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国務大臣(
中曽根康弘君) 昨年の九月、
日米民間人
会議で申しましたのは、現在の
安保条約というのは
歴史的にいろいろ
変化してきた。
昭和二十七年当時、独立したときは、ほとんど
アメリカの力が一〇〇%に近く
日本を守っておった。そして
日本はほとんどゼロに近い力であった。しかし、その後国力の回復に応じて、
昭和三十五年に
安保の改定をやって、そうして裁判権を回復するとか、あるいは事前協議を設けるとか、内乱条項をやめるとか、あるいは期限十年を一応設定するとか、そういうふうに
日本の発言権の回復を
考えてそこへ前進してきた。今度十年たって四十五年六月二十三日に自動延長されるわけですけれ
ども、その上はやはりその延長線でいかなくちゃならぬ。つまり、
日本の発言権を回復して、自主性を回復するという努力がその上においてもなさるべきである。したがって、その後においては、自動延長後は
安保条約を弾力的に適用する、そうして事実上そういう方向に努力していくことがいいだろう。しかし、七五年くらいになると、
日本のGNPは
戦争でもなければ四千億ドル前後になるという数字もあって、そうすると
日本の地位もまた変わってくる。この六月の自動延長で
国民の意識も相当変わるでしょうし、それから七二年に沖繩が返ってくればまた
国民も意識が変わってくるでしょうし、それから経済成長というものが加わるとまた変わってくるだろう。そういう
変化も踏まえながら七五年、一応七十年代の半ばごろと
考えて言っておったのでありますが、
安保条約がいまのままでいいかどうか点検してみる必要はないか。しかし、
日米間の相互
安全保障の
体制は必要だろう。しかし、そのことは、何も必ずしも現行の
安保条約をいつまでも墨守していくという
関係ではあるまい。これを発展的に新しい形、新しい
日米親善提携
関係をつくっていくということは必要じゃないか。ちょうど三十五年に新
安保条約で代替いたしました、そういう
意味で、
日本の発言権をさらに回復した形のものがもし可能であるならば検討してみる必要はないのか。そういう
理論的可能性について問題提起を行なったのが私の発言なんであります。そういう
考え方というものは、私はいまでも持っております。しかし、内閣の一員として、また自民党の党員として、やるべきことは党や内閣から
一定の
限度がございますから、
自分のそういう
考えをいますぐどうこうということは申しません。しかし、個人的にはそういう
考えは持っていて、七〇年代は、
総理大臣でも、非常な
選択と
可能性の
時代である、そうも言っておるのであります。いつまでも旧套墨守しておる必要はない、常によきものへわれわれは前進していく努力を重ねていくべきであろう、かように思っております。