○寺前
委員 大臣に
二つの点をお聞きしたいと思うのです。
一つの点は、
厚生年金の持っている基本的な性格、これで今日の事態の中で
厚生年金をどういうふうに
支給すべきかという基本的な
考え方の問題ですね。これをひとつ聞きたいと思うのです。それからもう
一つは、せっかく法
改正をやられる以上は、
改正というのはやはり矛盾点を解決するということが
改正の
趣旨ですから、矛盾点としてもっとあるんじゃないか、この矛盾点の問題について聞きたい。この
二つの点を聞きたいと思うのです。
まず最初の基本的な
考え方の問題ですが、
厚生年金というのは働いてきた人たちがいよいよ
仕事をやめたあと、高齢者になってからの問題ですね、どう
生活をしていくか。今日、労働者が働いている期間中は、賃金と
職場の
労働条件の
改善のために労働組合をつくり、
雇用主との間に交渉をやりながら、自分の健康と生命を守るためだけではなくして、家族の問題まで考えて
生活をしていきます。同時に、万一病気になった場合には困るということで、
健康保険の
制度を会社でつくったり、あるいは公務員の場合の
共済組合をつくるなりして、健康の問題についても、今日ではかなり変わってきていますけれ
ども、病気になったときにはただで見てもらえるような
体制をふだんからつくっておこうということが、日常
生活の中にあると思うのです。しかし、働きながら同時に心配でならないのは、
事故が起こった場合どうなるか。その場合については労災保険というのが今日
一つの
制度としてできてきた、けっこうなことだ、こうなっておるわけです。しかし、その後の
一番の心配を考えてみると、退職時に一体どうなるのだろうかということは、労働者が共通してだれもが心配をします。退職時を考えてみると、まず退職金がどれだけもらえるのだろうか。それから
年金がどれだけ入ってくるだろうか。退職したあと、私の
仕事というのははたしてあるだろうか。そのときには一体子供はどうなっておるんだろうか。働いている人は共通した感情として、その辺を
計算しながら
生活を送らなければならない、こうなっておると思うのです。私の手元に、総評が民間
企業の退職労働者の調査をやった幾つかの例の資料があります。これを見ますと、たとえば金属鉱山で三十二年間
坑内夫をやっておった人、
昭和四十二年の四月に三十二年間働いて五十八歳で退職した人がこういうことを言っています。やめるときの賃金は六万円で、退職金は四百万円だった。ところが女房と中学一年の女の子がまだおる。六万円の賃金のその当時の姿から、四百万円の退職金をもらっただけでは、あと二万五千円ですか、
年金がもらえるが、しかし、
年金をもらおうと思うと、
社会保険の完備していない会社へつとめなければならぬということになります。そこで
社会保険の完備していないところで三万円から三万七、八千円というところの月収
——日給の月収ですけれ
ども、そういう
生活をやっている。しかし、
坑内夫を三十年やってきた中で、もうからだはがたがた、日給
月給の
生活は非常に困難だという問題を訴えているわけですね。この人はかなり高いのですよ、
厚生年金として。これだけ働いてきて二万五千円、実際はこういう
状態でない人というのはたくさんおりますよ、それだけのものがもらえない。関西の私鉄の人ですが、二十年と三カ月勤務して五十五歳で退職した人は、退職時百五十万円の退職金をもらって、いま、退職してから四年間、鉄工所の雑役として
生活している。女房と子供二人の四人家族が、おんぼろの借家で、高校生のむすこがおるそうですけれ
ども、やはりたいへんである。こういうような例というのはあげたらきりがない。大体こういうようにずっとあがってきておるのを見ておりましても、退職金というのがいいところで百数十万円から四、五百万円まで
——これは高いほうですね。そして退職後の
生活というのが、ともかく何か
仕事を求めなかったらやっていけない。しかし、からだはもうがたがたになっておる。
年金のほうで十分に
生活を立てるということにはなかなかいかない。むすこにたよれるかといったら、むすこにたよれる状況にないというのが共通した感情と、共通した暮らしの
状態であると思うのです。こういうことを考えてきた場合に、現実に若いときに働いている場合に、労働災害にあった場合には、労災保険で全面的に見てもらえるという
体制が当然あってしかるべきだと思う。それから家族の健康を破壊した場合には、
健康保険でお金をかけずにやれる
状態があるということ、これはまだ完全にそうなっていないけれ
ども、そのことを労働者は期待していると思うのです。そうすると、そういうものと比較したときに退職後の取り扱いというものが、もうそれは
社会の
中心的な生産
部門におる人でないのだからということで見放されているというのが、
厚生年金の置かれている
現状の内容だと思うのです。だから、今日の老後の
生活のことを考えてみた場合に、せめてやめたときには少なくとも今日では三万円くらいのお金を渡さなかったら、
生活は不安でしょう。そのくらいのものをやることが、
日本の国は産業をすばらしく
発展させたのだと自負しておられるところの
政府にとって、働いてその産業の
発展をささえてきた人たちに対する当然の態度でなければならぬと思うのです。
大臣、どうでしょう。私はそこのところが、
計算方式とかそういうものじゃなくて、少なくとも三万円くらいは、働いてこられたすべての方々に退職時にお渡しする、こういうかまえがなぜとられないのだろうか。そのくらいのことはとるべきではないだろうか。その
意味では、それを実現するという基本的な態度をとられるのかどうか、そこをちょっと聞きたいと思うのです。