○青柳委員 私は、次の二つの問題について政府の見解をただしたいと思います。その第一点は、いわゆる国有農地の売り払いの問題であります。それから、その第二点は代用監獄の問題でございます。
この第一の問題については、本国会でも大いに論議をされております。その争点は、おもに買収価格の一坪二円六十銭で旧地主に売り払うのが不当であるという点に集中しているようでございます。そして、それはそれなりに大問題であることは当然でございますが、私はこの点は別にいま論じようとは思いません。それとは別に、この政令改正を行なった政府の
やり方に問題があるのではないかと
考えるものであります。
いわゆる国有農地は、戦後ポツダム宣言の線に沿って日本の封建制の残滓である地主制度を廃止するため、農地改革を行なうため自作農創設特別措置法を制定し、農地解放を実施して、耕作農民が小作人の地位から自作農となり、農業生産に意欲を燃やし、食糧生産に励み、日本農業の自主的、平和的発展に寄与するようにしたことに伴いまして、その手続として、一たん国有地として買収した農地がそのまま昭和二十七年制定の農地法に受け継がれて、引き続き国有地として保有されてきたものであります。本来、自作農創設の対象として保有すべきものであることはもちろんでありますが、その後日本の工業化が進み、経済の高度成長に伴いまして、それらの土地が、農地として利用するよりも工業用の土地として、あるいは自然環境または生活環境を保持するために利用することが
社会福祉を達成するために合
目的的であるという
配慮あるいはその他の
事情によりまして、自作農創設地の対象にされないままになっているというのが現状でございます。
このような土地を政府が国土の合理的な民主的な総合的利用の見地から、他の用途に転用することは、自作農創設のため買収したという当初の
目的だけから見るならば、すなわち農地法の趣旨を狭く解する限り不適法であるという解釈も成り立つ余地はあるかもしれませんが、前に述べましたとおり、農地解放が日本の民主化をはかる
目的をもって実施されたものであることをもあわせ考察するならば、農地法の趣旨を必ずしもそのようにのみ狭く解釈することが妥当であるとは
考えられないのであります。
はたしてそうだとするならば、農地法施行令第十六条第四号の規定それ
自体は適法なものであります。問題の
最高裁大法廷の判例は、同令第十六条第四号が、農林大臣が農地法第八十条第一項の認定をすることができる土地として、「公用等の
目的に供する」土地等として、それだけに限ると規定していないにもかかわらず、本文に「左に掲げる土地等に限り」とあるのをとらえて、あたかもこの規定が「公用等の
目的に供する」土地に限っているものと狭く解釈したものであって、正しくないと
考えます。しかもこのような規定をとらえて無効であるなどと論じたことは、明らかに勇み足といわなければならないと私は
考えます。このことは、本年二月十三日公布された政令第十三号においても、農地法施行令第十六条第四号の規定を廃止せず、第五号ないし第七号の規定を新たに追加した点を見ても明らかであり、その限りにおいてはこの政令改正は別に違法なものということはできないと
考えます。またそのときに、「左に掲げる土地等に限り」というのを文章において直しまして、「次に掲げる土地等につき」と「限り」という字を除いている点も、
最高裁のような誤解を招かないためにはよろしいのかと思います。
ところで政府は、読売
新聞の二月十六日夕刊の報道によりますれば、この
最高裁判例は全面的に正しいものであるかのように解釈され、このような見解に従って施行令を前述のように改正するのは政府の義務であるとの統一見解をきめたとのことでありますが、この報道にして誤りないとするならば、このような統一見解がはたして判例に従ったものといえるかどうかという疑問が生じてまいります。なぜならば、
最高裁大法廷判例は、農地法第八十条は「公用等の
目的に供する」土地でなくとも、「
当該買収農地
自体、
社会的、経済的にみて、すでにその農地としての現況を将来にわたって維持すべき意義を失い、近く農地以外のものとすることを相当とするものとして、買収の
目的である自作農の創設等の
目的に供しないことを相当とする状況にあるといいうるもの」はすべて「旧所有者への売払いを義務付けているものと解されなければならない」といっているのですから、せっかく前述のような施行令の改正をしてみましても、すなわち、さらに前述の第五号ないし第七号の規定を追加してみましても、その対象になりますのはわずかに三百ヘクタールであって、なお約三千ヘクタールの土地が残っているのですから、依然としてこれに限るものというような解釈をとられるならば、これらの改正もまた農地法第八十条第一項の委任立法の範囲を越えるもので、無効であるという論理的な
結論にならざるを得ないと
考えられるからであります。
はたしてそうだとするならば、政府がどのように政令を改めてみましても、いわばイタチごっこのようなものであって、改正の意味をなさないということにならざるを得ないともいえます。
私は前にも触れましたように、
最高裁の見解は旧地主の買い戻し権をあたかも憲法二十九条の至上
命令のごとくに誤解するのあまり、封建制への逆コースになることもあえておそれず、農地法第八十条が政府の民主的な国土の総合利用のための行政
処分を認め、そのために農林大臣の認定基準を政令に委任した趣旨を全面的に否定し、右の認定は行政
処分ではなく、「覊束された内部的な
行為」にすぎないと解釈し、事実上政令を制定する余地のないものとした点において、重大な誤りをおかしているものと
考えます。
なお、
最高裁は、このような解釈をするに至った他の論拠の
一つとして、「右認定は、その申立て、審査等対外的の手続につき特別の定めがない」という点をあげていますが、それは農地法の不備であると
考えることはできるにいたしましても、これをもって右の農林大臣の認定を「覊束された内部的な
行為」と断ずるのは当たらないと私は
考えます。
最高裁判例といえ
ども国民の批判の対象となることは当然であり、その批判にして正しいものであるならば、政府としてもその正しい批判に従って、つまり特定の
最高裁判例を絶対視するのではなく、引き続き従来どおりの施策を実施し得るものと
考える余地は残るものと私は
考えます。なぜなら、特定の
最高裁判例は、後になって
最高裁が再検討することが可能であるからであります。
最高裁も
人間によって構成されているのであって神ではないのですから、誤りをおかさないと断ずることはできない。
なお、私はいま述べたことの誤解を生じては困りますから、あえて付言しますが、政府がむやみに
最高裁判例を否定し、違法と
最高裁がいう施策を実施してもかまわないと言っているのではなくて、政府の解釈が国民の圧倒的多数の
考え方からいって民主的なものと評価される場合に限っては、
最高裁の判例と抵触してもなおそれを実施しても、憲法を無視したものとはいわれないのではないか。本件の場合についていうならば、政府は
最高裁判例が出たからといって、急いで今度のような政令改正をするのではなく、すなわち無条件に売り払いをするような道を開くのではなく、第四号の規定を活用し、「公用等の
目的に供する」という基準によってどしどし売り払いをするということでよかったのではないか。そうすることが農地法の真の
精神にも沿うものであり、
社会の一般
感情にも従うと
考えます。ところが、政府は昭和四十一年当時すでに旧地主側の要求に押されたのか、このような改正を計画しましたが、世論の反駁で見送りとなり、
裁判所の出方を見守っていたという感じがいたします。そして今度この判例の出たのを
機会に、あえて前述のような政令改正を行ない、責任はあたかも
最高裁のほうにあるというように、転嫁しているわけじゃないでしょうけれ
ども、そういうふうな感じがするのであります。しかし、実際問題として旧地主の強い要求を、これをもって満足させているのではないかというふうに解釈することもできないとは限りません。
私は、相当長くこの問題についての私見を述べましたけれ
ども、法制局といたしましては、このような私の
考え方が合理的であると
考えるかどうか。国
会議員として国政の運営が正しく行なわれているかいなかを検討する立場から、以上のように私見を披瀝いたしまして、法制局の
法律的見解を承りたいと思います。