○青柳委員 それでは次の問題、先ほどからもずっと繰り返しになっておりますけれ
ども、
裁判書の中の
決定、
命令を
記名押印にかえるようにしてもよろしいという例外
規定、結局は例外ではなくて、それがほとんど
原則みたいになるような
運用だというお話でございました。要するに
事務の
合理化ということに帰するようでございます。しかし、いままでの
答弁を聞いておりますと、形式などというものはあまり問題ではなくて、実質が問題なんだというふうな、切り離された形の
答弁になっている。しかし、形式によって実質が保証されるということも
考えなければならないと思うのです。
署名をするというこの形式は非常に繁雑なことではあっても、これはやはり一応全体を目を通すという保証になるわけです。もっとも、見ないで
署名だけするという場合も、忙しいときにはあるかもしれませんけれ
ども、少なくとも押印するだけよりは非常に慎重さがふえるだろう、何となく
署名をするということの重々しさが
署名する人自身にも出てきますから、これは単なる形式だ、
中身さえしっかりしておれば別に形式は問うところじゃないので、忙しいから判だけは自分で押すのだからということ、そういう
考え方でやるからやはり問題が起こるということを
国民は危惧するわけであります。現に
刑事訴訟法の上ではたいへんなものが
記名押印になっている。だから民事でもそれにならってもよろしいのではないかというような
考え方もあるようでありますけれ
ども、これは本
法案を
審議するにあたってどうこうと言うのじゃありませんけれ
ども、刑事訴訟
手続のほうで、いろいろのものを
規則で
記名押印で間に合わせておるというところにたいへんにわれわれは危惧を感ずるわけでありまして、これ
自体もう合理的で何も問題はないのだということではないような気がいたします。たとえば召喚状であるとか、差し押え捜索状とか逮捕状、あるいは差し押え、捜索、検証
令状というようなものがすべて
裁判官の
記名押印で済まされておる。勾引状でもそうですし、身体検査の召喚状でもそうですし、あるいは鑑定留置状もそうです。事人権にかかわる重要な
裁判が
裁判書においては
記名押印で済まされておる。そういう中で例によって逮捕状の問題が起こってくるわけでありますが、ある
裁判所で、自分は逮捕状を出すことは不適切だと思って判を押さなかった、それが警察の手に渡って、逮捕され、留置されたというような事実が大問題になったことがございますけれ
ども、そういうふうに形式を軽んずると、いろいろと弊害が出てくる場合があり得ると思うのですね。偽造などということはほとんどないのだ
——それをわれわれは期待するわけであります。
そこで、お尋ねするのですが、
裁判官が持っておる印というのは、実印なのでしょうか、それとも普通のどんなものにでも使えるような印なのか。それはたとえば
権利義務に関して、実印というのは非常に重要視されておりますけれ
ども、そういう実印を押すようにしてあるのかどうかということと、それからこれは私物なのか官給品であるかというようなこと。私物だとすれば幾つ持っておってもかまわないわけでありますが、官給品の場合は幾つ与えるかというようなこと。そしてまた、この保管はどうなっておるのかということですね。この点を実情についてお尋ねしたいと思います。