運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1971-09-10 第66回国会 衆議院 文教委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十六年九月十日(金曜日)     午前十時三十七分開議  出席委員    委員長 丹羽 兵助君    理事 久保田円次君 理事 河野 洋平君    理事 山中 吾郎君 理事 山田 太郎君    理事 鈴木  一君       稻葉  修君    小沢 一郎君       坂田 道太君    野中 英二君       松永  光君    川村 継義君       木島喜兵衞君    小林 信一君       三木 喜夫君    有島 重武君       山原健二郎君  出席国務大臣         文 部 大 臣 高見 三郎君  委員外出席者         文部政務次官  渡辺 栄一君         文部大臣官房長 井内慶次郎君         文部省初等中等         教育局長    岩間英太郎君         文部省初等中等         教育局地方課長 鈴木  勲君         文部省大学学術         局審議官    安養寺重夫君         文部省管理局長 安嶋  彌君         参  考  人         (東京教育大学         理学部教授)  福田 信之君         参  考  人         (東京教育大学         理学部教授)  林  孝三君         文教委員会調査         室長      石田 幸男君     ————————————— 委員の異動 九月三日  辞任         補欠選任   中山 正暉君     河本 敏夫君   森  喜朗君     村上  勇君 同日  辞任         補欠選任   河本 敏夫君     中山 正暉君   村上  勇君     森  喜朗君 同月十日  辞任         補欠選任   堀田 政孝君     小沢 一郎君   森  喜朗君     坂田 道太君 同日  辞任         補欠選任   小沢 一郎君     堀田 政孝君   坂田 道太君     森  喜朗君     ————————————— 本日の会議に付した案件  文教行政基本施策に関する件(東京教育大学  の移転問題)  文教行政基本施策に関する件      ————◇—————
  2. 丹羽兵助

    丹羽委員長 これより会議開きます。  文教行政基本施策に関する件について調査を行ないます。  質疑の申し出がありますので、これを許します。木島君。
  3. 木島喜兵衞

    木島委員 理事会の決定によりまして、さらに時間の制約もあるようでございますから、私のほうとしてもなるたけ簡潔にお聞きしたいと思いますので、御答弁のほうもひとつそのようにお願いいたします  文部省予算の中に教育研究補助金として、全国へき地教育研究連盟全国へき地教育新聞発行のための補助金として昭和四十二年から今日まで、昭和四十二年には千二百万、以降千四百万ずつ三分の二補助として補助されておりますけれども、その補助される理由といいましょうか、これは課長さんでもけっこうでございますが、それをひとつ御説明願いたい。
  4. 鈴木勲

    鈴木説明員 へき地教育連盟は、昭和二十七年に創立されました研究団体でございますが、かねてから全国的な交流の場としてへき地教育関係者のための新聞を発行いたしたいというふうな要望がございまして、四十二年度の概算要求の際にもそういう要望がございましたので、文部省といたしましては、その趣旨取り上げまして概算要求をいたしまして予算の査定を受け、ちょうど準備期間がございましたので、二カ月分を除きまして十カ月分千二百万円が計上されたわけでございます。
  5. 木島喜兵衞

    木島委員 この教育関係新聞といいましょうか、あるいは教育研究団体新聞というのはたいへん多いかと思うのです。ところが、文部省補助金は、新聞に関する限りはこの全国へき地教育新聞だけと私は理解いたしますが、そうでしょうか。
  6. 鈴木勲

    鈴木説明員 そのとおりでございます。
  7. 木島喜兵衞

    木島委員 しかも、たとえばこの昭和四十二年度の予算でいいましても、中央教育研究団体補助というのは、七十団体ありますが、そのうちこのへき地教育研究連盟には千二百万、あと六十九団体は四百万が一団体、二百万が八団体、七十万が二十団体、五十万が二十一団体、三十万が十九団体で、七十団体のうち千二百万というへき地教育新聞だけがたいへん多額で、しかも、いろいろな新聞があるけれども、この団体だけに新聞補助金があり、他の研究団体と比べると非常に多額である、こういう点は——もちろん先ほどおっしゃったへき地教育新聞の価値を否定するわけじゃありませんけれども、他との比較から見ると非常にアンバランスな感じがするのですが、こういう点はどう理解したらよろしゅうございましょうか。
  8. 鈴木勲

    鈴木説明員 文部省はかねてから、教育機会均等という意味で、恵まれない僻地教育をしている教員に対する処遇の問題について力を入れていたわけでございますけれども僻地教員につきましては、御承知のように交通条件文化条件が限定されておりますので、教育情報源についても非常に乏しいわけでございます。そこで連盟のほうから、かねて要望がございまして、全国僻地関係者新聞のようなものを通じまして心の交流を広め、それをもって僻地における苦労を分かち合い、そうして教育の近代的な情報等も入手をいたしまして教育の向上に役立てるというふうな趣旨から要望がございましたので、僻地校は大体七千校近くございますけれども、それに漏れなく新聞を発行させるということになりますと相当な経費が必要でございますので、へき地教育連盟自体事業といたしましても別に補助金は出しておりますけれども、特にこの新聞に限りまして千二百万の予算を計上した次第でございます。
  9. 木島喜兵衞

    木島委員 ですから、そういうへき地教育新聞を出すところの理由はわかるのです。けれども、多くの新聞の中でこの新聞にだけ千二百万、千四百万出す、あるいは七十団体のうちその次は四百万円が一団体、二百万円というのが八団体あと百万円以下でしょう。次官、こういう補助金を一体どう御理解なさいますか。
  10. 渡辺栄一

    渡辺説明員 いろいろな見方はあると思いますが、文部省としましては、僻地の実情にかんがみましてこの補助金は必要であると認めて出してまいりましたし、また、その経緯といたしましては、やはりこの新聞としまして、非常に苦労しておる僻地教員の唯一の教育情報源としまして全国的な交流の場ともなり、また精神的なよりどころとしましてもそれなりの成果をあげてきたのではないかと現在のところは考えております。
  11. 木島喜兵衞

    木島委員 変と思っても、現在においては、この重要性だけを御主張なさるよりほかないと思いますね。  そこで、全国へき地教育連盟に千四百万の補助をする、それは新聞発行のための補助でございますね。そこでへき地教育連盟から日本教育新聞社、現在では教育新聞社でありますけれども、ここに委託されておる。この補助金は、いわばへき地教育連盟補助をしているけれども新聞一括委託でありますから、日本教育新聞社補助を出しているという形に似ておるわけです。もちろんへき地教育連盟は月に一回編集会議をやっておりますけれども、この新聞というのは、記者も全部委託しておるのですから、あるいは編集も全部委託しておるわけですから——編集会議というのは方針であって、月に一回でも、週刊ですから四回出る。これはもう全部委託ですね。いわば全国へき地教育連盟というのはトンネルで、実際的には日本教育新聞社補助をしているというような形になっておると思うのです。しかも一括委託を受けた日本教育新聞社全国へき地教育新聞をつくっておりますこの関係では、いわゆる補助金をもらうための収支予算書によって出しているわけですね。新聞を出すのにはどれくらいかかるかということを含めて三分の二補助していらっしゃる。ところが、それと実際に使っておる新聞社の実支出とはたいへんな開きがあると私は思うのです。トンネルのごとく、へき地教育連盟から日本教育新聞社にいっておる。それは、一定の予算を取る場合の収支見積もり書といいますか、収支予算計画書によって出しておるけれども、それがトンネルとして日本教育新聞社にいっておる。その日本教育新聞社の使っておる実支出額というのはたいへんに違っておる。私、これは一月の十八日に日本教育新聞社解散になっていますから、そういう関係からいろいろな領収書とかメモとか、あるいは会計簿とか、あるいは教育新聞僻地報告しているものとか、そういうものを突き合わせてみますとたいへんに開きがあるということが実はわかったのであります。  一々言うのはたいへんですけれども、たとえば事業計画に基づきます収支予算を中の項目ごとに申しますと——これはもう資料が全部証拠書類なんですが、一々持っていくわけにいきませんから、私のほうで一括して申し上げます。  たとえば新聞印刷費の中に組版費がある。これが一ページ一万二千五百円になっておりますけれども、実は領収書によると七千三百円であがっておる。したがって、これだけでもって二百六十万が百五十万円であがっておる。あるいは紙型代が一ページ千百円になっておりますけれども、実は四百円でやっておる。これが二十二万が八万三千円であがっておる。鉛版代が一ページ千三百円の単価になっておりますけれども、これが四百円であります。これは証拠を示せとおっしゃいますればあと資料を示しますけれども、時間がないからかいつまんで申し上げます。あるいは印刷代等も、紙においても紙の一連単価あるいは使っておる紙の量においても違いがある。したがって、印刷代でもって五十七万二千円となっておりますけれども、実際には二十八万七千円。それから製版費が一回に一万三千円になっておるけれども、五千五百円、これは武田製版から出ておるのでありますけれども、その製版領収書ではっきりしておる。それから用紙もそうであります。一連二千百円となっておりますのに、千四百七十円、これも請求書で明白であります。あるいは写真代、これも八千五百円になっておるけれども、約千円であがっておる。デザイン等の七千三百円が千円。ここまでだけでも、計画では七百五十四万何がしになっておりますけれども、実際には三百三十万くらいであがっておる。したがって、四百二十万少ない。  さらに新聞発送費になりますと、たとえば陸送費発送カード代は大体合っておる。しかし新聞封入料は一部五円五十銭となっておるけれども二円であります。これだけでもって約二百四十万くらい浮いておる。新聞運送費もそうであります。  さらに取材費原稿執筆謝金座談会謝金、これらも実際とたいへん違う。座談会出席旅費は実際に払っていないのにここには払ったことになっておる。さらに通信費等も同じことです。事務費も……。  そこで総額でいきますと、二千万円のところが九百二十七万八千二百十二円というのが実質の積算です。すると、二千万程度予算要求に対して、実際に使ったのは九百二十七万、半分以上千八十万が実は余分に補助されているという形になっている。こういうことを私はたいへんにふしぎに思うのです。  これは私の言うことが誤りであるとおっしゃれば、私はここでもって全部証拠を示さざるを得ません。こういうような実態については、私の言ったことについて課長さん、どうでございましょうか。どうお考えになりますか。私の言うのが誤りであるか、あるいは皆さんのほうである程度御存じであったのか、あるいは皆さんのほうでどういうようなことをやっていらっしゃるのか、そういう点をお聞きしたいと思います。
  12. 鈴木勲

    鈴木説明員 これは先生承知のように、へき地教育連盟文部省といたしましては補助をいたしまして、へき地教育連盟契約する相手の事業内容、資産、業務方針等調査をいたしまして決定しているものでございます。  そこで、この補助金内容が十分に適切に使われているかどうかということにつきましては、連盟におきまして監査委員が三名ございますけれども、それが、事業が完了いたしました際に証拠書類等を十分に調査をして、誤りがないというふうな報告を受けまして、そういうものを文部省のほうにも提出をしていただいているわけでございます。したがいまして私どもといたしましては、当初の申請と実績報告とを勘案いたしまして、適正に補助金が使われているものというふうに判断しているわけでございます。
  13. 木島喜兵衞

    木島委員 文部省からすれば、実質的には全国へき地教育連盟補助をしているという名のもとであるけれども、この新聞一括日本教育新聞社委託しているのでありますから、いわばトンネルだと私はさっき申し上げたのです。しかし、実際はトンネルであっても、形の上ではへき地教育連盟補助をしていらっしゃいますから、文部省としてはへき地教育連盟のおっしゃることしか監査できないというか、日本教育新聞社まで手が伸びないという事情もわからないわけじゃございませんけれども、いま課長さんのおっしゃるように、たとえば日本教育新聞社からへき地教育連盟月例会計報告書が出ています。これは持っております。これがそれなんです。毎月毎月出ている。これと実際に払ったところの領収書請求書とを合わせて私は実は先ほど申し上げたようなことを言っているのです。したがって、文部省が調べたというのは、このいわば架空かもしれない——私は架空だと断定はしませんよ。しかし、倍以上の支出をしたといっているけれども、この領収書から見ればそうならない。半分以下であがっている。この報告皆さんはもとにしていらっしゃるわけで、日本教育新聞社が月々、こう使いましたということをへき地教育連盟報告していらっしゃる。この月例のこれを証拠物件とおっしゃるけれども、もし私と同じようにこれをお調べになるならば、私と同じ結論が出るだろうと信じているのです。  私はずいぶん時間をかけて調査したのです。ですから、そういう意味では、皆さんのほうはへき地教育連盟から聞くしかないとおっしゃるでしょうけれども、実際には、私の調べたところでは、さっき言いますように半額以下でもってあがっておるということは、補助金が適正に使われておらないということになりますね。この点、いまあなたはへき地教育連盟を調べてそうだと信じておるとおっしゃるけれども、実際にはそうでないと思うのですけれども、私のいまあげた数字をどうようにお考えになりますか、あるいは今後どうなさるというお考えでもよろしゅうございます。
  14. 鈴木勲

    鈴木説明員 補助金に関しましては、補助金適正化に関する法律によりまして、実績を十分に調べて、補助金が適正に使われているかどうかを調査をする義務が私どもにございます。その意味におきまして、所要の書類等によって十分な調査をいたしまして、必要な場合にはへき地教育連盟等実地調査をすることも認められておりますので、そういう御指摘がございますならば、連盟のほうにさらに関係書類等を整えさせまして十分な調査をすることにいたしたいと思います。
  15. 木島喜兵衞

    木島委員 わかりました。私の言うことも含めて、さらに補助金適正化法ですかに従ってこれから調査を進められると理解してよろしゅうございますね。——わかりました。  そこで、これは次官にお聞きするのもなにですけれども、さっき申しましたように教育関係新聞がずいぶんある。しかしここだけに新聞補助をしておる。しかも、さっき申しますように七十団体補助をしているうち、千四百万というのはここだけで、あとは四百万が一つ、二百万が八つ、あとは百万以下でしょう。こういう補助金のつき方というのは次官異例とは思いませんか。
  16. 岩間英太郎

    岩間説明員 ただいまいろいろと地方課長からもお答えいたしましたように、先ほど先生がおっしゃいましたように、いろいろな新聞を出しているところはたくさんあるわけであります。その中でどれを一番初めに取り上げるかと申しましたら、木島先生も、私どもの立場におられましたら、おそらく僻地を一番初めにお取り上げになるだろうと思います。これは全国的に先生方は比較的孤独な環境で非常に奮闘しておられる。いろいろ情報なんかも必要でございましょうし、また相互の連携、そういうものも必要だろうと思いますので、おそらく先生でもこれを一番初めにお取り上げになるだろうと思います。私どももいろいろな新聞に対しまして補助ができればしたいわけでございますけれども、どれか一つということでございましたならば、おそらくこれを取り上げるというのが万人が認めるところではないかというふうな感じがするわけであります。  それから、先ほど来お話がございましたように、新聞社のほうでいろいろ安上がりにやっておるというふうなお話でございましたけれども一つ営業主体事業をお願いする、それも年間一括してお願いするということになりますと、個々の計算以外に営業利益等も見込んでやらなければいけないというふうなこともあろうかと思います。しかし、先生から具体的にお示しいただきましたようなこと、これは事実じゃないかというような感じが私もいたします。実はへき地教育新聞から私ども原稿とか話とか頼まれました場合には、私どもはここから原稿料を取るわけにはいかぬということで、いままで一文もいただいておりませんものですから、そういうようなこともあるいはあろうかと思います。そういうことでございますけれども先生の御指摘がございましたので、私どももその内容等につきましては十分調べて、先生方の御疑問を受けないような形で補助金支出をしたいというふうに考えておりますので、ひとつ御了解いただきたいと思います。
  17. 木島喜兵衞

    木島委員 いま局長おっしゃるように、たとえば原稿執筆謝金は三万円になっていますし、座談会は五千円、旅費は二千円になっているのです。だけれども、あなたはお受けにならぬと言う。もちろん利益がありますけれども、しかし政府が補助をするのに、半分以上も利益があるというような補助は、これは決して正しくありませんね。実は次官、いま私がお聞きいたしましたけれども次官お答えになりませんが、しかしこういうのは常識的には異例でしょう。こういうときには、たいてい常識的には背後に大きな政治勢力といいますか、そういうものがある。なければ、こういう予算はつかないということがおよそ常識的には想像のつくところであります。たとえば、先ほど申しましたように、へき地教育連盟トンネル日本教育新聞社一括委託をしておるのでありますから、いわば文部省日本教育新聞社補助をしているようなものであります。たとえば日本教育新聞社直属広告代理店業務を担当する教育広報社というのがございます。ここには剱木さんが顧問としていらっしゃいます。もちろん日本教育新聞社社長代表取締役です。あるいは福田さんの後援会である地元の上毛クラブの大山何がしという社長は、会員であり年間二百万ほどの献金がなされておるといわれております。あるいは虎の門国策研究会という剱木さんの後援会会員でもあられるようであります。あるいは、小さい話ですけれども日本教育新聞社福田さんの名前、あるいは後援会の上毛クラブ名前、あるいは剱木さんの名前でもって、花輪あるいはかご花を出している領収書がこの日本教育新聞社にあることは、立てかえていらっしゃるんだろうと思われます。  そういうようなこと、私幾つかございますけれども、その他いろいろございますが、そういうことを考えると、いままで申しましたように、たいへん変だなと思うことと、こういうことをつなぎ合わせますと、何かそういう背景がなければこういうものはないだろう、そして、実際とこれほどかけ離れた補助金がつくわけはないだろうと考えるのが今日の常識じゃないかと実は私は思うのです。次官、私のそういう考え方というのは偏見でしょうか。局長課長課長補佐さんもいらっしゃいますけれども、お三人とも四十二年、就任前のことですから、いま私がお聞きしても、これはこれこれの事情だということはあるいはおわかりないかもしれませんが、常識的に考えたらそうなると思うのですよ。次官、どうでしょう。一年生議員にはよくわかりませんが……。
  18. 渡辺栄一

    渡辺説明員 いま木島委員からいろいろお話がございましたが、文部省としましては、いま局長も申しましたように、僻地教育重要性、あるいはまたその特殊性、そういうものにかんがみまして、へき地教育新聞が必要であるという筋論に立ちましてこの補助をやっていっておるわけでありまして、その補助というものはそういう意味におきましては十分役に立ってきておるのだというふうに解釈をいたしております。したがって、今後ともこの事業につきましては引き続き補助をしていきたい、こういう考えでございますが、いま先生の御指摘になりましたような問題につきましては、地方課長が申し上げましたように、さらに内容を検討し、あるいは指導を強化していきたい、こう思っております。その検討をいたしました段階におきまして、さらに改善をする必要があるということになりますれば、私どもとしましても今後改善をしていくということにつきましては十分努力をしてまいりたい、こういうふうに考えております。
  19. 木島喜兵衞

    木島委員 もう時間が来ておりますので……。いま私、課長課長補佐にも就任前だと申しましたけれども、全くその責任なしとは思えない節もあるのですよ。たとえば日本教育新聞社は、ことしの一月十八日に赤字解散という名目でもって解散をいたしました。ところが、一月十八日に解散しているはずのその新聞社から、二月の第一週までの新聞がこの会社名前で出されている。そして一号も飛ばすことなく、実は日本教育新聞社教育新聞社名前を変えて、役員等はかえたけれども、実はその役員が嘱託の名でもって実務を実際にやっておる。そういう会社で引き続き一号も飛ばさずに発行されておる。しかし契約は一年間日本教育新聞社であります。したがって、契約はしているのですが、しかしその間に実際に同じ日本教育新聞社という名前は変わった。単なる教育新聞社、日本という字が消えた。ここに移された。一年間契約されたところの新聞が、一号も飛ばされず、しかも一月十八日でもって解散したのに、二月の第一週から新聞が出ている。そして同じ会社名前を変えたものが引き続き出されておる、こういうことは私はたいへん異例だと思います。なぜかと申しますと、文部省から出していただきましたこの新聞をどこに委託するかという委託先の基準によると、新聞発行について業務経験が豊富で実績を持っているとか、社業確実で事業的に安定しておる、こう言っておるのです。新しい会社業務経験が豊富だなんということはないわけです。あるいは社業が確実であるなんということは言えないわけです。そこになぜ移されているか。私がそう言ってもお答えにならないと思うのですけれども、そういう政治的背景というものもうすうす少なくともお感じになっておるからこそそういうことをなされたと思うのです。ですから、そういう点も含めて考えますと、私はそういう意味ではこのような補助金は打ち切らねばならぬ。一たん打ち切るべきだ。先ほど申すように、この新聞だけ——それはるるおっしゃっておりますからわからぬではありませんが、あるいは他の研究団体との関係、あるいは今回のいま申しましたような経理のずさんさ——半分以下でもってあげている。しかもそこには政治的な背景があると思われるようなものは、私はこの補助金は打ち切るべしと思うのですが、いかがでしょうか。
  20. 岩間英太郎

    岩間説明員 先生が御指摘になりましたいろいろな問題につきましては、私ども今後誠意をもって検討したいと考えておりますけれども、問題は一つ教育新聞を選んだのが適当であったかどうか。それから、新しいものに移したのが適当かどうかということでございますが、教育新聞教育関係の単独の新聞としましては一番実績もございますし、はたから見ましても安定した事業をやっているということでございます。  それから、新しい新聞社に引き継いだということでございますけれども、これは社長が退陣して新しいものにかわったわけでございますが、しかし途中からかわりましても、やはり事業というのは引き継いでやらなければなりませんし、また事実、いままで見ておりまして、やはり内容のそう変わらない新聞が発行されているわけでございますから、これを選んだということは間違いではなかったというような感じがするわけでございます。  それから、委託先が悪いから補助金をやめろというのはちょっと飛躍があるんじゃないかという感じがするわけでございます。へき地教育新聞の果たしている役割りに御注目いただきまして、その点は御理解をいただき、私どももそれが非常に僻地教員に対しまして役に立っているということに注目いたしまして、これを引き続き行なっていきたいというふうな感じでございまして、その点はひとつ御了承をいただきたいというふうに考えております。
  21. 木島喜兵衞

    木島委員 私は飛躍があるかどうか、これは別ですが、皆さんここでもってすぐ切りましょうとも言えないでしょう。しかし、これからお調べになるというのですから、その結果にまつことといたしまして、私は、切れないならば一括全部委託ではなく、へき連が自主編成をする。そこに記者なら記者が、十人と言っていますが、しかし実際は三人でやっているのですよ。七人分がこの会計の中で浮いているのです。ですから、三人なら三人の記者をへき地教育連盟が雇用をしてその記者でやれば、実際にはあとは印刷だけでしょう。印刷は競争入札です。その競争入札には日本教育新聞社ないしは教育新聞社は指名から除外して競争入札をやれば、これは競争入札ですから適正にいきますね。編集を一括他の新聞社に中身まで全部まかすのでは、私はほんとうに僻地のための教育新聞だとは思いません。僻地の人たちが、自分たちがどうするかということで、へき地教育連盟の中に記者も入れて編集する。そして印刷だけは、へき地教育連盟は印刷所を持っていないから、競争入札する。その場合、日本教育新聞社とか教育新聞社は入れない。そして競争入札する。それにもいろいろな問題が技術的にあるかもしれません。しかし私は、そのくらいのことをやらなければちょっと了解しかねると思うのです。その点、どなたでもけっこうです。これで私は終わります。
  22. 渡辺栄一

    渡辺説明員 木島委員からいろいろ御意見を承りましたが、まず第一番にいろいろな背景云々というお話がございましたけれども文部省としましては、僻地教育の実情にかんがみましてへき地教育新聞が必要であるといういろいろな事情から必要性を認めまして補助を出しておるわけでございまして、そういうことはわれわれとしては考慮しておりませんということだけは御了承願いたいと存じます。  なお、今後の問題でございますが、先ほど申しましたように、さらに指導、検討いたしたいと思いますので、その上で……(木島委員「私がいま提案しておることも含めて」と呼ぶ)十分御意見は承っておりますから、誠意をもって検討いたしたいと思います。その上で、改善の必要がありますれば、十分ひとつ改善を進めるように努力をいたしたい、かように考えております。御了承願いたいと思います。
  23. 木島喜兵衞

    木島委員 いま最後に提案いたしました全国へき地教育連盟会長の中山克己というのは、私がよく知っているたいへんりっぱな男であります。彼とは私はこういう今後の改革についてはいろいろ話し合いもしております。そういう中では、だんだんそういう方向に持っていきたいという希望を持っております。したがって、私の言うことも含めて御検討をいただきたいと思うのであります。そのいかんによっては私は、またさらに後日そのことについて再質問をすることを申し上げまして私の質問を終わります。
  24. 丹羽兵助

    丹羽委員長 次に、東京教育大学の移転問題について、本日参考人として東京教育大学理学部教授福田信之君及び東京教育大学理学部教授林孝三君の御出席をお願いいたしております。  まず、ただいま御出席の福田参考人から御意見を伺うのでありますが、福田参考人にははなはだかってでありまするが、御意見は委員からの質疑に対しお述べいただくようお願いいたします。  質疑を許します。有島重武君。
  25. 有島重武

    ○有島委員 ただいま委員長から申されました題名に基づきまして私質問さしていただきます。  本日は、福田先生にはたいへん御多忙のところおいでいただきましてありがとうございます。  大学の問題、たいへんいま国家にとっても世界じゅうにとっても重要なまた注目されている問題だと存じます。その中でもって新しい大学をつくっていくのだという非常に精力的なお仕事をお続けになり、そして、その後またさらにマスタープランの推進をなさってきた先生にきょうおいでいただいて、たいへん喜ばしいことであると存じております。  昭和四十六年六月十日に「筑波新大学に関する基本計画案」というのを発表なさいました。この中で、単刀直入に伺いたいことだけを申し上げますと、この序文の中で「その後、本日にいたる満四年間、本学教官の大半が同委員会および関係委員会に参加し開催された会合は千回以上にも達したと思われる。」この本学教官の大半が参加なさったという内容について、これが一点でございます。  それから「現大学の諸欠陥の徹底的な分析と海外・国内にわたる大学改革の詳細な調査をもとにして、学部・学科の壁をこえた熱心な討議が行なわれた。」このことについて、「学部・学科の壁をこえた熱心な討議」これにはまだ異論があるように私承っておるものですから、この事実関係につきまして福田先生感じておられるままをお話し願えればありがたいと思うのです。  この序文の最後には、「今後一層の努力を重ね、国家百年の大計という観点から、国民のための理想的な大学を建設する決意でいる。国民各層の深い理解と支援を強く期待する」こうございますので、私どもも「国民各層の深い理解と支援」というそちらからの期待にこたえたい。そして新しいほんとうにいい大学をつくっていきたい、私どもそういう気持ちでございます。  それからなおもう一点、東京教育大学の移転を契機とする新大学の設立であるというような表現を私ども承っているわけでございますが、東京教育大学が移転するというのは一つの契機であって、これは新しい大学をつくるということが本来の目的であり、移転そのものはやや従属的な、付随的な問題ではないかと私どもは受け取っているわけでございますが・そのような理解でよろしいかどうか。  以上、三点ほどお話しいただければありがたいと思います。
  26. 福田信之

    福田参考人 東京教育大学福田でございます。  きのう夜、突然この委員会の参考人に出るようにと学長から依頼されましていろいろ考えたのでございますが、ぜひということでございますので私出てまいったわけでございます。そこでどういう御質問があるのか、私かいもく見当もつかないで参ったことを最初にお断わり申し上げておきます。  それから第二に、大学というところは、御存じでございましょうけれども、学問の自由の府でございますから、学問的なこと、あるいはそれに付随するようなことについては、各人各様の御意見がございます。そこで私は大学側の意見を代表するなんという立場にもございませんし、おそらくいかなる人もそういうことはできないと思うのでございます。私のほうでは、大学側で評議会とか教授会とかできまったことについての御報告は正確に私はお伝えできると思います。  それから第二点についての先生の御質問、いろいろ私の個人的な感想なんかもある程度御要求されているようでございますので、その点について私の全く個人的な意見として述べることは差しつかえないかと思いますから、その点ひとつ御混同になりませんようよろしくお願いいたします。  私、有島先生の御質問を正確に受けているかどうかわかりませんけれども、私の理解した範囲内でお答え申し上げます。  新聞等の報道にもございましたが、東京教育大学では昭和四十六年の六月十日に、筑波新大学の資本計画案という大学側の基本計画につきまして評議会の決定をいたしました。その前に学部の了承も取りつけてございます。ただし文学部に関しましては一切関知しないというあれでございますので、有志の教官にはかったという以外にこの点に関しては申し上げるわけにはいかないのでございますが、一応評議会の規程に従いまして評議会で決定いたしました。その序文の中で、大半の教官が出席し、千回以上にわたった委員会を開いたというふうな点がございます。この点につきまして、普通の大学の統合、移転と違いまして、新しい構想の大学をつくろうということでございますので、大学内部の知恵はできるだけ動員したいということで、その中心はマスタープラン委員——私は委員長をずっとやっているわけでございますが、その下に各種専門委員会あるいは特別専門委員会あるいは小さな研究グループ等たくさんつくりまして、ほとんど連日数年間にわたって検討したわけでございます。その参加される教授団は、大学のルールと申しますか、やり方に従いまして、各教授会の推薦を受けるという形態が大部分でございます。それから小さなワーキンググループ的なものでございますと、たとえば電子計算機の導入についてどうするかということになりますと、これは全然関係のない方だとわかりにくいものでございますから、そういう計算機関係関係ある先生方に参加していただきたいというようなこともございましたけれども、基本的には各教授会の推薦または選挙等を通じまして委員を選ぶということをやってまいりました。  それで、大半と申しましたのは、何といいますか、ある一部の教官で加わらない人もいたかというと、それはございます。それはちょっと学部によって事情が違うかと思いますから、私のほうでこまかく説明することはちょっと適切ではないかもしれませんけれども、各教授会とも——文学部の場合は過半数というわけにはいきませんけれども、各教授会とも過半数の教授あるいは助教授の先生方がこういう委員会または何らかの意味でこの移転計画に積極的に参加したという事実は確実でございます。その場合に、これは有島先生の御質問にあったかどうかわかりませんけれども、どういう人が参加したかというのは、学部ごとによっていろいろ違うわけでございますけれども、私がマスタープラン委員会の委員長という立場でお願いしたのは、そういう移転そのものに対してどういう見解を持っているかというよりも、できるだけ専門の知識を傾けてくださるような形で選び出すようにしていただきたいということは各学部とも申してございますから、移転に関する御意見の違う方で参加した方も中にいらっしゃいます。  それから第二点の、内外の大学の諸欠陥を徹底的に分析して、そして学部・学科の壁を越えた討議を重ねたということについてということでございますが、この東京教育大学のマスタープラン委員会の案並びに評議会でアプルーブされた案と申しますのは、そういう真の意味の総合大学を建設しよう、学部とか学科とか、あるいは講座制とか、かたい壁の中での大学の構造を改めて、そういうのを越えた大学にしなくちゃいかぬということが基本的なものでございますので、したがって、そういうものを議論する際には、各学部に戻してとか各学科に戻してという問題は事実上できない問題でございます。ですからすべての問題が、まあ多い少ないは別といたしまして、各学部の人たちが加わるとか、あるいは各専門家が共同の場で参加するという形態をとってございます。ですから、この千回以上の九九%までは、各学部あるいは学科、専門を越えた人たちが加わって討議したということでございます。  それからなお、これは御質問の中にあったかどうかわかりませんが、日本の大学——ヨーロッパの大学等にもそういう点は見られるのでございますけれども、われわれの日本の大学の諸欠陥並びに諸大学における新しい大学改革の方向ということを探ったときに、われわれが一番気がついた点は、いま総合大学といい、実際各種専門家が量質ともに非常に整っている集団がおるのでございますけれども、大学の中の横の情報は非常に薄い。講座制による縦の、教授から助教授へ、あるいは助手へ、学生へという縦の情報はいいのでございますけれども、横の情報は非常に薄いというのがマイナスであります。これは日本の大学で特に強いのですが、ヨーロッパでもかなりそういう面がございまして、新しい大学を打ち出す際にどうするかというのが問題になる。これは非常に比喩的なことでございますけれども、明治維新に廃藩置県をやった。それまでは各藩というものが、文化も政治も経済も、各種情報が藩の中に限られていて、そして明治維新によってその廃藩置県で横の壁を取っ払ったということは、県には確かになりましたけれども、政治も経済も文化も情報が流れるようになった、さらにそこに新しい通信網、新しい輸送網によって日本全体が一つの社会、一つの国家としての近代性を持った、そういうふうにわれわれ考えているわけなんです。大学に対しても、現在明治百年、明治以来百年を経た今日、こういう廃藩置県的な思想が必要じゃないか。つまり壁を越えて、各種情報あるいは学内の運営上の諸問題とか、研究上の問題とか、教育上の問題とか、そういうところに横の情報社会をつくるべきだ、こういうのがわれわれの基本構想の一番重要な点でございます。そういうことで、そういう社会をつくるためには、新しい大学をつくるためには、そういう各種専門家の共同作業が必然的に必要になったということでございます。  あといろいろな問題がございますけれども、われわれが一番重視しているのは、学生も含めて横社会、横の情報社会を大学に確立したいという点が最も基本的な問題でございます。これをいかに確立するかという点でも、われわれは長い間時間をかけたわけでございます。  それから、御質問の意味はそこが一番大きいのではないかと思いますが、われわれのほうでも、この最後の点で国民各層の御支援をお願いしたいと申しますのは、こういう大改革になりますと、教育大学だけでなく、各大学の御協力だけでなくて、政界も、あるいは国民の各層にわたって、新しい大学をつくってくれという御要求があるわけでございますので、それにこたえるためには、われわれにも独善におちいっているところがないかとか、いろいろ御指摘もすでに受けておりますけれども、広くそういう層から意見を受けて、そうしてこの点はさらに改めるべきだとか、そういうことをやる必要があると思います。どういう組織でございましても、初めはこういう組織はりっぱであるということでやるのでございますけれども、社会的な変化とか、あるいは人間意識の変遷とか、そういうようないろいろなもろもろの影響を受けまして、その組織がだんだん老朽化するということがございますので、われわれいま自信をもって新しい大学構想ということを打ち出したのでございますけれども、やはり今後の社会的な変動に対しても、また国内的、国際的環境の変化とか、国民意識の変化とか、こういうことに短期間で左右されるということはやはり問題でございますから、学問という長期的な構想の上に、あるいは日本民族の将来ということで、そういう国家百年の観点から柔軟に対処していかなければいけないということは当然でございますけれども、同時に、大学の性質上、ややもすると非常に閉鎖的になりがちだということをいかに破るかということで、われわれは「開かれた大学」という構想を出しております。つまり学部・学科の壁を取っ払うのを最も可能にする基本的な条件は開かれた大学であるということで「開かれた大学」という構想を出しているわけでございます。ですから、国民にも親しんでいただきたいような、つまり自由に大学を利用していただけるような「開かれた大学」にしたい。また、管理運営面でも、国民各層がいろいろ大学に対して文句も言えるような大学にしようということで、「開かれた大学」、またいまの大学は社会的な、あるいは国民の要望に対して総合的な力を発揮——元来そういう力を持っているのでございますけれども、現実はなかなかそういう力を発揮しにくいので、そういう力を発揮できるようにしたい、そういう幾つかのアングルがわれわれの基本計画の中に盛られておりますので、ひとつぜひ十分御検討の上御批判をお願いしたいと思います。  それからもう一つ、御質問の大きな問題は、筑波新大学は東京教育大学の移転を契機として新大学を建設するということの意味に関してのことではないかと思います。これに関しましては、東京教育大学が筑波学園都市への関心を示し出したのは実は非常に古くて、昭和三十八年の夏ごろだったと思います。五月何日かだったのではないかと思います。東京教育大学は、それよりもっと昔から日本一のタコ足大学でございまして、各種付属学校を九つも携えているたいへんなタコ足で、しかも狭いということで、学問的なニードにも社会的なニードにもこたえられないという状況がございました。  そこで、非常に早くから東京教育大学では各教授会の了承を得まして評議会でこれは全学一致で、どこか適当な土地があれば移転しようじゃないか、そうして同一キャンパスになりたいという申し合わせが非常に古くから、これは私いつの時期かわかりませんが、昭和三十年のころではないかと思われます、非常に古くからそういうものがございました。そして学内でもそういう移転地をいろいろ検討したのでございますが、どうしても適当なところがない。御存じのように年ごとに土地の入手もむずかしくなるということで、そこへたまたま昭和三十八年に筑波の学園都市に教育大学を移転する気持ちはないかということで、それを受けまして、実は昭和四十二年の六月まで実に四年間にわたって、筑波には一体どういう大学をつくったらいいか、是か非かという大議論が学内で巻き起こりまして、四年間にわたって検討したのでございます。そして昭和四十二年の六月に、とにかく筑波の土地は確保して、どういう大学ができるか、また政府もそれにどれだけ呼応するかを十分検討しようではないか。つまり新しく筑波へわれわれの移転先としての土地を確保してこれから検討を進めようではないかという案が四年かかっております。それから東京教育大学の、よくいわれる紛争がそれを契機に部分的に発生し出すのでございますが、これについては、私はいまとやかく言う立場にございません。移転計画の専門委員会も、文学部も加わって何十回となく開かれました。私も委員でございましたが、初期の段階では、もっと具体的に申し上げますと、昭和四十二年にマスタープラン委員会をつくりまして、四十三年中期ごろまでは、現在ございます大学の設置基準のワク内で、つまり現在の法律のワク内で学部・単科のワクを取っ払ったような運営をできるだけ可能にするという案、つまり法律改正を伴わない、国立大学のワクということを限定しまして、現存する法律の中でこの移転を実現しようではないかというのが昭和四十三年の中ごろでございました。すでに四十三年三月には東京教育大学の移転計画に関する基本計画案を学内で作成してございます。不幸にしまして、御存じのようにそれから日本じゅう大学紛争が勃発いたします。そのころから大学の内部では、あるいは外部でも、大学改革が必要ではないかという空気が非常に大きな形でクローズアップされてまいりました。実際中央教育審議会のほうでも、たしか昭和四十二年ごろから大学改革の案を検討を始めたようでございます。われわれその案の方向も全然見当がつきませんでした。昭和四十三年ごろから国民の大学改革への世論、あるいは諸外国の大学改革への趨勢というものから、せっかくこの際移転をするなら、新大学として、新構想の大学としてその中に移転をはめ込むという形式がよくはないか、こういう空気が大学内外に持ち上がりました。大学内部でも、そういう方向は非常によろしいということで、評議会のほうでもマスタープラン委員会に対して、ひとつ現在ある法律のワクにとらわれないような、国際的な視野から見てりっぱな大学をつくることを考えてはどうか、そういうことを言われまして、文部省のほうでもそういう姿勢を持っておるということも聞いておりましたので、マスタープラン委員会は、いままでの審議を踏まえた上でさらに新構想の大学をつくろう、そういうふうに変わったわけでございます。これは、正確な日にちは記憶しておりませんが、昭和四十三年の夏ごろでございました。そのころから各大学の紛争が非常に大きくなっていくわけでございます。  そこで、マスタープラン委員会では、いろいろそういう観点で世界の文献、あるいは私自身も視察に行ったりしまして、どういうところが問題かということで検討をいたしました。現行の中でとらえられないような部会もずいぶんございますけれども、それはそれといたしまして、それからそういう集中的な審議に入りました。残念ながら昭和四十三年秋には東京教育大学の本館その他が封鎖されるという事態が起こりまして、非公式な討議、つまり大学でそういう委員会を開くことは困難でありましたので、非公式な討議があちこちのグループでなされました。そして昭和四十四年には大体いろいろな試案がまとまりまして、そしてマスタープラン委員会も四十四年の春から再開されるということで、さらに集中審議いたします。それから二年ぐらいかかりまして、つまりことしの六月十日までに、さらに二年を経まして案が作成されたのでございます。御質問の、東京教育大学の移転を契機として新大学をつくるという教育大学の方針は、そういう歴史的な背景を見ませんと、ちょっと奇妙なのでございます。  しかし、大学側から申しますと、初めは、移転しよう、しかし移転したときにいまのように非常に封建的な大学をつくってもしかたがない、だから、やはり思い切って国民の期待にこたえられるような新大学をつくろうじゃないか、こういうのが教育大学の発想だったわけであります。文部省のほうでも、中央教育審議会その他のこともあるし、また、国民の世論もございまして、教育大学がそういうことをおっしゃるのなら、ひとつこの機会に、いろいろな表現はありますけれども東京教育大学を核として新しい新構想大学をつくってはどうかと、こういうようなことで、文部省側と大学との間に意思の疎通ができているんではないかと信じておる次第でございます。  ですから、もともとは純粋な移転で発足したのでございますけれども東京教育大学のマジョリティーは、その機会に新構想の大学として脱皮して移転しようではないか、その移転を契機として新大学をつくろうというような表現になったり、あるいは、東京教育大学を核として新構想大学をつくるとか、いろいろな表現がされておりますけれども、大学のマジョリティーの意見は、古い型の大学ではしかたがない、法令の解釈の許す限り、あるいはできれば法律の一部の改正を含めて、できるだけ新しい大学を表現していっていただきたい、こういう気持ちでございます。  最後に、これと関連しまして、有島先生の御質問の中にあるいはそういう問題が含まれているのかもしれませんが、現在でもまだ反対の人がいるのかどうかという問題につきまして、これは私見でございます、私的な接触は、大学でございますからたくさんございますが、少なくともここ何カ月にわたって、おそらく昨年の夏以来、ほぼ一カ年にわたって、部分的にはあるかもしれませんけれども東京教育大学の内部で大きな抗議運動とか、あるいは自分に移転に反対だというような意見はほとんど聞いてないのでございます。いままでも、実は教育大学としては、移転をして新大学をつくるという、移転を契機とする新大学をつくるという決定をしたのは四十五年の七月二十四日でございます。そのころいろいろ抗議運動もございましたけれども、これは個人的な見解で恐縮でございますけれども、移転そのものに反対だという空気はあまりないのでございまして、いろいろ手続上気に入らぬ点があるとか、やり方がどうも気に食わぬ、こういう御意見はあるようでございますが、移転そのものに反対であるとか、あるいは自分たちの学問上、教育上の利益が非常にそこなわれるというような式の攻撃はあまり受けたように思いません。ですから、世の中でいわれているほど、現実に新しい大学構想そのものに対する反対がどこまで強いか、これはなかなかっかみどころがないのでございますけれども、われわれが正式にわかることは、各教授会の審議の結果とか、それから大学評議会の審議の結果ということでございまして、それに対して個々の人たちが全部にわたってどうであるということは、ちょっと個人的にも申しかねるのではないかという気がいたします。
  27. 有島重武

    ○有島委員 どうもありがとうございました。  いまのお話の中で、学者の方々ですから、一人一人御意見が違うということは大きな前提になっておる。それから、文学部は関与しなかったというようなお話がございました。この討議は各教授会からの推薦であるその各教授会の中に文学部が入っていたのかどうか、この点不明瞭でございましたのでひとつ……。  それから、独善におちいらないように今後ともやっていかれるというお話を承りました。もう一点、当初は教育大学が筑波に移転をするということが主要な課題であったけれども、いまや新構想の大学をつくっていくのだということが主要課題になっておる、そういうふうに私受け取らせていただきました。そして、現在では移転そのものには反対はないのだ、手続上多少気に入らぬという方があるようである、これは福田先生の個人的な意見を交えてのことであるというふうなお断わりもございました。制度上新しい、学部・学科の壁を越えた大学をつくりたい、そのために、その準備段階においても、やはり学部・学科を越えた討議をなさったという、そういうようなお話のように私承りました。  大体私の承りたいことはそれに尽きるのでございますが、文部大臣がいらっしゃったので、このことについては前文部大臣の坂田さんが、学内の強固な意思統一と大学の積極的な姿勢が大切だ、やはり大学であるから意思決定機関が数できめたとしても、反対派の説得了解に努力すべきだ、そういうような御意見を言っていらっしゃったと記憶しているのですけれども、当然のことと思いますが、高見文部大臣もこの点では一致していらっしゃるかどうか、それを確認しておきたい。
  28. 高見三郎

    ○高見国務大臣 若干の反対の意見をお持ちになっておる方があることは承知をいたしておりますが、せっかく大学の執行部で非常な努力をされて意思統一をやっておられます。私は開学の時期までには大体大学の意思は名実ともに一致するであろう、それを希望いたしておりますし、またそういう形になってもらいたいものだと念願をいたしておるわけであります。
  29. 丹羽兵助

    丹羽委員長 ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕
  30. 丹羽兵助

    丹羽委員長 速記を始めて。
  31. 有島重武

    ○有島委員 福田参考人には御多忙のところ来ていただきまして、私の承りたいところは大体尽きたようでございますので、福田参考人に対しての質問はこれで終わります。
  32. 丹羽兵助

    丹羽委員長 これにて福田参考人に対する質疑は終わります。まことにお忙しいところありがとうございました。  続いて林参考人から御意見を伺うのでありますが、林参考人にははなはだかってでありまするが、御意見は委員からの質疑に対してお述べいただくようお願いいたします。  質疑を許します。有島重武君。
  33. 有島重武

    ○有島委員 林先生には本日御多忙の中をお越しいただきましてたいへんありがたく思っております。新しい大学をつくることにつきまして、また、新しい学問を開拓していくことに日夜努力していらっしゃる先生方に、ここに敬意を表するものでございます。  先日、東京教育大学の学長のお名前でもって、「筑波新大学に関する基本計画案」というものが六月十日付でもって出ておりまして、私は拝見いたしました。この中で私ども教育大学の筑波移転に伴う新しい大学というような発想がきわめて不明瞭だというような印象を受けていたのですけれども先生の御意見を承りたいのは、筑波移転ということは新構想大学について従属的な条件であって、新しい大学をつくるということがむしろ主要なことなのではないかと私どもは受け取っているわけです。その点についての御意見をひとつ承っておきたい。  それからもう一つは、新しい大学といった場合に、新しい大学の制度ということも大切であるけれども、そこに集まる教授陣営ということも非常に大切な問題ではないか。その点についてどのような御意見を持っていらっしゃるか、そのことも承っておきたい。  それから、この基本計画案の序文の中で、「本日にいたる満四年間、本学教官の大半が同委員会および関係委員会に参加」した、そういうような表現がございます。このことについての事実関係について御意見を承りたい。  さらに「現大学の諸欠陥の徹底的な分析と海外・国内にわたる大学改革の詳細な調査をもとにして、学部・学科の壁をこえた熱心な討議が行なわれた。」このように序文には書いてございますけれども、これについての御意見も承っておきたいと思います。  私どもも、この序文にございますように、国家百年の大計という観点から、国民のための理想的な大学を建設していただきたい。また、こうした企てに対して「国民各層の深い理解と支援を強く期待する」といわれておりますけれども、私どもこの期待におこたえしてまいりたい、そう念願してきょうお越し願って御意見を承るわけでございます。よろしくお願いいたします。
  34. 林孝三

    ○林参考人 私はお呼びをいただきました林でございます。  ただいま有島議員からの御質問の点でございますが、ちょっと私は聞き落としたところがあるかと思いますけれども、最初の、新大学の建設についてどういうふうなことでございましたか。
  35. 有島重武

    ○有島委員 移転問題が主であるか、あるいは新しい構想の大学をつくるということが主要なことであって、移転ということはむしろ従属的なことというふうに私ども受け取っておりますけれども、それでよろしいかどうか、そういうことでございます。
  36. 林孝三

    ○林参考人 教育大学は、移転問題ということで最初七、八年前に出発いたしまして、私はそれに対しては、どうも審議の進め方がまずいという意見を持っておりますが、現在の段階で新構想大学というものが出発するということに対しては私は何も異議を申しません。そして、それがはたしていいものであるならば、全部が総力をあげてやるべきであると考えますが、それは移転ということがいつの間にかそういうことに変わってやいりましたので、それをちゃんと全学が理解して、それで考えていこうというのであれば、私は有島先生のお考えと同様でございます。御質問の要点がちょっと尽くさないかもしれませんけれども、大体その問題については、こまかなことはまた御質問いただけばお答えいたしますが、そのようなことでございます。  それから教授陣営でございますが、現在新構想大学の基本計画案が先般発表になりましたところによりますと、その教授陣営が、私は率直に申し上げますと、教育大学の教授陣営で十分であるかどうかという点においては実は疑問を持っております。だから、その点においてりっぱな教授陣営を新構想大学に送り出さなければならない。そのためには、教育大学においては実は不十分でありますから、広く全国の国立大学の協力を得てそれをつくるような方向でお考えをいただくべきではないかというふうに考えております。  それから序文の中で、大半がこの審議に参加した、そして十分な審議を尽くしたというようなことになっておりますが、数の上では大半であるかもしれませんけれども、これは残念ながらやっていこうという方の大半がそれに参加したという注釈をつけなければ実際ではない。事実と違う。私はそれほどりっぱな人間ではございませんけれども、私なぞはその審議には全然意見も聞かれないし、私みたいにちょっとどうかなと思っておる人には全然無関係にやられております。この点がいまの序文に書いてあるところと私の見解との違う点でございます。  それから、学部・学科の壁を越えて十分に討議が行なわれたというのは、いま私の申し上げたとおり、壁を越えて行なわれたのではなくて、今後つくる大学は壁を越えるようにしたいという線で行なわれたのでありまして、教育大学において壁を越えて筑波新大学なら新大学のプランを検討したということではない、私はかように思います。  それから最後の問題は、期待に沿う新構想大学をつくりたい、有島先生もそういういいものができるなら国をあげてやるべきである、私はそれは当然だと思います。何もそれに対して文句を言っているわけではございませんで、そういう期待を持っておりますが、実はこの新構想大学というもののプラン、文部省に対する最終答申の委員会のプランができましたが、もう少しこの方針が早くわかっていたならばこういう問題は起こらなかっただろう、起こるべきはずのものではないというのが私の考え方でございます。  以上、言い足りませんでしたでしょうけれども、御質問の五つの項目に対しては、概要を申し上げるとそういうことになります。
  37. 有島重武

    ○有島委員 どうもありがとうございました。  学内における審議決定の過程がたいへん公正を欠いていたというふうに私ども承りました。文学部教官だけではなしに、ほかの学部でも、この審議決定の過程で公正を欠くのじゃないかという御意見があったかに承っております。文学部のほうは、これは天下周知の事実でございます。林先生は理学部でいらっしゃいますが、理学部の中にもそういったようなことがあったのかどうか。  それから、私が聞いているところでは、大体筑波大学というものに参加したくないというような御意見の方がかなり大ぜいいらっしゃるやにも承ったのでございます。この事実関係について伺いたいと思います。  それから、こうしたような経過でもって新しい構想大学がうまくいくだろうかどうか、これは一番大切な問題だと思いますので、御意見を承りたいと思います。  以上二点、重ねて御質問いたします。
  38. 林孝三

    ○林参考人 ただいまの御質問でございますが、学内審議が公正を欠いていた、それで参加しないという方がかなりおるというのは、これは非常に残念なことではございますが、事実だといわざるを得ないと私は思います。公正を欠いていたというのは、これは例が数々ありまして、私は文学部のほうに関してもそれがあるとは思いますけれども、理学部のほうに関しても、どうも私が納得がいかないような点が多いわけでございます。  その具体的なことをこまかに申し上げると一日、二日かかりますが、とにかく顕著な例といたしましては、移転ということでこれを審議決定するという形を非常に早急につくりたいために、評議会で文学部が不在のままで決定に持ち込んだということは、私はやはり統一体としての大学としては非常に遺憾なことである、事情いろいろやむを得ないこともあったかもしれませんが、とにかくそういうことではなしに、あくまでも議を尽くして審議してその上で決定に持ち込む、一人も出ていないところで決定に持ち込んだということは、これは大学としての一つの遺憾な点でございます。いま申し上げたのは四十二年の七月のたしか評議会だと思います。  それから理学部におきましては、筑波ビジョンというものを教授会で審議をいたそうということで、教授会を開いたのが四十四年の七月九日の臨時教授会であったかと思います。その際にいろいろ意見が出ました。出ましたけれども、これはいたずらに議事を引き延ばす形であるというようなことで、向こうから議事進行、質疑打ち切りということがどんどんと行なわれまして、そうして意見を十分に聞かないでこういう重要なことを多数決で決定してその形をつくり上げたということは、いろいろほかにも例はあるのかもしれませんけれども、私は若い人間の教育に当たっているところの大学としては、それは避けたいということでございます。まだ切りがございませんけれども、一番重要なキーポイントになるところにそういうことが行なわれたということは、どうも大学としてはまずいという意見でございます。  それから新構想ということに対してどういうことでございましたか。
  39. 有島重武

    ○有島委員 新しい大学としてうまくいきそうかどうかというようなことについてのお見通しでございます。
  40. 林孝三

    ○林参考人 私は、こういうふうな和が保てない状態で新構想大学へするするとすべっていくということは、新構想大学の将来に対して暗影を投げかけるものである。研究も教育も、私の考えは古いかもしれませんけれども、人間の和というものが基底になって、そこから出発していかなければ協力というものは得られません。まして私は、新構想大学というものは、当初からいろいろ申し上げておったのでございますけれども、筑波学園都市には新しいモデルスクールをつくらなければならない、これは私の初めからの考え方でございます。そのためには全国の国立大学のエキスパートの方々がすべて委員のような形で参加して、日本の将来はこうあるべきであるという基本理念を確立した上で、それに基づいて出発するのがほんとうの新構想大学だ。そうすれば、その将来に対して、教授陣を送るという場合には、全国からりっぱな方、その趣旨に沿った方を御推薦いただいて、そういう方が協力してやってこそ初めて新構想大学の将来が洋々と開けてくるのではないだろうか。いまのようなクローズドなやり方では、私は、非常に遺憾ながら、新構想大学にあまり期待を持つことができないという考えでございます。  こう申し上げると、政府あるいは文部省は御不満かもしれませんけれども、私はあくまでそういうことよりも、純粋に学問というものの本質を考えますと、非常に残念な気がして、率直に結論から申し上げますと、形はりっぱであるかもしれないけれども、三十年、五十年先の人間の和と協力というものが一番それを醸成する基礎になるという観点から、私はどちらかという暗い見通しを持っております。
  41. 有島重武

    ○有島委員 どうもありがとうございました。  文部省のほうにちょっと伺っておきたいのであります。「筑波新大学のあり方について」の報告、七月十六日付、大学創設準備調査会というのを私、拝見いたしました。この中に「本調査会は、検討を進めるにあたって、東京教育大学の移転を契機として、そのよき伝統と特色は生かしながらも従前の大学が内包していた種々の問題点に対する反省を基礎とし、これまでの制度にはない新しい構想に立脚した大学の創設を目ざすものであるということを基本的立場とした。」なお、「新構想大学の創設という基本的な理念にはいささかの変化はないにしても、少なくとも新大学の発足当初のあり方については、それらの現実的諸条件との調和にとくに留意する必要があろう。」というようなことを承っておるわけでございますが、先ほど文部大臣からも、意思決定機関が数できめたとしても、反対派の説得、了解に努力すべきであるという前文部大臣のこのおことばを、そのとおりにいくように希望する、そういうお話がございました。それでいま林参考人からのお話の中に、この意思決定の段階においていわゆる強行採決に似たようなことが行なわれておった。それから、これはいまのお話じゃございませんで、私、ほかの人から承っているところでは、会議の連絡がずっととだえてしまって、全くつんぼさじきに置かれた大ぜいの方々ないしは学部があったというようなお話については、文部省のほうとしてはそのことはいままで御承知であったかどうか、いま初めて聞くお話であるかどうか、その辺のことを承っておきたいと思います。
  42. 安養寺重夫

    ○安養寺説明員 お答えいたします。  先ほど両名の参考人の方々がおっしゃいましたような事情承知いたしております。
  43. 有島重武

    ○有島委員 林参考人に最後に御意見として承っておきたいのですけれども全国から優秀な教授を集めるような方向を願うと言われました。それで、そうしたことに対する資格審査についてはどのような御意見を持っておられるか、そのことをひとつ伺っておきたいと思います。
  44. 林孝三

    ○林参考人 資格審査につきましては、それこそ大学の本質でございますから、十分厳正な立場に立ってやらなければならぬ。とにかく私が見ますと、これは御質問のことではございませんけれども、現在の教育大学は八年間の学問上のブランクを持っております。業績面から見た限りにおいては、現在すでに二流、三流に転落しておる。これを取り返すためには今後相当の努力をしなければならない。そして、その上に新構想大学のプランが発表されました。それを十分に生かして、国として伸ばしていくためには、さっき申し上げましたように、移転賛成であると反対であるとを問わず、厳正な資格審査をやって、学内はもちろん学外からもそういう方を呼び寄せないと、形だけできて新構想にならない、実績が上がらないというのが私の信念でございます。これは一番最初から、筑波新大学をつくるなら、教育大学というものにあまりそれに固執をしないで、人材をいかにして集めるかというところにしぼって基本計画を立案し、そこから出発すべきであるというのが私の八年前からの自分自身が考えておった持論でございます。
  45. 丹羽兵助

    丹羽委員長 山田君。
  46. 山田太郎

    ○山田(太)委員 林参考人に一点だけお伺いしたいのでございますが、先ほどのお話の中で、期待に沿う新構想大学をつくりたいのは当然であるが、実は新構想大学プランがもう少し早くわかっておればこのような問題は起こらなかっただろう、こういう御意見でありましたが、その点について、その後の御意見とあわせてもう少し深く、どういうわけでもう少し早くわかっておったらこのような問題は起こらなかっただろうか、その点についての御意見を伺わせていただきたいと思います。
  47. 林孝三

    ○林参考人 いまの御質問でございますが、もう少し早くわかっておったらというのは、これは微に入り細に入るようなことになるかもしれませんけれども、どういう大学をつくりたいのか、つくるのかという理念を先にして、それに沿って教育大学は教育大学なりに考える。ところが、最初からの経過を、私は三十七年ごろから学部長をずっとやりまして承知しておるのでございますが、どういう大学になるんだということなしに、ただ筑波へ行けば大きくなるというのが目的になって進められてきたという点に私は不満を持って、現在批判的といいますか、そういう立場におるわけです。ただ東京大学とか京都大学並みの大きなスケールになりたいのが一つの移転の中心の柱であったという点に私は不満を持って、教育大学は教育大学のあり方があるべきではないか。明治の創立のときから東京大学は研究をやる、そして国に貢献する。教育大学はその研究を取り入れた教育をやって若い人間を育てる。これが、教育大学でありませんけれども、明治初年の創立の車の両輪であったと私は考えます。それを全然考えないで、まあ大きくなって一般の国立大学になりたいというだけでは困ります、その理念をはっきりしていただきたいということを私は最初に御希望を申し上げたのでございますけれども、それはそれだけの話になって、全然ないままにきた。それでとにかく行って、何か大きくなるんだということが先になるのでは、大学の建設はとても切りがないというのが——私は何も筑波新構想大学ができることに反対しているのではなくて、そういういきさつでございますから、私がさっき申し上げたような、はしょって申し上げますと、もう少し早く国なら国、うちの大学の中でもけっこうだが、いわゆる大学の理念、あり方というものをはっきり打ち出して、それに沿うような新しいモデルスクールをつくらなければならない。私は初めからモデルスクールということばを使っておったので、そのあとで新構想大学ということばが出てまいりまして、新構想になった、私は同じことだと思います。
  48. 有島重武

    ○有島委員 林参考人にはどうもありがとうございました。参考人に対しての質問は終わります。
  49. 丹羽兵助

    丹羽委員長 これにて林参考人に対する質疑は終わります。まことにありがとうございました。
  50. 丹羽兵助

    丹羽委員長 引き続き政府に対する質疑を許します。有島重武君。
  51. 有島重武

    ○有島委員 文部大臣に伺いたいと思います。  ある人が、政治と行政と教育というような問題についてこんなことを言っているんですね。政治というのは、「「社会の代表」と自負する為政者は、しばしば自己の属する一部集団の保身と繁栄のために権力を私に行使して、他の大部分の社会を巧みに利用し、奉仕させ、しかも「自分は、社会全体に奉仕し、貢献している」と思い込み勝ちである。政治家の本来の役割は、遠大な理想のもとに国民的合意を形成し、行政府を駆使して理想達成に向かわしめることである。」また、行政については、「行政府は社会運営の中枢として、社会の各部に公平に、能率よく力を配分するためのサービス機構である。この手段としては非人間的な「画一化」「格付け」「選別」が用いられる。ここには、社会の諸力を最も集中することができるので、ともすれば「社会に対するサービス機関」であることを忘れて、大きな管理機能を発揮する傾向が強い。」というようなことを言っている人がいるのですけれども、大臣、ちょうど行政と政治の中間に立たれていまお仕事をなさっておられるわけですけれども、こういうことを言っている人がおりますが、御感想を承りたい。
  52. 高見三郎

    ○高見国務大臣 いまの有島さんのは、どなたのあれかわかりませんが、私も全く同感でございます。私も行政府におったことがございます。確かに政治家と行政家というものはそれだけの違いがあるということは当然考えなければならない問題だと思っております。ただ、日本の政治組織というのが変なことになって、立法府から行政府の長官が出るという現在の組織のもとでは、私は行政府の責任者の一人であり、同時にまた立法府の構成員の一人であるということになるわけであります。政治家にとって一番大事な問題は、何と申しましてもずっと先を見通しての国民的なリーダーシップを持たなければならぬ。それから行政府というものはあくまでも国民に対するサービス機関であるべきだ、それが、御指摘のように行政府がややもすれば権力的なものになってくるという問題は、これは厳に戒めなければならない問題だ、かように考えておるわけであります。
  53. 有島重武

    ○有島委員 先ほどお二人の参考人からおのおのの陳述がございました。それで、基本的な問題についてやや意見の相違がまだあって、大学内においても、それからまた世間においても、この問題はもう少し慎重に考える余地があるのじゃなかろうか、それが率直な私の感想でございますが、もう一面、文部省のほうとしては、お役所としてはこれを早くまとめていかなければならないというような責任もやはりおありだと思うのです。その際に、つい行政の主導のもとにこのお仕事をどんどん進めていって、かえって新しい大学というような大切な問題が従属的に扱われるようなことがあってはならないと私は思うわけでございます。今後大臣、この問題は大学問題を解決していく一番最初の一つのかぎになるのじゃないか、大切な問題だと思いますので、さらに慎重な扱いをしていっていただきたいと思うわけでございます。大臣のお答えをいただきたいと思います。
  54. 高見三郎

    ○高見国務大臣 準備調査会におきまして、この問題はなお流動的な面がある、さらに検討を要するところがあるということを報告をいたしております。したがいまして、これを推し進めます場合には、一応のめどは行政府としては立てざるを得ないのであります。一応めどは立てますけれども、なお流動的に検討すべきものは検討する。それから、いま両参考人のお話をお伺いましても、意思決定について基本的に反対であるという御意見よりは、むしろ手続的にいろいろな間違いがあったという御意見があったのであります。そこで、できるだけ学内の意見というものを私は尊重いたしたいと思います。したがって、東京教育大学の学長に対しましても、私が申し上げることは、まずあなたのほうの意思統一を完全に早くしてくれということを申し上げておるわけであります。  新構想大学という観点から申しますると、これは東京教育大学の移転を契機としての新構想大学であります。東京教育大学のほうについては、私は意思決定をなるべく円満に早く解決してもらいたいということを要請をいたしたいと思います。お話しのように、この問題については十分誠意をもって検討するということを申し上げておきます。
  55. 有島重武

    ○有島委員 私の質問はこれで終わります。
  56. 山田太郎

    ○山田(太)委員 数点、関連してお伺いしたいと思うのですが、少し具体的に入ってまいりたいと思います。  先ほどの両参考人の御意見をお聞きして、いま大臣が御答弁になりましたように、手続上の問題で非常にそれが紛争の根本原因になっておるらしいということをまず踏んまえたときに、このまま新構想大学というものに移行するのには非常に難点がある。そこで大臣としては、意思統一を要請したいというお話ですが、その点については具体的にどのようになさっていくか、あるいは大臣が両者の代表と会うとか、そのようなお考えがあるのかどうか。その点については、文部省としては介入するというふうなお声もあるので、そういう点は考えてないとか、そういうふうなところはどうでしょうか。要請をしたいというだけでは少しぼやけてしまうと思うのですが、その点についてはどうでしょう。
  57. 高見三郎

    ○高見国務大臣 山田先生の御質問で、これは大事な問題は、大学の意思をできるだけ尊重してあげなければならぬ、したがって、基本的には文部省がとやかくくちばしを出すことはできるだけ避けたいものである、かように考えております。しかし、もし必要があるならば、私が会うこと、ちっともやぶさかではございません。ただしかし、私のいまの見通しでは、大体開学までには全学の意思統一が一応できるのではないかという見通しに立っております。いまあまり文部省がかれこれと差し出がましいことを申し上げることはできるだけ避けたいものである、こういうように考えております。
  58. 山田太郎

    ○山田(太)委員 先ほどの、めどはつけなければいかぬ、そうすると、そのめどに対する大臣のお考えと、それまでに意思統一ができない場合は、あくまでもそれを強く強行しようというお考えかどうか、それが一点と、それからもう一つは、教育大学の移転即新構想大学でなくて、全国から、いまの林参考人からの御意見もありましたが、新構想大学として全国から教授、教官等なり人材を集めていきたい、そのようなお考えがあるかどうか。その二点についてお伺いしておきたいと思います。
  59. 安養寺重夫

    ○安養寺説明員 現在考えております一応の事務的な目安を申し上げたいと思いますが、おかげさまでこの七月には、このためにつくりました準備調査会が最終報告を文部大臣まで提出をいただきまして、ごらんをいただいておるようでございますが、内容ははなはだ新しい構想が盛られておりまして、なお今後、明年度にかけましてもう少し専門的にしさいの点を具体化するというようなことを予定しております。あわせまして、ただいまのところは四十八年度法制的に開学の措置をいたしまして、四十九年度に一部の学生募集を新しい筑波の地区において行ないたい。それ以後は、比較的すみやかにまとまるものであれば、新しい地域に新大学を完結いたしたい、かようなことを希望いたしておるわけでございます。
  60. 高見三郎

    ○高見国務大臣 準備調査会で御報告をいただきましたので、その報告に基づきましてこれから諸般の準備を進めていきたい、ただいまのところではさような考え方に立っております。
  61. 山田太郎

    ○山田(太)委員 文部大臣、さっきお聞きしたのは、林参考人の御意見にあったように、全国から教授、教官等の人材もどんどん集めていく、そういうふうなお考えがあるかどうかということを具体的にお伺いしたわけです。
  62. 高見三郎

    ○高見国務大臣 この新構想大学は、量の面から見ましても、質の面から見ましても、非常な大きなものになります。したがいまして、これは量の面から申しましても教授陣は非常に数が多くなります。質の面から申しましても、かつての東京高等師範学校から出発いたしました東京教育大学という名実ともに名門校であったのであります。ただいまのところ、先ほどもお話がありましたように、二流三流の大学になったと大学の教授自身がおっしゃっておるような状態であります。広く天下に人材を求めるという考え方を持っておるわけであります。
  63. 山田太郎

    ○山田(太)委員 そこで、もう一点だけお伺いしたいのは、教育大学の移転ということは、その中ではほんとうに軽い範疇の中にあって、移転を契機としてということばの中には非常に含蓄があると思う。全然行きたくない学部もあるかもしれない。それはそれでおいても、とにかく移転というものを主にするのではなくて、残るものは残っても新構想大学はやっていこう、そういうふうなお考えと受け取れたわけですが、それで間違いないですか。
  64. 高見三郎

    ○高見国務大臣 それは非常にむずかしいお尋ねで、イエスともノーとも申し上げかねますが、この問題は新構想大学というものと、それからこれはたまたま東京教育大学のキャンパスが御承知のような状態で何とかしなきゃならぬということで、筑波の学園都市に入りたいという教育大学側からの御希望もありましたことで、そこで移転を契機として、ひとつそれでは新構想大学をつくろうじゃないかということになったわけでありまして、ウエートをどちらに置くかということになりますると、ウエートをどちらに置くというような目方ではかる問題ではないと私は思うのであります。問題はあくまでも新構想大学をつくるということなんでありまするけれども、そのよって来たるところはどこにあったかと申しますると、やはり教育大学の移転というものを契機として新構想大学というものにまで発展させようということであるというように御理解をいただきたいと思います。
  65. 木島喜兵衞

    木島委員 いまのとからみましてちょっとあれですが、中教審の答申がございましたね。これは仏よくわからないのですけれども、中教審なら中教審の答申があった。これは、とかくそういう審議会なんかの結論というのは、ある場合には政府がやるところの隠れみのだという批判があったり、あるいは一面においては、国民が選んだものは間接的には大臣なら大臣を選んだのであって、審議会を選んだのではない、審議会の結論は即文部省あるいは大臣とイコールではないという意見がございますね。そうすると、中教審の答申そのものが文部大臣なり文部省考え方と全般的にいってイコールではない。すなわち中教審の答申もこれから文部大臣は文部大臣として検討されて、さらに答申どおりやらない場合も当然あり得るというように一応理解してよろしいですか。そこからひとつお聞きしたい。
  66. 高見三郎

    ○高見国務大臣 中教審の答申を尊重いたしたいとは思っております。けれども、中教審の答申にそのまま縛られていくという考え方は持っておりません。文部大臣は文部大臣としての考えでやっていきたいと思います。しかし、答申の御趣意はできるだけ尊重いたしたいという気持ちに変わりはございません。
  67. 木島喜兵衞

    木島委員 その答申の中に先導的試行というのがありますね。これは大学の場合は先導的試行に入りませんね。入っておりますか。
  68. 安養寺重夫

    ○安養寺説明員 答申でごらんのように、先導的試行というのは高等教育には主として関係がないものと理解しております。
  69. 木島喜兵衞

    木島委員 その辺私わからないのですが、そこから聞いていかないとそのことに関連できないものですから……。  そうすると、先導的試行がないといまおっしゃったように、中教審は中教審として高等教育の改革案がありますね。それは先導的試行ではない。したがって、文部大臣の中教審の大挙改革に対する考え方は、先ほどおっしゃったように、尊重したいけれども必ずしも縛られるものではない。したがって、まだ固まっておらないということを前提にしますと、いまの筑波新大学の問題でいうと、中教審の答申、あるいはそれを尊重しながら縛られないと先ほどおっしゃったような、そういう文部省の新しい考え方の大学構想と、それからいま筑波に移転せられる新構想大学との関係は一体どう理解してよろしいのでございましょうか。
  70. 安養寺重夫

    ○安養寺説明員 御質問の趣意に最たるお答えができるかどうか、申しわけありませんが、中央教育審議会の審議の経過と時間的には関連的にすでに大学改革の論議はやっておったわけでございまして、四十五年の暮れにすでにそれまでのいろいろな審議の経過をくみとりまして、先に筑波大学のあり方というものの検討が始まったわけでございます。その後において中教審の正式の答申をいただいたわけでございますが、すでにこの大学につきましては、その時点よりいろいろ中教審の関連のこともございましょうけれども、骨として検討しておったわけでございます。ここに書いてあります事柄は、ごらんいただきますとおわかりのように、中央教育審議会の大学改革のいろいろ御指摘の点とあるいは全く同じ部分もございますし、いわれていない部分もございますし、いろいろ新大学自体の主張を、こちらとしてはそれ自体完結した形で取り上げておる。今後もそういう形でやってまいるわけでございますが、でき上がりましたものは、今後の日本の高等教育のあり方について大いに裨益し、有効な改革の一策を具現化したものだ、こういうぐあいにありたいものだと考えております。
  71. 木島喜兵衞

    木島委員 中教審の答申がことしの六月十一日でしたか、その前日には、東京教育大学の筑波新大学に関する基本計画案というものが六月十日に、そうして、いまおっしゃった筑波新大学創設準備調査会は七月十六日に報告しておりますね。そういう点ではたいへん関係をお持ちなんだろうと思いますね。思いますけれども、私が聞いているのは、しかし中教審の答申そのものがまだ文部省としては固まっておらないわけですね。これには各大学のいろいろな意見もありますから、各大学の意見をまたいろいろ聞かなければならないでしょう。一方、そういう新しい大学の中教審に基づく大学改革の方向は固まっておらない。だのに、一方においては新構想大学として筑波新大学ができてくる、あるいは準備が進められておる。このことは食い違わないこともそれはあり得るかもしれないけれども、食い違っていることもありますね。いわば中教審に基づく新しい構想の大学とこの筑波新大学というものはイコールではないと理解するしかないと思うのですが、その点そう考えてよろしいのでございますか。
  72. 安養寺重夫

    ○安養寺説明員 お話しの今後のあり方とも関連いたしますが、趣意は、この筑波新大学も今後さらにしさいの点は時間をかけて検討いたすわけでございます。結果的には、中央教育審議会の答申自体も、大学の改革についての、あたかも筑波大学でやっているようなしさいの点の逐一を御指摘いただいておるわけではございませんで、まあ大ざっぱに言いますと、方向において大学改革のいいあり方を模索しておるということで共通しておるのではないか。たまさか、こちらは具体的な問題といたしまして、かねてからの懸案の教育大学の移転というものを含めて問題として鋭意検討を続けておるということでございますので、いずれかの時点で、今後の検討の中で先生のおっしゃるような点の整合というものは議論になるだろうとは思いますけれども、方向としては同じような改革を目ざしておるということに御理解いただきたいと思います。
  73. 木島喜兵衞

    木島委員 私、逆のような感じがするのです。中教審に基づく文部省方針がきまっておらない。しかしそれは、日本の大学全体に対するところの新しい構想なんですね。ところが、一つ東京教育大学を移転することから始まったこの新構想大学あるいは筑波新大学というのは、より具体的だといまおっしゃったですね。中教審に基づく日本の大学全体の改革の方向がまだ文部省できまっておらない。だのに、一つの移転の問題から始まって、同じ方向だとおっしゃるけれども、具体的に進んでいる。これは逆じゃございませんか。文部省の新構想大学の方向がきまって、その方向に基づいて大学の個々がどう具体的に向かっていくか、いま中教審の大学構想がいいか悪いかは別です、そういうことを文部省として考えていらっしゃる限りにおいては、何か逆のような感じがするのですが、どうでしょう、文部大臣。
  74. 高見三郎

    ○高見国務大臣 この問題は、東京教育大学の移転という問題が一つのきっかけになっているわけです。そこで筑波学園都市建設という問題にたまたま東京教育大学が名乗りをあげてきたというところから発足いたしまして、新構想大学まで行こうじゃないか。だからこちらのほうは先に進んでおったのですね。先に進んでおったところへ中教審の答申を出してきた。高等教育のあり方という問題についてのいろいろな提案をなされた。だからこれが一致する形になってあらわれるかあらわれないかということは必ずしもわかりませんけれども、しかし、少なくとも私は、中教審の答申の趣旨に非常に反した結果が出るとは実は考えておりません。先ほども申し上げましたとおり、中教審の答申もいろいろの提案がなされておるということでありまして、最終の選択、決定は行政府である文部省がやるべきことである、こういうように考えておるわけであります。
  75. 木島喜兵衞

    木島委員 大臣おっしゃったように、経過的には移転から始まったことのほうが先かもしれません。それは先ほど林参考人がおっしゃいましたように、この新構想大学あるいは中教審の構想が早くからきまっておればこれほど紛争はなかったかもしれないということも、いま大臣がおっしゃったことを裏づけることだろうと思うのです。けれども、必ずしもイコールにはならないわけですよ。いま大臣は、反することにならないとおっしゃるけれども、しかし中教審のほうの改革の問題も、また各大学のいろいろな意見がありますね。そういうものも無視できないでしょう。とすれば、必ずしも答申案どおりに大学の改革という保障はないわけです。しかし、すでに筑波大学が進んでおる。とすれば逆じゃないか。むしろ、ある意味でいえば、現在の大学とそれから中教審の答申から出発するところの新構想大学とのあるいは中間的なものがいま新しくこの筑波につくられるということすらあり得るのじゃないか。そういう点では、日本の教育全体を改革するのだという中教審のものの発想からすれば、いま筑波だけを進めていくということは、私はいまの経過を知らないだけに、何かちぐはぐなような感じがするのですけれども、大臣、そうじゃありませんか。私の考え誤りですか。経過にとらわれ過ぎるのじゃないですか。
  76. 安養寺重夫

    ○安養寺説明員 いまのお話でございますが、大筋におきましては、ともにともに大学改革ということを目ざしておるわけでございまして、特に中教審のほうのお示しもきわめて幅のある改革の提示でございます。その中で個々別々に各大学をどのように改善していくか、あるいは新しい大学をどのようにしてつくるか、いろいろな作業があるわけでございまして、この東京教育大学の移転というような具体の問題をいま議論しておるような形でやります際にも、これはこれとして、しかし中央教育審議会の全体的な日本の高等教育の改革の中でどのような位置づけをするかという問題は確かにあろうと思います。そういうことは趣旨において共通しておる。具体の問題としては筑波新大学はまさにある大学の今後のあり方を検討しておるという形で出ておる、かように御了解をいただきたいわけでございます。
  77. 木島喜兵衞

    木島委員 ちょっとわからないんですよね。だから、趣旨としては、大体大きな方向だろうとおっしゃるのだけれども、中教審の答申そのもので文部省の方向として固まっておるわけじゃない。趣旨としてはそうだけれども……。だから私は、先導的試行なんですか、大学の場合。先導的試行なら、それはそれなりにわかります。そういう意味——私のいま言っていること、わかりますか。先導的試行なんだ、大学のあり方を具体的に求めていくその間における先導的試行として東京教育大学を筑波新大学に持っていって、先導的試行として、それを中心としてやって、中教審全体の大学改革に資するんだということならわかる。そうでないとおっしゃる。すると、二段のものか、あるいは別々のものか、そういう点が何としても私は理解できないのです。私の言っていること御理解いただけますか。
  78. 安養寺重夫

    ○安養寺説明員 先ほど私から先導的試行には属さないというふうな向きのお答えをいたしましたが、中央教育審議会の答申自体に先導的試行として指摘されている、いろいろ修業年限の関連の問題を含めて初等教育あるいは中等教育の今後の新しい試みの指導をやれというようなこととは大学は違うということを申しておるわけでございまして、もう少し一般的に先生のほうはおっしゃっているのじゃないかと思いますが、中央教育審議会の答申の内容を受けまして、文部省が完結した今後の高等教育改善の策ができるまで、いろんな大学の新しい発想というものはいかような位置づけをするのかという端的なお話でございますれば、中央教育審議会の方向自身がきわめて大数にわたる、しかも事柄の指摘ということでございますので、いまこの時点において緊急の度の高い東京教育大学の移転というものに、具体に現在ある知恵で改善だといえばこのような形になる。結果的には大きな改革の動向に沿っておるものだ、こうありたい、かように申しておるわけです。
  79. 丹羽兵助

  80. 山原健二郎

    ○山原委員 医学部の問題についてお伺いしようと思ったのですが、くしくも本日理事会で、静岡県の県議会の方々がおいでになりまして、医学部を設置してもらいたいという要請をお聞きしたわけです。その際に、静岡から文部大臣が出ておるのでという話がありましたけれども、これはやはり県民の要求として出ておると思いますし、また公平無私な立場に立つならば、大臣が出ておるとか出ていないとかいうことは問題でないのであって、実際今日、全国民が非常に要求しておる問題としてこれは把握する必要があるのじゃないかということを私はけさ感じたわけです。特に、昨年秋田大学に医学部を設置するときに、実は私の県の高知県の実態も申し上げたわけでありますが、医師不足というものはまさに深刻な状態にあるわけです。私の県では、僻地地域におきましては、もうヘリコプターを県に常置してもらいたいという要求さえあるわけですね。緊急な患者が出たときには、医者をヘリコプターで運んでもらいたいというような問題も出ていますし、最近では、ある町長さんが、診療所に医者がいなくなりまして、これをさがすのに一年間悪戦苦闘しまして、そうして業界にも募集の広告を出しますし、全国の市町村にも要請をするというような中でやっと医師が参りましたけれども、その方がたいへんな高齢な方でして、実際には医師がおるというだけで、注射も打てないというふうな深刻な事態があるわけです。  さらに、先般私は十日間沖繩に参っておりましたが、沖繩におきましては、これはまたまさに深刻な状態でありまして、赤痢がはやっておる。あるいは先島におきましては医者がいない。また沖繩のハンセン氏病の療養所であります名護市の屋我地島の愛楽園というのがありますけれども、ここでは療養所におりますところの医師、看護婦の不足はもとよりでありますけれども、目の医者がいない、耳の医者がいないということで、みすみす目が見えなくなるというような切実な患者の要求も聞きまして、まさに全国的に医師の養成ということが国民の要求となっておるということなんですね。だから私は、静岡の問題、あるいは現在十八の府県におきまして医学部設置の要求が出ておると思うのでありますけれども、これを解決していくためにはよほどの勇断がいま迫られておると思うんですよ。第四次防などやめて、これに金を回すくらいの決意を持たなかったから、私は問題は解決しない段階を迎えておると思います。その意味で大臣に対しまして質問をいたしたいのです。  今後の四十七年度の概算要求の中に、いわゆる私立医大の入学時の寄付金徴収に対する歯どめ策として、三十六億円の私立医科大学臨時特別助成金を組まれておるわけですね。これは、私は教育機会均等の立場から申しましても、わが党としてもその前進については大きな期待を持っているわけです。ところで、それで、はたして真の歯どめ策となり得るかという問題でございます。その点について文部大臣の意見を伺っておきたいのです。  時間がありませんから少し申し上げますと、今度の財政措置によってどの程度の実効があるかという問題です。この間、七日の閣議におきまして大臣が発表されたといわれております資料を読みましても、現在私立大学における寄付納入金というものが実に八十数億円に達しておりますから、今度出されております三十六億というのは、これは半分に足らないという状態ですね。これでどういう実効があるかという点を最初に伺っておきたいのです。
  81. 高見三郎

    ○高見国務大臣 これは私立大学の実態調査を前文部大臣が参議院の文教委員会でお約束をなさいまして、その後調査をいたしました結果、約六五%のものが寄付金入学をしておるという実態が明らかになりました。その総額は八十三億円でありましたか八十二億円でありましたか、ちょっと一億円ばかり記憶のズレがあるかもしれません。そこで、今後三十六億円を要求をした、それで寄付金をよこせというものの歯どめになるかという問題であります。実は私立大学に対しましては、これは医科大学以外にも私立大学に対しては補助を出しております。私立医科大学といもうのは非常に経費がかかります。これは医療制度全般の問題だということもいえるかもしれませんけれども、病院を持っておりますと、病院の赤字というものは非常に大きいのです。たとえばそういう寄付金を一切取っておらない慶應大学に例をとってみますと、慶應大学の病院の赤字は年間大体六億出ております。六億出ておりながら、名門校のメンツにかけても寄付入学はやらさないというたてまえを続けておるのでありますが、考えてみますと非常にお気の毒だと思います。そこで本年は、とにかく私立医科大学というものに対しては何らかの助成措置を講じなければならない。いままでの私立学校に対する助成のほかに、私立医科大学に対する特別助成というものを考えてみようというのでありますが、たとえばこれが歯どめになるかとおっしゃいますと、その確信は私にもございません。  ただ問題は、いままで私立大学に対しまして、昨年からでありますが、補助金を出してまいりました。その結果、私立大学のほうでどういう結果が起こったかと申しますと、これは的確には把握できませんけれども、少なくとも授業料の値上げを一年おくらすとか、あるいは授業料の値上げ幅を少なくするとかいうような効果は確かにあったと思うのであります。そういう意味で私は、私立大学については実際経費が要るのだから、これはその経費の要る面を全部父兄に負担させることは必ずしも適当ではない、国がある程度めんどうを見てやらなければいかぬというので、三十六億円という概算要求をいたしましたけれども、山原先生おっしゃるように、これで寄付金がなくなるかとおっしゃると、必ずしも私はそれで歯どめにはならない。歯どめにはならないかもしらぬけれども、少なくとも私どもとしては、これによって授業料の値上げを抑制することができ、また寄付金の額を幾らかでも減らすことができれば、父兄にとってはそれだけ負担が軽くなるだろうということで考えておるわけでございます。  これをチェックする方法というものをいろいろ私ども考えてみたのでありますけれども、実はなかなかむずかしいのです。そこで、たとえば入学者全員から一斉に寄付を取っておる学校もございます。こういう学校につきましては、もう最初から父兄に選択の余地を与えるように、入学募集要綱に、本学に入学を希望せられる方は入学時においてこれこれこれだけの寄付金をいただきますということを書かせるというような方法も一つの方法だと思いますし、それから、この配分は日本私学振興財団によって配分をさせるのであります。経理の実態につきましては十分な調査をこの財団によってやらせ、そしてできるだけ寄付金を抑制するように努力する。その寄付金を抑制する努力をするためには何かのものを与えざるを得ないだろうという意味考えておるのであります。と同時に、いまは私知りませんが、理事会に御陳情があったそうでありますけれども、国立大学の医学部の設置個所につきましては、これは設置調査会において医科大学設置地域に関する選定基準を御検討いただいております。その結果に基づきまして私が最終判断をいたしまして、適切なところに配置をするというつもりでおりますが、あくまで公平を期していきたいという考え方を持っております。
  82. 山原健二郎

    ○山原委員 今度の三十六億円の予算を要求するにあたっては、結局これまで放置された医学行政というものに対する反省がおそらくなされておると思うのですよ。だから本年、坂田文部大臣のときにも不正入学問題が出てまいりまして、そのときに見解が発表されて、繰り返し巻き返し答弁がなされております。今度の高見文部大臣の場合も、七日の閣議における発言を私は新聞で読ませていただいたわけでありますが、それによりますと、六十年度をめどに人口十万人当たり医師百五十人を確保するために医学部の定員を六千人に引き上げる必要があるので、来年度は二校の増設を考えている、こういう趣旨だったと思います。この計画がはたして私学における寄付金の歯どめに実効があるかという問題、また、この計画で私学にどれだけ依存をすることになるかという問題なんです。だから、六千人の医師を養成するということでありますけれども、しかしこのままでいくならば、さらに私学に相当の依存をしなければならぬ。私の計算によりますと、おそらく十校分の私学に依存をしなければならぬ結果が出てくると思うのです。これでは今日の医学行政を解決する道にはほど遠いというふうに考えるのですけれども、その点はいかがですか。
  83. 高見三郎

    ○高見国務大臣 お話しのように、医師養成の問題は、本来国公立でやるのが一番理想的な姿だと思うのでありますけれども、いままで私立医科大学に依存しておった面があまりにも多過ぎた。しかし、ことしあたりでも私立医科大学の申請というものは相当たくさん出ております。みすみす損をすることがわかっておる私立医科大学の申請が出ておるというところに私は問題があるように思うのであります。よほど財政的な基盤が確立しておる私学でなければ、そう簡単に私学の設立認可をすべきものではないという考え方は持っておりますけれども、基本的にはできるだけ国立でやっていきたいものだという考え方は、山原先生と同じ考え方なのであります。ただ学校配置の問題から、私学をここにつくりたいというので、それだけの基準をもって申請してきておりますものにつきましては、これは許可せざるを得ないという場合も起こるだろうと思います。けれども、相なるべくは、それは財政基礎がほんとうにだれが見ても確立しておるというものでなければめったに認可すべき性質のものではなかろうというのが、私がいま持っておる考え方なのであります。  それからもう一つ、さっき高知のお話がございましたが、医科大学というのは、実は公立でつくる場合には、あるいは高知県の高等学校出をできるだけ採用して高知県に定着させるということを考えることもできるかと思いますけれども、国立の場合は全国から受けますので、たとえば高知に行きたいからといって高知に定着するという性質のものではございません。そこに問題があるのですね。  そこで、これは医療制度全体の問題になってまいりますけれども、実は、たとえば北海道が人口十万に対しまして八十何人という医師の配置数になっております。それでいて札幌のお医者さんはどうかと申しますると、札幌のお医者さんは全国でも比率は高いほうになっております。やはり都市へ都市へと集中する傾向があるのでございます。そこで、僻地のお医者さんをどうして確保するかという問題は、別の観点から医療制度の問題として考えなければならぬ問題もあるだろう、私はこういうように考えております。いろいろむずかしい問題があるわけでありまして、十分これから検討を進めていきたい、かように考えております。
  84. 山原健二郎

    ○山原委員 大臣の、また前大臣の言ってきた国公立を優先するという考え方、この点から申しましても、六千人の医師を養成するということで、かりに三校の国立大学の医学部を設置するとしましても、六百六十人ですか、三つの学校、百人として新設だから三百人、現在八十名という定員を百名とすることによって三百六十、六百六十人ですね。現在千六百人の新たな医師を養成するという、卒業者を出すとするならば、千六百から六百六十を引きまして九百四十人の医師養成というのは、いまの計画からいくならば私学にたよらざるを得ないという計算になるわけです。だから、私は九・四校の学校を私学にたよることになるのではないか、こう申し上げたわけですけれども、こういうことでは問題が処理されないと思うのですよ。かなり大がかりな勇断をもってこれに対処する態度、姿勢というものをまず確立する必要があると思うのです。  最近できました私学の例を見ますと、たとえば五つ、北里、杏林、川崎医大などを見ました場合に、この五つの昨年来新設されております私学におきまして、寄付金が二十一億円取られているわけですね。北里の場合、これを見てみますと設置を認めているわけですが、たとえば百五億のお金が設置されるにあたって要るという状態の中で、自己資金というのは半分にも満たない四十二億円です。あとは学生の寄付金並びに自治体からの寄付金ということになっているわけですね。これでは学生に寄付を強要するということが前提となって私学が設立されていくということになるわけですから、歯どめになりようがない。結局、そのことを頭から認めていくという形で学校が設立されるというところに問題があるのじゃないか。しかもその上に、その中の三つの学校は水増し定員をやっておりますから、補欠という形で百名にプラス五十名という形で、その者からもさらに多くの寄付を取るという、こういう不正常な形が続いていくわけですね。  そうすると、現在問題になるのは、こういう認可のしかたというものに問題があるのじゃないか。かなりきびしい認可のしかたをしなければこれは歯どめにはならないし、父母負担を軽減するなどということにはならない。しかも、この医学部の教育というのはマン・ツー・マンですからね、一人の先生が一人の生徒を教えるという形でなければならぬのに、水増しをしてほんとうに医学技術というものを教えることができるかという問題になってくる。質の面からいっても重大な問題をはらんでおるというふうに思うわけです。  そこで、ここにあります「学校法人設立等認可基準等の改正について」という四十二年六月の文部大臣裁定でありますか、これに実は問題があるのじゃないかというふうに思うのです。たとえば、これには私学に依存をしてきたいままでの姿勢というものが非常によく出ておりますし、特に認可にあたりまして現金保有額については、これは「一年分以上」となっている。こういう形の認可基準というものがはたして妥当であるか。あるいはまた借り入れ金の場合にしましても、「借入金の額が資産額の三分の一以下であること。」あるいはまた寄付金の場合、特に個人で寄付をする場合は「寄附申込書および寄附する経済能力があることを証明する書類等によりその真実性をたしかめうるもの」というようなことがこの中には出ているわけです。この基準では、今日問題になっておりますところの入学寄付金の問題を解決する基準にはならないと私は考えるのですが、これについて、これを適切に改善をする考え方があるかということを伺っておきたいのです。これは文部大臣が閣議で言っておることと私は一致すると思いますので、当然お考えになっておると思いますけれども、伺っておきたいのです。
  85. 安嶋彌

    ○安嶋説明員 学校法人の設立の認可基準につきましては、御指摘のように昭和三十年に文部大臣裁定を得まして、その後何回か改正をされております基準があるわけでございますが、この中身につきましては、確かに御指摘のとおり問題があるというふうに考えております。特に医学部につきましてはかなり基本的な問題があるように考えておりまして、現在私立大学審議会におきまして小委員会を設けまして、この基準の内容、取り扱い、あるいはその認可——現在は前年度の九月三十日までに認可申請を文部省に提出するということになっておりますが、医学部の場合は半年の審査で結論を出してしまうということもまあいかがかというようなこともございまして、二段審査と申しますか、二年程度時間をかけて審査するというふうな方式、第一段は企画の審査、第二段は実態の審査という、そういう手続を踏んだらどうかというような論議が行なわれておりまして、目下検討中でございます。  ただ、ただいまお話のございました借り入れ金が全体の三分の一以下、逆に申しますと自己資産が全体の三分の二以上という条件があるわけでございます。この点につきましては、私どもはこれはかなり高い基準であるというふうに考えておりますので、これをさらに高めるということは現在考えておりません。特に医学部の場合は、御指摘のとおり、規模にもよりますけれども、まあ六、七十億、北里の場合は当初は七十億程度であったと聞いておりますが、あとでかなり計画を変更して大きくしたというような経過があるようでございますが、そういうものは別にいたしまして、六、七十億のお金はどうしても要るわけでございます。三分の二の自己資産と申しますと、四十億あるいは四十五億といったような程度の資産が必要なわけでございまして、これを耳をそろえて資産あるいは現金という形で持て、そうでなければ医学部は認可しないというこの基準は、いま申し上げましたようにかなり厳格な高い基準だというふうに考えておりますので、これはいま改めるという考えはございませんが、しかし従来寄付金の扱いにつきましては、ただいまちょっとお話がございましたように、寄付申し込み書があればその部分については自己資産として認めるというようなやり方をいたしておりました。ところが、過去の経験にかんがみますと、寄付申し込み書がありましても寄付が実際に行なわれていない、結局それを寄付金その他の形で埋めなければならないというところにやはり問題が発生するわけでございます。したがいまして、三分の二というこの基準は一応このままにしておきまして、三分の二の資産内容というものを、従来のようなことではなくて、もっと実際的な裏づけのあるきちんとしたものにしていきたいということで、実は昨年来審査をいたしておるわけでございます。  その結果、昨年五校新設要求がございましたが、そのうち二校だけは認可いたしまして、三校はいまだに保留になっておると申しますか、引き続き審査中ということでございます。そういったことは結局資産内容についてもっと確実な裏づけをしてもらいたいということを文部省が要求をいたしまして、その結果そういった事態になっておるわけでございます。
  86. 山原健二郎

    ○山原委員 時間が過ぎましたので、いまの三分の一の問題ですね、これはちょっと見方が誤っておるものと思うのですよ。北里の場合、百五億といわれておる中で四十三億という形では、この基準からいってもおかしいのではないかということを言っておるわけですから、その点訂正しておきます。  それで現在、医学部の設置の問題は十八府県が要請しておるのですね。ほんとうにこの要求は日ごとに私は激しくなると思うのです。陳情するという状態もあるわけです。陳情の拙劣さとかいろいろな問題があると思うのですけれども、それぞれの県民が要求しておることには間違いないわけですから、これに対して正しくこたえていくためには、私は今日特別な立法を含めた措置が必要ではないかと思うのです。たとえば定員増に伴う教官数の増加にしましても、いわゆる定員法のワクからはずすとかいうことがなければ解決しませんし、それからさらに施設等につきましても特別な措置が必要である、そういう時期をもう迎えているのではないかと思うのですが、これについて大臣のほうでは何かお考えになっておるか、伺っておきたいのです。  最後の質問でありますが、さらにもう一つは沖繩の問題ですけれども、これは今度の要求の中でどういう形で出ておるかよくわかりませんけれども、出ていないように思うのです。これは沖繩における今日の深刻な状態、しかも沖繩県民があげて医学部設置の要求をしておるこの段階で、これに対して文部省としてどうこたえるかという、それくらいの見解というものは明らかにすべきだと思うのですが、この二つについて最後に伺っておきたいのです。
  87. 高見三郎

    ○高見国務大臣 実は御指摘の問題で国立の医学部を増設するということになりますと、すぐかかってくるのは国家公務員の総定員法のワクになってまいります。一学部増設いたしますと大体まあ七百五十から八百人の定員増ということになるわけでございます。この問題については、あるいは場合によれば特別の立法措置をお願いしなければならぬかという考え方も持っております。ただ、いまさしあたりのところは、医学部増設に伴う政策的の定員増については、行政管理庁も認めざるを得ないという方針をとっておりますけれども、これはまあ三年なり五年なりの後には総定員法が必ずパンクするという状態になる。ということを考えますと、私は少なくとも総定員法のワク外にしてもらいたいということを実は行政管理庁のほうには要求をしておるわけなんであります。  ここで一つ考えられる方法がありはせぬかと思いますのは、看護婦は少なくとも収入を伴う——いまのところはどうもどこの病院も赤字を出しておりますが、収入を伴う施設に勤務する人たちでありまするから、これは総定員法のワクからはずしてもいいじゃないかということを主張をいたしてはおりますが、ただいまのところでは、さしあたりはここ二、三年の間は医学部を増設するということが直ちに総定員法のワク内で処理できないという事態にはなるまい。したがって、行政管理庁長官と話しておりますことは、政策的な定員増についてはぜひ認めてもらいたい、それは認めるということになっておるわけであります。しかし、長い目で見ますと、お話しのとおり何か立法措置が必要になってくる、あるいは看護婦だけは総定員法のワク外にするというような問題も考えなければならぬかという問題で目下私も管理庁のほうでも検討中なんであります。  それから沖繩の問題は、これは予算が一カ月おくれということになっておりまして、総理府のほうで取りまとめております。ただいまのお話しのような問題はこれから総理府と詰めてまいります。十分心して対処いたしてまいります。
  88. 丹羽兵助

    丹羽委員長 本日はこれにて散会いたします。    午後一時十五分散会