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国務大臣(
坂田道太君) この点は最終的な
答申を得ておりませんので、あまり私からはっきりは申し上げられないと思いますけれども、私の
考え方といたしましては、この
先導的試行をやります場合においても、非常にいま申しました
条件の
整備というものが
前提にならなきゃならない。そういうものを
考えずしてただこれを実際行ないましても、いい
考え方であってもそれは
弊害が非常に大きく出てくるんじゃないかというふうに思いますので、私といたしましては、少なくとも十年間ぐらいは一部に
先導的試行というものをやる、そうしてその上において、はたしてこれが
定着していくものかどうかというものを
考えなきゃいかぬのじゃないかというふうに思います。
それからいま
お話しになりました四・四・六とかというような
刻みの問題がいろいろ議論をされておるわけでございますが、
中教審におきましてもまだこの
刻みについては確たる
考え方はないわけでございます。これは
中教審の第二十五
特別委員会で述べられましたように、四歳児、五歳児と六歳ぐらいとどう結んだらいいのかという、そこの結び方の問題について触れておられる。そうすると、四歳、五歳と六歳、七歳と、こう
考えれば、あとの残りは
小学校が現在のままだとするならば、当然四年、四年になるのじゃないか、そうしてまた一方においては、
中学校と
高等学校の
一貫教育ということも述べられておりますから、それをくっつけるとするならば六になるんだと、こういう推測にしかすぎないのでございまして、そういうようななしくずし的なやり方というものは私としてはまだ
考えておらないわけでございます。ただここで述べられておりまする
幼児教育が非常に大切である、そうしてそれはやはり四歳児、五歳児、場合によっては三歳児からも
考えなきゃいけないという問題、そういう
問題提起があったということは非常に私は重要な点であるというふうに
考えますし、またこの四歳児、五歳児から
教育をやるんだというときに、
学校教育といいますか、いまは一年、二年、三年でやっておりまする
学科別学習というものを直ちに機械的に四歳、五歳から始めるんだと、こういうふうな解釈をしておるところが非常に多いと思うんでございますが、少なくとも私どもの
気持ちとしてはそうじゃないんで、四歳、五歳、あるいは三歳、四歳、五歳の就学前の
教育については、
学校教育という形じゃなくて、まあ
保育的な
考え方といいますか、生活
学習的な
学習というものが大切ではないんだろうか、そういうような位置づけが必要じゃないかというふうにも
考えておるわけでございまして、もしただ、いま一年、二年でやっておるものを、このごろの
子供たちは字も覚え、あるいは算数も覚える力が昔よりも非常に早くなってきたと、この間もそういう
報告が出ておりますけれども、しかしその
報告におきましても、これを直ちに今度の
教育制度の
改革に結びつけて
考えてもらっては困るというふうな
指摘もあるように、私もそのように
考えておるわけでございまして、やはり四歳児、五歳児の
教育内容、
保育内容というものをどういうものでなければならぬかということがまず
前提に
考えられる必要がある。そういういろいろな
検討課題がこれからやらなきやならないものでございまして、そういう
意味で、私はいま少しこの第二十五
特別委員会の場合においては
相当の時間というものが必要になる。と申しますのは、
大学改革のほうは従来
新制大学が出ましたときに
相当の
大学改革への
改善方策が
大学側においても、またわれわれ
文部省においても、あるいは
中教審等においても
考えられ、そうして何らかの
改善策が
要請されておった。そうしてそれが
大学改革という形で
学生側からも火の手が上がってきた。そうしてその結果として
大学当局それ自身からも現在の
大学を改善しようと、こういう
気持ちになってきた。そうしてそれも、ただ
日本だけの問題じゃなくて、イギリス、フランス、ドイツその他の国においても、
大学改革というものが今日の
社会的要請にこたえられなくなってきておると、こういうような共通した原因もございますから、このほうはかなり早く進めていかなきゃならない。しかし、第二十五
特別委員会のほうは、従来六・三・三というこの
制度に対して批判はあったけれども、しかし、一面においては評価も出てきておりますし、一応の
定着もしてきておる。そうしていま問題になっておるいろいろの
人間性不在の問題であるとか、あるいは
人間教育というふうな問題についての
欠陥が六・三・三それ自体にあるのか、それとも
入学試験制度を改善することによって、かなり
教育の
内容等が改善できるんじゃないか、あるいは
定員をもう少し確保することによって
個別指導その他がやれるんじゃないか、あるいはこれからは
教育機器等を導入することによって、また
教育効果をあげることができるんじゃないか、あるいはまた
指導要領等を改善することによってそういう
弊害も除去されるのじゃないか、こういうような
考え方でございまして、あるいはいい
先生を
教育界にとどめる、あるいは確保するという
前提があって、そうして
相当の
待遇改善をやるならば、その
定員その他と相まって、いま問題になっているような
欠陥が
相当に是正されるのじゃないか。そうだとすると、まずそれをやってみて、なお六・三・三というものが時代の
要請にこたえられなくなった場合は、やはり
先導的試行の結果、これを六・三・三にメスを入れるというようなことも
考えられる。しかし、それは
相当の時間と、それから慎重さと、
検討とが必要なんだと、こういう
考え方が私の
考え方でございます。