫君、星野力君。  現地参加稲嶺一郎君、喜屋武眞榮君。  以上でございます。  次に、本日午前、御意見を述べていただくため御出席をお願いいたしました三人の公述人の方を御紹介いたします。  平良良松公述人、久貝良順公述人、知念盛仁公述人。  以上でございます。  公述人の皆さまには、御多忙中のところを御出席をいただき、厚く御礼申し上げます。  それでは議事の進め方につきまして申し上げます。  まず最初に、公述人各位からこれらの案件につきまして御意見を承ります。時間の都合上、御意見をお述べいただくのは、お一人当たり十五分以内でお願い申し上げます。一通り公述人各位から御意見を承った後、議員から御質問申し上げることにいたしておりますので、その際は、なるべく簡明にお答えをお願いいたします。  なお、本日の会議の趣旨は、皆さまから御意見を拝聴いたすことにありますので、私どもに対する御質問は、恐縮ながら御遠慮願いたいと存じます。  また、なるべく円滑に会議を進めてまいりたいと存じますので、発言される方は、座長の許可を得てからお願いいたします。  傍聴人方々におかれましても、会議の進行に御協力くださいますようお願いいたします。  午前の会議の終了予定は正午としておりますので、御了承願います。  それでは、これより順次公述人の方より御意見を承ります。発言は、私から順次指名させていただきます。  まず、平良公述人にお願いいたします。
  78. 平良良松

    公述人(平良良松君) ただいま御紹介をいただきました那覇市長の平良でございます。  参議院沖繩返還協定特別委員会の公聴会に際して、那覇市長として意見を陳述できますことを光栄に存じます。なおまた、参議院沖繩公聴会の開催について、何の異論もなくスムーズに決定され、本日の開催を見ましたことに対し、心から敬意を表するものでございます。  さて、すでに御存じのように、琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定の締結について承認を求めるの件、すなわち沖繩返還協定は、去る十一月十七日、野党議員質疑抜き打ち採決されたのであります。  戦後、議会制民主主義を強調される日本国会において、多数党が法案強行採決する事態を幾度か見受けてきたのでありますが、それにしても、この沖繩返還協定抜き打ち採決は、全く前例のない暴挙だとして非難されております。  沖繩県民の衆議院におけるこの強行採決に対する見解は、いろいろな形で提起されておりますが、私は次の理由により、あの返還協定反対するものであります。  すなわち、沖繩県民沖繩返還協定並びに国内関連法案に対するぎりぎりの要求を織り込んだ琉球政府の建議書が何ら審議の対象にされず、逆に屋良主席の東京到着に対する冷酷な回答として、沖繩県民の正当な請願権をなぶりものにするかのようにして強行採決されたこと。  次に、野党議員質疑続行中であり、その後に沖繩県民の心を代表すると言っても過言ではない沖繩社会大衆党の安里積千代、沖繩人民党の瀬長亀次郎両議員質疑権を無視したこと。さらには、この強行採決参議院において、たとえ審議未了のことがあっても自然成立するように審議日程を逆算して強行された、そのことが参議院の権威を著しく低下させたことであります。  河野参議院議長は、衆議院におけるあの強行採決に対し、国民の一人として考えた場合、遺憾なことだと思う。参議院が置かれている立場も十分考慮して協力し合い、強行採決などしないよう誓いたい、と申されましたが、まさに沖繩県民は、あの措置が遺憾であると同時に、参議院においては、良識の府として、きっと慎重審議を尽くしてもらえるだろうという期待を持ったものでございます。そこで私は、抜き打ち強行採決に至る手続や、手段の卑劣さを批判するとともに、参議院がその存在の権威にかけて沖繩返還協定及び国内関連法案に対処され、願わくば、沖繩県民の要求に基づき、琉球政府の建議書に基づき、これを再検討する立場を示していただくように要請をするものでございます。  私が沖繩返還協定の再検討、すなわち、やり直しを要求する根拠として、すでに指摘しました手続や手段の非民主的措置に加えて次のことを強調いたします。  すなわち、戦後、世界は、少なくとも自由主義陣営、資本主義諸国は、アメリカを中心に万事展開されてまいりましたが、ベトナム戦争の不成功とそれに関連する経済的破綻が、アメリカをしてその対国際的関係の調整に踏み込ませたのであります。アメリカによる対外政策の調整、その軍事経済的調整の一つとして、沖繩が出てきたのであります。御存じのように、日米返還協定アメリカ軍の沖繩駐留を認め、いや、沖繩を引き続きアジアにおける核戦略体制のかなめとして残し、その上に自衛隊を配備し、台湾・朝鮮はもちろん、遠くマラッカ海域まで軍事的に展開することを約束しておるのであります。  もちろん、この協定は、ニクソンの中国訪問で対中国接近をはかろうとする米国の立場を強め、逆に日本にとっては、アジアの諸国民から警戒されることになり、中国をはじめ、アジア諸民族との友好関係抜き差しならないひびを入れてしまったわけであります。  私は、佐藤・ニクソン共同声明後の情勢変化と、何よりも沖繩県民の戦争体験、戦後二十六年に及ぶ米軍軍事支配に呻吟した県民の労苦にかけて、さらには、日本沖繩へ軍備を拡張し、アジア諸民族と敵対するのではなく、日本憲法に基づき、国際信義を尊重し、諸国民と友好を深める国になるための具体的な措置として沖繩返還協定のやり直しを要求するものであります。  このような、基本的な立場を申し上げますと、国内関連法案に対しまして、当然批判的態度をとらざるを得ないわけであります。  御存じのように沖繩県民の生活は、日米外交の谷間にあって、その政治、経済、軍事的影響を直接に受ける反面、政策的な対策はほとんど現実に即応しないという状態にあります。  ことしの沖繩はかつてない干害に見舞われ、先島では暴風害に追い打ちをかけられました。日本政府からはすでに幾たびか調査団が来島しております。しかし、現実には、はかばかしい対策が立てられてなく、宮古・八重山の住民は全く悲惨な状態にあります。さらに、沖繩県民通貨を即時一ドル対三百六十円で円通貨に切りかえてもらいたいという要求を繰り返しておりますが、それについても何ら具体策が示されないうちに、ついに一ドル対三百八円というおそるべき事態に県民を追いやったわけであります。屋良主席の建議書には、一ドル対三百六十円での通貨切りかえが、沖繩県民の切実な要求として提示されていたはずであります。  私は、参議院が、このような切実にして、かつ、緊急な県民の要求をくみ入れるとともに、沖繩復帰に対し、特段の配慮をいたされる機会に際し、屋良主席の建議書の中にもすでに申し述べた事項の中から、特に次のことについて重ねて要請を申し上げます。  まず第一に、自衛隊の沖繩配備を思いとどまっていただくことであります。戦前、沖繩には日本の軍隊は一兵もなく、聯隊区司令部というものが那覇市に置かれ、徴兵事務と予後備兵の簡閲点呼を行なったにすぎません。徴兵された壮丁は九州各聯隊に分散配置されて兵役に服してまいったのであります。  われわれの日本復帰の要求は、アメリカ基地撤去により日本国民としての権利の回復をはかり、同時に、平和の島沖繩を取り返すことであります。しかるに米軍基地はほとんど撤去されることなく、なおその上に一個師団の自衛隊を配備されるということは、とうてい納得のいかない措置であり、何のための復帰かと問わざるを得ません。  佐藤総理は、沖繩県民の二十六年間の労苦に報いるためには、すみやかに返還協定を議決し、復帰を実現することであると力説されております。その言やまことによし。しかしながら、その内容沖繩県民の二十六年に及ぶ苦労に報いるに、さらに無期限の苦労を背負わせることであり、大の虫を生かすために小の虫を殺すこともやむを得ないとする発想にほかなりません。  憲法第九条は、私から申し上げるまでもなく、明らかに戦力を「保持しない」ということが規定されております。現在、どのような解釈をいたしましても、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」というところの規定に明らかに反しているということは火を見るよりも明らかでございます。  次に、関連法案公用地等暫定使用に関する法律案のごとき、県民反対する施設を配備するための公用地とは一体いかなるものでありましょうか。主権在民の理念を力強く宣言した憲法の趣旨を二重三重にじゅうりんする愚挙と言わなければなりません。そのような公用地の取得ではなくして、たとえば那覇市における——これは他の市町村も同様でございますが——天久住宅地域のような、現在アメリカ軍が使用している土地返還させ、一部を買い上げて地方自治体に無償譲渡し、人口棚密、福祉施設の欠除、財政面に悩む地方行政に、あるいは地域開発に寄与することこそが真実の沖繩対策と言うべきであります。これは決して法外の要求ではありません。もしかりに過去においてアメリカの強圧に屈し、沖繩県民が血のにじむような土地闘争の展開がなく、唯々諾々として、アメリカ土地を売り渡してあったならば、おそらく今日想像に絶する巨額の国庫支出を余儀なくされたでありましょう。憲法違反に類する公用地の取得ではなくて、沖繩の格差是正、県民福祉の向上に寄与するための国庫支出であることこそ、真に沖繩県民の労苦に報いるゆえんであろうと私は信ずるのであります。  その次に、通貨の切りかえを一ドル対三百六十円の率で即時断行して民心を安定させていただきたい。アメリカは、通貨施政権のシンボルとして固執し、難色を示しているやに聞いておりますが、二十六年間の施政の責任者としてこれ以上沖繩県民を苦しめる必要はないはずであります。復帰はすでに既定の方針であり、政府も、復帰に際して県民の不必要な混乱を生ぜしめないように万全の措置を講ずるということもしばしば言明されたことであります。このままの状態では、末端行政を渋滞させるばかりでなく、住民個々の日常生活にも多くの不安動揺を与えておるのが実情であります。このことについてさえアメリカを説得できないとするならば、日本に外交はないと言っても過言ではありません。外交というものは、申し上げるまでもなく、相手を説得するか、相手に説得されるかであります。われわれが正論をもって相手を説得すれば、必ずそれだけの成果を私はおさめ得るものと思うのでありますが、そのアメリカドルの交換さえ説得できないようであれば、もはや日本外交は、アメリカが戦争放棄と言えば戦争放棄、再軍備と言えば再軍備、指先に踊らされるかいらい外交というにすぎないではありませんか。  さらにもう一つつけ加えて申し上げたいことは、地方自治体の民主的運営、健全育成について細心の注意を払っていただきたいということであります。  先ほど言及いたしました自衛隊配備のための土地取得に対していろいろな工作がなされておるといううわさを耳にしております。任命主席時代、沖繩では弁務官資金というものがありまして、弁務官に服従する者には特別な資金を与える、そうでない者には補助金与えないといったような宣撫工作がなされました。異民族支配でこのようなことがあることはまずかりに忍ぶといたしましても、われわれ憲法の体制に入ってなおこのような地方自治体をゆがめるような施策がなされるようであってはならないと信ずるのであります。  次に、最後に、大急ぎで申し上げます。  真の沖繩平和開発方策を早急に策定していただきまして、沖繩軍事基地の補強、拡充を施すのではなくて、沖繩を戦争終えんの地として長く記念するための平和の島に還元していただき、国土の最南端にある地理的条件、亜熱帯に属する気候風土等の立地条件を考慮し、沖繩県が果たすべき平和的任務を日本の経済構造の中に適切に位置づけていただいて、たとえば東南アジア諸国の若人たちがともに未来のアジアの繁栄を築くための研究にいそしむ学園の設立、亜熱帯植生物研究センター、亜熱帯農漁業センター等の設立により、開発途上にある友邦諸国との平和友好交流の場として開発していただきたい。戦略的なかなめ石は、その方向を変えれば、必ず経済文化交流のかなめ石となり得ると私は確信いたしております。  最後に、きわめて謙虚にお願い申し上げるのでありますが、返還協定の審議を機会に、これを転機として、全国民が、初心忘るべからずということばがございますが、初心に立ち返って、平和憲法と称賛されている日本憲法をいま一度すなおに読み直す運動を展開していただきたいことをこいねがってやみません。憲法第九十九条の国民的義務を国民の一人一人が実践していただくことによって、わが国の道が開かれ、エコノミック・アニマルの汚名を返上して、憲法前段にうたわれております「國際社會において、名譽ある地位を占めたい」とする国民的願望が達成され、わが国の安泰が期せられるものと信じております。  陳述中いろいろと不遜の言辞がございましたと存じますが、どうぞ虚心に受けとめていただきまして、御審議のほどをお願いいたします。(拍手)
  79. 安井謙

    団長(安井謙君) どうもありがとうございました。  本来、午前中の公述の方が終わりましてから御質問を願うということでございますが、平良公述人の時間の御都合がございますので、この際、御質問がありますれば、公述人にお願いをいたします。
  80. 西村関一

    西村関一君 私は社会党の西村関一でございます。  平良市長にお伺いいたしたいと思います。ただいま円の切りかえの問題につきまして御意見がございましたが、きのうの沖繩特別委員会におきまして、政府当局は、技術的にむずかしいというような答弁があったようです。すでに通貨の切りかえを数度にわたってやっておられます沖繩県の皆さんとしては、このことにはなれておられますし、その道もないではなかろうと思うのでございますが、その点に関しまして御意見を承っておきたいと思います。
  81. 平良良松

    公述人(平良良松君) お答えいたします。  通貨の切りかえが技術的にむずかしいという政府の御見解に対して、われわれは理解に苦しむものでございます。  沖繩におきましては、戦後の円流通時代、軍票時代、B円時代、それからドルの切りかえと、三回か四回通貨の切りかえが行なわれてまいりましたが、そのつどスムーズに行なわれてきておるわけでございます。  なるほどドル世界通貨でありますので、この中ではむずかしいいろいろな理由もあろうかと思います。われわれ金融業者でありませんために、そのような問題については承知いたしません。しかしながら、おそかれ早かれ円貨に切りかえなくちゃいけない。しかも、現実に円の変動相場制によりまして沖繩の民心が動揺し、民生が安定しない実情を見るならば、それこそ日本が腰を入れて、アメリカに早期の切りかえを要求すべき問題ではないか。要は、アメリカに対する日本政府の腰の強さ、弱さにかかっておるのじゃないかと私は考えます。
  82. 岩間正男

    ○岩間正男君 自衛隊の配備について反対される御意見を展開されたわけでありますが、これにつきまして、戦時中の日本帝国主義の軍隊がどういうことを一体終戦まぎわに沖繩でやったのか、またこれに対する県民の感情はどういうことになっておるのか、お伺いしたいと思います。  もう一点は、今度配備される自衛隊はどのような軍隊だとこれはお考えになっていらっしゃいますか。国土防衛とか民生安定をうたっておりますけれども、はたしてこれに役立つ軍隊とお考えになっていらっしゃいますか、お伺いをいたしたいと思います。
  83. 平良良松

    公述人(平良良松君) お答えをいたします。  私自身の戦争体験を申し上げますならば、私、戦時中にフィリピンに従軍いたしまして、九死に一生を得て帰った者であります。私の所属している小隊は百二十七名でございましたが、その中から生還した者はたった七名でございました。百二十名の自分のおいっ子相当の年齢の兵隊の一人一人の葬式をこの手で営んできた。帰った沖繩は、私の両親は餓死状態のままで八十歳でこの世を終わったのであります。私の姉は十三名の家族が自決をいたしております。私のおいが同様に戦死をいたしております。身内の者から多数のけが人、死者を出し、しかも一木一草もとどめないような状態に会ったときに、戦争のむなしさ、むごたらしさというものをこの身にしみじみと感じ、私が帰郷して荒廃したふるさとに立ったとき、これを復興することが、九死に一生を得て幸いに生き帰ってきた自分の天命だという使命感さえ感じて、今日まで私は戦争に反対する態度をとってまいりました。しかも終戦当時、さっき申し上げましたとおり私は沖繩におりませんので、沖繩状態を自分の目で見、からだで体験することができなかったわけでありますが、私の近親者から聞き、あるいは那覇市民の戦争体験記なるものを最近募っておりますが、その中の記事から見ましても、調子のいいときは軍隊はたいへんかっこうのいいものである。しかし、形勢が悪くなるにつれて、むしろ市民を苦しめる集団暴力団と化してしまった。防空壕に入っておる市民を追い出して、われわれが入るんだ、住民が唯一の残した食糧としてたくわえてありましたものを、軍刀をもっておどかして供出させていった。しかも、その中で——沖繩は海外から帰った者が多うございます、中南米に移民をして帰ってきた者が多うございますが、それらの外国語を解する者をすべてスパイ扱いにして、あちらこちらで日本刀のためし切りをした。また、敗戦はこれらのスパイ的行動によると、みずからの作戦のそごをたな上げして、住民に疑いの目をもって残虐行為を行なったということを聞かされております。われわれ今日までこのことを黙っていたのは、それがあるにしても、われわれの祖国は日本である、復帰の運動を進める一念から、こういうことをあえて口外しなかったのでありますけれども、今日御質問がありますので、そのことを一言申し上げておきたいと思います。  で、沖繩の安全を守るとおっしゃって自衛隊を配備されるのでありますが、先ほども申し上げましたように、沖繩は戦前一兵の配備もなくても安全でございました。むしろ、軍隊が駐留することによって社会不安をかもし、今日のように米軍が長期にわたって駐留することによりまして、あらゆる社会悪が発生している現状であります。今日、強大国の中にある日本沖繩にしかも重装備を施すということは、むしろなま兵法は大けがのもとと申します。災いを呼ぶためになること以外の何の役にも立たない。もし、私のほうに憶測をほしいままにさせてもらうならば、よしんば万一国際紛争があっても、沖繩だけをまたもとのように犠牲にして、様子を見て適当な時期に日本は手をあげればよろしい、小の虫は殺して大の虫を生かせばいいと、そういったてまえがってな発想に基づくものではないか。われわれはそういう意味で、自衛隊の配備をされるだけのお金があるならば、沖繩の戦後復興のためにむしろ役立てていただきたい、そういうふうにお願いをいたします。
  84. 矢追秀彦

    ○矢追秀彦君 公明党の矢追であります。二点お伺いいたします。  先ほど、米国の高等弁務官資金のことを提示されまして、自衛隊の土地収用についての工作云々のお話がございましたが、この点についてもう少し具体的に実例をお聞かせいただければありがたいと思います。  もう一点は、平和な島沖繩にするための開発についていろいろ提言がございましたが、もちろん、あらゆる面での施策は重要だと思いますが、今後沖繩の経済がこういった基地経済ということから脱却をして、ほんとうに平和な豊かな沖繩県になるためにはどの部門、特にどれを重点的にやることが一番沖繩の方たちの豊かな生活に結びつくか、いろいろ重点的なものはあると思いますが、その重点の一番中心点をあげていただければありがたいと思います。  この二点。
  85. 平良良松

    公述人(平良良松君) お答えいたします。  宣撫工作的な行動があるというふうに私もうわさを聞いております。新聞で報ずるところによりますと、中部のある村に公民館を建設してやるから土地の契約に応じないかといったような誘いがあったという話もございます。また、那覇市におきましても、垣花で公民館をつくる、それが政府資金でつくれるといううわさが出ております。那覇市内における公民館は一部弁務官資金によってできたものもありますが、大かたは各自治会の自己資金の拠出によって従来建設されてまいりました。まだ各自治会には、建設されているとは申せませんが、ある程度やっております。そのようにして自治会自身が金を出し合ってつくっているのが今日までの公民館建設の実情でございますが、それを、日本のどのようなところから資金が流されてくるのか、そういううわさが飛んでおりますので、われわれが憶測するところでは、高等弁務官資金みたような宣撫工作費としてこれが施設庁あたりの予算から出されるようなことが万々一ありはしないか。そういうことになりますというと、地方行政の健全な発育ということ、発達ということを非常に阻害しますので、この点はぜひ御警戒をいただきたい。また、そのようなことがあればぜひ参議院のほうから御警告をいただきたいと存じます。  沖繩開発の方策につきましては、私はもっぱらいままで復帰運動に従事してまいりましたので、こまかい経済、産業の知識を持っておりません。抽象的に先ほど申し上げましたが、たとえば日本経済の中で沖繩県というものをどういうふうに位置づけるか、そうしてどのような生産的な任務を負わせるか。これは専門家方々が十分検討していただければおのずからその道は開けるものと確信するものでございます。悪政はトラよりもたけしと申しますけれども、国が栄えるのも衰えるのも政治の、政策のいかんによるものでございます。インドのように広大な国土を持ち、多くの国民を擁しながら、なお年々飢餓に見舞われるところもあれば、日本のように全然天然資源に恵まれないながらも、国民が勤勉であり、そのつど政策が巧みに運用されてきたところでは、GNP世界第二位という生産国家にも成長する可能性があるわけでございます。もちろん、このGNP世界第二位ということは、われわれがそれを誇るのにはまだまだ幾多の欠陥があるでありましょうが、そのようにして沖繩対策が十分に沖繩の立地条件を生かす方策を編み出していただければ、沖繩は一億国民の中のたった百万人でございます。これが食っていけないという状態は絶対にあり得ないと私は確信をいたすものでございます。
  86. 高山恒雄

    ○高山恒雄君 民社党の南山ですが、市長に伺いたいのですが、生鮮食料品等は沖繩でまかなうだけのものがないのではないかと思いますが、大かたのものが日本本土から輸入されているというのが現状ではないかと思うのですが、御承知のように年の暮れでもございますし、物価の値上がりはどういう状況にあるのか。全く年の瀬を迎えてドルのショック等による、特に生活品の不足が目立っておるんではないか、こういう感じがわれわれはするわけですが、この点をひとつお尋ね申し上げたいと思います。
  87. 安井謙

    団長(安井謙君) 平良公述人にいただく時間、大体、十時四十五分ぐらいに考えておりますので、そのおつもりで御答弁願いたいと思います。
  88. 平良良松

    公述人(平良良松君) 生鮮食料品の自給自足体制はまだできておりません。戦前沖繩は蔬菜輸出県として大きく沖繩の経済をささえておったのでございますが、戦後アメリカに膨大な軍用地、しかも主要な生産地帯を占められておりましたために、農業が非常に衰退いたしました。同時に、第一次産業に対するアメリカの関心というものが薄かったために、遠海・近海漁業がきわめて衰退をいたしております。しかしながら、現在ではほとんど蔬菜類、たとえば白菜やゴボウ、ニンジンに至るまで鹿児島や宮崎から輸入しているという実情でありまして、これはまことにお恥ずかしい限りであります。そこに政治の貧困を如実に示すものであり、蔬菜園芸の指導がよろしければ、必ず、自給自足をするだけではなくて、東京、大阪に対して蔬菜供給県となり得る可能性があると私は考えておりますので、その面の対策もぜひ講じていただきたい。  それから、物価の値上がりについてでございますが、いまどの程度の物価値上がりになっているか、そのパーセンテージはよくわかりません。後ほど数字を調べて御報告申し上げたいと存じます。ただ言えることは、私、最近南米まで回ってまいってつい帰ったわけでございますが、南米諸国におきましても、ニクソン声明以来二、三カ月の間に三〇%の物価値上がりが生じておるといわれております。沖繩においてもしかりでございまして、このドル・ショックというものがいわれて以来、思惑もからんで、物価は相当の値上がりを来たしておるかと考えております。こまかい数字、パーセンテージにつきましては後ほどお知らせいたしたいと存じます。
  89. 塚田十一郎

    ○塚田十一郎君 私、自由民主党の塚田でございます。平良公述人にまことに素朴なお尋ねをいたすのでありますが、公述人は、現在の協定それから関係法案に、どちらも反対というお立場をとっておられるように伺ったのでありますが、反対ということになれば沖繩は返ってこないということが大体常識だと考えられておるわけであります。そこで、公述人反対と言われるお立場は、返ってこない、返らないほうがいい、あるいは返らなくてもやむを得ない、それとももう少しうがったお尋ねをするのでありますが、反対しても、国会は自民党が多数だからおそらく通るだろう。したがって、返ってくるであろうが、いろいろ不満の点があるからそれらの点をひとつ改めろ。できればこの機会にもっとりっぱなものをつくってほしかったのだがやむを得なかった。現実は不満である。それらを改めろというような、どのお気持ちであるのかどうか。それをお聞かせいただきたい。
  90. 平良良松

    公述人(平良良松君) お答えいたします。  塚田先生のお尋ねにつきましては、非常にデリケートな問題があろうかと存じます。また、一様にみなそのような疑問を持っているわけであります。しかしながら、われわれといたしましては、先ほども申し上げましたように、沖繩返還ということは、軍事基地をなくして、戦争の危機を誘発するような要因を取り除いて、平和な島にしていただくということが、これが県民の願望でございます。しかし、それにもかかわらずその願望は一切無視されて、ほとんど顧みられて、ない。その中で、佐藤・ニクソン共同声明を根幹といたしました今回の返還協定内容につきましては、もっと日本政府が、さらにつけ加えて申し上げますならば、この佐藤・ニクソン会談以後、急速にアメリカが対中国態度を変えておるこの世界情勢の変化をも踏まえて、いま一度努力をされる必要があるのじゃないか。返還協定が成立しなければ沖繩は返ってこないということをおっしゃいますけれども、沖繩は当然に返ってこなくちゃいけない。それは日本国連に加盟したときに、国連憲章規定によりまして、加盟国相互間の領土の中では委任統治地域を設定しないという規定もございます。しかし、それにもかかわらず、日米の間には講和条約という特殊な条約があって、特段の取りきめがなされておるので沖繩は今日の状態になったわけであります。しかしながら、日米が互いに友好親善という態度を変えないならば、必ず話し合いによって沖繩県民の願望は達成される。また、それを達成しなければ、真の沖繩返還という意味がほとんどなくなるということでございます。われわれは一日も早く帰りたい。帰りたいが、しかしながら、沖繩がいつまでたっても軍事基地の役割りばかりしか背負わせられないということになると、まことに心外でございます。しかし、何べん申し上げても同じことでありますけれども、返還協定のやり直しを、沖繩が戦前のような平和な島の姿に返るまでは私は続けていきたい、それを主張していきたい、こういうふうに考えております。
  91. 安井謙

    団長(安井謙君) 時間の関係もありますので。
  92. 塚田十一郎

    ○塚田十一郎君 じゃあ、けっこうです。
  93. 安井謙

    団長(安井謙君) それでは、いろいろ御質問もあるかと思いますが、時間の関係もありますから、平良良松公述人に対する質疑はこのくらいにいたしたいと思います。  どうもありがとうございました。(拍手)     —————————————
  94. 安井謙

    団長(安井謙君) 次に、久貝公述人にお願いいたします。(拍手)
  95. 久貝良順

    公述人(久貝良順君) 私は公述人で弁護士の久貝良順であります。  このたび参議院沖繩派遣議員団が、沖繩返還協定及び沖繩復帰に伴う関係議案を御審議されるにあたりまして、現地沖繩県民の声を直接御聴取されるため、沖繩における公聴会を開催されたことに対しまして、心から敬意を表するものでございます。それとともに、意見陳述の機会をお与えくださいましたことに対し感謝申し上げるものでございます。  私は沖繩返還協定及び沖繩復帰に伴う関係議案については、大局的には承認するものであり、すみやかにこれらの議案が締結され、または法律となることを強く望むものであります。しかし、返還協定及びこれらの七議案を拝見いたしましたところ、必ずしも沖繩県民の要求がいれられているものとはなっておりません。したがいまして、次に述べるような意見を付して承認をする次第でございます。  第一、早期復帰について。現在沖繩日本国とアメリカ合衆国との谷間にあり、日米いずれの国からも積極的な手が差し伸べられず、苦悩の中にあえいでおります。米国は、沖繩日本に返るのだからということで手を控え、日本国は、沖繩アメリカの施政下にあるのだからと直接沖繩の統治を離れて、沖繩県民の生活は日一日と苦しくなっております。これまでわれわれが持っているドルは一ドル対三百六十円の値打ちがありました。しかし、きのうからは一ドル対三百八円の値打ちしか持たなくなりました。一ドルにつき五十二円の欠損をしいられたのであります。これは何も沖繩県の怠惰や過失によるものではなく、沖繩が対日平和条約によって置かれている特殊な地位によって招かれたのであります。このようなことが次から次へと追い打ちをかけてまいります。私たち本土に一日も早く復帰することによってこのような苦しみから少しでも脱却したい。返還協定やり直しの論もあるが、私はそのような主張には同意はできません。返還協定を早く締結して、復帰までの間、そして復帰と同時に、逐次改善策を講じていくようにすべきであると考えます。  第二、沖繩国連機構を設置することについて。一九四五年四月一日沖繩は米国軍隊の一斉上陸によって全島が戦場と化し、十八万八千余の同胞が戦死いたしました。一九四五年六月二十三日、事実上沖繩は終戦となったが、引き続き米国の軍政下に置かれました。一九五二年四月二十八日対日平和条約が発効して日本国は、平和に立ち返ったが、しかし、われわれ沖繩日本には返らなかった。沖繩は米国の統治下に置かれ、きょうまで二十六カ年と八カ月二十日になります。その間国有地を除く沖繩の民有地だけでも六千万坪余の土地が軍用地となり、地主たちは定住の地を失い、不自由な生活をしながら日本国の安全と平和に協力をしてまいったのであります。われわれは、戦争の苦しみをいずれの地域の人よりも身をもって体験いたしました。それだけに平和を人一倍希求するものであります。その意味で国際の平和と安全を維持することを目的として設立されております国際連合機構、たとえば国連大学、国連開発機構を沖繩に設置し、戦争と沖繩基地沖繩というこれまでの暗いイメージを、平和に協力する沖繩、豊かな沖繩世界の安全に寄与する沖繩という明るいイメージにチェンジできるようにしてもらいたい。そのことが、これまで日本国の平和と安全の捨て石となった沖繩に対する日本の親心の一つともなるものかと考えるのであります。  第三、請求権について。沖繩土地は広範にわたって軍用地となり、さまざまな損害を受けた。一九四五年八月十五日から一九五二年四月二十八日までの、平和条約発効前の期間における米国軍隊などが与えた損害で補償請求が提出されたものに対しては米国国会が立法措置を講じてすでに支払い済みとなっております。しかし、その当時請求をしなかったものに対してはいまだ補償がなされておりません。ところで、これらのものに対しては、返還協定の第四条によって、日本国はアメリカに対する請求権を放棄してしまいました。しかし、沖繩県民はこれらの損害に対しても強く補償を要求するものであります。関係委員会における総理大臣及び関係国務大臣の御答弁で、これらの損害に対しても補償がなされる旨伝えられておりますが、これだけでは、なお私たちは不安であります。この事項については、ぜひ立法措置を講ずることによって日本政府のはっきりした方針を打ち出すよう要請するものであります。そして、争いがあった場合には裁判で権利として主張できるようなところまで持っていってもらいたい。  第四、沖繩における公用地等暫定使用に関する法律案について。沖繩県にある土地日本国及び沖繩県が公用地として使用する土地は、民法の規定に基づいて、地主と国または沖繩県の間で対等の立場で任意の契約をすることになっております。これは、地主の個人の意見を尊重するということから当然の措置であると考えます。しかし、これらの土地について権原を取得するまでの間は五カ年をこえない範囲でこの法律によって地主の意思にかかわらず国または県が使用することになっております。国または県と対等の立場で任意の契約によって公用地の使用取得をするという土地取得の方針からすれば、このような取得方法は好ましい方法ではないと考えます。また、五カ年という期間も長きに失する感がいたします。しかし、土地の所有者が海外などに移住して連絡のために相当の日時を要することや、係争地で所有者がはっきりしない土地や帰属のはっきりしない遺産などがあり、これらのものを確認して契約のための折衝をするには五カ年の期間もやむを得ないと考えます。なお、現在の軍用地の契約状況は、軍用地面積の九七%が契約をしており、あとの三%が収用となっております。したがって、従来の経験からすれば、九〇%以上の地主は契約に応ずるだろうと判断されるので、沖繩における公用地等暫定使用に関する法律の適用を受けるのは、日本国等の使用する土地の面積の一〇%程度になるのではないかと判断されるのであります。  第五、賃貸借契約と適正借賃について。自分の土地を米国軍隊等の使用のために賃貸ししている地主三万八千三百余名の団体である沖繩市町村軍用地主連合会は、関係地主の要望をまとめて次のように決定をいたしております。本土復帰日本及び沖繩県に公用地として賃貸する土地の賃料の適正価格は二百十五億円とする。もし、二百十五億円を日本政府が支払うのであれば、地主の大多数は契約に応ずる用意があると決定をしております。この借賃の額は、学識経験者によって構成された資料算定委員会によって、あらゆる資料を参考にして算定されたものであります。したがいまして、二百十五億円は適正な借賃と判断されるので、この額で予算措置が講ぜられるよう要望するものであります。なお、基地は漸次整理統合して縮小の方向に持っていくべきであると考えます。  第六、宮古島飛行場用地の旧地主への返還について。太平洋戦争の末期一九四四年から一九四五年にかけて、宮古島の平良市に海軍飛行場、下地町に西飛行場、上野村に中飛行場が建設されました。地主は自分の車、自分の馬を提供するだけでなく、みずからも労務を提供して飛行場建設に努力いたしました。土地は陸軍省または海軍省用地として買収されたが、価格が至って低廉であったのみならず、地代は国債で渡され、または強制貯金をされ、実質的にはふところに入った現金はほとんどありませんでした。終戦後、これらの土地は、日本国国有地として米国民政府財産管理官の管理地となっております。旧地主は、かつての自分の土地に借賃を出して米国政府から借りて、ばく大な経費と労力を費やしてこの土地を復旧作業して耕作をしているというのが実情でございます。平良市にある旧海軍飛行場用地は、その一部は現在民間飛行場用地となっているが、下地町の西飛行場用地、上野村の中飛行場用地は何ら公用地として使用しておりません。これに類似の例は石垣島にもございます。用途を廃止したこれらの国有地は、すみやかに旧地主に返還されるよう要望するものであります。  以上で終わります。どうもありがとうございました。(拍手)
  96. 安井謙

    団長(安井謙君) どうもありがとうございました。     —————————————
  97. 安井謙

    団長(安井謙君) 続きまして、知念公述人にお願いいたします。(拍手)
  98. 知念盛仁

    公述人(知念盛仁君) 私は、公述人嘉手納村議会議員の知念盛仁であります。沖繩返還協定並びに沖繩復帰に伴う関係国内法案に対する意見を述べさしていただきます。  二十六年の歳月の流れは、あの忌まわしい戦争で焦土と化したこの沖繩土地にも草木が育ち、家が建ち、表面は何事もなかったかのような装いをしております。当時八歳でありました私は、容赦なく撃ち込まれる砲弾を避けるため、岩はだに身を寄せ、小さなからだをふるわせていた少年、いまはこの壇上から沖繩の心の万分の一でも訴えたく登壇いたしております。  戦争孤児、戦後の沖繩、思い起こすだけでも重苦しい日々でありました。沖繩県民の置かれている状況を理解していただくために、二つの例をあげたいと思っております。  例一は、各種の基地被害をこうむって絶えず不安な生活をしいられている嘉手納村民の状況であります。  昭和二十年四月一日、米軍が上陸して以来、その総面積の八八%が軍用地となり、北は巨大な弾薬庫、前は米軍が東洋一と誇る嘉手納空軍基地にはさまれて、わずかな土地に村民はひしめいて生活しております。昭和三十七年から昭和四十三年までの六年間、この期間は特にベトナム戦争が激化している時期でありますが、このように極東に緊張が発生しますと、もろもろの基地公害が発生いたしております。飛行機の墜落事故が三回、その事故で死亡した人が三名、重軽傷二十四名も出しております。この中には、あのB52の墜落、大ごう音をとどろかして県民のどぎもを抜いた事件も含まれております。住家全焼が三むね、校舎・住家等損害三百六十五件もこの三事件で被害を受けております。滑走路の拡張工事による砂じん事件、空軍基地から流された航空燃料あるいは洗剤ABSによる汚染、これは例の「燃える井戸」事件へと発展したのであります。被害人員が百五十六人も出ております。その事件は、一部まだ未解決であります。住民地域近くに大型駐機場をつくり、そこで昼夜エンジン調整されるごう音は、実に殺人的ごう音であります。  また、いままで申し上げました各事件による賠償額は、アメリカの賠償委員会の一方的な査定によって要求額の四分の一ないし三分の一に査定され、被害者は長引く賠償の解決に生活に困り、不本意ながら受けている状況であります。この中でもまだ未賠償の部分もあるということを御留意くださいますようお願いいたします。  これらの事故は、先ほど申し上げましたように、べトナム戦争の激化と関連いたしております。極東に緊張が起こった場合に、沖繩県民がこのような犠牲をしいられてきたのが過去二十六年の経過でございます。いつまた極東に緊張が発生した場合に、どのような事故がわが県民の上に降りかからないともだれも保証ができないのであります。ですから、沖繩県民は、一日も早くこのような基地が整理縮小され、願わくは近き将来に平和な島に生まれかわってもらうよう、声を大にして訴えているわけでございます。賠償額が不当に安く、一方的に査定されておりますのも、先ほど申し上げましたように、解決が長引き、被害者が生活に困ったあげくに不本意ながら受け取っているということであります。このように、法治国で正当な賠償がもらえずに一方的に査定され押しつけられているのも沖繩の現状であります。このような例を引用いたしますのも、沖繩の現実、過去二十六年間の県民の歩みを理解していただきたいからであります。  もう一点は、疎開船対馬丸遭難学童及び引率教師、学童の付添人処遇についてであります。  御高承のとおり、沖繩における学童疎開は、昭和十九年七月七日、時の東条内閣の緊急閣議をもって、沖繩島防衛戦略のための至上命令として決定され、その実施にあたっては疎開奨励の方針態度として、「単なる避難若しくは退散にあらず、戦争完遂のための県内防衛態勢の強化と人的資源の保護、食糧事情の調節を図る作戦措置」として、ほとんど強制的に指示され実施されたものである。その結果、対馬丸には学童及び付き添いの婦女子千六百余名が乗船し、駆逐艦二隻の護衛を受けて、当時すでに米軍の制圧下にあり、戦闘地域として指定された太平洋上を北上し、昭和十九年八月二十二日、米潜水艦の魚雷攻撃を受けて、悪石島沖の太平洋上に轟沈し、一瞬の間に一千四百余名のとうとい生命が奪われたのであります。この中には米軍が最初に上陸した地点、砂辺、水釜海岸から少し離れた古堅小学校区の学童及び付添人が七十八名含まれ、一家全滅に近い犠牲を受けられた家族も含まれていることであります。このように、持参いたしました謄本の中には、みな抹消されております。一家全滅であります。このような犠牲のもとに、国家の戦争遂行がなされ、しかも、強制疎開をさせられたこの犠牲者に対して国はたった二万円の見舞い金を支給したにすぎない。しかも、それに該当したのは、学童及び引率教師のみで、付添人に対しては二十七年になる今日まで何らの処遇をしていないということであります。沖繩県民に押しつけられた国家のこの態度をとくとごらんになってくださるよう、重ねて要望いたします。  戦争は最も罪悪であり、戦争ほど悲惨なことはない。戦後二十六年、沖繩は戦場の延長であったし、一日たりとも心の休まる日はありませんでした。沖繩県民の要求する復帰対策の基本は、このように戦争につながる一切の政策に反対し、沖繩を含むアジア全域の平和を維持するものでなければならない。そのためには基地の整理縮小の方向を具体的に示し、県民の不安を大幅に軽減することであると私は確信するものであります。米軍基地の存在に加えて自衛隊の配備は沖繩基地の強化であり、米軍基地肩がわりのために自衛隊を配備することは、海上諸国を刺激し、沖繩基地にまつわる不安は、増大こそすれ、軽減されることではない。県民は、かつての戦争体験、戦後の米軍支配の中から、戦争につながる一切のものを否定してきました。したがって、自衛隊の沖繩配備に反対するものであります。  沖繩における公用地等暫定使用に関する法律案についても意見を申し上げます。沖繩における米軍基地は、占領軍としての権力と絶対的排他的な施政権によって県民の意思を抑圧、強制使用したものである。それをこの法律によって正当化し、軍事基地の維持強化をはかることを目的とする法案であるがゆえに反対したいのであります。  米軍基地の維持存続に加えて、新たに自衛隊の配備を予定し、これを可能ならしめようとすることがこの目的であり、暫定使用という名のもとに、五年もの長期にわたって、土地の所有者の意思いかんにかかわらず強制的に米軍や自衛隊に土地等の強制使用を認めることであり、沖繩に住むわれわれとしては何としても耐えがたい。特に私有に属する土地等を正当な手続を経ずして五年の長期にわたり一方的かつ強制的に使用することは、実質的に土地等の強制収用であり、いかなる理由を付したにせよ、私権に対する重大な侵害であって、財産権の保障を規定している憲法二十九条に違反するものと私は解するものであります。  ですから、こういう法案はすみやかに是正されるよう、特に沖繩の平和を実現され、ひいて日本国の憲法を骨子として外交を展開され、この苦難の歴史に終止符を打ってくださるよう重ねて要望いたしまして、陳述の意見を終わりたいと思います。ありがとうございました。(拍手)
  99. 安井謙

    団長(安井謙君) どうもありがとうございました。  以上で公述人各位の御意見の午前中の陳述は終わりましたので、これより御質疑をいただきます。御質疑のある方は、順次御発言を願います。
  100. 松井誠

    松井誠君 久貝公述人にお尋ねをいたします。  私は社会党の議員でありますけれども、そういう立場というよりも、むしろ同業である弁護士という立場も兼ねて実はお尋ねをいたしたいと思うのです。  それは、先ほどお話しになりました請求権の問題であります。御承知のように、協定の四条の二項と三項で請求権の放棄が留保をされておる分がございます。これは、アメリカの手によっていままでの延長として支払われる、そのことで十分であろうかどうかというのが一つのお尋ねであります。御承知のようにたとえば覚書によって外国人賠償法による支払いは引き続きアメリカがするということになっておりますが、外国人賠償法も、われわれが普通考える請求権という権利の概念からはずいぶん遠いだろうと思うのです。先ほどあなたのお述べになりましたように、これを権利として認めるということになりますと、最終的には司法的な救済、いわば公権力による権利の実現、そういうものを伴わなければ権利の名に値しないわけであります。しかし、外国人賠償法は、もとよりそういう仕組みにはなっておりませんし、むしろ、最終的かつ決定的な支払いだという条件、満額という了承がなければ渡さないという条件、いろいろな制約があることは御承知のとおりです。そこで、これからの支払いの分も含めて——いままでの分にもいろいろと被害者からは不満がおありだろうと思うのです。それを日本政府に対する補償の要求として——それがここで権利であるかどうかは私はいま問いません。問いませんが、そのことをも含めて補償の請求をされるという立場でおありかどうか。先ほど補償の請求をされましたので、それがたとえばそういう意味で外国人賠償法の問題、あるいは復元補償の問題ですね。復元補償は布令二十号で一応いままで何がしか支払っておりますけれども、これもきわめて遅々として進まないし、金額そのものが問題です。日本の場合にはあの地位協定に基づくいろいろの関連法案で、たとえば解放を受けて復元するまでの間少なくとも三カ月は管理費用が要るだろうということで支払われる、あるいは残地補償だとか隣接地補償だとかというのも、一応額の大小は別として、払われるという仕組みになっております。しかし、そういうものが布令二十号による復元補償の場合にはおそらくない。そういう意味で、いろいろ本土法的な感覚で考えても、ずいぶん足りないところがあると思うのですが、そういうものを補償をされるというお考えがおありかどうか、このことを実はお伺いをしたいのであります。
  101. 久貝良順

    公述人(久貝良順君) 久貝でございます。ただいまの御質問にお答え申し上げます。  まず外国人賠償法についてでございますが、沖繩には多分一九五三年ころかと記憶しておりますが、それまでは米国軍隊、それから軍人などによって琉球住民に対して与えられた被害、それに対しては何ら補償がなされなかった時代がございます。それに対しまして、当時私は琉球政府の法務局におったのでございますが、アメリカ側に強く要望いたしまして、それでは琉球の人権に対する無視だということで米国側に強く要請いたしまして、それでは琉球に外国人賠償法を適用させる、したがって、アメリカの軍隊等によって被害を受けた者は、それによって賠償するから、請求をしなさいということになりまして、それによってそれ以後は賠償がなされてきているのでございます。しかしながら、ただいま御指摘がございましたように、額において非常に低廉である、それから請求書や折衝の段階において英語であるということで、被害者のほうは非常に不便で、この問題についてはずっと大きな不満はあったわけでございます。しかし、請求の方法等もその後日本語でこれをやる、それから琉球政府が被害者との間に立ってアメリカと十分折衝するというような点で、だんだん改善の方向にまいってきております。しかしながら、現時点において、なおわれわれはこれによって満足に賠償がなされているとは考えておりません。しかし、一応は法律によって賠償するというその根拠が示され、現実に賠償がなされていることだけは事実でございます。御指摘のとおり、この外国人賠償法によって賠償がなされていることに対しては琉球住民は必ずしも満足はしておりません。それが実情でございます。  それから、返還協定によって留保された部分はそれで十分かということでございますが、これは今後のアメリカ政府の賠償方については十分琉球住民側も監視の目を向けていき、われわれとしては、協定にうたわれているその法文を信頼して、今後の実施の面で琉球住民に不満が起こらないようにしていけばけっこうじゃないか、そのように考える次第でございます。
  102. 山下春江

    ○山下春江君 私は自民党の山下でございます。久貝さんにお尋ねいたします。  いま御答弁の中に、琉球政府にいたということでございましたので沖繩をよく御承知だと思うんですが、私はいまから十四年ほど前に厚生省の政務次官をいたしておりました。そのときに、きょう御出席の屋良主席がその当時は沖繩の遺族会長でいらっしゃいました。いまの遺族会長の金城さんが副会長さん、そのお二人とそのほか、二、三人でおいでになりました。で、沖繩の嘉手納地区で働いている健康な男子の方が毎月一生懸命ちっとも欠席をしないで働いても、そのときはもちろんドルでございますが、日本の円に直して三千二百円くらい。そのときに日本では戦死をされた方の遺家族の方に遺族扶助料というものが出されて、今日も出されておりますが、それが月四千七百円でございます。もちろん、遺族の方でございますから、お気の毒は当然でございますが、沖繩は私どもその当時想像するのに、まあ私は四十万戸と屋良主席から聞いたんでございますが、沖繩四十万戸全部御遺族であったであろうと想像できる。にもかかわらず、日本では四千七百円差し上げているのに、沖繩に対しては一つも差し上げてないということはそれは不合理だから、アメリカ施政権下であろうと何であろうと、日本人である沖繩の御遺族の家庭にこの遺族扶助料を流すべきだということで、当時内閣総理大臣は鳩山一郎先生でありましたが、その鳩山先生を説得いたしまして、そして遺族扶助料を、当時の四千七百円を沖繩の御遺族の方に流すことに成功いたしました。私は調べてきませんでしたので、それが今日まで続いているかどうかということを実は知らないで参りまして、先ほどちょっと沖繩の方にお目にかかりましたので、その遺族扶助料は今日もずっと継続されておりましょうかと聞きましたら、ずっと継続されているとおっしゃったのでございますが、そういうことで、まあ私は日本の母の立場である一人の議員として、沖繩の方がたとえアメリカ施政権下にあろうと何であろうと、祖国を守るためにそういう不幸な目におあいになった方に対しては、同じくやはり日本政府からあたたかい手を差し伸べるべきであるということを主張して、当時の総理に御同意を得てそのことを達成いたしましたものでございます。それが今日、先ほど聞きましたら継続されているということでございましたので、私はたいへんありがたいと思いますが、ただ、金額等は一つも調べてまいりませんでしたので。いまは立場が違います屋良主席は、実はその当時は遺族会長でいらっしゃいました。私は自民党でございました。当時から自民党でございましたけれども、遺族会長の屋良主席、それから副会長の金城さん、そういう方の御陳情に私はもう涙して答えた。本土の政治は決してそんなに冷たい、沖繩をあたたかい目で眺めないような政治は決して行なわれていないと思いますその一つの証左でございますが、久貝さんはその実情を御承知でいらっしゃいましょうかどうでしょうか。お尋ねいたしたい。
  103. 久貝良順

    公述人(久貝良順君) 久貝でございます。ただいまの御質問にお答えいたします。  当時私は琉球政府に勤務しておりましたが、直接援護関係、遺族関係の仕事にはタッチしておりませんので、お答えの直接な答弁にはなり得ないかもしれませんが、当時このような実情がございます。実は御存じのように、沖繩は今度の戦争で全部戸籍が焼けました。沖繩全島で、宮古、八重山のほうは若干戸籍が残っておりますが、沖繩の戸籍は全部焼けたのであります。当時私は琉球政府の創立当時から民事課長をしておったのでございますが、琉球の戸籍は何としてもつくらなければいけないということで、その第一歩から戸籍整備法という日本にはない特殊の法律をつくって琉球の戸籍を整備し、いまは本籍人口が百万をこしております。その当時は何もなかったわけであります。それを特殊な整備法をつくって琉球の戸籍を整備した者の一人でございますが、そのころ遺家族の方やそれから恩給をもらわれた、そういう方が私の事務所にたずねて来まして、沖繩に戸籍がない、したがって、私たちは恩給の受給も請求できない、遺家族年金の請求もできない。そして、それらの人はいまもう死にかかっている。それは沖繩に戸籍がないことによって、みずからの責任でないのに、私たちはこんなに苦しみに会わされている。君は戸籍の直接の担当責任者としてこれをどう思うかということで、強く私、訴えられました。実は私も泣きながらそれに対してお答えをしたことがあります。そういうようなこともあって、私は民事課長として自分の全生命を投入したつもりで戸籍整備に当たったわけでございますが、そのようにして遺家族年金それから恩給受給者、そういったような方々が受給をするための基礎となる戸籍、それをつくることに私も側面的に援助した経験がございます。しかし、金額と、どういう範囲、どのくらいの人数にそれが支給されているかということははっきりは記憶しておりませんが、未帰還者留守家族援護法という法律日本にできましたときに、それを沖繩にもぜひ適用するようにしてもらいたいという側面的な協力もしたつもりでございますし、それの基礎となる、請求の基礎となる戸籍の整備にも協力した、そういう経験がございます。しかし、お尋ねの遺家族に対する年金いかん、そういったようなものははっきりお答えするほどの記憶はいま持っておりません。
  104. 高山恒雄

    ○高山恒雄君 久貝公述人にお聞きしたいんですが、先ほどの公述人のお話では、私が数字の聞き違いをしておるかもしれませんけれども、もし間違っておったら御訂正をしていただければけっこうでございます。三万八千三百余名の地主で大体了解を得ておることは、二百十五億の補償をすれば、その補償に基づいて学識経験者による細部決定をして、そして五年間の補償を継続する、こういうことを了承しておるかに私はお聞きしたわけですが、そのほかに一〇%ぐらいの方の賛成者がないということは、結果的には不在地主なのかどうか、こういう点をお聞かせ願えるとけっこうだと思いますが。
  105. 久貝良順

    公述人(久貝良順君) 久貝でございます。お答えいたします。  先ほど二百十五億円を土地の借賃として日本政府が支払うのであれば、地主はこれに応ずる用意がある。それから、従来の例からすれば、地主の軍用地面積の九七%が契約に応じており、あとの三%が収用地である。これは現在軍用地をアメリカが取得してやってますが、現時点の比率でございます。それで、それからその経験から推した場合、九〇%以上は地主のほうは契約に応ずるんではなかろうか、契約に応じない分が大体一〇%以下に見積もられるという御説明をしたのでございますが、その内容といたしましては、先ほどもちょっと触れたつもりでございますが、沖繩は相当海外に移住しております。そういうような方々があって、現実に沖繩には土地はあるけれども所有者がいない。連絡は十分とれない。現時点でもそうであります。将来も、これも一応は予想されるわけであります。  それから今度は、沖繩土地は終戦後土地測量をやっております。ところが、当時機械もなく、それから技術者もいなかったために、相当ずさんな図面になっております。そういうずさんな図面をもとにしていまアメリカ土地を借りておるわけです。ですから、嘉手納の飛行場の中の図面というのは、本人は五百坪のつもりであるでしょうけれども、実は三百坪であったかもしれないといったようなことで、非常に図面がずさんであります。ずさんであるけれども、それをもとにして軍用地の貸し借りがなされているわけでありますから、そうなってきますと、どうしてもそこに争いが起こりまして、いわゆる係争地があるわけでございます。一九五一年に沖繩土地所有権は、一応各個人に所有権証明書というものを配付して一応確立されたことになっておりますが、そうして、その当時図面もつくられたことになっていますが、現時点においては、こういったような土地所有権証明書、それから図面というものは、悪いことばでいえば、あまり信用できない程度のものになっております。それで琉球政府におきましては、土地調査法というのをつくりまして、厳密な調査、測量をして、いまつくっておるわけでございますが、残念にして軍用地内は入ることができませんので、土地の測量も調査も実施されておりません。したがいまして、なお、その争い——お互いの境界線、いわゆる所有区分が不明確であり、争いが相当あるわけであります。それに対しての、いわゆるだれが所有者であるかということがはっきりしないために、それを確認するために相当時間がかかるであろう。それから所有者が死亡したが、遺産について、まだ相当に戦争で死亡した人もおるし、それから離散しておる人もおりますために、だれのものにするかという遺産の分割、そういう面が明確に分割が実施されないために所有がはっきりしない。そういうことなどが、土地を契約する場合の地主の確認に手間取るというふうに一応考える次第でございます。
  106. 矢追秀彦

    ○矢追秀彦君 知念公述人にお伺いいたします。  具体的な実例をおあげいただきましたが、四十三年まではベトナム戦争の激化でいろいろな公害が出たということですが、それ以後、要するに、現在ベトナム戦争がかなり縮小ということになってきておりますが、それ以降の公害は、やはり依然としてあるのか、かなり減ってきておるのか。その辺の実情はどうか、これがまず第一点です。  それから、かなり基地公害に対するいろいろな点が未解決である、あるいは賠償額に対しては非常に少ない、こういう点のお話がございましたが、現在未解決の問題については、どのような交渉なり何なりされておるのか、どういう経過になっておるのか。それが二番目です。  それから、私は土曜日の委員会質問をいたしましたが、基地が縮小されておるのではなくて、現在は拡充強化されておるということを、沖繩に調査に参りましていろいろ調べて、質問しましたが、そのときの政府の答弁は、核がなくなる、それから攻撃兵器がない、それから特殊部隊等もなくなれば、それは拡充強化にはならない、こういう答弁でありましたが、実際具体的にかなり基地が強化拡充されておると思いますが、現地におられてその点がどのように受けとめられておるのか。  それから核の撤去の問題ですが、これについても事前に米軍からは通告がない。米軍が責任を持って核を撤去するからこの点心配ないという外務大臣の答弁でありましたが、この核撤去が、毒ガスの撤去すらあれだけの大きな作業になったわけですから、核がいつの間にか、沖繩の皆さん方がわからない間にある日突然なくなるということは考えられない。おそらく何らかの作業等が行なわれれば、これは核がのけられるのではないかとわかると思うのです。やはりそのときにはそれなりのいろいろな避難態勢とかそういうことが必要であると思います。米国が事前に通告しないと言った以上は、やはり現地の皆さん方がある程度の監視的なものをやらなければならないのではないか、こう考えるわけでありますが、そういった点についてはどのようにお考えになっておるか、その四点をお伺いしたいと思います。
  107. 知念盛仁

    公述人(知念盛仁君) お答えいたします。  第一点目の基地公害の点でありますけれども、先ほど申し上げましたように具体的例をあげましたけれども、その後の基地公害はどうなっているかということでありますのでお答えいたします。本村におきましては、その後そういう非常にショッキングな事件は少なくなっております。しかし、爆音は依然として続いております。それに、私たちの村がちょうど知花弾薬庫と隣接しておりますので、そこのガスの撤去等におきまして、児童が休校したり、そういう避難の態勢のためにPTA会の、あるいは教育委員会の協議を持たれたりなりする、そういう精神的な不安、さらに本村からちょっと遠くなっておりますけれども、知花あるいは美原、石川にまたがる、その撤去に必要な土地の住民は非常に大きな被害を受けております。それで、基地の公害は形は変わり、固定しているものではなくて、あちこちに順繰りに形をかえていると申し上げたほうが妥当だと思っております。つい最近も隣村の楚辺のほうにジェット機が墜落し、そのときは不幸中の幸いで人身事故はありませんでしたけれども、やはりこういう飛行機の墜落はまだたびたび起こっておりますので、いつ何どき大惨事が起こるかははかり知れないものであります。  二番目の補償のことでありますけれども、未解決の部分にあの燃える井戸というものがありまして、それは具体的には大福湯の井戸汚染でありますが、ここはちょうど営業しておりまして、非常に支障を来たしております。請求額が二万三千九百四十ドル三十九セントを請求いたしておりますが、その査定になりましたのが実に七千八百十二ドル八セントというふうに、三分の一足らずでございます。こういう件で、不満であるとしましたら、これは米軍の海外損害賠償委員会が上訴もできない最終的なものであると、こういうふうに押しつけているわけでありまして、そこに折り合いがつかないのであります。で、近く本土政府等にもこの問題の解決等について要請すると関係者が言っております。  三番目の、基地の拡張が行なわれているかどうかということでありますが、基地は私たちの村にはもうすでに六六年五月二十九日ごろ大幅な基地の滑走路拡張工事がありまして、それに伴う附帯工事は一応完了いたしまして、空軍の施設には完ぺきというふうにいっておられるのではないか。その後の拡張工事は嘉手納村には見当たりません。しかし、北部やあるいは金武とか、そういうところには新たな基地の拡張や、あるいは知花弾薬倉庫等におきましては、若干の工事が行なわれているということが入手されております。  それから四番目の核の撤去についてでありますけれども、核は御存じのように非常に機密に属することで、この行動は非常に隠密な行動をとる。最近いろいろ伝えられたところによりますと、大浦からあるいは知花方面に運んだであろう、ものものしい武装をして、ガス輸送を上回る隊形で輸送をしたと、これがはたして核であるという確認はとっておりませんけれども、そういうふうに基地に何らか変化が起こっていることは確かであります。移動が起こっていることは確かであります。  核撤去についての安全についてでありますけれども、これは調査におきましても非常に沿道住民がかなり広範囲にわたって避難態勢をとらなければならないというような危険なものである。その対策については専門家が具体的に安全措置を講じて、県民に不安を与えないように慎重に核の撤去の作業をすみやかに具体的に県民に示し、安心させてもらうよう要望する次第であります。  以上でよろしゅうございますか。
  108. 西村関一

    西村関一君 時間もありませんので私は簡潔にお伺いをいたしたい。  一つは久貝公述人にお伺いいたします。先ほど国連機関の誘致を訴えておられましたが、特に国連大学の誘致について触れておられましたが、御承知のとおり国連大学を誘致しようとする候補県が多数にございますが、まだこれはきめていない状態であります。沖繩県におきましてはどういう構想をお持ちでございますか。また、これに対する県民の関心はいかがなものでございましょうか。あらかたでけっこうでございますからお伺いしたい。  それから知念公述人にお伺いをします。先ほど具体的な事例を述べられまして切々と沖繩県民の声を代表してのお訴えもございまして深く感じたのでございますが、あの学童疎開船の遭難につきましてまだ手厚い措置が講ぜられていないということでございます。これは、私は野党でございますけれども、与党の方々の有力な方が多数きょうお見えになっておられます。よく検討をいたしまして、法令が不十分であればどうすればいいかということも検討いたしまして御要望にこたえるように野党の立場からも努力したいと考えるのでございますが、これにつきまして、戦争遺児、戦争孤児と申しますか、あなたもそのお一人だということでございましたが、現在、沖繩におけるこれらの方々が十分に所を得られておられるかどうか、また、これに対する対策等は十分になされておるかどうか、そういうことについてお伺いをしたいと思います。簡潔にお答えをいただければけっこうだと思います。
  109. 久貝良順

    公述人(久貝良順君) 久貝でございます。お答えいたします。  国連機関のたとえば国連大学、それの沖繩への誘致について現地側ではどのような具体的な話が進められているかという御質問でございますが、この点については、すでにコザ市においてはその誘致の運動も展開されている実情でございます。じゃ、具体的には敷地はどこかというところまではまだはっきりここでお答えするところまではいっておりませんが、地元がぜひそういった国連機関を誘致して沖繩につくりたいという運動はすでに展開いたしておることだけは事実でございます。
  110. 知念盛仁

    公述人(知念盛仁君) お答えいたします。  この学童のほうには見舞い金が昭和三十七年二月二十六日に沖繩戦戦闘協力死没者等見舞金支給要綱で七百六十一名の方に該当いたしております。しかし、実際支給いたしておりますのは千四百三十四名でございます。その中では、ちょうど同年輩の七歳以上の児童がこの沖繩本島内におりましたならば準軍属として援護法の保護を受けておりますけれども、こういう疎開途中でなくなられたこれらの戦没者に対しては何ら法の適用がありません。ですから、遺族の方々には、同じ戦争遂行の目的でやったのだから、準軍属として法の適用を受けさせてもらいたい、そして加えて、子供が不安だからそれに付き添っていたおかあさんたち、おねえさんたち、そういう付添人に対してもその処遇をしていただきたいというのが要望でございます。  それから、遺児の数は大体、沖繩本島では四万四、五千の数にのぼっております。私がちょうど八歳でありましたが、こう成長いたしております。ほとんど遺児というよりはもう青年に、壮年に近くなっておりまして、家庭的にも非常に安定した生活を営んでおられる方がおられます。しかし、戦争中負傷したり、そういう面で非常にみじめな生活をなされている方もごく一部にございますけれども、いま資料を手元に持っておりませんので数字は申し上げられませんが、これでよろしゅうございますか。  それから、山下先生のほうには、先ほどお話がありましたが、援護法の沖繩適用でたいへん御尽力くださいましてありがとうございます。法の適用は本土と何ら差別なく同一に扱われております。この特殊な例と申しますか、まだこのように戦争の戦後処理がなされていない、法の光を与えておられないところにこのように多数の戦没者がおられるということを、この機会に御理解くださいまして、ぜひこの遭難者に対しても厚い適切な処遇をしていただきますよう要望いたします。ありがとうございました。
  111. 安井謙

    団長(安井謙君) 岩間君、時間の関係で簡単に。
  112. 岩間正男

    ○岩間正男君 簡単にお尋ねしますが、公用地等暫定使用法案の問題でありますが、これは任意契約で九七%というような話でありましたけれども、私たちこの夏に伺いましたとき、だいぶ地主連合会のほうでは委任状を取っておられましたね、各地で会合されて。そういう形でこれは進められている面もあると思うのですけれども、こういう点はどういうことになっていますか。  それから、この法案はあくまで、これは任意契約というような立場から考えますと、結局は、最後にはこれに応じなければ強制収用する、こういうことになるわけですね。そうして、しかも、いろいろな憲法違反がいまの論議の中で進められております。そうすると、やむを得ないから、結局はまあしかたがないのだから、必要悪は認めながらもこの法案には結局は賛成するという立場をとられるのかどうか。  もう一つは、いままでの補償の関係で、補償がなくなれば生活が目に見えてとにかく苦しくなる、しかたがないからと、こういう形で補償額を多くすれば、やむを得ないという形で賛成をしておられる。私は、こういう点で実際はこの基地がどうなるのか。  それからもう一つは、当然、これは愛知前外務大臣の国会におけるいままでの答弁を聞いてみますというと、これは沖繩土地というものは、当然返還によって地主に一度返される。それを今度は地主から借り上げて米軍に提供する。地位協定のたてまえはそうなっているのだ。したがって、あくまでそれを貫きたい、こういう方向でいきたい。こういうことを、これは六十五国会ではしばしば繰り返しているわけです。現に私たちもそういうような答弁を得ているわけです。これが、全然違ったこのような法案に変更された。こういう点については、沖繩の地主の方々はどういうふうにお考えになっていらっしゃるのか、この三点についてお伺いいたしたいと思います。
  113. 久貝良順

    公述人(久貝良順君) 久貝でございます。お答えいたします。  まず、第一点の契約に応ずるであろう地主が九七%で——面積の比率でございます。あとの三%が収用になっているということは、これは現在の実情でございます。御存じのように、現在の軍用地は、米国民政府が出しております布令二十号、これによってアメリカが取得をしております。で、その取得の方法は、琉球政府が地主と契約をして、それから琉球政府アメリカに転貸をする。地主との間には基本賃貸借契約、アメリカとの間には総括賃貸借契約というようなものを取りかわして契約をしております。ですから、先ほど御指摘がございましたが、地主が何か委任状をまとめてというお話がございましたが、これは、琉球政府は個々の地主と契約をしておりますので、委任状によって地主連合会が一括して琉球政府と契約をする、こういったような形はとってはおらないのでございます。それが実情でございます。  それから、公用地等使用は民法によって取得するのがたてまえであって、私もそれについてはそのように解釈しており、そうでなければならないと思います。しかしながら、そのような民法に基づく任意な契約によってどうしても契約ができない面があるであろう。それが、私の考えでは公用地法の適用を受ける土地ということになるのではないかというふうに考えております。したがって、従来の経験からすれば、現在の経験からすれば、九〇%以上は契約に応ずるであろうが、あとの一〇%以下のものが公用地法の適用を受けるということになりはしないかということでございます。必要悪として認めるかということでございますが、しいていえば、そういうふうな解釈になろうかと考える次第でございます。よろしゅうございますか。
  114. 岩間正男

    ○岩間正男君 愛知外務大臣の答弁といま違っているわけですね。外務大臣はあくまで地主と話し合いを進めてやるのだと言っています。それがこういうふうな法案に変わっちゃったんです。これはどうお考えになりますか。
  115. 安井謙

    団長(安井謙君) 岩間さん、ちょっとむずかしくないですか、質問のしかたが。
  116. 久貝良順

    公述人(久貝良順君) 外務大臣の答弁と現実に法案になった形とは違っていると……。
  117. 岩間正男

    ○岩間正男君 違っている。
  118. 久貝良順

    公述人(久貝良順君) それでございますれば、これは日本政府自体が法案を出す段階においての方針の変更ということでございまして、私といたしましては、現実に出ている法案を中心としてのお答えしかできないわけでございますが、過程においてそのように……。
  119. 岩間正男

    ○岩間正男君 どう考えておられるかと思った。けっこうです。それについて私は地主の連合会の比嘉さんなんかにもお目にかかってお話をしておりますよ。ところが、これ変わりましたね、強制法案に。こういうことについてどうお考えになっていらっしゃるのか、現地の皆さんは。
  120. 久貝良順

    公述人(久貝良順君) 強制法に全面的に変わったとは解しておりません。あくまでも民法に基づく契約には変わりございません。ただ、その民法に基づいて話し合いによって契約をしていきたいということだが、沖繩には、地主がいない、われわれ、所有権がはっきりしないために地主の確認ができない、そういうふうな部分のものについて公用地法の適用があるであろう、こういうふうに解釈しております。それから、あくまでも基本線は民法に基づく話し合いによる契約には間違いないと思います。
  121. 岩間正男

    ○岩間正男君 地主で反対している人があるのでしょう。
  122. 久貝良順

    公述人(久貝良順君) ですから、そのことが、公用地法の適用を受ける部分は適用を受けるのじゃないかというふうに考えます。
  123. 岩間正男

    ○岩間正男君 そこをはっきりしておいて……
  124. 安井謙

    団長(安井謙君) いろいろ御質問尽きないと思いますが、時間の関係もございますので、たいへん残念ですが、午前中の公聴会はこの程度にいたしたいと思います。  公述人方々、お忙しいところたいへんありがとうございました。(拍手)   〔午後零時二分休憩〕   〔午後一時二分開会
  125. 安井謙

    団長(安井謙君) 休憩前に引き続き、参議院沖繩公聴会を再開いたします。  私、派遣議員団団長で、本日の会議を主宰いたしております安井謙でございます。  参議院におきましては、目下沖繩返還協定並びに沖繩復帰に伴う関係国内法案審査中でございますが、これら諸案件につき直接現地の方々の御意見を承るため、御当地にわれわれ議員団一行が派遣された次第でございます。  本公聴会の問題は、さきに御案内申し上げましたとおり、沖繩返還協定、すなわち、  琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定の締結について承認を求めるの件  並びに、  沖繩復帰に伴う関係議案、すなわち、  沖繩復帰に伴う特別措置に関する法律案  沖繩復帰に伴う関係法令改廃に関する法律案  沖繩振興開発特別措置法案  沖繩における公用地等暫定使用に関する法律案  国家公務員法第十三条第五項および地方自治法第百五十六条第六項の規定に基づき、人事院地方事務所設置に関し承認を求めるの件  沖繩平和開発基本法案  及び  沖繩における雇用促進に関する特別措置法案  以上の八件についてでございます。  まず、派遣議員を紹介いたします。  副団長松井誠君。高田浩運君、楠正俊君、塚田十一郎君、亀井善彰君、山下春江君、山本敬三郎君、長田裕二君、梶木又三君、鈴木省吾君、西村関一君、矢追秀彦君、高山恒雄君、岩間正男君、宮之原貞光君、田英夫君、中尾辰義君、木島則夫君、星野力君。  現地参加稲嶺一郎君、喜屋武眞榮君の諸君でございます。  次に、本日午後御意見を述べていただくため御出席をお願いいたしました五人の公述人の方を紹介いたします。  村山盛信君、仲田昌繁君、宮国英勇君、芳沢弘明君、小嶺憲達君。  公述人の皆さまには御多忙中のところを御出席をいただき、厚く御礼を申し上げます。  それでは、議事の進め方について申し上げます。  まず最初に、公述人各位からこれらの案件につきまして御意見を承ります。時間の都合上、御意見をお述べいただくのは、お一人当たり十五分以内でお願い申し上げます。  一通り公述人各位から御意見を承った後議員から質問申し上げることにいたしておりますので、その際は、なるべく簡明にお答えをお願いいたします。  なお、本日の会議の趣旨は、皆さまからの御意見を拝聴いたすことにありますので、私どもに対する御質問は恐縮ながら御遠慮願いたいと思います。  また、なるべく円滑に会議を進めてまいりたいと存じますので、発言される方は、座長の許可を得てからお願いいたします。  傍聴人方々におかれましても、会議の進行に御協力下さいますようお願いいたします。  午後の会議の終了は、おおむね午後四時ごろを予定いたしておりますので、御了承願います。  それでは、これより順次公述人の方より御意見を承ります。発言は、私から順次指名させていただきます。  まず、村山公述人にお願いいたします。(拍手)
  126. 村山盛信

    公述人(村山盛信君) 持ち時間の都合上、読み上げて公述にかえたいと思います。  御指名をいただきました嘉手納村字嘉手納二百八十二番地に住む村山盛信でございます。これから申し上げる私の所見の中に、いろいろと諸先生方のお気にさわるようなことがもしありましたら、私の表現のまずさでございますので、あしからずお許しをお願い申し上げます。  本日は参議院議員の安井謙先生ほか諸先生方が、沖繩返還協定並びに沖繩復帰に伴う関係法案の審議に資するため、わざわざ遠路現地までおいでくださいまして、私ども日ごろ所見を述べる機会のない者の声をお聞きくださるその機会をつくっていただきましたことはまことに時宜を得たものであると心から厚く感謝を申し上げる次第でございます。  私は現在参議院で審議しておられる沖繩復帰に関するすべての法案について十分なる知識と見解は持っておりませんので、戦後沖繩の縮図ともいわれる嘉手納村に生まれ、二十有余年住んでいる者の一人として復帰問題について日ごろ私の持っている感じを述べて議案審議の参考にもなれば幸いと存じておる次第でございます。  その前に私の戦後二十有余年住んでいる村のアウトラインを諸先生方に御紹介申し上げたいと思います。嘉手納村は那覇市から一号線に沿って北へ二十四キロメートルの地点にあり、人口約一万五千、総面積約四百四十九万二千六百五十四坪でございますが、そのうち、軍用地が約三百九十四万四千坪でございまして、総面積の八六・二%が軍用地となっております。民間所有地が残り一三%弱になっております。で、住民の大多数が直接、間接に基地によって生計を営んでいるというのが現状でありまして、ちなみに軍用地料年間約八十五万二千ドル、軍雇用員が約九百人で、その年間賃金が八十一万五千ドル、外人向け貸し住宅が六百五棟で、その年間家賃収入が五十八万ドル、以上ざっと二、三の例をあげても二百万ドル余の収入で、その他直接、間接のこまかい基地収入を拾い上げると、当村だけで年間収入三百万ドルはこえると推測されるわけでありますが、このようにして基地経済にささえられている当村の現状を申し上げたわけでございますが、このことは大小の差はあれ、中部十四カ市町村にも言えることでありまた、全沖繩にも言えることではないかと思います。   〔団長退席、副団長着席〕 反面、相次ぐ基地被害に戦後二十有余年悩まされ続けてまいりました。諸先生方にも御承知のことと思います。燃える井戸、昼夜の別なく耳をつんざく爆音、B52の墜落、輸送機の墜落事故による人身殺傷等数えあげれば限りがないほどであり、そのつど私たちは軍当局に厳重なる抗議をし、適正な補償また対策などを要求してまいりましたが、制度の違い、言語、習慣の違いから十分なる対策、満足なる補償も得られない状態であります。まさしく靴の上から足をかくもどかしさを覚えるのでありますが、さきに申し上げましたとおり、私たちの生活がかかっているので、残念ながら、車があるから交通事故があるといったような明快単純なる答えは出てこないのであります。  以上沖繩の縮図といわれる嘉手納村の現状を申し上げましたが、このような問題を早期に解決するためにも、私どもは一日でも早く祖国復帰が必要であると皆さまに訴えたいのであります。  さて、私たち沖繩県民が戦後四分の一世紀にわたり願望し続けてきた祖国復帰本土政府の御努力と米国政府の深い理解のもと、そして国会議員の諸先生方の御協力によりまして、いよいよあと旬月にして晴れて沖繩県になることはまことに喜ばしいことであり、北方領土の例から見てまさしくこれは夢ではないかと思うほどであります。いま沖繩復帰問題についてたくさんの議案参議院の先生方に審議をわずらわしておりますが、私は何はともあれ、まず復帰することが最も前提第一であり前提条件であると、こう考えております。  協定内容に多少問題点もあるようでございますが、復帰という世紀の大事業を完成するためには、相手のあることであり、やむを得ないことと思います。請求権の放棄については、私たちは米国に対しての放棄であって、日本政府はわれわれ県民の請求に対しては何らかの形で補償をするものだと承っております。ただ、ここでこのことで少しく申し述べたいことは、単なる見舞い金的あるいはまた慰謝的意味での見舞い金では、年度によって、予算によって不安定があるので、法の根拠に基づいて補償できるよう措置をしてもらいたいと希望申し上げる次第でございます。  安保条約の適用については、本土に条約がある限り沖繩県もその例外ではない。安保条約の適用は当然であると考えるわけでございます。  VOA放送については、沖繩返還相手側の条件であればやむを得ないので、五年といわず、復帰後なるべく早く撤去するよう沖繩の主権を取り戻してから交渉を続けてもらいたい。また、福田外務大臣もそのような趣旨のことばを言っておられたようでございます。  三億二千万ドルの資産買い取りは、復帰後の沖繩発展のための電気・水道その他の施設の買い取りであり、県民のひとしく要求する核撤去費であり、県民同胞の軍離職者の退職金の遡及適用分であるならば、戦後二十有余年沖繩を里子にやって異例の経済発展を遂げた日本といたしましては、そのくらいの誠意はあってしかるべきだと私は考えるわけでございます。返還協定やり直しの声もあるようでございますが、事実上これは不可能だと私は考えます。また佐藤総理大臣もその意思がないように見受けられます。やり直しを要求する者またはその団体が政権を担当して、はたして多少おくれるという程度の年限で私たち祖国復帰が実現するかどうか、いささか不安でございます。  核基地の点検ということも事実上不可能だと私は思います。日米両国の誠意を信頼するよりほかはないのじゃないかと、こう考えております。自衛隊の配備については、沖繩が、わが国土の一部である以上、本土には配備されている自衛隊を沖繩には配備できないということは、これこそ片手落ちであり、特に沖繩本土より遠く離れて点在する離島であります。わが国の最南端であり、最近の中国対台湾問題についても予測できない事態が発生する可能性もあるかもしらないのであります。最南端の与那国島では第三国人に漁場を荒らされ、不法上陸等もひんぱんにあるように聞いております。数名の警察官では手にも負えないようであります。わが国の領土の一部とみなされている尖閣列島についてもまた同様だと考えます。  自衛隊は戦前の軍国主義時代の軍隊とは全くその性格が違い、特に自衛隊の常時活動の民生協力は沖繩の発展開発にも役立つものだと考えております。そうでなくても、独立国として自国の防衛力を持つのは理の当然だと考える次第でございます。  公用地等暫定使用についても、新たに県民土地を収用するのではなく、現在でも軍用地として使用されている土地で、特に電気・水道・道路等、われわれの日常生活に必要欠くことのできない施設のものであって、復帰までに地主との契約が成立しない特別な土地に、暫定的に五カ年をこえない範囲で使用し、その間に地主との交渉を続けて円満解決をするという趣旨の法であると私は受けとめております。復帰時の過渡期にあっては必要な措置だと思います。私は嘉手納村の千八百名余で組織している軍用地主協会に協会長意見を聞いたのでありますが、村内軍用地主には現在ほぼ了解を得ている地料、いわゆる二百十五億円でならば、反対者は全くないと地主協会長は説明しているのであります。現在でも、たとえばこの法ができても適用者はいないということを聞かされております。現在でも未契約者がうちの村内に百四十三名いるが、これはたとえば千坪のAの土地内に五坪六坪くらいの墓とか井戸とかを持っている地主であって、手続上契約のできないものだそうであります。これは嘉手納村軍用地主協会長の説明でございます。それでもなお地料は、依然としてこの地主の方々も受け取っているという事実でございます。  その他各関連法案についても、戦後二十有余年の異民族支配下にあって本土との格差があらゆる面にありますが、そのおくれを取り戻すための諸法案と私は受け取り賛成いたしたいと思います。  すべての問題はまず復帰実現であるという、日ごろもの言わぬ大多数の県民の声なき声をおくみ取りいただき、一日も早く復帰が実現し、喜んで本土同胞のもとに帰れることのできますよう、諸先生方の御尽力をお願い申し上げる次第でございます。  以上申し上げまして、次に要望事項を申し上げます。  いままでは、私個人としての見解でございましたが、これから沖繩県町村議長会、中部町村議長会長としてお願いを申し上げます。  いわゆる昨今問題になっているドル・円の即時切りかえでございます。三百六十円で即時切りかえていただきたい。これは私ここで正式に、公人としての中部町村議長会長としての肩書きでもって皆さまにお願いを申し上げる次第でございます。  なおまた次に、基地周辺整備法の適用について、本土では横田基地の周辺四カ市町村におきましても、従来昭和三十七年から昭和四十五年までの九年間に約百億に近い金が公共投資されております。その点、沖繩では全く皆無の状態でございます。特に過去の期間も勘案いたしまして、復帰後相当な思い切った政策を、基地周辺整備法を沖繩に適用してもらいたいと希望いたす次第でございます。  なお時間がございませんが、もう少し申し上げますと、本土政府の出先機関、沖繩の振興開発のためにぜひ必要だと思います。私は嘉手納村の公民館をつくるために、ことしの四月、総理府に総務長官をたずねましていろいろ御説明申し上げまして嘆願いたしましたところ、一億八千万円の公民館建設費を、先生方の御労苦で予算化いたしてもらっております。ところが私どもは、去年の四月本土の予算に計上されておりますので、もう今月——いわゆる今年の末、十二月までには何とかそこに住めて、村民もそこの公民館を使えるであろうと喜んでおったわけでございます。そして敷地も準備し、現場説明もして、それからいざ入札——去る十五日に入札しようとした。そうしたら、琉球政府から待てと言われて、また待たされているというような状態でございます。それが、内容をいろいろ尋ねてみましたら、琉球政府のほうから執行段階におけるところの諸手続がまだ本土政府に来ていないというような状態でございます。こういうふうにいたしまして、せっかく本土同胞の皆さまが、われわれ戦禍に打ちひしがれた沖繩県民のためにいろいろの施策をやっていただくにもかかわらず、中途でもってこういうふうにもたもたするということはたいへんなことでございます。すべからくパイプを直結いたしまして、地域市町村住民の福利のためにやっていただきたい。そういう面からも私は出先機関の設置は決して地方自治の侵害でも何でもない。その地方の発展のために必要だと、こう考えておる次第でございます。  それから、いろいろと基地関係、離職者対策法とか、いろいろ諸先生方の御心配によってつけていただきましたけれども、肝心な基地関係業者の配転救済に対する事柄が一つも出てこない。私はこれが一番大切だと思います。本土の炭鉱業者救済法に準じて、その救済対策をぜひ皆さまのお力で考えていただきたいと、こういうふうに要望いたします。  さらにもう一つ、沖繩の医師不足にかんがみ、現在先生方に御検討いただいている琉大医学部の設置以外に、現在日本で検討されておりますところの県内にとどまって医療活動ができますところの自治医科大学を沖繩にも創設していただきたい。  以上四点を申し上げます。なお時間がございませんのでたくさん申し上げませんが、軍用地等の問題についても、これからぜひまだまだ解決しなければいかぬ問題が四、五点ありますけれども、時間がございませんので以上で終わって、諸先生方、よろしくお取り計らいください。私たちの声なき声、いわゆる赤じゅうたんの上で聞こえない意見をひとつ十分にくみ取りいただきまして、一日も早く復帰させていただきますようお願い申し上げまして、公述にかえる次第であります。どうもありがとうございました。(拍手)
  127. 松井誠

    ○副団長松井誠君) どうもありがとうございました。     —————————————
  128. 松井誠

    ○副団長松井誠君) 次に、仲田公述人にお願いいたします。(拍手)
  129. 仲田昌繁

    公述人(仲田昌繁君) 公述人の仲田でございます。  沖繩返還協定を最大の焦点といたしまする第六十七臨時国会の開催中におきまして、沖繩返還協定並びに沖繩復帰に伴なう関係議案に対し、現地沖繩県民の意思を聞かれるために開催されました沖繩公聴会、並びに、遠路はるばるお見えになりました安井団長以下参議院の諸先生方並びに事務当局の方々ほんとうに御苦労さんでございます。  一、二点意見を申し述べてみたいというふうに考えます。日本が近代社会への歩みを進めてきた歴史の中で、沖繩の歴史は祖国復帰への戦いの歴史でございました。いまようやくその実現を見ようとするときにあたって、本土国民世論沖繩県民の多数がこの協定内容に不平不満、疑惑があることをまず申し述べておきたいというふうに考えます。  まずその第一は、返還協定内容がきわめてあいまいであると同時に、基地返還の実態は、われわれ沖繩県民の熾烈な要求にもかかわらず極小であり、基地機能は七二年の返還によっていささかも減退するものではないということがきわめて明白でありますし、主要基地がほとんど残るということ、さらに全く沖繩住民の意思が無視された形のものではないかというふうに申し上げておきたいと考えます。  第二に、明確にしてもらわなければならないと考えますることは核の問題でございます。国会における論議で、政府は、沖繩の核が撤去されるのは共同声明八項と返還協定第七条によって明らかである、というふうに言明していますが、われわれ沖繩県民は、沖繩にある核がいついかなる方法で撤去され、さらにその確認方法を今期国会において明確にしてもらいたいというふうに主張し続けてまいりました。しかしながら、国会におけるこれまでの政府説明は前述の域を出ないものでございますし、県民の不満、疑惑を解消するに至っていないということをまことに遺憾に思うものでございます。  第三に、協定第八条によりますと、沖繩にあるアメリカの極東諸国向けの放送——VOAの五年間存続を認め、二年後にその将来の運営を協議することになっていますが、電波法第五条は、日本の国籍を有しない者、外国政府またはその代表者には無線局の免許を与えないとなっております。このように国の法律に反してまで米国の軍事関係の施設の存続を認めており、「本土並み」とはとうていわれわれは容認しがたいものでございます。  その他、返還協定は米国の施政権下で生じた日本国民の対米請求権の放棄、米国資産の引き継ぎなど、多くの不満と疑惑がございます。  次に、沖繩復帰に伴う特別措置に関する法律の第七章−通貨の交換等−第四十九条第一項に関連して若干意見を申し上げたいというふうに考えます。第四十九条第一項は、沖繩県の区域内にある居住者は、政令で定めるところにより、当該区域において保有するアメリカ合衆国通貨を、この法律の施行の日前における外国為替の売買相場の動向を勘案をいたしまして、内閣の承認を得て大蔵大臣が定める交換比率により、同日から政令で定める日までの間に本邦通貨、すなわち日本円と交換しなければならない、このようになっております。この条文から見ますと、沖繩のこの法律の施行は、おそらく施政権返還時であろうというふうにわれわれは理解をいたします。さらに、内閣の承認を得て大蔵大臣が定める交換比率がどうなるのか、はたして一ドル対三百八円なのか、あるいは一ドル対三百六十円なのか、この条項に対してきわめてわれわれは不満と不安を抱いております。われわれ沖繩県民は、ニクソン大統領ドル防衛政策の発表、円の変動相場制への移行等、一連の国際通貨危機の渦の中で、県民の血のにじむような努力と忍耐によってささえられてきた沖繩経済と県民生活に大きな損失を今日まで受けてまいりました。私どもはその中にあって、このような通貨危機より県民の生活と財産を守るには、一ドル対三百六十円の交換レートによる円への即時切りかえ以外には救える方法はないといたしまして、日本政府に今日まで強力に訴えてまいりました。このような運動の過程におきまして、十月九日、通貨及び通貨性資産の確認に関する緊急臨時措置法に基づきまして、個人の現金、金融預貯金が一ドル対三百六十円で補償されることになり、佐藤総理も、県民の不安が解消されることを望む、というふうに申し述べられておりましたが、確かに不安が解消される面もありますが、労働者の賃金債権、県民間の債権債務、その他多くの問題をかかえておりまして、十月九日のこの措置によっては、通貨の根本解決にはなっておりません。  去る十七日からワシントンで開催されました十カ国の蔵相会議の結果、円の大幅切り上げを余儀なくされ、一ドル対三百八円に決定されております。八月の十五日のニクソン経済政策発表以来、もろにその影響をこうむってまいりましたわれわれ沖繩県民にとって、さらに今回のこの円の大幅切り上げは、七二年復帰に向けて多くの問題をかかえ、復帰不安に苦悩している県民生活並びに経済を根底からいまゆさぶっております。さらに不安と困難のどん底にいまおとしいれようとしておるのでございます。  本土政府は、国際通貨の多角的調整に対する政府声甲の中で沖繩通貨問題について触れておりますが、この声明では、去る十月九日のドル・チェックの措置の域を出ておるものではございませんで、目新しいものではございません。そういうことによりまして、われわれ沖繩県民はいまきわめて不安定、困難の状態に置かれておるわけでございます。したがって、「円とドルの谷間」で県民生活を守り、経済危機を乗り切り、そして円滑な豊かな復帰を築くのには、このような禍根、混乱、不安を早期に排除いたしまして、ほんとうに安心して九十五万県民が一致団結して建設の力を発揮できる、そのことをわれわれは切に要望しているわけでございます。特に七一年のこの暮れにあたりまして、このように円とドルの谷間にございまして、そして復帰に向けて自分たちの生活が、経済が一体どうなっていくのか。このような形の中で、いま沖繩県民は非常に苦悩の段階にございます。したがいまして、参議院の諸先生方におかれましても、沖繩のこの実態を十分御理解していただきまして、円のドルからの危機を取り除き、そしてそのことは即一ドル対三百六十円の交換レートの保証による円通貨への切りかえ以外にない。このことは沖繩九十五万県民の私は総意であろうと考えます。  さらに公用地の暫定使用に関する法律につきまして、端的に申し上げまして、この法律米軍基地の維持存続と自衛隊の沖繩配備を目的としたものではなかろうかと私は考えます。われわれ沖繩県民は、あの第二次大戦において戦争の悲惨と残酷さを身をもって体験してまいりました。さらに四分の一世紀にわたり、基地あるがゆえに派生する公害、人権問題等、その中にあって血のにじむような苦難の道を歩んでまいりました。したがって、祖国復帰ということは、異民族支配からの脱却と同時に、このような軍事的重圧から一日でも早く脱したいということであり、これは県民のすべての感情ではなかろうかというふうに考えます。でありますから、県民として沖繩米軍基地の整理縮小、将来的には撤去を求めて、物心ともに豊かな沖繩県の建設を希求するのは当然のことかと考えます。このような県民の気持ちを無視して、本土と比較にならないような基地機能、密度のある沖繩米軍基地に、しかも、本土との対比におきまして二十数倍といわれる六千八百余の自衛隊を派遣するということは、どう考えてみましても納得ができませんし、戦争への危惧はぬぐい去ることはできません。  次に、きわめて現実的なものといたしまして、われわれはかねがね、将来的に沖繩県民の豊かな生活を確保する意味におきまして産業政策を展開をしてまいりました。  海運関係について、この復帰を目前にいたしまして、若干大きな問題が出てまいっております。そのことを申し上げますと、第二次大戦後廃墟と化した沖繩で、海運業はその先端を切って復興への道を歩み始めてまいりました。一九四六年、沖繩船員による米国軍用船の運航がスタートして以来、見るべき国家の助成もないままに着実に船腹の増強の努力を重ねまして、現在沖繩の企業が保有する内・外航船は百トン総トン以上の鋼船で約五万五千トンに及んでおります。この船腹量は本土のそれと比べ問題にならないほど小規模なものでございますが、沖繩における外貨収支の面から見ますと、全産業中第四位にございまして、沖繩経済に果たしている役割りはきわめて大きいものがございます。本土の海運産業がその船腹量において実質世界第一の高度成長を遂げまして、大型化、専用化など急テンポの輸送革命を遂げている中で、沖繩の海運業は、その保有する船腹量のみならず船質、企業の体質面において、本土に十数年の立ちおくれをいたしております。同時に、沖繩海運業は、本土沖繩間の外航海運活動を主体にいたしまして歴史的成長を遂げてまいりました。現在本航路に占める沖繩籍船の就航船腹量、これは沖繩本土間でございますが、延べ約百九十万重量トン、全体の約四五%と推定されております。この数字から見られるごとく、これだけ依存度の高い本土沖繩間の基幹航路が復帰時点で内航海運として位置づけをされた場合に、ここに本土のふくそうしております船舶がどっと押し寄せてまいりますと、沖繩の固有の海運業に重大なる打撃を与えるのは火を見るより明らかでございます。現在宮古−八重山航路、あるいは本土沖繩間の航路につきましては、それぞれ運賃同盟というのがございまして、かなり強いカルテル行為によって航路の秩序維持をはかってきたため、そのシェアの中で沖繩海運業は曲がりなりにも海運活動を維持してこられたということが言えます。四面を海に囲まれた海洋県のわれわれにとって、見るべき保護もないままに今日まで成長してまいりました沖繩固有の海運業に対する愛情は、本土のそれとは比較にならないほど強く、復帰とともに内航海運業として位置づけられることにより、比較にならないほど競争力の強い本土海運資本に既得航路をじゅうりんされることを非常におそれているわけでございます。沖繩県民本土の企業及び行政に抱いている不安をそのまま残しておくならば、円滑な復帰及び将来の一体化に大きな妨げとなるということは火を見るより明らかではないかというふうに考えます。したがって、沖繩県の海運企業が本土の海運業に伍してその活動を維持し発展していくためには、内外航路の秩序の母体となっておる運賃同盟の基準を維持するとともに、地元海運業に相当量の船腹を保有させることが必要ではないかというふうに考えます。  このような観点に立ちまして、復帰に向けて諸準備をしてまいりました沖繩県民会議におきましても、この問題を提起をいたしまして、そこで意見の集約をいたしまして、本土政府にこの案件を、言うなれば、沖繩本土間の航路秩序維持の問題を訴えまして、その中で、復帰対策第二次要綱の中で、貨物船につきましては航路秩序の維持をはかるということが出されました。しかし、旅客船につきましてはこれからはずされておりまして、そのことは復帰をいたしますと、本土の内航海運業法にこれら旅客船が含まれまして、必然的に免許制になるわけでございます。そういうことにおいて復帰対策第二次要綱の中からこれをはずしておりますが、最近沖繩本土間の航路に対しまして、言うなれば本土海運業者がかけ込み的なやはり旅客船の配船の強硬手段を考えておるようでございます。そういう点におきまして、ほんとうにわれわれが円滑な豊かな復帰を実現するためには、このようにいまこそ県民が総意を結集するこの重要な時期に、地元海運業に対して、さらにそこに働く労働者に対して大きな不安を残すようなことに対しましては、本土政府の強い行政指導によって、措置によって、この混乱と不安を除去していただきたい、こういうふうに考えるわけでございます。  ちょうど予定の時間になりましたので、御質問等ございますれば、その中で具体的に御説明申し上げたいというように考えます。  どうもありがとうございました。(拍手)
  130. 松井誠

    ○副団長松井誠君) どうもありがとうございました。     —————————————
  131. 松井誠

    ○副団長松井誠君) 次に、宮国公述人にお願いいたします。(拍手)
  132. 宮国英勇

    公述人(宮国英勇君) 本日公述人の一人としまして指名された公認会計士の宮国英勇であります。  私は、沖繩復帰前並びに復帰後の沖繩経済の問題を中心にして意見陳述を行ないます。  最初に、一九六九年十一月二十一日に発表されたいわゆる佐藤・ニクソン共同声明の基礎の上に作成されました沖繩返還協定の締結について、かつまた、沖繩本土復帰が諸制度の面から円滑に移行するよう配慮された諸法案について、その審議に日夜取り組んでおられる国会議員の諸先生方並びにこれらが成案に至るまでに御労苦をおかけした関係者の方々に、沖繩住民の一人として深甚なる謝意を表するものであります。  思い起こせば、この二十六年間、アメリカ施政権下にあって、沖繩の復興期に多大なる経済的援助を受け、また、経済的に進んだ米国から学ぶものも少なくはなかったが、他国の軍事的支配はいかんともしがたく、渡航の自由制限、人権の問題等、種々の問題をかもし、したがって、沖繩祖国復帰はわれわれの長年の念願であったのでございます。  しかるに、この喜ぶべき祖国復帰を目前にしまして、この沖繩の社会は非常に暗い、不安の多い、動揺した社会におちいってしまっております。その理由は一体何であろうか。返還協定内容に人心が動揺するほどの不安なものがあるのであろうか、あるいはまた、復帰関連諸法案に期待するものが何ものもないのかと考えましたときに、私は決してそのような理由からこの沖繩が不安な状態におちいっているというふうには考えないのであります。  返還協定内容にはもちろん多少の不満はあります。しかしながら、不満があったにしても、これは復帰後おいおい日米交渉によって解決の方向に持っていくとしまして、これがそのままで早急に批准され、一日も早い復帰が実現されんことを念願しているものであり、また復帰関連諸法案にしても、沖繩のためになるものはすべて漏れなく法案に盛ってもらいたいと思いますが、何しろ人為に完全無欠というふうなものはあり得ないところから、大体これでいたしかたないものと思っている次第です。  しからば、先ほど述べた沖繩の社会の不安、動揺というふうなものは一体どういうような理由から来ているのであろうか。私は、これを経済的不安だと断言したいのであります。もちろん、本土政府も、復帰を迎えた沖繩経済のために、将来の構想としていろいろ大きな計画を持っているようであります。私が言うまでもなく、たとえば沖繩振興開発金融公庫法案が通過しますと、沖繩に現在ある最も大きい普通銀行であります琉球銀行に匹敵するほどの約三億ドルの資金量を持つ金融公庫が誕生して、沖繩の中小零細企業の資金的需要を満たしてくれるようになっているようでありますし、また、公用地等暫定使用法案が通過すれば、二百十五億円、   〔副団長退席、団長着席〕 約六千万ドル公用地等使用料が沖繩経済を潤おすことになっているようでございます。この六千万ドルという金額がどういうような意味を持つかといいまずと、大体現在の沖繩における米軍基地収入が二億ドルに達しております。二億ドルです。したがって、この六千万ドルの金額は、従前までアメリカ軍から約一千万ドル足らずを軍用地料として払われておりましたので、それを差っ引きますと大体五千万ドル、したがって、これまでの軍事基地収入の約四分の一に当たるものでございます。さらに、この五千万ドルという金額は、沖繩の全輸出量——砂糖、パインその他の輸出価額、総額含めまして年間一億一千万ドルでございます。したがって、その約二分の一に当たるものであります。およそキビ代、すなわち砂糖の買い上げ価額に匹敵するような金額でございます。  明るい見通しとしましてはさらに、沖繩のためにいろいろお骨折りをいただきまして、七十五年に開催が予定されている国際海洋博の五千億円、約十五億ドルが投資されることになっておりますし、さらに、これまでおくれている沖繩の社会資本拡充のための大量の公共投資を復帰後四、五年継続していけば、沖繩復帰後の経済構造の変動による大きな損失をカバーし、ややもすれば落ち込んでいくような沖繩の経済を幾らかでも浮揚させ、最小限でもこれを維持していくような経済状態が描かれ、われわれも非常に将来については期待しているわけでございます。  しかしながら、現下の沖繩経済の情勢は、御承知のドル・ショックの影響をまともに受けまして非常にきびしく、倒産なき経済といわれた沖繩でも、軍工事の減少、本土不況の影響等によりまして、去った八月から十二月の円切り上げ発表までの約三カ月の間におきまして、那覇の大手メーカー二社、並びに嘉手納の軍事基地請負建設業者一社が倒産のうき目にあっております。さらに、営業不振による全面操業停止並びに五割操業停止の会社が約十社程度もありまして、現在沖繩経済に非常に暗い影が忍び寄っているような状況であります。  さらに、一昨日のビッグ・ニュースとして伝えられましたように、日本時間十九日午前七時半、ワシントンで開かれていた十カ国蔵相会議の合意により発表された一ドル対三百八円という一六・八八%の大幅な円切り上げによって、沖繩経済は大きな打撃を受けております。なぜなら、個人の現金や預貯金については、去った十月九日、十日に実施されました現金、預金の確認により、復帰時点で一ドル対三百六十円のレートで通貨交換されることになっておりますが、そのときに法人は完全に除外されているからであります。ちなみに、沖繩復帰に伴う特別措置に関する法律案第四十九条によりますと、「通貨の交換」としまして、第一項、ドルは、「この法律の施行の日前における外国為替の売買相場の動向を勘案し、内閣の承認を得て大蔵大臣が定める交換比率により」円と交換されなければならないというふうになっております。この条文から見る限り、沖繩ドル復帰時点に一ドル対三百六十円のレートで、すなわち旧レートで交換するというふうな、交換できるという保証は全然なくなりまして、その命脈は完全に断たれております。これはむしろ一ドル対三百八円の新レートで交換することが法律上はっきりと打ち出されたことにほかならないわけでありまして、これによって沖繩復帰と同時に、経済のみならず社会全体が壊滅的な打撃を受けることになるであろうと私は非常に心配しております。  先ほど述べました法人の差損補償が除外されたということについてその損失を試算してみますれば、私の試算並びに琉球銀行の試算によりまして、通貨性資産を大量に保有する沖繩における銀行が、普通銀行二つ、相互銀行一つ、信用協同組合二つ、それから生命保険相互会社二社、損保会社二社ありますけれども、そういう金融機関で——特に銀行でございますが——この銀行の損失が約五千万ドルと推定されます。さらに法人等の損失が約二億ドル、合計二億五千万ドルの巨額の損失にのぼると試算されております。  さらに、それ以外に間接的な損失としてあげられるものが、一、賃金の切りかえレートをめぐる労使間の対立——非常に社会不安に通じます。二番目に、個人間の貸借の問題——法律上相当繁雑な問題が起こります。三番目に、物価の上昇——これは低所得者への影響が大きいのであります。四番目に資金の逃避——これは、資金が逃避しますれば、結局銀行の資金量が減り、沖繩の経済が非常に困ります。こういうふうな間接的な影響によるはかり知れない損失が出るわけでございます。私は、これが必ずや社会不安、ひいては国家不信につながっていくものと確信するようなものでございます。したがって私は、こういうような、先ほど述べました個別の差損補償などという小手先の国家施策ではなく、一ドル対三百六十円で直ちに通貨交換をすべきであると強力に要請したいのであります。これは、この一ドル対三百六十円通貨交換をしてもらわなければ沖繩復帰は非常に暗いものになるというふうな意味合いにおきまして、佐藤総理は政治生命をかけてでもこの一ドル対三百六十円の通貨交換の保証をわれわれ沖繩住民のために取りつけていただきたいと念願するわけでございます。  かかる当然の措置ももしできないとすれば、五千万ドルも損失の生ずる沖繩の銀行はその経営さえ危ぶまれるのでございます。銀行の経営がおかしくなれば何が起こるでしょうか。皆さま御承知のように、企業が困り、個人が困り、社会全体が非常なる危機におとしいれられていきます。このような事態を反映してか、最近の沖繩の銀行の預貸率は早くも九〇%近くになっておりまして、設備資金は全面的にストップ、運転資金さえもほとんど貸せない状態に立ち至っており、企業の大半が資金繰り難で、復帰まで持ちこたえられるか、倒産するんではないかというふうな、非常な心配がされております。これについて沖繩では何らとる施策もございません。このような経済的危機、社会不安の観点からも、私は即時復帰させてもらいたいと思っているわけです。  このような社会不安を取り除くものとしまして、本土政府並びに国会議員の諸先生方にお願いしたいことがもう一つございますが、現在沖繩アメリカ施政権下にあるというふうなことでいろいろな国家施策がとれないということを答弁としておっしゃっておられるようでございますけれども、しかしながら、復帰はすでに秒読みの調整の段階に入っておりまして、やろうと思えば何とかできるんじゃないかというふうに私考えておりますけれども、そういうふうな形でせめて復帰後に予定されている公共投融資を復帰前に繰り上げ措置を行なってもらいまして、復帰を目前にしまして沈みかけてる沖繩経済を何とか浮揚さしていただくようぜひお願いしたいというのが私の第二の願いであり、さらにこれが住民大衆の要請の声でもあります。  第三に、長期的な観点から復帰後の沖繩の経済対策に関する要望を掲げていきたいと思います。——予定の時間が来たようですので、復帰後の長期的な経済対策に関する私の要望は質問の時間に回すことにしまして、ただ一つだけ、観光立県沖繩に欠かせない南部−北部間の縦貫道路を建設してもらいたい。これは糸満、那覇、石川、名護、国頭を貫く縦貫道路をぜひ沖繩の観光産業のために、観光立県のために建設していただきたい、こういうふうに念願するものでございます。  最後に、私がお願いしたいのは、国会議員の皆さま諸先生方や本土政府方々が、復帰後も変わりなくこの沖繩をあたたかい愛情で見守ってもらいたいというふうに念願いたしまして私の意見陳述を終わらしていただきます。(拍手)
  133. 安井謙

    団長(安井謙君) どうもありがとうございました。     —————————————
  134. 安井謙

    団長(安井謙君) 次に、芳沢公述人にお願いいたします。(拍手)
  135. 芳沢弘明

    公述人(芳沢弘明君) 議会制民主主義を守るということが、国民の信託を受けた国会議員としての当然の責務であることは私が申すまでもありません。しかるに、過日衆議院では、沖繩返還協定特別委員会と本会議におきまして二度までも強行採決という暴挙が行なわれたことは、きわめて遺憾にたえないところであるばかりか、そのような衆議院にかかわりを持つ日本国民の一人として、たいへん恥ずかしい思いさえするものであります。特に十一月十七日の沖繩協定特別委員会における強行採決は、沖繩県民の要求を織り込んだ建議書を携えて上京した屋良主席が羽田空港におり立ったまさにその時刻に、しかも、沖繩選出の瀬長、安里両議員発言を封ずるという形で行なわれたものであったという点で、私たち沖繩県民に対する重大な侮辱であったと断ぜざるを得ず、この機会に抗議の意を表明するものであります。  ところで、本日のこの公聴会は、衆議院ではございません。参議院のそれでございます。参議院が皆さんをわざわざ沖繩に派遣され、私どもの意見を徴され、これを審議の参考に供されるということは、たいへんけっこうなことでございます。しかしながら、沖繩協定批准に関する限りにおきましては、参議院の議決をまたずとも、どうせ自然承認になるんだということを計算に入れている人々がいるということについては、これが参議院の権威と権能を著しくそこねるものであるがゆえに、したがってまた、国会の審議権を無視するものであるがゆえに、この点についても皆さんとともにはなはだ遺憾に思うものであります。  しかし、私はあえてここで意見を申し述べることにいたしました。それは、日本における議会制民主主義が踏みにじられている今日にあっても、参議院だけはいまだ信頼すべき良識の府であるに違いないとの期待があるからであります。私どものそのような期待にそむくことなく、参議院においては十分に審議を尽くされんことをまずはお願い申し上げて本論に入ります。  政府が、去る十九日、ワシントンにおける十カ国蔵相会議の申し合わせに従って円を一六・八八%切り上げ、円とドルの為替レートを一ドル=三百八円とする旨の閣議決定を行なったことに対し、私たち沖繩県民はただあ然とし、燃えたぎる怒りをどのように処理をしたらいいのか、そのすべを知りません。一体、日本政府はだれのための政府なのでしょうか。一六・八八%という切り上げ率は十カ国の中でも最大のものとなっていることを聞くに及んでは、その対米従属ぶりにただただあきれ果てるばかりであります。政府アメリカの要求に屈服し、アメリカに対していい顔をすればするほど、国民の生活は破壊され、その苦しみは増大します。とりわけ、そのしわ寄せは私たち沖繩県民の上に大きくのしかかってまいります。去る八月十五日に行なわれたニクソン大統領ドル防衛声明とそれに続いてとられた円の変動相場制の移行措置この方、沖繩における物価の上昇はまさに天井知らずの状況にあります。ここに沖繩教職員組合婦人部の行なった調査結果がございますので御紹介いたします。  一九七一年十二月六日と八日、午後五時から八時の間に中央市場その他のところで一斉に調査をしました。同一の品目、銘柄、単位について格差の比較をしたものであります。調査の結果は、物価格差の比較については、同一の品目、単位、銘柄を抽出し、三十三品目について比較したところ、肉類が十セントないし三十セントの差、魚類が二十セントないし五十セントの差、野菜類が二セントないし二十セントの差、かん詰め類が一セントないし五セントの差とあり、安い店、高い店があることがはっきりした。ドル・ショック以前の八月上旬段階の物価と比較した場合、ほとんどの物価が上がっている。中でも魚肉類は全品目が値上がりしており、値上がり幅も二セントないし六十セント、乳製品が四セントないし三十八セント、野菜類が二セントないし十四セント、乾物類が三セントないし十二セント、加工食品が一セントないし五セント、調味料が二セントないし五セントと軒並みに値上げの現象を示しております。変動相場制のもとにおいてさえ以上のとおりです。これが一ドル=三百八円となると一体どうなることか。物価はもっともっと上昇し、県民生活はこれまで以上に圧迫されることは火を見るよりも明らかであります。ちなみに、皆さん国際通りへ行ってごらんなさい。ある観光みやげ品店では、早くも貴金属品の一五%前後の値上げを実施しました。これまで十二ドルだった金メダルを十三ドル四十セントに、また、四十八ドルの指輪を五十三ドルにそれぞれ正札のつけかえを行ないました。また、あるデパートの社長は、変動相場制以来一ドル=三百二十円で契約してきたが、それを上回るレートで驚いている、物価が上がることは必至だ、と語っております。また、沖繩の輸入物資の九割を扱うといわれる問屋街のある通りの会長さんは、たいへんなことになった、これじゃ死んでしまう、早く円を切りかえないと、何億円援助を受けても追っつかない、と話しております。琉球政府金融検査庁が控え目に計算したところによっても、その実損額は実に六千万ドルにものぼることが本日の新聞に報道されております。その他、これによって生ずる社会不安の数々は、先ほど宮国公述人も申し述べたとおりであります。  政府国会は、沖繩のこのような実情を直視し、いま直ちに沖繩ドルを円に切りかえる措置を講ずべきであります。通貨施政権は不離一体であるとか、施政権の壁があるから不可能であるとかの言いのがれはもはや許されません。  第一、アメリカの占領下にあって、これまで沖繩では、私の知る限りでも、四回通貨の切りかえがございました。その一々の年月日は省略いたします。ただ一つ、昭和二十三年——一九四八年までは日本円が通貨として行なわれていたということであります。講和発効前の直接占領下においても日本円が通貨として行なわれていたというわけですから、施政権の壁が通貨切りかえの支障になるというのは決して理由になりません。  第二に、本土では、たとえば変動相場制に移った八月二十七日の一日間で約十二億ドルドルを円にかえています。さらに十六日から二十八日までの十二日間、中一日の日曜日を除きますと、実際には十一日間で四十億ドル余の交換が行なわれました。こうした大財閥と大商社のために三百六十円でドルを円にかえて、その利益のために佐藤政府は奉仕してきたと言わねばなりません。その佐藤内閣がわずか十億ドルにも満たない沖繩ドルをいま直ちに円にかえられない道理はありません。  第三に、このたびの協定の中身が真に本土並み返還だと言うなら、もう返還は目の前なのですから、また政府はこれまで一体化、一体化ということを言ってきたのですから、いますぐに円とドルを切りかえるということが政府でできないはずはないのであります。通貨切りかえのためにもとにかく復帰をするという考え方はしたがって正しくありません。  第四に、協定で義務づけられた三億二千万ドルにものぼる資産買い取りをはじめ米軍労務者退職金や米軍施設の改善費、特殊部隊撤去の費用など、かれこれ合わせて八億九千百万ドルというばく大な費用、これを振り向けるならば切りかえは直ちに可能であります。  以上要するに、沖繩県民の当面の緊急かつ切実で一致した要求は全県民一致した要求です。この要求は、ドルを直ちに三百六十円で切りかえよということであります。変動相場制を採用して以後の一切の差損を全部無条件で補償せよということであります。われわれはみずから好んでこのドル生活に入ったのではありません。長年にわたる不当な米軍統治のもとでよんどころなくドルという紙幣を使わされて今日に至ったのであります。とにもかくにも、苛酷な占領下で額に汗して手にしたささやかな労働の成果を、いまなしくずしに剥奪されていることについては、沖繩県民のすべてが満腔の怒りを込めて反対せざるを得ないのであります。  しかも、皆さん、これをはばんでいる毛のが資産買い取り、自衛隊派遣を中身とする、要するに金のかかる協定であるとすれば、これには断固反対せざるを得ないのであります。核抜き本土並みどころか、核基地つき・有事核持ち込み・自由使用返還内容とし、安保条約の実質的改悪をもくろむこの協定が、県民を含むすべての日本国民の生活に重圧としてのしかかることは火を見るよりも明らかだからであります。ちなみに、七〇年八月二十三日に公表されたサイミントン委員会におけるジョンソン米国務次官の次の証言及び本年三月三十日アメリカ下院歳出委員会の海外活動小委員会でのランパート高等弁務官の証言などは、それを裏づけるものであります。  ジョンソン国務次官は次のように述べました。「われわれが返すのは沖繩施政権だけであわせてわれわれは頭痛のタネと維持費をまぬがれるのである——オンリー・ジ・アドミニストレーション・ウィズ・ザ・ヘッデイク・アンド・ザ・コスト——。わたしは、沖繩施政権の問題を解決しなかったならば、沖繩でにせよ、日本でにせよ、われわれがあと五年あるいは十年ももちこたえられるとは思わない」、これがジョンソン国務次官の証言であります。  次に、ランパート高等弁務官は、次のように証言しました。「最近の太平洋における米軍の配備変えによって沖繩駐留米軍の一部削減を含め若干の変化が生じた。しかし沖繩は嘉手納空軍基地陸軍第二兵站司令部、第三海兵師団、大規模通信施設など広範な基地が引き続き存続することになる。沖繩は今後不定期間にわたり太平洋における米軍ならびにその同盟国の防衛のため決定的な役割りを果たすだろう。  沖繩基地は同基地への投資額が多く強固な建設がおこなわれきわめて大きな威力を発揮するだけでなく地理的に非常に重要である。  沖繩返還』のプラス面の一つはわれわれが地主に毎年支払っている一千万ドルの地代を『返還』後払わなくても済むということだ。  過去一年ちょっとの間にメースBが撤去され、陸軍の対空兵力が削減されたほか、一部空軍兵力が移動した。こういった削減はまずまずのもので大規模なものではない。全体的に兵力は第三海兵師団が六九年十一月にベトナムから引き揚げてきたために、事実上二年前よりさらに強力になったくらいだ」。この証言は、沖繩基地の長期保有と基地の強化——「全体的に兵力は……さらに強力になった」——をあらためて明らかにするものでありました。  ここで注目すべきは「沖繩返還のプラス面の一つはわれわれが地主に毎年支払っている一千万ドルの地代を返還後払わなくても済む」という証言、それとジョンソン国務次官の証言、この協定の本質が那辺にあるかということは、ここでもうあらためて申すまでもないわけであります。  さらにこの協定は、沖繩県民アメリカの占領下でこうむってきた数々の損害、たとえば講和前の人身損害、軍用地復元、漁業権、それから軍用地接収損失、軍用地賃貸料値上げ、入り会い権、講和後の人身損害、つぶれ地、滅失地、基地公害などの補償請求権を放棄しております。これらの額についてはここで省略いたします。  次に、アメリカの特権保護のための愛知外相書簡というのがあります。皆さんどうぞ、向こうに商業高等学校というのがございます、その商業学校を帰りに見てください。商業学校の隣にマーニングという会社があります。この会社は国有地、県有地を借り切っています。しかも愛知書簡で、これは一年後に当事者同士相談して返せというものです。しかし、学校ではどうです。便所が基準に満たない。運動場が規格に合わない。私はあの商業高校の教師をしていたことがあります。冬になると女生徒たちほんとうにそわそわし始めます。授業が終わり近くなるとそうなります。早く行ってトイレの順番を待たなければならない。このような非教育的、不健康な状況があるにもかかわらず、愛知書簡でこれらの土地は返ってまいりません。このような中身の曲がった返還協定に私ども沖繩県民反対するのは当然であると思います。  さて皆さん、最後に申し上げます。関連法案の中で、公用地取り上げ法案、これは憲法違反のものであります。しかも、沖繩だけに適用される。「法の下の平等」を侵す法律であります。その内容についてはあとで御質問の中で明らかにいたします。  さらに、教育委員の公選制をはじめとする民主的な諸制度が沖繩にあります。これを本土並みになしくずしに悪くするという中身を持った法案、これに私たち反対せざるを得ません。  以上言い尽くせませんでしたけれども、足らない点は質問で補うことにいたしまして、私は、ただいま国会で審議中の沖繩返還協定は、これは返還協定ではない。だから批准すべきではない。それと対をなす関連法案もその大半はこれに反対せざるを得ない。そして沖繩県民が真に願う核も基地もない真の返還のために、国会の皆さんは国民代表として奮闘していただきたい。このことを申し上げて公述を終わります。(拍手)
  136. 安井謙

    団長(安井謙君) どうもありがとうございました。     —————————————
  137. 安井謙

    団長(安井謙君) 次に、小嶺公述人にお願いいたします。(拍手)
  138. 小嶺憲達

    公述人(小嶺憲達君) 参議院沖繩における公聴会におきまして意見を申し述べる機会を与えられましたことを光栄に存ずる次第でございます。  私は、結論から申し上げますと、沖繩返還協定並びに関連法案がこの国会におきまして全部成立し、沖繩の二十六年にわたる異民族支配に終止符を打ち、一日も早く祖国復帰が実現されますよう百万県民とともに願うものでございます。  次に、自衛隊配備について申し上げますと、自衛隊は、その名前のとおり、国を守り平和を守るためにあると私は考えます。自衛隊は戦争につながるというような宣伝は、ちょうど消防隊があるから火事が起こるんだという論と同じでありまして、これは当たらないと考えます。国防ということは、国がある以上、国の存立と不可分のものであり、国と国民の安全を守る最小限度の防衛力は絶対に必要であると考えます。ちょうど家に戸締まりをし、火のもとに用心をするというのと同じ道理であると考えるものであります。復帰沖繩の局地防衛のために自衛隊が配備されることは、ほかの県の例にかんがみても当然のことであると考えるものであります。  次に、公用地法案につきましては、日米安全保障体制のもとで米軍への土地を提供し、さらに道路、港湾、飛行場あるいは電気、水道等の住民生活及び公共の利便を考慮した場合に、公用地の確保は、これも必要であると考えます。  次に、教育制度について申し上げますと、沖繩教育基本法の冒頭にこうあります。「われらは、日本国民として人類普遍の原理に基き、民主的で文化的な国家及び社会を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しなければならない」とありまして、「われわれは、日本国民として」という文言がまっ先に出てくるのであります。これは、この立法当時から現在に至るまで、いつか沖繩は祖国に帰るという県民の悲願がこの文言の中に込められていると私どもは考えているのであります。しかしながら、真の日本国民教育というものは、いまのような異民族支配のもとではできないと思うのであります。日本国民教育は、祖国に復帰して日本憲法のもとで一億同胞とともに同じ制度、同じ教育内容によってのみ可能であると考えるものであります。したがいまして、教育委員会制度、教育行政制度は当然に本土と同じものでなければならないと考えるのであります。沖繩だけ特別な制度や法令のもとに置くことはとうてい考えられないことでございます。  次に、退職年金あるいは退職手当のことについて問題がありますので、この機会に申し述べさせていただきたいと思いますが、御承知のとおり、沖繩には元南西諸島恩給等特別措置法というのがございます。この法律によって、沖繩の教職員並びに公務員は、いわゆる便宜退職——あるいはみなし退職とも称しておりますが——それによって現職のままで恩給が支給されている例が多いのであります。ところで、共済組合制度が沖繩にもできまして、これも大体本土の制度と同じでありますが、恩給と退職年金とが一本化されたのでございます。そこで、さきのみなし退職をして現職のまま恩給をもらっている人たちが最終的に退職した場合に、その受けるところの年金から、すでに受けた恩給額——これを普通恩給等受給額と称しておりますが——このすでに受けた恩給を返還しなければならないようになっております。その返還の方法に、本土法と沖繩の現行法とに大きな相違がありまして、ここに問題があるのであります。さきに述べましたような、みなし退職によって恩給を支給するという例は本土には全くないのであります。これは沖繩の特例であろうと考えます。このみなし退職による恩給受給の期間は十五年ないし二十年という長い期間にわたっている例が多いのであります。そういたしますと、このすでに受給した額を積み上げますと、これが沖繩ドルにしまして約五千ドル、円にしまして百八十万円ぐらいにもなるというわけでございます。そこで最終的に退職をいたしまして、かりに年額六十万円の年金をもらったとしますと——本土法によりますとこの返還率は二分の一という規定になっております——沖繩の場合は、これを、額が多いということを勘案しまして返還率を十分の一というふうに規定されております。これが大きな問題でございまして、かりに本土法によりますと、六十万円を二分の一ずつ返還いたしますと、百八十万円を返還するのに六年かかります、三六、十八でございますから。そうすると、この六年間は年金は二分の一しか手に渡らない。この六年間の生活は二分の一の年金でささえていかなければならない。こういうたいへんに気の毒な事例が起こるわけでございます。しかも、この該当者は教職員だけでも約六百名いるのであります。で、これについて、そのままにしておきますと二分の一ずつ返還させられる結果になりますので、これを、沖繩の既得権といいますか、十分の一返還方式を続けて認めていただきたいというのが私の願いであります。御参考に申し上げますと、昭和二十一年の五月三十一日に勅令第二百八十七号というのがございまして、これは外地引き揚げ者に対する身分の打ち切りをうたった勅令でございますが、これによって身分を打ち切られていたわけであります。ところが、これが昭和四十二年の恩給法の改正によりまして、この身分打ち切りになっていたのが通算されることになったわけであります。したがいまして、その通算された場合に、身分打ち切りのときに、身分打ち切り以後支給されていた恩給額は、通算の時点において返還するということになっておりますが、その返還率は十五分の一であります。沖繩は十分の一。いまの恩給法の一部改正では十分の一という外地引き揚げ者に対する率でございます。したがいまして、私は沖繩の十分の一という返還率は決して不当なものではないのではないかというふうに考えます。しかも、この六百名の教職員はいずれも年配の教職員でありまして、戦後沖繩全体が苦難の時代に、沖繩教育の再建に挺身してきた先生たちであります。  それからもう一つ、これに関連いたしまして退職手当の問題があります。さきのみなし退職によって恩給を支給した場合に、一応退職でありますから、退職手当も本土政府から支給されているわけでございます。したがいまして、これも最終退職——いわゆるほんとうの退職、まあ、さっきはみなし退職でありましたので——そのときには、このさきにもらった退職手当を、沖繩法律によりますと、退職手当に関する立法によりますと、さきにもらった実額を返還する実額控除方式でございます、沖繩は。ところが、これを本土法に当てはめますと、実額ではありませんで、率でもって、過去の年数に基づく率を控除するわけでございます。こうなりますと、たいへんに沖繩の現行法よりも不利になるわけでございます。沖繩の現行法の約半分の退職手当になってしまいます。しかも、先ほど申し上げました年配のこの六百名の先生方は、もうしばらくで退職をする。二、三年うち、あるいは復帰直後に退職をなさる方々でありまして、この先生方は永年勤務者でありまして、この人たちが勧奨を受けて退職をするという場合には、その損失の率が倍加されるわけでございます。損失が倍加されるわけでございます。そういたしますと、さきの年金の控除率とこの退職手当の控除率によって二重のパンチを受けることになりまして、私は、このままでは大きな復帰不安につながるものではないかというふうに考えて、実はこのことを国会において何とか考慮していただきたいと考えるものであります。  次は、校舎建築その他の教育施設についてでございますが、沖繩は、御承知のとおり、戦争によりまして校舎が全部灰じんに帰したわけでございますが、これを戦後この復興に鋭意努力いたしてきたのでございますけれども、まだしかし、本土と比べますと相当な格差がございます。試みに申し上げますと、校舎の保有率は小学校で沖繩七〇.五%、類似県九四%、その差は二三・五%。中学校におきまして校舎が、沖繩六七・二%、類似県九二・四%、その差は二五・二%であります。そのほか屋内運動場、水泳プールについては、さらにその差は大きいのでございます。しかも、沖繩の市町村は本土に比べましてたいへんに規模が小さい。しかも財政能力が貧弱でございまして、そのために、従来校舎建築は琉球政府が全額負担——全額補助をしてまいったのでございます。これを一挙に本土並みということになりますと、とうていこれは市町村ではまかない切れない。あるいは十分の八とか十分の九とかという説もございますけれども、それでもまだ私は負担が大き過ぎるんじゃないか。それで、当分、本土並みの水準に達するまで、類似県の水準に達するまでは、国庫が全額補助という形でやっていただきたいということをお願い申し上げる次第でございます。  重ねて申し上げますが、この国会において返還協定並びに関連法案がぜひとも成立いたしまして、この沖繩返還が実現いたしますようお願い申し上げたいと思います。私は、返還協定が四、五年は延びてもよろしいという説は、これは県民の真意ではないと考えます。四、五年待って、はたしていまよりもよりよい条件復帰できるか、そういう保証は私は全く聞いたことがございません。その保証のないことで返還が延びるようなことがあったら、再びチャンスが来るかどうかを私はおそれるものでございます。どうぞ参議院の先生方、この沖繩県民の心をお察しくださいまして、今国会においてぜひとも返還協定並びに関連法案を成立させていただきますようにお願い申し上げまして私の公述を終わります。  どうもありがとうございました。(拍手)
  139. 安井謙

    団長(安井謙君) どうもありがとうございました。  以上で公述人各位の御意見の陳述は終わりました。     —————————————
  140. 安井謙

    団長(安井謙君) これより公述人に対する質疑に入ります。  御質疑のある方は、順次御発言を願います。  ちょっと申し上げますが、最初に公述願いました村山公述人が、所用のため三時には退席しなければならぬ、こういうお話でございます。村山公述人に対する質疑は早目にお願いできればけっこうだと存じます。
  141. 星野力

    ○星野力君 私は嘉手納村の村山さんと弁護士の芳沢さんにお尋ねいたしたいと思います。  まず村山さんには、あなたの村では八六・二%が軍用地に取り上げられておるわけでございますが、村の方々の中には、自分の土地に住みたい、自分の土地を耕したいという念願は非常に強いものがあると思うのであります。そうしてその方々は、いずれはそれらの土地が自分たちのところに返ってくると期待しておられると思いますが、あなた御自身、いつになったら土地が返ってくると期待しておられるか、これが一つでございます。お聞かせ願いたい。  それから、先ほど自衛隊の配備についてお話がございました。政府は、施政権返還と同時に自衛隊を配備する方針で準備を進めております。なぜ急いで自衛隊の配備をやらなければならぬのかと思うのでありますが、それについて政府は、日本施政権のもとに沖繩が返ってくる、その日本の領土を自分の力で守るのは当然ではないか、こう言っておるのでございますが、沖繩にいま差し迫った外からの脅威があると思われるかどうか。私は、沖繩への自衛隊の配備は、アメリカ軍、在日米軍の任務の一部を肩がわりして、そうして米軍と自衛隊の共同作戦の態勢をつくっていく、そういうことではないか。言いかえれば、沖繩県民、国土としての沖繩を守るというよりも、今度の協定で恒久化されるところの米軍基地を守るのが第一の任務になる。そうではないかと思っておりますが、あなた御自身、一体何のための自衛隊配備であると、こういうふうに受け取っておられるかをお聞きいたしたいと思います。  それから、芳沢弁護士には、先ほどの、沖繩ドルを即時円に切りかえる必要があるという問題、これは私どもも、県民生活、経済活動、そういうものを守るためにも、旧レートで早急にその措置をとる必要があるということを理解できるのでありますから、具体的にそれが可能であると、その点にも多少お触れになったと思いまするけれども、もう少し話していただきたいということが一点。  それから、教育委員会の公選制、この問題について、沖繩の体験からして、任命制に比べてどういうふうにすぐれておるかということをお話し願いたいし、また、先ほど申されなかったのでありますが、弁護士としての、法律家としての立場から、この公用地取り上げの問題についてお話し願いたい。  この三点でございます。
  142. 村山盛信

    公述人(村山盛信君) お答えいたします。  第一番目の軍事基地の問題でございます。軍用地主はいつか自分の住みなれた土地を取り返したいということであるはずだが、それをいつごろ返るものと考えておるかという御質問だと思います。  私、そういう面を深く研究いたしておりませんけれども、現在の私の二十五年間の村議会議員生活の立場から村民をながめてみた場合、すでに村民は、その軍用地にかわるべく、それぞれ自分の恒久建物並びに自分の所有土地、そういったものをほとんど持っておられるというのが実情でございます。そして、戦後二十五年にわたる間に、すっかり現在の居所が私たちの住みかであるといったような状態に期間の長さが置かれているということで、あの膨大なる嘉手納空軍基地がいつ自分に返ってくるかということについて検討したことはございませんので、いまのところ、何年何月ごろ、あるいは何カ年後は返るであろうといったような推察も持っておりません。お答えになりませんで申しわけございません。  それから、二番目の自衛隊の問題について、なぜ早急に配備せなければならぬかという御質問でございます。私は、自衛隊の配備を早急にしてもらいたいということではございません。そう申し上げておったとするならば、取り消しいたします。私たちが希求するところの祖国復帰がそういった自衛隊の配備も条件になっておるとするならば、沖繩復帰を一日も早くあすでもできるような方向に従って自衛隊の配備もしてよろしかろうということと考えている次第でございます。  以上でございます。
  143. 星野力

    ○星野力君 よくわかりました。
  144. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 村山さんにお伺いいたします。  いまの質問とも関連をいたしますけれども……、
  145. 安井謙

    団長(安井謙君) すみません。ちょっとまだ星野さんの芳沢さんに対する御質疑へのお答えが残っておりますので。
  146. 芳沢弘明

    公述人(芳沢弘明君) 簡潔にお答えいたします。  まず第一点の御質問は、ドル切りかえの問題でございました。私は先ほど、まず施政権の壁の問題について一番目に触れました。実は戦後沖繩の歴史の中で通貨の切りかえというのは、まあ沖繩諸島、宮古、八重山、いろいろ差はあったのでしょうけれども、私の記憶する限りでは、およそ四回ほど通貨の切りかえが行なわれました。日本円の新円化の問題。旧日本円から新円に切りかえる問題。それがB円に切りかわる問題。それからB円からドルに切りかわった。そういう経過があります。かつて講和発効前において日本円が現実に通用していたということです。いまや返還するというのですから、その施政権の壁というのは政府がその気にさえなれば取っ払える問題だということです。一体アメリカに一回でもその点で交渉なさったかどうかということであります。沖繩県民ドルを直ちに三百六十円で切りかえろ、こう要求しているわけですから、日本政府の総理はそのようにやっていただきたいということです。  次に財源の問題が一つあろうかと思います。その財源の問題は、沖繩返還協定をめぐってさえばく大なお金がアメリカ側に支払われます。さらにまた、自衛隊が沖繩に来るためにばく大な国家財政が消耗されます。その金があれば、これはいますぐにでもできるではないかということです。なぜに沖繩県民だけがこのように犠牲をしいられなければならないのか。踏んだりけったりであります。財源の問題は、技術的にこれは可能であるということであります。  次に、二番目は教育委員の問題でございます。私は実は那覇教育委員という立場にもございますが、いま那覇教育区がかかえておる問題は、ほんとうに深刻なものがあります。先ほど小嶺公述人も、沖繩教育の問題についてその一端に触れました。全く私は同感できる点があるわけです。この占領下沖繩において生じた本土との教育の格差、これを是正する仕事はほんとうに難事業であります。この那覇で中学校、小学校、幼稚園、あと若干、つまり数校増設しなければ過密化対策として追っつきません。ところが、いまごろ学校用地を確保するということはたいへんな仕事であります。自治体も財政でよくし得るところでありません。その点について、日本政府は国家の責任で金を出さなければならない。軍用地を解放しさえすれば、これら学校用地の確保は簡単である。これらの仕事をやり遂げるためには、やはり父母、大衆市民から選ばれた公選教育委員でなければやっていけない。任命された教育委員であれば、やっぱり文部省のほうを向いたり、あるいは特定の政党のほうをうかがったりということで、ほんとう教育の中立というものは守れません。ちなみに、沖繩で、先ほど小嶺公述人も言ったとおり、教育基本法が制定されたそのとき、すでに本土では教育委員任命制になっておりました。沖繩県民はそのことを百も承知で沖繩教育民立法を立法院が制定したのであります。  次に、しからば、本土がそうなんだから沖繩本土並みになるべきではないかという点についてはまたあとで触れますが、沖繩だけに適用ある公用地法案をいまやろうとしておられる日本政府です。これは自家撞着です。沖繩だけにしか適用のない法律をつくろうとしている。沖繩に現在あるすぐれた制度を日本復帰後も存続させるのは、憲法上これは全然問題はありません。そのことが教育基本法に適合するものであり憲法に合うことであるということです。また、戦前の歴史をたずねれば、三十年内外、二十年内外、沖繩の市町村制や県議会制や地租、税制など、本土と違いがありました。二十年間も国の基本の問題が違っていました。それは可能であったわけです。こういうことがいま沖繩県民として公選制を要求していく必要性またすぐれた点であるということなんであります。  三番目に公用地の法案についてですが、村山公述人が時間を急いておられるようですから、私は村山さんに時間をお譲りします。そのかわり、私はあとでこの問題についてはまた質問に応じたいと思います。
  147. 安井謙

    団長(安井謙君) 村山公述人に対する御質問を先にお願いいたします。
  148. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 村山さんにお伺いいたします。  先ほどの質問とも関連をいたしますけれども、今度の返還協定の審議にあたりまして一番問題になっておりますことは、要するに、沖繩返還をされても、基地機能というものがあまり変わらぬのじゃないか。まあそれは日米共同声明におけるニクソン、佐藤両当局者の発言によりましても、あるいはまたアメリカ側の議会の答弁等から見ましても、われわれは返還後といえども沖繩を自由に使いたいというような意味のことばも出ておりますがね。それと、さらに核抜き本土並みということが一つの大きな争点になっておりまして、ずいぶん審議をされておるわけですが、そこで、嘉手納の議長さんでございますけれども、いまお話がございましたように、人口が一万五千、しかも軍用基地が八六・二%といいますと、ほとんどこれはまあ嘉手納の皆さんは基地に依存した経済生活をやっていらっしゃるわけでございますね。ところが、一方においては明るい豊かな平和な沖繩と、こういうスローガンのもとで基地撤去を非常に望む声が多い。けさも午前中は、同じく嘉手納村の方が、非常に米軍の軍用機がちょいちょい落っこちたり、爆音といい、墜落による被害といい、またそういうものがいろいろと補償問題等でもなかなか解決しない。一日も早く撤去してくれというような声もあったわけですがね。そこで私が聞きたいことは、現実においてはこの基地にたよっている経済である。片方においては、それを除いてくれというような声がある。ほんとうは除いてもらいたいけれども生活のためににはやっぱり基地もなければ困るというような声もあるようですね、現地には。しかし、ほんとうの声というものは、楽しい豊かな今後の沖繩の経済開発ということだろうと思いますが、その辺のところをどのようにお考えになっていらっしゃるのか。基地に依存している皆さんの暮らしの実態あたりからひとつお知らせ願いたいと思います。御意見がございましたらどうぞ。
  149. 村山盛信

    公述人(村山盛信君) お答えいたします。  先ほども申し上げましたとおり、いろいろと基地の問題に対しましては、撤去、あるいはまた——少なくとも私どもは必要悪として認めざるを得ないという現状であるという立場に立っておるわけでございます。そういう意味で、できることならば、軍事基地というものは、理想をいえば、ないほうがよかろうと、こう考えます。ただし、まあ私たち小さい村の立場において考えるわけでございますが、現在、先ほど申し上げましたような、基地収入によって村民全体がほとんど生活しておるという現況にあるわけでございます。これは認めざるを得ないという立場でございます。ですから、もしいろいろと琉球政府日本政府の諸施策によって、われわれ嘉手納村民が現在生活している状態の収入を完全に保証してくれる何らかの施策を持ってくるならば、それができて、目にこれを確認した結果は、おそらく基地の必要性は村民も認めないんじゃないか、こう思います。  お答えになったかどうかわかりませんが、以上申し上げます。
  150. 田英夫

    ○田英夫君 村山さんに伺います。  先ほどのお話の中で公民館のことを例にあげられまして、本土の出先機関ができてもこれは自治の侵害にはならぬという意味のお話があったと思いますが、村山さんちょうど村議会議長というお立場にありますし、この沖繩における自治の問題をどのようにお考えになっておられるか、そのお気持ちを伺いたいわけです。つまり、沖繩本土の普通の県と違うんだと。特別の状況にあったし、また今後もあるから、復帰後も自治の問題については、若干自治が制限されても本土政府と直結をした政治があったほうがいいというふうにお考えになるのか。あるいは、もっとうがって考えれば、本土政府の現在自民党内閣があるという状況と、現在の琉球政府の政策というものとの違い、そういうものが関係してきてさっきおっしゃったようなことが出てくるのか。その辺のところを、ひとつお気持ちを、つまり、沖繩における自治はどういうふうにあるべきかとお考えかということです。
  151. 村山盛信

    公述人(村山盛信君) 沖繩の自治と申し上げましても、私は自分の立っている立場がいわゆる小さい市町村の自治でございまして、いわゆる県並みの自治についてはよく申し上げられないわけでございますが、現在でも、その制度は日本本土とほとんど変わりなく地方自治法というものが、それぞれ自治の精神にのっとって運営されていると思います。それが、いろいろ本土政府の出先機関が置かれることによって、交通その他の問題で、市町村の公共施設、施策に対して非常に便利である。先ほど申し上げました実例のように、一々こうなにしておりますとたいへんむだな道くさを食うといったような状況があるので、そのほうがいいんじゃないかと、こう考えているわけでございます。別に、日本政府が、この政党がどう、あるいは沖繩政府が、この政党がどうということには全く私考えておりません。ただ、小さい村の立場から、手っとり早い方向を選びたいということだけでございます。  以上でございます。
  152. 安井謙

    団長(安井謙君) 村山公述人に対する御質疑ありませんようでしたら……。
  153. 松井誠

    松井誠君 お急ぎのところすみません。村山さんと小嶺さんの両方に実はお伺いをしたいんです。それは、この沖繩返還ということがここまで来た原動力は一体何かということをどうお考えになっているかということなんです。まあ一般のあれによりますと、当初この復帰の運動というのが起きたときには、さて実現はいつのことかというように思われておったのが、案外早く来たというように見られておるのではないか。だとすれば、それの原因は一体どこにあったんだろうかということなんです。いろいろの見方があると思いますけれども、たとえばアメリカの側の見方としては、アメリカのいわばドル防衛のためにいずれはどっちみちここからだんだん手を引いていくんだと、いわばそれはニクソン・ドクトリンというものが直接のきっかけになって返還というものがこうも早く来たんだというそういう立場をもしとるとすれば、かりにここで多少長引いても、いずれはアメリカは、返還をしたいがさてどうでしょうと言ってくるのじゃないかという、そういう見通しにもつながるでしょうし、あるいは、日本のほうからこの返還をいわばきっかけにして積極的に自衛隊でも持っていこう。そういうことがあって、日本のほうからせっついたんだという見方をするとすれば、そして、それがこの原動力であったという見方をするとすれば、自衛隊を派遣をしたいという日本政府の態度が変わらぬ限りは、またいずれ返還の問題が出てくるのではないかという、そういうまあ見通しにもつながるかもしれません。あるいは、先ほど芳沢という公述人がお読みになったサイミントン議事録の中で、ここで基地を持っておったって、せいぜい五年か十年というように、復帰運動というものがここまで持ってきた原動力だというようにお考えになるとすれば、ここでかりにちょっとつまづいても、復帰運動が激しく燃え上がれば、やっぱりまた復帰が現実のものになってくるのではないかという、そういう見通しにもつながる。そういう意味で、何が原動力で何がこの促進をしたのか。いろいろなその比重の見方はめんどうだと思いますけれども、一体ここまで持ってきた原動力というのはどういうようにお考えになっておるか。これをまあ村山さんと小嶺さんとにお伺いしたいと思います。
  154. 村山盛信

    公述人(村山盛信君) お答えいたします。  沖繩祖国復帰がこうしてわりと案外早くできつつあるということに対しまして、私はこれは端的にどこの原因によってこうだということは言えないと思います。要するに、あらゆる要素が一致して期せずしてこういった状態になったものだと、こう解釈いたします。ところが、何と申し上げましても、やはりまず現地沖繩住民の復帰運動というものが先端になりまして、それから逐次本土政府を動かし、アメリカの考え方を直すといったような方向で来た。で、こういう結果になってきたんじゃないかということを私はまあ考えるものであります。
  155. 小嶺憲達

    公述人(小嶺憲達君) 復帰運動をここまで持ってきたまあ原因ということは、いろいろあろうかと思いますけれども、一つには、沖繩県民の、祖国に帰りたい、異民族支配を脱却したいという長年にわたる熱意と運動のまあ集積があったからであるということと、もう一つ、私は、それはあったにしても、この返還が、まあ数年前には予想もできなかったテンポで、ここまで進められてきたということには、佐藤総理の沖繩に対する愛情と熱意によってアメリカを動かし、また、アメリカもその佐藤総理の熱意に動かされてこの返還協定がここまで持ってくるまでの運びになったものと信じます。  以上でございます。
  156. 安井謙

    団長(安井謙君) それじゃ村山さんお急ぎのようですからどうぞ。(拍手)
  157. 岩間正男

    ○岩間正男君 芳沢公述人にお伺いします。  先ほども公用地暫定法案に対してどう考えているかという質問がございましたが、一つの点をぜひ補足していただきたいと思うのです。午前中の公述人のお話によりますと、どうしても最後の手段としては土地を強制的にも収用しなきゃならない。そうして、その間に五年の期間を置いてできるだけ説得するのだ。時間がそのようにかかるのは、結局まあ海外の居住者とかあるいは地主の身元がなかなかわからない。そういう人たちのためだというふうな公述があったわけです。しかし、どうでしょうか。現地ではもう大部分の地主の持っておる土地の九七%ぐらいは、そうしてそのうちのおそらく九〇%くらいは返る見通しがあるということでありますけれども、これは海外居住者のほかに現地では反対していられる地主の方が相当多いというふうに聞いております。この実態はどうなのか。この点を聞かしていただきたいと思います。  第二の問題は、教育委員会の問題が出ました。私も非常に先ほどのお話は当を、筋を得たお話だというふうに考えているわけです。昨年沖繩に参りましたときに八重山に参りました。八重山のあすこで学校の先生たちと懇談会をしたのです。二年ほど前まで本土で高校の先生をやっていたその先生が私に率直にこう語った。「本土教育は暗い。沖繩教育よりむしろ暗いのだ。長い間本土教育をしておってこのことを非常に痛切に感じた」。私は実は胸がどきっとしたのです。それから宮古に参りました。宮古に参りまして教育会の事務所長さんに会いました。そうしたら、こう言っているのですね。「今度公選制がもうだめになる。本土並みということになる。そういう中で異民族の支配のあの時代の教育よりもっと悪くなる教育を考えることができるだろうか」。これも私は非常に胸が痛く思って聞いたのです。そこで、先ほどの話にもありましたように、教育委員会の任命制の問題は、これは全く本土のほうが変わった。本土のほうが問題があるんじゃないか。私は、沖繩のこの公選制を、日本本土教育の真の民主的な運営のためには残すべきだ、そうして、むしろ本土のほうこそ変わるべきじゃないかという意見を持っているものですが、この点についてどういうふうにお考えか、お伺いしたいと思います。  第三点、もう一つでありますけれども、この今度の返還の願いの中には、平和な願いというのが非常にあるんじゃないか。この沖繩基地から絶えず爆撃機が飛び立つ。そのたびに何十、何百のアジアの人が殺されておる。ベトナムの人が殺されておる。こういうことを二十数年見続けてきた。もうがまんならぬ。こういう気持ちが実は隠されているんじゃないか。そのことを、しばしば私も沖繩に参りましたが、いままでそういうことをお聞きしたわけです。あなたは平和運動に関係していられる平和委員会の責任者でもあると思いますので、この点についてお伺いしたい。  以上三点についてよろしくお願いします。
  158. 芳沢弘明

    公述人(芳沢弘明君) お答えいたします。  その前に、こちらに持ってきておるのは、私は自分の書いた論稿を見ておるのでございますので、あらかじめお許しをいただきたいと思います。  まず公用地法案の問題ですが、これは先ほど沖繩を訪れました本土の民主的な法律家団体の友人や先輩たちとも話をしたのですが、完全に意見が一致しております。  まず第一に、この公用地法案は、米軍基地の継続使用の不法性、この米軍基地を継続的に使おうという点で不法なんだということでございます。沖繩米軍基地は、これはだれが何と言おうと、やはり米軍が力づくで囲い込んだものである。力づくで取り上げたものである。あるときはブルドーザーで、あるときは銃剣で取り上げたものである。これはだれが何と言っても否定のできない事実です。これを合法的に土地を取得したなどとは言えないはずです。あとで布令を出して何とかかっこうをつけたにすぎません。これをそのまま継続していくということ、これはたとえばヘーグ陸戦法規第四十六条等に対する侵犯行為であり、これは国際法違反であります。それを固定化しようとするのであります。しかも、この基地を取り上げる、復帰後もこの米軍基地を維持するということがやっぱり沖繩協定の核心だ。それがなければアメリカ施政権返還しない、こう言っている。先ほど松井先生の御質問にもあった例の国務次官の証言等はそれを裏づけるものであると思います。  次に二番目に、この法案によれば、沖繩米軍基地の場合は五年である。これは本土に比較して十倍の長きにわたります。沖繩県民の合意もなしに、収用の手続すらもとらずに、これまでの土地使用によって生じた苦痛を引き続き沖繩県民をして是認せしめるというのは、これは他府県と比べて差別である。その点で、法のもとの平等の、憲法規定するその精神に反するものであるということであります。  次に、この公用土地法案は、自衛隊のための土地収用というのを合法化するものであります。本土において自衛隊のために土地を取り上げる法的な根拠はありません。土地収用法の中に軍事目的、自衛隊目的というのを入れようとしたけれども、これは国会で削除されました。それは憲法九条に違反するということで土地収用法からその点は除かれた。しかし、沖繩でこの公用土地収用法案というものを出していって、自衛隊のためにも土地を取り上げるということです。しかも、もったいをつけて、水道や下水道やそういった施設のためにも取るんだと抱き合わせにしている点、非常にわれわれ沖繩県人からすれば許しがたいものになっているということであります。  それから、これは憲法の定める——いま資本主義社会なんですが——財産権をこれはきわめて侵害するものと言わざるを得ません。やはり土地収用には厳格な手続が要ります。この手続を一切省略です。これは奄美大島の場合とも、あるいは小笠原の場合とも違います。取っておいて、使っておいて、あとで告示をする、通告をすれば足りるというものです。しかも、どこの何番地という地番や何かも明らかにしなくていいものです。軍事基地のこちらの金網のすみから向こうの金網のすみ、こちらの端っこを線で結んで、これは五年間使うんだよ、と事後的に通告する。これはとんでもない話です、こういったことは。  まあたいへん荒削りな議論を申しましたけれども、時間の関係で御了承ください。  要するに、沖繩にこの法律が適用されれば、これはやがてあすは本土の問題であります。日本国民あげて、自分の財産を守るためにこの法律には反対しなければならないと思うわけであります。  次に、沖繩の地主たちは一体この問題についてどう思っているかという問題であります。さきにも申し上げましたけれども、かなりの数の軍用地主が、もともと米軍基地米軍の武力による強奪によって取り上げられたものです。この地代は実に年に三・三平方メートル当たり平均十六セントでしかないという非常に低い状態が現在でもあるわけです。こういう土地をあたりまえの民有地として使用するならば、これはもっと大きな利益が入ってくるわけです。したがいまして、軍用地の地主の約七割、三万七千人余の軍用地主の私有地がこのようなものになっているわけですが、このうちの二〇%前後の地主が再契約に反対をしております。これは明確な意思表示をしているわけです。したがって、反対地主会などというものも結成されております。また、明確に反対の意思表示をしていない諸君でも、やむを得ず、条件をもっとよくするならばまあしかたなく応じましょうというにすぎないものだというふうに私は見ております。多くの地主がやむなくそれに従わざるを得ないような状態にあるということであります。これは軍用地に限りません。沖繩県民復帰を要求してきたのだろう、このような返還協定をのみなさい、のまなければ返還はやりません、そういう言い方をされれば、事柄の本質を十分わきまえない人たちは、いや、それならばしかたがないかという気持ちにもなろうというものです。そういう空気を悪用して、とにかく何が何でも復帰だ、復帰すればドルも切りかえてやるんだと言わんばかりの言い方は、われわれ県民からすれば絶対に許しがたいところであるということであります。  次に、教育委員会の問題でございますが、御指摘のとおり本土教育委員会制度は現在任命制度でございます。これは私に言わしめれば、憲法に反し、かつ教育基本法に反するものであると思います。しかし、とにかく本土では任命制のもとにやりました。この任命制のもとで一体どういうことがあろうか。たとえば教師たちには一番大切な問題の一つとして教研活動というのがあります。自主的な教育研究活動です。この教育研究活動、教師たち自分たちでやる。これこそが教育を向上させる一つの大きな原動力になると思うんですけれども、最近ではこの自主教研に組合員が参加することを拒否して職専免を与えない。それをあえて押して出席したならば賃金カットをする。あげくの果てが免職にするといった事例がたとえば北海道では起こっておると聞いております。あるいは高知県下でも一九六八年三月末の現在で夫婦別居の教師が実に三百九十四人もおられました。結婚してから五年間一度も同居できない青年教師、子供と十年間も一緒に住めない父親教師、こういったものがたくさん出ているわけです。これは教育委員会がやはり一部の特定の政治的な立場を持つのあまり、まじめな教師に対していわば不当労働行為をしておると言われてもしかたがないわけです。したがって、教育の現場が暗くなる。やたらおべっかをつかうような教師が出るわけです。これでは教育が荒廃する。子供たちもゆがんでいくのは必然の勢いじゃないでしょうか。それに対して沖繩では、少なくとも私たちはそのようなことはしておりません。公選された教育委員としては、やはり一般行政から独立した教育の中立性、真の意味の中立性というものを守っていくために、父母、教師の立場に立って戦います。たとえば、予算の問題があります。沖繩でも予算の編成権、成案権、執行権といった問題ありますけれども、本土の場合は予算の編成権、成案権はもとよりありません。執行権までも知事や市町村長に掌握されております。沖繩では、議会に対する提案権こそありませんけれども、予算を成案する権限、これは教育委員会に留保されております。そしてその予算を執行する権限、これも教育委員会のものであります。したがって、市町村長に対しては、また議会に対しては、公選教育委員立場から堂々と予算を獲得するために全力をあげてがんばるものです。そのためにはPTAの皆さんや、あるいは教育長協会の皆さんやその他の人たちと力をあわせてやります。そういう熱意がやはり市町村長、政治的な立場、政党政派の立場を越えて動かしていきます。いま沖繩教育アメリカの軍政下でここまで持ってきたその力は、あげて教育委員の公選制にあったと言って過言ではありません。それゆえに、沖繩においては、たとえば教育委員協会もPTA連合会あるいはその他の教育団体も、沖繩タイムス、琉球新報等の新聞も、あげて、教育委員の公選制を守れ、このように主張してやまないわけであります。先ほど御指摘の八重山の教師の気持ちは私にはよくわかります。本土から来た人にとってはそうでしょう。たとえば静岡県では教員になろうとしてもなれない、そういう現象さえあります。沖繩では、いま予算の関係で、まだ希望する教員を全部採用することができない状況にあります。これは勧奨退職制度の問題があって、まだ予算がなくて、やめたくてもやめられない先生方をたくさんかかえているからであります。これこそ本土政府が力を貸して沖繩教育水準を本土並みに高めていくための御努力が期待されるゆえんのものだと思うわけです。  次に、返還協定の問題ですが、おっしゃるとおりであります。私たち沖繩県民がこれまで即時無条件全面返還という戦いをやってきたのは、この沖繩の地からB52が飛んで行ってベトナムの人たちを殺している。その事実についてどれだけ多くの沖繩県民が胸を痛めたことか。たとえば今度土地を取り上げられる羽目におちいった地主たちは、自分たち土地が取られたならば、この土地が基点となって、根拠地となって、天願の桟橋からベトナムに出かけていって人殺しが行なわれる。私たちがその土地を守ることは、自分の財産権を守る、生活を守る、農業を守るということだけではない。ベトナムの人を殺すことを防ぐためでもある。これが沖繩県民の倫理だ、道義だ、そういうふうに思ってがんばって、ついに土地取り上げを食いとめてまいりました。これは沖繩県民のひとしく願うところであると思います。いろいろな民主団体が、立場を越えて、共通のそのような気持ちであふれていると思います。だからこそ、県民の運動はここまで盛り上がってアメリカをして沖繩をこういう形ででも返還せざるを得ないようになってきたというふうに考えます。
  159. 塚田十一郎

    ○塚田十一郎君 宮国公述人にお尋ねをいたします。  先ほどのお話ですと、金融機関がドルのレートの決定によっておよそ五千万ドルぐらいの差損が生ずる、こういうお話でした。ごくあっさり考えてみると、金融機関というものは預金を預かってそれを貸しておるという両建てのものなのですが、五千万ドルという差損がどこからどういう形で出てくるものか。これが一点。  それから、縦貫道路をつくってほしいということであります。これはもう本土におきましては、御存じのように、最近はもう高速道路網を整備するということが大きな問題になっておりますので、御希望にきっと沿うようになると思うのですが、私は、それよりも、沖繩の交通問題でいつも感じますことは、離島の間の交通問題であります。沖繩全体が、本土から見ると、これは離島でありますが、そのまた沖繩の中に離島がたくさんある。二重に離島の持つ不便を持っておられると思うのです。何か、承りますと、公述人は宮古の御出身だそうでありますが、おそらく宮古とこの那覇との間の往復に非常な時間と非常な不便をずいぶん感じておられると思います。こういう問題について沖繩方々はどんなお感じを持っておるか。また、たとえばこういうことをやってほしいというような何かがありましたらお聞かせいただきたい。
  160. 楠正俊

    ○楠正俊君 ちょっと関連しまして宮国公述人にお願いしたいと思うのですが、先ほど時間がなくてお述べになれなかった。観光立県を含めた長期的な展望に立った経済の見通しというものを述べたいというお話でございましたので、いまの塚田委員質問と合わせましてお願いいたします。
  161. 梶木又三

    ○梶木又三君 関連。  いま塚田先生の財政投融資の道路の問題が出たのですが、先ほど来どの公述人の方からも御意見がなかったのですが、私、沖繩で現実に一番谷間に置かれておるのが農民とか漁民の一次産業の方だと思うわけです。  そこで、先ほど財政投融資の話が出たわけなんですが、財政投融資を——もちろん道路、高速道路も必要でしょうが——漁港とか、あるいはことしの大干ばつ、こういう事態に対してのため池の問題、水の問題ですね。これは農業だけじゃございません。各住民の方々飲料水もありましょうが、だから、その財政投融資のあり方について宮国さんのお考えは、一次産業よりも三次産業的なものへの財政投融資が多くていいのかどうか。いや、そうじゃなくて、やはりバランスのとれた形の財政投融資がいいのかどうか。こういう点につきましてもひとつあわせて御意見を伺いたいと思います。
  162. 安井謙

    団長(安井謙君) 宮国さん、だいぶ項目が多いようですが。
  163. 宮国英勇

    公述人(宮国英勇君) お答え申し上げます。順番に従ってお答えしたいと思います。  最初に、金融機関に、まあ私が約六千万ドルの差損が生ずるというふうに申し上げて、沖繩の金融といいますか、沖繩におきまして差損の問題で直接はだで感じておられない先生方にはたいへんぴんとこないのもごもっともだと思います。といいますのは、実は、せんだっての十月の個人の預貯金の差損補償ですべてのことが事足れりというふうなことを、まあその当時は、琉球政府も並びに各住民も金融機関の経済専門の方々も考えていたわけであります。というのは、御承知のように、金融機関では、借り方のほうに融資の貸し付け金がございますし、それで貸し方のほうに預金の負債がございます。したがって、ドルが一ドル対三百八円で、三百六十円よりも五十二円だけ切り下がりますと、両方の勘定が同じように減少しましてバランスがとれるわけでございます。しかしながら、そういうバランスがとれるというような観点から、沖繩でも大体のほとんどの方々が、金融機関には決して損はないというふうなことを言っていたわけでありますけれども、私がこれについて具体的に理論的に掘り下げまして、実は経営者協会から「経営」という雑誌がこういうように出ておりますけれども、先月、それの巻頭言の「道標」——道しるべというところで理論的にこれを解明したわけでございます。そうしますと、先ほどから銀行の名前が出ておりますけれども、琉球銀行という銀行の崎浜という総裁が、君の言うとおりだと、まあ、これは論文出す前からそうおっしゃっていただいておったのですが、そういうふうなことから、琉球銀行からもさっそく具体的なあるいは詳細な調査を行ないまして、例の法人の二億ドルの差損をはじき出したわけであります。まあ、話が前後しましたけれども、この銀行の約五、六千万ドルの差損といいますのはどこから来るかといいますと、やはり両方の勘定がバランスを持って縮小するわけでありますけれども、これは均衡して減るというふうなことだけじゃなくて、やはり均衡縮小というところに意義があろうかと思います。すなわち、縮小ということは非常にこれは大きな問題です。経済の規模が大きくなる、成長率が高くなるということはいいことで、成長率が低くなる、あるいはこれが逆に戻るということはたいへんなことであります。ちょうどマラソンでいいますと、一万メートル走るのに、五千メートルまで来てからこれをちょうど二割逆戻りする。すなわち、一千メートルだけうしろ向きに走る、すなわち、四千メートルまで戻るということはたいへんなことです。四千メートルまで戻ったところでは、一緒に走っている連中はすでに六千メートル走っております。そういうふうな状態で、縮小均衡ということはたいへんなことである。こういうことから大体おわかりと思いますけれども、これをもう少し数字であらわしますと、大体沖繩の銀行が、琉球銀行、沖繩銀行の普通銀行二行と、さらに中央相互銀行という一行、それから信用金庫二行ございますが、これらの資金量が大体七億ドルございます。そこでまあ概算的にその一五%が円切り上げによって実質的にドルが切り下がるということになりますと、約一億ドルの規模の縮小、資金量の縮小、融資量の縮小というふうになるわけでございます。そうすると一億ドルの資金量が減って、それでもって融資が減るということになりますと、結局貸し付け金によって銀行は収入を得るわけでございますから、その一億ドルの一割、大体年間一割金利と見まして、一割、約一千万ドルの金利が入ってこないわけでございます。しかしながら、それと反対側にある預金の金利も払わなくて済みますから、預金の金利を大体年五%と見ますと、その五%、すなわち約五百万ドル、これだけの金利を払わなくて済む。したがって、一千万ドルの金利が入らないかわりに、五百万ドルの金利が出ていかないわけですから、相殺しましてちょうど五百万ドルだけの収入が減るということになります。すなわち、沖繩の五つの銀行ないしは信用金庫でもって、年間で五百万ドルの金利が入ってこないということになります。したがって、これが将来とも、復帰時点、七二年の一年間だけでなくて、永久に入ってこないわけでございます。したがって、将来永久に毎年五百万ドル入るべきものを現在価値に割り引きますと、大体年一割の利率で割り引いて現在価値に戻しますと、これがちょうど〇.一で割りまして五千万ドルというような金額になりまして、非常に重大な事実であるということを先生方も御認識の上、ぜひ沖繩の一ドル対三百六十円交換は、いかなる困難、いかなる日本本土の、あるいは日本政府の損失があろうとも、これだけは何とかやってもらわなければ、復帰自体が非常に暗い沖繩のスタート第一歩になるというように私は極言したいと思うわけでございます。  それから第二点でございますが、先ほど私も、復帰の目玉商品といたしまして、南部−北部間の縦貫道路をどうしてもつくっていただき、それによって沖繩が、楽しい観光ルートとして、ドライブをしながらでもこれが観光できる。私、ハワイの二世の方で友達がおりますけれども、その方の言うことには、沖繩は非常に景色もいい。それから、太陽の光線、海中景観——海の中の景色もいいけれども、どうも道路事情が悪いし、ドライブが楽しめない。ハワイはその点非常にりっぱで、楽しいドライブができるというようなことをこの五、六年聞いてきたわけでありますけれども、そういうような縦貫道路ができましたら、よそ見しながら、——これは非常に危険かもしれませんけれども——とにかく楽しいドライブができるし、さらに密集地の那覇の居住地を、むしろ山原といいますけれども、国頭、名護のあの辺に楽しい住宅をつくり、野や山でいろいろ人間らしい生活をしながら那覇に通勤もできるだろうというようなことを考えているわけでございます。さらに海洋博——国際海洋博覧会にしましても、会場を一つだけに選定しないで、むしろ名護、那覇、南部、宮古、八重山というようにある程度これを散らしまして、何しろ海外からこの海洋博の六カ月の間に三百万人入ってくるというように概算数えられているようですから、一日一万五千人くらい入ってくる予定ですので、一ヵ所にこれを集積しますと非常な混乱が起こるというような意味合いでも、この国際的な海洋博覧会を成功裏に終わらせる意味でも非常によいことじゃないかと思っております。たいへんありがたい御質問で、私も宮古の出身で、宮古といいますと、先生方御承知の方もおられると思いますけれども、一年間に大体台風が四、五回上陸します。そうして非常に干ばつの続くところでありまして、昔から非常に貧乏な島で、それだけに、われわれはどうしても学問で身を立てなければこれは成り立たないということで、一生懸命がんばってきておるわけでございますけれども、そういう意味で、宮古は非常に経済的に貧しい。そういう自然の脅威の強いところでございます。せんだって宮古の下地島というところにSST——スーパー・ソニック・トランスポーテーション、このSSTの飛行場ができるということで、相当額の資金も落ちるようで、たいへんみなわき立っております。地主も、反対が少しあったようですけれども、みなもう賛成しているようで、非常に今後の宮古の経済を潤す。あるいは宮古の海岸が非常にすばらしい。砂浜も、約四キロくらい砂浜がありまして、砂も非常にこまかくて、まつ白できれいであります。しかも、サンゴ礁がその砂浜にはなくて、相当な距離砂が続いておりまして、本土から観光客を何十万人連れて来たって決してよごれないような砂浜を持っております。そういう意味で、宮古のほうにできれば観光客を本土から続々誘致したいわけでありますけれども、直接宮古に飛行機で行くのもいいでしょうけれども、この離島区を解消するために、沖繩と宮古間にホーバークラフトなりそういう快速艇を、でき得れば観光あるいは産業の発展のために設置してもらえたら、私、願ってもないことだと思っております。  それから三番目に、時間の都合で、長期的観点に立った沖繩経済の対策という面で縦貫道路しか申し上げられなかったのですが、もう少し、若干申し述べますと、二番目に——一番目が縦貫道路で、二番目に、復帰による経済の落ち込みをカバーするつなぎの役割りを果たし、さらに、これから沖繩に誘致される産業に貢献する土地を造成するために、大きな、大々的な埋め立て地の造成を計画しその資金援助をお願いしたいと、これは大体いま沖繩で計画されているのが糸満の地区、それから浦添、西原、さらに金武湾、こういうところにまあ工場地帯あるいは観光地帯というふうなものがただいまいろんな研究機関でゾーニング・プランによって研究されております。そういう、大体、私の計算では約二千万坪埋め立ててもらいたい。これには三億ドルくらいの資金がかかると、私、理解しております。  さらに三番目に、七五年に開催されます国際海洋博が終わったあとも、これにかかった巨大な投資、すなわち約十五億ドルと民間並びに政府の予算に計上されているようでございますけれども、これから計上されるのですが、そういう巨大な投資が沖繩に投下されるんですから、これをそのまま取っ払って、その後全く中断して、全然沖繩の経済に貢献しないというふうなことでも、やはりそれに準拠した沖繩のいろいろな経済機構ができあがりますので、一たんそういう大きな資本が投下されたあと、これがぽつんと切れますと、非常に沖繩の経済を混乱におとしいれます。そういう意味で、かかることがないように、海洋博と同時に、国際海洋学研究所を設置していただきたい。そして、その国際海洋学研究所で毎年国際的な海洋学、海洋の研究をしていただき、できれば天皇陛下にも年に一度沖繩の非常に気候のいいころ来ていただいて、御専門の海洋の御研究に御専念いただき、まあ明るい豊かな、ほんとうに南国らしい、すばらしい沖繩の社会をつくっていただきたいと思っています。  さらに、この海洋博に関連して、沖繩のサンゴ礁で輝くすばらしい海底資源を活用して海底に牧場をつくり、この海底牧場におきましていろんな魚介類あるいは魚、そういう海底資源を豊富にそこで養殖なりあるいは育成しまして、陸上の畜産に次ぐたん白資源としてもらいたい、こういう希望を持っております。  さらに四番目に、先ほどから基地の問題が出ておりますけれども、やはり、沖繩では基地の面でいろいろなまあこれまで苦労もしておりますので、早目に基地の整理統合をしていただきたいわけですけれども、先ほどから申し上げておりますように、米軍基地の収入は、いかんせん二億ドルもある。そういう意味で、一ぺんにこれが二億ドルがなくなってしまいますと、やはり経済上問題がありますので、その基地の整理統合とあわせて経済政策をとってもらいたい、こういうふうに考えておりますけれども、その基地収入の減少を補う経済対策の一環としまして、現実的な問題があります。これは、現在、沖繩で石油産業が非常に脚光を浴びておりまして、沖繩でも大体いま三社、ガルフ、エッソ、東洋石油というふうな会社がありますけれども、そこの年間石油製品生産量が一千二百万キロリットルございます。これの精製、生産をやっておりますけれども、この輸送の問題がございまして、一千二百万キロリットルといいますと、沖繩の年間貨物輸出入量約七百万トンのちょうど二倍に達します。こういうふうな量の石油製品が本土にあるいは東南アジアに運搬されますので、それの海上における運輸をでき得れば沖繩の地元の業者に、その五割なりあるいはその近辺のものを担当させてもらいたい。それによって相当量の収入が得られ、基地収入からの脱却、基地経済からの脱却が可能になると思います。  それから五番目でございますが、私が財政投融資を復帰前に繰り上げ措置してもらいたいというふうなことを申し上げたことに関連しまして、この財政投融資は一次産業がいいか、三次産業がいいかというふうな御質問でございましたけれども、御承知のように、沖繩はことしも非常に長期の干ばつで、かんがい用水どころか飲料水にまでこと欠いたような状態でございます。そういう意味では、まずもって基幹社会投資が必要でございますけれども、それには北部の山にダムを三つほどつくっていただきたいというふうな基本的な要望がございます。さらに経済の問題としまして、やはり沖繩で第三次産業だけでは、これだけの人口をかかえるにはちょっと経済収入が確保し得ないというふうな意味合いから、二次産業の誘致もいろいろ骨折っておるようですけれども、なかなか国際的な情勢あるいは沖繩地元の問題で関連産業あるいは新しい産業の誘致が進んでいないようでございます。
  164. 安井謙

    団長(安井謙君) 宮国さん、たいへん恐縮ですが、時間の関係もありますので、きょうの議題に直接関連のない部分は割愛をしていただいて簡潔にお願いしたいと思います。せっかくの話を恐縮ですが。
  165. 宮国英勇

    公述人(宮国英勇君) そういう意味で、やはり一次産業も大事ですので、沖繩ではほとんどかんがい施設がないためにサトウキビがいわゆる立ち枯れして、もう西表やらその他の離島では、製糖工場も操業停止でほとんど動いておりません。そういう意味合いで、かんがい施設も大いにつくっていただきたい、こういうふうに考えております。
  166. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 まず宮国公述人にお尋ねをいたしたいと思いますが、ただいまもいろいろ長いことお話があったのでございますが、先ほどの陳述を拝聴いたしますと、沖繩の経済発展、観光県沖繩というためにも縦貫道路が絶対必要なんだという陳述があり、ただいまもまた補足の中でも言われておったわけでございますが、文字どおり縦貫道路という形になってまいりますと、私たちが一つの大きな問題としてぶつからざるを得ないのは、沖繩に存在するところの膨大な基地の存在だと思います。この基地をそのままにしておいて縦貫道路をつくってもらいたいと、こういってもこれは無理だ。また、先ほどのお話をお聞きすると、基地は当分の間あってもらわなくては困る、こういうようなまた話の筋でもあるのですが、一体、いわゆる経済開発と申しますか、この問題と基地という問題の関連性をどう考えておられるのか、そこらあたりをひとつ端的にお聞かせを願いたいと、こう思います。  それからいま一つは小嶺公述人にお伺いをいたしたいのですが、肩書きを見ますと中央教育委員という肩書きのようでございますので、教育関係の問題をまずお伺いいたしたいと思います。まず小嶺さんは、いままでの沖繩教育というものをどのように評価をしておるのかということをお聞かせ願いたいと思います。先ほどのお話の筋によりますと、復帰して初めて日本人としての教育が可能なんだと、こういう筋のお話があったのでありますが、そのことばをそのとおり受け取ると、いままでは日本人としての教育が非常にむずかしかったというような形にも聞き取れない向きもないではないわけでございますが、少なくともいわゆる国会筋におきますところの議論の中では、沖繩におけるところの今日までの沖繩教育という問題については、与野党を問わず、あるいは政府間を問わず、いわゆる日本人としての教育という問題について非常な役割りを果たしてくれた、しかも、それをささえたのは公選制だということが強く今日まで議論の中でも明らかにされてきておるわけでございますが、一体小嶺さんはいままでの沖繩教育についてどういう評価をされておるのか、お聞かせを願いたいと思います。  いま一つは、先ほどの陳述の中では任命制賛成だというお話でございますが、これは中央教育委員全体の意向としてそうなのか、それとも、中央教育委員会はいわゆる公選制が圧倒的に賛成だけれども、御自身の個人意見なのか、あなたのいま出されたところの意見は。そこらあたりを明確にひとつしていただきたいと思います。  いま一つお聞きしたいのは、自衛隊の配備の問題でございますが、先ほどのお話をお聞きしますと、反対論は、消防隊があるから火事になるんだという論法にひとしい、まあ保安的なものだと言わんばかりのお話であったわけでございますが、今日、沖繩に自衛隊を配備をするという問題は、少なくともこれは米軍の役割りの一部の肩がわりであるということはその論争の中でも大体もうみな常識的になってきておるわけであります。これは久保・カーチス協定を見てもそれははっきりうかがえるのでございますが、そういう肩がわりという立場に立てば、小嶺さんは、現在の沖繩にあるところのアメリカの軍隊というのは沖繩の防衛のために存在をしておるものだという理解をなされておるのかどうか、この点をひとつ明確にお答えを願いたいと思います。  以上でございます。
  167. 長田裕二

    ○長田裕二君 ただいまの御質問の第一のことに関連しまして、宮国さんにお尋ねいたします。  縦貫道路のことを非常に強く陳述をしておられましたのですが、ただいまの御質問では別の観点からこれについての重ねての御意見を伺っているわけですが、私はまた別のあれとしまして、沖繩本島の交通の問題につきましては、お聞き及びのように、モノレールでいくとか、鉄道でいくとか、そういう考え方もいままで開陳されているわけです。道路につきましてはある程度まあ自然の改善というものもあるわけですが、宮国さんは、新しく大きな縦貫道路という構想で沖繩の開発、特に観光的な面からの開発ということを主張されたわけですが、モノレールあるいは鉄道というものに対してどういう評価を下しておられるか。まあ、全部やれば一番いいということにもなりましょうけれども、若干順位をつけてお考えになった場合にどういうふうにお考えになっておるかもあわせてお答え願います。
  168. 安井謙

    団長(安井謙君) 宮国公述人、簡単にひとつお願いいたします。
  169. 宮国英勇

    公述人(宮国英勇君) 最初の御質問で、基地を通って縦貫道路ができるのかというふうな御質問でございましたけれども、これはごもっともでございますが、しかしながら、これは技術的に大体解決できるんじゃないか。基地が現在あるところは通らないように道路をつくるか、あるいは海上にパイルを打ち込んでそこに高速道路をつくることもできるだろう、こういうふうに考えております。さらにそれと関連しましてモノレールでございますが、私も欲ばりでございまして、できたらこの高速縦貫道路の上にモノレールをつけまして、やはり高速道路は人間を運ぶだけじゃなくて、貨物も運ばれるし、まあ楽しいそういうモノレール、あるいはモノレールにかわる通勤用の電車というふうなものができれば非常にけっこうじゃないか、こういう二つのものを同時にやってもらう。これができれば最高の望みでございます。といいますのは、海洋博でも、もし北部にも会場ができますと、道路だけでは、走っている間はいいけれども、これが終着に着きますと、そこで非常に混雑して、結局は同じもとのもくあみで混雑に終わるというようなことでいけないので、やはり人間だけが進めるようなモノレールあるいは通勤電車のようなものも両方できれば、ともどもになければならない、こういうふうに考えております。  次に、基地と経済というふうな非常にむずかしい問題を投げかけられまして、私もたいへん困っておりますが、確かに軍事基地、戦争につながる基地は、これはないほうがいいわけでございます。したがって、沖繩にある基地も、できれば米軍侵略用の基地はないほうがいいということでございますけれども、何しろ、過去二十余年の間にでき上がった一つの歴史というものは、そう簡単に途中で中断するわけにいけない。こういう継続があって基地が一応続くことになっただろうかと思いますけれども、その基地と経済の問題につきまして、われわれ、まあ私個人としては、基地は早急になくならねばならないと思っておりますけれども、ただ、経済のマクロ的な立場から考えた場合、やはりその基地では全軍労の労働者も働いているし、あるいは基地関連の業者、物を売っている業者もおれば、いろいろなそこに関連する人間が働いて、そこから生活のかてを得ておるわけでございます。そういう意味で、一度にこの基地撤去して、かかる人間はすべて路頭に迷えというふうなことは、なかなかマクロ的な立場から、われわれ経済を一応学んでいる学徒としては言い切れない。そういう意味で、やはり基地は整理縮小、統合してもらいたいけれども、それと同時にやはり経済政策を日本政府としてはきめこまかにそのつど手を打っていただきたいと、こういうふうに考えておるわけであります。
  170. 安井謙

    団長(安井謙君) どうもありがとうございました。  小嶺さん。
  171. 小嶺憲達

    公述人(小嶺憲達君) お答えいたします。  第一点の、沖繩教育をどのように評価するかという御質問かと思いますが、私は、復帰をしなければ沖繩教育は全然評価されないという意味合いで申し上げたわけではございませんで、沖繩教育はそのように評価すべきであると、また、一生懸命皆さん努力してきたということも先ほど申し上げたわけでございますが、ただ、そのいわゆる不自然な状態、まあ、異民族支配というその不自然な状態では、真の日本国民教育にいろいろと支障があるということを意味しているわけでございます。  それから二番目の任命制についての意見は、中教委としての意見かあるいは個人の意見かということでございますが、これはもちろん個人としてでございます。中教委としては個人として発言する資格はございません。で、個人としてでございます。  それから三番目の自衛隊の配備につきましては、復帰をいたしますと、日本国に入るわけでございますので、いずれ米軍基地が縮小されていくと、それに伴って国内の防衛は自衛隊が担当すべきであるという意味で申し上げたわけでございます。  以上でございます。
  172. 安井謙

    団長(安井謙君) 木島君、時間がだいぶ近寄ってきましたので、ひとつ簡単にお願いいたします。
  173. 木島則夫

    ○木島則夫君 それじゃ簡潔に申し上げます。  仲田公述人にお尋ねいたします。ひとつ端的にお聞きしたいんであります。仲田公述人がきょうこの公聴会においでになるときに、あなたの家族の方、周囲の方々の反応はどうでしたか。非常に大きな期待をもってあなたをここに送り出されたか。そういったことでもけっこうです。まわりの方の反応ですね。それから、あなたの周囲にも沖繩返還協定法案反対をされる方々がおいでになると思います。あってしかるべきだと思います。そういう方々は、沖繩返還をされずにそのまま推移していった場合に一体どういうことが起こるんだろうかというようなことを具体的に仲田さんにお話しになっておりますでしょうか。もしそういうお話がなければ、これはお答えいただかなくてもけっこうです。  それからもう一点です。宮国公述人も、さっきちょっと触れておりましたけれども、アメリカドル防衛措置に伴って、八月から十二月の間に、すでに大手メーカーからも倒産が出ているというお話でありました。中小企業のこうむっている影響を、一つでも二つでもけっこうでございます、具体的に、本土資本のかけ込みとも関連をして伺いたい。そのことについて、これは簡潔に端的にひとつお答えをいただきたいんです。  以上です。
  174. 仲田昌繁

    公述人(仲田昌繁君) 簡潔にお答え申し上げます。  本日公述人として出る際に、いろいろ電話がございました。それで具体的に中心として公述するのはどういうことだということでございましたが、それは先ほど申し上げましたとおり、特にドル問題に大きな期待を寄せているようでした。それと、二点目の、返還協定がかりに通らないとかあるいは関連法案が通過をしない場合、具体的にどうなっていくんだということに対しては、友人間同士では話しております。その友人間同士の話では、具体的にそこまで突っ込んで、たとえば本土世論でもあるいは沖繩世論でもいわれておりますが、具体的に返還協定あるいは関連法案が通過をしないで、可決をされないで、そこでかりにそれが、悪いことばで申し上げますと、パーになるといった場合に、復帰というものが実現できない。こういう深く突っ込んだ考え方は、友人間同士で話をするなり、内容に気づいております。  さらに、アメリカドル防衛政策に関連いたしまして、倒産問題あるいはかけ込み外資の問題でございますが、先ほども時間足らずで若干説明不足でございましたが、まあ私のほうも、私は水産関係を担当しておりまして、先ほど宮国公述人のほうからもございましたが、たいへんドルの問題が出まして、たとえば市中金融のそういうような融資が受けられない。こういうことに基づきまして、結局、運転資金が借りられないために、本土政府に対して、特に水産関係でございますが、本土政府に対して何とかそういうふうな融資面をしていただきたいというふうな強い要請を現実にやっておる面がございます。そういうことで、やはりこのドル問題というのは、沖繩県民の総意として早目に解決をしないと、復帰に向けて非常に大きな不安と混乱をむしろプラス・アルファしたような形でわれわれは受けとめておるというふうに申し上げておきたいと思います。
  175. 稲嶺一郎

    稲嶺一郎君 仲田公述人と、それから、まああなたでいいと思うんだが、実は日本においては景気浮揚策というものが講ぜられているわけです。ところが、いまいろいろと公述人方々からお話を聞くと、沖繩にはまだそれがないような感じを受ける。私は、沖繩においてはいまこそほんとうの景気浮揚策が必要だと思うんだが、それに対してひとつ御意見をお伺いいたしたい。
  176. 高山恒雄

    ○高山恒雄君 ちょっと一つだけ、関連です。  仲田さんにお聞きしたいんですが、固有の沖繩汽船の非常な危険性があるということをちょっと報告されたと思いますが、現在の船の運用上における被害ですね、大汽船が沖繩に入って固有の沖繩汽船というものが下積みになって倒産の一歩手前にいくような危険性があると、こういう意味なのか、そういう点、ちょっとお触れ願いたいと思います。
  177. 仲田昌繁

    公述人(仲田昌繁君) 簡単にお答え申し上げます。  稲嶺先生がおっしゃるとおり、いまこそ景気のそういうふうな対策が非常に必要でございます。さらに、先ほど沖繩本土間の航路関係に関連いたしまして若干説明申し上げたんですが、現実にいまその倒産というところまでいっているわけではございませんでして、特に復帰対策第二次要綱の中に、貨物船につきましては現在の航路秩序を保っていくと、このようなことが復帰対策要綱の中にも出ておるわけでございます。しかしながら、沖繩本土間の旅客船につきましては復帰対策第二次要綱の中には入っておりません。そのことは、本土復帰をいたしますと、海運業法というのがございまして、旅客船は免許制度になるわけでございます。したがいまして、来年のかりに四月一日復帰といたしますと、いまのうちにかけ込み旅客船を沖繩航路につけたいと、こういうような具体的な動きが出てまいっておるわけでございます。そのことにつきましては、衆議院の沖特委の連合審査会ですか、十二月のたしか十六日にもそれが出ておると思います。そういう点で沖繩の海運企業、あるいはそこに働く労働者にとってはほんとうに脅威でございまして、復帰対策の第二次要綱の中にもそれが出ておるわけでございますので、そういう点を十分御理解の上、先生方の御理解を得たいと、こういうふうに考えるわけでございます。
  178. 安井謙

    団長(安井謙君) まだまだ御質疑もおありかもしれませんが、予定の時間を過ぎたようでございまして、この程度でひとつ質疑を終わりたいと思います。  公述人方々、長時間にわたりまして非常にいろいろと有益なお話を下さいまして、まことにありがとうございました。(拍手)得るところも多いだろうと確信いたします。厚くお礼申し上げます。  なお、本日の会議につきまして特別の御配慮をいただきました立法院また行政府、その他関係の各機関の方々に対しまして、心からお礼を申し上げます。われわれ、皆さまの貴重な御意見を伺いまして、さらに明日からもまた国会の審議に精を出すことにいたします。いろいろと本日はありがとうございました。  以上をもちまして本日の参議院沖繩公聴会を終了いたします。  散会いたします。(拍手)   〔午後四時四分散会〕      ——————————