○
井手公述人 本日は、四十五
年度の
予算案に関しまして
私見の一端を陳述する機会を与えていただきまして、ありがとうございました。
四十五
年度の
予算案を拝見いたしますと、相当大幅な所得税減税があります。それから
法人税率の
引き上げというようなこともあり、あるいはまた国債の減額というようなことも織り込まれておりまして、
予算編成にあたって相当苦心され、
配慮された点がうかがわれまして、この点は高く評価いたします。ただ、にもかかわらず、私なりに君子の疑点あるいは注文と申しますか、そういうようなものもございますので、その点を簡単に申し上げたいと存じます。
四十五
年度の
予算案、特に一般会計の仕組みを拝見いたしますと、四十四
年度の当初
予算の
歳入額に対しまして約一兆四千四百七十億円の
歳入の
増加が見込まれるわけでございます。そのうち一兆三千七百七十億円、これは税の自然増収でございます。つまり、四十四
年度の税制をそのまま四十五
年度に適用したとするならば、四十四
年度の税収よりも一兆三千七百七十億円だけ四十五
年度は租税収入がふえるはずだ、こういうことなんです。そのほかに約七百億円の収入の
増加がございます。これは雑収入の
増加が六百二十二億円、それから専売益金の
増加が百五十億円ですか、大体これで七百七十二億でありますけれ
ども、そのほかに減少した部分が雑収入にはございますので、差し引きして大体七百億の
増加。ですから、税の自然増収の一兆三千七百七十億円とその他の収入の
増加七百億円を足しますと、ちょうど一兆四千四百七十億円、こういうことになるわけなんです。
この
増加分をどういうふうに
配分されたかと申しますと、実質減税が千七百六十九億円ですか、これは二千何百億という所得税の減税がございますけれ
ども、
法人税率の
引き上げによる増収とか、そういうようなことがありまして、差し引き減税額が千七百六十八億円、それから国債の減額を六百億、それから
財政支出、
予算規模の増大、これが一兆二千百二億、大体これでありまして、合計しますと、ちょうど一兆四千四百七十億円、こういうことになるわけです。
このような計算で一般会計のフレーム、わくと申しますか、そういうものができ上がっておりますが、私はもう少し所得税の減税額なりあるいは、したがってまた実質減税額、それから国債の減額、こういうものの幅がもう少し多くとれるのではなかろうか、こういう気がいたします。
それで少し計算をいたしてみますと、多少
数字が、算術をやりますのでなんでございますけれ
ども、
先ほど申しましたように、四十五
年度における税の自然増収、つまり四十四
年度当初
予算に対しまして、それが一兆三千七百七十億円でございまして、四十四
年度の当初
予算に計上された税収が五兆七千三百八十一億円でございますからして、この自然増収率が二三・九%ということになります。ところで、四十四
年度の
予算を編成しましたときに、関連して作成されました国民
経済計算において、四十四
年度の
経済成長率は名目で一五・八%と、こういうふうに予測されております。
経済成長率が一五・八%で、税の自然増収率が二三・九%でございますので、こういう計算は、結局税収の所得弾性値が一・五一%、大体こういうふうな所得弾性値を前提として計算されておるわけでございます。四十五
年度の税収所得弾性値は一・五一である、こういうことになっております。ところで、さかのぼりまして昨年の
予算編成について見ますと、四十四
年度の
名目成長率は一四・四%と予測されております。そうして四十四
年度の自然増収は、つまり四十三
年度の当初
予算に計上された租税収入に対しまして、四十四
年度、税制を改正しないならば一兆一千九百六億円だけふえる、つまり四十四
年度の自然増収は一兆一千九百六億円である、こういう計算になっております。四十三
年度の当初
予算における税収は四兆六千九百七十九億円となっておりますので、この場合の自然増収率は二五・三%ということになります。したがいまして、四十四
年度の税収の所得弾性値は一・七六。
名目成長率が一四・四%で、自然増収率が二五・二%でございますので、税収の所得弾性値は一・七六、こういうことが前提になって、四十四
年度の
予算というものは編成されておるわけでございます。四十五
年度の所得弾性値が一・五一、四十四
年度が一・七六、四十四
年度のほうが相当所得弾性値が高くなっておりますが、これほど所得弾性値が違うということは、ちょっと考えられ、ないような気がいたします。ですから、四十五
年度は所得弾性値を過小に見積もって税の自然増収を出しておるのではないか、こういうふうに思われるわけです。
したがいまして、かりに四十四
年度の所得弾性値丁七六というものを適用いたしまして計算をいたしますと、四十五
年度の税の自然増収は一兆六千六十七億円、こういうことになります。
政府はこの自然増収を一兆三千七百七十億円と計算しておりますので、差し引き大体二千三百億円ぐらい自然増収の過小見積もりがここに出てくるということになります。四十四
年度は現実には自然増収はもっと多くなったわけでありまして、しかし、それはまた
成長率も実は高くなったといういろいろの複雑な情勢、要件があるし、と同時に、
成長率が高くなって自然増収が最初の見積もりよりもふえたといっても、今度は減税をやったという新しい制度のもとにふえたわけですからして、そういう条件も勘案しなければならないというので、精密な計算はむずかしいわけですけれ
ども、四十四
年度一・七六というのは、これ自体が少し過小ではないか。しかし、それをそのまま四十五
年度に援用しても、二千三百億ぐらいの税の過小見積もりというものが出てくるということになります。
〔
委員長退席、藤枝
委員長代理着席〕
したがいまして、この税の過小見積もり二千三百億というものが、最初から当初
予算編成当時に考慮されておりますれば、
先ほど申し上げましたこの余裕財源の金額というものは、さらに二千三百億円だけ
増加する、こういうことになるわけでありまして、この二千三百億円が、減税あるいは国債減額、こういうところに、どのように振り分けるかは別とまして、とにかく国債減額をそれだけふやすか、あるいは減税をさらにそれだけふやすか、あるいは両方にそれを振り分けるか、そういうことが可能であった、こういうふうに思われます。
総合
予算主義ということがいわれますが、総合
予算主義と申しますと、
歳出面におきまして、すべての補正要因を当初
予算に組み入れまして
予算をつくる、したがって、もう一切補正
予算は組まない、当初
予算それ自体がもうすでに適正な
予算規模である、だからこういう適正
予算規模として
政府が出した
予算が、はたして適正かどうかを
審議してくれ、こういう形になるわけでありますが、しかし、
歳出面ですべての補正要因を組み入れると同時に、それだけではなしに、
歳入面において的確な
歳入の予測を行なって、そうしてそれを
歳出面と対応させていく、そういうことが総合
予算主義のほんとうのやり方ではなかろうかと思うのです。
歳出面だけ実際の補正要因を組み入れて計上した、しかし、
歳入面において、
歳入の予測は不十分で不正確で、そうしてより以上の税収があり得るということであっては、これは正しい的確な当初
予算、一年を通じてそれで済むという的確な
予算の編成ということはできない、こういうふうに思います。
先ほど二千三百億円の——まあ、二千三百億円というのは一応の計算でありまして、実際はもっとはるかに多い税収、財源が出てくると思うのでありますけれ
ども、それを減税か国債減額かに振り向けるべきである、こういうふうに申しましたけれ
ども、まず、減税につきましては所得税減税、絶対額といたしましては相当大幅の減税をしていただいたわけであります。しかし、さらにこの点につきましては、いろいろ課税最低限度額の問題等等ございまして、一般にこの減税が不十分であるといわれております。したがって、さらに所得税を中心として大幅な減税が望ましい。税制調査会の長期答申の夫婦子供三人の世帯の百万円という課税最低限は、よくいわれますように、あの当時の
物価を前提としておりますからして、やはり、現時点において百万円というのは、これは、税制調査会の長期答申からしても、まあ不十分ではなかろうか。したがって、その点からいっても、百万円あるいは百三万円ということは、これは控え目であって、しかも、こういう余裕財源が当然あり得るんですからして、所得税の減税はもう少し
配慮されてよかったのではないか、こういうふうに思うわけであります。
それから国債でございますけれ
ども、これは六百億減額されまして、相当の減額でございますが、しかし、本来ならば、さらに減額すべきで、極端に言うならば、
均衡予算に立ち戻るべきだと思います。なぜ、国債、公債
依存度を引き下げなければならぬかということでございますけれ
ども、これは何も、アメリカあるいはヨーロッパの公債
依存度が五%ぐらいである、したがって、欧米並みにしなければならぬという必要はないわけでありまして、欧米が五%程度であろうと四%でありましょうと、
わが国が必要に応じて十何%の公債
依存度であるということだってかまわないと思うのです。最初に、四十一年でございますか、この一般会計において本格的な公債
経済に入ってきたときには十何%の公債
依存度であったし、それはデフレギャップを補てんするために、私は当然それでよかったと思うわけです。
ところで、いま、この公債
依存度の引き下げということに、
政府当局におかれても非常に熱心であるというのは、それは将来において——近い将来かもわかりませんが、強力なフィスカルポリシーを有効に実施しようということ、まあ、持続的な
成長ということがねらいでございますけれ
ども、しかし、やがて供給過剰といいますか、そこから有効需要の不足、デフレギャップ、
不況というような、一種の
景気変動と申しますか、そういうことで落ち込むこともあり得るわけで、そういう場合に備えて、そういうことがないように持続的
成長ということをねらいとした
予算の編成でありましょうけれ
ども、しかし、そういう事態が出たときに備えて、そのとき強力なフィスカルポリシーを行なう、つまり、公債を積極的に発行する、ちょうど
昭和四十一
年度のようにでございますね。そういうことができるようにしたい。ところが、
財政法第四条によって、
公共事業費の財源としてしか発行できない。正確にいえば、出
資金、貸し付け金、
公共事業費の財源としてしか発行できない。そうすると、いまのうちに、税収が十分にあるうちに、できるだけ
公共事業費の財源としての公債の比率を低下させておかなければならない。一ころは、ほとんど、
公共事業費から特定財源を差し引いた残りに対する租税と公債との割合を見ますと、公債が八〇%をこえておる。ほとんど公債で
公共事業費をまかなっておるというような
状態であったわけです。それが今日ではずいぶん引き下げられておりますけれ
ども、それをさらに引き下げようということであって、公債
依存度、つまり、
歳入総額に対する公債収入の割合を引き下げるというのじゃなしに、むしろ
公共事業費から特定財源を差し引いた残りの金額の財源としての公債の割合を、できるだけいまのうちに引き下げておこう。そうすれば、他日相当大幅な公債をさらに発行できる。つまり、それこそ有効なフィスカルポリシーが行なわれる。そういうねらいがあって公債
依存度引き下げということが非常に熱心に考えられているのではなかろうかと思います。しかし、もしそういうようなことであれば、有効なフィスカルポリシーということであれば、このような高い高度
成長、ややもすれば
過熱をおそれられるこの
成長の時代、そうして
国際収支の
黒字基調が定着した、こういうときには、まさに
均衡予算に立ち戻るべきではなかろうか。つまり、フィスカルポリシーというのは、あるときには
黒字予算、あるときには
均衡予算、あるときには赤字
予算、こういうように
予算のバランスをある程度弾力的に機動的に運用し、操作して
景気を調整するということでありますので、このように好
景気が持続しているときに、前
年度比では減額しておりますけれ
ども、いまだ数千億の公債を抱きかかえておるということは、それ自体必ずしも的確な有効なフィスカルポリシーとは言えないわけで、もしも公債
依存度引き下げが有効なフィスカルポリシーをねらいとするならば、むしろいまのうちに
均衡予算に立ち戻るべきだ。しかし、これは、実際問題として
均衡予算に立ち戻るということが不可能であるとすれば、さらに大幅な国債減額ということが必要であり、それは決して不可能ではない。これはもっと正確に税収を予測すれば決して不可能ではないということになります。
現在では、国の
予算を編成する場合に、国民
経済計算との関連において編成されるし、それから
予算の妥当性、合理性を
政府において説明される場合におきましても、国民
経済計算との関連において御説明になっておるというわけでございますが、もしそうだとすれば、国民
経済計算との関連において、確かに論理的に間違いのない、納得のいける
予算になっておる、こういうことでなければならない。国民
経済計算を
予算の合理性の論拠として利用はするけれ
ども、
予算と国民
経済計算とは、理論的に考えていくと必ずしも斉合性がないという傾きがありはしないか。その辺、せっかく国民
経済計算をお使いになるならば、もっと緻密な計算が必要ではなかろうかと思います。
それから四十四
年度と四十五
年度とを比べてみますと、四十四
年度は、国民
経済計算において名目一四・四%の
成長率が見込まれておりまして、一般会計の規模の
伸び率はそれよりもやや高い一五・八%でありました。ところが財投、
財政投融資の
伸び率は一四%で、
名目成長率の
伸び率よりも少し低くなっております。それから
政府財貨・サービス購入の国民総
支出に占める割合は一二・三%でありまして、
名目成長率一四・四%よりも相当低くなっております。つまり、
名目成長率よりも一般会計の
予算規模の
伸び率は高いけれ
ども、財投及び
政府財貨・サービス購入の
伸び率はどちらも低くなっております。四十五
年度を見ますと、
名目成長率は一五・八%となっておりますが、一般会計の
予算規模の
伸び率は一七・九%、それから財投の
伸び率も一六・三%と、ともに
成長率一五・八%を上回っておる。ただ
政府の財貨・サービスの購入比率が一四・八%というように、この
名目成長率よりも下回っておるということでありまして、これを見ますと、四十四
年度の
予算よりも四十五
年度の
予算のほうがむしろこういう
数字から見る限りでは
景気刺激的である、そういわざるを得ないわけでございます。しかるに、四十四度は、最初の一四・四%の
成長率をはるかに越えまして、実際は一八・五%ぐらいになるであろうという
見通しになっております。これは現に今度の四十五
年度の
予算を編成するにあたっての国民
経済計算において、四十四
年度の
成長率は一八・五%ということになっておる。つまり四十四
年度の当初
予算編成のときの国民
経済計算の
伸び率一四・四%が改定されておるわけであります。したがいまして、これから見ますというと、四十五
年度が一五・八%の
成長率に終わるということは、これはとうてい考えられない。そうしますると、昨年の
消費者物価騰貴率が五・何%、六%以下でありましたのが、現在の見込みでは六%台に上昇するということがいわれておりますが、四十五
年度は四・八%の
消費者物価の上昇が見込まれておりますけれ
ども、これも当然論理的にはそれをはるかに上回る結果になると考えざるを得ないわけであります。これは客観的に
数字の上から導き出された一種の結論でございますが、やはりこういう計算も成り立つわけでございますからして、
予算を編成する場合におきましては、国民
経済計算との関連において
予算を編成するということは、それは戦前になかったことで、戦後の
一つのすぐれたやり方であり、これは
経済学の進歩とともに行なわれるようになったことでありますけれ
ども、それならばそれでやはりさらに精緻な、われわれを納得させる計算が行なわれなければならぬ、こういうことでございます。
以上、結論を申しますというと、さらに大幅な減税とさらに大幅な国債の減額、それをどっちのほうにより多くウエートを置くかということは、これは問題でございまして、
政府で計算されましたよりもより多くの余裕財源は必ずあるわけですから、それを減税と国債減額とにさらに適正に
配分されなければならない、こういうふうに考える次第でございます。
もちろん税収の所得弾性値を、故意に——と言うと語弊がありますけれ
ども、低く見積って、そして税の自然増収を過小に算出するということによって
予算の
財政支出の膨張を
予算編成当局としては防ぐ。初めから正確な収入を計上すれば、そこにそれだけの財源があるというので、どうしてもそういう財源のいわば奪い合いになって、
予算規模というものは編成当局が考える以上の規模にふくれ上がるということ、それを阻止するために税収をむしろ故意に過小に見積もるということであれば、それは
景気抑制という効果は
一つ出てきます。と同時に、それは
景気抑制という効果が出てくるのか、あるいは減税の幅を小さくするという効果になってしまうのかということが問題である。
それからもう
一つそういうことであるならば、これはもちろん絶対に補正
予算は組んでいけないわけです。適正な
予算規模にするために財源を過小に見積もったということであれば、あとで出てくる余裕財源を補正
予算の財源にして、それを
支出化してしまうということであれば、結果としては
予算規模は拡大してしまうわけです。編成当局がこれこそ適正な
予算規模であるべきだというもの以上に拡大することになるわけですからして、その場合は、そういうあとで出てきた余剰というものはたな上げしなければならぬ。つまり
黒字予算という形にならなければいかぬ。そのためには補正
予算というものを組んではならない、ということは、総合
予算主義が徹底的に行なわれるということです。しかし、総合
予算主義を主張されましてから、現実には補正
予算というものが行なわれております。絶対に補正
予算が行なわれなかった年はないわけでして、四十四
年度もすでに補正第一号は出ております。そうしてその財源のうち約二千億円ぐらいは税収をもって充てられておる。すでに四十四
年度において、当初
予算に見積もられた税収以上の相当巨額の税収の
増加があって補正第一号の財源になっておる、こういうことでありますので、もしも故意にというのか、意図的に自然増収を少なく見積もって、初めから
予算編成当局として適正な
予算規模にしたということであるならば、あとから出てくるであろうところの余裕財源はたな上げして、
黒字予算にしなければならぬ。
予算規模をふやしていけないということでなければならぬ。そういう保証はないわけです。すでに毎年補正
予算というものは出てきておる。それならば初めから一切の
歳出補正要因、それから一切の収入の面での補正要因とでも申しましょうか、そういうものをさらけ出して、そうして総合
予算主義のもとに最初から大っぴらに適正な
予算規模というものを打ち出していく。こういうことがフェアであり、また合理的である、こういうふうに思います。
それから
先ほど申しましたようなことで、一般会計や財投やあるいは
政府財貨・サービス等々の
伸び率からして相当
景気刺激的であると申しましたけれ
ども、そこには
法人税率の
引き上げというようなことがありまして、あるいはまた、国債は少なくとも六百億は減額されましたので、そういうのが今度は
景気を
抑制する要因として働く、こういうことで一応警戒中立型であるという説明がなされておりまして、そういうこともいえますが、はたして
法人税率一・七五%の
引き上げが旺盛な
民間設備投資意欲を押え得るかということ、つまりこの
法人税率の
引き上げを、
景気抑制効果を目的として
引き上げたということであると、この
引き上げではたしてどれだけの効果があり得るかということが問題にされなければならないし、そういう
景気抑制効果はそれほど大きくはないのではなかろうか、こういう気がいたします。
なお、公債の発行と関連いたしまして、
財政法第四条の規定について一言いたしてみたいと思います。
財政法第四条は、御
承知のように、原則としては公債や借り入れ金はいけないという
均衡予算主義を打ち出しておりますが、出
資金、貸し付け金及び
公共事業費の財源としてならば発行してもいい。ただし、その金額は国会で承認を得た金額の範囲内に限る。いろいろ規定はございますが、最後に、公債を発行する場合は「その償還の計画を国会に提出しなければならない。」という規定がございます。私、不勉強で
財政法第四条が要求しておりますところの償還計画というものが具体的にどういうものであるか、どの程度のことを要求しておるかということは必ずしも私はっきりいたしません。
財政法
関係の法律の先生などにお伺いをしなければならぬとも思いますけれ
ども、しかし「その償還の計画を国会に提出しなければならない。」とはっきりうたってある。この償還の計画について——まあ公債の発行は一応認めるとしても、この
財政法第四条の規定のもとに
政府がどのような償還の計画をお持ちであるか。
財政法第四条の規定を無視して、償還の具体的な計画を持たないということになれば、これは問題ではなかろうか、こういうような気もいたしますので、これは私自身のはっきりしないところでございますが、ここに疑問点として
一つ掲げておきます。
いままで申しましたように、ごく大づかみなところでございますけれ
ども、四十五
年度の
予算を一応
景気刺激的な
予算という性格としてとらえてみたわけでございますが、もしそうとしますとどういうことになるか。
先ほど申しましたように、
消費者物価は四・八%にはとうていとどまり得ないと私は思うわけでございますが、こういう
物価上昇というものが国民生活を不安定にするということは言うまでもございません。他面において所得の分配の不平等化を来たすということを注目すべきだと思うのです。ということは、つまり
物価上昇、貨幣価値の低落というものは比例課税と同じことでございまして、累進課税と違いまして、比例課税というのは、課税の原則からいいますと、公平の原則に反するものでございますが、インフレーションはこれはまさに比例課税であります。比例課税であり大衆課税である、こういうことになります。
予算全体のマクロ的なそういう性格がこういう
意味での比例課税、比例税率による課税であるということが
一つある上に、肝心の税制改正そのものを拝見いたしますると、税負担の公平の原則の貫徹ということには残念ながら失敗をしているのではなかろうか。この問題につきましては、もうすでにいろいろ言われております、来年四十五
年度の税制改正、分離課税の問題にしましても、課税最低限度額の問題にしましても、利子所得、配当所得の分離課税、源泉選択制度の改正の問題にいたしましても、その他。したがって、ここでは略しまするが、結論として、税制改正を拝見いたしますと、資産所得者層対勤労所得者層、あるいは高額所得者層対中小所得者層あるいは企業対個人、あるいは大企業対
中小企業、こういうような
関係におきまして前者に有利なこの制度であります。たとえば資産所得対勤労者所得、つまり後者勤労所得者層に有利かというと、前者に有利な制度がほとんどこの改正案におきましてもくずれていないということがいえると思うのです。税制の不公平ということを申しますと、いかにも何か青くさいような気もいたしますが、しかし不公平であることは事実なんで、やはりわれわれはこういう税制の不公平ということはもう少しそういう事実に注目し、またそういう事実に驚く必要があるんじゃないかと思うのです。少し不感症になっている傾向があるかと思います。でありますからして、あえて私は税負担の公平化は今度の改正案においてはほとんどとられていない、この点が問題である、したがいましてインフレという大衆課税にあわせて不公平な税制の体質がくずれていないということが、やはり
一つ問題にされなければならないのじゃないかと思います。
なお、今度は経費の個々の面について申し上げますと、いろいろございますが、
社会保障費、よく言われますように二〇・一%の増大ということでございますけれ
ども、これは医療費が半分以上を食っておるということで、つまり
社会保障関係費が一兆一千億ぐらいで医療
関係費六千億、その辺が問題でございます。生活保護費の中で生活扶助基準が一四%
引き上げられた、こういうことになりまして、それ自体としてはまことにけっこうでありますけれ
ども、これも国民
経済計算によりますと、四十五
年度の個人
消費支出の
伸び率は一五・九%になります。したがいまして、この一四%の
引き上げということは、全体の個人
消費支出の
伸び率よりも相当低い。こういう点からしてもまだまだこの所得格差の是正ということは必要であり、こういう面において
予算上さらに
配慮が必要ではないか、こういうことが指摘されるのではないかと思います。
それから公共事業
関係費を見ますと、これも一七・三%の
伸び率でありまして、けっこうでございますけれ
ども、肝心の生活環境
施設整備費というものはその中のわずかに六百二十八億円で、公共事業
関係費の四・三%にしか当たらない。これは少し過小ではないか、こういう気がいたします。俗に、国民生活優先主義というものが四十五
年度予算案において無視をされたという批判を新聞雑誌で見ますけれ
ども、この生活環境
施設整備費の四・三%というものは、それの
一つのあらわれと見てもいいのではないかと存じます。これからは労働力不足
経済時代に入ってまいるわけでございまして、労働力再生産のための
支出、これを単に
消費的
支出としないで生産的経費であるというふうに認識することが必要ではなかろうか。
予算を編成する場合の価値基準といたしまして、そういう価値観念の変革と申しますか、それが必要ではなかろうかと存じます。
社会保障関係費が
消費的な
支出だという観念ではなくして、あるいはまた
消費的
支出あるいは非生産的
支出であるという観念ではなくして、むしろこれからの重要な生産的
支出である、こういう考え方が必要じゃないかと思います。
少し古い話でございますけれ
ども、
昭和二十四年にシャウプ税制使節団が参りました。そして提出しましたシャウプ勧告の中に次のような一句がございます。これは
地方団体に関することでございますが、
地方団体の行政水準を
引き上げることは、
日本最大の
資源たる「国民」つまり
日本最大の
資源であるところの国民への直接投資となり、その投資は改善された
教育、よりよき健康、より大なる保証と安全、拡張された機会、拡張された機会というのはエクスパンディット・オポチュニティー、こういう表現をとっておりますが、拡張された機会の形をとる、こういうことをいっております。要するにこういうことばは使いませんけれ
ども、人間投資的な考え方をすでにシャウプ勧告が主張しております。あの当時は
日本は敗戦からまだ立ち上がれない。ほんとうにたよりにする
資源は人間だけであった。国民だけであった、こういうことで、そこに人間への、国民への直接投資ということをシャウプ使節団は強調したわけでございますけれ
ども、いまから一九七〇年代はまさに労働力不足時代でありまして、
日本最大の
資源としての国民というもの、国民が
日本最大の
資源だという認識をもう一ぺんシャウプ勧告とともに考え直してみる必要があるのではないか。そうしますと、人間への
支出はこれは投資だ。つまり行政水準を
引き上げることが、
日本最大の
資源たる国民への直接投資だという考え方、行政水準というのは、これは人間への投資でありますからして、生活環境、家計中心の
社会資本の充実、
社会資本は、生産基盤的
社会資本の充実ということもまさに必要である。持続的な
成長のためにそういう
社会資本の整備が必要でございますが、さらに忘れてならぬのは、この人間への直接投資としての
社会資本の公共事業でございます。生活環境整備のための投資これをこれからきわめて重要な投資的な
支出という観念を持って、つまり従来の価値観念とは違った観念を持って
予算を編成していく、こういうようなことが基本的に要求されるのではなかろうか、こういうふうに考える次第でございます。
長い間御清聴ありがとうございました。(拍手)