○安里
委員 長時間にわたりまする質、疑でございまして、かつ各
委員とも、
沖繩問題を中心にいたしまして
質疑が行なわれました。私は一言も漏らさずお聞きしたために、私の頭も疲れておりますし、本
会議の時間も迫っておりますので、ごく簡単に、
基本的な問題だけについてお聞きしたいと思います。
ただいままでの御
質疑の中におきまして、具体的な
沖繩の
教育の
施設のおくれ、その他
復帰まであるいは
復帰に際しての
各種の問題につきまして、当局が熱意を込めて財政的な
援助その他あらゆる
努力を払われるという趣旨に私は御答弁を理解いたしました。もしその理解が誤っておるとしますならば、あとで御訂正いただければけっこうでありますが、そのような立場からいたしまして、
沖繩の
教育の具体的な諸問題につきましては私はもう触れないでおきたいと思います。
ことに、社会、公明、人民党の
委員の方から特に触れられましたのは、
沖繩の
教育委員制度の問題、
教育制度の問題であります。この問題は、
沖繩の
復帰にあたりまして非常に重要なる問題であります。
復帰不安ということがいわれておりますけれども、それは決して経済的な立場における不安だけのものでなくして、むしろこういった人間づくり——政治も経済も
行政も人が支配するのでございまするから、結局どのような人間がつくり上げられるか、
教育の面というものが将来の
沖繩に対しましても非常に重要な問題であります。これに対しまするいままであらわれました大臣のお話や、あるいはまた本
会議にあらわれましたいろいろな方向からいたしますと、
沖繩の人々というものは、ことに
教育者は不安を持っております。これは一つの大きな
復帰不安といっていいか、こう
考えております。いろいろ御答弁もあったわけでございまするけれども、私はその中から感じ取りますのは、まだまだ皆さん方が
沖繩の心をつかんでいらっしゃらないという気持ちがいたします。
沖繩の
教育は、今日までいろいろな過程を経てまいりました。戦争のために非常な破壊をされました、食うにも困るという困窮な時代でありましても、
教師を中心としまするところの住民の気持ちというものは、
沖繩の新しい
建設のために
教育をどうするか、
子弟の
教育をどうするかということが第一の関心事でありました。したがいまして、あのような中から青空教室あるいはまた掘っ立て小屋の教室あるいはムカデ教室ともいわれますそのような中において、先ほどお話がありましたように黒板もない、紙もない、砂をそれにかえる、あるいは教科書もない、ガリ版刷りのもので間に合わす、そういった苦しい中から
教育を続けてまいりました。あのような破壊の中からでも
沖繩の
教育はとだえることなく、
努力し続けてきた、こういうふうに思うわけであります。それはどこまでも、
教育という問題がどれだけ重大な問題であるかということを認識するからであります。
ところで、終戦直後におきます
アメリカの、
沖繩の
教育政策は、
基本的にはやはり民主的な
教育に持っていくという
考えをもちまして、その初期におきましては、
日本の軍国主義とそれから極端な国家主義の根絶のため、
沖繩を
日本からつとめて切り離し、
日本との結びつきをなくするという方向に向かっておったと見るわけであります。そういう軍国主義を排除し、極端な国家主義からの根絶をはかる、そして
日本の結びつきを取り除くこういう
基本的な
考えが
アメリカにあったと思っております。そういう方向からいたしまして、むしろ
アメリカに奉仕するところの
教育、植民地
教育の方向というものが如実にあらわれてきました。
学校の校舎の問題について、いまの
行政主席の屋良さんが
教職員会長時代に、
日本本土の同胞に訴えて、あの掘っ立て小屋の教室を、青空教室を解消して校舎を建築するために同胞に訴えまして、当時の金で六千万円という金ができました。だが
アメリカは、これに対しましてもこの金は校舎
建設には使わせない、備品に使え、校舎建築は
アメリカがやる、こういったことで排除をいたしました。あるいはまた、後になりまして、
本土の
教育の指導者の方々を
沖繩に招きまして非常な
効果をあげたのでありまするけれども、それに対しましても、これまた第二次の場合には一応拒否をしたというような事実もありました。こうした中において
沖繩の
教師たちは、このような軍事権力、そして
日本から切り離されるところの
教育、これを排除しまするために戦い続けてきたのであります。
そこで、先ほどからもお話がありましたし、また
文部大臣も、
日本人としての
教育ということに
努力したことに非常な
敬意を払われておるわけでありまするけれども、こういう中にありまして
沖繩の
教師たちの心に反省として起こったものは一体何であるかというならば、自分たちの戦前教えたところの子供たちが戦争という野蛮の中におとしいれられて、そして幼い子供たちまでも戦争の犠牲をこうむった、それは結局
教育者の大きな責任である。軍国主義につながるところのそのような
教育をしてきた
教育者は、その責任の反省に立って絶対に平和的な
教育を進めなければならないということが一つであります。
もう一つは、
教師をしてそのようになさしめたということは、
教師自身の
考えというよりも、国の政策、国の政治権力というものが
教師をそのように追い込んだ、
教師もまた無批判にそれを信じていった、従っていった、こういうところからいたしまして
沖繩を
日本に返すところの大きな運動となり、そして
教育を権力から排除する
教育委員制度というものも行なわれてきておるわけであります。
こういうことを
考えますと、平和
教育、そして民主的な
教育、政治権力というものが
教育に入ってくるということに対します強い反撃、これは私は正しい姿だと思います。これを排除するということが
教育の精神にも合致しますとともに、
沖繩の
教師たちのこれを確立するための大きな戦いは、高く評価さるべきものだと私は
考えております。
日本国民としての
教育、非常に賛辞を呈しておられるのでありまするけれども、私ども
沖繩において、
日本国民としての
教育ということを
教育基本法において打ち込みました。しかし、それは単なる民族主義的な、
日本国家主義的な立場における単純な
考えのものでは決してございません。それはあくまでも
日本の平和憲法、民主憲法、この
日本人としての
教育であるということであります。したがいまして、いまの
日本の
教育というものが、はたしてこのような民主的な
教育、平和的な
教育この線をたどっておるかどうかということに非常な疑問を持つわけであります。
そこで、私が
文部大臣にお聞きいたしたいことは、われわれが
日本人としての
教育ということをいっております、その
日本本土におきます
教育というものに対します平和的な、民主的な
教育というものが、
日本の
教育においてどのように行なわれておるのか、この平和
教育に対するところの
教職員の大きな動き、
教育の動き、こういうものに対して
日本の
文教の責任者といたされまして
基本的にどのように
考えておるか、そうしてそのような気持ちで現実に
沖繩においてこのことのために戦われてき、今後も同じような方向でいくべきであろうところの
教育に対しまして、大臣といたしましてどのような
基本的なお
考えをお持ちであるか、それを明らかにしていただきたいと思います。