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1971-02-24 第65回国会 衆議院 文教委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十六年二月二十四日(水曜日)     午前十時三十八分開議  出席委員    委員長 八木 徹雄君    理事 久野 忠治君 理事 久保田円次君    理事 河野 洋平君 理事 櫻内 義雄君    理事 谷川 和穗君 理事 山中 吾郎君    理事 正木 良明君 理事 鈴木  一君       有田 喜一君    稻葉  修君       小沢 一郎君    高見 三郎君       床次 徳二君    野中 英二君       松永  光君    森  喜朗君       川村 継義君    木島喜兵衞君       小林 信一君    多田 時子君       山原健二郎君    安里積千代君  出席国務大臣         文 部 大 臣 坂田 道太君  出席政府委員         文部政務次官  西岡 武夫君         文部大臣官房長 安嶋  彌君         文部省初等中等         教育局長    宮地  茂君         文部省大学学術         局長      村山 松雄君  委員外出席者         文部委員会調査         室長      田中  彰君     ――――――――――――― 委員の異動 二月二十二日  辞任         補欠選任   小林 信一君     原   茂君 同日  辞任         補欠選任   原   茂君     小林 信一君 同月二十三日  辞任         補欠選任   山原健二郎君     谷口善太郎君 同日  辞任         補欠選任   谷口善太郎君     山原健二郎君     ―――――――――――――  二月二十三日  女子教育職員育児休暇法案安永英雄君外一名  提出参法第三号)(予)  同月二十二日  国立養護教諭養成所国立大学の四年課程に改  正に関する請願江田三郎紹介)(第八九一  号)  同(川村継義紹介)(第八九二号)  同(小林信一紹介)(第八九三号)  同(正木良明紹介)(第八九四号)  同(三木喜夫紹介)(第八九五号)  同(山中吾郎紹介)(第八九六号)  同(江田三郎紹介)(第一〇三九号)  同(小林信一紹介)(第一〇四〇号)  同(川村継義紹介)(第一〇四一号)  同(山中吾郎紹介)(第一〇四二号)  各種学校制度確立に関する請願外一件(今澄  勇君紹介)(第八九七号)  同(正示啓次郎紹介)(第八九八号)  同(箕輪登紹介)(第八九九号)  同(安田貴六君紹介)(第九〇〇号) は本委員会に付託された。     ―――――――――――――  二月二十日  社会教育施設充実整備に関する陳情書  (第一一号)  文化財保護対策の強化に関する陳情書  (第一二号)  山村へき地医療対策として医科大学新設等に  関する陳情書外一件  (  第一三号)  国立大学公害研究部門新設に関する陳情書  (第一四号)  埋蔵文化財発堀調査費国庫補助に関する陳情  書(第一五号)  義務教育教科書無償給与費半額地方負担反対  に関する陳情書  (第一六号)  幼児教育振興に関する陳情書  (第一七号)  人口急増地域義務教育施設整備に関する陳情  書外一件  (第一八号)  幼稚園教育義務制度化に関する陳情書  (第七四号)  私立大学助成に関する陳情書  (第  七五号)  中部圏国連大学誘致に関する陳情書  (第七六号) は本委員会に参考送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  国立学校設置法の一部を改正する法律案(内閣  提出第二五号)      ――――◇―――――
  2. 八木徹雄

    八木委員長 これより会議を開きます。  国立学校設置法の一部を改正する法律案議題とし、審査を進めます。  質疑の申し出がありますので、これを許します。木島喜兵衞君。
  3. 木島喜兵衞

    木島委員 最初たいへんつまらぬことを聞くようでございますけれども、どなたでもいいんで丸たとえば義務教育は九年ですけれども、これを小学校中学校に分ける。一貫でもいいわけですね、義務教育という形からいえば。しかし、もちろん心身発達というようなことがありますけれども…。これを六・三に分けた根拠というものですか、こういうものは一体どういうものなんでしょうか。
  4. 村山松雄

    村山(松)政府委員 私も判然と定説を承知しておるわけじゃございませんが、御案内のように、学校は、初等から中等高等教育段階に適当な修業年限で区切るのが世界的にも通例でございます。初等教育につきまして、六年、五年あるいは中等前期ぐらいまで踏み込んだ八年といろいろな仕組みがございますが、わが国では学制改革にあたりまして、初等教育は明治の中期に六年になって以来、ずっともう定着しておりまして、学制改革論議でそれほど、ぜひ変えるべきであるという論議もないままに六年という年限がきまったやに聞いております。そこで、主として学制改革で六・三制を採用するにあたっての区切り議論としては中等教育に集中したわけでございますけれども、義務教育年限を八年にするという議論が、戦前あるいは学制改革以前からありましたわけで、最低は八年であったわけでありますし、そこで戦後の事情あるいは占領行政における司令部の意向その他も反映しまして、八年よりは一年延ばす、区切りとしては、やはり義務教育終了段階で区切ったほうがよかろうではないかというようなこと、それから、戦後の行政指導しましたアメリカにおいて進歩的といわれる西部の諸州で六・三制というようなものがとられておった、それに基づく指導がある程度あったというようなこと、諸般の事情を勘案して初等六年、それから前期中等三年、合わせて九年の義務教育にするということがきめられたのではなかろうかと推察しております。
  5. 木島喜兵衞

    木島委員 どうもよくわからないのですけれども、たいへん根拠のない小学校中学校区分、あるいは初等中等高等教育区分も何か惰性で来ておる、あるいは諸外国もそうだからそうだという模倣的な御発言のようです。私も多分にそうなんだろうと思うのですよ。たとえば義務教育に就学するのは六歳からという科学的根拠とでも申しましょうか、こういうものも、あるいは五歳でいいかもしれない。だから、中教審なんかでもそういう議論になっているのでしょう。確かに科学的根拠がない。だから、少なくとも小学校中学校における義務教育は一貫して九年間でいいのだけれども、形においては小学校中学校区分して、小学校学級担任制中学校学科担任制ということが心身発達に即した教育体系であるから分けたとか、何かそういう根拠というものがもう少し明確にあっていいのではないかと思うのですが、もう一度お願いしたいのです。
  6. 村山松雄

    村山(松)政府委員 教育学的に学校始期あるいは終期、区分等につきましては、御指摘のように、心身発達状況とそれに応ずる指導の態様をどうしたらいいかということからいろいろ議論もあり、説もあるわけでありまして、これも、こういうことが肯定的な解釈であるという確立したものは必ずしもないと思いますけれども、たとえば幼稚園は、とにかく集団的生活ができるような段階から集団生活にならしていく。幼稚園では必ずしも教科というような形ではなくて、遊びとかそれから生活訓練というような形で集団生活になじませていく。小学校は、それが教科というような形の指導にたえる程度年齢段階、それが大体六歳であろうというようなことから小学校始期がきまっておるのではなかろうか。中学校は、御指摘のようにさらに——小学校の場合はそれが全科担当でありますけれども、中学校では教科に分けて個別的な指導をする、内容を深めていくに必要な年齢が大体十二歳というようなことでやっておるわけでありますけれども、御案内のように、心身発達の度合いというのは、時代の進歩あるいは体位の向上などから見まして、早目になっていくというような傾向もございます。それから、小学校全科で、中学校教科だという区分では若干飛躍があるので、小学校の上学年では若干選科的な指導を加えろ、あるいはグループ指導を加えるとか、あるいはそれによって小学校六年の修業年限の中で何か若干区分を考えたらどうか。いろいろな議論が出るわけでありまして、御指摘のように、もちろん習慣的あるいは世界的に見てそうだからそうしたというようなことだけで申し上げておるわけではなくて、教育学的な心身発達指導との組み合わせの議論というものが根底にあることはもちろんでございますけれども、ただ、どうしたら絶対いいかというきめ手がなかなか見出せないままに、かなり経験的な現実というものも加味されて修業年限区切りというものが現在のようにきまっておるのじゃなかろうか。  改革の意見になりますと、現行制度欠陥といいますか足らざる点を批判することは、眼前に批判すべき実態があるわけでありますから比較的しやすいわけでありますが、しからばこう変えたらどうかという提案になりますと、これは当然のことながら事前に実証できないわけであります。こうしたら必ずいまのやり方よりはまさるのだという実証を、制度改革以前に根拠をもって示すということはむずかしいものですから、たとえば今回の中教審議論などでは、改革案というものは、先導的試行ということで一挙にやらずに、試行実証とを積み重ねながら、よいという確信を得た上で新しい制度に移行するというようなことを提案しておる次第でございます。
  7. 木島喜兵衞

    木島委員 学制改革にもつながる問題でありますので、ちょっと聞いているわけですが、確かに、おっしゃるとおり経験的にならざるを得ないだろうとも思うのですけれども、やはり一方においてかくあるべしというものがなければならないでしょうし、ですから、いま先導的試行という中教審の方針といえども、しかしそれが単に、いろいろなことを何でもやってみるということではなくて、一定の形というものを前提としての先導的試行ですね。したがって、たとえばそういう意味では初等中等高等教育というものの区分——小中学校は聞きましたが、初等教育中等教育高等教育というものの区分も一体どういう根拠なり理論、思想でもって区分されておるのだろうか。その点、もう少しお聞かせいただければありがたいと思います。
  8. 村山松雄

    村山(松)政府委員 中等教育高等教育との区分は、わが国では、御承知のように十八歳で中等教育を終わって、高等教育に入ってまいるわけであります。戦前は、高等教育専門学校大学とに分かれておりまして、高等教育始期が二種類で違っておったのを、新しい制度では十八歳に一元化したわけでありますが、これも初等中等区分と同様、必ずこうすべきであってこれ以外に方法がないというような定説は必ずしもないと思いますけれども、これも経験的にも世界的に十八歳あるいは十九歳ぐらいが中等教育高等教育区分年齢でありますし、また、これも初等中等と同様に、教育改革指導したアメリカ制度が十八歳の区切りになっておりますし、それから高等教育は四年というのが原則になっております。それが大きく影響したということも事実でありますし、また理念といたしまして、わが国戦前高等教育制度があまりに早く専門化するので、一般教育に欠けておったというような反省からいたしまして、新しい高等教育は、選ばれた少数のエリートのためだけではなしに、むしろ高等教育に進む者をできるだけ多く、また社会要請する人材の養成のために、国力、経済力が許し、それから能力が許すならばなるべく広く高等教育を開放するというようなたてまえから、単純な四年の一般教育専門教育とを合わせて、市民的な教養の基礎の上に学問ないし職業準備をするという目標のもとに、いまの高等教育四年という修業年限がきめられたわけであります。したがいまして、アカデミックな見地からいきますと、新制の高等教育四年の修業年限というのは必ずしも十分でないということは、制度発足当初から実は自覚しつつ踏み切ったわけでありまして、アカデミックな点、高等教育最高学術水準を維持向上するという使命は、学部よりはむしろ大学院に期待をする。大学院は、学部のようになるべく広くということよりは、むしろ最高学術水準を保ち、進めるに足るだけの少数精鋭で整備充実するというような目標のもとに新しい高等教育制度は設定され、発足したというぐあいに聞いております。
  9. 木島喜兵衞

    木島委員 いまお聞きいたしましても、なかなかわかりづらいと思うのです。けれども、具体的に、現実的には初等中等高等教育という区分がされつつもおのおのその目標に向かって行政がなされたり、法律が整備されたり、あるいはおのおのそこに教育技術なりそういうものが発達してきてすでに二十数年になっているわけですね。そういう意味では定着しておると思うのです。おるにかかわらず、いまお聞きすると、何かそういう区分というものが、われわれがお聞きしてもなかなかわかりづらい。どうも根拠が明確でない。そういうままに教育制度改革というものが、はたしてどういう方向に行くんだかという危惧も一面においては持っておりますけれども、しかし、きょうはそういうことが中心でありませんから…。  この法律でいま私がここで聞いておりますことは、高専新設がありますが、そこで六・三・三・四というあの新しい制度単線化というのですか、学校体系の単一化ということが最大の特徴であるかもしれません。その中において高専をつくったというのは、いわば後期中等教育前期高等教育とを結合したという、しかもそれがいま五十に満たない学校ですかね。その範囲にしかないものですから。そういう意味では、高専教育実態が一体どうなっているのだろうか。たとえばそこにつとめていられる先生方教授助教授方々が、はたしてどういう意欲を持って教育していらっしゃるか、たいへん疑問な面があるわけなんです。その点はどのように御理解になっていらっしゃるのでありますか。
  10. 村山松雄

    村山(松)政府委員 現在の高等教育制度は、先ほど御説明いたしましたような単線型の四年制の大学、少しおくれまして二年ないし三年の短期大学というのができましたけれども、要するに大学という一本であったわけであります。ところが、学問分野なりあるいは職業教育準備というような観点から見ますと、少し早い時期から実技の習得と理論教育を合わせて、かなり長い修業年限一貫した教育をやることが必要であるという分野があるのではないかという批判なり反省が生まれました。そういう声が一番高かったのは工業分野でございました。最初は、短期大学というのが目標修業年限内容、必ずしもはっきりしないということで、短期大学後期中等教育とくっつけて制度改革したらどうかという議論があったわけでありますけれども、これは短期大学全部をそういうことでやるのは行き過ぎであるということから変えまして、一番要望の強かった工業分野につきまして後期中等教育、つまり高等学校年齢段階大学の前半の程度修業年限を合わせまして五年ということで、当初から専門教育、それから一般教育も、つまり中等教育段階で切らないで高い年齢まで、要するに専門教育並びに普通教育を並行的に五年間、実験実習などに重点を置きながら教育をするというたてまえで現在の高等専門学校制度が構想され、昭和三十七年に発足いたしたわけでありますが、現在までに大体六十校ぐらいがそういうことでできておるわけでございます。当初は工業だけでございましたけれども後に商専、それから今回、工業の範疇内ではありますけれども、若干特殊な特徴を持ちます電波工業高等専門学校というものを加えることをお願いしておりますけれども、大体六十数校がこの分野で設立され、それなり成果をあげておるものと考えておるわけであります。
  11. 坂田道太

    坂田国務大臣 木島先生の御質問にお答えをしましてあるいは十分のお答えにならぬかと思いますが、教育制度というものは、やはりその国の独特の経験考え方によって打ち立てられておる、そういうものであるというふうに私は思うのです。そういう意味で、戦前までヨーロッパにおきましても、まあヨーロッパみたいな古い国々におきましてはそれぞれの経験あるいは理念のもとにそれぞれの教育制度が打ち立てられておるわけですが、戦後の動きを見てみますると、特にヨーロッパ大陸で育ちあるいは定着しておった教育制度に対して、それはどうも国のあらゆる子供才能を十分に発揮させる、あるいは素質を伸ばすというようなことができない制度になっておるじゃないか。いま単線型ということを申し上げましたが、それに対するむしろ複線型の制度である。複線型の制度それなり意味は持つけれども、しかし、それに対してもう少しあらゆる人に、身分であるとか経済的な条件であるとかいうことで差別せずにあらゆる国民にひとしく教育機会を与えてやる、こういうことが戦後特に強く叫ばれて、まあそれの一つの見本みたいなのがアメリカである、あるいはソ連であるというようなことかと思うのです。したがいまして、アメリカではむしろあらゆる才能に対してあらゆる機会を与える、こういうことで教育制度が、たとえば六・三・三・四というような制度もその象徴かと思うのでございますが、戦後どのような制度をとるかということでアメリカ教育使節団が参りまして、そうして日本に勧告をした。日本でもいろいろの議論がございましたけれども、とにもかくにも日本の従来の制度あるいは旧制の高等学校高等学校なりの意味を持ち、役割りも果たしてきた、あるいは旧来の帝国大学というものも意味を持っておったし、日本成長発展のために相当な役割りを果たした。しかし、それだけでいいのか、もう少し高等教育機関も広げる必要があるのではないか、あるいは小学校から大学に行く間の中等教育、この面についても、もう少したくさんの人たちを学ばせるというチャンスを与えるべきじゃないかということで、むしろヨーロッパにおける複線型というものよりも、六・三・三・四を採用することによってあらゆる人たち教育機会均等を与えようということで、文部省だけではなくて、いろいろな学者の方々もお寄りいただいてそれを採用した、それが現在の六・三・三・四。で、はっきり局長からお答えはできなかったかもしれませんけれども、しかし、その六・三・三・四を採用したという背景には、いま申しましたような基本的な考え方があったというふうに思います。しかし、その六・三・三・四をやってまいりましていろいろのまた欠陥も出てきた、あるいは批判も出てきた。しかし、その批判欠陥というものは、六・三・三・四制度そのものが持っておることから来るのか、あるいは六・三・三・四を十分に果たすための諸条件というものが満たされておらないがためにそういう弊害が出てきておるのか、その辺はやはりもう少し十分検討する必要があるということも踏まえまして、実は四十二年以来中教審においてその検討が行なわれておる、総点検が行なわれておるというわけでございます。  しかしながら、どうもわれわれ与党、政府におきまして考えましたことは、ヨーロッパ的な複線型を単線型にしたプラスの面も確かに大いにある。しかし、そのことが逆に言うと非常に画一的になり過ぎているのじゃないか、そのことによってかえって逆に子供たち才能を、ある時期においてちゃんと訓練をし、教育をしなければならないことが、十分に果たされない。したがって、あとでそれをやろうと思ってもできない。あるいはまた、いま六・三・三・四に対する批判に対しましても、そういう刻み方があるために、むしろ後期中等教育先ほどお尋ね初期中等教育と二つに分けておるということも、むしろ中等教育は一貫して中等教育として考えるべきじゃないか。つまり中学校の三年制と高等学校の三年制を一緒にしたらごうなんだという議論も実は出てきた。あるいはまた逆に言いますと、先生のお話しのように、義務教育という形で六年制と三年制とを離すということそれ自身がおかしいのじゃないか、むしろ義務教育という概念でとらえるならば、六年と三年と足した九年の義務教育として、一貫して考えたらいいのじゃないかという議論もございます。しかし、これもまた小学校の一年、二年、三年という、そういう子供発展段階人たちと、いわば高等学校中学校のもう後期の二年、三年のからだの発達、精神の発達一緒にして、同じたとえばグラウンドならグラウンドでやるにしましても、これは非常にやりにくい、これは経験的にやりにくい、そういうようなこともあるわけで、またどっちがいいかということはきめがたくなっている。  しかし、社会がどんどんどんどん発達していきますし、社会多様性に対して単線型だけでこたえ得るかというと、そうではないのではないか、むしろ中学校を卒業した者から、特に技術教育については一貫して、三年、二年合わせまして五年の工業専門学校というものを六・三・三・四に加えることが、より六・三・三・四の制度の持っておる特徴を補完し、あるいは生かすゆえんじゃないかということで、あの高専制度というものが考えられた。そして、それを発足しますと、まあ各県から非常な強い御要望がございまして、ほとんど各県にこれが行なわれるようになった。そして、これはかなりの、私は成果をおさめているのではないか、むしろアメリカ等においても、先進国といわれるような国々においてもこの高専制度に対してかなり評価を持っているということも、それを物語っておるというふうに思います。でございますから、制度そのものというのはある一定の期間は定着させるべきものでございますけれども、いつまでもそれが不変のものであるというのではなくて、やはりその国独特の教育土壌に育つものではあるけれども、それはまた社会要請あるいは将来の見通し、あるいは未来からの求めに応じて柔軟に、しかし、慎重にこれに対処して改むべきは改めなければならないのではないかということでこの高専制度が開設された、こういうふうにお考えいただければ、一応おわかりいただけるのじゃないかというふうに思います。
  12. 木島喜兵衞

    木島委員 いま教育制度改革全体の問題に発展しても、これはきょうの議題に沿いませんからなんですけれども、ただしかし、いま欧米でも総体的に言ったらやはり単線化方向に向いておるのじゃないですか。
  13. 坂田道太

    坂田国務大臣 むしろ欧米じゃなくて、ヨーロッパ大陸ではあまりにも複線型でございましたから、むしろ単線方向へ行こうとしておりますし、またアメリカのほうは、あまりにも単線型であったがために、社会要請にこたえられないということで複線型を加味しようという動きがある、こういうふうに全体としてはおとりいただいたほうがいいのじゃないかと思います。
  14. 木島喜兵衞

    木島委員 しかし、いずれにしても二十数年の六・三・三・四というものが、日本においては定着しておると思うのですよ。そういう中で、いま大臣おっしゃったように、小学校の一年生と中学校の三年生と一緒にしてはいろいろ弊害もあるだろうとおっしゃるように、初等中等、高等と分けたその後期中等教育と、短大までの大学という高等教育一緒にしたということ、たとえば寮なら寮一つにしてもそういう問題が起こってくるでしょう。だから、さっきお聞きしたのは、あまり中に深入りせぬで、そこにつとめている先生方が、いわば何というのですか、教育界における孤立した部落という式の、名前はまさに教授助教授でたいへん格がいいけれども、じゃあ、たとえば大学のように教授会というものの規定はありませんね、学校教育法上。すなわち教授会自治がないわけでしょう。ないわけです。そうして中学校を卒業した高校一年生から短大の二年生までを一緒にしておる。しかもそれが教育界全体の中では、大筋は何といったて六・三・三・四の単線ですよね。それに何かワク外のものがつけ足されたような印象を持っておる。そういう意味では、学校先生方がこの高専につとめておられて、高専というものに対してどういう考え方を持ち、どのような意欲を持っていらっしゃるかといえば、たいへん疑問だと私は先ほど申し上げたのでありますが、その点、先ほど局長は、成果をあげて一生懸命やっておると思いますとおっしゃいましたけれども、私の聞く範囲では、必ずしもそうばかりいってないように感ずるのですけれども、その辺はもう一回、いかがでございましょう。
  15. 村山松雄

    村山(松)政府委員 高専は、御指摘のように、修業年限におきまして高等学校段階大学前期二年の段階を合わせた五年の修業年限でございます。この修業年限から見ますと、御指摘のように、修業年限が短いと教育がこま切れ的になる弊害が出てまいります。逆に修業年限が長くなりますと、低学年と高学年では心身発達の度合いが相当違いますから、これを一貫して融合した指導をするという点ではむずかしい面が出てまいります。  それからまた、高等専門学校は新しい制度でございますので、これを構成いたします際にも、たとえば教科組織をとりましても、結局は従来の大学関係並びに従来の高等学校関係、並びに、まあ工業でありますと産業界あるいはその他というような、いろいろな方面から人材を糾合して組織したわけでありまして、それからまた、教育理念も新しく打ち立てたわけであります。学生につきましても、教員組織にしましても、また教育理念にしましても、新しく編成して新しい目標に向かって進み出しておるわけでありますから、それ自体まあ試行的な面もございます。関係者が努力しながらこれを年月をかけて定着させていく必要があるわけでありまして、その過程におきまして、もちろん若干の欠陥なりあるいは当初思わなかった問題点というのが出てくることは、いかなる制度でもあり得ることだと思います。高専につきましても、教育課程なりあるいは施設設備なりやってみまして、当事者からもいろいろな御意見を承っております。それに沿いまして文部省としても努力をいたすつもりでございます。しかし、大体成果をあげておるということにつきましては、これも若干外面的かもしれませんけれども、かなり優秀な志願者があり、かつまた、すでに卒業生をもう四年出しておるわけでありますけれども、卒業生は社会に非常に歓迎されております。そういう点をとらえまして一応の成果をあげておると申し上げたわけでありますけれども、これで十分と考えておるわけではございませんので、先ほど申し上げました理念並びに組織運営の適正化というようなことも含めまして、また欠陥の是正なども含めまして、文部省としては十分前向きに対処していくつもりでございます。
  16. 木島喜兵衞

    木島委員 深入りする時間もありませんからいたしませんが、たとえば、先ほど言いますように、教授とか助教授とかになっても研究というようなこともできない。それから、これは大学ですと大学管理機関が学長のあれをきめますし、そして大臣がきめることになりますね。ところが、これは教授といってもなかなかいい人を得られないんじゃないか。そこへ行くとなかなか他に移動できない、中に埋まっておる。しかも中身は、いま言ったように、何かワク外的なわき道的な制度になっておりますので、そういう点はあまりこまかいことは申しませんけれども、少なくともたとえば工業高校と短大一緒にしたといいましょうか、工業短大の付属高校にして、そして一貫的な教育をする。これは高専をつくったところの意味というもの、六・三・三・四という単一制度の中でもって生かす方法も、それはそれなり弊害もあるかもしれないけれども、また逆に言うならば、高専弊害が少し除去される面もある。教育体系全体からいえば、むしろそのほうがすっきりするのじゃないかとすらも実は思うのでありますけれども、いずれにしてもこれはだんだんと、最初工業だけ、これは三十七年から始まったんですから、池田さんの三十五年の高度成長政策からすぐに役立つ中級の技術者を養成したいという、いわば財界からの要請だったのだろうと思うのです。それだけにまた、いま局長おっしゃいますように、それは社会からは、産業界からはたいへん喜ばれている制度かもしれないけれども、ある意味からいえば、ある極端な言い方をすれば、やはり教育の財界に従属した制度じゃないかという議論だってそこから出てくるかもしれない。いずれにしても、そういう意味でいまこういうことを拡大することのほうが、むしろ単線といえば、いま新しくここでつくりますね、ということのほうがますます混乱を拡大していくことになりはしないかという懸念を持ちます。これは私、それだけでやめておきます。  同時に、高専教育というもの、その成果をもう一回点検してみる必要があるのじゃないか。出発は、私何といわれても、昭和三十七年というあの時代を考えれば、多分に便宜主義的なものもあったろうと想像するのであります。そういうものをもう一回謙虚に見直してみて——しかし、それをいますぐ制度をやめろというのじゃありません。私は補うべきものは補わなければならぬだろう、それについて予算の面あるいは人事の面で打つ手があるかもしれない、そういうものを十分に御検討いただきたいと思います。  なお、私からすれば、いまこういうことをするよりも、もっと国立大学をつくることのほうに専念せねばならぬのじゃないか。この間河野さんあるいは森さんですか、御質問がありました地方の大学をもっと充実するということですね。たとえば地方の大学というお話がございましたけれども、予算を地方に重点的に配分する努力をしているというお話、ございましたね。けれども、国公私立の大学短大を除きまして簡単に言いますと、東京都と六大府県の大阪、京都、愛知、神奈川、兵庫、福岡の六県だけで見ますと、東京都は学校数で二七%、学生数で四四・五%、六大府県で学校数が三五・六%、学生数で三三・六%、合わせますと東京都と六大府県に学校の数の六二・六%、学生数で七八・一%が集中しておる。だから、現にある地方の大学に予算の配分を多少重視するというようなことでは済まない状態だろうと私は思うのです。これは単に、たとえば教育の地方分権だとか文化の分散だとか、そういうこともさることながら、日本全体の、たとえば都市への集中をどうするかとか、あるいはまた僻地といいますか、あるいは裏日本なり、これは新全総等よりむしろ教育のほうが先行すべき形だと思うのです。ですから、そういう観点から、いま新しい高専をつくるという努力もさることながら、もっとこういうことのほうに努力を傾けるべき、しかも急を要するものだろうと思うのです。あるいは国立大学をつくることに力を入れてはどうかということも、もうこんなことを言うこともないのでありますけれども、いま百六十万のうち私立が百三十万といわれますけれども、これは昭和三十五年から四十五年までの学生数を見てみますと、大体二・五倍に大学生がなっておりますね。ところがそのうち、国立は十一万、私立に八十一万、公立に二万、いわば大学に昨年の春は二三・六%ですか、それほど国民というものがたいへん教育に対する要求を持ってきた。これに対して国はやはりこたえておらぬので、私立におんぶしたという形だろうと思うのです。ですから、こういうことが実は国民に責任を果たしておらないともいえると思うのです。こういうことのほうが、私はもっと積極的にやるべきことであって、高専をいま否定しようとは思いません、もうすでにできている制度でありますから。けれども、そのこともさることながら、もっとこういう急を要する問題を、いま文部省はやらねばならないことだと思うのです。そういう点についての大臣の御決意を承りたいと思います。
  17. 坂田道太

    坂田国務大臣 もうその点はおっしゃるとおりでございまして、中教審の答申も待ちまして、日本列島全体に対するユニバーシティーマップといいますか、そういうものを頭に描きながら、これから設置等を考えていかなければならない。ことに医学部あるいは工学部のごときはそうだと思いますし、それから現在まだ中央と地方との予算配分のウェートが、地方にはあまりウェートがかかっていないという御批判もあろうと思いますけれども、私としましては、方向としては御指摘のように地方にもう少し充実をし、地方の人たちが東京まで、あるいは大阪まで、名古屋まで出てこぬでも地方の大学で勉強ができる、そして高度の大学教育が受けられる、こういうふうに考えなければいかぬというふうに思っております。  それから、高専は一応各都道府県にもうできたわけでございます。これはいまおっしゃるように、点検をいたしつつむしろ質の充実、あるいは教員の定数というようなものもこれでいいのかどうなのかというようなこと、あるいは施設設備等についてももう少し考えてみる必要があるんじゃないか。あるいはカリキュラムの問題もそうでございます。  もう一つは、御承知のように、現在の制度では高専を出まして、もう一段上の大学、研究できるところに学びたいというのが現在の高専に学ぶ人たちの訴えでもありますし、また、高専につとめておられる先生方自身もそういうお考えがあるわけです。ところが、道は広げているんだけれども、なかなか実際上、行っておる者もありますけれどもそれはごくわずかである。言うならば袋小路にされておる。この点については、私は個人の考え方としましても、省内でもいま議論をしておるところでございますが、何か考えなければいけないんじゃないか。だから、全部の高専に対して煙突をつけるということは、これはたとえば先生方の確保その他の財政上の問題もございましょうが、少なくとも全体の中で一つはちゃんと煙突をつけて、大学に値する教育、研究がなされる、そして全国から選ばれてまたそこに入れるという道を開くべきじゃないか。また、そういうような陳情高専先生方から受けておる、これはひとつ真剣に考えてみたいというふうに思っております。しかし、これもまた中教審の答申もございますから、大学改革の一環としてとらえなければならないと思うのでございますが、しかし、そういうような検討をしておるということだけは、ひとつ申し上げておきたいと思います。
  18. 木島喜兵衞

    木島委員 それから、この間ちょっと申しましたが、たとえば今回の二期校の志願者の一覧表を見ましても、教育学部がどこも飛び離れて少ないのですね。この間も大臣といろいろとあれしましたのでこれ以上お聞きしませんが、いずれにしても急務だと思うのです。これはひとつ早急に具体策を御検討いただきたいと思うのです。  その次に、養護教諭のことについてちょっと承りたいのでありますけれども、宮地さん、いま小中学校での充足率といいますか、配当率はどのくらいいっておりますか。  それと、ついでですから、これからの充足計画をちょっとお聞かせください。
  19. 宮地茂

    ○宮地政府委員 私ども、昭和四十四年度に例の義務教育学校の教職員の定数の関係の法律で第三次五カ年計画を設定いたしました。その一環としまして、養護教諭につきましては、小一中合わせて四十三年度約四〇%の充足率でございましのを、第三次五カ年計画の終わりの年の四十八年度には五三%にまでもっていきたい、こういう計画で進んでおります。そして四十五年五月一日現在の充足率は、平均いたしまして大体四六%でございます。
  20. 木島喜兵衞

    木島委員 いま四六%ですから、五〇%いかないわけですね。そうすると、一〇〇%いくのは、あと五〇%だから五年に一〇%としてこれから二十五年かかる。学校教育法ができて二十五年です。そうすると、学校教育法本則による当分の間置かぬでもいいというのは、文部省の当分の間というのは五十年ぐらい、半世紀が当分の間ということになるのですかな。この原因はどうですか。
  21. 宮地茂

    ○宮地政府委員 「当分の間」という意味でございますが、御承知のように学校教育法の本則には、たてまえとして養護教諭はそれぞれの学校に置くべきである、それが本則であるということをうたっております。ただ、この養護教諭の制度が新しい戦後の制度でもございますし、さらに養護教諭の養成といったようないろいろな問題がございまして、そういうような観点から「当分の間」ということでございますが、これについては実は昨日、予算分科会でもいろいろおしかりも受けまして、卒直に申しまして私どもまことに努力不十分で申しわけない、そのように反省いたしております。  ただ、言いわけがましゅうなりまして恐縮でございますが、養成のほうはある程度間に合っております。国立学校に養護教諭の養成機関等を置いたりいたしておりますので養成の数字は間に合っておるのですが、その養成数の約三分の一ぐらいの先生しか就職しておらないわけでございます。  ただ、御承知のように、昭和四十四年の第三次五カ年計画の当初の、法律を立てます段階で、教員定数につきましてはいろいろ要望もございますし、各学校における実態等から、たとえば一クラス四十五名ということを、戦後のすし詰めを解消するために目標としてまいりました。ところが、四十五名に持ってくるために、僻地等では、極端に申しますと小学校一年から六年までを一つのクラスで教えるといった単級複式の学級がそのままにされておるといったようなことで、四十四年度の第三次五カ年計画としましては、一クラス四十五名を四十名に下げろといったような御要望も確かに教師の方々の間からも出ましが、それもさることながら、僻地あるいは特殊教育学校、学級、こういったところで教育機会均等という見地から、平地の学校あるいは一般の学校に比べて相当劣っているという点に着目いたしまして、いいことばでいえばきめこまかいと申しましょうか、そういったようなことで相当定数を考えました。さらに、小学校先生方の免許状は全教科担任というたてまえをとっております。しかしながら、何と申しましても音楽とか、図画工作あるいは理科、こういったような点についてはやはり専科の先生を置いたほうが教育効果を高める上からも非常によいということで、小学校等にも専科の先生を相当置く。あるいは養護教諭と並びまして事務職員が非常に不足しておるわけですが、まあそういったようなことで、あれやこれややらなければならない問題が非常に多うございましたので、養護教諭につきましては養護教諭の分担いたします子供の数を小学校では千人を八百五十人に、中学校においては千二百人を千五十人に、わずかではございますが数字を下げたということでございます。したがいまして、いろいろ理由はございますが、それにいたしましても一刻も早く学校教育法の本則どおりにしなければならない、こう考えまして今後とも努力を進めていきたいと考えております。
  22. 木島喜兵衞

    木島委員 確かに努力不足だとおっしゃればそれ以上言うことはないのですけれどもね。一つには、学校の中における養護教員の位置づけ、これはあなたの努力不足とおっしゃったことも、たとえば心身、心とからだといいますね。その半分を養護教員がすべて持つということではありませんけれども、その心身という半分の重要な部分を受け持つ養護教員というものに対して、戦前学校看護婦的感覚、認識というものが多分にまだ残っているのではなかろうか。また、そういうことがあるから資格をとってもならないという要素があると思うのです。  それから、私の狭い経験ではありますけれども、たとえばいまおっしゃった、四十四年度の標準法によれば小学校八百五十人、中学校千五十人ということですが、これを下げれば希望者はまだあります。僻地だって七校に一校でしょう。この標準法をもっと下げればある。だから、ならないんじゃなくて、私はあるんだと思うのです。というのは、最近養護助教諭の就職が非常に少ないでしょう。いまのあなたの考え方で充足していけば、二十五年たたないと本則どおりいかないのでありますから、そういう意味で標準法を変える、少なくともこれを新しく認識するならば、全体は別としまして標準法のこの部分でも変えるということが、充足率を満たし、あるいは五十年たたなければ「当分の間」が消えないということをなくするためにも、一刻も早くそうすべきではないかと思うのです。  国立養護教諭養成所、あれは私、一応評価したいと思うのですよ。なぜかと申しますと、先ほど局長おっしゃいましたように、卒業生が出て三年になりますよね。四十年からできて、四十三年には出た人の八五・六%が就職している。四十四年は七五%、四十五年は八六%就職している。だから、逆に言うならば、そういう制度をつくれば、そういう位置づけをすれば就職率は高まってくる。そして学校の受け入れるワクを広げていけば充足率は早く高まる。ところが、そういうものをつくっても標準法でワクを狭めてしまったのじゃ、これはだめですね。だから、五十年たたなければ一〇〇%にならないということになるわけです。この辺どうお考えになりますか。
  23. 宮地茂

    ○宮地政府委員 いま先生が数字をあげられたのは私どももそのとおりでございますが、結局は養護教諭の養成計画というものと教員の定数増というものの需要供給の関係で、やはりバランスをとらなければいけないと思います。したがいまして国立学校の養護教諭養成機関は七五ないし八六%の就職率でございますが、その他の養護教諭の養成機関と申しますか、養護教諭の免許状が取れる機関の卒業生、修了生は、大体三分の一くらいしか就職いたしておりません。結局これは養護教諭の仕事に魅力がないとか、あるいはそれの地位を確立するとかいうことも影響があろうかと思いますが、それよりも、やはり定数がついてないから需要に対して供給が余るという関係のほうが強いのではなかろうか、そういうふうに考えます。  私ども第三次五カ年計画が四十八年度で終わりますが、次の五カ年計画では、これは養護教諭だけではございませんで、事務職員も、小中学校等で先生方が常に言われるのは、本来の仕事でない——私どもは必ずしもそうは思わないのですけれども、事務職員かいないといったようなことをおっしゃいます。まああれこれ考えなければ、養護教諭だけ直ちに一〇〇%という計画は、気持ちはございますけれども、現実の問題としてそういう計画が立ちますかどうですか、ともかく前向きに計画はしたい、ともかく定数を増加していくということが必要である、こういうふうに考えております。
  24. 木島喜兵衞

    木島委員 時間が過ぎてしまったからあれしますけれども、そういう意味で供給のほうが多いのだがら、むしろ定数のワクを締めているから充足率が足りない、四十八年、四十九年からなんて言わないで、いま変えたっていいのじゃないですかと言っているのです。それはいいです。前向きというのですから、それを信用しましょう。  そういうことで、この養成所が三年ということで一つ成果があった。他の指定機関では一〇%、二〇%ですよ。だから、その三年という国立大学養成所でもってやれば、それだけ就職率が高いわけです。それは学校における位置づけというものが、教諭は四年制の大学を出ることを原則としているわけでしょう。そういうものに近づけ、そういうものにすれば、学校の中におけるところの地位が高まってくる。教諭、養護教諭 これは学校の中においては全く対等であって、一体となっての学校運営に責任を持つ立場なんですから、そういう原則に立てば、たとえば三年制をやめて四年制にして、そして短大をつくる、短大は二級普通免許状を与える。たとえばそういうような制度にさらに強化すれば、それなりに、一年、二年の養成所じゃなしに、ほんとうにその学校の教諭として学校の中に正しい位置づけがされる、そして正しい位置づけの中から正しい任務が果たせる、しそういうものをつくっていかなければならぬだろうと思うのです。あの養成所をつくったときは、むしろ需要に供給が追いつかないために拙速的にやった制度なんですよ。いまは逆だと思うのです、逆になっていると思うのです。これを切りかえなければならぬだろうと思う。  そういう意味で、私はいま国立学校のこの法律に関連して質問を申し上げておるのでありますけれども、国立学校設置法の中に、いまの養成所のそういう位置づけは、この法律から抜けていますよ。そこに入れて、教諭は大学の卒業生をもってするんだという原則の中に養護教諭も当てていく、そういう養成体制ができれば、さっきの養成所のごとく成果があがってくる、就職率が高まってくるという立証がされておる。だから、私は先ほど、養成所は一応の評価はいたしますということを申し上げたのです。これで終わりますから、その点に対する大臣のお考えを承りたいと思います。
  25. 坂田道太

    坂田国務大臣 方向としては先生おっしゃるとおりじゃなかろうかと思います。ただ、やはり定員の問題がございまして、それによってなかなか進まないということはやはりそのとおりだと思います。  それからもう一つは、養護教諭の位置づけというものが学校の中において確立しておらない、そのためには、むしろ四年制の大学という御主張だと思います。しかし、それでもまだ、国立の養成所をつくったためにかなり地位が向上した、もうしばらくこれを続けていきたい。しかし、行く行くは先生の御趣旨に向かっていかなければならぬだろうと思います。もう一つは保健の先生ですね、こことの関係もあるわけでありますが、そういう方向へ行かなければならぬことは、先生のおっしゃるとおりでございます。また、そういうように努力したいと思います。
  26. 木島喜兵衞

    木島委員 時間が来ておりますからやめますが、一つだけ、たいへん小さい地元のことで恐縮なんですが、稲葉先生いらしゃいますけれども、昭和四十一年十二月二十日に、新潟県の新潟大学の統合にからんで、長岡と高田に分校がある、このことにからんでのそれなんですが、歴史的な経過があったために、谷川先生にたいへんお骨折りいただいて、新潟選出の衆参議員それから関係市長あるいは谷川さんがその当時政務次官でありましたが、谷川さんも御出席になられた、あるいは自民党の文教部会長さんもいらっしゃっております。そこで、「工学部は現在地においてこれを整備拡充する。将来統合移転の問題を生じた場合は、長岡には単科の工業大学を設置するものとする。高田に義務教育教員養成を目的とする四年制の学芸大学(仮称)を設置するほか、高等学校技芸科目担当教員養成の芸術大学(仮称)を設置するかについては、これを懸案として留保することとし、新潟大学の全面的統合は、上記のいずれかの実現の方針が関係者の間で決定するまでは見合わせ、高田の教養課程の組織は現状のままとする。」という一応の話し合いができておるわけであります。これは別に、このことが文部省を全面的に拘束するとは私は思わないのでありますけれども、地元では、ことしの予算の中に大学の敷地の取得費がプールして計上されておるけれども、新潟大学に高田と長岡の分校を統合するための用地の取得分が入っておるのではないかという危惧を持っております。それはいかがでありましょうか。
  27. 村山松雄

    村山(松)政府委員 新潟大学において四十六年度予算に要求いたしました土地購入費は、新潟地区の施設の移転のための敷地という名目になっております。
  28. 木島喜兵衞

    木島委員 それはわかりました。  それから、いま読みましたこの文章どおりであるかどうかは別として、そういう方針は、文部省も大体において原則的には了承していらっしゃると理解してよろしゅうございますか。
  29. 村山松雄

    村山(松)政府委員 大学の施設の統合等の問題につきましては、これは大学自体の意思というものがまずもって先立ちますが、それ以外にも、地元の御意向あるいは文部省の行財政上の緩急順序などとにらみ合わせまして、関係者協議の上確定し、実施に移すという態度でございます。したがいまして、地元のいろいろな御意見も十分承りながら、事柄は進めてまいりたいと思います。
  30. 木島喜兵衞

    木島委員 最後に一つだけ。統合するまでは現状のままで置く、そうして単科大学もできない、だからしたがって、統合するということからいまの学校の老朽化になかなか手がつけられない、といって新しい学校もできないということで、教育上いろいろ困る点もあるということでありますから、いま局長がおっしゃるように、そういう方向を尊重されるということであるならば、そういういまの老朽化なり、いまある学校教育に支障のないような、十分な予算的配慮をしていただきたいと思いますが、いかがでございますか。
  31. 村山松雄

    村山(松)政府委員 大学の施設の恒久的な整備につきましては、関係者の十分な合意のもとに長期計画を立てて、それにのっとってやらなければならぬわけでありますが、そういうものが諸般の事情で難航しておる場合に、御指摘のように人命にもかかわるような老朽改築の問題でありますとか、教育上絶対の支障があるというような問題が起きれば、それはそれとして具体的な問題には対処いたしたいと思います。
  32. 木島喜兵衞

    木島委員 どうも時間が過ぎまして、すみませんでした。
  33. 八木徹雄

  34. 正木良明

    正木委員 私がお聞きしたい大部分、いますでに同僚の議員からお尋ねになりましたが、それに上のせするということで議論を発展さしていきたいと思いますが、その前に、原則的なことでありますが、お聞きをいたしておきたいと思います。  今度の高等専門学校の増設の問題でございますが、この増設をしていくということについて、これは創設のときから非常に議論がございましたが、先ほど創設の意義というか、その目的等について大臣から御答弁がございました。そのほかに、非常によくいわれることは、産業界の要請が非常に強くて、この高等専門学校制度というものが発足したのだというのです。産業界の要請が強いということは決して悪いことではないと思うのでありますけれども、しかし、ここで必然的に発展するのは、産学協同という非常に暗いイメージを持った批判というものが出てくるわけでありまして、このことは、一つは単に批判のための批判だけではなくて、先ほども大臣がおっしゃいましたけれども、高等専門学校が一貫教育という形の上から、大学への編入学が認められていながら、それがうまくいかないで袋小路になっておる。大学側が高等専門学校の卒業者を受け入れないという一つの理由には、やはり産学協同、産業界の私生子というようなことばでいわれる高等専門学校に対する偏見であるのかどうか知りませんが、しかし、そういう現実としての考え方がある。特にそれと並んで、これは去年の新聞でございますが、技術教育課長の角井さんが新聞の談話にお答えになっているのです。それを別にお認めになったという意味ではないのでしょうが、いま産業界が、求めているのは高専の卒業生と修士である、そういう産業界の考え方があるということをおっしゃっています。これはやはり文部当局としても認めざるを得ないという考え方であろうと思いますが、そういう意味で、そういう産学協同というような問題についての批判が事実ある。そういう中にあって教育という本来の目的から考えて、高専の位置づけというものを明確にしておかなければならないだろう、私はこのように思うのでありますし、同時にまた、高専内容等についても、その目的に沿った再検討の時期が来ているのではないかというような感じもいたします。そういう観点から、大臣は現在どのようにお考えになっていらっしゃるかということを、まずお答えをいただきたいと思います。
  35. 坂田道太

    坂田国務大臣 高専ができましたときに産業界の要請が強かったということ、これは事実でございます。事実でございますけれども、それだけでわれわれが高専を発足させたわけではない。それはやはり日本社会が近代化して、そして高度工業社会という発展過程において、中堅技術者の養成が非常にニードが高まってきた。これに対して一体日本教育制度はこたえておるかといったら、こたえてない。高等学校の、たとえば工業高校を卒業した人だけでは、とてもそれはだめである。かといって、それでは大学を卒業した人たちにそれを求めても、これまただめであるといったようなニードがあった。そのニードに対してやはりわれわれはこえなければならないということで、実は高専ができたということがあります。  それからもう一つは、こういう中堅技術者いうものをすなおに考えると、そういう中堅技術者になるということに自分の生きがいを感じ、そしておれは技術でもって生き抜いていくのだという、一つの人生観もあれば世界観もあると思うのです。そういう職業を選ぶ、誇りをもって選ぶという人も私はあると思う。それに政府がこたえればいいことであって、何か制度そのものが個人を圧迫して、むやみにそこに引っぱっていくということであってはならない。しかしながら、そういう求めのある子供たちに対しては、国としては何か機会を与えなければならぬ。その結果が、産業の中に入っていって大いに胸を張ってやっているのではないか。そして今日の高専の卒業者がかなり受け入れられておるということもすなおに聞きますと、大学を卒業してきたよりも実力があるという声が非常に強いわけなんです。これは先生も御承知のとおりだと思いますが、したがって、最近では給与もかなりよくなってきている。そして最近の傾向としては、やはり企業のほうでも、むしろ実力主義ということを旗じるしにしておる会社も幾つか出てきたということは非常にいい傾向だ。たとえば、この前まで東大の学長をしておられました茅さんは、昔は蔵前の御卒業なんですね。蔵前の御卒業であって東大の学長をしたというのは希有なことであって、茅さん自身が非常に偉かったということにもつながりますけれども、しかし、あの蔵前高工を卒業した人たちが、今日相当な人たちが出ておるということは、単なる技術教育というような高等専門の学校であっても、それなり教育をちゃんとやるならば、りっぱな技術者としてあるいは科学者として、人間的にもりっぱな人として育つのだそういうことにわれわれは思いをいたして教育に当らなければならない、かように私は考えるわけでございまして、確かに、先ほどもお答えを申し上げたように袋小路のような点は、これはやはり改善をする、改革をするということが必要かと思いますが、私は、高専制度というものは、今日世の中から、単に産業界ということだけではなくて、日本全体として受け入れられておるし、あるいはアメリカその他の単線型であったところに、もう少しこういうようなことを考えたいという気持ちもあるようでございまして、これは日本に成長した、芽ばえた一つの独特の制度ではなかろうかというふうに思っております。特にヨーロッパは、私、回ってまいりまして、イギリスなんかは中堅技術者の養成に努力をしておりますけれども、なかなかこれが十分得られないというのが現在のイギリスの嘆きであったわけでございまして、私は、この高専制度は今後質的に充実し、それから袋小路をなくしていくということに重点を置いて考えていきたいというふうに思っております。
  36. 正木良明

    正木委員 当初文部省が予想した五年間の一貫教育によって、いま大臣がおっしゃったような中堅技術者の完成ということを目ざしておられて、それが非常にうまくいっている面もあることを私は認めますが、しかし、それでいながら、これはあとでもう少し袋小路問題については詳しく議論したいと思います。ただ、まあそれがうまくいっているならば、年々高等専門学校の卒業者が大学編入を希望するわけはないのではないかというふうにも考えるわけです。それで、それだけ多くの大学編入希望者が卒業生の中にふえてきたということは、やはり高等専門学校内容だけでは十分満足できていないのではないかということがあります。これは、いま大臣がおっしゃったように、内容を充実していくというのでありますから、充実してもらうことが何よりも大事だと思うのであります。これは後ほど固めて議論したいと思うのでありますが、それでもう少し原則的なことをお尋ねします。  そこで、いま大臣がおっしゃいましたように、高専の問題につきましては非常に力を入れていらっしゃるし、非常にその成果を評価なさっているようでありますし、私も評価することにはやぶさかではありませんが、今度新しい電波高専ができるわけであります。これは、いわゆる高等専門学校をこれから拡大していくという一つの構想の中でのある一環をなすものであろうと思うわけでありますけれども、今後の高専をどのように拡大し、また既設のものについては、それぞれの内容の充実という点もございましょう。そういう点についての御構想がおありであろうと思いますので、非常に基本的なことでけっこうでございますから、お話をいただきたいと思います。
  37. 村山松雄

    村山(松)政府委員 高専制度は、先ほど来大臣からも申し上げておりますような経過で、まず工業でスタートし、その後商船と、それから今回電波が工業の仲間入りをするわけでありまして、文部省としてはこれで第一期と申しますか、そういう名称はつけておりませんけれども、一応一段落と考えております。  なお、その範囲の拡大の御要望、これは農業でありますとかあるいは商業でありますとかございます。その点につきましては、高専に関しまして審議会もございますし、その他部外の学識経験者の御協力も得まして検討をいたしております。文部省としては、慎重に検討の上で措置をいたしたいと思っております。  それから、現在ありますものの検討につきましては、これも先ほど来御説明申し上げましたように、五年の一貫教育という長所もありますが、それなりのむずかしい点もございます。それから、教員組織や施設設備の足らざる点もございます。こういう点につきましても、審議会や視学委員あるいは部外の学識経験者等の御協力を得まして現在検討もしております。で、結論の出ましたものにつきましては、たとえば予算措置をお願いするというようなことで充実につとめてまいっております。  まあ簡単に申しますと、将来の範囲の拡大につきましては慎重に検討の上措置したいと思っておりますし、現在ありますものの内容充実につきましては、十分当事者並びに学識経験者等の御意見、御協力を得まして措置をしてまいりたいと思っております。
  38. 正木良明

    正木委員 要するに、局長、いまお答えになったことは、何にも答えておらぬということですわ。私がお聞きしたのは、文部省の構想はどうであるかということをお聞きしたのであって、いまあなたのお答えになったのは、審議会ができたから、審議会の答申が出てきたら調査検討するということですね。これは佐藤総理の中国問題と全然変らない考え方ですね。私がお聞きしているのはそういうことではなくて、文部省文部省なりの構想はお持ちだろうと思うのです。本来審議会に対する諮問なんていったら、ただ何となく、こういう問題についてどうしたらいいでしょうかというだけの諮問じゃないでしょう、ある程度の構想を示して、この構想に対して検討してもらいたい、そして意見があればそれに意見をつけてもらいたいというようなことが、本来審議会に対する諮問の形だろうと私は思うのですがね。ただ問題だけをぽんとほうり出して、いろいろ皆さん専門的に検討して答えてくださいということだけが諮問の本来の姿じゃないと思うのです。まさか賢明な大学局長が全然御構想をお持ちにならないわけじゃないだろうと思いますが、それを御発表になることが非常に審議会等に対する越権行為になったり何かしてまずいというなら、そうおっしゃっていただいたらいいと思いますが、私がお聞きしているのは、文部省でお考えになっている構想がおありになるならば、お答えになっていただきたい。そうでなければ、今度三つの電波高専をおつくりになるけれども、それは単なる成り行きまかせで三つつくったのだということになる。私は最初お聞きしたように、大きな構想のもとの一環としてこれをおつくりになろうとしているのではないでしょうかということを言ってきた。大臣はうなずいていらっしゃいましたから、そうだと思うのですが、そういう点のお答えをいただきたいということであります。
  39. 村山松雄

    村山(松)政府委員 まず将来、高専の範囲の拡大の計画があるかないかということに端的にお答え申し上げますれば、現在ではございません。まあ検討の上でやるべきであるという結論が出れば、その時点で計画を立てるということでございます。  それから、現在あるものの整備計画につきましては、これはたいへん不備だとは思いますけれども、いろいろとございます。たとえば教員定数の問題につきましても、どこら辺が弱いかというようなことはわかっております。たとえば、従来の工業高専の設立計画の中で機械、電気、化学、いろいろな分野があるわけでありますけれども、何よりも機械関係の需要が大きいということで、機械関係の学級を一番数多くつくっております。また数多くつくるために、一つ学校で機械を一学科で二学級という形でつくったものもございます。   〔委員長退席、久保田委員長代理着席〕  これにつきましては、たとえば教員定数も、一学科一学級の二学科分に比べますと少のうございます、それから施設設備なども少し少な目になっております。これでやれるのではないかと思ったわけでありますけれども、やってみるとやはりぐあいが悪いということで、これは定敏や施設設備も拡充いたしたいと思っております。  それから、たとえば実験実習を大いに重視するということで、実験実習の工場でありますとかあるいはその費用なども計画を立てたわけでありますが、やってみますとその分もやはり足らない、こういう面も拡充いたしたいと思います。  それから、寄宿舎の問題にいたしましても、これはできれば全寮制にいたしたいというようなことを考えましたけれども、学校の方針などや立地条件もありまして、全寮的にやるものが現在まだ十八校程度であります。全寮的にやりますと、寮母でありますとか寄宿舎の舎監でありますとか、あるいはそういう方の手当でありますとか、そういうものの配慮が必要になってまいります。その点につきましては、ことしの今度の予算である程度の措置をお願いいたしております、そういうぐあいに、現在あるものの整備につきましては、十分ではありませんけれども、ある程度計画を立てて整備を進めております。  それから第三に、ことしの三つの電波工業高専、これが計画もなしにただつくるのではないかということでございますが、これにつきましては、すでに前回商船高専をつくりました際に、国会のほうからもやるべきであるというような御意向も承っております。で、これは電波技術者の養成ということでありますから、電波技術者のほうを管轄しております運輸省などとも需給状況、必要性など十分協議いたしまして、電波の技術者としては高専程度にすべきであるという関係者の意見の一致を見まして、ここに高専にすることをお願いしておるわけであります。で、これで第一次的には、高専設立計画は一段落と考えております。  将来の問題につきましては、現在計画があるかないかということでありますれば、具体的な計画はございませんので、これから検討の上立てたいと思っております。
  40. 坂田道太

    坂田国務大臣 ちょっと——局長は、法律を出しておりますものですから、現在のことを申し上げておると思うのです。現在のことはそれでけっこうだと思いますが、もともと高専をつくって、しかも工業高専でかなりこれはいい成果をおさめておるということから、世の中の人もまたわれわれの仲間でも、これをたとえば商船についても及ぼすべきではないか、あるいはいま議題になっております電波高等学校にも昇格を認めるべきじゃないか。それからさらに、それであるとするなら、これは農業高専みたいなものも考えたっていいんじゃないかという議論もあるわけです。あるいはまた、商業もコンピューターその他のあれもあるから、これも考えたらいいんじゃないかという議論もある。それをひっくるめましてわれわれが相談をいたしました結果、さしあたりわれわれとしては商船とそれから電波、これはひとつお願いをしたい。しかし、それでは全然商業と農業は高専については考えてないかというとそうじゃないので、これは検討をしておる。しかし、ただいま法律を出しました段階においては、一応第一段階としてはここまでございますという説明であるということが第一点。  第二点は、先ほど申しました袋小路に対しましては、私といたしましても省内で相談をいたしましてこれをどうするか、やはり袋小路をなくすることを考えるべきじゃないか。一つには、中教審においては、四種の大学でこれを受けとめるという考え方をちょっと出しておると思います。それから同時に、もう一つは、高専自身の内部からの御要望としては、一つくらい高専だけの上に大学を置いて袋小路にしないような道をというような御要望もございまして、これも一つの見識ある御提案じゃなかろうかということで、私どもも親身になって御相談に応じ、われわれ自身としてもそういうようなこともおもしろい考え方であるということでいま考えておる、検討しておる、こういうふうにひとつ御了解を賜わりたいと思います。
  41. 正木良明

    正木委員 けっこうでございました。  そこで、このことについて一つ提案があるのですがね。お話がありましたように、高専は実務的な中堅技術者をつくっていくということなんですか、私はいまからそろそろ——できるだけ早くと言いたいところでありますが、手をつけていただきたいのは、一つは、基礎的な研究等については大学ないしは研究所等の専門的なものにまかさなければならないだろうと思いますが、早晩実務的な技術者というものが非常に大量に要求される問題が、私が考えているのでは、いまおっしゃったほかに二つあると思う。  一つは公害対策の技術者であります。これはおそらくもう各企業に、公害防除についての専門家が義務的に設置されなければならないような状態が必ず起こってくる。それも単なる看板だけの責任者ではなくて、相当技術的にも、実務的にもこの問題について携わる力のある人を、これは法律的にも必置の状態が起こってくることは早晩考えられることであります。  もう一つは、いま非常に大きな問題になっている海洋開発の問題でございますか、この海洋開発の研究ということは、非常に資源の少ないわが国においてはどうしても海底資源というものの開発に目を向けなければならぬし、この研究は相当識者の間で進められておると思いますが、これもやはり大量の技術者、実務者が必要になる。こういう意味において、そういう非常に基本的な研究と相まって、その実務者の要請ということについても、先ほど申された農業だとかまたコンピューター技術者というもののほかに、この二つの問題は一つの私の提案として御検討の対象にしていただきたい、このように申し上げたいわけであります。
  42. 坂田道太

    坂田国務大臣 公害の問題につきましては、おそらくそういうような事態が発生してくるというふうに感じられるわけでございまして、十分御趣旨を体しまして検討課題にいたしたいというふうに考えております。
  43. 正木良明

    正木委員 海洋開発はどうですか。
  44. 坂田道太

    坂田国務大臣 もちろん海洋開発もであります。
  45. 正木良明

    正木委員 そこで、今度の文部省の予算要求の事項別表によりますと、国立高専の設備拡充、いわゆる拡充整備について五億六千八百万円というものを計上しておりますね。この中で、特に今度の電波高専、仙台、詑間、熊本の三つの創設については八千八百万円の予算要求ということになっておると記憶いたしておりますか、この数字に間違いないかどうかということと、特に八千八百万円の三つの新しい高専に対する予算はどのように配分され、どのような方向に使われていくのかということについて御説明をいただきたいと思うのです。
  46. 村山松雄

    村山(松)政府委員 新しい予算での高専関係の設備費の額は、御指摘のとおりでございます。電波工業高等専門学校の八千七百万につきましては、これは従来からの高等学校が高等専門学校になるわけでありますので、主として初度設備的なものでございます。
  47. 正木良明

    正木委員 そこでこの予算のことでは後ほどまた再び申し上げますが、教員の問題ですね、この前のお答えでは、試験をして現在の高等学校の職員で合格した者を高専教授助教授等にするというお話がございましたが、この教員の確保のめどというものは十分に立っているのかどうか、それがいわゆる高専の設置基準を満たすだけのめどは立っておるかどうか。その点いかがでしょう。
  48. 村山松雄

    村山(松)政府委員 教員につきましては、試験ではなくて選考でやるつもりでございます。これは電波ということになりますと、一番この関係をやっておりますのは、東京にあります国立の電気通信大学でございます。この電気通信大学その他の学識経験者の御協力を得まして、必要な教員の選考をそれぞれの学校とともにいたすつもりで、教員は確保できるものと考えております。
  49. 正木良明

    正木委員 それと、先ほどの八千七百万円のことでございますが、初度調達ということでそれだけの予算を組まれておるのですけれども、結局先ほど大臣のお話の中にもありましたように、技術高等学校ではいわゆる中堅技術者ということについては非常に力不足という点もあるので、高専をつくって、そして五年の一貫教育で充実しようとしている。教育機関もさることながら、やはり実業高等学校で非常に技術的に力不足であるということの理由の一つは、学校に設備されているものが非常に近代化からおくれておる。むしろ非常に前近代的な設備で実習をしたり何かしておるという、そういう教科内容よりも実習の設備等について非常におくれておるということが、一つの原因というよりも、一つ条件であるというふうに聞いておるわけでありますが、八千七百万円を三校に分けて、初度調弁のための什器、備品等を差し引いて、実際に高等専門学校としての技術を習得させるだけの機械器具等の設備がはたして可能であるのかどうか、この点ひとつ確かめておきたいわけです。
  50. 村山松雄

    村山(松)政府委員 第一点の職業課程の高等学校の設備が不備ではないかという点でありますが、これは初等中等教育局におきまして、例の産業教育振興法で相当の設備を助成しておりますのでかなり充実しておるので、むしろ運営費なり指導者に問題が多いのではないかというのか私どもの認識でございます。  それから国立の電波高等学校は、これは商船の場合もそうでありましたけれども、専門職の免許状をとる関係で、高等学校三年の上に専攻科が高等学校時代でも二年ついておったわけでありまして、免許状をとるまでの修業期間は高専になりましても同等でございます。そういう関係で、従来とも、一級無線通信士の資格を得るために必要な教育訓練のための設備は一応整っておったわけであります。しかし、高専になるわけでありますから、決してそれでいいというわけではありませんで、さらに整備をいたすわけでありまして、またこれは初年度限りではなくて、完成年次までに逐次充実してまいるつもりでございます。  商船高専につきましても、来年の予算で、たとえば全校にレーダー関係の機械を購入するつもりであります。  電波につきましては、一つでそれほど大型の機械というのがないものですから、ちょっと例示が申し上げられませんけれども、必要な機械設備は、初年度を初めとして完成年次までに整備するつもりでございます。
  51. 正木良明

    正木委員 既設の高専の問題にまでお触れになってお答えいただきましたのでけっこうでございますが、いずれにいたしましても私が先ほど申し上げたように、一つ教科内容、そして指導者に人を得るということのほかに、設備、機械器具というものが技術革新の速度に伴ってどんどん新しいものが入らなければ、実際の社会へ出てからの役に立たないということでありますので、深く追及をいたしませんが、そういう点十分意を用いていただいて、要求すべき予算はどんどん要求していただきたいし、また私たちも応援したいと思います。そういう点で、実際の第一線の技術革新のほうが長足の進歩を遂げて、せっかくつくった高専が技術的には非常に前近代的なものでしかない、むしろ企業それ自体が自分の企業内の学校で技術者を養成したほうが効果的だというようなことにならないように、これはせっかく大臣が力を入れておられるので、所期の目的を達成するためにもその点は十分御配慮いただきたいと思います。  それから、いよいよ先ほどの袋小路の話です。大臣は何とか検討したいということですが、あまりくどくどと経過を申しませんが、やはり大学編入学について非常に狭い門になっておる。その理由はいろいろあろうと思いますが、結局大学のほうは単位制であるし、片方はいわゆる一貫教育の、専門的な言い方は何と言いますかぼくはよくわかりませんか、カリキュラムが全然違うということですか、そういうことで非常に同化しにくい。したがって、三学年に編入しようと思っても、そのほとんどの学校は編入させてくれない。報ぜられるところによると、二、三の大学しか三年に編入させてくれない。総体的にいって編入を好まないで、なおかつ、その編入も一学年か二学年からしか編入させないという考え方があるわけですね。本来の考え方からいくと、大臣の御構想はすでに高等専門学校で完成ということでありましょうから、おそらく最初は、大学へ編入するということについては、あまり重点を置いてお考えにならなかったのかもしれません。それはそれなりに私は正しいと思うのです。それだけに片方は、高専教科内容並びに設備の機械器具等の充実をして、優秀な卒業生を出さなければならない。だが大学へ編入されたいという希望者が非常ににふえてきておるという事実、これは両々相まってやらなければならないと思います。大臣お考えのとおり、原則的には高専で完成させるという方向に行くべきだと私は思います。しかし、事実そういう道が開かれているのにもかかわらず、大学に対する編入というものが思いのままにならない。先ほど申し上げたように、これは大学の偏見であるのかどうかわかりませんし、同時にまた、大学へ編入したいというほうに、高専卒業の肩書きよりも大学卒業の肩書きがほしいという人があるかもわかりません。そういう中にも、ほんとうに修士課程まで進んでいきたいというような考え方の人もあるかもわかりません。  いずれにしてもこれは非常に困った問題でありまして、これは何らかの形で解決されなければならぬと思いますが、これはおそらく検討だというふうにおっしゃるでしょうから、ぼくは聞きませんがね。ただ問題は、国立高専協会というのが、高専の卒業生が入るような別の新構想の大学ということを何か考えているようですね。この点はどうなんでしょうか。
  52. 坂田道太

    坂田国務大臣 私の申し上げますことであるいは違っている点は、関係局長から補足をしたり訂正をしたりしてもらいたいと思いますが、私がいま頭の中で考えておりますのは、各高専一つ一つ大学院に値するようなものあるいは大学教育に値するようなもの、そういうものをくっつけるのではなくて、ある一つ高専工業高専大学としてしまって、それには全国の大学教育を受けたいという人と、それからもうちゃんと完成したあれとして現場に入りたいという人に分かれますがそういう人たちは試験をしてここに入るわけですね。それに対しては十分の教育をする、しかしいまは、袋小路ではないとはいいながらも、道は開かれてはおるけれども、とにもかくにも高専というやり方でカリキュラムが編成されておりますから、大学を受けるあるいは大学教育をやるについては、ちょっと不十分な点もないわけじゃないと私は思うのです。ところが、高専高専としての一貫した教育を受けております。それに何かをプラスアルファすれば、大学に行った人たちより以上の成果もまたあがるかもしれない。であるから、中教審では、一応袋小路でなくするために四種の大学で受けとめる、あるいは一ぺん高専を出た人が産業界に入って、さらに勉強したい人はこの四種の大学で受けとめるという形をとっているようでございますが、そうでなくもう少し親切に、これだけ高専が普及をした中で、その中でもう一つ勉強をしたいという人ならば、それに対して一つ大学ぐらいつくったっていいじゃないか、国立の大学をつくったっていいじゃないか、それには独特の高専大学高専からいく大学というふうに考えたらいいじゃないかということで、この点は、私の考え方とそれから高専の協会との考え方と、大体同じじゃなかろうかと思っております。こまかい点につきましてはいろいろ違うかもしれませんけれども、そういうふうに承っております。
  53. 正木良明

    正木委員 そうすると、先ほど木島さんがいろいろ御質問なさった中で、いわゆる単線といいますか単線教育高専というのが少し出っぱったわけです。これはまた上まで行くという形になってくるわけですから、高等学校以上は大学ができれば、複線教育ということがずっと上までいってしまうということになるのですか、それはいまそういうことが必要ではなかろうかというお考えの程度でございますか、それともやはり実現させたほうがいいという、いわば姿勢としては積極的な姿勢でお臨みになっていらっしゃいますか。
  54. 坂田道太

    坂田国務大臣 同じ検討にいたしましても、私といたしましては相当積極的な気持ちで取り組んでおるわけでございます。しかしながら、先ほど木島先生からもお話がありますように、一応制度でございますからそうやたらに必要に応じてつくっていっても問題が残るかと思いますので、その辺は中教審の答申を得た上で、全体の大学改革の一環としてとらえていかなければならぬ。そこに、いまあまりはっきり申し上げられないところが実はあるということでございます。
  55. 正木良明

    正木委員 では、高専問題は一応これで終わりたいと思います。  あと、同じように提案されております高エネルギー物理学研究所の問題でございますが、これは私から申し上げなくても十分御承知であると思いますが、確認の意味で私は申し上げておきたいと思います。  三十七年に日本学術会議から、エネルギー百二十億電子ボルトの陽子シンクロトロン建設を含む原子核研究将来計画を政府に勧告された、こういうふうに聞いております。さらに、四十年にはエネルギー四百億電子ボルト、総工費三百億円、人員約一千人の再勧告がなされた。四十二年には学術審議会から、一つの研究所の建設だけに巨額を投じるのは他の学問分野とのバランスを失するという提言があり、総工費八十億円で八十億電子ボルトの加速器をつくるという結論が出された、こういうふうに聞いております。この際、素粒子研究所は高エネルギー専門の研究所とし、将来別個に超高エネルギーを含めた宇宙線研究所を考えたようでありますが、この宇宙線研究所設置という問題こういう御構想というのはお持ちになっていらっしゃるわけでございますか。
  56. 村山松雄

    村山(松)政府委員 宇宙線の研究につきましては、現在東京大学の付属施設あるいは原子核研究所で行なわれております。さらにもっと規模の大きい研究所をつくりたいというふうな御希望があるようでありますけれども、まだ確実な構想にまでなっておりません。文部省としてはそういう構想を持っているかどうかという端的な御質問に対しましては、まだ持っておらないというぐあいにお答え申し上げるほかないと思います。
  57. 正木良明

    正木委員 そうすると、一部新聞に報じられましたが、大阪の千里丘陵に低エネルギー分野の核物理センターというものを発足させる予定だというふうに伝えられておりますが、これはこの問題とは別の問題になるのかもしれませんけれども、これはいかがでしょう。
  58. 村山松雄

    村山(松)政府委員 低エネルギー物理学の実験センターとしては、大阪大学でその種のものをつくるという計画を持っております。
  59. 正木良明

    正木委員 そうすると、大学付置の研究所ということになるわけですね。
  60. 村山松雄

    村山(松)政府委員 大阪大学で考えておりますのは、現段階では学部付属の研究施設として考えておるわけであります。行く行くはもっと大きい計画があると思いますけれども、現段階ではその程度でございます。
  61. 正木良明

    正木委員 わかりました。  そこで、この高エネルギー物理学研究所の人事の問題について少しお尋ねをしておきたいわけでございますが、この研究所の完成時には、大体職員といいますか、研究所の人員というのは何人ぐらいになりますか。
  62. 村山松雄

    村山(松)政府委員 まだ確定したわけでございませんけれども、関係者の計画としては、約二百八十人程度は必要ではなかろうかということを考えております。
  63. 正木良明

    正木委員 特に今度の法律改正に伴って政令等が改正されるわけでありますか、教育公務員特例法ですか、この問題に関連して非常に問題点があるというふうに聞いておるわけであります。いろいろ考えられるわけでありますが、文部省がお立てになったお考えでは、教育公務員特例法第二十二条の改正を行なって、それに伴う法令において次の事項を措置するというふうな、これは文部省の書きものだと思いますが、いただいております。その中でこういうようにおっしゃっております。「一高エネルギー物理学研究所の長及びその職員のうちもっぱら研究に従事する者については、教育公務員特例法の規定を国立遺伝学研究所等の場合と同じように準用するものとすること。二、加えて、所長の選考は、「評議員で構成する会議」の推薦(当該推薦については「運営協議員で構成する会議」の意見を徴するものとする)により任命権者が行なうものとすること。三、加えて、職員のうちもっぱら研究に従事する者の選考は、所長の推薦(当該推薦については、「運営協議員で構成する会議」の議を経るものとする)により任命権者が行なうものとすること。」これは、こういう御構想で政令関係をお進めになるおつもりでございますか。
  64. 村山松雄

    村山(松)政府委員 お示しのような考え方で、政令その他の措置をするつもりでございます。
  65. 正木良明

    正木委員 そこで、ここで問題になりますのは、この経緯の問題も一つはあると思うのであります。けれども、もともとこれは大学に設置される研究所ではなくて、国が設置する研究所ということになっておるわけでありますが、聞くところによりますと、大学でこれを引き受けるところがなかったので、こういう国立の研究所というふうな形にした。非常に膨大な研究機関であるということで、一つ大学で引き受けられなかったということもあるのかもわかりません。同時にまた、一つ大学であると、今度法律にありますように、共同研究の場とするにはふさわしくないというお考えがあったのかもわかりません。いずれにいたしましても、これは大学の共同研究ということでの研究所であります。したがって、大学との研究交流ということは非常に活発に行なわれるでありましょう。同時にまた、研究所を構成する人たち、研究員といいますか、そういう人たち、職員等につきましても、各大学との交流ということも大幅に将来やっていかなければならないのではないかというふうにも考えます。そうなってまいりますと、この政令で定めようとしておる教育公務員特例法の中の遺伝学研究所と同じような形のものにするというには、われわれが心配する大学の自治、大学の研究の自由なんかにつきまして、研究所の職員の身分保障という点について、要するに自分の意に反して懲戒を受けたり退職を迫られたりするということの問題については、もう直接文部大臣が握るのではなくて、いま大学で行なわれているような、教授会の議を経て大学管理者が文部大臣に申請をして、そして決定が行なわれるというような大学の自治というものを、この研究所の中にも取り入れるべきではないか。それがやはり研究の自由を確保するという点、または大学との人事交流というような点においてふさわしいのではないか、このように考えるわけであります。非常に直蔵な聞き方でございますので、そういう点でひとつ直蔵にお答えをいただきたいと思います。その点はいかがでしょう。
  66. 村山松雄

    村山(松)政府委員 高エネルギー物理学研究所は、お示しのように文部大臣の設置する直轄の研究所でありますが、その目的は、当該研究について大学間の共同利用に供するものでございます。したがいまして、直轄研究所とそれから大学と、それぞれに関連する部分が出てまいります。しかし、基本的には直轄の研究所でございますので、教育公務員特例法の適用関係につきましても、現在の直轄研究所の例にならったわけでございます。それによって若干身分保障その他に懸念がないかというお尋ねでございますけれども、現在文部省の直轄の研究所であります遺伝学研究所あるいは緯度観測所あるいは教育研究所、いろいろございますが、いずれも今回準用しようとする教育公務員特例法の準用関係と同じことで多年やってまいりまして、そのような懸念は全然起こっておりませんので、私どもとしては、高エネルギー物理学研究所についても、いままでの直轄研究所の特例法準用関係の例にならって支障がないものと考えております。
  67. 正木良明

    正木委員 去年の十一月二日に、日本学術会議の会長江上さんから、「特定の大学に付置されない共同研究所の所員の身分保障について」の申し入れ、これは文部大臣あてになされているものでございますが、この中で特に、「この研究所の所長を含む研究者の身分は、学問の自由を保障し、大学との共同研究を推進し、大学等との人事交流を円滑に行なわしめるため、国立大学における学長・教員の身分と同様に保障されなければならない。特に「所員の任免、不利益処分については、所長の申出でに基づいて、任命権者が行なう」よう保障されることが必要である」。という申し入れがなされたと聞いておりますが、これはございましたか。と同時に、この問題について検討はなさいましたですか。
  68. 村山松雄

    村山(松)政府委員 学術会議の会長からお示しのような申し入れがございまして、それに対して文部省としては、高エネルギー物理学研究所の性格それから設置までの経過等を御説明し、所員の研究の自由が阻害されるおそれがない旨御説明しまして、大学と同じような扱いをするのではなくて、やはり直轄研究所の例にならうという御説明を申し上げた次第でございます。
  69. 正木良明

    正木委員 御説明はなさったのですが、御納得はなさらなかったようですね。したがって、事実ありのままに申し上げると、われわれにも陳情がございまして、先ほど申し上げたように非常に特殊な立場に置かれる研究所でありますので、いま私が読み上げました申し入れの中にありますように、「特に「所員の任免、不利益処分については、所長の申出でに基づいて、任命権者が行なう」」ということを保障する、これは法律というよりも施行令等に規定されることであろうと思いますが、これをぜひとも実現していただくようにお願いしたいということでございます。この点についてはいろいろ陳情の趣旨というものを私も承りましたが、非常にごもっともなことでありまして、いま大学局長おっしゃいましたように、そういうことは一切ございませんし、やる気もありませんということであるならば、私はお入れになったって一向差しつかえないのではないかというふうに思うわけでございますが、いかがでしょうか。
  70. 村山松雄

    村山(松)政府委員 事柄は、形式的な問題と実質的な問題とあろうかと思います。形式的な問題といたしましては、この高エネルギー物理学研究所は、これは大学ではなくて文部省直轄の研究所としてつくるわけであります。したがいまして、大学自治という理念はこの高エネルギー物理学研究所には適用がないわけでありますので、直轄研究所の例にならうわけでありますが、精神におきましては、御指摘のように研究の自由は必要でございましょうし、また人事の交流ということも必要でございましょう。しかし、この直轄研究所において従来、研究の自由が阻害されたりあるいは人事交流が阻害されたりという事例もないわけであります。形式上はやはり直轄研究所の例にならう必要がございますし、それによって実質的な支障はないと考えられますので、文部省の考えのようにやっていただきたい、こちらとしてはるる御説明申し上げた次第でございます。
  71. 山中吾郎

    山中(吾)委員 関連。いま正木委員のほうから学問研究の自由の立場で御質問しておるのですが、いま形式論が出たわけですけれども、この法律の第九条に「高エネルギー物理学研究所は、国立大学における学術研究の発展に資するため」という、特に他の研究所と違った目的を明確にしておるというところに、他の国立関係の研究所と違う特殊性を法律自身の中にうたってあるのですから、したがって、他の研究所にならうということ以上に、ここの学術研究について大学の人事と同じように取り扱うのだという精神は、この法律の明示された文章の中からも私は引き出される思うのです。したがって教育公務員特例法弟十条にある、「大学の学長、教員及び部局長の任用、免職、休職、復職、退職及び懲戒処分は、大学管理機関の申出に基いて、任命権者が行う。」という精神を自主的に尊重していくのだという精神が、当然文部省にあってしかるべきだと思うのですが、いかがですか。
  72. 村山松雄

    村山(松)政府委員 御指摘のように、高エネルギー物理学研究所は、文部省直轄の研究所の中では、大学の共同利用に供するという意味で特別の使命が与えられておるわけであります。しかし、ぎりぎり分類いたしますと大学ではないし、また大学の付置研究所でもないし、文部省直轄研究所という範疇になるわけであります。そこで、教育公務員特例法の準用関係というような形式的な問題につきましては、これはやはり直轄研究所の例にならうというのが妥当だと思います。ただ、それによって研究の自由が阻害されたり人事に支障があったりということはまた避けなければならないわけでありますので、この研究所にも、たとえば基本的な問題につきましは評議員会というものをつくり、あるいは研究計画の遂行なんかにつきましては運営協議会のようなものをつくり、人事については選考で行ない、所長の人事等につきましては評議員会などの御推薦によってやるということを考えておるわけでありまして、それによって研究の自由等の保障は実質的には、確保されると考えております。
  73. 山中吾郎

    山中(吾)委員 実質的に確保されるという確信も表明されたので、その確信を具体的に、やはり制度的にどこか保障してやらなければ、あなたがかわり、局長がかわり、大臣がかわればどこへ行くかわからないのです。その点で正木委員も念を押されて質問されたと思うのです。いまの論理の中で、一つある単独の大学の付属研究所はその大学人事として保障されるが、三以上あるいは四以上の大学の共同研究の場合は、いまのような形式論において今度は制度的に保障できないというのは、論理が合わない。やはり現在大学連合の思想もあるし、それから同じ研究においても総合的に研究しないと巨大なる研究テーマの場合にはいかないので、共同研究所を置くべきだという思想がわれわれ国会の中からも出ておるわけですから、実質的には単独の大学の研究所と同じ、しかし、研究テーマの問題から共同研究施設にしなければいかぬという立法の趣旨からいって、私は、制度的にも人事を同じにするという精神はごく自然であり、論理的であると思うのですね。そこで、所長の申し出によって選考という中身について、教育公務員特例法の内容というものを前提として、その中身全体を含んで所長の申し出によるという精神はどこかに貫いていかなければいかぬと思うのです。そのあとで、形式上大学そのものでないから法そのものには規定できないならば、省令でもいいし、その他明確にすべきであると思うのです。おっしゃる精神は、形式はそうだけれども、実質的には大学人と同じようにするといういまの答弁だと聞きましたが、それでよろしいですか。
  74. 村山松雄

    村山(松)政府委員 高エネルギー物理研は、るる御説明申し上げましたように、大学ではないわけでございます。したがって、できるだけ大学における研究の自由ということが生かされるように運営をいたしたいと思いますけれども、形式論として大学と全く同じにはならないと思います。できるだけその精神を生かすような方法によって運営をいたしたいと思います。
  75. 山中吾郎

    山中(吾)委員 文部大臣、聞いてましたか。そういう形式と実情とあるのだけれども、法そのものに触れることは別にして、何らかの形において大学人と同じように考えていくというふうに腐心をしてやるべきだと思うのですね。それだけお聞きしておきます。
  76. 坂田道太

    坂田国務大臣 ただいま局長からお答えを申し上げましたように、この研究所は大学じゃないわけでございますから、形式的にも実質的にも、従来のやり方でやりたいとは思います。しかし、やはり研究の自由を守っていくという精神だけは、何らかの形で確保するということは必要なことだ、そういう配慮をしなければならぬというふうに思います。
  77. 正木良明

    正木委員 いまのやりとりの中で大体問題点の解明がありましたし、文部省の姿勢も大体浮び上がってきたのですが、まあ山中さんも御指摘になったように、これは単なる口約束だけではどうしようもない問題だと思います。したがって、検討の方向というものにつきましては、これはまだこの法律案が可決されるまでには時間があると思いますが、その間にわれわれと協議を十分していただきたいと思います。一つの案としては、文部省の構想の中の評議員会、これの職能といいますか使命は、評議員は高エネルギー物理学研究所の事業の計画その他管理運営に関する重要事項について所長に助言するということになっておりますが、たとえば評議員の申し出を経て所長が文部大臣に、任免についての申請をするというような、一つのチェック機能というものをやはり明文化しておくことが必要ではなかろうかというふうに考えておるわけであります。管理運営に関する重要事項は、やはりその職員の身分保障ということはきわめて重大な重要事項であろと私は思います。そういう点についてはなお、私の案でございますが、どうか検討を加えていただいて、すぐには返事は無理でしょうが、次の機会にでも承りたいと考えます。一応それを要請いたしまして、私の質問を終わりたいと思います。
  78. 久保田円次

    ○久保田委員長代理 午後一時三十分再開することとし、暫時休憩いたします。    午後零時四十六分休憩      ————◇—————    午后一時三十九分開議
  79. 八木徹雄

    八木委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  国立学校設置法の一部を改正する法律案について質議を続行いたします。山原健二郎君。
  80. 山原健二郎

    ○山原委員 法案に関連をしまして、国立高専の問題について質問をいたします。  昨年の十二月二十六日の日本教育新聞を読みますと、文部省は全高専を総点検するということを発表しております。「高専管理運営等実態調査研究会を発足させ、」というふうに書いてあるわけですね。なお、その日本教育新聞には、「高専の管理組織についてはいくつかの欠点が指摘されているが、「企業寄り」といわれる教育課程にどこまでメスをいれられるか注目されている。」こういう文章になっておるわけですが、この総点検というのは実態調査研究の総点検と、こうなっておりますけれども、実際中身としてどういうことを研究しようとしておるのか、あるいはいろいろな意味で広範な意見を徴して、よりよい高専をつくっていくという観点でやられるのが、その点を最初に伺っておきたいのです。
  81. 村山松雄

    村山(松)政府委員 高等専門学校制度につきましては、発足にあたりまして学識経験者の協力を得まして、私どもとしては十分検討の上、教育課程なりあるいは組織なり予算なり構想したつもりでございますが、何せ新しい制度でありますから、やってみて当事者ないしはその他の関係各層の御批判があれば、それらに基づきまして検討しようというつもりであったわけでありまして、新聞は「総点検」というような多少大げさな表題を使っておりますけれども、要するに実態を調べて、改める点があれば改めたいということで発足した次第であります。  調査します問題としては、そういうことでありますから、全般にわたるわけでありますけれども、教育課程でありますとか、あるいは管理運営の組織でありますとか、あるいは学生の指導の問題でありますとか、それから学生の入退学、卒業といったような問題、要するに組織や管理運営の全般にわたって調査してみようということであります。  方法といたしましては、実態も調べますし、また直接当事者ないしは学識経験者の御意見も聞くということで、すでに若干回、会合などもやっております。
  82. 山原健二郎

    ○山原委員 この問題については、午前中に質問もありまして、現在の国立高専が非常に就職先もよろしい、また評判もよろしいというようなお話があったわけですが、問題は、教育の問題ですから、単にそれだけで判断を下すべきものでもないと私は思うのです。私の県にも国立高専があるわけですが、これには県費を二億円出しているわけですね。さらに国立高専に伴いましていろいろな経費も出しておりますし、県民としては、この県内にある国立高専を育てていきたいという気持があるのは当然のことですね。しかし、ではその中身がはたして教育的な立場に立って発展をしておるかというと、必ずしもそうでもないということが前々から出まして、そして全国的な情勢を見ますと、かなり問題があるということを感じておるのです。  私はここに、ある高専生の歌った——これは朝日新聞に出ておったわけですが、「ねりかんブルース」というのがあるのですよ。それを続みますと、「朝から晩まで作業服 やるこた旋盤ヤスリかけ これで学生といえましょか 末は博士か大臣か やっぱりオレたちゃ職工さ」ということをいっているわけですね。これは学生の歌ですから、そういうのはよくどこにでもあるわけですけれども、この中に象徴されるいろいろな問題をはらんでいる。  たとえば朝日新聞は、昨年の二月までに三回にわたって国立高専の問題を取り上げております。その題名をちょっと見ますと、「高等教育の不合理と矛盾」、こういう表題であります。それからさらに、「再び「高専教育の不合理と矛盾」」というのが第二回目に出まして、第三回目には、「高専問題打開に小さな芽」というやつが出ているわけですね。精密に調査をされ、また学生諸君の投書なども引用しまして、国立高専の置かれておる現状というものを把握しようと努力されておるのではないかと、非常に参考になる新聞記事だと思うのですが、その中で、一つは、「自治活動が制限され、各高専間の生徒の連絡が管理されているのなど、」投書の中にいろいろな問題が書かれておるようです。また、「高専教授会を協議連絡的な性格のものとして「教官の任命をはじめ重要な決定権はすべて校長ひとりに集中する」という、こういう管理上の問題、それから学生会は自治権がきわめて弱く、学生主事の監督のもとに置かれているというような問題を含めまして、また「反体制的な勢力の影響を避けて、企業の要求する技術者を養成するための最小条件と考えられた。その意味で、高専は当局の描いている「理想的な大学像」の原型ということができるかも知れない。」というようなことが書かれているわけです。  さらにもう少し申し上げてみますと、これは学生諸君の投書の内容でありますけれども、カリキュラムにしましても、週四十時間ぎりぎり一ぱいしぼられるというような意見も出ております。それから低学年に全寮制がしかれておって、授業終了後寮で毎日二時間補足の授業がある。これは子供たちにとっては、全く殺人的なスケジュールだというようなことも出ているわけです。それからその中で、ものを考える時間などというものがない、要するに授業内容を頭の中に覚え込むことに必死だというような問題も出ております。  これは例をあげれば切りがありませんけれども、こういう状態の中で、しかも先生方に対しても不満が出ておるのですね。定年に近い人、また企業体で不必要になった人の収容所みたいなものだというような意見も出ておるわけです。そして、この学校の形態が「校長を頂点とする封建的権力支配が存在」をしておる。さらに、言論の自由は全く保障されない状態にあるというようなこと、また各高専間の通信には、学生主事の添書というような形態がとられて検閲をされるという。学生会同士で交信をしようとしましても、その高専の学生主事の添書がなければ送信先で相手の学生会に渡されることはないし、また、向こうへ行っても没収される可能性もあるという状態、また「高専間の学生会同士は三校以上集合して話合うことは認められない」というような、いわば非常に隔絶をされた形に学校が置かれておるという状態ですね。これは学校のつくられておる位置そのものから見ましても、郊外地の一角につくられておるというような位置の問題に象徴されるわけですけれども、非常に教育全体のいわゆる教育基本法、学校教育法の形態の中からはみ出したような形の隔絶した中に置かれて、その中でどういう教育が行なわれておるのかということについては、各県にはあるけれども、県の人たちもあまり知らないというような状態が出ているわけです。  そういう中で問題がないかといいますと、私の調べたところでは、昭和四十四年の例だけ見ましても豊田高専、旭川高専、鈴鹿高専などにおいて、また東京都におきましても問題が発生をいたしておるわけであります。こういうことを考えますと、むしろ非常に初歩的な学生諸君に対する管理運営の体制というものが、いわば戦時中の最もきびしかった時代と似通ったような状態があるのではないかということを私は感じるわけでありますが、これについて大学局長のほうでどういう把握をされておるか、ちょっと見解を伺っておきたいのです。
  83. 村山松雄

    村山(松)政府委員 高等専門学校は、五年間の一貫教育の中で実技並びに理論工業技術者として必要にして十分なだけ教授するということで、カリキュラムがかなり詰まっておるのは事実であります。そこで、学校も一体となって効率をあげるように努力いたしておりますので、ある学生の中には、そういう教育指導に若干の不適を示す者もあるようでございます。しかし、学校制度としては、一面においてほかの種類の学校で入るのはむずかしいけれども、入ってしまえばたいして勉強しなくても出ていくというような状況が批判される中で、高専工業技術者に必要な濃密なカリキュラムでやるということ自体は、趣旨としてけっこうなことだと思っております。ただ、その内容については、不必要に過密であることは一面において考えなければならぬと思っております。そこで、カリキュラムについては、先ほども申し上げましたとおり、実態調査の協議会などでも検討いたすことといたしております。  それからまた学生の補導面につきましても、これは高等学校段階から大学前期段階まで含めて、大学に比べれば年も若いわけでありますから、自治活動にしましても、放任ではなくて学校指導のもとに社会的自立性を涵養するというような見地からいろいろな配慮がなされております。これが一部の学生からはよけいな拘束のように受け取る向きもございまして、その適正なガイダンスについてはなお検討の要があろうかとも思いますけれども、方角としては、高専はそういう方針でやっておることは趣旨としてけっこうなことではなかろうかと思います。御指摘のように若干の高専で問題が起こったのも事実でございますが、教職員が一致して指導した結果、今日ではおきまっております。  そこで、こういう高専に対する不適を起こさないためには、やはりその高専の趣旨というものをもっとよく徹底させて、高専とはこういうものだということを承知の上で学生が入ってくるということが必要だと考えます。高専の発足当初は、何か大学とあまり区別をしないような感じで学生が志願したような形跡もあり、それで入ってきたら大学ではなかったということで不適を起こすというような極端な事例もありましたので、高専内容についての案内書などもつくって、教育委員会等を通じまして中学生に対する進路指導をし、高専というものの目的、使命、内容というものをある程度知って入ってくるという進路指導から始めまして、入ってから先のカリキュラムなり管理運営なりは、先ほど来申し上げましたように、技術者養成の一貫教育という趣旨はもちろん堅持いたしますけれども、内容的に、場合によっては行き過ぎあるいは不足の点があれば直すという態度で対処しておる次第でございます。
  84. 山原健二郎

    ○山原委員 あとでこういう点は行き過ぎではないかということを私は申し上げますが、実例をちょっとあげてみたいと思うのです。その前に、いま大学局長のお話にありましたが、実際高専へ人学しておる子供たちは、かなり優秀な子供が行くわけですよ。家庭の経済問題なども含めまして、相当すぐれた子供たちが、私の県などでも入学をしております。そういう子供たちが、ほんとうに人間らしく成長していくということをわれわれは望み、しかもなおかつ技術を身につけるということか必要なわけです。ところが、高専とはこういうものだという任務意識というものが、非常に強烈に校長を先頭とするところの管理体制の中にありまして、そのワクの中に子供たちをはめていくということがあるんじゃないかという意味で例をあげます。  高専の学生は二年生になりますと——四年生からいくとすれば旧制の高等学校の一年生、そういう年齢に達しておるわけでありますから、かなり自由にものを考え、また思考する能力を持っておる子供たちであるということを認識しておらないと、これは誤ったことが行なわれるのも当然だと思うのです。いまあげます例は、いろいろな問題を含んでおりますのでそのまま申し上げたいと思うのです。  これは私のところの高知工専にあったことでありますが、昭和四十四年の三月の卒業時期にY君という学生が教官会議では卒業に判定をされておったのですが、ところが突如Y君が民主青年同盟に入っておるということが言われ出して、そして校長さんから、思想の自由はあるが君たちのは誤っており、公共の福祉に反しており、政府も言っているように法に触れるということで、卒業させないという問題が起こったのです。そしてこのY君に対して、考えを改めることというのが第一条、第二条が民青新聞を学友にすすめたりして法に触れることをしたことを認めることという条項が突きつけられたわけです。Y君はこれを一度拒否しております。そうすると、校長さんのほうから、卒業は延期だということで、これはY君のみならず、M君というのも同じ状態に置かれるわけです。全く卒業まぎわのことでありますが、学生執行部のほうでは、これに対して百五十人の署名をとりまして嘆願書を出しておるわけです。しかし、依然として学校側は、あやまらなければ卒業させないということで、つまり学生諸君やその他が、卒業まぎわなものですから説得をしまして、校長室で本人と父兄が頭を下げて卒業を決定をした。これは卒業式開始五分前のことなんです。こういう事件が起こっております。そして当日朝、校長名でこの二人に対して、卒業式に登校しないようにという電報が行っておるわけです。これは一例です。  もう一つの例は、ちょっと形が違いますが、K君の場合の例ですが、これは同じく昭和四十四年のことでありますけれども、高知市で教育を守る県民会議というのが開かれたわけですが、そのときに、ある人物が国立高専の問題を含めて報告をしております、ところが、その人物の名前が——警察官によってこの人物が写真を写された。その写真が学校に回ってきたわけです。そうすると、学校の管理の人たちが、これはKに間違いないということで探索が始まって、そして卒業延期、そして内定中の就職を断わるという手配をしようとしたわけです。ところが、このK君というのは非常に学究的な学生でありまして、そういう会に行っていなかったのです。しかし、それを証明することができないものですから、とうとうさがし回って、その会場で報告をした人物本人をさがし出しまして、そして自分が出席していないことを実証せざるを得ない。校長はその際に、君の目を見て信じようということで、この問題はそれで終ったわけですけれども、これも考えてみると、たいへん人権上の問題が含まれているわけです。  さらに、いま申しました前記の民青問題の二人のほかに、六人の学生も、父母も呼び出しを受けまして、そして非常な注意を受けておる。さらにまた、校長の訓示というのがしばしば行なわれておるわけてすか、これは全く——たとえば昭和四十三年の七月に行なわれた訓示ではこういうふうに言っております。この三月に卒業した者の中に三名の共産党員がいた、わかっていたが卒業させた、このことは私の失敗であって、今後はそうさせないというようなことを平然と言われる。あるいは、高知県の日教組をつぶすために文部省に頼まれて高知県に来たのだというようなこと、これはしばしばこのような発言が行なわれる。  また、N君の例を見ますと、制服、制帽の着用をしなかった、注意をすると反抗的であったということで、これはつまり退学になっております。喫煙をした学生四名も退学になっておりますが、これはどういう形で調査をなされたかと申しますと、学生寮の中に職員が入りまして、そして全く無断で学生の机の中を調べるわけです。その中にたばこの吸いがらがあったということですね。そして、その机の所有者である某君に対して自供を迫りまして、その中から四名の学生の名前か出てきました。これは退学になっております。  私は、こういう例を申し上げましたけれども、これは一例にすぎないわけでございまして、これでは全く教育基本法とか、学校教育法とかいうものは、一体どこに行ったのかという疑問を抱かざるを得ないわけですね。それで、ちょっと学校の規則を調べてみたわけです。調べてみますと、これはずいぶん問題のある個所が多いわけですけれども、特に学生寮の問題につきましてお尋ねをしたいのです。  まず、封筒の点検、書簡の点検が行なわれるわけですね。それから学生諸君には、かぎが渡されていない。だから、学校管理者がかってに個室に入って、何でも調査することができるという状態になっております。それから夜の点呼などは全く、私も軍隊におったことがありますけれども、もう内務班のやり方と似ておるのです。気をつけ、第何班何名、事故何名、異状なし、というようなことが行なわれるわけですね。これは国立学校ですよ。拓大の問題がずいぶん問題になりましたけれども、私はこれを見まして、戦後の学校の中でこんなことが、しかも国立学校の中で行なわれているということをちょっと意外に感じたわけです。  それから、さらに問題なのは給食費の問題です。給食費は、九食連続して食べない場合のみ、欠食代の代金の払い戻しが行なわれるということになっております。九食連続というと三日間ですね。そうすると、これは事前に届け出をしてもだめなのかというと、だめだ、三日間ぶっ続けで食べなければ、代金の支払いが行なわれる。これは、夏休み以外にそういうことはないと学生諸君は言っておるわけでありますけれども、しかもその学生諸君に、食べなかった分のお金はもちろん返ってこないわけです。私も、三食とか二食ということならわかりますけれども、三日間連続食べないでなければ代金が返ってこないというようなこと、しかもそのことによってずいぶん、数十万円のお金が余りまして、そうして学校側は学生に対してその金で自動車を買いたい、そうしてそれを学校に寄付せよということを要求している、こういうことが行なわれております。  さらに、学寮規則の十条を見ますと、「退寮を願い出るときは、退学願を同時に提出しなければならない。」こうなっているわけです。寮をいろいろな事情がありまして出るときには、退学願を出さなければならない。退学というのは、これは学校をやめるわけですから、 にいなくてもよいことになるわけですが、退寮願を出すときに退学願を同時に提出しなければならない、などという学寮規則が平然と書かれておるわけであります。  以上、いろいろの例を申し上げましたけれども、この細部については時間の関係で申し上げません。かなりこれは問題があるのです。もう、非常に大きな問題を含んでおると思いますけれども、その寮の問題だけ、いま申し上げたのでありますが、こういう実態がある。私は高知高専の例をあげましたけれども、これは校長先生の単なる個性の問題とか、そういうものではないと思うのです。校長先生みずからは、先ほど私が申し上げたように、高専というものの任務を本人としてつかまれて、それを自分なりに決意を持って遂行しようという、その気持の中から出てきておるのではないかと思います。考え方に、古い、前近代的なものがあることは、これは私も比判として持っておりますけれども、しかし校長個人の個性としての問題でなくして、こういうことを許す文部省の体制があるのではないかという点を私は指摘したいんです。だから、例として高知工専の問題をあげましたが、最初に申し上げましたように、これはもう方々の国立高専の場合に同じようなことが出ておりまして、学生諸君の間からこういう項目の要求が出されておるのです。  これは朝日新聞に出ております。一つは、通信などの検閲制撤廃ということ。二番目は、集会、印刷物配布などの承認制、許可制をやめてもらいたい。三番目は、カリキーラムの改善をしてもらいたい。四番目は、後援会費の全面公表をしてもらいたい。五番目は、研究費の全面公開をしてもらいたい。——これは全く一、二の例を見ますと、通信などの検閲制の撤廃などということが、もう大学の学生と同じ年配の学生諸君に対して、こういう全く初歩的な要求が出るということは、これはほんとうに私は何とも言えない気持がするわけでございますが、これは戦前の紡績女工の立場と全く同じだとすら言える中身を含んでいるわけであります。私は、こういう例を上げまして、たとえ国立高専であっても、特殊な性格と任務を持っておる学校だとはいっても、少なくとも教育基本法の前文に書かれておる「個人の尊厳を重んじ」るというこの条項は、断じて生かされなくてはならぬと思うのです。だから、教育基本法のそのような精神あるいは学校教育法の立場、そういうものを少なくとも守ってもらうという管理者でなければ、こういう若い力を持った、しかも優秀な学生諸君を真に教育することは、私は、不可能だと思う。また文部省が、いま総点検をやると言っておりますけれども、その総点検の立場というものは、この教育基本法、学校教育法の立場に立って行なわれるのが至当だと思うのでありますが、その点について見解を伺っておきたいと思います。
  85. 村山松雄

    村山(松)政府委員 学校制度実態の点検は、教育基本法を初めといたしまして学校教育法その他の法令に準拠して、これに適合するかどうか、その趣旨の実現に遺憾がないかどうかという観点から行なうべきことは当然と存じます。
  86. 山原健二郎

    ○山原委員 きわめて簡単な答弁ですが、この学寮規則は文部省の出しておるものと多少違いますけれども、しかし、文部省の意図を先取りしたといいますか、そういう形でできておると思うのです。これはだいたい各高専とも似たようなものではないかと思うのですが、これらについて点検をする、もう一度再検討する考え方というものを持っておるのですか。
  87. 村山松雄

    村山(松)政府委員 どこまでやるという明確な計画は必ずしもございませんけれども、御指摘のありました点も含めて検討いたします。
  88. 山原健二郎

    ○山原委員 たとえば私が申し上げました食事の問題九食連続して休まなければ代金の払い戻しはしないなどという問題は、しかもそのお金を数十万円も余らして自動車を買うなどというのは持ってのほかだと思う。国立高専に行っている学生諸君の家庭は、すべてではありませんけれども、決して豊かな家庭ではないのです。私ども、自分の近所にもおりますからよく知っております。母親一人で養っておる子供なんかも行っておるわけです。そういうことに対してこういうやり方がはたして正しいか。しかも国立ですからね。私はここらは考えてもらわなければならぬと思うのですが、この点について実情を調査して、この辺について改善するお考えがあるかということ。  もう一つ、かぎの問題ですけれども、小さい子供であればいざ知らず、少なくとも自意識を持った学生はみずからの個人の生活を保障したいという気持があると思うのですが、その学生たちにかぎも渡さぬというのは、学生諸君に対する不信感から来ておるのかもしれませんが、これは全く人権上の問題だと思うのです。これも実情を調査していただきまして、これは工業高専だけではないと思いますので、これについてどのようにされるか、この問題についても伺っておきたいと思います。
  89. 村山松雄

    村山(松)政府委員 たいへん申しわけございませんが、いまの食事の問題、かぎの問題は初めて承ったわけであります。食費は、推察するに、ある期間の材料費あるいは光熱水料等の原価計算をしまして、それを学生数、食数で割っておそらく単価を出しているのではないかと思います。そうしますと欠食がありましてその分が入らないということになると収支に狂いを生ずるというようなことから、欠食をしても金をとるというのはある程度認められてしかるべきだと思いますが、御指摘のように九食というのが妥当であるかどうか、実情を調べてみたいと思います。  それからかぎの問題につきましても、これは寮の構造、管理がどうなっておるか、どういう利用関係になっておるのか調べませんと判然としたことは申し上げかねますけれども、個室があけっぱなしというのは一面不用心でもございますし、若干問題のような気もいたしますので、よく調べてみたいと思います。
  90. 山原健二郎

    ○山原委員 長々と例をあげて申しましたけれども、そのあたりをさっき言いましたように、確かに中級技術者をつくるという文部省の意向があるかもしれませんけれども、しかし、もともと教育ですから、そういう教育の観点を忘れて単に企業に役立っという形の子供たちに対する対処のしかたというのは、絶体に許されるべきことではないと思うのです。だから、文部省が総点検をやるというのに対しまして、いままでの企業寄りのカリキュラムがどのように改定されるかということをみな注目しているわけですから、そういう点については、単に学校の管理者を集めて会議を持ったところでたいした意見は出てこないんですよ、そういうことをやっている連中が集まってくるのですからね。だから、ほんとうに広範な意見、あるいは教授の皆さんの意見とか、あるいは学生諸君の意見を十分聞くという姿勢をはっきり示してもらいたいという考えを私は持っておるわけです。その点について、総点検の際にそういう意見が反映されるか、場合によっては学生諸君の意見まで反映される必要があると思うのです。この国立高専先生方は、いろいろな意味で困難な状態に置かれているのです。他の学校に異動することもなかなか簡単にはできませんし、しかも学内が校長を頂点とする体制にありますから、意見も簡単に述べることができない。私どもが知っているところでは、少しでも意見を出せば、一発で校長の圧力の前に屈しなければならないというような例を幾つも持っているわけです。中には、ある先生が、これは高知県の県庁の優秀な技術職員でありますけれども、文部省学校要請によって学校にいったけれども、すぐ追い出されるような状態で、変死をしている問題さえあるわけです。そのことは本日は申しませんけれども、そういう問題まで含まれておる中で、この国立高専というものをほんとうに民主化していくという態度を、私はとってもらいたいということを申し上げたいと思うのです。  それから、午前中にもお話がありましたが、学生諸君の進路の問題です。学生諸君が大学に行きたいと希望しております。しかし、なかなか行けない。閉ざされて進学をすることもできない、編入をすることもできないという状態に置かれておる、いわゆる袋小路の問題でありますけれども、これにつきましても、国会の答弁では、荒木文部大臣がはっきりその道を開きますということを言っているわけです。しかし、これについても、具体的にそれができるという条件がいまだに確保されていないということを考えましたときに、これらの問題も早急に解決をしてもらいたいということを要請したいと思うのです。  私は長々と申しましたが、これについて最後に文部大臣の見解を伺っておきたいのです。
  91. 坂田道太

    坂田国務大臣 高専は新らしい制度で発足をいたしました。したがいまして、一面におきましてはかなりな成果をあげておるとも言えるわけでございます。しかし、同時に、このあたりで一ぺん総点検をする必要があるというふうに私は考えたわけです。私もいろいろの方から、学生からもまた中堅以下の先生からも、あるいはまた校長さんからも話を承っておりますが、先生のおっしゃるようなケースは聞きませんでしたけれども、しかし、かなり問題があるというところは聞いております。たとえば教員のスタッフにしましてもなかなか確保ができない。いい高専先生でありますと大学にとられてしまう。あるいはまた、高等学校のいい先生が今度は高専に採用される、そしてまた、大学の第一線を引いたような方が高専に行くというようなこともあるということで、教員、教官が常に流動的であるというところに、一面においては高専それ自身が評価されながらも、内部的に立ち入ってみるとかなり不安定な要素がある。それから急速に各府県に設置をしたというような事情もあって、施設や設備は行なわれているけれども、教育的に見てはたしてこれが適正であるか、十分であるかというような点についてはまだ問題がある。あるいはカリキュラム等についても問題があるというようなことも私は聞いております。そういうわけで総点検ということを考えたわけでございますが、きょう承りますと、かなりまだ私の知らないような面も聞かされたわけで、常識で考えると考えられないことも間々あるやに承ったわけであります。この点を含めまして調査をいたし、そしてやはり常識的な管理運営、研究のやり方に矛盾ありとするならば、変えなければいけないのじゃないかというふうに私は思うわけでございます。  それから袋小路をなくする問題については、午前中先生いらっしゃらなかったかもしれませんが、私としましては、その点について、全国の高専にずっと上をくっつけるということでなくて、まあ一つ高専を昇格させて大学までもやれるような大学として、そして一応高専それ自体が完成した教育機関であるけれども、しかし、なおかつもう一ぺん、もう少し研究に当たりたい、勉強したいという人たちに対しては、そういう大学一つこしらえていいのではないかという考え方を持っております。しかし、これは中教審の最終答申が五月に行なわれるし、中教審自身も、たとえば高専を卒業して一たん社会に入った人たちを、もう一ぺん袋小路をなくすため、五種の教育機関で養成をするということも考えておられるようだし、その辺との見合いもありますから、まだ検討いたしております。しかし、私としては、そういうような新たな大学をこしらえるほうが適しているじゃないかというようなことを、午前中も申し上げたわけでございまして、これは前向きで私は検討したいというふうに思っております。
  92. 山原健二郎

    ○山原委員 時間となりましたので終わります。
  93. 八木徹雄

    八木委員長 次回は、明後二十六日午前十時理事会、午前十時三十分委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後二時三十分散会