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1970-12-07 第64回国会 衆議院 法務委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十五年十二月七日(月曜日)     午前十時三十三分開議  出席委員    委員長 高橋 英吉君    理事 小澤 太郎君 理事 鍛冶 良作君    理事 小島 徹三君 理事 田中伊三次君    理事 福永 健司君 理事 畑   和君    理事 沖本 泰幸君       石井  桂君    島村 一郎君       永田 亮一君    羽田野忠文君       黒田 寿男君    林  孝矩君       渡辺 武三君    青柳 盛雄君  出席国務大臣         法 務 大 臣 小林 武治君  出席政府委員         法務大臣官房長 安原 美穂君         法務省刑事局長 辻 辰三郎君  委員外出席者         法務省民事局長 川島 一郎君         最高裁判所事務         総局民事局長  矢口 洪一君         法務委員会調査         室長      福山 忠義君     ————————————— 委員の異動 十二月七日  辞任         補欠選任   岡沢 完治君     渡辺 武三君 同日  辞任         補欠選任   渡辺 武三君     岡沢 完治君     ————————————— 本日の会議に付した案件  人の健康に係る公害犯罪処罰に関する法律案  (内閣提出第一九号)      ————◇—————
  2. 高橋英吉

    高橋委員長 これより会議を開きます。  人の健康に係る公害犯罪処罰に関する法律案を議題とし、審議を進めます。  質疑の申し出がありますので、これを許します。羽田野忠文君。
  3. 羽田野忠文

    羽田野委員 この公害罪のことにつきまして、まず法務大臣にお伺いいたします。  この二条に「公衆生命又は身体に危険を生じさせた者は、」ということになっておりますが、これが以前、要綱の際に、生命に危険を生ずる「おそれのある状態を生じさせた者」という状態犯が入っていた。今度は「おそれのある状態」がなくなっているということにつきまして、合同審査できびしい論議がございました。私は、公害が人の生命身体に危険を及ぼすというような状態はきびしく処罰しなければならないというふうに考えておりますが、少なくともこの刑事罰、人を罰するという場合に、あいまいな状態で人を罰するということは絶対に避けなければならない。これはいわゆる法的安定を害する最も悪法であります。また、そういうふうなあいまいなことで人を罰するような条項が入っておりますと、これを扱う、いわゆる処罰する側の警察にしても、検察庁にしても、裁判所にしても、その処罰条項を扱うことにちゅうちょする。せっかく法律をつくりながら、それが行なわれないということになるきらいがあります。そういう面からいたしますと、危険を生じさせた者、いわゆる危険は罰するけれども、そのおそれある状態というものは罰しないということを明らかにした今回のこの法律案というものは、非常にはっきりしている。私は賛成でございます。  そこで、このことにつきまして、法務大臣危険犯は罰するけれども、それ以前の状態は罰しないということをはっきりしたことについて、法務大臣所信、いわゆるおれはこういう確信を持ってこの法案を出したのだということについての所信をお伺いいたしたいと思います。
  4. 小林武治

    小林国務大臣 この法案を準備する際においても、「おそれある」、そういう字句を使用することについては相当な議論が内部的にもあった、こういうことが事実でありまするが、とにかくこの法案の主要な眼目は、公害を生じさせないという抑止的、予防的の目的が非常に大きく取り上げられた。そういうことからして、「おそれある」ということばというものは、在来は大部分行政法規の取り締まりにおいて使用されておった。しかし、この法律がさような予防的な効果を目的としておる以上は、多少広いと申すか、多少あいまいと申すか、そういうふうな非難はあるが、かようなことばを入れたほうがよかろうというふうなことで、議論はあったが、一応事務的な案文はそれに落ちついた、こういう事情でありまするが、その後これを検討を続けている際に、いやしくも刑罰の対象はできるだけ明確にしなければならぬ、あいまいであることはならぬ、こういうふうな議論も出てきまして、結局におきまして、私どもは、やはり刑法危険犯と申しますか、そういう形において直すほうがよかろう。したがって、私がいま申し上げることは、「おそれある」ということばをとったのが悪いということでなくて、そういうことばを入れた原案を準備したことがわれわれにおいて多少不用意と申すか配慮の欠けたところがあったのではないか、こういうふうな反省の上に立って、ほんとうにいわば刑法罰らしくする。前のものには多少刑法行政法とのまん中と申すか、多少そういうあいのこ、あいまいな点があったのを、こういうふうな直し方によってほんとう刑法犯らしくしよう、こういうふうな観点で直したということで、いま私どもが申せば、さような多少でもあいまいな案を用意したことがわれわれの不用意であった、こういうふうに申し上げたほうが適当か、そういうふうに考えます。
  5. 羽田野忠文

    羽田野委員 刑事局長にお伺いします。  いま大臣が、本件法律立法過程において、いろいろなあいまいな表現と考えられるようなものを入れてあったということをおっしゃいました。もちろん、最終的な法案になるまでの過程では、いろいろな案を出して、それを順次検討していって最終案ができる。過程においてどういうものがあったということは、私は一向かまわないと思います。それは、たくさんの案があって、その中から最終案のりっぱなものが出るということのほうが望ましいというふうに考えておるわけでございます。  刑事局長にお伺いしたいのは、こういう公害犯罪処罰に関する法律というような、これに類する外国立法例資料にも出されております。外国立法例では、危険犯を、いわゆる危険を処罰するような状態になっておる立法例が多いのか、その危険を生じさせるおそれのある状態、そういう状態犯まで処罰するようになっておる立法例があるのか、この点をちょっと御説明願いたい。
  6. 辻辰三郎

    辻政府委員 今回御審議を願っておりますいわゆる公害罪法案に似たような外国立法例があるということは、すでにお手元にお配りいたしました「外国立法例」という資料にあるとおりでございます。  具体的に申せば、これはスウェーデン刑法であるとか、ニューヨーク刑法であるとか、あるいはロシア共和国刑法に同趣旨規定がございます。  ところで、これらはいずれもいわゆる危険犯ということで処罰規定を設けておるわけでございますが、これらの法律によります危険というものの幅が、わが刑法の危険を生ぜしめるという幅と同じかどうか、この点については必ずしも明らかではございませんけれども、少なくとも危険犯としてとらえておる外国立法例は、以上申し上げた三つの上にあるわけでございます。
  7. 羽田野忠文

    羽田野委員 この資料によりますと、私はこういうふうに感じておるのです。この資料の中の、ドイツの一九六二年刑法草案、それからオーストリア一九六八年刑法草案スウェーデン刑法、これはいずれも危険そのものを罰する、危険の生ずるおそれのある状態を罰するということは全く書いてありません。いわゆる具体的危険そのものを罰するというふうに書いてあります。それから最後のニューヨーク刑法ロミア共和国刑法、これは危険ならしめる状態をつくり出した場合ということで、その前の状態を罰するような規定がなされておるようであります。ところが、しさいに検討してみますと、このニューヨーク刑法ロシア共和国刑法も、刑法という名前は使っておるけれども、実際は行政罰、いわゆる行政取り締まり的な性格を多分に持っておるものでございます。それから、これにきめてある法定刑そのものを見ましても、非常に軽い。ニューヨーク刑法では、三カ月以下の定期刑と、五百ドル以下の罰金ロシア共和国刑法でも、一年までの期間の矯正労働または三百ルーブルまでの罰金というふうな、いわゆる行政罰的な性質のものと解釈される。したがって、ほんとう刑事罰として一応処罰規定をつくろうと考えておるドイツ草案オーストリア草案スウェーデン現行刑法、いずれにおいてもいわゆる危険を罰する、具体的危険ということを必要としていると考えられる、こう思いますが、どうですか。
  8. 辻辰三郎

    辻政府委員 私どもは、先ほども申し上げましたように、このスウェーデン刑法ロシア共和国刑法ニューヨーク刑法、この三つのものは、危険というものの幅というものにつきましてはどういう運用がなされておるかという点は、実はつまびらかにできなかったわけでございます。ただ、ただいま御指摘のように、ニューヨーク刑法ロシア共和国刑法のほうは、法定刑が比較的軽いという点におきましては、ただいま御指摘のとおりのような性格があるのではないかと思うわけでございますが、これは、要するに危険と申しましても、その幅というものがどういうふうに解釈されておるのか、この点は実ははっきりしなかったわけでございます。
  9. 羽田野忠文

    羽田野委員 この「おそれのある状態」というものから、具体的な危険ということになったということについて、非常に論議がありますので、この点、具体的危険になったことが法的安定を維持する上からいって非常によろしいのだという点について、ちょっと次のことを聞いてみたいと思います。  この一条に、「公害防止に関する他の法令に基づく規制と相まって」云々という条項がございます。この「他の法令に基づく規制」は、具体的に言いますと、いま公害立法はたくさん出ておりますが、この中のどれどれを予定しておるのか、その点をちょっと御説明願いたい。
  10. 辻辰三郎

    辻政府委員 これは、公害対策基本法に基づきます各種のいわゆる公害関係法令というふうに考えておりますが、なかんずくただいま御指摘の点に関連しまして特に問題に考えておりますのはは、大気汚染防止法、それの改正法案、それから水質汚濁防止法案、これが特にこの関係においては関連があるものと考えておるわけでございます。
  11. 羽田野忠文

    羽田野委員 いまあげられたこの両法ですが、水質汚濁防止法を見てみますと、その三十一条に、特定の事業場がその排水口排水基準に適合しない排出水を出した場合には、それ自体で六カ月以下の懲役または十万円以下の罰金に処する、法人や使用者の両罰規定もきちっときめられている。それから大気汚染防止法改正案の第三十三条の二を見ますと、同じように、排出基準に適合しないばい煙排出した者は六カ月以下の懲役または十万円以下の罰金、それから両罰規定もある。こういうふうに、排出基準に違反して排出水あるいはばい煙を出したというだけで相当きびしい直罰を設けております。そのほかに海洋汚染防止法関係にも同じような直罰規定があります。そうすると、これを完全に運用することによって、公害罪それ自体は、ほんどうは必要じゃないのじゃないかというような気さえするのですが、どうでございますか。
  12. 辻辰三郎

    辻政府委員 この点につきまして、私ども考えを申し上げたいと思うのでございます。  先ほど来御指摘のとおり、法務省最初の案が、公衆生命または身体に危険を及ぼすおそれのある状態を生じさせる公害処罰基本類型といたしておったわけでございます。この趣旨は、先ほど大臣もお述べになりましたように、要するに、公害未然防止趣旨を明らかにいたしますために、現実の人の健康を害する結果の発生を待つまでもなく、その事前の段階処罰をし得るものとするのが相当であるという考え方によっておったわけでございます。  ところで、この「おそれのある」という文言につきましては、私ども考えておりましたよりも、その適用の範囲が広まってくるのじゃないかと危惧される意見が相当出てきたわけでございまして、この危惧の御意見につきまして、私どももやはり首肯すべき点がないとは言えないというふうに考えたわけでございます。そういたしまして、いろいろと法務省最終案をつくり上げます際には、危惧の点も十分に反省をいたしまして、かたがた、ただいま御指摘大気汚染防止法改正案水質汚濁防止法案、これの罰則審議政府部内におきまして——罰則関係は私ども刑事局所管事務でございます。そのほうの罰則審議をいたしておりまして、その最終段階におきまして、いよいよこの大気水質については、ただいま御指摘のように、一定の排出基準違反につきましては、それを直罰する、それだけでこれに罰則をかける。ただいま御指摘の「六月以下の懲役又は十万円以下の罰金」という直罰形式がとられることが、政府部内の意見として確定したわけでございます。そういたしますと、ただいまの御指摘  のように、いままでは、この直罰形式がなかったわけでございますけれども、こちらのほうで直罰形式がとられました以上は、私どものほうは、あえて一部の危惧があるような「おそれのある」というような文言を取ってしまって、危険を生ぜしめたというきちっとした、従来の刑法にある危険犯という段階でこれを規定いたしましても、片方のほうは、もっと前の段階で直罰ができるということになりましたから、その段階におきましてはは、これはこの「おそれ」を取って、一部の御危惧を除き、従来の刑法で固まった危険犯ということでやっていくのが理論的にも相当であろうと思いますし、また、将来の運用の面におきましても支障がないという確信に達したわけでございます。そういう段階で、法務省最終案におきましては、この「危険を生じさせた者」ということを最善の案として国会に提出するに至ったといういきさつになっておるわけでございます。
  13. 羽田野忠文

    羽田野委員 合同審査の際にも、この「危険を生じさせた」ということと、「危険を及ぼすおそれのある状態」ということの違いが非常に論議をされました。そこで、これは今後、この法律関係でいろいろな捜査をし、あるいは起訴をし、裁判をする過程で、非常に問題になってくると思うのです。普通法律用語で具体的危険、抽象的危険ということがよくいわれております。この「危険を生じさせた者」という場合には、これは具体的な危険の発生、それ以前の「おそれのある状態を生じさせた」というものは、抽象的危険の範囲に入るというふうに解してよろしいのか、それともまだそれはその程度に至らないもの、中間的なものがあるのだというふうに解しておるのか。純法律的にはどう解しておられるのか。
  14. 辻辰三郎

    辻政府委員 政府案にございます「危険を生じさせた」といいますのは、まさしく現行刑法にございますガス漏出罪等にございます危険犯でございまして、これは具体的な危険犯であるというふうに考えております。法務省の当初の案にございました「危険を及ぼすおそれのある状態」といいますのも、これは抽象的危険犯ではなくて、やはりこういう危険を及ぼすおそれのある状態という意味の具体的な危険犯であるというふうに考えておったわけでございます。
  15. 羽田野忠文

    羽田野委員 その見解が非常にあいまいなんですけれども、あなたが合同審査の際に例としてあげられた、たとえば廃液から水銀が出て、これがプランクトンを汚染した段階、そうしてプランクトンを今度は魚介類が食った段階、そして人間がその魚介類を食うことによって身体に障害が出てくる、こういうようないろいろな段階を通じて、魚介類が汚染した段階は、これは危険を生じた段階である、プランクトンが汚染した段階は危険を生ずるおそれのある状態段階だという説明をされておる。私は、これは非常にいい設例だと思うのです。というのは、魚介類そのものは、これはすぐ人間が食うということが一般的です。そうすると、人間に非常に密接した危険な状態が出てくる。いわゆる具体的危険。人間が直接プランクトンを食うということはちょっと考えられない。そうすると、これは人間に密接した危険というものはまだ発生をしていない。いわゆる具体的危険というものにはいまだないが、それがいわゆるそのプランクトン魚介類が食って、人間が食うという過程をたどる、いわゆるおそれのある状態というもの、この例示はぼくはいいと思う。そうして、これはやはり人間に直接密接していない抽象的危険の段階として把握すべきものではありませんか。交通事故などを考えてみましても、スピード違反——六十キロ以上のスピードで走ってはいけない、それ以上で走った場合には、これは行政罰としてのスピード違反処罰はある。しかしながら、それ自体が危険な状態を生じさしたということには直ちにならない。しかし、この場合でも、人がたくさん通っておるところをスピード違反をして車を走らせれば、これはもう人間に直接密接した危険を生じさせておる、いわゆる具体的な危険。よしスピード違反をしても、それが全く人のいないような道路を走っていた場合、いつどこから出てくるかわからないから抽象的な危険はあるけれども、具体的な危険はない。いわゆる抽象的、具体的の、この区別は、その危険が人間に直接しておるかどうかということで分けることが正しいのではないか。そうすると、先ほど言う「おそれのある状態」というものは、抽象的危険の部類に入るのではないかと思うのですが、もう一度お伺いいたします。
  16. 辻辰三郎

    辻政府委員 ただいまの具体的危険か抽象的危険かという問題でございますが、従来の抽象的危険といえば、ただいま御設例になりましたようなスピード違反というようなものも、抽象的には、スピードをオーバーするということなら、やはりそれ自体で具体的な状況というものを離れまして危険であるというふうに解してくるならば、これはやはり一つの抽象的危険犯的性格を持つものだろうと思うのでございます。従来のことでいけば、現住する家屋に放火したという場合には、それ自体で人にとにかく抽象的危険があるということで、この犯罪構成要件そのものを満たせば、同時にそれは危険になっておるという意味抽象的危険犯。あるいはいま申し上げましたような、少し間接的ではございますが、スピード違反というものも抽象的危険というふうに言える余地があろうと思うのでございます。  こういうふうに考えてまいりますと、従来の抽象的危険とそれから具体的危険というふうに区別されておりますものも、非常に最終的な限界というものにつきましては、一応あるようなないようなものであろうと思うのでございます。私ども考えでは、今回の「おそれのある状態」というのを、ただいま御指摘のような解釈において抽象的危険というふうにも言えるのではなかろうか。しかしながら、従来の考えからいけば、やはり何らかの——全然人がいないところをスピード違反でやっていくという意味の抽象的なものよりは、多少具体的な点もあろうかと思われるということでございまして、少なくとも私どもの当初案にございました「危険を及ぼすおそれのある状態」というのは、従来の具体的危険犯よりは広い、これを抽象的危険犯というふうに言っても言い切れるかもしれません。その点は、従来の抽象的危険と具体的危険との中間のような形であったろうと私は思うのでございます。これを抽象的危険であるというふうに言っても言えないわけではないと思うのでございます。
  17. 羽田野忠文

    羽田野委員 そうすると結局こういうことでよろしいわけですか。たとえば廃液あるいはばい煙、この排出によって人の生命身体に危険を生ぜしめたということそれ自体は、人間に最も密接な具体的な危険の発生したときをさす、それ以前の行為は、たとえば排出基準に適合しないようなものを排出した場合には、それぞれにある水質汚濁なら水質汚濁大気汚染なら大気汚染のそれぞれの直罰規定によって、その危険が発生するとか発生しないとか、あるいはおそれがあるとかいうことには関係なく、排出基準に適合しないということによってぴしっと取り締まることができるのだ、こういうことでいいわけなんですか。
  18. 辻辰三郎

    辻政府委員 ただいまの排出基準違反を、今回の法律案は、大気水質ともそれ自体処罰することになっております。したがいまして、ただいま御指摘のように、基準違反排出というものは、人の健康との関係においては何らの関係なく、その排出基準を越えて排出したということを処罰するものであると考えております。
  19. 羽田野忠文

    羽田野委員 「危険」と「状態」はその程度にいたしておきまして、その次に法定刑について局長に聞いておきたい。  この二条の「危険を生じさせた者は、三年以下の懲役又は三百万円以下の罰金」で、「人を死傷させた者は、七年以下の懲役又は五百万円以下の罰金」こういう法定刑を定めておりますが、これはどういうところを標準にして定められたのか、この経過をちょっと御説明願いたい。
  20. 辻辰三郎

    辻政府委員 この二条の第一項でございますが、これは先ほど来申し上げておりますように、「公衆生命又は身体に危険を生じさせた者」でございます。これと同じ規定といいますか、同趣旨規定といたしまして、刑法には御案内のとおり、ガス漏出罪がございます。これがやはり三年以下の懲役という法定刑になっておりますので、これとこの性格が非常に近いということで、三年以下というふうに規定した次第でございます。
  21. 羽田野忠文

    羽田野委員 二項はどうですか。
  22. 辻辰三郎

    辻政府委員 二項の「よって人を死傷させた者は、七年以下の懲役又は」云々とございますが、これは、傷害の罪は御案内のとおり十年以下の懲役というふうに刑法になっております。それよりも法定刑はこの七年は低いわけでございます。といいますのは、傷害のほうは、最初から傷害意思を持って傷害さした場合、それから最初から傷害意思はなくて、暴行の意思で暴行して、その結果傷害発生せしめたというように、傷害にも二つの種類があろうと思うのでございます。この十年のほうは、やはり傷害のうちでもたいへん情状の重い場合を考えて十年というふうになっておるものと私どもは理解いたすのでございます。それとこの第二条二項との関係考えました場合に、少なくとも、これは傷害意思を持って傷害をせしめたという故意犯そのもの傷害罪よりは、この刑としては最高刑が軽くてしかるべきであろうという考え方から七年にいたした次第でございます。
  23. 羽田野忠文

    羽田野委員 特に第二項の法定刑、これはいわゆる刑の権衡を失する、軽きに失する法定刑ではないかと私は思うのであります。というのは、いま説明があったように、刑法傷害罪では十年以下の懲役、それから死んだ場合、傷害致死では二年以上十五年以下というような懲役本件故意犯ですから、死傷さした場合の最高七年というのははなはだ軽きに失する。これを先ほど例に出されました外国立法例に見ても、同じようなものがドイツ草案では十年以下、オーストリア草案では一年以上十年以下、スウェーデン刑法では四年以上十年以下というふうに、七年以下というような短い刑を持っている例はほとんどない。日本で七年以下というのがほかのどこにあるかと調べてみると、嘱託殺人が大体七年以下というようなことになっておりますが、この点日本刑法傷害あるいは傷害致死の刑に比して、七年以下というものは軽きに失する。少なくとも十年以下というくらいのところにもつていくべきではないか。これは科刑均衡上そういうことを考えるわけです。  そこで、考えられるのは、前の要綱時代に、「危険を及ぼすおそれのある状態を生じさせた者」を罰するというような非常にあいまいな、つかまえどころのはっきりしないような文言を入れてあったので、この法定刑のほうも、自信のない、まあ前があいまいだからあとのほうも割り引きしておくというような法定刑ができたのじゃないかと思う。だが、これほど具体的危険だけを罰するというようなはっきりした条文になったこの法律においては、私は、他罪との均衡上、七年以下という懲役は軽きに失する、少なくとも十年とすべきであるという意見を持っておるのですが、どういうふうにお考えになるか。
  24. 辻辰三郎

    辻政府委員 私ども考えておりますのは、この法定刑が、当初案の「危険を及ぼすおそれのある状態」ということを前提にして、この七年というものが出てきたのではないかという御指摘でございますが、私どもは実はさようには考えていないわけでございます。この二条は、結局事業活動に伴って人の健康を害する物質を排出したという一つの行為類型でございます。この行為類型は、かりにこの行為類型それ自体傷害になるという場合が理論的にはあり得るだろうと思うのでございます。これは、具体的例をあげろと言われましても、その点なかなかむずかしいのでございますが、事業活動に伴って有害物質を排出したことが一つの傷害ということになれば、傷害といいますか、排出して人に傷害の結果を与えるというような事例を考えますと、これは、この二条の罪と刑法傷害罪とが想像的に競合して両罪が成立するという考え方をとっているわけでございます。そういたしますと、わがほうは、この二条の構成要件で傷害に当たるものがあれば、やはり傷害罪が同時に成立し、その結果人が死ねば傷害致死罪も成立する、刑法傷害及び傷害致死とも一所為数法の関係になる、かように考えているわけでございます。
  25. 羽田野忠文

    羽田野委員 時間がありませんので、先に移りとうございますが、この五条の関係をちょっと質問いたします。  これは、いままでの刑法体系と全く違う体系の規定であります。いままでは、疑わしきは罰せずということが、一口にいうと刑法を貫いた考え方であったけれども、今度は、疑わしいものは罰するということではないけれども、それに近いような考え方の推定規定であります。公害の複雑性、特殊性から見て、この規定も必要だし、これがあることによってこの処罰というものの万全が期せられるということで、私はこの規定は賛成でございますが、ただ、非常にはっきりしない点がある。ということは、この規定は、推定したものに対して反証を許すのか許さないのか、この点からまずお聞きしたい。
  26. 辻辰三郎

    辻政府委員 この第五条によっていわゆる法律上の推定ということになるわけでございます。したがいまして、推定という以上は、もとよりそれに対する反対証拠というものを相手方が提出して——そうでないと推定をくつがえすということは本質的に当然のことでございます。この五条の規定によって、一応立証責任といいますか、挙証責任が相手方に移るということでございます。で、反証と申しますか、反対の本証と申しますか、証拠を相手方が提出して、その推定をくつがえすことは可能でございます。
  27. 羽田野忠文

    羽田野委員 いま、ことばの中に本証ということばが出たが、この反証の程度、一応の反対証拠を出すということでよろしいのか、それとも、その反証は、挙証責任の転換、いわゆる説得をするほどの本証を必要とするのか、この点はどういうふうにお考えなのか。
  28. 辻辰三郎

    辻政府委員 これは、私どもは、挙証責任が転換をされるものである、法律上の推定であるからそうであると考えておるのでございます。その場合に、いわゆる民事でまいりますと、挙証責任が転換された相手方のほうは、それ自体の立場で、本証としてこの反対の事実を立証しなければなりません。ところが、刑事の場合には、その大前提といたしまして、犯罪事実の証明というものは、やはり公訴機関である検察側において合理的疑いのないまでに立証しなければならないという刑事裁判の本質がございます。その本質との関係におきまして、民事裁判でいっておる挙証責任の場合の相手方の本証の提出よりは、その程度が軽くていいのではなかろうか、そこに多少の差はあろうと思うのでございますけれども、やはり一つの反対証拠としての本証としての立証を要するというふうに考えておるわけでございます。
  29. 羽田野忠文

    羽田野委員 この発言はきわめて重大な発言であります。そうして私は、そういう考え方はきわめて行き過ぎであるというふうに考えます。なぜかならば、こういういわゆる疑わしきは罰せずという原則を、今度は疑わしいは罰するというような刑法の基本的な問題の転換というような場合においては、これは特別法などで簡単にそういう先例をつくるべきものではない、少なくとも刑法改正の論議が進められているこの場において、もっと真剣に討議し、もっと真剣に研究して、この基本的な原則の変更というものを定めなければならぬ、そういう意味で、これがもし挙証責任の転換だというのであるならば、この特別法でその先例をつくることには全く反対であります。私は、少なくともこれはこの程度意味以上のものを持つべきではないと思う。ということは、一応の推定がなされる、その推定に対して、推定されたものは、いや、そうではないのだという反証を許す、その反証は、本証によるいわゆる立証という意味ではなくして、一応の推定をくつがえすに足る程度のものであって、その推定がくつがえされた、そういう反証が出された場合においては、訴追側は、やはりその反証をくつがえしてなおかつこれが推定でなくしてほんとうにそうなんだという説得力のある証拠を持つ証明をせなければ有罪ということにはならないのだ。だから、あくまで、やはりその本流を流れるものは、疑わしきは罰せず、罰する以上は、それに対するはっきりした証拠というものがなければならぬ。本件の推定規定では、初めからその立証をすべてしろということでは、いまの公害罪が、先ほど言うように特殊事情、複雑性からして無理であるから、一応推定をして、反証を許し、その反証に対しては、今度は説得力がある証拠を出すということで持っていくという考え方でなければ、これは刑法の根底をくつがえさせる重大な問題でありますので、この点もう一度刑事局長の御答弁を承りたい。
  30. 辻辰三郎

    辻政府委員 先ほど私の申し上げましたことが少し強過ぎたかとも思うのでございますが、結論的には、ただいま羽田野委員のおっしゃったのと同じことになろうと思うのでございます。私どもは、一応ここで法律的には推定をされます、しかし、その反証と申しますか、反対証拠を相手方が出すことはもとより可能である、その反対証拠が出てまいりました場合に、それについて、さらにまた検察のほうが、それはそうでないというような立証をしなければならないと思うのでございます。私が先ほど申し上げたかったのは、いわゆるこの事実上の推定、つまり裁判官の心証形成の過程における事実上の推定とは性質が違う、これは法律上の推定であるということが申し上げたかった趣旨でございます。
  31. 羽田野忠文

    羽田野委員 終わりました。
  32. 高橋英吉

    高橋委員長 畑和君。
  33. 畑和

    ○畑委員 私は、一昨日、連合審査会の席上におきまして、公害罪の問題それから無過失責任の問題等について当局の見解を一応ただしたのでありますけれども、きわめて短い時間でもございましたし、わが意を得たというわけにはまいりませんでした。そこで、きょうは法務委員会でゆっくり腰を据えてひとつ議論をしてみよう、かように思っております。  この間の連合審査会におきましては、一番問題になりましたのは、例の「おそれ」という条項を政府原案が法務省原案から後退をしてそれを削ったということ、それが実際上にどう響くかというような問題についてもいろいろ議論がなされたわけであります。われわれの見解からすれば、政府の原案が法務省原案よりその点で後退した、こう断ぜざるを得ないのであります。  そもそもこの公害の罪というものがこうして刑事立法として、刑法の特別法として立法化されようといたしておりますが、それが必要とされる背景についてはもうすでに十分御承知のとおりであります。従来こうした犯罪が特別に犯罪として、自然犯的な見方から取り上げられてこなかったのでありますが、今度の国会におきましてこの公害に関する罪というものが普通の刑事犯と同じように、それ以上に特に厳重に処罰をする必要があるということで、自然犯としてとらえて今度特別法として提案をされたのでありまして、私は、そのとらえ方については一応評価をするわけであります。いろいろあとからまた詳しく申し上げるように、この法案については幾多の欠陥があると思います。いわゆるざる法といわれている理由も何点かあるわけであります。さらにまた、この「おそれ」を削ったということがさらにざるの目を大きくした、こういうふうに言えるのではなかろうかと思うのであります。  そこで、まず最初に、例の「おそれ」の問題について若干さらにこまかく質問をしたい、かように考えております。この間の連合審査でもいろいろ意見が述べられました。法務大臣のほうは、まあ「おそれ」を削ったということはたいした違いはないのである、こういうようなお考え、ともかくこの立法をしたということだけが大きな意義があるのであって、公害についての危険犯処罰をするということが大きな前進であるのである、「おそれ」云々ということはそうたいして違いはない、こういうことでした。実害が生ずる前に、危険の状態において危険犯を罰するということであるからにはほとんど同じであるという御回答でございます。また法制局長官はその後、文字上の違いがあるし、また同時に実質的の違いもあると思う、しかし「おそれ」という構成要件は非常にばく然としておるから、したがって、これが実際に適用される場合ということはなかなか立証の問題もこれあり、むずかしいであろうということで、事実上は法務大臣の答弁に近いような結果になるであろう、こういうような御見解であります。それからまた刑事局長の御答弁は、具体的な例に基づきまして、この場合はどう、この場合はどうということで、「おそれ」を置いておく場合と、それを削った場合、すなわち政府原案のようなこの法案最終案、これの場合との違いをこの間いろいろ例をとって言われたのであります。  そこで私、刑事局長のあのときの設例ですが、プランクトンが汚染された段階、このときにはもう「おそれ」がある。それからまたさらに、そのプランクトンを食べた魚介類が汚染されたという場合、これはもちろん「おそれ」の中には入るけれども、それが結局は、今度取り締まりをするときには、取り締まる目的とするところの危険犯、「危険を生じさせた」場合にこの場合当たる。こういうような御回答だったのですが、まずそのとおりに理解してよろしゅうございますか。
  34. 辻辰三郎

    辻政府委員 先日の連合審査における私の説明でございますが、御案内のとおり、御質問自体から例をあげてまいられまして、この例はどうなるかという御質問の例について私はお答えいたしたわけでございます。そこで、もとより具体的な事案によるわけでございますが、そのときもお答えいたしましたように、プランクトンとか魚とか抽象的に言われるのはやはり困るわけでございまして、あの場合も水銀なら水銀が相当、終局的には人間の健康に害を生ぜしめるに足るだけの量が排出されておって、それが魚に汚染し、その魚をまた通常、地域の住民の方が常食とされておる。そしてその魚を食うことによって人間が汚染されてくるというような一つの具体的な設例を前提にいたしまして、そうしてその場合に御質問にございましたような四つの段階を御提示になりましたので、その場合には、その前御答弁したような段階で「おそれ」と「危険」というものが理屈の上では区別されるであろうということを申し上げたわけでございます。
  35. 畑和

    ○畑委員 そうすると、まだ人間のあれではなくて、魚が汚染された段階ではどうなりますか、「おそれ」とあれを区別して。
  36. 辻辰三郎

    辻政府委員 ただいま私が申し上げました一つの設例を前提にいたしまして、魚が汚染されておる。しかもその付近の住民の方がそこの魚を通常の頻度で食べていかれるということであれば、魚が汚染されておれば、そのときに危険を生ぜしめたということに相なろうかと思います。
  37. 畑和

    ○畑委員 ところが、学者、特に東大の藤木教授の説を私はちょっと読んでみたことがあるのです。いずれ参考人としてこちらへおいでになることになっておりますけれども、藤木さんの書いたものによりますと、また新聞などにちょいと談として出ておるところによりますと、「おそれ」を削ったのと入れたのでの違いが、この間の刑事局長の御答弁とは少し違うような感じがする。解釈の問題として、藤木さんの場合には、もし政府の今度の案のようなことになるならば、結局魚介類が汚染されたというだけでは、「おそれ」ということなので、だめだ。結局人間のからだに相当蓄積をして、発病寸前の状態になったのならば、そのときには政府案のいうのに当たるけれども、それまでの間で、ただ魚が汚染されたというだけでは、それは危険の「おそれ」に入るのだ。「おそれ」を削ってしまえば、魚が汚染されただけではだめなんだ、人間が相当多量に何回にもわたって食べ、そして人間のからだにも相当蓄積をされて、発病寸前、実際においては一、二の実害が生じたような段階にならなければ政府案の現状では取り締まれない、こういうようなことを藤木さんも述べているというふうに思うのです。その点、一段階、少し違うように思うのですが、その点はいかがですか。
  38. 辻辰三郎

    辻政府委員 私ども、この「危険」という観念でございますが、これは古い——といいますか、大審院の判例から、危険というのは一つの危害を生ぜしめる可能性であるという解釈が一定していると思うのであります。この可能性は必ずしも必然性でもなければ蓋然性でもない、危害発生に対する可能性ということがこの危険であるという一つの判例上の立場が確立しておると思うのでございます。そういたしますと、やはり先ほどの設例の魚の場合は、魚の汚染をもってこの危険に該当するというふうに考えております。
  39. 畑和

    ○畑委員 そうならばいいのですけれども、危険の可能性というのは非常に幅が広いですね。危険の生ずるおそれというのも可能性だし、それから危険を生じた場合といっても、その危険というのがまた相当広いと思うのです。解釈のいかんによってずいぶん違う。したがって、藤木さんの言われたように、いまの政府案のようなほうになってしまうと、人間のからだに水銀が相当蓄積をして、それで発病寸前だというような状態にならなければ捕捉することができないであろうという見解。あなたの見解からすれば、政府案をもってしても、魚が汚染されさえすれば、常食としてその住民がほとんど継続的にそれを食べておる、常食的に食べておるということの事実を大前提とした場合には、もう長いこと食うことはきまっているのだから、魚が汚染されさえすれば「危険を生じさせた者」ということになる、こうおっしゃるけれども、実際の適用は、いまあなたはそう言っても、裁判官の場合はまた違うのだから、法律は一人歩きするのだから、そういう見解からすれば、藤木教授の見解のほうが設例の場合に正しいのじゃないか。したがって、「おそれ」を削るということは、そういった状態を捕促するについて予防的な、警戒的な抑止力としても、ずっとはるかに薄れてくるということだと思う。あなたのほうの考え方とすれば、いま言った、プランクトンはいいけれども、魚が汚染された段階でも「危険を生じさせた者」ということになるというような見解のように聞こえるわけだ。そうすると、えらいそこで食い違ってくるわけだ。その辺を重ねてひとつ聞きたい。
  40. 辻辰三郎

    辻政府委員 先ほども申し上げましたように、判例の考え方は可能性、危害発生の可能性という範囲で押えておるわけでございます。そういう立場に私どもは立っておるわけでございまして、藤木教授はその可能性のうちのさらにまた切迫性を要するというようなお考えから、いま御指摘のような御意見が出ておるのだろうと思うのでございますけれども、私どもは、この危険というものは可能性であって、切迫性を要しないという考え方に立っておるわけでございますから、この設例の場合には、魚の汚染をもって危険性を生ぜしめたということに相なると考えております。
  41. 畑和

    ○畑委員 可能性ということの解釈いかんでありますが、あなたのは、可能性ということだから「危険を生じさせた者」という場合に相当広範囲に捕捉できるんだということだと私は思う。しかし私は、藤木教授のほうの設例をとっての見解と同じ意見なんですけれども、たとえば藤木教授がこういうことを言っていますね。「“おそれ”を取ると、犯罪構成要件は明確になるが、法律としては大幅な後退だ。」これはよくいわれている。「“おそれ”の字句があれば、病状が表面にあらわれなくても、食べたものが有害で、将来発病するおそれがあるなら処罰対象になる。しかし、この字句を削除すると、現実に一人二人被害者が出て、その危険がさらに広がりそうな事態にならないと処罰できないだろう。つまり、公害の事前予防効果がなくなり、公害が起きてからの事後処理的な法律になってしまう。おそらく、裁判になれば、危険かどうかで争いになって、有罪に持ち込むことがむずかしくなる」こういう見解が、これは読売新聞の十二月一日付の記事に載っておるわけであります。それからそれに似たような見解が、十二月三日のサンケイの夕刊に、同じ藤木教授の「公害罪法 その意義と問題点」という記事が載っておる。大体同じような見解だと思う。  私、この間の連合審査会のあれをずっと聞いておりまして、その点、微妙な食い違いがあるというふうに思った。あの答弁だとすれば、いまの政府案でも、われわれが懸念するよりももっと早くそれが予防でき、捕捉できるんだ、こういうことだったと思うんだが、それは一時のがれではやはり困るのでして、将来ずっとこれが適用されることになるのでありますから、この辺はやはりあなたの見解のとおり、法務省当局としては動きませんか。その設例の場合ですね。
  42. 辻辰三郎

    辻政府委員 しばしば申し上げておりますように、私どもは判例の考え方を前提にしておりますので、設例の場合であれば、魚の汚染をもって「危険を生じさせた者」である、かように考えておるわけでございます。
  43. 畑和

    ○畑委員 それであればそれでよろしいのですが、それといたしましても、そういう解釈の違いもこれあり、しかもあなたのほうの説によれば、プランクトンが汚染された段階で、「おそれ」であれば捕捉できるということなんだ。われわれとしてもできるだけ事前に予防的な効果をあげたいということがあるから、われわれとしてはやはり「おそれ」というものを、どうせこの公害罪で立法するからには、そういう立場でやるべきであろうという考えで、修正案を正式にはあした出しますけれども、大体皆さん申し上げたようなつもりでこの一つを公害罪の修正の一つにして——法務省が原案として考えられたくらいなんだから……。先ほど法務大臣がそのいきさつをいろいろ言われておりまして、結局法務省の原案が少し検討足らずだったんだ、したがってそれをいまのようにしたのがやはり正しかったんだ、こういうようなちょっと苦しい答弁をなさっておった。自民党の方からの御質問であったからかもしれませんけれども、そういう御見解でございましたけれども、われわれとしては、どうせ立法するならば、通すならば、やはりこれは法務省原案のほうがよろしいという考えでございます。この点は、いろいろ質問いたしましても、この段階でさようでございます、もとに戻したほうがよろしゅうございますということはきっと答弁ができないと思いますから、別にその点まで詰めることはしないことにいたします。  それから、もう一つ私お聞きいたしたいのですが、公害罪の今度の規定、この類型とはちょっと違うけれども、食品関係の製品などにいろいろ毒物あるいは危険物が混入をして、それが相当市販されて、多数の公衆の健康に被害が出ておる例がたくさんございます。例の、この間もちょっと申しましたけれども、カネミのぬか油の事件あるいは森永の粉ミルクの事件、これは食品ですね。それから薬品としてはサリドマイド事件、これは西独ではちゃんと取り上げて起訴になりましたが、日本のほうではそこまでいっていないようです。こういう問題とか、あるいはコールドパーマみたいなああした化粧品の公害的な被害、こういったものがあるわけでありますが、これが今度の公害罪立法の中に取り入れられていないということは私きわめて残念だと思う。類型的には確かに政府案のような類型とはちょっと違います。結局政府案公害処罰法によれば、事業場から排出をされる有害物質、こういうことになる。しかも相当長期的に継続的に排出されている、一体だれが排出したかわからぬというような状態、典型的な公害だということで典型公害としてそれだけ取り上げておられるわけでありますけれども、いま言ったようなことで、食品関係は製品であります、排出物じゃございません。御承知のように製品そのものであります。そういう点で類型的には違いますけれども、同じ公害処罰するということであれば、それもあわせてこの中に入れるべきであったじゃないかというふうに考えておるわけです。法務省のほうではこの点検討されたかどうか、あるいは検討されてもこれはこういう理由で入れなかったんだというようなお考えがありましたら、ひとつ聞かしておいてもらいたいのです。これは基本的な問題ですからまず法務大臣にお尋ねをいたして、それから事務当局のほうからさらに補足して御説明を願いたい、かように思うのであります。
  44. 小林武治

    小林国務大臣 これは畑委員の言われるように、私どもは、今度の法律は工場、事業場等の事業の運営に伴なう排出物、こういうところに一つの大きなワクを置いて立法したからしてお話しのような結果になっております。しかし、いま御指摘のものも、これはやはり大きく見て公害の一つ、こういうふうに見なければなりません。したがって、これを取り締まるということも私どもは必要であろうと思うのでありまして、この法案を準備する際にも同じような議論は出たのでありますが、この際はとにかく大きくいわれておる工場、事業場排出物、こういうものを中心にして立法しようということでこういう結果になったのでございます。この間、連合審査会で畑委員が、こういう点も不十分、ああいう点も不十分、幾つか列挙されましたが、これらについても私どもは、そういう点は不十分であります、こういうことを申し上げたのでありまして、この法律はいわば初めて発車させたい、とにかくとりあえず発車をさせたい、こういうことで出ておりますからして、今度漸次補完をしたい、いろいろな問題を補完をしていきたい、こういう考え方を持っておるのでありまして、いま御指摘のようなことが出ておらないということが私は適当であるとは思いませんが、これからこれを補完するときに御指摘のような問題はいずれも考えていかなければならぬというふうに思っております。
  45. 畑和

    ○畑委員 いま大臣も比較的謙虚に、こういういろんな点で、これも含めていろいろまだ不備の点がある、だから将来これを検討してさらに補強していきたいという御意見のようでありました。やはりこの点もわれわれ修正案として出すということにきめてあるのですが、正式にはあした出すつもりでありますけれども、「食品製造業に係る工場又は事業場における事業活動に伴って」排出するじゃなくて、「事業活動に伴って公衆の飲食に供する食品に人の健康を害する物質を混入し、公衆生命又は身体に危険を及ぼすおそれのある状態を生じさせた」場合、これが先ほど私が申し上げておりますいわゆる食品公害と俗にいわれるものなんでありまして、これをもひとつぜひこの公害罪の中に取り入れていきたい、こういうことなんであります。  いまの大臣のお話によりますれば、そういう点でいろいろ補整していくにはやぶさかでないという御意見がございましたが、特に今回は公害国会として特別に設けられた国会でもありまするから、われわれはせっかくそういった修正案を実は用意をいたしておるわけなんでありまして、先ほど言うたとおり、正式にはあす出しますけれども、この点もどうせ立法府でありますから自民党の方々と御相談をしなければならぬわけでありまして、政府だけに云々するつもりはありませんけれども、政府の考えが、そういった場合に自民党の方々もそれに同意をするならば、今次国会でそうした修正をすることについては法務大臣の御意見はどうか、その点を伺いたいと思う。
  46. 小林武治

    小林国務大臣 連合審査の際に畑委員が御指摘された推定の問題とか、あるいは複合とか集合についてのとらえ方がしてない、これはいろいろな非常な困難な問題があるのでございまして、これらも続いて検討をしていかなければならぬというふうに考えておりますが、この機会において、そういうことがいつ具体的に出てくるか、こういうようなことはいま私からは申し上げかねる、私どもも検討を続けるが、その時期等その他については言明いたしかねる、こういうことでございます。
  47. 畑和

    ○畑委員 時期等については——正式にはあした出すことにしているのですからまだ将来の問題ですけれども、大体その案は皆さんにお示ししたのですけれども、まあ補整、補強するにやぶさかではないという大臣の答弁からすれば、自民党の皆さんさえ承知をしてくれれば大臣は承知をしてくれるものだと私は思う。その点はそういう前提でいかがですか大臣。そういう前提であなたが云々というのじゃなく、自民党の方々が補整に応ずるというようなことであればこの食品を追加する問題についてそれでよろしいというお考えかどうか、この点はいかがなものか伺いたいのです。
  48. 小林武治

    小林国務大臣 これは国会の皆さんが御相談なさるべきことで、私どもがこれに対していろいろな意見を申し上げる段階でない。十分ひとつ皆さんがお出しになったものは国会として御検討くださることはけっこうだろうと思いますが、その結果がどうなるかわかりませんし、私どもがその是非ということをいま申すことは差し控えたいと考えます。
  49. 畑和

    ○畑委員 それでわかりました。それではその次の問題に移らしてもらいたいと思います。  これから御質問申し上げますのは、この間連合審査会のときに一番終わりのほうで、私二、三、いわゆる世間からざる法だといわれておる何点かの点について申し上げたのですが、この間非常に時間が足りませんでしたから、具体的に一つ一つのことにつきまして詳しく論じて大臣その他に御回答を求めることができませんでした。包括的に問題点だけを申し上げて大臣に一括して御意見をこの間伺った。そこできょうは少しこまかくその問題点、いわゆるざる法だといわれておる点、また大臣もそれを補整してだんだんりっぱなものにしていくということについては異議がない、今度は非常に急いだことでもあるし完全なものとは思っておらぬ、こういうような一般的な御答弁がありましたが、その点をさらに詰めていろいろこまかく論点別にひとつ質問してみたいと思います。  私がこの間申し上げました第一の点は、今回の処罰法によりますと、大体今度の法案は、公害罪というのは御承知のように企業活動ということが中心になっておるのですね。すなわち企業活動、一つの組織体による一つの活動の結果いろいろの害毒を流す物質を排出する、それでもって人の生命、健康を害するというようなことを自然犯として処罰することになっておると思うのでありますが、そういう組織体による活動であるにもかかわらず、結局事実行為者がまず捕捉をされ処罰される。それに付随して企業者である法人あるいは法人でない場合は事業主の個人、そういったものが処罰をされるにすぎないという点、これは両罰規定の問題ですね。この問題について当局の解釈がどういうふうな解釈になっておるかというようなことが私は相当大きく影響してくると思うのです。法人に対して一おもに法人ですが、法人だけではない、個人たる事業主もありますけれども、それもあわせて罰金刑にするというのがこの両罰規定です。これは必ずしも法人の犯罪能力を認めたものではないと思うのでありますけれども、法理でやっていきますと、結局末端の労働者というか、実際に現場を担当しておる人たちが処罰をされて、それで法人そのものは最高で五百万円の罰金というにすぎないということになっておりますので、そういうことについて、法技術的には非常に困難があると思うのですが、もっとくふうをする余地はなかったかと思うのです。私もこの間ちょっと申し上げましたが、例の道路交通法でしたかにありますね、運行管理者としての責任ということで、実際に働いている運転者でなくて、それを、たとえばそれだけの免許がないのに大型を運転するといったような場合、そうさせた運行管理者が独立して処罰をされるという規定がございますが、それと同じような考え方をここへ持ってきてやることでなければたいした効果をあげない。大法人あたり最高五百万円では、世間的に罰金になったということだと信用上の問題として影響するところもありましょうけれども、一応金銭的に見れば、大企業などは五百万円くらいたいしたことないのでありまして、たいしたきき目がない。そこで、そうした相当上層部の人に責任を負わせるというような考え方で、考えを新たにして、別にそういった統括責任者というか何とかということで、それを刑事責任の対象にするということが必要ではなかったのか。そうでないと、ともすれば、ほんとの排水口あたりを担当する労働者ふるいは班長程度処罰をされて、上層部の工場長あるいは重役陣、こういったものが処罰をされず、単に両罰規定があるからというので、これは企業の責任ですよというので罰金。法人がおもであるから、結局は、法人にはどうも懲役刑などは科せられないから、それで罰金刑だということでお茶を濁したような印象なきにしもあらず。こういうような感じがするのでありますが、この点についてどうお考えになっていらっしゃるか、立法の経過でどう考えられたか、いまどう思っていらっしゃるかということを伺いたいのです。あとでどうせ、処罰をどういう程度に、実行行為者をどの程度の人を考えておるのか、そういった問題についてまた議論をしますが、とりあえずその問題だけを法務大臣の御見解を伺います。
  50. 小林武治

    小林国務大臣 この法律は、いわば在来の考え方、行為の関係者あるいは監督責任者、こういうふうないままでの考え方がこれに入っておる、こういうふうに言わざるを得ませんが、私ども実は公害問題などは、できたら会社自体も、公害管理者、責任者、そういうものをつくっておいて、それが責任を通常の場合にも負うし、こういうふうな刑事罰の場合にも負う、こういうふうな考え方は私は一つの考え方だろうと思う。そのことがふだんの業務の運行においても私は非常に必要ではないかと思いますが、このことは法務当局だけでは考えられません。やはり通産省と申しますか業務の指導、監督をしておる、そういうところでそういうものをつくってもらいたい。会社全体として、政府全体として、そういう考え方をしてもらいたい、こういうふうに私は考えておりまして、この間の連合審査会の場合にも、これは政府全体としてそういうふうな考え方をひとつ導入してもらうことがよかろうというふうに私は考えておりまして、これがまだそこまでいっておらぬ。全体としてひとつ工場、事業場にはやはり公害管理者というふうなものも置くことが必要じゃないか、このことを続いて話し合いをしていきたい。そのことがまだできておらないからして、通常の処罰のしかたにこれはなっておる。私は、お話しのような考え方は、もういずれの場合においても必要じゃないか、こういうふうに考えております。
  51. 畑和

    ○畑委員 各省のほうにおいて、そうした公害関係の責任者を各事業別につくらせるということができれば、それを早くやって、それと両々相まって、それができた段階ではやはりそういった管理者というか責任者というか、そういうものの立場をはっきりさせて、それに対して、それに見合ったように処罰法を変えていく、こういう見解だと思います。それも確かに私はいいお考えだと思います。そういうことで特別にこの段階ではそういった処罰規定は設けなかった。ひとつこれはぜひそういった立場でやってもらわなければ実際に効果があがらぬ。下のほうだけ処罰されて、上のほうはのがれてしまう、こういうことになる懸念がある、いわゆるざる法になる危険を私は感ずるわけです。  それと関連いたしてでありまするが、その解釈の問題が大きに関係してくると思うのです。一体どういう範囲の人が事実行為者として処罰をされるのか。それを確定するにあたって、私は二つの考え方があると思う。これは、この間、公害犯に関するシンポジウムというか、「法学セミナー」に座談会が載っておりますが、その座談会の藤木教授だとか西原教授、こういった方々の御意見でありました。私もほんとうに同感なんですが、公害犯罪を作為犯的な考え方でとらえるか、あるいは不作為犯としてのとらえ方をするか。すなわち、ただ実行行為をやった、そういう害毒のあるものを流したということだけの作為犯として取り上げるか、あるいは十分な注意をして ちょっとした徴憑、危険信号、ほかでもこういう例があるといった場合に、それだけの十分な注意をして、自分のところでも同じようなことをやっておればやめるべきだった、それをやめない、あるいはまた下のほうからこういう故障があると言われて上のほうに進達をされた場合に、それを上役の人が、管理者に当たるような人が、それをそういういわゆるインフォーメーション、そういった下部からの進達を聞いてもサボっておる、そういう例がずいぶんあります。企業の利益を追求するあまり、そういったことがあるのにそれを見過ごしてやった、そのまま継続した、いわゆる不作為、そういった考え方ですね。不作為犯的にとらえるのと作為犯的にとらえるのとうんと違いが出てくると思います。そういった場合に、今後の解釈の問題として、やはり不作為犯的にとらえることによって、いろいろな現実の状態を捜査段階その他で調べて、そしてそういうようなことがあったにかかわらず、上のほうでこれを改善をし、あるいはこれを中止をする、こういったことをしなかったことによって、そういった危険な排出をしてしまったということになった場合は、当然私は上のほうの人が処罰をされて、むしろこういった危険が出ましたよといって進達をして、上司に報告した人はむしろ違法性を阻却されるというか、可罰性がなくなるというような問題になる。それを知っててやった場合には、やはり現場の労働者としても処罰をされるのはいたし方ないのかもしらぬけれども、いずれにしろ、あるいは共犯理論的なものになって、それをだれを起訴してもよろしいという、そういういまのやり方、それによって上のほうだけ起訴して下のほうは起訴しないということもあろうと思いますが、そういった場合に、こういった考え方でやっておるのか、やろうとされるのかどうかということ、その点私は大きなポイントだと思うのです。ざる法にさせるのとさせないのとはえらい違いだと思うのです。そういった点で管理者ということの規定をしないことと相まって、そういう危険性がきわめて強い。解釈いかんによっては非常に下だけが処罰されて、上のほうは処罰をされない、たかだか五百万円の罰金だということで監督責任を問われておる、罰金で問われるという程度に終わるのじゃないかと思う。その点はどうお考えですか。
  52. 辻辰三郎

    辻政府委員 まずこの法案で、行為者として処罰される者はどういう者であるかという御指摘であろうと思うのでございます。私どもは、この法案にございますように、この行為者として処罰の対象になります者は、「工場又は事業場における事業活動に伴って人の健康を害する物質を排出」した者でございます。したがいまして、もとより具体的な事実関係によって事案事案で異なってはまいりますけれども、一般的には工場長その他これに準ずる地位にある者等のごとく、工場または事業場における事業活動、特に排出に関する業務について何らかの責任のある立場にある者、これがこの行為者に当たる、一般的にはそういうことになろうと思うのでございます。そして末端の機械的労務に従事している者にすぎないという者は、これまたもとより具体的事案によりますけれども、単なる上司の命令によって、事を行なったというような者は、やはり機械的労務者ということで、本法にいう排出したということには当たらないと思うのでございます。
  53. 畑和

    ○畑委員 そういう解釈をとることが当然だと思う。その考え方の基底となっているのは、私が先ほど言った不作為犯的なとらえ方をするということと通ずると思うのですが、そうでなければとかく実際にやった労働者が処罰されて、上のほうは処罰されないことになるが、いまの刑事局長の答弁によれば、当然本来的には工場長なりその辺の人が処罰をされ、実際に現場に当たっている人たちは、命令によってやっているということだから、ちゃんと十分自分が知っていて、それを上司にも言わなかったという場合は別として、そうでない場合、一般的には上の者だけが処罰されるというふうに考えてよろしいと私は思いますが、それでいいですね。
  54. 辻辰三郎

    辻政府委員 先ほども申し上げましたように、具体的事案によってこれは変わってくるわけでございますから、一がいに下の者はどんな場合も処罰されないということもこれは不可能、そういうことは不可能であろうと思うのでございます。要は、この法案におきましては、「事業活動に伴って人の健康を害する物質を排出」した者、こういうふうに認定できる者ということでございます。たとえば末端の工員といいますか、末端の労務者の万々がたまたまその人の過失でバルブを締め忘れたとか、そういう場合なんかも、それは事案によってはあると思うのでございます。要は具体的事案によるわけでございますが、本法の趣旨とするところはただいま申し上げたとおりでございます。
  55. 畑和

    ○畑委員 では次の質問に移りますが、次の問題は因果関係の問題で、今度新しく法律に盛られております因果関係の推定の規定、この問題については先ほど羽田野君もいろいろ御質問になられた。これは疑わしきは罰するということになるのではないかというようなことで、相当慎重を要するといったような意味の発言だと思います。そのものについては賛成だけれども、その援用によって挙証責任の転換になるかどうかというような問題でいろいろ議論があったと思うのです。この問題についても、私は基本的には、公害犯罪を犯罪として処罰をするからにはやはり思い切った立場をとることが必要だ。捜査がしやすい、その他裁判がしやすいというような観点からも、因果関係の推定を設けること自体は必ずしも私は賛成じゃないのですが、一応評価をいたします。ただ、それが今度の場合も非常に形式的でありまして、またかつ限定的な規定になっておりますが、はたしてどの程度この因果関係の推定の規定が実際に働くものかという点について相当疑問を持っておるわけです。  その一つとしては、もちろん異種複合の場合、同じ複合でも、違った性質の物質の複合と、それから同じ種類の複合とが御承知のようにあると思います。その場合に、異種複合についてはこれはもちろん適用にならぬと思いますが、それはどうですか。
  56. 辻辰三郎

    辻政府委員 異種複合という場合の具体的などういう点を御指摘になりますのか、物質が違うという意味でございますか。
  57. 畑和

    ○畑委員 物質が違って、結局それが一緒になって、一緒になると一つの害悪があるというような場合。
  58. 辻辰三郎

    辻政府委員 この点につきましては、この第五条にございますとおり、「工場又は事業場における事業活動に伴い、当該排出のみによっても公衆生命又は身体に危険が生じうる程度に人の健康を害する物質を排出した者がある場合において、その排出によりそのような危険が生じうる地域内に同種の物質による公衆生命又は身体の危険が生じているときは、」ということでございますから、いま御指摘の異種というものはこの対象にならないというふうに考えております。
  59. 畑和

    ○畑委員 そうすると、同種の場合はどうでしょうか。同種の場合は全部適用になりますか。その点がお聞きしたい。
  60. 辻辰三郎

    辻政府委員 同種の場合につきましては、ただいま読み上げましたように、この推定が働きます要件といたしまして、「当該排出のみによっても公衆生命又は身体に危険が生じうる程度排出した者」これがあるということが前提でございます。この人が推定を受ける客体になるわけでございまして、この点は当該排出のみによっても生命身体に危険が生じ得る程度排出をしているということは立証されなければならない、そういう者について推定の対象が働いてくるということでございます。
  61. 畑和

    ○畑委員 そうすると、同じ種類のものが——その川の流域に工場がいろいろある。そうした場合に、一つの工場から排出したものがそういった危険な状態発生する。一つでもそういう危険が発生する可能性、危険があるといった場合の推定、それならもう推定されるけれども、それがA、B、C、Dとある。これを合わせた場合に、危険を及ぼす状態になる。同じ種類の場合、一つだけではそういうことにならぬ。たとえば水の場合も当たりましょうが、空気の汚染の場合、四日市とか川崎とか、硫黄分の関係で硫化酸素といいますかああいう物質が一つのところだけではそれだけの危険のような状態にならぬ。ところが、同じものが合わさって、幾つかの工場が合わさってすると、ミックスされると量的に拡大されて、そうして危険な状態になっていくといったような場合にはこれは当たらない。要するに、一つだけでもそういった状態になるというようなところじゃなければ推定がきかない、こういうことですか。
  62. 辻辰三郎

    辻政府委員 つまり一つで、「当該排出のみによっても公衆生命又は身体に危険が生じうる程度に物質を排出した者」これについて推定の規定が働いてくるわけでございます。だから、そういう程度排出した者がたくさんある場合には、それはこの対象になりますけれども、この程度に至らぬものがたくさんあって、そうして合わせて危険な状態が来たという場合は、この推定の適用になりません。あくまでも一つについて、その当該排出のみによっても生命身体に危険が生じ得る程度排出していなければならない、こういう趣旨でございます。
  63. 畑和

    ○畑委員 そうすると、重ねて言うようだけれども程度の低いものが合わさって一緒になると、同じ種類のものでも一緒になると危険なような状態になる。そういう状態では、捕捉されないんで、一つだけでもそういった危険な状態になるような場合にだけこの推定がきくんだ、こういうことですね。そうすると、たとえば四日市の場合にはそれに当たるかどうかわからぬけれども、幾つかの工場で、一つ工場がよけいに建ったという場合に、今度はそれによって全体の総合したものがある一定の基準、危険な状態よりもオーバーしたというときの場合なんかどうなりましょうか。
  64. 辻辰三郎

    辻政府委員 要するに、先ほど来申し上げておりますように、「当該排出のみによっても公衆生命又は身体に危険が生じうる程度に人の健康を害する物質を排出した者」これについてこの推定規定が働くのでありまして、それだけの程度排出しておる者が二つか三つあれば、その二つ、三つがいずれも当たりますけれども、その程度まで排出してない者が幾らたくさんあってもそれについてはこの推定規定の対象にはならない、こういう意味でございます。
  65. 畑和

    ○畑委員 重ねて言うようだけれども、そうすると、Aも合格、Bも合格、それ自体ではCも合格、Dも合格、こういう場合ではどこも推定の場合には当たらぬ。ただA、B、C、Dで全部合わさった場合に危険が出る。そういった場合にはそうすると完全に適用にならぬ。AとBが不合格といった場合にはA、Bが推定を受けるけれども、C、Dの場合はそういうとき、ただ一緒に全部合わさると一定の危険になるというときには推定の規定は適用がないということになりますね。くどいようだが。
  66. 辻辰三郎

    辻政府委員 要するに当該排出のみでその生命身体に危険を生じ得る程度排出しておる者につきましてこの推定規定が働くわけでございます。
  67. 畑和

    ○畑委員 そうなると、結局この推定規定ほんとうにいろいろざる法的な傾向が非常に多いと思うのですね。まあそうとも言えないかな。そうでもないが、同種複合の場合でも、そういった濃度が高まって一緒に合わさると危険になってしまうという者には適用にならぬということだと思う。結局この点にも非常に私は問題があると思うのだが、ともかく実際がよくわかりました。事実としてはわかった。立法論は別として。  その次に、私この間申し上げました第三の点は、こういった公害というのは長期にわたる継続的な有害物質の排出ということになりますから、とかく工場などは比較的短期にいろいろ工場長などが交代しますね、交代した場合に、共犯理論を適用するのに相当困難がありゃせぬかと思うのです。ほかの犯罪と違って継続的な長期なものですから、それがだんだん蓄積される関係もあるし、相当前のものがいまになって出るというようなこともありますし、そういう点で実行行為者を特定するのになかなか骨が折れる、こういう点を私は心配しているのですが、この点はどうでしょうか。
  68. 辻辰三郎

    辻政府委員 ただいま御指摘の点は、有害物質の場合でも特に蓄積性のあるような物質にかかわる案件についての御指摘であろうと思うのでございますけれども、この法案法律になりました場合の本法施行前の行為について罰則がかからないことはもとよりでございますが、その場合に、やはりそういう蓄積性のある物質なんかにつきましては、その当該工場の担当者がかわったというような場合は、これはやはり刑法の一般的な共犯理論、特に承継的共犯の理論によって解決されるべきものであろうと考えておるわけでございます。
  69. 高橋英吉

    高橋委員長 この際、午後一時三十分再開することとし、暫時休憩いたします。    午後零時十九分休憩      ————◇—————    午後一時四十三分閣議
  70. 高橋英吉

    高橋委員長 休憩前に引き続き、会議を開きます。  質疑を続行いたします。畑和君。
  71. 畑和

    ○畑委員 午前中の質疑に続きまして、御質問を申し上げます。  私が次に伺いたいのは、排出基準の問題、これは故意、過失とも関連があると思いますけれども排出基準との関係、この点について質問いたしたいと思います。  今度も、排出基準を守っておった場合には違法性を阻却されるのかどうかというような問題について、財界のほうからの要望も、新聞によりますと、他の法令で認めている場合にはということで規定の中に盛り込んでくれというような意見もあったようであります。しかし、結局政府の原案はこれを特に盛り込むことなしに提案がされておりますが、実際の適用にあたって、排出基準というものを守っておった場合には解釈上免責をされるというようなことで大体あなたのほうでは考えておられるのか、その点をひとつお聞きしたいと思います。
  72. 辻辰三郎

    辻政府委員 もともとこの排出基準は、関係省庁が法律に基づきまして物質の性質、施設あるいは地域の状況等についてあらゆる角度から専門的な検討を行なった上、多数の事業者が同時に同じ物質を排出いたしましたとしても、およそ人の健康にかかわる公害を生ずることがないという観点から、いわゆる安全度をきわめて高く見込んで定めておりますので、各事業者はこの基準を順守しております限り、この法律案が対象としております国民の健康に重大な脅威を及ぼすような事態の発生はあり得ないことと考えております。特に一人の事業者の基準以下の排出行為によって右のような事態が発生するということは、なおのこと考えられない問題であると考えておるわけでございます。  かように事実上まずこの犯罪が成立する余地がないとまでいっていいと思うのでありますが、かりに排出基準が誤っておったというようなことがございましても、排出基準を守っておる限り、通常は危険を生じさせることにつきまして故意とか過失がないということになろうと思うのでございます。この意味におきましても、本法案の罪が成立する余地がないということに相なろうかと思います。
  73. 畑和

    ○畑委員 そうすると、相当多数の企業がその物質を排出するであろう、量的に幾つもの工場が排出する、それによって被害が出る。そういうことを考慮して非常に厳格に、きびしい排出基準をきめなければならぬと私も思うのです。同種複合というか、それで一定の危険があるという場合が生じるのですから、そのときには先ほど言ったような類推規定が適用にならぬ場合が多いということを考えた場合に、やはりそういうことを考慮して排出基準というものは非常に厳格にきめる必要があろうと私は思う。ところが、はたしてそのとおり厳格にきめられるかどうか。これは法務当局がきめるんじゃなくてほかの行政当局がきめるわけなんでありますけれども、それがよほど厳格でないと、私が先ほど言ったように、幾つもの工場がその排出基準さえ守っていればいいということでやった場合に、同種複合の場合に危険が出る。そうなってしまってから、これは基準が低過ぎたというのでもっと高くするということに実際はなろうかと私は思う。そういうことを考えてみた場合に、排出基準だけを守っておればいいのだということで免責をされるということはまた危険だと私は思う。そういう点で私はやはりざる法のそしりを免れないのではないかと思う。排出基準を初めからきびしくきめることは実際問題としてなかなかできないと思う。だんだん現実に教えられてきびしくなるんだ。ほんとうは思い切って環境基準というものをぱっときめて、それからまたそれを考慮して今度は排出基準をきめる。排出基準はさらにもっと厳格にきめる。環境基準というものがわれわれの基準法にはあるんですが、環境基準点と排出基準点と明瞭に区別している。その必要はあろうと思うが、いままでの政府側の公害対策基本法ですか、それにはないんじゃないかと思うのです。われわれは環境基準と排出基準とはっきり区別している。ただあるとしても、おそらく維持されることが望ましい目標規定になっているんだろうと思うのですが、それじゃ非常にぐあいが悪いので、もっと環境基準をびっしりきめ、それによって排出基準をきめるということがなければならぬと思う。そういう点から申しまして、排出基準だけを守っておればよろしいというような解釈は私は非常に危険だと思う。学者の間にいろいろ異論があって、それじゃだめだというような場合には、やはりそういう学者の意見があったような段階でも、排出基準を守っておってももうやはり過失を少なくとも認定することができるということにして、違法性の阻却、免責ということに必ずしも私は結びつけるべきでないと思うのですがいかがですか。
  74. 辻辰三郎

    辻政府委員 その点は先ほども申し上げたとおりでございまして、現在定められております排出基準というものは多数の事業者が同時に排出するということを前提にして、かつ安全度を十分に見込んで定めておりますから、この排出基準を守っております限りは事実上の問題としてこの「公衆生命又は身体に危険を」生ぜしめるという事態は起きないと確信するものでございます。かりに排出基準が甘くなっておってそういう事態が生ずるといたしましても、これはやはり排出者にとりましては故意または過失がなくなるというのが通例の場合であろうと思うのでございます。そういう意味におきましてこの法案の罪は成立しないのが原則であるというふうに思うわけでございます。
  75. 畑和

    ○畑委員 それにまた関連するのですが、生態学的に、そういう物質が流される、それをある動物が食べる、その動物をまたほかの動物が食べる、そしてその動物が今度は卵を産む、しかもその卵は人間が食うといった場合に、ずっと濃縮をされてあらわれる場合がありますね。そういう場合などに対処するのにはそれで十分かどうか、私は非常に疑問を持つわけなんですが、その場合はどうでしょうか。
  76. 辻辰三郎

    辻政府委員 そういう具体的な例があるかどうか存じないわけでございまが、そういう場合も考えてなお排出基準というものがつくられておるのであろうと私ども考えております。
  77. 畑和

    ○畑委員 だから、結局排出基準をどこに置くかという問題になってくるわけです。したがって、この法規をきめても、排出基準というものが厳格にきめられない限りは、やはり結果においてそういったものが逃げるおそれがあるのだと私は思うのです。とかく、排出基準をきめるというのは中立的な人だけできめればいいんだけれども、場合によっては企業者の中の代表なども入ってきめるという場合も相当あると思うのです。同時にまた、急にはなかなかいかぬからということで、そんな厳格な排出基準が一度にはきまらないと思うのです。それでやっているうちにいろいろな危険が実際出てきて、それでこれじゃだめだからというのでまた排出基準を今度は厳格にきめるというようなことが出てくると思うのだ。だから、その点抑止力をねらった処罰法の場合においては、ただ形式的に排出基準だけを守っておればよろしいということは非常に危険であって、排出基準を守っておってもそういった場合にはやっているうちに途中で——排出基準なんてなかなか急に変わるものじゃない。そうやっているうちに実際の実害がそれでも出たという場合、学者間でも排出基準は低きに過ぎるというような議論が出てきた場合、その後においてそういうことがあっても、排出基準だけがきまっていてまだ変更にならないのだから守っていさえすればいいんだということでみんなやると思うのですね。ほかの労働基準関係しの場合、工場なんかの安全ということがありますね。ああいった場合にはおそらく安全基準というのがきめてあっても、結局建築業者等は法律できまったものよりも、政令できまったものよりももっときびしい安全基準を自分自身でやると思うのだ。ところが、こういう一般の企業の場合には、公害が予想されておるような場合には、ほんとうにきめられた基準ぎりぎりでやる場合がどうしても多いと思うんです。そうなるとさっき言ったような複合というようなことから、それでも危険があるというようなことがあると思う。私はそういう場合を心配しておるんだが、あなたの場合は、もう相当基準はきびしくきめられてあるんであろうから、したがってその基準さえ守っておればいいということになる。大企業はたいてい基準は守りますよ。それで何もなかったらいいけれども、やはりいろいろな実害が複合的に起こってくる可能性はあるわけだ。そういう場合には、いま基準を動かさずに、あなたのほうの解釈の原則を守っていくのかどうかということをひとつ伺いたい。結局、基準はきびしくきめらるべきはずだというけれども、なかなかそれは他の行政当局がやるのであって、今度大気汚染水質汚濁もいろいろ基準がきめられるでしょう。政令にまかされることになると思うんだが、それもどういう程度のものかわからないということ等から考えて、あるいはまた全部についてなかなか網羅できないということもあるであろうし、そういう場合、ただ排水基準だけを守っておればよろしいということでは済まないんじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。
  78. 辻辰三郎

    辻政府委員 これは必ずしも私どもの所管ではないと思いますが、また事実問題であろうと思うのでございますが、この排出基準というものは現在もたしか大気関係では二つの物質について定められ、これが今回の改正等でたしか四つ加わって六つになるというふうに承知いたしておりますし、水のほうは現在九つの物質について排水基準がきめられておると承知いたしております。この排出基準を見てまいりますと、たいへんな安全度が見込んできめられておるわけでございまして、現在の排出基準というものを前提に考えます限りは、畑委員も御心配になるような事態というものは、この法律にいう危険な事態というものは発生しないものと存ずるのでございます。  理屈の問題といたしましては、この排出基準というものは法律に基づいて定められるものでございますから、これを守っておる限りは、通例の場合は故意または過失を阻却するということに相なろうかと思うのでございます。
  79. 畑和

    ○畑委員 そうすると、排出基準をきめられておる物質がまだまだ非常に限定されておる。これからさらに危険であるというようなそういう物質がだんだん出てくると思うんですね。そういったような状態で、いままだあらゆる危険物質について排出基準がきまっているという段階でない。したがって、それに漏れているものがまだ相当ある、こういう状況だと現在思うのです。そういう場合に、排出基準がきまっておるのはそれでよろしい、排出基準がきまっておらないものについてはもちろん基準というものはない。それで一般の原則によって、要するに危険を生ぜしめるような程度のものということでいくのが一番いいと思うし、いくほかないと思いますが、そういうことになるわけですね。
  80. 辻辰三郎

    辻政府委員 もとよりこの法案の犯罪要件には、排出基準との関係を構成要件とはいたしておりませんから、排出基準の定められていない物質につきまして、排出から法案の定めるような「公衆生命又は身体に危険を生じさせた」それについて故意または過失があれば、本法案に定める罪が成立するということに相なる次第でございます。
  81. 畑和

    ○畑委員 そうなると、結局排出基準がいろんな物質にまだ網羅されてきめられていないという段階も考慮したのですか。財界の一部の意向あるいは自民党内の異論という点で、明確に排出基準を守ってさえいればというようなことで規定しても、排出基準がまだきまっていない部分もあるから、明確にきめた。ところが排出基準のないところについては、じゃあ取り締まれないということになるから、したがって明文には入れないで解釈の問題として、排出基準のきまっておるものについては排出基準を守っておれば免責されるというような解釈ができる、こういうことになったのですが、そういうことになると。
  82. 辻辰三郎

    辻政府委員 この法案に定めておりますこの犯罪は、先ほど申しましたように、その排出基準との関係は犯罪の構成要件になっておりません。したがいまして、二条、三条とも本来ここに規定しております行為であれば、これは犯罪になるわけでございます。だから、この法案の犯罪の成否については、いわば理論的には排出基準の存否とは無関係なものでございます。
  83. 畑和

    ○畑委員 法律の問題については無関係だけれども、ただ解釈の問題として、実際に適用する場合に、あなた方の話からすれば、排出基準がきまっている物質については、排出基準を守っておればとにかく免責をされるということと了解してよろしゅうございますね。
  84. 辻辰三郎

    辻政府委員 これは先ほど来申し上げておりますように、まず第一に、排出基準のきめられております物質につきましては、事実上の問題として、排出基準を守っておる限りは生命身体に危険な状態は生じないということをまず私ども確信をいたしておるわけでございます。  それから、この排出基準がかりに間違っておって、この危険な状態が生じたというような場合を想定いたしますと、その場合は個々的な事案の問題になるわけでございますけれども、当該事案につきまして行為者がこの基準を守っておれば、通例の場合は故意を阻却するか過失を阻却するかという問題になって、結論的にはこの法案が適用されないという結果になると考えられる、こういうふうに考えておるのでございます。
  85. 畑和

    ○畑委員 大体わかりました。しかし、私は、いま刑事局長から、排出基準を守っておりさえすれば危険は出ない、こういう断定的な見解だったと思うが、そこがそうはいかぬのじゃないか、私はそう思うのです。排出基準を変えることは、なかなかしょっちゅうできないだろうし、そうなってくると、やはり排出基準を守っておっても危険が出るということがあるので、排出基準を守っておれば危険を発する余地はないんだというような断定は早きに失すると思うが、いかがでございましょう。
  86. 辻辰三郎

    辻政府委員 これはもとより関係省庁の問題でございますが、関係省庁におきましては、そういう排出基準を守っておってなお公衆生命身体に危険な状態が生ずるようなそういう排出基準は、これはきめることはないと私は確信するわけでございます。
  87. 畑和

    ○畑委員 その点もう大体あなたの意向はわかりましたので、いつまで続けておっても何ですから次のほうへ進みたいと思います。  今度は故意、過失の問題について少し意見を聞きたいと思う。  私は確定的な故意というものはほとんどこういった問題についてはないと思うのです。問題は故意があるとすれば未必の故意だと思うのですね。一体未必の故意は相当あり得ると思うのです。未必の故意と過失の場合というのはほんとうに紙一重だと思うのです。大体どういう場合か想定した場合に、どういう場合が未必の故意になるか、ひとつ具体例か何かあげられたらあげてもらいたいと思うのです。
  88. 辻辰三郎

    辻政府委員 この第二条は故意犯でございますし、第三条は過失犯でございます。  この第二条の故意犯の場合に、未必の故意がこの故意として含まれることは、これは一般刑事法の理論として当然のことでございます。本法案の第二条におきましても未必の故意があれば足りるということに相なるわけでございます。  そこで、具体的な例をあげろという御指摘でございますが、そういたしますと、かりにある工場長がアルキル水銀を含む工場排水を河川に排出いたしております場合におきまして、ある工場長は、アルキル水銀が人の健康を害する物質である、これを排出していること及びその排出されたアルキル水銀が川底に堆積して、その河川の魚介類を汚染し、その魚介類を常食としている不特定多数の人が生命身体に危害を生ずる危険を発生させること、この要件それぞれについて確定的または未必的な認識があるという場合に、この第二条が成立するということになるわけでございます。過失の場合につきましては、やはり当該有害物質を排出するにあたりまして、その有害物質を扱う者といたしましての当然の業務上の注意義務があろうと思うのでございますが、その注意義務というものに関しましてこういう事態を起こしたという場合には過失犯が成立する、これは一般の刑事法理論の場合と少しも変わるところはないと考えております。
  89. 畑和

    ○畑委員 学者の間で、たとえばこういう場合にこうして危険があるのだということはよく言われる。ところが自分は、自分の実験の結果はこんな程度にはならない、こういうふうに工場長なり何なりが考えて、そういう学者の説等があり世間でもいろいろいわれておるのに、自分だけはそうじゃないと確信しておるといった場合に、実際にそういう危険が生じたというときにはどういうことになりますか。やはりそういう警告的な徴憑というか警告的な事実があった以降、過失になるあるいは未必の故意になる、こういうふうになるのでしょうか。その辺はどうでしょう。
  90. 辻辰三郎

    辻政府委員 これは当該有毒物質を取り扱う者といたしまして、その時点において科学的に解明されておる限度というものをこの取り扱い者としての注意義務といいますか、その時点における科学的知識を前提にした客観的な注意義務というものが取り扱い者に要求されると思うのであります。その注意義務を前提にして過失の存否というものを認定されることになろうと思うわけでございます。
  91. 畑和

    ○畑委員 たとえば水俣病など、そういうこともいまはないのですけれども、当時の状況として、原因が何かわからない、ただ奇病だ奇病だといわれるような騒ぎがあった。その段階ではもちろん過失は問うことはちょっと無理だと思うのです。それからその後あの工場の排水がおかしいというようなことで、それで専門家の間でいろいろ資料を採取したり何かして、その結果やはりそこの廃液の中からの物質がそういうことになっておるんだ、そういう結果をもたらしておる危険性があるというような段階に達した場合に、その企業がそれに応ずる適切な措置を講じなかったというようなとき、そういったときに過失が問われる。その前には問われないが、そのときに問われる。その以降問われるんだろうというふうに私は思うのですが、その点はどうでしょうか。
  92. 辻辰三郎

    辻政府委員 これは排出行為の時点における客観的な科学知識というものが前提になろうと思うのであります。
  93. 畑和

    ○畑委員 故意と過失の問題については以上にとどめたいと思います。  それから刑法の問題、もう話を変えまして、この処罰法と違うのですが、例の無過失責任の問題になるわけです。これはわが党のほうで無過失損害賠償法を公害に限って出したわけなんですが、その問題については、私のほうの案についてはいずれまた質問を受けるとして、逆に、私のほうはまだ正式の議題にはなっていないかもしらぬけれども、関連をして、無過失責任の問題について、この間実は私、法務大臣といろいろ意見を戦わせたのです。先ほども法務大臣と非公式な話をしましたが、いろいろ議論している間にお互いにわかってきたというような感じが私もしました。小林大臣もそう言われたが、私もそういった感じを深くしたのです。やはり議論していくとそのうちにだんだんとお互いのあれが明確になってくるというような感じがいたして、非常に私は前進だったと思うのです。  それで、最近非常に公害が次々と出て、しかもたくさんの大衆がこの害毒によって病気になりあるいは死んでいる、こういうことなんです。それだからこそ公害国会を開くような事態になったわけですが、それについて私は、刑事罰としてこの公害罪を立法したということは、これはざる法というような非難は確かにある。あるけれども、ひとつ自然犯としてこれをとらえるというようなことで、きびしくやっているというような抑止力をねらった効果としては、私は評価をいたしておるのでありますけれども、それと相呼応して同じような考えで、民事の賠償につきましてもやはり一歩進んだ、いままでの扱いと違った被害者救済の手段を講ずべきだと思っておるわけです。この間の連合審査の際も私申し上げましたけれども、七百九条という規定は、御承知のように、封建制度から抜け出したそのあとのいまの近代初期の時代に、非常に大きな効果をあらゆる面においてあげたと私は思うのです。ところが、最近は非常に複雑な機械ができたり、技術の進歩によって、さらにまた薬品にしてもいろいろなデリケートな薬品ができた。そういうような段階になってまいった。結局、いままでは過失がなければ損害賠償を負わぬでもよろしいというのが、御承知の七百九条の規定でございます。ところが、やはりこういうような段階になってまいりますと、過失がなくとも損害が起きる場合が多い。過失があるかないかわからない、むずかしいというようなことはもちろんのことでありますが、時代が変わってきて世の中が複雑になってきて、企業というものがいろいろ大きな力を持ってまいってきますと、こうしたイタイイタイ病だの水俣病だのといったようなもの、サリドマイド事件といったようなものが次々と起きる。一般の大衆はきわめて無力だということになって、損害賠償の訴訟をやりましてもなかなか過失の立証が骨が折れる。しがも事件がえらい長引くわけですね。御承知のように何年もかかる。それでは救済の実があげられない。いままで七百九条という規定は、結局、加害者と被害者との間の公平という問題に相当大きく寄与して、企業の発展もそれによって促されたということだと思うのですが、いまやそれが足かせになって、不公平な原則になってきた。特に企業活動の場合においてはそういうことになってきた。それをやはり民事の面において被害者の救済という点で新しく観点を変えて、民法の例外を私は設ける必要があると思うのです。そして無過失でも賠償をする、過失の立証は必要としない、反証がなければそれでよろしいというようなことでいくのでなければ、ほんとうの公平の原則に合うような事態にはならない、こう思うのであります。  この間も実は法務大臣とその点いろいろと議論しました。法務大臣考え方は、いままで鉱業法だとかあるいは水洗炭業法だとか、それから独禁法とか、あるいはまたこれは少し違いますけれども、そのほか原子力損害の賠償に関する法律ですか、そういった私がちょっと記憶しているだけでも幾つかあります。さらにこれについてまたどういうのがあるか。民事局のほうから聞きたいのですが、個別法において無過失責任あるいは無過失責任と似たような規定規定している法律にどういう法律があるか。あとで聞きますが、そういう縦のというか、この間、縦割りと横割りの話が法務大臣とございましたが、縦の、個別の非常に危険が多い——原子力なとはきわめて危険が多い。鉱業についても同じで、いつどういうふうにして水が流れたりなどして被害をたくさん受けないとも限らないといったようなことについて、個別にやっていく。いまのところ無理かもしれぬが、さらにそれを新しく考えてつけ加えていく、こういう個々の法規できめていく、ほかの各省でおのおの担当に応じてきめていく。そうすべきであって、公害についてだけではあるけれども、横の広い関係で、民法の例外規定をつくるべきではないというような、法務大臣の大体要約したらそういう考えだというふうに承ったのでありますが、私はまだとても法務大臣の理屈にそうですかというわけにまいらぬのであります。公害だけに限ってはそういう事態であるだけに、私が先ほど申し上げましたように、一方は強大な企業であり、一方は弱い大衆である。立証するべきものもたくさんない。企業のほうはなかなか強大で、しかも技術的にも進歩している。いろいろノーハウ等で場合によっては消防車も入れないといったような企業秘密ということを守る。立ち入りもなかなかさせないというような状況下においては、そういった企業活動に応じての公害問題についての損害賠償だけについては、しかも健康に害があるということにしぼって、それと財産権の一部についてだけわれわれ提案しております。そういうものに限って一応しぼりをかけて、横の考え方で民法の例外規定を独立の法規で規定をするという必要が私はあると思う。個別のものではなかなか規制し切れない。この間、法務大臣にも言ったのですが、法務大臣は、各省でやるべきだ、法務大臣のほうとしては各省でやればそれでいい、そのとき協議に応ずるという形だったと思う。ところが、そういった公害についてだけの横の規定を、無過失責任の規定を私らが提案したように設けるとすれば、これはやはり法務省の民事局の管轄だ。そういう点で意見が違ったのですが、私はいまでもそういうふうな考え方を持っておるのです。  つきましては、まず民事局のほうに、私の知っている限りで、いままでの個別法でそういった無過失責任あるいはそれに近いもの、それが規定されているのは何と何か、どういうふうな規定なのか、こまかいことは要りませんけれども、それをまず最初にお伺いしておきたい。私も全部知っているわけじゃありませんので、参考のためにひとつお聞きしたいと思うのです。  それと同時にもう一つ、将来少なくてもそういったものをやるべきだと思われるような、個別法における無過失責任をつくるべきだというふうに考えておられるものはどういうものがあるか、そういうことをひとつ承りたい。  同時にまた、大臣のほうから民事局のほうへ、そういった意味公害に関する無過失責任に関する問題を立法化するようなことが必要があるかどうか、あるいは必要があるとすれば、どうしたらいいかというようなことについて研究を命ぜられたことがあるかどうか、その点についてまず承りたい。
  94. 小林武治

    小林国務大臣 私は、一つ申し上げておきたいのでありますが、どうも今度の法律をざる法ざる法と、非常に人聞きの悪いことをおっしゃいますが、しかし、ざる法でも程度の問題があって、いわゆるざる法というのは何にも役に立たない法律のことをいうのだろうと思います。私は今回の公害罪法律がそういう意味のざる法とは絶対思わない、やはり抑止的効果というものは非常に大きい、その点はぜひお認め願いたい。普通のざる法などと同一に扱わぬでほしい。まことに人聞きが悪くて、ざる法だざる法だ、まるでこの程度法律は要らないのだ、こういう印象を与えることは私は非常に適当でないと思うのでありまして、その点ざる法でも役に立たないざる法もあるが、この法律は役に立つのだということをひとつ前提にしたような御議論も願いたいし、そういうふうな考え方を持っていただきたい。私は、畑委員もこの法律はやはりいろいろ役に立つのだ、こういうお考えをお持ちだと思いますから、そのこともひとつ、お尋ねと申しては何でありますが、言っていただきたい。  それから、あとの問題につきましては、私は、公害罪という特殊な態様について、無過失責任というものはある程度まで考えるべきだ、こういうことを前提としてお話をしております。ただ、いまの段階においては公害範囲とか態様とかきわめて不明確でありまして、それを包括的に公害だから無過失だと認めろ、こういうことは非常に大きな誤解を来たす。ことに過失責任というものは、あなたがおっしゃるまでもなく、長い間の法律秩序であった。そして、いまおっしゃるように、完全に無過失なんということはやっぱり時勢に合わない。いろいろの化学工業が出てきて巨大な生産事業ができてくれば、御承知の七百九条をそのまま墨守すべきでないという議論は私もそのとおりだと思います。やはり時代に合うように考えるべきだと思いますが、何と申しましても、無過失責任ということは、大きく見て経済秩序、産業秩序を混乱させる非常に大きな問題であって、これは刑事の問題と民事の問題とおのずから別がある。ことに刑事の問題につきましては、たとえばこの法律が通れば、告発、告訴が非常にふえるだろう。こういわれておりますが、これはとにかく一応は検察というものがそこにあって、そして適当な処理をする。検察が非常に忙しくなるというようにいわれますが、やはりそこでもって一応の処理と申すか、スクリーンと申しますか、そういうものがありますが、民事については御承知のように、とにかく一応の形式を備えれば民事裁判所はこれを全部受理する。それが全部無過失で取り扱われるようになると、私は大きく見て、これは社会全体から見れば産業秩序の非常に大きな不安、こういうものがあるからして、これは全体としてそういうことも考えてきめなければならぬ。しかし、いま被害が非常に甚大である、あるいは深刻である、しかもその過失の問題処理はきわめて困難である、あるいは不可能である、こういうものもありますから、そういうものについてはやはり被害者救済ということの観点からも無過失責任というものを考えてしかるべきである。  だから私は、これをやらないというのではなくて、長い間の一つの伝統等から、できるだけ民法の例外中の例外であるからして、その事態にマッチするような考え方をここにとっていかなければならないということで、私は畑委員が言われるような包括的な、あるいは横断的な規定でなくて、個別的に検討していって、その個別が多くなればまた横断的なものも考えられる。これらは一度に、さあいまこうだからこういうふうにしろというふうな飛躍的な考え方は私はどうかと思っておりまして、いまの刑事問題もさることながら、無過失問題というものは、産業自体にとっても社会秩序自体にとってもまことに重大な問題だ。だから、できたらひとつ積み上げ方式を考えていきたいというのが私ども考えで、この考え方は私は、いま私に関する限りこれを動かすということは考えられない、こういうことでありまして、個別的にもできるだけたくさんやっていけ、こういうお話なら私どもも受け取れると思うのでございます。私は、やはり実際問題としてそういう考え方をしなければならない事項があるというふうに考えます。ここで私どもが、それじゃいま何がと言われると、私も言いたいことがありますが、これは非常に影響がありますから、いまここで私から申し上げることは差し控えたいと思いますが、私は、政府部内においては、これはやれるのじゃないかということは、それぞれの省庁に私ども意見として申し出る、そういうことも考えております。  大体以上のことでひとつ御了承を願いたいと思います。
  95. 畑和

    ○畑委員 いまの大臣の二つの点ですが、最初のざる法云々のお話です。私も無過失責任の話に移るときに、冒頭申し上げました。この公害処罰法も一応評価はすると私は言っているのです。それで、午前中にいろいろざる法的な批判を受けやすいような点については、次々といろいろ質疑をかわしたわけでありますが、そういう意味での申し方でありまして、私も一応自然犯としてこれをとらえ、そして処罰していくということについての今度の立法については、そのこと自体は一応評価をしておりますが、法務大臣の言われるように、やはり個々の問題等になりますと欠点もあるわけでありますから、それをいろいろ直してりっぱな法律にしたい、こういう意図なのでありまして、決してこれがざる法だから全然だめなんだという意向ではない、やはりあったほうがよろしいという考え方を私は基本的には持っておるのです。まあないよりましと言うとあまりにくさしたようになりますけれども、まああったほうがいいというふうには思っております。そういう立場で提案もされた、要するに公害問題の重大性にかんがみて、刑事罰として刑法の特別法としてやっていく、この態度は、私はそれ自体としては敬意を表しているわけです。その点はひとつ誤解のないようにお願いいたしたい。  それから第二の問題の、無過失責任の問題ですけれども、どうもいま法務大臣の話を聞いておりますと、やはり企業側に傾斜をしている。刑事なら別だけれども、民事について無過失責任を規定することとなると、経済界に混乱を起こす、こういうようないまの御発言は、これは重大だと思う。こういう姿勢だから私は無過失責任をやろうとする気がないのじゃないかと断ぜざるを得かい。結局刑事のほうはとにかく企業に対して一応自覚を与えるという形でなかなかよろしい。ところが、民事については経済界に混乱を起こすからと言う。私は、民事だからこそ必要だろうと思う。しかも私たちの考えております無過失責任ですね、七百九条の例外というものは、公害だけにしぼられ、しかもそれによって生ずる人間生命と健康に害があるものだけにしぼっておる。それと同時に、また人の口にのぼる米だとか魚介類、海藻、そういったものの生産に従事している人たちの財産権についてだけしぼっておる。非常にしぼっておるのですから、誤解されては困るのです。何でもかんでも広げて、公害については全部無過失だというんじゃ決してありません。ほんとうにしぼって遠慮して——自分でうぬぼれるわけじゃないのです。やはり影響はありますから、したがっていま言ったようなことで、きわめて限定された公害について、しかも生命身体に害のあった場合、あるおそれがある場合、それと一部の財産権についてだけの私の横の主張なんですから、私は、これはもう絶対に必要だと思うのです。あなたはそう言われても、私は必要だと思うのです。個々のものをやると言ったって、いまあるかと言っても、そう簡単には言えないと思う。各省との関係があるから言えないと思う。おそらくないのじゃないか。しかも縦割り幾つもやっている、その段階になれば横割りも必要になってきましょう。こういうのは私は逆だと思う。そんなときになったら、横割りは要らなくなる。いま縦がまばらだから、そこで漏れるやつがあるから、横割りで、しかもそれは公害に限って、健康に関係のあるものに限って、あるいは財産権の一部に限ってだけ無過失で賠償させる。したがって、立証は非常にややこしくなる、こういうことで、被害者の救済になる。しかも時間もあまりたたないで解決するということになるのじゃないか。そういう点において第二の点については、私は、いまでも法務大臣の説には左祖しかねる。そのことだけを申し上げておきたい。  最初の問題について、民事局のほうにひとつお答え願いたい。
  96. 川島一郎

    ○川島説明員 それでは、まず現行法で無過失法としてどういうものがあるかという点について申し上げたいと思います。  御承知と存じますが、鉱業法百九条に、鉱害賠償の無過失責任の規定がございます。これは、無過失責任を負う責任主体としては、鉱業権者と租鉱権者でございます。それから加害行為の態様といたしましては、「鉱物の掘採のための土地の掘さく、坑水若しくは廃水の放流、捨石若しくは鉱さいのたい積又は鉱煙の排出」ということになっております。それから、水洗炭業に関する法律というのがございますが、この第十六条に水洗炭業の無過失責任を規定しております。これは、加害行為は、「ぼたの採取」「廃水の放流又は土砂の流出」「排出される土砂のたい積」ということになっております。それから、次に、原子力損害の賠償に関する法律、この第三条におきまして、原子力事業者の無過失責任を規定しております。この加害行為の態様としましては、「原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたとき」となっておりまして、この原子力損害については、非常にややこしい定義がございます。  そのほか、たとえば独占禁止法でございますが、要するに、事業者の無過失責任の規定がございますが、ちょっと系統が違いますので……。  それから、無過失責任に近いものといたしましても、自動車損害賠償保障法という、自動車の供用者の責任を規定したもの、これはたしか三条だったと思いますが、大体その辺がおもなものであろうかと思います。
  97. 畑和

    ○畑委員 そのほかに、私もよく調べてないのだけれども、国家賠償法、それから労働基準法、これらにもあるのじゃないかと思います。その点どうですか。
  98. 川島一郎

    ○川島説明員 国家賠償法は、国または公共団体の責任、要するに工作物の瑕疵によって生じた責任を賠償するという規定でありまして、これは解釈上無過失責任が問題になっておる規定でございます。  それから労働基準法でございますが、これはおそらく労働者の災害補償のことだろうと思いますが、これは損失補償、災害補償という補償ということばを使っておりますが、内容的には無過失責任に類するものだというふうにいわれております。
  99. 畑和

    ○畑委員 大体そんなところですね。  そうすると、民事局のほうでは、別に民事局の管轄ではないが、無過失責任について、ほかの個別法でそういう問題は無過失責任を規定したほうがよろしい、かようなものはほかにいま気がつきますか。それとも、私のほうの管轄でないから別だと言われるのか、その辺法務大臣の答弁との関連があるのだけれども、何もあれしてませんか。  それからもう一つは、あなたのほうで法務大臣のほうから無過失責任について研究を命ぜられたことがあるかどうか、その点ひとつ……。
  100. 川島一郎

    ○川島説明員 ただいまあげました各種の法律が無過失責任を規定しておりますけれども、これらの無過失責任を規定するにあたりましては、民事局のほうで積極的に率先してこういう規定をつくるようにというふうにしたわけではなくて、それぞれの所管庁においてそういう立案をして相談を持ち込まれた、そういう関係になっております。  今度の公害の問題について少し申し上げておきたいと思いますが、まず基本的な態度といたしましては、御承知のように民法七百九条の過失責任の原則をとっておる、これに対する例外として、無過失責任制度を認めるといったことになるわけでございますので、無過失責任制度を認めるについての理由といったものがまず考えられなければならないかというふうに思うわけでございます。その理由といたしましては、いろいろ考えられますけれども、中心となるのは、やはり危険責任の原則であろうというふうに思います。要するに、危険物を管理しております者はそのものから生じた損害を賠償する責任を負うべきである、こういう考え方でございます。こういう考え方に立ってみますと、無過失責任を負うべき企業、これは通常危険物を管理しておる者に限定すべきではないか、こういう感じがいたすわけであります。したがって、またその加害行為の面におきましても、そういう危険物の取り扱いを常態としておるそういう公害発生しやすい行為というものを対応さしてとらえるべきではなかろうか。そういうことになりますと、現在公害といわれております中にはいろいろなものがございますし、またその発生原因も種々ございます。したがって、その中からそういう特に公害発生の危険の深いものを選び出して、そしてこれに無過失責任を課するというような考え方にならざるを得ないのではなかろうか、こういうふうに考えております。基本的にはそういう考えから、先ほど大臣も仰せになりましたように、個々の事業についての問題を考えていきたい、こういうことでございます。  大臣からは、もちろん民法の立場からの検討というものは命ぜられております。
  101. 畑和

    ○畑委員 そうすると、毒物、非常に危険の度合いの強いものを扱っている業種を列挙して、それだけに限るということになるのですか。そうすると大臣の言われる縦割りをその辺でもっと研究して、縦割りの新しいものを設けるべきであって、横割りといっても非常にばく然としている、ただ公害の危険があるというだけではばく然としている、やはり毒物を扱うようなところについて限定すべきである、こういう意見ですか。
  102. 川島一郎

    ○川島説明員 私が申し上げたのは大体そういう趣旨でございます。したがって、これを具体的にその範囲をはっきりさせてとらえていくためには、やはり化学工場であるとか——化学工場にしてもどういうものを取り扱う工場であるか、どういう設備を持っている事業場であるか、そういうような具体的なとらえ方をしていく必要があるのではなかろうか。そうなりますと、やはり公害の実態を知り、企業の実態を把握している他の諸官庁の協力が必要になる、かように考えております。
  103. 畑和

    ○畑委員 いろいろお話は大体わかりました。私のほうでも少し研究しますから、あなたの考え方は大体わかりました。  まだ質問したいことがあるのですけれども、訴追委員会のほうが待っているようですから、あとの質問は留保さしていただきまして、以上で終わりたいと思います。
  104. 高橋英吉

    高橋委員長 林孝矩君。
  105. 林孝矩

    ○林(孝)委員 私は、この人の健康に係わる公害犯罪処罰に関する法律案が実際運用されるという段階の種々の問題点について、まずお伺いしたいと思います。  いま日本における公害問題としてあげられている中に、四日市の大気汚染事件、これは現在訴訟中の事件でありますけれども、居住者九名のうち一名は訴訟中に死亡。コンビナート六社、これは昭和四日市石油、三菱油化、三菱化成工業、三菱モンサント、中部電力、石原産業、こういう六社を相手どった訴訟がいま行なわれておるわけです。  内容を見ますと、亜硫酸ガス人間の細胞内でどのように作用するかという、現在非常に未解決な問題、その原因が亜硫酸ガスを中心とした硫黄酸化物であることははっきりしているわけですけれども、ほかに原因があるのではないか、こうした一つの訴訟中の問題があるわけです。私はそれ以外にも阿賀野川の水俣病事件、また神通川のイタイイタイ病事件、それから水俣病事件、こうした事件に関する訴訟の中で、一番驚きますことは、患者数、たとえば水俣病事件にしても百十六名のうち死亡は四十五名、そのように係争中に患者がなくなられている。そうした事態が公害問題の重要性といいますか、緊迫性といいますか、そういうものを感じさせるわけです。そのようなことが今後起こってはならないし、また被害者が一日も早く救済されるという国家機構、また行政上の問題、裁判上の問題、いろいろな問題を解決していかなければならない。そういう意味からここに一つの例を取り上げたわけであります。  たとえば、ある工場から一つの物質の廃液が流れ出ることによって、先ほどから議論されておりましたプランクトンだとか、あるいはそれが魚介類の体内に蓄積されるとか、それがやがて人間の体内へという過程を通るという設例があったわけでありますけれども、警察あるいは検察庁がそういう事件を捜査するという端緒になる問題——最近たとえば住民運動だとかあるいは地域のいろいろな活動が公害問題に関して各地で起こっているわけですけれども、どの時点がそうした検察庁の捜査の端緒になるか、その点をまずお伺いしたいと思います。
  106. 辻辰三郎

    辻政府委員 この法案に定めます犯罪が実際にどういう形で捜査の端緒となって運用されてくるかという問題であろうと思うのでございます。これはもとより先ほどの御設例がまいった場合に、魚の汚染から人間の汚染になってくるというような事案を考えました場合に、たまたまその付近の住民の方々の幾らかの方が健康診断の結果、からだがおかしかったというようなことから端緒をつかんで捜査が開始されるという場合ももちろんあろうと思うのでございますけれども、そのほかに、やはり同種の物質ですでによその地域においては一つの健康上の問題が起きておるというような事例があれば、関係の検察庁なら検察庁におきましては、やはり自分の管内にもこういう工場があるということで、そういう点は基礎調査として十分に平素から関心を持っておることだろうと思います。事案事案に応じていろいろな形の捜査が行なわれてくるのじゃなかろうかというふうに私ども考えておる次第でございます。
  107. 林孝矩

    ○林(孝)委員 いま御答弁があったのは、すでにそういう前例があって、そしてその前例に照らし合わせてこれが捜査を必要とするというふうに判断された、そのように解釈していいわけでしょうか。
  108. 辻辰三郎

    辻政府委員 これは具体的犯罪の捜査の端緒でございますから、一がいにこういう場合こういう場合ということはもとより申し上げることが困難であろうと思うのでございます。いろいろな関係で犯罪の捜査の端緒がつかまれるわけであります。そこで、私がかりにいまここで一応申し上げれば、いまのようなことも一つの端緒になり得るのではなかろうかと思うわけでありまして、別段それに限ったわけではございません。
  109. 林孝矩

    ○林(孝)委員 それではここに一つの例がございますけれども、これは朝日新聞に掲載されたもので、この二ケ月間に四つの事件があるわけです。一つは、青酸化合物が一万リットル川へ流れ出した。鶴見川の支流ですけれども、工場にミスがあったということで大騒ぎしたということが先日ございました。こうした青酸化合物の一万リットル流出という問題は、当然、もしそれが人体の中に入った場合に起こってくる危険度といいますか、これは非常に生命に危険が及ぶわけです。この事件のときは幸い人間の体内に入らなかったということで、そういう被害が生まれてこなかったわけですけれども、土壌に入って、やがて地下水に入って、そして再び人間の体内に入るということも考えられます。すでに相当薄められたわけですけれども、魚が死んで浮き上がったということも事実として報道されたわけです。こうした場合に、たとえばこの公害罪が施行された後、はたしてどの時点で捜査が始まるのか、また公害罪がこれに働くのか、構成要件として。それからもう一点は、そうした工場が、この場合は工場のミスでそうなったわけですけれども、ミスを防ぐためにいろいろな義務づけが必要ではないか。これは各省庁の関係があると思いますけれども、想定されることは、たとえば夜の間でもだれか人がいなければならないというようなことだとか、あるいは機械を常に点検しているとかいうようなことがなければ、こうした事件が起きたときに収拾がつかない。そうした意味で、たとえば検察庁のほうで公害Gメンのようなもので、絶えずそうした監視をきびしくしておくとかいうような予防策、考えていらっしゃるか。その三点について……。
  110. 辻辰三郎

    辻政府委員 第一点の御設例の事案につきましては、これは具体的な案件でございますから、それについてただちに本法案の犯罪が成立するかどうかということは、具体的事例がわかりませんので一応答弁を差し控えさせていただきたいと存ずるのでございます。  それから第二点の、つまりどういう形で検察庁が犯罪の端緒をつかむかという問題でございますけれども、先ほど私は御設例に基づきまして申し上げたわけでございますが、一般に検察庁は、何もこの法案の犯罪に限らずに、犯罪の捜査の端緒といいます場合にはいろいろな端緒があるわけでございます。これはもとより検察庁が独自でやる場合もございましょうし、警察が第一次的にやる場合ももとより多いわけでございます。その場合に私どもが想定されますのは、川とか大気の汚染というようなものは、それぞれ関係機関、たとえば県なら県の一つの監視機構があろうと思うのでございます。そういう県の監視体制であるとか、あるいは関係行政庁の監視体制であるとか、そういうものからの資料というものを前提にして捜査の開始ということももちろんあり得るわけでありまして、また大いに行なわれることになろうかと思うわけでございます。  それから、先ほど御指摘の新聞記事というようなものにつきましても、これは一つの犯罪の端緒として当然のこととして注意をいたしておるわけでございます。
  111. 林孝矩

    ○林(孝)委員 そうしますと、先ほど同僚委員の質問の中に、「おそれ」の問題がございましたけれども、実際捜査の端緒として実害が発生した場合という答弁があったのではないかと私思うわけです。その実害があれば、魚介類が汚染された時点、その時点で把握するという刑事局長の答弁じゃなかったかと思うわけですけれども、その魚介類が汚染された時点で把握するという判断の基準が、こうした事件等にも一つの判断の基準として援用されていくかどうか、その点を確認したいわけです。
  112. 辻辰三郎

    辻政府委員 これは犯罪の捜査の端緒というものは、ただいま申し上げましたように、いろいろあるわけでございます。したがいまして、かりに一つの行政的な監視機関といいますか、監視機関の調査によってある川の魚介類がたいへん汚染されておる、しかもその原因を与えた一つの事業活動があるのではないかということになってくれば、当然捜査の端緒としてこれを把握するであろうと思うのでございまして、これはやはり具体的に事案事案ごとの問題になろうかと思うのでございます。
  113. 林孝矩

    ○林(孝)委員 それで具体的な事案をあげているわけなんですけれども、「有毒ガス三千世帯襲う」ということが報道されております。これは十二月のですけれども、埼玉県で起こりました。鋳物鋳造工場の排ガスの原因によって付近の住民に被害が及んだ、こういう事件です。「十一月二十五日から故障し、排ガス公害防止装置を通さず、直接キューポラから排出しており、付近で悪臭の訴えが出ていたが、」「風が弱かったため排ガスが上空にのぼって大気に薄められ、それほどひどい被害は出なかった。ところが、」その翌日は風が強く大気に「拡散する前に近くの民家に吹きつけた」そうした自然の条件の変化によって付近の住民に大きな被害を与えた。約百人がのどの痛みを訴えた、あるいは三千世帯が降下ばいじんによって被害をこうむった、そうした問題。  そのときに、そうした故障を知っておって操業しているということが考えられるわけなんです。これは具体的な事例ですけれども、この場合に当てはめて考えたとき、はたして先ほどの故意、過失の問題という構成要件、それから住民が以前からにおいだとか、あるいは極度に痛みを感じていろいろ騒いでいる、そうした時点。それから実際被害が起こった、はっきりした、そうして原因が何かというと、故障があったけれども操業を続けておった。こうした具体的な事例の場合に、公害罪がどのように働くか、説明していただきたいと思います。
  114. 辻辰三郎

    辻政府委員 ただいまの御設例でございますけれども、具体的にそれがどういうことか、やはり具体的事案に関しますので、それ自体について申し上げることは困難であろうと思うのでございますが、たとえばといいますか、本法案に定められております犯罪類型は、御承知のようにまず人の健康を害する物質という点、物質を排出した、そうして公衆生命身体に危険を生じさせたということなんでございます。  そのまず第一点で、人の健康を害する物質であったかどうかという問題が一つあるわけでございますし、そうしてこの排出という行為、これも一つの排出という行為に当たったのかどうかという問題がございます。それから、最後にやはり公衆生命身体に危険を生じさせたという状態があったかどうか。この三つがまず客観的に確定されてこなければならないと思いますし、そのあとにそれぞれ行為者についてこの故意または過失があるかどうかということが認定されてこなければならないと思うのでございます。この点は、具体的事例におきましてどうなるかというふうに、こう言われても、その点について私どもお答えしかねる面があると思います。
  115. 林孝矩

    ○林(孝)委員 そこで、そういう一つの事件を通して、今度は告発とか、起訴だとかが行なわれます。起訴された場合に有罪の確信がなければ起訴するということにもなかなか踏みきれない。そういうことで証拠集めが行なわれているわけです。捜査の端緒があって証拠集めが行なわれた。その段階で問題になるのは、そういう証拠を集める能力が現在の体制で完備しているかどうか。その点いかがでしょうか。
  116. 辻辰三郎

    辻政府委員 この点につきましては、一般の犯罪捜査と同じ体制で、同じことで刑事訴訟法に基づいて行なうわけでございます。ただ、この公害罪法案に定めるような犯罪につきましては、事柄の性質上専門的な知識というものが大いに必要とされると思うのでございまして、現にこの法案とも関係なしに、すでに本年から私どものほうでは全国の検事の会同の際におきまして、公害関係の事案を協議事項にして、いかにしてこの種事犯の捜査、処理を行なうかというような問題についても十分研究をいたしておりますし、将来もいたしていかなければならないと思うのでございます。  それから、この法案に定められますような犯罪の捜査におきましては、当然に科学的知識が要求されるわけでございます。検事といたしましては科学的知識といいましても限度がございます。多くは科学的な鑑定によらなければならないというような問題が出てくると思いますので、これはまた別途所要の予算を要求するとか、そういう手当ては現に講じておる次第でございます。
  117. 林孝矩

    ○林(孝)委員 具体的にこのように計画しているということがわかりましたら教えていただきたいのですが……。
  118. 辻辰三郎

    辻政府委員 突然の御質問であれでございますが、不正確な点があろうかとも思いますが、この法案ができました場合の運用の問題といたしまして、鑑定謝金の増額を二千万円ばかり要求しておるのじゃなかったかと思うわけでございます。
  119. 林孝矩

    ○林(孝)委員 最高裁の方にこの件と関連してお尋ねします。  裁判所の令状に基づいて強制立ち入り捜査等が行なわれるわけですけれども、その判断はやはり裁判所で裁判官が行なうことだと私は思います。そういう面でも検察庁と同じく公害という特殊性から専門的な知識、科学的な知識等が必要だと思うわけです。そうした人材の養成あるいは裁判官の教育、それに伴う設備だとかあるいは人員の問題、それから証人、鑑定人の問題、こうした点について最高裁のほうで計画されていることがありましたらお伺いしたいと思います。
  120. 矢口洪一

    ○矢口最高裁判所長官代理者 実は民事に限ってのお尋ねと思いまして私が参ったわけでございますが、刑事のそういった事件ということになりますと、刑事の者がお答えしなければいけない問題だと思いますが、大体裁判ということでございますので、結局同じところにいくのではないかと存ぜられますが、民事に関連いたしまして少し申し上げたいと思います。  先ほど法務省刑事局長からもお話がございましたように、やはり専門的知識というものはどうしても必要でございます。専門的知識が必要でありました場合に、私どもは一般に訴訟法の問題といたしましては鑑定ということばを使うわけでございます。しかし、鑑定をするということは実はある程度専門知識をすでに裁判官が持っておるということが前提になるわけでございまして、全くのしろうとである場合にはどういうことを鑑定させたらいいか、そのこと自体もわからないということもあり得るわけでございます。といたしますと、どうしても前段階といたしまして、こういった公害事件を扱います裁判官、それは民事の事件でありましょうとも刑事の事件でございましょうとも、いわゆる一般的な常識的知識というものが必要になってくるわけでございます。そのことのためには裁判官の会同、研修等を実施いたしまして、そういった事件を担当する裁判官のいわゆるその方面での一般的常識の涵養ということをいたしております。現に民事でございますが、ことしも関係の裁判官を二カ所の高等裁判所に集めまして専門的な講習を受けさすということをいたしております。また、司法研修所等でも章門家に来ていただきまして、それの研究会を催したというのが一つのやり方でございます。  それと同時に、具体的な事件になってまいりますと、さらに専門的な問題が出てまいりますので、そのためには裁判官の知識として事前に専門的な知識を知る必要がある。これを体得いたしますためには、まず専門家にいわば特訓を受けるという必要が出てくるわけでございます。それは直接裁判とは関係がございませんので、全く公平な専門の方に、裁判の具体的なものを一応離れまして、特別な専門知識の講習を受ける。これは講習謝金という形で私どもとらえまして、来年度予算におきましては相当金額を要求いたしております。さらにそれが具体的な事件になってまいりました場合には、先ほども由じました鑑定ということで適当な鑑定人に鑑定事項を示して委頼する。そのための費用というものももちろん来年度予算には相当金額を要求いたしておる、このようにしているわけでございます。
  121. 林孝矩

    ○林(孝)委員 私はこの問題について一番心配しますことは、先ほどお話ししましたように、裁判が長引いて被害者がその間に病苦から自殺したりあるいはなくなられたりということがあるわけです。裁判をスムーズに円滑に行なうためにいろいろな方面からの努力が必要ではないかというわけで、公害罪ができまして、告訴、告発が多くなってくる、そうすると裁判所の現在の体制、また検察庁の現在の体制では飽和状態になってくるのじゃないか、そういう心配があるわけですけれども大臣としてその点をどのように判断されますでしょうか。
  122. 小林武治

    小林国務大臣 いまの裁判官にしても検察官にしても、この関係のできるだけ専門的知識を持たせるくふうをしなければならぬ、またこれを処理できる人員も持たなければならぬということで、法務省におきましては来年度いわゆる公害検事と称するものをまずブロックの検察庁に配置しようということで、その向きの要求もいまいたしております。
  123. 林孝矩

    ○林(孝)委員 それから公害に関して検察庁ででき上がった証拠は民事裁判にも援用されるかどうかということですけれども、いかがでしょう。
  124. 矢口洪一

    ○矢口最高裁判所長官代理者 公害事件が起訴されまして、法廷に検察庁でおつくりになった証拠が出ておるような場合には、その後における民事訴訟については当然それを援用するということができるわけでございます。現在も交通事故等におきましては、そのようにさせていただいておる実情でございます。
  125. 林孝矩

    ○林(孝)委員 わかりました。  さらに、運用の面でございますけれども公害罪が零細企業にしわ寄せが来て、大企業が処罰を免れた、あるいは先ほど畑委員からも質問がございました、現場労働者にしわ寄せが来て、法人の代表者が免責される、そういう点を非常に心配している声があるわけです。国民の目から見て、そういう処罰のされるべき者が処罰されないというようなことがないようにという国民の声なんですけれども、こうした不安を解消するために、納得できるような御答弁を願いたいわけなんですけれども大臣刑事局長にお願いしたいと思います。
  126. 小林武治

    小林国務大臣 これはお話しのように、公害関係の各種の基準が定められるということになりますと、基準を守るような施設をみんなしなければならないということでございまして、中小企業等はそういう能力もなかなか十分でないということで、これは閣議におきましても、税制において特別な措置を講ずる、また、融資等においても中小企業のためにひとつ特別なワクをつくるような方途を講じてもらいたい、こういうことで、通産、大蔵両当局にも私どもから申し入れて、さような了解を得ている。こういうことで、そういうことをぜひやって、いたずらに中小企業がこの関係のとがめを受けないようにさせたい、こういうことを考えております。
  127. 辻辰三郎

    辻政府委員 将来、公害罪関係法律ができました場合の検察庁におきます犯罪の捜査でございますけれども、これは、一般の事件ともちろん同様でございます。同様において、常に厳正、公平な態度を堅持いたしまして、その捜査に当たるのは当然でございますけれども、特にこの種の事案につきましては、迅速といり点をも念頭に置いて、関係者にすみやかに納得のいく検察の判断というものが示されるようにつとむべきものと考えております。
  128. 林孝矩

    ○林(孝)委員 たとえば親会社と下請会社という場合があります。下請会社が親会社の言うことを聞かなければどうしても生活できない、少人数の従業員も生活に迷ってしまうことになるという場合に、どうしても親会社の言うことを聞いて事業をやる。それが一つの公害発生源となったような場合が考えられると思うのです。それから、親会社の言うことを聞かなくてもできる下請会社もありますけれども、実際それが公害発生源になるということを子会社の経営者が知って、親会社にこういう作業はできませんと言っていった場合、それを知っていて言わなかった場合、いろいろあると思いますけれども、特に最初のケースが一番心配されるわけですけれども、その点はどのようなことになりますか。
  129. 辻辰三郎

    辻政府委員 一般論として、下請会社というのがこの法案の犯罪とどういう関係になるのかという問題があろうと思うのでございます。私どもは、要するに、この法案の犯罪は、事業活動に伴って有害物質を排出云々と、こうあるわけでございますから、下請の場合には、事業活動として排出することについての主体性がどっちにあるか、下請会社にあるのか、親会社にあるのかという点が、この理論上の問題点でございます。排出についての主体性いかんということによって、犯罪の成否がどちらかにきまるということになろうと思うのでございます。  それからまた、この法律上の問題を離れて、一般の検察の運営という場合におきましては、これは一般の犯罪の処理と同じように、それぞれの事案に応じまして、犯罪の軽重、情状その他犯罪の状況であるとか、いろいろな具体的事案の情状をもしんしゃくいたしまして、起訴、不起訴を決するわけでございます。この点につきましては、当該事案によってそれぞれ適切な処理が行なわれるものと考えております。
  130. 林孝矩

    ○林(孝)委員 次に、処罰の対象についてお伺いしますが、企業があって、有毒物を排出している場合に、まず最初に製造を始めるという意思決定をした人、それから行為を決定した人、これは同じ場合もあります。それから有害と認識して、後に有毒物を撤収しないという態度決定に参加した人、この「有害と認識して」という中に、最初申し上げました住民運動だとかあるいは機関の調査だとかいうものが入ると思います。それと、先ほど話にございました機械労務者、機械的に労働している末端の労務者でも、危検を知って上部へ報告しなかったということがあると思います。こうした四つのケースが考えられるのでありますけれども処罰の対象ということを考えた場合に、一つのある工場が流した廃液によって起こった場合に、いま四つあげましたけれども、この二条、三条の規定が及ぶのは、この四つのどの項目に及んでいくのか、具体的な問題ですけれども、回答願いたいと思うのです。
  131. 辻辰三郎

    辻政府委員 この行為者としてこの法案に定める罪の対象となりますのは、先ほども申し上げましたように、事業活動に伴って有害物質の排出行為をしたというものなのでございます。これは具体的な事案によってそれぞれ異なってまいるわけでございますが、ともかく、その排出行為についての責任を持っておる者、責任を持っておって排出をした者、こういうものでございます。事案によってそれぞれ違うわけでございますが、一般論としては、先ほど申し上げましたように、工場長であるとか、これに準ずる人であるとかいうのが、一般的に対象になる人であろうと思うのでございます。ただし、また先ほど申しましたように、末端の従業者でありましても、末端のその人の持ち分のところでたまたまバルブを締め忘れたというようなそういう事案であれば、この末端の人がなる場合もあろうかと思いますけれども、これはもう、それぞれの事案に応じてきまってくる問題であろうと思うのでございます。
  132. 林孝矩

    ○林(孝)委員 それから、推定規定のところですけれども、無機物が有機物に変わるということが考えられます。排出されるときは無機物でも化学反応を通して有機物に変わって、人の健康を害したとか、あるいは生命に危険を及ぼしている、あるいは患者が生まれたという場合に、出している時点は無機物だということで、推定規定が働くかどうかという問題ですけれども、その点はいかがでしょう。
  133. 辻辰三郎

    辻政府委員 これはお尋ねでございますが、むしろ、この推定の問題ではなしに、やはり本来の二条、三条の犯罪の構成要件にいっておる物質という問題に帰着するんじゃなかろうかと思うのでございます。ここにいう「人の健康を害する物質」といいますのは、そのもの本来の属性として人の健康を害する物質、シアンであるとか塩素であるとかそういうものと、それからこの第二条のカッコ内に定められますように、「身体に蓄積した場合に人の健康を害することとなる物質を含む。」——少なかったならばいいけれども、蓄積されたら有害となる物質、たとえば鉄であるとか鉛とかいうものがそういうものであろうと思うのでございます。それから、いま御指摘のようなものが当たるかどうかは存じませんが、物質が通常の化学変化によって有害な物質となるというものは、やはり本来のそのもとの物質がその属性として有害であるというふうに私どもは解しておるわけでございまして、そういう物質も含む。これは、通常の化学変化に伴って有害となる物質のもとの物質、これはこの二条にいう「物質」であるというふうに考えております。
  134. 林孝矩

    ○林(孝)委員 それから、先ほど例にあがっておったのは、それぞれの工場が環境基準以下であれば、複合して被害が出た場合は、これは当たらない。ところが、たとえば四つ工場があって、その四つは環境基準以内だけれども、それに一つ加わることによって被害が出るということを最後に加わる工場が認識しておった。それで加わった結果、やはり被害が出た、こういう場合はどうなんですか。
  135. 辻辰三郎

    辻政府委員 多数の工場、事業場が全然そういうのに無関係にそれぞれ有害物質を排出いたしまして、その結果として公衆生命または身体に危険を生ぜしめた場合は、これは犯罪の対象にならない。ただそう言いますとやや不正確なんで、たくさん工場がございましても——一つだけでこういう生命身体に危険な状態を生じさせたというふうに認定できる場合は、それは犯罪に当たるわけでございますけれども、多数のものがてんでんばらばらにやって、少しずつと申しますか、それ自体一つずつではこういう状態にならない量を排出いたしまして、しかし、たくさんの工場から出ておるから結果的には生命身体に危険な状態になったという場合には、この犯罪は適用されない、適用外であるというふうに理解をしておるのでございます。
  136. 林孝矩

    ○林(孝)委員 それから、時効の問題でございますけれども、工場が昼間操業しておって夜ストップした、翌日また操業して夜ストップするという工場もありますし、昼夜動いておる工場もあります。こういう場合にそれを数台と見るのか、一台と見るのか、時効を起算する場合にどの時点から起算して判断するのかということですが、いかがでしょう。
  137. 辻辰三郎

    辻政府委員 これは理論として申しますと、この時効の起算点は危険な状態発生したときが時効の起算点である。それから二条、三条の結果的加重犯の場合は、人の傷害であるとか死亡ということが起きた、そのときが時効の起算点になる、こういうふうに考えておるわけでございます。
  138. 林孝矩

    ○林(孝)委員 方々に飛びますけれども、先ほどの物質の問題でございますけれども、将来の長期的な展望において、現在大気汚染あるいは水質汚濁という物質に限定されている、この公害罪の物質の問題がやがて食品だとか薬品だとか、そういう問題、あるいは典型公害といわれる地盤沈下だとか悪臭、そういうところまで広げていかなければならないということだとか、当然将来はそういう問題も含むだろうというような点だとか、いろいろ議論をされたと思いますけれども、この大気汚染水質汚濁に限るというところまでの得られた結論を出されたその背景と、将来そうした範囲を広げるという考えがおありかどうかという点についてひとつ……。
  139. 辻辰三郎

    辻政府委員 この法案に定めます犯罪の基本類型は「工場又は事業場における事業活動に伴って人の健康を害する物質を排出し、公衆生命又は身体に危険を生じさせた者」こういう基本類型を定めておるわけでございます。これは現在ございます公害対策基本法系統の各種の公害関係法律でございますが、大気であるとか水質であるとか、そういうものの一つのとらえ方がこういうとらえ方で一応の行政規制の対象になっておるわけでございますが、それと一応の歩調を合わせてこういう形の類型の犯罪を規定したわけでございます。これがこの法律の第一条にもございますように、公害防止に関する他の法令に基づく規制と相まって公害防止に資そうとするというこの法律性格からして、そういう基本類型の犯罪を定めるのが適当であろうというふうに考えたからでございます。
  140. 林孝矩

    ○林(孝)委員 それからもう一点は、公害罪に推定規定が設けられておるわけですけれども、これは大臣にお伺いしますが、民事訴訟の面にも推定規定というものを将来規定される考えはあるかどうかという問題です。いかがでしょうか。
  141. 小林武治

    小林国務大臣 これは過失の問題でなくて因果関係の問題でございまして、やはり根本的に原因結果の関連性というものは必要だ、こういうふうに思っておるわけでございまして、この問題も少し厳格な規定で推定というものを設けておりますが、これもやはり非常な例外であるというふうに思うのでありまして、そういうものが一体将来考えられないかどうか、こういうことになれば、これは将来考えられないとは言われないが、いまは主として因果関係の証明は原告がするが、しかし、裁判の実際の扱い方とすると、いまではいわゆる間接的な事実の証明等いろいろすることによって、裁判官が心証問題である程度のそういうふうな前進を示しておるのじゃないかというふうに思うのでありまして、いま裁判所の方面の話を聞きますると、そういうふうな御相談を着々なされておるということでありまして、法制面ではっきりそういうことをきめる時期があるいは来るということは私は申し上げませんが、そういうふうな方法によって救済されるというか、そういうふうな考え方が取り入れられるような傾向が出てきているのじゃないか、こういうふうにいまは思っております。
  142. 林孝矩

    ○林(孝)委員 この問題については先ほども議論がありましたように、結局無過失責任というものを規定するというのは非常に困難であるというならば、こうした規定あるいは挙証責任の転換、そうした面の立法化というものが当然それの対応策として考えられるべきじゃないかということからお伺いしたわけであります。いずれにしましても、この公害罪運用の面において、先ほどから数点あげましたけれども、やはり一つは、処罰の対象が零細企業とあるいは末端労働者のところに集中しないようにという心配をしているわけですから、そういう点を運用の面で十分慎重にしていただきたい。その点を要望しておきます。  それから、先ほど未必の故意の話が出ておりましたけれども、たとえばどの時点から未必の故意というものは確定的になるのか、たとえば工場排水をしていることによって、その排水を検査して、われわれ水質を検査依頼して、その結果、これは有毒であると専門機関が発表する、それを工場経営者に対して地域住民が、おたくの工場からこういう有毒物質が出ている、何とかしてもらいたいという陳情をした、それでもなお工場側は操業短縮もしない、停止もしない、あるいは昼夜続行して機械を運転している、そういうケースを考えたときに、未必の故意として成立する判断は具体的にどういう判断になるのでしょうか。
  143. 辻辰三郎

    辻政府委員 これは、先ほども申し上げましたように、この排出行為者が有毒物質を排出いたします、その時点におきまして、その時点における客観的な科学的知識というものを前提にするわけでございまして、こういう有毒な物質を取り扱う者につきましては、当然にその排出時点におけるその客観的な科学的知識というものが要求されるものと思うのでございます。そういうものを前提にして当該行為者について未必の故意であるとかあるいは過失であるというものが認定されてくるものであろうと思うのでございます。
  144. 林孝矩

    ○林(孝)委員 以上で終わります。
  145. 高橋英吉

    高橋委員長 次回は、明八日午前十時より理事会、午前十時三十分より委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。    午後三時三十三分散会。