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1970-09-09 第63回国会 衆議院 文教委員会 第22号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十五年九月九日(水曜日)     午前十時三十四分開議  出席委員    委員長 八木 徹雄君    理事 久野 忠治君 理事 久保田円次君    理事 河野 洋平君 理事 櫻内 義雄君    理事 谷川 和穗君 理事 小林 信一君    理事 正木 良明君       稻葉  修君    小沢 一郎君       塩崎  潤君    高見 三郎君       床次 徳二君    野中 英二君       堀田 政孝君    松永  光君       森  喜朗君    川村 継義君       木島喜兵衞君    山中 吾郎君       新井 彬之君    有島 重武君       麻生 良方君    寺前  巖君  出席国務大臣         文 部 大 臣 坂田 道太君  委員外出席者         文部政務次官  西岡 武夫君         文部大臣官房長 安嶋  彌君         文部省初等中等         教育局長    宮地  茂君         文部省大学学術         局長      村山 松雄君         文部省管理局長 岩間英太郎君         文教委員会調査         室長      田中  彰君     ————————————— 委員の異動 七月十日  辞任         補欠選任   麻生 良方君     池田 禎治君 同日  辞任         補欠選任   池田 禎治君     麻生 良方君 同月二十一日  辞任         補欠選任   麻生 良方君     吉田 泰造君 同日  辞任         補欠選任   吉田 泰造君     麻生 良方君 九月九日  辞任         補欠選任   山原健二郎君     寺前  巖君 同日  辞任         補欠選任   寺前  巖君     山原健二郎君     ————————————— 五月十三日  一、大学基本法案麻生良方君外三名提出、衆   法第二一号)  二、公立義務教育学校学級編制及び教職員   定数の標準に関する法律の一部を改正する法   律案川村継義君外五名提出衆法第二七   号)  三、文教行政基本施策に関する件  四、学校教育に関する件  五、社会教育に関する件  六、体育に関する件  七、学術研究及び宗教に関する件  八、国際文化交流に関する件  九、文化財保護に関する件 の閉会中審査を本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  文教行政基本施策に関する件      ————◇—————
  2. 八木徹雄

    八木委員長 これより会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。山中吾郎君。
  3. 山中吾郎

    山中(吾)委員 最近の教科書判決について、これは重大な日本文教行政一つの問題を提起したと思いますので、私は、日本教育行政はどうあるべきかということを中心として、真剣に論議すべき問題であると実は考えておるわけであります。そういうことで、これは時事問題ではない、日本教育行政の変転の問題であるから、これをまじめに、あまりものにとらわれないで論議をすべきである、こういう立場から、杉本判決についてわれわれはどう考えていくかということを中心にお聞きいたしたいと思うのであります。  その前に、私まことに遺憾に思うのは、あの裁判判決が発表されたあと文部省態度であります。あのとき、私は新聞を見たときに、杉本裁判長教育に対する謙虚なあの態度家永教授のあの真摯な態度に、日本教育はまだ生きておるという感じがしたのでありますが、同時に、文部大臣及び局長のそのときの新聞でありますから真偽を明らかにしておりませんけれども、その言動はまことに遺憾である。文教の府というイメージは、国民から見れば完全に破壊をされて権力の府という感じを与えられた。当時新聞を見たときに、私は率直にその感想を日記に書いたのを覚えておるのであります。そういう意味において、これでは日本文教政策はとうてい教育的な立場において解決するめどがなくなるのじゃないか、私はふっとそのとき、文部省廃止論さえ出るのじゃないかとさえ実は感じたのであります。  その意味において文部当局にお聞きいたしたいと思うのでありますが、いま文部大臣がいないので、その直接の責任局長である宮地局長に、まず率直に心境をお聞きしておきたいと思います。
  4. 宮地茂

    宮地説明員 教科書訴訟につきまして、いわゆる第二次訴訟判決が先般出ました。この判決につきましてはいろんな感じがございましょうが、もとより私ども文部省といたしましては、直接被告でもございますし、さらに、法律の定めるところに従いましてわが国教育行政所管をいたしております文部大臣を頂点とする文部省といたしましても、この判決につきましては、一口に申しますと意外であるという感じを持ちました。しかしながら、判決でございますので、私どもはもとよりこれを、司法権の尊重、裁判権威、こういったようなことから、政府としても率直にこれを尊重していきたいという気持ちはやまやまでございましたが、判決内容はいろんな面におきまして納得のいかない面が多うございました。したがいまして承服いたしがたい、そういう感じで控訴いたした次第でございます。
  5. 山中吾郎

    山中(吾)委員 いまのことばはわりあいに穏当ですが、まことに不当きわまるような局長新聞発表があった。一番内閣の中で三権分立思想というものを尊重して、若い国民順法精神を説かなければならぬあなたなんです。第一審判決といえども、しかしこの判決にわれわれの意見の相違があるので、判決に敬意を表しながら最後までわれわれの所信を貫くためにさらに上訴したいというならばわかるのですが、あの新聞の記事とあなたの答弁はずいぶん落差がある。その一つの証拠に、あなたが通牒を出した。宮地局長の、名前通知ですが、中身表現いかんにかかわらず通牒です。あて名は教育委員会知事あてに出しておるのですが、そういう態度は、これはもう文部省イメージはつぶれたと思うのです。  そこで、大臣がいないから、これは局長名で出しておるのでまず局長にお聞きしたいと思う。局長名で出しておるので、あなたは通知と言っているが、その責任局長ですか大臣ですか、だれなんですか。
  6. 宮地茂

    宮地説明員 私ども通知通達につきましては、一応これもいろいろな法律規定に従いまして区別いたしております。先生当然御承知と思いますけれども国家行政組織法に、各大臣、各委員会及び各庁の長官は、その機関所掌事務について、命令又は示達するため、所管の諸機関及び職員に対し、訓令又は通達を発することができる。ということで、今回の私の名前で出しました通知は、命令し示達するという性格のものでございません。したがいまして、通知というふうに考えまして私の名前で出しました。もちろん大臣にも御相談し、大臣の完全な御了解を得まして私の名前で出しました。したがいまして、事務的な点につきましていろいろ問題が起こりますれば、当面第一の責任は私であろうと思いますが、大臣の了承は十分受けて出しております。
  7. 山中吾郎

    山中(吾)委員 第一の責任局長にあるとお聞きしておきます。  この通牒中身をちょっと見ましたけれども、どうも理解しがたいことがまことにあるので一、二お聞きしたいと思うのです。  全体としてまことに傲慢だと私は思うのです。これは地方教育行政立場からいいますと、教員処分の問題においても起訴されただけで休職処分にするという態度県教育委員会その他において、教員の人事について厳正な立場をとっておる慣行が確立されておる。起訴されただけです。ところが文部省の場合においては、起訴されただけでこれはやはり考えなければならぬという反省の色などは毛頭ない。第一審で敗訴しておいて、まことに不当なる判決であるということをうそぶく。さらに上塗りをして、地方教育委員会及び知事に対して、通知であろうが何であろうが、この裁判は不当であるというふうなことを周知徹底をはかるような態度、これで一体教育行政指導助言ができますか。敗訴をされてその立場に立ったときに、少なくとも家永教科書裁判そのものに、ての背後にある教育権その他の法理論は別にして、具体的に一定の修正個所を指摘をされて、そして不合格は不当であるという判決が下ったときに、その審査をした調査官その他に対して、職務の執行を最高裁判所で決定になるまでは停止するという立場謹慎を命ずるというふうなことならば、地方教育行政の実際とは合う。しかし、この通牒を出すに至っては、私は言語道断だと思う。まず通牒全体について、地方教育行政あり方と国の教育行政あり方に月とスッポンほどの差が出ておる。まず、内容を聞く前に、地方教育行政において起訴されただけで先生休職にするというふうなことまでして、三権分立精神を尊重してきておるその地方行政当局に、あなたが敗訴をしたときにこの判決は間違いであるという通牒を出したのはどういうわけか。
  8. 宮地茂

    宮地説明員 先ほども申しましたが、もちろん政府といたしましては裁判所の判断を尊重したいのはやまやまでございまするが、本判決はその基礎となる憲法及び法律解釈においてきわめて問題が多く、判決理由に述べられている教育権教育の自由、教育行政の範囲などに関する見解については国の教育行政責任を持つ文部省として納得し承服することができず、また、このようなことではとうてい適切な内容教科書を確保し、責任ある行政を行なうことができない、このように考えます。したがいまして、先ほども申しましたが、本判決には遺憾ながら服することができない、こういう観点から控訴いたしました。  そこで今回の通知でございますが、本判決内容と、文部省東京高等裁判所に控訴いたしました理由などを説明したものでございます。また、この通知を出しました趣旨は、地裁判決に対して文部省は控訴し、したがって判決は未確定でございます。一方、本件訴訟自体原告である家永教授個人教科書の検定の問題にすぎないものでございますが、判決内容を見まするに、教育行政の根本に触れる問題であり、かつ、各都道府県等においてもこの判決に対する関心がきわめて深く、さらに原告支援団体等の活発な宣伝等による教育現場混乱が予想されますので、都道府県や市町村の地方教育行政機関学校に十分その趣旨を理解させて、学校運営上遺漏のないよう措置する必要がある、このように認めましたので通知いたしました。  なお、先生のおっしゃいました職員が起訴されたとき云々という御質問でございますが、私どもは、法律規定いたしますところは、一応刑事事件に関して起訴されたときに休職にするということで民事には及ばない、このように考えております。
  9. 山中吾郎

    山中(吾)委員 変な理屈を言いますが、刑事事件とか民事事件じゃなくて、これは教育行政訴訟行政問題です。そういう区別をするというふうなことの前に、三権分立思想の上に立って、いわゆる司法当局において批判をされ、起訴されたということの事実に対する教育行政措置なんです。そういう民事でない、刑事でないという理屈をつけて、裁判が出たときにこんな通知を出すなんというふうなことは、いまだかって一体どこに前例があったのか。そういう前例はいまだかつて聞いたことがない。そうして私は、一番最初に文部省として、こういうときに国民の信頼を受ける場合については、この具体的に敗訴になった教科書を事実上審査した責任者に少なくとも謹慎の意を表せしめるというふうなこと、それなら地方教育行政とやり方が一致しておる。それを胸を張って、いかにも判決が間違いであるというような通知教育行政最高の府が出すなんということは、非常識で想像がつかない。私はまだ中身まで入っていないが、そういう態度権力の府というイメージになって、教育の府というイメージはもうつぶれると思うのであります。まことに遺憾であり、こういうことについて私はむしろ取り消すべきであると考えておるのでありますが、これが最高裁判所においてさらに敗訴になった場合については、一件どうするんだということさえ考えなければならぬ。これが行政である。地方に、混乱するなどというかってなことを考えてこの通知を出しておる局長責任は、国会において弁解答弁だけでは終わらない問題であるということを私はここで明らかにしておきたいと思うのであります。  少し内容に入ってお聞きしたいと思うのでありますが、いろいろ疑問がありますけれども、まず私がどうもあなた方の偏見教育行政偏見、偏向といいますか、感ずるのは、これはその途中を読みます。「一 判決憲法第二六条の教育を受ける権利に関し国民国家とを対立するものと考えて、親を中心とする国民全体に教育の自由があるが、国家にはいわゆる教育権はなく、教育内容に介入することはできないとする。」あと批判がしてある。国家国民対立するものとして判決を下したという杉本判決に対して、国家国民対立概念として判決を下したという断定をどこから下しているのか。国民国家はどういう関係にあるか説明してください。
  10. 宮地茂

    宮地説明員 どの個所をと申しましても、この個所であると、こう一行、二行では指摘いたしますことはなかなかむずかしゅうございますけれども、端的に申しますると、教育権なるものは親にある、親を中心とした国民全体にあるということで、国家というもの、言うところの国民全体というものは何か。私ども判決を読みます限りにおきましては、国家以外の親を中心とした国民といったような意味でいっておられるように感じられるわけでございます。私どもは、自然法的な性格として教育権が親にあるとかいうようなことは、そういう考えもございますし、必ずしもそれは否定いたしませんけれども、やはり議会制民主主義をとるわが国におきましては、国民総意というものは国会できめられた法律表現されておる。その法律規定に従って政府行政上のもろもろの措置をしていく。こういう仕組みになっておるものと承知いたしておりますが、判決ではそりではなくて、国民に、親を中心とした国民全体に教育をする権利があるんだ、それが教師に移っていくんだ、教師国民から委託されて教育を行なうんだ、こういうふうになりまして、どこまでいっても国家との関係が、遺憾ながら、私どもできる限りこの国家との関係をどうつながりがつくかということを頭に置きまして読んでみますけれども国家というものが出てまいりません。そして国家がやりますのは、教育外的事項内的事項があって、外的な事項国家がやるんだけれども、内的なことは国民がやるんだといったようなことで、そういうような観点から、どの個所にどうということではございませんが、以上申しましたようなことから、どうも国家というものと国民というものを対立概念としてとらえて論理を展開されておるように感じますので、そのような表現通知をした次第でございます。
  11. 山中吾郎

    山中(吾)委員 国家国民対立したというあの判決思想があるんだという断定のしかたは、許すことができないとぼくは思う。憲法に基づいて国民主権がある、国民主権国家である。そのもとに国民から委託されて政治を行なうについては、政治を行なう一つ基本原則としていろいろの人権規定をされておる。すべての国民は文化的に最低生活をすることができる、すべての国民はこうだ、そういう原則を含んで国会に委託をするというのが現在の国民国家考えなんです。杉本判決は、すべての国民教育を受ける権利があるという、この憲法そのもの、この国民国家基本的原則である一つの国是として、二十六条の教育を受ける権利があるんだ。それを受けて国は、能力に応じて教育を受ける機会を保障しなければならない、自由に学習するところの制度を保障しなければならぬという国の立場が現在の国家立場である。国家国民対立するという論旨がどこにこの判決の中にある。一介の局長がこの権威のある判決に対して解釈を下すに、この判決国家国民対立したと考えているという断定がどこで下されるか。そういう結論がなぜいえる。しかも教育委員会知事に対してなぜそういう通知が下されるのか、説明しなさい。
  12. 宮地茂

    宮地説明員 先ほど説明いたしましたが、しいて文章に即して申し上げますと——その個所だけではございませんので、全体の判決内容から出てくるという意味で申し上げましたが、しいてどこの個所ということでございますれば、ちょっと長うございますが読ましていただきます。「このような教育の本質にかんがみると、前記の子ども教育を受ける権利に対応して子ども教育する責務をになうものは親を中心として国民全体であると考えられる。すなわち、国民は」云々とございまして、「このような国民教育責務は、いわゆる国家教育権に対する概念として国民教育の自由とよばれる」、この教育の自由はどうも教育権利というふうにつながっていくようでございますが、ことばでどの個所かと言われますと、この個所だけではございませんが、比較的はっきりしておると思われます個所はここであろうと思います。しかし、私ども国家国民対立概念としてつかまえておるように思うと申しますのは、ただこの個所だけではございません。
  13. 山中吾郎

    山中(吾)委員 だからあなたの国家観は何なんだ。国民対立する国家というのは何ですか。国民に対する国家があるのですか。
  14. 宮地茂

    宮地説明員 私は、国家があるとか、国民があるとか、対立しておるとか、私がそう言っておるのじゃございませんで、この判決を読んでみますと、国家というものが外におって、国民全体というものがまた別におってというふうな感じを受けるということを申し上げておるわけでございます。
  15. 山中吾郎

    山中(吾)委員 あなたは現在の憲法を少しも知らないのじゃないですか。国民主権国家として第一条に規定されて、そして現在のいわゆる国家観というものがある。したがって、すべての国民は旧憲法のように臣民の権利でなくて、国民人権として規定されて、その中にすべての国民教育を受ける権利を有するという規定が出ておる。したがって、国民教育を受ける権利——教育権ということばは私正確でないと思う、教育を受ける権利学習権だと思うのですね。その学習権を保障するところに国の責任があるのだ、それを通俗的に国家教育権になるのだというようなあいまいなことば——ことば混乱があると思うのですが、その判決を読んだときにあなたが解釈しているのですよ。あなたの通知に、国家国民対立しておると考えるというふうに判決思想をあなたは断定しているが、そんな断定を下せるあなたの思想がおかしいのだ。現憲法に基づいた国家観があなたの頭にないのじゃないですか。それで局長がおっとまりになるのか。しかも判決が一応司法権に基づいて下されて、これからはさらに論争はされても、それを厳粛に受けて——この通牒を出すことさえ私は不遜だと思うのに、内容についてそういう断定を下されるに至っては、あなたの責任は重大だ。この中身そのものの中にあなたの考え司法権を無視した思想があって、新しい国家観についての考えもないと私は思うので、一例としてあげておるのです。もっとすなおに判決を読み直したらどうですか。この通牒は何らかの形においてあなた自身が解明しないと——きょうは、この質問だけで終わりにする気は私はないのですが、いまのように、国民の外に国家があるようなことを判決がいっているからで、私がかってにきめたんじゃない、それなら証明してみなさい。国民のほかに国家があるのですか。判決のどこにそういうことが出ておる。教育を受ける権利というものは、二十三条にそのとおり国民教育権だということをいっているじゃないですか。そうして国のほうは、そういう学習権を保障する責任があるという説明だけじゃないか。
  16. 宮地茂

    宮地説明員 先ほど来御説明申し上げ、また、どこにあるかとおっしゃいますから、しいて言えばこういう個所にありますと申し上げたのでございます。重ねてのお尋ねでございますが……。
  17. 山中吾郎

    山中(吾)委員 中身なんかわかっているんだ。あなたは国民国家対立考える、そういう考えだから取り消しなさいと言うんだ。
  18. 宮地茂

    宮地説明員 私が国家国民対立するというふうに申しておる……。
  19. 山中吾郎

    山中(吾)委員 あなたが解釈しているんだ。
  20. 宮地茂

    宮地説明員 通知としては、そのように判決がいっているように思われるということは確かにいっております。しかし、そのことを私が言っているのじゃないので、判決文国家国民対立概念のようにつかまえておるということを言ったわけでございます。それはどこかとおっしゃいますから、先ほど来、国民教育に対する自由というものがあるんだ、したがって、それから国家教育権というものは出てこないんだといったような個所を読み上げたわけでございます。  普通の考えで申しますと、これはすでに判例もあることでございますけれども国民総意教育に反映させる、そういうような場合には、結局、先ほど申しましたような国民一般的教育意思を、適法な手続的保障をもって反映し得るものは議会制民主主義のもとにおいては国会だけであり、そこで制定された法律にこそ国民一般的教育意思が表明されている、このように考えます。したがいまして、法律に基づいて運営される教育行政機関文部省なり教育委員会なり、こういう教育行政機関が、国民教育意思を実現できる唯一の存在であろうと思います。さらに、教育の実施に当たりますものは、こうした教育行政管理に服することによって国民に対して責任を負うんだ。私どもは、民主主義の国というものは、さらに現憲法の示しますものはそういうものであろうと思います。  そういった前提を置きましてこの判決を見ますと、この判決はどうもそうではなくて——教育権につきましては、先生がおっしゃいましたような解釈を私どももとっております。したがって、判決ではあたかもそういった教育をする権利、特に教育内的事項外的事項というもの、私どもはそういうものがあるとは思いませんが、判決はいっておられます。その場合の判決のいう内的事項国家にはないので、外的事項だけを国家が持つんだ。そう申しますと、先ほど申しましたような議会制民主主義の国で法律でやっていく、文部大臣法律規定に従って、いわゆる与えられた権限を行使していく場合に、外的事項だけであって内的事項国家にはないんだとか、そういうことは、私ども解釈上出てくる余地がないと思うのであります。しかし、判決ではそうだ、文部省にはそういうものがないんだといったようないろいろな点から、私どもが常識的に解します議会制民主主義の国とこの判決のおっしゃる点はどうも違うのではないか、こういうふうに考えた次第でございます。
  21. 山中吾郎

    山中(吾)委員 憲法構造についてあなたが少しも理解がないと私が言っておるのは、憲法二十五条、二十六条、ここに教育権生活権を並べておる。憲法二十五条には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度生活を営む権利を有する。」これは現在の国民主権思想人権思想から生まれてきた規定。そしてその次に、国はつとめなければならぬと、それを受けて国の責任が書いてある。二十六条には、すべて国民は、教育を受ける権利を有する。私からいえば、いわゆる学習権を人間の生命の発達の権利として規定されておる。その次に、国民義務教育その他についてこうしなければならない。したがって、国は国民人権に対する責任を持つ。これが国民主権でしょう。国民にあらゆる権力の淵源があるということが前文にあって、そうして現在の憲法国家観が出ておるのであるから、したがって国民教育を受ける権利があるという憲法構造を受けて、国はその教育をする義務がある、責任がある。それをかりに国の教育権というなら別である。あなたは、国の教育権教育権ということで独立してあるんだというようなことをいって、かってに国民国家対立概念のように解釈しておるということについては、ぼくからいえば危険思想だ。そういう軽率な——中身をいえばたくさんあるが、これは次の文教委員会で私は教育行政あり方としてもっと追及しなければならぬと思うのですが、こういう考えまで含んで、あなた自身の通知の中に、憲法そのものについての無理解なものを含んでおる。そういうことも含んで出すべからざる通知を出してうそぶいておることは、私は日本教育行政あり方としてまことに遺憾である。これをむしろ撤回すべきであると私は思うのでありますが、メンツその他を考えて、そういう必要はないということをたぶん言うと思う。もしこれが最高裁判所においてさらに敗訴になったときはどうしますか。それだけ文部大臣に聞いておきます。
  22. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 この通知を出しました一つの大きい理由は、控訴したということです。それに対しまして各地の地方教育委員会からいろいろ聞いてくるわけでございます。それからまた、一般の国民の間にもいろいろの考え方があるようでございます。あるいは全く違った解釈をしておる、こういうことでございまして、なぜ文部省としては控訴をしたのかその理由を説き明かす必要がある、こう考え通知を出したわけでございます。  控訴いたしました一つの大きい点は、私どもとしては、下級裁判でございましょうとも承服できますならばこれを尊重し、承服したいのでございます。しかし、これを承服できない部面がある、こう思ったのでございまして、それならば、なぜ承服できないのかということを述べることは当然だと思うのでございます。また、われわれにも、新憲法下におきましてあるいは三権分立の制度のもとにおきまして、一審で承服できない場合は控訴をするということはできる仕組みになっております。でございますから、最終結論、つまり最高裁の決定が出ませばもちろんそれに服さなければなりません。当然そうだと思います。  控訴の一つの大きい理由でございますが、学問の自由すなわち研究の自由、そして研究の発表の自由、こういう憲法の保障しておる事柄と教育の自由というものが同質である、こういうようにうかがわれる判決である。これは、私から言うとどうしても承服はできない。御承知のような最高判決も出ておるわけでございまして、なるほど大学におきましては、相手がある程度の判断、批判力を持った学生でございますので、大学内におきまして研究の自由、研究の発表、あるいは教育をする教授の場合におきまして大幅な行為の自由というものが許されるということは事実でございます。しかし、学問の自由という憲法で保障しておるそのままの原理が、あるいは同質のものが、教育の自由という名のもとに許されておるというふうには解釈はできない。いわんや高等学校以下の小中校のまだ未成熟な、批判力のない段階において、教育の自由ということが憲法に保障されておる研究の自由と同質のものとしてとらえられておるということは私は間違いである、こう思うのでございます。したがいまして、その結果はどうなるかというと、結局この判決によって小学校でも中学校でも教育の自由がある。したがって先生方は何をやってもよろしい、どういう教育をやってもよろしい、こういうことにつながっていくと私は思います。  また、一方においてこの判決は、内的事項に対して、つまり執筆者の思想の自由に抵触するというような場合、それは国としてチェックすることはよろしくない、その意味においては、もしそこまで踏み込んでくるとするならば、検定制度そのものも実は違憲である、こういうような考え方のようでございます。こうなりますと、教育基本法も憲法から出ております。そして教育基本法の第一条、目的あるいは方針とかいろいろございます。また、その中には一党一派に偏する教育はしてならないということもございます。しかし、この判決の論理を進めていけば、そして学問の自由というものと教育の自由というものが同断であるという論旨からいくならば、一党一派に偏する教育内容を持った教科書が出ましても、それは検定制度としてチェックできないのだ。したがってこれはまかり通ることができる、あるいはそれに基づいて教育ができる。いな、あらゆる教科書があっても、それ以外にどんな教育でもやってよろしい。たとえば福岡の伝習館高校において行なわれましたような、もうほかの教科書を一切使わぬ、あるいは毛沢東思想というもの、おそらく毛沢東語録を中心としてでございましょう、それに基づいて教育をやるという場合に、これはよろしいんだ、こういうような形に誤解をされている、こう思うのでございます。私は、やはりそこまでいくべきものではないと思うのでございます。したがいまして、確かに、いま局長が申しましたように、世間では国家教育権があり、あるいは国民教育権がありというようなことで断定してしまう。いろいろな議論が行なわれております。しかしながら、もちろんこの判決には「いわゆる教育権」なるものが、こういう「いわゆる」ということばを確かに使ってございます。でございますが、それは親の子供に教育を受けさせる権利でありますし、また同時に、それに対しまして国は責務がある、その責務の保障の内容が、いま局長から申しましたように、議会制民主主義におきましては憲法あるいは教育基本法、あるいは学校教育法、あるいはそれに基づきました検定制度、基準、そういうような一連の法規に基づいて教育がなされなければならない、こういうことであろうかと思うのでございまして、国はその責務がある。それが国民から負託をされておる。少なくとも近代社会においては、そういう形において教育を受ける権利国民にある、こういうふうに解釈しなければならないんじゃないかというふうに思うのでございまして、その点はやはり明らかにして混乱を防ぐということは、文部省としては当然なことではなかろうか。この判決におきましては、何だかそこが、教育内容までも触れてくればこれは違憲である、誤字誤植までは検定制度はいいけれども、そこまで踏み込んでくれば、もはや検定制度は憲法違反なんだ、こうなりますと、一方の人たちから言うならば、実質上は検定制度はもうなくなったんだ、この判決はそういう判決なんだ、そういうような誤解を生んで、現場におきまして混乱を起こすということが考えられるわけでございまして、そうじゃないんだ、われわれの解釈はこうなんです、それは控訴をして決定をしていただくんだけれども、その間はとにかく現制度というものをやはり維持していかなければならない、こういうことを通知によっておわかりいただくようにする、またそういう責務がわれわれにはある、こういうことで通知を出した次第であります。
  23. 山中吾郎

    山中(吾)委員 判決発表当時は、文部大臣も相当興奮しておったと見えて、はなはだしく不当だと権力の府のようなイメージ国民に与えましたが、きょうは少し冷静に、冷静を取り戻して答えておるようですが、こういう論議でないといかぬと思うのです。  それで、いまの国の教育権あるいは教育の自由、あるいは検定制度、これは国会においてもっと深く議論をすべきものであって、判決が出たときには興奮をして不当であるといって終わる問題ではない。真剣に日本教育行政あり方を、憲法教育基本法のもとにおいて私は論議すべきであると思う。そこで、これはきょう限りにすべきものではない、七〇年代の教育行政あり方の問題として論議を続けたいと思います。  そこで、ただ一つ、きょう与えられた時間の中で質問をしておきたいことだけ簡明に質問しておきたいのですが、学問にかかわりのない教育はないと思うのです。小学校、高等学校を含んで学問にかかわりのない教育はない。学問というものは真理を探求するものであるから、したがって、真理に基づいて教育をする自由、これは幼稚園から高等学校を含んでなければならぬと思うが、いかがであるか。
  24. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 まあ教育というものと学問が無関係なんということは、毛頭考えてないんでございます。大いにかかわりがある、こういうふうに思います。ただしかし、真理と申しましても、たとえば物理、化学といいますか、そういう自然科学的分野においては、わりあいにきめやすいはっきりしたものがある。自然科学の分野においても真理と思いましたのが、ある時代を経ますとそれがくつがえされるということがあります。でありますから、厳密にいいますと、一般的に認められた、客観的に認められた真理、こう言うべきだと思います。ところが、社会科学あるいは人文というような問題これになりますとそこのとこの断定が非常にむずかしくなってくる。特に歴史というもの、過去のものについてはかなり客観性がございますが、現代の問題ということとなりますと、これはなかなか判定がむずかしい、そういうことが言えると思います。しかしながら、その真理を求めていくというそのことに関する限りは、仰せのとおりだと思います。
  25. 山中吾郎

    山中(吾)委員 真理に基づく教育の自由は、これは大臣が言われるように当然考えなければならぬ。そのことは重大なことであるので、少なくとも権力からの自由という保証がないと、真理を追求し真理による教育ができないから、ここにいろいろな問題が出ておるのです。この辺はあとでもっと突き詰めていきたいと思う。  そこで、具体的にむずかしい論議をする時間がないので、家永教科書の中で、検定制度の運用の問題と考えてもいいのですが、具体的な不合格部分の中に、神武天皇以後の天皇数代の間の記述は史実に合わないという学問の研究の成果を家永さんが自分の教科書の中に規定したものを、不正確な記述として不合格の理由にしておる。これはもういま言った歴史であって文学でないのでありますから、歴史的事実からいって、現代の学者がだれ一人となく、神武天皇から数代の記事は事実に合わないということが一つの学問成果として定説になっておる。それを不合格にしておるという点については、これは文部省教科書調査はまことに不適当であり、こういうものを不合格にするに至っては担当者は職務停止をすべきだと思うのですが、これはいかがですか。
  26. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 今日争われておるのは三件六カ所、その中の一つに、たとえば日本書紀とか古事記とかいうような点について、古事記一つ取り上げましても、あれはすべて天皇制といいますかあるいは御歴代の、「すべて皇室が日本を統一してのちに、皇室が日本を統治するいわれを正当化するために構想された物語である」、こう書いてあるわけです。私は、この古事記というものがそういうものではないとは申し上げないので、「すべて」という、その「すべて」と断定されるところは客観性がないのじゃないかというふうに私は思います。むしろこれは稗田阿礼その他による口誦を記述した、あるいは民話その他を取り上げた。また山中さんも古事記全部お読みになったと思いますけれども、そういうふうには書かれておらない。そこに古事記の意味というものがあるわけなんです。むしろある一時期にこの古事記を、日本書紀を利用した時代はございますけれども、しかし、古事記そのものを歴史的に見る場合は、そういう見方だけでとらえるべきものではないということが、私は一般的な考え方であるというふうに思うのでございまして、ここの記述にあるような「すべて皇室が日本を統一して」とか、あるいは「いわれを正当化するために構想された」ものである、そうではないと私は思う。それはむしろ山中さんもお認めいただけるだろうというふうに思います。むしろ古事記そのものは、確かにそれまでのいろいろの部族があって勢力を争っておって、そうしてそのときにようやく統一をした、その統一をした苦心物語、苦闘物語、あるいは統一した日本民族のそういう歩みというものをあの時代としてよくあそこまでまとめ上げたものである、こういうふうに見なければならぬのであって、よその国で千何百年前に、あるいは千三百年ぐらい前でございましょうか、にああいうようにまとめられたものというものはなかなかないわけです。これはやはり日本民族の一つの遺産として守っていかなければならぬ。しかし、この解釈というものは、やはり客観的な、学問的な、あるいは教育的な配慮のもとに取り扱わるべきことが正当であるというのでございまして、先ほどお尋ねのようなことを、われわれ調査官が否定をしておるとかなんとかということではございません。そのことでもってこれは不合格といたしたわけでございます。家永さんが、一九六八年だったと思いますけれども、「ヒストリー・オブ・ジャパン」というものを外人向けに書いておられます。これにはかなりモデレートに書いておられますので、どうしてこのような記述をこの教科書においてやられたのかというような気がして私はならないのです。  そういうようなことを考えまして、これはやはり不適当だということを指摘したのは当然かというふうに考えておるわけでございます。
  27. 山中吾郎

    山中(吾)委員 判決文の中に家永教授が証言したことばを引用しておるのですが、「古事記、日本書紀、これは貴重な古典であることは申すまでもありません。しかし」、「古事記、日本書紀は貴重な古典でありますけれども、それが客観的史実でないということははっきり認識させておかなければまた大変なことになると思います。」これは歴史学者として当然なんです。「ここに「すべて」ということばを使っておりますが、それはストーリーの骨組」について申し上げておるのであって、「個々の構成要素がということではないのであります。」というふうに、学者として正しく裁判判決に言って、そして裁判官はこれを受け取っておる。私は、この教科書についてこれを不合格にするということについては、文部省の検定制度運営に重大なる欠陥があると思うのである。ことに三十数年前、私は思い出すのであるけれども、当時国家統制の一番強い直轄学校であった東京の高等師範の歴史の授業の中で、神武天皇以下数代に日本書紀の記事がほとんどない。そして各天皇の年齢は百数十歳になっておる。これは、この間にいわゆる中国の辛酉革命の思想に基づいて、推古天皇の六年、いわゆる「かのととり」という年を基準として一蔀二十一元、千二百六十年ごとに革命があるという向こうの思想で、その当時国家紀元というものをあと教育的につくろうという意図のもとに、千二百六十年さかのぼって神武元年になっておる。これはもう定説だということで、文部省で当時の超国家主義のもとに尊重された峰岸教授がこのとおりであって、史実に相反するが、これは学問として皆さんにお伝えする、しかし教壇でそれを言えば首になるから言うなというふうなことまでいわざるを得ないのは、三十数年前の話だ。そういう学問的にすべての学者がこれを認め、当然のことになっておることを教科書に書いたものまでをかれこれといじくって不合格にするなんて、一体文部省の検定制度の運用が正しいと思っておられるか。もってのほかだと思う。
  28. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 それは今度の判決をよく読んで、それから具体的に問題になった点とは離れた議論なんです。そう私は思うのですよ。というのは、われわれの取り扱いは、今度のたとえば新しい小学校教科書が来年から使われるわけです。それをごらんになって——ごらんになったと思いますけれども、この神話の取り扱いというものと史実というものは、はっきり認識をしておる、われわれの調査官もみんなそれをはっきり認識してやっております。そういうような客観性のないものは取り扱っておりません。神話とそれからそうでないものとをはっきり区別しておる。しかし、日本の古事記の場合は一応そうでございますけれども、いろいろ史実とかかわり合いが非常に深いということは、日本の古事記等の特徴だと思うのです。よそのギリシア神話その他と多少違うものじゃないかというふうに思います。しかし、われわれの取り扱いとしてはお説のとおりに取り扱っておるのでございまして、またこれからもそうしてまいりたいと思っておるわけでございます。
  29. 山中吾郎

    山中(吾)委員 神話は神話で取り扱ってけっこうであるし、当時の民族のものの考え方を表現したものでけっこうである、そのとおりでいいのです。高等学校の歴史の教科書であるから、歴史的事実として日本のすべての学者が例外なく認めておる史実を前提として編さんをした教科書に、そういう客観的な歴史的事実を述べることはよろしくないというふうな行き方の不合格、これは許されないじゃないですか。
  30. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 たとえば具体的に、どこの教科書でいまお話しのようなものが出ておりますか。それをひとつお聞きしたいのですよ。
  31. 山中吾郎

    山中(吾)委員 いま家永教科書の話をしたのであって、「「神代」の物語はもちろんのこと、神武天皇以後の最初の天皇数代の間の記事に至るまで、すべて皇室が日本を統一してのちに、皇室が日本を統治するいわれを正当化するために構想された」、これは客観的事実です。これを知らしめることによって、日本国民思想教育的にいってどうして悪くなる。これが歴史的事実じゃないですか。
  32. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 ここで問題になっておりますのは、「すべて皇室が日本を統一してのちに、皇室が日本を統治するいわれを正当化するために構想された物語である」ということ、「すべて」ということ、あるいはこれを「正当化するために」という、ここと全体としてのことが、私としては古事記、日本書紀というものの取り扱いとしては客観性がないというふうに申し上げておるわけです。
  33. 山中吾郎

    山中(吾)委員 そこで家永氏が裁判で言った、さっきぼくが読んだけれども、「古事記、日本書紀、これは貴重な古典であることは申すまでもありません。」しかしながら、「古事記、日本書紀は貴重な古典でありますけれども、それが客観的史実でないということははっきり認識させておかなければまた大変なことになる」、それはそのとおりなのです。学者がはっきり言っておる。そしてそういう日本の歴史の発展は、古事記、日本書紀そのものが当時の民族の思想として文学としてはけっこうであり、また考古学によってそんな千年どころじゃなくて、一万年も前から日本民族の発展があるということの科学的な説明の中から、科学に開かれた民族の精神が発展すると思うのです。こういう判決までの経過を含んで、具体的に家永教科書を不合格にした点は、まことに歴史の教科書として不適当であるということ、そんなことにまで文部大臣がこだわって、そしていや、これを不合格にしたのは妥当である、あなた本気で言っているのですか。
  34. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 私は、私の乏しい常識から申し上げておるのですけれども、しかし、だれが考えてもそうだと思うのです。家永君が裁判所で言ったような事柄がこの教科書——それならそれなりに私は価値があると思います。しかし、それが大学のいわゆる学生を相手にした一つの講義としての話なら、私はけっこうだと思う。しかしながら、まだ未発達の——このごろだいぶ発達をしてきたといいますけれども、高等学校教科書に適当であるかどうか、ここにもやはり問題があるのじゃないか、こういうことは言えると思っておるのでございます。そういうような書き方ではやはり誤解を生む、こう思うのでございまして、むしろそうではないのだという、先ほどお述べになったようなことが教科書に書いてあれば、まだわかるわけです。ですけれども、こういう記述というのは、やはりちょっと誤解を生むというふうに思います。つまり適当でないということですよ。適当でないから合格ではなかった。しかもこれは御承知のように……。(山中(吾)委員「そんなことで不合格なんて……」と呼ぶ)  もう一つ申し上げたいことは、三百カ所もいろいろ問題点があった、そのうちで九十七カ所か九十八カ所みずから認めて——誤字誤植によるものかしれぬが、誤字誤植でも、九十七カ所も九十八カ所もあるような教科書がいい教科書とは私は思いませんよ。そしてあと二百カ所というものは、いろいろ問題はあったけれどもそれに承服して、一応検定は合格したわけですよ。しかし、その中からまたこれを取り上げてどうですかと聞いてきた。したがって、いや、この前のあなたのお書きになった教科書のほうがこの改訂のものよりもベターでございますよ、こういうことを言ったにすぎないのです。私はそう思う。そういうことで、まずもって全体の母体になった教科書が三百カ所以上も問題点があった。そして著者自身が九十七カ所もみずから誤字誤植——私は誤字誤植の類は、一カ所だってこれは検定官によって調査をしてやられるべきものであって、一、二カ所というのならまだしものこと、九十七カ所もあるなんという教科書がいい教科書なんて言えるはずがないと思うのです。その辺をなぜよくお考えいただけないのか。また、問題になっておることも、それ自身は私はおかしいと思うのです。教科書というものは学術論文じゃないのです。だから私は申し上げますが、この判決文の中に、一般国民よりもすぐれた著者は研究者であるという断定が行なもれておる、これなんかは一般国民をばかにした事柄ではなかろうかと私は思うのです。なぜ一体研究者だけがすぐれた執筆者ですか。これは山中さんはもう現場を知っておられるから、おわかりだと思う。たとえば世界的な英文学者がおられて、そしてその人は客観的に世界的に英文の学者として認められておりましても、その人が書かれたものが直ちに中学校の英語の教科書として妥当であるかどうかということは別問題です。これは何もその人の思想がどうだこうだという問題ではないと思う。やはり心身の発展段階に応じて、この教科書には、むしろ現場の中学校先生や高等学校先生とかいうような人たちが集まって、そしてそういうような学説に基づく編集者のあれを練りに練って、そして方法論等を考えながら与えていくということが非常に  そうは書いていないのです。読んでごらんなさい。ですから、私から見ると、大学の研究者だけを頭に置いて、心身の発達段階云々というものは、ことばとしては考えておられますけれども、今度の判決は心身の発展段階ということを忘れておる。あるいは現場の先生というものがいかに教科書をつくる場合においては大事な役割りをなしておるかということ、現にいい教科書として使われておるものは、多くは現場の先生の意見を聞いて取り扱われておると思います。そしてその観点に立って、心身の発展段階に応じてこのような事柄を、小学校に述べる場合、中学校に述べる場合、高等学校に述べる場合においてはどういうものがいいのかということで非常に調査官は苦労をしておる、こういうことでございます。苦労をして、ほんとうに校正によって誤字誤植も一つもないようにしているにもかかわらず、この間参議院で指摘をされましたような、公害問題についてもう完全に公害がなくなった、ところが事実はまだなくなっていないのに、書かれておったことを見落としておるわけであります。人間のやることでございますから、神さまではございませんからそれは間違いもありましょう。しかし、われわれ文部省としては、誤字誤植も一つでもなからしめる、あるいは事実についても間違いのないようにと思って、私精一ぱいやっているということをひとつ……(「その検定が間違いを起こさせるのだ」と呼ぶ者あり)ですから、私から言うと、人間がやることでございますから、間違いが全然皆無だとは申しません。しかし、正当な、一貫性を持った検定をやろうというふうに努力をしておるということはお認めいただきたいと思いますし、この判決そのものは、私はやはり検定制度というものは認めておるというふうに思っております。しかし、ただその運営その他について、もしベターなものがあろうとするならば、そういうことを変えることにはやぶさかでないということは、この前の参議院でも申し上げたことでございます。
  35. 山中吾郎

    山中(吾)委員 話を少しすりかえたので困るのですが、教材の心理化、心理の発達段階で心理化をして、発達段階でわかるようにするということは当然な話です。教材の心理化の問題なんですから、それはそのとおりで、おっしゃるとおりです。ただ英語の教科書を持ってきたって、いま歴史の教科書、しかも高等学校の生徒に対する教科書なんです。中学校じゃないのですよ。歴史的事実というものは客観的に説明しなければ、子供は、先生はうそを言っているんだとわかるんだ。そういう高等学校の歴史の具体的な教科書について、神武天皇以下数代の史実では、古事記、日本書紀に書いてあるのは史実ではない。しかし、古事記、日本書紀の古典としての価値はとうといから、これは尊重するんだという立場をちゃんとわきまえてこの編さんはされているのである。私たちが教壇に立っても、昔は神代のことを事実のように書いているから、私らは飛ばした。教育する者の良心として、文学ならいいんですけれども、歴史の場合はうそは教えられない。そういう、もっと現実の教育立場考えて、この教科書考えるべきである。誤字、脱字というのはないほうがいいにきまっておるからそうなんだが、しかし、教科書観というのも、私は教科書を教えるのではなくて、教科書で教えるのであって、英国のように、この教科書に間違いがないのですか、あれば指摘しなさいという教科書の使い方もしておるわけです。何か文部省教科書観、検定制度その他に大きな間違いがある。  私は、この基本的な問題を論議する時間がどうもないようですから、次に譲るつもりでいま質問をしておるわけでありますが、少なくとも具体的に歴史の教科書、しかも高等学校の十七、八歳の、十八歳で選挙権を与えようという世論の起こっておる発達段階の青年諸君に対する歴史の教科書において、上代における歴史的事実でないということを書いておるものについて、不合格の要素の一つにするという検定の運営については、これは改正すべきである。あなたは英語の教科書を持ってきたり幼稚園と小学校も含んで発達段階の話をしたりしておるので、論理をすりかえて、わけのわからぬような話になってしまっておるが、とんでもない、もっと具体的にこの教科書の話をして、誤字、脱字は回せばいいし、みな直しているじゃないですか。これを不合格にしているということは、やはりこの内容的な歴史的事実を曲げて書かなければ不合格にする指導があった。そういうことが裁判にまで問題になって、裁判になっただけで、文部大臣のもとにある教科書審査の運営について反省しなければならぬと思うのでありますが、そういうことよりも、弁解がましいことばかりを言って、すなおに日本の真実を媒介として人間形成をする、そういう立場の本質に返らない。教育基本法の前文に、「真理と平和を希求する」国民を形成するということを教育基本法そのものに規定されて、憲法自身は普遍的原理に基づいて、われわれがこの国家組織をつくっているということさえ書いてある意味において教育憲法なんです。そういう教育基本法のもとにおいて教育行政をなさっておるあなたが、いまのように論議されるということは、私はずいぶんズレがあると思う。もう少しものごとにこだわらないで、日本教科書観というものも含み、あるいは国民教育を受ける権利という基本的人権を基礎にしながら、教育行政あり方をもっと根本的に検討すべき問題である。この裁判を契機として、私は、裁判が勝つか負けるかというその辺の勝負ごとでなくて、教育基本法に基づいた日本教育行政を根源的にどうするかということをもっと真剣に論議する、問題にしてもらわにゃ困る、そのつもりで論議を進めたいと思います。
  36. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 私は、あなたのお話のところに限定してお話をしておるわけなんですよ。それは、古事記というものは神話として取り扱っているわけでしょう。私は神話として取り扱っているのですよ。だから歴史的事実としてじゃないということは、はっきりしているわけですよ。その場合に、高等学校の段階にこういう記述があるということは、古事記というものの古典性ですね、あなたの古典として大事だという一面が、逆に子供たちに伝えられるおそれがあるのじゃないか、こういうことです。
  37. 宮地茂

    宮地説明員 大臣のおっしゃいました点を多少補足さしていただきます。  山中先生、記紀のことを言っておられました。また、戦時中のある学者の説もお引きになられました。その点は、私ども、今回の歴史教科書ではそういう点を問題にしておるわけじゃございません。  それで、先ほど大臣からも何回か申されましたが、すべて構想した物語だ、さらに構想しておる、すべて構想したのだ、それからすべて皇室が日本を統治するいわれを正当化するために構想したのだ、構想というのはつくり上げたのだということですが、その点につきまして、これは検定基準で正確性に欠けておる、先生は真実とか真理しかおっしゃいますが、これは真実、真理でないということを申したわけなんです。すべて全部がこうだ、これはまあここは法廷でもございませんが法廷ではずいぶんその点の論争もございました。  で、私どもが、この教科書調査官がそう申します場合には、一調査官の説——家永先生もえらい先生であるが、うちの調査官もえらいのだからといって、うちの調査官だけの主観ではございません。その場合に聞きましたのは、家永先生の著書には、この辺のあたりは津田左右吉博士がすでに言っておられるといったようなことを、これは法廷でも言っておられるわけであります。ところが津田先生自身が戦後自分の学説がどうも誤解されておるということで、これは昭和三十四年の月刊雑誌「歴史教育」七巻五号にそのことを言っておられるのです。「いわゆる記紀に関する拙著は、今日でもなほ多くの読者によって著作の主旨を誤解されてゐるやうに思はれる」といったようなすとで、いろいろ言われて、「拙著の考を政治権力者が皇室を権威づけようとする政策上の目的を以て、故意にでっち上げた虚偽の物語である、といふ風に解せられてゐるやうに見える、」これは誤解だというふうに津田先生自身が言っておられる。家永先生は、津田先生が言っておられるじゃないかというのは、すべてこうこうだということを言っておると言われるのですが、津田先生はそうじゃない、自分の説を誤解しておるのだということをまた別の個所でも言っておられる。  さらに、これは「中央公論」の二十七年一月号ですが、特集記事で「偽らぬ日本史・第一回・神武天皇」、その中に井上清日本学術会議会員、東京大学助教授井上光貞、史料編纂所所員川崎庸之その他いろいろな人が、またそのことにつきまして、いろいろございますが、たとえば「ハツクニシラス天皇とよばれるに値した仕事をした天皇なり、国家組織なりが存在したことは、動かすことのできない史実である。したがって、架空の物語として、神武およびその他の天皇の記事を否定し去ることは、正しい学問的立場とはいえない」、こういうふうに、多くの古代史の学者がそういうふうにも言っておられる。  さらに、神話学の大家である松村武雄博士によりますと、途中省略しますけれども、「かやうに究明して来ると、記・紀の古典的体系神話の本幹をなすところの皇室神話プロパーをば、その全面に亙ってonce for allに、しかも頗る後代に形成されたとする見方は、客観妥当性に欠けてみるとしなくてはならぬ」。  こういうふうに多くの学者がいろいろ言っておられるにもかかわらず、そうじゃない、すべてこうなんだと家永先生が言われるのは正確性に欠けておりますと、こう申したわけで、それから先生があげられたような中身は書いてないので、何回も読みますように、すべてこれこれであるというその数カ所しかないわけなんです。そこで適当でないということを指摘したということをちょっと補足して……。
  38. 山中吾郎

    山中(吾)委員 この学者の説は私もよく知っております。だから歴史的事実として、神武天皇下の数代の間の記事ということを限定して家永さんが言っているじゃないですか。そのとおりじゃないですか。(坂田国務大臣「それから先の話だ」と呼ぶ)いや、この教科書の記事は最初の天皇、数代の間の記事に至るまですべて皇室の——これはあとでできたものだ、できてけっこうだと私は思うのですよ。これを不合格にするような調査の運営なんて、大体、一体そこまで干渉して日本の自由な教育、それからもっといわゆる真理を深究する日本教育という人間形成ができっこない。これでいいじゃないですか。そういうことにこだわっておるから、教育の偏向じゃない、教育行政の偏向だと私は思う。
  39. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 どうも山中さんたる者が古事記というものを、過去にいろいろ利用されたことはありますよ。おっしゃるとおりだと思うのです。そういう取り扱い方はよくないという反省に立って、もう一度あの古典というものを見直すべき時期に来ているのじゃないか。その場合に、あの古事記の持つ意味というものが、家永さんの言うような一面的な、皇室だけで云々というような記述はちょっと行き過ぎなので、これはこれからの国民の古典に対する考え方というものを逆にいびつなものにしてしまうおそれがある。だからそうじゃなくて、一般的に、今日の新しい体制下においてはむしろ古事記は古典としての意味があるし、それは単にそういう皇室云々——それは私は決して否定するものじゃありませんよ、ただし、すべてというのがおかしい。この中にはいろいろの日本の起源やあるいは国々の始まりの苦労物語が込められて書かれておる神話でございますよ。それでその中には、たとえばオトタチバナヒメのあの歌だとかあるいはスサノオノミコトのヤマタノオロチのあれだとか、千年たった今日においても非常に生き生きとした人間として書かれておる。しかも怒るときは怒り、不満を持つときは不満を持つという形にあれは出ておるわけなんで、非常に人間性豊かな形で出ているのであって、皇室一辺倒のような形であれば読むべきではない。そういう意味合いにおいて、むしろ検定官としてはこういうふうにとられてはよくないのだ、こういうことを申しておるわけでございまして、私たちの真意というものを十分ひとつおくみ取りいただきたいと思います。
  40. 八木徹雄

    八木委員長 時間もだいぶ経過しております。
  41. 山中吾郎

    山中(吾)委員 大臣の真意をくみ取れば、不合格にする必要はないとぼくは実は思うのですね。時間だそうですから、これはもっと真剣に論議をして、一体こういうことまで不合格になる日本の検定制度は、教育基本法、憲法の期待する検定制度ではないと私は思う。国の教育権という表現の定義を論議せねばならぬと思うのですが、私は、国民教育を受ける権利という前提からいえば、責任ということばでなければならぬ。さらに、検定制度の内容の問題ですね。教科書観そのものについて問題を展開して疑問のないようにすべきであり、それからこの判決を無にしてはならぬと思うので、あまりこだわらないで論議をしていきたいと思います。  これでやめますが、判決の問題を論議を続けていくことを確認してもらいたいと思います。よろしゅうございますね。——終わります。
  42. 八木徹雄

    八木委員長 午後零時三十分再開することとし、この際休憩いたします。    午前十一時五十六分休憩      ————◇—————    午後零時四十一分開議
  43. 河野洋平

    ○河野(洋)委員長代理 休憩前に引き続き会議を開きます。  委員長所用のため、指名により暫時私が委員長の職務を行ないます。  質疑を続行いたします。木島喜兵衞君。
  44. 木島喜兵衞

    ○木島委員 拓大問題だけについてお聞きしておきます。  拓大問題というのは、安生君の虐殺事件ですか、そこから発したことでありますけれども、このことは単に運動部のしごきということではなしに、たとえば新聞の社説なり解説を見ても、拓大の本質、体質あるいは体制というもの全体が、いま論じられている問題になったのだろうと思うのです。今日までの拓大にもずいぶん暴行なり不法監禁なり脅迫等が、これは表現のしかたではずいぶんといい、たいへんといい、かなりといい、いずれにしましても相当あったということは、これは文部省もお認めになりますか。
  45. 村山松雄

    ○村山説明員 拓殖大学は、戦前から海外進出者の育成というようなことを一つ教育方針に掲げておりまして、スポーツなどもたいへん熱心にやっておりまして、それが一部若干行き過ぎがございまして、やや乱暴にわたるようなふるまいが学生間においてあったということは、遺憾ながら事実のようでございます。今回安生君の事件に関連いたしまして、拓殖大学におきまして、いままでも、これほどまででなくても若干暴力的な行為があったのではなかろうかという反省のもとに事故調査委員会を設けまして、学生全部にアンケートを発して、そのような事例があれば申し出るようにという調査をいたしました。その結果が八月の末にある程度まとまったようでありまして、その結果について大学当局としては、これは被害者側の申し立てであるので、加害者側の事情もあわせ調べた上で、暴力的なものについて、はっきりしたものについては不問に付することなく適切な措置をとるという中間的な報告がありましたような次第で、そういうことでございますので、拓大において暴力的な行為がかなりあったということは事実のようでございますが、正確な実態につきましては、大学側としましては、なお加害者側の事情、これからの処置などもあわせまして正確を期し、それからそれに対処していきたいということを申しておる次第でございます。
  46. 木島喜兵衞

    ○木島委員 時間がないそうでございますから、私もなるべく短いことばで御質問したいと思いますので、御答弁もそのようにお願いします。  いまおっしゃるように、いままでもずいぶんあった。そこに今回の安生君の虐殺でありますから、それは当然学生にとっては、単に安生君の問題を安生君の問題として取り上げずに、この体質を改善しよう、そういう体制を改善しようという抗議なり運動というものが出てくるのは、これは当然であると私は思うのです。一サークルの不祥事件ではなしに、学内の背景という、こういう暴力的なものをわれわれが、学生側からいえば自分たちが認めてきたので、そういうものを直すところの運動をしなかったところに、自分たちもまた安生君の加害者という意識もあって、しかもそういう体制を直さなかったならば、やがて自分たちもいっそのようなことにあわないとも限らないという危機感もあるでしょう。いずれにしても、そういう意味からいえば、これは運動が当然だと思うのです。みずからの生命を守るための本質改善なり体質の変革を求めるのは当然であったけれども、それに対して大学はロックアウトをもって対処しました。このロックアウトについて、御存じでしょうからあまりこまかいことは申しませんが、適切であったとお考えでございますか。
  47. 村山松雄

    ○村山説明員 暴力的な事態の是正に対しましては、やはり理性的に秩序のもとに対処しなければならぬわけでございまして、六月末の時点においては、暴力に対する反対という動機はあったかもしれませんけれども、秩序を乱して、たとえば無届けの集会等によって何か抗議運動をやって、こういうことでは理性的な処理ができないという判断のもとに、学生の入校禁止を大学当局としてはしたわけでありまして、その時点ではやむを得なかった措置考えております。
  48. 木島喜兵衞

    ○木島委員 六月十五日に安生君の虐殺の事件があって、六月十九日に二千人ほどの集会があり、六月二十二日には臨時執行部という、あの後に退学させられたああいうものができてきた。そうして二十三日に一部坐り込みなりデモが千人ほどでありました。その翌日からロックアウトに入ったのです。とすれば、十九日に集会があって、二十二日に大会が開かれまして、二十三日に坐り込んだりあるいは交渉しようといったり、校内デモをやったり、一日でしょう。ここですぐロックアウトに入るということについて、教育的な意味からいってどうなんだろうかと思うのですが、これは大臣いかがですか。
  49. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 拓大問題、まことに遺憾なことでございますが、確かに学生がこれに対して暴力許すまじということの抗議集会を持とうとする気持ちはわからぬわけではございません。しかし同時に、その学生だけでなくて大学当局みずからも、こういうような不祥事を起こしたことによって非常に強いショックを受け、同時に、われわれ自身としても体質を変えていかなければならないのだ、こういうふうに考えたこともうなずけることでございますし、それから昨年来続いております大学紛争というものが、ある一つの問題を契機として非常に紛争がエスカレートしていく。そういう際に適時適切な果断な措置をとり得なかったところに、大学紛争がどろ沼状態になっておった。そういうようなこともあって、拓大としてはあのような措置をとられたんではなかろうかというふうに思いますし、(木島委員「適切ですか」と呼ぶ)それはやむを得ない措置であったと思います。
  50. 木島喜兵衞

    ○木島委員 いま大臣は大学紛争とおっしゃいましたけれども、あの時点では、いま言いましたように六月十五日に安生君が死んで、十九日から少し学内の行動がありましたが、二十四日からロックアウトに入った。その間を大学紛争と規定づける状態であったとお考えになりますか。いま大臣が大学紛争とおっしゃいましたから……。
  51. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 厳密な意味においてそういうようなことはいえないかと思いますけれども、しかしながら、へたをすれば大学紛争という形になっていくことが予想されるということはいえるのじゃなかろうかと思います。
  52. 木島喜兵衞

    ○木島委員 おっしゃるとおり、大学の運営に関する臨時措置法の定義、第二条においても、「大学の管理に属する施設の占拠又は封鎖、授業放棄その他の学生による正常でない行為により、大学における教育、研究その他の運営が阻害されている状態」とはいえないと思うんですね、あの時点では。そういう状態であることにいま大臣もおっしゃいましたけれども、そういう中でロックアウトをする。いま大臣おっしゃったでしょう。学生のそういう気持ちを、要求も理解する。だから拓大全体の体質を改善させたい、いろいろな要求をする、さもなければ自分の命はあぶないという危機感もある、あるいは自分たちがそういういままでのことを容認したことは、自分たちの加害者意識も含めて改革しようという、そういう叫び、そういうのが学長に会いたい、話をしたいという中でもって、話をせずにロックアウトにいっているということ、これはあなたがやむを得ないとおっしゃつたけれども、私は逆に言う教育者が教育の放棄をしたものと思うんです。たとえばいまおっしゃいましたように大学紛争でない。大学紛争であっても第三条の第三項によるならば、「大学の学長その他の機関は、」「大学の学生の希望、意見等を適切な方法によってきくように努め、これらの希望、意見等で当該大学紛争の妥当な収拾及び当該大学の運営の改善に資すると認められるものについては、その講ずべき措置にこれを反映させるように配慮しなければならない。」と、法律はそのように規定しておりますね。しかるに、まだ大学紛争にいっておらないと先ほど大臣もお認めでありますその状態でもって、そういう学生の希望なり意見なり、それを聞こうともせずにロックアウトに入るということは、これは私は教育者が教育を放棄したものだと思うのです。そういう意味で、私はあのロックアウトは適切であったかどうかということを実はお聞きしたわけです。そういう意味でいかがでしょうか。
  53. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 大学の運営に関する臨時措置法に規定しておるとかなんとかいうことではなくて、やはり大学というところは相当の学生がおりますから、紛争の定義に当てはまろうが当てはまるまいが、かなり、一つの問題が出てまいりますとわっとなる、こういう形でございまして、それがただいま局長から御説明申し上げましたように、理性的な話し合いができない状況だと大学側が判断して、そしてロックアウトしたということかと思うのでございまして、それはやはり大学紛争にこじれていく、そしてまた長引くのじゃなかろうか。しかし、未然にやはりこういう措置をとることが早くこれを解決することである。もちろん大学の学生たちの意見を全然聞かないというようなことじゃなくて、しかし、わっとくるときには一応そこをとどめて、そして学生側の言い分も聞きつつ大学の体質改善に向かっていこうという、そういう気持ちでああいう措置がとられたということで、やむを得ないというふうに考えております。
  54. 木島喜兵衞

    ○木島委員 いま言いましたようにああいう虐殺事件が起こった。そしてそういう体質がある。だから学生は、あなたも理解されたごとく、そういう要求なり抗議の運動が起こる。それを一つも聞こうとせずに、ただこれでもって将来たいへん紛争が大きくなるんじゃないかという心配だけで、紛争大学でさえもこの法律によっては意見を聞かねばならない、措置せねばならない、配慮せねばならぬと書いてあるまだ以前の状態であるにもかかわらず、学生たちの要望を聞こうともせずロックアウトにした。これは教育者のとるべき態度ではない。なぜ話し合いをしないか。話し合った後に、その結果どうにもならなくなったときには、ロックアウトするということもあるいはあるかもしれません。そうではなかったところが、私は教育者が教育を放棄したところのものだろうと思うんです。その点、いま一回お願いします。
  55. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 私も、いま先生御承知のとおりに大学紛争を一年間やってまいりまして、最近の暴力事件といいますかあるいは集団的暴力事件というものは、並みたいていのことではこれを防ぐことはできない状況でございまして、どういうようなきっかけで去年一年みたいな状況になるかということも、これは当然予想して判断をすべき問題であって、もし昨年の初期の段階でも、大学当局が迅速果敢に全学的意思をきめて、そして警察力の出動を求めて一部暴力集団を排除するというようなことがあったらあんなにエスカレートしなかったんじゃないかということを考えますと、そういうことになるおそれがある場合にああいう措置をとられたということは、やむを得ないと私は思います。
  56. 木島喜兵衞

    ○木島委員 中曽根総長が就任されたときのあいさつに、総長室に来てもよいから率直に私に議論を吹っかけろ、できるだけ諸君と対話をしたいと、こう言っておられたこと、平常じゃなしに、ことにこういうときにこそ教育者としては、総長が就任のときに言われたように対話が、総長室ででも議論吹っかけろとこうおっしゃったそういうものが、こういうときにこそ必要なんじゃないですか。いま大臣はおっしゃったけれども、それはたいへんあなたも御苦労になったことは、私は当時議員でなかったからわかりませんけれども新聞その他で知っております。そういうことを通してつくったこの法律においてすらも、大学の運営に関する臨時措置法においてすらも、学生の意見を聞かなければならないとあるわけですね。そして総長みずからも、就任のときはそう言っておる。しかるに、いざとなったときに、一番大事なときに、一番対話が必要なときに、話をしようという学生に対してそれを遮断をし、ロックアウトをする。しかもそのロックアウトというのは教授会の事後承認の形であって、だから原助教授がやめられましたね、そういうことも、少なくとも大学の自治という中にはそれは学生を入れるか入れないかは別として、教授会の自治ということすらこのロックアウトのときには守られておらなかった。あと事後承認を得ましたけれども。という形からするならば、少なくともあの時点でもって学生と話し合うということがなかったということ、そういう意味では中曽根総長は、私は教育者という立場からいうならば、教育者というものの任務を放棄したといえると思うのであります。しかし、あなたにもう一回答弁を繰り返してお願いしましても意味がありませんから、平行線でありましょうから次に移ります。  その次に、学生の処分をいたしました。これは学則五十二条四項によって、学内の秩序を乱し、学生の本分にもとるとして処分をし、退学あるいは無期停学、譴責等がありました。しかし、これは臨時執行部だから認めない、あるいは学内秩序を乱した、学生の本分にもとるということも、先ほど言いましたように時間的にいうならばわずか一、二日間の、しかも教育研究に支障を及ぼすような状態にはしたわけではない。それを、話し合いをしようというのに話し合いもせずに、その学生たちを処分する。いまこの拓大でなさなければならぬことは、虐殺事件の根源を排除しようとするその要求者を処分することが大事なのか、あるいは先ほどから言うこの拓大の歴史的、伝統的な体質というものを改善せねばならぬことが先なのか、その観点というものが誤っておったと思うのです。そういう意味では、私やはり先ほど言いましたように、何か拡大することだけをおそれて教育の本来あるべき姿、なさねばならない教育者の措置というものがなされずに、問答無用でもって、こう押えつけただけでもって——他の大学のことは別として、この大学の虐殺事件があったということ、そういう背景というものは根が深いということ、そのことを考えれば学校のとるべき措置というものは正当ではなかった、正しくはなかった、適切ではなかったと私は思うのです。そのように、いまのロックアウトとさらに処分を含めていかがでしょう。
  57. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 あのロックアウトしましてその後でございますが、八月二十四日四年生四百三十二、二十五日短大生二百六、二十六日三年生三百八十三、二十七日二年生五百九十一、二十九日一年生六百四十九、二千二百六十一名に、総長みずから出席していろいろ説明をしております。夏休み中であるにもかかわらず二千二百六十一名という者が出席したということは、都内のほかの大学紛争に比べて、学長としてはよくやったというふうに思います。それから、結果といたしまして、九月一日七千七百二十三、大学七千六十三、短大六百七十、九月二日水曜日六千四百九十四、大学六千三百二十七、短大百六十七、これはほとんど八割以上でございます。  こういうことを考えますと、昨年来もう半年もあるいは半年以上も紛争が続いて授業放棄せざるを得なかったわけでございますが、そういうときに話し合え、話し合えということでございますけれども、ところが向こうは話し合いをするつもりはない。ゲバをふるってこれにこたえている。そういうことにこだわっておったがために、何カ月にもわたって授業もできない。そうして無法、不当の状況が拡大されておった。こういう経験を踏まえまして迅速果敢にこういう措置をとられたということで、現在授業が行なわれておる。こういう客観的事実から考えると、あのロックアウトの措置というものは、私はやむを得なかったと思います。
  58. 木島喜兵衞

    ○木島委員 六月二十二日に、学生集会でもって旧執行部がリコールされて辞任をして、臨時執行部が出た。正規の手続でもって自治会役員が出るまでの問だから、臨時執行部ですよね。そういう学生自治会の幹部あるいは選ばれた役員、それとなぜ話をしなかったか。いまあなたは平盤でおっしゃるけれども、拓大のいままでの自治会というものの性格、成り立ちから考えれば、あるいは置かれたその位置づけから考えれば、そういう意味ではそれと話し合いをするけれども、学生大会で出た臨時執行部と話をせずして、そうして、先ほど大臣がおっしゃったように紛争大学ではない、その状態の中でもって処分をする、退学をさせる。これはまた、教育者としては、教育されようとする者をみずから追い出してしまう。教育者の敗北であります。教育されようとする者、それをみずから切って退学させる。その間、十分な措置がなされておらないと思うのです。そのような状態はなかったし、そういう教育措置もなさらなかった。そういう処分というものを、あなたはどうお考えになりますか。
  59. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 私は、臨時執行部というものがどういうふうな形でできたかということについては、局長から御説明申し上げたいと思いますけれども、おそらく大学当局としては、その臨時的な執行部というものが、大学の本来的な自治会の組織として適切であるかどうかということについて、かなり疑問を持っておったんじゃないかという一つの判断があろうかと思います。でございますから、それを認めなかったと聞いておるわけでございます。そういうようなこともあるわけでございまして、もしあまりにもそういうようなことが不当である、処分等が行き過ぎであるということでありますと、九月一日に七千七百三十三名も出てくるなんということは、おそらく考えられないことだと思うのでございます。でございますから、大部分の学生たちは、そういう措置についてやむを得なかったというふうに考えておる結果が、こういうような数字にも出ておる。しかも今日授業が行なわれておる。こういう七千名とか六千名とかいう数字はふだんの紛争のないときよりもまだ出席がいい、こういう状況になつてきておるわけなんでございます。
  60. 木島喜兵衞

    ○木島委員 その場合、拓大という、ことばは適切であるかどうかわかりませんけれども、特殊な気風を持つ大学において、いま学生が集まったとかなんとかいうことを、他の大学と比較して同じように評価されるということは、もう少しそういうものを加味して検討せねばならぬことだと思うのです。  一方、学生を処分する。先ほどあなたは、大学もショックであったとおっしゃいましたけれども、しからば大学の責任は一体どうなんだ。たとえば安生君は死ぬ直前に病院に運ばれましたね。そのときに、安生君のおとうさんに学校側は、拓忍会には実は前から手を焼いておったんですと言っておる。そういう手を焼いておるということを認めた。それを放置しておいた大学の責任というのは一体どうなんだ。一方、学生を処分する。教育を受けようと思って入ってきている者、それを遮断し、除外し、排除し、処分する。そして一方においては、手を焼いておったと認めている大学がそれを放置してきた。そういう責任というものはみずからとられなければならぬと思うのですよ。そういう点はいかがですか。
  61. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 だから、学長を中心として、全学をあげて体質の改善に取り組んでおる。そうして、そういう学生の体質や、あるいは運動部その他のいろいろな学内の団体というものがいろいろ体質を持っておりましても、それをそう急に変えるということは不可能に近いというふうな事柄でもあるので——不可能と言うとちょっとあれでございますが、それは取り消したいと思いますけれども、とにかく非常にむずかしい問題だ。しかし、それは当然改革をし、そして体質を改善しなければならぬ課題であると思う。ほかの大学は違うとおっしゃいますけれども、ほかの大学でも、たとえば法政大学等においてのあのリンチ事件というような問題、あるいは去年の東大のあの安田講堂の問題、そうして大学の内部が両派に分かれて、ゲバとゲバでもってもう半年以上も戦い続けておる。こういうのは確かに大学当局にも責任がございます。われわれも指導、助言を怠ったという意味において責任がございますけれども、そう急に、一カ月やそこらでこれを変えるというようなことはなかなかむずかしいことだ。しかし、そのむずかしいことを踏み越えて、とにかく改善をしなければならぬということは大学側も当然認めておるわけでございまして、その努力を積み重ねておるわけで、その最初の過程において迅速果敢な一つ措置をとられたということは、私はやむを得ないというふうに思うわけでございます。
  62. 木島喜兵衞

    ○木島委員 いま改革の措置をとっておるということを私は言っているのじゃなしに、虐殺事件が起こった。だから、大学の体質なりそういうものを排除しようという要求が起こった。さっきあなたもおっしゃったように、紛争大学でないにかかわらず学生の処分をした。しかし、一方において学生が死んでおる。他の大学と違うのは学生が死んでおることです。虐殺されたことからこの問題は発しておるのです。一方処分はするけれども、一体そういうことに対する大学の責任というものはないのだろうか。中曽根総長の月に一ぺん行なわれる講話の中でも、一流会社は運動部のキャプテンを採用したいと言ってきておるとか、どんどん「オッス」と言いなさいとか、そういう持ち上げ方をしてきている。あるいはよくいわれるように、関東軍の日大芸術学部とか報知新聞のああいう中に拓大OBなる学生も入っておる。あるいは拓忍会の部長のある講師は、傷害等で四回も警察にあげられておる男であるというようなこと、そういうもの全部の中に体質がある。そういうものを含んだものの一つの象徴なり集約されたものが、今回の安生君の虐殺である。いままで教育者として、こういう事件が起こらないように打たねばならなかったそのことが放置されておった。大学の責任は、ただ、いまそういうことをなくすために措置をしておりますということで済むのだろうか。学生のほうは切った、処分をした、大学はそれで済んだ。安生君には五百万の補償金で、それで事は済んだということに、一体教育者としてそれでいいのだろうか、責任感じないのだろうか、私はそんな感じがするのですが、いかがですか。
  63. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 その点については、やはり責任感じておられると私は思うのです。それがゆえに、何とかしてそういう体質を変えなきゃならぬということで懸命の努力を払っておられる。そしてその努力は、いま申しましたように、一応教育の正常化という形で授業は再開されておる。そしてその間においても、この夏休みに二千人も自分がみずからそういうようなことについて対話をしたということは、ほかの大学にはあんまりないことだというふうに私は思っております。
  64. 木島喜兵衞

    ○木島委員 大臣、あなた、たいへん早期の解決をしたとおっしゃるけれども、一体何が本質的に解決したのだろうか。たとえば中曽根さんが、この事件が起こってからの八月十七日に、拓殖大学の理念と進路について書いておられまして、その中にもいまあなたのおっしゃったような措置がありますけれども、八月末日までに、いわゆる拓大三派といわれる銃剣道愛好会あるいは拓禅会なり、まだ解散していませんね。しかも、聞くところによると、拓東会というのがこの新学期からできたそうであります。学内で一人一殺というのぼりを立てて練習をしているそうであります。そうすると、私は、改革よりも逆にそういう新しいものがすでにできておる、一人一殺というのぼりを掲げておる、そこに拓大の本質があると思うのです。歴史的な、創学以来の伝統があるのだろうと思うのです。だから、いまあなたが早期に解決したとおっしゃるけれども、ただ押えつけて、押しつけて処分をして、教育をしない。そしてただ静めただけ。学生の不満はいまだに残っておる。そういう中で、あなたが、早期に解決したことが他には見られないんだといってほめるような状態であろうか。私は、少しも本質的には解決されておらない、いまこそ、最初に申しましたように安生君の虐殺という、このことを通して拓大というものの体質改善がなされなければならない、根から、しんから改革されなければならないと思うのですけれども、そういうものに欠けていると思う。そういう点で、あなたが、早期に解決したということだけをもって何か静まった、押えつけて静めた、それが早期の解決だということで、この大学の場合にそう言えるかどうかたいへん疑問に思うのですが、いかがですか。
  65. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 それは、これからの大学当局がどういう実績を積み上げていくかということかと思います。私は、いま拓大が静まったと申しましたのは、一応静まったということであって、先ほどるる私が申し上げたのは、そういう体質を変えるには非常に困難がある。でありますから、そういう困難はしかし克服して体質を変えなければならぬけれども時間はかかる、こういうことを先ほど強調したつもりでございまして、これでもってすべて終われりというふうには思っておりませんし、大学当局の責任が解除されたとも思っておらない。そういうような不祥事を起こした責任をはっきりとるためには、ほんとうに、先生がおっしゃるような教育環境として、あるいは大学当局が学問研究の府としてふさわしい大学に一日も早くなっていかれることを実は私どもといたしましては見守っておる、こういうことでございます。
  66. 木島喜兵衞

    ○木島委員 先ほど処分をしました中で、三代川学生部長の誤認があるようですね。六名が退学させられたけれども、そのうち一名は、集会に参加をしたけれども演説もぶっていなければ、中心的計画者でもなかった。あるいは無期停学の十名のうちの一名は全く無関係な人である、譴責の二名のうちの一名はこれは人違いだったらしい。そういう抗議に対しては、三代川学生部長は、大体おまえは前からにらまれておるのだとか、おまえの思想がもともと悪いからだという言い方をしておる。私は、もともと思想が悪いのだということになると、これは人権問題だと思うのであります。そして、その誤認問題というのは、実は東大の紛争のようになってくるでしょう。だから、そうなれば、早期解決なんということよりも、処分をしたそのことに誤認があった、とすればまた逆に、処分をしたことが東大のごとくエスカレートする可能性があると私は思うのです。まあこれはおきます。  そこで、私が先ほどから言っていることは、教育者が教育という本質を放棄したところに、私はいま問題の焦点をしぼってお聞きしたつもりなんです。そういう意味で、この間参議院で西岡次官が、学長と政治家の関係は、これは兼職禁止とは別だが、片手間でできるものではないから不適当であるという御答弁をされましたね。それは大臣も同じ考え方だと理解してよろしゅうございますか。
  67. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 一般的に申しますと、やはり私は、兼職というのは不適当だというふうに思います。
  68. 木島喜兵衞

    ○木島委員 西岡さんは不適当であると言っていらっしゃる。そういうことばを使っていらっしゃいますが、不適当であると考えれば適当にする措置、不適当である状態を除く措置というものがなされることが好ましいですね。不適当をそのまま置くという措置はありませんね。そういう面ではどのような措置を今日までおとりになられたか、あるいは今後おとりになるお考えはございましょうか。
  69. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 私は、それで一般的にと申し上げたのです。一般的に兼職ということは好ましくないということを申し上げたわけでございます。
  70. 木島喜兵衞

    ○木島委員 一般的であろうと何であろうと、不適当なら適当に直せばいいですね。ですから、一般的であるが、中曽根さんの場合も一般的の中にその限りにおいては入りますね。とすれば、中曽根さんにいましぼりましょうか、中曽根さんも一般的に中に入るでしょう。一般的にそうである、中曽根さんは別であるということはありませんね。とすれば、何らかの措置をおとりになるべきじゃないですか。
  71. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 一般的にということを私が申しました意味は、特別の場合もあり得るということでございます。たとえば代議士である人が学長になるとか、あるいは総長になるとかいうようなこともあってしかるべきではないかということは言えると思います。あるいはこの場合、いろいろの方法がございまして、専任の学長とかあるいはちゃんと副学長を置くとかいうようなことはあろうと思います。
  72. 木島喜兵衞

    ○木島委員 すると、一般的には不適当である、しかし特例はある。一般の代議士ならそういうこともある。一般の代議士でない、閣僚の中曽根さんの場合は、その特例の中に入るのですか。
  73. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 いままでの経過からいうと、中曽根君は、この事件に対しての対処のしかたからいうと、かなり努力をしておるというふうに私は思っておりますから……。(木島委員「この問題じゃないです、一般論です」と呼ぶ)ですから、それはやはり人による、こういうことだと思います。
  74. 木島喜兵衞

    ○木島委員 一般論では不適当であるけれども、いま大臣ことばで、中曽根君はこの事件に関してよくやっておるからケース・バイ・ケース、人による。したがって、中曽根さんは特例の中に入るのだ、一般じゃないのだ。では、一般論とおっしゃったのは、他は個人的に悪いということになるのですか。——いや、これは事務的なことじゃないですよ。
  75. 村山松雄

    ○村山説明員 一般論といたしまして、大学の学長は、専心これに当たってしかるべき重要な職でありますので、他に繁忙な職を持っておられる方が兼ねるということは望ましくないというのが文部省の従来の態度であります。  この態度につきまして、しからば具体的にどうするかということでございますが、文部省が特に私立大学に対処する態度といたしましては、法律に特段の規定がある場合を除きますと、一般的には指導助言ということに相なります。その指導助言の機会が一番著しいのは大学を設置する場合でございまして、これは認可いたします。認可する際には大学設置審議会という審議会に諮問をいたしましてその御意見も聞くわけでありまして、そういう際にはこういう一般論を十分申し上げます。そういうことに該当する、たとえば政治界の方々であるとかあるいは忙しい実業界の方であるとか、あるいは弁護士を開業されておる方でありますとか、あるいは医科大学などでありますと医師を開業されておるような方が学長、あるいは理事長の場合も多少ニュアンスが異なりますが、そういうものに当たるという場合には、一般論として学長や理事長の職に相当責任を持って当たられるかどうかという助言をいたします。その際に、大学側でいろいろな措置を講じて学長の職務を十分果たし得るような体制をとるからという御説明があれば、審議会の判断も得まして特例として認めておるわけであります。  あと、設置されました大学においてそのようなケースが起こるような場合には、これは大学みずからがそういう特例を設けることが適当である、あるいはやむを得ないという御判断でされることでございますので、大学設置後におけるそういう事例が起こった場合については、文部省としては、従来特段の指導助言というようなことはいたしておりません。それが実情でございます。
  76. 木島喜兵衞

    ○木島委員 中曽根さんの場合、西岡さん、あなたはそれを御答弁になった後のある新聞で、特にことばに力を入れ、閣僚と大学総長と二つの激務が一人の人間につとまると思いますか、どんなにがんばったって一日は二十四時間しかないんだとおっしゃっていらっしゃいますね。これは特例の中に入りますか。一般論では不適当である、しかし特例ですか、中曽根さんの場合、閣僚は。
  77. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 やはり一般論は一般論でございますけれども、人によってはやれる人もある、こういうふうにも私は思うのです。たとえばイギリスでも、前のウィルソン、あれはブラッドフォード大学の総長をしておりました。もちろんおそらくバイスチャンセラーがおると思います。それから前のマクミランが、やはりあれはオックスフォードでしたか、あれのチャンセラーであった、そういうようなことがあるわけでございますから、一がいには言えないというふうに思います。しかし、兼職は望ましくはないというふうには思います。
  78. 木島喜兵衞

    ○木島委員 一がいには言えないけれども、しかし原則的には、一般論としては悪い。  そこで、同じ閣僚の仲でしょう。中曽根さんとそういうことについてお話しになったことがございますか。
  79. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 兼職問題についてはあまり言わないのですけれども、いろいろ向こうからも報告がございますので、私からも申し上げる。それで、やはりどうだろうか、適当な人があったら副学長くらい置くようにしたらどうかということは申し上げております。
  80. 木島喜兵衞

    ○木島委員 いつごろだったか、岸内閣のときに兼職禁止の問題か何かやりましたね。あれは今日もなお続いているわけですね。そうすると、民間の企業の役員の方は、一つには何か企業とのつながり等ということもありますけれども、しかし閣僚がなった場合は、西岡さんがおっしゃったように一日は二十四時間しかない、総長の激務もある。あるいは政治的中立ということを盛んに中曽根さんは言っていますね、拓大は特にということで。そういう意味からいっても、私は、民間企業の役職よりも、兼職禁止の中では大学の総長のほうをおやめになることのほうが、事教育の問題であるだけにより重視せねばならぬだろうと思うのです。兼職禁止の場合、他の民間は、さっきのあなたの一般論からいえばケース・バイ・ケースで、たとえば民間とのつながりができるじゃないかといっても人間によって違うわけですね。たいへん能力ある方は、両方きちっとできる人もあるでしょう。あなた、さっき特例とおっしゃった。それを民間の方については禁止している。だったら、総長が兼職禁止に入らないその根拠がわからないのですが、どうですか。
  81. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 それも一がいに申せないのですそれはバイスチャンセラーでも、日本で言うと副学長にちゃんと専任の人を置いて、そうして総長という形で閣僚がなるということも人を得た場合はあり得ると思います。特に私立大学の場合はそうだと思います。国立ではそういうことはあり得ないと思います。
  82. 木島喜兵衞

    ○木島委員 民間の企業なら会長ならいいが社長はいけない、社長だったのが会長になって、そして社長を置けばいいといういまの内閣の兼職禁止ですか、それと同じことになりませんか。
  83. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 内閣できめておることとこれとは違うと私は思っております。
  84. 木島喜兵衞

    ○木島委員 どうしてですか。ちょっと理由がわからない。
  85. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 私は、閣僚が非常な学問的な見識あるいは教育というものの理解を持っておって、そうして実際上副学長を置いてやらせておって、そうして総長として卒業式あるいは始業式、あるいは自分の時間のあいたときに学生たちに話をして聞かせるというようなことは、むしろいいことじゃないかというふうに思うのです。諸外国においては、政治家がどんどんと大学の中に入っていろいろ話をしている。したがって、広い視野でものを見るという訓練ができるわけです。そういうことがなかなか日本ではできておらないところにも実は問題がある。あるいは大学というものが教官と学生と事務職員が構成員であるから、ほかの人はあまり関与してはならない、こういうような一点ばりにきたところに、今日、社会と大学との関係というものがうまくいかなくなった原因がある。そうじゃなくて、管理、運営の問題についてはあるいは第三者を入れるということも中教審あたりで指摘されておりますけれども、私は、やはりそういうような仕組みは今後考えていくべきじゃないか。ですから、あまりコンクリートに考えるべきじゃないので、一がいに言えないというのはそういう意味であります。
  86. 河野洋平

    ○河野(洋)委員長代理 ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕
  87. 河野洋平

    ○河野(洋)委員長代理 速記を始めて。
  88. 木島喜兵衞

    ○木島委員 それなら内閣の兼職禁止も、たとえば理解と見識があれば民間の社長であってもいい、そういう人は変なつながりがなければいいのだということになってしまいますね。そういう意味で私は変だと思いますが、いいです。  そうすると、文部大臣が総長になられた場合はどうなりますか。
  89. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 これはいけませんね。
  90. 木島喜兵衞

    ○木島委員 さっきからあなたの見識なりをたいへん感心して聞いているのですよ。外国のように、やはり文部大臣がなってもいいじゃありませんか。あなたならなぜいけないのですか。
  91. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 それはやるべきじゃないと思います。
  92. 木島喜兵衞

    ○木島委員 どうしてですか。
  93. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 一応私としましては、国立大学に対しても、あるいは私立大学に対して指導助言云々をやらなければなりませんし、ある部面については監督の地位にあるわけであります。そういうものがまた二重人格みたいなことになるということは、これは好ましいということじゃなくて、やるべきことではないというふうに思います。
  94. 木島喜兵衞

    ○木島委員 いま大臣のおっしゃったことはたいへんごりっぱだと思うのです。もし私があなたの立場でいま答弁するとするなら、教育基本法の十条、「(教育行政教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備」云々とありますけれども、そういう意味では、教育は不当な支配に服しないという意味であなたがおやりにならないと、おっしゃることが一番教育基本法にのっとったりっぱな措置であると思うのです。というように理解してよろしゅうございますか。
  95. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 そことすぐ関連を持つかどうか知りませんけれども、少なくとも私はやるべきじゃないと思いますね。
  96. 木島喜兵衞

    ○木島委員 「教育は、不当な支配に服することなく、」という、不当な支配というその主体には——学説的には多少違いがありましょう。ありましょうけれども一つは、大ざっぱには公権力というものはどの学者も否定しませんね。公権力の中に閣僚が入ると思う。いま文部大臣は、私は直接とおっしゃるけれども、やはり閣僚というのは公権力一つですよね。中曽根国務大臣もまたその公権力一つです。私、この基本法の解説をいたしませんけれども、私はそういう意味からいっても好ましくないと思うのです。  もう時間が来ましたからやめます。ただ、私、率直に申しまして、あなたのさっきの答弁を聞いておりますと、何か中曽根さんをたいへんかばっていらっしゃる。そのことは逆に言うと、あなたが何か不当な支配に服しているのじゃないかという印象すら受ける。しかし、それは失礼かもしれません。私の印象です一あなたが不当な支配に服していらっしゃると思いませんが、そういう印象を受けるのですよ。何でこんなにおかばいになるのか。もっと率直に日本教育というものを考えた場合、私立といえども指導、助言、監督の責任がありましょう。また学則その他があるかもしれない。大学に対する権限の限界があるかもしれない。しかし、そういうもの以前の生命なり基本的人権の問題がある。そういうもののときにき然とするのが、やはり日本教育を背負う大臣一つの任務であろうと私は思うが、あなたの印象からすると、ややもするとむしろ不当な支配に服しているかの感を抱きます。そういうことはないかもしれませんが、どうかそういう意味で、今後の問題でもありますので、十分この問題について御関心を持ちながら指導していただきますことをお願いいたしまして、終わります。
  97. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 私は絶対に不当な支配に服していません。私も、その点だけは公正に行ないたいと思っております。中曽根さんがどうあろうとこうあろうと、私はそういうことで申し上げておるわけではございません。
  98. 木島喜兵衞

    ○木島委員 この間の参議院の答弁では、そのような印象をことに強く受けたものですから……。失礼しました。終わります。
  99. 河野洋平

    ○河野(洋)委員長代理 有島重武君。
  100. 有島重武

    ○有島委員 私は、公害の問題に限ってきょうは若干の質問をさせていただきたいと思います。  七〇年代の課題は公害だといわれておりますけれども、もうすでに数年前に、ユネスコのほうでもってこの問題に警告を発したように私は覚えておりますが、産業廃棄物あるいは生活廃棄物のたれ流しの被害排除について、私どもも早くから、地方議会ではいろいろな活動を積み重ねて警告も発し続けてきたわけでございますけれども、現在国をあげて最悪の事態になってしまった。いまほとんど後手後手で、あと始末みたいなことでもって発生源の追及だとか責任の所在だとか、あるいは被害の救済だとか軽減だとか、そういうことにつとめておるわけでございますけれども文部大臣として、こうした問題についてどのような責任感じていらっしゃるか、それをまず伺っておきたいと思います。
  101. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 今日、われわれが予想せざるような公害の発生が至るところに起こっておるわけであります。問題といたしましては、まず第一には、そういう公害を受ける児童たちを守る責任があるというふうに思います。具体的にいえばまず騒音、これについては、基地周辺あるいは航空の発着所周辺でございます。それからもう一つは、自動車の高速道路が全国に行き渡りまして、相当なスピードを持ってたくさんのカーが走る。そのことによって付近の小中校の子供たちがその騒音に悩まされる、こういうことでございまして、極端な場合には学校の校舎を移す、あるいは二重窓等の設備をやる、あるいは換気というようなことをやるということを今日までやってきておるわけでございますが、それも御案内のとおりに、基地周辺につきましては予算的には防衛庁、それから航空関係の発着の周辺につきましては運輸省、そしてその他の面につきましては文部省というふうに、それぞれ予算的には分担をいたしておりますが、しかし、文部行政として子供たちを守るという意味におきましては全般の責任を私が負っておる、こういうことであると思います。  第二には、さらに子供たちを、こういう騒音あるいは水質汚濁、大気汚染等から守るというだけでなくて、進んで自然に親しませる、ことに都市の子供たちを自然に親しませる、あるいは公害等の指定地域の子供たちをやはり公害のない大自然のところに連れていって、そして短い期間ではあっても学習をする、あるいは自然的な観察をさせる、そういうような積極的な面も私ども責任においてやらなければならない課題か、かように考えております。  また、自然がいろいろの形において破壊されるというものに対して、自然保護あるいは自然保護の教育というようなものをやはり徹底していく、これが第三かと思っております。
  102. 有島重武

    ○有島委員 ただいまの大臣のお話によりますと、起こってきている公害に対して、一つには児童をどう守っていくか、指導していくか、あるいは自然を守る教育をしていくのだというお話でございますけれども、私の印象では、それはいささか消極的ではないかと思うのです。被害者であるという一つの意識も、これは当然あると思うのですけれども、進んで、いま公害といわれておりますこの一番おもなものは、やはり産業に携わっている人たちが生産性の向上ということだけを考えての技術革新に走って、公害の防除についての社会的責任ということについて欠けておった、これが大きいファクターになるのじゃないかと思うのでございますが、こうした企業の自主責任を欠いておったということ、これを将来このままで放置しておいて、ただそこからの害を守る立場だけであってはならないのじゃないか。これはむしろ厚生省のほうの仕事であって、文教行政ということからいけば、こうしたモラルの問題を強化しなければならないのじゃないか。これは文教行政としての大きな責任じゃないかと私は思いますけれども、この点についてはいかがでしょうか。
  103. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 ちょっとお答えしにくい問題かと思いますが、内閣全体としましては、御承知のとおりに内閣に公害対策本部を設け、また地方にはそれぞれ公害対策本部を設けまして、中央と地方と連携を保ちつつ、しかも総合的な施策をやっていきたいということで、ただいま総理、山中長官を中心といたしまして、各省またがりまして、そしておのおの分担して責任をどうやって果たすかということで、いませっかく努力いたしておるわけでございます。もちろんその中に、いま御指摘になりましたような発生源に対する措置、あるいは勧告、あるいはそういうふうなモラルというようなものも、全般としては当然考えていかなければならないものだと思います。われわれの文教関係におきましても、そういうようなものの考え方といいますか、そういうものは当然考えていかなければならぬものでございますし、そういうことはこれからできます教科書等におきましてもかなり取り上げられておるわけでございまして、そこにその片りんがうかがわれる、こういうふうに御了承を賜わりたいと思っております。
  104. 有島重武

    ○有島委員 ちょっと声が小さいのでよく聞き取れなかったのでございますけれども、たとえば同じ倫理学にいたしましても、文学部で教えている倫理学と医学部で教えている倫理学とは、これは少し違うのじゃないか。実際に一般教養課程におきましても、医学部の場合には、これは相当意識して強化なさっているのじゃないかと思うのです。これは人の命を扱うという直接の立場になりますから当然だと思うのですけれども、これから産業界に携わる者あるいは一般的な業界に携わる者に対しての、医学部に対してとはまた別な角度から、やはり一つの強力に意識された基礎教育というものが必要になるのじゃないか、そういうように私は思いますけれども、そういったような御用意があるのかどうか。
  105. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 どうも御質問趣旨が私によくわからないものですから、何とお答えしていいか実はわからないわけなんでございますが、私の考えからいうならば、生命を大切にするということ、そしてそのために生命をそこなっておるいろいろの公害がある、それにはやはり自然を保護するというようなことが、観念としてあるいは教育として十分徹底していないのじゃないか。あるいは理科とかあるいは自然科学の中でも、いわば物的なものの開発、発展というものは非常に考えられてきたし、また、それが公害のもとにもなっておる部面もあるわけでございますが、一面において生物、動物、植物という命あるものを大切にする、そのことが小中校における理科教材等においてもむしろ足りないのじゃないか、そういうような面から、基礎的なことから取り上げていかなければ公害問題は最終的にはうまくまいらぬということは、文部省立場としては言えるかと思っております。   〔河野(洋)委員長代理退席、委員長着席〕
  106. 有島重武

    ○有島委員 またまた新たな問題が一つ、いまのお答えでもってあるのでございますけれども、その前に、先ほど言いましたのは、医学部で扱っている一般教養の倫理学と、それからその他の文学部であるとか経済学部であるとかいうところで扱っている倫理学と、多少ニュアンスが違っているように私は聞いているのです。そのことはどのようにお考えになっておるでしょうか。
  107. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 どういうことなのか私もよくわかりませんけれども、倫理というならやはり倫理なんで、それがどこで取り扱われておるから違うというのじゃなくて、その倫理というものが、医者の立場では医は仁術である、こういう意味において医者の養成についてそこまで非常に強調されなければならないのだという意味ならばわかるわけです。まあ、おそらくそういうことでございましょうけれども、一面においては必ずしも医は仁術ということだけではないこともまた人間社会でございますからあるわけで、あるからこそまた医は仁術というようなことでもって、医学の面についてあるいはお医者さん養成についてそういう倫理がウエートをもって考えられておる、こういうことかと思いますが、その文学部でいう倫理とはどういうことか、それがまたちょっとわからないのでございますが……。
  108. 有島重武

    ○有島委員 その辺のことは今後御研究いただきたいと思います。これは実際的に変えているそうですよ。
  109. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 それを具体的に言ってください、わからぬので……。
  110. 有島重武

    ○有島委員 もっと具体的に、これは通産のほうですか、公害防止大学ということを今度はいっておるようでございます。こうしたことに文部当局として協力、応援するかどうかという問題なんですね。公害防除に関しての専門技術者を養成するということは、非常に大切なことじゃないかと思います。企業側にとっても必要でありますし、これを監督監視する側にとっても非常に大切な問題になるんじゃないかと思うわけであります。それで、いままで公害を防除するという立場からものを教わったことがない人たちばかりいるわけでございますから、特に新設の大学をつくるということもあるかもしれませんけれども、各大学でもってこういったことについて、当然これは強化していかなければならない問題ではないかと思います。強化するのに財政の措置等の御用意があるかどうか、その点についていかがですか。
  111. 村山松雄

    ○村山説明員 お尋ねの通産省で考えております公害防止大学というのは、学校教育法による大学のようなものではなくて、修業年限も一年程度の、むしろ各官庁や企業などで公害関係の実務を担当しておる職員の、資質の向上のための研修施設のようなものであるように承知しております。大学というのは基礎的な教育研究をやるわけでありますから、社会におけるいろいろな実際上の必要にすべて対応するということは直接的にはまだるっこいこともありまして、各省においてこういう実務的な研究施設をおつくりになることについて、文部省としては別段それがいいとか悪いとか言う立場にはございません。実際には、おそらく一部大学の先生などを指導者として協力されることになるだろうと思いますし、それはそれでけっこうなことだろうと思います。  文部省として何か公害問題に対処する用意があるかということでございますが、文部省なりあるいは文部省所管の大学や研究所というのは、基本的に基礎的な教育研究というたてまえでやっておりますので、起こっておりますいろいろな種類の公害のそれぞれに直接対応するというよりは、むしろ、御指摘のように小中学校の段階では、たとえば他人に迷惑をかけないとかあるいは自分のことは自分で始末するとかいう基礎的な道徳教育を従来以上に強化することが、結局公害防止にもつながる。迂遠のようでありますけれどもそういうことだろうと思いますし、また、そういう道徳教育が徹底いたしましても、結局その公害を起こすような傾向に走るということは、具体的には理屈でわかっておっても、利害関係からしてそのほうが安上がりだというようなことになるでありましょうから、やたらに廃棄物などを出すということについての規制を強化して公害のもとになれば、それだけむしろ高くつき、損をするといったような施策というものが、総合的に取り進められることが公害防止の基本的な問題だろうと思います。  それからなお、公害というものはいろいろございますけれども、あるいは生物の問題でありますとかあるいは化学変化の問題でありますとか、それから現実に起こりました公害に対しましては、公衆衛生あるいは医学的に対処するというようなことになりますので、大学や文部省関係の研究機関といたしましては、そういう生物学あるいは化学あるいは工学的な技術、それから医学といった面から基礎的に対処していくということになりましょうし、それから若干そういう面の研究を強化するために科学研究費の面などにおきましても、この種の問題に重点的に対処するといったような施策が取り進められるべきであります。そういうことで、たとえば四十六年度におきましても、公害に関係のあるような研究でありますとか、それから科学研究費に特定研究のワクを設けるとか、こういうことにつきましては取り上げるべく現在計画中でございます。
  112. 有島重武

    ○有島委員 そういたしますと、その用意があると認めてよろしいわけですか。それは十分に配慮していただきたいと思うのです。  先ほど文部大臣がお答えになった後段の部分でございますけれども、自然への対し方ということ。これは小学校、中学校から理科教育関係がございますけれども、理科教育についてさまざまにいわれているようです。あれはPSSCですか、そういうような物理の教え方があるそうでございますけれども、最近私が聞いているので大臣も御承知かと思いますけれども、ハーバードでもって物理学の教え方を開発しているのですね。HPP、ハーバード・プロジェクト・オブ・フィジックスといっておりますが、これは自然をよく知っていく。自然のからくりのみごとさというものを認識することによって、そこにまたそのみごとさを認識できる自分そのもののすばらしさを知っていこう、そういうことによって人間以外の動物あるいは物理的な環境、そういうものに対しての愛情と申しますか、あるいは自分自身を大切にするとかそういうことを、もう子供のときからそういった意識をつけることがむしろ物理学なんかを教えていくことの一番の主要目的ではないか、そういうようなものを数年にわたって、何百人もの学者あるいは教育者を集めて開発したのだということを私は聞いておりますけれども、そういうようなものの考え方、具体的にはここにはHPPというものが展示されているわけでございますけれども、こういうものを文部省としても検討をし、開発していく御用意があるかどうか。
  113. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 いま御指摘になりましたような、ハーバードでやっておるようなことは私は存じません。存じませんけれども先ほど先生の御質問に対して答えましたことは、そういうことが前提となって小さいときに身についておらなければ、その人がおとなになり、あるいは学生になりして物理化学を修めたときに、それのプラス面もあるけれどもマイナス面、あるいは自然を破壊するとか、あるいは生命の存在をなくしてしまうとかいうことに簡単につながってしまうおそれがある。やはりそういう生命あるものを大切にするという心情を小さいときから養わなければいけない。その点についてちょっと今日までの教育の中で、小さい段階において生きとし生けるものの、そういう植物や動物や生物というものの学科目が欠けて——指導要領ではちゃんとなっているのでしょうけれども、取り扱い方としてそうじゃないようになってきておる。その点は改めなければならないのじゃないかという気持ちを実は申し上げたわけでございまして、ただ、その機会を導入するかどうかは別問題だけれども先生がいま御指摘になりましたようなことは今後取り上げていかなければならぬ重要な課題じゃないかというふうに思っております。
  114. 有島重武

    ○有島委員 これはいまも、そういったような気持ちでもってやっていくとかなんとかいう問題ではなくて、どうにかそれを具体化しなければならないような時代になっておりますから、そのHPPに限らず、そういうものを広く検討なさるようにお願いいたします。大体に局部的な成功のために、片方では全体的な破壊もするし、相当被害も及ぼしていくというようなことはあちこちにあることで、文部行政全体を見ましても、学校教育なら学校教育というものを局部的に見ると、これは就学率なり何なり非常に成功しているけれども教育全体的に見て相当破壊があったのじゃないか、そういうこともいま反省されなければならないのじゃないか。  それでごく最近になってから、生涯教育なんということを非常にいわれるようになりましたけれども、時間的に縦に考えていけば生涯ですし、横に考えれば社会教育ということがあるわけでございます。教育の問題に限っても、公害が起こってきたそのもとになっている一つことばかり気をつけて、一生懸命それを発達させるために全体のバランスが狂っているということは、これは国全体もそうでございますし、教育界もそうであると思うのです。ひとつ大きいスケールから、これからの文教行政を進めていっていただきたいと思うわけです。  それで、これから副教科書なんかが用いられるようなことも起こるんじゃないかと思うのですけれども、公害に対する副教科書みたいなものが出ますと、極端なデータを用いて多少また偏向的なことが起こった、起こらないといった議論が起こったりすると思います。先ほどは検定の問題がだいぶ論議されておりましたけれども、そういった場合に、やはりこの公害問題に関する審議会のようなものが設置されていなければ、これはおさまりがっかなくなるんじゃないかというふうに私は思いますが、そういうような御用意があるかどうか。
  115. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 これは内閣全体といたしましてそれぞれの分担をしておるわけでございますが、ただいまのところ、私ども所管として、そういうものを設置するというようなところまではいっておりません。
  116. 有島重武

    ○有島委員 副教科書というものがどこかでつくられるとしますと、早晩そういうことがまた起こってくるのじゃないかと思います。これは偏向的なことであるとか、これは公正を欠いておる、そういった問題も相当起こるんじゃないか、そういうことも考えのうちには入れておかなければならぬのじゃないか、そう思います。  それから、あとは予算の問題でございますけれども、今年六億八千二百万を要求なさっておるのだそうですけれども、これでもって騒音あるいは大気汚染に対しての学校の被害が大体防除できるように考えていらっしゃるのかどうか。  それからもう一つ、そちらのほうからいただいている資料によりますと、騒音の被害校が一千四百九十六校、大気汚染の被害校が五百十校となっておりますが、これは私立学校のほうは含まれているのかどうか、その点について伺いたいと思います。
  117. 岩間英太郎

    ○岩間説明員 ただいま御指摘になりました調査の中には、私立学校は入っておりません。  また、御指摘になりました六億八千万で十分かということでございますが、私どものほうとしましては、騒音防止あるいは大気汚染で希望のありました学校につきましては、すべて希望どおりに措置しているつもりでございます。  四十四年度の実績を見ますと、騒音防止で二十九校の要求がございまして、内訳は改築が十八校、防止の工事が十一校。それから大気汚染では六校の要求がございました。改築三校、防止が三校でございます。そのほかに、公害関係でしかも危険校舎であるというものが十五校ばかりございますが、これはすべて要求どおり従来見てまいっております。  来年度は、特に六億八千万の要求をいたしましたのは、補助率を従来の三分の一から三分の二に引き上げたいということで金額がかさんでおりますけれども、これで一応希望がございますものにつきましては全部措置できる、あるいは不足いたしました場合には、実行上十分考えてまいりたいというふうなかまえでございます。
  118. 有島重武

    ○有島委員 これは文部省の側から考えますと、やはり文部省責任範囲というものは国公立に限られていると思いますけれども、教わっているほうの側あるいは父兄の側から申しますと、私立も全部含まれておるわけでございますから、その私立校も十分な処置ができますように十分な予算要求はしなければならぬと思います。
  119. 岩間英太郎

    ○岩間説明員 これは御指摘のとおりでございまして、ただいま私立学校の建物につきましては、財政投融資資金の借り入れを中心にいたしました私学振興財団の貸し付けというふうな形で対処してまいっているわけでございますので、来年度は、新しく公害のためといたしまして八億の融資ができますようなワクを大蔵省に予算要求しておるような次第でございます。
  120. 有島重武

    ○有島委員 それから学校公害は、学校だけに限らずその近所全体がとにかく害をこうむっているところで、また学校に限って特別な処置をしなければならぬということなんで、地方公共団体との連携が非常に大切であると思いますけれども、そういった連携については十分やっていってもらいたい。  その次は、被害校の児童生徒また教員がどのような被害をこうむっておるか、健康状態についてこれを十分に調査してもらいたいと思いますけれども、この調査についてどういうふうになっているでしょうか。
  121. 岩間英太郎

    ○岩間説明員 来年度、公害を受けているような学校につきまして特別な健康診断をやりたいということで、約三千七百万円の予算要求をいたしておるわけでございまして、従来も若干調査の結果が出ておりまして、これは四十四年度に文部省のほうで二〇%程度の学校を抽出いたしまして調査をいたしました結果でございますけれども、これは全国的でございますのであまり顕著な結果が出ておりませんが、目の疾患あるいは呼吸器のぜんそくでございますか、そういうものにつきましては若干の傾向が出ております。特に気管支のぜんそくは、平均に比べまして約倍というふうな数字が出ておるわけでございます。これも全国的な調査でございますから、まだどの程度の被害が出ておるかということがはっきりいたしておりませんが、厚生省が四十三年に行ないました調査によりますと、特別の地域ではかなり顕著な結果が出ておる。一例をあげますと、三重県の四日市では、目が痛いというふうな者が、汚染されていない学校では四・六%に対しまして一七・九%、それからのどが痛いというのが、汚染されてない学校が一〇・五%に対しまして二八・九%、それから頭が痛いというのが一七・六%に対しまして三〇%、せきが出るというのが一七・九%に対しまして三七・五%、たんが出るというのが一〇%に対しまして三四・九%、特別の地域につきましてはかなり顕著な傾向が出ておりますけれども先ほど申し上げました文部省調査、これは抽出調査でございますが、まだそれほど大きな傾向は出ておりません。引き続きまして来年度も予算を要求いたしまして、この問題につきましては特に関心をもって調査をいたしたいと考えております。  なお、騒音につきましても別に八十八万円ほどの予算を要求いたしまして、騒音の場合には心理的な問題が非常に多いわけでございますので、そういうふうな、どういうふうな心理的な影響を子供に与えているか、たとえば数学あるいは国語をやります場合に、どういうふうな影響が出てくるかというようなこともあわせて調査をいたしたいというふうに考えております。
  122. 有島重武

    ○有島委員 いまなさろうとしておる調査ですけれども、児童生徒も当然でございますけれども教員のほうはいかがなのでしょうか。教員も同じ環境の中でもって被害を受けているのじゃないかと思うのです。特にいま四日市の話がございましたけれども、私なんかもじかに経験しておりますのは、江東だとか墨田とか荒川なんというところのある場所に行きますと、半日いるだけでこっちが声がかれたり非常に疲れたりする。その中でもって教えている先生たちはたいへんな被害だと思うのですけれども、そういう方々に対して特別な何か手配といいますか手当てというものも考えられるかどうか。それはいかがですか。
  123. 岩間英太郎

    ○岩間説明員 教員の場合には一般的な健康診断があるわけでございますが、特にこのたびの調査は、発育盛りにございます子供に対して将来どういう影響があるのかということが一番ポイントでございますので、そういう点を中心にやりたいと考えておりますが、ただいまのおことばまことにごもっともでございますから、そういう教員につきましても、あわせて調査ができますれば、そういうふうにいたしていきたいというふうに考えております。
  124. 有島重武

    ○有島委員 最後に、一つには、こうした問題、学校をめぐるところの、教育をめぐるところの公害の防除について、特別措置法のような形でもって何か抜本的な公害対策を考えられるかどうか、この点。それから、一番最初に申し上げましたさらに前向きに、それを防ぐというだけではなしに、これから、七〇年代は公害解決の年代であるというふうにもいわれておりますけれども、そういう将来を見越し、そしてむしろ教育行政という立場から公害を絶滅していくというその姿勢をもっと強く出していってもらいたい、そう思うわけであります。  最後に、文部大臣から一言御所感を伺って終わります。
  125. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 内閣全体といたしましては、この公害問題は一九七〇年代の初めの時期において解決すべき課題だというふうに思っておるわけでございまして、したがいまして、政府、内閣に公害対策本部もつくられて、そしてまた総合的な検討が行なわれ、場合によっては法律を御提出をする、そしてまた皆さん方の御審議をわずらわすというようなことで進んでおります。もちろん私も参画をしておるわけでございます。また、単に受け身の立場でなくて、積極的に自然保護あるいは自然に子供たちを親しませるという、そういう基本的な問題につきましても積極的にこれを進めてまいりたい、かように考えておる次第であります。
  126. 有島重武

    ○有島委員 終わります。
  127. 八木徹雄

    八木委員長 寺前巖君。
  128. 寺前巖

    寺前委員 二、三日前に、私、東京都の保谷の東伏見小学校というところへ行ってきました。行ったのは、九月二日の日の昼間、この学校で児童が水泳の勉強をしている最中に火事がいった。火事のいった教室はプレハブのいわゆる仮設教室であった。これは、私は、東伏見小学校の問題だけには置いておけない状態にあるのじゃないかというふうに思いますので、きょうは、ちょうど戦争が終わって六・三・三制の制度がとられたときに急速に校舎が必要になった事態と、非常に似通った状態が大都市周辺において起こっている、この場合に緊急につくられるところの教室、それがはたして適当かどうか、いまの処置が正しいのかどうかという問題点の反省点として、この問題についてお聞きをしたいというふうに思うわけです。  まず、この学校へ行ってみて、四つの教室が燃えておりました。私ここに写真を持っていますが、わずか二メートル離れたところにある木造の教室、ここにはほんのちょっと火が移っただけです。ところが、プレハブの教室はみごとなほどさっとやられてしまった。隣の教室で授業を受けておった子供は、火を見た瞬間というのは非常にあとです。ほとんど燃えてからです。それほど火の回りが早い建物、これはもう最近、たとえば滋賀県庁で火災がいったときに、あの内部の塗料の問題とか最近の新建材の非常に燃えやすいという問題がかなり問題になっているわけですが、そういう教室が現にあって、しかも火災報知の連絡がどこでどうなったか、いわゆるよくありますよね、ぱっと火がついたらさっとすぐ知らせるもの、それが飛んでしまっている、役をなしていない。これは夏は非常に暑い教室だし、冬になったらどうなるのだろう。いずれにしたって、非常に教室としては適当でない教室であるだけではなくして、事が起こった場合には、ただで済まないという状況の建物じゃないだろうか。私は率直に言って、そういうふうにこの建物を見ました。  ところが驚くべきことに、この校舎が建築基準法によるところの届け出がされていない。私は、保谷の消防署や保谷の市役所にも行って見ました。聞いてみたら、この保谷の町には二十のプレハブ教室をことしの四月につくったそうです。校長さんは、それが届け出のないところの建築基準法違反の建物であったということは、ほかの学校の校長も知らないと言います。消防署のほうも、そんなものがあったかということは知らなかったと、こう言っている。それでは一体、二十あるのが全部が全部とも無届けであったという事実がこの町には出ているのですが、いま私の手元にあなたのほうから出されたところの、人口急増地帯におけるところのこの教室の不足数と仮設校舎の実態の資料を見せてもらったら、小学校で四十三年、四十四年、四十五年と、年々仮設校舎がふえてきている。たとえば四十三年には、四千三百二十一の不足教室数があったけれども、仮設は千五百六十五であった。四十五年度になると、不足数が七千二百八十三であるのに、仮設校舎は倍になってきて、三千十一となってきた。不足教室の約半分をプレハブでやられてきている。  さて、それでは全国のこのプレハブの教室というのが、たとえば一例が東伏見小学校で事態が発生しているけれども、これ全部が無届けなのか、それともどういう実態にあるのか。これは、私は担当しておる局長さんでいいと思います。どういう実態にあるか、まずそれを聞かせてもらいたい。保谷の市当局だけがけしからぬ状態で、建築基準法に違反するやり方をしておったのか、全体的にそれに近い状態にあると見ておられるのか。実態はどうなんでしょう。
  129. 岩間英太郎

    ○岩間説明員 御案内のとおり、建築基準法は建設省の所管でございまして、その関係の部局が都道府県ないしは市町村には全部あるわけであります。まず第一には、こういう問題につきまして、市町村当局自体が十分注意していただかなければならぬというふうに考えているわけでございます。しかし、先生の御指摘を受けまして、また新聞を見まして、私どもも、こういうものが無届けでやられているということにつきましては非常に関心を持っているわけでございます。近々担当の課長会議がございますから、その際に、この点につきましては十分指導もしてまいりたいと私どもとしては考えているわけであります。ただいまのお尋ねの実態につきましては、私ども正確な調査をいたしておりません。しかし、問題が問題でございますので、私どもとしましては、今後十分注意を払いましてこの問題に対処したいと考えております。
  130. 寺前巖

    寺前委員 それでは引き続いてちょっと聞きますけれども、なぜ無届けのままにしてあるのでしょう。あなたはどう思われますか。届けをするということは、別にむずかしい技術でも何でもない。それがなぜ届け出されないのでしょう。
  131. 岩間英太郎

    ○岩間説明員 おそらく暫定的に使うということで、早晩本建築を行なうということでそういう処置はしてなかったというのが実情ではないかと考えております。
  132. 寺前巖

    寺前委員 それでは、仮設教室というのですから、建築基準法から見ても六カ月が仮設の一定の基準だと思うのですけれども、一応そうでしょうね。そうすると、四十五年度に仮設校舎として不足教室分を設けた三千十一は、来年度には、少なくともこれは一年たつのですから、仮設ではないのだから全部本建築にかわるのでような。文部省としてはそれは責任持ちますか。
  133. 岩間英太郎

    ○岩間説明員 学校の建物の責任は、直接的には市町村にあるわけでございます。私どもは、それに対しまして、補助金等の措置をもちましてできるだけ御援助をするということが本筋ではないかと考えております。このプレハブの中で非常に大きな割合を占めておりますのが御案内のとおり横浜市でございます。全体三千五百のうちの五百が横浜市で占められているわけでございますが、横浜市当局の決意を先般聞きましたところ、これは早急に解決したい、できれば来年度には全部なくすぐらいのつもりでやってまいりたいというようなお答えでございました。私どもそれに応じまして、国庫補助等によってその裏づけが完全にできますように、来年は特に予算に力を入れていきたいと考えております。ただ、学校の建築は、ある程度本格的な建築をやりますと、準備その他で相当の年月がかかるわけでございます。そういうことで、実際の建物のほうは、年度とかそういうものとはおかまいなしにどんどん建っていくわけでございまして、行政と若干ずれる面が出てくる。あるいは一学級、二学級ふえてもそれは仮設で一応しのいでおきまして、六学級ぐらいになりましてから本建築にかかるということも、従来横浜市等ではやっておるようでございます。これは建築の技術的な面から申しましてある程度やむを得ないことでございまして、全くそれがなくなるということはちょっと責任をもって申し上げられないわけでございますけれども、でき得る限り、事情の許します限りプレハブ等の解消につとめるように指導いたしまして、私どもも、それに応ずるだけの補助金を予算で確保するということにつとめたいと思っております。
  134. 寺前巖

    寺前委員 いまのお話から、私は二つの質問をしたいと思うのです。  まず第一、前段の質問になりますが、さしあたってこの仮設を、いわゆる建築基準法でいうならば六カ月、その六カ月の間に解消できないことは予想にかたくない。私が保谷の市当局者の意見を聞いても、少なくとも二年は入ってもらわなければならぬと思いますということを言っておる。おそらくそうだろうと思うのです。そうすると、いまのこのような危険な状態のもとにおける校舎の状態でいいのかどうか。たとえば、この火事に行ったところの親御さん何人かに会ってみましたが、今度、もしもここに建築してもらう場合にはプレハブはやめてもらいたい。それに対して市長さんも頭を下げています。いや、緊急臨時措置だからこれでいきますというふうには言えないのです。私は市町村の責任では済まないと思う。一般的な傾向として大都市周辺にこういう事態が発生している場合には、一般的にも校舎というのはこういうふうに管理しなければだめだ、こういうような施設でなければだめだということをあえて提起をする、その裏づけをしてやる。私は、緊急の仮設であっても、仮設に対する責任を負わなければならないと思うのです。私はこの校舎に行ってみました。あるいはその隣の保谷小学校に行ってみました。全然耐火物は使われていません。また、保谷小学校に行きましたら五教室がずらりと並んでいます。中間に抜け出すところの廊下はありません。きわめてずさんな校舎の状態に置かれていると思う。これは届けてないから、したがって検査のほうも行なわれていない。しかし、届けてたいかもしれないけれども、一方で資料としては、不足数に対しては仮設教室はこうありますというふうに厳然として存在している。何といっても子供が現実にその学校に入っている以上は、届け出の処置はきっちりやりながら——しかも届けられないという原因を聞いてみたら、一教室大体百二十万円ぐらいかかるそうですが、もしも耐火の処置をやっていく、耐熱の処置をやっていくとするならば倍の予算はかかるだろう。倍の予算がかかるとなると、ちょっとちゅうちょします。なぜかというと、やっぱり仮設ですから。文部省はこういう問題に対してどう処理されますか。あくまでも、仮設だからいままでのとおりでよろしいと言われますか。教室に対して、少なくとも天井はこうしなさい、隣の教室との間はこうしなさい、しかるべき方針を出されるべきじゃないですか。百二十万のいまやられている教室では、子供を管理する上においては問題だ。その辺の見解はどうですか、聞かしてください。
  135. 岩間英太郎

    ○岩間説明員 従来プレハブ等の仮設につきましては、二階建てとかそれ以上のものは認めないということで平屋でございますから、災害等につきましてはわりあい強いと申しますか、そういうことで私どものほうは、別にこれまでは基準は設けてありません。しかし、先ほど御指摘のように、夏は非常に暑い、冬は非常に寒い。それから教育上一番問題になります騒音に対して非常に弱いというような、いろいろな欠点がございます。これを本格的な、御指摘のように屋根をどうする、防音をどうするというようなことをやってまいりますと、現在坪当たり三万円から三万五千円というものが、結局本建築と同じような単価になってしまうということでございまして、私ども、実際にやりますならば本建築を促進するという態度で臨んできております。プレハブにつきましても、さらに改良すべき点はあるかもしれませんが、これにつきましては研究をしてまいりたいと思いますけれども、しかし、費用の面でむしろ私どものほうは本建築を促進する。それにつきましは、いろいろ障害がございまして、特に最近の人口急増地域におきましては土地の問題があるわけでございます。そこで、その一番大きなネックになっている問題につきまして、これも国から助成をして解決して、できるだけプレハブというものはなくしていきたいということでやっております。この点をひとつ御了承願いたいと思います。
  136. 寺前巖

    寺前委員 私は、前段の仮設の状態を現状のままで認めていくというあなたの態度に対しては重大だと思います。親の側から見ても重大です。建築基準法から見ても、あなた自身が違反を犯しているのじゃないですか。仮設であっても、しなければならない義務があるのですよ。違いますか。子供を守る側から見ても、火事に対する問題は、特にあれは火の移りが非常に早くて、しかも煙で巻かれてしまうという状況にあるのだから、したがって、使っているところの建材に対する規制とか、必要以上にやらなければならない。少なくとも建築基準法から見ても、この間ちょっと調べてみたのですが、二十二条、二十三条、二十四条、二十六条など、これは建設省の諸君に聞いても、たとえ仮設であっても、もっとそういう点は真剣に考えてもらわなければ困る。あなたのいまの話を聞いておったら、仮建設だからそれはしようがないんだという態度でこのままやっていこうとするならば、年々ふえてきているところのこの仮設校舎、大部分の子供さんと親御さんをあなたは心配のままに置いておいて、平然としていることになるのじゃないですか。だから、市当局のほうは、こういう状態だから届け出するとまずいから出せぬのだといっているんじゃないですか。建築基準法を犯さなければならない現状は、出せないんだということじゃないですか。これが大部分だと思えば、緊急に処理しなければならないと思うのですよ。実態を直ちに調査して、親の持っている、子供の持っている不安に対しては緊急に規制をする、処置をとります、それに必要な金が一定部分要るというならば、一定の助成をやってやらなかったら市の財政が回らぬというのであれば、予備費を支出してでもやろうじゃないか。私、何ぼも金がかからぬと思いますよ。現在あるところの三千十一の教室を緊急に火事から守るだけの処置をするのには、そんなにかからない。若干の助成をしてやったら済むだろうと私は思うのですよ。五教室もだあっと並んだままの教室で、あのままあれをほっておかれたらたまったものじゃないですよ。私も子を持つ親です。人の命は金にはかえられませんよ。しかも若干の金で済む話です。市の態度で済まぬと私は思うのです。大臣、どうですか。戦後の六・三・三制ができ上がった段階で急速に必要になったのですよ。あの状況の建物の状態よりも、いまやっているプレハブの状態のほうがもっと悪い状態ですよ。危険な状態ですよ。それだけに緊急処置を打って出る必要がある。金が要るならば必要な金を考えようじゃないですか。仮設であったって、私はすぐにやらなければならない問題があると思うのですよ。大臣、いま聞いた話だからすぐには答えられないかもしらぬけれども、基本方針くらいは明らかにしておいてもらう必要があると思うのです。
  137. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 今度の事件はまことに遺憾なことでございます。私も実は横浜周辺のプレハブ教室を見ました。なるほどこれは教育環境としてもよくない。これはすみやかに本建築にやらなければならない。それについて、やはり特に小学校、中学校の建築の事業量をふやすとともに、あるいは土地の取得についても補助金を出す、あるいは、その残りの部分については、政府債による起債というようなものを大幅に獲得をする、こういう考えをその当時持ったわけでございますが、しかし同時に、いま御指摘のように、お話を聞いておりましてもわかりますが、火事に対してはかなり抵抗力がない、こういうようなことでございますから、至急これを調査いたしまして、検討をして、ある程度の金をかければあるいは解消する、あるいはもう少しよくなるということであればそういうふうにしたい、かように考えておる次第でございます。
  138. 寺前巖

    寺前委員 いま大臣が、仮設であってもある程度の金をかけてもやるべきものはやらなければならないというお話だったと思いますので、ほんとうに子供の側、親の側から見ても、しかるべき処置を緊急に手を打ってもらう必要があるということを再度確認して、いま出されたところの本建築の側の問題についても若干この際にお聞きしておきたいと思うのです。  本建築に移るという問題で私はあそこで少し調べてみた。あの市で二十教室プレハブでやっているというのだから、二十教室といいますと、大体一校分ということになりますよね、検討すると。普通常識的に見て、小学校六年として一校以上の規模になるのだろうと思いますけれども、そうすると一校建築しようとすると、どうしたって常識的に見て十億ぐらい金が要るでしょう。あの辺の土地だったら学校の用地を五千坪ぐらい、坪十三万円から十五万円ぐらいのところの土地を買ったとして、そこに校舎をつくると十億円前後はかかるだろう。あそこの市の財政は二十五億円なんですよ。市財政からいくと大体七割が経常財政に要るもんですよね。そうすると、学校建築をやったら、学校建築のために経常的な運営すらできないということが起こりかねない。あるいはほかは何もやれない。しかも現実に発生しているのは、屎尿の問題といい、あるいは廃棄物の問題といい、下水道の問題といい、やらなければならない問題は市当局として多々ある。こういう状況の中でこの本建築をやっていくという場合に、いまの市の当局の財政実態ではまかない切れないという片一方の面もまた同時にあるわけですね。これはどうしたって人口急増地帯については、さっきも言ったように、戦後のあの突貫工事をやらなければならなかった制度の改革に近いような状況が起こっているだけに、私は、緊急に特別立法をするなり特別に助成の制度を変えるなり、この分野については特別な財政的な措置をしなければ、口で言っても実際上はできないという問題が発生してくると思うのです。なかんずく一番大きい財政的な困難というのは、土地の問題だろうとぼくは思うのです。土地のウエートが非常に大きいと思うのですね。そういう意味では、土地の問題について従来助成の対象に全然なっていなかったけれども、土地の助成について実態に対して本格的に市財政が運営できるように取り組んでいくという、この分野に対する本格的な検討をする必要があると思いますけれども政府としてこの問題については一体どういうふうにお考えになっておるか、ちょっとお聞きしたいと思います。
  139. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 詳しい計画は管理局長からお答えいたしますが、来年度の予算には、先生御指摘のような気持ちで取り組みたいということで、本年度は約四百四十億くらいでございましたけれども、いま要求しております金はプラス五百億くらい、九百四、五十億を要求しておるわけであります。  それからいまの仕組みにいたしましても、先ほどお答えいたしましたように、やはり何といっても土地だ、土地に対して補助金を出す必要がこの段階であるのではないか。それからその残りの問題につきましても、起債も政府債ということで抜本的な取り組み方をしたい。しかもその人口急増地域というものを一定の基準を設けましてとらえまして、私の記憶では大体百何カ町村でございましたが、そういう町村をとらえまして、そこから重点的に予算の配分を行なっていきたい、こういう仕組みになっておるわけでございます。
  140. 岩間英太郎

    ○岩間説明員 大臣からお話がございました、また先生からも御指摘がございましたように、人口急増市町村の財政あるいはその行政の規模から申しまして、非常に大きな問題が起こっているわけでございます。したがいまして、これに対しまして的確な対策を講じませんと、私ども限りのことで申し上げましても他の教育が非常に圧迫されておる。屋体だとかプールだとか、あるいは社会教育等につきましては非常におくれが目立っておるというふうな点もございまして、これは何とかしなければいけないということで、ただいま大臣から申し上げましたように、人工増市町村につきましては自治省と相談いたしまして、来年度総合的な対策を立てていくというようなことにいたしたわけでございます。具体的に申し上げますと、土地につきましては半額の補助をしたいということで、二百十億円の国庫補助金を要求しております。それから、残りの裏負担の分につきましては、これは自治省のほうから原則として政府保証債で、つまり償還年限の長い低利の資金でもってカバーしたいというような構想でございます。なお、建物につきましては、従来どおり補助がございますけれども、その補助率を引き上げまして、その裏財源につきましても地方交付税と地方債でもって完全に裏財源を確保する。それからさらに、従来から持っております既往の利子の高い、主として縁故債等につきましては、これは元利償還も考えていきたいということで、これは別途自治省のほうから予算を要求するというふうに、少なくとも義務教育の施設につきましては、市町村のほうで特別に持ち出しをしなくても、国のほうで財政の裏づけをしたいというふうな計画を立てて、ただいま予算を要求しておる段階でございます。
  141. 寺前巖

    寺前委員 ちょっと小耳にはさんだ話では、土地という財産は当該市町村のものになるんだから、大蔵省としてはそれは認めぬというような話がどこからか入ってきたのですが、そういう考え方というのは、全体を貫く考え方として許される考え方なんですか、ちょっと大臣の意見を聞きたいのです。
  142. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 私どもといたしましては、この壁を突き破りたいというふうに思っております。
  143. 寺前巖

    寺前委員 そういう考え方になると、たとえば府県に分担を持たしている国のいろいろな諸施設は、おのれのところの財産だったら府県に分担金を持たしてはならないという考え方の発想になるので、私はこれはきわめて矛盾した態度だと思いますので、ひとつ大臣、土地の問題は明確にしてもらうと同時に、さっきも裏負担の問題が出ておりましたけれども、補助金とか対象にするという問題については、実態に合うように全面的にやる、ということは、教育を担当する側においてはもっと正直でなければならぬと私は思うのです。たとえばさっきの火事のいったところの学校、四教室あります。これをなぜ本建築にしなかったのだと聞いてみたら、対象になるのは一教室分だというのです。あと三教室は違うのだ。それではあと三教室は違うというのだったら、これはおまえのところぜいたくでかってにふやしたのかと言うたら、そうじゃないというのです。それは児童生徒と先生との関係から見るならば、教室数はこれこれ必要になってくるし、それから諸施設の管理部門を考えるとこういうことになってくるのであって、これは当然のことだということをいうわけです。そうすると、対象そのものにおいて実態と狂いが起こっている。  それから、建築単価においての狂いというのも非常に大きいですよね。もうこの際、教育の分野からでも、もっと正直を貫いて明確にするという態度がとれないものかどうか。この辺は、来年度の予算要求にあたって、局長、どういうふうに考えておられるのか。やはり交渉する以上は態度を貫かなければ話にならないと思うのですが、その点どうですか。
  144. 岩間英太郎

    ○岩間説明員 御指摘になりました単価の問題につきましては、これは毎年改善を行なっておりまして、来年度につきましても一〇%以上の単価の引き上げを要求しております。大体単価は、これは学校建築ばかりではなくて、ほかの公共事業関係の経費も同じでございますが、統一的に査定されるということでございますが、私どもの要求はかなり厳密な要求をしておりますので、大体その方針で認められるということが従来の慣例でございます。しかし、予算を編成いたします時期と実施をいたします時期とではかなりズレがありまして、その意味の単価の食い違いというのが出てまいりますのは、これは現行の予算制度から申しますと、ある意味ではやむを得ない問題でございます。しかし、昭和四十三年度を例にとりますと、木造、鉄骨では若干の狂いはございましたが、鉄筋につきましては、予算単価と実際の単価というものが完全に合っております。私どものほうは、できるだけその差をなくするように努力をしていきたいと考えております。  なお、不足坪数の問題でございますけれども、現在御指摘になりました東伏見小学校の場合には、単純計算では不足面積は八十六平方メートルというふうになるわけでございます。不足教室としましては普通教室が四教室、特別教室が二教室というふうなデータがございますが、これにつきましてもある程度その地域、地域で事情は異なりますし、それからまた、個々の学校によりまして若干の事情の違いがございます。そういう点につきましては、予算のときにそれを全部一々カバーするということは不可能でございますが、実際の実施にあたりまして、特別の事情がございますものにつきましては、弾力的にそれを運用するというふうなことで解決をしてまいりたいということでございます。
  145. 寺前巖

    寺前委員 それでは、私は最後に大臣にお聞きしたいのですが、先ほどから言っておりますように急増地帯で危険な仮設校舎が現に存在している、こういう実態。この仮設はすぐなくならない。それは、一方で仮設であっても直ちに処理をしなければならないという実態がある、これは調査してやってもらう。それから、仮設を解消して全体を本建築で保証する。その財政的な裏づけまで含めて、私が大臣である限りは何年代にはこれは解消することができるのだという自信をお持ちか、その話を聞いて質問を終わりたいと思います。
  146. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 一体何年で解消するということは私自身として、いまここで資料を持ち合わせませんので申し上げられないわけでございます。しかしながら、ただいまるる申し上げましたようなことで、ひとつ一日も早くプレハブがなくなって、本建築のりっぱな教育環境のもとで生徒児童が安心して学業ができるようにしたい。そのための最善の努力をいたしたいというふうに思います。  また、プレハブの問題につきましては、私いろいろ調査をしました結果、もう少し火事の場合にどうするか、あるいはもし若干のお金が必要な場合はどういうふうにしてその財源を捻出するかというふうなことをひとつ前向きに検討してみたい、かように考えております。
  147. 寺前巖

    寺前委員 終わります。
  148. 八木徹雄

    八木委員長 本日は、これにて散会いたします。    午後二時四十八分散会