○
足鹿覺君 法案と直接
関係のないことで恐縮ですけれ
ども、非常に大事な点であります。あなた方が農協とすべて協力
関係を結んでいかれるいまの姿勢ですからね、根本の姿勢につながるので、近く政令
改正も行なわれますので、これはぜひやり直していただきたいと思っております。ぜひ御
善処をいただきたい。
もう一点は、各車協は——私のところは四千六百ほどの十五カ町村の合併地域でありますが、総代会で、約四百人の総代会でやっております。三年に一ぺんは総会を開くということになりまして、とてもたいへんですが、その総会を開けという要請もあって、いま準備をいたしておりますが、私は総会に越したことはないと思う。しかしこの総代会たるや、四百人からの各地区の総代が出てきて、いわゆる単協の執行部というものはこの総代会において追及を受けるわけです。いわゆる組合員の審判を受けるわけです。そこで各項目別に全部事前に要望や注意事項を聞き、そうして地区総代協議会というものを開いて、そこから吸い上げたものを事業計画に反映をさせて、そうしてその総会でやってもなおなかなか議論があって、総会の乗り切りというものは容易じゃない。そういうものなんですね。ところが県段階と中央段階というものは、
大臣ね、県連を構成している四、五十の組合長
会議即総会なんですね。ですから、はなはだしきに至っては、ある連合会とある連合会の二つの総会を午前と午後にやっつけてしまう。こういう事例もあるんですね。そこで組合員の総会を結集するということはなかなかできませんから、農協大会というものを聞くわけです。その農協大会というものは、定款、農協法、何にも根拠がない。
そこで、これは私の県の恥を申し上げることになって、私は実際言うことをちゅうちょしたわけですけれ
ども、ひとつ
改正のために、改革をしていくためには、どうしても私は言わなければならぬと思っておるので申し上げますが、二、三年前の鳥取県の農協の大会で、いわゆるコンピューターの導入ということを中央会が提案した。このときは役員会で検討するということで、異議なし異議なしということで、まあお祭りみたいなことですからね。表彰式やったり、いろんなことをして、これも形式化しておりますから。そこでいよいよコンピューターを導入して、電電公社と契約結んでやったら三億五千万、来年の三月いよいよ実施ということになって、一方的にずんずん進んでいる。ところが大事な県連の経済連とか、信連も共済連もみんな反対なんです。いわんや単協は反対せざるを得ない。一農家当たり八千円かかるのです。この間も私は
予算分科会で、いわゆるコンピューターを導入していく、これが一般に普及していくということはけっこうですけれ
ども、こんなに高いということは、回線のいわゆる電電公社独占からきているんだと、したがってこの回線数をもっとふやし、その回数使用料を下げなければ、とてもこれはたいへんな負担をしいることになる。しかも鳥取県のような小さなところでそういうことを思いついた。ただし、農協大会の決定をいわゆるにしきの御旗に責められると、結局押し切られそうにもなるし、抵抗もあるしするので、片方、電電公社からは契約履行を迫られる。単協や県連の、四つの県連の三つまでそっぽを向いておる、こういうことでもめ続けているわけですね。この農協大会というものは中央にもありますし、三年に一ぺんぐらいありますし、県連はたいてい年一回開きますが、何ら定款、法律に根拠のないお祭りみたいな年中行事化しておる。そこで大会の決定だというので押してくる。これは悪いとは言いません。そういう制度を置くならば、農協法そのものに根拠を置き、定款その他に根拠を置いて、少なくとも構成、運用については組合員なり構成員の総意がそこに凝集されていくような形にならなければ、公正を期することは私はできないと思う。何でも大会の決定だ、こういうことでやる、これだけが、いわゆる組合員あるいは構成団体が、その大会のときにまあ
発言の
機会があるといえばあるわけだ、しかしそれは法的な根拠はない。事業計画や収支予定を変えさせしめる何らの権限もない。そこで県連と全国連にこの大会を制度化されるか、あるいは別な
一つの単協の総代会に類するような、民意を反映するような私は運用があってしかるべきでないか。でない限り、私は今度の農協法の
改正をもってしては、農協の真の今後の魂の入った農協運動というものにならない。したがっておかしなことになりはしないか。これは
農民がよく言うんです、私に。
足鹿さん、農協の本店はどこですか。本店は単協にきまっているじゃないか。いや、いや、東京でしょう。いわゆる本店は東京、支店は県連、単協は出張所という逆ピラミットです、いまの形は。私はそう思う。そう言わざるを得ない。私自身が農協の
運営にあたって過去いろんな経験も積み、現在も関心を深く持っておりますので、
大臣は事を運ぶに非常に農協の意思ということを大事に取り扱っておられますから申せるわけでありますが、こういう形の中からはほんとうの
農民の、生きたなまの声が中央につながっていくことには、なかなかならないのではないか。その点は私は大会の制度化、あるいはこれにかかわるべき組合員の総意が事業計画や収支予定の中に織り込まれるような、いわゆるお祭りであったり、あるいは一時間や二時間の県連の総会で事が足りるような、そういう安易な
あり方というものは私は間違いではないか。私が理事者になっても、私は一日でも二日でも、論議の
対象になって、お互いがほんとうに真剣に対議をしていくということにおいて、初めて農協に魂も入り、根性は商社であっても、魂はいわゆる
農民の魂において
仕事が運ぶのではないか。どうもいまの運用状況を見ておりますと、私はここらで、農協法それ自体の法
改正はそうたびたびできぬでしょうが、運用の面で
考えることがありますし、来たるべき
機会にはぜひそういう面について御検討をわずらわしたい。そうして、農協がほんとうの
農民からたよりになる農協として再生していかなければならない、こういうふうに思います。
最近、農協と生協との提携論も出ておりますが、私は、そういう点について、
農林大臣に一度何かの
機会に申し上げたいと思っておりました。きょうは、この法案に関連してこういうことを申し上げることは、他の議員にもどうかと思いますが、非常に大事なことでありますので、ひとつ申し上げたわけでありますが、御
所見を承りたいと思います。