運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1971-12-08 第67回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十六年十二月八日(水曜日)     午前十時六分開議  出席委員    委員長 床次 徳二君    理事 金丸  信君 理事 二階堂 進君    理事 久保 三郎君 理事 中川 嘉美君    理事 門司  亮君       池田 清志君    宇田 國榮君       小渕 恵三君    大石 八治君       大野  明君    大村 襄治君       加藤 陽三君    木野 晴夫君       佐藤 文生君    佐藤 守良君       關谷 勝利君    田中伊三次君       田中 龍夫君    藤波 孝生君      三ツ林弥太郎君    箕輪  登君       森  喜朗君    井上 普方君       石川 次夫君    川俣健二郎君       武部  文君    中谷 鉄也君       美濃 政市君    山口 鶴男君       伊藤惣助丸君    瀬野栄次郎君       鳥居 一雄君    田畑 金光君       東中 光雄君  出席公述人         南方同胞援護会         会長      大浜 信泉君         名古屋大学法学         部教授     室井  力君         軍事評論家   久住 忠男君         評  論  家 藤島 宇内君         社団法人日本青         年会議所会頭 米原 正博君         同盟本部組織局         長       吉原 幸男君         都立日本橋高等         学校教諭    金城 和彦君         弁護士自由法         曹団幹事    根本 孔衛君         川崎市立工業高         等学校教諭   渡久山長輝君  委員外出席者         沖繩及び北方問         題に関する特別         委員会調査室長 綿貫 敏行君     ————————————— 委員の異動 十二月七日  辞任         補欠選任   伊藤惣助丸君     岡本 富夫君 同日  辞任         補欠選任   岡本 富夫君     伊藤惣助丸君 同月八日  辞任         補欠選任   武部  文君     中谷 鉄也君   二見 伸明君     鳥居 一雄君 同日  辞任         補欠選任   鳥居 一雄君     瀬野栄次郎君 同日  辞任         補欠選任   中谷 鉄也君     武部  文君   瀬野栄次郎君     二見 伸明君     ————————————— 本日の公聴会意見を聞いた案件  沖繩復帰に伴う特別措置に関する法律案(内  閣提出第一号)  沖繩復帰に伴う関係法令改廃に関する法律  案(内閣提出第二号)  沖繩振興開発特別措置法案内閣提出第三号)  沖繩における公用地等暫定使用に関する法律  案(内閣提出第六号)  国家公務員法第十三条第五項および地方自治法  第百五十六条第六項の規定に基づき、人事院の  地方事務所設置に関し承認を求めるの件(内  閣提出承認第一号)  沖繩平和開発基本法案細谷治嘉君外十六名提  出、衆法第一号)  沖繩における雇用促進に関する特別措置法案  (川俣健二郎君外十六名提出衆法第三号)      ————◇—————
  2. 床次徳二

    床次委員長 これより会議を開きます。  内閣提出にかかる沖繩復帰に伴う特別措置に関する法律案沖繩復帰に伴う関係法令改廃に関する法律案沖繩振興開発特別措置法案沖繩における公用地等暫定使用に関する法律案国家公務員法第十三条第五項および地方自治法第百五十六条第六項の規定に基づき、人事院地方事務所設置に関し承認を求めるの件、細谷治嘉君外十六名提出にかかる沖繩平和開発基本法案、及び川俣健二郎君外十六名提出にかかる沖繩における雇用促進に関する特別措置法案、以上の各案件について公聴会に入ります。  本日、御出席願いました公述人は、南方同胞援護会会長大浜信泉君、名古屋大学法学部教授室井力君、軍事評論家久住忠男君、評論家藤島宇内君、社団法人日本青年会議所会頭米原正博君、同盟本部組織局長吉原幸男君、都立日本橋高等学校教諭金城和彦君、弁護士自由法曹団幹事根本孔衛君、川崎市立工業高等学校教諭渡久山長輝君、以上九名の方でございます。  この際、公述人各位に一言ごあいさつ申し上げます。  本日は、御多用の中を御出席いただきまして、まことにありがとう存じました。  申すまでもなく、これらの案件は、本国会における最も重要な案件でありまして、本特別委員会といたしましては、連日慎重な審議を続けておるところでありますが、この機会に広く各界から御意見を拝聴いたしまして、審査の参考といたしたいと存ずる次第であります。何とぞ公述人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。  議事の順序について申し上げますと、まず御出席の九名の公述人各位から、お一人十五分程度意見を順次お述べをいただきまして、その後に委員から公述人各位に対して質疑を行なうこととなっております。  なお、念のため申し上げますが、発言する際は、委員長の許可を受けることとなっております。また、公述人は、委員に対して質疑することができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願います。  それでは、まず最初に、南方同胞援護会会長大浜信泉君にお願いいたします。大浜公述人
  3. 大浜信泉

    大浜公述人 多数の公述人がおいでになりますし、かつ、いまこの委員会には多数の案件が上程されて御審議になられるわけでありますが、一番最初発言者でもありますので、私は、ごく総括的に基本的な問題について申し上げまして、個々案件については、ほかの公述人から御意見の陳述があろうかと思いますし、こまかい個々の問題につきましては、後ほど委員方々の御質疑に対してお答えするという形式で申し上げたいと存じます。  私は、沖繩出身者の一人でもありますし、その関係上、沖繩百万同胞とともに、沖繩が一日も早く異民族の支配から解放されて本来の姿に立ち戻ることを念願し、この念願の達成のために、個人的にあらゆる機会、あらゆる関係を活用し、さらに先年、沖繩担当大臣である総務長官森清氏が沖繩施政権の一角に取り組まれまして、全面返還は無理であろうから、教育権だけでも先に分離して返還してもらったらどうだろうかということで、教育権機能的返還論というものを提唱されまして、それについて具体案をつくるために諮問機関設置されまして、その座長を私つとめたのであります。その後、佐藤総理施政権全面返還という角度から取り組むべきだということで、沖繩問題等懇談会という諮問機関設置されまして、そこでも座長をつとめた関係があるのであります。  かように公私の両面にわたって長い間沖繩問題に取り組んでまいりました関係上、来年、一九七二年にいよいよ施政権返還され、返還条件としましては、軍事基地核抜き本土並みという条件で話がまとまったということについて非常に感無量なるものがあるのであります。実感から申しますと、過去のいろいろの折衝の過程に照らして、よくここまで実現できた、夢が現実化したというような実感さえ伴う次第であります。距離を置いて沖繩問題を心情的にあるいは観念論的に評論家立場から論ずる場合にはいろいろなことが申せるのでありますが、実際にこの問題の解決に取り組むとなりますと、おのずから二つの前提を置かざるを得ない。この前提から、この問題の取り組みの方向なり解決限界というものが生まれてくるのではないかということを痛感しておる次第であります。  まず第一の前提条件と申しますのは、沖繩問題外交交渉によって解決するほかはないんで、いろいろ集会による決議だとかデモ等によっていろいろの主張はなされますけれども、これはむろん世論の喚起なりあるいは相手方に対する圧力の意味を持ちましょうけれども、結局、解決というものは、やはり外交交渉を持たざるを得ないんだ、ことばを変えて言えば、相手方のある問題だということであります。相手方のある問題でありますから、相手方が納得し得る条件でなければ、結局解決はつかないんで、そこに一つの限界があるんだ、こう思うのであります。  実は一九六七年、昭和四十二年でありますが、私、ある国際会議関係で南米に参りました際に、アメリカ合衆国に参りまして約一カ月間滞在して、国務省、国防省、それから上院、下院の沖繩問題関係ある方々に会い、そのほか、ニューヨークの日米協会、ワシントンの日米協会等に話し、その他大学関係の極東問題の専門家には多数の方に会ったのであります。その上、ワシントン・ポストの編集局長、ニューヨーク・タイムズの編集局長に会いまして、沖繩現状のまま放置するということはアメリカにもためにならないんで、一日も早く返還すべきである、アメリカがもし日米の協力ということを希望するなら、こういう不自然の姿をいつまでもほっておくということになると、反米感情がだんだん高まるだけで、それは決してアメリカのためにも得策でないと思うので、施政権返還を一日も早く考えるべきじゃないかという角度からアメリカの人々と意見を交換したのであります。  帰ってまいりまして、佐藤総理に私の感触をお伝えしまして、いろいろ抵抗もあるけれども日本政府がちゃんとした方針を立てて施政権返還交渉を開始されれば必ず窓が開けると思うから、お取り組みになったらどうだろうかというふうに御進言申したのであります。その際に、やはり相当権威ある理論づけというものが必要でありましょうし、また、国内世論を喚起し、国民的のコンセンサスというものを形成する必要から高次の諮問機関というものを設置されて、そこの意見を背景にして当たられることが必要じゃなかろうかというので、諮問機関設置も同時に進言を申し上げたのであります。必ずしも私の進言があったからそうなったとは申しませんけれども沖繩問題等懇談会という諮問機関設置されまして、そこで、結局施政権返還交渉に当たるにしましても、一本勝負で、一回の会見だけでこの施政権返還の時期まできめ、施政権返還には必ず基地の問題が不可分の問題になるので、基地の態様まで一ぺんできめることは無理であろうから、まず最初は、施政権返還するという基本方針について向こうの同意を取りつけた上で、そうして返還の時期、返還後の基地をどうするかというような問題は第二次の会見に回したらどうだろうかということで、その方針政府も、一九六七年の十一月に佐藤総理が訪米されてジョンソン大統領とお会いになって、ああいうコミュニケが出たのであります。  その後、第二次会見をいつごろにするかということでありますが、それは私ども懇談会意見としましては、この施政権返還の時期は両三年内にあらためて討議するということになっておったのであります。この両三年というのはただ表現をまるくしただけで、具体的には一九六九年というのが目標であったのであります。  なお、第二の前提と申しますのは、この外交交渉にだれが当たるかというところに問題があろうか、こう思うのであります。こういう問題については国内意見の一致というものが望ましいのでありますが、沖繩問題については各政党がそれぞれ独自の方針を打ち出しておられるので、政党間の話し合いによって一本の線で統一的の路線というものはなかなか困難じゃないか、日本政治の実情がそうなっておるのじゃないか、こう観測しますと、やはりこれは自民党内閣が直接この交渉の衝に当たらなければならぬということになるのであります。そうなりますと、おのずから日米関係をどう持っていくかという基本路線の問題がありますし、具体的には安保条約との関係をどうするかという問題があるのでありまして、やはりその政府の政策のワク内で解決するということになりますと、おのずからそこに限界が出てくるわけであります。  それで、実は第一次会談で、両三年内に施政権返還の時期をきめるという同意を得たのでありますが、施政権返還時期をきめる第二次会談に臨むにあたっては、どうしても返還後の基地の問題をどうするかということが関連問題として出てくることになります。しかし、政党の中にもいろいろ御議論があるし、また、政府・与党の内部にもいろいろ御議論があって、意見がまとまりそうにないので、私、佐藤総理了解を得まして、沖繩軍事基地問題の研究会というものを設置したのであります。これには軍事関係専門家並びに国際政治専門家等、おもに大学の先生、それから新聞記者関係の人でありますが、そういう研究会を持ちまして、一年間にわたって研究をしたのであります。これはもちろん政府諮問機関じゃありません。新聞扱いは、私の個人の諮問機関だという扱いをしておったのでありますが、そこで一年間検討を遂げた結果、施政権返還は一九七二年に時期はすべきであるのだ、返還後の軍事基地についてはやはり日本本土並みにする。本土並みということばがいろいろな意味に用いられるのでありますが、私どもの用いたのは、安保条約並びにその付属交換公文等適用上何ら特例を設けないという意味であります。これがいわゆる本土には核兵器は持ち込まぬということになっていますから核抜き、その他の基地のあり方についても、この条約付属交換文書等適用上例外を設けない、この意味本土並みと申しておるのであります。同時に、軍事基地規模が大きく問題になるわけでありますが、これはやはり順次整理、縮小すべきであるのだということが私ども研究会結論であったのであります。  それを政府は取り上げられて、その私ども研究会結論をそのまま採用されて、愛知外務大臣アメリカ折衝されて、日本主張が大体においてアメリカ承認された、こう申していいのであります。その意味からいえば、日本外交勝利であったといってもいいんじゃないか、こう思うのであります。むろん日本主張がそのまま容認をされましたけれども、何もこれはアメリカが善意で好意的にそうやったのだというふうに簡単にとるべきものじゃない、やはりアメリカにはアメリカ立場があり、そうすることが結局は得するんだ、施政権返還することによって多少失うことがあっても他の面においてプラスする面があるんだという計算の上に立ってアメリカもああいう結論に達したのじゃないか、こう思うのでありますが、結果においては、とにかく核抜き本土並み返還協定が一九六九年のニクソン大統領との会談で決定的になりまして、それをもとにして過去一年の間折衝を続けられて返還協定というものが成立し、去る六月の十七日に両国で調印をして、今次の国会で御承認を得た——衆議院承認は得られておるわけで、これは当然憲法規定原案どおりに発効することは既定の事実であります。これが大前提至上命令になって関係法令の御審議ということになろうか、こう思うのであります。  それで、関係法令について一、二申し上げますと、まず自衛隊沖繩進出する関係法令があるのでありますが、自衛隊進出そのものについては、現地沖繩においてもいろいろな議論があることは承知しておるのであります。しかし、施政権返還されれば、沖繩防衛について第一次の責任を負うのは日本のわけであります。日本は、自国の防衛のために自衛隊というものを設置しておるのでありまするから、沖繩返還されて日本憲法適用下に入る以上は、沖繩防衛について日本政府責任を負う、そのために自衛隊進出するということは当然のことであろうというふうに理解しておるのであります。本土の他の部分を防衛するけれども沖繩だけは防衛しないという差別待遇をさるべき問題ではないと思うのであります。もっとも進出規模の問題はこれは技術的な問題で、私どもいかんとも申し上げられないが、進出そのものには賛成せざるを得ない、こう思うのであります。  なお、自衛隊機能の面から申しますと、これは防衛責任のほかに、災害出動だとか治安出動だとか、いろいろの機能があるようでありますが、私、特にこの関連で重視いたしておりますのは災害出動であります。御承知のように沖繩は、台風だとか干ばつだとか、いろいろの自然的災害が多いのであります。ことしも先島方面に非常な干害があり、また未曽有台風があったのでありますが、その際、アメリカ軍が非常に災害出動してくれて、水の運搬だとかあるいは難民の救済とかいうのに当たっておるのでありますが、施政権返還後は、そういうことはアメリカ軍にたよるわけにいかないので、自衛隊がある程度おられれば、そういう際にも災害出動をしてもらえるのじゃないだろうかということで、その意味で、またこの自衛隊進出は非常に好ましいことだと考えておる次第であります。  なお、公用地等暫定使用に関する法律案が出て、これが非常に沖繩現地でも物議をかもしておるのでありますが、これについて簡単に意見を申し上げますと、施政権返還され、返還協定が実施されれば、返還協定に基づいて、ある一定地区アメリカ軍事基地として提供しなければならぬ責任日本政府が負うておるわけであります。なお、自衛隊進出しますと、自衛隊にやはりある程度土地が必要でありますし、また、飛行場日本管理下に移るので、飛行場用地というものが必要になりますし、なお、電力公社だとか水道公社というものがやはり相当の土地を使っているわけでありますが、そういうものも施政権返還されれば、政府責任において運営するのに土地確保が必要であります。非常に広範な土地を使用しなければならぬ立場に置かれておるのでありますが、これは軍用地だけでも現在地主の数が三万七、八千にのぼっておるというふうに聞いておるのであります。やはり地主が各市町村単位で団体をつくり、それが全体が連合体をつくって、連合体でこの取りまとめをして当局と折衝しておるようであります。  それで、これはアメリカとの間にいま締結されている契約を包括的に承継するのじゃなくて、やはり個々地主との間にあらためて契約を更改しなければならぬということになるのでありますが、何ぶん数が非常に多数にのぼるので、施政権返還時までに全部の地主契約の更改をするということは事実上不可態な面もあろうと思うのであります。なお、所有者の不明の土地がやはり使われておりますし、また、地主で軍その他に使用させることに反対する地主も多少ありましょう。しかし、政府としては、ある一定地区だけは絶対に確保しなければならぬという前提があるので、いま申し上げるような障害等をいろいろ考えますと、やはり施政権返還の時期に、自動的に、機械的にそれだけの土地だけは使用できるという適法な権利を確保することが絶対に必要になるわけで、そうなりますと、これは法律的の措置以外には考えられないので、その意味公用地等暫定使用に関する法律案というものが立案をされておるように理解するわけであります。  これは、いままでなかった状態に新しい状態をつくり出すということではなしに、二十数年間継続しておる状態現状をそのまま継続していこうということで、新しい事態を起こすことではない。これは新しく取り上げるのとは違うので、やはりこれはほかの場合とは意味が違うのじゃないだろうかというふうに考えるので、やはりこの法律が通過しなければ大きな支障が起こる。また、法律案としても大体あれ以外に行く道はないのじゃないだろうかというふうな理解をしておるのであります。  なお、この沖繩日本国家機構内に編入するにあたって、いろいろな面の特例措置というものが立案されておりますし、また、今後の開発計画等についてもいろいろな法案が上程されておるわけでありますが、これらの諸問題につきましては、一ぺん復帰対策要綱というものでまとめられて、これが法案化されたものだと理解しておるのであります。復帰対策要綱を策定する段階におきましては、日本政府琉球政府と非常な緊密な連絡をとられて、そしてよく話し合いをされて大体了解を得たものが復帰要綱でまとまってきたもので、それを法文化したのが今回上程された法律の諸法案であるというふうに理解しておるのであります。一部に、どうも沖繩の意思に反して一方的に押しつけるのじゃないかという非難の声も聞くのでありますけれども、いきさつはそうでなくて、やはり琉球政府に一々説明をして納得のいった線でああいう結論がまとまったものだと理解しておるのであります。  なお、沖繩経済開発が大きな問題でありますが、私の立場から申しますと、開発金融公庫だとかいうように金融的の措置は考えられておりますけれども経済開発についてはまだ十分の措置が講ぜられておらぬ。開発庁というものができて、そこが中心になって検討していかれるのでありましょうが、私は、沖繩の体質を考える場合には、やはり工業用地の造成だとか、工業用水確保だとか、そういう先行投資が絶対的に必要なので、そういうことがいまの段階であまり考えられておらぬ。そういう事業をやっていくには、やはり開発事業団みたいなものが必要ではないだろうか。開発庁という官庁機構で、沖繩審議会という会議だけで、はたしてそういう具体的なことがやっていけるか。ここらに大きな問題があるのじゃないだろうかということを考えるので、これは将来の問題として考えていただきたいと思うのであります。  なお、軍事基地規模について、先ほども申し上げたとおり、私どもが希望していたとおり十分の縮小はなされておらないのでありまするが、これは施政権返還後だんだん縮小されるもので、今回きりというものでもなかろうと思いますし、なお、一九七五年には国際海洋博開催が大体予定されておるのでありますので、おそらくその関連において、むしろ沖繩現状のまま国際的にあの姿をさらけ出すことはどうもぐあいが悪いので、やはり軍事基地を大幅に縮小しなければならぬという必要をアメリカ側が痛感する時期が来るのじゃないだろうか。これはあと二、三年の間の問題であるのであります。そういう時期があろうと思うので、基地の問題は、そういう線に沿ってだんだん解決されていく可能性があるのだ、こう思うのであります。  なお、一九七二年という返還時期についてもいろいろ不満があるのでありますが、実は一九六八年の一月に、私の郷里の石垣島で、ある講演会で、沖繩施政権返還の時期は大体一九七二年になるのじゃないだろうかということを申したのであります。これがニュースになりまして、非常に閣議の物議の種となり、だいぶ議論になったのでありますが、これは返還時期の可能性の予測とともに、返還時期は七二年ごろが適当であろうという選択が含まれておるのであります。七二年が適当というふうに選択したのは、これは施政権返還するということがきまりましても、二十数年間、別個の政治圏行政圏を形成しておるものを解きほどいて日本国家機構内に編入することでありますから、これは非常にたくさんの立法、行政財政等措置が必要でありますので、三年間ぐらい期間を置かなければとうてい準備はできないのだ、急に返ってきたのでは非常に混乱を招くと思ったから、そういう時期を選択したのだ。可能性については、これは国際情勢アメリカ情勢等との関連問題で、これは私の希望的観測であったのであります。  とにかく、私の立場から申しますと、自分の観測した希望どおりに時期はきまった。あと基地の問題については、縮小程度が十分でないので不満の面はありますけれども、これは将来の問題で、全部解決される問題であるのだ。ただ、残る問題は、やはり経済的な開発をどうするかという大きな問題でありますが、先ほど申し上げましたように、この点は、政府のほうでもう少し熱を入れて考えてほしい、こう思うのであります。  要するに、希望いたしたいことは、予定どおり返還協定が批准されて、施政権返還が来年の四月一日に実現することが望ましいのでありますが、それを実現するについていろいろの関連法案が上程されておるわけであります。これら法案が十分御審議の上、とにかく今期国会において通過し、沖繩返還が円滑に行なわれることを切望いたしまして、一応私の意見を終わらせていただきたいと思います。  どうもありがとうございました。(拍手)
  4. 床次徳二

    床次委員長 ありがとうございました。  次に、名古屋大学法学部教授室井力君にお願いいたします。室井公述人
  5. 室井力

    室井公述人 室井でございます。  本委員会委員長から、意見を伺って審査の参考にしたいというお話があったわけで、私、それをたいへん希望いたします。きょうの公聴会における公述人意見は不十分かもしれませんけれども、十分に審議して国民の納得のいくようにしてほしいと思います。いろいろ日本では強行採決がはやっておりますので、その点特にお願いしたいと思います。  本委員会にかかっております法律案、いずれもすでに強行採決あるいは変則的に可決になった沖繩協定に関係していますので、若干沖繩協定そのものについて申し上げておきたいと思います。  その内容につきましてはいろいろ議論もありましょうが、沖繩県というところに非常に広い基地をそのまま承認するという協定であったと思います。また、さまざまな請求権、刑事責任、民事責任を追及しないというものであったし、占領中の裁判の有効性をはかるとか、あるいはボイス・オブ・アメリカを存続するとかいったような内容を含んでおりまして、たいへん問題で、議論もあるかと思います。また、この衆議院における可決手続は、普通ではないような異常なものであったと思われます。そういう意味で、この沖繩協定そのものが本来問題であるわけですけれども、しかし、本日の意見としましては、それにはこれ以上触れません。  時間の制約がございますので、あまりいろいろお話し申し上げられませんが、私は、特に公用地等暫定使用に関する法律案沖繩振興開発法案について、若干意見を述べようと思います。  政府の御説明では、今度の返還協定及びそれに伴う関係法律案による制度は本土並みであるということです。したがって、私は、若干法律を勉強しているものですから、法律的見地から、本土並みという視点において、以下若干の意見を述べようと思います。  まず、この公用地等暫定使用法律案でございますが、その中でこの法律の対象になるものは、これは現に法律の施行時において、沖繩においてアメリカ合衆国の軍隊の用に供せられている土地または工作物です。これが一体どういう範囲のものなのか。そういえば、日本本土における農地買収のような形においてその範囲が明確であるかどうかは、必ずしもはっきりいたしません。さらに、その対象の第二におきまして、どういう権原、レヒツティーテルでもって、どういう理由で、現にアメリカ軍がこれを使用しているかという点も全く問うておりません。契約によって使用しているものもある、あるいは市町村の許可があったものもあるというふうにいろいろ伝えられておりますけれども、かりに契約によるものでありましても、おそらく軍政府下の、はっきり申しますと、占領中といってもいいような状況の中では、契約と申しましても、本土におけるような合意ではなくて、さまざまな間接的、直接的な事実上の強制があったのではないかということが容易に判断できるわけでして、その意味では、現に使用している土地のその使用権原を全く問わないで事実だけを前提にして対象をきめるという、こういう法律案については疑問があります。  第二に、この使用の期間でございますが、これは五年をこえない範囲内で政令で定めるそうですが、まず第一に、法律上の使用権原を取得するまでの間です。したがって、はっきりしますのは、法律上権原があろうとなかろうと、今度の法律案が制定されますと、その法律で一方的に強制使用をするわけです。  第二に、これは本土並みという見地から申しますとたいへん違っている点がございます。日米安保条約及び地位協定の実施に伴う土地等使用特別措置法がございますが、二の法律自体いろいろ問題がありますけれども、それはきょうは問いません。ただ、現在本土で行なわれている地位協定の実施に伴う特別措置法におきましても、附則の二項で、九十日以内に通知して六月をこえない期間において一時使用をするとなっております。暫定使用ではございません。一時使用です。それがこの法律案では、五年になる可能性法律上はあるわけです。これをしも本土並みと申しますならば、一体全体、本土沖繩県における強制使用の期間をこのように違えているのはどういう合理的根拠があるのか、法律的には理解できないわけです。  第三に、この法律案沖繩県の土地等を使用する主体でございます。主体は、第一にはアメリカ軍です。これは沖繩県の面積に比して非常に大きな規模基地を持っている現実です。それをそのまま承認するわけですから、本土におけるアメリカ軍基地とは相対的に非常に違った性質のもの、換言いたしますと、むしろ軍事基地の中の沖繩という状況があるわけでして、この点は量的に申しましても本土並みとは申せません。  第二に、主体は自衛隊です。これはすでに指摘されておりますように全く新しいものです。わが国内法では土地収用法、さらに公共用地の取得に関する特別措置法がございます。こういう法律で収用ができるかどうか議論が分かれています。防衛庁筋では、現行収用法の三条三十一号でできるのだという意見もございますが、これはほとんど問題にならない。と申しますのは、現行法が旧法から変わったときに、軍事用の施設を公益事業として公共用地の取得ができるという規定を廃したからです。今回の法律案によって、したがって、一挙に、従来本土自衛隊が、国内法上土地の強制使用ができなかったことを沖繩県でこれを可能にするわけでして、これは本土並みではなくて、本土と違った状況を沖繩につくる、つまり、沖繩においては現行憲法体制の国内法体系をくつがえすものではないかという疑問があります。これは政治的にはアメリカ軍にかわって自衛隊沖繩に配備されるという意味があるのでしょうが、法律的には非常に新しい異常な現象です。  さらに主体の第三に、水道とか電力その他のものが入っております。これも一般法としての土地収用法及び特別法たる公共用地の取得に関する法律で、強制使用または収用が可能です。特に公共用地の緊急措置法では、緊急裁決もありますし、また補償も、事前に補償しないであとで判断するという制度もございます。したがって、もともと水道とか電気などは現行の国内法で十分に強制使用できるのじゃないかと思います。  第二に、もしそれが不可能ならば、やはり自衛隊とかアメリカ軍基地についての使用法とは別の法律をつくるべきではないか。いずれにいたしましても、五年もの間、強制使用を無権原で続けるという必要、合理的根拠は全く見受けられません。  それで、こういう水道なり電力の強制使用と軍事基地の強制使用とを同じ法律に盛ることは、これは立法提案者の狡知とも言うべきものです。いろいろ政治的な配慮があるのでしょうけれども、同じく公共用と申しましても、そういう制度の趣旨に反するようなものを同じ法律に盛り込んで政治的な狡知を働かすということはあまり賢明ではないと思います。  時間がございませんが、あと手続の問題ですが、これも今度の法律案では、地位協定によるものよりもずっと簡略になっております。地位協定によるものでは協議をする義務がありまして、協議が成立しないときに、九十日以内に行政庁が、土地等の所在、種類、数量、使用期間を土地等の所有者及び関係人に通知するとなっています。これはこの法律ではそういう協議はしないのでして、しかも一方的に防衛施設庁長官が告示をすれば、そこで強制使用権が法律上発生するという仕組みです。そして法律の施行後に使用する者が、つまり自衛隊とかその他の者が、土地の区域または工作物及び使用方法を通知するという構成です。協議というものは、この場合この法律におきましては、補償についてのみ承認されています。また、強制使用の告示とか、強制使用権についての異議を申し立てる制度もないわけです。  さらに最後に、憲法九十五条との関連で、このような暫定使用法律案は、特別法として、その地域の県住民の住民投票を要するかどうかの問題がございます。これについては意見が分かれていますけれども、私は、政府見解及び一部の意見に反しまして、県民の重大な権利に影響を持ち、かつ基地が非常に大きな規模なものですから、地方自治体の運営にも大きく影響を与えるものと考えて、住民投票に付すべきものであると思います。  最後に、結論でございますが、これは沖繩協定そのものにいろいろ異論がありましょうけれども、それを一歩譲って、かりに前提にしましても、国内法はあくまで憲法に適合すべきものです。協定と国内法は別個のものでして、実質的には密接に関連しますけれども国内法はあくまで憲法に適合すべきものとしてつくられる必要がある。そういう点から申しますと、以上の論点からわかりますように、この法律案は、憲法十三条、十四条、二十九条、三十一条、九十五条及び九十九条等に関しまして、必ずしも憲法に違反しないと簡単にいえないような気もいたします。  第二に、適正合理的な土地の利用であるかどうかという判断も、この法律案では全く認定もございません。したがって、本法律案に関する限り、少なくとも法律上は、五年間の、実質的には従来の占領状態が継続することを法的に可態ならしめるものといわれてもやむを得ないと存じます。  第三に、本土並みと申しますが、日米安保条約及び地位協定に伴うさまざまな制度のもとで、本土をまず前提にいたしましても、この法律案による内容は、現在の本土における内容よりも一歩進んでおる。その意味本土並みとは決していえない。むしろ法律上は、本土並みどころじゃなくて、本土よりもより強いアメリカ軍なり自衛隊に対する配慮が含まれているというふうにいってよいと思います。  時間がございませんから、あと簡単にもう一つの法律沖繩振興開発法のほうにまいります。  この法律によりますと、まず行政組織としましては沖繩振興開発審議会というものがございます。これは五十三条ですが、その審議会の委員の構成を見ますと、六人が県知事その他地元の代表であります。それから六人以内は学識経験者であります。十三名以内が関係行政機関です。もしこの場合、いわゆる学識経験者——これはいろいろ問題があるのですけれども、かりに学識経験者が十分に地域の沖繩県の事情をよく知っていて、この意見を代表するものというふうになりましても、全部で十二名です。十二対十三、問題ははっきりしています。つまり、沖繩県の利害を十分に反映する開発審議会の構成では、法律的にいってみて、ございません。その意味では、国の中央政府の一方的な判断による開発審議会の審議調査が行なわれる可能性がないとは断言できません。  第二に、管轄権の問題ですが、六条、七条、八条等、道路につきましても、河川につきましても、港湾につきましても、管理権限が国の主務大臣によって行使されます。これはおそらく国家的見地から沖繩について特に力を入れようという趣旨なんでしょうけれども、ここには、現行の本土における地方自治体の利害あるいは地域住民の利益を配慮する管理権限を一方的に中央政府に吸収するという意味で、地方自治に対して若干の規制を加えるかもしれません。  内容につきまして申しますと、工業開発地区の指定というのがございますが、どういう内容のものになるか、沖繩県知事からの申請があるわけですけれども、この点も、審議会の構成その他十分に具体的な内容について問題にしなければいけない。たとえば、いま本土で問題になっている公害問題がどういうふうに扱われるのかなども非常に心配でございます。  さらに、さまざまな特典が十二条以下十八条に規定してございます。こういう特典も、中小企業者に対するものではなくて一般の事業主体に対するものである場合には、本土における従来の三十年代以降の経済成長政策の破綻あるいはその矛盾が沖繩においてもう一度反省もなく繰り返されて拡大するおそれがなきにしもあらずであるという意味で、私は、この振興措置法案及び暫定使用法律案は非常に問題が多いという意味で反対でございます。  以上です。(拍手)
  6. 床次徳二

    床次委員長 ありがとうございました。  次に、軍事評論家久住忠男君にお願いいたします。久住公述人
  7. 久住忠男

    久住公述人 今回の沖繩臨時国会といわれる国会の、現在における最も重要なる案件審議しておられますこの委員会で、公述の機会を与えられましたことをたいへん光栄に存ずるものでございます。  私は、主として沖繩における公用地等暫定使用法律案関係した問題を申し述べたいと思います。申し述べます範囲は、この法律案の客観的背景と申すものに相なるかと思うのであります。  この法律案の特徴は、ただいまもお話がありましたが、およそ三つの特徴を持っていると思います。第一の特徴は、これが国際情勢関係を持っているということでありまして、単なる国内の問題ではないということであります。第二の問題は、すでに衆議院では可決をされました沖繩返還協定に密接な関係のある法律案であるということであります。第三の特徴は、法律案の名前にもありますように、暫定的でありまして、現状をそのまましばらく続けたいという消極的な特徴を持っている点でございます。そういう認識のもとにこの関係のいろいろなことを考えてみたいと思うのであります。  いまから十年近く前にワシントンに参りまして、ハリマンというアメリカの有名な外交界の長老とお話ししたことがあります。そのときに、私は、沖繩のことに触れまして、アメリカはずいぶん御損なことをやっておられる、軍事基地沖繩において必要であることは私も認める、しかし、必要のない施政権などを行使されてずいぶん損をしておられる、早く施政権返還されるべきじゃなかろうかという話をいたしましたところ、たいへん魅力的な話をする人だ、日本政府からは、しかし君、そんな話は聞いたことないよ、こういうお話でございまして、それはアメリカ側の勉強が足らないからじゃないですか、こういう話をしたことがあります。  それから十年近くの日子がたったわけでありますが、ここで考えますのは、国際情勢の変化、軍事技術の発展あるいは諸情勢の変化という、この十年間の情勢の動きであります。アメリカの持っている海外基地というものは、戦後の非常な特徴をなしておる国際政治学上の問題であります。この海外基地の持っておる機能からまず考えないと、この情勢に対する正しい認識は得られないのではないかと考えるものであります。  学者の説によりますと、海外基地というものが第二次大戦以後持っております第一次的な機能といたしましては、次の七つに分けられております。  第一の機能は、直接かつ明白なる戦略核抑止力であります。第二の機能は、間接的かつ暗黙的な抑止力であります。第三の機能といたしましては地域の防衛、第四としては介入です。第五の機能としましては軍事力の誇示、デモンストレーション、第六番目の機能といたしましては同盟関係の強化、結合、最後の機能といたしましては、戦争の根源並びにその規模拡大のコントロール、これが一応の第一次的機能とされております。  申すまでもなく、第二次機能としましては、政治的、外交的、経済的、社会的、いろんな問題がこれにまつわってくるわけであります。  こういうふうに分けてまいりましたが、この七つの機能のうち、現在沖繩におきましてはどの程度機能が残っており、今後どのようになろうとしておるかという問題でございます。  第一の機能である戦略核抑止力の機能がすでに沖繩においては消滅しておることは、アメリカ政府の発表によりましても明らかであります。軍事技術上の進歩からいいましても、万人の認めるところでございます。  第二の暗黙の抑止力、これには戦術、核などが含まれますが、これも私の見るところでは、一九六九年十一月二十一日の佐藤・ニクソン共同声明によりまして、完全にアメリカは放棄したと考えるわけであります。このときにこういう声明を出しましたアメリカの意図は、日本政府からの強いあるいは日本国民からの強い要望を受け入れたという面もありますけれども、ことしになってわれわれがはたとひざをたたいたのは、これはやはり米中接近への一つの最初の布石であったということも認識してまいったわけでありまして、そういう点からいいまして、第二の機能というものは現実的にあるいは政策的に放棄されているというのが、私の基本的な認識でございます。  その次にあげました三つのこと、地域防衛、介入、デモンストレーションといったような問題は、かつての朝鮮戦争とか台湾海峡の戦闘とか、最近ではベトナム戦争といったような問題について、アメリカがしばしば沖繩を利用したことは事実でございます。しかし、それはすでに過去のものになっておるというのが、現実の国際情勢ではなかろうかと存ずる次第であります。  そこで、残りましたのは、あと二つございます。先ほど申しました同盟関係の結合並びに抑止力、全般的な抑止力ということでありまして、これを専門的に言うと、戦争の根源並びにその規模拡大のコントロールと、こういうことに相なるわけでございます。そういう点でございますが、それならば、そういうふうにだんだん国際情勢が変わってきた関係の極東並びに東アジアの国際情勢を、おまえはどのように判断をしておるのかというふうに言われると思うのであります。  御承知のように、ベトナム戦争はすでに事実上の自然消滅の段階に入っております。これにはいろんな議論があると思いますが、事実がこれを証明しておると考えるわけであります。朝鮮半島におきましては、去る六日、韓国政府が非常事態宣言を突如として布告するという事態が証明しておりますように、安定するがごとく不安定であるがごとく、緊張緩和に向かうがごとく、突如として緊張状態が増大をするといったような事態が現実でございます。これをもって極東方面は平和であるということには相ならないと考えるわけであります。  より問題になりますのは、さらに奥地のほうに目を転じますと、中ソ国境方面におきましては、周恩来中国首相の言明によりますと、ソビエトは国境線に百万の大軍を集中し、モンゴル共和国には三十万の兵力を配置しておるということであります。これに対しまして中国側も、すでに兵力にしまして五十個師団、人間の数にしまして百万に近い大軍を北部中国に配置いたしまして、ソビエトに対峙するかまえを示しておるということも、隠れもない事実であろうと思うのであります。  台湾海峡の情勢につきましては、最近の国際情勢の変化もありますけれども、これが従来のような武力解放とか軍事力による解決といった方向に向かっていないということは、希望的観測もあるかもわかりませんが、ほぼそういうふうに見ていいのではないかと考えるわけであります。  これを一々こまかく申し上げる時間はありませんけれども、このように見てまいりますと、大体われわれの日本沖繩をめぐる国際情勢は、なお流動的であるといわざるを得ないのであります。流動的な国際情勢の中で、われわれの対処する最も安全にして堅実な方策は何かということでありますが、結論的に申しますと、少なくともここ三年は、現在の状況に大きな変革を加えないで、じっとこの情勢の動きを見守るということが最も賢明なやり方ではないかと考えるわけであります。  ところが、沖繩の情勢に目を転じますと、だからといって、沖繩にあるアメリカ軍軍事基地が、今後五年も十年も現在と全く同じような状況になければならないかとか、あるいはそういうふうにきまっているとか、そういうふうに断定することは、やはり現実的ではないと思うのであります。ニクソン・ドクトリンはともかくといたしまして、アメリカ政府当局は、現在では、将来を憶測することはできないということをはっきり言う。これはまた当然でありますけれども、だからといって、われわれは、沖繩にある基地がいつまでも現状のように、現地の人の非常な不満のもとに、また先ほど来お話がありましたように、非常に広い範囲にわたって置かれているというふうにきめてかかることも、やはり非現実的であるといわざるを得ない。それほどわれわれの住んでいる世界は変化のさなかにあるわけであります。  そこで、この法律案でありますけれども、これには一応五年という年限がきめられておりますけれども、こういう変化の中にあるものでありまして、五年は一応の期限として暫定的にこういうふうにするということでありますので、私は、いま申しましたような国際情勢の動き、また、この時代の流れというものを考えまして、この法律案に賛成するものでございます。  ただ、この法律案に賛成すると申しましたけれども、これにはいろんな希望を申し述べさせていただく必要があることは申すまでもありません。この種の一部国民の私権を制限するような法律は、やたらとこれを振り回すということが不適当であることは申すまでもありません。しかし、冒頭に申しましたように、この法律案の持っておる重要な国際的意義ということもあるわけでありまして、単なる国内の社会施設、公共施設などとは、若干別個の性格を持っております。でき得べくんば、この法律を行使する前に、地主の皆さまと政府の間に円満なる契約が成立いたしまして、円滑にこの問題が進展することを希望してやまないのであります。この法律案は万一の場合の歯どめというふうに考えていただくのが、この段階において最も必要なことではないかと思うのであります。  また、基地縮小、整理等に関しましては、私は、昨年の十月に、安全保障問題懇談会の名におきまして、政府へ提言を発表いたしております。そのときに提言しましたのは、アメリカの現地の責任者等との非公式の話し合いによって得られました感触に基づきましていろんな提案を出しましたが、現在、A、B、C表といわれておるところに載っておるものについては相当不満を持っておりますけれども、現実においてやむを得ないという認識も持っているわけであります。このときの感触から申しますと、あの軍事基地は要らないから返せといったふうに高飛車に出たのでは、アメリカ側を説得することは全く不可能である。どういうふうにアプローチをするかというと、経済開発あるいは民生安定、社会の福祉向上といったような理由から、この基地は今後はどういうふうに使うんだという具体的な資料をそろえまして、これによってアメリカに要求するという方向でなければ、とうていアメリカとしては、自分自身では非常に価値があり重要であると考えておる基地でございますので、これをこちら側の言うとおり単純に手放すということは不可能であるという認識を強くしたわけであります。今後も、これから基地縮小、整理につきましては、日本側は、いま言ったような線で、条理を尽くして、資料を整備いたしまして、この基地縮小という問題について熱心に取り組むということも、この法律案等に対して賛成する条件としてつけ加えたいわけでございます。そういうことでございますので、沖繩基地返還そのものについては将来は必ずしも暗くないという認識を、この段階においてわれわれは持つ必要があると考えるわけであります。  最後に、この基地返還関連しまして、わが自衛隊が現地に派遣されるということに政府は計画をしておられますので、それについて若干触れてみたいと思うのであります。  自衛隊日本領土に返ってまいります沖繩に配備されることは、基本的にいいまして当然であり、全く妥当なものであると考えるわけであります。しかし、その手続等につきましては、いろいろ賛否両論があるということは、これまた当然であろうと思うのであります。  そこで、こまかいことはともかくといたしまして、この自衛隊配備計画等につきまして、防衛庁あたりからいろいろな形でときどき発表されますが、その発表のしかた等につきましては、国民にややもすると誤解を受けやしないかというような形のものもときどきあるわけでありまして、原則としましては、あくまでも住民感情を慎重に考慮していただきまして、できるだけ住民の完全な理解を得ることによって、この歴史的な返還に伴う自衛隊の配備を円滑に実施されんことを希望してやまないわけであります。  冒頭にも申しましたように、この沖繩施政権返還は、わが国の戦後の外交においては最も重大な案件であろうと考えるわけであります。これを審議されます国会におかれましては、さらに慎重審議の上、この最後の焦点となります法律案等を可決していただき、一日も早く沖繩施政権返還が実現されることを祈って、私の公述を終わることにいたします。(拍手)
  8. 床次徳二

    床次委員長 ありがとうございました。  次に、評論家藤島宇内君にお願いいたします。藤島公述人
  9. 藤島宇内

    藤島公述人 私は、沖繩返還協定並びにそれに伴う国内法案、これのすべてに絶対に反対をするという立場から公述したいと思います。  反対といいましても、これは単に反対の意見だから反対というわけではなくて、これまで政府がやってきたいろいろな条約的な措置あるいは国内法的な措置、そういうものすべてに政府みずから違反して踏みにじっていくというような性格をこの法案が持っているというふうにいえるんじゃないかと思います。特にこの関連法案の中で問題にしたいのは、軍用地の強制収用の法案です。この法案を見ますと、まずこの法案土地を継続使用するというやり方は、この法律ができればその日から、「この法律の施行の日から当該土地又は工作物について権原を取得するまでの間、使用することができる。」というふうに一方的にきめてしまっているわけです。そこには、土地所有者意見を言う権利は全然認められていないと思います。それからさらに、それを防衛施設庁が一方的に官報で告示をする。地主に対してはそのあとで一片の通知をすればよろしいということになっておるわけです。さきに、小笠原返還協定のときに、それに伴う措置法ができましたけれども、あの悪法ですら、土地を使用する場合は、当該土地の区域並びに使用の方法及び期間、そういうものを所有権者に通知をすることになっておるんですね。しかし、この法案の場合には一切そういうことも必要ない。だから、小笠原特別措置法以上のひどい法案である。所有権者の基本的人権は全然認められていないというふうに言っていいんじゃないかと思います。  本来ならば政府は、佐藤・ニクソン共同声明並びに愛知外相のそれに関する声明、また愛知外相のことしの五月十五日の国会答弁、それからついこの間強行採決をしました沖繩返還協定そのもの、これらのどこをとってみても、この沖繩の米軍基地を継続使用するためには、日米安保条約並びにそれに関連する諸取りきめに基づいてやるということは、はっきりいわれているわけですね。それはあらためて読み上げるまでもないと思いますけれども佐藤・ニクソン共同声明では第七項でそれを明白にいっております。それから愛知外相のあの当時の、佐藤・ニクソン共同声明をつくったあとの説明でも、それは明白に言っているところで、愛知外相の説明の第六項、第七項、たとえば第六項で、「これらの基地復帰後は、本土と同様に、すべて安保条約に基づく施設区域として地位協定に従い日米間の合意によって使用を許されるのであります。従って既存の米軍基地がそのまま既得権として存続するのではないことは自明の理であります」というふうに愛知外相も説明しているわけです。で、「ここにいう「関連取決め」とは安保条約とともに国会承認をえている条約第六条の実施に関する交換公文、すなわち事前協議の取決めとか、吉田・アチソン交換公文等に関する交換公文、相互防衛援助協定に関する交換公文及び地位協定をさすのであります。」つまり地位協定をさすということは、これは明白なんですね。これは政府自身が繰り返し繰り返し言ってきたところです。ことしの五月十五日にも愛知外相は国会でそれをはっきり言っているわけです。  ですから、もし沖繩の米軍基地が継続使用されるとするならば、本土昭和二十七年に第一次安保条約が締結されたときのように、当時のやり方は地位協定第二条一項(a)、それに基づいてやらなければならぬことになるわけですね。つまり日米合同委員会で締結した個別的な土地提供の契約をしなければならぬ、そういう手続を経て初めて継続使用することができるわけです。それからさらに、それを自衛隊がまた使用しようという場合には、一たんそういうふうにして米軍基地として継続使用をすることになったものを、今度はまたいろいろ法の拡張解釈というものを現在やっておるわけですが、地位協定の第二条第四項とかあるいは第三条というようなものを曲解した形で自衛隊に現在共同使用させているという本土のやり方、こういうものでもとるよりしようがないわけですね。ところが、沖繩に関しては、一切、政府自身が、佐藤・ニクソン共同声明に基づいて沖繩返還をするんだ、それに基づいて沖繩返還協定をつくるんだ。で、強行採決までやってのけた。それにすら違反しているというものを、軍用地使用の特別法でやろうとしているということなんです。  この法律の内容を見ますと、三つの点がありますが、一つは、いま言いました米軍基地の継続使用という問題です。この米軍基地の継続使用は、さっき言いましたように、地位協定の、本来ならば、本土並みにやるならば、地位協定第二条第一項(a)に基づいて日米合同委員会で協定をつくらなければならぬ。それをやるのが正当な本土並みであるわけです。それでもし地主との間に折り合いがつかないならば、地位協定に付属する特別法の附則の第二条第二項でいっているように、無理やり使用するとしても約六カ月の使用しかできないのです。にもかかわらず、この法案では、一方的に、そういう地主との協議もなしに、その十倍に当たる五年間という使用を設定しているわけです。しかもその五年間という期間の間に「当該土地又は工作物について権原を取得するまでの間」ですから、その五年間の間に土地を米軍なり自衛隊のものにあらためて権原を取得する形にしてしまおうということも考えられている。つまり永久使用ということになるわけです。現に小笠原の場合は、やはり五年間ということがあったようですけれども、これはことしの七月に一ぺん期限が切れたんですね。ところが、この期限が切れる前に自衛隊の使用という形にすでに権利を取得してしまっているんです。そういうやり方をおそらく沖繩にとってもやるだろうと思われるのです。すでに政府も、この間の答弁で、自衛隊基地沖繩においては拡大するんだ、自衛隊の拡大をはっきり国会でも明言しているありさまです。  それからさらに、自衛隊との関係を考えてみますと、今日、日本本土では自衛隊土地を強制収用する法律というものはないわけです。昭和二十六年の五月二十五日に土地収用法が建設委員会会議にかけられたことがありますが、そのときにこういうふうな答弁を政府はやっているわけです。「従来の規定におきましては、国防、その他軍事に関する事業、それから皇室陵墓の建造ないしは神社の建設に関する事業が、公益事業の一つとして上っておりますが、」これは戦前の軍国主義時代のことですね。「新憲法のもとにおきまして、当然不適当であると考えられますので、これは廃止することにいたしております。」これをちゃんと土地収用法を制定するときに言っているわけです。  後に昭和二十八年の十二月十八日に法制局がちょっとゆがんだ解釈を出したことがあります。それは「土地収用法第三条第三一号の解釈について」というのですが、これは保安隊の土地使用という問題だったわけです。法制局は、保安隊の訓練のため設置する演習場は、土地収用法第三条第三一号に掲げる施設に該当するか。」という問題提起に対して「お尋ねの問題は、積極に解する。」と言っておりますね。その理由としては「土地収用法第三条は、同条に列挙する各号の一に該当するものに関する事業をもつて同法により土地を収用し、又は使用することのできる公共の利益となる事業とし、その第三一号に「国……が設置する庁舎、工場、研究所、試験所その他直接その事務又は事業の用に供する施設」を掲げている。ところで、保安庁において保安隊の訓練のために設置する演習場は、第一に国が設置する施設であることはいうまでもなく、また、第二に保安隊の訓練が、保安庁の事務であることが明らかである以上、国が、直接その事務の用に供する施設であることも疑問の余地がない。したがってお尋ねの演習場は、土地収用法第三条第三一号の施設に該当するものということができる。」というこういう一つの曲解をやってのけたんです。  しかし、その後土後収用法の改正案が審議されたとき、昭和三十九年五月二十二日の建設委員会では、河野一郎国務大臣がこういう答弁をしています。「ただいま御指摘になりましたように、「公共の」という条件がついております。軍施設を「公共の」の範囲に入れるということは適当でない、これはもう社会通念じゃなかろうかと私は思います。そういったことに反したものについてこれをやることは適当でない、こういうふうに私は解釈しております。」というふうに明快な答弁が出ているわけです。ですから、現在本土においては、自衛隊土地収用法によって強制収用することもやっていません。また、米軍の特別法を使うこともできません。ですから、自衛隊が強制的に土地を収用する法律というものは本土にはないわけです。それを今度の沖繩に関する強制的な軍用地収用法では新たにつくろうということなんですね。  それから第三に、公共用地の取得、使用継続という問題があります。これについては、現在本土では土地収用法によってやっているわけですが、しかし、この土地収用法はいろいろな手続があります。所有者意見を言うこともできるし、裁判に訴えることもできるでしょうし、また自治体が間に入って代執行をやるというふうなことですから、自治体の権限というものもそこに介入してくるわけです。それから土地の収用委員会の裁定というものもあります。いろいろなことがそこに出てくるわけです。しかし、今度の沖繩に関するこの強制的な土地収用法では、そういうもの一切なしですね。公共土地の取得に関してもやはりアメリカの軍の布令をそのまま引き継いだ形で一方的に取得することになっているわけです。  そういう点から見ますと、この法案は、明らかに憲法に保障された沖繩県民の基本的人権を非常にたくさんの角度から踏みにじっている、一種の憲法違反のかたまりのような法案だと言ってもいいんじゃないかと思うのです。たとえば第九条、戦争放棄、軍備及び交戦権の否認というこの憲法の基本の問題、これに違反している。それから第十一条の基本的人権の享有、これにも違反しているわけです。それから第十四条の法のもとの平等、この条項にも違反しているわけです。あるいは第十八条の奴隷的拘束及び苦役からの自由という、これにも違反していると言えるかもしれません。明らかに、一方的に意思を踏みにじられていることは、これは奴隷的拘束と言ってもいいと思うのです。それから第二十九条の財産権の否定、これもはっきり言えると思うのです。それから第三十一条の法定の手続の保障、これも一切否定している。第三十二条の裁判を受ける権利、これも否定されているわけです。それから第九十五条の特別法に関する住民投票、これにも違反している。それから第九十九条の憲法尊重擁護の義務、これにも違反している。そのいうふうなもう、これまでの第二次大戦後の本土における法体系からは想像を絶するようなとんでもない法律が、ここにつくられようとしているわけです。  それで、一体なぜこんなものを沖繩に対してわざわざつくろうとしているのかという問題なんです。それは、実は沖繩だけの問題ではないように思うのです。といいますのは、昭和二十九年の七月二十六日に、日米合同委員会で、地位協定の第二条第一項(a)に基づいて、本土における米軍基地の使用というものが、提供というものが、設定のための協定をつくってきまったわけですね。来年がその二十年目に当たります。ところが、民法六百四条によりますと、「賃貸借ノ存続期間ハ二十年ヲ超ユルコトヲ得ス」とあるのです。「若シ之ヨリ長キ期間ヲ以テ賃貸借ヲ為シタルトキハ其期間ハ之ヲ二十年ニ短縮ス」というふうに明示されているわけですね。そうしますと、来年には、本土における米軍基地が、すべて異議を申し立てれば不法な占拠ということになってくるわけです。おそらく、政府の考えとしては、本土における米軍基地のことも当然考えに入っていると思うのです、そして、その前に沖繩において本土法として、つまり日本政府法律としてこういう返還協定に伴う特別収用法をつくってしまう。そうしますと、これは日本政府の法体系の中にそういうものができるわけですから、当然本土基地に対しても、それと同様な強制収用の法律が出てくる可能性が現在考えられるわけです。おそらく出てくるだろうと思うのですね。  それから、それだけではないのですね。つい最近の国会答弁によりますと、土地収用法そのものの解釈変更ということも法制局はやり出しているわけです。つまり、この五年という期限が切れた以後は土地収用法でやれるんだということを政府は言い出している。ところが、そういう法制局の見解は、三十九年五月二十二日の河野一郎国務大臣の答弁とも明らかに違反している。それから、その答弁に基づいて現在までやってきた自衛隊本土における土地取得の方法とも明らかに違っているわけです。それからまた、昭和二十六年五月二十五日の土地収用法が提案されたときの提案理由、これとも明らかに違ってきているわけです。  そういうふうにして、こういう法案がまたもや強行採決されるんではないかというおそれが出てきているわけですが、そういう法案の本質というものは、まだ国会でも十分に討議されているとはいえません。国会というものは国民の主権を実現する場所なんであります。一九六五年の日韓条約のときに、私はやはり公述人で出たのですけれども、あのとき、政府系の調査機関がやりました世論調査によっても、国民の過半数は、日韓条約に反対ないしはわからないという状態であったのですね。にもかかわらず強行採決が行なわれた。で、この沖繩返還協定、また今度の軍用地の強制収用法案、これについても、国民の反対ないしはわからないというふうな状態を無視して、強行採決がこの前行なわれたし、また行なわれるのではないかという点で非常に懸念を持っているわけです。  終わります。(拍手)
  10. 床次徳二

    床次委員長 ありがとうございました。  次に、社団法人日本青年会議所会頭米原正博君にお願いします。米原公述人
  11. 米原正博

    ○米原公述人 御紹介いただきました米原であります。私は、本委員会委員をしております日本共産党の米原昶のおいでありますが、本日は賛成の立場に立って話をさしていただきたいと思います。  本日、私は三つの点から見解を述べたいと思います。  先月初め、私は国際青年会議所の世界会議出席するためにアメリカに参りました。一年ぶりで渡米いたしました。その際体験したアメリカの現況における経済界の深刻な不況、これはほんとうに全く目をおおいたくなるようなものがございました。昨年この時期に渡米した際には、こんなになろうとは夢にも思わなかっただけに、いわばほんとうに絶望感のようなものがアメリカ国内に蔓延している、末期的な産業界の症状というものをあっちこっちに見せられ、非常にあ然といたしました。  日米財界人会議で米側の中心的な役割りを果たしておりますケンドール・ペプシコーラ会長の話をその際に聞いたわけでありますが、もうその話の中には、米国のいままでの誇りとか威信というものをかなぐり捨てたような、国際協力をただ口に出して、日本を初め他の先進国に強力に開発の援助をしてほしい、協力してやってほしい、こう言って説いている姿というものを見るときに、アメリカもほんとうに困っているんだなという認識に立たざるを得ませんでした。  私は一経済人として、国際交流に微力を尽くしてきたつもりでおりますが、とりわけ日米関係の現況というものにたいへん深い懸念と関心を持つものであります。繊維交渉、資本と貿易の自由化、円切り上げ問題をはじめ、日米間にある数多くの経済問題は、現在あらゆる日本の産業分野において、むずかしく、きびしく、たいへん深刻になる一方で、現在新しい前向きの姿勢というものがなかなか見出せないままに、暗くて長い冬を迎えようとしているのが現状だと言っても過言ではないと思います。  このような日米関係の中にあって、ただ一つと言ってもよいくらい希望の光を与えてくれているのが沖繩返還協定という事業であります。私は、日米両国の交流において、これが米国の善意であると期待するもので、この返還協定を期して待つものであります。  今回の沖繩返還協定の内容については、私ども日本人から見て一〇〇%十分な満足を得ないものである、得たものではないというものも考えられます。VOAの問題や基地縮小問題等、問題点は幾つか見受けることができますが、事は敗戦国日本というものが悲願としてこれまで訴え続けた沖繩施政権返還というものを、曲がりなりにも相手国である米国がいま承認してくれよう、承認したという事実というものは、二十数年間異民族の施政権下において、人権問題をはじめ幾多の苦悩を味わってきた沖繩同胞、いや日本人にとって、たいへん意義のあることだと率直に評価したいと思います。基地の全面撤去をはじめ、すべての懸案事項というものが解決されない限り、返還時期が幾らずれてもかまわない、協定のやり直しをしろという意見を出された公述人が先般の那覇における公聴会でありましたが、全く非現実的な、沖繩県民の大勢を理解していない小数意見であると考えます。  私は過去における沖繩県民のこうむった幾つかの犠牲は、施政権が及ばなかったがために強く言えなかった、そういったむなしさが相当部分を占めているということを考えてみるときに、確かに基地反対運動を起こして基地機能を不能にすることはできるかもしれませんが、せっかく話し合いをつけて、施政権をまず返還するというところまで約束を取りつけたのであるから、返してもらうものはとにかく返してもらって、所有権移転というものを行なっちゃって、そのあとで一つ一つ今度は国内問題として解決に当たること自身が最も現実的ではないかと考えるものであります。  さらに、私は、現在返還期日というものがまだはっきり明示されておりませんけれども、この際、一刻も早く協定批准を行なって、明年の四月一日復帰実現といえるような朗報を早く聞きたいということを念願している一人であります。  次は、本沖繩・北方問題特別委員会で討議の公用地等暫定使用に関する法律案に対する見解であります。  先ほど藤島公述人から、憲法違反のかたまりであるとか、民法六百四条に照らしてまでのお話がありました。私は経営者でありますので、法律専門家ではございませんので、同法案の逐一的な詳細について公述は避けますが、できることならこのような特殊な法案はないほうがよいということであります。しかしながら、沖繩返還協定の中の前提条件として、基地の提供ということがうたわれています。返還協定を満足させるためには基地の提供が必要でありますし、基地を提供するためには土地確保しなければならない。逆に言えば、土地確保できなければ基地提供は確実になりませんし、基地が提供されなければ現実に沖繩は返ってこないという方程式が成り立っているわけであります。したがって、もし返還実施と同時にすべての公用地として必要な部分の、提供してもらう部分の私有地が政府との間に賃貸契約が締結できるとするならば、何ら問題は起こらないはずであります。  しかし、現実は、基地提供の地主の数が三万数千人といわれ、不在地主も多いということを聞きました。どうしても全員との契約完了ということを行なうまでには、事務的に見て数年を必要とするという現実論を理解することができます。  私は、戦後二十六年間にわたって、軍政下で父祖伝来の土地を接収されている地主の各位の気持ちというものは、ほんとうに察するに余りあるというものがありますけれども、願わくは、沖繩全土の明るい未来を築く施政権返還のために、暫定的に私権の満足を捨てていただきたい。そして現実には、地主各位が十分の満足のいくだけの補償をその期間受けられることによって、しばらくの間しんぼうしていただきたいと考えるものであります。  私は、現在の米中交流をはじめとするアジアにおけるアメリカの駐留軍の削減の進め方等からして、先ほど久住公述人も申されましたけれども、この沖繩という地域の基地としての重要性は、遠からず失われていくと考えるものであります。現在沖繩の一二%を占めるといわれる基地面積も、次々に縮小するということが大勢であるということは常識的にも判断ができます。もしも私自身がアメリカの国防長官だったら、もうこの時点において二分の一に一ぺんに沖繩基地なんかなくなってもとりあえずかまわない、あるいはなくなってもいいというぐらいなことを言い切ってもあたりまえであるという米国の実情を私は知っておるからであります。さきの米国における上院外交委員会においても、米中問題をはじめ極東情勢の動向を見ると、沖繩基地をどうするかは情勢待ちだといっている実態からして、旬日を出ずしてこの基地というものは縮小されていくと考えられます。  また一方、この問題に関連して自衛隊の配備についての是非が出ていますが、私は現在の自衛隊現状を認識してみますと、この沖繩という地域がわが国土の最南端の地域に当たりますだけに、最小限度の防衛力というものをそこに機能として持っておくということは当然なことと考えるものであります。しかしながら、現在の米軍基地を全部将来自衛隊に転換する、継承するという飛躍的な考え方があるとするならば、私は反対せざるを得ません。  このようにして、公用地暫定使用の問題を見るときに、結論として言えることは、沖繩返還実現のためにやむを得ずこの法案を認めていくべきである、しかし、五年という暫定期間はいかにもどうも長過ぎやしないか。国際情勢の変化の速度というものを見てみますと、せめてこれを一年でも、二年でも、三年でも縮めていくというぐらいに修正でもしていけないかということを提言したいと思う次第であります。何とか暫定的に時間を短縮してでもこの特別措置法案を成立さしていただいて、早期返還を実現すべきであると考えるものであります。昨日来の新聞等を拝見さしていただいておりますと、一方でこの修正の反対であるとか、また一方で強行採決といったような話が、またもやもやと私どもの耳に入ってまいります。(「そういうことはない」と呼ぶ者あり)そういうことはないかもしれませんけれども、ぜひとも十分に審議をしていただいて、修正すべきものは修正していただいて、あるいはこの原案として十分の審議の上に関連法案を成立さしていただきたい、そして早期の実現をはかっていただきたいということを切望するものであります。  第三番目の点として、私は、沖繩振興開発に対する要望を申し上げたいと思います。  昨日、本特別委員会の連合審査会において、山中長官より一応一二・五%の切り上げを想定していると発表されました。しかし、私は、たいへん個人的な考えではありますが、とても一二・五%では円切り上げはおさまらないだろう、おそらく円切り上げ幅が一五%から一七%ぐらいの間、変動幅が二、三%、米ドル切り下げ幅が五%内外は最低覚悟しなければならないように考えております。  昨日もこの件で沖繩の経営者の方々話し合いをしましたが、みなたいへん不安を持っていることがわかりました。というのは、私どもと違って、彼ら中小企業の経営者は、現在ドルのみで商売しております。復帰の時期が長くなればなるほど現在の不況がさらに深刻になると、ほんとうに心配しております。そのほか一つ一つを取り上げている時間もございませんけれども、私は、現在わが国の産業界が置かれている不況感がさらに現実となる、現実的な姿となって押し寄せてくる来年というものを考え合わせてみるときに、現在まで考えられていた、また民間企業の進出を大きく期待して作成されてきた振興計画というものは、根本的に考え直していかなければならないように思います。  高度な成長にささえられて過剰な設備投資に走った昨年までとは異なって、これからの開発は、従来全国各府県に施行されてきた地域開発に伴う特別措置法を沖繩県に適用していくというだけでは、とうてい企業経営に携わる者として魅力ある開発地域として沖繩を考えることはできないわけであります。特に水資源に恵まれず、電力エネルギーもなく、土地も狭く、人的資源の保証もない島国であるとしたら、何を求めて生産的な産業が進出するでありましょうか。まして公害を持ち込むようなおそれのある企業が、あの美しい空と海の沖繩に適するはずもありません。本土並みということばは聞こえはよいが、従来の概念による物質中心主義の方式の開発適用することは、ほんとうに沖繩の繁栄をささえるとは思えないのであります。  ここ数年間、私どもは民間人として毎回の沖繩経済振興懇談会に参加し、また一方、現地の企業経営に携わる人々と何回となく交流を重ねてまいりました。初めは意思疎通の十分でなかったこともありましたけれども、現在ではたいへん復帰の期待に燃えたすばらしい人材が育ってきております。私は、まず何にも増して、彼らに新しい希望を与えるだけの施策を明年早急に行なわなければならない。しかし、残念ながら、現在の産業界の不況の回復を沖繩復帰までに期待することはたいへんむずかしい。長年苦労された沖繩の県民に本土復帰のよさというものを、何か具体的に与えてあげたい、そうしなければならないという観点に立って考えるときに、さきに決定されて推進されております海洋博覧会もたいへんけっこうな計画であろうと思いますけれども、それにも増して、沖繩のためになり、県民の要望を十分に取り入れた産業、文化施設等の積極的な誘致を早急に実現する必要もあると考えます。また、新しい沖繩の産業の主力に知識産業、情報産業、自然開発産業などの分野が大きく芽ばえていく土壌をつくり上げることができるように協力することこそ、新しい沖繩経済開発ではないでしょうか。  沖繩には、二十六年の軍政下において得た貴重な資産として、最も豊かな国際的な順応性を持った日本人が比率として最も多い県であるはずであります。このような資産を生かすためにも、総合的な東南アジアへの窓口、沖繩としての幾つかの構想も早期に実現させてあげるべきだと考える次第であります。現今のまま経過して、なだれ込みに復帰が行なわれたとしたならば、あとは知らないということでは済まされない。沖繩県民のかかえているほんとうの不安はこのあたりにあるかもしれないという話を聞くにつけ、一刻も早く返還を実現し、具体的な沖繩開発を手がけるべきだと痛切に感じる次第でございます。  何とぞ、関係各位の皆さまの実りある沖繩振興に協力していただき、よりよき沖繩返還の実現につとめていただきたい。私どもも一民間人としてできるだけの協力を惜しまないつもりでおります。  以上、三点について見解を述べさしていただき、公述を終わらせていただきます。(拍手)
  12. 床次徳二

    床次委員長 ありがとうございました。  次に、同盟本部組織局長吉原幸男君にお願いいたします。吉原公述人
  13. 吉原幸男

    吉原公述人 同盟組織局長の吉原でございます。  公述に先立ちまして、私は初めに私の立場を明らかにしておきたいと思います。私の場合は、民社党からの推薦によりまして公述をすることになったわけでございますけれども、私の所属いたしておりまする同盟からは実は正式に同盟代表というような形で推薦をされているわけではございません。したがいまして、これから私が申し述べます意見につきましても、そのすべてが同盟の公の見解ということではなくて、かなり多くが私の個人的な見解にも当たろうかと思うわけでありまして、この点前もってお断わりを申し上げておきたいと思います。  さて、過日現地沖繩で開かれました公聴会に続きまして、本日開かれることになりましたこの公聴会について、私はまず初めにこの公聴会の開催時期について大いなる不満と疑問を抱くものでございまして、何ゆえに衆議院沖繩返還協定特別委員会が開催されておる審議の過程にこの公聴会が開かれなかったのか。すでに今国会最大の課題であります沖繩返還協定が衆議院本会議を通過したこの段階におきまして開かれますこの公聴会に、私は非常に大きな憤りを抱くわけでございます。何かしらこの公聴会には形式的な雰囲気すら感じるものでありまして、私はこの機会に強くきびしく抗議の意思を表明をいたしておきたいと思うわけでございます。  なお、本件に関しましてずばり私の所感を申し述べますと、このおくれは、野党各党の側にも一半の責任はなしとは言えないかと思うわけでございますけれども、何といってもその最大の責任は、返還協定の批准に向けてしゃにむに国会審議を急いできた政府・自民党の側に大きく基因をしておると思うのでございまして、換言すれば、政府・与党にとってとかく風当たりの強いこの沖繩問題であるだけに、初めからこの種国民のなまの声を聞く公聴会などあまり重視をしていなかったのではないか、単なる邪推ではなくて、私にはそのように思われてならないわけでございます。それは、過日の衆議院沖繩返還協定特別委員会における強行採決にもこうした傾向の一端を見ることができるかと思うのでありまして、初の国政参加で選ばれました沖繩選出議員の発言をも認めず、全く審議不十分なまま強引に採決されましたあの暴挙は、われわれ一般国民の立場から考えてみましても、断じて許すことのできない一大不祥事であったというふうに私は考えます。私は、このことにつきましても、あらためてここに強い憤りを持って抗議の意思を明らかにしておきたいと思うわけでございます。  さて、これから公述いたします私のおもな意見の柱は、一つは、沖繩返還協定にかかる疑問点の解明を求める問題であり、そしていま一つは、復帰に伴う沖繩県民の復帰不安に対する解消の問題でありまして、以下その要点を端的に申し述べまして、特に政府・与党の側の大いなる反省と復帰に備える万全の対策の確立に最善の努力を傾注されるよう強く要求いたしたいと思うわけでございます。  まず、沖繩返還協定についてでありますが、私ども同盟は、沖繩の祖国復帰にあたって、すでに四年前の四十二年から、現地沖繩の労働者の諸君とも一体となりまして、いわゆる核抜き本土並み返還方針を打ち出し、自来一貫して、民社党その他私どもと志を同じくする多くの諸団体と提携をいたしまして、この基調での国民合意の形成に幅広く国民運動を展開いたしましてきたところでございまして、いまなおこの大原則の実現を心底から強く主張いたしておりますことは言うまでもないところでございます。  しかしながら、本年六月に調印されました沖繩返還協定は、私ども主張とは大きく相違して、本来協定の根幹ともいうべき核抜き本土並み返還がきわめてあいまいもこのものとなっており、しかもこの点に対しまする多くの疑問点の解明は、残念ながら、これまで国会における累次の政府の答弁や声明を見ましても、われわれ国民を納得させる明快な答えとなっていないと思うわけでございます。  したがって、私は、すでに民社党をはじめ野党各党からこれらの疑問点は繰り返し鋭く追及されておる事柄ではございますけれども、あえて私どもが最大の疑問といたしておりまする核撤去の確認とその保証、基地縮小に取り組む政府姿勢とそのプログラム、さらにはVOA撤去に対する具体的な取り組みの、以上三つの要点につきまして、すみやかに政府責任ある回答を国民の前に明らかにされるようにここに強く要求いたしたいと思うわけでありますが、一方、私は野党各党に対しましても、本日から参議院のほうで開かれることになっておるようでございますけれども、この参議院の段階におきましても、より徹底的な論議を通じてこれらの疑点を余すところなく追及されますように、あらためて野党各党に対しましても強く要求をいたしたいと思うわけでございます。  幸い、さきの衆議院本会議不満足ながら非核並びに基地縮小に関する決議が採択をされておる事柄でもございまして、これが厳重な監視は言うまでもございませんが、これをいわば一つの足がかりにして、文字どおりの核抜き完全本土並み復帰が実現をいたしますように、重ねて強く要望いたしておきたいと思うわけでございます。  次に、私の意見の第二の柱であります沖繩県民の復帰不安解消についてでございますけれども、私ども同盟は、この点につきましても核抜き本土並み返還主張と軌を一にいたしまして、ここ数年来、いわゆる豊かな沖繩復帰に向けまして、私ども自身数次にわたる調査団を現地沖繩に派遣をいたしましたが、そのほか現地での差別代表者会議あるいは研究集会等を数回にわたって開催をしてまいりまして、労働組合の立場からではございますけれども、われわれなりに可能とするあらゆる努力を払ってきたところでございまして、この間、しばしば政府に対しましてもわれわれが取りまとめました沖繩県民の不安やあるいは一連のわれわれ独自の復帰対策なども提出をいたしてきたところでございまして、以下、これらの事柄を前提といたしまして、われわれが今日特にさらに強く要求する問題につきまして、その要点をこれから申し述べてみたいと思うわけでございます。  まず、県民全体にかかわる当面最大の課題は、円・ドル交換の問題であると思うわけでございますが、さきに行なわれました円・ドル交換の緊急措置は一応時宜に即したものであったと思うわけでございますけれども、なお決してこれで十分であったとはいえないのではないかと思います。特に、この措置が行なわれました十月九日以降、これが実際の交換時までの資産増加分に対しまする補償措置が何ら約束をされていない点は、早急に改められてしかるべき課題であろうかと思うわけでございます。  第二に申し上げたい事柄は、本委員会での議案ともなっておりまする開発関係三法に関連をする事柄でございますけれども、これらの運用が特定の者のみの利益に片寄ることなく、真に沖繩県民全体の福祉の向上につながるような格段の配慮が特に私は必要であろうかと思うわけでございまして、この点も特に強調をいたしておきたいと思うわけでございます。  なお、この点に関連いたしまして、一連の関係審議会にはひとしく労働組合の代表をも参加させますような、そのような措置をとられるようこの点もあわせて要求をいたしておきたいと思うわけでございます。  第三には、制度の変化やいわゆる経済体制の変動に伴う暮らしに関する問題であるわけでございますが、これには現実具体的な経過措置、これらについてきめこまかく実施されることは言うまでもないことでございますけれども、いささかも、よくいわれまする琉球処分というふうなことの事態が断じてあってはならぬと思うわけでありまして、本土との格差解消には万全の抜本的な助成措置というものが特に必要であろうかと思うわけでございます。  最後に、私は、労働福祉の関係につきまして、特に留意すべき主要な案件として、以下項目的に私どもの要求を述べたいと思うわけでございますけれども、まずその一つは、現に本土の労働基準法等を上回る労働基準につきましては、今後もこれは既得の権利として完全に保障される必要があると思うわけでございます。  次に二つ目は、本土に比較いたしましてはなはだしく立ちおくれをいたしておりまする社会保障関係につきまして、この点では特に抜本的な改革が必要であるというふうに思うわけでございます。とりわけ医療関係の整備充実はまさに緊急を要する課題となっているかと思うわけでございます。  そして三つ目には、特に基地関係の労働者を対象とした抜本的な雇用の対策、これはいろいろこれまでにも措置されるようなことがいわれておりますけれども、ほとんどほんとうに案のあるような雇用対策というものがいまなお確立をされていないと思うわけでございます。これらにつきまして政府がさらに責任をもって完全な雇用対策というものを確立されますように、万全の措置を強く要求いたしたいと思うわけでございます。  以上、きわめて大つかみに私ども労働組合の立場からする要求を主として申し上げたわけでございますけれども政府・与党はもちろん、野党各党におかれましてもこれらの実現に最善の努力を払われますよう、ここに重ねて強く要望を申し上げまして、私の公述を終わりたいと思います。(拍手)
  14. 床次徳二

    床次委員長 ありがとうございました。  次に、都立日本橋高等学校教諭金城和彦君にお願いいたします。金城公述人
  15. 金城和彦

    金城公述人 沖繩返還ということを考えますとき、私は現在のように国論が二つに割れていることを切に悲しく思っております。それは、心を静かにして瞑目して日本国民の立場に立ったとき、敗戦の結果、涙をのんで外国の施政下にゆだねたわが領土が、たとえ返還の内容に至らぬところがあったにしても、実現の機会をいま迎えた場合、反対の論があろうはずはないと思ったからであります。しかし、現実には、先ほど申しましたように、国論が賛否両論に分かれておりますので、私は、賛成の立場に立ちまして意見を述べさせていただきたいと思います。  私たちが沖繩を考える場合、心をもって二つのことを肝に銘じなければならぬものがあると思います。  その第一点は、過ぐる沖繩戦において十七万のはらからが祖国の防波堤となり、一億国民の身がわりになって散華したということであります。しかるに、このはらからは、祖国日本のためにとうとき命をささげたにかかわらず、その祖国に帰ることもなく、実に二十六年の長き年月を異民族支配のもとでさびしく眠っておったのであります。でも、いまやこのとうときはらからの眠るわが沖繩は明年に祖国への返還が実現されようとしております。このなきはらからを思うとき、返還協定に反対したり、やり直しを主張したりして、もし返還の実現が不可能となるようなことがあった場合、十七万の英霊に対してまことに相すまぬことであると信じます。この英霊にこれ以上絶対に祖国を失わしめてはならぬと信じます。  その第二点は、いかに敗戦の結果とはいえ、沖繩百万同胞が耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで祖国へ帰る日を悲しくも祈り続けながら、二十六年もの間異民族支配下に暮らしてきたということであります。私たちは自分のからだであった場合は、指の先をけがしても痛さを感ずると思いますが、それと同じように、この沖繩百万同胞の歩んできた苦難の道をとくとわが心に刻み、たとえ返還される条件に至らぬところがあったとしても、いまは一切の党利党略や主義主張を乗り越えて、一日も早く関係法案を成立さして、返還の実現を期することが日本国民のとるべき道だと信じております。これ以上断じて沖繩百万同胞を異民族支配下に置いてはならぬと信じております。  いま私の手元に「太陽のない子等——沖繩の子供たちは訴える」というこの本がございますが、これはあどけなき子供たちが一日も早く祖国日本へ帰りたいと小さい胸を振りしぼって訴えたものを収録したものであります。その前書きにこう書いてあります。   祖国の皆さん!  この沖繩の子供たちの血の叫びを聞いて下さい。沖繩の子供たちは、天に訴え、血に叫び、そうして母国日本へ、かよわい両手をあげて、助けを呼びかけています。   祖国のみなさん!いまだかつて、沖繩の子供たちのように、国を失った悲しみを、書いて訴えたためしがあるでしょうか。   どうぞ、この沖繩の子供たちの、血の訴えを聞いて下さい。そうして一日も早く、沖繩の子供たちが、以前のように、沖繩県の子供として、誰れ憚ることなく、胸を張って、日の丸の旗と共に生きることができますように、力になって上げて下さい。  さらに、私はこの本の中から抜粋いたしまして、沖繩の子供たちの訴えをお知らせしたいと思います。   那覇中学校一年一組仲里英子   いま私たちは祖国日本と切り離されているが、私たちは早く母国日本へ帰りたい。私たちは日本へ帰って日本国民として一生懸命勉強したいのです。沖繩の人々はみんな日本へ一日も早く帰りたがっております。ああ祖国に帰るのはいつの日でしょう。私は祖国へ帰る日を一心においのりしています。祖国のみなさま、どうか一日も早く沖繩返還できますよう力になつて下さい。   源河中学校二年前原艶子   さんさんたる日の光をあびてゆらめく日の丸の旗、何と美しいことでしょう。私は国旗を見ると悲しさがこみ上げて来ます。それは同じ日本人でありながら母国から切りはなされ、毎日を苦しんで送っているからであります。こんな悲しいことがあるでしょうか。   私たちは何故こうして苦しい毎日をおくらねばならないのでしょう。何故沖繩は祖国から切りはなされているのでしょうか。   でも、きっと私たちの祖国に返される日がくると思います。私は日の丸の旗を仰いで、いつも祖国日本をしのんでいます。   私たちは祖国に帰ることができるならば、どんな苦労をしてもよいのです。私たちは一生懸命勉強します。早く祖国に帰して下さい。早く祖国に帰して下さい。   三和中学校生徒会   南のはてに眠る英霊と共に、祖国を仰ぎ、返還の日をおもいて、心わななく   屋富祖中学校生徒会   我等、祖国を慕いて泣く。沖繩の分離は民族の悲劇なり、挙党一致、速やかに祖国復帰へ努力されんことを乞う。   大道小学校五年屋良昭洋   ぼくたちは日本人です。ぼくたちは一日も早く日本へ帰りたいのです。祖国のみなさん、早く沖繩日本へ帰るよう努力して下さい。おねがい致します。   城岳小学校児童会嘉手川美代子   私は思います。日本へ帰る時期の来たことを。今その機会を失っては、むつかしいと思います。本土の皆さん!一生懸命に力を合せて、一日も早く祖国へ帰れるようにして下さい。心からお願いいたします。   護得久小学校生徒会   御馳走は食べなくてもよい。早く日本に帰して下さい。   阿和小学校生徒会   祖国復帰こそ、私たちの生きる道である。目的貫徹のため、御奮闘を祈ります。  このように沖繩の子供たちは神の心で一字一句の偽りもなく、沖繩返還の実現を訴えているのであります。皆さん、この沖繩の子供たちの声が聞こえるでありましょうか。  しかるに、国会審議の現況を見るとき、私はこのような状態ではたして期間内に関係法案の成立を見ることができるだろうかと、十七万の英霊を思い、沖繩百万同胞を思い、そうして子供たちの血の叫びを思い、胸を痛めて夜もろくに眠れぬありさまであります。  もとより、返還協定のすべてに満足しているわけではありませんが、しかし、七二年返還という大原則は貫かれていると確信いたします。とにかく返還の内容がいかなる形であれ、まずわが領土の返還というこの大原則を実現し、その他の条件に関しもろもろの不満や矛盾点は、沖繩が名実ともに沖繩県となってから、全国民的意向をもって改正し、改めていけばよいと思います。  いまは、長き年月、他国にゆだねられたわが国土沖繩返還されるという歴史的事実の前に、政府・与党も、野党・革新も日本人の原点に立ち返り、すみやかに関係法案を成立さして沖繩返還の実現を期することのみが、二十六年の長い間異民族支配にあった沖繩県民に対する道であり、次代の国民に対するわれわれのとるべき道であると信じております。  簡単ではありますが、私の賛成意見を述べさせていただきました。(拍手)
  16. 床次徳二

    床次委員長 ありがとうございました。  次に、弁護士自由法曹団幹事根本孔衛君にお願いいたします。根本公述人
  17. 根本孔衛

    根本公述人 私は、弁護士といたしまして、いまの沖繩に住んでおります原子爆弾の被爆者に対する原爆医療法の適用の問題、それから米国民政府によって渡航を拒否されました瀬長亀次郎さん外二名の方の国に対する損害賠償事件を担当する弁護士の一人といたしまして、一九六六年以来三度ほど沖繩に渡って、この事件の調査なりあるいは打ち合わせなりをして、若干沖繩について見聞してまいりました。それから本年の八月、元日本弁護士連合会の会長であります中松澗之助氏を団長といたします日弁連の第三次沖繩調査団に参加いたしまして、約二週間ほど調査に当たってまいりました。で、沖繩におきますこの状態、これとそれから私がいままで若干調査しました結果に基づきまして、沖繩協定の関連法案につきまして意見を述べさせていただきたい、かように存ずる次第であります。  これらの法案のうちで、やはり一番大きな影響を持つと思われますのは公用地暫定使用法案であるかと思います。この法案は、先ほどの公述人も申されましたが、この法律の施行と同時に法律が現在の米軍使用地をそのまま継続して使用させる権原を与える、こういうようなものでありまして、所有者に対する唯一の手続であるところの通知さえも使用の後にやってよろしい、こういうような、日本法律としてはきわめて異例な法律であります。  この法律の内容につきましては、先ほど来、数数の公述人意見を述べられ、室井先生、藤島さんから鋭い批判がなされております。私もこの内容に立ち入る前に、では、この沖繩における公用地暫定使用法案適用されるこの土地というものがいかなる経過によってできてきたかということを若干申し述べたいと思うのであります。それは、この経過がわかりませんと、この法案によって継続されるであろう土地使用の日本憲法における位置といいますか、そのものについて的確な判断ができない、こういうふうに思うからであります。  現在、沖繩におきます軍用地は、大体その中心部分は、一九四五年六月末に沖繩戦の戦闘が終了しました、そして米軍が沖繩全島を全面的に占領した後に囲い込んだものであります。その間、沖繩の住民の皆さんはどこにいたかというと、沖繩各地に設けられました強制収容所に収容されておったのであります。軍隊の捕虜に対する収容というものは、これは通例の戦闘の場合に見られるのでありますけれども、非戦闘員を全面的に強制収容所に収容しておくということは、世界の戦闘史上に例を見ないと私は思うのであります。こういう国際法の違反が堂々と行なわれたところに沖繩の占領の特殊性があるのであります。そして彼らは、米軍は沖繩土地をすべて自分の管下におさめました。そして不要な部分のみについて沖繩県民に居住を許したのであります。この結果、沖繩県の各部落の中には、部落全体が基地になったところが何カ所もあります。そして、そこに住んでいる人たちは、自分がもといた住みかに帰ることができずに、よその部落の端のほうに割り当て地を割り当てられ、そこに住んでいるのであります。  皆さん、沖繩の現地においでになられた方もたくさんおられると思います。中部の地域に北谷村というところがございます。ここの村は、現在有名な嘉手納基地のある嘉手納村と一つの村でありました。しかしながら、嘉手納空軍基地がまん中にどっかとすわり込んで、住民の通行が禁止されまたしので、その結果、北谷村と嘉手納村が分村せざるを得なくなった、こういう土地でございます。これは本土の場合にはとうてい想像のできないことだと私は思います。それで、その北谷村の村役場は現在謝苅というところにございます。この謝苅というところは、北谷村の海岸からずっと坂を登ったところにございまして、戦前には謝苅には嫁に行き手がないといわれたようなへんぴなところで、生活が非常にしにくいところでありました。一方、この北谷村は「北谷ターブッカ」といわれまして、沖繩で有名な美田地帯でありました。その美田地帯がいまはあとかたもありません。部落は石垣がわずかに残っているだけで、全く痕跡をとどめていないわけであります。そして、その部落のあとと、それから水田地帯のところに、広大な面積の中にアメリカの陸軍病院が建っているのであります。そして村民はその謝苅の狭い、非常に急傾斜のところにわずかに三十坪、四十坪の割り当て地——現在割り当て地の制度は廃止されておりますけれども、そのあと地に住んでいる。人を救う病院が人間の生活を破壊している、沖繩県民の生活を破壊している。私はこれがやはり沖繩の現実であろうと思うわけであります。先ほども申し上げました嘉手納村につきましては、有名な嘉手納空軍基地のために、沖繩の嘉手納村の耕地の九五%が軍事基地になっている。こういうことでは村民の生活はとうてい成り行くわけがないわけであります。  沖繩基地は、沖繩県民の生活、農民の収入の源泉というものを全く奪い去っている。これは嘉手納村とか、あるいは北谷村とか読谷村とか、中部の地帯の村はそういう状況が最も顕著なわけでありますけれども、全島これ基地といわれている沖繩におきましては、大なり小なりそういう結果が出ているのであります。  今度の沖繩のこの暫定法案によりますと、これらの基地がそのままそっくり継続使用されるということになると思います。返還協定のA表、B表、C表を見ていただけばおわかりになると思いますけれども返還されるといわれているC表の中でも、ほんとうに実質的に返るという土地はほとんどないといってよいかと思います。那覇の空軍基地はそのまま自衛隊管理下に置かれるに相違ないと思います。C表の中で非常に大きな面積を占めております奥の演習場だとか、あるいは第二瀬嵩演習場というようなところは、実態をお調べになればよくおわかりかと思いますけれども、本来の意味基地ではないわけです。演習をやるための単なる一時使用を村長が認めてアメリカが使っているという基地であります。ですから、これを基地の面積の中に入れるのは非常におかしいわけであります。したがって、この返還の面積に充てるということも、これはおかしいわけであります。そうしますと、沖繩基地というものはほとんど全部がそのまま引き継がれていく、こういうふうに言っていいかと思うわけであります。  それからもう一つは、沖繩基地が——これは一九四九年の中華人民共和国の成立、それから五〇年の朝鮮戦争の結果、沖繩の恒久的な基地の建設が本格化したわけであります。その結果、第二次の接収が行なわれました。このときは、文字どおり、アメリカ軍は銃剣を突きつけて、ブルドーザーで木をひき倒し、家に放火をして住民をほうり出したのであります。  嘉手納村の隣に読合村という村がございます。そこに渡具知という部落がございますけれども、そこの人たちは、現在、隣の村の嘉手納村の比謝その他の部落に住んでおります。この人たちは、自分の部落に約一年半——一年十カ月ぐらいですか、かかりまして、三度も居住地を移転しながらようやくまた帰ってきました。しかしながら、五三年のこの第二次の接収によって、再び自分の部落から追われてしまったわけです。それで、先ほど私が申し上げましたような嘉手納村の比謝その他のところに住んでいる。そういうようによその部落に住んでおります方々も、現在は、自分の居住権を確かめるために借地契約を結んでいるのであります。しかしながら、この渡具知の人たちは、やはり自分たちはもとの部落へ帰れるのだ、こういうことを考えておりますから借地権を結んでいない、そういう不安定な状況が続いています。こういう状況でありますから、仕事の面も、しっかりと自分の大地に根をおろしたような生活をやりたくてもやれない、こういう生活が現在続いておるのであります。  今度の公用地の使用の暫定法案は、いつか自分の部落に帰れる、復帰になれば自分の部落に帰れる、そして、いま二十坪、三十坪という狭いところで、それこそアラブの難民のような生活だといっても言い過ぎじゃないと思いますけれども、そういうところから、また、貧しい生活とはいいながら二百坪、三百坪という自分の屋敷で自分の田畑を耕して、だれの世話にもならずに生活ができる、そういうような希望を抱いていた沖繩の農民の方々の希望を打ち砕くものだ、こういうふうに言っていいかと思うわけであります。  自民党の皆さんも、ことに地方から出られた方方は農民の生活というものをよくご存じだと私は思います。こういう選挙区の皆さんのそういう生活の上に立って、やはり沖繩土地法案の内容というものを十分私は御審議をいただきたい、こういうふうに思うわけであります。  では、日本の国の立場といたしまして、こういうアメリカ土地使用の継続を認めないといいますか、返してもらう法律的な根拠はあるかどうかということが私は問題になると思います。私は、やはりこれは一国のことでありますから、無理な無法な要求はできないと思います。それについて私たちがやはり想起しなければならないのは、やはりわれわれが一九四五年八月十五日、第二次大戦を終了するにあたりまして締結いたしましたポツダム宣言でございます。ポツダム宣言は普通無条件降伏といわれて、日本国は何をされてもしようがないのだというような俗説があります。賢明なる国会議員の皆さんはそういうことは考えておらないと思いますけれども、無条件降伏したのはこれは日本軍隊であります。このことはポツダム宣言に明確に書いてある。しかしながら、ポツダム宣言はわれわれの条件をそのとおりだということでもって、日本政府にその順守を要求しているのであります。その内容は言うまでもありません、日本の軍国主義の解体と日本における平和的で民主的な政府の樹立であります。それができるまでわれわれは占領する、その目的が達成されたならばわれわれはすべて全面的に日本から撤退をする。言うまでもありません、沖繩日本の内地の一部であります。適用されるべき法律は他府県、東京都とも京都ともみな同じであります。これは朝鮮や台湾とは違うのであります。でありますから、沖繩につきましても全面的にポツダム宣言は適用されておるのであります。でありますから、沖繩における占領行政日本本土における占領行政とは異なるべきはずがないのであります。そしてまた、そこにおける講和というものも、やはりひとしく同じようになされなければならない。これが国際法の原則であり、また条理であるというふうに私は思うわけであります。  この現在の沖繩における基地というものは、言うまでもございません、これは連合国の一部でありますところのソビエト連邦あるいは中国に向けられた基地であります。あるいはまた朝鮮、ベトナムその他みずからの民族の独立のために戦っているそういう人民のために向けられて、現在、ベトナム戦争のために前進基地として使われている、こういう実情であります。このような基地というものはポツダム宣言によって認められるものではありません。むしろポツダム宣言に違反するものだということはいえると思うわけであります。  したがいまして、アメリカ沖繩における軍事基地というものは、われわれがポツダム宣言に従う、ポツダム宣言に基づく国際法上の権利として講和を要求するならば、事は断わることのできないものであります。ポツダム宣言は言うまでもなく一般的な休戦の条件を定めたということとともに、これは講和の予約を含んでおるのであります。したがいまして、この来たるべきといいますか、行なわれるべき対日講和というものはポツダム宣言に従って行なうことをわれわれは要求する権利を持っている、こういうことはいえると思うのであります。  したがいまして、このポツダム宣言に反する沖繩基地というものは、われわれはこの講和にあたっては全面的に撤去を求めることができる、こういうふうに言うことができると思うわけであります。そして、国際法によりますれば、占領の終結というものは原状回復の原則、このものが適用されるべきものであります。したがいまして、この原状回復の原則によりますれば、沖繩基地というものはもとの状態、住民が住める状態にして返さなければならない。そして、占領軍が行なった占領権力に基づく施策というものは一切効力をなくすといいますか、あるいは国際法上認められた効力のみ存するのであります。したがいまして、この沖繩基地の全面的な返還、全面的な撤去というものは、日本は国際法上の根拠を持っている。そしてまた、それを要求できる。日本政府は国民の名においてそれを行使することができるわけであります。これを放棄した、事実上放棄したところに問題があるのではないかと思います。  国権は、言うまでもなく、国民の信託に基づき国民のために行使をされなければいけません。そして、この沖繩協定は——いままで講和条約第三条によって沖繩施政権が移ったと普通いわれておりますけれども、実際において国連憲章上これを信託統治にすることはできない。そういう意味では無効な条項であります。したがって、その第三条に法的の意味を認めることはできるとしましても、それはいわばアメリカの軍事占領を日本政府が継続することを認めたという程度の内容であるかと思います。したがいまして、今度の沖繩協定というものは、第三条によってブランクになっていました沖繩に関する対日講和の部分を完結するものであるというふうに私は考えるものであります。したがいまして、この沖繩協定というものは、ポツダム宣言によって、国際法上の原則によって処理されなければならない、こういうふうに思うわけであります。  この観点からいたしますれば、沖繩土地というものは沖繩県民に返すべきものであります。その後その土地がどのように使用されるか、それは第一には沖繩県民の意思による、その所有する者の意思によるところであります。政府はむしろこれに対して懇請する立場にある。しかるに、懇請すべき立場にあるものが、法律という形において無条件沖繩県民の手の届かないところにおいてこれを取り上げる措置がなされている、こういうところに問題がある、こういうふうに思うわけであります。  土地法案の内容につきましては、先ほどの公述人方々から憲法上の問題点についてはいろいろ論ぜられましたので、私は省略をさせていただきたい。  次に、請求権の問題であります。  御存じのように、沖繩協定は請求権を第四条において放棄しております。今度の国会関連法案を私拝見いたしますと、講和前の人身損害の補償漏れについてだけ見舞金を出すということが書いてあるわけであります。しかしながら、先ほど申し上げましたように、国際法上の原状回復の原則に従いますれば、アメリカ軍によって行なわれた違法な行為、軍人の犯罪とかあるいは不法な土地取り上げ、あるいは不当に安い軍用地料の支払いというものは、原状回復の原則によって当然てん補されなければいけない、損害の賠償がなされなければいけない。これを日本政府が放棄した、国際法上当然沖繩県民にかわってアメリカに請求すべき立場にある日本政府が放棄した、このところに問題点があるわけであります。  私は、この第四条によりまして、沖繩県民のアメリカ軍に対する、アメリカに対する請求権が放棄されたとは思っておりません。それは、なぜならば、これは県民とアメリカ政府との関係でありますから、日本政府の行為によってもこの請求権を放棄することはできないと思います。しかしながら、国際法上の権利はやはり政府が国民にかわって請求をしなければ、その実現は著しく困難になります。この第四条があるおかげで、沖繩県民が米国政府に対して請求いたしましても、これをたてにとって断わられるでしょう。その結果によって、沖繩県民が非常な損害を受ける、実質上自分の損害をてん補できない、こういうことが起こり得るのであります。したがいまして、この結果こうむる沖繩県民の損害というものは、やはり国家賠償法に準じて日本政府責任をもって立法措置をとって、沖繩県民の権利としてそれを補償すべき措置をとるべきものである、かように考えるのであります。それでございません単なる見舞金ですと、いままで外人賠償法というものでアメリカ軍沖繩県民に払っていたのと全く同じであります。この外人賠償法は、沖繩県民に権利を認めたものではございません。アメリカの出先の軍が被占領地の住民とトラブルを起こし、そのことによって占領自体が非常にむずかしくなる、これを防ぐために一定の見舞金、恩恵としての金の支払いを出先の軍に認めた。その結果、沖繩県民がその手続に従ってお金が取れる、こういうような内容であります。琉球政府の調査によりましても、従来の請求金額のおよそ二割ぐらいしかこの支払いがなされていないわけです。しかもその金を取るのに、これでもって私の請求は一切片づきました、文句は言いませんという、こういう一札を入れなければお金が取れないという屈辱的な内容のものであります。これをぜひ改めて、やはり沖繩県民の権利が正当に保障されるように国会において審議をお願いし、立法をつくっていただきたい、こういうふうに私は思うわけであります。  それから裁判権の問題でありますけれども、最後でございますが、これも沖繩のこの法律を見ますと、「裁判の効力の承継」と書いてございます。だけれども、これは裁判を、占領が終わった後に裁判を承継すべきものではないと思います。これは外国の判決に準ずるものであります。日本の民事訴訟法の二百条でも、こういうような条件のある外国の裁判は認めることができると書いてあります。それから刑法五条は原則として外国判決の効力を認めておりません。それから最高裁の、復帰前の奄美において行なわれました刑事裁判の結果についても、最高裁の判決はそういう立場をとっておるのであります。ですから、これは日本政府が、日本国会が自主的に日本の主権の行使として独立に認めるか認めないかを定むべきものであって、これを外国との協定においてこういうものをやるというのは、主権の著しい制限であり、アメリカ立場からすれば日本の主権に対する介入行為だと私は思うわけであります。こういうものはぜひ改めていただきたい。そして今度の協定を見ますと、アメリカの軍事裁判、民政府裁判所の裁判の効力さえも認める結果になっている。こういうものは一切御破算にしていただきたい。そして占領下にこうむった沖繩県民のそういう不名誉が回復されるような措置ををぜひとっていただきたい、こういうふうに思うわけであります。
  18. 床次徳二

    床次委員長 申し上げますが、だいぶ時間がたっておりますので……。
  19. 根本孔衛

    根本公述人 はい。要するに沖繩協定と関連法案は、私はやはり沖繩県民の立場に立たなかったところに、沖繩県民の意思を十分に聞かなかったところに問題点があると思うのです。私は、いまからでも決しておそくないと思います。ぜひ皆さん、沖繩県民の意思を十分お聞きになって、この沖繩協定というものを国際法に基づいた、正義に基づいた公正なものにしていただきたい、こういうことをお願いいたしまして、公述を終わりたいと思います。(拍手)
  20. 床次徳二

    床次委員長 ありがとうございました。  次に、川崎市立工業高等学校教諭渡久山長輝君にお願いいたします。渡久山公述人
  21. 渡久山長輝

    ○渡久山公述人 ただいま御紹介にあずかりました渡久山であります。  私のごとき者をこの会にお招きいただき、公述を述べさしていただくことに関し、委員長並びに各委員の皆さま方に心から感謝いたします。素朴な一人の沖繩県出身の国民として意見を述べさしていただきます。  初めに、沖繩返還協定特別委員会において、協定の審議が十分なされないまま強行採決されたことに深い義憤を感ずるとともに、貴委員会においては、あえてかかる暴挙に出られないことを固く信じて、関係法案に対する意見の陳述に入りたいと思います。  ここに私の大先輩であられる大浜並びに金城両先生を前にして、意見をたがえて反対の立場で話すことに対して、非常に苦痛を感ずるものでありますが、私は沖繩における公用地等暫定使用に関する法案等一連の沖繩関係法案並びに沖繩返還協定、それに付随する関連取りきめを読むにつけ、まず感ずることは、沖繩への差別であり、平和憲法精神の否定であり、国民主権、基本的人権の形骸化であるということであります。このことは、沖繩の歴史や現実並びに現在本土における国民生活の現状を見ていただければはっきりすると思うのであります。  特に、沖繩の近代百年の歴史は、差別と犠牲と軍事支配の歴史であります。一六〇九年、島津の侵略と長年にわたる経済収奪、それに続いて一八七九年三月二十五日、明治政府の大書記官松田は、警察官百六十人、歩兵約四百人を同行、首里城に乗り込んで、政府の達書を渡すとともに、廃藩置県を断行したのであります。また、置県と同時に警察と裁判制度を改め、県民に監視と干渉を強化するとともに、皇民化教育を進め、経済収奪の政策を進める一方、県民の民主的な権利は極端に押え、たとえば衆議院選挙法の施行においては、本土の一八九〇年に比べて二十二年おくれの一九一二年であります。また、市町村制が三十二年、県制が三十年と本土からおくれて施行されているのであります。また、戦前における県政の実権は中央政府及び他府県人に握られ、まさにこれは戦前における植民地的差別の支配であったといわれなければならないと思います。食い詰めた県民は職を求めて本土へ移り住み、たとえば女工哀史あるいは「朝鮮人、沖繩人お断わり」という求人広告などでも社会的、心情的屈辱を受けてまいりました。第二次大戦では、祖国防衛の名のもとに、二十万近くの県民が戦争の犠牲をしいられたにかかわらず、本土のある評論家は、それを称して動物的忠誠心だとさげすみました。  一九五二年四月二十八日、吉田政府は、沖繩県民の歎願をも聞き入れず、サンフランシスコ条約を締結し、沖繩県及び県民を含む国土及び国民を分断し、異民族支配にゆだねたのであります。その結果、沖繩県民は、米国の軍事優先政策のもとに、主権、基本的人権を著しく無視され、いまなお異民族支配が続いている現状であります。  沖繩県民は、主権及び人権の回復、反戦平和を原点として祖国復帰を求めて戦ってきました。その間、本土政府は冷たく、特に五六年、プライス勧告による米軍の不当土地収用に対し、県民は四原則貫徹、島ぐるみ運動を戦っているときなど何ら手を貸そうとすることなく、そればかりではなく非常に冷たい態度でありました。それだけではなく、本土内においては、現在の沖繩のことあるいは過去のことのそういう実態を国民に知らしめようとせず、学校教育の中から沖繩は完全に欠落していたといっても過言ではないと思うのです。ここにも私は非常に根強い差別を感ずるのでございます。  事実、ちなみにここに現在高等学校で使われております日本史の教科書がありますが、その記述を見てみます。  一九五一年九月、サンフランシスコで講和条約会議が開かれた。四十八カ国が日本との平和条約に調印しました。翌年四月二十八日、講和条約が発効し、——ここまでは大体書いてあります。それによって、たとえばこの山川出版の教科書では「条約発効と同時に連合国軍の日本占領も終った。」それから自由書房には「これによって日本は国際社会に復帰した。」それから帝国書院のものには「ここに日本は独立国として、その主権を回復した。」と書いてあります。ただし、その次には、直ちに安保条約を結んだと書いてあるわけです。こういう記述になっているのですが、この条約によって沖繩県及び沖繩県民を含む小笠原や奄美諸島などいわゆる日本の国土及び国民が分断され、異民族支配にゆだねられたという事実、あるいはその視点、あるいはその記述は皆無でございます。これは現在使われている教科書で、日本史の教科書でございます。  皆さん、いまの祖国復帰の話にもありましたように、沖繩県民は日本人として教育をし、日本人として復帰を願ってきたわけですし、先ほどの金城さんの話の、あのけなげな子供たちの要求もそうです。しかし、現状の教科書には何ら沖繩日本国民であるという位置づけがはっきりなされていないじゃありませんか。それを考えたときに、私は非常に残念でなりません。事実、私の高等学校では、沖繩県及び沖繩県民が日本人であるということについてはほとんどの学生、生徒が知っております。ただし、このサンフランシスコ条約によって、曲がりなりにも沖繩県が国際法的に米国統治になるという——まあ曲がりなりな国際法でしょうけれども、になったということについては、八割八割から九割までの生徒がわからないのであります。  そういうことで、私は、この沖繩に対する差別感のようなもの、あるいは無知を若い世代に非常に感ずるのでございます。しかし、これはただ若い高等学校生徒だけの問題ではございません。失礼ではありますが、先ほどだれか公述された人が、たとえば沖繩はしばらくがまんしろということを言っていらっしゃいました。明治政府の圧政以来、第二次大戦の犠牲、その後異民族支配の中であれだけ苦しんできた沖繩県民にもっとがまんしろと、なぜ、だれがそう言えましょうか。私は非常に残念でなりません。  そういうことを含めて、私の体験でも、ささやかな体験ではありますが、私が本土へ来て非常に残念な体験をしております。三十九年に本土に参りましたけれども、この間、今日まで幾つかの学校に赴任いたしました。ある学校では校長が私を紹介して、「琉球から来た先生です」と言うのであります。かと思えば、数人で赴任したある学校では、私の出身校を紹介するときに、私は琉球大学文理学部の卒業ですが、「文理大の卒業です」と言うのです。あとで聞いてみますと、琉球大学と言って、私に肩身の狭い思いをさせたくないという親心であったようでありますけれども、なぜ私が琉球大学と言われて肩身の狭い思いをするでしょうか。それはとりもなおさず、琉球大学あるいは沖繩に対するその人の差別感から私をそうしたんではないかと思うのです。いな、琉球大学というのは、御存じのとおり、戦前において高等教育機関をつくらずに初等教育機関で皇民化運動を進めていた中央政府に比べて、沖繩県で初めてできた唯一の高等機関でございます。それは評論家が植民地大学あるいは八ミリ大学と言われようとも、私にとっては母校であり誇りであります。  また、集団就職の会社の寮などで、何か物がなくなると、まず疑われるのは沖繩出身者だそうであります。あるいは、ある会社ではパスポートを取り上げて、まあ紛失予防とはいう名のもとに、転職を足どめしているという事実もあります。  それだけじゃございません。本土の大新聞でさえいまだに「沖繩女性襲わる」とか、あるいは「沖繩青年酒を飲んであばれる」などという見出しをつけているのが現状じゃありませんか。そして他府県人と区別しているいまの事実。  また、三年ほど前でしたが、沖繩での三大選挙のときに、応援に行かれた与党の大臣クラスの国会議員が「革新主席が勝てば復帰がおくれる」「イモとはだしの戦前に戻る」などと、県民を侮べつした発言があったのであります。またある人は、肥満児呼ばわりをするなと、そういうこともありました。  国政参加選挙で選ばれた沖繩県選出議員を迎えて開かれた国会で、上原康助さんが質問に立たれました。上原さんは社会党の代表ということでしたが、それだけではなく、二十数年も本土から切り離され、異民族支配の中から国政に参加した県民の代表でもありました。これはまた沖繩県出身者の国会史上初の代表質問ということでもございました。沖繩現地では、県民の多くが支持政党を離れて中継されるテレビに食い入るように見入っていたそうであります。東京でも私たち県人会が誘い合って傍聴に行きました。上原さんが切々と本土への告発ともいうべき異民族支配下の沖繩での苦しみを訴える発言中にも、与党席からは品の悪いやじや想像にも絶するような騒音があり、発言さえしばしば聞き取れないこともございました。私は残念でたまりませんでした。いかに党派性を差し引いても、あるいはそれを考慮したと考えても、これが父なる祖国であり、母なる母国であったのかと、二十数年も祖国の犠牲になり異民族支配下にあった同胞を迎える国会やあるいは政治家の姿なのかと、私はくやしさのあまり目がしらが熱くなるのを禁じ得ませんでした。  佐藤総理は、「沖繩が返らなければ戦後は終わらない」という名文句とともに、六九年十一月、日米共同声明を発表し、その路線による沖繩返還を志向し、今次の返還協定並びに沖繩関連法案になったと思います。しかし、昨日の新聞によりますと、今回の返還協定は、米国の基地機能の維持を前提とし、自衛隊の配備を確約した形で返還がなされるということでした。これはまさに軍事優先の返還であり、ここに、先ほど金城さんが言われていた、あの沖繩の子供たちが祖国復帰を願っていたにもかかわらず、その祖国復帰の精神はまさしく軍事優先の目的で返還されんとするところに、非常に沖繩県民に対しては新しい犠牲と差別をしいるものじゃないかと私は考えるのであります。  返還協定にあっては、沖繩県選出の安里、瀬長両氏の意見も聞かずに強行採決に至ったことについては、議会制民主主義をみずから破壊しただけでなく、沖繩県民とともに私は根強い本土不信を深め、政府・与党に対してぬぐい切れない断絶を感ずるのでございます。それで、あたたかく沖繩を迎えるとか、豊かな沖繩県づくりとかいったって、おいそれと信じがたいものがあるのであります。  かかる中央政府不信やあるいは被差別感というものは、私自身がいささかオーバーかもしれませんが、しかし、歴史が教えるように、初め法制的、政治的な差別がやがては経済的な差別を生じ、経済的な差別は社会的、心情的差別をも生み、この心情的、社会的な差別がやがては差別的な政治状況や差別的な法制をも肯定する状況をつくり出すもののような気がしてならないのでございます。  私は、公用地暫定使用法案を含む一連の沖繩関連法案に対しては、その立法の心に沖繩県民の権利を無視した新しい差別と犠牲が見られるのではないかと思う。ですから、かかる法案沖繩に許すことは、他の都道府県にも類似の立法を見ることであり、私は、沖繩県出身者の一人として、また主権の存する国民の一人として、いな、人間の一人として、こういう差別法は認めることができないのでございます。  かかる原則を踏まえて、次に具体的な提案を含めて意見を述べたいと思います。  一つ、土地の強制使用法案に関しては、異民族が武力で取り上げた土地を同民族が権力によって合法化しようとするものであり、不条理であります。沖繩県民に対する私有権を含めた諸権利を不当に無視する新しい差別法であります。これを足がかりとして本土の他の都道府県にも類似法ができるおそれもあると考えられまするゆえ、直ちに廃案にしていただきたい。  一つ、いかなる戦争にも反対し、平和を希求する立場から、かねて私の信条でございますが、違憲性のある自衛隊は改組し、四次防も直ちに中止するとともに、沖繩県民の戦争犠牲並びに米軍支配のあの著しい人権侵害を考慮して、沖繩への自衛隊配備には反対をしたいと思います。  これは、先ほど大浜先生から、沖繩へなぜ自衛隊が来ないのか、差別じゃないかと言われましたが、そうではありません。私はそうは考えない。もしもそうであれば、たとえば海上保安庁を強化するとかというような形で対処していただきたい。すなわち、この軍隊に対しては、ほんとうに極東の平和と安全ということで来たアメリカ軍が、一日たりとも沖繩県民に平和を、あるいは一日たりとも沖繩県民に安全を与えてなかったじゃございませんか。毒ガスあり、核があり、またB52の墜落爆発事故といい、ジェット機事故といい、人身災害といい、それが軍隊じゃないでしょうか。私は決して米軍がいて沖繩県民の安全と平和が守れたとは考えられないのであります。一日たりとも平和はなかった、現在いまなおないじゃありませんか、私はそう考えます。  私は、不幸にも沖繩県という基地県から出てきまして、いままた本土で最も基地の多い神奈川県に住んでおります。この神奈川県においても、たとえば綾瀬、座間、相模原、大和、それから瀬谷、横須賀、横浜など、実にいまここにおいても自衛隊の配備あるいは強制駐留についていろいろな問題が起こっているのであります。たとえば綾瀬においては、いまだに国鉄や私鉄も通らない。基地を通らないから迂回して通っている。それから座間については、朝霞の自衛隊が移駐して共同使用している。それから相模原の補給廠というのは、これは東洋一だそうですが、医療センターがあり、米軍の四〇六部隊、いわゆるこれにはある意味でCB兵器が何とかといわれるほどまでの軍隊がある。あるいは厚木の飛行場からはサソリが出てきたりあるいはアメリカシロヒトリの被害ももちろんこうむっておる。それから大和の航空隊の問題、厚木基地に対して自衛隊移駐の問題がありますし、綾瀬では電波障害が起こっておる。それから横須賀では、たび重なる原潜による住民生活の不安がこっちにも出ているのであります。そういうことを考えてみたときに、何ら自衛隊は、沖繩だけではなくて本土内においても、かかる非常に住民の生活の破壊がなされていることがあるわけです。きょうの新聞にも、何か立川では立川市長との協議を打ち切って、強制的に自衛隊が移駐を強行するというようなことがあったのであります。そういうことを考えてみるときに、私は沖繩には自衛隊は行っていただきたくないと思うのでございます。  またもう一つ、私は沖繩における教育制度及び教員の権利について考えるのですけれども、異民族支配の中で血で守ってきた教育委員会の公選制をまず存続させていただきたい。これは教育の自主独立と民意の反映並びに極端な教育の中央集権を避けるための必要な措置でありますゆえ、そうしていただきたい。また、本土の教育三法の適用はやめていただきたい。沖繩の制度は決して現行の日本憲法や教育基本法に反するものではなく、逆に原理に合致するものであると思いますので、真に民主教育に関心を持つとするならば、その際、貴委員会を含めて、本土法をあるいは文教行政を改善していくべきだと逆に訴えたいのでございます。  また、いろいろな関連法案については、特に沖繩地域あるいは沖繩県民並びに沖繩県のみに適用される法律もありましょうから、その際にはどうぞ憲法九十五条に基づいて、沖繩県民の意思を特に聞いていただきたいと思います。せんだって琉球政府の建議書が出ていると思いますが、どうぞその議を十分尊重して審議に生かしていただきたいと思います。  それからこの委員会には、沖繩選出議員として國場さん以外の方はいらっしゃらないようですが、どうぞ西銘さん、上原さん、安里さんそれから瀬長さんを正式メンバーに加えていただいて、特に意見を聞いていただければ幸いじゃないかと思うのです。  そもそも、沖繩復帰とは何であったか、これは日本憲法の保障する主権、平和、人権回復への希求であり、沖繩の心は何だったかといいますと、これはまさしく日本憲法の理念だと私は思うのであります。この関連法案に関しまして、どうぞ内閣あるいは行政府は——よく聞きますと今会期中だとかあるいは今週中にだとかやたらに日程を急いでいるようでありますが、どうぞ立法府の諸氏は憲法の理念を体し、いま一度立ちどまって、国民または国政の現状を顧み、主権者としての国民の意思あるいは心あるいは声を聞き、立法審議に加えていただきたいと思います。  以上、僭越ではありましたが、委員長並びに各委員の皆さまの御高配をお願いして、私の公述にかえさしていただきます。  どうもありがとうございました。(拍手)
  22. 床次徳二

    床次委員長 以上をもちまして、公述人各位の御意見の開陳は終了いたしました。  午後一時四十五分から公聴会を再開することとし、暫時休憩いたします。    午後一時四分休憩      ————◇—————    午後一時五十一分開議
  23. 床次徳二

    床次委員長 休憩前に引き続き公聴会を開きます。  公述人に対する質疑を行ないます。  なお、本日は、多数質疑者があり、また公述人の御都合もありますので、質疑はお一人、答弁を含み十分程度にお願いいたします。また、質疑をされる際は、答弁を求める公述人を御指名の上発言をお願いいたします。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。加藤陽三君。
  24. 加藤陽三

    ○加藤(陽)委員 まず、久住先生にちょっとお尋ねいたします。  先ほどの公述、たいへん私、有益に承ったわけでございますが、その中で、沖繩基地返還の見通しが暗くないというふうなお話がございました。非常にけっこうなことだと思うのでありますが、日本立場は別といたしまして、アメリカ側立場から考えまして、どうも私、そう簡単にいくんだろうかという気がしてならないのであります。  御承知のとおり、中共の国連加盟とかニクソンの訪中とかいろいろありますけれども、一面におきましては、朝鮮半島の不安というものはいまでも続いておる。かれこれしばらくの間はなおこのような情勢が続くんじゃないかというふうに、私には思われてならないわけでございます。先ほど先生のおっしゃいました御意見は、こういうふうな極東の緊張が緩和することに基づくお見通しであるのか、あるいは軍事技術の進歩と申しますか、先生も御承知のとおりFDLといいますか、船に兵器を積んで兵隊は空で送るというふうな戦略構想もアメリカ研究されておるようでありますが、こういうふうな軍事技術の進歩に基づく点からの御判断の資料が多いんだろうか、その辺をまずお聞かせいただきたいと思うのであります。
  25. 久住忠男

    久住公述人 ただいま加藤先生の御質問でございまして、私が先ほど、沖繩基地の整理縮小については明るい見通しであると言いましたが、それは念を押していたつもりでありますが、少なくともここの三年ぐらいは流動的な情勢が続きますので、現状を大きくすることは日本側としましても有利ではないと考えまして、この暫定使用法律案は賛成であると申し上げたわけであります。  そのときも断わりましたように、ただし、将来に向かって五年とか十年が、なお現実にA表として残ることになっておる米軍軍事基地がいつまでも残るということはいえない。情勢の変化というものは予断を許さないものもある。アメリカ側の都合が中心になるわけでありますけれども、軍事技術の進歩、アメリカ側の都合あるいは極東における国際情勢の変化というものを考えますと、ニクソン・ドクトリンを表面に取り上げるまでもなく、ある程度縮小というものは考えられるわけであります。  その限界はしからばどうかということを、加藤先生も御専門家でいらっしゃいますので、御質問されているのかと承ったわけでありますが、その限界を申しますと、現在沖繩にある軍事基地は、先ほども申しましたように、だんだんその機能といいますか使命といいますか、これを縮小してまいりまして、いわゆる戦争抑止力としての機能が中心となって残るわけであります。  戦争抑止力ということになりますと、またいろいろ定義をすることはむずかしいのでありますけれども、いまの極東の情勢からいいまして、戦争抑止力というのは、韓国あるいは台湾方面に対するアメリカ条約上の約束がございますので、これを実行するための基地ということになります。  条約上の約束を実行するのには、どういう点にアメリカは留意しておるだろうかということを憶測してみますと、韓国に例をとってみますと、韓国は、陸軍部隊においては相当、数的にも質的にもすぐれておりまして、北朝鮮からする突如の進攻作戦あたりにも十分に対応する能力を持っておりますけれども、空軍に至りましては、従来のいきさつもありました関係上、北朝鮮の空軍に比べまして、韓国空軍は必ずしもバランスがとれているとは言いがたい状況にあるように、われわれは判断をいたしておるわけであります。その韓国空軍の力の若干足りないところは、今後も沖繩方面に配置されることが予想されるアメリカの戦術空軍等がバランスをとりまして、この韓国にある韓国空軍、韓国にある一部のアメリカ空軍並びに沖繩にあるアメリカ戦術空軍を合わせまして、韓国並びに北朝鮮の間の軍事的関係のバランスをとっているわけでありまして、この状況は、アメリカの現在の政策が変わらない限り、あるいは北朝鮮等を含めました国際情勢が大きく変わらない限り、変化はないと思うのであります。  全く同じことが台湾にいわれるとは申しかねますが、やはり現在の状況におきまして、中国から台湾に対する武力解放作戦といったものがしかけられると仮定をいたしますと、これまた海軍並びに空軍の力におきまして、台湾のほうは相当な不安を持っていると見なければなりません。これを補うために、アメリカは米華相互防衛条約に基づく約束を実行しようといたしますと、沖繩にある戦術空軍あたりを歯どめとして、抑止力として行使するということでなければ、条約の義務は果たせないのであります。  条約の義務を果たすということは、単に口先だけで、議会の証言等で、あるいは大統領とか政府当局者のステートメントだけではいけないのでありまして、これはあまり感心した方法じゃありませんけれども条約の約束を実行する一つの証拠といたしまして、プレゼンスということで、軍事力のプレゼンスということが国際間に戦後長く行なわれてきたわけであります。そういう意味で、沖繩基地は、アメリカ条約に基づく義務の履行のためのプレゼンスとして置くということであります。そうすると、その範囲は限られてくるわけであります。  いま申しましたのは、戦術空軍という点で申しましたが、沖繩に現在ありますのは、その嘉手納空軍基地を中心として配備されました戦術空軍のほかに、主要なるものは海兵隊があります。海兵隊の場合は、従来はベトナムに出動したこともございます。これはいろんな道に使われるのでありまして、単なる抑止力としては限定できないという面もありますけれども、これはしかし、アメリカのような国におきましては、政治的なコントロールが十分にきいておるのでありまして、国防省とか海兵隊自身がかってなことをするということは全然考えられておりませんし、アメリカ政府の政策が、ニクソン・ドクトリンにも見られますように、アジアにおいては軍事力の限定行使という原則がしっかりしておりますので、この沖繩にある海兵隊の配備並びにこれの運用につきましては、アメリカ政府はおそらく最も慎重なる配慮をとり、それが戦争抑止力以外には及ばないという努力をすることを、われわれは信じておるわけであります。  そのほかに重要なのは、第三の要素は、現在の状況では例の第二兵たん司令部でありまして、これは従来のベトナム戦争に関係いたしまして相当強力なものになっておりまして、現在の状態ではこれが沖繩にある第三の重要なる戦力といたしまして、相当長く残すということを現地の人は言っておりますが、ここらがボーダーラインになりまして、そのほかの諸軍事施設等は、アメリカの予算の関係等もありまして、漸次縮小の方向に向かい、これが先ほど言いました五年先、十年先にはどうなるかわからない、こういうことになるわけであります。しかし、いま申しました戦術空軍あるいは限定された目的の海兵隊につきましては、私が先ほど言いました五年先、十年先の状況においても残存をする可能性のほうがより大きい、かように考えているわけであります。
  26. 加藤陽三

    ○加藤(陽)委員 ありがとうございました。よくわかりました。私も大体同じように思うわけであります。  次に、室井先生にお伺いいたします。
  27. 床次徳二

    床次委員長 時間です。簡潔に……。
  28. 加藤陽三

    ○加藤(陽)委員 一問だけ。先ほどのお話の中で、公用地等暫定使用法案本土と違うのだという点を力説なさいました。そのとおりだと思うのですね。これは結局、施政権返還までに日本行政権が沖繩に及ばないからなんですね。先生は法律専門家とされまして、こういうふうな場合にはどういうふうな立法をしたらいいかということについてお考えがありましたら、お教えをいただきたいと思います。
  29. 室井力

    室井公述人 いまの御質問ですが、いろいろ方法はあると思います。まあ基本的には、私の考えでいったら憲法九条との関係が出てまいりますけれども、最低限、現在本土適用されているような法律適用をそのまま沖繩に及ぼしたらいいだろうと思います。それで簡単に話は済むと思います。
  30. 加藤陽三

    ○加藤(陽)委員 返還の前ですか。
  31. 室井力

    室井公述人 返還と同時にですね。
  32. 加藤陽三

    ○加藤(陽)委員 返還と同時にということになりますと……。
  33. 床次徳二

    床次委員長 時間ですから……。
  34. 加藤陽三

    ○加藤(陽)委員 これでやめます。  問題は、地主の所在がつかめないとか、あるいは反対する方があると思うのですね。その方に対する手続は、処置はどうしたらいいかということについては。
  35. 室井力

    室井公述人 それは事実上いろいろ——この法律案でも、事前に告示のところだけ、さかのぼって施行されますわね。そういうことになっていますので、いろいろ方法はあると思います。現に、現地にいる琉球政府は事実上いろいろ関係がございますから、ほんとうにやる気がおありならば、そういう形式論ではなくて、事実上いま現地にいる琉球政府にお願いして、いろいろ調査できると思います。あまり混乱はないんじゃないでしょうかと思います。
  36. 床次徳二

    床次委員長 山口鶴男君。
  37. 山口鶴男

    ○山口(鶴)委員 大浜先生にお尋ねしたいと思うのです。  先ほどのお話で、昭和三十九年以降、沖繩返還につきまして、アメリカにも参りましていろいろ御努力をされたお話をお伺いしたわけでありますが、今度の国会、予算委員会におきまして、南方同胞援護会が総理府に提出をいたしました文書が実は問題になったのであります。わが党の楢崎議員が指摘をいたしたのでありますが、大浜先生が会長をしておられる南方同胞援護会が、昭和三十九年十二月、「佐藤総理訪米資料」という文書を提出された。その中に、沖繩返還にわたっては基地機能をそこなわない方向で交渉をする、米軍の行動を拘束しない方向で交渉を進める、さらに、沖繩の主席公選にあたっては、与党体制の確立をはかりつつ、公選の方法にも研究を加えて実現を見るように努力したらどうか、こういう提言をされている。  そこで、南方同胞援護会は特殊法人ですね。昭和四十六年度、国から、一般会計から一億三千五百万円の補助をもらっている。お年玉はがき並びに自転車振興会からも相当額の補助金をいただいている。いわば公的な機関。そこが、与党体制の確立をはかりつつ主席公選の実現に努力をするという、きわめて一方的、党派的な文書を政府に出すことについては問題があるということが、実は予算委員会で指摘になったのであります。この点につきまして、南方同胞援護会会長であり、なおかつ昭和三十九年以降沖繩返還のためにいろいろ折衝し、努力をされたと証言をされました大浜会長から、ひとつお考え方をお聞かせをいただきたいと思うのが第一であります。  さて、第二は米原さんにお伺いをいたしたいと思うのですが、四、五年間、外交交渉により返還がおくれてもわれわれはがまんをするという趣旨の意見が、当委員会が那覇におきまして開きました公聴会の際に言われたことを引き合いに出しまして、こういう言辞は非現実的ではないかと、実はおっしゃられたのであります。私も当日の席におりましたので、その間の経過はよく承知をいたしております。自民党の委員の方が、あなた方は返還協定やり直しを主張されるけれども外交交渉というものは大体四、五年はかかるのが常識だ、あなた、そんなにおくれてもいいのかと、実はお尋ねをいたしたのであります。それに対して、桃原祖国復帰協の会長でございましたが、日本政府沖繩県民の願いを実現する方向の決意を固めて外交交渉をするというのであれば、われわれは異民族支配のもとに二十六年間耐えたのだ、したがって現状これ以上悪くなることはないと確信をする、したがってわれわれは四年でも五年でも待ちましょうという、実に悲壮な決意を申されたと、私はお伺いをいたしたのであります。その間の事情を十分踏まえました上で、私は先ほどおっしゃられた、四、五年待つというのはきわめて非現実的ではないかというお考え方は納得できません。この点、桃原復帰会長ことばも紹介したわけでありますから、その上のお考え方をひとつお聞かせをいただきたいと思うのであります。
  38. 大浜信泉

    大浜公述人 ただいまお尋ねの、南方同胞援護会が特殊法人であり、昭和三十六年以降、私、会長の席にあるわけでありますが、先ほどの御質問で、沖繩返還にあたって私がアメリカ等に渡っていろいろ折衝をしたという年代は、昭和三十九年ではなくて、昭和四十二年以降であります。  総理府から総理に対して、何か文書で意見提出したというお話でありますが、実は私、初耳でありまして、ちょうど先月、十一月はほかの要件で私はアメリカに行っておりまして、いま予算委員会でそういう質問が出たといういきさつもよく知っておりませんもので、いま事務をあずかっておる専務理事を呼んでおりますので、それに確かめた上で後ほどお答えしたいと存じます。それまでお待ちいただきたいと存じます。
  39. 米原正博

    ○米原公述人 お答えいたします。  私は、先般の沖繩公聴会に出ていたわけではございませんので、当日の取材をされました琉球新報並びに朝日新聞等の記事を読ませていただいて、そういう上に立っての発言をしましたので、若干この間の私どもの考え方に、言い回し方に誤解をされたらいけないと思いまして、そういう部分を理解した上で話を申し上げました。たまたま例にとった場面が、たいへん御理解いただきにくい面があったかと思います。  ただ、私は、いずれにしても復帰というものがおくれちゃ困るんだ、いまここまで来ているんだから何としても復帰させたい、とにかく所有権を取っちゃおう。あるいははっきり申し上げて、われわれがふだん、自分の組織の中であるいは自分の企業の中で、土地だとかそういうものを、地代の問題その他を考えてみた場合にでも、賃借権その他の問題にしても、いずれにしても所有権は取ってしまわなきゃだめだという認識に立ちますと、言われた意味で、確かにその場にいなかった部分で、公述人意見の一部をそのままとって話をするということは、非常にことば足らずになって、舌足らずになっていけないかと思いますけれども、私どもは、ああいう発言があの場でなされる、条件が完備されるための交渉をされるなら四、五年待ってもいいというような認識の話をされるとするなら、私は根本的に反対だ、少なくとも、いま出ている条件でいいから直ちに返還してほしいんだという認識に立ったものですから、あえてあのことばをとらしていただいたという次第でございます。
  40. 山口鶴男

    ○山口(鶴)委員 四、五年待つというところに力点があるんじゃない。問題は、沖繩の願いを十分実現させるために、政府が断固たる決意で交渉をやっていただきたいというのが願いだったわけです。それに対して、外交交渉では四、五年ぐらいかかるから、それでもいいのかという、いわば詰めたお尋ねに対して、それもやむを得ない、要は県民の願いを解決する方向での協定のやり直しをやっていただきたいという、そこに力点を置いた発言であったということは、ひとつ御理解をいただきたいと思うのです。  時間もありませんから、私は主として大浜先生にお尋ねしたいと思ったんですが、初耳だというお話であります。四十二年にアメリカに行かれた、こういうんですが、はっきり昭和三十九年十二月、南方同胞援護会から総理府あてに、佐藤総理第一回訪米資料というのが文書として提示をされて、それが総理府に所管をされておったわけです。そうして、その中の文章に、ただいま私が引用いたしましたような不穏当な字句があった。しかも、このことにつきましては、予算委員会の席上で山中総務長官も、当該の指摘された字句は不穏当であるということを認めておるわけです。初耳で知らぬというのですが、昭和三十五年ですか六年ですか、会長におなりになったというんですから、この文書が出ました昭和三十九年は、当然大浜先生がこの同胞援護会の会長であったことは、まぎれもない事実。それが初耳ということでは、私ども、これはたいへん理解をすることができません。したがって、委員長、この点は調査が済みましてお答えがあった後にひとつ保留をさしていただきます。
  41. 床次徳二

    床次委員長 中川嘉美君。
  42. 中川嘉美

    ○中川(嘉)委員 藤島先生に伺いたいと思いますが、公用地暫定使用法案について、先ほど小笠原の例と対比して述べられたわけでありますが、御説明によると、この今回の法案にあるところの暫定使用期間、これは五年間であるということ、これは小笠原の十倍にも当たるという。そう言われてみて、私も、なるほどずいぶん長い期間だと思ったわけですが、このことに関連して、本法案がいずれは米軍そして自衛隊のものとして永久使用にさせようというものである旨の先ほど御意見を伺ったわけですが、もしこういったことが事実となった場合、これは重大な問題に発展することは間違いないということですけれども、この点に関して、もう少し詳細にわたってその可能性を伺ってみたいと思うのです。
  43. 藤島宇内

    藤島公述人 いまの御質問でちょっと間違っておられるところがあるのですが、さっき十倍と言いましたのは、小笠原の場合ではなくて本土の米軍基地の場合ですね。本土の米軍基地の場合に、米軍の地位協定に伴う土地等の使用に関する特別措置法というのがあるんですが、その附則の二項、そこに、こういうふうにあるわけです。「土地等の所有者及び関係人との間に使用についての協議が成立しないときは、調達局長は、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約の効力発生の日から九十日以内に、使用しようとする土地等の所在、種類、数量及び使用期間を土地等の所有者及び関係人に通知して、六月をこえない期間においてこれを時使用することができる。」というふうにある。これは本土の米軍基地との関係でいったわけです。それに比べて十倍になっているというふうに言ったわけですね。  米軍がなぜその十倍にものぼるようなこういう収用法を沖繩について、日本政府と協力してつくろうとしているかということですが、これは端的に言って、その性格に二通りの見方、二通りの角度から見る必要があると思うのです。  一つは、佐藤・ニクソン共同声明の第七項で佐藤首相が、この沖繩返還協定とアジアにおけるアメリカの諸条約上の義務との関係を言っているわけです。「総理大臣は、日本政府のかかる認識に照らせば、前記のような態様による沖繩施政権返還は、日本を含む極東の諸国の防衛のために米国が負っている国際義務の効果的遂行の妨げとなるようなものではないとの見解を表明した。」つまりアメリカは、現在沖繩適用範囲に含んでいる米韓相互防衛条約それから米台相互防衛条約、米比相互防衛条約またANZUS安保条約、これらの諸条約上の義務を負っているわけです。またベトナム戦争に対しては、これは条約上の義務よりもっと以前の国連憲章の第五十一条に基づいて、ベトナムに軍事的侵略をやっているという状態です。そういったものを日本政府はすべて認めるということを前提にして、この返還協定をつくっているわけですね。  そうであるにもかかわらず、実際にはこの返還協定は、本土と同じく安保及びそれに関連する諸取りきめによって基地を提供するのだというふうにいっているのです。しかし、今度の土地収用の暫定法案では、それすらも踏みにじってしまっている。ですから、非常にたくさんのものを否定した形で、この返還協定の基礎になっている佐藤・ニクソン共同声明ですらまた否定するという形で、ここに土地収用法案をつくっているわけですね。  その性格は、国内法的にいえば、これはアメリカ軍の布令の国内法化であるというふうにいえると思うのです。その意味では、これは軍の布令の国内法化ですから、すなわち、これは日本国内法の中に軍国主義的な法律をつくろうとしているというふうに言うことができると思うのです。つまり沖繩を、こういう法案適用することによって日本の軍国主義化のモデル地区にしようとしているということがいえるのじゃないかと思う。それは単なるモデル地区という以上に、日米共同作戦のまたモデル地区にもなってくるわけです。  現にアメリカ側では、どういうふうにそれを見ているかといいますと、先ほど来、これ以上返還がおくれるのは県民のためにも困るというふうな御意見もありますけれども、実際にはアメリカは、沖繩県民のためを思ってこれを返還するわけでも何でもないということです。これはアメリカ軍自身の利益の立場から返還をしようとしているということです。それはこの間の七一年十月二十七日、つい先ごろのアメリカ上院の外交委員会沖繩公聴会の第一日に、ロジャーズ国務長官がちゃんとそういうことを言っているわけです。返還がこれ以上おくらされると、返還を要求するデモと基地を守る米軍との間で、あからさまの衝突の起こる可能性がそれだけ大きくなると信じてよい理由があった。だからそういうふうに基地を、県民の返還闘争から守るために返還するのである、返還することによってよりよくそれを使うことができるようになるのである、というふうにアメリカ政府自身が、ちゃんとアメリカの上院で証言しておるわけですね。そういう立場に合わせて国内法をつくろうということですから、それがつまり米軍布令の国内法化を意味する今度のような暫定使用に関する法律案になって出てきたのだというふうに考えるわけです。  それから、条約上は、さっき言ったようないろんな条約上の問題があるのですが、今度は条約に限らず、アジア情勢の実態との関係もあるわけですね。  それは、たとえば南朝鮮の朴政権が、つい数日前非常事態宣言を出したわけです。これは一体どういう意味を持っておるかといいますと、米中接近というものは必ずしもアジアの、日本が首を突っ込んでおる植民地状態のところでは、緊張緩和を意味しないのです。むしろ緊張の激化が起こってきているという点です。これに注目する必要があるのです。この前いろんな方々から、米中接近によってアジアの緊張は緩和したのだから沖繩を非軍事化しろというふうな声明も出ましたけれども、私はああいう見方にも同意できませんで、実際には米中接近の反面で、日本が首を突っ込んでいるアジアのいろんな地域では緊張が激化してくる面があるという点です。これが今度の南朝鮮の状況なんかにはっきり出てきているのです。結局、あの非常事態宣言というものは、日本が日韓条約以後膨大な援助を注ぎ込んだ、膨大な援助を注ぎ込みつつあるのです。来年もまた何億ドルか出すと思うのですが、それによって南朝鮮の経済は自立するどころか、ますますこわれてきている。もう国家として体をなさないくらいにこわれてきている。それで国内不満が、いろんな分野で吹き上がる事態に現在なってきている。つまり、緊張の激化が起こってきているのです。それに対して沖繩がかかわり合っているということです。これは米韓相互防衛条約でかかわり合う。自衛隊の配置によって日本がまた、安保条約そのものがそこにかかわり合うという事態にいまなってきている。  台湾についても共通の問題がありまして、台湾では、米台相互防衛条約の中には、台湾の現地の政権の政治的安定のためにこれが発動されるというふうな条項があるのです。つまり、台湾と本土との関係だけでなくて、台湾内部で問題が起こった場合に、これに対して米台相互防衛条約が発動される。また、あの相互防衛条約の交換公文によりますと、沖繩の米軍はそういう台湾の政権との協議なしに減らすことはできないというふうに読み取れる個所があるわけです。これは昨年、一九五四年当時の国府の外交部長だった葉公超氏がニューヨーク・タイムズに語ったというところでも、そういう密約があることは明らかで、それに対して沖繩の米軍基地がかかわっているわけです。ですから、今後の日中国交回復ということを考えた場合にも、現状のままで、こういう沖繩基地をそのままにして返還協定をつくるということは、もってのほかだといわなければならないというふうに思います。
  44. 床次徳二

    床次委員長 中川君、簡潔にお願いします。
  45. 中川嘉美

    ○中川(嘉)委員 軍国主義のモデル地区というようなお話も出たわけですが、沖繩基地というのは、これは安保と非常に深い関係があるために、安保を早急に改正する姿勢というものを政府がとらない限り、沖繩県民としては平和な島としての念願がかなわない、こういうふうに私は思います。  最後に一つ伺いたいのですが、この法案憲法に保障された県民の意思を一方的に踏みにじっておる、そういう憲法違反のかたまりのようなものであるというお話が先ほどありました。そして憲法九条、十一条、十四条、十八条、二十九条、三十一条、三十二条、九十五条、そして九十九条、とても一息では言い尽くせないほどたくさんのこの憲法の条項をあげられました。これらに全部違反するものであるとの具体的な例をあげられたわけですが、こういった強制収用が強行された場合に、沖繩において問題が何一つ起こらない、こういうことはとうてい考えられないことじゃないかと私は思います。成田空港のような問題に発展しないとは、だれびとも言い切れないのじゃないかと思います。  そこで伺いたいことは、もし政府が強行をした場合に、どのような形の反対運動が起こることを想定されておられるか。もしこの点についての想定がおわかりになれば、ひとつ伺っておきたいと思います。
  46. 藤島宇内

    藤島公述人 どういう反対運動が起こるかということははっきりわかりませんけれども、とにかく政府側が、先に自分がきめたことを次々に否定し、踏みにじってしまっているという違法行為をおかしているということですね。だから、もし違法な——違法な反対運動とか合法な反対運動とか、そういうことばはあり得ませんけれども政府の目から見て違法な反対運動だというふうに言われるようなものが起こったとしても、政府はそれを否定する資格はないと思うのです。政府安保条約の地位協定すら踏みにじり、それからこの間強行採決をやった返還協定の第三条すら踏みにじり、それから憲法を踏みにじり、あらゆるものを踏みにじってこういう法案をつくろうというのですから、それによってどんな反対の大衆闘争が起ころうと、これに対して政府はとやかく言う資格は全然ないと思います。これはどういう運動が起こるかということは、私は、沖繩県民が自分自身で取り組んでいることですから、いろいろな形態のものが起こるであろうというふうに申し上げるよりしかたがないのですけれども、その反対闘争以前に、政府がもうみずからきめたことすら、あらゆるものを踏みにじってしまうというところに、何も言う資格を政府自体がもう失ってしまうのだというふうにいえるのじゃないかと思います。  それから、この間の強行採決ですけれども、強行採決の問題がそれにかかわってきますけれども、これは政府がまず第一に、沖繩県民の国民主権、日本国民の国民主権を踏みにじっておる、憲法の一番基本である国民主権を否定してしまったというところに、あの強行採決の本質があると思うのです。その上に、さらに委員会で記録もされないものをまた本会議にかけていったというところに、また二重、三重の強行採決の本質があったというふうに思うのです。
  47. 床次徳二

    床次委員長 石川次夫君。
  48. 石川次夫

    ○石川委員 最初大浜先生にお伺いいたしますけれども大浜先生は沖繩の御出身でいらっしゃいますから、沖繩の心というものをよく理解されていると思うのですが、どうもわれわれが考えている沖繩のこととは若干ズレがあるのじゃないかという印象を受けるわけであります。それで、議論をするつもりはございませんけれども、大体今度の協定あるいは国内関連法案というものは、沖繩における軍事基地を固定化する方向できめられたというところに大きな問題があるというふうに、われわれは理解をしておるわけでございます。  そこで、基地の問題でございますが、基地依存経済であったがために、沖繩の経済というのは非常に消費放漫経済になっている。第三次産業がふえ、外資の抑制というものがあって、何か基地に依存するための経済だけが発展させられた、第三次産業が肥大化した、自立経済というものがほとんど行なえないような状態になってきたというような点で、やはり基地というものは経済の阻害原因になっておるという点、それから平和を維持するという点では、沖繩の県民はほとんどそうは感じておらないと思うのです。これは先ほど渡久山さんの御発言もあったように、軍事基地があったためにいろいろな平和がかき乱されているのだ、人権もじゅうりんされているのだ、平和の維持というものとおよそ縁が遠いのだ、こういうふうなとらえ方をしておると思うのです。  そこで、最後には自衛隊がとってかわるのだからというような説明が政府のほうからされるわけでありますけれども自衛隊に対する印象というのが、これまた戦争中、五十万ぐらいしかないところへ十数万人の人たちを失ったというなまなましい記憶が残っておるわけでありますから、基地に現存しておるアメリカ兵に対するよりも、むしろ自衛隊に対する拒否反応のほうが強いのではないか。したがって、強引に、自衛隊なら同じ同胞だからいいのではなかろうかということで、基地と取りかわるということにすればいいのではないかというような、安易な考え方におちいるというと、骨肉相はむような戦いが沖繩の中で起こり得る可能性があるのではないかということを心配しておるわけでありますけれども、そういうような御不安はお感じになられないかどうかということを、まず大浜先生に伺いたいと思うのであります。  それから、ついででありますから質問だけを続けてしまいますけれども久住先生に伺いたいのは、先ほどは、藤島さんからは非常に貴重な御意見を伺ったのですが、米中会談日本の頭越しに約束を破って行なわれることになった、あるいはまたドル・ショックというものが急激に来たということで、アメリカ自体が非常に苦しい経済情勢に追い込まれているわけです。そうなりますと、安保はいまのところ極東の平和のために必要なんだということで堅持をするというたてまえにはなっておりますけれども、なりふりかまわず、たとえばベトナムの処理の問題を通じあるいは米中雪解けの問題を通じ、自分の国の経済を守るとかなんとかということになると、どんでん返しといいますか、まあ急変をするという可能性を予期しなければならぬ。そうすると、いろいろな情勢を考えてみると、これは専門家じゃありませんからお伺いするわけでありますけれども、安保不要論というのはアメリカの側から出てきやせぬか、そういう可能性というものはないのだろうかということを私は常々考えておるわけですが、その辺に対するお見通しの問題をひとつ専門家立場で伺いたいと思うのです。  それから、最後に米原さんに対してでございますけれども、米原さんの公述の中で、東南アジアの窓口として発展をさせるということばが一つありました。それからアメリカの好意で返還されるということばがあったわけでございますが、アメリカの好意というふうに考えれば考えられないことはないのかもしれませんけれども、サイミントン小委員会というのがアメリカ国会で行なわれた、その議事録というものをずっと見ますと、基地に対する反抗運動、反対運動は非常に激しくなって、基地の平和的な維持がむずかしい、したがって、われわれが沖繩施政権の問題を解決しないというと、今後五年ないし十年にわたってわれわれがそこにとどまることはできないのだ、したがって、基地を返すのだということであって、米の好意によってというふうにばっかりは容易に理解できないのではないか、私はこう思うのですが、どうお考えになるかということが第一点でございます。  それから第二点は、東南アジアの窓口として、確かに距離的には日本の東京、京城、北京、マニラ、香港、ほとんど等距離です。非常にいい場所に軍事的拠点としては目をつけたというふうに思うのですけれども、これを逆に経済的に利用しようという気持ちをわれわれは持っておるわけですけれども、いまの韓国と台湾は日本の生命線だ、その拠点として沖繩を返し、その拠点として維持していく、アメリカの利益に反しない程度にそれを維持していくのだということが前提になっている。  それからANZUS条約というのは、日本との講和条約の発効前、締結前に、ニュージーランド、オーストラリアまでこれは守る。守る中心として沖繩基地として現存するのだということがANZUS条約の中に明記してあるわけですね。そうなりますと、これは東南アジアの平和的な窓口ということたり得ないで、東南アジアに対する非常な脅威の中心拠点が沖繩という形になってあらわれておるのではないかというふうに考えるので、その点はなかなか東南アジアの窓口になるというふうなことが簡単にはいかないのじゃなかろうか、こういう感じが、まあしろうと考えかもしれませんが、してならないわけなんです。その点についての御感想なり考え方がありましたら、三人にそれぞれ伺いたいと思うのです。
  49. 大浜信泉

    大浜公述人 私が沖繩問題に取り組む基本的の姿勢としまして、まず施政権返還そのものがすべてに優先すべきものであるのだという考えを持っておるのであります。したがって、基地の存続の問題、存続する場合の基地のあり方等の問題は付随する条件だと考えておるのであります。基地が残るために施政権が返らなくてもいいのだ、基地条件が悪いから施政権返還が延びてもいいのだという考えは持っておらないのであります。施政権返還がまず何よりも優先して実現さるべきだという姿勢でこの問題に取り組んでおるわけであります。  ただいま御指摘のように、沖繩に膨大な軍事基地があるために沖繩の経済が大体四〇%程度基地に依存しておるかと思うのでありますが、そういう基地依存の経済の姿というものは、決して健全な姿じゃないので、一日も早く基地から脱却して自立自営ができるような、これは日本経済の一環として発展することが望ましいのであります。  ところで、基地全面撤去を望んではたして施政権がいま返るかというと、どうもアメリカとの折衝でいろいろ向こうの感触から判断しますと、いま基地施政権返還と同時に撤去してくれろという主張というものは、とうていなかなか通らない。そうなると、やはり施政権返還がおくれてしまう。だから軍事基地は残ったままでもできるだけ最小限度に縮小して施政権返還を実現すべきだという考えの上に立っておるのであります。  なお、自衛隊の問題についても御指摘がございましたが、自衛隊憲法九条との関連ではたして憲法に適しておるものか、合憲性の問題もありましょう。なお軍事的の立場からああいう自衛隊という防衛の体制が必要かどうかということにも、いろいろ御議論があろうと思います。しかし、現に自衛隊日本に存在しております。そういう体制下において、この沖繩だけは自衛隊進出しない、沖繩日本自衛隊防衛責任を負わないのだということは、ちょっと筋が通らないのじゃないだろうか。また沖繩をそういうふうな形で差別待遇すべきものではないという考えを持っておるのであります。  なお、沖繩の住民が戦争中日本の軍部に非常に圧迫をされ、差別待遇をされて、非常に軍に対する不信、不満感を抱いておることは、よく承知しておるのであります。ですから、軍のイメージが非常に悪いので、その関係で、自衛隊が出ていかれる際には、やはりそのイメージをみな払拭して、昔の軍隊とは違うのだということと、沖繩の住民が体験してきたことを頭に入れられて、そういう疑惑のないように、自衛隊は慎重に行動してもらわなければならぬということは考えておるのでありますが、それだからといって、自衛隊進出はしなくてもいいのだという結論にはならないので、沖繩の住民に誤解のないように、これは当局のほうで十分努力されてしかるべきものじゃないかと思うし、ただ自衛隊がどの程度進出すればいいかということになりますと、これは軍事技術の専門的なことに属するので私にはわからないのでありますが、とにかく最小限度はやはり自衛隊進出は認めるべきであるし、また、それが沖繩のためになる面もあるのだということを申し上げたいと思うのであります。
  50. 久住忠男

    久住公述人 石川先生の御質問は、アメリカのほうから日米安保条約を廃棄してくるようなことはないかというような、ざっと言うとそういう意味の御質問であったと存じます。  私の専門としております戦略思想という問題から原則的に申しますと、こういう外交とか政治というものは情勢の変化に適応するということが一つの重要なるプリンシプルに相なるかと存ずるのであります。また同じようにもう一つのプリンシプルを申しますと、オプションを大きくする、選択の幅というものを常に余裕をもって柔軟に対応するというのがやはり重要なる要素であると私は信じているわけであります。これが国内政治にも外交にも、あるいは軍事問題等においても適用されるというのが、世界の一つの基本的な政治哲学だと思います。  そういう点から申しますと、日米安保条約を、もちろんいつまでも現在のまま維持しなければならないというようなことは原則的に出てまいらないのであります。これには、やはり情勢の変化によりまして、また相手のあることでございますから、それとの関係において、また日本の情勢の変化において考慮しなければならない。いずれの場合にいたしましても、主体性と共通の利益、相手の共通の利益というものを基本に置いて考慮しなければならない、かように考えるわけであります。これが外交であり、安全保障政策であると感じているわけであります。  私が座長をやっております安全保障研究会というのがあります。前には基地問題研究会といっておりましたが、そこで昨年十二月二十八日に、「米軍基地問題の展望」というレポートを出しまして、政府にも提出いたし各政党にもお送りいたしました。この中に、いま御質問の趣旨についても触れてあります。それによりますと、米軍は日本に常駐のような状況でありましたけれども、これは漸次常駐部隊はいなくなるということはすでに既定の事実である。何年かたちますと、沖繩問題についても——先ほど加藤先生に申し上げたのとは若干矛盾する可能性もありますが、沖繩においてもいつまでもアメリカ軍の戦闘部隊が常駐するとは限らない。しかし、日本の安全保障上の利害関係からいいますと、日米安保条約によって日本の安全が保護されるという状況は、いまの段階においては有利なことであって、これをできるだけ続けなければいかぬ。しかし、アメリカは戦闘部隊をここに置かないかもわからぬ。そこでその報告書で提唱いたしましたのは、有事協力戦略というものをとらなければならない。常時は駐留いたしませんけれども、プレゼンスはいたしませんけれども、万一の緊急事態が発生したときには、わが国にある基地を常に使えるような状態に置いておきまして、日米安保条約の精神あるいは条約規定に基づきまして、アメリカの軍隊が日本に機動力をもって進出をしてくる、日本自衛隊はこれと協力するという関係にあるということが、日米安保条約の将来において最も可能性のある、また日本として最も有利な方策ではなかろうかということを提唱いたしました。
  51. 床次徳二

    床次委員長 簡潔にひとつ……。
  52. 久住忠男

    久住公述人 この報告の趣旨につきましては、私も本日この席において、将来はこういうことを立法府の皆さまにもぜひ御検討をお願いしたい、かように考えているわけでございます。  お答えになったかどうかわかりませんが、大体そういうことでございます。
  53. 米原正博

    ○米原公述人 沖繩返還は米国の好意じゃないんだというお話でありますけれども、これは基本的に考え方の相違があろうかと思います。私は確かにサイミントン小委員会であるとか米上院外交委員会等の発言の中でありましたように、アメリカの議会の中でも、沖繩返還することに対してのタカ派的な意見やハト派的な意見もあったろうかと思います。けれども、私が聞いている範囲において判断できることは、やはり敗戦国日本に対して、またがってないこういう返還協定というものが実現していく裏は、日米友好を基本にしていこうとするアメリカの好意にほかならないという認識に立って発言した次第であります。  それから、東南アジアの窓口という話は、これはちょっといきさつが、御質問の趣旨と私の話しましたこととは違っておりまして、私が申し上げたのは、沖繩の県民というものは二十六年の間にたいへんな資産を持っている。その資産は何だ、二十六年といいますと、生まれた子供が二十六歳になります。その間における教育や、その生活の中において、日本人が一番不得手な国際的な関係において国際人としてのいわゆる順応性というものを一番身につけている県民であるという認識に立つときに、沖繩が今後新しい産業構造を求めていくときに、東南アジアというものを、あるいはもちろん中国をも含む地域においての沖繩というものの存在が、そのいい意味の窓口になっていくべきである。防衛の窓口であるとかそういう立場でなくて、沖繩県民の一番いい特殊性を生かす、資産を生かす産業は何だろうかと考えてみますと、確かにそこに東南アジアの大きな文化センターでもつくる。日本が考えられる東南アジアに対する協力機構の一環をそこに大きなものを持っていくような大きな施策はないだろうか、そういう点から考えたら、沖繩県民というのは一番適しているという見解に立ったものですから、そういう窓口という立場で話を申し上げた次第であります。  お答えになりましたかどうかわかりませんが、答弁させていただきます。
  54. 床次徳二

    床次委員長 先ほど山口君から質疑がありました大浜公述人に対する保留された答弁でありますか、発言を求められておりますので、お願いいたします。
  55. 大浜信泉

    大浜公述人 先ほどの御質問に対して、よく実情がわからぬものですから、回答を留保させていただきましたが、私、南方同胞援護会会長になったのが昭和三十六年でございます。当時の総理の池田さんからその話がありまして、当時、私、早稲田大学の総長の地位にありましたので、とうてい片手間仕事でそういう大役をお引き受けしかねるので、一応御辞退を申し上げたのでありますが、その後、当時の官房長官であられた大平さんから重ねてお話がありまして、副会長、専務理事がこの常務は一切あずかってやるので、会長はそう毎日事務所に出なければならぬという性質のものでもないから、とにかく引き受けてくれろというお話があったので、お引き受けをしたのであります。  それで、実際の事務の関与の程度でありますけれども、あの当時はほかに専務の職があるものですから、ときどきは参り、理事会、評議委員会等の会合の際には出て会の司会はしましたけれども、日常業務についてほとんど関知しない、ただ重要事項については報告を受ける程度のことであったのであります。したがって、その当時はずっと無給で名誉職みたような地位にあったのでありますが、専任につとめるようになりましたのは、昭和四十一年に早稲田大学の総長をやめ、四十二年から初めて常勤という形で仕事に携わったことになっておるのであります。  そういう期間の間の問題ですから、自信が持てなかったので、専務理事に事情を聞いてみたのでありますが、聞いてみますと、幾ら調べても南方同胞援護会としてそういう書面を提出した覚えはないし、そういう事実もないという答えであります。ただ、総理が訪米されるについて、いろいろ総理府内にときどき会合があって、いろいろな資料を提供しなければならぬということで、専務理事が呼ばれたり、副会長が呼ばれたりして、メモ程度のものは上げたことはあるけれども、先ほど御質問のような趣旨の正式の書類というものは出ておらぬというのが真相であります。
  56. 床次徳二

    床次委員長 大体時間が過ぎておりますし、きょうの趣旨と違うと思うのですが、適当に結論をしていただきたいと思います。
  57. 山口鶴男

    ○山口(鶴)委員 じゃ簡単にお尋ねしますけれども、予算委員会でこのことが議論をされまして、こうなっています。との文書は総理府が印刷されて、総理府の用紙が使われている。しかも極秘の印が押されて保存をされている。提出された当時の総務長官は臼井総務長官ということでありまして、文書の主たる内容は、私、先ほど申し上げたとおりでありますが、これが問答形式で、私が——というのは佐藤総理ですが、私がこれこれのことを要求するという形の問答形式のきちっとした文書になって提示されておるのです。非常勤のときのことだからつまびらかでない、こういうお話でありますが、はっきりと山中総務長官も、同胞援護会の文書として臼井長官当時の総理府に提示をされ、それが印刷をされて極秘の判こも押さって保存されておるということはちゃんと認めておるのですよ。しかも内容が不穏当だということも認めておるわけです。  どうなんですか。この主席公選については、与党体制の確立をはかりつつ、公選方式も研究して実現をしてほしいというような文書が、これは出ていることは事実なんです。これは予算委員会でも明らかになっているんですから、これは明確にしてもらわなければなりませんし、そういう趣旨が南方同胞援護会のいわば考え方なのか、このこともあわせて明確にお答えをいただきたいと思います。
  58. 大浜信泉

    大浜公述人 先ほど申し上げましたように、そういうことを南方同胞援護会の役員の間で話し合いをしたことは事実ないのであります。また、そういう書類を作成して提出したという事実もないというのが事務担当者の答えでありますので——しかし、いま御指摘のような書類が現に出ておるとすれば、どういういきさつでそういう書類ができ上がっておるのか、これはもう少しせんさくしてみなければわからないのでありますが、いまのところでは、それ以上お答えすることができないのであります。もし、援護会が、はたしてそういうことを出しておるとすれば、むろん私は非常勤でありましても、会長として責任は負うつもりでありますが、とにかく、いままで呼んでいろいろ聞いてみますと、そういう事実はないということであります。
  59. 床次徳二

    床次委員長 山口君に申し上げますが、時間も過ぎておりますし、簡潔に。
  60. 山口鶴男

    ○山口(鶴)委員 ですから、出ているとすれば責任を負うと、こう明確に会長お答えになったわけでありまして、総理府のほうには、文書は明確に出ておるわけでありますから、その間の事情を同胞援護会としてもお調べになって、こういう経過だということを、当委員会にひとつ資料として、後刻でけっこうでありますから、御報告をいただくことを要求をいたしたいと思います。——承知されたということでありますから了解をいたします。
  61. 床次徳二

    床次委員長 井上普方君。
  62. 井上普方

    ○井上委員 室井公述人にお尋ねをいたしたいと存ずるのでありますが、アメリカ沖繩統治の最高法規である琉球管理命令を受けた布告、布令に基づいて行なわれました裁判を不服とするものの再審あるいは救済のあり方について、どのように考えておられるか、この点お伺いいたしたいのであります。  もう一つは、このたびの返還協定で、沖繩の県民が持つ請求権、これを全部放棄することになるのでありますが、これらに対する御見解をお伺いいたしたいのと、同時に、特別措置によりまして、政府が見舞金を出すということになっておるのでございますが、この点についての御見解をお伺いいたしたいと存ずるのでございます。  次に、久住公述人にお伺いいたしますが、先ほども久住さんがアメリカに参られまして、そして、何ですか、外交専門家であり沖繩専門家である有名高官に——何とかおっしゃられましたが、話をなさって、沖繩施政権アメリカが持つことは占領政策上大きな損じゃないかとおっしゃった。そうすると、非常におもしろい見解だというようなことを言われたというお話がございます。私どもは、サイミントン報告並びにアメリカの上院外交委員会の議事録なんかを拝見いたしまして、このたびの沖繩返還協定の原動力になったのは、沖繩県民の反戦平和の運動、反基地運動が私は原動力になった、その裏づけが、先ほどあなたがおっしゃった、アメリカ施政権を持つことは損だというおことばにもあらわれておるし、かつまたサイミントン委員会あるいはアメリカ外交委員会のジョンソン国務次官、あるいはまたレアード国防長官の証言となってあらわれておるのではないかと思うのです。この点についての、まあ旧軍人さんとしての久住さんのひとつ御見解をお伺いいたしたい。  さらにもう一つは、先ほどのお話の中で国際情勢が非常に流動的である。したがって、五年あるいは十年というんじゃなくて、三年間は外交上もじっとしておれ、こういう御趣旨であったように思うのです。結局日米安保体制あるいはまたこの沖繩返還によりまして、われわれは日米安保体制が質的に変化し、より軍事的に緊密化すると私どもは思うのでございますけれども、まあこのままじっと三年間おったほうがいい、こういう御意見のように承ったのであります。そこで三年という年月をどこから割り出してきたかということは、私らはどうもあなたのお話からはくみ取れないのが一つ。  もう一つは、先ほども石川委員に対するお話の中で、国防政策あるいは外交政策というものはこれは情勢に対応させなければならない、あるいはまた選択の幅を持たなければならない、これがプリンツィップだ、こう仰せられる。しかし、あなたのお話から承りますると、選択の幅も日米安保体制というものの中で考えられる、あるいはまたその情勢に適応しなければならない原理にも、いまの米中接近あるいはまた米中の接近で三極時代、多極化時代といわれるこの現在の世界情勢にはたしていまの日米安保体制を守っていくことが世界の情勢に適応されておるのかどうか。これは後世の史家の評を待たなければならないかもしれませんが、しかし、そういう点で考え方として非常に幅が狭いんじゃないか。  もう一つは、このような流動的な世界情勢、特にアジアの情勢の中において、日本はこれだけの経済力を持つ国家として、そういう成長をいたしておりますから、当然リーダーシップをとりながら冷戦構造を緩和させる、そうして平和共存の方向に進めるだけの実力を日本はアジア地域においては持っておると思うのです。あるいは世界情勢の中において持っておるので、積極的に、ただ単にアメリカとの追随外交と申しては語弊があるかもしれませんけれども日米安保体制の中に閉じこもる中から打ち破っていく必要が今後日本外交方針として必要なんじゃないか。この点軍人なり軍事評論家としてのあなたの御見解を承りたいのでございます。  さらに、久住さんはかつては陸軍の参謀さんだったと思うのですが……。
  63. 床次徳二

    床次委員長 簡潔にお願いします。
  64. 井上普方

    ○井上委員 もう一つは、戦争中あるいはまた戦前におきましては、日本の国策を決定するのは軍人さんがどうもリーダーを持ったようでもあるし、それから日本外交方針につきましても、当時の文官と非常に衝突があったように見受けられる。このことがアメリカの国務省と国防省との間でも見られやしないか、このように考えられるのであります。一例を申しますと先般も……。
  65. 床次徳二

    床次委員長 答弁の時間がありますから簡潔に。
  66. 井上普方

    ○井上委員 先般も岩国基地に核があるじゃないかというようなことが問題になりましたときに、アメリカの大使館からの報告では、核じゃございません、あれは機関砲でございますと、こういう報告なんです。ところが、自衛隊から調べに行った何とか空将補というのが見に行きますというと、その貯蔵庫の中は、今度は魚雷になったり、爆雷になっておる。機関砲がいつの間にか爆雷になったり魚雷に変わっている。全く軍人さんと外交官との間に断絶があるように思われてならないのであります。そういうようなところをひとつあなたのお知りになっておるところをお伺いたしたいと思います。
  67. 室井力

    室井公述人 お答えします。  まず、布令による裁判の効力の問題ですが、私、以下のお話はいずれも沖繩返選協定が、いろいろな方法があるでしょうけれども、有効に成立した場合としてお話し申し上げます。  これはアメリカに対する日本国の責務として定まっているものですから、日本国民に対して日本政府なり日本国会がどういうふうにするかはまた別途の問題だと思います。したがって、憲法上の刑事被告人なら刑事被告人の権利なり、憲法上の制度の保障なくして行なわれた裁判について、わが国が独自に国内において沖繩における当時の裁判をもう一度再審するということはむしろ好ましい。先ほどからのお話ですと、非常に沖繩では差別待遇がずっとあったものですから、むしろその意味でも日本憲法に照らしての裁判を行なうことは望ましいと思います。そして、それは決して沖繩協定には違反しないと思います。  それから、第二の請求権の問題ですが、これも同様に協定においてはアメリカに対して放棄しているわけですが、その場合でも、日本国内でこれをどう考えるか別の問題です。見舞金の話がございましたけれども、これはあくまでも見舞金であって権利じゃないわけですね。だから被害者が権利として要求することのできる特別法をつくってもよいし、もしそういう法律がなくても、国家賠償法でこれはまた日本国内において法律上賠償請求訴訟が国に対して起こされるかもしれません。そういうふうに考えます。
  68. 久住忠男

    久住公述人 井上先生から三つの御質問を受けました。第一は、私がハリマン大使と会ったときの昔の話を、よけいな話をしたわけですが、そのときのことから説き起こされて、沖繩施政権返還、今日に至ったのは、反戦平和の運動がその効果をあげたんではないかということを御指摘でございました。それが第一の御質問の要点であったような気がいたします。  私は必ずしもさようではないという認識を持っておるものであります。一九六五年ごろからひんぴんと私も沖繩に参ることになりまして、そのうちに沖繩県人会にでも入れてもらおうと思っている者の一人でございますが、県人会といえば井上先生は私と同じところの選挙区からお出の方でございますが、私の認識では、沖繩返還を今日に至らしめた最大の功労者は、ここにいらっしゃる大浜信泉先生をはじめとして屋良朝苗、喜屋武眞榮などといった、主として教育畑から出てこられた俊英の方々の熱意あふるる日の丸運動であったと思います。これは祖国復帰を旗じるしにした巨大なる民族運動でございます。それが屋良朝苗氏をして行政主席に当選せしめ、その後に始まりましたのはアメリカのB52事件だとか、いろいろなことが起こりましたことによる、いわゆる反戦平和の運動も加わってきたわけでありまして、私の見方はやはり先ほど金城さんがお話のありましたように、祖国復帰という一つの大きな流れ、また人権問題という一つの異民族支配下から脱しようとする動き、運動、現実な願いでございます。それが主流であって根本であるというのが私の認識でございます。  第二の、三年ということを私が結論的に申し上げたことについての御異論、疑問をお述べになりましたが、これは時間の関係上理由をくだくだと述べることを怠りましたので、そういうことでありますが、三年というのはやはりこの付近を見回しますと、朝鮮半島の場合におきましても、現状ではとても来年になったらどうなるということは申し上げ得ない状況にあります。中国にいたしましてもソビエトの関係もありますし、中国の政治的な内情と申しますか、こういうのも今後第四次五カ年計画等を立案しようとしておられます。また、国民代表大会等をこれから開きまして、国づくりの基本をこれからきめていくということでありまして、最近もいろいろなうわさが流れております。人事問題等についていろいろな問題があります。こういうものの安定を見るということは、ああいう大きな国でございますから、これは半年やそこらでは簡単に片づかない。それの余波というものも十分考えられます。また、最も大きな問題は台湾問題でございまして、これの解決には私はやはり少なくとも三年はじっと見ていただかなければ、今日現在直ちに結論を出せといって迫られるのは野党の皆さまであり、国民の一部の人たちでございますけれども、私はこういう外交問題等はできるだけ慎重に情勢の変化を見て——先取りということも必要でございますけれども、実行に移す段階におきましてはできるだけ慎重にやる必要がある。軍事問題からいいますとこれはリードタイムというのでありまして、リードタイムというものは、事柄が大きければ大きいほど余裕を持ってリードタイムをとっていただかなければならないということで、三年と申し上げたわけであります。  それから、最後の御質問はたいへん現実的な話で、しかもアメリカの話でございましたので、私はあまり人さまの家庭の事情などを申し上げたくないのでありますが、国防省と国務省がうまくいってないのじゃないかというような話、言うことが矛盾しているじゃないかという話、これは御指摘のようなことの事実があったと思います。私たちも常にそういうことがあることを体験をいたしております。国務省と国防省だけでなくて、国防省の中でも国防省のシビリアンのほうと軍人では、陸軍、海軍、空軍というのがありまして、沖繩の現地におきましてもいろいろこれがそれぞれの軍の都合によりまして、日本側との交渉を困難にするという点があるのであります。これは人事はあまり言えないのでありまして、わが国におきましても同じような情勢が多数現出して国民を悩ましているわけでございまして、そういう点でこれはやむを得ない問題だと思っております。
  69. 床次徳二

    床次委員長 門司亮君。
  70. 門司亮

    ○門司委員 私は久住先生に率直に一つだけお伺いをしておきたいと思います。  それは、きょうおいでをいただきました皆さまの意見をずっと総合いたしてまいりますと、賛成をされる方も反対される方も、賛成される方にいたしましても必ずしもいま出ておる法案がそれでよろしいという方はないようでありまするし、それから反対をされる方にいたしましても、基本的に、露骨なことばでいえば復帰に対する反対という、いわゆる復帰はいけないのだというような御意見も見当たりません。そうなってまいりますと、結局いま私ども審議いたしておりまする者の態度としては、個々の問題については私どもも承服ができない、いわゆるVOAの問題にいたしましても、あるいは公用地の問題にいたしましても、こうした立法について賛成をするわけにはまいりません。それからもう一つは、賛成者の方の中には、やはり法理論的にものを考えられている面が非常に多いようであります。安保条約はあるのだから、そのワクの中だからよろしいのだということ、日本自衛隊があるのだから、それでよろしいのだということ、法理論的にものを片づければ一応そういうことも言えようかと思いますが、そういうものが現地で非常に反対をされておるというところに一つの大きな問題が私はありやしないかと思う。  そこで、軍事的に世界の情勢をずっとごらんになる久住先生からひとつその辺に——いまお伺いをいたしておりまするものの中には、いろいろ国際情勢というものが変化してくる、その中でもう少し実態を見る必要がありはしないかというような御意見もありまするし、それから国際情勢が変化するのだから現実の問題だけをとらえて反対だというのも賛成しかねるじゃないか、こういう御意見のように拝聴いたしております。そこで教えていただきたいと思いますことは、そういう二つの、基本的には、ことばをかえて言いますと、どちらにも一まつの不安がある。返ってくることもよろしいが、しかし、こういう条件は困る。反対されておる方も、別に返ってくることに積極的な反対はしていないが、しかし、法理論的にこういうときにおかしいのがあるという、国内法としての一つ一つの法理論と、全体のワクをはめた法理論との二つの交差があるように感じます。  そこで、問題になりますのは、それらの問題に対して一体現実的にどう対処することがよろしいかということでありまして、私どもとしては、世界の情勢ということにあまり大きなウエートを置いてまいりますと、どうしても現地を押えつける態度に出ざるを得ないという、こういう感じがいたします。それは、現実の問題と、世界の情勢というのはどう変わるかわからぬという広い視野の上に立ってです。沖繩の住民諸君にはそういうことはなかなか理解できないことなんです。それで押しつけようとすれば、結局、沖繩の諸君の受け取る感じというのは、やはり第二の琉球処分だというような感じを受けざるを得ない。その辺の考えをひとつお聞かせを願っておければ非常に幸いだと思うのですが……。
  71. 久住忠男

    久住公述人 いま門司先生からたいへん広範な御質問を受けまして、私ごとき者で十分なお答えができるかどうかは疑わしいのでありますが、せっかくの御質問でございますので、若干私見を申し述べさせていただきたいと思います。  沖繩施政権返還問題は、るる多くの方が述べられましたように、やはり返還をこの時期に達成するということは、何をおきましても至上命令でございまして、この点については、どの政党の方も、また国民の大多数も反対はなされていない。わが国におきましては珍しく戦後ナショナルコンセンサスの達成された大きな案件だと考えているわけであります。しかし、その過程におきまして、外交問題でございますので、これがはたして日本のためになるのかという問題、あるいは沖繩の人のためになるのかというところで御議論が分かれるわけだと思います。  議論が分かれる一番大きな問題は、やはり軍事基地がございますので、これが日本並びに極東の平和のためにプラスになるのか、ならないのかという問題。私の意見を申しますと、沖繩軍事基地が現在のような形であり、戦争抑止力として若干これが温存され、最終的には、先ほど申しましたように、有事協力戦略といったような形で安定をいたしますと、わが国としては比較的有利な、また、わが国の安全のために安心のできる体制だと考えているわけです。ここのところの認識が、政治的な立場の違いによっていろいろ出てくるわけです。  またもう一つは、沖繩の人がはたしてこれで繁栄をし、福祉を維持できるかという問題の分析のしかたがありますが、これにつきましては私は多くを言う能力を持ちませんけれども、私の見るところでは、最近、どなたがお考えになったか知りませんが、たとえば世界海洋博といったようなものを企てられ、一千億円という巨費を現地に投ぜられて永久に残るような施設をつくろうという、なかなかいいことを考えられており、私も海洋博の使用人にでも使っていただきたいくらいの、これはたいへんりっぱなものになると思っておりますが、そういったような新しいいろいろなことを、これから次から次へと開発するにあたって考えてやっていただきますれば、大多数の沖繩の人たちも、そういま持っているような不安がなしに、喜んで復帰を祝っていただけるのではないかと考えているわけであります。  いずれにしましても、門司先生の御質問は、意見が非常に分かれておるので、これをどうすればいいか、こういう話でございますので、そこで、いろいろな法律案もございますし、協定のほうはすでに可決をされたわけでありますが、そういうのに対してどこが心配かということになりますと、先ほども申しましたように、公用地等暫定使用に関する法律案におきましては、私権に対して国の強権があまりにも乱用されはしないかということでございます。また、これがいつまでも、不必要なのにこの土地が国に取り上げられはしないかということであろうと思います。こういうことにつきましては、立法技術につきましては全く門外漢でありますけれども、いろいろな政治的のお考えを持った方が多いのでありまして、こういうことについては何かの形で歯どめをするといったようなことで、こういう問題の法律案について、その弱点、欠陥を是正するというようなことも不可能ではないと考えるわけでありまして、門司先生はおっしゃいませんでしたけれども、きっとこういうようなことについて何かいい考えがないかとおっしゃられたような感じがいたしますので、あまり自信はございませんけれども、しろうとの考えとして申し上げる次第でございます。
  72. 床次徳二

    床次委員長 佐藤文生君。
  73. 佐藤文生

    佐藤(文)委員 第一点は、久住さんにお尋ねします。  その第一点は、ニクソン・ドクトリンの中に二律背反性があるのではないかという考え方を私持っておりますので、アジアの情勢の非常に複雑な中で出されたあのドクトリンに対して、そういう考え方を持っておりますので、それをお聞きしたいということ。  それから第二点は、米原さんにお尋ねします。  那覇、特にコザ地区における基地経済から他産業への転換のために、予想以上の不安があると私は思います。これについてどういうお考えを持っておるか。中小企業の経営者の集団としての青年会議所が、どのようなプロジェクトで沖繩地区のこういった方々のJCのメンバーとアプローチしているかという点についてお尋ねしたい。  それから第三点は、金城先生と渡久山先生にお尋ねしたいと思います。  教育委員会制度が公選制から任命制へど移管すると思います。この点についてお尋ねします。  第一点は久住先生にお尋ねしますが、印パ戦争は、われわれ日本人の願望とうらはらに、やはり国際政局においては力の政策というものをはっきり示してくれました。非常に残念なことですけれども、それが現実であります。その中でニクソン大統領は、ベトナムの戦争、アメリカの経済、こういう問題を背景にして、一日も早く極東アジアから撤兵していく、こういう内容を盛り込んでおりますけれども、一方では、日華、米華、あるいは日米安保、あるいは日韓、こういう問題を通じて極東アジアに対処する防衛力というものの増強を望んでいるやに見受けられる。こういったような二律背反性をわれわれは踏まえて、第四次防衛計画——沖繩基地も入っております。そういう問題についてわれわれは審議に入ろうといたしておりますが、参考になる意見を聞かしていただきたい、こう思います。  それから第二点の米原さんにつきましては、私自身本土にあって、特に私の別府地区においては昭和三十年まで米軍がおりました。三十年の終わりに一挙に撤退をいたしまして自衛隊が入りました。その間において、基地周辺の零細中小企業が他産業に移転する場合の不安というものはたいへんなものでありました。私は日米関係の間の調停委員になってその指導をしてまいりましたけれども沖繩における基地産業から他産業への転換は、それより以上の不安があると思うのです。したがって、私ども政府に対して、本土並みどころではない、本土以上の愛情をもってその転換の作業というものを懇切丁寧にやらなくてはならぬ、こういうことを要請しておりますが、実際中小企業の経済活動をされておる青年会議所も、ぜひそのような指導なり助言をして、その不安をなくしていただきたい、こういう願いがあるわけです。したがって、当然そういう問題に対するプロジェクトがあると思いますので、お聞かせ願えれば幸いだと思います。  それから第三点の教育委員会制度の問題については、戦後アメリカ日本を占領した際に、三つの方針を出しました。その第一は、日教組の結成、教育委員会設置——新設といっていいですか、日本にとっては初めてである。それから第三番目が、歴史と地理の教育の廃止、こういったような占領政策をわれわれはやむなく引き受けました。そうして逐次国民の良識に立って教育の正常化なり中立化を現在まで続けて、現時点においてもその戦後の傷あとはやはり本土でも残っております。それほど長い歴史をかけて教育の正常化をわれわれが取り組む中で、公選制から任命制に移行しました。その際にわれわれが非常に心配したのは、公選制から任命制への移行の際に、学問の自由、あるいはそれと教師の選択権がない義務教育制度の体制下において、文部省の検定制度のもとに教科書の選択を教育委員会にまかせて、いま、教育の正常化なりあるいは中立化という問題について、傷あとを残しながらも前向きでわれわれは努力をいたしておるわけであります。公選制から任命制への移行の危惧はだんだんとなくなりまして、現在、私自身も大分県の革新県政のもとで教育委員をした経験上、その中でかちえたものは、やはり国民の良識にささえられた教育の正常化なり中立化でありまして、だんだんと定着してまいりました。したがって、沖繩においては数年間の準備期間がありますので、現場における両先生の意見を私は聞きまして、沖繩県民に不安のないように、そういう移行過程ができますようにお願いすると同時に、御両所の意見を承りたい。  以上であります。
  74. 久住忠男

    久住公述人 佐藤先生の御質問、ニクソン・ドクトリンの二律背反性という、いみじくも御指摘でございましたが、よく考えてみますと、重要な外交政策あたりで二律背反に値しないようなものがあったとすると、これは非常にあぶないといわざるを得ないのでありまして、バランスのとれた、長くその方針を維持できるような政策の中には、必ずといっていいぐらい二律背反性を含んでおります。また、それでなければ多くの国民の支持も得られないし、国際的な信用も得られないのであろうと思います。極端にいえば、民主主義の原則ということでございましょう。  それはあまりにも大ざっぱな説明でございますが、ニクソン・ドクトリンというものは、御承知のとおり、アメリカが建国以来初めて対外的にとりました後退政策であるという点において注目を要するのであります。独立以来、モンロー・ドクトリン、ジョン・ヘイのオープン・ドア・システム、その後の第二次大戦後に至りまして封じ込め戦略、こういうようなかっこうでずっと出てまいりましたのが、アジア大陸の一角に手をかけたということによりまして、アメリカはここで一つの壁にぶつかったわけであります。これがまた国内にもいろいろな形で反映をいたしましたということで、アメリカの学者、政治家、言論人は大いにこの問題の解決について頭をしぼったわけでありまして、出てまいりましたのが、ニクソン大統領就任以来の課題であるニクソン・ドクトリンという形であります。  これを私のような専門の面からいいますと、二律背反性というのはこういう形であらわれております。アジア大陸に対して地上軍を大量に行使するようなことは今後はやらない、そのかわり、その周辺地域、海洋、日本等を中心にいたしました西太平洋並びに東南アジア方面の海域におけるアメリカを中心とした自由圏諸国の勢力維持につきましては、第七艦隊を中心とした戦争抑止力に依存をする、こういうことでありまして、それをしも二律背反性というといたしますと、必ずしも二律背反ではなくて、限界介入、限界的な軍事力の行使といったほうがより適当ではないかと考えるわけであります。しかし、たとえば最近の米中接近問題あたりで考えられることからいいますと、二律背反性というのがより正しいということになります。  これはアングロサクソンの伝統的思想でしょうが、チャーチルに有名なことばがあります。ウイ・アーム・ツー・パーレー、交渉するためにわれわれは武装するのだ、こういうような考え方、これは御承知のチャーチルという人の個性かもわかりませんが、やはりアングロサクソンなどの伝統的な考え方の一つじゃないかと思います。  中国とアメリカが、大統領まで北京を訪問いたしまして、これからできれば親善関係を結ぼうという話し合いに入るわけでありますけれども、そのことについて、私たちは、先ほど言いましたように、中ソ国境の軍事的対立が北京をして考え方を変えざるを得なくさせたのだというふうに説きますと、アメリカの学者、外交官は私にこう言います。そうではない、沖繩方面にあるアメリカの厳然としたミリタリープレゼンス、これが中国をして従来の考え方を変えしめたのですよ。これは私の言った説に対して反論をされたにすぎないかもわかりませんけれどもアメリカの考え方の中には、そういったような両面性といいますか、慎重なかまえと、手を差し出す、握手ということが常にバランスをとった形で行なわれておる。これはアメリカの考え方というよりは、より西ヨーロッパ的な古い考え方といったほうがいいかもわかりませんが、そういうのが、御質問のニクソン・ドクトリンの二律背反性ということの部分的な解明ではないかと思いますけれども、そのほかにももちろん非常に複雑なる二重性、三重性というようなことが含まれておりまして、一石二鳥、一石三鳥をはかるということもこの中に含まれているかもわかりません。  大体そんなところであります。
  75. 米原正博

    ○米原公述人 那覇とコザ地区を中心とした中小企業の経営者の立場に立って、非常に不安が多いと思われるがどうだという御意見がございましたが、まことにごもっともな現実的な意見だと思います。  私もこの地域を見ますと、現在沖繩には大企業というものはございません。ほとんどが零細企業の経営者の集まりであります。そしてその大部分が、先ほどどなたか申されました基地経済依存の部分が非常に多いわけであります。その経営者の方々が——たしか十月九日に一ドル三百六十円の交換レートで個人の現金は保証されましたけれども、法人の資産というものについての十分な保証はまだされているとは聞いておりません。そういう面から考えて、それ以降なおかつドルで商売を続けていかなければいけない、しかもドルの不安というものは、円が切り上がるという不安だけではなくて、ドルが切り下がるということが明白になればなるほど、たとえば来年の夏ごろまで返還ができない、返ってこないとするならば、その一年の間に何とかもうけていかなければいけない。中小企業の経営者が利益を一割あげるということは、もう最大限度の努力であろうと私どもは考えます。そうしますと、利益を一割一生懸命汗水たらしてあげても、ドルが下がってしまう、円が上がっていくというものすごい不安にいま沖繩方々、経営者がとらわれているという認識をここであらためて持たなければいけない。この現実論というものを考えてみますと、沖繩の経済の事情というものはたいへんなものだ。しかも中小企業といっても、日本におけるわれわれの中小企業との格差というものはものすごい幅がございます。そうなってきますと、ややもすれば、われわれがメリットを求めて沖繩に乗り込むとするならば、簡単に沖繩の中小企業の中を席巻していくということだって、本土の企業体が流れ込むことだって考えられます。そういう場面を想定すればするほど、沖繩というものの現在の基地経済からの転換をするためには、どんなことをしなければいけないか……
  76. 床次徳二

    床次委員長 恐縮ですが、簡単にお願いします。
  77. 米原正博

    ○米原公述人 まずアメリカとプエルトリコの例にありますような特別措置をとる必要がある。税制、金融財政の大胆な優遇措置、これはどうしてもとらなければいかぬ。いわゆる沖繩振興開発金融公庫というところの融資条件なんかがいろいろありますけれども、どうしても本土の政策金融と似たような形になってしまいます。とてもそれではやっていけない。何とか特殊な措置をお願いしない限り、沖繩のほんとうの零細企業を生かしていこうと思うなら、立っていけそうもないというのが認識であります。  それとともに、もう一つは人間関係、いわゆる人的資源の開発という部分がまだまだ足りません。私どもは、経営者の仲間で現在地域開発専門家を次々に沖繩に派遣しております。ちょうど経済企画庁の国民生活局等で活躍されている方、諮問されている方々を中心にして毎月のように向こうに送りまして、いわゆる人的な開発というものに当たる努力はしております。けれども、現実は非常に悲惨なものになりそうである、何とかしてあげてほしい、この現実論を何とか片づけていただくことがいまの急務じゃないか、沖繩経済は救えなくなるよという心配を私はしております。
  78. 床次徳二

    床次委員長 金城君。恐縮ですが、簡単にお願いします。
  79. 金城和彦

    金城公述人 先ほどの御質問は、沖繩における任命制か公選制かという問題であると思いますが、お話にもありましたとおり、かつてわが国におきまして公選制でありまして、それが任命制に切りかえられまして、最初御指摘のように不安もあったと思いますけれども、着々としてそれが定着いたしまして教育正常化の道に進んでおる、お説のとおりだと思います。そうしますと、この任命制と公選制はすでに経験済みでありまして、この任命制がわが国において定着しておる、こういう場合に、あえて沖繩だけ特別に公選制の必要はない、そう私は思っております。  以上です。
  80. 渡久山長輝

    ○渡久山公述人 先ほどの御質問ですけれども、何か現在の教育基本法などがアメリカ的なという感じをちょっと受けたんですが、私はそうは思わないわけです。いわゆる教育基本法というのは、戦前の国家統制になされた教育の弊害を除くという、いわゆる教育の中央集権化を除くという観点から、憲法が二十一年、それから教育基本法が二十二年に制定されたと思うのですね。そういうような観点から地方教育行政法ができておりますし、これはあくまでもいま沖繩で行なわれている教育基本法並びに地行法のいわゆる公選制は守らなければならない。現場でどうなっているかということですが、三十一年に改悪されたこの教育行政法はいろいろな問題点を含み、たとえば、文部省は指導要領の法的拘束性云々の中から教育内容にまで介入しているのが現状でございます。ですから、教育は実に現場教師としては憂うるべき状態になっています。これについては杉本判決が一応出しておりますので、これは御存じだろうと思います。私は、公選制は守るべきであり、逆に本土の側が公選制に戻ることを期待しております。
  81. 床次徳二

  82. 川俣健二郎

    ○川俣委員 大浜先生、室井先生、久住先生、お三人にお伺いしたいと思います。だいぶ前の質問者で網羅されておりますので、各先生に一つずつ承りたいと思います。  まず、大浜先生でございますが、これは国会内でも、あるいは現地公聴会でも抽象的に話が出た強行採決とこれからの委員会の態度等でございます。問題は、まず返せばいいじゃないか、返してもらおうじゃないかという意見と、いや内容だという意見で、国論が二つに分かれておるさなかである。そこで、先生は、返還協定関係法案ともに御賛成の意を表明しながら、そこで日本政府沖繩政府とがよく話し合って納得の線でつくられた要綱云々というお話もあっただけに、お伺いしたいと思うのでございます。  ところが、じっくりお話し合いどころか、むしろあのような態度と申しますか——たとえば一つの建議書を取り上げましてもそうです。やっと屋良主席がかたく握りしめて羽田におりたとたんに、ああいう採決暴挙、こういった面が——あれは一般の声は私たち非常に聞きましたが、先生のように議会制度に精通されておる方——私なんか先生に教わったほうでございますけれども、先生のような、教鞭をとられて、議会制度に精通されておられる方から見ると、今回のあれはどのように目に映ったであろうかということを端的に表明していただきたいと思います。  それから室井先生は、憲法の違反の問題等々は、前の質問に出ましたのでこれはけっこうでございますが、一点だけ地方自治の問題に触れられたと思います。そこで、三割自治云々ということで、いま本土内でもかなり長年すわったいまの自民党政権に対する非難がございます。ところが沖繩の場合は、三割自治どころか、さらにもっと吸い上げる危険性がこの法案にはあるんだ。ひとつ具体的にお示し願えればたいへん幸いだ、こう思っておるわけでございます。  それから久住先生でございますが、私は、めったにない軍事評論のお話を承りまして、興味を持って伺いました。軍事基地機能国際情勢あるいは変化等に基づく——そういうところで、もう一ぺん私たちの年代は軍隊か自衛隊かということの観念で先生のお話を承っておったわけでございます。そこで私は、こういう質問をして理解を深めたいと思います。  というのは、江崎さんがこの間新長官になられて、おとといですか——これは決して放言ではございませんから、他意ございません。いわゆる栄誉礼を受けたあとの訓示でございます。その内容をちょっと読んでみますから。というのは、こういうことです。「自衛官は、あくまで精強でなければならない。」これはごあいさつですから、士気を鼓舞するという意味です。いわゆる専守防衛、「特に人類破滅をももたらす核兵器が出てきてからの自衛隊の行き方は攻めもするが守りもするという“両刃の刀”のような軍隊でなく、相手が攻めてくればこれを果敢に排除するものでなければならない。いわば空手の大家のようなものだ。」これは沖繩にいま問題があるだけにから手に結びつけたと思いますが、そこで、先生のように軍事評論家専門家の考え方からすると、その程度自衛隊沖繩軍事基地というのはこと足りるのだろうかということについてお話を承りたいと思うのでございます。  以上三点です。
  83. 大浜信泉

    大浜公述人 ただいまの御質問の要点で私はっきり理解できなかったのでありますが、第一点は、沖繩復帰に関する関連法案について、琉球政府日本政府との間に話し合いが行なわれて、それが煮詰まったのが要綱として閣議の決定を経て発表され、それが法文化されたのがいま上程された諸法案であるのだというふうに私は理解したのだが、必ずしもそうではないのじゃないかという御質問でありますか、そこをちょっと御質問をもう少しはっきりしていただきたいと思うのですが……。
  84. 川俣健二郎

    ○川俣委員 先生が時間がないようでございますから、質問は一点でございます。  ああいうような形で採決されたのを、専門のような先生の目から見ると、あの強行採決というか、暴挙というのは、どのような形で目に映ったかという質問だけでございます。
  85. 大浜信泉

    大浜公述人 去る十七日に返還協定が強行採決で衆議院を通過したということになっておることに関する私の意見、感想を述べろという御質問のように伺いますが、むろん、議会の本来の運営のしかたからいえば、十分審議を尽くして、その上各政党が参加されて多数決をとるというのが本来の姿であろう、こう思うのであります。また、おそらくそういう方針で進めておられたのじゃないかと思うのでありますが、ただ、どうも、どうしても予定されておる国会の期日が十二月二十四日までになっておるので、衆議院の本会議返還協定が通過して、参議院の議決が順調に行なわれずに議決を経ることがなくても、衆議院の議決で国会の議決にかわる、自然成立がなるようにという構想のもとに、政府当局、自民党当局は進めておられたかと思うのでありますが、しかし、この特別委員会における進行の状況に判断して、どうもこのままの状況でいくと、だんだん引き延ばされて、ついに時間切れになりはしないかという気づかいがあって、ああいう非常手段がとられたのじゃないだろうかというふうに、外部からは観測しておるのであります。日本国会がああいう形で重要議案を採決せられるということは、局外者といたしまして、非常に変則的なやり方でありますので、非常に遺憾だという感じはするのでありますが、しかし、ああいう措置をとらなければならぬ、強硬手段がとられなければならぬ理由がどこにあったかということは、どうも私ら外部の者にはよく実情がわからないのでありますので、やはりそれなりの理由があってああいうことをなすったのかなというようにお察しをしておるというのが、ほんとうの実情であるのであります。
  86. 室井力

    室井公述人 お答えします。  私に対する御質問は、地方自治の関係でございますが、それは先ほど公述のところですでに簡単に申し上げましたけれども沖繩振興開発法案ですね、それを拝見しますと、たとえば第七条で、現在あるわが国の河川法の規定にもかかわらず、建設大臣が、県知事の申請があれば、二級河川の管理をするということになってくるわけですね。そういう趣旨は、ほぼ六条における道路とか八条の港湾等とみな同じです。つまり、実はこの河川法の三十九年の改正法のときに、学界でもずいぶんこれは異論がありまして、現行法の中央政府への管理権限の集中自体が批判されておったのですけれども、それが今度の法律案ではさらに一歩進められておるという点です。それからもう一点は、五十三条にあがっている振興開発審議会の組織の問題で具体的にお話ししました。簡単に申しますと、沖繩県知事、沖繩県議会議長、市町村代表者、市町村議会の議長を代表する者等と学識経験者を、かりに全部住民自治の観点でものごとを考えるとしましても、これが全部合わして十二名で、関係行政機関が十三人というわけで、どうも審議会の構成自体が中央政府的な決定、判断に片寄り過ぎるのじゃないかという点でございます。  以上です。
  87. 久住忠男

    久住公述人 先ほどの御質問は、沖繩基地に配置される予定の自衛隊防衛の目的を達成できるかという意味であったかと存じます。これはいみじくもよく自衛隊と名前をつけたと思いますが、専守防御ということばもありますように、日本自衛隊のワクははっきりきまっております。戦争抑止力という概念からいいますと、一国の持つ軍事力は、現在の国際政治学上の常識からいいますと、三つに分かれております。専守防御、日本のようなのが一つと、それから外国との約束によってこれを支援するというのが一つと、第三は、さらに発展をいたしまして、報復反撃をするというのが一つと、この三通りになっておりまして、そのほかに、普遍的な軍事力といたしまして国連軍——国連軍にもいろいろな形態がありますが、これが別の部類として存在するわけであります。日本の持っておる戦争抑止力は、いま申しました三つの部類のうちの最初の最も基本的なものでありまして、わが国の憲法並びにその解釈、あるいは自衛隊法等はすべてこの原則によっております。したがって、沖繩に配置されます自衛隊もこの原則によるものでありますが、これではたしてどうかということは、国民もひとしく心配しておるところでありますが、この足りないあとの部分は、アメリカ日米安保条約によって依存しておるというのが、一部に言わせますと残念ながらでしょう、残念ながらでございまして、しかし、これは残念ながらというよりは、あるいは好都合にもという表現もできないことはないのでありまして、沖繩現状からいいまして、この軍事援助とかあるいは報復反撃といったような部類の戦争抑止力はアメリカが分担をしておりまして、最後の戦争抑止力というのは一に国際情勢によるのでありまして、将来こういう事態が発生するような情勢でないことは、御承知のとおりであります。  大体そういうことであります。
  88. 床次徳二

    床次委員長 都合によりまして順序を変更いたしまして、中谷鉄也君。
  89. 中谷鉄也

    中谷委員 公用地法案について、大浜先生にお尋ねをいたしたいと思います。  公用地法案の違憲性についての私の考え方は、室井公述人根本公述人が述べられたとおり、あるいは藤島公述人意見とほぼ同様であります。そこで大浜先生にお尋ねをいたしたいのは、かりに百歩譲って、先生の立場に立って、自衛隊が合憲であるという立場に立つ、さらに百歩譲って、自衛隊用地の取得について、土地収用法三条三十一号の対象になり得るという立場に立つ、そんな立場に立ったとしても、この暫定使用法によって自衛隊沖繩において新規使用できる——米軍と自衛隊とは違います。新規使用できるなどということは、私は、どう考えてみても憲法上の疑義があると考えます。憲法三十一条、憲法二十九条、適正な手続を欠き、そうして私権の侵害であると言わざるを得ない。先生のお立場に立って私はどう考えても、自衛隊の新規使用というものの合理的な根拠を見出せない。この点についての高名な法律学者としての先生の御見解を承りたい。
  90. 大浜信泉

    大浜公述人 私も法律家ではありますけれども、いまの憲法だとか行政関係は私の専門外でありますので、的確なお答えはできないかもしれませんが、ああいう公用地暫定使用法という法律の必要なのは——いま沖繩は、御承知のように、憲法はじめ日本の諸法律適用のない地域であります。だけれども施政権返還されればその瞬間に日本憲法をはじめ諸法律適用されるのであります。いまの段階では日本国内法による、土地収用法その他の措置はとれない時期でありますので、これはどうしても必要な土地は立法的措置によって、そこに間隙を生じないように、すぐ確保ができるような法律的の知恵が必要なわけなので、そのためにああいう法案ができたのじゃないか、こう思うのであります。本来ならば、これは個人の所有地でありますから、個々地主と賃貸借契約を締結して使用するのが本来の筋でありましょうが、実際問題として、先ほど申し上げましたように、三万七、八千の地主と個別的に契約をしておることがとうてい間に合わないし、また所有者不明の土地もある。また所有者がはっきりして、現にいま賃料をもらってアメリカに貸しておる土地でありましても、今度の返還時後はどうも賃貸することに反対の地主もある。そういう場合を考慮されてああいう法律措置が必要であろうかと思うのでありますが、はたしてそういう立法が国権の最高機関であるこの日本国会において制定できないものかどうか。これは憲法関係の問題があろうかと思うのですけれども、私はどうもそうは考えない、それだけの立法はできるんじゃないだろうかという考えを持っておるのであります。  沖繩は、御承知のように、いままで憲法その他の法律適用のない地域を、一瞬にして日本憲法その他の諸法律適用下に編入する。これは、普通のいまできておる法律の予想しない異常な事態でありますし、非常に変則的な時代でありますので、そういう変則的の時代にどうして違法状態をつくらずにこの必要な土地確保ができるかという至上命令があって、苦心の結果ああいうことになっておるのではないか、こう思うのであります。
  91. 中谷鉄也

    中谷委員 一点だけ、納得できかねますし、高名な法律家の先生の御意見とは思えません。三万八千人の地主がおって複雑である。そういう事情は先生同様私も先刻承知をいたしております。なればこそ、まず最初適用されるのは日本憲法、その日本憲法適用されたその段階において憲法違反の事実が行なわれる、こんなことがあっていいのでしょうかというのが私の主張であります。すなわち、たとえば国家総動員法、軍事特別措置法、ナチスの土地収用法、さらにまた私はソビエトの土地収用法等も調べてまいりましたけれども、そのようなものについての先例を認めることができません。複雑であるから、あるいは必要であるから、国防のためには福祉なし、こんな考え方がはたして許されていいのかどうか。先生の御意見を、はなはだ恐縮でありまするけれども私は法律家の御意見とは思えない。お答えをいただきたいと思います。
  92. 大浜信泉

    大浜公述人 憲法をはじめ日本の諸法律適用された後において、そういう立法をすることは不可能でありましょうが、いま申し上げましたように、いま憲法適用外にある土地を新しく憲法適用下に入れようという変則的の事態でありますので、やはり変則的の措置がとられる、それ以外に空白状態が生じないようにして土地確保することはできない、これが最高の政治の知恵であろう、また法律的にはそれが許されていいのじゃないかというのが私の見解でありますので、これ以上は議論になりますので、見解の相違ということになろうかと思うのであります。
  93. 中谷鉄也

    中谷委員 質問を終わります。  見解の相違であるが、どちらの見解が正しいかをさらに先生も御勉強いただきたいと思います。
  94. 床次徳二

  95. 瀬野栄次郎

    ○瀬野委員 藤島公述人にお尋ねいたしますが、午前中の公述で公用地暫定法案について述べられたのでありますけれども、公用地暫定法案は、米軍布令の本土持ち込みという意味になるではないかということにつきまして、この点もう少し詳細にお伺いをいたしたいと思います。
  96. 藤島宇内

    藤島公述人 この公用地暫定使用する法案が米軍の布令の国内法化ではないかという点ですが、それはいろいろな点から言えるのですが、まず第一に、現在米軍が使用している土地は、これはさっき根本公述人がお話しになりましたように、沖繩県民を収容所内に囲っておいて、その間に米軍がかってに基地にしてしまった、そういう土地であるということです。ですから、これはそのものが軍政なんですね。軍政の性格というのはそういうものです。それを布令でもって形をつけたというのが現状だと思うのです。  今度の暫定使用法案と布令と比べてみますと、布令第二十号の二項のbで要求告知書の掲示というのがあります。これが今度の使用法案の二条の二項で、防衛施設庁長官の告示という形で出てくるわけです。それからまた布令二十号の緊急の立ち入り占有、占領、それが今度の法案では使用権の発生、二条の一項という形で出てくるわけです。それからまた、布令の中の収用宣告書を早急に所有者に通知をするという、まああってもなくても同じような、そういう結果を押しつけるというやり方ですね。それは今度の法案では二条三項、つまり使用権を発生させておいてから通知をすればよいという、そういうやり方が出てくるわけです。ですから、これは明らかに米軍布令の国内法化である。つまり、日本の法体系の中にそういう米軍のやり方を持ち込む軍国主義法案である、これは世界にも例のないファッショ法案であるというふうに言っていいと思うのです。
  97. 瀬野栄次郎

    ○瀬野委員 同じく藤島公述人に、さらにもう一点お伺いをいたしておきたいと思います。  在日米基地の二十年の期限が明年七月に切れると言われたのでございますが、この公用地法案等とどのような関連があるのかということについてでありますけれども、つまり、自衛隊基地等強制収用法を新たにつくるねらいがあるのではないかと思われるのであります。現在立川基地の移転問題等が起こっておるのでありますが、やがて強制収用法をかけるのではないかと住民は危惧をいたしております。こういう点についてさらに御見解を承れれば幸いであります。
  98. 藤島宇内

    藤島公述人 現在本土では、先ほど申し上げましたけれども自衛隊土地を強制収用できる法律はないわけです。この間、島田施設庁長官ですか、国会で、土地収用法が使えるのだというふうにおっしゃいましたけれども、それは、さっき申しましたように、三十九年の河野国務大臣の答弁ではっきり否定されておりますし、また、現在そういうことは行なわれていないのです。にもかかわらず、今度の法案では明らかにそれが沖繩に実施されようとしているということですね。  それから、昭和二十七年七月二十六日に、全国の基地の設定のための協定が調達庁と米軍との間でつくられて現在の基地契約というのがずっと行なわれているわけですけれども、来年その二十年の期限がやってくるわけです。この二十年というのは、さっき言いましたように、民法からいって二十年と判断できるということなんですが、おそらくこの民法六百四条に基づいて、日本全国の各基地土地を返せという異議が出てくると思うのです。それに対して、沖繩でこういう特例をつくっておいて、それを本土のほうにまた適用してきて、全部の基地の収用のやり直しをやろうというふうなことが考えられているのじゃないかという疑いがあるわけです。これは従来の政府のいろいろな考え方からいいますと、国際法が国内法に優先するのだということをいいますけれども、しかし、あれほど憲法の各条項に違反しているようなこういう国内法、国際法はともかく、国内法が許されてよいものかどうか、これは絶対に許されていいものではないと思うのです。返還協定はともかく、その返還協定の第三条にすら違反しているそういう今度の国内法、こういうものが許されてよいわけはないと思うのです。しかし、それを沖繩を突破口にして全国に及ぼすようなことを政府はいま考えているのじゃないかと思われるわけです。これは、その意味では沖繩だけの問題ではなく、全国民の問題として考えなければいかんというふうに考えます。
  99. 瀬野栄次郎

    ○瀬野委員 それでは、公述人の都合があるそうですから、以上で質問を終わりまして、あと委員に譲ります。
  100. 床次徳二

    床次委員長 美濃政市君。
  101. 美濃政市

    ○美濃委員 現実の問題を一、二お伺いしておきたいと思うのですが、最初大浜先生にお願いいたします。  この今回の返還協定に伴って、自動的に、機械的に土地使用することが前提として必要である、こう言われたと思うのです。これについて可否は別として、いろいろお話を承りますと、アメリカとの民間外交もやられたようでありますが、先生の考えておる感じとして、このアメリカ側前提条件は、基地部分についてはアメリカ返還協定後使用するという、そういう条件と期待があると思いますけれども日本に譲渡する非軍事施設やそれらに、アメリカ国会でも附帯決議が行なわれておるようであります。そこまで介入しての前提条件というものではないと思うのですが、やっぱりアメリカ側は、先生の感じではそこまで前提条件として考えておるのかどうか、これをひとつ承っておきたい。  第二の問題は、私どもが行ってみて、島民の土地利用の生活実態ですね。たとえば那覇市の宅地事情、こういうものを勘案してみても、米軍基地というのはあまりにもゆったりしておる。娯楽施設も十分とっております。沖特委員で私どもことし行ったときです。これに対して先ほど質問した中谷君から、少しこれはぜいたくでないかとランパート高等弁務官に質問したら、これはアメリカの生活様式を持ってきておるのだから、絶対ぜいたくなどとは考えていない、こういうことでありました。ところが、自衛隊が今回駐留するということは必要であろうという見解を先生はとっておりますが、この可否は私は論じません。先生の意見を土台にして聞いておるわけですから、その場合であっても、可否は別として、安易に、ああいう島民の生活実態からみれば、今度は日本自衛隊でありますから、アメリカの駐留部隊じゃないのでありますから、ああいう土地利用を今度のような強行法律をつくって継続して、島民の生活実態を無視して日本自衛隊が利用するということは、道義的に許されないものじゃないか、政治道徳上許されないのじゃないか。  それからもう一つは、豊かな沖繩県をつくるというのであれば、アメリカから返った軍用地は優先して産業用に、まずこれを何に使ったらいいかという判断が行なわれるべきである。日本自衛隊そのものはもし駐留するとしても、いわゆる治安出動というものはないわけでありますから、かなりへんぴなところでもいいわけです。私は北海道ですが、北海道にも自衛隊はだいぶありますけれども、全部町のはずれです。私は、今回アメリカ軍から返って、このいわゆる土地暫定法で自衛隊が使おうとしておる土地条件については、第一義としてやはり産業用途にこれを使うという方式が立案されるべきである、豊かな沖繩県をつくるという前提に立てば。それを自衛隊用地として使うのであれば、軍事優先という島民のいかりは当然だと思うのですよ。提案されておる法律の中身と豊かな沖繩県をつくるアイデアとは、法律問題は別として、全然相反しておる。全然話にならぬ。政治常識を逸脱してしまっておる、こう思うのですが、その見解をちょっと承っておきたいと思います。  それから、渡久山さんにお伺いいたします。  あなたは最近の島民の感情を非常によく聞かしていただきましたが、私は、今日も沖繩地主は、お話のありましたような方法で土地が強権使用されて、一方的な使用料が押しつけられて、精神的な、いわゆる気持ちの上で合った合理的な契約とは考えていないわけですね。抗議する方法も手段もないし、しかたがないから、あてがいぶちの使用料を受け取って黙認しておるというのが今日の姿でないか、契約というものはないと私は考えるのですが、その見解をちょっと承っておきたい。  それから、国民世論が大切なので——米原さんにちょっとお伺いしますが……。
  102. 床次徳二

    床次委員長 答弁の時間も考えて御質問ください。
  103. 美濃政市

    ○美濃委員 はい。そういうことで、私どもとしては、この土地の使用条件等について、いろいろ他の参考人も言われたような次第ですから、がまんしなさいということは、私は政治道徳から言えないわけです。がまんしなさいと言える範囲のものではない。国民の財産を公用に使う場合、がまんしてくれというには限界があると思うのです。限界は通り越してしまっている。がまんしてくれという表現を使われる性格のものでないと思うのですね。そういう点は国民の世論としてきちっとしていきませんと、日本国内で起きたことのない現実が起きておるわけですから、今日日本国内であの現実をがまんしなさいと言ったらどんなふうになりますか、あなたも指導者ですから、その世論というものをよく知らないと、日本全体に大きな間違いを起こすんじゃないかと思うのです。見解を承っておきたい。
  104. 大浜信泉

    大浜公述人 御質問が的確に理解できなかったかもしれませんが、一応お答えしまして、もしそれておりましたら重ねて聞いていただきたいと存じます。  御承知のように、沖繩は、日本の国並びに民族が最近の歴史上犯したしわ寄せの十字架を背負わされておるようなものであります。この十字架の桎梏から一日も早く解放されたい、解放したいというのが沖繩返還の願望であるわけでありますが、むろん理想的に申しますれば、やはり全面的に撤収して、そういう軍事基地のない平和な沖繩の姿に戻したいというのが私どもの願望でもあるのであります。劈頭に申し上げましたように、それは外交交渉によって解決すべき問題であるので、幾らこっちが希望しても、相手方が承知してくれなければ話がまとまらない。そこにおのずから限界があるのだ。この限界というのは、アメリカはやはり軍事的な観点から沖繩を重視しておるわけで、現に膨大な軍事基地があるわけなので、これを即時に撤去しろということでは施政権返還もだんだんおくれてしまう。そうなっては百年河清を待つようなもので、沖繩の住民がますます困るわけなんで、そこでどうしても妥協として基地は残す、そのかわり施政権だけは旧に返せ、直ちに返せということで話がまとまっておるのではないかと私は理解するのであります。  私は、アメリカに渡ってアメリカの有識者に訴えるのは、こういう角度から議論をしておるのでありますが、なるほど平和条約の三条に基づいてアメリカ施政権を獲得しておる。平和条約の三条が有効か無効かはいろいろ議論があるようであるけれども、たとえ有効だとしましても、ああいう施政権アメリカが獲得する背景を考えるというと、これはやはり戦争の結果なんです。ということは、角度を変えて言えば、この関係は、勝者と敗者との関係がスターティングポイントになっているわけなんで、そういう観点から、日本がだんだん力をつけ、国民の自覚がだんだん高まってくると、独立の国家として、固有の領土の一部をそのまま百万近い同胞とともに異民族の支配下に置くということは、独立国の権威に関することなんです。日本国民はこれに対して非常に屈辱感を感じ、反感を抱くことになるんだ。また、アメリカ外交政策は、御承知のように、第一次大戦のときにベルサイユ会議で、当時のウィルソン大統領が民族自決というプリンシプルを打ち出して、これがそれ以来、アメリカの伝統的の外交政策の指導理念になっておるわけであります。また、国連憲章の前文にも、民族自決ということを強調しておる。そういう観点からいうと、どうもアメリカがああいうふうに他民族を支配しておるということは、アメリカの伝統的政策にも反するし、国連憲章の前文にも反するように思うので、これはアメリカの良心がむしろとがめるんじゃないのか、この点、反省すべきじゃないかということ。なお、この第二次大戦の戦後終結の基本原理としまして、イギリスのチャーチルとアメリカのルーズベルト大統領が大西洋で会談しまして、プリンシプルを宣言しておるのでありますが、その第一項に、英米両国はこの戦争によって何らの拡張を考えないんだということを宣言しておるんだ。ところが、アメリカがいま沖繩にやっておることは、確かに条約に基づく施政権ということにはなるけれども、見ようによってはこれは擬装された領土の拡張のようなことになるんだ。また、アメリカ沖繩をほしがるのは軍事的な観点からだろう。アメリカの姿勢というものは結局軍事優先にならざるを得ない。そういう姿が続くということは非常に日本の国民に対して悪い感情、アメリカに対する感情が悪くなる。アメリカのイメージをこわすんだ。現地の沖繩の住民はなおさらのことだ。異民族の支配というものがいかに自然に反するかということは、もう世界じゅうの植民地の独立運動を見てもわかることなんで……。
  105. 床次徳二

    床次委員長 御答弁は簡潔に願います。
  106. 大浜信泉

    大浜公述人 やはり独立から自由へのあこがれというものは民族の本能的な欲求なんだから、だから一日も早く本来の姿に戻すべきだという角度から説いてまいったのでありますけれども、しかし国際情勢上、とにかく基地の存続がどうしても必要だということをがんばるんで、基地の存続を認めながら施政権返還ということになったわけでありますが、さて基地を存続するということになりますと、安保条約適用上、日本政府軍用地確保してこれを提供する義務があるわけであります。これは、もちろん地位協定でそうなることになるんじゃないかと思うのでありますが、それでいま使っておる地所を日本政府確保して、アメリカに使わせる義務を負っておるから、これをどうするかということが問題なんでありまして、それには先ほど来議論がありますように、日本憲法並びに諸法律適用のない現状において、やはり移行過程の経過措置、それから空間違法状態、ブランクを生じないような行き方としては、やはり立法措置以外には考えられないのだ。  ただお話しのように、非常に基地規模が大き過ぎるのだ、これは確かに私どもは思うのであります。  なお、アメリカのシビリアンその他軍人の住宅地域と、現地の住民の住宅というのは非常に目立つ差があるわけなんで、これが非常に悪感情を与えておるので、そういう面も将来だんだん縮小の余地があるのじゃないだろうか、こう思うのでありまして、決して現状が、アメリカのやっていることが正しいのだという是認をして申し上げておるわけではないのであります。
  107. 渡久山長輝

    ○渡久山公述人 私はこう思います。まず、本土の場合と比べて基地比率というのが二百二十倍、いわゆる沖繩県の一四・八%あるわけですね。これは普通の状態では収用できないわけですよ。どういう形でやっていくか、やはりそれは武力、いわゆるアメリカの、米軍の一方的な武力による収用であったということです。ですからこれだけの広大な土地がある。しかし、ちょっと技術的に言いますと、たとえば布令二十号というものがあって、それで収用されたものもあります。しかし、そうでない土地も今度のA表の中に入っているというのが実態なんですね。だからあのA表というのは逆に、いままで基地でなかったものが基地になるというようなものを含んでいるということです。  それから、いま大浜先生も国民感情というのですか、住民感情をおっしゃったのですけれども、たとえば自分の土地をとられて、その土地は米軍のゴルフ場になっている、そして自分たちは追われていって、高い地代を払って生活をしているという実態ですね。それは全く認められないことであります。ですから、今度の強制収用法が非常にひどいものであるということはもう明らかなことだ、そういうように私は感じております。
  108. 米原正博

    ○米原公述人 がまんしなさいと言えるような範囲のものじゃないという話が出ましたけれども、これはやはり見方が二つあるわけであります。沖繩地主の中の意見を私も聞きました。もうとにかく大義名分のためにはこの際私権を捨てる、がまんをするという人もあるわけであります。相当、何万何千名ということは申し上げられませんが、はっきりあります。少なくとも、政府がこの土地を賃借している地代をそのかわり十分に補償してくれ、それだけのことをすればがまんするのだ、とにかく施政権を返そうじゃないかという意見と、それはがまんできる範囲じゃないと言われる意見と、これは二つあることは私も認めます。ただしそれと同時に、一二%にわたる基地の大きさというものも、私も嘉手納の空軍基地その他何回か見せていただいた上で、これはひど過ぎるという部分がずいぶんございます。また、むだもあります。そういう面から考えますと、おそらくこのあと沖繩返還が行なわれた後に一つ一つ進められる。要らぬじゃないかというものを具体的に進める。いま先ほど、ランパート長官に会われたら、アメリカのシステムだからこう住んでいるのだといってけろっとしていられるような状態では、私は今度の施政権が返ったあと交渉のしかたは違ってくる、こういう自信を持ってこれは進めるべきじゃないか。ですから、だんだん縮小させるのだという方向が現実論だと思うわけであります。
  109. 床次徳二

    床次委員長 東中光雄君。
  110. 東中光雄

    ○東中委員 根本公述人にお聞きしたいのですが、先ほど来話が出ておりますけれども、いわゆるこの軍用地につきましては、たとえばロジャーズ国務長官にしても、ジョンソン国務次官にしましても、この基地をむしろ継続して維持していくために返還が必要なんだ、いわば形式的な返還現状を維持していくということを言っているわけですし、佐藤総理も、この基地継続が返還前提だというふうなことを言われておるわけですが、そして、空白状態を置かないためには、継続していく必要があるからやむを得ないから、空白状態を置かないから、だからこういう立法が必要なんだ、こう言っているのですが、法律的に見て憲法上いろいろ問題がある、憲法違反の問題がある、あるいは沖繩県民に対して特別の権利制限をやるような立法を、そういう必要上、あるいはやむを得ないからといってつくれるものなのかどうか、実情を見て御意見をお聞きしたい、こう思うわけです。  室井公述人にお伺いしたいのですが、この土地強制収用法の二条一項の告示について、政府はこの告示行為は行政行為だと言っています、行政処分だと言っています。これが強制収用の効力発生要件だとも言っているわけです。ところが、この告示行為は一般的にこの法律が施行される前にやられるわけで、したがって、そのときには沖繩県民、沖繩地域には施政権が及んでいないわけですから、告示行為の効力は発生しないはずなんです。沖繩県民に発生しない告示行為が、これが効力発生要件だ、こういうふうなまことに解せないことを言っておるのですが、こういう立法措置、これが憲法上どういう関係になるかという点をお伺いしたいと思うわけであります。  藤島公述人に、先ほど言われました、強行採決について二重、三重の本質的な問題があるとおっしゃいましたが、あの協定委員会における採決といわれておるものが有効だとお考えになっているかどうか。それに基づく本会議でのあの変則採決、これは本質的なものだといわれておりますので、そういう点についてどういうふうにお考えになっているか、お伺いしたいわけであります。  最後に米原公述人に、膨大な基地がそのまま残るわけです。縮小されることを期待されているようでありますけれども、特に沖繩の中部地域においては、これはひどいわけですから、そして土地も水も電力も、一番まず基地継続維持の方向へ使われていくわけですが、そういう状態返還沖繩県民の、あるいは沖繩経済開発、振興という点からいって、実際重大な障害になるのじゃないか、こう思うのですが、御見解をお伺いしたい。  以上であります。
  111. 根本孔衛

    根本公述人 現在の米軍の基地の、協定発効後の継続使用の問題の法律的効果のことでございますが、これは二つの側面があると思うのであります。  一つは、国際法の観点からこの問題を見なければならない。一つは、日本国内法、すなわち憲法の観点からして、このことが許されるかどうかということが考えられなければならないのであります。  この沖繩の米軍基地を引き続いて使用していきたいということは、アメリカとしての立場からすれば、そう考えるであろうと思います。しかしながら、アメリカが願望すること、アメリカの必要がすべての法的な効果の上に優先するものではないということは言うまでもありません。アメリカの要求が正当であるかどうかということは、法の観点から見れば、やはりこれが国際法に合致する要求であるかどうかということの問題になると思うのであります。国際法に合致しない、法的効果に沿わない要求というものは、当然これは拒否されなければいけない。日本政府あるいは国会においても、こういう要求は拒否をしなければならないし、また拒否をすることは国際法上の日本の国家の権利であります。日本の国権をつかさどる行政府なり、あるいは立法府なりというものは、当然国民の主権を行使することを国民から信託されているのでありますから、国際法上の権利義務の関係に従ってこの要求をなすべきであり、折衝をすべきである、こういうことになると思うのであります。  先ほども、いろいろアメリカがこの沖繩基地をずっと継続していくことはやむを得ないのだ、それだから認めざるを得ないのだ、そのためにはこういう問題のある法律——問題のあるということは皆さんもう意見が一致していると思いますが、問題のある法律もやむを得ないのだ、こういう議論でなかったかと思います。そのやむを得ないという前提として、一体日本の国がこういう沖繩基地の継続というものを国際法上認めざるを得ないのかどうかということをまず問題の前提として私は考えていただきたい、こう思うわけであります。その点につきましては、先ほども申し上げましたとおり、ポツダム宣言によれば、アメリカの占領というもの、沖繩を含む日本の占領というものは、日本の軍国主義が追放され、日本に平和的、民主的な責任ある政府が樹立された場合には撤退すべきものであるという、こういう原則であります。やはりわれわれはこの沖繩問題を考える場合に、この原点に立って考えなければならない、こういうふうに思うわけであります。  そういたしてみますれば……。
  112. 床次徳二

    床次委員長 先ほどの公述があったので、簡潔にお願いします。
  113. 根本孔衛

    根本公述人 はい。そうしてみますれば、これは当然占領の終了、日本の講和という段階において、沖繩からアメリカ軍は撤退をしなければならない。したがって、軍事基地をそこに維持するという理由は全くない、こういうふうに言わざるを得ません。それから先、そういう状態がなくなった上でまた話が始まるというのだったら、これはまた私は別の問題であると思います。法律的にいえば、少なくともそういうことになると思うのであります。でありますから、この占領の終了と同時に、これを引き継いでいかなければならないという前提をまず私は捨てていただかなければいけない、こういうことになると思うのであります。  日本憲法立場から申しますと、これは先ほどの議論が、お話がございましたように、自衛隊土地の問題にすら土地収用法から昭和二十六年の改正でもって消えているものですね。収用法というこれは問題のある法律でございますけれども一定法律的な手続を要し、またその中では、国民が裁判所なりあるいは行政機関なり異議を申し立てて権利を争う、そういう機会を与えられているわけであります。これを全く無視して行なわれるような今度の公用地の収用法案は、これは先ほどもしばしば御意見がございましたとおり、二十九条の財産権の侵害なり、あるいは三十一条の法定手続、あるいはまた三十二条の裁判を受ける権利、こういうものを奪うものであり、また沖繩県民だけにこういう不利な法律を課すということは、憲法九十五条に表現されている国民の権利、こういうものを侵害するものであって、私は全く許されないものだ、こういうふうに考えております。
  114. 室井力

    室井公述人 お尋ねの暫定使用法律案の二条二項だと思いますが、告示、これは施政権返還される前に施行されるというふうになっているわけですけれども、どうもこれは法律的には説明がつかないわけでして、単なる事実上の行為、つまり、たとえば効力発生要件としましても、あるいは停止条件つき行政決定といたしましても、そういうものが問題になるのは、行政権が及んでいる範囲内におけるものですから、及んでいない段階で告示しても、それは本土の内部では意味がありますけれども沖繩県については全く意味がないわけで、単なる事実行為だろう。で、これは行政行為と見るか、あるいはすでに二条一項で発生している権利を具体化する法規命令たる執行命令と解するか、説が分かれましょうけれども、いずれにいたしましても、施政権が返ってこない段階では、告示は法律には書いてありますけれども法律上の効果を持つ行為、関係する行為とは思えない。つまり、だから近代法の常識で、立権国家の常識では説明ができないわけで、お尋ねいただきましても、私としてはよう説明いたしません。大学で講義いたしましても、こういうことを聞かれたときに私はお手あげでありまして、よっぽど初めから頭を切りかえて勉強し直さなければわからないわけです。ただ、緊急状態ということがありまして、継続性の問題はございますが、緊急状態があるときにはかなりさまざまな緊急権の問題として問題になることかと思いますけれども、この法律はそういうことを別に考えていないわけです。何らの前提要件もなく、ただ基地をつくるために、基地を使用するためにつくった法律ですから、何らの戦争状態が発生していないのに、平時法としてこういう法律をつくることは、繰り返しですけれども、われわれ法律学の常識からは理解できないので、どう説明されるのか、むしろ私のほうが伺いたいと思うくらいです。
  115. 藤島宇内

    藤島公述人 強行採決の問題ですけれども国会というものは、憲法によって、国民の主権を実現する機関として存在しているわけです。ところが、この間の強行採決は、その国会の存在というものをみずから否定したものだと思います。なぜかといいますと、まず沖繩選出議員の発言を封じた上で行なわれている。沖繩県民の国民主権というものはそこで完全に否定されているわけです。大浜さんは、さっき憲法適用されていないから何をやられてもしようがないよというふうなことをおっしゃいましたけれども、しかし、沖繩選出の国会議員がいるということは、憲法適用されてない現状でも、それに準じた形で国政参加が行なわれた、そこに憲法の実現があるというふうに考えなければいかぬと思うのです。しかし、それを国会がみずから否定してしまったということですね。  それからまた、本土の議員たちが十分にこの返還協定を究明したかといいますと、これもろくな議論がないうちに強行採決が行なわれた。その採決された理由は何かといいますと、日米関係が優先するからということ、あるいは参議院の自然成立をはかるためだというわけです。つまり、国民主権の実現よりも日米関係のほうが優先しているということなんですね。  こういうことを国会がやっていいわけはないのです。国会がみずから憲法を否定しているところに国会意味というものは成り立たぬと思うのです。  それからなお、佐藤首相は常に、外国から日本は……。
  116. 床次徳二

    床次委員長 簡潔にひとつ……。
  117. 藤島宇内

    藤島公述人 軍国主義化しているというふうにいわれますと、日本には平和憲法がある、だから軍国主義化していないんだということをしょっちゅう佐藤首相は言っておられる。ところが、この返還協定にせよ、それから今度の強制収用法案にせよ、これはさっき言いましたように憲法違反のかたまりである。そういうものを強行採決していって、それが軍国主義化していないなんていう証拠にはならないわけですね。これは明らかな軍国主義化の証拠であるといわなければならぬと思うのです。そういったような根本的な問題をこの強行採決は含んでいるということを言いたいと思います。
  118. 米原正博

    ○米原公述人 膨大な基地というものが残っておる。特に中部地区に残っておる。そういったものが沖繩の県民にとってこれからの発展に障害にならないか。水、電力の問題も含めてお話がありましたが、この電力や水の問題は、私は発電船で発電している現状その他見ましたときに、もうああいうものはスクラップにしていってもやむを得ぬ。もう九州電力その他、東京電力になるかしれませんが、新しい施設をしていく時期にこれは来ているように思いました。ですからこれは施設としてやっていける。それから水にしてみても、これは施設さえつくればやっていけるという機能があります。ただ、おっしゃるようにこの膨大な基地が迷惑がかからないかと言われると、沖繩という地域がたいへん細長い地域であります。南北のいわゆる幹線の鉄道をつけたりあるいは道路をつけようと思いますと、どうしてもこの問題が障害になってくる。当然そういったことについては、この問題として私はいまの御質問に対して障害が全然ないとは申し上げません。したがって、少なくともこういった沖繩の総合開発を進める上には、施政権を持った上で堂々と渡り合って、これはこういう事情でこう要るんだというところで、あなたの土地は余っているのだからというところで話をしていけば、何とでもこれは始末がつきそうだ。そういう面から、私は施政権を早く返還して、一刻も早く——名護と那覇の間がいまから十年前に比べて倍以上も時間がかかります。私は車で三時間近くかかりました。十年前には一時間ちょっとで行きました。そんなにめちゃくちゃになっている沖繩というものを知るときに、何とか幹線道路なりハイウェーをつけてあげなければいけないという気持ちも、この総合開発の中には考えざるを得ないと思いました。そういう面で早く施政権返還した上で、直ちにそういったものに着手すべきであるという考え方に立つものであります。
  119. 床次徳二

    床次委員長 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。  公述人各位には、御多用中、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとう存じました。委員会を代表いたしまして、厚くお礼を申し上げます。  以上をもちまして、公聴会は終了いたしました。  次回は、明九日午後一時から委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。    午後四時三十六分散会