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1970-12-17 第64回国会 参議院 法務委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十五年十二月十七日(木曜日)    午前十時九分開会     —————————————    委員の異動  十二月十七日     辞任         補欠選任      大森 創造君     瀬谷 英行君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         阿部 憲一君     理 事                 河口 陽一君                 後藤 義隆君                 亀田 得治君     委 員                 上田  稔君                 木島 義夫君                久次米健太郎君                 小林 国司君                 堀本 宜実君                 山崎 竜男君                 小林  武君                 瀬谷 英行君                 松澤 兼人君                 塩出 啓典君                 山高しげり君    国務大臣        法 務 大 臣  小林 武治君    政府委員        法務省刑事局長  辻 辰三郎君    最高裁判所長官代理者        最高裁判所事務        総局総務局長   長井  澄君    事務局側        常任委員会専門        員        二見 次夫君    参考人        東京公害研究        所長       戒能 通孝君        中京大学法学部        助教授      庭山 英雄君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○人の健康に係る公害犯罪処罰に関する法律案  (内閣提出衆議院送付) ○裁判官の報酬等に関する法律等の一部を改正す  る法律案内閣提出衆議院送付) ○検察官俸給等に関する法律等の一部を改正す  る法律案内閣提出衆議院送付)     —————————————
  2. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) ただいまから、法務委員会を開会いたします。  人の健康に係る公害犯罪処罰に関する法律案を議題といたします。  本日は、本案について参考人の方の御意見を聴取いたします。  この際参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  参考人各位には、御多用中にもかかわらず本委員会のため御出席をいただき、まことにありがとうございました。委員一同にかわり厚く御礼申し上げます。  御承知のように、本案は一般に深い関心を持たれておる議案でございますので、本委員会といたしましてもその審議に慎重を期するため、ここに各位の御意見を承る機会を持った次第でございます。何とぞ各位におかれましては、忌憚のない御意見をお述べくださるようにお願いいたします。  なお、議事の進め方でございまするが、参考人からお一人二十分程度意見をお述べいただきまして、御意見の開陳が全部終わりました後に、委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。  それでは、まず戒能参考人からお願いいたします。
  3. 戒能通孝

    参考人戒能通孝君) 最近、公害が非常に深刻になってまいりました。十一月九日に川島自民党総裁がおなくなりになりましたが、ちょうどあの日、——八日、九日と申しますと、大気汚染は非常にひどかった日でございました。おそらく東京の町というふうなものは非常に大気汚染というものが強かったのではないかと思うのでございます。川島総裁がおなくなりになったというのは、ちょうどその大気汚染の非常にひどい日でございましたので、ぜん息性の発作が急激に起こったのではないかというふうに考えられるわけでございます。従来から公害被害者と申しますというと、貧しい漁民であるとか、あるいは農民であるとか、労働者であるとかいうふうに考えられていたわけでございますが、最近ではとうとう自民党総裁というふうな方までも大気汚染影響を受けるようになってきた、というような状態であるわけでございます。そこで公害の問題につきましては深い関心を持ってぜひとも強力な法律によりまして、公害防除のために努力をお願いいたしたいと思っていたわけでございました。  ところが、今年八月十日でございましたか、私、参議院の公害対策特別委員会参考人としてお呼び出しを受けたことがございます。私の陳述はほとんどできませんでしたけれども、その日、中山総務長官がちょうどおいでになっていらっしゃいまして、たいへん深い情熱を示されまして、必ず公害防止に対して有効な法律を立案する、自分佐藤総理大臣のいわば一種の代官としてこの仕事に当たっておるんだというふうにおっしゃいました。山中長官は、私のほうをごらんになりまして、山中のようなしろうとが何がわかるというようなおしかりを受けたが、というようなお話でございました。それで一連の公害関係法案の準備に当たっていらっしゃるのだと考えるのでございます。  しかし非常に失礼な申し上げ方でございますけれども、山中長官は、公害防止のために真剣に御努力になったと思いますけれども、もし、そうだとすればやはりしろうとでいらっしゃったという感じがするわけでございます。いままで提出されました公害関係法律案の大部分というのは、東京都の公害防止条例のあと追い法律案といったような気がいたすわけでございます。そして東京公害防止条例の中にきめられていなかったものといたしまして、特に提出されたものがここで御審議されている公害罪法の問題であるというふうな気がするわけでございます。しかしこの公害罪法によって具体的に適用を受ける場合がどれだけあるかというふうに検討してみましたところ、私が知っている範囲におきましては、実を申しますとゼロでございます。  まず第一に、公害物質、特に大気汚染水質汚濁によって他人の生命、健康に影響を与えるような物質と申しますと有機水銀でございます。特に炭素奇数のついている有機水銀でございます。偶数のついた有機水銀でございますというと、いままで水俣病の原因になったという事実はございません。奇数炭素がついている場合におきまして、むしろ水俣病病因物質になるというおそれも起こるわけでございます。しかし、いまになりまして有機水銀を大量に放出するような、ばか者はもはやなくなっているんじゃないかと考えられるわけでございます。毎日五百グラムとか、六百グラムとかいう有機水銀を、水の中に工場廃液といたしまして——毎日毎日五百グラムなり、六百グラムなりを一年間、二年間にわたって放出するような企業はもはやなくなっていると考えられるわけでございます。したがって有機水銀の放出がこの法律案にひっかかるということはもはやないと考えていいのではないかと思うのであります。  第二に、いままで訴訟対象になっている汚染質の中で最も有害なものはカドミウムでございます。ところが、カドミウムにつきましてはどれだけの量を放出するかというと、いかなる条件のもとでどれだけの量を放出すると人の健康あるいは生命影響をもたらすか、これは科学的にはわからないものでございます。カドミウムが有害であるということは、これは間違いございません。定性的に有害であるということは、これは間違いない事実でございます。しかし定量関係になってまいりますと、これは全くいまの段階では不可解でございます。証明不能でございます。富士地方裁判所で起こっているイタイイタイ病損害賠償事件に関連いたしまして被告、三井金属側は、次のような事項につきまして鑑定を申請しているわけでございます。一つは、カドミウム人体吸収率はどれだけあるかということでございます。これは人体実験をしない限り現在の段階では確定することができません。したがって、いかなる科学者でありましても、現在の段階人体吸収率がどれだけあるかということを科学的に判定し、それを鑑定書として提出することはできないのでございます。しかもこれは個人差が非常に多いことになってくるであろう。したがって一律に人がどれだけカドミウムを吸収するかという、そういう法則を出すことはできないだろうと考えるのでございます。  それから、次に、カドミウムによる、カドミウムを口からとった場合に、じん臓細胞関係がどのような変化を起こすであろうかという鑑定事項、それが提出されているわけでございますけれども、これも現在の段階で科学的に証明することは不可能である、おそらくモデル的なものの説明はできると思うのでございますが、モデル以外のものについての説明をすることは不可能であると考えていいと思うのでございます。  それから、次に、尿でございますが、じん臓細胞障害がある場合に他の要因がなくても骨格に、骨の何か症状を呈するかという鑑定事項が提出されていたようでございます。これも現在の医学の範囲におきまして、はっきりした回答を出すことは不可能であると考えていいように思うのでございます。カドミウム中毒ということになってまいりますと、現実に人が死んだりそれから病気になったりして初めてこれはイタイイタイ病である、ここではこれがカドミウム中毒症状であるということがわかるのでございまして、あらかじめ予期することは不可能であると考えていいわけでございます。したがってカドミウムをある企業が排出する場合におきまして、そのカドミウム排出がどの段階に達したら人の健康に危険を及ぼすものであるかということを判断することはできないと考えていいようでございます。人間がそこで病気になったり死んだりすればはっきりいたします。人間病気になったり死んだりしない限りこれは人間の健康に影響を、危険を及ぼしているというふうに判断することはほとんど不可能であると考えていいと思うのであります。したがってこの法律によってカドミウムを排出している企業者起訴するということは実際上はできかねると考えていいのでございます。  第三に、現在、訴訟になっている物質といたしまして硫黄酸化物がございます。硫黄酸化物も確かに大気を汚します。しかし硫黄酸化物による大気汚染がどれだけ起こったら、どれだけ強くなったら、濃くなったら人の健康に危険を及ぼしているかということは、これも不可解でございます。不可知でございます。まず第一に硫黄酸化物というふうなものが大量に空に上がりましても、それだけでは必ずしもぜんそく性気管支炎症状を起こすということは申すことができないのでございます。大気の中に硫黄酸化物がわりあいに少量に上がっても、その大気の中に、たとえばバナジウムみたいな触媒物質があるような場合、それからカーボンが浮かんでいるような場合には、これはわりあいに早く硫酸ミスト化することが起こるわけでございますので、したがって、このような場合におきましては、ぜんそく性気管支疾患というようなものを起こしてまいります。しかし量が多いからといって、硫黄酸化物が濃厚になったからといって、すぐぜんそく性気管支疾患が起こるわけではございません。そうなってまいりますというと、硫黄酸化物がどれだけ地上に上がったら、どれだけ濃厚になったら、そこで人の生命、健康に影響が起こるかということは、これは判断することができないのでございます。したがって、これについてはほとんど起訴はできない。病人が出て初めて起訴するということにならざるを得ないのではないかと思うのでございます。病人が出て初めて起訴するということになってくれば、これは現行刑法傷害罪、業務上過失傷害罪、もしくは過失致死罪というふうなものと同じことになってまいりまして、公害罪というふうなものは、新しいアイデアではないということになるのではないかと考えられるのでございます。で、公害罪法というふうなものがその他の物質にどのように適用されるかということになってまいりますと、もっと明らかでございません。  たとえば硫化水素でございます。硫化水素の濃厚なのが発生いたしますというと、これはもはや、においがいたしません。においがしないときに、逆に人が気絶する、意識不明になるということになるのでございますが、どんな条件のもとで人がにおいをかぐことができない程度まで濃厚になるかということは、これは風の吹き方その他がございまして、必ずしもすぐ即断することができないわけでございます。弗化水素などにつきましても、同じ問題が起こりますけれども、弗化水素影響ということにつきましても、いまの段階で、量的にどれだけ出したら、どんな条件でどれだけ出したら必ず人の健康に被害が起こるであろうかということ、これを判断することはほとんど不可能であろうと考えられるわけでございます。したがって、危険を起こした者、公衆の生命または身体に危険を生ぜさせた者というふうな基準で、ある人を起訴するということになってまいりますと、現在はまさに白紙状態でございまして、検察官はおそらくこういう法律を与えられましても、起訴不可能の場合のほうが多いであろう、人死にが出たり、病人が出たりして、初めて起訴することになるのであろう。おそらく病人が出る前に起訴するということは不可能であろうと考えられるわけでございます。わずかにそれができるのは、有機水銀だけでございますけれども、有機水銀につきましては、いまの状態において大量に継続的に出す企業はもはやなくなっているであろう。で、現在どんなばかな企業でもまさかそういうことをするわけにはいかないであろうと考えられるわけでございます。その意味におきまして、この公害罪法というのは、これは一種かかしにすぎないわけでございますが、そのかかしも実は手もなくそれから顔もないようなかかしでございまして、これは一種でくの坊にすぎないということになりはしないかと思うのでございます。いわんやこの法案を、最初原案から「危険を生ずるおそれ」というふうな条項まで取ってしまいますと、もはやかかしとしての役もしないのではないかと考えられるわけでございます。  こんなわけで、もし公害発生というものを何らかの方法で強力に規制していただくことができるとすれば、実はこの法律案ではないのではないか、別の考えが必要ではないかというふうに考えるわけでございます。たとえば東京公害防止条例の第三十五条でございます。どうしても大気汚染を引き起こし、水質汚濁を引き起こし、それからその改善命令を出しましても、相手が言うことを聞いてくれない場合には、水道水もしくは工業用水供給停止知事が要請することができるようになっているわけでございます。この条文というのは、初めには電気ガス供給停止を要請することができるというふうにあったわけでございますが、通産省の反対が強かったものでございますから、これは削除されまして、そして東京都が自分で経営している水道局及び工業用水というものについて供給停止の要請をするという形に切りかえられたものでございます。しかし、もし法律でこのことに処するということでございましたならば、むしろ東京都の条例よりも強くしていただいて、知事あるいは市町村長が、電気ガス水道水供給停止を要請することができるというふうに改めていただいたほうが、はるかに有効ではないかと思うのでございます。で、東京都は実際の問題といたしまして、水道水供給停止をする意思は目下ございません。知事もございませんし、公害局長もございません。ただしかし、相手方と交渉する段階におきまして、どうしても言うことを聞いてくれない場合におきましては、そんなにおっしゃるならば水をとめますよと言っておどすことになるわけでございます。そうしますというと、どんな頑強の間柄でございましても、水をとめられては困りますので、それではかんべんしてくれというふうに話が変わってまいります。それではかんべんしてくれと言われて初めて、かんべんしてあげますから施設を何とかしてくださいとか、施設をするにつきましては、金がないとすれば、金融のほうは何とか御用立ていたしますとかという話に移っていくわけでございまして、同じかかしでも、現在の状況ではまだ水をとめるということは相当有力なかかしであるということができるわけでございます。もちろんこれはかかしのつもりでございますけれども、しかし相手の出ようによりましては、場合によっては実際に水をとめることが起こらないという保証はないわけでございます。しかし事実認定を誤まって、そして何らの公害も出さず、何らの大きな公害も出さない企業に対して、水をとめた、あるいは電気をとめた、ガスをとめたというふうな場合におきましては、都道府県なり市町村なりが損害賠償義務を負担するという条項をつけてくださっても、もちろん妨げないわけでございます。しかしこの法律案によって警告をすることに比べますというと、はるかにガス水道をとめるということのほうが有力ではないかと考えるわけでございます。その意味におきまして、この法律案が実際に成立し、実際に施行された場合におきましても、この法律案によって起訴される企業というのは、おそらくないであろう、ゼロであろうというふうに考えられるわけでございます。もしあるとすれば、小さな企業であって、わりあいに小範囲の地域に限り、ごく濃厚な汚染物質を流すところ、そういうように限定されるのではないかと考えられるわけでございます。  その意味で、たとえば東邦亜鉛安中精錬所、これはカドミウムを相当大量に出しているわけでございます。しかもあれだけの精錬所を動かすにつきまして、工場長あるいは工場の一部の課長というふうなものの責任だけではなくて、これは会社全体が責任を負うことでございますので、もしこうした法律案に十分な効果があるとすれば、企業最高責任者——社長、副社長あるいは専務取締役という方が起訴対象になるわけでございますけれども、現在の段階におきまして、東邦亜鉛起訴するということは、この法律では不可能であると考えていいと思うのでございます。東邦亜鉛の出しますカドミウム拡散範囲というものの中には、すでに指の曲がってしまった方もございます。しかし、これがイタイイタイ病なのかどうかということになりますと、カドミウム中毒なのかどうかということになりますと、現在の状況ではわかりません。というのは、カドミウム中毒症状というものを実際に診療に当たった経験を持っていらっしゃる富山県の萩野医師は、指が曲がるという状態でのイタイイタイ病というものをまだごらんになったことがないのでございます。指が曲がるというふうな病例は、いままで医師によって発見された事実がないわけでございます。したがって、指が曲がっているというふうなのがカドミウム中毒であるかどうかということは、いまの段階では判別できないわけでございます。もし判別するということになれば、これはよほど大量の病理解剖かなんかを経なければならないのではないかと思うのでございます。そうなると、この法律案によりましても、実は東邦亜鉛安中精錬所起訴されないということになります。それからさらにまたこの法律は、複合汚染の場合には適用されないように説明があるそうでございます。そうなりますというと、田子の浦というふうなところのヘドロにつきましても、手が出ないということになるわけでございます。田子の浦の港にたまっておるヘドロというのが、これが硫化水素発生の源泉ということは間違いございません。したがってヘドロを動かすということになってまいりますと、おそらく硫化水素が相当拡散いたしまして、何人かの方が意識不明におちいられるであろうと懸念いたします。しかし、それにもかかわらず、田子の浦ヘドロに基づいて発生する硫化水素影響というものについて、大昭和製紙というものをつかまえて、そして起訴することは、この法律ではできないということになるのではないかと感じられるわけでございます。あのヘドロというのは大昭和製紙だけが出したものではございません。他の企業も出しておりますので、複合汚染でございますから、大昭和製紙責任を追及するということはできないわけでございます。  いずれにせよ、この法律案が実際に成立いたしましても、おそらく適用される場合はない。適用しないでもいいのでございますが、せめてかかし的な効果を持たしてもけっこうでございますが、それにはこの構成要件では不足である。せめてこの法律案最初原案に立ち返って、「危険を生ぜしめるおそれがある」というふうな場合までいっていただかなければ、かかしの効力にもならないというふうに感じるわけでございます。「おそれがある」という条文にいたしましても、実際に起訴される例はほとんどない、絶無であるというふうに考えても間違いございません。しかし起訴しなくても、かかしとして置いておけばいいのだということでございましたら、これは「おそれ」というところまで発展していただいてもけっこうではないかと考えるわけでございます。現在の状況では、かかしにもならない。せいぜい、でくの坊だということになっているのではないかと感ずるわけでございます。  以上所見を申し上げます。
  4. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) ありがとうございました。  次に庭山参考人にお願いいたします。
  5. 庭山英雄

    参考人庭山英雄君) まず結論から申し上げますと、この際、公害罪法案につきましては拙速をやめて、たとえば、私のような全刑法学者、私を含めて全刑法学者並びに全刑事訴訟学者に、法案について十分な検討をする余裕を与えていただきたい、そのように考えるわけです。なぜそのように考えるかという点を以下申し上げてまいりたいと思います。  私は公害罪立法について、基本的には賛成の立場をとっております。かつて幾つかの論文でそういう立場を表明してまいりました。そのときには、刑法全体の改正の中で取り扱う、そういうたてまえでございましたので、単独立法化を促進するという意味で、私はいろいろな議論を立ててまいりました。今日の状況を見ますと、すでに単独立法化に踏み切っておるわけであります。その限りで、私のいままでの努力は報われたと、みずからなぐさめております。  ところで、単独立法となりますと、従来刑法全体の中でとらえられなければいけない、そしてそれゆえに起きてくるいろいろな問題について捨象して考えてもいい。たとえば構成要件が非常にゆるやかになって、他にマイナスの影響を与える、あるいは責任主義があいまいになって、せっかく刑法の一番重要な機能であります補償機能というものが軟化していく、そういう事態も一応避けられる。したがってかなり思い切った内容を構想してもいいのではないか。そこで実体法上の問題と、それから私の専門といたします刑事訴訟法上の問題とに分けまして、疑問並びに若干の提案をしてみたい、そのように考えます。  要綱理由書、私が拝見いたしましたのは昭和四十五年十月十九日の法務省の案でございますけれども、そこの基本構想の第三の終わりに、このように書いてあります。「公害防止の実効を期するため、人の生命又は身体現実被害が生ずる前に規制を行ない得ること。」事前規制ということを最も大きな眼目の一つとしてあげているわけであります。このような視点から、実体法上の規定を見直してみますと、かなり疑問点が出てまいります。「おそれ」という規定がこの法案にはございましたけれども、やがて取り払われたというふうに聞いております。このように「おそれ」というものをなくすということは、刑法上の理論でいきますと、抽象的な危険犯から具体的な危険犯に戻るということであります。抽象的危険犯ですと、危険の状態というものは具体的危険犯よりもはるかに広くていいわけです。その意味で、刑法でこれをとらえる場合に、かなりゆるやかになってきます。特に因果関係について推定規定がつけ加えられますと、証拠法並びに事実認定との関係で、これはかなり効果発生するものというように考えられます。しかし、事前規制を完全に行なうというために一番いい方法かといいますと、「おそれ」をつけた場合の危険犯、それからそうでない危険犯も、次に述べるような規定のしかたよりもはるかに弱いのであります。  一番実効のある、実際の効力のある、そうしてまた恣意的な判断の入らない方法というのは、形式犯としてこれを規制することができる形式犯もしくは挙動犯というように刑法では呼んでおります。このような規定が現行の刑法の中で全くないかといいますと、そうではありません。たとえば上水縫物混入、あるいは水道に対する毒物混入、これは毒物を水道に混入したというだけで、つまりそのような行動そのものでもって処罰に値するわけであります。毒物混入の結果が、明確に危険を発生して、人体に侵害を与えた、そういう状況発生することを必要といたします。これは毒物混入等が社会的な危険並びに個人の生命身体に重大な影響を及ぼすというところから、その法益の侵害の重大さから一歩手前で、ごく抽象的に形式並びに挙動でもって規定したものであります。つまり事前抑制の効果を最大限に発揮させようとする考えに基づくわけであります。そういたしますと、公害罰の規定といたしましては、科学的に厳格な基準をこえた場合、しかしそれを継続的に企業が排出している場合には処罰してもいい、こういう規定が最も好ましいわけであります。  ところで、私がなぜそこまで必ずしも踏み切れないかという疑問を申し上げますと、科学的な基準、そういうものというのはどうやってきめるか。まずその科学的の根拠ですけれども、御存じのように公害は千差万別、あらゆるものについて、どういう物質についてはどの程度のものを排出したならばまさに構成要件に該当するか、これは形式犯の意味での行為ですよ、そういう点で、実際上は白紙委任規定のようにならざるを得ないのじゃないか。そうしますと、これはもとの木阿弥でございます。それから一体その基準をきめるという限度は、立法上だれがきめるか。まことに失礼な言い方でございますけれども、これから取り締まられる側、処罰されるかもしれない側の人たちが加わって基準をきめるというような場合、これはどのような規定になるかということは火を見るよりも明らかであります。そうしますと、抽象的な理論では形式犯化することが最も好ましいことではありますけれども、それがかえって大きな、ざる法というもののもとになるのではないか。実体法上そういうような点で疑問があります。したがって私は、はなはだ残念ではありますけれども、抽象的危険犯として「おそれ」を入れた構成要件でがまんせざるを得ない。その危険判断については、ほんとうに被害をこうむる市民、それをささえる国民全体、そういうものの意思が、住民運動を背景にして反映できる可能性がこの規定には存するからであります。不備な点はあるにしても、何とかこれでいい。  それから、このような抽象的危険犯として「おそれ」を入れた規定でありましても、形式犯的な規定と違いまして、複合公害処罰を達成することは確かにできません。刑法理論で幾らつついてみましても、実質犯として考える限り、つまり、実際の結果が抽象的な可能性さえも事実として必要であると規定する限り、排出行為をする企業のその行為と結果との因果関係が明確にされない限りは、現在の刑法理論では処罰できません。しかし、公害については、その特殊性から、これが個人犯的な厳密な因果関係の確定を必要とするとは私は思いません。蓋然性で十分足りる。そういう意味で、抽象的には犯罪成立が可能であると思います。  しかし、裁判というものは、私の見るところでは、力関係かなり左右されます。現在の日本の社会構造を見てみますと、やはり最ももてる者がその意思を最も大きく裁判に反映させる、そのように考えざるを得ません。しかも、新聞報道等によりますというと、何らかの圧力によって「おそれ」が取り去られた。そういたしますと、現実の問題として四日市型の大気汚染等その他の複合公害については、これは無力だ。実に残念でありますけれどもそのように思うわけであります。  しかしながら、なおこれをもって公害立法をやめてしまえと言わないのは、二次的な効果に期待し、また、これからの大きな市民の運動の高まりの中で、このようなあいまいな規定でありますけれども、それが徐々に実効を獲得していくであろう。もしもこの規定を非常に警察当局あるいは司法関係者があいまいな規定をするならば、これは市民に対して大きな怒りを巻き起こすでありましょう。なぜならば、自分のまさに命、健康にかかわる問題であるからであります。したがいまして、そういうことを期待した上で、あいまいながらこの規定を承認せざるを得ない。  そこで、私の専門といたしますのは手続法上の見地によりますと、以上のような非常に危険性を含んだ規定の内容でございますので、この際三つの提言を刑事訴訟法上から申し上げたい。  一つは故意、過失の立証についても、推定規定を設ける。つまり、一般に言われますところの挙証責任の転換規定を入れたらどうか。これによってまやかしの法と化してしまうことを少しでも防ぐことができます。すでに因果関係認定については推定規定が入れられていることは私も存じております。しかし、これは先ほども申し上げましように、公害というものの持つ特殊性から、当然になければならない問題であります。しかも、これは構成要件該当性それから違法性の問題でございます。  残りのもう一つ、犯罪の成立要件としては責任がございます。責任の要請として故意、過失が必要なわけでありますけれども、これを現在の規定のままですと、検察官側、つまり、訴追側が完全に立証しないといけません。早稲田大学の西原教授は、現在の規定の中でもしも、この点について故意、過失の立証について運用を誤まるならば、完全な、ざる法化するであろう、こういう指摘をしております。私も同様に考えます。したがいまして、この点をチェックするためには、最初に申し上げましたような見地、つまり単独立法に踏み切ったのであるから、他に波及するというおそれはない。思い切った規定のしかたをしたらどうか。したがって、法案の第七でもけっこうです。挙証責任の転換というものを一項入れて、立法者としてのほんとうに国民を思う、そういう意思を明白にしていただきたい。  それから、以上のような規定を設けましても、なお、実際の運用上検察官がはたして起訴するかいなか、そういう点については非常に大きな疑問が生じているわけであります。この点について多くの国民は、過去の幾多の事例から、必ずしも信頼はしておらない。収賄罪の事実を見ても、あるいは特別公務員暴行陵虐罪、そういうものの実際を見ても。したがいまして、公務員職権乱用罪百九十三条とか、特別公務員暴行陵虐罪の百九十五条などと同様に準起訴手続をつけ加えてほしい。これがなければ実際の運用で完全に効果は期せられない。  それから最後に、この法案の運用において、市民の声が十分に反映するように検察審査会の起訴相当という決議に対して、検察官に対する拘束力を持たしてほしい。御存じのように現在の検察審査会のシステムは、非常に民主的なものでございまして、庶民が集合して起訴の妥当を検討しているわけであります。しかしながら、その議決に対しては現行の刑訴法上では検察官に対する拘束力はありません。しかし、公害罪の特殊性、そういうものを考えますと、これは同列には考えられません。やはり、これについて議決に拘束力を持たせていいのではないか。そうしなければ、実際に庶民の声をこの公害罪法の運営に反映させることはできない。  以上、簡単に述べましたが、最後に一つだけ、忘れましたといいますか、ことをつけ加えさせていただきます。この際拙速をやめて全面的に検討してみる必要はないかというところには、実はこういう基本的な考え方があります。現在のこの法案は個人を中心にして考えられております。しかし公害罪のおそるべき罪悪性、そういうものからしてこれを組織犯罪、組織責任、そういうところから根本的に考え直してみる必要はないか。つまりどういうことかといいますと、従業員が違法行為をやり故意、過失を備えていなくても従業員がやった行為に対しては、企業のトップが、そのような排出行為を不作意によって是認した、当然企業のトップといたしましては従業員の違法行為が発生しないように監督する義務があるわけです。その監督義務違反の場合にはそれだけをもって組織としての責任がある、組織としての犯罪とみなし得るのではないか、そうした場合に組織そのものに責任を追及する、そういう形にしなければならない。そうすることによって現在の公害法案が抱いておりますもう一つのマイナス点、つまりトップが処罰されずに、いたずらに下級従業員、これに対しては、いや技術の最高責任者であるとかいろいろ言われておりますけれども、実際の運用面ではどれくらい差があるかこれはわかりません。したがってこの点をぜひ御配慮いただきたい。  以上、まとまりがありませんでしたけれども、日ごろ考えているところを本日述べさしていただきました。
  6. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) どうもありがとうございました。  以上をもちまして参考人の御意見の陳述は終わりました。     —————————————
  7. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) 委員の異動について御報告申し上げますが、本日、大森創造君が委員を辞任され、その補欠として瀬谷英行君が選任されました。     —————————————
  8. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) それではこれより質疑に入ります。御質疑のある方は順次御発言をお願いいたします。
  9. 松澤兼人

    ○松澤兼人君 全く法律問題に暗いものですけれども、私庭山先生が最後におっしゃった法理論というものを、新しくといいますか、別個に考える必要があるということに非常に興味を持ったわけです。その法律はいろいろ社会の変動とかあるいは向上とかというものによって上下の関係影響を受けることは事実だろうと思うのですが、公害というような新しい社会現象に対しては新しい法理論といいますか、そういう理念が必要だと思うのです。法学的に言いまして、こういう新しい社会の一つの、佐藤総理の言うことを引用すれば必要悪というようなもの、必要であるか必要でないか、あるいは予防できるか予防できないかという問題は別として、現実にそれが存在している以上は、やはりそういう現実に基礎を置いた一つの法学というものが望ましいという気持ちがあるわけなんです。私は、繰り返しますけれども全くしろうとでして、個人法とかあるいは社会法とか労働法とかといったように、社会の考え方によって法の理念というものは変わってくるわけです。公害罪に対しましていま組織犯罪あるいは組織責任の追及ということをおっしゃったのですが、これはまあ企業責任として当然追及しなければならないことだろうと思いますけれども、公害という実態について何か新しい見解があればお示し願いたいこと。あるいは外国の立法などにおきましても公害規定する法律というものがあるように聞いておりますけれども、欧米の新しい公害に対する法理念、法学というものがどのようになっておりますか。これは庭山先生に先に御質問いたします。
  10. 庭山英雄

    参考人庭山英雄君) 欧米の法律規定というものは、ヨーロッパにおきましては国が境を接しておりますし、そういう点で一つの国の廃棄物というものは他の国にも直ちに影響を及ぼすわけであります。そういう点でわが国よりもはるかにきびしい構成要件を定めているところもあります。それから目下立法中のところもあります。アメリカについてもほぼ州ごとに考えられておりますから同様でございます。  ところで、組織犯罪、組織責任というような新しい考え方についてどうかと言われますと、欧米でもこれについて明確な法理論が発展しているわけではございません。現在刑法学界の中でもそのような点について検討する雰囲気がようやく出てきたという段階でございます。とにかくこの法案を見ますと、法人処罰規定しておりますけれども、あくまでもこれは両罰規定でありまして、従業員個人がまず処罰されないと罰金刑は法人に科せられないわけであります。しかもそれが先ほど申し上げましたように、実際の運用面から考えてみますと、下級労働者に波及するおそれがある。そしてさらにもう一つの視点から見てみますと、ほんとうに公害をなくせるのはだれかといいますと、企業のトップ以外にはありません。従業員というものが排出行為、違法行為をやったといたしましても、それは縦の関係の中、組織の中では期待可能性がないと断ぜざるを得ない例がほとんどであると思います。もっとも非常に悪質な人間でございまして、みずから排出してやろうという意図のある人は別です。したがいまして組織犯罪並びに組織責任の追及というものをどうしても考えざるを得ない。お答えにぴったりといかなかったかもしれませんが、正直に申しますと、私、外国立法等については戒能先生よりもはるかに知識は低いのでございます。できるならば戒能先生からも一言どうでしょうか。
  11. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) それでは戒能先生ひとつ。
  12. 戒能通孝

    参考人戒能通孝君) 私もそういう法律については存じておりません。あまりないのではないかと思うのでございます。  ただしかし公害という現象はこれは微量な汚染質が非常に長期にわたって排出されているという現象でございます。したがって非常に長期にわたるうちに何かの徴候が出てくるというのが普通であろうと思うのでございます。徴候が出てきた一つの例といたしましてはっきりいたしましたのが有機水銀中毒でございます。最初にあらわれてきたのは、これは水俣にある百間港という港に船を入れておきますと、そうすると貝がつかなくなるという現象でございました。貝がつかなくなった段階というもので、もし処罰できるなら、これは非常によかったんであろうと思うのでございます。しかし貝がつかなくなった段階処罰できるかと申しますと、この法律案を適用いたしましても実はわからないと思うのでございます。そうした先例が幾つかあれば、貝がつかなくなった——それはチッソ水俣工場有機水銀排出の成果だというふうに申すことができると思うのでございますが、最初に貝がつかなくなった段階では、有機水銀の成果であるということはそう簡単にはわからないと思うのでございます。したがって、おそらく貝がつかなかった段階でも、もしそれが最初の事件でございましたら、この法律の適用をすることはほとんど不可能だったと考えられるわけでございます。  それから第二の徴候といたしまして、ネコが狂い死にするという現象が起こったわけでございます。ネコが狂い死にするということが何度か重なっておれば、これはいまから考えてみれば、有機水銀中毒の前兆であったというふうに言うことはできるわけでございます。しかし、当時の状況から申しまして、ネコが狂い死んだから人間の健康に被害を及ぼす、「公衆の生命又は身体に危険を生じさせた」のだというふうに言うことは、当時の段階では不可能だったと考えられるわけでございます。で、現在になりますと、そうすると、有機水銀中毒というものの大体の徴候がわかりましたので、人間の前に、必ず船に貝がつかなくなるとか、ネコが狂い死ぬとかという事実がございますから、これはわかるわけでございます。  しかし、カドミウムになってまいりますとこれはもうほとんどわからないということになりますので、おそらくこれは組織犯罪にいたしましても、先例が幾つかあって、繰り返されて、その先例を繰り返すやつがよっぽどばかなやつでなければこの法律というやつは適用がないんじゃないか。そうなると、現在の段階では、刑法上の傷害罪、過失傷害致死罪というふうなものとほとんど変わりはない。ただ刑罰は重くなった、両罰規定ができた、それから定性的な意味における推定規定がついたというふうな特質しかなくなっているんじゃないだろうかという感じがするわけでございます。で、この法律の適用を受けるのは、その意味では、やっぱりいまでもまだ、どこかにイタイイタイ病患者が出たり、どこかに気管支ぜんそくというふうなものが生まれたりしないと適用されないというのが事実ではないか。生じさせて処罰されるんではなくて、人体に傷害を起こしたら処罰されるという基本的な成果は変わりがないのではないかというふうに考えられるわけでございます。  ただ、アメリカあたりに、サザーランドのかなり著名な書物がございまして、やはり組織を罰せよという考え方は相当あることは事実でございます。贈収賄なんかになりますと、贈賄をするのは、小さな、課長級の人ではなくて、やはり何といっても企業それ自体なんだから、企業に対してある種の刑罰というものを考えなければいけないという考え方がございますけれども、しかし立法になったものはまだ少ない。これは、十八世紀以来の刑法の伝統であるところの自己の行為について自己が責任を負うという、そういう原則がまだくずれていないからだと思うわけでございます。私も、その原則をそうみだりにくずすべきものではない。人の行為についてまで刑事罰を受けるべきものではないと感じているわけでございますけれども、いまお話しのように、公害罪のように企業一つの組織として活動している場合におきましては、工場長の行為である、あるいは工場の何とか課長の行為である、だから社長は知らないというわけにはいかないであろうという場合が非常に多いと感じるわけでございます。  もっと具体的に申し上げますと、たとえば昭和電工という会社がございますが、この会社は非常に大きな会社でございますけれども、非常に多くの工場を経営しておいでになります。したがって、個々の工場に対する投資額というものは非常に小そうございます。存外小さい工場が動いているわけでございます。個々の工場に対して、たとえば、新日本製鉄の工場のような大きな投資が行なわれているわけではございません。そうなるというと、実は投資をした企業自体に問題があるわけでございます。で、投資をした企業自体は小工場をつくっておる——昭和電工という一つ企業体としては非常に大きなものでございますけれども、個々の工場としてはせいぜい中小並みであるという場合が多いわけでございますので、このような場合には、その政策自体の問題になってくるのじゃないかという印象は避けられないと感じるわけでございます。
  13. 松澤兼人

    ○松澤兼人君 先ほどからお話しを承っておりますと、四日市や、川崎、あるいは市原などもそうかもしれませんが、そういう複合汚染ということが問題になっているところでは、法案の中に複合汚染を加えられていないから、したがって、この法律があっても個々の企業はつかめないということのように聞きました。それから東邦亜鉛の場合でも、この法律が、因果関係関係からか、なかなか、一定の地域に相当のカドミウムが排出されているけれども、先ほどお話しのありました指が曲がるというようなことが、この法律でつかめない、こういうことのようでありますが、——こういう場合はどうでしょうかね、全く農村的な地域に、あるセメント会社があった。そのセメント会社から粉じんが出ている。そのために人体上も、あるいは財産上も相当の被害がある。こんなことは、もうほかに加害者というものはないんだから、当然それはセメント会社が追及されるべき問題である。  それからもう一つは、たとえば関西電力の発電所が尾鷲にある。これは相当高い煙突を建ててその汚染を予防しているということでありますけれども、しかし、そこにはその発電所以外には有害物質を排気する企業はない。しかも、その企業自身は排出基準を守っている。しかし、継続して排出基準以下の有害物質を排出している。ほかに因果関係の起こるような企業がないということならば、この法律で取り締まれるのかどうか。基準は守っているけれども、相当長期にわたって一定の地域に有害物質を出しているということのために、健康上、あるいは財産上に被害を受けるということは、もう因果関係が明白であると私たちは思うのですけれども、それをこの法律でつかめるのかどうか、戒能先生どうですか。
  14. 戒能通孝

    参考人戒能通孝君) つかまえることができれば非常にいいと思うのでございますが、その法律上の基準、あるいは行政上の基準というのは、これは「公衆の生命又は身体に危険を生じさせ」ないであろうということが一つの前提になってきめられた基準でございます。したがって、その基準を守っていれば、これは原則として「公衆の生命又は身体に危険を生じさせた者」ではないという推定ができるのではないだろうかと感じるわけでございます。いままで、公害関係の問題について申し上げますと、汚染水についての定性的な報告はございます。しかし、定量的な報告はございません。有機水銀水俣病病因物質である、あるいはカドミウムは、これはイタイイタイ病病因物質であるとか、あるいは硫黄酸化物はこれは気管支ぜんそくの病因物質であるとかということはわかるのでございます。だがしかし、それらの物質がどれだけ、どんな条件で、何年間継続的に放出されておると、そうすると発病せしめるかということはわからないのでございます。これをわかる方法は、おそらく今後もないであろうと感じるわけでございます。つまり、定量的な因果関係に関しましては、これは化学的な報告はございませんし、おそらく今後も報告する道はないのであろうと感じるわけであります。  ところが、問題になるのは、これは定性的な条件ではございません。定量的な条件でございます。定量性につきましての何らかの報告があって初めて起訴できるというのがこの法律の眼目になっているのではないだろうかと考えられるわけでございます。したがって、確かに尾鷲に関西電力の発電所ができる、そして病因物質であるところの硫黄酸化物が継続的に相当大量に常時排出されている。しかし、それだけではまだこの法案がいうところの危険を生じさせたものにはならない。現実病人が出て初めて危険を生じさせたものだというふうになるのではないだろうかと感ずるわけです。現実病人が出て初めて危険を生じさせたということになるならば、現在の刑法とどれだけの差があるだろうか。現在の刑法過失傷害罪とどれだけの差があるだろうか。これは確かに刑の量定とか、それから因果関係の推定ということなどにつきましては、差がございましょう。一人あれば、一人証明できれば、他の一人については証明する必要がないという点では差が相当あると思いますけれども、しかし基本的な観念としての差はないであろうというように思うわけでございます。特に行政上の基準が守られている場合におきましては、少なくとも病人が出るまでは、これは行政上の基準のほうが優先する。行政上の基準を守っていたから、したがって、自分はこの法律の被告人じゃない、犯罪人ではないという主張のほうが強力になるであろうという感じを持っているわけでございます。
  15. 小林武

    小林武君 関連して。戒能先生にお伺いいたしますが、そうなりますと、かりに病人が出た、死亡者が出たといいましても、それは起訴はされた、しかしお話のあれだというと、起訴はされたけれども、刑罰を科するとか、補償するとかいうことは、公判の結果によって、判決のいかんによっては、全然見込みがないような気もするのですが、それはどうなんですか。
  16. 戒能通孝

    参考人戒能通孝君) 私はそう感ずるものでございますから、こればでくの坊だと申し上げているわけでございまして、話にならない。せめてかかしをこしらえていただきたいというふうに申し上げているわけでございます。
  17. 松澤兼人

    ○松澤兼人君 あと二点だけお伺いしたいと思いますが、一つは、こういう新しい社会的、あるいは社会的ばかりじゃなくて、科学的あるいはケミカルな事象をとらえるという、そういう検察の態勢というものが、はたしてできているかどうか。来年七月から実施になるわけですが、施行になるわけですが、法律が通ったからといってすぐその問題が動き出すということもないと思いますが、検察当局がこの法律を受け入れるだけの、いわゆる科学的、技術的な知識なり、経験というものができているかどうか。あるいはどうしたらこの法律の施行に対して検察当局が受け入れる気迫と能力とを持つことができるか、という問題をひとつ庭山先生にお伺いしたいのですが。  もう一つの問題は、やはり両先生ともお話の中で承ったのですが、いわゆるおそれ条項に関連いたしまして、やはり審議の過程でよくいわれたことですが、疑わしきは罰せずという法律上の原則というものは、ここで動かしてはならない、こういう主張も相当あったように聞いております。こういう非常にあいまいもことした公害という実態、その実態をとらえる場合においては、きちっと形式的に規定することのほうが効果があるのか、あるいは多少のあいまい性が残っても「おそれ」というものまでひっくるめて、そうして疑わしいものはこの法律で取り上げて起訴する、裁判の結果はまた別ですけれども。疑わしきは罰せずということが絶対——こういう公害というふうな、人間の生活あるいは環境保全ということから、必要を一方では叫ばれているのに、法律上の概念あるいは理念から、疑わしきは罰せずというところで壁があって、それから先ば行けないという——法理念として、やはり疑わしきは罰せずというその大原則というものは、守っていかなければならないものか。庭山先生に、先ほどの刑事訴訟の面から、検察当局の受け入れ態勢がどうかという問題について。
  18. 庭山英雄

    参考人庭山英雄君) 私の知る限りでは、検察官等に対して当局はいろいろな手引きとか、それから教育等を若干ほどこしているようでありますけれども、しかしそれが複雑な公害現象そのものを完全に熟知して、起訴便宜主義の運用を公平に完全なものにするかどうかということについては、私は自信を持って答えることはできません。やはり公害罪というものの複雑な現象、並びにもう一つは、日本という国が抱いている社会構造の中で占める検察官の位置というものとの対比の上で考えざるを得ないので、そうお答えせざるを得ないわけであります。  それから第二の、疑わしきは罰せずに対する例外に「おそれ」というような抽象的な危険犯規定になるのではないか、という御質問と承るわけでございますけれども、純理論的に、抽象的危険犯というのはそのほかにもたくさんございます。放火罪等の例でもございます。ですから、社会的な危険性が非常に強い、反社会性の度合いが強いというような犯罪類型については、かなり幅広い規定をしているわけであります。その限りでは「おそれ」ということは問題はない。  それから疑わしきは罰せずとの関係でございますけれども、結局企業の違法な排出行為と、それから現実の危険発生のおそれの状態ですね。それとのつながりの過程で、つながりを立証する過程で、完全にこれを立証できないから、疑わしきは罰せずという原則に反するではないかというように、一応は考えられるわけでありますけれども、本論の中でも述べましたように、違法行為とおそれの状態とのつながりというものは、そもそも蓋然性そのもの、ちょうど私が自動車事故で個人をひいたように、目で見、手で確かめられるような確実な因果関係を要求することは無理なのであります。したがいまして、現在推定規定が設けられている範囲内では、疑わしきは罰せずに対する全くの例外だというほどのことはないと思います。  それから、疑わしきは罰せずという規定の基本的な理解のしかたですけれども、これは大きな刑罰権力を持っている側が立証する場合には、被告人というのは反証能力等は非常に小さいですから、確信に至るまで立証せよという形、そういう公平のバランスから生まれてきたものでありまして、公害罪にずばりこれが適用さるべきかどうかといいますと、特に複合公害のような、コンビナートを背景とする巨大企業による公害問題になりますと、ぴたりとこれが適用されなければいけないということには必ずしもならない。蛇足かもしれませんが、あえて付け加えさせていただきました。  以上であります。
  19. 戒能通孝

    参考人戒能通孝君) 疑わしきは罰せずということは、私も基本原則としてあくまでも尊重しなければならないと存じております。しかし、疑わしきは罰せずということが、ほんとうにすべての点について貫かれているかと申しますと、そうではございません。たとえば道路交通法の自動車の街頭取り締まり、交通信号無視というようなことになりますると、かりにほかに自動車がいない場合でも交通信号無視の場合には処罰されるわけでございます。これは事故を起こすおそれがあり得るから処罰されるわけでございまして、やはり被害があるからという、疑わしいから罰せずという原則をもし本格的に持ち出しますと、道路交通法などは、これは成立しないことになるんではないかと感ずるわけでございます。  それからさらにまた公安条例などにつきましても、実は疑わしくても罰しているわけでございます。ともかく怪しげなことをしそうだから、デモをやるなということが前提になっているわけでございます。  それからさらに思想関係の問題ということになってまいりますと、やっぱり多かれ少なかれ現実に行為がなくても、明白かつ現在疑いがあるというふうな場合には処罰しているわけでございますので、これがすべての場合に当たって完全に適用されているわけではないと思うのでございます。  私も、「おそれ」という文字が入ってまいりますというと、明白かつ現在の危険というふうなものが、たとえば何がし大学教授、何がし博士の論文がなくても、大体だれが考えてもこの辺まできたら処罰してもいいんだろうというところまでいくことができるのだろうと思うのでございます。ところが、危険を発生させた者というふうになりますと、少なくとも相当有力な学者の学術文献がないとだめだということになると思うのでございます。ところが相当有力な学者の学術文献ということになりますと、定量的な面で公害をとらえることはほとんど不可能であるということになるわけでございます。多分この辺まできたらおそらくあぶないであろうということは書けますけれども、ここまでくればあぶないということは書けないというのが現実であろうと思うのでございます。公害の仕事なんか少しやっておりますると、しみじみそれを感じます。亜硫酸ガス汚染というふうなものをとりましても、そこに複合要素がだいぶある。カーボンが飛んでいるとか、あるいはバナジウムが上がっているとかいうふうな場合には〇・五PPMというふうなところまできますというと、これは気管支ぜんそくを引き起こすおそれがあるということが言えるわけでございますけれども、それならばまだ病人が出ないうちに危険を生じさせた者であるということが言えるかと申しますと、私は言えない。言えるか言えないかとなってまいりますと、これはやはり専門家であるかどうかは別としまして、多くの人の勘でございまして、それから先、客観的事実であるということを論証することは困難であると思うわけでございます。  だから、「おそれ」という文字が入るか入らないかによりまして、明白かつ現在の危険を生じさせた者を処罰することができるかどうか、できないかという差が出てまいります。現実被害を生じさせた者ではなくて、おそらくきわめて近いうちに、あす、あさってあるいは三ヵ月後に病人が出るであろうというふうに考えたときに処罰できるということになるわけでございますから、内容がすっかり違ってくるであろうというふうに感ずるわけでございます。  で、おそらく汚染物質が大量に継続的にある地域に排出されている場合には、これはだれが考えても、こいつはあぶないという場合が出てくるであろうと、しかしそれを学術的に、これは絶対にあぶないんだということを論証することはやはりむずかしい。それは病人が出て初めてそうだったんだということになるんじゃないだろうかというふうに感ずるわけでございます。
  20. 河口陽一

    ○河口陽一君 いま松澤先生のお尋ねになったことに関連するんですが、公害罪をきめるのに非常にむずかしさがあるというのは、両先生のお話で十分わかったんですが、ただ、その疑わしきは罰せずという原則論のある中に「おそれ」という字句を入れるというところに、私どもしろうととして不明な点が多いんですが、お話をだんだん伺っておると、公害罪というのは、微量なものを長期にわたって排出することによって、そのイタイイタイ病なり、いろいろな身体生命あるいは健康を阻害するという、このことを処理しようとするんですが、ただそういう微量なものを長期に出すために、だから「おそれ」という字句を入れて処理をしようとするお考えのように承れたんですが、私は、微量でも長期にわたって排出した場合に、健康を阻害する、生命を妨害するということ、これは明確になっているんではないかと判断されるわけです。いかに微量であっても、長期にわたってこれを排出することによって、健康を阻害するというこの現実は明らかなんですから、それを「おそれ」で処理をするようなふうに受けとめたんですが、そういう明確になっておれば、犯罪として処罰できる。こういうことがたてまえとなっておれば、あえて「おそれ」を入れなくても、法を適用し、そういう罪悪をなくすることができると、まあしろうとなりに考えるんですが、この点いかがですか。
  21. 庭山英雄

    参考人庭山英雄君) 私のほうから先にお答え申し上げますと、先ほど申し上げましたようにですね、「おそれ」をつけてある条文ですと、これは抽象的危険犯でございますね。したがって危険性については抽象的でいいわけです。どの程度が抽象的かということは、価値判断にゆだねられまして一がいにどれだと言うことはできません。一方、「おそれ」を取った構成要件ですと、これは具体的危険犯と称されております。これは危険性が具体化する必要がある。そういう点で理論上は明確に差異があるわけであります。  ところで、問題はですね、そういう実体法上の抽象的な議論よりも、むしろ実際の事実認定の上でどちらが立証が容易であるかという問題に戻ってくると思います。そういたしますと、推定規定を入れましてもですね、なお抽象的危険犯規定である。「おそれ」のあるほうがはるかにおそらく数字的に言いますならば二倍程度に立証は容易であろうと思います。したがって公害というものを真に憎み、そしてこれを実効あらしめようと考えますならば、「おそれ」というものを入れるほうにくみせざるを得ない、そのようになります。
  22. 戒能通孝

    参考人戒能通孝君) この法律は私は二様に使えるんじゃないかと感ずるわけです。一つ公害行政を担当する人が、たとえばカドミウムを長期にわたって排出している企業に交渉に行くときです。おたくはどうもよろしくない。何とかカドミウムの排除に関する方法を考えてもらいたい。どうしても排除できなかったら、その仕事はやめてもらいたいというふうに言いに行くときに、これはまた使えるわけでございます。そうすると、相手は、カドミウムをずっと出し続けるとどんなことになるかと質問するわけです。そうすると、告発いたしますという形で話が進んでいくわけでございます。告発されると困るから、それじゃどうすればいいかという御相談になるという結果になっていくのが一つでございます。  もう一つ検察官がこれを起訴する。裁判所が有罪と判定する。要するに裁判上の問題になる場合、二つでございます。  私どもは公害行政の立場から申しますと、これは人を罰することを主とする目的にはいたしたくないわけでございます。また人を罰するということは、その前提に被害者が出るということでございますので、被害者を出したくない。絶対に被害者を出したくないということを前提とするわけでございます。したがってこうした法律が出た場合には、私どもはこれは行政的に使いたいわけでございます。行政的に使う場合におきましてはこれは科学的な論文がなくても、少なくとも科学的と考えられる論文がなくても、あなたのようなことをやっていますというと、これは公害を引き起こしてだれか病人を出すおそれが出ますよということを言いたいわけなんでございます。そうでなくて、危険を生じさせていますということを言うためには、これは少なくともどこかに論文がなければならない、学術論文がなければいけない。あるいは教科書に書いてなければいけないという問題が出てまいりますので、その教科書や論文を探さなければ交渉ができないというのでは、これは公害防止に事実上役に立たないということになろうと感じているわけでございます。  たとえばカドミウムでございますけれども、これは確かにイタイイタイ病病因物質になりますが、その病気発生するまでの期間というのが非常に長うございます。富山県の婦中町でイタイイタイ病の診断をされました萩野博士のおっしゃるところによりますと、まあ短くても三十年くらい、長ければ五十年くらいの蓄積が続きませんというと、イタイイタイ病というものは発生しないようでございます。そうすると、どこの段階で危険を生じさせたものかということは、これはとうてい言うことはできないわけでございます。十年やったらいいのか、二十年やったらいいのか、荻野先生によると三十年で初めてだというなら、二十年やっていてもかまわないんじゃないか、もう十年間やりますということになる。もう二十年間やりますというのでは、これはカドミウムの流出が何十年間にわたってとめることができないということになるわけでございます。そんなことを言わないで、ともかくいまのうちに何とかしてほしい。それについてはカドミウム流出をとめるための方法については、こちらの技術者を派遣いたしまして、何とか一緒に御相談しましょう、経費も何とか融通しましょうというようなことを言っていきたいわけなんでございますけれども、この法律ではそれが言えないというところに問題があるわけでございます。その意味では公害予防の効果から申しますと、この形の法律では残念ながらあまり効果がない。あまりというよりほとんどないということにならざるを得ないのではないかと思います。この法律効果があるのは、私の印象では有機水銀だけではないか、メチル水銀だけではないかというふうに感ずるわけでございます。  しかしいまどき、窒素であれだけの総会で、「怨」という字を書いて旗を立てた人が何千人と押しかけてくるようなあの状況を見て、いまどき毎日毎日五百グラムもメチル水銀を排出するようなばかな企業はもうなくなっているだろう。そして水銀を使ってアセトアルデヒドを製造する過程はいまの日本ではございませんので、ああした企業はもう日本にはないであろう。したがってああしたものはもうなくなった。メチル水銀を取り締まるためのあの法律でございましたら、現在では対象がなくなったから要らないというふうに考えてもいいのではないかと思うのでございます。自然の中にも確かに有機水銀がございまして、きょうの新聞なんかでございますというと、マグロの中に水銀の蓄積があるというわけでございますけれども、あのマグロに蓄積されておる水銀というのは、人工の水銀ではございません。水銀というのは自然状態でもございますが、自然状態の無機水銀が幾分かは必ず有機化するという現象がございまして、それは人力をもってとめることはできないわけでございます。それとこれとは違うのでございますから、それはやはり分けていただきたいというふうに感ずるわけでございます。  せめてカドミウムを連続的に使ってメッキを何十年も続けていくところに対して早くやめてほしいとか、あるいは石油の中にはバナジウムという触媒物質がございますけれども、触媒物質を取らないで石油を燃焼させるような企業がございましたら何とかしてほしい。バナジウムは高く売れますので、早くそれを除去して売ってほしいというふうに、かけ合いにいくときに必要であるということになるんじゃないかと思うのでございます。ああしたもの、汚染質の微粒子は粉じん測定器の中に入ってまいりますので、入ったやつをつかまえて、それを持って石油企業なら石油企業のところに交渉にいきたい。それから石油企業のすぐそばにカーボンの工場がございましたら離していただきたい、何とか協議して離していただきたいと言うためにこうした法律があることを望むわけなんでございます。それが現在の状況では望めないい。カーボンがどれだけあってそうして亜硫酸ガスがどれだけ排出されていると硫酸ミスト化が起こるとか何とかということが、ちょっと量的な説明ができないわけでございます。定性的な説明はできますけれども定量的な説明ができないので、定量的説明までは行政上の便益としてはかんべんしていただきたいということでございます。
  23. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 それでは両先生にお尋ねをしたいと思いますが、まず戒能先生にお聞きをしたいのですが、まず先ほど危険の範囲をどこに置くか、これはもちろん定量的な線を出すことは科学的にむずかしい点があるということは別として、私たちの感じとしては、危険の範囲というのはその人があるものを一生涯食べてもだいじょうぶだと、これ以外は危険の範囲ではないとすべきではないかと、私はそう思うわけですけれども、それに対して先生はどう思われるか。  それともう一つは、この法律の内容から考えてそういう考えは全然適用されていないのか、また「おそれ」がもし入っておったならばどうなのか、そういう点をお聞きしたいと思います。  それからもう一点は先ほどの基準を守っていてもそういう危険がなければ処罰対象にはならない。そうすると基準を守って——基準からはずれた液を出しているということを企業者が知っている場合、基準というのはあくまでも人体に影響があることにきまっているわけですから、基準をこえていることを知りながら排出をした場合は当然ぼくは適用になると思うのですがね。その辺この法律からは一般的に言えるのかどうか。  それともう一つは、非常に企業の研究というのは進んでいると思うのですね。だから基準を——一応国の基準はある。水俣病の場合にいたしましてもその当時基準がなかったけれども、企業のほうが一歩進んだ研究をしているならば、やっぱり基準はないけれども、これはやはり基準以下にしなければあぶないのじゃないか、そういうことを知りながら——基準があるからといってその基準ぎりぎりまで出していたような場合は当然私はやはりこの公害罪の故意犯に当てはまるのではないか、そのように考えるのですが、その点のお考えをお聞きしたい。  それと最後に、先生はいま「おそれ」を入れてもかかしだ、「おそれ」がなければでくの坊だと、そういうようなお話だったのですけれども、われわれとしてはかかしでも、かかしはスズメには効果がありますけれども、人間はもうかかしだということを知っていればかかしも結局はでくの坊になってしまうと思うのですね。そういう点でそういうような法案ならばこれは意味がないわけですけれども、それならば、どういうような点を、たとえば無過失責任というものはやはり適用しなければならないのか、そういうふうな先生の理想とされるいわゆる公害罪についての考え方というもの、それをお聞きしたいと思いますが。
  24. 戒能通孝

    参考人戒能通孝君) 汚染質が一生涯からだの中にたまれば一生涯のうちに必ず発病するというふうなものが、これは危険であることは申し上げるまでもないわけでございます。しかし必ずしも何も一生涯継続してたまらなくてもいいわけでございます。老年の方でございますというと、濃厚な汚染した空気の中に行かれますというと、その瞬間に——ほとんどその瞬間といってもいいわけでございます。数ヵ月間内にぜんそく性の気管支疾患が出るということがございます。したがって汚染質の内容によりまして、それからまた人によりましてどれだけの影響が出てくるかということは何も一生涯という範囲で考える必要はないように思うのでございます。したがって、それだけに人によって非常に違うわけでございますから、その汚染質影響が非常に違うわけでございますから、これは危険だとか危険でないとかという論文はほとんど書けない。勘なら書けます。病理学的な論文というふうなものを書くことは不可能でございまして、疫学的な論文は書くことはできますが、病理学的な論文を書くことはほとんど不可能であろうと思うのでございます。したがって疫学の論文になってきますと、これはどうしても「おそれ」のほうに入っていくということだけは事実でございまして、危険であるという断定的な結論にはならないというのが、これが一つの問題でございます。  それからもう一つは、排出基準の問題でございますが、排出基準には原則として相当の安全性がとってございます。したがって、排出基準を守っていれば、これはその安全性までも含んで守っているわけでございますから、それでそれを守っているのにもってきて、公衆の生命または身体に危険を生じさせたということを主張することは困難ではないかと感じるわけであります。まあ排出基準はときどき間違っているということもございますけれども、原則として当時知られている科学的な知識の範囲においては安全性をできるだけ、そうむちゃというわけにいきませんけれども、ある程度の余裕をとってつくるのが原則でございますので、排出基準を守っている人を、危険を生じさせたものだというふうなことは、幾ら何でも困難であるというふうに感ずるわけでございますので、もちろん企業のほうでも排出をどれくらいにしたら危険であるかという研究は、これは現在の段階では相当進んでいると思うのでございます。進んでいるにもかかわらず公害現象が起こっている、これが問題なのでございます。むしろ企業はその進んだ成果というのを自分で押えて隠している。いざというときの戦争用に使っているというのが真実ではないだろうか。企業自身がそれを進んで公開してくれればいいのでございますが、企業の研究というのは自分の研究でございまして、それは実際には公開されておらない。ただ、多かれ少なかれ研究の進んだ企業はできるだけ安全操業をやっているというだけのことでございます。私どもは企業の研究までは十分に知り得ないということが多いのでございます。  具体的に申しますと、アラビア石油の中にどれだけの重金属が含まれているかということは、これは石油企業側ではもう明らかに全部検討していると思うのでございます。しかし私たちの手で、どこの油はバナジウムが幾ら、バリウムが幾らだとかいうふうなことを全部にわたって詳細に研究することは不可能でございます。企業の研究がそれは必ず一歩進んでいると思うのでございます。ただ、私たちがかりに企業に行きましても、おたくはバナジウムを出している、だからやめてくれというふうなことを言いますと、うちの石油はどこから輸入しているので、その石油にはバナジウムはございません。分析結果はこのとおりでございますといって、それはどこかのお間違いでございましょうというために研究が使われるわけでございます。そうすると、私どもとしては、結局ほかの石油会社にまたかけ合いに行かなくちゃならない。そしてまた頭をかいて引っ込んでくる。それからよくよくあとで調べてみると、バナジウムをやっぱりつくって売っていたなんていうことが、後になって発見するということになるわけでございますので、企業の研究というのは基礎とするわけにはいかないのじゃないだろうかと思うわけでございます。企業の研究成果を企業は金庫の中に置いておいたということ、これは捜査の結果発見することがないとは申せませんけれども、原則としてそんなものは現場に置いてないというふうに考えていいのではないかと思うわけでございます。  私はその意味におきまして、公害発生というのを防止するのは、実は刑罰じゃない。傷害罪を重くすることについては私は賛成でございます。業務上の傷害罪もしくは業務上の傷害致死を重くする、あるいは責任範囲を拡大するということは、私は賛成でございます。しかし、公害を刑罰で防ぐということはやはり困難だ。というのは、刑罰というのはどうしても疑わしきは罰せずという基本原則がございまして、そこからそんなにはずれることはできない。かりにおそれをつけても、クリア・アンド・プレゼント・デンシジャーの範囲で出てくるのでございまして、それから先は将来予測できるおそれというようなものをみだりに採用することはできなかろうと思うのでございます。その意味では、私はやっぱり公害の防止というのは、せめて都道府県知事あるいは市町村長に、あまり悪いことをするやつに対しては、電気ガス水道を供給しないという要請権くらい与えてほしいと思うのが一つでございます。  それから公害というのは監視者よりも公害を出す人間のほうが多うございます。公害を出す人間よりも被害者のほうが常に多うございますので、被害者に関してはできるだけ損害賠償を容易にできるような方法というものを考えていただきたい。そのためには因果関係の推定も非常にけっこうでございます。それからまた故意、過失の推定もけっこうだと思うのでございます。  それからさらにまた有害物質、特に有害物質として、たとえば有機水銀カドミウム、それから硫黄酸化物、それから各種の病気水俣病イタイイタイ病、あるいはぜんそく性気管支障害というふうなものとの間には、因果関係があるという推定を置いてくだすってもいいのではないかと感じるわけでございます。損害賠償のことでございますから、これは被害を補てんするというのが原則でございまして、それ以外に企業に対して何らかの損失を負担させることではございません。そしてもし判決が間違っていた場合には、これは国が損失補償すればいいのでございますから、そして損失補償するといっても、そんなに多額なことにはならないわけでございますから、現に推定規定を置くことによって、後の科学的研究でその推定がくずれたような場合には、これは国が損失補償すればいいのではないだろうか。少なくとも、疫学的な研究成果というのは、民事訴訟については相当大量に入れることができるんじゃないかと感じるわけでございます。多かれ少なかれ、現場に立って公害防止の仕事をする役人に、相手方と対等に話をする力を与えていただきたい。やはり大気汚染、特に工場廃液処理なんかについて、めちゃくちゃなことをやっている人に対して、話をしにいってもどうもまじめに相手となってくれないんじゃないか。決して私たちは人を罰するということを目的にはいたしたくございません。また電気ガスの供給をとめて人の営業をとめたいという気持ちは毛頭ございません。それよりもむしろ、公害についてどうしたら防止できるか双方で協議したい。そうして科学的な方法をできるだけ早く開発したいと思っているわけでございます。  あとになっての知恵でございますけれども、水俣病の原因になったメチル水銀の排出機構でございますけれども、あれは水俣工場の中のごく一部の工程から出てくるわけでございまして、そこから出てくる廃液は、一時間に一トンないし六トンという非常に少量のものであったようでございます。したがって、もしその部分についてできるだけ早く研究が進んでまいりますというと、多くても六トンでございますから、処理は非常に容易だったんじゃないか。お金も非常に少なかったんじゃないだろうかと思うのでございます。それであの宇井助手なんかのお話でございますと、百五十万円出してくれたらできたんだと言っておるわけでございます。被害者が百五十人でございますから、一人当たり一万円でございます。昭和二十七、八年のころの段階で、窒素が百五十万くらいのお金が出せなかったわけでは絶対にございません。したがって、本気になって処理を考えてくだされば、非常にわずかな経費で、実は公害の防止ができるわけでございます。できなかったから、これはできなくても、しかも、その事業がどうしても国にとって必要ならば、国がある程度まで経費を考えてくださればいいのでございます。また、都道府県なんかにいたしましても、国が許してくれればその経費をつけること、あるいは場所を移転いたしまして、安全なところで操業してもらうことを考えてみればいいわけでございます。初期の段階でございましたら、そんなに大金は要らないというふうに感じますので、こうした刑罰法で事実が起こって罰するという感じじゃなくて、事実が起こる前に企業と共同して公害防止に当たりたい。また、企業が真剣になってくれなければ、とうてい公害の防止なんかできないという立場でぜひ御検討いただきたいのでございます。  その意味で私はこれに「おそれ」をつけるというようなことからスタートといたしまして、そうして都道府県知事市町村長の権限を拡大すること、それから被害者の救済方法をできるだけ早く具体化するという形で、公害防止のほうに進んでいただきたいと思うのでございます。
  25. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 それでは庭山先生に聞きたいんですが、先生はこの公害罪法があったほうがいい。そういうことを、判例タイムスというので、先生の書かれたものの中に、公害が犯罪と規定されれば、いわゆる被害者による告訴とか第三者による告発が非常に可能になり、捜査機関による強制捜査に踏み切らせることが可能だ。そういう点の利点があると、そういうことを言われているわけですが、この公害罪が、この法律がある場合とない場合、強制捜査についてはどのような違いがあるのか。  それともう一点は、いわゆるこの公害罪においては、世間一般が危険と判断すれば公害罪の成立は肯定されるべきだと。その意味で、科学的判断を前提として許された危険とは、かなりのギャップがあると考えなければならなぬと。だからあくまでその危険というのを科学的判断によってる限りはだめだと。だから、科学的判断よりも社会通念を重視せよと、そういう主張をされているわけですけれども、私もそれは賛成なんです。けれども、はたしてこの法案が通過した場合に、結局この法律が基準になるわけですけれども、そういうことが結局この法律だけにおいて可能なのかどうかですね。幾らそういう意見があっても、法律が適用される場合にはあくまでも科学的なものを根拠にするともう非常に効果のないものになってくるのじゃないか。そういう点を心配するわけですけれども、そういう点についてのお考えを聞きたい。その二点です。  それを立ったついでにいまの戒能先生のお答えの中でもう一つ私再質問したいのですが、基準をオーバーした場合、基準にはもちろんある程度の安全度が含まれている。そうすると、工場側が基準は少しぐらいオーバーしているけれどもこれはだいじょうぶだと、人体に影響のあるというそういう認識もなくして流したのだと。そう主張した場合に、これは安全度があるという考えからいけばこういうようにならないのかどうかですね。  それともう一つは、メチル水銀についてはこの法案が適用されるのだという、そういう話ですけれども、もしこの公害罪法案が十年前からあったと考えた場合に、あの水俣病において新日本窒素が処罰されるのかどうか。結局新日本窒素もその当時の技術水準においてはメチル水銀が有害であるということはまあ知らないで、国の法律には合っておったのだと、そういうぐあいに主張しているわけですから、そうなるとこの法案があったにしても、もし十年前からこの法案があったとしても、メチル水銀も適用できないのじゃないかと、そのように考えているのですけれども、その点についてのお考えを聞きたいと思います。
  26. 庭山英雄

    参考人庭山英雄君) 最初に私のほうからお答えさしていただきます。  第一の強制捜査という点につきましては、刑事訴訟法手続の上で告訴、告発等がありますれば、特に告訴等につきましては迅速に捜査を開始しなければならない。これは命令ではありませんけれども勧告的な規定がございます。それから別に告訴、告発でなくても警察側で積極的に捜査活動に乗り出すことができるわけです。その場合の警察側の利点といたしましては、やはり国家権力を背景といたしますから強制力を持っているわけでございます。その点では弁護士などが調べるのとはわけが違います。で、民事の裁判で、実際を見ましても、強制捜査権もなく、証拠資料等を収集する場合に弁護人等がどのぐらい苦労しているかはわかる。そういう点からいたしまして一応強制力を背景にやることができるという点でメリットを認めることはできるのではないか。ただしその論文でも触れておきましたように、あくまでこれは捜査官憲並びに検察の中立、公正ということを前提にしてである。その上での立論で、それがくずれるならばこれは何の意味もない。そういう点を一つだけお答えしておきたい。  それから第二番目に、世間一般が危険と感じたならば、おそれもしくは危険状態発生したものとして、事実認定の上で有罪判決の可能性があるのではないか。この問題を考える場合には、やはり現実の裁判とそれから裁判官というものを前提にして考えなければならないと思います。それでおそれというような規定がある場合と、おそれという規定がない場合とでは、現実の問題といたしまして、裁判官が事実認定を行ない、それが構成要件に該当するかいなかという点においては、——私は事実認定についてはかなり勉強しておるわけでありまして、大阪地裁に毎月ぐらい研究に通っております。その現実状況から見ましても、大きな違いが出てまいります。おそれがない場合とおそれがある場合とでですね。裁判官の事実認定の幅というものについては、裁量権の幅が大きく違ってくる。したがいまして、やはり規定の上でもしも公害というものの防除を可能にし、そしてまた裁判官の認定をなるべく容易にするというような方向で考えますならば、「おそれ」というものを入れるほうがプラスである。  その次に、これに関連する問題で、たとえば社会通念という問題ですけれども、結局は裁判官が最終的には判断するわけであります。その場合に、科学的という概念を入れておきますと、やたらに刑事裁判の中でも鑑定申請をする。そういう形でもって科学論争に持ち込まれるおそれがある。科学論争に持ち込まれましたならば、裁判官というのは、PPM云々、それから精密な因果関係等については、おそらく科学者同様に熟知している人はいないでありましょう。そこで科学論争に持ち込まれた場合にはどうにも決着がつけられない、そういうおそれが出てきます。そこで、それでは何を判断の基準にすべきか、それは本法案が人の身体と健康に対る保護、そういうことを目的といたしますならば、国民の被害者、それから被害者を含む市民の現実的な感覚、それを裁判官が客観的に判断する以外にない、その危険というものの判断、あるいはおそれというものの判断について、実際の運用上ではないわけであります。科学論争に持ち込むことは、たとえ実体法上非常に明確なものにしましても、それから私が述べましたように、手続法上十分な手当をいたしましても、なお現実には無罪続発という形で、これは市民にとっては大きなマイナスになるおそれがある、そういうように思います。  それからもう一点、基準云々という点につきまして刑法上の観点での問題をちょっと申し上げておきますと、一応この法案がどうかということは別にいたしまして、有効で確実な公害罪ができた場合、その場合ですけれども、その場合にはあくまでもこれは公害罪というものは自然犯でございまして、殺人等と同視される反社会性を持っておるものと考えられるわけです。そうしますと、たとえ基準内を守っておって、いろいろと排出行為をやっておるといたしましても、危険が現実化し、それが社会通念として明らかに危険もしくは危険のおそれのある状態に立ちましたときには、結果に対する回避義務が過失犯の認定では必要でございまして、その義務に違反することになります。したがって行政的な基準であります基準、PPMの許可以内であっても、自然犯である公害罪といたしましては、刑法理念の上ではこれを処罰せざるを得ない。行政上の基準とは必ずしも関係がない。  その三点だけお答えしておきます。
  27. 戒能通孝

    参考人戒能通孝君) ちょっと、いまの御質問でございますけれども、基準をオーバーするという場合でございますが、これは基準につきましては、安全性——安全係数というものが一応考えられるわけであります。ただ安全係数というものをつくるときに、どういうふうにしてつくるかと申しますと、これは厳密な実験をしたあとでつくるもののみとはいえません。ものによりましては、一にしましょうか、二にしましょうか、一・八くらいはどうですかという形できめるものでございます。したがって、安全係数というものが必ずしも実験化学的な基礎を持っているものとは言えないわけでございます。したがって、基準をオーバーするというのは、このオーバーのしかたが少なくとも安全係数の範囲をこえた場合、つまり基準が〇・二PPMだと仮定いたします、安全係数が一・五だと仮定いたしますと、そうすると〇・三PPMをオーバーして排出したような場合には、一応危険を及ぼすおそれがあるんだということまでは申せます。しかし、危険を及ぼすんだということまでは言えないわけでございます。というのは、安全係数が必ずしも常に実験を基礎として行なわれている、つくられているわけではございませんので、それはおそれがあるという程度のことは申せますけれども、そこで危険だというところまでは申せません。危険であるかどうかということはまた別途の実験その他をしてからきめなければならないことでございますので、基準をオーバーしたらすぐ法律の適用を受けるというわけにはいつないと思うのでございます。少なくとも「おそれ」という文字が入っておりますというと、これは安全係数を抜いた数値をオーバーすれば、おそれがあるんだということまでは言えそうな感じがいたします。  第二に、有機水銀の件でございますが、もしこの法律がいまから十数年前に成立しておりまして、そして捜査官に相当優秀な方がおりまして、船にカキがつかなくなった、何かあぶないことがあるんだということで捜査が始まっていたといたしますというと、そうするとおそらく起訴はできなかったと思いますけれども、起訴する前提行為ができた、捜査行為ができた、捜査に伴う化学的な実験その他もできたんじゃなかろうか。ネコに水銀のかかった魚を食わせて、そして実験するというようなことができて、ネコが狂い死ぬと。それが脳に中毒症状を起こすんだというふうなことまではわかって、やはりこれはあぶないからおよしなさいという発言ができたんであろうと考えられるわけでございます。しかし、もし気のきいた捜査官がいなくって、現実被害者が出たということになれば、新日本窒素は、これはかりにこの法律案が十数年前に成立したと仮定しても起訴できなかったんじゃないかと思うのでございます。しかし、昭和電工は違います。昭和電工はこれは二番目の事件でございますので、この場合には少なくとも危険を生ぜしめるおそれがあった、危険を生ぜしめていたとして起訴できたんであろうと感ずるわけであります。この点でこの法律案がもし十数年前に成立していたと仮定したら、おそらく昭和電工のあの事件というのは起こらなかったんじゃなかろうか。阿賀野川の水銀事件というのは起こらなかったのじゃなかろうかと仮定するわけでございます。
  28. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 いまの最初のあれで、私はもちろんそういう被害が、危険が現実に生じたと、そういう仮定のもとで、そういう場合には基準をオーバーしてそうなったけれども、その工場側にはそういう健康に害を及ぼすほどの認識はなかったといった場合ですね。
  29. 戒能通孝

    参考人戒能通孝君) それが「おそれがある」ということでしたら容易に起訴できると思いますけれども、「おそれ」という条件がはずれておりますので、検察官自身で危険があるのだ、危険が生じているのだということを何らかの形で立証しなければならない。その立証は危険があるということを条件にしておりますので、疫学立証だけでは困難ではなかろうか、臨床学立証の形までいかなくてはいけないのではないかとか、少なくとも動物実験までいってなくちゃいけないのじゃないかというような印象を持つわけでございます。で、その点で検察側の立証が非常にむずかしくなっているということが言えると思っております。というのは、公害というのはどうしても微量な汚染質がずっと長期にわたって継続的に発生するということでございますので、動物実験自体が非常にむずかしいのでございます。動物を非常に濃厚な亜硫酸ガスのもとに暴露しておいて、そうして、それから起こってきた変化がこうなるんだというのではだめなんでございます。三〇〇PPMとか五〇〇PPMの状態にしておいただけでは、〇・五PPMの場合にどうなるかということを簡単に立証したとは言えないと思います。〇・五PPMの状態に動物をかりに五年間暴露してどうなるかということが実験として行なわれなければなりませんので、立証方法が非常にむずかしい。立証の成果が、研究の成果を得るために、少なくとも長年かかるということが言えると思うのでございます。その長年の間は一体どうなるか、おそらくそれは認識がなかったというような、そうした答弁のほうが認められるのじゃないであろうかと思うわけでございます。
  30. 後藤義隆

    ○後藤義隆君 戒能先生にお伺いいたしますが、先ほどから戒能先生から非常に詳細にお話をいただきまして、非常によくわかったのでありますが、私どもが考えておりますことは、公害を防止するために行政の法令と申しますか、そういうようなふうなものが必要である。そうして、先ほど先生のお話の中には、東京都の条例でもって基準をこえるようなものに対しては、水道とか、あるいは工業用水を停止するというような措置をとっている。しかし、これだけではまだ十分でなしに、これのほかにガスとか、あるいは電気を切る、そういうようなふうなものを停止することが必要であろうというようなふうのお話がありましたが、私もそれはやはりそこまでいく必要があるだろうと思うのですが。  それからこの法律公害防止に関連がありますけれども、公害発生した場合に、それを処罰することを目的とする法律でありますから、それで、この本法が働く前に、先生がさっきお話になったようなふうな、公害防止のためガスとか、あるいはまた工業用水の停止とかいうようなふうなことをする必要があると思いますけれども、それはこの法律でなしに、大気汚染、あるいは水質汚濁とかというような別の法律にそれをきめるべきことであって、本法にはそれは入れるべきことではないじゃないかということを私は考えるわけです。  それから、もう一つ、さっきの「おそれ」の問題ですが、これは私どもが、法務省のほうでこれをとっているのは、こういうようなふうに解釈しているわけですが、基準をこえて人の健康に害を及ぼすようなおそれのある状態を生じた場合には、これをいわゆる本法で処罰をせずに、基準をこえて、そういうようなふうな状態を生ぜしめたときは、今度はその行政法令の中におい処罰をするということを規定すべきではないか、行政法令の中にそういうようなふうな法令が、たくさん処罰条文があるから、それが相当ではないか、刑法の中にそれを入れることは適当でないのじゃないか、というふうに考えたわけですが、その点について先生のお考えと、それからさらにさっきお話がありましたが、公害のために健康を害しなければ、危険というようなふうなこととはちょっと言えない。それで健康を害して初めて危険というようなふうな先生のお考え、そのときには傷害罪処罰ができるのじゃないか、というようなふうのお話があったのですが。ところが、この本法の第二条に、「人の健康を害する物質を排出し、公衆の生命又は身体に危険を生じさせた者は、」と、あって、ここでは傷害のことには触れておらずに、「危険を生じさせた」ということだけをここでは規定をしておって、傷害のほうは、第二項の「前項の罪を犯し、よって人を死傷させた者は、」というふうに、第二条の第二項があって分かれているわけです。  そこで、先生はこの法律をつくってもほとんど効用をなさないのだということでありますが、もちろんこの傷害罪だけを罰するということであればこの第二項と同じになるからそれでもって本法は必要ないかもわからないけれども、傷害罪よりもう一歩手前の人の健康を害するというようなふうなそのときは、処罰するのにやはり私は本法の第二条というものが働くんじゃないか。それじゃ健康を害するということと、もう一つその手前の「おそれ」ということの間に私はやはり区別があると思うんです。その「おそれ」ということは、いわゆる危険を生ずるという、今度はもう一つその手前の「おそれ」であって、そこまで範囲を広く処罰しなくてもいいんじゃないか、こういうようなふうに考えるわけですが、ところが危険かどうか、危険であるかどうか、この程度のものを、毒物を排出している場合には危険であるかどうか、また病気にはなっておらぬが危険であるかどうかということは、これは科学的な医学的な判断だけであって、そして第二条に相当するかどうかということをやはり判断すべきものである。したがって私はやっぱり本法の第二条というものはあったほうがいいのではないか。実際においてこれを適用することは、さっき先生のお話のとおり、そういうようなふうな場合はよほど少ないと思われるが、この法律は全然むだではないのじゃないかというふうに考えるわけです。その点について戒能先生はどうお考えでしょうか。
  31. 戒能通孝

    参考人戒能通孝君) これは、ですから、今回の国会は公害国会だといわれています。公害に対処する一般の思想の問題に関連していると思うのでございます。もし公害を除去するという基本的な方式が公害をなくする方向に全体として向いている場合にはおっしゃるとおりでございます。つまり、たとえば行政的な手段を相当強化してもらう。はっきり申し上げて、行政庁の役人が公害をしょっちゅう出している人のところに行って話しをするときに非常にしやすくしていただくという点が一方にあり、それから基準の定め方が、たとえば東京につきましては東京に相応した基準を定める方法というものをきちっときめていただいて、そしてその中でこの公害罪法案というものが出てくるものでございましたら確かにおっしゃるとおりだと思うのでございます。で、現在の状況におきましては、そうではなくて、公害を出す企業のところに行って交渉しても、なかなか言うことを聞いてくれないわけでございます。そんなこと言ったって金がかかる、いろいろ言われまして、なかなか言うことを聞いていただくことができないというのが現状でございまして、公害担当の人たちがこれはほとんどまあお願いし、土下座してようやっと話をしているというような状態なのでございます。こちらが土下座したんじゃ、とても公害なんか防げない。ある程度まで高姿勢にならざるを得ない。初めは土下座してもけっこうでございますけれども、ある段階までいったら、そんなこと言うなら思い知れというようなことにならないと相手が話を聞いてくださらない。そして相手を低姿勢にするというふうなことを一応念頭に置く条文があって、それがたとえば公害基本法というふうなものに盛り込まれているということがまずあって、そしてそれが出ているのでございましたら非常によくわかるわけでございます。  それからさらに公害規制のいろんな手段でございますけれども、東京の場合を考えてみますというと、たとえば煙突の高さで大気汚染を防ぐということはもう限界にきておりまして、煙突を幾ら高くしましてももうどうにもなりません。現実の問題としまして、低硫黄石油を使ってもらうとか、煙突があったら必ず集じん器をつけてもらうとか——そのかわり東京都その他には安くて堅牢でそして機能が相当いい集じん器を開発するという義務が出てまいりましょうけれども、それらのことを含めまして、煙突があったら必ず集じん器をつけるというような条項を置き得るようにしていただいて——煙突だけではとうにもならない。したがって、たとえば工場の配置計画なんかも、都道府県知事が地域的に相当やれるというようにしていただいた後にこれが出てくるのでございましたら、私はこれをもっと厳格にしていただいてもけっこうだと思うのでございます。  その意味で、この公害罪法案というのが将来の公害政策の展望としますというと、前進する方向に向いているのか、これでストップする方向に向いているのか、そこが問題だと思うわけでございます。いままで御審議がいろいろあって、それは新聞等でもよく見ているつもりでございますけれども、どうやら今度の国会はこれでおしまいなんじゃないか。これでは困る。これでおしまいで、もう三年もほうっておく、そうしてまた新しい被害が出たら新しく考えるというのでは困るわけでございます。したがって、私は率直に申しまして、「法律時報」に、こんなものは要らない、むしろこんなものは反対だということを書いたことがございます。それよりはもっと行政手段の確立、それから被害者の賠償というほうに力点を置いていただきたい。被害者の賠償でもし裁判所に誤判があったら、若干の損害賠償義務を国が負担してもいいというところまで決心をしてやっていただきたい。それがあれば要らないとまで書いたことがあるのでございます。  しかしいまの段階につきましては、被害者の賠償法というふうなものは出そうもございません。それからまた基準のきめ方につきましても、やはり硫黄酸化物による大気汚染はやはり煙突を高くすることだというふうな、何かやはり従来の伝統的な方法しかとってくださらないようでございます。そこで考えを変えたわけでございまして、そうならばここでせめて公害行政をやるものに対してかかしくらいに与えていただきたい。かかしになって、これは別に起訴はされないと思いますけれども、しかし起訴されるかもしれないというのは、相手は相当やはり不愉快でございますから、そうして懲役数年ということになりまするとやはり相当不愉快でございまするから、告発しますよというのがまあともかく若干の武器になるわけでございます。しかし現実の問題として、私は公害罪法のこれによりまして処罰される人が出ることは、決して歓迎すべきことではない。できたら処罰もされず被害者も出ない、空気が悪くて不愉快だ、水がきたなくてとてもいやだ、けれどもしかしがまんできるという程度までにしていただきたいという趣旨で申し上げているわけでございます。したがって、お話の趣旨は非常によくわかりますし、それから全体の流れの中でとらえていって前進的な方向でございましたならば、そのお話に全く同感するわけでございます。
  32. 後藤義隆

    ○後藤義隆君 戒能先生のお立場はよくわかるのです。ところが、国会は御承知のとおり、いろいろ委員会が分かれておりまして、公害被害者に対するいろいろの救済というものは厚生省のほうの関係で、この法務委員会のほうでないものですから、それからほかのところは商工委員会でいろいろなものはやっておって、おもにここにはこの法案だけしか来ないものですから、私どもはこの法案を中心にして考えておるわけですが、それで先生から見ると、これはそんなに現在としては使うようなふうなこともないから、そうあわててやる必要もないのじゃないかというふうな考えも多少あるようでございますけれども、私どもはこれを一つの警告といいますか、あるいは企業者に対する威嚇と申しますか、これはあったほうがいいのだというふうに考えているわけです。  それから……。
  33. 庭山英雄

    参考人庭山英雄君) いまの問題に関連して、ちょっと発言さしていただきたい。簡単に終わります。  戒能先生は、公害をなくす方向で考えるとおっしゃいました。そういう基本的な意図においては、だれでもここにいらっしゃる方は同じであろうと思う。その場合に公害罪立法を考える基本点について、二つもう一度確認したいと思う。  一つは、立証を容易化する方向、それについての法案では推定規定がすでに入れられたわけですけれども、これではまだ現在の社会状況をまともに見ますときに足りない。したがいまして、挙証責任の転換というようなことを申し上げた。  もう一つは、なるべく早く裁判所に持ち込む手当てをくふうする、そういうことです。捜査官憲並びに検察の手に長く置いてはいけない。何とかして早く司法官憲の手に渡す、憲法上司法官憲と書かれておりまして、この司法官憲というのは現在の解釈では裁判所でございます。いろいろと役所がございますけれども、とやかくいいましても、現在最も信頼できるのは私は裁判所であるというふうに考えております。しかも憲法上、裁判官独立の保障がございます。いろいろ情勢の中でこれに頼る以外には現在私どもが活路を見出すにはほかにない、そういう点に重点を置いて考えていただきたい。そこから当然出てきますのは、現在の法案は重要な手続的規定が二つが抜けている。一つは、先ほど申し上げましたように、準起訴手続、もう一つは、検察審査会の拘束力の問題、これが二つ抜けている。これでは手続上ざる法というか、実体法上ざる法というのですか、運用上実効のないものになる、そういう点をちょっと加えておきます。  以上です。
  34. 後藤義隆

    ○後藤義隆君 庭山先生にお尋ねしますが、先ほどのお話の中に故意、過失を推定することが必要でないかというようなお話があったのですが、故意、過失を推定するというのは、どの程度に推定するかというのは、非常にむずかしいことではないかと思う。これは民法上はあるいは無過失責任なんというふうなことも考えられないこともないけれども、刑法において故意、過失を推定するということがはたして適当であろうかどうかということをひとつ考えますことと、それからもう一つは、先ほどお話の中に、従業員にこういうふうな違法な行為があった場合には、その雇用者を処罰するということが必要だというふうな、そのことが必要だというお話があったわけですが、これはやはりいまの故意、過失と幾らか関連があることですが、雇用者のほうには全然故意、過失がなくても、従業員に何か故意、過失があって、こういうふうな犯罪行為が行なわれたときに、それでも処罰するということは、——故意、過失がなくて処罰するということが刑法理論の上でもっていいのだろうかどうだろうか。ただ、公害だけにそういうものを認めていいのだろうかどうであろうかというのが、私の古い考え方からいくと多少考えられる。  それからもう一つは、先ほど先生も申されましたが、検察審査会の拘束力を受けるようにするということが、こういうお話があったが、これはあるいは検事のほうでは不起訴、検察審査会のほうで起訴すべきだというふうなことに言われた場合、起訴するということは、これはやればできないこともないかと思います。そういう方法は、法制をとればできないこともないと思うが、それが今度は裁判所を拘束するのかどうか。そうして先生はこれは有罪か無罪かということは、社会通念あるいは世間一般から見てこれは判断するのだというふうなことですが、ところが裁判所のほうでもってそういうふうな法律をつくって、そして科学的にも何も要するに判断しなくて——裁判所のほうは、現在御承知のように、裁判所に大ぜいの人がはちまきなど締めて押しかけていってわあわあ言っているが、ああいうことでもって社会通念あるいは世間一般の社会要求だというふうなことでその意味の判決をせなければならぬというふうなことになって裁判所を拘束することになると、そうすると裁判の独立とか何とかいうことも非常に脅かされることになるが、それで先生のお話は裁判所までも要するに拘束するというお考えか、ただ検事が控訴しなければならぬというだけのお考えか、その点も伺いたいと思います。
  35. 庭山英雄

    参考人庭山英雄君) よくわかりました。第一の刑法上の故意、過失という問題について、一体挙証責任の転換というのは不可能なのかという問題、確かに従来の伝統的な刑法理論、主として私どもはドイツからこれを学んでおりましたけれども、これにおきましては故意、過失については検察官が立証する。しかも、これを裁判官の確信をこえてまで、英語で言いますと、ビヨンド・ア・リーズナブル・ダウト、合理的な疑いをこえてまで立証しなければならない責任がございます。しかし公害罪というものの本質を考えてみますと、私の見るところでは、たいへん持てる人たちが持っていない人たちを責めておる、迫害しておる、そういう感じを私はまのあたりに見るわけであります。そういうようないわば持てる人が持たない人に対してやっているというような本質を見ますときに、故意、過失について検察官側に立証責任を全部負わせるということでは実際上不可能であろう。で、むしろ一応の証拠です。英語で言いますと、サムエビダンスと言います。一応の確からしい証拠を検察官が提出するならば、あと無過失については企業側であるいは被告側でこれを立証する、そういう形です。したがいまして、無過失責任ではございません。その程度の歩み寄りは公害現象の複雑化、それから公害現象というものがわが国で占めております地位、詳しく申し上げませんけれども、それから考えますと許されるのではないか、そのように思うわけです。  それから二番目の両罰規定の問題ですが、行政法規等の中に両罰的な規定があることはすでに皆さま御存じのとおりであります。それからこの法案でも一応両罰規定を置いてございます。ただしこれは従業員について違法並びに責任が確認されて初めて企業側に及ぶわけでございます。しかし公害というものをよく見てみますと、必ず組織によって行なわれるわけで、あるいは個人的な企業というものもございますけれども、大きな災害を出すような公害というものは、やはり巨大企業でございます。そういう場合には、これは組織的な内部の統制監督がございます。それならば、実際の違法行為をやる人たちはどういう位置を占めておるかということをお考え願いたいと思います。もしもほんとうに最終的な責任をだれが負うかという点まで考えていきますと、これは企業の最終責任者その人を処罰することによってもっと容易に公害をなくす方向が生まれるであろう。そういう意味では組織責任、組織犯罪というものに考えていかざるを得ないのでございます。で、すでに述べましたように、両罰規定は、実際、法制審議会でも採用しております。これは何も企業が故意、過失があるということを前提にしてやっておりません。そういう例はないわけではございませんので、別に企業側に故意、過失がないといいましても、組織上責任をとるということは十分考えられる。特に最近、イギリスやアメリカのほうで起きております機能的考察、ファンクショナル・アプローチという点からいろいろ刑罰という問題等を考えますと、実際にどういうふうに機能するかという点から考えるべきであって、単に概念法学的なドイツの理論に従って故意、過失云々ということを主張するということは、必ずしも現在の段階では妥当ではない。  それから第三番目の検察審査会の問題ですけれども、検察審査会が議決をした場合にはずばり検察官起訴を拘束する、それだけです。司法官憲であります裁判所とそれから検察官とは憲法上明確に区別されておる。一つは司法官憲でございまして、まさに裁判所、一方は行政官でございます検察官は。これはせつ然と区別しないといけません。戦前、裁判所とそれから検察官は司法官憲という旧憲法のもとでは、単に機能の違う官憲であるというふうに考えられておりますけれども、現在では違う。それは日本のとっておりますブルジョア民主主義、ブルジョアは抜かしてもいいでしょう。民主主義というたてまえの中から、権力を持つものは乱用しやすいという根本理念を具体化してつくられたものです。したがいまして裁判所を拘束するということはありません。それならば裁判所はどうするか。これは私たちの世界は、日本と限っていいいですけれども、民主主義社会です。で、そういう権力を持つものは乱用しやすいという前提のもとに裁判官を独立させて、行政が不当な圧力を及ぼさないように、それから裁判官個々の判断も裁判官独自で判断できるように、そしてまたその裁判官の判断が公正になるようにいろいろと裁判官選抜制度、それから忌避申し立て制度とか、そのほか旧刑訴法ではありませんでした自白について補強法則を必要とするとか、伝聞法則とか、立証を確実なものにする方向の手段が種々とられております。したがいまして裁判官の判断については全く裁判官の自由にまかせる。ですから、社会通念といいましても、最終的に事実認定で判断いたしますのは裁判官です。裁判官がこれが社会通念である、そう言ったものが社会通念でございます。ただ世間一般がわいわい騒いだらどうなるか——そういう問題とは違う。いろいろ騒いだりして裁判官も動くじゃないか。これは民主主義社会では、討論というもの、言論というものが人間の判断、思想等に間接的に影響を及ぼすんだと、その上に一つの新しい秩序が育っていくんだと、そういう信仰のもとに成り立っておりますから。裁判所に何らかの拘束をする、あるいは裁判官の判断に対して拘束するということは絶対に避けなければいけない。そういう意味で、繰り返しになりますけれども、検察審査会の議決は裁判所を拘束はいたしません。  以上です。
  36. 後藤義隆

    ○後藤義隆君 いま先生のお話の中にあったのですが、これは第四条のことをお聞きいたしますが、「法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者が、その法人又は人の業務に関して前二条の罪を犯したときは、行為者を罰するほか、その法人又は人に対して各本条の罰金刑を科する。」と、こういうふうにあって、罰金だけはもちろん、要するに、使用者のほうを処罰する規定が四条にあるわけなんです。ところが、先生の先ほどのお話では、罰金だけでなしに体刑もやはり故意、過失はなくても使用人が犯罪を犯した場合には処罰することが相当だと、こういうお話のようなふうに私は伺ったんだが、どうですか。
  37. 庭山英雄

    参考人庭山英雄君) 組織責任、組織犯罪という理論につきまして、法人処罰の場合に罰金にするか、そのほか刑罰というものは具体的にどういうものであるか、どういうものにすべきかについては、現在の理論でまだ確定的なものはございません。しかし最も有効な手段というか公害防止をしたいという意思から考えていきますと、これを機能的に考察しますと、私は体刑などよりもむしろ企業そのものの操業停止、中止、そういう刑罰をも考えていいんではないか、体刑が必ずしもベストだとは思わない。そういう点で、なぜそういうことを言うかといいますと、現在の経営のしかたでは、従業員が処罰されない限りは企業処罰されない、罰金刑も与えられない。それならば常に従業員が悪くて企業はいいけれども、罰せられるという例ばかりであろうかという点に疑いがあるわけです。  組織の中では従業員がまじめにいろいろと上司の命令を聞きやっておりましても、場合によってはだめの場合もございます。つまり組織の中では最終責任者が不当に義務を果たさず、監督をなさず、そしてその結果違法行為を作為の形でやる例も多々あるように私は見ております。したがいまして独立して従業員の故意、過失そして法人の故意、過失責任というものを別個に考えてもいいのではないか、そのようにしないと、とにかく従業員というものが罰せられなければ絶対だめだという形でストップしてしまう。しかも組織全体の実態を考えますと、これは場合によっては、下級労働者のほうに——下へ下へといくのがおそらく適用の実態になるであろうというようにおそれるわけです。もちろん私は現在司法官憲、裁判所を相当程度に信頼しております。現在のシステムの中に、これはいろいろと不満があってもやむを得ない、その範囲内で何とか国民のためになる公害罪というものをつくっていこうというふうに考えておりますので、以上のような考えを述べる次第です。
  38. 後藤義隆

    ○後藤義隆君 あまりくどいようですが、もう一点だけ。  いま先生のお話がございましたが、操業停止とか、あるいはまた廃止とかいうおことばが出たんですが、これはもちろん要するに必要だと思います。それは先ほど戒能先生のお話の中にも出ましたように、必要だと思いますけれども、私たちはこの法務委員会はそこまでに立ち入ることはちょっと許されない。それは別な行政法規の部門でもってほかの委員会がすべきではないかというふうに私どもは考えて、この法律の中にはそこまでは考える必要はないのだというふうに考えて、いままではそういうことには触れなかったわけなんですが。
  39. 戒能通孝

    参考人戒能通孝君) 実はこの法律の適用につきまして東京都でも一つ問題がございます。というのは、東京都の多摩川の下流部、丸子橋のところに調布取水場というところがございます。その調布取水場の前の原水の中にカシンベック病というものの病因物質が入っているという学説があるわけでございます。そこで調布取水場で取る水を一体配給するかどうかという問題につきましては、東京都も実は非常に困りきっている問題でございます。ところが、カシンベック病の病因物質があると言う先生がございますけれども、しかしカシンベック病なる病人が一体東京都にどれだけいるのだろうかということにつきまして、私どもとして全機能をあげて調査したつもりでございますけれども、二人である。病例を見たという方が一人ございまして、その方が二例見たとおっしゃっているわけでございます。ところが、一例は実は多摩川のほうの水とは全然関係のない井戸水を飲んでいる方がそれである。もう一例は、それは確かに、多摩川の調布取水場から出る水を飲んでいる方がそれであるという形なのでございます。で、東京都の調布取水場のようなところでございましても、実は何十億という投資をしているわけでございまして、土地だけをとってみましても、あそこを使うか使わないかという問題は東京都にとっても非常に大きな問題なのでございます。したがって東京都の水道局という立場から申しますと、水道はぜひ使いたいという立場でございます。したがって病人がない、病例が二つしかないということならば、カシンベックとそれから原水との関係はないという立場で使いたいという形を主張されるのは当然だと思うのでございます。しかし私どもといたしましては、もう少し慎重になってほしいということが言えるわけでございまして、ともかくカシンベック氏病の病因物質があるという見解は、現在の段階では臨床学的な見解ではなくて疫学的見解にとどまるであろう、しかし疫学的見解であっても、この疫学見解はできるだけ尊重すべきではないであろうか、もしカシンベック氏病の病因物質水道水の中に入らないという保証があるならば、これは再開してもいいであろう、活性炭その他を使うことによりまして除去できるという保証があるならば使っていいであろう、しかし保証がない場合には、できるだけ調布取水場の取水開始は慎重であってほしいと要求するわけでございます。そこに実を申しますと、「おそれ」という文字が入っているかいないかで、実はこの法律の適用が非常に違ってまいります。どの会社でもどの企業でも、やはり自分企業の投資として何十億、何百億というお金を投資しているわけでございます。したがって、できることならば、自分企業を休ませたくない、それからまた自分企業に何か根本的な改造を加えたくない、いまのまま使いたいというのがほんとうであろうと思うのでございます。そのときに「おそれ」という条項によって疫学的な見解をも尊重しなければならないということになりますと、やはり投資額が相当影響してまいります。したがって、投資を要求するという立場で見るのか、投資はあまり要求しないという立場で見るのかということで、この企業の動きが相当違ってくると思うのでございます。現在の法律案でございますと、これは臨床学的な危険というものが立証されなければ、これはこの法律の適用はないのだ。「おそれ」という文字が入っておりますと、疫学的な見解でもこの法律案の適用を受けるということになってきますので、実はどちらにするかという点で、確かにこれはこの委員会法律だけの問題でございますけれども、やはりそうは申しましても、実は公害の政策の上から申しまして、非常に大きな影響があると思うわけでございます。したがって、委員会の御結論として、私としてはどちらかといいますと、疫学結論をも尊重するという立場を御採用いただくほうがいいのではないか。確かに公害防止のためにあまりお金を使いますと、企業経営が非常に苦しくなるということは事実でございます。しかし、公害防除のためにいままで使ったお金というのは、はたして合理的に使われていたのか、いないのか、これが実はわからないわけであります。いままでの日本の科学技術というのは、生産科学技術でございます。生産科学技術というのは、多かれ少なかれつまみ食いでございまして、いいところだけつまみ食いしてしまって、あとは捨ててしまった。捨ててしまったものに問題が出てくるわけでございます。したがって捨て方をほんとうに考える技術というものは実はまだなかった。捨て方をほんとうに考える技術というものがもし急激に育っていくならば、私の印象では、そんなに大きな投資をしないでも、実は公害の防止が相当できるのじゃないかと思うのでございます。  私は、もしできたら、たとえば多摩川の川を二つに分ける。水道水がとれる道とそれから下水の主として流れる道というふうに、二つに分けることが望ましいのではなかろうかという提案もいたしたことがございます。ところが、そういう提案をいたしますと、非常にがっちりした水路をつくってしまうという可能性が出てくるわけでございます。現在の技術家の手にかかりますと、多摩川の河流を非常にがっちりした水路で分けてしまって、こちらは下水、こちらが水道水というふうに分けてしまう可能性が出てくるわけでございます。もし、そう分けてしまいますと、一方はほんとうに下水溜めになってしまいます。下水溜めが同時に他方に影響してくる。実は逆なんでございます。ですから、分けようとすれば、これは私はほんとうに安い、そうして単純に分ける。それから大水のときには相当めちゃめちゃになってしまう。そうして復元するのにもってきて、できたら、あっちにころがりこっちにころがった分割材料をまた元に並べるという程度の分け方を実は望むわけでございますけれども、そうした分け方というものについて、日本の技術家というのはあまり興味を持ってくださらないのが実情でございます。  つまり日本の公害防止科学技術というものが、安くて効果のある方法、しかし同時に技術家の体面から申しますと、おれともある者がこんなばかげたものができるかと思われるような簡素なことをやるという点が、実は日本では避けられていたのではないかという印象を持つわけでございます。したがって公害の問題も、疫学的な見解をも入れて公害の問題を考えるという政策をとっていただくことができるなら、私は安い方法で安い経費で、公害の防止に関する技術の開発方式というものをどうしても考えざるを得なくなってくるのじゃないか、各企業の主要な技術家、公害科学の学位を持っておられて取締役にもなっていらっしゃる方というのが、やはり泥にまみれて仕事をなさるような方向に向くのじゃないだろうか。私はこに期待をかけて、実は「おそれ」を入れていただきたい。私は実を申しますと、この法案には賛成できない。ほんとうはあまりこういう刑罰法を望まないのでございますし、刑罰法をつけられますというと、東京知事東京都の水道局長が処罰せられるおそれがございますので、実はあまり好ましくないのでございますけれども、実は日本の科学技術の全体的な進歩の方向というものを、いままでのつまみ食い技術から、捨てる物をどう考えるかという技術に発展させるように、ひとつ考えていただく。その立場で疫学の手法をひとつ入れていただくということをお願いしているわけでございます。
  40. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) 他に御発言もなければ、参考人に対する質疑は、これをもって終了いたします。  終わりに、参考人各位に一言ごあいさつ申し上げます。  本日は御多用のところを御出席いただきまして、長い時間にわたりまして貴重な御意見を拝聴できまして、まことにありがとうございました。本案の審査に多大の参考になったものと存じます。委員会を代表いたしまして、あつく御礼を申し上げます。(拍手)  暫時休憩いたします。    午後零時四十六分休憩      —————・—————    午後二時十九分開会
  41. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) 法務委員会を再開いたします。  裁判官の報酬等に関する法律等の一部を改正する法律案及び検察官俸給等に関する法律等の一部を改正する法律案を便宜一括して議題といたします。  前回に引き続き質疑を行ないます。両案に対し質疑がある方は順次御発言をお願いいたします。——別に寡言悪ければ、本案に対する質疑は終局したものと認めて異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  42. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) 御異議ないと認めます。  それではこれより討論に入ります。御意見のある方は賛否を明らかにしてお述べを願います。——別に御意見もなければ討論はないものと認めて御異議ございませんか。   (「異議なし」と呼ぶ者あり)
  43. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) 御異議ないと認めます。  それではこれより採決に入ります。  まず、裁判官の報酬等に関する法律等の一部を改正する法律案を問題に供します。本案に賛成の方の挙手を願います。   〔賛成者挙手〕
  44. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) 全会一致と認めます。  よって、本案は全会一致をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。  次に、検察官俸給等に関する法律等の一部を改正する法律案を問題に供します。本案に賛成の方の挙手を願います。   〔賛成者挙手〕
  45. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) 全会一致と認めます。  よって、本案は全会一致をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。  なお、審査報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  46. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) 御異議ないと認め、さよう決定いたしました。     —————————————
  47. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) 人の健康に係る公害犯罪処罰に関する法律案を議題とし、質疑を行ないます。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  48. 小林武

    小林武君 法務大臣にお尋ねいたしますが、公害罪の問題について考える場合に、私が考えるのには、公害の現状というものが非常に憂慮すべき状態になっているというこの事実ですね。これはむしろ日本だけでなくもっと広い問題として考えなければならないようなものになっているということと、それから、その公害発生について責任のある立場にある企業、その企業の経営者というようなものを考えますときに、それらの人たちは政治的にも、あるいは経済的にもいわゆる日本の支配的な立場を持った有力な人たちである、有力な階級だと、こう見ますというと、公害罪法を通して公害を除去するという立場に立った場合に、考慮しなければならないところについて法務大臣としては、かなりの覚悟を持ってこの法案を提案なさったと思うわけでありますけれども、その点について最初大臣の抱負といいますか、決意といいますか、そういうものをお聞きしたいわけです。
  49. 小林武治

    ○国務大臣(小林武治君) これは一番の問題は、公害を罰するということは、従来は単に行政の取り締りに違反したものを処罰する、こういうふうないわゆる行政罰といいますか法定罰と申しますか、そういうふうなものにとどまっておったものを、自然犯として、危険犯としてとらえるということは、少し極端なことばでいえば、やはりこれは一種の破廉恥罪にもあたる犯罪である。すなわち刑法上の犯罪ということによって、従来のようないわゆる公害が必要悪だとかいうふうな考え方を脱却して、それが一つの社会悪としてこれを弾劾する。こういうことによって関係者の意識をここで変革を求める。こういうふうなことによって公害を起こさせないようにするという抑止的と申すか、予防的な効果を大きくねらったのでありまして、そのためには日本じゃ必ずしも公害は大企業にとどまりません、中小企業にも非常に多いのでありますが、しかし大企業にその傾向が、ことに大きな被害を与える傾向がある。こういうことでございますから、そういう意識の変革をひとつ求めたい。また世間から申せば、政府なりあるいは社会が公害というものが一つの刑事上の犯罪だ、こういうことの意識を定着させるということは被害者、加害者、両面にわたって私はいろいろな予防的な効果があろうと思うのであります。ただいろいろな機会に言われておるのでありますが、これを処罰するものが単なる行為者、あるいは、いわゆる会社の、工場の従業者にとどまるというようなことがあれば弱い者いじめに終わってしまうじゃないか、こういうふうな議論も出ておるのでありまして、ある程度まあやむを得ない点もありまするが、その出ている、公害を出しているということについての意識と申すか認識がどの程度まであるか、こういうことはやはり上の、上級の方の問題にも波及をしてくる。こういうふうに思うのでありまして、そういうふうな犯罪の処罰対象についてもいろいろの議論がありまして、これらの点もやはり法の運用上は注意をしなければなるまいと思うのであります。  要は刑罰法規というものは、もう私が申すまでもなく、そんな刑罰法規の必要でないことが最後の理想である、こういう建前を取っておるのでありまして、こういう法律が適用されるということはむしろ非常な不幸な事態であるというふうに思っておりますので、さような意味におきまして、起こさない工夫が一番大きな大事なことじゃないか、かように考えておるのであります。
  50. 小林武

    小林武君 まあ、いまの大臣の御答弁を聞いておって、ちょっと不安に感ずることは、とにかく公害というものはいまの工業社会において、また工業国としての日本の現状を考えて将来の発展ということを思いまするに、その公害源ともいうべきものが飛躍的に増加しているということは明らかですわね。だからいままでより以上に問題がとにかく多く発する、多発するということを考えなきゃならないのでありますから、これは一片の法律をつくったということだけではおさまるものではないと思う。少なくともこの法律を守って、いま大臣がおっしゃったように、公害罪というものの軽視することのできないということ、積極的なこれに対する協力体制を企業といえども行なわなければならないし、国民全体がこれに対してとにかく目を向けなければならないということなんでありますけれども、先ほども言ったように、この公害をつくり出すところの企業、あるいは財界の人たちが政治的、経済的優位に立っていながら非常に大きな協力体制をしくかといったら必ずしもそうではないと思うんですよ。だからそういう点について大臣はよほどの決意をなさらないと私はだめだと思うんでありますが、そういう点については、これは自信をお持ちでございますか。
  51. 小林武治

    ○国務大臣(小林武治君) これはいろいろの機会に、法律が万能ではないということはどなたもおっしゃることでありまして、法律一つの手段にすぎないと。要は一番大事なことは、企業者にしても、あるいは政府にしても、心がまえの問題で、これを忠実に実行する、公害の防止についての実行をするということでなければ効果はあがらないと、こういうふうにいわれておるのでありまして、そのとおりでありまして、法規制一つの手段にすぎないと。要は、やはりその関係者が、これを起こさせないというふうな気概、またその努力と、こういうものがなければならぬのでありまして、私どももこの法の運用については、いまお話しのように重大なひとつの決意を持ってこれに対処するということでございます。
  52. 小林武

    小林武君 午前中のこの法務委員会における参考人戒能参考人庭山参考人のお二人の話を聞いたわけですけれども、その際における二人の参考人の一致した見方は、公害罪に対して、これはかかしと言いたいけれども、かかしまでいかぬという法律だということを言われた。そのことのいま内容を言おうというわけでありませんけれども、そういう法律でさえ——財界の四団体といえば、まあこれは同じような人たちがつくっている団体ですけれども、この四団体が企業活動に支障があるから公害罪に反対して審議未了をねらって運動を起こすと、こういうことになったら、そうでなくても、国民の立場に立って日本の公害という問題をどうするかという立場から考えれば、ざる法だといわれるような法律でさえも存在を許さないと、これの通過をとにかく許さないという動きが出ているということの中で、私は、ほんとうに、一体政府は、自信を持ってやれるのかどうかということを心配しているわけです。  この点で一つお尋ねいたしたいのは、この四団体というのは、政府並びに自民党にそれぞれ働きかけをしたと、こう言っている。政党の幹事長に会ったとか、あるいはそれぞれの方面に手を伸ばして運動をやっているということを聞いているのだけれども、どういう一体あれを政府に要求したのか、これをちょっと説明していただきたいと思う。
  53. 小林武治

    ○国務大臣(小林武治君) 私は率直に言うて、私ども政府に対してはもう何の申し出も事実ありません。これは私、自分が立案の衝に当たっての責任者でありまするが、一言も私に対してはさようなお話もありませんし、また実は、政府部内といえば、われわれの関係者は官房長官か、総理でありますが、そこからも立案についての何の介入もないということであったのでございまして、新聞等で何かおやりになっておるということを私は知っておりますが、私のところへ何にも、書面も出たこともありませんし、電話一つかかってきたこともないわけでありまして、これはわれわれの考えどおりに進めてきておるのでございます。また実は、いろいろありましても、私に対して——私がこれは閣議に出るまでは全責任をしょっておることは御承知のとおりでありますが、何も圧力を私は感じたこともないし、その向きの折衝もなかった、これは私が正直にひとつ申し上げておきます。  それから、何か途中で、私がしまいにこれを少し手直しすることについて政党の幹部、ことに総理から何かお話があったようなことも言われておりますが、これは連合審査の場合に私が申しましたように、こんな刑法上の条文の問題などを総理に相談するなんということはあり得ないことでありまして、あの際も、私は正直に、総理は法律家じゃありませんよ、こんなものを相談しても何も役に立たないと申しますか、私はナンセンスだと思うと、そういうことで、これは閣議に出すまで私の責任においてやったのでありまして、どこにも相談しておらぬ。それから、よくいろいろ言われますが、財界などというものに一番関係のないのが私でございまして、私は一切そういう接触を受けたことはありません。また正直に言うて、私はもう財界などともおつき合いをしないように心がけておるものでありまして、一番、まあほかのことはよく知りませんが、私は少なくとも関係は何もない、したがって接触をする機会も何も私にはない。いま申すように、電話一つかかってまいったことはありません。ただ、新聞で承知しておる、それだけだからして、そのことについて私は圧力等を感じたことは全くございません。そのことをひとつ正直に申し上げておきます。
  54. 小林武

    小林武君 法務省の内部の事務局段階原案というのはあったわけですね。それの多少の手直しというのはあったわけですか。その手直しした点はどういう点であるか。またどういう理由によってそのことが手直しされたのかということをひとつお尋ねしたい。
  55. 小林武治

    ○国務大臣(小林武治君) これはもう新聞で毎日書かれたから、だれでも御存じのように、「おそれ」ということばを削ったということが唯一の手直しの点であったのであります。で、この点は実は私はほかの機会にも申し上げたのでありまするが、一体これを立案するときは、とにかく大きく取り締まるというふうなつもりでその当時も言いましたが、実は、その「おそれのある」というようなことばは、いままでの取り締まりにおいては、行政法規にはあるが、刑罰法規にはなかったのです。ところが、立案者がやっぱりある程度純粋刑法というふうなことでなくて、多少取り締まりというふうな行政取り締まり的な考え方がある程度頭にあって、そして行政法規に出ていた「おそれのある」ということばをつかったと、こういうふうでありまして、多少これが、この法案が立案ができたときには、純粋刑法ということでなくて、ある程度行政的なものが入ってしまったと言えば語弊があるかしらぬが、入ってしまっておった。それをいろいろの機会において、その後、「おそれのある」ということばはいままで行政法規にあるが刑事法規にはないんだということを方々で私ども指摘をされまして、それはまあそういうことだが、多少でもこれが予防的というか抑止的の効果をねらっている法規とするならば、まあそういうふうな要素が多少入ってもいいんじゃないかというふうな気持ちでこのことばを入れておったということであるのでありますが、——その後、実は、これを多少でも広くして取り締まりを強くするためにこんなことばが入ったが、この試案ができてから、水質汚濁防止法なり、大気汚染防止法なり、一定の基準をこえて排出をすると、もうすぐそれを強く処罰する規定がその後できたのでありまして、そうなると、かような刑法的でないあいまいなことばを入れておかなくても、行政法規でもって強く取り締まりができる、すなわち直罰規定が入ったということが、私がこういうふうな、このことばをひとつ削除しようというふうな一番大きな動機になっておったのでありまして、行政法規が、基準をこえさえすればもうすぐ処罰すると、こういういわゆる直罰規定が入ったということは、私どもこの案をつくってから以後にきまってしまった。  それで法制審議会にわれわれ諮問する当時もそういう問題はなかった。だから、多少私が、率直にいえば少し欲ばってそういうふうに少し広めておいた、ばく然と広めておいたんだと。ところが、いまのような行政法規で直罰規定ができれば、われわれの法律の担当する範囲はそこまでいかなくてもいいじゃないか。そして行政的なにおいのある「おそれ」なんということばを取ったほうがいいのじゃないかと、こういうふうな純粋な法律的な考え方からしてこれを除いておる。これがほんとうのところの私どものそういう結論が出た経過であるというふうに申し上げておきたいのであります。
  56. 小林武

    小林武君 この「おそれ」のところだけでしたかな、手直しのあったというのは。
  57. 小林武治

    ○国務大臣(小林武治君) 直したのは、まだほかにもいろいろ意見がございました。たとえば、他の法規の定めた基準をこえてということを入れろと、こういうふうな強い御意見がありましたが、これがまた、入れると非常に行政的になる、純刑法的でないといったようなことで、私どもはこれは入れることができなかったということでありまして、実質的にまあ多少の影響のある修正は「おそれ」ということばであります。  なお、施行期日の問題は、初め四月一日になっておったのを七月一日、これは他の法規が七月一日でなければ間に合わぬという、水質汚濁防止法でありますか、何かほかの行政法規の関係で直したということで、実質的な意味はございません。
  58. 小林武

    小林武君 まあいまの御答弁ですと、純刑法的でないということで一つ直した。そうしますというと、先ほど私も冒頭に申し上げましたように、いまのような、まあ公害というようなものが、もう人間生命そのものに影響する。もっとこれがひどくなれば、人間の存在をも否定されるようなことにまで進展する。こういう状況の中で、純刑法立場というようなものに重点を置くのか、それとも、この法律によって抑止し、公害を除去することによって、産業的、工業的発展というようなものを求めていくかという、二つの立場の選択だと思うのですね。人間生命というようなものを大事にしながら工業の発展というようなものができるかどうかということを目標にしたこの二つの選択の中において、どうも私は純刑法的というようなことに選択——目を注いだということは、若干、どうも何というか事実に即さない、問題の具体的なところをとらえない。しかも国民が要望している点でもないし、さらには、もっと深刻なものは、われわれはそういう公害を受けて、まず見るに忍びない、正視するに忍びないというような状況を写真でも見たりしますというと、何か法務省のものの考え方の中に私はズレがあると思う。現実との間にズレがあるように思うのですが、この点は議論にならなかったんでしょうか。
  59. 小林武治

    ○国務大臣(小林武治君) 私はこの公害というものが純刑法的犯罪だと、こういう宣言をすることが非常に大きな抑止力というか、これはもう企業者の反省なり自粛を求める非常に大きな要素になると思うのでありまして、いままでは、これはやってもとにかく世間でよく言った必要悪、これはまあ単なる行政罰。これが自然犯になった。こういうことが公害に対する意識の非常に大きな変革だと。すなわち、これをやることは、もういままでは、取り締まりに反しましたと、こういうことを言っておったが、今度は取り締まりじゃないんです。そのこと自体が刑法処罰対象になる。これが非常に大きな眼目じゃないか、私はこういうふうに思うのですね。行政罰じゃないんだと、これはもうそのこと自体が。普通はたとえばこういうことをやっちゃいけませんと言うた。いまは行政罰、こういう規則を守れというのが行政罰でございます。今度はそうじゃない。これはもう結果が出ればもうそれはすぐに処罰対象になる。こういう意識の革命と申しましょうか、そういうところに私は非常な大きな飛躍と申すか、効果が出ているのじゃないかと、こういうふうに思っておるのです。
  60. 小林武

    小林武君 大臣のおっしゃることがそのとおりであれば、われわれもあまり異議はないですがね。しかし参考人から聞いたからというわけでもありませんけれども、このあれはあまり実効があがらないということを私自身もこの法律案について多少調べて見てそう思う。先ほど来の参考人の話だというと、まず起訴できるものは皆無だとこう言う。この法律をもってしては皆無であるということの断定は、私はちょっと下すほどのあれがありませんけれども、あり得るなということは——あとで事例を述べますから、ひとつ聞いていただきたい。これは参考人から聞いた事例じゃないんです。新聞を見て感じたことですが、それはまああとにするといたしまして……。大臣の言うように、純粋刑法というようなものをここに取り上げたからこそ、その抑止、予防というようなことの可能性が行政罰とは違った意味において強められたというようなこと——これは議論のしどころですから、ひとつ次のほうのときに、ひとつまた別なところで議論することにいたします。  もう一つ、財界がこれに反対してるんですよね。この財界の反対はどういう点に反対しているか、その反対のしかたいかんによっては、全然、実効をあげることができないわけですから。それからさらに、この財界の反対の姿勢を見れば、これは実際に公害企業の動きというようなものの中からは、もうざる法がますますざる法になるような形になって出てくるだろうし、もう一つは、財界四団体といったらこれはもうまさに日本の政治そのものを動かしていると、こういって私はよろしいと思う。まあ法務大臣は財界などとは縁のない人だというけれども、口の悪い財界人が本気で言ったかどうか知らぬけれども、こんな保守党の政治家をつくるつもりでなかったとかなんとかということを平気で放言するようなえらい人がいるという話じゃありませんか。そういう財界の人たちの持っている反対論というのは、これは非常に大きな問題だと思う。この点については一体どうですか。どんな一体、法案の内容的には反対し、その反対が結果的には政治的に動いてくるとか、あるいは行政的に動いてくるというようなことがあり得ないかどうか。これは法務省の場面だけじゃないですよ。一つの犯罪——刑法を適用するとしたところで、刑事罰を適用するとしたところで、それぞれのセクションがあるわけでしょう。そういう面で何の不安もないかどうか、それをお伺いしたい。
  61. 小林武治

    ○国務大臣(小林武治君) 私はどういうことで反対しているか、何も聞いたことはありませんからよく知りませんが、これは要するに、言っていることは、大きく申してこれはまあ時期尚早というか、まだ科学的の根拠がはっきりせぬうちにこういうことをやることは少し早いんじゃないか、そういうことじゃないかと思っておりますが、これは御承知のように、この法律ほど妙な法律はないということは、一方からざる法だから役に立たない、一方からこれは困ると、珍しく両極端から非難を受けている法律でありますが、法律というものは、これはできればそのまま一人で歩くのですね。このことは法律に共通な、できたら一人で歩く、それを運用する、こういうことになりまするから、私はこの法律がそうざる法だとは思わない。まだやってみないうちにいろいろなことをおっしゃるが、きょうの参考人は、これは起訴するものはないだろうと言っていたが、それぞれかってな見方でありまして、われわれはそういうふうに思わない。これはいま申すように、およそ法律でこんなに両方から全然役に立たぬ、いやこれは絶対困る、こういうふうなものはあるまいと思いますが、私はやっぱりこれはこの法律なりの一つ効果があるというふうに思っておるものでございます。  それからまあ私が冒頭申すように、一体この法律というものは、できるなら理想からいえば、法律の適用にならぬような事態が最も望ましい事態であるということはどなたも御承知のとおりでありまして、とにかくこれがいやだということは、一般的に申して行政罰が刑事罰になる、これは非常なやっぱり大きなポイントであると思うのでありまして、そのことについては相当な反発というか抵抗感というものがそれぞれにおありになろうというふうに私は思います。
  62. 小林武

    小林武君 まあ理由を述べないで、理由が明らかにされないままそう信じているというふうなことはなかなかあれですけれども、事務当局にお尋ねいたしますが、刑事局長にお尋ねいたしますが、公害の施策に対しまして、公害罪その他の問題について政府並びに自民党に対して意見書といいますかを出している。そういう意見書というのを出しているというんですが、それは全然局長としては見たこともないというようなことなんですか。そうだとすれば、私はずいぶんふしぎなものだと思うんです。われわれ新聞だとか何とかいろいろなものを見ながら、相手方のものの見方、国民の考え方、被害者の訴える訴え、そういうものをまず見ますわね。それから経団連だとか日経連からわれわれのほうに言ってきたというのは、われわれと言っても私には言ってくることはないが、そういうものは見ます。われわれはそれも新聞とかを通して見ているのです。あなたが実際上このことについて起案をなさったとすれば、そういうものを全然頭の中にも目の前にも置かないでこうやられたわけですか。
  63. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) 私どもは、いま御指摘のような文書を見たことはございません。私どもに参っておりません。
  64. 小林武

    小林武君 もしこないとすれば、政府といっても、政府のどこにいったかわかりませんが、少なくともわれわれ考えればこれだけの重大な国民的な問題であり、企業の側からいえば、企業にとっても重要な問題だと思う。そういうものが一つの日本の政治そのものを動かすような大きな一つの力を持ったところから政府に出した文書をあなた方が一つも見ないというのは、ふしぎですけれども、それでは一体そういう声はどうなんですか。どういう点で、どの方面からは反対があり賛成がある、どういう希望を持っているということは全然ないわけですか。
  65. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) 私ども法務大臣の命によりましてこの法案の立案の事務にあたったわけでございますが、その閣議決定、国会提出までの段階におきまして、私どものほうでは法制審議会という手続がございます。そういう関係で一応の要綱案というものが世上に公表されたわけでございますが、それを前提にしていろいろ新聞その他において批判があったわけでございますが、そういう一般的な批判というものは十分私どもまた事務当局の立場において拝見し、考え方に資したわけでございます。
  66. 小林武

    小林武君 一般というのは何ですか。一般というのはどういうことを一般というのですか。
  67. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) 私、いまの御質問の財界方面からの要望書であるとか、意見書であるとか、そういうものは私ども事務当局は全然受け取っておりません。私が申し上げるのは、新聞の批評であるとか、そういうものを読者の立場においてよく見ておったと、こういうことでございます。
  68. 小林武

    小林武君 あまり警戒しなくてもいいですよ。あまり警戒する必要はないですよ。私は政府当局としては、やっぱり企業というものを無視して法律をつくるということはあり得ないと思うのですよ。企業がどんな腹で、くるかということを読まないでおいて、法律をつくったって、それは激突するか、それとも相手が守らずに激突するか、それから実行不可能のようなことを押しつけることになるかもわからない。彼らだって犯罪を犯すための犯罪をやっているわけじゃない。犯罪を犯すための存在じゃない。企業として社会的な役割りはあるわけですから、だからそれらの人たちの意向というものを無視するというわけにはいかないでしょう。それからまた被害を受けた者というものは、これは人命その他肉体的苦痛というようなものを考えますときに、これもまた無視できない。さらには将来のことを考えたならば、いまはそれに直接影響はなくても、将来非常に不安であるとかいうようなことを考えますと、私はそういうふうに一般とかなんとかいうようなばく然としたものの考え方ではなくて、本来的に皆さんがやろうというのは、そういう各方面の代表的な意見とかなんとかを聞き取られるということが私は最も適切な法律案をつくるということになるんだと思うんですけれども、何かあなたそういうことをあっちのほうとツーツーとかいうようなことを思っての御答弁では審議にならぬと思うんですが、どうですか。
  69. 小林武治

    ○国務大臣(小林武治君) これは正直に刑罰法なんというものをそこらに一々相談してつくるべき性質のものではありません。だからして、これは私どもあなたに何も隠しているわけじゃない。われわれは何もそういう意見書も受け取っておらない。これはありのままをあなたに申し上げておるんで、その点はいろんな考え、そういうのもあるかもしれんが、私のほうはない。こういうことははっきり申し上げておきます。私も書類など何も受け取っておりません。また政府が受けたかどうか知りませんが、受けたら私のほうに回ってくると思いますが、それも回ってきておりません。この点はほんとうにそのとおりに私は申し上げておるのであります。
  70. 小林武

    小林武君 あなたたち二人とも警戒心が強過ぎるんですよ。ぼくは何もあなたたちこっそり見てて適当にやったろうなんということを言ってるんじゃないんです、いままでの議論のしかたは。そうじゃないんです。たとえば、あなたたちのところにこなくてもいいんです、文書が。こないのはふしぎだとは思わないけれども、こないという事実だってあるでしょう。党にきたからといって必ずしも、政府与党一体の原則かなんかしらぬけれども、それでも通じないこともあるでしょう。ことに法務省というのは役所の性格から言えば、そういうことはやっぱりほかの役所と違ったまた性格のものもあるでしょう。いろんなことをわれわれだってある程度考えている。しかしながら、あなたたちがそのことに全然目にも触れておらぬし、声としても聞いておらぬということになると、これは一体公害罪のこの法案というものは、最もいまの日本の現実に即した問題解決の一つの手だてとしての法律効果というのは出てこないと思うんですがね。だから、それがどうも納得いかぬのですよ。あなたたちが法務省の中において一切の雑音、外界から隔絶した中で、純粋刑法とかなんとかいうことを言ったって、これは私は社会的なあるいは国家的な、国民的な一つのものではないと思うんですがね。そういうことを言ってんですよ、私は。だから、あなたのほうで知らないというのはそれはおかしいと思う。極端に言えば不勉強ですと、こう申し上げなければならぬと思うんですがね。あなたたちはわかっていても、こっちに何か妙なことを言ってあとで食いつくんじゃないかというようなことを思っているんでしたら、そういうあれはさらりと雑念を捨てて、そしてすなおな話をしてもらいたいのですよ。
  71. 小林武治

    ○国務大臣(小林武治君) 私は実にすなおに気楽に答弁しておるんでありまして、隠すことがあるなら気楽な答弁できません。気楽に答弁しております。
  72. 小林武

    小林武君 当該の局長、あなた全然知らぬとなったら起案者としてぼくはふしぎだと思いますよ。
  73. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) 私どもは、ただいま大臣が申されたとおりでございます。私ども事務当局としてこの法案の立案に際しましては、私どもは全国の検察庁を管理する立場にあるわけでございまして、この公害関係にある事犯、全国で発生しておる事犯、こういうものは逐一検察庁を通じて一つの知識を持っておるわけでございます。それからまた一般の新聞、テレビ、ラジオ、そういうものによる実情というものも存じておるわけでございます。  それからこの公害罪の立案に際しましては、刑法の全面改正を検討いたしております法制審議会の刑事法特別部会におきましても、昭年四十四年には公害関係の何らかの規定を設ける必要があるんじゃないかという議論もなされておったわけでございます。  それから外国の同種の立法例というようなものも丹念に調べ上げたわけでございまして、法務省の事務当局の立場におきましては、できる限りのこの知識を求めまして、この立案にあたったわけでございます。
  74. 小林武

    小林武君 まあ私はさっきも言ったように、この法案を出すに当たって、法務省として考えるべきことは、公害を出すところの側がどんな考え方を持っているか。これに迎合するということじゃないですよ。そのことにひとつやっぱり目を向けなければならぬと思う。もう一つは、国民全体、特に被害者を中心にしたそれの立場を考えながら、どうやってこれをよくしていくかということだと思うのですね、言ってみれば。そういう効果を高めるために刑事罰ということを考えたということになるでしょう。そうなれば、どうもあなたたちのおっしゃることで納得いかないのは、財界がどういう点でこの反対の姿勢を示していたか、しかもこの財界というのは非常に強力な社会的な存在だということを考慮に入れないでいるとしたら、これは私はもうできる当初からざる法的な性格を帯びるようになってきていると判断せざるを得ないのです。純粋純粋といって、あなたたちは法務省というワクの中だけでお考えになったとすればおかしい。  もう一つ新聞の記事ですけれども、公害捜査に専従班を置くというのが法務省計画としてあって、十四地検にこれが置かれるような記事もある。実際捜査専従班というものができるというようなことを一応考えたのなら一これは新聞記事だから必ずしもそれはどの程度のあれがあるかわかりませんけれども、少なくとも考えられることですわ。そういうものを考えたら、具体的な問題にこれはぶつかるわけですから、一体企業の側でどういうことをやっているかということをわからんでやっているとしたらおかしいですよ。それはどうですか、局長さん起案者だから。
  75. 小林武治

    ○国務大臣(小林武治君) 私はどうも小林委員の考え方がわからない。刑法犯をつくるのに、その対象になる人と相談するとか何とか……。
  76. 小林武

    小林武君 相談じゃないんだよ。
  77. 小林武治

    ○国務大臣(小林武治君) 意見を聞くとか……。これを処罰すべきだということは一つの世論じゃないですか。私どもはその世論をくんで、前の通常国会でも衆議院その他で相当に強く公害は犯罪として処罰すべきじゃないかという御意見が出ました。これらの御意見はある程度やっぱり私は世論を代表していると思う、世論がそういうところまできているのですから。それを立法化するという、こういうことでありまして、法務省がこれはかってにやったわけではありません。一つのやっぱり世論がここにきているということでありまして、刑事罰をつくるのに、もうあれが行政罰じゃだめだと、こういうところからきているのでありますから、私は何もその一人よがりでつくったものではありません。国会にも相当強い議論が出て、私どもも世間から見て、なるほどもっともなことだと、もうこれはやっぱり刑事犯とすべきときになっている。こういう判断からしたのでありまして、どうもあなたのおっしゃることはよく私にはわからない点がございますから、その点はしかたがございません。
  78. 小林武

    小林武君 ちょっとあなた誤解されているようだが、ぼくは相談ということばは使っていないのです。相談してくれなんていうことをあなたに言っていませんよ。速記録あとでひとつ見てください。私が言うのは、これは政治的、社会的、経済的に非常に大きな力を持っている、いわば日本を動かしておりますよ、率直にわれわれに言わしめれば。日本の政治というものはそこで動かしていると言ってもいいくらいだ、ある見方をすれば。そういうものが非常に大きな反対をしているということに対して——それはなぜかというと、私の言うのはそういう大きな反対があれば、国民の世論で押さなければいかん、押し返えさなければいかん、そういう筋のものなんだ。それを全然頭の中に置いておりませんなんて言って、どういう反対のしかたをしているのかということを頭の中に置かないでいるなんていうことは、これはあなたの気持ちがわからない。これはいろいろ言うけれども、私は、事実およそかけ離れた何か議論で、大臣はまあ検事でもなければ何でもないのですから、いわば政治家なんですから、しかも政党人なんですから、その方からそのような話を聞いたってわれわれはなるほどというような気持ちは起こしません、正直に言って。逆にあなたから逆襲されて、あなたの言うことはわからない。何で相談しないなんて、そのような言いもしないことを言われることも心外だけれども、事務当局がそういう点で全然見ていないということでは、これは何ぼ議論をしてもしようがありませんわ、あなたそれについて答えないのだから。  ただ私は言っておきますけれども、一体反対論があり、国民の世論の声がありというような、そういう中で、先ほど言っているとおり、現状は、公害というのはどういう状況まで進行しているか、しかも、工業生産量というものは飛躍的にのぼっている。鉄の産額を見ても、昭和五十年までにはもう驚くべき量の鉄がつくられる。そのことが一体どんな公害現象を今後生んでいくのかということを考えたら、これはこの一つのことを見ても想像でできるわけなんですから、それらのことに目を注がない、それらのことをひとつ見渡して法というものはこうでなければ実効があがらないということをお考えにならないような法であれば、これはなるほどできたときに、いろいろな批評が出てくるだろう。ざる法ざる法とさっきから聞いたが、ざるにもならぬ何とかという議論もありましたが、そう言われてもしかたがないのじゃないかということを考えます。財界の反対があれほど世の中にあっても、法務省としては何を反対なのかさっぱりわからぬということですからこれはしかたがありません。それでよろしいんですか。何をどう反対しているか何も御存じない、こういうことですね。よろしいですか、局長さん。
  79. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) 先ほど申し上げたとおりでございます。
  80. 小林武

    小林武君 先ほど申し上げたのをもう一ぺん、どういうことだったかな、知らないということですか。知らないなら知らない、ほんとうに知りませんでしたと、こう言ってくださればいいわけです。
  81. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) 財界からどういう抵抗、反対をなさったか私どもは存じません。
  82. 小林武

    小林武君 その内容もわからない、全然わからない。——じゃわかりました。  大臣にお尋ねいたしますが、なかなかこれは容易じゃないということを、きょうの新聞を見て考えたのですよ。刑事罰をもってしても企業もなかなか容易にこれはやはりきかないのじゃないかと思う。それは何かというと、除草剤ね、フェノキシ系何とか除草剤というのがある。これは南ベトナムで使った悪名高い除草剤だそうですが、これが日本の役所で使われておる。催奇性——人間でも、その他鶏であろうと奇形のものが生まれるという催奇性という一つの性質を持った薬品、除草剤を日本の農林省が使っておる。その中の林野庁でしょうね。これについては林野庁の中の労働者、それを散布する労働者の間、さらには労働組合全体からぜひやめてもらいたいということに対して、政府はこれを強行している。こういう事実があるわけです。これは新聞見ない前から私も関係の組合から聞いている。反対運動をやっている。猛烈な毒性があって、アメリカのカーソンという研究者の試験によると、鶏の場合ならば五〇%の奇形がその薬剤によって生まれる。ベトナムにおいては——これはけさニュースか新聞で見たんだが、何というかものすごい奇形の子供が生まれる。  こういうものを政府自体でもやっておるということ、幾らこれに現場の者たちから反対をしていても、やっておるということを見ると、これはもう公害公害を叫ばれてからどのくらいだかわからぬけれども、いかにその公害という問題がむずかしいかということがわかる。政府がそれをやるのだから、ましてやどこかの工場のように一時休業、仕事をとめさせられたら待ち切れなくてやったというのもあるのでしょう、埼玉のある工場で。これはこの除草剤じゃありませんけれども。  そのように、やはり企業というものは、成り立たぬということになると、非常な冒険をやるのですよ、取り締まりも何も聞いておられぬと。もっと強力な大きな大資本ならばいろいろな手を使える。そういうことを考えてみまして、私は先ほど来の御答弁を聞いているというと、まことにこれはもうそらぞらしい感じがします。大臣にお尋ねいたしますが、この事実、どうでしょう、知っていますか。
  83. 小林武治

    ○国務大臣(小林武治君) 知るというか、新聞に出ておったのを承知しております。
  84. 小林武

    小林武君 新聞を見て初めてわかったのですか。
  85. 小林武治

    ○国務大臣(小林武治君) そうです。
  86. 小林武

    小林武君 これはまあしかし法務大臣に農林省のことまでといえば無理でしょう、正直言って。まあわれわれは何でもあちこちあさるせいか知らぬけれども、われわれは労働者の中で一大脅威を起こして、みずからの人体に及ぼす影響をおそれるということと、もう一つは、ものすごい毒性に、これは他に影響を及ぼすだろうということで、これの禁止に一生懸命になってやっているけれども、ついに、労働組合のごときものが言うということでやっておる。これは処罰されるということになると、だれがされるのですかね。今度の法律によると、そのまいたのが、されるのですか。
  87. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) ただいま御審議を願っております人の健康に係る公害犯罪処罰に関する法律案でございますが、この法律案の定めております犯罪は、第二条及び第三条にございますように「工場又は事業場における事業活動に伴って人の健康を害する物質を排出し、公衆の生命又は身体に危険を生じさせた者」ということを基本類型にいたしまして、これを故意かあるいは過失によって犯したという者が今回のいわゆる公害犯罪処罰に関する法律処罰されるわけでございます。ただいまお話の除草剤につきましては、この法案対象にはならないのではないかと私は思います。少なくとも、いまのお話が事実関係が明らかでございませんが、「工場又は事業場における事業活動に伴って有害な物質を排出し」というところにまず当たるかどうかという問題であろうと思いますが、そういう点において事実関係が明確でないとわかりませんけれども、私は当たらないのではないかと思います。
  88. 小林武

    小林武君 事実関係が明白でないということはどういうことでしょう。専門語がよくわからぬのですが。
  89. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) ただいま申し上げましたように、この法案対象になります行為は、要するに、これは「工場又は事業場における事業活動に伴って人の健康を害する物質を排出し、公衆の生命又は身体に危険を生じさせた」、こういう者が処罰対象になるわけでございます。そういう者に当たるものかどうかがいまのお話ではわからないということでございます。
  90. 小林武

    小林武君 いまの話ではわからぬということは、それがあなたのあれからいえば、工場あるいは事業場、その工場、事業場ということになると、今度、少しよけいな質問になりますけれども、その場合は製造をするとか何とかということになるわけですか。
  91. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) いま申し上げておりますように、「工場又は事業場における事業活動に伴って」という一つの要件がございます。それから「人の健康を害する物質」という要件がございます。それから「排出」するという要件がございます。そしてさらに、「公衆の生命又は身体に危険を生じさせた」という要件がございます。この要件をことごとく充足する、そうしておいてそれが故意または過失によって行なわれたというときに初めて本法案の犯罪が成立する。こういうことを申し上げたのでございます。
  92. 小林武

    小林武君 散布するところは事業所といいますね。それが「事業場」というのは、もっときびしい何かあれがあるならば別ですけれども、事業所といいますよ。事業所ですよ、それは。営林署なんかのそういうところでは事業所と言っておりますね。そういうことばを使いますよ。それからその排出ですが、散布したとは排出と違って、散布はまいたんだし、排出は出したんだという、これは変な話なんですが、それはそれとして、排出も散布もいわゆる人畜に害を及ぼすことは間違いない。いまさっきぼくが言ったように、奇形のあれが生まれる、そういうものである。そうしてものすごく除草するけれども、そのほかのものも枯らすほどの偉大な力を持っている。そういう条件になるというと、これはあれですか、事実関係としてはどういうことになりますか。
  93. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) この法律におきます「工場又は事業場」でございますが、これは大気汚染防止法その他公害関係の行政諸法令にあるのと同じことばでございまして、また内容も同じ意味でございます。これを具体的に申し上げますと、これを法律的に申し上げますと、要するに、事業活動を行なう土地及び施設の総体、これが一つの広い意味の事業場であろうと思います。その事業場のうちで、生産及び加工を行なっておるものを工場であると、こういうふうに私どもは、法律的定義としては考えておるところでございます。  それから「排出」ということでございますが、ただいまお触れになりましたごとく、これは散布とは違うのでございまして、この事業活動に伴って不要物として工場または事業場から自分の管理の及ばないところに出すというのが排出という観念でございます。そういう点にただいまお述べの事案が当たるかどうかということも問題でございますし、またここの「人の健康を害する物質」に当たるかどうかという点も事実関係が明確でなければわからないと、それからさらに第四の要件である「公衆の生命又は身体に危険を生じさせた者」という点も事実関係いかんでないとわからない。こういう意味でございます。
  94. 小林武

    小林武君 生命並びにこれに影響のあるということは、これはまあしかしあれでしょうね。薬が同じなら調べればたちまちわかることだしね、明らかになるでしょう。そうすると、これはあれですか。普通の刑法、現行の刑法には引っかかるのですか、これは。
  95. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) これはかりに非常に劇物か何かの除草剤を用いて人を傷つけるというような目的でまいたと、そして人が傷つけば傷害罪になりましょうし、あるいは業務上必要な注意を怠ってそういうものをまいて人を死傷せしめたということになれば、刑法の業務上過失致死傷罪に当たると思いますが、これもやはり具体的事案を調べまして、証拠関係もよく見てからでないと、こういった案件については何ともお答えできないと思います。
  96. 小林武

    小林武君 これは人を直接どうしようというようなあれはないですわね。草をとにかく枯らそうということですわね、除草ということですから。しかし除草であるけれども、猛毒があるということがわかっている、こういうことで問題になるわけですけれども、刑法の中のそれに当たるのか。あるいは直接今度の法にも関係がないわけではないと思うんですね。これは一つ公害ですよ。ただし、法の中に取り入れられているかいないかということについては私のほうでも意見がある。一体これだけの範囲でいいかどうかということ、これは私の党としてもそういう考え方を持っている。もっとも広げるべきだという考え方を持っていますがね。それは何だけれども、私がいまここで言おうとしたのは、そういうことを根掘り葉掘り聞くということではなくて、政府でさえ、とめてもやるというようなあれがあるでしょう。結局企業であれば、利潤との関係でなかなかこれはむずかしい問題だということを話している。  それをもう一つは、ここで現在のあれに触れたいのですけれども、いわゆる何というんですか、二条、三条ですか、これはいまの場合ならば散布した者、これは本人たちは反対していて、絶対お断わりしたい、やめるべきだということで反対している。しかし、やらなけりゃ業務命令を出されたり、あるいはことによっては首が飛んでしまうということになる。その場合に、やっぱり処罰されるとすればまいた者、散布した者がされるのでしょうね。  それからこの法の中でどうなんですか、排出その他についての責任者というのは、労働者自体がこの問題になるわけですか、この場合。企業の場合は企業の最高責任者には及ばないわけですわね、これはどういうことになりますか。
  97. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) まずこの法案における排出した者というものがどういう人にあたるのかという点から申し上げますと、これまた具体的な事実関係いかんによってそれぞれ異なってまいりますけれども、この法律の解釈といたしましては、工場または事業場における事業活動に伴って有害物質を排出したということでございますから、やはりこの事業活動、特に排出という行為について事業としての責任立場にある人というのが、この排出したという行為者に該当するというふうに考えるわけでございます。その場合に、かりに末端の従業者で単に上司の命令によってこれを排出したというような事実関係でございますならば、その末端の方は一つの上司の命令として道具のように、上司の道具というような形で単に排出という行為をしたにすぎないという意味におきまして、当たらないということに相なろうと思うのでございます。  それから第二点の先ほどの事例について、除草剤をまかしたか、まいたかという問題でございますが、これまた事実関係いかんによりますけれども、まいた者とまかした者との間が刑法にいう共犯関係にあれば、まいた者もまかした者も処罰対象になろうと思うわけでございますが、これがこの法案処罰対象になるものかどうかは、これまた事実関係いかんによってわかりませんけれども、ただいまのまいた、まかしたということだけが何らかの法律に抵触するという場合のことを申し上げておるわけでございます。これはまあ共犯関係が成立するかどうかというような問題に帰着するのではないかと考えるわけでございます。
  98. 小林武

    小林武君 機械みたいなというのか、何というのか、言いなりになるというよな——近代的の工場でね、そういうところで、一体上司の言いなりになるというような、そういう労働者というのがありますか。たとえば近代的な、いま非常な公害の源になるような工場をのぞいて見てね、どこらが一体……。機械みたいに上司の命令だけて——まあ機械だけが動いてそこに立っているだけだから、結局機械の奴隷だと見る人もいないわけじゃないけれども、ちょっと、それどういうことになりますかね、あなたたちのような専門家のあれだと。
  99. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) 私がこの法律の解釈として申し上げましたのは、要するに、この法律案の二条、三条にございます排出の行為というものは、事業活動としての排出であるということでございますから、事業活動として排出しておるんだ、特に排出についての——事業としての責任者というものがこの排出に一般的には当たるんだということを申しておるのでございます。そこで、末端の従業者ということの場合に、これは事実関係いかんによりますれども、これを上級者の指示に従って行なったという場合には、刑法的な評価としては一つの道具のように評価するのだというふうに申し上げたわけでございまして、その従業者をどうというふうに言ったわけではありません。刑法上の評価としては、そういうふうに見られるならば、この排出者というものには該当しないということを申したわけでございます。
  100. 小林武

    小林武君 法律というものは結局どんな人間でもわからなきゃいかぬのですね。たいへんむずかしくて、法律を見ても何も理解もできないというふうなことではどうにもならぬので、できるだけやさしいほうがいいと思うのです。そうしたら第三条の事業者というのは、一体一つ工場の中でどういう者を指すのですかね。工場長あり、工場長の中にも、大きい工場なら重役の肩書きを持っておる者もあり、それから課長とか何とかいろいろあって、職制も相当完備していると見るべきですね。零細企業なんかだというと、その点が明らかでない点がありましょうけれども、事業者といった場合には、これはどこまでを包括しているものなのか。
  101. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) いまの御指摘の事業者ということばはないのでございますが、この二条、三条におきます有害物質を排出した者という意味での御質問であろうと思いますので、そういう意味でお答え申し上げたいと思うのでございますが、それは先ほど来申し上げておりますように、事業活動に伴っての排出である。この排出ということについて、この事業としての責任を有しておる者というのが一般的な解釈でございます。これが具体的な各工場、事業場においてどういう人が当たるかということは事実関係いかんによって異なってくるということになろうと思うのでございます。
  102. 小林武

    小林武君 それでは、これはあれですか、はっきりしないわけですか。ここでは、あなたたちのほうで大体具体的にはどうだということはわからぬわけですか。「業務上必要な注意を怠り、工場又は事業場における事業活動に伴って人の健康を害する物質を排出し、公衆の生命又は身体に危険を生じさせた者は、二年以下の懲役若しくは禁錮又は二百万円以下の罰金に処する。」この場合はだれでもいいわけですか。その「注意を怠り、」といった場合には、どういう具体的な内容があるのですか、これは。
  103. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) これは先ほど来御説明申し上げているとおりでございまして、この「工場又は事業場における事業活動に伴っての人の健康を害する物質を排出」する者がその排出者として当然業務上必要な注意を怠って、その結果そういう有害な物質を排出して、「公衆の生命又は身体に危険を生じさせた」ときに、こういう処罰対象となると、こういう意味でございます。
  104. 小林武

    小林武君 そうすると、一つ工場の中で具体的に働いている人のうちで、その工場において排出した者がこの第三条の中の、生命身体に危険を感じさせるようなことをした場合には、工場の従業員である以上、全体があれですか、労働者責任を感じなきゃならぬということになりますか。
  105. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) この二条、三条におきます、人の健康を害する物質を排出したという者が処罰をされるわけでございます。だれがこの排出した者に当たるかということについては、先ほど来説明申し上げておりますように、その当該工場または事業場において事業活動に伴って物質を排出したと見られる者と評価できるものでございまして、これは少なくとも事業活動として、かつ特に排出の行為について相当の責任のある地位にある方、自分責任で事業活動としてこれを排出するという方が、ここの二条、三条にいう排出した者に該当するということでございます。これは具体的にはそれぞれの場合によってだれが当たるかは違ってくると思うのでございますが、法律の解釈としては、先ほど来申し上げておるそういう解釈になるわけでございます。
  106. 小林武

    小林武君 これはどういうことになりますか。かなりの近代的な一つ工場の中でいいますと、通常は工場長といわれる人くらいにとどまるということですか、どうですかね。
  107. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) あくまでも具体的な事案によって変わってまいりますけれども、一般論として申し上げておるのは、先ほども述べたとおりでございまして、工場長やそれに準ずる地位にある人、こういう方が一般論としては当たる場合が多かろうと思います。
  108. 小林武

    小林武君 たとえば、現場の係長とか実際においてそれをやっている者、排出の一つの設備がございますね、その設備をつかさどっている係長なら係長が現場の長とすると、係長というのかどうか知りませんけれども、その者は故意または過失といわれた場合に、工場一つのいままで従来やっている方法であれば、故意過失にならないわけで、これは特に本人があやまってやった場合ということになると、それは本人の特定のあやまちの場合だけやるわけですか。
  109. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) 先ほど来申し上げておりますように、事業活動として排出した者なんでございます。したがって、排出について相当の事業場の責任立場にある者というのが一般に当たるのでございますが、あくまでも具体的事案によっては異なるわけでございます。かりに末端の——末端ということばがいいかどうかわかりませんが、末端の従業者がたまたまその人の不注意で、かりにバルブを締め忘れたという場合に、そういう業務上必要な注意を怠って、有害な物質を排出したというような、かりに事案があれば、それはそういう事案として末端の従業者がこの三条の過失犯に問われる場合もそれはあり得ると思うのでございます。あくまでもこれは具体的事案によって違うわけでございますが、一般論としては先ほど来申し上げておりますように、事業活動として排出したという意味でございますから、排出について事業場の責任のある者が当たるというのが通例である、かように申し上げておるのでございます。
  110. 小林武

    小林武君 そうすると、もしそこの工場においていまのようなあやまちを犯したのではなくて、工場の設計その他機械のあり方が正常に運営されておって、その中からもし人の生命あるいは健康を害するような事実が起こった、あるいは死亡さしたというようなものを排出した場合においては、それは今度はそうすると企業の最高責任者までそれがいくわけですか。それは少なくともそういう一つの設備その他は企業の最高責任者が熟知していることでありますからね、それはどういうことになりますか。
  111. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) この法案対象になりますものは、事業活動に伴って人の健康を害する物質を排出して、公衆の生命、または身体に危険を生じさせたものでございます。排出につきましては、先ほど申しましたように、工場または事業場の運営に伴って不要物として自分の管理外へ出すという行為が排出でございます。いま御指摘のような、かりに何か設備が故障して、故障の結果有害物質が出たという場合であるとか、あるいは設計上に欠陥があったとか、そういうものはこの排出というものに当たらないことが一般であろうと思います。それは別にそういうことで何か事故が起きれば、刑法上の業務上過失致死傷罪が成立するとか、また場合によっては違った犯罪に触れることになろうと思うのでございます。
  112. 小林武

    小林武君 それでちょっと、いまの説明よくわからないですが、たとえば例をとると水俣なら水俣の問題があるんですが、あそこでは自分たちはそれについて過失がないと思っているんですがね。そうでしょう。水俣の工場自体はそれはもうきわめて正常にとにかく排出をしておったと、こういうわけでしょう。何も故障が起きたのでも何でもない。その場合は一体だれが責任を負うかということになると、その場合は、そこは工場長どまりになるのか、あるいはそうではなくて、その企業全体の責任者まで及ぶということになるのか、これはどういうことになりますか。
  113. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) 具体的な水俣の案件は、これは刑事事件になっておりませんし、かつ現在民事裁判が係属中でございますから、この具体的な水俣ということの案件は別にいたしまして、かりに同種のような事案であるということに考えました場合には、やはりこの第三条の排出者という者がだれに当たるかという問題であろうと思うのでございます。
  114. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 ちょっと関連して、いまちょっと水俣の問題で小林さんから質問が出て、おたくのほうの答弁は水俣の問題をちょっと避けて通ったような感じなんですけれども、現実の問題なんですからね。あの水俣の問題は一体どういうことになっているのか、これは実例に照らして見解を披瀝してもらいたいと思うんですが。
  115. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) 水俣のケースにつきましては、現在民事裁判の係属中でございます。現在民事裁判所において損害賠償責任があるかどうかということを審理中なのでございますが、そういう意味におきまして、現在私どもの立場では答弁をいたしかねる問題なのでございます。
  116. 瀬谷英行

    瀬谷英行君 それじゃ、この法律がさかのぼって実施されるということになれば、当然ひっかかるケースであるということは言えますか。
  117. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) もとよりこの法律が、かりに法律になりました場合も、過去の行為にはさかのぼって適用されないわけでございますから、仮定論として——これが法律になって、しかもこれが十年前なら十年前にすでに適用になっておったという仮定論といたします。そういたしますと、私ども水俣の具体的な案件のことは存じませんけれども、水俣に似たような、やはり事業活動に伴って一つの有害物質を出して、そして公衆の生命、または身体に危険を生ぜしめておるということになれば、故意か過失かは別といたしまして、この二条、三条いずれかに当たる場合が多かろうと思います。
  118. 小林武

    小林武君 どうもそこのところがわからないので。ぼくの聞いているのは、そのときにはどこまで、その責任者というのはどこへいくのかということですわ。刑事罰を問われるのがどこなのか。もしかりに故意、過失だということを問われるということになりました場合、それがどこでとまるかということはこれは重大なことなんですよ。そうでしょう。しかし工場そのものの設計その他からいって、これは最高首脳部がやることなんですね、どういう方法をとるかということは。それが少なくとも従業員の間違いとか、あるいは何か故意に何かしたとかいうようなことでないならば——正常にやられている場合において、責任というのが工場、現場のだれだれということになるというと重大だ。むしろそのことは工場の規模、設計その他方式等の採用に当たった者が責任があるのではないかとぼくはまあ考えるわけです。これは役所の中においても、責任の問題になりますとね、直接おれがやったんじゃないということはちょっと言いきれないことですし、それはもう世間一般に通用する私は一つの考え方だと思うけれども、この場合においてはどうなるかということなんですよ。
  119. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) これは何回も申し上げて恐縮なんでございますが、排出した者がだれに当たるかということについては先ほど来申し上げておるとおりでございます。で、これは具体的事案における認定の問題でございます。だれがこれを排出したという者に当たるかという具体的事案の認定の問題でございます。で、その場合には事案に応じまして、二条の故意犯の場合におきましては、共犯関係というものが、一般刑法理論がかぶってまいりますから、必ず一人というわけには限らないわけでございます。この排出というものについて、そこに共謀関係というものが、かりに具体的事案であれば、その共謀と認められる限り、その共謀者はやはりこの排出者に当たるわけでございます。これは一般の刑法総則の共犯例によってそういう結論になってくるわけでございます。これはあくまで具体的事案の問題なんでございまして、そしてまず排出した行為者がこの二条、三条によって処罰をされまして、そしてその結果、またさらに第四条によって、事業主そのものが、責任を事業主として問われるという仕組みになっておりますのがこの法案でございます。
  120. 小林武

    小林武君 そこがどうもよくわからぬのだな。これやっぱりぼくがわからぬということはみんなわからぬことにはならぬけれども、どうもぼくはこの点については一般の国民と同じ程度の考え方で言ってるんですけれども、さっきから言ってるのは、あなたがさっき言ったように、何か本人が、故意でもって工場のあれを、わざとそういうことをやったとか、それからあるいは明らかに過失で、そういうことの操作をやるべきでないのに、したという、そのことはわかるですよ。しかしいまの近代的工業から言えば、それはもう何といいますか、目で見るというあれじゃないんですよ。あなたにそんなことを説明するということもないと思うけれども、もう計器その他でずっと動くようになっておりますわね。そういう一つ工場の実態から見ましたときに、それはもうその工場一つ企業をやって利潤をあげるということのためにとった、これは最高の人たちの責任のもとにつくられたものですわね、そしてその他のものを製造する原料その他、いろいろな諸施設も、これはもう、かくなることによってかくなるという一つの科学的な根拠に従ってやっているわけです。そうでしょう。そうすればそこに一体、さっきのように人命を害したり、健康を害したり、死亡させたりというような事態が起こった場合においては、私はそれは責任者というものは少なくともその企業責任者であるべきだと思うのです。しかし、それに共犯というものがあり得れば、そのことを熟知しながらやっておったという者は、これは末端のあれではなくて、共犯者というものがもっと上のほうにあるのじゃないか。しかしこれと、末端の中においても、このことはお前こういうことになっているのだけれども、決して外部にあれするなとか言われた場合には——これはそういうふうになるのが、この、ものの道理だと私は思うのです。だからそこらは認められるのか。あなたがそういうものとして言ってくだされば、一ぺんに私はわかるのです。だから、そうじゃないのだ、上のほうなんか問題じゃないので、下の直接やった工場長がどうだとか、あるいは担当の係長がどうだとか、操作に当たった者だ、直接計器をにらんでおった現場の者だということであるならば、私はちょっと納得がいかぬ。こう思うのですが、この点なんです。
  121. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) この排出行為につきまして、最初からこういう有毒な物質を排出し、公衆の生命身体に危険を生ぜしめるということを十分かりに認識して、社長工場長がやったということになれば、お互いに相談して十分知りながらやれば、それは社長工場長が行為者として処罰される。この事実認定の問題でございます。上か下かというような問題ではなしに、この事実、各具体的事実における排出というものが、先ほど来私が申し上げておる、どれに当たるかということなんで、こういう排出方法で、こういう有毒物質を十分認識して、こういう排出行為をやっていけば、公衆の生命身体に危険を生じせしめるということを知って、かりに社長工場長がそういう行為をすれば、これは社長工場長がこの排出行為者として処罰対象になるわけでございます。これは事案事案の排出行為者というものを認定する問題でございます。これはこの法案とは違いますけれども、非常に有名な事件のカネミの食用油事件がございます。あれにつきましては、この工場長社長とをそれぞれ刑法の業務上過失傷害及び過失致死罪起訴いたしております。
  122. 後藤義隆

    ○後藤義隆君 ちょっと関連。さっきから局長が答弁しておりますのは、「人の健康を害する物質を排出し、」ということについて、小林さんの質問に対して盛んに、排出した人が処罰されるのだというようなことをあなたは強調しておるが、それはもちろんこの条文によって当然であるが、その排出した人より、今度さらに上の排出を命じた業務担当の重役もやはり処罰対象になるんじゃないか、そういうようなふうに考えるが、その点はどうですか。
  123. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) それも事実関係いかんによるわけで、その業務担当重役と工場長とが、かりに十分承知しながら排出すれば、それは業務担当重役もこの行為者として処罰をされます、という意味でございます。具体的事実によってそれぞれ変わってくるわけでございまして、共犯関係が認められれば、その限りにおいてそれぞれ排出者として処罰を受けるというわけでございます。
  124. 後藤義隆

    ○後藤義隆君 その業務担当の重役がその事実を知っておればというが、その事実というのが、これは基準以上のものを排出しているということを知っておれば——その事実というのが、ただ排出をしていることだけはもちろんこれはわかるわけですけれども、もう一歩進んで、基準以上のものあるいは人の健康を害するに足る物質を排出しているということを知っておれば、当然重役はやはり処罰対象になるのじゃないか。
  125. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) そのとおりだと思いますが、要するにこの刑法の共同正犯、共謀共同正犯の場合だと、この場合は共謀共同正犯だと思いますが、共犯例の適用があれば、それある限りにおいて行為者として処罰対象になるという意味でございます。
  126. 小林武

    小林武君 どうもそこのところは、聞いているとだんだんぼけてくるようだが、もう一ぺん確かめておきますが、先ほど私が言っているのは、中小というか、零細の企業なんかでは、過失によるものなんていうのはないともいえないでしょう。小さいメッキ工場が、あまりよう知らんでやっておったといったようなこともないともいえない。そういうような場合の、取りこぼしがあったり、あるいはまあ案外ルーズにものを考えておったといったような点もあるだろう。そういう点についてもさることながら、私はやはり大企業のことを考えるのです——大きな企業。大きな企業というのは、先ほど言ったとおり、これは一つの設備をして物を生産するということになると、技術的にもあるいはその企業の利害その他、経営の面についても、精密なあれをやるわけでしょう、計算を出すわけです。そうするとこれは一般の、いわゆるわれわれがいう工員であるとか、労働者といわれるような人たちの問題ではなくて、いいですか、そういう人たちの問題ではなくて、これは最高首脳といわれるような人たちに重点が置かれなければならんでしょう。いいかな、その点は。そこまではわかるでしょう、そこまではね。  そうしますと、私はこれは事実起こったことを言っているわけじゃないですから、だからあなたにあれだけれども、たとえば、これは衆議院の産業公害対策特別委員会の会議録第三号、昭和四十五年十二月七日、この会議録に出ている質疑の中に、一体電力なら電力で重油を燃やす。重油を燃やせばどれだけの亜硫酸ガスが出るかということは、これは計算できるわけです。厚生省は、それについてのちゃんとした数字をあげているわけです。そうでしょう。C重油はどれくらい使って、そのC重油をたけばどれくらいになるというようなことがちゃんと計算されている。だから、そういう計算が精密にされているのだから、そこからもし——これは亜硫酸ガスのことですから、直ちにそのことになにするかしらぬけれども、そのことが直接人体の、あるいは健康を害するようなことになったり、あるいは死亡することになった場合においては、私は、排出した責任は、煙突から排出した、煙突が排出者ではないわけだから、その場合には、少なくともその責任の一番重いところはどこかというと、上のほうである。いわばそれに共犯者となったら、共犯者というのは下のほうから出てこなければならぬという判断なんだが、これはそうではありませんか、こう言うのです。
  127. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) この排出に関します大企業の場合の、計画が行なわれ、そうして決定が行なわれたという、その決定に基づいて排出が行なわれているという場合に、その排出によって本法に定める罪が成立するということを考えました場合に、その排出者はだれかということになりますと、やはり計画決定自体がもう問題であるということであれば、この計画決定の最高責任者がこの排出行為者に当たるということになろうと思います。
  128. 小林武

    小林武君 それでもう一ぺんその点について念を押しておきますけれども、たとえば窒素酸化物というものが工場、発電所から東京の場合十一・三万トン出ると、こう言う。この十一・三万トンというものは工場その他から出るということになる。そうすると、この出るところの十一・三万トンの窒素酸化物というものはどこから出るということは明らかになっている。ただし、それが直ちに人体に及ぼしてくるというようなことになると、なかなかこれは問題があるけれども、かりにそのことが、このことの原因で——先ほど来言っているようにやれば、責任はおのずから首脳部にいくということは、これはもう確認していいですね。それでこのことがはっきりすればいいんです。
  129. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) ただいま申し上げましたように、排出の計画決定自体がもう問題といいますか、原因になっているという場合であれば、その計画決定の最高責任者がこの排出行為者に当たるということになろうと思います。
  130. 小林武

    小林武君 その場合、今度は第四条でしょうか。「法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者が、その法人又は人の業務に関して前二条の罪を犯したときは、行為者を罰するほか、その法人又は人に対して各本条の罰金刑を科する。」ものとする。そうすると、二つ罪を、もし社長責任あれば、社長はさらに罰金を納めるということになるわけですか。法人が納めればいいわけですね、そういうことですね。
  131. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) かりに社長が行為者として処罰されるという場合には、今度は、社長が行為者として処罰される。さらに会社がこの四条によって処罰される、こういう意味でございます。
  132. 小林武

    小林武君 それは、先ほど言ったようなことならば、これはもう間違いないということですな——それでわかりました、その点は。  そこで科学的因果関係がよくわからないのに、こういう刑事罰をとるのはどうかということは、これは企業の側の非常な問題としているところなんです。ただし、これは新聞に書かれた記事であります。いわゆる法律でいう因果関係というようなもの、公害罪というようなものの場合、これはどうなんですか、その因果関係というものがさつぱり明確でないものですから。因果関係の究明というものが明らかでない今日において、こういうことはおかしいと、こう言うが……。
  133. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) この因果関係というものは、一般にそれは立証はもちろん可能なわけでございますが、この法案に定めますこの公害罪につきましては、やはり現在の通常の科学的知識をもってしては因果関係がとことんまでわからないという場合もあり得るというふうに考えておるわけでございます。大体のところはわかるけれども、とことんまではわからないという意味において、ややむずかしい点があるんじゃなかろうかと考えております。
  134. 小林武

    小林武君 この場合、刑法、民法でそれぞれ因果関係についてはやはり同一ではないでしょうね。それで刑事罰のほうの場合のことを考えますと、一体いままでの判例とか、それから学説というようなものがあれば、そういうものについて、今度のこの法律をつくるに当たっては、法務省の態度というのはどんな態度ですか。
  135. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) 私どもこの法案の立案に当たりましては、現在の刑法理論で一般に認められております因果関係理論、すなわち相当因果関係説というものを前提にして考えておるわけでございまして、この法案の場合も同様でございます。
  136. 小林武

    小林武君 相当因果関係説というものをとるというわけですか。わが国の判例とかなんとかはそれによってやるわけですか。
  137. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) ちょっと恐縮でございますが、御質問がこの二条、三条の問題なのか、五条の推定規定の問題なのか……。
  138. 小林武

    小林武君 いやいや問題をかえて……。
  139. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) ちょっと御趣旨が、私ども五条の問題としての御質問か、二条、三条の問題としての御質問か、ちょっとわかりにくいのでございますが。
  140. 小林武

    小林武君 いや、それね、刑事罰だから二条、三条を考えますわね、それはもちろんそういう意味で言っているんです。ただ私がいま質問しているのは、経団連の公害施策に関する意見書というのがある。公害の科学的因果関係が不十分な現状で刑事罰を設けるということは、根本的に問題があると、こういうのが。それについて法務者側は一体科学的因果関係というものの究明ができないような状況にあるのかどうか。
  141. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) その点、御趣旨よくわかりました。ちょっとその点で先ほどの答弁を訂正いたしますが、私どもはこれはもちろん一般の刑事理論というもののもとにおきます因果関係説を前提にして立案いたしております。この場合に、因果関係はいろいろ刑法上学説がございますが、その学説の有力な学説としてただいま申し上げました因果関係説がございますが、判例はもう少し広い条件説の立場をとっておるわけでございます。いずれにいたしましても、現在、刑法で行なわれております因果関係理論というものを前提にいたしておるわけでございまして、その前提にいたしましても、科学的なこの因果関係が現在の科学ではわからないというような場合が、この公害犯罪の場合に出るといたしますならば、科学的には因果関係がわからなければ、これはやはり刑事責任の面においても因果関係がわからないという意味におい処罰できないということに相なろうと思います。
  142. 小林武

    小林武君 その場合にどうなんですか。公害の科学的因果関係——普通に言う一般の因果関係という場合の法律的解釈ならあなたのほうでできるだろうけれども、公害の科学的因果関係というのはわからないというのは、皆さんいわば検察陣の科学的知識という問題にもかかってくると思うのですがね。一体そういうことを言えば、それは検察陣の方々は何も自然科学を勉強してきた方ではないわけですから、そういう点についての一体企業側が不安を感じているというか、企業側が公害の問題に一種の、私から言えばちゃちゃを入れているような、それに対処する手だてというのは一体どういうふうに講ずるわけですか。あなたたちは皆法律専門家ばかりがなっているのだと思うのですがね。これはどうですか。
  143. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) ただいま申し上げましたように、この公害罪の場合も一般の刑事法理論における因果関係によって、この原因結果が立証されなければならないわけでございます。その場合に、この公害罪におきましては事柄の性質上、科学的な知識をもとにして因果関係というものが立証されなければならないわけでございます。その場合には、あくまで科学的知識というものが前提になるわけでございますが、現在の検察でそれができるかという点になりますと、これは一つ鑑定の問題といたしまして、科学者鑑定をしていただいて、このケースについてはこれとこれとの間に因果関係があるか、科学的な因果関係があるかということをやはり鑑定をしていただいて、それを前提にして刑法上の因果関係の有無が認定をされる、かようになってくるものと考えております。
  144. 小林武

    小林武君 実は途中なんですけれども、いま一点だけちっとあれしておいて、あとはぼくばかりというわけにいきませんから、後日やらしてもらうことにして。ぼくはひとつ鑑定のことについて——先ほどさんざん聞かされたから参考人に。鑑定とおっしゃるけれども、鑑定というものが簡単にずばりと自然科学の中における化学、ケミストリーのほうで、そっちのほうで簡単に出てくるかということについては、たいへんなものだ。それからお医者さんのほうでもそんなに簡単に出るものじゃない。そういうことになりますと、一体公害罪と言ったところで、結局いつになったら一体どういうことになるのかという、そういう点についての検討はなさったわけですか、どうですか。
  145. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) この法案におきます人の健康を害する物質と公衆の生命身体に危険を生じさせるというこの相互の関係の科学的な因果関係の問題でございます。この点につきましては、この人の健康を害する物質によって——現在の科学的知識のもとにおいて、科学的な因果関係が立証できる物質も少なからずございます。ないのもございますが、現時点においては、科学的な因果関係の立証がつくものについてこの法案が適用をされてくるということでございます。また将来、科学的な知識が進歩してくればその範囲が広がってくると、かように考えておるわけでございます。
  146. 小林武

    小林武君 学問上の鑑定というものはなかなかむずかしい。検察庁でいままで取り扱ってきたような、殺しのあれの、いつ殺したとか何とかいう式の簡単に出てくるものではないということは、もうこれはしろうとのわれわれでもよくわかっていることなんです。そういうことになりますと、いまのような条文の中では早急な結論は出るものじゃないということになりますわね。そうすると、事実上、認定ができないで、結局、因果関係が明らかにされないから、因果関係が明らかにされないまま今度はどうなるかというと、それは事実上これを起訴するとかというようなことになっても不可能になるだろうというのが、先ほど来の二人の参考人がるる述べたところです。  これは公害の研究所の所長のあれは、具体例を述べて説明をされた。だから、私はそういうところにやっぱり問題があるのではないかと、先ほど冒頭に出ました「おそれ」というような問題についても、「おそれがある」というようなことが、ついておったのを取ったということは、結局この法律案そのものが実効に乏しいものである、いわばざるである。こういう先ほどの参考人説明を聞いてもわれわれがまたいままで起こったさまざまなこの種の裁判、四大裁判とか言われるようなものを見ても、たいへんなことだということになる。この点はひとつまたあしたでもお尋ねしますけれども、この因果関係については、そういう疑問を持っていますけれども、いま時間の関係で他の党の質問もございますから、きょうはこれで終わります。
  147. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 それではまず最初に、第二条の故意犯の問題について聞きたいと思うんでございますが、一昨日の委員会において、後藤委員の質問に答えて、この第二条の故意犯が成立するためには、人の健康を害する物質であるという認識と、それから公衆の生命または身体に危険を生じさせるという二つの認識が必要である。そういう刑事局長の答弁であったわけですけれども、この第二条を見ますと、故意犯というのがあって、第二条の中には故意というのがどこにも入ってないわけですね。この故意ということばは、結局、人の健康を害する物質というものを流した、そのときに、その物質が、やはり人体に影響があるということを知って流したということ、それをさしているのか。そういう点でこの第二条というのは見出しは故意犯だけれども、第二条の中にはどこにも故意がないが、どこに故意がかかるのか。その点いわゆるこの法律の解釈として、学問的にそういう専門家の立場から見てどういう解釈になるのか、それをお聞きしたいんですけれども。
  148. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) ただいまの第二条の問題のいわゆる故意でございますが、これは人の健康を害する物質であるということの認識、それからさらに排出するということについてももちろん認識が必要でございまして、さらに公衆の生命または身体に危険を生じさせるということについても認識が必要でございます。その意味においてこの二条は故意犯でございます。この見出しに「故意犯」と書いてあって、本文にそういうところが一つも出てないではないか、そういうことでございますが、これは刑法典を初めすべての罰則がこういう書き方になっておりまして、この第三条にございますように「業務上必要な注意を怠り」云々、こういう字句になりますと、これが過失犯である、普通にこういうふうに書いておけば、これは刑罰法規においてはすべて故意犯である、こういう一つのきまった不動の様式になっているわけでございます。
  149. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 どうも。そういう点わかりました。  それで問題は、これもやはり一昨日の話でございますが、たとえば基準をオーバーしている廃液を流して、その結果、それが蓄積されて公衆の生命または身体に危険を生じさせた。もちろん生じさせたかどうかという認定は非常にむずかしいことはわかる。それは別としても、それが認定されたと考えた場合に、基準をオーバーするたとえば廃液を流しても、まあ基準というものにはある程度の安全性があるわけだから、ちょっとぐらいオーバーしてもまさかそれほどの、人体に影響のあるほどの結果は出るとは認識してなかった。そういう場合は、第二条は適用されないわけですね。
  150. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) これは一般の刑法理論によるわけでございます。で、まさかこういう公衆の生命身体に危険を生ずることはあるまいという認識であれば、これは故意犯に当たらないということになろうと思います。
  151. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 そういう認識なんというものはどうやって判断するのですか。実際ほんとうはそう思っておっても、私はそんなに思っていなかったと、そういうことで非常に私はこの法律はでたらめじゃないかと思うのですが、ちょうど選挙違反の戸別訪問みたいで、選挙を頼みに行ったのじゃないのだ、そういう気持で行ったのじゃなければ、選挙違反にならないと同じように、ちょっとそういう点納得いかないのですが、その点どうですか。
  152. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) これは故意犯の性質という問題について、すべての犯罪といいますか、故意犯について共通の問題でございます。故意ということの犯意でございますが、犯意が成立するためには事実の認識というものが要るわけでございます。その認識というのは刑法的には未必の認識ということも含まれるということになるわけでございます。そういう認識があるかどうか、そういう犯意があるかどうかということは、個々の具体的事例によって諸般の事情から認定をしていくということで、これは一般の刑罰法規全体に席ずる問題でございます。
  153. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 わかりました。  それで小林法務大臣にお聞きしたいのですが、そういう点で実はいまの話では基準をこした水も長年出す、そうしてそれが蓄積して、たとえば水俣の有機水銀のような、そういう結果を招来したと仮定します。けれども、そのときには基準をこしていることは知っていても、これは行政罰の対象にはなりますけれども、これほどの結果を招来することは知らなかった。そういうようなことは私はあっちゃならぬと思うのですよ。なぜかならば基準というものは、これはやはりこの法律自体が、そういう国民の健康を保護するためのいわゆる公害の法令ですから、その基準をきめたということは、この基準以下であるならば身体には影響がない、そういう基準なんですから、その基準をこえた場合には、これはやっぱり第二条の故意か、第三条の過失か、どちらかには適用せなければ、ちょっとおかしいのじゃないか。おかしいじゃないかと言っても、私が言うわけであって、法律がそうなっていなければしかたがない、その点はどうなんですかね。
  154. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) たいへん技術的な問題でございますから、私からお答えさせていただきます。  いわゆる排出基準とこの法案におきます二条、三条の犯罪の成否という点の関係でございますけれども、この排出基準といいますものは、個々の多数の工場、事業場があることを一般的に前提といたしまして、個々の工場、事業場における排山の限度をきめておるわけでございます。したがって、たくさんの工場がその基準以内で排出しております限りは、たくさんのものが集まってもなお、先ほどのお話のように、安全度が十分見てございますから、公衆の生命もしくは身体に危険を生じさせる状態というものは事実上発生をしないわけでございます。  本案における二条、三条は、要するに一人の行為として評価でき、一人の行為として公衆の生命または身体に危険を生ぜしめたというだけの評価ができるもの、これがこの犯罪の対象になるわけでございまして、事実的にこの排出基準等の関係においては、排出基準を守っております限りは、この法案にいう状態というものは、実際問題として実現しないというふうに考えているわけでございます。
  155. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 それは刑事局長がそう考えるのはそれは自由ですけれども、そういう考えはぼくはあり得ないと思うのですよ。それは一応の考えですけれども、基準が完ぺきかというと、基準が完ぺきじゃないじゃないですか。あの水俣だって水銀の規制はなかったのだ。なかったということは、結局その基準を守っておったわけですからね。そういう国のきめられた基準というものはちゃんと守っておったけれども、やっぱりそういう被害も出ているわけです。今後どんどん科学も進歩してあらゆる成分が出てくれば、やっぱりその国の基準にないものを出す場合も、基準のないもので少量のものがそれがやはり人体に影響するという場合もあり得ると思うのですね。そういう点で、ぼくは、基準さえ守っておれば絶対事故はないのだという、そういう基準が完ぺきなんだという考えがおかしいのじゃないかと思うのですが、そういう点どうですか。
  156. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) この法案の二条、三条は行政上の基準とは理論的には関係がないわけでございます。私はただいま事実問題を申し上げたわけでございますが、理論的には関係がございません。したがって、排出基準のない物質につきましても、もとよりこの二条、三条のこういうものに該当するならば、これは二条、三条の犯罪が成立するわけでございます。で、私がただいま申し上げましたのは、排出基準のある物質について排出基準を守っておる限りは、事実上の問題としてこういう状態というものは、なかなか本法にいう公衆の生命または身体に危険を生じさせるという状態は考えられないであろうということを申し上げたわけでございます。
  157. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 そうすると、要は水質汚濁防止法とか、大気汚染防止法とかそういう関係諸法令における基準というものは、これは公害罪を適用するかしないかという点においては、何ら判断の基準、ものさしにはならない。この二条、三条が適用されるには、そういう基準よりも上であるか下であるか、そういうことは、これは行政罰の問題であって、結局ここで問題になるのは、この流した人が、どういうのですか、そういう健康を害するものを、健康を害するであろうという結果を予測しながら流したかどうか、それがこの公害罪を適用するか適用しないかの分かれ道だと、そう考えていいわけですね。
  158. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) この基準というものが私は正しいという場合を申し上げておるわけでございますが、かりに排出基準というものが誤っておるという場合を仮定いたしまして、誤った排出基準というものを守っておった、その結果、この本法にいう公衆の生命身体に危険な状態というものができたという場合は、この通例の場合は、故意または過失がないということに相なろうかと思います。
  159. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 そうすると、基準値以下の基準をちゃんと守っておれば、どういう被害が出ようともそれは故意、過失、これには当てはまらない。これはしかし一般的には言えるわけであって、たとえばきょうも実は午前中に参考人の人に聞いたわけですけれども、企業のほうが非常に科学技術がどんどん進んで、専門に小さな成分のことも一生懸命研究しておる。その結果、いまの基準というのは非常によくない。これだけ出しておればほんとうはあぶないのだけれども、そういうことを会社側が自分から言い出すわけにはいかぬわけですよ。そんなことをすれば、もう自分の首を締めるようなものだから、こっそりひとつ基準をいいことにして、身体に少々危険があるけれどもやったれと、そういうわけで流して被害が出れば、それは当然故意犯なりあるいは三条の過失犯なり、それがやはり当然適用されるとぼくは思うのですけれども、その点どうですかね。
  160. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) 仮定の問題といたしまして、かりにそういうことがあれば、これは稀有の場合だと思いますが、かりにそういうことがあれば、これは二条または三条の犯罪が成立すると思います。私はその意味におきまして先ほど、通例の場合は、犯意または過失がないというふうに申し上げた次第でございます。
  161. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 そうすると、法務大臣が委員会の答弁において、基準を守っておれば公害罪が適用されることがないのだと、そういうことを言われたことは、通例の場合は当てはまるけれども、先ほど言ったような場合から考えるならば、基準を守っておれば公害罪は適用されないのだという考えは、私は九九%当てはまるかもしれぬけれども、一〇〇%それは正しくないと、ほとんど適用されないと思うと、そのようにぼくは訂正すべきじゃないかと思うのですけれども、その点どうですか。
  162. 小林武治

    ○国務大臣(小林武治君) そういうことが絶無とは言いませんが、実際問題としては私どもは予想してないということです。
  163. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 そうすると、これはもう一回大臣にお聞きしておきますが、現在の水質基準なりあるいはそういう排水基準をオーバーした水を出して、そのために人体に影響を及ぼすような、そういう被害が出ても、その排出した人がそういう結果を予想してなければ、この第二条の故意犯、第三条の過失は当たらないと、そういう刑事局長の答弁だったのですけれども、それは大臣も了承ですか。
  164. 小林武治

    ○国務大臣(小林武治君) 刑罰は結果を評価するから、危険を生じさせたと、こういう事態がなければ、問題にはならぬということです。
  165. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 そうすると、私は今回の法案の提案趣旨の中に、いままでの刑法というものが結局は不備であると、そういうのを補うためにこういう法案がつくられたと、そうあるわけですけれども、いま言ったような、そういうことになりますと、結局今回の法案も、言うならば、かかしというのですか、かかしというのは、皆さん午前中おられなかったからわからないけれども、結局ほとんど適用されることはないと、ただ、一つの犯罪だというそういう精神的な牽制を与えるにすぎないと、そう私はなるのじゃないかと、そう思っているのですけれども、その点についてはどうでしょうか。
  166. 小林武治

    ○国務大臣(小林武治君) これは刑法上は傷害という事実がなければ処罰しない。ところが、今度の法律では傷害という実害が生じなくても、危険が出ればやると、こういうところに非常な進歩と申すか、やり方の相違があると、こういうことでございます。
  167. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) 午前中の参考人の御発言とも関連いたした質問でございますが、この法案の刑事法としての意味はたいへん私どもは大きいと思うのでございます。現在の刑法におきまして、この刑法を刑事法的なものといたしまして公害の事態に対処し得るものといたしましては、ガスの漏出罪であるとか、あるいは飲料水に関する罪とかというものが刑法典にございます。それから業務上過失致死傷罪というのも刑法典にございますが、刑法で大体いわゆる公害の事態に対処できるものはこういうような規定だと思うのでございます。このガス漏出であるとか、飲料水に関する罪は、これは故意犯であります。故意がないとだめな犯罪でございます。それから業務上過失致死傷罪は、これは過失犯でいいわけでございますが、致死とか、致傷という結果が発生していなければ処罰ができないわけでございます。  さらに刑法におきましては両罰規定と申しますか、法人に処罰を持ってくるという両罰規定というものが全然これはないわけでございます。こういう点を考えてまいりますと、そういう現在の公害事象を刑事的に評価いたします場合の刑法典の不備というものは非常に少なくないと言えるのでございまして、そういう欠点と申しますか、穴をこの法案が埋めておるということで、この法案の刑事法的な意味は少なくないと確信をいたしておる次第でございます。
  168. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 じゃ、この問題について、具体的な例で最後にお聞きしたいのですが、これは先ほど小林委員のほうから水俣病の例が出ましたけれども、水俣病の場合は、日本窒素は有機水銀を出しておったと、けれども、そういうものがそれほどの、人体にあの悲惨な水俣病のような結果をもたらすということは、当時の技術としては——現在ではそういうことはわかりますけれども、最初はわからなかったと思うのですね。そうなると、そこには故意も過失もあるとは認められない。そういうわけで、もしこの法律が十年前からあったにしても、この水俣病については公害罪を適用することができない、イタイイタイ病についても同様である。そう判断していいわけですね。
  169. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) 先ほどの御説明で、十年前にこの法律があったとした場合のことでございますが、この場合には、やはり十年前にも、現在起こっておりますように水銀なら水銀というものが、有害な物質であるということが客観的に明らかになっており、行為者もそういう認識を持って排出したということが必要なわけでございます。そういうことがあるということを前提にして先ほどはお答えを申し上げた次第でございます。
  170. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 それでは次に、「危険」という問題でございますけれども、この「公衆の生命又は身体に危険を生じさせた」と、そういういわゆる判断ですね、これが非常にむずかしい問題だと思うのですね。そういう点で科学的なそういう立証を必要とする、そういう点から考えると、はなはだ因果関係というものは明確でない場合がほとんどである。そういう点でやはりこういう法律が通過して一つの事件が問題になったときに、大体どういう方法で判断をするつもりなのか、そういう点では、その一つの方針か何かあるのですか。
  171. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) いまのこの「公衆の生命又は身体に危険を生じさせた」という、この危険な状態というものをどういうふうに認定するのかという問題であろうと思うのでございますが、これは先ほども申し上げましたように、科学的な鑑定知識をもとにして認定するわけでございます。その場合に、先ほど申し上げましたような現在の有害物質のうちで、そういう認定が可能なものを具体的な事象に応じて、それぞれ可能なものも少なからずあるわけでございます。ないものもございます。ある限りにおいては科学的鑑定というものを前提にした認定が行なわれると、かように考えております。
  172. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 それで、衆議院の連合審査の第一日目のわが党の正木委員の質問に答えて、辻刑事局長はこういう魚の例をあげまして、もちろん前提としては有毒物質——水銀の場合ですね、その水銀を工場が排出していると、その排出の量が最終的には人間汚染されるおそれがあるという、その程度の水銀、しかもその魚を人間が常に常食していると、そういう条件のもとにプランクトンが水銀に汚染されている場合、魚が水銀に汚染されている場合、そういうような段階をあげて、そうして魚に水銀が入った場合ですね、そういうときにこれは危険な状態だ、そのように議事録にはちゃんと書いてあるわけですけれども、有機水銀が非常に有毒であるということは、これは水俣の場合からはっきりしていますね。その場合にそれでは有機水銀が何PPMまであれば危険と判断するのか。一PPMあるいは自然界にある程度のものじゃおそらくだめだと思うのです。だから、ここでいう、魚が水銀に汚染されたから危険な状態だとは必ずしも言えない。それの程度が問題だと思うのですが、その程度というのはどのように考えておるのですか。
  173. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) これは先ほど御指摘の場合を、そのままの例としてお答え申し上げたいと思うのでございますが、この法案におきます「公衆の生命又は身体に危険」な状態というのはは、公衆の生命または身体に対する一つの障害、障害の可能性がある場合、これが危険であるという定義と申しますか、解釈でございます。  そこで先ほど御指摘の例にもございましたように、そこの汚染された魚を付近の住民の方が通常の頻度で食べておるならば、通常人ならば自分身体汚染されてくるという状況であれば、ここに身体に対する障害の可能性があるという意味において危険である、こういうふうに考えるわけでございます。これは具体的な案件によって、何PPMとかという問題はまた変わってくるかもしれませんけれども、そういう意味で私は危険だと、こういうことを申したわけでございます。
  174. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 この問題について私は新聞で見たんでございますが、議事録は見ていないからよくわからないんですけれども、法務大臣は公害の手引き書をつくると、おそらく私の感じでは、魚には何PPM以上あったら危険な状態だと、もちろん食べている頻度にもよりますけれども。あるいはお米みたいに毎日食べているものは一PPM、お米はカドミウムが問題になっていますけれども、お米の場合は、たとえば何PPM以上が危険な状態だと、こういうようなことについて手引き書をつくる。そういう意味じゃないかと、私は判断をしたのですが、そう考えてよろしいんですか。
  175. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) ただいま御指摘にもございましたように、これは具体的な事案事案によって、公衆の生命身体に危険な状態というものが、これは科学的な鑑定をもとにして認定されてくる問題でございますので、一がいに抽象的基準というものは定めがたい問題であると考えております。非常に定めにくい問題であると考えております。
  176. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 公害手引き書の内容というのは何ですか。こういうことをもし言われてなければ言われてないでいいのですが、新聞で見たところでは、公害手引き書をつくるといってはっきり法務大臣は答弁されているわけですから。その内容はは、これは何の手引き書なんですか、一体。
  177. 小林武治

    ○国務大臣(小林武治君) これはこの法律を実施する場合に、やはりある程度の予備知識と申すか、基礎的な知識を与えるために適当な基準をつくって勉強してもらおう、こういうことを言ったのでございます。
  178. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 そのときの質問者は、危険というものを判定するのはたいへんじゃないか、一体どうするのだと。そのときに、手引き書をつくろと、そういう答弁でしたが、私も危険の度合いは何PPMだと、そういうものかなと思ったのでございますが、いまの答弁では、そういう一つの事例の中においてこれは危険な度合いであるかどうか、そういうようなことを書いた手引きではなくて、一般的なものであるということですが、これはあくまでも個々の事例については客観情勢がいろいろ違うわけですから、魚といっても一年に一回しか食べない魚と、しょっちゅう食べる魚とあるわけだから、あくまでもその時点時点における科学的な判定をもとにしてそれを立証する、そういうふうに考えていいんですか。
  179. 小林武治

    ○国務大臣(小林武治君) これはいまわかるものはある程度具体的に出てくる、こういうことでありまして、あるいはPPMの問題も出てくるかもしれませんが、大体いまの状態においてわかる基準をつくりたい、示したい。こういうことでございます。
  180. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 それでこのけさの公聴会におきまして、参考人の考えの中で、庭山という学者は、こういう危険というものを判断する場合に、科学的判断に論拠するのではならぬ、むしろ社会通念、世間一般が危険と判断すれば公害罪の成立は肯定されるべきだ。そういう意見をあの人は持っておるわけですけれども、これは法務省としての見解はあくまでもそういう社会通念というものではなくして、科学的な判断、科学的な証明というものがなければならない。そうなのか、それともいま言った社会通念というものを用いるのか、その点どうですかね。
  181. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) 私ども法務省立場におきましては、科学的な知識を基礎にした裁判所の認定、これが認定であるというふうに考えております。
  182. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 それでこの危険について、いま刑事局長の答弁では、可能性がある場合は危険に入るというんですね。ということは、結局安全でない場合が、安全だということが言えない場合はやはり可能性があるわけですからね。それは危険の中に入ると考えていいんですか。
  183. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) 公衆の生命身体に対する障害の可能性がある場合、これがこの法案にいう危険であるというふうに解しております。
  184. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 そうすると、この程度のものならば食べても絶対に大丈夫だ、そういうものはこれは安全ですよね。それをこえた場合は危険と考えるのかどうか、この点はどうですか。
  185. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) この生命身体に対する障害の可能性でございますが、この可能性というのは客観的に考えていかなければならない問題であると考えております。
  186. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 この法律小林法務大臣もたびたび説明されておるように、予防的な効果を持つということですね。そういうような立法趣旨だと聞いておりますが、そこで私は危険であるという、そういう基準というものを考える場合に、たとえば米の場合を例にとるとした場合に、米は、じゃ一PPMであったら大丈夫か、危険かという問題は、結局それを一日や二日、十日食べたくらいでは何も一PPMくらいは問題ではないと言われておるわけです。一生食べた場合は非常にあぶないと言われておるわけです。だからほんとうに私は人間生命の尊重を考えるならば、ある一つのものを普通の頻度で一生涯食べても大丈夫だ、そのあたりの線を、これを危険であるという判定のところに持っていくべきじゃないかと、そう思うのですけれども、そういう考えは成り立ちますか。
  187. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) これもやはり一がいに言えない問題だろうと思うのでございます。先ほど来申し上げておりますように、具体的な事案のもとにおいて具体的な場合というものを想定して、客観的な標準から、可能性があるかどうかというふうに考えていかなければならぬというふうに考えております。
  188. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 私は具体的な考え方を聞いているわけですよ。たとえばカドミウムが二PPMあっても、これは二回食べてもだいじょうぶだ。けれども、それを一生食えばこれは害になる。これははっきりしているわけだ。そういうときに、それじゃ一年ぐらいは食っても影響ないのだから、これは危険じゃないのだというのか。もう一生たつうちには、その工場はつぶれてしまうわけですから。そういう考え方の基礎として、危険という、人体に影響を及ぼす危険というその判断が、一年、あるいは五年なのか十年なのか、一生なのか。これは別に具体的事例でなくて、底に流れる根本的な考え方なのです。これは一生食べれば発病する。水俣の場合だって、一回ぐらい食べたのじゃ危険は出ないけれども、長年食べたからああいうふうになってしまう。少なくとも三十年、四十年、長期間食べて、短期間であれば危険は起きないけれども、長期間の場合は危険が出るという場合には、それは当然危険の中に入れるべきだ、かような主張をしているわけです。だから事実この法案において、法案が通ってしまえば、向こうへ行ってしまうわけだから、そういうことがいえるのかどうか、その点お聞きしているわけです。
  189. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) これは可能性ということばだけの問題といたしますならば、ただいまの御指摘のように、これを二十年、三十年食えば人体に障害がくるということも、それは一つの可能性であろうと思うのでございますけれども、この本法案の場合におきまして、公衆の生命身体に危険な状態というものは、やはり具体的な状況のもとに、具体的な案件のもとにおきまして、客観的に可能性があるかどうかという問題でございます。その付近の人が何十年も必ず食うようになっているのかどうかというような、そういう具体的な一つの事情のもとにおいて判断をしなければ、この危険の可能性というものは具体的事例においては認定されてこない。そういうやはりあくまでも具体的事情というものを前提にした客観的可能性というのが、この法案の適用する場合のわれわれの解釈であると考えております。
  190. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 もう一問だけ。そうすると、結局一回ぐらい水銀をそこに流しても、それを魚が食って、それで人間影響を及ぼすなんていうことは——もし一回だけ流して、それが故意に流した。それが見つかった。そうした場合には、それがずっと続けばたいへんですけれども、たとえば一月間流しておった。だけれども、一月ぐらい流しただけで、結局人体には何ら影響がない。そういうことであれば、これは公害罪は適用されない。そうなりますね。
  191. 辻辰三郎

    政府委員(辻辰三郎君) これまた具体的事例との関係の問題でございます。たいへん多量に有毒物質を排出したという場合もございましょうし、そう多くない量を、しかも蓄積性のものを逐次長年月にわたって排出して、それが蓄積している場合もございましょうし、あるいは即効性といいますか、直ちに公衆の生命身体に障害を与えるような有害物質もございましょうし、これは具体的な案件のもと、具体的有害物質との関係におい認定されるべき問題であろうと考えております。
  192. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) 暫時休憩いたします。    午後四時五十四分休憩   〔休憩後開会に至らなかった〕