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中曽根国務大臣 私の
考えは少しも変わっておりません。
新聞その他に報道されることが断片的でありましたために
誤解を生んだのはまことに残念であります。私は二年前の夏、われわれの新政同志会の青年講習会をやりました。それから去年はたしか七月に日経連の財界セミナールが富士のすそ野でありまして、そのときもやりました。九月一日に同じくわれわれの同志会の青年講習会で約一千人ばかりの青年に言ったことも、それから九月の、いまの
日米民間人
会議で言ったことも、みんな同じことを言っているのです。ただ何と申しますか、象をさわるように、鼻をさすったり足をさすったりして、これが大蛇のようだとかなんとかという、そういう感じがしなくもないのです。これは私が体系的に全貌を大衆の前に全部露呈する機会がなかったからそういう
誤解を受けたので、私の不徳のいたすところでありますが、こういう
考えを言ってきたわけです。つまり
安全保障条約というものは
時代とともに変わっていくものだ。それで
日本も初めは戦争に負けて、軍は解体されてゼロであった。そして
昭和二十七年に独立し、
安保条約が結ばれたけれども、
日本はゼロであったからほとんど
アメリカに依存して、そのために
安保条約も
行政協定も不平等であった。しかし自来
自衛隊ができ、だんだん国力も回復してきて、何とかして
米軍をできるだけ早く撤退させ、かつ条約を平等に直そうと
国民は
努力し、自民党も
努力した。そうして
昭和三十五年に至って、その第一回の改革のときが来て、
安保条約は
改正され、
行政協定も
改正され、そしてたとえば内乱出動条、項というような恥ずかしい
条項は削除され、あるいは十年の再検討の期間が設けられ、あるいは
行政協定は改革されて、
裁判権は
日本に戻り、NATO並みになった、あるいは
事前協議条項というものがつくられて、
日本の
発言権は回復した。そういうようにこの三十五年の安保改定というものは新
安保条約に変わったわけですけれども、一歩前進である。そして
アメリカの軍はほとんど全部撤退して、陸軍はほとんどなくなった。そこで今度は十年たって、その再検討のときが来て、今度は
自動延長になる。そして一年の
予告でいつでもやめられるという
体制に変わってきた。これはやはり
経済力の回復と
日本の
発言権を回復し、
日本を
自分で
防衛しようという
努力がだんだん実ってきた。こういうふうに変わってきた。そして一年の
予告でいつでもやめられるというふうに踏み切って出てきた。私はこれがいいと思っている。自民党内には十年間固定延長せよという
意見もあるけれども、われわれ大反対して、この
考えをつぶしたのだ。なぜならば、もう十年間
アメリカにおぶさるという根性にしておいて、どうして青年に独立心がわくか、民族独立の精神がわくか。だから一年の
予告でいつでもやめられるという潜在的危機状態をつくっておいて、初めて
日本人や青年に民族独立の精神がわいてくる、そういう環境をつくって、あえて裸で飛び出そうという
考えに立って、
自動継続を主張し、そういう
方向に変わってきた。喜ぶべきことである。そして今後はどうすべきかといえば、おそらくこの
自動継続によって精神もだいぶ変わってくるし、七二年に
沖繩が返還されれば、
沖繩の返還というものは必ずしも
日本の
防衛領域が量的に拡大するというだけでない、質的な精神的
変化も入ってくると私は思っておる。言いかえれば、サンフランシスコ平和条約の敗戦
条項が一部分これで消えるということでもあります。そういう
意味において、
日本人の精神的な
変化もある。それからさらに
経済力が回復して、七五年ぐらになればおそらくGNPが四千億ドルくらいになるだろう。そうなった場合には、おそらく汎
太平洋の地域は、ほとんど
日本が
防衛しなければお互いに生きていけないという
体制になってくる。そうなった場合は、
経済というものはややもすれば人心をゆがめたり、民族を傷つけたりする。
アメリカでも、ニクソンがカラカスへ行ったら、トマトをぶつけられたり卵をぶつけられたりする。
日本はいままで賠償で維持してきたけれども、
経済的にほっておくと、醜い
日本人とか、あるいは成り上がり者とか、
日本人はまだ国際的なそういう教養ができていない。そういう
意味からも
経済の傷をいやす政治プログラムが必要だろう。さもなければ華僑が南方でいやがられるように、日僑という
ことばが出てきていやがられる。そういう
意味において、
アジア、
太平洋にわたって、
日本が
日本独自の政治プログラムを用意して、そういうものに対する治療薬も持っていかなければいかぬ
時代が必ず来る。そういうふうにいった場合に、
日本と
アメリカとの
関係がいままでの比重でよいか。
経済的に見ても、これからの大問題は
経済的な衝突になるだろう。
日本が四千億ドル
経済になれば、貿易のバランスは転倒していくであろうし、
安全保障以上に
経済の対立や何かをわれわれは心配しなければならぬ。そういうふうになってきた場合に、
安全保障という問題をそのままにしておいていいかどうか、疑問な
時代が来るかもしれぬ。しかし、
日本と
アメリカが相互に
提携し、
基本線において相共同していくということは、
太平洋の平和のために一番大事なことだ。われわれは明治以来の経験において、
太平洋が荒れたときぐらい
日米の不幸はないし、
アジアが動乱に巻き込まれるときはない。一番大事なことは
太平洋を平和な海にしておくということであって、そういう
意味において
日米がしっかり
提携していくということは、われわれはもう永久的といっていいぐらいの基本的国是であり、世界の平和に貢献することにもなるだろう。
安全保障条約というものはその一つの手段でもある。しかし、そういう
安全保障体制というものは続くだろうけれども、内容は変わっていくだろう。それは安保が変わってきたのを見ればわかる。そういう
意味において、新しいそういう環境が生まれてきたら、基本精神は残して、その
提携の内容を
時代に合うように変えたらどうか。それは
理論的可能性としてわれわれは提起しておいてみる必要がある。いつまでもいまのままにぶら下がっておいていいかどうかわからぬ。いまのものは、原型は吉田さん、ダレスさんのような明治の相当古い連中がつくったものである。小学校がいつまでもそれにぶら下がっていく必要は必ずしもあるまい。新しい
時代が来たら、
日本と
アメリカの新しい
人たちが
国民世論に従って新しい結合形態をつくるということが、
日米相互保障の一番大事なポイントになっていくだろう。そういう
意味において、いまの
安保条約というものを新しい別の
日米親善関係に発展させるという
可能性も、われわれは選択の問題として
考えておかなくてはいかぬ、そういう
意味の
発言なんです。
そこで、それを
防衛的に見れば、
日本は
核兵器は持ちませんし、また他に脅威を与える攻撃的兵器を持ちません。したがって、そういうものを持たないという限りは、よほどの
変化がない限りは、それは
アメリカに依存せざるを得ない。そういう
意味において、
日米間の
安全保障体制という
ことばを使った。速記をお読みになればわかります。
安保条約という
ことばは使っておりません。いつでも私は使っていないのです。
日米間の
安全保障体制は半永久的に必要であると思うと私は言い切っておるのです。それはいま言ったような根拠に基づいて、
太平洋の平和ということを
考えて、そして
安全保障体制と言っておる。
安全保障条約、こういう固有名詞のついたものは一時期における一態様であると
考える。
佐藤総理も今度の施政方針演説で、一九七〇年代は選択と
可能性の
時代であると言っておる。私と認識は同じであります。しかし、そういうふうに
変化していくにつれても、それはお互いがあることであるから、お互いが
合意の上に立って、そういうふうに変えていくという
合意が成立しなければ、一方的にはできない。お互いが協調し合いながら、そういう新しい
提携方針を模索しつつ健全に建設していくという、そういう選択を
可能性の一つとして
考えてみてもらいたい、そういう
意味を申し上げたのであります。それはもうここ四、五年私が一貫して言っていることでありまして、もし
誤解がありましたら、お直しをいただければありがたいと思います。