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小林武君 私に言わせれば、それは答弁ではないと思うんですね、かみ合わないですから。私は問題を提起しているんですから、それは少なくとも事実に即してぼくは言っていると思うんです。
裁判所法の中における簡易
裁判所に対する日弁連なりあるいはその他の全司法の労働組合なりの主張というものが間違っているというなら、それは違います。そんなことは
裁判所法にありませんというなら、別ですよ。あるいは、そのときの提案趣旨の説明の木村篤太郎氏の
発言というのは、それはうそです、違うんです、こう言うならば、ぼくは何しろその方面の知識暗いんですから、そうですかと言って、一ぺんにかぶとぬぐのだ。しかし、そのことが事実として存在するならば、いまの問題はだめだ。あなたの答弁は答弁にならないんです。やっぱり
法律でも教育でもやたらに変えるということはだめなんですよ。いくさに負けたときに、文部省が何と言ったかというと、おろちのしっぽから剣が出たとか、神風吹いていくさに勝ったというばかなことを学校で教えたから、
日本の国民は科学性も合理性もなくなったんだから、そういう神話みたいなものを教えるのはいかぬ。そうだと思っておったら、きょうの新聞見たら、神さまがどんどん出てきたというんですね。こういうことをやると、教師は、一体不信感がもうわくわけです。それから、国民の中に何を一体植えつけようとしたかという問題になると思うんですよ。だから、当初の
法律の中にきめられているものがあったら、そのことは少なくともあったものはあったとして、しかしその
法律はこういう点で欠点があるしいまの
事情に合わないから直しますというはっきりした態度でやるべきだと思うんです。私は、二十九年のときには、もし改正するならば簡易
裁判所というのは誤りでしたと、抜本的改正をやらなければなりませんと、こういううたい出しのやり方をすれば、まだこれは筋として立っていると思うのですよ。前のは何も変わっておりませんと言いながら、いまのような説明をするということは、法だけに、私はちょっと、文部省ぐらいが言うのであればかまわぬというようなことを言うと、文部省にも悪いけれども、それはやっぱりいけない、法というものがそんなぐらつくことでは。しかも、
日本国憲法の中においていま
日本の国の政治でも
裁判でも行なわれているのですからね。その中において、二十何年ぐらいの間にこんな一体大きな変化が起こるということは、しかも、私は
先ほど来申し上げているように、
法律のしろうとばかりの問題ではなくて、弁護士会も、それからあなたたちの官側の考え方とは雪と炭ほどの違いだ。これはここの中で議論される専門家はどう受け取っておるか知らぬけれども、われわれのような庶民の立場に立ってものを考えた場合には、どっちがほんとうのものやらわからぬと、こういうことになる。法不信につながる問題じゃないですか。だから、私は
法律のことよく知らぬししますからあれだけれども、法を何というか知らぬ者が、国民という立場から考えると、これは非常に深刻な問題ですよ。私は
昭和二十六年に法廷で若い警察官にこう言われた。われわれの問題はとにかく
立法趣旨からいってこういうことはないはずだというような弁護士側のあれがあったらば、その警察官は、法というものは弓から放たれた矢のごときものである。それを聞いて、私はずいぶん寒心した。寒心したというのは、寒くなったのですね。
立法趣旨がどうであっても、出ていった矢は、放たれた矢というものは、そのときどきの権力なり何なりに自由に解釈されるということになったら、こっちは一体、法廷に立っているのですから、そんなことをやられてたまるかということになるわけです。やっぱり
立法趣旨というものは、とにかく
立法趣旨が生かされたやり方、解釈をしなきゃならぬ。しかしながら、
先ほど言ったように、時代に合わないと、いろんなことがあって、理由があって、さらにもっと国民のほうに近寄るためという改正をやろうというならば、それは堂々と出して改正をやるべきだ。それをまた真剣に討論するのが国会のこれは役目だ。出されるまでの過程においていろんな
関係者が衆知を集めて、そうして完ぺきなものを出してくるというならば、これは国会軽視も何も起こりゃせぬ。こういうことが私の主張なんです、いままで言っている。
この点についてこれ以上やめましょう。これは水かけ論であります。水かけ論と言っても、こっちは水かけ論じゃないのだけれども、答弁がもう終始一貫変わらない、これじゃ話にならぬ。違うと言ってくれればまだいいのですよ。せめてここに書いてあるぐらいに言ってくれれば、だいぶ変わりましたと。まあ私はかなりショックを受けたのは、それともう
一つは、答弁の中に、当時の簡易
裁判所に対する考え方が混乱しておったと、このことだけから、国会というものは、一体まごまごしているというと、何を持ってきて審議させられるかわからぬというような感じを持ったのです。もちろん、対立点のきわめて激しいものは、この参議院段階でも、衆議院段階でも、これはここ十数年の間に何べんかありました。そうして結果的には、きわめて、あまり芳しくないことになっている。ああいうことは、私は大きくいろんな面に影響していると思うのですよ。それであるからいまのような議論をするわけです。それで、まあ私は、ひとつ
事務総長に御意見を承りたいわけでございますけれども、これほどの議論のあるところでございますから、われわれが安心できるような、少なくとも国民が。それについて、これほどの対立点、専門家の間における対立点というものについて、どういう配慮をなさろうとするか、そういう点、御意見あったら承りたい。しかし、おまえが言ってることはわけわからぬで言ってるんだということならば、そういう御意見でもけっこうです。