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1971-02-02 第65回国会 衆議院 予算委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十六年二月二日(火曜日)     午前十時三分開議  出席委員    委員長 中野 四郎君    理事 小平 久雄君 理事 田中 正巳君    理事 坪川 信三君 理事 藤田 義光君    理事 細田 吉藏君 理事 大原  亨君    理事 田中 武夫君 理事 鈴切 康雄君    理事 今澄  勇君       足立 篤郎君    赤澤 正道君      稻村左近四郎君    植木庚子郎君       小沢 一郎君    大坪 保雄君       大野 市郎君    大村 襄治君       奧野 誠亮君    賀屋 興宣君       川崎 秀二君    上林山榮吉君       佐藤 守良君    坂元 親男君       笹山茂太郎君    田中 龍夫君       登坂重次郎君    灘尾 弘吉君       西村 直己君    野田 卯一君       福田  一君    松浦周太郎君       松野 頼三君    森  喜朗君       森田重次郎君    阪上安太郎君       辻原 弘市君    楢崎弥之助君       西宮  弘君    原   茂君       細谷 治嘉君    安井 吉典君       相沢 武彦君    坂井 弘一君       渡部 通子君    岡沢 完治君       竹本 孫一君    谷口善太郎君       松本 善明君  出席国務大臣         内閣総理大臣  佐藤 榮作君         法 務 大 臣 小林 武治君         外 務 大 臣 愛知 揆一君         大 蔵 大 臣 福田 赳夫君         文 部 大 臣 坂田 道太君         厚 生 大 臣 内田 常雄君         農 林 大 臣 倉石 忠雄君         通商産業大臣  宮澤 喜一君         郵 政 大 臣 井出一太郎君         労 働 大 臣 野原 正勝君         建 設 大 臣 根本龍太郎君         自 治 大 臣 秋田 大助君         国 務 大 臣         (内閣官房長         官)      保利  茂君         国 務 大 臣         (総理府総務長         官)      山中 貞則君         国 務 大 臣         (国家公安委員         会委員長)         (行政管理庁長         官)      荒木萬壽夫君         国 務 大 臣         (北海道開発庁         長官)         (科学技術庁長         官)      西田 信一君         国 務 大 臣         (防衛庁長官) 中曽根康弘君         国 務 大 臣         (経済企画庁長         官)      佐藤 一郎君  出席政府委員         内閣官房長官 木村 俊夫君         内閣法制局長官 高辻 正巳君         内閣法制局第一         部長      真田 秀夫君         内閣総理大臣官         房交通安全対策         室長      須藤 博忠君         公正取引委員会         委員長     谷村  裕君         警察庁交通局長 片岡  誠君         防衛庁長官官房         長       宍戸 基男君         防衛庁人事教育         局長      江藤 淳雄君         防衛庁装備局長 蒲谷 友芳君         経済企画庁国民         生活局長    宮崎  仁君         経済企画庁総合         計画局長    矢野 智雄君         経済企画庁総合         開発局長    岡部  保君         法務省民事局長 川島 一郎君         外務省経済協力         局長      沢木 正男君         大蔵省主計局長 鳩山威一郎君         大蔵省主税局長 細見  卓君         大蔵省理財局長 相澤 英之君         国税庁長官   吉國 二郎君         文部大臣官房長 安嶋  彌君         文部省体育局長 木田  宏君         厚生省環境衛生         局長      浦田 純一君         厚生省医務局長 松尾 正雄君         厚生省薬務局長 武藤琦一郎君         厚生省保険局長 戸澤 政方君         農林省農林経済         局長      小暮 光美君         農林省農政局長 中野 和仁君         農林省畜産局長 増田  久君         農林省蚕糸園芸         局長      荒勝  巖君         食糧庁長官   亀長 友義君         中小企業庁長官 吉光  久君         運輸省自動車局         長       野村 一彦君         建設省計画局長 高橋 弘篤君         建設省都市局長 吉兼 三郎君         建設省道路局長 高橋国一郎君         建設省住宅局長 多治見高雄君         自治省行政局長 宮澤  弘君         自治省税務局長 鎌田 要人君  委員外出席者         予算委員会調査         室長      野路 武敏君     ――――――――――――― 委員の異動 二月二日  辞任         補欠選任   相川 勝六君     佐藤 守良君   赤澤 正道君     森  喜朗君   小川 半次君     坂元 親男君   大久保直彦君     渡部 通子君   桑名 義治君     小川新一郎君   東中 光雄君     谷口善太郎君 同日  辞任         補欠選任   佐藤 守良君     相川 勝六君   坂元 親男君     小川 半次君   森  喜朗君     赤澤 正道君     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  昭和四十六年度一般会計予算  昭和四十六年度特別会計予算  昭和四十六年度政府関係機関予算      ――――◇―――――
  2. 中野四郎

    中野委員長 これより会議を開きます。  昭和四十六年度一般会計予算昭和四十六年度特別会計予算昭和四十六年度政府関係機関予算、右各案を一括して議題とし、総括質疑を行ないます。阪上安太郎君。
  3. 阪上安太郎

    阪上委員 私は、きょうはきわめてじみな質問をいたします。一つは、開発行政といいますか、開発政策、これはいよいよいままでのいき方ではなくして、この際ひとつ思い切って転換すべきではないか、こういった点が一つであります。それからいま一つは、都市開発の目標、これがもう明確になっていないのであります。それからことに開発最小単位、こういったものをやはり設定する必要があるであろう、こういうところから入っていきたいと思います。それから三番目には、審議過程で出てまいりますが、ナショナルミニマムあるいはコミュニティー、こういったものを達成するためには、それぞれ基本的な政策が必要であろう、こういうふうに思いますので、この三点についてお伺いいたしたい、このように思います。  まず、一九七〇年代の都市政策あり方であります。これは総理も御案内のとおり、二十世紀末における世界開発課題というものは、一つ宇宙開発、いま一つ海洋開発、そうしてさらに都市の再開発、これが二十世紀末における世界開発課題だとわれわれ思っております。  この宇宙開発にいたしましても海洋開発にいたしましても、これはやはり特定の先進国がいま盛んに取り組んでおる。日本なども海洋開発についてはかなり取り組んでいると私は思うのであります。しかしながら、都市開発ということにつきましては、先進国ばかりでなく、発展途上国においてもこれは軒並みに取り組んでいる、全く世界の、これこそ文字どおり課題だといっても差しつかえないと思います。たとえば、アメリカのような国におきましても、宇宙開発と取り組んだ宇宙開発の七社、これが最近ではあの抜群の技術を総合的に集中して都市開発と取り組もうというような心がまえが出てきておる。  それから、私もこの間うち中南米を歩いてみたのでありますが、ああいった発展途上国においてすら、都市開発ないし都市開発については非常に真剣な勢いで取り組んでおる。その規模におきましても、先進国日本なんかと比べることができないような大きな規模で取り組んでおる。これは少しオーバーかもしれませんけれども、インフレの危険をおかしてすらこの都市開発と取り組んでいこうという気がまえが出ておるわけであります。  そのようにいたしまして、これはたいへんな大きな問題でありますが、ことに日本経済成長率が非常に高くて、都市問題が他国に比し各所にきわめて鋭く頭を出してきております。こういうことで、いままでのようなああいう速度でこの都市問題を解消する、都市開発に取り組んでいくというようなことであってはいけないと思うのであります。  そこでこの際、一九六〇年代に政府もかなりいろいろな批判を受けながらもこの都市開発に取り組んでこられたわけでありますが、しかしあの六〇年代の取り組み方を七〇年代に引き続いて、そのままのんべんだらりとやっていくということであってはいけないと思うのです。     〔委員長退席坪川委員長代理着席〕 何かここで大きなやはり政策転換が必要ではなかろうか、こういうふうに思うのでありますが、総理のお考えをまず承っておきたいと思うのです。
  4. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 いずれ後ほど建設大臣あるいは経済企画庁長官からもいろいろ私の話を補足するだろう、かように思いますが、ただいまのお尋ね、全く都市開発、そういうものと取り組まなければならない。私が申し上げるまでもなく、いままでの都市そのものは、どちらかというと、貧乏人が自分たちの住まいに建て増し建て増しをやってきたような、そういう意味の小改造は行なわれたわけです。しかし、やはり基本的なものの考え方をしないと、時代の要求する都市開発にならないのではないだろうか、かように私は実は思います。  ただいま、思い切って、インフレの危険をおかしても都市開発開発途上国だってやっているじゃないか、これはとりもなおさず、あるいはブラジルにおいてあるいはインドにおいて新都市を建設している、それなどがいま阪上君の指摘された点だろうと私思います。そういうことももちろん場合によったら考えなければならないと思いますが、しかしそこまでいかないうちに、まだ直し得るものがあるのじゃないだろうか、私かようにも考えます。やはり基本的な考え方は、効率のいい金の使い方をする、それには、何といいましても都市の動脈があるだろう、これはもう言うまでもなく道路、通信、そういう幹線がある。あるいは下水、そういうものを結びつけて考えると、新しい都市を建設することも容易じゃないだろう。そうしてその場合に、工場地帯あるいは商店街あるいは住宅地帯、それぞれの分野にふさわしいような環境のいい住みいい社会をつくる、これがねらいだろう、かように思います。そういう意味からいろいろ私どもも、在来発想だけじゃなしに、新しい発想のもとに都市開発をしなければならない、かように思っております。ただいまお話がありましたように、宇宙開発はともかくとして、海洋開発にはやはりわれわれの都市開発と同じような似通った点があるのじゃないだろうか。公害で汚染されたいわゆる沿岸地域、そういうものをもやはり何とかしなければならない、こういうようなことを考えると、やはりいまおっしゃったような点、あるいはお気持ちに私の答弁がぴったり合っているかどうか、これは別ですが、私は、何らか、ただいま申し上げるように、在来考え方でなしに、やはりもっと発想転換して、そうして住みいい社会をつくるのだ、そういう取り組み方をしなければならない。ただ、それも都市だけでなしに、日本の場合のように人口が稠密だと、これは過密も過疎もない日本列島、こういうこともいえるのだろうから、そういうような観点に立てば、都市開発との取り組み方ももっと容易じゃないだろうか、かようにも思う次第でございます。  どうも取りとめのない話をしたようですけれども、以上のような点を感じます。
  5. 阪上安太郎

    阪上委員 何か総理はまだ的確に転換の方法というものをつかんでおられないように思います。しかし、最近やはり都市開発ないし再開発というものが、これは在来一九六〇年代に政府がとってきたところのどちらかといえば産業優先、こういったものの考え方ではいけないということはもう明らかだと思う。そこでやはり人間尊重であるとかあるいは人間性を回復するため、いわゆる人間都市というものをつくっていこうじゃないかというような気持ちにぼつぼつ転換しつつあるのじゃないだろうかと思うのであります。最近、御案内のように、市民運動によるところの都市の再開発というようなことがいわれておりますし、同時にそういった姿がだんだんと出てきております。たとえば、公害をなくするための市民運動であるとか、あるいは交通禍をなくするための市民運動であるとか、住宅難を解消するための市民運動、あるいは最近過密都市あたりで問題になっておりますところの義務教育施設の拡充をやれというところの強い市民運動であるとか、その他緑地であるとか文化財といったようなものをこの際思い切って保全すべきである、あるいは回復すべきであるというようなことに対する市民運動、こういった各般の市民運動各所に展開されております。私たちは、こういった国民ないし市民都市再建あるいは都市開発といったものに対する運動が、直接参加の形で出てきたということについて、開発行政のあるいは開発政策のやり方についての転換を求めていく何かのきざしがそこへ出ているのじゃないか、何か彼らのそういったものに教えられる方向というものがあるのじゃないか、私はこういうふうに思うのであります。こういったことについて、さらに総理の御所見をひとつ承っておきたいと思うのであります。
  6. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 いままでのいわゆる市民運動、これはやはり総合的にものごと考えていかなければならない、かように思います。私は市民運動けしからぬ、かように申すのじゃございません。しかしどうも非常な不便、不都合を感じている、そういう意味から最も卑近な問題としての運動になる。そのために総合的対策を欠くのじゃないか、そこらのところをわれわれもやはり市民と一緒になって取り組めば、そういうようなことも弊害もなく、そうしてうまくできるのじゃないだろうか、かように思います。新しい場所に新しいものをつくることは非常に楽だと思っております。たとえば、いまのブラジリアやあるいはニューデリー、こういうような問題なら非常に楽だと思いますが、そうでなしに、いま現存するものを新しい住みいい環境づくりにも合わして新しいものに変えよう、こういうものはやはり総合的な対策で取り組まないと、そこにうまくいかないものがあるのじゃないだろうか、かように私は思います。いまの市民運動、もちろん賛成です。しかしそれを総合的に、もっとハイレベルに上げていくことが必要ではないだろうか、かように思います。
  7. 阪上安太郎

    阪上委員 市民運動についてやはりこれは教えられるものがあるというふうに総理はおっしゃっておりますが、何かそこにわれわれとして大きく反省しなければならぬ問題があるのではないか、こういうふうに考えるわけであります。あのことがいい悪いというような程度にとどまるのじゃなくして、何かそこからわれわれは政治をやる者として引き出していかなければならぬ問題があるのではないか。端的に言いましょう。なぜこういう市民運動が起こるかということは、私はこれはやはり在来政府姿勢、これがやはり官僚主導型であった。そして市民要求というものはちっともくみ取っていただけないのだ。地方自治体へ苦情を申し込んでいっても、なかなか言を左右にして要求を満たしてくれない。自治体からはそういった住民の要望を掲げて国に要求しても、なかなか国のほうでもほんとうに胸襟を開いてこの問題と取り組んでくれない。予算の姿を見ても、どちらかというと官僚主導型の予算になってしまっておるというようなところから、こういった市民運動が発生し、少なくとも自分たちの手で、もっと強くこれを要求していこうじゃないかというようなふうになってきたのが、こういった市民運動のあらわれではないか、私はこういうふうに思うわけであります。したがって、そういったものを頭に置きながら、やはり開発行政というものを転換していかなければならない。そういう反省がなければ、いつまでたってもこれは解決のめどを見出すことができない。総理も、公害にしても何にしても、政府も一生懸命やるけれども、ひとつ国民の御協力が得たいということを言われる。これはいまの国民にとっては、何をかってなことを言っているのだというような気持ちにまで受け取られると私は思うのであります。決して言われたことは誤りだとは私は言いません。しかし、国民協力を求めるのをどうして求めていくかという、その方式というものを出しておられないのです。そういう点で、市民運動公害にしろ何にしろ盛んに盛り上がっておるということについて、そういった点を考慮しながら、何か反省をされる必要があるのじゃないか。昨今私の党の石橋書記長であるとか、あるいはきのう公明党の大久保君であるとか、いろいろと通産省の企業との癒着の問題について追及されておったのでありますけれども、どうも官僚は、企業と癒着する、そういうことはあっても、市民と癒着していこうというような、そういう姿勢がない。だからああいうことになってくるのじゃないかと私は思うのであります。この際いま少しく、そういった形に、いままでのいわゆる官僚主導型のそういう政治あり方というものを改めていくということについて、ひとつもう少し明快な総理答弁を得たいと思うのです。
  8. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 私がかつて運輸官僚、その一員だし、ただいまは総理だ、官僚の親方だ、だからそういう意味で注意を、こういうお話だと思います。また地方自治体の長としてずいぶん苦労された阪上君からも、必ずそういう問題についてのみずからの御所感もあるだろうと思います。  私は、どうも官僚主導型だ、かようには思いませんが、いまの民主主義そのものが、すでに国民大衆気持ち、それを取り入れておる政治形態ではないかと思います。かように考えますと、われわれに課せられた責任、それはまことに重大だ。ここで審議しておること、これすなわち、何をおいても国民の総意をこれに反映させなければならないんだ、またそういうものをうまくつかんでいくのだ、そのために国会を開いておるのだ、こういうことを私考えますと、ただいま国民政府あるいは国会が遊離しておるとは思いません。一体になっておる。そこにいわゆる行政官僚というものが入ったときに、どうも話がゆがめられる、そういうことについては、政府責任として深くみずからも反省していかなければならぬと思っております。昨日、一昨日、どうもこの審議においてもそういう事態が起きておる、これはまことに私は重大な事柄だと思います。ただいま阪上君から同じような御指摘がございました。しかし、やはり何といいましてもわれわれがしつかりしないと――あえてわれわれと私は申しますが、政府はかりじゃございません。やはり国会の、最高機関であるお互いがしつかりしないと、行政官僚にわがままされる、かようなことがあってはならない、それこそ国民の代表としてしんから国民のために考えていくということでなければならない、かように思いますので、私自身その長であるから、そういう意味反省をいたしますが、同時に皆さんからも激励を賜わり、御鞭撻を賜わり、御叱正をいただきたい、かように思います。
  9. 阪上安太郎

    阪上委員 非常にすなおに聞いていただきまして、たいへんありがたいと思います。  いま言われたように、議会制民主主義、そのことはきわめて大切でありますが、それ自体が非常に危険な状態に入っておる。過般の総選挙の結果などを見ましても、私はこれはなかなか自分で言いづらいことでありますけれども、わが党は非常な低落傾向を示したということであります。しかしそれよりも大事なことは、国民の有権者の半分に近いような大量棄権が行なわれたというこの事実をわれわれは考えなければいけないと思うのであります。何がそうさしたかということであります。この場合、議会制民主主義といいましても、真に国民を代表しておるかどうかの問題が一つ出てきておると思います。また行政の範囲内において、内閣がやはりそういったものを取り入れておるかどうかの問題だと思うのです。この場合、議会も大いに反省をしなければならぬ面もあるけれども、同時にいま予算中心として論議されているこの過程におきまして、やはり内閣としてそういった財政民主主義なり、議会制民主主義を守っていくというたてまえからも、私は先ほど言いましたように、官僚が主導しておるという形であるならばこれはいけないと思う。この間の安中の問題にしても、あるいは石原産業の問題にいたしましても、総理、あれがもし行政官僚ほんとう企業の側じゃなくして住民の側と癒着し、あるいは住民の意見というものをまず取り上げておるという形であったならばああいう事件は起こってこないと私は思う。そこのところが私はきわめて大事だと思いますが、いま総理からそういうふうに言われましたので、この問題はひとつ今後ともお考えいただきまして、その方向政治を持っていっていただくということが必要であろうと思います。  そこで、かなり具体的に入りますが、そういった考えでものを見、それから市民運動のもう一つの面であるいわゆる国民生活圏、こういったものをわれわれはつくる必要があると思うのであります。そうなりますと、いまの国土計画、たとえば経済社会発展計画であるとか、あるいはこの間練り直しをされましたところの国土総合開発計画であるとかいうものについて、方向転換する必要があるのじゃないか、私はこう思うのであります。なるほど全総計画などを見ましても、その中にはいままでのような単なる線開発、先ほどちょっと総理が触れておられましたが、幹線道路をつくるんだとか、あるいはまた新幹線でありますか、幹線軌道をつくっていくんだとかいうようないわゆる線開発的なものの考え方ではなくして、もっと生活圏というものを中心としたものの考え方にならなければいけない。ところが練り直しは、その方向を文章としては打ち出しておる。けれども予算に反映されていく姿を見ますると、必ずしもそうはなっていない。やはり何か線開発というような方向へ進めていこうというような考え方であります。  たとえば、経済社会発展計画を見ましても、七〇年代の政府戦略路線といいますか、こういったものの概要を考えてみますと、全国的なネットワーク形式によって重化学工業化、これを七五年までに鉄鋼生産でもって一・八倍まで持っていこう、あるいは重油消費量を二倍にまで持っていかなければならぬ、自動車保有台数をやはり三倍ぐらいまで持っていかなければならぬ、こういうような考え方に立っておるわけであります。そしてこのことのために、この五カ年間において概略五十五兆円という大きな公共投資を行なっていくのだ、こういうふうになっておるわけであります。  そこで問題になりますのは、こういったネットワーク形式によるところの企業の全国的な規模の立地というものは、都市問題、ことに公害問題でありますが、これをまた全国的な規模で拡大する結果になるのではないか、こういうおそれを持つわけであります。政府計画で見ましても、一九七五年では硫黄酸化物の排出量が、こういう形で開発が進められていきますと、現在の二・六倍になると推計しております。一酸化炭素の排出量につきましても二・四倍にまでなっていくだろう、こういうふうに見ているわけであります。工場排出による水質汚濁であるとか、あるいは交通事故、これもこのままでこういうネットワークの開発を進めていくということになれば二倍以上になってしまうだろう、産業廃棄物も、七五年におきましては大体一日二千九百八十キロトン、現在の日量にいたしまして二・五倍にまで産業廃棄物というものはこのままの状態では伸びていく。こういうふうなことを政府みずからちゃんと推計しているわけであります。こういうことを考えたときに、はたして先ほどいいましたようなネットワーク形式による国土の線開発といったやり方がいいかどうかということについては、おのずからこれは問題があるのじゃないですか。これを何とか取りかえていかないと、転換しないと、依然として今日起こっている公害問題を中心とする都市問題というものは、これはますます全国的に拡大する結果になってしまう、こういうふうに思うのでありますが、これはどうでありましょうか。
  10. 佐藤一郎

    佐藤(一)国務大臣 いまの御指摘の点は、いわゆる従来の高度成長主義といいますか、物量主義といいますか、そういった点の御指摘でもあろうと思うのでありますが、あの社会発展計画は、確かにいろいろと量的な形容をいたしております。そういう意味でいま御指摘のような感じをお持ちかもしれませんが、私どもといたしましては、もちろん経済成長は量的であると同時に、質的な発展を考えなければならない。そしてそれの裏づけとしての国民生活の基盤の充実も、当然質的に考えなければならない。そういうことで、御存じのように新全総計画等におきましては一いわゆるコミュニティーの形成といいますか、広域圏の形成、こうしたものを中心にして、そしてそれに必要となるところの、各種の社会開発の具体的な内容というようなものも示しておるようなわけでございます。しかし、社会発展計画においては、そこまでの具体的な表示がございません。政府といたしましては、それらを総合的に考えて、いま御指摘のような方向でもって今後の開発を進めていくつもりでございます。
  11. 阪上安太郎

    阪上委員 そこで伺いますが、いまのようなそういう非常に国民にとって好ましくない圧力が加わってくるということでありますが、そのほかにも、今回四十五年度の国勢調査の結果を見ましても、いよいよ日本は壮年期に入ったと総理はこの間おっしゃっておりましたが、そういう見方も出てくるでありましょう。間違いありません。しかし、同時に都市問題の側から考えたときに、この人口増の圧力というものは、たいへんなものだと私は思うのであります。こういうこともやはり考えていかなければならぬ。こういう圧力が、やはり日本の国土再開発を進めていく場合に、全国的に加わってくるということになるわけであります。  そこで、昔から問題になっております、まだ未解決の問題でありますが、いよいよこの辺で考えなければならぬ問題としては、都市開発というものをやる場合に、集中型をとっていくのか、分散方式をとるのかということについて、この辺でもう少しぴりっと腹をきめなければならぬときがきているのじゃないか。いろいろな学者の意見その他を聞きましても、甲論乙駁、いやまだ都市は過大でないんだとか、やり方によってはやっていけるのだとか、いろいろなことをいいますが、この際どうでしょうか、はっきりと腹をきめて、集中型か、あるいは分散型か。それを併用していくんだというようなごまかしはやめて、少し腹をきめたらどうでしょうか。私は、そういう点で政府開発に対する姿勢というものを、この際ぴりっとしていただきたいと思うのであります。最近大都市周辺の都市が人口がドーナツ型にどんどんと拡大しておる。いままでは都市の発展というものは、人口がふえたら、これはおれのところは大都市になるんだというようなことで、得意になっておるのです。ところが、もうそういうことを言うておる段階じゃなくなってきたということを、最近これらの首長さんあたりはやかましく言っておる。おれのところは、もう人口をこの程度に将来押えていかなければならぬのだというような考え方が出ている。そこで、都市開発開発等につきまして、あるいは地域開発等も含めて、昔から問題になっている集中型か分散型かということについて、これをもやもやしておりますと、もうのっぴきならぬ羽目に入ると私は思うのでありますが、この点はいかがでしょうか。
  12. 根本龍太郎

    ○根本国務大臣 阪上さんの冒頭からの御発言について、慎重に私も拝聴しておりました。発想については全く同様でございます。ただし、いま御指摘になりましたように、今後の都市開発が集中型か分散型かというような提出のしかたには、これはなかなかそう簡単にいかないものがあると思うのでございます。したがいまして、これは概念的でなくて、具体的に一つの事実を申し上げまして御批判をいただきたいと思うのです。  たとえば、現在日本で一番問題になっているのは首都圏の人口問題であり、公害問題であり、都市公害の問題でございます。これは御承知のように、東京、千葉、あるいは埼玉、神奈川に、非常な勢いで人口と工業が集中しております。そのために非常な通勤問題、交通事故あるいは住宅問題等が錯綜しているのでございます。しかも、集中的に大きな問題となっているのが東京湾の過密現象でございまして、この東京湾は現在においてもほとんど機能がもう停止せざるを得ないという状況になっております。にもかかわらず、従来はややもすれば、東北道、関越道あるいは東海道等がみんな東京湾に集中する。そこで、二年前から政府においても従来の手法を変えまして、むしろ北関東に都市機能と住宅、いわゆる職住近接の新しい都市構造を積極的につくるべきである。御承知のように水も、土地も、それから労力もございます。ところが、従来全部東京都に集中するという問題があるのであります。  そこで、群馬県に大体百万都市、栃木県、それに茨城県というところに、一つの新しい都市機能と、それから生活環境の快適なものをつくっていく。そうして今度はこれを横に結ぶ新しい交通網、これは鉄道と道路でございます。そうして太平洋側の、具体的な一つの素案として申し上げますれば、茨城県の水戸近くの射爆場付近あたりに、もう一つの港をつくる、そうして北関東並びに関越から来るところの生産物は直接に外洋に面していく。こういうふうな手法を講じますれば、東京都並びに神奈川県、千葉県、埼玉県の過密に基づく都市機能の低下と人間生活の疎外が解消された上に、快適なるものがそこに出てくる。こういうことで、本年の予算におきましても、北関東並びに東京周辺のいわゆる再開発と申しますか、新しい構想に基づく総合的な計画を立てる予算をそれぞれ準備し、各省とも連携してその開発のいま準備に入っておるという段階でございまして、こういう点は、阪上さん御指摘の線に大体沿うて、政府も従来の開発考え方から一歩前進してまいっておるつもりでございます。これらの諸問題については、これはほんとう官僚優先とかあるいはまた政府主導ともいわれるかもしれませんけれども、それと十分に各地域の住民の参加を得てこうしたものを進めてまいりたいと思っている次第でございます。
  13. 阪上安太郎

    阪上委員 歯切れはあまりよくないけれども、大体わかりました。結果論としては、やはり分散型に持っていきたいんだということだと私は思います。その場合注意しなければならぬのは、分散したところが再び人口と産業が過度集中をやっていくというようなことについて、十分に注意をする必要があります。田中幹事長ですか、おとといですか、そういったことでもって人口五十万都市をあちらこちらにつくるのだというようなことを言っておりますが、これは一体どうなんですか。根本さん、あなたのお考えではどうなんですか。
  14. 根本龍太郎

    ○根本国務大臣 まだ田中幹事長とは、具体的にこれについては協議をいたしておりません。ただ田中幹事長は、多年にわたりまして都市政策調査会のほうで研究をいたしまして――日本の現状から見れば、今後一番大きな、人間生活と産業のためにも決定的要件とも見られるものは、むしろ水でございます。この水資源の適切なる利用がよき環境に人間生活を潤し、かつ都市機能も持たせる、こういうような観点からしますれば、田中幹事長が構想したことも一つのポイントをついておると思うのでございます。  さらに、日本は四面海に囲まれておりまして、日本の現在の土木技術をもっていきますれば、たいていのところによき港湾をつくることができるのでございます。そうしますれば、従来陸上輸送だけにたよっておるために非常な――実は私、道路をやってまいりまして、道路整備をすれば交通事故がなくなるはずだという発想もありまするが、むしろ道路整備をしたために交通事故がもう至るところに出ておる。しからば、日本のように四面海のところならば、これはフェリーボートをつくって、これを海上で、遠隔重量物資はそっちで持っていく。そして、むしろ中距離に道路を使う、こういうふうな交通単位ができますれば、相当程度これは経済的にも、また阪上さんが言われる人間尊重一つ開発体系ができるじゃないか、こういう意味で、田中幹事長が海辺の都市をだいぶ指摘しているというのは、そういう発想が含まれているものと思っております。
  15. 阪上安太郎

    阪上委員 この五十万都市問題は、いずれまた具体化していく段階で取り上げていきたいと私は思いますが、とにもかくにも、政府としてはこの際、いままでいろいろともやもやしておったところの都市集中か分散かという問題については、いずれかといえば、やはり分散に持っていかなければならぬ、全総計画もやはりそういうものを考えておる。ただ、ここで考えなくちゃいかぬのは、五十万都市構想にしても何にしても、かつての新産都市の全部が失敗とは私は言いませんけれども、失敗した面というものを十二分に私は考えていく必要があるだろう、こういうふうに思うのであります。  さて、そうなりますると、ここで考えなくちゃならぬのは、そういった都市というものを、新たにできるものであろうと何であろうと、これをやはりどういった形のものに持っていくかという考え方が必要になってくると思うのであります。先刻来から申し上げておりますように、いよいよ市民がこういった問題に直接参加する動きが出てきておるということを考えたときに、そういったものを中心として、何か新しいものの考え方で町づくりというものをやっていかなければならぬ、こういうことになると思うのであります。  この間うちから、正月以来、新聞等でもいろいろな調査が行なわれておるのでありますが、いま問題になっているのは、生きがいという問題が問題になっております。そこで、某紙の調査によりますると、生きがいを持っておるかという質問に対しまして、六四%が持っておるというようなことを言っております。しからば、あなたの生きがいとは一体なんであろうか、こう言いますると、第一番に出てくるのは、家族と家庭の問題だという、これがやはり四三%、これが家族と家庭、これに非常に生きがいを感ずるのだということを言っております。それから次に出てくるのが仕事であるとか、勉強であるとか、家事であるとか、家の仕事ですね、こういったものがやはり二二%、それから信仰であるとかその他の問題についてはやはり九%、健康、これなどもお年寄りは非常に健康というものについてこのアンケートで、生きがいを感じておられるし、そこへ生きがいを求めていかなければならぬと、こういっておるのですが、しかし、一般的に出てきたものは、健康は四%程度だ。物質的なもの、これは金であるかもしれませんが、代表するものはこれは三%程度だ。社会奉仕、これは二%というような数字が出ております。  私はここで言いたいことは、やはり家庭とか家族とかいう一つの小さな生活単位、これにやはり生きがいを、これがよくなることによって生きがいを感ずるのだという言い方をしているわけなんであります。そうなってまいりますると、いま申し上げましたような分散方式によって新たにできる町にしても、いまある都市にいたしましても、やはりこういった家庭というものを中心としたものの考え方都市の再開発をやる必要があるのじゃないか、こういうように考えるわけであります。  そこで、お伺いいたしたいと思いますのは、やはりこの際一九六〇年代の都市開発の方式というものを、欠陥は十二分に皆さん方も経験の上で持ってこられたのでありますから、やはりそういった方向国民生活というものを、あるいは市民生活というものを中心都市開発をやっていくという考え方に私は徹しなければいけないのではないか、こういうふうに思うわけでございます。  そこでこの全総計画にしても、社会発展、経済発展計画にしても、その方向は逐次出ておりますけれども、もう少しスピードを上げて、あるいは急角度にそういった方向を裏づける、そういう計画にひとつこの際練り直していく。まあ、全総計画のごときに至っては、実現されないうちに何回も何回も練り直しているのですから、別にメンツにこだわる必要も私はないと思うのです。この際、思い切って国土計画というものを、そういった方向へ練り直していくということをやってもらいたいと私は思うのですが、これは総理にお答え願いたい。
  16. 根本龍太郎

    ○根本国務大臣 御指摘の方向で実は着々進んでおるつもりでございます。それがいわゆる新しい都市計画法であり、それから都市開発法でございます。御承知のように、全国の八百八の地区についていわゆる線引きをいたしております。これは非常にいままでは非科学的というか、非計画的な民間デベロップをやる、あるいは個々の住民の方々が、自分の住宅をほしい、あるいは工場は適当に持っていくというようなことで、非常に乱雑でありましたのを、はっきりと将来十年間に都市化をするという地域と、それから都市化をしないで、いわゆる農業地あるいは緑地として当分保存するというところとを区別をして線引きをいたします。そうして市街化区域につきましては、御承知のように、上下水道から公共施設、そういうものを整備して、そこで都市機能を十分に持ち、かつ住宅も快適につくられるようにし、そういうところには今度は開発銀行の資金をも投入するというような道を開いていくとともに、これは主として区画整理事業あるいは民間主体のそうした都市づくりを進めるつもりでございます。それに対して政府が公共施設を優先的に整備していくということで、従来のようにただ道路をつくる、それだけではなく、住宅と道路と公共施設を全部バランスをとったものでやっていくというふうな方向で示していくつもりでございます。  なおまた、こういう計画にあたりましては、できるだけその地域の自治体と住民との協議に基づく一つのプロジェクトをつくることを指導し、それに基づいて政府がこれに御協力を申し上げる、こういう方向でまいっておるつもりでございます。
  17. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 ただいま建設大臣からお答えいたしましたように、いまの国民の要望しておる線にはそれぞれの政府としても施策を持っておるわけでございます。しかし、私はいままでのいわゆる世論調査に出てきたところのもの、これには実はやや感覚が違うというか、もうちょっと考えてくれないか、かように私は思うのであります。せんだっても、成年式を終えたばかりの青年諸君を集めてのいろいろのアンケートをとっている、またマイクを通じて生きがいを感ずるかとかいうような点もいろいろ聞いておる。そういう場合に、どうもわれわれが本質的にやはり個人的生活だけでは満足できないんだ、社会生活を営まざるを得ないんだ、こういうような話が実は出てこない、先ほどの阪上君のお話にも、六四%の方が、生きがいは何に感ずるかいえば、やはり家庭だ、個人だ、こういうようなところに置かれておる、こういうことは、それはそれなりにして、事実は事実として認めなければなりませんが、昨日もこの席で最後の質問、いわゆる震災が起きたらどうなるのか、こういうような話がありましたが、私は大地震が起きたら一体どうなるか、そういう場合にこそほんとう協力を得なければ、この大震災、災害を最小限度にとどめることはできない、かように思いますが、いまのような考え方で、われがちに自分本位にものごと考えると、これは私とんでもない世の中になりつつあるんじゃないか、かように思います。ただいまその点を私に聞かれたわけでもありませんが、私はその事実は事実として認める、しかし、それについてはただいまのような批判をしておるということを御了承いただいて、しかし、われわれは何といっても、国民皆さんが満足されるようなよりいい生活環境をつくること、これが政治の目標でもありますが、そういうものを通じて初めて、あるいは私の願う社会を愛するとか、あるいは国を思うとか、こういうようなところに出てくるかと思いますけれども、そうでないと、どうも自分本位になら、ざるを得ないんじゃないか、かように思います。そこらのところは政府として、また国家最高機関としての国会としても十分考えて、国民あり方について考えざるを得ないんじゃないだろうか、かように私は思います。これは率直な私の意見でございます。
  18. 阪上安太郎

    阪上委員 いま総理がくしくも言われましたが、私は、そういう人間にしてしまったのは一体だれかということを言いたいのです。問題はそこなんです。国民は口べたですから、うまくはなかなか表現できないでありましょう。成人式の話も、おそらくなかなか言いにくかったところではないかと私は思いますが、なぜそういうふうな形に今日の国民を置いてしまったか、そこが私は問題だ、こういうふうに思うわけであります。社会連帯意識を持たなくなってしまった、それはいままでの都市開発なり、都市開発の方式が悪いからです。市民市民の連帯意識を持つようなそういう場所というものをつくってやらなかった、そういう再開発をやらなかった、そういう都市づくりというものをやらなかったところにそういう結果が出てきたのだ、私は政治家はこう考えなければいかぬと思うのです。いまのように、先ほどから聞いておりますると、生活圏中心とした方向転換していく腹を持っておるのだ、こう言いながらも、御答弁を聞いておりますと、やはり依然として線開発的なものの考え方しか持っていない。そして、道路は大事でありますよ、道路をつくればそれでいいのだ、こういうような簡単な考え方でやってきたところに、そういった市民連帯意識を持たないような、戸籍上の市民であって、自分の意見を堂々と吐き、そして国家の利益も考えるというような、そういうものに国民がなってもらうことができなかった原因がある。それはそうでしょう。まわりをこうしてくれ、ああしてくれといって頼みにいったって、いやそんなものは金がないからできないのだとか、何だかんだといって拒否してしまう。結局、自分のことは自分でやらなければならぬというような考え方にまで持っていってしまった。それによって、自分のことは自分でやらなければならぬというならば、自分本位のことを考える以外に手がないじゃないか、こういうふうに簡単に帰納してしまう、こういう結果になるんじゃありませんか。だから私は先ほどから、もっとそういう生活を中心としたものの考え方というものを、開発に打ち出せということを言っているわけなんです。そこのところを私は言っているのでありまして、総理と同じ考えでありますが、ただ手段が総理のはそこへ伴っていない。そういうところで、まあ佐藤さんは官僚と言うとおこるけれども、それはやはり官僚的なことじゃないんですか。  そこで、私はいま言いたいのですが、生活圏中心の町づくりをやれということなんです。御案内のようにいま各都市が非常にいろんな公共施設をやっておりますが、それはなるほど市庁舎であるとか、あるいは中央のいろいろな市民の集会する市民センターであるとか、そういうものはどんどんとできていくわけであります。しかしながら、地域住民としては、町が大きくなればなるほどそのことのために不便を感じて、何でもかんでも役場のあるところへ集中されたそういう形になっておるので、事あるごとにそこへ行かなければ自分の生活というものはできない。自分の身のまわりで、歩いて数分の程度でもって一切のそういったものが片づくという形の町づくりというものは行なわれていない、ここに私は問題があるんじゃないか、こういうように思うわけであります。  そこで伺いたいのは、そういう町づくりの具体的な目標としてコミュニティーというものを考える必要がある、私はこういうように思うのであります。もっと狭い範囲の、生活を中心とした町につくり上げていく必要があるんじゃないか。そこで最近地方制度調査会等においても、広域行政制度というものをやかましくいっておりますが、同時に反面において、狭域の、もっと狭い範囲の市民の第一次生活、日常生活、これを中心として町づくりを考える必要があるということは総理のほうへ答申されているわけであります。そこで自治省あたりでは、そういった答申等も尊重されたんでありましょうか、そういった方向への行政を推し進めようとしている段階でありまして、本年も約百カ所ばかりのものをモデルとしてひとつやっていこうじゃないかという形が出てきたわけであります。このことはけっこうであります。そこで問題は、そのコミュニティーというものをどういうものを構想され、どうしたものを指導し、どういうふうに実現していくかということでありますが、この点について自治大臣からひとつこの際伺っておきたいと思います。     〔坪川委員長代理退席、委員長着席〕
  19. 秋田大助

    ○秋田国務大臣 広域市町村圏の施策を推進、実施をいたしておりますが、その中でやはり人口五千ないし一万丁一小学校区単位程度の地域社会考えまして、ここにおいてこの域内のいろいろの生活環境に関連する社会資本、設備の充実、あるいは教育設備、あるいは文化設備、あるいはレクリエーション施設等を住民の連帯意識を基礎といたしまして、自意識のもとにひとつつくり上げていくというような体制をつくっていったらどうだろう。そこに線単位の考え方も必要であると同時に、先生のおっしゃる面を考えた施策及びそういう行政組織及びそういう生活環境体制というものをつくり上げる、そういう点を指導してまいりたい、こう考えております。
  20. 阪上安太郎

    阪上委員 その場合、その財源はどうしますか。自治大臣、財源をどうなさいますか。
  21. 秋田大助

    ○秋田国務大臣 いろいろの施設、事業に関連をいたしており、これについては国の補助金のものもありましょうし、また地方交付税の基準財政需要額に考慮をされているものもありましょうが、同時に住民の連帯意識にささえられた自発的なボンドというような制度の創設等をひとつ考慮してみたらどうだろう。お互いのみずからの意識により、その必要な費用を出していく、そしてそれをボンド形式にしていく。この詳細につきましては、自治省事務当局内にいま検討を命じておりますが、そういう点も考慮をいたしております。
  22. 阪上安太郎

    阪上委員 その中で、当然これは補助金等がつけられるものだと私は思っておりますが、本年も若干それは見込まれているようである、私はこう見ております。しかし、これを本格的にやっていくためにはばく大な資金が必要だと思いますから、したがって、そういった補助金というような程度の考え方ではこれは成り立っていかない、私はこう思うわけであります。  そこで、いま何ですか、ボンドとおっしゃいましたが、コミュニティー債券というようなものを発行するという形になってきたのだろうと私は思うのでありますが、私はそこに一つ問題があると思うのであります。いよいよことしから具体的にモデルをつくられるのでありますから、なけなしの補助金を使ってやっていくのでありますから、国費をむだにしない意味におきましても、もう少しはっきりしたものを持っていかなければならぬ、私はこう思うのであります。この場合、そういたしますと、ボンドに大部分の資金を仰いでその近隣社会、コミュニティーというものをつくっていくのだ、こういうことでありますると、その消化能力のないグループと、それから場所によっては、地域によっては、これは人口一万から五千の範囲でやっていくのでありますけれども、そこで大きな格差がまた再び出てくるのじゃないか。経済成長で格差が起こって大騒ぎしているときに、またそういう新しいことから格差が発生していく。しかも、これは身近な、市民の生活に影響する問題でありますから、やはり格差問題というものはそれ以上に大きなウエートを持ってくるだろうと思うのです。そこで、そういったボンド方式でやるということについては非常に問題があると私は思うのでありますが、この点についてもう一ぺん自治大臣の所信を伺いたい。
  23. 秋田大助

    ○秋田国務大臣 御指摘のような格差が生じないかという点もございますが、およそ広域市町村圏は、その規格において大体統一的な標準を置いておりますので、そうたいした格差が生ずるとは考えられません。そして、よく住民の自治連帯の意識にささえられまして考えていただくのでございますから、これが運用についても支障のないように考えられていくと思うのであります。なお、この点につきましては、新しい試みでございまするから、これが過程におきまして、十分いろいろ、あるいは国家において多少の御援助を申し上げるべきものもあろうかと存じます。これらについては、さらにさらに検討を重ねつつ、これが運用の適正を期してまいりたいと考えます。
  24. 阪上安太郎

    阪上委員 このコミュニティーは、おそらく過疎地帯の集落再編という問題とも関連を持ってくることであろうと私は思います。いま自治大臣はきわめて天下太平なことを言っておられますけれども、そう簡単にこのことが格差なしにいまの状態ではやれると私は思いません。せっかく出発しようとするのに、その程度では私は困ると思う。もう少ししっかりした財政の裏づけ、こういうものを考えてもらわなければならぬと思うのでありますが、ただそういったようなコミュニティーボンドというようなものだけに逃げておっては、私はいけないと思うのであります。  そこで、問題になりますのは、この際、いま少しく行政水準をそういったもののために高めていかなければならぬ、こういうふうに思うのでありますが、それには、いまのような基準でもってナショナルミニマムを設定しているようなことであっては、この問題は解決できない、こういうふうに思うわけであります。しっかりしたナショナルミニマム国民の生活環境基準というものを、これを策定しなければならぬ段階に来ているんじゃなかろうか、私はこういうふうに思うわけであります。  この間、本会議で同僚の安井議員が総理にシビルミニマムについて質問をいたしております。総理はきわめてそっけなくこの問題を片づけたようであります。いわく、各地方地方によっていろいろと事情が異なるから、一がいにそういったものをつくるわけにはいかない、こういうことを言っておられますが、その考え方ではこの問題は解決しない、コミュニティーはつくることはできない、私はこういうように思います。真剣にほんとう生活圏というものを確立してやろう、そういう新しい都市の再開発をやってやろう、農村の再開発をやってやろう、こういうことになれば、思い切ってやはりこのナショナルミニマムを策定して、最低基準はこれであるというものをつくってやらなければいけないのではないか。そして各地方の実情に応じてというものは、それをさらに取捨選択し、あるいはその基準になおプラスアルファするという基準、すなわちシビルミニマムをつくれば、地方の実情に即応していくことができるのでありますから、そういうナショナルミニマム、基本となるナショナルミニマムというものをつくる必要がある、どうしてもこれはつくらなければならぬ。私はこういうように思うわけでありますが、この点について総理はいかがにお考えですか。大蔵大臣ももし御意見があれば伺っておきたいと思うのです。
  25. 佐藤一郎

    佐藤(一)国務大臣 ただいまのシビルミニマムのお話でございますが、率直に申し上げまして、最近非常にこの論議が高くなってきておりますが、これは、いまも御指摘がございましたように、いわゆる本来のことばの意味のとおりに最低線を規定するのが一体望ましいのか、あるいはまたこういう変化の激しい時代に、もっと長期的に見た場合の将来の望ましい姿を描くべきであるか、ここいらに実は新全総等の計画を策定する際も非常に議論がございました。そういう意味におきまして、新全総におきましてはそういう数値的な意味のシビルミニマムの構想はとらなかったわけでありますけれども、いままで議論がございましたように、地方に魅力ある都市を形成し、過疎地帯の集落を再編成し、そうしていわゆる広域圏の構想のもとに、いわゆるコミュニティーを基礎にするところの一つの広域圏というものを形成していく、そしてその広域圏を形成する際には、それに必要なところの各般の生活環境中心とするところの施設を整備してまいる、それにはこういうようなものが望ましいというようなものは一応例示してございます。そういう意味において、中身をどういうふうにするかということがやはり御指摘のように大事なことでございますので、私たちも十分その方向考えていくつもりでございます。  最近におきまして、国民生活審議会が、別な意味で、すなわち最近非常に人間の生活あるいは健康の安全の問題等が起こってまいりまして、そういう意味で、御存じの公害問題等も含めまして、シビルミニマムの思想をもう一回見直そう、こういうことで、生活の安全を中心とする最低的なシビルミニマムの設定を提言いたしております。これらにつきましても、今後十分われわれとしては検討してまいるつもりでございます。
  26. 阪上安太郎

    阪上委員 企画庁がそういう発想を持たれたのは、私はおそらく三年ほど前ではなかろうか、こう思うのであります。しかしながら、このことはなかなか実際問題としてやりにくい作業だというようなことを漏らしておった人もおるわけであります。私は、しかしながら、そういうものの考え方を確定されて、そして全総計画がつくられていくということであるならば、いまの全総計画というものはもっとやはり生活本位に傾斜しなければならぬだろうと思うのでありますが、そのことはそのことといたしまして、いま問題にしているのは、そういうナショナルミニマムをつくるためには、少なくとも資金の裏づけというものを全然考えずに、あるいは財政の裏づけを考えずにできるわけはないのでありますから、そこがやはり企画庁の企画庁たるところであって、そこの連携というものができていないわけなのであります。このことについて大蔵省と話し合いされたことがありますか。こういうことをやりたいと思うが一体どうであろうかというようなことを言われたことがあるかどうか。――いや、それはおそらくないでしょう。ないと思います。いまの大蔵大臣のすわっておられる顔を見ておっても、ないということになっている。しかし、それをもうやらなければだめですよ。大蔵省と自治省がいつも予算編成の段階でけんかしておる。総理、これはたいてい一回か二回はやり合っておりますよ。やっておる。そのときに、あるべき行政水準を一体どうするかということについて見解が違うのですよ。たとえば大蔵大臣あるいは大蔵省あたりでは、それはいまは地方自治体の財政を見ておったら、きわめて赤字も少なくなってきたし、だんだんと好転しておるというようなことばかり言っておる。ところが、こういうナショナルミニマムというようなものを積み上げて、所要財源がこれだけ要るのだというような、そういう基礎を持って話し合いができていない。自治省ではやはりある程度そういうことを考えているのだと私は思うのでありますが、これもはっきりとそういったものをつかんでいない。その根拠は何かというと、大体、経済企画庁が、依然としてこういったものに非常にこれは重大なことであるという認識が欠けておって、そしてああいう全総計画のような文章をつくっておられる。だから具体性がちっともない。だから、いつまでたってもこの論争は果てないと私は思うのであります。大蔵大臣、どうですか。こういうナショナルミニマムをきめて、そしてそれを積み上げた中で国家財政全体を考えていくという考え方をお持ちにならぬでしょうか。
  27. 福田赳夫

    福田国務大臣 ナショナルミニマムと申しましても、非常に抽象的なことでありまして、もっと問題は具体的に考えなければならぬだろう、こういうふうに思うのです。私は、ナショナルミニマムということを具体的に考えれば、何といってもまず第一にマイホームというか、衣食住だ、こういうふうに思う。住宅はどうかというと、今度は御承知のように住宅五カ年計画を新たに設定します。これができ上がる五年後には、とにかくわが国における住宅問題はおおむね解決をする、こういうことになり、まあとにかくわれわれの生活の城は整うわけです。それから次の問題は、われわれの環境の問題、一番やはりおくれているのは下水道じゃないか、こういうふうに思うわけですが、この下水道の計画、これは地方公共団体が中心になるわけですが、これが進んでくる。それから次に道路、交通、これもいまさら私が申し上げるまでもない。今度の新道路五カ年計画が完成するということになると、これは非常な改善を見るわけです。  とにかくそういうふうに新全総、あるいは当面の問題とすれば経済社会発展計画、これをずっと通覧願うと、それが皆さんのおっしゃるナショナルミニマムである、シビルミニマムを目ざしたものである、私はこういうふうに理解するのでありますが、シビルミニマムを設定せよといいましても、そういうとらえ方をしていただきますると御理解がいけるんじゃないか、さように考えております。
  28. 阪上安太郎

    阪上委員 先ほどからだいぶ引き出そうと思ってやっているんですが、一向乗ってこない。乗ってこないというのは、悪意で乗ってこないんじゃなくして、わかっていないんですよ。はっきり言いまして、それはわかっていないんだ。なるほどおっしゃるとおりです。たとえば公害問題にいたしましても、この間も政府筋でそういう答弁をしておられたが、必ずしも著明な公害発生源を追及するばかりでなく、住民生活の中から出てくる集積された公害というものがあるわけなんです。こういったものを除去していくためには、下水道計画などというものは、これはきわめて大切だ、そんなことは私もわかっておりますよ。だから、それをおやりになるということについては、私は文句は言わない。やるべきですよ。そうしないと公害問題は解決しない。英国の例を見たってわかる。ロンドンの例を見てもそれはわかりますよ。著明なものばかりを摘発して、これが終わったからもう公害は終わりだという考え方ではいけないのですよ。考え方によると、ある公害の部門においては、都市改造によって公害というものを排除していくことができるという考え方を持たなければいけないと私は思いますよ。しかし私がいま言っている問題は、もっと国民生活と密着した問題のことを言っているのですよ。そのことも大事です。やらなければいけません。線開発でしょう。しかし先ほど自治大臣がおっしゃったように、やはり面開発に力を入れなければいかぬ。根本さんが先ほどおっしゃったように、道路をつくったから、それでもって、そういう面開発で国土開発をやっていいんだということにはならない。きょうは運輸大臣がお見えになっておりませんから私は聞かないのですが、道路を幾らつくったとしたって、それだけでもって交通が解決され、ネットワークができるということにはならないだろうと私は思うのであります。もっと軌道主義に戻っていかなければならぬ交通の問題もあるだろうと私は思います。けれどもそれだけではいけないということを言っているのであって、先ほどから大体わかったような御答弁をいただいておったから、わかっておると思ったところが、全然わかっておらない。私はそういうことを言っているのじゃなくして、国民のあるいは市民の連帯意識というものを高めていく必要がある、その場所をつくりなさいということを言っているわけであります。いま東京の近郊あるいは近接しているところのいわゆる首都圏、そこに住んでいる住民で東京へ通っている人の考え方を聞いてみると、自分が住んでいる町の市民だという意識はないのですよ。大住宅団地に住んでいる人々の中で、隣近所と話し合いをするという人は少ないのです。この間正月に行なわれた某市の調査によりましても、人間関係について調査いたしておりますが、一番きらいなのは何かというと隣近所だという人があるのですよ。どうなんですか。そういうのが三一%ばかり出ておりますよ。いまこういう市民の人間関係というものが出ております。なるほど、地方公共団体の首長とそれから市民との対話ということは、いまきわめて大事な段階でありましょう。しかし、もっと大切なことは、市民同士の対話の場所がないのですよ。そして隣近所の人が一番きらいだ、うるさいんだ、こういうことを言っているのです。これで地方自治が育つと皆さん思っておられますか。そこからどうして市民と直結したところの政治が出てくるのですか。そういう対話の場所をつくるという、その基礎になるナショナルミニマムというものをつくりなさいということを私は言っているのですよ。ことに大蔵大臣は、その点はちゃんと来ているんだと思うのであります。住の問題、それと同時に生活環境の問題、こういうことを言われております。ナショナルミニマムとはいろいろな解釈があります。けれども、私がいま言っているのは、先ほどからも言っておりますように、日本語で訳して、最低限の生活環境基準をつくりなさいということを実は言っているのであります。このために、これを基礎とした予算編成に持っていくという考え方を持ってもらわなければいけないということを私は言っているのです。ところが、大蔵大臣は少しそらした答弁だ。もう一ぺんお答え願いたい。今度はひとつそらさぬように答えていただきたい。
  29. 福田赳夫

    福田国務大臣 ただいま私から申し上げたことを実行するために、わが国におきましては世界でも比類のない財政努力が払われておる。これは阪上さんはよく御承知と思いますが、わが日本がそういう生活環境それから住宅、そういう社会資本に投じております額、つまりナショナルミニマムというものを実現するというための努力、これは金額にしますと、アメリカには及びません。しかし、アメリカの国力とわが国の国力とを比較してみると、これはいま経済力からいいますれば四対一、それがわれわれが払っている努力というのは二対一くらいです。それから国民総生産、財政の規模、そういう中におけるわが国のそういう努力、これの比率は実に飛び抜けて、わが国は世界第一なんです。なぜそれが可能であるかというと、防衛費の負担が少ないということから主たるところは来ると思いますが、とにかくわが国はそういう方面に――公共事業費でいえば、四十六年度の予算でいうと実に一八%の額をそこにさいておる、こういうような状態です。明治百年を顧みてみまして、まあ戦前におきましてはそういう方向への努力が足らなかった。いま急いて取り戻しをしているというのが現状なんです。ですから、現状をもって世界に比較するとおくれておる、しかしこれは取り戻し、そういうことのできる日というのは、そう遠いことじゃないと私は思うのです。非常な努力、世界一の努力が払われておる、こういうふうに考えておりますので、決しておろそかにするというようなわけじゃなく、逆に努力が最大限に行なわれている、こういうふうに考えているのです。
  30. 阪上安太郎

    阪上委員 大蔵大臣は、こういったナショナルミニマムをつくって、これを消化していくのは、当然これは地方公共団体、だから財源の多くがそっちへ回るからそういう心配をされるのじゃないかと私は思うのですけれども、どうですか、アメリカの大統領の年頭教書なんかを見ても、ごらんになったと私は思うのでありますが、その中で、やはり大きく地方公共団体にあれだけのばく大なものを、ああいった苦しい、非常に経済破綻を来たしているようなアメリカでも、思い切ってそこへぶつけていこうという努力をしようといているじゃありませんか。思い切って、そういった考え方に立っていかないといけないと私は思うのです。予算編成のあり方が、税の自然増収プラス国債の発行額、そこから義務的経費とかあるいは当然増経費を差っ引いて、残りを減税に回していくんだというようないままでの編成方針、そういうことではこんなものは出てきませんね、はっきり言いまして。むしろ、思い切ってゼロから出発するくらいの考え方にお立ちにならないといけないのじゃないか。そういう編成方針を、やはり年来ずっともう惰性で続けてこられて、そういったもののワク内でこういったものを考えようとなさるから、考えることができなくなってしまう、私はそういうふうに思うのですが、どうでしょう。
  31. 福田赳夫

    福田国務大臣 先日は、皆さんのほうから、ことしの予算は大き過ぎるじゃないか、どうもインフレの危険をはらむようだというようなお話がありましたが、きょうは、阪上さんから思い切ったことをやれ、こういうことになると、予算は勢い膨張せざるを得ないのでありますが、しかし、それはそれといたしまして、とにかくおっしゃるような方向で、かなり現実的に思い切った措置はとっておられるのです。先ほど申し上げました住宅の問題、いまわが国では、一般会計、財政投融資を通じまして、四十六年度では実に一兆円の額を、国の財源をここに投入をするわけです。まあこれなんか建設省から五カ年間で九百五十万戸の要求です。そして、その四割を国、地方団体においてこれを行なう、つまり公費をもってやる、こういうことです。これを、いまうしろにすわっておる主計局長と理財局長は九百万戸、また、政府の受け持つ割合も、もう少し縮小すべきだというふうな考えを私に示したのですが、私はこれはいかぬ、住宅こそは日本国が当面する最大の問題なんだ、これは内政の七〇年代、住宅問題がまず解決されなければならぬ、こういうので、これはまあうのみにいたしたというくらいな、思い切った予算の編成の取り組み方をいたしておるわけでありまして、まあ、突拍子もないことをやるわけにはいきませんけれども、まあ常識的な軌道をはずれないという範囲におきましては、かなり勇断をもって編成されておる予算である、かように確信をいたしております。
  32. 阪上安太郎

    阪上委員 予算規模が大き過ぎるじゃないかというようなことを言われておる、こうおっしゃるのですが、私の言っておるのは使い道の問題なんですね。内容の問題なんです。だから、このことはあまり議論してもしようがないと思いますから、やめておきましょう。  そこで、こういったナショナルミニマム、たとえば、いまくしくも出ましたが、住宅につきましてもなるほど戸数はふえておりますよ。けれどもぼつぼつ質の問題に、すべての問題が入っているのじゃないですか。この質の面から考えていったときに、この九百五十万戸の計画でありますか、前年度の当初予算のときの計画と比べてみて、一戸当たりの建設に要するところの額というようなものから考えていったら、一向質がよくなっているようにぼくは思わない。もちろん物価の値上がりというものを考えていった場合に、値上がり分だけ一戸分に対してプラスしているという程度であって、質は一世帯一住宅から、一人一室の方向へかえていくんだということを言っておりながら、はたしてこんな予算でもってやれるのですか。これは根本さん、ひとつお伺いしたい。
  33. 根本龍太郎

    ○根本国務大臣 住宅につきましては、新しい五カ年計画では、小家族の家庭については九畳くらい、それから、それよりちょっと大きい家族持ちの住宅は、十二畳という標準でいま進めておるわけでございます。  なお、また住宅は、結局職場との関係が一番問題でございます。従来ややもすれば、値段ということから、非常に遠距離に土地を求めた傾向が多いのでございます。そうすると住宅はそれで解決したようでありまするが、交通問題、それから勤労者の方々のいわゆる人間生活としての低下、こういうことがありますので、今度の新五カ年計画は、でき得るだけ――都心にある工場等がそこに立地することがふさわしくなくなっているのが相当多いのです。公害の問題その他があります。そういうところを極力買い取りまして、そこに中高層、できるだけ高層の住宅をつくりまして、そこに入れるというようなことをやっております。  それから、物価の値上がりをどうして吸収するかということで二つ考えています。大体予算単価も、実は大蔵省と話をして、物価の値上がりは十分吸収し得るようにするとともに、御承知のように、プレハブの研究を相当進めております。従来のように、木造の建物あるいは二階、三階の建物を大工さんなんかでやるということは、これは労賃が高くなりますので、それで、いまは十階くらいの高層建物をプレハブでつくっていくというような措置を講じまして、質、量ともこの五カ年計画では相当重点を入れてやっていく。  さらにまたもう一つは、公共用地の利用あるいは農住政策というふうに、地価が家賃の非常な値上がりの原因をなしているので、それらの面をも考慮するというような措置を講じて、でき得るだけ快適な住宅が、効率的に建てられるというくふうも進めておる次第でございます。
  34. 阪上安太郎

    阪上委員 政府の今度の第二期住宅建設五カ年計画、この中で公営住宅ですが、本年は十万八千戸つくられるわけですね。それに要する補助額が八百三十億九千四百万ですか、こういうことになっております。四十五年度を見ますと、十万三千戸でもって七百三十五億一千五百万円、これを二戸当たりにしてみますと、大体四十六年度は七十六万八千円、それから四十五年度は七十一万三千九百円、こうなってくるわけです。物価の値上がりをどう見るかということは問題ではありましょうけれども、まだ結論は出ないでしょう、わからないでしょうけれども、七・七くらいになるのじゃないか。そこまでいかぬでも、かりに七といたしましても、それを考えてみますると五万三千七百九十五円、これだけのものが物価値上がり分として食い込んでくるわけです。そうすると、いま言われたように、いかにも質を改善するのだということを言われているけれども、こんな予算では質は改善にならぬのじゃないですか。これはどうなんですか。地方公共団体が、思い切って足らぬ分をつぎ足せということなんですか、どうなんですか。
  35. 根本龍太郎

    ○根本国務大臣 住宅建設の上昇率を、従来の統計から見て大体一〇%と見ております。これに対しまして二戸当たりの建設費は、新しい計画に基づく四十六年度の公営住宅、これは中層で一七・五%と見ております。それから公団住宅、これも中層で一六・八%の増加を見込んでおりまするので、質的に低下するということはこの予算関係ではない。その上に、先ほど申し上げましたように、プレハブの工法によってできるだけ内容を充実していきたい。問題は地価がどう影響するかということでございまして、これは、いずれまた御質問があるようでございますから、その節に申し上げたいと思いまするが、いわゆる予算の点からするならば、質的低下を来たさないという配慮はいたしているはずでございます。
  36. 阪上安太郎

    阪上委員 まあそういう言い方もありましょうけれども、とにかく二戸当たり考えてみても、補助額がそれだけ効率があがっていないということなのでありまして、私は、こういう点から考えても、やはりミニマムというものをつくっていかなければいけないということを実は言っているわけなんであります。ひとつよくあとで考えてもらいたい、こういうように思うわけであります。  そこで、最後でありますが、かりに、こういった政策を実施していこうという場合に問題になるのはやはり地価の問題だ、こういうように思うわけであります。この地価の問題についてひとつ伺ってみたいと思うのでありますが、まず最初に、地価の変動とか地価の動きぐあいというものをはっきりつかまなければいかぬと思うのであります。政府の指定統計その他を見ましても、地価に対するところの統計というものは持っておられない。私どもも、いろいろと政府を信頼いたしまして、そういったものを求めて何とか考えていきたいと思うのでありますけれども、結局不動産研究所の資料ばかりにたよっておられる。地価を抑制しようという大目的を持って政治をやっておられるのでありますけれども、政府自体がそういう統計を持っておられぬということは、一体これはどういうことなんですか。しかも、実にわれわれとしては、右往左往しなければ集まらないというような状態であります。大体建設省あたりでそういったものをしっかりつかんでいないということは、一体どういうことなのか。これをまず伺っておきたいと思うのです。
  37. 根本龍太郎

    ○根本国務大臣 御指摘のとおり、地価については、いわゆる全国にわたる総合的な調査はできておりません。それで、これは現実に取引されておる不動産協会等からこれを使っているのでありますが、そういう欠点をなくするために、先般地価公示制度を採用いたしまして、そうしてこれを漸次全国に及ぼしまして、現実の地価の実態を国民にお示ししまして、一方においてはこれを地価の一つの標準にする、公的土地としてこれを買い上げるときには、それを基準としてやっていく、こういうふうな方向に進んでおるのでございます。御承知のように、地価もごく最近まで主観的な価格と申しますか、ある企業がどうしても必要だというようになりますと、従来のその近辺の地価をはるかにこえたものが発生する。たとえば、相当の政治的抵抗なんかあります成田空港のように、一坪地主運動なんかになりますと、従来の、当時の近辺からすると四倍にも五倍にも上がってしまう、こういうふうな現象がございまして、普通の商品取引のごとき一つのスタンダードというものがなかなかつけにくい。そのときそのとき、その年どころかその月によっても変わるというようなことで、非常に把握しにくいというような現状でございまするので、遺憾ながら、全国的にそうした地価をはっきり統計として持っていないのが現状でございます。できるだけそうしたものを把握できるような、制度的な問題も研究してまいりたいと思います。
  38. 阪上安太郎

    阪上委員 まあ建設大臣はそういうことをおっしゃいますけれども、それにしても不動産研究所が全国的な地価の統計を出しておる。だからできぬことはないのです。地価公示価格がどんどんと設けられるということになればそういうことはできる、こういうふうにおっしゃっているのですが、いままでそれじゃ一体何を基準にして地価抑制というものを考えておられたか、私にはわからない。これはもう議論の余地はないと私は思うのです。公示制度と相まってやるとおっしゃるなら待ちます。来年度の公示価格の件数をふやしていこうという努力もわかりますけれども、しかし、それを待っておったのではいけないのじゃないかと私は思うのです。それと並行して、やはり地価の動向というものをはっきり握ってくださいよ。卸売り物価指数だとか消費者物価指数あたりは、やかましく言っておられるけれども、しかし、肝心かなめの、物価に一番大きな影響を及ぼす地価というものの変動の統計を持っておられないということは、これは何としても私は失態だと思うのです。これは御答弁要りませんから、ぜひひとつ、そういうふうに早くそういったものを一これは総理もひとつお聞きおき願いたいと思うのですが、やってくださいよ。そうでなければ地価抑制も何もあったものじゃない。どうぞそういうことを早く進めていただきたいと思います。  そこで、地価でありますけれども、これは不動産研究所のあれによらざるを得ないのですが、なるほど大都市の都心部の地価というものは上がり方が下がっておる。しかし、その周辺のドーナッツ型に伸びておりますところの地区においては、依然としてやはり根強い地価暴騰がある。ことに最近では、ドーナッツの輪がだんだんと広がって、さらにその周辺に地価暴騰、地価騰貴の現象があらわれてきておる、こういうことになっておりまして、なかなか地価の抑制ということは困難だと思います。しかし、こういった地価抑制ということができない原因は一体何にあるかということをやはり真剣に考えてみる必要があるのじゃないか、こういうふうに思うのであります。やはり一つは、何といっても物価高の問題と悪循環を来たしているのじゃないか。こういった場合にインフレ傾向の段階において、土地でも買っておけというようなこととか、土地を持っておれというようなこととか、そういったことから投機の思惑ともからんで、地価というものがどうしても下がる傾向がないということが一つだと思うのです。いま一つは、はっきり言って、政府の地価対策というものが非常に歯切れが悪いというところに、やはり大きな原因があるのじゃないか、こういうふうに思うのであります。  そこで、時間もだんだん迫ってまいりましたので、端的にひとつ伺っていきたいと思うのであります。いま申し上げることは、私どもが都市政策として持っている政策でもありますけれども、同時にいろいろな政府の諮問機関あるいは国会においても衆議院で決議をされたこともございますが、そういったものが実行に移されてないというところに、私は問題があるのだと思うのであります。  そこで、いまから伺っておきたいと思うのですが、いかがでしょうか、まず第一番に、すべての開発に対して許可制度を適用する。いま都市計画法に基づいて、こういった開発許可制度というものが一部適用されておりますが、あれだけでは不十分だと私は思う。もしやるとすれば、いまの段階においてすら端的にやり得ることは、都市計画区域内のすべてに開発許可制度を適用するという考え方があるかないか、これをひとつ伺っておきたいと思うのです。
  39. 根本龍太郎

    ○根本国務大臣 地価問題が、現在国民経済上あるいは日本開発計画上、非常に重大な問題であることは御指摘のとおりです。これは、まず第一に、日本では戦後農地法ができまして、広範な土地がいわゆる宅地あるいはそうしたものに使われることが、法律的に制限されておった。現在、日本の全国土のわずか一%が市街地になって、そこにあらゆる企業、公共事業が集中したというところに一つの大きな原因があります。ところが、今度新都市計画法に基づきまして、十年間の長期見通しに基づく土地が、今度は自動的に農地法が排除されましたので、これが相当の大きな、地価を抑制する要件になると思います。  そのほかに、いままでは公共事業的な仕事をする場合に、非常な物理的抵抗と申しますか、これがございまして、収用法がほとんど適用されなかった。今度は先行取得と公共事業についての収用法の発動を、国民の合意によってどんどんやれることができるような状況をつくっていくということが必要だと思います。その上に、いま御指摘になりました、市街化区域に指定されたところには全面的に許可制度にせいということには、これはいろいろ問題があるようでございまするが、この中では、いわゆる土地区画整理事業等で進めていく、これは許可事業になりますし、それから、いろいろと再開発等についても政府の許可制度がありますから、できるだけそういうものをやっていきますが、全面的にこれをやるということについてはかなり問題がありますので、これは十分に検討した上で、できるだけその方針に適合するように研究を進めてまいりたいと思います。
  40. 阪上安太郎

    阪上委員 ちょっと申し上げておきますが、時間がだいぶ足りなくなってまいりましたので、私が質問いたしまして、それについてやる意思があるかどうか、そして文句なく、抵抗なくやれるというものについては、やれるとおっしゃってください。やれないものについては、理由を簡単におっしゃって、やれない、こういうようにひとつお答え願いたいと思います。  そこで、次にお伺いするのは、地価つり上げをやっているのは、その元凶は、いろいろあるけれども、大体公共団体とか国だというようにいわれております。実例は幾らでも持っております。そこで、土地の一手買い上げ機関というものを、これの制度をつくる考え方があるかどうか、これをひとつお答え願いたい。
  41. 根本龍太郎

    ○根本国務大臣 一定の何でしたか、ちょっと……。
  42. 阪上安太郎

    阪上委員 一手買い上げです。そういう機関をつくって一括して買い上げていくというような制度を設ける考え方があるかどうか。
  43. 根本龍太郎

    ○根本国務大臣 これは検討していきたいと思います。なぜならば、現在でも基金制度あるいは先行取得のものがありまするが、これは公的に全部私権を制約するということについては、いろいろ法制上、それから国民の合意を得る、非常にむずかしい段階です。その発想は私も賛成でございますけれども、いま直ちにこれを立法化することは、かなりむずかしいと思っております。
  44. 阪上安太郎

    阪上委員 この憲法上の問題があると言われるが、われわれは憲法上の問題はない、かように考えております。土地の公的利用という考え方から考えても、そういうことは問題がないのじゃないか、私はこう考えております。  そこで次に、一定地区内におけるところの民間の土地の売買を規制していくという考え方があるかどうか。これはこういうことであります。幾ら新土地税制を設けましても、その税負担というものを買い主に転嫁していくということがあるわけであります。したがって、土地税制については非常にむずかしい問題があるということは、毎国会ごとに問題になっておるわけでありますが、そのためにも、一定地域内における、あるいは市街化区域とか、あるいは既成市街地とかいうようなところにおけるところの民間の売買を禁じていく。ただ買い上げは、これは公的機関が買い上げていくのだというようなものの考え方に立つ民間売買の規制というようなことについて、やる気があるかどうか、これを伺っておきたいと思う。
  45. 根本龍太郎

    ○根本国務大臣 これは、現状において直ちに売買禁止ということは、立法上も非常にむずかしい問題でございまして、いま直ちにやるという意思はございません。
  46. 阪上安太郎

    阪上委員 それから、地代、家賃の規制の問題であります。これは、昭和二十五年以前に建てられた分については、地代家賃統制令というものが適用されておる、こういうことなんです。いま、地代とか家賃について非常に問題を起こしておる。入居している人々を考えてみましても、四七、八%の国民は、やはりこういった家賃制度の中で、あるいは地代の中で生活している、こういうことになるのでありますが、この点についてやはり思い切った、二十五年以後のものについても適用していく、拡大する考え方を持っておられるかどうか、これをちょっと伺いたい。
  47. 根本龍太郎

    ○根本国務大臣 説明は、長くなるからよせということでありまするが、いま、家賃統制令を全面的に拡大してすべてに適用するという考えは持っておりません。
  48. 阪上安太郎

    阪上委員 次に、新土地税でありますが、これは毎国会ごとに問題になっておる。この中で付加価値税、これを導入する考え方があるかどうか、あるいは開発賦課金というような形でこれを導入していく考え方があるかどうか、これを伺いたい。
  49. 根本龍太郎

    ○根本国務大臣 これは私からお答えするのが適当かどうか存じませんが、土地政策として、これは私のほうが中心になりまして、その税を設けることを大蔵、自治関係方面に要請しまして、それをやるという姿勢でいま検討に入っているはずでございます。
  50. 阪上安太郎

    阪上委員 それから、地価公示制でありますが、これは実施してまだ間がないのであります。ある面では地価抑制に非常に効果がある、こういわれておりますが、ある面から、これは地価の最低価格を示したものであって、その意味においてむしろ逆の効果をもたらしたという見方も出ております。しかしながら、これについて今後とも続けていくのか、あるいは拡大するのか。私の考え方としては、むしろ拡大していくべきであろうという考え方を持っておりますが、これはどうでしょうか。
  51. 根本龍太郎

    ○根本国務大臣 お説のとおりでございます。
  52. 阪上安太郎

    阪上委員 それから、公的土地の保有制度、こういったことをお考えになっておるかどうか。これは当面必要でないけれども、公共団体等が先買いしていくのだ、そして保有地を持っておって、都市計画その他に対して将来対応していくのだ。この公的土地の保有制度というものを確立するという考え方について、これは自治大臣からでも、どっちからでもいいのですが、お伺いいたしたい。
  53. 秋田大助

    ○秋田国務大臣 お説のような考え方を持っておりまして、従来の施設でも、御承知のとおり先行取得に関する土地の取得債、また土地開発基金の制度、あるいは公社の制度というものはあるわけでございまして、十分われわれの意図をお察し願いたいと思います。
  54. 阪上安太郎

    阪上委員 そこで、そうなりますと、いまおっしゃったように、土地の基金というものがもっと多量に必要になってくるんじゃないか、こういうふうに考えるわけでありますが、中央土地基金というようなものを――この前、四十三年に大蔵大臣は、必要ない、こういうふうに答弁なさった。しかし、そういったものをやはり設ける必要が出てきたんではないか、こういうふうに思うのでありますが、大蔵大臣、どうでしょうか。
  55. 福田赳夫

    福田国務大臣 すでに御承知のとおり土地開発基金制度というものがあるわけでありまして、その額も、これを創設いたしましてからかなり、もう二千億をこえますか、そのくらいになっておるような状況です。
  56. 阪上安太郎

    阪上委員 だから設ける必要ない、こういうことですね。  それからいま一つは、土地市場というようなものを確立していく必要があるんじゃないか、こういうふうに思うのであります。ある企業はこれについて、自動車の、何といいますか、古い自動車を下取りして新車を買うていくというあの考え方に即して、そういったものを土地の取得に制度として持っていきたいというか、企業として持っていきたい、これに対して建設省は賛成しておられるように承っておるのですが、そういったものをつくっていくことについて、積極的に支援していくとか、あるいは、それをやらすんだという考え方をお持ちでしょうか。これは悪徳不動産業者等を制圧することにも大いに役に立つと思うのであります。この点について――それも、企業にまかし切りになるとまた問題が起こってくるが、こういった土地市場といいますか、そういった土地の流通機構というものを、何か一つ制度を編み出していくという考え方がおありでしょうか。
  57. 根本龍太郎

    ○根本国務大臣 土地の流通市場ということは、ちょっとこれは、ことばとしてもなじまない点があると思いますが、実は不動産担保の証券を発行して、それの流通性を持たすべきだということで、その制度も現実にあります。ただ、これが、その証券を売買する場合におけるいろいろ技術上非常にむずかしい問題がありましたもので、しかし、これは考えるべきだということで、大蔵省とも連携して検討しております。  それからもう一つ、私は、不動産信託の事業をやらしていいじゃないか。必ずしも売らなくても、持っておるままこれを活用する道があるんじゃないか。その意味で、一番日本で、民間で土地を持っておるのは何としても農民の方々です、山林、田畑がありますから。これを担保にして金融をやるという機能を農林中金に持たして、そして農民も安心してこれを担保し、これを有効に、あるいは土地開発、再開発とか、あるいはまた住宅とか、あるいはまた工場団地に活用する、長期でこれを利用するというような制度も考えてしかるべきではないかということで検討しております。
  58. 阪上安太郎

    阪上委員 それから、最近問題になっております米の需給調整、これに関連いたしまして、土地の買い上げ、農地の買い上げということが問題になっております。私は、これについてはいろいろな意見を持っております。ただ、私どもの考え方からすると、米の需給調整という観点からこれをとらまえるよりも、むしろ土地利用の観点からこれをとらまえていったほうがいいんではないかという考え方を実は持つわけであります。なかなかはっきりしたことは言いづらい立場に私もありますけれども、思い切ってそこまでいかなければいけないんじゃないか。草ほうぼうとはえておるからといって、それに対して補助金を出しているというようなものの考え方では、私はいけないと思う。といって、農民の立場もあります。この際むしろそういった米の需給などというようなものの考え方に立たずに、はっきりと土地利用の観点から、いま農地が必要なんですよ。住宅用地にしても何にしても、必要だと思うのです。ことに企画庁の土地利用の推計といいますか将来の展望を見ますと、宅地造成あたりは、もう二十万ヘクタールくらいあればこれで十分じゃないかというところが出ておるわけでありましょう。そういったものは、市街化区域なりあるいは市街化調整区域の中に十分そういうものがあるわけであります。したがって、あまりむずかしい問題を起こさずに、思い切って土地利用の観点からこの問題を取り上げても解決するじゃないか、公共事業を進めることによって解決するじゃないかという考え方があるのでありますが、そういったふうなものの考え方に頭を少し切りかえていくという考え方があるかどうか、これを伺っておきたい。
  59. 根本龍太郎

    ○根本国務大臣 結論としては賛成でございます。その意味で実は北関東の問題を申し上げましたが、ああいうような新しい都市をつくるときも、買わずに、むしろ先ほど申し上げました、長期で借り入れまして、それにスライド制の地代を払っていく、そのほうが適切ではないか。あるいはまた、従来これは農地法やいろいろの抵抗がありまして、公共事業、特に道路なんかのときも、できるだけ実は水田と農地を避けていく計画でありました。しかし、今度はそういう抵抗もむしろなくなってくると思いますので、公共事業等においても農地を活用することは、私も前向きに検討していきたいと思います。
  60. 阪上安太郎

    阪上委員 それから、これは土地とも関連するわけでありますが、今度の予算で頭を出してきたのは、農家が住宅を建設する場合、これは賃貸住宅を建設する場合に、元金はありませんけれども、利子補給をやるというのが出てきております。金額はわずかであります。この考え方は私はおもしろいと思う。しかし、それならば民間一般国民住宅、庶民住宅というようなものに対しても、思い切って利子補給をしてやる考え方を持つべきだろう、こういうように思うのであります。端的にいうと、道路がなくても人間は生活できる、はっきりいえば。しかし、住む場所がなければ、これは生活できない。そうすると、住居というものは、やはりもっと大きな、公共的な見地でつかまえていかなければならぬ。今度の第二期の住宅建設五カ年計画を見ましても、あるいは前回のものを見ましても、大体において民間資金で建てるものに大きなウエートを置いている。公的資金のほうはわずかじゃありませんか。四分六のようなかっこうになっていると私は思うのであります。しかしながら、考え方によると、人間は住居がなくちゃ生きていけないということになれば、この住宅建設、ことにべらぼうな豪華な邸宅は別といたしまして、ある限度のところまではやはり見てやるべきじゃないか。農家が、転作等に伴って土地を提供して住宅を建てていくというような場合と同じように、これを見てやるべき必要があるんじゃないか、こう思うのでありまして、思い切って、どうでしょうか、民間の庶民住宅に、ある限度を設けて利子補給をしてやろうという考え方があるかどうか、これは土地と関連して、同じでありますが……。
  61. 根本龍太郎

    ○根本国務大臣 現在は利子補給はいたしておりませんが、低利資金を、住宅金融公庫を通じて民間のほうにはやっている。実質上これは利子補給と同じでございます。ただ、これは家賃の制限と関係がありますので、いま少しく研究してみたいと思います。従来から実は民間のデベロッパー、あるいはまた、そうして住居を提供する方々から要望がございます。それで、本年度農住についてやってみて、その成果に基づいて、結果に基づいて研究いたしてまいりたいと思っております。
  62. 阪上安太郎

    阪上委員 最後に私、伺っておきたいと思うのでありますが、いまずっと項目をあげて、いろいろと政府考え方、意見等を聞いてまいったのでありますが、こういった政策が事ごとに実施されないと、いま大きな課題になっている物価の上昇に大きな寄与率を持っている地価の抑制ということは、とうてい不可能だと私は思う。したがって、こういったものを全部取り上げた、いわゆるいままでのような単なる国土総合開発的な意味における土地利用計画ではなくして、こういったものを含めた土地利用、これをいよいよ出発させなければならぬ段階に来ていると、私はこう思うわけであります。先ほどから申し上げているいろいろなこういうものを総合的に実施することによって、初めて地価が抑制できる、こういうふうに思うわけでありまして、こういったものを含めたいわゆる土地利用の基本法といったようなものを、この際いよいよつくる必要がある、こういうふうに思うわけであります。これはすでに四十六国会でも議決されて、その当時佐藤さんは総理大臣だったかどうか、私よく知りませんけれども、おそらく政府はそういうことをやるということを御答弁なさっていると私は思うのでありますが、土地利用計画基本法、これをやる気があるかどうか、これをやらなければ私はもうだめだと思いますが、これをひとつ最後に総理からお伺いしておきたい、こう思うわけであります。
  63. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 いま初めて土地利用基本法というようなものの話を聞いたわけです。中身をよく検討しないと、この際やるとかやらぬとか言うわけにまいりません。しかし、土地の問題が、先ほど来お話がありましたように、基本の問題でございますから、積極的にただいまのお話をさらに内容を詰めてみたい、かように思います。
  64. 阪上安太郎

    阪上委員 これは総理が聞かれたかどうか知りませんけれども、このことにつきましては、三十九年の五月二十九日の四十六国会、これは衆議院で議決しているわけなんです。土地利用計画をつくれ、それをつくらなければだめだということを明確に出して、その中に地価公示制度もあるわけなんです。地価公示制度一つだけは取り上げられている。しかし、先ほど申し上げましたような内容のものをすべてやれという決議にはもちろんなっておりません。しかし、土地利用計画をつくれということについては、これがなくては全総計画も何もそれはだめだ、こういうことになっておりますので、やるとかやらぬとかいまのところ言えませんというようなことを言わぬで、この際、思い切ってやるというふうなお答えを私は得られるべきだと思うのです。総理、どうでしょうか。
  65. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 国会でも決議されたということですから、よく私も検討いたします。その上で結論を出すことにいたします。
  66. 中野四郎

    中野委員長 これにて阪上君の質疑は終了いたしました。  午後は一時より再開することとし、この際、暫時休憩をいたします。     午後零時三分休憩      ――――◇―――――     午後一時六分開議
  67. 中野四郎

    中野委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  総括質疑を続行いたします。岡沢完治君。
  68. 岡沢完治

    ○岡沢委員 二十一世紀の共通の戦い、これは日本だけでなしに、人類の共通の戦いというのは、貧困との戦い、あるいは疾病との戦い、無知との戦い、偏見との戦いといわれます。私はその中できょうは三つの戦いを取り上げて、総理中心にお聞きしたいと思うわけでございますけれども、自由を守り平和に徹するとおっしゃる総理に対してでございますから、もちろん熱い戦争ではございません。佐藤内閣が成立されて以来六年余、おそらく勝利を得られなかった戦争、あるいはまた将来もなかなかむつかしいと思われる戦争を取り上げさしていただきまして、具体的には公害戦争、そして物価の中の地価を中心にした地価征伐といいますか、土地戦争、そしてもう一つはいわゆる交通戦争、これは私は大戦争と名づけたいぐらいの社会問題だと思いますけれども、この三つの質問を中心に質問をさせていただきます。  その前に、総理は、野党質問の第一陣の石橋さんの質問に関連されまして、司法権の独立についてお触れになりました。司法権の独立、三権分立のたてまえから民主主義の基本だと思うわけでございますけれども、ここ一、二年この問題が大きく社会的、政治的な関心を呼んでまいりました。もちろんこの問題は最高裁判所に関する部分が主要なものではございますけれども、政治と司法との交錯ということが一番大きな課題として昨今議題に上がっているわけでございます。  私は、内閣政府に関連する部門からの質問を試みさしてもらいたいと思うわけでございますけれども、たとえば昨年の四月、いわゆる青法協に所属しておる福島裁判官、北海道の長沼ナイキ訴訟に関連いたしまして、裁判官も御承知のとおり内閣の任命にかかるわけでございますが、国が任命された裁判官を国自身が忌避されるという、世界にも例を見ない事実がございました。この忌避申し立てば裁判所で却下はされましたけれども、大きな社会的な関心を呼びました。  また昨年五月、小林法務大臣は、佐藤総理の了解を得たという前提で、分離修習といわれる、法曹人の養成制度について、いわゆる法曹一元化と違った方向で、すなわち裁判官、検察官になるいわゆる任官希望者を特別に分離して修習するという方向への転換を示唆する発言をなさいました。これは一般にいわれる青法協の問題ほど社会的な関心は呼びませんでしたけれども、日本弁護士連合会をはじめ、やはり大きな課題として波紋を投げかけ、現に日弁連、そしてまた単位弁護士会で反対運動が起こっているわけでございます。この分離修習の問題、法曹人の養成というのは、私から申し上げるまでもなしに司法研修所が所管をするわけでございますが、これの直接の担当部局は最高裁判所であります。最高裁判所に属する司法修習生の養成制度について法務大臣が、そして総理までが発言されるというところに、やはり私は政治の司法への干渉という印象を国民が持つのも避けられないのではないか。特に法治国として法律秩序を重んじ、三権分立をたてまえとする日本政治の立場からいたしまして、在野法曹あるいは最高裁、いわゆる法曹三分野の中の他の二分野との相談なしに、御協議なしに、司法の根幹に触れるいわゆる人の養成に関する問題を御発言になったということについては、やはり私は問題にせざるを得ないという感じがするわけでございまして、この分離修習制度についていかがお考えになるかということをこの席でお尋ねいたしますが、質問にお答えいただく前に、もう少しこの司法と政治の交錯についてお尋ねを続けたいと思います。  それは、最近、前駐米大使の下田さんを最高裁判所の判事に御任命になりました。私は、下田判事は人間としてきわめて見識のあるりっぱな方だ、まだ気骨のある方だと心から尊敬をする一人でございますし、下田判事が最高裁裁判官に御就任になったときの記者会見での御発言等はきわめてりっぱなものではございます。また私は、最高裁判所の十五人の裁判官の一人に、日本の国際的な地位あるいは最高裁に持ち込まれる法律案件の性質等を考えました場合、国際的な視野を持ち、また国際的な知識を有され、また国際法、国際条約に詳しい方が任命されるということに異存はございません。しかしこの時期に、そしてまたきわめて政治的の発言という問題から社会的な政治的な論議を呼んだ方をこの時期に御採用になる、幾ら人事の佐藤といわれる総理でありましても、ちょっと私はタイミングとして適切を欠いたのではないか。私は、三権分立という立場からいたしました場合、裁判所が独自の立場で、いわゆる憲法と法律に従った正しい裁判をなさるということもきわめて大切でございますけれども、国民の立場から見て、政治の干渉を許さない、総理といえども最高裁判所はどうにもできない――事実といたしまして、国権の最高機関国会である、その代表をするのは衆議院の議長であるといわれながら、いまの船田衆議院議長にいたしましても、もし新聞の報ずるところが正しいといたしますならば、総裁である佐藤総理のもとで副総裁をやることに意欲を持っておられるというような報道もございます。まして、また三権分立の一つであります最高裁十五人の裁判官の中で、十二名までが佐藤総理政府を組織されて以来任命にかかる方々でございます。また最高裁長官自身、やはり総理内閣の指名に基づいて天皇が任命されているわけでございます。私は、これは憲法上のたてまえでございますから、それに異論を申し上げるわけではございませんけれども、いわゆる政治があるいは政府が人事的にあるいは予算的に支配をするという印象を国民に与えるということは、三権分立のたてまえからいたしましても、民主主義の基本を守るという立場からいたしましても、きわめて不幸なできごとではないかと感ずるわけでございます。  特に最近の西郷前法務大臣の問題がございます。これはすでにこの予算委員会でも論議の対象にはなりましたけれども、あの西郷前法務大臣にまつわる事件が国会の議員会館で行なわれたということにおきまして、国会もまた被害者の一人であるという見方ができるかもしれません。しかし、それよりも私は、国民の立場から見まして法の権威、検察への信頼というものをそこなった損失はきわめて大きいのではないか。ことに全国の千八百人の検察官に与えた心理的な影響というのは無視できないのではないか、人事の佐藤佐藤総理もこの点については大きなミスをなさったのではないか、すでに不明をお恥じにはなりましたけれども、私は指摘をせざるを得ない感じがいたします。  とりあえずここで、先ほど申しました法曹人養成の分離修習の問題につきまして、法務大臣の御発言をいまも総理は支持されるのか、総理と法務大臣、法曹界に与える影響が大きいだけに、この祭はっきりしていただきたいと思います。
  69. 小林武治

    ○小林国務大臣 司法研修制度、こういうものはいまの司法制度の根幹として非常に重要な機能を持っておることはお話しのとおりでありまするが、戦後二十五年たちまして、いろいろの制度について再検討期にきておる、こういうことはもうおわかりのことと思うのであります。ことにこの問題の出発が法曹一元化という観念のもとに出発したことは御承知のとおりでありますが、法曹一元化の根幹をなすものは何か、こういうことになりますれば、アメリカでもイギリスでも例がありまするように、弁護士の経験を相当に積んだ者がいわゆる判事になって、そして適正な判決、裁判をする、こういうところにあるのでありますが、この制度が始まってからいわゆる司法修習生出身の弁護士各位が裁判官にかわったという者はほとんど毎年一人かあるいはよくあっても二人と、こういう状態でありまして、いわゆる司法一元化というものは実質的に日本では実現しておらない、こういうのが実情であります。  私は、そういう観念のもとに出発したこの制度が、いつまでもいまのように実際的に一つも効用を発揮しておらぬ、こういう事態においては再検討すべきであろう、こういうふうに思いまするし、特に御承知のように最近においては判事、検事の志願者が毎年減少をしてきておりまして、われわれの検事におきましても百名余の欠員がある、判事においてもとにかくいまでも七、八十名の欠員がある、こういう状態におきましては、やはり私どもは研修制度に何か欠陥があるのじゃないか、こういうことも考えざるを得ないと思うのでございまして、さようなわけでこれを分離するのも一つの方法ではないかということで私は発言しておるのでありまして、このことにいま結論を持っておる、こういうわけではありません。この修習制度を改めるにはどういう方法があるか、あらゆる方面からの御意見を承ってひとつ結論を持っていきたいと思っておりますが、何ぶんにもこれは大問題でありますから軽々に解決する問題でない、また時間をそう急ぐべき問題でもない、かように考えておるのでありまして、いま申したのも一つの方法ではないかということに相なっておるのであります。
  70. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 私も小林君と同じ考え方を持っております。――ただそれだけでは済まないようですが、とにかく三権分立ということについてはもうはっきりしておりますから、お互いに介入し合わないようにそういうことは慎まなければならない、しかして私どもが最高裁判事を任命するとかあるいはまた最高裁長官の認証手続等をいかにするかとかあるいは判事の任命をいかにするかとか、これらは皆さん方がおきめになった、国会でおきめになったその手続によりまして私どもが行なうのでありまして、そこらには別に介入云々の問題はないように私は思っております。過日の質問におきましても、青法協に入っているというそれだけの理由で再任命をしない、そういうようなことはございませんと、はっきりお答えしたようなわけでございます。そこらには誤解のないように願います。  ことに、また、下田最高裁判事については、個人的にはりっぱな人だが、どうもタイミングが悪い、かように言われるのですけれども、私は、タイミングが悪いと言われることがやや理解ができない。とにかく、任命の時期が来た、さようにすれば、政府は所信どおりりっぱな人を任命する、これが当然のことだ。タイミングが悪かった、こう言われてはどうも批判が過ぎやしないか、かように思いますので……。
  71. 岡沢完治

    ○岡沢委員 いまの総理の御答弁、私はタイミングだけを言っておるのじゃない。タイミングが悪いことによって国民が、政府が最高裁の人事、これは単に最高裁の任命権が政府にあることは十分承知の上で、いわゆる政治の最高裁への支配まで、あるいは、特に政治的な発言の強かった人であるだけに、やはり国民の司法への信頼というものをそこなうおそれがあるという点を指摘したかったわけです。  先ほどの法務大臣の御答弁、まだ、分離修習の方針あるいは考え方一つの案であるという見識を御堅持のようでございます。私は、それが間違いだとは思いませんけれども、先ほど指摘いたしましたように、法曹養成というのは最高裁判所の所管の分野なんです。それを、最高裁に御相談もなしに、あるいはまた、法治国家として、在野法曹の存在を無視して正しい法の執行というものはあり得ないと思いますが、日弁連の意向も聞かないで、法相が軽々しく御発言になるというところに大きな問題があるんではないか。どうして最高裁判所あるいは在野法曹である日本弁護士連合会と十分に連絡をおとりになって――それは確かに、長所、短所、いずれの制度にもございます。私は、法曹一元――単に弁護士から裁判官になり手がない、あるいは修習生出身者が任官希望が少ないという点だけからこれをごらんになるのは、あまりにも近視眼的ではないか。これは待遇の問題等が大きな要素をなしていることは、法務大臣も御承知のとおりでございます。私は、分離修習をもし実現なさる場合には、われわれの国会にお出しになる前に、最高裁判所及び日本弁護士連合会、いわゆる法曹三者で十分協議の上でなさるべきだと思いますが、その点についての法務大臣の御見解を簡単にお聞きした上で次の質問に移りたいと思います。
  72. 小林武治

    ○小林国務大臣 これは、いろいろの案を検討しておる際でございまして、それらの下相談と申しますか、下協議、こういうものは最高裁当局とも随時行なっておるのでありまして、お話しのように、ある程度のものが固まれば、これはむろん弁護士関係あるいは裁判所関係、こういうものにも十分ひとつ御協議を申し上げる、こういうつもりでおるのでありまして、これは、御承知のように、検事もこの修習制度に入っておる、こういうことでありますから、私がこういう問題を提起したということにつきまして、必ずしも妥当でない、こういうふうなことには私は承服しかねる、こういうふうに考えておりますが、お話しのような処置は今後いたします。
  73. 岡沢完治

    ○岡沢委員 それでは、きょうの私の中心的な質問の一つであります三つの戦争の、公害に関連する、特にその中でも無過失賠償責任の問題を中心にお尋ねをいたしたいと思います。  当委員会における松野質問にもございました。与党を代表しての松野委員も、無過失賠償責任制度の立法化がなくしては公害立法は仕上げにならないという御趣旨からの御質問もございました。私は、被害者の救済ということを考えましても、また、一般予防、公害防止についての企業責任をあらかじめチェックするという意味におきましても、無過失賠償責任制度の確立なくしてほんとう意味での公害行政は、公害政治は、あるいは公害征伐はあり得ないと考えるわけでございます。四つの裁判、いずれを見ましても、被害者は、公害によって命を奪われ、あるいはからだの自由を奪われた不幸な一般市民であります。いわゆる加害者と申しますか、裁判の被告という立場に立つのは、ある場合はチッソであり、ある場合は昭電であり、ある場合は三菱であり、いわゆる被害者とは比較にならない、資力におきましても、また資料の収集におきましても、あるいはまた能力におきましても、全く対等を欠くの立場の、しかも弱い者が挙証責任を負い、そうしてまた、故意過失を立証する責任を負う、これは私はどう考えましても無理をしいるものではないか。  私自身は、弁護士になりましたときに、高利貸しと暴力団というものは注意をするように、これは強い者に対して弱くて、弱い者に対して強いということばを聞いた記憶がございます。いまの政府姿勢、まさに強い企業に対してはきわめて弱い立場で、これはもう当委員会でも何回も指摘されました。逆に弱い被害者に対しては、法のもとでむしろ彼らの救済を阻害しているのではないかと感ぜざるを得ないわけでございまして、もし無過失賠償責任が、この委員会あるいは前国会で御答弁になりましたように、法理論的にそれが不可能であるというなら、その根拠を示していただきたい。私は、憲法上からも法理論上からも、無過失賠償責任制度の立法化が不可能という感じはいたしません。御答弁を求めます。
  74. 小林武治

    ○小林国務大臣 これは前国会でもお答え申し上げましたが、もういまの社会生活あるいは経済生活、これらにおいて落ち度のないところに責任がない、こういうことはもう御承知のとおり世界共通また長い間行なわれてきた大原則であります。したがって、私は、前国会におきましても、これらの大原則について、公害を一括して包括的な規定をする、こういうようなことは非常なむずかしいことである、したがって、私は、企業そのものが非常な高度の危険性を持っておる、また公害の態様が深刻である、こういうような個々のものについてひとつこれらを考える必要があろう、こういうふうな答弁を申し上げておいたのでありまするが、これはお話がありまするが、やはりこの原則に対する例外中の例外として慎重に取り扱うことが、私は全体の法秩序の上からきわめて大事なことである、かようにいまも考えておりまして、今回の国会で山中長官からも、個々の問題についてひとつ検討をしておる、こういうようなお答えを申し上げましたが、われわれの考え方はさようであるということをあらためて申し上げておきます。
  75. 岡沢完治

    ○岡沢委員 いまの法務大臣の御答弁は、聞けば簡単に聞き流しそうです。しかし、過失責任主義というのは、十九世紀市民法の原則です。これは自由競争あるいは所有権絶対、あとで土地公害に関連いたしまして、所有権に関する価値観念の転換ということがきわめて必要なことを私、指摘したいと思いますけれども、同じように、故意過失主義というのは、これは十九世紀的な市民法の原則だと私は思うのです。われわれも、何も被害  のないのに企業に弁償せいと言っているわけじゃございません。また、企業は加害者でないということがはっきりしている場合に、企業責任を持てと言っているわけじゃございません。被害がある、加害者の企業もはっきりしている、この場合に、なぜその企業責任を持たすことが法理論的に不可能なのか、私はわからないわけです。教えていただきたい。法制局長官、御見解を求めます。
  76. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 御指名でございますが、むろんお教えするようなことができるわけはないと思いますけれども、ただいま法務大臣がおっしゃいましたように、この過失責任の原則というものが近代法を貫く一大原則であるということ、これはいまおっしゃったように、でき上がったのは十九世紀ということではありますけれども、なおわれわれの現代社会を律する基本原則であるということ、これをわれわれがその基本原則であることをやめて、無過失責任主義というものに原則を切りかえていこうというのならこれは別でございますが、そうではなくて、やはりそれはまだ時期が早い――時期が早いというか、まだわれわれは過失責任の原則のもとに生きていくのが原則であるというたてまえに立つといたしますとすれば、やはりその原則に対する例外というものは、この責任の範囲を明確にする必要があるというのは、これは法理の問題というよりも、むしろ論理上の問題であろうと思います。ただ、法理上の問題としてお話がございましたが、御承知のように、原子力損害の賠償に関する法律だとか鉱業法とか、現にわれわれは無過失損害賠償制度を取り入れた制度というものを現在持っておりますが、それから見ましても明らかでありますように、無過失損害賠償制度というものが法理上成り立たないというようなことはむろんございませんし、そういうことを政府筋から申しているところは少しもございません。ただ申し上げたい点は、過失責任の原則のもとに、われわれがなおその原則のもとにわれわれの生活を律していく以上は、その原則に対する例外というものはやはり明確な範囲のものでなければなるまいというのがるる申し上げているところでございます。したがって、その原則に対する例外としての範囲をいかに限定していくか、それがいまこの公害関係で無過失賠償責任制度を取り入れろという世論にもこたえることを考えながら、現に大いに検討しているところでございまして、一切そういうものはこの際目をつぶってやらないというわけではないということを、前々から申し上げておるところではございますが、重ねて申し上げたいと思います。
  77. 岡沢完治

    ○岡沢委員 いまの法制局長官の御答弁ではっきりいたしたわけでございますけれども、法理論的には無過失賠償責任はできないことはないということははっきりしておるわけです。ただ政策的な意味で結局無過失賠償責任制度はとりたくない。これ結局企業保護といわざるを得ないと私は思うのです。なぜかというならば、法律のために、あるいは市民法のために、民法の十九世紀的な原則のためにわれわれは政治をやっているわけではなし、法律のために人間があるわけではない。われわれはお互いに健康で文化的な生活が日本国民に確保されるように法律をつくり、政治を行なう義務があるし、その使命を受けておると思うのです。イギリスのことわざにも、男を女に、女を男にする以外は国会は何でもできる。ましてこの無過失賠償責任、われわれ野党がすでに前国会で、ここに、事業活動に伴って人の健康等に係る公害を生じさせた事業者の無過失損害賠償責任に関する法律案というのを出しているわけなんです。もしこの法律案に法理論的に瑕疵があるなら御指摘いただきたい。りっぱに法案として私は成り立つと思うのです。ただやる意思が政府にはないという、だけではございませんか。山中総務長官の御見解を聞きます。
  78. 山中貞則

    ○山中国務大臣 ただいま法務大臣から答弁がございましたように、法務省当局のほうの専門家の立場においては、たいへん原則論からいってむずかしい、すなわち公害に限ってのみ特定の分野として無過失賠償責任の特別法を制定することに困難があるという主張を繰り返しておられるわけであります。私は専門家ではありませんが、しかし政治というものは現実に対応し、そして人がつくって人が運用するのが法律であるということを考える場合に、今日の日本が不幸にして公害の事態の中において被害者を生じておる実態に目をつぶることは許されない。担当大臣としてそのように考えますので、したがって、総理の検討するという方針を受けて、私自身の公害担当大臣として所管する各種公害の取り締まり法規そのものの中で、先ほど法制局長官も申しました原子力損害賠償にかかる無過失責任の問題、あるいは鉱業法に関する無過失責任の問題等に準ずべき法制はないのか、その次に位し、なじむべきものはないのか、あるいはさらにそれらの各種規制法を横断し、公害の現象を起こした物質というものを指定して、それにかかる公害は無過失もしくは挙証責任転換するという、横断する法律はつくれないか、これを私としては今日の実情というものをすみやかに克服する、すなわち政治問題として提起されるような公害現象を今後起こさない、しかし万が一不幸にしてそのような事態が起こったときには、少なくとも法制上において、政治の名において、それらの人々はまず一義的に自分たちがそれを賠償を要求する際に責任を負わなければならないという体制からはせめて解放しなければならない、というのが私の信念でございます。したがってそれに向かって作業をいたしておるということを繰り返し申し上げておる次第でございます。
  79. 岡沢完治

    ○岡沢委員 山中長官の御答弁を私は非常に前向きだと思います。ただことばだけで、しかし、前の国会の場合も法案が整備すればということで半年ほど開会がおくれたわけですね。そのときにも間に合わなかった。佐藤総理自身が昨年の九月の一日国会で、無過失賠償責任制度を検討するということを言明になっておる。ところがその後は、むしろ後退的な姿勢政府は臨時国会を通じ、今度の予算委員会を通じて示しておられる。法務大臣も聞いておられたと思いますけれども、法制局長官の御見解で、無過失賠償責任制度を立法化することは法理論的には問題はないということははっきりしているわけです。結局政府政策的にこれをおとりにならないということだけではないか。いまの山中長官の御発言によりましても、被害者があるのを放置できない。政治家の良心として私はおっしゃったと思うのです。ここに坂田文部大臣がおられますが、水俣病は坂田文部大臣の御出身の熊本の大きな公害の典型的な被害現象でございます。ここに「苦海浄土 わが水俣病」という石牟礼道子さんの書物がございます。坂田文部大臣は十二年前の三十四年に、国会を代表して、そのお一人として、地元出身議員としてこの水俣病の現地視察をなさったはずであります。厚生大臣もなさいました。十二年前にこの水俣病はすでに国会で論議をされながら、その救済は一切いまだにされていないではございませんか。水俣病が発生したのは昭和二十八、九年であります。十六、七年も経過しておる。これに対して国家としてはほとんど救済措置がなされていないということを考えました場合、お互いに政治家としてあるいは立法機関の一人として、このまま弱い者いじめを通すということがほんとうに許されるのかどうか。私は、単に政策的な企業保護の立場をじょうずに市民法の原理からカバーしようとされている法務大臣の、あるいは政府姿勢というものを憤らざるを得ないわけでございますが、重ねて法務大臣の見解を聞きます。
  80. 高辻正巳

    ○高辻政府委員 先ほど申し上げました点につきましてちょっと補足させていただきます。  ただいまも私の答弁に関連して御発言がございました。法理的にできないものではないということはよろしゅうございます。それは先ほど申し上げましたように、原子力損害の賠償に関する法律とかあるいは鉱業法とか、そういうものを見ればわかりますように、法理論上できないことではない。しかし先ほどもるる申し上げておりますように、過失責任の原則を無過失責任の原則に切りかえていこうというのであれば、これは話は別です。別ですが、過失責任の原則の上に立ちつつ無過失賠償責任制度を導入しようということになりますと、原則に対する例外というものを明確にするというのは法制上の要請でございます。そこでその要請にこたえるべくいかにしたらよろしいかというのが当面している具体的な問題でございまして、政策的にこれを、本来はどうにでもやれるものをやらないというのではございませんから、法制上の要請としてそういう点は考慮をしなければならぬということだけをつけ加えさせていただきます。はっきりさせていただきます。先ほども申し上げたつもりではございますが。
  81. 岡沢完治

    ○岡沢委員 いまの法制局長官の御答弁は非常に、私は三百代言――ということばは使いたくありませんが――の御答弁としかいえない。十九世紀市民法の原理、先ほど申しました自由競争あるいは所有権絶対あるいは過失責任主義、これは十九世紀の法律なんです。法原理なんです。ところが公害というのは新しい二十世紀の、しかも最近の大きな課題なんです。立法はそれに対して対応して法概念も法理念も変化していって当然なんです。そうでなければ、一世紀前の法理論に固執して国民が、あるいは人間が没却されて、法は残ったけれども人間は死滅するということはあり得ると思うのです。やはり法律は国民の、あるいは人類の生命、健康、財産を守るというたてまえからいたしました場合、私は当然法律の発想転換があってしかるべきだと思う。われわれも、市民法の原理一切を無過失賠償責任制度にせよというわけじゃございません。公害のような特殊なあるいはまた当事者間の格差のはっきりしている、弱い者を助けるという立場からいたしました場合、公害に限って――われわれだって、すべての市民法の原理を、過失責任を放棄せよというわけじゃございません。われわれの出しました法案には、はっきりと「事業活動に伴って」と、企業の立場を限定しているわけでございます。あるいはまた、中身の中心は三条でございますけれども、条文を見ていただきましたらわかります。全部の発想転換をしようというわけじゃございません。公害の被害者のあまりにもむごい実態、あるいは実際の裁判の経過を見ましても、三年、四年たちましても一審の判決も出ない。最高裁自身が、法務委員会における御答弁で、挙証責任転換と、無理な法理論を立ててまでこの被害者を救おうとなさっている。これは法律の不備を、裁判官の良心から、法の解釈を拡大して救済しようという努力をなさっておる。むしろわれわれの怠慢のために裁判官を苦しめているというのが公害裁判の実態ではございませんか。そういたしました場合、無過失賠償責任は法理論的に可能だということをお認めになって、それを採用されないというのは、私は政策的あるいは企業保護の立場からだといわざるを得ないわけでございますけれども、総理の御見解を聞きます。(「法制局長官の言ったとおりだよ」と呼ぶ者あり)
  82. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 ただいま、法制局長官の言ったとおりだと、こう答えればいいという不規則発言がございますが、私は相手としてただいまの不規則発言を取り上げるわけではございません。しかしいまの岡沢君のお話にしても、十九世紀、十九世紀と言われるけれども、その時代にできた法律論にしろ、これはやはりいまもなおその原則が貫かれておる、その原則の例外をつくろうというのだから、ここにむずかしさがあるのだ、こういうことを実は申しておるのです。いまそれは直ちにむずかしいというから企業者保護だ、こういうのはどうも論理的飛躍があるのじゃないか。どうも明敏なる質問者のお考えとしても、それはよほど飛躍がある、かように私思います。とにかく政府としてこれと取り組まないというのじゃございません。それは先ほど総務長官が言っているように、前向きの姿勢でこれを検討しておる、これはもうはっきりしております。また私自身も昨年一日内閣でこの問題にも触れております。さような方向でありますが、どうすればこの大原則に対して特別な規定を設けることができて、そうして非常な拡張解釈にならないような方法ができるかできないか、そこらに実は問題があるのです。そこまでは私のようなしろうとでも言い得ることです。岡沢君もこれが大原則の例外である、それはお認めだろうと思います。やはり例外というものは限定されることが当然のことだ、かように私思いますので、そこらをもう少し私どもの言い分も聞いていただきたいと思います。
  83. 岡沢完治

    ○岡沢委員 総理は私に論理の飛躍があるとおっしゃいました。私は政府姿勢に矛盾がある。山中長官のように良心的な、あるいは公害に身をもって奔走される方もあります。また総理もときどきはそうおっしゃる。たてまえは、総論は賛成、実際の具体的な点になると企業を保護して被害者を忘れられる。非常に言いにくいことでありますけれども、私が言うのではなしに、自民党のきわめて有能な少壮代議士と私も個人的には尊敬しています河野洋平君が、いまの自民党は官僚、財界と結託した利益集団だ、政治資金の九〇%を財界から野付でまかない、部下の官僚を使って利益を還元する、公共の利益なんて二の次、これが国民政党か、ということをある大新聞に堂々と御発表になっておる。私はこの本質がはしなくもこの無過失賠償責任制度に対する政府姿勢にあらわれているのじゃないか。たてまえは、これは公害基本法から産業との調和を除かれた。しかし実際は利益集団としての財界に気がねをした具体的な立法しか出されない。私はここに公害問題の本質があると考えるわけでございますけれども、重ねて総理の見解を聞きます。
  84. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 具体的な例をひっさげて政府に重ねてお尋ねでございます。  私が先ほど来お話し申し上げたこと、それが特別に産業界と結託しているとかあるいは産業界擁護、企業者保護、そういう立場でものを言ってないことは、これは賢明な国民が判断されると思います。私、いままでも公害被害者について心から御同情申し上げております。これはよくおわかりいただけると思います。それらの方々を救済する方法について、なお政府としては十分考えなければならない、かように思っておりますが、それが直ちに無過失賠償責任論になるかあるいは挙証責任の問題になるか、そこらの問題もずいぶんかみ合った問題だろうと思います。とにかく救済ということとただいまのような法理論、これをごっちゃにはしない、これは私どもの考え方でもあります。
  85. 岡沢完治

    ○岡沢委員 この問題はもう少し詰めたいわけでございますけれども、質問をしたい中身がまだたくさんございますので、公害対策としてもう一点。  私は公害が、いわゆる公害戦争といわれるたてまえをとりますならば、戦争に勝つためには最も必要なのはやはり第一線の部隊でございます。日本政府公害対策、有能な山中長官という陸軍大臣はおられる。そしてまたアメリカのトレインさんと討議をされる。国際的な統合参謀本部はあるようでございますけれども、第一線の部隊がゼロじゃございませんか。また第一線の部隊に対する武器弾薬は全くゼロにひとしいじゃございませんか。市民公害の被害者として一番先にかけ込むのは市町村であります。その市町村に行った場合に、権限がない、財源がない、人がない、人があっても立ち入り権限がない、基準がまだきまっていない、またそれを調査する能力がない。こういうことでほんとう公害を撲滅する見通し、可能性を持っておられるのかどうか。公害戦争にお勝ちになる自信があるのかどうか。私は、いわゆる法律はできたけれども、それに対する政令、省令の準備程度をお聞かせいただき、そしてまた地方自治体への権限、財源の委譲について具体的な御答弁をいただきたいと思います。
  86. 山中貞則

    ○山中国務大臣 政令、省令等につきましては、ただいま各省それぞれの所管の法律の内容について、それぞれの専門家が集まって具体的な検討をいたしております。これは先国会でも、法律を出したら同時に政令も一緒に出せという御要望もございました。審議する側としては当然の御要求だとも思ったのでありますが、これはまた御承知のことでもありますが、法律が公布された後、それに伴って具体的な政令を施行の日までに定めるたてまえになっておりまするし、それらの手続を踏んでおるにすぎませんが、それに対してただいま鋭意検討中でございまして、おそらく二、三カ月のうちにそれらの政令案が次々と閣議決定されていくものと考えておる次第でございます。  さらに予算の地方に対する権限委譲に伴う問題については、これまでもいろいろと御答弁を申し上げてまいりましたけれども、それぞれの各省の公害行政について、財投も含め、場合によっては地方の職員の研修制度等も念頭に置いて、新しい公害研究所設立等にそれを反映させるつもりでおるわけでありますけれども、予算についても、たとえば公害罪の法案の審議過程において、法務大臣より法務委員会において公害監視官制度を設けるというような御言明等を受けまして、私のほうで担当大臣として予算の検討をいたしました際に、厚生省の予算の中で、都市型保健所といわれるところに三十三名、三十三名、三十三名という三カ年計画でそれを充足するいわゆる公害専任職員というものの制度がございましたので、ひとまずは大幅な地方への権限委譲をいたしましたので、これらに対しまして新しい角度から今回は五十七名、それを予算で大蔵省と相談して増員をいたしまして、都市型の保健所に全員配置するとともに、さらに新しい三カ年計画をもって五十七名、五十七名、五十八名というふうに全国の相当な一おそらく予想される公害に関係する地方の保健所には、漏れなく公害専門の監視員という名称を持ったすべての法律の立ち入り権限を備えた職員が配置できるように考えておる次第でございます。  なお、権限委譲に伴って今後地方においては環境基準の上乗せ基準の設定とか、その他の都道府県、市町村の事務がだいぶふえますので、それに対する補助については、調査費についても上乗せ基準等の調査をする場合の予算も計上いたしておりまするし、それぞれの個別の規制に要する監視機器、観測機器等についても補助をすることにいたしておりますが、先般も答弁いたしましたとおり、各種の公害防止事業に伴う補助については、この機器の補助も含めて、国の姿勢としての特別の補助の特例法を今国会に提出いたすつもりでございます。
  87. 岡沢完治

    ○岡沢委員 時間の関係で次の質問に移りますけれども、この国会でも何回か指摘されましたように、法律をつくっただけ、役所をつくっただけでは公害対策にはなっても撲滅にはならないということを、ぜひ私は政府としても真剣にお考えいただきたい。総論賛成、各論では具体的に公害対策、きめこまかい配慮がなされないというのでは、私はことばだけの政府姿勢に終わってしまうのではないか。篠原一という東大の教授がおられますが、一月の「ジャーナル」という雑誌で、佐藤総理自分の行なわないことだけを施政方針演説で言われるんじゃないか、というようなことを指摘しておりました。私はそこまでは思いませんけれども、ほんとうにたてまえだけ国民のほうを向いて実際は企業の側に立たれるという、この河野議員の指摘がほんとうでないように、私は野党でございますけれども、国民の立場からお願いをして、次の質問に移ります。  次は、私、みずから大戦争と名づけております交通戦争についてでございます。私は公害の被害を決して小さいというわけではございませんが、公害によって昨年の二月から十二月まで、いわゆる公害病患者の救済措置が施行されて以後、公害による死亡者は厚生省の御発表によりましても全国で二十一名でございます。水質汚濁関係で熊本の水俣病が一名、イタイイタイ病、新潟でございますが、二名、そして大気汚染関係で川崎の六名、四日市の十二名。ところが交通事故による被害者、これは全くけた違いでございます。ここ三年来毎年史上最高を更新しているわけでございますけれども、私はこの際総理にお尋ねをしたいのですが、一万六千七百六十五名という数字がありますが、これはどういう数字か御存じでございますか。
  88. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 交通事故の死傷者です。死者の数です。
  89. 岡沢完治

    ○岡沢委員 山中長官の援助がありましたからようやく御理解があったようですが、死傷者だとおっしゃいましたが、死者です、これは。一万六千七百六十五名、昨年一年間の交通事故による死亡者であります。しかしこれは二十四時間以内の死亡者でございますから、実際上は大体の推計からいたしますとその二割増し、二万人交通事故によって一年間に日本人の貴重な命が失われているわけであります。負傷者は百万であります。これはもう一年間に日露戦争の全戦死傷者よりも多い。ベトナムにおける一九六八年のアメリカの死傷者よりも多い。この戦争が毎年、毎日繰り返されている。私がこうして二時間与えられて質問させていただいておる間にも四名ぐらいが大体交通事故で死亡しておられる。一週間に百名の交通遺児が生まれておる、交通未亡人が生まれておるということを考えました場合、私はこの交通事故の防止対策というのは公害の陰に隠れてここ一、二年はちょっと忘れられた感じでございますが、きわめて大事な社会問題ではないかと考えるわけでございます。この交通事故防止の責任者もやはり山中長官でございますけれども、今国会に新しく警察庁あるいは建設省の所管で、事故を五年間に二分の一になくしたいという意欲的な施策を織り込んだ御計画もあるようでございますけれども、この事故防止についての長官としての見通しあるいは対策をお尋ねいたします。
  90. 山中貞則

    ○山中国務大臣 今日の平和な日本で戦争という名を冠しても異様に感じないのはやはり交通戦争であろう、私どももさように考えます。しかもこれは道路を建設すればするほど、舗装率が伸びれば伸びるほど、便利になれば便利になるほど、すなわち車をみんなが持つようになればなるほど事故というものがふえる可能性のあることを否定できませんし、そこで、私たちはこの交通戦争というものを平和な日本からどうしても駆逐しなければならないということで、さしあたり昨年から昭和五十年までに交通事故による歩行者の死者を半減したい、半分まで持ち込みたいという悲願を立てたわけであります。数は絶対数において若干ふえておりますが、全体の死者に占める割合から申しますと、昭和四十年度三三%台でありましたものが逐年増加し、三四、三五、ことしはその趨勢値でいきますならば、昭和四十四年においても三六%に達するのではないかと思われておりましたが、幸いにして昨年からの努力がある程度国民各位の協力、自覚を得て、〇・四%ほど率においては下がりました。私どもは力を得てさらに一段と、アメリカ等においても死者を減らすことに成功しつつあるようでありますし、全力を傾けていかなければならぬと考えるわけであります。今日まで道路をつくりまする場合に、政府全体の施策として申すわけでございますが、道路の建設、舗装率そのものだけを問題にいたしてまいりました。しかしながらやはりこれを年次計画を立てて道路の五カ年計画に対応するものとして、安全施設の五カ年計画というものが対応させられるべきであろうということで、一年おくれではありますけれども、新道路五カ年計画に一年おくれて道路の安全施設に関する五カ年計画を予算でセットいたしました。さらに警察庁の交通安全の施設に関するもろもろの諸施設の予算についても、今年度を初年度として、今日までの緊急三カ年計画の三年度を初年度として、同じく道路の安全施設五カ年計画にあわせて、四十七年度からはその計画も道路の計画の中に一本化して執行していくように、予算化していくようになる一いまその準備を進めておるところでございます。さらに運輸省のほうで踏切道の事故僕滅の十カ年画を立てておられましたが、これもやはり踏切道を改良するための五カ年計画で足並みをそろえていただきまして、この三者足並みをそろえていくことによって、私たちとしてはまずこの交通戦争の一番危険な問題点について挑戦をしていきたい、こう考えておるわけであります。  しかし反面、そのような高速道路その他が完備すればするほど、日本における交通事故の実態が、最近まで日本においては五〇%近いものが歩行者に対する凶器としての自動車の加害者たる立場を証明しておりました。しかしながら最近では、よくいわれます走る棺おけとしての状態、すなわち車対車の事故あるいは車自身のみの事故による死傷者がウナギ登りにふえつつございまして、今日ではもう自動車対歩行者の死傷者数の比率とほぼ同じくらいのところに、三十数%まで自動車自身の事故による死傷者がふえてまいりました。このことは私どもの交通事故による死傷者を少なくしたい、全体的なそういう悲願に対しては、たいへん暗い数字を示しておるものと思っております。しかしその中でも私たちがまず一番に心がけなければならないことは、冒頭に申しましたとおり最も弱い立場にある歩行者、しかもその中で老人や子供の事故の比率というもの、圧倒的にこれを撲滅するための重点を置いていかなければならないと考えて、諸施策を関係各省と連絡をとりつつ私の本部において推進しておるところでございます。
  91. 岡沢完治

    ○岡沢委員 山中長官の意欲は買いますけれども、現実には御承知のとおり昭和三十五年の事故を一〇〇といたしました場合、昭和四十五年は四二〇、四・二倍の死傷者を出しているわけですね。私は、理想だけではこういう問題は解決しない。いま御指摘のありました道路交通管理施設等整備五カ年計画、これについて具体的な施策の裏づけ、金の裏づけがなければ、実際は五カ年に死傷者を半減するという目標は達せられないと感ずるわけでございます。新聞の報ずるところによりますと、この五カ年で三千七百億を使って意欲的に事故を半減したいという警察庁、建設省の御希望に対して、大蔵省はかなり渋い態度で臨まれた。大蔵大臣、この交通事故防止対策、私は国民の生命と健康を守るのが政治の最低限の目標だということを考えました場合、ほかのたとえば一機五十億近くもする防衛庁予算をお認めになるならば、五年間に三千七百億、それで死傷者が半減できるとなれば、非常に安い投資と申しますか、国民のためにはありがたい税金の使い方だと思うわけでございますが、この三千七百億の五カ年の防止計画についてどうして大蔵省はかなり渋いお態度でお臨みになるのか、この点のいきさつを聞きたいと思います。
  92. 根本龍太郎

    ○根本国務大臣 お答え申し上げます。  交通事故の発生原因は、道路整備をいたしましても、かえって多くなるという現象があることは、いま山中長官が言われたところでございます。しかしながら、何といたしましても、道路を、交通事故から人間を保護する施策は、十分にこれをやるということがまず第一にやらなきゃならないと思いまして、道路構造令をまず改正いたしました。従来は車道と歩道との区別が必ずしも十全でなかったことが多いのです。特に都市におきまして、歩道のない道路が非常に多くございました。そういうところにつきましては、面積の余裕のあるところは全面的に歩道をまずつくり、それからガードレールをつくることにいたしました。それから地方におきましては、従来国道についてはかなり車道、歩道の区別をつけていましたが、予算関係で伸び率だけを考えたために必ずしもこれは義務づけていない。これを全面的に車道と歩道をつけ加えました。それからもう一つは、立体交差ですね、立体交差については相当意欲的にこれをやっております。特に鉄道との交差地点、これはほとんど道路特会における負担を多くいたしまして、これを進めておる次第でございます。  なお、最近におきましては、地方が道路整備するほど交通事故が多いので、考え方としては、市町村道はむしろ車が入らないようにして保存しておくことが必要な部面も出てきたように感ずるのでございます。そういう点からして、いわゆる生活圏構想をつくりまして、車道、車が入ることによって便益が与えられるところと、むしろ人間と自転車等で整備したほうがいいところと区別してやるというふうに、かなりきめこまかくやっております。  それから、したがいまして、大蔵省の予算査定は、これで非常に十分だとは申しませんけれども、私のほうでは相当程度、大蔵省と話し合いの上、できましたので、これによって全部交通障害をなくするとはいえませんけれども、相当の改善をしたものとしてわれわれは評価している次第でございます。
  93. 岡沢完治

    ○岡沢委員 根本建設大臣、私は個人的には非常にお好きなタイプの政治家なので、反論をしたい気持ちはございませんが、おっしゃることと実際の現実の施策とはだいぶ違うようなんです。私のいま秘書をしております者が、八年間アメリカにおって、この間帰ってまいりました。日本とアメリカと、どこが一番違うかということを聞きました場合に、揺り歩道がない、アメリカでは考えられなてことだ。特にイギリスの場合は歩道がない道路というのは見当たらないようであります。私は、自分のほうから人権尊重をおっしゃり、人間尊重をおっしゃる、せめて人道、ヒューマニズムの立場から歩道だけは、これは佐藤内閣、ぜひ実現していただきたい。建設大臣も歩道のことをおっしゃいましたけれども、現実は、私の秘書が住宅に困っておりまして、公団なんかが新聞で募集をいたしましたりするとすぐ見に行くわけですけれども、いまつくっている道路にも歩道が全然ないということを具体的に指摘しております。おっしゃることと実際とはだいぶ違う。私はやはり遠慮なしに、こういう問題こそイデオロギーも党派もないわけでございますから、人間尊重の立場から大いに大蔵大臣のしりをたたいてもらいたいし、大蔵大臣もこたえてもらいたい。実際は歩道のない道路が現につくられつつある。過去の道路が歩道がないということにつきましては、必ずしもいまの責任だけとは私は思いません。しかし、新しくつくる道路にも、しかも公団に通ずる道路でもまだほとんど歩道ができてないという、実際はおっしゃることとだいぶ違うということを指摘申し上げたい。  それから、いまアメリカの話がございました。アメリカでは昨年死亡事故が急激に減ったということが報じられております。具体的には安全車の問題がきわめて大きな効果を奏したようでございます。まあ、お互いに交通事故をなくす、衝突をなくするということが一番いいわけですけれども、衝突をしても死傷者を出さない、そのためにいま安全ベルトの問題、安全まくらの問題、あるいはフロントガラスを首を突っ込んでもけがをしないようにするとか、あるいはハンドルをこわれやすいようにしてそれによって死傷を減らす、こういう点について運輸大臣お見えだと思いますけれども、いままでの運輸省の自動車行政というのはやはり生産本位に……(「運輸大臣は来ていない」と呼ぶ者あり)来てないですか、自動車局長でけっこうでございますが、自動車行政のたてまえ、生産よりもやっぱり安全第一主義ということが必要かと思いますが、その点について自動車局長からでもけっこうでございますが、お答えをいただきたいと思います。
  94. 野村一彦

    ○野村政府委員 お答えいたします。  自動車の安全につきましては、ただいま先生の御指摘のように、私ども道路運送車両法に基づく保安基準というものをつくりまして、これを実施いたしておるわけでございますが、この保安基準の中にはだんだん交通状況の進展とともに時代に合わないものもございますので、毎年見直しをいたしまして、改正をいたしております。昨年末にもブレーキを二重ブレーキにする、あるいはタイヤの規制の問題等について改正をいたしました。  さらに、抜本的な問題といたしましては、現在アメリカその他外国と比べまして、バス、トラックの安全規制は日本のほうがすぐれている点が多うございますが、乗用車の問題につきましては、必ずしも日本の現状で満足ではないということから、私どもとしましては運輸大臣の諮問機関でございます運輸技術審議会の自動車部会というものがございまして、そこにおきまして事故発生の防止の問題、それから衝突時における被害の軽減、それから歩行者の安全、こういう問題を柱といたしまして、基本的に安全ルール全般を見直したい、こういうことで、交通事情の変化に応じました安全ルールをつくっていくという方向で検討をしておるところでございます。
  95. 福田赳夫

    福田国務大臣 建設大臣からお答えがありましたので、私からお答えをいたしませんでしたが、たいへん建設的な御意見、傾聴いたしました。御期待に沿うように努力をいたしたいと存じます。
  96. 岡沢完治

    ○岡沢委員 まあ、政策はいかにりっぱであっても、金の裏づけがなければ実際は実現をしないわけですから、いまの大蔵大臣の御答弁、ぜひ実現をしていただきたいし、建設省あるいは警察庁の御要求にこたえてあげていただきたい。これは国民の立場からお願いをいたしておきます。  私は、交通事故を考えました場合、いままで車の面から、あるいは道路の面から論ぜられてきた場合が多いわけでございますけれども、やはり事故を起こすのは人でございます。で、運転者の問題を無視した、あるいは運転者の安全運転教育を無視した交通事故防止対策というのは大きな片手落ちだと考えるわけでございます。  いま日本には二千五百万をこえるドライバーがおります。このドライバーの養成を具体的にはどこがやっておるか、指定自動車教習所というのが全国に千二百余りございます。ここで年間二百万人以上の新しい運転者が生まれてくるわけでございます。ところが、この自動車教習所に対する政治姿勢――自動車教習所自体にも反省を要する点がございますが、いままでも何回か新聞等でもそのずさんさ、あるいは試験の合格本位の教育ということが論ぜられましたけれども、私は社会的に見ました場合、安全運転あるいは事故の防止というのが政治的なきわめて大きな課題であるということを考えました場合、指定自動車教習所の存在を無視した自動車行政はあり得ない。この指定自動車教習所に対する具体的な政治の保護助成というのはほとんどいままでなされていない。一昨昨日でしたか、社会党の原委員の質問の中にも出てまいりましたが、自動車教習所に対しましては中小企業近代化資金の融資の制度も全く対象からはずされておる、あるいは信用保証制度の対象からもはずされておる。具体的にはレジャー産業であるバーやキャバレー並みの扱いしかなされておらない。現実には二百万の卒業者といいますと、義務教育によって小中学校を毎年卒業する生徒の数よりも自動車教習所を出ていく運転者の数のほうが多いわけでございます。この自動車運転者に安全運転教育を徹底するということが、私は事故防止にとってきわめて大切な、しかも忘れられた部門ではないかと思うわけでございますけれども、これに対する保護助成あるいはまた自動車教習所に対して正しい意味での指導、育成という部門での改善策が政府の立場であってしかるべきだ。この点につきましては、自動車教習所というのは道路交通法の九十八条と九十九条、たった二条に規定されているだけなんです。道路交通法というのは御承知のとおり取り締まり法であります。取り締まりの対象として自動車教習所を見ているだけにすぎない。私は、これが国民教育的な立場で果たす役割りということを考えました場合、もう少し法的な位置づけあるいは社会的な使命にふさわしい保護助成というのも必要かと思いますが、これについての見解、国家公安委員長が主管だと思いますが、お尋ねをいたします。
  97. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 お答えを申し上げます。  大体自動車教習所については道交法上二カ条の規定があるだけ、御指摘のとおりであります。また、中小企業としての特別の扱いをしてないことも事実であります。そこで何とか独立立法でも考えたらばということは警察庁内でかつて検討したことはあるようでございますが、教習所の免許法とでもいうべきものを考えるといたしまして、企業の免許となれば助長行政の立場であって、警察の立場からはちょっとなじみにくいという結論になりまして、見合わせましたわけでございます。したがって、指定自動車教習所につきましては、その運転車養成に占める重要性にかんがみて、昨年の法改正によりまして、指定自動車教習所の目的が、「自動車の運転に関する教習の水準を高め、もって自動車の運転者の資質の向上を図る」にあることを明確にして、さらに道交法上の条文はわずかではございますが、政令及び総理府令によって相当詳細に規定して、現在までのところ、それによってその運営が適切に行なわれるようつとめているところであります。したがって、当面は現在の体系のもとで御指摘の点についても考慮しながら、指定自動車学校の着実な発展を期してまいる所存でございます。なお、立法的な検討はさらに進めてみたいと思います。
  98. 岡沢完治

    ○岡沢委員 通産大臣の御答弁を求めます。
  99. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 近代化促進法の指定業種ということになりますと、法律のたてまえから問題があろうかと実は思っておりますけれども、たとえば中小企業金融公庫、あるいは御指摘の信用保険の適用は行政の範囲内でもございますので、私は国家公安委員会とも相談もしながら考えてみていいことではないか、こう思っております。
  100. 岡沢完治

    ○岡沢委員 私は、この事故防止、車の面あるいは道路の面、安全施設の面、あるいは人の面で防止対策を多角的に検討すべきだということを指摘させていただきましたが、もう一つ、やはり人の面で免許の更新時の講習というのがほんとうに必要ではないか。十年、二十年前に免許証をとった人が、ただ三年ごとの目の検査だけで免許証の更新ができる。やはり法律も変わっております。高速道路という新しい運転技術を要する面も出てまいっております。私は運転者に、運転のじょうずな人になってもらうよりも、安全運転の社会交通人としての常識を備えてもらうことがきわめて必要だということを考えました場合、やはり三年ごとにされる更新時に、運転免許者に、法律につきましてあるいは安全知識について講習をするということは、ぜひ不可欠ではないかと感ずるわけでございますが、これについての所感を聞かしていただきますとともに、この交通安全教育と申しますか、これは先ほど申しました安全運転車の教育とは別に、一番私は手っとり早い交通事故防止のたてとして小中学校、いわゆる義務教育の段階で国民に安全教育を徹底するということはきわめて効果的で、しかも金はあまりかからない。私は、特に若い小中学生、一番長くこれから生きて交通人としてまた社会人としてこの交通戦争に向かう立場でありますだけに、この交通安全教育、それから免許更新時の教育、これは文部大臣と国家公安委員長、両方からお答えいただきたいと思います。
  101. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 お答えをいたします。  交通安全の教育というものを義務教育の段階からやるということは、全く私も同感でございます。したがいまして、義務教育の教科の中にもまた指導の時間を設けまして、実地訓練を通じまして交通規則を守る態度とかあるいは習慣を身につけて日常生活に処する、こういうことをやっておるわけでございますが、さらに警察あるいはPTAと協力いたしまして、通学道路における歩行や横断道路標識の見方等の集団登下校の安全確保の指導もいたしております。努力もいたしております。またスライド、映画などの教材を整備いたしまして、交通安全訓練施設、これは交通安全教育センターというものでございますが、これを各県に設置するなどのこともいたしております。しかし、自分たちが、子供が交通禍からみずからを守る、みずからの安全を守るということも大事でございますが、御指摘のとおりに、この子供たちがやがてはおとなになり、そしてドライバーとなるわけでございまして、やはりそういう子供たちが将来おとなになったときに十分この交通安全の、人に迷惑をかけたり、あるいは人を傷つけたりということのないような配慮が、道徳的な教育というものが行なわれなければならないと思うのでございます。  私、毎年大阪のあるテレビ会社ではございますが、交通安全の作文を募集して、何と申しますか、その賞状をあげておるわけでございます。その際にその子供たちと毎年会う機会がございます。いろいろ話を聞きますと、また作文にあらわれましたのを見ますると、かなり学校教育における安全教育というものは徹底しておるというふうに思います。先ほど山中長官からお話がございましたように、就学前の子供及び老人という方に非常に死傷者が多い。むしろ学齢以上の子供たちは少ないというデータも出ておるわけでございますが、その子供たちが言うには、われわれのほうはかなりやっておるんだけれども、おとなのほうが交通安全標識等を守らないんだということをよく聞くわけでございまして、やはり次の世代をになう青少年の義務教育段階における交通安全の教育ということには、一段と努力をしなければならないというふうに考えておる次第でございます。
  102. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 お答えいたします。  何と申しましても交通戦争に対処する基本は、一般的に教育であろうと思います。いま文部大臣がお話しのとおり、一般教養としての義務教育段階における教育の徹底ももちろん必要でございますし、運転免許証をとった者といたしましても、免許証更新時期に再教育をするということを義務づけることも、道交法の改正課題として検討したいと思います。
  103. 岡沢完治

    ○岡沢委員 時間の関係で次の質問に移りますけれども、その前に、この交通事故防止の問題は、先ほど指摘いたしましたように、三つの戦争の中でも一番大きな戦争だ。この間のある新聞の世論調査におきましても、家庭で夫を送り出す場合、百人のうちの九十人までが、きょうは交通事故にあわないだろうかという心配を持っておるという数字が出ているわけでございます。また、現に全国には三万人近い小中学校の交通遺児がおられます。これは、その八四%までが父親のない母子家庭でありますし、その四〇%がいわゆる生活保護、あるいはまた学校での保護を受けている、いわゆる貧困家庭でございます。この実態を見ました場合、公害の陰に隠れてこの交通事故防止対策というのが政治課題から消えていくということは、非常に大きな社会的な問題ではないか。幸いに山中長官は両方兼ねておられるわけでございますし、ある意味では交通公害政治公害ともいえるわけでございますから、ぜひこの問題に具体的なお金の裏づけも含めて対処してもらって、計画によりましたなら、五年間に事故を半減する、できれば交通事故のない日本をつくり上げるという努力をしてもらいたいと思うわけでございます。  次に、きょうの私の質問の中で最も重要だと考えております、いわゆる三つの戦争の最後の戦争でございますが、地価征伐、地価の高騰の問題についてお尋ねをいたしたいと思います。  地価は諸悪の根源だということがいわれます。物価問題と関連いたしましても、一番大きな物価高騰の根因をなしているという指摘もございます。私は地価問題――すでに政府としても何回かこの問題に取り組むために閣僚協議会を持たれたり、新しく示唆ある御発言はございました。しかし、現実には地価は昭和三十年以来十五年間に、大都市近郊に限りました場合、十四倍上がっているわけでございます。この地価の非常な高騰というのは、いわゆる経済合理性を越えた高騰であるだけに、むしろ佐藤総理に対して非常に言いにくいですが、佐藤政治の最大の失政ではないかと申し上げても間違いでないと思う。     〔委員長退席坪川委員長代理着席〕 結局、合理的に上がったのではなしに、政策の失敗が地価の高騰を来たしたと申し上げても決して過言ではない。実際は地価は上がる、持てばもうかるという制度を維持し続けられた。なぜかというと、まさか総理は地価を上げるために努力したとはおっしゃらない。しかし、現在の法律制度、税制というのは地価が上がるようにできているわけであります。いわゆる保有課税の問題がここ最近非常に大きく注目されておりますけれども、現実には土地を持っている者にとれば、売らないほうが確かにもうかる。早く売れば結局損をする。売り惜しみを助長するための法制としか、あるいは税制としか考えられない制度が現に日本に存在しているわけであります。これがいわゆる時価課税の問題とも結びついてまいりますし、あるいは農地の宅地並み課税という問題とも結びついてまいりますけれども、私は、この地価対策としてぜひ佐藤政府に、それこそ政治発想転換をしてもらいたい。私自身は、土地というものは商品ではない、投機の対象であってはならないと考えるわけであります。土地はつくれるものではありません。移動のできるものでもありません。特に狭い日本に一億の人口があるということを考えました場合、土地は共通の財産ではないか。先ほど来無過失賠償責任制度と結びつけまして、十九世紀的な市民法の原理が問題になりましたけれども、事土地に関する限り、所有権絶対の思想を堅持すべき時期は過ぎた。また、日本ではそれは許されない。むしろ土地は所有のためではなしに利用のためにある。利用をしないで所有をしておく、土地を放置して、そして値上がりを待つというのは社会悪だという考え方に立たなければ、この土地問題は征伐できないのではないかと考えるわけでございますが、基本姿勢について、総理、大蔵大臣の見解を聞きます。
  104. 根本龍太郎

    ○根本国務大臣 総理からお答えの前に、私が内閣で現在土地関係の担当をいたしておりまするので申し上げます。  なぜ日本だけにこのような特異な土地上昇の現象があるかということを客観的に見る必要があると思います。これは、まず第一に日本の土地制度にあります。御承知のように、戦後食糧不足を解決するために農地法を制定しました。この農地法が、御承知のように農地を原則として宅地、工場用地等に転換しないという拘束をいたしておったのであります。したがいまして、都市がどんどん開発されて公共用地に需要がふえたにもかかわらず、これが実質上禁止されたと同じような状況、これがまず一つの原因でございます。したがいまして、食糧増産その他の関係からして農地法の改正をすべきだということで、与党が幾たびか出しましたが、もう徹底的な野党の皆さんの抵抗でこれがずっとおくれてきました。  それからもう一つは、都市計画を実施する場合におきまして、従来制度上の欠陥がございました。いまの農地転換を一件一件ごとに処置しなければならない、こういう関係も大きく影響いたしましたので、それで新都市計画法をつくりまして、線引きをいたしまして、長期にわたって十年間の見通しの上に計画的にこれを宅地化あるいは公共用地にするということで、これも一つの善処を見ました。  それからもう一つ、戦後大きく影響したのが、電源開発等、社会資本の充実にあたりまして、これも非常にイデオロギー的な闘争がありました。一番最初にこの電源開発で非常に地価暴騰したのは、東電の只見川の開発です。これが一つです。それから土地収用をする場合にあたって、これは国家権力との戦いだ、独占資本との戦いだということで、物理的抵抗を慫慂した筋がずいぶん多いのです。その端的な例が現在成田に行なわれております。それから、土地収用法を改正することについて非常な抵抗があった。  それから、もう一つがいまの土地税制の問題です。これが農民保護の名において、実は市街地化した農民の固定資産税を増徴することについて長い間の抵抗がありました。  こういうものが累積したのでありまして、これをやり得なかったということで与党を責めるということは一つの理由があることですけれども、むしろそういうふうにできないようにしたところの勢力もたくさんあったということも、これは岡沢さん御存じのとおりなんです。  そこで、いま最後にあなたが言われた、土地は所有しなければ使えないという観念を変えるべきだ、そのとおりなんです。そこで、特に最近のような農業の転換期にあたりましては、私は土地を借りて長期の利用計画を立てて、地代は合理的にスライド制をもって補完していくということで、これを国民の合意のもとに公共事業あるいは私的産業のためにもそうした制度を利用する、こういうことをやるべきだと思うのです。  それから最後に、土地のこれについては、何と申しましても国民の合意がなければこれはできません。そこで、立法措置と同時に、与野党を通じての土地問題に対するもっと活発な、しかも顧みて他を言うことのなき、ほんとうの客観的な論争をいたしまして、国民の合意を得てこの重大な問題を解決してまいりたいと思う次第でございます。
  105. 岡沢完治

    ○岡沢委員 総理と大蔵大臣には、この問題についてはあとで率直な御見解を聞きますけれども、いまの根本建設大臣の、自民党三百三公害ということばがあるわけでございますが、三百三議席を持っておられて、しかも野党の抵抗で地価の高騰が押えられなかったという趣旨の御発言、それだけではございませんが、国民の同意が得られなかった、野党がおったからだ。しかし、私はこれは通らないのではないか。政府を持っておられ、過半数の議席をずっと維持してこられたのは残念ながら自民党、佐藤政府であります。その佐藤政府の、あるいは自民党の十五年間に十四倍も地価の高騰があったという事実を見ました場合、私はこれは顧みて他を言う御発言としか思えない。私は野党の一人でございますけれども、地価安定に役立つような政策であったら、私一人でも喜んで賛成のほうに回らしてもらう。私は地価の安定を望まない正しい国民はない。地価によってぼろもうけをする土地成金は別であります。そういう人人を自民党が代表されるなら別でありますけれども、ほんとう国民はマイホームを持ちたい。ささやかな願いだと思うのです。これが実現できないで何の政治だ、何の高度成長だと私は言い切ってもいいと思うのです。そういうことを考えました場合、この地価政策は、具体的にはほんとうに失敗。なぜかといえば、いまの大都市近郊の農民からいたしましたら、土地を売るほどばかなことはないわけです。ここに具体的な数字がございますけれども、大都市近郊では、田に関する坪当たりの評価額はたったの百九十三円、宅地は七万三千九百五十二円、三百八十三倍のこれは評価に差がございます。しかし、これは実際は、この評価額というのは固定資産の評価額で、実際の時価の二割といわれております。この大都市近郊の農地につきましては宅地並みの課税もされてない。むしろ固定資産税の評価額に対する課税もされてない。むしろこれは激変緩和とかいろんな名目をつけて非常に低い課税をされる。非常に持つのにはよろしい。ところが、これは持っておれば値段が上がることは確実なんで、だれもばかでない限りは土地を手放すはずはない。持ちやすくて値上がりを待つ、これが一番利潤にたけた国民としては当然の行き方だと思うのです。こういう制度をむしろ政府は助長しておられる。これは農民の立場に立ちました場合に、売って預金をしても、利息の値上がりよりもはるかに土地の騰貴は高いのですから、これは売るばかはおりません。逆にこの土地の高騰と物価の上昇のアンバランスあるいは利息等の関係からいたしますと、現在は大企業、大資本、こういう方々、これはほとんど銀行からの融資はわりと自由になる立場の方々であります。国民自分の家を持ちたい。苦労をして貯金をすると、その貯金を貸すほうに回る銀行は、預けた国民にはなかなか貸してくれない。しかし大企業に回す。その大企業は土地の高騰ということがはっきりしていますから、土地は上がるものだというのが過去二十年来の日本の実態でございますから、これは買いあさる。結局地価が高騰する。住宅を夢見て貯金をした国民が一番ばかを見る。ある記事もございましたけれども、国民が住宅のために貯金をするというのは、自転車で新幹線を追っかけているようなものだ、だんだんまじめに貯金をしておるほどばかを見ていく、絶対にこれはマイホームの夢は実現できないという諷刺がございました。事実そのとおりじゃございませんか。企業といたしましても、自分企業者であれば、これは利潤を得たい。いまの企業が銀行、金融機関から金を借りる利息よりもはるかに高い率で土地が上がっていく。これを買いあさる。実際にこの土地高騰の原因は、実需要よりも仮需要が大都市近郊では五割を占めるといわれておりますけれども、これが実態じゃございませんか。結局政府政策が逆に土地の高騰を来たしていると私は指摘しても間違いではないと感ずるわけでございます。当然私は宅地並みの課税あるいは時価課税、こういう方向に踏み切られるべきだと思うわけでございますけれども、総理と大蔵大臣の見解を聞きます。
  106. 福田赳夫

    福田国務大臣 土地政策に対しまする基本的姿勢、先ほどからお尋ねがあるわけですが、私は基本的には岡沢さんと同じような考えです。土地は他の商品と異なりまして生産することができない。いま私有財産制下ではございまするけれども、土地は、私は、私有財産というよりはもう国民財産だ、こういったほうが適当かとさえ思うのです。それをわれわれが信託を受けてめいめいがお預かりをしておるのだ、そのくらいの考え方を持って土地政策には臨まなければならぬじゃないかな、こういうふうに思うわけでありまして、とにかく土地問題についてはかなり思い切った考え方転換を必要とする、そういうふうな認識の上に立っておるわけです。個々の問題につきましてはそういう認識のもとに逐次政策を進めたい、こういうふうに思っておりますが、いま御指摘の固定資産税の問題、経過措置も設けておりますが、そういう方向を目ざしておるわけです。私は空閑地税とかあるいは未利用地税、つまり保有課税、これは何とかしてそういうものを実現をしたいというふうに考えてきたのですが、どうもいい考えがない。結局固定資産税に落ちつく。落ちつく以上は、これを岡沢さんの御指摘のような線に持っていかなければならぬというので、ことしは四十六年度は一歩を進めるわけでありまするが、まだ足りない点が多々あるかもしれません。そういう点は鋭意検討いたしまして、何とかして地価問題は全国民が納得するような方向で解決したい、かように考えております。
  107. 岡沢完治

    ○岡沢委員 いまの大蔵大臣の御答弁ですね、私はすなおに聞きたいのですけれども、ここ十年間上げ続いておるわけですね。大蔵大臣も初めてのおつとめじゃございません。これからとおっしゃっても、過去に何回もおっしゃりながら実際は騰貴に騰貴を続けておる。大体平均して毎年二〇%地価は騰貴しておるわけでございますね。これは実際問題として、そのおっしゃることと、具体的に三百三議席を持たれて、絶対の権力と申しますか、政治力をお持ちの大蔵大臣の御答弁とは少し――たてまえは御希望どおりであるが、実際には地価の騰貴は、それでも地価は上がっていくということから見ますと、これはやはり政策の失敗、ほんとう意味での地価安定についての大きな決断がなされていないんじゃないか。これは、総理ほんとうに地価を安定させる見通しがあるかどうか。国民に、まじめな国民に、自分の土地と家が持てるという希望を与えてもらいたい。地価征伐、せめてこれだけは任期中にやる、日中問題は総理が任期中にはむずかしいとおっしゃいましたが、これは相手のあることなんでわからぬこともないような気がしますが、地価対策は、これだけの総理できないはずはない。思い切った御勇断、発想転換と、実際それを裏づける政府の断行をお願いしたい。具体的にお答えいただきたいと思います。
  108. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 先ほど来建設大臣あるいはまた大蔵大臣からお答えをいたしました。そういうこととあるいは重なるかわかりません。私、最近の地価、きわめて最近はやや高騰が鈍った、こういうことで喜んでおりますが、それまではいま言われるようにどんどん上がってきた。地価対策の必要性、最も痛感しておる一人でございます。そうして御指摘のように、地価が安定すればその他の諸物価の高騰などもおそらくおさまるだろう、こういうことも考えます。さらにまた、最近非常な大きな勢いをもって行なわれておるのは山野の宅地化であります。宅地造成であります。これもただいままでのところたいした犠牲を、惨禍、災害を生じないで済んでおりますが、しかし、それでももうすでに横浜地区ではがけくずれ等が起きたことがある。この自然がさいなまれておること、これを見るにつけましても、これはけさほどの阪上君の話ではございませんが、それにも関連するのですが、やはり都市周辺の耕地、いわゆる米づくり、そういうようなものがやはり宅地造成に積極的に変わるべき筋のものだろう。そこらに近いところに案外問題があったのじゃないか。これが少しおそまきではありましたが最近土地の利用計画を立てる、そういう意味で線引きが始まる、同時に価格の公示制度が行なわれる、こういうことでやや安定化の方向へいきつつある。利用の計画も進んでいく。そうしてその上は今度は課税の問題になる。これによる土地の売買によって非常な暴利、利益を受ける、そういう者がないように、課税の適正をはかっていくならば、この点も防ぎ得るのじゃないだろうか、かように私は思います。したがって、いま行なわれておる線引きの問題、同時にまた価格の公示、公開問題、そういうことが全面的に行なわれると、よほど変わってくるのじゃないだろうか、かように私は思っております。とにかく土地の問題では、これは悩みでもありますし、またこの内閣でも非常に力をいたしておるところのものであります。また阪上君から午前中に御指摘になりました三十九年五月の衆議院の決議、それなども私も読んでみました。岡沢君も同じ立場に立ってただいまのような、地価暴騰を防げ、そういう対策を立てろ、こういうお話だと思っておりますので、そういう意味の御鞭撻をいただいている、かように思いますので、その点はそれなりに私も受け、実行あるのみというか、ただいま計画している諸計画を進めていく、こういうことが最も必要なことではないだろうか、かように思います。
  109. 岡沢完治

    ○岡沢委員 佐藤総理は、福田大蔵大臣もおられた大蔵委員会、昨年の四月十四日の私の質問に対しまして、地価対策について、ちょうど公示制度ができた直後でございましたが、地価公示制度は公示しただけでは意味がない、公示価格以上に売れた分は税金に取られるとなると高く売る意味がなくなり、公示制度の効果がはじめて生かされるという御答弁をなさっておられますし、福田大蔵大臣も、公示制度を拡充するということが前提だが、ぜひやってみたいというお答えがございます。課税の激変は避けねばならないけれども、時価課税が本筋ということを総理自身もお答えになっております。いまの御答弁でも、聞いている限りは国民に希望を持たすわけですよ。しかし現実には、それでも地価対策は功を奏さないで、土地は現実に上がってきているわけです。それで一昨年も閣僚会議をお持ちになって、地価を安定させる、国民には希望を持ってもらったが、実際はまだまだ上がっている。総理は地価は安定しかけているとおっしゃいますけれども、それは純都心に限った範囲で、ドーナツ地帯におきましてはむしろ高騰の率は上がっているわけなんであります。そういうことを考えました場合、政治の最小の責任として、まじめな国民には自分のマイホーム――健康で文化的な生活、憲法二十五条の生活の基準としては、自分の家が持てる、ぜいたくな家は要りませんけれども、せめてマイホームが持てるという希望を、努力する国民には与えてあげなければならぬのではないか。しかし現実には、十年間になるほど月給は二倍半上がった。しかし地価は十倍だ。これでは希望のない生活を国民に送れとおっしゃるのと同じではないか。新幹線ができても高速道路ができても意味がない。先ほど申しました地価が諸悪の元凶といわれる理由につきましては、ここでちょうちょうすることは避けますけれども、それがある意味では国民あるいは青少年の不良化、レジャーブームを呼んでいるということも言えると思いますし、物価の高騰でもあり、また住宅不足を助長している、あるいはまた公共事業の大きな支障になっている。私は、この地価問題というのはまさに諸悪の元凶、征伐すべき最初の、また最大の課題だと考えますだけに、姿勢はわかるのですけれども、もう少し勇断がこの場合こそ必要ではないか。一歩前進しようとはいたしておりますけれども、今度の改正でも、せいぜいいわゆる近郊農地の宅地並み課税に一歩近づくだけなんです。先ほど申しましたように、時価課税とはほど遠いわけですね。実際に地価を抑制するためには、ある程度の勇断といいますか犠牲も必要だ。その場合にいわゆる土地成金が犠牲になるのはあたりまえなんで、弱い者をいじめて高いところに土を盛るような政治であってはならないのではないか。現にせっかく設けた土地のいわゆる高額所得者、五分の一は脱税でこの間摘発されているではございませんか。こういうことを考えました場合に、まさに諸悪の元凶。佐藤総理に国内の政治課題としてぜひ取り組んでもらいたいのは、国民に希望を与えてもらえるという対象として地価問題、地価征伐ということをお願いしたいわけでございますが、いまのこの大蔵委員会での御発言、いわゆる公示価格をこえる売買について一〇〇%課税するというようなことばまでお使いになった記録がございます。重ねて御見解を聞きます。
  110. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 岡沢委員から地価問題と熱意をもって取り組めという御鞭撻をいただきましてありがとうございます。私は、これはそういう意味で皆さん方の御支援もなければできる問題ではございません。政府にはすでにもう、ただいま申し上げるような対策がそれぞれ進みつつございます。できるだけ早く、早急に線引きを終わらなければならない。線引きの済んでいないところは、ずいぶんございますから、これを至急にやること。同時にまた、地価公示制度をもっと徹底さすこと、これが何よりも必要ではないだろうか。それから後にただいまの課税問題と取り組む。こういうことであるべきだ、かように私思っております。たいへんおくれていることは申しわけなく思っておりますし、ただいま岡沢君から御叱正を得ましたので、さらに私も元気を出してこの問題と取り組むことにいたしたいと思います。
  111. 岡沢完治

    ○岡沢委員 線引きももちろん私は不要とは言いません。あるいはまた公示価格の設定も必要です。しかし公示価格には拘束力はないわけですね。具体的には私は、税制だけが地価対策のすべてだとはもちろん思いません。しかし即効薬としては大きな価値があると思うのです。この点につきまして、私はいろいろ抵抗があることは承知いたしております。しかし、やはり大を生かすためには少々の抵抗にうちかつというのこそほんとう政治ではないか。逆にいままでは、高いところに土を盛るという結果をもたらす土地対策でしがなかったということを、重ねて指摘しないわけにいかぬわけであります。西ドイツの憲法に、所有権は義務を伴う、その行使は同時に公共の福祉に役立つべきであるというのがございます。日本の憲法二十九条の精神も決して所有権絶対の思想ではない。公共の福祉に従うのは当然だ。また正当な補償のもとに当然私有財産は制約を受ける。そういう点を考えました場合、たとえば土地収用法の改正、公共のために先行取得を認める方向での思い切った改正等は、先ほど大蔵大臣も御回意いただきましたけれども、土地は所有のためでなしに利用のためにある。利用しない者、必要以上に持ち過ぎている者から、公共のために利用する前提として、いわゆる土地収用法を活用するというようなことも一法だと思いますし、このことについては、根本建設大臣がNHKのテレビでも昨年の二月でしたか公表しておられます。これについての見解、大蔵大臣、根本建設大臣、両方の見解を聞きます。
  112. 根本龍太郎

    ○根本国務大臣 公共用地を取得する場合の先買い権と、それから収用法の強化、これはぜひ進めたいと思って、いま検討中でございます。これなくしては日本の土地問題の大きな部面が足を縛られているような状況でございまして、この点では、ぜひやりたいと思っています。  なお、先ほど申し上げましたように、この中に、土地そのものを収用することのほかに、使用収益権ですね、借りて使うということの規定も入れていいじゃないかというような気がするのでございます。特にこれは日本において、高速自動車道とかいろいろの、いままで人家のないところをずっと行く場合があります。ところが、それに買ってしまいますと、いままで地価のないところが地価が出てきまして、それが標準になってずっと写真相場になっている。これが土地を高くする。こういう点もありますので、せっかくの御激励もありますし、この点は積極的にやるためにいま検討中でございます。
  113. 岡沢完治

    ○岡沢委員 ちょっと先に……。大蔵大臣に御答弁いただく前に、この点も重ねてお尋ねしたいと思いますが、先ほど申しましたように、土地の騰貴の原因に、大企業等の投機的なあるいは投資的な買いあさりというのが現実の問題として非常に大きな要素を占めているわけでございます。この法人の投機的な土地売買について、二重課税になるかもしれませんが、思い切った課税でそういう投資的あるいは投機的な土地売買を禁ずるという立法趣旨のもとに、私は課税をすべきじゃないかという感じがするわけでございます。いわゆる法人の土地売却税についての特別の課税の問題、これも先ほどの質問とあわせて大蔵大臣に答えてもらいたいと思います。     〔坪川委員長代理退席、委員長着席〕
  114. 福田赳夫

    福田国務大臣 土地収用法の問題でございますが、私は、わが日本の憲法の二十九条でありますか、私有権を認めたその趣旨は、これはもちろん公共の福祉の場合は例外だ、こういうふうに思います。この点はどこでも異論のないところじゃないか、かように思いますが、特に先ほど申し上げましたような土地の性格からいいまして、土地につきましては、私は公共の福祉という点も広く解釈すべきである、こういうふうに思うのです。したがいまして土地収用法、その収用の際の収用目的、これなどは、たとえば先買いというような点におきましても、これを適用し得るような立法をして決して憲法違反にはならない、かように考えます。  それから、いま税制のお話でございますが、法人につきましては、いま大体国税、地方税を合わせて半分くらいその取得に対して課税があるわけであります。約半額であります。その上さらに重課する、こういうふうになってまいりますと、この土地政策ですね、宅地政策、好ましき土地の造成を税制上阻害するというケースもあるわけなんです。何が好ましきケースであり何が好ましからざるケースである、この判別、これはなかなかむずかしい問題でありまして、技術的に法人の投機的土地取得に重課するということはなかなかむずかしい問題があるわけであります。さようなことで、税制調査会のほうでも、また大蔵省のほうでも、この問題をどういうふうに解決できるものかということを検討しておりますが、四十六年度税制改正ではついに結論を出すに至らなかった。しかし、御趣旨の点はごもっともな点でありますので、なおこれはいろいろ資料を整備いたしましてひとつ検討し、かつ結論をつけたい、かように考えておる次第でございます。
  115. 岡沢完治

    ○岡沢委員 問題が多角的に、しかも政治的な決断を要する要素を多分に含んでいるということは承知しながら、私は簡単にいえば、土地を売り惜しんでも得にならないという制度でなければ、持っておれば保有課税は少ない、土地は腐らない、いたみもしないし、値は上がる、これなら売り惜しみをするのはあたりまえなんで、そういう政策をおとりにならないように、あるいは買いあさる、銀行で金を借りてでも土地を買っておけばもうかるのだという制度であれば、現実はそうなんですが、これでは投資買い、投機買いをやめろとおっしゃっても、これは進んでいくことは明らかなんですから、こういう買っても得にならない、売り惜しんでも持ち切れないという政策を実行されることが、私は即効薬としては土地政策の基本ではないかと考えますだけに、ぜひ御勇断を国民の立場からお願いをいたしたい。  この問題に関係いたしまして、わが党の麻生議員が、先日横浜国立大学の用地取得と関連して、やはり土地高騰が一つの原因になっている問題の提起がございました。あのあと始末としまして、その翌日の新聞を見ますと、坂田文部大臣等が、たとえば残地の処分等についていろいろ御発言といいますか、御報告があるようでございます。私は国民の疑惑を晴らすという意味からも、この横浜国立大学の用地取得関係での政府の今後の御方針を聞きたいと思います。
  116. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 先般麻生議員からのお尋ねにるる御説明を申し上げましたとおりに、国立大学横浜の取得につきまして個人が間に立って先買いをするということは、これはその横浜国立大学としてはやむを得ざることであったと思いますが、今後はこういうことがないようにいたしたいというふうにこの際申し上げておきたいと思います。  また、あと地の問題につきましては、その際も申し上げたわけでございますが、現在は横浜国立大学としては十三万坪で一応よろしいということになっております。しかし、社会の変化等がございまして、大学そのものがまた別な観点から増地を要請をされるというような場合は、その時点で検討をするということを申し上げておきたいと思います。
  117. 岡沢完治

    ○岡沢委員 この問題の最後に、実は私は大阪の出身でございますが、一昨日の大阪の各紙の新聞の社会面のトップ記事は、六畳一間に四人の家族が住んでおられる家庭で、子供が朝泣いた、部屋が狭いし隣がふすま一つだということで、気がねをしたおとうさんが子供にかけぶとんをかけた。そのために子供が死んでしまったということが報じられております。これをぜひ私は見ていただきたいわけでございます。戦後二十五年、経済成長を謳歌される佐藤政府のもとで、大阪のどまん中で、しかもこれは失業者とかなまけ者じゃございません、りっぱな職業を持った家庭の若い夫婦が、子供の夜泣きに気がねをしてかけぶとんをかけた親心から子供を死なしてしまうということ、現実にこれは珍しい報道ではございません。しょっちゅうあるといってもいいと思います。私は、住宅問題一つ解決できないで何で高度成長が謳歌できるかということを、ぜひ知ってもらいたい。地価問題とも結びつけまして、やはり住宅への国民の希望を満たす政治であってほしいということを指摘させていただきまして、次の質問に移らせていただきます。  私は、きょうは大体政治の矛盾、佐藤政治が勝利への道に困難さを感じておられる問題を拾い上げさせていただいたわけでございますが、やはりここで税負担の公平あるいは国民の感情からいたしまして放置できない問題に、最近の医療機関にまつわる不正あるいは犯罪的な行為がございます。私は善良な医師が多数おられることは十分承知をいたした上で、やはり制度的な欠陥をこの医療体系、医療行政あるいは医療税制に認めざるを得ない立場から、若干の質問をさせてもらいたいと思います。  御承知のとおり、いわゆる乱診乱療も大きな問題でございますけれども、医師の不正診療、死んだ人に対して治療費を払っていたというような場合とか、あるいは水増し診療、これが社会保険診療報酬のある一部の大きな赤字の原因をなしておるということも私は否定できない事実だろうと思うわけでございます。これは個々の不正を行なった医療機関、医師の問題もさることながら、やはり制度的な欠陥があるのではないか。たとえば自分が買いものに行って何を買ったかわからぬというのはバーのツケと医者の診療だといまいわれておりますけれども、これではやはり私は、むしろ医師が密室の治療といわれるだけに、不正を助長するような制度的な要素も否定できないんじゃないか。せめてその診療費に対しては領収証を発行するというようなことは最低限の不正防止の手段ではないかと考えるわけでございますけれども、これにつきまして厚生大臣の御見解を聞きます。
  118. 内田常雄

    ○内田国務大臣 御指摘がございました診療報酬支払いについての監査の運営というようなことにつきましては、これはいろいろ問題があることは私も承知をいたしております。しかし私は、医者というのは非常に誇り高い仕事でもあるわけでございまして、今日の医療保険制度を円満に運営してまいるためには、そういう医療担当者の協力ということも前提にならなければならないので、強権的な監査をやればそれで済むということでもないと思います。すでにそういう問題が十年前にこの国会でも取り上げられて、監査のあり方等について逆に批判の対象になったこと等もございますので、世論の動向やまた国会の論議等をも頭に入れました上で、私は十分善処をしてまいりたいと思います。  また、医療費支払いの合理化などにつきましては、すでに昨年末から中央社会保険医療協議会等の公益委員中心といたしまして、検討項目を持ち寄りまして、せっかくその合理的な施策を取り上げておりますので、十分私は、施策の円満にしてかつ十分なる措置を講じてまいる所存でございます。
  119. 岡沢完治

    ○岡沢委員 いまの厚生大臣の御答弁で、私はそのまま同意するわけにはまいりませんけれども、時間の関係がございます。いわゆる医師の方々の社会保険診療報酬の特別措置の問題、これは何回か大蔵委員会でも問題になりましたし、税制調査会でも答申で指摘している問題であります。私は、税負担の公平というのは税の最小限の原則ではないか。乏しきを憂えず、ひとしからざるを憂うということばがありますけれども、高きを憂えず、ひとしからざるを憂うというのが国民の率直な気持ちではないか。私自身、親戚に医者も多うございますし、必ずしも医師を敵にする気持ちはさらさらございません。むしろ医師の方々の社会的な地位あるいは国民の生命、身体を守っていただく大きな意義ということにつきましては高く評価しながらも、かえって、この税制による過保護がいろいろな問題の出発点になっているのではないか、また、これがいわゆる診療報酬体系を抜本的に改正することをおくらしておられる一つの口実になっておるのではないかという感じすらするわけでございます。私は、過保護は先ほど申しました地価の問題も含めまして、決して当事者にも利益をもたらさない、また医者の乱診乱療、あるいはいま社会保険診療報酬がほとんど医療の中心になってまいりましただけに、この制度の持つ意義というのは非常に医療問題の根幹に触れる要素をなしておる。たとえば、医師が辺地に少ない、あるいは船医とか病院勤務の医者が少ないというようなことも、私はこの報酬制度と無関係ではない。医師の技術の評価につきましてもいろいろ問題がございます。私はそういう点から、医療の体系の抜本改正とも十分結びつくことを承知しながら、それでもなおこの実態に合わない七二%の非課税措置の問題は昭和二十九年以来続いております一つの大きな課題であり、また、佐藤総理もこの四十四年三月十一日の只松委員の質問に対して、「いまの問題はお医者さんの仲間でもたいへんな幸不幸がある、そういうことも考え、一般の人との格差もさることながら、いまの医者同士でも問題がある、さようなことを考えますと、一ぺんに片づくか片づかないかは別として、とにかくこの問題に取り組まないで税の問題をほおかぶりするというわけにはいかないのではないか、私はさように思っております。」総理自身が四十四年三月におっしゃっておるわけであります。しかし、その後も何らこの問題についての御改正もないままに、この税の問題、ほおかぶりできないとおっしゃりながら、実際は無為に過ごしておられるわけでございます。見解を聞きます。
  120. 福田赳夫

    福田国務大臣 医療費の所得税特例問題、これは私も最も頭の痛い問題の一つでございます。これは岡沢さんもよく御承知のとおり、昭和二十九年以来ある問題でありまして、各党一致の議員立法においてこの特例が設けられた。その設けられたいきさつが、この問題の解決を困難にしておるわけです。つまり、あのとき一点の単価が低かった、こういうことの緩和措置という意味におきましてこの立法が行なわれたのであります。したがって、これは税制調査会でもしばしば指摘され、今度の調査会でも、なるべくすみやかにこの問題を解決せい、こういう御指摘を受けておるわけですが、私どももさように考えております。しかし、やはりそのいきさつから見まして、どうしても医療制度の抜本改正、これはいま厚生省を中心に構想を進めておりますが、これと並行し、またこの一点単価の問題、これとも関連を持たせながら解決をするほかはないんじゃないか、さように考えております。いつまでもこれをほうっておく、そういう考えはございません。なるべくすみやかに、そういう総合的ないろいろな施策の中において解決をいたしたい、かような考えでございます。
  121. 岡沢完治

    ○岡沢委員 総理の御答弁をいただきたいわけでございますけれども、私の持ち時間あと五分でございますので、他の質問に移らしていただきます。  防衛庁長官にお尋ねをするわけでございますが、去る十一月二十五日三島事件があったことは、お互いに記憶に新たなところでございます。私は、自分の選挙のときの公約と申しますか、推薦はがきにも、尊敬される教育者、感謝される警察官、そして信頼できる自衛隊を持つ日本をつくりたいということを率直に訴えました。ところが三島事件で国民の前に明らかにされましたのは、益田総監、これは旧軍隊でいえば近衛師団長あるいは東部軍司令官に当たる方でございますが、一民間人である三島さんをはじめとする五人の私人に、簡単にいわば人質あるいは捕虜のようなかっこうで縛りつけられた。私は、そこまではまだ許せるとして、国民の生命、身体、財産を守っていただく自衛隊が、自分の自衛もできないといわれてもしかたがないと思うのでございますけれども、警察の機動隊に応援をお求めになった。私はどう考えてもこの国民の信頼を裏切る自衛隊のあり方を事実をもって示されて、しかもそれについては防衛庁長官、その措置何ら御反省がなかったと聞いております。また報道された限りでも、私は防衛庁長官としてそういう趣旨の記録を知りません。私が地方行政委員会でこの問題を取り上げまして以後、益田総監の自発的な意思で御辞職にはなりました。益田総監は私の士官学校時代の先輩でございますので、個人的な問題を責める気持ちはさらさらございませんけれども、軍隊におきましては、軍規といいますか、これは自衛隊が軍隊という意味ではございません。隊規、指揮命令と申しますか、これがはっきりしておる、国民から信頼される自衛隊であるということが大前提でなければ、われわれは年間六千七百億の防衛予算を認めるわけにもまいりませんし、これからの四次防についても、私は国民の立場から、どうしても税金をそれに回す気持ちにはなれないんじゃないかというふうに考えるわけでございます。簡単にお答えをいただきます。
  122. 中曽根康弘

    ○中曽根国務大臣 三島事件はまことに遺憾な事件でございまして、再びああいう事件が起きないようにわれわれも戒心いたしたいと思います。  しかし三島事件の経過を見ますと、ほとんど三島君が、あれは覚悟してきた事件でありまして、不可抗力に近いような事件であったと思います。ノーベル賞をもらうといわれるような有名な芸術家が入ってきたことでございまして、ああいうふうに捕縛されたことは不用意のいたすところとはいえ、普通の常人ならばまことにやむを得ない事態ではないかと思うのです。  それであの事件が起きましたときに、私はすぐ命令を出しまして、直ちに捕縛しろ、もう一つ社会的に有名な人の事件であるから警察を表に立ててやるように、そういうことを私は指示したのであります。それであの事件が起きましてから直ちに自衛官、あそこにおりました幕僚副長等は、とびらを排しまして中へ入りましたけれども、みんな三島君その他に切りつけられたわけです。中の一人は、益田総監に刀を当てておった学生一人に体当たりを食らわしまして学生を倒して、そのときに刀をもぎ取って、その瞬間に、立ち上がろうとしたときに切りつけられております。そのときに彼は、その短刀で相手を突き刺そうと思ったということでありますが、これをやったらたいへんなことになると思って、はって隣の部屋の近くまで行って、短刀を向こうの部屋にほうり投げております。それからガラスがみんな破れたのでございましたが、警務隊の者は、相当数が破れたガラスから拳銃で三島君に向かって筒先を向けて引き金を当てておったんです。しかし、檄文その他を見て幕僚副長は、これは覚悟の事件であるから、そのままにしておけば総監は殺されない、かえって変なことをすると不祥事件が起こる、そう判断をして、撃つなと命令したんです。もし総監を殺したらすぐ撃て、そういうふうに命令いたしまして、警務隊の者は引き金から手を離しておった。そういう事態もありまして、必ずしも何もしなかったというわけではないのであります。私は前にも申し上げましたように、自衛官に対しては、君らが命を捨てるのは防衛出動で、国が一大事のときになって命を捨てるのであるから、それ以外は上官の言うことを聞いて、命を大事にしろと、こういうふうにいままでも教育しておるのです。そういう精神は私は徹底していたと思うのであります。  益田君は、やめるときに私にこう言っておりましたけれども、三島君は自衛隊を知りません、なぜかといえば、上官を侮辱しておいて、それで部下が言うことを聞くと思ったら大間違いです。また彼は、三島君は武士道を知りませんと私に言っておりました。それは、自分の武士道を立てるために人の武士道を傷つけて武士道があるとは思えないとも言っておりました。私は、こういう心情を持って彼らが進退をしたのでありまして、まことに遺憾な事態ではありますが、やむを得ない、しかし、以後われわれは大いに注意しなければならぬと思う次第であります。
  123. 岡沢完治

    ○岡沢委員 時間が参りましたので、これで終わりますけれども、いまの防衛庁長官の御発言、万一に備えるのが防衛庁、自衛隊のあるべき姿ではないか、予期しなかったということは弁解にはならないということが一つ。また警察が力に余るから自衛隊の出動を求めるというならばわかります。しかし隊内の秩序、これを自衛隊自身がやり切れないで警察の助けを求めるということはどうしても私、国民の一人としても納得ができないということを指摘させていただきます。  最後に、海外経済協力に関連いたしまして、実は私昨年の秋ソウルへ参りまして、韓国の金山大使とお話し合いをしたときに、日本の経済協力あり方につきまして、いろいろ御示唆がございました。明治以後の日本の発展を考えました場合も、日本からの留学生、あるいは日本に来られた外国の学者の方々の、その後の日本の近代化あるいは経済的な発展に尽くされた功績は非常に大きいということを考えました場合、また逆にインドネシアあるいはフィリピンにおける賠償あるいは海外協力が往々にして不正とか汚職と結びつくという懸念があるということを考えました場合、最も効果的で、しかも経済的にもわりと軽い負担で済むのが技術的な留学生を受け入れたり、あるいはまた日本から技術的な人を派遣して開発途上国の援助に資するという問題ではないか、この点につきまして政府として海外経済協力あり方一つ方向として着眼していただくべきではないかと私は考えるわけでございまして、これについて、国内留学生の場合は文部大臣、また外務省の所管でもございますので、両方からお答えをいただいて質問を終わります。
  124. 愛知揆一

    ○愛知国務大臣 まことにごもっともな御意見であると思います。実は昨年、当院の大蔵委員会で御決議をいただいていることもございますので、技術協力というと非常に広い範囲で使われることばでございます。これにはいろいろの項目がございますが、特に、ただいま御指摘の内地における外国からの研修員の教育、訓練というようなことにつきましても、ことしは若干予算もふやしていただきましたし、それから最近二年間ぐらいの実績を見ますと人数も相当ふえております。またこちらから出てまいります指導に当たる方々の待遇その他につきましても、本年度の予算においてはある程度の増額も見ていただいておりますので、御趣旨に沿うように今後とも格段の努力をいたしたいと思っております。
  125. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 お答えを申し上げたいと思います。  平和に徹するわが国の行き方から考えまして、何を開発途上の国の人々になすか、何が一番よろしいかというなら、やはりいま御指摘のような問題かと思います。その意味において、留学生問題は非常に大事だというふうに私は考えております。本年度の予算におきましては相当思い切った改正をいたしまして、たとえば給与月額が学部留学生につきましては四万二千円でございましたものを下宿料補助を含めまして五万三千円、研究留学生につきましては四万三千円であったものを七万二千円というふうに上げました。このお金はおそらくヨーロッパ諸国、特にフランスあたりと同等、あるいはそれ以上になったかと思うのでございます。渡日一時金につきましても一万五千円を二万五千円に引き上げておりますし、また私費留学生につきましてもことしから医療費補助をいたしました。それから招致数にいたしましても、従来の学部二十五人から六十人に、研究留学生百九十五人を二百二十五人にいたしておるわけでございまして、今後ともこういう留学生に対しましては十分な待遇等を考えていかなければならない、かように考えておる次第でございます。
  126. 岡沢完治

    ○岡沢委員 ありがとうございました。
  127. 中野四郎

    中野委員長 これにて岡沢君の質疑は終了いたしました。  次に、渡部通子君。
  128. 渡部通子

    渡部(通)委員 私は、現在最も国民が悩んでおります物価高の問題、それから有害な食品、医薬品等の問題、これを国民の一人としてお尋ねをしたいと思っております。ほんとうに暮らしに困っておる主婦の一人が総理並びに大臣に直接お訴えをする、この意味でどうか御親切な、そうして誠意ある御答弁を簡潔にお願いをしたい、こう思う次第でございます。  最初に食品の安全ということからお尋ねをしたいと思っております。牛乳の残留農薬のことについてでございますが、総理はじめ大臣等も記憶の新しいことと思います。去年のころからベータBHCが牛乳の中に非常に残留をしている、これが大きな国民の不安を巻き起こしております。最近になっては母親のお乳の中からも出てくる。こういうことになってまいりますと、私もやはり子を持つ親の一人としてこれは非常に心配でいたし方のない、ちまたに参りましてもそういうおかあさま方の共通した悩みでございます。したがって、どうしたらこの子供たちに飲ませる、あるいは病人や乳児にとっては主食となっているこの牛乳、これを安全な食品にしていただけるか、これをお願いしたいと思っております。  厚生大臣にお尋ねをいたしますが、ベータBHCというものは牛乳の中の残留許容量としては大体どのくらいだとお考えでございますか。
  129. 内田常雄

    ○内田国務大臣 農薬の残留についての許容量調査というものを御承知のように厚生省全体でやっておりますが、BHCそのものは、今日では国内では使っていけないはずになっていると私は思います。ところが牛乳の中にそのBHCの残留分があることを私どもは発見をいたしましたので、昨年来全国的の調査をいたしましたところが、大体日本の西のほうに多い、しかも冬枯れで牛が青草を食べることができない間に、米にかけられたBHCを含んだ稲わらを食べさせておる、そういう地方にBHCの残留量が多いことを発見いたしまして、農林省にも厳重にお願いをいたしまして、BHCを使った稲わらを牛の飼料にしないようにというお願いをいたしてまいりましたところが、――毎月調査をいたしておりますが、最近ははなはだ量が減りました。減りましたが、それでも私のほうは衛生官庁でございますから、その許容量というものをぜひ設定したいということで、昨年来衛生試験所の専門家等を中心として許容量の設定を急いでおります。今年度内かあるいは来年早早にはその許容量もできるはずでございます。
  130. 渡部通子

    渡部(通)委員 お尋ねの趣旨は――いま大臣が申されたことはよくわかっております。大体常識で考えてどのくらいだとお考えでございますか。
  131. 内田常雄

    ○内田国務大臣 昨年私どもが調査を始めましたころは一PPMをこえるような地方がございましたが、いまも申し上げますように最近は非常に減ってまいりまして、私などが見せられている数字によりましても〇・〇五とか六とかいうような数字に減ってまいりました。これは世界的にWH ○とかFAOなどの基準がございませんので私は何とも言えませんけれども、現在その程度の含有量であればこれは危険はないものと私は関係の技術者等から伝えられております。
  132. 渡部通子

    渡部(通)委員 いま厚生大臣は〇・〇五ぐらいならばという大体の基準をお示しくださいましたので、私もそう了解をいたしております。  それから文部大臣にお尋ねをしたいのでございますが、昨年の四月、やはりBHCの問題が起こりましたころに文部省は体育局長のお名前で厚生省へ、学校給食に使う牛乳の安全性の問題についてお問い合わせをなさいましたですね。
  133. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 お答えをいたします。  昭和四十五年の五月一日付体育局長環境衛生局長あての照会でございますが、同省より牛乳の飲用については、「現段階では、衛生上問題はないものと考える。」旨の回答がございました。その旨各都道府県教育委員会に六月十三日付をもって通知をいたしておる次第でございます。
  134. 渡部通子

    渡部(通)委員 いまの文部大臣のお答えのとおりだと思います。厚生省の環境衛生局長のお名前で出されたお答えでは、いまのところ、現段階では問題はない、そういう回答だったということで、文部省としてはこれをもって全国に通知をなすった、これを私も確認をさせていただきました。厚生大臣もうなずいていらっしゃいますからそのとおりの回答を出されたことには間違いないと了解をいたします。その際、厚生省から文部省へ渡された通達に別添資料として資料がついていたと思います。それは文部大臣、そのとおりでございますね。
  135. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 ついているそうでございます。
  136. 渡部通子

    渡部(通)委員 では、その内容を実は伺いたかったのですが、いま文部大臣、御存じないようなんで、私のほうで調べたものを申し上げます。  この別添資料の中に、「このような牛乳中のBHC量の人体の健康に及ぼす影響については、いま直ちに危険であるとは考えがたいが、このままの状態が長期間続く場合は、保健上支障をきたすおそれがある。」こういう一文が明確に示されております。そのあと、前後をずっと読んでみますと、たいへんに危険である、いま何とも言えないが危険であるということが私は一貫して読み取れると思います。それにかかわらず厚生省としては問題はない、そういう形で通達を出されましたけれども、その根拠を厚生大臣、ひとつお示しいただきたいと思います。
  137. 内田常雄

    ○内田国務大臣 添付資料をつけて文部大臣のほうに私どものほうの局長からお答えをいたしてあるはずでございますが、その添付資料というのは私どものほうの国立衛生試験所の研究報告のはずでございます 。それによりますと、いまお読みのように、当面問題はないが、このままの状態が続くならば問題があるということになっておったと私は思いますが、しかしそのままの状態が幸い続かないで、いまのBHCをくっつけた麦わらを食べさせないような指導をいたしてまいっておる結果どんどん減ってきております。こういう状態でございますので、そういう状態を含んでそのまま隠さずに衛生試験所の資料もつけた、こういうわけでございます。
  138. 渡部通子

    渡部(通)委員 二点指摘をしたいと思います。  一つは、資料をつけたとおっしゃっても拘束力を持つのは通達だと私は思うのです。資料は参考にすぎないと思います。やはり全国に指示されたのはその資料じゃなくて通達なんです。問題はないということが通達をされてしまっております。それが一点。  それからいま国立衛試のほうの毒性部の資料だとおっしゃいました。確かにそのとおりでございます。その原文を私も調べてみました。それを最初からずっと読んでみますと、毒性部長の池田さんの発言、論文というものは、この別添資料としておとりになった部分よりももっとさらに強烈にベータBHCというものの危険性というものを述べていらっしゃいます。絶対あってはならないものなんだ。だけれどもいま基準もないし何とも言えないけれども、これは一〇〇%なくさなければならない、これが確かに国立衛生試験所の主張のようでございますし、また現段階も一〇〇%なくすということを前提に置いて毒性検査の最中である、これが国立衛試の結論だと私は思うのです。それを簡単に、まして学校給食ですよ。そこへもっていって軽々に文部省あてに心配はない、こうお伝えする大臣の姿勢というものが私は非常に心配なんです。もうこれはBHCだけの問題ではありません。ほかの有毒性の問題についても、近ごろは何を食べても危険だというのが国民のおそれになっておりますけれども、そういうものに対する歯どめの役というものを決して厚生省はなしているとは言えない。これは私は端的な問題なんです。なぜ取り上げたかというと学校だからです。学校給食という性格上これが許されてなるものか、これは私たちの真実の叫びでございます。これをまたすんなりとお受けになった文部大臣の御見解もひとつ承っておきたいと思うのです。
  139. 内田常雄

    ○内田国務大臣 これは添加物などと違いまして農薬が牛の飼料を通じて牛乳の中に入ってくる問題でございますので、添加物をばっさりやめるという、私が無毒であっても要らないものはやめろとふだん言っているようなものとは少し性質が違うわけでございますので、牛にそういうBHCを含んだ飼料を食べさせないような、そういう方向で農林省の御指導をもう昨年来私どもお願いをいたしておりまして、先ほど申し上げましたように、どんどんBHCの残留量も減ってまいってきている状況でございますので、昨年の状態がいつまでも長く続くならば危険でありますけれども、どんどん減ってきておる状態のもとにおいては危険がない、そういう気持ちで関係局長が文部省のほうに回答を申し上げたことと思います。現に私どもは同じような指導方針を農林省にお願いをいたしておりますし、またその資料にございますように、毒性部を中心としたBHCの、これはBHCが使われなければ、一滴もないことになるはずでございますけれども、かりに何らかの関係で入ってきたといたしましても、人の体重に応じ、一日の摂取量に応じた許容量というものをつくって、理想的な、もうこれは非常に安全度、たとえば一般の実験の百分の一とか三百分の一とかいうものを私どもは許容量にいたすわけでございますが、そういう許容量をつくる努力を同時にいたしておるわけでございます。
  140. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 学校給食用の牛乳は一般市販の牛乳と同様のものを使用しております。したがいまして、厚生省令による規格に適合したものでございますが、しかし学校給食が御指摘のように発育期の児童生徒を対象としたものであることにかんがみまして、牛乳につきましては常に新鮮かつ良質なものが飲用に供されるよう、品質の保持と衛生的な取り扱いに十分留意するよう指導をしております。そういうわけでございまして、必要のつど厚生省当局とも連絡を密にし、支障の生じないよう今後も対処をしていきたいというふうに考えております。
  141. 渡部通子

    渡部(通)委員 先ほどから厚生大臣は、減ってきておる、減ってきておるとおっしゃいますので、どのくらい減ってきておるか。そこには詳しいデータをお持ちではございませんでしょうけれども、私はここへそろえてまいりました。去年の二月の全国的な分析結果、それから八月の分析結果、決して減ってはおりませんですよ。厚生大臣は最初は〇・〇五PPMくらいならいいと思うとおっしゃった。だけれども、昨年八月の分析結果などからいっても、たとえば大阪府は〇・一六八、それから岡山県などは〇・二二、佐賀県に至っては〇・三五、長崎県〇・三八、宮崎県〇・二一、減ってきた、減ってきたといってもこのような記録が残っております。  私ここで一つ例を申し上げたいのですが、実は奈良県で昨年の十二月に、たいへん牛乳を心配するおかあさん、それから保健婦の方、学校給食に携わっていらっしゃる給食婦の方たち、そういう方からの要望を県が受け入れまして、一体牛乳はだいじょうぶかという伺いを奈良県として文部省に出しているわけなんです。そのときの奈良県のPPMというのはすごいのですよ。これは私は、ずっと入れている牛乳のメーカごとに調べてきたのですけれども、メーカー名は出しませんが、〇・五九一、〇・四三〇、〇・三四七、〇・二二五、〇・三四七、こういうお店別に見てもこれほど高いBHCが検出されているのです。ですから奈良県が心配をして文部省にお伺いを立てた。それをまた文部省はこの間の通達の通り一ぺんの繰り返しで終わられた。この事実に間違いございませんですね。
  142. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 そのことはおっしゃるとおりでございます。(発言する者あり)ちょっとよく聞いていただきたい。四十五年の十二月十七日、奈良県議会において、公明党議員より、県の公衆衛生局の行なった牛乳検査結果による残留BHCの問題が取り上げられ、その検査結果は、最高が〇・四二PPM、最低が〇・〇二五PPMの残留BHCが認められた。農林部、厚生部、教育委員会の三者で協議をして適正を期することとなった。三者協議の結果、現在では問題なしとの結論によって、本年一月の学校給食開始以来、児童、生徒に飲用させている。なお当県においては基準を作成すべく現在検討中であるというのが、私のところに報告として来ております。
  143. 渡部通子

    渡部(通)委員 ですから先ほど厚生大臣は〇・〇五PPMくらいならいいとおっしゃった。それにもかかわらずこのようなたくさんの〇・二、〇・三というような、許容量を越える、厚生大臣の御認識をはるかに越えるBHCの実情に対しても、現在はかまわないという通達をお出しになった。文部大臣はそれを受け売りをなすって、そして奈良県からお伺いが出てきたのにまだオーケーと言った。おまけに奈良県は、それを受けたものですから、飲ましても差しつかえないということを、県教育委員会主催の栄養士会で説明をいたしまして、引き続き飲ませても差しつかえないと全県下におふれを出しております。こういう政府部内のやり方、まことにばらばらで、無慈悲で、どこに基準があるかわからないというやり方について、総理ひとつ御見解を述べていただきたいと思います。
  144. 内田常雄

    ○内田国務大臣 先ほどから述べておりますように、私どもが昨年牛乳中のBHCの残留量の調査をいたしましていろいろな対策を講じてまいりました結果、私が先ほど述べました〇・〇五というのは、最近私は厚生大臣としてそういうことに気を配ってごく最近の各県の報告を見ますると、〇・〇幾つという台がずっと多くなって、私どもが心配しておりましたような状態が非常に改善されておるので、私はまあこれはいいな、厚生大臣としては許容量などをきめる際にもできるだけ低いほうがよろしゅうございますから、これならば思い切って低い許容量がきめられる状態に最近はあるということが、私の心をいつも支配をしておりますので、これは衛生試験所から出てまいります許容量が幾らになってまいりますかわかりませんけれども、そういう各県が〇・〇幾つというようなところが多くなってまいりましたので、私の期待どおりまいるのではないかと思います。  ただおっしゃいました大阪とかそれから長崎とか、一部の中国地方が一番高い残留濃度を示しておったところでございますが、私が報告を受けているところによりますと、最近はこれらの地方におきましても残留濃度が非常に低くなってまいりまして、農林省もよく指導をしてくれていることがうかがわれるような状況にございます。
  145. 渡部通子

    渡部(通)委員 ひとつ総理の御見解を伺いたいと思います。
  146. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 いま厚生大臣あるいは文部大臣からのお話を聞きましたが、どうも実情把握に欠くるところがあるようですから、一ぺんいま言われている地方、ことに牛にわらを食べさせておると考えられる地方、これをもう一度よく調査することにいたします。
  147. 渡部通子

    渡部(通)委員 総理がおっしゃるとおり、確かに厚生大臣も文部大臣も、これは現状認識にまことに欠けている、私はこう申し上げざるを得ないのであります。と申しますのは、これはお聞きしようと思ったのですけれども言っちゃいますが、厚生省内では〇・一PPMくらいを指導基準として、すでに全国的な認識になっております。これはいまの奈良県の場合もそれから愛知県の場合も全部そういう認識に立っております。〇・一PPMくらいが厚生省が大体考えている基準らしいということでして、これはもう周知の事実になっているのです。それもあんまり御存じなくて先ほど〇・〇五とおっしゃった。そういった点でいま総理の御指摘になったように、もう少しこういった行政に対してあたたかい親身になった認識をしていただきたい。私はこれをお願いするのです。要するにBHCなどというものはそう簡単に減るものだ、駆逐できるとは私も思っておりません。ただ大臣方がその実情をほんとうに御存じになって、よしやるぞというその気魂があれば、国民は納得をしてそして希望を持って生きていくことができると思うのです。  私、ここでもう一つ愛知県の例を出したいのですが、厚生省の通達でなかなか心配だものですから、愛知県が独自に残留基準量をおきめになったようでございますが、これは文部大臣御存じでいらっしゃいますか。
  148. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 承知いたしております。
  149. 渡部通子

    渡部(通)委員 そうするとそれを文部大臣どう評価なさいますか。その文部大臣がお出しになった通達は、差しつかえない、愛知県だけが独自に〇・二PPMときめまして、それを基準として――私はこれはいいとも悪いとも何とも申し上げられません。ですけれども、厚生行政、文部行政というものが心配で、独自のこういう要請を打ち出している、これをどう評価なさいますか。
  150. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 行政責任にあります私といたしましては、やはり厚生省がお出しになって基準をおきめにならなければはっきりしたことは申し上げられないわけでございまして、一応愛知県で〇・二というようなことをきめておられる。そのことは、あなたがこれがいいか悪いかということがおわかりにならないとおっしゃいましたように、やはりわからないわけでございます。
  151. 渡部通子

    渡部(通)委員 私は、少なくも学校給食というものにあっては、ベータBHCなどというものは、たとえわずかでも出てきてはならない、一〇〇%純正にすべきだ、これが大臣の姿勢であっていただきたいと思っております。先ほど厚生大臣も〇・〇五とおっしゃった。あるいは厚生省内では〇・一というのが通り相場となっている。しかしながら現実には、奈良県には〇・四PPMというのがいまだに残っていて、そして厚生大臣も文部大臣もオーケーと言ったからということで、まだ子供が飲み続けています、きょうもきのうも。こういう問題にどう対処なさいますか、この〇・四PPMも出ているという現実の問題に対して。
  152. 内田常雄

    ○内田国務大臣 私の記憶に間違いございませんで、いま局長から渡されましたが、昨年末十一月、十二月当時のこの牛乳に残留するベータBHCは、北や東のほうは非常に微量になってまいりまして、たとえば北海道は〇・〇一六、青森県は〇・〇三、秋田県は〇・〇四、そして関東も大体〇・〇三、〇・〇四ぐらいでございます。それからずっとまいりまして、西のほうに行くに従いまして、大阪では〇・一一とか、あるいは神戸市では〇・一八とか、あるいは広島県、長崎県などで〇・一の数字が出ておりますが、全体としては非常に少なくなってまいりまして……(発言する者あり)
  153. 中野四郎

    中野委員長 御静粛に願います。
  154. 内田常雄

    ○内田国務大臣 私のかねての希望や要望が達せられていることを私は非常に喜んでおりますので、残留許容量がきめられますときも、こういう全国的な状況でありますので、私は低ければ低いほどいいということで指導をして、またそれに合うような農薬の使い方を農林省にお願いをしてまいるつもりでございます。
  155. 渡部通子

    渡部(通)委員 いま御説明のことはよくわかりますが、現に奈良県で〇・四とか〇・三とかいうPPMが出ております。それに対して厚生大臣が通達を出しているわけなんです。――これはよくわかっております。私も持っておりますのでよく存じております。ただ奈良県から、そういうお問い合わせがあったという現実でございます。きょうもきのうもあしたも、まだ〇・四とか〇・五とかいうPPMの牛乳を奈良の子供たちが飲むであろうという。しかし厚生大臣はだいじょうぶだと言っていらっしゃる。文部大臣もそれをオーケーなすった。そのきょうあしたの現実の問題に対して厚生大臣、いまここです、いまこの時点でどう御答弁なさり、どう発言をなさいますか、こういうことでございます。
  156. 内田常雄

    ○内田国務大臣 高い濃度のものはなくなってまいりましたので、奈良県でかりに高い基準をおきめになっても、そういう基準のもの、それほど高いものを含んだものが現在ではなくなってしまっておるのではないか、こういうふうに私は認識をいたしておるわけであります。あとは法律的に残留許容限度というものをきめる仕事が残されるわけでありますが、そのきめる際にはもちろん現状に合って、さらに科学的にも学理的にも合った数字になると思いますが、その数字は私はよほど低くきめられていいんじゃないか、また厚生大臣としてきめたい、こう思っておるものでございます。
  157. 渡部通子

    渡部(通)委員 これを今度は逆に厚生大臣に私からお見せしなければならないという気がしてきたのです。たいへん水かけ論になりますけれども、ここの奈良県の十月の検出量を見ていただけばわかるのです。私は万年筆で書き込んできましたけれども、〇・三四とか〇・五九とか〇・四三とか、こういう数字が奈良県で出ているわけです。これをどうしますかというのです。まだ十二月ですよ、昨年暮れの、伺ったところ問題はないという回答がそのまま行っているわけです、五月にお出しになった通達が。そこをいまの時点で御認識していただいた上で奈良県に対してどうお答えいただけましょうか、こうお願いしているわけです。
  158. 内田常雄

    ○内田国務大臣 非常に申し上げ方がむずかしいのでございますが、かりにある程度高い濃度のBHCを含む牛乳がいつまでも続くというようなことでございますと、これは問題があるわけでありますが、そういう状態が長い間、三年も五年も続くというような状態でない限りにおきましては、低くなる状態のもとにおきましては、〇・五程度のものを一時的にとっておっても、それは今日の牛乳の子供の摂取量等から見ます場合には問題がない、こういうことに私は解してしかるべきだと思います。これは決して私が自分のことばをかばうつもりではないので、そういう説明を私は受けてまいりました。
  159. 渡部通子

    渡部(通)委員 厚生大臣にもかわいいお孫さんがいらっしゃると思うのです。たいへんお嬢さんをかわいがっていらっしゃる大臣でいらっしゃいますから、お孫さんもいらっしゃると思うのですけれども、そういうお孫さんが毎日毎日毒の入った牛乳を飲んでいる。三年も五年も続くようなら対策を立てましょうというのでは、やはりおかあさま方としてはどうしたって納得するわけにはいかないわけです。ですから、これ以上申し上げても同じようなお答えが返ってくるのじゃないかと思いますし、私も時間がむだですからこれ以上は申し上げませんけれども、厚生大臣がいまのような態度でこれから子供の事健康に対する行政に当たられたのでは、これは全国のおかあさま方が不信任案を出しますよね。だからそういった意味でもう少しきっぱりと、こういうものがあってはならないのだ、こういう立場の腹のすわった処置をとっていただきたいと思います。したがって、先ほどから基準をきめるきめるとおっしゃっていらっしゃいますので、いつおきめになるのか、それを御答弁いただきたいと思います。
  160. 内田常雄

    ○内田国務大臣 残留許容基準がきめられますのは、おおむねことしの三月から五月くらいの間には結論が出ると聞いております。これが食品添加物のようなものである、たとえば染料でありますとか発泡剤であるようなものでありますと、私の権限でさっときめられるわけでありますが、牛乳に入ってくるもとはそういう農薬を使っておるということにございますので、農林大臣もこの問答を十分聞いておられるはずでございますので、BHCはほんとうにもう使わせないのだ、こういうことをやってもらわないことにはなりませんので、農林大臣と協力をいたしまして、これはできればゼロに、あるいはいろいろな関係でBHCが入る場合におきましても、〇・〇幾つぐらいまで持っていくように私は努力をいたしておりますし、また今後も努力をいたします。
  161. 渡部通子

    渡部(通)委員 農林大臣、いまの厚生大臣の御発言に対してひとつ、御協力をしてくれればということでございますので、いまこれは七千五百トンか余っておりまして……。
  162. 倉石忠雄

    ○倉石国務大臣 渡部さん御存じのように、このベータBHCにつきまして、たとえば権威のあるFAOとかWHOでも、その基準に関する発表というのはございません。一日どれだけの量を何百日続けて飲めばどういうことになるかというふうなことを、まあ日本でもいま動物実験はやっておりますけれども、許容量についてはたしてどれだけの害があるかどうかということから研究していかなければならないと思いますので、私のほうからは厚生省にそういう学問的な研究をお願いいたしておる最中です。しかしながらやはりBHCというものについていろいろ問題がございますので、昨年来穂ばらみ期の稲には使っては相ならぬということになっておりますから、稲わらを食べて牛乳にBHCが出てくるということは、逐次もうなくなってしまいます。ただいま使用を禁止しております。したがって、あとはくだもの、野菜等には若干使っておるところもありますが、いまそういうことで稲のほうにはもう使用禁止いたしております。ただいまここで厚生大臣のお答えがございましたのにお答えする意味でも、われわれはその使用を厳重にいたしておるわけであります。
  163. 渡部通子

    渡部(通)委員 はなはだ不本意ではございますが、厚生大臣も農林大臣の協力を求めていらっしゃいますし、農林大臣は厚生大臣に基準を早くきめろと、こう言うそうでございますので、ひとつ御両者うんと奮発していただいて、早く許容基準をきめていただきたいと思います。  なぜこういうことをうるさく言うかと申しますと、さっそく酪農団体からこの間厚生省に圧力がかかっておりますね。許容基準はやめよ。いままでの厚生省の体質として、たいへん口幅ったい言い方ですが、こういうものに対して非常に弱い体質をお持ちでいらっしゃいます。ですから私たちは心配でしょうがないのです。これでまたBHCが延びるんではないか。あるいはやはりあの農薬の性格からいたしまして、コストは安いし農家は懐いたがっておりますし、こういう意味で農林省のほうでもなかなか行政が進むかどうかということも皆さん心配をいたしております。ですから、この辺でひとつ両大臣が腹を据えてこの問題に取りかかっていただきませんと、簡単に片づくことではない、これが私どもの懸念でございますので、最後にひとつ総理からこの件についての御見解なり処置なり御決意なりを伺いたいと思います。
  164. 倉石忠雄

    ○倉石国務大臣 総理のお答えの前に、ただいま酪農組合のお話がございました。私どもは、御存じのように稲から他作目へ転換する大きなねらいの一つは酪農でございまして、酪農家が成り立つようには一生懸命でやっているわけでありますが、酪農家等が心配いたしておりますのは、先ほど私が申し上げましたように世界的にも許容量の基準という権威のあるものがいまだ発表されておりませんし、わが国の厚生省でもその基準について発表されておらないような次第でございますので、軽々にやられては困る、これは当然なことだと思うのでありまして、これは決して私ども圧力と感じておりませんで、まじめなことだと思って実は心配しながら受け取っておるような次第であります。
  165. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 先ほど渡部君にお答えいたしましたように、どうも政府部内で実情把握が足らないようですから、これは至急に調査をいたしまして、そうして結論を出す、そういうことにいたしたいと思います。ただいま御注意がございまして、圧力団体云々、こういうような御注意ですが、いまその点は農林大臣が言ったとおりでありますし、私ども圧力団体だとは思わないが、とにかくいまの実情が学校給食あるいはその他乳幼児に対してどういうような牛乳になっているか、その実情を把握することがまず先決だ、かように思いますので、十分その点も把握いたしまして、そうして各省の対策一つにする、まちまちでないようにする、このことをお約束しておきます。
  166. 渡部通子

    渡部(通)委員 たいへん時間をとってしまったのですが、おしょうゆのことについて簡単に伺いたいと思います。  戦争中には代用しょうゆ、戦後もちょっとありましたけれども、代用しょうゆという名前でアミノ酸しょうゆというものが出回っておりました。これは統制マル公の中でも代用しょうゆと本造ということで区別されておりましたが、総理は御記憶にまだ新しいと思うのです。ところが物の潤沢になってまいりました今日では、これが今度は逆転をいたしまして、いまのJAS法においては醸造しょうゆというものとそれからアミノ酸の混合しょうゆというものが一緒になってJASで売られております。こういう現実に対して総理いかがでございましょうか、いいことか悪いことかということで。
  167. 倉石忠雄

    ○倉石国務大臣 おしょうゆのことですから私のほうから。  昨年の七月、消費者の嗜好それから商品選択の便宜をはかりますためにしょうゆのJAS規格を改正いたしましたことは、御存じのとおりでありますが、一〇〇%醸造のしょうゆは、本醸造と表示をさせております。それ以外のしょうゆは、本醸造の文字またはこれにまぎらわしい表示を禁止することといたしておりまして、本年一月一日からはこれを適用いたしておるわけであります。これによりまして、ただいまお話しのアミノ酸混合しょうゆは、本醸造のしょうゆと区別されることになりました。なおJAS製品以外のしょうゆにつきましても品質表示の義務づけを行なうことにいたしておりますので、農林物資規格調査会の専門委員会においてただいま検討中でございます。
  168. 渡部通子

    渡部(通)委員 私、簡単にお願いしたいんですが、この間のJAS規格の改正によりまして、確かに窒素分が高ければ上級しょうゆというそういう規格はきめられましたけれども、表示が、アミノ酸が混合しているのか本醸造なのかということが、消費者にとって表示がされなくなった。ここに矛盾を感ずるわけなんです。やはりアミノ酸混合しょうゆというものは味も悪いですしコストもお安いですし、それからかおりも悪い。しかし上級と標準というものが、これが窒素分だけできめられるようになった。なぜかならば、この間のJAS改正でかんしょうゆと申しまして、よく御存じのとおりだと思いますが、アミノ酸と本造と見分ける分析方法というようなものが削られましたもんで、混合しょうゆと本造というものが何の表示もなくて、当然コストも違うであろう、味も違うであろうのに、消費者の前に出てくるようになった。これに、私は一つの消費者保護基本法に対する逆行を感ずるわけでございます。ましておしょうゆは、いまたいへんな外国への輸出品でございまして、非常に売れているときでもございますが、何とか混合とそれから純正なしょうゆと本醸造のしょうゆ、これが消費者にも一目でわかるようにやはり表示をすることが大事なことではないか。その方向に御検討いただけないか。これだけ伺えばけっこうでございます。
  169. 倉石忠雄

    ○倉石国務大臣 消費者のお立場から当然御主張のようなことが出ると思います。ごもっともなことだと存じます。そこで私どものほうといたしましてもそういうことを考えておるわけでありますが、渡部さんも御存じのように、しょうゆ業者というのはきわめて中小企業の中の零細企業でございまして、こういう人たちに一挙にあのきびしいことをいたして、いろいろ反動が起きてはいけませんので、逐次ただいまお話しのような趣旨で改善を指導してまいりました。なるべく早くそういう御希望に沿うように改善をいたしたい、このように指導いたしておるわけであります。
  170. 渡部通子

    渡部(通)委員 いまの農林大臣の中小企業に対する御心配、私も同様でございます。ですけれども、昨年のお酢の場合の例がございましたもので、お酢がやはりいま本造と合成酢というものがはっきり区分されておりますけれども、あれによってやはり中小企業がつぶれるのではないかという心配がずいぶんございまして、あのころ運動もございましたけれども、やはりみんなが一生懸命本造をつくるようになって、むしろ本来の姿に返ったという経験もございます。その上で私申し上げましたことで、ほんとに正直に商売する人がもうかるような、そういうJAS規格表示という方向へ、ただいま農林大臣御答弁いただきましたから、ひとつ御努力をいただきたいと思います。  いま表示の問題が出ましたから、もう一つだけこまかいことを伺わしていただきますが、ファンタグレープ、ファンタオレンジというこういう清涼飲料水というのがございます。これは果汁分がどれだけ入っているとお考えでございますか。たいへんこまかいことで恐縮ですが、わからなければけっこうでございます。
  171. 倉石忠雄

    ○倉石国務大臣 あんまりつまびらかにしておりませんで、事務当局にお答えいたさせましょうか。
  172. 渡部通子

    渡部(通)委員 私もたいへんこまかいことにわたると思いますので、私のほうから申し上げますが、これは水プラス砂糖プラス香料プラス着色料、要するに、結局一〇〇%色づき水、こういうことでございまして、これがファンタグレープあるいはファンタオレンジなどという名前がつきますと、やはりこれは果汁じゃないか、くだものが入っているんじゃないかと私自身もそう思っておりましたが、これは全く一〇〇%色づき水ということになります。これもやはり不当表示ではないか。こういったまぎらわしいものが世にはびこってまいりますと、非常に私たちとしては迷惑ですし、当然内容は知らせるべきだと思うのです。これについてひとつ公取委員長の御見解をいただきたいと思うのです。
  173. 谷村裕

    ○谷村政府委員 ジュースにつきましては、御承知のようにそういう問題が三年ほど前からやかましくなりまして、業界ではただいま公正競争規約をつくる準備をいたしております。そして、すでに公聴会の手続も終わりました。御承知のように、全くの天然の果汁だけをジュースというふうにいい、それからたとえば五〇%以上果汁があるもの、あるいはそれ以下のものというふうに区別をいたしまして、ただいまのような色で見ればいかにも何か果汁のようであるもの、あるいは名前を聞けば果汁であるかのように見えていて、実は合成のものであるものについてはどういう表示をするかというようなことも、その中できめられようといたしております。
  174. 渡部通子

    渡部(通)委員 この問題はこれでとめます。要するに食品の安全ということについてこれからいろいろな委員会でやってまいりますけれども、ひとつ国民に安心していただけるような御答弁の突破口をいただきたい、こういう私の気持ちでございました。  次に、薬品に移らせていただきます。この間、最近ですが、一月二十八日の毎日でしたか、「カゼぐすりと自動車運転」これが「事故の引金にも」ということが出ておりました。私はっといたしまして、酔っぱらい運転というのは酒だけかと思いましたら、かぜ薬を飲んだときも運転には注意しろ、なぜかなれば、かぜ薬の中の成分が脳の中枢機能に障害を招いて、結局眠くなってしまうのですね。ですから、かぜ薬を飲んだときには運転注意、こういうものが出てきたわけです。私は、現在かぜ薬というのが非常に警告を与えられているという最近の世相を踏んまえて、二、三お尋ねをしたいと思います。  昨年十一月、中央薬事審議会においてかぜ薬の製造承認基準が発表されました。そのときにアセトアニリドあるいは硫酸キニーネ、こういった七品目が削除をされました。しかしながら、この削除されたはずのかぜ薬、少なくも有効ではない、こうきめられたかぜ薬というものがまだ堂々と市場で売られております。それからアセトアニリドという成分はかぜ薬だけではなくて、頭痛薬に多く使われているわけなんです。ですから、かぜ薬を禁止しても頭痛薬としては堂々と通っておりまして、私買い集めてきたのですけれども、おなじみの薬ばかりでございまして、禁止されたはずのかぜ薬で出ておりますのが「改源」――私が買ってきた範囲ですよ、これはもっとほかにもあるかもしれないのですが改源、それから實効散、これもたいへんおなじみのお薬だと思うのです。総理もよく御存じだと思います。それから同じ禁止されたアセトアニリドという成分を含んだ、今度は頭痛薬のほうですね。そうしますとロートン、それからノーシン、ノーソ、ケロリン、それから回効散、テーリン、それからよく宣伝された頭痛にハッキリというもの、それからタンチタミン錠ですか、私が買い集めてまいりましただけでも、こういう薬が町の中に堂々と売られておりまして、こういう現状について、ひとつこれは総理から御見解をいただきたいと思うのです。
  175. 内田常雄

    ○内田国務大臣 総理大臣から私はいつも薬が多過ぎるというお小言をいただいておるものでございますが、御承知のように、薬には医家向けの薬と、それから大衆向け一般薬とがございますので、少なくとも一般薬についてはそのかぜ薬ならかぜ薬、胃腸薬なら胃腸薬あるいは頭痛薬なら頭痛薬というような範疇別に新しい承認基準をつくろうということになりまして、その一般薬についての新しいかぜ薬の承認基準には、いまお話がございましたようなアセトアニリド等のそういうものを入れないことの基準をつくりました。これはそれが有害だというわけではございませんし、世界じゅうでも認められている薬でありますが、それが入っている意味があまりないということになりまして、それを取り除くことにいたしました。しかし、いままで個々の承認を受けた一般薬につきましては、いまお話がございましたように、そういうものも入っているものがなお売られておりますので、それは私は新しい基準との間の当然統一性をはかるべきだと考えますので、したがって既存の承認をされた一般薬につきましても、これは再検討をいたしてまいるつもりでございます。  また、頭痛薬とか胃腸薬につきましても、現在そういうものだけについての承認基準をつくらしておりますので、その際、アセトアニリドとかあるいはいまおあげになりましたような成分の安全性なりあるいは有効性なりというものにつきましては再検討をいたしまして、そして新しい基準といたします。既存といいますか、すでに販売されているものにつきましても、これらの措置に合わせるようなことをすべきだと私は考えておるものでございます。
  176. 渡部通子

    渡部(通)委員 頭痛薬についても、当然禁止の処置をとるようにしていくということでございますね、いまの御答弁
  177. 内田常雄

    ○内田国務大臣 当然禁止ということではございませんで、それを再検討をする。再検討をするということは、再検討をするのでありますから、進んで入れるというほうではないと私は考えますが、そういう向きで基準を、新しい基準の検討中でございます。これは薬事審議会にももちろんかけますので、専門家の意見を聞いてきめるわけでございます。
  178. 渡部通子

    渡部(通)委員 かぜ薬では禁止をしたわけです。頭痛薬では再検討するとおっしゃるわけなんです。しかし、このアセトアニリドという成分は軽い麻薬みたいなもんでして、毒性はないとおっしゃいましたけれども、これはたいへんな問題になると思います。頭痛薬のほうが連用性があるんですよね。かぜは引いたとき飲めばいいのですが、頭痛薬の人というのはもう飲み過ぎて飲み過ぎて、もうノーシンなんか飲み過ぎて中毒になって、毎月こんなに買って帰る人もいるんです。だんだんくちびるが紫色になってくる、こういう副作用を持ったこわい薬でございます。ですから、連用性のある頭痛薬を禁止しないで非常時に飲むかぜ薬だけを禁止する、これは私少しおかしいと思うのです。厚生大臣、いま検討するとおっしゃいましたけれども、早急にこれに対して処置をどうおとりになるか、もう一度御答弁いただきたい。
  179. 内田常雄

    ○内田国務大臣 かぜ薬から新しい一般薬の製造基準をつくりましたが、順次それを頭痛薬とかあるいは胃腸薬に新しい製造基準をつくりつつありますので、これは先のことではございませんが、もうその基準がきめられる段階にだんだんなってきております。その際、それをとるかとらぬかということを検討することになっておりますが、私は渡部さんの言われることがたいへんよくわかりますので、そういう向きから基準をつくる際に検討されたほうがいいだろうと私は考えております。
  180. 渡部通子

    渡部(通)委員 それはそうとして、先ほどアセトアニリドが害はないという、毒性はないという厚生大臣の仰せでございました。害がないものならなぜ禁止したということにならざるを得ないわけです。私はアセトアニリドが害があるということをひとつお教えしたいと思うわけなんです。これは「化学構造と生理作用」という、薬業界ではバイブルといわれるような高瀬豊吉先生の本でございますけれども、アセトアニリドというものは、「その作用はアンチヘブリンよりも強く、毒性もまたしたがって強く、一日一・〇グラム以上を内服するときは普通中毒症状があらわれ、特にメトヘモグロビンを形成するゆえに常用すべきものではない。」こう完全に書かれております。「通常四から十グラムの内服によって死に来す。」  こういろいろありますけれども、こういうふうにアセトアニリドのその毒性というものは、高瀬大先生の論文にも書かれておりますし、これを初めて合成をいたしましたカーン及びヘップという両氏、これがやはりあぶないということも言っておりますし、厚生省自身からいただいたその資料を見てみましても、米国においては使用上の注意、これを与えて認めている。過剰量、継続使用は重篤な血液障害を起こすことがある。スイスにおいても一回量〇・二五グラム以下のものについて使用を認めている。厚生省自身の資料の中にも書いてあるわけなのですよ。高橋晄正というお方の説の中にも、いろいろとアセトアニリドについての現例、現実の実証というものが載っておりまして、これは決して毒性がないと言い切ってはならないと思うし、現に厚生省自身がこれを禁止されたところに、認められたという結論になるのではないかと私は思うのです。ですから、頭痛薬についても敏捷な処置をおとりになるべきではないか、こう思う次第でございます。
  181. 内田常雄

    ○内田国務大臣 医家向けの、お医者さんが処方せんをつくられたり、あるいは調剤をせられる薬の際にアセトアニリドを用いられることは、これは私はたいへんいい場合も多いと思いますが、一般薬として、大衆薬として売られているものの中にそれが入っていることは、いろいろの見地から好ましくないということで、一般薬から、かぜ薬からはそれを除かせる基準をつくったわけでございます。さっき申しましたように、世界じゅう禁止はいたしておりません。しかし、おっしゃるとおり、これを運用したり、あるいはまたある数量以上を飲むということについては問題があることは、厚生省もそこにございますようによく承知をいたしておりますので、したがって、今後頭痛薬あるいは胃腸薬等の基準をつくります際にも、私は当然同じ考慮が払われるであろうことを期待をいたしております。  しかし、その基準は、厚生大臣、私がつくるわけではございませんで、その専門家のお集まりでありますところでつくられますので、私がそうであると考える、また渡部さんがおっしゃるようなことが否認されるような形で、つまり新しくつくられるものには、そういうものの使用を認めるような形で新しい基準がつくられないだろうと私は期待をいたすものでございます。お話はよくわかりました。
  182. 渡部通子

    渡部(通)委員 基準をつくるのは専門家でございましょうが、決裁をなさる責任は厚生大臣におとりいただくわけでございますから、その点だけはしかと承知をしておいていただきたいと思うわけです。  ここでひとつ禁止された薬品について法制上の問題を伺っておきたいのですが、サリドマイド、まだ記憶も新しいですが、あの非惨な事件を起こしましたサリドマイドの睡眠薬、それからこの間厚生省の処置が早いといってほめられましたキノホルム、この二つの薬の廃止状況、禁止状況ですね、これは法的にどういうふうになっているか、ひとりお答えをいただきたいと思います。
  183. 内田常雄

    ○内田国務大臣 サリドマイドにつきましては、製造業者から製造廃止の届け出があったということで、したがって、厚生省のほうから積極的な製造禁止とか、承認の取り消しとかいうことを待たずして、業者のほうから製造廃止届けが出されていると私は聞いております。  それから、キノホルムにつきましては、これはまあスモン病の原因として疑うに足る一端があるということで、販売停止、使用停止を行政指導でやっております。それは業界におきましてもよく守られているようでございますので、したがって、製造承認の取り消しはいたしておりませんが、売らないもの、使わないものは新しくつくられてはいない、こう私は聞いております。
  184. 渡部通子

    渡部(通)委員 そこがたいへん問題だと思うのですね。社会問題を起こしてからあわててメーカーが廃止届けをするのを待っている、自粛するのを行政指導する、それを待って厚生省が認めるというだけの監督官庁になっている。私はこの薬事行政に対して、この姿勢を実にふがいなく思っている。実はキノホルムなどというものはとっくに禁止されているものと思いまして、厚生省の資料を見ましたら、「中止させるとともに、既に販売されているものについては、その使用を見合わせるよう広く一般に周知を図った。」この処置で終わっているわけなんです。私はこれが一つ誤りではないか、こう思うわけです。もしも、もぐりの業者がいたりあるいはそのおそろしい薬がまだ残っていて、知らずに飲んでしまう。もぐりの業者がいて、そんな悪意の人はいないでしょうけれども、間違ってつくってしまう、そういったこともあるわけでございまして、単に業者の自粛を待つ、廃止届けの届くのを待つという、こういう薬事行政に対する厚生省の姿勢は非常にうしろ向きではないか。  諸外国の例を見てみました。いろいろありましたけれども、フランス等においては、「医薬品が公衆衛生上の見地から危険であるとの疑いがいだかれるときには、大臣は明確な結論が得られるまで、根拠を明らかにしてその医薬品の許可を停止し、あるいは販売を禁止しなければならない。」とあります。「その明確な結論は六カ月以内に出されなければならない。そうでない場合には、許可の停止、発売禁止の処置は解除される。」こういうふうに載っておりまして、私は、キノホルムとかサリドマイドの睡眠薬がいまだに禁止になっておらない、発売も禁止になっておらなければ、製造も禁止になっておらない、ただ業者の自粛が出ただけだ、ここに非常な疑問を持つわけなんです。総理大臣は昨年の予算委員会のときに、サリドマイド事件に答弁なすって、業者が製造をやめたものは禁止して差しつかえないと御答弁をなすったようでございます。     〔委員長退席坪川委員長代理着席〕 そのとおりだと思いますので、この際、医薬品のこういうあぶないものについては、業者の自粛ということではなくして、禁止、発売停止、ここへ行政処置あるいは法的改正をなさる御意思はないか、これを伺いたいと思います。
  185. 内田常雄

    ○内田国務大臣 サリドマイドにつきましては、業者の自粛ということではございませんで、製造の廃止届けをしてしまいましたから、私どもがかりに禁止をするにいたしましても、もう禁止の対象がございません。そういう薬がなくなっちゃっているということで御理解をいただきたいと思います。しかし、それはやり方がございまして、薬事法に基づく製造承認の取り消しという方法もあったろうと思いますが、いまから十年前でございますが、むしろ業者のほうから進んで製造廃止届けをしたということで、対象がなくなっております。  キノホルムのほうは、ただいま先生がおっしゃるとおりでございますが、これははたしてスモン病の原因であるというところまで至っておりませんけれども、スモンはたいへんな問題でございますので、一部の学者からそういう問題が出されましたので、厚生省の私どものほうから、直ちに行政指導をもって販売停止、使用停止ということを申し渡しをいたしたわけでございます。必要があればいつでもその承認の取り消しまで進んでいいわけでございますが、現在のところでは販売の停止、使用の停止ということが守られておりますし、また一方、スモン対策議会等の研究によりましても、キノホルムがスモンの原因だというところの疑いが十分だというところまで来ておりませんので、いまの状態にございます。  しかし私は、薬のことにつきましては、渡部さんやまた総理大臣がいつも言われることと全く同感でございますので、薬の問題につきましては、できるだけお説も伺いまして、また世論にも耳を傾けましてやってまいるつもりでございます。
  186. 渡部通子

    渡部(通)委員 同じ気持ちだそうですから、もうなくなったものだからこそ私はペケにしてしまったほうがよろしいと思うのです。ないから禁止する必要じゃないのです。総理はそうおっしゃったのですよ。製造をやめたものは禁止して差しつかえない、総理大臣はそうおっしゃっているのです。だから厚生大臣としては、当然これは禁止あるいは廃止処分、こういった処置をとるべきだと思います。
  187. 内田常雄

    ○内田国務大臣 それはいわば戸籍から抹消されているものでございますから、したがって本人がどこか、何といいますか失踪といいますか、なくなっちゃうものですから、取り消しの対象がなくなっているということでございます。しかし、なおせっかくのお話でございますから、法律的に割り切ったほうがいいという問題もございましょうから、先般のアメリカの三百何十品目の整理ではございませんが、そういうようなことをやります場合には、もう死んでしまってないものでも一つでも数が多いほうが私の手柄にもなりますので、禁止品目に入れたいと思います。
  188. 渡部通子

    渡部(通)委員 ひとつお手柄をうんとお立てになっていただきたいと願うわけですが、そこで、薬事法の中に取り消し条項がないということが私はやっぱり一つの問題だと思うわけです。したがって、現在の薬事法の中に取り消し条項を一つ入れるということが、これは一一〇番的法改正の必要だと思うわけでございます。この点についてはひとつ総理の御見解はいかがでございましょうか。
  189. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 一つぐらいは私が答弁せぬといかぬようですけれども、とにかく必要な法律はそのままにしておきますが、不必要な点、またその他有害だと、かように感ずるところは改正するにやぶさかでございません。
  190. 渡部通子

    渡部(通)委員 総理からそういう御答弁がございましたので、しっかり厚生大臣お願いします。  それに加えて、ひとつ副作用の件についてもお願いをしたいと思うのです。日本ほど薬王国はないといわれるほど大衆に直接薬が出回っている国はございませんで、しかもこういった、いまずっと審議をしてまいりましたような問題が、薬の危険性の一面ということが知らされていない、こういう点から起こってきていると思うわけでございます。ですから、何とか副作用の明記を義務づける御意思があるかどうか、伺いたいのです。  これがアメリカのかぜ薬でございますけれども、これは単なるかぜ薬ですけれども、丁寧に使用方法の注意が書いてございまして、何歳以下のお子さまに飲ませるときはとか、置き場所はどうしなさいとか、多過ぎたらどうしなさいとか、こういう症状では飲んではなりませんとか、丁寧にかぜ薬一つに書いてございます。それに比べて、これは日本の最もひどいブロバリン錠、これは睡眠薬です。これに対して小さく、連用ですか、あまり小さいからわからないんです。「習慣性あり」とこう書いてあるだけで、「習慣性あり」じゃちょっとぴんとこないです、何を言っているんだか。ましてほんの軽いこういう頭痛薬とかかぜ薬になると、どこを開いてみても何にも書いてない。中の効能書き全部お見せしてもけっこうでございます。どこを見ても副作用、注意事項というものは何一つ書いてございません。私、こういったところが非常に薬を誤まらせているのではないか、こう思うわけでございまして、これから厚生省が薬を許可なさる場合に、副作用の明記を義務づける、これを厚生大臣に御意思があるかどうか伺っておきたいと思います。
  191. 内田常雄

    ○内田国務大臣 当然なことであると思います。また使用方法なども、これが一般薬の場合には使用者はしろうとでございますので、できるだけ丁寧に書いておくべきであると私は思います。それからまた、いまのブロバリンなどは、これはたぶん睡眠薬でございまして、医者の指示薬で、医者の指示がないと飲めないものかもしれません。もしそうでありますならば、そういうものも医者の指示なくして使用すべからずというふうなことをはっきり書くようなことを私は話させたいと思います。
  192. 渡部通子

    渡部(通)委員 次に、医家向け医薬品の現品添付の問題について伺いたいと思います。  けさほどの新聞に、多少薬は値下げになる、こういう記事が出ておりまして、いま薬も一つの節にかかっているようでございますが、医家向け医薬品の現品添付、これはもちろんおわかりのことと思いますが、いまちまたに横行しておりますとおり、医家向けの医薬品に現品添付といっておまけがついてくるということが暗黙の事実になっております。この現品添付の問題は、薬の価格という単なるそういう問題ばかりでなくて、命と健康に関する重要な問題であると思いますし、またまた医療制度にも大きな影響を及ぼすことであると思いますので、この問題を取り上げたようなわけでございます。最近の現品添付の実情はたいへん多いらしくて、去年の暮れあたりは、ことしから現品添付がなくなるのだということで、おまけがつかなくなるということで、たいへん薬屋が、みんな在庫品が売れてしまった、そういうことも去年の暮れにまだニュースが伝えられたばかりでございます。  この現品添付の問題は、新聞報道によりますと、昨年十二月十四日、中医協においていわゆる医家向け医薬品の現品添付が規制されて、翌十五日、薬務局長通知によって、現品添付を行なったメーカーの当該薬品は、薬価基準の収載品目から削除するという方針が出たようでございます。現品添付を禁止することによって、どんな効果を期待されたのか、要するに直接の動機は何だったのかということを、まず伺いたいと思います。
  193. 内田常雄

    ○内田国務大臣 よくいわれておりますように、健康保険の医療給付を受けます際に、患者が必要でないくらい薬がたくさんつけられるというようなことがいわれますが、そういう医家向けの薬に現品添付、おまけがどんどんついてくるというようなことになりますと、自然、医療給付におきましてもよけいな薬が使われる、それだけまた医療費の支払いも多くなり、健康保険も赤字にもなるというようなことになるわけでございまして、このことは各方面からも批判がございました。そういう事態を矯正するために、今度のような処置がとられることになったわけでございまして、私はこれを歓迎いたしております。
  194. 渡部通子

    渡部(通)委員 保険局長通達によりますと、「「添付が行なわれている医薬品については、薬価基準から削除すべきである。」という決定があり、当局はこの決定に従って必要な措置をとる」こう書いてございますが、必要な措置というのは、当然薬価基準からはずすということでございますね。
  195. 内田常雄

    ○内田国務大臣 さようでございます。
  196. 渡部通子

    渡部(通)委員 同じく確認でございますが、「添付に代えてこれに類するような販売方法」とありますが、これに類する販売方法というのは、いろいろリベートとか値引きとかあると思うのですが、これらの場合に「さらに必要な措置をとる」としてございますが、これもやはり薬価基準の削除の対象となるということでございますか。
  197. 内田常雄

    ○内田国務大臣 さようでございます。
  198. 渡部通子

    渡部(通)委員 先ほど厚生大臣は、この現品添付を禁止するからには背景として、実情をお話をなさいましたが、何らかの現品添付の実態というものが背景に事実としておありになったのか、そういうものを調査なすったのか、これをひとつありましたら明らかにしていただきたい。
  199. 内田常雄

    ○内田国務大臣 ここに私が持っているわけではございませんが、御承知のように健康保険で患者に薬を与えました際に、その薬の代金は保険のほうへ請求を医療担当者からされるわけでございます。そのときの薬の値段というものは、いまお話しの薬価基準できめられるわけでございますので、最近のように薬の製造が近代化され、大量生産がされ、合理化されるというような場合に、当然製造原価が下がってくる薬もあるはずだという見地から、厚生省では中医協と協力をいたしまして薬価調査を、製造業者の側とまたその薬を買い入れますほうの医療担当者の側と両面につきまして、おおむね一年に一回ぐらい調査をいたしておりますので、そういう調査によりまして、私どものほうも、どういう薬にどのくらいの現品添付、おまけがついておるかというようなことがわかってくるわけであります。そういう間接調査と申しますか調査が行なわれておるわけでございます。
  200. 渡部通子

    渡部(通)委員 いまの大臣の御答弁ですと、薬価調査によって現品添付の実情が間接的にわかったというお話でございますが、そうでございますね。――私薬価調査の点は、じゃあとで触れることにいたしまして、薬価調査の結果によって現品添付の実情がわかったということは、少し現実と合わないのではないかというふうに感じます。これはあとでいたします。  で、厚生大臣は現品添付の実情はあまり御存じないようでございまして、ちょっと申し上げますと、医薬品に対する一〇〇%、二〇〇%、三〇〇%あるいは一〇〇〇%ですね。一〇〇〇%といいますと、百買うと一千個ついてくるというおまけでございますね。そういうものが業界紙の社説の中にも出ておりますし、実際こういうことが常識となっているというのが実情なんです。そういったことがやはり現品添付の背景になったと、私から厚生大臣にお教えするようなかっこうになりますが、いま申し上げましたように、そうしますと、一〇〇%添付の医薬品があるとすれば、この場合は医薬品の原価は半分、一〇〇〇%となれば原価は十分の一の価格となるわけでございます。薬九層倍というのは、まことにそれ以上の現実ではないか、これが実態でございます。多くの国民が抱いている疑念というのはそこにあるわけでございまして、そういう意味では、この現品添付を禁止なすったということは、私非常に高く評価するのです。ですけれども、私申し上げたいことは、現品添付をやめるというよりも、それならば、現品添付をやってもまだもうかる、見合うという原価で薬は製造されたわけでございますから、むしろ現品添付廃止よりは薬の価格値下げの方向へなぜ御指導をなすってこなかったか。実は、現品添付の問題は、昭和四十二年にうちの党の田代さんが参議院で質問いたしまして、実情をはっきり申し上げました。それ以来、ずっと調査をなすったという厚生省の御答弁になっておりまして、そういう中で、なぜほんとうに一〇〇%も二〇〇%もおまけをつけてもなおペイするという、その原価に見合わせた値段に下げさせることに、おまけをやめさせるよりは値段を下げるという方向へなぜ厚生省は御指導なさらなかったか、そちらが本筋ではなかったか、これを申し上げるわけでございますが、いかがでございましょうか。
  201. 内田常雄

    ○内田国務大臣 でございますので、そういう措世をとることに実はいたしました。ただ、値段を下げるということは、安く売るわけでありますが、下げた分だけそのメーカーの薬が買われるということではないわけでございますので、メーカーのほうあるいはそれにつながる販売業者のほうといたしましては、商売の慣習といたしましては、値段を下げることで競争をするということもさることながら、さらに、自分の薬を売り込むという意味で、私は現品添付ということが慣習になっておったことと思います。そこで今回は、それをやめるわけでありますから、渡部さんが言われるように、ただ一〇〇%の添付をやめれば今度は販売価格は半分になるということとは限らないと思いますけれども、当然私は値引きの問題が起こってくると思われますので、そういう含みで監視をいたしております。
  202. 渡部通子

    渡部(通)委員 これは完全な薬の二重価格だったと思うのです。それもちょいとした二重価格じゃございませんで、薬九層倍を地でいくような二重価格であった。それを、きょうあたりの新聞で、平均五%程度値下げをして済ませようとする。これは私、少し消費者にとっては酷な話だし、少しメーカーにとっては虫のいい話ではないか、こう思うわけでございまして、現品添付禁止という処置をおとりになったのですから、なぜ値段を下げないといってもいたしかたのないことで、じゃこの通達をお出しになったあと、はたして現品添付というものがなくなったかどうか、その辺を一カ月たった今日、厚生省としては実態調査なり把握なりおありでございましょうか。
  203. 内田常雄

    ○内田国務大臣 私どものほうが、現品添付廃止の通達を出しましたのは、たしか昨年十二月でございます。それを受けまして業者のほうはたいへんな旋風になったということで、これは寄り寄り協議をされまして、そして、とどのつまりは、製薬団体連合会等が、その現品添付廃止の決定をみなでやろう、こういうことになりましたのは、ことしの一月に入ってからだと思います。そういうことでありますから、現品添付はやめられること、あるいはやめられたことと思いますが、なおそれを一々トレースるまでの時間はございませんが、その方向で進み、また、値段を今度は原価を安くして入れる、こういう方向にいま進みつつあるということのようでございます。五%の値引きということも、けさ何か新聞で私も見ましたが、事務当局に確かめましたところが、まだ平均五%ということもきめられていないんで、ものによってみなその引き下げの率が違う状態であって、最終的には集計もしてなければ、つかんではいないというのが、まだ今日の現状でございます。
  204. 渡部通子

    渡部(通)委員 まだ現状をつかんでいらっしゃらないということでございますので、私がつかんだだけの現状を申し上げたいと思うのです。  私の調査したところによりますと、実際はまだ現品添付というものは行なわれているようでございます。昨年の暮れに大量の薬がお医者さんによって買い占められた、こういう現実でありながらも、まだ残っている。現品添付というものはなかなかやめられないという。これは、東京のある比較的処方せんの回ってくる某薬局で現品添付の実態というものがございまして、あちらにもこちらにもありましたけれども、きょうは一つだけ例を持ってきたわけでございまして、ここに、メーカー名は申し上げませんけれども、アンヂニン錠というのがございます。これはわりに有名な薬なんです。これは添付が禁止されたあと、四十五年十二月二十四日に某卸から納品されたものの薬でございます。これは五百錠入りでございます。その後、一月の二十三日、すなわち一カ月後になって、入日記という伝票を持って現品添付を持ってきたということなんです。これによりますと、この五百錠を十二月二十四日に買い入れたのに対して、一月二十三日、一カ月後に現品添付として四百五十錠、すなわち、百錠入り――中身はこれなんです。百錠ずつ入っているのですけれども、百錠入り四個、それから五十錠入り一個、合計四百五十錠持ってきたというのが実情でございます。     〔坪川委員長代理退席、委員長着席〕 伝票もここに持ってまいりました。確かにこれは五百錠買っております。アンヂニン五百錠、単価二万二千五百円、こう書いております。これは完全な納品書でございまして、四十五年十二月二十四日でございます。一カ月後になりまして、入日記というこの伝票で四百五十錠持ってきたのですが、これには確かにアンヂニン百錠四箱、五十錠一箱、四十五年十二月二十四日の分と、これは鉛筆書きで書いてあって、価格は書いてないのです。こういう形で一カ月後に現品添付の薬が、大体九〇%というおまけとしてついてきた。そうしますと、厚生省が去年の暮れに禁止をされた後にもこういう添付が行なわれた。先ほど大臣ははっきり、削除の対象とするという御答弁でございました。こうなると、こういう種のことに対しては――ほかにもあるのです。たとえばヒオタミンが一月二十四日、一万錠に対して四千五百錠、すなわち四五%の添付が行なわれております。これはわれわれの調べただけでもこれだけの調査が出てくるのですから、厚生省が実情を知らないほうが私はおかしい。こういう場合はどうなんですか、削除の対象になるわけですか。
  205. 内田常雄

    ○内田国務大臣 これは薬務局長から答えさせればもっとはっきりいたしますが、私が聞いておりまして、そういうものかなと思っておりましたのは、私どものほうで通達といいますか、示達を出しましたのは、十二月でございまして、それから、業界がもうたいへんな旋風を起こして、いつからやめるかという問題で、いつまでに販売契約をしたもの限りというようなことでございますから、いまの伝票の昨年の十二月何日というのは、そのときまでに――私薬屋じゃないのですから薬屋の側に立ちませんけれども、ある経過的な時期においてそういうことがあるのではないかと思います。しかし、そういうことをいつまでもやっているということでありますならば、ほんとうに私は薬価基準から落とします。それがどんな薬であっても、落とさざるを得ないと私は考えます。
  206. 渡部通子

    渡部(通)委員 私がここで申し上げたいことは、現品添付ということの本質的なあり方というものを、ひとつ問題提起をしたいということが念願でございました。もちろん現品添付は廃止されるべきです。もうそのとおりでございますが、しかし、問題は明らかに薬の二重価格をどうするかということのほうが私は大事な問題だと思うのです。ですから、そういう意味では、やはり原価を公表して、それに見合う値段をつける、これが一番正統的な行き方だと思うのです。この点については、厚生大臣の御意見はいかがでございますか。製造原価の公表の要求をいれていただけますか。
  207. 内田常雄

    ○内田国務大臣 それは、私いまここで原価のことはわかりませんが、価格については薬価基準そのもので保険に請求できる価格というものがきめられております。そして今度添付を廃止しますと、当然価格の競争に入ることも予想されますので、私どもは、先ほど申しました薬価調査をやります際に、実際に売られた価格というものを一そうつかみやすくなることと思われます、現品添付という陰の添付がなくなりますので。そういたしますと、それで薬代の節約が相当進むのではないかと私は期待をいたしております。
  208. 渡部通子

    渡部(通)委員 いま私は薬の二重価格に対して、むしろ現品添付をやめるよりは、きちっと製造原価というものを知らせていただいて、それに利潤を加えて適正な価格に落とす、こっちのほうが本道ではないかと、これを申し上げておりましたですけれども、総理大臣、その点御感想はいかがでございましょうか。
  209. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 渡部君の言われることもしごくもっともだと思います。厚生省で適正な価格を決定する、その際に、ただいま言われたようにこれからは扱う、そのことを私も厚生省に十分気をつけていただくように注意いたします。
  210. 渡部通子

    渡部(通)委員 いま総理からたいへん前向きな御答弁をいただきまして、製造原価とそれに見合った価格ということで厚生省にやってもらうという御答弁でございますが、これはしかとひとつ覚えておいていただきたいと思うわけです。  ここでひとつ私意見を言わせていただきたいのは、何も、安い薬がいいんだから安くしろ安くしろ、こういうつもりは全然ございませんで、いい薬なら高くても大事に使わなければならないという、これが薬の本質だと思います。したがって、何でも現品添付をやめてしまえばいい、こういう行き方が薬の本筋かということを申し上げたい場合でございます。で、現品添付をやめてガラス張りにすることも当然ですけれども、一方やはり患者の立場に立ち返って考えた場合に、いい薬がただ現品添付が行なわれたということによって薬価基準からはずされた、こうなってしまって保険がきかなくなって、ほんとうに患者がその薬を使いたいときに全部費用負担が患者にくる、こういうことになるのもあり得ることでございまして、これが薬効の上の問題で削除するのならけっこうでございますが、単なる現品添付を行なったということで患者負担に返ってくるというようなことにならないように、それだけはひとつ御対策を立てていただきたい。それが、ちゃんとしなければ、まじめな医者も困りますし、消費者にとっても何の利益も与えられない現品添付となってしまうのではないか、これを憂えるわけでございまして、この辺、厚生大臣はお考えでございましょうか。
  211. 内田常雄

    ○内田国務大臣 そういう面もあろうかと思いますので、それはそれでまたいろいろ考慮してまいりたいと思います。ただ、渡部さんのおっしゃるように、ある薬については現品添付をしてもいいのだよ、こういうわけにはまいりませんので、現品添付をやめるなら全部やめていただいてと、私はこういうことをまず考えてまいりたいと思います。
  212. 渡部通子

    渡部(通)委員 それはそのとおりではございませんで、患者負担に返ってこないように、それがいまの行政でそのままやっていくとそういうことがあり得るから、それに対する歯どめ対応策を考えていただきたい、こういうことでございます。  もう一つ、薬価基準のことが先ほどから話に出ましたので、薬価調査のことについてひとつ伺っておきたいと思います。先ほど厚生大臣は、薬価調査によって現品添付の実情もわかる、薬価調査によって原価もわかる、こういう仰せでございますが、薬価調査の調査項目というものは何でございますか。
  213. 内田常雄

    ○内田国務大臣 現品添付は必ずしも薬価調査だけでわかるということではないので、これは陰の添付でございますから、わからない場合もあると思いますが、薬価調査にタッチする以上、現品添付のことも当然私は厚生省の調査官は感づいてきているということの意味で申し上げました。  それから、薬価調査は原価調査ではないわけでありまして、現実にある薬が幾らで医者に納められておるか、売られているかということを調べまして、そして薬価調査をします際には、同じ種類の薬で安い値段のものからとっていきまして、あるところにバルクラインを引きまして、それ以上高い値段でお医者さんが買ったとしても、保険にはそのバルクラインの値段までしか請求できませんよ、こういう調査でございます。
  214. 渡部通子

    渡部(通)委員 薬価調査の中に詳しく入ろうとは思いませんが、確かに、厚生大臣がおっしゃったように、これは原価は関係ないのですね。製造原価というものは薬価調査の中には関係ないわけです。卸と、買ったという、それが客体調査として出てくるわけでございますよね。だから、これによって現品添付の様子がわかったということは、これは少し違うのではないか。最初私申し上げたとおりでございまして、そういう意味では、私が申し上げたいことは、これからの薬価調査の中にも現品添付というものは反映されないのではないか。リベートとか、いま薬価調査の基準をおっしゃいましたけれども、確かに薬にはいろいろな包装の種類がございまして、その包装も、たとえば五万錠、一万錠、五百錠というようないろいろな包装がありますが、その基準をとって薬価調査をなさるわけですから、その基準以外の包装にリベートやら現品添付がつけられた場合、薬価調査の上には現品添付の反映はないのではないか、そういう意味で薬価調査の調査項目に対して問題提起をしたいわけです。これを抜本的に考え直すおつもりはないかどうか。そうでなければ適正な薬価というものは出てこないと思いますが、いかがでございましょうか。
  215. 内田常雄

    ○内田国務大臣 問題提起をしていただきますならば、すなおに承りたいと思います。ただ、原価調査がはたして薬価調査でできるかどうか。それはむしろ経理士的な立場から、薬のメーカーなりあるいは卸業者なりの企業会計の中に入ってみないと原価は出てこないので、そのことは、なお私がやれますとは、いまここで申し上げられないかもしれません。
  216. 渡部通子

    渡部(通)委員 問題がこまかくなり過ぎますので、それはあとのことにして、私たち消費者にとって一番関心の深いのは、現品添付によって明らかに医家向けの薬価というものは下がってくる。ならば、大衆向けの薬価、すなわち再販価格というものも当然引き下がってしかるべきだと思いますが、この点はいかがでございましょうか。そういう面で指導していただけますでしょうか。これは公取委員長に御意見を伺いたい。
  217. 谷村裕

    ○谷村政府委員 当然ただいまのような考え方でいくべき問題だと考えております。
  218. 渡部通子

    渡部(通)委員 それが一番心配な問題でございまして、けさあたりの新聞に薬の値引きというものが出ておりますけれども、現品添付をやめたにしてはもう少し下がってもいいはずでございます。同時に、いまの公取委員長の御発言で十分でございますが、大衆向けの再販価格というものも当然引き下がってしかるべきもの。これは今後私たちに直接関係をすることでございます。薬の値段が下がるのをひとつ楽しみにしておりますので、ひとつよろしくお願いをしたいと思います。  たいへん長くなりますが、物価の問題についてお願いをいたしたいと思います。いまはお米、野菜、こういったことがたいへん心配な時代でございまして、中でもお米が値上がりをするんではないかということは非常な問題でございます。総理大臣は、伊勢参りでの記者会見のおりに、物統令からはずしても値上がりが心配だから、何らかの歯どめ政策が必要だとおっしゃいました。また松野質問に対しても、一応危惧を述べられたようでございます。歯どめが必要なものをなぜはずすのか、物統令をはずされた目的は何なのか、それを伺いたいと思います。
  219. 倉石忠雄

    ○倉石国務大臣 私から初めに申し上げますが、いまのお尋ねにつきましては、消費者米価につきまして物価統制令の適用を廃止いたしますのは、いますぐというわけではありませんで、大体私ども見当をつけておりますのは、四十六年産米の出る前ごろにしたいと思っております。  御存じのように、米の需要供給がただいまのように大幅に緩和いたしておる事態のもとで、やはり消者がお好みになる品種を自由にお買いになることのできることが望ましいことでありますが、いまはお米はそういう状態になっておらないことは御存じのとおりであります。そこで、品質に応じた米の価格形成が行なわれるようにいたしますことを通じて、つまり消費者が品質につきまして御自分の好みに応じて米を買えるようにすべきである。そういうことにいたしますと、お百姓さんのほうでも、たとえば新潟県のコシヒカリ、たいへん自慢にしておりますけれども、それを消費者がそれだけに評価しているかどうかということは、いまの状態ではわかりませんので、こういうふうに米が潤沢になってまいりました機会には、ひとつその選択を自由に行ない得るようにいたしますとともに、米の品質の改善と良質米の供給の増大に資することを目的といたしたいと思っておるわけであります。  そこで、米の販売価格につきまして、そのままただ物価統制令の適用を廃止いたしましても、消費者の選択に応じて適正な価格形成が行なわれるようにいたすことが大事なことでありますので、まず私どもといたしましては、米の販売業者をいまのようにきちんとしておかないで、新規に販売業者の参入を認めることにいたしまして、みんなが競争していいものを安く売れるような競争原理をそういう方面に持っていきたい。それから米の需給の事情が十分に反映いたしまして、そして流通面の合理化を進めてまいりたい。消費者価格の安定をはかってまいりますためには、やはりいまの統制よりも、競争原理を用いました新規参入を認めて、みんなが競争してやっていくというほうが、消費者の利益になることだ。そういうことはただいまのように政府手持ちが七百万トン以上もあるようなときにこそできることでございますので、そういうことがやはり消費者大衆の利益になることである。したがって、それと並行して、ただ統制令をはずしっぱなしということではなくて、その前にただいま申しましたようないろいろな手段を講じまして、値上がりなどのないように措置をいたした上で廃止をいたしたい、こう考えておるわけでございます。
  220. 渡部通子

    渡部(通)委員 要するに、うまい米は高く、まずい米は安く、そういう選択ができるように、こういうお話のようでございますが、つまり品質によって価格に差をつけるということは当然でございますし、現行でも内地米あるいは徳用上米では公定価格上も差はついているようでございます。それと同じ意味で、内地米の間でも、品質、産米年度とか、あるいはそういったことで格差をつけることはやれるのじゃないか。何も物統令をはずさなければ差がつけられない、こういうことではないのではないかと思いますが、その点はいかがでございましょうか。物統令からも幾らでも差は――うまい米は高く、そういったことは可能ではないか。
  221. 倉石忠雄

    ○倉石国務大臣 御存じのように、政府売り渡し価格というのは、ただいまのやり方では、問屋まではそれでまいります。問屋から小売りにまいりますそれは物統令でひっかかっているわけであります。それから小売り屋さんが消費者に売却するのも物統令でございます。したがって、いまでは、味のいい米というよりも、反当たりの収量の多いものをつくるほど農家は所得がふえるわけでありますので、現在のように非常にたくさん米のありますときにこそ、私どもは、消費者が喜んでうまい米であるといって買っていただくようなもの、しかも生産者が、先ほども申しましたように、全国各地でやはり自慢の品種がありますので、そういう方々は、伝えられるところ、みんな故老が申しますのには、そういういい米というのは収量が少ないと前からいわれておりますが、そういう方々にも経済的な御希望を達成されると同時に、また消費者も喜んで食べていただくような格づけのできた米を自由に入手できるようにすべきではないか。こういうことはやはり消費者の利益のために私どもは考えているわけでございます。
  222. 渡部通子

    渡部(通)委員 最初総理にお尋ねをしましたもので、私としても総理にその点は伺っておきたいのですが、物統令をはずして一体米価が上がるのか下がるのか、これがいま消費者にとって一番心配でございまして、総理は確かに、上がるかもしれないから歯どめが必要だとおっしゃった。大蔵大臣は上がらないとおっしゃった。田中幹事長は下がる。こういうそちらでもたいへんまちまちなように国民の間には報道されておりまして、私は総理の危惧が一番正しいのではないか、こう判断をするのでございますが、その点はどうなんでしょう、端的に言って。
  223. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 端的に申しますと、完全に自由競争になると下がるだろうと思います。しかし、私は、ある程度いまの配給製度がございますから、配給にたよっている方は、もうお米屋さんでもこれにはやっぱり幾らの価格というもので売っている。そういう人まで、今度は物統令がないと、そういう方がいろいろ競争――完全競争で下がっていけばいいですが、どうも高いほうに右へならえする心配があるのではないか。それを私は率直に申したのでございます。でありますから、物統令を廃止すること、これは現状では適当だと思う。しかし、まあ二割か三割程度まだやっぱり配給米を買っていらっしゃる方がある。そういう方のためにその価格が非常な変動をしても困るだろう、かように思いますので、そういう場合にどういうような歯どめをするか。これは米のないときならくふうができませんが、政府が米を持っている、貯蔵米を持っている、そういう場合だと、新しい小売り業者を参加さすこともできれば、スーパーマーケットで売ることもできる。そういうように歯どめになる。いわゆる競争の原理を取り入れることができるのだ、かように私考えております。
  224. 渡部通子

    渡部(通)委員 いま総理は、二、三〇%は配給米にたよっているというお話でございますが、総理府の総計調査によりましても、現在五四・六%、半分以上の方がやはり配給米でございます。私も千五百四十円、毎月でもありませんが、買っているわけでございまして、自由米が四〇%、自主流通米五・四%、結局半分以上の方がまだ配給米によって食べているというのが現実でございまして、もしこの統制令をはずされれば、私の判断では、上がることは必然ではないかという、こういう客観情勢を感ずるわけです。  これは時間がありませんので端的に読み上げてしまいますけれども、一つは、現行の自由米価格というものは十キログラム二千円見当、それから二番目に、政府公認のやみ米、すなわち自主流通米が千九百円見当で売られております。それから三番目に、配給米の価格は公定価格の最高限度額にくぎづけをされている。上限をきめていただいているのです。これはとても大事なことだと思うのです。また四番目には、流通業者はマージンが少ない少ないとぼやいておりますので、これは上限がはずされたらどういうことになるか。そこにもつていって政府の売り渡し価格というものは据え置き、仕入れ価格は下げない、こういう状況が整ってまいりますと、客観的に見て、どうしても下がる要件は考えられない。上限をはずせば、この際は上がるしかないじゃないか、これが客観的な判断だと思いますが、いかがでございましょうか。
  225. 倉石忠雄

    ○倉石国務大臣 いまお話しのように、ただいま十キロで乙地が千五百十円でございますが、政府は、もし物統令をはずすというときになりますと、その前には、先ほど申しましたように、新規参入等をして競争原理を採用する等、いろいろ手だてはいたしますが、そのほかに、とにかく政府は様子を見ておって、それを――何しろさっき申しましたように、七百万トンも持っておるわけでありますから、上がるというのは、つまり品物が払底してくるのでなければ上がらないわけであります。  マージンのことについていまお話がございました。マージンにつきまして、私どもそういうことをも考えておりますので、昭和四十六年度予算では、一俵当たり六十五円のマージンを引き上げました。それは逆に申せば、売り渡し価格がきまっていてマージンを差し上げたのでありますから、それだけ政府の売り渡し価格は安く下げた、こういうことでありますが、いろいろな操作をすることが政府はできるわけでございますので、ただいまのお話のようないろいろな事態に応じて、政府の売り渡しについてもそれぞれの手だてを用いまして、米価は上がらないように努力をいたしてまいる。そのために種々の手段を講じた上で、本年の産米の出来秋ごろにははずしたい、こういうふうな計画を持っているわけでございます。
  226. 渡部通子

    渡部(通)委員 もう一点、先ほどから、お米が余っているから需給上上がらないのだ、こういう御答弁のようでございますが、やはり総理が先ほどおっしゃったように、物の価格は、需給関係できまるためには、生産、流通、消費、すべて自由化されていなければそういう現象はあり得ない。政府がお米を管理して一定価格で売るシステムをとる以上、いかに米がダブついていても、米価は下がるはずはないと私は思うのでございますが、その点はいかがでございましょうか。
  227. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 さっき申したので少しことばは足らなかったようですが、とにかく政府が持っているものを、小売りといいますか、あるいは消費者の手に渡るような、そういう処置をとることが競争原理の導入だ、こういうことに通ずるわけです。でありますから、いまの、それがどういうようにとれるか、実際にやってみないとわからないですね。ただ、スーパーで米を売り出したとか、あるいはまた小売り商、米の取り扱い業者をもっとふやしたとか、そういうことで事足りるか、あるいはもっとそれより以上の処置を必要とするか、そういう問題があろうかと思います。  しかし、とにかくこれだけの米を持っていて、そうして倉敷料を払っていて、そして米の値段が高くなるという、そんなまずいことを政府がやっては、それこそ無策だ、こういうことになるだろうと思います。そこを実施までに十分の手を経て、そうして配給米は確保する、これがいまの政府考え方でございます。
  228. 渡部通子

    渡部(通)委員 そんな無策はしないという、いま御答弁をいただきましたけれども、では、次の米穀年度、すなわち四十六年度産米、このお米に対しては、政府売り渡し価格、これは一体下げていただけるのか据え置くのか、上げるのか。まさか上げるとはおっしゃらないと思いますが、その辺はいかがでしょうか。
  229. 倉石忠雄

    ○倉石国務大臣 ただいまは、据え置く考え方でございます。(「ただいま、というのは……」と呼ぶ者あり)
  230. 渡部通子

    渡部(通)委員 いま、やじにも出ましたけれども、ただいま、ということでございますが、これは、四十六年度産米は、ということでございますか。
  231. 倉石忠雄

    ○倉石国務大臣 そのとおりでございます。
  232. 渡部通子

    渡部(通)委員 据え置きということでございますが、少なくともこれを下げなければ、物統令を廃止しても、私は、ほんとう意味の消費者サイドでお米が下がってくるなどということはあり得ないのではないか、こう思うわけでございまして、いま、据え置く、こういう御答弁をはっきりいただきましたが、なかなか国民の側としては信用できないのですね。というのは、今度の物統令解消というのは、どうも目的は食管赤字の解消ではないか、これはもうちまたにうわさされていることでございます。過去の政府の実績から見ましても、据え置く据え置くと言っても、どうも選挙が終わると上がった、これが実績のようでございまして、なかなか国民は信用でき得ない。したがって、確かにこの売り渡し価格は上げないといういまの農林大臣の御答弁は、どうかそのまま実行に移していただきたい。  重ねてもう一つ、四十七年産米についてはいかがでございましょうか。売り渡し価格です。
  233. 倉石忠雄

    ○倉石国務大臣 予算の説明のときに、大蔵大臣も、生産者米価は据え置くという説明の中にもございましたとおりでありまして、私ども、消費者米価につきましてもその方針――七年米価のことにつきましては、まだ何とも私どもは、ことに農林大臣の立場からそういうことを申し上げることをできない立場であります。  このことのついでにちょっと申し上げさしていただきたいのでありますが、食管赤字の穴埋めのためにというお話がございまして、実は私、聞いておって非常にびっくりいたしたような次第でありまして、そういう考えはございませんで、要するに、突き詰めて一つ申し上げますならば、今日のように非常に需給が緩和いたしましたときに、消費者がほしいといわれるものをやれないということはおかしいではないか、やはり消費者のお好みに応じて、それに応じたような米が行くようにすべきではないかということでございまして、その他のことではないわけであります。
  234. 渡部通子

    渡部(通)委員 いま農林大臣は、私の口から言える立場でもないというお答えでございましたので、この点については総理から明確な御答弁をいただきたいと思います。
  235. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 いま担当大臣も、四十七年のことはちょっとこれから先の先ですから言えない、かように申しておりますが、私も、いまからさような時期にどうなるか、これを申し上げることはまだ早いようですから、とにかく総理でもちょっとそれは言いにくい。預からしていただきます。
  236. 渡部通子

    渡部(通)委員 ですが、私は、お米はそこがポイントだと思うのです。その点に対して総理大臣あるいは農林大臣の確固たる御決意があれば、それなら確かに消費者の望むような方向かもしれないという、われわれに安堵があるわけでございまして、その点がどうももやもやとされますと、これは上がるなと、こういう危惧の念を総理と同じように抱かざるを得ないわけでございます。どうか上げないようにしてください。――そういまお席でおっしゃったようでございまして、それを断じて約束していただきたい。そうでなければ国民は安心はできません。いかがでしょうか。
  237. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 これは何といいましても主食ですから、われわれの生活の基本です。そういうものが上がらないようにすること、これは政府の当然の責任だろう、かように思います。  いま私もそこで偶然出たことばは、上げないようにしましょう、こういうことでございます。
  238. 渡部通子

    渡部(通)委員 たいへん時間がありませんので、最後に野菜について一言言わせていただきたいと思うのです。  時間がありませんからこまかな点にはわたりませんが、とにかくここのところの野菜の物価高というのが、だいぶ政治家の信用を落としました。私、物価の値上がりというものに対しまして、今回の本会議等を通じて総理や大臣の施政演説を聞いておりまして、ほんとうに本気でやってくれるのかしらというのが実感でございました。もしも主婦が素朴な気持ちでこれを聞いて、はたしてこれで物価が下がるのか、下がる方向に向かうのか、明るい見通しなのかということは、まことにお寒い気持ちで聞くのではないかと思うのです。主婦の立場にしてみますと、月幾らというあてがいぶちを与えられまして、それが一年間のうちに四割もこう見通しが狂ってしまってやりくりができなくなるということは、まことに切実な問題でございまして、こういう昨今の物価高というものがやはり政治不信の的じゃないか。ひいては男性不信の的になっておりまして、そういう意味でも、この物価高にはもっと本腰を入れて政策を行なってもらいたい、実行をしていただきたい。  もう総理が繰り返しておっしゃられるように、これは実行の段階で一つ一つ下げていくしかないと、こう仰せでございますので、実はきょう私の質問もまことに一つ一つと伺ったようなわけでございますが、この野菜については、農林行政というものが非常に不信の的になっているということが根本ではないか。この議論は、対策は出尽くしておりますし、生産段階と流通段階に問題があるということもよくわかっております。指定産地や予算もふやした、こういう仰せでございますが、私はずいぶんここのところ野菜の現場を回ってまいりました。農家に参りました。この間は農林省の御案内で参りました。千葉の八街に行けば、大根が九割まだ残っておりますということで行ってみましたら、九割ありませんでした。それから江東のほうの市場へ行ってまいりました。政府が手を入れないほうが下がりますよというあざけりのような視線を受けてまいりました。それから、農林省が野菜の追跡調査をなすったというところの小売り店に参りました。笑っておりまして、やり方が逆じゃないですかと言うのです。追跡調査なら、小売り店から卸へ行って生産地へ行けばいい。逆に生産地から卸へ行って、市場から小売り店へいらしたものですから、もう小売り店に見えるまでには、ちゃんと市場から電話が入って、適正価格に直しておいた、これはやっていることが逆じゃないかということを言われまして、私も政治家の端くれの一人なので、顔を赤くしたようなわけでございます。そういうことで、農林省の言うとおりにやらない、裏目裏目にやっていったほうがもうかる、これがほんとうに回ってみた現状でございまして、この信頼を回復するということが、私は野菜対策の第一歩だと思うのです。  そういう意味では、この十年間あるいは二十年間、野菜対策に対してはまことに後手であった、間違っていた、われわれの見通しが狂った、そして何もしなかったということを国民にわびるべきだと私は思うのです。そこの原点に戻らなければ、野菜対策のスタートにはならないのではないか。この意味では、ほんとうに私は、私にじゃないのです、もう困っている多くの主婦の方たちに、農林大臣は一言われわれの誤りであったということを認めていただきたいと思うのですが、いかがでございましょうか。
  239. 倉石忠雄

    ○倉石国務大臣 なかなかむずかしいことでございますが、農林省は、ただいまも追跡調査のお話がございましたけれども、省内あげて取り組むということで、最近特に私どもだけの安定会議をつくりまして、次官が先頭に立ってやっております。それはやはり逆のほうから考えてまいりますと、需要と供給の間にギャップがある。このごろは非常に食生活に変化が生じてきた理由もあるかもしれませんが、需要に見合うだけの供給がともすればおくれがちであります。それで、渡部さんも御存じのとおりでございますけれども、たとえばいままで露地野菜等はときどき干ばつその他で予期した生産が行なわれなかった。こういうことは皆さんがお認めいただけるわけであります。  したがって、四十六年度予算などには、いままでは果樹園等にしかやりませんでしたかんがい排水等の施設も用いるようにいたしまして、とにかく需要量を満たすということに全力をあげるようにいたしておるわけでありますが、何しろいま不足をいたしておりますもの、たとえばタマネギのようなものにつきましては、去年よりもはるかに多く一万トン余りの輸入――もう来ておるものもあり、来かかっておるものもある。そういうものを見ると、商人はやはりある程度相場を下げていくというなかなかデリケートなところもありますが、要は、私どもとしては需要に見合うだけの供給の行なえるように野菜指定産地等の供給力について全力をあげておる、こういう次第であります。
  240. 渡部通子

    渡部(通)委員 最後に、いまの物価高等もひっくるめて、一番大衆が心配しております公共料金の問題。これは一時ストップという勇ましいかけ声もありましたけれども、大事なものは除かれたような次第でございまして、あれがまたなしくずしに公共料金の値上げにやはりなっていくのではないか、これが国民の危惧の念でございます。その点を含めて、最後に総理から、物価に対する一言御発言をいただきたいと思います。
  241. 佐藤榮作

    佐藤内閣総理大臣 物価に関する総まとめの話をしろ、答えろと、こういうことです。なかなか一口にこの物価の維持というか、これを下げるというか“そういうことは困難なことです。そこで、少なくとも自由競争の立場で価格の決定されるもの、これについては需給の調整がとれるように供給の増加をはかる。政府はそういう立場で需給の調整をはかっていく。これが露地野菜等について計画生産だとか、あるいは野菜につきましても、全国について適当に分布する主産地をきめていく、そういうようなことで需給の調整をはかっていく、こういうことを考えております。  政府ができることは、いわゆる政府の関係する公共料金、これは許可、認可でございますが、また、政府自身が行なっているそういうものについては、できるだけこれを押えていこう。こういうことで、ただいままでのところ、郵便については封書やはがきは据え置いた、また、鉄道もことしは上げなくて済んだ、また、電話もそのとおりだ、こういう状況でございます。  しかし、一部においては、すでにもう上がったものがある、こういうことでいろいろ御批判を受けておると思います。その際に、政府が積極的に値上げをする意図はないにいたしましても、世の中の情勢はどんどん変わっておりますので、そういうときにいかに対処するかという、ここをひとつ御理解いただきたいものがあるのであります。ことに、ただいま申し上げた公共料金と申しましても、鉄道あるいは郵便、あるいは電信電話――電報料金は別として、現行据え置かれておる電話につきましても、これは多く人手に関するものが多い。機械よりも人手だ。そういう場合に、人件費がとかくかさみがちでございます。人件費だけ据え置く、こういうわけにはなかなかいかない。もしも国または公企業だけ人件費を上げないとしたら、人手不足で全部総手を上げざるを得ないようになるだろう、かように思いますから、やはり将来の問題について私は上げなくて済むような状態でありたい。一部非常に積極的な合理化は進めてはおります。合理化は進めておりますが、しかしなかなか合理化だけで克服のできない面もそのうち来るのではないだろうか。そういう際には、やはり一般の賃金の上がった際において公共事業に関与する諸君の賃金もまた上がる。こういう点で合理化をはかってもなかなかまかなえない、こういうような場合があるだろう、かように思いますので、そういう点がもしも出てくるというようなことになると、公共料金にも手をつけざるを得ない。少なくとも政府としては、私どもの関係する公共料金、これが物価の値上げの先頭を切るというようなことはしたくない、かように思って、ただいまがんばっておる最中でございます。  せっかくがんばっておる際でございますから、どうかこの上とも御理解ある御支援をお願いしておきます。
  242. 渡部通子

    渡部(通)委員 以上で終わりますが、いま上がらないような状態になってほしいという御答弁でございましたが、上げないようなひとつ総理の御一念を持っていただきたい。これを最後に要望する次第でございます。ありがとうございました。
  243. 中野四郎

    中野委員長 これにて渡部君の質疑は終了いたしました。  明三日は午前十時より委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後五時二十二分散会