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公述人(渡辺兵力君) ただいま御紹介を受けました渡辺でございます。
私、農業
政策の専攻ではございませんが、四十五年度の農業施策あるいは
予算に関連いたしまして、一研究者としての
立場で若干の
意見を述べさしていただきます。
四十五年度の
国家予算の説明書を拝見いたしますと、
基本方針の中で「農林漁業の近代化」という表題で、本年度の農業施策の概括的なことが述べられております。それによりますと、従来の農政の目標を実現するための諸施策のそのほかに、米の需給改善策の拡充等、「農政の新たな展開を図る」というふうに書いてございます。そしてその具体的な対策といたしましては、米については両米価の据え置き、四十五年産米百五十万トン以上の生産調整といったことのほかに、七、八項目の施策がうたってございます。これらの個々の施策は、それぞれ当を得たものというふうに考えられるわけでございますけれども、各施策を相互に関連させて実際に行なうということを考えますと、いろいろ問題があるように思われます。したがいまして、その辺を十分に御審議いただきたいと思っております。で私は、きょうこの「新たな展開」ということ、おそらくこれは昨年来いわれております総合農政ということをさしていると思うのでありますが、
予算書でも、その他重要経費という項目の中に、総合農政費というのがございまして、約四百七十八億弱が計上されております。したがいまして、総合農政という問題を中心に私見を述べたいと思っているわけでございます。確かに四十五年度の農業施策は、いわゆる七〇年代の農政の第一年度に当たりますので非常に重要だろうと思います。
日本農業をめぐる諸情勢及び農業自体が御
承知のように、大きな転換期に向かっておりますので、この時期にあたって政府が農政の新たな転換、あるいはその展開ということを決意されたことは妥当な御判断だと思います。総合農政の問題は非常に大きな問題でございますのでそのすべてについて私見を述べる能力もございませんが、大体以下五つの点にまとめまして考えを述べたいと思います。
その第一点は、何ゆえこの新たな農政というものを、総合ということばで呼ぶようになったかということであります。で、御
承知のように、これはおそらく米過剰問題というものがきっかけになりまして、総合農政という新しい農政への展開が始まったものと思います。必ずしも米の問題に結びつきませんでも農業をめぐる諸情勢というものは、いわゆる
基本法農政そのままの続行では対処し切れないというふうに理解することもできるわけでございます。先般農林省から公表されました「総合農政の推進について」という文書を拝見いたしましても、長期的な展望に立った
基本方向と、四十五年度の施策というふうに分けて述べられておりまして、問題のこういう長期的な展望と短期的な施策というふうな取り扱いは妥当な
考え方ではないかと思います。ところが、
基本法農政から総合農政への転換ということの
意味をどんなふうに理解するのがよろしいか。これはいろいろな
考え方があろうかと思います。私個人の
意見といたしましては、この総合ということばを単に形容詞あるいは
政策のスローガンに終わらせてはならないのであって、文字どおりこれからの農政が総合的に運用されることが必要なんだというふうに思いますので、まず第一点としてこの問題を取り上げたわけであります。私の理解では、この総合ということばを使った
意味に相互に関連がございますけれども二通りの見方と言いますか、
意味があろうかと思います。その
一つは、農政の運用を総合的に行なっていかなければならないのだと、そういう問題意識で総合農政ということをうたったこと。それから第二は、
日本の農政の
政策の対象というものが従来の対象から逐次変わっていかなければならない。もっと総合的に
政策の対象を求めていかなければならない。この運用と対象とは決して切り離した問題ではなく、関連がございますけれども、一応そんなふうに分けて理解してはどうかと思っております。で、前半の第一の、側面と言いますか、運用の総合性ということにつきましてはそう多く述べる必要がないかと思います。農政固有のいろいろな行政的な手法はいろいろございますけれども、従来ややもすると、個々の手法がばらばらに実施されていて、それらの総合
効果と言いますか、そういうことを十分考えずに行なわれていたということも言えるのでありまして、今日及び今後の
日本農業の諸情勢を考えますと、従来の農政の固有の手法でもその運用の面では十分総合的に運用する必要があるだろう。で、先ほど申しました「総合農政の推進について」という文書でも触れられておりますけれども、農政担当分野以外の各般の
政策分野との関連的な運用ということが必要だというふうにも述べてございます。これもたいへん重要なことでありまして、結局、ややもするといわゆる縦割り行政といわれる体質があえて農政に限らずございますが、非常に困難な問題かも存じませんけれども、この縦割り行政の壁をぶち破って、そしてできるだけ相互行政を関連させながら運用していくという姿勢が総合農政という新しい呼び名の重要な
意味の
一つかと思います。
それから第二番目の
政策対象という側面の問題でありますが、農政企画当局は、新しい総合農政の
意味を総合食糧の供給という
意味づけと、それから農業の生産から流通、消費という一貫した農業活動、これを
政策の対象にするんだと、まあそのような二つの
意味づけをして理解しているように聞いております。このような見方はそれなりに妥当と思います。しかし、私の考えでは、それとともに
日本の農業の長期的展望に立って考えますと、もっと広い視野に立って農政の対象を求めていくべきではないかというふうに思います。これまでの農政をかりに
基本法農政というふうに呼ばしていただきますと、
基本法農政は産業としての農業というものを
政策の対象にしてきたかと思います。しかし、これからの
日本農業を考えますと、産業としての農業を
政策の対象にするという考えに固執していたのでは、今後の農政の
基本的な対象といいますか、課題を見失うのではないかというふうな
意見を持っておるわけであります。その問題をもうちょっと具体的に申しますと、従来の農政、これは戦前の農政を考えましても、農村問題、あるいは農業問題という表現で、農政の対象を一括してとらえてきたというふうに思われるわけであります。ところが、
昭和三十年代来の持続的な高度
経済成長の段階に入って以来、農村あるいは農業というものを構成しておりますそのほかの要素といいますか、要因、たとえば農家、農民、農地、農産物と、こういった各要素が高度
経済成長下における都市化あるいは工業化といった激しい作用を受けまして、それぞればらばらになり始めたと、したがって、そのばらばらになってまいりますプロセスで、
国民的レベルでの判断が、あるいは評価がだんだんだんだん違ってきたように思うわけであります。農業、農民、農地、農産物、あるいは農村と、こういったすべて農という字がついたことばでありますが、このそれぞれの要素から次第に農にあらざるものというふうな分化が
進行いたしまして、その分化についての
国民各層の評価というものがそれぞれ違ってまいったわけであります。戦前、農は国の本なりということばがございましたが、このことばは戦前段階ではそれほど多くの説明を要しなくても
国民の大方の層にすんなり受け入れられた。そういう受け取り方を昔はしておったわけでありますが、戦後、特に最近及び今後の問題を考えますと、そういう簡単なものではなくなったと、そこで農政は、ばらばらになっております農業なり農村を構成しております各要素をもう一ぺん再び新しい形で統一していくという大きな課題を持っておるのではないかと、そんなふうに思うわけでございます。そういう
意味で農政の対象を総合ということばで新しく再認識していく必要があるのではないかと思っております。でありますので、本来ならば七〇年代の農政の初期にあたって、十分
日本農業の動向なり、見通しを検討いたしまして、狭い産業としての農業の
立場だけで農業問題を考えるのではなくて、もっと広く
国民的な
立場での農業に対する再評価といったようなことをして、農政の体系を立てる必要があるのじゃないかと、そんなふうに思うわけであります。
第二点は、総合農政がそういう
考え方の転換の
現実的なきっかけになりました米過剰という問題でありますが、私の理解では、今日のいわゆる米過剰の問題というのは、単なる一時的な過剰ではなくて、構造的過剰というふうに呼ぶべきものではないかと思っております。構造的過剰というのは、お米をめぐります生産、価格・流通、消費の各過程のこれまでの構造の中に、今日の需給不
均衡をもたらした原因があるのだと、そういう理解でございます。したがいまして、米過剰問題の解決には一時的な生産抑制策だけで、これが根本的な解決をするものではなくて、まさに構造変革、かなり長期にわたると思いますけれども、
日本農業の構造変革ということに徹した施策を遂行しなければ、米過剰問題は解消しないんではないかと、そういう理解でございます。
御
承知のように、なぜやや突如としてお米がこんなに余ったかということにつきましての学問上の検討が十分なされなければなりませんけれども、ごく常識的に考えましても、これまでのところは米づくり、すなわちいままでの稲作生産構造のままで米づくりに
努力することが、一番有利なような生産
環境にお米があったわけであります。したがって、お米の生産が伸びた、他方近年の
国民食糧消費構造というものは急速に変わっております。と同時に、人口の大量かつ急速な地域間移動ということがこの数年来始まりました。その両方の要因でお米の総消費量の減少が加速されたと思います。したがいまして、お米につきましては生産・流通構造の分野の構造的な変化は遅々としてしか
進行しなくて、消費構造のほうがかなり急激に変わった。その二つの構造的なアンバランスが今日の米過剰をもたらしたんではないかと、そういうふうな理解でございます。
で、米の生産構造は伝統的な零細
規模のもので、それからその経営の形は、厳密にいいますと、稲単作と申せませんけれども、大まかにいえば、稲単作の組織である。そうしてあまりこれまで強調されませんでしたけれども、依然として今日の
日本の稲作は農村の村落社会というものによりかかってでき上がっておるという側面、こういった生産構造の硬直性といったものが非常に米過剰をもたらした根本的な原因ではないかと考えておるわけであります。これを転換いたしますには、
相当な時間と
努力を要する問題であって、いわゆる農業構造
政策というものをかなり徹底的に推し進める必要があるのではないかと、さように思います。したがいまして、米過剰問題に対しましては、短期的な施策としての生産調整と、長期的な施策である構造
政策、この両方を組み合わせて強力に実施していくということが必要ではないかと思います。
で、四十五年度の農業施策農林省の分を拝見いたしますと、構造施策の推進ということが第一にうたってございますので、その
意味で賛成でございますが、中身を拝見いたしますと、必ずしも米
経済の構造変革というようなまあ問題意識が強く打ち出されているとは受け取れませんで、何かお米についてはお米の減産といったやや消極的なかまえが感じられるので、その点いささか何といいますか、今日の農政問題の
基本的な理解にもの足りないように、私見では受け取っておる次第でございます。
第三点は、そういうお米過剰の問題をきっかけにして展開された総合農政の国の施策の組み立ての問題で、個々については時間がございませんから触れませんが、長期的な展望として六つの
基本方向が示されております。やや要約して申しますと、大
規模高生産性の近代的農業を育成するのだということ。それから二番目に、米の生産調整と地域ごとあるいは
需要に応じた選択的増産を進めるのだということ。第三番目に、農産
物価格安定と流通加工の近代化。四番目に
経済自立農家の育成。五番目に離農の
援助と促進。六番目に新しい農村社会の建設。こういう長期的な施策としては六つの
基本方向をあげて、これは大体昨年行なわれました農政審議会の答申案の線に近い
一つの
政策方向かと思います。
これを受けて、四十五年度の施策として十二の施策がうたってございます。で、それに応ずる
予算編成項目になっておりますが、技術的に
予算編成項目とこの施策の柱とはぴったり一致いたしませんけれども、構造改善、米対策、選択的拡大といったような農政の主要分野におきましては、
予算とこの
政策の方向とがほぼ一致しております。で、単に
予算の支出面だけを見まして農政の性格というものを判断することは誤まる場合が多いと思いますけれども、今年度、四十五年度の農林
予算の中で、やはり食管会計の経費が三割七分近くを占めておりますので、農業構造
政策に関連した農業構造改善関連事業支出というのは二五%前後かと思います。比率だけで云々してはなりませんが、いま少し本格的に構造
政策へ取り組むことが望ましいように、
予算書の数字の上では感じ取れるわけでございます。私の理解では、農業構造の再編成ということが、四十五年度農業施策を出発点といたしまして必要な大きな問題ではないかと思っております。
そういう
意味で、第四点に、農業構造の再編成問題に若干触れたいと思います。農業
基本法の農政で、構造
政策の目標として、自立経営の育成ということをうたいましたけれども、これが必ずしも期待どおりに
進行しない。一方において農業労働力の激減と、その労働力の構成が逐次老齢化、女性化という形で悪化しております。で、自立経営の育成の大きな条件であります大
規模高生産性農業というものは、土地をあまり使わない養鶏、養豚といったような分野と、それから大都市の近郊地域でかなり大
規模の高い生産性の農業はぼつぼつ出てきておりますけれども、土地を広く使うという形の大
規模高生産性農業の育成のほうは、どうも農業
基本法当時の予想に反してもう
一つ実現していない。そこで、本年度の農政の柱として大
規模高生産農業を育成するんだという方向を示したことは妥当な
政策方向と思いますが、ただ農業の
規模を大きくするというだけではなくて、何をつくるかというその編成がえ、作目構成の編成がえという問題がございますが、この点も皆さま御
承知のように、これまでは米プラスアルファと言われるような取り扱いで、米以外の作目が位置づけられておりました。そのアルファの中が中心になるような農業というものが十分に伸びなかったわけであります。この原因につきましてはいろいろ考えられますけれども、やはり一番大きな問題は価格
政策の側からの誘導というものが、これまで十分にされていなかったのではないかと思います。
そこで、これからの農政的な問題としては地域に合った、あるいは
需要に見合ったプラスアルファの分野の増産に対して価格
政策の誘導ということを十分考慮する必要があるんではないかと思います。
いま
一つは、何か米作農業というのが、これまでの
日本の農業の実態でございまして、この長い体質のせいかと思いますけれども、お米の生産調整という声を聞くと、それだけでもう農業はだめなんだという、そういう受け取り方が農業者をはじめ、農業界全体に何となくただよってまいります。これは
日本の農政が伝統的に増産をスローガンとしてまいったわけでありますが、その増産スローガン農政が突如としてお米の減産というふうな姿勢を示すと、もうそれだけで農業はお米がだめなら農業はだめだと、こういう受け取り方をしがちでございます。そういうムードの中でだんだん農業への意欲というものを
一般の農業生産者が失いつつあるのではないかと思います。これはきわめて重大な問題かと思います。
したがいまして、これからの農政の運用の面でそういう一種の消極的なムードというものを十分打破して、もっと積極的な姿勢を示すように運用していただくことが望ましいと思います。構造
政策というものが農政の中できわめて重要な
政策分野であるということは、だれしも今日認めるところでございますが、
基本法以来の農業構造改善事業を中心とした構造
政策がいろいろ批判もございますけれども、ややもすると画一的に施策が遂行された、この点が確かに反省すべきことかと思います。ところが今日の持続的な高度
経済成長の状況のもとで、御
承知のように、農山村地域では過疎化現象が起こっております。そしてまた都市近郊地域の農村は市街化の侵入ということでかき回されているわけであります。その二つの地域の農業構造はいわば異常な形、あるいは歪曲された形の変化が起きまして、農業の縮小あるいは農村の崩壊といったような現象が見られます。極端な市街化地域と過疎化段階の地域を除いた大かたの農業地域あるいは農村地域、そこでもいろんな形の構造変化が起こっております。この農業構造の変化が
日本列島の中で画一的に起こっていない。場所によって非常に違った構造変化をしておる。その事実認識が構造
政策の面でやや欠けておる、いままでは欠けておった。しかし、これからは地域農政と申しますか、
ほんとうの——
ほんとうというのは言い方が悪いのでありますが、構造変化の違いということを十分認識した構造
政策の実施が必要ではないかと思います。農政に地域の問題を盛り込んだ
考え方は、四十五年度の施策の面にも出ておりますが、それはどちらかと申しますと、適地適産といいますか、どういう作物をどういうふうにしてつくるという問題のときに、地域の事情に適したものをつくるように奨励していこう、そういう
考え方でありまして、構造改善という場面での、あるいは構造
政策という場面での地域のとらえ方にもう
一つ不十分な点が見られるように思うわけでございます。
構造
政策の目標として
基本法農政は、いわゆる自立経営の育成ということをねらってまいったわけでありますが、本年度の施策では、構造
政策の具体的な目標を、
基本法で定義した自立経営以外に、その農業以外の収入をひっくるめて農家の所得を高める、それを私は
経済自立農家と呼んだわけでありますが、その
経済自立農家の育成というふうに、言ってみれば構造
政策の具体的目標を拡大解釈をしておられるように思います。これは構造
政策の目標として一歩前進と、私個人としては考えておるわけであります。そのために、離農の
援助とか、農業経営者の養成といった人を対象とした一種の選抜施策に踏み切っておる、他方で基盤整備の
大型化とか、農地の流動化、あるいは農業金融の強化といった関連施策を打ち出しております。こういう施策が、先ほど申しましたように、地域農政という形で
ほんとうにそれぞれの地域の構造変化の違いを踏まえた形で運用されることが必要ではないか、かように思っております。
先ほど
日本の総合農政の
政策対象をもっと総合的にとらえなければならないということを申しましたけれども、農業なり農村を構成しておりますそれぞれの要素が違った
動きをしてきておるという問題提起をしたわけでありますが、産業としての農業部門ということを考えますと、これには学者によっていろいろ違った見解がございましょうが、純
経済的な損得勘定で
日本の
経済を展望いたしますと、
傾向として農業部門が逐次縮小化しておりますが、最近のように、あるいは最近までのように、数年後にはもう
経済の
規模では、もう
一つ日本ができるくらいなハイスピードで今後も
経済が進むといたしますと、そういう高度
経済成長の過程では、
日本は農業がゼロに近い国になる可能性も予測できるかと思います。その場合の農業は産業としての農業でございます。そういう国はまだ
世界中にあまり例を見ないわけでありますが、はたしてそういう予測状況を想定してよろしいのかという問題がございます。私はそういう状態は望ましくないというふうに考えますが、産業としての農業を純然たる
経済部門としてどうするのが得か損かということを、
日本経済全体から推しはかりますと、そういう予測も立ちかねない。だといたしますと、
日本国内に農業を存続させるのはまた別の価値基準で考えなければならないのではないだろうか。従来のように単なる産業としての農業という地盤で問題を考えていたのでは、これからの
日本の農業の根本的な問題を見失う、というとやや言い過ぎになりますけれども、先ほど申したのは、そういう問題提起でございます。
同じような問題になりますが、農地という農業を構成しております要素、これにつきましては、常識的には農地は農業生産の
基本的生産手段であるというふうに理解しております。ところが、今日の情勢は、農地の持ち主である農家は、これを私的財産というふうに考えている、価値評価している人がふえてきているわけでございます。農地の評価が、生産手段から私的財産へ分かれていっておるということであります。
一方におきまして、高度
経済成長下で都市がどんどん膨張してまいりました。そこで、いわゆる緑地という問題がだんだん重視されてまいりまして、緑地空間の価値というものが今後ますます重くなってまいるかと思います。いろいろな学者の展望では、将来の
日本では余暇というものが——まあ通称レジャーと呼んでおりますが、広い
意味の余暇というものがますます大きな割合を占めて、いかにして余暇を送るかということがわれわれの大きな生活問題になると言われております。そのような展望の中で、農地というものが今後
国民にとってきわめて重要な緑地空間
資源になるのではないかと、さよう思うわけであります。この問題は必ずしも私の専門ではございませんけれども、都市が膨張しておりますいわゆる都市建設、そういう地域で、緑地空間の問題が最近は大きな
現実的な問題になりつつありますが、将来は、
日本列島全体を舞台にして、いかにして緑地空間を確保し、保全していくかということが
国民全体の大きな問題になろうかと思います。その場合に、既存の農地という形の土地が緑地空間の有力なる
資源ではないかと、さよう思います。そういう農地を維持していくための農業、いわば主客転倒の形になりますけれども、そういう側面からも農業の問題を考える必要があるのではないかというのが私の
意見でございます。
なお、農民、農業者という要素もやはり分化をしてきておるわけで、農業者は農地の土地所有者でありますが、だんだんいわゆる地主化した行動を、特に都市近郊の人たちはとっておりますし、他方、半分農業者、半分は非農業者であるという兼業就業の形が
一般化してきております。こういうふうに考えますと、
ほんとうに農業の好きな人というのは非常な数に減ってきておる。一体農政は、人を対象とした場合に、どの人を
ほんとうの農政の対象とするか、こういう問題に今日ぶち当たっております。今後この問題も、ある
意味で、はっきりしていかなければならない。まあ、いろいろ見方もございますけれども、表現としては適当でないかもしれませんが、一種の選抜というような形を農政がとらざるを得ない時期に逐次参っておるというふうに思われます。
いま
一つ大きな問題と思いますのは、
ほんとうの農業者といいますか、農業だけをやっているそういう農業者と、半ば非農業にも従事している人と、全く農業に従事していない人たちが一緒に生活する、そういう場所で今後の
日本の農業が行なわれるようになるかと思います。昔のように純然たる農家だけが住んでおる村落で農業の大半が行なわれているという、そういう時代から、農家以外の人たちと一緒に生活しながら農業をやっていく、そういう時代に移っていこうかと思います。その場合に、どういうふうに、地域社会といいますか、あるいは農村の
環境を整備したらよろしいか、この問題が残念ながら学問的にも十分まだ解明されておりません。しかし、これからの農政は、そういう新しい形の農村と申しますか、私は、都市でもない、農村でもない、都郡地域ということばで呼んでおりますが、そういう新しいパターンの地域社会というものをつくっていく仕事、これも農政の担当する分野に相なるのではないかと思います。
で、農産物につきましても、従来われわれは、農産物といえば耕種・養畜といわゆる直接的な農業生産の生産物が農産物であって、その農産物を
国民に安定的に供給すればよろしいと、そういう理解をしてまいったわけでありますが、御
承知のとおり、今日の
国民一般の方々の関心は食品にあるわけでありまして、農産物が人の口に入る食品の形になります場合に、いわゆる農業関連産業という
一つのプロセスを経なければなりません。そういう
意味でも、農産物自体についても形を変えた分化現象が出てきておりますので、これを農政がどういうふうにして扱うかという問題がございます。
少し長くなりましたけれども、最後に、先ほど申しました農業、農家、あるいは農業者、農地、農産物と、こういう農業を構成しております諸要素の乗っかっておる農村地域でありますが、この農村地域が、御
承知のように、都市化、工業化の波をかぶって急速に変貌しております。その問題に対して、四十五年度の農業施策では、新しい農村社会の建設という柱を立てて対処していこうとされておりますが、その点は私は妥当な
政策の方向と思いますけれども、その内容を拝見いたしますと、いわゆる生活
環境整備とか、農村の雇用機会の
増大——これは工場誘致ということのようでありますが、あるいは地域振興、山村振興とか、過疎地帯の振興とかいう、いわゆる地域振興、この三つの施策が新しい農村社会の建設という施策としての内容になっているように思いますけれども、そしてまた、この新しい農村社会の建設という、農政としては新機軸の施策が、必ずしも
予算面で十分ではないように受け取れますが、こういう問題意識が、テーマとしては正しいんですけれども、もう
一つ、先ほど来の
考え方から申しますと、
政策の問題意識として欠けておる。欠けておると言うと語弊がございますが、不十分に思います。と申しますのは、農業の構造的な変化が農村全体の構造的な変化を引き起こして、今日の情勢は、村が崩壊していく——やや極言的な表現になりますけれども、そういうきざしが見られます。
日本として伝統の農村そのままの姿で維持していくことは今日のような情勢の中では望ましくないと思いますけれども、くずれっぱなしでよろしいかという問題をもう一ぺん徹底的に検討する必要があろうかと思います。変わっておりますけれども、新しい形で村をつくり直すという問題が、単に産業としての農業の
立場だけではなくて、将来の
日本の
国民社会全体の場で、
日本の農村というものが崩壊して小さい都市のような形になってしまったままでよろしいかどうかということが大きな課題だと思っております。残念ながら、この問題につきまして学問的研究の成果が必ずしも今日の段階で十分ではございません。大いにこれから研究をしていかなければならないことでありますけれども、いずれにいたしましても、これからの新しい農業活動が行なわれます場としての村をつくり直すという問題に、これからの農政はもっと積極的に取り組んでいく必要がないかと思っております。
やや時間を超過いたしましたけれども、私の、今度の施策の項目と
予算を拝見して感じた
意見は、構造
政策というものを大いに今後進めていかなければならないけれども、もう一歩長期を考えますと、農業構造の
政策からもっと問題を広げて、農村構造
政策といった広い視野の総合農政を推し進めていく必要があるのではないかというような
意見にまとまるかと思います。(拍手)
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