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戸叶武君 このことをもっと具体的に——あなたの気持ちはわかりましたが、やはり他の人にも、私は大体わかったような気がしますが、
中国の人にも通ずるような、もっと具体的な発言がなされたときには、あるいは野田君の訪問というのに電光石火で答えがくると思うのです。とにかく、あなたが行くにしても、多少は、裸でやはり行くわけにもいかないでしょうし、やはり若干の瀬踏みは必要でしょう。少なくともキッシンジャー的な
役割りを果たし得る者をだれかやはり
中国に送って、いままでのような外交専門家の技術的な情報活動からくる収集じゃなくて、
相手の心をキャッチできる使節を送ってもらいたい。そうじゃなければ、いつまでいったところで、ああでもない、こうでもないという情報が山積するだけであって、紙くず屋が困ってしまいます、これを整理するのに。そんな紙くず屋を困らせるような情報の収集じゃなくて、
佐藤榮作はいろんなことを言っているが、実際今日において迷いに迷い抜いている面があるが、ねらいはとにかく
日本と
中国との平和を結んで、正常な姿に持っていきたいというところで苦悩しているんだ。
台湾のこともいままでのいきがかりがあるが、こうこうだというふうに、はっきり心を伝える人をやはりやらなければだめです。だけど、それには、心を知ってくれといって、やくざのように胸をたたいてみても
相手には通じない。やっぱり一国の
総理大臣として、この
国会を通じて、もっと、いますぐにというわけにもいかないでしょうが、よく考えて、
相手の心を打つような、私は、謙虚な形であなたはメッセージをやっぱり発すべきだと思います。そのときには
アメリカで、あるいは
佐藤榮作は無礼なやつだという声が起きるかもしれないが、あなたが
ニクソンの声を寛容な気持ちをもって受けとめたように、
佐藤榮作は苦悩して、やはり
アメリカよりも前に
日本がどろをかぶってでもこの問題を片づけなければならないといって取り組んだのだ。
アメリカ人がやったのでは役立たないが、
日本の
佐藤榮作がやったことによって、局面は展開してきたのだという
理解を必ず持ってくれると思うのでありまして、
立場は違っても、真心のない精神というものの中からは——ことばだけの寛容の精神の中からは真の寛容は生まれてこないのでありまして、そういうことがいまほど大切なことはない。
われわれがあなたに質問しようと思っても、毎日朝、
新聞を見ると、原稿を書き直さなくちゃならない。あなただってそうだと思います。とんでもないこの激動の世界にあるんですから、この革命的な変化に対処するかまえがないと——漫然といままで五年か六年
総理大臣をやってきたような
考え方で、熟練工的な
考え方で
政治をやったらどうにもならないと思います。
そこで、私は次の質問に入りますが、そういうわけでして、いろいろないまの問答を見て、
国連において
中国の
代表権をどうするとか、あるいは
中国は
一つだとか、あるいは
二つ置いてもよいのだという、愚にもつかないそういう雑論議はもうよしたほうがいいです。そういう
意味において、
佐藤さんがいよいよ
北京に飛ぶというのだから、そこで死んでもいいというのだから、これだけの決意をすれば、やっぱりあっぱれな人物だと敵ながらもほめてやらなければならないのです。しかし、それは
政府のほうの
考え方だから、あなた一人で
日本の運命をしょっていくのではないから、これにいくまでにはやはり
日本の
国会が初めて
国会そのものの権威を取り戻して、ある
意味における英知は、超党派外交と言われるかしれないけれ
ども、政党の
立場を失うものではない。各自の主張の上に立って、どういうふうに
日本のかまえができたらば
中国との和平が可能であるか。日
中国交正常化をめぐっての衆参両院議員において特別
委員会なり、なんなり強力なものをつくって、
国会は
国会独自の形においてあなたに進言するような、ここで問答を繰り返しているだけでなく、進言できるような、初めてそういう体制ができてもいいんじゃないか。これは私個人の発言にすぎませんけれ
ども、やはりテーブルを囲んでざっくばらんに話し合って、譲るべきものは譲って、やはり
日本みずからの体制ができなくて、よそに行ったら恥をかくのです。よそへ行って嫁さんをもらうのでも、むこさんをもらうのでも、うちのせがれは道楽者で困るのだ、こうこうだといって話せば、向こうさんもわかってくれて、道楽者だけれ
ども、うちの娘はしっかりしているから、そのことはきっと受けとめて、いい亭主にしてあげますよというぐらいな返事は出るのです。それがそういうことを言わないで、やはりきれい事だけでやっていたのでは何にもならない。
政府に対してわれわれ野党は不信感があります。やっぱり
国会の場においてラウンドテーブルをめぐって、いわるゆ
政府から任命されたような形でなく、
国会みずからの自主的
態度でもって、この
日本の運命、アジアの運命を将来規定づけるような大きな問題と、
国会が責任をもって、内閣だけにこれを許さず、取っ組んでいくのだという姿勢がつくられ、それにあなたが耳を傾け、そうして一国の代表として行く。間違った点は、気の毒だが、あなたが責任を負わなければならない。それだけのかまえをもって——しかし、
国会といえ
ども、あなたがそれだけ、
自分はここで犬死にしても、祖国のために、アジアのために平和を念願しているんだというならば、
立場は違っても、あなたを犬死にさせるのはやはり気の毒な気がする。そのときに使うのが
ほんとうの気の毒なんです。
しかし、そのときに犬死にしても私はやるんだというところに、
佐藤榮作は男でござるという世界があるのです。そういうことを一度
政治家としてはやはりやってみなくちゃわからないので、あれほどの伊藤博文でもハルピンで犬死にしてしまった。あなたもこのままでいけば、やはり伊藤博文の二の舞いを踏むので、それが心配だから私は
国会に伊藤博文の銅像なんか立てるなということをさんざん忠告しているのでありますが、あの銅像を無理に立てたばかりに、重宗
議長の首が吹っ飛んでしまった。
国会の鬼門にあんなものをやたらに立てると、
日本帝国主義のシンボルとして、ハルピンで安重根のためにいまから六十一年前に殺された悪夢を他民族は思い起こすだけです。そういう無感覚さというものが今日の
日本の
政治体制の中にまだ消えないところから、
日本の軍国主義の復活と言われるのも無理もないので、あえて私は、
日本の軍国主義は復活しつつあると、これは周恩来も——
戸叶武は社会党の一番の右派で、穏健派といわれていますが、事、反軍国主義運動に関しては命がけです。平和憲法をあなたが変えるというなら、私は命がけであなたと戦います。それだけの気魄がなければ、空洞化された今日の議会は守れない。そういう
意味で、こういうことを一言
佐藤榮作さんにたたきつけたいためにわれわれは
国会に来たんだから、われわれの土根性をやはりくんだ上で、あなたも少しふんどしを締め直して、ゆるふんで外国に行くと笑われるから、どうぞそういう
意味において、今回の
中国問題に対しては
ほんとうに命がけの仕事で、後世に
佐藤榮作が残るのは、一番長い期間へばりついて
総理大臣をやったなんというんじゃ薄ぎたなくてどうにもならない。そうでなくて、すぱっとして、あれだけの身分にありながら、やはり
佐藤榮作はちょっとおにいさんとは違った、兄貴はりこう過ぎたけれ
ども佐藤榮作はばかさがあった、こういうほめ方が出てくるのだと私は思う。このことは大切なことですよ、そういう
意味で。ひとつ御
答弁をお願いします。