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1970-09-22 第63回国会 参議院 文教委員会 閉会後第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十五年九月二十二日(火曜日)    午前十時十七分開会     —————————————   委員の異動 九月十七日  委員吉江勝保君は逝去された。     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         楠  正俊君     理 事                 田村 賢作君                 永野 鎮雄君                 杉原 一雄君                 安永 英雄君     委 員                 宮崎 正雄君                 鈴木  力君                 田中寿美子君                 内田 善利君                 多田 省吾君                 萩原幽香子君                 小笠原貞子君    国務大臣        文 部 大 臣  坂田 道太君    事務局側        常任委員会専門        員        渡辺  猛君    説明員        警察庁刑事局防        犯少年課長    原   仁君        文部大臣官房総        務課長      犬丸  直君        文部省初等中等        教育局長     宮地  茂君        文部省初等中等        教育局審議官   諸澤 正道君        文部省大学学術        局長       村山 松雄君        文部省体育局審        議官       西村 勝巳君        文部省管理局長  岩間英太郎君        文化庁次長    安達 健二君        通商産業省企業        局立地政策課長  黒田 四郎君        建設省計画局宅        地部宅地開発課        長        関口  洋君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○教育文化及び学術に関する調査  (沖繩復帰に伴う文教制度の受入れに関する件)  (教職員懲戒処分に関する件)  (ユニバーシアード夏季大会における選手欠場  問題に関する件)  (東京教育大学の管理等に関する件)  (日本学校安全会に関する件)  (特殊教育学校に関する件)  (文化財保護に関する件)  (留学生問題に関する件)  (日本私学振興財団等に関する件)  (人口急増地域における学校対策に関する件)  (教科書検定問題に関する件)     —————————————  〔理事田村賢作委員長席に着く〕
  2. 田村賢作

    理事田村賢作君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  議事に先立ちまして一言申し上げます。  本委員会委員吉江勝保君は去る九月十七日逝去いたされました、まことに哀悼痛惜にたえません。ここに委員諸君とともにつつしんで黙祷をささげ、哀悼の意を表しまして御冥福をお祈り申し上げたいと存じます。  どうぞ御起立願います。黙祷を願います。    〔総員起立黙祷
  3. 田村賢作

    理事田村賢作君) 黙祷を終わります。御着席願います。     —————————————
  4. 田村賢作

    理事田村賢作君) 教育文化及び学術に関する調査を議題といたします。  本件について質疑、質問のある方は、順次発言を願います。
  5. 安永英雄

    安永英雄君 沖繩返還の問題がいよいよ現実的な問題として起こってまいりましたが、アメリカ議会筋動き、あるいは極東における米軍動き、こういったものから七十二年に、はたして返ってくるかどうかという不安、疑念もありますけれども、その問題は一応おくとして、七十二年にこの沖繩本土復帰をしてくるという前提を踏まえて次のような質問をいたしたいと思います。  特に、沖繩返還教育の問題について質問をいたしますが、二十五年間本土と引き裂かれて基本的な人権、あるいは土地の問題、あるいは教育の問題、経済生活問題等、あらゆる分野本土格差が非常に出てきておるし、ゆがみがある。そこで、特に教育の面で解放されるという喜びと同時に復帰後の不安、こういったものが沖繩教育界にあるということであります。私は、沖繩から日本教育視察に来られた校長先生あるいは行政機関方々あるいは教師等と話をしたのでありますが、確かに喜びと同時に不安がある、内地の、本土教育制度あるいは実態、こういったものを調査すればするほど非常に不安だという声も非常に多いわけです。したがって、その面でまずお聞きしたいのは、受け入れについて今日まで文部省がとってきた復帰についての準備あるいは具体的な計画、実践、こういったものについてまずお伺いしたいと思います。
  6. 犬丸直

    説明員犬丸直君) 沖繩本土復帰にあたりましての教育制度の問題につきましては、去る九月十七日、私、文部大臣に随行して沖繩へ参りまして、つぶさに現地を見て、現地学校視察をいたし、また関係者とも懇談いたしまして要望を十分に聞いてまいりました。従来からもいろいろ現地から人が来られまして、沖繩実態につきましては十分承知しておったわけでございますが、さらに認識を深めまして、文部大臣といたしましても復帰対策に遺憾なきを期するということで、その決心を新たにしてまいったわけでございます。その経過を一応申し上げまして、概要についてまた大臣から……。  それでは、沖繩復帰対策につきましては、現在文部省でどういう形で処理しておりますかということを申し上げます。復帰対策につきましては、政府といたしましては御承知のとおり総理府沖繩北方対策庁が設けられております。山中長官のもとに組織が設けられているわけでございますが、その中に文部省からも課長クラスの参事官を一人出しております。さらに現地には、沖繩北方対策庁現地事務所がございますが、その現場にも関係官を出しております。そういう形のもとに本省におきましては沖繩復帰準備対策のための連絡協議会を省内に設けまして、各局でそれぞれの担当分野につきまして分科会をつくりまして、それぞれの分野につきまして研究を進めております。それを官房におきまして私が総括をいたしまして、それを北方対策庁との連絡その他につきまして調整をとっておる状況でございます。  なお一番問題になりますのは、復帰時に際して法制的にどういう措置をすべきかという問題でございます。その問題等につきましては、現在、ただいま申し上げました協議会を中心にいたしまして検討を進めておりますが、さしあたり四十六年度の予算につきましては現在取りまとめておりまして、北方対策庁にそれを持ち込みまして、北方対策庁協議を進めておりまして、それで沖繩北方対策庁が近い機会に大蔵省に持ち込むと、そういう段階になっておりますが、来年度の予算内容につきましては、できるだけ復帰以前にわが国の、本土教育条件現地との格差につきましては是正していくという方向でできるだけ、たとえば施設整備等にいたしましても、従来からもやっておりますけれども本土より以上の補助率をもって助成していくというような方向で考えております。現在の、一応事務的な状況は以上のとおりでございます。
  7. 安永英雄

    安永英雄君 事務的なものを私は聞きたくなかったわけですが、これはもちろん沖繩復帰対策閣僚協議会の中で進められていくわけですから、文部省だけで独走するというわけにはいかないとは思います。いかないとは思いますけれども、いまの話を、一応外郭の計画を聞きましても、非常に不安を覚えます。こういった事務局に送り込む人間等についても非常に不安でありますが、しかしいずれにせよ、閣議の中で大臣がんばられると思いますから、この点についてはあえて申しませんけれども、少なくとも現在校舎あるいは備品、高校進学率教職員待遇、こういったような問題については本土の六〇%台、大体本土の十年前の状態というふうに私も見ておりますが、こういった問題をどうするかという具体的な私の質問なんです。したがって、いまもおっしゃいましたが、できるだけ施政権返還をされない以前、いわゆる復帰前において格差を詰めていく、こういうことで予算も請求しておるということでありますが、復帰前にとにかく片づけておこう、準備を万端整えてそして実施しておこうという問題は何なのか、どういうことなのか、復帰後にこういう問題についてはどうするという、復帰前と復帰後の時点における計画の具体的なものをお聞きしたいわけです。
  8. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 沖繩が一九七二年に返還になるということでございまして、そのために本土一体化の体制を文教の面におきましてもやっていかなければならないとわれわれは考え、かつまた、その準備をしておるわけでございます。私もかねて現職中に沖繩へ参りたいと思っておりましたが、昨年度は大学紛争でなかなか行けませんでしたので、去る十七日に日帰りではございましたが行ってまいりました。そして中学校あるいは小学校等も見てまいりました。いま安永さんが御指摘になっておりますように、かなり学校であるにかかわりませず、まだ体育館もなければまたプールもございません。また図書等も非常に充実しておるほうだといわれるわけでございますが、本土中学校内容から考えると低いというような状況でございます。施設設備にいたしましても貧弱でございまして、本土でたとえば公立小・中学校校舎が平均九三・九%という基準達成率に対しまして向こうでは六四・三%、体育館のごときはこちらは六五・八%でございますが、五・四%にしかすぎない、プールは三四・六%に対しまして十分の一の三・六%にしかすぎない、こういうことでございます。教育設備も大体貧弱でございますし、また教員組織にいたしましても、六十歳以上が非常に多くを占めておる。そして若い方々は多いのでございますけれども、三十歳かう四十歳までの間が非常に少ない、こういうような問題もございます。それから体位の問題でございますが、これも最近はかなりよくなってきておるように思えますけれども本土に比較いたしますると、かなりまだまだその差が大きい、あるいは学力の問題についても同様のデータが出ておるわけでございます。そういうわけでございまして、やはり復帰前に相当われわれが力を入れてやらなければいけないということで、私、就任いたしまして以来、沖繩の主席をはじめとする文教当局関係職員方々等とも何回となくお会いをいたしまして、毎年の予算要求も続けてきておるわけでございますが、本年度の予算には、御承知のとおりに商業高校つまり高等学校教育が非常におくれておりますから、商業高校をつくるための予算を計上し、ただいま建築をいたしておるような次第でございます。また、来年度はぜひとも業高校をひとつつくらなきゃならぬということで工、予算要求をいたしております。あるいはまた、今年度におきましては、水産学校練習船等もこれを可決していただいたわけでございますが、その他施設関係、あるいは予算関係、もしございましたならば、申し上げたいと思いますが、大体ただいまのところ、琉球政府から要求されております総額が百三十二億でございます。これから総理府と折衝いたしまして概算要求をいたしたいと、かように考えておるわけでございます。
  9. 安永英雄

    安永英雄君 もう私は、七二年に帰ってくるという前提に立てば、いま大臣がおっしゃったように、いろいろ差しつかえがあったんでしょうけれども、いまのお話では、今度十七日に行ってわずかな時間らしかったんですが、いまからかかっていこう、来年の予算はこれだけ、そして学校を二、三校建てる、こういうことですけれども、私の聞いているのは、とにかく復帰前にこれだけのことはやってのけたい、これだけはとにかくギャップを縮めておきたい。これだけは復帰後にやっていきたい。こういう計画はもう整然と出ているものと、こんなふうに思っておったわけです。たとえば、四月一日に沖繩復帰対策基本方針というのが出されて、これは沖繩復帰対策閣僚協議会の議を経てこの方針は行なわれる。すでに四月一日にこれは決定をきれて、その中を見てみますと、施政権返還前に措置すべき施策の中に「教育社会保障のように、本土制度との同一性を確保する要請が特に高いものについては、復帰前に所要措置を講じておくこと」というふうに決定をきれて、復帰前における計画というのが、これはもう今日はっきりなければならない、こんなふうに思うんです。もう少し復帰前に、たとえば施設あるいは設備校舎建築、あるいは教員待遇の問題とか、いろんな項目がたくさんあるわけでありますが、この問題について復帰前までにはこうするんだ、七二年直前までにはここまで持っていくんだ、という計画について私はお聞きしているわけです。それと、その問題が復帰後に残されるのはどういう問題なのかということをはっきりいたしていただきたいということです。
  10. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 先生おっしゃいますとおりに、そういうような計画をただいま策定中でございます。もう詰めの段階に入っておりますけれども、まだただいまここで発表いたします段階でございませんことをまことに残念に存じております。
  11. 安永英雄

    安永英雄君 まああとで話しますが、私これはおそいと思う。特にあとで触れますけれども新聞等発表されておりますが、教育委員会公選制等については、早々と大臣はその方針を打ち出された。あとでじっくり聞きますけれども、そんなところだけポンポン上げといて、全般的にはいまから計画を進めておるというのは、私はおそ過ぎるというふうに考えます。そこで、お聞きしますが、やはり本土現行法というものの適用というのが非常に障害になる点も、私は確かにあろうと思う。そこで、本土法令適用に関して、沖繩経済社会実態特殊性を考慮して必要に応じて暫定特例措置を講ずること、というふうに、やはり同じくこの復帰対策基本方針の中に入っておるわけでありますが、いま予算の問題について約百三十二億というふうなことを検討され、そして、いまから復帰前の計画を立てる、煮詰める段階にきているということでありますが、こういった特別な措置法復帰前におけるこの沖繩格差を詰めるための特別措置というものの法律というのを、次の国会あたりで出す用意がありますか。
  12. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) おそらくは立法措置は必要だろうとは思いますけれども、まだ、ただいまどういうふうなものをどういうふうにするかということは考えておりません。
  13. 安永英雄

    安永英雄君 それでは、ただいま検討中ですから聞くわけにはいきませんが、総体的に、この沖繩復帰をしてきた。こういった場合に、これは直ちにいまの本土法律というものに移行していくという考え方もありましょうし、あるいはその間に暫定的な、暫定法を一応つくって、そうして、ある程度の順応期間といいますか、そういったものとかいうふうな暫定的な復帰後におけるこの法律、こういったものを指向しながらいくという考え方、こういったものについては教育だけの問題ではないと思いますけれども、そういったところはわかっておると思いますから一応お聞きしたいと思います。
  14. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 沖繩教育制度につきましては、教育関係者の努力によりまして本土との一体化が進められております。教育基本法学校教育法等学校制度に関する立法本土法令とほぼ同一内容となっておりますので、本土復帰に際しましても、円滑に移行をし得るものと考えております。ただ教育委員会制度及び公務員制度につきましては、かなり相違点もございますので、本土法令について、沖繩関係者の理解を深めるとともに、復帰までに同一制度となっていない場合には、制度の円滑な移行を期するため所要経過措置検討することといたしたいと思っております。  なお、復帰時におきます教育制度移行のための経過措置等に関する立法は、復帰前に行なわれることであり、また、沖繩に新たな特例を設けようとするものではなく、本土の一般的な姿に戻すための措置であるというふうに考えております。
  15. 安永英雄

    安永英雄君 それでは、先ほど私がお聞きしました十七日の日に大臣沖繩に行かれて、そうして、記者発表をされたときに、いま出ましたからお聞きするのですけれども教育委員会公選制という問題については、直ちにこれは切りかえるという趣旨の発表がありましたけれども、いまのお話では、ある程度の経過措置と、こういったものについても考えるということで、食い違いがありますが、その点は間違いありませんか。
  16. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 私は飛行場におきまして記者諸君質問に答えましたときにも、この教育制度一体化ということをやらなきゃならない。そういうことを申したわけでございまして、その意味におきまして、現在本土で行なわれておりまする制度と同じようになるのだ。こういうことを申し、それに何か法律が要るのではないですかと聞かれましたから、それには必要な経過措置は当然あるものであるというふうに申しておるわけでございます。
  17. 安永英雄

    安永英雄君 しかし、前後の、この大臣発表をされたこの文言からいきますというと、やはり復帰後に、直ちに強行するぞ、もう本土並みなんだというふうなことばが考えられるような言い方をきれておると思う。教育委員会公選制というのは、日本土壌に合わない、あるいは復帰を望みながら教育委員会制度だけは残せというのはおかしい、あるいは教育権行政権一体のものであるから一体化すべきである、こういうことに立って言われたんですけれども、いま言われたことは正しいと思いますから、これは取り消されたのか、新聞記者のほうが悪かったのか知りませんが、これは間違いであるというふうに考えますけれども、しかし、やっぱり現在出ている問題について考えてもらわなきゃならぬのは、なるほど教育委員会制度公選制という問題については、これは本土ではわずかの期間実施して、土壌に合わなかったのか合うのか知りませんが、これはいろんな意味があると思う。ここに大きな政治的な問題がからんできて、そうしてこれは廃止ということになって任命制本土では切りかえになっておる。このいきさつも相当な内容を含んでおるものでありますが、私自身これは定着しつつあった、沖繩では定着している、こんなふうに考えるわけであります。あるいはやっぱり本土復帰を望みながら教育制度だけは残せというのは、これはおかしいじゃないか、おこがましいじゃないかというふうな言い方は、私は大臣としては言うべきじゃない。ほんとうに沖繩復帰という問題を基本的につかむならば、私はこういうことばは出てこないと思うんですよ。おまえらとにかく帰りたがっている、帰りたがっているのをやってやっておるのに、しかし教育委員会制度だけ残せというのはおかしいじゃないか、こういう言い方というのは、私は沖繩復帰の問題についての基本的な把握が欠けていると思う。あの長い間の米軍支配下の中において、日本人として現地教育界の人は、こぞってとにかく教育を進めてきたわけです。教育基本法一つつくるにしても、日本国民ということばを入れるか入れないかでアメリカのものすごい圧力のもとに、ずいぶんみんなで戦ってきて、そうしてそこでようやく日本国民ということばを入れたいという歴史的なこともあります。その後の教育実態から見ても、沖繩教師あるいは行政機関方々が懸命になってやはり日本人としての教育を続けてきたわけです、あらゆる弾圧を受けながら。こういった歴史的なことを考えた場合に、やはり沖繩のものだといっても、沖繩に定着しておる教育委員会制度、これはいいものだ、むしろ内地のほうをのぞいてみると、これは非常に危険なものだというふうに考えるのも、これは私は正しいと思う。沖繩復帰を望む声は大きい。これはだれだってそうです。しかし、復帰についての意見がある。その意見はやっぱりすなおに聞くべきだと私は思う。おかしいじゃないかというふうなきめつけ方は、これは不遜だと思います。こういった点から総合していって、やはり現地のほうに教育委員会公選制を望む声があるというなら、しかし私は直ちに切りかえますよというふうに聞こえるのは当然だと思う。私は沖繩をわずかの期間だけでも見てこられた大臣として、沖繩復帰についての個人的な見解でもけっこうですが、私はひとつお気持ちをお聞かせ願いたいと思う。
  18. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 私は、日本本土沖繩一体的になって、運命共同体的な一体化をはかっていく、その場合に現在行なわれておりまする行政組織でありますこういうものと、一体であるべきであるということをすなおに申し上げたわけでございます。しかしそれに対して、いろいろこちらでは公選制をやっておるがどうなんだというお話がございましたので、それは日本本土において占領直後公選制をやりました、初めはこれもいいかと思ってやりました、しかしどうも日本土壌に合わない面があるということで、昭和三十一年に任命制に切りかえましたと、そういうことで私どもはあの教育条件整備その他についても、教育行政振興につきましても、このほうがよかったと思っているんですと、しかし今度視察をいたしまして、公立小・中学校施設設備等が非常に貧弱でありますし、あるいはそれに差がございますし、そういうようなことを見るにつけましても、アメリカで発達した、あるいはアメリカの一部で行なわれておるそういう公選制というもの、しかも非常に市町村財源というものが乏しい沖繩土壌においては有効適切な行政が行なわれないのではないだろうか、こういうふうに思うということを申し上げたわけでございまして、私としましては、教育行政一体化というなら、やはり日本教育行政の形になってもらったほうがいいのであるというふうにいまは考えておりますということを申しただけにすぎないのでございまして、いまも私はそういうふうに信じておるわけでございます。しかもこの教育行政区域と、それから一般の地方団体組織とは違いますし、初めにおきましては教育税等を取りまして独立の財源をもってやるということであったかと思いますけれども、それも結局だめになってしまったと、まあアメリカあたりでもおそらくそういう教育税等を取りまして独立した一つの財源をもって行政をやる、教育行政は別だという考え方もあったわけでございますけれども、そういうようなことはどうも日本土壌には合わないというのがただいまの私ども考え方でございまして、その質問に答えて私はそういうふうに申し上げたわけであります。
  19. 安永英雄

    安永英雄君 いままで調査をされたことと思いますが、教育委員会川制度の問題だけじゃなくて、現行沖繩における教育関係法規、それと本土法規はずいぶん違うところもあると思うんです。この点、教育基本法、それから教育委員会法学校教育法社会教育法、あるいは幼稚園振興法、その他学級編制教員定数、こういった基準、こういったものについてどう違っておりますか。
  20. 犬丸直

    説明員犬丸直君) 沖繩教育制度全般につきまして、ほぼ本土制度と同じでございます。ただいまおっしゃられました教育基本法あるいは学校教育法あるいは学習指導要領とか教科書その他大体本土と同じような制度になっております。細部の点は、これは沖繩という立場の違い上、字句等に対する違いが多少ございますけれども内容的にはほぼ同じでございます。ただ大きく違います点は、先ほど来御論議いただいております教育委員会制度の問題、教育公務員の問題、これは公務員制度自体が、沖繩の場合には市町村公務員制度がまだ確立しておらないといった状況もございますし、そういうものもございまして非常に違っております。他の点ではほぼ同様であろうと承知いたしております。
  21. 安永英雄

    安永英雄君 ほぼ同じというのは、大体今日まで努力しておるようでありますけれども、詳細に見てみますというと、ずいぶん違っておる点もあります。教育委員会法以外にも、あるいは実態がまずとにかくずいぶん違う。法律はあるけれども、その実態というものはずいぶん違う、こういった点もたくさんあるわけであります。時間がありませんから、実態は次の機会にでも私は申し上げてみたいと思うんです。  そこで先ほど大臣のほうからお答えがありましたように、暫定的な措置というふうな暫定期間、こういったものを置くというのですが、主として私がいま申し上げた法律の中で教育委員会法以外で暫定的な取り扱いをする法律はどういう法律ですか。
  22. 犬丸直

    説明員犬丸直君) 各法規につきまして現在詳細に検討を進めておりまして、暫定措置内容あるいは必要かどうかということにつきましても、まだ最終的に調べ尽くしておりませんけれども、たとえば先ほど先生もおあげになりました各種の補助率などにつきまして、現在のところは、日本政府から援助する場合に本土と違った優遇された補助率などを用いております。その辺は予算ともからむわけでございますけれども、今後その辺のことにつきまして特例措置が必要ではなかろうかという面もございます。それからあと経過措置といたしまして、いままで沖繩制度において行なわれましたいろいろな教育制度教育上の措置あるいは行政措置の効果をどのように引き継いでいくか、本土法律に引き継ぐための復帰前に行なわれました教育上の、行政上の措置をどういうふうに引き継ぐかという問題もございます。  それからあと私学関係等につきまして、現在の私立学校あるいは琉球政府立の大学の場合も同様でございますけれども、設置基準等の適用につきまして、そのまま本土の設置基準適用していいかという問題もございます。あるいは琉球育英会とかあるいは私学振興会とか、そういったものの扱いをどうするか、そういうような問題もございます。それらの技術的な問題につきましては、現在各関係の部局を動員いたしまして、問題点を詰めている状況でございます。
  23. 安永英雄

    安永英雄君 いま制度的に暫定的な措置をとらなきゃならぬ法律について多少明らかにされたんですけれども、これもやはり明確に早急に出してもらわなきゃならぬ問題だと思います。私はできればそういった本土のいわゆる国内法という問題について早急にやらなきゃならぬ問題がたくさんあると思うのです。これはもう次の国会で当然やはり審議をし、そしてきめなければならない問題がたくさんあると思うのですが、どうも進みぐあいがおそいようでありますけれども、精力的にやってもらわなければならぬし、私は七二年という期限を考えた場合には、次の国会で少なくとも復帰前にやらなければならぬ問題はすべて法律できちんと出してもらって、そして強力に進めてもらうということがなければならぬと思いますので、要望しておきます。  そこで、いま出ました問題の中でちょっと言われた琉球大学の問題について、いわゆる大学の設置基準という問題等については、これは私は暫定的な措置期間を置いてもらっちゃ困ると思うのです、この問題は。少なくとも復帰後は国立大学として当然取り扱わなければならぬ問題なんですけれども、これはいまの現状からいって復帰後にそろそろ国立大学という範疇に入れて、そしてそれからこの設置基準等を、日本の現在の内地の大学の基準に一挙に持っていくというのでも私はおそいような気がする。とにかくこれを暫定的にまだ設置基準をそのまま低いやつを置いておきながらずっと続いてある程度いかなければならぬという問題ではないと思う。少なくとも一歩引いても、私は、復帰後は直ちにこの問題については日本の設置基準本土の大学の設置基準というものを直ちに適用して、そして充足するという形が二番目だと思う。第一番目はやはり復帰前に少なくとも本土の大学の基準まで持っていけるような援助というものを法の許す限りにおいてとにかくどしどしやるべきだ、もう復帰したときには沖繩の琉球大学というのは本土の大学並みになっているというぐらい、せめて私はこの復帰前の文部省の重点としておいてもらいたい。先ほど商業、工業、それから水産、こういった高等学校の建設という問題については援助されておりますが、琉球大学の問題については、これはもう歴史的なものがあって、初めはほとんど琉球政府もタッチしていない、それがようやく六六年に日本政府が援助に乗り出して、六九年にはこの予算関係では九〇・二%は琉球政府が持っているし、日本政府はわずかに八・九%の援助しか行なっていない。これではとにかく私は復帰前の仕事としては不十分だと思う。現在学生一人当たりの費用というのは、本土の類似大学と比較しますというと五〇%、設備が四三%、敷地面積達成率というのが二八・三%、教員の定数、これは設置基準に照らしてとにかく八百三十三人今後増員しなければならぬ、こういうふうな充足率。そしていま移転問題が起こっててんやわんやしておる。あるいは医者の養成という問題について保健学部——まあ医学部と言いたいところだけれども保健学部、こういうものも設置したい。こういうことでやはり復帰後における教育水準の維持ということについては琉球政府自体も大きく力を入れているわけですから、せめて琉球大学の問題については本土の国立大学並みのとにかく姿というものをやっぱりつくってもらいたいという考え方であるし、非常に要望も強い。琉球大学だけは少なくともそういった本土の大学並みにするという計画、それについての実現の方法等はどうお考えになっておるか。
  24. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 琉球大学の学長にも今度お目にかかりました。それ以前におきましても何回かお会いをいたしまして、何とか一日も早く琉球大学が国立大学に編入されるようなふうに基準を上げたいし、またそれに対する援助をお願いしたいということでございまして、私たちもできるだけそういうふうにつとめることを申し上げておったわけでございますが、しかしながら琉球大学の現状は、先生御指摘のとおり、本土の大学設置基準から考えてみますると、教員組織、あるいは施設設備等全般についておくれております。まだ問題がございます。そのすみやかな解消をはかることは当然だと思うのでございますし、また琉球大学、あるいは琉球政府等の関係者にも努力をお願いをしておるところでございます。と申しますのは、たとえば従来琉球大学はやはり琉球の方々によって教官組織ができておりますし、いうならば非常に閉鎖的な大学であったことも御承知のとおりでございます。そういうわけで、先生の確保、教官の確保ということは非常にむずかしい問題でございまして、向こうへ派遣するにいたしましても、その先生たちをどうやって確保するかという問題もあるわけでございます。この前参りましたときにも、できれば来年度から五十名ぐらいの教官を送ってもらえないか、長期的に送ってもらえないかというお話でございましたけれども、なかなかいまの実情ではそういうわけにいかないということも申し上げてきたわけでございます。しかもまた琉球大学をどういう大学にするのかという基本的な問題につきましても、大学自身もお考えでございますけれども、それがまだ明確になっておらないといういろいろの問題もございますわけで、私たちも以前からこの水準の全般的な向上のために努力をいたしたいというふうに思っておるわけでございます。
  25. 安永英雄

    安永英雄君 琉球政府自体にも問題があるということは私も聞いておりますし、そしてまたどうも復帰をしてから日本政府のほうに入っていって、それからりっぱな大学にしてもらおうという、そういう考え方も一部あるやに聞いておりますけれども、しかしいずれにしても沖繩復帰という問題、いろいろ外交の面、経済の面もありましょうが、やはり私は琉球大学というものを中心にした教育というものが一番復帰後において必要じゃないかと思う。この点についてはやはり復帰前に完全に日本の一県に一校ある国立大学並みの施設の面も内容の面も充足をしておくという方向でひとつ努力をしてもらいたいというふうに考えます。  次に、これは文部省だけの問題ではないと思うし、これは明らかにこの復帰対策の中で全般的に考えられなければならぬ問題でありますが、ここでお聞きしておきたいと思うのは、復帰後は沖繩県になります。当然一つの自治体、この沖繩県の中にある教育委員会公選制というのは、これはその時点ではこれは特別法になる。したがって、九十五条と関連してくるのではないかというふうに私は考えるわけです。いわゆる沖繩県民の全員の投票によって、その形では特別法である教育委員会法公選制という問題はかかわりがあるように考えますが、このかかわりについて、どうお考えか、お聞きしたい。
  26. 犬丸直

    説明員犬丸直君) ただいまのところ私どもは、復帰後におきましても教育委員会制度本土と同じものに持っていきたい。ただし、先ほどお話もございましたように、その間の経過措置は考えていきたいということでございます。それでそういう線でございますれば、本土と同じ制度に持っていくための経過的な措置、そういう程度の内容立法措置でありますれば、これは従来の慣例から見ましても、憲法第九十五条で言うような手続を踏まなくてもよろしいというふうに私ども考えております。
  27. 安永英雄

    安永英雄君 これは小笠原の例があるわけですが、小笠原の場合もやはり小笠原復興法というのが九十五条の発動をやったらどうかという論議もあの当時あったのですけれども、このときの大体政府側の九十五条適用ではないという根拠としては、第一人口が百数十人しかおらないのに、本土から帰ってくるその人たちが次々に村づくりをしていく、こういう現状だからいまさら必要はない、あるいはまた、ただ単に援助をするというだけだから、国の財政上の特別援助を規定する法案である。したがって、本来ならば、これは適用する場合には地方公共団体の組織運営または権能に関するものでないから、これは適用しないという、この二つがその当時の政府の答弁だったわけです。しかし、沖繩の場合はどちらも該当しないし、これは小笠原とはずいぶん違った形態を持っていると思うのです。人口だって百万近くの人間がちゃんと住んでおる。そうして振興法というものは少なくとも自治体の運営、教育委員会の運営あるいは県のこれに属する問題であるわけですから、ただ単に暫定的な期間を設けるということだから、これは必要ありませんというふうにおっしゃるのは多少違うような気もするのですが、これは私も自信がないわけです。その点あたりは、ただ単にすっと移行していく、暫定期間を置いているから住民の意思等はあえて問う必要もないというふうにお考えの根拠をもう少し……。
  28. 犬丸直

    説明員犬丸直君) ただいまお話のございました小笠原との違い、人口、規模等につきましては、おっしゃるとおりでございます。ただ、今度とろうとする移行措置内容でございます。その内容がやはり半永久的といいますか、恒久的に沖繩本土と違った特別の制度をしくということになりますれば、これは当然憲法第九十五条の問題になりまして、あの手続をとらなければならないわけでございますけれども、あくまでもこれは移行措置である。終局的には本土と同じ制度に持っていく、そのために従来から現在の段階において食い違いがあるから、そこの移行をスムーズに持っていくための措置であるということでございます。その点は憲法の問題にならぬのじゃなかろうか。  それから、なおそのほかにも、たとえば振興のための特別措置ということももちろんあると思います。沖繩地域を振興するために、本土と違ったある程度の優遇措置振興のための優遇措置をやっていく、これにつきましては、先ほど先生もおっしゃいました小笠原の例と同じようなことでございまして、事柄の性質がそういうものでございますので、規模が大きくなりますけれども、事柄の性質がそういうことでございますから、同じような取り扱いでいけるのじゃなかろうかと、ほぼ私どもは確信しておるわけでございます。
  29. 安永英雄

    安永英雄君 時間もありませんから、最後に私は要望しておきたいと思うのですが、まず第一番に、いまのお考えをお聞きして、やはり沖繩復帰前、復帰後、これにおける明確な計画、緻密な計画、そうしてそれが大体国民もこれについてよく知っておるし、参画もできるような、あるいはまた琉球政府あるいは琉球政府を中心とした県民の意思というのも十分織り込まれて、ガラス張りの中でこの前にはここまでいくのだ、後にはこの期間中にここまでいくのだ、こういった明確な青写真、それについての実行というものはやはりぜひやってもらいたい。これは私のほうで今後いろいろ質問もいたしていきますけれども文部省側からも、教育の問題についてこういう計画を持っているのだということは、積極的にわれわれにも知らしてもらわなければならぬというふうに思いますので、お願いをしておきたいと思います。  それから、やはり沖繩の人と接して考えなければならぬ今後の留意すべき点というものは、私は次のようなことであると思います。それは、沖繩県民の本土復帰への関心が一番大きいのは、やはり平和憲法ということだと思います。しかも日本の憲法を知れば知るほど空洞化されておるという不安を持っておる。私はほんとうの意味の平和憲法というものを彼らが希求しておるのだということを頭の中に置かなければならぬ、そうして事教育の問題については、このほんとうの平和憲法という中から生まれた教育基本法、真の教育基本法というものを私は期待している、こういった考え方から制度なりあるいは予算関係等も考えていかなければならぬのではないか。  それから二つには、先ほども申しましたように、沖繩の今日までの教師を中心として教育関係者が、米軍の弾圧に耐えて子供たちを日本人として教育してきたというその実績、こういったものを踏まえてあるいは復帰準備を進め、万端を期さなければならぬ、こういうふうに私は感じます。ぜひひとつこういうった点を押えて計画を明確に出していただきたいというふうに考えます。  次に、弾圧の問題、まあ弾圧ということばはひどいかもしれませんが、文部省が各府県の地方教育委員会等を指導してよく処分をきれますが、懲戒処分について質問をいたします。  まず第一番に、四十一年から四十四年までの人事院勧告をめぐってストライキというものをやったということで、この関係における処分者の数、懲戒の内容別にお示しを願いたいと思います。
  30. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) 昭和四十一年十月二十一日のストライキにおきまして、参加者が十五万人余ございましたが、そのうち戒告以上の処分を受けました者が六万五千四百六十四名ございます。四十二年のいわゆる一〇・二六ストにおきましては参加者が約十四万人でございますが、うち同じように戒告以上の懲戒処分を受けました者が二万八千三百四名でございます。四十三年のいわゆる一〇・八ストにつきましては参加者が約十六万人でございまして、うち戒告以上の懲戒処分を受けました者が四万二千九百六十四名ございます。四十四年度におきましては、七・一〇と一一・一三ストがございますが、七・一〇の場合には参加者十六万四千名余でございますが、うち戒告以上の懲戒処分を受けました者は一万二百名でございます。一一・一三ストにおきましては参加者十九万六千名余でございますが、戒告以上の処分は十万六千六百三十六名でございます。したがいまして、四十一年から四十四年までの懲戒処分を受けました者の総数は二十五万三千五百六十八名でございます。
  31. 安永英雄

    安永英雄君 膨大な処分者が出ておるわけでありますが、勤評あるいは学テ、こういった三十三年から四十年にかけては処分者の数というものは非常に少ない。特に幹部が処分を受けておる。それ以降はいまおっしゃったような膨大な数字で、これは一般の先生方がたくさん処分を受けておる。こういう変化があるわけです。この点についてどう思いますか。なぜ違うんですか。大体同じようなことを行なっている。数は勤評、学テ、こういったときの計数をお持ちであれば比較になればいいと思う。なぜ違うのですか。
  32. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) どうもお答えしにくい御質問でございますが、まあこれは懲戒処分は任命権者、それぞれ都道府県教育委員会が独自の判断でやっておるところでございますので、特にどういうふうに感ずるかと言われましてもちょっとお答えしにくうございますが、一般に先ほど申しましたように、人事院勧告をめぐりましてのストライキ参加者というものが、四十一年に比べまして四十三年、四年とだんだんと参加者数もふえておりますので、勢い処分者もふえてきたんではなかろうかというふうに考えます。
  33. 安永英雄

    安永英雄君 そうではないわけです。それは一つの一〇・何という時点をとらえた場合と、それから勤評で三十三年何月何日という時点を調べた場合に格段の数の差がある。要するに、やはり四十年以前は幹部だけを処分をしておった。四十一年以降は一般の先生方を処分をするようになったという変化がある。それがずいぶん違ってきておるわけです。勤評だって学テだって、その当時そういった種類の争議行為に参加するという数というものはむしろ多かった。私はここらあたりにやっぱり不公平な取り扱いが一つあるというふうに考えます。もちろん、私はこういったことはあなた方が言うような、弾圧を受け、争議行為と見なして、そうしてこれを処分するという種類のものでは全くないという根拠は持っていますが、ここであえてその問題について争おうとは思いません。別の機会にやりたいと思います。しかし、そういった不公平も出てきておる、公平の原則を欠いておるというのが実態的にも見えます。  そこで、昨年の東京都の都教組の事件で最高裁の判決が出たわけでありますが、「地方公務員の行為が地公法三十七条一項に規定する争議行為に該当し、しかもその違法性の強い場合ももちろんあろうが、争議行為の態様からいっても違法性の比較的弱い場合もある、」こういうふうに言っております。これが無罪の大きな根拠になっておるのであります。そして「三十七条一項を文字どおり読むと違憲の疑いを免れない。」こういったところでありまして、ここではっきりと、そういった裁判所がいう違法行為という問題についても強弱があるというふうにはっきり出しております。あるいはまた中郵事件の判決が非常に大きな影響をこの東京都教組事件に与えておる。これはもうそのまま判決文の中に書いてありますが、その中でも、違法性の強弱と制裁の強弱とは対応しなければならない、こう言っておるのであります。このことは私は刑事罰あるいは行政罰といっても同じ理念でないかと思うんです。ここまでの点について大臣はどう思われますか。違法性の強弱と制裁の強弱というものはこれは対応しなければならぬ、つり合ったものでなければならない、これが一般論です。一般的に私はそう言える、行政罰といえどもそう言える、こう思いますが、どうでしょう。
  34. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) やはりそのとおりじゃないかと思います。
  35. 安永英雄

    安永英雄君 そのとおりだというふうにおっしゃると、現実のあなた方が指導をし、各都道府県のほうで処分をやっておるのはこれと反しておる点が非常に多いということであります。私はあえて違法性ということばを使いたくないけれども、一応裁判所で使っておりますから使いますと、違法性の弱いものに制裁の強いものを加えておるということであります。これはドライヤー報告書の中に出ていますね、これはまあ文部省としても知っておられると思う。とにかく日本政府の管轄下で公務員に対する処分、こういったものについては、いかにも法の限度ぎりぎり、むちゃくちゃにとにかく処分をしておって、そうして非常に軽微なものまで最大限の制裁を加えておる、これはいけないというふうにして例をとって、広島の国鉄職員の例をあげておるわけですね。そうしてとにかく最高裁で罰金千円という判決が出た。ところがその期間五カ年裁判中は休職処分にしておる。六割の支給しか給与はない。決定後は国鉄の品位を汚した、こういったことで六カ月間一割の減給をやっておる。これあたりは例を引いてドライヤー報告は言っておる、日本の例として言っておるわけですが、とにかく判決としては千円、しかしそれを取り巻いて休職処分、減給、あらゆることを含めたらとにかく膨大な制裁量になるではないかというので例を引いております。これは教職員の場合はありませんけれども、これは世界の調査団が来て実際に日本の現実を調べて忠告をしていった例でありますが、先ほど大臣も違法性というものと制裁というものとの強弱はこれはつり合わなければならないというふうにおっしゃったわけですけれども、それでは大臣、賃金カットですね、これも文部省としては厳重に指導されておる、先ほど都道府県教育委員会が云々と、こうすぐ逃げられる。実際は厳重に報告書を取り、通達を出し、そうして厳重に監視をしていってこのとおりやれという強力な指導がこの処分の中にあっておることは事実です。だから私はお聞きしているわけですけれどもね。大臣、一時間授業をしなかったというわけで賃金カットを受けた場合に、実際平均どれくらいの金の損害になっておると思いますか。
  36. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) 安永先生の御質問の趣旨がちょっとわかりかねるのですが、まことに恐縮ですがもう一度おっしゃってください。
  37. 安永英雄

    安永英雄君 とにかく、ストライキということばを使いますがストライキに一時間参加した。だから一時間の授業をしなかったということですぐ賃金カットしますね。それは大体どれくらいの金が賃金カットされていますか、一時間カットしたら。それくらいのことを知っておかなければ、あなただって、ものすごい指導するんですよ、これは。
  38. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) 当人の給与本俸の額にもよりますが、大体で三百円あまりくらいの平均値になると思います。
  39. 安永英雄

    安永英雄君 これは大臣からお聞きしたがったのですが、三百五十二円なんです、平均。しかし三百五十二円だけでは済まないのです。あなたがたは、どうも一時間賃金カットをするということで三百五十二円引かれているとお思いになるかもしれませんが、これはそうじゃない。手当のほうにも影響してきまして、勤勉手当で三千七百五十円、平均成績率で四千七百五十五円、平均八千八百五十七円という、一時間カットしたことによって膨大な金額をカットされておることは御存じですか。
  40. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) 正確な数字は手元に資料がございませんが、先生がおっしゃるような数字になるということは当然知っております。
  41. 安永英雄

    安永英雄君 あなたがたのほうでよく戒告ということを、処分を受ければ昇給延伸とくるわけですね。三カ月の昇給延伸を受けた場合にどれくらいの損害があり、損害というのはまあどうもあれですが、私のほうから言えば損害なんですが、どれくらいとにかく制裁をしたことになりますか、金額にして。
  42. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) 大体におきましてたとえば昇給幅が二千五百円といたしますと、三カ月延伸で七千五百円ですが、それが勤勉手当にはね返りますので、大体一万円前後になろうかと思いますが、これはあくまで、非常に乱暴ですけれども平均したもので、個々人につきましてはそれぞれ多少違ってまいります。
  43. 安永英雄

    安永英雄君 平均で一万四千円です。この三カ月の延伸というのは一万四千円ではきかないのです。これは終始就職しておる間、教員の間一生涯つきまとう金額です。したがって、現在三十歳のものが三カ月延伸というものをこうむったとしますというと、退職五十五歳というところで計算しましても四十八万五千九百三十九円、約五十万、こういう制裁なんです。四十歳の教員の場合でも三十七万九千三百三十九円、約四十万、これだけの制裁をしたことになるのですよ。先ほど大臣がこの違法性という問題とそれから制裁という問題の強弱の問題についてバランスをとらなければならぬと、こうおっしゃったけれども、戒告を受けた、こういうことで三ヵ月延伸、そして退職をするときには約五十万からのとにかく制裁金になっておる。これは私はバランスがとれていない。先ほどのドライヤー報告じゃありませんけれども、千円の判決を受けておいて膨大な被害をこうむったことはこれはもうアンバランス、これはひど過ぎるのです。私はその点大臣からお聞きしたいのですが、どうですかね。
  44. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) こういう違法的なことをやった先生ですよ。この先生の行為というものはやはり制裁がなければならないというのは、先生方の違法行為というものが次代を背負う子供たちにどのような影響を与えるかということを考えますときに、やはり教職員の一挙手一投足あるいは行動というものが厳正でなければならないと私は思うのです。それはこの前の最高裁の判決にもそう出ているわけですが、最高裁の判決があろうがなかろうが私はそう思います。だからこそ専門職としての教職員というものの地位が一面においては非常に大切にされているわけです。そういう意味合いにおきまして、一斉賜暇闘争等において法のすれすれを指令をする、日教組が指令をする。そうしてその指令をした人たちは確かにこの前の判決で刑事罰は受けないということにはなったろうけれども、しかしその前の指令を受けて、片方では決してこれは制裁とかあるいは法律違法というようなことにならないからといってやりますから、一般の先生方はそれに参加をされるし、参加された結果処分が行なわれたりするわけでございまして、こういうような被害を受けられるわけです。であればこそ違法性の強いようなそういう一斉賜暇闘争にはやはり参加をしないように、われわれは何回も繰り返し繰り返しお願いをし、あるいは警告を発しているわけです。それをあえてして、それでこういうような事態が起こったというような場合は、これはやはりやむを得ないことだというふうに思います。しかしその実際の処分の内容等についての、何といいますか、それがどの程度であるかということはまた別な問題だと思うのでございます。そのことは、あるいはそのことをおっしゃっておられると思うのでございますけれども、そのことについては私も実は私自身としては判断ができない……。
  45. 安永英雄

    安永英雄君 最後に大臣がおっしゃったように、私も違法性の問題については、これはもう全く大臣と違う考え方を持っておる。子供に影響が云々ということとか、このことは私はここであえて一応おいて言っているわけです。その限りにおいては判断はできない、私は御研究を願いたいというふうに考えるわけです。大臣としてもやはりこの点については、賃金カットやればどのくらいの金が一人一人取り上げられているか、延伸延伸とこう言っているけれども、数ばかり見ているが、実際一人一人についてはどのくらいになるかということぐらいは知っておいていただいて、そうして判断してもらいたい、そんなふうに私は思います。特に教育問題、いつも出されますけれども、こういう子供に与える影響云々と言われますけれども、これあたり私学の問題どう考えるかという問題ありますよ。私立学校あたりはストライキやるのです。同じ教育に携わっておる私立学校、ここでは堂々ととにかく職員はストライキやるので、教育問題だけの問題ではない。これは一つの例というものをあえて私は言いません。これはまた教育の問題については判決もはっきり出ているので私も申し上げませんが、そこで、大臣が近いうちに海外旅行に出られるということですから、次の機会にでも私質問しますから、ぜひひとつ研究してもらいたいことがある。さっきも自分にはその範囲内においては考えがまだつかないということですけれども、いわゆる違法性と制裁の強弱というもののバランスをとらなければならないという問題でありますが、西独に行かれるということでありますから、西ドイツの連邦懲戒法をひとつ御研究願いたいと思います。この中ではこういうふうになっております。種類としては訓告、戒告、罰金罰、減給、昇給拒否、これは延伸のことです、降格、降任、免職、恩給減額、恩給剥奪こういうふうな段階、これ以外は処分をしてはならない、しかもそのうち訓告と戒告と罰金罰これだけが行政機関で施行できるわけで、あとは全部裁判所でなければこの法の執行はできない。しかも一九六七年この法律の中で昇給拒否は、生涯にわたる生活権に重大な影響があるということでこれは廃止になっておるということであります。これあたりはひとつ今度行かれたらぜひ研究してもらいたい。行政機関がとにかく法で許される最大限のことをアンバランス的に処分をやっていくということは、世界からも非難されておるところであるし、大臣はまだ白紙の状態で、そうなってくるといよいよ処分するという段階になれば、これは適当であるかどうかという問題についてはまだ白紙であるという言い方をきれましたから、ぜひひとつ今後の行政にあらわしてもらうためにも、この点についての研究をやってもらいたいと思います。  それと、もう一つ最後にお聞きしたいことは、私が質問すればそうでないとおっしゃるかもしれませんが、処分というのは地公法の二十九条以外は絶対に処分してはいけないのです。これ以外は絶対に処分してはならないとなっております、公務員の場合は。これははっきりしております。ところが現在の状態では昇給延伸というのが平気で行なわれておる。これは現実的には制裁なんですよ、懲戒ですよ。これはもう訓告処分を受けた者の数を調べてみて、そして昇給延伸者の数を調べてもらえばすぐにわかる。この点についてはどう思いますか。昇給延伸というのは、私は現実の問題としては懲戒だというふうに考えますが、どうですか。
  46. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) 私どもはこれは形式的な面と、また先生のおっしゃいます実質的にどのように評価するかという問題があろうと思いますが、昇給ということは、やはり勤務成績がよいということが前提になっておるわけです。したがいまして、勤務成績がよいか悪いかということで、給与上昇給させるかさせないかという問題でございますので、一応の考え方は給与上の問題であろうと思います。ただ、先生がおっしゃいますように、いろいろ懲戒処分を受けますと、勤務成績が悪いということで昇給が延伸されるということでございますから、当人にとってみれば勤務成績がよければ人並みに昇給できたものを、勤務成績が悪かったためにできなかったというふうに感ずるよりも、懲戒を受けたから制裁であるというふうに本人はとるであろうと思います。したがいまして、先生がおっしゃいますようにおとりいただくこともできようかと思いますが、法律上のたてまえは給与上の問題であろうと思います。
  47. 安永英雄

    安永英雄君 そうおっしゃるだろうと思ったのです。実際現実の問題として、一年間の勤務成績というものと三十分のストライキ、この三十分という問題と三百六十五日懸命に教壇実践をやっておるという中のいわゆる勤務良好という問題については、私はこれは勤務成績云々の問題ではなくて、やはり制裁だというふうにとるのがこれはすなおです。第一、私は、定期昇給というのは、これは一つの期待権です。期待権だから期待権に沿うために、やはり各県の予算、国の半額国庫の予算というものについては全員の現数をとって予算措置をするじゃありませんか。これは当然、とにかく裁量にまかせる問題じゃない。定期昇給というものは大体欠席日数等客観的に見た場合にこれが定期昇給の欠格になるわけなんです。大体普通どおりにつとめれば、これは定期昇給の該当者になるのが普通です。急に処分、制裁という問題をこれに加味したからそこに必ず懲戒を受けると延伸と、これは聞くと給与の問題でございますと、こう逃げるけれども、これは一緒になった問題だというふうに見るのがこれはすなおです。たとえば、一ぺん調べてごらんなさい、三十分のストライキに参加した、一時間のストライキに参加したということで定期昇給のほうは延伸になっておるが特別昇給のほうはやっておるのです。最も優秀な者については特別昇給することができるというその条項は、同一本人に一年間のうちにやっておる、これあたりはとにかくナンセンスです。片一方の定期昇給を普通どおりにやらなければならぬ者については、ストライキに参加した、懲戒を受けているからこれは制裁として延伸をする。とめておいて、そうしてもう一つの条項を持ってくる。成績特に優秀な者について特別昇給をやる、同一本人に特別昇給をやっておる。とにかく成績優秀か良好か、もうめちゃくちゃですね。こういった実態が随所に出てくる。これを裏返して見れば、これは懲戒ですよ。この点を私は大臣にお願いをしますけれども、今後のやはり懲戒という問題については、先ほど申したように違法性という問題と制裁性という問題はバランスをとらなければならぬ。そうしてやはり公務員の処分については法律どおりに実施する、給与の問題等についてはこれは給与の問題でございますと、こう言い切っても明らかにとにかく制裁である、そういうことを私は思いますが、御研究を願いたいと思います。時間がありませんから……。
  48. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) いま先生のおっしゃいましたいわゆる定期昇給をさせないが特別昇給をさしておるということをおっしゃいましたが、これは重大な問題だと思います。給与法には懲戒を受けた者には特別昇給をきしてはいけないという規定がございます。さらに都道府県の条例では似たような条例があると思います。したがいまして運用上そのような違法な条例、法律に反してまで特別昇給をしておるところがあるとするならば、これは適切なことでないと思いますから、さっそく調べましてそのような間違ったことをやっておるものには正すように申したいと思います。  さらに、先生は先ほどから三十分とか一時間とか、わずかな時間にストライキをやって、それで賃金カットをしたとか、いろいろ金額に直されますが、私どもは、先ほど大臣も言われましたが、教師のことを先生は言っておられると思うのです。教師がストライキをやることによって子供に与える影響というものは金額で測定できないと思います。私ども調査したところによりますと、昨年のストライキによりまして、ある高等学校教師がストライキをして一時間して帰ってきた、そうしたところがまじめな生徒がなぜ帰ってきたか、先生、もう少しストライキやるなら本気で一日やったらいいじゃないですかと言って、その教師の授業を拒否したということを聞きました。また、ある学校では、教師がストライキをして、なぜ生徒がストライキをするのをとめる権利があるかといったようなことを言う生徒も出てきたというふうに聞いております。したがいまして、私ども教師の非違を正すための懲戒ではございますけれども、いやしくも懲戒処分をする以上簡単にやるべきではないと思います。十分教師の立場にも立って懲戒はやるべきと思いますけれども、この懲戒によって受けたいろいろな昇給延伸とかその他を金額で、このように高い損害を受けるから云々ということで、ただ金銭上の問題でそのことだけを論ずるということは私は教育上与える影響が非常に大きいと思います。したがいまして、私ども先生のおっしゃいます教師にできる限り損害を与えないように、あるいはその違法な行為の性格によって処分もバランスをとってやるようにという趣旨は十分わかりますし、そのことは、これは任命権者として当然慎重の上にも慎重を期する必要はあろうと思いますけれども、ただ反面、先生のおっしゃいます点は、教育上の問題としては、私ども教師こそあまり教育上に悪影響を与えるようなことはしていただきたくないということは申し添えさせていただきたいと思います。
  49. 安永英雄

    安永英雄君 そこまで言うなら私ももう少しやりたいと思うのですが、時間がありませんから。私は初めから前提として違法性の問題か教育の問題かという問題で、違法性の問題をここで私は論議しようとは思わなかった。それを前提にして、現在堂々と行なわれておる処分の内容、これについて私は質問をしたわけです。あなたが一番最後におっしゃったような点については今後争っていかなければならないと思いますし、裁判所でも争う。私自身でも、近いうちには最高裁で判決が出るわけですからはっきりすると思うのです。その機会にも私はその点について教員の活動と教育的な問題については他日やろうと思います、時間もありませんから。  次にユニバーシアードの問題について、私は時間がありませんからあれですが、無断でとにかくフェンシングの選手団が棄権をして、しかも一日早くローマ見物に出かけていった。聞くところによると、団体行動も非常に乱れておるし、出発する時点から非常に不謹慎な行動もあった、こういうことが言われております。これについて九日に解団式が行なわれているわけですが、早急にこういった問題は国民の前にはっきりしておかなければならぬ問題だけれども、九日から今日まで至ってこれについて、とにかく何といいますか、委員会等でその真相を明らかにするなり、処分をするならするなり、こういった立場が出なければならぬ問題ですが、一向にその点が出ないので、簡単でけっこうですからその真相なりあとの始末について文部省のほうで把握してあるだけの報告をお願  いしたい。
  50. 西村勝巳

    説明員(西村勝巳君) フェンシングのチームの参加問題につきまして、帰ってまいりましてから文部省としては関係者を呼びまして事情を聴取し報告書を取ったわけでございますが、それによりますと、選手五名監督一名がチームとして参加したわけでございますけれども、いろいろフルーレの団体戦とか個人戦、エぺの個人戦、サーブルの個人戦等に参加をいたしまして、フルーレで団体戦でベスト・エイトになったわけでありますが、九月一日の現状におきまして、一人は前からあった指の魚の目が化膿いたしまして参加できないという状況になりました。一人は下痢のために、これも体調をくずしたというような状況でございまして、ところがサーブルの試合は四人で参加することになっております。したがいまして、どうしても人数が足りないということで、奥野団長と監督が相談をいたしまして、棄権をするということをきめたわけでございます。そうしてローマの視察に行ったわけでございますが、ローマにつきましては、近来、フェンシングの発祥の地でございますので、それを見学きせるということで、ローマのほうに出発をしたわけでございますが、そのために監督が大会運営本部に棄権をいたしますということの通告を行なったわけでございまして、これは監督の手落ちであるというように考えるわけでございます。文部省としてもたいへん遺憾であるという気持ちを持っているわけでございます。そこで関係者を呼びまして、また日本体育協会を通じて、それに対する指導を行なっているわけでございますが、去る九月十六日にJOCの常任委員会が開かれまして、いやしくもこのような規律を重んずべき国際大会において、そのようなことをしたということはたいへん遺憾なことであり、スポーツ界全体の評価を落とすというようなことでは困るというような申し合わせをいたしまして、なお引き続いて当日の日本体育協会の理事会にその問題が取り上げられまして、十分関係競技団体はこれから気をつけていこうという申し合わせをいたしました。そうして近くこれに対する通知を文書でもって各競技団体に発するというような手続になっているわけでございます。  概要以上のような状況でございます。
  51. 田村賢作

    理事田村賢作君) 速記をとめて。   〔速記中止〕
  52. 田村賢作

    理事田村賢作君) 速記をつけて。
  53. 田中寿美子

    田中寿美子君 私きょうは最初にたいへん遺憾の意を表したいと思うのですけれども、東京教育大学の文学部の三教授の辞職勧告の問題を取り扱いたいと思いましたので、教育大学の宮島学長に参考人として出ていただきたい、なおもしだめならば綿貫学生部長の出席をお願いしたのですけれども、どういうことか、お二人とも出席していただくことができません。当事者でございますから、いらしたほうが非常に問題がはっきりすると思うのですけれども、来られませんので文部大臣にもっぱらお尋ねすることになります。  文部大臣は、それは教育大学の学内のことであるから知らないというお答えをしていただかないように最初にお願いしておきたいと思います。  教育大学で去る九月十日に入江勇起男教授、星野慎一教授、家永三郎教授、文学部の三人の教授に対して、評議会の見解に基づいて一方的な辞職勧告がなされたということが報道されております。このことは、その評議会の見解なるもの、そのものに非常に私は納得できないものが一ぱいあるし、事実に相違したことがあると思うのですが、いまその内容に立ち入っている時間がございませんから、それは一応おくとして、当然文部大臣御存じのことだと思いますが、たいへん驚くべき暴挙だと私は思っております。ところが九月十二日に文学部教授会は宮島学長に対してその勧告を拒否いたしました。これに対して報道によりますと、これは東京新聞の九月十一日ですが、宮島学長がこういうことを言っているわけでございます。文学部教授会が勧告を拒否した場合には、直接三教授に辞職勧告書を手渡すことも考えられると言っているわけです。それが手渡されたという報道はまだ聞いておりませんけれども、いま新学期も九月十六日から始まって、長い間の紛争のあとでようやくいわゆる正常化しているところの東京教育大学の状況なんですね。こういうときに学内の紛争の責任を一方的に文学部に押しつけるようなこういう措置ですね、しかも三人の特別の教授に対して責任を押しつけるような、こういう措置をとったことについて文部大臣はどうお思いになっているのか、望ましいことだというふうにお思いになりますか。
  54. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 東京教育大学ではかねて長期にわたった紛争、四十三年六月から四十四年十月の間のその事実関係及び責任の所在等につきまして、委員会を設けまして調査検討を進めておりましたが、本年九月七日その結果に基づきまして、評議会において大学の紛争の責任についての評議会の見解を決定いたしましたそうです。この見解は紛争の学内における主要責任は文学部教授会の態度にある、二つ、このため同教授会の行動に指導的役割りを果たした入江、星野、家永の三教授はその責任を負って辞職すべきものと考える等々としておるようでございます。同大学の学長は九月十日この決定を文学部長に伝えますとともに、この見解に沿って適切な措置をとるよう強く要望をいたしたそうであります。これに対しまして文学部教授会は、この見解作成の手続きと内容が理解しかねるとして、この要望に沿いかねる旨を学長に回答し現在に至っておる、こういうのが私の聞き及んでいることでございます。しかし、この東京教育大学の紛争という問題は長い間の問題でございますし、その間いろいろのこれは屈折あるいは経過があろうかと思います。しかもやはり学問の自由、大学の自治でございますから、一々文部大臣がいいとか悪いというようなことは私は差し控えたいというふうに思います。しかしながら一般的に申しまして、何かそういうような懲戒ですか、そういうようなことがあるというようなことについて大学当局がいろいろおきめになるというようなことはあり得ることでございます。
  55. 田中寿美子

    田中寿美子君 いまの最後のほうがよくわかりませんでしたけれども経過については大臣がいま御説明にならないでも、もう私のほうは時間が惜しいから省いたわけです。それで大臣はこのような措置をとったことを望ましくないとお思いになるかどうかということをお尋ねしたんで、その点を伺いたい、これは国立大学ですからね。  それから三教授がさらに個別に辞職勧告を受けるというようなことであって、それでも拒否した場合に宮島学長は免職の上申を文部大臣にすると、こう言われておるのですね。そういうふうな、つまり懲戒処分の上申があったときに文部大臣はどうなさいますか。あるいはそういうようなことがすでに何らかの形で文書がきたでしょうか、辞職勧告について文部大臣のところにきたか、あるいは何か事情の調査をなさいましたか。いま新聞に報道されたようなものをお読みになったようですが……。
  56. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 新聞報道を私は読みましたけれども、私は文部省で調べましたことを本委員会において申し述べたわけでございます。そのことだけはよく御承知おき願いたいというふうに思います。  それから、この大学側が一応決定したということは承知をいたしております。しかしながらこれに対して私は、それ相応の理由があったればこそそういうことをやられたというふうに私は思っております。  それから、まだ私のところには何とも言ってまいっておりません。またそういうようなことがありました時点でなければ私は判断をいたしかねるというふうに考えているわけでございます。
  57. 田中寿美子

    田中寿美子君 きょうは文部大臣はたいてい逃げられるというふうに私思っているのですけれども、でも大学の紛争に関しては非常にたくさんの意見を持っていらっしゃる方でございますから、ですから今回の非常に長い東京教育大学の紛争の後に、またこのようなことが起こったり、あるいはまた紛争が起こる必配があるわけですね。ですから大臣がどういう考え、もしくは上申を受けたときにはどうなさるのかというと、いまその相応な理由があるからだろうとおっしゃったけれども、そのままそれで、そのようにお受け取りになるのかどうか、新聞その他いろいろの資料によって、今度の紛争の責任は、評議会が筑波への移転に反対した文学部に責任がある、こういうふうに言っているわけです。それを前提にして辞職を勧告しているわけですね。したがってその辞職勧告というのは、東京教育大学の筑波移転に関係がある、その移転に賛成か反対かということに関係があるということですね。  この移転問題について少し伺いたいわけですが、その前に、それじゃそういう上申を受けたらどうなさるのかということを、もう一ぺん伺いたい。
  58. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 事大学の問題でございます。学問の自由と大学の自治の問題でございまして、この問題に対しましては、やはり文部大臣としましては慎重に取り扱わなければならないと存じております。したがいましていまここでそれを、どうだこうだ、まだ出てもこないものに対しまして言うことこそ、私は軽率であるというふうに考えております。したがいまして、それは出てまいりましたならば、出てまいりました時点において判断をいたしたい、かように考えております。
  59. 田中寿美子

    田中寿美子君 文部大臣たいへんきょうは慎重でいらっしゃいますが、学問の自由というような立場からの一方的な辞職勧告というのは、もうほんとうに学問の自由、思想の自由、言論の表現の自由を奪うものであるというふうな気がいたします。それを初めから否定しておかかりになるならば、文部大臣はそれは自由を尊重するということにはなりません。  そこで、筑波新大学のことですけれども、二十日の新聞紙上に筑波新大学の基本構想の中間報告というものが発表されておりましたね。それだけじゃなくて、これまで筑波新大学について言われるときに、当然のことのように、東京教育大学というものが中心に置かれているのですね。東京教育大学イコール筑波新大学みたいな考え方で、つまり筑波新大学というのは、東京教育大学が移転をして、そこが中心になって新しい大学ができるのだ。それから新しい大学の発足に伴って、大塚の東京教育大学のほうは官制上消滅するのだというような、そういうことが言われておりますね。文部大臣はそれを御存じだと思うのですけれども、そういうような考え方。東京教育大学と文部省との間に統一見解があるとか、それはどういうことですか、そういうこと御存じでしょうか、あるかないか。それからそのようなことを御存じでしょうか。
  60. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 先ほどでございますけれども、宮島学長としては、一日も早く全学的な意思を決定して、そうして紛争を収拾したいということで、最後まで努力されたと思うのです。そのときに封鎖その他についての協力が得られなかったというようなことについて評議会が、暴力的なものがあるのに、それを排除するということは大学として当然の使命ではないか、そういうようなことに大学の先生方が協力しないということについて辞職勧告をされたんだろうというふうに私は思うんでございます。  それから筑波山ろくの問題につきましては、もともとこの東京教育大学が筑波山ろくに移転したいということでございまして、まあそのことから紛争が起こったわけでございますが、せっかく筑波山ろくに東京教育大学が移るのであるならば、いま大学改革の検討も行なわれておるし、中教審においてもいろいろの検討調査発表され、現在では中間報告も出されておる。そうだとするならば、せっかく筑波山ろくに新しく移転するのであるならば、教育大学そのままの形でなくって、もう少し時代に、社会の要請にこたえるような新しい開かれた大学をつくりたい、こういうことでマスタープランも出ておるように承っております。また同時にわれわれのほうといたしましても、できるならばそういう新構想大学の一つとして考えてまいりたいということで、ただいま教育大学とそれからわれわれのほうとで準備委員会を設けまして、そして協議をしておるということでございまして、そのマスタープラン等についてもお話を聞いております。
  61. 田中寿美子

    田中寿美子君 私のお尋ねしているところをお答えいただきたいんですが、まあ文部大臣は文学部の非協力ということをおっしゃった。そのこと自体についても私はもっとほんとのことを把握していただかなければならないと思いますが、いまそのことを十分論じている時間がございません。それで文部省と東京教育大学との間にいまおっしゃったような新しい大学の発足に伴って、東京教育大学が官制上は消滅していくと、こういう統一見解が出されている。それから筑波新大学というのは、東京教育大学の移転を契機とする新しい大学である、こういうことですね。これはいつだれとだれの間でできたことなんですか。
  62. 村山松雄

    説明員(村山松雄君) 東京教育大学が筑波に移転したいということは、四十二年の六月に大学から文書で文部省に申し入れがございます。それに伴いまして、いかなる形でいくかということになるわけでありますが、先ほど大臣も申し上げましたように、単なる移転、いまある五学部がそのままの形で移っていくということではなしに、これを契機としていろいろ新しい構想を盛り込んだ新しい大学にしたいということにつきまして、教育大学と文部省とでは意見が一致いたしまして、これは別に文書じゃございません。話し合いにおける了解ということでありますが、まあそういうことで、しからばその中身をどうするかにつきまして教育大学においても独自にマスタープランをおつくりになっております。事が新しい構想ということになりますと、教育大学だけの見解で進めるというのも不十分だと思いますので、文部省としては教育大学の方も加え、それからその他の学職経験者にも御協力を願いまして、いかなる形の新大学が望ましいかということについて現在相談を進めておるわけであります。朝日新聞に一部報道されましたものは、これは文部省やその委員会が発表したものではございませんけれども、その委員会がどういうことを相談しておるかということを、いわば新聞のほうでスクープしたんではないかと思います。内容につきましては、もちろんまだ進行中の未定のものの一部を外部から抜かれたということになろうかと思います。  それから移転後に大塚をどうするかということでございますけれども、これも移転をすればあくというのが筋だと思います。ただ少なくとも付属学校については存置するということ、これもまあ別に文書できめたわけではございませんけれども、当事者間で大体の了解ということで付属は残る、その他の学部は移転をする。そういうまあたいへん大綱的な了解のもとに事柄を進めておる次第でございます。
  63. 田中寿美子

    田中寿美子君 それじゃもう一度念を押しますけれども文部省は筑波に新大学を新設する。で、いまのおことばでは移転、学内でももっぱら移転賛成、反対ということになっておりますが、そうしますと、現在の教育大学は新設大学との関係で考えてみると、移転をしたあと廃校になってしまうんですか、消滅してしまうということですか。現在のところは全部いってしまってあとはなくす、あるいはもし移転しなかったらどうするんです。というのは、文部大臣もさっきから東京教育大学のほうから移転をしたいということを言ってきたというふうに軽くおっしゃいましたけれども、この移転については非常に意思が不統一なんですね。これはいま二つに割れておることはよく御存じだと思う。それでもなお移転を強行する、こういう考え方。そして移転して、あと、こっちには全然なくしてしまう。まるごとあっちに行ってしまう、こういう考え方ですね。もう一度その辺、念を押しておきます。
  64. 村山松雄

    説明員(村山松雄君) その移転につきましては、ただいま御説明申し上げましたように、大学としては意思決定をしまして、文部省に文書で申し入れがきれておるわけであります。しかしまあ相当多数の人を含む組織体のことでありますから、その意思決定の過程におきまして、まあ異論というかあったというのは、私ども承知しておりますけれども、まあ機関の意思決定は事柄の性質上多数決でやらざるを得ないわけでありまして、多数決にしましても、まあ意思決定をして文部省に申し入れた以上は大学の正式の見解として、それを前提としてまあ私どもとしては進めておるわけであります。  そこで教育大学が移転をして、それで筑波に新大学ができた場合、これはまあ事柄の性質上、大塚のキャンパスにはいま大体残すことになっております付属学校を除きまして、学部関係はまあ残留しないことになろうかと思いますけれども、これを時期的順序から申し上げますと、かなり大きな事業でありますから、一挙にある時点で移転をするということはなかなかむずかしかろうと思いますので、段階的になされると思います。したがいまして経過的にはある部分が先に行き、ある部分は残るということはありましても、まあ究極的な形におきましては教育大学の学部関係は筑波に移転し、その時点において東京教育大学というものは少なくとも東京においてはなくなる、そういうぐあいに考えておりますけれども、まあその間の手続、これは立法措置も必要なことでありますから、相当まあ段階的に進むんではなかろうか。まあかように現段階では考えております。
  65. 田中寿美子

    田中寿美子君 たいへんたくさん問題があるんでございますが、文部大臣はいま筑波新大学に移転していくということについて、東京教育大学の中で非常に意思、意見が分かれているという事実を御存じでございますね。事実はお認めになりますかどうですか。
  66. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 大体は移転したいと思っておるというように伺っておるわけでございます。ただ文学部の中では賛成、反対かなりシビアに対立があるというふうに承っております。
  67. 田中寿美子

    田中寿美子君 七月三十一日の朝日新聞の社説ですね。社説のところに「筑波学園都市の建設の経過には疑問が多い。移転候補として有力な東京教育大学の場合には、昭和三十八年から今日まで、学内で対立がつづいている。今年二月の学長選挙では、助手・事務官をふくめた第一次選挙で、現学長支持が六一九、批判側が五九四、」わずかの差ですね。「教授会メンバーによる第二次選挙では二二〇対一五三であった。移転派と反移転派が大学を二分して」いる、このような状況ですね。「学部間、教授間の紛争が次第に学生に波及し、昨年の長期紛争中、移転問題が最大の争点となった。こういう状況下では感情的対立もさけがたい。」こういう筑波新大学に東京教育大学はそのまま行くかのような既成事実をつくりつつあるということに対して、非常にこれは憂慮すべきことであると思うのですが、文部大臣いかがですか。
  68. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) やはり大学でございますから、意思決定機関がたとえば数によってきめたといたしましても、やはり反対派を説得して、そしてその努力を積み重ねて、そして結論を出されるということが望ましいものであるというふうに考えております。
  69. 田中寿美子

    田中寿美子君 いま文部大臣が言われたとおりだと思うのですね。ことしの二月の宮島学長の選挙のときに新聞に書かれていたように、実際の資料によってみましても、第一次の投票では過半数とれていない。四四・四%しかとれていないわけですね。六百十九票。反対が五百九十四票。二十五票の差である。それですから今度は第二次の投票をした。教授ばかりでやった。それでようやく五八%をとった。したがって反対はまだ四二%以上もある。こういう状況の中で、学内の意思が統一していないという実情はだれもが知っている。文部大臣もいま、そういう反対があった場合には、反対がだんだんなくなるように説得して、そして過半数が賛成のような状況に持っていくべきであるというふうに言われました。このことはかつて四十二年七月の衆議院の文教委員会で、剱木文部大臣が答弁の中に「あらゆる場合におきまして学内の意思統一ということが先決問題でございまして、」というふうに言っていらっしゃいますけれども、また坂田文部大臣自身も、四十五年一月二十一日、その当時宮島さんは学長事務取扱です。宮島さんや福田理学部教授との会見で、文部大臣は学内の強固な意思統一と大学の積極的な姿勢が大切であるというふうに要請していらっしゃいます。そのお考えはいまもお変わりになりませんか。
  70. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) ちっとも変わっておりません。
  71. 田中寿美子

    田中寿美子君 要するに文部大臣は、やはり一つの学校が非常に大きな変化をするときには、学内の意思の統一が最も大切であるということをお認めになったのでございますね。
  72. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 全体としての趨勢がそういうふうになればひとつそれに説得をして、そしてできることなら、最初からわれわれと約束しておられることを遂行していただきたいと思いますけれども、その間におきましては、やはりある程度みんなの人たちが協力できるようなそういう努力の積み重ねはやらなければならないというふうに思っております。
  73. 田中寿美子

    田中寿美子君 ですから、現在のような意思の不統一のままで移転をするということは、これは不可能であるというふうな結論が出てくると私は思うのですが、その辺は文部大臣が言いにくいと思いますから、私はいま文部大臣の意思がそういうところにあるということを理解しておきます。こういうことについて教育大学の十人の教授から文部大臣に対して要望書が出ているのを御存じでございますね。学内意思不統一である。こういう状況で強行してもらっては困るという善処方の要望が出ておるのを御存じですか。
  74. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 東京教育大学の中にはいろんな人がおられます。私の知った人たちもたくさんおられるわけでございまして、いろんな形で文書等を持ってこられてお話も聞いております。それから、できるだけ私は次官、局長に命令しまして、反対派の意見があった場合は、文部省に来られてそして御説明願いたいということをずっと今日までやっておるわけでございます。
  75. 田中寿美子

    田中寿美子君 先ほど大学学術局長が新筑波大学の構想については、あれはいま検討中である、スクープされたのだと言われましたが、大体においてあの線でやっていかれると思う。それはたびたびいろいろの形で報道されておりますが、そういう膨大な構想の国立の大学を設置する、あるいは東京教育大学がそこの中に入り込んでいくというようなことになったら、国立学校設置法の改正が問題になるわけですね。そういうことを無視して、それを審議しないで、そういう計画を進めていらっしゃるのかどうか。
  76. 村山松雄

    政府委員(村山松雄君) 国立大学の設置あるいは名称変更に関しましても、これは立法事項でございますので、案が固まりますれば、立法の用意をいたしまして、御審議を願うことになろうかと思います。
  77. 田中寿美子

    田中寿美子君 ですから、私は国会の審議を経ないで、東京教育大学の移転なんかをどんどん進めていくというようなことがないようにということをここで釘をさしておきたいと思います。ところがいま申し上げましたように、教育大学の中がまつ二つに意見が割れているというような状況の中で、大体移転に関して賛成、反対の比率が六対四ぐらいでずっと固定しているわけです。こういう状況の中では今度の辞職勧告というのは形式の上でも意思の統一をはかるということにしたい、そういう考え方から荒療治をしたのではないかという感じがいたします。このために教官の選考基準というものがつくられておりますね。この選考基準というのは、移転に対して賛成か反対かというのが基準になる、ほとんどそれと同じようなことですね。そうしますと、反対である教官というのは、教授に選任されたり、それから講師に選任されたりすることができない、いわゆる不利益処分になるようなことですね、こういう反対派に対して辞職勧告が行なわれたということ、これは文部大臣どうお思いになりますか。大学の教官の選考基準にこんなものを入れるというのは。
  78. 村山松雄

    説明員(村山松雄君) ただいま御指摘の教育大学の教官の選考基準ということでございますが、これはおそらく教育大学の評議会できめました選考の内規のことだと思います。その内規の中にたしか大学の運営に協力するというような文言があったのではないかと思います。これは大学の内規でありますから、特に何ということはございませんが、私ども大学の教官といえども公務員でございますので、大学の運営に協力するというような文言で書こうと書くまいと、前提的な常識ではなかろうかと思います。別に支障はないのではないかと思います。また、今回の辞職勧告というのは結果的には移転に反対をされている文学部の学部長、教官ということになっているわけでありますけれども、理由といたしましては、一年有余にわたった紛争について紛争の収拾に協力しなかった、あるいは逆に運営を阻害したというのが理由になっているわけでありまして、ほかの大学でも大学紛争きわめて極端にわたって教育研究が停止し、学問の進歩まで妨げたことについて、これは広げて言えば大学全体の責任かもしれませんけれども、詰めていけば比較的その責任がある個人ということを出さざるを得ないわけでありまして、ほかの大学でも個人的な責任の追及ということが行なわれた事例がありまして、教育大学においても、大学で調べて、これら三人の方に特に責任が多いのではないかということを判断されたということ自体は、特に文部省としてどうこう言うべき問題ではない、かように考えております。
  79. 田中寿美子

    田中寿美子君 東京教育大学の評議会ですね、教官の選考基準についての申し合わせがありますが、第一は「大学設置基準第十三条から第十五条までに定める教員の資格を十分にみたす者」。第二に、「採用または昇任のうえは、評議会の決定を遵守する者」。この評議会の決定というのは、現在の評議会の構成の中で文学部から出ているところの評議員が賛成しない、あるいは退席したところで決定しているような形で筑波へ移転が決定しているわけですね。この決定に従わないということは、そうすると反対派は全部これに従わないものということになって、不利益な処分を受けることになる。現実問題として三人の教官がそういう今度の辞職勧告を受けたのではなくて、また別に三人の当然昇任あるいは昇任されるべき教官が、文学部からの申し出によって昇任が申請されたものが昇任にならなかった。これは移転反対であるということ、評議会の決定に従わないものだと、こういう考え方に立っている。今回の辞職勧告もやはり反対派に対する辞職勧告、そういう点があると思うのですが、いかがですか。文部省は、そういう教官の選考基準を持つことが妥当だと思っておりますか。
  80. 村山松雄

    説明員(村山松雄君) 感じから申し上げますと、大学という大きな有機体でございますので、その一員となるものは、それはいろいろな事柄について反対の意見をお持ちになり、あるいはその意見を表示されるということは御自由だと思いますけれども、やはり有機体の運営というのは最終的には多数決によってやらなければ動きがつかなくなるわけでありまして、一たん決定された場合には御自身の御意見がかりにそれに反対でありましょうとも、まあその決定された方針に従うということは、有機体の構成員としてもう前提的な心がまえではなかろうかと思います。そういう意味合いにおきまして、まあ教育大学の申し合わせ、そういうことを文言にするまでのこともないではないかというような感じはしないでもございませんけれども、そういう申し合わせをして運営されること自体、特に不当とは考えておりません。
  81. 田中寿美子

    田中寿美子君 多数決と言われたけれども、さっき申し上げましたように、教育大学内の教授会それから事務官や何かを全部入れた投票では、ほんとうにこれは過半数をとっていない。こういう状況がある、不統一があるということを十分御承知の上で、そうして評議会の構成そのものが全くアンバランスの中で行なわれている。そういうものを多数の意思によって決定されたものとして強行することは、これは決して無事に済まないのではないかという気がいたしますね。  それで、村山大学学術局長は、九月十一日、これは毎日新聞紙上で見たのですが、あなたは談話の中で、昔からけんか両成敗、移転派の三輪前学長はやめているじゃないか、だから反対派も少しやめてもらわなければ……というようなことを言われたのですね。ほんとうですか、それは。
  82. 村山松雄

    説明員(村山松雄君) まあ教育大学の辞職勧告の問題について、若干の新聞社の方おいでになられて、意見を求められたわけでありますけれども、実はその時点では私は大学からの御報告にも正式に接しておりませんし、事柄が特例法に基づく不利益処分というような段階であればともかくといたしまして、内部において事実上の辞職勧告をするやのお話でございますので、そういう問題について文部省として是非の論評は差し控えたいということを申し上げたわけで、あとこまかい話につきましては、私が特にその問題のコメントとして申し上げたわけでございません。
  83. 田中寿美子

    田中寿美子君 それじゃ、移転反対派でやめさせられた人がいますか。
  84. 村山松雄

    説明員(村山松雄君) そういうことは承っておりません。
  85. 田中寿美子

    田中寿美子君 ですから、あまり妙な放談をしていただかないほうがいいと思います。意思の統一がないということは、さっき文部大臣も認めていられるのです。で、筑波新大学の構想がどんどん進められていくのですけれども文部大臣はもう、半にお帰りになりますので、非常に時間がなくて残念ですが、さらに今度宮島学長など呼んでいただいて、続けて次の機会にやりたいと思うのですけれども大臣、新しい筑波の新大学構想、いま私の感じでは、東京教育大学の中に意思の統一がないのに、形式的にでもちゃんと全学が、過半数が賛成であるという形をとるためには、うるさい反対派の何人かを辞職きせる、あるいは文学部の大部分を切るという考え方もあるかもしれない。そういうふうにして統一の形をとつて新大学に行こうとしているように感じられるのですね。そのような無理なことをきせてはならないと私は思いますので、その辺についてのお考えと、それから新大学構想というものはまだはっきりしないけれども、いわゆる一般に言われているのは中教審大学だとか、産学協同大学だとか言われていて、相当大企業の意思も動いているように思いますが、そういうようなものを実現きせるということは、非常に反対している者がたくさんいるときに、特にそれに東京教育大学の全部を打ち込んでしまって、そうしてあとをなくしてしまうというような、こういうようなやり方では、先ほどの七月三十一日の朝日新聞の社説の中で、非常に「疑問が多い。」——だから新しい大学を、総合的なすばらしい大学をつくること自体には私たちも反対ではないのです。しかし、そこでは、あらためてほんとうに広く一般の意見を聞いて、公開の批判を十分仰いだ形の大学へつくっていくべきじゃないだろうか。  それで、いまの構想では一体、国立の大学ができるのですか、どうですか。そういうことをするのには予算も要るだろうし、人員だって、教授だってたいへんなことだろうと思うのです。一体、そういう見通しを、国立大学でできるということなのか、それとも中教審の答申の中にあるような特殊法人だとか公社だとかというような考えがありますが、そういうようなところで運営を考えようとしておられるのかどうか。大臣、見通しをどういうふうにお持ちになりますか。つまり、第一点は、いまのような矛盾を持ちながら移転を強行していくということは、意思の統一がない場合には非常に無理ではないか。あるいは学生もせっかくおさまったものが、また紛争を起こす心配がありはしないか。そこの辺を大臣は心配されないのかどうか。それを強行しても、なお意思の統一をはかった形で新大学に行こうとしている、こういう考え方がいいのかどうか。そうして、いま伝えられているような構想で国立の大学がはたしてできるのか、そういったことです。
  86. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 大学——この新教育大学におきまして、全学的意思を結集します評議会におきましては、御承知のとおり四対一で圧倒的に賛成なんでございます。でございますから、普通でございましたらそういうような形でどんどん進めていっていいと思いますけれども、しかしやはり、事は、全体をほんとうにいい大学にしようということ、そうしてまた新しい筑波の大学をつくろうということで将来とも協力をしてもらうわけでございますから、そういうわけでなお説得を続けられるということは当然かと考えておるわけでございます。  それから一面におきまして、新しい構想の大学をつくるにつきましては、御指摘のとおりにばく大な費用と、それから相当の教官、人員を整えなければなりません。したがいまして、もし、これを新構想の大学の一つと考えますと、相当の巨額のお金を出すつもりで私はおるわけでございます。  そこで、従来、教育大学におきましても、マスタープランはございます。しかし、それをそのまま、はたしてこっちで認めるかというと、そうではなくて、文部省準備調査会を設けまして、そうしてまた第三者の方もその中に入れ、かつはアメリカの大学あるいはイギリス、フランス、ドイツの大学も調査をしてこられまして、そうしてまたこれを練り直す、あるいは改めるところは改めるというような形で実は進んでおるわけでございまして、中教審のほうも来春にならなければ最終答申を得ませんので、その間一体新構想の大学をどういうふうに進めていくかということについての手順、手続等についてもいま検討をいたしております。  それから、まあこれから先十年後ではどれくらいの高等教育機関に学生が入ってくるであろうか、またどれくらい高等教育機関に入らせるべきであるかというような両面から考えていかなければならないわけでございまして、そうしますと、既設の大学の定員増なり、あるいは学部の創設なり、あるいはまた全くいまのままの既設の大学とは別個な新しい大学をどれくらいつくったならばいいかということもほぼ見当がつくと思うのでございます。その場合、十年の間にいかような資金が必要であるかということについて、いっか田中先生からも御指摘がございましたように、私どもは長期教育計画というものがやはりなければならない。そしてそれに対してGNPの何%ぐらいをこの高等教育機関の拡充、強化、充実に向けていくかということも検討し、やがて発表いたしたいと思っております。  それからもう一つは、日本列島全体を見ましてユニバーシティーマップと申しますか、大学地図というものを国・公・私立あわせてどういうようないま状況にあるのかということ、あるいは同質の大学と、あるいは規模の点において非常な相違があるというような大学と、どういうふうに地域的にも考えていくのか、そういうようなことがこの半年、あるいは一年ぐらいかかるかと思いますけれども、われわれのほうで十分慎重に検討してまいりたいと思います。まあその一環として筑波山ろくに移転いたします東京教育大学も、できることならば中教審のお考え方を頭に描きながら、同時に東京教育大学というもののマスタープランその他いまの陣容のお考え方なりを調整しつつ新たなる大学を生み出したいということでございまして、そう簡単に私はこれが運ぶとは考えておりません。かなり時間を要する問題であろうかと思います。  ただ、従来紛争がああいうふうな形になっておりまして、これはまあ従来文部省のほうでもいろんなことに対しましてかなり消極的でございまして、現在の法律のままでおいて大学改革をやろうとか、あるいはまた大学改革をやるときに従来の考え方からいうと十分な経費をつけないで、あるいは定員もつけないでやってしまったというような批判も一方にあるわけです。あるいは大学の先生方には相当にそれが強いわけです。私たちは私たちなりの一応の説明や、考え方は持っておりますけれども、そういう不信感があることも事実でございます。しかし私はほんとうに新しい大学というものを構想し、それを現実化しようとするならば、国は相当思い切った手術というものを考えないことにはできないのだというふうに思っております。しかし従来のそういうようなチミードな考え方でなくてほんとうにやる気十分でやるのだ、そして世界の大学が今日学部制等は廃止した形で新しい試みをやっておるということも考えた場合は、やはり日本においても新しい構想の大学をやるべきであるというようなこともだんだん学生諸君も、あるいは反対をしておられる先生方もおわかりになってきているんじゃないかというふうにも思うわけでございまして、そのマスタープランが現実味を帯びてくる過程においてなお説得をいたすことによって御協力を求めることができるだろうというのが私たちの期待なんでございます。  そういうことでございまして、もう少し大学当局としても反対派の人たちを十分そういう意味において説得をしていただくことを私は期待をいたしておる次第でございます。
  87. 田中寿美子

    田中寿美子君 もう大臣お帰りになりますので、私まだこの問題たくさん問題が残っておりますからさらに次回も続けたいと思いますけれども、大学の問題はみんなが非常に苦悩してきて、新しい大学のあり方についてやはりこれはもう全国家的な事業ですからみんなの知恵を集めなければいけないと思います。それで新筑波大学の構想がまるで東京教育大学の私物ででもあるように東京教育大学の中の移転派の方々が、東京教育大学イコール新大学であるかのような考え方に立たれることがないようにすべきであると私は思います。  なお、東京教育大学の内部のことについては、まだまだ、この意思の統一の状況をこのままにして、非常に乱暴なやり方をしていかないようにということを私要望いたしまして、この問題はきょうはこれで終わりたいと思います。  次に、私は学校安全会の問題についてお尋ねをいたします。  実は私、北海道の北見の小野寺菊子さんというおかあさんから訴えられた問題ですので、お尋ねしたいと思っておるわけなんです。小野寺菊子さんのお嬢さん小野寺洋子さんという方が中学の一年生のときに起こった事件です。昭和四十三年九月二十六日北見市立の南中学校一年の養護学級なんですね。その洋子さんは視力が非常に薄い、そこでその養護学級でちょうどその時間に担任の横倉信夫さんという先生の指示によって二人一組みで工作の授業で箱をつくっていた。そのときに相手になった人、同級生の方が、この方は小児麻痺か何かで手の不自由な方、それで洋子さんが手伝って箱を押えてあげててくぎを打ちつけようとしたら、その相手の人のくぎが洋子さんの目に刺さったのです。それですぐに北見市内の宮沢病院で治療を受けた。それからさらに昭和四十三年の十月に札幌市立病院で治療を受けた。ですけれども、神経が一ぺんにやられていたために、その左の目が失明してしまった。もう少しその経過を申しますと、五十日間くらい治療をしまして、そうしてもう一度学校に通おうとして札幌市立病院の診断書を持っていった。ところが、義務教育学校には学校安全会というのがある。で、その南中学の校長先生は、補償が受けられる、見舞金ですか補償を受けられるというようなことについてあまりよく知っておられなかった。だから診断書を持っていったけれども、診断書は要らないといった。そのうちに学校のある養護教諭の先生が、診断書を出して手続をとれば見舞金が支給されるということを教えてくださって、そうしてその後その災害が起こってから六カ月くらいして見舞金を二万円受け取ったわけですね。四十四年三月です。  ここで私まず質問申し上げたいと思いますのは、この見舞金二万円というのはたいへん金額は少ないわけですが、その二万円を算出した基礎ですね。どうして二万円の見舞金になったのかということについてお聞きしたいと思います。
  88. 西村勝巳

    説明員(西村勝巳君) 学校安全会による見舞金の金額については、昭和三十五年から事業を始めて以来何回か改定の値上げがきれてきているわけでございまして、要約して申しますと、当時におきましては中学校新卒卒業者の初任給を基礎にいたしましていろいろ複雑な計算をいたしまして、結局その平均日額が百六十五円であるというような算定をいたしました。  で、いまの問題に該当する廃疾見舞金につきましては、等級が十四ほどあるわけでございますが、そのうち一番程度の重い一級の者につきましては千三百四十日分を支払い、一番程度の軽い十四級につきましては五十日分を支払うというようなことになっております。  そういう状態で進んでいったわけでございますが、現行のものはこの基礎になった金額を変えまして、昭和四十二年の人事院の民間給与実態調査の結果によりまして、平均日額は四百八十円ということになっております。その四百八十円を基礎にいたしまして、いまのような等級に従いまして日数をかけるというようにしているわけでございます。これは労働者災害補償保険法を根拠にしているわけでございますが、学校安全会はそれを根拠にいたしまして、それの約六〇%の額というものを支給をする、ほぼまあ六〇%の額を支給するというような積算の根拠になっているわけでございます。  お尋ねの件につきましては、ちょうどその改定が行なわれる前でございまして、四十四年度からこの改正が行なわれたわけでございます。そのようなことで、ちょっと時期が前だったものですから、たいへんお気のどくな感じがするわけでございますが、当時の規定に従いまして二万円を支給しているというようなことになっているわけでございます。
  89. 田中寿美子

    田中寿美子君 その災害の程度の判定ですけれどもね、私は四十三年三月三十一日に規則が改正になって、そしてこの補償額がずっとふえたことは存じております。いま七級でも十六万五千円。  ところで、小野寺洋子さんの場合ですね、視力についてどういう判定をなさったのか、等級ですね。
  90. 西村勝巳

    説明員(西村勝巳君) お尋ねの件につきましては八級の判定をしたわけでございますが、当時左右の視力がそれぞれ〇・一というような状況でございました。ところが、いまのような事故が起こった後におきましては、やや視力が向上したというような結果が出ているわけでございますが、いろいろ運用を考えまして、まあその目の視力の状況が多少よろしくなれば支給する金額については多少まあ落ちるわけでございますが、その辺のところは弾力的に運用を考えまして一応見舞を支給するというようにしたわけでございます。
  91. 田中寿美子

    田中寿美子君 私、小野寺菊子さんからその話を聞きましたところでは、失明したほうの左の目は視力は〇・四だったと。そして、両方一緒にとると、双眼では視力は〇・三であった。ところが一方、失明していま〇・〇九にたいへん下がっておりますね。ところが、文部省のほうの調べでは、左右〇・一の視力であったというでしょう。そうすると、左右が〇・三であったというのがこちらの小野寺さんのほうの言い分ですわね。文部省の左右〇・一というのはどこからとられた資料でございますか。
  92. 西村勝巳

    説明員(西村勝巳君) これは学校からの報告書をとったわけでございまして、四十三年四月二十二日現在でございますが右が〇・一左が〇・一というようになっております。
  93. 田中寿美子

    田中寿美子君 その辺は非常に私は不可解なんですね、食い違いがあるわけなんです。それで、実はこの事件を、事件といってもあれですけれども、私は先生方をあまり非難したくありませんけれども校長先生もどうもすぐには対応なさらなかった。それからその担任の先生もどうしたわけか、なるたけこれは騒ぎたくないというような気持ちもあったかもしれないのですね。それで、あとで補償金がとれるというようなことは、校長先生はじめよく知ってなかった。この点では私安全会の運営に問題があると思うのですね。ほんとうに周知徹底していないのじゃないかという気がするんですけれども、それで小学校なり中学でそういう、児童が障害を起こしたときにほんとうの実態を把握しているのかどうかと思うのです。それで、目の場合なんか非常に重大なんです。その視力いかんによって補償金ずいぶん違いますね。だから、いまの規則で見ると、第七級「一眼が失明し、他眼の視力が〇・六以下に減じたもの」これが十六万五千円もらえることになる。五級ですと「眼が失明し、他眼の視力が〇・一以下に減じたもの」。実は現在そういう状況ですね。片一方の目が失明して他方の目が〇・〇九になっているんですよね。ところが文部省のほうでいまおっしゃるのは、左右がO・一であった。失明してしまってあと片一方が〇・三によくなったと、これもちょっとおかしいと思うのですよ。そんなことがあり得るのかどうか。最初に目が〇・一、初めから相当悪いのだ。悪いものは災害が、障害が起きても補償金はそうよけいもらえないと、こういう立場をとっているわけですね。ところがおかあさんのほうでは、失明した目は〇・四であった。それから両方の視力は〇・三であった。ずっといいんですね。これは矯正したらもっとよくなるわけですよ。ですから、そういう状況であった。そこが食い違うので、私ははたしてこれ、ちゃんとした資料によったものかどうかという心配を持っている。安全会の運営について多少そういう疑惑をみんな持っている。きちんと子供の起こした障害を把握しなかったり、それからきちんと補償をしなかったりしてみたり、それぞれのやり方が違うということを聞いているんですけれどもね。これは確実にそのときのデータであったかどうかということを私は疑う。悪くすれば、これはわざと最初から目がたいへん悪かったのだというデータにして、失明した後は片一方よくなってしまった。だからたいしてお金を払わなくていいのだというようにしたような気がするのですが、これはもっと調べてほしいと思います。
  94. 西村勝巳

    説明員(西村勝巳君) 私ども調査いたしました資料と食い違いがあるようでございますので、私どもといたしましては学校のこの資料を信用するという以外にないわけでございますけれども、しかし御発言のように違いがあるようでございますのでひとつ再度これは調査をいたします。調べてみたいと思います。そしてひとつ適正な支給がなされるようにわれわれも考えております。
  95. 田中寿美子

    田中寿美子君 二万円の見舞金をもらったすぐそのあとでいまの改正が行なわれまして、最低のものでも十万円以上もらえるということになったわけです。ですから、たいへんその点でも気のどくですし、それからきっと学校安全会による補償が行なわれなかった。もたもたしていた。その辺で何か操作されたという、それほどの大げさなものはないにしても、ルーズであったという気がいたしますので、よく調べていただきたいのと、それから現在非常に視力が落ちてきておる。それで〇・〇九になるというのはなぜだろう。片一方の目の障害があったために一種の後遺症みたいなものになっているのじゃないかという気もするのですが、そういうことについてのめんどうはみないのですか、学校安全会というのは。
  96. 西村勝巳

    説明員(西村勝巳君) いまのお尋ねのような後遺症の問題につきましては、廃疾ということが確定をした時期に決定をいたしますので、それは支給をしないということになっております。
  97. 田中寿美子

    田中寿美子君 私はそういうことはもっと親切に考えてほしいと思うのですが、片一方やられたために片一方の目が負担が大きくてだんだん悪くなるということがあるので、十分それは考えなければならない。それが文部省の御報告によると、かえって片一方の目がよくなったということになるので、それはおかしいということと、それから八級の処理をなさったわけですが、もしおかあさんのおっしゃるように、失明した目がO・四で、両方が〇・三であったとすれば五級に相当するのですね、「一眼が失明し、他眼の視力が〇・一以下に減じたもの」つまり現在〇・〇九ですから、五級と八級とではたいへんな違いが出てくる。その辺もたいへんルーズなんじゃないかという気がいたします。ですから、いまおっしゃいましたように、もう一度お調べいただきたいと思います。  それで、学校安全会の問題実は社会党あまり賛成じゃなかったわけです。というのは、本来子供の災害でも障害でも、これは全部社会保障が徹底していれば、学校でわざわざ安全会なんという制度を持たなくてもよろしいわけですから、ですから、全部そうやっていくべきだと思っているわけです。北欧の諸国なんかでは、経済能力のない子供たちは掛け金全然なしで全部医療を受けられるようになっておる。そういうふうになるのが当然だと思うのですけれども、いま日本状況ではそうなっていないから、せめて学校の子供たちにはこれをやろうということで現在やられていると思います。そういう意味でやる以上は、ほんとうに子供たちの障害をもっと防ぐ施設も必要だし、環境も必要だし、それから十分親切に運営をしていただきたい。国から全部運営費が出ているわけですから、もっとやっていただきたい。あの場合も何か学校の先生に徹底していないのか、あるいは安全会がすぐに、どういうふうにして動くのか、ちょっと私は疑問を持ったわけなんです。ですから、そういう点を要望しておきます。  時間があれですから、もう一点は、それで小野寺洋子さんはだんだん視力が薄れていきますので、それでしかたがないから、いま中学で、進学して自分の将来の道を考えなければならないので、北見から札幌に行き盲学校に入ろうとしたわけです、市立の。そうしましたら、入学の資格で視力が足りない。盲学校に入るには〇・三以上でなければいけない。ところが現在〇・〇九でしょう。矯正しても〇・二しかない。それでまず入れてもらえない。それからもう一つは施設も非常に足りない。八畳に六人の収容能力を持っている盲学校です。もうこれ以上飽和点に達してて入れられないといって断わられた。ですから、非常にその点で人生まっ暗という気持ちに子供もお母さんもなっている。これは盲学校の問題だと思うのですけれども、目の非常に悪い人のために基準を〇・三以上にするということはどういうことなんでしょうか。
  98. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) お答えいたします。  学校教育法施行令の規定によりまして、盲、ろう、精薄、肢体不自由もしくは病弱者の心身の障害の程度が政令によって定めてございますが、盲者として盲学校に入学する者の視力の程度は、「両眼の視力が〇・一未満のもの」、「両眼の視力が〇・一以上〇・三未満のもの又は視力以外の視機能障害が高度のもののうち、点字による教育を必要とするもの又は将来点字による教育を必要とすることとなると認められるもの」というのがその程度でございます。お話しの御当人につきましては、先生のあげられます視力とこちらで聞きました視力とが、どうも先ほどから食い違っておるようでございますので、まことにその点、私どもも道教委を通じて調査をいたしますために、先生のおっしゃるのが間違いであるという意味で申し上げるわけではございませんが、報告を受けましたところ、矯正視力はもっとよくなるわけでございまして、盲学校の対象児としては視力が十分あるという点と、それからさらに、御当人に対してはまことに言いにくいことでございますが、当該子供が盲の対象いかんもございますが、同時に精神薄弱的な子供であったというようなことから、むしろそれは盲学校よりも、その視力の点と精神薄弱的な点から、そういった養護学校のほうへ進むのがよいであろうというようなことから盲学校の入学は断わったというふうに私ども報告を受けております。
  99. 田中寿美子

    田中寿美子君 そうすると、その視力の点では〇・〇九というのは盲学校に入る資格があるわけですね、あなたのいまの説明によると。そしてそれは設備が不足だから入れないというのではなくて、養護学校のほうがいいと、こういう意味で断わったということですね。そうですね、いまのお話ですと。
  100. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) でございますので、先ほどお断わりいたしておりますように、先生のあげられます視力と私どものほうが報告を受けました視力が食い違っておりますので、私どもが受けました報告では、盲学校へ行く子供よりも視力がもっとよろしい、盲学校に行く必要はないという視力になっておりますし、先生がおっしゃいますのは盲学校の対象児の視力のようでございます。その点と、くどうございますが、精薄の対象学校のほうがむしろその子供にはよいというような観点から盲学校で断わったということで、施設云々といったようなことは、これも私ども受けました報告と先生がおっしゃいますことと食い違っておるのでございますが、そういうことで、少なくとも私どものほうが受けました報告によりますると、盲学校へ入れる必要はないし、盲学校が断わったとしてもそれは理由のあることであろう。むしろ子供の将来としては、何か中学校三年のようでございますが、特殊学級に行っているようです。北海道には自樺養護学校の高等部がございますので、もし高等部へ進学の意思があれば盲学校よりもその道立の白樺学校に行ったほうが適切であるというふうに報告も受けておりますし、その報告の限りでは私どももそのように感じております。どうも先生とこちらと数字が食い違っておりますので恐縮でございますけれども……。
  101. 田中寿美子

    田中寿美子君 いまの御説明で私さっきちょっと誤解しておったところがありますが、視力が〇・三以上あるからはいれなかった、こういうふうになっていて、あくまでおたくがとっていらっしゃる資料では視力が〇・三になっていますね、こちらは〇・〇九だ、この辺は私が現地に行って調べたんではございませんが、ただ母親は非常に一生懸命になってその子供が何とかして将来立ち行くようにしようと思っているのですから、もしかりに、いまおっしゃったように盲学校に行くのが適当ではない、むしろ養護学校のほうに行くべきだというようなことであれば、そのように指導がされるべきだったと思うんですが、その辺ちょっと私も事実を十分ほんとうに的確に握ってんおりませんから何とも言えませんが、そのデータについてはもう一ぺんちゃんと調べて、こちらのほうでも調べますので、そちらも調べていただきたいと思います。  そこで、私ついでにいまの母親に言われたこと、母親は非常に熱心なんで、もしそういうことが事実であれば、具体的にほんとうに話してくれるべきだったと思うんですが、その盲学校施設がないからとても入れられないというようなことを言ったことは非常に残念だと思うのです。現在盲学校に入りたくても入れないでいる者がずいぶんいるだろうと思うのです。これは特殊学校の場合もそうでしょうけれども、どのくらいあるのか、そしてそれに対して今後施設を十分整えて、そしてそういう非常に未来に対して暗い気持ちを持っておるような子供を生かしていくようなことについての計画はどんなふうに持っていらっしゃるか最後にお聞かせいただいて、もう時間がきましたからこれで終わりたいと思います。
  102. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) 盲学校・ろう学校につきましては、希望者に対して施設が不十分であるということには一応ならないであろうというふうに考えております。と申しますのは、その子供が寄宿舎へも入らないで自宅から通うという意味におきましては、そうそこまでは盲学校・ろう学校は普及いたしておりませんが、少なくとも県内で寄宿舎に入って学校へ行くのであれば、盲学校・ろう学校は一応こと足りるというふうに考えております。ただ養護学校のほうは、肢体不自由のほうは全県にそれぞれ少なくとも一校ずつでございますが、病弱、精薄、こういうほうは一県に一校も養護学校ができていないというようなことで、かりにそういう学校へ行きたいという子供がおりましても、遺憾ながら施設の関係で通えないという実情にございます。  したがいまして、そういうことを踏まえまして、今後養護学校、とりわけ肢体不自由以外の病弱と精薄につきましては、今後四十八年度までの、四十四年から五年計画を立てまして、いま大体精薄では十校、病弱では六校程度の学校を毎年設置を推進いたしております。そういうふうにいたしまして四十八年度の達成目標といたしましては、これもそういう該当児が一〇〇%はいれるということにはなりませんが、一応ある程度の希望者でございますれば、まあこれは数字としましては三〇%くらいになりますが、と申しますのは、精薄の中には非常に程度の高いもの、弱いものといったようなことがございまして、一応四十八年度の達成目標は精薄三〇%、肢体不自由は七〇%くらい、一応の計画としてはそういうことで設置を推進いたしております。
  103. 田村賢作

    理事田村賢作君) 午前中の質疑はこの程度にとどめます。  午後二時二十分まで休憩いたします。    午後一時六分休憩      —————・—————    午後二時四十六分開会
  104. 楠正俊

    委員長(楠正俊君) ただいまから文教委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き教育文化及び学術に関する調査を議題といたします。  本件について質疑のある方は、順次御発言願います。
  105. 内田善利

    ○内田善利君 私は文化財保護に関して質問したいと思いますが、前回このことについては御質問したわけですけれども、飛鳥地区の保護のことについてですけれども、歴史的風土審議会と文化財保護審議会とで意見の一致を見ない部分があったわけですけれども、今後、全国的にも十七万カ所も遺跡をかかえている日本としては、非常に大きな問題ではないかと思うんですが、先日は、不一致の点について、文部大臣は、山中長官にお会いして話し合いをしたいと、こういうことでありましたが、その後、話し合いの結果はどうであったのか、いつこれがまとまるのかお伺いしたいと思います。
  106. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) とにかく飛鳥、それから藤原宮と、それに平城宮社、これは一体的に考えなければならないということは私自身の考えでございまして、この点につきましては山中長官とも相談をいたしました。この前、歴史的風土審議会の委員会の答申がございました際に、藤原宮と飛鳥とを一体的に取り扱っていくという意見の一致を見たわけでございまして、これでよかったとまあ私は思っておるわけでございまして、今後いろいろ予算要求等におきまして十分われわれの考えます方向予算等も確保いたしたいと、かように考えておる次第でございます。  なお、文化庁長官あるいは次長から補足してお答えを申し上げたいと思います。
  107. 安達健二

    説明員(安達健二君) ただいま大臣からお触れになりました点でございますが、問題は、藤原宮と飛鳥の問題とを切り離すかどうかという問題で、具体的には藤原宮の南のほうの部分で飛鳥の一部と重複している部分についてどうするかという問題でございましたが、この地区を市街化調整地区に含めるということで、藤原宮と飛鳥宮とを一体的に保存するということが先日の歴史的風土審議会におきまして確認をされたわけでございまして、それだけ補足さしていただきます。
  108. 内田善利

    ○内田善利君 時間の関係で太宰府に移りますが、きのう、太宰府史跡の広域といいますか、戦後初めての大きな告示があったわけですけれども、先日もお伺いしましたが、指定地域になった場合に、指定地域内の家屋の新築が許されるかどうか、また指定地域内の地目変更等は認められるかどうか。指定地域内の私有地、この私権ですか、私有地ですかの諸権利の保護はどの程度許されるのか、その辺をまずお聞きしたいと思います。
  109. 安達健二

    説明員(安達健二君) この太宰府地区の追加指定を行なうにあたりまして、広い地域にわたりまして保存をしなければならない、同時に住民の生活を守らなければならない、その両者の調整をどのようにつけるかということでございまして、問題は具体的でございますので、県、町当局、住民との間で話し合いをいたしまして太宰府地区史跡の保存管理計画というものを立てたわけでございます。それによりましてA地区、B地区、C地区に分けるわけでございまして、A地区は遺跡、遺構の存在がすでに確認されている地域である、それからB地区は学校院跡その他の遺跡、遺構が未確認である地域、そしてC地区はそのA、B地区に含まれる住宅地域というように区分をいたしたわけでございまして、A地区につきましては現状変更の規制をある程度厳密にいたしまして、家屋等の新築は認めないとか、あるいはその他の土石の採取というようなことを認めないという基準のかわりには、土地の公有化を促進いたしますと同時に、それらの土地につきましては早急に環境整備を行なうというような考え方でございます。それからB地区につきましては、たとえば家屋の新築等につきましてもこれは現在程度の木造家屋、二階建て程度の木造家屋というようなものならばよろしい、そしてまた地形の変更等を伴わず、また遺跡、遺構をそこなわない範囲内においては現状変更を認める、こういうような考え方でございますが、先ほど申し上げましたように、この地区の遺跡、遺構が未確認等の状況もございますので、そういう現状変更等が行なわれる場合には事前の調査をして、もし遺跡、遺構等が発堀確認された場合には同時に土地の公有化をはかっていく。C地区につきましては、この既存の建物の、施設の改築、修理あるいは増築というようなものを認めていくというようなことにいたしまして、それぞれ地域に即しまして、また遺構の性格等に即応してこの保存をはかると同時に住民の生活をも保障するようにしたい、こういうような考え方でございます。したがいまして、この指定地内における宅地以外の土地の宅地への地目変更でございますか、というようなものにつきましては、これはそういうものを規制するつもりはないけれども、家屋の新築等についてはいま申し上げました管理計画に沿って処理をしていくと、こういうようなことでわれわれといたしましては再三申し上げておりますように遺跡の保存と住民生活の確保という両様を考えて保存をはかってまいりたい、こういう考え方でございます。
  110. 内田善利

    ○内田善利君 過去何年かの間の積み上げによってできた管理計画だと思いますが、指定になりました以上は、この管理基準といいますか、管理計画をひとつ十分に実施していただきたいと、このように思うわけですけれども、この点どうなのか。いままでだまされ続けてきた、このように地域の住民は言っておるわけですが、このようなことのないように、ひとつ管理基準、これはよく話し合いの上、国、県、町また地域住民ともどもの話し合いの上、ひとつ完全に実施していっていただくようにお願いしたいと思うのですが、この点はどうなのか。  それからこの間もお話ししましたように、発掘調査員がたった二名で、なかなか難航しておるようでありますが、したがいまして発掘届け、発掘申請をしても、なかなか許可にならない、こういったことでもう少し文化庁のこういった権限を地方、県等に委譲したらいいんじゃないかと、このように思いますが、そういった法改正等について、もう少し権限の委譲、大幅に権限を委譲するというようなことを考えられておるかどうか、この点についてお伺いしたいと思います。
  111. 安達健二

    説明員(安達健二君) 保存管理計画につきましては、現地との間で御指摘のように数カ年かかりましてまとめたものでございますので、この計画を順守いたしまして、さらに具体的にはいろいろ問題も出てまいりますので、そういう際は県、町そしてまた地元の方々と十分お話し合いをし、納得の上でこの運用ができるようにいたしたい、かように考えておるところでございます。  もう一つの御質問の点は、発掘届けの処理あるいは現状変更などの許可権というようなものの運用に関するものでございます。現在、文化財保護法によりまして、指定史跡の指定地内で現状変更したり、あるいはその保存に影響を及ぼす行為をしようとするときは、「文化庁長官の許可を受けなければならない」、こういうことでございますが、この場合、重大なものを除き、「現状変更又は保存に影響を及ぼす行為の許可及びその取消並びにその停止命令」を「都道府県の教育委員会に委任することができる。」というようになっておるわけでございまして、現在委任しておりますのは、人家密集地域における木造または簡易な建物の建築面積が七十平米未満の新築、増築または改築、建物以外の簡易な工作物の設置等、軽易なものは県限りでやってよろしい、こういうことになっておるわけでございます。これは一般的になおいろいろ検討すべき事項ではございましょうけれども、太宰府のあとにつきましては、先ほど申し上げましたように保存管理計画というものを立てておりますので、そういうことで基準がある程度できておりますので、今後運用にあたりましては県や町当局と協議いたしまして、管理計画の範囲内において適切な措置が迅速にできるようにしたいというように、十二分に今後配慮してまいりたいというようなことでございます。  それから第二の、発掘調査につきまして人手が足らないという点は、これは福岡県のみならず、あらゆる地方で問題になっているわけでございまして、これの充実につきましては、われわれもいろいろ苦心をいたしておるところでございますが、たとえば現在福岡県などには奈良の国立文化財研究所の職員を県に移しまして、そういう人たちがやっておるわけでございまして、今後発掘調査の充実につきましては県と協力いたしまして、もっと迅速にこの仕事がはかどるように協力をいたしてまいりたいと、かように考えておるところでございます。
  112. 内田善利

    ○内田善利君 時間がありませんので要望を申し上げますが、指定の告示があったわけでございますから、今後は指定しっぱなし、買いっぱなしというようなことがないように、ひとつこの点、大きな重要文化財と思いますので、留意していただくようにお願いをいたしまして、この点の質問は私は終わります。  次に、留学生の問題でお聞きしたいと思いますが、諸外国との文化学術の国際交流、そういった面から見まして、諸外国とは友好親善をはかっていかなければなりませんが、この留学生制度がこれは非常に大事であるし、価値のある問題と思うわけですけれども、非常に遺憾に思う点がございますので、若干お聞きしたいと思いますが、現在留学生の受け入れ数、待遇などいろいろ文部当局の留学生制度に関しての長期的なビジョンをまずお聞きしたいと思います。
  113. 村山松雄

    説明員(村山松雄君) 現在国費によります外国人留学生は、学部段階の者とそれから研究留学生とに分かれておりますが、学部段階の者が毎年六十名、それから研究留学生が毎年百九十五人ということになっております。そのほかに私費がございますが、これにつきましては亜細亜大学でありますとか、あるいは国際学友会でありますとか、そういう機関において承知をしておるわけでありまして、これについては文部省は大学への入学あっせん以外の特段の世話をしておらないのが現状でございます。
  114. 内田善利

    ○内田善利君 文部省としての長期的なビジョンをお聞きしたかったわけですが、この待遇の面ですけれども、現在学部留学生が三万六千円、研究留学生が三万七千円でありますが、諸外国、特にアメリカなどでは月三百ドル以上、このように聞いておりますが、その他の諸外国の待遇はどのようになっているのか。日本は非常に留学生の奨学金が少ないんじゃないか、わざわざ日本にやってまいりまして、こういう待遇では好感情を持って帰国してもらえないんじゃないかと、このように危惧するわけですが、この点どういうふうに……。
  115. 村山松雄

    説明員(村山松雄君) 留学生に対する待遇としましては、学費、それから旅費その他生活費の一部の補助いろいろございまして、国によって実情はかなり異なっております。単に毎月の学資金の給与額だけを比較して高低を必ずしも適当に判断できないわけでありますが、御指摘のように欧米諸国に比べますと、わが国の留学生に対する学資金は必ずしも高くございません。まあ一部日本と大体同等のものもございますけれども、平均いたしますと欧米諸国は日本の倍額程度ではなかろうかと思います。ただ前にも申し上げましたように、これは所要の学資との関連でございます。たとえばアメリカなどでは授業料なども私立であれば二千ドルぐらい、公立でも三百ドルぐらい要るわけでございます。日本に比べまして必要な学資も非常に高いので、奨学のための学資金の給与も高いという関係もあろうかと思います。それにいたしましても日本の現在の月額の三万六千円、それから研究留学生の三万七千円というのは必ずしも十分ではないと考えまして、ことしも一部上がってこの程度になったわけでございますけれども、来年度以降さらに待遇改善につとめたいと考えております。
  116. 内田善利

    ○内田善利君 アメリカの場合は三百ドルですから約十万円ですが、日本の場合はこのような金額でありますし、奨学金のみを考えてみても非常に少ないと、このように思うわけです。それから待遇面での具体的な事例ですけれども、たとえば留学生が病気になったような場合に、医療費は三割も自己負担しなきゃならない、異国から来て病気になるということは非常に本人にとってはつらいことだと思いますし、またその上経済的な苦痛が加わってくると、対日感情というものもよいはずはないと、このように思われるわけですが、この医療費の面についてはどうでしょう。
  117. 村山松雄

    説明員(村山松雄君) 医療費は、それぞれ先進諸国でありますと、社会保障的な医療制度になっておりまして、これが相互主義でございますので、社会保障制度のある国から来ておる者については、わが国でもその社会保障制度の中に入っていけるわけでございます。ただそういう制度がございません国からの留学生でありますと、留学生について特別にめんどう見なければならぬということで、現在、御指摘のように医療費の実費の七〇%という予算措置をして、これで現状は実情から申し上げますと、それほど支障なく運営されておるわけでありますけれども、これにつきましても、実情に合わせましてもっとよくめんどうを見ることができるように取り計らいたいと思っておりますし、それからでき得れば私費の留学生につきましてもこれを拡大いたしたい、かように考えております。
  118. 内田善利

    ○内田善利君 留学生会館のお話ですけれども、現場の方々非常に一生懸命にやっておられるわけですけれども、留学生の方々のレクリエーションのための費用とか、あるいはこまかい問題ですけれども、電話交換手の夜勤の人がいないで、夜きびしくなってだれかに電話しようと思っても電話できないと、このようなほんのちょっとした心づかい、お金で解決できる問題などが放置されておる。館長さんはだいぶ長いことおつとめのようですけれども、心づかいの問題と思いますけれども、こういったことが放置されておる。文部省のかわりにこうしてお世話しているわけですが、もう一歩サービスというものが必要じゃないかと思いますが、この点どうですか。
  119. 村山松雄

    説明員(村山松雄君) 外国人留学生の世話をする場合に、直接その就学の問題のほかに、生活が快適にできるようにということが非常に重要なことでありまして、そのために理想を申せば、留学生だけで特別の生活をしないで、日本人学生と一緒にあるいは寄宿舎、あるいは下宿といったところに住むことが理想かとは思いますけれども、国情の違いからそうもいきませんので、現在は御指摘のありましたような財団法人の日本国際教育協会というものをつくりまして、留学生が集中的におります東京と大阪に学生会館をつくってそこに止宿させ、比較的低廉な館費、食費等でできるだけ生活が快適にできるようにしております。細部にわたりますと、ただいま御指摘のように、たとえば電話が必ずしも円滑にいかないというような問題点が残っておろうかと思いますけれども、それらの点につきましては、留学生会館とそれから文部省協力いたしまして改善につとめたいと考えます。
  120. 内田善利

    ○内田善利君 それから留学生にたとえば死亡事故とか突発事故が起こったような場合には、そのつど財界に献金を頼んでおるというようなことですが、財団法人としてそのような規約になっておるようですけれども、こういったそのつど財界に献金を頼むというようなことでなしに、常時献金を受けていく、ひものつかない献金を受け付ける、そのようなことはできないのかどうか、また献金する場合はこれは無税なのかどうか、この辺をお聞きしたいと思います。
  121. 村山松雄

    説明員(村山松雄君) 日本国際教育協会は財界の御協力を願っておりまして、評議員会には石坂泰三先生などをお願いしておるわけでございます。ただ死亡事故などは本来法人の既定経費でもってできるだけ処理するのが当然でありまして、従来もできるだけそのようにやっておるつもりでございます。一般的に国といたしましても団体の運営費のめんどうを見ておるわけでありますけれども、その上に財界等からの御協力につきましてはもちろん望ましいことと思います。寄付がありますような場合には、これは教育に関する法人でございますので、税法上一定の限界はございますけれども、非課税の措置はとり得るものと考えております。
  122. 内田善利

    ○内田善利君 それから留学生が大学に入るまでの日本教育についてですが、来年度からは府中市の分倍河原にLL教室をつくって日本教育をしていくということですが、具体的にはどのようにやっていかれるのか。それから、大学に入ってからのいわゆる学習指導あるいは研究指導、そういった具体的方法は、日本人と違った特殊性をどのように理解して指導していかれるのか。具体的に例をあげてお聞きしたいと思いますが、こういった点はいわばほったらかしだ、このように聞いておりますが、もっとあたたかく指導するような文教行政を行なっていただきたい。このように思って、具体的な例をあげて、どういう指導をなさっておるかを聞きたいと思います。
  123. 村山松雄

    説明員(村山松雄君) 外国人留学生の厚生、補導の関係でございますが、先ほど申し上げました日本国際教育協会におきまして、補導面については留意しておりまして、たとえば、一年に何回か研修旅行などをやっております。それから、国立大学に参りますと、日本人学生に対すると同様な厚生、補導をやる以外に、外国人留学生の特別指導費を計上しまして、日本人家庭に寄宿している者につきましては謝金を出すとか、あるいはクラブ活動、オリエンテーション等につきまして経費のめんどうを見ております。現在も、在籍学生に対しまして二千万円余の予算を計上いたしまして、若干のめんどうを見ておる次第であります。  それから、一番基礎になりますのは何よりも厚生、補導の問題かと思いますけれども、要するに、留学生は、日本に来まして何らか必要な知識、技術を身につけて帰るのが目的でございます。そこで、日本語という障害を克服してできるだけ就学目的を達成できるようにするために、まずもって、日本語能力というものを日本の大学教育についていけるようにしなければならぬということで、これに努力いたしておりますけれども、現実の問題として、どのようにすれば日本語能力が増進するか。これはまあ実施方法も含めましてなかなか問題がございます。一昨年までは、御存じだと思いますけれども日本教育一年を含めて、大学の教養課程にあたる二年、合わせまして三年間を、文科系は東京外国語大学で、理科系は千葉大学でやって、それを済みました者につきまして、各大学の専門課程に進学きせるという方式をとっておりましたけれども、それによりますと、接続関係が必ずしもうまくいかないということで、ことしから、一年間集中的に東京外国語大学の附属の日本学校日本教育をやって、これを終わった者についてそれぞれの大学の一年に入れる。つまり、留学生としては、日本教育を含めまして五年間就学することになるわけでありますけれども、そのための日本学校は、御指摘の一、二、現在、施設も完成し、教員組織も整えまして、来年度からは、本格的に新しい日本教育も含めた留学生教育を発足きせることになっております。そういう日本教育、それから、専門に進んだ場合の厚生、補導、受け入れ大学においていろいろな外国人なるがゆえにめんどうを見なければならぬ点も多々あるわけでありますけれども、それらの点につきまして、実情に即した指導をしていただくことによりまして、留学生の教育ができるだけ円滑にいくようにということについて、文部省も指導もし、協力もしておるわけであります。  将来、留学生教育がいかにあるべきかにつきましてビジョンがあまりないんじゃないかという御指摘でございますが、何かすでにでき上がった計画が必ずしもないという意味では、御指摘のとおりでありますけれども、いたずらに、計画だけを先走らせるよりは、現在、招致しております毎年二百何十名か、全体にいたしまして六百名程度の国費留学生、私費も合わせますと四千名にのぼる留学生について、少なくとも、現に来ておる者についてのめんどうは、できるだけ彼らの希望が実現できるように、きめこまかく見るということで現在、努力をしておる次第でございます。
  124. 内田善利

    ○内田善利君 留学生のレベルの問題ですけれども、聞くところによりますと、ある国の留学生とかは、非常にレベルが低く、卒業して帰国しても就職ができない。そういう現状だということで、むしろこれは日本の大学教育のレベルまでもあるいは大学教育の批判までもされるではないかと、このように危惧するわけですけれども、また、本人たちにとってもどういう採用のしかたがなされているのか、また日本の大学における卒業試験等はどのような制度でなされておるのかよく把握しておりませんが、留学生のレベルはどういう状態なのかよくわかりませんが、もし卒業して自分の国に帰って、就職もできないような、そういうレベルが低いという状態ならば、もう少し入学試験制度あるいは学校における試験制度、そういうものが留学生に対しても十分な実力を備えるように指導教育、学習指導すべきじゃないか。そうでないとかえって本人たちがかわいそうじゃないか。このように思うわけですが、こういった点はどうなんでしょうか。
  125. 村山松雄

    説明員(村山松雄君) 留学生のレベルにつきましては、日本に来ましたものにつきましては、ただいま申し上げましたように、できるだけめんどうをみておるわけでありますけれども、一番問題は、ほんとうにその大学教育を受けるにふさわしい素質もあり、また意欲もある学生が来ておるかどうかという点でございます。その点につきましては、一つには、留学生の主力を占めております東南アジア諸国の国情、特にその中等教育の充実度合いにもよるわけでありますが、何よりもほんとうに意欲のあるものを選抜するということをやりませんと、はっきりした修学目的もないままに来てしまうということになります。そこで、ずっと以前は招致留学生については、それぞれの本国政府の推薦などによって採用しておったわけでありますけれども、それだけで、こちら側の主体的な選考が入りませんと、どうも結果が思わしくないということで、数年前から在外公館と協力いたしまして、こちらから人を派遣して選考をいたしております。そういうことによって、かなり招致するものの素質自体も向上してまいっております。ほんとうに意欲のあるものをよこすかどうか。そういうものが希望するかどうかということにつきましては、国によって多少の違いはございますが、わが国としては、それはいまも申し上げましたように、選抜方法にもくふうを加えまして、できるだけ素質のよい、意欲のあるものを呼ぶ。呼んだからには、日本教育を含めまして、できるだけめんどうをみる。こういう方針でやってまいっており、漸次効果をあげてまいっておると考えております。
  126. 内田善利

    ○内田善利君 最後にもう一問質問したいと思いますが、これは現実にあったことですけれども、東南アジアのある国の医科留学生が帰国して、医師免状すらもらえない。日本の医学の、卒業のインターンをやって、医師の免許状を持って帰って、さらに帰国後医師の免状すらもらえない。こういうことでは日本の医学教育の評判を落とすと、このように思うわけです。その点ひとつ文献省では責任を感じて、今後の対策を講じていただきたいと、このように思うわけです。  この点についてさらに御質問いたしますが、最後に、私費留学生その他スカラーシップによる留学生制度の実情がわかっていられるならば、その資料をお願いして、私の質問を終わります。
  127. 村山松雄

    説明員(村山松雄君) ただいまの医師の資格につきましては、これはわが国の医学教育の動向という以前に、各国ともかなり閉鎖的なたてまえ、制度をとっておるのが実は問題でありまして、ほかの国での医学校で医学士になった、あるいは医師の国家試験も受けて医師免状を取ったというものを自分の国で認めるというのが、実は世界的に非常に少ないのが一番問題でございます。これも原則としては、それぞれの国の社会保障制度、それからそういうことに基づく相互主義というようなことが障害になっておるのでありまして、これは単に教育内容を充実するだけでは解決できない問題を含んでおります。御指摘の点は、私どもかねがね何とか打開したいと思っている点でございまして、さらに十分に努力をいたしたいと思いますけれども、いま申したような非常に厚い壁があるということは御承知おき願いたいと思います。  それから、資料につきましては、できるだけ整えて差し上げるようにしたいと思います。
  128. 内田善利

    ○内田善利君 それからもう一つ、文部大臣質問したいと思いますが、この留学生制度について、現状をいま私わかったわけですが、この点についてどのように考えられるか、最後にお聞きしたいと思います。
  129. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) これは内田さんと私、同じように考えておりまして、このままではいかぬと思っております。抜本的な改正をやらなきゃいかぬと思っております。もう少しビジョンをもって、単に経済的な交流だけでなくて人の交流、特に若い青年が日本で勉強をする、そういう場合においては十分こちらがそれに対して親切に、また気持ちよく勉学ができるようにしていかなきゃならぬというたてまえをとっていきたいと考えておるわけです。しかも、ただいま局長から説明を申し上げましたとおりに、国費留学生については、私たちのところも十分ではございませんけれどもかなり手は届いております。しかし、私費留学生に至っては、入管をしてきますときにチェックするわけでございまして、その留学生が一体どこの大学にどうやって生活をしているかということは全然わかっておりません。またどういうふうなことをして帰っていくかということも全然わかっておりません。そういうようなことであっては意味がないわけでございまして、私どもはやはり私費留学生であろうと、国費留学生であろうと、われわれの国に学ぼうとする人たちに対して、文部省としてこれを把握する必要があるということ、実はいま内部的にもその検討を急がせておるところでございます。また先ほど外務省関係あるいは民間関係において学生たちの世話をしておるいろいろの団体がございますけれども、初めて実は第一回の会合を開きまして、そうしてお互い協力をし合い、また同時にわれわれとして改めるところは改めるということで、前向きにひとつ検討していこうということをこの前やったばかりのところでございまして、今後予算等におきましてもそれをあらわしてまいりたいと思っております。今年度、四十五年度の予算におきますところの月額三万六千円、これは私どもといたしましてもあまりにも低過ざると思いますので、来年度は五万円と七万二千円に増額要求をいたしておるわけでございます。そういうことでございます。
  130. 多田省吾

    ○多田省吾君 私は初めに東京教育大学問題についてお尋ねいたします。私は、大学紛争の責任が文学部教授会にある、そうして三人の教授に辞職勧告をしたということ自体は、大学紛争の責任というものは大学全体にあることですから、ちょっと納得できない点がございます。それにつきまして文学部教授会は十二日に正式に評議会勧告を拒否いたしまして、その結果二十六日に再び評議会が行なわれ、そうしてもしかすると評議会権限によって三教授の免責処分というものが行なわれるのではないかというような観測も行なわれておるわけでございます。もちろん、その結果文部大臣がそれを発令するかどうかという問題ですが、もしこれがかりにそういった事態が起こった場合、三人の教授は当然自分の意思に反した不利益な処分を受けたとして、人事院に提訴するなり、あるいは裁判所に持ち込むことが考えられます。富山大学の内田事件におきましても、その処分取り消しの判定が人事院によって行なわれておりますが、そういった事態は非常に不幸だと思います。先ほど大臣は、問題が出てきた時点で考えるのだと、このように答弁なさいましたが、これはたとえばの話ですけれども、二十六日ごろ三教授免責処分のまあ申請が出てきたような場合は、大臣としてそれを発令するのか、あるいはそれを拒否するのか、その二つをその時点で考えると、こういう意味でございますか。
  131. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) これは御承知のように、大学自治の一番根幹は何かというならば、やはりこれは管理機関における選考権というもののイニシアチブを管理機関が持っておるということでございます。したがいまして、私たちがこれを発令しないことも、これはないわけではない、絶無ではないということはあり得ますけれども、しかしながら、大学における人事の問題については、できるだけ大学内において行なわれるということが実はたてまえになっておるわけでございます、しかしながら、私どもはやはり大学当局が社会的責任を持っておりまする以上は、やはりいたずらに一方的なやり方というようなことは好ましくないわけでございまして、十分人事の点については、まあ辞職勧告をきせるなり、あるいはやめきせるふうになるということは十分慎重にやっていただきたいということは、一般的に私は指導助言はできることだというふうに考えておるわけでございまして、この問題につきましてもやはりそのような気持であるわけでございます。しかしながら、東京外語ではやはり一名の教官に対しまして勧告をして、そうして処分をしたという実例はございます。それからまた東京大学におきましても、勧告ではございませんけれども、やめていただくことを期待するというようなことを評議会できめまして、そうして医学部の教授に対してやりましたけれども、医学部の教授はついにやめなかったという事例もあるわけでございます。そういうわけでなかなかその大学の自治というのはむずかしいものでございまして、うまくひとつやってもらいたいと思っておるようなわけでございます。
  132. 多田省吾

    ○多田省吾君 次に、大学内におきましては、この前の学長選挙の第一次選挙におきまして六百十九対五百九十四というような、非常に近接した対立がございます。またさらに文学部教授会におきましても六十四人の多数が非常に結束して移転反対を唱えておるわけでございます。その文学部教授の六十四名の中には大塚に残る構想案を練って、そうして他学部の移転反対派にも呼びかけて、文部省に対してもこの案の実現を働きかけるというようなことも言われておりますけれども、かりにでございますが、そういった場合に、これは絶対に認めるわけにいかないものであるとか、あるいはこの紛争を解決するために認める場合もあり得るのではないかとか、そういう御見解は、まあかりにという話ですから、お答え、なかなかできがたいと思いますけれども、その辺の御見解を承りたいと思います。
  133. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) まあこの選挙が行なわれたのはおそらく二月ごろだろうと思いますけれども、その後かなり説得ということも行なわれておるようでございますし、またもちろん文学部等においてはまだまだ半分は先ほどお答えしたように反対というようなこともあろうかと思いますが、全員が賛成というところにはいかなくとも、ある程度大部分の人たちが筑波山ろく移転に賛成するというような姿になるということがやはり望ましいことだというふうに思うわけです。しかもまあお互い同士一年以上も紛争をやっておりまして、かなり感情的になっておるような問題もあるわけです。と申しますのは、反対派の人たちも、りっぱな大学ができるというようなことはわれわれも好むんだけれども、ただそのやり方が気に食わぬのだというような言い方をする人たちもおるわけです。でございますから、最初考えられておったマスタープランというものも、あのままそれが定着してしまうということでなくて、その間においては一方に中間報告にございますような中央教育審議会、これの最終答申が来年ある、そういうようなことも頭に描きつつ、同時に文部省と東京教育大学との間に準備調査会というものがございまして、しかもこれには第三者を入れてあるいは外国等の新しい大学を見ながら検討しておるわけでございますから、マスタープランがそのまま定着しておるということではないので、やはりその辺には両方の歩み寄り、あるいはもっとベターなものにするという努力が積み重ねられなければ具体化はできない、かように考えるわけでございます。そういうような問題があるわけでございます。そういうようなことについて、たとえば費用についてもどれくらいの費用がかかるのだと、それについては政府のほうでは自信を持って出すのだと、そういうようなことがわかってくれば、学生といえどもあるいは反対しておられる先生方でもかなり動いてこられるのではないかというような期待をすら私は持っておるわけでございますから、その辺はひとつあまり両方とも感情的にならず、そしてひとつ円満な一致点を見出していただきたい、かように熱願をいたして指導助言をいたす覚悟でございます。
  134. 多田省吾

    ○多田省吾君 先ほどの私の二番目の質問はお答えしにくいとは思いますけれども、もし文学部の六十四人の教授等が非常に結束して、まあ文学部だけでも大塚に残るような、一部だけでも残るようなこういう構想案を出して文部省に願ってきた場合、文部大臣としてそれを全面的に拒否なさるのか、あるいは紛争解決のために何らかのお考えをとられるのかどうか、その辺をお伺いしたいと思います。
  135. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) これは仮定のお話でお答えしにくいわけでございますけれども、しかし私は新しい大学を考えます場合にはいろいろの方法があろうかと思うのです。東京教育大学についてはいろいろのまた沿革もございますし、あるいは卒業生もおられるわけです。それから今度筑波山ろくに新しい大学をつくるという場合には、全部行くという一つの方法もございましょうし、あるいはいま言われておるような、先ほど申しますような付属の学校というものは残すというようなことは大体了解がついておるというようなふうにも聞いておるわけでございます。そういうわけで、新しい大学をつくるにつきましては、これはいろいろの方法があろうかということでございまして、大学全体としていろいろの方法をそれこそ過去を忘れて新しい大学をつくるために御協力をいただくということで、全学的な意思の決定としていろんな方法が持ってこられれば、それはそれなりの意味があるんじゃないかというふうに私は思っております。あまり私はコンクリートには実は考えておりません。そういうふうにお願いをしたいというふうに思っておるわけでございます。
  136. 多田省吾

    ○多田省吾君 最後に、この新大学の性格につきまして、文部省で案を練られていると思いますけれども、その中で管理運営について特例法を別に考えておるのではないかというような観測も行なわれておりまして、もしその際に、移転する際に資格審査というようなものが行なわれる可能性があるのじゃないか。こういう考え方もあるわけでございます。こういったことはどうお考えでございますか。
  137. 村山松雄

    説明員(村山松雄君) いまのお尋ねは、新大学をどの程度教育大学との関連で考えるか、あるいはその関連をほとんど考えないで構想するかによってかなり変わってくると思いますが、現在の東京教育大学の教官はいずれも創設当初においては大学設置に対し、その後においては当該大学の教授会で大学の教官として基礎的には適格の判定を得た方でございますから、その方々を新大学に移るからといって根っこから洗い直すということはあまりないのじゃないかと思いますが、形式的に申しますと、教育大学からかなり同一性が乏しいような新大学という構想になりますと、おそらく大学設置審議会にももう一度その時点でおはかりするというようなことになろうかと思います。そういう意味で、ある意味での再審査の可能性というものはあり得ようかと思います。そこら辺はやや流動的に御理解願いたいと思います。
  138. 多田省吾

    ○多田省吾君 次に、国立大学の授業料値上げについて御質問いたします。何ですか、自民党の中で文教部会だと思いますけれども、三倍から五倍くらいこの際国立大学授業料の値上げをしたいとか、大蔵省も二倍から三倍くらい値上げしたほうがいいのじゃないかといわれている。それに対して坂田文部大臣は十八日に大阪大学の総長室におきまして、まあいずれ値上げしなければならないけれども、いまのところ具体的な値上げは考えていない、党内の意見も年末までまとまらないだろうとおっしゃったと新聞に書いてあるわけです。私は国立大学の授業料値上げに対しましては最近の物価問題もあり、しかもこれが私立大学に大きく波及することも考えられますし、さらに新たな大学紛争の発火点にもなりかねない、こういった理由からこれは絶対にやるべきではない。こう考えます。はたして文部大臣昭和四十六年度において絶対そういう国立大学の授業料値上げは考えていない、こう言い切れるかどうか。その辺を具体的にお答え願いたい。
  139. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) いまの御指摘ありましたように大阪大学におきまして私が申し上げた程度以外には出ないわけでございまして、私はいずれはと申しましたのは、実を申しますと、大学改革の一環としてやはり国立大学が今日まで果たしました役割り、明治から果たしました役割り等を  考えながら取り扱うべき課題である、ただ現在の私学の授業料というものと、それからただ国立大学の授業料というものが、片方はまあ最低八万数千円であり、片方は一万二千円であるというこの格差だけでこの問題を解決すべきものではない、やはりもう少しその辺はいろいろのこれからの私学に対する援助なり、あるいはまた国立大学の抜本的改正なり、そういう時期にはやはりこの格差というものはある程度是正しなければならぬということは当然出てくるので、ただそのいつの時期にするかというようなことはもう少し私としては考えさせていただきたい。こういう意味で実は申し上げておるわけでございます。
  140. 多田省吾

    ○多田省吾君 お話の趣旨はわかりましたが、そうすると、こういう私大の授業料の値上げの時期にかかっているようにも思えるわけです。五、六年前にも私立大学は授業料を上げておりますから、こういう時期がからんでいるだけに私は最低限度昭和四十六年度においては値上げすべきではない、このように大臣もお考えになっているとは思いますけれども、早急には絶対やらないのだ、そういうお覚悟のほどを示していただきたい。
  141. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 当面私といたしましては現段階ではそのように考えておるわけでございます。しかしながらやはり党内の一部にはそういうような声がございますし、また世間にもそういうふうな話もございますし、それらのことにつきましては、最終的にやはり明年度の予算折衝の際においてきめなくちゃならない課題であるというふうに思っている次第でございます。
  142. 多田省吾

    ○多田省吾君 最初は当然そんなことは考えないというお話だったのですが、今度の予算編成の際に党と話し合わなければならないとしますと、可能性もあるということで、これは非常に大問題になると思うのですが、特に私立大学の授業料の値上げの動きが、紛争の起こっております国立音楽、大、早稲田、慶応、こういった多くの大学ですでに動きがあるわけです。ききに私学の人件費助成の際に、四十六年度以降にはこういった値上げは避けられるはずであると、たしか文部大臣はおっしゃったのですね。ところが、そういう問題が事実起こっております。国立大学の値上げと私立大学の授業料値上げに関しましてはどういうわけでこういうふうになったのかお答え願いたいと思います。
  143. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) これは私立大学には個々の大学がありまして、やはりそれらの事情というものは非常に異なるわけでございます。しかしながら昨年来私が申し上げておりまするように、私学の人件費助成というものをやって、そうして数年後には本務教員の給与の半額というところまでは持っていきたいという考えでおるわけです。したがいまして、来年度の予算におきましても相当の予算を要求をいたしておるわけでございまして、でき得べくんば私学の状況もありましょうけれども、全体としてはやはり授業料値上げは抑制していただきたいという気持があるわけでございます。しかし、やはり中にはどうにもこうにもしょうがないというようなことで、あるいは決定をきれるというふうなところもこれは絶無ではないのじゃないかということはございますけれども、全体としてはそういうようなことが起こらない、最小限度のことだけは予算をわれわれが獲得することによって解消できるのじゃないか、安心きせることができるのじゃないかというふうに思うわけでございます。そういうわけで直接の関係はございませんけれども、やはり事はこういう政治的、社会的問題でございまするので、やはり国立大学の授業料値上げについては慎重を期さなければいかぬというのが私の気持ちでございますし、その気持ちを実は大阪大学におきまして表明をいたしたわけでございます。
  144. 多田省吾

    ○多田省吾君 といいますのは、日本私学振興財団が発足しましたところが業務方法書が作成されていない。ですから、助成金の交付というものが非常におくれまして、ことしじゅうにもう助成金ももらえるかどうかということで、もしことしじゅうにもらえれば値上げの必要もないのじゃないかという大学もあるらしいのです。業務方法書というのはいつごろ作成できるのか、これがおくれている理由は何なのか。やれなければ初年度だけでも配分基準を作成してできるだけ早く助成金を交付したほうがいいんじゃないか、このように思うのでございますけれども大臣はどうお考えでございますか。
  145. 岩間英太郎

    説明員岩間英太郎君) ただいま御指摘いただきました補助金の配分でございますが、これは今後の補助金の行くえにも非常に重大な関係のあることでございます。御承知のとおり、七月一日から財団が発足したわけでございますが、諸般の準備等に追われましてなかなか手がつかないという事情もございますけれども、いま申し上げましたようにおもな理由は、この補助金の配分の方法が今後の私学に対する助成の一つの方向決定するという非常に重大なものでございますので、これは運営審議会、それから理事会等におきましてもたびたび研究を重ねてまいってきております。まだ多少おくれておりますが、できるだけ早い機会にその決定をいたしまして、具体的に私立大学に配付されるようにいま鋭意努力をしておるところであります。もうしばらく待っていただきたいというふうに考えております。
  146. 多田省吾

    ○多田省吾君 日本私学振興財団についてもう一点だけお尋ねしますけれども大臣はこの発足にあたりまして、人選は責任を持ってやると、このように何回もおっしゃったわけです。ところが今度財団の発足にあたりまして、天下り人事反対のストライキもあったようでございます。で、一番大事な理事長のもとにある常任理事四名のうち二人は文部省から天下ったような姿であると思うのです。そのほかに今回の財団の人事も文部省出身者が役職ごとに、たとえば部長、課長、課長補佐、係長と、それぞれいらっしゃると思うのですが、何人くらいいらっしゃるのか。  それから大臣は、法案審議のときにも、文部省の介入はできるだけ少なくしたい、こういう役員は私学関係者をたくさん入れたいというお話だったのですが、これが文部省関係の天下り者の多いために、文部省のひもつきのような姿になるのは非常に好ましくないと、こう思いますので、その点をひとつお答え願います。
  147. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 私は今度の私学振興財団の役員あるいは運営審議会委員につきましては、この委員会におきまして再三お話を申し上げましたように、少数精鋭でいくということで、それを貫いたつもりでございます。しかも審議会委員につきましても、たとえば宇佐美さんみたいな前日本銀行の総裁であるとかいうような方も入れておりますが、しかしながら、大泉さん、あるいは柴沼さんは元東京教育大学の学長でございますし、高垣さんは私立大学懇話会の会長でございますし、棚橋さんが日本私立中学高等学校連合会の理事長でございます。時子山さんも日本私立大学連盟の会長でございます。内藤さんも日本私立短期大学協会の会長でございます。稗方さんも日本私立大学協会の会長でございまして、それぞれ非常に私学の要望にこたえたというふうに考えておるわけでございます。  それから理事長につきましても、いろいろうわさにはあるけれども、何か文部省のだれかを連れていくのではないかというふうなことを言われたのでありますが、元の慶応義塾の塾長でございまして、しかもこの方は私学きっての管理運営その他についてのエキスパートでございまして、私はこの人以外にないのではないかというふうに思いましてこの方に理事長をお願いをし、また永沢さんを中心としていろいろ検討をいたし、また私学側の要請等を考えましてこのような人事を発表いたしたわけでございまして、私学側もこれに対しては一致して承知をいたしておる、こういうような事情であることを御報告を申し上げたいと思います。
  148. 岩間英太郎

    説明員岩間英太郎君) お尋ねの残りの部分をお答えいたしたいと思います。  ただいま大臣からお話がございましたように、理事長永沢先生、それから理事の上野先生それから非常勤理事の公江先生、相馬先生、升本先生、いずれも私学の出身でございます。それから運営審議会につきましては十名のうち六名の方が私学の御経験者でございます。その意味では十分前国会におきます決議も尊重されたというふうに考えております。  それから職員につきましては、御承知のとおり私学の振興会がまだできましてからかなり日が浅うございまして、私どもは、まず現在おります職員の中から適当なものがあればまず充当して、それから足りない部分はほかのところからこれを採用するというふうな方針をとったわけでございます。実は振興財団ができます前に、私学振興会自体といたしまして部課長につきましてかなり異動を行なっておりまして、その際すでに中からかなりの者を登用いたしております。それから新しい機構によりまして部長、課長、課長補佐、係長、それぞれふえたわけでございますけれども、部長二人につきましては、これはまだ新しく採用しました本来の私学振興会の職員が年齢的に見ましてもそのポストにつくというわけにはまいりませんので、これは文部省、大蔵省からそれぞれ一名選んで適任者を充てております。それから課長につきましては、四名の増加のうちで二人は中からあげました。二人はこれは文部省、それから大蔵省でございますか、そこから登用しております。それから課長補佐につきましては、これは内部から四名あげておりまして、外部からは一人でございます。それから係長につきましては、内部から八名、外から一人というふうに適任者がございます場合には極力中から優秀な者を抜てきする、そういう方針で臨んでおりますし、今後ともそういう方針は貫いていきたいというふうに考えます。
  149. 多田省吾

    ○多田省吾君 最後に、過密地域の学校対策についてお尋ねいたします。  最近町田市の学校用地の公団等からの無償提供義務付け案、こういったものが出ております。それから横浜の市教育委員会では、小学校ができないうちに団地入居は困るということでストップさせております。それからもう一つ、たとえば茨城県の藤代地区におきましても新川団地というのが最近できた、このうち三百人が付近に学校がなくて、藤代小学校という、バスで十分、非常に遠いところですね、バスで行き帰り通学しておる。国道六号線に臨んで走っておりますから非常に交通事故も多くて、最近も一人なくなって、三件の交通事故が起こっていると、こういう状況です。そういういろいろな問題があります。こういった過密地域、特に団地等が建った場合の学校対策につきましては、今度予算要求を二分の一国庫負担にするような要求を出しておられますけれども、二分の一が大蔵予算案に盛られたとしましても、町自体も自己負担というものに非常に耐えられないという現状だと思うのです。こういう意味文部省としてどういう根本的な対策を考えておられるのか。それから関係官庁、建設省とか、あるいは特に鹿島工業地帯なんかは東洋一の臨海工業地帯をつくろうということで非常に今後膨大な計画、将来三十万の人口が見込まれておりまして、そのために最低小学校三十五、中学校十八、高校十四、幼稚園四十が必要だと、こういうことも言われておるわけです。ところが、通産省関係でございますけれども、企業が全部土地を買い占めてしまって、学校の入る余地がない、こういった非常に義務教育がないがしろにされている現状にあります。横浜なんかでは団地のまわりにプレハブの校舎をたくさん建てているが、プレハブ校舎は御存じのように火事で焼けるような危険な面もありますし、こういった対策ですね、どう文部省は考えておられるか。あるいは建設省側としてこの住宅公団等が進出する場合に、地方自治体は非常に財政的に苦慮しております。こういった場合、町田市のような要求をどういうふうに考えておられるのか。  それからもう一つ、環境、これは警察庁のほうにお願いしたいのですが、特に鹿島方面では非常にいま無法地帯だ、こう言われております。私も二、三回行きましたけれども、何といいますか、いまテレビ、新聞等にもどんどん出されておりますけれども、全く無警察状態ですね。茨城県警もだいぶがんばって、鹿島町なんかでも五十人を八十人にふやしたといっておりますけれども、この前も飯場と飯場のけんかがあって、警察官が十何人行ったけれども、逃げちゃったですね。あるいは小学生が午後四時ごろ帰りに車に乗ったいかがわしい人に呼びとめられて、はだしで逃げ出したとか、そのほか乱暴な事件なんていうものも数限りないわけですね。御主人の前でおくさんが集団で乱暴されたとか、そういう事件が非常に多く起こっております。それで泣き寝入りもずいぶんあります。そういった乱暴な事件等に関しましては一件もほとんどつかまっていないというのが現状で、あの地域の人たちは小学生、中学生、義務教育を受けておられる子供さんを含めて、もうみんな生きた心地がないわけです。はっきり言って、夜なんか御婦人は絶対出られません。われわれが車で行ってもとめられます。これが文化国家かと思われるような現状にありますよ。そういった点に関して、東京なんかで五千人もの機動隊がずいぶん大学紛争なんかでも活躍されたのですから、むしろそういった機動隊の方々がほんとうに鹿島あたりに千人ぐらい行ってもらって警備してもらいたいぐらいです。そういったことを警察庁としてどのように考えておられるのか。  関係各省から、ひとつ要領よくお答えいただきたいと思います。
  150. 岩間英太郎

    説明員岩間英太郎君) ただいま御指摘になりましたように、人口急増地帯におきましては数々の憂慮すべき事態が生じているということは御指摘のとおりでございます。私どももそういう事態を看過できないということで、来年度の予算におきましては国及び地方財政を通じましてこれに対する的確な対策を講じたいということでただいま予算要求をしておるわけでございます。具体的には、先生も御指摘になりましたように、土地に対しまして二分の一の補助を行なう、また、その裏財源につきましてはただいま御指摘になりましたような地方の財政というものが非常に小規模でこういうふうな大きな問題に対しまして対処できないような事態もございますので、裏財源につきましては特に政府保証の起債を大幅に認めるというふうな計画をいたしておるわけでございます。それによりましてできる限りプレハブ校舎というものも解消いたしたいと思いますし、また学校の用地の取得によりまして、先ほど御指摘になりましたような通学難というふうなものも解消してまいりたいというふうに考えておるわけでございます。  なお、鹿島地区につきましては、ただいまのところ、ここ二、三年におきましてはまだ学校教育に支障のあるような事態が予想されてはおりません。また、土地も確保されたようでございますけれども、まあ今後そういう問題が起こることも当然考えられるわけでございまして、それにつきましても十分事前に手を打ちまして、そういう事態が起こらないようにひとつ努力してまいりたいと考えます。
  151. 関口洋

    説明員(関口洋君) ただいま先生からお尋ねのございました町田市の問題につきましてお答えさしていただきたいと思います。  町田市では、あそこに公団と住宅供給公社相共に相当多数の住宅を建設してまいっておるわけでございますが、この建設にあたりましては当初公団、供給公社ともそれぞれ公団法、供給公社法の規定に基づいて町田市と御相談をいたしまして、所要学校用地を確保し、その建設につとめてまいっておるというのが実情でございます。ただ、最近に至りまして町田市のほうで、その後の人口の増加状況、こういうものを調査いたしまして、いままでの校舎では今後人口がふえた場合に足りなくなるのじゃないかということを御心配になりまして、そこで新聞に伝えられておりますように、あらためてまた公団、供給公社のトップとじっくり御相談をしたいというお申し出がございまして、それに基づいて近日中にそれぞれ所要協議が行なわれる見込みでございます。そういうものを通じまして具体的に解決につとめてまいりたい、こういうふうに考えます。
  152. 黒田四郎

    説明員(黒田四郎君) 鹿島の工業地帯の開発に  つきましては、都市計画法に基づきまして茨城県とか、あるいは地元の市町村におきまして開発がなされているわけでございまして、学校整備の問題につきましても、こういっ地方公共団体におきまして配慮もなされておりまして、私たちのほうとしましては特に問題はないように聞いておりますけれども、いま先生が御指摘になりましたような問題がございますようでございましたら、文部省さんとかあるいはその他関係の省庁、あるいはその他元の市町村と十分連絡をとりながら、必要がございました場合におきましては指導するようにいたしてまいりたい、こういうふうに考えております。
  153. 原仁

    説明員(原仁君) 鹿島地区につきましては、現在労務者が約二万一千名ほど入っております。警察庁といたしましては、先ほどお話がありましたように、五十名の署員を八十名にふやしますとともに、幹部の派出所を二つつくりまして、本年はまた水上の派出所もつくる予定にしております。それから県本部から二十一名の機動捜査隊を派遣して現在治安の維特に当たっている状況でございます。ただ、現在問題になっていますのは、労務者が仕事が終わってから夜酒を飲んで犯罪を犯すというのが現在の実情でございます。これに対するいわゆる風俗営業とか飲食店というようなものが無秩序に散在してできるのが非常に困っているわけでございまして、私どもといたしましては早く都市計画において住宅地域とか文教地域というものを指定をしていただきたい、かように思っておるわけでございます。
  154. 多田省吾

    ○多田省吾君 時間も超過しておりますので、もう一点だけ御質問しますけれども、特に通産省さん、結局もう生産第一主義で、学校もできない、道路もできない、下水道もできない、そのような状況のもとに各社がどんどん操業を開始している。そういう状態ですから、もういま交通事故なんかひんぱんにあそこで起こっているわけです。それから、すでに公害が発生しまして百戸近い部落が集団移転したいと言っているわけですね。公害を起こさないというようなことを言いながら、東洋一を目ざす鹿島臨海工業地帯は日本最高の今後は公害地帯になりかねないのじゃないかと思います。それから共同火力発電所も県の認可を受けないうちに操業しておりますし、そういう状況から、これは通産省もただどんどん操業開始の認可を与えるような姿じゃなくて、そういう工業地帯をつくるのでしたら、やはり学校とか、あるいは道路とか、あるいは下水道とか、それから公害を起こさない条件をそろえて一緒にやっていかなくちゃならないのじゃないかと、こう思うわけです。  それから警察庁の防犯課の方に申し上げますけれども、機動隊二十名くらいじゃ、二万一千人の労務者の方全部が悪いというわけじゃありませんけれども、中には相当悪い人もいるわけですから、このままでいきますと、山谷とか釜ケ崎の第二の事件も生ずるおそれがあるし、その地域の人たちは、機動隊二十名くらいじゃ、あの飯場と飯場の争いのときに行ったが逃げ帰ったじゃないかとか、鹿島に派遣される警察官はあまりひどいので警察官をやめたいと言っているとか、派出所に十名ぐらいじゃ、一人しか派出所にいなかったので出ていけなかったという、そういう無法状態がいま現在発生しているわけです。それに対してすぐ対策をとっていただきたい。文教区、住宅区に指定するのも早急にやっていただきたいと思いますけれども、そういう、いま生命の危険にさらされて生活ができない状況なんですから、至急に茨城県警だけにおまかせにならないで、警察庁としてやはり考えていただきたい、こう思うわけです。  それから最後に文部大臣、どうぞこういった過密地区とか、あるいはそういう工業地帯において義務教育を学んでおられる方々に対してどういう措置をとるか、今後重大な問題だと思うのです。義務教育の中でも予算概算要求をなされているようでございますけれども、ひとつ前向きにしっかりした対策を立てていただきたい。最後にお願いしまして、文部大臣のひとつ御所見をお伺い申し上げます。
  155. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 臨海工業地帯その他過密地域におきます義務教育の遂行につきましては、特段に考えていかなければならぬということはお説のとおりだと考えております。私どもも来年度の予算等におきましても十分ひとつその点を考えまして努力をいたしたいというふうに思っておるわけであります。
  156. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 さきの委員会で私は指導要領それから教科書、教師の性格、役割り、その関係についてお尋ねをいたしましたときに、文部大臣からその四つの点についてお答えをいただいたと思います。一つは日本において教科書は非常に大切である、大切であればこそ教科書問題が憲法違反などをめぐって問題とされているのだ。したがって、教科書は間違いのないものでなければならない。教師は教科書だけに、教科書に書いてあることだけを伝達しておればよいというものではなくして、自主性と創造性を持って教育方法、教育内容、あらゆる地域性を考慮してやるべきだ、自主性と創造性を持つためには日々の研さんと反省が前提となる、こういうお答えをいただいたと記憶するわけでございます。私はそれは全く大臣と同じ考えを持っているわけでございます。それほど指導要領も大切、教科書も大切、そうして先生も大切なわけでございますけれども、それだけ大切な教科書であればこそ私は憲法の精神が空洞化されていくということについて大きな不安を持つものでございます。そういう点についてお尋ねをしたわけでございましたけれども、そのことについては時間の都合で具体的なお答えがいただけませんでしたので、きょうは改めてその点で御質問を申し上げたいと存じます。  まず指導要領の試案、昭和二十二年から現在の指導要領に至るまでの変遷についてお伺いをいたしたいと存じます。
  157. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) 学習指導要領が最初に作成されましたのは戦後昭和二十二年でございますが、その後昭和二十六年に改定されまして、次いで三十三年、それから小学校が四十三年、中学校が四十四年でございますが、の三度改定がございました。さらに小学校は四十四年度に改定いたしまして新しい教科書が四十六年から使われる、こういうふうになりますが、さらに社会科につきましては三十年にも一部改定されました。一応学習指導要領が改定されましたのは以上のようなことでございますが、試案、いわゆる先生のお尋ねの試案というのが、試案ということばを取りましたのは三十三年の改定からでございます。
  158. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 この昭和二十二年の指導要領の試案ということで、これは私が当時教員であったころ、ほんとうに教え子をたくさん戦場に送って死なせて一番悲しい思いをした。一度は教師をやめたいというくらいのときに、この試案を読んだわけでございます。そうして私は非常に感銘を深くしたものでございました。それは宮地局長たぶん覚えていただいてくださると思いますけれども、ここにいらっしゃる皆さんでお忘れの方があればと思いますから、改めてこの試案を一度読ませていただきます。「この書は、学習の指導について述べるのが目的であるが、これまでの教師用書のように、一つの動かすことのできない道をきめて、それを示そうとするような目的につくられたものではない。新しく児童の要求と社会の要求とに応じて生まれた教科課程をどんなふうにして生かして行くかを教師自身が自分で研究して行く手びきとして書かれたものである。しかし、新しい学年のために短い時間で編集を進めなければならなかったため、すべてについて十分意を尽すことができなかったし、教師各位の意見をまとめることもできなかった。ただこの編集のために作られた委員会の意見と、一部分の実際家の意見によって、とりいそぎまとめたものである。この書を読まれる人々は、これが全くの試みとして作られたことを念頭におかれ、今後完全なものをつくるために、続々と意見を寄せられて、その完成に協力されることを切に望むものである。」、こういうことが書かれてございます。  続きまして、今度は教育基本法の解説でございますが、それは局長も御執筆者のお一人だったわけでございますから、おそらくもう御記憶に新たというよりはなまなましいものがあろうかと考えるわけでございます。それも私は拝見をいたしましてまことに感激をいたしました。ほんとにやりたいという気持ちがそのときに起こったと言って私は過言でないと考えるわけでございます。ですから、その当時の者は、おそらく教師文部省は信頼の上に立って教育の立て直しに努力したと考えるわけでございます。  ところで、この改定になりましたもの、あるいはその三十年、三十三年からできました指導要領は、試案ではなくて法的拘束力を持った指導要領に変わってまいったわけでございます。そういうものにお変えになりました理由、それをお聞かせいただきたいと存じます。
  159. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) いろいろ理由はございましょうが、戦後のわが国の教育というものは、もちろん教育基本法が制定されてその骨格は示されましたものの、内容におきましてはこれはつい一、二年前便っておった教科書が全面的にいけないということにもなったようなことで、戦争直後のわが国としては教育の基本的なものは基本法に示されましたが、内容的なものはいろいろ戦前に経験を経なかったような内容で教えていかなければならない、そういうようなことでまだ十分な用意もございませんでした。さらに先生も御承知のように、当時占領下で米国から来られた教育専門家のいろいろなアドバイス等もございました。そういうような関係で、戦後の教育課程というものはまだコンクリートになってなかったということ、将来の検討にまつべきものがずいぶんあったといったようなこと、さらに当時は、当分の間学習指導要領文部省がつくる、将来は県の教育委員会等もつくるんだといったような考え方もございました。そういうようなことで学習指導要領をつくる者もまだ固定した考え方もございませんでした。  そういうような状況から十年近く経たわけでございますが、その間教育界の現状といったようなものも、やはりいろいろ終戦直後から十年間くらいの歩みを見てみますといろいろな変遷がございました。そういうようなもろもろの時の動きといったようなものも念頭に置きまして、さらに当初のものは相当詳細なものでございましたが、ある程度簡素にして、基準的なものは拘束性を持って、試案というのは第一おかしいので、それを指導いたします場合にも一つの試みであるというようなことが、いつまでも十年も経てなお試みであるというようなことは、教師としても、教師の自主性がそれだけ幅が広いという面もございましょうけれども、いかがかというような点もございまして、そういうようないろいろな状況から指導要領においては大綱的なものを示す、しかしそれは拘束力を持つものである、その範囲内においていろいろ創意くふうを生かす余地は幾らでもあるというような観点から試案ということばを除いたわけでございます。
  160. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 いま局長さんのお答えを承ったわけでございますけれども、この法的拘束力を持つ現在の指導要領のほうが前のものよりもりっぱになったというふうにお考えでございましょうか。教師はほんとうに前の試案当時に書かれたこと、ほんとうにあなた方も完全なものをつくるために続々意見を寄せて完成したものに協力してください、あなた方の意見を私たちは待っているのですといったような形のものと、いまのような拘束力を持ったものと、先生たちはどちらによりファイトを燃やして教育の前進をはかっていくことができるとお考えでしょうか。その点をお伺いしたいと思うのです。
  161. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) これはいろいろ考え方もございましょうが、がんじがらめにあらゆることを詳細に規定していくというようなことをとるのか、そうでなくて基本的なものを示すかといったようなことによっても変わってくると思います。したがいまして、教師の手をとり足をとる、あらゆることについてこまかく規定していくというようなことは私どもとるべきでないと思います。そういうことによって教師の創意くふうを阻害すべきでないと思います。しかしながら、そうではなくて基準的な大綱についてこれだけは守ってほしいと思うものを試案の段階からいろいろ検討をして、さらに時の動き教育界の現状等考えて、この程度はぜひ守ってもらいたいというようなことを打ち出していくのは、私ども少なくとも現在の学習指導要領程度であれば、それによって教師の創意くふうを束縛するというふうには考えません。むしろ創意くふうという名においてかつてないことをしていくという弊害もあるわけでございますので、それらを十分にらみ合わせまして現在程度の学習指導要領であればそれは守っていただく、それ以上のことは幾らでも創意くふうを働かせる余地がございますので創意くふうを働かしていただく、そういう形にすべきであろうと思います。なお教師がいろいろ意見を述べ、そうして完全なものに仕上げていきたいという気持ちは現在も変わりはございません。それは、教育課程の改定につきましては、御承知のように文部省といたしましても学習指導要領を改定するまでには大体三カ年くらいの準備期間を置いております。文部省にあります審議会の御意見も聞きますが、さらに答申をいただきましたものは公表し、それについての御意見を承る、さらにそれをもとにして学習指導要領の中間的な案を発表し、それによって意見も聞くといったような経緯をとっておりますので、今日でも文部省あるいは一部の関係者だけで学習指導要領をつくるべきものだというような考え方は毛頭ございません。
  162. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 しかし現場の先生たちがそれに多く参加したりタッチしたりするということはわりあい少ないようでございますね。私はこの間うちから現場の先生たちといろいろ話をしてみたわけでございますけれども、やはりこの法的な拘束力を持つ現在の指導要領の中でほんとうは創造性や自主性を生かすということ、これはたいへんむずかしいということを言っているわけでございます。ですから、これはやはり局長さんもあちらこちらの学校の現場の先生方と虚心たんかいにお話し合いいただきたいと思います。私はこの間県の教育委員会に参りましたが、指導課長が局長さんと同年の人だそうでございます。大村課長でございます。私はいろいろと話をそのときにもいたしましたわけでございます。そして現場の先生たちとともにいろいろ研究サークルをつぐってやっておられるという実態も聞いてまいりました。そういうことはまた次のときにお話をきせていただきながらそういう努力をどうしてやっていけばいいかということも、文部省としての考えも聞きたいと思いますけれども、きょうは時間がございませんから、いまの指導要領の中でどこまで先生の創造性や自主性が具体的に生かされるか、ほんとうは承りたいと考えるわけでございます。たとえて申しますならば、六年生の指導要領の中の社会科ではこういうことが書いてございます。日本国憲法は国家の理想、天皇の地位、国の政治の仕組み、国民としての大切な権利義務などを定めていることを理解する、こういうことが書かれてあるわけでございます。ところで、日本国憲法という中の私は三原則を考えてみますときに、抜けているものがありはしないかという感じがいたします。いわゆる平和憲法の空洞化ではないか、私が案じられるものがそういうところに出ているわけでございます。戦争の放棄については全然触れてございません。したがいまして、教科書では、教育出版でございますが、広島と長崎に原子爆弾を落としましたという一行足らずのものになっているわけでございます。ここでもし先生が平和を望む、そういう先生が時間配当ともにらみ合わせながらどの程度にこの問題が取り上げられるとお考えでございましょう。その点について、ひとつ具体的にお伺いを申し上げたいと存じます。
  163. 諸澤正道

    説明員(諸澤正道君) 私からお答えさせていただきます。  日本国憲法の教科書における記述が教師教育の素材になるわけでございますが、いまおっしゃった日本国憲法の三つの大きな特色といいますか、主権在民とそれから基本的人権の尊重、それから平和主義、これにつきましては、この指導要領の書き方は、確かに平和主義という形では出ておりませんけれども、国家の理想という形でございますね、これにございまして、実際の教科書の取り扱いにつきましても、これは見ていただきますとおわかりになりますように、基本的人権につきましてはその尊重、それから国民の権利義務という関係からの記述がございます。それから主権在民ということにつきましては、あわせて天皇の地位というものも記述してございます。それから平和主義につきましても、特に憲法九条一項の戦争放棄の精神といいますか、それを記述してございまして、おっしゃる点について、日本国憲法の基本的な性格について記述が不十分であるとか、抜けておるとかいうようなことは政治学習の部面においてはないと考えております。先生がおっしゃいますいまの原爆の問題は、おそらく歴史の学習の部面でございますですね、歴史の学習の部面で近現代史の取り扱いは、特に小学校の場合などは非常に簡潔にしてございますが、それでもいまの原爆の記述、写真等は大体各教科書で取り扱っておりますが、いまの憲法の性格とか趣旨とかいうようなものは政治の学習のところで、いま申し上げたようなところは全部取り扱っておる、かように考えております。
  164. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 私が調べましたところでは、実はそういうふうになっていないわけなんでございますね。たとえて申しますと、教育出版の教科書で考えてまいりますというと、一九五二年検定の「社会」でございますと、「八月六日には広島に原子爆弾がおとされ、八日にはソ連が参戦し、さらに九日には長崎にも原子爆弾がおとされ」云々と、こういうふうにあるわけでございますね。ところが敗戦の項のあとに「原爆の子のうったえ」というのが載っているわけでございます。それは小学校六年生の平田重子さんの手記でございますが、「とつぜん、黄色い煙がパッとおこり、なんとも言えない大きな物音がおきました。……町の方から人がにげて来ます。どの人もどの人も、だれがだれだやらわからないくらいです。やけどをして皮がむけ、それが手の先やあごにぶらさがり、顔が赤く、目も口もわからないくらいはれあがっています。町の方はまっ黒な天をこがすような煙が空をおおってものすごいありさまです。……わたしたちがにげて行きますと、道道に、もうにげる力のなくなった人がたおれています。今でも目をとじると、このときのありさまが、いろいろ思い出されて、からだがふるえるような気がします。おとうさんはそののちげんししょうでなくなりました。わたしの足のきずも、なかなかなおらないで、一年もかかりました。このようなおそろしい戦争は大きらいです。どうぞ、日本じゅうの、世界じゅうのみなさま、もう決して戦争をしないで、平和に手をとりあって進みましょう。」こういうのが出ておりますですね。ところが一九五五年の検定の「小学社会」では「この原爆の子のうったえ」はなくなっているわけでございます。そうして一九六〇年の検定の社会になりますと、内容ががらり変わっております。「広島と長崎に原子爆弾がおとされました。そこでこれ以上戦争をつづけては日本の国をほろぼすことになると、心配した天皇と重臣たちは連合軍にたいして無条件降伏をきめ……」というように変わっているわけでございますですね。こういうその変わり方、ききに私が申し上げましたように、「広島と長崎に原子爆弾をおとしました。」とあるだけになっておるわけです。こういう変わり方について、私はなぜそういうように変わっていきましたのか承りたい、こういうように考えるわけでございます。決してその説明が不足ではないというような御答弁でございましたけれども、私はこれをずっと眺めてみましたときに、ほんとうは不足しているのではないか、私たちだけが受けたこの原子爆弾の苦しみを、なぜこのような短い形に変えていかなければならなかったのかということを私は伺いたい。この前に申しましたように、核兵器の被害について、あまり言うことはよくないといったような調査官の指示も、修正例もあったということについて、私そのときお尋ねいたしました。それについては具体的なお答えがございませんでしたけれども、そういう修正例がこういう形になってあらわれたといたしますならば、私はその理由を承りたい、こういうように考えるわけでございます。
  165. 諸澤正道

    説明員(諸澤正道君) ただいまの小学校の教科書にある原子爆弾に関する記事でございますが、これは確かにおっしゃるように歴史の部分の記述でございまして、いまの憲法の関係の記述は、繰り返して申し上げますが、これは政治の学習のところで取り扱っておりますので、この面の記述につきましては、先ほども申し上げましたように、従来とも記述の主眼、内容等私どもは変わっていないというように考えております。ただ、この歴史の記述になりますと、それぞれの教科書で取り扱い方にも違いがございますので、どの教科書も原子爆弾について、そう詳しく記述しているかというと必ずしもそうではない。会社によって、いまおっしゃるように簡単なところもございますし、あるいは原子雲の写真まで載せて記述している教科書もあるというようなことで、それはやはり検定教科書として多少幅があるということではないかというように考えるわけでございます。しかし、いまおっしゃるように、しからばある特定の一つの教科書をとって、教科課程が変わると記述が簡単になるが、何か検定の際強制的にしておるのかという御趣旨の御質問でございましたが、先般も先生の御質問の中に、法律時報の昨年の八月ごろでしたかの記述を引かれまして、こういうことを検定でやっているのかというお話でございますが、実はあそこに書いてあります事例は、御承知のように非常に簡単でございまして、しかもどの教科書、どこの会社の教科書のいつの検定だかわかりませんものですから、的確につかみにくい面もあるわけでありますが、できるだけ調べてまいりましたが、そのうち、いま特に戦争に関連して、先般先生が御質問になりました平和については、戦争がおそろしいから平和をという記述はよくない、また核兵器の恐怖を強調し過ざる表現はいけないんだと、そういうことを言っているかというお話でございましたが、こういうものも私ども前の記録なり担当官の調査をいたしましたけれども、そういう御指摘の事例はないわけでございまして、いまも申しましたように現在の教科書にも、教科書によっては相当原爆に関する記述も載っているわけでございますし、またたとえば核兵器禁止運動などについてもそういう運動があるという客観的な事実の記述は、これを教科書に載せておるものもあるというようなことでございますので、文部省としては検定の際に特にそういうものをもっと簡単にしろとか載せるなとかそういう指示は一切いたしていない、かように思っております。
  166. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 それでございましたらまことにけっこうなわけでございます。  そこで、小学校六年の社会科の中で特に憲法に関係のある、いわゆる先ほどおっしゃいました基本的人権あるいは戦争の放棄、こういう項目にしぼって指導要領の考え方が教科書の内容にどう影響しておりますのか、その点を御説明をお願い申し上げたいと存じます。
  167. 諸澤正道

    説明員(諸澤正道君) 大体小学校の政治の学習で憲法を勉強するというのは、まあその憲法の基本的な性格をその年齢の子供にのみ込んでもらう、こういう趣旨でございますので、先ほど申し上げましたような三本の柱を中心にして、なお国の政治の運営というものが立法権、行政権、司法権の三権に分かれておること、あるいは地方自治の原則が憲法にうたわれておるというようなことを記述しまして、それから基本的人権にいたしましても内容のあまりむずかしいものは子供の理解を越えるおそれがありますので、これらの学習については中学校の公民的学習の分野においてさらに詳しく勉強するんだというたてまえと、基本的人権なども全部をあげるというのではなくて例示的にやるということで、中学校の公民分野の教科書を見ていただけばおわかりと思いますが、それを系統的には社会権、自由権に分けて中学校でまた勉強するという何をしております。  それからいまの平和主義の問題にしましても、先ほど申しましたように小学校段階では、日本が戦争の経験にかんがみて、もう一切戦争はしないんだという、あの憲法九条の戦争否定の精神を特に強調するということでございまして、さらに現実の自衛隊の問題等中学校ないしは高等学校社会の学習で取り扱っている。これは別に指導要領にそこまで規定してあるわけではございませんけれども、教科書にはそういう形で出てきておるというようなことで、小学校においては大体その基本的な理念なり考え方を大づかみに指導する、こういう考え方でございます。
  168. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 ところで、昭和三十二年の指導要領でございますね。これでございますと、やはりその平和の問題というのはこのように書いてあるわけでございます。「わが国の文化や伝統に対する正しい理解やこれを尊重する態度などを深め、進んで世界の平和や人類の福祉に貢献しなければならないわが国の立場について考えきせる。」こういうのが、先ほど読みました四十三年になりますと、このような書き方に変わっているということなんでございますね。ですから、こういう指導要領の書き方の変わりというものは、やはりこれは教科書の中に出てくる問題ではないかというふうに私は考えるわけでございます。いろいろ社会科の本も、歴史の本も、私は一応目を通したつもりでございます。ですから詳しいことを申し上げますならば幾らでもあるわけでございますけれども、まあ時間がまいりましたからやめます。ですけれども、この「あたらしい憲法のはなし」というのが昭和二十二年に中学一年用として文部省から出されておりますね。これが二十五年にはもう廃止になっているわけなんです。非常によくできております、この「あたらしい憲法のはなし」、これをもうお使いにならなくなった理由というのを私は承りたいと考えるわけでございます。それとも、もうこれだけたてば憲法というものがすっかりだれにもかれにも定着してしまったというふうにお考えになって、これだったらもうやめてもけっこうですというほどになったのか。それを私は実は承りたいと考えるわけでございますね。ほんとうを言えばまだこの平和憲法の趣旨というものは、それほど私たちの気持ちの中に定着しているとは考えられないわけなのです。だからこそ教科書が大事だと大臣がおっしゃいました。私もそのとおりです。教科書によって、教科書を私たちは先生とともに学びながら、教科書を通して平和憲法の精神、それを十分に理解する。そうして平和を愛することに徹する人間をつくりたい。そういうことが私たちの願いでございます。ところがそういったようなものがだんだん影を消していくというところに私は非常な危険を感じる、こういうことなんでございます。平和憲法堅持の方向教育ができますように、指導要領をも、そして教科書作成も十分配慮がいただきたい。これが私の一番申し上げたい点でございます。よろしくお願いをいたしたいと存じます。
  169. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) 「あたらしい憲法のはなし」という本が廃止になったと、そのことはもうすでに憲法の趣旨徹底が定着したと考えたのか、あるいは要らないと考えたのかといったような趣旨でお尋ねでございましたが、私どもは決して憲法のその教科書として使ったものをよしたことによって、憲法はもうこれ以上教えなくても定着したとか、あるいは教える必要ないという意味では毛頭ございません。当時の詳細は記録がございませんが、思いまするに、その当時は単元学習で、先生も御承知のように昭和二十二−二十六年までの学習指導要領は単元学習で、単元的に項目が出してあります。したがいましてそういう意味で憲法についてはそういうものを使ったものと思いますが、三十年以降ではそれぞれ単元学習でございませんで、社会科の中でいろいろ項目を示してやる。社会科の教科書は歴史的な教科書、地理的な教科書といったようなことで統廃合しましたために、その憲法だけのテキストは使われなくなったというふうにすなおに御理解いただくのが、私どもの真意でもございます。それ以上のものはございません。  それからさらに学習指導要領、先ほど諸澤審議官から申しましたが、憲法というのはこの学習指導要領がいろいろな観点から憲法なら憲法につきまして、そこにすべてを、ある科目の個所に全部そこで扱うということにいたしておりますと、非常にわかりよいのでございますが、必ずしもそのようになっておりません。先ほど先生がこの学習指導要領について日本国憲法は云々とお読みいただきましたが、あそこのところには書かれておりませんけれども、いわゆる平和的な問題につきましてはいま先生がお読みになられました指導要領の次のページのところに、この世界の平和に対する人々の強い願いや、これに努力しているわが国の立場について関心を深めきせるという項目がございまして、それの中身といたしまして、「国家間の利害の対立や紛争を戦争という手段によって解決しようとすれば恐るべき結果が予想されるので、平和な国際社会の実現が人類全体のたいせつな課題となっていることを理解すること」だというふうに、先生がお読みいただきました憲法のすぐ下なり次のぺ−ジに書いてございますので、まあこういうところで取り扱っていただきたい。なお十分先生おわかりと思いますけれども、この学習指導要領でこういうふうに書きまして、それの趣旨を生かして教師が教えていく。さらに教科書もこれから書かれておるということで学習指導要領がねらっておりますことはすべて教科書に盛っていただくのが趣旨でございますが、先ほど審議官申しましたように、教科書会社としては中身はみな盛ってはあるものの、濃淡、取り扱いは会社によって違っております。したがいまして、教師は教科書を使いまして子供の教育をしていくわけでございますが、よく先生おっしゃいますように、教科書を教えるのか、で教えるのかとおっしゃいます。まあ私どもは教科書だけ教えればよいとは思っておりません。そういう意味で教科書で教えるということがお気持ちに合えば、それでも私どもの意図は変わらぬと思います。したがいまして、一番最初におっしゃいました学習指導要領では、ごらんのように大綱的なことしかきめておりません。したがいまして、いま先生がお考えになりますようなことは、これは教師が創意くふうで相当教えられるものと思います。そういうことで、教科書の各会社によって、事項としては扱いますものの、中身にはそれぞれ濃淡がありますことと、それから憲法なら憲法という個所だけで扱わないで、いろんな関連する個所で扱っておる。さらに社会科だけでなくてその他の科目についても扱うというようなことをいたしております。先ほど御指摘の原爆の問題につきましては、かねてからそういう批判が新聞等にも記事で何回か載りました。そういう関係で私どもはたしてそんなに原爆のおそろしさというものを教えなくなったんであろうかと思いまして、私、局の者に、原爆についての記事だけをいまの教科書から抜粋して引き比べてみるようにということでやりましたが、それをつくりましたのをいまちょうど役所に置いて、ここへ持ってくるのを忘れましたのですが、こういうところで一片の答弁でございませんで、原爆につきましても、新聞等で教科書によってはごく一、二行で扱っておるというような扱い方はなされていないということだけは教科書をごらんいただいて先生にもおわかりいただきたいと思います。
  170. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 私も教科書を見たわけです。この間は私も教科書ばかりを集めております東京の国立教育研究所に参りました。そしてもうほんとうに一日がかりで教科書をその項について私も一生懸命見たわけです。ですから、いま教科書を見てくださってと、こう局長さんおっしゃいますけれども、私は私なりにやはり一生懸命見たわけです。そして私の感じた心配を率直に申し上げたと  ころでございます。どうぞひとつそういう点を十分御配慮いただきたい。私はもう二度と再び自分のかわいい教え子たちを戦争に送るようなことはやりたくない。このことはもう私はほんとうに骨身に徹して申し上げたいところでございます。ですからこそ、平和の問題をこのようにやかましく申し上げているわけでございます。どうぞひとつその点十分な御配慮がいただきたいと存じます。  終わります。
  171. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 大臣質問したいと思います。  たいへん忙しい中、この間、十七日に沖繩に行かれたというお話午前中に伺いましたけれども、十七日の何時に沖繩に着かれて、いつ沖繩をおたちになりましたでしょうか。それからたいへん短い日数の御予定だったので、その目的は何だったのか、その中で何を重点になすったかお答えいただきます。
  172. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 九月十七日大阪を七時半飛行機に乗りまして、那覇空港に十時半に着きました。それから十一時に高瀬大使を訪問して、約十分か十五分でございました。それから十一時二十分から琉球の政府主席を訪問いたしました。それから真和志中学校に到着をいたしまして、全校生徒の出迎えを受け、父兄もまじっておりました。そうして校長先生が壇上に立って文部大臣坂田道太さんがいらっしゃいましたと御紹介いただきました。私はごあいさつを申し上げました。それから各学校、真和志中学校の教室を回りました。便所も見ました。それから図書室も見ました。理科設備のところも見ました。ところが体育館プールもございませんでございました。それから、十二時十分——これはもう少し時間が延びてしまいましたが、十二時四、五十分には与那原小学校に着きまして、ここでまた全校生徒の出迎えを受けました。そうして、校長先生から一般状況の説明がございましたが、給食が始まっておりますからぜひということで、五年生の子供たちと一緒に食事をいたしまして、私も一人一人私のテーブルの子供たちに聞きまして、それから、またそこでも全校生徒にお話を申し上げました。帰りに自動車に乗るときに全校の子供たちが走り寄ってまいりまして、帰ってくれるなというくらいの気持ちでございました。私はそういうことで……。
  173. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 時間を妨害されちゃうんだな、委員長注意してください。
  174. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 妨害じゃありません。
  175. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 重点的に言ってください。
  176. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 重点的に言っております。  それから「黎明之塔」「健児之塔」「ひめゆり之塔」をずっと回りまして、十五時からPTA連合会主催でお話を四十五分ばかりいたしました。これはゆうな荘でございます。それから教育関係者との懇談会、これは琉球生命ビルでございます。ここで約四十五分間いろいろの方々とお会いをいたしました。これは向こうでいろいろな方々を呼んでおったわけでございますけれども教師会の方々とはお会いできませんでした。初めは来られるということでございましたけれどもあとでは来られませんでした。そうして十七時五十分から空港におきまして約三十分記者会見をいたしまして、そうして十八時四十分那覇空港を出発いたしまして、十時半ごろ羽田へ帰ってきたわけでございます。しかしながら、私こうやって参りますにつきましては、準備をして参りまして、施設設備等につきましてもどういうふうになっているということを調べて参りまして、それに基づいてまあ小学校中学校二つきりでございますが、高等学校見なかったのは非常に残念だと思っておりますけれども、しかし、その小学校中学校施設も一緒でございますけれども、ずっと全行程を教育長がついて回ってくれまして、いろいろその間において、お話を聞くことができましたので、第一に、やはり本土と比べて、教育条件整備がおくれておる。特に施設設備の面においておくれておる。それから体位がやはりおくれておるというようなことを強く印象を受けましたので、私としましては一日も早くこの施設設備、つまり教育条件整備というものに力を入れなければならないというふうに思ったのでございます。また、懇談会の席上におきましては、琉球大学の学長が来ておられまして、先ほどこの委員会で申し上げましたような要望等もございましたし、私の考え方も申し上げました。あるいは、私学関係の代表の方々からも意見を伺いまして、私学援助をしてほしい、人件費補助までもやってもらいたい、その点は私としても努力をしているし、私としても何とかと思っておりますけれども、率直に言ってかなり壁はきびしい。だから、その点については総務長官と帰ってから話をしたい、こういうふうに申し上げました。その他たとえば王宮の問題でございますね。あれをぜひともつくりかえてもらいたい。文化遺跡でございます首里城の正殿。それから歴史的資料館もぜひつくってもらいたい、こういうことでございます。というのは戦前、戦後のその資料が非常にわからなくなったりなんかしてはいけないので、これは貴重な資料であるからぜひつくってもらいたいというようなことでございました。  それから国体の問題につきましてもお話がございました。この点についてはわれわれのほうでもひとつ調査団を出して、そうして調査をいたしたいというふうに申してまいりました。  PTAの講演会のときにはいろいろのことについてお話を申し上げました。一つには教育の中立性の問題についてのお話をいたしました。一つにはこの教育委員会制度につきまして、やはりこれは復帰をする以上は本土でやっておりまするこの教育行政の中で一体的に考えてほしい。またそういうふうに私はいま考えておるということを申しました。  それから記者クラブにおきましては、教育委員会制度等についてかなり質問が集中をいたしました。それについての私の考え方は午前中の質問でお答えいたしましたとおりでございます。
  177. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 大臣、私の時間は三十分なんです、持ち時間。だから私が聞いたのは、いつお立ちになって、いつ着いて、どういう名目で、中心はなんだということを聞いたのですよ。一分だって済む答弁でしょう。何分しゃべられるんですか。妨害じゃないですか。委員長、ほんとうにこういう場合ちょっと気をつけていただきたいと思います。
  178. 楠正俊

    委員長(楠正俊君) わかりました。
  179. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 私はほんとうに大臣のその態度ね、ちょっと改めてくださいよ。まきに三十分の中で大臣がしゃべられるのが多いんですから。  私がその問題を取り上げましたのは、いま大臣がスケジュールどおりおっしゃいましたよ。しかし、そこで一体何が起こっているかということなんですよ。やっぱり大臣としていらっしゃったれば、いろいろのことをお聞きになるだろう。しかし現地から電話が入りました。きょう私が委員会のときに、十一時三十分に電話が入ったんです。そして現地でいま大きな問題になっている。何が問題になっているか。大臣、来ました。そうして先ほどから言われましたように真和志中学校へいらっしゃいました。その時間表、スケジュールでお読みになっているけれども、時間ずれているのですよ。実際いらっしゃったのは十一時四十五分から十二時十分ですよ。学校にいらしている間は二十五分です。まあその次の与那原小学校に行かれたのは十二時三十分から十三時十五分、その間昼食をしていられるわけでしょう。学校の人たちはほんとうに大臣とゆっくり話したい、いろいろ聞いてもらいたい、先生も聞いてもらいたいだろうし、父母も聞いてもらいたいだろう。しかし学校、たった二つ、視察なさった。しかも二十五分と四十五分、しかもそれに昼食を含めてだ。そしていろいろと言われたけれども、PTAの連合会で講演なさった。その講演なさった内容一体どういう内容を講演なさっていらっしゃいますか。そこがまた一つの問題です。そしてまたわずか一日の視察でしょう。一日の視察で効果的に視察しようと思ったら、当然琉球政府文部大臣に当たる中山文教局長にも御連絡あっていらっしゃるのがしかるべきだと思うんです。しかもその琉球新報九月二十日号を見ますと、大臣がこの沖繩へいらっしゃることについては文教局には事前に何ら連絡もなく、情報を得て文部省に問い合わせてやっと確認することができたと、こういうふうに言っていらっしゃいますよ。それから本土政府、これは本土政府沖繩事務局連絡してきたもので文教局に直接いってない。連絡していらっしゃらないわけですね。そうしてまたそこのところでいろいろ言われているその内容を見ましても、たとえばこういうことを言われているわけでしょう。沖繩教師は政治的な運動など問題の多い教師があり、教育の中立維持ということから問題である。反戦教育などと称しているようだが、偏向教育は好ましくない、こういうふうに言っていらっしゃいます。そうして車で一緒に行った中山文教局長が車の中でこういうふうに大臣に申し上げた。この沖繩の中で二十五年にわたる米軍支配下にあって沖繩では当然ながら本土にはなかったさまざまな問題をかかえながら、その中で教育を守ってきたんだ。それを、大臣の目にはそういうような苦労が映っていなかったのかと、非常に残念だと、こういうふうに大臣が一日でわっと言われたことがいま沖繩で非常に問題になって、あれは結局視察ではなくて、PTAの連合会へ行って、そうして偏向教育だという一まあ屋良さんが教職員の出身だから、だからそれに対しての選挙のチェックをするためにいらしたのじゃないかと、こういうふうにいま非常に沖繩現地ではこのことを問題にしています。だから、いま文教委員会があるということを、私の、議員の秘書ですから、だからさっそくきょうの文教委員会大臣のそういう態度、まきに大臣という資格で視察という名前で沖繩の選挙に介入したという態度、この態度についてぜひ追及のお話しをしてもらいたいと、こういうことだったわけです。だから私の言いたいことは、大臣がいろいろ問題を起こしていらっしゃるのですよ。いまの教育大問題にしたって、これから私が伺います北九州問題にしても、原因はどこから起こっているか。大臣がいまこういうふうになさっているそういうような態度、そうしてそれは個人ではなくて文部省の政策にあり、またその上の政策と、ここから原因が起きていると、そういうことからまずその沖繩での行為について、私は大臣に大いに反省を求めたいし、そういうような大臣の地位を利用しての選挙活動に利用されるというようなことがあっては、幾ら公正だと言われても、決してそれは公正だと私たちは受け取られないということをまず最初に申し上げて、次に質問に移りたいと思います。
  180. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) ちょっと、委員長……。  私は、今度の視察につきまして、選挙運動に行っておりません。この点だけははっきり申し上げておきます。あなたのほうからも向こうへも伝えておいていただきたいと思います。教育行政視察でございます。  それから中山局長は、われわれに何らその私の計画を知らせもしなかったというようなことは、私は言語道断だと思いますよ。私たちは沖繩・北方対策会を通じまして、ちゃんとやっております。それだからこそ主席もおいでになったのじゃありませんか。それだからこそ教育局長はずっと私のところを回られたのじゃないですか。一番最初のときは——あれは何だったか、議長さんか、だったか……。
  181. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 文部省に問い合わせて……。
  182. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) そういうことですよ。そういうふうに歪曲してお考えいただくということははなはだ私は不愉快です。
  183. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 私はここでかってに歪曲したのじゃないのです。現地で実際にそういう声が起こっている。琉球新報は、これは「赤旗」ではございません。一般の商業新聞です。そうしてこの人自身がそういうふうに言ったからということから判断すれば、当然私はそういうふうに考えざるを得ない。だから、そのことについて大臣にも申し上げたいと、こういうことです。大臣、すみません。
  184. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) いやそれは間違いないですよ。いま現地の新聞がたとえどうあろうとも、いま私はここで責任をもって国民の皆さんにお答えをしておる。私はそういうような教育の中立性をおかしたり、選挙運動なんかに、私は行っておるのじゃございませんよ。そうして、実際中山局長も一生懸命私に説明をきれましたよ。
  185. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 しましたよ。
  186. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) それから主席だってそうですよ。
  187. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 あとからついて行きましたよ。
  188. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) そうして、自分は御親影を奉たいして云々ということまでお話しございましたよ。——そういうようにとられて、ただ新聞でとられたのでもって、それを真実なりとしてお話しになさるということは私はいかがかと、こういうような感じがしてならない。私はほんとうに神明に誓ってそういうふうに申しておるのでございますから、どうかその点はひとつわかっていただきたい。このことだけはわかっていただきたいと思います。
  189. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 時間が進みまして肝心の問題がそらされそうになりますから、時間を大事にして、次に進みたいと思います。  初めに東京教育大学の辞職勧告の問題についてお伺いしたいと思うんです。先ほどからしばしば各議員に対して、この問題は大学自身の問題である、自治の問題である。それで、大学自治の根幹にかかわる人事の問題だ、だから慎重にやっていただきたいと、そういうふうにおっしゃっていましたけれども、慎重にやるということの内容は、まさに正確であり、事実であり、公平にやるということをきして慎重にやれというふうに受け取ってもよろしいでしょうか。
  190. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 大学として公正にやってもらいたいと思っております。
  191. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 それでは、今度辞職勧告が出ましたけれども、この辞職勧告の理由になっております入江勇起男教授、星野慎一教授、家永三郎教授、これらの方々に対する辞職勧告の理由というものが見解として出されておりますね。これをお読みになって、やはり慎重にされている、妥当なものだというふうにお思いになるでしょうか。
  192. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 入江君につきましては  「文学研究科入試延期およびその中止、授業再開の遅延などについての責任」、星野慎一教授については「文学部の一部学生の行動に対して補導を誤ったことなどについての責任」、家永三郎教授については「その行動により本学紛争を激化させた責任」、こういうふうに評議会がお考えになったというふうに思います。
  193. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 この理由が妥当だというふうにお考えになりますか。
  194. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 妥当であるか妥当でないかということは、詳細にはまだわかりませんけれども、一応大学の評議会でございますから、妥当なことを出されたものと思います。
  195. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 大学の評議会だから妥当だと思うということではなくて、大臣みずからが文部大臣の責任において、指導なさるとさっきおっしゃったでしょう。指導し、助言もできるのでしょう。そういう意味で、いまこれが大きな問題になっているときですよ。このいろいろ出されているものを、もしお読みになっていないとすれば、大臣非常に不勉強だということを私は追及したいし、そして、この内容というものが、もしもこれでも大学のものだから知らないのだと、大学がきめたことだからとおっしゃるならば、大学できめたこの事実というのが、きつき慎重にやると言われたときに私が言いましたね、事実に基づかなければならない、そして、公平でなければならない、正確でなければならない、こう言いましたよね。そうしますと、この三人に特に出されておりますけれども、これを紛争調査委員会報告——綿貫報告と言われておりますけれども、この事実——何のためにこの人を処分したかというのはずっとその報告が出ているわけです、評議会の決定というのは。そうしますと、評議会の決定に対する文学部教授会の反対行為、つまり、初めに四十二年の六月、筑波移転をしようと言ったときに文学部が反対をいたしましたように、その反対の行動をして、そしてその混乱を巻き起こしたというのが一つの事実になっているのですね。それから、今度本学紛争を激化させたこと、それから、文学部の一部学生の行動に対して補導責任がある、それから、文学部の入試の延期、中止というようなことが言われているし、四つ目には文学部の授業開始の遅延、この責任になっていますよね。そうしますと、これを調べてみますと、あの筑波移転のときに反対をした。これが紛争委員会では、こういうのがあったからということで、これを処分されているのですけれども、そのときの文学部長というのが大島さんなんですよ、その初めにやっているときには。大島さんであって、そしてそのあと星野さん、入江さんというふうにこの四つのうちを分けることができるのです。そうすると、その大島さんというのがいま賛成派に回られたから、だから、これは抜けたのだというふうにだれだって思いますよ、四つの、紛争の原因はこうだとあげているから。  時間がないから家永さんにしぼってみたいと思います。  家永さんが「その行動により本学紛争を激化させた責任」、こう言っているわけです。家永さんが一体具体的にどういうふうな行動をなさっていますか。文学部長でもないのです。文学部の教授会の一構成メンバーで、評議員でもない。それに対して、家永三郎という名前が出ているのです。これはまさに向こう側がいろいろな調査委員会でお出しになったけれども、この調査委員会に対して正確になされたという報告とは私は全く考えられない。やはり大学の一方的な押しつけを強行するのにじゃまな分子をここで切り捨てたいというふうに勘ぐられてもしようがないというふうなこの見解だと思うのですけれども、いかがでしょうか。
  196. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) やっぱり、大学で起こりましたことは大学できめるということが一番大事な点だろうと思うのでございます。ですから東京教育大学におきましては、一つの大学法廷できめられたことでございますから——模疑法廷みた  いなことをやったこともある。それからまた今度は文学部の封鎖占拠の問題についていろいろこれに対して非協力であったとか、あるいはいろいろなことがあそこでは行なわれておるわけでございまして、大学管理機関の最高の機関でございます評議会が一応、こういうような理由を発表してそしてきめるということは、よほどのことがなければ、これはやはりきめるべきことじゃないというふうに思います。そういうようなことでございますから、私たちはやはり、それ相当の理由があったのであろうというふうに思っております。しかし、まだその詳細については確かめたわけではございません。
  197. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 それ相当の理由があっただろうということは、すなわち、黙認の形でこの大学の見解というものを支持することになるのですよ、大臣。そこが問題だと思うのですよ。どうですか。私が言ったように家永さん——それはいま学術局長ちょっとおっしゃいましたように裁判ですか、法廷……大学法廷といっていた。家永さん、法廷に呼びかけた一人だけれども、それはほかの先生もいるでしょう。検問突破やったといったって、家永さん一人でやったのじゃないでしょう。ほかの人みんな一緒なんです。それに家永さんが一人あげられているというところに、そこに問題があると私は言うのです。だからそこのところはだれも納得いかないのです。そして、各紙見てごらんなさい。教科書裁判のしっぺ返しだとみんな書いているでしょう。そういうときに大臣が、静観いたしますと言っていいのですか。この前の、裁判のあと、すぐお話しになったでしょう。いろいろ聞かれて、文部省の見解として出さなければなりませんといって、いち早く通知をお出しになったでしょう。それなのに静観いたします、大学の問題でございますと言っている。このことこそが暗黙のうちにいまの紛争をますます激化させるような辞職勧告問題を引き起こしたし、この辞職勧告問題についても黙っているということは、これは無言のうちに支持するという、そこに私は文部省が、都合のいいときは静観だ、こちらに都合の悪いときには法的解釈を拡大して突っ込んでいく、そこにいまの問題があると思うのです。
  198. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) この前の家永裁判はとにかく、第一審におきまして判決が下ったのですよ。これによって相当の混乱を招くおそれがあるということを考えましたから、われわれのほうでは見解を出し、また通知を出して混乱のないようにしたい、またいろいろ不審のあるところを聞きたいというお声に対しては、この不審を払拭するという意味においてあの解説をつけたわけでございます。しかしながら、この東京教育大学の問題は先生も御承知のとおりに、去年からずっとすったもんだすったもんだやっている問題で、第三者から見るならば、一体あれは大学の先生たちのやることか、両方についてそういう意見もあるわけでございまして、そういうようなことを踏まえた場合に私は、軽率にこっちがいいとか悪いとかというようなことは、あまり言うべきじゃないのじゃないか。しかし、先ほどどなたかにお答えしましたように、やはりこの大学移転についても、あるいは大学紛争収拾についても、あるいは評議会ではさまっておるかもしれないけれども、相当に反対の意見があるのならば、そういうような方々に対して、もう少し誠意を持って説得すべきであるということが、これはほんとうに私は、次官、局長を通じて指導助言はいたしておるわけでございまして、全然何もしていないということではございません。そのことを申し上げておきます。
  199. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 もし静観なさるということであれば、一番問題は、筑波に大学を移転するかどうか、四十二年六月のときに静観されるべきだったのですよ。それについては静観ではないでしょう、マスタープランをつくったり、向こうと内々一緒になって移転の方式を、片棒かついでいるじゃないですか。そのときに静観なさればいいのに、こんなときに静観だ静観だといってもだめですよ。  それからもう一つ言いますけれども、たとえば先ほどもおっしゃいましたように、大学全体には責任があるけれども、やはり突き詰めていけば、そこの個人に責任がある、こういうふうに言われたから、だから私はその個人の中で家永さんの問題を出したわけなんですね。大学があの紛争の一番激しかったときの学長、だれですか。三輪さんでしょう。三輪さん、一日も大学に来ていないのですよ。一日も顔を出してないのです。とんでもないでしょう。全く監督不行き届きですよ、そんな大学の学長。一日も顔を出していないのです、学長になってからやめるまで。そういうことがある。そしてこれらの人たちの具体的な事実というものがはっきりしないままに、こういうふうに本人の意見を聴取する、こういう場も与えられないということでは、この見解というものは決して妥当なものだということができないということを私は言っているわけなんです。だから文部省としてもやはり指導、助言できるのだから、星野さん、大臣の先生ですってね。このお話をお伺いになって、これが慎重にということは、より正確な公平な事実に基づいてだれもが納得いくような形で、そして解決の方法ができるようにという、そういう立場に立ってもらわない限り、ただ円満に解決しろ解決しろということで、陰では静観だなんということでは、そのことこそが紛争を長引かせた責任でもあるし、また新たにここに紛争をつくり出したというふうに私は解釈せざるを得ないわけなんです。  そこできょうは、きつき田中さんのほうから出てましたけれども委員長、宮島学長に出てもらわなければだめなんですよ。大臣とやりとりしてみたってああでもないこうでもないと言うから、だから宮島学長をどうしても今度呼んでいただきたい。あとでおはかりいただきたいと思います。  私が申し上げたいのは、そういうような、まきに個人個人の教授の意見を聴取しない、その手続上でも、またその判定の内容も不明確なままにこういう勧告というものが出されて、そしてそれについていま非常に大きな問題になっているということを考えられれば、当然大臣としてしかるべき責任を持って、責任を果たしていただきたいということを申し上げて終りたいと思います、この問題は。
  200. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 四十一年のころはこちらからそういうような意見を聞こうかということに対して大学側がそういうふうにしてきめてきたということなんです。それからいろいろ問題が起きたわけでございますけれども、結局昨年度は御承知のような状況で、教育大学のみならず各大学に紛争が起きたわけです。ただ最後の先生のお話は私もそう思うのでございまして、何も私は静観しておるわけじゃない。先ほど申しましたように、次官、局長を通じまして宮島学長に対しましても、とにかく反対派を説得して、そして大多数の人が円満に新しい大学をつくるようなものに持っていきたいということはずっと言い続けてきているわけでございます。そのことだけはひとつ私申し上げておきたいし、また私としましても何も紛争が激化することを望んでおるものでもございませんし、何とか一日も早くあの紛争を解決して、そうして新しい大学をつくっていただきたい、かように考えておることだけをお答え申し上げたいと思います。
  201. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 次に北九州の問題についてお伺いしたいと思います。  もう文部省としては北九州で大量の処分が出たということについてはお調べになっていらっしゃると思うんですが、文部省段階でいつお調べになりましたでしょうか。
  202. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) これは調べるというより、北九州市のほうから報告してまいりました。日にちをはっきり覚えておりませんが、処分がありました日の近い日であったと思います。
  203. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 八月の末ごろ……。  私は今度行きまして、そして問題の高石教育長にも会ったのですよ。そして文部省に対して報告しているか、文部省のほうから問い合わせがきているか、この問題について文部省と話はしているか。してないということですね。しかし、いまお話を聞いたらもう処分の出た八月の末に話が出て、調査というものもできているというふうに、こういうふうに事実が一つ一つ食い違ってくるのですね。それでその中でなぜ今度こういうふうな妨害、大量処分が出るようになったか、その理由としていろいろビラが入っています。そうして教育委員会ではこういうふうに妨害があったという妨害の事実をあげているのですけれども、そちらのほうでお調べになってどういうふうな妨害があったというふうに見られていますか。
  204. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) 私のほうは特に調査をいたしておりません。報告を聞きました。それから報告というのは文書では来ておりません。口頭で報告を聞きました。そういう前提お話申し上げます。  妨害事例といたしましては、たとえばいろいろな部会に分かれての研修会が行なわれたようでございますが、その部会進行中に大声で関係のない本を読み上げたり、テープレコーダーを無断で持ち込みボリュームを上げて音楽を流したとか、さらに机等をかってに動かして部長などに背を向けて座ったり、一隅に集まって座ったりしてかってに話をするといったようなこと。さらに部会出席者に対して出席者名簿に署名しないように指導したり、署名ができないように妨害したとか、あるいは研修会に出てくる対象になってないいわゆる部外者が無断で部会に侵入して傍聴を強要したり、講義や、かってに発言を行なったり、いろいろなことをやったように聞いております。
  205. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 その妨害の事実ですね、これは私行って調べてみたのです。そうしたら、たとえば学校の校内放送を使って妨害したと、こういうのですね。行って調べてみました。何を放送したのと言ったら、ちょうど子供が帰る下校時間に放送しますね、その下校時間に放送するコールサインを子供がやったわけですよ。そうしたら、妨害者は子供になるのですよ。テープレコーダーというのは、たとえば私が演説をしているときに赤尾敏が軍艦マーチを流すという妨害じゃないのですね。音楽の部会で、ブラスバンドが北九州の学校で一等になった。だからこれを通して聞きましょうと、テープレコーダーを持ち込んでいた。スイッチを入れたのは六十歳ぐらいの人だ、ボリュームを上げたのはその隣の先生だ、こういうのですね。それがこっちは処分されて、こっちの隣の先生は処分してない。そうやって調べてみますと、こういうおもしろいのが出ていますね。そういうふうに事実に基づかないでこの大量処分がすぱっとやられているということで、さっき大臣の答弁の中で、ストライキによって子供が犠牲になるということは忍びないというふうなおことばがありましたけれども、これはまさに教育委員会がいままで三者で協議していたわけです。校長会と教育委員会とそうして教組側と三者で協議してそうして持ってきたのを、ことし話し合いしているその途中でもう話し合う余地なしというので一方的に押しつけてきているわけです。そうして六月一日に通知を出しているのです。四日までに名簿をあげろというのですね、校務分掌によって。そうして分掌には周知徹底きせるなんて書いてありますけれども、一日に出しておいて四日までに各先生方の所属する部会を校務分掌によってきめるときに、本人の了解を得てやるということはできない。事実見てみたいのです。そうしたら、事実そういうことはやられていない。全然もうペテンにかけて、いままでと同じようだというので名簿をとっていって、会長さんも言わぬし——何にもそういうことを言うなと言われているのですから、だからこれはしなければならないのだというふうにやられているわけです。そうして強行した。まきに先ほどから大臣言われましたし、この前の議事録を見てもちゃんと言っいてらっしゃるのですね。教育の効果をあげるためには、ほんとうに現場の教師がその現場の教師の立場で子供の状態を見ながら自主的に創意を出して、そうしてどういうふうに効果をあげるか、そこに自主的に創造的にやっていくというものがなければ、教育の効果はあがらないわけでしょう。そのあがらないようなことをやっているのです。だからこういう事件が起きたわけなんですね。こういうことについて文部省としてはやはり指導する、また勧告するというような立場にもあられるのだから、こういうことを指導なすったのですか、それともこういう妨害が起きてこういう処置が行なわれているということについて何ら見解をお持ちにならないのか、今後向こうに対してこうしたほうがいいというような、そういうようなお考えもないのか、そのことを伺わせてください。  あと一問だけです。
  206. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) まあこういう問題につきましては、いわゆるこの争いみたいなものにつきましては、両当事者があるわけでして、どちらかの当事者の言うことを聞けば他のほうが間違いのように聞こえるというふうなものであろうと思います。  したがいまして、まあ先生が御調査いただいたことを疑うわけでは毛頭ございませんが、お調べになられたのはまあ大体処分をされたりしたような側の御意見であろうと思います。また、私のほうが聞きましたのも、先生がお聞きになられたほうからは聞いておりませんので、私どもの聞いたのはそれは一方的だという前提お話しになっておられると思います。  したがいまして、まあ私どもこういう問題につきまして逃げるわけではございませんが、やはり教育行政を担当するものが責任を持って処分をしたということについては、簡単にやったんではなくて相当の配慮をもってやる。場合によりましてはこれによって不利益処分とかいろいろ訴訟も起こるであろうということを十分覚悟の上処置いたしておりますので、ただ口先で、安易に処置したものではないであろうという前提で私ども教育委員会の処置をまあ信用せざるを得ないというふうに考えます。  そういう前提におきまして、この北九州市がとりました処置は、まさにこれは奨励すべきことではございませんけれどもやむを得ない措置であろう。もっと言いかえれば、妥当な措置であって、決してまずい、間違った、文部省として何かこれに対して処分を撤回さしたり、あるいは指導をして他の措置を講じきせるようなものではなかろうというふうにまあ考えておりますので、これ以上指導、助言とかというようなことをする予定はございません。
  207. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 それじゃ、このことは間違いでもないし違法でもないし、文部省としては妥当と考えると、こういうことですね。
  208. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) 先ほど申しましたとおりですが、間違いがないし妥当だと思いますが、違法でもないと思いますけれども、違法であるかないか、これは民主主義の国ですから訴訟を起こしたい方は起こされて、そこで違法かどうかは決着つくわけですが、しかしながら違法でないという前提で十分の自信を持って処置したであろうというふうに私どもは信頼いたしております。
  209. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 そちらは一方からお聞きになりましたので、私のほうは高石教育長と二時間にわたって伺いました。そして、教組のほうからも聞きまして、一般のおかあさんからも伺いました。そして三者を合わせて見て食い違いと事実というものを見てきたわけなんですね。  それで、いま文部省としてはまあそういうふうに信じると。そしてあとは裁判所で争うと、こういうふうにあっさりおっしゃいましたね。私、ちょっとびっくりします。先ほども宮地さんの顔を見ていましたけれどもね、処分がいままで二十三万五千何百ありますと、平然として言われるのですね。そしてまたこの問題が起きて、これはあと文部省ではなくて裁判で争えばいいんだと、こういう態度です。
  210. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) いや、そうじゃないんです
  211. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 一体この間に子供がどうなっているかということを考えてほしいのですよ。私はね、——ちょっと待ってください、もう時間がないから、私、言うだけ言ってからあと答えてもいいですから。私が言いたいことは、この問題で一体何が起こっているかということなんです。教育的配慮とは一体何なんですか、文部省の言う。そして、自主性だの自発性だの何だかんだ口ではおっしゃいますけれども、その運営については、自由に発言してよろしいといいながら、その部会に入って自由に発言するということさえも押えられちゃって、そして持っていたマイクが引っぱられたから、マイクが切れてしまったという物理的な結果になっているわけですよね。こういうような非民主的なことをどんどんやっていく中で、犠牲になっているのは子供なんです。そして、その子供が犠牲になってもいいと、これまたはっきり言っていらっしゃるのです。そして、ある学校では、前日に業務命令で出ろという通知が出たから、前日に来て、それをすぐ次の日にみんなに渡していったら、子供の授業もほったらかしにして出ていかなければならない。現場教師としては忍びないことだからこれは困ると言ったら、校長先生はこう言っているんですよね、私にはどうしようもない、教育委員会の命令ですから、だから出て行ってくださいと、そして出しているわけです。ある校長先生はタクシーをつかまえてきて、もう子供のことなんかいいんだと、出しているんです。また、はっきり言っておりますよ。子供が犠牲になることは、これはこの場合当然起きてくる、しかたがないと、こう言っているんですよ。こういうふうに子供が犠牲にされて、そしてそこで何が起こっているかといえば、教師と校長との間にほんとうに話し合って学校全体の力で子供を教育していこうというそれ、全然なくなっていますよ。教育委員会の言いなりになる校長になっています。無気力な校長になっています。そして子供たちもそれを見ています。続けて言いますが、そういう教育の荒廃の中からどういう事件が起きているかということも御存じだろうと思います。  あの北九州市では、シンナー遊び、ボンド遊びというのが、もう年々急激にふえているんです。この間、汽車から飛びおりて三人死んだというあの事件ですね、中学ですよ、中学で。そうして、あの非行少年たちが女の子を連れていって、あいた教室へ連れていって暴行の実行行為をやっているんですよ。子供が見ている前で連れていかれている。だから子供がこれ、先生に言ってと叫んでいるんですよ。だけれどもその子供たちは全然先生にも連絡しないで、こわいからと逃げ出しちゃっているんですよ。一体こういう事件がなぜ起こるんでしょう。先生と子供たちと校長たちとみんな人間的な信頼があれば、目の前で連れていかれたら、先生に言ってと言われたら飛んで行く子供ができていいはずじゃないですか。そういうのができていないのです。だからこの教研という研修、教育の仕事というのは常に絶えず研修しなければならないということは当然のことです。しかしそのやり方ですよね。業務命令だと、こっちは今度自分の公的な機関でやるんだからついてこいと、こういうことでほんとうの研修ができるんでしょうか。私はこういう研修というものは、もうこういうことはやめてもらいたい。そしていまの日本の現状というものを正確に見てみれば、まきに教育の上で大きな問題になっているわけです。  そこで、ユネスコ勧告、ユネスコの教員の地位に関する、の最終報告などもいままで出ていますよね。ああいうものもほんとうに尊重して、どういうふうにやっていくのかというようなそういう文部省としての態度、姿勢、それを伺いたいと思います。
  212. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) 高石教育長にも聞いて、関係者、当事者以外の者にも聞いて公正に判断されたというお話でございますが、高石教育長が先ほど私が申しましたような妨害事例はないというふうにはおそらく先生に申し上げていないと思います。高石君はこのような妨害事件があったということに対して、他の人がそうでないということを先生はおあげになられたのだと思います。しかしながら私のほう、直接その現場を見ませんので、先ほど来申し上げておりますように高石教育長が言うことだけが正しいかどうかということは、これは神ならぬ身のわかりません。それで先生がお聞きになられたことと私らが聞いたことは当事者が違うので平行線をたどるでしょうけれども、という前提で申し上げた次第でございます。  それからさらに処分者が、午前中の質問でお答えいたしました、まあ平然と答えたということでございますが、態度がまずければおわび申し上げますけれども、こういうような、事実がありますことを私ども、私はもちろん大臣にしましてもそれは非常に何と申しますか、遺憾なことでございますし、胸を痛めるようなことで、この懲戒処分を受けた教師がこんな数字が出るということに対しましては、私どもは非常に情けない断腸の思いがするようなことでございますが、尋ねられましたので数を答えただけでございます。  それから、先生がおっしゃいますように、教師とかあるいは教育委員会とかそういうようなものがお互いにいかにも争っておるような事態が出るということはまことに益のないことだと思います。結局は子供の教育が目的なんで、子供の教育をするために行政庁におきましても、教師にしても、いろいろな研修をしたり、させたりしておるわけだと思います。したがいまして、先生がおっしゃいますことに対して私ども、少なくとも私は趣旨として先生のおっしゃることに異論をとなえるつもりはございません。子供の教育ということが何よりも一番の目的でございます。したがいまして、高石教育長のほうとしても、そのために子供の教育をおかしい方向に持っていこうとか、あるいは子供のために先生方が勉強なさることがよいと思う、そのことを妨害するというものに対してはこれはまことに遺憾なことだけれども、そういう秩序を乱し、子供の教育を十分にしようとすることを間接的に妨害する行為に対しては、これは処分せざるを得ないということで、まあことばは大げさかもしれませんが、泣いて馬謖を切るという心境でやったものと思います。
  213. 楠正俊

    委員長(楠正俊君) もう時間が過ぎておりますから……。
  214. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 大臣に最後にお答えいただきたい。こうやって教育の荒廃が行なわれている。これが一方的な命令研修である。やはりユネスコ勧告でも言われているし、世界の常識にもなっておる、先生とそして教育委員会と、校長先生ともやはり十分話し合った上でやれるような教研集会を持ってほしい。命令による、権力によるそういう教研集会というものはやめてほしいということなんです、一つは。そして少なくともこの集会の中では発言の自由ですね。どういうふうになったのだと質問する自由、そういう発言の自由というものは当然保障されるべきだと思うのです。その最後の見解をお伺いしたいと思います。
  215. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 研究集会そのものは、先生おっしゃるようにいろいろ自由に発言してやらなければならないと思うのですけれども、ただ今度の問題は、いままでやっておったものが絶対であり、これからやるのは絶対いかぬのだ、こういう二つの対立なんですね。それを相談したのだけれども、片方は全然やる気はない、こういうことなんです。ところが、日本の二十余年間の社会を考えてみますと、あまりにも思想的な基盤が違い過ぎる。つまり議会制民主主義というものの基盤が共通していない部面もあるわけです。したがって、共通した部面があるところでは先生のおっしゃるような話し合いというものが可能であるけれども、しかしそれが全く違うところではなかなかそういうわけにいかないところが出てきた。それが日本教育界の悲劇であると思っているのですけれども、しかし私たちはやはりそういう基盤は違っても、教育という、あるいは子供という、先生がるるお述べになった、そのことそれ自体は私もそのとおりだと思うのです。だからそれであるがゆえにお互い話し合いをやらなければなりませんが、同時に、先生方のほうでもあまりにも政治的な問題を教育界に持ち込まないようにつとめていただきたいというふうに私はずっと就任以来申し上げておるわけなんです。そういうようなお互いの歩み寄りによって初めて二十何年間の悲劇というものがなくなるのじゃなかろうか。お互いにそういうことでいきましょうということでございまして、そこのところの教育研修というものは、むしろもちろん先生おっしゃるとおりなんです。しかし、その研修には自主的な研修もあるが、同時に県教育委員会自体の研修もあってしかるべきだし、中央でやりますところの研修もあってしかるべきものなんです。私はそれを中央でやるとか、あるいは県教育委員会主催でやるところの研究集会は研究集会じゃないのだ、いけないのだと、こういうふうに言い切るのは、これはあまりにも常識がないのじゃないかということを、そのことだけを私ははっきりさせておきたいと思うのです。しかし研究集会そのものはやはり自主的なあるいは自律的なそういう内容のものであってほしいということを私は当然にそのように考えるわけでございます。
  216. 楠正俊

    委員長(楠正俊君) この件についての本日の質疑はこの程度にとどめます。  本日はこれにて散会いたします。    牛後五時三十五分散会