○根本国務
大臣 この
構想の性格について申し上げる前に、私は、現在の国会運営のあり方について、基本的な考え方を与野党ともに考えなければならぬじゃないかというふうなことを考えております。従来、憲法上、国会は国権の最高機関であるというふうに明定をしておるにもかかわらず、議員立法というのはほんのわずかで、大部分が
政府が提案する。しかも、その
政府提案のほとんど大部分の
構想は
事務当局がいろいろとやって、そして、その積み上げの上に出しておる。
政府が出すと、今度は、野党は、端的にいえば、何か、野党としてどうこれを攻撃するかというふうなことで、そういう攻防戦を戦後この二十数年間繰り返してきているような気が私はしているのです。これでは実り多いことにならないわけです。結局、
政府当局、与党は、場合によっては強行突破してもこれはやらなければならぬ、片一方は阻止するということで、非常にこれが政治不信につながってくるのじゃないかという気が私はしておるのです。特に重大なる内政上の問題になってきたというような場合は、国会の最後の
段階で攻防戦を繰り返すとか、それで妥協して、それじゃここを修正しようなんていうことよりも、むしろ与野党とも
一つの重要な問題について話し合いをした上、大綱について合意が出たときに、初めて今度は
事務当局を動員して立法にかかるということすらも今後やっていいじゃないかというふうな気が私はするのでございます。その一環として、この土地問題は、もう戦後最大の課題として現在論ぜられておるわけです。
〔
大村委員長代理退席、
委員長着席〕
この土地問題を
解決することなくしては、住宅政策も、都市再
開発も、あるいはまた住みよい人間環境をつくるということも不可能になってくるわけです。しかもこれには、憲法の解釈上、いろいろ私有権の絶対主義的な傾向がある。しかしながら、それをどこまでも尊重していきますと、もう現実にごく少数の人間の利益を保護する結果、多数の人間が実は生活上非常な脅威を受けて、幸福が保障されない。そこで、いろいろな学説と政治との
関係から見ましても、学説というものは、ややもすれば常に
一つの点に定着しがちです。そこで、これを越えていくところに政治の使命がある。これができないから、やむを得ず実力をもって反
体制をやらなければならぬというところまでいくのでありますから、民主主義議会政治においては、常に役人とかあるいはまた学者よりも先取りして、より広い
段階における見地から立法し、ものごとを考えていくということが、民主主義議会政治における政治家の使命じゃないかとすら私は思う。こういう観点からするならば、土地問題については、今回私が申し上げたことの説は、決して、私個人のいわゆる奇想天外のものではないのです。これはすでに皆さん方の党において提案したことも含まれておるし、野党が提案されたことも、実はほとんど大部分これに総合されております。学者の諸君が提案されたこともそのとおりであり、わが党のいろいろの正式の機関において提案されたようなものも総合して、こういう
程度でいったならば現在の
国民世論に合致するではないか、これで現在行き詰まっておる土地問題の大きな躍進のステップになるじゃないかという観点から私は発想した。政治家根本としてとか、
建設大臣としてとか、そういうことを議論されるということも必要だろうと思うけれ
ども、それ以上に必要なのは、こうした提案のしかたをだれかがしなければならぬということです。たまたま私はこういう信念を持っておるから、役人の諸君ではやれない私の
構想を述べて、これを裏づけるところの
一つの案文をつくってもらうように指示をしてつくらせたものです。こういう意味で、いわゆる
建設省案というようなものではありません。しかしながら、根本個人だけであって、
建設大臣としての私はそれに何ら
関係ありませんということは言えないことです。これはやはり、
建設大臣としてこういうふうな
構想を出して、これを与野党の皆さんによく吟味していただき、そうしてこれでいこうじゃないかということに相なりますれば、初めて省議にもかけ、
閣議にも持っていく。必要とあれば私はそうした手続をとってもいいと思います。むしろ、私は、そこまでいくよりも、先ほど冒頭に申し上げたように、私がこういう皆さん方の下働きを一応して、議員立法でこうした問題をやろうというところに新しい国会運営の新たなる一生命を開くのだ、私はその下働きの役目をいましているのだというふうに理解してもらえば、これが一番的確じゃないか、こう考える次第であります。